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千本桜さんの記事が20件見つかりました

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[61420] 2007年 9月 30日(日)20:47:34千本桜 さん
新治、中魚落郷
[61386]スピカさん
榎下 →新治町
横浜市の消えた大字200、拝読いたしました。大字って面白いでしょう。たぶん、スピカさんと私では大字に興味を持った動機が違うし、突き刺さっている角度も異なっているとは思いますが、大字を知ることによって地域の謎が解けて行くような快感を味わっているであろうスピカさんが目に浮かんできます。ところで、一つお尋ねしたいのですが、藩政村の十日市場、榎下、久保、台、中山、寺山、上猿山、下猿山、鴨居、本郷、上菅田、新井新田から成り立つ新治村は、横浜市に合併するに際し、消え行く新治の村名を榎下の地に託して榎下を新治と改めました。
このような村名継承方法は私の住んでいる地域にもありました。藩政村の新寺から成る金ヶ瀬村は、大河原町との合併に際し、消え行く金ヶ瀬村の名を平に託して平を金ヶ瀬に改めました。その代償として平の地名が消えました。このことを思うとき、平には平の地名が消えることへの抵抗感が。堤、新寺には金ヶ瀬の名を継承できないことへの抵抗感がなかったかと あれこれ思いがめぐります。結論をいえば、抵抗感は少なかったろうと思います。なぜなら、そもそも金ヶ瀬村の名は藩政・平村の区域に形成された金ヶ瀬宿という町場名に由来していたこと。さらに、金ヶ瀬村における平の人口、経済活動比重が高かったことが理由です。つまり、消え行く村名を継承するにふさわしい場所が継承したから、抵抗感は少ないだろうと判断するわけです。そのような観点に立つと、榎下が新治の名を継承したのは妥当だったのだろうか?と疑問を感じてしまうのです。
横浜の地誌には無知ですが、ここに昭和40年代の5万分の1地形図があります。それを見ながら、藩政・榎下村の地が新治村の名を継承するにふさわしい場所だったのかを判断しようとしているのですが、どうも、榎下が新治村の中枢機能を蓄積していた場所には見えないのです。新治の名を託す場所は中山でも寺山でも台村でも良かったのではないか。それなのに榎下がターゲットにされたのは なぜ?。

[61410]白桃さん
第5位の中魚落郷って今のどこかわかる方いますか?
知りませんでした。調べたところ、勝浦のライバルの大原だったんですね。中魚落村が単独で大原町になったようでが、単独改名町制すると、旧村名(この場合は藩政中魚落村)が忘れ去られてしまうケースが多いようです。宮城県では藩政村の小堤村が単独町制して亘理町に、今村が単独町制して吉岡町になっていますが、周辺の藩政村名(現在の大字名)を知ってはいても、小堤、今村の名を知る人は絶滅に近い状況になりました。小堤=亘理だから、亘理を用いれば小堤を用いなくなるわけで、忘れ去られるのは当然ですね。中魚落郷もその類なんでしょう。その点、三本松=大内ではないから、三本松は今も生き続けているのですね。ところで、明治19年末千葉県都市人口ランキング14傑に館山が入っていないのが意外でしたが、おもらししたんじゃないですよね。たぶん、あそこはあの当時、市街地が複数の自治体に跨っていたでしょうから、自治体ごとに集計すると各々の人口は少なかったと解釈してよござんすか。
[61342] 2007年 9月 27日(木)21:53:07【1】千本桜 さん
北仙台、東仙台、南仙台、ついでに大泉
[61288]YSKさん
仙台エリアでは「北仙台」は住所地名ではないものの北仙台駅周辺を指す呼称としてほぼ定着した感がありますね。ふと、「東仙台」や「南仙台」はどうなのだろうと思ってしまいました。

【北仙台】
私の頭に仙台市内の地名が擦り込まれたのは大々的な住居表示が実施される以前のことで、北仙台駅前あたりは荒巻字○○と書かれていた時代です。でも、あそこは街の雰囲気からして他の荒巻地区とは一線を画していますから、荒巻と呼ばずに北仙台と呼び合った方が通じやすかったのでしょう。北仙台という呼称が場所を指す地名として擦り込まれた要因に仙台市電の北仙台行があります。あれは確か、北仙台駅行ではなく北仙台行だったはず。駅を付さない北仙台に接しているうち、いつしか通称地名として私の中に定着したようです。北仙台の仙台浅草に行って来いとは言われましたが、荒巻の仙台浅草に行って来いと言われた記憶はありません。その一帯が住居表示で昭和町と呼ばれるようになった現在でも、昭和町の北警察署ではなく北仙台の北警察署なんですよね。感覚的には・・・。

【東仙台】
現在、東仙台駅前は住居表示で東仙台○丁目になりましたが、以前から○丁目が付かない東仙台という地名がありました。苦竹字安養寺上を割いて昭和7年に東仙台としたものです。でも、それは藩政村を継承した燕沢や小鶴と異なり、インパクトの弱い地名でした。同年に東北本線東仙台駅が設置されましたが、どうやら地名の方が先にあったようです。東仙台と言う呼称は東仙台駅付近を指すのか、それとも東仙台○丁目を指すのかについてですが、あいにく私にとって東仙台付近は馴染みが薄く、何と答えたら良いのやら・・・。でも、岩切や小松島に住む知人たちは東仙台という呼称を多用しますね。彼らが「東仙台あたりでは・・・」などと話すとき、念頭にあるのは駅名「東仙台」なのか街区名「東仙台」なのか図りかねながらも適当に話をあわせてしまうのですが、それでいて支障なく意思が通じてしまうから不思議。

【南仙台】
南仙台という駅名はあっても、南仙台という地名は存在しないと言うのが私の持論なんですが、どうやら新しい波には逆らえず、呑み込まれてしまいそうなんです。若い人たちは南仙台駅が陸前中田駅と呼ばれていたことを知らないし、柳生、中田、袋原、四郎丸の総称が中田であることを知らない人も増えてきました。新しく市街化された西中田・柳生地区の新住民たちは、地域の総称を南仙台だと思っている節があります。私、密かに聞取り調査をするのが趣味なんです。柳生から来た人に「南仙台に住んでるんだって?」と問いかけると、ホイホイ話に乗ってきます。柳生は南仙台と言う地名で括られる地域の一員だと思っている証拠です。

【ついでに群馬県大泉町】
昭和45年の国勢調査による大泉町の人口集中地区(市街地)についてですが、当時、私はこの市街地を任意で小泉と呼んでいました。ところがよく見ると、この市街地は核心部が旧小泉町にあるものの、結構大きな比重で旧大川村の区域にも広がっているのですね。こうなると、小泉という名称は不都合ではないか。小泉大川にしようか、それとも大泉にしようか迷った末に、今では大泉という任意名称にしています。でも、小泉町と大川村が合併して合成地名の大泉町が発足したのは昭和32年です。それから13年後の昭和45年に、果たして大泉なる行政体名が地名に転化していただろうかという疑問が残ります。こういうことは捉えどころがなくて難しいですよね。ですから聞き流して下さってよいのですが、何故そんなことが気になるのかと言うと、このようなもの(群馬県の都市地域)をまとめるためでした。
[61287] 2007年 9月 24日(月)00:38:57千本桜 さん
熊谷市の籠原
[61272]白桃さん
「新浦安」は、単に漠然と新浦安駅周辺を指すにとどまらず、「街」の総称として確固たる「地名」になっているような気がします。

たぶん、美浜、入船は勿論のこと、富岡、今川、明海、日の出あたりは全部「新浦安」という通称で括られるのではないでしょうか。もしかすると、市役所あたりも「新浦安」で括ってしまう人もいるかもしれませんね。明確な境界線で区分された美浜や入船という住所地名があるのに、境界線を持たない曖昧な「新浦安」が何故汎用されるのかについて考えるは あしたのこころだー にするとして、埼玉県熊谷市の新堀・拾六間に飛びます。

この新堀・拾六間地区には昭和45年当時、すでに人口集中地区(広い意味で市街地)が形成されていました。この市街地を指して何と呼べば良いのだろう。新堀とか拾六間では、しっくりしないのです。一度も行ったことのない場所なのに しっくりしないと言い切るのも変な話ですが、何となく そういう臭いを感じるのであります。たぶん、この辺りの人は このエリアを[籠原]と呼んでいるように思うのです。「籠原」は、単に高崎線の籠原駅を指すにとどまらず、「街」の総称として確固たる「地名」になっているのではないでしょうか。
[61194] 2007年 9月 17日(月)01:05:18【2】千本桜 さん
東かがわ市の大字
[61175]88さん
試行品は、藩政村(≒大字)と現在の町・大字名との対比をも目的としています(究極の目標は、この表を全国に展開することですが)。

試行品を拝見させていただきました。これを全国展開するとなると かなりの労力を費やさなければなりません。老婆心ながら、88さん大丈夫なの?と考えてしまいます。でも、これが完成すれば勿論のこと、たとえ未完に終わろうとも、費やした熱意はきっと88さんの宝になるはずです。

ところで、試行品によると東かがわ市の大字は34ですが、実際は35の大字があるようです。何が増えた(抜けてた)かと言うと、大字大内です。私もいま気が付いたばかりです。よその地域の、いま気が付いたばかりの事柄を思いつきで書くのは危険ですが、それを承知で書き込みたくなってしまいました。単に大字の名称を拾い集めるだけなら、「あ、大内という大字があるのね」で済まされるでしょう。しかし、大字名というものが一定の区域に対して与えられた名称であることを思えば、ここに位置する、この区域に大内という大字名を与えるのはいかがなものかと考えてしまいます。こちらのHPには
この会社は香川県大川郡大内町松崎の工業団地にあり、他の地区とは独立していることから、せめて、工業団地だけでも大内の町名を残そうと社長さんが署名運動を行い、工業団地の町名は大内として残ることになったということです。大内町長と話し合いの結果、団地の所在地は「大川郡大内町松崎」から「東かがわ市大内」となるそうです。工業団地の敷地内だけが大内となり、それ以外の旧松崎地区はそのまま松崎として残ります。限定された範囲とはいえ、心配していた「大内」が残ったことを知り、よろこびにたえません。関係者方々のご努力に敬意を表します。
と、書いてあります。でも、私はこの地名継承方法を喜べません。そもそも、引田町も白鳥町も旧町名は捨てると言っているのですから、大内町も捨てるべきなのです。そうしないとバランスがとれません。とは言うものの、引田町、白鳥町には藩政時代からの引田、白鳥という集落があって、その名が大字名として新市に引継がれます。ところが、大内町には大内という集落がありませんから、大内という地名は完全消滅してしまいます。この事態を大内町民に立って捉えると、引田町、白鳥町の名は残るのだから、大内町の名も残して欲しい、と言うことになるのでしょう。そこで、地名変更決定権を持つ方々にお願いしたいのは、住民に対して地域の履歴(生い立ち)を徹底して説得して欲しいと言うことです。東かがわ市に引継がれる引田、白鳥という地名は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。あれは、藩政村の引田、白鳥の意味なんだよ。大内町には藩政村の大内はないでしょう。だから、東かがわ市に引継ぐ大内という地名はないんだよと、なぜ説き伏せない。東かがわ市35大字のうち34は藩政村を継承したものです。そこに一つだけ現行町名(今となっては旧町名ですが)の大内が紛れ込んでいることに私は強い違和感を覚えます。もし、百歩も千歩も譲って どうしても大内の地名を残すとしても、あの場所のあの区域に大内と言う地名の継承を委ねるのは地理的・歴史的にいかがなものかと、大内を知らない よそ者の私は思ってしまうのです。この大内の問題は、底辺に地名侵蝕で取り上げたことと同じものが流れているように感じます。それは、一般住民は藩政村名と現行町名の係わりを知らないでいること。そして、もしかすると地名決定権を持つ人たちも知らないでいるか、知っていても そのことに重要性を感じないでいることです。

書き込み訂正機能を使って訂正します。
東かがわ市に引継がれる引田、白鳥は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。を、東かがわ市に引継がれる引田、白鳥という地名は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。に訂正しました。
[61160] 2007年 9月 15日(土)08:29:15【2】千本桜 さん
消されかかった大字
[61157]スピカさん
千本桜さんの言っていた「消えた大字」沢山ありますね。
だいぶ前の書込みに反応して戴いて感謝しております。実は、この問題が今も頭の中で大きな比重を占めています。私は、大字名と その大字名で括られた領域の存亡に危機感をいだいているのです。「消えた大字」は私の身近なところにも幾つかあります。その消え方(消され方)を分類すると次のようになります。

【1・市町村名と大字名が同名のために昭和の合併時に当該大字だけが消されたケース】
例としては白石市の大字白石本郷、大河原町の大字大河原、丸森町の大字丸森がありますが、同様例は全国各地に見られることでしょう。これは、本来なら大河原町大字大河原字下川原○○番地と書くべきところを、面倒だから大字を外して大河原町字下川原○○番地と書いていいよと言うことです。一見、合理的です。しかし、他の大字地区は大字を外さずに、大河原町大字大谷字下川原○○番地と書きなさいと言うのですから理不尽です。

【2・市町村が大字制を廃止したため、自治体内の大字が同時に全部消滅したケース】
例として七ヶ宿町があります。七ヶ宿町(当時の七ヶ宿村)は明治22年に五つの大字を設置して発足しました。大字渡瀬大字関大字滑津大字峠田大字湯原です。以後、合併を経験しないで今日に至っています。ところが、私の知らないでいるうちに、いつの間にか全ての大字が廃止されていました。町役場に理由を聞こうかとも思いましたが、まだ問い合わせていません。推測ですが、大字制廃止は七ヶ宿ダム建設と絡んでいたのではないかと思います。大字渡瀬地区の集落がダム湖に沈んで住人がいなくなるからです。それを契機に大字廃止に走ったのではないかと考えます。ただし、湖底に沈んだ渡瀬を除く旧大字の関、滑津、峠田、湯原という地名は、それぞれの大字の中心的町並みに当たる小区域を指す小字として現在に引継がれています。

【3・大字の全域が住居表示区域に移行したため、大字が消滅したケース】
このような例は宮城県南部の自治体にはありませんが、都市化が進んだ大都市圏には多々あるのではないでしょうか。

消えた大字に関しては、消された理由が大事だと思うのです。それで上記の書き込みをした訳ですが、上記の例に当てはまらない別の理由(私からすれば全く理不尽な理由)で消されかかった大字があります。消されかかったと言うのは、町の合併が破綻したために字名変更が実施されないで終わったからです。しかし、いつか合併が現実になったとき、この理不尽な「大字名とその大字名が指し示す領域の変更」が、地域の履歴を無視して実施されはしないかと恐れているのです。このことに関しては何度も落書き帳に書かせていただきましたので更なる書き込みはしませんが、この地名侵蝕を読んでいただけたら幸いです。この前、京都の甥(大学生)に地名侵蝕を読ませたのです。どうだった?と聞いたら、難しすぎて理解できなかったと言われました(笑)。ガクッときましたが、たぶんよその地域を理解するのは難しいのかもしれません。

大字を大字名に一箇所訂正しました。
中川原を下川原に訂正しました。
[61107] 2007年 9月 9日(日)18:10:57【2】千本桜 さん
八幡、宮代
[61071]の「八幡と八幡宿」に関する件ですが、本題は
八幡宿駅前、五所、八幡海岸通をひっくるめて呼ぶ場合、「八幡」と「八幡宿」ではどちらが通りが良いかということなんです。
という部分にあります。このような質問を投げかけさせていただいた底辺には昭和45年の人口集中地区があります。人口集中地区(広い意味での市街地あるいは都市地域)は一つの市区町村内に複数設定されることもあります。総務省はこれを人口の多い順にI、II、III、IVの符号で表わしますが、符合では場所を特定できにくいので適宜な地名に置き換えたいと私は思うのです。そんな考えで各々の人口集中地区に任意の地名を振って遊んだのは昭和49年のことでした。あれから30余年を経た今、あのとき選んだ任意の地名が適切であったかどうかを検証中なのです。当時、市原市には五つの人口集中地区があり、I は概ね八幡市街地に相当する区域、II は辰巳台住宅団地、III は五井市街地、IV は姉崎市街地でした。それで私は、市原市I の人口集中地区名を「八幡」にしょうか「八幡宿」にしょうか迷った末に、「八幡」に決定した経緯があります。しかし、イトーヨーカドー八幡宿店(現在は閉店)のように「八幡宿」を冠した店舗名があるのを見るにつけ、通称地名としては「八幡宿」も捨てたものではないぞと思い悩むのであります。そのような悩みが30数年間も頭に居座っているなんて、そろそろ終わりにしたい。エ~~ィ、やっぱり「八幡」に決定!。

昭和45年国勢調査と同47年事業所統計調査を利用した八幡vs五井vs姉崎ミニ考察。
人口集中地区名人口集中地区人口換算人口自立率
八幡23,012人18,392人80%
五井8,179人15,592人191%
姉崎6,510人9,760人150%
人口集中地区名「八幡」とは、連続市街地となった市原市I と千葉市V の人口集中地区を併せた区域で、八幡を中心にして東は千葉市の浜野・村田から西は五井地区の五井海岸にかけて途切れなく続く町並みを指す任意地名です。一方、「五井」は五井駅周辺に古くからあった五井市街を指し、「姉崎」も姉ヶ崎駅周辺に展開する町並みを指します。人口集中地区人口は八幡が飛びぬけて多く、五井と姉崎はこじんまりした規模の市街地でした。でも、これをもって都市の大きさや賑わいを判断するのは早計で、重要になるのは各々の区域内の産業構造でしょう。昭和47年事業所統計調査人口集中地区編から金融・保険・卸売・小売業を抽出し、各々の区域内で従事する従業者数を算出して人口に換算すると、八幡18,392人、五井15,592人、姉崎9,760人になります。私はこの数字が都市の規模を表わしていると感じます。しかし、都市の規模と都市景観は合致するとは限りません。住民が感じている中心性や賑わいを知るために、もう一つの計算を加えます。換算人口(機能人口)を人口集中地区人口(常住人口)で除して自立率を算出すると、五井191%、姉崎150%、八幡80%という結果になりました。191%の高い数値となった五井は中心性の高い都市、80%の低数値となった八幡は中心性の弱い都市と見ることができます。23,012人が住んでいるのに、その80%にあたる18,392人分の都市役割しか果たせず、およそ5,000人分が他都市へ流出している八幡。8,179人しか住んでいないのに、その191%にあたる15,592人分の都市役割を果たして、およそ7,000人分が周辺集落から流入してくる五井。両者の中心街を比べれば、ほぼ間違いなく八幡より五井が都市的で賑やかなはずです。五井も八幡も見ていないのに、占い師みたいなことを書いて申し訳ありませんね。でも大体にして都市地理好きというのは、占い師、ほらふき、行商人、物乞い、旅芸人と大した差は無いと思うのですよ。同じ人間ですから。

[61078]でるでるさん
「百間と宮代」に関する情報、ありがとうございました。この質問も上記「八幡と八幡宿」と全く同じ観点から投げかけさせていただいたものです。昭和45年国勢調査では杉戸町にも宮代町にも人口集中地区が設定されていました。でも、この二つの人口集中地区(市街地)はピッタリくっついていて、行政界が無ければどう見ても一つの人口集中地区(市街地)に見えてしまうわけです。当時、私は杉戸町と宮代町の人口集中地区を一つにくくり、「杉戸」という任意の地名を付していました。現在、その地名の付し方が妥当か否かを検証中なのですが、そんな中で「杉戸・宮代」または「杉戸・百間」と表わした方が良いのではないかという考えが頭をもたげてきたのです。それで結論ですが、自分としては杉戸、宮代両町に跨る市街地をまとめて一個の都市地域とみなし、それを「杉戸・宮代」と呼ぶことにしたいと思います。今も根強く残る柴田町船岡とちがって、どうも百間という地名と、その百間が指し示す領域の概念は早い時期に風化してしまったように思えてならないからです。

人口集中地区人口(常住人口)を換算人口(機能人口)で除してを、換算人口(機能人口)を人口集中地区人口(常住人口)で除してに訂正しました。
[61071] 2007年 9月 6日(木)21:44:16【1】千本桜 さん
「八幡と八幡宿」および「百間と宮代」の関係
ちょっとお尋ねします。千葉県には市川市八幡と市原市八幡があります。土地勘がないので想像するだけですが、たぶん地元の人は市川の八幡を「本八幡」、市原の八幡を「八幡宿」と呼び分けているのだろうと思います。もしそうだとすると、本八幡や八幡宿は単に駅名にとどまらず、通称地名としても汎用されていることが考えられます。そこでお尋ねしますが、八幡宿という通称地名で呼び表わすことのできる地域範囲はどこからどこまでなのでしょう。たぶん八幡宿駅前付近は八幡宿で通じるでしょうが、五所八幡海岸通も通称八幡宿の範疇にあるのでしょうか。質問が回りくどくなってしまいましたが、早い話が八幡宿駅前、五所、八幡海岸通をひっくるめて呼ぶ場合、「八幡」と「八幡宿」ではどちらが通りが良いかということなんです。

埼玉県宮代町についてお尋ねします。宮城県柴田町は船岡町と槻木町が合併してできた町ですが、合併50年を経た現在も旧町名が頑張っていて、船岡、槻木が非常に通りが良いわけです。町の中枢機能が集まる地区を指すときも、柴田と呼ぶより船岡と呼んだ方が通じます。そこで、宮代町についてお尋ねします。宮代町も百間村と須賀村の合併から50年以上経過しました。でも、今も旧村名が頑張っているとは思えないのです。宮代町は一度も訪問したことがありませんから想像するだけですが、特に中心市街地に当たる「百間」は「宮代」という呼び名に取って代わられたのではないかと感じています。ただ何となくそんな臭いを感じるのであって、当たっているか外れているかは分りません。そこでお尋ねします。旧百間村に形成されたこの市街地は、昭和40~50年代当時において近隣市町の人から「百間」と呼ばれていたか、それとも「宮代」と呼ばれていたか。どちらの呼び名の方が通りが良かったか知りたいのです。変な質問で申し訳ありません。どなたも答えてくださらないような嫌な予感がするのですが、たぶんその時は幸手出身の なきらさんや久喜在住の でるでるさんが登場して教えてくださるような期待もいだいております。
[60951] 2007年 9月 1日(土)09:02:19千本桜 さん
都市の重心移動とDID(人口集中地区)の空虚
路線価だけで都市の重心点を特定するのは少々味気ないので、これに景観上の都市らしさを加味してみます。つまり景観と路線価を掻き混ぜて自分なりに各都市の重心点を探し出すのです。そのような目で宮城県内の都市を見た場合、この30年ほどの間に石巻の重心は中央二丁目周辺から石巻駅周辺へ直線500メートル程度移動。古川(現・大崎市)も七日町周辺から古川駅方面へ600メートルほど移動しています。この二都市は路線価、景観ともに完全に重心移動してしまったようです。気仙沼は最高路線価が八日町・南町周辺から本郷・南郷周辺へ1,500メートルほど移動しましたが、景観的にはまだ八日町・南町が重心点の面目を保っているように感じられます。以上三都市の重心移動はDID(人口集中地区=都市地域)の中で繰り広げられている現象です。

しかし、佐沼(現・登米市)の場合は少し状況が異なります。佐沼の重心も一市八日町通りから中江に700メートル移動しました。平成19年分の最高路線価も中江にあり、景観的にも中江を中心街だと感じる人は多いはずです。ところが、中江は平成17年国勢調査結果でも人口集中地区(都市地域)から外れているんですよね。都市の重心点が都市地域に含まれないという空虚な現象が起きています。もう、人口集中地区をもって都市地域とするのは実情にそぐわない社会になったのでしょう。このような社会変化を思えば、実情に合った都市地域を明らかにするために統計上の新たな地域単位を画定すべきだと思うのですが、国にはその考えがあるのでしょうか。こういうことを質問してもホイ来た!と教えてくださる方は少ないと思うのですが、黛ジュンだって♪夕月の中で、「♪おしえてほしいの 都市の重心が都市から離れたわけを みるものの統計が むなしく見えるの~」って唄ってたじゃないですか?。お!、黛ジュンって都市地理学が好きだったんだね!!(汗)。
[60874] 2007年 8月 28日(火)21:48:44千本桜 さん
京都、仙台
[60769]Issieさん
そして何より,やっと最近100年間に京都市街が大きく“西”に拡大して京都盆地(葛野盆地)を埋め尽くしてしまったために,江戸時代以来の京都の中心が「東に片寄って」見えるのかもしれません。
いつも懇切丁寧に詳細な説明をしていただき、ありがたく思っております。Issieさんの説明による京都市街地変遷の歴史背景を踏まえた上で、ではなぜ京都のヘソが西に移動せずに四条河原町周辺に止まっているのかを考えてみました。これから書くことは京都在住の方が読めばあまりに陳腐または大間違いの類かもしれませんが、さほど京都と係わりのない私にとって新たな京都を発見した思いでいるのです。間違っているかもしれませんが書きます。地図は一般的にJR線を目立たせ、私鉄は目立たない描き方をします。地下鉄はなおさら目立たない表示をしますから、よそ者にはその存在さえ気付かない場合があります。この前の京都タウンウォッチングでも鴨川の東に京阪四条駅があるのは分りましたが、地下鉄のため地上に駅舎がなくて存在感が薄かった。京阪四条駅を利用するのはどの地域に住む人で、どれほどの利用客がいるのか考えてもみなかった。でも今つらつら思うに、この京阪電鉄三条駅、四条駅、五条駅の存在こそが四条河原町周辺を京都の中心たらしめ、その地位に繋ぎとめている最大の要因ではないかと思えてきたのです。たぶん枚方や八幡の人にとって京都の玄関は京都駅ではなく三条、四条、五条駅なのでしょう。また大津市民にも同じことが言えそうです。大津市民が京都に行く時に利用するのはJRと京阪電鉄のどちらを利用する率が高いのでしょうか?。なんだか今までの京都に対するイメージが崩れていくようでワクワクする。もし京阪電鉄で京都に流入してくる人よりも、山陰線や京福電鉄で京都に流入する人の数が多いなら、京都のヘソはもう少し西へ移動していただろうと思うのです。ちょっと見ると京都市街の東寄りに見える四条河原町一帯も、実はかなりの数に上るであろう京阪電鉄利用者にとっては東寄りじゃなくて正面なんだ。そんなふうに思えてきました。

[60859]YSKさん
東番丁、北番丁
東○番丁、北○番丁に混じって裏五番丁という変り種もありました。住居表示前は丸光デパート(現・さくら野デパート)の住所が仙台市裏五番丁。丸光デパートは青葉通りに面しているイメージが強いのですが、発祥時点は電車通に面したこの場所だけが店舗でした。つまり、中心点を落としたその場所が裏五番丁です。裏四番丁や裏六番丁は聞いたことがありません。裏五番丁だけです。不思議なのは国分町です。仙台では武士が居住するのは「丁=ちょう」で、片平丁(かたひらちょう)や名懸丁(なかけちょう)と呼ばれていました。町民が住むのは「町=まち」で、南染師町(みなみそめしまち)や二日町(ふつかまち)と呼ばれていました。自信がないけど、その筈でしたよね。ああそれなのになんでみんな国分町だけ「こくぶんちょう」と呼ぶの?。

[60866]きまぐれさん
ほぼ誤差なく私の年齢を推定できます。
たぶん、きまぐれさんは原節子さんに年上の女を感じ、新珠三千代さんや久我美子さんを妹のようにいじらしく感じた世代。つまり高峰秀子さんや京マチ子さんと同年齢かとお察し申し上げます。これを呼んで甘酸っぱい青春がよみがえったなら当たりですね。でも、違っていたならごめんなさい。
[60759] 2007年 8月 24日(金)21:54:23【1】千本桜 さん
クイズ京都編の答えと京都の感想
[60720]リトルさん
[60722]きまぐれさん
[60726]小松原ラガーさん

【A:泉涌寺】 天皇家の菩提寺だけあって凛として厳な雰囲気があります。知名度が低く観光客も少ないのが気になりますが、そのような世俗的なことには迎合しない方針なのでしょうか。

【B:智積院】 この寺の東大路に面した白壁の長い塀を見るたび、京都にいるんだなと実感します。どうやらこの近くには若かりし日の小松原ラガーさん、なると金時さんが胸はずませた何かがあるようで・・・。

【C:京都国立博物館】 道路から建物の外観を見ただけ。この近くの耳塚は何度か車で通ったことがあります。怖い話です。

【D:三十三間堂】 朱色の塀の隙間からお堂を覗き見しただけ。夏の日差しの中で朱色が鮮やかでした。

【E:清水寺】 鳥辺野墓地を通りましたが、みな灰褐色の墓石なんですね。私の地方は黒色です。

【F:高台寺】 境内には入らず、茶店でかき氷を食べただけ。

【G:知恩院】 やはり、この寺の三門の大きさには圧倒されます。

【H:花見小路】 場外馬券場のためだと思いますが、あちこちに警備員が立っていました。花見小路の町並みにあの服装は似合いません。できればハッピでも着ていて欲しいのですが、警備員の服装は警察の指導の下にあるから無理なんでしょうね。

【I:建仁時】 境内には入らず、脇をかすめただけで裏通りの散策を楽しみました。

【J:鴨川】 たしか、南こうせつが唄うのは♪「加茂の流れに」だったような・・・。鴨、加茂、賀茂。京都らしく感じるのはどれでしょう。個人的には さらりとした加茂が好きですが。

【K:四条河原町】 京都盆地に広がる市街地だけを見渡すと、四条堀川四条烏丸が中心であって当然のように思えるのですが、現実の機能的中心は1,000メートルも東に寄った四条河原町。京都のヘソって東に寄り過ぎではありませんか。東に広がる山科や滋賀県の人口が、西に広がる丹波・丹後の人口より多いから重心が東に傾いたのでしょうか。それとも、そういう大局的なことではなく、単に高島屋が立地したとか、歓楽街の祇園が近いとか、京阪四条駅が近くにあるとかが原因なのでしょうか。

【L:新京極】 一本西側の寺町通と新京極を比較しながら歩いたのですが、短時間の観察ではその違いが分らず、同じような商店街に見えてしまいました。この二つの商店街に店舗構成や通行人の質的な差異はあるのでしょうか。

【M:錦市場】 小錦が二人手を繋いで歩いたら、他の人は歩くスペースが無くなるような道幅ですね。

【N:高瀬川】 流れる水は澄んでいましたが、川底に空き缶が捨てられているのは残念。木屋町通が風俗的な歓楽街だからこんなふうになるのでしょうか。

【O:先斗町】 この道は始めて通りましたが、京都にはいろいろなバリエーションの盛り場・町並みがあるのだなと痛感しました。

【おまけ・京都の不思議】 この場所が本町。なぜこの場所が京都の本町なのか分らない。頭に大字らしきものが付いて祇園本町とか深草本町と言うなら理解もできますが、ずばり本町って、まるで京都市街の ど真ん中にあるような地名ですね。
[60710] 2007年 8月 22日(水)08:32:04千本桜 さん
クイズここはどこでしょう・京都編
伏せてあるA~Oに当てはまるものをお答えください

久しぶりに京都を歩く。スタートは東山の「A・○○寺」。この寺はかなり格式の高い寺院です。なにしろ皇室の菩提寺だそうで、単に御寺(みてら)と言えばこの寺を指すのだそうです。総門から山門まで400メートルはあろうか。御寺の風格が漂う長い参道が続きます。この寺には雲龍院など九つの塔頭(たっちゅう=山内寺院)が点在する。その中から、北の谷筋に位置する善能寺、来迎院、今熊野観音寺を訪ねます。薄暗い木立の中を石段づたいに下りるとそこは善能寺。住職は住んでおらず、門扉は閉じられているが体を横にするとすり抜けられる隙間が空いている。これは「好奇心を抑えられない人はそっとお入りください」のサインかもしれない。そう思って境内に滑り込む。あぁ、なんと妖しく静かな空間。そこには廃れた美を放つ荒れかけた庭園があった。こんな立派な庭園が無造作に転がっているところに京都の奥深さを感じる。沢の向かいは大石内蔵助ゆかりの来迎院。生い茂る木々に覆われたこの寺は、訪ねる人も少ない隠れ家の雰囲気がある。それにしてもこの谷底一帯は不気味なほど静かで、夜に一人で来る気にはなれない。緑の樹林の奥に赤い橋が見え隠れする。あの赤い橋はどこへ続くのだろう。その妖しさに引き込まれ、来迎院脇の細い道を進む。ムムッ、蜘蛛の巣が顔に絡む。気分は夏の夜のサスペンスドラマ「京都妖怪夜話・今熊野に棲む800歳の美女」の世界。主演は樋口可南子か宮沢りえにお願いしたい。赤い橋は今熊野観音寺へ続く橋だった。今熊野観音寺は市街地からそう遠くないのに、眺める景色は深山に入り込んだように緑です。秋にはきっと艶やかな紅葉に染まるのでしょう。

今熊野観音寺から東大路に出てバスに乗り、東山七条で下車。この辺りには観光スポットが集まっています。国宝の障壁画と名勝の庭園で有名な真言宗智山派総本山「B・○○院」は東大路に面しているのでとにかく目立つ。その長い長い白壁の塀を見ていたら頭の中で渚ゆう子が♪「京都の恋」を唄いだす。「白い京都に雨が降る~」。白い京都って何のことでしょう。ひょっとしてこの寺の白壁塀のことか?。七条通に折れると「C・○○国立博物館」。その向かいは修学旅行で訪れた人も多いはずの蓮華王院本堂「D・○○○間堂」。他にも妙法院、養源院など見所いっぱい。中まで拝観すると日が暮れるので塀や門から覗き見するだけにしました。一日乗り放題のバス券を使って東山七条から五条坂へ。駐車場が分らずウロウロ運転しているのは岡山ナンバー。それをせきたててクラクションを鳴らすのが京都ナンバー。信号無視で横断歩道に突っ込んでくるのは大分ナンバー。私にとって非日常のナンバーが次々やってくる。それを見るだけで気分はすでにハイテンション。五条坂は人も車もいっぱいで大混雑でした。

五条坂バス停から鳥辺野墓地を通って「E・○○寺」へ上る。たぶんこの寺は京都最大の観光スポットだろう。なにしろ京都で20年間連続トップの訪問者数を維持しているらしく、この日も大勢の人が舞台から京の町を眺めていました。子安塔、音羽の滝を巡った帰りは、土産物屋が並ぶ三年坂、二年坂へと下りる。素人の女性らしき二人が舞妓姿で三年坂を歩いている。危ないな、慣れない"ぽっくり"なんか履いて。ここで転んだら三年以内に死ぬんだぞ。二年坂を過ぎ霊山観音の前を通って「F・○○寺」へ。ここは北政所ねねが秀吉の菩提を弔うために建立した寺で、通称ねね寺と呼ばれているそうです。暑い。陽は高く昇ってジリジリ照りつける。茶店で抹茶かき氷を戴く。この辺りはたくさんの観光客が歩いているのに、拝観料を払って境内に入る人は意外と少ない。そうか、みんな町歩きを楽しんでいるのだな。ねねの道を歩いていると石塀小路の看板が目についた。石塀小路って何だろう。誘われてふらふら入り込む。そこは表向き上品な民家に見えて、実は料亭や旅館、スナックを営む家屋が並ぶ路だった。一見さんでもいいのかな?。でも敷居が高そう。円山公園に着いたら木陰で休もう。その方が気楽でいいや。円山公園で一休みして浄土宗総本山「G・○○院」へ向かう。まず飛び込んできたのは国宝の三門。この寺では山門を三門と書きます。日本一の大きな山門だそうで堂々としている。除夜の鐘で有名な大鐘も日本最大。とにかく大きなお寺です。銀閣寺まで行きたいけれど時間的に無理みたい。円山公園に戻って八坂神社から東大路に出た。

八坂神社前の東大路と四条通が交わる所が祇園交差点。どこからどこまでが祇園なのか分りませんが、とにかく祇園の町を歩くことにします。祇園を東西に走るメインストリートは四条通。ふと浅草を思い出す町並みです。カンカン照りの真昼は暑くてたまりません。スターバックスで涼みましたがこの手の店は苦手です。第一、長ったらしいカタカナメニューなど理解できません。「ナントカカントカフラペチーノ」ってどんなものか判らないけど、そのフラペチーノとやらを一つ注文。今度はどのサイズにするか聞いてきた。そんな難しいこと俺に聞くな。すると事情を察した店員さんが、大きさの異なるコップをポン、ポン、ポンと手際よく目の前に四つ並べて見せた。ウム、これなら判る。それにしても見事な手さばき。まるで賭場で壺ふる姐さんみたい。祇園を南北に走る「H・○○小路」は伝統的建造物群保存地区で趣きのあるお茶屋が並ぶ。南の突き当たりには日本最古の禅寺「I・○○寺」が構えて風情が漂うのに、なぜか途中に場外馬券場があるのは場違いな感じがする。裏道や横丁をぐるぐる歩いて、六波羅蜜寺やしっとりした花街の宮川町まできてしまった。「J・○川」の河原を歩いて四条通へ戻ろう。団栗橋の下で涼みながら、川の中で釣りをしている人や四条大橋を行き交う人を眺めていると盛岡を思い出す。清らかな川と橋のある町。京都と盛岡は似ています。

四条大橋を渡って祇園をあとにする。目指すは高島屋と阪急が店を構える京都の中心「K・○条○原町」。さすがに大都会の中心部だけあってとても賑やか。四条通を200メートルほど西に進むとオーバーアーケード商店街の「L・新○○」だ。みやげ物店が並ぶこの商店街は懐かしい!。40数年前の記憶がググッとよみがえってくる。三条通付近の旅館街に宿泊し、この商店街でみやげを買うのは今でも修学旅行生の定番なのだろうか。一本西側の寺町通も似たような感じの商店街で賑やか。ついでに京都の台所「M・○市場」まで足を伸ばす。次は夜の盛り場へ行くぞ。まだ陽は高くて明るいが河原町通を横切って木屋町通へ。木屋町通は森鴎外の小説で知られる「N・○瀬川」に沿う盛り場ですが現代風な町並み。この通りの東に並行するのが花街「O・先○町」。こちらは木屋町通とは打って変わって和田弘とマヒナスターズ♪「お座敷小唄」の世界。ところでこの歌は「京都○○町に降る雪も雪に変わりはないじゃなし」と唄うけど、「変わりはないじゃなし」って変わりが有るのか無いのか意味不明。あ~~、どうでもいいけど暑い。京都の夏は暑すぎます。そろそろ○川の川風に吹かれて帰ろうか。
[60709] 2007年 8月 22日(水)08:29:39千本桜 さん
路線価説明の御礼
[60547]88 さん
路線価決定の仕組みについて詳しく説明していただきましてありがとうございました。それなのに今年の夏もあれやこれやありまして御礼の返事が遅れてしまいましたことをお詫び申し上げます。

子供の頃は年に一度、地元新聞に税務署管内(ただし東北地方のみ)の最高路線価が掲載され、それを見るのが好きでした。それ以上の情報は入ってきませんから、そんなものだろうと思っていました。ところが後年になって図書館で路線価図(ただし宮城県のみ)を閲覧するようになり、細部の道路まで緻密に評価されているのを見て感嘆するのであります。さらに近年、インターネットで全国の路線価図を閲覧できるようになり、感嘆と同時に地域間のズレらしき現象に気が付き疑問をいだき始めたわけです。以上が路線価に対する私の進化!?の過程です。
ズレらしき現象の発生については88さんが説明してくださいましたように
大河原の駅前通と鴨島の裏通りが同じ評価額であるのは、そもそも同一市場であるとは考えられない(代替性が認められない)ので、たまたま同じ数字になっただけでしょう。
が、原因だとは思います。同一市場なら何らかの調整が加えられたであろうと思います。いずれにしましても現状では、路線価をもって広域間の都市規模・活況度合を比較するのは避けるべきですね。もともとの目的が違うのでしょうから。
[60529] 2007年 8月 9日(木)08:30:24千本桜 さん
路線価の謎
この書込みに関しては合併前の旧市町名を用います。その方が分りやすいからです。平成19年分の路線価が8月1日に公表されました。岩手県北上市で最も高額なのは駅前の大通りで1平米あたり105,000円。中心商店街の本通りは77,000円。郊外の裏通りが25,000円。こうして一つの都市の路線価を追いかけていくと、そのリアルさに なるほどなるほどと納得させられてしまうのである。近隣都市間の比較もリアルである。北上市の最高評価額が105,000円なら水沢市は95,000円。一関市は90,000円。花巻市は88,000円。熾烈な都市間競争を展開する4都市の現況がリアルに伝わってきて、ごもっともごもっともと言いたくなる。これは他の圏域内都市間についても言える。両毛地域では太田市、足利市、桐生市、佐野市の順で高く、その評価は やはりごもっともである。ところが、岩手と両毛を比較すると評価の妥当性が揺らぎ、さらに四国の町が加わると評価が信じられなくなるから不思議だ。岩手県の4市、両毛地域の4市、四国の4町をごちゃ混ぜにしてランキングしてみます。

順位都市最高路線価
四国 伊野町110,000円
岩手 北上市105,000円
四国 鴨島町100,000円
四国 土佐山田町96,000円
岩手 水沢市95,000円
四国 池田町93,000円
岩手 一関市90,000円
岩手 花巻市88,000円
両毛 太田市79,000円
10両毛 足利市78,000円
11両毛 桐生市72,000円
12両毛 佐野市67,000円

地価評価の専門的なところは分りませんが、このランキングは地理的に見て妥当な評価とは思えないのです。四国は山がちで平地が少ないから地価が高いとか、両毛は車社会で郊外化が進んでいるからと言うご意見もありますが、それだけでは済まないものを内蔵しているのではないだろうか。だって、スーパータウン大河原町の一等地・駅前通りとマピオンにも描かれていない鴨島町の三等地・裏通りの袋小路が同額の49,000円だなんて、あんまりですわ~~(涙)。どなたか、大河原の駅前通と鴨島の裏通りが同じ評価額であることの妥当性を、バカな私に分かりやすく説明してくださる方はいらっしゃいませんか。私には、どこかの段階で地価評価の指針と運用にズレをきたしているようにしか思えないのです。

それにしてもグリグリさんの落書き帳はいろいろな機能が付いていて書きやすい。
[59749] 2007年 7月 12日(木)21:43:28千本桜 さん
横浜物語
[59361]きまぐれさん
「恐山では横浜市よりも隣の横浜町のほうが有名ですよ」
思わない方向に話がとんで、またまた悪文が露見してしまいました。陳謝、陳謝。
悪文だなんてとんでもございません。きまぐれさんの文章はわかりやすいです。[59336]に対する[59359]は、きまぐれさんが下北半島の横浜町を敢えて伏しておられるのを知った上で、勝手に別の話題にとばしただけですのでご容赦ください。ところで、[59748]の宇曾里山は宇曽利山の変換ミスですね。実は私、宇曽利山という地名が好きなんです。漢字で書いても、音で聞いても不思議なイメージを湧かせてくれるから好きなんです。それから、宇霊羅山羅賀も好きです。

[59359]Issieさん
「伊勢佐木町」ですね。
うっかり変換ミスに気づきませんで横浜伊勢崎町になってしまいました。ところで、かれこれ十数年前になりますが伊勢佐木町を歩いたことがあります。既にその頃は伊勢佐木町も斜陽傾向にあったようで、盛り上がりと言うか熱気と言うか、商店街としての迫力が思いのほか(例えば仙台の東一番丁と比較して)弱いように感じたものでした。そこで、夜の盛り場も見ようと思い吉田町から野毛のあたりを歩いたのですが、やはり思いのほか迫力が感じられませんでした。街の表情は曜日や時間帯にも左右されるので一概には言えませんが、大都会横浜を代表する盛り場が"野毛"って本当なんだろうか?、横浜随一の盛り場はもっと別の場所にあるのではなかろうかと疑問に感じながら歩いたものです。札幌なら すすきの、仙台なら国分町、福岡なら中洲と言うように盛り場の答えが返ってきますが、横浜はやはり野毛なんでしょうか。今でも釈然としません。
[59701] 2007年 7月 10日(火)01:06:00【1】千本桜 さん
国道457号の案内板
■国道457号の目標地名について考える
国道457号線上に位置する重要地・主要地は起点一関市と終点白石市、それに加美町だけです。国土交通省は設置基準を守るように呼びかけていますから、国道457号の行先案内は「↑白石」、「↑加美」、「↑一関」の三つに絞られ、他の地名を表示しなくなる可能性があります。もう既に仙台市芋沢のこのT字路では国道457号進行方向に「加美」を表示しています。以前はこのあたりの行先名は「根白石」だったはずですが、根白石ばかりか大和町をも通り越して加美を表示しているのには驚きました。大和町を意識せずに加美町を意識して走るドライバーは全体の何割に当たるのでしょうか。今に蔵王山麓のこのあたりにも真っ直ぐ進めば「↑加美」ですよ、と表示されたらどうしよう。それはマニュアルに沿った正しい表示なのですが、ドライバーに強い違和感と戸惑いを感じさせる表示でもあります。

■国道457号の目標地に関する設置基準と実際の運用例
平成19年3月末時点の基準地・重要地・主要地一覧表から判断すると、国道457号の進行方向案内板に表示できる目標地は一関、加美、白石の三ヶ所だけです。この三つで国道457号の行き先を案内するのは無理です。では、実際にはどのような地名が表示されているのか確認してみましょう。白石市内の国道4号を北に向かって走っています。地点Aにさしかかると直進は国道4号「↑仙台 大河原」、左折は国道457号「←蔵王」の案内板が見えてきました。しょっぱなから「蔵王」という基準外の行先名が出てきます。左折して国道457号の案内板に表示された進行方向の行先名を確認しながら走ります。その結果、地点Bでは「蔵王」、地点Cでは「蔵王エコーライン」、地点Dでは「蔵王エコーライン」、地点Eでは「遠刈田温泉」、地点Fでは「遠刈田温泉」、地点Gでは「山形 エコーライン」、地点Hでは「山形 青根」、地点Iでは「仙台 山形」、地点Jでは「仙台 川崎町内」、地点Kでは「仙台」、地点Lでは「秋保 本砂金」、地点Mでは「秋保」、地点Nでは「山形 二口」、地点Oでは「山形」、地点Pでは「仙台市街 愛子」、地点Qでは「愛子駅」、地点Rでは「折立 落合駅」、地点Sでは「泉中央 折立」、地点Tでは「小角 折立」、地点Uでは「小角」、地点Vでは「加美 赤坂」、地点Wでは「宮床 小角」、地点Xでは「加美 小角」、地点Yでは「泉中央 小角」、地点Zでは「加美 小角」でした。基準無視のオンパレードですが、これを責めることはできません。基準が実情に合わないのです。

■国道457号の役目について考える
国道457号は岩手県一関市と宮城県白石市を結ぶ補助国道(県管理国道)で延長は約170キロメートルあります。しかし国道4号を利用すると一関から白石までは140キロ足らずで到達します。なので国道457号を走って一関から白石に行く人はいません。それに国道457号線上には大きな都市がありません。しいて挙げれば加美町中新田大和町吉岡ですが、中新田から白石へは途中から国道4号を走った方が早く着くし、吉岡から一関へは最初から国道4号を走った方が早く着きます。つまり国道457号は重要な都市と都市を結ぶ役目をしていないし、さりとて沿線に重要な港湾、空港、観光地があるわけでもありません。いったい国道457号の役目は何なんでしょう。これはあくまで推測ですが、国道457号は国道4号が不測の事態に陥ったときに補佐するバイパスの役目を負うことを名目上の理由として国道に昇格したのではないかと考えるのです。その考えに至る理由の一つは大衡村でのルート形状です。国道4号にくっつきそうでくっつかない。くっつけるとバイパスにならないから合流させないのではないでしょうか。

■国道457号の突き抜ける力について考える
北に向かう国道4号は白石市で国道113号と交差します。この付近の車輌交通量(日中12時間)は国道113号が約4,000台、国道4号が約15,000台です。国道4号はおよそ4倍の交通量をもって国道113号を突き抜けます。その後も何本かの国県道と交差し合流しながら北上しますが、いずれも圧倒的な交通量の差をもってそれらの道路を突き抜けて行きます。仙台市苦竹で国道45号と交差します。非常に大きな交通結束集散点ですが、ここでも国道4号は約60,000台の交通量をもって約30,000台の国道45号を突き抜けます。国道4号は他の道路に飲み込まれることなく太い流れの本流として地域を貫いているのです。このような物の見方をした場合、国道457号は地域を貫通する本流とは言いがたく、時には交差する県道が本流で、国道457号はその支流の様相を見せることさえあります。南下して白石に向かう国道457号は仙台市太白区秋保町長袋秋保温泉に向かう県道を分岐します。さて、この交差点で本流はどちらに向かうでしょう。この先、秋保温泉に向かう県道の日中12時間交通量は約4,000台、国道457号は約1,000台になります。この交通量の差からすれば本流は県道で、国道457号は県道の支流です。国道457号は蔵王町遠刈田温泉でも同じ状況に陥ります。本流は約6,000台の交通量で東進する県道で、約3,000台で南下する国道457号はその支流の様相を呈しています。国道457号は細切れの県道を繋ぎ合わせただけの国道ですから突き抜ける力が弱いのです。だから遠くまで到達できません。一関の人はこの道が加美、白石に到達することを意識していないでしょう。

[59593]千本桜
この道路を直進して南に進むと○○に到達しますということで、三つの目標地名が表示してありました。一つは山形、もう一つは作並でした。ではもう一つはどこでしょう。次の中から選んでください。
1・愛子駅 2・陸前落合駅 3・仙台宮城IC 4・仙台 5・県庁市役所 6・松島 7・秋保温泉 8・川崎 9・白石 10・福島
このクイズにお答えくださいました皆様、ありがとうございました。答えは「白石」ですが、不正解でも気になさる必要はありません。

[59593]日本人 さん
1番の 愛子駅 だと自分は思いますがどうでしょう。
良い感覚をしていると思います。今でもあると思いますが数年前、確か仙台市泉区根白石あたりで国道457号を南に進むと「愛子」と書かれた案内板を見たことがあります。このあたりでは愛子駅(または愛子)を表示するのが自然と思われます。ただし「↑山形 作並 愛子駅」だと西方向ばかりになりますから、作並を外して「↑山形 愛子駅 県庁市役所」とする案も考えられますね。このあたりでは県庁市役所を中心とする仙台市街地を目指して走行している人が一番多いのですから。

[59597]じゃごたろ さん
案内標識ネタを多く出している、私に対する挑戦状でしょうか(笑)???
挑戦なんて滅相もございません。間違いなく じゃごたろさんの体力勝です。ですが、地名選択は私にとって茂原 本納なので八女られない登米られない。茂原を「もっぱら」と読むところがミソです。
国道48号で仙台市街地を通過してどこに行くかというと、「松島」ではなかろうか、と。
「松島」を狙ってくるとはなかなかのテクニシャンです。西進の「山形 作並」に対するバランスを重視してきましたね。直江津における「←富山 新潟→」の感覚でしょうか。でも、ここは「県庁市役所」あたりでストップした方が良いかと・・・。

[59598]KAZ-D さん
8の川崎ではないでしょうか。単に457号線上の主要地だからという安直な意見です。
「川崎」は有力な候補だと思います。でも主要地に認定されていないので表示できません。もっと主要地のレベルを下げて愛子駅(または愛子)、秋保町長袋、川崎、青根温泉、遠刈田温泉あたりも認定しないと国道457号の行く先は案内できないと思うのです。ちなみに、問題の仙台市芋沢から川崎に行く場合は途中から県道に入りA地点B地点を通ると早く到達できます。

[59599]YSK さん
同国道の南の終点である「9・白石」であると思うのですが、「山形」が表記されているので「10・福島」の可能性も捨てきれないですね・・・。
そうなんです。「白石」と表示してありました。これを目の当たりにした時の私の驚きようは、敢えてここに書かなくても理解(共鳴?)していただけるものと思います。
ちなみに、私なら「秋保温泉」か「県庁市役所」、離れてもせいぜい「川崎」くらいまででしょうか。
私もそう思います。国道とは言うものの県道みたいな道路ですから、この程度の距離感覚で捉えるのが妥当でしょう。距離感覚と言うより地域感覚で捉えると言うべきでしょうか。遠近だけでなく雑多なものの積み重なりが決め手になりますからね。

[59602]小松原ラガー さん
「私なら」3.の仙台宮城IC。理由は山形とは反対方向でとりあえずドライバーにとっての目標点になりそうなところだから、としておきましょう。あとは、オーソドックスなのかうけを狙ってなのかよくわかりませんが、国道を道なりに進んだ先ということで8.の川崎、9.の白石。白石だったら4号線経由でも行けるので、オッズ的には川崎を少し上げて、
山形とは反対方向の目標点を選びたくなる気持ちはよく分ります。その場合は「県庁市役所」を表示するのが妥当なようです。国道48号を例にとると愛子のこの地点で最初の「↑県庁市役所 西道路」が登場し、それ以後はここもここも「↑県庁市役所 西道路」で押してきます。それを思えば問題の芋沢の案内板に「県庁市役所」を表示しても容認できる時代になったなと感じるのです。また主要地に認定されているか否かを不問に判断するなら、「川崎」を表示したくなるのはオーソドックスで正常な感覚だと思います。

[59606]花笠カセ鳥 さん
この地点の少し北側仙台市小角にも同じ看板があったはずです。ここの看板も、「白石」だったと記憶しています。ですから、ここも「白石」だと思います。
「白石」で正解です。小角あたりでも「白石」が表示してありましたか。まだ私はそれを見ていないのですが、事前知識なしでそれを見たらハゲ頭の毛が逆立ってしまうほど驚いたかもしれません。まさかとは思いますが、加美町あたりにも「↑白石」があったらどうしょう。マニュアルに盲従するとそれも起こり得るかもしれませんね。

[59643]桜トンネルさん
解答は9の「白石」ということでよろしくお願いします。
心の中を読まれてしまったようで恥ずかしい。確かに「白石」と書いてありました。現在の案内板設置基準に従えば「↑山形 作並 白石」と表示して正しいのです。でも私は非常に違和感を覚えます。制度上の国道457号は一関を発して白石に到達しますが、実際に国道457号づたいに白石へ行く人は皆無でしょう。管理者は国道457号の先に白石を意識しても、利用者はその先に白石があることを意識していないのです。管理者側と利用者側には意識の乖離があります。ちなみに、仙台市芋沢から白石へはC地点D地点E地点F地点を経由するのが一般的だと思います。ただし、お金があるのに時間がない人は高速道路を利用します。

[59645]リトルさん
6・松島、一見、観光者にも親切な地名ですが、逆に、北上して県道(35)を使って「泉中央」「岩切」を通って行けるのでパス。
よって、5・県庁市役所と思います。
仙台市芋沢を南下した国道457号は向きを西に変えて山形方向に進みます。まるで仙台市街に向かわせたくないようなルート形状です。もし、国道457号が国道4号のバイパス的役割を負っているという私の推理が当たっているなら、仙台市街に向かわせたくないという推察も成り立つわけです。しかし、そのような行政の思惑とは裏腹にドライバーはどんどん仙台市街へ進んで行きます。現在、案内板は「↑山形 作並 白石」を表示していますが、作並と白石を消去し、愛子駅と県庁市役所を挿入して「↑山形 愛子駅 県庁市役所」とした方が良いのではないかと私は思います。
[59700] 2007年 7月 10日(火)01:04:52千本桜 さん
またまた案内板について
[59443]稲生さん
沼津○○㎞
島田○○㎞
興津駅○㎞
と、三段書きでした。私としては、「島田」という地名にちょっと躊躇しましたが、同じ市内である「静岡」が使えないのなら、こんなものかな。と感じました。
情報ありがとうございました。稲生さんの書込みに[58862]じゃごたろさん、[58969]淡水魚さん、[59093]くはさん、[59418]じゃごたろさんの書込みを重ねあわせると国道52号の行先案内板の状況が見えてきました。ただ一つ腑に落ちないのは、平成19年3月末時点の基準地・重要地・主要地一覧表に記載されていない「興津駅」が実際には直進目標地として案内板に表示してあり、基準と運用に矛盾が見られることです。そのことについて くはさんは
そこで思ったのですが、実は「興津駅」は既に主要地になっているのではないでしょうか?
と述べておられます。くはさんは過去にも行先案内板に関して的を得た発言をしておられるので、くはさんのご意見を尊重したいと思うのですが やはり払拭しきれないものが残ります。なぜなら、国道457号の案内板などは基準無視のオンパレードだからです。沿線には主要地に該当するものがありませんから、基準に沿わない地名を表示するしかないのが実情です。
[59593] 2007年 7月 2日(月)20:35:58千本桜 さん
行先地名当てクイズ
クイズです。国道457号を北から南に向かって走っています。この地点(仙台市芋沢)で、最近になって設置されたと思われる行先案内板を見かけました。この道路を直進して南に進むと○○に到達しますということで、三つの目標地名が表示してありました。一つは山形、もう一つは作並でした。ではもう一つはどこでしょう。次の中から選んでください。
1・愛子駅 2・陸前落合駅 3・仙台宮城IC 4・仙台 5・県庁市役所 6・松島 7・秋保温泉 8・川崎 9・白石 10・福島
これはクイズですが当たり外れは気にしません。もし自分が案内板を設置する立場になったら、これを表示したいと思うものを選んでもらえたら嬉しいです。
[59472] 2007年 6月 27日(水)22:50:20【1】千本桜 さん
宮城県南部で静かに進行する合併構想
宮城県は仙南地域全体(二市七町)での合併枠組みを提示していますが、それとは別に一市三町による合併構想も静かに進行しています。一市三町とは角田市、大河原町、柴田町、村田町。この枠組みは、大河原町にある みやぎ県南中核病院を運営する保健医療組合と同じ構成で、合併すると人口は10万を超えます。秋には県主催で合併の意義を考えるシンポジウムが開かれる可能性も大きいことから、一気に加熱するかもしれません。この枠組みの地理的特徴は人口集中地区が三地区もあることです。簡単に言えば、大きな市街地が三つもあるということです。これが合併にどのように作用するのか、いまは怖くて書けません。正常な地域感覚と、正常な将来構想をもって合併を進めてもらいたいと願うだけです。ところで、この合併構想を報道する地元新聞は「合併が実現すれば、人口十万超の都市となる。」と報道しています。個人的なポリシーですが、「都市となる」ではなく「市となる」と書いて欲しかった。

書込訂正機能を用いて追加書き込みします。
行政上の市を都市とする見方もあるのは存じておりますが、合併によって周辺町村の村落までが市域に取り込まれ、都市地域よりも村落地域の比重が高い市が増えています。この現実を思えば「市=都市」の図式は成り立たなくなってきています。たしか栗原市が成立する見込みになった時にも「宮城県第三の都市が誕生する」的な報道のされ方でしたが、「第三の市」あるいは「第三の自治体」でいいじゃないかと思ったものでした。福島市内の とあるラウンジで福島の地元新聞を読んでいたとき、田村市の発足を新しい「市」が誕生すると報じ、「都市」が誕生するとは報じていなかったことに胸をなでおろしたものでした。市を都市と見るのを嫌がるのは私の個人的信念ですので、他の方々に無理強いするものではありません。
[59436] 2007年 6月 26日(火)01:27:54千本桜 さん
荒川沖、案内板
[59373]geoさん
茨城県の土浦市に『荒川沖』という地名がありますが,これもその類なのでしょうか。
荒川沖荒川本郷から見て沖(田畑・原野の遠く開けたところ)に位置するから荒川沖という地名になったのでしょう。ああ、やっぱりここにも沖新田という字名がありますね。推測ですが、沖地名は少なからず新田開発と係わりがあるのではないでしょうか。宮城県では沖という文字を含む地名を所々で見かけますが、私にとって一番近場の沖は柴田町の通称・四日市場沖です。大字四日市場の集落を大区分すると、丘陵の際に家屋が分布する通称・山根地区と水田地帯に家屋が分布する通称・沖地区になるのではなかったでしょうか。ですよね、牛山牛太郎さん。おや、ここにも後新田という小字があります。やっぱり沖と新田開発は関連がありそうですね。

[59418]じゃごたろさん
私が書いたことで論議となった「↑興津駅」ですが、先週末に富士五湖方面行く際に国道52号を使用したところ、身延町内では「↑南部」でした。
ですよね。案内板設置指針に従えば身延町内では「↑静岡 南部」になります。結構、マニュアルどおりになっているものですね。ですが、マニュアルどおりになっているとすれば新たな疑問が生じてきます。身延、南部を走行して芝川町域を抜けると静岡市ですが、静岡市域には 「直進すると静岡に行きます」 という案内板を設置できません。マニュアルを遵守するとそうなります。それを前提として穴原地区に行先案内板を設置するなら、直進「↑静岡 興津駅」という表示はできなくなります。穴原は静岡市街地まで30キロも離れた山間集落ですが、行政上は静岡市だから穴原は「静岡」で、その場所に「↑静岡」と表示するのはおかしいだろうと言う論理なわけです。その論理、わからないわけではないけれど何かが変です。それはともかく、穴原あたりではどうなるの?。単独で「↑興津駅」では弱すぎるし、併記して「↑浜松 興津駅」ということになるのかな。淡水魚さん、何と表示してあったか思い出していただけませんか。じゃごたろさん、静岡方面に行かれることがありましたならリポートお願いします。
[59359] 2007年 6月 23日(土)08:46:34【1】千本桜 さん
添&沖、東京はどこまで、ネーゼ、マイナー対決、シミュレーション仙台
[59291]じゃごたろさん
この「添」や「沖」というのは、「東」「西」「南」「北」のようにそれを含めて「○○添」「○○沖」全体が地名(字名)なのか、「添」や「沖」が単なる修飾で「○○」の部分だけが地名(字名)なのかがいまいち判然としません。
[59343]88さん
「添」「沖」。ニュアンスから見ても、これは「地先」と同じような使い方なのではないか、と考えるわけですが、いかかでしょうか。
それは長野市大字南長野字石堂東沖の「沖」や長野市大字富竹字道添の「添」を指しているのでしょうか。そうだとすると「沖」や「添」を含めて一つの字名になるのだと思います。宮城県内では登米市石越南郷字西門沖や白石市大平森合字森合沖のように「沖」を含む字名、美里町字塩釜添や大河原町堤字道添のように「添」を含む字名が所々に分布しています。地名由来に無関心なので詳しいことは分りませんが、「沖」を含む字名は平坦な水田地帯でよく見かけます。水田地帯では内陸なのに「沖」「浦」「浜」が付く字名が結構あります。

[59336]きまぐれさん
ここでは「横須賀から来ました」との答が正答です。
横須賀なら「東京から来ました」でも許される範疇ですね。下北半島あたりでは横浜も横須賀もみんなまとめて東京で通せそうな気がします。昔のことですが、香港で東京から来たと言う人と食事をしたことがあります。私は仙台から来ましたと自己紹介しました。実際は仙台市民ではないけれど、これは許される範疇です。後で分ったことですが、東京から来たと言うその人は実は埼玉の熊谷に住んでいるらしいのです。日本人同士の自己紹介で、普通なら熊谷の人は「東京から来ました」とは言わないような気がするのですが、どんなもんでしょう。居住地がどのあたりまでなら「東京から来ました」が許されるのでしょうか。

[59353]伊豆之国さん
宮本武蔵にはコガネーゼ!!
とにかく、ネーゼを付ければ良いのですね。
岩手県金ヶ崎町は自動車関連産業で景気が良いけどカネガネーゼ。
用賀の東京インターにはヨーガネーゼ。
駒ヶ根で将棋をしたいがコマガネーゼ。
阿久根市民はアクネーゼ←意味不明。
京都の貴船はキブネーゼ←まったくもって意味不明。
呉の人は何もクレネーゼ。
秋田県三種町は市になりたいけれど人口がミタネーゼ。

[59358]ぺとぺとさん
個人的には以下のようなマイナーな対決も興味深いです
(1)「二本松」と「三本松」 : 三本松に軍配をあげないと村八分にされそうで。
(2)「綾瀬」(神奈川)と「綾瀬」(足立区) : 優劣つけがたしと言うか、はっきり言えばどちらも優をつけがたし。
(3)「伊勢崎」と「伊勢原」 : 自信満々の伊勢崎は伊勢原に目もやらず、しきりに横浜伊勢崎町を挑発しているもよう。
(4)「那珂川」と「那珂川」 : 片方の那珂川からは茨城県の、もう一方の那珂川からは博多の成分が検出されドーピング違反。
(5)「陸前高田」と「大和高田」と「安芸高田」と「豊後高田」: 千昌夫さんのお陰で陸前高田も健闘するが大和高田の風格勝ち。
(6)「富士見」と「ふじみ野」 :既存の富士見市の隣で、堂々と似通った市名を名乗れるふじみ野の鈍感力勝ち。
(7)「江南」と「香南」 :どちらも中国揚子江流域あたりの小都市みたいなネーミングですが江南に軍配。
(8)「士別」と「標津」 : 印象的な文字の標津は手ごわいが、上川の士別市と十勝の士別町がペアを組めば標津に勝てるかも。
(9)「中郡二宮町」と「芳賀郡二宮町」 : 中郡二宮町に軍配を上げないと村八分にされそうで。

シミュレーション仙台
国道4号の直進目標地として表示できる宮城県の基準地・重要地・主要地は、仙台、白石、大河原、岩沼、長町、県庁市役所、苦竹、大崎、栗原だけのようです(泉中央を表示できるのか疑問はのこりますが)。そこで、これらの地名を使って案内板表示のシミュレーションをしてみましょう。
車は仙台を目指して福島県国見町の国道4号を走っています。案内板は直進「↑仙台 白石」を表示しています。
福島県を過ぎて宮城県に入ってきました。ここは白石市中心街までまだまだ遠いのですが行政上は白石市域です。なので直進「↑仙台 白石」を表示できません。案内板は直進「↑仙台 大河原」に変わりました。
車は白石市、蔵王町を過ぎて大河原町域に進入してきました。案内板は直進「↑仙台 岩沼」に変わりました。
車は大河原町、村田町、柴田町域を走り抜けて岩沼市域に進入してきました。案内板は直進「↑大崎 仙台」に変わりました。大崎とは以前の古川のことです。名取市域に入っても直進「↑大崎 仙台」の表示が続きます。
ところが、名取市飯野坂のY字路で案内板は難しい局面を迎えます。直進すると盛岡方面に到達する国道4号仙台バイパス。左折すると仙台中心街に到達する まちなかを走る国道4号。どちらも国道4号で、どちらも仙台に到達できます。実際この地点の案内板表示がどうであったか あまりに日常的過ぎて憶えていませんが、マニュアルに沿えば直進「↑大崎 苦竹」、左折「←県庁市役所 長町」になるはずです。ここはまだ名取市域ですから本来なら直進「↑仙台」が使えるはずですが、どちらに向かっても仙台なので直進「↑仙台」は控えたいところです。その代替として活きてくるのが「↑苦竹」「←長町」です。
直進して仙台バイパスを北上してみましょう。名取市を過ぎて仙台市域を走行しています。案内板は直進「↑大崎 苦竹」を表示しています。もし、目標地を三ヶ所併記してあるなら「↑盛岡 大崎 苦竹」になるはずです。国道4号と45号の交点・苦竹(にがたけ)を過ぎると、案内板は直進「↑盛岡 大崎」または直進「↑栗原 大崎」に変わります。
これはあくまでも基準に従うと「こうなる」を書いたもので、実際に表示されているものとは多少異なる所があります。マニュアル通りなら白石市域、蔵王町域での直進表示は「↑仙台 大河原」ですが、ひよわな大河原は白石市域に登場するものの、蔵王町に進入すると早々と降板して「↑仙台 岩沼」に取って代わられています。このへんは適宜臨機応変にということで問題視するほどのことはありません。


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