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MIさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[84592]2013年12月27日
MI
[84561]2013年12月20日
MI
[84554]2013年12月19日
MI
[84259]2013年10月23日
MI
[84189]2013年10月5日
MI
[84186]2013年10月5日
MI
[83625]2013年6月22日
MI
[83620]2013年6月20日
MI
[80315]2012年2月21日
MI
[80306]2012年2月18日
MI
[80299]2012年2月17日
MI
[80286]2012年2月12日
MI
[80285]2012年2月12日
MI
[79303]2011年9月3日
MI
[79100]2011年8月15日
MI
[79005]2011年8月8日
MI
[78873]2011年8月6日
MI
[78824]2011年7月24日
MI
[78818]2011年7月24日
MI
[78807]2011年7月22日
MI
[78806]2011年7月22日
MI
[78763]2011年7月13日
MI
[73514]2010年1月1日
MI
[69708]2009年4月27日
MI
[69704]2009年4月27日
MI
[69568]2009年4月25日
MI
[69393]2009年4月19日
MI
[69274]2009年4月18日
MI
[69252]2009年4月17日
MI
[69163]2009年4月8日
MI

[84592] 2013年 12月 27日(金)16:15:46MI さん
三方上中郡
[84583][84589]白桃 さん
[84585]桜通り十文字 さん
[84588]EMM さん

 新旧の各自治体名の読みについて、文字ごとの使用頻度を数えさせてみた結果、同じ文字を3回使用しているのは現行では皆様から挙げられたほかに郡名が一つあり、下記のようになります。4回以上の使用はありませんでした。

兵庫県美方郡新温泉町しんおんせん_ちょう
山口県大島郡周防大島町 すおうおおしま_ちょう
福井県三方上中郡みかたかみなか_ぐん
鹿児島県肝属郡2南大隅町みなみおおすみ_ちょう
長野県上伊那郡南箕輪村1みなみみのわ_むら

 また過去のものも一覧にすると次のとおりでした。ご参考までにどうぞ。

静岡県駿東郡大岡村1おおおか_むら
宮城県栗原郡大岡村1おおおか_むら
埼玉県比企郡1大岡村1おおおか_むら
長野県更級郡大岡村1おおおか_むら
埼玉県比企郡2大岡村2おおおか_むら
神奈川県久良岐郡大岡川村1おおおかがわ_むら
神奈川県久良岐郡大岡川村2おおおかがわ_むら
青森県下北郡大奥村おおおく_むら
兵庫県印南郡大塩町おおしお_ちょう
福島県耶麻郡大塩村1おおしお_むら
宮城県桃生郡大塩村おおしお_むら
兵庫県印南郡大塩村1おおしお_むら?
熊本県宇土郡大田尾村1おおたお_むら
熊本県天草郡大多尾村1おおたお_むら
茨城県豊田郡大生村1おおのお_むら
茨城県結城郡2大生村2おおのお_むら
京都府中郡奥大野村1おくおおの_むら
岡山県西北条郡香々美南村1かがみみなみ_むら
岡山県苫田郡香々美南村2かがみみなみ_むら
岐阜県大野郡B上南方村1かみみなみがた_むら
大分県北海部郡上南津留村かみみなみづる_むら
大分県速見郡北杵築村きたきつき_むら
長野県上水内郡信州新町しんしゅうしん_まち
埼玉県中葛飾郡なかかつしか_ぐん
鹿児島県南諸県郡西志布志村1にししぶし_むら
鹿児島県囎唹郡B西志布志村2にししぶし_むら
佐賀県東松浦郡2浜崎玉島町はまさきたましま_ちょう
鹿児島県南諸県郡東志布志村1ひがししぶし_むら
鹿児島県囎唹郡B東志布志村2ひがししぶし_むら
岐阜県海西郡松山中島村1まつやまなかじま_むら
長野県南安曇郡みなみあずみ_ぐん
愛媛県南宇和郡南内海村みなみうちうみ_むら
鹿児島県南大隅郡みなみおおすみ_ぐん
石川県鹿島郡南大呑村みなみおおのみ_むら
石川県羽咋郡南大海村みなみおおみ_むら
富山県上新川郡2南加積村1みなみかづみ_むら
富山県中新川郡南加積村2みなみかづみ_むら
静岡県賀茂郡1南上村1みなみかみ_むら
静岡県賀茂郡2南上村2みなみかみ_むら
滋賀県伊香郡1南富永村1みなみとみなが_むら
滋賀県伊香郡2南富永村2みなみとみなが_むら
新潟県西頸城郡南西海村みなみにしうみ_むら
和歌山県那賀郡南野上村1みなみのかみ_むら
和歌山県海草郡南野上村2みなみのかみ_むら
静岡県山名郡南御厨村1みなみみくりや_むら
静岡県磐田郡2南御厨村2みなみみくりや_むら
滋賀県坂田郡南箕浦村みなみみのうら_むら
千葉県朝夷郡南三原村1みなみみはら_むら
千葉県安房郡2南三原村2みなみみはら_むら
長野県北佐久郡南御牧村みなみみまき_むら
新潟県南魚沼郡南藪神村みなみやぶかみ_むら
富山県礪波郡2南山見村1みなみやまみ_むら
富山県東礪波郡南山見村2みなみやまみ_むら
福岡県上毛郡南吉富村1みなみよしとみ_むら
福岡県築上郡南吉富村2みなみよしとみ_むら
埼玉県横見郡南吉見村1みなみよしみ_むら
埼玉県比企郡2南吉見村2みなみよしみ_むら
新潟県中頸城郡妙高々原町みょうこうこうげん_まち
新潟県中頸城郡妙高高原町みょうこうこうげん_まち
新潟県中頸城郡妙高々原村みょうこうこうげん_むら

※郡名や町村名の末尾に付いている半角数字やBなどは、自作のデータベースで分類や区別のために使用しているものである。
[84561] 2013年 12月 20日(金)18:34:22MI さん
Re: 山口県玖珂郡坂上村
[84557] むっくん さん
 訂正情報ありがとうございます。官報は細かく目を通しているつもりなのですが、明治36年9月4日のものは手許のデータから漏れていました。YT さん、グリグリさんはじめ、皆様にはご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
[84554] 2013年 12月 19日(木)20:50:01MI さん
山口県玖珂郡坂上村の成立など
[84549] YT さん
というわけで、「市区町村別人口 Ver. 0.10」として

 早速ダウンロードさせて戴きました。いつもながらのこととはいえ、膨大な編集作業には本当に頭が下がります。どうも有難うございました。
 その上で、ご提起された要修正箇所についてですが、手許ですぐに確認が取れましたので、取り急ぎ報告いたします。

(1) 鳥取県八頭郡山形村 (鳥取県#25)
◎村廢置
八頭郡大内村虫井村ヲ廢シ其區域ヲ以テ山形(ヤマガタ)村ヲ置キ本月一日ヨリ施行セリ
 大正八年一月 鳥取縣
官報 大正8年1月4日 広告p9
 ということで、ご指摘のとおりに思います。

(2) 山口県玖珂郡坂上村 (山口県#22)
○村廢置
本年十月一日ヨリ玖珂郡澁前村藤谷村ヲ廢シ其區域ヲ以テ坂上(サカウエ)村ヲ置ク
 明治三十六年五月 山口縣
官報 明治36年5月30日 広告p603
 ですから、下記のようになろうかと思います。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
XX1903(M36).10.1新設玖珂郡坂上村玖珂郡 渋前村, 藤谷村詳細
[84259] 2013年 10月 23日(水)23:55:00MI さん
愛知県碧海郡上青野村など
[84253] YT さん
 手許のデータと照らし合わせてみました。

(1) 愛知県碧海郡上青野村 (愛知県#31、#136)
 『愛知県令達類聚 明治24年p.7』は、
「告示第百六十一號 明治二十四年十一月十日
縣下碧海郡阿乎美村ノ内大字下青野、在家、上青野ヲ青野村ト爲シ大字合歓木、高橋、福桶ヲ合歡木村ト爲ス
右町村制第四条ニ據リ處分ス」
 また、『明390425官報広告p785』に、
「○町村廢置
愛知縣ニ於テ左ノ通町村ヲ廢置シ來ル五月一日ヨリ之ヲ施行ス
 明治三十九年四月 愛知縣
新置町村役場位置廢止町村
(中略)
六ツ美(ムツミ)村大字下青野字本郷六十八番ノ一、六十九番青野村、合歡木村、中島村、占部村、糟海村、中井村ヲ廢シ其區域ヲ以テ新ニ六ツ美村ヲ置ク
 とあることより「上青野村」は誤りで「青野村」が正当と思われます。

(2) 愛知県中島郡平和村内の井長谷村の記述 (愛知県#161)
 『明390507官報広告p190』に、
「愛知縣ニ於テ左ノ通町村ヲ廢置シ本月十日ヨリ之ヲ施行ス
 明治三十九年五月 愛知縣
 中島郡
新町村名役場位置廢止町村名
(中略)
平和(ヘイワ)村大字三宅字上屋敷千百九十九番千二百番六輪村、左右川村、三宅村、井長谷村ヲ廢シ其區域(三宅村ハ大字板葺ヲ除キ井長谷村ハ大字井堀、儀長ヲ除ク)ヲ以テ新ニ平和村ヲ置ク
千代田(チヨダ)村大字福島字比舎田二百十八番、(以下略)豐田村、寶田村、吉田村ヲ廢シ其區域及三宅村大字板葺、井長谷村大字井堀、大江村大字梅須賀ヲ以テ新ニ千代田村ヲ置ク
(中略)
明治(メイジ)村大字中野字宮浦六百七十八番西島村、光郷村、片原一色村、國分村ヲ廢シ其區域及井長谷村大字儀長ヲ以テ新ニ明治村ヲ置ク
 とあることより、平和村の新設は「三宅村」を「三宅村の一部」に修正し、「井長谷村の一部」の追加が必要、またその日付は「1906(M39).5.10」が正当です。

(3) 岐阜県厚見郡鳥屋村、本荘村 (岐阜県#4、#197、#243)
 『岐阜県令達全書 明治23年p946』に、
「◎縣令第二十八號 二十三年三月廿四日
美濃國厚見郡鳥屋村ヲ本莊村同國上石津郡冠村ヲ(時村…註 改称後の村名が欠落しており補完しました)同國安八郡三里村ヲ御壽村ト改稱ス」
 とあり、YT さんご説明のとおりです。

(4) 新潟県岩船郡塩屋村 (新潟県#238)
 『明治二十二年三月 縣令第二十二號別冊 市町村区域及改稱市町村名』(新潟県文書館所蔵)によると、塩谷町、長松村、北新保村、福田村、牛屋村を合併して塩屋(シホヤ)村が成立し、
 『明341126官報広告p534』で、
「○町村廃置分合
左記の通町村ノ廢置分合ヲ爲シ本月一日ヨリ實施セリ
 明治三十四年十一月 新潟縣
新置町村名區域
(中略)
 岩船郡
平林(ヒラバヤシ)村平林村 鹽屋村
 とありますので「塩屋村」正当です。集落名は塩谷であることから誤りやすいのですね。
また、この表記からすると「平林村に吸収」ではなく「新設」がふさわしいように思います。
[84189] 2013年 10月 5日(土)22:55:11MI さん
碧海郡渡村は?
[84185] むっくん さん
[84187] YT さん

 愛知県の市区町村変遷履歴情報にある
#92 1901(M34).4.4 分立 碧海郡 渡村  碧海郡本郷村の一部(大字渡、筒針
については、私も疑っておりました。愛知県公報は未確認ですが、官報広告欄には同年に行われた
愛知郡一柳村大字中須、大蟷螂を同郡御厨村への編入(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948588/7)、
中島郡北島村、玉田村を合併して島田村を設置(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948658/5)
が見られるのに、この渡村分立は見当たらないのです。
 更に、『郵便区画市町村一覧』,丸善,1902年5月(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762985/193)
でも渡村はなく、本郷村の大字に渡、筒針も含まれているのです。

 更にその後の経過についても、
#137 1906(M39).5.1 新設 碧海郡 矢作町 碧海郡中郷村, 矢作町, 本郷村, 渡村, 長瀬村, 志貴村, 志賀須香村
は明治39年4月25日官報広告p785(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950184/18)では「矢作町、本郷村、中郷村、志賀須香村、志貴村、長瀬村ヲ廢シ其區域ヲ以テ新ニ矢作町ヲ置ク」であり、渡村の記載はありません。

 これらからすると、渡村の存在は極めて疑わしいと思うのですが、そうであれば『市町村名変遷辞典』や『全国市町村名変遷総覧』の記述は何に拠るものだったのでしょうか?

#『郵便区画市町村一覧』では碧海郡を「あをみ」と読んでいますね。
[84186] 2013年 10月 5日(土)17:23:44MI さん
明治26年の平坂村から平坂町への改称
[84183] YT さん

 実は、近代デジタルライブラリ(国会図書館デジタル化資料)に収録されています。
『 愛知県令達類聚. 明治23年 』 (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788176) には明治23年から26年までが含まれているのです。
 平坂村から平坂町への改称については290コマ (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788176/290) にあり、額田郡福岡村、知多郡内海村と同時の明治26年11月8日告示であることが分かります。
[83625] 2013年 6月 22日(土)09:41:57MI さん
新潟県中蒲原郡鳥屋王村から鳥屋野村への改称年月日
[83624] むっくん さん
(14)新潟県中蒲原郡鳥屋王村から鳥屋野村への改称年月日について

 この件については以前に新潟県立図書館で調べたことがありました。
[68520]で引用された『現行新潟県法規類纂』では県令や告示が年月までしか記載されておりませんが、実見した『新潟県布令全書』によれば、

明治二十三年
県令甲第八十六号 十二月十二日
中蒲原郡鳥屋王村 ヲ鳥屋野村ト改称ス

県令第十七条
明治二十三年「十二月」県令第八十六号村名改称ノ件取消ス
明治二十四年二月二十七日 新潟県知事千田貞暁

告示第十七号
中蒲原郡鳥屋王村ヲ鳥屋野村ト改称ス
明治二十四年二月二十七日 新潟県知事千田貞暁

という経緯を辿ったことが分かりました。したがって改称日は告示された 1891(M24). 2.27 を採るのが妥当であると考えます。
[83620] 2013年 6月 20日(木)06:53:18MI さん
北群馬郡は官報正誤に
[83617] hmt さん

官報 昭和25年1月30日 正誤p257
同(昭和二十四年)十二月九日総理府告示第百五十号四行「十一月一日」は「十月一日」の、(中略)誤り。
ということであり、実施日は10月1日正当です。
 このような「正誤」は検索にも掛かりませんので、こまめに探すしかないようです。
[80315] 2012年 2月 21日(火)06:54:56MI さん
明治22年神奈川県令第9号での読み
[80314] hmt さん
【追記】 MI さん宛
表の第3列(M22県令)は[80299]マナヅル、[80306]ミナミモリ以外は空欄にしてあり、補足していただくことを期待していたのですが、寄村・仙石原村・三田村の3村については、そもそも 1889/3/31の廃置分合が行なわれていないので、資料(1)の対象外でした。町村制施行の県令10号[78873]には ルビ付きの町村リストはない という理解で正しいでしょうか?
また、県令9号付属の廃置分合リストの ルビの対象 は、全町村でしたか、それとも 一部の町村のみでしたか?
 拙稿[78873]で示した通り、県令9号では「分合改稱」した町村が全27ページの「別冊」にまとめられています。しかし県令10号は「横濱ヘ市制」「其他ノ町村ヘ町村制」を施行するというだけで、町村のリストはないのです。
 町村制施行時の一覧表はないものかと公文書館所蔵のマイクロフィルムを繰っていましたら、明治22年3月30日付の神奈川県広報号外に、
○達甲第三十九號
                 郡役所
分合町村役場位置別紙ノ通リ之ヲ定ムヘシ
 但別紙ハ第一部ヨリ送付ス
  明治二十二年三月三十日 神奈川縣知事沖 守固
とあり、その別表として全28ページの「神奈川縣各郡町村名大字役場位置表」がありました。こちらには県令9号に掲載されなかった、つまり単独に町村制を施行された町村も記載されています。しかし残念ながら「読み」は記されていませんでした。

 それでは[80314]の表に県令9号の読みを補完してみます。

町村名の読み 対比表(主として清濁に着目)
郡名町村名M22県令和泉橋鍾美堂M36鍾美堂T2小川読方日本書房文録社S25国調現在
大住伊勢原町イセハラいせは?らイセハライセバライセハラIsebaraイセバラIsehara伊勢原市
大住秦野町ハダノはたのハタノハダノハダノHadanoハタノHadano秦野市
大住東秦野村ヒガシハダノひがしはだ?の…ハダノ…ハダノ…ハダノ…hadanoヒガシハタノHigashihadano秦野市
大住南秦野村ミナミハダノみなみはだの…ハダノ…ハダノ…ハダノ…hadanoミナミハタノMinamihadano秦野市
大住西秦野村ニシハダノにしはだの…ハダノ…ハダノ…ハダノ…hadanoニシハタノNishihadano秦野市
大住北秦野村キタハダノきたはだの…ハダノ…ハタノ…ハダノ…hadanoキタハタノKitahadano秦野市
足柄上上秦野村カミハダノかみはだの…ハダノ…ハタノ…ハダノ…hadanoカミハタノKamihadano秦野市
足柄上寄村やどりきヤドリギヤドリギヤドリギYadorikiヤドリギYadorigi松田町
足柄下眞鶴村マナヅルまなづるマナズルマナヅルマナヅルManazuruマナツルManazuru真鶴町
足柄下国府津村コフヅこくふつコーズコフヅコフヅKo-zuコフツKozu小田原市
足柄下仙石原村せんごくはらセンゴクワラ…バラ…ハラ…baraセンゴクバラSengokubara箱根町
愛甲高峯村タカ子たかみねタカ子タカネタカネTakamineタカネTakamine愛川町
愛甲三田村みたミタサンダサンダSandaサンダ睦合村厚木市
愛甲南毛利村ミナミモリみなみもりミナミモリミナミモリミナミモリMinamimo-riミナミモリNammori厚木市

 なお、hmtさんの表で「中郡」については明治29年に大住郡と淘綾郡が合併して成立したものであり、明治22年時点の郡名に改めました。
[80306] 2012年 2月 18日(土)23:15:02MI さん
愛甲郡南毛利村の読み
[80304] hmt さん
明治22年神奈川県令第9号 別冊「町村分合改稱」[78873]で 確認していただきたい村があります。
その村の名は、主として戦国時代以降の歴史に登場する毛利家の出身地とされる 愛甲郡南毛利村 です。
 ご要望を戴きましたので、早速確認いたしました。
郡名新町村名舊町村名
ミナミモリ
愛甲郡南毛利村長谷村 温水村 愛名村 愛甲村
恩名村 船子村 戸室村 飯山村飛地
 ご覧のとおり「ミナミモリ」とルビが振ってありました。そこで、これ以外に手許で確認できるものとして、近代デジタルライブラリーからめぼしいところを拾ってみたのですが、すべて「ミナミモリ」でした。

稲波惇太郎編, 『神奈川県改定区画傍訓町村名鑑』, 稲波惇太郎, 1889    「ミナミモリ」
和泉橋警察署編, 『新旧対照市町村一覧』, 加藤孫次郎, 1889          「みなみもり」
梅沢玉吉編, 『神奈川県各市郡改町村名大字役場位置表』, 西田書房, 1891 「みなみもり」
星野文三編, 『大日本市町村名鑑』, 博聞社, 1893                  「ミナミモリ」
鍾美堂編輯部編, 『新旧対照市町村一覧』, 1903                   「ミナミモリ」
鍾美堂編, 『改正新旧対照市町村一覧』, 鍾美堂, 1913               「ミナミモリ」
文録社編輯部編, 『最近検定市町村名鑑 昭和18年版』, 1942          「ミナミモリ」

 そこで、手持ちの資料四冊に当たってみたところ、その内の一冊に「ナンモリ」を見つけることができました。

, 『新旧対照市町村一覧』, 中村鍾美堂, 1902「ミナミモリ」
共盟館編輯所編. 『最近市町村明覧』, 大川屋書店, 1912「ミナミモリ」
大西林五郎編, 『帝国市町村便覧』, 尚栄堂, 1921「みなみもり」
日下伊兵衛, 『改正市町村名大鑑』, 和楽路屋書店, 1928「ナンモリ」

 小学校中学校だけでなく、南毛利スポーツセンターは「なんもうり」と読むようですね。検索すると南毛利公民館、南毛利保育所などもありますが、こちらの読み方は分かりませんでした。
[80299] 2012年 2月 17日(金)06:12:27MI さん
明治22年神奈川県令第9号では
[80295][80297] hmt さん
[80296] 白桃 さん
[80298] 88 さん

 皆様のご発言で、真鶴問題なるものを認識いたしました。その上で、昨年夏に日野宿を調査するために神奈川県立公文書館で複写してきたものを思い出しましたので、ご紹介します。

○縣令第九號
各町村ノ内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改稱ス
  明治二十二年三月十一日       神奈川縣知事冲 守固
                        (別冊ハ附録)

 その別冊は「町村分合改稱名」と表題がついておりまして、頁を繰っていきますと足柄下郡の項に、

郡名新町村名舊町村名
マナヅル
足柄下郡眞鶴村眞鶴村 岩村飛地

と、ルビ付きで記載されておりました。昭和02年1001の町制施行時は確認しておりません。
 以上、ご参考までに。
[80286] 2012年 2月 12日(日)22:34:43MI さん
市区町村変遷情報のデータについて
[79760][79772][79782][79794][80267][80268] 中島悟 さん
[79773][79775][79792][80257] hmt さん
[79796] 88 さん
[80261] オーナー グリグリ さん
[80262] ぺとぺと さん
[80274] むっくん さん

 市区町村変遷情報について「不連続点」「因数分解」や「表記の揺れ」などが話題になっています。私も「市町村変遷データベース」に取り組んで10年ほどになりますが、自分なりに工夫をしてきたつもりですので、自作のデータでどう取り扱っているかをご紹介します。
 まずは分立や部分編入によって、存続か消滅かを明示している例です。

10111213
月日県1郡市1町村1分類県2郡市2町村2読み地区名告示備考
18980204新潟県中蒲原郡松島村部村三個村さんか_むら大字海老ケ瀬;逢谷内;寺山新田明310204県告示024;明310221官報附録p001「サンガ?」;★三箇村
18980204新潟県中蒲原郡松島村部村新松島村しんまつしま_むら大字津島屋;松崎;河渡新田明310204県告示024;明310221官報附録p001「シンマツシマ」
18980204新潟県中蒲原郡松島村全入町沼垂町1大字山下新田明310204県告示024;明310221官報附録p001
18981001長崎県西彼杵郡淵村部入市長崎市竹久保郷など明310722県告示129;明311024官報附録p001
18981001長崎県西彼杵郡淵村部入村浦上山里村1寺野郷明310722県告示129;明311024官報附録p001
18981001長崎県西彼杵郡淵村全村小榊村こさかき_むら小瀬戸郷など)明310722県告示129;明311024官報附録p001
19541001島根県那賀郡今市村1;木田村1;和田村1;都川村1合村旭村あさひ_むら昭290930総理府0839
19541001島根県邑智郡桜江村部合部村那賀郡旭村大字八戸(一部)など昭290930総理府0839
19550401岐阜県恵那郡三濃村部入村愛知県東加茂郡旭村大字浅谷;野原昭300330総理府0907
19550401岐阜県恵那郡三濃村全入町明智町大字横通昭300330総理府0908

 第6項目が変遷の分類を示しているのですが、「部」で始まるときは一部が関わるという意味で、従って当該町村はその時点では存続していると判断します。「全」がありますと、その時点で消滅したことになるのです。
 また、「部合部村」のように「合」の次に「部」があるものは、それ以前に存在していた町村に合併するという意味に使っています。
 このように詳細に区別することによって、後述するように町村ごとの成立日・消滅日を特定することができるのです。

 小笠原諸島の例は「消滅」ということから「消村」と表現しています。
10111213
月日県1郡市1町村1分類県2郡市2町村2読み地区名告示備考
19520428東京都-硫黄島村2消村昭270428条約5号硫黄島;日本施政権から分離
19520428東京都-扇村袋沢村2消村昭270428条約5号父島;日本施政権から分離
19520428東京都-大村2消村昭270428条約5号父島;日本施政権から分離
19520428東京都-沖村2消村昭270428条約5号母島;日本施政権から分離
19520428東京都-北村2消村昭270428条約5号母島;日本施政権から分離

 郡の再編などの場合は、各町村も記載することにし、町村名には添字(サフィックス)を付加して区別しています。
10111213
月日県1郡市1町村1分類県2郡市2町村2読み地区名告示備考
18960401富山県上新川郡2部郡中新川郡なかにいかわ_ぐん西水橋町1など明290329法律51
18960401富山県上新川郡2南加積村1移村中新川郡南加積村2みなみかづみ_むら
18960401富山県上新川郡2山加積村1移村中新川郡山加積村2やまかづみ_むら
18960401富山県上新川郡2中加積村1移村中新川郡中加積村2なかかづみ_むら
18960401富山県上新川郡2西加積村1移村中新川郡西加積村2にしかづみ_むら
18960401富山県上新川郡2北加積村1移村中新川郡北加積村2きたかづみ_むら
18960401富山県上新川郡2東加積村1移村中新川郡東加積村2ひがしかづみ_むら
18960401富山県上新川郡2早月加積村1移村中新川郡早月加積村2はやつきかづみ_むら
18960401富山県上新川郡2浜加積村1移村中新川郡浜加積村2はまかづみ_むら

 すべてのデータは都道府県ごとのファイルにテキストで作成し、年月日順に並べてあります。誤入力を発見するために、自作の awk スクリプトでそのファイルを先頭から読みながら次のようなチェックを行なっています。

a) 各県ごとのデータを読みながら行うこと
 1) 各ファイルごとにデータの基本確認(日付順であるか、項目がずれていないか等、文法上のチェック)
 2) 市町村等が新設の時は、その自治体名と成立日を記憶
 3) 市町村等が消滅の時は、上記データに消滅日を付加
 4) 各データがその市町村の成立日・消滅日と矛盾しないか確認
 5) 各種のミスが発見されたものは、そのデータと誤りの種類が特定できるようにしたエラーファイルを作成
 6) 日付順、都道府県順 に並べながら、全てのデータを一つのファイルに作成(これが全国市町村変遷データになる)
b) データを読み終わってから行うこと
 1) 全市町村の成立日・消滅日データをファイルに書き出す(都道府県順・五十音順・漢字順・成立日順・消滅日順など数種類)
 2) 全国市町村変遷データから、逆に各都道府県ごとのファイルを再作成し、それを元データファイルと比較し、もし違いがあればそれを記録
 3) 成立日・消滅日データファイルから、廃置分合のあった日付ごとに市町村数の増加・減少を配列に登録し、それを用いて歴代日付順の市町村数変遷表を作成

 各市町村ごとに成立日と消滅日を記録することで、入力ミスのかなりの部分は発見することができるように思います。表記の揺れの場合も、データ上はどちらかの表記に統一した上で、その旨を備考に記せば解決するはずです。

 ご参考までに。
[80285] 2012年 2月 12日(日)22:30:29MI さん
里川口町から花巻川口町への改称
[80268] 中島悟 さんからのご指摘に対し、
[80274] むっくん さんからのご返答
これはM30.10.30に行われた里川口町から花巻川口町への改称
についてなのですが、当方のこれまでの調査では以下の通りでした。

 ・明220401の町村制施行時に里川口町であったことは『岩手県統計書』などで確認済。
 ・明301231現在『市町村現住人口表』で花巻川口町と変わっている。
 ・おそらく明30年に改称されたと推定。

 むっくんさんが、日付を10.30と特定された典拠をお教え願えれば幸いです。よろしくお願いします。

#久しぶりに顔を出してこれだけではあんまりですから、もう一つ書きこむことにします。
[79303] 2011年 9月 3日(土)05:55:20【1】MI さん
Google Earth で世田谷ヴィレッジ
[79298] ペーロケ さん のご質問に対しては、
[79300] MasAka さん、[79301] YT さん のご回答で解決済みだと思いますが、
もう一つ、Google Earth の(もしかするとあまり知られていない)機能を使って、世田谷ヴィレッジを見つけました。

 Google Earth をインストールされている方は多いと思いますが、「過去のイメージ」(historical imagery)機能は御存知でしょうか。ツールバーにある「時計」をクリックすると「時間スライダ」(time slider)が表示され、これをよって過去の衛星写真に遡ることが出来るのです。
 当該場所付近で最も古い 1997年12月31日撮影のものに切り替えてみますと、国土画像情報と同じように特徴的な形状の建物が見えますが、次の 2003年12月30日では住宅地に変貌してしまっている様子がはっきりと分かります。

 ほかにも、例えば今回の震災被害に遭った地区では地震直後の日々刻々と変化する様子を見ることができますし、また欧州の主要都市では第2次大戦前後の写真を見ることもできます。

#一つ誤字を訂正しました。
[79100] 2011年 8月 15日(月)16:37:44【1】MI さん
「相陽電鉄」は架空のおはなし
 誤解が広がらないうちに取り急ぎ。

[79099] hmt さんがご覧になった「相陽電鉄」ですが、贋誌百珍の中にあり、つまりフィクションです。

 念のために手許の統計資料を見ましたが、平塚町~大山町(8哩00鎖)と伊勢原町~厚木町(4哩64鎖)の地方鉄道敷設免許を1921(大10)0517に得た「相陽鉄道」なる会社は確かに存在し、その免許は1925(大14)0408に神中鉄道に譲渡されています。結局この路線は建設されないまま、1933(昭08)1213に失効(官報掲載)となっているのですが、上述のHPではこれらのことから想像を膨らませたお話を創造されたのだと思います。

#誤字の訂正と、近代デジタルライブラリーへのリンクを追加しました。
[79005] 2011年 8月 8日(月)23:02:31【1】MI さん
Re: 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (6)情報との付き合い方
 皆さん十番勝負にお楽しみのところ、場違いなようで気が引けるのですが、[78874] hmt さんからのご質問にお答えしなければなりますまい。
確認ですが、「日野村」という誤植があった「町村分合改稱」一覧表は、4月1日施行の「県令第10号」ではなく、3月31日施行の「県令第9号別冊」【つまり旧町村のリスト】ですね。
[78871] むっくん さん が言及された「(3)新市町村の役場位置に関する県令」は、発見できなかったのでしょうか?
また、同様に言及のあった“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】にも、「日野宿」と記載されていたでしょうか。

 まず「日野村」の誤植があった「町村分合改稱表」は「縣令第九號別册」に間違いありません。該当部分を正確に抜き出すと次のようになります。

郡名新町村名舊町村名
南多摩郡日野村日野宿 西長沼村飛地 平山村飛地 粟須村飛地

 次に「役場位置に関する県令」ですが、そこまで確認は致しませんでした。[78873] で引用した神奈川県公報の 明220311付 は他に縣令第十一號「分合町村ニ係ル財産處分方」、縣令第十二號「郡部地方税徴収期限第六項の延期」があるのみでした。またマイクロで「役場位置」のリストがあったように記憶はしておりますが、きちんとは確認しませんでした。
 同様に、“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】も未確認です。なにぶん大急ぎで訪れたことゆえご容赦いただきたいと思います。

 つづいて [78980] hmt さん
[78806] MI さん 紹介の資料から、類例をもう一つ。『神奈川県改定区画傍訓町村名鑑』
一例として、1町2駅6村、合計僅かに 9町村しか記されていない 津久井郡をリンクしておきました。
実際は 24町村ありますが、郡役所所在地の中野村を始め、ごっそり脱落しています。
最初は組合村が脱落したのかと思いましたが、そうでもないようです。
についてなのですが、まず神奈川県改定区画傍訓町村名鑑(凡例)をご覧ください。

此書ハ明治二十二年四月市町村制ノ施行ニ際シ神奈川県改定ノ市町村名ヲ列載スルモノトス

 つまり「改定しなかった市町村は掲載していない」のだと思います。縣令第九號も「分合改稱」したものを掲げているわけですから、例に挙げられた津久井郡であれば、単独で町村制を敷いた
 根小屋村、太井村、中野村、又野村、三ケ木村、青山村、長竹村、千木良村、沢井村、佐野川村、名倉村、鳥屋村、青根村、青野原村、牧野村 以上15ヶ村
については縣令にも表れませんし、上述の文献も脱落した訳ではないように思うのですが如何でしょうか。

#「改訂しなかった市町村」は誤変換でしたので訂正しました。
[78873] 2011年 8月 6日(土)01:03:38MI さん
日野村は神奈川県令の誤りでした
[78846] オーナー グリグリ さん
 メンバー登録ありがとうございました。ご挨拶が遅れてしまいましたが、皆様どうぞよろしくお願いします。
 さて本日、二俣川の神奈川県立公文書館に行って参りましたので、ご報告いたします。日本海側に在住の私ですが、今週は休みを取って国会図書館に籠っていたのです。今日は最終日だったのですが、[78871] むっくん さんの書き込みを拝見しましたら、二俣川へは私が行くのが最適なように思えまして、電車とバスを乗り継いで行きましたよ。
 明治20年からの「神奈川県公報」は製本されて開架に並んでいるのですが、肝心の県令が欠落しているようです。係りの方に訊ねますと、そういうこともあるので他で所蔵したものも併せてマイクロフィルムにしてあり、そちらを閲覧しました。
 さあお待たせしました。問題の県令全文です。

○縣令第九號
各町村ノ内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改稱ス
  明治二十二年三月十一日       神奈川縣知事冲 守固
                        (別冊ハ附録)

○縣令第十號
明治二十一年法律第一號ニ依リ内務大臣ノ指揮ヲ得明治二十二年四月一日ヨリ横濱ヘ市制其他ノ町村ヘ町村制ヲ施行ス
  明治二十二年三月十一日       神奈川縣知事冲 守固

 そして別冊に「町村分合改稱」の一覧が掲載されているのですが、ここで大変なことを発見してしまいました。日野宿の部分は予め「日野村」と印刷されたうちの「村」を手書きで「宿」と直してあるのです。これは[78871] むっくん さんのいわれる
まず当時のいずれの県の公報においても誤記は少なくなく、その後幾度にわたって訂正として出されています。神奈川県においても同様だったと考えられます。
 の正しく実例と考えられましたので、マイクロリーダーに目を凝らしてついに見つけました。

「神奈川県公報」明治22年5月15日
正誤 公報第弐百貮拾八號縣令第九號別冊九頁中鶴川村ノ下「熊ヶ谷村」ハ「能ヶ谷村」同南村ノ下「高坂村」ハ「高ヶ坂村」十頁中「日野村」ハ「日野宿」二十頁伊勢原町ノ下「坂戸村」ハ「板戸村」ノ誤

 「日野村」と記された史料が散見される理由については、これで明確になったと思います。本当に単純な誤りであったのか、それとも何らかの理由があったのかは分かりませんが、とにかく県令9号で「日野宿」とされたことが確認されたわけです。

 「宿」や「駅」を町(または村)とみなすとかいうような説明は公報を見た限りでは見つけられませんでしたが、とりあえずここまでのご報告です。
[78824] 2011年 7月 24日(日)23:02:43MI さん
Re2: 日野宿か、あるいは日野村か
[78812][78819][78820] hmt さん
 コメントやアドバイスを有難うございます。調べるほどに矛盾する史料が出てきて「嬉しい」限りですが、また困った例を近代デジタルライブラリに見つけてしまいました。
 新撰東京府分図 学校用(明260517発行)の「東京府十五區九郡及ヒ伊豆七島町村名一覧表」にある「明治二十六年四月一日ヨリ神奈川縣ヨリ東京府管下ヘ新ニ編入セラレタル三郡町村名表」には「改八王子町」「改由井村」のように、小さい字で「改」を附した町村名と、それを構成する旧村名(大字名)が記載されています。ところがその南多摩郡を見ても「日野」が見えず、詳細に眺めましたら「改桑田村」の中に「日野宿 上田村 下田村 石田村 新井村 川辺堀内村 豊田村」とありまして、なんと日野宿が桑田村の一部になっているのでした。ただ「神奈川県町村合併誌」などと見比べますと「宮村」が欠落しているなど、信憑性に乏しく思われます。しかしこういう史料もあったという記録にとどめるため、あえてご紹介しました。

[78820] hmt さんの
30時間以内にかぎり本人に認められる「訂正」は、登録したメンバーに限られています。
とは承知しておりませんでして、大変失礼しました。いまほどメンバー登録を申請いたしましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[78818] 2011年 7月 24日(日)13:31:44MI さん
Re: 日野宿か、あるいは日野村か
まずはお詫びと訂正です。[78806] の末尾にある
この上は明治26年の神奈川県告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。
は、
この上は明治26年の東京府告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。
の誤りでした。気づいた時には書き込み訂正の時間を過ぎておりまして、大変失礼いたしました。

 さて、昨日図書館で明260704官報附録p001の再確認をして参りました。この時期(明治32年5月まで?)の官報には附録に「庁府県公報」が掲載されることがあり、またそれ以降は本紙の広告欄に同種の掲載があることから、ここ数年はその照合を根気強くやっております。
 当該日の原文は次の通りでした。
南多摩郡日野宿ヲ日野町、北多摩郡府中驛ヲ府中町ト改ム此段公告ス
 明治二十六年六月二十六日
  東京府
 なんと、[78806]で引用した「現行東京府布令類纂」の記述とは異なっており、日野宿→日野町となっています。ただ、この「庁府県公報」の位置づけは各庁府県の公報等から抜粋した「二次史料」でありましょう。実際、告示番号もついていないのです。従って「一次史料」(この場合は明治26年東京府告示第47号」の確認がどうしても必要となると思います。広尾の都立図書館に「警視庁東京府公報」があることは分かっています。
[78807] 2011年 7月 22日(金)06:35:14MI さん
「村」のつかない「村」
[78790] オーナー グリグリ さん
[78794] むっくん さん

 神奈川県の「駅」「宿」、新潟県の「浦」以外にも「新田」がありました。

新潟県北蒲原郡蓮潟新田_村
新潟県南魚沼郡杤窪新田_村 (栃窪や橡窪などとも表記することあり)
岐阜県厚見郡左兵衛新田_村
岐阜県中島郡午北新田_村
岐阜県中島郡午南新田_村
岐阜県下石津郡安田新田_村
岐阜県下石津郡沼新田_村
岐阜県下石津郡帆引新田_村
岐阜県下石津郡万寿新田_村
岐阜県下石津郡本阿弥新田_村
岐阜県下石津郡徳田新田_村
岐阜県多芸郡根古地新田_村
岐阜県多芸郡駒野新田_村
岐阜県安八郡下大榑新田_村
岐阜県安八郡大吉新田_村
岐阜県安八郡藻池新田_村
岐阜県安八郡海松新田_村
岐阜県安八郡福束新田_村
岐阜県安八郡中郷新田_村

 以上ですべてだと思います。どうぞご確認ください。
[78806] 2011年 7月 22日(金)06:14:58MI さん
日野宿か、あるいは日野村か
[78790] オーナー グリグリ さん
[78794] むっくん さん
[78797] 88 さん
[78798] hmt さん

 私も自作の市町村変遷データベースを構築するに当たり、「駅」「浦」には頭を悩ませたものでした。集計上「町」や「村」でカウントさせるための便法として、「府中駅_町」「粟島浦_村」のような表記を採用しております。ご参考までに。
 さて日野宿について、当方のデータではこれまで「日野宿_町」としておりました。それは「神奈川県町村合併誌上巻(昭330330発行)」p83以降に掲載された
県令第九号
各町村の内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
 明治二十二年三月十一日
  神奈川県知事 沖 守固
(別冊)
 町村分合改称表
新町村名 旧町村名
  (中略)
日野宿  日野宿 西長沼村飛地 平山村飛地 栗須村飛地
によったからです。さらに近代デジタルライブラリの「神奈川県各市郡改町村名大字役場位置表(明治241001出板(ママ))」にも「日野宿(ひのじく)」とあり、その構成も「日ノ、西長沼飛地、平山飛地、栗須飛地」で一致しています。
 
 皆様のご発言を読み、「神奈川県県治一斑」や「神奈川県町村合併誌上巻」での町村数を確認しまして、あらためて手許にあるものやネット上の史料を照合して驚きました。明治22年時点で「日野村」となっているものが複数見つかったのです。
 「神奈川県改定区画傍訓町村名鑑(明220406出版)」には「日野村(ヒノ)」とあり、たしかに南多摩郡は1町19村になっています。
 「新旧対照市町村一覧(明221113出版)」も「日野村(ひの)」ですが、日野宿、西長沼村飛地、平山村飛地、栗須村飛地とで構成されています。
 「現行東京府布令類纂(明310425発行)」の日野町の項が、
日野宿、西長沼村飛地、平山村飛地、栗須村飛地ヲ合村
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ日野村ヲ日野町ト改稱ス
 1行目の「合村」、2行目の「日野村ヲ」と明記してあります。
 ちなみに同書の府中町の項、
府中驛、是政村飛地ヲ合併
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ府中驛ト改稱ス
と見比べますと、その違いは明瞭です。

 この上は明治26年の神奈川県告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。私の過去の調査で、明260704官報附録p001にも同内容のものが報告されていることは分かっていますが、原文までは記録しておりませんでしたので、これも再確認が必要だと思います。
[78763] 2011年 7月 13日(水)06:26:31MI さん
ふたたび「石地町村」と「北大瀁村」について
皆様どうも御無沙汰しております。

[78755]88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時の情報) 完成
 本当に編集作業ご苦労様でした。市区町村を語る上での基礎データとして、その重要性は申すまでもありません。私も完成に心からお祝いを申し上げたいと存じます。

 さて、早速地元である新潟県をちょっと眺めてみたのですが、ずいぶん以前に[68959]MI で指摘し、[69153]88さん からレスをいただいていた標記の件が反映されていませんし、そればかりか、中頸城郡「北大浜村」になっているようです。
 どうかご確認をお願いいたします。
[73514] 2010年 1月 1日(金)11:06:17MI さん
櫛原村 or 節原村
 新年早々、[73437] 88 さんの「市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1」を拝見しておりまして、気づいたことがありますのでお知らせします。
 御井郡合川村に関連して「御井郡櫛原村」とあるのですが、自作のデータベースでは「御井郡節原村」としております。市区町村変遷情報では「御井郡 小森野村, 櫛原村, 合川村の一部」で櫛原村を編制したとされていますが、『福岡県改正町村名(岸田穂積編,1889)』では「小森野村, 櫛原村(南薫通及國道兩側ヲ除ク), 合川村ノ内縣道以西」で「節原村」と記載され、ご丁寧に「フシハラ」とルビまで振ってあります。また、『福岡県新町村名(葉石次郎編,磊落堂,1889)』もルビこそありませんが、同様の記述です。
 『新旧対照市町村一覧』、『大日本市町村名鑑』、『大日本全国各府県市町村新旧対照一覧』、『幕末以降市町村名変遷系統図総覧』、『市町村名変遷辞典』、『旧市町村名便覧』など手許で確認できる資料は「節原村」です。一つだけ、『全国市町村名変遷総覧』だけが p1102,1109 で「櫛原村」となっていましたが、どうやらこれが誤りのように思えます。
 旧櫛原村のうち南薫通及國道兩側は久留米市になっていますので、「御井郡 小森野村, 櫛原村(本体), 合川村の一部」で「御井郡節原村」が成立したと表記すべきと考えます。併せて大正12年の久留米市への編入も「三井郡節原村」としてはどうでしょう。ご検討をお願い申し上げます。
[69708] 2009年 4月 27日(月)19:40:00MI さん
男衾郡藤田村
[69707] むっくん さん

 早速のご確認有難うございました。藤田村については私も確認漏れがあったようです。ご紹介の地方行政区画便覧には男衾郡藤田村が見えますね。大変失礼いたしました。

 幡羅郡の柳沼村か柿沼村については、その前ページの下奈良村のところに「柿沼村」として掲載されています。
 更に『市町村名変遷系統図総覧』でも幡羅郡柿沼村と記されています。聞くところによるとこの本は各県の市町村合併誌(史)を参考にしているそうですので、やはり柿沼村が正当であるように思います。

 人間のすることですから、さまざまなミスや誤りが入り込むことはやむを得ないと思います。それを訂正するのは勿論ですが、その際「何をどのように訂正したのか」を分かるようにする必要性を感じています。それを怠っていると、史料毎で一致しないデータがあったときに、どれを信用すればよいか分からず、同じ誤りを拡大してしまうことになりかねないのですね。
[69704] 2009年 4月 27日(月)15:48:46MI さん
埼玉県の郡編替について
[69697] むっくん さん

 貴重な史料を有難うございます。手許のデータと照合しているのですが、気づいた点を。

埼玉県
県令甲第6号
同国同郡 小田村
 右 武蔵国比企郡へ編入す
 入間郡小田村ではなく、小用村ではないでしょうか?

同国同郡 藤田村
 右 武蔵国榛澤郡へ編入す
 男衾郡藤田村というのが分かりません。もう少し調べてみます。

同国幡羅郡 柳沼村 新島村 北埼玉郡 戸出村 平戸村
 右 武蔵国大里郡へ編入す
 幡羅郡柳沼村ではなく、柿沼村ではないでしょうか?
[69568] 2009年 4月 25日(土)06:17:45MI さん
下地町の平良市編入撤回
[69565] むっくん さん
その他3(平良市と下地町の合併話)
 これは私もずいぶん前に見つけておりました。

1963.1.30発行の琉球政府公報号外第4号(PDF)琉球政府告示第21号で、
一九六一年七月十四日告示第百三十九号をもって告示した下地町を廃し、その区域を平良市に編入する処分は、これを撤回する。
とあり、どういういきさつだったのかは不明ですが、編入告示→延期→撤回という、恐らく前代未聞の経過を辿ったと思われます。
[69393] 2009年 4月 19日(日)10:15:26MI さん
ベデカと鉄道院(省)のガイドブック
 なんだか皆様お楽しみの邪魔をするようでちょっと気が引けるのですが、

[69279] YT さん
Japanisches KaiserreichのBaedekerがあるのか気になります。

について、少々長くなりますがご説明致します。

 ベデカはもちろん基本的に欧州のガイドブックなのですが、だんだんと範囲を広げまして、『コンスタンティノープルと小アジア』『パレスチナとシリア』『エジプト』『インド』『ロシア』『合衆国』『カナダ』なども出版しています。
 『ロシア』は独仏英語で合計11回発行されていますが、いずれも稀覯書です。最後となった1914年版(革命後は改版できなかったのでしょう)は復刻版が出ており、これが手許にあるものです。そのタイトルが、
Russia with Teheran, Port Arthur, and Peking
という何とも壮大なもので、テヘラン、旅順、北京まで網羅してあるわけです。文庫本とほぼ同じ版型ながら、本文・索引590ページ+折込図多数の大部です。それにしても収める地域が余りにも広く、主要都市のみの説明になるのはやむを得ないでしょう。極東で掲載されているのがイルクーツク、哈爾濱、ウラジオストク、ハバロフスク、奉天(現瀋陽)、大連、旅順など、そして北京で巻末を飾っているのです。従って満州までは何とか含まれていますが、残念ながらベデカ『日本帝国』は存在しなかったのです。

 さて、東亜英文旅行案内の復刻版というのが出ています。これは1913年から17年にかけて当時の鉄道院が出版した英文ガイドブックなのですが、解説をご覧ください。非常に高価なので実見はしていません(古書はもっと高いですね)。
 一方、私の手許には1922年鉄道省発行の『朝鮮 滿洲 支那案内』というのがあるのです。これは1919年に出た初版本を増訂再版したものですが、版型や体裁はベデカによく似ています。本文494ページ+索引+折込図多数。その「緒言」を引用します。

 欧米の旅行にはベデカー社、マドロール社等発行の較完全なる旅行案内書ありて、英佛獨語版等任意の撰擇に依り各地到處の國状風物を探求するの方便備はれるも東洋の旅行には曾て這種の案内書に乏しかりしを遺憾とし輓近十数年來我鐡道省は "Official Guide to Eastern Asia" と題する英文東亞案内書第一巻朝鮮、滿洲及西伯利(シベリア…引用者註)、第二及第三巻西南及東北日本、第四巻支那、及第五巻南洋諸島を刊行し、以て東洋観光の指針となしたるより外來旅客竝歐米に於ける東洋研究家の賞讃を博し其の需要日に多きを加へ逐次巻を追ふて改版しつゝあり。
 前記英文東亞案内書に依て得たる經驗は之を邦文に飜して尚且同樣の成果あるべきを思はしむると共に、「近時本邦内地と鮮滿支那方面との交通益々密接なるに連れ、該方面に對する案内書の必要愈々急ならむとするの趨勢あり。乃ち本書は此の要求に應ずるものにして、書中載する所は朝鮮、滿洲、支那各地に亙り、記事の内容より附圖挿畫等に至るまで凡て我英文 Official Guide のそれと同程度のものたらしめむことを期したり。(以下略)

 つまり、鉄道院(1920年以降鉄道省)がベデカのいわば模倣ガイドブックをまず英文で作り、後に邦文版も上梓したということなのです。世界飛び地領土研究会の古~い世界地図の中にある1919年発行の釜山などの都市図は上記初版本のものと思われます。1922年版は本文に加えて地図も改訂されているようです。
 本文の様子を味わって戴くために「釜山概觀」の一節を引用します。

 釜山港は韓半島の末端なる慶尚南通(ママ)の東南角に位し、煙波三十哩の彼方に壹岐、對馬と相對して朝鮮海峡の西水道を扼す。灣内西北一帶は丘山に圍まれ、南方海面には絶影島(周圍約八里)横はり、龍臺、冬柏の兩島と相對して自然の港門を成し、港内水域を東、南二區に分かつ。南灣は一に南濱(みなみはま)と稱し、水淺くして漁船の繋泊に使する位に過ぎざれども、東灣は深くして克く三千噸の亘船を避躱せしむるに足る。由來當港は日鮮修交の唯一関門たり、近時鮮滿鐵道の直通成り、且埠頭海陸連絡設備の面目一新と共に、一躍忽ち歐亞大陸交通上の大玄関たるの地位を占め、逐年發達の状勢あり。最近に於ける人口六萬一千餘、輸出入年額五千七百七十七萬圓を算す。

 だいぶ長くなってきましたので、一旦切りまして、日本国内版については後述します。
[69274] 2009年 4月 18日(土)08:26:11MI さん
ベデカ
[69270] Issie さん
日本語だと,もっと皆さんの参考になるのでしょうが。

 気が利かなくて申し訳ありませんでした。この場なら何語でも大丈夫と思ってしまっていました。でも間髪を入れず [69273] YT さん から逐語訳をして戴きまして助かりました。YT さん どうも有難うございました。
 ただ一点だけ。5万人というのは外国人に限定したものではなく、フィウメの全人口であり、その(主な)構成がイタリア人とクロアチア人であるという意味ではないでしょうか。

それにしても何でそのような古い本が家にあるのでしょうか?

 旅行ガイドブックとしてのベデカ(Baedeker)は現在も刊行されていますが、第一次大戦前、及び戦後第二次大戦までに出版された現物を手に取ると、これはもう虜になってしまいます。
 本文は [69252] でご覧いただいたような簡潔かつ詳細な説明がぎっしり。写真は一切用いずに、色刷りの地域図や都市図が折り込まれているのですが、これが芸術的に美しい。
 往時は日本人が洋行する際に必携だったようですから、国内の古書店にも比較的見られますし、海外の古書店やオークションを利用すれば、ものにもよりけりですが手に入ります。改めて書棚を数えましたら35冊ありました。

 収集家のためのHP もありますし、インターネット・アーカイブ で、実際の本文を見ることもできます。
[69252] 2009年 4月 17日(金)05:58:29MI さん
Fiume
[69250] YT さん
[69246] Issie さん

 ピンポイントですが、手許にある1913年版のベデカ Oesterreich-Ungarn (独語版)にある、Fiume の説明をご紹介します。

Fiume (kroat. Rieka), das roemische Tarsatica, im Mittelalter St. Veit am Flaum, der einzige Seehafen Ungarna, mit 50000 Einw. (Italiener, Kroaten), liegt malerisch am n.oe. Ende des Quarnero.

 勿論このあとも説明は続きますが、取り敢えず街の名前に関する部分だけ抜き出しました。ご参考までに。
[69163] 2009年 4月 8日(水)22:03:40MI さん
粟島浦と粟島浦村
[69153]88 さん
これにつきましては、3つの資料のようにM42(1909)に改称があったのか、あるいは、上記の2件と同様にM22(1889).4.1付けの市制町村制施行時から「粟島浦村」であってM42(1909)にはその正誤表が出たのか、なお詳しい資料を発見できればお教えいただければ幸いです。それまで、暫時保留とさせていただきます。

[69162]むっくん さん
さて、以上から判断すると、内務省からこの改称の許可が降りたのはおそらく明治31(1898)年であると私は推測します。そして県令もしくは県告示が出たのはその後ですので、明治31(1898)年~明治32(1899)年6月の新潟県県令もしくは新潟県告示を調べればおそらく見つかるのではないでしょうか。

 ご検討やアドバイスを有難うございます。特に むっくん さんから整理いただきました近代デジタルライブラリーについては、必要部分を pdf にダウンロード済でしたが、改めて状況がよく把握できました。
 明治22年から大正初年にかけての「新潟県公報」「新潟県報」は、すでに一通り県公文書館で目を通しています。その中で「石地町村」「北大瀁村」についての正誤が判明し、また南魚沼郡杤窪新田から杤窪村への改称(明260609県告示445)や北蒲原郡蓮潟新田から蓮潟村への改称(明270518県告示182)なども明らかになったのですが、粟島浦についてのみが見つからないのです。
告示はしっかり確認したつもりですから、正誤で見逃しているのがあるのかもしれません。

 全国の市町村変遷をまとめる上で、地元以外の府県告示を調べるのは困難ですから、ここ数ヵ月は週末に県立図書館で官報をひたすら捲り、市町村変遷について記された広告を拾っています。今度もう一度県報も確認してみようと思います。


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