祇園祭の小道具に
「ちまき」 があります。
リンク頁では、長刀鉾の次に「油天神山」さん が控えており、お姿を拝見しようと画像をクリックしましたが、間違っていました。正しくは
こちらです。
祇園祭の「ちまき」は「茅」(ち = チガヤ)を巻いたもので、巻き方は違いますが、本質的には「茅の輪」と同じものでしょう。
♪柱のきずはおととしの…という歌で、兄さんが食べていた「ちまき」(粽)は、現代では「笹葉巻き」の糯(もちごめ)が普通ですが、昔は「茅巻き」だったのでしょう。祇園祭の「茅巻き」は茅100%なので、食べられません。念のため。
[70715]では省略しましたが、ここで「茅の輪」による疫病除けに関する
蘇民将来伝説 の概要を紹介しておきます。
北海の武塔神が南海への途中で日が暮れ、將來という兄弟に宿を借りようとした。
立派な屋敷を構える弟はこれを断ったのに、貧しい兄の蘇民將來は、粟飯でもてなしてくれた。
後日、8人の王子
[49930]と共に再訪した武塔神【牛頭天王】は、嫁に出ていた女子には茅の輪の目印を付けさせた上で疫病をはやらせ、蘇民將來一家以外の人々を全滅させた。
そして曰く、「吾は速須佐雄の神なり。後の世に疾氣あらば、汝、蘇民將來の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて、腰に着けたる人は免れなむ」
前記リンク頁には、チガヤから得られる茅根には利尿消炎作用があると記しています。
伝染病に効きそうな殺菌効果?の記載ではありませんが、「茅」には病気を防ぐはたらきがあると信じられ、昔の衛生グッズであったと思われます。
大祓でも、茅を使って疫病をよける手段が利用されました。それが「茅の輪くぐり」です。
「蘇民将来子孫也」という護符が、夏の疫病を逃れる小道具として茅の輪と共に使われる理由も、これで明らかです。
でも、根拠もなしに「蘇民将来子孫」を自称して、疫病神を怒らせることにはならないのかな?
このような次第で、
「茅の輪くぐり」の行事をする神社 は、素戔嗚尊やその子孫を祭神とする神社が多いようです。
その筆頭に挙げられるのは
八坂神社 です。
私が子供の頃、♪村の鎮守の神様は、村社・青山神社という正式名称になっていた「お諏訪さま」でした。
ところが、お祭りになると、「お天王さま」とう呼ばれる八坂神社の御神輿が登場しました。この名が牛頭天王から来たものということは、後に知りました。
八坂神社自体は、北西に2km以上離れた青山にあり、訪れることは少なく、「茅の輪くぐり」の存在も知りませんでした。
東京付近にたくさんある氷川神社も素戔嗚尊を祭神とします。「大宮」は、この武蔵一宮に由来する地名です。
近くの大井氷川神社に行ってみましたが、今年は茅の輪を見ることができませんでした。その代わりに、ネットで
川越氷川神社 における茅の輪作りの写真をみつけました。東京・南千住には、
素盞雄神社 があります。
それにしても、古代的な大祓の儀式が、意外にも現代の日本で全国的に行なわれているのには驚きました。
…と言っても、歴史を遡ることができる祇園は例外的存在であり、大部分は明治政府による神道振興政策の成果?による近代の習俗ではないかと想像するのですが。
夏の「茅の輪くぐり」と対照的に、正月に行なわれる行事。
岩手県で行なわれる「蘇民祭」も、夏越祓と共通の蘇民将来伝説に基づく祭りです。
2006年には奥州市になった水沢の
黒石寺蘇民祭 が、真冬の裸祭りで有名です。
JR東日本から掲示を拒否されたポスター事件も、世間の話題になりました。
話は変わって、シェイクスピアの喜劇に「夏の夜の夢」というのがあります。
西洋では、夏至祭り(聖ヨハネ祭)の前夜(イブ)に、妖怪が出現して大騒ぎする言い伝えがあります。
ムソルグスキーの「禿山の一夜」も同じ。
東洋の妖怪・牛頭天王が登場する夏越の大祓と通じるところがあるように思われたので、蛇足ながら一筆。