[63737] 伊那谷 さん
[63862] 88 さん
いずれにせよ、結果としても(法律である)(旧)町村制では町と村の別は人口では区別していなかったようです。法律M44施行の(新)町村制でも同様に規定は見つかりません。内務省令や内務省告示などに何らかの規定があるのだとは推測しますが詳細は不明です。
ご存じだと思いますが、M21(1888)法律第1号市制町村制には、「市制町村制理由」という付属文書があり、その中に町村(および市)に対する明治政府の認識を示した部分があります。町と村の関係について、もっとも肝要な部分を示すと次のようになります(新漢字に直し、濁点、句読点を補ってあります)。
「元来町ト村トハ人民生計ノ情態ニ於テ其趣ヲ同ジクセザルモノアリテ、細カニ之ヲ論ズレバ均一ノ準率ニ依リ難キモノナキニ非ズト雖モ、本邦現今ノ状況ヲ察シ旧来ノ慣習ニ依リテ之ヲ考フルニ、都会輻輳ノ地ヲ除クノ外、宿駅ト称シ町ト称スルモノ施政ノ大体ニ於テ村落ト異同アルコトナシ。故ニ今之ヲ同一制度ノ下ニ立タシメントス。」
持って回ったくだくだしい表現ですが、要するに、町と村は「人民生計ノ情態」を異にするものの、「都会輻輳ノ地」と対比した場合町村間の相違は小さく、「施政ノ大体」では異同が認められないので、町村制という同一の制度を適用する(一方、都会輻輳ノ地である市には市制という別の制度を適用する)、ということです。
当時の政府は、市と町村とは別の存在と認識していたが、取り立てて町と村を区別する必要性を認めていなかったようです。
ただ町と村は「人民生計ノ情態」が異なるわけで、具体的にはどう違うのでしょう。
「現行地理例規」所載の「地所名称区別細目(明治9年5月18日内務省議定)」という文書によると、町と村は次のように定義されています。
一 郡ト称スルモノハ国中ノ区分ニシテ村町ヲ轄スルモノナリ
一 村ト称スルモノハ郡中ノ区分ニシテ字ヲ轄シ農民ノ部落ヲナスモノナリ
一 町ト称スルモノハ郡中ノ区分ニシテ商民ノ市街ヲナスモノナリ。字ヲ轄スルコト村ニ同ジ
一 字ト称スルモノハ村町中ノ区分ニシテ数十百筆ノ地ヲ轄スルモノナリ
町は人家の密集した市街地で商業活動の盛んなところ、対して村は農村地域、というのが「人民生計ノ情態」の具体的な有様ということで、ごく常識的な考え方でしょう。
一方、町村制はその第3条で、「凡町村ハ従来ノ区域ヲ存シテ之ヲ変更セズ」と規定しています。従来の区域を存する以上、名称もそのままにするのが当然でしょうから、結局のところ、町村制施行時までに「商民ノ市街ヲナ」して町であったところはそのまま町であり、村であった自治体は村の名称を継続した、ということになります。
実際には「区域ヲ存」せずに合併した町村の方が多いですし、従来町であったところが町村制の適用後に村になった場合もありますが、農村の数に比べて町は非常に少なかったのが実態ですから(おおむね、村が約60000に対し旧城下町内を除いた町は600くらい)、旧来の町の多くがその名称を保存したでしょう。
この場合、町と村の別を人口で区別するという発想は基本的になかった、と考えられます。
以上ではあまりに当たり前すぎて詰まらないので、町村制施行直後の町と村の人口を示すデータをご呈示しておきます。府県毎の町と村の平均人口と、人口が最小の町と人口最大の村との一覧です。資料出所は以前ご紹介した明治24年の徴発物件一覧表で、明治22年の町村制施行から2年後ですが、大きくは変わってないはずです(資料の制約から九州北部の4県分が欠損しています。鹿児島県も少しおかしいようですが、そのままにしてあります。北海道と沖縄は含んでいません)。
縣 | 町平均人口 | 町数 | 村平均人口 | 村数 | 人口最小町 | 同人口 | 人口最大村 | 同人口 | 町-村の差 |
青森縣 | 9225 | 5 | 2856 | 165 | 三戸郡三戸町 | 4045 | 上北郡野邊地村 | 7001 | -2956 |
岩手縣 | 4364 | 20 | 2597 | 205 | 氣仙郡盛町 | 1728 | 膽澤郡金ヶ崎村 | 5177 | -3449 |
宮城縣 | 6551 | 30 | 2808 | 325 | 岩瀬郡鏡石町 | 2758 | 桃生郡深谷村 | 9379 | -6621 |
秋田縣 | 6511 | 14 | 2665 | 213 | 雄勝郡岩崎町 | 1536 | 北秋田郡阿仁銅山村 | 8641 | -7105 |
山形縣 | 8056 | 11 | 2906 | 210 | 飽海郡松嶺町 | 2711 | 西村山郡谷地村 | 8843 | -6132 |
福島縣 | 6070 | 11 | 2560 | 145 | 磐城郡四倉町 | 2776 | 行方郡小高村 | 4391 | -1615 |
茨城縣 | 4355 | 44 | 2574 | 351 | 那珂郡大宮町 | 1614 | 西葛飾郡五霞村 | 7019 | -5405 |
栃木縣 | 7572 | 23 | 3623 | 128 | 安蘇郡堀米町 | 2447 | 足利郡北郷村 | 8781 | -6334 |
群馬縣 | 5312 | 37 | 3165 | 168 | 西群馬郡伊香保町 | 1051 | 山田郡韮川村 | 9374 | -8323 |
埼玉縣 | 4823 | 36 | 2696 | 324 | 北埼玉郡騎西町 | 2325 | 榛澤郡藤澤村 | 5056 | -2731 |
千葉縣 | 5502 | 45 | 3054 | 295 | 香取郡滑川町 | 2106 | 海上郡高神村 | 6781 | -4675 |
東京府 | 7651 | 9 | 2837 | 96 | 南葛飾郡新宿町 | 1324 | 荏原郡大森村 | 9767 | -8443 |
神奈川縣 | 7320 | 18 | 3079 | 205 | 鎌倉郡藤澤大富町 | 1742 | 久良岐郡戸太村 | 10519 | -8777 |
新潟縣 | 5285 | 47 | 1896 | 736 | 刈羽郡椎谷町 | 1069 | 北蒲原郡新發田本村 | 7327 | -6258 |
富山縣 | 5482 | 30 | 2128 | 237 | 砺波郡福岡町 | 1772 | 砺波郡平村 | 5466 | -3694 |
石川縣 | 5489 | 14 | 2275 | 259 | 珠洲郡飯田町 | 2139 | 江沼郡大聖寺村 | 9692 | -7553 |
福井縣 | 8327 | 9 | 3034 | 157 | 今立郡鯖江町 | 2958 | 今立郡上池田村 | 8035 | -5077 |
山梨縣 | - | - | 2248 | 142 | - | - | 南巨摩郡増保村 | 10206 | - |
長野縣 | 8824 | 15 | 2762 | 369 | 小縣郡長久保新町 | 1060 | 諏訪郡上諏訪村 | 9034 | -7974 |
岐阜縣 | 4687 | 24 | 2383 | 151 | 可児郡兼山町 | 1291 | 大野郡大名田村 | 8002 | -6711 |
静岡縣 | 6128 | 27 | 2998 | 272 | 引佐郡金指町 | 1086 | 有渡郡長田村 | 10353 | -9267 |
愛知縣 | 6222 | 23 | 1943 | 576 | 知多郡高横須賀町 | 1321 | 碧海郡北大濱村 | 5767 | -4446 |
三重縣 | 7963 | 18 | 2456 | 309 | 度會郡大湊町 | 2118 | 答志郡磯部村 | 5407 | -3289 |
滋賀縣 | 12915 | 6 | 3210 | 189 | 神崎郡八日市町 | 3823 | 有渡郡豐田村 | 6913 | -3090 |
京都府 | 5496 | 15 | 2008 | 264 | 船井郡園部町 | 2219 | 宇治郡山科村 | 7052 | -4833 |
大阪府 | 5311 | 11 | 2542 | 297 | 茨田郡守口町 | 1370 | 西成郡難波村 | 26405 | -25035 |
兵庫縣 | 6818 | 29 | 2818 | 506 | 有馬郡湯山町 | 1824 | 多可郡中村 | 6796 | -4972 |
奈良縣 | 6468 | 12 | 3038 | 137 | 宇陀郡松山町 | 1936 | 吉野郡十津川村 | 10419 | -8483 |
和歌山縣 | 8820 | 2 | 2469 | 227 | 西牟婁郡田邊町 | 7199 | 有田郡湯淺村 | 11455 | -4256 |
鳥取縣 | - | - | 1659 | 29 | - | - | 邑美郡富桑村 | 3513 | - |
島根縣 | 4304 | 11 | 1926 | 319 | 周吉郡西郷東町 | 664 | 迩摩郡明治村 | 4967 | -4303 |
岡山縣 | 7029 | 3 | 2260 | 446 | 東南條郡津山東町 | 3617 | 小田郡笠岡村 | 8591 | -4974 |
広島縣 | 6371 | 14 | 2984 | 357 | 豐田郡御手洗町 | 1590 | 安藝郡仁保島村 | 15060 | -13470 |
山口縣 | 11436 | 4 | 3952 | 192 | 玖珂郡柳井津町 | 4139 | 都濃郡徳山村 | 12113 | -7974 |
徳島縣 | 12854 | 2 | 4402 | 137 | 美馬郡脇町 | 7177 | 勝浦郡小松島村 | 12617 | -5440 |
香川縣 | 10938 | 5 | 3325 | 176 | 多度郡多度津町 | 6699 | 豐田郡大野原村 | 8958 | -2259 |
愛媛縣 | 5159 | 12 | 2947 | 284 | 温泉郡道後湯之町 | 1267 | 西宇和郡伊方村 | 6735 | -5468 |
高知縣 | 2853 | 2 | 2793 | 194 | 長岡郡後免町 | 835 | 香美郡槙山村 | 6859 | -6024 |
熊本縣 | 3855 | 25 | 2842 | 300 | 阿蘇郡高森町 | 1722 | 葦北郡水俣村 | 12725 | -11003 |
宮崎縣 | 5560 | 5 | 4108 | 95 | 南那珂郡油津町 | 2514 | 西諸縣郡小林村 | 10796 | -8282 |
鹿児島縣 | - | - | 9740 | 27 | - | - | 谿山郡谷山村 | 25060 | - |
全国計 | 6001 | 668 | 2669 | 10214 | 周吉郡西郷東町 | 664 | 西成郡難波村 | 26405 | -25741 |
ご覧のように、平均人口で比べれば村より町の方がよほど大きくなっていますが、個々の町村で見ると、すべての府県で、人口最小の町より人口最大の村の方が多数の人口を抱えています。人口最小町については、それなりの歴史と拠点性を有し、人口はさほど多くないにしても、この時点で町であっておかしくないところが多いと思います。この状況では、単純に人口基準で町村を区分することができなかったのも無理はないでしょう。
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なお、ついでなので、「市制町村制理由」に則って、町村と明確に区別された市についての明治政府の考え方を、次にご紹介しておきます。
・「都会輻輳の地」は、町村と「人情風俗を異にし、経済上自ずから差別がある」ために別に市制を適用する。
・市は基本的に区を継承するものであるが、市制によって明確に郡から分離するとともに、従来区内の町(旧城下内の町)が独立した自治体であったのを改めて、市を最下級の自治体とする(これによって、旧城下内の町が市の内部的な区分=字に戻った、と言えます)。
・市制の施行対象は、3府のほか、人口25,000人以上の市街地とする(従来の区以外も市制の対象にするということです)。
・「区」を改めて「市」とするのは、3府では区が存続するため、これとの混同を避けるためである。
どのような基準で市制の適用対象が決定されたかが窺えてなかなか面白い記述だと思います。実際、明治24年時点の市のうち人口最小の姫路市で24,608人ですから、人口規定はかなり厳密に適用されたようです。
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もう一つ、以下の件について。
「○○村」、「○○町」ではなく「○○鉄山」というものがありました。これは一体何なのでしょうか?
これが一体何なのかは、
[63862] 88さんの説明でお分かりかと思います。明治政府は、従来区々としていた自治体の区域名称を町、村に統一しようとし、新田、宿、浦、分、組、郷、島、浜、山、寺、谷、刈、等々を名乗っていたところの多くがそれに従いましたが、郡区町村編制法の時点では旧来の名称に留まったものも少なくなかったようです。
明治24年の段階でも、新潟縣岩船郡粟島浦、神奈川県北多摩郡府中駅、同南多摩郡日野宿が、町村に名称変更していません。明治30年までには変えたようですが。