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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[81075]2012年7月12日
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[80480]2012年4月1日
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[80385]2012年3月8日
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[80384]2012年3月8日
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[80377]2012年3月4日
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[80371]2012年3月4日
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[80370]2012年3月4日
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[80369]2012年3月4日
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[80368]2012年3月4日
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[80367]2012年3月4日
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[80366]2012年3月4日
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[80347]2012年2月28日
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[80339]2012年2月26日
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[80336]2012年2月26日
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[80334]2012年2月25日
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[80328]2012年2月24日
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[80326]2012年2月24日
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[80325]2012年2月24日
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[80324]2012年2月24日
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[79623]2011年11月12日
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[79620]2011年11月11日
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[79614]2011年11月10日
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[79611]2011年11月8日
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[79607]2011年11月6日
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[79597]2011年11月3日
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[79581]2011年10月30日
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[79577]2011年10月29日
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[79333]2011年9月12日
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[79332]2011年9月12日
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[79331]2011年9月12日
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[81075] 2012年 7月 12日(木)18:09:14【2】YT さん
人口・町数など
[81073] 白桃さん
1.「市街名邑及び町村二百戸以上戸口表」に記載されている人口の出典元はどこなのか・・・「共武政表」に続く「徴発物件一覧表」なのでしょうか?

明治20年版の『徴発物件一覧表』には名邑毎の人口は掲載されてなく、戸長役場の管轄毎の人口が載っています。『共武政表』を含め、これらの人口の出典元は、内務省が把握しているはずの戸籍人口でしょうが、オリジナルの統計が残っていないために、『共武政表』の方に詳しい情報が残ったというのが実情でしょう。ただ残念なことに『明治八年版の共武政表』は明治5年~明治7年の本籍・現住人口が適当に採用されています。また『徴発物件一覧表』の方は明治16年度から始まりますが、

明治16年度版:明治16年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治17年度版:明治17年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治18年度版:明治18年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治19年度版:明治19年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治20年度版:明治19年12月31日調の、戸長役場所在地別人口を掲載

明治16年~明治19年に関しては、町村レベルでの人口は掲載されていません。また掲載されている人口は現住人口のようなのですが、内務省統計局の戸口表と数字がずれています。明治20年版の徴発物件一覧表は、戸長役場の管轄区毎の人口という点で、内務省の統計である『日本帝国民籍戸口表. 明治19年12月31日調』よりも情報が多いはずなのですが、数字がずれています。詳しい比較を行っていませんが、『地方行政区画便覧』と同じで、まとめた人間はそれほど人口の定点観測には注意を払っておらず、明治20年年末の数字が入手できたらそれで置き換えてしまっていたりしているのでしょう([69010]参照)。

2.「日本地誌提要」には町村数が載っていますが、市町村制度が発足する以前に、どこが町で、どこが村かという規準と町村の一覧表というのがあったのでしょうか。

町村数に関しては、過去にokiさんが[58109]でまとめられています。例えば陸中国磐井郡は、『天保郷帳』では86村、『日本地誌提要』では86村1町となっていますが、内務省地理局編纂物刊行会編『内務省地理局編纂善本叢書:明治前期地誌資料』収録の『明治前期全国村名小字調査書』 (1986-1987年)(むっくんさんの紹介[54378] )収録の「水沢県管下各区並村名調」では全て「村」と称し、西磐井郡(第八大区)、東磐井郡(第九大区)合わせて合計87村となっています。

大区小区村数
第八大区一小区7
第八大区二小区7
第八大区三小区5
第八大区四小区8
第八大区五小区5
第八大区六小区9
第八大区小計41
第九大区一小区8
第九大区二小区3
第九大区三小区11
第九大区四小区6
第九大区五小区2
第九大区六小区4
第九大区七小区5
第九大区六小区3
第九大区九小区4
第九大区小計46
第九大区合計87

このうち第八大区四小区八ヶ村の内訳は、鬼死骸村、一関村、二関村、三関村、下黒沢村、上黒沢村、山目村、赤荻村で、これらは明治7年5月中の状況を記しています。

一、本書は、明治七年五月二十七日、内務省地誌課が各府県に村名の調査を命じ、これを受けて各府県から提出された「各府県村名調査報告」と、明治十四年十一月二十六日、内務省地理局が各県へ宛てて町村の字小名を照合した「各町村字小名取調調」「各町村字名称調」等のうち現存するものを収録するものである。

一、明治七年の達によって提出された調査書は同年五月三十日までの期提出期限を定められたが、二十三県については五月中に提出され、あとはおおむね同年十二月迄に提出を終えている。但し、栃木、三重、宮城の各県は翌年一月、浜田県は翌年二月になって提出している。

ところで町村数を調べていくうち、確か『明治前期全国村名小字調査書』の解説の中で引用されていた亀掛川浩『明治地方自治制度の成立過程』(1955年)を読んだところ、以下の表を見つけました。

(一) 町村編制の変化 大村文書中にある「明治七年―十九年町村合併分離調」によれば、左表に示すごとく、明治八年頃から斬減してきた全国町村数は、十一年頃からほぼ安定していたのが、十九年にいたって多少の減少を示している。

表は左から年次、合併の旧町村数/新町村数/差引減町村数、分離の旧町村数/新町村数/差引増町村数、新設の増町村数、合併・分離・新設を合計した差引増減町村数、年末現在での町村数です。

年次旧町村数新町村数差引減町村数旧町村数新町村数差引増町村数増町村数差引増減年末現在数
明治7年20571134121-13378,280
明治8年3,3479822,3651735189-2,33875,942
明治9年4,2161,5342,6821335225-2,65573,287
明治10年1,9267261,2002257358-1,15772,130
明治11年754270484228765-41971,711
明治12年5272113167533025514-4771,664
明治13年13457774116712625171,715
明治14年27499175106333227146671,781
明治15年152638995337242716071,941
明治16年304882166720714020-5671,885
明治17年5325281542274371,888
明治18年24791156267145111071,888
明治19年1,0291588712469455-82171,067
合計13,1684,3758,7935241,7721,248199-7,346

計算上は、明治6年年末の時点で7万8413の町村が存在したことになります。

残念ながら、大森文書の肝心の原本には目を通せていない状況ですが、明治初期の町村数の変遷を知る上で参考になるでしょうか。

【追記】大森文書について、図書館の検索を中心に以前調べましたが、先ほど
改めてgoogleで検索したところ、

梅村 又次 『松方財政と殖産興業政策』 (1983年)

ところで,明治初期の町村分合に関する全国的統計としては「明治七年――十九年町村合併分離調」(大森文書)が著名だが,「大森文書」による1874(明治7)年の町村合併による町村数の減少134カ町村は井戸の調査による旧筑摩県の243カ町村よりもはるかに少ないことからみてこれは信頼しがたい31).

31) 井戸庄三「明治初期町村分合に関する二,三の問題―長野・山梨両県を中心として」,『人文地理』18巻4号,1966年,28ページ.

井戸庄三, 『明治地方自治制の成立過程と町村合併』(pdf), 人文地理, 21(5), pp. 29-53 (1969年)
その数値にやや疑問があるが,『大森文書』の「明治七年~十九年町村合併分離調」によれば,全国の町村数は明治7年に78,280町村であったのが,明治10年には72,130町村になり,6,150町村の減となっている。

ということで、上の数字は信頼が低いもののようです。
[81068] 2012年 7月 10日(火)00:59:34【2】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (10)
旧国郡/島間切数村数郡村石高帳間切数村数町数日本地誌提要共武政表人口
薩摩国鹿児島郡2525130,085.91174089,374
薩摩国谿山(谷山)郡88112,691.71797021,087
薩摩国給黎郡8129,653.00647021,554
薩摩国頴娃郡71411,060.16994015,676
薩摩国河辺(川辺)郡3538231,056.12876071,277
薩摩国阿多郡202318,390.70511025,207
薩摩国日置郡535546,930.25687069,013
薩摩国薩摩郡2831141,426.71124033,052
薩摩国伊佐郡5046148,225.79866031,720
薩摩国出水郡3939244,959.84667042,735
薩摩国高城郡1011112,866.19167016,912
薩摩国甑島郡14143,580.39394015,172
薩摩国揖宿郡1217212,556.66049023,562
薩摩国十三郡309323,483.00000033311323,483.502510323,483.499530476,341
薩摩国大島1312917,200.065980713417,200.065980
薩摩国喜界島63010,836.61282063010,836.612820
薩摩国徳ノ島(徳之島)64215,820.83065034415,820.830650
薩摩国与論島262,413.485950262,413.485950
薩摩国沖永良(沖永良部)島3386,522.3966203386,522.396620
薩摩国属島(州南諸島)3024552,793.3920202125252,793.392020
薩摩国合計30554376,276.3920202158511376,276.894530323,483.499530476,341
薩摩国不一致000.0000000000.000000-12,856.187670101
薩摩国総計30554376,276.3920202158511376,276.894530310,627.311860476,442
※明治5年~明治8年当時、州南諸島(奄美群島)は薩摩国扱いであった。『共武政表』は州南諸島の統計を欠く。
※『郡村石高帳』の薩摩国十三郡の郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の薩摩国石高総数は概数であり、『共武政表』の薩摩国十三郡郡別石高合計32万3483石4斗9升9合5勺3才とほぼ等しく、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の薩摩国十三郡石高総計・人口総計は、郡別石高合計・郡別人口と異なるが、その差は『共武政表』の大隅国の郡別石高合計・郡別人口合計と石高総計・人口総計の差に等しく、集計上の問題と推測される。
※『日本地誌提要』の薩摩国十三郡石高総計は『地理局雑報』の石高と一致するが、『地理局雑報』の奄美群島の石高3万2828石7斗とは異なる。
※『共武政表』の薩摩国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口58万6324人から州南諸島本籍人口10万8426人を減じた薩摩国十三群本籍人口47万7898人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
壱岐国壱岐郡67117,796.38900017,614
壱岐国石田郡59115,057.49600015,315
壱岐国合計126232,853.88500032,929
壱岐国不一致000.0000000
壱岐国総計2232,853.885000126232,853.88500032,853.88500032,929
※『郡村石高帳』の壱岐国の郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の壱岐国石高総数は『共武政表』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の壱岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の壱岐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
対馬国上県郡529,670
対馬国下県郡62120,080
対馬国合計114129,750
対馬国不一致000
対馬国総計1105,818.116000114129,750
※『郡村石高帳』の対馬国石高総計は麦高。
※『地理局雑報』の対馬国石高総計は空欄で、『日本地誌提要』の石高は不詳とある。
※『共武政表』の対馬国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口2万9740人とほぼ等しい。

※『共武政表』は琉球国の記載が無い。以下『天保郷帳』の石高を記載する。
旧国郡/島村数郡村石高帳間切数村数町数日本地誌提要天保郷帳
琉球国沖縄島62,199.000000
琉球国沖縄島 中頭11189
琉球国沖縄島 島尻15162
琉球国沖縄島 国頭9134
琉球国恵原屋(恵平屋)島541.600000
琉球国伊是那島750.200000
琉球国伊恵島3,643.000000
琉球国計羅摩(慶良間)島29203.000000
琉球国戸無島45.100000
琉球国粟島727.400000
琉球国久米島2193,677.700000
琉球国先島1087
琉球国宮古島12,458.792420
琉球国八重山島6,637.321060
琉球国合計4960094,230.700940
琉球国不一致000.000000
琉球国総計94,230.7009404960094,230.70094094,230.700940
※『郡村石高帳』の琉球国の島別村数、島別石高は不明だが、『郡村石高帳』の琉球国石高総数は『日本地誌提要』、『天保郷帳』の石高と一致し、島別石高に関しては『天保郷帳』の島別石高で補間可能である。
※『地理局雑報』の琉球国石高総計9万4230石7斗1合。
※琉球国の明治6年2月1日調本籍人口は16万6789人。

これらの石高の実態について、明治7年の『府県物産表』における米の収穫高、農林水産業・鉱工業生産高や明治9年~15年の『全国農産表』における米の収穫高・農産高との比較を次回まとめようと思います。
[81067] 2012年 7月 10日(火)00:57:37【1】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (9)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
豊後国国東郡118181,138.60490088,735
豊後国速見郡59359,139.33096057,774
豊後国大分郡142271,464.15111098,833
豊後国海部郡167360,961.601150146,311
豊後国直入郡68150,357.25907040,150
豊後国玖珠郡26130,201.54883021,891
豊後国日田郡50133,076.88441050,261
豊後国大野郡162172,845.03691061,505
豊後国合計79213459,184.417340565,460
豊後国不一致000.0000000
豊後国総計459,184.41734079213459,184.417340459,184.417340565,460
※『郡村石高帳』の豊後国の国郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の豊後国石高総数は『共武政表』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の豊後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の豊後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
筑前国遠賀郡8554,956.34987094354,956.34987048,326
筑前国宗像郡6256,306.4522406256,306.45224037,411
筑前国鞍手郡6860,628.83284069160,628.83284041,294
筑前国穂波郡6138,103.41077061138,103.41077021,657
筑前国嘉麻郡6346,349.64586064146,349.64586022,264
筑前国上座郡3425,596.6380003425,596.63800025,392
筑前国下座郡4321,436.2826604321,436.28266012,994
筑前国夜須郡5240,286.56963052240,286.56963028,865
筑前国御笠郡5837,512.69700057137,512.69700020,741
筑前国粕屋郡8562,854.03270085162,854.03270036,875
筑前国席田郡99,899.32907099,899.3290702,504
筑前国那珂郡7042,611.35544077142,611.35544061,333
筑前国早良郡5345,153.32008053245,153.32008038,252
筑前国志摩郡4844,058.2706405144,058.27064023,015
筑前国怡土郡6547,651.44860063147,651.44860020,252
筑前国合計856633,404.63540087414633,404.635400441,175
筑前国不一致00.000000000.0000000
筑前国総計856633,404.63540087414633,404.635400633,404.635400441,175
※『共武政表』の筑前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の筑前国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
筑後国生葉郡5926,882.99000057126,882.99000026,856
筑後国竹野郡8922,875.1200008722,875.12000020,646
筑後国山本郡3016,559.7000003016,559.7000009,512
筑後国御原郡3633,304.90000036133,304.90000014,920
筑後国御井郡7256,528.33000051156,528.33000043,617
筑後国上妻郡11579,479.484000115179,479.48300069,864
筑後国下妻郡3729,921.4740003729,944.90500014,845
筑後国三潴郡164140,130.0630001623140,243.15800089,084
筑後国三池郡7253,071.81265070153,125.28265035,947
筑後国山門郡11577,989.029000110277,958.36800068,365
筑後国合計789536,742.90265075510536,902.236650393,656
筑後国不一致00.000000000.0000000
筑後国総計789536,742.90265075510536,742.902650536,902.236650393,656
※『郡村石高帳』の筑後国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致する。
※『地理局雑報』の筑後国石高45万9184石4斗1升7合は、豊後国の石高と一致し、明らかに誤写である。
※『共武政表』の筑後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
肥前国基肄郡2112,776.0996008,422
肥前国養父郡4419,612.69160021,216
肥前国三根郡3412,826.0251009,686
肥前国神崎郡15841,936.35070036,232
肥前国佐嘉(佐賀)郡352485,677.199200100,274
肥前国小城郡138241,137.96660046,512
肥前国松浦郡7997205,741.252250138,093.445000286,301
肥前国杵島郡16967,169.72813072,893
肥前国藤津郡116133,033.06100056,153
肥前国彼杵郡510981,675.622000220,867
肥前国高来郡281667,932.516000216,242
肥前国合計2,62229601,870.7049301,074,798
肥前国不一致0067,647.807250-30,081
肥前国総計1,476365,416.6362702,62229685,117.597620669,518.5121801,044,717
※『郡村石高帳』の肥前国の郡別村数、郡別石高は不明。
※『日本地誌提要』の肥前国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『郡村石高帳』の肥前国の石高は地米31万9700石2斗6升1合3勺5才を含まない。地高の郡別内訳も不明である。
旧国地米加算前石高地米地米加算後石高
肥前国総計365,416.636270319,700.261350685,116.897620
※『共武政表』と『旧高旧領取調帳』の石高を比較すると以下の通りである。
旧国共武政表旧高旧領取調帳石高差
肥前国基肄郡12,776.09960012,776.0996000.000000
肥前国養父郡19,612.69160017,901.354600-1,711.337000
肥前国三根郡12,826.02510014,537.3621001,711.337000
肥前国神崎郡41,936.35070041,936.3507000.000000
肥前国佐嘉(佐賀)郡85,677.19920095,677.44020010,000.241000
肥前国小城郡41,137.96660041,137.798600-0.168000
肥前国松浦郡138,093.445000216,163.76264078,070.317640
肥前国杵島郡67,169.72813067,773.728130604.000000
肥前国藤津郡33,033.06100033,033.0610000.000000
肥前国彼杵郡81,675.62200082,565.274930889.652930
肥前国高来郡67,932.51600067,942.4977509.981750
肥前国合計601,870.704930691,444.73025089,574.025320
肥前国不一致67,647.8072500.000000
肥前国総計669,518.512180691,444.73025021,926.218070
※『共武政表』の肥前国養父郡本籍人口1万1216人は明治13年1月1日調本籍人口1万9750人、明治12年1月1日調三養基郡本籍人口4万3009人との比較から2万1216の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国佐賀郡本籍人口9万0274人は明治12年1月1日調本籍人口1万0770人との比較から10万0274人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国松浦郡本籍人口27万6301人は、明治12年1月1日調東西松浦郡本籍人口13万0949人、明治12年1月1日調南北松浦郡本籍人口17万0564人、明治5年旧暦1月29日調肥前国内佐賀県本籍人口47万6983人、明治5年旧暦1月29日調肥前国内長崎県本籍人口59万7477人との比較から、28万6301人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国人口総計104万4717人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口107万4460人と比べて約3万人ほど過少であり、107万4717人の可能性が高い(養父郡・佐賀郡・松浦郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
肥後国天草郡9025,661.051700132425,661.051700163,662
肥後国蘆北郡20421,023.699190261221,023.69919045,398
肥後国球麻(球摩)郡4064,787.232360415164,787.23236053,660
肥後国八代郡9662,985.400160304162,985.40016072,852
肥後国益城郡389193,985.3816501,0152193,985.381650126,401
肥後国上益城郡616198,327.07294064,350
肥後国下益城郡399195,658.30871062,051
肥後国宇土郡6435,794.852370193135,794.85237037,400
肥後国飽田郡18272,409.231830345372,409.231830125,706
肥後国詫摩郡5932,101.57889088132,101.57889031,446
肥後国合志郡10451,839.052030167251,839.05203035,232
肥後国山本郡6326,654.640360123226,654.64036018,170
肥後国玉名郡227110,614.9157205794110,614.915720109,906
肥後国山鹿郡9651,007.204040379251,007.20404042,845
肥後国菊池郡8129,572.275480200129,572.27548025,502
肥後国阿蘇郡21572,800.537130783272,800.53713062,207
肥後国合計1,910851,237.0529104,98428851,237.052910950,387
肥後国不一致00.000000000.0000002
肥後国総計1,910851,237.0529104,98428851,237.052910851,237.052910950,389
※『共武政表』の肥後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の肥後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
日向国諸県郡140167,956.6653501502167,956.665350116,243
日向国宮崎郡3139,982.61362034139,982.61362026,490
日向国那珂郡80107,588.093980803107,588.09398076,941
日向国児湯郡5259,651.35248053259,651.35248051,413
日向国臼杵郡7342,963.63122077242,963.631220111,023
日向国合計376418,142.35665039410418,142.356650382,110
日向国不一致00.000000000.0000000
日向国総計376418,142.35665039410418,142.356650382,110
※『共武政表』の日向国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の日向国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口38万2564人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
大隅国菱刈郡151417,083.3335807,687
大隅国桑原郡313322,730.39935013,978
大隅国姶羅郡4139142,141.17108030,967
大隅国囎唹郡3845375,166.08784057,479
大隅国肝属(肝付)郡4043164,787.26608041,302
大隅国大隅郡4647230,075.10589042,093
大隅国熊毛郡18159,810.37889018,949
大隅国馭謨郡13181,569.5479207,107
大隅国合計2422547263,363.290630219,562
大隅国不一致00012,856.187670-101
大隅国総計242261,793.7427102547261,793.742710276,219.478300219,461
※『郡村石高帳』の大隅国の郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の大隅国石高総数は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の大隅国石高総計から大隅国馭謨郡石高1569石5斗4升7合9勺2才を除した石高とも一致しており、大隅国馭謨郡の石高を含む大隅国石高は『共武政表』の石高であり、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の大隅国石高総計・人口総計は、郡別石高合計・郡別人口と異なるが、その差は『共武政表』の薩摩国十三郡の郡別石高合計・郡別人口合計と石高総計・人口総計の差に等しく、集計上の問題と推測される。
※『共武政表』の大隅国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口22万0578人とほぼ等しい。
[81066] 2012年 7月 10日(火)00:54:55YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (8)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
安芸国沼田郡4225,941.93490045125,941.93490098,322
安芸国佐伯郡8539,540.56850086139,540.56850096,337
安芸国豊田郡8858,944.20220090258,944.202200100,034
安芸国山県郡7431,639.6630007431,639.66300054,084
安芸国高宮郡3617,923.64200035117,923.64200032,139
安芸国賀茂郡9057,857.0100009257,857.010000101,376
安芸国安芸郡4838,986.1605005038,986.160500131,797
安芸国高田郡5943,836.30600059143,836.30600059,213
安芸国合計522314,669.4871005316314,669.487100673,302
安芸国不一致00.000000000.0000005
安芸国総計522314,669.4871005316314,669.487100314,669.487100673,307
※『共武政表』の安芸国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の安芸国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口67万3301人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
周防国大島郡2235,453.579500332135,453.57950080,429
周防国都濃郡48104,332.3602704853104,332.36207080,762
周防国佐波郡4090,230.635820497290,230.63582066,799
周防国玖珂郡112122,720.1453803442122,720.145380122,543
周防国吉敷郡34111,624.2115004671111,624.21150078,556
周防国熊毛郡4187,799.282710518287,799.28271069,643
周防国合計297552,160.2151802,64311552,160.216980498,732
周防国不一致00.000000000.000000-50,000
周防国総計297552,160.2151802,64311552,160.215180552,160.216980448,732
※『郡村石高帳』の周防国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の周防国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口と一致し、『共武政表』の周防国人口総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
長門国豊浦郡152141,364.9685403103141,364.968540101,206
長門国大津郡2047,734.022000293147,734.02200037,254
長門国美祢郡2467,292.02600042567,292.02600031,307
長門国厚狭郡3195,714.59680024195,714.59680053,076
長門国見島郡21,308.69900031,308.6990001,833
長門国阿武郡59104,729.1775509593104,729.177550106,652
長門国合計288458,143.4898902,2317458,143.489890331,328
長門国不一致00.000000000.0000000
長門国総計288458,143.4898902,2317458,143.489890458,143.489890331,328
※『共武政表』の長門国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の長門国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
紀伊国伊都郡16238,032.878810160138,032.87881052,000
紀伊国那賀郡25791,117.964360256191,117.96436070,302
紀伊国名草郡15088,889.648900157288,889.64890097,444
紀伊国海部郡5926,244.4962006226,244.49620073,761
紀伊国有田(在田)郡13747,333.262600140147,341.44590055,809
紀伊国日高郡15348,760.71350017848,752.53020077,181
紀伊国牟婁郡471103,904.1689804602103,904.168980188,253
紀伊国牟婁郡(和歌山県)33767,851.102980
紀伊国牟婁郡(度会県)13436,053.066000
紀伊国合計1,389444,283.1333501,4137444,283.133350614,750
紀伊国不一致00.000000000.0000000
紀伊国総計1,389444,283.1333501,4137444,283.133350444,283.133350614,750
※『共武政表』の紀伊国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の紀伊国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口61万3925人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
淡路国津名郡12477,882.036060134377,882.03606094,681
淡路国三原郡13458,755.945770133158,755.94576070,804
淡路国合計258136,637.9818302674136,637.981820165,485
淡路国不一致00.000000000.0000000
淡路国総計258136,637.9818302674136,642.763130136,637.981820165,485
※『共武政表』の淡路国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の淡路国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
阿波国三好郡3222,947.67124032222,947.67124053,916
阿波国美馬郡2710,737.37813026110,737.37813070,230
阿波国阿波郡3112,665.9657703112,665.96577037,190
阿波国板野郡13561,791.276510135161,791.27651099,568
阿波国麻殖(麻植)郡3216,711.24006031116,711.24006040,252
阿波国名西郡3828,837.0533203828,837.05332041,040
阿波国名東郡5438,749.85310054238,749.853100105,085
阿波国勝浦郡4634,319.18160046134,319.18160030,603
阿波国那賀郡14265,261.020970148165,261.02097076,373
阿波国海部郡5418,463.82404077118,463.82404035,791
阿波国合計591310,484.46474061810310,484.464740590,048
阿波国不一致00.000000000.0000000
阿波国総計591310,484.46474061810310,484.464740310,484.464740590,048
※『郡村石高帳』の阿波国麻殖郡の村数は外町1。
※『共武政表』の阿波国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の阿波国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
讃岐国大内郡3416,161.82200034316,161.82200030,147
讃岐国寒川郡2723,248.03000027223,248.03000043,127
讃岐国三木郡2018,151.1230002018,151.12300023,840
讃岐国山田郡3330,807.8950003330,807.89500037,098
讃岐国香川郡4942,131.42400049342,131.42400096,196
讃岐国阿野郡3633,125.38600036133,125.38600049,806
讃岐国鵜足郡3030,424.44800030130,424.44800036,109
讃岐国那珂郡4730,423.99860046230,423.99860057,104
讃岐国多度郡2418,428.66750024118,428.66750023,884
讃岐国三野郡3732,948.06130037132,948.06130059,341
讃岐国豊田郡4622,562.83700045222,562.83700055,355
讃岐国小豆島99,095.629000119,095.62900038,920
讃岐国塩飽島61,519.564400121,519.56440010,689
讃岐国直島3542.02200011785.8680002,709
讃岐国男木島189.046000
讃岐国女木島154.800000
讃岐国合計402309,814.75380041516309,814.753800564,325
讃岐国不一致-70.000000000.0000000
讃岐国総計395309,814.75380041516309,814.753800309,814.753800564,325
※『郡村石高帳』の讃岐国村数合計402と村数総計が一致せず。
※『日本地誌提要』の讃岐国の町村数総計は村数390町数16属島25だが、属島25(小豆島2、直島11、塩飽島12)はすべて村数として計上。
※『共武政表』の讃岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の讃岐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口56万4351人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊予国宇摩郡56122,639.69280056,900
伊予国新井(新居)郡54137,670.72800059,957
伊予国周布(周敷)郡39124,712.78355025,780
伊予国桑村郡3114,675.22200015,509
伊予国越智郡106147,438.92100092,261
伊予国野間郡29116,688.78900022,994
伊予国風早郡84118,590.42100028,359
伊予国和気郡24116,424.22500024,955
伊予国温泉郡34223,204.73700046,568
伊予国久米郡2917,604.90000013,815
伊予国伊予郡38128,098.51766022,233
伊予国浮穴郡103139,219.86200060,348
伊予国喜多郡85234,330.50111067,249
伊予国宇和郡2652102,022.388300241,632
伊予国合計97715443,321.688420778,560
伊予国不一致000.000000-4
伊予国総計968443,321.68842097715475,556.573340443,321.688420778,556
※『郡村石高帳』の伊予国の郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の伊予国石高総数は『共武政表』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の伊予国国石高総計は『郡村石高帳』の石高と一致するが、『日本地誌提要』、『地理局雑報』(44万3855石5升8合3勺2才)の石高とは異なる。
※『共武政表』の伊予国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
土佐国安芸郡5054,308.312700129151,557.87300066,394
土佐国香美郡3570,088.289000155270,112.00700071,874
土佐国長岡郡5475,245.48800015474,947.49200060,710
土佐国土佐郡3152,288.859000117151,913.16100075,445
土佐国吾川郡4443,098.130000124143,181.34900052,241
土佐国高岡郡76110,354.0700002263112,556.929000110,003
土佐国幡多郡136105,189.0460002882105,370.18000089,618
土佐国合計426510,572.1947001,19310509,638.991000526,285
土佐国不一致00.000000003,060.0000000
土佐国総計426510,572.1947001,19310512,698.991000512,698.991000526,285
※『共武政表』の土佐国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の土佐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
豊前国企球郡11145,796.075080249245,796.07508045,655
豊前国田川郡7154,787.97600091354,787.97600038,086
豊前国京都郡7134,620.6892007234,620.68920019,413
豊前国中津(仲津)郡7641,694.16660092341,694.16660031,103
豊前国築城郡4123,247.2285008623,247.22850020,422
豊前国上毛郡7838,108.54210081238,108.54210033,693
豊前国下毛郡9849,338.90850098149,338.90850059,181
豊前国宇佐郡22579,354.495400150279,354.49540059,979
豊前国合計771366,948.08138091913366,948.081380307,532
豊前国不一致00.000000000.0000000
豊前国総計771366,948.08138091913366,948.081380366,948.081380307,532
※『共武政表』の豊前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の豊前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81065] 2012年 7月 10日(火)00:53:17【1】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (7)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伯耆国河村郡10828,991.95100010728,991.95100023,912
伯耆国久米郡12047,011.309000119147,011.30900027,624
伯耆国八橋郡10836,038.157000108136,038.15700023,109
伯耆国汗入郡7528,737.63800075128,737.63800019,092
伯耆国会見郡18572,603.812000181472,603.81200071,802
伯耆国日野郡18237,686.54000017837,686.54000029,972
伯耆国合計778251,069.4070007687251,069.407000195,511
伯耆国不一致00.000000000.0000004
伯耆国総計778251,069.4070007687251,069.407000251,069.407000195,515
※『共武政表』の伯耆国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伯耆国八橋郡人口3万3109人は明治12年1月1日調本籍人口2万4034人との比較から2万3109人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の伯耆国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
出雲国島根郡5726,358.11000056226,358.11000049,860
出雲国秋鹿郡2411,382.5840002411,382.58400012,646
出雲国楯縫郡3524,216.04500036124,216.04500025,333
出雲国出雲郡3230,323.9720003230,323.97200017,709
出雲国神門郡8360,614.07500085260,614.07500067,106
出雲国飯石郡6131,993.3920006231,993.39200030,014
出雲国仁多郡6921,651.6280007121,651.62800020,582
出雲国大原郡6528,793.6060006528,793.60600027,674
出雲国能義郡9548,057.37600096248,057.37600038,989
出雲国意宇郡4037,319.1230004737,319.12300050,309
出雲国合計561320,709.9110005747320,709.911000340,222
出雲国不一致00.000000000.0000000
出雲国総計561320,709.9110005747320,709.911000320,709.911000340,222
※『共武政表』の出雲国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の出雲国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
石見国安濃郡3014,673.39300030114,673.39300022,580
石見国邇摩郡4616,816.38300047216,816.38300032,993
石見国邑知(邑智)郡10636,383.75130010636,383.75130053,871
石見国那賀郡13249,168.939700136149,168.93970083,688
石見国美濃郡11737,439.546700118137,439.54670041,561
石見国鹿足郡11627,654.884800117127,654.88480027,342
石見国合計547182,136.8985005546182,136.898500262,035
石見国不一致00.000000000.0000000
石見国総計547182,136.8985005546182,136.898500182,136.898500262,035
※『共武政表』の石見国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の石見国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
隠岐国海士郡82,465.69700082,465.6970005,566
隠岐国知夫里(知夫)郡53,204.46400053,204.4640007,069
隠岐国越智(穏地)郡162,982.691000162,982.6910005,775
隠岐国周吉郡323,910.0550003213,910.05500010,684
隠岐国合計6112,562.90700061112,562.90700029,094
隠岐国不一致00.000000000.0000000
隠岐国総計6112,562.90700061112,562.90700012,562.90700029,094
※『共武政表』の隠岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の隠岐国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
播磨国明石郡14659,695.993200153159,695.99320054,442
播磨国美嚢郡17144,657.427500149144,657.42750028,344
播磨国加古郡10050,810.996000114250,810.99600047,265
播磨国印南郡11045,737.671800131245,737.67180048,724
播磨国加東郡16255,891.21700015255,891.21700043,162
播磨国加西郡13139,498.47720012839,498.47720035,743
播磨国多可郡12934,356.57000013034,356.57000031,049
播磨国神東郡7828,921.5894007928,921.58940022,764
播磨国神西郡7122,306.1883606922,306.18836018,302
播磨国飾西郡8041,016.26500016141,016.26500031,414
播磨国飾東郡7240,295.80900072240,295.80900067,277
播磨国揖東郡12356,242.67310014456,242.67310051,226
播磨国揖西郡10033,658.234100113233,658.23410039,427
播磨国赤穂郡12844,521.290600127144,521.29060055,910
播磨国佐用郡8824,279.7895008724,279.78950023,990
播磨国宍粟郡15138,667.624500147138,667.62450040,450
播磨国合計1,840660,557.8162601,95612660,557.816260639,489
播磨国不一致70.000000000.00000010,000
播磨国総計1,847660,557.8162601,95612660,557.816250660,557.816260649,489
※『郡村石高帳』の播磨国村数合計1840と村数総計が一致せず。
※『共武政表』の播磨国石高総計は『郡村石高帳』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の播磨国佐用郡本籍人口3万3990人は明治12年1月1日調本籍人口2万5331人との比較から2万3990人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の播磨国人口総計64万9489人は明治6年1月1日調本籍人口63万9576人と比べて過剰であり、63万9489人の可能性が高い(佐用郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
美作国東南条郡2010,892.0700001310,892.07000010,309
美作国東北条郡4015,411.2370003115,411.23700011,325
美作国西々条(西西条)郡6126,805.0210005126,805.0210009,329
美作国久米北条郡5928,871.2330005428,871.23300023,397
美作国久米南条郡7222,988.6730006322,988.67300019,670
美作国勝南郡7824,657.9720006924,657.97200017,745
美作国勝北郡8434,139.4590005534,139.45900023,829
美作国大庭郡5920,836.76900046120,836.76900020,912
美作国真島郡11033,270.80700090133,270.80700029,899
美作国英田郡6513,662.42900056113,662.42900016,591
美作国吉野郡7219,954.2430006019,954.24300014,950
美作国西北条郡3110,843.95100022110,843.95100017,131
美作国合計751262,333.8640006104262,333.864000215,087
美作国不一致00.000000000.00000020,000
美作国総計751262,333.8640006104262,333.864000262,333.864000235,087
※『共武政表』の美作国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の美作国西北条郡本籍人口3万7131人は明治12年1月1日調本籍人口1万8550人との比較から1万7131人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の美作国人口総計23万5087人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口21万5602人と比べて過剰であり、21万5087人の可能性が高い(西北条郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備前国御野郡7952,824.75200079152,824.75200058,395
備前国津高郡12647,224.652000126147,224.65200036,849
備前国赤坂郡10243,267.32400010243,267.32400026,484
備前国磐梨郡6526,224.0160006526,224.01600015,711
備前国和気郡9628,871.1320009728,871.13200034,294
備前国邑久郡8670,645.47700086270,645.47700044,022
備前国上道郡11599,660.178000116199,660.17800046,151
備前国児島郡9750,247.00700097250,247.00700071,808
備前国合計766418,964.5380007687418,964.538000333,714
備前国不一致00.000000000.0900000
備前国総計766418,964.5380007687418,964.538000418,964.628000333,714
※『郡村石高帳』の備前国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の備前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備中国上房郡3124,702.03280099124,702.03280023,304
備中国阿賀郡4633,207.944000105133,207.94400029,150
備中国哲多郡3322,919.8946008722,919.89460018,523
備中国川上郡5731,196.35400087131,196.35400037,300
備中国小田郡7437,655.852700103137,655.85270064,164
備中国後月郡3918,308.7268005318,308.72680029,290
備中国下道郡2923,622.7056004723,622.70560025,634
備中国賀陽郡8350,416.341230110250,416.34123038,914
備中国都宇郡4835,707.82670012235,707.82670027,185
備中国浅口郡6155,201.1047007255,201.10470074,053
備中国窪屋郡5838,416.39267084138,416.39267032,028
備中国合計559371,355.1758009697371,355.175800399,545
備中国不一致00.00000000-0.0690000
備中国総計559371,355.1758009697371,355.175800371,355.106800399,545
※『郡村石高帳』の備中国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の備中国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口39万9467人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備後国御調郡10039,828.25555090239,828.255550101,646
備後国世羅郡5033,650.49000049133,650.49000029,840
備後国三谿郡3819,342.0180003819,342.01800020,225
備後国三上郡1813,693.6710001813,693.67100012,251
備後国奴可郡4019,876.91600039219,876.91600020,684
備後国甲奴郡3215,624.4110003215,624.41100015,972
備後国沼隈郡4326,425.22000044126,425.22000067,176
備後国深津郡2826,851.07300035126,851.07300045,300
備後国安那郡2924,734.7090003024,734.70900024,179
備後国品治郡2111,709.0490002111,709.04900016,341
備後国蘆田郡2817,567.02000028117,567.02000030,783
備後国神石郡4022,345.9400004022,345.94000022,836
備後国三次郡5221,613.53700053121,613.53200030,335
備後国恵蘇郡4522,613.8720004122,613.87200021,708
備後国合計564315,876.1815505589315,876.176550459,276
備後国不一致00.000000000.0860000
備後国総計564315,876.1815505589315,876.181550315,876.262550459,276
※『郡村石高帳』の備後国石高総計は『日本地誌提要』と一致し、『地理局雑報』(35万5704石4斗3升7合1勺)の石高と異なる。
※『共武政表』の備後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口45万9109人とほぼ等しい。
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明治5年国郡別石高と人口・町村数 (6)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
若狭国大飯郡7320,404.61660072120,404.61660016,878
若狭国遠敷郡13544,510.765500144244,510.76550049,130
若狭国三方郡6126,851.6760006226,851.67600019,805
若狭国合計26991,767.058100278391,767.05810085,813
若狭国不一致00.000000000.0000000
若狭国総計26991,767.058100278391,767.05810091,767.05810085,813
※『共武政表』の若狭国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の若狭国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越前国足羽郡15792,917.620000157192,917.62000076,336
越前国吉田郡14680,811.852000127180,811.85200033,608
越前国丹生郡23987,980.05800023687,980.05800060,122
越前国今立郡19886,268.894000202286,268.89400055,367
越前国南条郡9035,770.94860081235,770.94860033,375
越前国坂井郡355185,597.3012003563185,597.30120092,557
越前国大野郡26498,090.417700254298,090.41770076,506
越前国敦賀郡8822,806.52625079122,806.52625026,270
越前国合計1,537690,243.6177501,49212690,243.617750454,141
越前国不一致00.000000000.0000000
越前国総計1,537690,243.6177501,49212690,249.700400690,243.617750454,141
※『共武政表』の越前国石高総計は『郡村石高帳』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の越前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口45万4229人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
加賀国河北郡27099,964.761000269299,936.20100074,871
加賀国石川郡332189,919.0220003365189,920.002000186,898
加賀国能美郡278137,775.2763902641137,766.27639087,432
加賀国江沼郡14180,950.068000140280,950.06800054,693
加賀国合計1,021508,609.1273901,00910508,572.547390403,894
加賀国不一致00.000000000.00000010,000
加賀国総計1,021508,609.1273901,00910508,572.547390508,572.547390413,894
※『共武政表』の加賀国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(50万8578石3斗7升2合3勺9才)の石高と異なる。
※『郡村石高帳』の加賀国の国郡別石高は外受高3106石8斗9升1合を含まない。外受高の郡別内訳は不明である。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
加賀国総計508,609.1273903,106.891000511,716.018390
※『共武政表』の加賀国河北郡本籍人口8万4871人は明治12年1月1日調本籍人口7万1453人との比較から7万4871人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の加賀国人口総計41万3894人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口40万3357人と比べて過剰であり、40万3894人の可能性が高い(河北郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
能登国羽咋郡23899,726.117500239199,676.18750071,547
能登国鹿島郡20199,962.9786601961100,096.30106069,270
能登国鳳至郡32069,858.027500318269,858.02750081,837
能登国珠洲郡11235,935.52030011235,935.52030041,725
能登国合計871305,482.6439608654305,566.036360264,379
能登国不一致00.000000000.0000000
能登国総計871305,482.6439608654305,666.036340305,566.036360264,379
※『共武政表』の能登国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(50万8578石3斗7升2合3勺9才)の石高と異なる。
※『郡村石高帳』の能登国の国郡別石高は外受高2120石1斗8升5合を含まない。受高の郡別内訳は不明である。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
能登国総計305,482.6439602,120.185000307,602.828960
※『共武政表』の能登国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越中国新川郡1,134295,756.0100001,0414301,417.882690256,817
越中国婦負郡368112,139.5020003652113,216.82800061,434
越中国射水郡331188,681.2370003373172,718.327090136,319
越中国砺波郡740281,187.3580007012275,890.847670169,407
越中国合計2,573877,764.1070002,44411863,243.885450623,977
越中国不一致00.000000000.0000000
越中国総計2,573877,764.1070002,44411877,764.107000863,243.885450623,977
※『郡村石高帳』の越中国の町数総計は外町18。内訳は、新川郡町7、婦負郡町3、射水郡町3、砺波郡町5。
※『郡村石高帳』の越中国の国郡別石高は外受高2万2067石8斗3升2合を含まない。受高加算前の国郡別石高は『日本地誌提要』の石高と一致し、受高加算後の石高は『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
越中国新川郡295,756.01000020,031.008000315,787.018000
越中国婦負郡112,139.502000390.765000112,530.267000
越中国射水郡188,681.237000697.335000189,378.572000
越中国砺波郡281,187.358000948.724000282,136.082000
越中国総計877,764.10700022,067.832000899,831.939000
※『共武政表』の越中国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越後国頚城郡1,140225,199.7694001,0935225,199.769400281,635
越後国苅羽郡(刈羽郡)20275,890.293960186275,890.293958103,397
越後国魚沼郡422102,282.3181004112102,282.751000158,019
越後国古志郡29269,235.231600348269,234.79860098,559
越後国三島郡25578,509.007200181478,509.00720083,065
越後国岩船郡26861,820.382750249261,820.38275059,748
越後国蒲原郡1,967537,630.5205801,78423537,629.134580599,253
越後国蒲原郡(新潟県)1,897520,242.884580
越後国蒲原郡(若松県)7017,387.636000
越後国合計4,5461,150,567.5235904,252401,150,566.1374881,383,676
越後国不一致00.000000000.00000030,000
越後国総計4,5461,150,567.5235904,252401,150,836.3685801,150,566.1374881,413,676
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(115万0836石3斗2升8合5勺9才)の越後国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の越後国人口合計は明治7年1月1日調本籍人口138万3572人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は誤計算と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
佐渡国加茂郡10048,345.14000094348,420.53600031,800
佐渡国雑太郡10164,521.93700089364,694.26900050,673
佐渡国羽茂郡6222,339.04600062122,399.67600021,932
佐渡国合計263135,206.1230002457135,514.481000104,405
佐渡国不一致00.000000000.0000000
佐渡国総計263135,206.1230002457135,206.123000135,514.481000104,405
※『郡村石高帳』の佐渡国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の佐渡国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
丹波国桑田郡23656,252.463400220156,227.72900052,135
丹波国船井郡22652,134.455100200152,134.45510045,723
丹波国何鹿郡11449,525.940800136149,525.94080040,422
丹波国氷上郡22567,462.689600177167,462.68960065,564
丹波国多紀郡11552,076.370600213152,076.37060043,933
丹波国天田郡12452,013.554360113152,013.55436047,904
丹波国合計1,040329,465.4738601,0596329,440.739460295,681
丹波国不一致0-0.000400000.0000000
丹波国総計1,040329,465.4734601,0596329,465.473860329,440.739460295,681
※『郡村石高帳』の丹波国石高合計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『郡村石高帳』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の丹波国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
丹後国与佐郡9442,655.44200095142,655.44200048,246
丹後国加佐郡15439,080.008500151139,080.00850054,999
丹後国中郡3521,987.89280034121,987.89280017,037
丹後国熊野郡5619,004.8770005319,004.87700016,073
丹後国竹野郡7325,273.9100007225,273.91000025,693
丹後国合計412148,002.1303004053148,002.130300162,048
丹後国不一致00.000000000.0000000
丹後国総計412148,002.1303004053148,002.130300148,002.130300162,048
※『共武政表』の丹後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の丹後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口16万2084人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
但馬国朝来郡9220,739.21600082120,739.21600026,958
但馬国養父郡11423,942.88400010423,942.88400036,460
但馬国二方郡5410,163.5490005610,163.54900021,390
但馬国七味郡7311,041.53980069111,041.53980015,009
但馬国気多郡8620,049.92030011020,049.92030021,125
但馬国城崎郡8421,758.95017078121,744.74577024,131
但馬国美含郡8311,993.6780007211,993.67800017,259
但馬国出石郡9728,458.01700085128,458.01700025,648
但馬国合計683148,147.7542706564148,133.549870187,980
但馬国不一致00.000000000.0000000
但馬国総計683148,147.7542706564148,147.754270148,133.549870187,980
※『郡村石高帳』の但馬国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の但馬国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
因幡国岩井郡5122,620.4330005122,620.43300016,193
因幡国法美郡6120,609.60400062120,609.60400014,624
因幡国八東郡8226,144.0320008926,144.03200019,102
因幡国八上郡6223,863.9990006223,863.99900014,675
因幡国知頭(智頭)郡9816,686.2420009916,686.24200015,418
因幡国邑美郡3317,379.60100031417,379.60100040,000
因幡国高草郡8441,187.21800083141,187.21800023,404
因幡国気多郡8327,141.51600083227,141.51600020,835
因幡国合計561195,632.6450005608195,632.645000164,251
因幡国不一致00.000000000.000000-101
因幡国総計561195,632.6450005608195,632.645000195,632.645000164,150
※『共武政表』の因幡国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の因幡国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口16万2396人とほぼ等しい。
[81063] 2012年 7月 10日(火)00:49:38YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (5)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
羽前国置賜郡263337,240.9150002955337,240.915000146,769
羽前国置賜郡(置賜県)223295,671.543000
羽前国置賜郡(山形県)4041,569.372000
羽前国村山郡478365,370.03946043911365,370.039390242,639
羽前国最上郡8684,057.51631085184,057.51631043,483
羽前国田川郡390160,302.8349104205160,302.834910132,399
羽前国合計1,217946,971.3056801,23922946,971.305610565,290
羽前国不一致00.000000000.000000-10
羽前国総計1,217946,971.3056801,23922946,971.304910946,971.305610565,280
※『郡村石高帳』の羽前国の村数総計は外町34。
※『郡村石高帳』の羽前国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の羽前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口56万7361人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
羽後国飽海郡28474,941.885800284274,941.88590072,099
羽後国秋田郡289116,598.9560002824116,598.956000186,818
羽後国河辺(川辺)郡5927,174.16300059127,174.16300028,006
羽後国仙北郡184110,219.4870001792110,219.48700087,033
羽後国雄勝郡8852,848.28000086352,848.28000050,453
羽後国山本郡7842,231.17400076242,231.17400063,439
羽後国平鹿郡11567,264.044000114267,264.04400066,723
羽後国由利郡24377,196.899550240477,196.89955075,269
羽後国合計1,340568,474.8893501,32020568,474.889450629,840
羽後国不一致00.00000000-200.0000000
羽後国総計1,340568,474.8893501,32020568,474.889450568,274.889450629,840
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(56万8760石2斗7升5合4勺5才)の羽後国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の羽後国石高合計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の羽後国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口63万0575人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
渡島国亀田郡29136,415
渡島国茅部郡179,680
渡島国上磯郡178,000
渡島国福島郡64,510
渡島国檜山郡21117,352
渡島国津軽郡13120,860
渡島国爾志郡87,011
渡島国合計1113103,828
渡島国不一致000
渡島国総計111354,814.894820103,828
※『日本地誌提要』の渡島国石高総計は物産高。
※『共武政表』の渡島国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口9万4610人と比べて過剰であり、現住人口ベース(明治6年1月1日調現住人口9万9909人)か。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
後志国久遠郡9854
後志国奥尻郡486
後志国太櫓郡4303
後志国瀬棚郡5531
後志国島牧郡151,039
後志国寿都郡81,583
後志国歌棄郡61,140
後志国磯屋(磯谷)郡41,304
後志国岩内郡613,075
後志国古宇郡62,009
後志国積丹郡81,620
後志国美国郡51,555
後志国古平郡612,663
後志国余市郡812,725
後志国忍路郡41,515
後志国高島郡41,115
後志国小樽郡515,413
後志国合計107428,530
後志国不一致00-5
後志国総計1074265,580.84719028,525
※『日本地誌提要』の後志国石高総計は物産高。
※『共武政表』の後志国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1万9916人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2万8388人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
石狩国石狩郡311,828
石狩国札幌郡1718,825
石狩国夕張郡39
石狩国樺戸郡78
石狩国空知郡0
石狩国雨竜郡0
石狩国上川郡0
石狩国厚田郡10708
石狩国浜益郡8577
石狩国合計38212,055
石狩国不一致000
石狩国総計38239,336.06952012,055
※『日本地誌提要』の石狩国石高総計は物産高。
※『共武政表』の石狩国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7591人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口1万2123人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
北見国宗谷郡352
北見国利尻郡947
北見国礼文郡376
北見国枝幸郡157
北見国紋別郡10299
北見国常呂郡7140
北見国網走郡8248
北見国斜里郡5252
北見国合計302,771
北見国不一致00
北見国総計3026,977.4206602,771
※『日本地誌提要』の北見国石高総計は物産高。
※『共武政表』の北見国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1647人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2770人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
胆振国山越郡21,002
胆振国虻田郡4574
胆振国有珠郡52,930
胆振国室蘭郡711,020
胆振国幌別郡5442
胆振国白老郡3581
胆振国勇払郡161,476
胆振国千歳郡6297
胆振国合計4818,322
胆振国不一致007
胆振国総計48115,837.5042908,329
※『日本地誌提要』の胆振国石高総計は物産高。
※『共武政表』の胆振国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7462人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口8421人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
日高国沙流郡181,895
日高国新冠郡11548
日高国静内郡162,162
日高国三石郡8390
日高国浦河(浦川)郡201,199
日高国様似郡23424
日高国幌泉郡91,531
日高国合計1058,149
日高国不一致00
日高国総計10548,505.6027708,149
※『日本地誌提要』の日高国石高総計は物産高。
※『共武政表』の日高国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7479人と比べて過剰であり、現住人口ベース(明治6年1月1日調現住人口6137人)か。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
十勝国広尾郡1234
十勝国当縁郡356
十勝国大津(上川)郡2100
十勝国中川郡22539
十勝国河東郡5210
十勝国河西郡12225
十勝国十勝郡6146
十勝国合計511,510
十勝国不一致00
十勝国総計515,280.4400001,510
※『日本地誌提要』の十勝国石高総計は物産高。
※『共武政表』の十勝国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1477人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口1505人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
釧路国白糠郡2361
釧路国足寄郡476
釧路国釧路郡81,132
釧路国善報郡
釧路国阿寒郡573
釧路国網尻郡60
釧路国川上(上川)郡5202
釧路国厚岸郡1711,146
釧路国合計4712,990
釧路国不一致000
釧路国総計47148,342.9878302,990
※『郡村石高帳』記載の善報郡は設置されず。
※『日本地誌提要』の釧路国石高総計は物産高。
※『共武政表』の釧路国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口2339人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2994人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
根室国花咲郡70
根室国根室郡611,324
根室国野付郡4513
根室国標津郡2146
根室国目梨(芽梨)郡4187
根室国合計2312,170
根室国不一致000
根室国総計23135,572.8158302,170
※『日本地誌提要』の根室国石高総計は物産高。
※『共武政表』の根室国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1786人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2270人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
千島国国後郡5303
千島国択捉郡287
千島国振別郡2109
千島国紗那郡4204
千島国蘂取郡2223
千島国合計15926
千島国不一致00
千島国総計1511,778.777250926
※『日本地誌提要』の千島国石高総計は物産高。
※『共武政表』の千島国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口438人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口928人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
天塩国増毛郡52,114
天塩国留萌郡5764
天塩国苫前郡5506
天塩国天塩郡118
天塩国中川郡15
天塩国上川郡26
天塩国合計153,543
天塩国不一致00
天塩国総計1598,259.3245603,543
※『日本地誌提要』の天塩国石高総計は物産高。
※『共武政表』の天塩国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1870人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口3543人と一致する。
[81062] 2012年 7月 10日(火)00:48:01YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (4)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
飛騨国大野郡13722,248.657000159122,248.65700039,896
飛騨国吉城郡17824,395.637000229224,395.63700034,126
飛騨国益田郡10010,551.76400012510,551.76400024,800
飛騨国合計41557,196.058000513357,196.05800098,822
飛騨国不一致00.000000000.0000000
飛騨国総計41557,196.058000513357,196.05800057,196.05800098,822
※『共武政表』の飛騨国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(5万7195石9斗9升3合)の石高と異なる。
※『共武政表』の飛騨国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
信濃国佐久郡18897,567.455400273298,061.81940087,374
信濃国諏訪郡15843,787.16120079243,787.16120061,418
信濃国伊那郡298139,051.6748901103139,051.674890171,413
信濃国筑摩郡23884,459.961790103284,459.961790142,170
信濃国小県郡77,138.537700192177,288.58670083,460
信濃国埴科郡24,602.89400049123,650.56160038,407
信濃国更科(更級)郡59,511.92890011359,319.31590059,615
信濃国安曇郡17964,194.082000101164,194.08200080,802
信濃国水内郡110,120.3413003113109,613.469930127,264
信濃国高井郡86,515.963800170186,291.32857078,021
信濃国合計786,950.0009801,50116785,717.961980929,944
信濃国不一致0.000000000.0000000
信濃国総計786,950.0009801,50116786,411.668380785,717.961980929,944
※『日本地誌提要』の信濃国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『郡村石高帳』の国郡別村数は一部不記載。
※『共武政表』の信濃国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
上野国邑楽郡9380,142.04400088180,142.48400056,437
上野国新田郡11766,914.682320100167,151.96532029,735
上野国山田郡6436,657.46000060136,685.48100038,123
上野国佐位郡4721,625.68500038121,625.68500025,611
上野国那波郡6930,102.30629054130,102.30629017,024
上野国群馬郡234120,194.2505801932120,182.250580100,874
上野国勢多郡19277,348.46185017177,348.46185060,519
上野国利根郡14530,912.781000113230,900.90800031,032
上野国吾妻郡9825,126.6940008535,126.57100032,422
上野国碓氷(碓水)郡8541,484.86955074141,275.30155037,004
上野国片岡郡34,267.61400034,267.6140002,431
上野国多胡郡3212,605.1980002812,605.1980009,353
上野国緑埜(緑野)郡6031,438.55875046131,438.55875021,544
上野国甘楽郡17557,030.502000133157,030.50200055,296
上野国合計1,414635,851.1073401,18612645,883.287340517,405
上野国不一致00.00000000-0.000500-110,941
上野国総計1,414635,851.1073401,18612636,116.851340645,883.286840406,464
※『日本地誌提要』の上野国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の上野国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口52万1603人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
下野国河内郡272108,400.0060002031110,733.48976068,743
下野国芳賀郡276133,633.6411102411134,739.52120060,571
下野国塩谷郡15955,250.48721015255,683.46321037,010
下野国那須郡309119,500.0020902663119,959.54615067,159
下野国足利郡4632,474.02730043132,474.02730037,938
下野国梁田(簗田)郡2914,295.1800002714,295.18000010,783
下野国安蘇(安蘓)郡6462,582.97540046162,582.97540051,023
下野国都賀郡387223,551.3846003827223,674.500600161,371
下野国寒川郡138,960.737000138,960.7370003,868
下野国合計1,555758,648.4407101,37314763,103.440620498,466
下野国不一致00.000000000.000000-16,000
下野国総計1,555758,648.4407101,37314762,851.631820763,103.440620482,466
※『共武政表』の下野国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の下野国塩谷郡本籍人口3万1010人は明治12年1月1日調本籍人口4万0846人との比較から3万7010人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の下野国足利郡本籍人口2万7938人は明治12年1月1日調本籍人口4万1917人との比較から3万7938人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の下野国人口総計48万2466人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口49万8520人と比べて過少であり、49万8466人の可能性が高い(塩谷郡・足利郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
磐城国白河郡10664,327.583000106164,327.58300029,670
磐城国石川郡8349,061.7550007549,061.75500019,148
磐城国田村郡143113,312.9497001411113,312.94970056,876
磐城国菊多郡6140,561.9409306140,561.94093019,264
磐城国白川郡9343,620.01344092143,620.01344024,785
磐城国磐前郡11355,515.814300112255,515.81430030,091
磐城国磐城郡5131,941.8940005131,941.89400015,070
磐城国楢葉郡4130,754.1850004030,754.18500011,117
磐城国標葉郡6429,437.1370006429,437.13700016,398
磐城国行方郡12166,919.63600012166,919.63600032,496
磐城国宇多郡5036,837.00000050136,837.00400022,879
磐城国宇多郡(磐前県)4129,677.279000
磐城国宇多郡(宮城県)97,159.721000
磐城国伊具郡3639,528.90700036139,528.90700030,550
磐城国亘理郡2624,678.0740002624,678.07400018,162
磐城国刈田郡3323,991.99300033123,991.99300022,768
磐城国合計1,021650,488.8823701,0088650,488.886370349,274
磐城国不一致00.00000000-0.0040000
磐城国総計1,021650,488.8823701,0088650,488.882370650,488.882370349,274
※『共武政表』の磐城国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の磐城国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口34万9594人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
岩代国会津郡30988,224.545500308288,221.33950065,276
岩代国大沼郡16153,035.58400016153,029.61600032,696
岩代国耶麻郡310126,274.5510003112126,244.94100054,035
岩代国河沼郡24876,121.762000245176,212.17100033,884
岩代国岩瀬郡8869,413.31340083169,413.31340031,437
岩代国伊達郡112114,246.0661701094114,255.30117075,614
岩代国安積郡4853,118.39660048153,116.18460028,454
岩代国安積郡(若松県)1112,123.29184012,121.079840
岩代国安積郡(福島県)3740,995.10476040,995.104760
岩代国信夫郡8889,970.11788087289,975.08788048,434
岩代国安達郡7490,519.20936067190,519.20936062,055
岩代国合計1,438760,923.5459101,41914760,987.163910431,885
岩代国不一致00.000030000.0000000
岩代国総計1,438760,923.5459401,41914760,937.750910760,987.163910431,885
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(76万0974石6斗8升9勺1才)の岩代国の石高総計は全て異なるが、国郡別石高の端数の比較から、『郡村石高帳』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の岩代国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口43万0163人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸前国柴田郡3529,531.5940003529,531.59400021,458
陸前国名取郡6164,270.51000059164,270.51000042,922
陸前国宮城郡7975,087.12300078275,087.123000101,785
陸前国黒川郡4943,818.6400004943,818.64000020,399
陸前国賀美(加美)郡3838,913.9710003838,913.97100018,542
陸前国玉造郡2124,499.36000022124,499.36000014,246
陸前国志田郡6456,402.73000064156,402.73000027,820
陸前国遠田郡5962,372.4900005862,372.49000031,582
陸前国栗原郡93136,620.990000961136,620.99000079,711
陸前国登米郡2441,791.37000021141,791.37000031,158
陸前国牡鹿郡6015,514.07000059115,514.07000026,737
陸前国桃生郡6674,015.5200006674,015.52000040,070
陸前国本吉郡3322,184.18000032222,184.18000040,884
陸前国気仙郡2415,626.76000024215,626.76000042,225
陸前国合計706700,649.30800070112700,649.308000539,539
陸前国不一致00.000000000.0000000
陸前国総計706700,649.30800070112700,649.308000700,649.308000539,539
※『共武政表』の陸前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口53万9614人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸中国磐井郡8684,007.06000086184,007.06000089,139
陸中国胆沢郡3775,764.26000037175,764.26000043,172
陸中国江刺郡4138,815.27000041138,815.27000035,544
陸中国和賀郡6953,170.80900069153,170.80900042,051
陸中国稗貫郡6851,689.69000067151,689.69000037,099
陸中国紫波郡7554,630.5110007454,630.51100034,466
陸中国岩手郡8552,333.36200085152,333.36200079,387
陸中国鹿角郡6920,965.04500070220,965.04500024,537
陸中国閉伊郡13828,559.015000138528,559.01500086,573
陸中国九戸郡5911,907.89000059111,907.89000041,155
陸中国合計727471,842.91200072614471,842.912000513,123
陸中国不一致00.0000000042,136.07000040,369
陸中国総計727471,842.91200072614469,073.737000513,978.982000553,492
※『共武政表』の陸中国石高合計は『郡村石高帳』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『日本地誌提要』の陸中国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸中国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口51万3273人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸奥国二戸郡7514,796.27000031914,796.27000029,507
陸奥国三戸郡12043,792.960000595142,952.69800092,896
陸奥国北郡8323,524.559000454223,524.55900059,279
陸奥国津軽郡876340,987.0490001,0074340,986.364000291,635
陸奥国合計1,154423,100.8380002,3757422,259.891000473,317
陸奥国不一致00.00000000-0.0200000
陸奥国総計1,154423,100.8380002,3757423,100.838000422,259.871000473,317
※『郡村石高帳』の陸奥国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸奥国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81061] 2012年 7月 10日(火)00:46:36YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (3)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
武蔵国豊島郡19048,764.867890102348,764.551920739,773
武蔵国荏原郡11033,613.80418092133,613.54918086,654
武蔵国橘樹郡12655,087.514110123355,087.51411065,808
武蔵国多摩郡436139,574.3175803943139,574.317580174,233
武蔵国多摩郡(東京府)5511,777.943980
武蔵国多摩郡(神奈川県)381127,796.373600
武蔵国久良岐郡4416,614.42253053216,614.42253082,114
武蔵国新座郡4714,285.5486403314,190.54864018,387
武蔵国入間郡350100,814.350500250199,144.670500106,698
武蔵国高麗郡20427,574.26490011727,206.89350033,147
武蔵国秩父郡8831,452.17200084131,258.19600059,886
武蔵国男衾郡359,158.394860268,992.93536011,051
武蔵国大里郡4923,657.70592039123,560.70592022,029
武蔵国比企郡26560,968.63117016260,473.96517054,970
武蔵国横見郡4820,496.5910004720,412.25700010,343
武蔵国幡羅郡6439,593.9280005939,165.40800025,694
武蔵国榛沢郡9731,893.4000007431,755.80000034,049
武蔵国那賀(那珂)郡166,944.069000116,903.9830005,801
武蔵国児玉郡7027,606.92000060127,488.12000023,653
武蔵国賀美郡2812,705.8540002712,607.63400010,051
武蔵国埼玉郡466283,160.8416404248283,060.841640227,218
武蔵国足立郡429149,513.16579040510149,513.165790171,649
武蔵国足立郡(東京府)4318,932.878500
武蔵国足立郡(埼玉県)386130,580.287290
武蔵国葛飾郡288120,037.635590288151,767.206330127,904
武蔵国葛飾郡(東京府)12051,767.206330
武蔵国葛飾郡(埼玉県)16868,270.429260
武蔵国都筑郡7028,482.3716007228,482.37160027,744
武蔵国合計3,5201,282,000.7709002,942351,209,639.0577702,118,856
武蔵国不一致00.00000000-0.0016101,414,015
武蔵国総計3,5201,282,000.7709002,942351,282,000.4549301,209,639.0561603,532,871
※『郡村石高帳』の武蔵国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の武蔵国人口合計211万8856人は明治8年1月1日調本籍人口205万7870人と比べて過剰であり、現住人口ベースか。明治6年1月1日調現住人口210万8076人と数字が近く(東京府の現住人口は前後で年間3万~5万人増加)、約1万人ほど過剰となっているが、明治12年1月1日調本籍人口との比較で人口過剰となっている郡を特定できない。
※『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
安房国長狭郡6023,011.9270906323,011.92709038,459
安房国朝夷郡6222,641.0188106422,641.01881038,474
安房国平(平群)郡7226,137.34710075126,137.34710040,343
安房国安房郡5323,851.13050090223,851.13050038,055
安房国合計24795,641.423500292395,641.423500155,331
安房国不一致00.000000000.0000000
安房国総計24795,641.423500292395,641.42350095,641.423500155,331
※『共武政表』の安房国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の安房国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
上総国天羽郡7524,684.4497507624,684.44975026,825
上総国周淮(周准)郡10927,021.502700108127,021.50270031,235
上総国望陀郡19760,127.944430193160,127.94443055,015
上総国市原郡19256,739.004320187256,739.00432060,031
上総国夷隅郡18269,133.876670170269,133.87667078,698
上総国長柄郡13862,336.711210129162,336.71121058,955
上総国埴生郡4818,570.3143504818,570.31435018,111
上総国山辺郡13253,287.677050131153,287.67705053,721
上総国武射郡13255,412.29046013155,412.29046041,005
上総国合計1,205427,313.7709401,1738427,313.770940423,596
上総国不一致00.000000000.0000000
上総国総計1,205427,313.7709401,1738427,313.770940427,313.770940423,596
※『共武政表』の上総国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の上総国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
下総国葛飾郡662123,436.2542103313123,436.254210148,015
下総国猿島郡7945,575.34490080145,575.34490040,908
下総国結城郡9835,313.34240051135,313.34240019,562
下総国豊田郡8039,254.40824079139,254.40824027,179
下総国相馬郡14864,464.05748013464,464.05748060,630
下総国千葉郡13444,420.164890126144,420.16489059,123
下総国埴生郡6425,773.3296206225,773.32962018,542
下総国香取郡306148,826.7925903082148,826.792590103,664
下総国匝瑳郡8437,736.4295808237,736.42958039,301
下総国海上郡7626,713.13449075126,713.13449049,249
下総国岡田郡5623,375.2034405323,375.20344014,966
下総国印旛郡28770,139.536410240170,139.53641069,694
下総国合計2,074685,027.9982501,62111685,027.998250650,833
下総国不一致00.000000000.0000000
下総国総計2,074685,027.9982501,62111685,027.998250685,027.998250650,833
※『郡村石高帳』の下総国の国郡別石高は外反高2345石8斗6升2合3勺(千葉郡)を含まない。反高加算前の国郡別石高は『日本地誌提要』、『共武政表』の石高と一致し、反高加算後の石高は『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国反高加算前石高反高反高加算後石高
下総国千葉郡44,420.1648902,345.86230046,766.027190
下総国総計685,027.9982502,345.862300687,373.860550
※『共武政表』の下総国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口(65万0863人)とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
常陸国茨城郡329151,062.5139003022151,057.762900124,283
常陸国那珂郡12787,229.057000127187,229.05700074,507
常陸国久慈郡14188,328.120000141188,328.12000065,219
常陸国多賀郡9252,235.6834108352,235.68341040,410
常陸国新治郡190116,603.6133001892116,572.04030078,976
常陸国真壁郡306133,448.7918002621133,460.17180069,201
常陸国筑波郡19780,660.073400173180,661.07340048,058
常陸国信太郡9544,798.2413409444,798.24134025,739
常陸国河内郡14463,658.394910144163,658.39491042,272
常陸国行方郡8353,008.44198082153,008.44198038,614
常陸国鹿島郡13150,596.221460130250,596.22146053,074
常陸国合計1,835921,629.1525001,72712921,605.208500660,353
常陸国不一致00.000000000.000000-7
常陸国総計1,835921,629.1525001,72712921,635.781500921,605.208500660,346
※『郡村石高帳』の常陸国の村数総計は外町3。
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(91万2453石5斗4升5勺)の常陸国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の常陸国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口(66万1898人)とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
近江国犬上郡13362,137.207720110162,137.20772069,976
近江国愛知郡12864,802.52880012664,802.52880038,751
近江国神崎郡8648,425.1710008648,425.17100035,678
近江国蒲生郡244139,630.7746502142139,630.77465080,783
近江国甲賀郡13878,654.159160134178,654.15916059,438
近江国野洲郡10168,550.1747007868,550.17470034,117
近江国栗太郡12170,371.93765011070,371.93765041,401
近江国滋賀郡8846,218.55730078346,218.55730055,274
近江国高島郡15274,146.150000129274,146.15000045,335
近江国伊香郡7136,012.0554007736,012.05540020,863
近江国浅井郡14476,841.44180014476,841.44180038,688
近江国坂田(阪田)郡17392,059.367100165192,059.36710057,795
近江国合計1,579857,849.5252801,45110857,849.525280578,099
近江国不一致00.000000000.0000000
近江国総計1,579857,849.5252801,45110857,849.525280857,849.525280578,099
※『共武政表』の近江国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の近江国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
美濃国不破郡4641,418.7413004641,418.74130027,082
美濃国多芸郡6038,422.17360061138,422.17360023,020
美濃国石津郡7928,785.49790073128,785.49790024,044
美濃国安八郡15195,778.626500152295,778.62650068,585
美濃国池田郡6924,479.0349006924,479.03490020,428
美濃国大野郡12454,605.029800118154,605.02980031,687
美濃国本巣郡6840,354.49850067140,354.49850025,622
美濃国席田郡95,731.80490095,731.8049002,963
美濃国方県郡5436,834.8649005336,834.86490023,672
美濃国厚見郡5742,831.33480057242,831.33480047,615
美濃国山県郡4926,395.4800004726,395.48000022,403
美濃国武儀郡8644,210.25680080244,210.25680064,964
美濃国郡上郡16532,071.210700164132,071.21070048,945
美濃国加茂(賀茂)郡10747,329.22974010147,329.22974050,906
美濃国恵那(恵奈)郡8141,919.40963075341,919.40963056,316
美濃国土岐郡4922,597.1085804922,597.10858029,662
美濃国可児郡9434,032.5446007434,032.54460027,150
美濃国各務郡4120,733.4471003820,733.44710016,741
美濃国羽栗郡6324,162.45800062224,162.45800030,895
美濃国中島郡3115,212.2664003115,212.26640018,051
美濃国海西郡2611,749.8650002611,749.8650007,396
美濃国合計1,509729,654.8836501,45216729,654.883650668,147
美濃国不一致00.000000000.0000001
美濃国総計1,509729,654.8836501,45216729,654.883650729,654.883650668,148
※『共武政表』の美濃国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の美濃国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81060] 2012年 7月 10日(火)00:43:42YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (2)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊勢国度会郡17755,535.694200198155,535.69420093,959
伊勢国多気郡13048,411.33150013048,411.33150035,267
伊勢国飯野郡4825,854.6120004425,854.61200014,614
伊勢国飯高郡11052,502.233500108152,502.23350045,795
伊勢国一志郡154105,666.9060001301105,666.90600073,216
伊勢国三重郡9167,117.63030090167,117.63030052,830
伊勢国朝明郡6633,811.7460006933,811.74600027,795
伊勢国桑名郡16162,901.355000166162,901.35500052,207
伊勢国員弁郡11050,570.09500011250,570.09500036,720
伊勢国河曲郡3834,176.29800038134,176.29800020,272
伊勢国鈴鹿郡8966,638.94650084266,638.94650041,562
伊勢国安芸(奄芸)郡6247,666.58200056147,666.58200034,634
伊勢国安濃郡8863,522.98500082163,522.98500055,858
伊勢国合計1,324714,376.4150001,30710714,376.415000584,729
伊勢国不一致00.000000000.0000000
伊勢国総計1,324714,376.4150001,30710714,376.415000714,376.415000584,729
※『共武政表』の伊勢国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伊勢国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口58万5988人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
志摩国答志(荅志)郡3711,564.43100039111,564.43100023,089
志摩国英虞郡197,714.772000197,714.77200023,854
志摩国合計5619,279.20300058119,279.20300046,943
志摩国不一致00.000000000.0000000
志摩国総計5619,279.20300058119,279.20300019,279.20300046,943
※『共武政表』の志摩国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の志摩国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
尾張国愛智(愛知)郡136124,473.7831001563124,473.783100206,114
尾張国春日井郡202151,462.5660002061151,462.566000110,581
尾張国丹羽郡13173,199.891100131173,199.89110069,453
尾張国葉栗郡4119,070.5140003719,070.51400024,602
尾張国中島郡164124,229.7450001621124,229.74500090,016
尾張国海東郡152127,615.0750001462127,615.07500075,991
尾張国海西郡9844,587.16200010944,587.16200031,328
尾張国知多郡147100,135.4300001482100,135.430000123,890
尾張国合計1,071764,774.1662001,09510764,774.166200731,975
尾張国不一致0.000000000.000000-1
尾張国総計764,774.1662001,09510764,774.166200764,774.166200731,974
※『共武政表』の尾張国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の尾張国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
三河国額田郡20652,555.102000186152,555.10200054,518
三河国碧海郡17897,311.004000179397,311.004000102,382
三河国加茂(賀茂)郡35767,537.997000353267,537.99700059,207
三河国幡豆郡19471,822.187000184171,822.18700073,697
三河国宝飯郡12158,041.91100011858,041.91100055,425
三河国設楽郡22430,171.544000230130,171.54400038,153
三河国八名郡7127,124.4210007427,124.42100023,755
三河国渥美郡13967,809.544000130267,809.54400078,333
三河国合計1,490472,373.7100001,45410472,373.710000485,470
三河国不一致00.000000000.0000000
三河国総計1,490472,373.7100001,45410472,373.710000472,373.710000485,470
※『共武政表』の三河国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の三河国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
遠江国榛原郡14050,382.506490140350,382.50649069,249
遠江国城東郡11168,988.173520116168,988.17352052,317
遠江国佐野郡9929,364.46551095129,364.46551030,616
遠江国山名郡11139,956.32453010939,956.32453024,902
遠江国周知(周智)郡9725,173.40110095125,173.40110028,740
遠江国磐田郡11,168.039000111,168.0390004,430
遠江国豊田郡26955,990.899310271355,990.89931066,961
遠江国長上郡12430,573.09936012630,573.09936031,519
遠江国鹿玉(麁玉)郡62,533.27131062,533.2713103,057
遠江国敷智(敷知)郡14249,254.380130146249,254.38013080,761
遠江国浜名郡21,269.52900021,269.5290003,187
遠江国引佐郡4917,892.25975050117,892.25975019,189
遠江国合計1,151372,546.3490101,15713372,546.349010414,928
遠江国不一致00.000000000.0000000
遠江国総計1,151372,546.3490101,15713372,546.349010372,546.349010414,928
※『共武政表』の遠江国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の遠江国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
駿河国富士郡15751,258.014050153248,772.04610057,975
駿河国駿東郡17353,159.584930165251,960.88200070,608
駿河国安倍郡13021,230.783730125119,427.56985028,308
駿河国有度(有渡)郡11037,548.949050109135,090.98320083,962
駿河国庵原郡8722,275.93270083221,740.18780048,379
駿河国志太郡13654,340.92840012853,141.88600067,851
駿河国益津(益頭)郡3612,139.97200036211,912.90100016,296
駿河国合計829251,954.16486079910242,046.455950373,379
駿河国不一致00.000000000.0000000
駿河国総計829251,954.16486079910251,782.795400242,046.455950373,379
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(25万1918石9斗6升4合4勺5才)の駿河国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の駿河国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口37万2674人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
甲斐国山梨郡14779,555.638700140178,019.23920072,741
甲斐国八代郡18168,037.682750151166,603.55779070,588
甲斐国都留郡10721,637.765500107321,339.52550067,311
甲斐国巨摩郡337142,954.0899002621141,622.011000152,333
甲斐国合計772312,185.1768506606307,584.333490362,973
甲斐国不一致00.000000000.0000000
甲斐国総計772312,185.1768506606307,584.333490307,584.333490362,973
※『郡村石高帳』の甲斐国石高は、外に貫高3貫500文(巨摩郡)。
※『共武政表』の甲斐国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の甲斐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊豆国君沢郡7122,970.86769070153.87810022,916.98959030,474
伊豆国田方郡6925,835.4745407046.23700025,789.23754022,272
伊豆国加茂(賀茂)郡12830,642.909130126135.12546030,607.78367067,113
伊豆国那賀郡174,587.957000177.7150004,580.2420009,820
伊豆国合計28584,037.2083602832142.95556083,894.252800129,679
伊豆国不一致00.000000000.0000000
伊豆国総計28584,037.208360283283,894.25280083,894.252800129,679
※『郡村石高帳』と『日本地誌提要』の伊豆国の町村数総計には、郡が設置されていなかった伊豆七島(『日本地誌提要』によると、大島5村、利島1村、新島2村、神津島1村、三宅島5村、御蔵島1村、八丈島5村、小島2村、青島2村、合計24村)、小笠原島(『日本地誌提要』によると、父島3村、母島1村、合計4村)が含まれない。また伊豆七島、小笠原島は一般に無高とされていた。
※『郡村石高帳』の伊豆国の国郡別石高は過高142石9斗5升5合5勺6才を含む。過高加算前の国郡別石高は『郡村石高帳』、『共武政表』、『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国過高加算前石高過高過高加算後石高
伊豆国君沢郡22,916.98959053.87810022,970.867690
伊豆国田方郡25,789.23754046.23700025,835.474540
伊豆国加茂郡30,607.78367035.12546030,642.909130
伊豆国那賀郡4,580.2420007.7150004,587.957000
伊豆国総計83,894.252800142.95556084,037.208360
※『共武政表』の伊豆国人口総計は、明治7年1月1日調本籍人口15万1774人より明治6年1月1日調の伊豆七島の口2万1791人(『日本地誌提要』によると、大島4460人、利島235人、新島2550人、神津島1445人、三宅島2790人、御蔵島239人、八丈島9423人、小島396人、青島253人)、波津島人口285人(『日本地誌提要』によると賀茂郡に含まれる)、小笠原島人口42人(『日本地誌提要』によると、父島38人、母島4人)を減じた値12万9656人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
相模国足柄上郡9835,074.4482609435,074.44826031,301
相模国足柄下郡9230,561.28810086130,561.28810046,051
相模国大住郡11966,244.425560115266,244.23190055,680
相模国淘綾郡208,108.4166601918,108.41666013,084
相模国愛甲郡4326,265.22507042126,252.01207025,748
相模国津久井郡2912,421.2702503012,421.27025019,881
相模国三浦郡7824,457.49530077324,457.49530062,052
相模国鎌倉郡8931,475.90219085231,475.90219037,985
相模国高座郡11055,168.260580111155,168.26058068,140
相模国合計678289,776.73197065911289,763.325310359,922
相模国不一致00.00000000-60.0000000
相模国総計678289,776.73197065911289,844.162310289,703.325310359,922
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(28万9700石2斗2升5合3勺1才)の相模国の石高総計は全て異なる。
※『郡村石高帳』の相模国の国郡別石高は過高13石4斗6合6勺6才(大住郡、愛甲郡)を含む。過高加算前の国郡別石高は『共武政表』の石高と一致する。また外に永高1122貫371文8分(鎌倉郡)。
旧国過高加算前石高過高過高加算後石高
相模国大住郡66,244.2319000.19366066,244.425560
相模国愛甲郡26,252.01207013.21300026,265.225070
相模国総計289,763.32531013.406660289,776.731970
※『共武政表』の相模国石高は、外に永高1322貫371文8分(鎌倉郡)。
※『共武政表』の相模国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口35万9598人とほぼ等しい。
[81059] 2012年 7月 10日(火)00:40:53YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (1)
[[80384]][[80385]]で、明治5年の石高について簡単にまとめましたが、今回『郡村石高帳』記載の郡別石高について一通り纏めることが出来たので、紹介します。

今回紹介する『郡村石高帳』とは、東京大学史料編纂所所蔵の手書きのものです。史料には
明治六年六月以租税寮蔵本膀写峻功
との記載があり、写本が作成されたのが、地租改正の始った年である明治6年の6月。つまり書き記されている石高は、明治5年度終了時点での、地租改正前の最後の地租であると推測されます。

実は全く同じ『郡村石高帳』というものが一橋大学の経済研究所付属社会化学統計情報研究センターにあります。こちらの史料についても内容を確認したところ、一橋大学所蔵のものは、総理府統計局図書館所蔵の『郡村石高帳』のコピーを取った複製品であることが分かりました。そこで東大史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』と一橋大学所蔵の『郡村石高帳』(即ち総理府統計局所蔵のもののコピー)を実際に手にとって比較したところ、東大史料編纂所所蔵のものには朱書きによる修正が沢山入っているのに対し、一橋大学所蔵のものは修正が入っておらず、時系列的には一橋大学所蔵のものに修正を入れたのが東大史料編纂所所蔵のもので、情報量は東大史料編纂所所蔵のものの方が圧倒的にあることが分かりました。

ところで同じような郡別石高が、菊地利夫『続・新田開発―事例編』古今書院(1986年)にも載っています。この石高は、様々な辞書でも引用されているもでもありますが(例えば江戸と座敷鷹のサイトで引用されている石高は、元をただせば菊地氏の著作から)、
この統計の原本は内務省地誌課が正保郷帳・元禄郷帳・天保郷帳と明治六年の郷村石高帳を筆写した記録であり、東京大学史料館に所蔵されているものである。
とのことです。しかしながら、東大史料編纂所所蔵の『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の原本を私が確認したところ、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字は不完全で、数字もどちらかといえば『旧高旧領取調帳』ベースのものを持ってきたと思われます([80385])。

木村礎校訂『旧高旧領取調帳』(1969年~1979年)の石高については過去に[76816][76817][76818][76819][76820][76821][76822][76904]でまとめましたが、これは関東大震災前に芦田伊人が内務省地理局地誌課に存在した原本を書き写したものを校訂したものです。『旧高旧領取調帳』の編纂経過・編纂年は不明ですが、おそらく『皇国地誌』製作事業の過程で製作されたもので、一部内容から明治9年以降に製作されたものとされています。ただ重要なのはその石高が何時のものかということで、旧領時代の史料となると府藩県三治制時代のもので、地租改正直前最後の明治5年の石高よりも数年前の状況を表しているものと推測されます。

[80384][80385]でもまとめましたが、『郡村石高帳』と同系列の石高を記しているものとして、『明治八年共武政表』(1875年)『日本地誌提要』(1875年)「大日本石高反別古今比較表」『地理局雑報』(8号)(1878年)があります。『日本地誌提要』は
戸数人口共ニ戸籍寮明治六年癸酉ノ表簿ニ据リ、田圃租税ハ其前年ノ数ニ係ル
『地理局雑報』は、
石高ハ明治五年郡村地租帳
と記述していることからも、『郡村石高帳』の石高が明治5年調であることが示唆されます。

さて、『明治八年共武政表』は明治一桁代の郡別人口(その多くは明治6年1月1日調本籍人口)を伝える数少ない史料です。一方『日本地誌提要』は明治7年頃の郡別町村数を記載していますが、その数は『郡村石高帳』の村数と大分異なります。『日本地誌提要』によると、
郡数ノ条。村町ヲ挙ゲ。村数ハ本支ヲ合計シ区分ハ之ヲ略ス。
とあるので、枝村や町の数を省略している『天保郷帳』や分類の曖昧な『旧高旧領取調帳』のものよりは、『日本地誌提要』の町村数の方がより正確とは思われます。

というわけで今回まとめるのは、『郡村石高帳』記載の村数と石高、『日本地誌提要』記載の村数、町数と石高、『共武政表』記載の石高と人口です。

以下、旧国毎に集計します。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
山城国葛野郡8535,655.4545108035,655.45451027,315
山城国愛宕郡9227,161.2737006127,161.273700257,835
山城国宇治郡4615,432.0524303915,432.05243011,330
山城国乙訓郡5225,792.7496005025,792.74960015,537
山城国紀伊郡3327,676.88837024127,676.88837037,421
山城国久世郡4028,420.10236037228,420.10236021,203
山城国綴喜郡6024,963.43900055124,963.43900027,075
山城国相楽郡7937,266.7452008837,266.74520033,730
山城国合計487222,368.7051704344222,368.705170431,446
山城国不一致00.00000000-9,999.999540-10,000
山城国総計487222,368.7051704344222,368.705170212,368.705630421,446
※『共武政表』の山城国石高合計は『郡村石高帳』、『日本地誌提出要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の山城国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口(皇族を除く)と一致し、『共武政表』の山城国人口総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
大和国添上郡15658,233.123980140158,233.12398053,256
大和国添下郡7140,513.95040074140,513.95040038,176
大和国平群郡9031,797.7692008331,797.76920024,419
大和国山辺郡16149,131.41075014849,131.41075033,763
大和国宇陀郡11833,947.189100139133,947.18910025,794
大和国式上(城上)郡5722,711.8037005622,711.80370019,653
大和国式下(城下)郡4827,171.3380005327,171.33800014,410
大和国十市郡7042,455.3966308542,455.39663025,022
大和国広瀬郡3718,518.1890003418,518.18900013,368
大和国葛上郡7124,570.80800062124,570.80800019,740
大和国葛下郡8842,328.2830008642,328.28300033,920
大和国高市郡12841,756.66520012141,756.66520033,734
大和国忍海郡225,577.459000205,577.4590002,811
大和国宇智郡6918,388.7831006318,388.78310017,109
大和国吉野郡24646,584.067700325145,584.06770067,780
大和国合計1,432503,686.2367601,4895502,686.236760422,955
大和国不一致00.000000000.000000-20,000
大和国総数1,432503,686.2367601,4895502,686.236760502,686.236760402,955
※『郡村石高帳』の大和国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の大和国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致する。
※『共武政表』の大和国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口42万3004人とほぼ等しく、『共武政表』の大和国総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
河内国茨田郡9738,222.96400069238,222.96400030,295
河内国交野郡6223,620.9025003923,120.90250021,092
河内国讃良郡4115,369.09000034115,369.90000013,910
河内国河内郡4216,095.4927002816,095.49270016,499
河内国若江郡7140,188.64330064140,188.55330027,873
河内国高安郡235,973.110000145,973.1200006,147
河内国渋川郡4223,134.19730033123,134.19730012,978
河内国大県郡184,717.102000114,717.1020004,647
河内国志紀郡2713,113.2693002213,113.26930010,323
河内国丹北郡5323,820.7770004523,820.77700020,154
河内国石川郡5425,140.21400046125,161.70100022,662
河内国錦部郡7118,204.8831004918,205.38310015,471
河内国安宿部(安宿)郡42,584.850000412,585.0500002,585
河内国丹南郡5122,573.2708005222,173.27080020,009
河内国八上郡1513,078.5500001113,078.5500006,117
河内国古市郡177,281.2712001317,281.7202006,910
河内国合計688293,118.5872005348292,241.953200237,672
河内国不一致00.00000000903.531000906
河内国総計688293,118.5872005348293,118.587200293,145.484200238,578
※『郡村石高帳』の河内国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の郡別石高には様々な誤写があると推測される。
※『共武政表』の河内国人口合計23万7672人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口23万7678人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
和泉国大鳥郡15451,548.055000103251,491.34600081,089
和泉国泉(和泉)郡10431,037.62190082130,958.60190030,665
和泉国南(泉南)郡7636,833.14580073236,828.75080043,622
和泉国日根郡8256,771.95340075256,356.46740054,202
和泉国合計416176,190.7761003337175,635.166100209,578
和泉国不一致00.000000000.00000090,000
和泉国総計416176,190.7761003337176,190.776100175,635.166100299,578
※『郡村石高帳』の和泉国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の和泉国人口合計20万9578人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口20万9174人とほぼ等しく、『共武政表』の和泉国人口総計は誤写と推測される。

村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
摂津国島上郡9332,603.95120060232,597.73020024,685
摂津国島下郡14357,338.492300103257,399.66630035,350
摂津国豊島郡16231,656.67270087131,656.67270029,136
摂津国有馬郡11545,986.91140094245,986.91140032,010
摂津国八部郡5319,658.07840038219,658.07840050,455
摂津国兎原(菟原)郡6113,970.2940005113,970.29400024,538
摂津国武庫郡6023,759.55620056123,759.55620028,777
摂津国川辺(河辺)郡21767,186.241800178267,186.24180064,278
摂津国西成郡18154,054.030000124253,969.238000343,227
摂津国東成郡7736,744.27500058136,699.12500061,916
摂津国住吉郡6920,821.24280056220,761.91680025,147
摂津国能勢郡5412,742.1900004012,742.19000011,424
摂津国合計1,285416,521.93580094517416,387.620800730,943
摂津国不一致00.00000000416,387.6208000.0000000
摂津国総計1,285416,521.93580094517416,387.620800416,387.620800730,943
※『共武政表』の摂津国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の摂津国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊賀国阿拝郡6945,304.53500068145,304.53500049,839
伊賀国山田郡2517,775.1898002617,775.1898009,807
伊賀国伊賀郡5030,298.5674005130,298.56740021,639
伊賀国名張郡3817,539.67420043117,539.67420015,905
伊賀国合計182110,917.9664001882110,917.96640097,190
伊賀国不一致00.000000000.0000000
伊賀国総計182110,917.9664001882110,917.966400110,917.96640097,190
※『共武政表』の伊賀国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伊賀国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81018] 2012年 7月 1日(日)18:35:57【1】YT さん
明治8年、明治11年、明治12年、明治13年共武政表
陸軍参謀局が編纂した『共武政表』ですが、とうとう全巻を近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっていました。

『明治八年共武政表 上』

『明治八年共武政表 下』

『明治十一年共武政表 全』

『明治十二年共武政表 上』

『明治十二年共武政表 下』

『明治十三年共武政表 上』

『明治十三年共武政表 下』

明治11年、明治12年、明治13年の『共武政表』に記載されている本籍人口は、実際にはそれぞれ明治12年1月1日調、明治13年1月1日調、明治14年1月1日調です。

以前から閲覧可能だった『明治八年共武政表』と異なり、これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
[81011] 2012年 6月 30日(土)01:05:50【1】YT さん
「国際戦略港湾」「国際拠点港湾」「重要港湾」と「地方港湾」
[81010] hmtさん
田尻町の本土側と 関空島との間の海域。ここには水上生活者は居ないと思います。
つまり、[81009]に引用された省令第一条第4項各号に該当せず、水面調査区ではないということです。

自分はずっと関西国際空港の陸側に向けて作られた泉州港は

一  港湾法 (昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項 に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項 に規定する港湾区域

に相当するため、水上生活者の有無に関わらず自働的に水面調査区が設置されるものと思ってました。ところがhmtさんの書き込みを読み、改めて大阪府の港湾を調べたところ、どうも泉州港は「国際戦略港湾」「国際拠点港湾」「重要港湾」の何れにも相当しない「地方港湾」だったようです。

大阪府の港湾港湾法の規定市町村
大阪港国際戦略港湾大阪市
堺泉北港国際拠点港湾堺市・泉大津市・高石市
阪南港重要港湾泉北郡忠岡町・岸和田市・貝塚市
二色港地方港湾貝塚市・泉佐野市
泉佐野港地方港湾泉佐野市
尾崎港地方港湾阪南市
淡輪港地方港湾泉佐野市・泉南郡田尻町・泉南市
深日港地方港湾泉南郡岬町
泉州港地方港湾泉南郡岬町

そうなってくると・・・関空と陸側の一部工場地帯を一個の特別調査区としたとかでしょうか?調査区地図の方は、統計図書館に出向かない限り確認しようがないので、ハードルが高いようです。
http://www.stat.go.jp/training/toshokan/micro.htm
[81009] 2012年 6月 29日(金)17:06:03【2】YT さん
水面調査区
[81008] hmtさん

関西国際空港連絡橋を経由しないと往来できない 田尻町や泉南市でも 「隣接」扱いですから、既存の2トンネルに加えて東京ゲートブリッジ[80265] が開通した中央防波堤埋立地も、当然に 23区と隣接した 人口集中地区ということになります。

同じように、1975年、1980年、1985年の北九州市若松区DIDは、八幡西区DIDや戸畑区DIDと隣接してません。それにもかかわらず「北九州連合集中地区」として同一の人口集中地区とされています。

この問題の本質は、「水面調査区」が地図上に図示されてないことによると思います。

昭和45年度版の『わが国の人口集中地区』の「利用上の注意」によると、人口と面積に関して:

(1) 人口集中地区に含まれる水面調査区の人口は,原則として人口集中地区の人口のなかに参入されていない。ただし,市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合は,水面調査区の人口も当該人口集中地区の人口に含めた。

(中略)

(2) 人口集中地区に含まれる水面調査区の面積は,原則として人口集中地区の面積のなかに含めたが,港湾に設定された水面調査区の面積は,当該人口集中地区の面積から除外した。

つまり地図上では空白となっているが、その部分には「港湾に設定された水面調査区」が存在していることになります。

現在の国勢調査の調査区の設定の基準等に関する省令によると、

第一条  国勢調査令 (以下「令」という。)第八条第一項 の規定による調査区の設定は、市町村の区域を一般調査区、特別調査区又は水面調査区のいずれかに区分して行うものとする。

4  水面調査区は、総務大臣の定める方法により、次に掲げる区域を区分して設定するものとする。
一  港湾法 (昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項 に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項 に規定する港湾区域
二  港湾法第二条第二項 に規定する地方港湾の同条第三項 に規定する港湾区域又は漁港漁場整備法 (昭和二十五年法律第百三十七号)第二条 に規定する漁港の水域(前号の国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾に指定されている漁港の水域にあつては港湾区域に該当する水域を除いた水域)で居住者の存するもの
三  河川又は運河の河口及びその周辺水域で居住者の存するもの(前二号に該当するものを除く。)

ともかく「港湾に設定された水面調査区」と「準人口集中地区」に関する地図が入手できれば、[80928]で示したようにDIDを拡張し、人口集中地区・準人口集中地区が港湾に設定された水面調査区をはさんだ分を含めてひたすら隣接した地域の人口・面積の計算も出来るのですけど・・・

【追記】 そういえば[271]で、個々の人口集中地区,準人口集中地区について昭和35年から平成17年までの変遷をまとめて下さったsatoさんは、今どうしていらっしゃるのでしょう?そもそもsatoさんはどうやって準人口集中地区の情報を得たのでしょうか?

 また,準人口集中地区の境界を表示した地図は,本報告書には収録されていないが,総理府統計局に保管され,所定の手続きにより,一般の利用に供されている。

とあるのですが、この所定の手続きは楽なんでしょうかね?

あと、改めてDIDの定義の文([81006])を見返すと、どこにも水面調査区への言及がないですね。
(1) 広大な工場地域・鉄道用地・港湾施設・飛行場等のある特別調査区および社会施設など特殊な施設のある特別調査区。
港湾施設を形成する特別調査区・水面調査区の内、特別調査区のみをDIDに加えるというのは、定義として間違ってないんでしょうけど、「利用上の注意」まで読み進めて初めて「水面調査区」の言及がある。どうも定義の文に不備がある感じがします。
[81006] 2012年 6月 29日(金)02:14:42【1】YT さん
DIDの定義 再び
[80994] 白桃さん
それではと、7割1分3厘というYTさんの驚異的な数字を見て、やっとヒト安心。
人口の話題ばっかり書き込んでいるYTです。最近は過去の市町村別人口のまとめをそっちのけにして、正保郷帳、明治初期の石高にばかり気を取られていて、近い将来にそっちの投稿をする予定です。それはさておき・・・

[81003] hmtさん

東京の中心部にある千代田城一帯は、人口が極めて少ない地区だと思うのですが、なぜ DIDに含まれているのでしょうか?

羽田空港も巨大な人口希薄地帯の筈ですが、これもDID。
それどころか、所属する区が未定の中央防波堤埋立地までもピンクに着色されています。

この辺の例外については、総務省統計局が毎回出版している『我が国の人口集中地区』の方で詳しい解説があります。総ての回の定義部分をコピーして自分の手元に所持しているわけではないので、正確なことは書けませんが、以下は昭和45年版でのDIDの定義です。

2 設定の基準

 人口集中地区は,「市区町村の区域内で人口密度の高い調査区がたがいに隣接して,その人口が5,000人以上となる地域」をいう。
 今回の人口集中地区は,昭和45年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和45年国勢調査調査区(調査区は,調査員の受持ち区域のことで,1調査区は約50世帯を含み,全国が約8万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,人口(昭和45年国勢調査時現在)5,000人以上の地域を構成する場合,この地域を「人口集中地区」とした。
 また,これら人口密度の高い調査区につぎのような調査区が隣接している場合には,人口密度に関係なく,これを人口密度の高い調査区が集まっている地域に含めた。
(1) 広大な工場地域・鉄道用地・港湾施設・飛行場等のある特別調査区および社会施設など特殊な施設のある特別調査区。
(2) 学校・研究所・都市公園・神社・仏閣・運動場等の文教レクリェーション施設,工場・倉庫・事務所・鉄道用地等の産業施設または官公庁・病院・療養所等の公共および社会福祉施設のある地域が,原則として調査区の3分の1以上の面積を占めている調査区。 なお,同一市区町村内に2か所以上の人口集中地区が存在する場合は,人口の多い順に,I,II,III……の符号でそれぞれの人口集中地区を表した。

この頃は、まだ「基本調査区」が導入される前で、一般調査区、特別調査区、水面調査区などの「国勢調査調査区」が基本単位でした。そのため例外(2)では、調査区の3分の1以上の面積が例外施設で占められている調査区がDIDに含まれていましたが、1995年以降の「基本調査区」の設置で基本単位が狭くなり、そのために2分の1に基準がゆるくなったのでしょう。また昭和45年の定義だと皇居は例外(1)に相当する「社会施設など特殊な施設のある特別調査区」となります。現在の定義では例外(1)が残ってるのかは分かりませんが、ウェブ上ではなくて実際に最新の『我が国の人口集中地区』をチェックした方が確実でしょう。

都内であれば、『我が国/わが国の人口集中地区』シリーズは港区にある都立中央図書館で閲覧可能です。ただ書庫内から取り寄せないといけないので、そこよりも東京大学弥生キャンパスの農学生命科学図書館を薦めます。館内の2階には日本帝国統計年鑑の初巻や、一連の国勢調査報告書が揃っており、一度入館すれば煩雑な手続きなしに膨大な数の統計書を閲覧できます。
[80936] 2012年 6月 4日(月)13:59:53【1】YT さん
初期のDIDの定義
[80934] 千本桜 さん

例えば山梨県韮崎市のDID人口は昭和35年に4,070人、昭和40年に3,479人となっています。5,000人以上という規定を大きく下回っています。しかも、35年、40年の2回とも下回っているのは、やっぱり変ですね。昭和40年の調査で規定人口を大きく下回っているDIDとして、山梨県韮崎市3,479人、佐賀県厳木町3,565人、群馬県安中市4,401人、徳島県鴨島町4,490人、富山県福野町4,555人、北海道歌志内市4,593人などがありますが、これもやはり,『人口集中地区の設定に当たって,昭和40年国勢調査人口ではなく,昭和39年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』となるのでしょうか?。

当時の人口集中地区の定義を見る限り、韮崎市のケースなどは、前年度作成の世帯人員概数の算出が妥当で無かったとしか言えないですね。

総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 昭和35年国勢調査による人口集中地区の人口,面積,および地図』(日本統計協会,1961年)によると、

 人口集中地区は,昭和35年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定されている。すなわち,昭和35年国勢調査調査区(1調査区は,約50世帯を含み,全国が446,512の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,昭和34年10月1日現在,人口5,000人以上の地域を構成している場合,これらの調査区の集まりを「人口集中地区」として設定した。

1. 人口集中地区は,昭和34年10月1日現在作成の「昭和35年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数にもとづいて設定されているので,昭和35年10月1日現在では,設定基準の人口5,000人に達しない人口集中地区が若干ある。


総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 昭和40年国勢調査』(日本統計協会,1966年)によると

 人口集中地区は,昭和40年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和40年国勢調査調査区(1調査区は,約50世帯を含み,全国が約49万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,昭和39年10月1日現在,人口5,000人以上の地域を構成している場合,これらの調査区の集まりを「人口集中地区」として設定した。

1. 昭和40年国勢調査の人口集中地区は,昭和39年10月1日現在作成の「昭和40年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数に基づいて設定されているので,昭和40年10月1日現在では,人口5,000人に満たない人口集中地区が若干ある。

総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 国勢調査報告 昭和45年 別巻』(日本統計協会,1972年)によると

 人口集中地区は,「市区町村の区域内で人口密度の高い調査区がたがいに隣接して,その人口が5,000人以上となる地域」をいう。
 今回の人口集中地区は,昭和45年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和45年国勢調査調査区(調査区は,調査員の受持ち区域のことで,1調査区は約50世帯を含み,全国が約8万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,人口(昭和45年国勢調査時現在)5,000人以上の地域を構成する場合,この地域を「人口集中地区」とした。

(2) 昭和40年の人口集中地区は,今回と異なり,昭和39年10月1日現在で作成の「昭和40年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数に基づいて設定されているので,昭和40年の人口集中地区のなかには,人口5,000人に満たないものもある。

連合集中地区、準人口集中地区の設置も昭和45年の国勢調査からで(連合集中地区人口は昭和35年に遡って昭和45年版に掲載されている)、昭和35年・昭和40年の国勢調査の時と設置基準が少しだけ変わったことになります。

まあそれとは別に、

 また,準人口集中地区の境界を表示した地図は,本報告書には収録されていないが,総理府統計局に保管され,所定の手続きにより,一般の利用に供されている。

こちらの方はもっと楽に閲覧できないのでしょうかね?
[80928] 2012年 6月 2日(土)18:56:38【1】YT さん
DIDの定義 【訂正】
[80922] 白桃 さん

---ここで話を中断してすみませんが、昔の国勢調査資料をみてますと5000人に満たないのに、DIDになっているところがかなりあります。これは今と定義が違っていたのか、それとも準人口集中地区をも含めていたのか、詳しい方、お教えください。----
それはそれとして、不思議だったのは古座町のDIDの在り処です。

今手元に『我が国の人口集中地区』がないので正確な解説は書けませんが、確か当初は速報値だったか住基人口だったかをもとに人口集中地区を設置したため、国勢調査人口が確定した後、DID人口が基準値を下回ってしまう場合があるという註釈があったと思います。

というか、今はこういうサービスもあるんですね。
http://nlftp.mlit.go.jp/ksj/jpgis/datalist/KsjTmplt-A16.html

その昔某所でこういう試算をしたことがありますけど、今ならもっと楽ですね。
http://mimizun.com/log/2ch/geo/1078037542/104-180

【追記】自宅に帰ってからDIDに関する文書を見返したところ、上の暫定人口・住基人口というのは間違いで、以下の理由によるものでした。

『昭和35年国勢調査の人口集中地区の中には,5,000人に満たないものもあるが,これは,人口集中地区の設定に当たって,昭和35年国勢調査人口ではなく,昭和34年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』
[80902] 2012年 5月 27日(日)16:52:12YT さん
細倉マインパーク
[80895] 千本桜 さん [80846] 白桃 さん

DID(人口集中地区)がはじめて登場した1960年(昭和35年)の国勢調査ですが、東北地方のDID人口を見ていてアレっ!と思ったのは、宮城県の鶯沢町(現:栗原市)に6,269人のDID人口が記載されていることです。

自分の母の実家が、その細倉鉱山から山一つ越えたところです。とはいえ、

細倉という名の行政区はありません。したがって、細倉という地名は旧村名、大字名、小字名、行政区名のいずれにも該当しない俗称になりますが、地元の人はどのように地名を使い分けているのか気になります。

うーん、親戚との会話では、なんとなく細倉の町並みを含めて鶯沢を呼んでいたような気がします。細倉鉱山の跡地の一部を慶応大学が買ったので、地元では慶応のキャンパスが出来る!とか喜んでいたのですが、いつまでたっても建物が出来ず、しょんぼりという情況です。

初めて鶯沢町の細倉鉱山へ行ったのは昭和42年か43年のことでした。

自分は生まれてすらない・・・。母の実家に何度か行くきっかけになったのは祖母が数え100歳で亡くなった10年前からで、昔の繁栄については良く知りません。親戚のお産婆さんは、1940年代に忙しい時期には毎日のように鶯沢の方で、新生児を取り上げていたと言いますから、今では考えられない程、人が多かったのでしょう。数年前に車で通った記憶では、細倉一帯には古い看板の小さな商店街の残骸が道沿いに立ち並ぶが、そのほとんどが営業しておらず、かといって残っている家も周囲の米農家のもののため、案外裕福そうに見える、といった印象です。

当時、細倉はDIDを形成しない栗駒町岩ヶ崎の都市機能に依存していました。

現在でも岩ヶ崎があの辺りの中心部を担っていたと思いますが、車があれば20~30分ほどで築館、若柳に出られるんですよね。新幹線のくりこま高原駅には何もなかったのですが、最近になってイオンが出来たため、新しい拠点性が生まれたようです。新幹線の駅を栗原電鉄と交差させるように作っていたら、まだ栗原電鉄が生き残る道もあったでしょうが、5年前には廃線となりました。別に地元の住民はほとんど鉄道を使ってなかったのですが、やっぱり鉄道が無くなると地域も寂しいものになります。さらに4年前の栗駒山直下の地震(実家の隣の家の主人がNHKのニュースに出ていました)では、山塊崩落した地区の傍には戦後満州引揚者の集落があったのですが、ますます人口流出・過疎化に拍車がかかっている状況です。

と言いつつ私の母の実家(私の母もそこで生まれたわけではなく、祖母も亡くなるまで都会で暮らしており、祖父の生まれた家といった方が正確ですが)にも、15年程前から誰も住んでいません。直系の親戚はみんな都会で暮らし、誰も農業をやりたがらないのです。
[80506] 2012年 4月 3日(火)18:45:45YT さん
1965年~2005年の国勢調査人口について
[80492] オーナー グリグリさん

お言葉に甘えてYTさんから人口統計のご提供をいただければと思います。私宛に直接メールでお送りいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。>YTさん

すみません。

4月1日の午後10時頃、落書き帳の内容を見た直後に6 MBほどのサイズのファイルを添付したメールを送信しておりますが、届いておりませんか?

サーバー側でスパムメール扱いされているのでしたら、ファイルサイズを小さくして送り直します。
[80489] 2012年 4月 1日(日)14:59:16YT さん
1965~2005年の国調人口
[80487] hmtさん

[80441] hmt
昭和55年(1980)以前の資料については、当時の印刷物を PDF化した文書により提供されています。
[80476] Issie さん
やっと実現していたのですね。そのままではたとえば表計算ソフトの表に取り込むことのできない pdf(というか,画像)ファイル ではあっても。

このようなわけで、1980年以前については、今回の手法が使えません。

実のところ、1965年、1970年、1975年、1980年分に関しては既にエクセルファイルにまとめているので、1965年~2005年までの人口統計はただちに提供できます。

3年前に人口データを一個のエクセルファイルにまとめるという計画を建てた頃、統計局のエクセルファイルからスタートして、1985年から順繰りに時代を遡って人口データを入力していましたが、国勢調査の「町・村」の区分が実際に発足した日付と前後していて間違っているケースが多々あることが判り、各都道府県毎に一気に遡って入力する方式に変更しました。

もっともこういうのは勢いに任せてやった方が良く、当初の予定よりも遅延していますが・・・

二年ほど前に、pdfから画像をOCRで処理して文字・数字を読み取る方法として、幾つかソフトを試しましたが、良質のソフトが見つからず、そちらは断念しています。
[80480] 2012年 4月 1日(日)00:15:12【1】YT さん
明治31年以降の北海道、九州、沖縄県の市町村別人口の変遷
前の投稿[73960]から2年以上空いてしまいましたが、福岡県と佐賀県の市町村別人口の変遷と、2010年国勢調査の結果を加えたエクセルファイルを、以下のサイトにアップしました。これで北海道と九州、沖縄県に関し、明治31年以降の23回分の国勢調査・人口調査、国勢調査以前の5回分の人口静態統計の結果が入っているはずです。

http://touch.moe-lovers.net/up_ssize/download/1333204853.xls/attach

ダウンロードパスは Kyushu です。ファイルサイズは約1MBで、圧縮を掛けていません。

参考資料は[73422]にまとめた通りです。市町村は原則として第1回国勢調査報告書の順に並べております。統計の方は自由に使っていただいて構いませんが、間違いがあっても責任は取れません。また、間違いに気付いた場合は指摘を御願します。

また北海道の戸町役場連合の取り扱いについては[74304]以降進展がなく、資料不足の状況です。

[80479] hmt さん

統計局によるweb上での公開は、すべてが実現したわけでなく、まだ途上であるようです。
例えば、第2回(大正14年)と第3回(昭和5年)報告による市町村別人口を見ることは、まだできません。

大正14年の国勢調査の市町村別人口については以前より近代デジタルライブラリーで閲覧できますが、昭和5年の国勢調査の市町村別人口についても最近近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっております。市町村の廢置分合境界變更及名稱變更(自大正十四年十月二日至昭和五年十月一日)もこのように見ることができます。

近代デジタルライブラリーと統計局のデータにより、内地で実施された全ての国勢調査による市町村別人口を閲覧できることになりました。しかしながら戦中・戦後に実施された臨時の人口調査(昭和19年、昭和20年、昭和21年)と昭和23年の常住人口調査についてはまだオンラインのデータが揃っていません。

[76192]でむっくんさんが紹介されたように、昭和20年の人口調査については

S20…昭和二十年人口調査ノ結果ニ拠ル昭和二十年十一月一日現在ノ都道府県郡島嶼市区町村別人口(PDF)

でも閲覧できるようですが。

近代デジタルライブラリーでは、朝鮮・台湾・樺太などの外地、関東州、南洋群島、青島守備軍管轄地区などで日本が実施したセンサス(国勢調査、臨時戸口調査、島勢調査)の一部も閲覧できます。ただ朝鮮で実施された臨時戸口調査の結果や昭和19年に朝鮮・台湾で実施された臨時の人口調査の結果も閲覧できません。

【追記】 本当は3月31日のうちに投稿を済ませたかったのですが・・・
エイプリルフールネタではありません。
[80394] 2012年 3月 12日(月)15:40:14【1】YT さん
アイグロマツ
[80393] 般若堂そんぴん さん

私は生物の専門家でも、農林業を営んでいるわけでもありませんが、アイグロマツはアカマツとクロマツの一代交雑種だけではなく、自然の交雑でも生まれ得る中間雑種だそうで、アカマツとクロマツの割合により様々な中間的な形態をとるそうです。

柴田勝 「組合せ交配による2,3の日本マツ類における稔性差異」 日本林學會誌 52巻 (6号), 178-185頁 (1970年)の要旨によると、
マツ類における交雑育種の研究のため, クロマツ×アカマツと, クロマツ×天然アイグロマツの組合せ交配(13×20)を行なった。その結果, 交配稔性(種子生産力)に関して次のことが明らかになった。(1) 母本, 父本間に顕著な稔性の違いがあり, いわゆる, 一般組合せ能力に差異のあることが認められた。(2) 父本の稔性値と雑種性との間には高い相関が認められたので交配稔性の差異は遺伝子構成の異なる2つの組織, すなわち, 胚組織と雌性配偶体組織との親和性, または交互作用によると, 推定された。(3) 雑種性の指数としては, 解剖学上針葉における2層以上の下表皮厚膜細胞数のほうが, 樹脂道指数(R.D.I.)よりはるかに相関が高かった。(4) 交雑親和性遺伝子を有すると推定された特殊個体DEN S_1が, 20の父本の一つに認められた。これは解剖学上アカマツと分類される個体であるが, その高い稔性から, 交雑親和性遺伝子を有する"潜在的雑種アイグロマツ"と定義できると思われた。

まだ遺伝子レベルの解析が行われていない時代の日本語論文ですが、確かにアカマツとクロマツの一代交雑は色々生殖上問題があったりするようです。一方で執筆者は天然アイグロマツ同士の交配も行っており、天然アイグロマツや潜在的雑種アイグロマツと推定されるアカマツは高い稔性(有性生殖の過程に異常がなく、交配により子孫を作り得ること)を有しているということで、種子ができても何ら問題ありません。
[80385] 2012年 3月 8日(木)04:03:50【3】YT さん
明治5年石高考 続き
[80384]の石高を比較すると、数値的には(1)~(4)のグループと、その他に分類できると思います。

(7) 菊地利夫氏の『新田開発』、『続新田開発』の石高は、様々な本に引用されており、慶長・正保・元禄・天保・明治石高の基本となっていますが、菊地氏が元文献としてあげている東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には空欄が大量に目立ち、これだけで表を作成することは不可能です。よって菊地利夫氏はさまざまな文献から数字を持ってきていることが伺えるのですが、残念ながら他の引用文献をきっちり明記していません。

(6) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は、奄美群島が大隅国の後ろに、「同属島」として収録されており、薩摩から大隅への移管が決定された明治12年以降に作成された表と推測されます。収録されている明治石高は不完全で、一部明らかに『旧高旧領取調帳』からの掲載が載っています。明治5年石高として引用するのには不適切です。

(5) 『旧高旧領取調帳』はそもそも府藩県三治制以前の旧領との対応の調査がメインです。明治12年前後から各府県が調査結果をまとめたらしいですが、石高もそれぞれの府県の調査次第で地租年次はばらばらです。

残りの(1)~(4)はかなり数字が似ています。

(3) 『明治八年共武政表』は明治5年~明治7年の数字が混在しており、明治5年石高とは限りませんが、大体(1)、(2)、(4)と似ています。郡別石高が利用できます。

(4) 『地理局雑報』の「大日本石高反別古今比較表」は合計と文献の総数が一致しており、また地理局は租税寮の統計を引き継いでいて色々信用できそうですが、筑後と豊後の数字が混同されているなど、間違いがあります。旧国別石高のみで、郡別石高が利用できません。

(2) 『日本地誌提要』は外部に向けて本として発売されたもので、これらの中では一番公的な数字として引用できそうですが、合計と文献値が一致しません。旧国別石高のみで、郡別石高が記載されていません。

(1) 東京大学史料編纂所所蔵『郡村石高帳』は、租税寮が集めた原本に一番近いもので信頼できそうですが、『日本地誌提要』や『地理局雑報』の石高と一部異なります。郡別石高が利用できますが、一部の郡別石高の記述を欠きます(対馬の石高は「麦高」)。あと菊地利夫氏によると

3.正保郷帳に村数が記載されていない国は15か国もあるが、内務省・地誌課の郡村石高帳の末尾に「村数五万五千百八十村」と記してある。

だそうですが、東京大学史料編纂所所蔵『郡村石高帳』にはそのような記述がありません。菊地利夫氏は別の『郡村石高帳』の写本を参考に石高をまとめたのでしょうか?

なぜ明治5年石高にこだわるかというと、菊地利夫氏による明治初期の町村数(6万8858村)の記述の信頼にも直結するからです。地租改正前の町村数に関しては後日改めてまとめます。

【追記:[80384]では郡別石高の記載のある『続・新田開発』(1986年)の旧国別石高を引用しましたが、一般には『新田開発』(1963年)に掲載されている旧国別石高が、様々な本で引用されています。両者では微妙に明治石高が異なります。

『新田開発』(1963年)では、「(1)正保二年、元禄十年、天保元年の統計は「郡村石高帳」(東大史料編纂所)による。(2)明治六年は宮内省租税寮統計による。」と記述しています。ただし東大史料編纂所の『郡村石高帳』は租税寮蔵本の明治石高の写本で、正保・元禄・天保の石高が掲載されているのは『正保・元禄・天保・明治村高比較表』です。

このように菊地氏の本では石高に関する限り、引用の仕方がいい加減で信用できません。】
[80384] 2012年 3月 8日(木)04:03:04【3】YT さん
明治5年石高
正保郷帳の村数・石高をまとめる前に、そもそも明治5年の地租改正前の石高として正しい値は何なのか?という問題に直面しましたので以下旧国別に7つの文献の石高をまとめました。合計は単純に足した数字、総計は文献に記載の数字です。

(1) 東京大学史料編纂所所蔵 『郡村石高帳』
「明治六年六月以租税寮蔵本膀写峻功」との記載があり、石高は明治5年の地租であると推測されます。

(2) 元正院地誌課編 『日本地誌提要』 日報社 (1875年)
「戸数人口共ニ戸籍寮明治六年癸酉ノ表簿ニ据リ、田圃租税ハ其前年ノ数ニ係ル」とあり、石高は明治5年の地租であることがわかります。

(3) 陸軍参謀部編 『共武政表』 青史 (1875年)
石高については何をもとにしたか明記されていません。

(4) 「大日本石高反別古今比較表」 『地理局雑報』 (8号) (1878年)
「石高ハ明治五年郡村地租帳」とあり、石高は明治5年の地租であることがわかります。

(5) 木村礎校訂 『旧高旧領取調帳』 近藤出版社 (1969年~1979年)
旧領毎の旧高を各県にまとめさせたもので、石高は府藩県三治制下の地租もあれば、それ以降のものも混ざっているようです。

(6) 東京大学史料編纂所所蔵 『正保・元禄・天保・明治村高比較表』

(7) 菊地利夫 『続・新田開発―事例編』 古今書院 (1986年)
「この統計の原本は内務省地誌課が正保郷帳・元禄郷帳・天保郷帳と明治六年の郷村石高帳を筆写した記録であり、東京大学史料館に所蔵されているものである。」とあり、一応東京大学史料編纂所所蔵 『正保・元禄・天保・明治村高比較表』をもとにしているはずです。

文献郡村石高帳日本地誌提要共武政表地理局雑報旧高旧領取調帳村高比較表菊地利夫
山城222,368.705170222,368.705170212,368.705630222,368.705170222,222.854730222,265.053730222,265
大和503,686.236760502,686.236760502,686.236760503,686.236760497,405.171330497,404.439530497,404
河内293,118.587200293,118.587200293,145.484200293,118.587200293,308.705200293,308.642200293,208
和泉176,190.776100176,190.776100175,635.166100176,190.776100171,222.653200171,295.214200171,295
摂津416,521.935800416,387.620800416,387.620800416,387.620800416,136.411920416,521
伊賀110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917
伊勢714,376.415000714,376.415000714,376.415000714,376.415000696,928.601200714,376
志摩19,279.20300019,279.20300019,279.20300019,279.20300021,535.23300019,279
尾張764,774.166200764,774.166200764,774.166200764,774.166200764,695.937100764,976.391200764,976
三河472,373.710000472,373.710000472,373.710000472,373.710000472,345.024390472,373.740000472,373
遠江372,546.349010372,546.349010372,546.349010372,486.019010373,182.967650372,878.971100372,878
駿河251,954.164860251,782.795400242,046.455950251,918.964450251,865.541850251,865.541850251,865
甲斐312,185.176850307,584.333490307,584.333490307,584.333490311,502.686690311,502.686690311,502
伊豆84,037.20836083,894.25280083,894.25280083,894.25280084,153.59458082,690.44780082,690
相模289,776.731970289,844.162310289,700.225310289,844.162310290,914.210590290,469.843400290,469
武蔵1,282,000.7709001,282,000.4549301,209,639.0561601,282,000.7709001,273,540.1270101,282,000
安房95,641.42350095,641.42350095,641.42350095,641.42350095,760.30696095,641
上総427,313.770940427,313.770940427,313.770940427,313.770940425,958.033020427,313
下総685,027.998250685,027.998250685,027.998250687,373.860550683,746.122490685,027
常陸921,629.152500921,635.781500921,605.208500912,453.540500921,620.733340921,629
近江857,849.525280857,849.525280857,849.525280857,849.525280858,524.203800857,757.156280857,757
美濃729,654.883650729,654.883650729,654.883650729,654.883650654,657.501060729,831.999650729,831
飛騨57,196.05800057,196.05800057,196.05800057,195.99300057,182.17600057,243.31000057,243
信濃786,950.000980786,411.668380785,717.961980786,411.668380778,219.374100779,462.689600779,462
上野635,851.107340636,116.851340645,883.186840636,116.851340637,017.253830635,766.802340635,766
下野758,648.440710762,851.630820763,103.440620763,103.440620765,997.680318762,523.695690761,523
磐城650,488.882370650,488.882370650,488.882370650,488.882370600,036.141240660,840.157370660,845
岩代760,923.545940760,937.750910760,987.163910760,974.680910745,253.591660750,628.221910750,628
陸前700,649.308000700,649.308000700,649.308000700,649.308000701,507.120000700,368.594000700,360
陸中471,842.912000469,073.737000513,978.982000469,073.737000465,451.122000465,451.122000465,451
陸奥423,000.838000423,100.838000422,259.871000423,100.838000422,139.779000422,139.779000422,139
羽前946,971.305680946,971.304910946,971.305610946,971.305680945,416.861600945,709.286900945,709
羽後568,474.889350568,474.889450568,274.889450568,760.275450560,914.624350568,477.384350568,477
若狭91,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767
越前690,243.617750690,249.700400690,243.617750690,243.617750680,924.173550690,243
加賀508,609.127390508,572.547390508,572.547390508,578.372390508,609
能登305,482.643960305,666.036340305,666.036360307,686.221360305,482
越中877,764.107000877,764.107000863,243.885450899,831.939000877,760
越後1,150,567.5234901,150,836.3685801,150,566.1374881,150,836.3285901,150,507.7919501,149,017.3233501,149,017
佐渡135,206.123000135,206.123000135,514.481000135,206.123000132,687.251000135,095.962000135,095
丹波329,465.473860329,465.473860329,440.739460329,465.473460324,465
丹後148,002.130300148,002.130300148,002.130300148,002.130300154,172.669900148,000
但馬148,147.754270148,147.754270148,133.549870148,147.754270148,147
因幡195,632.645000195,632.645000195,632.645000195,632.645000193,334.946000195,632
伯耆251,069.407000251,069.407000251,069.407000251,069.407000245,034.773000251,069
出雲320,709.911000320,709.911000320,709.911000320,709.911000320,709
石見182,136.898500182,136.898500182,136.898500182,136.898500182,136
隠岐12,562.90700012,562.90700012,562.90700012,562.90700012,562
播磨660,557.816260660,557.816250660,557.816260660,557.816260656,119.108400660,557
美作262,333.864000262,333.864000262,333.864000262,333.864000262,156.353000262,333.867000262,333
備前418,964.538000418,964.538000418,964.628000418,964.538000423,190.534000418,964.435000418,960
備中371,355.175800371,355.175800371,355.106800371,355.175800372,534.287400371,441.375800371,441
備後315,876.181550315,876.181550315,876.262550355,704.437100315,511.340650315,511.340550315,511
安芸314,669.487100314,669.487100314,669.487100314,669.487100313,164.685000313,164.685000313,164
周防552,160.215180552,160.215180552,160.216980552,160.215180548,871.447830552,160.215180552,160
長門458,143.489890458,143.489890458,143.489890458,143.489890454,263.019560458,143.489890458,143
紀伊444,283.133350444,283.133350444,283.133350444,283.133350444,047.996710444,165.259450444,165
淡路136,637.981830136,642.763130136,637.981820136,637.981820136,637
阿波310,484.464740310,484.464740310,484.464740310,484.464740306,732.739386316,732.739370306,732
讃岐302,481.216200309,814.753800309,814.753800309,814.753800293,629.620300311,064.753800311,064
伊予443,321.658842475,556.573340443,321.688420443,855.058320434,356.976250442,079.976470442,079
土佐510,572.194700512,698.991000512,698.991000512,698.991000494,091.429000510,572
筑前633,404.635400633,404.635400633,404.635400633,404.635400633,433.649400633,434.649400633,434
筑後536,742.902650536,742.902650536,902.236650459,184.417000536,841.458650536,841.458650536,841
豊前366,948.081380366,948.081380366,948.081380366,948.081380363,350.518280366,948
豊後459,184.417340459,184.417340459,184.417340459,184.417340459,184.461440459,189.417340459,184
肥前685,116.897620685,117.597620669,518.512180685,117.597620680,997.013920691,444.730250691,444
肥後851,237.052910851,237.052910851,237.052910851,237.052910851,219.885650851,237
日向418,142.356650418,142.356650418,142.356650418,142.356650417,393.172000418,142
大隅261,793.742710261,793.742710276,119.478300261,793.742710261,168.372000261,793
薩摩323,483.000000323,483.502510310,627.311860323,483.502510319,146.709000425,833
壱岐32,853.88500032,853.88500032,853.88500032,853.88500035,042.62900035,042.62900035,042
対馬5,818.1160000.0000000.0000000.0000000.000000
琉球94,230.70094094,230.70094094,230.701000123,711
奄美52,793.39202052,793.39202032,828.70000052,793
合計32,335,180.07175232,366,784.81887032,119,461.01075832,296,285.15736029,096,156.38193420,004,826.53639032,439,432
総計32,351,879.64422232,296,285.15736032,439,434
[80377] 2012年 3月 4日(日)17:21:05【2】YT さん
文献毎の元禄・天保の村数・石高の違いの比較
[80371]の註11と註12が判り難いので、各文献毎の元禄・天保の村数・石高の違いを以下にまとめ直しておきます。

旧国文献元禄村数元禄石高天保村数天保石高備考
山城国葛野郡YT集計・大野瑞男7935,224.1118008135,446.999010
山城国葛野郡村高比較表7035,224.1118008135,446.999010元禄村数誤記
山城国YT集計・大野瑞男459224,257.788160477230,131.760865
山城国村高比較表450224,257.788160477230,131.760865元禄村数誤記
相模国淘綾郡YT集計・村高比較表207,830.425100198,110.611560
相模国淘綾郡大野瑞男207,830.425000198,110.611560元禄石高誤記
武蔵国YT集計・村高比較表2,9511,167,862.9833903,0421,281,431.068820
武蔵国大野瑞男2,9511,167,862.9833903,4121,281,431.068820天保村数誤記
磐城国白河郡YT集計20541,959.0200009343,677.955000元禄石高誤記を仮定
磐城国白河郡大野瑞男・村高比較表20541,959.2000009343,677.955000
陸奥国YT集計4,3651,921,934.8874504,5192,874,239.059880元禄村数誤記を仮定
陸奥国大野瑞男・村高比較表4,3631,921,934.8874504,5192,874,239.059880
安房国YT集計・大野瑞男27293,886.21023028095,736.239070
安房国村高比較表22293,886.21023028095,736.239070元禄村数誤記
下総国YT集計・大野瑞男1,486568,331.1137401,623681,062.631660
下総国村高比較表1,186568,331.1137401,623681,062.631660元禄村数誤記
備中国YT集計・大野瑞男468324,455.623000484363,915.614210
備中国村高比較表486324,455.623000484363,915.614210元禄村数誤記
長門国YT集計・大野瑞男173166,623.645000150404,853.333000
長門国村高比較表123166,623.645000150404,853.333000元禄村数誤記
壱岐国YT集計・大野瑞男5018,072.8060005032,742.921000
壱岐国村高比較表5218,072.8060005032,742.921000元禄村数誤記
対馬国YT集計・大野瑞男1240.0000001400.000000
対馬国村高比較表1240.0000001240.000000天保村数誤記
琉球国YT集計・大野瑞男71123,711.81348071123,711.813480
大隅属島村高比較表1932,828.7000001932,828.700000奄美群島を琉球から分離
琉球村高比較表4690,883.1134804690,883.113480村数誤記
松前嶋YT集計・大野瑞男1280.000000
松前嶋村高比較表集計なし
全国総計YT集計63,22825,910,641.41806063,69030,558,917.841139
全国総計大野瑞男63,22625,786,929.60458063,93230,558,917.841139松前嶋・元禄琉球石高除外
全国総計村高比較表62,83125,910,641.41806063,54030,558,917.841139

この他、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には郡別石高の誤記等が多数ありますが、国別石高はほぼ大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」と同じです。

元禄の国別石高は、『地方凡例録』『竹橋余筆別集』『第2次農務統計表』等にも掲載されています。
[80371] 2012年 3月 4日(日)07:02:40【2】YT さん
元禄郷帳(6)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
西海道総計7,4683,655,547.3287707,5094,114,612.705576
筑前国総計902606,981.420000901651,782.278440
筑前国遠賀郡9649,283.4936009560,146.856380
筑前国宗像郡6450,511.5530006458,264.704240
筑前国鞍手郡7759,025.6328007761,964.898950
筑前国穂波郡6232,635.9836006238,621.534670
筑前国嘉麻郡6840,914.9619006846,702.663060
筑前国上座郡3821,205.7204003825,971.100000
筑前国下座郡4218,933.6750004221,277.952460
筑前国夜須郡5637,481.4808005640,238.912130
筑前国御笠郡5932,535.2020005937,952.316000
筑前国粕屋郡8452,897.8940008465,150.184100
筑前国席田郡98,719.91000099,924.840070
筑前国那珂郡8134,367.2490008143,851.417640
筑前国早良郡5238,698.2690005246,321.317700
筑前国志摩郡5136,096.1980005148,084.341640
筑前国怡土郡6343,674.1969006347,309.239400
筑前国外新田高50,000.000000
筑後国総計709331,497.769000710375,588.897800
筑後国生葉郡5412,675.8370005414,890.817000
筑後国竹野郡8912,397.8120008914,199.382000
筑後国山本郡3012,804.1020003012,910.215000
筑後国御原郡3520,587.4300003522,409.750000
筑後国御井郡7136,780.4660007139,458.100000
筑後国上妻郡10929,616.46200010934,763.278000
筑後国下妻郡3321,518.2260003321,975.513000
筑後国三潴郡14090,223.688000141102,169.008000
筑後国山門郡8657,371.5440008666,010.654000
筑後国三池郡6237,522.2020006246,802.180800
豊前国総計668273,801.848300677368,913.640500
豊前国企球郡9531,981.1970009548,832.533000
豊前国田川郡6339,573.6970006356,879.086000
豊前国京都郡6622,222.7370006634,271.442000
豊前国仲津郡7427,642.3450007440,773.455000
豊前国築城郡3915,556.7090003922,844.107000
豊前国上毛郡7330,113.2460007340,495.081400
豊前国下毛郡8136,688.1127008147,779.353100
豊前国宇佐郡17770,023.80460018677,038.583000
豊後国総計1,516369,546.7916001,473417,514.227150
豊後国国東郡18454,453.07260018379,407.481900
豊後国速見郡12450,314.12500012054,838.713400
豊後国大分郡23061,871.97900022765,466.122300
豊後国海部郡15448,435.83900015456,685.475970
豊後国大野郡39557,769.00200039559,737.313000
豊後国直入郡25435,879.05100025437,304.699000
豊後国玖珠郡6429,333.4970004831,097.550170
豊後国日田郡11131,490.2260009232,976.871410
肥前国総計1,418572,284.1231001,400706,470.723196
肥前国基肄郡229,122.3400002211,992.375000
肥前国養父郡2310,601.4720002313,204.107000
肥前国三根郡4824,335.4600004825,835.460000
肥前国神崎郡10949,335.27100010952,335.271000
肥前国佐嘉郡172102,779.196000172115,290.067000
肥前国小城郡14446,409.68800014452,409.688000
肥前国松浦郡488131,439.361500486189,934.677696
肥前国杵嶋郡11467,436.36100011485,436.361000
肥前国藤津郡7930,750.0840007935,750.084000
肥前国彼杵郡10740,854.0486009152,988.135500
肥前国高来郡11259,220.84100011271,294.497000
肥後国総計1,124563,857.1780001,116611,920.291100
肥後国天草郡12321,768.9760008824,967.232100
肥後国蘆北郡3017,534.5600003019,218.576000
肥後国球麻郡4522,192.3200007241,816.887000
肥後国八代郡6942,881.9270006944,160.986000
肥後国益城郡287123,433.380000287129,228.847000
肥後国宇土郡4925,709.5850004925,996.826000
肥後国飽田郡9451,033.4820009452,333.379000
肥後国詫摩郡2919,088.2360002920,333.164000
肥後国合志郡6034,691.1800006036,672.280000
肥後国山本郡3317,387.1000003317,708.082000
肥後国玉名郡11073,927.90200011079,038.508000
肥後国山鹿郡4433,116.9680004433,316.519000
肥後国菊池郡6726,463.2600006727,233.981000
肥後国阿蘇郡8454,628.3020008459,895.024000
日向国総計398309,954.528170483340,128.861790
日向国諸県郡175127,218.913320175127,277.596520
日向国宮崎郡2936,533.7235202936,592.398520
日向国那珂郡7878,572.9173307890,835.434330
日向国児湯郡4737,582.8990004842,729.890600
日向国臼杵郡6930,046.07500015342,693.541820
大隅国総計230170,833.451000230170,833.451000
大隅国菱刈郡139,986.856000139,986.856000
大隅国桑原郡3221,824.0430003221,824.043000
大隅国始羅郡3926,643.4620003926,643.462000
大隅国囎唹郡6343,884.4800006343,884.480000
大隅国肝属郡3842,015.9880003842,015.988000
大隅国大隅郡3220,192.3130003220,192.313000
大隅国熊毛郡95,205.71900095,205.719000
大隅国馭謨郡41,080.59000041,080.590000
薩摩国総計258315,005.600120258315,005.600120
薩摩国鹿児島郡2730,339.6942002730,339.694200
薩摩国谿山郡615,047.895500615,047.895500
薩摩国給黎郡610,464.207000610,464.207000
薩摩国揖宿郡716,857.056700716,857.056700
薩摩国頴娃郡715,939.384700715,939.384700
薩摩国河辺郡3535,045.7180003535,045.718000
薩摩国阿多郡2023,570.4705002023,570.470500
薩摩国日置郡4851,648.0439004851,648.043900
薩摩国薩摩郡3342,719.1347503342,719.134750
薩摩国伊佐郡5238,401.3624705238,401.362470
薩摩国出水郡723,735.256000723,735.256000
薩摩国高城郡88,445.99140088,445.991400
薩摩国甑嶋郡22,791.38500022,791.385000
壱岐国総計5018,072.8060005032,742.921000
壱岐国壱岐郡2310,049.4710002317,577.855000
壱岐国石田郡278,023.3350002715,165.066000
対馬国総計1240.0000001400.000000
対馬国上県郡570.000000650.000000
対馬国下県郡670.000000750.000000
琉球国総計71123,711.81348071123,711.813480
琉球国沖縄嶋2762,199.0000002762,199.000000
琉球国計羅摩嶋1203.0000001203.000000
琉球国戸無嶋145.100000145.100000
琉球国久米嶋23,677.70000023,677.700000
琉球国粟嶋1727.4000001727.400000
琉球国伊恵嶋13,643.00000013,643.000000
琉球国伊是那嶋1750.2000001750.200000
琉球国恵平屋嶋1541.6000001541.600000
琉球国喜界嶋56,932.40000056,932.400000
琉球国大嶋710,455.500000710,455.500000
琉球国徳之嶋310,009.700000310,009.700000
琉球国永良部嶋34,158.50000034,158.500000
琉球国与論嶋11,272.60000011,272.600000
琉球国宮古嶋612,458.792420612,458.792420
琉球国八重山嶋116,637.321060116,637.321060

五畿八道郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
北海道総計1280.000000
松前嶋総計1280.000000

全国郡名元禄村数元禄石高元禄永高天保村数天保石高天保永高
全国総計63,22825,910,641.418060永高1369貫801文63,69030,558,917.841139永高1367貫670文

註8) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、元禄の琉球国の内訳が掲載されていないが、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』で元禄分も内訳が掲載されており、天保郷帳の記載をそのまま採用した。

註9) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、喜界嶋
大嶋、徳之嶋、永良部嶋、与論嶋が「大隅属島」と区分されており、本表の作成が明治10年以降であることが伺われる。また沖縄嶋、計羅摩嶋、戸無嶋、久米嶋、粟嶋、伊恵嶋、伊是那嶋、恵平屋嶋を全て合わせて「沖縄嶋」と集計している。

註10) 天保の松前嶋村数総数として、枝村を含む和人居住地の村数128を採用した。史籍研究会 『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』 では、ほかに蝦夷人居所402箇所(箱館附場所8箇所、東蝦夷128箇所、西蝦夷195箇所、国後島8箇所、択捉島11箇所、奥尻島・利尻島・礼文島3箇所、樺太49箇所)と他の島25の記載があるが、これらは村数として集計されていない。

 松前東西夲村枝村共
一人居村數    百弐拾八箇村
    内四拾四箇村 枝村

 箱舘附場所之内
一蝦夷人居所   八箇所

 東西蝦夷地
一蝦夷人居所   三百弐拾三箇所

一惣嶋数     三拾壱ヶ所
    但嶋々之内蝦夷人居所 七拾壱ヶ所

区分人居数備考
松前東西本村枝村128枝村44を含む
蝦夷人居所402
 箱館附場所8但し蝦夷人居住の名称が記載されていない
 東西蝦夷地323
  東蝦夷128郷帳から集計
  西蝦夷195郷帳から集計
 嶋々之内71惣嶋数は31ヶ所
  クナシリ嶋8郷帳から集計
  ヱトロフ嶋11郷帳から集計
  大嶋1集計上仮定
  リイシリ1蝦夷人居所壱ヶ所有(名称なし)
  レブンシリ1蝦夷人居所壱ヶ所有(名称なし)
  カラフト嶋49郷帳から集計

大嶋(奥尻島)には「蝦夷人居所壱ヶ所有」等の記述がないが、嶋々の中での蝦夷人居所の集計は70となってしまう。そこで奥尻島の項目に記載されるべき「蝦夷人居所壱ヶ所有」の記述が脱落したと仮定した。

註11) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、元禄村数6万3226・元禄石高2578万6929石6斗0升4合5勺8才と記載されているが、上記表の元禄村数6万3228・元禄石高2591万0641石4斗1升8合0勺6才との差はそれぞれ陸奥国の村数合計不一致+2、琉球の元禄石高12万3711石8斗1升3合4勺8才に相当する。また大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、天保村数6万3932と記載されているが、上記表の元禄村数6万3690との差は誤集計による武蔵国の村数の差-370と松前嶋の村数+128に相当する。


註12) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、元禄村数6万2831と記載されているが、上記表の元禄村数6万3228との差は琉球の村数の差+6、山城国葛野郡の村数の差+9、安房国村数総計の差+50、下総国村数総計の差+300、備中国村数総計の差-18、長門国村数総計の差+50、壱岐国村数総計の差-2、陸奥国村数合計不一致+2に相当する。また東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、天保村数6万3540と記載されているが、上記表の天保村数6万3690との差は琉球の村数の差+6、対馬国総計の差+16、松前嶋+128に相当する。
[80370] 2012年 3月 4日(日)06:31:45【1】YT さん
元禄郷帳(5)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
山陽道総計4,7872,376,120.1260004,8133,211,546.810710
播磨国総計1,800568,517.5790001,796651,964.813500
播磨国明石郡14952,401.44600014757,016.077000
播磨国美嚢郡15540,975.39000015744,146.518300
播磨国加古郡9836,894.6710009950,014.762000
播磨国印南郡11435,819.46200011645,658.439700
播磨国加東郡14750,116.50600015155,819.578100
播磨国加西郡12238,085.77200012339,078.271900
播磨国多可郡12433,887.11100012434,140.639000
播磨国神東郡7922,056.5370007928,484.534090
播磨国神西郡6718,164.5240006922,055.429060
播磨国飾東郡7029,861.1180007139,532.590000
播磨国飾西郡7931,563.4420007740,382.596000
播磨国揖東郡13448,490.09600013055,691.947900
播磨国揖西郡10229,658.70300010133,118.687100
播磨国赤穂郡13238,868.03600012544,078.249600
播磨国佐用郡8823,350.3440008724,187.595400
播磨国宍粟郡14038,324.42100014038,558.898350
美作国総計592259,353.701000628262,099.098000
美作国東南条郡1410,654.0130001410,838.443000
美作国東北条郡3215,120.8030003215,411.158000
美作国西北条郡2310,487.7840002310,765.428000
美作国西々条郡5126,335.8440005126,800.651000
美作国大庭郡4720,351.9650004720,836.769000
美作国真嶋郡9532,943.5410009633,194.017000
美作国久米北条郡3328,777.4800005028,870.413000
美作国久米南条郡5422,774.7880006022,982.121000
美作国勝南郡6824,495.7160007024,654.139000
美作国勝北郡5333,965.4220005734,139.459000
美作国英田郡6413,509.2320006413,659.633000
美作国吉野郡5819,937.1130006419,946.867000
備前国総計646289,224.710000673416,581.854000
備前国御野郡6142,707.1900006352,800.666000
備前国津高郡9338,271.1000009347,395.655000
備前国赤坂郡9437,964.0400009444,132.424000
備前国磐梨郡6421,288.7400006427,217.612000
備前国和気郡8620,978.6500008928,713.035000
備前国邑久郡7145,583.9500007869,534.016000
備前国上道郡9653,001.760000108100,072.824000
備前国児嶋郡8129,429.2800008446,715.622000
備中国総計468324,455.623000484363,915.614210
備中国上房郡2722,005.0272002724,720.902500
備中国阿賀郡3332,531.2213003433,161.099400
備中国哲多郡2922,753.5033002922,804.433100
備中国川上郡5325,523.8657005431,213.727000
備中国小田郡7036,497.7560007137,269.410300
備中国後月郡3717,790.2480003618,003.581000
備中国下道郡1713,826.7709001718,973.970200
備中国賀陽郡7645,007.1756007849,346.670410
備中国都宇郡3928,251.4050004335,682.231200
備中国浅口郡4448,981.2398004954,726.799900
備中国窪屋郡4331,287.4102004638,012.789200
備後国総計494295,678.888000494312,054.932000
備後国御調郡5929,269.1040005937,037.740000
備後国世羅郡4929,571.4250004933,193.055000
備後国三谿郡3818,156.2550003819,245.673000
備後国三上郡1812,836.5620001813,654.330000
備後国奴可郡3917,637.2280003919,792.879000
備後国甲怒郡3215,519.2430003215,574.586000
備後国沼隈郡4326,070.2540004326,425.202000
備後国深津郡3225,564.9170003225,652.294000
備後国安那郡2924,658.9530002924,725.729000
備後国品治郡2111,573.5100002111,709.049000
備後国芦田郡2817,453.3350002817,567.020000
備後国神石郡3822,330.4650003822,344.401000
備後国三次郡4323,093.1750004323,093.175000
備後国恵蘇郡2521,944.4620002522,039.799000
安芸国総計436269,478.310000436310,648.489000
安芸国沼田郡3320,822.3380003328,895.157000
安芸国佐伯郡6334,798.0700006339,797.503000
安芸国豊田郡5651,414.8580005657,797.663000
安芸国山県郡6428,518.6690006430,646.105000
安芸国高宮郡3216,193.7960003217,732.512000
安芸国賀茂郡8849,298.8920008856,010.134000
安芸国安芸郡3825,356.6850003835,841.634000
安芸国高田郡6243,075.0020006243,927.781000
周防国総計178202,787.670000152489,428.677000
周防国大嶋郡2713,195.6150002731,870.020000
周防国都濃郡3334,913.9830002593,332.799000
周防国佐波郡2426,791.0140001883,044.548000
周防国玖珂郡4453,532.78100036103,659.279000
周防国吉敷郡2338,635.3460002098,751.511000
周防国熊毛郡2735,718.9310002678,770.520000
長門国総計173166,623.645000150404,853.333000
長門国豊浦郡6645,082.22900065127,286.534000
長門国大津郡1818,214.1370001542,798.047000
長門国美禰郡1831,921.7450001559,959.307000
長門国厚狭郡3332,306.4630003284,785.952000
長門国阿武郡3738,515.0300002288,817.320000
長門国見嶋郡1584.04100011,206.173000

旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
南海道総計4,5251,546,000.6775404,4511,889,261.906450
紀伊国総計1,413397,668.0190001,337440,858.377710
紀伊国伊都郡12734,180.58900014737,534.277570
紀伊国那賀郡22984,008.94900024890,741.177040
紀伊国名草郡15081,695.75300015087,979.907000
紀伊国海部郡6321,081.6780005925,750.744800
紀伊国在田郡14642,574.11600013747,308.213000
紀伊国日高郡18344,910.90200014848,671.176200
紀伊国牟婁郡51589,216.032000448102,872.882100
淡路国総計23770,428.10000025197,164.784000
淡路国津名郡12137,207.90000012252,609.821000
淡路国三原郡11633,220.20000012944,554.963000
阿波国総計455193,862.285000455268,894.329000
阿波国三好郡2815,805.7100002820,489.375000
阿波国美馬郡219,950.6790002112,738.871000
阿波国阿波郡327,873.5560003210,704.226000
阿波国板野郡10134,721.69200010152,738.087000
阿波国麻植郡3614,482.3800003515,642.831000
阿波国名西郡3917,211.9260003923,005.650000
阿波国名東郡5225,404.7870005432,998.102000
阿波国勝浦郡3214,188.6210003330,091.430000
阿波国那賀郡8842,182.9310008755,534.426000
阿波国海部郡2612,040.0030002514,951.331000
讃岐国総計385186,394.041000377291,320.256400
讃岐国大内郡3410,200.0000003414,871.661000
讃岐国寒川郡2513,600.0580002621,522.707000
讃岐国三木郡2011,619.4770002017,203.116000
讃岐国山田郡3018,178.2500003028,372.544000
讃岐国香川郡4721,904.7730004737,302.399000
讃岐国阿野郡3517,759.2590003529,495.136000
讃岐国鵜足郡2716,183.6970002729,038.844000
讃岐国那珂郡4119,460.1360004029,032.730900
讃岐国多度郡2114,676.8100002218,984.071000
讃岐国三野郡2819,043.7610002732,401.830000
讃岐国豊田郡4713,859.7660003922,067.593000
讃岐国小豆嶋97,916.25100098,994.386000
讃岐国塩飽嶋181,250.000000181,250.000000
讃岐国直嶋3741.8030003783.238500
伊予国総計959429,163.258540955460,997.639340
伊予国宇摩郡5121,223.1310005122,572.198800
伊予国新居郡5226,083.8770005233,731.476000
伊予国周布郡3721,342.5850003623,054.416000
伊予国桑村郡2713,434.1320002714,634.317000
伊予国越智郡9538,584.0590009246,221.629000
伊予国野間郡3014,989.2250003016,522.458000
伊予国風早郡8417,635.8560008418,417.696000
伊予国和気郡2214,246.1260002216,198.524000
伊予国久米郡3115,790.2570003117,333.347000
伊予国伊予郡3424,011.8670003426,686.227000
伊予国浮穴郡9935,656.6110009937,769.192000
伊予国喜多郡8333,939.7700008334,720.057000
伊予国宇和郡279130,409.808540279130,409.808540
土佐国総計1,076268,484.9740001,076330,026.520000
土佐国安芸郡11022,181.99900011030,056.362000
土佐国香我美郡14739,610.93000014747,268.056000
土佐国長岡郡14736,549.45200014744,910.837000
土佐国土佐郡10320,784.92000010329,250.880000
土佐国吾川郡6921,750.0490006926,222.405000
土佐国高岡郡22057,328.97600022072,984.692000
土佐国幡多郡28070,278.64800028079,333.288000
[80369] 2012年 3月 4日(日)06:26:26YT さん
元禄郷帳(4)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
北陸道総計8,9123,008,193.6391708,9103,622,488.969650
若狭国総計25588,281.52240025591,018.822200
若狭国大飯郡7419,970.7386007420,320.601600
若狭国遠敷郡12243,030.14980012244,219.201600
若狭国三方郡5925,280.6340005926,479.019000
越前国総計1,541684,271.8096001,533689,304.819870
越前国足羽郡16091,963.62800016092,863.626000
越前国吉田郡13979,289.73840013980,804.032000
越前国丹生郡22987,599.48990022987,973.148800
越前国今立郡20185,667.18500020286,200.011000
越前国南条郡9337,203.2910009235,639.510500
越前国坂井郡350185,485.161000349185,521.392000
越前国大野郡28395,534.80930027697,491.640700
越前国敦賀郡8621,528.5070008622,811.458870
加賀国総計770438,281.770000768483,665.848700
加賀国河北郡17877,939.34000017790,700.563000
加賀国石川郡243177,262.010000235183,508.752000
加賀国能美郡215117,348.830000213131,299.724700
加賀国江沼郡13465,731.59000014378,156.809000
能登国総計681239,208.795400666275,369.990210
能登国羽咋郡19081,788.89800019191,031.531500
能登国鹿嶋郡15374,990.11410015085,955.788910
能登国鳳至郡25654,737.48300025064,961.548500
能登国珠洲郡8227,692.3003007533,421.121300
越中国総計1,441611,000.1000001,376808,008.461820
越中国新川郡511197,612.040000486282,103.413820
越中国婦負郡18664,648.00000018084,671.080000
越中国射水郡240138,183.340000220171,283.951000
越中国砺波郡504210,556.720000490269,950.017000
越後国総計3,964816,775.7307704,0511,142,555.535850
越後国頚城郡1,087206,834.8056701,098224,528.938600
越後国苅羽郡19169,986.95900019075,500.337470
越後国魚沼郡58080,827.973000409100,305.259500
越後国古志郡21745,039.04200026869,545.390100
越後国三嶋郡21463,876.69400022477,727.699030
越後国岩船郡24348,501.17900025060,478.961000
越後国蒲原郡1,432301,709.0781001,612534,468.950150
佐渡国総計260130,373.911000261132,565.491000
佐渡国加茂郡10046,656.55400010047,492.368000
佐渡国雑太郡10062,375.91100010063,226.834000
佐渡国羽茂郡6021,341.4460006121,846.289000

旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
山陰道総計4,2201,372,238.9974004,2141,499,296.436760
丹波国総計902293,445.547400880324,136.268670
丹波国桑田郡21450,385.34560021556,805.634000
丹波国船井郡20442,313.44100020353,256.533290
丹波国何鹿郡7741,305.5053007142,361.920400
丹波国天田郡10450,106.53480010450,915.453720
丹波国氷上郡17164,169.94570017368,546.206660
丹波国多紀郡13245,164.77500011452,250.520600
丹後国総計392145,821.182000388147,614.804460
丹後国与佐郡9242,056.6520009242,655.397000
丹後国加佐郡13738,302.58100013738,991.085460
丹後国中郡3321,558.6650003321,738.797000
丹後国熊野郡5318,885.7530005318,979.097000
丹後国竹野郡7725,017.5310007325,250.428000
但馬国総計627130,673.235000623144,313.084030
但馬国朝来郡9020,682.9520009020,739.756000
但馬国養父郡10420,916.71000010023,692.594000
但馬国二方郡547,926.735000549,840.706000
但馬国七味郡596,700.000000738,783.642000
但馬国気多郡8017,940.6470007519,959.944400
但馬国城崎郡7920,370.2080007921,660.814630
但馬国美含郡7411,098.3060007211,628.509000
但馬国出石郡8725,037.6770008028,007.118000
因幡国総計535170,728.289000553177,844.624000
因幡国岩井郡4619,554.3760005020,713.069000
因幡国法美郡6018,806.1880006019,123.253000
因幡国八東郡8523,128.5760008823,244.984000
因幡国八上郡5820,010.1600006020,577.499000
因幡国智頭郡9614,380.0560009814,563.432000
因幡国邑美郡3215,491.0280003516,461.596000
因幡国高草郡7835,553.3080008037,823.506000
因幡国気多郡8023,804.5970008225,337.285000
伯耆国総計710194,416.567000754217,990.822280
伯耆国河村郡10222,727.80500010425,312.890000
伯耆国久米郡11137,829.47100011939,064.655000
伯耆国八橋郡10328,625.19400010731,842.697000
伯耆国汗入郡7424,320.8960007427,062.298060
伯耆国会見郡14954,863.12000017361,940.043000
伯耆国日野郡17126,050.08100017732,768.239220
出雲国総計504282,489.739000504302,627.465000
出雲国嶋根郡5123,120.0340005124,783.438000
出雲国秋鹿郡2010,416.2670002011,308.918000
出雲国楯縫郡2313,172.1370002315,835.685000
出雲国出雲郡1922,142.5040001923,437.342000
出雲国神門郡8559,698.3000008567,525.408000
出雲国飯石郡6130,630.3380006131,395.580000
出雲国仁多郡7221,330.5420007221,557.964000
出雲国大原郡5825,871.4800005826,844.848000
出雲国能義郡7743,274.4840007745,638.197000
出雲国意宇郡3832,833.6530003834,300.085000
石見国総計489142,499.235000451172,209.768320
石見国安濃郡3614,175.6010003014,510.167000
石見国邇摩郡5716,157.4680004616,647.348000
石見国邑知郡11333,889.64000010236,781.165600
石見国那賀郡12036,271.34100011648,549.446720
石見国美濃郡10026,962.3380009633,108.396000
石見国鹿足郡6315,042.8470006122,613.245000
隠岐国総計6112,165.2030006112,559.600000
隠岐国海士郡82,419.63300082,465.515000
隠岐国知夫里郡53,159.64400053,204.464000
隠岐国越智郡162,859.831000162,982.675000
隠岐国周吉郡323,726.095000323,906.946000
[80368] 2012年 3月 4日(日)06:13:10【1】YT さん
元禄郷帳(3)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
東山道総計14,6246,463,940.15250014,6917,954,049.255308
近江国総計1,516836,829.7207801,516853,095.305590
近江国犬上郡12460,879.83100012461,982.733400
近江国愛知郡11864,319.20860011764,666.171600
近江国神崎郡8347,877.7670008248,303.651000
近江国蒲生郡227136,324.050400228139,585.483400
近江国甲賀郡13775,838.86914013778,128.377110
近江国野洲郡8165,361.0706008166,901.354200
近江国栗太郡11364,573.50700011568,292.251600
近江国滋賀郡8745,314.3672008845,989.544100
近江国高嶋郡15273,468.28560015674,026.516480
近江国伊香郡7136,024.2770007136,248.370800
近江国浅井郡14576,209.87100014276,680.282900
近江国坂田郡17890,638.61624017592,290.569000
美濃国総計1,631645,101.5030001,602699,764.321660
美濃国不破郡4637,893.4100004540,331.586300
美濃国多芸郡6932,369.5390006135,766.985600
美濃国石津郡9126,987.9003009128,571.290300
美濃国安八郡16485,561.57300015293,744.053000
美濃国池田郡6718,577.6270006724,067.901000
美濃国大野郡11949,500.81900011953,522.503190
美濃国本巣郡7234,971.8830007140,176.696800
美濃国席田郡95,579.21400095,755.002900
美濃国方県郡5034,306.7360005035,671.334700
美濃国厚見郡5736,284.5010005841,606.605100
美濃国山県郡5525,614.0580005526,330.754000
美濃国武儀郡14632,485.86400014534,192.459800
美濃国郡上郡16929,933.15010016431,310.303700
美濃国加茂郡12843,500.10060012145,762.914070
美濃国恵那郡7934,307.1500008040,381.050300
美濃国土岐郡5619,625.5410005621,553.070280
美濃国可児郡9632,128.8920009532,578.749260
美濃国各務郡3520,009.5010003720,330.165900
美濃国羽栗郡6521,074.8960006521,773.703460
美濃国中嶋郡3012,694.5360003314,587.327000
美濃国海西郡2811,694.6120002811,749.865000
飛騨国総計41444,469.21900041456,602.309000
飛騨国大野郡13617,166.53500013622,077.814000
飛騨国吉城郡17819,556.99600017824,326.598000
飛騨国益田郡1007,745.68800010010,197.897000
信濃国総計1,697615,818.7375401,615767,788.077600
信濃国佐久郡18677,658.72400018896,780.355100
信濃国諏訪郡14435,019.91490013544,006.476600
信濃国伊那郡298122,687.946940284134,043.131760
信濃国筑摩郡23154,806.43920023382,080.154840
信濃国小県郡12166,143.50600012076,990.992000
信濃国埴科郡3720,780.2140003723,641.649300
信濃国更級郡7845,977.2260007356,610.989700
信濃国安曇郡17938,944.23850018060,123.870900
信濃国水内郡26584,671.523000214108,542.528500
信濃国高井郡15869,129.00500015184,967.928900
上野国総計1,213591,834.4488701,217637,331.633100
上野国邑楽郡8578,956.2270008680,504.195190
上野国新田郡11365,525.33327011467,345.843880
上野国山田郡5836,217.5215006337,049.574050
上野国佐位郡4016,913.5970003621,295.298700
上野国那波郡6027,023.3920005129,853.997170
上野国群馬郡205114,860.111000209120,700.294840
上野国勢多郡17660,519.83100017877,365.379950
上野国利根郡11730,758.97300011730,899.889900
上野国吾妻郡8824,888.8198008825,273.832300
上野国碓氷郡6440,375.8240006841,415.381700
上野国片岡郡34,267.61400034,267.614000
上野国多胡郡2712,289.6998002712,669.119700
上野国緑埜郡4529,136.3595004531,484.950620
上野国甘楽郡13250,101.14600013257,206.261100
下野国総計1,361681,702.8014601,365769,905.027038
下野国河内郡205106,289.230200202110,593.296010
下野国芳賀郡188115,280.724650192133,083.251715
下野国塩谷郡14649,015.09790014455,006.084520
下野国那須郡29997,336.793600298125,398.651200
下野国足利郡4632,149.3305004633,097.686880
下野国簗田郡2814,028.7950002814,158.903933
下野国安蘇郡6462,835.6345006465,725.910510
下野国都賀郡372196,730.720110378223,852.678270
下野国寒川郡138,036.475000138,988.564000
陸奥国総計4,3651,921,934.8874504,5192,874,239.059880
磐城国総計1,326517,082.530950963613,924.675660
磐城国白河郡9341,247.68200010264,170.258000
磐城国石川郡7436,254.8250007648,998.149000
磐城国田村郡15094,130.250350138106,752.851850
磐城国菊多郡9538,245.2356006740,000.479510
磐城国白川郡20541,959.0200009343,677.955000
磐城国磐前郡14949,654.19700010954,816.129300
磐城国磐城郡8430,245.4040004832,041.668000
磐城国楢葉郡9227,425.6540003831,117.724000
磐城国標葉郡7620,224.9040005522,725.790000
磐城国行方郡14447,807.3130009651,141.621000
磐城国宇多郡6927,493.9760004631,918.070000
磐城国宇多郡(1)6022,373.7360003724,898.190000
磐城国宇多郡(2)95,120.24000097,019.880000
磐城国刈田郡3319,991.5600003323,539.230000
磐城国伊具郡3626,534.8100003639,442.940000
磐城国亘理郡2615,867.7000002623,581.810000
岩代国総計1,306641,269.5165001,305755,703.961220
岩代国会津郡28573,389.91800028587,294.666500
岩代国大沼郡15345,658.47620015352,691.176000
岩代国耶麻郡27297,659.420500274122,848.020000
岩代国河沼郡20055,304.00130020074,384.265000
岩代国岩瀬郡7860,430.0485007969,159.628900
岩代国安達郡7371,206.8330007090,795.913030
岩代国安積郡4837,752.9200004754,704.447290
岩代国信夫郡108111,540.283000108114,457.251600
岩代国伊達郡8988,327.6160008989,368.592900
陸前国総計702398,958.830000702697,838.180000
陸前国柴田郡3519,885.6200003530,527.780000
陸前国名取郡6144,514.9400006164,249.900000
陸前国宮城郡7847,578.6300007875,435.820000
陸前国黒川郡4931,311.4100004943,611.090000
陸前国賀美郡3824,779.6500003839,247.460000
陸前国玉造郡2117,723.0700002124,906.980000
陸前国志田郡6429,256.0600006457,195.750000
陸前国遠田郡5831,040.7700005860,747.280000
陸前国栗原郡9281,354.89000092135,970.380000
陸前国登米郡2418,271.0600002440,372.090000
陸前国牡鹿郡605,420.4600006014,927.350000
陸前国桃生郡6519,748.4700006573,441.620000
陸前国本吉郡3315,173.1000003321,682.680000
陸前国気仙郡2412,900.7000002415,522.000000
陸中国総計530228,520.614000537423,134.490000
陸中国磐井郡8659,317.0100008683,017.320000
陸中国胆沢郡3747,582.4500003777,031.250000
陸中国江刺郡4126,627.4000004140,586.650000
陸中国和賀郡4421,885.6600004638,362.692000
陸中国稗貫郡5215,112.2030005242,447.666000
陸中国紫波郡5116,380.0040005147,185.279000
陸中国岩手郡5412,223.4140005535,903.389000
陸中国鹿角郡338,272.3250003318,983.063000
陸中国閉伊郡9113,666.7800009426,725.210000
陸中国九戸郡417,453.3680004212,891.971000
陸奥国総計501136,103.3960001,012383,637.753000
陸奥国二戸郡488,148.3040004813,888.542000
陸奥国三戸郡6718,874.0140006738,575.259000
陸奥国北郡505,983.9280005413,911.722000
陸奥国津軽郡336103,097.150000843317,262.230000
出羽国総計2,4271,126,248.8344002,4431,295,323.521440
羽前国総計1,195733,879.2304001,204804,569.693740
羽前国置賜郡260193,993.534200260216,161.220230
羽前国村山郡422352,513.707200430366,147.135970
羽前国最上郡12851,072.34180012862,387.453800
羽前国田川郡385136,299.647200386159,873.883740
羽後国総計1,232392,369.6040001,239490,753.827700
羽後国飽海郡25462,318.74500026774,428.472400
羽後国秋田郡25364,320.82100028384,719.960000
羽後国川辺郡4816,520.1960005322,083.154000
羽後国雄勝郡8340,891.2450008654,836.706000
羽後国仙北郡16482,030.53300017593,611.794000
羽後国山本郡7020,347.1530007628,453.063000
羽後国平鹿郡9551,195.36000010759,950.292000
羽後国由利郡26554,745.55100019272,670.386300

註5) ※大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では陸奥・出羽の石高は有力大名の知行を元に区切った郷帳毎に集計されているが、判り易いように明治以降の国(磐城・岩代・陸前・陸中・陸後・陸奥・羽前・羽後)で集計した。郷帳別集計は以下の通り。

旧国元禄村数元禄石高天保村数天保石高郡構成
陸奥(1)910272,011.816000912337,218.127500会津,大沼,耶麻,河沼
陸奥(2)516341,022.558850512434,581.248070白河,石川,岩瀬,田村,安達,安積
陸奥(3)905277,935.643600543300,419.556810菊多,白川,磐前,磐城,楢葉,標葉,行方,宇多(1)
277,935.463600(白川郡の石高修正後(註6を参照))
陸奥(4)197199,867.899000197203,825.844500信夫,伊達
陸奥(5)970600,000.000000970992,057.260000刈田,柴田,伊具,宇多(2),亘理,名取,宮城,黒川,賀美,玉造,志田,
遠田,栗原,登米,牡鹿,桃生,本吉,気仙,磐井,胆沢,江刺
陸奥(6)531128,000.000000542288,874.793和賀,稗貫,紫波,岩手,鹿角,閉伊,九戸,二戸,三戸,北
陸奥(7)336103,097.150000843317,262.230000津軽
出羽(1)260193,993.534200260216,161.220230置賜
出羽(2)422352,513.707200430366,147.135970村山
出羽(3)12851,072.34180012862,387.4538最上
出羽(4)639198,618.392200653234,302.256140田川,飽海
出羽(5)978330,050.859000972416,325.355300秋田,川辺,雄勝,仙北,山本,平鹿,由利

註6) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」によると、
元禄郷帳陸奥の村数は計算によると4,365村と2村多く、石高集計は1,921.935.06745となり0.18多い。郡石高に2升を2斗の誤記があるか。これを除いて計算は全て合う。
該当する郡は磐城国白河郡しかないため、元禄の磐城国白河郡石高を4万1959石2斗から4万1959石2升に修正した。陸奥国村数総数として計算値4365を採用した。

註7) 近世絵図地図資料研究会編『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳』解読篇と史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』の比較において、平鹿の村数に関し、集計数と実際に記載されている村の数が一致しないが(記載されている村は109項目で、集計数107よりも2村多い)、集計されている村数の方を採用した。
[80367] 2012年 3月 4日(日)05:54:32【2】YT さん
元禄郷帳(2)
旧国名郡名元禄村数元禄石高元禄永高天保村数天保石高天保永高
東海道総計15,1305,933,115.744030永高1369貫801文15,3236,652,134.556760永高1367貫670文
伊賀国総計182100,540.002000182110,096.536000
伊賀国阿拝郡6939,413.8900006944,046.739000
伊賀国山田郡2516,499.0200002518,112.130000
伊賀国伊賀郡5027,953.1800005030,216.981000
伊賀国名張郡3816,673.9120003817,720.686000
伊勢国総計1,400621,027.4420001,325716,451.492700
伊勢国桑名郡10447,568.50100016965,115.467000
伊勢国員弁郡10847,388.92200010649,923.482000
伊勢国朝明郡6229,404.5880006433,379.119000
伊勢国三重郡9060,712.5020008967,495.527000
伊勢国鈴鹿郡9252,618.3620008866,770.783500
伊勢国河曲郡4232,393.8170003834,225.721000
伊勢国安芸郡6944,212.9830006147,637.997000
伊勢国安濃郡8558,012.4500008561,058.720000
伊勢国一志郡15890,911.429000131109,890.107000
伊勢国飯高郡11446,486.07700011352,486.684500
伊勢国飯野郡4223,405.2540003925,724.922000
伊勢国多気郡17442,396.07300012948,237.689000
伊勢国渡会郡26045,516.48400021354,505.273700
志摩国総計5620,061.6410005621,470.398000
志摩国答志郡3712,130.1440003712,953.658000
志摩国英虞郡197,931.497000198,516.740000
尾張国総計989521,480.5180001,008545,875.793000
尾張国愛知郡12284,471.46500012289,511.329000
尾張国春日井郡181106,046.728000189111,764.184000
尾張国丹羽郡11759,404.17800011859,541.518000
尾張国葉栗郡4113,768.8430004113,905.615000
尾張国中嶋郡16882,312.97000016782,252.940000
尾張国海東郡13882,837.87800013888,891.311000
尾張国海西郡7525,084.8760009128,835.934000
尾張国知多郡14767,553.58000014271,172.962000
三河国総計1,267383,413.4423001,292466,080.746800
三河国額田郡16243,258.32920016851,914.880350
三河国賀茂郡34764,522.71550034766,953.239700
三河国碧海郡12582,402.09710012996,999.709340
三河国幡豆郡13852,453.90800015170,047.589170
三河国宝飯郡10851,463.86120010857,482.798620
三河国設楽郡22827,055.35200022930,083.289080
三河国八名郡6521,549.0253006526,984.123000
三河国渥美郡9440,708.1540009565,615.117540
遠江国総計1,093328,651.4365801,094369,552.575180
遠江国榛原郡13846,517.58450014150,013.144290
遠江国城東郡11561,029.94341010869,036.653990
遠江国佐野郡9426,770.2773009429,157.595630
遠江国山名郡10137,532.61150010839,931.417220
遠江国周知郡9223,108.9840009425,074.530840
遠江国磐田郡11,042.71700011,042.717000
遠江国豊田郡25350,462.04263025954,455.891990
遠江国長上郡12325,721.61700012030,518.565680
遠江国麁玉郡51,400.94500052,491.601290
遠江国敷知郡12841,215.08624012149,063.076640
遠江国浜名郡21,079.95600021,267.403000
遠江国引佐郡4112,769.6720004117,499.977610
駿河国総計795237,937.407280780250,538.753090
駿河国志太郡12550,538.35333012654,391.493390
駿河国益津郡3211,847.7430003212,136.855300
駿河国有渡郡9836,001.8085509936,856.146150
駿河国安倍郡11719,855.47750012220,866.577730
駿河国庵原郡8121,771.7706008222,100.558100
駿河国富士郡16148,257.39130014851,536.759520
駿河国駿東郡18149,664.86300017152,650.362900
甲斐国総計849253,023.271030769312,159.329490
甲斐国山梨郡14669,707.60929014679,515.564200
甲斐国八代郡17961,374.54804018067,867.079490
甲斐国都留郡18819,681.10000010721,568.381500
甲斐国巨摩郡336102,260.013700336143,208.304300
伊豆国総計28583,791.28235028484,171.293620
伊豆国君沢郡6922,793.0349006922,904.626560
伊豆国田方郡7125,765.3910007125,839.911680
伊豆国加茂郡12830,628.87945012730,811.558880
伊豆国那賀郡174,603.977000174,615.196500
伊豆国伊豆国附諸嶋320.000000
相模国総計679258,216.582020永高1348貫801文671286,719.756890永高1346貫670文
相模国三浦郡7622,627.1120007824,501.660860
相模国鎌倉郡8927,645.145600永高1348貫801文8931,007.243250永高1346貫670文
相模国高座郡11847,128.75610011852,288.371000
相模国愛甲郡4720,596.0997504526,334.314820
相模国大住郡12364,424.02307011865,967.408400
相模国淘綾郡207,830.425100198,110.611560
相模国足柄下郡8425,904.4344008330,854.909000
相模国足柄上郡9530,249.6230009435,304.732800
相模国津久井県2711,810.9630002712,350.505200
武蔵国総計2,9511,167,862.9833903,0421,281,431.068820
武蔵国豊嶋郡11744,150.24939011448,850.729390
武蔵国荏原郡9832,086.0953009433,689.395660
武蔵国橘樹郡12451,944.29694012854,460.972600
武蔵国久良岐郡5316,301.8112505417,121.590960
武蔵国都筑郡7522,964.4051807627,625.565900
武蔵国多摩郡374122,142.995490403139,613.056790
武蔵国新座郡3112,247.0602003714,248.759120
武蔵国入間郡24374,599.885600261100,250.571220
武蔵国高麗郡10525,466.94365010527,485.482440
武蔵国秩父郡8229,952.7200008331,478.139900
武蔵国男衾郡358,022.140440369,311.752230
武蔵国大里郡4321,112.0737004623,648.419700
武蔵国比企郡15656,079.42410015861,348.774280
武蔵国横見郡4219,720.8250004520,553.968300
武蔵国足立郡432134,065.882470445149,435.660590
武蔵国葛飾郡269116,788.092920281119,628.871590
武蔵国埼玉郡421266,408.245100427283,630.873110
武蔵国幡羅郡5938,665.8872005939,623.301560
武蔵国榛沢郡8329,040.9679408132,132.306090
武蔵国那賀郡136,588.735900136,941.410100
武蔵国児玉郡6327,265.6106006327,652.553000
武蔵国賀美郡3312,248.6350203312,698.914290
安房国総計27293,886.21023028095,736.239070
安房国長狭郡6222,868.9406306223,000.026730
安房国朝夷郡6122,388.9636006222,660.437190
安房国平郡7325,931.2420007326,207.544350
安房国安房郡7622,697.0640008323,868.230800
上総国総計1,149391,113.9541101,194425,080.453410
上総国天羽郡7624,450.6449007724,527.427950
上総国周淮郡10624,246.17580010926,757.986980
上総国望陀郡19354,087.64276019459,935.734480
上総国市原郡18352,701.93158018456,273.210810
上総国夷隅郡15665,060.07920016969,222.310260
上総国埴生郡4917,092.2586104718,081.662710
上総国長柄郡12455,546.83180015162,613.545830
上総国山辺郡13046,979.42960013453,043.157920
上総国武射郡13250,948.95986012954,625.416470
下総国総計1,486568,331.1137401,623681,062.631660
下総国葛飾郡30997,626.153950340121,576.637030
下総国猿嶋郡6927,591.6940007445,830.467100
下総国結城郡4224,624.0929005135,082.435100
下総国豊田郡7739,303.3832008039,198.679300
下総国岡田郡2816,876.9078003923,003.471030
下総国相馬郡13455,250.71100014264,621.125530
下総国千葉郡12839,139.33608013743,423.836290
下総国印旛郡22261,568.29933026070,037.223250
下総国埴生郡5924,309.3413006325,750.313620
下総国香取郡286127,106.103850297148,245.912450
下総国匝瑳郡6330,167.9451106937,560.160990
下総国海上郡6924,767.1452207126,732.369970
常陸国総計1,677903,778.458000永高21貫000文1,7231,005,707.489030永高21貫000文
常陸国茨城郡303157,751.588000304175,012.579850
常陸国那珂郡143102,969.278000142116,809.580000
常陸国久慈郡170100,869.871000162108,768.322000
常陸国多賀郡8857,288.2900009263,777.313320
常陸国新治郡179104,103.493000179114,881.835710
常陸国真壁郡218125,341.177000永高21貫000文234133,508.768160永高21貫000文
常陸国筑波郡15871,975.94400017480,624.753980
常陸国信太郡8842,114.4040008944,944.276890
常陸国河内郡11754,092.54000013063,528.781810
常陸国行方郡8943,175.4870008954,223.147070
常陸国鹿嶋郡12444,096.38600012849,628.130240

註1) 史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』では天保の伊豆国附諸嶋として17村1湊2郷12嶋(無高)の総計32の地名の記載があるが、伊豆国の集計から除外した。

註2) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」によると
内閣文庫所蔵「元禄郷帳」の相模国石高集計に誤りがあり、郡別石高を計算集計してこの表の同国石高とした。
とあるが、史籍研究会『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』では元禄の相模国石高総計を25万8216石5斗8升2合2勺と記載しており、25万8216石5斗8升2合2才よりも0.00018石多い。

註3) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では元禄の相模国淘綾郡の石高を7830石4斗2升5合と集計しているが、これでは相模国の合計が一致しないため誤植(1勺が脱落)と判断した。史籍研究会『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』の記載に従い相模国淘綾郡の石高として7830石4斗2升5合1勺に修正した。

註4) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、天保の武蔵国村数を3412と集計しているが、誤読・計算間違いと判断した。史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』の記載に従い、天保の武蔵国村数として3042を採用した。
[80366] 2012年 3月 4日(日)05:33:21【2】YT さん
元禄郷帳(1)
以前、[76916][76917][76918][76919][76920][76921]にて史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』 汲古書院 (1981年)、史籍研究会 『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』 汲古書院 (1981年)記載の石高と近世絵図地図資料研究会編 『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳 : 解読篇(近世歴史資料集成第7期第1巻第3分冊)』 霞ケ関出版 (2010年)との村数、石高比較をしましたが、その後、むっくんさんの指摘により、[79622][79623]に示すように、史籍研究会本や国立公文書館のデジタルアーカイブに収録される際、『天保郷帳』の原本の一部が欠けたり別のところに挿入されるなどの問題が発生したことが判りました。

一方それ以前の江戸時代の郷帳である、『正保郷帳』や『元禄郷帳』記載の村数・石高については、例えば農商務省農務局 『第2次農務統計表』 (1881年)の石高があります。本落書き帳でも、過去に[59109]でokiさんがまとめてます。

年号西暦町数村数石高基礎資料
正保21645554595545923292668正保国絵図
元禄101695627916279127095466元禄郷帳
天保11829634726347230553440天保郷帳
明治61873697366973632555897郡村石高帳(宮内省租税寮)
明治6187311942688208076231017135府県概表(東京・有隣堂)
明治81975125936825980852日本全国戸籍表(内務省)
明治191986125375871971256地方行政区画総覧(内務省地理局)

(※この数値は、年次も含めて必ずしも正しいとは限りません。私が現時点で把握している数値というにすぎません。また明治になって町が出現するのは、村高がないため幕府の郷帳に記載されていなかった、城下町等を構成する町々が統計に表われてくるからです。江戸期の郷帳では城下町以外の町(新田、宿、浦など含め)も村の中に入っていますが、明治以降の町(これは町だけ)は、新田等を含む村と別扱いです。)

さて、日本史辞典等に収録されている江戸時代の旧国別石高の引用元として、菊地利夫 『新田開発』 至文堂(1963年)が挙げられ、正保2年、元禄10年、天保元年、明治6年の村数、石高が旧国別にまとめられています。『新田開発』記載の村数、石高は以下の通りで

年号西暦村数石高
正保2年1645年24,553,757
元禄10年1697年63,27625,867,392
天保元年1829年63,54030,558,917
明治6年1873年32,008,292

註によると
註(1)正保二年、元禄十年、天保元年の統計は「郡村石高帳」(東大史料編纂所)による。(2)明治六年は宮内省租税寮統計による。

一方、菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』 古今書院(1986年)では、一歩踏み込んで国郡別村数・石高がまとめられています。註によると

1.郷帳の総石高(村数)
 正保郷帳:2334万2672石(2万2399村・記載数のみ)
 元禄郷帳:2594万5712石(5万8796村)
 天保郷帳:3055万6770石(6万2084村)
 明治郷帳:3243万9434石(6万8858村)
2.正保郷帳に記載がない国高は慶長3年(太閤検地)の石高を参考のため総石高の中にしようした。
 上総国 37万8892石
 陸奥国(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)167万2806石
3.正保郷帳に村数が記載されていない国は15か国もあるが、内務省・地誌課の郡村石高帳の末尾に「村数五万五千百八十村」と記してある。

そこで東京大学史料編纂所で調べたところ、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』、『郡村石高帳』(共に手書き写本)という史料があることがわかり、閲覧しましたが・・、その結果どうやら菊地利夫氏は『正保・元禄・天保・明治村高比較表』や『郡村石高帳』だけで表を作成したわけではなく、他の文献を参考にしつつもそれらの出典を明記せず、斗以下の位を切り捨ててしまっていることが判りました。例えば地租改正直前の明治石高と町村数については、明らかに『郡村石高帳』以外の数字を混ぜています。菊地氏がまとめた石高と、東京大学史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は微妙に異なり、東京大学史料編纂所所蔵写本には石高や村数・町数に空欄があります。さらに『日本地誌提要』 (1875年)、『明治八年 共武政表』 (1875年)、木村礎校訂 『旧高旧領取調帳』 近藤出版社 (1969~1979年)に記載されている地租改正前の石高や村数・町数とも全部微妙に異なり、どれを基礎史料にするべきなのか、答えが出ません。

また正保郷帳に関しては、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には空欄が多々あります。これに関しては近い将来和泉清司 『近世前期郷村高と領主の国別データ : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』 岩田書院 (2008年)と菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の三点を用いて比較検討しようと思っています。

さて、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は元禄村数・石高、天保村数・石高についてはほぼ全て記載しております。表の作成者・作成年は不明ですが、墨の上から何者かによる鉛筆や朱書きによる修正が加えられています。菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』の石高は修正後のものを採用している場合がありますが、この修正はしばしば桁の読み間違い等に起因する計算間違いを堂々としており、最初に写本を作成した人のものがよっぽど信用できます。最後の頁に元禄、天保の総合計がまとまっており

総合計
 元禄
  村 六万弐千八百三拾壱 (横に修正:六万三千弐百七十六)
  高 弐千五百九拾壱万〇六百四拾壱、四壱八〇六 (横に修正:弐千五百八拾七万六千三百九拾弐、八四九弐六)
    永千三百六拾九、八〇壱

 天保
  村 六萬三千五百四拾
  高 三千五拾五万八千九百拾七、八四壱壱三九
    永千三百六拾七、六七

後から再計算をした何者かが修正した数字を書き込んでしまっていますが(元禄村数6万3276は『竹橋余筆別集』巻八「諸国村数書付」の記載を元に修正したと想像されます。なお同じ頁の直後には、江戸時代初期の大藩の人口変遷が記載されていることでも有名な書)、村数はともかくとして、石高の方に関しては修正前の方が原本のものに近いと思われます。

元禄郷帳に関しては大野瑞男 「国絵図・郷帳の国郡石高」 『白山史学』 (23号) 1-50頁 (1984年)という論文の中で国郡別村数・石高をまとめています。以下説明を引用すると:

正保郷帳が残されている国々では郡村別にその石高が判明するが、本稿ではこれを省略し、元禄郷帳高と天保郷帳高を国郡別に末尾に付表として紹介した。前述したように、天保郷帳は内閣文庫に全部残されているので、その石高は容易に知ることができるが、元禄郷帳は内閣文庫に一七カ国分しかなく、全国的にそれを知ることはできない。「六拾余州郡名村数高附記」や国立史料館所蔵「諸国郷帳」には国郡別に高の記載があるが若干の誤りがあり、「地方凡例録」巻之四下「日本国総石之事」は国別の石高が記されるが、これも誤りがある。そこで著者はこれらの史料の国郡別石高を計算等により詳細に検討し、現在一番正しいと思われる数字を付表に記した(28)。

(28) 内閣文庫所蔵「元禄郷帳」の相模国石高集計に誤りがあり、郡別石高を計算集計してこの表の同国石高とした。国立史料館所蔵元禄の「諸国郷帳」は大和を欠くが、郡別石高記載は、河内内交野、摂津兎原、陸奥名取・江刺・津軽、丹後与佐、但馬気多、美作英田、紀伊牟婁の各郡に誤りがあり、備後安那郡の石高記載を欠く。内閣文庫「六拾余州郡名村数高附記」の元禄郡別石高の誤りは、遠江山名・豊田、駿河志太、相模鎌倉・高座・大住・愛甲、武蔵男衾・足立、下総印旛、上野邑楽、出羽村上、丹後与佐・竹野、因幡智頭、伯耆日野、備後御調・沼隈、安芸沼田、豊後日田の各郡、村数の誤りは、山城葛野、河内讃良、相模足柄下、武蔵幡羅、備中国および後月、淡路津名、筑前鞍手、壱岐国の各国郡である。また「竹橋余筆別集」巻八「諸国村数書付」の国別村数は上総・陸奥・出羽・若狭・長門のそれが誤りである。「地方凡例録」の元禄・天保石高合計は天保の末尾九札を省略したのみで正しい。

そこで大野瑞男氏の論文を元に、元禄・天保郷帳記載の国郡別村数・石高をまとめてみました。

旧国名郡名村数元禄石高村数天保石高
畿内総計3,5621,555,484.7526503,6511,615,527.199925
山城国総計459224,257.788160477230,131.760865
山城国葛野郡7935,224.1118008135,446.999010
山城国愛宕郡7427,299.4350108127,333.996955
山城国宇治郡4415,396.5780005115,529.308290
山城国紀伊郡2926,496.6863503427,629.177220
山城国乙訓郡5026,341.7062005226,581.054210
山城国久世郡3926,478.5992004228,551.929260
山城国綴喜郡5230,107.6536005431,554.361100
山城国相楽郡9236,913.0180008237,504.934820
大和国総計1,405500,497.3086801,354501,361.691560
大和国添上郡13060,086.89398011459,131.251960
大和国添下郡6539,176.8090006440,360.993000
大和国平群郡7731,756.9329007632,013.967700
大和国山辺郡14448,825.50900011849,302.054100
大和国宇陀郡11231,442.54300011533,947.189100
大和国式上郡5724,649.1007005624,693.371700
大和国式下郡4027,227.8520004027,183.681000
大和国十市郡7837,392.5696007737,574.865100
大和国広瀬郡3218,580.5910003218,806.474000
大和国葛上郡6228,084.8490006224,562.222000
大和国葛下郡7842,949.9550007842,911.795000
大和国高市郡11141,408.00650011341,740.820900
大和国宇智郡6018,291.0470005918,520.477000
大和国忍海郡195,576.019000195,576.019000
大和国吉野郡34045,048.63100033145,036.510000
河内国総計511276,329.829540545293,786.634500
河内国茨田郡8137,824.1150008138,300.402000
河内国交野郡3922,768.6720003823,678.967800
河内国讃良郡3211,021.2295403415,369.614000
河内国河内郡2615,229.3500002916,077.050000
河内国若江郡5235,482.6420006140,197.137000
河内国高安郡145,705.779000145,983.594000
河内国渋川郡2521,808.4500003123,131.327300
河内国大県郡114,708.446000144,717.102000
河内国志紀郡1913,012.9620002213,516.655300
河内国丹北郡4125,259.5450004323,781.078000
河内国丹南郡4320,103.7160004922,567.589800
河内国八上郡1213,078.6030001213,071.953000
河内国古市郡157,263.449000167,290.764400
河内国安宿部郡42,384.97500052,584.879000
河内国石川郡4824,894.3710004825,167.527000
河内国錦部郡4915,783.5250004818,350.993900
和泉国総計317161,692.126400320172,847.986000
和泉国大鳥郡8346,266.4941008847,880.918200
和泉国泉郡8928,945.3513008931,077.962200
和泉国南郡6933,553.1210006737,289.234600
和泉国日根郡7652,927.1600007656,599.871000
摂津国総計870392,707.699870955417,399.127000
摂津国嶋上郡6132,738.3260006533,358.527600
摂津国嶋下郡9852,680.2942009956,801.122600
摂津国豊嶋郡8830,788.4320009331,754.987800
摂津国能勢郡3612,530.8320003612,663.819000
摂津国有馬郡8944,039.2730009045,863.202400
摂津国八部郡4418,465.6010004519,533.489500
摂津国兎原郡4912,331.6860005113,882.315000
摂津国武庫郡4820,409.8536705023,571.739300
摂津国川辺郡18864,116.69600019366,655.747700
摂津国西成郡8345,785.36400012253,032.160000
摂津国東成郡5735,772.5860006236,632.425000
摂津国住吉郡2923,048.7560004923,649.591100
[80347] 2012年 2月 28日(火)05:25:11YT さん
岩手県下之町村
[80346] 右左府 さん

『花巻市史 近代篇』のご紹介有難うございます。

とりあえず、
[80336]で私が書いた、
以上により、明治11年~明治13年の『共武政表』と明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』で「花巻」という名前の下に示される約400戸の輻輳地・市街は、実は町部分(藩政時代の四日町+一日市町)のみではないかと私は考えるに至りました。
は取り消しですね。花巻村と四日町、一日市町が分離していた時代、どうやら花巻村は幕末~明治維新でも十数戸レベルで、事実上無視できるサイズだったようです。

その代わり『都府名邑戸口表』記載の明治17年1月1日調人口は、花巻401戸1868人+北万丁目49戸302人+里川口896戸3679人+南万丁目112戸589人=1458戸6438人に大体対応することが示唆されます。ということは寛政3年(1791年)の町方4595人が三町に対応するとして、寛政4年(1792年)の町方5406人は、三町+里川口村+花巻村+南万丁目村+北万丁目村ぐらいに対応するのでしょう。

なお、近代デジタルライブラリーの『岩手県下之町村』(1925年)では、最初から花巻川口町扱いになっていました。

本村は元里川口と称せり、町村制実施の際南万丁目村並に高木村の内字(中川原の内瀬川筋嘉平治潤より北上川直径の零度以南限り)を併せ花巻川口町と称す。
[80339] 2012年 2月 26日(日)16:48:48【1】YT さん
江戸時代の花巻の人口について
江戸時代の花巻の人口について[80328]で言及した『花巻市史 近世篇二』(1982年)からの引用を紹介します。

『邦内郷村志』によると、花巻三町の人口は、川口町2685人、四日町702人、一日市543人、合計3930人とあります。この他組同心38戸、竈数71家とありますが、これだけでは武家人口は推定できません。

さて、江戸時代の盛岡藩の藩内の人口構成は、『雑書』という盛岡藩藩内史料に詳しく掲載されているそうです。私はその原本を読んだことがありませんが、高橋梵仙の『日本人口史之研究』(1955年)の方に掲載されている数字を多少加工してwikipediaの江戸時代の日本の人口統計の方にまとめました。「多少加工」というのは高橋梵仙氏の表自体に明らかな項目ズレという誤植があったり、男女合計や小計に不一致があったりするからです。本当は原本や、原本から作成した活字本を閲覧出来れば良いのですが。

上記表では「四町」と町人人口を纏めてしまいましたが、雑書原本の天和三年(1683年)の御領分切支丹によると

盛岡御町
一、壱万弐千三百弐十四人 内 男六千七百四十七人 女五千五百十七人
郡山御町
一、弐千百六十七人 内 男 千百三十壱人 女千三十六人
花巻御町
一、四千六百五十四人 内 男 弐千五百十六人 女弐千百三十八人
三戸御町
一、千四百九十壱人 内 男 八百弐十九人 女六百六十二人

という具合に盛岡藩内の四町の人口が紹介されています。ここで『岩手県史』からの記述を引用すると

天和三年(1683年)には花巻の町人が四千六百五十四人とある。その外花巻侍を百五十戸とし、一戸六人とすると九百人、足軽六十戸として三百六十人、合わせて五千九百十四人、その他を加えると六千人前後あったことが推考されよう。

とのことで、花巻城下に暮らす武家、寺社方人口は1400人程度と推定されています。

一方花巻の人口変遷は、高橋梵仙氏からの引用に従うと(天保5年の数字は『岩手県史』から)

元号西暦町方人口元号西暦町方人口元号西暦町方人口元号西暦町方人口
天和3年1683年4,654元文3年1738年6,364宝暦12年1762年4,987天明4年1784年4,517
貞享元年1684年4,611元文4年1739年6,365宝暦13年1763年4,035天明5年1785年4,565
元禄3年1690年4,842元文5年1740年6,268明和元年1764年4,079天明6年1786年4,548
元禄4年1691年4,821寛保元年1741年6,193明和2年1765年4,091天明7年1787年4,585
元禄6年1693年5,025寛保2年1742年5,881明和4年1767年4,353天明8年1788年4,568
元禄7年1694年5,339寛保3年1743年4,757明和5年1768年4,216寛政元年1789年4,598
元禄8年1695年5,417延享2年1745年4,894明和6年1769年4,126寛政2年1790年4,586
元禄9年1696年4,960延享3年1746年4,890明和7年1770年4,119寛政3年1791年4,595
元禄12年1699年5,188延享4年1747年4,780明和8年1771年4,126寛政4年1792年5,406
元禄13年1700年5,187寛延2年1749年4,592安永元年1772年4,152寛政5年1793年5,422
元禄14年1701年5,278寛延3年1750年4,547安永2年1773年4,138寛政6年1794年5,383
正徳元年1711年5,199宝暦元年1751年4,438安永3年1774年4,637寛政7年1795年5,399
正徳2年1712年5,261宝暦2年1752年4,513安永4年1775年4,539寛政8年1796年5,376
正徳3年1713年5,399宝暦3年1753年4,544安永5年1776年4,541寛政10年1798年5,393
享保3年1718年4,974宝暦5年1755年4,563安永6年1777年4,548享和3年1803年5,431
享保5年1720年5,055宝暦6年1756年4,753安永7年1778年4,523天保5年1835年4,622
享保12年1727年4,866宝暦7年1757年4,453安永8年1779年4,552天保10年1839年5,415
享保18年1733年4,857宝暦8年1758年3,691安永9年1780年4,544天保11年1840年5,401
享保19年1734年4,928宝暦9年1759年3,751天明元年1781年4,550
元文元年1736年4,921宝暦10年1760年3,811天明2年1782年4,561
元文2年1737年4,327宝暦11年1761年3,863天明3年1783年4,569

上の数字は近代以前の日本の都市人口統計にも掲載しましたが、男女別人口と合計が合わないところなどは加工しています。『岩手県史』、『花巻市史』にしても『雑書』に当たって数字をまとめていない(高橋梵仙→岩手県史→花巻市史の順に引用している)し、高橋氏自身、数字は知り合いからの紹介として解説しているので、誤植や計算間違いの真相は判りません。

ただ、『雑書』によると寛政年中の花巻の人口は約5400人で、『邦内郷村志』の4000人とは1400人の差があります。『岩手県史』の解説にある武家、寺社方推定人口約1400人がいい感じに当てはまりますが、そもそも『雑書』では武家、寺社方人口を別にカウントしています。『花巻市史』の方では解説していませんが、『雑書』が現住人口ベースの統計であることが関わっているのかも知れませんし、『邦内郷村志』の方が家持ちの人口しかカウントしていないせいなのかも知れません。でも一番ありえそうなのが、町の範囲が異なるせいでしょう。その差は花巻村と川口村(民戸合計21戸)だけでは説明がつかず、南万丁目村、北万丁目村等、かなり広い範囲も花巻に加算されているのでしょう。

『雑書』の人口に計外推定人口1400人(若干多過ぎる気もしますが)を合算することで、花巻の人口を計算さますと、花巻の人口は17世紀末順調に増え、1695年頃の元禄年中に6800人(町方5417人)に達しましたが、その後は人口減少に転じます。1738年~1742年の間は人口が1000人程急増していますが、おそらく町の範囲に変更があっただけと思われます。宝暦の大飢饉後に急激に人口が減少し、宝暦8年(1758年)には約4200人(町方3811人)と人口が底となります。宝暦12年(1762年)の突発的なプラス1000人を無視すると、18世紀末には花巻の人口は約6000人(町方約4600人)で安定しますが、寛政4年(1794年)以降、再び人口がプラス1300人となり、三町の外側まで加えた人口となったのでしょう。以降天保5年(1834年)を除き、三町の外側まで加えた地域が花巻人口として登録されています。『日本地詩提要』や『共武政表』の人口4426人は、天保11年(1840年)の人口5401年からマイナス1000人となっていますが、こちらは三町内だけの人口なのでしょう。

なお注意なければならないのは『雑書』の人口は信頼に欠ける点が残っています。『盛岡市史』の編纂に関わっている森嘉兵衛が指摘したように、宝暦の大飢饉以降、どうも盛岡藩は飢饉による人口減少の責を幕府から問われることを恐れ、人口データを集計段階で捏造したのではないかという疑いを持たれています。歴史人口学者の速水融も「近世日本の人口構造と変動」で指摘しているように、宝暦2年(1752年)以降総人口が約35万人で固定されており、しかも安永6年(1777年)から寛政2年(1790年)の間は1年を除いて性比が112.9に固定されており、「ある意味では、性比まで考慮するかなり高度の人口への知識を持った者の仕業とい言わざるを得ない」というわけです。

実は人口の捏造は盛岡藩だけでなく、長州藩も行っています。延享3年(1750年)の人口を幕府に報告する際、藩主の了解のもと郡レベルで配分して6000人の人口水増しを行ったことが『公儀事諸控』に記述されているそうです。長州藩の場合は藩の控えの人口史料と幕府への報告人口とに差がある年が他にもありますが、盛岡藩ほど極端な異常は見られません。
[80336] 2012年 2月 26日(日)02:13:57【3】YT さん
明治初期の稗貫郡内の市街・町村等の人口変遷、「花巻」も町部のみの可能性
第2回(明治11年、人口は明治12年1月1日調)と第3回(明治12年、人口は明治13年1月1日調)の『共武政表』における稗貫郡内の輻輳地の人口をチェックしました。

せっかくなので明治6年~明治22年の稗貫郡内の市街・町村等の人口変遷としてまとめておきます。

『日本地誌提要』 明治6年1月1日調本籍人口
名邑市坊戸数人口
花巻31,0274,426

『明治八年共武政表』 明治6年1月1日調本籍人口
輻輳地(千人以上)戸数人口
川口町1,0274,426
大迫村2191,100

『明治十一年共武政表』 明治12年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
下根子120618326292
里川口8313,4481,7731,675
花巻4011,709894815
八幡132707351356
好地161827425402
大迫3591,723922801

『明治十二年共武政表』 明治13年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
大迫駅3001,452766686
好地村内石鳥谷113575285290
八幡村47230117120
花巻駅3811,749901848
里川口村8233,4521,7931,659
下根子村321548173

『明治十三年共武政表』 明治14年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
大迫3071,483783700
石鳥谷117549278271
八幡51229103126
花巻3891,590806784
里川口8273,3721,7421,630
下根子1201497871

『都府名邑戸口表』 明治17年1月1日調本籍人口・現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
都府名邑本籍戸数本籍人口現住戸数現住人口
花巻1,4236,1521,4156,048

『地方行政区画便覧』 明治17年1月1日調本籍人口
戸長役場ノ所在地村数戸数口数村名
大迫村41,3087,418大迫村・亀ヶ森村・内川目村・外川目村
関口村87894,460関口村・八重畑村・滝田村・猪鼻村・五大堂村・
東中島村・新堀村・戸塚村
高木村57664,063高木村・東十二丁目村・矢沢村・高松村・幸田村
好地村96163,712好地村・北寺林村・大瀬川村・八幡村・中寺林村・
大興寺村・富沢村・松林寺村・長谷堂村
湯本村115393,031湯本村・二枚橋村・台村・北湯口村・糖塚村・
大畑村・南寺林村・金矢村・小瀬川村・椚目村・
狼沢村
東宮野目村135963,254東宮野目村・下似内村・北飯豊村・葛村・江曽村・
西中島村・黒沼村・小森林村・田力村・庫理村・
柏葉村・上似内村・西宮野目村
里川口村71,6537,472里川口村・南万丁目村・花巻村・北万丁目村・下根子村・
西十二丁目村・外台村
円万寺村119516,386円万寺村・膝立村・鍋倉村・湯口村・西晴山村・
上根子村・中根子村・下シ沢村・鉛村・豊沢村・
太田村

『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』 明治19年12月31日調本籍人口・現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
市街・町村公称町村数本籍戸数本籍人員現住戸数現住人員
大迫11,8133502911,701
川口16343,0356543,180
花巻13881,8294021,868
里川口17663,5277963,707
亀ヶ森村2531,4612441,443
内川目村4182,7533962,723
外川目村2341,5302131,523
新堀村2241,9273241,902
東十二町目村2121,0672121,067
太田村3382,4853382,454

『法令全書』 明治22年12月31日調現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
町村名現住人口市町村制施行時の合併
花巻町2,507花巻村・北万丁目村・高木村の一部
里川口町4,619里川口村・南万丁目村・高木村の一部
大迫町1,918大迫村
内川目村2,745内川目村
外川目村1,589外川目村
亀ヶ森村1,437亀ヶ森村
八重畑村2,437八重畑村・関口村・滝田村・猪鼻村・五大堂村・東中島村
新堀村2,223新堀村・戸塚村
矢沢村3,804矢沢村・高松村・幸田村・東十二丁目村・高木村の一部
好地村2,760好地村・北寺林村・大瀬川村・大興寺村・松林寺村・富沢村・長谷堂村
八幡村2,134八幡村・中寺林村・南寺林村・江曽村・西中島村・黒沼村・小森林村
湯本村2,965湯本村・北湯口村・大畑村・二枚橋村・台村・金矢村・小瀬川村・椚ノ目村・狼沢村・糖塚村
宮野目村2,759東宮野目村・西宮野目村・葛村・田力村・庫理村・柏葉村・上似内村・下似内村・北飯豊村
根子村1,539下根子村・西十二丁目村・外台村
湯口村4,453湯口村・円万寺村・鍋倉村・膝立村・西晴山村・上根子村・中根子村・鉛村・下シ沢村・豊沢村
太田村2,629太田村

こうやって並べてみると、藩政時代の花巻三町(河口町・四日町・一日市町)・里川口村・花巻村から、里川口村・花巻村への統合は、明治8年末~明治11年前半頃に行われたと推測されます。また[80328]で、
里川口と花巻の人口は4年後の明治17年1月1日調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』に比べると共に300人程少なく、つまり明治十年代の里川口・花巻はかなりの人口増加をしていることが明らかです。
などと書いてしまいましたが、明治12年~明治14年の間は花巻周辺の人口はむしろ減っていたようで、明治10年代前半は人口減少、明治10年代後半は人口増加など、人口の流出・流入が劇的に起こっていたようです。戸数の方(もしかしてこの場合は家数?)は大きな変化はありません。

なお明治17年の『都府名邑戸口表』の花巻の本籍人口1423戸6152人は、明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』 の里川口766戸3527人+花巻388戸1829人=1154戸5356人と比べても多すぎます。人口だけなら変動の範囲内ですが、戸数が200戸も違います。

以上により、明治11年~明治13年の『共武政表』と明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』で「花巻」という名前の下に示される約400戸の輻輳地・市街は、実は町部分(藩政時代の四日町+一日市町)のみではないかと私は考えるに至りました。明治19年の川口634戸3035人+花巻388戸1829人=1022戸4864人は、『日本地誌提要』・『共武政表』の明治6年の花巻/川口町の本籍人口1027戸4426人と(特に戸数が)良く対応しています。このことは同時に[80330]の白桃さんの考えが正解に近いことも示唆しますね。
[80334] 2012年 2月 25日(土)16:50:27YT さん
花巻川口村、里川口村
[80332] htmさん

これまでに言及していなかったのですが、実は「里川口町」が 『花巻市史』【近代篇?】においてどのように記載されているか気になっています。

ズバリお尋ねします。
明治22年の町村制で発足した自治体は、『花巻市史』にも「里川口町」と記されていたのでしょうか?

『花巻市史』を調べる気になったのは、その点も兼ねてでしたが、残念ながら自分がアクセスできる図書館に所蔵されていたのは、熊谷章一著『花巻市史』(1962年~1982年)の内、古代中世篇、近世篇:2、民俗篇、神社篇だけで、近世篇:1と近代篇は所蔵していませんでした。

しかしながら同じ著者熊谷章一による『花巻の歴史』(1958年)と『花巻のあゆみ : 花巻開町三百七十年祭記念』(1962年)の方では、いずれも明治22年の町村制発足の段階で「花巻川口村」が成立したかのように書いており、『花巻の歴史 近代篇』を取り寄せても同じようなことしか書いていないのではないかと予想されます。

一方及川雅義著、及川惇編 の『花巻の歴史 上下巻』(1983年)では、巻末の年表に里川口村の記述がありましたが、大正12年の根子村編入の段階で「里川口村」と記載しており、逆に花巻川口村の存在を無視しています。

戦後刊行された『岩手県史』は既に調べた方がいらっしゃるようですし、調査漏れも限られてしまっているようです。
[80328] 2012年 2月 24日(金)19:27:20【1】YT さん
花巻
[80327] hmt さん
市街名=町村名 であったとすると、考えられるのは、北岩手郡川口村【現在は岩手町】です。

実のところ、その可能性を念頭に置いていたのですが、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』には北岩手郡川口村(本籍438戸2576人、現住418戸2506人)の記載があるので、一応は違うと思われます。

ちなみに明治17年よりも前のデータを見ると、『日本地誌提要』では明治6年1月1日調の花巻の人口は3市坊1027戸4426人とあり、明治八年『共武政表』では、川口町1027戸4426人、大迫村219戸1100人の記載があります。『日本地誌提要』の3市坊からなる「花巻」と『共武政表』の川口町の人口が一致することから、両者は同じ市街の異なる通称であることが判ります。この時の花巻を構成する三町とは、川口町、一日市町、四日町のことなのか、それとも里川口村+花巻村+αのことなのかは判りません。

明治11年、明治12年の第二回、第三回『共武政表』に何と記載されているのかは、今手元にコピーがないので詳しく書けませんが、明治13年の第四回『共武政表』(人口は明治14年1月1日調)では、
町村戸数人口
大迫3077837001483
石鳥谷117278271549
八幡51103126229
花巻3898067841590
里川口827174216303372
下根子1207871149

とあり、里川口と花巻の人口は4年後の明治17年1月1日調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』に比べると共に300人程少なく、つまり明治十年代の里川口・花巻はかなりの人口増加をしていることが明らかです。よって人口の比較だけで明治6年の人口4426人の範囲(明治6年の3市坊)を判断するのは困難です。

参考までに『花巻市史 近世篇二』(1982年)を閲覧したところ、『邦内郷村志』という史料に寛政年中(1800年頃)の戸数が掲載されているそうです。リンク先の何巻に書かれているかまでの情報はありませんが、『花巻市史』での引用を引っ張ってくると

○川口村 又云里川口村
 民戸廿四軒 川口村不入市中戸数

○河口町 慶長頃北松斎初而云此坊中
     (中略)
 民戸六百四十八軒 二千六百八十五人(男千四百九十一人 女千百九十四人)
 組同心三十八戸 竈数七十一家 有定法故也

○花巻村
 村民戸七軒 此外入市中

○四日町 城下三町最初之市場也云。 昔名之四屋田屋五群居焉。北秀愛移之後立市町云々。
○一日市町 同処是従河口町後立云。
 民戸百三十九軒。組十九組 竈数十六 男百三十人 女二百十三人 一日市町
 民戸百七十九軒。組廿九 竈二十一 男三百八十九人 女三百十三人 四日町
   右民戸寛政初改

つまり江戸時代の時点では、花巻三町は四日町、河口町、一日市町から構成され、市中として扱われていない郷村としての花巻村、川口村(里川口村)が別にあったとになりますが、後者の戸数は併せて30戸ほどしかありません。あと「民戸」と断っているので、寺社や武家の戸数・人口が加算されていないのでしょう。『地方行政区画便覧』の段階では、おそらく河口町・川口村を併せて里川口村、四日町・一日市町・花巻村を併せて花巻村として扱ったようにみえます。明治一桁代の『日本地誌提要』や『共武政表』の段階では、まだ江戸時代の三町を引き摺り、町外の里川口村と花巻村の人口を除いているように見えます。

なお、『邦内郷村志』では、栃内村73軒、笹間村162軒、横志田村28軒、尻平川村5軒、轟木村105軒、太田村264軒、成田村73軒、十二丁目村73軒、外台村0軒、向下根村76軒、南万丁目村29軒、北万丁目村30軒、下根子村不明、上根子村146軒、西晴山村15軒、円満寺村49軒、膝立村22軒、湯口村115軒、鉛村15軒、下沢村24軒、豊沢川村17軒、鍋倉村71軒、下似内村18軒、上似内村46軒、東宮野目村33軒、庫裡村19軒、柏葉村30軒、田力村23軒、葛村107軒、小瀬川村44軒、椚木目村32軒、猿沢村37軒、金矢村15軒、台村25軒、湯本村65軒、大畑村37軒、二枚橋村3軒、北湯口村75軒、宮野目村49軒、糠塚村33軒、東十二丁目村170軒、高木村155軒、高松村128軒、矢沢村142軒、幸田村35軒となっています。

一軒平均10人程度なので、1800年頃の高木村は約1600人と意外と大きい村となっています。北万丁目村と南万丁目村は併せて600人程度ですが。
[80326] 2012年 2月 24日(金)11:43:44YT さん
訂正:川口は郡名が誤植?
[80323] 白桃さん

すみません。今日になって[80324][80325]の記事を読み返し、川口=湯口村の誤植には矛盾があることに気付きました。

明治19年末の川口(1町村)の本籍人口634戸3035人と太田村の本籍人口338戸2485人の合計972戸5520人を、明治17年始の円万寺外十ヶ村連合村の本籍人口951戸6386人と比較すると、本籍人口はともかくとして戸数が上回ってしまいます。

明治十年代は戸数と、世帯数・家数との混乱があるものの(公式には「戸数」=「世帯数」の筈だが、昭和以降には「世帯」という呼称が確立し、むしろ今では「戸数」=「家数」に戻る?)、戸数/人口比に目立った違いがないので、私が提唱した「川口は湯口村の誤記」の可能性は低いようです。

もっとも川口村は他にもあります。「郡名を誤植し、配置する場所も間違えた」という可能性が一番高いように思えてきました。
[80325] 2012年 2月 24日(金)04:12:43YT さん
高木村について
[80324]を書いた直後、花巻町、里川口町、矢沢村に分割された「高木村」の存在が気になり、旧高旧領取調帳データベースで稗貫郡の明治石高をチェックしましたが・・・高木村・湯口村双方の石高も余り高くないですね。まあ江戸時代に市街地の中心であったであろう里川口村の石高はもっと低いし、さすがに同一郡内であれば流通の範囲内なので石高自体は都市人口は当然ながら、農村人口の参考にはなりませんが。

石高が高いといえば、北万丁目村、南万丁目村、下根子村、上根子村も気になりますが、このうち北万丁目村、南万丁目村、下根子村(根子村1539人の一部)の人口は3000人以下は確実です(後述参照)。

石高
太田村3,999.164
新堀村3,161.787
花巻村1,713.702
北万丁目村1,565.941
下根子村1,429.763
上根子村1,424.331
鍋倉村1,393.238
南万丁目村1,272.402
矢沢村1,271.705
亀ヶ森村1,266.346
湯本村1,221.582
大瀬川村1,169.290
北湯口村1,168.740
八幡村1,141.654
高松村1,013.878
西十二丁目村1,002.933
東十二丁目村976.638
北寺林村958.070
八重畑村951.716
大興地村945.221
大畑村926.353
円万寺村911.671
南寺林村908.349
膝立村905.660
葛村876.181
五大堂村864.936
高木村829.167
中寺林村815.708
西宮野目村809.998
上似内村765.839
東宮野目村745.846
湯口村725.423
好地村715.087
滝田村663.654
中根子村660.675
関口村660.556
外川目村650.951
内川目村621.291
狼沢村599.962
椚目村575.152
糠塚村565.010
小瀬川村535.894
金矢村485.158
二枚橋村393.148
富沢村378.426
大迫村363.409
猪鼻村363.279
戸塚村363.214
黒沼村343.795
小森林村324.486
東中島村323.686
下似内村318.052
北飯豊村309.761
台村238.657
田力村231.422
柏葉村231.298
里川口村226.530
幸田村226.331
江曾村203.164
庫理村196.509
西晴山村150.133
西中島村142.631
外台村130.342
下シ沢村87.998
長谷堂村84.309
豊沢村74.338
松林寺村62.928
鉛村55.182


明治17年始の本籍人口は高木村+東十二丁目村+矢沢村+高松村+幸田村=4063人
この内東十二丁目村の明治19年末の本籍人口は1067人なので、
高木村+矢沢村+高松村+幸田村≒3000人 (本籍人口ベース)

よって矢沢村、高松村、幸田村の人口がそれぞれ100人レベルでないと
高木村=川口村≒3000人
は成立しないので、高木村=川口村の可能性はきわめて低いと思います。

なお、明治22年末の現住人口と、明治19年末の現住人口からは

花巻町-花巻村=北万丁目村+高木村の一部(I)≒750人 (現住人口ベース)
里川口町-里川口村=南万丁目村+高木村の一部(II)≒900人 (現住人口ベース)
矢沢村-東十二丁目村=矢沢村+高松村+幸田村+高木村の一部(III)≒2650人 (現住人口ベース)

なので、花巻町、里川口町に吸収された高木村の一部(I+II)の合計は約450人 (現住人口ベース)
北万丁目村(1565石)と南万丁目村(1272石)の合計は約1200人 (現住人口ベース)

と見積もれます。
[80324] 2012年 2月 24日(金)03:29:14【2】YT さん
川口は湯口の誤植の可能性
新年色々と忙しかったのですが、久々に書き込みます。

[80323] 白桃さん

「川口3,180人」はどこへ行ってしまったのでしょうか。川口が、里川口と花巻に「分割編入」されたというのであれば、なんとなく辻褄はあうのですが、そういうことが書かれているものも見あたりません。

これですが、私は「湯口」の誤植を疑います。

『地方行政区画便覧』には里川口村、南万丁目村、花巻村、北万丁目村、下根子村、西十二丁目村、外台村の七村で戸長役場を形成し、1653戸7472人が暮らしたとありますが、ここには川口村の名前はありません。なお『地方行政区画便覧』記載の人口は年次が定まっていませんが、稗貫郡の人口7218戸39796人が明治17年1月1日調の本籍人口と一致することから、七村合計7472人は明治17年1月1日調の人口であることがわかります。

戸長役場ノ所在地村数戸数口数備考
大迫村41,3087,418亀ヶ森村、内川目村、外川目村を含む
関口村87894,460八重畑村、新堀村を含む
高木村57664,063東十二丁目村、矢沢村を含む
好地村96163,712八幡村を含む
湯本村115393,031
東宮野目村135963,254西宮野目村を含む
里川口村71,6537,472花巻村、西十二丁目村を含む
円万寺村119516,386湯口村、太田村を含む
稗貫郡計687,21839,796

ちなみに同じ明治17年1月1日調の人口を記した『都府名邑戸口表』(1884年)によると、花巻の本籍人口は1423戸6152人、現住人口1415戸6048人となっています。

一方、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』記載の稗貫郡の市街・町村の明治19年12月31日調人口を書き出すと

市街・町村名本籍人員本籍戸数現住人員現住戸数
大迫(1村)1,8133501,701291
川口(1村)3,0356343,180654
花巻(1村)1,8293881,868402
里川口(1村)3,5277663,707796
亀ヶ森村1,4612531,443244
内川目村2,7534182,723396
外川目村1,5302341,523213
新堀村1,9272241,902324
東十二町目村1,0672121,067212
太田村2,4853382,454338

現住人口3180人の川口は1村からなる市街地とありますので、明治22年末の市町村制施行時の現住人口も3000人を超えていて当然なのですが、『法令全書』の明治22年末の人口と比較すると、合併後に該当し得る人口3000人以上の町村は里川口町、矢沢村、湯口村しかありません。

町村名現住人口市町村制施行時の合併
花巻町2,507花巻村, 北万丁目村, 高木村の一部
里川口町4,619里川口村, 南万丁目村, 高木村の一部
大迫町1,918大迫村
内川目村2,745内川目村
外川目村1,589外川目村
亀ヶ森村1,437亀ヶ森村
八重畑村2,437八重畑村, 関口村, 滝田村, 猪鼻村, 五大堂村, 東中島村
新堀村2,223新堀村, 戸塚村
矢沢村3,804矢沢村, 高松村, 幸田村, 東十二丁目村, 高木村の一部
好地村2,760稗貫郡 好地村, 北寺林村, 大瀬川村, 大興寺村, 松林寺村, 富沢村, 長谷堂村
八幡村2,134稗貫郡 八幡村, 中寺林村, 南寺林村, 江曽村, 西中島村, 黒沼村, 小森林村
湯本村2,965湯本村, 北湯口村, 大畑村, 二枚橋村, 台村, 金矢村, 小瀬川村, 椚ノ目村, 狼沢村, 糖塚村
宮野目村2,759東宮野目村, 西宮野目村, 葛村, 田力村, 庫理村, 柏葉村, 上似内村, 下似内村, 北飯豊村
根子村1,539下根子村, 西十二丁目村, 外台村
湯口村4,453湯口村, 円万寺村, 鍋倉村, 膝立村, 西晴山村, 上根子村, 中根子村, 鉛村, 下シ沢村, 豊沢村
太田村2,629太田村

里川口町は旧里川口村がメイン、矢沢村は明治19年末の東十二丁目村の人口1067人を減じると3000人未満、なので残るは湯口村ということになります。よって「川口」は「湯口」の誤植と私は判断しましたが、どうでしょうか?
[79623] 2011年 11月 12日(土)05:18:06【2】YT さん
天保郷帳からの新しい?発見
[79622]むっくんさん

天保郷帳の本来の原本においては、1頁に4村を記載するのが原則となっていたように見受けられます。とするならば、天保郷帳の編纂の過程、もしくは天保郷帳より天保郷帳(複製本)(編:史籍研究會、1984)を作成する過程で、中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村を記載した2頁分を挟む位置を誤った、と考えるのが妥当です。

天保郷帳の原本は、四村ずつ書いていたんですね。今になって気付いたのですが、現在は天保郷帳の中身を国立公文書館のデジタルアーカイブで見ることができるようです。同じ紙に表裏それぞれ四村ずつ書き記すため、頁綴じを間違える時は合計八村ずつ間違えてしまうようです。

出雲国郷帳の場合、神門郡の中で中来島村、上来島村、八神村、角井村の四村が表(25/74頁左)、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の四村が裏(26/74頁右)に記載されていますね(頁へのリンクの仕方が分からないので、とりあえず郷帳の表紙にリンクしておきます)。これら全てが本来なら飯石郡に入るべきものなのでしょう。

村名石高
中来嶋村1,594.562000
上来嶋村1,417.101000
八神村1,085.685000
角井村805.478000
長谷村701.090000
佐見村527.351000
和泉村1,385.685000
頓原村153.110000
合計7,670.062000

村数差8村石高差7,670.062石と見事に一致しました。

一方土佐国高岡郡の7,454.235石の方は、どうも国立公文書館の方では修正済みで、ちゃんと高岡郡から吾川郡へ移されています(71/142頁~72/142頁)。ここで16の村が2枚の紙ではなく、3枚の紙に渡って描かれていることから、国立公文書館で公開されている天保郷帳と、史籍研究會編の天保郷帳では、写本自体が異なることが分かります。【追記:後述のように両者は完全に同一の書類を撮影・印刷したり画像化したもので、「写本自体が異なる」というのは私の勘違いでした。】

村名石高
弘岡中ノ村1,470.395000
弘岡下ノ村1,585.227000
八田村1,058.820000
伊野村1,744.217000
賀田村175.083000
神ノ谷村239.551000
小野村121.875000
鹿敷村138.269000
勝賀瀬村119.459000
楠ノ瀬村62.783000
柳ノ瀬村150.413000
柏原村53.949000
上八川村214.407000
大窪村113.500000
野地村111.157000
寺野村95.130000
合計7,454.235000

村数差16村石高差7,454.235石と一致しました。

こうなってくると、国立公文書館で公開されている天保郷帳をチェックすると、伊那郡で欠けている8つの村が分かるかも知れません。そこで信濃国郷帳の伊那郡をチェックしたところ、61/211頁目の8つの村が、史籍研究會編『天保郷帳』に記載されていないことに気付きました。

村名石高
和知野村114.701000
千木村59.203000
小野村118.946000
早稲田村168.857000
小中尾村77.673000
田上吉田村152.144000
井戸村38.817000
帯川村10.160000
合計740.501000

村数差8村石高差740.501石と一致し、更に史籍研究會編『天保郷帳』から漏れた村の名前が今判明しました。

武蔵国上郷帳の場合、入間郡とされる150/190頁左~152/190頁右の部分が高麗郡所属16村です。

村名石高
向郷村36.490000
川崎村112.851000
下川崎村163.462650
平松村224.941000
根岸村236.420000
野田村481.076000
篠井村799.419400
岩澤村414.159500
佛子村239.796000
阿須村153.663000
落合村154.590000
岩渕村273.650000
前ヶ貫村114.347000
川寺村281.364000
笠縫村194.328000
双柳村445.625000
合計4,326.182550

再び村数差16村石高差4,326.18255石と一致しました。

残るは上野国利根郡から碓氷郡に誤って入っているであろう16村ですが、国立公文書館の天保郷帳では、すでに利根郡の109/164頁~110/164頁に収録されています。

村名石高
阿能川村36.686000
谷川村27.925000
鹿野沢村15.008000
吉本村3.634000
大穴村36.236000
幸知村11.822000
湯檜曾村9.279000
網子村30.719000
向山村3.977000
栗沢村18.094000
夜後村9.792000
藤原村339.023000
戸倉村91.556000
土出村220.328000
腰本村225.109000
東小川村277.213000
合計1,356.401000

村数差16村石高差1,356.401石と一致しました。

村数が一致していないのは、あと松前嶋(17村多い)と出羽国平鹿郡(2村多い)ですが、この辺は枝村の扱いの不一致などが原因でしょう。

【追記】 史籍研究會編の『天保郷帳』は、国立公文書館に所蔵されている内閣文庫の『天保郷帳』を撮影・収録したもので、現在国立公文書館のデジタルアーカイブで閲覧できる『天保郷帳』と完全に同じもののはずです。伊那郡の八郡が抜けたのは撮影・編者のミス、上野国利根郡の16村、土佐国吾川郡の8村の扱いが異なるのは、撮影・編者のミスなのか、後に気付いた人が並び替えたのかしたのでしょう。
[79620] 2011年 11月 11日(金)04:21:03【1】YT さん
奥羽民政取締時代、三戸県は存在しなかった?
[79607][79611][79614]の続きです。[79614]を書いてからまだ一日しか経っておりませんが、そこで書いた意見を180度変えた結論に達しました。つまり奥羽民政取締時代、「三戸県」は存在せず、「北奥県」こそが採用されていた県名であろうということです。結論を変えるに至ったのは、『三戸町通史』(1979年)、及び『三戸町史』「上巻」(1997年)を閲覧し、より確かな裏付けが得られたからです。

まず『三戸町通史』の記述です。おそらく平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)、『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)の記述は、この『三戸町通史』が典拠となっていると思われます。

 こうして三郡の取締は、明治二年二月八日津軽藩から黒羽藩へと移された。しかし実際には津軽藩では最初から家中の士を派遣した形跡はみられないという。津軽藩は現地に出張しないうちに黒羽藩と交代させられたようである。
 黒羽藩では、藩主大関美作守の片腕として家老の職にあった村上一学を派遣した。

     4 三戸代官所引継ぎと三戸御所役所時代

 村上一学を中心とする黒羽藩の一行は、明治二年四月七日に盛岡に到着、四月二十六日「三戸代官所」において、南部藩代表新渡戸伝と黒羽藩代表村上一学との間で引継ぎを完了した。
 黒羽取締となった三郡は、この時から一般に三戸県であると考えられていた。
 ところが、次のような布告が管内に出されている。
  是迄官所或ハ仮屋ト相唱候由之処、県名被仰出候迄、三戸御役所ト可称事
                    (『萬日記』明治二年四月二十六日の条)
  明治二年五月八日 野辺地代官所及びその支配地は黒羽藩へ引渡。県名未決定で、三戸御役所と称す。
                    (西村文書『海陸日記』)
 ちなみに、三戸境沢石井家文書『萬日記』の右条項筆者石井久右衛門は、当時三戸代官所御物書であり、南部藩側の一員として黒羽藩への引継ぎに立ち合っている。
 以上の事から黒羽藩へ引き渡された当初は県名が定まっておらず、単に「三戸御役所」という名称が用いられていた。

     5 北奥県

 北奥県は、黒羽藩が陸奥国三郡の取締にあたって設けられた県名であるが、いつから呼称されたかは判然としない。
 明治二年五月十八日付黒羽藩「藩治職制」には村上一学の役名として「北奥県権知事」とあるが、『新渡戸日誌』に北奥県の名が出てくるのは、明治二年六月十九日が始めてである。
 また蟹他町の『安田家文書』には、北奥県が巳六月(明治二年六月)に仙台屋彦兵衛にあてた次の公文書「申渡覚」がある。藩政時代安田家は野辺地で仙台屋彦兵衛と称して、船問屋を営んでおり、文書の内容は、従来どおり船問屋職を認めるというもの。
          本町
            船問屋
               彦兵衛江
      申 渡 覚
  廻船地役 船問屋 地船取締
  並 冥加金取立 其外総而是迄
  之通 其方江申付もの也
    巳六月
      北 奥 県 (印)
                    (『安田家文書』)
 これらのほか、諸史料から北奥県の呼称が明確化してくるのは、明治二年六月であるといえよう。
 しかし果たして中央政府が北奥県を認めていただろうか。明治二年八月設置された按察府という中央政府の役所では、この北奥県は認められているが、それまでは認められた形跡はないようであるという。
 ただし、北奥県の名は、太政官制による三戸県の明治二年九月十九日開庁まで続くことになる。

     6 三戸県の設置

 明治二年八月七日九戸県が建置され、その管轄範囲は北・三戸・二戸・九戸・鹿角の五郡と決定したが、同年九月十三日八戸県と改称、さらに同年九月十九日三戸県と改称された。この間実際は、九戸県も八戸県も開庁されていないし、八月十八日付黒羽藩取締が免ぜられ、村上一学は、改めて八戸県権知県事に任命も三戸にいて陸奥三郡の支配をしている。三戸県に改称と同時に村上一学は三戸県権知県事に任命、三戸県御役所が開庁され、太政官制に基づく県政を開始することになる。
 三戸大神宮所蔵の「三戸県役所新築記念奉納額」(明治三年季春)には黒羽藩出身の三戸県庁員の氏名が記されている。(三戸城温故館出陳)
 三戸県は公的には明治二年十一月二十八日廃され、江刺県に併合されるが、明治三年三月三戸県権知事源朝臣光雄(村上一学)名で交付した褒状が三戸町に現存する。

大分長い引用となりましたが、このようにきっちり元文献を挙げて考察しています。一部『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)と内容が被っていますが、本町船問屋彦兵衛への辞令は、『野辺地町史』では西村文書『海陸日記』からの引用となっているのに対し、『三戸町通史』では辞令を受け取った仙台屋彦兵衛こと安田家の『安田家文書』を元文献としており、後者の方が正しい引用をしております。

「三戸御役所」または「三戸県御役所」についても、もっと具体的なことが記述されています。『野辺地町史』では石井『万日記』から引用として「三戸御役所」と記述するなど、笹澤魯羊の著作である『田名部町誌』(1935年)と『下北半嶋史』の記述と微妙に異なる布告内容を記載しており、私は[79614]で疑念を表明しました。ところが『三戸町通史』によると、この布告文は南部藩の書記であった石井久右衛門が明治2年4月26日に書き記したものだとの、より具体的な説明があり、完全に同時期に記述されたものであることが明らかです。これに対し「三戸県御役所」を採用している『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)、『むつ市史』「近代編(明治・大正時代)」(1986年)などは、笹澤魯羊の著作である『田名部町誌』、『下北半嶋史』からの引用であり、「三戸県御役所」という言葉は事実上笹澤魯羊の著作が元文献ですが、「三戸県御役所」設置の申渡覚は5月と少し遅れており、オリジナルからのコピーであることが伺えます。なによりも笹澤魯羊本人は、何の文書を元にこの文を書き起こしたのか記していません。笹澤魯羊とは、明治中頃に生まれた地元の政治家で、これらの地方史を熱心に書いているのはいいのですが、如何せん、当時としてはこれでもよかったのですが、元文献が何なのかという点に注意を払って執筆していません。

『三戸町通史』は、「三戸御役所」のみならず、「三戸県御役所」の存在も明らかにしています。即ち三戸県成立の明治2年9月19日に、「三戸県御役所」が開庁したと記述しています。こうなってくると、ますます笹澤魯羊のソースを疑いたくなります。笹澤魯羊の記述に比べ、石井久右衛門『万日記』の方が内容が長く、引継ぎ当日の布告文として日記に記していることから、後者の方がよりオリジナルに近いと予測されます。笹澤魯羊の文書は一月のズレがあり、おそらく何度かの文書の写しをはさんでいます。ほんの数ヶ月後には「三戸県御役所」が成立し、それが一年間以上役所として機能していた事実があり、写本作成の仮定で「三戸県御役所」と上書きしてしまうような事態が起こっても不思議ではありません。

北奥県については、『三戸町史』(1997年)にも記述がありますが、ほぼ『三戸町通史』(1979年)と同じ内容なので省略します。ただ、三戸県が廃止されたあとも「元三戸県」という官庁名が存続したことが指摘されています。『野辺地町史』と内容が被っていますが、より詳しい考察が書かれているので以下引用します。

 石崎宜雄教授(弘前大学教育学部)は、元三戸県が斗南藩と併存した固有の官庁名であると指摘している。
 『元三戸県について考察する』から要点を紹介してみる。
 元三戸県は、明治三年四月十八日、三戸県から斗南藩へ事務引継ぎが行われたあと、その残務整理のために暫定的に残された官庁であり、もともと、明治二年十一月三日、表むきには陸奥国において三万石支配を命ぜられ、斗南藩と名のるに至った松平容大が、年をあけてようやく明治三年五月十五日に至って、「斗南藩知事」に任命されるという不測の事態の結果、三戸県は事実上残存せざるを得ない破目におちいり、明治三年四月に至ってようやく、事実引継ぎに至るまで漕ぎつけることができたというなかから出て来る稀有の現象でもあったのである。
 太田家文書(五戸町大字手倉橋)御廻状御沙汰書写帳の中から、はっきり「元三戸県」と表示され、官庁印までも押捺した文書が発見された。
(内容省略)
 午とは庚午、明治三年のことであるがその四月十八日に、三戸県と松平家の間において、三戸・二戸・北郡の内から三万石の引渡しが完了したことを告げる公文書であるが、その後書に
「是迄取残御用之儀元三戸県ニ而万端取扱候条、為心得相達候。且村之社寺向江も可相達候事」といい、「元三戸県」という表示のもとに指示している。
 その意味で「元三戸県」とは、元の三戸県ではなく、固有の官庁名であるということが明らかになった。
    (中 略)
 明治三年四月十八日に「引渡済」とはいっても、それは単に書類の上のことであったろうし、斗南藩も藩として責任ある姿勢を打ち出しうるようなものではなかったはずである。三戸県から元三戸県へ、三戸県は元三戸県と呼称をかえつつ、「是迄取残御用之儀」といいつつ、万端にわたってとりあつかっていかなくてはならなかったものがあったのである。その点明治三年五月十五日の松平容大斗南藩知事はまさに可能なかぎりでの早期発令とみるべきである。

以上、時系列をまとめると以下の通りです。

日時(旧暦)出来事引用元
明治2年2月8日黒藩藩、陸奥国北郡・三戸郡(内八戸藩領を除く)・二戸郡の民政取締を拝命
明治2年3月29日黒羽藩取締地の県名確定まで「北奥県」と仮称黒羽藩史資料(『野辺地町史』引用)
明治2年4月26日三戸代官所において引継ぎ
上と同日三戸代官所に三戸御役所を設置万日記(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)
明治2年5月8日県名未定につき三戸御役所と呼称海陸日記(『三戸町通史』等で引用)
明治2年5月三戸代官所に三戸県御役所を設置笹澤魯羊「田名部町誌」「下北半嶋史」
上と同月7ヶ条の「県治要領」を布告笹澤魯羊「田名部町誌」「下北半嶋史」
(『岩手県史』『むつ市史』『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』等でも引用)
明治2年5月18日「北奥県権知事」の記述黒羽藩「藩治職制」(『三戸町通史』等で引用)
明治2年5月28日七戸藩の分離・成立
明治2年6月彦兵衛への辞令安田家文書(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)
明治2年6月19日「北奥県」の記述新渡戸日誌(『三戸町通史』等で引用)
明治2年8月7日県設置布告により九戸県を設置
明治2年8月18日黒羽藩取締地の廃止
明治2年9月13日九戸県を八戸県と改称
明治2年9月19日八戸県を三戸県と改称、三戸県御役所を設置
明治2年11月黒羽藩取締地を廃し三戸県御役所を設置する布告久慈毅一郎文書(『岩手県史』引用)
明治2年11月3日斗南藩の分離・成立
明治2年11月28日三戸県を廃し、江刺県に併合
明治3年4月18日旧三戸県の業務を斗南藩に引継ぎ(但し旧三戸県は暫く存続)太田家文書(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)

こうまとめてみると逆に浮いてくるのが、笹澤魯羊が記述する「三戸県御役所」だけです。おそらく写本作成の際に「三戸御役所」と、5ヶ月後に改めて設置された「三戸県御役所」を混合したのでしょう。しかしこれが『岩手県史』などに引用されてしまいます。

一方『北奥県』の成立時期ですが、黒羽藩が仮の名を定めた明治2年3月29日で問題ないと思われます。『三戸町通史』等は6月を正式に定まった時期として想定しているようですが、5月18日には黒羽藩の藩政史料に「北奥県権知事」の記載があるようですし、なし崩し的に仮称が採用されたというのが実態でしょうから。

なお『黒羽藩史資料』其二、其三も閲覧しましたが、内容は慶応4年(明治元年)4月始~12月末までの黒田藩の公的な従軍日誌の手書きの写本で、該当する部分は記載されていませんでした。
【重複除去、年表修正等】
[79614] 2011年 11月 10日(木)03:59:24【1】YT さん
三戸県→北奥県 か 北奥県→三戸県 か
[79607][79611]の続きです。

『田名部町誌』(1935年)の増補版(1937年)、『むつ市史』「近代編(明治・大正時代)」(1986年)、笹澤魯羊著『下北半嶋史』(1952年)の改定四版(1966年)、『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)における北奥県・三戸県の記述をまとめます。

まず[79606]に記した『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)からの引用と被りますが、『田名部町誌』では以下のように記述されています(旧字体は新字体に変換)。

依て明治二年二月九日更めて、上野国黒羽城主大関美作守へ、新に右三郡の取締を命ぜられた。同年四月廿六日、三戸に於て南部藩代表新渡戸伝氏と、黒羽藩権知県事村上一学氏等との間に、北郡の引渡手続を了した。三戸代官跡に、黒羽藩の役所を置きて、三戸県と唱ひ、三戸県御役所と称した。

          検断 宿老 老名 肝入
      申 渡 覚
今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属大関美作守え御取締被仰付、権知県事支配と成候間今後天領と可相心得、此旨村々老名小前末末迄不洩様可申聞候
 猶其方共始め是迄領主より役筋申付置候分、如貫更に役儀申付候間弥以精勤可相励者也
  五月
是迄官所或は仮屋と相唱候由之処、県名被仰付候得者三戸県御役所と可称事

  五月
 田名部新町の南入り口と、柳町の北入り口との二ヶ所へ檜の標柱を建てた。標柱は七寸角総丈け一丈五尺にして、根本三尺を土入として、表面に「御領 大関美作守取締所」右側面に「陸奥国北郡田名部駅」と認めてあつた。

 (7ヶ条の覚を省略)

 明治二年五月十二日、黒羽藩、役人初めて田名部へ到着した。検断への申付に「其処有合之品にて取賄馳走ヶ間敷儀一切差出申間敷事、相成者宿茂壱軒に取計可申事」とある。同年七月七日、支配地観察のために権知県事村上一学氏以下十人到着した。田名部には調役大属高梨伴右衛門、戸上史生の両氏が在勤した。役向取扱上の達示が出て居る。

『下北半嶋史』もほぼ似たような記述ですが、申渡覚に年号が入っている点が微妙に違うので、別個書き出します。『むつ市史』の方は、『下北半嶋史』の記述を引用しています。

(前略)、明治二年二月九日、更めて上野国黒羽城主大関美作守(栃木県那須郡黒羽町)が取締を命ぜられた。同年四月二十六日三戸代官所にて、南部藩代表の新渡戸伝と、黒羽藩代表との間に、引継手続きを終わって、三戸代官所跡に開庁して三戸県と唱えた。田名部の検断、宿老、老名、肝入一統に対して、次の通り申渡された。
      申 渡 覚
今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属大関美作守え御取締被仰付、権知県事支配と成候間、今後天領と可相心得、此旨村々老名小前末末迄、不洩様可申聞候
 猶其方共始め是迄領主より役筋申付置候分、如貫更に役儀申付候間、弥以精勤可相励者也
   巳五月(明治二年)
是迄官所或は仮屋と相唱候由之処、県名被仰付候得者、三戸県御役所と可称事

以上、『田名部町誌』、『下北半嶋史』、『むつ市史』及び『岩手県史』([79611])はすべて「三戸県」のみを記載し「北奥県」について何も触れていません。一方、平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)、『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)よりも後に出版されている『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)では、むしろ「北奥県」しか取り上げていません。

 ともあれ、旧盛岡藩領は没収され政府直轄領となった。その北奥の地が津軽取締となて、廃藩置県に至るまでは変遷めまぐるしい。概括のために現上北・下北郡域でまとめると次のようになる。
明治元年(一八六八)
 一〇月一〇日、秋田・弘前藩、盛岡城請取に入城(盛岡藩領は政府直轄地となる)
 一二月 七日、南部信民、高一万意思をもって家名相続を許される。
 一二月一七日、弘前藩に陸奥国北郡・三戸郡(内八戸藩領を除く)・二戸郡の取締を命ずる。
明治二年(一八六九)
  一月二八日、南部信方、北郡七戸通外に一万石を与えられる。
  二月 八日、弘前藩取締御免、黒羽藩に右三郡の取締を命ずる。
  三月二九日、黒羽藩取締地の県名確定まで、「北奥県」と称する。
  四月二六日、三戸代官所において、旧盛岡藩領内の黒羽藩取締地への引き継ぎをする。
  五月二八日、南部信方、領地朱印状高一万石余を交付される(七戸藩の成立)。
  八月一〇日、黒羽藩取締地より、七戸藩一万石余を請取る。
  八月一八日、黒羽藩取締地を「九戸県」とする。
  九月一九日、九戸県を「三戸県」と改称する。
 一一月 三日、松平慶三郎、陸奥国の内に三万石を与えられる(斗南藩の成立)。
明治三年(一八七〇)
  一月――日、斗南藩、三戸県の内、北軍田名部通・野辺地通、三戸郡五戸通・三戸通(七戸・八戸藩を除く)を請け取る。
明治四年(一八七一)
  七月一四日、廃藩置県により「斗南県」「七戸県」となる。

このように最初から一環して「北奥県」であったとの記述となっています。

 黒羽藩は現栃木県にある藩であったから、南部彦太郎旧領の請取のための陣容をそろえて出立したのは、三月十二日であった。その間、県名は「北奥県、確定ノ県名ニアラズ、今マ姑ラクノ旧文ヲ存ス」(黒羽藩史資料)こととした。

ここに来て『黒羽藩史資料』という一次史料に、当初「北奥県」という仮称が黒羽藩内で提唱されたという記述があることが分かりました。

 四月二十六日、三戸代官所において引き継ぎが行われた。
 北奥県役員は、
  権知県事  村上一学
  権判県事  風間六之丞 小山勘解由
  調  役  小山権四郎 那須真小一 高梨伴右衛門(以下略)
であった。そして、次のような「達」が出され、ここに「北奥県」による取締が始まった。

   今般三戸官処付之村々、天朝御料ニ被属、大関美作守江御取締被仰付、権知県事支配たる間、今後天領ニ可相心得、此ノ旨村々老名・小前末末迄、不洩様可申聞セ候。猶、其ノ方共始メ是迄従領主役筋申付ケ置キ候分、如旧慣更ニ役儀申付ケ候。弥以テ精勤可相励もの也。
   付、此ノ度御一新御趣意申渡ス義茂有之候得共、三郡御引請之上追而可相達候。是迄官所或ハ仮屋と相唱候由之処、県名被仰出候迄、「三戸御役所」と可称事。(石井「万日記」)

石井「万日記」からの引用とされる布告の内容は『田名部町誌』、『下北半嶋史』、『むつ市史』及び『岩手県史』([79611])記載の布告と一部違いますが、何より大きな違いは「三戸県御役所」と書かず、「三戸御役所」と書いている点です。これは原資料の違いのせいなのか、それとも意図的なものなのか、よく分かりません。ただ石井「万日記」の記述を採用すると、「三戸県」という呼称の根拠がなくなります。

 北奥県役人が野辺地を通行したのは五月八日で、田名部に出張所を置いたのが十二日。野辺地は、この田名部出張所管内にあったと考えられ、権判県事―小山勘解由が責任者である。
 「西村家文書」には「北奥県分局野辺地御役所」と記されているから、これが代官所に代わる役所となったのだろう。そして、次に見られるような「覚」が出されている。
             本町船問屋 彦兵衛江
     申渡覚
  廻船地役 船問屋 地船取締並冥加金取立 其ノ外総而 是迄之通 其方江申付もの也
     巳六月  北奥県 (陸奥国黒羽役所)
                  (西村家「海陸日誌」)

このように明治2年旧暦6月頃に野辺地の分局に勤めていた西村家の何某により、北奥県の辞令が船問屋に出されています。『野辺地町史』にはこの原文のコピーが「北奥県辞令」という題とともに掲載されていますが、「北奥縣」「巳六月」「御役所」という手書きのサインで〆られ、「役」の漢字の上に「陸奥国黒羽役所」という字が細かく入った丸いハンコが押されているようです。ただ、「縣印」は押されておりません。平凡社『日本歴史地名大系』の
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。
の根拠はこの西村家の「海陸日誌」(に挟んであった辞令の写し?)でしょう。

 ところが八月十日、七戸藩一万石余が成立。黒羽藩取締地「北奥県」のうちから、七戸通の格村々と五戸通十三カ村が七戸藩領となった。黒羽藩取締地は南北に分断されたことになって、これが後の斗南藩に甚大な影響を与えることになる。
 取締区域の変更によるのだろう。八月十九日、「今般、九戸県支配ニ被仰付候間、知県事着県次第同県ヘ引渡可申事。九戸県、今般改テ新県被建置候事」(太政官日誌)。正式名称が「九戸県」に決まったが、名称に齟齬があったとみられ、九月十九日、「三戸県」と改められる(この間「八戸県」改称があるが、これは疑問である)。
 この三戸県も、松平慶三郎に三万石が与えられることになる。十一月二十九日、「三戸県、今般其ノ県被廃江刺県ヘ合県被仰付候事」(太政官日誌)で、あっけなく消滅したが、実際として、会津藩士が移住してくる明治三年二月頃までは「三戸県」名が使用されている。
(中略)
 窮民の救済に「三戸県御役所」が立ち上がったことを証する文書がないばかりか、諸記録にすら痕跡をとどめていない。わずかに町の篤志家が穀物を提供した記録が残るのみである。
(中略)
 会津藩に新藩の設置が許されたのが明治二年十一月三日、これがようやく三戸に達したのは翌年の二月六日(石井『万日記』)。そして、引き継ぎが行われたのが四月十八日であることが、次の達で知られる。
   兼而相達シ置キ候通、松平家、三戸・北郡、二戸郡之内高三万石、今十八日引渡シ相済ミ候条、此ノ段、小前末々迄無漏早々可相触者也
    但シ是迄取残シ御用之儀、元三戸県ニ而万端取扱ヒ候条、為心得相達候。且村之社寺江も可相達候事。
         午四月十八日       元三戸県御役所 在判
(手倉橋・太田文書『近代化のなかの青森県』所収)

三戸県成立後は、全部わざわざ「三戸「県」御役所」と書き記していますが、それだけに石井『万日記』の「三戸御役所」表記が浮きます。現時点での自分の判断は以下の通りです。

明治2年旧暦2月8日 黒羽藩は弘前藩民政取締地を継承、「北奥県」を仮称(『黒羽藩史資料』による)。
明治2年旧暦4月26日 事務引き継ぎ、「三戸県」と呼称(『田名部町誌』他による、ただし一次史料名の記載なし)。
   ただし野辺地分所では「北奥県」の呼称を使用し続けたため、旧暦6月付の「北奥県」の辞令が残った(西村家『海陸日誌』による)。

つまり三戸県→北奥県ではなく、どちらかというと北奥県→三戸県ではないかと思います。黒羽藩取締地の役所の置かれた田名部町、むつ市の地方史では三戸県が優先して使われているようですし。

【追記】 読み返したところ、『田名部町誌』と『下北半嶋史』の著者は、同じ笹澤魯羊でした。よって『むつ市史』を含め、全て地元むつ市に保管されている史料を使って書いたと思われます。
[79611] 2011年 11月 8日(火)03:10:13【3】YT さん
『岩手県史』における羽黒藩取締下の三戸県の記述
[79607]の続きです。

『角川日本地名大辞典』と『岩手県史』における北奥県・三戸県の記述をまとめます。

まず『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)による「北奥県」の記載は以下の通りで、平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)とほぼ同じ資料に基づいて書いたと推測されます。

この黒羽藩取締は,はじめ単に三戸御役所などと称されるだけであったが,やがて北奥県と県名を称するようになった。県名の由来は,陸奥国の盛岡以外に通称名である北奥にちなむものであろう。

平凡社の『日本歴史地名大系』と『角川日本地名大辞典』はほぼ同時期に出版されていますが、青森県に関しては平凡社の方が先に出ており、もしかしたら平凡社版の記述をそのまま持ってきたのかも知れません。

一方『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)の方は、「第二章 直轄期」のために272頁~397頁を割いており、「第三節 三戸県治」は、323頁~335頁まで記載があります。以下県名等と関りのありそうな文章を抜粋します。

 官においては、これによって明治二年二月八日、津軽越中守の取締りを免じて、その跡役に黒羽藩主(下野)である大関美作守(増勤)を任命し、取締りを交替させた。そこで黒羽藩においては、藩士の中から民政に長じた村上一学(光雄)以下を選抜し、現地に派遣して、その事務に従わさせた。
 村上一学は、明治二年四月七日盛岡に到着し、同十三日盛岡において、南部家側から一先づ諸帳簿類の引渡しを受け、同十六日現地に向けて出発し、四月二十六日、三戸御代官所において、正式に三郡の事務を引継ぎ、目録を交換している。

この辺の引継ぎの史料として、『出陣日記附録』、『南部家記録』、『太素日誌』、『野田日記』からの引用を挙げています。

     四 庁舎の設置と新旧役員

 明治二年四月二十六日、三戸代官所において、陸奥三郡の事務を引継いだ村上権知県事は、三戸代官所跡を治所とし、その管轄を三戸県と称して見治を行ない、庁舎を三戸県御役所と称したが、同五月には、北郡田名部通り代官所から、このことについて「申渡し」がおこなわれている。
 その趣意は、今度天領となり、大関美作守の取締りに属して権知県事の支配になったから、肝入・宿老・検所三役をはじめ末端の百姓までよく徹底するように。なお村役等はいままでどおり任命するし、また従来代官所のことを官所とか仮屋と唱えて来たが、県名がつけられたことであるから「三戸県御役所」と称するようにとのことであった。

中略

申渡覚

今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属、大関美作守ヘ御取締被仰付、権知県事支配ト成候間、今後、天領ト可相心得
此旨村々老名小前末末迄不漏様可申聞候。
 猶其方共初メ是迄領主ヨリ役筋申付置候分、如貫更ニ役儀申付候間、弥次精勤可相励者也。
  五月
是迄官所ハ仮屋ト相唱候由之処、県名被仰付候得者、三戸県御役所ト可称事。
  五月               『田名部町誌』より

中略

     五 三戸県の廃合

 明治二年八月、九戸県が置かれ、黒羽藩取締りの三戸県は解体された。しかもこの九戸県は、置県後四十幾日にして八戸県(三戸県)と再度県名をあらため、九月十九日には三度三戸県と改称し、また村上一学(光雄)は、九月十三日同県の権知事に任ぜられた。
 従って知事以下の諸官員は、おおむね黒羽藩士がそのまま新しい三戸県の官吏に就任している者が多い。これが四転して、三戸県が江刺県に合わせられた時にも、黒羽藩士が江刺県官吏として、少なからず出仕している。
 新しい三戸県は、陸奥国の二戸郡・三戸郡・北郡と、陸中国の鹿角郡と九戸郡を管轄におさめ、これを支配することになり、その治所を「三戸県御役所」と称し、いろいろな願書や伺い書や届け書などを受付けすることになった。そして肝入・宿老・検断などの村方役も、前々の通りそのまま役目を継続させられている。

            九戸郡野田北野守 久慈吉野右衛門
                     烏谷 孫右衛門

是迄黒羽藩取締之場被免、今般改而三戸県被置、別紙写之通拝命、且陸奥国・二戸郡・三戸郡・北郡、陸中国・鹿角郡・九戸郡・管轄被命、依之已以来可為支配事。
一、以来三戸県御役所ト相称シ、諸願伺届宛右同断可相認事。
一、其方共、後モ如旧慣申付候条、弥以精勤可相勤事。
   附 御一新以来御趣意可申渡儀有之御役共近々其地出張之上可相達候事。

右之通扱中、小前末々迄無脱漏可申聞者也。
 明治ニ巳年十一月            三戸県御役所
              九戸郡侍浜 久慈毅一郎文書、森氏筆者本による

まあこのぐらいで、後は北奥県に関する記述はありません。

一方今日、『青森縣史』(1926年)の方を読んできましたが、色々とがっかりする内容でした。『青森縣史』は「通史」としてまとまっておらず、全ての項目が「年表」の形で羅列されていました。しかも第2~3巻 藩政時代(津軽篇)、第4~6巻 藩政時代(南部篇)と分かれており、明治初期の内容は第3巻と第5、6巻に分かれているのですが、内容はもっぱら藩の政治や人事で、他藩取締期に関する記述はほとんど見当たりませんでした。

2001年より新しい『青森県史』の執筆が始まったようですが、まだ資料編しか出ていないようです。『青森県史』「資料編 近現代 1 近代成立期の青森県」が該当しそうですが、中身は見ていません。

北奥県の元記述にあたれるとすれば、あとは『岩手県史』が引用している『田名部町誌』(1935年)ぐらいでしょうが、nacsis webcatに登録されている所蔵図書館は弘前大学だけで、閲覧が困難です。増補再版(2版)(1937年)や3版(1939年)も、内容が同じなら、なんとか閲覧できる目処は立ちますが。
[79607] 2011年 11月 6日(日)15:45:32YT さん
北奥県、奥羽民政取締地、大名預所の変遷の謎
[79604] hmtさん

[75939]の末尾付近では“これらの「県」の性格は よくわかりません。”と書いたのですが、改めて考え直してみた結果、“正式なもの”の意味次第ではあるが、否定的な結論に傾いています。

貴重な意見ありがとうございます。

昨日『角川地名大辞典』の各巻の附録に含まれている府藩県変遷図を見比べ直しましたが、確かに『宮城県』の巻では涌谷県、栗原県という県名をわざわざ書き加えていますが、『青森県』『岩手県』『福島県』の巻では、花巻県、伊沢県、桑折県等の県名を変遷図から外しています。これらの県は法的には同格のはずですが、『角川地名大辞典』では各巻毎に編集者の意見が異なるのか、ばらばらの対応をしていることになります。『角川地名大辞典』で採用されているからといって、正式な県と考えるのは妥当ではないかも知れないことになりますね。

登米県に関する宮城県の行政区画の変遷の図は、多分日付等が若干間違っています。

地方沿革略譜 では置県2年8月7日となっていますが、先にリンクしたように太政官布告は8月18日です。このような食い違いは多々あります。

宮城県の行政区画の変遷の図で間違っていると感じたのは、置県の日付の方ではなくて、涌谷県を完全に併合したのが9月28日となっている点です。9月28日は石巻県を合併した日であり、涌谷県は8月中旬段階では廃止されている筈なので、変遷表の作成者がミスしたのでしょう。


平凡社の日本歴史地名大系2青森県のp.16下に次のように記されています。(p.36、p.42も言及あり)
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。しかしまもなく 8月18日に各藩に取締を命じていた地域に正式の県を置くことになり、新たに九戸県が設定されて、それに包括された。

一昨日、『岩手県史』<第6巻・近代編1>の記述を確認したところ、コピーを取らなかったので正確には記憶しておりませんが、奥羽民政取締時代のためにわざわざ独立の章を設けていました。50頁ぐらいに渡り、三戸県、花巻県等の県政(それぞれ節の名称にしている)をまとめており、斜め読みする限り黒羽藩民政取締時代の項目に「北奥県」の名前を確認できませんでした。

しかしながらhmtさんの書き込みを読み、昨日晩に慌てて図書館に駆け込んで平凡社の『日本歴史地名体系』「青森県」の巻を確認したところ、確かに近代以降の概説内で北奥県について書いてます。しかしながら『日本歴史地名体系』「岩手県」の巻の方では、北奥県については特に触れられていないようです。少し残念なのは『日本歴史地名体系』「青森県」では、何の文献を元にこの文章を書き下したのかが書いてなかった点です。

一方同時に『角川地名大辞典』を読んだところ、こちらも「岩手県」の巻では特に「北奥県」に触れていませんが、「青森県」の巻の「北奥県」の項目を読んだところ、同じ人が執筆したのではないかと錯覚するぐらい、ほぼ同じ文章の説明を確認しました(この辺は昨日コピーを取ったのですが、その後深夜まで色々仕事をした関係でうっかり仕事場にコピーを置いてきてしまいました)。しかし残念ながら、『角川地名大辞典』「青森県」の説明でも何の文献を元に記述したのかが書いてありません。

おそらくですが、私が想像するに、岩手県側の執筆で使われる地方史書籍と、青森県側の執筆で使われる地方史書籍とで、「三戸県」・「北奥県」に関する扱いが異なるのでしょう。『岩手県史』や、『岩手県史』を元に作成されている『千田稔、松尾正人『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』(1977年)の「東北地方民政取締諸藩」では「三戸県」しか扱われていませんでした。そうなってくると、例えば[『青森県史』での明治初期の黒羽藩民政取締地の記述がどうなっているのかが気になります。これについては月曜日以降に調べてみます。


現時点で奥羽民政取締地について多少なりとも包括的な文章を書いている書物として確認しているのは、『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』だけです。できれば奥羽民政取締地のみならず、各地に大量に存在していた藩預所の変遷を詳しくまとめた書物があるだけでもかなり色々な謎が解けるのですが。[79270][79307]でまとめたように、『明治二己巳年 租税取調帳』(pdf)によると、明治2年末の時点で福井藩、岡山藩、彦根藩、大垣藩、龍野藩、松代藩、岸和田藩、高槻藩、津山藩、高知藩、大洲藩、金沢藩、人吉藩、佐伯藩、名古屋藩、伊勢神宮領?の各預所があることになっていますが、『当巳年御収納高帳(諸府藩県明治二年収納高帳)』(pdf)の目次には他に見慣れない藩の名前もありますし、服藤弘司『大名預所の研究』創文社(1981年)によると、慶応4年の段階で以下の大名預所があることになっています(原資料は小野清『徳川制度史料』(1927年))。これらの預所はどこに行ったのでしょう。

藩預所石高旧国
高取39,000大和
彦根34,000近江
高槻32,000摂津河内
岸和田11,000和泉
大垣69,200美濃
福井45,000越前
金沢14,000能登
松本54,000信濃
松代20,000信濃
飯田700信濃
桑名48,000越後
高田48,000越後
新発田15,000越後
米沢13,000越後
会津74,000下野陸奥越後
松前14,000出羽
龍野46,000播磨美作
津山16,000美作
岡山6,000備前
松江12,000隠岐
高松2,000讃岐
松山19,000伊予
大洲1,000伊予
久留米22,000豊前
佐伯2,000豊後
熊本22,000豊後
柳河9,000筑後
島原15,000肥後
人吉500日向
延岡6,000日向
飫肥8,900日向(原書では高欠)
高鍋8,800日向(原書では高欠)
[79597] 2011年 11月 3日(木)06:10:28【5】YT さん
伊沢県、花巻県、栗原県、涌谷県、桑折県、三戸県、盛岡県、北奥県は正式な県?
YTです。

府藩県三治制下に東北地方に設置された県の内、諸藩の民政取締の下で称された県名を正式のものとみなすべきなのかどうなのか、皆さんの意見を聞きたく、以下まとめました。

自分はもともと、府藩県の設置・改名・廃止日時等が参考書や資料によって大分異なるので、『職務進退録』、『太政官日誌』、『法令全書』、『太政類典』、『地方沿革略譜』、『明治史要』、『府藩県廃置分合一覧』等の資料に従って日時の違いをまとめようと考えました。作業を進めていく内に、これらの資料に載っていない県がwikipediaに載っていることに気付きました。

それは、胆沢県の前身の栗原県と、登米県の前身の涌谷県です。これらの県は宮武外骨『府藩県制史』(1941年)、『日本近現代史辞典』(1978年,時野谷勝編集「府藩県対象表」)、松尾正人『廃藩置県』(1986年)、京大日本史辞典編纂会『新編日本史辞典』(1990年)、『岩波日本史辞典』(1999年)、勝田政治『廃藩置県』(2000年)、松尾正人『廃藩置県の研究』(2001年)にも掲載されていません。

これらの項目を書いた人に尋ねたところ、これらの県名は『角川日本地名大辞典』に書かれており、宮城県広報課の作成した「県の行政区画の変遷」にも記載されているとの返事を頂きました。実際に『角川日本地名大辞典』を読むと、確かに栗原県、涌谷県の記述があります。それぞれ『一迫町史』(1976年)、『涌谷町史』下巻(1968年)に記載されているとのこと。この内『涌谷町史』の方に目を通したところ、以下のような記述が見つかりました。

伊達安芸領のみならず、遠田郡内に知行高を有していた仙台藩の家中および士凡・百姓・町人・寺社領まで土地は残らず没収され、土浦藩取締地となった。三月末、土浦藩士奥田図書は権知県事として属官二十余名とともに涌谷要害屋敷に入り、涌谷県役所を設けた。

涌谷県江出張土浦相模守家中(「佐々木龍治留」―筆者蔵)
一、権知県事  奥田 図書
一、権判事   渡部 整作
一、同     寺町  鼎
一、調役    野崎孫太郎
一、〃     金田  甫
一、〃     藤井  央
外、書記調役補四名、筆生二名、捕亡十一名
註「榕園日録」によると、附属の小者まで総員二十四名が、二年三月二十九日・三十日の両日にわたって涌谷町に着いた。

明治二年八月十八日、涌谷県に栗原県の一部を併せ新しく登米県が置かれた。県庁所在地は涌谷で、旧館を本庁とした。

『栗原郡誌』(1918年)の方では栗原県・涌谷県は完全に無視されていますが、『宮城縣史本篇3(近代史)』(1964年)によると明治2年旧暦3月28日に、土浦藩、宇都宮藩の各取締所に涌谷県、栗原県が設置された状況が、「仙台領より宮城県に至る行政区割の推移」という表にまとまっていました。涌谷県は明治2年旧暦8月7日に登米県(「18日合轄トアリ」)、栗原県は明治2年旧暦8月12日に胆沢県となっています。

それぞれの県設置についての詳しい説明は書いてありませんが、以下の説明が載っておりました。

諸藩私有地が没収され、新政府直轄地として管理されるゆおになった新政治体制による県治が施行され、取締りの諸藩から権知県事・同判事以下の県管が現地に派遣された。この期間は短いが、制度上の変革にはのちの郡県制の端緒となったものもある。

直轄期は、取締り発令日の元年十二月二十三日から、藩県改置の日二年八月十八日までということであるが、実際には事務引渡しの関係から、取締りの各藩吏員は翌二年の春になって任地につき、同年秋から三年初めにかけて設置された藩県に土地を交付し、引渡しを完了して解任となる状態もあった。東北各地で直轄地の取締りを命ぜられた諸藩主は全部では十五にも達しているが、これらに対する共通の沙汰書によれば、戦乱ののちとて人民が甚だ苦しんでいるので、民政に通じている家来を選んで派遣し、新政にもとづき人民を撫育するよう、かつ新県を建てる場所の検見を命じている。

かくて諸藩ではその管轄地を県と称し、「奥羽取締規則」に従って政治を行ったが、その主なるものは、租税の収納・金礼・撫恤・月給・小吏の月給その他であった。

ここでようやくキーワードである「奥羽取締規則」なるものに出会いました。『法令全書』通番明治元年太政官布告第1129に、明治元年旧暦12月23日の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」が載っております。

其方儀今般奥羽御領之内民政取締被 仰付候就テハ兵乱之餘人民愁苦之情状追々被 聞食深ク被為痛聖念候ニ付、兼テ民政相心得候家来精撰之上彼地出張申付 朝廷之御政体ニ基キ人民撫育ニ厚ク心ヲ用ヒ 御一新之 御趣意遺洽ク貫徹致シ候様可取計旨、御沙汰候事
 但出張地所之儀ハ府縣掛ヘ可伺出事
 別紙
今般家来之者奥羽出張之上ハ新縣御取建ノ場所ヘ検分ヲ遂ケ見込可申出候様可致事

その後、廃藩置県関係の書物を読み漁ったところ、ようやく千田稔、松尾正人『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』の「東北地方民政取締諸藩」という表に、三戸県(0次)、伊沢県(胆沢県ではない)、花巻県、盛岡県(0次)、栗原県、涌谷県、桑折県などの聞きなれない県名が、民政取締期間に存在していたことになっておりました。

以下情報をまとめます(黒羽藩、松本藩に関しては、民政取締期間を原表より修正、【表が見にくいので分割】)

民政取締藩旧領主国名郡名権知県事
弘前藩盛岡藩陸奥北・三戸・二戸
黒羽藩盛岡藩陸奥北・三戸・二戸村上一挙
沼田藩盛岡藩陸奥東磐井
前橋藩盛岡・仙台・一関藩陸中胆沢・東磐井・西磐井久永真里
松本藩盛岡・仙台藩陸中紫波・稗貫・和賀・上閉伊・江刺・気仙西郷庄右衛門
松代藩盛岡藩陸中岩手・鹿角・九戸・紫波・稗貫・上閉伊・下閉伊小幡内膳
宇都宮藩仙台藩陸前栗原大羽楯之進
高崎藩仙台藩陸前牡鹿・桃生・本吉大野千楯
土浦藩仙台藩陸前登米・遠田・志田奥田図書
中村藩棚倉・二本松・磐城平・福島・関宿・会津藩・幕府磐城・岩代岩瀬・信夫・安達・安積・磐前・伊達志賀三左衛門
笠間藩棚倉・二本松・磐城平・福島藩・幕府磐城・岩代岩瀬・信夫・安達・安積・磐前・伊達加茂卓見
三春藩棚倉・磐城平・泉湯長谷藩磐城磐城・猶葉・菊多
守山藩棚倉藩磐城・岩代白河・石川・岩瀬三浦多門
館林藩会津藩・幕府領岩代大沼・河沼・耶麻・安積・会津・南会津・蒲原本多黒兵衛
新庄藩会津藩・幕府領岩代大沼・河沼・耶麻・安積・会津・南会津・蒲原竹村直紀
久保田藩庄内・米沢・天童上山・羽後亀田・羽後松山藩羽前・羽後田川・置賜・村山・飽海・由利・仙北・河北佐竹大和・和田掃部之助
新発田藩庄内・米沢・天童上山・羽後亀田藩羽前・羽後田川・置賜・村山・飽海・由利・仙北・河北溝口半兵衛

民政取締藩民政取締期間備考
弘前藩元年12月7日~2年2月8日旧盛岡藩領民の津軽氏排斥運動により2年2月8日に黒羽藩と交替
黒羽藩2年2月8日~2年8月7日2年2月8日に弘前藩民政取締地を継承、三戸県を称す、2年4月26日事務引き継ぎ、7ヶ条の「県治要領」を布告
沼田藩元年12月23日~2年2月30日2年2月30日に前橋藩と交替
前橋藩2年2月30日~2年8月18日2年2月30日沼田藩民政取締地を継承、伊沢県を称す、2年3月東磐井郡は旧磐城平藩の転封地となる、4月に19ヶ条の「心得書」を布告
松本藩元年12月7日~2年8月18日花巻県と称す、2年3月に「町村役人心得条目」の布達、遠野出張所開設、2年7月22日和賀紫波稗貫郡は盛岡藩復帰
松代藩元年12月7日~2年8月7日盛岡県と称す、2年5月3日県役所開庁、「心得条目」訴訟箱の設置、2年7月22日和賀紫波稗貫郡は盛岡藩復帰
宇都宮藩元年12月23日~2年8月7日2年3月22日に栗原県を称す、2年8月県下に村明細帳の提出を指示
高崎藩元年12月7日~2年7月20日2年7月20日に桃生県を置く、8月13日石巻県になる
土浦藩元年12月7日~2年8月7日2年3月22日に涌谷県を称す、2年3月28日土浦藩知事涌谷着
中村藩元年12月7日~2年7月20日桑折県を称す(磐城平民政局支配に代わる)、2年2月11日に県治の指針を示した「布達」を発行
笠間藩元年12月7日~2年7月20日
三春藩元年12月7日~2年8月7日
守山藩元年12月7日~2年8月7日2年4月金礼貸与の実施(須賀川生産方に金礼1,000両を貸与)
館林藩元年12月7日~2年5月4日郷村高帳の引き継ぎのみ、若松民政局支配が行われる
新庄藩元年12月23日~2年5月4日郷村高帳の引き継ぎのみ、若松民政局支配が行われる、2年6月岩代国巡察使により解任される
久保田藩元年12月7日~2年7月20日2年2月22日弁官へ官員派遣延期願を出願、酒田民政局の支配が行われる、同藩は郷村高帳の引き継ぎのみ
新発田藩元年12月7日~2年7月20日郷村高帳の引き継ぎのみ、酒田民政局の支配が行われる

「大日本維新史料稿本」明治元年12月16日・2年1月9日の項,「各県公文録」、『岩手県史』<第6巻・近代編1>、その他より作成

【原表での民政取締期間は、黒羽藩:2年2月18日~2年2月8日(開始、終了共に明らかに間違い)、松本藩:元年2月30日~2年8月18日(開始が明らかに間違い)。前橋藩、松本藩の民政民政取締期間(~2年8月18日)は、それぞれ8月12日(胆沢県置県の日)、8月7日(江刺県置県の日)の間違いという気もしましたが、『宮城縣史』が「直轄期は、取締り発令日の元年十二月二十三日から、藩県改置の日二年八月十八日まで」、登米県に関して「18日合轄トアリ」と書いているので、そのままにしました。各藩の民政取締地とその後の府藩県三治制下の県との関係は以下の通りです。

弘前藩取締地→黒羽藩取締地(三戸県→北奥県?)→九戸県→八戸県→三戸県→斗南藩・江刺県に編入
沼田藩取締地→前橋藩取締地(伊沢県)→胆沢県
松本藩取締地(花巻県)→江刺県・西部は盛岡藩(→盛岡県)
松代藩取締地(盛岡県)→江刺県・西部は盛岡藩(→盛岡県)
宇都宮藩取締地(栗原県)→胆沢県・一部登米県
高崎藩取締地→桃生県→石巻県→登米県に編入
土浦藩取締地(涌谷県)→登米県
中村藩取締地(桑折県)→福島藩・一部若松県
笠間藩取締地→福島藩
三春藩取締地→白河県
守山藩取締地→白河県
館林藩取締地→若松県
新庄藩取締地→若松県
久保田藩取締地→酒田県→山形県
新発田藩取締地→酒田県→山形県

登米県に関する宮城県の行政区画の変遷
の図は、多分日付等が若干間違っています。】

伊沢県、花巻県、盛岡県、栗原県、涌谷県に関しては、実は hmtさんが、[76252][75939][75924][75516]で触れられています。hmtさんが書かれた北奥県については、自分の方では確認できていません。岩手県の状況については、岩手県立博物館たよりNo.101「岩手県の誕生」(2004年,pdfファイル)の方にもまとまっています。桑折県については過去に誰も触れていないようです。

そこで皆さんに聞きたいのですが、一般的な廃藩置県関連の書籍や明治政府の公式の文書では全く取り上げられていない、これらの諸藩の民政取締の下で称された県名(伊沢県、花巻県、栗原県、涌谷県、桑折県、三戸県、盛岡県、北奥県;この内三戸県と盛岡県は、別の時期に県名として復活している、北奥県に関しては『岩手県史』の記述をまだ確認していない)というのは、正式なものとみなすべきでしょうか?

【引用文など一部訂正、備考を別表に、題名に他三県名を追加】
[79581] 2011年 10月 30日(日)01:24:04【1】YT さん
統計データを加工することの危うさ
[79579] にまんさん

家計調査のデータの場合、YTさんも書かれているように「消費量」ではなく「消費支出額」ですから、高級料亭の国産天然うなぎの蒲焼1匹分は、スーパーの輸入冷凍うなぎの蒲焼数匹分に相当することになります。
また、家計調査の品目分類では、実際には自分で食べない贈答用の支出も含まれてしまいます。

おっしゃる通りで、家計調査においては大部分は「消費量」ではなくて「支出金額」の情報です。ただ世に出回っている「消費量日本一」の根拠となりそうな統計は、おそらく家計調査ぐらいしか見当たりません。出荷額・出荷数の情報は生産者ベースの統計にありそうですが、消費額・消費数となると、小売りの情報も必要となり、もはや全点調査は無理です。

ただ、家計調査の場合は、生産者側の統計は含まれません。また私自身はうなぎが大好きな人間で、確実に外食で年間数万円を使っていますが、家計調査における加工食品としてのうなぎの蒲焼きへの支出には、外食費は含まれません。つまり、スーパーなどで売られている加工されたうなぎの蒲焼きへの支出のみです。実際に浜松市内では、一般家庭で加工食品としてのうなぎの蒲焼きを、外食以外の形で購入しているということになります(まあ「贈答用」も含まれますが)。自分は一人暮らししていた頃は多分年間1万円近くを加工食品としてのうなぎの蒲焼きを買うのに使っていました。現在は家での消費ペースは月2回程度ですが、それでも全国平均よりは上だと思います。

改めて過去6年間の世帯当たりの「うなぎのかば焼き」支出額を表にまとめてみましたが、おかしなことに気付きました。

順位都市2005年都市2006年都市2007年都市2008年都市2009年都市2010年
1京都市4,818大津市4,353大津市4,504浜松市4,874浜松市5,527浜松市6,001
2津市4,709京都市4,256奈良市4,440奈良市3,974静岡市4,211津市3,988
3大津市4,607奈良市4,146金沢市4,106和歌山市3,814奈良市4,059京都市3,687
4大阪市4,408和歌山市4,029京都市4,105大津市3,564京都市4,049さいたま市3,656
5和歌山市4,378静岡市4,003岐阜市4,016岐阜市3,456岐阜市3,603岐阜市3,572
6奈良市4,067神戸市3,993名古屋市3,585京都市3,289金沢市3,276大津市3,434
7神戸市3,984金沢市3,978和歌山市3,490神戸市3,191大津市3,167名古屋市3,205
8名古屋市3,974岐阜市3,747松江市3,483大阪市3,138松江市3,031金沢市3,152
9岐阜市3,627徳島市3,603静岡市3,452静岡市2,803和歌山市3,010奈良市3,076
10東京都区部3,525横浜市3,536宇都宮市3,295金沢市2,767名古屋市2,982堺市2,933
11金沢市3,518大阪市3,467大阪市3,227名古屋市2,753大阪市2,821静岡市2,931
12静岡市3,392岡山市3,398東京都区部3,181津市2,724東京都区部2,731横浜市2,877
13横浜市3,347宇都宮市3,332富山市3,134横浜市2,703水戸市2,720大阪市2,810
14富山市3,189東京都区部3,284津市3,130東京都区部2,510横浜市2,697岡山市2,788
15千葉市3,124津市3,066前橋市2,945長崎市2,493津市2,448松江市2,525
16宇都宮市3,120名古屋市2,852鹿児島市2,853甲府市2,467甲府市2,423富山市2,513
17さいたま市3,059甲府市2,779長崎市2,800堺市2,256堺市2,417神戸市2,498
18甲府市3,010富山市2,754神戸市2,754さいたま市2,219徳島市2,395東京都区部2,427
19松山市2,972さいたま市2,676長野市2,707徳島市2,193長野市2,345和歌山市2,395
20岡山市2,942福井市2,657岡山市2,678前橋市2,157神戸市2,125水戸市2,367
21徳島市2,901長野市2,636横浜市2,662松江市2,127大分市2,033千葉市2,245
22前橋市2,676広島市2,586甲府市2,644富山市2,093千葉市1,953長野市2,184
23長野市2,645水戸市2,580川崎市2,603長野市2,040富山市1,913宇都宮市2,170
24秋田市2,594長崎市2,567松山市2,586鹿児島市1,989鳥取市1,855徳島市2,053
25広島市2,585鹿児島市2,495高知市2,563水戸市1,987高知市1,843鹿児島市2,032
26川崎市2,581千葉市2,486千葉市2,549松山市1,889川崎市1,841盛岡市2,007
27鹿児島市2,503鳥取市2,471高松市2,463大分市1,888新潟市1,835甲府市1,999
28水戸市2,461松山市2,390大分市2,429高松市1,887鹿児島市1,809高松市1,916
29高松市2,429北九州市2,341さいたま市2,352宇都宮市1,864さいたま市1,798川崎市1,904
30山口市2,385松江市2,286秋田市2,294岡山市1,783盛岡市1,722大分市1,899
31長崎市2,333高松市2,271熊本市2,266秋田市1,667福井市1,694高知市1,823
32北九州市2,231青森市2,260水戸市2,248佐賀市1,661岡山市1,678広島市1,768
33福島市2,146前橋市2,246徳島市2,192福島市1,658札幌市1,673福島市1,723
34仙台市2,119大分市2,244青森市2,140高知市1,642宇都宮市1,670仙台市1,709
35山形市2,094盛岡市2,175盛岡市2,102熊本市1,585広島市1,552宮崎市1,671
36福井市2,083高知市2,163広島市2,005鳥取市1,564青森市1,549鳥取市1,630
37札幌市2,038秋田市2,123仙台市1,953仙台市1,520前橋市1,541松山市1,616
38高知市2,033山口市2,080福島市1,938広島市1,517高松市1,512青森市1,607
39青森市2,022川崎市2,074山口市1,889北九州市1,490那覇市1,511秋田市1,569
40熊本市2,005福島市2,055鳥取市1,878千葉市1,484熊本市1,488山口市1,471
41盛岡市2,001宮崎市2,000北九州市1,850福岡市1,385北九州市1,442福岡市1,419
42佐賀市1,952仙台市1,967山形市1,782川崎市1,380松山市1,416札幌市1,397
43福岡市1,935新潟市1,734福井市1,751山形市1,325長崎市1,400北九州市1,390
44新潟市1,901福岡市1,625福岡市1,699宮崎市1,311仙台市1,392熊本市1,340
45宮崎市1,855熊本市1,574新潟市1,614新潟市1,298宮崎市1,261山形市1,332
46鳥取市1,851札幌市1,565札幌市1,539山口市1,274福岡市1,258長崎市1,326
47大分市1,816山形市1,456那覇市1,501盛岡市1,258山口市1,225前橋市1,285
48松江市1,737佐賀市1,378宮崎市1,453青森市1,139秋田市1,201新潟市1,240
49那覇市1,695那覇市1,340佐賀市1,430福井市1,119山形市1,018那覇市1,183
50那覇市1,052福島市971佐賀市1,175
51札幌市992佐賀市902福井市1,116

2008年以降は浜松市、堺市が加わり、浜松市の独壇場となりますが、とにかく年次によるブレが酷い!地方別支出金額には意味があるでしょうが、都市別支出金額となると、年次毎のブレが酷く、浜松のように圧倒的にトップでない限り、この数字で全国一を議論する意味があるとは到底思えないですね。調査の概要を見る限り、大体6000世帯当たり1世帯が調査対象で、毎月1/12ずつ調査対象世帯を変えて年間調査を実施しているようですが、標本数が少なすぎる気がします。

7位以内に入ったことのある常連の都市を眺めると、京都市、大津市、奈良市、和歌山市、大阪市、神戸市などの関西諸都市、浜松市、津市、静岡市、岐阜市、名古屋市などの東海諸都市で、それ以外では金沢市、さいたま市などです。8位まで広げると松江市、10位まで広げると、東京都区部、横浜市、宇都宮市、堺市が入りますが、うなぎの蒲焼きへの消費額は関東よりも東海・関西の方が多いという実体が見えてきます。それよりも津市がこの6年間トップになっておりません。

どういことなのかと調べてみると、どうやら「うまっぷ」という津のうなぎ専門店を紹介するサイトで
津は一人当たりのうなぎの消費量が日本一!
1位 津 \2,150
2位 大阪 \1,968
3位 京都 \1,959
全国平均 \1,240

平成17年総務省家計調査県庁所在地別うなぎの蒲焼きに対する支出金額(一人当たり消費)
と書かれたのがきっかけで、色々マスメディアで紹介されて広まった情報のようです。

つまり2005年の世帯当たりのデータを世帯人員数で割った数字で、日本一を主張していたわけです。生データでは京都市が一位ですが、世帯人員数で割ると津市が一位になります。

でも、その後はずっと津市は一位ではありません。特に浜松市が登場してからは、津市がトップとなることは絶望的です。どうやらサイトの管理人もこれに悩んでいて、平成22年の家計調査で世帯別消費量が2位になったことに喜んでいたようです。でも今回は世帯人員数で割った数字を出していません…

浜松市といえば餃子でも有名ですが、どうやら宇都宮市の餃子消費量も家計調査の支出額が根拠で、最近浜松市に地位が脅かされているというのは、浜松市が統計の対象になったことが原因のようです。

2004年以前は、二人以上世帯と単身世帯で統計が別となっており、計算が非常にめんどくさくなりますが、ネットで閲覧できる2000年以降では、さいたま市がトップに立った様子はありません。おそらく旧浦和市の「うなぎ消費量全国一位」というのも、たまたま単年で世帯別消費量がトップに立ったのか、あるいは人口で割ってトップに立ったのか、とにかく都合の良い数字をもちだして計算したような気がします。

色々調べて分かったことは、「我が市は~の消費量全国一位!」の類の話は、大抵根拠となる数字が都合のよいものを持ってきており、話半ばに効いた方がいいということですね。何よりも外食産業で消費されている量が不明のままです(うなぎの場合は外食分を加えると、ますます浜松がトップになりそうですが)。

[79580] いろずーさん

この文章を書いている途中でいろずーさんの投稿がありましたが、

その反面津市は
「うなぎは日常食で「ちょっとうなぎでも」という感じで気軽に食べられる」
というコメントを見つけました

家計調査を見ると、うなぎの蒲焼きに使う世帯当たり年間支出額は2400円~4700円のレベルです。本当に「ちょっとうなぎでも」という感覚が平均的に存在するのなら、年間平均1万円を大幅に超えるはずです。全国的に見れば津市は平均よりもうなぎの蒲焼きへ支出する金額が多いことは言えますが、年次によって数字は2400円から4700円までブレており、京都、大津、奈良、静岡などの周辺地域の上位常連市と比べて有意の差があるとは言えないですね。

【追記】って、
津ぅのうなぎプロジェクト」の
http://unadon.mie1.net/
うなぎの街『津』復権の兆し!?
http://unadon.mie1.net/e308718.html によると
(その図)
http://www.mie1.net/usr/unadon/110420.gif
の全国平均は4位で
世帯あたりでは第2位にまで登ってきたではないでしょうか!!

2010年のデータを一人当たりで換算すると、2位はさいたま市、3位は京都市になってしまうのですか。
結局津市一位の根拠は、2005年のデータを一人当たりで計算し直した時だけなんですね。
[79577] 2011年 10月 29日(土)17:22:40【4】YT さん
うなぎのかば焼きへの支出金額全国一位の都市は名実ともにあの都市
[79571] ペーロケ さん
[79568] いろずー さん

うなぎの消費量についてちょっと触れたいことがありまして、書き込みします。

実際は「三重県津市」が1番多くウナギが食べられています

この手の話の元となる統計は、総務省の家計調査ですが、都市別データは県庁所在地と政令指定都市に限られるので、全国の市町村を全てカバーしているわけではありません。また総務省の家計調査における該当する項目は、加工食品である「364 うなぎのかば焼き」の世帯当たり年間の支出金額です。

平成22年度の結果(Excelファイル)を以下にまとめますが、うなぎのかば焼きへの支出金額を地方別で見ると、何だかんだで東海地方が全国トップです。

地方支出金額(円)
東海3,494
近畿2,964
北陸2,708
関東2,486
四国2,290
中国1,859
九州1,623
東北1,574
北海道1,273
沖縄936
全国2,408

一方県庁所在地・政令指定都市別で見ますと・・・ あれ?

県庁所在地・政令指定都市支出金額(円)
浜松市6,001
津市3,988
京都市3,687
さいたま市3,656
岐阜市3,572
大津市3,434
名古屋市3,205
金沢市3,152
奈良市3,076
堺市2,933
静岡市2,931
横浜市2,877
大阪市2,810
岡山市2,788
松江市2,525
富山市2,513
神戸市2,498
東京都区部2,427
和歌山市2,395
水戸市2,367
千葉市2,245
長野市2,184
宇都宮市2,170
徳島市2,053
鹿児島市2,032
盛岡市2,007
甲府市1,999
高松市1,916
川崎市1,904
大分市1,899
高知市1,823
広島市1,768
福島市1,723
仙台市1,709
宮崎市1,671
鳥取市1,630
松山市1,616
青森市1,607
秋田市1,569
山口市1,471
福岡市1,419
札幌市1,397
北九州市1,390
熊本市1,340
山形市1,332
長崎市1,326
前橋市1,285
新潟市1,240
那覇市1,183
佐賀市1,175
福井市1,116

そうです。うなぎのかば焼きへの支出金額が圧倒的に一位なのは津市ではなくて、印象通りの浜松市です。津市が一位から脱落した原因は浜松市が2007年に政令指定都市となり、家計調査表に項目として登場するようになったためです。

なんでこんなことが気になったかというと、私の生まれた旧浦和市も過去に全国一位のうなぎのかば焼き消費都市だったからです。きっちり過去の統計を確認している訳ではありませんが、少なくともさいたま市成立後は一位の座から脱落してしまっているようですが。

そうそう、当然浦和には有名な鰻の蒲焼専門店が多数ありますが、個人的にはJR南浦和駅近くにある某有名店をお勧めします。鰻の蒲焼の起源には諸説ありますが、一応浦和周辺で流布している説としては、中山道の浦和宿で鰻の蒲焼が始まったとされています。

【追記】上のデータは「総世帯」ですが、「二人以上の世帯」で見ると、過去3年間(平成20年~平成22年)の年間支出金額の平均(Excelファイル)では、津市もさいたま市もトップクラスにはいません。浜松市は圧倒的に首位ですが。単身世帯でも鰻の蒲焼を買う人が多いのが、津市、さいたま市ということになりますね。

県庁所在地・政令指定都市支出金額(円)
浜松市7,308
京都市4,767
大阪市4,361
岐阜市4,350
名古屋市4,267
静岡市4,237
奈良市4,233
大津市4,203
神戸市3,871
金沢市3,826
松江市3,750
横浜市3,716
堺市3,713
東京都区部3,667
津市3,629
和歌山市3,501
川崎市3,194
さいたま市3,179
甲府市3,163
千葉市3,156
水戸市3,090
徳島市2,871
長野市2,642
富山市2,615
大分市2,601
鳥取市2,474
岡山市2,471
鹿児島市2,428
広島市2,342
仙台市2,275
高知市2,268
長崎市2,216
宇都宮市2,186
高松市2,180
松山市2,022
佐賀市2,007
宮崎市1,972
北九州市1,961
山形市1,919
福岡市1,892
前橋市1,887
福島市1,882
山口市1,877
盛岡市1,842
新潟市1,818
秋田市1,792
熊本市1,782
札幌市1,767
福井市1,717
青森市1,627
那覇市1,617
全国平均2,868

時系列で見ると、うなぎの蒲焼の支出金額はどんどん落ちています。海外産輸入に伴う価格破壊、平成20年の産地偽装問題での消費低迷など、うなぎをめぐる環境は景気が良くないようです。
年次全国平均支出金額(円)
平成17年3,211
平成18年2,982
平成19年2,977
平成20年2,167
平成21年2,233
平成22年2,408
[79333] 2011年 9月 12日(月)02:20:45【1】YT さん
藩領の内高、現収納高まとめ3
藩名草高(A)呼高(B)草高(C)高(F)現石(B)現高(C)正税(F)現石(D')
守山藩/松川藩29,322.31933029,32229,32229,322.3193306,1746,1746,174.9080406,170.0000
敦賀藩/鞠山藩9,416.3671709,416.3671704,463.6038564,950.0000
松岡藩18,652.84500017,30017,30017,300.4700003,9033,9033,948.0838814,050.0000
福岡藩571,141.000000571,141571,141571,141.000000207,038234,246233,982.042875234,250.0000
福井藩336,194.039600336,194336,194336,194.039600111,005111,005111,005.942612111,010.0000
福山藩112,728.682000112,728112,728112,728.68200055,95254,95255,952.88882455,583.6600
府内藩26,422.33010026,42226,42226,422.33010015,62815,62815,628.85640014,160.0000
福知山藩32,933.56680032,93332,93332,933.56680013,87213,87213,872.17183013,330.0000
福江藩22,360.42637223,97223,97223,972.0824307,9307,9308,903.4109606,460.0000
福本藩11,573.0520003,204.3860
吹上藩13,707.76742013,70713,70713,707.7674203,5253,5253,529.3122673,530.0000
郡山藩152,912.299870152,799152,799152,912.29987059,48759,48759,487.87687659,490.0000
古河藩101,257.932593101,257101,257101,257.93259229,27029,27029,921.68291425,710.0000
小諸藩28,772.68900015,00028,77215,000.00000010,90310,90310,902.83428010,020.0000
挙母藩22,634.90700022,63422,63422,634.9070006,5136,5136,513.9128756,710.0000
小泉藩11,202.61700011,20211,20211,202.6170005,6465,5875,646.7114515,590.0000
菰野藩12,386.39100012,38612,38612,386.3910005,7245,7245,724.5381255,720.0000
小松藩13,310.98700013,31013,31013,310.9870004,8294,8294,829.5813004,830.0000
天童藩21,156.49760021,15621,15618,000.0000006,5546,5546,554.3021877,650.0000
久保田藩/秋田藩332,038.779000332,038332,038332,038.779000183,69618,396183,535.312120179,400.0000
明石藩90,304.10900090,30490,30490,304.10900043,46643,46643,466.12765043,470.0000
秋月藩51,783.62539051,78351,78351,783.62539018,80318,80321,007.89616020,800.0000
山形藩/朝日山藩50,580.87059050,48050,58050,580.00000016,18613,139.50148817,500.0000
尼ヶ崎藩51,482.07239051,48251,48251,482.07239027,75227,75227,752.45951827,670.0000
足守藩30,898.68900030,89830,89830,898.68900010,15110,15110,151.74649010,520.0000
赤穂藩20,000.00000020,00020,00020,000.00000010,31210,31210,312.75488010,730.0000
綾部藩21,062.18096021,06221,06221,062.1890606,6486,6487,160.9590007,160.0000
安中藩33,125.74150033,12233,12533,125.7415007,6827,6827,682.7176807,680.0000
麻田藩11,223.36800011,22311,22311,223.3680005,1535,2085,153.8501204,792.0000
麻生藩11,769.01620011,769117,16911,769.0162004,7084,7084,708.2598794,710.0000
足利藩11,00011,00011,000.0000003,1942,6963,194.4529902,700.0000
安志藩10,009.69465010,10910,10910,109.6946504,9944,9944,994.2223794,560.0000
浅尾藩10,098.93874010,00010,00510,098.9387404,0114,0114,012.1460974,140.0000
佐賀藩724,739.315200724,739724,739665,293.850000219,038219,038219,038.417837213,727.1600
佐倉藩132,941.206910132,941132,941132,941.20691050,09750,09850,097.78127050,100.0000
篠山藩68,222.17626068,22268,22268,224.34396036,31636,31636,151.78739236,320.0000
佐土原藩33,262.79320033,26233,26233,262.00000017,23537,23520,840.47605018,130.0000
西條藩40,801.80000040,80140,80140,801.80000017,16517,16517,165.20092018,190.0000
佐伯藩21,952.21043021,95221,95221,952.21043012,22412,22412,224.59547012,220.0000
三田藩37,717.33700037,71737,71737,717.33700015,26815,29015,290.50840015,290.0000
鯖江藩40,066.95100046,00646,00640,066.95100014,96514,95814,975.44595014,960.0000
狭山藩11,615.70260011,615.7026005,467.7298405,470.0000
佐野藩17,162.56328017,16217,16217,162.5632805,4575,2925,457.2099855,290.0000
佐貫藩16,199.92195016,19916,19916,199.9219504,3724,3734,372.5303104,470.0000
桜井藩10,179.11318010,17910,17910,179.1131803,3393,5593,339.9066903,560.0000
岸和田藩59,028.32320059,02859,02859,028.32320032,51832,51832,786.04410034,090.9900
菊間藩54,653.55489054,65354,65354,653.55489018,13718,13718,137.27167019,260.0000
杵築藩55,674.18180055,67455,67455,674.18180021,19431,19421,389.37544621,040.0000
清末藩23,091.00000013,09113,09113,091.0000006,9086,9086,908.5000007,600.0000
清崎藩12,825.17956012,82512,82512,825.1795604,7574,7574,757.2274645,520.0000
喜連川藩10,209.5195005,000.0000001,930.0000
結城藩26,369.32159026,36926,36926,369.3215904,7634,7634,763.2327504,840.0000
湯長谷藩15,223.01900015,22315,22315,223.0190003,1813,1813,375.7062063,260.0000
水戸藩306,953.192000296,115296,115296,115.36900057,72957,72958,827.05618057,730.0000
三春藩61,740.82080061,74061,74061,740.82080027,36612,58127,366.14663712,580.0000
宮津藩70,718.19400070,71870,71870,718.19400032,53127,16432,531.37510527,160.0000
水口藩26,491.88614026,49126,49126,491.88614011,69711,70611,697.93929911,710.0000
壬生藩49,061.94010049,06149,06149,061.9401009,5759,5759,575.81107410,170.0000
三日月藩15,560.48700015,56015,56015,560.4870007,5048,3988,902.0581528,390.0000
峰山藩11,537.33100011,53711,53711,537.3310006,0296,0296,029.7249066,030.0000
三日市藩11,040.69820011,04011,04011,040.6982005,2135,2135,213.3611774,810.0000
宮川藩13,198.30780013,19813,19813,198.3078004,1654,8294,165.4735604,830.0000
三根山藩/峰岡藩15,071.14500015,05915,05915,059.2050004,4384,4384,438.5015305,400.0000
三草藩10,379.05068010,37910,37910,379.0506804,8384,8384,838.6536434,840.0000
三池藩11,997.38574011,99711,99711,997.3857403,3753,3753,654.0669084,130.0000
静岡藩699,721.058170699,892699,892699,892.158170209,480209,480210,140.143538210,210.0000
清水藩25,000.0000
新発田藩139,102.187350139,102139,102139,102.18735070,88870,88874,020.92668070,920.0000
島原藩74,872.31110074,87274,87274,872.31170040,81345,12340,813.49051045,120.0000
新庄藩103,434.79830084,33684,33684,336.91680025,31325,31325,313.68616026,070.0000
重原藩28,352.28558028,35228,35228,352.2855808,4518,4518,451.4691308,880.0000
新宮藩42,312.77020036,62436,62436,624.75825017,28617,28617,286.68378517,199.1572
下館藩22,116.18600022,11622,11622,116.1860007,5327,9137,532.6226307,910.0000
芝村藩10,021.95900010,02110,02110,021.9590004,8715,2124,871.6997205,210.0000
椎谷藩10,746.11776010,746107,14610,746.1177604,4054,4054,405.3767504,390.0000
下妻藩12,232.24536012,23212,23212,232.9453602,1602,1602,160.2392032,090.0000
志筑藩10,110.00000010,11010,11010,110.0000001,8611,8611,919.5012301,950.0000
宍戸藩10,499.66600010,49910,49910,499.6660001,6201,6201,735.9319501,890.0000
七戸藩10,384.64700010,38410,38410,384.6470001,6171,6171,617.2229121,620.0000
広島藩483,580.779250483,580483,580483,580.779250255,497258,370255,497.641706258,370.3660
広島新田藩
弘前藩274,482.000000274,482274,482274,482.000000142,043142,041142,043.184875141,345.0000
彦根藩203,887.990000203,887203,887203,887.99000094,03094,03094,030.02639094,030.0000
姫路藩211,224.081000211,224211,224211,224.08100088,83288,83288,832.96300083,210.0000
平戸藩120,912.301000120,912120,912120,912.30100052,4755,37552,475.38980046,410.0000
平戸新田藩/植松藩4,080.0000
人吉藩63,419.33486063,41963,41963,419.33486024,50024,50025,680.04156725,090.0000
久居藩48,294.37700058,68658,68658,686.16500024,57924,57924,579.07105023,240.0000
広瀬藩33,128.09000033,12833,12833,128.09000013,03313,03313,002.27101214,390.0000
日出藩27,500.22030027,50027,50027,500.2203009,3939,39310,978.26347510,280.0000
一橋藩109,428.629580109,428.62958038,052.63000038,050.0000
盛岡藩/盛岡県160,407.646000130,000130,000160,923.93200074,013.64325068,580.0000
森藩14,274.64360014,27414,27414,274.6436005,4985,4987,135.0005576,100.0000
母里藩7,441.9390009,5609,5607,441.9390004,8264,8264,826.1965005,353.4040
仙台藩278,017278,017278,017.24000063,38163,38169,928.37873067,740.0000
膳所藩65,811.76810065,81165,81165,811.76810029,14429,14429,144.29325825,300.0000
関宿藩52,386.28213052,38652,38652,386.2822306,82915,5526,829.07117215,550.0000
須坂藩12,153.37080012,15312,15312,153.3708004,1834,1834,183.2367804,330.0000
○松岡藩:『藩制一覧』の水戸藩の「中山備中守支配地」18,652.845石を採用。
○尼崎藩:『藩制一覧』は草高合51,483.07239石とあるが、摂州38,301.47939石と播州13,180.593石の合計51,482.07239石を採用。
○麻生藩:『藩制一覧』は草高14,582.2585石とあるが、荒地陣屋鍬下等引残11,769.0162石を採用。
○佐渡原藩:『藩制一覧』の高27070.713石と外ニ6375.5462石の合計33,446.2592石より
改減高引183.466石を除いた数値33,262.7932石を採用。
○水戸藩:『藩制一覧』の当高325,606.037石より中山備中守支配地(松岡藩)当高18,652.845石を除いた高合306,953.192石を採用。
○広島藩:『藩制一覧』の惣高485,714.12515石より永荒等方引高2,133.3459石を除いた残高483,580.77925石を採用。なお広島新田藩3万石の石高を含むと思われる。
○平戸藩:『藩制一覧』の合高120,912.301石は、草高61,700石、外新田改出高49,212.301石、末家松浦従五位(平戸新田藩)高1万石の合計であり、平戸新田藩の石高を含む。
○久居藩:『藩制一覧』の草高43,000石と新田高5,415.896石の合計48,415.896石より侍屋敷寺屋敷其他諸引ヶ地121.519石を除いた数値48,294.377石を採用。なお『藩制一覧』の津藩の項では、久居藩高合計58,686.209石となっている。
○盛岡藩:『藩制一覧』の合高160,923.932石(『各藩高並租税調帳』の数字と一致)から荒地川欠不足高516.286石を除いた160,407.646石を採用。
○母里藩:『藩制一覧』の支配地総高9,560.931石(『府藩県石高人口表』『統計集誌』の数字9,560石と一致)から万引方除結之高2,118.992石を除いた残高7,441.939石を採用。
[79332] 2011年 9月 12日(月)02:15:06【2】YT さん
藩領の内高、現収納高まとめ2
藩名草高(A)呼高(B)草高(C)高(F)現石(B)現高(C)正税(F)現石(D')
加納藩35,856.63420035,85635,85635,856.63420012,73412,73412,734.01072113,050.0000
亀田藩19,904.55500015,90419,90419,904.55500011,09712,19911,997.61955012,200.0000
上ノ山藩28,409.45790027,40928,40928,409.45790010,48710,48710,487.16652010,487.1600
鹿島藩20,000.00000020,00020,00020,000.00000010,10510,10510,105.9567309,895.9300
鴨方藩25,839.77000025,83925,83925,839.7700009,2179,2179,217.6707809,220.0000
柏原藩20,133.69760020,13320,13320,133.6976009,1869,1889,186.9069409,190.0000
烏山藩40,761.58532040,76140,76140,761.5853207,4077,4077,407.0834407,530.0000
刈谷藩27,734.68380027,73427,73427,734.6838007,0927,0927,092.8181887,090.0000
勝山藩21,057.40200021,05721,05721,057.4020007,2377,2257,237.0606007,230.0000
神戸藩16,970.65550016,97016,97016,970.6555007,4277,4277,427.0076706,670.0000
加知山藩13,969.89746013,96913,96913,969.8974604,6254,6254,625.0004284,280.0000
米沢藩284,748.780240284,748284,748284,748.78024063,26963,26965,047.81387060,196.6189
米沢新田藩2,926.0000
淀藩113,314113,314113,314.62789045,67843,78445,678.29571843,780.0000
吉田藩30,007.68854030,00730,00730,007.68854013,70313,70316,205.17574014,730.0000
与板藩21,674.56979021,17421,67421,674.5697907,6577,1937,656.9337807,190.0000
吉見藩14,509.49324014,50914,50914,509.4932405,5045,5045,504.3057485,200.0000
吉井藩11,494.29930010,000.0000002,155.8953702,160.0000
高松藩201,714.982000201,714201,714231,714.98200075,70775,70775,707.264416105,760.0000
高田藩154,104.158000154,404154,404154,104.15800042,85942,85942,913.78595048,410.0000
高崎藩90,573.54010090,57390,57390,573.54010034,67333,11434,673.26847033,110.0000
館林藩113,851.719500113,851113,851113,851.71950034,82034,82034,820.78812537,450.0000
大聖寺藩83,772.03300083,77283,77283,772.03300026,63326,63326,633.88558028,730.0000
館藩40,382.01640040,38240,38240,382.01640023,30123,20123,301.56971023,300.0000
高鍋藩59,992.79300059,99259,99270,095.00000014,85914,85923,993.85000016,770.0000
高槻藩38,760.88190038,76038,76036,653.49070020,10820,10820,108.59330017,440.0000
龍野藩52,291.52200052,29152,29152,291.52200027,76827,76327,768.32470027,760.0000
田辺藩39,366.44184039,35939,35939,359.40964016,26515,63816,265.19462515,640.0000
高島藩45,922.26100045,93245,93245,922.26010016,72916,07216,898.77532016,070.0000
高遠藩34,999.44910034,99934,99934,999.44910015,50312,50315,503.60318315,330.0000
鶴田藩36,189.70700036,18936,18961,000.00000011,97811,97811,978.38370220,660.0000
高取藩25,228.90296025,22825,22825,228.90296011,88511,88511,885.80100012,700.0000
棚倉藩60,000.00000059,98259,98259,982.0000008,8898,8898,889.29454010,140.0000
高梁藩15,843.04940015,84215,84320,000.0000007,6923,6927,692.2751908,570.0000
多度津藩13,851.29140013,851.2914007,097.3034627,400.0000
高須藩30,154.50300021,510.0500006,529.7198206,630.0000
田原藩20,178.94500020,17820,17820,178.9380006,0206,0206,020.7184305,740.0000
丹南藩11,007.59437011,00711,00711,007.5943706,1506,6006,150.3141906,600.0000
龍岡藩16,279.22000016,27916,27916,279.2200005,1375,1375,137.4065375,140.0000
多古藩14,173.12636014,17314,17314,173.1263603,1582,7563,158.2668212,750.0000
田原本藩10,001.83817410,00110,00110,001.8381773,0693,0693,069.1333303,070.0000
館山藩12,319.14470012,31912,31912,319.1447003,4273,4703,427.7446483,498.9566
高岡藩12,016.54270012,01612,01612,016.5420703,4063,4063,416.1830793,540.0000
高富藩10,380.48920010,38010,38010,380.4890202,9422,9422,942.5268503,220.0000
田安藩103,720.114350103,720.11435031,476.68100031,480.0000
園部藩35,918.57760038,34338,34335,918.57760014,90815,00914,908.82072013,530.0000
高徳藩/曾我野藩10,050.71280011,13911,13910,000.0000003,0003,7153,000.4120003,720.0000
津藩299,334.818000299,334299,334358,020.847000126,585128,585126,505.887510124,270.0000
津山藩104,576.913000104,57614,576104,576.91300043,11843,11843,118.17764243,120.0000
津和野藩75,060.64890075,06075,06075,060.64890028,23128,02928,231.75348030,753.0000
土浦藩110,083.040400110,083110,083110,083.04040026,51526,51526,515.63673928,380.0000
鶴舞藩69,624.69366069,62469,62469,624.69366024,32424,32424,324.51175924,150.0000
鶴牧藩19,909.47325019,90919,90919,909.4732508,9537,2298,953.0686377,040.0000
名古屋藩853,215.329800874,265874,725853,215.329800327,467327,467320,938.270000269,070.0000
中津藩100,000.000000119,994119,994119,994.30158049,25549,25549,255.19675053,000.0000
中村藩83,809.01490067,32567,32567,325.45160029,40929,40929,409.75117534,610.0000
長尾藩50,255.20227050,25550,25550,255.20227014,74818,93914,748.71194618,939.4000
長岡藩24,000.00000024,000.0000009,890.31068010,500.0000
長島藩16,305.12612016,30516,30516,305.1261207,4017,4017,401.8753677,390.0000
成羽藩12,746.20731012,74612,74612,746.2073104,0204,0204,020.9510004,020.0000
苗木藩14,780.90220014,78014,78014,780.9022004,91649,1164,916.3773004,920.0000
七日市藩11,113.28000011,11311,11311,113.2800002,1042,1042,251.3930002,600.0000
村上藩77,653.02200077,65377,65377,653.02200032,08432,08432,084.34235029,480.0000
村松藩39,114.95100039,11439,11439,114.95100020,21120,68820,211.84673220,690.0000
邨岡藩11,010.47280011,01011,01011,010.4728003,7542,7543,754.6165253,790.0000
六浦藩16,584.69840016,58416,58416,584.6984002,2532,2532,253.3871482,700.0000
宇和島藩100,000.000000100,402100,402100,402.12000040,10452,42452,424.53171552,420.0000
臼杵藩50,060.00000050,06550,06550,065.76900035,27135,27134,526.72693735,270.0000
上田藩60,120.70150060,12060,12060,120.70150022,52622,52622,526.77792722,808.1055
宇都宮藩91,298.98025091,29891,29891,298.98250018,38818,38819,140.80460018,830.0000
牛久藩11,901.34490011,90111,90111,901.3449003,6943,6943,694.9340073,700.0000
宇土藩30,000.00000012,990.0000
延岡藩81,815.07308081,81581,81581,815.07308029,11829,11829,118.85785028,906.3578
野村藩13,089.00700013,08913,08913,089.0070004,0973,9044,097.5192913,900.0000
熊本藩786,015.607170786,015786,015786,015.607170378,527378,527378,527.752920329,680.0000
高瀬藩13,570.0000
久留米藩366,271.710000366,271366,271366,271.710000126,438126,438126,438.503387118,190.0000
桑名藩60,560.32500060,56060,56060,560.32500028,19528,19528,195.22550323,450.0000
郡上藩49,69949,69949,699.25200015,89915,89915,899.06268015,970.0000
久留里藩33,081.48628033,08133,08133,081.48628011,12611,12611,126.42112011,126.4210
黒石藩13,251.88500013,25113,25113,251.8850008,1828,0198,182.3866258,020.0000
黒羽藩29,443.64680029,44329,44329,443.6468005,3355,3355,335.8828005,340.0000
櫛羅藩10,000.00000010,00010,00010,000.0000004,2894,2894,289.4587104,550.0000
黒川藩11,386.90950011,38611,38611,386.9095004,7484,7484,748.0928004,760.0000
山口藩988,004.000000713,666713,666713,666.000000251,982251,982251,982.976562232,760.0000
柳河藩155,394.060000155,394155,394155,394.06000075,73270,15081,621.70075066,890.0000
柳本藩10,000.00000010,06610,06610,000.0000006,5976,5976,597.2476606,600.0000
山崎藩11,032.28170011,03211,03211,032.2817005,8286,6806,939.8524076,680.0000
柳生藩9,593.75198010,00010,00010,000.0000005,7815,7815,781.4666805,710.0000
矢島藩16,133.88000016,13316,13316,133.8814204,6246,2274,624.8012146,220.0000
山上藩13,473.54994013,47313,47313,473.5499404,8994,8594,899.6820834,900.0000
山家藩10,082.83000017,44817,44817,448.8930004,3774,3894,392.6740044,389.4000
谷田部藩/茂木藩27,924.59980027,92427,92427,924.5998003,9813,9813,981.1518203,850.0000
谷地藩
松江藩180,009.760800245,340245,340245,340.159000135,063135,063.877500145,340.0000
松山藩157,184.977000150,000150,000150,000.000000110,748110,748110,748.400000110,748.5000
松代藩123,570.020000123,570123,570123,570.02000050,51250,51233,567.51139537,150.0000
前橋藩217,709.033840217,709217,709217,709.03384047,46654,45047,466.63252854,450.0000
松本藩97,522.65910097,52297,52297,522.65910036,86936,86936,869.77649036,850.0000
丸亀藩/丸亀県82,153.88300082,15382,15382,153.88300033,02233,02233,022.49802033,120.0000
舞鶴藩35,911.13770035,91135,91135,917.13770021,35818,27921,358.06595516,750.0000
丸岡藩50,253.42090049,51849,51649,518.43590015,47417,35615,474.76418017,360.0000
柴山藩/松尾藩53,427.56063053,42753,42753,427.56063013,61319,53913,613.39981719,540.0000
真島藩30,809.10300030,80930,80930,809.10300011,91311,93211,913.67318011,932.6074
松嶺藩26,800.15744026,80026,80026,800.15744010,36910,36910,369.26393012,420.0000
○勝山藩:『藩制一覧』の合高23,460.172石より引方2,402.77石を除いた実高21,057.402石を採用。
○米沢藩:『藩制一覧』は米沢新田藩10,000石を含むと思われる。
○高松藩:『藩制一覧』の〆205,387.014石より朱印地975.913石、除地2,696.119石を除いた数値201,714.982石を採用。
○多度津藩:『藩制一覧』の合高14,018.676石より引高1,167.3846石を除いた残13,851.2914石を採用。
○園部藩:『藩制一覧』の合高38,343.2173石より永荒無地高引2,424.6397石を除いた残35,918.5776石を採用。
○松江藩:『藩制一覧』の草高245,341.159石より万引方除之65,331.3091石を除いた正180,009.7608石(計算値は180,009.8499石)を採用。
[79331] 2011年 9月 12日(月)02:11:03YT さん
藩領の内高、現収納高まとめ1
『庚午七月写 各藩高並租税調帳』(資料F)記載の高(ここでは内高のこと)、正税(実際は雑税・見取税を加算した現収納高)と、藩制一覧(資料A)記載の草高(ここでは内高のこと)をまとめましたので、以下大隈重信文書の『府藩県石高人口表』(資料B)の呼高(=内高)と現石(=現収納高)、『統計集誌』、「府藩県所轄並石高」(資料C,[79225]参照)の草高(=内高)と現高(=現収納高)、『明治史要』「知藩事表」(資料D')の現石(=現収納高)と一緒にまとめます。

なお『藩制一覧』記載の現収納高(現石、正租税+雑税等)については収録を見送りました。[79302]に示したように各藩で石高換算のレートが違う上、それぞれの税金一覧に欠落が多々あると推測されるからです。

表高との比較については[76745][76746][76747]を、『明治前期財政経済史料集成』との数値の違いは[79302]を参照してください。また府県、藩預所の内高、現収納高については[79307][79308]『明治二己巳年 租税取調帳』の数字をまとめました。藩の順番は『藩制一覧』の順に従っています。

藩名草高(A)呼高(B)草高(C)高(F)現石(B)現高(C)正税(F)現石(D')
厳原藩69,57369,57331,13021,13035,413.2220
岩国藩81,22181,22181,221.00000029,63729,63729,637.58690036,310.0000
今治藩43,234.81400043,15043,15043,150.90100022,71622,7162,716.17000022,720.0000
飯山藩35,192.29700035,19235,19235,192.29700011,61911,61911,619.60280511,970.0000
犬山藩42,704.80310042,70442,70442,704.80310013,51113,51115,495.94192012,840.0000
出石藩32,818.64405032,81832,81832,818.64405013,49213,84215,190.48954013,840.0000
岩村藩34,552.60603034,55234,55234,552.60603013,27213,27213,272.61299013,270.0000
一関藩30,347.37000030,34730,34730,347.37000010,85410,85412,254.22399511,210.0000
椿台藩/岩崎藩20,00020,00010,82310,82311,910.0000
岩槻藩33,020.48923033,01433,01433,014.1941309,5799,5799,580.5353208,880.0000
飯野藩21,062.89400021,06221,06221,062.8940009,0127,4969,042.7754607,500.0000
飯田藩20,092.91977020,08220,08220,082.5667909,4409,4409,441.46218510,040.0000
磐城平藩29,939.89400029,53929,53929,939.8940007,6347,6347,634.7249506,760.0000
岡山新田藩/生坂藩15,000.00000015,00015,0005,680.0000
石岡藩29,069.68310029,06929,06929,069.6830105,5005,5005,500.0565405,260.0000
今尾藩17,906.91300020,00020,00020,000.0000005,9377,8005,937.0942007,800.0870
伊勢崎藩25,492.36300025,49225,49225,492.3630005,3745,5025,374.6759705,510.0000
一宮藩16,106.40636013,00016,10613,000.0000005,4725,4655,472.3307305,470.0000
泉藩19,543.51775019,54319,54319,543.5177504,1654,5504,368.8915624,550.0000
岩村田藩15,125.04949013,25013,25013,250.4479003,6603,6603,660.3570244,300.0000
蓮池藩59,659.78487559,65959,65959,659.78480018,58220,43218,582.66250020,430.0000
花房藩43,743.39766035,00035,00035,000.00000011,07711,07711,077.84687914,570.0000
八戸藩40,074.00000040,07440,07440,074.0000007,1219,4377,121.1857009,440.0000
伯太藩14,273.03410074,27374,27314,273.0341006,0736,0736,073.2917356,070.0000
林田藩14,889.67190014,88914,88914,889.6719006,4236,4236,423.0029576,420.0000
半原藩22,228.13700022,22822,22822,228.1330005,9405,9405,940.9205905,940.0000
西尾藩63,205.63154062,60262,60262,602.51154023,77023,77023,770.60590323,190.0000
二本松藩50,000.00000050,00050,00050,000.00000011,87212,86911,872.91682512,860.0000
庭瀬藩20,573.78265020,57320,57320,573.78265010,46610,46610,466.23781010,470.0000
新見藩18,196.14020018,19618,19618,196.1402006,3476,5126,347.4927876,510.0000
西大路藩17,004.50000017,04317,04317,043.6725006,8626,8626,862.6773606,710.0000
新谷藩9,692.6757809,6929,6929,692.6757804,8914,8904,891.0440704,890.0000
西端藩14,008.75433014,00814,00814,008.9994003,3793,2803,379.1925043,280.0000
西大平藩10,416.14540010,41610,41610,416.2744002,8553,2632,855.3321703,250.0000
本庄藩27,223.06100027,51817,51827,518.15500012,93313,27012,933.57529013,270.6140
堀江藩5,484.7083805,4845,4845,484.7883802,7452,2712,745.1605502,270.0000
徳島藩442,735.000000442,735442,735442,735.000000206,359206,359206,359.725000193,173.5400
鳥取藩423,669.702000428,169428,169398,748.288500157,884157,884157,884.128627186,437.5000
若桜藩8,830.0000
鹿奴藩13,250.0000
豊津藩165,617.352000165,617165,617165,617.35200079,54379,54379,543.65987588,170.0000
富山藩145,637.801000159,297159,297159,297.87100066,92566,01066,925.17365066,010.0000
豊浦藩100,972.000000100,972100,972100,972.00000039,97339,97339,973.31250039,972.0000
豊橋藩89,978.87909089,97889,97889,978.87990025,47626,19825,479.54438126,200.0000
徳山藩69,054.00000069,05469,05469,054.00000021,41321,41321,413.74186511,410.0000
鳥羽藩31,813.70900031,81331,81331,813.70900014,86812,91914,868.75625512,920.0000
豊岡藩15,806.30385015,80615,80615,806.3038506,0316,0316,031.5077375,380.0000
斗南藩7,380.0000
千束藩10,172.21260010,17210,17210,172.2126004,8024,8024,802.0242264,800.0000
大網藩/龍崎藩12,425.53838012,42512,42512,425.5383803,3273,8733,327.9438103,320.0000
沼田藩44,154.21279044,15444,15444,154.21279016,58916,58916,589.27880015,110.0000
岡山藩454,117.199600454,117454,117454,117.199600173,755173,755173,755.847890179,585.0000
大泉藩120,000.000000120,000120,000120,000.00000069,36169,36170,552.31353069,379.8100
小浜藩106,599.348200106,599106,599106,599.34820055,32555,32555,325.80221755,730.0000
大垣藩131,106.431580131,106131,101131,106.43158051,99857,99851,998.91628050,320.0000
岡藩91,844.62378091,84491,84498,144.62378034,60624,60644,638.79213052,400.0000
忍藩141,752.473870141,752141,752141,752.47387043,53939,21743,534.16365142,070.0000
大洲藩60,906.00000051,63751,63751,637.10000021,28421,28431,912.11718730,476.9000
大村藩50,454.61356058,97150,45450,454.61356026,32423,00223,545.72680323,060.0000
小城藩82,126.32000082,12682,12682,126.32000026,25326,25326,253.71581027,372.8400
飫肥藩60,595.40650060,59560,59560,595.40650023,81223,81224,301.75595023,340.0000
小田原藩75,532.40314075,53275,53275,532.40314021,78221,78221,782.86534023,410.0000
岡崎藩55,535.90330060,52160,52160,521.91700018,86721,35118,867.22801221,351.5502
大野藩39,320.57700039,32039,32039,320.57700014,88214,88214,882.97157512,630.0000
大多喜藩27,281.93690027,28127,28127,281.9369007,8447,2807,844.9473707,280.8537
大溝藩20,097.67058020,09720,09720,097.6705807,5176,7297,517.6407306,730.0000
岡田藩16,983.95003015,55515,55515,555.1687007,7517,7517,757.7418047,750.0000
小野藩11,099.31300011,09911,09911,099.3130005,2815,2815,281.2260805,280.0000
小幡藩23,070.14100023,07023,07023,070.1450004,1564,1734,156.8287204,170.0000
萩野山中藩13,684.19767013,68413,68413,684.1976703,5203,5203,520.3962894,660.0000
小久保藩11,265.14970011,27011,27011,325.4209003,4073,4533,411.1649364,400.0000
生実藩10,627.70566010,62710,62710,627.7056603,9943,9943,994.6610004,030.0000
大田原藩16,021.49390011,40011,40011,400.0000002,3112,4822,407.5092092,528.4916
小見川藩10,476.02001010,47610,47610,476.0200102,3582,3582,358.3014032,710.0000
和歌山藩539,469.470700539,469539,469539,469.470700279,141279,141279,141.688813274,590.0000
金沢藩1,338,083.5620101,338,0831,338,0831,338,083.562100637,316636,876637,316.968466636,880.0000
鹿児島藩869,593.576640869,593869,593869,593.576640298,709298,719298,709.464650314,002.5000
高知藩495,486.000000495,486495,486495,486.000000247,765247,765247,765.785400193,010.0000
高知支封藩(山内藩)4,720.0000
亀岡藩57,204.07000057,20457,20457,204.07000028,15628,15628,156.94094028,380.0000
唐津藩64,735.86300064,73564,73564,735.86300026,99026,99026,990.16624529,423.6600
亀山藩75,418.98180075,41875,04875,418.98180024,44724,44724,447.91483724,450.0000
川越藩81,562.30091081,56281,56281,562.30091021,51321,51321,513.40449021,660.0000
笠間藩85,310.66480085,31085,31085,310.66480019,65619,65619,956.22440025,180.0000

○鳥取藩:『藩制一覧』:池田徳澄分地(鹿奴藩)30,000石、池田徳定分地(若桜藩)20,000石、池田徳潤分地(福本藩)4,500石の石高を含むとあり、福本藩支配地11,573.2038石(福本藩配分7,073.052石+鳥取藩ヨリ廩米4,500石)を含むと推測される。
○豊津藩:『藩制一覧』の合高212,598.552石より千束藩支配10,000石、御蔵米36,981.2石を除いた残165,617.352石を採用。
○豊浦藩:『藩制一覧』の草高124,063石より清末藩配分23,901石を除いた残100,972石(計算値は100,162石)を採用。
○岡崎藩:『藩制一覧』の草高60,521.917石より諸引4,986.0137石を除いた残55,535.9033石を採用。
○金沢藩:『藩制一覧』の草高1,353,352.87101石より当時変地等引高15,269.309を除いた数値1,338,083.56201石を採用。


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