都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
伊豆之国さんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …



[106130] 2022年 11月 17日(木)19:17:10伊豆之国 さん
White Mountain(若い市長)
まだ更新されていないようなので…

任期満了に伴う白山市長選挙が去る13日に告示され、現職の山田憲昭氏以外に立候補者がなく、山田氏の無投票3選が決まりました。
白山市HP
山田氏の経歴(旧吉野谷村長に37歳で就任)については、 EMMさんの[86690]の記事に書かれています。

グリグリさん、「若年首長」のデータの更新をお願いいたします。
[106109] 2022年 11月 12日(土)23:26:08【2】訂正年月日
【1】2022年 11月 13日(日)00:08:49
【2】2022年 11月 13日(日)17:14:07
伊豆之国 さん
スナックへ行こう!
私が9月に投宿した、戸倉上山田温泉([105967])。夜の街を歩くと、まだまだ飲食店や風俗営業の店も営業しているところも多く、信州随一とうたわれた歓楽温泉街の面影を残していたその温泉街で、来月9日の夜、「温泉街のスナックに行こう」というイベント開催する、というニュースがありました(信州千曲観光局HPより)。。
入ってみたいけど一人じゃいけない。そんなスナックビギナーの未知の扉を開けるお手伝い。スナック講座の後にみんなで一緒にスナックを体験するイベントを開催します
スナックについての講座後、スタッフとともに戸倉上山田温泉の夜の散策を行い、スナックを実際にハシゴ(2件ほど)します。射的体験やNEOネオングッズなどももらえる楽しいナイトツアーです
戸倉上山田温泉には数多くの飲食店がある歓楽街があり100店舗近い飲食店には多くのスナックが点在しています。コロナ禍でも常連客が通い続ける魅力がある一方、「料金体験が不明確」「楽しみ方が分からない」「常連客への配慮」といった入りづらさによって若い方が扉を開くには敷居が高い現状があります
そこで、地域資源のスナックを再定義して気軽に使ってもらうために「NEOネオン」と称して、スナック文化の再燃を目指すプロジェクトがはじまりました
このイベントについての記事がこの日の日経新聞の夕刊にあり、昭和の時代には団体旅行で大いににぎわった歓楽温泉街が時代の変化で衰退し、上記のように「スナックの楽しみ方が分からない」などで若年層が入りづらい、といった声が増えたことや、「昭和レトロ」の雰囲気が残っていることなどもこの企画を後押ししているようです。

♭そういえば、もう半世紀以上も昔、「小さなスナック」という曲がありましたね。エレキギターのメロディーが印象的な曲でした。歌詞は今となってはおぼろげなところもあるのですが…(先日、どこかのTVの旅番組で触りのところが流れていました…)。
[106108] 2022年 11月 12日(土)22:54:11【1】訂正年月日
【1】2022年 11月 13日(日)16:07:39
伊豆之国 さん
「市区町村版」経県値の定義について
いよいよ経県値の市区町村版が公開の運びとなりましたが、作成にあたって大いに頭を悩ませているのが、一つは既にはっきりしたものがほとんど残っていない「大昔」(幼年~少年時代)の記憶、そしてもう一つが「乗り換え」関係の経県値をどうするか、ということ。「乗り換え」関連については、以前に白桃さんの記事[97701]へのレスとして、[97706]で次のように書き込みましたが、まず後者の「鉄道路線間の乗り換え」については、次のように定義するようにしておきました。

鉄道同士の乗換駅と言っても、タイプがいろいろありますので、JRと私鉄を乗り換えるとき、どれが「連動している」のか、「連動してしていない」のか、どうお考えでしょうか?
イ.連絡改札もなくお互いにスルー
ロ.連絡改札によりJRと私鉄の構内がつながっている
ハ.いったん改札を出るが、すぐ目の前に相手の駅の改札がある(ただし屋外には出ない)
ニ.雨に濡れずに乗り換えられるが、かなり長い通路を歩かされる(ex.地元の「町田駅」)
ホ.いったん屋外に出て歩かされる(相手の駅はすぐ目の前にある)
へ.一応「乗換駅」として扱われているが、お互いに見えない位置にあり屋外にも出る
私としては、「ホ」と「ヘ」は「連動していない」と見ていますが…

「鉄道路線同士の乗り換え」(JRと私鉄(第三セクター・公営地下鉄等を含む)間のほか、JR同士(新幹線と在来線など)、私鉄等同士も含めて)について、経県値をどのように見るかについて、私としては、とりあえず原則として次のように扱うことにしました。

イ、ロ、ハ、ホ…「接地」(△、経県値「2」)
ニ、ヘ…「訪問」(●、経県値「3」)

「乗り換え」が主目的である場合、「イ、ロ、ハ」の場合は、「まず乗り換える相手の路線の駅まで直接向かう」ことを目指す、ということであり、「ホ」は、いったん屋外(屋根がない場所)に出るものの、すぐ向かい合わせに乗り換え相手の改札(駅舎)が見えている場合で、やはりまず乗り換え先の駅に向かう場合として「接地」に入れることにしています。一方、「ニ」の場合は、「乗り換え相手の路線駅にたどり着くまでに、ビル内、地下道などの片側あるいは両側に商店等がある連絡通路を通らないと行けない場合」を想定していますが、商店等はないが長い地下道を歩かされる場合や、商店等がなく吹きさらしの高架歩道橋などの場合も入れることにしています。ただ、「ロ」の連絡通路がある場合でも、連絡通路を通らずいったん自社専用の改札を出て、乗り換え相手の改札に入るまでの間で買い物等をした場合は「訪問」とします(ハ、ホに該当する乗換駅でも同様)。「ヘ」の例としては、小田急「豪徳寺」~東急世田谷線「山下」、西武池袋線「秋津」~JR武蔵野線「新秋津」など、大半は別会社間の乗り換えですが、近鉄橿原線「田原本」~同・田原本線「西田原本」のような、同一会社内の乗り換え(同一駅として扱っているようですが)というのもあります。

「駅のホームに降りて駅弁や飲み物を買った」(最近はほとんどありませんが)という場合は、「改札の外に出ていないので、鉄道会社の構内から出ていない」と見て「接地」としています。もちろん、「ホームに降りて通過列車や対向列車の写真を撮った」場合も同様です。また、鉄道からバスへの乗り換え、またその逆の場合は、バス停が駅の入り口の直近にあって、かつすぐに乗り換えた場合は「接地」、それ以外は「訪問」として扱うことにしました。高速道路や有料道路のSA・PAで休憩のために降りた場合も、食事や買い物の有無にかかわらず、「道路の敷地外に出ていない」ということから「接地」とみなしています(私の場合、該当する例として上野原市(中央道談合坂SA)や静岡県小山町(東名足柄SA下り)などがあります)。
一方、観光船から休憩や記念写真撮影などの目的だけでいったん下船して上陸し、すぐに船内に戻った(ex.[79317]の十津川村のケース)といった場合は、「接地」としていましたが、鉄道や高速道のケースとは異なると見るのが適切と見て、「訪問」に変更しました。
厄介なのが、「下道」(一般道)を観光バスなどで通過した場合。まだ高速道路網が整備されていなかった私の少年時代、学校の遠足や「林間学校」などで、近間ではありますが観光バスを連ねて目的地まで行ったことが何度かありました。このようなときは、途中の道路沿いにある「ドライブイン」とか「レストハウス」(いずれも今ではほとんど耳にしませんですね…)で小休止することがよくありました。このようなときは、まだ「子供」ですから引率の教師の監視下にあり、その休憩施設から勝手に出ることは厳しく制限されていたはずで、「市の経県値」(認市度)を計算する場合、以前は「接地」とみなしていたのですが、改めて「市町村版」の経県値を計算するのにあたっては、「高速道などの場合とはやはり違う」と見て、こちらは「訪問」に統一することにしました。
この「大昔」の一般道経由でのバス旅のおぼろげな記憶をたどって、市町村ごとの経県値を調べて行くのも、相当な困難を伴います。バイパスや新しい橋の建設などで国道などのルートが変わったり、通過したルートそのものが思い出せなくなった場合もあり、推定でしか経県値を出せないケースもいくつかありました。

以上のことを踏まえて、経県値の市町村版を作成することにしましたが、上記のように昔通ったバスルートが分からなくなっていたり、どこに行ったのかもはっきりしないものもあり、データが作成できない県がまだかなりあり、とりあえず計算ができたところからいくつか公開しますが(県時点で12都県)、果たして全都道府県を作成できるか、まだ見通せない状況です。「未踏」(経県値0)の市区町村が存在しないのは、神奈川と静岡の両県のみと思われます。
[106088] 2022年 11月 10日(木)00:46:32【1】訂正年月日
【1】2022年 11月 10日(木)00:48:42
伊豆之国 さん
全国の「きくち」さん、集まれ!
兵庫県丹波市の「足立さん大集合」([106033])に続いて、今度は熊本から「苗字」ネタ。

「菊池・菊地」さんのルーツの地とされる熊本県菊池市が、「全国の『きくち』さん、集まれ!」というイベントを今月13日に開く、という話題がありました(記事)、(菊池市HPより)。
菊池姓や菊地姓などの発祥の地とされる熊本県菊池市が、13日に菊池姓にゆかりがある人らに参加を呼びかける「全国きくちさんサミット」を開く
菊池姓は、平安から室町時代にかけて現在の菊池市を中心に活躍した豪族・菊池一族が由来。平安時代の1070年に大宰府(現在の福岡県太宰府市)の高官だった藤原則隆が、菊池に来て菊池姓を名乗ったのが始まり
武力に優れ、約450年にわたり九州の一大豪族として全国に名をはせたが、度重なる戦や後継者争いによる敗北などで一部は肥後(今の熊本)を離れ、全国に広がった
現在、菊池姓と菊地姓は全国で計約34万人。特に菊池姓が多いのが東北地方で、岩手県遠野市では、市民の約4割を占める
「きくち」さんの分布については、以前に[71948]で書き込んだことがありますが、今回、改めて分布状況をWeb版「写録宝夢巣」で調べて見ると、「菊池」さんは全国に約3万2千件、全国ランクは107位、「菊地」さんは約3万5千件、96位となっており、「菊地」さんのほうがやや優勢ですが、ほぼ拮抗しているとみてよいでしょうか。これを都道府県別にみると、いずれも東日本が圧倒的に多く、特に東北から北関東にかけて集中しているのに対し、西日本には少なく、発祥地の熊本県でもあまり見られません。Web版「写録宝夢巣」による、主な都道府県(どちらか一方でも200位以内に入っている都道県と「大都会」がある府県、それとルーツの地がある熊本県)の「菊池」さんと「菊地」さんの分布を見ると、次のようになっています。

都道府県菊池(ランク)菊地(ランク)
北海道1747(99)4853(22)
青森1120(45)569(99)
岩手7928(5)2661(16)
宮城887(61)3657(15)
秋田552(83)1907(24)
山形273(180)1380(22)
福島772(91)2625(21)
茨城3371(12)1854(42)
栃木1104(48)2214(14)
群馬402(-)437(196)
埼玉1319(146)2010(76)
千葉1053(150)1369(97)
東京2440(95)2577(86)
神奈川1831(111)2388(68)
新潟543(191)549(189)
長野755(145)200(-)
静岡819(175)710(197)
愛知437(-)406(-)
京都82(-)88(-)
大阪449(-)370(-)
兵庫248(-)176(-)
広島110(-)84(-)
愛媛1484(39)401(175)
福岡378(-)187(-)
熊本232(-)39(-)
宮崎456(95)125(-)

…この表を見ると「菊地」も「菊池」も確かにどちらも東北から北関東にかけて多いのですが、これらの県について県別に見て行くと、「菊池」のほうが圧倒的に多い県と「菊地」のほうが多い県にはっきり分かれていることが分かります。東北6県を見ると、特に岩手県では「菊池」が非常に多く県ランク5位は全国最高、実数でも全国の「菊池」さんの4分の1近くを占め、県北部を除くほぼ全域に分布し特に中南部に集中、中でも遠野市には2000件近くあり市民の4分の1近くが「菊池」さん。釜石市で2位、北上・花巻・奥州の各市でも4~6位に入ります。この遠野市周辺に「菊池」さんが非常に多いことについて、「九州の菊池一族が落ち延びたというより、『菊池』の名声を宣伝して歩いた女性の一族があったのではないか」という説(遠野博物館審議員(当時)・菊池照雄氏…「歴史と旅」臨時増刊「歴史・名門・名家」PART(平成3年刊行)より)もあるようです。青森県でも「菊池」のほうが「菊地」の2倍ほどありますが、他の4県では逆に「菊地」のほうが圧倒的に多く、各県とも「菊池」の3~5倍ほどあり、「菊池」が圧倒的に多い岩手県でも、実数では「菊池」の3分の1ほどですが、県ランクでは16位に入り、栃木(14位)・宮城(15位)に次ぐ高ランクにあり、奥州市では「菊池」1363件(6位)に対し「菊地」1231件(7位)と拮抗しています。
北関東では茨城県と栃木県に「きくち」さんが多いのですが、茨城県では「菊池」が「菊地」の2倍近くあるのに対し、栃木県では「菊地」のほうが「菊池」の約2倍と真逆になっているところが不思議なところです。茨城県の「菊池」さんは北部に集中し、大子町で町内最多になっているのを初め、常陸太田市で2位、常陸大宮市で4位、日立市で7位、水戸市でも9位に入ります。一方、栃木県に多い「菊地」さんは県南以外の比較的広い範囲に分布し、那須塩原市で7位、実数で最多の宇都宮市で12位に入っています。
そのほかでは、東京都八丈町(八丈島)で「菊池」さんが島内最多になっており、島内に340件ほどあり、島民の1割強が「菊池」さん、実数でも都内の全区市町村の中で最多になっています。

「きくち」さんが少ない西日本の中で、唯一「菊池」さんが多く見られるのが愛媛県。県内では八幡浜市に集中し、市内に700件以上を数え市内最多、県内の「菊池」さんの過半数が集中しています。この八幡浜の「菊池」さんについて、近くの宇和島の城主が伊達氏だったことから、「東北の菊池一族も伊達氏についてやってきた」という推測([71955] 小松原ラガーさん)が過去の書き込みにありましたが、いかがなものでしょうか?
前述したとおり、発祥地の熊本県には「菊池」さんは少なく、「戦乱で敗北し一族が散り散りになって各地に落ち延びた」というのは説得力はありそうで、やはり「発祥地に少なく遠方に多い」という典型的な例に入るのでしょう。その中にあっても、肥後国に残った菊池一族や家臣は苗字を変えて生き残り、現在まで続いている旧家もあるようです。
一方、菊池市在住の菊池姓は「数十件程度」と少数派。だが肥後の領主でもあった菊池一族の家臣が、菊池姓から、八代▽山鹿▽林▽小野▽中山▽西郷▽小島▽藤田▽村田▽佐野▽西▽村井――など地名にちなんだ名字に切り替えたとの言い伝えもある
こうした歴史から、市役所には10年以上前から「同じ菊池一族の子孫による交流の場がほしい」との声が寄せられていた。これが本格的に動き始めたのが、2016年の熊本地震。同市も最大震度6強の被害を受け、SNSなどで復旧・復興の様子などを発信する中で、菊池さんらの故郷として市をPRしようと、同年10月に全国の「きくちさん」に参加を呼び掛ける復興PRイベントを開催すると、約200人が集まった
これを受け19年、市の観光協会が、菊池姓にゆかりがある人だけでなく、市に愛着を持つ人も入れる「菊池ファンククラブ」を設立。会員数が約2700人(5日現在)に上ったことから、改めて企画した
こうしたこともあって、「菊池さん大集合」には、苗字が「菊池」「菊地」でなくても、「菊池一族の子孫」や「菊池氏ゆかりの一族」を名乗っている人々の参加も予定されているとのことだそうです。
[106041] 2022年 11月 2日(水)21:10:32伊豆之国 さん
Re:隠れた昭和のご当地ソング
私もこの列車に乗ってみます…。

[106037] 白桃さん
いかにも、なさそうでない十曲ですが、一曲だけは本当にあります
本当にあるのは…1か月余り前に雨の中を歩いた、駅伝や野球で有名な高校や「ミニ五○郭」がある、○曲川が流れるアノ市ですね。

[106038] 千本桜さん
あざみの歌
鈴懸の径
…とくれば、「田園都市線」。「あざみ野」でブルーライト(今の若い連中は違うものを思い浮かべますね…)じゃなかった、ブルーラインに乗り換えれば、その先には東洋一の商港(○○高校の校歌より)…。
[106033] 2022年 10月 30日(日)23:31:21【2】訂正年月日
【1】2022年 10月 30日(日)23:59:20
【2】2022年 10月 31日(月)19:01:55
伊豆之国 さん
クイズ & 足立さん & 自治体越えマンション名
[106027] 千本桜さん出題のクイズですが…

[106029] メークインさん
[106030] あきごんさん
第一印象では「一体どこなのかな?」とよくわからかったのもいくつかあったのですが、お二方のご推測を拝見させていただいた限り、何となく方向が見えてきたような…。そうだとすれば

I:○○牛を何と読むか
3年半前、令和改元のその日の夕飯にご馳走になった「■■牛」。地名のほうは以前から正しく読んでいましたが、「牛」が音読みでなく訓読みが正しいと知ったのはその後になってからでした…。

F:○○市役所が置かれたG:旧○○町は「やXさXちXう」と読みます。「やXざX」と濁らないように注意しましょう
苗字でもメジャーで、「さ」を概ね「東」では濁り「西」は澄んで読む、という傾向ですが、その境界線は「苗字の東西境界」よりはだいぶ西の方に寄っているようです(地名の読みでも…隣の2「県」にまたがる自治体越え地名は濁りますね)。

M:○○温泉は海から離れた山の中。温泉街は三方を山に囲まれた急斜面に張りついています
私は22年前にこの温泉に一泊していますが、この時泊った旅館にも、メークインさんのおっしゃる通り、「金」と「銀」の温泉があり、「金」のほうは鉄分で赤茶色に濁っていて少々薄気味悪いようにさえ見えました。予定では夕飯の後、ロープウェイに乗って絶景の夜景を見たいと思っていたのですが、「熊」が出た、というニュースがあったそうで、諦めました。

[106031] 今川焼さん
まぁ一応馴染みのある地域なので、読んでいく先から解けていきました。しかし、宮城県から来られていきなりF:○○市というのは渋い選択ですね
M:○○温泉というところは身近なんですが、高級で敷居が高い感じがして泊まったことはありません
このクイズ、やはりなじみのある地域の人には有利なんでしょうね。「身近だけれど高級で敷居が高い」というのは、私が箱根や伊豆の温泉宿に対して抱いている思いと同じでしょうか。

ところで、今川焼さんの地元・丹波市で圧倒的に多い苗字が「足立」さん。中でも特に「足立」さんが集中しているのが旧青垣町([65522])。その青垣町の足立さんたちが、「全国の足立さん、集まれ!」というイベントを開催し、参加者募集中、という記事がありました(こちら)。
兵庫県丹波市青垣町の足立さんたちが11月13日に開く「全国の足立さん集まれ祭り」の参加者を募っている。青垣町の約40%が足立姓で、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の御家人にルーツがあると知った有志が全国を巡って集結を呼びかける熱の入れようだ。
 実行委員長の足立喜信さん(66)によると、鎌倉時代、青垣町には関東から地頭として足立遠政が派遣され、山垣城に居を構えた。祖父の足立遠元は武蔵国足立郡(東京都足立区や埼玉県桶川市付近)を拠点に源頼朝に仕え、頼朝の死後は幕府を合議制で動かした13人の1人だ。
 青垣の足立氏は1579年に明智光秀に攻め滅ぼされたが、足立姓は残り、NHK大河ドラマを機に有志が「山垣殿の13人」を結成。少子高齢化が進む地域を元気づけようと祭りを企画。桶川市や足立区のほか、鳥取や愛知、岐阜県などで足立姓の加勢を求めた。祭りはオンライン会議もあり、足立実行委員長は「来年からはサミットが開けるようにしたい」と意気込んでいる。
 祭りは11月13日午前10時から丹波市青垣町山垣の旧遠阪小で「足立」の人文字空撮などがある。オンライン会議希望者は所定のフォーム(https://ws.formzu.net/fgen/S882329762/)から申し込みを。問い合わせは遠阪自治協議会(0795・88・0420)
Web版の「写録宝夢巣」(データは2007年時点のもの。以前にも書きましたが、現在では携帯電話やスマホの普及により固定電話が激減しており、電話帳自体も市販されなくなった現時点では、電話帳ベースの苗字ランキングは、特に都市部ではもはや実用的ではなくなっており、せいぜい十年位前までのデータのほうが信憑性が高いと思われます)で全国の「足立」さんの分布を見ると、全国に1万7000件余りあり、全国ランクでは236位。実数で最も多いのが、やはり丹波市のある兵庫県。3300件余りあり県ランクは31位。最多の丹波市だけで1400件余りあり県全体の4割にも達します。隣接の朝来市でも市内最多、神河町で2位、多可町で4位と、県中央部に集中しています。京都府では51位に入りますが、その過半数が丹波国に属する福知山市に集中しており、市内に700件近くありここでも市内最多の苗字になっています。一方、県ランクでは鳥取県が最上位で、県内13位に入り、そのほとんどは境港市(市内最多)と米子市(3位)で占めています。その隣の島根県では51位ですが、そのほとんどは米子・境港市と接する出雲地域であり、地元出身の実業家が開いた「足立美術館」がある安来市では市内7位に入りますが、石見地域ではほぼ皆無に近く、旧国の範囲によって苗字の分布が全く違うといわれる島根県の特徴がここにも現れているといえるでしょう。
引用記事に出てきた岐阜・愛知両県にも「足立さん」は少なからず見られます。中でも岐阜県では中濃地域を中心に分布し、県ランクは56位、関市で10位、実数で最多の各務原市で12位。東濃地方の瑞浪市でも11位に入ります。愛知県では県ランクは150位前後ですが、岐阜県と接する一宮市が最多で200件以上あり市内50位台、春日井市にも150件ほどあります。そのほかで目立つのは大分県。県ランク33位は鳥取・兵庫に次ぐ高位で、県中央部に集中し、豊後大野市で7位に入るなと、その豊後大野市と大分市・臼杵市の3市で県全体の8割近くを占めています。鎌倉時代に東国から多くの武将が移住したとされる大分県の苗字の特徴がやはり見えているのでしょうか。
一方、足立氏のルーツがある埼玉県と東京都では、共に「足立さん」は非常に少なく、共にと県ランク200位にも届きません(ちなみに東京都足立区には50件近くありますが、多くは「祖先の地への里帰り」組でしょうか?)。やはりよくある「ルーツの地に少なく遠方で栄えた」苗字の典型的な例に入るのでしょう。
大河ドラマの舞台がある静岡県を見ると、県ランクで200位に入るか入らないか微妙な位置にありますが、県内の分布を見ると、浜松市浜北区を中心とした県西部と、伊豆半島北部の2地域に比較的多く見られるようです。伊豆地方では伊豆市から三島市にかけての地域に見られ、ここが北條氏や源頼朝ゆかりの地であることと合わせて、鎌倉幕府御家人の足立氏と関係ありそうな気がします。

クイズに戻りますが、もう一つ…
[105999] でグリグリさんから出題の「残り1市を答えよ」というミニクイズですが…共通項を考える暇もないうちに、勿来丸さんと海辺を飛ぶ鳥さんが速攻であっという間に解答。これまで同じようなクイズを何度も作ってきたのに、いざ解答する側に回るとそうは行かないものですね…。参りました!

…というわけでもないのですが、私からも一題。

【問Z】八王子市、立川市、甲府市、松本市、茅野市

いかがでしょうか?

クイズの話はこのくらいにして…
昨日の日経新聞の別刷りに、不動産広告で「駅から○分」という表示の方法が今までと変わった、という記事がありました。その中で、「複数の建物(棟)がある分譲地やマンションの場合、今までは「○○駅から徒歩○分」といった場合、「駅から最も近い物件」までの距離を表示していたのが、改正後は「駅から近い物件と遠い物件で表示に幅を持たせる」、すなわち「○○駅から徒歩○~○分」といった表現に変わることになります。この表現の変更で、今まで「駅から徒歩10分」だったのが「11分」に変わったことで、「土地や建物を売却したい場合に不利になる」といった苦情も出てきているようです。
この後「コラム」として、「高級住宅地として著名な地名にあやかって、その地域になかったり最寄り駅でないのにその著名地名を名乗」ったマンションなどが多数ある、というのが書かれており、例として「吉祥寺」や「二子玉川」などの例が挙げられていますが、このような例は各地にあり、地元の例では「町田」を冠するマンションなどが相模原市域(そのほとんどは南区上鶴間本町と鵜野森に集中)に数えきれないほどある、ということを、落書き帳デビュー間もないころに書き込んでいた記憶がありましたが、私は最近社用で成城学園前駅から調布市方面へのバスに乗ったとき、車窓から「成城」を名乗るマンションなどが、住居表示板や電柱の住所表示から見て、明らかに調布市域に入る場所に何棟かあったのを見たことがありました。後で地図で確認すると、この地域(調布市入間(いりま)町…最近まで埼玉県入間市・郡に引きずられて「いるま」だと思っていた…を中心とする一帯)に20棟ほどもあるようで、確かに世田谷区「成城」に隣接してはいますが、北寄りの物件は成城学園前駅より京王線仙川駅のほうがずっと近いものもあるようで、やはり「成城」というブランド地名への「あやかり組」なんでしょうか。もっとも、この地域の電話番号は東京03ナンバーですが…
[105967] 2022年 10月 20日(木)23:26:23伊豆之国 さん
道中記クイズ(解答発表)
[105925]で出題した道中記クイズの解答発表です。
【A】~【P】までの市町村名は…

A市:八王子市 B市:大月市 C市:甲府市 D市:北杜市 E(町):清里(町)  F村:南牧村 G村:川上村 H市:佐久市
I市:小諸市 J市:千曲市 (旧)K町:戸倉町 (旧)L町:上山田町 (旧)M市:更埴市 N市:上田市 O市:東御市 P町:軽井沢町

…でした。
[105929] あきごんさん
[105930] メークインさん
[105939] 千本桜さん
いずれもお察しの通りですね。

行程は次の通りです。
初日は、八王子駅から特急「あずさ5号」に乗車。この列車の始発駅・新宿駅の発車時刻は8時ちょうど、まさに昭和歌謡で歌われたかの「あずさ2号」の後身。高尾駅を通過してトンネルを抜けるとそこが相模原市、というのがいまだに違和感が抜けきれません…。富士急の電車を横目で見て、大月駅は通過。笹子トンネルを抜けて甲府盆地に入ると間もなく富士山の雄姿…のはずでしたが、どんよりした曇り空で姿は見えぬまま、山梨県内で最初の停車駅・甲府駅に到着。「国電」区間での事故による遅れを引きずり、この時点で10分以上の遅れ。次の停車駅・小淵沢で小海線に乗り換えるのですが、余裕の乗り換えだったのが一転駆け足の乗り換えになり、指定席が乗り換えの階段から遠かったこともあって、足腰の衰えを自覚している私にとって非常にしんどいものがありました。
小海線の列車はディーゼルの2両編成。乗った車両の番号を見ると「キハ111-111」、見事なゾロ目ナンバー!  やがて樹林の中の別荘地帯へ入り、真新しい建物も見られるものの、廃屋化したようなのも目立って寂れかけているような光景が続く中、清里駅に。この清里界隈には。私も十数年前に訪れており、その頃は「水泡景気」でにぎわった全盛期の残影がまだ随所に見られた時期で、私のような「オジサン」には場違いな、若い女性を相手にした「ファンシー雑貨」の店やブティック、喫茶店などが立ち並び「高原の原宿」の異名もあった頃の空気がまだまだ濃厚に残っていたものでした。その時は、街はずれ?のステーキハウスで昼食をとっていて、結構行列ができていた記憶がありました。
今の清里は、こうした店舗の多くは店じまいし、駅やその前後の車窓からちょっと見ただけでも、「やっていない」感がありありという店が多いように見受けましたが、近年のレポート記事のいくつかを見る限り()、朽ち果てて廃墟化したような建物は案外少なく、営業をやめてから久しくなっていても、外観はまだ綺麗なのが多く、不動産業者などで管理している物件が多いのでしょうか。
駅舎の脇にSLが鎮座していた清里駅を出て、しばらくすると景色が樹林から草原に変わり、JR最高地点を過ぎるのですが、昔はなかった新しい建物が建っていて、最高点の標柱を見逃してしまいました。甲斐の国から信濃の国に入り、JRの駅で最高地点にある野辺山駅を過ぎ、川上村へ。この川上村は、高原野菜の栽培が盛んで、農繁期に「お手伝い」でやってくる外国人の出入りによる不思議な人口変動について、8~9年前の白桃さんの一連の書き込みがありました。私も列車の中で、信濃川上駅から外国人の小集団(顔立ちなどから見て、中南米系?or東南アジア系?)が乗ってきたのを見ていました。
ところで、「川上村」という名の村は、かつては全国に20か所もあったようですが([83666])、現在も残っているのは長野県のほかには奈良県にあるのみ。その奈良県川上村の深刻な現状は、奈良県民のあきごんさんの書き込み([104841],[104847])にありました。
列車はやがて佐久市へ。旧臼田町域には、函館の五稜郭と形がそっくりで規模がだいぶ小ぶりの「信州のミニ五稜郭」龍岡城([96257])があり、同名の駅もあるのですが、駅から遠く車窓からも見えず、悪天候もあり諦め、中山道の宿場町として栄え、佐久市の「前身町」にもなっている岩村田で下車。この「岩村田」の読み方、いままでずっと「いわむら"た"」だと思い込んでいて(小海線には過去3度ほど乗っているのですが…)、千本桜さんの[97039]の書き込みを見て初めて「いわむら"だ”」と濁るのが正しいと知ったのでした。駅の近くには駅伝や野球で名高い佐久長聖高校があり、駅前からも見えるのですが、駅は宿場の中心から少し離れた場所にあり、中心街に入るとアーケード街になっていましたが、ご多聞に漏れず、このような地方都市にありがちな「シャッター通り」の感がありあり。雨が激しくなり、またお昼時になったこともあって、アーケード街から横町に入ったところにある蕎麦屋で名物の信州蕎麦に舌鼓。そのあと近くにある、阿弥陀如来がご本尊の西念寺にお参りして再びアーケード街に戻り、抜けた後、武田信玄ゆかりの龍雲寺へ。境内には信玄公の霊廟もありました。
雨は更に激しくなって、列車の時刻の関係もあるので、他に見どころもあったのですが、宿場歩きはこの辺で切り上げて駅に戻り、小諸へ。乗った車両の番号はまたも「キハ111-111」。後で時刻表を見て運用を推測したら、小淵沢から乗った列車が小諸に着いた後、中込まで行って折り返した車両だったとわかったのでした。岩村田を出ると、次の駅は新幹線と接続する佐久平駅。駅前には大型店が立ち並び、すっかり繁栄を奪われた感のある岩村田も、市役所がある中込も引き離して、今や佐久市の玄関の駅としての地位を確立したといって間違いないでしょうか。
終点の小諸で降りると、雨は上がり、陸橋を渡って駅の反対側にある懐古園へ。今まで何度か訪れていたのですか、最後に訪れた時より十数年たっており、城門をくぐった中に入ってからの景色がどんなものだったかを覚えているか不安だったのでしたが、島崎藤村の記念館、千曲川べりの高台に建つ展望台と歌碑、城跡の遺構など、歩いているうちに記憶を呼び覚ましてくれたのでした。いったん城外に出て、この地ゆかりの画家・小山敬三画伯の美術館とアトリエを見学。手前には「寅さん」の記念館もあったのですが、こちらは既に閉鎖されて久しいようで、外観を見てもだいぶ荒廃しているようでした。
再び陸橋を渡って小諸駅の正面側へ。小諸市の中心市街は、「DID」が消滅するなど、佐久平に商業圏を持って行かれて斜陽化が進んでいるようなのですが([103275])、次の列車の出発時刻まで余裕がなかったため足を運ばず、この日の宿の最寄り駅、戸倉駅で下車。駅舎内には土産物屋や立ち食い蕎麦屋もあり、駅前通りの入り口には「戸倉上山田温泉」の文字が掲げられたアーチとその横には旅館名が列記された看板?があって、温泉地の入り口の駅という雰囲気はありましたが、新幹線ができる前、上野発の特急が多数運行されていた頃、当時の隣の駅で旧更埴市の中心駅であり、今は廃線になった長野電鉄「河東線」との乗換駅でもあった屋代駅は通過する特急が多かったのに対し、この戸倉駅には特急の大半が停車し、信州有数の歓楽温泉地の玄関として賑わった栄光も今は昔、新幹線ルートから外され、第三セクター路線の一中間駅に甘んじる形になった今となっては、温泉街へ行くバスも消え、タクシーもなかなか来ず、たまたま夕暮れ時だったこともあってか、何とも言えぬわびしさを拭えなかったのでした。
温泉街は千曲川を渡った対岸にあり、このロケーションは今春の連休で投宿した伊豆長岡温泉と似たように見えました。この日投宿したのは、千本桜さんの推測([105939])通り、チェーン店のシティホテル。このチェーン店のホテルには、温泉でなくても大浴場があるところが多く、「三点セット」のユニットバスでは我慢ができず「せっかくの旅情が台無し」というタイプの私は、このチェーン店のホテルを予約することが多くなっています。今回宿泊したホテルには、小さいながらも温泉大浴場があり、ほのかに硫黄の香りもして温泉気分を味わうことができました。このチェーン店の「温泉付きホテル」には、6年前に上諏訪温泉でも宿泊していました([90510])。
この「戸倉上山田温泉」という名称ですが、地図を見ると温泉街の大部分は旧上山田町域にあり、旧戸倉町域の部分はごくわずかなもので(地図)、旅館も3軒ほど(他に対岸の戸倉駅のある側にもあるようですが)。千本桜さんの疑問ももっともな気もしますが、範囲が上山田地域に比べ圧倒的に狭い「戸倉」が先なのは、駅があることのほかに、戸倉地域にある、この温泉街を代表する大旅館の1つで、皇室御用達であり名士の宿泊も多いSホテルの存在も大きいのでしょうか。温泉街は、以前に比べれば寂れたのでしょうが、居酒屋や風俗営業の店も、既に店じまいした感じのところも多いとはいえ、まだまだ健在のところも多く、夜になって雨もやんで風呂上がりで外出して見ると、「客引き」の姿も見かけました。
ところでこの温泉地で、その筋の「オタク」仲間で有名なスポットが、上山田地域の山裾にあった巨大廃墟「信州観光ホテル」。無理な増築を繰り返し、山肌に張り付いた、中は迷路のような巨大ホテルになっていたようですが、「水泡景気」の崩壊とともに業績も急降下し経営破綻、長野五輪を目前にして破産宣告を受け営業停止。その後長い間廃屋状態になっていて、「廃墟マニア」の間で「名所」になって、格好の「心霊スポット」になっていたそうですが、4年ほど前になってようやく解体業者の手に渡り、建屋の大半は解体されたのですが、山肌に張り付いているコンクリートの構造体などが解体困難ということで一部が残されたままになっており、厳重立ち入り禁止になっていた敷地の入り口には「信州観光ホテル」の立て看板もまだ残っていました。
翌朝は、タクシーを呼んで戸倉駅に戻り、列車に。上田市の城跡と中心街は大河ドラマが放映された6年前に見ているので([90510])、パスして東御市にある「海野宿」へ。この宿場の街並みは、私が40年ほど前に当時の信越線で通過した時、車窓から煙抜き?の「越し屋根」のある民家が連なっていた光景が気になって、のちに歩いたことがあったのですが、当時は観光施設もなく、「よくこんな見事な街並みが残っていたなぁ」と妙に感心したくらいでしたが、今回、初めて本格的な街並み歩きをすることにしたのでした。
上田市の東端にある大屋駅で下車。半世紀余り前まで、上田市の市街地の外れにあった「上田東」駅と現在は上田市の一部になっている丸子町とを結んでいた「上田丸子電鉄丸子線」が接続しており、この線にはかつて甲府駅前から現・南アルプス市を経て現・富士川町の青柳とを結んでいた「山梨交通」の電車線の車両のうちの2両が走っており、山梨交通線の廃線(昭和37年(1962))後にこの丸子線に移り、丸子線も7年後に廃線となって、「江ノ電」に引き取られて昭和61年まで活躍を続け、そのうちの1両が引退後に里帰りして富士川町内の公園に保存されています(記事SV)。
今は無人駅になっているらしい大屋駅を出て東に向かうとすぐに東御市に入り、しばらく住宅地になっていましたが、ところどころに「海野宿まで○m」の道標も建っており、人の背丈ぐらいの低い柱に小型の釣り鐘のようなものがついている「消防団が鳴らす警鐘?」もいくつか建っていました。歩くこと十数分、両側に古い民家が立ち並び、道の片方に寄った水路が通っている街並みが見えて、そこが重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている「海野宿」の街並み。資料館や案内看板も整備されて街並みの歴史を知ることができ、江戸時代には北国街道の宿場として栄え、明治になって宿場の機能が衰えると、代わって養蚕が盛んになり、「うだつ」が上がった民家はその養蚕で富を築いたその象徴とされ、その昔車窓から見て気になっていた「越し屋根」は、養蚕のときの空気抜きだと知ったのでした。宿場の東の外れにある「白鳥神社」は木曽義仲挙兵の地とされ、境内や街道筋には「木曽義仲」と大書された幟も見かけました。
宿場の街並みが途切れた後は、住宅地が続き、しなの鉄道線の踏切を渡って線路の北側に入り、歩くこと十数分で田中駅に。もともとはこの地にあった田中宿が本来の宿場で、洪水の被害を受けたために海野地区に宿場の機能が移ったといい、その後田中地区も復興したようで、明治になって直江津から開通した信越線が長野を経て軽井沢方面へと伸びてきたとき、上田の次の駅が海野でなく田中にできた(開通当時は大屋駅はまだなかった)のは、おそらく当時も田中のほうが集落の規模が大きかったという単純な理由で、海野地区が「養蚕の邪魔になる」などとして反対したようなことはなかったように思え、その後海野地区を挟んでほぼ等距離の位置に大屋駅ができたため、両駅の中間になって鉄道の恩恵から取り残された海野地区の街並みが結果として残ったのでしょうか。
田中駅は、東御市の中心駅(代表駅)という位置づけになっているようですが、駅前には大した商店街も見当たらず殺風景。駅の中には、「田中」と書く駅が台湾にもあることから、その台湾の「田中」駅と姉妹駅を締結した、という写真付き記事も張られていました。この「台湾にある日本と同表記の駅」の話題は、8年ほど前に白桃さんが[85173]で書き込み、私もレスしていました([85174][85241][86731])。ホームには、「全国の田中さん大歓迎」の横断幕もありました(ついでに、全国の「田中さん」の人数は約140万人、全国ランキング4位。西日本に多く見られ、大阪・京都・兵庫・福岡など9府県で最多。長野県では2位(トップの「小林」さんにはトリプルスコアに近い大差をつけられていますが…それでも東日本(信越・東海以東)では最上位。そういえば、そんな苗字の元知事もいましたね…)。
その田中駅から列車に乗り込み、小諸駅止まりだったので乗り換えて軽井沢駅へ。駅の反対側のショッピングモールで昼飯…ですが、さすがは大観光地、雨中にも拘わらず大勢の観光客でごった返し、食事にありつくまで1時間ほど待たされることに。帰りの新幹線の指定席は発車時刻に余裕を見て買っていたこともあり、そのあと正面側のホームにある「アプト式」時代の機関車や、駅前にある「軽便」草軽電鉄の機関車などを見て、新幹線で東京駅に戻りました。
[105938] 2022年 10月 12日(水)23:43:57伊豆之国 さん
クイズ関連三題雑感
■全国の駅五番勝負
[105926] デスクトップ鉄さん
解答の書き込みと既出かどうかの確認がうまくできないこともあって、このところページも覗かずご無沙汰していましたが、今回の問題、久しぶりに覗いてみました。答えの書き込みこそしませんでしたが、5問中4問は共通項が第一ヒントまでにおおよそ見当は付きました。唯一お手上げだったのが問五「地下鉄東西線に同名駅がある駅」。共通項の発表まで皆目見当がつきませんでした。
問一は「全て同じ部首の漢字の駅」でしたが、これについてグリグリさんからフォロー([105927])が出ましたので、ここで一言。
「五井」の部首がどちらも「二」なんて知識は全くありませんでした。
部首の定義って明確に決まっているのでしょうか。例えば問題の「問」は「もんがまえ」ではなく「くちへん」になるって私にはよく理解できません。それとも「もんがまえ」でもあり「くちへん」でもあるとするのでしょうか。調べると部首はどれか一つとするようですが、そんなこと学校で習いましたっけ? 単に私が無知なだけ?
開聞駅は五番勝負の問一の共通項には該当しないんですね
その漢字がどの部首に属するかは、基本的には中国の清時代に編纂された「康煕字典」に基づいていること、そして漢字の意味が所属する部首を決める重要な要素になっていることによります。例えば、「開」「閉」「関」といった字は、いずれも「門」と関係があることが容易につき、また「間」という字は、「門」の中に「月」と書くのが本来の字形で、「門の隙間から月光が漏れる」というのが字源と言われているので、やはり「門」の部首に入る字になっています。これに対し、「問」や「聞」については、「門」は「モン」という音を表しているだけで、それぞれ「口」「耳」に関係していることが容易に見当がつくので、「問」は「口」の部、「聞」は「耳」の部に属する字ということになるわけです。小中学生向けなどの一部の漢字辞典では、「問」や「聞」も「門」の部にしているのもあるようですが、大人向けの一般の漢和辞典では、「門」の部にも一応「ダミー」という形で載せた上で、例えば「問」については「口部8画を見よ」というような表現をしているのが一般的でしょう。
一方、「五」「井」が共に「二」の部に入る字だというのは、漢和辞典を相当使いこなしている人でもそうだとわかる人は少ないでしょう。「二」という部首自体が「便宜的」なもののようで、この「二」の部に属する字には、「二」そのものと、他には「云」「互」「亜」「亘」などがあるようですが、数は多くはなくマイナーな部首と見られます。
ところで、「一」から「十」までの漢数字、それぞれどの部首に属しているのでしょうか?(私も全部は正答できませんでした)。

少し脱線したので…
十番勝負の区町村ヒントですが、
[105928]グリグリさん
問七「菖蒲町」と問十「伊豆の国市」についてクレームがありました。これはちょっと意外というか心外でした。菖蒲町は植物名そのもので直球であり、なぜ消滅した町をわざわざ提示しているのかという点から雑学への気づきとなることを意図したものです。伊豆の国市についても同様に、市だけでは該当せず市区町村対象だと該当するという点から、共通項の性格(市区町村が相互に絡んでいるランキングなど)が絞り込めると考えました。いずれも「なぜ消滅町?」「なぜわざわざ市名?」を取っ掛かりにして欲しいヒントでした。
これについては、私が[105895]で「やはり反則ではないか」と書き込みましたが、これに関しては、白桃さんが[105933][105935]でおっしゃっているご意見に同感です。問七については、「旧」とか「消滅」と一言加えておけば問題はなかったと後で思いましたが、問十についてはやはり「想定解に入っている」と誤解される恐れがあり、白桃さんの[105933]の記事にある
従来の「区町村ヒント」でも工夫すれば効果的になったと思うのです。例えば、「志免町」だけをヒントに使用しても問題は無いのですが、これでは流石にヒントの「ヒ」にもなりません。でも、瑞穂町(東京都)、大磯町(神奈川県)の二つの町をヒントに使用すれば、これで共通項の性格を理解する方もいたのではないでしょう
これは、私が[105895]で書き込んでいたのに近いものでしょう。
「なぜわざわざ市名?」を取っ掛かりに問十を解ける方なら、ヒント前に解いているのではないでしょうか
[105934] 未開人さん
58回の問五はかなり有効なヒントとして効いていたと思います
[105935] 白桃さん
共通する性格を有する市を答えるクイズに現役の市をヒントに用いるのは邪道であると言いたいのです。どうしても用いたいなら「ヒントの清瀬市(伊豆の国市)は想定解ではありません。」と一言入れるべきではなかったでしょうか。
そういえば、第58回の問五でそんなことがありましたか。私はこの第58回の問五を、ノーヒントで銅メダルを獲得していたため、この「迷」ヒントは無関係でしたが、でもやはり読み返してみると、やはり「清瀬市も想定解なのか?」と誤解される恐れがあり、まさに今回の問十と同じ。清瀬市の市長が「渋谷」さん(その後他界され、現市長は旧字体の「澁谷」さん)だからということを意味するのでしょうが、やはりこれはむしろその逆、例えば「大田区」…区長は「松原」さん(当時も現在も同じ人)を提示したほうがよいでしょう。

最後に私が[105925]で出題した道中記クイズですが、
[105929] あきごんさん
[105930] メークインさん
お二方のご推測、いずれも大体合っています。
解答の公表と解説はもう少し待つことにします。
[105925] 2022年 10月 10日(月)18:00:03【4】訂正年月日
【1】2022年 10月 10日(月)18:02:08
【2】2022年 10月 10日(月)21:13:20
【3】2022年 10月 10日(月)21:36:21
【4】2022年 10月 11日(火)22:37:13
伊豆之国 さん
秋の道中記クイズ
[105895]で約束した道中記を。クイズ形式です。

朝7時過ぎに我が家を出て、2度の乗り換え、電車の中で県境を越えたり戻ったりしているうちに、【A市】の中心駅から乗った特急は、その昔、昭和歌謡で一躍有名になったあの列車の後身、始発の大ターミナル駅の出発時刻も当時と全く同じ。「国電」区間が終わる駅を過ぎ、長いトンネルを抜けた先は、合併によって今や我が家のある市の一部、でも市の中心部に鉄道で行くにはいったん県外に出ないと行けない。左手に人造湖を眺めつつ、次の県境越えがこれで今回の道中で5つ目。私鉄が分岐する、その県内の市で人口が最小の【B市】の駅は素通り。峠越えの長いトンネルを抜け、広い盆地に入ると、かの霊峰が見えるはず…でしたが、生憎の天気で山は見えず。そして【A市】の駅を出て次の停車駅で、駅前に名だたる戦国武将の銅像も建つ県庁所在地【C市】の中心駅を過ぎてしばらくすると上り坂の連続。北海道に異字同音の市がある【D市】の駅で降り、ローカル線に乗り換え。時刻表の上では余裕の乗り換えだったはずでしたが、「国電」区間での事故の影響で特急は10分以上の遅延、しかも指定席が乗り換えの階段から遠かったため、乗り換えは駆け足。既に「高齢者」の仲間入りをし、しかも足に「爆弾」を抱えている身には、相当しんどいものがありました。乗り換えたローカル線の列車は、ディーゼル車の2両編成。発車して間もなく大きくカーブして樹林の中へ。線路の両側は別荘地が広がっていましたが、既に無住となって久しくなって荒廃が進んでいるような建物も結構あるように見受けました。やがて、この県最後の駅に到着。こちらも北海道にある【E町】の名と同字同音の駅に。若い女性が大挙して押しかけ、人気の高原リゾート地として「水泡景気」でにぎわったのも今は昔、私も十数年前に訪れているのですが、今、駅の周りは…というと、多くのネット記事を見て知っていたことだったとはいえ、車窓からちょっと見えた範囲だけでも、営業をやめて久しくなって荒廃した様子の土産物屋や観光施設が軒を連ね、廃墟同然になったような光景が嫌でも目に入り、思わずぞっとしたものでした。いつしか線路の両側の樹林が消えて草原に変わり、この線の最高地点を過ぎると【F村】の駅に。高原で空気が綺麗なこともあり、巨大な天体観測施設も建てられており、また隣県には同字異音の村もあり、高齢化が著しいことで話題にもなっているようです。その次の駅がある【G村】は、高原野菜の生産が盛んで、海外から出稼ぎで来る人が多く、収穫期の不思議な人口変動はかつて落書き帳でも話題になっていました。この【G村】にも、同字同音の村が関西に今も現存しており、こちらのほうは深刻な過疎化が地元の県の方の書き込みにありました。
列車は更に下って行き、やがて【H市】へ入ります。この【H市】には、北海道にある有名な城郭と形がそっくりで、だいぶ小ぶりの城跡があるのですが、この城跡と同名の駅から遠く、車窓からも見えず、既に雨が本降りになったこともあって諦め。その【H市】の「前身因子町」でもあり、五街道の一つに数えられる旧街道の宿場として賑わった地区にある駅で降ります。この駅名の読み方、以前にベテランメンバーの書き込みがあるまで、間違った読み方をしていました。駅の近くには、駅伝や野球で有名な高校もあるのですが、駅は宿場から少し離れた場所にあるようで、市街地の中心までは結構あり、商店街に入るとアーケードが連なっていましたが、シャッターを下ろしたままの商店も目立ち、同じ市内の新幹線の駅がある地域に繁栄を奪われた様子がうかがえました。悪天候もあり、街中にある寺院を二つほど見たただで引き返しましたが、ちょうどお昼時になったこともあり、寺院の門前にある蕎麦屋で昼食を。さすがに産地に近いこともあって、結構な美味を楽しめました。
駅に戻って列車に乗ると、次の駅で新幹線と交差・接続。駅前にはショッピングセンターや量販店など大型店舗が立ち並び、今や実質的に【H市】の中心駅になっている様子がはっきり見えました。列車の終点の【I市】で降り、駅の裏側の城跡へ。過去に何回か訪れているのですが、最後に訪れた時から既に十数年が経っており、光景が思い出せるか不安だったのですが、雨もいったん上がり、城門をくぐって歩いているうちに、この市ゆかりの文豪の記念館や歌碑、城郭の遺構など、昔の記憶を蘇えらせたのでした。
次の列車の時間が迫ったこともあり、DIDが消えたということが話題となった、この【I市】の市街地には結局向かわず。この日の宿がある【J市】の駅で降り、タクシーでこの日の宿を取った温泉街にある、シティホテルへ。温泉街は駅から大河を渡った反対側にあり、温泉街に入ると旅館や土産物屋、遊興施設などが立ち並び、この春の連休で投宿した伊豆長岡温泉とロケーションがよく似ているな、と思いました。
この温泉街は、合併前は2つの町・【K町】と【L町】にまたがっており、宿泊したホテルの住所は、駅がない方の旧【L町】。チェーン店のシティホテルとはいえ、さすがに温泉地とあって、温泉の大浴場もあり、ほんのり硫黄の香りもして、温泉気分を味わえました。夜になっていったん雨が上がり、町のほうへ。風俗営業の店も多く、「客引き」の姿もちらほら見かけました。ふと空を見上げると、明るい星のようなものが見え、「曇り空で星など見えないはずなのに…」と不思議に思いましたが、その正体は翌朝に分かりました。温泉街の裏手の山の上にある公園に向かう道路の街灯だとわかったのでした。この温泉地を「その筋のマニア」の間で有名にしたのが、その山の麓から山腹の斜面にかけて、斜面にへばりつくように建っていた巨大廃墟ホテル。昭和後期に無理な増築を繰り返し、「水泡経済」の破綻と共に急激に経営悪化、この県で行われた一大イベントを待たずに事実上の破産、営業停止となってからは放置状態となり、「廃墟探検隊」の格好の餌食となり「心霊スポット」として知られたようですが、数年前にようやく解体業者の手に渡って解体が始まり、建物の大部分は撤去されたものの、山の斜面にへばりついていたコンクリートの構造体などが解体困難のせいなのかいまだに残され、異様な光景が見えました。
ホテルを出て、再びタクシーで、前日に降りた【J市】の旧【K町】の駅に戻り、列車へ。この駅はかつて国鉄~JRの本線の駅だったころは、今は【J市】の一部になっている旧【M市】にある(当時の)隣の駅で、10年ほど前まで私鉄が分岐し、今も【J市】の中心駅の位置づけになっている駅は通過する特急が多かったのに対し、この旧【K町】の駅には大半の特急が止まり、温泉街の玄関の駅として賑わっていたそうですが、今ではその温泉地に向かうバス路線も廃止になり、一部の大型旅館が送迎バスを出しているだけ。新幹線のルートから外れ、ローカル線の小駅に過ぎなくなって、賑わいを失ったかつての観光地の玄関の駅の悲哀を感じ取ったのでした。
列車はやがて、数年前の大河ドラマの舞台となった【N市】に。その市の中心部には、その大河ドラマが放映された年に行っているので今回はパスし、市の外れにある駅で下車。半世紀余り前まで、【N市】の中心からやや外れた場所からこの駅を通って、今は【N市】の一部になっている町まで私鉄が通っており、その私鉄にはかつて【C市】から出ていた私鉄にいた車両が走っており、廃線後その車両は関東の人気私鉄を経て、今は生まれ故郷に戻って保存されています。
降りた駅と隣の【O市】にある駅との中間には、昔の宿場町の面影を残す町並みが連なっていて、重要伝統的建造物群保存地区にもなっています。今から40数年前、当時の国鉄の車窓から、屋根の上に煙抜き?のような「越し屋根」が上がっている古い民家が連なっている街並みが見えたのが気になり、のちにまだこの宿場町が全国的には無名だった頃に一度歩いた記憶はあるのですが、観光施設のようなものはまだなく、今回初めて本格的に街並み歩きをすることにしたのでした。宿場町は【O市】にあり、駅を出てすぐにその【O市】に入り、駅からの距離を示す道標も所々に建っているのですが、駅からは1km半ほどの距離があり、雨の中歩くこと20分余り、ようやく宿場の入り口に入ります。内部見学できる家や資料館もいくつかあり、中に入ってみると、気になっていた「越し屋根」は養蚕の時の空気抜きで、明治に入って宿場が廃れ、養蚕に活路を見出してそれまでの旅籠が養蚕業に転身し、養蚕の町として活気を見せた頃の面影を残していたものだったのでした。宿場の外れにある神社は、この県ゆかりの鎌倉武将に深いゆかりがあるらしく、その武将の名が書かれた幟も建っていました。
宿場を後に次の駅へ。雨は上がっていましたが、この歳とあって足取りは必ずしも快適とは行かず。たどり着いた駅は一応【O市】の代表駅という扱いになって入るのですが、駅の周りには大した商店街もなく閑散とした光景。この駅名、全国的にメジャーな苗字と同名ですが、台湾にも同じ字の駅があり、お互いに「姉妹駅」として締結されているようでした。この「台湾にある日本の駅と同名の駅」の話題は、8年ほど前の「落書き帳」にも出ていて、私もレスしていました。
再び列車に乗り、【I市】の駅止まりだったのでここで乗り換え、高原のリゾート地として超有名な【P町】へ。ここで新幹線に乗り換えて帰路に就くのですが、予約した新幹線の発車時刻まで結構な時間があるので、ここでまず昼食。外は再び雨が激しくなり、駅のすぐ「裏口」側にあるショッピングモールに行ったのですが、どこも行列ができており、決めた店に入るまでの間も苛立ちを隠せませんでした。そのあと、駅の正面側にある保存車両を見て、新幹線に。途中でたっぷり日が暮れました。

【Q】文中の【A市】~【P町】の市町村名を答えてください。ヒントも豊富にあるので難しくはないと思いますが…

【1~4】誤字脱字の訂正等々、連発で申し訳ありません…
[105895] 2022年 9月 29日(木)23:49:04伊豆之国 さん
第61回十番勝負を振り返って~田子の浦に打ち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ~
いつもの通り、十番勝負の感想文を書かせていただきます。
今回から実施期間が10日間に短縮され、スピード勝負となった上、実施期間が2度の連休を挟む期間となり、後半に一泊二日の遠出を入れていたことと、「一部に想定解が少なめの問題が出る」と予告されていたこともあり、こうした「売り切れの危険がある問題」は序盤のうちに片づけておかないと厳しい、ということを覚悟の上で臨むこととなりました。
今回も、前回と同様に出題時に想定解数の提示がなく、共通項がつかめなかったため、やはりこのところ取り続けている「最初は模様眺め」の戦術を採ることになりました。
では、解答できた順に。

問七~明治は遠くなりにけり~
答えの出方から、「植物に関係ありそうだ」と薄々見当がついていましたが、第一回採点が出て「やはりそうだった…」と。境界線がどこにあるのかつかめていませんでしたが、想定解が100市もあり、「雑学」にあった「植物名の付く区市町村」を開くと、植物名そのものだけでなく「木、林、森、草、花」など「植物用語も含む」、ということではないかと、ざっと数えて納得。「ご当地」の2市に付いている「豆」も仲間に入るので、このどちらかで十万石を狙うことも考えましたが、ここは領地奪還を目指し、「意外なところにDIDがある」([97530] 千本桜さん)、石ノ森章太郎氏の故郷・登米市を。
蛇足ですが、区町村ヒントで出た「菖蒲町」。既に消滅した町を挙げるのは反則ではないでしょうか。植物名の付く区や町村には、すぐに思いついただけでも、杉並区・葛飾区・松島町…など、いくらでもあるのですが。
…結局、ノーヒントで答えられたのはこの1問だけでした。

問四~象潟の雨に西施がねぶの花~
ここは既に解答のペースが速く進んでいましたが、ここまでの流れから「これは過去問にあったな」と…。第28回・問一「日本の渚百選」。この時出てきた答えとほとんどその大半が一致しており、内陸の湖畔にある諏訪市が入っていたのも同じ。たが、想定解が74市と、第28回の時(78市)と食い違っている。ここまで誰も「疑問」と思うような書き込みがなかったので黙っていましたが、「どうも参考にしたデータが違うのでは」ないか。前に出た時と同じなら、その後市になった大網白里市を加えた79市ではないか。結局、訂正が出たので氷解しましたが。
選んだのは、ここも領地奪還を目指し、今は往時とは景色が変わってしまった、芭蕉ゆかりの景勝地があるにかほ市。

問九~田子の浦に打ち出でて見れば白妙の~
第二ヒントが出て「昔の名前…」。ここまでの答えの流れから、「旧郡名と一致」、土佐市がNGなのは「土佐郡と無関係の旧町村から成る」ことか。前回領国を奪われ、「捲土重来を期す」([104735])と誓った富士市を1場所で取り返し。これで、3問連続で領地奪還となりましたが、これは「市盗り」導入後初めてのことでした。

問一~伊東に行くならハトヤ、電話は4126~
こちらもお題と答えの流れから、球場・高校野球の強豪校・名選手…と、「野球」に関係ありそうだ、と方向性はつかめていましたが、甲子園の常連・松商学園があり、プロ野球の試合が行われたこともある松本市がNGになるなど、いまいち線引きが分からない。結局決め手になったのは、町村ヒントにあった奈良県三宅町のHPを何気なく見ていると
日本野球聖地・名所150選に認定されました
というのがニュースのページにあり、リンク先に「野球伝来150年特設サイト」が出ている。そのページを開くと「聖地・名所150選」があり、これまで出てきた正答も全て載っている。お題にあった、「迷彩」を成していた南砺市は、旧福光町に集中するバット生産工場(私は、半世紀近くも前、佐久間英氏の「お名前風土記」という本の中、富山県のページの中で「全国のバット生産の8割が福光町で作られている」といったことが書かれていたことで知っていた)。そして表の中から見つかったのが、伊東スタジアム跡。
プロ野球も東映【現・北海道日本ハム】が18年間春季キャンプを行い、1979年秋には長嶋茂雄監督の下、巨人の若手が地獄のキャンプを行ったことでも知られる
伊東市を答えたのは、第47回・問十以来、14大会ぶりでした。

問二~丘で眺めりゃ稲穂が揺れる~
お題を見て、県境にある市、それも東京から見て近い側にある市が並んでおり、最初「東京駅からその県内に列車で最初に到着する市」かな、と見たのですが、浜松や長野が正答になっていて振り出しに。次いで、区町村ヒントで「該当なし」と出たので、やはり「市盗り」関係かと見たのですが、領主がまだ不在のさいたま市がOKになっていたため「これではない」とそこで行き詰まり。第二ヒントが出て、「県境越えで通勤・通学者が県内最多」と見当がついたものの、国勢調査の最新データを開こうとすると「保護データが開けません」と出てきて、開くためのツールは検索して出てきたものの、操作するのに時間がかかりそうでまたも行き詰まり。正答を見ると、県境に接する市に交じって、名古屋・横浜・仙台…と「その県で圧倒的な人口集中がある『大都会』」もいくつか出ている。そこではっと浮かんだのが、「東京都では、やはり『実質・神奈川県』町田市がダントツではないか」。いろいろデータにあたって行くうちに、前回(平成27年)の国勢調査データは開けた。予想通り、町田市が2位以下に大差をつけてダントツ。おそらく最新データでもまず変わらないのではないか」と、ほぼ確信。その町田市がまだ出ていない。前回・第60回の問一に続き、2大会連続で領主の石高積み上げ。

問八~つがる娘は泣いたとさ~
問二と同様の理由で、最新の国勢調査データが開けず苦戦した問題でした。過疎、人口が大きく減っていそうな市が並んでおり、その方面の共通項かとまず思いましたが、データを開くとどうも違いそうだ。ようやく第二ヒントを解いて、「今日は何の日」。その日はちょうど敬老の日に当たっていて、「高齢者の比率」か、と見た。でもやはり国勢調査の最新データが開けない。そこで何とか手掛かりをつかもうとして、都道府県ごとの高齢化率(・ランキング)をネット検索してみると、いくつかの県のデータがヒットした。でも、そのデータの時点が国勢調査の時のものと、最新の県独自の集計のものがあったりして、混乱する。結局、答え選びに使ったのが、まだ答えが出ていなかった、青森県のデータ。国勢調査の時のデータであり、「まず間違いない」として、最高値になっている、4年前の夏、縄文遺跡を見て、農村集落の中の一軒宿の温泉旅館に泊まったつがる市([96355],[96376])を。実はその時点ではSVの意味が分からず、答えた後で「平均年齢(が高い)」ほうか、と思ったのですが、その平均年齢でも最高値になっており、これで正答を確信したのでした。

問六~名さえゆかりの小山田三つ葉~
今回想定解数が最も少ない上、お題が2市・NGが1市とこちらも少なく、しかも7日目にあたる22日から一泊二日の遠出を予定したため(道中記は後日書きます。でも天気が…)、「その前までに答えないと売り切れになって、連続完答記録が途切れる」という恐怖と常に向かい合わせという厳しい闘いでした。第二ヒントは「戸田市はもうすぐ」と解けたものの、何が「もうすぐ」なのかわからず、その次のSVを拡大して見ると、中央に雑居ビルの看板がある。並んでいる店の看板のどれなのか、しばらく考えているうちに、ふと「翡翠」の文字が目に留まり、その「翡翠」の字には、宝石のヒスイのほかに、鳥の名の「カワセミ」の意味もあることを思い出す。最近、「市のシンボル」が話題になったこともあり、「市の鳥がカワセミ」ではないか。そこで「市町村のシンボル」のページを開くと、町田市の市の鳥がカワセミ、とある。「そういえばそうだったな、『かわせみ号』というコミュニティバスか何かもあったな」と思い出す。戸田市の意味は、10月1日付で制定([105334] ピーくんさん)だからと分かる。これで、問二に続いてこれで2度目の町田市解答、領国「小山田城」の石高を14万石に、東京都の総領主石高も52万石に積み上げ。
これで、最難関を無事乗り越え、残る3問は想定解が70~100台と多く「売り切れ」の心配がないものばかり。万一答えられなくても、「旅先から戻ってくる2日の間で間違いなく行ける」と余裕ができたのでした。

問三~富士の高嶺に雪は降りつつ~
第二ヒントは「表記が一致」と解けたものの、何が一致するのが不明、その次のSVはただ田んぼの中の信号もない十字路。その画像を前方に進めると、新幹線の「越前たけふ」駅が見えてきましたが、「鉄無し」の土佐清水市が出ていたこともありその方向でないことは一目瞭然。ようやく第四ヒントが出て「車が集まる」と解け、まず高速道のSA・PAなどをあたったものの、土佐清水市には高速道・有料道が通っておらず、ふと「道の駅」では、と思い立ち、その道の駅関係のサイトをいくつか見ていると、「表記が一致」とは市名ズバリのほかに「市名と同表記の名称が入っている道の駅」も対象かな、と判断。ここは領主に復帰したばかりの富士市をもう一回。
ところで、意味不明だったSVの「越前たけふ」ですが、実は道の駅は開業が予定より遅れて現在も未開業だった([105859] Nさん、他)、ということだったのは、データを鵜呑みにした、出題者の調査不足だったのでしょうか?

問五~面白うてやがて悲しき鵜舟かな~
第一ヒントは「比較的若い」と読んで、「高齢化都市」の問八と対極か、と思ったものの、どうも違いそうだ。SVを見ると「四十九」の文字が見え、そこが境界線では、と見えたものの確信はできず。第四ヒントまで来て「市長の年齢」と解ける。そこで、「若年で就任した市長」のページと対比すると、どうやら「就任時ではなく現時点での年齢」「現在49歳以下」か、と見た。ここで再び「若年市長」のページに戻って、確実なところを探すことに。結局選んだのは、現市長の柴橋氏が4年前に38歳で就任、今年2月に再選し現在43歳の、未解答だった県庁所在地・岐阜市。
ちなみに、伊賀鉄道にできた「四十九」という名の駅については、[95587]で書き込んでいました。

問十~七つの星も呼んでいる~
これも第四ヒントまで来てようやくわかった問題でした。これまでの解答とNGの市から判断して、「お互いに人口の差が9人以下」。データベース検索から人口順に並べ、当たって行くことに。いろいろ考えましたが、最終的に選んだのは、問八で答えたつがる市を訪れた時の道中で、新幹線で降り立ち、そして乗った北斗市でした。
ところで、第一ヒントに出ていた、春の連休で訪れた大河ドラマゆかりの「ご当地」の市。異例な「市」のヒント、想定解なのかと思ったら、市の人口ランキングから見ると明らかに非該当。実は「町村を含めたランキングだと9人差以内の範囲に入る」([105855]) ということだったということですが、やはり「誤解を与える」ということもあり、「反則」ではないでしょうか。「町村で該当する(組み合わせ)」を例示するのであれば、こちらを見ればいくらでもあるはずですが。例えば、群馬県みなかみ町/東京都日の出町(人口が全く同じ)、青森県東北町/愛知県南知多町(3人差で前者の方が多い)、茨城県美浦村/青森県七戸町(1人差で前者が多い)等々…。和歌山県那智勝浦町>(5人差)群馬県板倉町>(8人差)鹿児島県肝付町>(9人差)長崎県佐々町、という「連続」もありました。SCも、画像が不鮮明で拡大してもよくわかりませんでした。

…これで、今回もノーミス完答となり、最終順位は前回より4つ上がって16位。しかしそういう実感がないのが正直なところで、多くの問題で正答順位が20位以下、入賞も前回に続いて無し。総合順位のUPは、各門の難易度が平均し、問題に対する回答者それぞれの得手・不得手のばらつきも微妙に影響していたことからなのでしょうか…。

♭今回の選曲は次の通り。
問七:登米市の旧登米町には、20年ほど前に訪れたことがあり、明治の面影を残す建物が数多く残り「宮城の明治村」の異名があり、昔の学校・警察署や、味噌蔵・薬屋?などの「街角博物館」を見たこと、当時は「軽便」仙北鉄道の旧駅舎が残っていたことを覚えています(こちらに投稿)。
問四:芭蕉が「奥の細道」で往時の象潟の風景を詠み込んだ一句。その頃は水面に多数の小島が浮かぶ、今の「松島」に似た風景だったのが、のちに地震によって地盤が隆起して陸地となり、今のような地形となったのでした([93053] hmtさん)。
問九:山部赤人が詠んだ超有名な萬葉の名歌ですが、こちらは百人一首に採用された、新古今集で改変されたバージョンのほう。
問一:またも超ワンパターン…。子供の頃、耳にたこができるほど聞かされた名CM。
問二:「町田音頭」の4番の歌いだし。
問八:年配の方ならご存じの懐メロより。津軽平野ののどかな田園風景が浮かんできます…。
問六:問二に続き、町田音頭の5番の歌いだし。
問三:問九で選んだ赤人の和歌の、「百人一首バージョン」での下の句。
問五:岐阜市を代表する風物詩「長良川の鵜飼い」を詠んだ名句。
問十:サブローさんの代表曲の2番?の歌いだし。「七つの星」はもちろんどこかの豪華列車ではなく、市名の由来となった北斗星。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示