現在の和歌山県と三重県とにまたがる広大な牟婁郡。「熊野」の名でも知られるこの地域は、古くからの聖地であり、修験道など独自の文化が育まれた地域でしたが、人口の少ない辺境であったために、中央政府から独立の国として認定されることなく、紀伊国の一部として扱われました。
「南海道」6ヶ国とは、その熊野を含む紀伊国、その名も阿波国への道すがらである淡路国、そして四国4ヶ国。
都道府県や8地方区分に慣れた現代人にとっては、奇妙に感じられる古代の地域区分です。
南海道は6ヶ国しかないのに、合計7県もの地域に及び、しかも8地方区分では、中部1県・近畿2県・四国4県に分散。
最初に、関係する三国境を列挙します。…と言っても、紀伊関係が3地点で、四国は2地点しかありません。
三国境でない三重奈良和歌山3県境が、北山川の瀞峡に5地点(KK53~KK57)あり、これも併せて記します。
整理番号 | 国名 | #三国 | ◎3県境 | 地名 |
KK51 | 河内和泉紀伊 | #28 | | 和泉山脈三国山 |
KK52 | 河内大和紀伊 | | M35 | 行者杉峠 |
KK53 | 大和紀伊 | | M32 | 瀞峡【旧紀和町百夜月(訂正あり[72196])】 |
KK54 | 大和紀伊 | | 飛び地 | 瀞峡【嶋津】 |
KK55 | 大和紀伊 | | 飛び地 | 瀞峡【玉置口】 |
KK56 | 大和紀伊 | | 飛び地 | 瀞峡【北山村小松】 |
KK57 | 大和紀伊 | | 飛び地 | 瀞峡【北山村七色】 |
KK58 | 伊勢大和紀伊 | | | 大台ヶ原堂倉山 |
KK76 | 阿波讃岐伊予 | | M40 | 曼陀峠の0.7km西 |
KK77 | 阿波伊予土佐 | #35 | M41 | 三傍示山 |
例により、国ごとの陸上隣接国と三国境のリスト
紀伊国 (大阪湾) 和泉 KK51 河内 KK52 大和 KK58 伊勢(太平洋)
淡路国 (大阪湾) 陸上隣接国なし(瀬戸内海)
阿波国 (太平洋) 土佐 KK77 伊予 KK76 讃岐(瀬戸内海)
讃岐国 (瀬戸内海)阿波 KK76 伊予
伊予国 (瀬戸内海)讃岐 KK76 阿波 KK77 土佐(太平洋)
土佐国 (太平洋) 伊予 KK77 阿波
[72159] オーナー グリグリさんの国名の組み合わせリストによると、自治体名では★三重県度会郡
紀勢町。文字通り、紀伊国錦町と伊勢国柏崎村の合併で成立。1957~2005年の約半世紀存続。
三重県には、ほぼ同じ頃に南牟婁郡紀和町も存在しました。例の瀞峡飛び地地帯
[68737]ですが、北山川で大和国吉野郡十津川村に隣接しており、奈良の大仏のための銅を採掘したという歴史のある紀和鉱山
[72115]の所在地でもありましたから、紀伊・大和に由来するのかもしれません。
自然地名に移ると、最初に紀淡海峡。「南海道」という見方からすると、紀伊・淡路の2国がリンクしているのは納得できます。
淡路を経ないで紀伊・阿波を直接にリンクしてもよさそうですが、「紀阿」という用法は見当らず、紀伊水道。この紀伊水道で和歌山と小松島とを結ぶ南海汽船は、かつては大阪から四国へのメインルートの一つでしたが、本四架橋には到底かなわず、敗退。
紀淡海峡の他にも、備讃瀬戸・備讃諸島・芸予諸島・防予諸島・豊予海峡と 海を隔てた国名の組み合わせが目立ちます。
山では、金剛生駒紀泉国定公園・阿讃山脈・阿土山地とありました。
国土地理院は、地勢図に讃岐山脈と記しています。これを徳島県で阿讃山脈と呼ぶのはともかく、香川県立三本松高校の校歌にまで“阿讃の連峰”とあるとは。
[72014] 白桃 さん
定番の鉄道関係は、紀勢本線・予讃線・土讃線・予土線・阿佐海岸鉄道。
それに加えて★紀和鉄道と紀和駅とがあります。
19世紀末に紀伊と大和とを結んだ和歌山-五条間の鉄道が紀和鉄道を名乗ったのは当然ですが、1968年に和歌山駅の改名によって生まれた「紀和駅」の由来がよくわかりません。
この駅が旧紀和鉄道のターミナルとして開業したのは事実ですが、それは1898年から5年間だけのこと。
1903年には南海鉄道和歌山市駅の開設と共に連絡線が作られて、ターミナルでなくなります
[61246]。そして翌1904年には関西鉄道になって、「紀和」という会社名も消えます。
それから 64年後の 1968年。東和歌山駅が和歌山駅を名乗るに先立って、旧和歌山駅を紀和駅に改名したわけですが、日露戦争前という大昔の私鉄の名が、いまさら国鉄の駅名に復活というのは、どうも納得できません。
紀伊と和歌山の合成
[72015] 又は紀州和歌山の短縮 という説も考えられますが、その根拠もわからず、謎に包まれた「紀和駅」です。
土讃線の終点は土佐の窪川。全線開通は戦後の1951年ですが、大正時代に須崎までできていた高知線が、瀬戸内海側(讃岐鉄道
[61226] として開業した丸亀琴平間は 1889年という古さ)と1935年につながった時に、讃岐の多度津を起点とする土讃線の名がつきました。
[72014] 白桃 さん
讃岐と土佐は接していないのに土讃本線という名称のせいか、接しているようによく誤解されます。
日本国有鉄道線路名称の「本線」は、グループの親分でした。ところが、土讃線には長いこと子分がいなくて、一家を構えることができませんでした。ようやく支線の中村線を従えた「土讃本線」を名乗ることができたのは 1963年でした。
ところが、その中村線は国鉄末期に第3次廃止対象線になり、民営化1年後の 1988年4月から三セクに転換。またもや子分のなくなった土讃本線ですが、今度はJR四国が「本線」という呼称自体を廃止して、土讃線に戻りました(1988/6/1)。
土讃線が土佐から讃岐に出る前に経由するのは阿波。
中央構造線の南側に続く四国山地。土讃線は吉野川の流れに沿ってここを越えます。大歩危・小歩危・支流の祖谷川あたりの地図を見ているうちに、足を踏み入れたことのない四国の内陸部に行ってみたくなり、岡山オフ会の前日に宿泊を予約してしまいました。