都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
88さんの記事が50件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[80270]2012年2月11日
88
[80263]2012年2月9日
88
[80178]2012年1月21日
88
[80177]2012年1月21日
88
[80176]2012年1月21日
88
[80123]2012年1月15日
88
[79802]2011年12月31日
88
[79796]2011年12月30日
88
[79762]2011年12月24日
88
[79737]2011年12月14日
88
[79692]2011年12月1日
88
[79677]2011年11月28日
88
[79666]2011年11月24日
88
[79660]2011年11月22日
88
[79546]2011年10月21日
88
[79540]2011年10月19日
88
[79539]2011年10月19日
88
[79535]2011年10月18日
88
[79531]2011年10月17日
88
[79523]2011年10月16日
88
[79522]2011年10月16日
88
[79290]2011年8月31日
88
[79288]2011年8月30日
88
[79278]2011年8月29日
88
[79242]2011年8月24日
88
[79179]2011年8月20日
88
[79059]2011年8月12日
88
[79058]2011年8月12日
88
[79041]2011年8月11日
88
[79028]2011年8月10日
88
[78998]2011年8月8日
88
[78860]2011年8月2日
88
[78859]2011年8月2日
88
[78854]2011年8月1日
88
[78837]2011年7月28日
88
[78800]2011年7月20日
88
[78799]2011年7月20日
88
[78797]2011年7月19日
88
[78778]2011年7月16日
88
[78777]2011年7月16日
88
[78776]2011年7月16日
88
[78775]2011年7月16日
88
[78774]2011年7月16日
88
[78761]2011年7月13日
88
[78760]2011年7月12日
88
[78755]2011年7月11日
88
[78521]2011年6月8日
88
[78507]2011年6月7日
88
[77619]2011年2月8日
88
[77581]2011年2月2日
88

[80270] 2012年 2月 11日(土)12:30:4788 さん
合併に際しての地名の表記について その1(事実編)
[80250] hmt さん
[80251] Issie さん
市区町村変遷情報をご活用いただきありがとうございます。
[80251] Issie さん の
「町村制村」の名前は,さらなる合併でその村自体が消滅してしまえば一緒に消えてしまいます。所詮,新しく“デッチ上げられた”地名に過ぎない,ということなのかもしれません。
は、まったく同意見です。
hmtさんによる事例研究も、その通りかと思います。
付け加えるならば、私は現状を次のように見ています。
(1)明治の大合併時に誕生した、従来はその名称が存在しなかった「『町村制』村」は、昭和の大合併の時にかなり消滅した。旧大字名≒明治に大合併時の直前の町村名≒近世村名は、新自治体の町名・大字名等として活用することにより、存続した。
(2)昭和の大合併で誕生した町村名は、平成の大合併において、「合併前の町村名を尊重する」との名のもとに、引き続き利用されている。
 具体的には、従来の大字名の前に冠することによって「○○町△△」(○○:昭和の大合併時の町村名、△△:旧大字名≒近世村名)とされたところが多い。
(3)地方自治法上の正式な町名・字名は「○○町△△」を一纏めとして行うことが正式である。(注:例外あり)
 しかし、自治体の記載、報道などでは「○○町」までで止められ、正式な「○○町△△」とされることは少数派である(「□□市○○町」が座りがよいためか、単に「○○町」が町名、と意識されるためか)。このため、いわば“デッチあげられた”地名である「○○」が残存し、本来の歴史ある地名である「△△」が軽視されている現状がある。さらに、町名変更などの際に消滅する懸念がある。

私なりの見解の総括は、末尾にまとめて述べます。
――――――――――
具体例をご紹介しながら述べます。
まず、地方自治法
第260条 政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
を掲示しておきます。

事例として、近年の各種災害の発生時において、報道等に際しての地名の表記を挙げます。まずは、基本的に事実等のみを述べます。
■1「五條市大塔町」(平成23年(2011年)の紀伊半島等における台風12号による被害)
奈良県HPの記事
台風12号被害状況の視察(五條市大塔町)
五條市大塔町内まで
朝日新聞
五條市大塔町の赤谷地区にできた土砂ダム
毎日新聞
奈良県五條市大塔町赤谷、同県十津川村長殿にできた土砂ダム
▼正式な表記
新生五條市合併協議会(第3回)協議「第8号町名・字名の取扱いについて」(pdfファイル)の、協議会での決定事項では、「吉野郡大塔村」を「五條市大塔町」に置き換えることが「見た目」の変化ですが、実は、ポイントは
現在の大字の区域をもって、町の区域を新たに画することとする
というところです。つまり、従来の「大字辻堂」という「大字」の区域をもって、「大塔町辻堂」という「町」の区域を画する、ということです。
「大塔町」ではなく「大塔町辻堂」が、地方自治法第260条の「町」の区域である、ということの趣旨です。
実際には、正式な根拠であるH17.7.19付け奈良県告示第231号 (pdfファイル)は次のとおりです。
奈良県告示第二百三十一号
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百六十条第一項の規定により、五條市長から次のとおり字の名称を変更する旨の届出があった。
この処分は、平成十七年九月二十五日からその効力を生ずる。
(略)
平成十七年七月十九日
奈良県知事 柿本善也
新町名現字名
(略)(略)
大塔町辻堂大字辻堂
大塔町殿野大字殿野
(略)(略)
「大字辻堂」という「字」(大字)が、「大塔町辻堂」という「字」(大字)に名称を変更した、ということです。「字」の区域は、変更がありません。
「五條市」の下位区分に「大塔町」があり、そのさらに下位区分として「辻堂」「殿野」があるのでは決してありません。「五條市」の下位区分として「大塔町辻堂」「大塔町殿野」があるのです。一段階です。
さらに、「大塔町赤谷」は、存在しません。

歴史を振り返ります。
「大塔」は、M22.4.1付け奈良県町村制施行時吉野郡 大塔村として発足し、由来は、Wikipediaによると、
後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王が元弘の変の際にこの地の豪族戸野兵衛・竹原八郎らに匿われたことに由来する。
とのことです(参考)。
一方、「辻堂」「殿野」は、この町村制施行前の近世村として「辻堂村」「殿野村」が存在しており、大塔村発足後はこれらの地域は「大字辻堂」「大字殿野」となっていました。
「大塔村」という自治体が町村制以前にあったのではないようです。
五條市HP内の旧大塔村の歩みでも、「大塔町」という町名があるかのような表現をしています。
「赤谷」は、赤谷緑地公園や各種資料の位置関係などから、五條市大塔町清水の一部であるようです。

■2「輪島市門前町」(平成19年(2007年)の能登半島地震における報道)
国土交通省北陸地方整備局HP「第1章 能登半島地震の概要」(pdf)3コマ目(p.7)
輪島市門前町から志賀町にかけて
中日新聞記事(記者コラム;窓)
輪島市門前町で避難所運営に
▼正式な表記
輪島市HP内(合併に伴う)住所のご案内
例えば、輪島市門前総合支所(旧鳳珠郡門前町役場)の住所は、次のように変更になりました。
石川県鳳珠郡門前町字走出6の69番地 → 石川県輪島市門前町走出6の69番地
元々の「門前」は、市制町村制施行(石川県)鳳至郡 櫛比村となった時の従前の 鳳至郡 門前村であり、「走出」は 鳳至郡 走出村でした。「櫛比」は、この付近が櫛比郷であることからの名称のようです。「門前」は、曹洞宗大本山總持寺祖院(元々は横浜市鶴見区に移転した曹洞宗大本山總持寺)に由来します。
これを、輪島市との合併前の 鳳珠郡(←鳳至郡) 門前町 では、「字走出」という、実質的にいわゆる大字として取り扱って(地番区域も近世村(=走出村)単位と思われる)表記していたのでしょう。
輪島市・門前町合併協議会第3回協議会会議録(pdfファイル)の17コマ、第3回合併協議会会議資料(pdfファイル)の99コマに、記載があり、輪島市としての町または字の設定の告示がweb上に見当たりませんが、協議のまま確定したとすると、
従前の町・字の名称の前に「門前町」を付し、住居表示上の「字」は表記しない。
であるので、「門前町走出」「門前町門前」が、現在の町または字の名称及び区域でしょう。(輪島市の正式な町・字の告示は、web上には見当たりませんでした。)
由来からみると、現在の「門前町門前」の範囲が本来の「門前」でしょう。

■3 平成22年(2010年)の奄美大島豪雨
「奄美市住用町」
日テレnews24内豪雨報道

奄美豪雨 奄美市住用町から中継
読売新聞鹿児島地域記事
奄美市住用町で
▼正式な表記
奄美市HP「合併後の住所表示」も参照してください。
また、長文の引用ですが、第16回協議会(平成17年3月10日開催)報告第26号(pdfファイル)
18/129頁を転載します。
協議第31号
町名・字名の取扱いについて
町名・字名の取扱いについては,次のとおり提案する。
1 町・字の区域は現行のとおりとする。
2 町・字の名称については,次のとおりとする。
(1) 名瀬市については,従前の町名又は,大字に名瀬を冠したものをもって大字とする。
(2) 笠利町については,従前の町名を従前の大字に冠したものをもって,大字とする。
(3) 住用村については,従前の村名を町名とし,これを従前の大字に冠したものをもって,大字とする。
3 前項については,地域自治区の設置期間終了後に適用することとする。
平成16年12月24日提出(平成17年1月7日承認)
奄美大島地区合併協議会
会 長 平田 隆義
「住用町」は、奄美大島地区合併協議会において、
名瀬市,大島郡住用村及び同郡笠利町の廃置分合に伴う地域自治区の設置に関する協議書で設置された、S40.3.29法律第6号市町村の合併の特例に関する法律(現在では廃止済)の第5条の5による「地域自治区」の名称です。
S40.3.29法律第6号市町村の合併の特例に関する法律
(地域自治区の設置手続等の特例)
第5条の5 市町村の合併に際しては、地方自治法第202条の4第1項の規定にかかわらず、合併関係市町村の協議で定める期間に限り、合併市町村の区域の一部の区域に、一又は二以上の合併関係市町村の区域であつた区域をその区域とする同項に規定する地域自治区(以下「合併関係市町村の区域による地域自治区」という。)を設けることができる。
2 市町村の合併に際し、合併市町村の区域の全部又は一部の区域に、合併関係市町村の区域による地域自治区を設ける場合においては、地方自治法第202条の4から第202条の8までの規定により条例で定めるものとされている事項については、合併関係市町村の協議により定めるものとする。
3 前二項の協議については、合併関係市町村の議会の議決を経るものとし、その協議が成立したときは、合併関係市町村は、直ちにその内容を告示しなければならない。
4 合併市町村は、第一項及び第二項の協議により定められた事項を変更しようとするときは、条例でこれを定めなければならない。
この地域自治区は、前述の名瀬市,大島郡住用村及び同郡笠利町の廃置分合に伴う地域自治区の設置に関する協議書第3条の規定により、平成28年3月31日まで設置されます。

通常は、町・字の名称又は区域の変更があれば、新設合併施行時のH18.3.20付けで、地方自治法第260条第2項 ([80177]参照。鹿児島県ではなく奄美市告示)により、行われるのですが、上記合併協議会での決定事項「3 前項については,地域自治区の設置期間終了後に適用することとする。」により、
地域自治区大字
~H28.3.31住用町大字役勝
H28.4.1~住用町大字役勝
ということになります。
M41.4.1付け大島郡 沖縄県及島嶼町村制施行時の大島郡 住用村になるまでは、村名としての「住用」はありません。もっとも、「住用方」と呼ばれた地域ではあったようです(作々さんHP内の市制町村制以前の町村名(鹿児島県))。

報道された時点では、「奄美市住用町」とは、「自治体名+地域自治区名」であり、現時点でも同様です。この点、「五條市大塔町」「輪島市門前町」とは事例が異なります。
ただし、前述の規定により地域自治区が廃止されたH28.4.1以降に「奄美市住用町」と表記すると、「五條市大塔町」「輪島市門前町」と同様になります。


次稿に続きます。
[80263] 2012年 2月 9日(木)00:32:3488 さん
★祝 変遷情報検索
[80254] グリグリ さん からアナウンスのあった、市区町村変遷情報変遷情報検索。グリグリさんから幾つか利用方法の例示があり、hmtさんも[80257]加積を試していただいています。
皆さんもいろいろと試していることと思いますが、何かと、遊べる機能であると思います。市区町村変遷情報が、ますます、「生きる」機能であると思います。
これもひとえに、こうしたHPの場を提供し、市区町村変遷情報の編集作業・表示が容易なプログラム・システムを作成し、今回の変遷情報検索機能をも作成した、グリグリさんに負うところが大きいのは言うまでもありません。また、編集作業に際し、落書き帳その他の場でご意見・ご指摘を多数お寄せくださった皆さんに、改めて感謝申し上げます。

こうして変遷情報検索を試してみると、改めて、個々の情報の精度が求められることを実感しております。未だにご指摘に対応できていないものも多数あります。例えば、最近はずっと[78466]以降のむっくんさんによる東京府関連の情報の確認作業を行っているのですが、複雑かつ悩ましいものも多く、なかなか、前に進んでおりません。各種宿題ばかりが山積しておりますので、少しでも減らしたいと思います。

――――――――――
せっかくですので、変遷情報検索の事例を、私ならではの観点から。

まずは、個人的な地元である、高松、ついでにお隣の松山

グリグリさんが[80254]で例示していただいた八幡は、[79692]拙稿での記述を踏まえたものと想像します。
その[79692]で触れた、大野中野小野

編集作業の過程で、結構よく見かけた町村名の一つ、河内
多いとまでは言えないものの、珍しくもなかった、在家

全国にあるのが自明である、府中国府国分

全国に同一の地名は複数ある方が自然である、という例示でした。

――――――――――
[80260] グリグリ さん 
西彼杵郡 雪浦村の件、確認の上、修正しました。失礼しました。
 
[80178] 2012年 1月 21日(土)22:29:5588 さん
地番区域、町・字(大字・小字)について
地番区域に着目して、いくつか例を示しながら、(自治体の中の)町・字(大字・小字)について述べます。長久手市の例と同様の事例・類似の事例もあります。

香川県高松市が、S31.9.30付けで周辺15町村を編入合併した際の、町名設定時のS31.9.30高松市告示第105号の5
の抜粋です。
・・(15町村を)廃し,その区域を高松市に編入したので同区域に町を設立しその町名を次の通り定め,昭和31年9月30日から施行する。
設定町名同左区域
東山崎町旧川添村大字山崎の区域
三谷町旧三谷村の区域
香西東町旧香西町字新田の区域
香西本町旧香西町字香西の区域
香西南町旧香西町字西打の区域
香西西町旧香西町字平賀上の区域
香西北町旧香西町字平賀下の区域
西山崎町旧円座村大字山崎の区域
鬼無町旧上笠居村の区域
中山町旧下笠居村字中山の区域
植松町旧下笠居村字植松の区域
生島町旧下笠居村字生島の区域
神在川窪町旧下笠居村字川窪の区域
亀水町旧下笠居村字亀水の区域
例えば、東山崎町, 西山崎町 は、それぞれ直前は木田郡(旧山田郡)川添村大字山崎, 香川郡円座村大字山崎 ですが、元をたどれば、山田郡山崎村, 香川郡山崎村 です。三谷町は、直前の香川郡三谷村がM23.2.15には(高野村(微)を除くと)単独でそのまま町村制を施行しましたので、やはり近世村単位です。
これらは、いずれも、近世村=(高松市における地方自治法上の)町=地番区域です。

一方、上記の旧香川郡香西町(元は中笠居村), 上笠居村, 下笠居村 は、小字単位の地番区域です。旧上笠居村は、上記告示の約2箇月後に、次のとおり町名が変更となりました。
S31.11.19高松市告示第122号
高松市鬼無町の町名を次の通り変更し,昭和31年11月19日より施行する。
設定町名同左区域
鬼無町是竹旧上笠居村字是竹
鬼無町佐料旧上笠居村字佐料
鬼無町藤井旧上笠居村字藤井
鬼無町佐藤旧上笠居村字佐藤
鬼無町山口旧上笠居村字山口
鬼無町鬼無旧上笠居村字鬼無
現在の香川県立高松西高等学校を例に述べます([49211]拙稿でも書いていますが、改めて)。
S31.9.30からS31.11.18までの間は、例えば町名が「鬼無町」でしたが、地番区域が字(小字)単位であったので、「鬼無町257番1」では、字山口に限らず6つの字のうちで特定ができないため、必ず「字山口」を表示する必要がありました。
S31.11.19からは、町名が「鬼無町山口」となったので、その町名のあとに「257番1」となりました。
現在は、(元)小字=(高松市における地方自治法上の)町にいわば昇格=地番区域です。
正式には「鬼無町」という町はないのですが、「○○町」=町 という誤解が浸透しており、そのままの誤った使用が多々見られます(香川県HP内など。ちなみに同ページ内の「国分寺町」との表記も誤り。正しくは国分寺町新居、国分寺町国分など)。
#wikipediaの「鬼無町藤井、鬼無町是竹、鬼無町佐料、鬼無町佐藤、鬼無町山口、鬼無町鬼無の6町からなる」との表記は正しい。同ページ中の2.2 町名の変遷 欄も参照。
高松市例規集第1編 通規/第1章 通則にある
(高松市)公称町名一覧表も参照。これは、地方自治法第260条第2項に基づき告示された町名をまとめたものと推測。
#高松西高校所在地の「地番」は「高松市鬼無町山口257番1」(小字なし)、「住所」は「高松市鬼無町山口257番地1」。

この例で、例えば「高松市山口町」「高松市是竹町」などとなっていれば、今回の長久手市の例と同様となります。一方、旧下笠居村の例は、旧小字が市の町名となったという意味では、長久手市の例と同様でしょう。旧中笠居村→香西町の例も、旧小字名そのものではなく、東西南北本をつけたとは言え、類似の例でしょう。
結果的に、この隣接した、旧上笠居村・旧中笠居村→香西町・旧下笠居村の3村とも、いずれも、元々は小字単位の地番区域です。いずれも、結果的に小字が町名に昇格?し、現在では町単位での地番区域で、「小字なし地域」となっています。区画整理事業があったわけではありません。
#香川郡香西町字平賀上→(現)高松市香西西町(小字なし)、の例・・高松市香西西町297番5(地価公示・地価調査マップより)
なお、「高松市上笠居町」「高松市中笠居町」とならなかったため、「上笠居」「中笠居」と使用例を聞くことは今日ではまずありません。
「下笠居」は、高松市立下笠居小学校高松市立下笠居中学校下笠居郵便局などにその名残があります。

さきほどふれた、「高松市鬼無町」と「高松市鬼無町山口」との関係、「高松市国分寺町」と「高松市国分寺町新居」との関係。この2つの違いは大きいのです。
「高松市国分寺町新居」には、下位にさらに「字○○」があるのです。この字(小字)は、地番区域ではないので、不動産取引時等を除いて通常は(*)省きます。国分寺町新居、つまり近世村の「新居村」が地番区域です。
例:高松市国分寺町新居字下向田1558番
そして、同様に近世村単位が地番区域であり、その下位区分として小字がある事例として、旧山田郡山崎村である、高松市東山崎町字八反地347番6も例示します。

香川県内では、大半が、近世村単位の地番区域であり、小字単位の地番区域はわずかです。

#地番区域を導入するときの制度や時代背景について、また、全国における地番区域の設定の例(近世村単位か、小字単位か、など)については、[66728][66729]拙稿でもご紹介していますのでご参照ください。地域による相違も大きいようです。

(*)「通常は」の件については、別途、近日中に詳細版を執筆中です。実は、これに関する投稿は、3年以上前から書き足し書き足ししていたのですが、これを機会に、遂に、上梓することといたします。
[80177] 2012年 1月 21日(土)21:58:3488 さん
市町村の区域内の町・字の変更等の告示について~知事が行うか市町村長が行うか
[80176]で触れた、S22.4.17法律第67号地方自治法の、第252条の17の2を受けた、都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村の長が管理し及び執行する件についての、全国の調査結果です。各都道府県ごとに、例規集のトップページ並びに根拠となる条例及びその結果事務を管理し執行する市町村を記しました。調査対象とした事務は、第260条第1項及び第2項の、市町村の区域内の町・字の区域の変更等の、届出・告示の事務に関しての条例の制定状況は、次のとおりです。
あらかじめお断りです。個々の条例へ直接リンクがつながらず、各都道府県の例規集のトップページからログインした後で、個々の条例のリンクへ飛ぶ必要があったり、または、そのトップページからそのまま下位層へたどって個々の条例へ進む必要があるところがあります。上手いリンクの方法がわからなかったので、そのままリンクを張っておきます。

番号例規集HP年月日条例番号条例事務処理市町村
1北海道H12.3.29北海道条例4号北海道総合政策部の事務処理の特例に関する条例各市町村
2青森県H11.12.24青森県条例第54号青森県知事の権限に属する事務の事務処理の特例に関する条例各市町村
3岩手県H11.12.17岩手県条例第62号岩手県の事務を市町村が処理することとする事務処理の特例に関する条例*1
4宮城県H11.12.21宮城県条例第54号事務処理の特例に関する条例各市町村
5秋田県H16.12.24秋田県条例第71号市町村への権限移譲の推進に関する条例市町村
6山形県H11.12.21山形県条例第36号山形県事務処理の特例に関する条例各市町村
7福島県H17.10.18福島県条例第111号福島県地方自治法に係る事務処理の特例に関する条例各市町村
8茨城県H11.12.24茨城県条例第44号茨城県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
9栃木県H11.12.27栃木県条例第31号栃木県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例市町
10群馬県H11.12.22群馬県条例第43号群馬県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
11埼玉県H11.12.24埼玉県条例第61号知事の権限に属する事務処理の特例に関する条例各市町村
12千葉県H12.3.24千葉県条例第1号千葉県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
13東京都H11.12.24東京都条例第106号特別区における東京都の事務処理の特例に関する条例なし?
H11.12.24東京都条例第107号市町村における東京都の事務処理の特例に関する条例なし?
14神奈川県H11.12.24神奈川県条例第41号事務処理の特例に関する条例市町村
15新潟県H12.3.31新潟県条例第8号新潟県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
16富山県H11.12.22富山県条例第50号富山県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各町村
17石川県H11.12.17石川県条例第37号石川県の事務処理の特例に関する条例なし?
18福井県H11.12.24福井県条例第44号福井県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町
19山梨県H11.12.21山梨県条例第47号山梨県の事務処理の特例に関する条例*2
20長野県H11.12.20長野県条例第46号知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例市町村
21岐阜県H12.3.24岐阜県条例第4号岐阜県事務処理の特例に関する条例なし?
22静岡県H11.12.24静岡県条例第56号静岡県事務処理の特例に関する条例全市町
23愛知県H11.12.17愛知県条例第55号愛知県事務処理特例条例*3
24三重県H12.3.24三重県条例第2号三重県の事務処理の特例に関する条例*4
25滋賀県H18.12.28滋賀県条例第71号滋賀県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例市町
26京都府H12.3.28京都府条例第4号京都府の事務処理の特例に関する条例市町村
27大阪府H17.3.29大阪府条例第7号大阪府市町村の区域内のあらたに生じた土地の確認及び町又は字の新設等に関する事務に係る事務処理の特例に関する条例当該市, 町又は村
28兵庫県H11.12.20兵庫県条例第53号知事の権限に属する事務に係る事務処理の特例に関する条例なし?
29奈良県H12.3.30奈良県条例第34号奈良県事務処理の特例に関する条例なし?
30和歌山県H11.12.24和歌山県条例第38号和歌山県の事務処理の特例に関する条例各市町村
31鳥取県H11.12.24鳥取県条例第35号鳥取県知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
32島根県H11.12.21島根県条例第45号知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
33岡山県H11.12.21岡山県条例第51号知事の権限に属する事務の処理の特例に関する条例各市町村
34広島県H11.12.21広島県条例第34号広島県の事務を市町が処理する特例を定める条例なし?
35山口県H12.3.24山口県条例第2号山口県の事務処理の特例に関する条例各市町
36徳島県H11.12.24徳島県条例第30号徳島県の事務処理の特例に関する条例各市町村
37香川県H11.12.22香川県条例第40号香川県事務処理の特例に関する条例*5
38愛媛県H12.3.24愛媛県条例第11号愛媛県事務処理の特例に関する条例各市町
39高知県H12.3.28高知県条例第7号高知県の事務処理の特例に関する条例*6
40福岡県H11.12.27福岡県条例第37号福岡県事務処理の特例に関する条例各市町村
41佐賀県H12.3.23佐賀県条例第2号佐賀県事務処理の特例に関する条例*7
42長崎県H12.3.24長崎県条例第45号長崎県の事務処理の特例に関する条例*8
43熊本県H11.12.20熊本県条例第58号熊本県知事の権限に属する事務処理の特例に関する条例各市町村
44大分県H11.12.24大分県条例第37号大分県の事務処理の特例に関する条例各市町村
45宮崎県H11.12.24宮崎県条例第40号宮崎県における事務処理の特例に関する条例*9
46鹿児島県H12.3.28鹿児島県条例第7号鹿児島県事務処理の特例に関する条例各市町村
47沖縄県H12.3.31沖縄県条例第4号沖縄県の事務処理の特例に関する条例各市町村

*1市町村(釜石市, 紫波町, 住田町, 大槌町, 山田町, 岩泉町を除く。)
*2甲府市, 富士吉田市, 都留市, 山梨市, 大月市, 韮崎市, 南アルプス市, 北杜市, 甲斐市, 笛吹市, 上野原市, 甲州市, 中央市, 市川三郷町, 身延町, 富士川町, 昭和町, 道志村, 西桂町, 忍野村
*3名古屋市, 豊橋市, 岡崎市, 一宮市, 瀬戸市, 半田市, 春日井市, 豊川市, 津島市, 碧南市, 刈谷市, 豊田市, 安城市, 西尾市, 蒲郡市, 犬山市, 江南市, 小牧市, 稲沢市, 新城市, 大府市, 知多市, 知立市, 尾張旭市, 高浜市, 岩倉市, 豊明市, 日進市, 田原市, 愛西市, 清須市, 北名古屋市, みよし市, あま市, 長久手市, 東郷町, 豊山町, 大口町, 扶桑町, 大治町, 東浦町, 南知多町, 美浜町, 幸田町, 設楽町, 東栄町及び豊根村
*4各市町(四日市市, 桑名市, 鈴鹿市, 東員町を除く。)
*5高松市, 善通寺市, 東かがわ市
*6安田町, 本山町, 土佐町
*7各市, 吉野ヶ里町, みやき町, 玄海町, 有田町, 大町町, 江北町, 白石町, 太良町
*8長崎市, 島原市, 大村市, 平戸市, 松浦市, 佐々町
*9宮崎市, 都城市, 延岡市, 日南市, 小林市, 日向市, 串間市, 西都市, えびの市, 三股町, 高原町, 国富町, 綾町, 高鍋町, 木城町, 川南町, 都農町, 門川町

多くの県で、町・字の変更等の告示については、知事ではなく、当該市町村長がその事務を管理し執行するように条例が制定されていることがわかります。
実務上は地方分権の理念の実践、事務の簡素化が行われているのでしょうが、我々一般市民にとっては、当該告示をweb上などで確認することが結果的に困難となっています。
まあ、そういう告示そのものを確認しようとする者は少数派であり、住民にとっては、別の方法で広報・周知が図られていれば、何ら実害はないのでしょうが。
[80176] 2012年 1月 21日(土)21:47:5888 さん
長久手市の大字・字について
[79915] グリグリさん
[79929] 千本桜 さん
近世村と大字の件については、これまでにも私も何度も述べてきたし、スタンスは基本的は千本桜さんと同様なので、別の観点から述べます。
主として地番区域と町・字についてです。

町・字の正式なものの根拠は、地方自治法にあります。
S22.4.17法律第67号地方自治法
第260条 政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
2 前項の規定による届出を受理したときは、都道府県知事は、直ちにこれを告示しなければならない。
3 第一項の規定による処分は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
つまり、正式には、上記の第260条第2項の規定による都道府県知事による告示を確認することが必要です。
例1:H16.12.6三重県告示第932号
桑名市,桑名郡多度町,長島町の新設合併に伴う旧多度町,長島町の区域の字の名称の変更の告示(旧桑名市の区域の字の名称は変更なし)
例2:H17.2.22香川県告示第163号
丸亀市,綾歌郡綾歌町,飯山町の新設合併に伴う旧綾歌町,飯山町の区域の字の名称の変更の告示(旧丸亀市の区域の字の名称は変更なし)
#条文のとおり地方自治法上は、「町」と「字」しかなく、いわゆる「大字」や「小字」は「字」に含まれます(S23.8.9行政実例)。

都道府県告示は都道府県の公報(注:広報ではない)に掲載されます。web上での公報は、こちらに一覧があります。
しかし、現実には、我々一般市民が第260条第2項の規定による告示を確認することは容易ではありません。なぜならば、「第260条第1項の規定による都道府県知事への届出」「第260条第2項の規定による都道府県知事による告示」は、現在では、市町村長が処理することとなっているところが多いですからです。
これは、従前からも市町村長が処理する一部には例はありましたが、いわゆる「地方分権一括法」及びこれを受けた条例に基づき、かなりの数の市町村長が処理しています。
H11.7.16法律第87号地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律(地方分権一括法)第1条により、地方自治法第252条の17の2以下が追加され(その後さらに一部改正)、現在は次の条文になっています。
(条例による事務処理の特例)
第252条の17の2 都道府県は、都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる。この場合においては、当該市町村が処理することとされた事務は、当該市町村の長が管理し及び執行するものとする。
(第2項以下略)
これを受けて、各都道府県では、条例を制定して、当該市町村の長が、事務を管理し執行している例が多々あります。この例については、別稿にて一覧を示します。

今回の長久手市の件で愛知県の告示があれば、と思って当初は、探そうとしたのですが・・・。
愛知県法規集の「第1編 総規」「第6章 行政組織一般」にあるH11.12.17条例第55号愛知県事務処理特例条例別表第一により、地方自治法第260条第1項及び同条第2項の件は、長久手市において事務を処理することとされています。このため、告示は、愛知県告示ではなく長久手市告示の形で行われます。
(#お断り:条例へ直接リンクをたどれないかもしれません。その際は、上記愛知県法規集から上記のとおりたどってください。)
愛知県告示であれば、各都道府県の公報一覧から愛知県公報を確認すればよいのですが(例・・H23.9.2付け愛知県告示第507号常滑市の字区域の設定 (pdfファイル))、長久手市告示は愛知県公報にはもちろん掲載されず、また、長久手市告示はweb上には見当たりません。おそらく、長久手市役所の庁舎前の掲示板に1月4日付けで張り出されたり、庁舎内で閲覧できたり、等の形での周知でしょう。内容によっては、長久手市例規集の中に、告示であっても掲載されるものもありますが。
上述のとおり、長久手市告示を確認することはできませんでした。

一方、登記情報提供サービスで調べてみました。
長久手市の「町名・大字選択」画面では、190の大字と思われるものが並びました。これは、今回、ご紹介のあった、長久手市HP内の市制移行後の住所などについて市制施行後の住所一覧 (pdfファイル)と同じです。
この大字が地番区域ではなく、下位区分の小字が地番区域である場合は、この大字をクリックしてさらに下位層へ進む必要がありますが、そのようなことはありませんでした。つまり、この190の大字が、現在では地番区域となっています。

[79915] グリグリさん ご紹介の、長久手市HPの市制移行後の住所などについてによると、
大字長湫にある「荒田」「菖蒲池」「段ノ上」「平池」「仏ケ根」は、大字の付かない地区にも同じ名称が隣接して存在しますが、これらの地区では地番の重複がないため、市制施行後は大字の付かない地区と同じ名称とし、区域も一つに統合します。
です。具体的には、
愛知郡長久手町大字長湫字荒田長久手市荒田
愛知郡長久手町字荒田長久手市荒田
愛知郡長久手町大字長湫字菖蒲池長久手市菖蒲池
愛知郡長久手町字菖蒲池長久手市菖蒲池
愛知郡長久手町大字長湫字段ノ上長久手市段の上
愛知郡長久手町字段ノ上長久手市段の上
愛知郡長久手町大字長湫字平池長久手市平池
愛知郡長久手町大字長湫字平池長久手市平池
愛知郡長久手町大字長湫字仏ヶ根長久手市仏が根
愛知郡長久手町大字長湫字仏ヶ根長久手市仏が根
となる、ということです。
[79929] 千本桜 さん も検証されているように、大字長湫は土地区画整理事業が進行しています。土地区画整理事業に伴う住所変更についてのページを見ると、H22.10.9から長湫中部土地区画整理事業の換地処分により住所が一部変更となった、とあります。住所変更の実施区域についてはこちら (pdfファイル)を見ると、この時に、例えば「愛知郡長久手町大字長湫字荒田」の一部が区画整理事業の換地処分にあわせて、既に「愛知郡長久手町荒田」となっており、また、当該地に隣接した土地区画整理事業が行われなかった地域は、そのまま「愛知郡長久手町大字長湫字荒田」として残存していたことがわかります。「段の上」「仏が根」も同様です。

試しに、字名地番の旧新対照表はこちら (pdfファイル)から、このH22.10.9から新大字名「荒田」となった区域を抜粋すると、次のとおりです(変更後の地番順に並び替え、「番」を補足)。
該当大字名該当字名地番新大字名新字名地番
大字長湫字荒田39番9荒田101番
大字長湫字荒田40番19荒田102番
大字長湫字荒田39番3荒田103番
大字長湫字荒田39番3荒田104番
大字長湫字荒田40番15荒田105番
大字長湫字荒田40番1荒田106番
大字長湫字荒田39番1荒田107番
大字長湫字荒田41番11荒田108番
大字長湫字荒田41番12荒田109番
大字長湫字荒田40番2荒田110番
大字長湫字荒田41番13荒田111番
大字長湫字荒田41番14荒田112番
大字長湫字荒田40番11荒田113番
大字長湫字荒田39番6荒田114番
大字長湫字下鴨田49番荒田202番
大字長湫字下鴨田43番3荒田203番
大字長湫字下鴨田43番3荒田204番
大字長湫字下鴨田43番4荒田205番
大字長湫字下鴨田43番4荒田206番
大字長湫字下鴨田50番4荒田207番
大字長湫字下鴨田50番4荒田208番
大字長湫字下鴨田50番4荒田209番
大字長湫字下鴨田50番1荒田210番
大字長湫字下鴨田49番荒田211番
大字長湫字下鴨田50番1荒田302番
大字長湫字下鴨田50番1荒田303番
つまり、新しく大字「荒田」となった区域の地番は、101番以降、303番までを設定しています。

今回、長久手市となり、残余の大字長湫字荒田の区域も、すべて、大字を「荒田」とする、とのことですが、先述の登記情報提供サービスにより、この大字「荒田」の地番を抽出してみました。
1番110番215番317番220番322番425番226番537番2102番112番208番
1番210番315番417番321番123番125番326番637番6103番113番209番
1番311番115番518番121番223番225番426番738番2104番114番210番
1番1611番316番118番221番323番325番528番138番7105番201番211番1
1番2112番116番218番321番423番425番628番238番8106番202番211番2
1番2212番416番318番421番523番525番729番144番107番203番211番3
1番2313番416番419番121番624番126番129番245番108番204番301番
9番114番416番519番222番124番226番233番446番109番205番302番
9番215番116番719番322番224番326番336番248番110番206番303番
10番115番217番120番222番324番426番436番5101番111番207番
前述の、土地区画整理事業によるH22.10.9からの大字「荒田」は101番以降ですが、H24.1.4の長久手市市制施行と同時に従前の「大字長湫字荒田」から大字「荒田」となった区域は、48番までであり、地番が重複しないことがわかります。ということは、H22.10.9の土地区画整理による換地処分時の地番設定の時に、今回の「大字長湫字荒田」を大字「荒田」にすることも、既に織り込んでいたと推測します。

おそらく、「段の上」「仏が根」「菖蒲池」「平池」も、同様のことがあったのだと推測します。

#実は、上記の調査を実施するのにあたり、費用はかかっていません。同サービスを利用するのには、事前にクレジットカード等の情報を含めて登録することが必要ですが、今回の調査に際しては、費用がかかるより前の段階(無料でできる範囲。もう1クリックして詳細な情報を得ようとすれば費用がかかるところ)で止めました。費用をかければキリがありませんので。

続きます。
[80123] 2012年 1月 15日(日)11:59:0388 さん
Re:国分寺市の市制施行日
本年もよろしくお願いいたします。

[80116] オーナー グリグリ さん
>88さんへ
変遷情報の国分寺市の市制施行日が間違っているようです。
S39.10.20付け自治省告示第123号を確認しました。S39(1964).11.3市制施行と確認し、修正しました。失礼しました。

○ 自治省告示 第百二十三号
町を市とする処分
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第八条第三項の規定により、東京都北多摩郡国分寺町を国分寺市とする旨、東京都知事から届出があつた。
 右の処分は、昭和三十九年十一月三日からその効力を生ずるものとする。
  昭和三十九年十月二十日       自治大臣 吉武 恵市
[79802] 2011年 12月 31日(土)20:19:2488 さん
ゆく卯くる辰
今年も、市区町村変遷情報に明け暮れた1年でした。市区町村変遷情報の編集作業のお手伝いを始めてから5年超、市制町村制施行時の情報までを遂にひととおり完成させました([78755])。まだまだ、修正すべき個々の情報や、全体構成の検討など、課題は山積していますが、ここまで来られたのも、ご贔屓にしてくださる皆様、ご指摘をいただく皆様のお蔭です。改めて御礼申し上げます。
ご指摘に対する回答など、年越し処理としてしまったものもあります。申し訳ございません。逐次、対応してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
――――――――――
例年に倣い、今年の経県値をまとめてみました。今年は全体として、あまり出かけていないなあ、との自覚がありましたが、そのとおりの数値が出ました。過去数年と比較すると、次のとおりです。
経県値備考
H23(2011)61点
H22(2010)68点[77148]
H21(2009)85点[73500]
H20(2008)105点[67803]
H19(2007)78点[62990]
H18(2006)63点[55756]
H17(2005)51点[47738]
今年は野球(四国アイランドリーグプラス(IL))関係は47点、それ以外は38点でした。
IL関係に限れば、GW中に四国各県を1,500キロ車で走ったり、8月に土曜に四万十市を日帰り、翌日日曜に土佐清水市を日帰り、など、四国内はよく動いたつもりです。
しかし、四国から出る機会は例年以上に少なく、会津オフ会がなければ静岡県以東には行かなかったのです。
それにしても、全体の傾向として、お出かけの機会が減りつつあるのではないか、と、上の表を見つめているところです。

――――――――――
本年も大変お世話になりました。皆様、よいお年をお迎えください。
明年もよろしくお願いいたします。
[79796] 2011年 12月 30日(金)23:32:0788 さん
市区町村変遷情報 小レス
[79760][79772][79782] 中島悟 さん
たくさんのご指摘をありがとうございます。
([79775][79792] hmt さん からも、関連するコメントをいただきました。)
#他の方からのコメントも、私に関連したものが続出しており、うれしい悲鳴を上げております。逐次対応してまいりますので、しばらくお待ちいただければ幸いです。

正直言って、市区町村変遷情報のうち、市制町村制施行時の情報は、まだまだ修正箇所が多くあるだろうと思っていますが(まだご指摘に対応ができていないものもあるのは事実)、それ以降のもの(都道府県別日付順)は、皆様のご指摘を受けてかなり修正してきましたので、誤りがあったとしても微々たるものではないか、との思い込み(根拠なし)がありました。
ところが、今回の中島悟さんのご指摘や、最近とある読者の方からメールでのご指摘があったこともあり、まだまだ、単純ミスや不整合が残っていることを実感しています。
個々のデータの修正作業のみで比較的容易に完結するものは、取り急ぎ、以下のとおり対応しましたので、ご報告いたします。
他方、再確認・再調査に念を入れて対応したいもの(時間を要するもの)、市区町村変遷情報の全体の構成に関するもの、表記方法の方針に関わるもの、将来構想(データベース化、試行品などの検討中の課題)に関するもの、などは、レス・対応を後日とさせていただくものがあります。それらにつきましては、少々お待ちいただければありがたいです。

[79782] 中島悟 さん の
私の[79760][79772]は、
市町村合併情報の施行時から現在までの町村数を各郡別に集計して、食い違いが出た所を調べたものです。
とのお言葉はからは、中島悟 さん が、市区町村変遷情報をデータ面からきっちりと、合理的に調査・確認されたことが窺え、心強く感じているとともに、感謝いたします。

――――――――――
[79760] 中島悟 さん
■S40(1965).5.1付けで 福島県 郡山市 となる従前の町村名の一部について 安積郡 三穂田町 or 安積郡 三穂田村
S39.12.28付け自治省告示第157号により確認しました。安積郡 三穂田村 と修正しました

■T15(1926).10.1付けで 東京府 北豊島郡 岩淵町 となる従前の町名について 北豊島郡 岩淵町 or 北豊島郡 岩淵村
単なる入力誤りでした。M22.5.1の市制町村制施行時において既に北豊島郡 岩淵町でした。北豊島郡 岩淵町 と修正しました

■S29(1954).7.1付けで 山梨県 山梨市 となる従前の町村名の一部について 東山梨郡 山梨町 or 東山梨郡 山梨村
S29.7.1付け総理府告示第590号を確認しました。東山梨郡 山梨村 と修正しました

■S28(1953).5.1付けで 因島市 となる従前の町村名の一部について 豊田郡 東生口町 or 豊田郡 東生口村
M22(1889).4.1付け 広島県市制町村制施行時の村名について 豊田郡 南井口村, 東井口村, 北井口村 or 豊田郡 南生口村,東生口村,北井口村
まず、因島市発足時の件については、S28.3.27付け総理府告示第56号を確認しました。豊田郡 東生口村 と修正しました
また、広島県市制町村制施行時の件は、M22.3.8付け(広島)県令甲第22号6コマ目及び7コマ目を確認しました。これらはもちろん生口島のことでもあり、単なる入力ミスでした。いずれも修正しました(豊田郡 南生口村豊田郡 東生口村豊田郡 北生口村)。

■S32(1957).2.11付けで 高知県 幡多郡 大月町 となる従前の町村名の一部について 幡多郡 月灘町 or 幡多郡 月灘村
大変失礼しました。[78777]拙稿での修正漏れです。幡多郡 月灘村 と修正しました

■T14(1925).2.1付けで 広島県 安芸郡 江田島村 に編入される 津久茂村 の所属郡について 安芸郡 or 佐伯郡
津久茂村はM22.4.1付けでの広島県市制町村制施行時の時点から佐伯郡 津久茂村であり、その後の郡変更もありません。ご指摘のとおり、佐伯郡 津久茂村 と修正しました

■変更種別について 新設 or 新設/町制
以下の変遷については、すべて総理府告示により、従前・変更後の町村名や、合併形式から、いずれも村から町となったことを確認し、新設/町制と修正しました。
合併年月日合併後自治体名告示年月日告示番号
S30(1955).3.15千葉県安房郡丸山町 S30.3.15総理府告示第351号
S30(1955).3.31千葉県安房郡長狭町 S30.3.30総理府告示第730号
S30(1955).1.1滋賀県神崎郡五個荘町 S29.12.28総理府告示第1206号
S30(1955).3.1福岡県京都郡豊津町 S30.3.1総理府告示第314号
S30(1955).3.1福岡県京都郡勝山町 S30.3.1総理府告示第315号
S30(1955).4.1福岡県八女郡広川町 S30.3.28総理府告示第518号
S30(1955).4.1長崎県西彼杵郡野母崎町 S30.3.29総理府告示第667号
S26(1951).4.1宮崎県西臼杵郡日の影町 S26.4.11総理府告示第67号
S29(1954).12.1鹿児島県薩摩郡薩摩町 S29.12.1総理府告示第1042号
なお、千葉県 安房郡 丸山町、滋賀県 神崎郡 五個荘町 の件は、それぞれ、従前の 安房郡 千倉町の一部、蒲生郡 安土町の一部を含むもものの、村同士の合併に町の一部が参加した形であり、町を引き継いだとは言えないため、やはり「町制」である、と判断しています。

■S28(1953).11.3付けで 茨城県 筑波郡 上郷町 となる変更種別について
S28.10.27付け総理府告示第207号を確認しました。町制 と修正しました

■M24(1891).9.15付けで 栃木県 下都賀郡 石橋町 となる変更種別について
ご指摘のとおり、下都賀郡 姿村の一部 が分立して 石橋町 となるので、分立/町制 と修正しました

■T14(1925).4.1付けで 和歌山県 東牟婁郡 下里町 となる変更種別について
ご指摘のとおり、町制 と修正しました

■T9(1920).1.1付けで 広島県 豊田郡 木ノ江町 となる変更種別について
ご指摘のとおり、豊田郡 東野村の一部, 中野村の一部 が分立して 木ノ江町 となるので、分立/町制 と修正しました

■S16(1941).1.1付けで 鹿児島県 肝属郡 根占町 となる変更種別について
ご指摘のとおり、町制/改称 と修正しました
なお、現在のところ、「町制」と「改称」を全く同時に行う場合、「町制/改称」に統一しております。
もっとも、「町制」の後に「改称」を行う場合も「町制/改称」、「改称」の後に「町制」を行う場合は「改称/町制」としております。これらの場合分けは、将来構想としています([70815]拙稿参照)。

■S24(1949).12.1付けで 埼玉県 児玉郡 若泉村 から 児玉郡 渡瀬村, 阿久原村 が発足する変更種別について
ご指摘のとおり、従前の 児玉郡 若泉村 は廃されていますので、分割 と修正しました(児玉郡 渡瀬村児玉郡 阿久原村)。

■S23(1948).7.1付けで 長野県 下伊那郡 豊村 から 下伊那郡 売木村, 和合村 が発足する変更種別について
S23(1948).6.2付け総理庁告示第115号を確認しました。
長野県下伊那郡豊村を廃し、大字売木の区域を以て売木村を、大字和合の区域を以て和合村を置く
ですので、分割 と修正しました(下伊那郡 売木村下伊那郡 和合村)。

■栃木県 上都賀郡 板来村 を分割して 上都賀郡 板荷村, 小来川村 が発足する年月日について
この件は、[74516] むっくん さん でご指摘をいただき、[77619]で修正したのですが、その際の入力誤りです。
[74516] むっくん さん ご紹介の、M26(1893).3.18付け(栃木県)告示第42号により、M26.3.18付け分割です。上都賀郡 小来川村 を M26.3.18 分割 と修正しました

■S29(1954).11.3付けで 新潟県 佐渡郡 金井村 が発足する従前の町村名について
S29.11.2付け総理府告示第943号を確認しました。従前は 佐渡郡 金沢村, 吉井村の一部 と修正しました

■市制町村制施行時の 岐阜県 恵那郡 三濃村 のその後について
この関連レスは、[79772][79782] 中島悟 さん、[79775][79792] hmt さん と続いております。
この、分立に関する諸事例等に来ましては、後日、改めてレスします。

■市制町村制施行時の 静岡県 富士郡 白糸村 のその後について
・S32.11.2付け総理府告示第482号により、S33.4.1付けで 富士郡 北山村, 上野村 が富士宮市へ編入
・S33.4.1付け総理府告示第115号により、S33.4.1付けで 富士郡 上井出村, 白糸村 が富士宮市へ編入
この 白糸村 の編入が遺漏していました。修正しました

■市制町村制施行時の 新潟県 雑太郡 相川町(村)について
変更種別は正しく「新設/町制」としていたのですが、自治体名が誤っていました。雑太郡 相川町 と修正しました
新潟県の町村数の件につきましては、後日といたします。

■町村制施行時の 奈良県 吉野郡 上市町(村) について
[78774]で修正済みのつもりだったのですが、投稿だけを対応して、市区町村変遷情報の入力も、手元のexcelデータの修正作業も、従前の誤った「吉野郡 上市村」のままでした。失礼しました。
吉野郡 上市町 と修正しました

■愛知県の市制町村制施行時の市町村数
■広島県の市制町村制施行時の市町村数
■長崎県対馬国の島嶼町村制施行時の町村数
■北海道室蘭区の区制施行時の件
■小笠原諸島の件
これらは、後日といたします。

――――――――――
[79772] 中島悟 さん
市制町村制施行時の情報(茨城県)の北相馬郡4町21村の郡名誤りについて
単なる入力ミスでした。北相馬郡と修正しました。

■S18(1943).9.8付け 埼玉県 大里郡 寄居町 に編入される 従前の 白鳥村 の所属郡について
ご指摘のように、町村制施行時から秩父郡 白鳥村であることからも、秩父郡 白鳥村と修正しました

■S30(1955).2.11付けで 三重県 志摩郡 磯部町 となる従前の 神原村 の所属郡について
S30.2.11付け総理府告示第181号を確認しました。度会郡 神原村 ほかを廃し、神原村大字檜山、大字栗木広及び大字山原 の区域を 志摩郡 磯部村 に編入する(神原村 の残余は 度会郡 南勢町 に、また、S30.2.11付け総理府告示第182号により 志摩郡 磯部村 及び 的矢村 を廃し 磯部町 に)を確認しました。M22.4.1付けの市制町村制施行時でも度会郡 神原村です。よって、度会郡 神原村と修正しました

■S33(1958).10.20付けで 島根県 那賀郡 旭村 に編入される従前の 市木村 の所属郡について
S33.10.18付け総理府告示第357号を確認しました。邑智郡 市木村 を廃し、邑智郡 瑞穂町 と 那賀郡 旭村 に分裂して編入されるものです。M22.4.1付けの市制町村制施行時でも邑智郡 市木村です。よって 邑智郡 市木村 と修正しました

■北海道上川郡・中川郡の件
後日といたします。

――――――――――
[79782] 中島悟 さん
冒頭にも述べましたが、再掲し、別の観点から。
私の[79760][79772]は、
市町村合併情報の施行時から現在までの町村数を各郡別に集計して、食い違いが出た所を調べたものです。
以前から述べているように、私はいわゆる「近世村」に着眼しています。近世村は一千年以上の歴史を持つものが多くあり、また、明治以降の三次にわたる大合併も、この近世村同士の合併(さらには再合併・再々合併)と考え、また、現在の町・大字はこの近世村であることが多いからです。
逆に、現在から遡ってみれば、[79692]拙稿でも述べたように、近世村単位に「因数分解」することができる、ということです。
市の数が増え、範囲が大きく広がることによって郡の数がかなり減少しています。また、以前は30や40を超える町村を抱えた郡も多かったのと対照的に、現在では数町村であったり、1町だけしか存在しない郡も多々あることを鑑みれば、郡における町村の推移に着目することは有意義であると考えています。

長崎県西彼杵郡淵村などの件は、後日コメントいたします。
[79762] 2011年 12月 24日(土)11:13:4288 さん
Re2:和徳町と和徳村
[79755] すまーとぼーい さん
はじめまして。
市区町村変遷情報の編集作業を担当しております88と申します。

さて、弘前市(和徳町と和徳村)の件です。
既に[79756] 播磨坂 さん からもレスがあり、[79757]ですまーとぼーい さん からもすでに回答されているところです。

私の見解も、お二人と同様です。

一部補足します。(根拠規定等は[76874] むっくん さん によります。)
M22.4.1市制町村制施行時の、弘前市の廃置分合の根拠はM22.2.12付け(青森県)告示第13号です。弘前市となる従前の旧町名の中に、中津軽郡和徳町があります(9行目の2段目)。また、M22.2.20付け(青森)県令第14号にも、弘前市を含む県内市町村の廃置分合の内容が記されています(ただしこの県令は、M28年青森県告示第37号などそれ以降の改正が反映されていることに注意)。
M22.4.1付けで発足した中津軽郡 和徳村の廃置分合の根拠は、前掲の、M22.2.20付け(青森)県令第14号の111コマ目、左ページ上段左端です。

[79756] 播磨坂 さん が述べられているように、この時すでに、弘前市となった旧中津軽郡和徳町と、中津軽郡和徳村(旧中津軽郡和徳村ほかから成立)とが存在していることがわかります。

なお、S30.3.1付けで中津軽郡和徳村が弘前市に編入されたのは、官報情報検索サービスで改めて確認したところ、次のとおりです。中津軽郡和徳村はS30.3.1付けで編入されるまで存続したことは間違いありません。
● 総理府告示 第二百七十六号
市村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、青森県中津軽郡清水村、和徳村、豊田村、堀越村、千年村、東目屋村、藤代村、新和村、船沢村、高杉村及び裾野村を廃し、その区域を弘前市に編入する旨、青森県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十年三月一日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十年三月一日
内閣総理大臣 鳩山 一郎

今回、気になったのは、ご紹介のあった、S11年に弘前市が「弘前駅を含む和徳村大字和徳、高崎、堅田(一部)を編入」とのウィキペディアの記述です。現在までのところ、市区町村変遷履歴情報(青森県)では、このS11の和徳村大字和徳ほかの弘前市への境界変更を無いものとしていました。
各種文献によると、事実関係は次のとおりです(正式な文献名は[55681]の冒頭にあります)。
・「総覧」「幕末以降」「便覧」・・・記載なし
・「辞典」・・・S11.1.1付けで中津軽郡和徳村大字和徳,大字高崎,大字堅田の一部を弘前市へ境界変更
「辞典」にも記載のあるこの境界変更が事実であれば、S30.3.1付けでの中津軽郡和徳村の弘前市への編入(消滅)時には、「大字和徳, 大字高崎, 大字堅田の一部」は対象外ということになります。
また、近世村(≒大字単位)は対象とする、という市区町村変遷情報の編集方針から、S11.1.1付けの情報が事実であれば、追加する必要があります。

私自身は弘前市に関する資料をこれ以上持ち合わせていないこともあり、どなたか、詳しい情報をお持ちでしたら、お教えいただければ幸いです。

#私の経験からの感覚的なもの(根拠はまったくありません)では、このS11.1.1付けの境界変更は事実だろう、という気がします。
[79737] 2011年 12月 14日(水)12:56:0088 さん
第8回落書き帳公式オフ会「ミニ十番勝負」
取り急ぎ。
[79734] むっくん さん
M22以前の廃置分合については、「幕末以降」をそのまま転用したものです。これらについては、出題には直接関係がなく、あくまで「参考」のつもりであったので、精査をしておりません。

[79736] 千本桜 さん
住居表示の「○」欄の表示の疑問点については、単なる「×」の誤記です。個々の市の条例を全て確認し、さらにマピオンの地図で住居表示実施の有無を読み取り、「1番1号」か「1番地1」かを判断し、記載しています。
当該問題は、元々は落書き帳投稿用のものを転用したものであり、一連の「住所とは何か」の投稿の導入のつもりでした。根拠条例へのリンクも手元にはまとめておりますので、追って修正版をお示しします。

両件とも、追って修正版を用意しますので、暫くお待ちいただければ幸いです(>グリグリさん、皆様 )
なお、忘年会シーズンにつき、時間は長めでお願い致します。
[79692] 2011年 12月 1日(木)23:36:43【1】88 さん
市町村の因数分解について
[66530]白桃さんに始まる市町因数分解
これは、「町」に注目したものでした。村がとても多くて町が少なかった時代(市はもっと少なかった時代)、町に注目すれば、各地域の「街」を垣間見ることができました。

さて、私は市区町村変遷情報について、ここ数年、時代を遡る作業を重ねてきました。M22.4.1を初めとする市制町村制施行時の情報の作業を一通り作業を終え、皆様のご指摘に対する検証作業等を進めながら(悩ましい内容のものが多くなかなか進まない)、一方で、さらなる情報の遡りや試行品等の検討などを行っています。
以下に示すものは、一種の試行品とも言えますが(表示形式を変えただけ)、冒頭の「因数分解」に似た方法です。

全国的に明治の大合併・昭和の大合併・平成の大合併と進み、一つ一つの自治体の面積が大きくなり、その総数も2,000を切るまでに減少しました。しかし、ほんの百数十年遡って明治の大合併以前を見ると、全国に7万を超えるといわれる町・村がありました。これらは、現在と制度が異なるとはいえ、それぞれが「自治体」で、その多くは一千年以上の歴史を経た地名です。
[70785] 今川焼 さん で、
小学校の名称というのは、方角名、瑞祥名、最近流行のひらがな名などを除けば、昭和の大合併以前の旧町村名がつけられているパターンが一番多いと思いますが、そうすると旧町村名で一番多いのが、八幡村や八幡町だったのでしょうか?
「市区町村変遷情報」には、それらのデータはありますよね。「データベース検索」の市区町村変遷情報版があれば簡単に調べられるのですが。
というコメントがありました。私、市区町村変遷情報の作業の中で、結果的に明治初期の旧町村名(7万超)をエクセルで入力したのですが、感覚的に、多かったのは「八幡村(町)」「大野村(町)」あたりでした。きちんと数えていませんので、お暇な方は、市区町村変遷情報内で検索すれば把握できると思いますので、お試しください。

――――――――――
さて、「大野」といえば、現在「大野市」があり、トリオとなる「中野市」「小野市」があり、一方では大野市と同名回避の「大野城市」「豊後大野市」があります(「山陽小野田市」「下野市」というものもありますが・・)。
これら5市にもそれぞれ、元は「大野村(町)」「中野村(町)」「小野村(町)」があったのかというと・・・。
大野市は、M22.4.1付けで発足した大野郡 大野町などを元に、その後合併を経て現在の大野市となりました。市制町村制直前は「大野○○町」で、ズバリ「大野村(町)」が存在したわけではありません。実質的には、大野町ですが。
小野市は、M22.4.1付けで発足した加東郡 小野村などを元に、その後合併を経て現在の小野市となりました。市制町村制直前に「小野町」が存在していました。
大野城市は、M22.4.1付けで発足した御笠郡 大野村が元ですが、その後現在まで合併はせず、大野町を経て大野市、即日改称して大野城市となりました。市制町村制直前にはズバリ「大野村(町)」は存在しません。大野城市HP内の市の概要(市名の由来) によると、
「大野城」の名称は、白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗を喫した日本が、大宰府防衛のために、天智4年(665)に大野山(今の四王寺山)に築いたわが国最古の朝鮮式山城「大野城」(おおののき)に由来しています。
とのことで、元をたどれば「『大野』山」となるようです。
豊後大野市は、M22.4.1付けで発足した大野郡 大野村などを元に、その後合併を経て、現在の豊後大野市となりました。市制町村制直前に、ズバリ「大野村(町)」が存在したわけではありません。郡名の「大野郡」由来、でしょうか。

一方、一つだけ上記で触れなかった、中野市。ちょっと手頃な分量でしたので、冒頭の「因数分解」形式にして、以下に記してみます。
因数分解をわかりやすくするために、市制町村制施行時の町村を A~K として、次に記しておきます。
A(旧)下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村
A'(旧)下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村, 小田中村
B(旧)下高井郡 小田中村, 間山村, 新野村, 更級村
B'(旧)下高井郡 間山村, 新野村, 更級村
C(旧)下高井郡 三ツ和村, 桜沢村, 篠井村, 新保村
D(旧)下高井郡 江部村, 岩舟村, 吉田村, 片塩村
E(旧)下高井郡 大俣村, 七瀬村, 田麦村, 厚貝村, 壁田村
F(旧)下高井郡 竹原村, 若宮村, 金井村, 間長瀬村, 笠原村, 新井村
G(旧)下高井郡 安源寺村, 草間村, 立ヶ花村, 牛出村, 栗林村
H(旧)下高井郡 科野村
I(旧)下高井郡 柳沢村, 田上村, 岩井村
J(旧)下水内郡 上今井村, 豊津村
K(旧)下水内郡 永江村, 穴田村

すると、次のように分解できます。
H17.4.1~中野市{(A', B', C, D, E, F, G, H, I), (J, K)}
=S31.9.30~中野市(A', B', C, D, E, F, G, H, I), 下水内郡 豊田村(J, K)
=S29.7.1~中野市(A', B', C, D, E, F, G, H, I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=M27.4.1~下高井郡 中野町(A'), 日野村(B'), 延徳村(C), 平野村(D), 長丘村(E), 平岡村(F),
高丘村(G), 科野村(H), 倭村(I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=M22.4.1~下高井郡 中野町(A), 日野村(B), 延徳村(C), 平野村(D), 長丘村(E), 平岡村(F),
高丘村(G), 科野村(H), 倭村(I), 下水内郡 豊井村(J), 永田村(K)
=~M22.3.31下高井郡 中野町, 一本木村, 西条村, 小田中村, 間山村, 新野村, 更級村,
三ツ和村, 桜沢村, 篠井村, 新保村, 江部村, 岩舟村, 吉田村, 片塩村, 大俣村, 七瀬村,
田麦村, 厚貝村, 壁田村, 竹原村, 若宮村, 金井村, 間長瀬村, 笠原村, 新井村, 安源寺村,
草間村, 立ヶ花村, 牛出村, 栗林村, 科野村, 柳沢村, 田上村, 岩井村,
下水内郡 上今井村, 豊津村, 永江村, 穴田村
つまり、市制町村制直前の時点の町村で考えると、39町村に相当する区域が、現在の中野市の範囲です。

M3に中野村が中野町となり、M8に中野町が松川村を編入しています(他の村も、M22.4.1以前に合併が数件あり)。
この中野町が、その後の中野市のほぼ中心部としての位置を維持し続け、現在の中野市大字中野ほかにあたると想像されます。中野市三好町一丁目付近も、この(旧)中野町の一部かもしれません。

「中野」の由来を確認できていないのですが、現中野市付近の広域地域を「中野」と呼んでいたのではなく、(元)中野村付近だけが「中野」であり、この「中野」を核として拡大して来たのが、現在の「中野市」であると思われます。
つまり、(旧)中野村を除くと、例えば上記Aの一本木村、西条村などが一千年以上の歴史を持つ元来の地名であり、たまたま、現在「中野市」となってはいますが、元来の「中野」と呼ばれた地名はほんの一部であり、また、「中野」と呼ばれるようになったのはごく最近に過ぎません。現在は「中野」の一部になっているだけで元々は「中野」でない、と思われます。
中野市大字中野こそが、いわば「純」中野、とも言えるのではないでしょうか。
[79677] 2011年 11月 28日(月)20:23:51【1】88 さん
大阪府知事及び大阪市長の任期の始期について
まず冒頭に、[78584] にまん さん もふれていらっしゃいますが、公職選挙法の条文を掲載します。
(地方公共団体の長の任期の起算)
第二百五十九条 地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から、選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から、それぞれ起算する。

――――――――――
[79675] グリグリ さん
●(新)大阪府知事の任期の始期について
今回の事例では、大阪府知事は、橋下徹氏はすでに辞職していました。平成23年9月定例会知事退職に係る同意(平成23年10月22日)はありますが、辞職日の明記はありません。
平成23年11月1日付け大阪府告示第1583号は「大阪府知事職務代理者 大阪府副知事 小河保之」名で告示されており(参考(pdfファイル))、一方、平成23年10月31日付け大阪府告示1572号は「大阪府知事 橋下徹」名で告示されています(参考(pdfファイル))。
このことから、橋下徹氏は平成23年10月31日限りで退職し、平成23年11月1日からは、地方自治法
第百五十二条 普通地方公共団体の長に事故があるとき、又は長が欠けたときは、副知事又は副市町村長がその職務を代理する。この場合において副知事又は副市町村長が二人以上あるときは、あらかじめ当該普通地方公共団体の長が定めた順序、又はその定めがないときは席次の上下により、席次の上下が明らかでないときは年齢の多少により、年齢が同じであるときはくじにより定めた順序で、その職務を代理する。
の規定により、小河副知事が職務代理を務めていました。

そして、平成23年11月27日、大阪府知事選挙が行われましたが、冒頭の公職選挙法第二百五十九条の
地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。
のとおり、(新)大阪府知事は松井一郎氏は、平成23年11月27日から任期が始まりました。
#今日28日に大阪府選挙管理委員会から当選証書付与が行われ(大阪府選挙管理委員会報道発表)たようですが、任期は11月27日からです。

●(新)大阪市長の任期の始期について
大阪市長の任期は、大阪市HP内の大阪市歴代市長 (pdfファイル)にもあるとおり、平松邦夫氏の大阪市長の任期は平成19年12月19日から平成23年12月18日までであり、
但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から(中略)起算する
により、橋下徹氏の任期は平成23年12月19日からです。

仮に、の話ですが、平松邦夫氏が平成23年11月30日限りで大阪市長を辞職したとすると、
選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から(中略)起算する
により、橋下徹氏の任期は平成23年12月1日からとなります。

時事通信社記事に、今日28日、大阪府選挙管理委員会から松井一郎氏に対し大阪府知事の当選証書が、大阪市選挙管理委員会から橋下徹氏に対し大阪市長の当選証書が付与された、との記事があります。また、松井一郎氏が28日に初登庁したとのことです。しかし、任期については上述のとおりです(松井新知事、橋下新市長の任期の始期についても記事中に言及があります)。
[79666] 2011年 11月 24日(木)21:10:1088 さん
【追加】市区町村変遷情報 県の境界にわたる境界変更の事例について(S22.5.3以降告示)
[79523]で、県の境界にわたる境界変更を、官報情報検索サービスで抽出した結果を一覧で示しました。
このときは、検索文字列を「の境界にわたる」「境界変更」などとしたものでした。これは、通常の境界変更は、総務省等の告示の表題が「市町の境界変更」などとなるのに対し、県境の移動を伴うものは「県の境界にわたる町村の境界変更」などとなることによるものです。
単に「境界変更」では膨大な数となることが理由です。

[79662] hmt さん
リストには挙げられていませんが、その間にある 滑川駅対岸と 神崎の市街地上手(昭和40年12月13日自治省告示第167号)も 「県の境界にわたる境界変更」に該当すると思われます。
個別に示していただいたので、同告示を確認しました。
すると、この告示だけは表題が「県の境界にわたる町村の境界変更」となるべきところ、単に「町村の境界変更」となっており、[79523]では遺漏しました。
改めて、今度は、検索文字列を根拠法令である「地方自治法」「第七条第三項」で検索しました。なお、「条」は「條」の場合も確認し、また、S27.8.15法律第306号地方自治法の一部を改正する法律までは、根拠法令は第七条第二項であったことも反映しました。
その結果、ご指摘のS40.12.13自治法告示第167号とあわせてもう1件の遺漏を発見しましたので、[79523]のリストに追加する形で以下に記します。(通し番号は従前のものを生かすため枝番としました。法令の条の追加と同手法です。)

番号告示年月日告示番号施行年月日編入側編入される側
9-2S35.11.1自治省告示第150号S35.11.1栃木県下都賀郡野木村茨城県古河市
茨城県古河市栃木県下都賀郡野木村
13-2S40.12.13自治省告示第167号S41.1.1茨城県稲敷郡河内村千葉県香取郡下総町
千葉県香取郡神崎町茨城県稲敷郡河内村
千葉県香取郡神崎町茨城県稲敷郡東村

――――――――――
仮に、境界変更を「県の境界にわたる」という観点で頭出しするとすれば、都道府県市区町村においては、市区町村変遷情報ではなく、例えば市区町村雑学あたりが適切ではないかと考えます。この場合、面積の多寡に拘ららずに対応でき、また、岐阜県中津川市へ長野県木曽郡山口村を編入する例なども、容易に併記できます。
市区町村変遷情報で取扱うには、他の数多くの境界変更事例(大多数は面積が微小のため対象外としている)との棲み分けが困難であろうと考えます。
[79660] 2011年 11月 22日(火)21:50:10【1】88 さん
市区町村変遷情報 対象とする境界変更の範囲について
[79559] hmt さん
S43.4.1付けで栃木県安蘇郡田沼町の一部(入飛駒)を群馬県桐生市へ境界変更する件
事実上独立した集落であったことに配慮すれば、入飛駒地区の境界変更は、他の 10事例と同様に、変遷情報に記録してもよいのではないでしょうか。
[79560] むっくん さん
T6.4.1付けで富山県婦負郡桜谷村の一部を富山市へ境界変更する件
しかしながら、村の半分強もの区域を失うような大きな境界変更ではありますので、市区町村変遷情報に追加できないものなのでしょうか。どうぞご検討願います。

御承知のように、市区町村変遷情報は、当初は境界変更は対象としていませんでした。

その後、[63303]でご報告したように、境界変更のうち大字単位(≒近世村単位)のものは、事実上の近世村の廃置分合にあたり、「町村」の変遷といえることから、対象として追加しました。趣旨は、あくまで「市区町村の変遷」であることから、境界変更のうち、大字単位未満であっても、市制町村制以前に廃置分合を実施した結果、結果として大字単位とはならなかったものの事実上近世村単位であるものは、「大字単位」未満であっても対象とする、というものでした。

ただし、この定義を、私は自ら広げてしまっています。[66979]では、S30.7.10付けで岐阜県美濃市大字東志摩を関市へ境界変更する件を、
大字東志摩は藩政村未満かもしれませんが、大字単位として、市区町村変遷情報の対象としました。
と述べ、近世村(藩政村)未満であることを承知の上で、「大字単位」であることを意識して、市区町村変遷情報の対象としました(参考)。

それ以降も、同様の考えで、いくつか同様のものを対象として編集作業を行いました。
――――――――――
[77488][79522]拙稿でも述べたましたが、私自身の考えでは、市区町村変遷情報から発展させて、市区町村内の町・大字を整理して示すことを目論んでいます。これを見据えて、市区町村の変遷を表形式で示す試行品を仮に作成し、「近世村≒町・大字」であることを簡便に表示することを意識してみました([57396][57435])。
最近は、この試行品を、もっと全国的に試行してみようと、手元作業で各県のものを一部作成しています。香川県は全市町が完成、徳島県・愛媛県は約半数が完成。青森県(つがる市)、福島県(いわき市・会津若松市)、石川県(白山市・かほく市など)、愛知県(豊田市)なども試行。近世村と町・大字との関係、地番区域に関しては、地域による相違も大きいでしょうから、あと数県、試行してみようと考えています。

幾つかの事例を作成する過程で、この試行品での町・大字表示についての様々な問題点も出てきました。
・都市部(近世期から城下町などで都市化が進んでいた地域、近代以降の都市化により近世村=町・大字がほとんど一致しない地域)では、試行品で町・大字を表示することは困難である。
・地番区域が大字単位でない地域(ほとんどは小字単位の地番区域と思われる)では、町・大字だけでは住所の表記が不十分であるため、やはり小字の表記も付記することが適切であろうと思われ、試行品では表記が困難である。
などです。

現時点での直観的な意見としては、試行品は、あくまで近世以降の市区町村の変遷を表形式でわかりやすく表示することを目的とするのにとどめ、別形式として、町・大字(地番区域が小字単位である地域はその小字も付記)の一覧を示すメニュー(地番区域、住居表示実施の有無も)を設ける手法があるかも、と考えています。
もっとも、これらについてはグリグリさんと調整した訳ではなく、現時点では私個人の独り言の域を出ないものです。

――――――――――
閑話休題。
まだ私自身の考えでも最終結論には至っていない段階なのですが、市区町村変遷情報をそのまま町・大字の表記メニューに活用するのはちょっと不便・不適当な点も多く、ある程度は転用できるとしても、最終的には「別のもの」として捕えて考える方がよいのかもしれません。この場合、「近世村未満の境界変更であっても町・大字単位であれば市区町村変遷情報の対象とする」という従来の方針は見直し、あくまで「近世村単位での境界変更のみを市区町村変遷情報の対象とする」と、編集方針を変更するべきではないか、とも思っています。その方が、対象の定義もより明確なのではないか、と考えています。その場合、境界変更の面積の多寡による判断も不要となり、客観的に対象を限定することも容易であると考えます。

いずれにせよ、この件についての皆様のご意見をいただければ幸いです。それを踏まえて、再度検討する予定です。
[79546] 2011年 10月 21日(金)23:28:5288 さん
Re2:市区町村変遷情報 県の境界にわたる境界変更の事例について(S22.5.3以降告示)
[79545] Hiro_as_Filler さん
一般的な境界変更の告示に書かれている「右の境界変更は、○年○月○日からその効力を生ずるものとする。」という文言は、特別の定めで発効を遅らせているものであり、その文言が書かれていない告示については、告示の日から効力を生じていると考えるのが自然ではないかと考えています。
(引用者中略)
これらのケースは遺漏ではなく、すべて告示日で即日効力発生と考えてよろしいかと思います。

これについては、全く異論はありません。この件は、、[65445][69366] むっくん さんの問題提起を受け、私も[69558]で一定の結論を出し、Hiro_as_Filler さん と同じ意見に至りました。

今回、私の投稿が端折ってしまったため言葉足らずでありました。失礼しました。私が言いたかったことは次のとおりです。

[79523]で掲示したように、当該3件以外は総理府等告示の中に施行日の記載が明確にあります。例えば、9,10,13も、告示日=施行日と示してあり、告示日が先行しているものではありません。
法解釈としては施行日の記載がなくても、告示日=施行日であることは議論の余地はないと思いますが、施行日を記載している方が親切であろうと思われます。
例えば、S23.7.20法律第178号国民の祝日に関する法律でも、
附則
1 この法律は、公布の日からこれを施行する。
とあります。Hiro_as_Filler さん の地元埼玉県では、廃置分合に際して、
● 総理府告示 第五百八十一号
市町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、この告示の日(昭和二十九年七月一日)から、埼玉県児玉郡本庄町、藤田村、仁手村、旭村及び北泉村を廃し、その区域をもつて 本庄 ( ほんじょう ) 市を置く旨、埼玉県知事から届出があつた。
 昭和二十九年七月一日
内閣総理大臣 吉田  茂

● 総理府告示 第五百三十七号
市村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、埼玉県入間郡吾野村、東吾野村及び原市場村を廃し、その区域を飯能市に編入する旨、埼玉県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十一年九月三十日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十一年九月三十日
内閣総理大臣 鳩山 一郎
というものもあります。他の例を見ても、告示日=施行日であっても、告示中に記載しているものがほとんどです。

今回の場合、施行日の記述がない、27,33,37 の3件に比し、その前後の時期の同様の告示にはきちんと施行日の記載があることから(時期的なものや方針変更とは考え難い)、効力の問題は生じないとしても、事実上、「遺漏」という表現をしたものです。
この3件が、いずれも宮崎県・鹿児島県に関するものであることから、自治省(総務省)の九州担当職員の個性かな、とも余計な話を思ってみたり、と言う訳でした。
[79540] 2011年 10月 19日(水)23:59:01【1】88 さん
市区町村変遷情報 市制町村制施行時(島根県) 小レス2
[79539]の続きです。

■神門郡 大津村 となる従前の町村名の一部について 神門郡 大津村 or 神門郡 大津町
「幕末以降総覧」「辞典」・・・神門郡 大津町
ご紹介の各資料に基づき、神門郡 大津町 と修正しました

■神門郡 今市町 となる変更種別について 新設/村制 or 新設/町制
単なる入力誤りでした。新設/町制 と修正しました

■邇摩郡 井田村 となる従前の町村名の一部について 邇摩郡 井尻村, 津淵村, 殿村, 横道村 あり or 邇摩郡 井尻村, 津淵村, 殿村, 横道村 なし
「幕末以降総覧」・・・邇摩郡 井尻村, 津淵村, 殿村, 横道村 なし
(M8に 邇摩郡 井田村 が 井尻村, 津淵村 を編入、M8に 邇摩郡 福田村 が 殿村, 横道村 を編入)
「辞典」・・・邇摩郡 井尻村, 津淵村, 殿村, 横道村 なし
M8の合併の反映を失念した単なる入力誤りでした。邇摩郡 井尻村, 津淵村, 殿村, 横道村 なし と修正しました

■邇摩郡 大森村 となる従前の村名について 邇摩郡 佐摩村(本) or 邇摩郡 佐摩村の一部
「幕末以降総覧」・・・邇摩郡 佐摩村(本)(邇摩郡 佐摩村(微)は 邇摩郡 久利村へ)(M8に佐摩村が赤波村を編入)
「辞典」・・・邇摩郡 佐摩村の一部(「辞典」は(本)も(微)も「一部」との表記)
ご紹介の島根県の地名鑑(PDF)の109コマ(p.112)に従い、旧佐摩村(旧赤波村を除く)であることから、邇摩郡 佐摩村の一部 と 修正しました

■邇摩郡 久利村 となる従前の町村名の一部について 邇摩郡 先市原村, 今市原村, 佐摩村(微) or 邇摩郡 市原村, 佐摩村の一部
「幕末以降総覧」・・・邇摩郡 市原村, 佐摩村(微)(M8に 邇摩郡 先市原村, 今市原村 が合併して 邇摩郡 市原村 に)
「辞典」・・・邇摩郡 市原村, 佐摩村の一部
前掲の島根県の地名鑑(PDF)の109コマ(p.112)に従い、旧赤波村(旧佐摩村を除く)であることから、邇摩郡 佐摩村の一部 と修正しました。また、市原村の件は、M8の合併の反映を失念した単なる入力誤りでした。これらをあわせて修正しました

■邇摩郡 五十猛村 となる従前の村名について 邇摩郡 五十猛村 or 邇摩郡 磯竹村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・邇摩郡 磯竹村
ご紹介のM22.3.9付け(島根)県令第22号に従い、邇摩郡 磯竹村 と修正しました

■安濃郡 刺鹿村 となる従前の村名について 安濃郡 刺鹿村 or 安濃郡 刺賀村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・安濃郡 刺賀村
悩ましいところではありますが、ご紹介の各資料に基づき、安濃郡 刺賀村 と修正しました

■那賀郡 雲城村 となる従前の町村名の一部について 那賀郡 伊木村, 小笹村 あり or 那賀郡 伊木村, 小笹村 なし
「幕末以降総覧」・・・那賀郡 伊木村, 小笹村 なし(M8に 那賀郡 七条村 が 那賀郡 伊木村, 小笹村 を編入)
「辞典」・・・那賀郡 伊木村, 小笹村 なし
M8の合併の反映を失念した単なる入力誤りでした。那賀郡 伊木村, 小笹村 なし と修正しました

■那賀郡 大内村 となる従前の町村名の一部について 那賀郡 穂出村(本) or 那賀郡 穂出村の一部
■那賀郡 周布村 となる従前の町村名の一部について 那賀郡 穂出村(微) or 那賀郡 穂出村の一部
「幕末以降総覧」・・・那賀郡 大内村 が 那賀郡 穂出村(本), 那賀郡 周布村 が 那賀郡 穂出村(微)
 (M8に 那賀郡 中場村, 吉地村, 和田村 が合併し 那賀郡 穂出村 に)
「辞典」・・・那賀郡 大内村 が 那賀郡 穂出村の一部, 那賀郡 周布村 が 那賀郡 穂出村の一部
「幕末以降総覧」と島根県の地名鑑(PDF)の64コマ(p.65)は、M8の合併は同じ内容です。穂出村のうち字吉地(旧吉地村)が周布村へ、その他(旧中場村,旧和田村)が大内村へ、であれば、当市区町村変遷情報のルールでは、どちらも「穂出村の一部」です。よって、修正しました(那賀郡 大内村那賀郡 周布村)。

■美濃郡 鎌手村 となる従前の町村名の一部について 美濃郡 木部村(本) or 美濃郡 木部村の一部
■美濃郡 北仙道村 となる従前の町村名の一部について 美濃郡 木部村(微) or 美濃郡 木部村の一部
「幕末以降総覧」・・・美濃郡 鎌手村 が 美濃郡 木部村(本)、 美濃郡 北仙道村 が 美濃郡 木部村(微)
 (M8に 美濃郡 木部村 が 美濃郡 赤雁村 を編入)
「辞典」・・・美濃郡 鎌手村 が 美濃郡 木部村の一部、 美濃郡 北仙道村 が 美濃郡 木部村の一部
「幕末以降総覧」と島根県の地名鑑(PDF)の98コマ(p.100)は、M8の合併は同じ内容です。木部村のうち字赤雁(旧赤雁村)が北仙道村へ、その他(旧木部村)が鎌手村へ、であれば、当市区町村変遷情報のルールでは、どちらも「木部村の一部」です。よって、修正しました(美濃郡 鎌手村美濃郡 北仙道村)。

■美濃郡 益田町 となる従前の町村名について 美濃郡 益田町 or 美濃郡 益田本郷
「幕末以降総覧」・・・美濃郡 益田本郷
「辞典」・・・美濃郡 益田本郷村
ご紹介のM22.3.9付け(島根)県令第22号に従い、美濃郡 益田本郷 と修正しました

■美濃郡 二条村 となる従前の町村名の一部について 美濃郡 桂ヶ平村 or 美濃郡 桂平村
「幕末以降総覧」・・・美濃郡 桂ヶ平村
「辞典」・・・美濃郡 桂平村
ご紹介のM22.3.9付け(島根)県令第21号 ()及び現在の益田市桂平町にあたると考えられることからも、美濃郡 桂平村 と修正しました

■鹿足郡 日原村 となる従前の町村名の一部について 鹿足郡 滝元村(微) or 鹿足郡 滝元村の一部
■鹿足郡 小川村 となる従前の町村名の一部について 鹿足郡 滝元村(本) or 鹿足郡 滝元村の一部
「幕末以降総覧」・・・鹿足郡 日原村 が 鹿足郡 滝元村(微)、鹿足郡 小川村 が 鹿足郡 滝元村(本)
 (M8に 鹿足郡 小直村, 越原村, 倉地村, 木ノ頃村 が合併し 鹿足郡 滝元村 に)
「辞典」・・・鹿足郡 日原村 が 鹿足郡 滝元村の一部、鹿足郡 小川村 が 鹿足郡 滝元村の一部
「幕末以降総覧」と島根県の地名鑑(PDF)の179コマ(p.194)は、M8の合併は同じ内容です。滝元村のうち小直村,越原村(旧小直村,旧越原村)が日原村へ、その他(旧倉地村,旧木ノ頃村)が小川村へ、であれば、当市区町村変遷情報のルールでは、どちらも「滝元村の一部」です。よって、修正しました(鹿足郡 日原村鹿足郡 小川村)。

■鹿足郡 蔵木村 となる従前の町村名の一部について 鹿足郡 金山谷村, 河津村, 初見村, 星坂村 あり or 鹿足郡 金山谷村, 河津村, 初見村, 星坂村 なし
「幕末以降総覧」・・・鹿足郡 金山谷村, 河津村, 初見村, 星坂村 なし
(M8に鹿足郡 田野原村 が 鹿足郡 金山谷村, 河津村, 初見村, 星坂村 を編入)
「辞典」・・・鹿足郡 金山谷村, 河津村, 初見村, 星坂村 なし
M8の合併の反映を失念した単なる入力誤りでした。鹿足郡 金山谷村, 河津村, 初見村, 星坂村 なし と修正しました

今回も多数のご指摘をありがとうございます。大変助かっております。
[79539] 2011年 10月 19日(水)23:58:59【1】88 さん
市区町村変遷情報 市制町村制施行時(島根県) 小レス1
[78557][78558] むっくん さん

レスの前に、ご紹介の各資料について二言。
まず、島根県HP内の島根県の地名鑑(PDF)。これは大作ですね。思わず、見とれてしまいました。こんな資料が、全国各地にあったら大喜びなのですが。さらに欲を言うと、根拠となる県令・県告示も示されていれば、なおありがたいところ・・・まあ、それは探す楽しみがある、ということで。
そして、「現行島根県令訓類纂(上巻)」のM22.3.9付け(島根)県令第22号。388コマ(p.714)からのページの入れ替わり。画像化するときの入れ替わりであれば、まだ数は多そうですが、そもそも、製本(ページ設定)時からの誤り。当時の印刷技術が窺えますが、それも、むっくんさんのように丁寧に資料を精査しているからこその成果。改めて、その労力に敬意を表します。

■松江市となる従前の町村名の一部について
島根郡 松江本町, 松江八軒屋町, 松江和田見町, 松江寺町, 松江天神町, 松江魚町, 松江灘町, 松江竪町, 松江雑賀町, 松江新町, 松江横浜町
or
意宇郡 松江本町, 松江八軒屋町, 松江和田見町, 松江寺町, 松江天神町, 松江魚町, 松江灘町, 松江竪町, 松江雑賀町, 松江新町, 松江横浜町
「幕末以降総覧」・・・(郡名不明)
「辞典」・・・島根郡松江22町ほか, 意宇郡松江11町ほか
ご紹介のM19.3.26付け(島根県布達)甲第42号その他の資料により、これらの町は 意宇郡 と判断し、修正しました

■島根郡 御津村 となる従前の村名について 島根郡 御津村 or 島根郡 御津浦
「幕末以降総覧」「辞典」・・・島根郡 御津浦
ご紹介のM22.3.9付け(島根)県令第22号に従い、島根郡 御津浦 と修正しました

■島根郡 大芦村 となる従前の村名について 島根郡 大芦村 or 島根郡 大芦浦
「幕末以降総覧」「辞典」・・・島根郡 大芦浦
ご紹介のM22.3.9付け(島根)県令第22号に従い、島根郡 大芦浦 と修正しました

■島根郡 加賀村 となる従前の村名について 島根郡 加賀村 or 島根郡 加賀浦
「幕末以降総覧」「辞典」・・・島根郡 加賀浦
ご紹介のM22.3.9付け(島根)県令第22号に従い、島根郡 加賀浦 と修正しました

■秋鹿郡 大野村 となる従前の町村名の一部について 秋鹿郡 魚瀬村 or 秋鹿郡 魚瀬浦
「幕末以降総覧」・・・秋鹿郡 魚瀬浦
「辞典」・・・秋鹿郡 魚瀬浦
ご紹介の各資料の整合から、秋鹿郡 魚瀬浦 と判断し、修正しました

■能義郡 布部村 となる従前の町村名の一部について 能義郡 下田原村 あり or 能義郡 下田原村 なし
「幕末以降総覧」・・・ 能義郡 下田原村 なし
 (M8に 能義郡 下田原村, 菅沢村 が合併し 能義郡 菅原村 に)
「辞典」・・・能義郡 下田原村 なし
M8の合併を反映させる際の入力ミスのようです。能義郡 下田原村 なし と修正しました

■出雲郡 出西村 となる従前の町村名の一部について 出雲郡 下阿宮村 or 出雲郡 阿宮村
「幕末以降総覧」・・・出雲郡 阿宮村
 (M8に 出雲郡 上阿宮村, 下阿宮村 が合併し 出雲郡 阿宮村 に) 
「辞典」・・・出雲郡 阿宮村
M8の合併を反映させる際の入力ミスのようです。出雲郡 阿宮村 と修正しました

■楯縫郡 平田町 となる従前の町村名について 楯縫郡 平田町 or 楯縫郡 平田村
「幕末以降総覧」・・・楯縫郡 平田村, 平田村上ヶ分
「辞典」・・・楯縫郡 平田村, 平田村の一部
島根県の地名鑑(PDF)の78コマ(p.79)では、M22までの廃置分合は記載されておらず、そのまま単独で平田村がM22.4.1付けで平田町に、となっています。
一方、地方行政区画便覧では、確かにM19.1時点で楯縫郡平田町,平田村上ヶ分があります。
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」では、楯縫郡平田村上ヶ分が、M22に平田町と合併して平田町となる、との記載があります。
確かに矛盾する資料なのですが、最終的には、ご紹介のM22.3.9付け島根県令第22号に従い、楯縫郡 平田村 と修正しました

■神門郡 古志村 となる従前の町村名の一部について 神門郡 古志村 or 神門郡 古志町
「幕末以降総覧」「辞典」・・・神門郡 古志町
悩ましいところではありますが、ご紹介の各資料に基づき、神門郡 古志町 と修正しました

■神門郡 園村 となる従前の町村名の一部について 神門郡 外園村 or 神門郡 外園浦
「幕末以降総覧」・・・神門郡 外園村(M8に 神門郡 西園村の一部 が分立し 神門郡 外園村 に)
「辞典」・・・神門郡 外園浦
ご紹介の各資料に基づき、神門郡 外園浦 と修正しました

■神門郡 杵築町 となる変更種別について 新設/村制 or 新設/町制
単なる入力誤りでした。新設/町制 と修正しました

■神門郡 浜村 ほかから発足する村名について 神門郡 遥堪村 or 神門郡 遙堪村
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・神門郡 遥堪村
しかし、「漢字源」(学習研究社、1999年4月1日改訂新版第6刷)によると、「遥」はJIS句点コード4558・JIS16進コード4D5A、「遙」はJIS句点コード8403・JIS16進コード7423であり、「遥」の常用漢字表になる前の旧字体が「遙」、つまり、同じ文字です。このため、[74087]拙稿
(1) 現在、常用漢字を使用しているものは、近世村当時から常用漢字で表記する。
(理由:旧字体から常用漢字(旧当用漢字)へは一括して字を置き換えただけであり、自治体が「表記を変えた」ものではないため)
に準じ、神門郡 遥堪村 とそのままとしました

■神門郡 高浜村 となる従前の町村名の一部について 神門郡 失尾村 or 神門郡 矢尾村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・神門郡 矢尾村
現在の出雲市矢尾町と考えられることからも、神門郡 矢尾村 と修正しました

続きます。
[79535] 2011年 10月 18日(火)20:43:44【1】88 さん
市区町村変遷情報 市制町村制施行時(奈良県) 小レス
[78496] むっくん さん
■宇陀郡 三本松村 となる変更種別について 新設/村制 or 郡変更/新設/村制
■高市郡 八木町 となる変更種別について 新設/村制 or 郡変更/新設/村制
■山辺郡 二階堂村 となる変更種別について 新設/村制 or 郡変更/新設/村制
■式上郡 上之郷村 となる変更種別について 新設/村制 or 郡変更/新設/村制
■添上郡 治道村 となる変更種別について 新設/村制 or 郡変更/新設/村制
ご紹介のM22.3.2付け奈良県令第11号([75041])に従い、変更種別を 郡変更 を追加するよう修正しました(宇陀郡 三本松村高市郡 八木町山辺郡 二階堂村式上郡 上之郷村添上郡 治道村)。

■十市郡 大福村 となる従前の町村名の一部について 十市郡 笠神村 or 十市郡 笠神村の一部
■十市郡 香久山村 となる従前の町村名の一部について 十市郡 笠神村 or 十市郡 笠神村の一部
「幕末以降総覧」・・・
十市郡 大福村 : 十市郡 大福村, 東新堂村, 新屋敷村, 西之宮村, 大福村属地
十市郡 香久山村 : 十市郡 池尻村, 南山村, 戒外村, 南浦村, 木之本村, 下八釣村, 吉備村, 膳夫村, 出合村, 出垣内村, 吉備村属地
(ともに 十市郡 笠神村 なし)
「辞典」・・・
十市郡 大福村 : 十市郡 大福村, 東新堂村, 新屋敷村, 西ノ宮村
十市郡 香久山村 : 十市郡 池尻村, 南山村, 戒外村, 南浦村, 木之本村, 下八釣村, 吉備村, 膳夫村, 出合村, 出垣内村
(ともに 十市郡 笠神村 なし)

町村制施行にあたっての十市郡の町村の数を、まずは整理してみました。
町村制町村制直前摘要
多武峰村3町13村
平野村12村
多村11村
耳成村12村
大福村4村大福村属地笠神村?を除く
香久山村10村吉備村属地笠神村?を除く
安倍村7村
桜井村6村
田原本町1村
高市郡八木町1村十市郡北八木村
3町77村他に笠神村
奈良県統計書明治21年によると、M21.12.31時点では十市郡が3町78村です。上記の笠神村を1村と数えると話が合います。
一方、ご紹介の地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10)はM19.1現在のものであり、この時点では十市郡は2町79村です。なお、「飯盛塚町」は「飯盛塚村」の誤り、2町は多武峯と西口町と考えます。この時点では「八井内村」なので、M21.12.31までの間に八井内村→八井内町となったということになりますが。笠神村は、左頁の最初の、戸長役場:池尻村の中に、1村だけあります。
これら2資料は、整合がとれています。
ご紹介の資料及びこれらのことから、ご指摘のとおり、十市郡 笠神村 は町村制施行直前まで1村だけ存在し、町村制施行に際し 十市郡 大福村, 香久山村 に分かれて消滅した(笠神村のそれぞれ一部)と判断し、修正しました(十市郡 大福村十市郡 香久山村)。

■十市郡 多武峰村 となる従前の町村名の一部について 十市郡 西口村 or 十市郡 西口町
「幕末以降総覧」・・・十市郡 西口町
「辞典」・・・十市郡 西口町(「多武峰(境内地)との記述」)
ご紹介の各種資料、特に、奈良県統計書明治21年において、十市郡が3町78村であり、その3町の内訳が
八井内町, 西口町, 多武峯 と考えるのが整合が取れることから、十市郡 西口町 と修正しました

■高市郡 真菅村 となる従前の町村名の一部について 高市郡 小綱村 あり or 高市郡 小綱村 なし
「幕末以降総覧」「辞典」・・・高市郡 小綱村 なし
現在の橿原市小綱町にあたると考えられますが、ご紹介の資料に基づき、高市郡 小綱村 なし と修正しました

■葛下郡 浮孔村 となる従前の町村名の一部について 葛下郡 今里川合方 or 葛下郡 今里村川合方
「幕末以降総覧」・・・葛下郡 今里村 の次に「同川合方」
「辞典」・・・葛下郡 今里川合方・今里村川合方 ともになし
ご紹介の各資料のうち、地方行政区画便覧の「今里村河分方」(戸長役場:田井村のうち)は、「河」は「川」の表記の揺れ、「分」は「合」の誤字でしょう。ご指摘のように、葛下郡 今里村川合方 と修正しました

■吉野郡 中十津川村 となる従前の町村名の一部について 吉野郡 湯原村, 小森村 なし or 吉野郡 湯ノ原村, 小森村 あり or 吉野郡 湯之原村, 小森村 あり
「幕末以降総覧」・・・吉野郡 湯ノ原村, 小森村 あり
「辞典」・・・吉野郡 湯ノ原村, 小森村 あり
ご紹介の資料及び現在の吉野郡十津川村大字湯之原吉野郡十津川村大字小森にあたると考えられることから、吉野郡 湯之原村 とし、小森村 あり と修正しました

■吉野郡 天川村 となる従前の町村名の一部について 吉野郡 塩谷村 なし or 吉野郡 塩谷村 あり
「幕末以降総覧」「辞典」・・・吉野郡 塩谷村 あり
ご紹介の各資料に従い、また、現在の吉野郡天川村大字塩谷にあたると考えられることから、吉野郡 塩谷村 あり と修正しました

■吉野郡 小川村 となる従前の町村名の一部について 吉野郡 中里村 or 吉野郡 中黒村
「幕末以降総覧」・・・吉野郡 中里村
「辞典」・・・吉野郡 中黒村
これは、現在の吉野郡東吉野村大字中黒であると考えられることからも、吉野郡 中黒村 と修正しました

■吉野郡 上市村 等から発足する町村名について 吉野郡 上市村 or 吉野郡 上市町
これにつきましては、[78774]拙稿で対応しました。吉野郡上市町と修正済みです

■宇智郡 牧野村となる従前の町村名の一部について 和歌山県 伊都郡 真土村(微) なし or 和歌山県 伊都郡 真土村(微) あり
「幕末以降総覧」・・・和歌山県 伊都郡 真土村(微) なし
「辞典」・・・和歌山県 伊都郡 真土村(微) なし
ご紹介のM22.3.30付け(和歌山)県令第29号により、和歌山県 伊都郡 真土村(微) を含む、と修正しました
あわせて、和歌山県 伊都郡 隅田村 となる従前の町村名の一部の 伊都郡 真土村 を 伊都郡 真土村(本) と修正しました

■添下郡 郡山町 となる従前の町村名の不要な半角スペースについて
[78859]拙稿で対応済みですが、不要なスペースを修正(削除)しました

毎度のことながら、ありがとうございます。本当に助かっています。今後ともよろしくお願いいたします。
[79531] 2011年 10月 17日(月)20:31:59【1】88 さん
市区町村変遷情報 市制町村制施行時(大阪府) 小レス
[78494][78495] むっくん さん
大阪府に関しては、あくまで結果的にですが、「幕末以降総覧」の記述に捕らわれず、逆にM22.2.20付け大阪府令第17号(「大阪府郡部町村名」(編・出版:吉田常三郎、M22.5.))をそのまま鵜呑みにしてしまった結果、かえって誤りが増えてしまった、ということになりました。
原文の府令第17号のままではなく、編纂者が町村役場の置かれることとなった町村名を一番目に記載することで、利用者への便宜を図ったものと考えられる。このため他書と比較して誤字脱字と考えられるところが少なくない。)
のとおりです。検証が不十分でした。

――――――――――
■大阪市 となる従前の町名について
現入力修正案
京町通一丁目, 京町通二丁目, 京町通三丁目京町堀通一丁目, 京町堀通二丁目, 京町堀通三丁目
京町通四丁目, 京町通五丁目京町堀通四丁目, 京町堀通五丁目
阿波堀裏町阿波堀通裏町
北堀江上通二番町, 北堀江上通三番町北堀江二番町, 北堀江三番町
瓦屋町, 内安堂寺町通二番町, 内安堂寺町通三番町瓦屋町一番町, 瓦屋町二番町, 瓦屋町三番町
内安堂寺町通四番町, 内安堂寺町通五番町瓦屋町四番町, 瓦屋町五番町
谷町六丁目, 谷町七丁目谷町筋六丁目, 谷町筋七丁目
法円坂町法円阪町
京橋町一丁目, 京橋町二丁目, 京橋町三丁目京橋一丁目, 京橋二丁目, 京橋三丁目
中ノ島常安町
「幕末以降総覧」・・・京町堀通○丁目, 阿波堀裏町, (北堀江一番町, 北堀江二番町, 北堀江三番町), (瓦屋町一番町, 瓦屋町二番町, 瓦屋町三番町, 瓦屋町四番町, 瓦屋町五番町), (谷町六丁目, 谷町七丁目), 法円坂町, (京橋町一丁目, 京橋町二丁目, 京橋町三丁目), 常安町
法円坂町 or 法円阪町 は、現在大阪市中央区法円坂町一丁目・法円坂町二丁目にその名残があり、「坂」「阪」は表記の揺れであると考え、そのままとしました。他は、ご紹介の各文献の表記を鑑み、ご指摘のとおり修正しました

■堺市 となる従前の町名について 堺区 九間町西三町, 南半町西三町 or 堺区 九間町東三町, 南半町西一町
「幕末以降総覧」・・・堺区 九間町東三町, 南半町西三町
ご紹介の各資料に従い、堺区 九間町東三町, 南半町西一町 と修正しました

■西成郡 天保町 となる従前の町村名について 西成郡 天保村 or 西成郡 天保町
「幕末以降総覧」「辞典」・・・西成郡 天保町
ご紹介の各資料の整合を鑑み、西成郡 天保町 と修正しました

■西成郡 北中島村 となる従前の町村名の一部について 西成郡 東宮原村 なし or 西成郡 東宮原村 あり
「幕末以降総覧」「辞典」・・・西成郡 東宮原村 あり
ご指摘のとおり、西成郡 東宮原村 があるものとして修正しました

■住吉郡 南百済村 となる従前の町村名の一部について 住吉郡 湯屋島村 or 住吉郡 湯谷島村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・住吉郡 湯谷島村
ご紹介の各資料から、また、大阪市東住吉区HPまちの年表にも同様の記載があることから、住吉郡 湯谷島村 と修正しました

■島上郡 島本村 となる従前の町村名の一部について 島上郡 大沢村 なし or 島上郡 大沢村 あり
「幕末以降総覧」「辞典」・・・島上郡 大沢村 あり
ご紹介の各資料、また、現在の三島郡島本町大字大沢であると考えられることからも、島上郡 大沢村 あり と修正しました

■島下郡 岸部村 となる従前の町村名の一部について 島下郡 吉志部東村, 吉志部南村 or 島下郡 東村, 南村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・島下郡 東村, 南村
ご紹介の各資料の信憑性を優先し、島下郡 東村, 南村 と修正しました

■島下郡 鳥飼村 となる従前の町村名の一部について 島下郡 鳥飼下村, 鳥飼上村, 鳥飼中村, 鳥飼西村 or 島下郡 鳥飼下ノ村, 鳥飼上ノ村, 鳥飼中ノ村, 鳥飼西ノ村
「幕末以降総覧」・・・島下郡 鳥飼下ノ村, 鳥飼上ノ村, 鳥飼中ノ村, 鳥飼西ノ村
「辞典」・・・島下郡 鳥飼下村, 鳥飼上村, 鳥飼中村, 鳥飼西村
「ノ」の有無は、当時としては表記の揺れの範疇でしょう。ご紹介の資料など、主たる資料に従い、「ノ」ありと修正しました

■島下郡 石河村, 見山村 となる従前の町村名の一部について 島下郡 車作村 は 石河村 の一部へ or 島下郡 車作村 は 見山村 の一部へ
「幕末以降総覧」「辞典」・・・島下郡 車作村 は 見山村 の一部へ
現在の茨木市大字車作であると考えられますが、ご紹介の各資料の信憑性を優先し、島下郡 車作村 は 見山村 の一部へ と修正しました(島下郡 石河村島下郡 見山村)。

■豊島郡 中川原村 ほかから発足する村名について 豊島郡 細川村 or 豊島郡 細河村
この件は、[78782]ぺとぺと さんからのご指摘にあわせて[78860]で対応済みです。豊島郡 細河村 と修正済みです

■豊島郡 北豊島村 となる従前の町村名の一部について 豊島郡 中ノ島村 or 豊島郡 中之島村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・豊島郡 中ノ島村
「ノ」「之」も、当時としては表記の揺れの範疇であると考えられます。
しかし、ご紹介の各資料、そして、現在の中之島バス停付近であると考えられることから、豊島郡 中之島村 と修正しました

■能勢郡 東郷村 となる従前の町村名の一部について 能勢郡 野間出村 or 能勢郡 野間出野村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・能勢郡 野間出野村
ご紹介のM16.4.25大阪府示第95号達、また現在の豊能郡能勢町野間出野であると考えられることからも 能勢郡 野間出野村 と修正しました

■能勢郡 吉川村 となる従前の町村名について 能勢郡 吉川村 or 能勢郡 吉川村, 兵庫県 川辺郡 横路村(微)
この件は、[78799]拙稿で対応済みですが、同稿において本むっくんさんの投稿に触れることを失念しておりました。失礼しました。修正済みです

■大鳥郡 向井村 となる従前の町村名の一部について 大鳥郡 西万屋新田村 or 大鳥郡 西万屋新田
「幕末以降総覧」・・・大鳥郡 西万屋新田
「辞典」・・・大鳥郡 西万屋新田村
ご紹介の各資料の信憑性を優先し、大鳥郡 西万屋新田 と修正しました

■泉郡 東横山村 となる従前の町村名の一部について 泉郡 槇尾村 or 泉郡 槇尾山
「幕末以降総覧」・・・泉郡 槇尾山
「辞典」・・・・・・泉郡 槇尾山村
ご紹介の各資料の信憑性を優先し、・・・泉郡 槇尾山 と修正しました

■南郡 南掃守村 となる従前の町村名の一部について 南郡 三箇山新田 or 南郡 三ヶ山新田
「幕末以降総覧」・・・南郡 三ヶ山新田
「辞典」・・・南郡 三ヶ山新田村
「ヶ」「箇」は、当時としては表記の揺れの範疇であると考えられます。
ご紹介の各資料、そして現在の岸和田市三ヶ山町付近であると考えられることから、南郡 三ヶ山新田 と修正しました

■丹北郡 木本村 ほかから発足する村名について 志紀郡 三本木村 or 志紀郡 三木本村
この件は、[78457][78528] 中島悟 さんからのご指摘にあわせて[78775] で 志紀郡 三木本村 と修正済みです

■丹北郡 松原村 となる従前の町村名の一部について 丹北郡 東大塚村 or 丹北郡 西大塚村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・丹北郡 西大塚村
ご指摘のとおり、東大塚村 は別に存在して高鷲村の一部となったものであり、本件は 丹北郡 西大塚村 と修正しました

――――――――――
いつもありがとうございます。他のものも、順次準備中です。今後ともよろしくお願いいたします。
[79523] 2011年 10月 16日(日)09:28:0688 さん
市区町村変遷情報 県の境界にわたる境界変更の事例について(S22.5.3以降告示)
[79522]の続きです。
県の境界にわたる境界変更を抽出しました。
情報元は官報情報検索サービスであり、このため、S22.5.3以降に総理府告示等があったものに限ります。
ひととおり網羅したつもりですが、遺漏があるかもしれません。
番号告示年月日告示番号施行年月日編入側編入される側
1S25.3.27総理府告示第58号S25.4.1東京都板橋区埼玉県北足立郡戸田町
2S28.11.30総理府告示第242号S28.12.1島根県仁多郡八川村広島県比婆郡八鉾村
3S28.11.30総理府告示第243号S28.12.1広島県山県郡八幡村島根県那賀郡波佐村
4S29.4.30総理府告示第448号S29.5.1東京都板橋区埼玉県北足立郡戸田町
5S30.3.30総理府告示第907号S30.4.1愛知県東加茂郡旭村岐阜県恵那郡三濃村*1
6S30.12.29総理府告示第1569号S31.1.1千葉県印旛郡栄町茨城県稲敷郡河内村
7S31.9.8総理府告示第417号S31.9.10長崎県松浦市佐賀県伊万里市
8S33.3.31総理府告示第75号S33.4.1大阪府豊能郡東能勢村京都府亀岡市*2
9S35.7.1自治省告示1号S35.7.1栃木県足利市群馬県山田郡矢場川村
10S36.7.1自治省告示213号S36.7.1埼玉県北足立郡大和町東京都練馬区
東京都練馬区埼玉県北足立郡大和町
11S38.7.17自治省告示106号S38.9.1兵庫県赤穂市岡山県和気郡日生町*3
12S39.7.31自治省告示90号S39.8.1宮城県登米郡中田町岩手県西磐井郡花泉町
岩手県西磐井郡花泉町宮城県登米郡中田町
13S40.4.1自治省告示63号S40.4.1京都府福知山市兵庫県氷上郡市島町
兵庫県氷上郡市島町京都府福知山市
14S41.10.28自治省告示158号S41.11.1岡山県笠岡市広島県福山市
広島県福山市岡山県笠岡市
15S43.1.27自治省告示7号S43.2.1神奈川県横浜市東京都町田市
16S43.3.25自治省告示40号S43.4.1栃木県足利市群馬県太田市
栃木県足利市群馬県邑楽郡邑楽村
群馬県太田市栃木県足利市
群馬県邑楽郡邑楽村栃木県足利市
17S43.3.27自治省告示45号S43.4.1群馬県桐生市栃木県安蘇郡田沼町
18S46.3.18自治省告示47号S46.4.1茨城県下館市栃木県芳賀郡二宮町
栃木県芳賀郡二宮町茨城県下館市
19S47.3.16自治省告示68号S47.4.1茨城県行方郡潮来町千葉県佐原市
千葉県佐原市茨城県行方郡潮来町
20S47.9.2自治省告示228号S47.10.1千葉県佐原市茨城県稲敷郡東村
茨城県稲敷郡東村千葉県佐原市
21S51.2.20自治省告示25号S51.3.1茨城県真壁郡協和町栃木県芳賀郡二宮町
栃木県芳賀郡二宮町茨城県真壁郡協和町
22S53.12.21自治省告示221号S54.1.1栃木県足利市群馬県太田市
群馬県太田市栃木県足利市
23S55.5.24自治省告示129号S55.6.1茨城県下館市栃木県小山市
24S55.5.24自治省告示130号S55.6.1栃木県小山市茨城県結城市
茨城県結城市栃木県小山市
25S55.5.24自治省告示131号S55.6.1群馬県館林市栃木県佐野市
栃木県佐野市群馬県館林市
26S57.11.26自治省告示217号S57.12.1茨城県下館市栃木県芳賀郡二宮町
栃木県芳賀郡二宮町茨城県下館市
27S60.1.29自治省告示12号宮崎県都城市鹿児島県曽於郡末吉町
鹿児島県曽於郡末吉町宮崎県都城市
28S60.1.29自治省告示13号S60.2.1東京都町田市神奈川県大和市
神奈川県大和市東京都町田市
29H3.1.25自治省告示3号H3.2.1栃木県芳賀郡茂木町茨城県東茨城郡御前山村
茨城県東茨城郡御前山村栃木県芳賀郡茂木町
30H9.1.17自治省告示2号H9.1.20岩手県西磐井郡花泉町宮城県登米郡中田町
宮城県登米郡中田町岩手県西磐井郡花泉町
31H10.6.24自治省告示168号H10.7.1茨城県結城市栃木県小山市
栃木県小山市茨城県結城市
32H11.11.1自治省告示219号H11.12.1東京都町田市神奈川県相模原市
神奈川県相模原市東京都町田市
神奈川県大和市東京都町田市
33H12.5.15自治省告示108号宮崎県えびの市鹿児島県姶良郡吉松町
鹿児島県姶良郡吉松町宮崎県えびの市
34H13.3.26総務省告示第160号H13.4.1岩手県西磐井郡花泉町宮城県登米郡中田町
宮城県登米郡中田町岩手県西磐井郡花泉町
35H16.10.5総務省告示第739号H16.12.1東京都町田市神奈川県相模原市
神奈川県相模原市東京都町田市
36H17.1.13総務省告示第23号H17.2.1栃木県芳賀郡二宮町茨城県下館市
茨城県下館市栃木県芳賀郡二宮町
37H19.3.26総務省告示第159号宮崎県都城市鹿児島県曽於市
鹿児島県曽於市宮崎県都城市
38H19.10.17総務省告示第574号H19.12.1東京都町田市神奈川県相模原市
神奈川県相模原市東京都町田市
39H22.1.7総務省告示第1号H22.3.1群馬県太田市埼玉県深谷市
埼玉県深谷市群馬県太田市*4
40H22.8.31総務省告示第337号H22.12.1東京都町田市神奈川県相模原市
神奈川県相模原市東京都町田市

*1大字浅谷及び野原
*2西別院町牧及び寺田の大半の区域
*3大字福浦の大半
*4二ツ小屋町,前小屋町のそれぞれ一部

これら4件は、実質、近世村単位または町・大字単位であるため、すでに市区町村変遷情報の対象として反映済みです。


・例えば上記の10は、 東京都練馬区の一部が埼玉県北足立郡大和町に境界変更される内容と、埼玉県北足立郡大和町の一部が東京都練馬区に境界変更される内容が、ともに含まれています。
・施行年月日が「-」のものは、告示中に施行年月日の記載がないものです。本来ならば記載があるべきところですが、遺漏しているのと思われます。

これらの境界変更は、ほとんどは、土地区画整理事業または土地改良事業により区画整理・圃場整備を行ったことによるものではないかと推測します。
[79522] 2011年 10月 16日(日)09:14:40【1】88 さん
市区町村変遷情報 境界変更の取扱いについて (県の境界にわたる境界変更についてを含む)
[79412][79461] グリグリ さん
[79438] hmt さん
市区町村変遷情報における境界変更の取扱いについて

市区町村変遷情報における境界変更の取扱いについては、これまでにも方針を述べてきた内容だとは思いますが、改めて述べます。

境界変更を実施した事例は多く、その内容も千差万別であることから、すべてを対象とするのではなく、境界変更の対象範囲が近世村(≒大字)単位の移動であれば、実質的に近世村の廃置分合にあたることから、対象としています。
一方、それ未満である場合は、軽微な境界変更とみなし、対象から除いています。これらは概して面積が微小であり地図で認識できないものが多く、また、境界変更の事例数が多いのが現実であり、一方で仮にこれらを反映した場合は、本質的な廃置分合が埋没して目立たなくなり、市区町村変遷情報の趣旨が損なわれる懸念があるためです([56539]拙稿)。
県境を越える境界変更であっても、この取扱いは同じです。県境を越えるからと言って、基準を緩めることは行っていません。単に県境を越える事例であれば、地方自治法下に限ってみても多数あります(別稿にて一覧を提示)。

ただし、例外があります。
市区町村変遷情報は、近世村に主眼を置いた変遷ですが(近世村の大半は延喜式以来の村でもあるため)、近世村≒大字であることを鑑み、現在の市町村における「町・大字」の実態把握にも転用できるものと考えています。町・大字は、現在の住所を表示するのに際し重要な事項ですが、各地図サイトなどでも、次のような疑問があります。
・正式な町・大字が何なのか
・通称であるのか否か
・小字はあるのかないのか、表示されているものだけが小字なのか
・地番区域は大字単位か、小字単位か
 (地番区域が大字単位の場合、住所では省くことが通常・・・この件、改めて投稿予定)
将来的に、市区町村変遷情報の情報を活用した、現在の正式な「町・大字」を掲示することを目論んでいます([77488]拙稿参照)。町・大字は、歴史的な面からも、現在の地名の根幹をなすものであるからです。これらについては、試行品で暫定的に掲示していますが、さらに発展させることが可能であると考えており、また、市区町村変遷情報の内容を転用すれば、一から作成するほどの手間を要しないでしょう。
これらを展望として、境界変更が近世村単位ではない場合であっても、町・大字単位である場合(変更前の市町村において、あるいは変更後の市町村において)は、市区町村変遷情報の対象としています(参考:[75399][69559]の島根県鹿足郡小川村の境界変更の件)。

さて、当該地域の変遷を見てみます。
●1 群馬県太田市・埼玉県深谷市の境界変更について
◎(1)群馬県太田市から埼玉県深谷市のへの境界変更について
近世村新田郡 二ツ小屋村, 前小屋村
M22(1889).4.1町村制施行時新田郡 尾島町
H17(2005).3.28太田市(太田市二ツ小屋町,前小屋町)
H22(2010).3.1深谷市(深谷市二ツ小屋,前小屋)
(残余の太田市二ツ小屋町,前小屋町はそのまま存置)
深谷市HPでは、
■平成22年3月1日から、群馬県太田市前小屋町および二ツ小屋町が深谷市に編入されました。
太田市前小屋町及び二ツ小屋町がすべて深谷市となったかのようにも読めますが、実際には太田市前小屋町及び二ツ小屋町のそれぞれ一部が、深谷市二ツ小屋及び前小屋となりました(参考地図)
近世村である二ツ小屋村・前小屋村のすべての範囲ではないものの、新たに「深谷市二ツ小屋」「深谷市前小屋」という町・大字が画されたことも明白であることから(参考)、方針の例外(近世村単位ではないが町・大字単位である)に該当すると判断し、これらは市区町村変遷情報の編集対象とすることとします。

◎(2)埼玉県深谷市から群馬県太田市への境界変更について
近世村榛沢郡 高島村
M22(1889).4.1町村制施行時榛沢郡 新会村
M29(1896).4.1大里郡 新会村
S29(1954).11.3大里郡 豊里村
S30(1955).1.1大里郡 豊里村
S48(1973)4.1深谷市
H18(2006)1.1深谷市(深谷市高島)
H22(2010).3.1太田市(太田市大舘町の一部に)(残余は深谷市高島)
近世村である高島村のすべてではなく、また、境界変更部分は太田市大舘町の一部(大舘町は近世村としては新田郡大舘村、新田郡尾島町を経て太田市)であることからも、微小であると判断し、市区町村変遷情報の編集対象とはいたしません。

◆結論◆
これら(1)(2)から、H22(2010).3.1付けで群馬県太田市の一部を埼玉県深谷市へ境界変更したとの情報を追加しました
なお、同日付けでの、埼玉県深谷市の一部を群馬県太田市へ境界変更したとの情報は追加しません。


●2 埼玉県加須市・栃木県栃木市の境界変更について
市区町村変遷情報の編集方針は、合理的、客観的なものが求められるものであり、3県境だから、オフ会オプショナルツアーだからと言った感傷は不要である、ということは、承知されていることは思いますが、念のため申し添えます。

栃木市藤岡町下宮は、[76925]拙稿で述べたように、近世村は下都賀郡下宮村であると思われます。ただし、下宮村のすべてが現在の藤岡町下宮であるのかどうかは、あまりに面積が小さいため少し疑問ですが、他に「下宮」の残余と思われるものも見当たらないため、こう判断しておきます。
前述の市区町村変遷情報の編集方針から見ると、近世村単位の境界変更であることから、編集対象であると考えられます。

しかし、現実に編集対象とするのは抵抗があります。
この件は、[79417] 山野 さん でもご紹介があったように、当面は見合わせ、とのことです。このため、この情報を対象とするか否かの議論は不要(事実上決着済み)だと判断していました。
当面は見合わせでありながらも、この情報を編集対象とすると仮定すると、市区町村変遷情報では、
 (A)成立しなかった合併情報 都道府県別一覧
 (B)市区町村変遷予定情報 都道府県別一覧(日付順も別途あり)
あるいは、この両方に追加することが考えられます。

廃置分合とは異なり、境界変更の場合は潜在的には多数の事例があると想像されます。法定合併協議会のような組織も必要ではありません。
今回の事例では、栃木市議会で加須市への境界変更の請願を全会一致で可決したということですが、請願の可決自体は、境界変更の要件ではありません。結果的には、栃木市がこれ以降の手続きを取り止め、当面は見合わせ、とのこと(東京新聞)。
境界変更については、廃置分合(合併)に比して話題にもならないことが多く、概して情報が少ないことが伺えます。仮に、本情報だけを編集対象とする場合、他方では、多数あるであろう潜在的な境界変更の情報を編集対象としないことになると考えられることから、均衡を欠くと思います。
つまり、廃置分合とは異なり、正式に境界変更が成立した段階で、市区町村変遷情報の編集対象とし、成立しなかった合併情報 都道府県別一覧市区町村変遷予定情報 都道府県別一覧の対象とはしない、とする方が適切であると考えます。
(余談:でるでる編集長と異なり、私は進行中の案件について編集作業を行うという概念が全くなかったのも事実)

◆結論◆
栃木県栃木市の一部(栃木市藤岡町下宮)を埼玉県加須市へ境界変更する情報は、今回は追加しない。正式に境界変更が決定された時点(総務省告示がなされた時点)で追加する。

――――――――――
参考までに、都道府県の境界にわたる境界変更についての根拠と、前述の太田市・深谷市の事例をご紹介しておきます。
地方自治法
第7条
 都道府県の境界にわたる市町村の設置を伴う市町村の廃置分合又は市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共団体の申請に基づき、総務大臣がこれを定める。

総務省告示第一号
県の境界にわたる市の境界変更
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第三項の規定により、群馬県太田市と埼玉県深谷市との境界を次のとおり変更したので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
 右の境界変更は、平成二十二年三月一日からその効力を生ずるものとする。
平成二十二年一月七日
総務大臣臨時代理
国務大臣 前原 誠司
群馬県太田市に編入する区域
 埼玉県深谷市高島字向川原(以下地番列挙)
埼玉県深谷市に編入する区域
 群馬県太田市前小屋町(以下地番列挙)、二ツ小屋町(以下地番列挙)
[79290] 2011年 8月 31日(水)07:34:5788 さん
Re:仙台
[79289] 千本桜 さん
どうやら、[79282]千本桜の書き込みはうまく伝えることができなかったようです。もう一度、簡単に書きます。仙台区は明治11年7月22日に発足し、明治22年3月31日に廃止されました。しかし、明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等には、変更種別:新設、自治体名:仙台区と書いてありますから、この表組を見た人は「明治22年3月31日に仙台区が新設された」と誤解するのではないか。88さんの伝えたかったことが伝わらないでしまうのではないか。そんな心配をしておったのです。
ありがとうございました。
将来的には、M11.7.22の仙台区誕生の情報についても、また、その間の情報も、市区町村変遷情報の中で遡って表示したい、との野望・構想を持っています。そうすれば、より系統立てて理解しやすくなると考えています。
もっとも、まだ「夢物語」の世界ですが。

もしかすると207町あらため210町などということになる可能性もあります。仙台市史に誤りがなければ良いのですが、誤りがあるとすると何を信じて良いのやら。
承知しました。更なる追加調査を期待しています。

取り敢えず、仙台区,207町,5村(微)として、情報を更新しました。ご確認いただければ、と思います。
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等

今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
[79288] 2011年 8月 30日(火)19:32:40【1】88 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 仙台区・仙台市について
[79092] 千本桜 さん
お尋ねの件、はて、どう答えようかと積み残していた間に、[79130] むっくん さんに答えていただきました。ありがとうございます。

まず、本題の前に。
[79130] むっくん さん
まず、88さんの編集方針です。
・市制町村制施行以降については原則「全訂 全国市町村名変遷総覧」(1991年8月)(監修:自治省行政局振興課、出版:日本加除出版)の記載内容に基いているが、戦後のある時期以降は根本資料である官報で修正した上で市区町村変遷情報に記入する。
S22.5.3付け以降は官報情報検索サービスにより、廃置分合等は総務省告示等で確認できます。一通りダウンロード済であるものの、[78457][78528]中島悟 さんのように大量にご指摘を受ける状況であり、突合・修正は不十分です。
・市制町村制施行時については原則は「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1・2)」(2000年9月)(監修:西川治、編著:太田孝、出版:東洋書林)の記載内容に基いているが、市制町村制施行時に出された各府県の県(府)令で修正した上で市区町村変遷情報に記入する。
各府県令を大量に発掘していただいたのは[76874]むっくん さん のお蔭であり、改めて御礼申し上げます。
なお、府県令を意識して作業を実施したのは途中からであるため、初期(九州など西日本を中心とした情報)は、「幕末以降総覧」のままで、府県令との突合が不十分なものもあります。
今回の宮城県仙台区(仙台市)については廃置分合規定の県令第8号(M22.2.9)には仙台区とあるだけで各町名がないため、当初は原則である「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1)」の記載内容をそのまま記載し、その後[78767]千本桜さんの書き込みの後、初めて「新旧対照市町村一覧」(編:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)を参照されたものであると推測しています。
そのとおりです。相違ございません。

・・・と、言い訳ばかりですが、今後のためにも、作業実態をあからさまにしておきます。
――――――――
さて、本題。[79130] むっくん さんに詳細に答えていただきました。ありがとうございます。一部、可能なところを補足します。
[79092] 千本桜 さん
1)・88さんが明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等を作成する際に資料とした新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)は何を資料にして編纂された物なのか。
これについては、[79130] むっくん さんによる回答以上のことを述べる情報・知識を持ち合わせておりません。あしからず。
2)・仙台区は郡区町村編成法により誕生し、明治11年から同22年まで存在しました。その間、仙台区に属した町、つまり88さんがまとめられた市制町村制施行前の町村名等に列記された町々はそれぞれが明治22年まで独立した自治町でありえたのか。
これについても、[79130] むっくん さんによる回答をいただきましたが、補足します。
拙稿[58394]でも述べたように、郡区町村編制法下では、区はいわゆる自治体であり、また、区の中の町は、区に包括されるとともに、その町自体が自治体です。これは、千本桜 さん、むっくん さん にもあるとおり、区の「区長」と、町の「戸長」がそれぞれ置かれていることからもわかります。たまたま、区長が戸長を兼ねることがあるとしても、それとは別の話です。あくまで、制度上は、それぞれ、自治体である、というのが一般論です。
もっとも、仙台の事例において個別事情が何かあるのであれば、そちらが優先ですが。
――――――――
[79282] 千本桜 さん
(前略)
以上のことから、仙台区の町村として市区町村変遷情報に乗せるべきは、掲載した207の町名および明治22年3月31日に行われた区画変更の情報だと思います。
本当にありがとうございました。私などでは対応できないような、詳細な、適切な考察・判断を加えた調査をしていただきました。追って修正対応させていただきます。その前に、これに関して一つ確認事項です。
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等ですが、この表組を普通に読めば、「明治22年(1889年) 3月31日に仙台区, 仙台区新河原町, 新弓ノ町,(以下省略)が合併して仙台区が新設された。」になります。表組作成にもう一工夫必要かなと思いました。
M22.2.9付け(宮城)県令第8号107コマにより、M22.3.31付けで、仙台区、仙台区の中の207町、宮城郡荒巻村ほか計5村のそれぞれ一部が新設合併して郡区町村編制法下の「仙台区」となる(207町は自治体としては消滅)
M222.9付け(宮城)県令第10号によりM22.4.1付けで仙台区が法律「市制」による仙台市となる
ということでよいのですね?

それとも、M22.3.31付けでは仙台区と宮城郡荒巻村ほか計5村のそれぞれ一部との境界変更であり、207町は自治体としてまだ存続し、M22.4.1付けで仙台区と207町との合併により仙台市となったのでしょうか。
[79278] 2011年 8月 29日(月)20:35:4388 さん
Re:今年の恒例の落書き帳公式オフ会について(日程訂正)
最終決定のとおりに受け入れますが、とりあえず、自分の都合だけを勝手ながら述べます。

今年のオフ会は、11月19日(土)~20日(日)、東北だと思っていました。
日程はここ数年と同じで、場所はグリグリさんが「東海を変更して東北にします」と、あっさり決めると思っていました。すこし予想が外れてしまいました。

日程について。
私が何とか参加したい別行事(オフ会との優先順位をつけることは非常に厳しい行事)が、たぶん(ホントに、たぶん)例年どおりなら10月第4週と第5週の土日。ひょっとして一週ずれれば、11月第1週にずれ込むところ。
なので、オフ会は11月なら中旬以降ができればありがたいところ。
もっとも、その行事の日程が確定していないので、如何ともし難いところ(そろそろ発表されるはずなのですが・・私の行動パターンを知っている人はわかるでしょう)。

オフ会会場について。
個人的には、先週三重県津市に3泊したばかり([79179])で、しかも愛知県・岐阜県もウロウロしたばかり。でも、東海・東北のいずれにしても、まだまだ散策できていないので、正式決定した日程・会場を見て、都合のつく限り、前後の小旅行も兼ねて参加したいと思います。

という訳で、何の参考にもならないつぶやきですが、反応しておきます。

・・・また皆さんとお会いできればいいなあ。
[79242] 2011年 8月 24日(水)21:48:5288 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 小レス(石川県) +α
レスを溜めないように、少しずつでも処理していきます。

M22.4.1付け石川県市制町村制施行時の件について
この件については、[78864] むっくん さん で、解説をしていただきました。
M22.3.8付け石川県令第28号をご紹介いただきましたが、今回の議論に関する重要なものですので、全文を転記します(旧字体は新字体に置換え)。
石川県令第二十八号 二十二年三月八日
本年四月一日ヨリ本県下ニ於テ市町村制施行ニ付各町ノ内従来小町名ヲ公称シタルモノハ其全市街ヲ一団体トナシ金沢市街ハ従来ノ通小町ヲ公称セシメ其他各町及分合ニ係ル旧町村ノ名称ハ大字トシテ之ヲ存置ス
つまり、M22.3.8付け石川県令第23号中の51コマ参照(従来ノ町村中分合セサルモノ左ノ如シ)と組み合わせて読み、「各町ノ内従来小町名ヲ公称シタルモノ」とあわせて、M22.4.1付けの廃置分合を考える必要がある、とのご教示でした。まったくそのとおりであると思います。
言い換えれば、M22.4.1付けの市制町村制施行は、M22.3.8付け石川県令第28号を優先して考え、小町名(金沢、小松、松任、七尾、輪島)を公称していたものは、その全市街を一団体、つまり、一つの市町村とする、ということです。

これらを踏まえ、個別に見ていきます。
■金沢市
これについては、結果的に、既にM22.3.8付け石川県令第23号に従い対応済みで、そのままとしました
■江沼郡 大聖寺町
江沼郡 大聖寺荒町, 大聖寺鉄砲町, ・・・の60町が合併した、と修正しました
■能美郡 小松町
[78861] EMM さん
一方、「小松新大工町」が「小松本大工町」では?については、元の書き込みの1行目に「小松新大工町」、3行目に「小松本大工町」が書いてあるんですけれども、新大工町も本大工町に含まれるような記載であったと言う事でしょうか?
地名辞典の「[近世]小松町」の項によると新大工町は天明5年にはその名が文献に出て来るとの事なので、明治に入ってからもそのまま存続しているのではないかと思われるのですが。
失礼しました。これは私の単なる転記誤りです。「幕末以降総覧」では、「小松○○町」28町(小松新大工町、小松本大工町を共に含む)と、中町地方、浜田地方、向野地方によりM22.4.1付けで能美郡小松町が発足した、とあります。
なお、この件につきましては、[78864] むっくん さん でも追加情報をいただきました。再度、以下に記します。
能美郡 小松龍助町, 小松八日市町, 小松三日市町, 小松東町, 小松八日市町地方, 小松三日市町地方, 小松本折町, 小松上本折町, 小松西町, 小松大文字町, 小松寺町, 小松本鍛冶町, 小松塗師屋町, 小松本大工町, 小松土居原町, 小松京町, 小松地子町, 小松新大工町, 中町地方, 小松浜田町, 浜田地方, 向野地方, 小松小馬出町, 小松松任町, 小松細工町, 小松新町, 小松茶屋町, 小松泥町, 小松中町, 小松材木町, 小松新鍛冶町
なお、むっくんさんは「石川縣史第四巻(著・出版:石川県、S6.3.31)153頁」の記述ということで「小松龍松町」と書いていらっしゃいますが、「幕末以降総覧」「日本地名大辞典」(EMMさん)ではは「小松龍助町」です。新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑でも、町村の順序は一部異なりますが、名称はすべて一致します。誤りの連鎖さえなければ、小松龍助町 で間違いないでしょう。
なお、現在の小松市龍助町付近に当たると思われます。

ちなみに、「幕末以降総覧」によると、これら31町村はM22.4.1までの間に
変更後変更種別変更前
M17小松松任町編入小松松任町, 松任町地方
M8小松茶屋町改称梯出村
M8浜田地方改称浜田村
M8向野地方改称向野村
との変遷を経た旨の記述もありますので、あわせて参考までにお知らせしておきます。

という訳で、M22.4.1付けで31町村により 能美郡 小松町 が発足した、と修正しました

■石川郡 松任町
石川郡 松任茶屋町, 松任安田町, ・・・の22町が合併した、と修正しました
■鹿島郡 七尾町
鹿島郡 七尾府中町, 七尾湊町一丁目, ・・・の24町及び4村のそれぞれ(微)が合併した、とそのままとしました
■鳳至郡 輪島町
鳳至郡 輪島河井町, 輪島海士町, ・・・の4町が合併した、と修正しました
――――――――――
■河北郡 小金村となった従前の町村名の一部について 河北郡 伝灯寺村 or 河北郡 伝燈寺村
これも、石川郡 倉ヶ嶽村と同様、現在の表記を重視し、河北郡 伝燈寺村 と修正しました

(金沢市のHP内で検索してみると見事にふらふらでした)
例えば、条例だけ見てもこんな感じですね。
伝灯寺町・・・金沢市消防本部及び消防署の設置等に関する条例
伝燈寺町・・・金沢市消防団条例

もっとも、条例はweb上のものよりは、条例制定時に公報に掲載されたものが正式なものですので、web上だけの誤りの可能性もあり、何とも言えません(本当の条例が誤っている可能性もあります)。
何よりも、町名・字名を正式に規定するのは、あくまで地方自治法第260条第2項です。
第二百六十条  政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
2  前項の規定による届出を受理したときは、都道府県知事は、直ちにこれを告示しなければならない。
3  第一項の規定による処分は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
これにより、知事が告示したもの(市長に委任されている場合は市長)があくまで本当の正式なものですが。

なお、[67802] 拙稿の「市町村の名称の書き表わし方について」(昭和33年4月21日自丙行発第7号自治庁行政局長通知)も参照してみてください。

――――――――――
以下別件。

[79169] 播磨坂 さん
■S30(1955).1.1付けで新潟県西鎌原郡巻町となる従前の町村名の一部について 西蒲原郡 峰岡町 or 西蒲原郡 峰岡村
S29.12.27付け総理府告示第1119号を確認しました。単なる入力誤りでした。西蒲原郡 峰岡村 と修正しました
[79179] 2011年 8月 20日(土)18:48:4588 さん
第三十二回十番勝負@津市ネットカフェ
所用により3泊4日で津市に来ています。
(といっても、今日の昼間は犬山城ほかへ行っていましましたが。)
このため、時間が取れないため、明日の十番勝負の閉店には間に合わないはずでしたが、今日の所用が雨天中止になりましたので、三重大学そばのネットカフェに来ています。

では、まいります。

問一:新城市
問二:本巣市
問三:磐田市
問四:浜松市
問五:下田市
問六:那覇市
問七:萩市
問八:東村山市
問九:盛岡市
問十:宇都宮市
[79059] 2011年 8月 12日(金)20:26:0588 さん
市制・町制・村制 その3
関連して個別にコメントします。

[79006] hmt さん
この法律のタイトル「市町村名…変更ニ関スル件」と 第1条とを比較すると、「市町村名変更」に関して、「市町村ノ名称ヲ変更」と、「村ヲ町ト為シ町ヲ村ト為ス」との2つの態様について 規定されています。
「三本松」という固有部分の変更ではないから 「名称ヲ変更」する手続には該当しないが、「三本松村」から「三本松町」へと「村ヲ町ト為ス」手続は、「市町村名変更」の一種です。
この「市町村名変更」を指して、「『町』という制度」が適用されたのであり、短縮して「町制」と呼ぶのだ と言われるならば、それまでなのですが、私としては、町村制施行後の変更種別として、“町に変更”という表記を提案します。
「三本松村→三本松町」の例の場合、「市町村名変更」(ただし、「改称」ではない)であり、
「『町』という制度」が適用されたのであり、短縮して「町制」と呼ぶ
これしかありません。同様に、「市制」も、「『市』という制度」を適用した、としか、言いようがないでしょう。
これまでにも述べてきたとおり、本来的に違いはなく、よく村→町、町→市、市→政令市などを「昇格」とも言いますが、決して本質は「昇格」ではないのと同じです。
変更種別に使用している「政令市」「中核市」「特例市」も、それらに指定された、としか言えないでしょう。

なお、参考までに、実例を挙げます。
直近の単独町制施行である、埼玉県大里郡大里村→大里町の総務省告示は次のとおりです。
○総務省告示 第九十四号
村を町とする処分
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第八条第三項の規定により、埼玉県大里郡大里村を同郡大里町とする旨、埼玉県知事から届出があったので、同項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十四年四月一日からその効力を生ずるものとする。
 平成十四年二月二十日 総務大臣 片山虎之助
用語としては「町制」も「改称」も、使用していません。
次に、直近の自治体名の改称の総務省告示の事例は次のとおりです。以前から述べてきたように、改称の根拠は当該自治体の条例であり、周知措置に過ぎない総務省告示ですが、町制施行との比較のためにも掲示します。
○総務省告示第一号
市の名称変更
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第三条第五項の規定により埼玉県★田市から次のとおり市の名称を変更する報告があった旨、同条第六項の規定により埼玉県知事から通知があったので、同条第七項の規定により、告示する。
 平成二十三年一月四日 総務大臣 片山 善博 
一 変更後の名称
  蓮田市
二 名称を変更する日
  平成二十三年一月四日
(注:★=2点しんにょうの「蓮」)
市の名称変更に関する条例
平成22年9月3日
条例第17号
★田市を蓮田市に変更する。
附則
この条例は、平成23年1月4日から施行する。
(注:★=2点しんにょうの「蓮」(引用者が補遺))
――――――――
[79018] hmt さん
新「町村」が元になって 旧町村の「区域」を引き継ぐのか【明治の制度】、町村の「区域」が元になって 従来の町村の「名称」を引き継ぐのか【昭和の制度】、引継ぎを規定した条文が異なります。
明治22年は大規模な廃置分合を伴ったので「区域」に重点が置かれ、区域の変更がなかった昭和22年は「名称」の引き継ぎという条文になったのか。
明治の町村は旧制度からの「移行」であったのに、昭和の町村は「名称」を引き継いだだけの「新設」というほどの「実体の違い」を意味するものとも思われません。
地方自治法
第5条 普通地方公共団体の区域は、従来の区域による。
とあり、
第3条 地方公共団体の名称は、従来の名称による。
とあわせて、名称も区域も、従来のものを踏襲しています。
――――――――
[78867] hmt さん
「都道府県市区町村」(「地方行政組織」と言い換えてもよいかな?)の3要素、すなわち「区域」、「主体」、「名称」の変化に関するものを原則としたらいかがかと考えます。
という意見を記したことがありました[55567]
これは、当を得た発言であると思います。
この3要素の整理の状況についても、[78867] hmt さんが述べていらっしゃるとおりで、「区域」「名称」の変化に関するものについては、お蔭さまでもう悩むところはあまりありません。
「主体」の変遷を、市区町村変遷情報でどのように、どこまで取扱うかが懸案であり、まだまだ試行錯誤しそうです。
――――――――
[79006] hmt さん
これに関連して、三多摩移管後に行なわれた 東京府北多摩郡「府中駅から府中町への変更」についても一言。
現在の変遷情報の表記 は、変更種別「改称」となっています。
しかし、既に[65108] 88 さん 記されているように、「改称」の対象となるのは、「町」「村」を除いた「固有名称部分」です。
「改称」は本来は「谷保村→国立村」や「谷保町→国立町」でなく、「谷保→国立」です。「改称」の対象となるのは、正確には「町」「村」を除いた部分です。
これは、「M23.8.30法律第77号市町村名…変更ニ関スル件」の第1条が、「市町村ノ名称ヲ変更」を「村ヲ町ト為ス」と別建てで挙げていることからも、妥当な解釈であると思われます。

「府中駅→府中町」の場合、固有名称部分は「府中」のままですから、「改称」ではありません。
府中駅が「町」として扱われていたのならば、「村ヲ町ト為ス」の類の変更でもないでしょう。
結局、内務大臣許可を必要としない例外的ケースではありますが、改称でも町制でもなく“町に変更”と書くのが、最も適切ということになります。
「谷保村→国立町」の件は、ご紹介の[65108]拙稿のとおりです。
「府中駅→府中町」は、「町」のままの呼称変更ですから、改称でも町制でもないのはご指摘のとおりです。現在の「改称」との変更種別は適切ではありません。
例えば、「接尾辞変更」という変更種別を新たに項目として起こす、といったことが妥当でしょう(もっといい表現があれば、と思いますが)。これは、[78797]拙稿で、
M22.4.1付け市制町村制施行時には、南多摩郡 日野宿 は市制町村制上の「村」であった場合、いつ、「町」になったのでしょうか。
と書いたことと関連してきます。仮に、
M22.4.1付けでは日野宿が「村」であり、M26.4.1付けで村のまま東京府へ移管された。そして、M26.6.19付けで、村である「日野宿」が、町である「日野町」となった。
と仮定します。この場合、このM26.6.19付けの変更種別は「接尾辞変更/町制」となります。

同様のものとして、M42._._付けの新潟県岩船郡粟島浦→粟島浦村がありますが、これは、自治体名が「粟島→粟島浦」、接尾辞が「浦→村」と考えるのが妥当とすると、[改称/接尾辞変更]となります(もっとも、この事例は、MIさんが更なる調査を予定しているとのことで、この情報自体を削除する可能性もあります)。

なおは、変更種別は、市区町村変遷情報のデータベース構造自体にも大きな影響を与えますので、外観上の表記だけで決定することはできません。グリグリさんとも協議の上、決定する必要があります。
#ちなみに、現に入力作業を行っているにもかかわらず、「敢えて表示しないように」設定している変更種別もあります。将来構想その他への布石でもあります。
――――――――
[79018] hmt さん
ついでに、この対比により 変遷情報の誤記 と思われる箇所を発見しました。
仙石原村 と 仙石原村 とは、いずれも 国府津村 の誤記ではないでしょうか。>88さん
単なる誤記でした。ともに 国府津村 と修正しました(M22.3.31付けM22.4.1付け)。
[79058] 2011年 8月 12日(金)20:25:59【1】88 さん
市制・町制・村制 その2
市制・町村制と、地方自治法は、近代・現代の地方自治制度を考察する大きな制度改正であり、この制度の相違点・類似点を比較検証することは、とても有意義なことであると考えます。

[79006] hmt さん
しかし、「町村制」の中で「町」と「村」とが別の「制度」として存在した とまで言う価値があるのは、両者の間に 名前以外の実体的な違いがあってこそ ではないでしょうか。私には、その点が疑問に思われます。
(引用者中略)
普通のケースでは、町村制施行時に成立した○○町は 単に変更種別“町村制”と記せば十分であると思われます。
そして、町村制施行後に行なわれた「○○村→○○町」については、町村制という制度内で行なわれた「町ヲ村ト為ス」市町村名変更処分ですから、変更種別は“町制”でなく“町に変更”と書くのが、実体を反映しているのではないでしょうか。
現在の地方自治法においても、町と村の間に相違はなく、単に名称の相違といっても過言ではありません(文献:※)。そういう意味では、地方自治法も、M21.4.25法律第1号町村制と変わりありません。
もっと言うと、地方自治法における「町・村」と「市」との違いも、その持っている権限は違いは多少ありますが、市町村(及び現在の特別区)が「基礎的自治体」(地方自治法第2条第3項)と考えると同じです。
(余談ですが、都道府県は、その役割が異なり基礎的自治体ではないものの、市町村より自治体として優位な立場にあるわけではありません。都道府県は、市町村を「包括」(地方自治法第2条第5項)するだけで、上位の自治体ではありません。例えば契約行為をするときにも対等です。)

という訳で、地方自治法下においても、市・町・村に根本的な違いがないことは、市制・町村制下と同じ状況です。
――――――――

「新版 地方自治法 第4次改訂版」(松本英昭著、学陽書房、H13.10.10初版発行、H20.2.25第4次改訂版3刷)p.102を引用します。
都道府県が制定する町となるべき要件に関する条例中に規定すべき事項としては上述したが、市と異なり、町と村は、本法においては全く区別はなく、単に名称の相違といつても過言ではない。他の法令においても町と村を区別したものはほとんどない(自動車の保管場所の確保等に関する法律(昭和37法145)附則第二項の適用地域等に関する経過措置の規定の適用を受ける地域について、同法施行令附則第二項第一号の別表において、町については経過措置の適用を受けないが、村については一部の地域を除き、経過措置の適用を受けるものとされている等の例はある。)そこで実際問題として、町となるべき要件に関する条例中の要件をあまり厳格にすることは望ましくなく、場合によつては自治体の経済的発展を阻害するおそれもあるとされているようである。殊に、町、村の規模の合理化が強く要請される今日にあつて、この条件を必要以上に高くするときは、町村の合併による規模の合理化を妨げる懸念もあり、適当な配慮が必要とされる。
なお、上記文中に出てくる法律等を参考までにリンクを張っておきます。
S37.6.1法律第145号自動車の保管場所の確保等に関する法律附則第2項
S37.8.20政令第329号自動車の保管場所の確保等に関する法律施行令附則第2項別表第1
この別表第1を見ると、村であっても比較的都市化が進んでいると見られる村が多く並んでいます。町か村かに捕らわれず、自動車の保管場所という実質的な側面から判断しているのでしょう。
もっとも、市や町の区域でも都市化が進んでいない地域もありますから、どこかで一定の線を引く必要があるのでしょう。

――――――――
時代を追って、地方自治法における市・町・村の要件について、記してみます。
★(1)地方自治法施行時
[78998] 拙稿で、当時の条文を紹介していますが、再掲します。(項番号は引用者が補足、以下同じ)
S22.4.17法律第67号地方自治法 (注:pdfファイル、50.6MB、制定当初のもの)の6-7コマ)
第八条 市を設置し又は町村を市としようとするときは、その地方公共団体は、人口三万以上を有し、且つ、都市的形態を具えていなければならない。
2 町村を市とし又は市を町村としようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
3 村を町とし又は町を村としようとするときは、町村は、その議会の議決を経て、都道府県知事の許可を受けなければならない。
帝国議会会議録検索システムからですが、第92帝国議会 貴族院 S22.3.23地方自治法案特別員会の「[015鈴木俊一]」をご覧ください。
地方自治法の制定にあたる帝国議会の委員会での審議の中で、政府委員である内務事務官鈴木俊一氏(内務省地方局行政課長、後の自治事務次官・東京都知事)の答弁です。旧字体を新字体に、旧かなは新かなに置換え、抜粋して引用します。地方自治法制定理由を概略的に説明しているのですが、第8条に関して次のように答弁しています。
第八条は新たに規定した分でありまして、「市を設置し又は町村を市としようとするときは、その地方公共団体は、人口三万以上を有し、且つ、都市的形態を具えていなければならない。」是が新たな規定であります、是は従来内務省が市制を施行致します基準と致しまして内規的に用意をして居つた点であります、是は今回は之を法律上明かに致しまして、人口は必ず三万以上なければならぬ、「都市的形態」と申しますのは、中心市街を成して居ります戸数が全体の戸数の六割なければならぬ、都市的な形態の戸数が全体の戸数の六割なくてはならない、斯う云うことを従来条件と致して居りましたが、それを抽象的に「都市的形態」と、斯様に規定致したのであります、其の他は従来と同様であります
[78833] hmt さん も述べられていらっしゃいましたが、市制町村制施行時以降は、市制町村制理由33コマ目、右ページの終わりから6行目もあるように、市については、
今此市制ヲ施行セントスルモノハ三府其他人口凡二万五千以上ノ市街地ニ在リトス
とあり、ほぼそのまま、それ以降も踏襲されていたことを裏付けています。
町・村については、具体的な説明を発見できませんでした。

★(2)S22.12.12法律第169号地方自治法の一部を改正する法律(附則第1条によりS23.1.1施行)による改正後の地方自治法について
S22.12.12地方自治法の一部を改正する法律で、地方自治法第8条は早速全面改正されます。このときに、市の要件をより具体的に定め、また、村→町、町→村の要件については、各都道府県の条例で定めるように改正されました。
これらについての制定理由の説明を国会会議録検索システムから探したのですが、具体的な説明はちょっと発見できませんでした。
第八条 市となるべき普通地方公共団体は、左に掲げる要件を具えていなければならない。
 一 人口三万以上を有すること。
 二 当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の六割以上であること。
 三 商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の六割以上であること。
 四 前各号に定めるものの外、当該都道府県の条例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。
2 町となるべき普通地方公共団体は、当該都道府県の条例で定める町としての要件を具えていなければならない。
3 町村を市とし若しくは市を町村とする処分又は村を町とし若しくは町を村とする処分は、前条第一項、第四項及び第五項の例によりこれを行うものとする。
次に述べる現行の規定とほぼ同じです。

★(3)現在
地方自治法第8条
第八条 市となるべき普通地方公共団体は、左に掲げる要件を具えていなければならない。
 一  人口五万以上を有すること。
 二  当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の六割以上であること。
 三  商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の六割以上であること。
 四  前各号に定めるものの外、当該都道府県の条例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。
2 町となるべき普通地方公共団体は、当該都道府県の条例で定める町としての要件を具えていなければならない。
3 町村を市とし又は市を町村とする処分は第七条第一項、第二項及び第六項から第八項までの例により、村を町とし又は町を村とする処分は同条第一項及び第六項から第八項までの例により、これを行うものとする。
上記(2)と、市の人口要件が異なるくらいで、あとはほぼ同じです。

「町となるべき地方公共団体」の要件を定める都道府県の条例は、これまでにも何度か話題になりましたが、例として、東京都の「町としての要件を定める条例」と、神奈川県の「町としての要件に関する条例」をご紹介しておきます。

――――――――――――――――
これらを踏まえてのまとめです。
■市の要件について
市制・町村制においては、2万5千人が市の基準とされました。
地方自治法においては、S22.5.3の同法施行時には人口3万人、現在では人口5万人、の基準があります。

■町の要件について
「町」と「村」の違いは、町村制時においても、現在の地方自治法第8条第2項と同様の規定があるはず、と考えているのですが、発見できていません。これは、M23.8.30法律第77号市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件の規定から見ると、町を村としたり、村を町としたりするのに際して[78998]で引用したように
関係アル市町村会及郡参事会ノ意見ヲ聞キ府県参事会之ヲ議決シ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
との手続きを要することから、何らかの目安となる基準があるであろうこと、また、地方自治法もこれを踏襲したであろうこと、からの私の想像(確信)です。
もっとも、これを具体的にお示ししないことには何の説得力もないことは承知しておりますので、引き続き探します。
なお、[78998]投稿時には気づいていなかったのですが、M44.4.7付け法律第69号町村制による全面改正後の町村制でも、第5条
第五条 町村ノ名称ヲ変更シ又ハ村ヲ町ト為シ若ハ町ヲ村ト為サムトスルトキハ町村ハ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
2 町村役場ノ位置ヲ定メ又ハ之ヲ変更セムトスルトキハ町村ハ府県知事ノ許可ヲ受クヘシ
と、従前の「市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件」を上書きするような規定があります。
もっとも、[78998]でも述べたようにS29.5.1法律第82号自治庁関係法令の整理に関する法律によりS29.5.1付けで廃止されるまでは理論上は残っていたようです。廃止手続きが行われていなかったため、形式上残存していただけであり、「効力が残っていた」と[78998]で述べたのは誤りかもしれません。

続きます。
[79041] 2011年 8月 11日(木)07:16:5488 さん
井島(石島)の山火事
[79040] hmt さん
リンク先の 読売新聞記事によると、岡山県側の西側山林から出火して、香川県側の山林に延焼とのこと。
(中略)
【追記】
 毎日新聞記事では、“香川側の山林から出火”とありました。

# 読売新聞記事は“香川県側の山林に延焼”、毎日新聞記事は“香川側の山林から出火”。
事実関係の違いだけでなく、「香川県側」「香川側」という表記の違いもありました。>[78876] オーナー グリグリ さん 市を省略
【追記終】

国土地理院HPにもある、都県にまたがる境界未定面積 (pdfファイル)にもあるように、岡山県玉野市と香川県香川郡直島町の間に境界未定区域(国土地理院HPの2万5千分の1の地図)があることが、出火場所の特定に影響してはいないでしょうね。境界未定部分は、ちょうどこの出火したらしき場所の近く(バーベキューをした?と想定される砂浜は少し南でしょうか)と推測されます。

さらに余談となりますが、鎮火後の話ですが、出火原因を調べる警察・消防は、どちらの県が担当するのでしょうか(共同かもしれませんが)。
[72971] ニジェガロージェッツ さん(石島探検副隊長)
「こんなとこで滑り落ちたらアカンで,(両県警の)管轄でもめるで」
「そっちの心配かい!」

#報道では、住民がいる岡山県玉野市を主眼におき「石島(香川県側では井島)」と伝えられることが多いようです。香川県の地元紙である四国新聞では、当然ながら「井島」で、「玉野市側では石島(いしま)と表記する」と、軽重が異なります(記事)。面積は約3分の2が井島、約3分の1が石島ですが。
[79028] 2011年 8月 10日(水)12:29:2988 さん
井島(石島)で山火事、島の7割が焼け、なお延焼中
岡山県玉野市の石島・香川県香川郡直島町の井島で、昨日8月9日(火)の午後、山火事が発生し、島の面積272haのうち約200haを焼いて現在も延焼中です。
住家まで約100mのところまで火が迫ったため、住民全員に一時は避難勧告も出ました。
島には小豆島などへの中国電力の送電線が通っており、影響が懸念されています。

香川県HP災害被害情報
毎日新聞
読売新聞


・・・「あの」井島(石島)です。
[78998] 2011年 8月 8日(月)20:51:3088 さん
市制・町制・村制
[78833] hmt さん
[78790]の提案 “「1市22町1宿4駅293村設置」とした方がよいのではないでしょうか” は、変遷情報の中での案内目的の注記に関するものです。これを提案のように「自治体の呼び名」に基づいて記すのか、原案のように「制度」に基づく「変更種別」欄に合わせて記すのかは 編集者の裁量ですが、私としては提案の方がわかりやすいと思います。

個別入力データ「変更種別」については、「呼び名」でなく 法律上の「制度」に基づいて 記されるべきものでしょう。
既に明らかなように、「制度」として存在するのは「市制」と「町村制」だけです。
従って、変更種別欄の記載は、横浜市については「市制」、320町村についてはすべて「町村制」になる筈です。

「法律」が「市制」「町村制」の2つの法律、「制度」が「市」「町」「村」の3制度、です。

「市制」は、「『市』という制度」を規定した法律の名称です。
「市制」という制度ではないので、法律の条文の中には、「市制」という表現は法律名しか出てきません。
転じて、
・法律「市制」の「市」という制度を当該地域に適用し施行することを、法律名から転じて「市制」「市制施行」
と、慣用的に呼ぶようになったのでしょう。

一方、「町村制」は、「『町』という制度」及び「『村』という制度」を規定した法律の名称です。
「町」と「村」には、優劣がなく、権限にも相違はありません。このため、「町制」という法律と「村制」という法律を別々につくる必要がなく、あわせて「町村制」という法律を作ったということでしょう。
このため、「町村制」という制度ではありません。
また、「『駅』という制度」「『宿』という制度」「『新田』という制度」「『浦』という制度」もありません。

市と同様に、
・法律「町村制」の「町」という制度を当該地域に適用し施行することを「町制」「町制施行」
・法律「町村制」の「村」という制度を当該地域に適用し施行することを「村制」「村制施行」
と呼びならわしたと思われます。[78333]hmtさんの
「町制」という言葉は、「市制」「町村制」という法律用語から類推して作られた「俗語」なのではないでしょうか。
の意見に賛成です。

M21.4.17法律第1号町村制18コマ目では、
第一条 此法律ハ市制ヲ施行スル地ヲ除キ総テ町村ニ施行スルモノトス
これは、
「町村制」という名称の法律は、「市制」という名称の法律を施行する地を除き、すべて町村に施行するものとする。
と読むのが、正解ではないでしょうか。

――――――――――
[78333]hmtさん
村か町かは「制度上」での実質的な違いがなく、ほぼ「自治体の呼び名」の違いに限られます。
現行法において「町となるべき普通地方公共団体」が「○○村」→「○○町」となる場合の「法律的根拠」に基づく変更種別は、「名称変更」でしょうか?
町村制時代の「○○村」→「○○町」も同様?

M23.8.30法律第77号市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件をご紹介しておきます。短い法律ですので、全文を引用します。(旧字体(人名を除く)は引用者が置換え)
朕市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件ヲ裁可シ★ニ之ヲ公布セシム
御名 御璽
明治二十三年八月二十九日
内閣総理大臣伯爵 山縣有朋
内務大臣伯爵 西郷從道
法律第七十七号(官報 八月三十日)
第一条 市町村ノ名称ヲ変更シ若ハ村ヲ町ト為シ町ヲ村ト為サントスルトキハ関係アル市町村会及郡参事会ノ意見ヲ聞キ府県参事会之ヲ議決シ内務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
第二条 市役所町村役場ノ位置ヲ変更スル市町村会ノ議決ハ府県知事ノ認可ヲ受クヘシ
(注:★=草かんむりに幺2つ、「ここ」)
市制町村制の法律本体に入っているべき内容の条文であると思いますが、なぜか別法律となっています。

この規定に基づいた具体的な事例を一つご紹介します。以前[58554]白桃 さん、[58561]拙稿でも話題となったものです。
●香川県告示第三十二号
明治二十三年法律第七十七号第一条ニ依リ明治三十一年二月十一日ヨリ県下大内郡三本松村ヲ三本松町寒川郡津田村ヲ津田町同郡志度村ヲ志度町小豆郡土庄村ヲ土庄町香川郡百相村ヲ仏生山ヲ鵜足郡宇多津村ヲ宇多津町豊田郡姫ノ江村一豊浜町ト為ス
 明治三十一年二月六日 香川県知事 徳久恒範
香川県立図書館の香川県報(マイクロリーダー)より転記したものです。
明らかな誤字等がありますが、原文ママです。
前述のM23.8.30法律第77号市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件に基づき、5つの村をそれぞれ町とする手続きが為されたことが明確に記されています。

この法律は、S29.5.1法律第82号自治庁関係法令の整理に関する法律によりS29.5.1付けで廃止されるまで、理論上は効力が残っていました。
もっとも、S22.5.3にはすでにS22.4.17法律第67号地方自治法 (注:pdfファイル、50.6MB、制定当初のもの。)が施行されており、6-7コマの第8条に
第八条 市を設置し又は町村を市としようとするときは、その地方公共団体は、人口三万以上を有し、且つ、都市的形態を具えていなければならない。
2 町村を市とし又は市を町村としようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て、内務大臣がこれを定める。
3 村を町とし又は町を村としようとするときは、町村は、その議会の議決を経て、都道府県知事の許可を受けなければならない。
と、市・町・村相互の変更について規定されています。
地方自治法のこの条項も、その後改正を重ねるのですが、別稿といたします。
[78860] 2011年 8月 2日(火)20:35:5088 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 小レス2
[78782] ぺとぺと さん
■神奈川県 大住郡 成瀬村, 高部屋村 となる従前の町村名の一部について 大住郡 下粕屋村, 上粕屋村 or 大住郡 下糟屋村, 上糟屋村
「幕末以降総覧」「M22.3.11付け(神奈川)県令第9号」(「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83以降)・・・大住郡 下粕屋村, 上粕屋村
「辞典」・・・大住郡 下糟屋村, 上糟屋村
[77574]も合わせて再読しました。現在の状況は分かるのですが、神奈川県令が両村とも「粕」です。
「漢字源」(学習研究社、1999年4月1日改訂新版第6刷)によると、
「粕」かす。
形声「米+(音符)白」しろい意ではなかろう。もし、白い酒かすと解すれば、会意兼形声文字。
「糟」(1)かす、(2)もろみ、(3)酒かすにつけてある、(4)やりそこなうさま
会意兼形声。「曹」は、「東二つ(並んだ袋)+曰(ものをいう)」の会意文字で、ざっと寄せ集めたもの。がやがやと集まった下級役人のこと。
「米+(音符)曹」で、ざっと寄せ集めたつまらないかす。
お互いに「糟」「粕」とも書く、とあります。旧字体・新字体の関係ではなく別の漢字ですが、意味としては区別がないようです(福岡県糟屋郡粕屋町の例もあります)。表記の揺れの問題かもしれません。または、いずれかの時点で町名変更があったのかもしれません。
悩ましいのですが、とりあえず、神奈川県令の記載を重視し、そのままとしました(大住郡 成瀬村大住郡 高部屋村)。

■神奈川県 足柄上郡 松田村 となる従前の町村名の一部について 足柄上郡 松田総領 or 足柄上郡 松田惣領
「幕末以降総覧」・・・足柄上郡 松田総領
「辞典」・足柄上郡 松田惣領村
「M22.3.11付け(神奈川)県令第9号」(「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83以降)・・・足利上郡 松田総領
「総領」「惣領」は、跡取りのことであったり、地方官のことであったりするようですが、いずれも、表記はどちらも使われていたようで、表記の揺れでしょう。そういう意味では、どちらかが誤り、とも言いにくいところですが、神奈川県令の表記どおり、について 足柄上郡 松田総領 とそのままとしました

■M22.4.1付け大阪府市制町村制施行時 豊島郡 中川原村 ほかから発足する村名について豊島郡 細川村 or 豊島郡 細河村
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社、明26.11)の37コマ最下段「新旧対照市町村一覧(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の28コマ2段目・・・豊島郡 細河村
M22.2.20付け大阪府令第17号9コマ・・・豊島郡 細川村
この件は、[78495] むっくん さん でも同じご指摘をいただいていました。本稿で対応いたします。
どうやら大阪府令だけが誤字である例のようです。豊島郡 細河村 と修正しました

[78834] むっくん さん
たくさんあるので、個別のレスは割愛いたします。いずれも、単なる入力誤りです。
■各県の市制町村制施行時 不要な半角スペース(冒頭の奈良県添下郡郡山町と同様)
→修正(削除)しました。

■各県変更種別の誤り等
→修正しました。

■各町村の表示されていない漢字について
→ご紹介の数値文字により修正しました。
しかし、みなさんの環境によっては、引き続き表示されていなかったり文字化けしたりしていないか、という懸念はあります。何か不具合があれば、お知らせください(>みなさま)。

■M22.4.1付けで町村制施行する村名について 羽咋郡 馳打村 or 羽咋郡 釶打村
■S29.3.31付けで 石川県 鹿島郡 中島町 となる従前の町村名の一部について 鹿島郡 馳打村 or 鹿島郡 釶打村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・「M22.3.8付け石川県令第23号48コマ」・・・釶打村
[78835] EMM さん でも追加情報をいただきました。
S29.3.18付け総理府告示第107号も確認しました。単なる入力誤りでした。S29.3.31付けで 鹿島郡 中島町 となる従前の町村名の一部を 鹿島郡 釶打村 と修正しました

――――――――――
[78835] EMM さん
●石川県
■M22.4.1付けで町村制施行する村名について 羽咋郡 鹿浜村 or 羽咋郡 塵浜村
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」・・・羽咋郡塵浜村
単なる入力誤りでした。羽咋郡 塵浜村 と修正しました

■能美郡 草深村 となる従前の町村名の一部について 能美郡 山田千出村 or 能美郡 山田先出村
「幕末以降総覧」「辞典」「M22.3.8付け石川県令第23号43コマ」・・・能美郡 山田先出村
単なる入力誤りでした。能美郡 山田先出村 と修正しました

■能美郡 小松町 が発足する経緯について
「幕末以降総覧」・・・31町村がM22.4.1付けで町村制施行(EMMさんご紹介とほぼ同じだが相違・追加は以下のとおり)
「辞典」・・・能美郡 小松町 が単独でM22.4.1付けで町村制施行
EMMさん「幕末以降総覧」
小松新大工町小松本大工町
小松元梶町小松本鍛冶町
中町地方
浜田地方
向野地方
以上のように、「幕末以降総覧」では、31町村が、M22.4.1付けで能美郡小松町となった、とあります。
しかし、結局は、「M22.3.8付け石川県令第23号41コマ」に「能美郡 小松町」との記載がなく、つまりは従前の 能美郡 小松町 がそのまま単独で市制町村制の町制施行した、と判断したわけです。従前の31町村が、M22.4.1までのいずれかの時期で合併して能美郡小松町になったのではないか、と思うのですが・・・。このため、そのままとしました。何か追加情報があれば対応しますので、よろしくお願いいたします。

■河北郡 小原谷村 となる従前の町村名の一部について 河北郡 切山村 or 河北郡 桐山村
「幕末以降総覧」「辞典」「M22.3.8付け石川県令第23号45コマ」・・・能美郡 切山村
ご指摘の事例が表記の揺れであろうとは思います。あるいは、いずれかの時点で町名・大字名が変更になったのでは、とも思います。
とりあえずは、石川県令の表記どおり、河北郡 切山村とそのままとしました

■石川郡 富樫村となった従前の町村名の一部について 石川郡 倉ヶ岳村 or 石川郡 倉ヶ嶽村
「幕末以降総覧」・・・石川郡 倉ヶ嶽村 (ただし、同書はすべて旧字体で記載しているので参考にならず)
「辞典」・・・石川郡 倉ヶ岳村
これは、[74087] 拙稿の旧字体・新字体の取扱方針の、
(3) 現在、常用漢字があるにもかかわらず、「あえて」いわゆる旧字体で表記しているものは、その意図があるとみなし、近世村当時からその「旧字体」で表記する。
に該当します。可能性としては、いずれかの時点で町名・大字名を「倉ヶ岳」から「倉ヶ嶽」へと変更した可能性もあるのですが、現在の表記を重視し、石川郡 倉ヶ嶽村 と修正しました

――――――――――
皆様、ご指摘をいただきありがとうございました。まだまだ、誤り等があると思いますので、お気づきの点があればお教えいただければありがたいです。本当に助かっています。
[78859] 2011年 8月 2日(火)20:35:50【1】88 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 小レス1
みなさま、いろいろとご指摘をいただきありがとうございます。調査の上、順次対応してまいりますが、少々お待ちください。
明白な入力誤り等、ほとんど再調査を要せず即座に対応できるものは、その都度即座にデータ修正をしております。今回、それらを含めてまとめてレスしておきます。
なお、各種文献では、宮城県等の廃置分合はM22.3.31付けではなくM22.4.1付けと記載されていますが、その件についてはここでは割愛しています。

――――――――――
[78496] むっくん さん
■M22.4.1付け奈良県町村制施行時 添下郡 郡山町 の「南郡 山村」「北郡 山村」の不要な半角スペース
 →修正(削除)しました

[78789] hmt さん
■渡良瀬川改修に伴う茨城県・埼玉県の境界変更の件
ご紹介の加須市、騎西町、北川辺町及び大利根町の合併の歴史 (PDFファイル) により、S5(1931).7.1付けでの 茨城県 猿島郡 新郷村 のうち大字伊賀袋及び大字立崎の一部を 埼玉県 北川辺郡 川辺村 へ境界変更するよう追加しました

――――――――――
[78767][78768] 千本桜 さん
M22.3.31付け 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等
■仙台市となる従前の町村名について 仙台区 片平町, 東一番町, 教楽院町 ほか or 仙台区 片平丁, 東一番丁, 教楽院丁 ほか(武家の区域は「丁」)
「幕末以降総覧」「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)」「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社,明26.11)・・・仙台区 片平町, 東一番町, 教楽院町 ほか (北六番「町」)
「辞典」・・・(記載なし)
ということで、千本桜さんがおっしゃる件を確認できておりません。一方、もう一つのご指摘の件がこちらです。
■宮城郡 原町 となる従前の町村名の一部について 仙台区 北六番町(微) or 仙台区 北六番丁(微)
「幕末以降総覧」「辞典」M22.2.9付け(宮城)県令第27号・・・仙台区 北六番丁(微)
「幕末以降総覧」「辞典」では、上記の「仙台市」の事例と矛盾した表記で一致していません。このため、判断材料に不足しています。何か、具体的な資料等をお示しいただけると助かります。どこが「町」でどこが「丁」か、の別も個別に示していただけるとありがたいです。
なお、一言、念のため申し上げます。
今回の一連の記載は、M22.3.31付けでの廃置分合直前での町名を対象としております。もし、江戸期の町名と、M22.3.31直前での町名に変更が生じているのであれば、それを考慮する必要があります。そのあたりも含めてご教授いただけると幸いです。

■仙台区となる従前の町村名について 仙台区 新小寺小路 or 仙台区 新寺小路
「幕末以降総覧」「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の177コマ(上から3段目)・・・新小寺小路
「辞典」・・・(記載なし)
「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社,明26.11)(最下段、東七番町区)・・・新寺小路
説が分かれているのですが、「大日本市町村名鑑」は、M26頃までの町名の変更を反映しているのでは、とも思い、「幕末以降総覧」と「新旧対照市町村一覧」により、新小寺小路 としたところです。
とりあえず、そのままとしました。上記の「町」「丁」とあわせて、さらに有力な証拠があれば再検討したいと思います。

■宮城郡 七北田村 となる従前の町村名の一部について 宮城郡 七木田村 or 宮城郡 七北田村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・宮城郡 七北田村
M22.2.9付け(宮城)県令第9号110コマ・・・
宮城郡 七北田村
単なる入力誤りです。宮城郡 七北田村 と修正しました

■宮城郡 松島村 となる従前の町村について 宮城郡 幡谷村, 竹谷村, 北小泉村, 手樽村 なし or あり
「幕末以降総覧」「辞典」「M22.2.9付け(宮城)県令第9号110コマ」・・・宮城郡 幡谷村, 竹谷村, 北小泉村, 手樽村 あり
単なる入力誤りです。これら4村をありと修正しました

■加美郡 鳴瀬村 となる従前の町村名の一部について 加美郡 雑色目村 or 加美郡 雑式目村
「幕末以降総覧」「辞典」M22.2.9付け(宮城)県令第9号111コマ・・・加美郡 雑式目村
単なる入力誤りです。加美郡 雑式目村 と修正しました

■栗原郡 姫松村 となる従前の町村名の一部について 栗原郡 玉沢村 or 栗原郡 王沢村
「幕末以降総覧」「辞典」「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社、明26.11)の185コマ最下段・・・栗原郡 玉沢村
M22.2.9付け(宮城)県令第9号113コマ「新旧対照市町村一覧(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の180コマ最上段・・・栗原郡 王沢村
意見が割れていますが、現在の栗駒市一迫北沢王沢(正式な住所表示は不知)にあたるようです。
栗原郡 王沢村 と修正しました

■桃生郡 二股村 となる従前の町村名の一部について 桃生郡 福田村 or 桃生郡 東福田村
「幕末以降総覧」・・・桃生郡 東福田村(M7に福田村から改称)
「辞典」M22.2.9付け(宮城)県令第9号114コマ・・・桃生郡 東福田村
単なる入力誤りです。桃生郡 東福田村 と修正しました

■本吉郡 十三浜村 となる従前の町村名について 本吉郡 十三榎 or 本吉郡 十三浜
「幕末以降総覧」「辞典」M22.2.9付け(宮城)県令第9号114コマ・・・本吉郡 十三浜
単なる入力誤りです(自分でも記憶がないのですが、「浜」の旧字体の「濱」を読み誤ったとしか考えられません)。本吉郡 十三浜 と修正しました

■亘理郡荒浜村となる従前の町村名について
「幕末以降総覧」「辞典」・・・M22.2.9付け(宮城)県令第9号の108
コマ・・・亘理郡 高須賀村 が改称
単なる入力漏れでした。亘理郡 高須賀村 が 荒浜村 に改称したと追加しました

■本吉郡 新月村 が発足する経緯について
「幕末以降総覧」・・・M8に新城村と月館村が合併し新月村に、M22.4.1にそのまま単独で町村制施行
「辞典」・・・本吉郡 新月村 がM22.4.1にそのまま単独で町村制施行
M22.2.9付け(宮城)県令第9号115コマ・・・M22.3.31付けで 本吉郡 新城村, 月立村 が合併して本吉郡新月村発足(M22.4.1付けで町村制施行)
この件につきましては、[78770] むっくん さんでもコメントをいただきました。確かに「幕末以降総覧」を見ても、他の事例では、M8~9頃にいったん合併し、M15~16頃に分離し、市制町村制施行時に再び合併する事例は多数ありました。
月館村は入力誤りですので月館村→月立村と修正し、また、宮城県令の記載を重視し、M22.3.31付けでの新城村と月立村の合併とし、合併自体はそのままとしました

続きます。
[78854] 2011年 8月 1日(月)19:08:58【1】88 さん
北海道 市制町村制施行時の情報に相当する情報について
[78845] グリグリ さん
88さん、補足等あればお願いします。
ということで、今回、北海道について、市区町村変遷情報を整理しました。

従来、本州以南については、M11.7.22太政官布告第17号「郡区町村編制法」 の区町村からM21.4.25法律第1号「市制町村制」の市町村へ移行して施行するのを、一つの区切りとして別建てで表示するようしていました。市制町村制は、日本の地方自治制度において、近世から近代に切り換わる大きな分岐点であると考えるからです。
また、これに相当するものとして、例えばM41.4.1付けで長崎県対馬国において「沖縄県及島嶼町村制」を施行する事例は、やはり郡区町村編制法からの切り換えですので、市制町村制施行とほぼ同様のものであるとみなし、同様の表示方法をしているところです(その後、「沖縄県及島嶼町村制」は、改正を重ねた後に通常の市制町村制に統合)。

北海道においても、これと同様に考えました。
「郡区町村編制法」の区町村から、M30.5.29勅令第158号「北海道区制」M30.5.29勅令第159号「北海道一級町村制」M30.5.29勅令第160号「北海道二級町村制」の区町村への移行を、本州以南の「市制町村制施行」に相当するものとみなし、別建てとしました。
北海道においては、その開拓の歴史もあり、本州以南と同様の「市制町村制」の導入は見送られ、権限を限定された、北海道独自の町村制度が創設・導入されました。これを、「『市制町村制施行時の情報』に相当する情報」とみなしたわけです。
このため、例えば、「二級村」から「一級村」への変更や、「一級町」から「町村制の町」への切り換え、「二級村」から「指定村」への切り換えは、「市制町村制施行後の情報」に相当するものと考え、廃置分合等を伴わないものは、何も表示していません。
これは、S22.5.3付けで「市制町村制」の市町村がS22.4.17法律第67号「地方自治法」 (pdfファイル)の市町村に切り換わったのと同様に考えているからです。
#これらについては、将来的には大きな制度変更として、簡易にでも表示したいとは考えていますが、まだ思案中であり、グリグリさんとも調整していません。

なお、今回の一連の作業においては、むっくんさんの一連の投稿に大変お世話になりました。この場をお借りして、改めて厚く御礼申しげます。

今後とも、市区町村変遷情報をご贔屓くださるようよろしくお願いいたします。
[78837] 2011年 7月 28日(木)21:46:0988 さん
市区町村変遷情報 障害発生中
市区町村変遷情報において、都道府県別一覧を中心として、表示の不具合が発生している模様です。グリグリさんに対応を依頼しますので、少々お待ちください。
[78800] 2011年 7月 20日(水)23:01:4388 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時:兵庫県) 小レス2
[78799]の続きです。
[76732] [76733] [76734] むっくん さん へのレスです。

[76734] むっくん さん
■城崎郡 豊岡町 となる従前の町村名の一部について 城崎郡 豊岡小田井村, 豊岡永井町分 or 城崎郡 豊岡小田井町, 永井町分
「幕末以降総覧」・・・城崎郡 豊岡小田井町, 永井町分
「辞典」・・・城崎郡 豊岡15町(旧豊岡城下町),永井分
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。ご紹介の各資料、特に永井町分についてはM20.8.6付け(兵庫)県告示第144号により、城崎郡 豊岡小田井町, 永井町分 修正しました

■気多郡 日高村 となる従前の町村名の一部について 気多郡 日野村 or 気多郡 日置村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・気多郡 日置村
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。ご紹介の各資料及び現在の豊岡市日高町日置にあたると考えられることからも、ご指摘のとおり、気多郡 日置村 と修正しました

■養父郡 糸井村 となる従前の町村名の一部について 養父郡 内海村 or 養父郡 内海分
「幕末以降総覧」「辞典」・・・養父郡 内海村
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。養父郡 内海分 と修正しました

■養父郡 関宮村 となる従前の町村名の一部について 養父郡 関宮村 or 養父郡 関ノ宮村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・養父郡 関宮村
M22.2.22付け(兵庫)県令第24号に従い、養父郡 関ノ宮村 と修正しました

■朝来郡 生野町 となる従前の町村名の一部について 朝来郡 菖蒲沢村 あり or なし
「幕末以降総覧」・・・朝来郡 菖蒲沢村 なし(M8に 円山村が 菖蒲沢 村を編入)
「辞典」・・・朝来郡 菖蒲沢村 なし
単なる入力誤りでした。M22.2.22付け(兵庫)県令第24号に従い、修正しました:http://uub.jp/upd/updind.cgi?N=18600]。

■七美郡 射添村 が発足する変種種別について 新設/村制 or 郡変更/新設/村制
「幕末以降総覧」「辞典」・・・(変更種別記載なし)
ご紹介の(兵庫)県令第23号に従い、二方郡 柤岡村 の郡変更を反映し、郡変更/新設/村制 と修正しました

■氷上郡 小川村 となる従前の町村名の一部について 氷上郡 南中村 or 氷上郡 南中村(本)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・氷上郡 南中村(本)
これは、別途氷上郡 和田村に 氷上郡 南中村(微)があることもあり、ご指摘のとおり、氷上郡 南中村(本) と修正しました

■多紀郡 篠山町 となる従前の町村名の一部について 多紀郡 篠山二階村 or 多紀郡 篠山二階町
「幕末以降総覧」・・・多紀郡 篠山二階村
「辞典」・・・多気郡 篠山13町(旧篠山城下町), 黒岡町の一部
M22.2.22付け(兵庫)県令第24号に従い、多紀郡 篠山二階町 と修正しました

■多紀郡 南河内村 となる従前の町村名の一部について 多紀郡 東河地村(微) or 多紀郡 東河内村(微)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・多紀郡 東河地村(微)
これは、別途多紀郡 大山村に 多紀郡 東河内村(本) があることもあり、ご指摘のとおり、多紀郡 東河内村(微) と修正しました

■多紀郡 味間村 となる従前の町村名の一部について 多紀郡 東吹村 or 多紀郡 吹上村の一部, 吹中村, 吹下村 or 多紀郡 吹上村(本), 吹中村, 吹下村
「幕末以降総覧」・・・多紀郡 吹上村(本), 吹中村, 吹下村
「辞典」・・・多紀郡 吹上村の一部, 吹中村, 吹下村
むっくんさんご指摘の内容を、ご紹介の文献とともに再掲します。
M22.2.22付け(兵庫)県告示第20号(抜粋)(旧字体は引用者が新字体に置換え、以下同じ)
本年県令第二十四号ニ掲クル分裂地ノ境界ハ左ノ通
(中略)
多紀郡岡野村ト味間村ニ編入スヘキ旧吹上村分裂地ハ字北吹ヲ岡野村ヘ其他ヲ味間村ニ属ス
兵庫県報類纂(今井馬吉・山下三郎編、神戸活版所、M24-25)に記載のあるM22.2.22付け(兵庫)県令第24号に付記するように記載のある参看では、
仝年(引用者注:明治二十四年)五月告示第九十七号ヲ以テ多紀郡味間村ノ内吹上吹中吹下合併東吹村ト復旧
つまり、当該地域は、時系列にまとめると、次のとおりでしょうか。
時期内容
天保国絵図東吹村の一部
明治初期吹上村、吹中村、吹下村、吹新村
M22.4.1岡野村(吹上村字北吹)、味間村(吹上村の残余、吹中村、吹下村、吹新村)
M24.5味間村大字吹上、大字吹中及び大字吹下をまとめて大字東吹とする
岡野村 となったのは 吹上村 のうち字北吹だけであり、大半が味間村 となりました。
よって、味間村 は 多紀郡 吹上村(本), 吹中村, 吹下村 と修正しました。また、岡野村 を 多紀郡 吹上村(微) と修正しました

■多紀郡 城南村 となる従前の町村名の一部について 多紀郡 栗栖野村 or 多紀郡 栗栖野村(本)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・多紀郡 栗栖野村(本)
これは、別途多紀郡 古市村に 多紀郡 栗栖野村(微) があることもあり、ご指摘のとおり、多紀郡 栗栖野村(本) と修正しました

■武庫郡 西宮町 における従前の町村名について(西宮廿二ヶ町の表記方法について)
武庫郡 今津村武庫郡 大社村及び武庫郡 芝村において、武庫郡 西宮廿二ヶ町(微) と表記しています。これは、西宮鞍掛町、西宮浜久保町、・・・等が、それぞれ「(本)」と特定できればよいのですが、武庫郡今津村、大社村及び芝村の3村とも、まとめて「西宮廿二ヶ町(微)」としか特定できません。このため、ご指摘のとおり、武庫郡 西宮町 においては、詳細欄に
「西宮廿二ヶ町:武庫郡 西宮鞍掛町, 西宮浜久保町, 西宮社家町, 西宮浜ノ町, 西宮図子町, 西宮釘貫町, 西宮馬場町, 西宮浜脇町, 西宮浦ノ町, 西宮久保町, 西宮宮武町, 西宮今在家町, 西宮浜鞍掛町, 西宮中ノ町, 西宮石在町, 西宮浜東ノ町一丁目, 西宮浜東ノ町二丁目, 西宮浜東ノ町三丁目, 西宮東町, 西宮与古道町, 西宮浜石才町, 西宮市庭町 は本体部分だけであり、飛地と飛錯地を除く」
修正しました

――――――――――
以上です。
今回も、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
[78799] 2011年 7月 20日(水)23:01:40【2】88 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時:兵庫県) 小レス
[76732] [76733] [76734] むっくん さん
大変遅くなり失礼いたしました。

[76732] むっくん さん
◎兵庫県
■神戸市 となる従前の町村名の一部について
神戸区 「兵庫橘通一丁目」,「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」 あり or なし
「幕末以降総覧」・・・各町 あり
「辞典」・・・神戸区(125町1村), 八部郡 荒田村, 兎原郡 葺合村 が合併し市制施行
(注:兎原郡 は 菟原郡 の誤り)
これらについては、「辞典」の「神戸区(125町1村)」がご紹介の資料と一致することもあり、ご指摘のとおり、各町はなかったものと判断し、修正しました

■姫路市 となる従前の町村名の一部について 飾東郡 「姫路」国府寺村の一部 or 飾東郡 国府寺村の一部
「幕末以降総覧」・・・飾東郡 国府寺村の一部
「辞典」・・・飾東郡 姫路96町(旧城下町), 中村の一部, 福中村の一部, 豊沢村の一部, 国府寺村の一部, 野里村の一部 が合併し市制施行
これは、以前むっくん さんにご教授いただいたものと同じパターンでしょうか(過去記事を発見できずだが記憶にあり)。ご指摘のとおり、飾東郡 国府寺村の一部 と判断し、修正しました
#経験的に、総称が付く自治体とそうでない自治体が合併して市制町村制施行する場合、「姫路○○『町』」「△△『村』」のように、総称のつくものは「町」であり、「村」には総称はつかない、という気がします。
もっとも、市街地で「町」であるからこそ、総称がつく、という方が理にかなっているかもしれません。

■武庫郡 甲東村 となる従前の町村名の一部について 武庫郡 門戸村 or 武庫郡 門戸村(本)
「幕末以降総覧」・・・武庫郡 門戸村(本)
 (注:(本)とは書いていないが他自治体に門戸村の一部が含まれる記載がある。以下同じ)
「辞典」・・・武庫郡 門戸村
これは、別途武庫郡 大社村に 武庫郡 門戸村(微)があることもあり、ご指摘のとおり、武庫郡 門戸村(本) と修正しました

■川辺郡 小田村 となる従前の町村名の一部について 川辺郡 善法寺村 or 川辺郡 善法寺村(本)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・川辺郡 善法寺村(本)
これは、別途川辺郡 園田村に 川辺郡 善法寺村(微) があることもあり、ご指摘のとおり、川辺郡 善法寺村(本) と修正しました

■川辺郡 尼ヶ崎町 となる従前の町村名の一部について 川辺郡 尼ヶ崎村 竹谷新田村 or 川辺郡 尼ヶ崎町, 竹谷新田村(本)
「幕末以降総覧」・・・川辺郡 尼崎町, 竹谷新田村(本)
「辞典」・・・川辺郡 尼崎町, 竹谷新田村
まず、川辺郡 竹谷新田村 については、別途川辺郡 立花村に 川辺郡 竹谷新田村(微) があることもあり、ご指摘のとおり、川辺郡 竹谷新田村(本) と修正しました。
次に、川辺郡 尼ヶ崎村 or 川辺郡 尼ヶ崎町 については、ご紹介の兵庫県統計書明治21年などの記述に従い、川辺郡 尼ヶ崎町 と修正しました

■川辺郡 稲野村 となる従前の町村名の一部について 川辺郡 寺本村 or 川辺郡 寺本村(本)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・川辺郡 寺本村(本)
これは、別途武庫郡 武庫村に 川辺郡 寺本村(微) があることもあり、ご指摘のとおり、川辺郡 寺本村(本) と修正しました

■川辺郡 東谷村 となる従前の町村名の一部について 川辺郡 山下村, 横路村 or 川辺郡 山下町, 横路村(本)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・川辺郡 山下村, 横路村 (大阪府 能勢郡 吉川村 には 横路村 の記載なし)
まず、川辺郡 横路村 については、ご指摘のM22.3.5付け(兵庫)県令第34号を受け、川辺郡 横路村(本) と修正しました。
これにあわせて、市制町村制施行時の 大阪府 能勢郡 吉川村 を、「新設/村制」 能勢郡 吉川村, 兵庫県 川辺郡 横路村(微) と修正しました
次に、川辺郡 山下村 or 川辺郡 山下町 の件については、先ほどの 川辺郡 尼ヶ崎町 と同様、ご紹介の兵庫県統計書明治21年などの記述に従い、川辺郡 山下町 と修正しました
#川辺郡 尼ヶ崎町 と 山下町 は、「両方とも村ではなく町でないと数が合わない」状態であったため対応できましたが、これが仮に「どちらか一方だけが町で、他方は村だ」ということにでもなると、お手上げに近くなってしまうところです。
――――――――
[76733] むっくん さん
■有馬郡 本庄村 となる従前の町村名の一部について 有馬郡 長坂村 or 有馬郡 長坂町
「幕末以降総覧」「辞典」・・・有馬郡 長坂村
ご紹介の兵庫県統計書明治21年等の記載に従い、有馬郡 長坂町 と修正しました

■加東郡 下東条村 となる従前の町村名の一部について 加東郡 脇平村 or 加東郡 脇本村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・加東郡 脇本村
単なる入力誤りのようです。また、ご紹介の各資料及び現在の小野市脇本町にあたると考えられることからも、ご指摘のとおり、加東郡 脇本村 と修正しました

■加東郡 上福田村 となる従前の町村名の一部について 加東郡 三草村 or 加東郡 三草町
「幕末以降総覧」・・・加東郡 三草村
「辞典」・・・加東郡 三草町
ご紹介の兵庫県統計書明治21年等の記載に従い、加東郡 三草村 と修正しました

■印南郡 平荘村 となる従前の町村名の一部について 印南郡 南西山村 or 印南郡 西山村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・印南郡 西山村
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。印南郡 西山村 と修正しました

■飾東郡 城北村 となる従前の町村名の一部について 飾東郡 伊伝居山 or 飾東郡 伊伝居村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・飾東郡 伊伝居村
単なる入力誤りのようです。M22.2.22付け(兵庫)県令第24号の記載のとおり、飾東郡 伊伝居村 と修正しました

■神西郡 寺前村 となる従前の町村名の一部について 神西郡 北小田村 or 神西郡 上小田村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・神西郡 上小田村
単なる入力誤りのようです。M22.2.22付け(兵庫)県令第24号の記載のとおり、神西郡 上小田村 と修正しました

■揖東郡 神岡村 となる従前の町村名の一部について 揖東郡 北横内町 or 揖東郡 北横内村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・揖東郡 北横内村
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。揖東郡 北横内村 と修正しました

■揖西郡 鍛冶屋村 他が廃置分合して発足する村名について 揖西郡 西来栖村 or 揖西郡 西栗栖村
■市制町村制施行時における従前の 揖西郡 二栢野村 の所属先について 揖西郡 西栗(来)栖村 or 赤穂郡 矢野村
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」・・・揖西郡 西栗栖村, 赤穂郡 矢野村
まず、揖西郡 西来栖村 or 揖西郡 西栗栖村 の件は、現在のJR姫新線西栗栖駅にその名残があるように、揖西郡 西来栖村 が正当です。
次に、従前の 揖西郡 二栢野村 の件ですが、ご紹介の兵庫県報類纂 明治21-23年、今井馬吉,山下三郎編、神戸活版所、明治24-25 中のM22.2.22付け(兵庫)県令第24号の参看がすべてを物語っております。なお、兵庫県HP内の23 付録 (excelファイル、23.4シートのたつの市の欄)に、
明24. 3.25 [境界変更] 矢野村の一部(二栢野村)<西来栖村へ>
ともあります。
このため、従前の 揖西郡 二栢野村 は、M22.4.1付けの市制町村制施行時には 赤穂郡 矢野村 に属したと修正しました(揖西郡 西栗栖村赤穂郡 矢野村)。
なお、M24.3.25付けで 赤穂郡 矢野村の一部 (旧 揖西郡 二栢野村)を 揖西郡 西栗栖村 に境界変更する件は、既に入力済みでした

■揖西郡 平野村 他が廃置分合して発足する村名について 揖西郡 東来栖村 or 揖西郡 東栗栖村
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」・・・揖西郡 東栗栖村
現在の東栗栖郵便局にその名残があるように、揖西郡 東栗栖村 が正当です。よって、修正しました

■赤穂郡 赤穂町 となる従前の町村名の一部について 赤穂郡 上仮屋村 or 赤穂郡 上仮屋町
「幕末以降総覧」「辞典」・・・赤穂郡 上仮屋町
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。ご紹介の兵庫県統計書明治21年などの記述に従い、赤穂郡 上仮屋町 と修正しました

■赤穂郡 相生村 となる変更種別について 「新設/村制」 or 「郡変更/新設/村制」
「幕末以降総覧」「辞典」・・・(変更種別記載なし)
ご紹介の(兵庫)県令第23号に従い、揖西郡 野瀬村 の郡変更を反映し、郡変更/新設/村制 と修正しました
#ちなみに、市制町村制施行時は「あう村」です。町制施行・合併を経て、S14.4.11にあう町→あいおい町に改称

■宍粟郡 山崎町 となる従前の町村名の一部について 宍粟郡 鹿沢村 or 宍粟郡 鹿沢町
「幕末以降総覧」・・・宍粟郡 鹿沢町
「辞典」・・・宍粟郡 鹿沢村
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。ご紹介の兵庫県統計書明治21年などの記述に従い、宍粟郡 鹿沢町 と修正しました

続きます。

[78801] 伊豆之国 さん のご指摘により修正。なんかリンクが一つずつずれた? 原因不明。
[78797] 2011年 7月 19日(火)22:34:03【1】88 さん
 Re^3:「日野宿、箱根駅、与瀬駅、吉野駅、府中駅」
[78790] グリグリ さん
「宿」「駅」は、「町」でよいと考えます。
なぜならば、M21.4.25法律第1号の市制町村制では、「駅」「宿」という制度はないからです。制度上、「市」「町」「村」しかありません。
「語尾」が「駅」「宿」である、市制町村制の制度上の「町」であると判断します。見た目の名称と、制度上の名称が異なるだけでしょう。
市区町村変遷情報においても、制度上の位置づけで判断すればよいと考えます。
――――――――――
これは、自治体名ではなくても、現在でも、見た目の名称と、制度上の名称が異なる事例はあります。
例えば、今回の平成の大合併でも、「大字○○」を「○○」と、「大字」の二文字を取ったところがたくさんありますが、地方自治法第260条である「字」であることが多いです。「大字○○」「○○」ともに字です。
逆に、「○○町」ではなく単に「○○」という町も、多数存在します。
事例をいくつか挙げます。
事例
「○○町△△」という町合併して高松市となった旧香川郡塩江町の部分(注)
「○○町△△」という字(大字)合併して丸亀市となった旧綾歌郡飯山町,綾歌町の部分
H17.3.22付け香川県告示第163号 (pdfファイル)
「○○町一丁目」という町住居表示実施に伴い大字を町に変更した茨城県鹿島郡神栖町の一部
H17.1.20付け茨城県告示第58号 (pdfファイル)
(注)web上にありませんので、次に記載します。(体裁は引用者が変更、原文は振り仮名つき)
高松市告示第667号
 香川郡塩江町の編入に伴い,平成17年9月26日から,次の表の左欄に掲げる区域において,右欄に掲げる町の名称を設定する旨の地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定による高松市長からの届出を受理したので,同条第2項の規定により告示します。
平成17年9月26日
高松市長 増田昌三
左欄右欄
塩江町大字上西甲の区域塩江町上西甲
(以下略)
#地方自治法第260条第1項の規定により届出の受理及び同条第2項の規定による告示は、地方自治法上は知事の権限であるが、同法第252条の17の2第1項の規定を受けた香川県事務処理の特例に関する条例第2条・別表第1により、高松市長が処理する。
――――――――――
「宿」「駅」については、見た目の名称に捕らわれず、市制町村制という法律上の位置づけで判断すればよいと考えます。

#実は、正直に告白すると、日野宿や箱根駅などが市制町村制上の「村」ではなく「町」であった、という確たる証拠を確認してはおりません。元々、人口が集中した集落であり、「町」であろう、と考えただけです。
これについては、その気になって調べれば、根拠をきちんと確認できると確信していますが。
もっとも、「○○村」という名称の市制町村制上の「町」や、「○○町」という名称の市制町村制上の「村」が仮にあったとしたら、お手上げです。

―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―
・・・と、ここまで原稿を書いていたら、[78794] むっくん さんの投稿がありました。
早速、日野宿を「村」と言い切っていた点があやしくなってきました。
「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)」p.83の件を書こうとしていたら・・・まったく同じ内容のことを[78794] むっくん さんが追記されました。

[78794] むっくん さん と重複しない話を。
「大日本市町村名鑑」(星野文三編、M26.11、博聞社)の8コマ目には、東京府の南多摩郡は2町18村とあります。
しかし、14コマ目を見ると、日野宿です。
2コマ目の緒言によると、
本年(引用者注:明治26年)四月ノ現在ニ拠リ
とあるものの、緒言の末尾が
爾時ニ明治二十六年八月
とあり、8月までの市町村の変更の一部は意図して反映したのかもしれません。
なお、西多摩郡、北多摩郡及び南多摩郡が神奈川県から東京府へ移管されたのは、M26.3.6法律第12号東京府及神奈川県境域変更ニ関スル法律によりM26.4.1付けです。この「大日本市町村名鑑」は、この移管を反映しているものの、M26.6.19付けの南多摩郡 日野宿→日野町北多摩郡 府中駅→府中町は反映していません。
しかし、この場合、日野宿は「町」として扱われているように見えます(南多摩郡は2町18村なので、2町は八王子町と日野宿と考えるのが自然)。
むっくんさんご指摘のように、M22.4.1付け市制町村制施行時には、南多摩郡 日野宿 は市制町村制上の「村」であった場合、いつ、「町」になったのでしょうか。

仮説(1)
M26.6.19付けの南多摩郡 日野宿→日野町のときに、市制町村制上の村→町になった。
この場合、市区町村変遷情報では現在、変更種別を「改称」としているため、「町制/改称」とする必要がある。また、「大日本市町村名鑑」の南多摩郡の「2町18村」が誤りであり、「1町19村」が正当となる。
仮説(2)
M26.4.1付けの神奈川県から東京府への移管のときに、日野宿の名称のままで村から町になった(きっかけとしてはあり得る)。
そして、M26.6.19付けで、日野宿→日野町と改称した。

いずれにせよ、村から町となった時期や根拠が不明です。日野宿→日野町の根拠となる告示等がわかれば判明するかもしれません。
――――――――――
話は戻って、M22.4.1付けの神奈川県市制町村制施行時に、日野宿が町ではなく村であった証拠が、どこかに明確にあると確信しているのですが、現在のところその確認方法がわかりません。
[78778] 2011年 7月 16日(土)12:55:57【2】88 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時以降)(各府県) 小レス
[78777]の続きです。[78457][78528] 中島悟 さん ご指摘への対応です。

■T14(1925)6.10付けで 福島県 大沼郡 玉路村 となる従前の町村名の一部について 大沼郡 永玉岡村 or 大沼郡 氷玉岡村
M22.4.1付けの町村制施行時のとおり、大沼郡 氷玉岡村 と修正しました
余談ですが、氷玉岡村は、M10に永会村と関上村が合併して誕生した氷玉村と、福重岡村が合併して誕生した、合成村名です。

■S30(1955).3.1付けで 茨城県 猿島郡 岩井町 となる従前の町村名の一部について 猿島郡 弓間田村 or 猿島郡 弓馬田村
S30.2.28付け総理府告示第246号を確認しました。猿島郡 弓馬田村 と修正しました

■S30(1955).4.15付けで 茨城県 久慈郡 金砂郷村 となる従前の町村名の一部について 久慈郡 郷戸村 or 久慈郡 郡戸村
S30.4.15付け総理府告示第1160号を確認しました。久慈郡 郡戸村 と修正しました

■S30(1955).2.1付けで 群馬県 邑楽郡 板倉町 となる従前の町村名の一部について 邑楽郡 西矢田村 or 邑楽郡 西谷田村
S30.1.31付け総理府告示第66号を確認しました。邑楽郡 西谷田村 と修正しました

■M23(1890).5.17付けで 長野県 更級郡 笹井村 となる従前の町村名の一部について 更級郡上氷鉤村 (かぎ) or 更級郡 上氷鉋村 (かんな)
ご指摘のように、M22.4.1付けの町村制施行時のとおり、更級郡 上氷鉋村 と修正しました

■M31(1898).6.17付けで 長野県 上伊那郡 伊那村 となる従前の町村名の一部について 上伊那郡 上伊那村 or 上伊那郡 東伊那村
ご指摘のように、M22.4.1付けの町村制施行時のとおり、上伊那郡 東伊那村 と修正しました

■S31(1956).9.30付けで 長野県 南佐久郡 小海町となる従前の町村名の一部について 南佐久郡 小牧村 or 南佐久郡 北牧村
S31.9.30付け総理府告示第591号を確認しました。南佐久郡 北牧村 と修正しました

■S32(1957).8.1付けで 長野県 上水内郡 戸隠村 となる従前の町村名の一部について 上水内郡 棚村(たな) or 上水内郡 柵村(さく)
S32.7.31付け総理府告示第349号を確認しました。上水内郡 柵村 と修正しました

■S10(1935).8.1付けで 静岡県 駿東郡 愛鷹村 となる従前の町村名の一部について 駿東郡 高根村 or 駿東郡 鷹根村
単なる入力ミスでした。駿東郡 鷹根村 と修正しました

■M27(1894).7.23付けで 京都府 船井郡 富本村 となる従前の町村名の一部について 船井郡 本庄村 or 船井郡 本荘村
単なる入力ミスでした。船井郡 本荘村 と修正しました
なお、この件は、[67522] むっくん さん で、新設合併年月日についてご指摘があり、[67801] 88 で対応していました。船井郡 本庄村 or 船井郡 本荘村 については、改めて、[67522] むっくん さん ご紹介のM27(1894).7.23付け京都府公示第125号に従い、船井郡 本荘村 と判断します。

■S30(1955).3.31付けで 兵庫県 神崎郡 神崎町 となる従前の町村名の一部について 神崎郡 栗賀村(くり) or 神崎郡 粟賀村(あわ)
S30.3.31付け総理府告示第931号を確認しました。神崎郡 粟賀村(あわ) と修正しました

■M43(1910).7.1付けで 山口県 豊浦郡 安岡村 となる従前の町村名について 豊浦郡 豊岡中村 or 豊浦郡 豊西中村
単なる入力ミスでした。豊浦郡 豊西中村 と修正しました

■S30(1955).7.1付けで 山口県 下関市 となる従前の町村名の一部について 厚狭郡 玉喜村 or 厚狭郡 王喜村
S30.6.30付け総理府告示第1277号を確認しました。厚狭郡 王喜村 と修正しました

■S31(1956).9.30付けで 高知県 高岡郡 葉山村 となる従前の町村名の一部について 高岡郡 市半山村 or 高岡郡 下半山村
S31.9.30付け総理府告示第777号を確認しました。高岡郡 下半山村 と修正しました

■H6(1994).1.1付けの 沖縄県 中頭郡 与那城村 が 中頭郡 与那城町 となる件について
これは、「よなぐすくそん」から「よなしろそん」に改称し、その後、「与那城村」を「与那城町」と町制施行したものです。
個別情報の詳細欄には、この読み方の改称も含めて記載しています(本来は、改称の根拠となるのは、自治省(当時)の告示ではなく、各自治体の改称の条例ですが)。
読み方の改称の表記方法は、「変更対象自治体名/変更内容」欄に記載したり、「詳細(協議状況・経過等)」欄に記載したり、と、一貫していない面があるのは事実ですので、将来の検討課題とさせてください。

■S30(1955).3.20付けで 千葉県 市原郡 千種村 が 五井町, 姉崎町に編入される件について
入力漏れでした。ただし、経緯を確認すると、次のとおりでした。
・S30.3.19付け総理府告示第380号により、千葉県市原郡五井町及び千種村を廃し、S30.3.20付けで市原郡五井町を設置。
・S30.3.31付け総理府告示第922号により、S30.3.31付けで市原郡五井町のうち大字今朝山(一部を除く)、大字白塚、大字柏原及び大字青柳の一部を姉崎町に境界変更する(いずれも旧千種村の区域)
つまり、3月20日から3月30日までの11日間は五井町に属したものの、3月31日からは姉崎町に属するようになったものです。これら2件の情報を追加しました(S30.3.20付け五井町新設合併姉崎町境界変更)。

■S13(1938).2.11付けで 高知県 安芸郡 野根村 が町制施行して 安芸郡 野根町 となる件について
単なる入力漏れでした。追加しました

――――――――――
以上、[78774]から本稿まで、市区町村変遷情報関係の要レス分について、在庫となっていたものの一部をまとめて投稿しました。まだ多数残っていますので、順次対応してまいりますので、少々お待ちください。
また、数々の指摘をいただいている皆様、ご連絡いただきありがとうございます。今回の修正の不具合分その他、お気づきの点がありましたら、ご遠慮なくおっしゃっていただければ幸いです。とても助かっています。
今後ともよろしくお願いいたします。
[78777] 2011年 7月 16日(土)12:54:3188 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時以降)(各府県) 小レス
[78457][78528] 中島悟 さん
ご指摘ありがとうございます。
行番号につきましては、その後の修正作業等により、ずれているものが多数ありますので、変更施行年月日及び変更後の市町村名を記載して閲覧者の便宜を図ります。
調査にあたっては、総理府告示等を確認できたもの(官報情報検索サービスによる)については、その旨を記載することをもって対処し、これらを確認できていないものは、各種文献の記載や前後のつながり等により判断しました。

■S29(1954).8.1付けで 宮城県 遠田郡 小牛田町 及び 古川市 に編入される村の所属郡について 遠田郡 敷玉村 or 志田郡 敷玉村
S29.7.31付け総理府告示第673号で確認しました。志田郡 敷玉村 と修正しました(遠田郡 小牛田町古川市 )。

■S30(1955).9.30付けで埼玉県 熊谷市、行田市 及び 北足立郡 吹上町 に編入される村の所属郡について 北足立郡 太井村 or 北埼玉郡 太井村
S30.9.30付け総理府告示第1433号で確認しました。北埼玉郡太井村と修正しました(熊谷市行田市 北足立郡 吹上町)。

■S29(1954).6.1付けで 千葉県 海上郡 旭町 に編入される村の所属郡について 海上郡 共和村, 豊畑村 or 匝瑳郡 共和村, 豊畑村
S29.5.28付け総理府告示第498号で確認しました。匝瑳郡 共和村, 豊畑村 と修正しました

■S31(1956).9.30付けで 静岡県 周智郡 森町 に編入される村の所属郡について 小笠郡 三倉村 or 周智郡 三倉村
S31.9.30付け総理府告示第628号で確認しました。周智郡 三倉村 と修正しました

■S30.2.1付けで 三重県 桑名市 及び 員弁郡 東員村 に編入される村の所属郡について 桑名郡 久米村 or 員弁郡 久米村
S30.2.1付け総理府告示第108号で確認しました。員弁郡 久米村と修正しました(桑名市員弁郡 東員村)。

■S33(1958).10.1付けで 大阪府 柏原市 となる従前の町の所属郡について
これについては、[78457][78528]で取り消されていますが、せっかくですので経緯をまとめておきます。
・S31.9.30付け総理府告示671号により、同日付けで 中河内郡 柏原町と 南河内郡 国分町 が合併し 柏原町 発足
・S31.9.30付け総理府告示第672号により、柏原町 の属すべき郡を 中河内郡 とする
・S33.6.30付け総理府告示第232号により、中河内郡 柏原町 を 柏原市 とする

■S8(1933).4.1付けで 兵庫県 津名郡 洲本町 に編入される村の所属郡について 津名郡 加茂村, 大野村 or 三原郡 加茂村, 大野村
これは、ご指摘のようにM22(1889).4.1付けの市制町村制施行時が三原郡 加茂村三原郡 大野村であり、その後の郡変更もありません。よって、三原郡 加茂村, 大野村 と修正しました

■S30(1955).2.1付けで 兵庫県 城崎郡 日高町 に境界変更される村の所属郡について 城崎郡 宿南村 or 養父郡 宿南村
S30.2.1付け総理府告示第109号で確認しました。養父郡 宿南村 と修正しました

■M29(1896).9.1付けで 奈良県 平群村と改称される明治村の所属郡について生駒郡明治村 or 平群郡 明治村
ご指摘のように、そもそも、生駒郡の発足がM29.3.30付け法律第45号奈良県下郡廃置法律によりM30.4.1付けですから、生駒郡はありえません。このため、平群郡 明治村を改称して 平群郡 平群村 となった、と修正しました

■S31(1956).9.30付けで 奈良県 大和高田市 に編入される村の所属郡について 磯城郡 陵西村 or 北葛城郡 陵西村
S31.9.30付け総理府告示第701号で確認しました。北葛城郡 陵西村 と修正しました

■S29(1954).7.20付けで 高知県 高岡郡 越知町 に編入される村の所属郡について 高岡郡 明治村 or 吾川郡 明治村
S29.7.19付け総理府告示第644号で確認しました。吾川郡 明治村 と修正しました

■S28(1953).11.16付けで 茨城県 新治郡 石岡町 に従前の町村名の一部について 新治郡 高浜村 or 新治郡 高浜町
S28.11.12総理府告示第230号で確認しました。新治郡 高浜町と修正しました

■S29(1954).5.3付けで 栃木県 芳賀郡 二宮町 となる従前の町村名の一部について 芳賀郡 久下田村 or 芳賀郡 久下田町
S29.4.8付け総理府告示第421号で確認しました。芳賀郡 久下田町 と修正しました

■S29(1954).11.3付けで 栃木県 那須郡 那須町 となる従前の町村名の一部について 那須郡 那須町 or 那須郡 那須村
S29.11.2付け総理府告示第926号で確認しました。那須郡 那須村 と修正しました

■S29(1954).4.1付けで 藤岡市 となる従前の町村名の一部について多野郡 神流村 or 多野郡 神流町
S29.3.29付け総理府告示第303号で確認しました。
しかし、総理府告示でも 多野郡 神流村 であり、M22.3.4付け群馬県令第19号による市制町村制施行時は緑野郡 神流村(196コマ目)であり、その後、M29.3.30法律第41号によるM29.4.1付けの多野郡への変更はあったものの、町制施行した経緯も見当たりません。
よって、そのままとしました
なお、H15.4.1付けで多野郡 神流町が発足しましたが、直接関係はありません。

■S2(1927).4.1付けで 埼玉県 大里郡 熊谷町 となる従前の町村名の一部について 北埼玉郡 成田町 or 北埼玉郡 成田村
[76121] 白桃 さん でも、同じ指摘を頂いていました。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・北埼玉郡 成田村
単なる入力誤りのようです。北埼玉郡 成田村 と修正しました

■S30(1955).4.19付けで 千葉県 香取郡 神崎町 となる従前の町村名の一部について 香取郡 米沢町 or 香取郡 米沢村
S30.4.18付け総理府告示第1192号で確認しました。香取郡 米沢村 と修正しました

■S30(1955).4.29付けで 千葉県 長生郡 長柄町 となる従前の町村名の一部について 長生郡 長柄町 or 長生郡 長柄村
S30.4.21付け総理府告示第1209号で確認しました。長柄郡 長柄村 と修正しました

■S17(1942).6.1付けで 富山県 婦負郡 婦中町 となる従前の町村名の一部について 婦負郡 速星町 or 婦負郡 速星村
ご指摘のとおり、M22(1889).4.1付けの市制町村制施行時が 婦負郡 速星村であり、その後町制施行しておりません。よって 婦負郡 速星村 と修正しました

■S29(1954).3.1付けで 富山県 射水郡 大門町 となる従前の町村名の一部について 射水郡 水戸田町 or 射水郡 水戸田村
S29.2.27付け総理府告示第57号で確認しました。射水郡 水戸田村 と修正しました

■S15(1940).4.1付けで 静岡県 富士郡 吉原町 となる従前の町村名の一部について 富士郡 島田町 or 富士郡 島田村
ご指摘のとおり、M22(1889).4.1付けの市制町村制施行時が富士郡 島田村であり、その後も町制施行しておりません。よって、富士郡 島田村 と修正しました

■S30(1955).5.1付けで 静岡県 引佐郡 引佐町 となる従前の町村名の一部について 引佐郡 奥山町 or 引佐郡 奥山村
S30.4.28付け総理府告示第1235号で確認しました。引佐郡 奥山村 と修正しました

■S29(1954).3.31付けで 三重県 名張市 となる従前の町村名の一部について 名賀郡 滝川町 or 名賀郡 滝川村
S29.3.24付け総理府告示第147号で確認しました。名賀郡 滝川村 と修正しました

■S30(1955).1.1付けで 京都府 中郡 峰山町 となる従前の町村名の一部について 中郡 吉原町 or 中郡 吉原村
S29.12.27付け総理府告示第1133号で確認しました。中郡 吉原村 と修正しました

■S15(1940).6.1付けで 大阪府 南河内郡 長野町 となる従前の町村名の一部について 南河内郡 千代田町 or 南河内郡 千代田村
ご指摘のとおり、T5(1916).4.1付けで改称して南河内郡 千代田村となっており、その後も町制施行しておりません。よって、南河内郡 千代田村 と修正しました

■S28(1953).7.1付けで 大阪府 豊中市 及び 吹田市 となる従前の町村名の一部について 三島郡 新田町 or 三島郡 新田村
S28.6.25付け総理府告示第127号で確認しました。三島郡 新田村 と修正しました(豊中市吹田市)。

■S30(1955).1.15付けで 大阪府 河内市 となる従前の町村名の一部について 中河内郡 英田町 or 中河内郡 英田村
S29.12.28付け総理府告示第1242号を確認しました。中河内郡 英田村 と修正しました

■S31(1956).4.1付けで 兵庫県 津名郡 一宮町 となる従前の町村名の一部について 津名郡 山田町 or 津名郡 山田村
S31.3.31付け総理府告示第170号を確認しました。津名郡 山田村 と修正しました

■S32(1957).2.11付けで 高知県 幡多郡 大月町 となる従前の町村名の一部について 幡多郡 月灘町 or 幡多郡 月灘村
S32.2.2付け総理府告示第58号を確認しました。幡多郡 月灘村 と修正しました

■S29(1954).4.1付けで 熊本県 宇土郡 宇土町 となる従前の町村名の一部について宇土郡 花園町 or 宇土郡 花園村
S29.3.25付け総理府告示第201号を確認しました。宇土郡 花園村 と修正しました

■S32(1957).4.1付けで 熊本県 上益城郡 矢部町 となる従前の町村名の一部について 上益城郡 中島町 or 上益城郡 中島村
S32.2.2付け総理府告示第61号を確認しました。上益城郡 中島村 と修正しました

■S29(1954).3.31付けで 大分県 大分郡 大南町 となる従前の町村名の一部について 大分郡 判田町 or 大分郡 判田村
S29.3.24付け総理府告示第161号を確認しました。大分郡 判田村 と修正しました

■S22(1947).8.1付けで 沖縄県 国頭郡 上本部村 となる従前の町村名について 国頭郡 本部村 or 国頭郡 本部町
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」とも、国頭郡本部村がS15(1940).12.15に町制施行して本部町に、1947.8.1に上本部村が分立
単なる入力ミスのようです。S15.12.15付け町制施行の国頭郡本部町修正しました

次稿に続きます。
[78776] 2011年 7月 16日(土)12:46:3788 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時以降)(三重県、千葉県、香川県、茨城県・埼玉県) 小レス
[76894] むっくん さん
◎三重県
■河曲郡 川曲村 が 河曲郡 河曲村 となる改称年月日について M24(1891).6.1 or M24(1891).6.12
■安濃郡 草谷村 が 安濃郡 草生村 となる改称年月日について M24(1891).6.1 or M24(1891).6.12
■一志郡 佐田村 が 一志郡 倭村 となる改称年月日について M24(1891).6.1 or M24(1891).6.12
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」とも・・・3件ともM24(1891).6.1付け
しかし、ご紹介のM24.6.12付け三重県告示第61号(pdfファイル、1コマ目)に基づき、いずれもM24.6.12付け改称と修正しました(河曲郡 河曲村安濃郡 草生村一志郡 倭村)。

■北牟婁郡 引本村 が 北牟婁郡 引本町 となる町制年月日について M32(1899).2.2 or M32(1899).2.21
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」とも・・・M32(1899).2.2
ご紹介のM32.2.21付け三重県告示第26号(pdfファイル、1コマ目)に基づき、M32.2.21付け町制と修正しました

■S9(1934).9.1 付けで 北牟婁郡 相賀町 が「あふが」から「あいが」に改称する件について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・記載なし
「あふが」は歴史的仮名遣いの表記ですが、「おーが」と発音し、現代仮名遣いでは「おうが」と表記します。「あふぎ→おうぎ(扇)」と同じです。
(参考:歴史的仮名遣い教室歴史的仮名遣い 読み方の決まり)
ご紹介のS9.8.29付け三重県告示第943号(pdfファイル、1コマ目)に基づき、S9.9.1付け改称を追加しました

■S15(1940).11.3付けで 一志郡 家城村, 境村 が 一志郡 家城町 となる変更種別について 新設/町制 or 編入/町制
「総覧」「便覧」「辞典」・・・新設/町制
「幕末以降総覧」・・・(変更種別不明)
ご紹介のS15.11.1付け三重県告示第1276号(pdfファイル、1コマ目)及びS15.11.2付け三重県告示第1279号(pdfファイル、1コマ目)に基づき、S15.11.3付け編入/改称と修正しました

◎千葉県
■上埴生郡 武丘村 が 上埴生郡 庁南町 に町制/改称する年月日について M23(1890).3.23 or M23(1890).3.12
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M23(1890).3.12
ご紹介のM23.3.12付け千葉県令第37号に基づき、M23.3.12付け町制/改称と修正しました

■平郡 凪原村が 平郡 那古町 に町制/改称する年月日について M25(1892).12.28 or M26(1893).1.27
「総覧」「便覧」・・・M25(1892).12.28
「幕末以降総覧」・・・M26.1.27
「辞典」・・・M26.1.27(M25.12.28)
「辞典」は、お得意の両論併記です。ご紹介のM26.1.27付け千葉県告示第14号に基づき、M26.1.27付け町制/改称と修正しました

■武射郡 旭村 が 武射郡 横芝村 に改称する年月日について M25(1892).12.28 or M26(1893)1.27
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M25(1892).12.28
「辞典」・・・M26.1.27(M25.12.28)
これも「辞典」は両論併記です。ご紹介のM26.1.27付け千葉県告示第15号に基づき、M26.1.27付け改称と修正しました

■香取郡 香取村 が 香取郡 香取町 に町制施行する年月日について M30(1897).5.5 or M30(1897).4.30
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M30(1897).5.5
ご紹介のM30.4.30付け千葉県告示第67号に基づき、M30.4.30付け町制と修正しました

■夷隅郡 中魚落村 が 夷隅郡 大原町 に町制/改称する年月日について M32(1899).12.20 or M32(1899).12.22
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・ M32(1899).12.22
ご紹介のM32.12.22付け千葉県告示第261号に基づき、M32.12.22付け町制/改称と修正しました
――――――――――――――――――――
[75491] 白桃 さん
◎香川県
■大川郡 松原村 が 大川郡 白鳥本町 となる町制/改称年月日について M41(1908).1.1 or M43(1910).1.1 or M42(1909).10.1
「総覧」「便覧」「辞典」・・・M43(1910).1.1
「幕末以降総覧」・・・M41(1908).1.1
香川県立図書館で香川県報(マイクロフィルム)を閲覧すると、根拠となる香川県告示は次のとおりでした。
●香川県告示第五百三十二号
県下大川郡引田村ヲ明治四十二年十月一日ヨリ引田町トシ仝郡松原村ヲ白鳥本町ト為ス
 明治四十二年九月十七日
香川県知事 小野田 元煕
「白鳥町史」(昭和60年3月25日、編集:白鳥町史編集委員会、発行:香川県大川郡白鳥町)の掲載記事の中には、町制・改称に関して諸手続きの一部を紹介していました。
手続きに関しては、香川県知事からの
訓第二百十七号
其村ヲ白鳥本町ト改称スルノ可否本月三十日限答申スヘシ
 明治四十二年六月二日
香川県知事 小野田 元煕
に対し、明治42年6月27日付けの松原村会では、
第三号案
町制実施ノ可否ノ知事ノ諮問ニ対シ答申ノ件
別紙写ノ通リ諮問ニ付キ左ノ通リ

本村ヲ白鳥本町ト改称スルコト可ナリ
との案が示されているようです。
また、町制・改称の施行年月日については、明治四十三年一月一日であるとした上で、
「大川郡誌」に「昭和四十一年一月一日」とあるのは誤り
ともあります。
つまり、香川県告示ではM42.10.1付け施行と一旦は決定したものの、何らかの事情で延期となり、M43.1.1付け施行と変更となった、と推測します。M41.1.1施行とある文献も、何らかの理由による誤りでしょう。
この、M43.1.1付け施行とする香川県告示を発見できていないため、確たる根拠を発見できていませんが、とりあえず、各種資料からM43(1910).1.1施行と判断し、修正しました
――――――――――――――――――――
[76950] hmt さん
1932年7月1日に、県に関わる境界変更があり、当時の 茨城県猿島郡新郷村伊賀袋と立崎の一部が、埼玉県北埼玉郡川辺村に編入されました。
[76929]hmt さん
小野袋
迅速測図(1884)の時代からそこそこの集落があった埼玉県北埼玉郡小野袋村は、1889年の町村制で、渡良瀬川下手の柏戸村・向古河村などと共に川辺村になりました。1932年には、茨城県の飛び地になっていた伊賀袋も編入。
この件なのですが、私が調べた限りでは、これを裏付ける資料を発見できておりません。例えば、
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・記載なし
です。
具体的な文献、県告示等の年月日・番号など、何か情報がありましたら、お教えいただけると幸いです。

確かに、3県境の歴史からみても、ご指摘のような境界変更があったことは間違いないでしょう。
現に、市制町村施行直前のM22(1889).3.31に 西葛飾郡 伊賀袋村, 立崎村 ほかが合併して西葛飾郡 新郷村となり、M22.4.1付けでそのまま市制町村制施行
その後、M29(1896).4.1付けで猿島郡 新郷村となった後、S30(1955).3.15付けで新郷村は古河市に編入。

その一方、伊賀袋は現在の埼玉県加須市であり、立崎は茨城県古河市にわずかを残すのみ(地図)。
埼玉県側への境界変更があったとしか考えられないのですが、具体的情報に不足していますので、情報がありましたら、ご教示いただければ幸いです。
[78775] 2011年 7月 16日(土)12:41:0288 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時以降)(大阪府、和歌山県) 小レス
[74517] むっくん さん

まず、府令(県令)・府告示(県告示)と公報発行日との関係について述べます。
例として、ご紹介のうち2件目の例を引用します(旧字体は引用者が置き換え)。
大阪府告示第二百十九号
町村制第四条第百三十条ニ依リ府下住吉郡依羅村大字我孫子、山之内、杉本、杉本新田、庭井、苅田ヲ分割シテ依羅村ヲ置キ大字寺岡、堀、前堀ヲ分割シテ長居村ヲ置ク
明治二十七年十月二十五日 大阪府知事 山田信道
この告示が掲載されている大阪府公報には、表題のところに
大阪府公報 第千三十六号 明治二十七年十月二十九日 毎月月曜木曜日発行 大阪府
とあります。M27(1894).10.25は木曜日、M27(1894).10.29は月曜日です。

むっくんさんは、このような場合、M27.10.25は知事の裁可日(決裁(意思決定)した日)であり、この告示の効力が発生したのは、大阪府公報が発行されたM27.10.29であるとのご指摘のようです。
確かに、過去の議論において、むっくんさんからいろいろとご教示いただきました。

しかし、この議論とは別のこととして、「裁可日」「公報発行日」の間に、告示文を府県庁前等の掲示板又はこれに類するものに掲示することによって周知が図られ、公報はこの後追いで発行されているのが現実ではなかったのでしょうか。
時代があまりに異なる点はありますが、例として、現在の規定として、北海道HP内(北海道公報登載と掲示場掲示の違いについて)を挙げます。
ここには、公報への搭載と別の手続きとして、告示を掲示場に掲示することを明記しています。
このことは、HPだけではなく、S46.1.4付け北海道告示第1号北海道告示式にも示されています。

つまり、公報発行日を待たずして告示日(=この場合は裁可日)を以って掲示板に掲出され、この行為により、この日をもって告示の効力は生じているものと考えます(後追いで、印刷物の公報を発行)。
そうでないと、各公報の発行日を確認しないと告示日だけでは施行日を判断することができない、ということにもなってしまい、現実的ではないのではないでしょうか。
(直接的には、私の編集作業に大いに支障をきたすという意識が私にあることを否定しませんが。)

この考えにより、以下に個別に述べます。
――――――――――
◎大阪府
■志紀郡 道明寺村, 沢田村 が新設合併して 志紀郡 道明寺村 となる新設合併年月日について M23(1890).4.1 or M23(1890).3.31
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M23(1890).4.1
ご紹介のM23.3.31付け大阪府令第27号 (pdf、1コマ)によりM23(1890).3.31付け新設合併と判断し、修正しました

■住吉郡 依羅村 の発足について
施行日 M27(1894).10.25 or M27(1894).10.29
変更種別 住吉郡 依羅村 から 住吉郡 長居村 が分立 or 住吉郡 依羅村 を分割し 住吉郡 依羅村 及び 住吉郡 長居村 を設置
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M27(1894).10.15
冒頭のとおり、M27.10.25付け大阪府告示第219号 (pdf、1コマ)によりM27(1894).10.25付け分割と判断し、施行日はそのままとしました。
変更種別(分立 or 分割)については、[63906] むっくん さん が
分立ではなくて分割とする方がよいかもしれない、と考えられますがいかがでしょうか。「廃し」という文言がないため、分立としておく方が解釈としてはおそらく無難なのでしょうが。
と書いておられ、私も[64607]
告示の表現が微妙ですがむっくんさんの御意見のように「・・・を廃し」がないので、当面の間は無難に「分立」としておきます。
としていたのですが、前言撤回して、告示の表現が
住吉郡依羅村・・ヲ分割シテ依羅村ヲ置キ・・ヲ分割シテ長居村ヲ置ク
ですので、この機会に(旧)依羅村を「分割」したと判断し、修正・追加しました住吉郡 依羅村住吉郡 長居村

■大鳥郡 中上神村, 南上神村 が新設合併して 大鳥郡 上神谷村 となる新設合併年月日について M27(1894).11.10 or M27(1894).11.12
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M27(1894).11.10
冒頭のとおり、M27.11.10付け大阪府告示第225号 (pdf、1コマ)によりM27(1894).11.10付け新設合併と判断し、そのままとしました

■南河内郡 富田林村 が 南河内郡 富田林町 となる町制施行年月日について M29(1896).8.8 or M29(1896).8.20
「総覧」「便覧」・・・M29(1896).8.1
「幕末以降総覧」・・・M29(1896).8.8
「辞典」・・・M29.8.1(8)
冒頭のとおり、M29.8.8付け大阪府告示第222号 (pdf)によりM29(1896).8.8付け町制と判断し、そのままとしました

■M30(1897).4.1付けの 西成郡 津守村 の変遷について
西成郡 津守村 が 西成郡 川南村の一部 を編入(残余は大阪市へ編入)
or
西成郡 川南村の一部 が大阪市へ編入、残余の 西成郡 川南村の一部 が改称して 津守村 が発足
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・西成郡 川南村の一部 が大阪市へ編入、残余の 西成郡 川南村の一部 が改称して 津守村 が発足
単なる入力ミスのようです。ご指摘のように、M29.7.10付け大阪府告示第186号 (pdf、3/4コマ)により、西成郡 川南村の一部(と言っても大阪市へ編入された残余すべてのため、改称の時点では川南村のすべて)が改称して 西成郡 津守村 発足と修正しました

■三島郡 茨木村 が 三島郡 茨木町 となる町制施行年月日について M31(1898).10.14 or M31(1898).10.15
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M31(1898).10.14
■三島郡 高槻村 が 三島郡 高槻町 となる町制施行年月日について M31(1898).10.14 or M31(1898).10.15
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M31(1898).10.14
冒頭のとおり、M31.10.14付け大阪府告示第198号 (pdf)により共にM31(1898).10.14付け町制と判断し、そのままとしました三島郡茨木町三島郡高槻町

■南河内郡 廿山村 が 南河内郡 川西村 となる改称施行年月日について M32(1898).3.30 or M32(1898).3.31
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M32(1898).3.30
冒頭のとおり、M32.3.30付け大阪府告示第69号 (pdf、52/52)によりM32(1899).3.30付け町制と判断し、そのままとしました

■T2(1913).5.1付けで 中河内郡 に発足する村名、従前の村名の一部及び同村がT2(1913).7.1付けで 中河内郡 大正村 となる従前の村名について 中河内郡 三本木村 or 中河内郡 三木本村
■T2(1913).5.1付け合併の変更種別について 新設 or 編入
これについては、[76894] むっくん さん、[78457][78528] 中島悟 さん でもご指摘をいただいておりますので、ここであわせて対応します。
ご指摘のように、M22.4.1付けの市制町村制施行時に丹北郡 木本村, 志紀郡 南木本村, 北木本村 の3村が合併し、志紀郡 三木本村 となったものです(その後、M29(1896).4.1付け郡廃置により、中河内郡 三木本村) 。
変更種別については、
「総覧」「便覧」「辞典」・・・新設
「幕末以降総覧」・・・(変更種別記載なし)
しかし、ご紹介のT2.4.21付け大阪府告示第105号(pdfファイル、10コマ目)及びT2.6.30付け大阪府告示第180号(pdfファイル、1コマ目)に基づき、変更種別は編入、村名は三木本村 と修正しました(M22.4.1付け志紀郡 三木本村T2(1913).5.1付け 中河内郡 三木本村T2(1913).7.1付け 中河内郡 大正村

■T14(1925).4.1付けで 大阪市 に編入される従前の町村名の一部について 西成郡 北中島町, 東成郡 古市町 or 西成郡 北中島村, 東成郡 古市村
「総覧」・・・西成郡 北中島村, 東成郡 古市町
「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・西成郡 北中島村, 東成郡 古市村
ご紹介のT14.2.26付け大阪府告示第50号 (pdf)に従い、西成郡 北中島村 , 東成郡 古市村 と修正しました
なお、町村の並び順も、大阪府告示のとおりに修正しました。

■T14(1925).4.1付け大阪市の区の再編及びこれに付随する区の境界変更について
■S7(1932).4.1付け大阪市の区の再編について
■S18(1943).4.1付け大阪市の区の再編及びこれに付随する区の境界変更について
これにつきましては、大都市・区の変遷に関することとして、別稿とさせていただきます。

◎和歌山県
■那賀郡 粉河村 が 那賀郡 粉河町 となる町制施行年月日について M27(1894).5.1 or M27(1894).5.10
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M27(1894).5.1
これは、ご紹介のM27.5.10付け和歌山県告示第66号に明確に記述されておりますので、M27.5.10付け町制施行と判断し、修正しました

■西牟婁郡 田辺町, 下芳養村 が新設合併して 田辺市 となる新設/市制施行年月日について S17(1942).3.20 or S17(1942).5.20
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・S17(1942).5.20
単なる入力誤りのようです。上記各種文献、そして何よりもご紹介いただいたS17.5.18付け内務省告示第346号によりS17(1942).5.20付け新設/市制と判断し、修正しました
[78774] 2011年 7月 16日(土)12:25:18【2】88 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 小レス
[78763] MI さん
[78766] むっくん さん
[78767] 千本桜 さん
メッセージをありがとうございます。
大勢の皆さまからの豊富な話題、示唆に富む発言・ご教示により、私自身が十分把握していなかった諸制度や背景についての理解が深まり、その都度、編集作業を質・量ともに進化させていったという感があります。
また、私自身のチェック作業の不十分な点を、皆様のご協力(情報提供、ご指摘)により、着実に精度が向上していると自負しております。
古い文献を中心として諸文献には明らかな誤りも多く、信憑性には疑問符をつけざるを得ない情報も多々ありますので、これらを精査して、合理的・客観的に見て妥当な「事実」を見極め、これを一元的にまとめるということに大きな意義があると考えています。
また、自治体の変遷は、地名、歴史、文化、経済活動その他に相互に影響があることも事実であり、基礎データとしての側面が大きいと考えます。
まだまだ溜めているレスもありますが、当面は新たな情報の追加作業は予定していませんので、精度を上げることと、市区町村変遷情報の今後に向けた検討を進めていきたいと思います。

この場をお借りいたしまして、一言申し上げます。
改めまして、むっくんさん に御礼を申し上げます。
むっくんさん の、各諸制度等の豊富な知識・調査、情報提供につきましては、市区町村変遷情報のみならず、本「都道府県市区町村」に多大な貢献となっていることは、衆目の一致するところでしょう。
私自身の市区町村変遷情報の編集作業において、まだまだむっくんさんの期待に応えられていない面が多々あろうかと思いますが、少しずつではありますが、積み重ねてまいりたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
――――――――――
[74517] むっくん さん
■和歌山県 伊都郡 橋本町 が発足する経緯・町制施行年月日について M22(1889).4.1市制町村制施行時に合併により発足 or M27(1894).5.10に 伊都郡 橋本村 が単独町制施行
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・ M22(1889).4.1市制町村制施行時に 伊都郡 橋本町 として発足 (M27(1894).5.10付け町制は記載なし)
伊都郡 橋本村 → 橋本町 の件については、各種文献の記載状況は上記のとおりですが、根拠となる、ご紹介のM27.5.10付け和歌山県告示第66号の記述だけでも間違いないところです。さらに、「和歌山県令達全書 県令・告示・告諭・訓令・内訓・達」(岩谷民蔵編、M23)のM22.2.22付け(和歌山)県令第15号79コマ目、「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、M22)第2冊の50コマ目、「大日本市町村名鑑」(星野文三編M26.11)の274コマ目がいずれもM22.4.1付け市制町村制施行時が 伊都郡 橋本村 との記述を確認しました。
加えて、M23.10.6付け内務省告示第34号明治22年12月31日市町村現住人口375コマでも、M22.12.31現在では伊都郡橋本村です。
よって、M22.4.1の市制町村制施行時にも 伊都郡 橋本村 であったと判断し、修正・追加しました(M22.4.1付け 伊都郡 橋本村M27.5.10付け 伊都郡 橋本村→橋本町)。
これにより、和歌山県の市制町村制施行時は、ご指摘のとおり、
(誤)和歌山県市制町村制施行 1市3町228村設置
(正)和歌山県市制町村制施行 1市2町229村設置
修正しました
なお、この市町村数の修正については、私では編集不可能な部分であり、別途グリグリさんに修正を依頼し対応していただきました。

[78457][78528] 中島悟 さん
■M22(1889).4.1付け岩手県の市制町村制施行について
今回の一括登録にあわせて、岩手県の市制町村制施行時の市町村数については、ご指摘のとおり、 「1市21町219村設置」と修正しました
なお、この市町村数の修正については、私では編集不可能な部分であり、別途グリグリさんに修正を依頼し対応していただきました。
■M22(1889).4.1付け奈良県の町村制施行時の町村数について
■吉野郡 上市村, 立野村 が合併して発足して町村制を施行する町村について 吉野郡 上市村 or 吉野郡 上市町
この件については、[78496] むっくん さん でもご指摘をいただいていますが、ここで対応します。
「総覧」・・・吉野郡 上市村 (ただし、その後町制施行の記載はなく、上市町としてS31.5.3付けで吉野町となり消滅)
「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・吉野郡 上市町
・「奈良県統計書 明治22年」(編・出版:奈良県、M23.7.4)の各郡新町村区域に、廃置分合後の町村及び旧町村が記載されています。当該ページ(23コマ目)では、吉野郡上市村であり、吉野郡内は個別に見ると町はなく、26村になりますが、吉野郡計の欄には、「町1 村25」とあります。
ちなみに、同様に、十市郡も個別に見るとすべて村ですが。十市郡計の欄では「町1 村8」で、 田原本町 が 田原本村 と誤記となっているようです。
他の文献は、次のとおりです。
吉野郡 上市町
新町村区域表(編・出版:石田定鹿、M22.3.7)
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)
大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
(注:M23.4.1付け吉野郡下市村→下市町も反映済みのため吉野郡は2町となっている)
吉野郡 上市村
M23.10.6付け内務省告示第34号明治22年12月31日市町村現住人口
当該ページ(342コマ目、法令全書ではp.316)
#ちなみに、1年後のM24.7.8付け内務省告示第30号明治23年12月31日市町村現住人口当該ページ(423コマ目、法令全書ではp.351)では、 吉野郡 上市町 です。
その後、上市村 が 上市町 となったと思われる資料も見あたりません。
S31.5.3付けで 吉野郡 吉野町となる従前の町村も、S31.4.30付け総理府告示第231号を再確認してみても、 吉野郡 上市町 です。
これらのことを総合的に鑑み、M22.4.1付けの町村制施行時から 吉野郡 上市町 であったと判断し、修正しました
これに伴い、奈良県の町村制施行時の町村数は、
 (誤)奈良県町村制施行  9町153村設置
 (正)奈良県町村制施行 10町152村設置
修正しました
なお、この市町村数の修正については、私では編集不可能な部分であり、別途グリグリさんに修正を依頼し対応していただきました。

[78763]MI さん
■M22(1889).4.1付け新潟県の市制町村制施行時 刈羽郡 石地町村 or 石地町
失礼いたしました。失念しておりました。ご紹介いただいたように、[68959] MI さん、[69153] 88 のとおりです。
[68959] MI さんを改めて要約すると、新潟県公報の1890(明治23)年4月18日正誤で、
明治二十二年(三月)県令甲第二十二号改称市町村名中刈羽郡 石地町村 ハ 石地町 ノ衍
とあり、M22.3.?付け(新潟)県令甲第22号別冊55/87コマ目の 刈羽郡 「石地町村」が誤りであり、「石地町」が正しい(「衍」とは、「村」の文字が余分との意)、ということです。
よって、刈羽郡 石地町 と修正しました
■M22(1889).4.1付け新潟県の市制町村制施行時 中頸城郡 北大浜村 or 北大瀁村 or 大瀁村
これも[68959] MI さん、[69153] 88 のとおりです。
同じく[68959] MI さんを改めて要約すると、新潟県公報の1890(明治23)年5月2日正誤で、
明治廿二年(三月)県令甲第二十二号改称市町村名中中頸城郡 北大瀁村 ハ 大瀁村 ノ衍
とあり、M22.3.?付け(新潟)県令甲第22号別冊61/87コマ目の 中頸城郡 「北大瀁村」が誤りであり、「大瀁村」が正しい(「衍」とは、「村」の文字が余分との意)、ということです。
よって、中頸城郡 大瀁村 と修正しました
これにより、新潟県の市制町村制施行時の市町村数を、
 誤:1市46町769村設置
 正:1市47町768村設置
修正しました
なお、この市町村数の修正については、私では編集不可能な部分であり、別途グリグリさんに修正を依頼し対応していただきました。

[78767] 千本桜 さん
■M22.4.1付け町村制施行時の情報で、福島県 田村郡 三春村 or 田村郡 三春町
単なる入力ミスでした。田村郡 三春町 と修正しました
――――――――――
市制町村制施行時の情報で、各町村名の表記はさることながら、市町村数については市制町制施行の根本となることから、先行して「これで間違いなし」と断言したいところです。
今回の修正後、もう確定だとは思っておりますが、まだ誤り等がありましたら、お知らせいただけると幸いです。
――――――――――
その他の情報の修正につきましては、追って調査の上、順次対応いたしますので、少々お待ちください。
[78761] 2011年 7月 13日(水)00:45:0288 さん
市区町村変遷情報 市制町村制施行の直前に廃置分合等を先行して行った情報を追加
[78756] hmt さん
先ずは大事業の完成を、心からお祝いします。
メッセージをありがとうございます。
スポーツ選手が、記録達成の時にインタビューで「通過点です」とよく答えていますが、私も同じ思いをしています。確かに一つの節目だとは思いますが、まだゴールではありません。改めて、身の引き締まる思いです。
“明治の大合併”の後に、【の大部分】と書かねばならなかったのは、ご承知の通り、市制町村制施行に少し先んじて 廃置分合が実施された 5県[77581]における 旧町村からの合併情報が含まれていないためです。
これは、実質的には 市制町村制施行と不可分の情報なので、ぜひとも早期に補足していただきたと思います。
早速ですが、グリグリさんのお手を煩わせましたが、追加登録を終えました。
市制町村制施行前ではありますが、事実上一体と考える方が現実的であり、グリグリさんの提案により、便宜上、市制町村制施行時の情報の中に加える体裁をとっております。これに先立ち、[78760]で先行する廃置分合等の施行日の件も改めて整理いたところです。

今後とも、市区町村変遷情報をよろしくお願いいたします。
[78760] 2011年 7月 12日(火)23:35:1088 さん
市区町村変遷情報 市制町村制施行の直前に廃置分合等を先行して行った県について
市区町村変遷情報市制町村制施行時の情報に関連して、市制町村制施行及び町村の廃置分合の、それぞれの根拠及び施行日については、[76874] むっくん さん がまとめていらっしゃいます。
そして、大半の府県では市制町村制施行・町村の廃置分合の二つは同日付けで施行されていますが、一部の府県(5県)では、市制町村制施行の直前に、先行して廃置分合等が行われているのではないか、とご指摘がありました。
その後、[75043] むっくん さん、[76809] oki さん でも情報提供・検証をいただき、[77581][78507]拙稿でも対応を苦慮していました。
これにつきましては、[78526] むっくん さん のお話もあり、各情報を鑑みた結果、やはり当該5県とも市制町村制施行の直前に廃置分合等を先行して行った、と判断いたします。

この結果、次のとおりとなります。
県名廃置分合等施行日市制町村制施行日備考
宮城県M22(1889).3.31M22(1889).4.1
茨城県M22(1889).3.31M22(1889).4.1
千葉県M22(1889).3.31M22(1889).4.1
神奈川県M22(1889).3.31M22(1889).4.1
静岡県M22(1889).3.1M22(1889).4.1市はM22(1889).4.1付けで廃置分合
――――――――――
改めて、当該5県の県令を再掲します。
5県の廃置分合の根拠となる県令の冒頭の部分のみを抜粋します。(旧字体は新字体に引用者が置換え)

●宮城県 M22.2.9付け(宮城)県令第8号(宮城)県令第9号(宮城)県令第27号
(宮城)県令第八号 明治二十二年二月九日
管下町村中本年三月三十一日ヲ以テ其区域及名称ヲ更正スルコト別紙ノ如シ
(以下略)

(宮城)県令第九号 明治二十二年二月九日
管下仙台区及宮城郡名取郡中本年三月三十一日ヲ以テ境界ヲ変更スルコト左ノ如シ
(以下略)

(宮城)県令第二十七号 明治二十二年三月三十一日
宮城県管下陸前国登米郡石越村ト陸中国西磐井郡蝦島村トニ係ル飛地ノ所属ヲ組替ルコト左ノ如シ
(以下略)

●茨城県 M22.3.20付け(茨城)県令甲第12号
明治二十二年三月十日(茨城)県令甲第十二号
従前ノ町村ヲ分合シ更ニ区域名称左表之通相定メ明治廿二年三月三十一日ヨリ施行ス
但旧町村名ハ大字トシテ之ヲ存シ飛地ハ其所在地ノ町村ニ編入ス
(以下略)

●千葉県 M22.3.27付け(千葉)県令第18号(jpgファイル)
千葉県令第十八号
本県町村ノ儀別冊之通リ分合改称シ本月三十一日ヨリ施行ス
(別冊ハ別ニ之ヲ頒フ)
明治廿二年三月廿七日 千葉県知事 石田 英吉

●神奈川県 「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83」([75043] むっくんさん、私も同一文献を図書館で借り出して確認)
県令第九号
各町村ノ内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
明治二十二年三月十一日 神奈川県知事 沖 守固
(以下略)

●静岡県 M22.2.26付け(静岡)県令第18号(静岡)県令第19号
(静岡)県令第十八号 明治二十二年二月二十六日
静岡市区域並市役所位置別記ノ通相定メ明治二十二年四月一日ヨリ施行ス
明治廿二年二月廿六日 静岡県知事 関口 隆吉
(以下略)

(静岡)県令第拾九号
町村ノ内区域、名称、戸長所轄区域名称及役場位置別表之通改定シ他町村内ニ孕在セル飛地ハ一戸長所轄区域内各町村間ノ分ヲ除クノ外悉皆其所在町村ノ地籍ニ組ミ入レ明治二十二年三月一日ヨリ施行ス
但戸長役場位置ノ内直ニ移転シ難キ事由アルモノハ其状ヲ具シ当庁ノ認可ヲ受ケ延期スルコトヲ得
明治廿二年二月廿六日 静岡県知事 関口 隆吉
(以下略)
[78755] 2011年 7月 11日(月)19:20:3788 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時の情報) 完成
既にお気づきの方もいらっしゃるとは思いますが、かねてより編集作業を続けておりました市区町村変遷情報市制町村制施行時の情報につきましては、昨日7月10日、グリグリさんにより約4千件(新潟県~青森県(東京府を除く))の情報を一括登録していただき、基本的に完成いたしました。
これにより、直近の平成の大合併(主としてでるでるさん担当)から、昭和の大合併を経て約120年を遡った明治の大合併・市制町村制施行まで、約2万4千件の情報を掲示したことになります。
[49915]で、市町村合併情報(当時)のお手伝いをさせていただく旨をお知らせしてから5年余り、やっとここまで来ました。これも、グリグリさん、でるでるさんをはじめ皆様からたくさんご教授いただいたお蔭です。この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。

もっとも、市区町村変遷情報は、これで終わりではありません。
今後も、北海道・沖縄県の情報の見直し、大都市・区の情報の整理、個別情報の修正作業、検索機能の導入、さらなる変遷情報の遡り、・・・など、課題は山積しており、まだまだ、やりたいこと・やるべきことは、たくさんあります。より皆様がご利用しやすいよう、また、様々な話題の基礎データの一つとしてご提供できるよう、さらなる充実に向けて、微力ではありますが尽力してまいりたいと思います。

今後とも、市区町村変遷情報をご贔屓くださるとともに、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
[78521] 2011年 6月 8日(水)23:09:5488 さん
首長のデータ
[78520] グリグリ さん
首長ページを雑学ページのメニューとせずに、市区町村プロフィールのメニューとしたのは、雑学ではなく、自治体データとして、人口や面積データと同じく、記録すべき意義のある情報であるという私の認識からです。
地方自治法以降に限定して、すべての市区町村の首長選挙結果を網羅して、市区町村プロフィールのページにまとめた上で、年齢や性別で抽出したのであれば、雑学のページとして他の内容との均衡も取れるでしょう。現に他の雑学ページは、全市区町村のデータをそろえた上で、話題となるように一部を抽出して構成した形式となっています。
しかし、現在の首長のデータのように、最初から条件を限定して(抽出して)資料収集してまとめている状況は、内容が雑学的になってしまっていると思います。
グリグリさんのおっしゃるように、記録すべき意義のある情報であるという認識には異議はありませんが、調査が困難であろうことを承知の上で、全首長選挙のデータを収集して市区町村プロフィールのページにまとめ、そのうえで抽出して市区町村雑学のページに掲載することを提案します。
欲を言えば、自治体は首長と議会が、執行機関・議決機関という車の両輪として機能しているので、議員の選挙・議長の就任状況をあわせてまとめらればさらにベストだとは思いますが。

#「『女性』首長」として抽出して(強調して)まとめること自体が、現在の男女共同参画社会において適正かどうかは、再検討する必要があると思います。
[78507] 2011年 6月 7日(火)19:59:1488 さん
市区町村変遷情報 暫定レス
御無沙汰しております。

市区町村変遷情報につきましては、少しずつですが、手元データの整理作業などを続けております。皆様からのご指摘などもたくさんあり、それに対して資料を確認の上での編集・整理作業も同時並行で行っているのですが、如何せん、本当に悩ましい事例が増えており、すぐに行き詰り、ついつい後回しにして、比較的容易な作業の進捗を図る、との悪循環に陥っております。
しかし、そればかりでは何の解決にもならないので、私の積み残している内容をここで一つ、私自身の備忘録をも兼ねて途中経過報告として整理しておきたいと思います。

全体方針資料
[70709][70710][75438][76873][76874][76875] むっくん さん
これらについては、今後とも随時参考とさせていただきます。
既に、市制町村制施行の府県令など、大いに活用させていただいているところです。

北海道町村制度について
[67007][67008][67022][67053][70258] むっくん さん
[67671][67672][70485] 88
[70240][70263] hmt さん
本州以南の各地とは異なった制度の変遷の北海道。より正確に制度史を理解した上での作業が必要です。[73500] 88 でも、
・「明治地方制度成立史」(著:亀卦川浩、S42.12.25第1刷(H3.11.20第3刷)発行、巌南堂書店)
・「北海道町村制度史の研究」(著:鈴江英一、1985.3.25発行、北海道大学図書刊行会)
を読んだ上で制度面の再検証をすると宣言しながら、未だに達成しておりません。
改めて、じっくりと、確認・編集作業にかかりたいと思います。

個々の変遷情報(市制町村制施行時)
[76732][76733][76734][78466][78467][78468][78469][78494][78495][78496] むっくん さん
[78471][78478] hmt さん
[78476] Issie さん
この時期の資料は各種ありますが、本来は根拠である府県令に負うべきです。しかし、印刷技術その他社会事情から、誤りが多いことも事実であり、その都度、必要に応じて他資料の記述内容を採用することもあります。その取捨選択が非常に悩ましいものが多く、私なりに一貫した判断基準をもってあたっているつもりなのですが、編集作業の都度、揺らいでいる面も否定できません。
なんとか、少しずつ進めていきたいと思います。場合によっては、再修正も厭わずに。

個々の変遷情報(市制町村制施行時以外)
[74517] むっくん さん
[75487][75491][76121] 白桃 さん
[76950] hmt さん
[78457] 中島悟 さん
これらも、悩ましいものも多数あります。いくつか例示します。
[74517] むっくん さん (大阪府告示と大阪府公報の発行日との関係(合併等の施行日の判断))へのレスの投稿は、かなり早期から原稿を書いているのですが、過去ログでの議論と矛盾してしまう面もあり、息詰まる要因となっています。何らかの軌道修正が必要となりそうです。
[75491] 白桃 さん (旧大川郡白鳥町の町制施行年月日)の件については、県立図書館で「白鳥町史」と「香川県報」の香川県告示を確認してはいるのですが、これらが矛盾しています。どうやら、施行年月日を変更する告示が出るべきところ、それが行われていない、との判断となるかもしれません。
[78457] 中島悟 さん の件は、少し拝見した限りでもご指摘のとおり修正すべきものもあった一方、原案(既編集)のとおりと取扱いたいもの、また、判断に悩むものもあります。
これらにつきましても、具体的にお示しして、皆様のお知恵を拝借したいと思います。

大都市・区制度
[75507] ニジェガロージェッツ さん
[74517] むっくん さん
[74335][78433] hmt さん
市区町村変遷情報における区制度の記述方法は、全面的に見直しが必要かも、と思っております。「区」と言っても、大都市制度と関連し、また、hmtマガジンの区制度の変遷にもあるように、同じ「区」との呼称でも根拠となる制度が多岐にわたり、また、制度の変更も頻繁です。

また、これに関連してですが、大きな制度改正があった場合、その旨を個別情報ではなく、県別一覧及び日付順一覧で行単位で追加で記載すべきか、考えています。
「○年○月○日 △△△△法施行」
といった表記方法です。
例えば、S22.5.3の地方自治法施行を、市区町村変遷履歴情報 東京都(東京府)のS22.5.3の欄に「○市○町○村 地方自治法施行」と追加し、また、日付順(S22(1947))の5.3の欄にも同様に追加する、ということです。
(東京都はたまたま、同日付けで島嶼町村制も施行されていなかった八丈島(八丈小島)に地方自治法施行 2村設置が行われていますので、これとの整合も必要ですが。)
M22.4.1を初めとして各府県で順次行われた市制町村制施行が、郡区町村制編制法からの移行であり、近世から近代への移行であったと言えるものと同様に、S22.5.3は、従前の市町村は廃置分合はなくそのままの名称であったものの、近代から現代への移行とも言える大きな変更でした([69248] 88 も参照)

さらに、この表記方法をうまく活用できれば、変更種別の枠に捕らわれずに、他の事例でも応用できるのではないか、と思います。
例えば、郡については郡制施行、自治体としての郡の廃止、などを表すことができます。
区については、[65266][72201] 88 のような、区の制度の変遷や、同一時期で同じ「区」という呼称であっても制度(位置づけ)の違いによる区の状況を、簡便に示すことができます。
東京府・東京都の区に関しては、総務省の第27次地方制度調査会第16回専門小委員会資料1(P.14~P.20) (pdfファイル)の(6/7)ページ、ページ番号で言えばp.19にあるような、区の権能の変遷を記すことも可能です。例えば、
「H12.4.1 23区 基礎的な地方公共団体に移行」
と記すこともできます。

市制町村制・廃置分合施行日
[75043] むっくん さん
[76809] oki さん
[77581] 88
現在作業の主となっているものですが、根本が大きく揺らぎかねないところです。
[77581] 88 で私案をお示ししましたが、茨城県・千葉県・静岡県はM22.4.1ではなくそれ以前の廃置分合で間違いはなく、また、宮城県・神奈川県についても、M22.3.31限りで旧町村を終えて翌日のM22.4.1付けで廃置分合を行ったとする「以て」の表現の解釈は、ちょっとやはり無理があるかなあ、とも考えています。

――――――――――――――――――――
暫定版とはいえ、長文になってしまいました。やはり、レスは溜めすぎない方がいいことを実感しております。
順次対応してまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
[77619] 2011年 2月 8日(火)19:41:3088 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時ほか) 小レス
[74516] むっくん さん
いつもありがとうございます。また、溜めこんで遅くなり失礼しました。
◎北海道
■S22(1947).2.11付け 網走市 及び 網走郡 東藻琴村 の発足の経緯について
網走郡 網走町 の一部が分立して 網走郡 東藻琴村 発足、残余の 網走郡 網走町 が 網走市 として市制施行 or 網走郡 網走町 を分割して 網走市 及び 網走郡 東藻琴村 を設置
「総覧」「便覧」・・・網走郡 網走町 を分割して 網走市 及び 網走郡 東藻琴村 を設置
「幕末以降総覧」・・・(変更種別記載なし)
「辞典」・・・網走郡 網走町 の一部が分立して 網走郡 東藻琴村 発足、残余の 網走郡 網走町 が 網走市 として市制施行
ご紹介のあった網走市例規集内のS22.2.8付け内務省告示第26号は、私が普段利用している官報情報検索サービスは、S22.5.3以降が対象であり、今回のS22.2.8付けの情報は確認できておりませんでした。
ご紹介の内務省告示に従い、ご指摘のとおり、「網走郡 網走町 を分割して 網走市 及び 網走郡 東藻琴村 を設置」と判断し、修正しました(網走市網走郡 東藻琴町)。

◎青森県
■南津軽郡 尾崎村の一部 の 南津軽郡 竹館村 への境界変更年月日について M28(1895)._._ or M28(1895).1.22
「総覧」「便覧」・・・(記載なし)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・M28(1895)._._
資料が不足していて詳細は不明なのですが、ご紹介の青森県市町村合併誌に従い、M28(1895).1.22付け境界変更と判断し、修正しました

◎岩手県
■下閉伊郡 岩泉村 が 下閉伊郡 岩泉町 となる町制施行年月日について T12(1923).8.1 or T11(1922).8.1
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・T12(1923).8.1
「辞典」・・・T12(11).8.1
ご紹介の資料に基づき、また、「辞典」の括弧書きとも一致することから、確固たる根拠は不明ですがT11(1922).8.11付け町制と判断し、修正しました

◎茨城県
■久慈郡 高倉村が 久慈郡 天下野村 から分立する年月日について M29(1896).5.20 or M29(1896).5.28
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M29(1896).5.20
しかし、ご紹介のM29.5.28付け茨城県告示第129号 (pdfファイル、9/12)に基づき、M29(1896).5.28付け分立と判断し、修正しました

■S13(1938).6.1付けで 新治郡 藤沢村の一部(大字虫掛)を 新治郡 土浦町 へ境界変更する件について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・(記載なし)
「辞典」・・・新治郡 藤沢村の一部(大字虫掛)を 新治郡 土浦町 へ境界変更
ご紹介のS13.5.31付け茨城県告示第270号 (pdfファイル、6/12)に従い、追加しました

■北相馬郡 井野村 を 北相馬郡 取手町 へ編入する年月日について S22(1947).4.15 or S22(1947).3.15
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・S22(1947).4.15
「辞典」・・・S22.4(3).15
しかし、ご紹介のS22.3.13付け茨城県告示第76号 (pdfファイル、1/2)に基づき、S22(1947).3.15付け編入と判断し、修正しました

◎茨城県・千葉県
■M32(1899).4.1付けで 千葉県 香取郡 金江津村 を 茨城県 稲敷郡 金江津村 へ変更する件について
郡変更 千葉県 香取郡 金江津村 → 茨城県 稲敷郡 金江津村
or
郡変更/境界変更 千葉県 香取郡 金江津村, 印旛郡 豊住村の一部 → 茨城県 稲敷郡 金江津村
「総覧」「便覧」・・・千葉県 香取郡 金江津村 → 茨城県 稲敷郡 に編入
「幕末以降総覧」・・・千葉県 香取郡 金江津村 → 茨城県 稲敷郡 に編入、千葉県 下埴生郡 豊住村の一部 (字田川) を同時に 金江津村 へ境界変更
「辞典」・・・千葉県 香取郡 金江津村 → 茨城県 稲敷郡 に編入、千葉県 下埴生郡 豊住村の一部 を同時に 金江津村 へ境界変更
■M32(1899).4.1付けで 千葉県 香取郡 本新島村の一部を 香取郡 東大戸村 に境界変更する件について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・(記載なし)
「辞典」・・・M32.4.1 香取郡新島村の一部(大字八筋川の一部、大字境島の一部、大字大島の一部、大字三島の一部)を香取郡本新島村に分離・編入(即日県境変更により茨城県稲敷郡本新島村となる)香取郡東大戸村は香取郡本新島村の一部を境界変更
これらにつきましては、ご紹介のM32.2.8法律第4号千葉県茨城県境界変更法律をじっくり読み込み、M32(1899).4.1付けの関連する情報を次のとおり全面的に修正・追加しました。
茨城県
猿島郡 森戸村境界変更猿島郡 森戸村, 千葉県 東葛飾郡 二川村(微)
猿島郡 長須村境界変更猿島郡 長須村, 千葉県 東葛飾郡 二川村(微), 木間ヶ瀬村(微)
北相馬郡 取手町境界変更北相馬郡 取手町, 千葉県 東葛飾郡 我孫子町(微)
北相馬郡 布川町境界変更北相馬郡 布川町, 千葉県 東葛飾郡 布佐町(微)
稲敷郡 金江津村郡変更/境界変更千葉県 香取郡 金江津村(本), 印旛郡 豊住村の一部
稲敷郡 十余島村郡変更/境界変更千葉県 香取郡 十余島村, 神崎町(微), 本新島村(微)
稲敷郡 本新島村郡変更/境界変更千葉県 香取郡 本新島村(本), 新島村(微), 佐原町(微)
千葉県
香取郡 高岡村境界変更香取郡 高岡村, 金江津村(微)
香取郡 東大戸村境界変更香取郡 東大戸村, 本新島村の一部
東葛飾郡 川間村境界変更東葛飾郡 川間村, 茨城県 猿島郡 中川村(微)
東葛飾郡 我孫子町境界変更東葛飾郡 我孫子町, 茨城県 北相馬郡 稲戸井村(微), 取手町(微)

◎栃木県
■足利郡 山前村 及び 足利郡 三重村 の発足の経緯について
M26(1893).4.1付けで 足利郡 坂西村 の一部が分立して 足利郡 山前村 発足、残余の 足利郡 坂西村 がM26(1893).6.1付けで 足利郡 三重村 に改称
or
M26(1893).3.18付けで 足利郡 坂西村 を分割して 足利郡 山前村 及び 足利郡 三重村 が発足
「総覧」「便覧」・・・M26(1893).4.1付けで 足利郡 坂西村 の一部が分立して 足利郡 山前村 発足、残余の 足利郡 坂西村 がM26(1893).6.1付けで分立して 足利郡 三重村 発足
「幕末以降総覧」・・・M26(1893).3.1付けで 足利郡 坂西村 から 足利郡 山前村 及び 足利郡 三重村 が発足(変更種別記載なし)
「辞典」・・・M26.3.1付けで 足利郡 坂西村 から 足利郡 山前村 及び 足利郡 三重村 が分立し 足利郡 坂西村 消滅
■上都賀郡 板荷村 及び 上都賀郡 小来川村 の発足の経緯について
M26(1893).5.1付けで 上都賀郡 板来村 の一部が分立して 上都賀郡 板荷村 発足、残余の 上都賀郡 板来村 がM26(1893).6.1付けで 上都賀郡 小来川村 に改称
or
M26(1893).3.18付けで 上都賀郡 板来村 を分割して 上都賀郡 板来村 及び 上都賀郡 小来川村 が発足
「総覧」「便覧」・・・上都賀郡 板来村 を分割して M26(1893).5.1付けで 上都賀郡 板荷村 発足、M26(1893).6.1付けで 上都賀郡 小来川村 が発足
「幕末以降総覧」・・・M26(1893).6.1付けで 上都賀郡 板来村 から 上都賀郡 板来村 及び 上都賀郡 小来川村 が発足(変更種別記載なし)
「辞典」・・・M26.5(6).1付けで 上都賀郡 板来村 を分割して 上都賀郡 板来村 及び 上都賀郡 小来川村 が発足
■足利郡 葉鹿村 の 足利郡 小俣村 からの分立年月日について M26(1893).6.1 or M26(1893).3.18
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M26(1893).6.1
■塩谷郡 三依村 の 塩谷郡 藤原村 からの分立年月日について M26(1893).6.19 or M26(1893).3.18
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M26(1893).6.1
これらは、ご紹介のM26.3.18付け栃木県告示第42号に従い、いずれもM26.3.18付け分割と修正しました。また、変更種別は、
上都賀郡板来村、塩谷郡藤原村、足利郡小俣村、同郡坂西村ヲ町村制第四条ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ後記ノ通分割ス
と、「分割ス」とあることから、変更後の村名と従前と同じ名称であっても、分立ではなく、いったん当該村を廃止した上での「分割」と判断しました。
上都賀郡 板来村上都賀郡 板荷村上都賀郡 小来川村
塩谷郡 藤原村塩谷郡 藤原村塩谷郡 三依村
足利郡 小俣村足利郡 小俣村足利郡 葉鹿村
足利郡 坂西村足利郡 山前村足利郡 三重村

◎静岡県
■S30(1955).4.1付けで伊東市に編入される村名の一部について 田方郡 対馬村 or 田方郡 対島村
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・田方郡 対島村
単なる入力ミスのようです。官報情報検索サービスでも、ご紹介の総理府告示を確認しました。
よって、田方郡 対島村 と修正しました

◎愛知県
■M22(1889).10.1付け市制町村制施行時 海東郡 大井村 となる従前の村名について 海東郡 大井村 or 海東郡 犬井村
「総覧」「便覧」・・・(記載なし)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・海東郡 大井村
之は前回、[72828]むっくんさん、[73379]拙稿で意見が分かれたところです。
しかし、今回ご紹介の各資料から、時期の特定は困難ではあるものの、明治初期の段階で犬井村から大井村に変更になったことがほぼ確実であると推測されます。当時の廃置分合を記した他文献である新旧対照市町村一覧(和泉橋警察署編、M22、加藤孫次郎)では従前が「犬井村」、大日本市町村名鑑(星野文三編、M26.11、博聞社) では「大井村」と読めますが、そもそもの町村の廃置分合の根拠であるM22.9.24愛知県令第47号が、従前が「犬井村」であることを鑑み、前言を翻しますが、市制町村制施行時に「海東郡 犬井村」から「海東郡 大井村」となったものと判断し、修正しました

■M28(1895).2.25付けで 渥美郡 豊橋町 が 豊橋村 と合併して渥美郡 豊橋町 となる変更種別について 新設 or 編入
「総覧」「便覧」「辞典」・・・(M28.1.25付け・・[69559]拙稿でM28.2.25付けに修正済み)新設
「幕末以降総覧」・・・(変更種別記載なし)
ご紹介のM28.2.25付け(愛知県)告示第20号の表現は、
県下渥美郡豊橋町及豊橋村ヲ合併シ豊橋町ト称ス
です(旧字体は新字体に引用者が置換え)。確かに、「廃し」との文言はありませんが、従前の「豊橋町」「豊橋村」は同格の扱いで差異はありません。また、変更後は「豊橋町ト『称ス』」とあり、これは、編入合併であれば不要な文言です。豊橋町に編入するのであれば、当然に豊橋町の名は存続し、仮に他の町名に変更するのであれば「改称」となり別の手続きを要するからです。よって、変更種別は新設合併とみなし、そのままとしました。ただし、豊橋町・豊橋村の順序は、県告示どおりに入れ替えました。

◎三重県
■北牟婁郡 引本村 が 北牟婁郡 引本町 となる町制施行年月日について M32(1899).2.2 or M32(1899).2.21
「総覧」・・・M32(1899).2.2
「幕末以降総覧」・・・M32(1899).2.2
「便覧」・・・M32(1899).2.2
「辞典」・・・M32.2.2
しかし、ご紹介の郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)と整合が取れていることを重視し、M32(1899).2.21付け町制と判断し、修正しました

――――――――――
ちなみに、私は、県史・県HPの類はあまり信用していません。他文献からの引用・孫引きが多いからです。
ただし、具体的に県令・県告示を転載している場合はかなり信用しますが。
皆さんから情報を頂き、当時の例規が近代デジタルライブラリーその他のHPで閲覧できたり、図書館で根拠となる県令・県告示が掲載された文献を確認できる例も多数になっています。
私としては、極力、根拠そのものを確認して編集することを理想としています。また、市区町村変遷情報の将来構想として、根拠(県令、県告示、自治省告示、勅令、省令等)の日付・番号を明記することを見据えています。
今後とも皆様のご協力を得ながら市区町村変遷情報を発展させてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
[77581] 2011年 2月 2日(水)23:33:3488 さん
市区町村変遷情報 市制町村制施行日と町村の廃置分合施行日との相違について
いつも、市区町村変遷情報をご贔屓にしていただき、ありがとうございます。
最近は調子に乗って、市制町村制施行時の情報を、さらに増殖中です。
ここ1箇月ほどの作業の結果、新潟県・神奈川県・千葉県を完了し、グリグリさんへ一括登録依頼を送付するための少々の作業も完了しました。次の埼玉県も、一通りの作業は完了し、いくつかの確認作業等を残すのみとなっています。

ところが、少し気になる点が出てきました。
市制町村制施行の日と、町村の廃置分合の施行の日が異なる県について、[76874] むっくん さん がまとめていただいています。5県あります。
確かに、御紹介の県令等を見ても、明治22年4月1日施行とは書いていないのですが、一致しないのが不自然との疑念は消えず、「解釈次第で4月1日施行」とはならないか、と思い、改めて県令の文言を読み返してみました。

5町村の廃置分合の県令の冒頭の部分のみを抜粋します。(旧字体は新字体に引用者が置換え)

●宮城県 M22.2.9付け(宮城)県令第8号(宮城)県令第9号(宮城)県令第27号
(宮城)県令第八号 明治二十二年二月九日
管下町村中本年三月三十一日ヲ以テ其区域及名称ヲ更正スルコト別紙ノ如シ
(以下略)

(宮城)県令第九号 明治二十二年二月九日
管下仙台区及宮城郡名取郡中本年三月三十一日ヲ以テ境界ヲ変更スルコト左ノ如シ
(以下略)

(宮城)県令第二十七号 明治二十二年三月三十一日
宮城県管下陸前国登米郡石越村ト陸中国西磐井郡蝦島村トニ係ル飛地ノ所属ヲ組替ルコト左ノ如シ
(以下略)

●茨城県 M22.3.20付け(茨城)県令甲第12号
明治二十二年三月十日(茨城)県令甲第十二号
従前ノ町村ヲ分合シ更ニ区域名称左表之通相定メ明治廿二年三月三十一日ヨリ施行ス
但旧町村名ハ大字トシテ之ヲ存シ飛地ハ其所在地ノ町村ニ編入ス
(以下略)

●千葉県 M22.3.27付け(千葉)県令第18号(jpgファイル)
千葉県令第十八号
本県町村ノ儀別冊之通リ分合改称シ本月三十一日ヨリ施行ス
(別冊ハ別ニ之ヲ頒フ)
明治廿二年三月廿七日 千葉県知事 石田 英吉

●神奈川県 「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83」([75043] むっくんさん、私も同一文献を図書館で借り出して現在は手元に)
県令第九号
各町村ノ内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
明治二十二年三月十一日 神奈川県知事 沖 守固
(以下略)

●静岡県 M22.2.26付け(静岡)県令第18号(静岡)県令第19号
(静岡)県令第十八号 明治二十二年二月二十六日
静岡市区域並市役所位置別記ノ通相定メ明治二十二年四月一日ヨリ施行ス
明治廿二年二月廿六日 静岡県知事 関口 隆吉
(以下略)

(静岡)県令第拾九号
町村ノ内区域、名称、戸長所轄区域名称及役場位置別表之通改定シ他町村内ニ孕在セル飛地ハ一戸長所轄区域内各町村間ノ分ヲ除クノ外悉皆其所在町村ノ地籍ニ組ミ入レ明治二十二年三月一日ヨリ施行ス
但戸長役場位置ノ内直ニ移転シ難キ事由アルモノハ其状ヲ具シ当庁ノ認可ヲ受ケ延期スルコトヲ得
明治廿二年二月廿六日 静岡県知事 関口 隆吉
(以下略)
――――――――――
つまり、「(三月)三十一日ヨリ」と明白な茨城県・千葉県はそのまま。静岡県(町村)も、誤植がないとすれば「三月一日ヨリ」と同じく明白。
宮城県・神奈川県は、「三月三十一日ヲ以テ」なので、「三月三十一日を限り旧町村は打ち切り、四月一日から廃置分合して新町村となると同時に市制町村制施行」と解釈する余地はないか、ということです。

「以て」の意味ですが、
goo辞書(原典は「大辞泉 増補・新装版」(デジタル大辞泉))もっ-て(以て)は、抜粋すると、
1(多く「...をもって」の形で格助詞のように用いて)
(4)くぎり・限界を示す。「これを―終了させていただきます」
とあります。
他にも用例として、「本日の営業は午後7時をもって終了いたします。」のような表現もあり、「以て」は「終期」を示すのではないか、と。

廃置分合の施行日に関わることであり、皆様のお知恵・情報を頂ければ幸いです。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示