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伊豆之国さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[105185]2022年7月30日
伊豆之国
[105121]2022年7月28日
伊豆之国
[104914]2022年7月8日
伊豆之国
[104824]2022年6月12日
伊豆之国
[104802]2022年6月7日
伊豆之国
[104735]2022年5月20日
伊豆之国
[104523]2022年5月5日
伊豆之国
[104521]2022年5月5日
伊豆之国
[104487]2022年5月4日
伊豆之国
[104472]2022年5月4日
伊豆之国
[104428]2022年5月3日
伊豆之国
[104424]2022年5月3日
伊豆之国
[104422]2022年5月3日
伊豆之国
[104372]2022年5月2日
伊豆之国
[104361]2022年5月2日
伊豆之国
[104358]2022年5月2日
伊豆之国
[104179]2022年4月24日
伊豆之国
[104161]2022年4月17日
伊豆之国
[104145]2022年4月10日
伊豆之国
[104139]2022年4月7日
伊豆之国

[105185] 2022年 7月 30日(土)21:47:23伊豆之国 さん
第二回チャレンジトライアル・問六と問七について
第二回チャレンジトライアルでは、問六と問七を出題させていただきました。

問六の共通項は、「春・夏の全国高校野球の優勝校がある市」。
全国高校野球選手権大会歴代優勝校
選抜高校野球全国大会歴代優勝校
それぞれ青色で表示された学校名をclickすると、学校の歴史、所在地などの項目に飛びます。
大東市は、今春の「選抜」の優勝校・大阪桐蔭、和歌山市は、昨夏の優勝校・智辯和歌山の、それぞれ所在地。記憶に新しいところから。三好市は池田高校(当時は池田町)、現在の市域にあればOKとして例示。
駒大苫小牧の全国制覇は「夏」のみ、さいたま市は、大宮工業(当時の所在地は大宮市)と浦和学院、いずれも「春」のみ。少なくとも春・夏いずれか優勝していればOKという共通項を示しています。
ヒントのSVは「日本一」の表示を示したものです。地図はズバリ甲子園。
該当する区として例示した板橋区は、帝京高校が全国制覇経験あり。
非該当の茨木市は、浪商(→大体大浪商)のキャンパスがあった時期がありましたが、浪商が優勝したのは全て大阪市にあった時代。最後に優勝したのは昭和36年(1961)の夏の大会で、その2年後の茨木市への移転(更に平成元年に熊取町に移転、現在の校名となる)以降は、全国制覇はありません。彦根市は、今春と平成13年(2001)夏の近江高校の準優勝が最高成績。
落書き帳の過去ログ[70864]に「参考元」としてリンクしている記事を見ると、都道府県別の歴代出場校一覧はもとより、個人成績や過去の名勝負など、あらゆる記録を網羅している大変貴重なデータベースですが、残念なことに6年ほど前より更新が止まっています。
この問六の想定解に関する関連記事は、後日書き込む予定にします。

問七の共通項は「読み仮名が『ら』で終わる市」。
データベース検索
さくら市、佐倉市をお題に入れ、桜井市をNGとしたのはちょっとした「仕掛け」の「妙」。
SVと地図リンクをどうするか、うまく行けそうなのがなかなか見つからず苦労しました。
SVは「ヨドバシカメラ」→「ら」で終わる
地図はズバリ、お題に入れた「相模原」のひらがな表記
…ですが、解答のペースが比較的早かったもあり、全然ヒントになっていないようなものだった…
実は、この問七を作成するにあたって、ある「細工」を使っています。大ベテランの方の中には、もしかしたらこのことに気づいた人もいるかもしれません。これについても、後で記事を書き込む予定にしています。

また、他のお三方の作成された問題についての感想も、後ほどコメントしたいと思います。
[105121] 2022年 7月 28日(木)21:29:29伊豆之国 さん
業務連絡
採点漏れ・採点ミス(採点すべき解答の記事番号・問題番号の誤り等、解答自体の正誤判定以外のミス)のチェック役に専ら徹している出題者「伊豆之国」からの業務連絡です。

>[105119]さざ波さんへ
[105095] はしもつさんの問四「輪島市」と、[105096] かりないさんの問九「姫路市」が採点されていません。
[104914] 2022年 7月 8日(金)21:40:50【1】訂正年月日
【1】2022年 7月 9日(土)22:16:45
伊豆之国 さん
Re:クイズここはどこでしょう
[104905]千本桜さん
もう今となっては完全に出遅れですが、既に皆さんのコメント通りということであれば…
Q温泉は後に、テレビドラマ「R日記」のロケ地として脚光をあびるのだが、当時はそんなことになろうとは知る由もなかった
このテレビドラマは、毎回必ず見ていました。そして映画化されたときには、映画館に通って見に行ったものでした。あれから十余年を経て、E県からS県へ二泊三日の旅路。道中で、当時誕生したばかりだった、最近市の名前が変わった城下町に寄り道した後、そのQ温泉に念願の一泊。河原の湯壺で名物の温泉卵を温める風景、近くにはそのRの銅像も建てられていました。その翌日は、列車を乗り継いで、S県のほぼ中央にある湖畔の宿で一泊し、翌朝は観光バスでA丘へ。最後は、開業して間もない第三セクター路線経由の特急に…。

国鉄H本線のF駅からは I 線が分岐し、美しいお城のあるJ駅までのびている
[104909] メークインさん
J駅近くにあるお城へも行っています
最初はJ駅からお城が良く見える展望台まで"徒歩"で移動。雲海の上あるお城が見えました
おっしゃっているお城とは、F駅を出て次の駅が最寄の、近年有名になった○空の城のことでしょうが、F駅から出て向かう路線の行き先(というよりその線の起点。今では特急以外はほぼ途中で乗り換えになってしまいましたが)にあるのは、駅からも間近に仰ぎ見る、威容を誇る白亜の天守閣を初め豪勢な櫓や土塀・石垣・堀などが織りなす、世界に誇る日本の城郭建築の不動の王者…。

[104912] 今川焼さん
「R日記」の中で何度もその歌を紹介された地元M郡出身の夭折の歌人です。この歌人のことを知ったのは「R日記」を見てからですが
この歌人の詠んだ歌は、そのテレビドラマの中でたびたび紹介されていたので、その名を覚えたのでした。

…そういえば、ドラマの中でも、そして映画でも、最初のシーンで紹介されていた餘部の鉄橋を列車が渡る風景。映画化されて間もないころに列車転落事故が起こり、それからしばらく徐行運転となり、強風時の運休もよくあったそうで、最近になって新しい橋に架け替えられたようですが、私がQ温泉を訪れた時は、当時の鉄橋が健在で、エアコンもなかった旧式ディーゼル車では、窓から身を乗り出して景色を眺めていた観光客も見かけたものでした。このところのコロナ禍の中、Q温泉でも老舗旅館が廃業に追い込まれたとかで、私が泊った宿も、数年前に既に格安リゾートの系列に入ったというらしいです…。
[104824] 2022年 6月 12日(日)22:55:36伊豆之国 さん
大河ドラマの舞台を訪ねて(3年ぶりの本格旅行です)
[104735]
道中記は後日書き込みます
と書き込んだものの、なんだか忘れかけたようになってしまい、「何を今更」といった感ですが…
4月29日から2泊三日で伊豆~駿河~甲斐と、三国を股にかけて回った旅日記を。ようやく書き込むことにします。

思えば、引っ越しのドタバタ、そしてコロナ…と、旅行どころではない日々が続き、やっと宿泊を伴った「旅行らしい旅行」に出られたのは、実に3年ぶり、「平成から令和へ」の伊勢~尾張の道中以来。相模原市民になってからは初の遠出になったのでした。
今回の道中、とにかく天気が不安定という予報があり、空模様に振り回されることになるのは覚悟の上と承知していたところ。初日は。小田急で小田原に出て、熱海で伊豆急直通電車で伊豆急下田へ。伊豆急線に乗るのも気が付けば相当久しぶり。車両のラインアップもほとんど入れ替わり、親会社の東急で役目を終えた銀色の電車がほとんど。乗り合わせた電車もそうで、内部は観光電車らしく海側座席が向かい合わせになったりしていましたが、外観はまさについ2年余り前までの地元で顔なじみだった電車そのもの(もっとも今では消滅寸前ですが…映像)。でも、観光地も疫病禍からようやく回復の兆しが出てきたとはいえ、大型連休の初日なのに、生憎の天気も手伝って、昔のような混雑どころか、空席ばかり目立って寂しい車内風景、海辺を走る区間に出ても伊豆大島などの島影も見えないまま。終点の伊豆急下田駅まで乗りとおし、改札を出ましたが、駅舎の中はすっかり模様替えされたようで戸惑いも。外に出てみると、バスターミナルも駅の横にある食堂や土産物屋などが入ったレトロ風の建物も以前の面影を残していたのには少しほっとしたのでした。そして堂ヶ島方面へのバスに乗り込むのですが、中はガラガラ、気が付いたら車内独り占め状態。雨が降り出す空模様の中とはいえ、こんな様子ではその先が思いやられる状況になったのが心配になります…。
そうしているうちに終点・堂ヶ島に到着。マイカーで来ていた観光客もちらほら見かけましたが、往時の賑わいを知るものとしては寂しい限り。雨が降り出し、遊覧船に乗るのは諦め、洞窟を上から眺められるスポットに出ただけで、旧道廻りのバスに。今度は部活帰りらしい中高生と見られる一団で車内は賑やかでした。向かったのは親父の実家があった田子地区。かつて遠洋漁業と鰹節作りでにぎわったのも今は昔、取り壊された家の跡が空き地になっていたり、空き家になった民家も目立つといった今の光景でしたが、空き家になっていた家の中に、確かに親父の実家だった家に間違いなさそうなのを見つけ、なんだかほっとしたのでした。それから実家の菩提寺([89119])に行きましたが、住職さんも不在らしく、墓の場所もわからなかったので、雨の中ということもあり、本堂を拝んだだけで引き返し、港のほうにも行くのをやめて次のバスを待つことに。雨は一層激しくなり、源氏ゆかりの修禅寺参りは諦め、旧賀茂村の黄金崎クリスタルパークへ。訪れた日は「万華鏡」の特別展示があって、ハンドルを回して中の模様の変化を見ることができ、童心に帰ったような懐かしい思い出に浸ることもできたのでした。
修善寺駅から駿豆線で伊豆長岡駅で降り、少し早めではありましたが、タクシーで伊豆長岡温泉の宿へ。「温泉旅館」に泊まるのは、4年前の夏の津軽([96355])以来のこと。割と小ぢんまりした宿でしたが、かけ流しの湯でじっくり温泉を楽しむことができました。
夜中に雨は上がり、翌朝の散歩で狩野川の土手へ。好天に恵まれ、白雪に覆われた富士山の姿が見事でした。タクシーで伊豆長岡駅に出て、大河ドラマ関係の施設をめぐるバスの一日乗車券を買い、伊豆の国市内に点在する史跡巡りに出たのですが、持ち歩くのに必要でない、重いバッグに入った荷物を伊豆長岡駅のロッカーに預ける際、「仕分け」に手間がかかり、5年前の飛鳥巡り([93764])の時と同様、バスが先に出てしまうという失態。でも元々一日がかりで回る計画を立てていたので、まだ余裕は十分あり、1時間に3~4本と運転本数が多い駿豆線で、隣の韮山駅で降り、駅の反対側にある大河ドラマ館でまず「予習」。そのあと展望デッキに上るとここでも富士山の雄姿が…。
ここでようやくバスに乗って、まず願成就院にお参り。ドラマの主人公・北條義時と姉・政子の父で、鎌倉幕府初代執権の北條時政が建立した寺院で、ご本尊・阿弥陀如来を初め、運慶の作による5体の仏像は、国宝に指定されており、本堂で間近に拝むことができ、境内には時政の墓も建っていました。それから「堀越御所」([90008] hmtさん)の跡へ。今では何もない芝生になっていますが、入り口に説明が書かれた表示板がありました。道を挟んで反対側を少し奥に入ると、「北條政子産湯の井戸」も。河原に出たところにある公園は、「北條氏の館跡」とされる場所で、今では建物などは全く残っていないのですが、往時の様子などが描かれた案内板がいくつか建っていました。
降りたバス停に戻って、ひとまず伊豆長岡駅前に戻ることに。この日は好天に恵まれ、マイカーで訪れた観光客も多かったようで、渋滞でバスも少し遅れ気味でした。昼食を済ませて、今度は狩野川を越えて西側へ。まず北條義時夫妻が眠る「北條寺」にお参り。それから北に向かってしばらく歩いて、北條義時の館跡と伝わる「江間公園」へ。ここで見逃せない珍しい記念物が、「館跡」の石碑の横、敷地の北東隅にある「北伊豆地震の震災遺跡」、ガラスケースの中に保護されている魚雷の表面に残った地震による表面の傷跡。この公園の場所にあった小学校に海軍から譲り受けられた魚雷が、地震の揺れで傷ついたもので、関東大震災から7年後の昭和5年(1930)に起こった「北伊豆地震」([64043])の被害状況を知る貴重な遺跡となっています。
それからさらに少し歩くと、「いちご街道」という愛称を持つ、やや広い通りに出ます。そこを左折してしばらく行くと「豆塚神社」という神社があり、その境内には今回の大河ドラマに関係する「ミニ資料館」のようなものもありました。この辺りの道筋と風景は、[64043]で紹介した「木造の家は地震に強いか」(杉山英男氏著・昭和60年初刊)という本の中で「北伊豆地震と被害状況」について詳しく書かれた記事があり、その中にかつて「江間村」と呼ばれたこの地域の中心部の概略の地図と当時の写真があって、この辺りの地理は十分頭に入っていたので道に迷うことがなく、さすがに「木造~」が著された時より30数年ほど経過しているので沿道の建物などは大きく変化していましたが、先ほど曲がった四つ角(「木造~」にある地図では「中央四辻」と書かれている場所)の写真に写っている、北西側のスーパーと南西側のガソリンスタンドは当時のままの姿を残していました。
ここからは直接行くバスの便もなく、次のスポット「江川邸」までの間は、狩野川を渡ってひたすら歩くことになります。史跡めぐりのバスと言っても本数は少なく出発時刻も不規則で、昨年末に訪れた深谷市の渋沢栄一関連の史跡巡りのバス([103328])と同様、意外と使いにくいダイヤのように思えました。駿豆線の線路を越えたあたりは、旧韮山町の中心だったのでしょうが、これといった商店街は見られず、やはり「伊豆の国市」の中心市街は温泉街がある旧伊豆長岡町だということになるのでしょう。
江川邸」と、後述する「韮山反射炉」は、40年ほどの前に入った記憶がありますが、今となっては当時の記憶は既にあいまいになっていったので、改めて訪問するといった感じで見学することに。内部には、幕末の国土防衛に尽力し、反射炉や東京湾の「お台場」の築造などにかかわった幕末の代官・江川英龍の功績に関する資料などが展示されていましたが、室町時代に建てられたという母屋の豪勢さには圧倒されるものがありました。それからバスで、源頼朝が流された「蛭が小島」(近年は「蛭が島」とも言うようです)へ。今は田んぼの真ん中といった感じですが、昔は狩野川がこの辺りを流れていて中洲のような地形だったのでしょうか。もう最終のバスもなく、この日最後の目的地・反射炉へはまたまた歩き。反射炉の入場時間がこの時期は午後5時まであり、時間の余裕はまだ十分ありましたが、そこまでの道路には歩道が整備されていないところも多く、自動車が近づいてくると少しはらはらしたものでした。反射炉の周りは、昔行ったときには敷地に柵も無く無料で入れたようにおぼろげながら記憶があったのですが、世界遺産に登録され、資料館もできてしっかり入場券を払わされたのにはやはり仕方ないのでしょうか。反射炉の前後左右には詳しい説明が書かれた案内板もあり、その仕組みがしっかり理解できたのでした。余談ですが、毎週日曜日に放映されている「鉄腕DASH」では、以前「無人島に(ミニ)反射炉を作る」という場面があって、韮山の反射炉の映像が出ていたシーンもありました。
反射炉から最寄りの伊豆長岡駅までは、タクシーもあったのですが呼んでもいつ来るのかわからないので、今度も歩き。この一帯には温室が立ち並んでいて、どうやら「旬」も終わって片付けに入っていた「苺」を栽培している温室のようでした。伊豆長岡駅に戻ってロッカーから荷物を取り出し、三島・沼津と乗り換えて、2日目の宿泊地・御殿場へ。ホテルに着いた頃にはすっかり日が暮れていて、チェックインを済ませ、近くの拉麺屋で夕飯を。
3日目の朝はどんよりとした曇り空。朝飯前に町のほうまで少し歩きましたが、晴れていれば間近に見える富士山も、上の方は厚い雲に覆われ、かろうじて中腹から下の一部が見え、裾野のなだらかな曲線から何とか富士山に違いない、と思っただけでした。御殿場駅の広い構内は、かつて東海道本線だった「過去の栄光」の名残を残しているように見えました。3日目の計画は、出発前から「天気予報とにらめっこ」といった形で、「忍野村~富士吉田方面か、アウトレットを見てから箱根方面か」と、ホテルを出る直前まで迷いに迷ったのでした。結局、河口湖方面のバスの出発時間が近かったことから、前者の方を選択。もう富士山はすっかり雲に覆われて見えなくなり、やがてバスは籠坂峠を越えて甲斐の国へ。山中湖は14年前と同様、車窓から湖を見ただけで素通り、バスを降りたのは「忍野八海」の入り口。この「忍野八海」を「行った、見た」という記憶がはっきりせず、バスを降りて観光客が進んで行く方向を見て、「やはりここは初めてだった…」と分かったのでした。中央高速から近いこともあり、マイカーで訪れる客が多く、結構混雑していて、「どこがなんという名の湧き水(池)なのか、どこがどう違うのかいまいちわからず、また8つ全部がここにあるわけでなく、少し離れた場所にあるのもあることも知りました。降り出した雨が本降りになっており、富士吉田市に入って「北口本宮浅間大社」にお参り、そのあと14年前にも見てきていた「御師の家 外川家住宅」に向かおうとしたのですが、もう14年前の記憶が薄れていたのに加え、降りしきる雨の中で方向感覚もわからず、案内板も整備されておらず、中心市街の近くまで来て「道を一本間違えていた」とようやく気付くことに。やっと「御師の家」を見学。そしてやっと富士吉田改め富士山駅に到着。名物の「吉田のうどん」は、結局駅ビルの地下で召し上がることになり、次の列車まで時間が空いたため、近くの喫茶店で珈琲を飲んで時間つぶし。ここから富士急で大月へ。下吉田駅では、今では絶滅危惧種の「鐘が鳴る旧式踏切」の音も聞こえました。大月からは、高尾・八王子・町田と乗り換えて、やっと我が家に帰還。大河ドラマの開始時刻には十分間に合いました。

♯長文お許しください。(「ご当地」絡みなので…)
[104802] 2022年 6月 7日(火)00:26:13【1】訂正年月日
【1】2022年 6月 7日(火)15:26:24
伊豆之国 さん
武蔵国・相模国・下総国・伊豆国
[104793][104800] あきごんさん
[104799] 鳴子こけしさん
「武蔵国」と「相模国」の境界と人口の話題が賑やかですが…
ここ40年来、武蔵国と相模国の間を無意識のうちに日常的に行き来していて、「県境(=旧国境)越え移動はやめましょう」なんていっていたのがどうにも現実にそぐわない地域に住み続けている私からも、この話題に乗らせていただきます…。

[104793] あきごんさん
神奈川県イコール相模と思っている人が意外に多い。実は川崎市の全域と横浜市の四分の三は武蔵国の領域なのである
JR南武線の川崎市内には「武蔵小杉・武蔵中原・武蔵新城・武蔵溝ノ口」と、「武蔵」の付く駅が4駅連続しているので(他に鶴見線「武蔵白石」駅も)、川崎市が「武蔵国」であることは早くから知っていましたが、横浜市の大半が「武蔵国」であったというのを知ったのは、もう少し後になってからのことでした。中でも、「金沢文庫」が「武蔵」の金沢(昔は「かねざわ」と呼んでいた)に建てられた、というのを知ったとき、そこが鎌倉や横須賀と隣接する地域だったこともあり、ある意味強烈な「違和感」を持ったものでした。
保土ヶ谷~戸塚宿のところを読んでいて、自分が今まで大きな勘違いをしていたことに気付きました。この間にある「権太坂」のお話で、今ではここが国境であったことを意識しないせいか
「権太坂」のことは、今から13年前、[70632]で書き込んだことがあり
「保土ケ谷」と言えば、東海道の最初の難所として知られた「権太坂」。「箱根駅伝」では往路の2区・復路の9区、復路では最後の難所として、逆転劇など数々のドラマを生んでいる場所です
このあと、東京・赤坂にある「権田(原)坂」(「安鎮坂」の別名)と、かつてこの地にあった「誉田(こんだorほんだ)坂」、その由来に関係あるという大阪府羽曳野市の「誉田(こんだ)八幡」、それと赤坂の「誉田坂」と保土ヶ谷の権太坂との「不思議な符合」についても書き込んでいました。

[104799] 鳴子こけしさん
川崎市と、島嶼を除いた東京都は問題ないでしょう。埼玉県も前述の通り全域……ではなく、平成22年(2010年)に太田市(群馬県)から深谷市に編入された部分(変遷情報)がありますので、深谷市前小屋の96人は上野国の住人ということになります
「重箱の隅」ですが、地元の話なので…
[100806][100809] ekinenpyouさん
相模原市と町田市でしばしば発生している境界変更については過去ログでもしばしば取り上げられていますが、要約したものとして東京・町田市と神奈川・相模原市で一部地域を交換! なぜ“トレード”するのか聞いてみたも別途参考になるものと思われます。
[100811] 拙稿
NHKBSプレミアムで放映されていた、「故郷ざわつきリサーチ・相模原の逆襲」という番組。この番組の中で、[100809]の記事にリンクされていたのとほぼ同じ内容の「町田市と相模原市の『領土交換』」と、「都県境が境川を挟んでお互いに入り組んでいる地域の住民の声」が出ていました
かつては蛇行が多く、氾濫も多発していた境川の流路が改修工事で直線化し、元は同じ地域であったのが、川筋が直線化した結果、お互いに川の反対側に取り残されて「飛び地」化した
都県境変更による人口移動は、相模原市民から町田市民になったほうがその逆よりも断然多い
あまり見せたくない資料だが、(境界変更で)相模原市民から町田市民になった人のほうが圧倒的に多く、『収支』としては差し引き数十人のマイナス」という資料も出ていました
ということで、人口異動としては数十人程度ですが、「武蔵」の町田市の中に「相模」の地域があり、「相模」の相模原市に「武蔵」の地域があるというのは明らかな事実といえるでしょう。

一方、埼玉県を見ると、「国境の変更」が(公式には)なくなってから後の昭和5年に茨城県との県境変更があります。現在の埼玉県加須市伊賀袋地区は、当時の茨城県猿島郡新郷村(現・古河市)から埼玉県川辺村(現・加須市)に編入された地域でした([78789] hmtさん)。
昭和5年7月に現在の渡良瀬川が茨城・埼玉の県境となり,右岸の伊賀袋の大部分と立崎の一部が埼玉県北埼玉郡川辺村へ合併され,大字伊賀袋となる
猿島郡(明治29年以前は西葛飾郡)新郷村は「下総国」であり、埼玉県には、旧「下総国中葛飾郡」の地域が「武蔵国北葛飾郡」に編入されてからも、新たに「下総国」だった地域が入り、こちらは現在まで「埼玉県にある下総国」として現在も残っていることになります。
「ご破算」に終わった五霞町の埼玉県幸手市との合併が実現していたら、こちらも「埼玉県にある下総国」になっていたのでした…。

更にもう一つ、「相模国と伊豆国の境界はどこにあるのか?」について、「模擬天守」もある「虚構の世界の水軍の根城?」熱海城七万石城主より一言。
[104799] 鳴子こけしさん
相模国人口ではあきごんさんが「山間部なので無視」された熱海市泉にも2,439の人口があります
通称「伊豆湯河原温泉」と呼ばれる、静岡県熱海市泉地区の帰属と越県合併騒動について、hmtさんが[100236]で関連記事をまとめて紹介しています。その中から、「泉地区は伊豆か、相模か」について、その経緯が[79754]で述べられています。
伊豆と相模の国境を決めたのは、結局のところ伊豆山権現の勢力だったと思われます。秀吉の小田原攻めに敗れたため、泉地区が一時的に相模国になったこともあるようですが(保善院朱印状)、結局は元禄の境界争いで千歳川以南(泉地区)を確保。
天保国絵図 伊豆国を見ても、千歳川に「此川中央国境」と記されています。そして、伊豆国内に「和泉」など4集落が描かれていますが、何故か「相模国宮上村之内」という文字を冠しています。地理上は千歳川を境界とする伊豆国の側にあるが、村の実体は相模国宮上村の一部として機能していたという両属的な性格だったのでしょうか
泉は、明治11年に制定された「郡区町村編制法」に基づき、神奈川県足柄下郡宮上村飛地字泉を静岡県賀茂郡泉村とし、明治22年に熱海、伊豆山などと合併し、熱海村となっている。
しかし、明治13年の『郡区町村一覧』 を見ても、静岡県伊豆国賀茂郡には「泉村」の記載がありません。
もちろん28コマ(神奈川県足柄下郡)にも記載なし。
尾根の北側の神社領「泉」は、おそらく尾根南側を占める「伊豆山村」の一部になったと推察します
これだけ見ると、泉地区は「伊豆」と「相模」の間を行ったり来たりした、とか、「形式上は伊豆国に属するが、実質的な支配権は相模国側が持っていた」とか、あいまいなように見えますが、「市町村制施行・明治の大合併」の3年前の明治19年に編纂された「地方行政区画便覧」を見ると、伊豆国賀茂郡(現在の熱海市・伊東市一帯は当時は賀茂郡に属しており、明治29年の郡再編成により田方郡になった)の最初のところに、「戸長役場所在地 熱海村」とあり、その下に(管轄する)村として、「熱海村・伊豆山村・泉村・初島」とあります。この4村は明治22年4月の市町村制施行に先立つ1か月前に新設合併して「熱海村」になっています。
したがって、泉地区は明治19年の時点で「伊豆国」に属しており、旧国境の変更が明治35年を最後に停止([75973] hmtさん)され、事実上旧国の境界が確定した時点において「伊豆国」だったことは間違いないと思われます。

[104800] あきごんさん
計算していて二番目に人口の多い「国」はどこだろう、とか一番人口の少ない「国」はどこだろうとか思いましたが、境界の確定が大変そうなので、これはそのうち気が向いたらという事にしようと思います
"You Tube"の動画に、「令制国がそのまま都道府県になっていたら」というのがありました。
旧国の範囲(属する市町村)など、誤りや見落としもいくつかあるようですが…。人口が最多の「武蔵」は約2600万人、2位は「摂津」で約740万人、3位は「下総」の約570万人となつていました。一方、ブービーは「隠岐」で約1万9000人、最少は…わかりますね?

♯連休の連休の旅日記、原稿は途中までできているのですが…

【1】「伊豆湯河原温泉」をめぐる「相模と伊豆の境界争い」について追記し、タイトルも変更しました。
[104735] 2022年 5月 20日(金)18:00:28伊豆之国 さん
第60回十番勝負を振り返って~あらたふと青葉若葉の日の光~
いつもの通り、十番勝負の感想文を書かせていただきます。
今回は、前回と同様に出題時に想定回数の提示がなく、更に前回には一部の問にあった副題リンクもNGの市の例示もなかったこともあり、やはり「最初の採点が出るまでは動かない」という戦術を採ることになりました。
例によって、解答できた順に。

問一~花の武蔵野 扇に描けば~
今回の出題、いずれも「最初の読みが同じ音で始まる」市ばかりを並べていて、「迷彩」の色が見え見えだったこともあり、最初の採点結果が出てからまず分かったものから答えることに。人口が多そうな市が並んでいたということから、「人口ランキング上位の市」だと容易に推測。前居住地の町田市で石高積み上げ。

問二~行きはよいよい、帰りは怖い~
「か」で始まる市がお題に並んでいて、皆さんが「迷彩」と思い込んで誤答を重ねていた中、まさかの「か」で始まる市を答えよ、という問題だったとは…。まさかの事態に拍子抜け、脱力感ありあり。静岡県で唯一該当する掛川市がすでに出ていたので、ここも十万石の大台に乗せていた、祖母の故郷「小江戸」川越の石高を積み上げ。
この問二の共通項、「か」で始まる市の数がちょうど60市だったことから、「60回記念だから想定解が60の設問でまとめているのか?」と「からくり」に薄々気づくことに…

問十~一はやっぱり富士の山~
ここまでの答えの流れから「世界遺産」関係であることは容易でした。十番勝負開始直前に伊豆長岡温泉に一泊し([104179])、大河ドラマ関係の史跡と反射炉を見てきた「ご当地」が既に出ていたので、ここは焼きそばを一杯。富士宮市の石高が十万石の大台乗せ。
この問十では、同一登録物件内に複数の県・市があるものも多く、想定解の数をざっとしか数え切っていないので、「全部合わせると60に近いかな…」。該当する市の数が59と出たので、「全問を60市でそろえるのはやはり難しかったか…」と思ったところ。同じ内容の出題が昨年秋の「トライアル」で出ていたというのは、「初心者向け大会」に出る立場ではないとみて「外野席から見物」([103190])したこともあり、感想文が出そろって来るまで気づきませんでした。

…ここからは。「該当しない市」の提示が出てから。

問四~君の名は希望~
非該当の市が出る前にほぼ共通項はつかめており、「合併・改称によって元の市名が消滅して新たな市名に変わった市」だろう、と見当がつき、「雑学」の「消滅した市名」と照らし合わせ、まだ出ていなかった市から選ぶことにしましたが、「市盗り」に絡みそうな市もなかったので、以前に「元『乃木坂』の生駒さん」を話題にし([104139])、早速白桃さんからレスが来て([104140])
彼女の出身は由利本荘市らしい
その由利本荘市を取ることに、結局、今大会では今まで答えたことがなかった市を答えたのはこの1問だけでした。
ところで、この問の想定解数を数えたら、やはり「NGだろう」と見た「瞬間改称の市」を除くと59市になり、「あと一つはどこだろう?」と思ったところ、富士市がOKになっていたので、「そういえば、この問と全く同じ内容の問題が、第29回の問九で出ていた」ということを、答えた後にすぐ気づきました。その時の想定解は58市で、やはり富士市がOKになっており、その時抱いた疑問
「消滅した市」の中から「新設」「改称」を合計すると57市になり、数が合わないのが「今市」不安でした。「もう一つの該当市」とは、市名としては市制施行から改称されていないのですが、吉原市のほうが先に市になっていた富士市ということだったのでした
と全く同じことだったのでした。その「急所」を突いてきたデスクトップ鉄さんの「眼力」の鋭さ、そして立て続けに3連発で「落城」の憂き目に遭わせた速攻は、お見事です…。次回以降に捲土重来を期すことにしましょう。
第29回問九より想定解が2市増えたのは、微小な字体の変更に過ぎないのに何とも大げさな対応をした蓮田市([94763] hmtさん)と、令和への改元と同日に改称した丹波篠山市が加わったからでした。

問五~Central Freeway~
大都市圏の市が並んできており、データベース検索から人口増加などいくつか当たりましたが、「密度」が高い順で見るとぴったり。やはり60位がボーダーラインとすぐわかり、都内から、領主復帰を目指して調布市を。これで東京都の50万石の大台にも「王手」。

問七~春よ、遠き春よ~
こちらは人口が多そうな市、市制が早そうな市が並んでおり、「市制の古い順」だろうとはやはりNGの市が出る前までに見当は付きましたが、万全を期して、NGとして川越市が出てきてから。「雑学」から「市制施行日~」のページを開いて施行日の古い順に並べ替え、指折り数えると、同日市制の北海道の5市が60位以内のボーダーライン上に並び、その次の川越市が61番目になっていた。都内で唯一入っている八王子市がまだ出ていなかったので、その八王子市を。これで東京都の50万石の大台乗せを達成。

問九~ここぞ御殿場夏ならば 我も登山を試みん~
解答が進んで行くにつれて、標高が高そうな市が並んでおり、「高原」とか、「市役所と最高点の標高差」なども考えましたが、もっと単純な共通項があった…。過去問で類題(第30回・問二…市域の最高標高地点が2000m以上)があり、その解説記事が[77514]に出ていた。しかもそこにはご丁寧に?1900m以上までの63市(当時)が載せられている。安全を見て富士山絡みで出ていなかった市から選ぶことになり、富士宮市をもう一回取ることも考えましたが、結局、市盗り狙いを見据え、伊豆長岡宿泊の翌日に投宿した御殿場市(道中記は後日書き込みます。でも肝心の富士山が…)を選びました。
ところで、この問の想定解数は、60位タイに並んでいる、早池峰山頂を交点にしている岩手県の3市まで62市ですが、[77514]を見ると、その岩手県の3市までで61市、次点の富良野市は62位。あれ、1市足りない?と思ったら、その時点では「村」だった、岩手山頂が2000m越えしている滝沢市が加わったからだったのでした。

ここからは、想定解数が出てから。この1問だけでした。

問三~春高楼の花の宴~
解答が進むにつれて、合併で大きく広がった市など、面積が広そうな市が並んでいるなぁ、と見えてきた。こちらもデータベース検索から面積の広い順に見て行くと、NGとして出ていた郡山市は61位。やっぱりこれも60位までに入る市を答える問題でした。市盗りに絡めそうな市がほとんど見つからず、結局青葉城主の石高をまたも積み増し。今回はなんだか「領主防衛戦」、というよりも「安定領主のさらなる安泰」を図ったような、誤解を恐れずに言うと「安全運転」、というより「消極戦法」になって「不完全燃焼」に終わったような感じになってしまいました…。
…ノーヒントで答えられたのはここまで8問。出題時に想定解数とNGの市が出ている、今まで一般的なスタイルで行われた大会の場合だと、「快調なペース」となるのですが、今大会の出題スタイルと、比較的平易な問題が多かったと感じたこと、実力派の新鋭参加者の増加によるレベルアップにより、解答数も増え、厳しい闘いとなったという実感でした。もっとも、想定解数を(ほぼ)60市でそろえたことにより、余裕のある問が多く、今までよくあった、「売り切れ」の恐怖から来る「焦り」というのはほとんど感じませんでしたが…。

問八~伊豆の太陽 下田温泉~
ここからはアナグラムヒントが出てからでした。出だしに誤答が続出し、最初の採点が出てから正答が出そろってきましたが、共通項が見えたのは町村ヒントで「深浦町」が出てから。「深浦町…4年前に乗ってきた五能線([96376])…千畳敷」。まさか1年4か月前、第56回の、奇しくも同じ問八と全く同じ問題が出ようとは!その時の該当市は52市でしたが、それ以降、私がたまたま見ていたTV番組に出ていた福井市一乗谷の千畳敷([101401])を含め、新たに見つかったところが増え、想定解がちょうど60になっていた。答え選びにあたって、その福井市や、市盗りが激戦の沼津市も考えましたが、沼津市は同率で並ぶ2名が共に長らく姿を見せておらず領主防衛の緊急性が低いと見て、第56回問八と同じく下田市を答えることに。その時の感想文([101327])で「王手」と書いたもののそれ以降足踏みしていた「下田十万石の野望」をようやく達成することができた。

問六~あらたふと青葉若葉の日の光~
最後に残ったのがこの問九。第一ヒントが出てもしばらくわからなかったのですが、ふと「隣接問題がない」と思い、「隣接数」を調べたら、お題とここまでの正答の市を見るといずれも「市区町村、県内県外ひっくるめて隣接自治体数が9」、NGの塩尻市は8、島田市は10。問六なのに9とは、と「外し」に来たか…と。ここでも富士宮市が残っていたが、桜トンネルさんの3連発で「危急」を感じ取った(後で見たら。桜トンネルさんの解答は実はこの3連発だけで、焦ることはなかった…)日光東照宮の「死守」に1万石加増を。これで今回もようやくノーミス完答となりました。

…今回の十番勝負では、前にも触れましたが、参加者がさらに増えただけでなく、回数にちなんだ「60位以内に入る市」を答える問題を集めるなど「隠されたテーマ」に早いうちに気づいていた人も多く、また全般的に平易な問題が多かったこともあって、第一回採点で早くもメダルが全部決まるなど、解答の出るスピードが更に早まり、私のようなスロースターターにとってはますますメダルが「高嶺の花」になってきた感があります。一方で、見事に10名に分散した金メダリストのうち、ノーミスだったのは3名にとどまった一方、ノーミス完答者のうち、メダルに無縁だった人が、一発完答した3名を初め18名に達しており、「メダル狙いで誤答覚悟」の戦術を採った人よりも、メダル狙いを早々と諦めてある程度正答が出そろってから参戦した人のほうが、今回は想定解数が多めだったこともあって、「売り決め御免」の心配をせずに答え選びができ、既出解やお題を答えてしまうリスクも少なくなって、その面ではかえって有利になったということも否定できないと思うのですが。
ところで、今回の私の成績は、総合着順でようやく20位、平均正答順位では22.5位([104715])にとどまり、「入賞」もなし、近年の大会では最低といってよい成績に終わりました。先に述べた通り、参加者の増加と実力UPについて行けなくなってきたような状況が見えてきそうな気がします。十番勝負を100回まで続けたいという話が出ているようですが、歳のこともあり、「気力が続かなくなった」と自覚してきたら、十番勝負から「引退」という時期も来るかもしれません…。

♭今回の選曲は…
問一:「町田音頭」の1番の歌いだし。町田市を離れてはや2年半を過ぎましたが、メロディーはしっかり覚えています…
問二:川越が発祥という、ご存じのわらべ歌より。
問十:童謡「背比べ」の歌詞には、「山の背比べ」のフレーズで富士山が出てきます。
問四:「乃木坂」の初期の頃のヒットナンバー、その頃は「生駒さん」は多分現役メンバーだったと思うのですが、この手の話題について行けないオジサンには、いまいちよくわかりません([104139])…。余談ですが、松本清張の名作「砂の器」に出てくる「羽後亀田」の辺りも、現在は由利本荘市域に入っています。
問五:歌詞に出てくる「調布基地」は、現在の「味の素スタジアム」の辺り。
問七:八王子の呉服屋の娘さんの名曲。今年の春は急に暑くなったかと思うと、一転して真冬のような寒い日が続いたり、梅雨のような雨天が続いたりと、「春」の実感がないまま、いつの間にか初夏に入ってしまいました…。
問九:鉄道唱歌・東海道編の15番の歌いだし。東海道線が国府津~沼津間で今の御殿場線廻りだった頃、御殿場の駅と町が富士登山の玄関として賑わった光景が偲ばれます([101327] )。
問三:「荒城の月」の歌いだし。作詞した土井晩翠は仙台市出身。
問八:昔、こんなCMがありました([101327])。
問六:芭蕉が日光で詠んだ、今頃の時季にふさわしい名句。

[104733] デスクトップ鉄さん
グリグリさんの第2回チャレンジトライアルですが、私意外に手をあげた人がいないようです。一人で1週間21時の採点書き込みをするのは難しいので、共催していただける方はいませんか
[103912]
先の十番勝負中にも、いくつかこちらで考えていた問題があり、その中で想定解数が50以上になりそうなものもありましたので、「問題を作る側に回りたい」という気持ちは出てきましたが…。とりあえず、もしこちらで自信をもって作れそうな問題ができたら、第一回の「責任出題者」であるデスクトップ鉄さんあたりに、「秘密保持」もあるので、「まずメールでやり取りする」、というのはどうか、と思っているのですが…。それから「立候補」するかどうかを考えてみることにします
と書き込んだのですが、3問程度なら、ほぼ出来上がっている問題があるので、「お手伝い」として立候補する意欲はありますが…
[104523] 2022年 5月 5日(木)22:49:03伊豆之国 さん
十番勝負
問六:日光市
[104521] 2022年 5月 5日(木)22:38:13伊豆之国 さん
十番勝負
問八:下田市
[104487] 2022年 5月 4日(水)22:29:33伊豆之国 さん
十番勝負
問三:仙台市
[104472] 2022年 5月 4日(水)17:48:01伊豆之国 さん
十番勝負
問九:御殿場市
[104428] 2022年 5月 3日(火)21:42:21伊豆之国 さん
十番勝負
問七:八王子市
[104424] 2022年 5月 3日(火)21:31:30伊豆之国 さん
十番勝負
問五:調布市
[104422] 2022年 5月 3日(火)21:27:56伊豆之国 さん
十番勝負
問四:由利本荘市
[104372] 2022年 5月 2日(月)23:00:39伊豆之国 さん
十番勝負
問十:富士宮市
[104361] 2022年 5月 2日(月)22:21:39伊豆之国 さん
十番勝負
問二:川越市

まさかね…
[104358] 2022年 5月 2日(月)22:12:07伊豆之国 さん
十番勝負
問一:町田市
[104179] 2022年 4月 24日(日)21:07:40【1】訂正年月日
【1】2022年 4月 25日(月)08:09:33
伊豆之国 さん
影を慕いて
[104178] 白桃さん
伊豆の国市に所縁ある伊豆之国さんに訊いてみましょう。(笑)
今度の連休で伊豆長岡温泉に一泊を予定して居ります韮山城九万石城主伊豆守でございます。
何か呼ばれたようですので、わかったようでわからないけれどもともかくお答えしておきます。
少し変わった動きを見せたのが宮崎県「日の影町」です。岩戸村の一部を編入したことにより、人口を14,480人から16,396人に増やしたのですが、同時に名称を「日之影町」に変えたのです
この日之影町を通っていたのが旧国鉄日ノ影線(→高千穂鉄道、2008(平成20)年廃止)。町内に「日ノ影」改め「日之影温泉」駅がありました。こちらによると(要約)

1939(S14)旧国鉄日ノ影線の終点「日ノ影」駅として開業
1972(S47)日ノ影線が高千穂駅へ延長、高千穂線に改称
1987(S62)JR九州の路線となる
1989(H01)高千穂鉄道に転換
1995(H07)温泉施設が開業、駅名を「日之影温泉」に改称
2008(H20)高千穂鉄道が水害の影響により全線廃線

…といった具合で、この手の第三セクター鉄道によくあるような「転換と同時に駅名改称」はせず、温泉施設の開業という機会に合わせて、「ひのかげ」の表記を地名に合わせた、ということになるのでしょうか。それにしても、「の」の読みの部分の表記の「揺れ」、「いちのみや」「まるのうち」「えのしま」「きのかわ」…等々、あちこちで見られることは、前にも書き込んだ記憶がありますが、地元住民からかすると、「公式」の表記を使う必要がある場合はそれに従うしかないのでしょうが、そうでない場合は「どちらでも構わない」と案外無頓着な人が多いのでしょうか。
なお、温泉施設は「日之影温泉駅」の名称のまま、現在も営業を続けているようです。(HPより)
…蛇足ですが、「高千穂」の地名にまつわる「蘊蓄」が、惜しまれつつ大往生を遂げたhmtさんの[92702]の記事にありました。

「これは、大きく出たな!」と思うのが、古市町、高鷲町ほか4村の新設合併によって出現した「南大阪町」(中略)もっとも、このとき東大阪市は生まれていなかったのですから、ネーミングとして画期的だったかも。それにしては、市制施行の際に「南大阪市」を諦め、羽曳野という小難しい名前にしたのはどうしてなんだろう
「南大阪町」が市制施行に際し「羽曳野市」という新市名をあらかじめ決めていた、というのを、どこかで見たことがあるのですが、羽曳野市のHPから「市の略史」のページを開いてみても、市名の由来が書かれておらず、なぜ「南大阪町」ではOKだったのに「市」だとNGになったのか、どこかで横槍が入ったのか、また一体どこでこの「小難しい」市名の由来を調べることができるのでしょうか?
この「羽曳野」という地名、隣の富田林市にある、今では見る「影」もなくなったかつての高校野球の超名門・PL学園の校歌の一節に「羽曳野の聖丘高く育みて」とあることからして、「羽曳野」というのは現在の羽曳野・富田林両市を含む広域地名だった、と考えられることなのでしょうか。
[104161] 2022年 4月 17日(日)17:40:21伊豆之国 さん
世の中、澄むと濁るとでは… & 二宮さん
今日の朝刊の別刷りにあった記事の中に「地名の読みの清濁」について取り上げたくだりがあり、東京・港区の「白金」を「しろがね」、「茨城」県や大阪府「茨木」市を「いばらぎ」と呼んでいる人が地元でも多い、とか、「井の頭線」は「いのかしらせん」が正しいのに、「いのがしらせん」と呼んでいる人が多数だ、小田急の電車が下北沢駅に近づくと「いのがしらせん」は乗り換え、とアナウンスしている、とあり、更に、アノ国の大使館の前から神谷町方面に下って行ったところにある「飯倉」のローマ字表記が、交差点では"Iigura"、首都高のほうはIikura"となっている(注:SVで確認したところ、「飯倉」交差点は"Iikura"でしたが、「飯倉片町」はIigura~になっていました)というのもありました。

…ここからは自分の記憶になりますが、「井の頭線」については、世田谷区民だった少年時代には初めのうちはどちらなのか、確かに混乱したことがあり、当の「京王帝都」の案内板で、"INOKASHIRA LINE"の中で"K"の字の下に"G"と書かれていたのを消して直した跡があったのを見た覚えがありました。一方、「飯倉」はずっと「いいくら」と済んで読む以外にないと思っていて、のちに銚子方面に行ったとき、総武「本」線の「飯倉」駅(千葉県匝瑳市)を「いいぐら」と濁って読んでいたのを聞いた(駅名表示板にも確かに「いいぐら」「IIGURA」と書かれていた…当時は千葉以遠は非電化でSLもまだ走っており、「鈍行」でも一部は通過する「秘境駅」だった…)時、違和感を覚えたものでした。
地名の清濁というと、世田谷区内にはいくつか「○沢」という地名があるのですが、「北沢」や「駒沢」は「ざわ」と濁り、「深沢」や「奥沢」は「さわ」と澄んで読む、という「清濁混在」状態になっていて、子供のころから慣れていたので別に不思議でも何ともなかったのですが、「深沢(深澤)」という苗字の人を「ふかざわ」と読んでいるのを聞くと、やはり違和感があったものでした。
「山崎」「中島」「高田」といった苗字は、2文字目を「東」では濁音に、「西」では清音で読む傾向が強い、ということは、だいぶ前から聞いていたことでしたが、地名についてみると、「山崎」は、京都府と大阪府の府境越え地名は「やまざき」、その西の兵庫県宍粟市の山崎町は「やまさき」で、「畿内」と「山陽道」の間に境界線が敷けそうで、「高田」についても、奈良県「大和高田市」は「たかだ」、広島県「安芸高田市」は「たかた」と同傾向でしたが、岩手県「陸前高田市」は「たかた」、大分県「豊後高田市」は「たかだ」と東西の傾向と逆になっていて、この両市については、割と最近まで「陸前たかだ」「豊後たかた」と逆に思い込んでいたものでした。横浜市地下鉄の「高田」駅も「たかた」と濁らないことも、知ったのはやはり10年ほど前のことでした([82229])。

[104152][104157] 白桃さん
[104159] Takashiさん
「因子町」という発想というか捉え方というか、何となくわかったようでいまだにいまいちよくわからないのですが、
[104160] 白桃さん
五日市は「町」として広島県最高人口を記録していますが、そのときは「因子町」そのものではなくなっていたのです。(五日市は1955年4月1日に新設合併を行っていますので、法人格の変更があったのです。)
Takashiさんからの[104159]での質問と同様、例えば石川県の人口最多因子町が、野々市でも現役町で人口最多の津幡でもなくてなぜ内灘なのか、少々疑問に思っていたのですが、「新設合併していない」という「縛り」があった、とわかって氷解しました…。
「いまいち」というと「日光」ですが、「本源」「前身」「最古」の各因子町がバラバラ([104157])というその日光市、銅山の最盛期には足尾が日光や今市よりもずっと人口が多かった、ということは前から知っていたのでしたが、足尾が「生まれながらの町」であったことは、[102184]の記事を見て初めて知ったことでした…。

日光市の今市地域の開墾事業に深くかかわったのは二宮金次郎ですが…
[104155] オーナー グリグリさん
十番勝負の準備作業
「勝負」というと、[104145]の最後のほうで書き込んでいた神奈川県二宮町の「勝負前」(公園、旧小字?)がまだ「反対語地名」コレクションにまだ入っていませんね。
[104145] 2022年 4月 10日(日)01:12:22伊豆之国 さん
Re:湘南ナンバーご当地化
[104141] あきごんさん
[104142] オーナー グリグリさん

[104139] で書き込んだ、「湘南ナンバー」の区域に対する不自然さ・違和感から来る「ご当地ナンバー化」による再編案、本来ならば「卯月馬○」ネタ(出し遅れですが…)にしたいくらいの与太話でしたが、「馬路」に付き合ってくださって誠に恐縮です…。
お二方の反応を見る限り、鎌倉などを「湘南」に組み入れること、小田原・足柄地域を「湘南」から切り離して新たにご当地ナンバー「箱根」を作ることには理解できるとして、知名度の問題がある「丹沢」はどうも、というのは、言われてみれば納得できます。確かに「丹沢」と言われても、神奈川・東京以外の人にとっては、登山をやらない人にはどこにあるのかほとんどわからない気がします。[104139]の表に書いた地域について、代表となる地名をあえて挙げるとすれば「厚木」でしょうが、「厚木」と聞いてまず多くの人が連想するのは、厚木市をかすってもいない「基地」で(あと他には女性用肌着メーカー?)、かえって誤解を招く恐れがありそうです。
そもそも「湘南ナンバー」の区域が実態と乖離したおかしな範囲になったのは、やはり「伊勢原・秦野」を(強引に?)組み入れたことが最大の原因で、この両市が入ってくると、その西側にある足柄上郡や小田原市なども「相模」のままだと(実質的に)「飛び地状態」になってしまうため必然的に「湘南」に入れざるを得ない、ということになったのでしょう。
それと、私が思った「違和感」の理由として、厚木~伊勢原~秦野と続く内陸側の「国道246号・東名高速・小田急」沿線と、平塚~大磯~二宮間の海沿いの「国道1号・東海道線」沿線のルートとのそれぞれの南北のつながりが、間の丘陵地帯に遮られるなどで相対的に弱く(平塚~厚木間の相模川沿いの平野部は、国道129号などでかなりの交通量がありますが)、お互いに別々の交流圏を形成しているような形に見えるからです。仮に、小田原・足柄地域にご当地ナンバー「箱根」が採用できるのであれば、同様に「湘南にふさわしくない湘南ナンバー区域」になっている伊勢原と秦野を「相模」に戻すことが自然なように見えますが、両市が「湘南のほうがいい」というのであれば、次のような「歴史的経緯」として「過去の『いわゆる湘南』との結びつき」を根拠とするのはどうでしょうか。

・江戸時代、江戸市民の行楽として、大山阿夫利神社(伊勢原市)参りと江の島・鎌倉を組み合わせたルートが人気観光コースであり、明治になって東海道線が開通すると、小田急が開通するまでは、平塚駅が大山参りの玄関になっていた
・二宮~秦野間に、明治末期に馬車鉄道として開業し、大正になって軽便鉄道となった「(湘南軽便→)湘南軌道」が通っていた。昭和初期の小田急開通により打撃を受け、営業休止を経て昭和12年に廃線となった(廃線跡探訪)

「軽便」二宮駅跡(「愛児園」の前に説明板あり)を"Street View"で探しているうちに、「勝負前公園(遊園地)」というのがあり、由来が気になったので調べてみると、園内に石碑があり、画像を拡大して見ると「二宮町勝負前土地区画整理組合事業」とあり、「施工区域 二宮町勝負前」の文字が見え、どうやらこの「勝負前」は(旧)小字名と思われます。
>オーナー グリグリさん
この「勝負前」は、「反対語地名」コレクションの「勝負」には未登録です。登録をお願いいたします。
[104139] 2022年 4月 7日(木)22:14:41伊豆之国 さん
「湘南ナンバー・ご当地化」への提案(妄想ですが…)
[104138] あきごんさん
湘南ナンバーはご当地ナンバーではないのですね。メチャクチャご当地ナンバーっぽいのですが、通常ナンバーなので驚きました
「多摩ナンバー」から「相模ナンバー」地域へ引っ越して2年半、一層「湘南ナンバー」の車と出会う機会も増えましたが、それにしても「不自然、不合理」だと、どうにも違和感がぬぐえないのが「湘南ナンバー」の区域。
現在、「湘南ナンバー」に含まれる区域は、藤沢・茅ヶ崎・平塚・小田原・伊勢原・秦野・南足柄の7市と、高座郡寒川町・中郡2町・足柄下郡3町・足柄上郡5町の計18市町。これを地図で見て、よその人はまず誰でも「あっ…」と絶句するでしょう。この区域の中で、「湘南」の名にふさわしいと万人が納得するのは、藤沢と茅ヶ崎ぐらいでしょう。平塚と、「湘南発祥の地」の石碑がある大磯、それに二宮あたりまではまずよいでしょうし、一般に「西湘」と呼ばれることが多い地域にあって海に面している小田原市と真鶴・湯河原の2町も「アリ」(「湘南電車」が通っています…)という人もいるようですが、鎌倉・逗子・葉山が入っていない(いずれも横浜ナンバー)のに、海に面しない市町が、面する市町より多い10もあり、「猪や熊が出る足柄山中」まで「湘南」というのがどうにも納得が行かず、いわば「湘南ナンバーの悲劇」とでもいうのでしょうか。
「ご当地ナンバー」をめぐるは論議は、落書き帳の「アーカイブ」にもありましたが(もう20年近くも昔!)、そもそも「湘南ナンバー」は「ご当地ナンバー」ではなく、その制度ができる以前に作られたものであることが、「違和感」「行き違い」の元であり、「名前と実態の大いなる乖離」になっているような気がするのです。「湘南ナンバー」の元になっている「湘南自動車検査登録事務所」は、平塚市にあり、その管轄区域を見ると、確かに上記の18市町になっています。この地域分けについては、どうも既存の「相模ナンバー」の区域分割に際して機械的に決めたようなことで、「(平塚市と隣接している)伊勢原・秦野が地盤の、当時の某代議士の思惑が絡んでいる」という噂も聞かれたものでした。
ともかく、「湘南に住んでいないのに湘南ナンバー」が幅を利かせている、という現状を改めるためにも、「ご当地ナンバー」による区域再編が必要なように思えます。「私案」として、こんなのを作ってみましたが、いかがでしょうか?

ご当地No.該当市町村備考
湘南平塚・茅ヶ崎・藤沢・鎌倉・逗子市、三浦郡葉山町、高座郡寒川町、中郡大磯・二宮町寒川町は海に面していないが、寒川神社の大祭「浜降祭」で神輿が茅ヶ崎の海を渡御し、海と関係が深いので含めてよいと思う
箱根小田原・南足柄市、足柄下郡3町、足柄上郡5町「小田原」とか「足柄」でもよいが、抜群の知名度を誇り海外にも知られるメジャー観光地の名を
丹沢厚木・伊勢原・秦野市、愛甲郡愛川町・清川村全国的な知名度は?、「丹波」と字面が紛らわしいので「丹澤」表記も? 厚木と愛甲郡は「相模」から移管
横須賀横須賀・三浦市鎌倉などの「新・湘南」移管と合わせて、巨大「横浜」ナンバー区域の負担を少しでも軽く

乃木坂46の齋藤飛鳥ファンが、どうやったら飛鳥ナンバーを取得できるか、ネットで情報交換していました
この手の話にはなかなかついて行けないオジサンですが…
「乃木坂」「奈良県の地名」というと、もう「卒業」したそうですが、「生駒」さんもいましたね。彼女のおかげで「生駒」の地名を読める人が増えたとか。ちなみに彼女は「あきたこまち」だそうですが、苗字の由来を知りたくなるところです…。


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