いつもの通り、十番勝負の感想文です。
今回は皆さん方の出足が早く、まず「最初は待ち」というスロースターターの私にとっては厳しい闘いになりました。
問四~みれん追分 鴻巣~
唯一、最初の採点が出るまでに分かったのがこの問四でした。お題の二つの府中市と、ここまで出てきた解答の流れから、「54回にちなんで1954年に市制」か、と見て「市制施行日・市の誕生日」を市制年月日順に並び変えたらぴったり。ここを取れば領地奪還ができる、人形の町・鴻巣市で。
問五~咲いた 咲いた チューリップの花が~
お題の鹿の字に惑わされそうになりましたが、石巻→牡鹿町、佐世保→鹿町町、養父は八鹿町、「下総国葛飾郡」だった古河市には、旧総和町内に「葛飾」の古い表記の一つであった「勝鹿」(例:
萬葉集→
[97693]参照)という名の村があった、やはり「鹿」だと…。「雑学」の「動物名が付く市町村」を開き、「鹿」の付く現存・過去の市町村リストを見るとやっぱりそうだ。「北陸道四百万石の大大名」EMMさんが強すぎて答えるのが困難な北陸地方にいくつかあったので、その中からチューリップと散居村で名高い砺波市を取ることに。
問十~ここは上州 伊香保の湯~
NGの市としてズラリ並んでいた高知県の4市とお題の土佐市とを地図で見比べて「隣接系」だと気づいたものです。土佐市は県内ばかりで市・町・村すべてと隣接。NGの各市は県外との隣接があったり、市・町・村のうちのいずれかとの隣接がない…。「市町村の隣接リスト」を開き、その中から関東で唯一まだ正答が市2市しかない群馬県から、合併で伊香保温泉が市内に入った渋川市を。ぎりぎり入賞圏の8位に滑り込んだこの問十が、結果的に今回唯一の入賞となったのでした。
問二~茜襷に菅の笠~
お題とここまでの答えの流れから、「2町で新設、または一方の町への編入と同時に市制」か、「1市1町で新設合併」で、かつ「それ以降の合併は現在までなし」と読んだ。「2町で新設」ならまず間違いなし、と踏んで、静岡県西部で「領主」になっている3市からの一択となり、この中で「領地防衛」が最も緊迫している菊川市を取ることに。
後で発表された共通項(
[99768])を見たら、少し違っていたことが判明。でも、結果的には文句なく安全だったのでした…。
問三~百瀬の滝を登りなば~
お題の大津・倉敷・徳島から、まず「現職か、市域内にかつて存在していた市町村に女性首長がいた市」と見たのですが、石岡や西予には旧町村を含めても女性市長がいなかったとわかり、違うとわかった。その後、NGの小田原と福井をHPで見ると、福井は昨年12月に選挙で現職が再選、小田原は5月に行われると出ていた。それからお題と既出解の市をいくつか調べてみて、「今年の1月から4月までに市長選挙があった」という共通項だと。最近見た新着情報に「松本市長が中核市移行を申請」というのがあったのと、その直後に松本市の市長選挙があったのを新聞記事で見たことがあったので、「検索も面倒…」と、以前に正答していた市ではあったが、その松本市を取った。市長選挙の記事を見ると、現職が出ていなかったので、「引退の花道」として中核市宣言をしたのではないか、と…。
問八~ほととぎす 銚子は国のとっばずれ~
これは、直前のなると金時さんの呟き(
[99548])
なんで山口県が多いのかと思ったら
から共通項が分かったものでした。山口県には「萩」「光」と1文字の市が2つあり、ここまで出てきた山口県の3市は
どちらかの市と隣接している。お題と既出解を調べたら、やはり「1文字の市と隣接」だと。ここも「市盗り」から離れて、総領主・まりんぶる~さんが圧倒的に強すぎて答える機会がない千葉県から久々、旭市と隣接する銚子市に。
…ノーヒントで答えられたのは、ここまでの6問。ペースはいつも通りに近かったのですが、今回は「長い冬眠から覚めた?」かつての若手?メンバー達の久々の参戦もあり、順位は軒並み下がったものばかり…。
問一~伊豆の山々 月淡く~
お題が中央市だけという「連想ゲーム」式の問題で、しかも出だしに誤答が続いたこともあり、共通項がどこにあるのかわからぬまま、「火傷」を恐れて手が出せないままずるずる行ってしまった、という状態でした。ようやく、やはり「中央」がキーワードだったとわかったのは、第一ヒントが出てから。「中央町、中央〇丁目、中央区…市役所の住所のどこかに『中央』がある」ということだ。「市役所の住所一覧」を眺めて、想定解数があっていそうだ、と。いくつか候補を考えたが、やはり「ご当地」伊豆から、「天守閣もどき」もある「虚構の世界の水軍の根城?」熱海城の石高を1万石上積み。
この問一では、出題方式を今までの「標準的な形式」にした場合、例えば
問一:横手市、春日部市、市原市、中央市、熊本市(該当しない市:大阪市)
といった設問にしたとすると、また違う結果が出てきたのかもしれませんが…
問六~Over The Rainbow~
お題に面積が広そうな市が並んでいたものの、そうではない市もあり、県別地図を眺めると、市役所が市域の端に寄っている市も多く、最初は「市役所から市域の最遠地点までの距離が最も遠い市」といった漠然とした共通項を考えたが、高松市がNGとなってこれではないと…。いろいろと地図を眺めているうち、ここまで出てきた市には「東西に細長い」市が多く、どうやら「市域の東西両端の距離が県内で最も長い」ということだ、と。「島」の存在が影響する市もいくつか出てきたので、ここもやはり「市盗り」は意識せず、確実そうなところを取ることにした。答えることが少なかった九州から、佐賀県で東西が最も長いことが容易に読めた唐津市を。
問九~出会いはスローモーション~
第一ヒントではわからず、第二ヒントが出てから解答ラッシュ。アナグラムを解いて「隣に負ける」。ここまで出てきた市を見ると、「隣接する全ての市町村より人口が少ない」と見えてきた。NGに出ている全国人口最少市の歌志内市は、隣接する上砂川町よりはまだ人口が多い。「東京都(実質は三多摩)の初代領主狙い」もあり、この手の市が多そうな都内を見て、該当している市の中から、まだ答えていない清瀬市を。
問七~果てしも知らぬ平原に 相模の流れせせらぎて~
最後までどこに共通項があるのかさっぱり見えず、最も苦戦を強いられたのがこの問七でした。第一ヒント「美瑛町」でもわからず、第二ヒントが「美しい村」と解け、まず「市域に『美』が付く村があった」と見て変遷情報を調べたものの、どうも違うようだ、と分かって行き詰まり。第三ヒントの「景」の文字が出て、まず「美しい村連合」がヒットしたので見たところ、確かに美瑛町もあったものの、「現存する町村」(一部には過去にあった村もありましたが)が対象、と分かって「これは違う」と。結局、「農村風景」だろうとみて、「農村」「美」「百景」「百選」などいろいろなキーワードや文字をいくつか組み合わせてみて検索したところ、ようやくそれらしいページにたどり着いた。その中に、地元となった相模原市の「水郷田名」があった…。この問での順位は24位。こんな低い順位での解答は随分と久しぶりでした…。引っ越し直前の前々回の問六で相模原市を答えたとき
「市盗り」狙いに来ることはまずないでしょう
と書いたのですが、今回もここで答えても「市盗り」にはつながらないので、ここまで「迷走」した「自責」の念に駆られたことから、そうした意味も含めてもう一回相模原市を答えることにしたのでした…。
ここでようやく全問お手付きなしでゴールとなりましたが、総合着順こそ14位と前回より若干UPしたものの、入賞は1問だけ、大半は10位台後半から20位台に甘んじる結果となりました。また、今回は、「市盗り」にはあまり絡まなかったような問が多かったこともあり、「市盗り」を意識せず、新規解答の市を選んだのが10問中5問、既回答だった市でも「市盗り」を特に意識しなかった問もあり、「領地」の得失はそれぞれ1市ずつにとどまり、ほぼ現状維持の形に終わりましたが、長らく「潜伏」していたメンバーの復活も相次ぎ、気力と体力の衰えもあり、今後ますます厳しい闘いになりそうです…。
♭今回の選曲は次の通り。
問四:昨年秋の「クイ図五番勝負」の問二と同じ(
[98731])。
問五:砺波市の観光名所・チューリップ公園は。例年ならこの時期観光客で大いににぎわっているのですが、今年は疫病の蔓延で訪れる人もなく、一面の花だけがひっそりと咲き誇って、寂しげな風景です…。
問十:伊香保温泉には、泊ったことはないのですが、20数年前に榛名山・榛名湖を訪れたときに、石段街の麓のほうにある立ち寄り湯で一風呂浴びたことがあります。
問二:前回の問三と同じく、この地方のこの季節にふさわしい「茶摘み」の歌詞からですが、「アカネダスキ」だの「スゲ笠」だの、今の子供に聞いても「知っている、見たことがある、イメージが湧く」という人は果たしてどのくらいいるのでしょうか?
問三:信州松本で最も多い名字は、「百瀬」さん(
[65508],
[65528] ryoさん)。この問を答えた日がちょうど5月5日だったので、それにちなんで、「甍の波と雲の波」で始まるほうの「鯉のぼり」の、2番の歌詞の歌いだしから。
問八:説明の要はありませんが、千葉県で2番目、昭和1桁市制のこの古参市の凋落ぶり、心細くなります…。
問一:例によって、超ワンパターン、私のカラオケ十八番(嘘)。
問六:唐津市の観光名所、日本三大松原の1つにも数えられる「虹の松原」にちなんで、ミュージカルの名曲を。
問九:80年代のアイドル全盛期、一大地位を築いた中森明菜は、この清瀬市出身。デビュー曲はこんなメロディーだったように…(その当時はそれほど注目されなかったようですが…聞いたことは何度かありました)
問七:前々回・問六(
[98502])と同じく、東海大相模高校の校歌より。その歌いだしです。学校が創立した昭和38年頃の相模原市の人口は、ようやく10万人の大台を超えたばかり、まだ歌詞にあるような広大な平原と相模川の清流がのどかな田園風景を醸し出していたことが想像されますが、「美しい村の風景」に取り上げられていた「水郷田名」の農村風景は、今では急速な宅地開発でその面影を消し、近くの「高田橋」界隈で行われていた
「鯉のぼり」のイベントも、職人不足などもあって、疫病蔓延が深刻になる以前に行事自体が今後も取りやめ、ということになりました。