[4848]夜鳴き寿司屋さん
釧路市と釧路町のケースですが(中略)当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離して、それが現在の「釧路市」と「釧路町」になったそうです。
[4867]ゆうさん
市街化していない地域を「区」から切り離すための分離だったという内容の文献を、(中略)読んだ記憶があります。
しばらく釧路方面の話を、拙稿
[12542]、
[12717]にて続けましたが、補遺編ということで。たぶん、これで終わりになると思いますけど。釧路史を調べていく中で、いろいろと、私が興味深いと感じ、ご紹介したくなったものですから。
北海道では、1879年に札幌と函館に区制が施行され、それぞれ札幌区、函館区になりました。その後、1899年に小樽区、1914年に旭川区、1918年に室蘭区、1920年7月1日に釧路区が誕生しています。釧路での区制施行は、先述の6区が1922年に市制施行した中では、最も遅かったのです。第1回の国勢調査が1920年(10月1日現在)に実施されていますから、いかにも、駈込んで区制を施行したのだなぁ、という印象を、私は持ちました。
区になるためには、ゆうさんもふれられていますが、人口が集中する市街地の割合が大きいことが条件であり、釧路は当時から面積が大きかったために、要件を満たしていなかったそうです。それでも、なんとか「区」になりたかった旧釧路町(現釧路市)は、人口が少なく面積が広い地域を分離することで、市街地の比率を増し、釧路区の実現を果たそうとしたのでした。
旧釧路町としては、釧路川より東の山間部の別保地区だけを分村しようとしたものの、住民は、当時は湿原だった雪裡太(せちりぶと)地区も含めることを要求し、旧町側もいろいろと検討した結果、2地区を分村したとありました。現在の姿は、釧路市愛国地区と隣接する雪裡太地区が、住宅、商業地域として発展したために、現釧路町が2万を超える人口を有する町となったのも、雪裡太地区があるおかげと言えましょう。
釧路市としては、この雪裡太地区を譲り渡したことが、後になって悔やまれることとなり、現釧路町ともどもお互いに、いろいろな思いをもつところ、となったそうです。釧路史によると、分村が、旧釧路町役場と北海道庁との間で非公式に進められた秘策だったため、表に出るや地区住民が猛反発して大問題となり、道庁が仲裁に入って解決に至った、そうです。
ところで、夜鳴き寿司屋さん、ゆうさんがふれられているとおり、分離「された」地区は旧釧路村となり、現在の釧路町になったわけですが、釧路町の公式HPには、
「1920年(大正9年)
釧路町(現釧路市)に区制が施行されるため、11万円の年賦助成金を受けて釧路村が分村独立する。」
と載っていますから、これまた正直なHPだなぁ、としみじみ思いました。「ゼニをもろたから、しゃあないけど分かれたってん」と言うてるように、私には見えてしまいました。調べて書き込むときは公式HPを必ず見ているのですが、南陽市のHPではありませんけれど、ときどきこのような記述があるから、調べるかいもあるというものです。
なお、分離された釧路村は、1955年に、沿岸部の昆布森村と合併して新・釧路村となり、1980年には町制が施行され、現在の釧路町になりました。
このような経緯があったため、釧路町は、今まで何度となく釧路市との合併話があっても、拒み続けてきたようです。でも、こうした歴史にこだわる町民も少なくなったことから、合併に応じたらどうか、との意見もあるそうです。とはいえ、釧釧合併(釧路市・釧路町合併協議会)が、より広域の釧路地域6市町村合併協議会(釧路市、釧路町、阿寒町、鶴居村、白糠町、音別村)になってしまいましたから、どうなることでしょうね。
そう言えば、昨日の釧路在住友人からのメールでは「本日の視界300m。朝の全道の天気をみると、札幌、旭川は快晴で、室蘭は霧でした。苫小牧も室蘭も、この時期はキリが多かったっけかね。」とありました。私が苫小牧に赴任したときに、「三丁目えぇ、苫小牧ってのはなぁ。春、霧、秋、冬と、夏はないんだぁ。」と言われたのを思い出しました。そういえば、夏に晴れてて良い天気だなぁ、と思っていると、昼過ぎにみるみる霧が出てくることが、結構ありました。
4月に霧が発生しやすかったかどうか、記憶が定かではありませんが、黒潮と親潮がぶつかる潮境だから、霧が発生しやすい、と誰かに教わりました。潮境だから魚が豊富で、三陸海岸から北海道太平洋岸にかけては、漁業が盛んなのだと聞きました。これは耳学問ですので、申し訳ありませんが、文献での確認はしていません。少なくとも、体験的に知っているのは、北海道の太平洋側では、よく霧が発生するということです。三陸海岸から北側全般の太平洋沿岸では、霧が発生しやすいのですか?あまり、東北地方の気候がよくわからないものですから。夏に「やませ」が吹くと、農作物に被害が出るとは聞きましたが。
[12876]uttさん
根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
[12891]拙稿
スイマセン、自分では確認しておりません。
友人からの情報だったので、出典を聞いてしまいました。以下は、友人が記述してくれた文章の、引用です。
台地の定義を、平野でも山地でもない中間で、海抜数十メートルの比較的平坦な地域、とするならば、根釧台地の西端は、釧路湿原に面する別保、細岡、茅沼、多和平までになるでしょう。湿原から見ると、崖状に高く、高い部分も平に見えます。
それじゃ、釧路市東部の丘陵地も含まれるか、となると、それは違うと思われる記述が、釧路史の資料にありました。
釧路東部丘陵は、米町から緑ヶ岡までの丘と、桜ヶ岡から武佐までの丘と、桂恋から高山、別保に続く丘陵との3段階に高くなっており、前の2丘は地質的に新しく、かつては海岸や海底だった履歴があるとのこと。
つまり地質的に、根釧台地から一連なのは、桂恋、高山、別保までのようです。