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地方自治制度 と 自治体の呼び名

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記事数=8件/登録日:2020年5月3日

「市制町村制」と「自治体の呼び名」というタイトルで 2011年に連載した総論的な内容を主とするシリーズです。
情報源関係の第6回[78874]と事例中心の第8回[79048]は別特集に収容してあります。


★推奨します★(元祖いいね)


[78832] 2011年 7月 27日(水)18:02:08【1】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (1)制度と呼び名について
 1990年以降の変遷情報が積み重ねられてきた「市町村合併情報」は、2006年3月に、対象がそれ以前に拡大されることになり、88さんが担当されるようになりました[49902][49915]

2006年12月には リニューアルされて、現在の「市区町村変遷情報」という名になりました[55573]
「昭和の大合併」については、既にこの時よりも前に 軽々と乗り越えていたのですが、明治22年の「市制町村制施行時」に行なわれた「明治の大合併」となると さすがに 手ごわく、多大の歳月と労力とを費やしながら、今月完成したのでした[78755]
市制町村制施行先行して、明治22年3月に行なわれた5県の合併情報も、その直後に追加されました[78761]

[78787] オーナー グリグリ さん
以下の (3)【明治22年(1889年) 4月1日】以降のデータにおいて設置された市町村が、市制町村制施行を基準点とした場合のベースラインとなる市町村を定義するデータであり、現在に至る市区町村の網羅された原データと言えます。
[78790] オーナー グリグリ さん
と書きましたが、原データはすべて市町村であったかという話題です。

日野宿と4駅の存在が指摘され、その後、特に「日野宿」については「日野村」疑惑も出ています[78806]

この問題を考える時、次の3点をわきまえることが必要であると考えます。
(1)法律「市制町村制」により「市制」と「町村制」という2つの「制度」ができたこと。
(2)新しい法律の施行に伴って「自治体の呼び名」が定められたこと。【日野宿か日野村か】
(3)国の「制度」と 府県が定めた「呼び名」とは、(無関係ではないが) 同じものではないこと。

[78797] 88 さん も、この点を認識した上で、次のように発言されています。
------------------------------
「宿」「駅」は、「町」でよいと考えます。(中略)制度上、「市」「町」「村」しかありません。
見た目の名称と、制度上の名称が異なるだけでしょう。
「宿」「駅」については、見た目の名称に捕らわれず、市制町村制という法律上の位置づけで判断すればよいと考えます。
#実は、正直に告白すると、日野宿や箱根駅などが市制町村制上の「村」ではなく「町」であった、という確たる証拠を確認してはおりません。元々、人口が集中した集落であり、「町」であろう、と考えただけです。
これについては、その気になって調べれば、根拠をきちんと確認できると確信していますが。
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「制度」の問題を論ずる際には、法律に付属した 「市制町村制理由」が よりどころになるでしょう。
現実に使われた「自治体の呼び名」の問題は、当時の公式記録に残された自治体固有名の調査が必要です。

本題に入る前に、市制町村制理由 を読み直してみて、気がついたことを一つ。
左61頁4~5行
今前述の理由に依り此区画を以て悉く完全なる自治体と為すを必要なりとす。即府県郡市町村を以て3階級の自治体と為さんとす。

「自治体」と言葉が使われているのですね。「自治体」が明治の法律用語だったとは知りませんでした。
現行法では、憲法第 92条で使われた「地方公共団体」という用語[75012]に従い、地方自治法においても、例えば第2条第3項「基礎的な地方公共団体」というように表記されています[75018]
[78833] 2011年 7月 27日(水)18:16:30【1】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (2)宿駅と称し町と称するもの、村落と同一制度の下に立たしめん
[78832]で挙げた2つの問題のうち、明治21年法律第1号「市制町村制」に基づく「制度」に関する本論です。
市制町村制理由 33コマ右62頁の9~13行目の記載【適当に句読点と改行を入れました。】
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本制に制定する市町村は 共に最下級の自治体にして、市と云い町村と云い 都鄙の別に依て其名を異にするに過ぎず。其制度を立つるの原質に於ては 彼此相異なる所なし。
元来 町と村とは 人民生計の情態に於て其趣を同くせざるものありて、細かに之を論ずれば 均一の準率に依り難きもの なきに非ずと雖も、本邦現今の状況を察し 旧来の慣習に依て 之を考うるに、都会輻輳の地を除くの外、宿駅と称し町と称するもの、施政の大体に於て村落と異同あることなし。
故に 今之を同一制度の下に立たしめんとす。
其施治の細目に至っては或は多少の差異を見ることあるべしと雖も、此等は制度の範囲内に於て、執行者の処分斟酌宜しきを得ると否とに在る可きものとす。
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細かく見れば町と村との暮しは違うが、宿駅とか町とか言っても、施政の大体は村落と変わらないから、同じ制度を適用する。
「制度」として存在するのは、【都会輻輳の地を除けば】「町村制」だけ。
“宿駅と称し町と称するもの”とあるので、制度の名は「町村制」であっても、その対象とする「自治体の呼び名」は、「村」と「町」に限らず、「宿」や「駅」も許容されている と理解することができます。

「同一の制度」の下に立つのですから、[78790]に挙げられた「日野宿、箱根駅、与瀬駅、吉野駅、府中駅」が、制度上「町」であるか「村」であるかを論じる必要はなく、もちろん市制町村制理由にも言及はありません。

[78790]の提案 “「1市22町1宿4駅293村設置」とした方がよいのではないでしょうか” は、変遷情報の中での案内目的の注記に関するものです。これを提案のように「自治体の呼び名」に基づいて記すのか、原案のように「制度」に基づく「変更種別」欄に合わせて記すのかは 編集者の裁量ですが、私としては提案の方がわかりやすいと思います。

個別入力データ「変更種別」については、「呼び名」でなく 法律上の「制度」に基づいて 記されるべきものでしょう。
既に明らかなように、「制度」として存在するのは「市制」と「町村制」だけです。
従って、変更種別欄の記載は、横浜市については「市制」、320町村についてはすべて「町村制」になる筈です。

[78797] 88 さん
見た目の名称に捕らわれず、市制町村制という法律上の位置づけで判断すればよいと考えます。

これは、まことに正論であると思います。箱根駅の変更種別を見た目の名称から「駅制」とすることはできません。
さりとて「町制」を選ぼうとしても、法律には この言葉がありません。
「町制」という言葉は、「市制」「町村制」という法律用語から類推して作られた「俗語」なのではないでしょうか。

現在の地方自治法においては、「市制」という言葉も 附則で使われているだけであり、第8条「市となるべき普通地方公共団体」のような使い方がされています。
しかし、「市制」は 昔の法律以来ずっと使われている言葉であり、市になれば 郡の範囲外になる扱い などの実質的な変化も、現行制度に継続されており、引き続き使用されているのも、それなりの理由があると思われます。

これに比べて、村か町かは「制度上」での実質的な違いがなく、ほぼ「自治体の呼び名」の違いに限られます。
現行法において「町となるべき普通地方公共団体」が「○○村」→「○○町」となる場合の「法律的根拠」に基づく変更種別は、「名称変更」でしょうか?
町村制時代の「○○村」→「○○町」も同様?

なんだかよく判らなくなってきましたが、とりあえず、「町制」「村制」という言葉は、昔も今も法律的な根拠が不確実なのではないか という疑いを記しておきます。

せっかく「市制町村制理由」の「町村制」序論部分を紹介したので、「市制」も記します。
“都会輻輳の地”に施行する「市制」についての序論は、33コマ右62頁13~17、18行目に記してあります。
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然れども都会の地に至ては 大に人情風俗を異にし 経済上自ら差別あり。故に之を分離して 別に市制を建て 機関の組織及び行政監督の例を異にせり。
是固より 町村制と其性質を異にするに非ず。其市民の便益と実際の必要とに出て然らざるを得ざるなり。
即現行の区制に継続する所のものなりと雖も、従来の区は郡の区域を離れずして 行政上別に吏員を置き 事務を処理するに過ぎざりしも、今改めて独立分離せしめ、従来区の下に町ありしも、之を改めて市を最下級の自治体と為さんとす。【中略】
今此市制を施行せんとするものは三府其他人口凡二万五千以上の市街地に在りとす。
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人口25000人以上の都会は、町村と大いに人情風俗が違い、経済力の差もある。そこで、町村制と本質的に異なるわけではないが、「市制」という別制度を作って市民の便益を図る としています。郡区町村制の下でも、郡と別に「区」の行政吏員を置いていたが、今回はその区域の「郡-町」構造を廃止して「市」に改めます。
【中略】の部分は、東京・京都・大阪について三市特例法を設けるという内容です。
[79006] 2011年 8月 8日(月)23:58:53【2】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (2.1)町村制施行後の変更種別 “町に変更”を提案
[78998] 88 さん
「法律」が「市制」「町村制」の2つの法律、「制度」が「市」「町」「村」の3制度、です。
「町村制」は、「『町』という制度」及び「『村』という制度」を規定した法律の名称です。
このため、「町村制」という制度ではありません。

どうやら、「制度」という言葉の 解釈の問題のようですね。
私は、市制町村制理由に記された “故に 今之を同一制度の下に立たしめんとす。”に基づいて
“「町村制」という制度” が作られた ものと解釈していました。
しかし、88 さんの解釈によれば、「町村制」は法律の名であり、その中で規定された「町」や「村」が制度であるようです。

もちろん、1つの法律の中に複数の「制度」を盛り込むことは、あり得ます。
現に、明治21年法律第1号「市制町村制」は、その中に「市制」と「町村制」とが共存します。
しかし、「町村制」の中で「町」と「村」とが別の「制度」として存在した とまで言う価値があるのは、両者の間に 名前以外の実体的な違いがあってこそ ではないでしょうか。私には、その点が疑問に思われます。

M23.8.30法律第77号市町村名及市役所町村役場ノ位置変更ニ関スル件

この法律により、「自治体の呼び名」として 「町」と「村」とが 明確に区別されていたことは 理解できました。
しかし、この法律は「手続規定」であり、市制町村制の実体に影響を及ぼすものではありません。

この法律のタイトル「市町村名…変更ニ関スル件」と 第1条とを比較すると、「市町村名変更」に関して、「市町村ノ名称ヲ変更」と、「村ヲ町ト為シ町ヲ村ト為ス」との2つの態様について 規定されています。
「三本松」という固有部分の変更ではないから 「名称ヲ変更」する手続には該当しないが、「三本松村」から「三本松町」へと「村ヲ町ト為ス」手続は、「市町村名変更」の一種です。
この「市町村名変更」を指して、「『町』という制度」が適用されたのであり、短縮して「町制」と呼ぶのだ と言われるならば、それまでなのですが、私としては、町村制施行後の変更種別として、“町に変更”という表記を提案します。

町と村とを区別することの意味について、グリグリさんの問い掛けに対して、
[78808] むっくん さん は、次のように発言しています。
町と村の権能に特段の差異はないものと考えられ、大きな意味はないものと思います。
しかし市区町村変遷情報に記載する際に、○○町もしくは△△村以外の自治体名であっても変更種別の欄に「町制」もしくは「村制」を書かなければならないという点では、大きな意味があります。日野宿の例で言いますと、(中略)町か村かという実体の「仕分け」作業を強いられます。

確かに、現在の書式では「町制」と「村制」とを区別して記載するようになっています。
しかし、これは 「町村制」 という制度自体が本質的に要求していることではないと思います。
日野宿の場合、例えば“町村制、呼び名は「宿」”と表記して、あえて「仕分け」をしない道もあるでしょう。

普通のケースでは、町村制施行時に成立した○○町は 単に変更種別“町村制”と記せば十分であると思われます。

そして、町村制施行後に行なわれた「○○村→○○町」については、町村制という制度内で行なわれた「町ヲ村ト為ス」市町村名変更処分ですから、変更種別は“町制”でなく“町に変更”と書くのが、実体を反映しているのではないでしょうか。

これに関連して、三多摩移管後に行なわれた 東京府北多摩郡「府中駅から府中町への変更」についても一言。
現在の変遷情報の表記 は、変更種別「改称」となっています。
しかし、既に[65108] 88 さん 記されているように、「改称」の対象となるのは、「町」「村」を除いた「固有名称部分」です。
「改称」は本来は「谷保村→国立村」や「谷保町→国立町」でなく、「谷保→国立」です。「改称」の対象となるのは、正確には「町」「村」を除いた部分です。
これは、「M23.8.30法律第77号市町村名…変更ニ関スル件」の第1条が、「市町村ノ名称ヲ変更」を「村ヲ町ト為ス」と別建てで挙げていることからも、妥当な解釈であると思われます。

「府中駅→府中町」の場合、固有名称部分は「府中」のままですから、「改称」ではありません。
府中駅が「町」として扱われていたのならば、「村ヲ町ト為ス」の類の変更でもないでしょう。
結局、内務大臣許可を必要としない例外的ケースではありますが、改称でも町制でもなく“町に変更”と書くのが、最も適切ということになります。
[78858] 2011年 8月 2日(火)19:34:57【1】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (3)変遷情報収録対象の「市区町村」
[78832][78833]の続きです。

市区町村変遷情報の 北海道 が 更新されました[78845][78854]
改めてこれを拝見しながら、北海道だけの問題ではないのですが、個人的に気になったことを記してみます。

最初に、変遷情報の収録対象となる「市区町村」とは何か、その「変遷」とは何かということです。

現行制度の下における「市区町村」の大部分は「市町村」であり、これは「基礎的な地方公共団体」とされています。
2000年施行の地方自治法改正で、「特別区」が「基礎的な地方公共団体」の仲間入りをしました[75410]
特別区は、それ以前から 区議会を持つ自治体であり、その多くは「市」を上回る規模であるため、東京都では 「区市町村」と呼んでいます。しかし、一般的には耳慣れない言葉[75111]であるようですね。

「市区町村」という言葉が使われるのは、政令指定都市が条例で設ける区【行政区】を含むためでしょう。
政令指定都市の「行政区」は、区議会を持たないことでもわかるように自治体ではなく、行政の都合で設けた区画にすぎません。しかし区役所があり 住所の表記に使われる身近な存在であるため、制度上の違いは別として、「市町村」及び「特別区」と併せて「市区町村」と総称されます。

19都市 170区に及ぶ行政区【データベース検索の一覧表示結果は[75505]にリンク】は、数から言えば23特別区を圧倒しており、そのために 「区」は「市」の下位に置かれて、「市区町村」という表記になるのでしょう。

特別区と政令指定都市の行政区以外にも種々の「区」があり[75425][76149]、その中には法人格のあるものや住所の表示に使われるものもありましたが、あまり一般的でないので、すべて対象外とされています。

「町」という語尾が付いていますが、例えば東京都千代田区「三番町」の類は、「市区町村」に含まれません。
東京市 の市制施行前の町村名に麹町区三番町があるように、昔は郡部の「町」と同列だったのですが、市制施行により「市」の内部になった「町」は、「字」と同類の住所地名として使われるだけです。

1947年現行法になる前の制度は、市制と町村制とが中心でした。その他に、地域や時代により、東京都制・北海道区制・北海道一級町村制・北海道二級町村制・沖縄県及島嶼町村制など種々の制度がありました。これらの制度による「市区町村」は、府中駅の「駅」など異なる字が使われた事例[78790]を含め、現在に準じて変遷情報の対象とされています。

次に、市・区・町・村でないが、便宜上変遷情報の対象に含まれるグループがあります。

「郡」は、地方自治体として機能していた時代がありました。「市制町村制理由」には、「府・県」、「郡」・「市町村」を“3階級の自治体と為さんとす”と記されています。
# 原文[78832]には 3階級を分かつ句読点がありません。便宜上、「市町村」を重視した区分けで記しましたが、規模からすれば「府県」「郡市」「町村」の3階級と記すべきかもしれません。

自治体である「郡」があったのは、法律「郡制」の施行日[62662] から 1923年の「郡会」廃止までです。
その後の「郡」は 行政区画(県の出先機関)になり、それも 1926年に 廃止されました [51042]
昭和になってからも、同一県内にある同名の町村を区別する地理的名称としての機能を果たしていたのですが、現在ではその働きも薄れ、影の薄くなった住所地名です。
こんな具合に浮沈の歴史はあるものの、市町村を包括する広域自治体の役割を果した過去もある「郡」は、「市区町村」の仲間として 変遷情報の収録対象になっています。

北海道の「支庁」は、名前の通り北海道庁の出先機関ですが、これも便宜上変遷情報の収録対象になっています。
もともと明治2年に蝦夷地を北海道にして 11ヶ国を新設し[59112] 、86郡を設けた際には、国郡を行政区画にするつもりだったのでしょう。しかし、90近い郡というのは多すぎました。数郡を管轄していた郡役所は、結局のところ明治30年(1897)の 19支庁に変えられました。現在の「変遷情報・北海道」は、ここから始まります。

「支庁」は、「行政区画」であるという点では、1923~1926年の「郡」や、政令指定都市の「行政区」と共通します。
「北海道」が自治体になった戦後の支庁や現在の9総合振興局+5振興局は、更に行政区に類似した存在です。
数の多すぎた「郡」を、最終的に14区画にまとめた「支庁」は、道内を区分する広域地名として適当であり、地図にも使われて、広く認知されています。

都道府県の支庁 は北海道に限ったものではありません。しかし、「地理的存在」としての性格【例えば地図への表示】が北海道ほどでない東京都島嶼部や山形県の支庁は、準メンバーとしても「市区町村」の仲間入りができません。
[78867] 2011年 8月 3日(水)19:22:56hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (4)市区町村の「変遷」
変遷情報収録対象である「市区町村」の種類【郡・支庁などを含む】[78858]に続き、その「変遷」の意味を探ります。

現在の変遷情報にリニューアルされる直前「市町村合併情報」時代ですが、収録対象とする「変遷」につき、
「都道府県市区町村」(「地方行政組織」と言い換えてもよいかな?)の3要素、すなわち「区域」、「主体」、「名称」の変化に関するものを原則としたらいかがかと考えます。
という意見を記したことがありました[55567]

「名称」の変化についての異論は、あまりないものと思われます。
「区域」の変化について、当時は境界変更の取り扱い方針が未定でした。[55569]では 実例を挙げて、少なくとも「実質的に合併に関与する境界変更」は、普通の廃置分合と同様に収録対象にしたい と論じました。
現在では、88さんにより、重要な境界変更が ほぼ漏れなく収録されるようになっていると思われます。

残る問題は、「主体」の変化であり、これは法令に基づく「制度」の変化とも言えます。

昭和22年5月3日、大日本帝国憲法に代わる「日本国憲法」が施行され、具体的な地方制度も、市制・町村制・東京都制・道府県制という一連の法律に代って制定された「地方自治法」に基づく新制度になりました【例えば[75012]】。
このように、根拠法令が変れば市区町村「制度」が変り、それに基づく「市区町村」の「名称」は変わらなくても、市区町村の「主体」は変化します。

もっと前の北海道の制度についての発言ですが、[55731] 88 さん自身も、同じ言葉【名称】のまま、根拠法令により権能【主体】が異なってくる【つまり、市区町村が変遷する】ことを記しています。
おっしゃるとおり、「区」も「町」「村」も、言葉は同じですが、時代により根拠法令もその権能も異なります。
この変更種別の説明は、十分ではありません。もっと言うと、私自身がまだ頭の中で整理できていません。特に北海道はよくわかっていません。

その後、[65018] むっくん さん からも、町村制の法的根拠などの明示を求める提案があり、[65198] 88 さんの記事は、これに答えるものと理解されます。
いずれの記事にも、全国の市区町村が関係する昭和22年の地方自治法体制への移行についての言及がなされています。
# 「昭和22年の移行」などを変遷情報に反映させることについては、もっと新しい 88 さんの記事があったように記憶するのですが、ちょっと見つからず、リンクすることができません。

「区域」も「名称」も変わらない。しかし、根拠となる法令が変ったために「主体」の変更があった。
このような事例の最たるものと私が考えるのは、1898年10月1日の三市特例法廃止に伴う、三大都市の実質的な誕生です。

この時の「変遷」については、「東京市」について [74320]で記していますが、「京都市」「大阪市」についても同様です。
三市特例法時代には、官吏である府知事が市長を兼ね、市の吏員もいませんでした。
このような「名前だけの東京市」から脱却して、名実ともに具備した「自治体としての東京市」に生まれ変ったのです。
このような思いが、10月1日を 東京市の「自治記念日」とし、現在の「都民の日」に引き継がれているのです。

[74320]では、市の変遷 に 「東京市の実質的な誕生 1898年10月1日」が記録されていないことを指摘したつもりだったのですが、連動元の変遷情報への入力がないと、グリグリさんとしても動けない[74330]ようでした。

88さん、[74833]で 私からも案を提示しています。変遷情報への入力につき ご検討願います。

三大都市の自治権獲得ほど目覚しい事例ではないかもしれませんが、開拓時代の変則的な制度である 北海道二級町村制から、府県における町村制に準じた制度である 北海道一級町村制への「昇格」も、実質的な「自治体の誕生」に近いもので、変遷情報に記録する価値があるのではないでしょうか。

参考までに、北海道二級町村制の下では、町村長は北海道庁長官の任免により、助役は置かれず、町村会も定員が少なく、条例規則の制定権もないなど、公権力による強い統制と保護の下に置かれていました。
「名前だけの東京市」ほど極端ではないにしても、「名前だけの自治体」と言いたくなります。
[78872] 2011年 8月 5日(金)17:56:13hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (5)明治22年 市制町村制施行時 神奈川県の県令
市区町村変遷情報 が 明治22年の 市制町村制施行時に遡り、大きな節目を迎えたのを機に、制度と自治体名 について記しています。
最初に、国が定めた「制度」の問題と 府県が公示した「自治体の呼び名」と、2つの問題があることを指摘し[78832]、前者については「市制町村制理由」に基づく解釈を[78833]で示しました。
続いて、市区町村変遷情報というプロジェクトの柱である「市区町村」[78858]と その「変遷」[68867]について語りました。

2つの問題のうち、「自治体の呼び名」については、当時の公式記録が基本です。
「日野宿or 日野村」の問題について、落書き帳記事から 私が理解するところを [78812]において次のように記しました。
この?県令未確認は、日付だけでなく、新制度における「市町村」の確認をも困難にしている可能性があります。

この「県令」につき、[78871] むっくん さんから 詳細に解説していただきました。
“市制町村制施行時の府県令”と一口に言っても、(1)根拠【制度変更】(2)区域名称変更【廃置分合など】(3)役場位置(4)郡界改定の4種類があるとのこと。
[76874]の 14 神奈川県 について言うと、「?」と記された部分は (1)根拠県令 であり、『神奈川県町村合併誌』に引用された「県令九号」は (2)廃置分合県令 であること。その他に 同日又は近い日付の (3)役場位置県令 の存在が推定されること。よくわかりました。

市制町村制施行日は、未発見の(1)を根拠とするが、当面は『神奈川県史別編3年表』の記載で代用されるとのこと。
問題の「日野宿or 日野村」については、(3)役場位置県令が根拠となるが、少し後の神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」が使えるだろうとのこと。

この資料については、既に[69698][75043]で言及されているのですが、(3)の役場位置県令が出たと推定される3月から 4ヶ月も後の7月の公報になって、改めて「町村名大字役場位置表」が公示されたのは何故なのでしょうか。
この間に、日野宿→日野村の改称があったかもしれない と推測するのは 勘ぐり過ぎ?

ところで、市制施行地の変遷情報に記されている“市制町村制施行前の町村名等”は、その根拠を、上記の県令等に求めることができないのでしょうか。
(2)の明治22年神奈川県令第9号(別冊)町村分合改称表には、当然のことながら 横浜市は含まれていません。
横浜市 を構成した旧町村名は、(1)根拠県令に記載されているのかとも思いましたが、他の市の根拠県令に記された「市制施行地」の表記を見ると、旧町村名ではなく、極めて簡単です。

例えば、明治22年兵庫県令第25号 の記載
本年4月1日より神戸区ならびに飾東郡姫路に市制…を施行す
「神戸区」はともかく、「姫路」とは何だ?と思いましたが、「東京」も「金沢」も同様でした。
行政区画の「○○区」を使わず、ナマの都市名そのもの。これが「都市」を示す一般的な表記のようです。
# もっと前の事ですが、“福井県庁の位置は越前国足羽郡福井に相定候事”という事例[64833]もありました。
# 神戸区の場合は、荒田村・葺合村編入 のためでしょう。
“府下京都市は来る4月1日より市制を施行す”という、よくわからない表記もありました。

本筋の神奈川県「県令」さがしに戻ります。
[78871] むっくん さん
「神奈川県町村合併誌上巻」に記載されているM22県令第9号は明らかな誤りを複数含んでいることもあり、これだけでは信憑性が若干薄れます。
市町村名に関しては(1)ではなくて(3)の県令(もしくは県告示)を見れば確認できます。
当時のいずれの県の公報においても誤記は少なくなく、その後幾度にわたって訂正として出されています。
正確なことを述べるには信憑性の一番置ける資料である神奈川県公報を参照することが必要です。

お説いずれも御尤もです。
そこで、神奈川県立公文書館収蔵資料の検索 から、歴史的公文書の検索で「神奈川県公報 1889」を検索したところ、「第210~308号 明治22年1~12月」がヒットしました。

#京都府在住の私としては次善の策しかとれません。

埼玉県在住の私も、さしあたり二俣川に行く予定はありませんが、3月の公報を調べれば、上記(1)(2)(3)の「県令」を発見できるのではないかという思いがあります。

実は、Issieさんは、とっくに二俣川の神奈川県立公文書館の資料にアクセスして、市町村の変遷・神奈川県 を作成されているのではないかと推測します。
南多摩郡 は 東京都に記載されていますが、1889.4.1は「日野村」(直前は日野宿)となっています。

明治22年神奈川県の「県令」に関する情報をお持ちでしたら、ぜひとも開示して下さるよう、お願いします。

長くなってしまいましたが、神奈川県立公文書館のページを見ていたら、「明治22年 町村制施行順序」の紹介 がありました。これは公布文書ではなく、役所内部の事務マニュアルでしょう。
近代デジタルライブラリー中にも 同じ文言 がありましたが、こちらは 個人の著作物でした。
「施行順序」という法令用語は、明治11年の郡区町村編制法など三新法施行順序でも使われていました[74334]
[78980] 2011年 8月 8日(月)13:17:32【1】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (7)盡信書不如無書 事例研究
2300年以上前の中国の儒学者・孟子が言ったように、情報収集は重要ですが、よく検証しないと問題が起ります。

手近な例を挙げると、[78874]の読み下し文は、常用漢字と句読点を使った“尽く書を信ぜば、書無きに如かず。”です。
しかし、直接原典にあたったわけではありませんが、原文は“盡信書則不如無書”であろうと思われます。成語詞典

字体が問題になる場合には、“尽く…”と書いたのは誤りということになります。
具体例を少し挙げておきます。

市区町村変遷情報における代表的な事例が、下坂本村 or 下阪本村 でした。
おおらかな昔の人は、意図するところが通じさえすれば細かい表記に こだわらなかった と思われますが、この村が大津市に編入された昭和26年(1951)ともなると、「坂本」と「阪本」との違いを 無視することはできない時代 になっていました。

昭和26年の官報には「下坂本村」と記されており、“官報が根拠として大きい”[53887]という判断の変遷情報は、これに従っていました。【昭和26年総理府告示第91号の全文は[54378]に引用されています。】

ところが、沿革を詳細に説いた[53888]によると、明治時代に「上坂本」「下坂本」合併話のもつれから、あえて「下阪本村」という表記を用いたという話など、いろいろないきさつがあったようです。
種々の傍証からすると、[53877]に引用された昭和26年滋賀県告示第124号の“下阪本村…を廃し”を誤記であると 単純に決め付けることはできず、官報の総理府告示の方の誤記も疑われます。その後のやりとりを経て、結局変遷情報の昭和26年は「下阪本村」に訂正されました[54387]

官報の正誤表に訂正は未発見とのことなので、告示の効力が気になりますが、地方自治法第7条第7項による効力発生の対象は、知事が定めて届出た「廃置分合処分」ですから、この処分が滋賀県告示のように“下阪本村…を廃し”となっていたのなら、総理府告示に誤記があっても問題にならないと思われます。

ところで、変遷情報の昭和26年は「下阪本村」に訂正されたのですが、明治22年は「下坂本村」です。
[54378]には官報第一七四七號(明治二十二年四月三十日)が引用されていますが、“ここからは『坂』or『阪』なのかが分かりません。”
明治22年滋賀県令第13号 がリンクされたのは、それよもずっと後の[69698]でした。これによると、町村制施行時に公示された問題の「自治体の呼び名」は「下坂本村」であり、変遷情報の記載と合っています。

明治22年当時は、まだ自治体の漢字表記についてこまかいことは言わず、滋賀県当局としては、「坂本」or「阪本」のいずれでもよいという程度の意識だったのでしょうか?
なにしろ、「巌手郡」と表記された法律が、つい最近まであったくらいです[35710]
でも、その不統一が、変遷情報の中で、明治22年と昭和26年との食い違いになってしまったのは、少し迷惑ですね。

埼玉県大里郡桜沢村の寄居町への編入は、情報の出所による日付の大幅な違いが問題になりました。
落書き帳における その検討過程など 関連記事を、桜沢村 として まとめてみました。

正しい日付は「昭和18年(1943)」であったのですが、変遷情報が参照した5つの文献のすべてと 角川の「日本地名大辞典」とが 明治41年(1908)となっていました。
これだけならば、「誤記と知らずに信じてしまう怖さ」を思い知らされた実例なのですが、落書き帳メンバーの眼力はこの情報を鵜呑みにせず 疑問が提示された結果、変遷情報は正しい日付に修正されました。
[56273] 88 さん
数多くの文献の記載内容の疑義を証する資料(調査結果)がすっと出てくるとは・・・改めて落書き帳恐るべしです。

桜沢村については、町村制施行時(明治22年)、日露戦争後(明治41年)、大正末期と3回もの合併話が不成立に終った後、4度目の正直?、第二次大戦中の有無を言わせぬ戦時合併が実現したのでした。変遷情報をきっかけに関連資料を調べることで、外秩父の桜沢村が置かれた 歴史的・地理的な状況の 一端に触れることができました。

ついでに言うと、『神奈川県町村合併誌』の同類である『埼玉県市町村合併史』は、この桜沢村の件では、正しい「1943年」を記載していました。しかし、全く別件の“北本村存在説”[52478]では、ミスを犯しています。
柿沼村を柳沼村とした誤植[69707]もあり【むっくんさんの写し間違いではありません】、渡良瀬川改修に伴う茨城県・埼玉県の境界変更の脱落【[78789]未記載】など、このような「県の著作物」といえども、数え上げれば いくらでもミスはあるのでしょう。

近代デジタルライブラリーのおかげで、明治の本が読めるようになったのは ありがたいことですが、民間の書物には、更に信用できない例もあります。

[78824] MI さん は、日野宿が 桑田村の中に紛れ込んだ例を示して、次のようにコメントしています。
(前略)信憑性に乏しく思われます。しかしこういう史料もあったという記録にとどめるため、あえてご紹介しました。

[78806] MI さん 紹介の資料から、類例をもう一つ。『神奈川県改定区画傍訓町村名鑑』

一例として、1町2駅6村、合計僅かに 9町村しか記されていない 津久井郡をリンクしておきました。
実際は 24町村ありますが、郡役所所在地の中野村を始め、ごっそり脱落しています。
最初は組合村が脱落したのかと思いましたが、そうでもないようです。
[79070] 2011年 8月 13日(土)14:01:49hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (9)町と村との実体的な違い
[79006] hmtの発言
「町村制」の中で「町」と「村」とが別の「制度」として存在した とまで言う価値があるのは、両者の間に 名前以外の実体的な違いがあってこそ ではないでしょうか。私には、その点が疑問に思われます。
町村制施行後の変更種別として、“町に変更”という表記を提案します。
町村制施行時に成立した○○町は 単に変更種別“町村制”と記せば十分であると思われます。
に対する 88さんのご意見[78998][79058][79059]を拝読しました。

[79058]では、
現在の地方自治法においても、町と村の間に相違はなく、単に名称の相違といっても過言ではありません。
としながらも、第8条第2項を挙げて、町となるためには、都道府県条例で定める要件を具えるべきことを指摘されました。
町となるべき普通地方公共団体は、当該都道府県の条例で定める町としての要件を具えていなければならない。

市となるべき要件(第1項)のように、直接法定された要件ではありません。
しかし、間接的ながらも 法律に根拠を持つ 「町と村との実体的な違い」が、これにより示されたものと理解します。

これは、昭和23年から施行された改正規定です。それ以前については、下記の回答をいただきました。

「町」と「村」の違いは、町村制時においても、現在の地方自治法第8条第2項と同様の規定があるはず、と考えているのですが、発見できていません。これは【内務大臣許可等の】手続きを要することから、何らかの目安となる基準があるであろうこと、また、地方自治法もこれを踏襲したであろうこと、からの私の想像(確信)です。(中略)引き続き探します。

じっくりお探しください。

[79059]
変更種別は、市区町村変遷情報のデータベース構造自体にも大きな影響を与えますので、外観上の表記だけで決定することはできません。グリグリさんとも協議の上、決定する必要があります。

「町制」・「村制」を簡単に変更できない事情があること、了解しました。

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