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なぜ「釧路市」の隣に「釧路町」があるのか?

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記事数=14件/登録日:2003年6月27日/編集者:YSK

北海道道東の中心都市の1つである釧路市ですが、その東隣には、「釧路郡釧路町」という同じ「釧路」を名乗る別の自治体が存在します。その経緯はどういったものなのでしょうか?また、両市町の合併問題はどういった方向へ進もうとしているのでしょうか?

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[933]2002年2月19日
なお
[4848]2002年11月13日
夜鳴き寿司屋
[4867]2002年11月14日
ゆう
[10135]2003年3月1日
YSK
[11974]2003年3月27日
ペーロケ
[12542]2003年4月6日
三丁目
[13312]2003年4月16日
三丁目
[16679]2003年6月12日
三丁目
[17234]2003年6月23日
三丁目
[17244]2003年6月23日
NS
[17280]2003年6月24日
三丁目
[17284]2003年6月24日
NS
[17286]2003年6月24日
地理好きのケン
[17288]2003年6月24日
NS

[933] 2002年 2月 19日(火)22:00:37なお[KN] さん
少し疑問
釧路市・釧路町合併協議会ができるみたいなのですが、もともとは、釧路市は
釧路町も含まれていました。しかし、釧路町と釧路市に分離したそうです。
それで、分離の意味がないと思うのですけど・・
[4848] 2002年 11月 13日(水)12:23:43夜鳴き寿司屋 さん
同名の市町村名
[4653] 千葉市民 さん
 釧路市と釧路町
>同名の市名は認められないのに、「市」と「町」ならたとえ隣同士でも何も問題がないのでしょうか?
>現地では同名ということで混乱はないんでしょうかねえ?
>そういえば青森県には横浜町がありますね。あれほど離れていれば混乱はないとは思いますが

 5日前のレスですが、ずいぶん番号が進んでしまいましたですね。それはさておき同じ県内の同じ町村名ならば、群馬県の東村(勢多郡と吾妻郡)、兵庫県の一宮町(津名郡と宍粟郡)、広島県の三和町(神石郡と双三郡、ただし前者は「さんわ」後者は「みわ」と呼称)などがあり、釧路市と釧路町のように隣り合っていないですが広島県の府中市と安芸郡府中町、岡山県の川上郡川上町と真庭郡川上村などがあります。また同音同字の市町村名は全国各地に多くあり「池田町サミット」(北海道や徳島県)などといったイベントがあるぐらいです。

 釧路市と釧路町のケースですが釧路市のホームページによると1920年に当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離して、それが現在の「釧路市」と「釧路町」になったそうです。
http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/shishi/nennhyou/nenhyou.html

 元々は、ひとつの行政単位だったわけで、2つに分離させた時点で「区」と「村」と異なる行政組織だったので、隣接していても同じ名前でも構わないとされたのだと思います。どうして別々の名称にしなかったかは謎です。まあ「釧路市」と「東釧路町」なんて付けられたらクレームもあったと思いますが。

 また戦前の日本では同じ名称の市名の前例があり、福岡県若松市(現北九州市若松区)と福島県若松市(現会津若松市)が1914年から1954年まで並立しておりました。
 町村名は最初期には同名の町村名が多くありましたが、現在でも町村レベルでは新しく呼称を決める場合でも同一の名称は認められているようで、現在では町村合併で殆ど消滅し現在では山梨県と秋田県にありますが、かつては「昭和町」という町政施行当時の元号を用いた自治体が東京都や岡山県などにありました。「昭和村」も福島県と群馬県に現存しております。

 もっとも同字同音の市名が現在でも存在しないわけでなく、広島県と東京都に「府中市」がありますが、市制施行したのが広島県府中市が1954年3月31日で、東京都府中市が1954年4月1日と1日ちがいです。これは両方とも市制準備をしていた際に、調整が不調におわり、片方の市に先んじて市制しようと競争して届けたためといわれ、現在でも同じ市名を使用していることは、このホームページの「市町村雑学」に記載されています。

http://uub.jp/index.html#zat



 同じ自治体名で地元では混乱ないかとの事ですが、住んでいる住民にとって一番問題になるのは貨物の配送だとおもいます。実際に広島県内でも「府中市」と「府中町」を取り違えて送られたという話はよく聞きます。また同音同字の町村名が存在する事が知られていない場合、訪問しようとして目的地じゃない方に行く可能性があると思います。横浜市と横浜町の場合は片方の知名度が高いため混乱が起きないと思いますが、群馬県の2つの東村の場合は「まぎわらしい」とされると思います。
[4867] 2002年 11月 14日(木)00:07:21ゆう さん
釧路・釧路
[4848]夜鳴き寿司屋さん
>1920年に当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離
市街化していない地域を「区」から切り離すための分離だったという内容の文献を、どこでだったか忘れたのですが読んだ記憶があります。
この分離は現行の法令には因らないのは注意せねばなりませんが、過去ログ3800番台にある静岡市北部の分離論が思い出されます。
[10135] 2003年 3月 1日(土)22:19:17YSK さん
はじめまして!
[10133]おとのさん
はじめまして。YSKと申します。
ここでは、アーカイブズ編集もやらせていただいております。

[10115]では、何か北海道の方の発言を煽ってしまった感じで、たいへん失礼いたしました。
これからも、よろしくお願いいたします。

北海道には北海道の事情があるのです。内地のものさしで勝手に「だめ」なんて言わないで下さい。
釧釧合併のほうは、周囲の鶴居などを巻き込んで、もっと広い釧路市を作ろうとしています。
そうですね。私も、どちらかといいますと、おとのさん の感覚に近い思いです。
釧路市・釧路町の合併協議からスタートした合併に関する話し合いが、その後ご指摘の鶴居村や阿寒町、白糠町、音別町をも含めた枠組みに発展したのを最初に見たときは、私も「広すぎるのでは」と思いましたが、北海道を旅して、その地域スケールを体感するにあたり、北海道の事情があるのだろうなという考えになりつつありますね。

基本的には、各自治体がその存立のためにさまざまな選択肢を模索し、それらを比較検討するというのは、あっていいことだと思っています。火のないところには煙は立たないわけで、広域な合併論議が検討される地域は、そういったことが起こるだけの素地が少なからずあると判断したいですね。

その検討の結果、その枠組みがふさわしくないという結論になれば、そのときに初めて別の枠組みを検討すればいいのです。広域の合併を模索した飛騨地域は、検討の結果協議会を解散するという選択を行って、よりローカルな地域単位での合併協議が進んでいますよね。

これからも、北海道から、ホットな話題を提供してくださいね。
釧路は、高校生時分、ちょうど おとのさん と同じくらいの年のころに、北海道をはじめて旅行した際、いったところですね。夏の釧路湿原の雄大さに感動したものです(2日間いましたが、1日目は濃霧の中、2日目は快晴の空の下、どちらも夏の道東らしい風景でした)。その後も、釧路は2度ほど訪れております。
[11974] 2003年 3月 27日(木)21:38:14【1】ペーロケ[utt] さん
~条~丁目の不適用条件
[11968]三丁目さま
つまらない反応をして、スイマセン。
いえいえ、こちらこそ、書き方まずかったですね。
「北海道では、多くの都市の都市部では・・・」とすべきでした。
もちろん、北海道の全ての都市が「~条~丁目」表記をするとは限らないことは存じております。

でも、三丁目さまの意見を見て、改めて気づかされました。
傾斜の急な土地が多かったため、条里制を採用できなかったのではないかと、
言われて見れば。。。確かにそうですね。
[10368]では、港町のほうが歴史があるから~って安易な考察をしてましたが(^^;;

あと、北見市って中心部の狭い範囲だけ「~条~丁目」表記なのですね。
比較的駅に近いものの、その範囲外に住む友人がいるので、
北見市は内陸の農業都市なのに、そのような表記をしない都市かと思っていました。
しかし、北見市っていろんな謎が多いですね。
なぜ北見市中心部は斜めに作られたのだろうでしょうか??
石北線の市街地アンダーパスが地下鉄(?)っぽいですね。
あと、北見市は網走支庁の中心に位置しており、圧倒的に人口も多いのに、
なぜ網走に支庁が設置されたのでしょうか??
おかげで、網走監獄のイメージが強すぎ、相対的に北見市の知名度はかなり低くなっていますね。

釧路は、よくわかりません。
釧路市は、明治時代、釧路川(ちょっと前まで旧釧路川と言われていたほう)
の南側の丘陵地付近に街(というか町?)があり、
釧路川の北側は湿原の泥炭地帯が広がっていたそうで、住むのには適さなかったようです。
鉄道開通をきっかけに、ようやく北側も区画整理され、人が住むようになったらしいですが、
それでも今よりもっと港寄りに駅があり、今の釧路駅周辺は何もない原野だったそうで、
漁業と炭鉱のおかげか、相変わらず南側の丘陵地帯が街の中心だったようです。
今でこそ、市街地も北側の平地の方に拡大し、
炭鉱・漁業の衰退によって南大通りが寂れて、相対的に北側が中心街になっていますが。。。
そのような事情がある釧路市も、三丁目さまの「傾斜地条里制不適用説」は見事に当てはまります。

uttさんも、北海道にお住まいになってたと記憶してますから、
はい、1年間だけ、札幌に住んでました。
[12542] 2003年 4月 6日(日)08:21:56三丁目 さん
釧路市
釧路市の市内観光といえば、有名どころはMOO(釧路フィッシャーマンズワーフ)、幣舞橋、春採湖等かとは思いますが、釧路湿原、阿寒湖、川湯、摩周湖といった道東観光地への入口の拠点市という位置付けもできるかな、と。

まずは、釧路方面の情報から。社会科で習ったのは「根釧」台地として、記憶にある音は「コンセン」ですが、地元では「センコン」と言うそうです。例えば新聞の「釧根版」などです。根室県が置かれたくらい、根室という地名にも由緒がありますが、市制施行は根室市に比べると、釧路市が道内最古参市の1つであることなど釧路市の方が大きく発展したことなどから、釧を先につけるのかな、と思いました。

それと、釧路では吐瀉物が道端で凍っていると聞いたことがあり、私自身は見たことがなかったので、釧路在住5年目の友人に聞いてみました。それは事実あるそうで、友人は危うく踏んで滑るところだったとのことです。雪が少なく、冷たく乾燥した風が吹きすさぶため、フリーズドライされるのでしょうね。端的に土地柄を表現すると、このような、お上品でない言葉になってしまうのでしょうか。

私が調べた情報源の1つを明かしますが、コンパクトにまとめた下記HPを見つけましたから、宜しければ、そちらもご参照なさってください。
http://www.kuhcci.or.jp/as_for_us/city.htm

それで、かなりの遅レスですが、調べるのに時間がかかったものですから。

[11974]uttさん
釧路川の北側は湿原の泥炭地帯が広がっていたそうで、住むのには適さなかったようです。
鉄道開通をきっかけに、ようやく北側も区画整理され、人が住むようになったらしいですが、
それでも今よりもっと港寄りに駅があり、今の釧路駅周辺は何もない原野だったそうで、
漁業と炭鉱のおかげか、相変わらず南側の丘陵地帯が街の中心だったようです。

このお話は、きっと友人は何か言いたくなるだろうと思い、聞いてみたら、案の定、返事が返ってきました。私自身も地図を見、釧路市史等を調べたのと、しばらく友人とメール交換しましたから、それらを併せ、ご紹介いたします。まったく、なぜ友人が自分で書きこまないのか不思議なのですが。。。通常、私は読点に「,」は使わないのですが、以下は友人の文章の方が多いので、トーンを合わせるために、今回はカンマにします。

ということで。

釧路の開拓が釧路川南岸の丘陵地から始まり,その地域から発展していったことは間違いないのですが,釧路駅付近が鉄道開通後も原野だった,というのは歴史的に誤解があると思います。

鉄道開通前の明治期から,釧路川北岸にも入植が進んでおり,今の釧路駅周辺より西の地域は鳥取村といい,農業集落が点在していました。名前のとおり鳥取地域からの入植者が多かったところです。釧路市と1949年に対等合併する前は,鳥取町でした。

根室本線が釧路まで開通し,終着駅だった当時は,釧路川北岸はまだ市街地ではなく,南岸市街地への利便のため,今の釧路駅よりも釧路川側に駅がありました。その後,鉄道が根室方面へ延伸するにあたり,釧路駅は現在位置に移され,旧釧路駅は貨物駅となりました。これは遅くとも大正期の頃と思われます。これ以降,釧路駅前から釧路川までの北大通りの市街地化が進み,昭和初期には,多くの商店が立ち並ぶ商業地域に発展していました。

南北市街地間を結ぶ幣舞橋が明治期からあって,その往来が盛んだったことからも,2市街地が両立発展してきたのが,1960年代頃までの釧路の歴史だと考えられます。つまり,南岸地域は漁業と炭鉱という古くからの基幹産業によって栄えた地域であり,北岸地域は陸上交通と第3次産業を中心に栄えた地域であって,南大通りと北大通りはそれぞれの中心市街地だったと言えます。

南地区の方が市の中心と考えられたのは,1960年代までは幣舞橋の南,つまり南大通の北端に官庁街があった(釧路支庁,財務事務所は今もそこにあります)ためで,そこから両方向に市街地が発展していたと言えます。ちなみに,市役所が現在のきた北地区に移転したのは,1965年のことで,それ以前は官庁街を形成したうちの1つでした。

1970年代後半から,漁業と炭鉱の衰退によって,南地区の人口が減少したことと,新しい築港と工業地域が西地区に伸びていったことから,北大通りを中心に新しいビル街が発展したため,南大通りのかつての繁栄は見る影もなくなりました。これが現在の釧路の南北市街地の姿です。しかし,その北大通りも今や,郊外型スーパーにお客を取られ,テナントがなくシャッターの閉まったビルが増えて,ドーナツ化による衰退の途をたどっているようです。

なお,北大通り周辺地区は,平地で計画的に区画化されたらしく,ほぼ碁盤の目の区画で,条・丁目制としてもよいような街区です。具体的には,西から順に,幸町,黒金町,末広町,栄町などの南北に細長い住所区画が横一列に並び,東西に同じ丁目が仕切られています。つまり,町の名前を~条にあてはめれば,条・丁目制だと言えます。逆に,南岸の丘陵地帯は,細い道が曲がりくねり,北とは対照的な
街区です。(オシマイ)
[13312] 2003年 4月 16日(水)22:39:19【4】三丁目 さん
釧路、補遺編
[4848]夜鳴き寿司屋さん
釧路市と釧路町のケースですが(中略)当時の釧路郡釧路町が北海道区制が施行された際に「釧路区」と「釧路村」に分離して、それが現在の「釧路市」と「釧路町」になったそうです。

[4867]ゆうさん
市街化していない地域を「区」から切り離すための分離だったという内容の文献を、(中略)読んだ記憶があります。

しばらく釧路方面の話を、拙稿[12542][12717]にて続けましたが、補遺編ということで。たぶん、これで終わりになると思いますけど。釧路史を調べていく中で、いろいろと、私が興味深いと感じ、ご紹介したくなったものですから。

北海道では、1879年に札幌と函館に区制が施行され、それぞれ札幌区、函館区になりました。その後、1899年に小樽区、1914年に旭川区、1918年に室蘭区、1920年7月1日に釧路区が誕生しています。釧路での区制施行は、先述の6区が1922年に市制施行した中では、最も遅かったのです。第1回の国勢調査が1920年(10月1日現在)に実施されていますから、いかにも、駈込んで区制を施行したのだなぁ、という印象を、私は持ちました。

区になるためには、ゆうさんもふれられていますが、人口が集中する市街地の割合が大きいことが条件であり、釧路は当時から面積が大きかったために、要件を満たしていなかったそうです。それでも、なんとか「区」になりたかった旧釧路町(現釧路市)は、人口が少なく面積が広い地域を分離することで、市街地の比率を増し、釧路区の実現を果たそうとしたのでした。

旧釧路町としては、釧路川より東の山間部の別保地区だけを分村しようとしたものの、住民は、当時は湿原だった雪裡太(せちりぶと)地区も含めることを要求し、旧町側もいろいろと検討した結果、2地区を分村したとありました。現在の姿は、釧路市愛国地区と隣接する雪裡太地区が、住宅、商業地域として発展したために、現釧路町が2万を超える人口を有する町となったのも、雪裡太地区があるおかげと言えましょう。

釧路市としては、この雪裡太地区を譲り渡したことが、後になって悔やまれることとなり、現釧路町ともどもお互いに、いろいろな思いをもつところ、となったそうです。釧路史によると、分村が、旧釧路町役場と北海道庁との間で非公式に進められた秘策だったため、表に出るや地区住民が猛反発して大問題となり、道庁が仲裁に入って解決に至った、そうです。

ところで、夜鳴き寿司屋さん、ゆうさんがふれられているとおり、分離「された」地区は旧釧路村となり、現在の釧路町になったわけですが、釧路町の公式HPには、
「1920年(大正9年)
 釧路町(現釧路市)に区制が施行されるため、11万円の年賦助成金を受けて釧路村が分村独立する。」
と載っていますから、これまた正直なHPだなぁ、としみじみ思いました。「ゼニをもろたから、しゃあないけど分かれたってん」と言うてるように、私には見えてしまいました。調べて書き込むときは公式HPを必ず見ているのですが、南陽市のHPではありませんけれど、ときどきこのような記述があるから、調べるかいもあるというものです。

なお、分離された釧路村は、1955年に、沿岸部の昆布森村と合併して新・釧路村となり、1980年には町制が施行され、現在の釧路町になりました。

このような経緯があったため、釧路町は、今まで何度となく釧路市との合併話があっても、拒み続けてきたようです。でも、こうした歴史にこだわる町民も少なくなったことから、合併に応じたらどうか、との意見もあるそうです。とはいえ、釧釧合併(釧路市・釧路町合併協議会)が、より広域の釧路地域6市町村合併協議会(釧路市、釧路町、阿寒町、鶴居村、白糠町、音別村)になってしまいましたから、どうなることでしょうね。

そう言えば、昨日の釧路在住友人からのメールでは「本日の視界300m。朝の全道の天気をみると、札幌、旭川は快晴で、室蘭は霧でした。苫小牧も室蘭も、この時期はキリが多かったっけかね。」とありました。私が苫小牧に赴任したときに、「三丁目えぇ、苫小牧ってのはなぁ。春、霧、秋、冬と、夏はないんだぁ。」と言われたのを思い出しました。そういえば、夏に晴れてて良い天気だなぁ、と思っていると、昼過ぎにみるみる霧が出てくることが、結構ありました。

4月に霧が発生しやすかったかどうか、記憶が定かではありませんが、黒潮と親潮がぶつかる潮境だから、霧が発生しやすい、と誰かに教わりました。潮境だから魚が豊富で、三陸海岸から北海道太平洋岸にかけては、漁業が盛んなのだと聞きました。これは耳学問ですので、申し訳ありませんが、文献での確認はしていません。少なくとも、体験的に知っているのは、北海道の太平洋側では、よく霧が発生するということです。三陸海岸から北側全般の太平洋沿岸では、霧が発生しやすいのですか?あまり、東北地方の気候がよくわからないものですから。夏に「やませ」が吹くと、農作物に被害が出るとは聞きましたが。

[12876]uttさん
根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
[12891]拙稿
スイマセン、自分では確認しておりません。
友人からの情報だったので、出典を聞いてしまいました。以下は、友人が記述してくれた文章の、引用です。

台地の定義を、平野でも山地でもない中間で、海抜数十メートルの比較的平坦な地域、とするならば、根釧台地の西端は、釧路湿原に面する別保、細岡、茅沼、多和平までになるでしょう。湿原から見ると、崖状に高く、高い部分も平に見えます。

それじゃ、釧路市東部の丘陵地も含まれるか、となると、それは違うと思われる記述が、釧路史の資料にありました。
釧路東部丘陵は、米町から緑ヶ岡までの丘と、桜ヶ岡から武佐までの丘と、桂恋から高山、別保に続く丘陵との3段階に高くなっており、前の2丘は地質的に新しく、かつては海岸や海底だった履歴があるとのこと。
つまり地質的に、根釧台地から一連なのは、桂恋、高山、別保までのようです。
[16679] 2003年 6月 12日(木)20:08:01【1】三丁目 さん
勝手な推測を、カッコ悪く訂正します。
拙稿[14715]
土地に執着する傾向が強い、日本人の心情を考えると、たとえ釧路集落の方が大きかったとしても、根室の名前を前面に出すことで、根室地元民の、北方警備へのプライドを高めたのかしら、とも思いましたが。これは、完全に私の推測です。
一応、推測とお断りしましたが、訂正いたします。(アーカイブテーマに採用されてるから、恥ずかしいなぁ)

江戸時代後期のネモロ(根室)とクスリ(釧路)は同格だったかもしれませんが、明治前期は根室の方が発展しており、釧路は遅れていたようです。戸長役場は最初に根室と厚岸に置かれ、釧路は旧国名でありながら、根室、厚岸よりも小さい集落でした。1885年(明治18年)に郡役所が釧路に設置されたことが、釧路の発展の一大契機となったように、釧路史には書かれていました。それまでは、厚岸にも劣る寒村だったそうです。

ということで、[12033]uttさんの
根室支庁は南端の根室市にあるのは、一時期、根室県が設置されたこともあり、当時は根室が他を圧倒するほどの、道東の拠点だった名残りなのかなって推察されますね。
ご明察のとおり、です。
[17234] 2003年 6月 23日(月)15:23:04【1】三丁目 さん
釧路♪くしろ♪
[16502]utt さん
個人的には釧路市と釧路町あたりの表記の仕方が気になります(笑)

[16507]でるでるさん
私も気になります(笑)。

[17121]般若堂そんぴんさん
釧路市と釧路町の場合も,案内板はどうなっているか,近隣の自治体ではこの二つの釧路をどのように呼び分けているのか,気になりますね.

[17141]NSさん
・基本的には「↑釧路」といえば釧路市を示す
・釧路町内の地域を表示したいときには「←遠矢(とおや)」「↑別保(べっぽ)」「→昆布森(こんぶもり)」「←仙鳳趾(せんぽうし)」等、町内でも一定以上の人口を持つ主要集落名を示す(今一つ自信なし)。
この件は、我が地理アドバイザー(釧路在住5年目)に確認しました。ちょっと遅かったのですが、下記の通りだそうです。

一般に、「釧路」とだけ言えば、釧路市のことを言うか、または、釧路市と釧路町を合わせた地域のことを言います。
自治体として区別する場合は、単純に、釧路シ、釧路チョウと呼び分けるだけのことで、特段不便も不思議もないのではと。

また、出身を尋ねられて「釧路市」、「釧路町」と殊更に言う人は滅多におらず、「釧路から来ました」とだけ言います。
地域としては同じ釧路ですから、広義にまとめることに関しては、なんの抵抗もありません。
釧路の何処ですか?と聞かれれば、「あ、釧路町の別保です」などと答えるまでのことです。

釧路市にも釧路町にも、釧路という地点名は存在せず、地名を言う場合には、釧路市黒金町、釧路町別保などと呼ぶので、釧路町の何処かへの道路標識も、別保、遠矢、昆布森などの集落名になります。

国道などの標識で、「釧路 ○○km」とあれば、それは釧路の中心地である釧路駅前か、国道38号と44号との分岐点(北大通十字街)か、どちらかを起点にしているでしょう。これに対して釧路町民はケチをつけることもないです。事実として逆らいようがないですからね。
[17244] 2003年 6月 23日(月)20:45:08NS さん
釧路地区の合併
[17241]uttさん
[17242]三丁目さん
釧路市と釧路町の合併
 広域合併協議会ができた釧路地区6市町村の中では最も結びつきが強いとされる両市町ですが、釧路町については、[13312]三丁目さん他により述べられてきた複雑な歴史的経緯、さらには
 雪裡太地区→「釧路市と一体化している地域」
 昆布盛・仙鳳趾(せんぽうし)地区など→「釧路市街地から遠く離れ不便な地区」
など、各地区における大きな様相の差異により、
かねてから経緯を申し上げているように、一筋縄ではいきませぬ
というのが実情でしょう。

 合併については、歴史的な経緯もさることながら、釧路市との合併を望む声が根強くあるとされる雪裡太地区においても「人口が増加し順調な発展を遂げている中で人口減が続く釧路市に吸収されては釧路町の活力が失われる」という反対論が少なからずあります。また、昆布盛・仙鳳趾などの各地区においても、大都市との合併により地区の一層の過疎化を不安視する見方が根強くある一方で、釧路市街地などと比べて遅れている社会基盤整備の進展を期待する向きがあるのも事実ですね。

 両市町間においては、昨年の釧路町長選で釧釧合併慎重派の現職と合併推進派の新人が真っ向から争った結果、現職が勝ち、推進派の新人の応援のために露骨に介入した前釧路市長が公職選挙法違反で逮捕され辞職するという事件も起こりました。
釧路町は、自町のせいではなくて、合併がうまくいかなかったというストーリーをつくろうとしているように、「私には」思えてなりませぬ。
 基本的に釧釧合併慎重派の釧路町長とすれば、合併せずともそれなりの発展が見込めるだけに、何とか他町村を巻き込んで釧路市主導の合併協議に対抗し、あわよくば「時間切れ→合併構想消滅」というのを狙っているのは間違いないでしょう。
 私見としては、「6市町村合併はあまりに広過ぎて論外」かつ「釧路市主導の合併協議に対する釧路町側の不安にも説得力あり」と感じますし、実際問題、釧路市としてもなかなか動きにくい難しいところではないか?と思いますね。

P.S.
 三丁目さんの地理アドバイザーさん(釧路在住)が合併問題についてどのように考えておられるのか、聞いてみたい気もします・・・。
[17280] 2003年 6月 24日(火)16:20:47三丁目 さん
釧・釧。NSさんへ(我が地理アドバイザーから)
[17244]NSさん
三丁目さんの地理アドバイザーさん(釧路在住)が合併問題についてどのように考えておられるのか、聞いてみたい
A4で1枚くらいの量かと思いきや、私(三丁目)の予想を超えた分量が、到着しました。ということで、以下は、本人とやり取りして了解を得、落書き帳向けに一部修正した、代理書込みです。

まずは,私(地理アドバイザー、以下の「私」はアドバイザー氏の一人称です。)は釧路市民なので,釧路町民の意見や感情は代弁できず,あくまで報道などによる感触に過ぎないことをお断りしておきます。

現在進められている広域合併協議になる前の,釧釧(センセン)合併は,2年前に市・町の住民による署名活動によって合併協議会が設置されたことに始まっています。もっとも,署名の依頼元が市役所の筋から来ていることは明白でしたが,それはともかく,多数の釧路市民と釧路町民が,合併推進に賛同したことによって,合併協議が始まったわけで,決して市長や市役所のゴリ押しや,無理強いで進められたのではありません。

ご指摘のとおり,釧路市と地続きの雪裡太地区は,釧路市への通勤者が多い新興住宅地であることから,歴史的な経緯など知らない(知っても気にしない)人が多いため,「合併してもいいんでないかい」みたいな考えが強いようです。この地区の人口が釧路町の約6割を占めるために,署名も多く集まったわけです。

また釧路市民としては,雪裡太地区には旧サティを中核とする釧路最大のショッピングセンターがあり,日常的に往来するものの,途中に市町境界があることなど,別に意識しないことでした。

しかし,それを意識させる大きな出来事が,4年前の地域振興券でした。釧路市の振興券が,釧路サティでは使えない!ことがお茶の間の大問題となり,合併問題を俄然身近な問題に浮上させることになったのです。
その後,合併特例法で市町村合併の動きが高まり,20万都市に復活したい釧路市役所にとって,この騒ぎは渡りに舟で,「やっぱりサティは釧路市にあった方がいいでしょ?」と,市民に合併を問いかけたようなもので,これに多くの市民が賛成署名で応じたのだと考えられています。

釧路町民には,歴史的経緯にこだわる人もいる一方で,「そんな昔のこと・・・」と意に介しない人が多いのも確かで,当初はすんなり和解して合併に進んでいくかのように思われました。

しかし,町長はじめ町議などの有力者は,大半が雪裡太以外の農村部の代表者であり,合併すれば自らの地位が失われることは必至でした。役場職員も同じく,合併後の組織統廃合による人員削減等に対する危機感など,住民の意思をさて置き,釧路町の慎重な態度によって協議会は停滞したため,業を煮やした前市長が町長選挙に介入してしまったのです。

その後,2市町の合併協議から6市町村の広域合併協議に移ってからは,他の市町村合併と同じく,過疎と高齢化で財政が破綻しそうな町村の救済のための合併か,広域行政によって地域の埋没,独自性の喪失を危惧しての現状維持か,の定番の議論になっています。

構図としては,
「財政が破綻するから,釧路市に入れてちょうだい」の4町村
「別に合併なんかしなくてもいいんだけどさ」の釧路町
「そこをなんとかお願いしますよ」の釧路市
てな感じで,一番鍵を握っているはずの釧路町が斜に構えてしまっているために,協議は大詰めに差しかかる手前で停まっている状態です。私がシャレてみるには,釧釧合併とは,合併センセン,の意味だったのではと。

最後に一市民としての私の意見ですが,救済合併は動機が消極的であり,釧路市だって産業が衰退し,過疎高齢化の問題は同類なので,合併によるメリットは何もないと思います。釧路町は,雪裡太地区があれば単独で生き残れると考えているようだし,地域振興券のようなことがなければ,境界を意識することはなく,市がへりくだってまで合併してもらわなくてもいいと考えます。

ちなみに,この6市町村はごみを釧路市の処分場で一括処分しており,4町村は単一の消防組合を運営していて,釧路市の火葬場と墓地が釧路町にあったり,雪裡地区の上下水道は釧路市に依存していたり,既に広域行政が行われています。住民サービスの充実,効率化という点では,もうこれで十分じゃないかと思われます。

結局のところ,釧路市の人口を増やすためだけの合併は,市民生活に何の利益もなく,合併なんかしなくてもいいんじゃないか,と思っています。
地理愛好家としては,面積で日本最大,という栄誉(?)に惹かれる気持ちもないではないのですが。
[17284] 2003年 6月 24日(火)17:55:50NS さん
釧路地域
[17280]三丁目さん(&地理アドバイザーさん)
丁寧なレス、いつもありがとうございます。

過疎と高齢化で財政が破綻しそうな町村
 白糠・音別・阿寒・鶴居の4町村のみならず、全国的に大きな問題であるのは確かですね。
 ただ、行政区域が広大な市町村が多い北海道においては、それを解決すべく合併したところで、その際のデメリットが道外他地域よりも大きく現れやすいところが問題を深刻化、複雑化させているといえますね。
(個人的には行政区域が極めて広大な自治体や離島部・急峻な山間部など、合併が困難なところに対して如何に自立を支援するかこそ国や都道府県の重要な責務と思えてなりませんし、だからこそそれに逆行するかのような官僚・政治家・有識者等の発言、さらにそれらの悪影響を受けている側面が否定できない「平成の大合併」の流れについても憤りを禁じ得ないところですが・・・)

救済合併は動機が消極的であり,釧路市だって産業が衰退し,過疎高齢化の問題は同類なので,合併によるメリットは何もない
 私自身はこの地域に住んだ事がなく、産業の衰退度や過疎高齢化度についてはメディア報道以上の情報を持ち得ていませんが、
既に広域行政が行われています。住民サービスの充実,効率化という点では,もうこれで十分じゃないかと思われます。
というのであれば、現行の市町村の枠組みを堅持した上で、一部事務組合や広域連合、もしくは道内各市町村から要望が出ている市町村連合などの緩やかな広域行政というのも大いに認められて然るべきと思います。
 総務省(旧自治省)は「責任の所在が曖昧」「政策決定に時間がかかる」等の理由を付けてこれらの形態には消極的ですが、私見としては、業務ごとに責任自治体を明確に分担することで解決すべき問題でしょうし、「政策決定までに時間がかかる」という問題についても、各自治体における独自性を維持しながら広域行政を進めるための必要最低限度のコストとして割り切るべきところかと感じています。
(参考:釧路地域6市町村合併協議会掲示板「みんなの意見箱」 http://www.kushiro-gappei.jp/yybbs/yybbs.cgi

面積で日本最大,という栄誉(?)に惹かれる気持ちもないではないのですが。
 町村部では全国第2位の広さを誇る別海町の場合、昭和期に至るまで「あまりに広過ぎる」という批判が市街地から遠く離れた地域を中心に絶えずあり、社会基盤整備も遅れがちでした。また、現在全国最大の面積を誇る足寄町にしても、旧国鉄(現・ふるさと銀河線)足寄駅周辺に広がった旧西足寄町市街地と旧足寄村市街地が利別川を挟んで隣接していたことが合併の大きな要因になったとはいえ、螺湾(らわん)・芽登(めとう)・大誉地(およち)地区などに広大な山林地帯を含む(これらの地区も最近は過疎高齢化が激しいですが・・・)だけに行政コスト面でかなりの負担なようですし。
 そう考えると、「日本最大」というのも知名度の面以外ではあまり大きなメリットとは言えないかも知れませんね(実際、北海道町村会では1000平方キロメートルを超える合併の押し付けに反対していますし)。
[17286] 2003年 6月 24日(火)18:13:31地理好きのケン さん
釧路地域の合併問題
釧路地域の合併問題ですが、釧路市と釧路町は合併したほうがいいですが、白糠町、音別町、阿寒町、鶴居村は合併しないほうがいいと思います。6市町村が合併するとそれぞれの中心地が衰退すると思います。阿寒町には阿寒湖がありますし、鶴居村には丹頂鶴の里がありますから合併しないほうが得です。釧路市と釧路町は一体化しているので合併したほうが活性化すると思います。
[17288] 2003年 6月 24日(火)19:14:15NS さん
地理好きのケンさんへ
[17286]地理好きのケンさん
実は釧釧合併法定協議会はまさにそのような考えの下で作られたんですよね・・・。
[17280]で三丁目さんが詳述していますが)

釧路市と釧路町は一体化
 といっても、やはり釧路市に隣接する雪裡太地区とそれ以外の地区とでは一体化の程度に大きな差がありますし、それこそ雪裡太地区以外では
[17280]
広域行政によって地域の埋没,独自性の喪失を危惧
という声が少なからずあるのもまた事実です。
 で、結局のところ、前釧路市長の逮捕を機に釧釧合併の気運は急速に萎み、3月26日に両市町の法定合併協議会は正式に解散してしまいました。そのような経緯を考えると、仮に6市町村合併が無くなった所で再び釧釧合併構想が復活するかどうかは極めて不透明でしょうね(釧路町役場が現在の別保地区から雪裡太地区にでも移るようなら話は別ですが、恐らく雪裡太地区以外の住民が猛反対するのでは?と個人的には思います)。

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