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[75010] 2010年 4月 21日(水)23:47:10【1】伊豆之国 さん
「JR和歌山市駅」といったらNG?~「第27回十番勝負・問五」に関連して
先の十番勝負「問五」の共通項「市内にJRの駅が13以上」に1駅足りないため、この問で「該当しない市」となった和歌山市。現在、和歌山市内にある「JRの列車が発着する」駅は次の12駅、ということになっています。

 和歌山・宮前・紀三井寺・紀和・和歌山市(以上、紀勢本線)
 紀伊・六十谷・紀伊中ノ島(以上、阪和線)
 田井ノ瀬・千旦・布施屋・紀伊小倉(以上、和歌山線)

しかし、[74984]に書いたように、実は
和歌山市駅は南海電鉄の管轄にあり、駅の構内は南海の所有になっている
ということになっているようなのです。
和歌山市駅・和歌山駅と、和歌山市街地の鉄道路線の変遷について、過去ログにもいろいろと書かれていますが、この経緯について、今まで何回(南海?)も活用させていただいている「時刻表名探偵」(昭和54年)の記事から要約して引用することとします。

‥紀和駅から和歌山市駅寄り0.5kmの地点に、国鉄と南海の境界を示す標識柱が立っている。つまり、和歌山市寄り1kmは南海の線路なのだ。正式名称を「国社連絡線」という。‥

和歌山市内の国鉄・南海の路線の変遷については、[4649]Issieさんの記事に詳しく書かれている通りですが、紀和鉄道の和歌山駅(現・紀和駅)と南海・和歌山市駅との間をつなぐための連絡線の工事を行う際、南海が3分の2、残る3分の1を紀和鉄道が分担し、開業にこぎつけ、そしてかねてから交渉中であった南海と紀和鉄道の合併が行われる段取りになっていたのですが、仮契約まで行われながら直前になって条件の折り合いが付かずお流れとなり、結局紀和鉄道は関西鉄道に合併、その関西鉄道が国有化されたため、結局和歌山市-(旧)和歌山駅間の「変則所有状態」だけが長らく続いた、というわけなのでした。そして、和歌山市駅が「国鉄の駅ではない」ために、「南紀ワイド周遊券」の周遊区間から、紀和-和歌山市間が外されている、ということになっていたのでした。
昭和43年、それまでの東和歌山駅が新・和歌山駅に、和歌山駅は現在の紀和駅となり、和歌山線の列車も全て新・和歌山駅の発着となり、和歌山改め紀和駅はローカル駅に転落し、現在は無人駅となっているようです。そして、紀伊中ノ島駅で阪和線をアンダークロスしていた和歌山線の旧線は廃線となっています([4649])。

和歌山市駅の写真(現在より9年ほど前の写真ですが、駅ビルや改札口には「JR」の文字さえ書かれておらず、完全に「南海バージョン」になっているのがよくわかります)
紀伊中ノ島駅・和歌山線廃線跡の写真(こちらも、現在より数年前のものと思われます)

昭和62年の国鉄の民営化に伴い、前記の「境界点」~和歌山市駅間の路線は、南海からJR西日本に貸与され、JRの財産になっているようです。しかし、和歌山市駅は現在も南海電鉄の管轄にあり、駅名標識なども南海のフォーマットになっており、JRの切符はもちろん売っていますが、「みどりの窓口」はないとのことです(Wikipedia「和歌山市駅」より)。
今回の十番勝負では、ボーダーラインが「13」であったため、いずれにせよ和歌山市は数が不足なのでNGだったわけですが、もしボーダーラインが「12」だったらば、和歌山市駅の取り扱いを巡って「厳密に解釈すればNG」ということになり、「微妙な市」として物議を醸す恐れがありそうです。
「微妙な市」といえば、かつて第21回十番勝負・問七で話題になった、市の境界線上にある「微妙な駅」([68366])。今回やはり1駅不足でNGとされた大洲市の場合、喜多灘駅は大洲市(旧長浜町)所属となっいますが、駅のホームは伊予市(旧双海町)との境界線をまたいでおり、やはりボーダーラインを「12」に設定した場合には「微妙な市」として議論を呼ぶことになりそうです。

‥国鉄の民営化が現実の話となり始めた頃、紀勢本線の和歌山-和歌山市間について「南海電鉄に引き受けてもらうことはできないのか」と思ったことがありました。この区間を南海の路線にすれば、「離れ島」になっている貴志川線(昭和46年までは、廃止になった和歌山市内線を介して接続していた)と通し運賃にできる、と思っていたのですが、その後の南海はというと、ホークスの身売り、阪和線との競争に苦戦を強いられ利用客数の低迷、関空新線建設による出費の増大、等々ということで、とても和歌山-和歌山市間の「買取」ができるだけの「体力」はなかったということなのでしょう。そしてその貴志川線もつい近年に経営権を手放し、岡山電気軌道の資本の下、「和歌山電鉄」として新生し、「猫駅長電車・タマデン」として、地域の足としての必死の生き残りを図っていることは周知の通りでしょう。

【1】和歌山市駅の写真をUPしました。
[75017] 2010年 4月 24日(土)22:22:32EMM さん
全国の市十番勝負(第二十七回)、更に問五
本題前に一言。「まだだ、まだ終わらんよ」(Byクワトロ=バジーナ)

[75010]伊豆之国さん

和歌山市駅の件については、それを言ってしまうとJR全駅の「登記上の持ち主」を確認せねばならんことになってしまうのではないかと思ったのですが…たとえば、大阪市、七尾市、豊橋市あたり、数の上ではどう解釈すればええねん、ちゅうことになってきそうです。
(この3市についてのココロは…ぜひ伊豆之国さんに確認してほしいです)
この件は「免許上のJRの路線の駅」と解釈すれば特に紛糾することは無いでしょう。
あと…
市の境界線上にある「微妙な駅」
そういう事例での解答は過去に私がやっております。
第十三回問十にて、この駅を念頭に福井市を解答しております。
検索で調べたら所在地が福井市と出てきたので選んだのですが、解答後に地図で位置を見て頭を抱えました。
でも、ちゃんと○だった訳です。
駅の住所も鉄道事業免許で規定されてるんじゃないでしょうか…この辺、どなたか詳しい方いらっしゃらないでしょうか…
[75019] 2010年 4月 24日(土)23:55:01【1】おがちゃん さん
駅の所在地
こんばんは。部活をバスケ部にしたおがちゃんです。
最近非常に疲れる毎日なのですが、こんな忙しさで疲れるようではどうしようもないと思います。しかし、今から3~4年前に当時はまだ現役中学生でありながらかなりのハイペースで書き込んでいた桜トンネルさんは本当にすごいと思います。
現在、塾のGWの課題を大慌てで片付けているのですが(ん?)、その合間を縫ってレスをしたいと思います。

[75017] EMM さん
駅の住所も鉄道事業免許で規定されてるんじゃないでしょうか…この辺、どなたか詳しい方いらっしゃらないでしょうか…
yahooなどで調べてみました所、駅の住所と鉄道事業免許は関係ないようです。むしろ、駅の住所を決めるのに重要なのは駅長室の位置のようで、例えば燕三条駅は燕市と三条市の境に有りますが、「駅長室が三条市側にあるため、住所は三条市になっている」(ウィキペディアより)とのことです。また、過去に話題になった秋津駅(東村山市)や鶴ヶ島駅(鶴ヶ島市)なども同様の例であるようです。
因みに、このネタは過去に何度か話題になっております(参考:[68366]:伊豆之国さんなど)。

#何気に、現在通っている学校もこのような状態だったり。

ところで、[75010]伊豆之国さんの記事内にある喜多灘駅の地図ですが、よく目を凝らして見ると近くの喜多灘小学校付近にループがあるような気がします。
太白さん、地名コレクションの「ループコレクション」への追加をご検討いただければと思います。いかがでしょうか?
[75021] 2010年 4月 25日(日)00:12:12【1】EMM さん
駅長室が無かったら…?????
[75019] おがちゃんさん

ただ、喜多灘駅は無人駅で、駅舎もない訳です…wikiによればかつては1線2面ホームで駅舎もあり駅員も配置された駅だった、と言うことで、その頃の駅長室で規定されたものが今でも生きている、と言うことなのでしょうが、そうなると素朴な疑問「最初から無人駅でホームしか無かった場合、どうなるの?」というのが生じてくるのであります。
そんなこと考えると夜も寝らンなくなっちゃう…ってのは地下鉄ネタぢゃないとあきまへんな…

※追記。
福井鉄道三十八社駅は無人駅ながら駅舎があり、その駅舎が福井市側にあるのですが(地図)、なんだか「福井市域が駅舎の分だけ鯖江市に食い込んでいる」かのような境界線の曲がり方が気になるところであります。
[75023] 2010年 4月 25日(日)09:34:56おがちゃん さん
思いつかず
おはようございます。おがちゃんです。

[75021] EMM さん
やはり、いつものごとくに詰めが甘かったようで、大変失礼しております。
さて、EMMさんが仰られるように、最初から無人駅でホームしか無かった場合、どうなるのか?と言うことになりますが、そのような駅自体、この日本にいくつあるのかと言う話になってきますし、いくら探しても見つかりません。市町村境にある無人駅は(僕が見つけた限りでは)どこも過去に有人駅であったか、駅舎があったものばかりです。うむむむむ・・・。

なんだか「福井市域が駅舎の分だけ鯖江市に食い込んでいる」かのような境界線の曲がり方
三十八社駅は1957年までは麻生津村にありましたが、現在は合併により福井市下江尻町にあります。三十八社駅ができたのは1927年のようですが、現在の位置になったのは1935年に600m南に移動してからとのことのようです。しかし、麻生津村は1957年に福井市に編入されるまで、一度も境界変更をしておらず、福井市も鯖江市とは1973年に上江尻町の一部を境界変更したもののみのようです。それでは、「駅が何故あの位置に移ったのか」という話になりますが、福井鉄道のページへ行っても全く当時のことが記されておらず、結局の所分かりません。どなたか、この事情が分かる方はいらっしゃらないでしょうか?

このまま迷宮入りかな・・・。
[75024] 2010年 4月 25日(日)13:23:14EMM さん
どうやって決めているのか…「考えると夜も寝られないの(feat.春日三球)」
[75023] おがちゃんさん

[75021]については「想定されうる一番極端な形態」を書いてみた訳ですが、たとえば駅長室の有る無し・駅舎の有る無しに関わらず、敷地が境界にまたがる駅(市区町村界だけでなく、大字界も含めて)は数あれど各鉄道会社は「この駅の所在地はここ」と「1つの住所」を提示しておる訳です。
本来の本題…十番勝負のお題を考える上では「各会社の言いはっとる住所でええがね」と言うことで良いと思うのですが、じゃあ「その所在地の住所を規定しているものは何だ?」と言うのが気になるのでして、それを規定しているのが鉄道事業免許なのか、あるいは不動産登記なのか、他に何かあるのか…が調べた範囲では分からなかったのです。
不動産登記なら過去記事にあるかな、と思って検索してみると、「境界線上の建物の登記」に関しては[26811]ちゃっきーさんの解説がありました。
ただ、それと「鉄道会社が表示する駅の住所」が直結しているのかどうかはやっぱり分からない… 教えて偉い人(^^;;;
[75026] 2010年 4月 25日(日)18:20:13【2】伊豆之国 さん
Re:「JR和歌山市駅」といったらNG?~JRでないJR線・私鉄でない私鉄線
[75010]で書き込んだ「和歌山市駅の所属問題」に関連して、[75017]EMMさんから「宿題」
JR全駅の「登記上の持ち主」を確認せねばならんことになってしまうのではないかと思ったのですが…たとえば、大阪市、七尾市、豊橋市あたり、数の上ではどう解釈すればええねん
が出てきたので、これについてとりあえず私が知るところに関して答えてみることにします。

まず最初に、豊橋市。JR飯田線と名鉄本線の「重複区間」です。前回の和歌山市([75010])に引き続いて、「時刻表名探偵」の記事から引用させていただきます。
「名探偵」では、「国鉄でない国鉄線・その1」で取り上げていた和歌山市に続いて、「その2」として、この飯田線と名鉄の重複区間、豊橋駅とその北西約4kmにある分岐点(平井信号場)との間についてこのようになった経緯が、次の通り書かれています(要約引用。→[8621]まがみさんの記事も参照)。
豊橋駅の飯田線と名鉄線の乗り場は隣同士、乗り換え改札は無く行き来自由。また電車の往来を見ていると、飯田線と名鉄が同時に着いたり、発車したりすることは一度も無い。無いはずだ。同じ線路を走っているからだ。
豊橋から下地の少し先・平井信号場までの3.8km、線路は2本しかなく、飯田線豊川方面行きと名鉄名古屋方面行きは同じ下り線を走る。ただし名鉄電車は船町・下地には停まらない。この区間の戸籍は、下り線は国鉄の、上り線は名鉄の線路なのだ。
これというのも、愛知電鉄(名鉄の前身)が東に線路を延ばして吉田(豊橋)乗り入れをするのに際し、伊奈駅の少し先からは上り線だけを造り、下り線は豊川鉄道の線路(単線)を借用し、見返りに上り線を豊川鉄道に使ってもらう"Give & Take"を採用したからである。「愛電」「豊川」共に私鉄で、株式上親類関係にあったことからできたことである。時に昭和2年6月(以下略)‥
この「変則所有関係」は、豊川鉄道が国鉄に買収された昭和18年以降もそのまま引き継がれ、更に昭和62年に国鉄がJRになってからも、現在まで続いています。運賃計算上では、JRと名鉄はそれぞれ「赤の他人」扱いとなっており、例えば伊奈から下地に行く場合、直線距離ではせいぜい2kmぐらいですが、鉄道を使うとすると、伊奈(名鉄・5km、220円)→豊橋で折り返し(JR・2.2km、140円)→下地、ということになります(こういう場合、実際にはまずマイカーか自転車を使うでしょうが)。豊橋駅の名鉄ホームも、「名探偵」の記事に書かれている状況と現在も基本的には変わっておらず、3番線の1本のみを「間借り」する形になっており、また昭和2年の「愛電・豊川」の「相互協定?」に今日まで依然として「縛られている」せいなのか、名鉄電車は1時間に6本までしか豊橋駅に乗り入れできず、特急・急行が優先になっているため、各駅停車は分岐点の手前の伊奈駅で折り返しを強いられているという状況も、全く変わっていません。豊橋駅の駅舎は近年建て替えられ、ホテルも併設されています(実は「浜名湖花博」のときに泊まっているのですが‥)が、飯田線・名鉄のホームの改造計画は今のところ見られないようです。

次に、七尾市の場合。七尾線とのと鉄道、和倉温泉駅に関する所有関係についてです。
「のと鉄道」は、時刻表などからは現在は和倉温泉-穴水間とされていますが、所有関係を見ると、七尾-和倉温泉間はJRが「第一種鉄道事業者」(自前で列車の運行を行う)、この区間に乗り入れているのと鉄道が「第二種鉄道事業者」(他社の線路を「借用」して列車を運行)。和倉温泉以北は、路線は現在もJRが「第三種鉄道事業者」(鉄道線路を第一種鉄道事業を経営する者に譲渡する目的をもって敷設する事業、及び鉄道線路を敷設して該当鉄道線路を第二種鉄道事業を経営する者に専ら使用させる事業‥Wikipediaより)として所有しており、のと鉄道はやはり「第二種」として「間借り」しながら列車を走らせている形になっているようです。しかし、車両も駅の表示などものと鉄道独自のものを使用しており、「大家」がJRであるといっても、田鶴浜以北の各駅を「JRの駅」だと「強弁」するのは無理でしょう。「鉄道要覧」でも、JRの駅には掲載されてないと思われます。こののと鉄道とJRの「変則所有関係」は、平成3年の七尾線和倉温泉以北(当時は輪島まで)の経営権譲渡により発生しており、それ以前(昭和63年)にのと鉄道に転換された旧能登線(平成17年廃止)は当初からJRの手を離れていたようです。

最後に大阪市の場合。「JR東西線」(京橋-北新地-尼崎)です。この路線は、頭に「JR」と付く通り、時刻表でもJRの路線として掲載され、途中の各駅もJRの駅として計上されているようなのですが、こちらは「のと」のケースとは逆で、「持ち主」は「関西高速鉄道」という第三セクター会社で、JR西日本が線路や駅などの施設を丸ごと借用して「第二種」として運営している形です。しかし、走っている列車は全てJRであり、駅の看板などもJR西日本と基本的に同一バージョンなので(写真)、こちらは「JRの路線・駅」として扱うことに異論は無いと思われます。

ここで「和歌山市駅」に戻りますが、「名探偵」には、和歌山・豊橋と逆のケース、「私鉄ではない私鉄線」の例として、北千住-綾瀬(常磐線/千代田線)と鹿島神宮-北鹿島<貨物駅、現・鹿島サッカースタジアム=臨時旅客駅>(鹿島線/鹿島臨海鉄道)が取り上げられています。かつてストや事故のときなどにトラブルが続発し、「迷惑乗り入れ」と散々たたかれた綾瀬駅の場合は、綾瀬駅の先に営団地下鉄(現・東京メトロ)の車庫があること、当時の「赤字酷鉄」が「営団が造ってくれるなら」と「渡りに船」と考えたことが過ちの原因(「名探偵」より)だそうです。線路の「戸籍」の上からはこの区間は東京メトロの所有とされ、綾瀬駅もメトロの所属になっています(写真で見る通り、「メトロ」バージョンになっていることがわかります)。しかし、運賃計算の上では、メトロ各線から綾瀬に行く場合は「メトロ」の切符となりますが、メトロから亀有方面に行く場合は北千住以遠を「JRとみなし」て計算し、北千住から亀有方面・綾瀬から南千住方面、およびこの両駅間を通過して前後のJR線を通しで乗るときも、やはり北千住-綾瀬間も「JRとみなし」て運賃計算を行うこととしています。北千住-綾瀬間の切符は「メトロ」ですが、初乗り運賃の安いJRの金額に合わせて130円になっているようです。
鹿島サッカースタジアムの場合は、かつては昭和53年から5年間だけ、鹿島臨海の貨物線に旅客列車が走っており([69949])、鹿島神宮から当時の北鹿島貨物駅までの区間を国鉄として運賃計算を行っていました。鹿島臨海の貨物線の旅客営業が取りやめになった後、その2年後に現在の大洗鹿島線が開業し、この取り扱いが復活していますが、「北鹿島」駅は前と同様に旅客列車は全て素通りでした。その後、Jリーグが発足し、鹿島アントラーズの本拠地になると、この貨物駅の近くにできたスタジアムの最寄り駅になり、試合のときだけ臨時に列車(もちろん「臨海」の列車だけ)が停車するようになり、現在に至っています。「スタジアム」駅までがJR、という「戸籍」は現在も変わっておらず、荒野台以北から鹿島神宮駅までの利用者には合算運賃を取られて割高になるため、一部区間に特例割引が適用されているようです。

【1】メトロ・JRの運賃計算境界を「綾瀬以遠」→「北千住以遠」と訂正、および前後の文を一部修正(引用資料のチェック漏れでした。[75028]にまんさん、ご指摘ありがとうございました)。
[75031] 2010年 4月 26日(月)13:38:39【1】hmt さん
境界にまたがる施設
[75024] EMM さん
「その所在地の住所を規定しているものは何だ?」
それを規定しているのが鉄道事業免許なのか、あるいは不動産登記なのか、他に何かあるのか…

境界線の両側にある土地や建物を用いた一体的な施設は、鉄道駅に限らず多々あることと思います。
これは公共施設や事業所のような大きな施設だけでなく、個人住宅でもあり得ることです。

その極端な例として、オランダとベルギーの国境にまたがるバールレの住宅を紹介したことがあります[45832]
個人住宅の場合は、日本でも西洋でも玄関のある側を住所としているようですね。

土地と建物の不動産登記について、普通には一つの施設内に、別々の所在地として登記されている複数の物件が存在しても、特に問題を生じることはないと思います。
[26811]は、一つの建物が管轄法務局の異なる土地にまたがるという特殊な場合については、建物登記手続に際して指定手続が必要ということを教えています。

鉄道駅所在地は、事業免許や法人登記の問題というよりも、国土交通省への届出における選択ではないかと思われます。
その場合、「当該事業者が駅を代表する所在地として選択した地」が認められ、それは駅長室(もちろん存在する場合ですが)所在地の場合が多いのではないでしょうか。

日本鉄道[61225]が赤羽と官鉄の品川を結ぶために山手線を作った明治18年(1885)。
当時の角筈村(淀橋区を経て新宿区)に新宿駅開業[38388]。次第に充実してきた貨物施設が作られたのは、甲州街道や玉川上水の南側の土地で、こちらは千駄ヶ谷村(渋谷区)でした。
貨物駅は南側にあっても、新宿駅の所在地としては、北側の地名が一貫して使われていたと思います。

【追記】
[38388]では、清水靖夫「地図が語る新宿駅周辺」が収録された書名を失念していましたが、「鉄道と街・新宿駅」(大正出版1989)という本のp.122~でした。補足しておきます。

新宿と同じ山手線開業時からの駅という輝ける歴史のある板橋駅(現在は赤羽線)は、板橋区・豊島区・北区の境界線上にある駅で、落書き帳の過去記事[41457]もあります。
開業当時はぎりぎりながら板橋町の中に納まっていたのかもしれず、駅の正式所在地は板橋区になっています。
南側に延長されている現在のプラットホームは、豊島区部分が長いでしょう。東口(滝野川口)は北区にあります。

駅ではありませんが、施設の主要部分の移転に伴い所在地が変更された事例が、東京都立新宿高校です[48626]
府立六中時代の校舎は東京市四谷区。これが新宿区の新宿高校になってからの 1969年に、隣接地(元は新宿御苑の一部だったグランド)に新築した校舎に移り、住所はその所在地の渋谷区に変更。
2004年にまたグランドと校舎が入れ替わり、3度目の新校舎の所在地により、学校の住所も新宿区に復帰。

玄関か中枢かは別として、格別の定めがなければ「当事者が施設を代表すると考えて選んだ場所」を住所としてよいものと思われます。

[64362] 逆太郎 さんの記事には、利根川の流路変更で群馬県佐波郡境町の対岸(利根川の南)に取り残された島村地区に所在する文化財が紹介されています。
国指定文化財等データベース で「島村」を検索すると、日本基督教団島村教会島村めぐみ保育園本館(群馬県伊勢崎市境島村)と、日本基督教団島村教会島村めぐみ保育園別館(埼玉県深谷市横瀬字聖天)とが別々に出ます。

「保育園の住所」には 本館所在地の伊勢崎市 だけが使われていると思いますが、「登録文化財」となると、本館と別館とは別々の所在地として登録されるのでしょう。
[75037] 2010年 4月 28日(水)13:24:46hmt さん
境界にまたがる施設 飛行場編
市区町村の境界付近にある鉄道駅の所在地に関連して[75031]を書きましたが、「境界線上にある交通施設」という話題になると、避けて通ることができないのが 伊丹空港こと 大阪国際空港です。

[62888] リトル さん
伊丹空港内でポチ袋に入ったお金を拾いました。場所は北と南、両ターミナルの間で、見回すと、ちょうど目の前に交番
交番の中は、カウンターの半分が「兵庫県警」、半分が「大阪府警」と区切られておりました。

「飛び地」の魅力シリーズ の第3回・第4回で言及したように、空港になる前の農地時代の境界線を引きずった複雑の極致を示す3市(兵庫県伊丹市・大阪府池田市・大阪府豊中市)の境界関係。

「大阪国際空港」という名から 所在地は大阪と思うのが普通でしょうが、「伊丹空港」という名からは 兵庫県伊丹市?

この空港を経営している 大阪国際空港ターミナル株式会社 の事務所は、大阪府豊中市蛍池西町3丁目555番地(大阪国際空港ターミナルビル内)となっていました。
では、「伊丹空港」と呼ばれる理由は? よくある質問への回答には、次のように記されていました。参考:米軍地図大阪1953年
戦後アメリカ軍に接収された大阪国際空港は「イタミ・エアベース」と命名され、一般に「伊丹空港」や「伊丹飛行場」と呼ばれていました。

大阪国際空港ほど複雑な境界線は稀としても、大きな面積を占める飛行場は、複数の市町村にまたがる敷地を持つケースが多数あります。

羽田の東京国際空港は東京都大田区(1931年に現在の20分の1の広さで東京飛行場ができた時は東京府荏原郡羽田町)ですが、成田国際空港は、成田市の他に 芝山町の部分があり、ほんの僅かですが多古町の部分も?

埋立地ながら、対岸の泉佐野市・泉南郡田尻町・泉南市に3分されているのが関西国際空港。
その敷地の中で、空港会社ビルのある「泉佐野市泉州空港北1番地」が、空港全体を代表する住所になっていると思います。

10km2前後の羽田・関空・成田の約2倍の面積がある日本最大の飛行場は、沖縄の米軍基地・嘉手納飛行場です。
これも、中頭郡嘉手納町・沖縄市・中頭郡北谷町と複数の市町域に及びます。

本州で最大の米軍飛行場は横田基地[56950]で、面積は約7km2。
福生市と西多摩郡瑞穂町とが主な所在地ですが、一部は羽村市・武蔵村山市・立川市に及んでいます。2haほどの 昭島市 を含めて、実に6市町にまたがり、最大数の自治体にまたがる飛行場ではないでしょうか。

横田という地名が、武蔵村山市の中心集落の通称で、バス停名になっていたことは[22152]で記しました。遡れば、神奈川県>東京府北多摩郡横田村ですが、飛行場からかなり離れたこの地名が使われたのは、「幻の滑走路」[22492]によるものと推測。
立川から出ていた西武バスも、2006年の路線変更で横田停留所が廃止されたようで、本来の横田村の地名を残すのは、東大和警察署横田交番ぐらいでしょうか。

飛行場に関しては 以前に[57123][65216]を書いたのですが、その直後とも言える2008年6月18日に「空港整備法」から「空港法」への法改正が公布され、即日施行されました。
これにより、第一種空港・第二種空港・第三種空港という区別[65216]は、拠点空港(以前の第一種と第二種)と、地方管理空港(以前の第三種)とに変りました。

この件について、落書き帳でのフォローもしていなかったのですが、本家本元の 航空局HPの 全国空港配置図 でさえ改定されておらず、昨年開港した静岡空港[70383]も、いまだに括弧つきのままです。


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