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TGRSさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[25411]2004年2月26日
TGRS
[25408]2004年2月26日
TGRS
[25073]2004年2月20日
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[24040]2004年1月22日
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[24037]2004年1月22日
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[23966]2004年1月20日
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[23965]2004年1月20日
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[23963]2004年1月20日
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[23808]2004年1月15日
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[23806]2004年1月15日
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[23805]2004年1月15日
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[23773]2004年1月14日
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[23772]2004年1月14日
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[23741]2004年1月13日
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[23739]2004年1月13日
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[23738]2004年1月13日
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[23736]2004年1月13日
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[23579]2004年1月9日
TGRS
[22826]2003年12月16日
TGRS
[22678]2003年12月10日
TGRS

[25411] 2004年 2月 26日(木)20:46:10TGRS さん
&その市内のバス停名
[25402]いっちゃんさん
青森市にもあります「十文字」。
荒川十文字、大野十文字、古館十文字。でも私の生活圏外だったので、地名として実在するのか、というか「バス停ではなくて『あのあたり』を指して『○○十文字』と呼ぶことがある」と呼んでいるのかは不明です。

施設名などに対しては「前」が一般的ですね。「県庁前」とか「NTT青森支店前」とか(昔は電話局前というシンプルなバス停だったのに…。今でも「電話局前」で通じますが)。たまに「昭和大仏」など「前なし」もありますが。

不思議なのは「○○通り」です。「県庁通り」とか「県立中央病院通り」とか。実際にそういう道の名前があるわけではないのですが、なぜかこんな名前。しかも市内から行くと「県立中央病院通り」の次に「県立中央病院前」があるので、車内放送の「次は、県立中央~」あたりで降車ブザーを押してしまう通院者もたまに見かけます。
[25408] 2004年 2月 26日(木)20:28:03TGRS さん
たなぼた県庁所在地&その市内中高の略称
[25144]まるちゃんさん
[25227]月の輪熊さん
私が記憶だけでテキトーに書いた青森市が県庁所在地になった経緯についてのフォロー、ありがとうございます。

[25203][25368]faithさん
青森から弘前に移転した学校について
なかなかいろいろな経緯があるようで…。最終的に弘前に集中してしまっているのは、結果として便利になっていると思います。[25340]なども興味深く読ませていただきました。

学校名の略称(またビミョーに話題に乗り遅れてる!)
青森市では。
【高校】
  青森高校 セイコー (青高生はアオタカと呼んでいるという噂も)
  青森東高校 ヒガシ
  青森西高校 ニシコー
  青森南高校 ミナミ
  青森北高校 キタコー
  青森中央高校 チューオー
  青森戸山高校 トヤマ
  青森商業高校 ショーギョー
  青森工業高校 コーギョー
  青森明の星高校 アケノホシ (明の星短期大学は「アケタン」)
  青森山田高校 ヤマコー
  東奥女子高校 トンジョ (現在は東奥学園高校。略称不明)
「略した」と見なされるのは、青高、山高、東女くらいでしょうか。なお、市外の学校は学区制もあり話題に上ることすらないので不明です(通学自体がほぼ不可能なので、学区制があることすら知らなかった私)。
【中学校】
  古川中学校(ふるかわ) フルチュー
  造道中学校(つくりみち) ツクチュー
  戸山中学校(とやま) トヤマ
  筒井中学校(つつい) ツツイ
  東中学校(ひがし) ヒガシ
  佃中学校(つくだ) ツクダ
すべては列挙しませんが、略す=5、略さない=15、という結果になりました(西中[ニシチュー]南中[ミナミチュー]は略さない、に入れました)。戸山、東、北、は高校にも同名がありますが文脈で判断したり、「ヒガシチューガッコー」とフルネームで呼んだりします。自校では略称で呼んでいても、他ではそう呼んでもらえていない、というものもあるかもしれません。
略称中は規模が大きい学校、または街中にある学校なのですが、話題に上る率が高いと略されていくのかもしれませんね。筒井・佃もそれらに該当しますが、「ツツチュー」は言いにくいし、「ツクチュー」は造道との同名回避ですね。学区も隣だし。

というわけで、青森市は略称未発達地域、なのかな、と思ってみました。

ゆびとま( http://www.yubitoma.or.jp/)が意外なところで役立ちました。
[25073] 2004年 2月 20日(金)20:04:59TGRS さん
青森市と弘前市 (コード順)
[25023]まるちゃんさん
なぜ青森県の国立大学は,県庁所在地の青森ではなく,全学部が弘前に置かれることになったのでしょうね.
[25042]faithさん
医科大、師範が弘前に移ったのは青森の戦災の関係のようですね。
[25065]まるちゃんさん

青森市に住んでた者としての感覚的なものですが、青森市は津軽藩の一漁村だったのが、港として手ごろだったのと県内での位置からたまたま県庁所在地になったようなものなので、「津軽の中心は弘前。青森市なんかは歴史・文化ともに足元にも及びません」みたいな遠慮?気後れ?みたいなものがあるんです。なので、「戦災の都合で弘前に移転します」と言われても「はいそうですか。しょうがないっすねぇ」てな感じだったのではないでしょうか。実は私も最初のニックネームを「津軽衆」にするにあたり、青森市出身(しかも生まれは八戸)の私が“津軽”を名乗るのは遠慮すべきかなと思ったりもしました(その後のニックネームの変更は別の理由です)。

他にも「弘前にはかなわねぇな」の事例。
 ・旧制中学。一中=弘前、ニ中=八戸、三中=青森
  (四中は木造なのですが、やっぱり謎ですね>[16666]雑魚さん)
 ・方言。弘前周辺の言葉の方が「ホンモノの津軽弁」で、青森市の言葉は「磯臭い言葉」と言われていたりします。
 ・青森市にはお城がない。
 ・「ねぶた(nebuta)」は観光客を集めたい青森市が弘前の「ねぷた(neputa)」を真似して始めた行事である、という説があるが、真偽のほどは不明だがなんとなく納得してしまう。

とはいえ、青森市は青森市でよいところです。弘前とは補完関係にある、とでも言いましょうか。「かなわねぇな」と思っているだけで、仲が悪いわけではありませんし。

ちなみに、どっちがいい悪い、とか、格がどーだとかいうように読めるところもありますが、感覚的なもののご説明ですので、そこはツッこまないでください。(市と町と村が同等であると分かっていながらも「市に格上げ」とか言ってしまうようなもんです)
[24040] 2004年 1月 22日(木)19:13:36TGRS さん
昨日の「明日の天気」(←ややこしいな)は雪マークだらけで驚きました。
[23978]牛山牛太郎さん
青森に方々は雪の日は傘をささないのですね。友人にどうしてなのかと聞いたら、「服に雪が付いたら掃えばいいから」といっておりました。
はい。傘はさしません(ちなみに傘は「かぶる」と言います←また方言)。そんなにサラサラした雪が多いわけではないのですが、雪=風(しかも強い)を伴うもの、なので、傘をさすとけっこう不便なんですよ。あと、転んだ時に片手が塞がっていると危ないですしね。

先日東京で雪になりそうだけど雨、という空模様の日があったのですが、「傘持ち歩くの面倒だから雪の方がいいのに」と発言してヘンな顔されました。

[23980]EMMさん
雪質に絡んで、高校の生物の先生がこんな話をしていました。
(中略)
北陸の湿気が多い重たい雪では、ほうきで除雪なんてまず無理です。
以下、青森市のお話です。
そういえば、車のフロントガラスはほうきで雪をおとすことがあります。雪質によって、ですが。
普段使っている雪かき道具は、この  http://www.yoroduya.co.jp/shop/comment/snow_01.html ページから選ぶと、
(1)スノーダンプ  鉄→アルミ→プラスチックと軽量化して進化しています。昔はプラスチック製のは「ママさんダンプ」と言われてどっちかというと初級者向けのアイテムのように言われていたのですが、最近はプラスチックが主流ですね。実家で使っているのはちょっと形が違いますが。
(2)雪かき  「雪ベラ」とよんでいましたが、これ基本アイテム。
(3)スコップ  固まった雪にはコレです。
(4)スノーラッセル  我が家には一昨年くらいに導入されたのですが、これ、画期的です。楽しい~。
(5)ジャンボスレー  単純に「ソリ」とよんでました。我が家は家の裏の海に直接雪を捨てられたので使っていませんが、住宅地の人は雪捨て場までこれに積んで何往復も…。気が遠くなります。ちなみに我が家ではリンゴを(箱で)買いに行く時に使っていました。

[24001]Firoさん
そういえば、八王子から大月方面に行く中央(本)線は、時間調整などでホームに停車して
いる時は、ドアを手動に切り替えて閉めておいてくれますね。
青森の電車は中にドアに「開」「閉」ボタンがありますが、 外には「開」ボタンしかありません。ですから、停車時間が長い駅では降りながらすかさず内側の「閉」ボタンを押すというのがマナーらしいです(怠るとドアそばの席の人が舌打ちしてたりする)。ボタンじゃなくて本当の手動の方が便利では?とも思いますが、ドア冷たいですしね。
[24037] 2004年 1月 22日(木)18:41:41TGRS さん
コードの順序
すでにチェックされてるかもしれませんが…。

[23842]Issieさん
私が今,どちらが先になるのか,最大の関心を持っているのは,次の新潟県のペアーです。
佐渡市 2004年3月1日発足予定 平成15年総務省告示第664号 2003年11月4日付
阿賀野市 2004年4月1日発足予定 平成15年総務省告示第489号 2003年8月1日付

http://www.lasdec.nippon-net.ne.jp/ (財団法人地方自治情報センター)の、
「地方公共団体コード」→「全国地方公共団体コード改正状況」で発見しました。
佐渡市 15224
阿賀野市 15223
になっています。
ということは、告示順なのですね。今年の3月中は、新潟県内のコードが面白いですね。合併等で削除されたのではなく、最初から空番というのは滅多にないケースではないでしょうか。

たしかに番号を空けて待っていたのに告示直前にご破算、ということもありえますからね…。

同日発足でも告示の日が違う例では、
 2004.2.1発足
  岐阜県 飛騨市 21217 告示 2003.8.1
  岐阜県 本巣市 21218 告示 2003.11.4
 2004.3.1発足
  岐阜県 郡上市 21219 告示 2003.11.4
  岐阜県 下呂市 21220 告示 2004.1.15
 2004.3.1発足
  長崎県 対馬市 42209 告示 2002.11.27
  長崎県 壱岐市 42210 告示 2003.8.1
があります。すべて告示順ですね。

それにしても対馬市、告示早かったですね。そういえば東かがわ市もえらい早かった気が。さぬき市と同日告示だったので、私、てっきり同日発足だと思っていたら、発足日は1年も離れていたんですよね。(白桃さんお元気ですか?)

あと入力してて思ったのですが、「対馬市」って「津島市」と同じよみですね。山県市と山形市ほどは落書き帳でも話題にならなかった気がします。
[23966] 2004年 1月 20日(火)20:13:44TGRS さん
営団→東京地下鉄(略称募集中。勝手に)
[23920]スナフキんさん
「東京地下鉄株式会社」発足もいよいよ秒読み段階に入ってきました。(中略)営団地下鉄有楽町線で一部の車両から、営団地下鉄のロゴマークが撤収されているのを確認しました。
秋に大宮で開催された「地図展2003さいたま」でもらってきた首都圏交通図つきカレンダー、というかカレンダーつき首都圏交通図を見たところ、なんと「営団赤塚」「営団成増」の各駅名が「地下鉄赤塚」「地下鉄成増」になっていました。でも「営団○○線」はそのままで欄外に「営団地下鉄は2004年春に社名変更予定」の注記。ちなみに東急の横浜-桜木町は姿を消し、「みなとみらい線」が存在しています。いったいいつの地図なのやら。もらっておいてナンですが、2004年のカレンダーなのに「地図展2003さいたま」の文字がちょっと大きめなのでより一層「いつの地図?」感アップです。
[23965] 2004年 1月 20日(火)19:58:37TGRS さん
冬の話
[23905]ありがたきさん
張りつめたような冷たい空気が鼻腔を刺すような感覚とでも申しましょうか
私、それのことをずっと「冬のにおい」って言ってました。今シーズンは「初・冬のにおい」、遅かったです。スキー場でも天気が良すぎて嗅げなかった、このにおい。(1/18(日)に嗅ぎました)

[23840]みかちゅうさん
八王子の友人は積もってたからゴム長を履いて学校に来たら、都心は積もってないので恥ずかしいといっている人もいました。
真冬に青森から姉が上京してくる時、「東京は絶対に雪は降らないから秋の靴を履いて来い」と言ったのですが、みごとにその年一番の大雪にぶち当たり、えらい怒られました。東京で見ると、青森の冬の靴ってすごいゴツいんですよ。長靴じゃなくても。

[23849]ぴょんさん
すでに気温は -0.5度。都心、横浜が3度台なので今日は4度差くらいです。(いつもならもう少し開きがあるんですよね)
八王子に住んでる知人は仕事も多摩地域なので、用事で都心に出てくるときは「わざわざ薄着で」来るそうです。
また、「中央線の「ジ」の駅ごとに1度下がる」と言っていました。東京-高円寺-吉祥寺-国分寺-八王子。これで都心とは4度差です。いつもならもう少し開きがあるってことは、やっぱり西国分寺も入れた方がいいのでしょうか(笑)。
[23963] 2004年 1月 20日(火)19:31:53TGRS さん
「いちう」完結編?
[23817]スナフキんさん
それにもかかわらずTGRSさんは果敢に調査に取り組んでいらっしゃる
いえいえ。逆にスナフキんさんのネタを横取りしてしまったようで。こういうふうに書物をあたって物を調べたのは、[22678]南方四島が初めてだったのですが(これもhmtさんのネタを!)、楽しいものですね。

東京都立中央に所蔵がありました。
一宇村史がこんなところで所蔵されているのですか、ちょっとオドロキです。
というわけで、東京都立中央図書館に行ってきました。地方誌はけっこう重点的に収集しているようですね(『一宇村史』には古書店のラベルらしきものがありましたし)。需要があってのことと思いますが、所蔵地方誌を一覧にしたリストもありました。

とはいえ、残念ながら結論はでなかったのです…。

『一宇村史』(1972 一宇村)は、一宇村が「古くから呼びなれてきた、輝く伝統をもつ意義ある村名「一宇(いっちゅう)」に誇りをもって」宣言をしていた1969年から村政要覧の表紙が「いちう」に変わる1973年までの“謎の4年間”に出版されています。

さて『一宇村史』の中身を見てみると、これが見事なまでに正式なよみについては触れられていないのです。関係するところといえば、

第1編 自然環境 第1章 一宇村の概観 第1節 村名 より引用
「一宇村は地元民はイッチュウまたはイッチュウヤマという。文字は古来「一宇」と書いているが漢字の「一宇」は宛字で漢字で村名を書く年代より古くすでに本来イッチュウと呼ばれていたのであろう」

…「地元民はイッチュウという」ということは、他ではそう呼ばれていないということなのでしょうか。でも「本来イッチュウと呼ばれていたのであろう」はどう解釈すればよいのやら。

各集落について記述した章では集落名を「一宇(イッチュウ)」と表記していましたが、これは村名ではなくて集落名ですからねぇ。

他には本文中、「一宇」のよみかたについて触れられているところはありません。「発刊のことば(村長)」「監修者のことば(監修者)」「はじめに」「あとがき(編纂主任=教育長)」でも一切、です。

「八紘一宇」のこともありますので、戦中戦後の政治・暮らしの頁もあたってみましたが、そのような記述はありませんでした。

うーん、私はこの時には「自称イッチュウ」だったのだと思います。一宇はイッチュウなんだから、特に記すことではない、イチウだなんて発音は想定外である、ということで、『一宇村史』には「イチウ」の文字列は出てこないのだと。

結局すっきりしない結末でしたが、現地に行けばなにかわかるでしょうか。

[23894]で愛比売命さんが四国のスキー場を案内してくださいましたが(こういう行った人の感想が大事なんです。感謝!)、スキーがてら行ってみようかなぁ。私、四国には上陸したことがないんですが、「初四国はスキー」ってのも面白いかもしれません。

うぅぅ…。シマらない報告で申し訳ないです。

[23817]スナフキんさん
今年の春には、いよいよ私が徹頭徹尾手掛けた地図がおさめられた、事実上最初の出版物が刊行されます。
楽しみにしています。なんという地図でしょうか。ここでは発表しにくいでしょうね。いずれメールにて伺わせていただきまーす。
[23808] 2004年 1月 15日(木)20:16:30TGRS さん
今日の諸々
[23777]じゃごたろさん

以前も似たような大学名の略称の話題があった気がしますが
[5297]あたりの「メイダイ」話などですね。
と思ったら、
[23807]ペナルティキックさん
白河から宇大に実家から通学してる奴とかいますよ。白河って微妙な距離なんですよね。福大だと実家から通学なんて殆どできないのに。(いや極少数いるんですけどね。)
おお! さらりと略称が。
[8492]愛比売命さん [8495]般若堂そんぴんさん [8510]せかさん [10004]てつさん [10036]愛比売命さん なども見つけました。
東北大学は省略できません。ただ読みとして「東北(トンペイ)」という言い方が、一部の人達の間では普及してしますね。
敢えて「トウダイ」と言っている人もいました(笑)。

岩手めんこいテレビの本社はかつて水沢に?
開局当時はそうですね。水沢は小沢一郎氏の地盤。彼の肝煎りがあったと風の噂で聞いた記憶が・・・。
ありがとうございます。これで裏取り完了。なるほど、彼が…。でも結局は盛岡に本社が移転したというのは、県庁所在地の方が便利ってことなんでしょうか。岩手県はともかく青森県は分散型都道府県([15468]両毛人さん)なので、青森朝日放送八戸本社にもがんばってもらいたいものです。

[23792]じゃごたろさん
私は宮城県沖地震が小学生の時でした。ちょうどお使いに行くところで地震があって、びっくりして家に帰った記憶があります。
私は小学校にあがる前でした(当時八戸市居住)。テレビの前でピンクレディーを歌って踊っていた瞬間だったということは覚えています。母いわく「揺れたとたんにアナタが5メートルも向こうから飛びついてきたから、そっちの方が驚いた」。5メートルは大げさだろうよ…。しかも当時の家には5メートル飛べるほどの空間の余裕はなかったし。
[23806] 2004年 1月 15日(木)19:28:36TGRS さん
八紘一宇
[23783]オーナー グリグリさん
[23784]kenさん
[23788]夜鳴き寿司屋さん
[23796]hmtさん

そういえば「紘」の字をお名前に使っている方、ある程度の世代の方に多いですね。逆にお名前以外では見かけることのない漢字です。「紘宇」さんというお名前も見かけたことがあります。「一宇」さんも見かけたことあるかもしれませんね(仕事柄いろいろなお名前を拝見するのですが、声に出して読むことがほとんどないので、珍しい字でなければ記憶に残らないことが多いのです)。

とはいえ、[23784]kenさんの
もちろん、地名「一宇いっちゅう」は、「八紘一宇」のスローガンが人々に膾炙される、ずっと以前からあったわけですが、読みの「揺れ」の原因には、私見ながら、この「八紘一宇」が少なからず影響を与えているように思えます。
「八紘一宇」のスローガンは先の大戦期のものとしても、「一宇(いちう)」=「一つの建物」という単語としては、一般的に日常使う言葉ではないにせよ、元々あった言葉なので、文字「一宇」を見て、当然に「いちう」と読むべきものだろう、という判断、あるいは、「いっちゅう」と呼んでいた人たちにも、「いっちゅう」では無く「いちう」が『正しい』のではないか?、という疑心暗鬼が生じたことは、容易に想像できます。
の書き込みまでは、それとこれとを結びつけるという発想がなかったので、目からウロコでした。『一宇村史』がますます楽しみです。
[23805] 2004年 1月 15日(木)19:10:25TGRS さん
「いっちゅう」その後の調査(1/15)
[23796]hmtさん
徳島県一宇村の読み方に関する本筋のフォローは TGRSさんにおまかせして
ううっ。責任重大ですね(笑)。皆さんのお力も頼りにしてます…。

さて、[23772]TGRSの続報です。

■『全国市町村要覧』
昭和61年版から平成14年版まで調べました。この間、本文、索引とも「いちう」で揺れはありません。
ちょっと逸れますが、不思議なことに、徳島県は昭和40年3月29日以降、3件の合併(昭41.10.1応神村→徳島市、昭42.1.1国府村→徳島市、昭42.1.1大麻町→鳴門市)があるのですが、昭和58年度版~昭和60年版には徳島県の欄そのものがないのです。単純な欠落だとは思うのですが…。
これは、平成2年版まで欠落して、平成3年版で何の但し書きもなく復活していました。

■『一宇村史』
「一宇村では昭和47年に「一宇村史」を刊行した」という記述がありました。まさに“謎の4年間”に、です。しかし残念ながらこの図書の所蔵が見つからない。国立県立クラスの図書館系のデータベースにはなかったので、市町村立クラスの図書館のデータベースを引き続き探してみます。
これ、全面的に訂正です。県立クラスでは徳島県立、広島県立、そして東京都立中央に所蔵がありました。私の調べ方が悪かったんです。関係者の方がいらしたらごめんなさい。なお、都道府県のすべては調べていませんので、その点も付け加えておきます。今さら[23772]を直すのはオオゴトなので、フォロー入れときました。また、徳島県内のネットで所蔵検索できる公立図書館では、鳴門市立図書館に所蔵していました。

今日の一番の収穫は↑コレです。週末にでも東京都立中央図書館に行って調べてみます。お楽しみに~。(スナフキんさん、先に読まれますか?)
[23773] 2004年 1月 14日(水)20:23:02TGRS さん
ドリフとテレビと東北と
[23742]ありがたきさん
この時代は、全員集合派(ドリフ派)かひょうきん族派(たけしさんま派)かに分かれていたものですが、
青森県はフジ系のテレビ局がなかったので、ひょうきん族は火曜の8時に放送されていました。なので皆さんが苦しんだような派閥争いはなかったのですよ(笑)。でもウチは祖父が「歌謡パレード(NHK)」を見ていたので、ひょうきん族は見られませんでした。

テレビ局つながりで、
[23737]牛山牛太郎さん
[23746]EMMさん
本社と各施設がバラバラにある局はたぶん他にもあるかも。
途中で移転した例でいけば、新潟総合テレビの放送センターはかつて長岡市にありました。
大学に入った頃、番組開始時に流れる所在地が1局だけ違ったので目を引いた記憶があります。
(もっとも、そのころすでに本社は新潟市にあったらしいのですが、裏が取り切れませんでした)
私、牛山牛太郎さんの回答を見て、「岩手めんこいテレビの本社は水沢市にあったのでは?」と思いました。現在は盛岡市にあるので出題に問題ないのですが、というのは、青森朝日放送の本社が八戸にできるときに、「岩手めんこいテレビが水沢に本社を作ったように、県内に分散させる必要があるのだ」という説明をどこか(新聞?)で見聞きした記憶があるからです。現在は水沢に業務センターがあるようですが、結局まだ裏は取れていません。

[23747]愛比売命さん
歌詞は著作権法上ネットで探すのは難しいかもしれませんね。

[23754]キュッキュさん
DA.CHA.NE NORTH EAST×MAI (仙台弁)
他のユニット名が「○○END×△△」なのに東北は「NORTH EAST」。うまいことやりましたね。当時は第3弾(SO.YA.NAの次)が出たあたりからウンザリして気にもしていなかったのですが…。

ところでみなさん、「○大進学会」ってご存知ですか?
青森市には「東北大進学会」っていう学習塾があります。「東北大・進学会」なのか「東北・大進学会」なのか疑問だったのですが、他にも「東大進学会」とか「名大進学会」とかあるそうなので、やっと解決。これって東北大学の略称が「東北大」だから起こったことなんですよね。初めて見たのが「名大進学会」だったらそんな疑問はわかないはず。「東北」って一文字にしにくいな、というお話でした。ちなみに、特にその大学専門の学習塾というわけではないようです(よくある質問による)。

http://www.shingakukai.co.jp/gakushujuku/ (進学会のホームページ)
http://www.shingakukai.co.jp/gakushujuku/qanda.html (よくある質問)
[23772] 2004年 1月 14日(水)19:55:58【1】TGRS さん
「いっちゅう」その後の調査(1/14)
[23767]スナフキんさん
調べれば調べるほどハマってしまいますねぇ。

本日の調査結果。

■『全国市町村要覧』
年版次よみ(本文)よみ(索引)よみの根拠
昭和38年版いちういちう昭和35年国勢調査
昭和39年版いちういちう昭和35年国勢調査
昭和40年版いちういちう昭和35年国勢調査
昭和42年版いちういちう昭和41年12月各都道府県地方課長宛の回答による
昭和43年版いちういちう昭和42年12月各都道府県地方課長宛の回答による
昭和44年版いっちゅういっちゅう昭和43年12月各都道府県地方課長宛の回答による
  :
昭和51年版いっちゅういっちゅう昭和51年3月各都道府県地方課長あて照会
昭和52年版いちういっちゅう昭和52年3月各都道府県地方課長あて照会
  :
昭和55年版いちういっちゅう昭和55年3月各都道府県地方課長あて照会
昭和56年版いっちゅういっちゅう昭和56年3月各都道府県地方課長あて照会
昭和57年版いちういっちゅう昭和57年3月各都道府県地方課長あて照会
昭和58年版いちういちう昭和58年3月各都道府県地方課長あて照会
  :        (昭和61年版から平成8年版まで未調査)
平成13年版いちういちう各都道府県地方課等への照会(平成13年4月)

一つの可能性として昔は市町村名の字ヅラはともかく、呼び名にまでは厳格さを求めていなかったのではないかというのはあるかもしれません。最近では和歌山県広川町の読みを変更するのでも官報に告示されるほどシビアですが、昔はこと方言や訛りによる音便などを尊重して目をつむる空気が、ひょっとしたらあったのかなとも思えます、
については、昭和53年版から「昭和40年3月29日以降の合併、市・町制施行、名称変更」の一覧のページが設けられており、読みだけの変更の最古のものは「昭43.4.1南幌町 みなみほろ→なんぽろ」とされています。その後、「昭57.4.1佐伯町 さえき→さいき」「昭59.5.1溝口町 みぞくち→みぞぐち」と続きますが、一宇村は市町村要覧の本文上では昭和43年から昭和57年にかけて読みの変更があるにも関わらず記載されていません。

スナフキんさんの手持ち資料の“謎の4年間”は、昭和44年~48年なので、最古の公認読み変更はそれより前になりますが、南幌町はちゃんと手続した、一宇村はしてない、ということになるのでしょうか。もしくは、一宇村のよみはそれまで決めたことがなかったのかもしれません。そして、地元は「いっちゅう」のつもりだったのに県は(県庁といえども地元からすればヨソ者でしょうから)「いちう」と国に報告していた。それが、
古くから呼びなれてきた、輝く伝統をもつ意義ある村名「一宇(いっちゅう)」に誇りをもって村民自らが進んで正しい村名を使うようにしなければなりません。
次代を背負う児童・生徒の教育にあたられる先生方には、特にお願いします。
になったのかな、と、また推測です。

ちょっと逸れますが、不思議なことに、徳島県は昭和40年3月29日以降、3件の合併(昭41.10.1応神村→徳島市、昭42.1.1国府村→徳島市、昭42.1.1大麻町→鳴門市)があるのですが、昭和58年度版~昭和60年版には徳島県の欄そのものがないのです。単純な欠落だとは思うのですが…。(平成9年版では復活しています。この間を調査する楽しみができました)

■『昭和30年~32年調 新編美馬郡郷土誌』(昭32 美馬郡教育会*昭56の復刻版)には、「昔の発音を捨て文字通りイチウと云うように変わりつゝある」と記述。(ということは当時は「いっちゅう」)

■『徳島年鑑』昭和48年版~昭和52年版(徳島新聞社)では、「いちう」。

■『四国の民家と集落一 一宇村』(宮澤智士 昭52 財団法人四国民家博物館)には「一宇村概要」の章に「一宇村は「いっちゅうそん」と読み」と記述されている割には、英文書名が「Traditional Houses and Communities in Ichiu Village, Tokushima Prefecture, Shikoku District」とあっけなく「Ichiu」。ただしこの章に「一宇村では昭和47年に「一宇村史」を刊行した」という記述がありました。まさに“謎の4年間”に、です。しかし残念ながらこの図書の所蔵が見つからない。国立県立クラスの図書館系のデータベースにはなかった(※)ので、市町村立クラスの図書館のデータベースを引き続き探してみます。

*昨日は西暦を主にして書き込みましたが、今日は市町村要覧の年版のこともあるので和暦に統一しました。

※一宇村史の所蔵については東京都立、広島県立、徳島県立の図書館で発見しました。ので、「国立県立クラスの図書館系のデータベースにはなかった」は誤りです。[23805]にて報告します。(この一文を1/15 19:10頃に追加)
[23741] 2004年 1月 13日(火)21:05:07TGRS さん
ちょっと脱線。
[23702]ありがたきさん
本文にまったく関係ないのですが、
ドリフのコント:坂の上のバス停
やっぱりドリフ世代ですね、ありがたきさん。このバス停コント、私は「日のあたる急な坂道」とよんでいましたが、そういえばドリフのコントのタイトルって何が根拠なんでしょうね。私、他に新婚夫婦コントも好きでした。
[23739] 2004年 1月 13日(火)20:09:21【1】TGRS さん
一宇村立第一中学校は「いっちゅういっちゅう」?
[23718]スナフキんさん
徳島県一宇村のナゾ
地形図では、
2.5万地形図1971(昭46) いっちゅう1984(昭59) いちう
5万地形図1971(昭46) いっちゅう1985(昭60) いちう
となっており、それぞれこの間の発行はありません。また、5万地形図は最古の1910(明43)から「いっちゅう」または「いっちゅー」です。スナフキんさんの資料によると、
1969(昭44)年発行の村政要覧の表紙には「いっちゅう」と堂々と書いてあるではありませぬか。
(中略)
にもかかわらず数年後の村政要覧ではあえなくローマ字で「ichiu」と書かれた表紙に乗っ取られ、
とのことで、「数年後」が何年か気になるのですが、この間にホントに何かがあったのでしょうね。

でも古い地図帳を開いたら、『大日本府縣別地圖並地名大鑑』(大日本地理學會編纂,1943)にはあっさり「イチウ」と書かれていたりします。『角川日本地名大辞典』(角川書店,1986)には「地元では「いっちゅう」ともいい」と書かれていました。

地元では古くから「いっちゅう」とよんでいたが、ヨソ者に(例えば地図を作る時に)「いちう」と呼ばれるようになり、でも地元では「いっちゅう」だよというのを地形図の地名調書のよみでアピールしていたが、何かをきっかけに、おそらく出版物などに実績の多い「いちう」にまとめざるを得なかったのかな、と勝手に推測してみました。

ところでこの一宇村、スキー場があるんですね! 行ってみたいなぁ。

*スナフキんさんの引用中、和暦は私が補記しました。
--
訂正履歴 1/13 23:50頃 引用に(中略)を追加。スナフキんさんごめんなさい。
[23738] 2004年 1月 13日(火)19:23:53TGRS さん
崎埼碕岬
[23727]ありがたきさん
「さき」には「崎」「埼」の2つの漢字がありますよね(もしかしたら他にもあるかも?)。この分布と使い分けの基準など、あるのでしょうか?意外にも「埼」の字を使うものが多いので、ちょっと気になりました。漢字の意味的にはほぼ同義のようですが、偏の「山」と「土」の違いが規模や地形の違いなどに因るものなのか、興味のあるところです。
[23735]みかちゅうさん
さらに「碕」と書かれることもあります。
石偏については不明ですが、土偏と山偏については、こんなものを見つけました。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/SODAN/faq/saki_saki.html
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/ 海上保安庁海洋情報部のページ中、「海の相談室FAQ集」より)

「崎」のつく市区町村名は多いですが、「埼」「碕」はともに1つずつしかないのですね。「岬」は3つ、「木曽岬町」が「さき」というヨミなので、タイトルでは仲間に入れてみました。
[23736] 2004年 1月 13日(火)19:14:21TGRS さん
青函
[23599]オーナー グリグリさん
また、キュッキュさんの自分色登録も完了しました。(中略)いかがでしょうか。とくにTGRSさん。
[23640]キュッキュさん
TGRSさんと似ているようですが,ご批判があれば再検討します。
私は全然問題ありません。私の方が全体的にくすんだ色使いになってますね。ご近所のキュッキュさんと色が似ているというのは逆に光栄です。yamadaさんもご近所で似た色使いですね。

キュッキュさんには上磯・下海岸や方言などでお世話になっています。以前[22097]
私には,津軽弁は喋れません。
と仰られていましたが、通訳できるのはすでに上級者ですよ。ヒアリングの方が難しいんですから(笑)。

今後とも、よろしくお願いします。
[23579] 2004年 1月 9日(金)20:31:23TGRS さん
帰省したばかりなのでつい方言に反応する私
年末は27日から出かけたり帰省したりしていてPC使えず。その間のログを読んでいたらこんな日になってしまいました。みなさま、今年もよろしくお願いします。

いつも話題に乗り遅れがちの私ですが、方言ネタ。TGRS(発音は「つがるしゅー」)としては青森市の状況をお話しないわけにはいきません。

・かたす(片付ける)
通じますが、使わないですねぇ。印象としては「東京っぽい言葉」。この東京は東京都ではなくて「俺ら東京さ行ぐだ」の「東京」です。「木綿のハンカチーフ」の恋人が旅立った都会、みたいな(ニュアンスわかりますか? ちなみにこの書き込み中の「東京」はすべて同義です)。と思ったら、[23543]花の東京都民さんによると青森県上北郡でも使うのですね。他の使用範囲からするとえらい飛び地ですが、気になりますね。確認しておきます。

・かでる(仲間に入れる)
仲間に入れる=かでる、仲間に入る=かだる、と使います。

・ゴミ投げる(ゴミ捨てる)
「転校生が初めての掃除の時間に「ゴミ投げてきて」と言われてホントに投げた、しかも2階の窓から」というのは有名なネタ話。慣れてくると、放り投げるの「投げる」との区別が文脈で判断つくので混乱はありません。

・うるがす(水につけて水を浸透させる)
これ、便利な言葉だと思うんですよ。水に漬けるだけでなく、水を浸透させる。お米を炊くときは水に漬けるだけでなく、水を浸透させてから炊きますよね。それを一言で。あと、食後の食器もうるかしておきます。便利な言葉といえば「書がさらない」。自分の意思や能力とは関係なくボールペンのインクがないので書けないのです。それでもグルグルやってると、僅かなインクが降りてきて「書がさった!」。手が震えて、とか字がわからなくて書けないのは「書がれない」。逆に技術的・能力的に可能なのは「書ぐにいー」。

・まがす(こぼす)
言う言う!

・手袋を履ぐ
東京の人は「する」とか「つける」とか言う方が多いようですね。どーしてもこれだけは譲れなくて、私は東京の人にも「履く(濁点はつかない)」と話しているのですが、やっぱりギョッとされます。「手は前足。靴下は履くんだから手袋も履くの」と説明しますが苦しいですね。

・くだぐ(細かいお金にする)
「お金」は「じぇんこ」なので「じぇんこくだぐ」って言います。

・横はいり(割り込み)
[23539](みかちゅうさん)子供だけではなく大人でも言いますが、大人になると「横はいりするなよ」と言えなくなってくるので使用頻度が減ってくるのではないかと思います。

・へくさい
「カッコ悪くてみっともない」という意味で「へくせー」って言いますね。長音はバカにした感じで。似た言葉に「ダサい」にあある「がふぇー」があります。「見臭い→めぐさい」は、津軽弁では「恥ずかしい」という意味なのですが、南部弁では「見栄えが悪い→醜い→ブス」という意味だそうなので、「南部に行ったらどんな恥ずかしい目にあっても「わいめぐせじゃ(あら恥ずかしいわ)」と言ってはならない」と教わりました。津軽弁の「めぐさい」も「自分が見栄えが悪いから恥ずかしい」って成り立ちなんだと思いますけど。他にも気をつけるべき言葉としては「めやぐだ」。「迷惑だ」が訛っているのですが、「迷惑かけるねぇ」という意味で使うので、贈り物をもらったら「めやくだー」と言うのです。

・カッパする
[23562](牛山牛太郎さん)の「水溜りにはまる」は青森市では「カッパする」と言います。「カッパとった」という人も若干いました。

・しゃべる
[23562](牛山牛太郎さん)あれって津軽特有の言い回しなんですか? 知らなかった…。私、職場は東京23区内なのですが、「言う」の意味での「しゃべる」、気にせず使ってました。周りから指摘も受けず。あらららら。似たようなのに、「あるく」。これもうっかり使いがちです。「比較的近めの距離を移動する」ですかね、「自転車であるく」「バスであるく」。あと「言いふらす」を「しゃべってあるく」と言います。あちこちへ自分から移動して吹聴している姿を想像してください。ちなみに足で歩くのは「あさぐ」。

青森つながりで[23309]牛山牛太郎さん、「割増商品券」、青森市で見たことはありません。特定の商品が安いのではなく、全体的に安くなるのはいい仕組ですね。全国的に流行ればいいんですけど。

最後に(やっと)地名ネタ。
今年初めて地理のことを考えたのは、初詣の帰り(元日になりたての0:10頃)。ふと車のナンバーを見て「青森」ってほぼ左右対称だなぁと。都道府県名でほぼ左右対称なのは、東京、富山、三重、岡山、山口、香川(三重と香川はビミョーかも)。ナンバーだと品川もほぼ左右対称。そういえば年末に伊豆大島に行ったのですが、伊豆諸島のナンバーは、普段見慣れた「品川」なので、なんとなく旅行感半減です。ご当地ナンバーに名乗りをあげればいいのに…。
[22826] 2003年 12月 16日(火)20:25:26TGRS さん
山はしろがね…ではなかった。
週末などを絡めて、北海道にスノーボードに行ってきました。
[22714]白桃さんとはどうやらニアミスのようで、
泊りが登別温泉
の近くの、洞爺湖が見えるスキー場です。
洞爺湖の向こうに見えたのは、昭和新山、そして海の向こうに駒ヶ岳…のようです(地図で確認したのですが自信がない)。海が見えるスキー場はなかなかないので、いい気分ですね。

それにしても今年の北海道は劇的な雪不足で。ここ数年間、12月上旬に北海道に行っているのですが、雪のない新千歳空港は初めてでした。路面に積雪がないため、スキー場へのバスも予定より早めに到着。帰り(スキー場→空港)に至っては、45分も早着しました。おかげさまで空港でゆっくり。逆にスキー場はちょっと悲惨な状況。コースによっては雪原が草原のようだったり、土まじりでサンドスキーのようだったり(やったことありませんが)。私のボードちゃんも傷だらけになって帰京したのでした。

さて、北海道ネタで。
[22723]紅葉橋瑤知朗さん
「古宇郡泊村」と「国後郡泊村」は同じ北海道内ですが、誰も話題にしないのはなぜ?
遅くなりましたが、とてもタイムリーな書き込みをありがとうございます。

先日平成13年版の『全国市町村要覧』を見ていたときのこと。
後半に「市町村関係知識あれこれ」という小ネタ集のページがあるのですが、「漢字1字の市町村」という項目に「泊村(北海道2)」とあったのです。
同一都道府県内の同文字市町村は、一宮町・三和町・東村だけのはず。おやや? と思って調べたら、なんと国後郡に! それは気づかなかった~。
(ちなみに「同字体の市町村」という項目もあるのですが、町村は4ヶ所以上のものだけしか掲載されていないので、泊村(鳥取県にあと1つ)は惜しくも選外でした)

ということがあった日の夜の書き込みだったので、驚いたのなんのって。地理雑学本でも目にしないほど、北方四島の扱いって、微妙なんですね。

ところで旅行中は携帯電話で落書き帳を閲覧しておりました。[21869]EMMさん、情報ありがとうございます。
[22678] 2003年 12月 10日(水)21:50:23TGRS さん
帰属未定地(主に鷹島・津倉瀬)
[22460]hmtさん
[22560]オーナー グリグリさん
[22569]hmtさん
[22592]オーナー グリグリさん
『日本の島事典』(三交社1995)では、hmtさんのとおり、南方四島は我が国では唯一どこの市町村にも帰属していない地域、とされています。なぜこう判断されているのか、考えてみました。

グリグリさんが挙げられている
それでも面積推定を行っていない陸地部分の境界未定地は、[21667]で示したとおり、以下の6カ所(東京都は2カ所)があります
のうち、埋立地は島とはみなさないと思うので(「島」の定義とは?という疑問はこの際おいておきます)除外すると、3か所が残ります。
 ・東京都 南方四島
 ・三重県 紀伊長島町及び海山町入会地(大島等の島嶼)
 ・鹿児島県 鷹島および津倉瀬
『日本の島事典』にはその島の所属する自治体名が記載されているのですが、それによると
 ・南方四島 と、鯱岩(しゃちいわ)・長根(ながね)・三石(みついし)
   …八丈支庁管内
 ・大島等の島嶼(この図書中では大島・木生島・平瀬島)
   …紀伊長島町(「海山町入会地(平瀬島は紀勢町入会地)」の旨注記あり)
 ・鷹島・津倉瀬
   …笠沙町
とされています。

『日本の島事典』には「自治体名は『1992離島統計年報』などによる」と書かれていたのですが、『離島統計年報』は有人島だけを対象とした統計なので、これらの島は非掲載でした。

次に、『日本の島事典』で取り上げた島嶼は『日本島嶼一覧(改訂版)』(日本離島センター1982)を元にしている、という記述があったのですが、これによると、大島・木生島・平瀬島は紀伊長島町の、鷹島・津倉瀬は笠沙町の所属であるとされています。

おそらく、『日本の島事典』が南方四島を我が国唯一の所属未定地域としているのは、これが根拠ではないかと思います。

ちなみに、『日本島嶼一覧』を参考にしたと思われる『島嶼大事典』(日外アソシエーツ1991)には、鷹島・津倉瀬が各2つずつあります。笠沙町の鷹島・津倉瀬は宇治群島に属するもの、下甑村の鷹島・津倉瀬は甑島列島に属するもの、とされています。大島があちこちにあるように([22525]みかちゅうさん)同じ名前の島や岩礁もたくさんありますから、2つあることが間違いである、という断定は今のところできません。笠沙町の津倉瀬は「つくらんせ」、下甑島の津倉瀬は「つくらせ」という読みがふられていましたし。

今回この2つの島の存在を初めて知ったのですが、こんなところに島があるとは知りませんでした。
国土地理院の地形図閲覧サービス( http://mapbrowse.gsi.go.jp/)では、1:25000の地形図が閲覧できますが、これだと分図扱いになっているものの位置図がないので、“こんなところ加減”がわかりにくいかと思います。1:200000地勢図だと簡単にわかるのですが…。

それぞれの島嶼に対応する地形図・地勢図の図名は以下のとおりです。気になった方はぜひご覧ください。
 鷹島津倉瀬
 1:25000手打宇治群島
 1:50000手打薩摩黒島
 1:200000甑島黒島

ところで、大島等の島嶼も、鷹島・津倉瀬も、本当は「所属未定」が正しいのだと思います。とはいえ、地形図の注記にも書いてあるのですが「~等の島嶼」ってのも意外と曖昧ですね。


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