[75024] EMM さん
「その所在地の住所を規定しているものは何だ?」
それを規定しているのが鉄道事業免許なのか、あるいは不動産登記なのか、他に何かあるのか…
境界線の両側にある土地や建物を用いた一体的な施設は、鉄道駅に限らず多々あることと思います。
これは公共施設や事業所のような大きな施設だけでなく、個人住宅でもあり得ることです。
その極端な例として、オランダとベルギーの国境にまたがるバールレの住宅を紹介したことがあります
[45832]。
個人住宅の場合は、日本でも西洋でも玄関のある側を住所としているようですね。
土地と建物の不動産登記について、普通には一つの施設内に、別々の所在地として登記されている複数の物件が存在しても、特に問題を生じることはないと思います。
[26811]は、一つの建物が管轄法務局の異なる土地にまたがるという特殊な場合については、建物登記手続に際して指定手続が必要ということを教えています。
鉄道駅所在地は、事業免許や法人登記の問題というよりも、国土交通省への届出における選択ではないかと思われます。
その場合、「当該事業者が駅を代表する所在地として選択した地」が認められ、それは駅長室(もちろん存在する場合ですが)所在地の場合が多いのではないでしょうか。
日本鉄道
[61225]が赤羽と官鉄の品川を結ぶために山手線を作った明治18年(1885)。
当時の角筈村(淀橋区を経て新宿区)に新宿駅開業
[38388]。次第に充実してきた貨物施設が作られたのは、甲州街道や玉川上水の南側の土地で、こちらは千駄ヶ谷村(渋谷区)でした。
貨物駅は南側にあっても、新宿駅の所在地としては、北側の地名が一貫して使われていたと思います。
【追記】
[38388]では、清水靖夫「地図が語る新宿駅周辺」が収録された書名を失念していましたが、「鉄道と街・新宿駅」(大正出版1989)という本のp.122~でした。補足しておきます。
新宿と同じ山手線開業時からの駅という輝ける歴史のある板橋駅(現在は赤羽線)は、板橋区・豊島区・北区の境界線上にある駅で、落書き帳の過去記事
[41457]もあります。
開業当時はぎりぎりながら板橋町の中に納まっていたのかもしれず、駅の正式所在地は板橋区になっています。
南側に延長されている現在のプラットホームは、豊島区部分が長いでしょう。東口(滝野川口)は北区にあります。
駅ではありませんが、施設の主要部分の移転に伴い所在地が変更された事例が、東京都立新宿高校です
[48626]。
府立六中時代の校舎は東京市四谷区。これが新宿区の新宿高校になってからの 1969年に、隣接地(元は新宿御苑の一部だったグランド)に新築した校舎に移り、住所はその所在地の渋谷区に変更。
2004年にまたグランドと校舎が入れ替わり、3度目の新校舎の所在地により、学校の住所も新宿区に復帰。
玄関か中枢かは別として、格別の定めがなければ「当事者が施設を代表すると考えて選んだ場所」を住所としてよいものと思われます。
[64362] 逆太郎 さんの記事には、利根川の流路変更で群馬県佐波郡境町の対岸(利根川の南)に取り残された島村地区に所在する文化財が紹介されています。
国指定文化財等データベース で「島村」を検索すると、日本基督教団島村教会島村めぐみ保育園本館(群馬県伊勢崎市境島村)と、日本基督教団島村教会島村めぐみ保育園別館(埼玉県深谷市横瀬字聖天)とが別々に出ます。
「保育園の住所」には 本館所在地の伊勢崎市 だけが使われていると思いますが、「登録文化財」となると、本館と別館とは別々の所在地として登録されるのでしょう。