yamadaさん編集の
「合成地名」コレクションは、1863件という大変な数に達しています。
そのうち1700件近くを占めているのが「過去の市区郡町村名」。
福島県だけでも150件近く、続いて新潟県、愛知県、熊本県等に多数が収録されています。
そして、過去の合成町村名の中で大きな割合を占めると思われるものが、1889年の明治大合併で命名された「参互折衷地名」です。
明治21年6月13日 内務大臣伯爵山縣有朋が発した訓令の中に、次のような条文がありました。(原文は旧字体、カタカナ。文の区切りで改行しました。)
第6条 合併の町村には新に其名称を選定すべし
旧町村の名称は大字として之を存することを得
尤も大町村に小町村を合併するときは其大町村の名称を以て新町村の名称となし或は互に優劣なき数小町村を合併するときは各町村の旧名称を参互折衷する等適宜斟酌し勉めて民情に背かさることを要す
但町村の大小に拘はらす歴史上著名の名称は可成保存の注意を為すへし
第3文では、大町村の名称で決まりといかない場合に、「参互折衷」等の斟酌により民意を反映する方法が示され、これが「合成地名」がまかり通る根拠になりました。
多分、以前は「折衷地名」と呼んでいたと思いますが、最近は「合成地名」という呼び方が多くなっているようです。
もちろん 折衷地名の中には、「宇治山田」(yamadaさんの縁語・笑)や「ブダペスト」のような「連称地名」も含まれるでしょうが、それが少数派であることは、地名コレクションの示す通りです。
連称だと長くなって、「延喜式・民部上」の
凡諸国部内郡里等、並用二字、必取嘉名。
以来の伝統にそぐわない。そこで構成成分から1字ずつを採って新たな「二字熟語?」を組立てる。
その結果、本来の地名が持っていた土着の感覚と全く異なった意味が生まれても意に介しない。
かくて、私立の「国立音楽大学」誕生。
「国立(くにたち)」は、「合成駅名」であったものを、谷保村が町制を施行するときに使ったもので、町村合併の直接の産物ではありませんが。
明治時代に合併で大量に生まれた「合成村名」ですが、その後の100年間に更なる合併を経て、そのまま「地名」として定着できないものが多いように思われます。地名表示としてではなく、学校などの公共施設名として残ったものも多いようですが。
これに対して、前記内務大臣訓令の第2文によって大字になった江戸時代からの旧村名は、都市部でも引き続き現在の町名として存続しているものが多いようです。
このことは、東京の合成村名に関する3回連続の記事の最後
[35860]に書きました。
さて、「合成地名」コレクションに戻って、埼玉県の過去村名を改めて拝見。
最近追加された北足立郡「植水村」のもとの地名に「水半土」がありますが、「水判土」(みずはた)です。
上福岡から大宮に向い、治水橋(「じすいばし」と濁って読みます)の 2kmもある河川敷を通過すると二ツ宮・水判土を経て、新大宮バイパスから先は大宮の市街地になります。「二ツ宮」も新たに収録された合成村名「馬宮村」の成分です。
修正ついでに、入間郡「富岡村」のもとの地名「北岩岡」も合成で、2行上に既に収録されていますから、備考欄に案内を入れてください。
なお、東京都に収録されている「榑橋(くれはし)村」は、存在した当時は埼玉県新座郡の村名でした。関連記事
[4111][36159]。
もとの地名・小榑と橋戸は、難読の「榑」にもかかわらず、東京府になってからも大泉村の大字として使われ続けましたが、「榑橋」は 地名として定着することなく、消滅したと思われます。
橋戸には、昭和になってから、コクドの前身・箱根土地が、学園のない「大泉学園都市」を開発しました。
下記の3件は、字面からすると合成地名の可能性があると思われたのですが、「埼玉県市町村合併史」(1960)を見たら、「合成地名もどき」だったようです。“ガ成地名の沼”に沈めることにしましょう。
北足立郡新郷村(しんごう)新堀、東本郷 現・川口市【東本郷から1字を採り新たに1村を造成】
入間郡山田村(やまだ)寺山、福田,石田 現・川越市【歴史的に著名な庄名】
南埼玉郡川柳村(かわやなぎ)柿ノ木・伊原の発音と南青柳 現・草加市と越谷市【特別の理由はなかった?】
このようなガセネタを排除しながら、合成地名を収集されている yamadaさんご苦労様。
最後に真正の「合成地名」を一つ。
大里郡大幡村(おおはた) もとの地名・大里郡、幡羅郡 現・熊谷市
「埼玉県市町村合併史」にも、“大里、幡羅の両郡各二ヶ村を以って合併”との上申があった旨の記載があります。