[65152] むっくん さん
現在の日本の法体系である間接民主制(法的効力のあることは議会においてのみ決定する)に反することになります。
今更言うまでもないことですが、日本国憲法は直接民主制の考えを否定しているわけではありません。
日本国憲法の改正の国会発議は、国民投票による過半数の賛成による承認を必要とすることがよく知られています(憲法96条1項)。
また、一の地方公共団体のみに適用される特別法は、住民投票による過半数の同意を得なければ制定することができません(憲法95条)。
地方自治について言えば、“普通地方公共団体の議会が議決すべき事件”は地方自治法96条において限定的に列挙されており、“法的効力のあること” の「すべて」ではありません。
「合併しない」ことを住民投票により決めることは、普通に行なわれています。
2001年の
第153国会衆議院総務委員会会議録 に、市町村合併と直接民主主義の問題に関する質疑応答(重野委員)があったので、ご参考までにリンクしておきます。
この中にも出てきますが、町村議会そのものを置かずに、町村総会を設けることもできます(地方自治法94、95条)。
その実例が 東京都宇津木村(八丈小島)
[35748]いっちゃんさん でしたが、1955年の八丈町への合併により直接民主制村政は挫折しました。
なお、合併後、八丈島との格差が拡大した八丈小島は、1969年に集団移住によって無人島になりました。
2005年には 長野県木曽郡王滝村議会に、村議会を廃止し代わりに「村民総会」を設置する条例案が
議員提案 されましたが否決されました。
トカラ列島の件について言えば、当局(鹿児島県?)は、返還される下七島を含めた十島(他に無人島)を一つの村として復活させる意向であったと思われます。返還される下七島に「七島村」でなく「十島村」という名を付けたのが、その何よりの証拠です。
“参考までに住民投票を行った”(鹿児島県市町村変遷史)結果、上三島の数百人の有権者の圧倒的多数が示した「下七島と合併しない」という意思表示は、当局にとっては予想外の結果だったのでしょうね。
住民投票の実施は“参考まで”だったかもしれませんが、その結果に反する合併は強制できず、合併議案を出しても十島村議会を通る筈がありません。
十島を一つの村として復活させる意向だった当局者としては、合併拒否がわかっていたならば、返還された下七島を直接に鹿児島県大島郡(1951年当時)十島村に編入するテもあったのにと思ったかもしれません。
しかし、変則的な鹿児島県知事(国の機関)の直轄行政期間を設ける暫定措置に関する政令(昭和26年政令380号)の準備も既に進んでいるなどの事情もあり、変更するわけにはゆかなかったのでしょう。