[7566] 蘭丸 さん
>人文地理的、社会経済的な視点から見た場合、新潟県は「閉鎖的」ではないと思います。
そうですね。江戸時代から,三国街道と北国街道の両者を介して越後と江戸の交流は活発であったように思います。
明治初期には険しい三国街道に替えて清水峠が「車が通れる」ように改修されています(この場合の「車」とは,もちろん自動車ではなく人や馬が牽く荷車でしょうね)。実際にはこちらの方が自然環境的にはさらに厳しくて道路を維持しきれず,結局ほとんど放棄されたに等しい状態になっていますが。それだけ新潟-東京間には大きな輸送需要があったように思われます。
だからこそ,長野・碓氷峠廻りの信越線ルートや会津廻りの磐越西線(岩越線)ルートに替えて,両側にループを備えた長大トンネルで谷川連峰を貫く上越線ルートが急ぎ整備されたのでしょう。
そして,それがさらに新潟を東京に結びつける。
>「新潟って訛りないの?」
確かにアクセントは東京方言とあまり違わないし,下越北部を除けば東北方言のような「濁音の鼻音化」もないので,東京から見ればあまり訛りは目立ちませんね。でも,どの地方にもそれぞれの訛りがあるように,やはり「越後訛り」と言えるものはあるようです。
…というわけで,母方の田舎である中越地方の「チャーザァ村」(旧刈羽郡千谷沢村)の今少し奥の村でのフィールドワーク。
1:「い」と「え」の区別がない。
これは「チャーザァ村」を世に知らしめた林家こん平師匠がよく指摘しているものです。「越後」と「苺」の発音が同じになる,というもの。ただし,これは単語の頭の場合で,途中では母音の i と e は区別して発音されるようです。
2:「ゆ」と「よ」の区別がない。
これも単語の頭の場合ですが,「雪」は「ゆき」とも「よき」とも聞こえるように発音されます。明治半ば(1890年代)生まれの祖母は,ひらがなが多い手紙の中で「雪」を「よき」と表記していました。
3:「くゎ・ぐゎ」(合拗音)という発音が残っている。
祖母は「菓子」を「くゎし」と発音していました。これは既に廃れていて,今では年金を受給されている年齢層の人でも「か」と“直音化”して発音するのが普通です。
4:「開合」の区別がある。
これは越後方言について,専門家が広く指摘してきたことです。
「開合」とは,“現代仮名づかい”ではともに「おう(よう)」と表記され“共通語(標準語)”で「オー」と発音される「長い母音」について,“旧かなづかい”で「あう」「あふ」「わう」と表記されたものと,「おう」「おふ」「おほ」「えう」と表記されたものとの間で発音の区別がある現象をさします。「おう」などに由来する「オー」が単独の母音「オ」をそのまま伸ばしたように発音される(合)のに対して,「あう」などに由来する「オー」の場合は単独の「オ」よりも口を広く開けて「アォー」(やはりカナでは書けませんね。いわゆる発音記号で c がひっくり返った記号で表記される母音です)と発音する(開)。
中世末には京都の標準的な発音でもこの区別があったようで,ローマ字で表記された「キリシタン資料」ではこの“2つの o ”を書き分けています。けれども江戸時代以降,標準的な発音では両者の区別が失われていき,現在に至ります。
これが越後方言には残っている,というもの。
けれども,現在ではかなりな年配の方でもこれをきちんと発音し分けているようには感じません。若い世代では確実に区別は消滅しています。
ただし区別が消滅したときに,この地域では“閉じて発音する”共通語の「オー」とは違って“開いて発音する”「アォー」で統一した人が多いようで,この地方の人が発音する母音の「オ」には独特の響きがあります。田中真紀子さんの発音をよく聞くとわかるかもしれません(前にも言ったことですが,この人は東京育ちなのに実に「美しい中越方言」を操っていますね)。
ちなみに「長岡」を「ナゴーカ」と発音する場合がありますが,このときの「ゴー」がその“開いたオー”で発音されるものです。
5:母音の長短が入れ替わる場合がある。
この地方の方言でもほかの東日本方言と同様,「アイ」が「エー」にほぼ規則的に変わります。「無い」は「ネー」。ところが「若い」は「ワケー」とはならずに「ワーケェ」と「わ」の方を伸ばすように発音する。こんなことが,あちらこちらで起きる傾向がある。
「ちやざわ(千谷沢)」を「チャーザァ」と発音するのも,この中に入るかな。
…などなど。
とは言え,基本的には東京と大きな隔たりはないので,訛りが目立たないのでしょうね。
なお,文法や単語の面では,「否定の“ン”」「理由の助詞“すけ”(<さかい)」などのように関西方言の影響も見られます。