都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
hmtさんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …



[96907] 2018年 10月 4日(木)15:52:20hmt さん
上五島連島
[96903] 白桃さん
新上五島町の残りの有人島である頭ケ島、桐ノ小島、日ノ島も中通島と橋で繋がっているようです。

ご指摘の通り、4年前に[86425]で書いた<上五島連島>には見落しがありました。

この機会に、架橋により連なる8島と、主島である中通島との架橋関係を まとめて記載しておきます。

中通島 面積168.31km2, 2015年国勢調査人口 18113人 北端の津和崎鼻に至る長い半島があり、南北約39km。
頭ケ島 1.86km2, 15人 五島列島最東端の島の山頂に標高80mの上五島空港。世界遺産。頭ケ島大橋[82809]
桐ノ小島 0.04km2, 8人 中通島南部 桐古里郷の西側。ごく短い橋
上中島 無人 中通島と若松島を結ぶ県道46号 中通島との間の短い橋の名称不明[82809]
若松島 31.13km2, 1402人 中通島と若松島を結ぶ県道46号の若松大橋[82809]
漁生浦島 0.65km2, 30人 若松島の北西部 漁生浦橋[82809]
有福島 2.97km2, 112人 若松島北西にある架橋3島中最大の島 堤防道路疑惑[82877]
日ノ島【地図は日島】 1.39km2, 38人 堤防道路[82877]

参考:中通島から離島への行き方案内
[96903] 2018年 10月 3日(水)18:32:23【2】hmt さん
突然の航路休止に驚く中通島
日経2018/10/3
五島列島と長崎市や長崎県佐世保市などを結ぶ旅客船を運航する五島産業汽船(長崎県新上五島町)が全4航路を休廃止したことが2日、明らかになった。年間19万人前後の乗客が利用していたもようで、日常の足として使っていた五島市や新上五島町の住民の生活に影響を与えそうだ。

私が五島列島に関する記事を書き始めたのは、14年前の[26554]であり、その記事で最初に問題にしたのが、範囲の異なる2つの「五島列島」でした。
自然地名としての五島列島は、私より前に地球人さんの記事[17147]に記されているように 「下五島+上五島+宇久小値賀 という構図があり」、「北は、宇久島から南は、福江島まで連なる列島です。」

ところが、「行政上の五島列島」は長崎県五島支庁管内【注】に限られ、自然地名としての「五島列島」と異なります。
【注】この文を[26554]で記した5年後に、下五島【五島市】と上五島【新上五島町】、つまり遡れば南松浦郡であった区域を管轄していた長崎県五島支庁は廃止されました[71553]

宇久氏から改名した五島氏が福江島に本拠を移す前の発祥の地である宇久島【2006年佐世保市】と、その南の小値賀島とは 1878年以来北松浦郡です。小値賀島は江戸時代から平戸藩領で五島氏の領域外。
このような歴史的経緯もあり、宇久島と小値賀島【野崎島などの付属島を含む】は、「行政上の五島列島」には含まれず、「平戸諸島」に含まれています。離島振興対策実施地域一覧

前置きが長くなってしまいましたが、本題は上五島の主島であり、北端に位置している中通島です。
五島市のある福江島と長崎とを結ぶ航路は、長崎市の九州商船が運行しているので、大丈夫だろうと思います。

中通島は、4年前の[86425]で示したように【前回国勢調査では】人口2万人を越える大きな島でした。
【追記】
2015年国勢調査人口は 18113人に減少。橋で結ばれている若松島1402+漁生浦島30+有福島112を加えた「上五島連島」の人口も 19657人で、2万人に届かず。やはり、離島の人口は減っていますね。【追記終】

離島の公共交通として航路の重要性は言うまでもないことですが、船会社が突然の休止宣言。
新上五島町の役場も急に知らされたようで、会社都合による一方的な通知に、困惑しているようです。

【追記】
海上運送法第15条を見ると、航路の休止・廃止は30日(指定区間は6月)前までの届け出が必要なようです。
資金繰りの悪化など経営破綻の兆候の一部は、それより前から顕れていたのかもしれません。
情報が溢れているように思われる社会の中で、突然の航路休止騒ぎ。
もう少し早く情報を得て、必要な対策をとることはできなかったのでしょうか?

とりあえず、困った事態が発生し、2万人もの住民がいる離島だけに 影響が心配 という事件の御報告まで。
[96479] 2018年 9月 14日(金)18:40:25hmt さん
「失火の火元?」から
思いがけず、一連の記事の発端になってしまった「失火の火元?」hmtです。
再度のお詫びと併せて、記事[96463]の作成過程において ミスを発生させた「ごく個人的な事情」につき、少々釈明させていただきます。

気象庁報道発表第3報 厚真町で震度7を観測
第4報 「平成30年北海道胆振東部地震」と命名

記事[96463]の投稿動機:北海道の中で 有名とは言い難い「胆振」という地名の周知度を高めたかった という程度。
それに関連して、1960-2016年に定められた31の地震現象のリストを「列挙したつもり」でした。

ところが、PC操作ミスで 1件が脱落していました。指摘されて気付き、早速 お詫びを入れました。

しかし 火種が消えておらず、他の方に火の粉が降りかかる状況に、オロオロするばかり。
幸い、良識ある皆さんの発言により、大火にならず 鎮火の形勢となり、有り難いことです。
火元としては ホッとすると共に、私のミスから騒ぎを起したこと、改めて皆様にお詫びします。

今更ながらの言い訳ですが、「平成7年兵庫県南部地震」が消えた操作ミス の原因を推測しておきます。
6月に発症した脳梗塞[96343]の後遺症と思われる 指先の痺れ。投薬・リハビリ中ですが、未回復状態。
それでも せっせと落書き帳に投稿中。プレビューによる確認の大切さを実感しています。
[96468] 2018年 9月 9日(日)19:30:56hmt さん
Re:お伝えすべきこと
[96466] ニジェガロージェッツ さん
何かひとつ,お忘れではないですか?

ごめんなさい。
[96467] 2018年 9月 9日(日)18:55:44hmt さん
気象庁の震度観測点
北海道胆振東部地震を機会に、これまで気象観測地点ほどには話題になっていなかった 震度観測点に注目しました。

気象庁が発表する地震情報は、全国を188地域に区分した 地域名 を用いて発表されているそうです。
広い北海道は緊急地震速報が 道央(地域数9)道南(10)道北(8)道東(11)の 38地域。
その他は凡そ4~2地域よりなる府県予報区ですが、奈良県だけは全県が1地域です。
島嶼のある都県では、下記のように多数の地域が設定されています。
東京都は23区など3地域の他に 伊豆諸島(5)と小笠原(1)で9地域。長崎県は6地域。
鹿児島県は6地域と奄美群島(2)で8地域。
沖縄県が3地域と大東島・宮古島・八重山(3)で8地域。

これら 188地域に設けられた気象庁の震度観測点は 670で、全国で約1300ヶ所(約17km間隔)という アメダスの約半分の密度です。

しかし、全国には その他に、地方公共団体の 2913、防災科学技術研究所の 789と、多数の地震計が存在するようです。大学等の研究機関にも地震計があるでしょう。

[96463]では民間報道を引用して「厚真町鹿沼で震度7を観測」を伝えました。
しかし その後の調査で、2018/9/7 16時00分の報道発表・「平成30年北海道胆振東部地震」について(第6報)を知りました。
関係データ、地図、逆断層型の発震機構(速報)を含めて詳しい内容が記されていたので、改めて この pdf発表 をリンクしておきます。

震度7が観測された観測点「厚真町字鹿沼(あつまちょうしかぬま)」のデータ
地域名称:胆振地方中東部 震度観測点の所在地:勇払郡厚真町字鹿沼200-2
緯度経度:北緯42度37.4分、東経141度55.2分 地図   観測開始:2012/10/2

参考までに、胆振地方中東部で最古の観測点は、室蘭の旧気象台(大正12年6月)でした。
現存する震度観測点は、室蘭、苫小牧、登別、白老町、厚真町の5地点です。
また胆振地方西部には、現在のところ伊達市に1地点存在するだけですが、2000年頃に何ヶ所かあったのは、有珠山噴火に対応した臨時の観測点であろうと推察します。
[96463] 2018年 9月 7日(金)18:04:33hmt さん
地震に使われた地名 胆振
[96461] グリグリさん
北海道大地震(北海道胆振東部地震)に関するNHK情報ほか

北海道全域に及ぶ大停電を引き起こした昨日の地震。
ニュースを見ながら気になっていたのが、記録された最大震度と気象庁の呼び名でした。

気象庁の震度データベース検索により、「最大震度6強以上」を検索したら 2016年4月の熊本地震。
よく見ると、発生日時が2018//9/5までとなっており、昨日の記録は対象外でした。

気象庁は6日午後、北海道の胆振地方で起きた地震について、厚真町鹿沼で震度7を観測していたと発表した。
これまで気象庁は、強い揺れの影響で複数の観測点で震度の情報が送られてきていないとして、震度分布図からは震度7を観測している場所がある可能性は否定できない、としていた。
という 昨日15:25現在の報道が示しているように、正式の記録として残すデータについては、慎重な姿勢で臨んでいるようです。

参考までに、厚真町鹿沼付近の地図

気象庁の呼び名については、昨日17:30に 「平成30年北海道胆振東部地震」と決定されて発表あり。

参考までに、ウェザーニュースに紹介された 気象庁が名称を定めた地震現象のリストを列挙。

チリ地震津波   北美濃地震   宮城県北部地震   越前岬沖地震   新潟地震   松代群発地震
えびの地震   1968年日向灘地震   1968年十勝沖地震   1972年12月4日八丈島東方沖地震
1973年6月17日根室半島沖地震   1974年伊豆半島沖地震   1978年伊豆大島近海の地震  
1978年宮城県沖地震  昭和57年浦河沖地震   昭和58年日本海中部地震   昭和59年長野県西部地震   
平成5年釧路沖地震   平成5年北海道南西沖地震   平成6年北海道東方沖地震   平成6年三陸はるか沖地震
平成12年鳥取県西部地震  平成13年芸予地震   平成15年十勝沖地震   平成16年新潟県中越地震   
平成19年能登半島地震  平成19年新潟県中越沖地震   平成20年岩手・宮城内陸地震   
平成23年東北地方太平洋沖地震   平成28年熊本地震

今回は内陸でしたが、昭和57年には「浦河沖地震」というのがあったのですね。
1968年と平成15年と2回の十勝沖地震、平成5-6年の釧路沖、北海道南西沖、北海道東方沖。

「胆振」という国名は、室蘭・苫小牧という港湾都市名[78736]に比べて、知名度が低いように思われます。
せっかくの機会?なので、過去記事の中から北海道胆振国[72049]をリンクしておきます。
「胆振東部」と言えば、石勝線のトマムまでが「胆振国勇払郡」でしょうが、占冠村は胆振管内ではなく上川管内です。明治初期に鵡川を遡り到達した時代に定められた胆振国の範囲と、現状との違い。
[96451] 2018年 9月 1日(土)18:46:46hmt さん
船迫(ふなばさん)
[96448] 千本桜 さん
「船迫」は「ふなばさま」と読むのですが、昔の人は「ふなばさん」と発音していました。

これは、成田(なりた)を「なんだ」、上町(かみまち)を「かんまち」と発音する事例、すなわち 後続音のある「普通の撥音便」とは 異なるケース と考えるべきではないでしょうか?

船(ふな)迫(はざま→ばさま)という漢字の切り方を無視して、
「ふなばさま」を「ふなば さま」→「ふなば さん」と発音するのは、ありそうなこと。

そんなことを考えながら[96449]を見たら、
天神様、白桃様、とか言いづらいというか、「てんじんさん」と言った方が親しみをもってきこえる???

口語の変化です。私も 文字にとらわれない「白桃さん」説に賛成票。
[96450] 2018年 9月 1日(土)17:45:51hmt さん
多摩川の南北にある「野川」という地名
[96446] うっかりじゅうべえ さん
自治体越えの地名掲載の神奈川県川崎市「野川」が、住居表示されるようです。

自治体の境界で分断された地名として取り上げられた地名「野川」は、1889年の町村制施行より前には、神奈川県橘樹(たちばな)郡「野川村」でした。
地図を見ると鶴見川の支流・矢上川が流れています。この川の通称が「野川」だったのかもしれません。

明治合併で成立した 宮前(みやさき)村の大字になった「野川」。
関東大震災【今日は95年の記念日】の翌年に成立した川崎市は、昭和戦前時代(1927-1939)に近隣10町村【+日吉村の一部】を編入しており、宮前村野川も、1938年に川崎市野川になりました。

この付近の交通環境を大きく変えた 第三京浜道路は 1965年全線開通。
川崎市が政令指定都市になった 1972年には そのまま高津区野川になりましたが、1982年の分区で 宮前(みやまえ)区が作られた際には、第三京浜の西側一帯だけでなく、矢上川より北・神明社のある一角も宮前区になりました。
町区域の設定図を見ると、この区域が今回の住居表示で「野川本町3丁目」になるというので、どうやらこの一角が、「野川」という集落が本来存在した地であると理解できます。

地図で付近を見渡すと、第三京浜と武蔵野貨物線【地下】とが交差する地点で、ICや貨物駅の存在から物流拠点としても利用されてきたが、宅地化に対応して、今回住居表示を実施することになったものと理解されます。

この付近には、「たちばな古代の丘緑地」などもあります。
橘樹郡の由来に関係する弟橘姫の故事。そんなことを思い出しながら、橘の記事[64972]

ここで、対象の「野川」が変ります。
実は「川崎市の野川」は、その存在自体を今回初めて知りました。
[60771]で言及されていることは、本文を書いた後で、偶然知りました。

視野を川崎から少し広げると、北方には 多摩川が都県境を流れています。

その多摩川に、東京側の武蔵野台地を水源として 合流してくる支流が 「野川」です。
国分寺崖線から流出し、現在は二子玉川で多摩川に合流していますが、古い地形図では現在よりも西を流れています。戦後の六郷用水流路廃止による流路変更があったようです[79306]

こちらの「野川」は、落書き帳の初期から登場している 有名河川?です。

[19260] グリグリさん 武蔵野夫人
TNさん[19236]がご紹介されている野川の源流です。

[38583] 音無鈴鹿 さん
それら湧水を集めて国分寺崖線に沿って流れているのが野川。上流端は日立中央研究所のなかです。

川崎市の多摩丘陵にある「野川」の数km北の 多摩川対岸には、武蔵野台地から流れ出る「野川」がある。
2つの「野川」は 偶然の一致 と思われるので、地名コレクション「自治体越えの地名」の趣旨である
同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名
に該当するものでないことを お断りしておきます。

変遷情報検索で調べてみると「○野川」という村名は66件も出てくるが、単純な「野川」という村名は5村のみ。山形 福島 神奈川 滋賀 岡山 各1村

過去記事検索で「野川」を調べると、吉野川 阿賀野川 熊野川 など多数がヒットしてしまいます。
単純な文字だけで構成されているだけに、「野川」【例えば[5320]】だけを拾うのは困難でした。

このように、単純な言葉ですが、「野川」自体は「ありふれた地名」ではない。
偶然にしても、多摩川の南北に「野川」があったのは、やはり「珍しいこと」として記録しておきたい。
そんな軽い気持ちからの書き込みでした。
[96440] 2018年 8月 26日(日)16:23:43【1】hmt さん
Re:「万歳がえし」なるもの
[96439] スナフキん さん
ネット情報を鵜呑みにするならば、どうもこれは北陸地方や長野県の一部地域で行われているもののようですが

私も体験はしていませんが、普通の万歳三唱だけでなく、「お返しつき」のバージョンが存在するようですね。
既にご存知のネット情報と思われますが、参考までに 少し列挙しておきます。

砺波市 「万歳返し」の思い
「万歳返し」っていうのは少なくとも私のふるさと福井にはなかったように思う。インターネットで調べると、信州の方では結婚式や家の建て前のときに行われるようである。

長野の締めはバンザイとバンザイ返し?
長野市とくに若穂【注】(中略)主催者から参加者に向けて万歳が送られ、その後に万歳を受けた方がお返しに万歳もあります 万歳返しとでもいうのでしょうか、

【注】本筋の「万歳がえし」と無関係だが、信州の地名に関連して追記
「わかほ」は、犀川・千曲川合流点付近の東岸で、1959年合併した3村(綿内 川田 保科)由来の合成地名。
「豊科」の同類です。「しな地名」[77926]の一つで呼ばれる保科観音のお寺は、清水寺(せいすいじ)と読みます。

万歳三唱(2)
----------
県外から転勤などで長野県にいらして一番最初に遭遇し、戸惑うのがこの「万歳三唱」ではないでしょうか?
県民にとっては当たり前のしきたりのですが・・・
【具体的な例より】
指名された発声者の音頭で万歳三唱をし、主催者は有り難く礼をしてお受けします。
次に、主催者は上座から(或いは上座から辞して)、代表者がお客様に対して万歳唱三唱のお礼を述べ、続いて 返礼の万歳三唱をいたしたい旨 を伝え、全員の賛同を得ます。
その際、主催者側代表は全員での万歳のご唱和をお願いします。
----------

万歳のお返しもあります。 ちなみに富山県です。
[96430] 2018年 8月 23日(木)19:12:11hmt さん
台東区はお台場の東?
台東区。ekinenpyouさんの記事を発端になり、その読み方が話題になっています。記事集

中心になっている中国語の読み方については、私は全くの無知であり、議論に加わることができません。
そこで 初心に戻り?、落書き帳の古い記事を検索してみました。

その結果、とんでもない 誤解記事を発見してビックリ。
[1933] mikiさん 地名+方角の区
東京都...江東区(江戸川の東)、台東区(お台場の東)

さすがに、投稿直後に Issieさんによる修正意見[1996]が出ていました。
「江東区」は“隅田川の東”,「台東区」は“台地(具体的には本郷台かな)の東”という意味です。

台東区には上野公園になっている台地があり、「上野の山」と呼ばれています。
江戸時代は、この台地の全域が 東叡山寛永寺の境内でした。
戊辰戦争では、江戸で唯一の戦場になりました。新政府軍の指揮官は西郷隆盛。銅像は何故か着流し姿。
「台東」の意味は、“台地の東”よりも、“上野の台地と、その東に広がる低地【下谷・浅草】”と理解するのが適切ではないでしょうか?

下谷区と浅草区とが統合されて台東区になったのは、敗戦直後の大都市改革[74935]の一環でした。
具体的には 1947年3月15日に 都心部の区を中心に統合が行われて、35区が「22区」になりました。
昭和22年東京都告示第127号
左側に3月5日施行とありますが、ごれは誤記で、右側の昭和二十二年三月十五日施行が正しい。

台東区について言うと、既に当用漢字表は1946/11/26に公布されているのですが、これが新字体になる「当用漢字字体表」の告示は1949/4/28ですから、「臺東区」で告示されていると推察します。
告示の原文を確認したいと思いましたが、不成功。

[96417]伊豆之国 さん
「台」と「臺」は、本来はそれぞれ別の字で、どちらも中国に古くからある漢字です。

…というわけで、Wikipedia台東区>名称由来に記された
康煕字典にめでたい意味で載る瑞祥地名でもある。
のは、「臺東区」であろうと推察しました。

そこで、ekinenpyouさんに存在を教えていただいた康煕字典で、至部8画の「臺」を覗いてみました。
東という字は末尾から3行目にありましたが、「臺東」という地名は未発見。
念の為、略字の 「台」にも「台東」は見当たらず。

あまりパッとしないレポートですが、読み方とは無関係に「台東」を調べた結果でした。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示