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夏の行事1 氷室・夏越の大祓・祇園祭・博多祇園山笠

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記事数=25件/更新日:2012年7月23日

1年の後半分に入った機に、hmtマガジンに「季節行事」というテーマを立ち上げ、その第1号特集を「夏の行事」としました。

7月のお祭りで最も有名なのは祇園祭です。本来は旧暦6月に行なわれた行事ですが、明治の太陽暦移行に伴う「月遅れ」です。

旧暦6月の行事には、「夏越の大祓・茅の輪くぐり」があります。6月30日(みそか)は、1年の前半分の最後の日ですから、これは太陽暦になっても、同じ日付で行なわれます。
【2012/7/23追記】 
同じ日付とは限らないようです。昨日になり、近くの大井氷川神社の茅の輪は8月2日と知りました。
[70720]で見ることができなかったのは、日付を確認しなかったことが理由だったようです。【追記終】

この行事の目的は、祇園祭と同様に疫病をもたらす祟り神から免れることで、茅巻(ちまき)と茅の輪(ちのわ)に共通するキーワードは「夏の衛生対策」でした。

「夏の衛生対策」として現代でも重要なのは保冷です。電気冷蔵庫のなかった時代、冬にできた氷を「氷室」に貯蔵しておき、旧暦6月1日に神に捧げて安全を祈る「氷室の節句」の行事がありました。
朝廷のある都の周辺には6箇所の 氷室 が存在したとか。

京都で受け継がれた祇園祭はともかくとして、「夏越の大祓」や「氷室の節句」の神事は時代と共に衰えたようですが、明治の国家神道は、このような古代行事の復活をもたらしました。
それでも氷室に関する行事が復活した地域は少ないようで、ネットで調べても 草津温泉 が出る程度です。
氷の代りの麦饅頭を食べるという金沢の習慣は、もちろん落書き帳で初めて知りました。

祇園祭というと、京都以外にも博多祇園山笠が有名ですが、かぱぷう さん が孤軍奮闘。

この特集は、氷室・夏越の大祓・祇園祭など、本来旧暦6月の行事とされるものを中心にしましたが、旧暦7月には夏の最大の行事である「お盆」があり、その前には七夕もあります。
灯籠は仏事だけでなく、あばれ祭りにも使われます。祇園祭との関係もあるようですが、便宜上 別特集 夏の行事2 お盆と灯籠 にしたので、そちらも御覧ください。

★推奨します★(元祖いいね) かぱぷう EMM

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[42735]2005年7月1日
EMM
[42744]2005年7月2日
まかいの
[42797]2005年7月4日
あきすて
[70668]2009年6月30日
むっくん
[70669]2009年6月30日
EMM
[70687]2009年7月1日
むっくん
[70688]2009年7月1日
EMM
[70689]2009年7月2日
inakanomozart
[70690]2009年7月2日
JOUTOU
[70715]2009年7月4日
hmt
[70720]2009年7月5日
hmt
[78672]2011年7月1日
EMM
[78686]2011年7月2日
グリグリ
[78689]2011年7月2日
EMM
[78691]2011年7月3日
グリグリ
[78695]2011年7月3日
N-H
[52379]2006年7月18日
むっくん
[52400]2006年7月18日
なると金時
[52439]2006年7月19日
むっくん
[53339]2006年8月13日
油天神山
[59506]2007年6月29日
第2町人
[59540]2007年7月1日
かぱぷう
[59541]2007年7月1日
たもっち
[59766]2007年7月14日
油天神山
[65727]2008年7月10日
むっくん

[42735] 2005年 7月 1日(金)23:49:52【3】EMM さん
♪今日は何の日 ふっふ~
今日7月1日は「氷室の節句」であります。
…と書くと、「それなあに?」、と言う方が多いでしょう。
この風習が残っているところは極めて少ないそうなので………。

昔々、冷蔵庫なんぞ無かった頃、冬の間に山の中に「氷室」(ひむろ)というでっかい室の中に雪をカンカンに詰め込んでおきました。
どれくらいの量詰め込むかと言えば、夏の入り頃まで溶けきらないくらいの量。
で、氷室は旧暦で言うところの6月1日に氷室を開き、中に残っている氷を食することで夏場の無病息災を祈ったそうです。
その「氷室開き」の日が氷室の節句であったわけです。

かつては各地の氷室から出された氷が朝廷に献上されていたそうです
時代が下って江戸時代には、加賀の前田家が氷室の節句に江戸の将軍家に氷を献上していました。
(ほかにも献上した藩はあると思うのですが、情報無し…)
また、金沢の市中でも氷室の節句の日には「白山氷」が売り歩かれ、庶民も食していたようです。
しかし、氷は高かったためなのか、量が限られてなかなか行き渡らなかったためなのか、いつの間にか氷の代わりに麦饅頭を食べるようになり、これが現在まで続いています。
この饅頭を「氷室饅頭」と言い、金沢では旧暦の6月1日に近い7月1日が現在でも「氷室の日」と呼ばれ、氷室饅頭を食する日となっております。
(ほかには太くて真ん中に竹の刺さったちくわも食べたりする。かつては杏も食されたらしい)

ほかに氷室の節句の風習が残っているところがないか調べたら、大阪純氷という製氷の会社のHP内に氷室の節句の風習が残っている地区を記したページがありました。
こちらによると、氷室の節句に氷の代わりのものを食べる風習が残っているのは金沢市と八代市だけみたいです。
(それと、調べてみると6月1日にやっているところと7月1日にやっているところに分かれるみたい)

#ちなみに、例年7月1日は暑かったり、雨降ってても蒸してたりすることが多いのですが、今年は例年にない豪雨となってしまい、ちょっと感じが出ませんね。
ちなみに我が家ではなぜか昨日に饅頭がおいてあり、晩飯にちくわが出てきました。
1日早いがな。

##拙稿[42723]では「金沢周辺はこれまではそれなりのところで踏みとどまっています」と書きましたが、今日の強い雨の際には金沢市内でも排水路があふれ道が水浸しになったところがあったようです。
今夜に強雨があるという予報がでていますし、これ以上降るといよいよどうなるか分からないところなんですが、何か前線が天気予報より早く南下しているようですね。
Yahoo!天気情報の雨雲分布の図によると東海・中国地方に強めの雨雲があるようですが、大丈夫でしょうか??
[42744] 2005年 7月 2日(土)03:12:05まかいの さん
氷室
[42735]EMM さん
今日7月1日は「氷室の節句」であります。

懐かしい響き・・・久々に聞きました。
石川では必ず地元ニュースで取り上げられますよね。
湯涌温泉の氷室は以前見に行ったことがあります。
が、氷室饅頭はとうとう食べれずじまいでした。
たしか金沢市内の小学校では7月1日の給食に氷室饅頭が出る、と聞いた覚えが・・・

饅頭ではないのですが、氷といえば村上のわり氷を思い出します。
ばあちゃんが大好物で、よくお土産に買って帰ったものです。

あと金沢で氷と言えば「きんかんなまなま」
[42797] 2005年 7月 4日(月)02:10:10あきすて さん
氷室
[42735] EMM さん

自転車で近くを通りがかったことがあるところのうち、「氷室」というバス停や交差点が、高槻市枚方市にありますが、ここにはかつて氷室があって京へ氷を運んだのでしょうね。
高槻<闘鶏山古墳(つげやまこふん)>
枚方

過去記事検索すると、栃木県に、以前、氷室村があったようで。
[35529] みやこ♂[みやこ] さん 、[25840] [25680] BerryBlossom さん
 
[70668] 2009年 6月 30日(火)21:37:29【1】むっくん さん
水無月
本日は6月30日。1年もはや半年を過ぎようとしています。
京都では本日、夏越祓(なごしのはらえ)という、1月から6月までの半年間の罪や穢れを払い、残り半年を無事に過ごせるようにと祈願する神事が、各神社で執り行われました。

とは言っても現在ではどちらかと言えば、6月30日とは京菓子の「水無月」を食べて暑気を払い邪気を取り払う日であるという意識の方が強いです。

「水無月」の源流を遡りますと、旧暦の6月1日に宮中で、冬の間に氷室に保存しておいた氷を切り出して、口にして暑気を払う(疫病除け)行事に行き着きます。
それがその後、宮中では氷室の氷のかわりに氷餅や凍餅という、氷の形をした餅を贈る習慣が生まれました。
さらにその後、宮中外の庶民にも伝わり、氷に見立てた白ういろうを三角に切り(三角に切るのは氷のかけらに見立てているという意味を持つ)、その上に小豆(悪魔払いの意味を持つ)をのせた水無月を食べることで、暑気払い&邪気除けになるとされました。
参考:京都捜索隊

以前氷室関連のこととして、[42735]EMMさんで
金沢では旧暦の6月1日に近い7月1日が現在でも「氷室の日」と呼ばれ、氷室饅頭を食する日
とありましたが、本家・京都でも氷室由来の行事は未だ脈々と受け継がれています。
[70669] 2009年 6月 30日(火)22:33:00【1】EMM さん
ひむろまんじゅう
[70668] むっくんさん

金沢の氷室の日は、元々は前田家の行事が基(のはず)なので、京都に比べれば歴史は浅いのは浅いですね。
氷が饅頭に変わったのは、[42735]では「氷は高いから」みたいなことを書いてましたが、最近テレビを見ていたら「冬を丸々越してなお青々と力強く茂る麦の生命力を取り込んで夏を乗り切ろうという意味合い」とか言うようなことを言ってました。
それも一理あるかも?と思ったのですが、どの程度言われている話なのかはちょっと調べてみないと分かりません。
ところで金沢では7月1日が氷室の日な訳なんですが、最近は数日前から氷室饅頭が店頭に並ぶようになりまして…実はすでに土曜日と月曜日、そして今日とすでに3回も食べちゃってます(^^;
これでは物日としてのありがたみが無くなるので、明日は仕事が遅くならなければ「氷室の竹輪」でも買ってこようかな、と思ってます。

あと、私は6月30日でイメージするのは大祓の茅の輪くぐりですね。
むっくんさんが触れている「夏越祓」も同じ行事ですが、「大祓」とか「夏越祓」という名ではなく、とにもかくにも「茅の輪くぐり」の日なんですよね。
んでもって、翌日7月1日が氷室饅頭を食べる日、という2連コンボな訳です。
ちなみに、茅の輪くぐりの方は今年は仕事で行けそうになかったので、家族を代表して親父に神社に行ってもらいました。

[42735]以降、毎年必ず7月1日前後には何らかの形で氷室饅頭の話を書いている…と思ってましたが、再確認したら2007年だけその時期の私の書き込みの中に饅頭の話が出てきませんでした。
多分、引っ越し前だったのでそっちに頭が行っていて忘れていたのでしょう。
ちなみに2006年は[51948]、2008年は[65660]
[70687] 2009年 7月 1日(水)23:49:41むっくん さん
茅の輪くぐり&お千度の儀
[70669]EMM さん
むっくんさんが触れている「夏越祓」も同じ行事ですが、「大祓」とか「夏越祓」という名ではなく、とにもかくにも「茅の輪くぐり」の日なんですよね。
はい、確かにそうでした。夏越祓(茅の輪くぐり)とでも書くべきで、肝心のところ(茅の輪くぐり)が抜けていました。
「夏越祓」での「茅の輪くぐり」は、京都においても、行われていない神社も少なくありませんでしたが、ここ10年でかなりの神社で復活してきています。
また京都では「茅の輪くぐり」にあたり、「水無月の 夏越の祓 する人は 千年の命 延ぶといふなり」という歌を唱えながら執り行う神社、唱えないで執り行う神社の2通りがあります。
参考:マリアの京都*フォト日記


さて本日7月1日は、京都では1ヶ月に及ぶ祇園祭の始まりの日であります。
今年も八坂神社で「お千度の儀」が無事執り行われたとの報道があり、いよいよ夏本番だな、という気持ちにさせられます。
[70688] 2009年 7月 1日(水)23:59:13【2】EMM さん
♪今日(と昨日)は何の日 ふっふ~
[70687] むっくんさん
はい、確かにそうでした。夏越祓(茅の輪くぐり)とでも書くべきで、肝心のところ(茅の輪くぐり)が抜けていました。
かくいう私もあの行事の正式名称が大祓(ところによって夏越祓)であったと言うことは[70669]を書く際に調べて改めて認識した、と言う状態なので大きな事は言えません。
しかも、うちの地区の神社のの正式名称がどれなんだか認識していないという…それじゃダメじゃん!By春風亭昇太
ちなみに、「金沢の氷室の行事」的に見ると、6月30日が氷室開きで7月1日が氷室の日、と言うことになるようです。
行事的にはこっちの2連コンボの方が正式のようで。

#ちなみに、今日も職場の上司から氷室饅頭を頂いたので、今年は都合4回食べたことになります。
食べ損ねる年もあるので、今年は出来過ぎ?
これで夏バテにでもなろうものなら、それこそバイタでかち殴られそう…
(注、「バイタ」とは金沢弁で棒きれのこと)
[70689] 2009年 7月 2日(木)04:46:56【1】inakanomozart さん
夏越の大祓
[70688] 2009 年 7 月 1 日 (水) 23:59:13  EMMさん
私もあの行事の正式名称が大祓(ところによって夏越祓)であったと言うことは[70669]を書く際に調べて改めて認識した
当地では、「輪くぐりさん」という場合が多いようです。
一部の地域では新暦ではなく月遅れで実施されたり、小さな輪っかをいただける場合もあるようです。
[70690] 2009年 7月 2日(木)09:17:51JOUTOU さん
夏越の大祓
つい先日まで水不足とのことでしたが、昨今の恵みの雨は程度というものを知らないようで・・・。特に北九州方面にお住まいのみなさまにはご家族の無事をお祈り申し上げます。みなさまこんにちはJOUTOUです。

[70687]むっくんさん
[70688]EMMさん
[70689]inakanomozartさん
さて、わたしが引っ越した家の目の前というか、まさに眼下に神社がありまして、先週の土曜日(6月27日)に大きな丸い縄を人々が次々にくぐっていました。みなさんの書き込みを見て、なるほどあれが“茅の輪くぐり”なんだと初めて認識した次第です。そういえば事前に貼られていたポスター等の案内にも“夏越の大祓”という文字が書かれていたような記憶もあったりして・・・。
毎度ここの書き込みには知識を与えていただいております。
[70715] 2009年 7月 4日(土)23:08:34hmt さん
茅の輪くぐり と 祇園祭 (1)祇園祭の「鉾」は 昔の避雷針?
既に“六日の菖蒲”になった「茅の輪くぐり」に、7月の「祇園祭」をからめて季節行事の話題。

[70668] むっくん さん
本日は6月30日。1年もはや半年を過ぎようとしています。
京都では本日、夏越祓(なごしのはらえ)という、1月から6月までの半年間の罪や穢れを払い、残り半年を無事に過ごせるようにと祈願する神事が、各神社で執り行われました。
[70669] EMM さん
私は6月30日でイメージするのは大祓の茅の輪くぐりですね。
[70689] inakanomozart さん
当地では、「輪くぐりさん」という場合が多いようです。

夏越の大祓・輪くぐりさんという行事には、広島県に転勤した際に、初めて出会いました。
調べてみると、茅の輪くぐりは、釈日本紀が伝える「備後国風土記逸文」の蘇民将来伝説に基づくものとのこと。

茅の輪による疫病よけを蘇民将来に教えた武塔神は、「吾は速須佐能神なり」と名乗り、スサノオの神は、神仏習合により牛頭天王(ごずてんのう)と同一視されます。
牛頭天王は、頭に牛の角が生えたインドの神様で、疫病神なのですが、お釈迦様のいた祇園精舎の守護神になりました。
[59676]でリンクした飯能の竹寺HPには、中国人民有志寄贈によるブロンズ像牛頭天王の写真があります。

さて平安京。わが国最大の都市では、夏になると疫病が流行し、大問題になりました。
御霊会は、非業の死をとげた政争の犠牲者の怨霊を鎮めるために始まりましたが、やがて、人々は疫病神そのものをお祀りしてご機嫌をとり、大暴れしないように願うようになりました。
疫病神の牛頭天王を祀った社が「祇園社」であり、そのお祭りが「祇園御霊会(祇園会)」です。

八坂神社 によれば、貞観11年(869)に疫病が流行したとき、平安京の神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を祭ったとあります。
先の尖った鉾には神が依り憑くので、祟り神をここに集めて無害化処理します。要するに、昔の避雷針です。

神輿などの巡行は10世紀からで、旧暦の6月に行なわれました。山鉾巡行は中世14世紀。応仁の乱で中絶した 祇園祭 も、1500年には復活。禁門の変での大火「どんどん焼け」(1864)でも多数の山鉾が焼失。

明治になり、それまで混淆状態だった神仏を分離して、国家目的に沿った神道振興政策が採用されました。
仏教系の「天」である牛頭天王を祀った祇園社も、神道系の素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする 八坂神社 に衣替えし、祇園会も祇園祭になりました。

明治10年には、巡行日程が新暦(太陽暦)の7月に移されました。お盆と同類の「月遅れ」行事です。
17日の山鉾巡行だけでなく、7月1日の「吉符入」にはじまり、31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたり各種の神事・行事がくり広げられます。

ここで、太陽暦7月末日の「疫神社夏越祭」が出てきましたが、これは「月遅れ」ですから、本来は旧暦六月晦日(みそか)だったわけです。
これは、正月からちょうど半年が経過した暦の節目であり、古くから半年の間に積った穢れを祓う夏越祓の神事(延喜式)が行なわれていた日です。

「茅の輪くぐり」の行なわれる6月30日には、旧暦六月晦日を「月遅れ」にせずに、そのまま現代の太陽暦に移した結果だったのです。
[70720] 2009年 7月 5日(日)12:13:34hmt さん
茅の輪くぐり と 祇園祭 (2)「茅」は昔の衛生グッズ?
祇園祭の小道具に 「ちまき」 があります。
リンク頁では、長刀鉾の次に「油天神山」さん が控えており、お姿を拝見しようと画像をクリックしましたが、間違っていました。正しくは こちらです。

祇園祭の「ちまき」は「茅」(ち = チガヤ)を巻いたもので、巻き方は違いますが、本質的には「茅の輪」と同じものでしょう。
♪柱のきずはおととしの…という歌で、兄さんが食べていた「ちまき」(粽)は、現代では「笹葉巻き」の糯(もちごめ)が普通ですが、昔は「茅巻き」だったのでしょう。祇園祭の「茅巻き」は茅100%なので、食べられません。念のため。

[70715]では省略しましたが、ここで「茅の輪」による疫病除けに関する 蘇民将来伝説 の概要を紹介しておきます。

北海の武塔神が南海への途中で日が暮れ、將來という兄弟に宿を借りようとした。
立派な屋敷を構える弟はこれを断ったのに、貧しい兄の蘇民將來は、粟飯でもてなしてくれた。
後日、8人の王子[49930]と共に再訪した武塔神【牛頭天王】は、嫁に出ていた女子には茅の輪の目印を付けさせた上で疫病をはやらせ、蘇民將來一家以外の人々を全滅させた。
そして曰く、「吾は速須佐雄の神なり。後の世に疾氣あらば、汝、蘇民將來の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて、腰に着けたる人は免れなむ」

前記リンク頁には、チガヤから得られる茅根には利尿消炎作用があると記しています。
伝染病に効きそうな殺菌効果?の記載ではありませんが、「茅」には病気を防ぐはたらきがあると信じられ、昔の衛生グッズであったと思われます。

大祓でも、茅を使って疫病をよける手段が利用されました。それが「茅の輪くぐり」です。
「蘇民将来子孫也」という護符が、夏の疫病を逃れる小道具として茅の輪と共に使われる理由も、これで明らかです。
でも、根拠もなしに「蘇民将来子孫」を自称して、疫病神を怒らせることにはならないのかな?

このような次第で、「茅の輪くぐり」の行事をする神社 は、素戔嗚尊やその子孫を祭神とする神社が多いようです。

その筆頭に挙げられるのは 八坂神社 です。
私が子供の頃、♪村の鎮守の神様は、村社・青山神社という正式名称になっていた「お諏訪さま」でした。
ところが、お祭りになると、「お天王さま」とう呼ばれる八坂神社の御神輿が登場しました。この名が牛頭天王から来たものということは、後に知りました。
八坂神社自体は、北西に2km以上離れた青山にあり、訪れることは少なく、「茅の輪くぐり」の存在も知りませんでした。

東京付近にたくさんある氷川神社も素戔嗚尊を祭神とします。「大宮」は、この武蔵一宮に由来する地名です。
近くの大井氷川神社に行ってみましたが、今年は茅の輪を見ることができませんでした。その代わりに、ネットで 川越氷川神社 における茅の輪作りの写真をみつけました。東京・南千住には、素盞雄神社 があります。

それにしても、古代的な大祓の儀式が、意外にも現代の日本で全国的に行なわれているのには驚きました。
…と言っても、歴史を遡ることができる祇園は例外的存在であり、大部分は明治政府による神道振興政策の成果?による近代の習俗ではないかと想像するのですが。

夏の「茅の輪くぐり」と対照的に、正月に行なわれる行事。
岩手県で行なわれる「蘇民祭」も、夏越祓と共通の蘇民将来伝説に基づく祭りです。
2006年には奥州市になった水沢の 黒石寺蘇民祭 が、真冬の裸祭りで有名です。
JR東日本から掲示を拒否されたポスター事件も、世間の話題になりました。

話は変わって、シェイクスピアの喜劇に「夏の夜の夢」というのがあります。
西洋では、夏至祭り(聖ヨハネ祭)の前夜(イブ)に、妖怪が出現して大騒ぎする言い伝えがあります。
ムソルグスキーの「禿山の一夜」も同じ。
東洋の妖怪・牛頭天王が登場する夏越の大祓と通じるところがあるように思われたので、蛇足ながら一筆。
[78672] 2011年 7月 1日(金)23:50:48EMM さん
♪昨日と今日と明日は何の日 ふっふ~
この出だしもそろそろ何のこっちゃ分からなくなってきてるかもしれませんが…

EMMが7月1日にこの出だし、と来れば…今日は金沢では毎年恒例の「氷室の日」([42735] ほか参照)。
そして昨日は茅の輪くぐり([70669]ほか参照)と氷室開き([70688]参照)なのですが…
茅の輪くぐりは例年どおりでした(私は仕事なので、親父がうちの代表で神社に行ってきてます)が、氷室開きは今年からちょっと様子が変わりました。
湯涌温泉観光協会が実施している氷室開きの行事はこれまで氷室の節句の前日である6月30日に行われてきたのですが、今年から6月の最終日曜日に開催されるようになってしまいました。(参考記事1
当日のテレビのニュースによると、「より多くの観光客の方に参加してほしい」とのことから開催日を変更した、との事。
いろんな祭りが「観光客の集客のため」あるいは「祭りの開催・運営のための人手の確保のため」から本来の行われていた日の近隣の土日休日に開催日が変更されてしまう、と言うのは祭り自体を維持・継続していくためにはある程度やむを得ないと考えますが、一方で「元々何月何日に行われていたもので、その日がどういう意味を持つのか」と言う事だけは後代にきちんと伝えておいてほしいとも考えるものであります。

…と言う事でここまでは昨日と今日の話ですが、タイトルには「明日」まで含めてます。
続いて明日まで含めた話。
今日明日は7月の第1金曜・土曜で、能登半島の夏祭りの先駆けである宇出津のあばれ祭りが行われる日であります。
実は、昨年[75428]であばれ祭りの話を取り上げた際に書き足りなかったことがあったのですが、書く時期を逃してしまったため、1年待ってたのであります(汗)。
で、ここからはその話を…と思ったのですが、今日はアルコールが入ってて頭の回転が限界に近づいてるので、宇出津のあばれ祭りに関する話は明日書きます。
[78686] 2011年 7月 2日(土)20:09:05オーナー グリグリ
氷室の日
[78672] 2011 年 7 月 1 日 (金) 23:50:48 EMM さん
EMMが7月1日にこの出だし、と来れば…今日は金沢では毎年恒例の「氷室の日」([42735] ほか参照)。
そして昨日は茅の輪くぐり([70669]ほか参照)と氷室開き([70688]参照)なのですが…
金沢を離れてすでに40年近くになり、金沢時代の風習などの記憶がすっかりなくなってしまったのかもしれませんが、上記の風習についてはほとんど記憶がないというか私には馴染みがありません。氷室饅頭だけはなんとなく覚えているようないないようなという感じです。やっぱり私のルーツは金沢にはなく、加賀にあるようです。父親が加賀市、母親が小松市出身で親戚も加賀と小松。親戚のお呼ばれなどもすべて加賀仕込み。

「氷室の日」で検索したブログなどには「7月1日は金沢の風習で、氷室饅頭というのを食べます。おそらく、金沢市民の99㌫はこの日1個といわず何個も食べるでしょう。」なんて書いてあるのですが、私にはこの饅頭を心待ちにして食べたりとか、毎年必ず食べていたという記憶はまったくありません。お盆も金沢では新盆で7月ですが、我が家では旧盆の8月です。小松や加賀では旧盆が普通だったような。全国的な新盆と旧盆の分布はどうなんでしょうね。
[78689] 2011年 7月 2日(土)23:35:55EMM さん
「金沢の風習」
昨日書いた通りあばれ祭りの関係の話を…と考えていたところですが、先にこちらから。

[78686] オーナー グリグリ様

氷室の日や氷室饅頭の話については、私の過去の書き込みではあくまで「金沢の風習」の紹介として書いていたつもりです。
時々書いていますが、「その由来や意味合いを知らないまま他の地方の風習や行事を取り入れたりまねたりすること」は好ましくないと考えておりますので、グリグリさんのご両親やご親戚が小松・加賀の風習を堅持されているのであればそれはそれで良いのではないでしょうか。

でも、確かご両親は金沢にお住まいだったように記憶していますが、そうするとご両親は自らは買うことが無くても周りから饅頭を頂く機会はあるのかもしれません。
それと、氷室饅頭は酒饅頭だったり麦饅頭だったり店によって違いはありますが、たいていは圧倒的に日持ちがせず、賞味期限が製造当日かせいぜい翌日…と言う場合が非常に多いのです。
だからあまり遠方には送らない人が多いかも。
あと、氷室の日は心待ちにするような感覚の行事ではありませんね。
「ハレの行事」という感じでは無いような…「あ、そう言えば氷室じゃないか。饅頭買ってこな」とか「氷室饅頭もらったし食べるか」というような感じでしょうか。

#もしグリグリさんが金沢にお住まいであったならば、ご自身の家では小松や加賀の風習を堅持していたとしても、「職場で饅頭をもらう」「仕事の関係先で饅頭をもらう」「お子さんが学校で話を聞いてくる」等々で何となく意識はするようになっていた事でしょう。
そう言えば、私の上司、県外出身なんですけど氷室饅頭買ってます。
郷に入っては郷に従え、と言う事で…だからもし関西にいたとすれば氷室饅頭ではなくて水無月を食べてるでしょう。

##引用部分に書かれているもののうち、「茅の輪くぐり」は金沢だけの風習ではありません。
nmtマガジン「夏の行事1 氷室・夏越の大祓・祇園祭・博多祇園山笠を見ても分かりますが([70690]JOUTOUさんの記事)、関東でもやってるところはあるますよ。
一昨年、南流山プチオフ会参加の前に東京都内をうろうろしていた際に渋谷の金王八幡宮で茅の輪のあとを見かけてます。
ネット検索すると千葉県内でもやってる神社があるようですが、グリグリさんのご近所の神社で「夏越の大祓」をやってるところはありませんか?
[78691] 2011年 7月 3日(日)07:13:58オーナー グリグリ
輪くぐり
[78689] EMMさん
氷室の日や氷室饅頭の話については、私の過去の書き込みではあくまで「金沢の風習」の紹介として書いていたつもりです。
私の書き方が悪かったみたいですみません。[78686]で言いたかったことは、
やっぱり私のルーツは金沢にはなく、加賀にあるようです。
ということであり、私は金沢出身と言っておきながら、金沢の風習にはほとんど馴染んでいないんだなと言うことです。とくに食文化については、過去にも話題になった雑煮もそうですし、金沢名物と言われる蕪寿司、ゴリや胡桃の佃煮、ましてや治部煮などとんと縁がありませんでした(蕪寿司はたまーに正月に出てくることがあったと記憶しています)。一方で、加賀地方の食文化である柿の葉寿司には小さい頃から馴染んでいて自分の記憶として確立していますし、料理名があるのかないのか分りませんが、豚肉やタマネギを醤油で甘辛く炊いた出し汁を、冷やしてそうめんに掛けて食べるお盆の風習は金沢ではなく小松地方の食文化だと思います(違うかな?)。そう言えば、EMMさんは「オランダ煮」って分ります?

法要やお祝いや厄払いなどのお呼ばれの席での料理なんかにも金沢と小松・加賀ではかなり違うんじゃないかと思います。色がどぎつい魚などを模したかまぼこや、かまぼこの代わりに砂糖で固めたもの(何て呼ぶんだろう?)が必ずお膳にあったと思いますが、これは金沢でも共通なのかな。あと、びっくりするほど大きな酒饅頭が引き出物で付いてくるのは法要の時?それとも祝い膳?

ネット検索すると千葉県内でもやってる神社があるようですが、グリグリさんのご近所の神社で「夏越の大祓」をやってるところはありませんか?
あるかもしれませんが、そもそも夏に神社に行くという習慣がないのでよくわかりませんね。「輪くぐり」を生まれて初めて目撃し経験したのは、市原に住んでいた時に初詣で姉崎神社に行った時でした(リンク先を見ると茅の輪は一年中置いてあるようなので初詣の時ではなかったかも)。藁で作った大きな輪があったのですが、どうするのかよくわかりませんでした。くぐるんですね。しかも何回も。その後は千葉神社に初詣に行った時にもあったと思いますが、それ以上の記憶はありません。金沢に住んでいた時も初詣などかなり頻繁に行ってましたが、輪くぐりの記憶はありませんねぇ。Webで調べると尾山神社では輪くぐりが行われているようですね。昔からでしょうか。そうだとすると単に印象に残っていないだけかも。白山(しらやま)さん(白山比め神社)には頻繁に行きましたが、茅の輪はなかったと思うのですが。

千葉神社のこちらのページを見ると、「千葉天神・智の輪くぐり神事【毎年 3月25日~4月中旬】」とありますね。私が見たのはこちらも初詣ではなかったのかも。
[78695] 2011年 7月 3日(日)10:09:38N-H さん
夏越の大祓
本日は勤務先に出ております。
これから3か月間、休日がシフトし、土日は出勤です。朝の電車がすいていて、しかも所要時間が圧倒的に平日より短い! これはいいことなのですが、やはり家族間で休日がずれるのは非常にしんどい。
結局一週間すべての日に寝坊というものができません。

さて、話題となっている「夏越の大祓」について。最近引っ越したことは書き込みましたが、付近の神社(横浜市神奈川区)が6月30日に「夏越の大祓」なる行事をやると町内の掲示板に張り紙が。
そんな行事は初めて目にしました。以前の居住地の付近の神社(横浜市保土ヶ谷区)ではそのような行事が行われているのを目にしたことはありません。
ただし、「茅の輪くぐり」は年末になると以前の居住地付近の神社2軒ともに茅の輪が登場し、初詣には輪をくぐっていましたが。
その「夏越の大祓」をやる現在の居住地近くの神社ですが、この神社はこれまでにも何度も夏祭りや初詣には訪れていたのですが、6月30日にこんな行事をやっていたのは引っ越してみてはじめて知ったことでした。
[52379] 2006年 7月 18日(火)02:19:11【3】むっくん さん
鯖寿司?
十番勝負...ぜんぜん分かりません(涙)。今回は傍観者になってしまうのかぁ。

[52325]なると金時 さん
テレビでは長刀鉾が辻回し中。

私もテレビ(KBS京都)で鉾や山の辻廻し(方向転換)を見ていました。
今とは経路の違った「昔の寺町三条での辻廻しは迫力があった」ということを聞くと見てみたかったなあと思います。
ただその前に、現在の辻廻しを見にいかないといけませんね(汗)。

ちなみに山鉾巡行の経路等は

四条通を東に→寺町通を南に→松原通を西に(昭和30年まで)
四条通を東に→寺町通を北に→御池通を西に(昭和31年~35年)
四条通を東に→河原町通を北に→御池通を西に(昭和36年~現在)

昭和41年・・・それまで2回に渡って行われていた祭(前祭・後祭)を一本化して、山鉾巡行は1回になる。

と変更されています。

ところで話は変わりますが、私は祇園祭というと鱧や鯖寿司を食することを思い浮かべます。鱧は夏が旬なので今の時期に食べるのは分からないでもないのですが、なぜ旬が冬である季節外れの鯖を鯖寿司という形でわざわざ今の時期に食べるのでしょうか。
十番勝負でお忙しいとは思いますが、ご教示いただけると幸いです。
[52400] 2006年 7月 18日(火)19:43:00なると金時 さん
手詰まり中
問九がねえ…
メダルもないし、想定解が多いので気楽とはいえ、いかにもな解答群は何を意味するのか…

気分を変えて、
[52379]むっくんさん

調べてみたところ、
京都では魚が手に入りにくかったので魚がご馳走

祇園祭だし景気よく行くか!

鯖寿司で贅沢 ということのようです。

鱧についても、旬だからということと、生命力が強く生で京都まで運べる魚、ということで重宝されたそうで。祇園祭の異名は「鱧祭り」だとか。
正直、鱧よりは鰻や穴子のほうがおいしいと思う私です。
[52439] 2006年 7月 19日(水)13:06:28【3】むっくん さん
鯖寿司など
[52400]なると金時 さん
京都では魚が手に入りにくかったので魚がご馳走

祇園祭だし景気よく行くか!

鯖寿司で贅沢 ということのようです。

ご教示ありがとうございます。
京都では祭りには晴れの日のご馳走である「鯖寿司」がつきものとは聞き及んでいたのですが、お祭りの時は冬でなくても夏であろうが「鯖寿司」を食するということなんですね。
ただこのように京都人が鯖好きであるがゆえに、「若狭~(近江)~丹波~京都・洛北」までの鯖の道が発達したのですよね(古来の主要な輸送品は塩でしたが・・・)。

鱧よりは鰻や穴子のほうがおいしい

私もなると金時さん同様に鰻や穴子のほうが好きです。
鰻や穴子より鱧のほうがおいしければ、瀬戸内など他の地域でも鱧を食べるはずでしょう。でも誰もそのように思わなかったから京都でしか食べられないんでしょうね。
ただ最近は鱧の下処理の手抜きしている店も多いために、旨い不味いを議論する以前にそもそも良い鱧をどこで食べることが出来るのかの方がむしろ問題になっているような気がします。


>まがみ さん、太白さん

素敵なメンバー紹介記事を書いていただきありがとうございます。

プロフィールは謎に包まれている

まことに勝手ながら
謎の人物・まがみ さん([44001]hmt さん)
についで落書き帳「謎の人物」の2代目を本日付で襲名させていただきました(笑)。

#最後のメンバー紹介関係の書き込みを追加しました。
[53339] 2006年 8月 13日(日)09:43:08油天神山 さん
メンバー登録御礼とご挨拶
 おはようございます。今日から妻が青春18きっぷを持って横浜に住む友達の所へ遊びに行ったので、三日間子供とお留守番の油天神山です。

[53336] オーナー グリグリさん
メンバー登録を行いました。油天神山さん、今後ともよろしくお願いいたします。

 早速のご対応ありがとうございました。こちらこそよろしくお願いいたします。

 それではちょっと自己紹介などさせて頂こうと思います。と言っても、年齢職業出身etc.の紹介は改まってやらなくても、書き込みの内容から次第に見えてくるのが楽しいんじゃないかと思うので割愛して、ここではあまり他の人に直接尋ねたり、わざわざ自分から語ったりしにくい、ニックネームと自分色についてお話しして、自己紹介に代えたいと思います。

ニックネームについて
 大げさな前置きをしておいて何ですが、特に深い訳があって付けたのではありません。
 言うまでもなく油天神山は祇園祭の山鉾の一つですが、関西人であるという以外に、私とは何の縁もありません。それどころか、生まれてこの方ずっと関西に住んでいながら、いまだに祇園祭を見に行ったことがないという・・・人ごみが苦手なもので。
 思いっきり看板に偽りアリですが、本当に何となく「祇園の山鉾の名前にしよう」と最初に決めて、さてどこにしようかと思案して、これまた何となく選んだのが油天神山だっただけなのです(現物を見たこともないのに)。
 強いて言えば、数ある山鉾の中でも特別な有名どころではなさそうなところと、「~山」と付いていながら力士の四股名にはなりそうもない語呂の悪さが気に入った、というところでしょうか。

自分色について
 油天神山の趣味の一つにアメリカンフットボール観戦があります(専らTV観戦のみですが)。この自分色は私の贔屓チームであるNFLグリーンベイ・パッカーズのチームカラー"Green & Gold"から採りました。ニックネームとは全然関係ない・・・。
 因みに、このウィスコンシン州グリーンベイという町は「米国四大プロスポーツ唯一のスモールタウン」などと呼ばれて、地理ネタ的にも興味深い所ですが、それはまたの機会に。

 最後に、まだ関西ネタ以外には全然反応できない新参者ですが、皆さんどうか宜しくお願いします。
 十番勝負にもこれまで全く参加していませんでしたが、元々こういうものはかなり好きなタチなので、次回は少しでも頭を絞ってみたいと思います。
[59506] 2007年 6月 29日(金)13:24:15第2町人 さん
祇園会
[59486]YSKさん
皆様から勧誘があるようですが、あえておススメしない方をご紹介します(笑)

7月の京都はお祭りなのです!
一ヶ月間の祭で一番盛り上がるのが16日の宵山、17日の巡行です。
今年の日程では、日曜日もかなりの人出になるのではと思われます。
悪いことは言いません、祭が目当てでないなら京都(市内中心部)には近づかない方が無難です。

7月の京都は未経験との事ですから、祭もついでに…とお考えかも知れませんね。
激しい暑さの中、いつもにもまして動かないバスに耐えたり、狭い道に溢れる人ごみに流される根性(?)がおありならば何も申しません。
しかし、京都に詳しい同行者がいらっしゃらない場合、一日の計画が破綻する可能性は非常に高いでしょう。
不吉な予言のようになってしまいましたが、他意はございませんm(_ _)m
余裕をもって楽しい旅行を満喫されますよう、お祈り致します。
[59540] 2007年 7月 1日(日)00:30:57【2】かぱぷう さん
博多祇園山笠
さあ!7月です。
突然ではありますが不肖かぱぷう、本日から15日の明け方まで「きゅうり」を口にしないことを誓います!

当地では今日から「博多祗園山笠」がはじまります。山笠にかかわる人は、祭り期間中ワケあってきゅうりを口にしません。福岡市内の小中学校の学校給食も山笠期間中は献立から姿を消すのです。
門司の生まれで育ちは福岡でも山笠とは縁のない城南区の私のこと、ましてや今は筑紫野市民なんだし別にこのしきたりを守らなくてもいいのですが、山笠が好きである以上は守るのが礼儀でしょう…との思いから毎年「きゅうり断ち」を実行しています。山の神は「この時期の青物といったらきゅうりくらいしかないのに」と溜め息をついていますが、スマン!許せ!


[59498]EMMさん
(一斗瓶のお話)
もしご希望なら写真とって私のHPのブログにでも貼っておきますが。
姿カタチの想像が全くつきませんで、正直なところ「恐いもの見たさ」に近い気もしますが(^^;…是非ぜひ!

[59536]桜トンネルさん
ちなみに「風景印」ってすべての郵便局にあるものなのですか?
結論からいうとありません。私もあまり詳しくないので明確な説明ができませんでゴメンナサイですが、集配局(郵便を取りまとめて各戸へ配達する地域の核となる局)には常備している場合が多いようです。
まずはお知らせまで。詳細はどなたかお詳しい方にお任せしま~す(逃)
[59541] 2007年 7月 1日(日)00:45:33たもっち さん
気になる「市になる要件」と胡瓜
[59537]スピカさん
4.県の条例で定める都市的要件を満たしていること
県のHPを見たのですが、載っていないようです。
お求めのものはおそらくこちらでしょう。
都市としての要件に関する条例


[59540]かぱぷうさん
山笠にかかわる人は、祭り期間中ワケあってきゅうりを口にしません。
京都の祇園祭においても同様の習慣があるようです。理由もおそらく同じでしょう。
たもっちは・・・よそ者なので、普通に食べます(笑)。
[59766] 2007年 7月 14日(土)12:35:42油天神山 さん
私は私に会いに行く
 こんにちは。台風はどうやら関西直撃となりそうですね。YSKさん、せっかく今日から関西3Daysなのにお気の毒です。どうぞ無茶はなさらぬように・・・・

 さて、昨日は雨の中を京都へ行ってきました。
 行き先は油小路通綾小路下ル風早町。
 目当ては祇園祭。中でも、山鉾の一つ「油天神山」にお目にかかるのが最大の目的です。

 メンバー紹介文にも載っていますが、わたくし「油天神山」を名乗っとるくせに祇園祭を見に行ったことがなく、山鉾も生で見たことがありません。しかしこの名で落書き帳に出入りする以上、一度見に行かなくては・・・とかねがね思っておりました。

 しかし、[59506]第2町人さんや[59691]リトルさんが言及しておられるように、祇園祭のさなかの京都市中心部の混雑ぶりは尋常ではありません。まして、日頃の休日でさえ四条河原町界隈の雑踏に辟易するくらい人混みが苦手な私に、山鉾巡行や宵山の日に京都へ乗り込む根性はありません。
 どうしようか迷っていましたが、今週に入ってテレビのニュースで「山鉾の組み立てが始まった」という話題が取り上げられていたので「いよいよ行かなくては!」と思っていたところに、丁度良く昨日の午前中に半休が取れたので、宵山前の平日なら大して混んでないだろうと踏んで、出かけることにしました。

 阪急烏丸駅で下車して地上に出てみるといきなり目の前に、四条通の一車線を通行止めにして鎮座まします鉾が! 函谷鉾です。あんなにデカいものとは思いませんでした。
 
 ところが風早町に来てみると・・・山のかけらもない。場所を間違えたのかと一瞬思いましたが、道端の町内会の掲示板には「油天神山 山第拾番」と巡行順を大書した紙が掲示されているので、間違いはないはず。どうなってるんだろうと思っていると、路地の奥から角材やロープを運び出す人々が。これから組み立て始めるところだったのです。まだ朝8時過ぎ、さすがに来るのが早過ぎました。

 よく考えると、ニュースで「山鉾の組み立てが始まりました」と言っていたからといって、全部の山鉾を一斉に組み立て始めたわけではないのですね。大きくて重い鉾は組み立てに日数がかかりますが、鉾に比べるとずっと小さい山は、そんなに早くから作業にかかる必要がない訳です。予習不足が露呈してしまいました。

 仕方がないので、既に通行止めが始まったあちこちの小路をぶらぶらと歩き回って他の山鉾を眺めたり、喫茶店で時間をつぶしたり。
 11時半には京都を出発しないと午後の出勤に間に合わないので気が気じゃありませんでしたが、ギリギリの時刻に風早町に舞い戻ってみると、ようやく組み立て作業が始まったところで、通りの真ん中に櫓が組まれ、屋根は傍らの路上に置いてある、という状況でした。
 これ以上長居できないので、まだ山の体裁を成していない櫓状の木組みに向かい、「油天神山さん、初めまして。勝手にお名前をお借りする無礼、お許し下さい」と心の内でご挨拶申し上げて、京都を去りました。

 たとえ骨格だけであっても、本物の油天神山さん(?)にお目にかかれて良かったですが、やはり来るのがちょっと早かったですね。半休が午後に取れたら良かったんですが・・・。これは来年も行かねばならないだろうなあ。
 来年は山鉾巡行が木曜日に当たるようなので、月曜日に休みが取れたなら或いは・・・と思っています。平日の宵々々山なら、私でも何とか・・・なれば良いんですが。
[65727] 2008年 7月 10日(木)23:59:48【1】むっくん さん
文化・伝統を守るということは・・・
こんばんは、むっくんです。

本日、当地では祇園祭の「神輿洗い」が行われ、祇園祭の宵山及び翌日の山鉾巡行にむけて日に日に盛り上がりを見せています。

さて、何気にWeb上でニュースを読んでいますと、産経新聞に祇園祭がらみで気になる記事を見つけました。
京都の和菓子に香りと彩りを添え、祇園祭では厄よけのちまきに欠かせない地元のササの葉が、数十年周期で局地的に起こるとされる「花枯れ」の影響を受け、壊滅に近い状態に陥っている。値段は例年の2倍以上に高騰しており、菓子の製造を大幅に縮小せざるを得ない老舗や、他県産で代用する山鉾(やまほこ)も出てきている。
とのこと。
祇園祭には「ちまき」は必須とも言えるものなのに果たしてどうなるのでしょうか。鉾町在住ではない私のような一般市民向けへの販売数がおそらく激減するのではないか、と個人的には危惧しています。
もっとも、笹が花を咲かせるのは自然現象ということもあり、今年は「ちまき」を手に入れられなくてもやむを得ない、とは思ってはいるのですが。
#宵山、宵々山が平日であり、観光客が少なくなるかもしれないことが唯一の救いというところでしょうか。


なお、先程の産経新聞で紹介されていた川端道喜において、どのようにして(普通の)「ちまき」が作られるのかということが、京都新聞のサイトに紹介されています。
これを読みますと、大変な手間をかけて一本の「ちまき」が作られることが分かります。
「ちまき」を作るという一つの事からも、先人から受け継いだ文化を次の世代に引き継ぐということは取りも直さず大変であることがよく分かります。
#先月2日付の京都新聞によりますと、五山の送り火の一つである大文字の送り火でも、材料の松が手に入りにくくなったことより、来年度より大半は枯れた松を使う、という試みを行う予定とのことです。この試みには、若い松の消費を抑えることで、送り火の伝統を次世代に引き継げるように、という意図があるようです。(参考

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