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合成地名(自治体名)の実際

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記事数=35件/更新日:2005年4月25日/編集者:YSK

東京都大田区が、「大森」と「蒲田」の1字ずつをとった区名であるように、市町村名や郡名のなかには、旧名の字をとって新たに合成されたものが少なくないようです。こういった合成地名(自治体名)の実例についてまとめました。併せて、yamadaさん編集の「地名コレクション」内「合成地名コレクション」もご参照ください。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[754]2002年1月30日
Issie
[1484]2002年5月13日
Issie
[3227]2002年9月21日
あっちゃん
[3228]2002年9月21日
あっちゃん
[3229]2002年9月21日
Issie
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ケン
[3236]2002年9月21日
Issie
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夜鳴き寿司屋
[3243]2002年9月22日
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[3269]2002年9月23日
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[4081]2002年10月22日
ニジェガロージェッツ
[4887]2002年11月14日
蘭丸
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いな
[5606]2002年11月29日
Issie
[5897]2002年12月4日
いな
[8593]2003年2月2日
般若堂そんぴん
[14023]2003年4月26日
ペーロケ
[14025]2003年4月26日
深海魚
[14031]2003年4月26日
Issie
[14033]2003年4月26日
マイル
[14102]2003年4月27日
YSK
[14190]2003年4月28日
三鈴
[14232]2003年4月29日
YSK
[14238]2003年4月29日
ken
[14403]2003年4月30日
TGRS
[14522]2003年5月2日
YSK
[14640]2003年5月4日
special-week
[18442]2003年7月20日
三丁目
[34883]2004年11月7日
太白
[37482]2005年2月4日
hmt
[39232]2005年4月1日
地名好き
[39295]2005年4月2日
作々
[39615]2005年4月11日
林檎侍
[40255]2005年4月25日
中島悟

[754] 2002年 1月 30日(水)20:01:55Issie さん
Re:郡のこと
現在の郡は,直接には1878(明治11)年の「郡区町村編制法」と1890(明治23)年の「郡制」とによって編制されたものです。

「郡区町村編制法」では地方の行政区画を編制するにあたって江戸時代以来の郡・町・村という区画を“復活”させ(明治初期,政府は意識的にこの区画を廃止しようとしていた),都市部には「区」という区画を設置(のちの「市」の前身)し,このとき“広大な郡”は東西南北・上中下などに分割されることになりました。
条文を以下のページに掲げてあります。
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/gun/henseiho.htm
この制度に基づきそれぞれの郡には郡役所が設置されましたが,規模の小さい郡の場合は数郡で統合して郡役所が設置されました。

「郡制」を施行するとき(1900(明治33)年に完了)には,こうして数郡規模でまとめて郡役所が設置されていた郡が統合されて“1つの郡”になりました。たとえば備後国(広島県)の√b田郡」と「品治郡」はどちらも小さな郡だったので共通の郡役所を府中に置いていたけれども,郡制を施行するにあたって両郡が統合されて「蘆品(芦品)郡」になった,というように。
このとき,こうした郡の統合によって大量の「合成郡名」が全国に誕生しています。

明治以降の郡の変遷については,こちらをご参考に。
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/gun/gun.htm
[1484] 2002年 5月 13日(月)18:37:47Issie さん
三遠
「さんえん」です。
「三州(さんしゅう)」と「遠州」の合成ですからね。
その昔,戦時中に国有化される以前のJR飯田線の三河川合~天竜峡間は,同じ理屈で「三信(さんしん)鉄道」と呼ばれていました。

しかし,このルート,どれほど需要があるのでしょうね。
南信は「三州街道」の時代から三河北部や名古屋とのつながりは強くて,だから中央道の盛況はある意味必然的なんだけど,遠州とは地形的につながっているだけなんじゃないかな。
飯田線だって,あれは線路がつながっているだけで,伊那谷と三河南部の豊橋の間に結びつきがあるかっていうと,そうじゃない。

新しいルートが需要を掘り起こすことがあるかもしれないけど,ここはどんなものなんだか。
[3227] 2002年 9月 21日(土)19:46:36あっちゃん[実は小学生] さん
Re:名前ごと市町村合併
町村の名前を組み合わせた市名といえば、
1959年9月1日に青森県の大湊町と田名部町が合併してできた
「大湊田名部市」がそれにあたるのではないでしょうか。
1960年7月31日に改称して今は「むつ市」となっていますが。

それと、合成市名といえば、
埼玉県八潮市(八條村と潮止村と八幡村の合併)
東京都昭島市(昭和町と拝島村の合併)
愛知県蒲郡市(蒲形村と西郡村の合併)
などが挙げられます。ちなみに八潮市と蒲郡市は合併当時は市ではありませんでした。
[3228] 2002年 9月 21日(土)19:57:22あっちゃん[実は小学生] さん
ちょっと違うけど・・・
東京都清瀬市や埼玉県日高市も下記のホームページを見ると合成市名みたいですね。

[清瀬の由来]
http://www.nifty.ne.jp/forum/fzenf/i/ikantou/itokyo/tokyo05_06a.htm

[日高の由来]
http://www.nifty.ne.jp/forum/fzenf/i/ikantou/isaitama/saitam07_06a.htm
[3229] 2002年 9月 21日(土)20:03:16Issie さん
Re:名前ごと市町村合併
>市の名称では今のところ、こう言った例は無いように思いますが

実は昔ありました。
青森県「大湊田名部(おおみなとたなぶ)市」。
1959年9月1日に下北郡「大湊町」と「田名部町」が合体・市制。
1960年8月1日に「むつ市」に改称しています。
「大湊」は陸奥湾(大湊湾)に面した軍港,「田名部」は下北地方の中心集落ですね。

もっとさかのぼると,三重県「宇治山田市」というのもありました。
「宇治」は伊勢神宮の“内宮(ないくう)”,「山田」は“外宮(げくう)”の鳥居前町(門前町)です。
もっとも,地名の合成が行われたのは1889年の町村制施行で「宇治山田町」が発足したとき。
それがそのまま1906年9月1日に「宇治山田市」となり,1955年1月1日に「伊勢市」と改称しました。

外国にはドナウ川両岸の都市が合体した「ブダ・ペシュト」(ブダペスト)というハンガリーの首都がありますね。

>グリグリさん
お手数をおかけしました。いい色ですね。
[3234] 2002年 9月 21日(土)21:16:37ケン さん
二つつけた地名
二つの地名をつけた町村はほかにもありました。
福島県熱塩加納村
千葉県天津小湊町です。
ほかにも合成地名の市は稲沢市(稲葉村と小沢村)、更埴市(埴科郡と更級郡)があります。
日高市の由来は日本と高麗だと思いました。
[3236] 2002年 9月 21日(土)22:32:33Issie さん
合成地名
>あれって?Issieさんと重複しちゃってます・・・!?

こちらの方がちょっと遅かったのですね。

郡制施行に際して統合された郡の中には旧郡の1字ずつを合成して漢字2文字の郡名にしたものが多数あります。
だから,市の発足に際して旧郡名を採用した場合には,“合成市名”となるケースはままあるでしょうね。
岐阜県「羽島市」。
これは羽島郡内の町村が合併して発足したものだけど,「羽島郡」という郡名自体は郡制施行で統合された「羽栗郡」と「中島郡」からの合成です。

ちなみに,木曽川をはさんだ愛知県にも「中島郡」と「葉栗郡」があるけど,もちろん元はそれぞれ1つの郡でした。「羽栗郡」と「葉栗郡」とは“同じ郡名”を違う漢字で表記しているだけです。
元は木曽川がもう少し北を流れていて,現在の羽島郡一帯も「尾張」の一部だったのです。戦国末期の大洪水で木曽川の流れが変わり,江戸時代初めに国境線を引きなおした結果,「羽栗/葉栗郡」「中島郡」「海西(かいさい)郡」が尾張と美濃に分割されました。
なお「海西郡」は郡制施行の際に,愛知県(尾張)では「海東郡」と合併して「海部(あま)郡」に,岐阜県(美濃)では「下石津郡」と合併して「海津郡」になっています。
[3239] 2002年 9月 21日(土)23:38:57Firo さん
合成地名
もっとユニークなケースがありました。
長野県南安曇郡豊科町のケースです。
いかにも、長野らしい町名だなぁと思うのですが、
この町名は、鳥羽、吉野、新田、成合の各村の頭文字をとって
出来たものだそうです。
そして、昭和30年にさらに数村が合併して、現在の豊科町
になったそうです。
[3241] 2002年 9月 22日(日)00:34:22夜鳴き寿司屋 さん
合成地名
 合成地名ですが、地元福山には「大津野村」という自治体が昭和中期までありました。
これは明治期に「大門」「津之郷」「野々浜」の3つの村名の頭文字を合成したものでした。
 また広島県の「三和」という地名には3つの村が合わさった(和差積商の和の意味で)という
意味だそうです。以前には銀行の名前にもありましたですね。

 それはさておき、世界史でしたが第一次世界大戦後にバルカン半島で誕生した国家で
「セルブ・クロアート・スロベール王国」(うろ覚えでスミマセン)という国が
ありましたですね。一般的には「セルビア・クロアチア・スロベニア王国」ですが
この長い国名は1929年まで使用し、その後「ユーゴスラビア」となり、1990年代に
解体しましたのは皆様ごぞんじですね。

 また1993年までは「チェコ共和国」と「スロバキア共和国」は「チェコスロバキア」
という一つの国でしたので「合成」 国名が「分割」されたケースです。

グリグリさんへ
 後程自分色を登録します。
[3243] 2002年 9月 22日(日)01:46:05黒髪 さん
re:[3241]
[3241]
>合成地名ですが、地元福山には「大津野村」という自治体が昭和中期までありました。
これは明治期に「大門」「津之郷」「野々浜」の3つの村名の頭文字を合成したものでした。

「津之郷」ではなく「津之下」です。

津之郷村は1956年に福山市と合併するまでありました。
[3269] 2002年 9月 23日(月)02:19:52YSK さん
合成自治体名 in 群馬
倉渕村・・・倉田村と烏淵村の合体(1955.2.1)で倉淵村に。1996.7.1「倉渕村」に書体変更。
箕郷町・・・箕輪町と車郷村の合体(1955.4.1)
大泉町・・・小泉町と大川村の合体(1957.3.31)
[4081] 2002年 10月 22日(火)21:39:25ニジェガロージェッツ さん
神戸市林田区
[2536]で神戸市にかつてあった区の1つ、「林田区」について触れました。
その中で、現在における唯一の林田の名残としてご紹介させて頂いた「林田モータープール」が取り壊されているのを、今日見ました。いつもよく通る道なので先週はたしかにあったのですが。残念です。
これで、私の知っている限り旧区名「林田」を物語るものは全て消滅してしまいました。

思えばこの区域に「林田」なる地名はもともと存在せず、明治22(1889)年4月1日の市制・町村制の実施によってこの区域にあった今和田新田、御崎村、吉田新田、東尻池村、西尻池村、長田村、駒ヶ林村、野田村の8村が統合され、その中の駒ヶ林と長田から一字づつ採り「林田村」としたのが始まりです。いわゆる合成地名というもので妥協の産物です。
その後、林田村は明治29(1896)年に西隣の須磨村のうち池田村と共に神戸市に編入され、「林田区」と呼ばれるようになり(同時に湊村も編入されましたが、こちらは「湊区」)、昭和6(1931)年9月1日、神戸市が行政区を設置した際、正式に林田区が成立しました。区役所の所在地は林田区腕塚町2丁目6番地1で、現在の三井住友銀行駒ヶ林支店の位置にありました。
昭和20(1945)年5月1日、神戸市は戦災による人口分布の激変を受け大規模な行政区再編を断行し、林田区はその区域を大幅に改変され「長田区」となり、地図上から消えてしまいました。もともと存在しなかった地名だけにその消滅も早く、昭和29年4月1日、国鉄山陽本線兵庫―鷹取駅間に新駅を設置した際にも元来林田区の中心部に位置していながらも「林田駅」にはならず「新長田駅」とされ、逆に旧林田区役所横にあった商店街「林田筋」が「新長田本町筋」と改称されてしまいました。最後まで残っていたのが長田区大橋町8丁目に昭和40年代中頃まであった川崎重工系列の「川崎林田病院」で、その跡地につい先週まであったのが冒頭にご紹介させて頂いた川重不動産の「林田モータープール」でした。

それにしても、もともと存在した地名はたとえ住所から姿を消しても公園や交差点名などに残っているのも多いと思います。まして大都市の区名にすら成った地名です。合成地名というものの末路、大いに考えさせられるものがあります。

オーナー グリグリさん
[2536]の書き込みには当初「林田モータープール」の所在地を、誤って「若松町8丁目」と書いてしまい、間違いに気づき急ぎ2537で訂正したのを覚えております。
今改めて、2500番代の過去ログを見まして感激致しました。間違えの部分がきっちり訂正されており、2537が削除してあります。オーナーさんの細かなご配慮、ただただ感服です。有難う御座いました。
[4887] 2002年 11月 14日(木)21:05:10蘭丸 さん
関越、上越、信越 ...
[4869]ゆう さん

>単に「『上越線』を含む路線の新線」の意味かもしれませんね。

 そのとおりですね。東海道新幹線は東海道本線の、山陽新幹線は山陽本線の、東北新幹線は東北本線の、北陸新幹線は北陸本線の、それぞれ新線として建設された(る)ものですから、上越新幹線の場合もこれが当てはまります。
 ですが、上越新幹線には、ほかとは違うところが一つあります。上越線は「本線」ではありません。ですから、正確には「高崎線+上越線+信越本線」の別線ということになるでしょう。

 今でこそ、東京と日本海側を結ぶ効率的ルートは、 上越新幹線および関越自動車道であって、 上越新幹線接続特急が北陸本線と羽越本線を走り、 東京から延びる関越自動車道が長岡で北陸自動車道に、その北陸道が新潟で日本海沿岸東北自動車道に接続しています (ですから、私は世間で云われているような「田中元首相の地元への利益誘導だ」式の固定的な評価は正しいとは思いません) が、明治の鉄道黎明期においては、清水峠越え(あるいは三国峠越え)は技術的に難しいと判断され、碓氷峠越えの長野-直江津-長岡を経由して新潟と結ぶルートが先行して建設されました。

 だいぶ遅れて開通した上越線(上越線全通は昭和6年、信越本線全通は明治37年)は、東北本線の支線というのが正式な位置づけです。しかし、対日本海側へは、長野へ迂回するルートより大幅な短絡効果があり(碓氷峠はアプト式、清水峠は電化されたループトンネル、という違いもありました)、やがて上越線は特急銀座となります。
 そのような関係で、将来的に上越線と高崎線を統合して「上越本線」とする計画もあったようですが、その前に上越新幹線が開業してその必要性がなくなったため、 一大幹線ルートでありながら、 「本線」 への格上げは実現しませんでした。

>私などは「関越新幹線」もありかなと思っています。

 私も「関越」という言葉は、結構馴染みやすいものがあると思います。 関越、上越、信越、磐越、羽越、上信越と「越」のつく地名の合成は数々ありますが、これがいちばん語感がいいと私は思います(あくまで個人的見解です)。

 ところで、この「越」の字ほど何にでも合うものは、ほかにはないのではないか、と私は思います。 京浜、京葉、京成がありつつ埼京がある、総武がありつつ常総(これは学校名ですが)がある、磐越がありつつ常磐がある、信越がありつつ上信、甲信がある、といった具合に、鉄道路線に多く見られる地名の1字と1字を併せるという方法は、ケースバイケースで語呂良く行われていますが、「越」の場合は必ず後ろにくっついて、全体の語感を整える役割をしています。

 仮に、新潟県(越後国)に隣接しない地域とこの方法を試してみると、総越、常越、甲越、武越、陸越、駿越(すんえつ)、讃越、備越(びえつ/びんえつ)、筑越 ...と、意外にもマッチしてしまいます。

 ところが、ただ一つ、「越」の字が頭になるものがあります。「越佐(えっさ)」です。佐渡海峡を俗に越佐海峡と言ったりして、おもに観光用に使われる言葉です。
 私なんかは「佐越」でも、別に違和感を感じません。しかし、このように言い習わしているのは、単にこっちのほうがより語呂がいいと思われているからでしょうか、それとも、両国が今はともに新潟県であるため、本土のほうを優先しようとする意図が働いているからでしょうか。

 ささやかな発見を、発表させていただきました。

※ 福井県には「越美北線」という路線がありますが、これは「九頭竜線」とも呼ばれていますし、この場合の「越」は、越前の「越」なので、埒外と考えました。(ちょっと、強引な論理展開かもしれません)
[5445] 2002年 11月 26日(火)22:18:32いな さん
「武信」を公式見解ということで、いかがっすか?
[5405] Issie さん
>これじゃあ,「武信」にしろ「信武」にしろ定着はしないな。
[5385] Issie さん
>「信武」なのか,「武信」なのか。
これって、略称でどっちが良いかという論議だったら、自分の国を上にしたいんですよねえ。
日中と中日、日韓と韓日、日朝と朝日・・・などなど
サッカーワールドカップでは、韓国から「KOREA-JAPAN」で契約したはずなのに、
日本のパンフでは「JAPAN-KOREA」になっているではないかとクレームがついたり・・・とか

>武蔵(埼玉県)と信濃(長野県)が直に接する区間というのは思ったよりも短いのですね。
ここの県境の端っこで、甲州(山梨県)とも境を接するところ(3県境)にある山が、
甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)・海抜2475m
これ3つの国の合成名ですね。 まあ、この並べ順を尊重して、埼玉と長野の隣接国略称は
「武信」ということで、いかがでございましょうか?

[5424] にて、TN さんも甲武信ヶ岳からの発想で言われていますし
(やっぱ、同じこと考えるもんだよなと感動)
「武信」をここのサイトでの公式見解と言うことで、いかがでしょうか?

>秩父郡大滝村と南佐久郡川上村の間だけ。車で(一応)越えられる峠道は中津川林道だけ。
ここらに、「大菩薩峠」ってのがあるはずなんだけど・・・あぁ、あったあったっ!
おお、塩山市なんですねえ <初めて知った <このサイトのおかげ

この大菩薩峠、海抜は1897mもあるんですねえ。
ここを、かの「机龍之介」は、着流し・編み笠の姿で歩いて登っていったんですね。
そして、巡礼のお爺さんを・・・
[5606] 2002年 11月 29日(金)21:48:32Issie さん
更科へ出前の注文!
[5579] でるでる さん
>「更埴市・戸倉町・上山田町合併協議会」(長野県)の新市名の候補が
>「更科(さらしな)市」と「千曲(ちくま)市」の2点に絞られました。

前にも言ったことがあるけど,「更科」って言うと…,やっぱ,そばの出前を頼みたくなりますね。
「更級」としなかったあたり,千曲川左岸の「更級郡」だけでなく,右岸の「埴科郡」もあるんだぞ,って意味でしょうね。つまり,この場合の「更科」は「更級」と「埴科」の合成地名。相当,無理がありますけどね。
すでに「更埴」という十分に熟した合成地名があるのだから。

「千曲市」かぁ…。これこそ「早い者勝ち」ですね。
さて,皆さんは「千曲川」と言ったら,どこを連想するでしょうか。
藤村の「千曲川旅情の歌」は小諸。「鞭声粛々夜河を渡」ったのは川中島。「破戒」の舞台は飯山。五木ひろしは,どこだっけ?
どこが「千曲市」になっても不思議ではないですからねぇ。
[5897] 2002年 12月 4日(水)22:08:51いな さん
常磐は超広域名でした・・・
[5845] Issie さん
>これは「常磐市」というより,「常磐炭田」に由来するのではないのかな。
その時期(1962)だったらすでに石炭産業は先が見えていて、いまでいうバックアップとしての意味での
跡地活用のための指定でしょうかねえ。

新産業都市・常磐地区(当時の構成)
 平市、常磐市、磐城市、内郷市、勿来市、郡山市、須賀川市、
 石城郡 遠野町・四倉町・小川町・田人村・好間村・川前村・三和村、
 双葉郡 久ノ浜町・大久村
 安積郡 安積町・富久山町・日和田町・熱海町・三穂田村・逢瀬村・片平村・喜久田村・湖南村、
 安達郡 本宮町・大玉村・白沢村、
 岩瀬郡 鏡石町
 田村郡 三春町・田村町・小野町・滝根町・大越町・常葉町・船引町・西田村・中田村・都路村、
 石川郡 石川町・浅川町・玉川村・大東村・平田村
 東白川郡 古殿町
となっていましたから、常磐炭田あるいはそれ以上の範囲なのでしょうか?

狭いと言ったのは間違いでありました。今となっては広く感じないという主旨での発言でありました。
いわき市の1/5構成の常磐市と受け取ったからなんですね。
常磐とは、常陸と磐城の合成の広大な地域のことだったのに・・・大きな勘違いをしておりました。
訂正します。

なお、この新産業都市と工業整備特別地域の財政上の特別措置は、昨年3月末で法案廃止になっています。
[8593] 2003年 2月 2日(日)13:56:33【1】般若堂そんぴん さん
旅大(リュイター)
[8589]白桃さん
日本の植民地だった頃の面影も残ってはおりますが、北京、上海と違って近代的でヨーロッパ的な雰囲気のある街です。(特にロシアの影響が強いのではないでしょうか)
大連は哈爾浜市とともにロシア人によって建設された都市ではなかったでしょうか? 旧・満州国時代の写真集などをみると中国という雰囲気はありませんね.大連という名称も本来はロシア語が元になったと記憶するのですが,詳細は忘れてしまいました.地下鉄はありませんが,ライト・レールがあるようです.
大連中心街と旅順は遼東半島の脊梁 山地をはさんでいる関係からか気候も異なるようです。
道程にして30km以上も離れているようですね.「新世紀中国地図冊」には大連と旅順口の都市図が並んで掲載されています(残念ながら,都市図や観光地の図には縮尺が入っていません).

1970年代前半の地図帳をみると旅大(Luda;u の上にはウムラウトの符号)という名称になっています.確か,旅順と大連の合成地名でした(湖北省の省会,武漢市をはじめとして,中国にも合成地名はかなりあるようです).

いつか機会があれば、皆様があまり行かれたことがないと思われるイスラエルについて体験記を書き込みたいと思いますが、はたして……
TVや新聞で報道される情報以外,酒好きのサックス・プレイヤーや僧侶をしている友人からちょっと聞いたことがあるだけです.先の総選挙では「侵略者であり続ける」道を選択してしまったようで残念です.イスラエルの市民自身,硝煙と血の臭いのしないイスラエルをこそ望んでいると思うのですが.体験記を楽しみにしております.
[14023] 2003年 4月 26日(土)10:40:12【3】ペーロケ[utt] さん
合成地名
こちらのサーバー、最近ご機嫌斜めですね。
オーナーグリグリさま、復旧作業お疲れさまです。
落書き帳の書き込みが膨大になれば、こうしたトラブルも増えそうですね。
グリグリさまの隠れた努力があっての落書き帳なのですから、
運営は大変でしょうが、がんばってください。

[13998]三鈴さま
ところで、この「三鈴」みたいな広域合成地名、先に[13875]で挙げた「磐周」や「宇城」のほかに、どんな例があるかしらん?
いくつか分類できそうですが、

1、二つ以上の都市を結ぶ地域
例、京葉(東京と千葉)、京浜(東京と横浜)、京阪神(京都から大阪経由で神戸)など

2、二つの地域を挟む区域
例、狩勝峠(石狩と十勝)、防予諸島(周防と伊予)、両毛(上毛野と下毛野にまたがる地域)

3、二つの地域を連絡する交通機関
例、上越新幹線(上野と越後)、磐越自動車道(磐城と越後)、予土線(伊予と土佐)

4、二つの領域を合わせた総称
例、防長(周防+長門)、甲信越(甲斐+信濃+越後)

なんて素人ながら偉そうに分類してしまいましたが、
上越新幹線の「上野」が「うえの」なのか「こうづけ」なのかは、聞かないで下さい(苦笑)
[14025] 2003年 4月 26日(土)10:51:20深海魚[雑魚] さん
ローカルな合成地名
[14023] uttさん
過去ログでも少し言及しましたが、茨城県の場合、久慈郡と那珂郡で 「久那/くな」、鹿島郡と行方郡で
「鹿行/ろっこう」、稲敷郡と北相馬郡で 「稲北/とうほく」 という様な地域呼称も用います。各税務署の
管轄域との整合性に基いている様ですね。
[14031] 2003年 4月 26日(土)11:48:45Issie さん
Re:合成地名
[13998]三鈴 さん
[14023]utt さん
[14025]雑魚 さん

ウチんとこのHPで「一覧表」シリーズを始めた目的の1つは,このようなローカルな地域区分と地域呼称のデータを収集することにありました。
こんなページにまとめてみました。ご参考までに。
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/kubun/kubun.htm
(別に「最新のデータ」を提供することを目的にしていないので,2001年9月1日現在で以後の更新はほとんどしていません。一部,途中まで更新したものもありますが,面倒なのでやめました。)

この手の官庁関係では,県内の地域を“適当”にまとめるために,いわゆる合成地名を多用しているようですね。
4、二つの領域を合わせた総称
これが基本です。

そもそも,1890年ごろの郡制施行に際して統合新設された郡の呼称など,このパターンのオンパレードですよね。
 岐阜県 羽島郡 ← 羽栗郡 + 中島郡
 佐賀県 三養基郡 ← 三根郡 + 養父郡 + 基肄(きい)郡
枚挙に暇がありません。

郡としては統合されなくても,茨城県の「鹿行地域」(鹿島郡+行方郡)とか,千葉県の「海匝(かいそう)地域」(海上郡+匝瑳郡),長野県の「更埴地域」(更級郡+埴科郡)という例も少なくありませんね。

もう1つ,領域は1つ(1郡)で,その中心都市名と郡名との合成,というのもあります。

前に話題になっていた青森県の「三八(さんぱち):三戸郡 + 八戸市」というのがその代表例。
長野県はこの手の呼称が多用されていて
 上小(じょうしょう): 上田市 + 小県郡
 飯伊(はんい): 飯田市 + 下伊那郡
 松筑(しょうちく): 松本市 + 東筑摩郡
 大北(だいほく): 大町市 + 北安曇郡 (なぜか「大安」ではない)
 須高(すこう): 須坂市 + 上高井郡
 中高(ちゅうこう): 中野市 + 下高井郡
 長水(ちょうすい): 長野市 + 上水内郡
 飯水(はんすい): 飯山市 + 下水内郡
というのが,目につきます。
神奈川県でも
 横三(よこさん): 横須賀市 + 旧三浦郡(三浦市・葉山町)
 高相(こうそう): 旧高座郡北部(大和・綾瀬・座間・海老名)+ 相模原市
という呼称が使われることがあります。

まだまだ「市」の価値が大変に高く,郡内に市が1つくらいしかなかった頃(つまり,郡の中心都市だけが市になっていた頃),「市」になったことによって「郡」の領域から離れた市の名前と郡名とを併称したことによるものと思われます。
[14033] 2003年 4月 26日(土)12:05:40マイル さん
はじめまして
はじめまして。市町村合併の情報を色々調べているうちに、ここへ流れ着いてきました。
市町村の合併も、賛否両論ありますよね。私は、どちらかと言うと反対する立場です。
合併や、それに伴う地番改正等により失われていく地名を惜しむからです。
私の生まれ育った町に、泉橋、一色橋と二つの橋が有って、何故そんな名前なのだろうと
小学生の頃調べた経験があります。その結果わかったのは、その二つの橋は、元々
「泉村」「一色村」に分かれていた、町のそれぞれの区域にあるからそういう名前だった
わけです。橋がなければ、昔の村名などとっくに忘れられていたかもしれません。

これから、どんどん自治体合併が進んでいきますが、昔ながらの地名がなくならぬように
関係者一同に配慮をお願いしたいと思う今日この頃です。

[14023] uttさま
合成地名というと、けっこうローカルでマイナーなものが多そうですね。
私が知るものといえば、

三遠南信:天竜川流域の浜松~飯田辺りまで?
そういえば三遠南信自動車道はどうなったのヵ。

飛越:岐阜北部と富山南部をくくった呼称のようです。
飛騨大トンネル、難航しているようです。

愛日:これは愛知県のスポーツ大会などの地区名称のようです。
由来は愛知郡+東西春日井郡の模様
・・・今でもあるのだろうヵ
[14102] 2003年 4月 27日(日)04:37:38YSK さん
合成郡名(群馬県)ほか
群馬県内で私が知りうる合成郡名は、

多野郡→多胡郡+緑野(埜)郡
佐波郡→佐位郡+那波郡

でしょうか。

[14023]uttさんの合成地名のカテゴリーの

2、二つの地域を挟む区域

の例として、

両毛→上毛野と下毛野にまたがる地域

も追加していただけますでしょうか?
[14190] 2003年 4月 28日(月)15:39:14三鈴 さん
広域合成地名
[14023]utt さん
いくつか分類できそうです
レスありがとうございます。自分でふったネタを、分類までしていただけちゃうと、なんかとても嬉しいですね。
ちなみに「三鈴」は、こちらの分類でいうと、
4、二つの領域を合わせた総称
に分類されそうです。

ところで「阪神」は、大阪と神戸という
1、二つ以上の都市を結ぶ地域
でもあり、大阪と神戸にはさまれた「阪神間」とも称される都市群という意味では、
2、二つの地域を挟む区域
でもあり、さらに阪神電気鉄道(阪神電車)という
3、二つの地域を連絡する交通機関
でもある、ということになるのでしょうか・・・?

[14025]雑魚さん
久慈郡と那珂郡で「久那/くな」、鹿島郡と行方郡で「鹿行/ろっこう」、稲敷郡と北相馬郡で「稲北/とうほく」
読み方も付していただくと、初めてでも読みやすくて助かりますね。「鹿行」、ずっと「かぎょう」と読むのだと思っておりました。

[14031]Issie さん
こんなページにまとめてみました。ご参考までに。
改めて、拝見させていただきました。ここで挙げられているほかに、
公的な組織の名称や地域区分として採用されていないけれども、
ご当地では一般に使われる通称地名としての広域合成地名も
結構あるのでしょうね。

郡制施行に際して統合新設された郡の呼称など,このパターンのオンパレードですよね。
三重県では、郡制施行の頃、河曲郡と奄藝郡が合併して河芸(かわげ)郡となり、
さらに戦後、この河芸郡と安濃郡が合併して安芸(あげ)郡になっています。
経緯を知らないと、安芸国や高知県安芸郡と何か関係があるのかと
勘違いしてしまいますよね。

須高(すこう):須坂市+上高井郡
これも、長らく「すたか」と読むのだと思っていました。思い込みというのは、怖いですね。

ちなみに三重県では、
桑員そういん桑名市・郡+員弁郡
鈴亀れいき鈴鹿市・郡+亀山市
三泗さんし三重郡+四日市市(なぜか四日市の「四」ではなく「泗」の字を使います)
という呼称が使われることもあります。
郡名と同一の市名があるため、「桑員」や「鈴亀」は市名+郡名とは言い切れない面もあり、
また「三泗」は、郡名を表す文字が、市名を表す文字よりも前にあるというのが、珍しいかと思います。

[14033]マイルさん
合成地名というと、けっこうローカルでマイナーなものが多そうですね。
「三遠南信」は、広域連携事例として話題になることがありましたし、
「飛越」も、以前から知っておりましたが、
「愛日」というのは、初耳でした。
やはり、旧郡名から派生した広域合成地名というのは、ローカルでマイナーなのかもしれませんね。
(って、ただ単に、私が無知なだけかもしれませんが・・・)

なお、uttさんの分類[14023]で「二つの地域を連絡する交通機関」に付された合成地名の
例としてあげられた上越新幹線に関して、「○越」という合成地名をめぐる書き込みも
多くなされていますが、今回のこの書き込みでは、広域すなわち面的な広がりをもったエリア
を指す合成地名に主に焦点をあてたかったこともあり、レスを割愛させていただきました。
ごめんなさい。
[14232] 2003年 4月 29日(火)00:50:03YSK さん
岩手県の合成地名
[14231]により、

胆江(たんこう) → 胆沢郡+江刺郡
両磐(りょうばん) → 東磐井郡+西磐井郡

という言い方があるようであることが分かりました。
[14238] 2003年 4月 29日(火)01:40:08ken さん
合成地名
[14231] YSK さん
広域市町村圏の名称、面白いですね。

[13998]三鈴
[14023]utt さん
[14025]雑魚 さん
[14031]Issie さん
[14190]三鈴 さん

特に2郡合成名は面白いですね。

茨城の「鹿行(ろっこう)」は、最近は天気予報でもお馴染みになりましたね。
「海匝(かいそう)」も千葉県内にいると結構目に付く呼称です。広報紙や、新聞の千葉欄等。

[14190]三鈴 さん
三泗 さんし 三重郡+四日市市(なぜか四日市の「四」ではなく「泗」の字を使います)
これも面白いですね。
三四だと、数字だけが並び、文章の中に入ると地域を表す言葉に見えにくいからでしょうね。
ですが、泗の字は、山東省の泗水の意しか、漢和辞典的にはないようですが。
湘南の湘の字も、本来湖南省の湘水の固有名詞用の字ですから、それを真似たのかもしれませんね。
[14403] 2003年 4月 30日(水)22:31:39TGRS[津軽衆] さん
広域合成地名(青森県の場合)
[13993] utt さん
以前、青森県を旅行中、「三八上北」という地名を聞きました。(中略。三沢か三戸かで)ちょっと言い合いになりました。
どうやら悲しい思い出の地でもあるようですが、青森県。
[13998] 三鈴 さんがさっそく答えてくださいました。
「三八上北」は、三戸郡+八戸市+上北郡(含:十和田市・三沢市)を意味していたように記憶しています。
青森県内では「三八上北」は天気予報の地域区分にもなっているほどメジャー単語なのですよ。
青森県はこの「広域合成地名」で県内をきれいに分けておりまして、これがYSKさんが展開している[14230]広域市町村圏のエリア(青森県編)とほぼぴったり重なるのです。
広域合成地名よみ構成市郡名
東青とうせい青森市・東津軽郡
三八さんぱち八戸市・三戸郡
上十三かみとおさん十和田市・三沢市・上北郡
下北しもきたむつ市・下北郡
中弘南黒ちゅうこうなんこく弘前市・黒石市・中津軽郡・南津軽郡
西北五せいほくご五所川原市・西津軽郡・北津軽郡

三八と上十三を一緒にした場合は「三八上北」となります。

最近は「中弘南黒」がさすがにわかりづらいのか「津軽地域」と呼んだりすることもあるようですが、それだとちょっと広すぎる名前でしっくりこないかなぁ。「津軽」というなら東青はともかく西北五は入れないと。
これで「むつ市」以外の市郡の頭文字をすべてカバーしているので、非常に便利であります。ということは「むつ市」以前からある呼び方であるということですね。
当然何かあるごとにこの地域ごとに集合を作られるので、すっかりなじみです。微妙なところでは、YSKさんの調査で郡を分割して所属しているところ、(1)北津軽郡板柳町が中弘南黒地域へ、(2)上北郡下田町・百石町が三八地域へ、入っているところがありますが、これくらいでしょうか。平内町(東津軽郡)に合併話をフラれてしまった青森市は浪岡町(南津軽郡)に触手を伸ばしているようですが、難しいような…。

ちなみに青森県内では「○津軽郡」は「東津軽郡」→「東郡(とうぐん)」のように略して書くのが一般的です。読むときは、私は「とうぐん、せいぐん、なかぐん、なんぐん、きたぐん」と呼んでいましたが、本当はどうなんでしょ(というか正解はあるのか?)
[14522] 2003年 5月 2日(金)02:15:46YSK さん
広域市町村圏名に見る合成地名
さて、広域市町村圏の全国データをまとめたところで、広域市町村圏名に見られる合成地名を抽出してみます。

地名ふりがな都道府県名もととなった地名参照過去ログ
遠紋えんもん北海道紋別市(郡)+遠軽町
北網ほくもう北海道北見市+網走市(郡)
上十三かみとおさん青森県上北郡+十和田市+三沢市[14403]津軽衆さん
西北五せいほくご青森県西津軽郡+北津軽郡+五所川原市[14403]津軽衆さん
胆江たんこう岩手県胆沢郡+江刺郡(市)
両磐りょうばん岩手県西磐井郡+東磐井郡
鹿行ろっこう茨城県鹿島郡+行方郡指摘多数のため割愛
上小じょうしょう長野県上田市+小県郡[14031] Issieさん
大北だいほく長野県大町市+北安曇郡[14031] Issieさん
飯伊はんい長野県飯田市+(下)伊那郡[14031] Issieさん
可茂かも岐阜県可児郡+加茂郡
駿豆すんず静岡県駿河+伊豆
静清庵せいしんあん静岡県静岡市+清水市+庵原郡
阿新あしん岡山県阿哲郡+新見市
尾三おさん広島県尾道市+三原市
高幡こうばん高知県高岡郡+幡多郡
高吾北こうごほく高知県高岡郡+吾川郡北部
嘉飯山かはんざん福岡県嘉穂郡+飯塚市+山田市
京築けいちく福岡県京都郡+築上郡
杵藤きとう佐賀県杵島郡+藤津郡
宇城うき熊本県宇土郡(市)+下益城郡
臼津きゅうしん大分県臼杵市+津久見市
別杵べっき大分県別府市+杵築市
川薩せんさつ鹿児島県川内市+薩摩郡

だいたいこのようなところだと思います。「駿豆」や「高幡」は、両地域をひっくるめた、というよりは、両地域にまたがる地域、といったニュアンスですね。

また、合併によって自治体名としては消えてしまった「清水市」の名前を含む「静清庵」の去就も気になりますね。
[14640] 2003年 5月 4日(日)11:00:00special-week さん
静岡・清水の複合地名
[14604]
太白様

国道1号線の「静清バイパス」などにも見られますが、

 国道1号線の静清バイパスの名前ですが、これは古くから見られる合成地名です。静岡・清水地区では、静清信用金庫というものありますし、静清工業高校というのもありますからねえ。一般的な地名として定着していますね。
 私としては静清庵という呼称を初めて知りました。新静岡市が庵原郡3町に合併を呼び掛けているのもこの広域連合のせいなのでしょうね。以前から、私は庵原郡3町は富士市側を向いていると思っているので、この3町との合併が不思議だったんですよね・・・。
[18442] 2003年 7月 20日(日)07:14:27三丁目 さん
合成自治体名(北海道の)
北海道には清里町があります。かねてから、なんで北海道に清里が?と思っていました。山梨県の清里が知られていますから、その出身者による開拓だったからなのかな?と思っていました。たまたま、北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年発行)で清里町についての記述を読み、初めて知りました。以下、同事典から抜粋・引用しますが、
斜里町と小清水町から分村して、村名を上斜里村とする。町制施行と同時に清里町(斜里と小清水から一字ずつとる)と改称。
国立=国分寺+立川、は知っていましたが、ここにも、合成自治体名があったのですね。
我が地理アドバイザーに聞いてみたら、私と同様に思っていたとのことで、釧路に住んでから、由来を初めて知ったそうです。

用意してあった、3つの地理ネタ、特にこれは「地名」ネタなので、とりあえず書込みました。どこまで書込んでよいのやら、正直なところを申し上げると、コワイです。
[18345]なきらさんが、柏にお越しの際は、とおっしゃって頂き、実は昨日、所用があり、本当に柏まで行ったのですが、レスを書いてはいけないのかと、自粛しております。

また、拙稿[18368]のタイトルは、あれが最後の書込み、というつもりではなく、見沼区の話題については、これでオシマイなのかな、と思ってつけたのですが、違う意味にとられた方がいらっしゃるのかしらん、と思ってしまいました。
[34883] 2004年 11月 7日(日)02:42:55太白 さん
合成地名など
1ヶ月半ぶりの書き込みのようです。自分のHP更新もままならない状況ではありますが、合成地名(過去の市区郡町村名)の情報提供(東京都)です。

亀青村亀有+青戸現・葛飾区
大木村大畑+木下現・葛飾区・墨田区境界域(荒川流域)
鹿本村鹿骨+本一色現・江戸川区
井荻村井草+荻窪現・杉並区
代々幡村代々木+幡ヶ谷現・渋谷区

#大変遅くなりまして申し訳ありませんが、新規登録された方のメンバー紹介記事をリリースいたしました。
[37482] 2005年 2月 4日(金)19:33:07【1】hmt さん
互に優劣なき数小町村を合併するときは各町村の旧名称を参互折衷する等適宜斟酌し…
yamadaさん編集の「合成地名」コレクションは、1863件という大変な数に達しています。
そのうち1700件近くを占めているのが「過去の市区郡町村名」。
福島県だけでも150件近く、続いて新潟県、愛知県、熊本県等に多数が収録されています。
そして、過去の合成町村名の中で大きな割合を占めると思われるものが、1889年の明治大合併で命名された「参互折衷地名」です。

明治21年6月13日 内務大臣伯爵山縣有朋が発した訓令の中に、次のような条文がありました。(原文は旧字体、カタカナ。文の区切りで改行しました。)
第6条 合併の町村には新に其名称を選定すべし
 旧町村の名称は大字として之を存することを得
 尤も大町村に小町村を合併するときは其大町村の名称を以て新町村の名称となし或は互に優劣なき数小町村を合併するときは各町村の旧名称を参互折衷する等適宜斟酌し勉めて民情に背かさることを要す
 但町村の大小に拘はらす歴史上著名の名称は可成保存の注意を為すへし

第3文では、大町村の名称で決まりといかない場合に、「参互折衷」等の斟酌により民意を反映する方法が示され、これが「合成地名」がまかり通る根拠になりました。
多分、以前は「折衷地名」と呼んでいたと思いますが、最近は「合成地名」という呼び方が多くなっているようです。

もちろん 折衷地名の中には、「宇治山田」(yamadaさんの縁語・笑)や「ブダペスト」のような「連称地名」も含まれるでしょうが、それが少数派であることは、地名コレクションの示す通りです。
連称だと長くなって、「延喜式・民部上」の
凡諸国部内郡里等、並用二字、必取嘉名。
以来の伝統にそぐわない。そこで構成成分から1字ずつを採って新たな「二字熟語?」を組立てる。
その結果、本来の地名が持っていた土着の感覚と全く異なった意味が生まれても意に介しない。
かくて、私立の「国立音楽大学」誕生。
「国立(くにたち)」は、「合成駅名」であったものを、谷保村が町制を施行するときに使ったもので、町村合併の直接の産物ではありませんが。

明治時代に合併で大量に生まれた「合成村名」ですが、その後の100年間に更なる合併を経て、そのまま「地名」として定着できないものが多いように思われます。地名表示としてではなく、学校などの公共施設名として残ったものも多いようですが。
これに対して、前記内務大臣訓令の第2文によって大字になった江戸時代からの旧村名は、都市部でも引き続き現在の町名として存続しているものが多いようです。
このことは、東京の合成村名に関する3回連続の記事の最後[35860]に書きました。

さて、「合成地名」コレクションに戻って、埼玉県の過去村名を改めて拝見。
最近追加された北足立郡「植水村」のもとの地名に「水半土」がありますが、「水判土」(みずはた)です。
上福岡から大宮に向い、治水橋(「じすいばし」と濁って読みます)の 2kmもある河川敷を通過すると二ツ宮・水判土を経て、新大宮バイパスから先は大宮の市街地になります。「二ツ宮」も新たに収録された合成村名「馬宮村」の成分です。

修正ついでに、入間郡「富岡村」のもとの地名「北岩岡」も合成で、2行上に既に収録されていますから、備考欄に案内を入れてください。

なお、東京都に収録されている「榑橋(くれはし)村」は、存在した当時は埼玉県新座郡の村名でした。関連記事[4111][36159]
もとの地名・小榑と橋戸は、難読の「榑」にもかかわらず、東京府になってからも大泉村の大字として使われ続けましたが、「榑橋」は 地名として定着することなく、消滅したと思われます。
橋戸には、昭和になってから、コクドの前身・箱根土地が、学園のない「大泉学園都市」を開発しました。

下記の3件は、字面からすると合成地名の可能性があると思われたのですが、「埼玉県市町村合併史」(1960)を見たら、「合成地名もどき」だったようです。“ガ成地名の沼”に沈めることにしましょう。
北足立郡新郷村(しんごう)新堀、東本郷 現・川口市【東本郷から1字を採り新たに1村を造成】
入間郡山田村(やまだ)寺山、福田,石田 現・川越市【歴史的に著名な庄名】
南埼玉郡川柳村(かわやなぎ)柿ノ木・伊原の発音と南青柳 現・草加市と越谷市【特別の理由はなかった?】

このようなガセネタを排除しながら、合成地名を収集されている yamadaさんご苦労様。

最後に真正の「合成地名」を一つ。
大里郡大幡村(おおはた) もとの地名・大里郡、幡羅郡 現・熊谷市
「埼玉県市町村合併史」にも、“大里、幡羅の両郡各二ヶ村を以って合併”との上申があった旨の記載があります。
[39232] 2005年 4月 1日(金)03:46:45地名好き さん
「合成地名」コレクション
yamadaさん

「過去の市区郡町村名」に分類されるものと思いますが、茨城県久慈郡「金砂郷村(金砂郷町)」があります。
1955/04/15に「金砂村」+「金郷村」+他2村=「金砂郷村」
現在の常陸太田市です。
[39295] 2005年 4月 2日(土)22:42:12【1】作々 さん
合成地名(三笠)
久々に合成地名。

かつて鹿児島には三笠村(→三笠町)という自治体がありました。
元々は下出水村と呼ばれていたところで、大字脇本と江内で構成されていました。
後に大字江内が独立して江内村となり、後に高尾野町と合併、三笠町は阿久根市に編入されています。

さてこの三笠ですが、由来は脇本の笠山と江内の三日月山らしいです(参考)。
笠山はすぐに場所が見つかるのですが、三日月山ってのがどれ(何処)にあたるのかはちょいと分かりませんでした。
[39615] 2005年 4月 11日(月)00:10:53林檎侍[花笠カセ鳥] さん
検索しやすくなりました。
私が[39401]で「合成地名コレクション」の検索のしにくさを指摘したところ、yamadaさんに表の分割とページ内リンクを設けていただきました。都道府県ごとにリンクをしていただいたので、「これなら独自の検索はいらないかな…」と思いましたが、グリグリさんに地名コレクション内の検索ボックスを設けていただきました。ありがとうございます。
なるほど、「googleを活用する」という方法があったわけですね。

検索が容易になったので、未収録の合成地名コレクションを紹介します。
福井県 田井+西浦=西田村 1953/4/1~三方町
福井県 東藤島+岡保=藤岡村 1961/10/1~福井市
[40255] 2005年 4月 25日(月)00:21:00【2】中島悟 さん
合成地名(三養基郡の場合)
[40217]88さん
「合成地名」について(中略)皆様のご意見をいただければ幸いです。

私、以前似たような趣旨を書いたことがありますが、
自治体名を、「合併時の配慮」「一時的な流行」では決めて欲しくない
という点には賛成ですけど
「明治や昭和の大合併で誕生した100年や40年の歴史」
は決して軽くはないと思います。百年前の人が知恵を絞って作った合成地名は
今、確実に根付いています。

佐賀県ではM29年に三根・養父・基肄郡を統合して三養基郡が作られています。
その後、鳥栖市が出来たりもしましたが、ヨソ者の多い基山町を別にすれば
域内には確かに「三養基」というアイデンティティが存在します。
隣の神埼郡と併せて「三神地区」とも呼ばれますが、この「三」は
「三養基郡の三」であって、決して「旧三根郡の三」と受けとる人はいません。
今年誕生した三養基郡みやき町には旧基肄郡域は含まれていませんが、
「みや」ではなく「き」まで付けて「みやき町」です。

我々は、以前ここに鵜足郡や多度郡があったことを知っています。
しかし一般の人には生まれた時から綾歌郡・仲多度郡だったのではないでしょうか。
香川県での事情は私には分かりませんが、例えば豊浜町・大野原町の人は
「三」の字で代表されることに抵抗を感じるのでしょうか?

P.S.
いちおう断っておきますが、私も「さぬき市・東かがわ市」よりは
「寒川市・大内市」のほうが良かったと思ってます。
白桃さんの意見も聞きたいです。

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