[7425] の私の書き込みは、
[7409] ヒロオ さんのご提議に対し、一見ちょっと批判的な物言いになってしまいましたが、
「現23区は異常な状態にある」というご主旨には大賛同なのです。
要は
「都市東京」を如何なる存在と定義し、その行政機構としてどういうものが相応しいか。
もはや単なる現行23区の離合集散では解決できる次元ではないのではないか、ということなんです。
例えば、江戸時代の「本郷もかねやすまでは江戸のうち」、「ご朱引きの内」という時の「江戸市中」の朱引きは、何を基準に判断し、どう行政手続化されたのか。
(参考「かねやす」
http://www.travelsite.co.jp/oedo/001.htm)
・南葛飾郡を下総国のままでは不都合で、武蔵国に変更すべきと考えたのは何故だったのか。
当時、深川、本所、向島はともかく、砂村や小松川村などは、純農漁村であって、市中になったわけではないのに。
しかし、江戸市中を囲むある一定の周縁部のバッファー地帯は、江戸と同様の武蔵国内にすべき、という発想があったからこそ、付け替えが行われたのであろう。
・当初の東京15区の範囲は如何なる根拠で、東京市と定められたのか。
・1932年の周辺部の新20区の編入、35区化は如何なる判断で、行われたのか。
当時渋谷町などは8万人を超える人口を持ちながら市制を敷かなかったのは何故?
(関東大震災の影響は十分考慮しなければなりませんが)
<参考>大昔の書き込みですが
[3327] ゆっさん
・1936年北多摩郡の砧村、千歳村を世田谷区に編入、この判断は、何故、誰が、どのように行ったのか?
・これの裏返しとして、同じ北多摩郡のその他の町村は、何故、その後、市街地の拡大にも関わらず、東京市に編入されることがなかったのか?
この点は瑣末ですが重要で、北多摩郡のこの2村が東京市に入れられたということは、旧豊多摩郡、北豊島郡、荏原郡、南足立郡、南葛飾郡の5郡は東京市にして、「北多摩郡は、府下にしておこう」という発想・判断基準は無かったことを意味します。
・1947年、板橋区を分区したのは何を判断基準に行ったのか?
・1947年、都心部を中心に合区をしたのは何故か?
都府県界は(歴史上も)アンタッチャブルではないですし、
現23区の領域自体、都市の発展とともに変遷・拡大してきたものである。(ある時期まで)
東京市は
1889年 15区にて東京市成立
1932年 20区を加え35区
1936年 北多摩郡砧村、千歳村を世田谷区に編入。現領域に。
1947年 都心部を中心に合区22区に再編。
1947年 板橋区を板橋区と練馬区に分区、23区に。
この間約58年間に以上4回の見直しが行われているが、一方1947年意向は
なんと56年間も、何の変更も加えられていない。
(この間の地域実態の激変については改めて述べるまでもないと思いますが)
単純比較にはなりませんが、横浜市の例を対比してみれば
1889年 横浜市誕生
1927年 鶴見区・神奈川区・中区・保土ヶ谷区・磯子区の5区設置
1939年 都築郡内の9村を編入し港北区に、鎌倉郡内の1町7村を横浜市に編入し戸塚区に。現市域に。
1943年 中区より南区分区
1944年 中区より西区分区
1948年 磯子区から金沢区分区
1969年 南区から港南区分区、保土ケ谷区から旭区分区、港北区から緑区分区・戸塚区から瀬谷区分区
1986年 戸塚区から栄区分区、泉区分区
1994年 港北区+緑区から青葉区・都筑区新設し4区に再編
と18区体制ができるまでにほぼ10年に一度は見直しが行われています。
10年一昔と申します通り、都市の発展と地域行政の見直しが、10年単位くらいでは必要になってくる一例だと思います。
56年間も、その激変にも関わらず、一度も手が入れられていない東京23区は、異常と言えます。
その歴史の前半で出来ていたことが、ある日を境に出来なくなった一因は、「特別地方公共団体」という、異形の自治体となってしまったことも影響しているでしょう。普通地方公共団体であれば出来たことが「特別」であるために出来ない。
その影響度の大きさに比べ、権限が非常に制限されている。
「身長2.2m体重250kgの1歳児」の如き奇形の自治体とでも言いましょうか。「特別」は普通でないということで、良い意味にも悪い意味にもなリ得ますね。
新東京の都市行政を真面目に考えるなら、東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県の都県界を一度完全に廃し、上尾市、さいたま市、上福岡市、所沢市、立川市、府中市、多摩市、町田市、川崎市、横浜市、習志野市、八千代市、船橋市、鎌ヶ谷市、柏市、流山市、吉川市、越谷市、岩槻市、といった範囲に括られる内側を新「東京都」、あるいは新「東京市」とし、その内部は他の道府県の市町村とは違った、新たな発想の行政区分に再編すべき、
残部の東京都は、現行の都道府県制を継続するなら、埼玉県もしくは神奈川県(これは足柄県にでも名称変更必要ですね)に統合、あるいは、両者に分割。千葉県の残部は千葉県として存続。
(野田市、関宿町は、まあ、ご随意に、という感じですが、すみません。)
という感じです。