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落書き帳

英保町の過去ログ

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[83609] 2013年 6月 17日(月)08:54:08白桃 さん
英保町は10日間ほど存在したのでは?
市町村変遷情報を細切れに突いて恐縮ですが、
岡山県の部に
変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容
1948(S23).10.20町制/改称和気郡吉永町和気郡英保村
と、「英保村」が「英保町」になり即日「吉永町」に改称した形になっておりますが、
1948年11月1日に英保町が吉永町に改称
という資料というかデータがいくつか見受けられます。
要するに、英保町が吉永町に改称されたのはいつか?、ということですが、11月1日という確たる証拠もありません。

このあたりの事、お分かりになる方に教えていただきたいのですが・・・。
[83612] 2013年 6月 18日(火)23:49:56hmt さん
英保町から吉永町への改称
[83609] 白桃 さん
要するに、英保町が吉永町に改称されたのはいつか?、ということですが

備前市HP における旧・吉永町の記載。
明治22年の町村制の施行にともない、旧14村が合併して英保村、神根村、三国村が成立しました。昭和23年10月、このうち英保村が英保町に、同年11月には英保町が、吉永町に改称され、昭和29年3月 1日、この1町2村が合併し現在の吉永町に至っています。

改称は「同年11月」と記されています。これを裏付ける公式資料を、一応は探してみました。

岡山県和気郡英保村を昭和23年10月20日から英保町とする処分については、昭和23年11月24日の 総理庁告示第214号 に示されています。

即日吉永町に改称されたものならば、同年第140号告示 のようなスタイルになると思われます。
改称については条例制定等の準備も必要で、英保町になった翌月に実現したとしても不自然ではないでしょう。

そこで、改称に伴う手続きは地方自治法第3条。現行条文によると、
町の名称を変更する条例を定めたら、町長は変更後の名称と変更日とを直ちに県知事に報告>
県知事は直ちに総務大臣に通知>
総務大臣は直ちにその旨を告示
という義務の連鎖が定められているので、吉永町への名称変更の告示が存在することが期待できます。

しかし、官報をめくってみても、探し求める 名称変更の告示 を発見することはできませんでした。
「直ちに」が3回繰り返されている手続の連鎖が、どこかで止まってしまったのか?
それとも当時の法制度には、まだ不備が残っており、改称告示が制度化されていなかったのか?

なお、国の告示が発見できなくても、岡山県の告示など、地方資料により改称日を特定する道は残されているでしょう。

あまり、すっきりしない落ちですが、吉永町を引き継いだ備前市の発言ですから、昭和23年11月改称説は、とりあえず信用してよいのではないでしょうか。
[83613] 2013年 6月 19日(水)08:42:02【1】白桃 さん
市区町村変遷情報について(御礼 他)
[83612]hmt さん
英保町から吉永町への改称
改称は「同年11月」と記されています。これを裏付ける公式資料を、一応は探してみました。
詳しくお調べいただき有難うございます。
私が調べた限りでは、昭和25(1950)年国勢調査、「市町村の廃置分合,境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月」にも、「10月20日の英保村→英保町」は記載されているのですが、「英保町→吉永町」の期日はおろか、その事実も記されていません。
(余談ですが他町の事例で、旧町の町制施行年月日について、その地元の役場に問い合わせたことがあるのですが、親切に調べていただいたものの、結局、記録として残っていなかったのが分っただけ、という事がありました。)

話変わって
市区町村変遷情報、広島県の部で
明治22年(1889年) 4月1日 広島県 市制町村制施行 1市12町452村設置
となっておりますが、
「1市13町451村」が正しいはずです。
これは、竹原の町制施行日を当初、4月17日にしていたことに起因すると思われます。([69248][68661][67518][67319]での88さん、むっくんさんの記事をご参考にしてください。)
また、
1897(M30).6.5 町制 芦品郡 出口町 芦品郡 出口村
とありますが、
[65444]むっくんさん
出口町の所属した郡は当時は芦品郡ではなくて芦田郡のようです。お手数ですが修正をお願いします。
のとおり、芦田郡に訂正いただきますよう願います。
[83615] 2013年 6月 19日(水)18:28:52hmt さん
英保町から吉永町への改称(補足)
[83612]では、改称日を特定する道として 「岡山県告示」への期待を記したのですが、過去ログを調べたら、都道府県告示の位置づけについて 88さんの記事[54044] がありました。
そもそも、都道府県告示が存在するとも限りません。
改称に関しては、総務大臣告示をする旨の規定はありますが、「効力が生ずる」旨の規定がありません。ということは、当該自治体の条例によって効力が生じることになります。

これに対しては、[54174] 紅葉橋律乃介 さん のご意見あり。
おや、そうすると告示があっても条例が制定されないと、本当にその名称なのかどうか確認できませんね? 名称変更した自治体は、いちいち条例を確認しないと「確定」とは呼べない?
それはともかく、ここまで細かく追求するとは想定していませんでした。

これには、88さん[54191]も 参った様子。

[83613] 白桃 さん
【昭和25(1950)年国勢調査には】「英保町→吉永町」の期日はおろか、その事実も記されていません。

白桃さんも、吉永町への改称について 本格的に追求するならば、改称日だけでなく、“吉永町に改められた事実”を示している 「条例」そのものを確認するのが ベストと思われます。備前市に乗り込みますか?(笑)。
[83616] 2013年 6月 19日(水)20:26:11オーナー グリグリ
変遷情報更新
[83603] グリグリ
[83599]BANDALGOMさんの件は、6/18に予定されている栃木県議会の議決後、情報を更新します。
栃木県議会のページで議決を確認しましたので、岩舟町の栃木市への編入情報を更新しました。

[83612] hmtさん
備前市HP における旧・吉永町の記載。
明治22年の町村制の施行にともない、旧14村が合併して英保村、神根村、三国村が成立しました。昭和23年10月、このうち英保村が英保町に、同年11月には英保町が、吉永町に改称され、昭和29年3月 1日、この1町2村が合併し現在の吉永町に至っています。
英保町の吉永町の改称日については、備前市HPの記述を信用し、S23年11月とします。変遷情報を英保村の町制施行英保町の吉永町への改称のデータに分けました。11月1日であるかどうかをWiki系以外のもう少し確かな情報はありませんでしょうか。

[83613] 白桃さん
市区町村変遷情報、広島県の部で
明治22年(1889年) 4月1日 広島県 市制町村制施行 1市12町452村設置
となっておりますが、
「1市13町451村」が正しいはずです。
はい、誤りを確認しましたので修正しました。
1897(M30).6.5 町制 芦品郡 出口町 芦品郡 出口村
とありますが、
[65444]むっくんさん
出口町の所属した郡は当時は芦品郡ではなくて芦田郡のようです。お手数ですが修正をお願いします。
のとおり、芦田郡に訂正いただきますよう願います。
こちらも確認しました。修正しました。

[83614] むっくんさん
ただ、上述のとおり、市町村の廃置分合の法的根拠は総理府告示ではなくて奈良県告示です。そこで、奈良市への編入の年月日を1951(S26).4.1から1951(S26).3.15へと変更していただきますようお願いします。>グリグリさん
市町村の廃置分合の法的根拠に関する新たな発見と丁寧な説明をありがとうございました。上記の変遷情報を更新しました。


[83610] 2013 年 6 月 17 日 (月) 23:40:19 ぺとぺと さん
と記載することで、犬山市に限定した話であるというニュアンスを出したつもりなのですが、タイトルが「大字・小字」などという大仰なものだったために、全体として誤解を与えかねない内容になってしまったようです。申し訳ありませんでした。
わざわざ返信をありがとうございました。よく読めば自明でしたね。かえって申し訳ありませんでした。
[85248] 2014年 4月 8日(火)17:55:16【1】hmt さん
Re:国勢調査人口の修正箇所と変遷情報の要修正箇所(2)
[85247]の続き。
3番目は東京府荏原郡平塚町。
【(B): 大正15年4月1日~昭和2年6月30日の期間、平塚町が存在していたにも関わらず(平塚村→平塚町→荏原町)、平塚村から直接荏原町に改称したかのように記述してしまっていた。】

1925年国勢調査で 人口 72,256人を記録した平塚村。1930年国勢調査で 人口 132,108人を記録した荏原町。
国勢調査の町村人口で史上最大の2冠を達成したこの自治体については、[83708]で語りました。
国勢調査がなかった平塚町時代は記錄に残ることができず、残念。

4番目は神奈川県津久井郡小淵村。
これは、特に取り上げるに値するものでありませんが、hmt出身地の津久井郡なので、小淵村>吉野町(1954)>1955年に自治体名となった藤野町の名が消える際に、「藤野」の由来を問い掛けたことがあります[73423]。小淵村の小字という説が有力[73446]

5番目は群馬県北甘楽郡小幡町です。
YT さんの[85243]には、
間違いの箇所:大正14年国勢調査町村制、修正前:群馬県北甘楽郡小幡村、修正後:群馬県北甘楽郡小幡町
と記されており、[84549]で提供された 47todofuken01.xlsでもそのようになっていました。

しかし、私が閲覧した『国勢調査報告. 大正14年 第3巻』36頁に記載された 市町村別世帯及人口 群馬県 には、「小幡町」と正しく記されていました。

ここから先は hmtの憶測です。
YT さんがが 47todofuken01.xlsで誤記された原因は、最初に閲覧した報告書に「小幡村」という誤記があったからではないか?

このような疑問を抱いた hmtは、群馬県統計書. 大正14年度 人口及雑之部 を閲覧してみました。そこには大正14年10月1日現在の世帯数及び現在人口 市町村別 のリストがあり、北甘楽郡小幡村 4684人 と記載されていました。
ところが、同じ資料の8コマ 郡市町村数 は北甘楽郡 6町17村 となっており、小幡町とした方が勘定が合います。
よくよく見たら、この資料の 3コマに正誤表が貼り付けてあり、“6頁3表 北甘楽郡小幡村は小幡町の誤”と記されていました。

このような誤記に振り回される危険は常に存在します。 [85244]白桃さん が記されている
1925年国勢調査時点で「小幡村」か「小幡町」のどちらなのか疑問が出てきました。
も、誤記との関係があるのかもしれません。

国勢調査報告書と言えども、神ならぬ人の作るもの。間違いが皆無とは言えません。
[80441] hmt では、昭和24年の埼玉県栗橋町からの静村・豊田村「分立」につき、3町村設置(分割)と記錄したのは誤記であることを示しました。[82289] 白桃さん により、人口の誤記も発見されています。

尽く書を信ぜば、書無きに如かず なのですが、小幡村→小幡町の日付については、1925/5/10とする国勢調査報告書の方を信じてよいのではないかと思います。

ところで、[85244]から引用されている[83613]を見ると、地元の【甘楽町】役場に問い合わせても、旧町【小幡町】の町制施行年月日が記録として残っていなかったとのこと。そして[38612]に記したように、地方自治法の時代になってからでさえ、岡山県英保町→吉永町の改称日が曖昧なまま。

NDL官報情報[84184]により、明治16年7月から昭和27年4月までの官報が閲覧可能になるなど、情報源は広がってきていますが、それでも全国市町村の変遷履歴を求める旅は、まだまだ続きそうですね。
[85558] 2014年 5月 4日(日)22:58:48【1】YT さん
1920~1950年の西日本・および1955年の国勢調査人口の要修正箇所・および変遷情報の要修正箇所
[84605][85243][85280]に続き、近畿以西の都道府県(沖縄県と三島村を除く奄美群島)の1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年、および1955年の国勢調査人口をチェックしたところ、[84549]でアップした中身について以下の箇所に間違いが見つかりました。

区町村名修正箇所修正前修正後
滋賀県坂田郡息長村昭和22年臨時国勢調査現在人口4,3354,331
滋賀県坂田郡坂田村昭和22年臨時国勢調査現在人口4,3314,335
京都府北桑田郡宮島村昭和10年国勢調査現在人口1,7991,520
京都府北桑田郡鶴ヶ岡村昭和10年国勢調査現在人口1,5201,799
京都府何鹿郡山家村大正9年国勢調査現在人口2,7073,548
京都府何鹿郡口上林村大正9年国勢調査現在人口3,5482,161
京都府何鹿郡中上林村大正9年国勢調査現在人口2,1614,145
京都府何鹿郡奥上林村大正9年国勢調査現在人口4,1452,707
大阪府南河内郡藤井寺村大正9年国勢調査現在人口4,2803,773
大阪府南河内郡道明寺村大正9年国勢調査現在人口3,7734,280
大阪府南河内郡藤井寺村大正14年国勢調査現在人口4,6644,324
大阪府南河内郡道明寺村大正14年国勢調査現在人口4,3244,664
兵庫県養父郡西谷村大正9年国勢調査現在人口3,4392,536
兵庫県養父郡南谷村大正9年国勢調査現在人口2,5363,439
鳥取県東伯郡下中山村昭和10年国勢調査現在人口1,5941,857
鳥取県東伯郡上中山村昭和10年国勢調査現在人口1,8571,594
鳥取県日野郡江尾村 (A)昭和22年国勢調査町村制鳥取県日野郡江尾町鳥取県日野郡江尾村
島根県那賀郡国府村 (B)漢字・分離島根県那賀郡国分村島根県那賀郡国府村
岡山県吉備郡薗村昭和10年国勢調査現在人口2,1822,078
岡山県吉備郡新本村昭和10年国勢調査現在人口2,0782,182
岡山県上房郡上水田村昭和5年国勢調査現在人口2,5692,434
岡山県上房郡呰部町昭和5年国勢調査現在人口2,4342,569
広島県御調郡宇津戸村漢字広島県御調郡宇都戸村広島県御調郡宇津戸村
徳島県麻植郡山瀬町 (C)大正14年国勢調査町村制徳島県麻植郡山瀬村徳島県麻植郡山瀬町
香川県三豊郡上高野村昭和5年国勢調査現在人口4,2712,144
香川県三豊郡上高瀬村昭和5年国勢調査現在人口2,1444,271
愛媛県新居郡大生院村昭和10年国勢調査現在人口3,3882,563
愛媛県新居郡大保木村昭和10年国勢調査現在人口2,5633,388
福岡県田川郡彦山村 (D)編入先田川郡添田町福岡市
福井県大野郡下穴馬村昭和30年国勢調査常住人口2,2992,860
福井県大野郡上穴馬村昭和30年国勢調査常住人口2,8602,299


(A): 鳥取県日野郡江尾村が江尾町になったのは昭和22年10月1日ではなく昭和22年11月3日。
(B): 国分村等が合併し、昭和16年8月1日~昭和26年3月31日の間、国府村が存在していたにも関わらず、国分村が続いたかのように記述してしまっていた。
(C): 徳島県麻植郡山瀬村が山瀬町になったのは大正15年5月5日ではなく大正12年5月5日。
(D): 福岡県田川郡彦山村の編入先は田川郡添田町ではなく福岡市。

上の(A), (C), (D)に絡み、以下の3箇所について変遷情報を修正する必要があると思われます。

(1) 鳥取県日野郡江尾町の町制実施の年月日 (鳥取県#82)

『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 の鳥取県の項目には全く書かれていませんが、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』によると
29) 昭和22. 11. 3. 日野郡江尾村を江尾町とする。((2 705) 備考 昭和15 (2 321)、昭和10 (2 388)、昭和5 (2 512)、大正14 (2 221)、大正9 (2 529))
とあり、以下のように修正する必要があると思われます。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前821947(S22).10.1町制日野郡江尾町日野郡 江尾村詳細
修正後821947(S22).11.3町制日野郡江尾町日野郡 江尾村詳細

同時に昭和22年10月1日時点での正しい自治体名は『昭和22年臨時国勢調査』の「全国都道府県郡市町村別人口」に記載通り、「江尾町」ではなく「江尾村」と思われます。

(2) 徳島県麻植郡山瀬町の町制実施の年月日 (徳島県#35)

『大正14年 国勢調査報告 第1巻』の「市町村の廃置分合境界更及名称変更 (大正八年一月一日乃至大正十四年十月一日)」によると、
大正十二年五月五日 麻植郡山瀬村ヲ山瀬町ト改称
とあり、大正14年国勢調査の時点で既に改称済みであり、以下のように修正する必要があると思います。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前1926(T15).5.5町制麻植郡山瀬町麻植郡 山瀬村詳細
修正後1923(T12).5.5町制麻植郡山瀬町麻植郡 山瀬村詳細

(3) 福岡県田川郡彦山村の編入先 (福岡県#155)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その40 福岡県』によると(【追記:以下の変遷情報は51)ではなくて81)】)

51) 昭和17. 2. 11. 田川郡彦山村 (3 426)を廃し、その区域を福岡市 (330 377…計 333 803) に編入。(備考 昭和10 (3 058)、昭和5 (2 949)、大正14 (2 804)、大正9 (2 785))
とあり、以下のように修正する必要があると思います。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前1551942(S17).2.11編入田川郡添田町田川郡 添田町, 彦山村詳細
修正後1551942(S17).2.11編入福岡市福岡市, 田川郡 彦山村詳細

●以上の外、広島県豊田郡木ノ江町から木江町への改称(広島県#130)、高知県高岡郡興津村から与津村への改称(高知県#75)が、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 や『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その34 広島県』・『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その39 高知県』などで名称変更情報として扱われていません。

また岡山県和気郡英保村→英保町→吉永町の変遷について、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 の岡山県の項目には
昭和23年 10月 20日 和気郡英保村を英保町とする。
としか書かれていませんが、同じ[『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その33 岡山県』]によると
59) 昭和23. 10. 20. 和気郡英保村を英保町とし、英保町を吉永町とする。(英保村(3 442) 備考 昭和15 (2 628)、昭和10 (2 548)、昭和5 (2 298)、大正14 (2 142)、大正9 (2 056))
とあり、町制即日改称というように記述がなされております。しかしながら本県については過去に[83609][83612][83613][83616]のような議論があったことを知り、上の要修正項目から削除しました。ただ、国勢調査報告書では最終的に即日改称を採用していることになっております。

また三重県飯南郡大石村と櫛田村の昭和15年国勢調査人口が、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その24 三重県』によると2691人、2380人となっておりましたが、『昭和15年 国勢調査報告 第一巻』の「世帯および男女別人口(全人口)-全国,道府県,郡,市区町村」に従い、2692人、2379人を採用したままにしました。本件の場合、郡別合計が一緒になってしまいますが、昭和25年国勢調査報告書よりも後に出版された昭和15年国勢調査報告書の方が男女別人口も載っており、より信頼できると判断しました。

市区町村昭和25年国勢調査報告書記載昭和15年国勢調査報告書記載
三重県飯南郡大石村2,6912,6921,3831,309
三重県飯南郡櫛田村2,3802,3791,1701,209
[85571] 2014年 5月 6日(火)06:48:53MI さん
岡山県和気郡英保町から吉永町への改称
[85558] YT さん

 [83609][83612][83613][83616]などを拝見しました。その上で、備前市の例規データベースに次のような記載を見つけました。11月1日と日付まで記されています。
 体系→第1編総記→第1章市制施行 と辿り、2市の設置に至るまでの区域の沿革 に「旧吉永町」があります。

明治22年6月1日町村制施行により、和気郡英保村、神根村、三国村となる。
昭和23年10月20日英保村町制施行、英保町となる。
昭和23年11月1日英保町改称、吉永町となる。
昭和29年3月1日和気郡吉永町、神根村及び三国村合併、吉永町となる

 [83612]で hmt さんの書かれたように、昭和23年11月24日総理庁告示第214号
◎総理廳告示第二百十四号
  村を町とする処分
 地方自治法第八條第三項の規定により、昭和二十三年十月二十日から、岡山縣和氣郡英保村を英保町とする旨、岡山縣知事から届出があつた。
 昭和二十三年十一月二十四日
  内閣総理大臣 吉田 茂
であり、その後おそらくは岡山県告示をもって11月1日に吉永町へ改称されたものと推測しております。
[90613] 2016年 6月 21日(火)20:16:12hmt さん
変遷情報あれこれ (6)国勢調査によって変遷情報の誤記に気づいた事例
YTさんは大作「47todofuken01.lzh」を 2013年12月にアップされています。[84549]
そのフォローとして、国勢調査人口の修正箇所の検討と共に 変遷情報の要修正箇所 も報告。[85243]
群馬県北甘楽郡小幡町の町制実施の年月日 修正前 1926(T15).5.10 修正後 1925(T14).5.10
これについては、その直後から 反響記事が続き、関心を集めました。

更に半年後、グリグリさん宛メールで伝えられた情報もあり、寄せられていた多くの情報と共に変遷履歴情報更新の備忘録に入り、町制日訂正の情報は、既に記録されています。

今回のシリーズの中で国勢調査に及んできたので、国勢調査が変遷情報の誤記に気づく「きっかけ」になった事例として利用しました。
しかし これを取り上げた真意は、次のことを再認識する機会として利用したかったのです。
落書き帳に寄せられている多くの情報。
それに一つ一つ対応しているオーナーの努力。
これによって 変遷情報のメンテナンスが支えられている。

おまけとして、誤記の原因が群馬県統計書のミスプリントに起因するのではないか という推理[85248]も盛り込みました。
「人のなせる業」は 無味乾燥な数字の正誤という問題だけでない ことです。
他人の失敗から学んだ知識を活かし、人生を楽しむ材料になれば と思いながら「あれこれ」雑談も書き込みます。

「あれこれ」ついでに、「調べてもわからなかった」変遷情報の例も挙げておきます。
岡山県和気郡英保町→吉永町の改称日
関係記事
[95669] 2018年 4月 9日(月)22:32:02ekinenpyou さん
廃置分合の当日のみ存在した自治体名について、など
度々連日の投稿になりますが、[95665]グリグリさんで
私の考え方はこれまでも繰り返し表明していますが、一部の確定ができない(=全部を統一できない)という理由で、貴重なデータを放棄したり全部を諦めるというのは間違っていると考えてます。不明な部分は「不明」とすることも重要です(不明も情報です)。その上で、少しずつ情報の精度を上げていくというアプローチが大事だと考えています。


ということですので、今後は当方からもできる限り関連情報などを書き込んでログに残しておきたいと思います。
タイトルの件についての一覧はおおむね[95663]MIさんで示されていますが、
ついでに官報告示・掲載が無かったと思われるものなどを参考として挙げておきます。

1.1947(S22).10.15 町制/改称 肝属郡 吾平町 肝属郡 姶良村
官報告示・掲載なし?国勢調査報告は姶良村→吾平町、(吾平村)についての明記典拠を示す必要あり?

2.1952(S27).6.1 町制/改称 安芸郡 倉橋町 安芸郡 倉橋島村
官報で村を町とする処分(広島県安芸郡倉橋島村を倉橋町とする)と告示されたが
国勢調査報告は詳細欄(経過等)の通り倉橋島村→(倉橋島町)→倉橋町

3.1962(S37).1.1 改称/町制 安芸郡 下蒲刈町 安芸郡 下蒲刈島村
官報で村の名称変更(安芸郡下蒲刈島村を下蒲刈村)村を町とする処分(安芸郡下蒲刈村を下蒲刈町)と告示
国勢調査報告も詳細欄(経過等)の通り下蒲刈島村→(下蒲刈村)→下蒲刈町

4.1948(S23).10.20 町制 和気郡 英保町 和気郡 英保村1948(S23).11.1 改称 和気郡 吉永町 和気郡 英保町
リンク先関連記事集にもある通り国勢調査報告の町制即日改称と備前市例規にある10.20町制→11.1改称で相違あり、
英保町→吉永町は官報告示・掲載なし?(岡山県告示がわかれば)明記典拠として示すべき?

[95664]グリグリさんにて改称日設定の対応が行われていますが
市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧【岡山県】では日付が1948(S23).11.__のまま

5.1951(S26).4.1 町制 栗原郡 藤里町 栗原郡 藤里村1951(S26).4.2 改称 栗原郡 瀬峰町 栗原郡 藤里町
実施から1年ほど経って村を町とする処分(宮城県栗原郡藤里町)と告示(真ん中付近の84号)、藤里町→瀬峰町の改称は
官報告示・掲載なし?国勢調査報告ではS26.4.1同日改称で藤里村→(藤里町)→瀬峰町としている。

以上のような感じですが、まだ漏れ・抜けなどあると思いますので必要に応じて(足りない分などを)
補足・追記していただければと思います。

[95666]グリグリさん
おっしゃることはだいたい理解できました、要は廃止された自治体の領域が複数に分かれた場合に
分割という表記に揃えたいということでよろしいですか?

1893(M26).4.7 分立 北魚沼郡 高倉村 北魚沼郡 高根村の一部→(分立を分割に)
1893(M26).4.7 編入 北魚沼郡 入広瀬村 北魚沼郡 入広瀬村, 高根村の一部→(編入を分割/編入に)

[95667]山野さん
「植木村」は、何時から「入間郡」になったんですか?
鋭いご指摘です、自治体名が空欄なので郡変更の履歴は検索結果から漏れていますが
[90582]でその理由が書かれています、現状の仕様とのことです。
[99917] 2020年 6月 15日(月)08:20:32ekinenpyou さん
過去の変遷情報要修正箇所について補足
だいぶ時間を遡ってしまい恐縮ですが
[85558]YT さんで変遷情報を修正する必要があるのではないか?と指摘があった件について補足投稿します。

まず以下4件については
(1) 鳥取県日野郡江尾町の町制実施の年月日 (鳥取県#82)
(2) 徳島県麻植郡山瀬町の町制実施の年月日 (徳島県#35)
(3) 福岡県田川郡彦山村の編入先 (福岡県#155)
岡山県和気郡英保村→英保町→吉永町の変遷

[85567][85569][85570][85571]MI さんなどで速やかに回答が示されましたが

広島県豊田郡木ノ江町から木江町への改称(広島県#130)、高知県高岡郡興津村から与津村への改称(高知県#75)が、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 や『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その34 広島県』・『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その39 高知県』などで名称変更情報として扱われていません。

(恐らく回答がなかったと思われる)上の2件について・・・

まず、1943(S18).10.1 広島県 改称 豊田郡 木江町 豊田郡 木ノ江町
S18.10.2官報広告右上中ほど(町改称)に記載があり国勢調査報告の記載漏れが妥当と解釈します。

次に、1948(S23).5.3 高知県 改称 高岡郡 興津村 高岡郡 与津村ですが
高岡郡 - Wikipediaも同趣旨の記載があるものの当時の官報類に告示などはみあたらず、そうした関係からか
高知県高岡郡興津村(歴史的行政区域データセットβ版)でも有効期間開始年月日が1889-04-01になっています。

本件については、時間の都合で補足追加を後日投稿予定です。
(例によって、詳細をご存知の方は先行して示していただいても可)

[85558]YT さんでは高知県高岡郡興津村から与津村への改称とあるが逆(これは変遷情報の通り)
以下2資料でローマ字読みが変化している点は確認済み

昭和23年常住人口調査報告(左上8番目)
"Yotsu-mura"
昭和25年国勢調査の都道府県郡市区町村別人口
34広島県~40福岡県(9コマ高岡郡19番目)
"Okitsu-mura"
[104803] 2022年 6月 7日(火)18:12:29むっくん さん
徳島県名東郡北井上村祖母ヶ島、岡山県和気郡英保町から吉永町への改称
[104794]サヌカイトさん
徳島県阿波郡柿島村
柿原と知恵島の合成ですが、明らかに吉野川をまたいでいるんですよね。幅が広い川として有名な吉野川を。つかんぼやとの四方山話で例示されるほどの吉野川を!さすがに不便だったのか1957年に廃止される際、吉野町と鴨島町に分割されています。
このお話からも分かりますが、郡も吉野川を跨いでいました。
名東郡は吉野川の南側にあると思いがちですが、近世村単位で見ますと、祖母ヶ島(うばがしま)村は名東郡のうち唯一、吉野川(かつては別宮川と呼ばれていました)の北にある村でした。
参考:天保国絵図(阿波国)
その後、明治二十二年の市制町村制施行時には、吉野川以南の村々と合併し名東郡北井上村の一部となりましたが、現在は板野郡藍住町東中富の一部となっており、いつの間にか吉野川の北側の板野郡所属になってしまっています。
参考:四国社会資本アーカイブス2コマ

兵庫県の公報である兵庫縣報第二千四百五十五號昭和二十三年四月二十四日p6彙報では
村境界變更について
徳島縣名東郡新居村北新居字名田及び同郡北井上村東黒田字小塚、同村祖母ヶ島の全地域を、昭和二十三年四月一日から板野郡藍園村の區域に編入せられた旨の通知があつた。
とあります。
Wikipedia公益財団法人徳島県市町村振興協会発行の徳島県市町村要覧令和3年度版(PDF)45コマでも
昭和23年4月1日名東郡新居村名田,北井上村小塚,北井上村祖母ヶ島,藍園村に編入合併
との記載があります。現状で、徳島市に吉野川の北にあるまとまった区域は存在しません。そこで市区町村変遷情報に
# 1948(S23).4.1 境界変更 板野郡藍園村 板野郡 藍園村, 北井上村の一部(大字祖母ヶ島)
を追加することになります。>グリグリさん


兵庫縣報がらみでもう一つ紹介します。

以前岡山県和気郡英保町から吉永町への改称が話題となりました。

兵庫縣報第二千五百二十三號昭和二十三年十一月十八日p3彙報では
町の名稱變更について
岡山縣和氣郡英保町は、その名稱を吉永町に改め、十一月一日から施行せられた。
とありました。

それでは岡山県公報記載の岡山県告示ではどうかといいますと、
岡山縣告示第五百七十七號
和氣郡英保村を英保町とし、昭和二十三年十月二十日から、これを施行する。
昭和二十三年十月八日 岡山縣知事 西岡廣吉

岡山縣告示第六百四十七號
和氣郡英保町は、その名稱を吉永町に改め、昭和二十三年十一月一日から、これを施行することを許可した。
昭和二十三年十月二十五日 岡山縣知事 西岡廣吉
とあり、市区町村変遷情報の
#177 1948(S23).10.20 町制 和気郡英保町 和気郡 英保村
#178 1948(S23).11.1 改称 和気郡吉永町 和気郡 英保町
は正確で、英保町は12日間だけ存在しました。


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