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キーワード「鉄砲町」を含む記事が20件見つかりました

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[18467] 2003年 7月 20日(日)20:42:44YSK[両毛人] さん
両毛人 引き続き 仙台より
今、ホテルに戻りました。
仙台は、午前中を中心に小雨が降ったり止んだりの天気でしたが、九州では集中豪雨でかなりの被害がでており、亡くなられた方もいらっしゃるそうですね・・・。心よりご冥福と、お見舞いとを申し上げたいと存じます。

さて、今日は仙台城下町を形成していた地域のうち、郊外部分にあたる町をいくつか見てまいりました。二十人町・鉄砲町地区、原町地区、南材木町から荒町にかけての旧奥州街道沿いの地域、です。いずれも、旧仙台城下町の風情を良く残した地域なのですが、時代の流れとともに大きな変化を余儀なくされている地域もあり、たいへん興味深いフィールドワークとなりました。

というわけで、仙台に一日いながら、中心部をほとんど歩けませんでした・・・。明日早朝、東北電力エナジースクエアや花京院スクエアなどの高層ビルが林立して仙台ではホットな地域となっている花京院周辺あたりは散策しておきたいと思います。

では、まずはご報告まで。
[18468] 2003年 7月 20日(日)21:34:48YSK[両毛人] さん
仙台より 補足
鉄砲町や二十人町が「郊外」とは適切でないかもしれませんね・・・。

また、ついでといってはなんなのですが、JR仙石線の廃線跡(陸前原ノ町~仙台間が地下化されたことに伴うもの)もちらっと見てまいりました。

仙石線仙台駅~旧榴ヶ岡駅までの間は、痕跡も少なくなり、旧線路敷地には数棟のマンションやアパートが竣工していました。区画整理も進行しており、早晩痕跡さえ無くなってしまうであろうと思われました。

旧榴ヶ岡駅~旧宮城野原駅~陸前原ノ町駅までの間は、廃線跡がばっちり残っております。草原となっており、いちぶヤブカンゾウなどの花も咲き乱れておりました。ミヤギノハギなどを植栽して、「宮城野フラワーロード」なんて風にしたら、けっこうよい観光名所になるのかな、などと考えてしまいました。

あと、仙台市電保存館(地下鉄富沢車両基地構内)にも行ってきました。市電の実物や関連資料が展示されており、結構楽しめました。芭蕉の辻線が写っている写真や、最晩年の繁華街を進む市電の様子など、興味深い写真も見所ですよ。
[19292] 2003年 8月 25日(月)02:12:22【1】YSK[両毛人] さん
シリーズ・クローズアップ仙台(10) 仙台駅東口の地域は今 後編 ~原町と鉄砲町
ホームページにアップいたしました。ご覧いただけましたら幸いです。

http://www.chiikibun.com/sendai/sr-sendai.html#higashi2
[20568] 2003年 10月 2日(木)23:50:21【2】ペーロケ[utt] さん
豊島の踏み切りは買っては行けない(意味不明??)
[20524]般若堂そんぴんさん
「買ってはいけない」は未読ですが,「『買ってはいけない』は買ってはいけない」は面白く読みましたっけ.
 私は買っちゃいましたよ。拙稿[16691]でも触れましたが、反動形成の強い私。。。(汗)

[20523]special-weekさん
みなさんの周りで珍しい踏切ありますか?
 松山の珍しい踏み切りといえば、済美高校前は、千舟通り(片側二車線)と国道56号線(片側三車線)の大きな十字路を、伊予鉄が斜めに横断しています。ここも踏み切り信号と遮断機が併用されています。そして、ここが面白いのは、交差点である故、遮断機が下がっている時間にあわせて、国道56号西堀端方面から千舟通り市駅方面へ、またその逆方面へと、矢印信号が出現するのです。
(地図) http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=10000&el=132%2F45%2F40.502&pnf=1&size=500%2C500&nl=33%2F50%2F00.550
(参考、かめぞうさんのHP) http://kamezoh.zive.net/iyo/signal.html

 あとは大手町駅前の平面交差では、路面電車が踏み切りの遮断機の向こうで高浜線が通過するのを待つ光景がみられます。
(地図) http://www.mapion.co.jp/c/f?el=132/45/28.015&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=33/50/12.684&size=500,500
(参考、路面ライダー) http://www.iyotetsu.co.jp/rail/rider/02/diamond.html

 あとは古町駅の南の踏切、東に高浜線、西に環状線が並行(平行ではありません)に走っています。「平行ではない」と言ったのは、南側に向けて「ハ」の字に広がっており、その踏み切りの南側には、踏切の間からしか出入りできない店舗と繋がっているのです。
(地図) http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=10000&el=132%2F45%2F24.573&pnf=1&size=500%2C500&nl=33%2F50%2F31.632
(参考、四国電車通り弐番館) http://sta2.cool.ne.jp/serial/knowledge2.html

[20552]踏切で停車する習慣があるのは日本と韓国だけ、という報告も……。
 愛媛の人は、鉄砲町では事情によりみんな停まりますが、それ以外の踏み切りでは、あまり停まらないなあ。。。(危)

[20529]ありがたきさん
 そうそう、練馬区に「豊島園」がありましたね。豊島区が豊島園の辺りにあると思っている人も絶対いるハズ!!
[30531] 2004年 7月 14日(水)17:38:35U-4 さん
城下町の町名(名古屋)
十番勝負にすっかりはまっていましたので、あらためてちょっと前の話題にレス

[30158]淡水魚さん
思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などが有ります。
[30230] 2004 年 7 月 7 日 (水) 03:06:15【1】 稲生 さん
静岡には、このほかに城下町らしい地名として、追手町、大工町、大鋸町、通車町、人宿町、七間町、土太夫町、上桶屋町、屋形町などがありますね。区画整理以前は、鋳物師町、台所町、猿屋町、下桶屋町、寺町などがあったようです。
浜松市については、稲生大先輩や地名好きさんなど、浜松方面に詳しい方にご教示いただきたいと思います。
大先輩とはおこがましいですが、浜松市生まれとして調べますと、
元城町、松城町、伝馬町、利町、鍛冶町、大工町、肴町、神明町、連尺町、紺屋町、早馬町、旅篭町、塩町、元魚町といったところが城下町らしい町名でしょうか?

名古屋市にも、呉服町、研屋町、伝馬町、七間町、鍛冶屋町、鷹匠町、塩町がありました。この他にも紙漉町、白塀町、納屋町、八百屋町、鉄砲町、桶屋町、木挽町など城下町らしい町名がふんだんにありました。
名古屋の町は、慶長年間に徳川家康が九男の義直のため徳川家に相応しい城下町を作ることを目的として、清洲から城下町ごと名古屋台地に移転し、築城と町の造成をしたため(いわゆる清洲越)、当時から京都と同じように碁盤目状の市街地を形成し現在でもそれが残っています。南北と東西の通りには、それぞれ上記のような町名がふられていました。
この碁盤目状の町名を読みこんだ次のような歌が残されています。

「花の名古屋の町割は (七墓御詠歌より)」

花の名古屋の町割は 四面四角に碁盤割
御城下(おしろした)は三の丸 本町御門出てくれば
片端(かたは)通りとは これなるか
にほいも高き京町の どなまぐさいが魚の棚
桧さわらや杉之町
春三月のころなれば ちらりちらりと桜町(さくらんちょう)
人馬つめおく伝馬町 玉を入れおく袋町
損はたたねと本重町 酒の肴にかばやき町
常(いつ)もにぎわう広小路
日もくれかかる入江町 屋敷がまへの三ツ蔵町
しんしょさかへし花屋町 おたび所横町うちこして
丸こしなくてそぶえ町 七面横町はこれなるか
仕度もしたき茶屋町の これから横をたずぬれば
塩やこうじや御園町 はや伏見町へさしかかり
出船入船、桑名町 をいたる奴もつまらねど
長島町となりぬれば 金銀みつる長者町
いつはりいはぬ本町の 家の土台も七軒町
薬は、ここに呉服町 参宮もはやる伊勢町
こよいお前に大津町 いつたや江戸の鍛治屋町
ひさやをつけてそ人した お七ゅうみは武平町

ところが、昭和40年前後の町名変更(おそらく戦災復興事業の最終段階?)によって、この地区は栄1~5丁目、錦1~3丁目、丸の内1~3丁目、東桜1~2丁目、泉1~3丁目というように(良し悪しは別として)きれいさっぱりなくなってしまいました。
それでも、通りの名称としては、一部に「プリンセス通」などと怪しげな名に改称したものはありますが、上記の歌にある町名の多くが残っています。

転勤族でよそ者の小生としては、交差点の表示が「広小路呉服町」というように旧町名(通り名)になっているので、結構とまどいます。
[30561] 2004年 7月 15日(木)12:58:54【5】じゃごたろ さん
続・町の名
[30158]淡水魚さん、[30230]稲生 さん、[30531]U-4 さん、[30548]ryo さんなどの書込みで出てた幾つかの町名を他にどれくらあるか調べてみました。

調査は「ゆうびんホームページ」の郵便番号検索です。したがってここのデータベースで検索できない地名(住所名)に関しては調査の対象外となってしまいます。市名(町名)のみの表記は、そのものの町名がある場合です。後ろに括弧がある場合は前後に何かしらの字句か追加された町名です。この場合は「~」の部分がもとの町名を表します。

【大工町】
弘前(西~・元~)、八戸、黒石(後~・甲~・乙~)、遠野、仙台市青葉区(川内~)、湯沢、白河、水戸、村上、佐渡(相川~)、富山県城端町、金沢、小松(新~・本~)、岐阜、静岡、浜松、近江八幡、京都府下京区(~・東~)、岸和田、神戸(船~)、高砂(高砂町~)、加西、大和郡山(北~・南~)、和歌山(北~・新~・西~・舟~・南~)、鳥取(頭~・元~)、米子、高梁、徳島(東~・西~)、高松、長崎(新~・出来~・船~)、熊本(古~)、人吉

【材木町】
釧路、北海道浦幌町、盛岡、花巻、遠野、仙台市若林区、湯沢、秋田県鷹巣町、会津若松、宇都宮、鹿沼(上~・下~)、黒磯、沼田、東松山、新潟、佐渡(相川~・相川新~)、高岡、金沢、小松、上田、岐阜(上~・東~・西~)、静岡、浜松、岡崎、京都市中京区(~・大阪~・丸木~)、京都市下京区(~・綾~・高~)、京都市伏見区(本~)、大阪市中央区、堺市(~東・~西)、神戸市兵庫区、姫路市、明石、高砂(高砂町~、高砂町南~)、大和高田、大和郡山、奈良県田原本町、鳥取、津山、柳川、唐津、日南

【木町】
仙台市青葉区、山口、北九州市小倉北区

【肴町】
盛岡、本荘、山形、山形県松山町、村上、郡上、浜松、掛川、西尾

【魚町】
石巻、気仙沼、白根、七尾、加賀(大聖寺~)、浜松(元~)、沼津、豊橋、岡崎(~・西~)、松阪、桑名(北~・南~)、上野、姫路、高砂(高砂町~)、大和郡山、奈良県田原本町、和歌山(新~)、鳥取(上~・元~)、倉吉、松江、津山(新~・元~)、北九州市小倉北区、田川、佐賀、中津(新~・古~)

【八百屋町】
白河、佐渡(相川~)、京都市中京区、京都市下京区(~・西~・南~)、徳島、柳川、唐津、長崎

【呉服町】
長岡、静岡、豊橋、長浜、亀岡、池田、姫路、篠山、萩、福岡市博多区(上~・下~・中~)、唐津、熊本、鹿児島

【紺屋町】
弘前、盛岡、水戸、高崎(新~・中~・元~)、千代田区(神田~・神田東~)、川崎市幸区、石川県押水町、甲府、小諸、静岡、浜松、掛川、桑名、上野、京都市下京区(~・御方~)、京都市伏見区(~・~深草)、亀岡、高槻、姫路、大和郡山(~・新~)、和歌山(西~・東~・湊~)、田辺、米子、浜田、津山(上~・下~)、下関(長府~)、徳島、高松、北九州市小倉北区、佐賀、唐津、平戸、福江、熊本(~・横~)、人吉、延岡

【桶屋町】
弘前、本荘、静岡(上~)、和歌山(北~・北新~・湊~・南~)、鳥取、津山、長崎、熊本(古~)

【鷹匠町】
弘前、白河、新宿区(市谷~)、小松、加賀、岐阜(加納~)、大垣、静岡、京都府伏見区、姫路、明石、和歌山、徳島、高知、中津

鉄砲町
弘前、仙台市宮城野区、秋田(保戸野~)、山形、新庄、福島県本宮町、加賀(大聖寺~)、岐阜、高山、上野、堺、津山、高梁、広島市中区、松山

【鍛冶町・鍛治町】
〔鍛冶町〕
弘前(~・新~)、八戸(~・元~)、北上、仙台市若林区(南~)、横手、米沢、白河、高崎、沼田、千代田区(~・神田~)、村上、佐渡、富山(古~)、七尾、小松(新~・本~)、加賀(大聖寺~)、関、浜松、豊橋、桑名、上野、名張、京都市上京区(上~)、京都市中京区(~・横~)、京都市東山区(粟田口~)、姫路、大和郡山(北~・中~・南~)、鳥取、倉吉、須崎、北九州市小倉北区
〔鍛治町〕
黒石、花巻、本荘、松任、新宮、津山

【研屋町】
静岡、倉吉

【鋳物師町】
敦賀、防府、北九州市小倉北区

【匠町】
日光、和歌山

【博労町】
青森県五戸町、高岡、金沢、近江八幡(~上・~中・~元)、大阪市中央区、姫路、和歌山(北新~・元~)、米子、延岡

【銀座町】
熱海、彦根、京都市伏見区

【金座町】
静岡

【銭座町】
静岡、長崎(~・上~)

【両替町】
静岡、京都市下京区(元~)、京都市伏見区

【旅篭町・旅籠町】
〔旅篭〕
山形、高岡、堺(南~東・南~西)
〔旅籠〕
富山、浜松、久居、亀岡、堺(北~東・北~西)、和歌山(西~・東~)、高松

【伝馬町】
宇都宮、中央区(日本橋大~・日本橋小)、飯田(~・小~)、大垣、静岡、浜松、豊橋(~・上~)、桑名、京都市上京区(小~)

【御徒町】
宇和島

【大手町】
函館、水沢、一関、仙台市青葉区、石巻、白石、名取、鹿沼、能代、山形、新庄、白河、土浦、古河、前橋、伊勢崎、館林、川越、千代田区、新発田、上越、富山、高岡、金沢、七尾、武生、小浜、岐阜、美濃加茂、郡上(八幡町~)、沼津、名古屋市港区、豊橋、春日井、刈谷、上野、京都市伏見区(西~・東~)、岸和田、高槻、茨木、神戸市須磨区、豊岡、津山、広島市中区、山口、下松、丸亀、松山、北九州市小倉北区、久留米、八代、太田、佐伯、鹿屋(~・西~)

【追手町】
会津若松、飯田、静岡

【十人町】
一関(五十人町)、岩手県前沢町(五十人町、二十人町、二十人町裏)、仙台市青葉区(川内三十人町)、
仙台市宮城野区(二十人町、二十人町通)、仙台市若林区(五十人町、六十人町)、唐津、長崎

【百人町】
仙台市若林区(三百人町)、新宿区、名古屋市東区、唐津(和多田東~・和多田~)


調べてみると、このような地名は一部の市に偏っていて、そこに多く残されているように思います。

それにしても、関市の鍛冶町とか、上野市や堺市の鉄砲町なんて、なかなか歴史が感じられますね。あと堺市は「北旅籠」と「南旅篭」で字が違うんですね。
[30602] 2004年 7月 16日(金)09:05:42じゃごたろ さん
徒然ス
おはようございます、じゃごたろです。

[30594] グリグリさん
引き続き第二回の準備もできているのですが、仕事に差し支えの出る方もいそうなので躊躇しています。
私は大丈夫ですよ。答えを考えている合間に仕事をしてますから(本気?冗談?)。
今度はヒント無しで答えることができるだろうか・・・。


[30507]月の輪熊 さん
高校でやっていた弓道のほうを、機会があればやりたいとは思っています。
[30577] M.K. さん
私も高校時代は弓道部でした。
なんと奇遇な。私も高校の時に弓道部でした。
私の高校は、一学年先輩と私達の学年がインターハイに出ました。でも私は選手ではなかったので、一緒に行けませんでした・・・(残念)。そういえは、一年の時にちょうど富田靖子の「アイコ16歳」があって、翌年の新人が沢山入部してきましたっけ。ああ、あれからもう二十年近くも弓を握っていません。またいつか、と思いながら、なかなかズクが無く今に至っています。


[30574] 月の輪熊 さん
「イナゴの佃煮」「蜂の子」「ザザムシ」は知っていましたし、
知ってますが、食べる気にはなれません・・・。地元の人は嬉々として虫探しをする人もいますが。

「絹の雫」と呼ばれているというのは知りませんでした。
これは私も初耳です。


[30573] なお さん
鍛治町・鉄砲街は町人の街に多かったと思います。
堺は、織田信長の鉄砲の一大供給地だったようですね。
和歌山県にも「鉄砲町」があってもいいじゃないか、とも思ってます。
[31518] 2004年 8月 7日(土)21:56:17YSK[両毛人] さん
今宵は、七夕の仙台からの登場です。
みなさん、こんばんは。両毛人@仙台です。

本日は、午前6時に高速バスで駅前に着いてから、朝市→中央通→大町→青葉城址→川内亀岡→牛越橋→八幡町→土橋通→新坂通→北山→通町→北仙台→上杉→宮町→定禅寺通→木町通→一番町→柳町→北目町→荒町→南鍛冶町→河原町→長町と、仙台市街地を北に南に歩きました。

チェックイン後、夕方ホテルを再び出て、二十人町・鉄砲町→原町→(仙石線)→仙台駅→(バス)→瑞鳳殿→(バス)→一番町→中央通と歩きました。

中心部の七夕だけが仙台七夕のすべてではありません。多くの商店街で七夕飾りが見られました。そして、それらのどれもが本当に素晴らしいんですね。後ほど、一部をご紹介できればと思います。

本日の歩行距離は少なくとも20kmは超えていることでしょう。足はもうくたくたです。

明日は、バスの一日乗車券等を活用して、もう少し広域的に動こうと思います。泉中央とか、岩切とか、八木山とか・・・。

上記の登場しない、七夕のきれいな商店街がありましたら、ぜひご推薦くださいませ。よろしくです。

追伸その1
短冊を書けるコーナーをとある商店街にて発見。「両毛人」名で「GLin GLin の益々の発展を」を書いて笹に飾ってきました。見つけた人はこそっと教えてくださいね!

追伸その2
アーカイブズ関連その他でご依頼があるようですが、後ほど必ず対応いたしますので、よろしくお願いいたします。
[39023] 2005年 3月 28日(月)00:13:07EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第1号
えーと、[38976]にてグリグリさんから最初の仕事を振られておりますので、そこから行ってみましょう。



[37669] yamadaさん
しかし、全国的に見ても「三和町」「六合村」や「美郷町」(「美」に「三」の意味を込めて)、過去の名称では「土村」([28649]熊虎[月の輪熊]さん)などがあります。合成地名コレクションに入れず、新たなコレクションとしても十分面白い企画だと思いますが、誰かコレクションしませんか?
ネーミングは「合併数由来地名」とかいった感じになるでしょうか。
(あんまりスマートじゃない…もっと良いネーミング大募集)
合成地名コレクションと同様、地名好きさんのホームページのデータを参考にすればすでに消滅した市町村の名前からも拾い出せるんじゃないかと思います。



[38041] NTJ会長さん
水路や里道のような、通常「○○番地○先」とされる部分ではなく、ウチの市役所やJR四ッ谷駅のような、どうみても国有地ではないような状態なのに、「無番地」とか「番外地」とされている場所のコレクションなのですが。
市役所・町村役場、駅、学校と言ったように、共通の施設の中で住所が「無番地」「番外地」のものを集める形で行けばまとめやすいでしょうし、ある程度の制御もできるのではないでしょうか。



[38626]  wasiさん
城下町地名コレクション、なんてないですよね?
これは一見簡単そうですが、うまく考えないと収拾がつかなくなる可能性があると思います。
というのは、どこまでが城下町地名に該当するか、と言うのが悩ましいところがあるからです。
以下は私の考えた分類ですが、

1.城の施設・設備にちなんだ地名
「丸の内」「大手町」がその典型です。その他には「本丸」[二の丸」なども見られます。
城があったことがわかる地名ではあるのですが、問題はこれらの多くがおそらくそんなに古い地名ではないだろう、と言うこと。
大方は明治維新後にできた地名であろう、と考えられますし、場合によっては昭和30~40年代の住居表示の実施に当たって初めてできたものもあるようです。

2.職種にちなんだ地名
wasiさんがあげられている「鷹匠町」はまさにこれに当てはまります。
が、これがまたバリエーションが山ほど有り、どこまで拾うかを悩まねばなりません。
例えば、武家の役職にちなんだ「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」、武家ではないが軍事・藩政に関係した「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座」「銀座」「銅座」、商人・職人を集めた「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「紺屋町」「桶屋町」「旅篭町」「大工町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」、輸送に関連した「博労町」「馬喰町」「船場町」「船頭町」等々………。

3.住んでいた人の名にちなんだ地名
ある程度地位の高い武士が住んでいると、その武士の姓名や役職(○○守の○○など)が地名になる場合が多々あります。
私の住んでいる金沢だと「彦三」「芳斉」「横山町」「本多町」「長町」「出羽町」「高岡町」がこれに当てはまります。
東京だと例えば紀尾井町は「紀州徳川家」「尾張徳川家」「井伊家」の屋敷があった事から付けられた名です。
[37111]たもっちさんの記事、およびそれに関連するレスにもありますが、京都市伏見区にもこれに該当する地名が多数あります。
が、これに関しては、それぞれの町の歴史まで紐解かねばならず、集めるのはかなり難しいのではないでしょうか。

と言うことで、「城下町地名」という形では収拾がつかなくなる可能性があるような気がします。
[37192]でグリグリさんが「新興住宅街地名」コレクションの提案に対して出された意見と似たような話になりますが、上であげた中で比較的現存数が多い「丸の内」「大手町」「鷹匠町」「鉄砲町」などをねらい打ちする形でそれぞれの個別のコレクションとするのがよいのでは、と思うのですが。



このほか、過去ログから見つけたものとして、
[37559] 北の住人さん
地名コレには鳴き砂地名が無いようですが、数的にはちょうど良いのでは。もっとも、どっかに全国鳴砂保存自治体連盟なんていうのがあって、そのページがありそうですが。
私が砂丘コレクションの資料とした砂丘学会誌に鳴き砂に関する記事があった記憶があったので探してみたところ、その記事の先生のホームページを見つけてしまいました。
Musical Sand
この中に鳴き砂地図が出ています。
三輪先生にお許しが頂ければリスト化しても良いのかもしれませんが…。
ちなみに、鳴き砂の保存に取り組んでいるのは、一部を除いてほとんどが民間有志による団体のようです。



以上に関しては、[35222]でグリグリさんがまとめられた過去の地名コレクション提案の一覧と併せて一度整理した方が良いようですね。
また、トップページの分類の調整も考えていますが、まだ構想がまとまっていません。
ちょっと時間を下さい。
[43190] 2005年 7月 22日(金)00:38:34EMM さん
資料探しと整理の仕方に対する考え方次第なのですが、
[43173] 般若堂そんぴんさん

とりあえず、般若堂そんぴんさんの引用された私の文中では「住所として現在でも残っている町名」と言うつもりで書いてます。
笠津前浜さんがコレクション対象として想定されたのも多分同様であろう、と思います。

そして「通り」の名称とか通称とかなどでは使われているはどう判断するかですが…
地名コレクションでは必ず項せなならん、というのは決めていないのでありまして、編集担当者の線引き次第でどこまでがコレクションに記載する対象となるかが変動してくるのです。

編集長としての立場からですと、最終的には担当者の判断、採用になる場合もあり得るし、ボツになる場合もあり得る…と言うご返事になってしまいます。

また、もし私が編集担当となったらどう考えるかですが(あくまで仮定の話です。実際に編集をされる方の編集方針を規定してしまうものではありません)、例えば「鉄砲町」コレとか「紙屋町」コレとかみたいな感じで特定の地名毎にまとめるんであれば住所として残っているもの以外のところまで集める、「職業由来町名」みたいな感じで広ーい範囲をまとめるんであればさしあたり現在住所として残っているものだけひたすら集め、だいたい網羅したらそれ以外をどうするか悩む……と言うことにするでしょう。
ただ、繰り返しますがあくまで「私が編集するんだったら」という話です。担当される方によってどうするかは異なってくるでしょう。
逆に、そんぴんさんだったらどうしますか?と言うこともお伺いしたいところです。
あんまり答えになってませんか………

#どこまで調べるか、はどんな資料を用いるか、でも規定されてしまいます。
「住居表示のモデル都市」として旧来からの町名が住所から大量に消されてしまった我が金沢市を例にとると、旧町名は(職業由来に限らず、全般的に)通りの名称、交差点名、バス停名、小中学校名、自治会名・町内会名…などの形で「生き残って」おります。
その中で、多くの皆さんが地名コレクションの資料として使っているウオッちずでは小中学校名、マピオン/Yahoo!地図ではそれにプラスしてバス停名・交差点名は比較的多く検索で出てきますね。
でも網羅されているかというとそうではない。
そして通りの名称、と言うことで言うとこれらの地図サイトは×です。でもまだ探しようがあるかもしれません。
しかし、自治会名・町内会名となると………調べられる資料ってあるんだろうか??
金沢市成立時の市域で考えると、住所としては消滅してしまった旧町名のおそらく8割くらいは町内会名として残っているのでは?と推定しています。
でも、市内全域、ましてや全国にあまたある町内会名を具体的に調べられる資料があるのかどうかが分からない…
市内に限定すれば市役所ならば持っていそうなのですが…
(自分の住んでいる校下以外は、正直なところどんな町内会があるのか分かりません)
[43922] 2005年 8月 7日(日)01:45:06笠津前浜 さん
職業名由来町名コレクション
編集者としての最初の仕事、コレクション初版をリリースしました。といってもデータ数は6件。これから、これから。
現在候補としてあがっているのは次の町名です(59件)。皆さんからの情報、アドバイスをお願いいたします。

「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座(町)」「銀座(町)」「銅座」「銭座町」「両替町」「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「桶屋町」「旅篭(籠)町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」「博労(馬喰)町」「船場町」「船頭町」「青物町」「瓦町」「米屋町」「染師町」「肴町」「塩屋町」「猟師町」「袖師町」「油屋町」「樽屋町」「紙屋町」「海士」「鷹匠(町)」「研屋町」「車町」「茶町」「馬場町」「伝馬町」「千代田」「葵町」「木町」「魚町」「鉄砲町」「鋳物師町」「匠町」「伝馬町」「御徒町」「大手町」「追手町」「十人町」「百人町」
[43934] 2005年 8月 7日(日)14:29:11あきすて さん
Re:職業名由来町名コレクション
[43922] 笠津前浜 さん

他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町

"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座代官山高田馬場などがあるようです。

「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋
(←この尾道市の件は現在使われてないようならコレクション対象外になってしまいますが他にも鍛冶屋という地名はあります)
 「茶町」に対して「茶屋町
 「木町」に対して「木屋町
(ちなみに、京都市にあるのは"きやまち"、寝屋川市にあるのは"こやちょう";寝屋川市のは由来がわかりませんが)
[43988] 2005年 8月 9日(火)00:41:44笠津前浜 さん
職業名由来町名(仮)編集メモ(1)
[43922]の編集開始書き込みに反応いただいた皆様、的確ですばやいフォローをありがとうございます。私の確認不足が多々ありました・・・が、寛大な心で見守ってくださいますようよろしく(^^;お願いします。叱咤激励大歓迎、です。
では個別にお返事いたします。
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[43924] 2005 年 8 月 7 日 (日) 07:04:51 KMKZ さん
「御徒町」が重複しています。(4番目と55番目)
「千代田」、「大手町」が職業名由来とは初耳です。どのような職業なのですか?
ありがとうございます。御徒町は重複分を削除します。千代田・大手町に関してはログから切り出す際に「城下町らしい地名」が混在していたことを失念していた結果、紛れ込んでいました。根拠がない以上、削除したいと思います。さらに、職業・役職名由来の地名を候補に入れるようにします。
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[43926] 2005 年 8 月 7 日 (日) 11:04:16 EMM さん
大手町(追手町)については、KMKZ さんへの返事に書きました通り、リストアップのミスでした。車町は職業由来の場合である可能性があれば、候補として残しておきたいですね。漢字表記のバリエーションは入れましょう。接尾語等は・・・残しましょう。銀座は銀座コレクション参照で。馬場町は職業名由来ではないですね。候補から消します。
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[43929] 2005 年 8 月 7 日 (日) 12:21:45 hmt さん
牛込(東京都新宿区)の細工町、納戸町、払方町、箪笥町などの町名は、江戸城に通勤する同心たちの「公務員住宅」地域に由来しています。[41218] hmt参照。
ありがとうございます。ということは、同心たちが箪笥を商っていたりしたのでなければ、職業名由来ではなさそうな気がしますが・・・候補に残しておき、後ほどゆっくりと個別調査したいですね。
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[43934] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:29:11 あきすて さん
他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町
お恥ずかしい(^^;ご指摘ありがとうございます。
"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座、代官山、高田馬場などがあるようです。
「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋」
 「茶町」に対して「茶屋町」
 「木町」に対して「木屋町」
それぞれ、候補に入れたいと思います。
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[43936] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:59:58 inakanomozart さん
▽候補にあがっていない町名で米穀商に由来する「石町」があります。
例として
・静岡市葵区上石町(かみごくちょう、下石町は消滅)
・東京都中央区日本橋本石町一~四丁目
・大阪市中央区石町一・二丁目
▽「葵町」は静岡市の場合、1915年「草深代地」を改称したもので職業とは関係ないようです。
大手町の件を含め、ありがとうございます。石町は候補に入れますね。
▽静岡市の場合は、京都の伏見から牛車をつくる職人を呼び寄せ、住まわせたことに由来すると言われています。
・静岡市葵区車町(くるまちょう)、通車町(とおりくるまちょう)
こちらも候補入りにします。
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[43940] 2005 年 8 月 7 日 (日) 16:02:56 今川焼 さん
●小人町、豆腐町、水主町、酒屋町、帯屋町、勘定町、船大工町
宗教に関するもので
●神主町、坊主町、社家町
それからずっーと時代をさかのぼった古代の職種に関係ありそうなところで
●弓削町、矢作町、土師町、鳥取町、服部町、陰陽町、主税町、番匠町
このあたりは古代のその職業と町の成り立ちが直接つながるのかどうか疑問な部分もあると思います。(参考[20412] Issie さん)(主税町、番匠町は名前の由来は古代かもしれませんが地名となったのは近世のことかもしれません)
候補に入れます、ありがとうございました。
ところで、さすがに京都市内には○○屋町の類が本当にウジャウジャありますねぇ。
たとえば、木屋町([43934] あきすて さん)は高瀬川沿いに材木商が多く集まったことに由来する地名(通り名・通称地名)と、はっきり職業地名とわかりますが、何十とあるすべての町名を職業と 関係あるかどうか検証するのは不可能でしょう。それっぽいところを見つくろって(?)でもやむを得ないと思いますがいかがでしょうか。
ちなみに西本願寺のすぐそばにある仏具屋町・珠数屋町あたりは現役の職業町でしょうね。
それから、現役といえば近代になってからつけられた職業地名はコレクションに該当するでしょうか。
●問屋町、卸町、鉄工町、木材町・・・。
えー、見つくろっていければ、と・・・。それから、近代のものでも該当すると思いますので、挙げられている町名も候補に入れます。
[44484] 2005年 8月 25日(木)12:19:20U-4 さん
名古屋の職業由来地名(その2)
拙稿[44413]に引き続き名古屋市の職業由来地名、中区を筆頭に残りの各区から

区名町名よみかた現在地名痕跡由来等
中区木挽町こびきちょう丸ノ内1,錦1木挽町通り
材木町ざいもくちょう丸ノ内1,錦1不明
車町くるままち丸の内1,2不明
茶屋町ちゃやまち丸の内2不明?? これは人名由来
呉服町ごふくちょう丸の内3錦3呉服町通り、呉服橋
研屋町とぎやちょう丸の内3不明
(西,東)魚町(にし,ひがし)うおまち丸の内3不明魚の棚から改称
魚の棚町うおのたなまち丸の内3魚の棚通り魚屋、棚=店
関鍛治町せきかじまち丸の内3,錦3不明美濃関の職人町
中市場町なかいちばまち丸の内3不明
伝馬町てんまちょう錦1,2伝馬町通り、伝馬橋
袋町ふくろまち錦1袋町通り?? 町の形状かも
桶屋町おけやちょう錦2不明桶職人
小市場町こいちばちょう錦3不明
蒲焼町かばやきちょう錦3不明酒の肴や煮魚など
針屋町はりやちょう錦3不明
鉄砲町てっぽうちょう栄2不明○ 
八百屋町やおやちょう栄2不明
南呉服町みなみごふくちょう栄3不明
南鍛冶屋町みなみかじやちょう栄3不明関鍛冶町の南
(東,西,南)瓦町かわらまち(ちょう)栄5,新栄1瓦通り、交差点
役割町やくわりちょう大須1不明役割御先手の
役人居住地
城代町じょうだいまち大須2不明城代同心居住地 
旅篭町はたごちょう松原2不明?? 朝鮮使下士官の
 宿泊事実に由来
飴屋町あめやちょう上前津1不明
下茶屋町しもちゃやまち松原3,橘2不明これは茶店から
千代田ちよだ現存?????
熱田区市場町いちばちょう神宮2付近市場町交差点
伝馬てんま現存
旗屋町はたやちょう現存旗ではなく機織
服部はっとり現存
港区木場町きばちょう現存
油屋町あぶらやちょう現存
船頭場せんどうば現存
新茶屋しんちゃや現存
西茶屋にしちゃや現存
東茶屋ひがしちゃや現存
南区塩屋町しおやちょう現存塩田から
汐田町しおだちょう現存塩田から
元塩町もとしおちょう現存塩田から
昭和区塩付通しおつけとおり現存塩田から
○は既にリストアップされているもの。◎はそのうち所在自治体に掲載済のもの。

中区はひととおり拾ってみましたが全滅。区内のほとんどが商業地域となっているので、東区、西区のように公園名等での痕跡もありません。
蒲焼町なんて残っていたらうれしくなってしまいますね。居酒屋の町が名古屋の代表的な夜の町「きんさん」に、伝統はしっかり受け継がれています。
「千代田」はリストに入っていたので、一応あげましたが・・・
他の区は現存を中心に拾ってみましたが、残念ながら目新しいものはありませんでした。

これとは別にかなりレアな地名を3例。

昭和区御器所(ごきそ)熱田神宮の祭事用土器の製作地
中川区供米田(くまいでん)熱田神宮への供物用の米の生産地
中川区大蟷螂町(だいとうろうちょう)熱田神宮の宮大工の居住地(大工→棟梁→とうろう)、「灯篭」との説もあるようです。
[44496] 2005年 8月 25日(木)23:46:19太白 さん
職業地名コレクション
[44466] 笠津前浜 さん
職業地名コレ、相当充実してきましたね。
仙台市中心に、コレクション追加の候補です。本島に職業由来かの確認はしていません。採用については、適宜ご判断ください。

ちなみに、仙台市の場合、この辺が職業地名の宝庫になっています。

市区町名よみかた由来等
仙台市宮城野区鉄砲町てっぽうまち
仙台市若林区穀町こくちょう
仙台市若林区石垣町いしがきまち石垣衆(足軽)
仙台市若林区舟丁ふなちょう御舟衆(船乗り)
仙台市若林区南石切町みなみいしきりまち
石巻市穀町こくちょう
登米市迫町(佐沼字)鉄砲丁てっぽうちょう
登米市登米町寺池鉄砲町てらいけてっぽうまち
志田郡三本木町鉄炮町てっぽうまち「鉄砲」ではない
刈田郡蔵王町鉄砲町てっぽうまち
[44513] 2005年 8月 27日(土)04:13:34笠津前浜 さん
職業由来町名編集メモ(9)
昨日ムカデが出ました。4cmほどでしたが嫁さんが刺されてしまい、朝から大騒ぎでした。

作業を進めている時に出会う、消えた町名についてあれこれ想像を巡らすのもまた愉しいものですね。「葵町」は職業名由来ではなかろう、ということでリスト外へ移しました。確認が取れた段階でコレクションから外そうと思います。
****
[44433] 2005 年 8 月 23 日 (火) 03:09:13 あきすて さん
「南総持寺町」のみ含まれていました。寺町コレはEMMさんが新規に編集されますね、情報提供のほどお願いします(^^ 流通団地他、あげてくださった地名は今川焼きさんの意見を取り入れて候補としました。
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[44443] 2005 年 8 月 23 日 (火) 13:49:37 今川焼 さん
鋳銭司には何度か足を運びました。国道から離れてゆくと、すぐ田園といったところでしたが、今はどうなっているでしょうか。おもちゃのまちは、ん~微妙なところです。
*****
[44464] 2005 年 8 月 24 日 (水) 03:45:24 あきすて さん
商店街名は考えていなかったのですが、おもしろい名前ですね。本編のリストが莫大にならなければ参考として載せておきたいと思います。
*****
[44469] 2005 年 8 月 24 日 (水) 13:11:00 matsu さん
村を開いたときの開墾地の状態を村名にしたと考えられ、狩貝地→貝地谷→荒地谷→耕地谷→麹谷→糀谷となったようです。
海岸だったのでしょうか、それにしても表記は移り変わっているんですね。
****
[44484] 2005 年 8 月 25 日 (木) 12:19:20 U-4 さん
消えた町名を楽しませていただいています。御三家のにぎやかさが伝わるようです。千代田に関してはすみません、城下町特有地名として集めていたものが紛れていたものです。千代田は江戸城の別名、職業ではありませんでした・・・
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[44496] 2005 年 8 月 25 日 (木) 23:46:19 太白 さん
鉄砲町が一般的でしょうが、「鉄炮町」という表記もあるのですね。いささか飛躍しますが、元寇と関係があるのでしょうか。
*****
[44503] 2005 年 8 月 26 日 (金) 01:21:25【1】 EMM さん
その「とある点」は実際の「寺町」コレクション作成の際に反映予定。
ご期待下さい。
はい、期待しています(^^ 

今回も、調べてくださった候補はほとんどコレクションページに反映させていただきました。ありがとうございます。
[67023] 2008年 10月 14日(火)23:59:07YSK さん
仙台駅
現在の仙台市街地における繁華街の核はJR仙台駅西口を中心としたエリアと、一番町通と中央通とによって構成されるアーケード街を中心としたエリア(中心は広瀬通一番町付近)とです。双方は約1キロメートルほど離れておりますが、アーケード街で有機的に繋がっているため、人々の動線が確保され、ほぼ一体的な市街地を構成しています。

[67019]Issieさん
お話を拝見いたしましたが、仙台経験が相対的に長い私の意見は少し違います。

まず、明らかな誤りは、「芭蕉の辻」は大町と東一番丁の交点ではなく、大町と奥州街道筋(現在の国分町通)の交点です。ちなみに、「一番丁通」「大町通」という表現も厳密に言えば誤りで、それぞれ「東一番丁」「大町」とするのが正しいです。仙台的な語感では、「○○通」というのは「○○」へ通じる道及びその道沿いの町という意味です。芭蕉の辻以南の奥州街道筋は「南町」と呼ばれていましたが、その南町へ通じる東西の通りが「南町通」と呼ばれました。この通りは市電通りとなったため戦前から拡幅されまして、現在でも仙台市街地における重要な通りとなっています。一見市街地の南側を貫通する通りだからその名があると錯覚しますが、本来は当時一大繁華街であった南町へと通じる通りであるという意味でして、市電開通前は本当に細い路地であったようです。

仙台城下町建設にあたって、ベースラインとなったものが、南北の奥州街道筋と東西の大町で、大町は仙台城大手門から広瀬川の大橋を経て、まっすぐ城下を東西に貫通する目抜き通りでした。その交点が「芭蕉の辻」と呼ばれ、高札場ともなった、仙台城下町の一大結節点でした。現在では相対的に市街地の中心部から外れ、多く集積してきた卸売業等の店舗も郊外の卸町等に移転し、やや寂れた印象のエリアとなっていますが、日銀仙台支店をはじめとした金融機関は現在でも集積していまして、町の中心たる面影もまた残すエリアです。

大町は東に向かって新伝馬町(しんてんまち)、名掛丁(ながけちょう)を経て二十人町、原町へと至り、陸前浜街道筋へと連接しました。城下町時代から近代にかけても多くの商店が集まる中心市街地として繁栄していました。この大町~新伝馬町~名掛丁のうち、一番町通以東が現在「中央通」と呼ばれるアーケード街となっています。

一方で、現在の仙台駅のあるエリアは、北東に祀られる東照宮から南へ、宮町、東六番丁、清水小路を経て、藩政期は大寺であった大年寺へと一直線に繋がる堂々たる門前町通が形成されていまして、この周辺を中心市街地内に組み込む都市軸として機能していました。宮町は現在でも東照宮に向かって直線的な道路としてあり、清水小路は、東五番丁と一体となり、現在の「愛宕上杉通」となっています。東六番丁はといいますと、実はこの通りこそ、現在の仙台駅のある場所にあたります。仙台駅舎及び鉄路は東六番丁筋をまるまるつぶす形で完成しております。結果として上述の門前町を連接する南北の通りは遮断され、また当時繁華街であった名掛丁も東西に分断され、仙台市街地の都市構造は大きな影響を受けることとなります。特に名掛丁東部以東の陸前浜街道筋はさびれていくこととなります。

以上のような認識から、仙台駅のある場所は必ずしも「町外れ」ではなく、当時栄えていた町場の一部をまさしく“縦断”し、当時の人々の感覚では中心市街地の一部を横切ったように映ったことと思います。まあ、中心市街地の本当に中心という意味ではやや東にずれた位置ではありますが・・・。せめて宮町~東六番丁~清水小路の幹線を壊すことなく、その東に隣接して駅ができればまた違っていたのでしょうが、既存の住宅地域をなるべく壊さないように鉄路を通すため、当時直線的に繋がっていて土地を確保しやすかった東六番丁が駅舎の適地とされたのでしょう。

なお、

当初は長町方面からほぼ直線に現在の 宮城野貨物駅 付近を通過してそこに駅を設置する計画であったものを,住民の運動によって市街地に“できるだけ近いところ”まで線路を引き込んで,現在の位置に駅が設置されることとなった,という話が伝えられています。

というご説明は、仙台関連の多くの書籍で散見される内容ですね。

なお、仙台駅東口は「東○番丁」などの町場が割り出された足軽などの居住地及び市街地から移転された寺院が集積する寺町(新寺地区や連坊地区)でして、戦災が少なかったことから高度経済成長期も低層の住宅地域や寺院、近隣商業エリアが交錯するエリアでしたが、1970年代半ば頃から順次土地区画整理事業が進められ、「宮城野通」を中心とした現代的な都市地域へと生まれ変わりました。現在は、旧仙石線の鉄路が通ったエリアより北、二十人町から鉄砲町にかけてのエリアで土地区画整理事業が進行中で、完成の暁には、西口の広瀬通と繋がった一大幹線道路がエリアを貫通する予定となっています。
[67051] 2008年 10月 18日(土)09:12:38千本桜 さん
道路標識、鉄道ルート、小松みどり、大都会米沢
[67041] クハ221-1 さん
岐阜県内では「↑大津」という表示は全く出てきません(滋賀県に入るとようやく「↑大津 米原」となります)。
[67049]geo さん
ふと思いましたが,「↑大津 米原市街」ではないのですね。国道21号を滋賀県内に入ると米原市なので。
現在の道路標識設置基準では、「仙台」は行政上の仙台市を指し、「仙台まで○○キロ」は仙台市役所までの距離を指すことになっています。でも、この基準に私はなじめません。道路案内板はドライバーが「とっさ」に判断するものでしょう。私の場合、「仙台」の文字を見て「とっさ」に思い浮かべるのは仙台市街であり、しかも市街地の首部です。私の感覚と国土交通省の指針には深くて暗い河があるのですね。それはさておき、指針に従えば、国道21号を西に走行して滋賀県に入ると米原市ですから、直進方向に「↑米原」は表示できなくなるはずです。あくまでも指針ですから、実際の運用は担当者次第なのでしょうが・・・。ところで、国道21号が国道8号に接続する地点の案内板には、どのような行先地名が書いてあるのでしょうか。左折「←大津 彦根」、右折「福井 長浜→」でしょうか。

[67045]笠津前浜 さん
滋賀県内の国道21号の管理は彦根維持出張所であることも関係しているのかな。
国道維持出張所の立地が行先地名の表示に影響するかは定かではありませんが、ひとつ思い当たるのは、仙台市内の国道45号における直進「↑宮古」の表示です。気仙沼、大船渡、釜石などをさておいて、「宮古」を表示するのは飛び過ぎだと感じるのですが、45号を管理する三陸国道事務所が宮古に所在するからだろうか?などと考えることもあります。

[67023]YSK さん
名掛丁(ながけちょう)を経て
重箱の隅を突っつくようですが、名掛丁は濁らずに「なかけちょう」ですよね。東北本線のルートと仙台市街の関係はYSKさんの御説の通りだと思います。駅東(駅裏)にも城下町の一角をなした小田原金剛院丁、鉄砲町、連坊小路などの町並みが広がっていますからね。ところで、一般的には既存の市街地を避けて鉄道が敷かれたわけですが、群馬県桐生は見事に既存市街地を分断して両毛線が走っています。両毛線が開通した頃は既に桐生市街の骨格(桐生新町と新宿村の連担市街地)ができあがっていたはずで、目抜き通り(現在の本町商店街)を分断してレールが敷かれた珍しいケースだと思います。両毛線に乗っていて心が一番ときめいたのは、桐生本町通りの踏み切りに差し掛かるときでした。車窓に額を押し付けて本町通の賑わいを見つめたものです。

[67012]白桃 さん
都会は緑のインクで市名を塗りつぶしております。(これは、オーナーだけが知っております。)
なんだか意味は分りませんが、オーナーゆかりの都会は金沢と小松ですから、金沢碧と小松みどり にしておきます。

[67010]般若堂そんぴん さん
吉林市出身の中国人留学生によれば,「米沢はムラです」とのことでした.
チーリンさんの話に悲観しないで。米沢は間違いなくシティです。米沢の市街地って地図(20万分の1程度の)に表わすと、人口から受けるイメージよりも大きく表わされますよね。かれこれ50年近く前のことですが、当時の地図上の市街地表示は福島より米沢の方が大きかったような・・・。二つ三つ年下の友達に地図を見せて、福島と米沢ではどっちの人口が多い?と質問したのを憶えています。いま思えば酷な話ですね。相手は地理に関心があるとは思えない普通の小学生(たぶん2年生くらいだった)。福島と米沢の人口を比較させられたって、ちっとも面白くなかったと思うのですよ。
[67174] 2008年 11月 2日(日)04:40:22ペーロケ さん
エスカレーターほか
[67146]hiroroじゃけぇさん
京都は左右の区別がなかったと思います。強いて言えば、最も最前列の人がどちらに止まるかによるようです。
 言われてみれば、私も何度か京都に行ったことがありますが、エスカレーターの立ち位置はあまり印象に残っていませんね。私は広島で左に並ぶのに慣れてしまったため、関西の右に並ぶのにかなり違和感を感じるハズなんですけど。

阪急の地下にある「動く歩道」なんて自分は苦手です。「あと5m(だっけ)」という看板もありますが、どうもタイミングを計るのに苦労します。
 そうそう、大阪人はせっかちですね。ちなみに広島では歩きたくない人が多く「止まる」レーンに行列が出来ることが多いのですが、大阪などは「ゆずる」というよりむしろ、「追い越す」ためのレーンに行列ができる印象が強いです。つまり、歩くレーンは逆なのに、両方とも左側に行列ができるという不思議な現象がおきてしまいます。
 余談ですが、よく残り時間をカウントする信号で、大阪人は残り30秒くらいになったら横断し始めるなんて、テレビなどでよく聞きます。残り時間をカウントする信号は他の県庁所在地クラスの都市にも大きな交差点にはだいたい設置されていますけど、大阪以外で残り時間が残っている状態で渡り始める人を見たことがありません。対向車が来そうもないような片側交互通行用信号ならどこの都市の人でも残り20秒くらいで発進してしまうんですけどね(笑)。

[67173]YSKさん
仙台の地図を時系列で見ると、仙台の町がいかにシステマティックに形成され、城下町時代に完成したそのベースが現在においてもはっきりと残されているかが理解できると思います。
むしろ、時代とともに変化する様子が面白いですね。戦前は青葉通りや広瀬通りなんて存在せず、戦後になって広い都市計画道路が整備されたというのがよく分かります。それも、青葉通りは大町をバイパスする線形ですね。また、現在の地図では二十人町が広瀬通りにつながっているように見えますが、実は大町に繋がっており、広瀬通りは鉄砲町に繋がっていたとは。「X橋」というモノにすっかり騙されました(笑)。
 そして、現在進行形で変わっているのが、榴ヶ岡公園の北に突如登場する広い道路。いずれ二十人町通りをなぞり、広瀬通りに繋がるんでしょうが、区画整理マニアとしては、ずいぶん前から気になっている地域でもあります。広島の段原再開発などでは既存建物を一気に壊して広大な更地にし、一気に盛り土して新しい街づくりをしてますが、それとは対照的に、仙台駅東第二地区では既存の建物を必要以上に壊さず、時間をかけて少しづつ整備していっている感じですね。こういう区画整理の仕方もあるんだなと勉強になりました。

仙台でエスカレーターの右に寄るか左に寄るかは特に決まっていない、あるいはエスカレーター上で秩序だってどちらかに寄って乗るという行為自体習慣化していない
あくまで私の感覚ですが、どの都市でも場所によって一方に寄る場所と寄らない場所がありますね。デパートなどは急ぐ人が相対的に少ないために寄る傾向があまりなく、駅などは急ぐ人が多いために、どちらかに寄って道を譲るのが暗黙の礼儀となっている傾向があります。特に通勤時間帯は鉄道を毎日利用している割合が高く、その傾向が顕著でしょうか。仙台でも例外ではなく、私が仙台駅で左歩右停を体験したのは平日の4時ですので、少なくとも通勤で鉄道を使う人の間では習慣化はしていると思います。
 実は「仙石線ルール」、「南北線ルール」など、路線ごとにローカルルールなるものがあるのかと勝手に思っていましたが、結局のところ、右に寄るか左に寄るかは、京都と同様に先頭の人の判断ということでしょうね。
[67183] 2008年 11月 3日(月)00:27:41YSK さん
東京フィールドワーク、仙台
こんばんは、秋らしい穏やかな晴天に恵まれた当地です。本日、今年に入って意識的に取り組んでいる東京フィールドワークに出かけてまいりました。暑くもなく、寒くもなく、歩くにはちょうどよい陽気で、たいへんさわやかな町歩きをすることができました。

[67174]ペーロケさん
仙台レスありがとうございます。仙台については私のページにある「クローズアップ仙台」が参考になるかと思いますので、ご覧になってくださいますと幸いです。

むしろ、時代とともに変化する様子が面白いですね。戦前は青葉通りや広瀬通りなんて存在せず、戦後になって広い都市計画道路が整備されたというのがよく分かります。
私が指摘したいのは、こういった広幅員の道路が整備されても、城下町時代から形成されてきた街路網の形を大きく崩すものではなかった、ということです。仙台高裁前先から北目町にかけて市街地を斜めに横切る「五ツ橋通」や、青葉通の西側付近が碁盤目状の市街地の形をイレギュラーに貫く道路としてやや目立っていまして、多くの街路が既存の道路を拡幅したり、また碁盤目状の形を崩すことなく整備されています。広瀬通も西半分は「立町」を、そして東半分の一部は「元寺小路」を拡幅・整理したもののようです。

現在の地図では二十人町が広瀬通りにつながっているように見えますが、実は大町に繋がっており、広瀬通りは鉄砲町に繋がっていたとは。「X橋」というモノにすっかり騙されました。
「X橋(正式名称は「宮城野橋」)はJR線を跨ぐ橋ですね。ちなみに[67107]に書きましたとおり「大町」は東二番丁までで、この付近の通り名は「名掛丁」となります。そして広瀬通も戦前までの言い方で言うと「元寺小路」となります。X橋は東行きと西行きで一方通行路となっている2つの道路が橋上で1つに束ねられ、橋を降りるとまた2つに分かれるという構造の橋でした(下図)。その形から通称の「X橋」が広く知られており、正式名称の「宮城野橋」はあまり知られていないようです。

元寺小路(広瀬通)元寺小路・鉄砲町
名掛丁名掛丁・二十人町

X橋のうち、西南の名掛丁に下りる部分は再開発ビル「アエル」の建設に伴い廃止され、現在ではすべて元寺小路(広瀬通)へ下りるようになっています。

仙台駅東第二地区では既存の建物を必要以上に壊さず、時間をかけて少しづつ整備していっている
そんなことは無いですよ。二十人町や鉄砲町では建物の撤去が進み、拡幅や区画整理の済んだエリアではマンションなどが建った部分と更地の部分とがモザイク状に展開している光景を目にすることができます。JR仙石線の地下化が完成したあたりからこのエリアでも区画整理のピッチが徐々に上がっているようで、戦災を免れ、昔ながらの住宅地と近隣商業地域が広がっていたかつての鉄砲町と二十人町の風景はもうほとんど無くなっているといっても良い状況となっています。このエリアは2003年から定期的にフィールドワークして取材しておりますので、「クローズアップ仙台」内該当記事をご確認くださいね。

エスカレーター関係は稿を改めたいと思います。


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