都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
スナフキんさんの記事が50件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[51452]2006年5月23日
スナフキん
[51339]2006年5月15日
スナフキん
[51292]2006年5月12日
スナフキん
[51018]2006年4月26日
スナフキん
[50823]2006年4月15日
スナフキん
[50649]2006年4月10日
スナフキん
[50639]2006年4月10日
スナフキん
[50519]2006年4月7日
スナフキん
[50483]2006年4月6日
スナフキん
[50445]2006年4月5日
スナフキん
[50420]2006年4月4日
スナフキん
[50127]2006年3月28日
スナフキん
[50108]2006年3月27日
スナフキん
[49823]2006年3月13日
スナフキん
[49725]2006年3月7日
スナフキん
[49530]2006年2月28日
スナフキん
[49208]2006年2月15日
スナフキん
[48875]2006年2月1日
スナフキん
[48781]2006年1月27日
スナフキん
[48692]2006年1月24日
スナフキん
[48501]2006年1月18日
スナフキん
[48313]2006年1月13日
スナフキん
[48252]2006年1月11日
スナフキん
[48229]2006年1月10日
スナフキん
[47996]2006年1月6日
スナフキん
[47783]2005年12月31日
スナフキん
[47523]2005年12月19日
スナフキん
[47348]2005年12月13日
スナフキん
[47329]2005年12月12日
スナフキん
[47259]2005年12月9日
スナフキん
[47172]2005年12月6日
スナフキん
[46960]2005年11月28日
スナフキん
[46812]2005年11月22日
スナフキん
[46778]2005年11月20日
スナフキん
[46666]2005年11月15日
スナフキん
[46549]2005年11月8日
スナフキん
[46521]2005年11月6日
スナフキん
[46462]2005年11月4日
スナフキん
[46415]2005年11月2日
スナフキん
[46075]2005年10月23日
スナフキん
[45930]2005年10月21日
スナフキん
[45919]2005年10月21日
スナフキん
[45820]2005年10月18日
スナフキん
[45596]2005年10月12日
スナフキん
[45579]2005年10月11日
スナフキん
[45484]2005年10月7日
スナフキん
[45288]2005年10月1日
スナフキん
[45262]2005年9月30日
スナフキん
[45258]2005年9月30日
スナフキん
[45226]2005年9月29日
スナフキん

[51452] 2006年 5月 23日(火)09:11:21スナフキん さん
やはりメガライナーは転用…
昨年8月に秋葉原~つくば間に首都圏新都市鉄道<つくばエクスプレス>が開業し、その後減便などの改定を経て去就が注目されていた常磐道高速バスつくば線の巨大車両「メガライナー」ですが、どうやら第二の人生が決定したようです。知り合いからの情報では、今月中にもつくば線からは撤退し、整備及び国土交通省の特認が下り次第、現在はダブルデッカーでの運行が定着した東京~大阪間の「青春ドリーム号」に回って席数を増加させる方針なのだとか。高速道路の走行はともかく、東京や大阪の一般道路の通過に問題はないのか、疑問が残りますが…。私が予想した「鹿島線転用説」はものの見事にひっくり返されました(大汗)。

それにしても、決して夜行バスとしては設備が恵まれているとは言いがたい「青春ドリーム号」、設定当初は定着するのか首をかしげていたものですがいつの間にか、2階建てバスを投入するほどに利用者が増えていたんですね。昨今は東京~大阪ですと航空運賃が叩かれ気味なところへ、新幹線も割引手段を増やすなど全般的に運賃が低廉化する傾向にあるようですが、そのさらに下を行く激安夜行バスがここまで支持されているとは…こんなところで景気って、本当に回復基調にあるんだろうかと疑問に思ってしまう今日この頃です。
[51339] 2006年 5月 15日(月)13:01:48スナフキん さん
ワラヂヤ地図のこと
ワラヂヤ、自己破産の時は「え~っ?」と思ったのですが、それも数年前の話なのですね。神戸オフの際にも、実はワラヂヤの「ザ・マップ京阪神」を持っていったのはワケアリのつもりでした(汗)。ワラヂヤの、特に市街図に関してはとにかく見やすくて、土地勘のない私のような人間が地図編集する際にはとっても役に立ちました。ただ、最後の最後までデジタル化に乗り遅れてしまったのがつまづきの大きな要因だったのかなという気がしています。手元にオフの時に持ち出した道路地図を広げて見ていますが、阪急の三国駅が改築中で、アナログ作業でもって苦しい手直しをしているのがよく分かります。線の形はちょっとイビツだけど、決して見易さを犠牲にしてはいないのです、やはりワラヂヤの消滅は惜しまれます。それにしても、漢字だと「和楽路屋」だったんですね、そんなに昔のことは知らなかったので(勤務先保有の地図はみんな「ワラヂヤ」って書いてあります)驚きました(←知らなさ過ぎ)。

[51318]ニジェガロージェッツさん
この地図の片隅には「(株)デジタルマップス」と社名が入っています。
この会社については存じておりませんでした。ワラヂヤの資産はそれなりの価値があったはずですが、前述のようにほとんどが「アナログ資産」だったはずで、それが「デジタル」と名のつく会社に移ったのかなぁ…(?)という妙な感じもするのですが。でも、すべてが失われてしまうよりは何らかの形でモノが生かされる方が断然いいので、完全消滅したのではないことを知って少しホッとします。ネットを詮索すると、どうもあるんだかないんだか、正体が不明の会社ではあるようです(苦笑)。

とにかく、ワラヂヤの市街図からは結構多くのことを教わった気がします。町別色分けの淡い感じや、町名を青文字にすることによってここまでおとなしい表現になるんだということ、郊外の段彩における色使いなど、参考になる点が多くありました。こういう表現を用いた道路地図をリリースしている会社、今はないような気がします。やっぱり惜しまれる存在だったように思いますね。
[51292] 2006年 5月 12日(金)13:44:54スナフキん さん
宮地岳線も高架になるのですね
[51290]かぱぷうさん
西鉄香椎駅もいよいよ高架になるのですね。去年の晩秋、九州新幹線の帰りに通りかかったら高架構造がすでにできており、高架になったものだと早とちりしてその後西鉄本社に問い合わせてしまったのを思い出しました。電話口では「来春には切り替えの予定です」と知らされたのですが、すっかり忘れたまま季節は移ろって春になってしまっていました(汗)。

その時でさえ、南福岡駅が大きく改築されていたり、箱崎がやはり高架になっていたり、香椎操車場跡地にどっかり高架構造の新駅が、西鉄と同居する形でできていたりと、ここ数年の変化に目を丸くしたものです。その前というと、2001年の池島炭鉱閉山の時に遡りますけど、この時は往復ともブルートレインだったので福岡県内は暗いまま通過してしまいました。だとすれば、ずいぶん前から九州はご無沙汰していたことになります…。いけませんね、西日本はどうしてもスパンが長くあいてしまう傾向が強いです。それが経県値にも如実に現れているのですが(汗)。

末端廃止の情報が取り沙汰される一方で、残存区間は近代化を進めるのですね…はたから見ているとやるせない感じです。でも、車両はさほど以前と変わっていないみたいですが(爆)。

ちなみに、わが社の地図はそれほど詳細な図を扱っていないので、高架になる分には(線路の位置が大ずれしたり駅が動いたりしない限り)それほど影響は大きくありません。しかし逆に地下になるとこれは大変。実線を破線に、スミのアミを落としてネズにしないといけないほか、地下駅は原則駅名記載をしないルールにしているので、駅名は撤去することに。いま作成中の訂正用冊子には、東急目黒線がダウングレードするような指示書きをする羽目になってしまいました。個人的には何とかしたいのですが…。
[51018] 2006年 4月 26日(水)09:26:46【1】スナフキん さん
ちょっと違うけど面白いバス
先日、広島プチオフに私が参加したときと同様に日中12時間をバスに揺られる愚行を実行した知り合いが、ちょっと面白いバスの話をしていました。

彼はマツダミュージアムの見学ツアーに参加したらしいのですが、広大な工場敷地内で集合場所とされたのはJRの向洋駅近く。ところがミュージアム自体は宇品の方にあるため、集合場所からバス便乗になったそうです。このバス、何と工場内で従業員輸送用に使われているバスそのものだったとか。さすがに従業員輸送との混用はしていなかったとのことですが、随所にしっかりバス停まであって驚いた、と熱っぽく語ってくれました。車はいたってマツダ仕様なのですが、どうやら運転士は広島バスに委託しているみたいだ、とも。もっとびっくりしたのは、有名な企業専用橋「東洋大橋」を、何と渡ることができるらしいということ。これを聞いただけで広島を再訪したくなった私は、多分ビョーキなのでしょう。プチオフの際にこのことを知っておれば、アストラムラインもスカイレールも全無視して見学しただろうに…悔やまれます。

一般に敷地内に乗り入れる路線と異なり、敷地が広大であるがために従業員移動用として設定されているバスは、当然一般人が利用できるはずがないのですが、このケースでは例外的に「その車」には乗ることができるみたいなのでちょっと脱線気味とは思いますが紹介してみました。

*ちなみに、それを気にして勤務先の住宅地図を見てみましたが、当然マツダ敷地内にバス停の記載はありません、念のため。

#最後の一文を後から追加。
[50823] 2006年 4月 15日(土)22:56:00スナフキん さん
目黒競馬場跡を、期せずして訪問
今日は、本当なら新宿をかすめてはいけない日でしたが…やむなく山手線で通過・乗換。まるで線路が輻輳する駅構内とは思えないくらい作業員だらけになっていて、地を這う線路が見えないほど。もちろん何をどうする作業をしているのかなんて車内からでは分かりっこありません。週末なのに山手線は、埼京線も湘南新宿ラインも動かないためにラッシュ並み混雑でグッタリ。しかも、当初の目的だったゆりかもめ延伸区間の初乗りは、こともあろうに昨晩の脱輪・脱線で空振り三振。関係者の話を間接的に聞いたら、問題は単純ではなさそうで深刻であるらしいとか。

同行の知り合いと協議の結果、なぜか目黒区や品川区界隈をウロウロすることに(謎)。その途中、以前話題になった「元競馬場前」バス停を、2度も、しかも同じ方向に向かう形で素通り。うち1度は、ホンモノの競馬場跡地をバス路線が縦断してくれたのですが…当たり前ですが競馬場らしさなんてかけらも残っていません(笑)。総じて住宅地であり、感慨もへったくれもあったものではありませんでした。むしろ、その直前に目黒不動の門前までバスがヅカヅカ進入していったことのほうがインパクトが強く、2度目の「元競馬場前」通過時もやはり直前の祐天寺商店街を「そこどけそこどけ」状態でヅカヅカバスが走り抜けるダイナミックぶりに唖然としてしまって、競馬場跡がかすんでしまいました~ 

その後は江ノ電に乗ったり、小田急電鉄の検査列車に遭遇したり…

最後のクダリは駄文にて、突っ込みは無用です(苦笑)
[50649] 2006年 4月 10日(月)17:31:19スナフキん さん
無視できなくなってしまった「まなづる」
[50529]でhmtさんが指摘された事実、なるべくなら知らんぷりして(汗)通したかったのですが…索引の校正をしていて、知らぬ存ぜぬで通せなくなってしまいました(大汗)。でも、校正作業を中断して脱線すると集中力が切れるので、最後まで校正を終えて調べてみたんですが…この、何か心に引っかかったまま「ま」~「わ」の校正をするのって、実にイヤな感じです。

このテの話での多数決は、モノの本質を見極めるのに何の足しにもならないことは分かっているのですが、まあ比較対照する意味が全くないというわけでもないと思うので、ありったけの資料で調べてみました。

「まなづる」(濁る)派:
角川地名大辞典
わが社に近い(スミマセン、あからさまに示すと正体がばれます・汗)資料2種類
神奈川県百科事典
町役場ホームページ
町発行の印刷物(郷土誌・町勢要覧・パンフレットなど)
平成17年版市町村要覧

「まなつる」(濁らない)派:
国土行政区画総覧
日本行政区画便覧
平成16年版以前の市町村要覧
2005年10月1日国勢調査速報値
(三省堂コンサイス地名事典)

以前私のおバカで話題を撒いてしまった「いわき市」の時ほど混沌としておらず構造は単純ですが、数の上では拮抗しています。しかも、わずかに分が悪い方に「重い資料」がのっかっています。ちなみに、三省堂の地名事典にカッコが付してあるのは、参照資料を「市町村要覧と国土行政区画総覧」と断っており、マゴ引きとも考えられるためです。但し同時に、「別訓」として濁るまなづるを立てており、中立とも取れるスタンスです。

概して言えるのは、「アーカイブズ・呼称が複数ある地名 ~地名呼称の多様性~」でも指摘されている通り自治省~総務省における見解と地元が主張する見解が異なっているようだ、と言うことです。読みを変えるのでも、例えば和歌山県広川町がそうであったように告示の対象となるはずですが私も見覚えがなく、合併告示に埋もれてしまったとも思えません。

市町村要覧の冒頭、凡例部分には出所明示がしてありますが、ここには平成17年4月に各都道府県に照会したとあります。つまり問い合わせ先は国の機関たる総務省ではなく地方に直接問い合わせた、ということです。しかもこの内容を見る限り、市町村要覧の内容全般が総務省の監修を受けているという事実もどうもないようです。そもそも編者である市町村自治研究会なる団体がどれほど総務省との関わりがあるのかは私も分かりませんが、改めてこの方針を貫いたところ地元が主張する「まなづる」表記が表に出てしまった…そんな事情なのではないかと(あってほしいという希望も含めて、ですが)。

上記は、私の大したこともない知識で記述しています。間違いがありましたらフォローをいただければと思います。
[50639] 2006年 4月 10日(月)09:45:17スナフキん さん
東京の動脈がつながるらしい
新年度から「ブログ」なるものを始めてみているのですが、本人がモノグサなのでなかなか毎日続けるのが難しいです。不思議と、自筆で書く日記は10年以上続いているんですが…習慣になれば続くようになるのかな?

さて、週末をはさんでちょっとしたニュースが耳に入ってきました。東京を取り巻く環状道路のうち環八通りは、ここに出入りする皆さんならご存じかもしれませんが現在ブツ切れ状態で供用されています。それが、この5月28日にも1本につながるのだとか。時折耳にする渋滞情報でいつも聞こえてくる「井荻トンネルは工事のため…」のクダリは、実はこの延伸工事のためだったことを、今更ながらにして知りました。地図屋としては情報遅すぎですが(汗)。

で、スナフキんはその情報を知らないまま、健保スポーツクラブが近くにあるのをいいことに日曜日、現調に行ってしまいました。今年始め、スポーツクラブに行くようになった当初はまだまだこんなのできんな…と思っていたものが、照明や看板が立つなど驚くほどに工事が進捗していました。あとは整地して舗装する程度になってはいましたが、それでも開通総延長からしてあと数ヶ月でできるようなものかいな? と疑念を抱いていたんですが…ホントにできてしまうようです。現地工事看板によれば、本来なら平成17年度中には完成させるはずだったようですが、それが遅れて新年度にずれ込んだもののようです。個別に見ると、練馬北町商店街の分断はアクロバットな急勾配で何とか避けられました。東武東上線直下の北町若木トンネルは、線路に直接影響させることなく掘り抜いてしまいました。どういう工法でやったんだろう? 他方、線路をまたぐ自転車・歩行者・車椅子用跨線橋は別工程らしく、竣工予定はシール貼りして平成18年7月となっていました。既存の環八通りは随所に3車線区間が介在しますが、今回開通区間のうち練馬区~板橋区間に関しては遠望した限り、側道への分岐部を除き中央分離帯ありの原則片側2車線構造のようです。

開通道路のパイプが極太な分、開通後にどれほど交通流動が変化し、渋滞状況が変化するのかちょっと興味のあるところです。
[50519] 2006年 4月 7日(金)09:22:13スナフキん さん
少しフォロー
[50495]千本桜さん
私の記述が恣意的過ぎて気を遣わせてしまいました、ゴメンナサイ。

ただ、自分自身ちょっと気になる点があってあえてひっくり返したままの記述をしてしまいました。「らづつ」と書かれた地図、タイトルが「いわき市全図」とあるのです。つまり、いわき市として合併を果たして以降に調製された地図であり、奥付も昭和42年12月となっています。自分は、昭和40年代に入ってもなお右から左へ読んでいたんだろうか、これは何かの間違いでは? と思ってそのまんま記述をしたわけですが…1/5万地形図のバックナンバーを見たら、昭和44年発行の「平」図幅も逆読みのままです。44年と言えば私の生まれるわずか5年前(汗)であり、いくらなんでもこの頃は今と同じになっていたはずだろうと思うのですが、地形図ではその辺りの反映が著しく遅れていたんでしょうか。そんなことは自分で調べるべきでしょうが、自分としてはちょっと不思議です。
[50483] 2006年 4月 6日(木)13:22:54スナフキん さん
いわき市の情報、感謝転じて懺悔へ
皆さんにご協力いただいたお陰で真相の判明したいわき市の合併前自治体名称、実は私の調べ方が足りませんで、社内に保存してあった過去の地域資料の存在をすっかり忘れていました。これを引っ張り出して見ればすべての疑問は解決できたはずなのに…皆さんに余計な労力を使わせてしまいました、懺悔。

「観光 うちごう」とか「観光の常磐市」、そんなタイトルのパンフレットが出てきました、何だかとっても興奮。ものすごく古い全域管内図には、うちごうなんて駅名すらなくて「らづつ」と書かれていました。そうか、内郷市の中心集落の名前は内郷じゃなかったんですねぇ…。そう言えば昔、内郷機関区とかいう国鉄の機関車車庫もありましたっけ。石炭産出地域であってこその立地だったのでしょうか…。

いけませんね、過去の資料に見惚れ始めたら仕事に手がつかず、きりがありません(大汗)。
[50445] 2006年 4月 5日(水)09:28:42スナフキん さん
助け舟に感謝です
いわき市の合併に伴う不思議に関して、十番勝負の最中だというのに多くの皆さまから情報をいただきました。個々の引用は数が多くなるので省略しますが、私の個人的な仕事上でのつまづきにフォローを下さり、ありがとうございました。本業の地図屋が「お手上げバンザイ」しても、博学な方々からの意見が頂戴できるこの場は、どちらかというと知識の乏しい「バカ地図屋」にとっては本当に貴重です。

お寄せくださった情報より、好間は「村」であり久之浜は「町」であることが確定・判明できました。結果的には市町村要覧の情報(=多数決による決定)で正しかったことになります。ただ、それですべての問題が解決したわけではありません。国土行政区画総覧と地元新聞社の百科事典という有力な情報ソース上での誤植事実は動かないわけで、出版業という同業他社の立場で考えるとこの事例は肝に銘じておいたほうがよさそうです。

人間のやることですからミスはつきものです。それに甘えてはいけませんが、完全に排除することは難しいといえるでしょう。けれども、例えば「葛」の字を外字にし忘れたとか、「ヶ」の字を大きくしてしまったとかいうレベルのミスと、町・村を取り違えるミスとでは明らかに重大性が異なります。今回のケースはメジャーな事例でありながら、超のつく大規模合併で関係自治体の数が多かったことが混乱を助長したように思えます。翻って、平成の大合併の嵐が吹き荒れる中、自分との因果が薄く土地勘もあまり働かない場所でも大規模な合併がいくつも興りました。登米市しかり、新潟市しかり、上越市しかり、高山市しかり、そして浜松市しかり、です。挙げておればきりがありません。今後10年20年が経過した後でも、上越市で「清里町」とか、浜松市で「龍山町」とか、自分で書いてしまわないようしないといけませんね。

最後は守りの姿勢で結んでしまったスナフキんでした。
[50420] 2006年 4月 4日(火)20:35:14スナフキん さん
ちょっと気になる昔の「いわき市」
十番勝負の最中に、どうせすぐ流れてしまうと分かっていながら書き込んでしまいます。

仕事で、昔の合併をほじくり返していてちょっと気になることがありました。皆さんよくご存じのいわき市は、「超」のつく規模の大きな合併を経て成立しています。その合併前の自治体名称を調べていたら、どうも資料によって記述がまちまちなのです。しかもそれは、誤字脱字とかいう単純なものではなく、町か村かを取り違えているという結構重要な違いでして、頭を抱えてしまいました。

具体的には、合併を詳細に記したものとしては最も身近と思われる「市町村要覧」。このいわき市の項には
合体 平市 磐城市 勿来市 常磐市 内郷市 四倉町 遠野町 小川町 好間村 三和村 田人村 川前村 久之浜町 大久村
とあります。何の疑いもなく、別資料で校正しようと国土行政区画総覧(これにも各自治体の末尾に行政変更の内容が記載されています)を出してきて、見てビックリ!
平市・磐城市・勿来市・常磐市・内郷市と、石城郡四倉町・遠野町・小川町・好間町・三和村・田人村・川前村、双葉郡久之浜村・大久村を廃し、いわき市を置く
とあったのです。上下をよ~く見比べてください。町村の違う箇所が2ヶ所もあるのです。この、公的色のきわめて強い書物の食い違いというのは厄介で、どちらを信用していいものか非常に困惑します。最終的には出典明示して逃げるしかないかな、と思うのですがそれではプロらしくない(汗)ので、他資料も総ざらいしてみました。

勤務先に最も縁が深い(?)事典をひもとくと
勿来市・磐城市・常磐市・内郷市・平市、石城郡田人村・遠野町・好間村・三和村・小川町・四倉町・川前村、双葉郡久之浜町・大久村が合併
とあります。順序こそ違えど、内容は市町村要覧と一致します。

では、角川の地名事典はどうでしょうか。
いわゆる常磐5市に好間村・遠野町・田人村・三和村・四倉町・川前村・久之浜町・大久村・小川町の4町5か村が合併
でした。省略はされていますが、これも市町村要覧の内容を裏付ける形になっています。なるほど、単純に国土行政区画総覧の誤植かと思ったのですが、福島民報社の発行する福島大百科には
平・磐城・勿来・常磐・内郷市と、四倉・遠野・小川・久之浜・好間町、三和・田人・川前・大久村
とあるのです。何と地元の新聞社は、冒頭に示した2つの有力公的文書のいずれでもない記述をしています…??? 決して、史実が風化してしまうほど昔ではないはずの事実が、どうしてここまでぐちゃぐちゃになってしまうのでしょう?

さらに追い討ち。アーカイブスにもなっている”「いわき市」について語ろう”の中で、何とこの混乱を裏付けるかのようにIssieさんのデータが誤植。三丁目さんが何気なく誤植を指摘されていますけど、この混乱はどうも根が深いような気がしてきました。

こうなったら地元の主張に頼るしかないッ、といわき市webの歴史コーナーを調べてみたら…
好間村→いわき市
久ノ浜町→いわき市
って言うか、参考になりません、町・村の違い以前に自治体名を間違ってるし(爆死)。

困ったなぁ。どなたか「これ!」という真相もしくは明示できる資料をご存じの方、いらっしゃいませんか?
[50127] 2006年 3月 28日(火)12:56:08スナフキん さん
ゆりかもめは…
[50119]みかちゅうさん
今回も落書き帳の中で行っている方がいるとすれば
実は私、延伸区間に乗りに行っていません。それどころか、ゆりかもめは一部区間しか乗ったことがなく、今回中間駅となった有明では乗降経験ゼロという有様です(汗)。先の書き込みで最後に記した通り仕事がかなりハードで、そのくせ体調を崩しかけておりこのまま人ごみに紛れ込んだら症状悪化は決定的で、怖くてしばらく行けそうにありません。体調の良し悪しにかかわらずもともと人ごみは大嫌いなので、よく考えたら鉄道の純粋な開業に当日立ち会ったのって、昭和60年9月30日の埼京線を最後に、一切ない気がします。電化したとか、貨物線を旅客列車が走るようになった、とかはちょこちょこ当日に行っているはずですが。逆に路線や列車・車両の消滅時はまめに行っていますね。こういう時は自分の好き嫌いそっちのけで体が動いてしまうのですが、例えば東急東横線の桜木町駅最終日に人ごみからインフルエンザをもらってきたりなど、しっぺ返しを食うこともあってちょっぴり反省材料です(汗)。

ベイエリアの交通手段では、値段の面でハンデはあっても利便性で勝るりんかい線・ゆりかもめに軍配が上がりそうです。日中の本数が少ないとは言え池袋・新宿・渋谷から、黙って乗ってしまえば時刻通りにベイエリアに達することができる直通メリットは大きいですし、ゆりかもめは全区間高架構造ですから眺望代だと思えば高値にもまだ納得がいくというもの。

対するバスは、一般利用客の多くが抱く「都内のバスに、ダイヤ・時刻表はあってないようなもの」という既成概念が重くのしかかって、なかなか利用者数を伸ばすのが難しいのではないでしょうか。道路がみっちりで動かないのでは、いくら値段が安くてもガマンに限度があります。ベイエリアの道路はそれでも新しく築造されたものがほとんどで十分な幅員を確保してあるものも多いですが、やはり週末を中心にマイカーが押し寄せるとオーバーフロー気味になるのが、渋滞情報をラジオで聞いたりしていてよく分かります。

東京都の都合上なかなかできないのでしょう。
神戸空港では、ポートライナーをなるべく使ってほしいということなのか、神戸市内中心部各地からポートアイランド・空港までを結ぶ神戸市交通局のバスは設定されていないようです。片方を立てれば片方が引っ込む、いわゆるもぐら叩きき理論ですが、既得権益を守っているようにも見え、あまり露骨な措置もどうなのかなぁとか思ったりします。
[50108] 2006年 3月 27日(月)22:58:02スナフキん さん
街も鉄路も、あたらしくなった日
慌しくて自分の書き込み頻度が鈍っていた最中に、とうとう記事番号が50000を突破したのですね。サーバの占有スペースは雪だるま式に膨らんでいく一方なので一概に「おめでたい」と言えるのかなぁ、とオーナーを気遣って格好つけてみたりしますが、すごいことではあります、拍手。

今日は、最終日を除けば年度末最後の大安。ゆりかもめが豊洲まで延伸を果たす日でした。朝の通勤からこれを気にして、有楽町線の車両ドア上にある停車案内や路線図を気にしたりするなど、何ともいやらしい会社員ぶりですが、朝の段階ではいずれにもゆりかもめが伸びた記述は見えませんでした。なのにその隣にはゆりかもめ延伸を知らせる広告があり、何とも皮肉。これを見てニヤッとしたりするのですから、やっぱりいやらしい人間です(大汗)。ぢゃあ、今後有明・お台場界隈にはどう行ったら安くて時間もかからず経済的かを調べてみようと、夕方に大手の検索サービスでルートを探索したら…うわ、もう豊洲乗換えが表示される! ネットの情報はホントに早いなあと痛感しました。地図があらゆる手を尽くして追いかけようともとても追いつかない俊敏さで、もはやこのスピードには地図屋はお手上げです。夜の帰宅時には、勤務先最寄り駅の路線案内と出入口・階段案内はどうなったろうと見てみましたが、いずれも豊洲駅に「ゆりかもめ」の表示はありません。まだ直していないんだ、しょせんゆりかもめは地下鉄じゃないもんなと、ニヤリとしたのです。ところが、入ってきた列車は行き同様東京メトロの車、乗ってビックリ! 朝はそのままだったはずの路線図も停車案内も、フルリニューアルされていたのです。日中の閑散時間帯に広告を入れ替えることはよくあることなのですが、路線図はともかく、豊洲にちょろっと加筆すればいいだけの停車案内は、事実上の新品。使用フォントが総取替えになっていたほか、ラインカラーサークルに路線を示すアルファベットを入れた新サイン表示に統一されたスタイルに一新されていたのです。何にそんなに驚いたのかというと、実はここで新調してもこの案内は最長でもあと2年の命であることが今からハッキリしているわけです。13号線の名前が決まり、運行ダイヤも決まれば今のスタイルを維持するのは到底困難なはず。だから自分は今回のゆりかもめ延伸、絶対従来のようにシール貼りで対応するのだろうと思っていたのですが…東京メトロがここまでやる気と資金(汗)とを出すとは! ちなみに、(東武東上線)霞ヶ関も鶴ヶ島も、ひばりヶ丘も「ヶ」の字は小さいですが、市ケ谷だけ大きい「ケ」の字で表示されていました、ホントかなぁ…(影響され過ぎ?)

その驚きも束の間、自宅最寄り駅で下車すると今度は、やはり行きには何もなかった壁に、今月30日に駅前再開発施設がオープンする旨知らせるポスターがあちこちに貼られているではありませぬか! さらに、階段を下りて2度ビックリ。今まで施設の部分試験点灯は随時行われていましたが、今晩は駐車場棟・モール棟・クリニック棟すべての照明を点灯させる、事実上オープンと同様の全点灯試験が初めて行われていました。私が今の住まいに移って2年余り。この再開発の変貌を毎週・あるいは毎日のように見つめ続け、写真におさめ続けてきただけに、あぁ、やっとここまできたんだなぁの思いを強く抱きました。撮りためた画像は100ではきかぬほどになってしまい整理もままならない有様ですが、今後の激変は限定的なものに限られるはずで、自分がコツコツやり続けてきた日課がひとつなくなって肩の荷が下りたような、そんな気もしました。

大きなハコモノなどの開業は変に縁起を担いだりすることが多いのですが、なぜかこの「coconeかみふくおか」の場合は30日の仏滅オープン(大汗)だったりします。さすがに当日休みをとって、というほどいまは自分自身がヒマでないのでそこまでやりませんが、目立った娯楽施設のない、どちらかというと純粋な商業集積施設で沿線からどれほどのお客を呼び込めるのか、どれほどこの地域が活性化するのか、今後が見ものです。
[49823] 2006年 3月 13日(月)13:23:30スナフキん さん
別寒辺牛の由来、一説
[49725]で、私がほのめかした別寒辺牛の由来、その続きです。なお、前項では「由来の真相」と書きましたが、アイヌ時代の史実は確定していない事柄も数多く、以下に紹介する由来はあくまでも「一説」であると思ってください。他に見解があってもおかしくないと思うので…(アイヌ語地名の由来って、そういうことが往々にしてありますよね)。

ネイチャーウォッチングの際にいただいたウォーキングマップには、塘路湖の中に確かに「ペカンペ(ひしの実)」とあります。塘路湖がペカンペの産地であることは今も昔も変わらないようです。しかし、集落の名前も湖の名前にも「ペカンペ」は現れず、逆にはるか遠い厚岸の方には「ペカンペ」と関係がないのにその名前を付した地名が残っている…。この妙な状況を、同伴してくださった地元のネイチャーガイドの方は「アイヌ部族間の争いが引き起こした結果だ」と説明してくれました。

--
塘路アイヌは、その昔は純然たる内陸アイヌであり、日々の食糧は狩猟に頼らざるを得ない、どちらかといえば力の弱いアイヌ部族であったようです。伝説の内容はさすがに覚えていませんが、自然現象による啓示により塘路湖に実るひしの実が食材として有用なことを知った塘路アイヌは、これを機に食に飢えることなく、日々の生活を安定的に送ることのできる部族へと変わり身を遂げました。ひしの実は乾燥させることで長期保存が可能なので、多少の不作年があっても飢えに苦しむことは激減したようです。塘路湖には淡水魚(ハンドルネームが出てきてしまいました、ゴメンナサイ!)も生息しているため動物性たんぱく質にも事欠かず、塘路のアイヌは富める部族になったのです。

それをねたんだのが、どうも厚岸アイヌであったようです。厚岸は海べりであり、内陸はやせた根釧台地ですから、どうしても食材は海産物に重きを置かざるを得ないのですが、こればかりは自然が相手なので獲れる量は一定にはできません。年によっても多い少ないの波があり、生活は決して安定しているとは言えなかったようです。そういった環境にあって、毎年ほぼ一定量の保存食が確保できる塘路の地は、のどから手が出るほど欲しい立地だったことでしょう。こんなことから、厚岸アイヌはたびたび塘路アイヌとの間で対立していました。これは史実として裏づけされており、現に塘路湖を見下ろすサルボ展望台近くには、厚岸の方角を向いたチャシ跡が残されています。これは、厚岸からの攻撃に対する防御のために塘路アイヌが築いた砦であるとされています。

つまり、厚岸のアイヌはペカンペという自分たちの生活を安定させてくれる産物を求めて、塘路に攻め込む、まさにそのルートがこんにちの別寒辺牛川沿いだというのです。確かに、多少の回り道には思えますけど、厚岸から塘路を目指すルートとしてこんにちの別寒辺牛川及び主流上流をたどると塘路湖の東畔に達することができます。私はこの時、周りの地図ともにらめっこして比較的説得力があるなあと思ったのです。
[49725] 2006年 3月 7日(火)09:24:50スナフキん さん
プチオフから帰っています
スナフキんは広島で開催されたプチオフから日曜日に帰還しています。ただ、帰ってから本来週末にやらねばならないことが山とあったこと、それよりも実家にいる妹が予定日よりもかなり早くに産気づいて入院し、ドタバタしたことなどがあってすっかり帰還報告が遅くなってしまいました(そして、3人目の甥っ子が生まれました)。参加された皆さま、翌日もアグレッシヴに行動された皆さま、お疲れさまでした。そして手配等してくださった88さま、ありがとうございました。絶対私が最遠方からの参加と思っていたのですが…上には上がいました、いっちゃんさん、恐れ入りました(笑)。まがみさん、18きっぷはうまく使えましたか?(謎)

行きは結局、最長不倒と思われる(バスに詳しい方、間違っていたらフォローください)昼行高速バス「弥次喜多ライナー」で10時間以上揺られて広島へ。帰りはひかりレールスター~北野の異人館街を入館したり飲食したりせず歩くだけ歩いて(汗)、ポートライナー~神戸空港、スカイマーク便で羽田へ戻りました。行きもさることながら、帰りの行程だけでもかなりのハプニングや驚きがあり、神戸空港のコメントもしたいのですが、いまは仕事中なので(大汗)詳しい記述はやめます。

三角線やループ線、気になるけれどこれを気にしていると多分仕事にならなくなる(汗)ので、私から詮索したりコメントを入れたり、実際に探したりするのは、やはりやめておきます。

別寒辺牛のお話が出ていました。結論をここで端的に言ってしまうと、この地名の由来は[49684]で北の住人さんがおっしゃる通り、間接的ですがヒシの実から来ています。が、[49716]でhmtさんがおっしゃっているのも正論で、話はそう単純ではありません。数年前に塘路でガイドについてもらってネイチャーウォッチング&ウォーキングをした際、歴史上の話題から由来の真相を聞かされていますので、後ほど時間があるときにでも紹介します。
[49530] 2006年 2月 28日(火)12:53:32スナフキん さん
脱線気味のレス
[49519]Issieさん
有楽町線(8号線)の 小竹向原-和光市(→東上線方面) 間が実は「13号線」であることは“難易度”が若干高いとしても,池袋-小竹向原 間の「新線」が 13号線 であることは2002年当時,一応はアナウンスされているはずなんですけどねえ。
現在建設中の池袋~渋谷間が13号線であるのは相当の人が知っているようですが、そのほとんどがこれを完全に独立した新線だと思っている節があります(少なくとも私の身の回りにいる、鉄知識がほぼゼロの人たちは)。新線池袋で止まっている線路を伸ばすから、東武と西武とが乗り入れられるのだと説明すると、そうなのかと驚く(どうやって直通すると思っていたんだか…)、一般人の認識はその程度なのだろうと思います。勤務先にも、小竹向原から新線池袋に達する線路は現在千川・要町に止まる線路の真下にあって、さらにホームも既に作ってあってエレベータまでが達している話をして初めて、その事実を知る人もいるくらいです。そんな中、何だか妙な書物が出ているようですが間違った情報の刷り込みになりそうで、少し心配です。間違った情報ソースを元に地図の問い合わせが来るケースも少なくないのですよねぇ…。

ところで、「13号線」は建設路線名称であり、「供用時の路線名は公募する」という話を相当に公的な場で見聞きした覚えがあるのですが、開通まで1年余りとなった昨今でも動きはないようです。仕事上、あまり直前になってからドラ叩きされても直しが間に合わないので困ってしまいます。もっとも、実際には路線図の架け替えや駅の表示整備の都合もあるでしょうから年度が改まったあたりが公募の頃合でしょうか。勤務先でも先ごろその話になりまして、さしあたっては通過させている千川・要町の取り扱いがどうなるかが最大の関心事。個人的には、新設の急行は通過してしまってもいいから(恐らくは時間当たり片道4本程度なのでしょう)、駅構造物を再整備して普通便だけでも止めて欲しいなというのが、勤務先最寄り駅利用者としての思い。路線名は「明治通線」が無難な落としどころ、ひょっとすると使っていそうで実は鉄道路線名としては使っていなかった「渋谷線」(首都高速では使っていますが直接の干渉はないので問題ないでしょう)もありかなと。ただ、成立経緯はともかく名実共に最古の地下鉄たる銀座線が乗り入れている地名をぶん取ることが、東京メトロとしてどうなのかにこの名称の採用可否がかかっているような気が…。将来東急東横線との直通も目されており、その暁にはこの名称では面倒も起きるかも。JR山手線・埼京線の混雑緩和および旅客争奪戦への殴り込み(汗)を前面に出すなら「東京メトロ山手線」もありでしょとか、場所はぜんぜん違うし(大汗)開き直って「ハチ公線」、なんて無責任な名称候補も話の中から飛び出す始末。市町村合併時の名称決定の際もそうですが、公募の難しさって、こういうちゃらんぽらんな名前にも付き合わなければならないところにある気がします、はてさてどうなることやら。

さて、今週末は広島でのプチオフに参加します。帰りはひかりレールスター(それもサイレンスカー)を新神戸で捨てて、開港間もない神戸空港の離陸体験をする予定。でも、何だかポートライナーが順番待ちだとか、空港内入場制限だとか、ブームが加熱しすぎると一般利用者たる私が空港にたどり着けない不測の事態もあり得るんでしょうか。値段を下げる代わりにユーザサポートを縮小して合理化に努めるスカイマークの利用も初めてで、初物続きの締めくくりに一抹の不安を抱きます(しかも日曜日だし)。ちなみに往路は、帰りに利用する乗り物のいずれでもないモノで広島へ向かいます、さて何でしょうねぇ?
[49208] 2006年 2月 15日(水)13:12:13スナフキん さん
来月の改正のこと
[49197]まがみさん
長く慣れ親しんだ「準急浅草ゆき」「準急伊勢崎ゆき」などの行先表示がもう見られなくなる
あれ、まがみさんは伊勢崎沿線にお住まいだったことがあるのですか。かく言う私は居住経験はないくせに、沿線出没率は異常に高いのですが(汗)。やはり、鉄ごころがうずいてすごく気になるのですよ、毎日必ず見る車両が全然違う場所で全然違う使われ方をしてるのって。それこそ、複々線が今みたいに完結するはるか前、草加で止まっていた頃から足を伸ばしていましたっけ。松原団地や鐘ヶ淵で回送が回送を追い抜く下りのダイヤを見て、全部調べてやろうと病み付きになってしらみつぶしに定点調査をしたことも今は昔…(でも回送時刻表を記した大学ノートがいまだに残っている?)。下り列車もあの頃に比べると随分本数が増えました。第一、業平橋ではもう折り返したりしませんし、10両の列車はかなりの率で半蔵門線に入っていきますからねぇ…。今度の改正ではそれが主流になるとのこと、いやはや時代は変わりました。

そういう訳で、行先表示は相当の撮りためがあり、現在では半蔵門線直通用になってしまった車両の「準急 伊勢崎」や、宇都宮での「普通 栃木」(大汗)なども好んで撮っていたのですが、改正前までに1度はまた、私も足を運ぶのだろうと思います。どちらかと言うと、残りはするものの事実上腰砕けにされるのが確実な日光線系統の快速の方が気になっています。浅草~鬼怒川往復はパスネット残額から2000円ほどが能率よく消化できるので、温泉目当てと称して往復する回数が増えるかも…。何せ、来年には関東民鉄もICカード化が見えてきていますし、その時には定期券をICカード化したいので、この1年とちょっとの間で現在の磁気パスネットカード約5万円分(大汗)の処分を進めないといけません。折しも、先週JRの磁気イオカードが自動改札機に入らなくなり、券購入にしか使えなくなりました。パスネットもゆくゆくはこういう運命をたどるのかな、と思うと早めに消化しなきゃと気が急きます。昨秋から意図的に新規購入は取りやめていますが、1年で数万円分を使い切るのはなかなか大変です。こういう悩みを持っているのは私だけでしょうかねぇ…。
[48875] 2006年 2月 1日(水)09:48:42スナフキん さん
ちょこっとレス
明日まで(汗)の仕事を抱えていてあんまり進んでいないので、少うしだけレスを。
[48871]Hiro(&TOKO)さん
再論「ケ」と「ヶ」
非常に興味深い情報となりそうです。ニュアンスは微妙に異なりますが、「葛」の字をどうするかの話に通じるものがあり、地図作りとも関係大ありです。地元の見解は尊重すべきで、この結果をわが社製品にフィードバックすればいいのですが…他人の汗かき結果を横取りするようでいい感じじゃあないですね。

無難な落としどころとすればやはり、国土行政区画総覧や市町村要覧によったという判断基準に落ち着くのでしょう。でもこれら参考資料も、目次と扉・本文タイトルで「ケ」のサイズが揺れているところが、確かどこかにあったと思います。同じ資料内で統一がとれていないくらいですから、世間の認識(ケは大きいか、小さいか)はそれ以下かもしれません、「ケ」の大きさで問い合わせやクレームがわが社に舞い込んだ話は一度も聞きませんし。

鶴ヶ島はいまだ来ず、ですか。実家が市役所から車で数分のところにあるので、リタイアした母親に直接聞いて来いと言えなくもないのですが…こういう話って、聞く本人にある程度の意識がないと突っ込んだやり取りになった場合に面倒が起きるので、この選択肢はどうしても返事がなかったら、の最終手段としてとっておきます。あるいは、自分が実家まで出向いて行くか…でも有給休暇をとらないとだめだぁ(爆死)。

水曜どうでしょうDVDにはまっている
これ、大泉洋さんのサイコロ「何が出るかな、何が出るかな~」ですか?
このDVD、1月1日の午前1時頃、勤務先で見てました(爆)。年越しソバは、年が越す前に食べるんじゃないのかな…と思いつつもどん兵衛をすすりながら、知り合いと二人で腹を抱えて笑いました。文字通りの「初笑い」ネタだったわけです(苦笑)。初日の出列車までの時間つぶしということで、知り合いが持ってきてくれたもの。夜行高速バス全盛時代の番組なので、今改めて見るとなかなか興味深いです。その後、利用率の悪い路線は順次削減され、現在はその頃ほど夜行バスの元気はありません。ついこの前も、東京-伊良湖岬の「伊良湖ライナー」が廃止されるなど、衰退傾向はわずかながらも続いているようです。そういう視点で見ると、東京から東北各地へ向かう路線は、いずれも善戦しているなぁ…なんて思ったりします。
[48781] 2006年 1月 27日(金)18:48:22スナフキん さん
都県境のバス
前にも書いたことがあるような、ないような…。
[48780]ryoさん
埼玉南西部-東京(多摩地区・練馬)は県境を意識しにくい地域です。
この地域は私、たぶん異常に強いです(笑)。旧社屋は朝霞市だったし、板橋区というかつての居住地も実際には高島平で県境を強く意識する場所でしたから…。でも、清瀬とか東久留米とか、西武沿線の話になるとめっぽう弱いのです。普段から慣れ親しんでいたわけではない路線なもので。ピックアップしてくださった路線の中に、旧社屋への通勤で毎日のように使っていた路線も含まれています。

まだ挙がっていないかな?という路線に、成増~高島平操車場線「高01系統」があります。小さい頃は頻繁に利用していた路線で、しかも出身幼稚園のすぐ裏を路線が通っていたこともあって非常に今でも身近に感じています。成増は東京都ですが、途中、吹上・吹上新道・下新倉の3停留所だけ、埼玉県をかすめて再び東京都に戻って終点の操車場を目指すというもの。これとほぼ同ルートをとり、さらに笹目橋を渡って埼玉へ走る路線はさらに面倒。下新倉までは「高01」と一緒ですが、このあと再び都内に戻っての停留所は笹目橋1カ所のみ。すぐに新大宮バイパスで県境を越えて再び埼玉県へ入っていってしまいます。複雑に入り組んだ境界線をかいくぐり、4度も行ったり来たりする路線は全国的にも珍しい部類に入るのでは。
[48692] 2006年 1月 24日(火)15:34:52スナフキん さん
Re:『地名』がブーム
[48647]グリグリさま
当該記事、切り抜き待ちの新聞の山から引き抜いて読んでみました。ことの善し悪しはともかく、こういった形でメディアが地図・地名・地理的要素を積極的に取り上げる頻度は、合併の大嵐を機に確実に増えたと思います。ただ、何度も書いているように、だから地図が売れているという実感は私にはないのが率直なところ。自社商品もこのような社会情勢にあっても、飛ぶように売れていったということはないようですし。売れているのは一部の、それこそ書店に商品を平積みさせてもらえるほどの営業力を持つ一握りの出版社なのだろうと思うのですが、世間の認識とは必ずしも一致していないようで、「売れ行きはいいんでしょ?」みたいなことを周りから言われることはたびたびあります。

民俗学者谷川健一さんの「文化財として尊重を」というコラムもあります。
顔写真入りでのデラックス掲載(?)ですね。個人的な主張の好き嫌いはさておき、直接的な接点はなくとも勤務先とこの方とは決して無関係ではないので、フムフム…みたいなスタンスで眺めました。…早晩、正体がばれてしまいそうですね。ハンドルネームが無効となる日も近いかな(大汗)。
[48501] 2006年 1月 18日(水)09:38:45スナフキん さん
大字・字、問いかけの答えなど
[48349]北の住人さん
北海道にもそのような例があるでしょうか。面倒でなければ2、3教えてください。
とのことでしたので、国土行政区画総覧を調べてみました。
釧路市の項目中、
音別町中音別
 通称 チノミ台
 通称 北栄
というふうに独立して立てられている部分がありました。字や通称の表現方法は、中黒「・」で結んで列記していくのが普通なのですが、ここではどういうわけか個別になっています。これは単に郵便番号が独立しているからそうしているだけなのか、それとももっと別な理由があっての措置なのかは私にも分かりません。他にも帯広市に、
清川町
 通称 仲通
 通称 本通
があったほか、士別市には、
西士別町
 通称 東の沢・中の沢
 通称 学田
 通称 新学田
のようなケースも。留萌市には、
三泊村
 字 ヲムロ
 通称 三泊町
???なんていうのもありました。字と通称の並列例はここだけではないようです。同じ留萌市内には、
字留萌
 通称 大和田町
 通称 藤山町
もあり、留萌市内においてはどうも「字」の概念がひとくくりでまとめられないように、私には思えるわけです。例示としてはこの程度でよろしいでしょうか。

私のフォロー以降に突っ込んだ見解が様々示されていますが、あくまでも私のフォローはフィーリングによるものであり、地方自治法など具体的かつ個別の法律話になるともう私は手も足も出ませんので脱落します(汗)。私が思うのは、恐らく大字や字は公的にはきっちり決められているだろうということ、けれどもその上下関係や相互関係を全国的に纏め上げるのは地域ごとの格差が激しく難しかろうということです。そしてそのことを私は必ずしも否定的には捉えてはいません。

何だ、地図屋のくせにとんずらか? と思われるかもしれませんが、所詮餅は餅屋ですから仕方ありません。地図屋にとって多くの知識を吸収するのは仕事上プラスになることではありますが、やはり法律の条文を読み解くのはあまりにも実作業からかけ離れすぎていて手に負えないのが実情です。後の議論は有識者ならびに関心のある方々に、無責任ではありますがお任せします。
[48313] 2006年 1月 13日(金)10:14:15スナフキん さん
大字のこと、少し補足など
[48271]グリグリさま
この説明でホッとしています。長年の疑問に対する回答にようやく出逢えた気持ちです。スナフキんさん、ありがとうございました。
レス元冒頭にも書いたように、あの文言は私が地図を編集していて思うことをしたためたものなので絶対ではなく、安心するのは早いかもしれませんよ(苦笑)。私自身「多分無理だと思います」という大いなる婉曲表現をしてますし。

ただ言えることは、全国的に統一性のないこれらの居住地名についてまとめたものが国土行政区画総覧であり日本行政区画便覧であるということ、それらもまとめこそすれども上下関係を中心に体系的に整理するまでには至っていないということです。また、最近の相次ぐ合併に伴って誤植や事実誤認が散見されることもあり、やはりこれをバイブルとして100%信用してよいとまでは言い難いですね。私が確認したとんでもない誤植は、岩手県西和和町(目次では正しく書かれていますが、大見出しにはこう書かれていました)なんてのがありましたし、青森県外ヶ浜町では旧蟹田町内の記述が町役場ホームページで見られる新住所一覧とかなり異なっている、といった具体例がありました。

普段からこのぶ厚い資料に目を通すことは日常茶飯事なのですが、例えば大字の下に相当する小見出しの「字」がなぜ同じ大字の中で2分割で表示されているのか(つまり「字」の項目が2つ以上立つ大字があるのです)、「字」と同格で表示されている「通称」との混在はどう説明すればいいのか、北海道などで大字に相当するランクに「字○○」という地名が記されているのはどう考えればよいのか、理解に苦しむ記述も多くあります。こういった表記の揺れを見ると、やはり地域ごとに異なる地名の考え方を纏め上げるのは、資料の収集能力があるはずの機関が作ったこれだけの物量の書物をもってしても難しいのだなぁ、と私は考えるのです。この公的要素の強い書物がこうなのですから、自分のところを含めて地図会社がこれを全国的に熟知し、完全に理解して地図作りができているはずがなく、殊に地名の上下関係だけに的を絞って道路地図を眺めておれば、おかしな記述は恐らく山ほど出てくるのだろうと思います(もちろん、自分のところで作ったアトラスを含めて、の話ですが)。ですから、
字、小字の概念も同じように捉えてよろしいんですよね。
についても、やはり全国的にきっちりと上下関係を明らかにするのは難しかろうと思います。前述の「字○○」が、「大字なし」と書かれていないのにズラズラ並んでいるのなどは、大字の下にあるべき字・小字と同じものには見えません。昨今の合併に伴う住所変更の取り扱いでよく見られる「大字の語句を削除」という処置も、では新住所は大字ではなくなるのか、大字だけれども表現をしないように改めるのか、それとも全部が字や小字のランクになるのかなど、実際には全く分からないです。まあ、一般人には分からないでも何の不都合もないのでそれでよいのでしょうけれど、こだわりのある人、地名を研究したり論じたりする人には不親切ではあります。

ただ最後に一つ言いたいのは、私は「これではまずかろう」とは思っていない、ということです。地域によって考え方が異なる、こういう独自性・主体性があってもいいじゃあないですか。逆に日本全国を杓子定規に当てはめることができる地名体系だったとしたら、私はとてもつまらないと思いますし、そもそも「国土行政区画総覧」などという分厚い資料の存在意義もなかったことでしょう。そういうファジーな部分を楽しめるのが、日本の国民性というか日本気質というか、そんな気もします。これを失うのはもったいない、というのが私の気持ちですね。
[48252] 2006年 1月 11日(水)12:59:22スナフキん さん
駅名七・五調、新たな発見
[47275]でにまんさんがJR大和路線の「五・七・五・七・七」並びを取り上げていらっしゃいますが、昨日の残業帰りで何気なく地下鉄直通列車の停車駅案内を見ていて、ふとこの話題を思い出しました。乗っていた地下鉄の電車が地上に出てからの停車駅が、よくよく見ると「五・七・五・七・七」ほど整ってはいないものの、駅名読みが七・五調となって並んでいたんです。もう何年も利用しているのに灯台下暗し、これは気づきませんでした。

和光市・朝霞(7)
朝霞台(5)
志木・柳瀬川(7)
みずほ台(5)
鶴瀬・ふじみ野(7)
上福岡(字余り6)
新河岸・川越(字余り8)
川越市(5)

字余りが連続するので胸を張れませんが、きれいな並びであることは言えるかもしれませんね。

以上、十番勝負最中の下らない板汚しの話題でした(汗)。
[48229] 2006年 1月 10日(火)13:37:53スナフキん さん
大字のこと
フォローにならないかもしれませんが、地図を作る上でこんな感じなのかな…と思える部分をいくつか。
[48147]ひーさん
区名のあとに「○○町大字△△・・」となっていますが、「○○町」自体が大字だと思うんですが・・。
とのことですが、これは必ずしもそうだと言い切れない面があります。同様の例が名古屋市内に散見されます(北区楠町大字~、港区南陽町大字~、緑区有松町大字~など)から、何か名古屋市独特のルールがあるようにも思えます。最近見た例では、合併が絡みますが「青森市浪岡大字○○」というケースがありました。こういった例を見るとあたかも「大字」の上に相当する「何か」があるようにさえ見えてきて、名古屋市の例が飛び抜けて特殊というわけでもなさそうです。ぱっと見では、全国各地のいわゆる「広域大字」の類(愛知県では一宮市の「一宮市丹陽町」「一宮市千秋町」などがそれにあたります)ともとれます。

もともと大字の概念にはこれといった全国的な統一性があるわけではなく(以前にも挙げた岩手県独特の住所「第○地割」の存在もあります)、あいまいさが顕在していたところへ持ってきて、ここのところの合併に伴って生じた大字改変の取り扱いが各所でまちまちで、ますます混沌としてきているのは事実です。大字という概念を全国的に網羅し、統一した見解で纏め上げようというのは、多分無理だと思います。

ちなみに、住宅地図では「大字」付ですが、道路地図では大半が「大字」無です。
これは地図の用途及び目的の違いによるものですね。住宅地図は1つ1つの建築物が主人公ですから、それらの住所を正確に記していなければ都合の悪い事態もあり得ます。一方、道路地図で大字の有無はハッキリ言ってどうでもよく、大まかに住所・地名が読み取れればよいので、判読不能にならない程度の誇張や省略が行われます(多分、郵便物が「大字」を入れずとも届くために省略される傾向が強いのでしょう)。また、地図が表す縮尺も表記の省略化を大きく左右する要素で、住宅地図は超拡大図が基本であり住所を略さずとも記せる紙面であるのに対して、道路地図では住宅地図ほどに拡大した図はごくまれである割に情報量は多く、どうしても省略が避けて通れないという、地図特有の事情が表記の揺れには見え隠れしています。ですから、どの表記が正しいのかを判断するのも、市販の地図がこれだけ表記の統一ができていないのですから、意外と難しいのです。ちなみに例として挙げられた「歩道橋の表記」ですが、これはユーザの立場にしてみればそんな厳密な表記は要らないのですが、何分道路に建植された構築物は官公署である警察が管轄することが多いので、この絡みできっちり書かれている…漠然とそんな気がします。

うーむ、大した答えになっていない気もしますが…(汗)
[47996] 2006年 1月 6日(金)15:09:04スナフキん さん
仕事始めの、初コーヒーブレイク(?)
すっかり年が明けてしまいました。スロースタートな勤務先は今日が仕事始め。年末に一杯になったスタンプカードでブルーマウンテンのコーヒー豆200gをロハでゲットし、PCデスクの周りはいい香りがプンプンしています。

望み薄のつもりで元旦に向かった福島県いわき市勿来の日の出ポイント、雲が多く水平線からの日の出にはなりませんでしたが、雲の上から初日の出自体は拝むことができました。関東を始め全国的に天気がパッとしなかった元旦だっただけに、喜びもひとしおです \(≧▽≦)/ヤッター! で、いまは勤務先のWindowsマシンのデスクトップ壁紙にこの初日の出を設定してあります。こんなおてんとう様が拝めたのだから大満足です。母校の箱根駅伝での順位なんて、どうでもいいんです(謎)。

その後乗り継いだ特急では眠気に負けてまどろんでいたのですが、起きて気がつくと亘理。太平洋側とは思えないほどの積雪で一面の銀世界に面食らってしまいます。寝起きのせいもあって、まるで夢の中のような気分でした。仙台で放り出されたときの寒さといったら!参りました。仙山線電車が山形から山を越えて雪まみれで到着しています。太平洋側でここまで冬景色になっていたとは…散々メディアが取り上げている今季の記録的な大雪ぶりを、早くも仙台で痛感することになってしまいました。

臨時「こまち」でとんぼ返りした大宮では、百貨店がまだ店開きしていないあおりなのかとんでもない人出でごった返す「エキュート大宮」を、足の踏み場を探しつつ冷やかして、長野新幹線「あさま」へ転身。こちらは逆に軽井沢の雪の少なさに拍子抜けしましたが、上田を過ぎて五里ヶ峯を越えてからの雪の増え方にはオドロキ。上田と長野って、盆地続きに見えるけれど気候はかなり違っているのでしょうね、これほどの積雪差があるとは思いもしませんでした。天気は北関東を経てすっかりよくなり、浅間山はもちろん、姨捨越えに挑む特急「しなの」からは飯縄山も青空に映え、足元に臨む一面の銀世界共々、ここでも夢見心地にさせられます。

各地での町並みの変貌も年始から抜け目なく(?)チェック。長野市内の超一等地(元、そごう跡地?)では再開発事業が進捗し、信越放送の本社が郊外から移ってくるのだとか。松本駅は、合併特例債活用事業なのか線路をはさんでの自由通路築造工事がたけなわでした。年末最後の書き込みにもしたためましたが、合併の大嵐のあるなしにかかわらず、地表の変化は絶えることがありません。こうして、地図屋の仕事も量の増減こそあれども未来永劫続いていくのだなあと実感した次第です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
[47783] 2005年 12月 31日(土)23:08:39スナフキん さん
本年もお世話になりました
ただ今、調整睡眠から目覚めました(汗)。で、食事調整のために今はソーセージとミニトマト、コーヒーにチョコレートをつまんでいます。もちろん紅白歌合戦など関係のない生活で、大晦日にいったい何やってんだか…。

本年も、オフ会を始めいろいろと落書き帳にはお世話になりました。殊に、仕事をする上で合併情報にはどれほど助けられたことか、ここでは書き尽くせないほどに重宝させてもらいました。改めて感謝する次第です。来春をもって、一応合併の大嵐は収束が見込まれています。これで少し仕事が落ち着けばいいなあと思う反面、仕事が減っちゃうなあ、減税もなくなるから生活がくるしゅうなるなあ…とか、来年をちょびっと憂慮したりしています。ともあれ、合併が落ち着いたからと言って落書き帳でのおつき合いが終わってしまうわけではありません。来年もどうぞよろしくお願いいたします。そして、皆さまにとってよい1年でありますように。

さて、時間が来ました。これから一旦出社(?)して時間調整をして、大宮3:40発のお座敷電車「常磐初日の出号」で、望みの薄い初日の出にチャレンジしてきます(前段に書いた調整は、そのためです)。その後、JR東日本の乗り放題企画きっぷを駆使して、仙台~大宮~長野~松本~八王子~笠幡(汗)のグリーン車だらけの豪遊日帰り旅を楽しんできます。で、実家に戻って、たぶん撮りためることになるであろう電車の数々を甥っ子にせがまれてテレビ鑑賞することになろうかと…。また、エネルギーを使う長期休暇になってしまいそうです。
[47523] 2005年 12月 19日(月)13:15:26スナフキん さん
鉄道ネットワークの拡大 in東武
東武が先週末に、来春からのダイヤ改定を発表しました。ご存知の方も多いと思いますが、この目玉は報じられている通り「スペーシア」の都心(ここでは池袋・新宿とします)への乗り入れ!です。けれど、今回の発表ではそれ以外の重要な改定内容も表に出てきました。

あまり鉄ばなしをディープにするのもいかがなものかと思うので、鉄道ネットワークの拡大として着眼すべきポイントを2つに絞って言ってしまいます。沿線の方には不快な表現に見えるかもしれませんが、東武として北関東エリアを事実上切り離しにかかったということが1点。最優等列車を地下鉄へ直通させ、直通列車に既存路線のイニシアチブを握らせるということが1点、これに尽きます。特に後段のポイントは従来の常識を覆すかのような大改編であり、ここまで地下鉄直通列車を持ち上げる例は東京周辺では、全列車直通の東急田園都市線など一部の例外を除いては初めてのケースと思われます。列車種別の大幅な変更も行われ、従来は特別料金を取る種別だった「急行」が一般化されたり、新たな種別が生まれたりと変化の度合いはきわめて大きく、沿線利用者は頭の切り替えが大変そう…。

かねてより東武伊勢崎線は、日比谷線という直通相手を持ちながらも車両規格の都合上優等列車として運転できないジレンマを抱えていました。このことで何度メディアや利用者から突かれ続けたか分からないほどだったわけですが、今回ようやく大型車両の長大編成による優等列車の直通を手中におさめたと言えます。同時に、JRとの接続駅でありながら運転本数の点できわめて冷遇されていた久喜駅が、改良の甲斐あって直通列車を受け入れ、さらに特急も一部停車させることで倍近い本数増の恩恵を受けることになりました。以前は東武動物公園で分かれた日光線・南栗橋の方が本数が多かったため、ここでも立場の逆転が生じています。

これ以外にも来春にはゆりかもめの延伸が予定されているほか、その後には東京メトロ13号線(仮称)の開通も控えています。しかし東京における鉄道の網の目は、このような純然たる路線の新設・延伸がそれほどなくとも、確実に外へ外へと広がり続けていくようです。
[47348] 2005年 12月 13日(火)09:22:21スナフキん さん
ショックなので思わず即レス
[47341]紅葉橋律乃介さん
来春のダイヤ改正で、「利尻」と夜行の「オホーツク」は廃止されるようです。
ぐぁ~! ホントですか。どちらも全区間利用経験があるので、ある意味高千穂の存廃以上にショッキングな情報です。しかも週末、情報量の豊富な鉄仲間との忘年会の席でさえ、そんな話は微塵も出なかったのに。閑散時の需要減をピーク時の需要増で補うことができなくなったということなのか、それとも運行自体に人件費がかかりすぎるのか、はたまた車両がくたびれてきて現業が泣きを入れてきたのか…全部が理由にも思えますが、いずれにしても大変惜しまれます。同区間の夜行バスが恐らく残存するとは言え、鉄道輸送における夜行需要は、長らく安泰だった北海道においても冬の時代を迎えることになるのですね。今はなき快速ミッドナイトなどをフル活用し、北海道フリーきっぷ、その少し前は北海道ワイド周遊券で道内を縦横無尽に走り回ることのできていた時代が、もう懐かしく感じられるほどに…そんなに時が経ったようには思えないのですが、私の思いだけが当時のまま置いてけぼりになっているみたいです。
[47329] 2005年 12月 12日(月)13:15:59スナフキん さん
いろいろレスなど
週末はネットの集まりで忘年会がありました。ただ酒を飲みに都内へ出るのはつまらないので、千葉まで足を伸ばして空中散歩(?)を楽しんできました。一日乗車券を買い求めたら、まだ千葉ロッテマリーンズ日本一記念柄でした、一体いつまで引っ張るんだろう…(苦笑)。その後忘年会前なのに「酒々~」と云ふ地で電車を乗り換え、佐倉市内に生息していた「コアラ」を引退間近の我がデジカメで補足することに成功しました(謎)。この後都内へ戻ろうと駅で待っていたら、なかなか年期の入った車両が各駅停車としてやってきました。ブルーグレーの車体にとってつけたような行先表示を出しています。夕陽に向かって走るこの古兵にうっとりし、船橋の高架化をこの目で確認した後も抜いてく列車に移ることはせず、地下鉄直通列車を捕まえられる青砥まで延々と乗り通してしまいました。こういう、車体全体にしっかりと色を塗った車が活躍できるのは、あとどれほどなのでしょうね…。

さて、いろいろレスです。
[47265]N-Hさん
高架下にある電気街から上の高架を見上げても、高度がずいぶん高い割りに幅が狭く、かえってあまり気になりませんね。
そうですねぇ…。私が例として挙げた2ヶ所は、[47267]でYASUさんも指摘されている通り、狙ったわけではないのですがいずれも上を越す方が複々線で、日陰がド~ンとできてしまうのです。これは近所に住まう身になってみればとんでもない話。いろいろ考えてみると、新大阪も高架を跨いでるわけではないですけど、新幹線の存在感は物凄く大きいですね。

[47278]今川焼さん
近鉄のあおぞら号という修学旅行用の2階建て電車
私も高校の修学旅行では近鉄の団体列車を利用して奈良まで移動しました。この時、特別仕様車の登場を期待していたら、「鉄」的にはもっとびっくりな車が。本来は地下鉄烏丸線に乗り入れるはずの車が京都駅に姿を現したものですからもう、こちらは大興奮。一応近鉄カラーの車なのですがちょっとモダンな顔格好でした。残念ながら系列まではよく分かりませんが、3000なんぼ、だったかと思います。後から、修学旅行担当教諭が旅行会社をスルーして近鉄と直談判し、この時間帯なら車が余っているはずだからよこせと依頼したのだと、本人が豪語していました。この教諭も相当な鉄ヲタでして、まったく困ったものです(苦笑)。
[47259] 2005年 12月 9日(金)10:05:25スナフキん さん
奈良のお話
奈良の件、私は宿泊扱いですが多分6泊しています。うち2泊が高校の修学旅行。中学の時は奈良には行っていますが宿泊は大津でした。残り4泊のうち1泊は幼少の頃に泊まっているはずですが場所は定かでありません。2泊は奈良ユースホステルで、この時に訪れた天理教本部(私も信者ではありませんが)でモーレツなカルチャーショックを受けたのでした。そのインパクトは多分、大仏の訪問時以上のものだったと思います。往路で絡んだ天理教専用団体臨時列車「急行・東京おじば」号の存在、道中車内で紛失しかけた青春18きっぷの捜索にかかるすったもんだと合わせて、強烈な記憶として残っています。私は宗教系大学出身のせいか一時期宗教の本山巡りを(悪趣味と分かっていながら)好んでしていた時期があり、金光教本部も前後して訪れています。

最後の1泊は社員旅行でして、宿泊は奈良市内のビジネスホテルでしたが、案内役に大学教授をつけ、今井環濠集落、山の辺の道と点在する古墳群をレクチャーしてもらいながら巡る、「超」のつく研修旅行でした。今井は、すごいところですよ。近隣の富がすべて今井の集落に集まっていたと言っても過言でなかった時期があったということからしてすごいわけですが、その富を狙う勢力から身を守るための環濠構造、街路の見通しを意図的に悪くする家屋配置など、事実上の「自治集落」と呼べるほど強固な防衛力を誇っていたとも言われています。それが現代に至るまで、一部の環濠は埋められたとは言え景観を残しているというのは特筆すべきことでしょう。確か伝統的建造物美観保存地区にも指定されているはずです。

ちなみに…
[47252]EMMさん
何と言っても「修学旅行列車」が運行されるぐらいでしたし。今あるんだろうか?
存在は今でもしているようです。ただ昔と違って「修学旅行専用車両」を用意できるほど民営化したJRは余裕がないと見え、ごく普通の特急車両など(近場の場合はそれ以下のランクの車になることも…)を用いているのでパッと見はそれだと分かりにくいようですが。私も往復新幹線による修学旅行でしたが、中学の時は0系新幹線で3人がけの向きが固定されており、不平不満を漏らすクラスがあった(席割の都合で逆向きに座らされる人も…)のに対し、高校の時は100系2階建て連結の新幹線で3人がけも回転し、6人で道中「UNO」をやりまくって大盛り上がりしたのを覚えています。しかし、今となってはそれすらも過去のお話ですからねぇ…。車両は替わっても、300系車両を使った新幹線での修学旅行専用列車は今もあるようです。

私の経県値を振り返り始めるとべらぼうに長くなるのでやめておきます。最後にハミダシで。
[47255]matsuさん
現在モノレールが建設されていますが、
つい先日作図をした(汗)ので少しフォローを。これ、日暮里舎人線のことでしょうか。厳密には例えば羽田へ向かうようなモノレールではありませんで、いわゆる新交通システム、東京近郊ではゆりかもめのような乗り物であるようです。このテの乗り物は車両のサイズが小さいので急カーブはお手の物。現にゆりかもめは新橋のすぐ先、汐留の再開発エリア内に入った直後に直角カーブを描いています。
このモノレールの割と大きな橋脚だけで沿線の道路は既に以前より暗くなったように感じます。
荒川を渡る扇大橋前後では、すでに高架構造の首都高速道路中央環状線のさらに上を越えようとしているので物凄い高さになるそうですね。高架の上を高架で越えるというのは、地平から眺めるとどうしても仰々しい構造物になりがちです。新越谷や武蔵浦和の駅を見ていると、すごくその思いを強くします。景観上も好ましいとは言えませんね、仕方のないこととは言え困ったものです。
[47172] 2005年 12月 6日(火)09:29:36スナフキん さん
経県値登録
日曜夜に経県値を登録してみました。これを登録すると、メンバー紹介の更新デートスタンプが自動的に登録日になってしまいました。リンクや居住地・出身地など各項目は一切変更がないのに、あたかもどこか更新したように見えますが…ロジックの都合上、仕方ないのでしょうね>グリグリさま

リストや経県マップを眺めていると、どうあがいても現状ダントツ1位のU-4さんには「◎」のポイントで及ぶはずがなく、経県値の上積みを目指しても現状、自力で可能なのはあと11点、マキシマムは191点なのがビジュアルでハッキリ認識できました。当初、自分が白桃さんにしかられる(笑)と思っていた香川の「▲」は、「降り立った」の文言を少うし拡大解釈すると自分は高松駅で乗り換えのためにホームに立っているので、見方を甘くして得点をアップさせてしまいました(大汗)。

未訪問の沖縄は別にしても、経県マップで赤っぽくなっていない5県にはある共通項があります。駅から行きやすいユースホステルに恵まれていない(号泣)。以前もユースホステルを宿泊から除外してカウントしてみたことがありますが、やはり自分の経県値における宿泊の概念に、ユースホステルが大きく寄与していることを経県マップは教えてくれました。

今後、まず何とかなりそうなのは和歌山と高知。共に突端部を目的地に据えればどこかで宿泊せざるを得なくなる立地なので、あとは目的を探して資金と時間とを調達できれば(苦笑)早晩「○」に昇格は確実です。ところが、山形・香川・佐賀は近接して宿泊至便な地域が点在しており、利便性に甘えるとどうしてもこの3県はこのまま漏れ続けてしまいます。この3ヶ所だけは、経県値アップのためのおでかけをせざるを得ないかもしれません。

自分の経県値と経県マップを眺めての雑感でした。烏川碧碧さんのページの仕掛けはホントによくできているなあと感心しました。経県値という面白ネタを編み出した皆さんの柔軟な発想にも、感謝、感謝。
[46960] 2005年 11月 28日(月)16:35:21スナフキん さん
鉄道橋梁名は、どうして地図に載らないか?
[46891]デスクトップ鉄さん
・地図には、道路橋の名前は書かれているが、鉄道の橋梁名は載っていない。
仕事柄、普段から地図を見て、地図を作るのが当たり前になっているとこういった疑問点が自分の中で沸いてくることはまずなく、新鮮です。

結論から言えば、地図に掲載する必要がないから、の一言に尽きると思います。もう少し掘り下げて言うならば、読者にとっても編集者にとっても、鉄道の橋梁名はそれほど重要でないから、ということもできるでしょう。

地図上では同じ交通線なのに、なぜでしょうか。いろいろ思いを巡らせると、道路と線路の公共性の違いが根底にある気がしてきました。道路は、誰もが行き交うことができます。しかもほとんどの場合、徒歩・自転車・バイク・自家用車・バス・三輪車(汗)など、手段を問いません。一方、線路も誰もが通ることができるのですが、自走することは一切できません。車両を運転してくれる人に頼らないと通うことのできない交通路なのです。また、鉄道は一般的に決められたダイヤで動きますから、いつでも自由に行き交うこともできません。「鉄道は公共の交通機関」であるという認識は広く世間一般の常識になっていますが、地図における交通線という捉え方をした場合、同類項の道路と比較するとその公共性には枠がはめられていて、大きな差があるということができます。

翻って、地図の話に戻ります。誰もが自由に行き交うことのできる道路ですから、当然いろんな要求が出てきます。私は、そんな中の一つに「橋の名前を知りたい」というものも含まれる気がします。橋の実際の姿を思い起こしてみても、道路橋は大概両端部に金属製の橋梁名称プレートが埋め込まれています。幹線道路クラスになるとご丁寧に頭上に大きく看板を掲げるケースさえあります。ところが、鉄道橋はそういった名前を目にすることがありません。たまに、トラス構造の両端に白ペンキで名前が書いてあることはありますが、稀なケースです。それは多分、鉄道橋梁名は管理上は必要であっても、普通に鉄道を利用する乗客にはほとんど関係ないものだからだと思います。ですから、鉄道橋梁の名称は、ぶっきらぼうで面白みのかけらもないようなものが多いですね、「第○・△△川橋梁」とか。それが明示され、見られることをおおよそ意識していないかのような命名です。鉄道と道路の橋梁名、地図上での取り扱いに温度差が生じるのはこの辺に原因があると考えます。

他方、同じ鉄道の構造物でもトンネルは、地図への掲載はどちらかというと頻繁に行われることが多いです。地表に現れない分、むしろ一般人の関心は橋梁以上に薄いはずの隧道名は、いろんな地図を見ても比較的よく載っていると言えると思います。また、その名称も橋梁ほど規格化されてもいないようです。確かに、「線が線を横切る」構造物と「線が面を横切る」構造物で、その命名傾向に差異が生じるのはある意味必然かもしれませんが、地図にちょっと載せてみようか、と思える名称であることは確かです。あるいは、地図で見えていない部分を少しでも明らかにしようという意図が、どこかで編集者に働くのかもしれません。

上記は私がツラツラと思ったことを書いたもので、実際そうではないかもしれないことをご承知おきください。
[46812] 2005年 11月 22日(火)18:41:37スナフキん さん
世界と日本 大図解「新日本地図」の続編?
かつてここでも紹介されて話題を呼んだ「新日本地図」。その続編となる特集「路面電車」が北海道新聞の11月19日付け夕刊の「週刊フムフム」に掲載されていました。例によって見開き全面をフルカラーの贅沢な紙面構成となっていますが、「新日本地図」と決定的に違うのはほぼ札幌・函館両市電の紹介にとどまっていること。データ的にも前回とは比べものにならないほどお役立ち度は薄く、元気な路面電車として広電が別に紹介されているくらい。電車が動く仕組みを大きなイラストで紹介していますが、できればここに全国各地の路面電車概況を入れたりすればもっと面白い紙面になったろうなあと悔やまれます。内容的には道内ネタで完結しており、前回のように地方紙各紙で次々に掲載されるということは考えにくいもので、道新としての単発企画で終わりそうです。でもひょっとしたら、内容を差し替えて中日新聞や西日本新聞、中國新聞が地元の路面電車を特集したり…してくれると面白いんですが、そうならないかなぁ。
[46778] 2005年 11月 20日(日)08:40:06スナフキん さん
いま、鹿児島にいます
かすみさんは東進して甲斐は甲府へいるのだそうですが、私は逆に西進し、昨日飛行機(超割利用)で鹿児島入りしています。昨日は「中央駅」に改称以来初の鹿児島中央駅から観光列車を乗り継いで八代に達しました。終始天気に恵まれ、肥薩線のビューポイントからは桜島の遠景が見える大サービスがつきました。飛行機でも海岸線が見たい放題、久々にフライト中の富士山が拝め、ありがたかったです。地ビールや鹿児島の名産品盛り沢山の駅弁、いも焼酎やさつまあげも食べられて、大満足の旅です。いまは、鹿児島市内でも珍しい温泉つきビジネスホテルからアクセスしています。鹿児島はご存知のように桜島に抱かれた日本でも有数の温泉地帯に立地する都市でもあり、ハッキリ言って「湯釜の上に都市がある」と言っても過言でないほど源泉が集中しており、公衆浴場も大半が温泉。「泉都」の名をほしいままにしているのですが一方で、乱立するホテルのほとんどは温泉を引き湯していません。恵まれた地の利でお客さんをもてなすのは理にかなっていると思うのですが、なかなか温泉となるとメンテが大変なようで、このホテルもネットで調べてみないと見つからなかったかもしれません。

私事になりますが、今回の鹿児島入り最大の目的は1年以上返上したままになっていた「JR線全路線走破」のタイトルを、九州新幹線「つばめ」に乗ることで奪還することでした。残念ながら新幹線乗車時は完全に日没で景色を眺めることはできませんでしたが、まあトンネルだらけの路線なのでこれでもいいでしょう。今日はこれから、逆にJRから切り離されてしまった平行在来線「肥薩おれんじ鉄道」の快速列車で北上、そのままローカル列車を乗り継いで小倉まで向かい町歩きをしたあと、寝台特急で帰京、翌朝は昼から出社します(泣)。鹿児島の朝は、暖かいです。そして、日の出が遅いです。明日、寒い東京に帰るのがちょっぴり嫌です(苦笑)。
[46666] 2005年 11月 15日(火)13:08:32スナフキん さん
カントリーサイン、東北道のこと
そう言えば昨日まで、私も妹の結婚式で郡山・福島まで車による遠征をしていたのでした。ずーっと助手席に居座っていたにもかかわらず、あまり気にはしなかったのですが…「さくら市?どこじゃここは!」という運転中の親父の一声で講釈せざるを得なくなりました(汗)。氏家と言って分かってくれたからよかったですが、氏家も喜連川も分からない人に説明するのは大変ですねぇ。妙な名前だとブツブツ言っていたのを、そんなことを言ったら自分の新しい住所はもっと妙なんだから、我慢してやれとなだめるのに一苦労…。

直前に白河市と合併した大信村、どうだったかなぁ…。そもそも、大信村を東北道が走るのは矢吹インターの直近わずかな距離。しかも合併後は、両者の間には泉崎村が挟まる格好になっており、言ってみれば白河市に出たり入ったりすることになったのでした。確か「白河市」の看板は動いていなかったように感じたのですが、何分地図を見ながら同乗していたのではないので、さすがに職業が地図屋であっても新旧境界線に看板がちゃあんと立っているかをそらんじいて確認する、という離れ業はできませんでした。

今週土曜日には、鹿児島空港シャトルバスで九州道南端部を走ることになっているので、ちょっと気にしてみてみようと思います…。あ、でもほぼ1年が経つ鹿児島市の合併は、なんぼ何でも直しているでしょうね(苦笑)。あ、それよりも関越道の「大井町」がどうなったのか知りたい~。ついでに、関越道から見える「おおい」と書かれた浄水場タンクのその後も確認していません、どうなったのでしょうね?
[46549] 2005年 11月 8日(火)09:40:02スナフキん さん
ふじみ野市長選挙戦が始まりました
日曜にふじみ野市長選挙が告示され、選挙戦が始まり自宅近くはやかましくなりました。幸い、法定選挙運動時間帯と自分の在宅時間帯が抵触するのは朝の数分だけで、わずかな間の騒々しさなので我慢できますが、日中市内にとどまっている人たちは、この狭い地域で候補者4人というやや乱立っぽい選挙戦に閉口しているかもしれません。まる一日騒音に耐えねばならぬ週末も、私は投票当日を含め妹の結婚式で郡山遠征を控えているので、ほぼ避けられそうです。

政治色の強い書き込みなので少々気が引けますが、この市長選挙に限らず合併に伴う新自治体の首長選挙でいつも思うのは、合併前の旧市町村長が複数出馬してきて争うのって、新自治体にとってはどうなのだろうかということです。多かれ少なかれ、旧市町村長は旧自治体における利権および既得権益を背負って出てくることは想像がつきます。それらを一切断ち切って出馬するというのは、常識で考えてもまず無理でしょう。だとすれば、合併に伴って1枚岩になったはずの自治体を、再び選挙戦で地域間対立へと導いてしまうことはないのだろうか、と政治学に疎いスナフキんは考えてしまうのです。一方、事前の話し合いで出る出ないを旧市町村長間で決めるほうがよさそうにも思えますが、そうなると密室政治だ、決定経過が不透明で分かりにくいなどの批判にさらされることになり、こちらも単純に「是」と言い切れないものがあります。

いわゆる合併特例法では、新自治体の首長についての規定がどのようになっているのかよく分からないのですが、文言で「旧自治体の首長は新自治体において首長となることはできないものとする」みたいな表現を盛り込めなかったのかな、そうすれば結構、物事は公平に進むのではないかなと漠然と考えたりもします…あ、それをやったら旧自治体の首長による抵抗が強くなって、今ほど「平成の大合併」は進んでいなかったのかもしれませんね。政治というハタケ違いな分野を、選挙戦を見ながら雑感してしまうスナフキんです。
[46521] 2005年 11月 6日(日)23:17:42スナフキん さん
地域コードの話
[46519]Issieさん
ところで今最も関心があるのは,来年3月に有田町(まち) と 西有田町 とが合併して発足する「有田町(ちょう)」。
現・有田町の番号(41401)を引き継ぐのか,“新しい自治体”とみなして新番号(41403)が与えられるのか。
個人的な憶測ですが、恐らく「引き継ぎ」になるだろうと思います。根拠は、同じようなケースで引き継いだ前例があるからです。と言ってもまだ合併に至っていないのですが、コード自体はすでにリリースされています。青森県南部町がそれで、名川町・福地村と合併することにより従来の「まち」ではなく「ちょう」に読み替え、実質新設合併を示しているとも言えますが、ここでは従来の「なんぶまち」コードがそのまま新町に用いられることとなっています。

ただ、恐らく中央省庁が決めるであろうコード順はともかく合併にかかわる事象って、結構当該県の前例を重視するようなところがあり(殊に、県や市町村側における決定事項ではそういう方向性が顕著になりますね)、100パーセントの自信はありません。正解が判明するのがいつ頃かははっきりしませんが、そう遠くない時期に分かるのではないかと思います。今までLasdecのページを見ていて、それほど告示とコード判明のタイミングが大ずれしたことはないので…。
[46462] 2005年 11月 4日(金)13:44:08スナフキん さん
航空祭と、少しのレス
昨日は、けっこう以前から楽しみにしていた入間航空祭でした。昨年は知り合いのバス運転士の退職記念仕業に付き合ってしまい涙を呑んだイベントで、団地に引っ越してから眺めるのは初めてとなりましたが…天気がひどいものでした(泣)。雨こそ降らずにもったからいいようなもので、終始曇天。航空自衛隊入間基地は、スカッと晴れれば飛行機の離着陸が見えてもおかしくない距離のはずなのに、昨日は地表付近はモーレツにモヤっぽく、離着陸どころか低空飛行されると機影すらほとんど確認できないありさま。視界が片方向にしか開けていないので、飛行ルートも分からぬままに突然爆音が響いて飛行機が頭上を通過という不意打ちを何度も食らいました。ブルーインパルスの飛行はもっと悲惨で、なまじ昼過ぎて日が出たために雲が余計に白光りして煙幕と同色化し、「空のキャンバス」は台無しです。上半分がかろうじて見えただけ、ましでしたが。もちろん低空での曲芸飛行の様子など見えるはずもなく、今年は完全に「ハズレ年」だったようです、普段は晴れの当り日だからということで航空祭を例年この日にしているはずなのですが…。数年前からは騒音への配慮か、F系の戦闘機飛行展示も取りやめになって迫力がなくなっているのも、隠れ飛行機好きには惜しまれるところ。ここのところは週末に天気が崩れることが多く、中には紅葉を愛でるプランをだめにしてしまった方もいるのでは?

さて、少しレス。
[46444]futsunoおじさん
「寡占化」と「集中化」ってのは「衰退化」の始まりのような気がします。
物ごとはたぶん、地図の話や山登りに限らずそうなんだと思います。人間は独占状態になると必ず気が緩みます。何をしても大丈夫なような錯覚に陥ることもあります。そこで、落とし穴だ、「勝ってかぶとの緒を締めよ」って格言のごとく考えられる人は、たぶん大人物なんだろうなあと思うのです。有頂天になると、視野が思い切り狭くなりますからねぇ…自分も気をつけないといけません。

若年人口の減少が痛いです。
これは山登りのお話でしょうか。私も昨年、ハイキング程度のノリで低山へ何度か単独行を試みましたが、あるパーティーから「若いのに感心ねぇ…」なんて声をかけられた時がありました。若いって、あたしゃもう30代に突入したんですが大学生くらいに見えたんでしょうか、そのおばさまたちには(苦笑)。目上の人から若く見られるって言うのは、実に複雑な気持ちですが。

ところで、昨晩自宅裏の十字路で交通人身事故がありました。この交差点は登り坂の終わる地点にあり、十字路の先は急屈曲となるポイントで交差する道路からは右も左も見通しが非常に悪く、引越し当初からここはアブナい場所だな、いつか何かあるんじゃないかと危惧していた部分でしたが、予感が的中してしまった格好です。以前も触れたと思いますがこの十字路、実は市の境界線上にあり、警察署の管轄も異なります。こういう時ってどう処理されるんだろうと思っていたら、救急車は分署の位置がより遠い川越市側からやってきてしまい、上福岡方面に走ってゆきました。その後しばらくして埼玉県警の事故調査車が来ていたようですが、これがどちらの警察(川越?東入間?)から来たのかはずっと眺めていなかったので分かりません。都道府県・市区町村の境界と重なる道路上での事故はどう扱われるのでしょう。よく警察署の前には「本日・今月・今年の管内における事故発生数」とかいう数字が掲示されますが、あの数にも影響するのですよね…。
[46415] 2005年 11月 2日(水)09:42:26スナフキん さん
登山地図のこと
社員旅行から帰ってきました。いろんなことを学び、たくさんの海の幸と山の幸を味わい、すばらしい温泉宿に巡り合えた2泊3日でした。さて山と高原地図、仕事柄ほぼ全巻そろった環境に囲まれているスナフキんから補足を。
[46383]みやこ♂さん
今から30年ほど前には,むしろ後発組で,マイナーな印象だったような印象です。
そうですね、昔は日地出版が相当のシェアを占めていたはずですが、業界におけるデジタル化の波に乗り遅れたことで行き詰まりを見せ、会社ごとゼンリンに吸収されて現在に至っているのは周知の通りです。だからと言ってゼンリンにはデジタルネタが引き継がれたわけでもなく、デジタルに関する小縮尺のノウハウはもともと皆無に等しかったわけですから、今改まってゼンリンとして登山地図を出してメンテし続ける、ということはしていませんけれど(出すだけ出したことはあります)。いっときヤマケイが登山地図を手がけたこともありましたが、その後改訂される様子がないところを見るとこれも花火を一発打ち上げただけで終わってしまいそうです。

もともと登山地図は、市街図や道路図などと比較しても経年変化の量が圧倒的に少なく、毎年改訂するには需要とにらめっこしてもあまりに割に合わないという側面があるため、いきおいある程度の規模を有し資金をつぎ込める会社だけができる分野になりがちで、結果現在のような半ば寡占状態になっています。でも、どの出版社もそれに関して動こうとはしないのですよ、経営が苦しくて(苦笑)。

わたくしが「山と高原地図」に惹かれるのは様々な理由がありますが,その一つには絵柄の美しさ,があげられるでしょうか。むろんヨーロッパ諸国の地図や北海道地図の秀逸さには及ばないとも思います
北海道地図のものは確かに見ごたえがあります。現在は子会社に分割されたジオ発行ということになっていますが、その緻密な表現方法は変わるところがなく感心しています。ただですね、実際山登りをした経験もある私に言わせれば、実用的にはちょっと「凝り過ぎ」な感も否めません。ハッキリ言って山を歩くのに影付けはそれほど重要でなく、むしろ正確な等高線が見えないと意味がない。登山する人はそれなりに地形図を読む訓練もされるはずですから、付帯情報、例えば正確に山小屋や水場の位置が落とせているか、沢や岩の様子がどれほどよく描き込まれているかが登山地図には求められているはずなのですが、その点北海道地図のものは山歩き用と言うよりはむしろ「観賞用」に近いのではと思って見ています。

さすがに「日本アルプス総図」はねぇ・・・迷いますねぇ,実際。何か特典ないのかな?
ないです(汗)。そもそも縮尺的に広範囲をカバーし過ぎていて、とても実用に耐えるとは思えません。1/15万地図で山登りできる人は、ハッキリ言ってすごいです(笑)。当然注記類も相当に編集・整理されているはずで、仮にコレクションのネタにするのであれば明らかに向いていないということができます。強いて特典を挙げよと言われれば、ガイド冊子が同じ体裁でまるまる写真集ぽくなっていること、くらいでしょうか。登山ガイドはこの地図には掲載されていないです。

[46412]EMMさん
山と高原地図は巻数はずっと変わっていないのでしょうか?
2002年→2003年の改訂で、総冊数は大きく整理されましたね。この時に南北に分かれていたアルプス総図が統合されています。この時は特に西日本の各図が相当に統合されたため実質総冊数は減少しています。

「この辺は出ないのかなぁ」と思う場所は何か所かあるのですが、かぽっと開いているエリアは登山用、と言う観点からは需要が低い、と考えて良いのでしょうか。
同業他社の視点からですが、多分図取りは「日本百名山」やそれに準ずる名数山名に大きく左右されているものと思われます。それはやはり知名度の点、需要の点からもうなずける話で、また致し方ないことなのかなと思います。
[46075] 2005年 10月 23日(日)22:26:30スナフキん さん
メガライナー、若干の補足
[46044]YASUさん
関東鉄道運行便は10月いっぱいで廃止だそうです(転属先は不明)。
確認していただいたのですね、何だかお力になれずにすみません。この回答に、私はやっぱりなと思いました。いや、前から知っていたのではないのですが、うすうすそうなるんじゃなかろうかと漠然と思っていたのです。

その理由は、間接的にJRバス関東の方からこんな情報を得ていたためでした。
「メガライナーは全車JRバス関東の所有である」
というものです。関東鉄道のカラーリングで走っている車も、実は内外装共々全く共通の車で、単にJRバスが関東鉄道へリースしているだけだというのです。ですから、今回の減便が明らかになった時点で、ひょっとしたら関東鉄道側がリース契約を破棄し、リース元のJRバスに車を返却する可能性はあるな、と踏んでいたのです。どうもそれが現実のものとなりそうですね。

[45942]みかちゅうさん
わずか1年半で廃車にするとは考えにくいので、鹿島線転用説はある程度の根拠はあります。
確かに、採算ベースで考えると鹿島線への転属はありでしょうが、現在の路線は先にも私が述べた通り潮来ICから真っすぐ鹿嶋市を目指しているのではなく、途中神栖市にある「鹿島セントラルホテル」を経由しています。このホテルへの横付けが、恐らくメガライナー級の大型車体では難しかろうと思われます。仮に何とかここをクリアできたとしても、その後特に住友金属以降の鹿嶋市内部分は対面通行の幅員道路もルート中に含まれています。素人目にもメガライナーでは安全運行が厳しそうなコースです。もし、潮来ICからワールドカップ2002の際に改築された県道を経由し、同時期に架け替えた(旧道も残ってはいるはずですが)新神宮橋を通ればオール片側2車線道路のハズなのでメガライナーの運行は可能でしょうが、逆に現在はこのルート経由の路線設定がないため、新たに別免許を取得する必要があります。メガライナーを活かすためだけに、ここまで面倒な手順を踏むかなぁ…というのが私の考えです。
[45930] 2005年 10月 21日(金)13:40:07【1】スナフキん さん
また少しレス
[45922]YASUさん
つくば高速バスの話題は、直接鹿島の話とは関係ないので思い切りはしょってしまいました。バス路線の改廃って一見地理とは関係ないようにも思われがちですが、総合交通ネットワークとしての鉄道・バス網を論じるのも地理学として成り立つ命題なので私はそれほど問題ないのではと思うクチです。

で、本題ですが現在休日はつくば線は84往復、日中はほぼ東京発毎時00・10・30・40分発、時間当たり4本体制です。改正後は総本数が52往復となります。半減にまでは至りませんが、それでも相当な数の減り方です。日中パターンは毎時00・20・40発の20分間隔に改められます。さらに、南守谷線に至っては路線が完全廃止となります。ネットを詮索しても東海道系の夜行・昼行改正ネタは公式ページに掲載されていますが、常磐系統の話題はおおむね「後退改定」のためか公表されている様子が見えません。上記記述は東京駅に掲示してあったものなので、間違いなくこの内容で改正が実施されると思います。もちろんこれらはTX開業後の利用率大激減によるものですが、駅の掲示には「メガライナー」の注意書きは一切ありませんでした。「一切ない」=存続なのか、=全廃なのかは判断できません。個人的には、転用できない車両ですから何らかの形で引き続き運行されるとは思うのですが…。

[45929]matsuさん
村内に「鮫川」という川が流れているようですがそれからとったのであれば川の由来がよくわからないです。
鮫川村のいわれはご指摘の通り河川名「鮫川」からきていると思われますが、この川の由来について勤務先の地方資料を引っ掻き回して調べてみました。1968年の「明治100年さめがわ」によれば、

「一説に、鮫川の水源地を渡瀬字福原地内にある鮫池であるとし、太古海から鮫が上ってきて鮫池に住んだという伝説により鮫川の名が生まれたという」(抜粋)

とあります。「一説に」と断るくらいなので諸説があるようですが、逆にこの説を公的な文書でもって取り上げていることから、最有力な説なのではないかという推測はできます。

分かることと言えばこの程度ですが、お役に立てたでしょうか。
[45919] 2005年 10月 21日(金)09:23:29スナフキん さん
少しレス
[45822]YASUさん
ここが旅客営業を廃止する直前に乗車したことがある
このことの方がよほどうらやましいです。当時は廃止の情報など雑誌から得る以外に有効な方法がない時代でしたから…。翻って今や、今回の1日限定復活イベントもレールファン上でアナウンスされているくらいですから、ホント便利になったものだと思います。

旅客営業復活なんてことはありえない
ですねぇ(苦笑)。ご存知かもしれませんが、高速バス鹿島線は鹿嶋市内に入る前にまず神栖市に入り、鹿島でないのに鹿島を名乗る「セントラルホテル」を経由してから鹿嶋市内の各停留所へ向かっています。セントラルホテルまでの運転間隔は最短で10分、乗換えを必要とする鉄道アクセスがこれにかなうとはとても思えません。しかも、神栖駅のあった貨物ヤードは事実上グリーンベルトによって市街地から目隠しされています。およそ客扱いを考慮した構造ではなく、旅客列車を頻発させるにはハードルが高すぎますね。ちなみに、来月からTX開通を受けてつくば線が大減便されるため、鹿島線は東京発着の高速バス路線で最大本数・頻度となることがほぼ確定的です。

[45884]みかちゅうさん
あ、私も行ってました。
う~む、あれほどマニアックな場所ですから、落書き帳メンバーは私以外には誰も行かぬだろうと思っていたのですが…。しかも
スナフキんさんあたりがいらっしゃるかなという漠然とした予想
私の行動が読まれているし(苦笑)。

寒い中の豚汁はありがたいものです
天気がさっぱりだった上に、土地柄東からの海風をまともに受ける地方でもあるため、ますます寒さが身にしみました。豚汁やけんちん汁の露店にはチラホラ客が見られましたが、みな考えることは一緒なのでしょう。私も暖かいトルコスープの無料提供は大歓迎だったのです、けどもう少し味がまともならなおよかったのに、なんて(苦笑)。

「今度は鹿島港南まで運転してくださいね」
公式ページによれば、元鹿島港南駅は現在都市計画道路がぶち抜いていて踏切化しているそうです。連れ一同はとっくにそんなことを承知だったらしく、「今度やるときは奥野谷浜だろうっ!」と息巻いていました…。奥野谷浜なんて、レールファンでも知っている人はごく少数だろうに、とんでもない人たちと仲間になってしまったものだと思いました。そもそも、東京へ帰るのに水戸を回ろう、なんて言い出す人たちですから話題にさえついていくのも大変です。
[45820] 2005年 10月 18日(火)13:00:57スナフキん さん
週末のお祭りなど
十番勝負の最中ですが、長い文章を投下します(汗)。流れてしまってもいいような内容なので、まあいいでしょう。

週末日曜日は、夜の下り電車を降りたところで川越祭りだったことにようやく気づきました。普段なら休日夜の上り列車からワラワラ人が降りてくることはまずないのですが、この日は綿アメやフーセンを持った子供がたくさん降りてきて、地元の一番有名な祭りの存在を思い出したのです。

で、地元の秋祭りを忘却していた私は、神栖市へ行っていました(汗)。何でも、鹿島臨海鉄道のうち鹿島臨港線の一部(鹿島サッカースタジアム~神栖)が、大洗鹿島線開業20周年記念でこの1日限り営業運転を復活させるとの情報を聞きつけたためでした。結果的に以前あった駅ホームとはまったく違う方角にある車両検査場内の、洗浄設備をホームとして使っていただけでちょっと当てが外れましたがいい経験をしました。数年前に拡張を終えた鹿島港と、それに伴って廃道となった国道跡地も望めましたし、何よりも頻繁に貨物列車の入れ替えをする活気ある貨物駅を間近で見られたのがいい思い出になりました。場所は違えど臨港鉄道踏切(現在では「跡地」)目前が母の実家である自分の目には、元気な貨物駅はとても頼もしく映るのです。

もっとも、天気が終始パッとせず、雨降りの時間も長かったため展示車両を眺めたり写真を撮ったりするのには不向きな状況でしたし、3便あった往復列車のうち予定していた2便目が切符の手配が間に合わず見切り発車、自分はただそれを目の前で指をくわえて見ているだけ、というトラブルもありましたが…。こういうイベントで積み残しが出たりするとヲタの方々が(自分も人のことは言えませんが)騒ぎ出して乱闘っぽくなることもあるのですが、今回は天気があれだけ悪く、しかも今日1日限りだったにもかかわらず粛々と人員整理されていたのが、むしろ不思議なくらいでした。

積み残されたおかげで、隣接する鹿島サッカースタジアムで同時開催の鹿嶋祭りに出向くこともできました。市制施行10周年・第15回とあって、おやじダンサーズで名の知れたパパイヤ鈴木氏も現れるイベントもあったりして、天気の割にはにぎわっていたようです(生パフォーマンス、すっごく見たかったのですが時間が合いませんでした)…。んっっ?! ぢゃあ始めの1~5回は「鹿嶋」祭りじゃマズかったんではないのかな? など下らない疑問を思ったりもしました。どういうわけかトルコ料理の露店がいくつか出ており、「ドネルケバブ」なる不思議な料理を食べることができましたが…なぜに鹿島にトルコ料理が? 天気が悪いせいかどの露店も売り上げがサッパリのようで、陽気なトルコ人のオジサマはノリノリでトルコスープもサービスでつけてくれましたが、この味がまた何とも形容のしがたいもの。香辛料が強く、ビーンズベースのスープのはずなのにあまりそういう感じがしません。単に鉄ヲタイベントのためだけに遠征したはずの日曜日は、思わぬところでインターナショナルな体験もできた日になりました。期せずして、ここ数ヶ月でバタバタと市が増殖した地域を通り抜けることにもなりましたし(神栖市・鉾田市・かすみがうら市)。そうです、帰りは接続が悪いのを嫌い、わざわざ鹿島から水戸まで逆走・北上し、常磐線の特急を持ち出し増覚悟で利用するルートを同行者全員の一致で決めたのでした。最速ルートではありましたが、最もお金のかかるルートでもあり、週末の終わりという貴重な時間をお金で買ったような気分でした。

ここのところ週末になると天気がよくなくて不満を募らしている方も多いのでしょうね。このまま秋晴れが見られないうちに最低気温が一ケタになって冷えてきて…っていうのは何だか、季節を飛び越してしまったみたいで、イヤですねぇ…。

p.s.[45818]EMMさんのタイトル、私も知っています。神奈川の企業なんだそうですね。
[45596] 2005年 10月 12日(水)09:53:17スナフキん さん
岩内のこと
やはりレスがつきましたか(笑)
[45581]白桃さん
現在の推計人口では倶知安のほうが上位になっております。
やはりですか…。私は最新版(平成16年版)市町村要覧の人口で判断して書き込んだのですが、その差が600程度だったこと、今年実際に岩内を訪ねてみて、凋落傾向に歯止めがかからない現実を目の当たりにしたことから追い抜かれたかも、とは思っていたのです。

岩内の人口激減は気になります。
岩内市街にある、オムライスがおいしいことでちょっと名の通った洋食屋(道新地方版にも掲載されたことがあるようです)を紹介してもらっていろいろ話を聞くことができました(ちょっと宣伝モード)。半そでに短パンという、およそ旅行者とは思えない格好で入店したのですが、雰囲気ですぐオーナーには旅行者と分かられてしまったようです。紹介してもらったユースホステルの名前を告げると、超多忙にもかかわらず愛想良く話をしてくれ、サービスで海洋深層水で作ったコーヒーゼリーまで頂いてしまいました。隣には地元の常連さんもおり、3人で話をしたところ、どうも「フェリーが来なくなったのが大打撃」だそうです。

人口推移との相関関係まで調べていませんが、国鉄岩内線がまず切り離され、フェリールートも岩内を通らなくなることで、交通結節地としての利便性がことごとく失われてしまったのがここ10~20年の岩内がたどった道のりのようです。鉄道業にせよ海運業にせよ、多少性格は異なれどどちらも巨大な装置産業です。その産業自体を動かすのに必要な人手もさることながら、それらを支える関連産業における人口分布もそれなりにあったはずですが、それらすべてが根こそぎなくなったのですから人口がそのまま推移するはずがありません。鉄道を引き継いだバスは鉄道と同じ陸運業ですが、鉄道に比べると従事人口ははるかに少ないものです。一番人手のかかる「保線」なる業務が基本的にありませんし、駅管理業務も鉄道に比べれば微々たるものですね。地元の方がフェリーが失われたことを物凄く悔やんでいた口調が、とても印象に残っています。

などと岩内をずいぶんと落とす発言ですが、やはり市街の大きさは町域人口を如実に反映しているなあと思える広がりがありました。ただ勢いが衰えているのは明白で、たとえ地元の話が聞けなかったとしても、中心商店街の閉店ぶり(全国的な傾向ですが、ここはそれを上回る寂れ方でした)からそれは読み取れただろうと思います。倶知安の人口規模が今後も伸び続けるとは考えにくいですが、逆に岩内の衰退傾向が続くのはほぼ確実で、倶知安と岩内の差は、ここで逆転して以降もしばらくは離れ続けていくのだろうと思われます。

余市は、もともと歴史的にニシン漁に代表されるように海産物集散地としての人口立地があったと推測されますが、それに輪をかけたのは多分、大日本果汁(いわゆる「ニッカウヰスキー」)の立地だったのでしょう。人口動態と直接の関係はありませんが、現在では宇宙飛行士・毛利衛さんの出身地として賑わいを見せており、町自体に勢いが感じられました。

以前も書いたように、後志支庁には他にも「人工微増」が続くといわれるニセコ町の存在や、地名好きさんも挙げておられる、かつては鉄道も延びていてそれなりの地域核的性格を持っていたと推測できる寿都町もあり、なかなか面白いエリアではないかと思います。
[45579] 2005年 10月 11日(火)19:13:30スナフキん さん
私もちょいと口出しを…
[45511]白桃さん
白桃の名町16撰
なかなか面白そうなので、ちょいと口出しを。

北海道からは倶知安町が出ていますね。3つの条件をすべて満たす町を北海道から選び出すとそのほとんどが道南に固まってしまいますが、うち3町が市の乏しい後志支庁管内に分布するのが何とも面白いです。しかも、白桃さんの挙げた倶知安以外の2町は、倶知安の人口を上回っているのですねぇ。後志支庁所在地をさしおいて、さらに人口規模としてはそれを上回る町が存在するのです。どちらも倶知安に負けず劣らず町歩きが面白そうです、余市町と岩内町。前者はなるほどなあと思われるでしょうが、岩内の意外な大きさには自分自身も訪れてみてびっくりした経験があります。

道内から「クッ」とくるものを個人的にピックアップしてみると、道北・道東での健闘が光る美幌町、現人口では抜かれていてもやっぱり日高の中心浦河町あたりでしょうか。人口要件を満たさず残念ではありますが、歴史的観点からもぜひ「次点」をあげたいのは厚岸町、といったところです。

他の都府県をやっていると仕事に差し支えるので、この辺で(汗)。
[45484] 2005年 10月 7日(金)20:49:34スナフキん さん
歌のテーマ地詮索って面白いですね
木綿のハンカチーフネタで。

[45474]いっちゃんさん
今は無き「急行アルプス」の上りが夜行だったら「諏訪・松本説」も有力なのですが、夜行は下りだけだったような気がするし・・・。
気になるので、勤務先で保有する最も古い時刻表で調べてみました。すると、急行「アルプス8号」が南小谷発新宿行として、ちゃあんと走っています。それも1975年3月号、歌が流行していたまさにその頃のダイヤです。けど、とっくに中央本線は電化を果たしていて、この急行列車もグリーン車付の電車表示がされています。夜汽車には違いありませんが、あの歌にツートンカラーの電車急行は…イメージが合致するような、しないような。

歌の情景にあこがれて旅をするっていうのも、なかなか面白いものです。先般行われたオフでは、乗ったことがないという理由以外に、ある歌を思い起こしながらあえて阪神間の移動を阪急電車に委ねました。

「坂道の途中にある この小さな遮断機に駅はない…」
「この坂道登り切れば あなたへとやっと辿り着ける…」
「ここは開かずの踏切 必ず待たされるの…」

日本語としてちょっとおかしな部分もありますが、シンガーソングライターが神戸出身なのを知っていたので、この情景は恐らくは山の手を走る阪急沿線に違いないと勝手に思って、車窓をぼんやり眺めながらもこの歌を頭の中で流してみるのでした。私の乗る特急の直前、「小さな遮断機」をくぐってオバハンが横断して急ブレーキがかかったときにはドキッとさせられましたが(汗)。確か王子公園の手前辺りだったかな…。もっとも、阪急神戸線の電車は「開かずの踏切」になるほど頻発はしていないような気もしますが…。
[45288] 2005年 10月 1日(土)12:59:49スナフキん さん
住所が変わった市民から第一声(?)
明けて10月1日、都民の日です…ではなく、ふじみ野市ができました。先ほどブランチをと行き付けの喫茶店に向かう途中、開庁式目前の「ふじみ野市大井庁舎」前を通りかかりました。垂れ幕と紅白の横断幕が出ていましたが…一般市民からすれば役所の内輪祭りに見えなくもありません(汗)。普通の人が参加しているようには見えませんでした、やっぱりそんなに関心は高くないのでしょうか。私自身もこれに参加しようと思うほどの関心がないのが実情ですけど…。また居住地の名称が変わったので、本日付でメンバー紹介ページも(仕方なく)変更しました。

同時に今日は、国勢調査調査票の回収日。ですが私はこれから、オフの際にお出しした出版物の発行記念会に参加するため都内は青山に出なければならず、調査員とはすれ違いになってしまいます。記入は済ませましたが、明日夕方に回収してもらうことにしています。仕事をした時間という項目があるのですね、意識したわけではないですが普段から残業ばかりなので結構すごい数字になりました。何かこう大きな数字を書いていると、へっへっへ、こんな数字を書いちゃうゾ~みたいな、自虐的な気分になります(大汗)。
[45262] 2005年 9月 30日(金)23:00:58スナフキん さん
あとちょっとで住所が変わる市民から
というわけで、とうとうこの日がやってきました。あと1時間とちょっとで、私の居住地は上福岡市からふじみ野市へと変わります。残業しないで帰宅したら、駅名看板の所在地部分はすでに掛け替えられ、上福岡市がシール貼りされて変更準備が整っていました。早く帰ったとは言っても、このあと市役所のお名残り訪問をしたわけではなく、単に体調不良気味だっただけですが…(汗)。いい加減繰り返しでウンザリでしょうが、やっぱり私はこの新市名に疑念を抱きます。たぶん今後、家はどちらですかと尋ねられても「ふじみ野」と答えることは絶対ないでしょう。東上線の急行停車駅・ふじみ野と混同されるのは間違いないからです。「だけど最寄り駅は上福岡です」って言わなきゃいけない市名なんて、答えるだけ意味ありません、と私は考えているので。

このほか今日午後には、一応手続き上必要なので勤務先に「住所変更届」を提出しました。本来ならこの届けは引越しに伴って提出すべきもので、昨今の大合併による自治体名称の変更およびそれに伴う居住地名の微変更まで考慮に入っておらず、記載事項にチグハグさが目立ちましたが、仕方ありません。

しかし、合併に伴う手続きでしたことはただのこれだけ。様々な登録内容における住所変更など全く手付かずです。中でも郵便局や銀行のキャッシュカード、クレジットカードあたりは変更すべきものなのかの確認すらしていません。もっとも、実害と言えばお知らせの郵便物が旧住所で届いてしまうことくらいしか思い浮かばないのですが、もしすでに合併に伴って諸手続きをされた経験のある方がいらっしゃいましたら、少しでもご教授くだされば嬉しいです。手続き一覧もすでに全戸配布されていますが、前述の3項目辺りが大半の人にかかわるものでありながら「詳細はお問い合わせください」とグレーにされてしまっています。

最後にハミダシ。セ・リーグで阪神が優勝しました。オフの際、普通車ではありましたが阪神電車に一部区間でも乗っておいてよかったなと、少し思いました。それと、その場で使い果たしてしまいましたが星野監督のらくやんカード、今まで残しておいてよかったなとすごく思いました(謎)。
[45258] 2005年 9月 30日(金)16:37:57スナフキん さん
ちょっとびっくりしたこと
今日になって、勤務先にある雑誌「地理」を見ていてギョッとしました。特集のタイトルが「戦争遺跡と地域」ではありませんか! しかもその内容には「地形図に見る旧軍用飛行場の戦後」という論文まで掲載されています。これ、中を読むと事例は異なれど私が第2回オフで披露した企画内容ほとんどそのまんまで、非常にびっくりしています。我が勤務先と「地理」発行元の古今書院との間で仕事のやり取りはあるのですが、私が直接仕事を手がけたことはなく、もちろん「地理」10月号の特集内容までを知るはずもなく、まったくの偶然だったようです。

ちなみに、前述の論文を記されている松山薫先生とは私は何の親交も関係もなく、まったく別の人です。内容は酷似していますが、私が紹介した内容以上にもっと学術的に深く掘り下げて記述されており、頭が下がります。地図屋と言えば聞こえはいいけど、所詮は「さらりひまん」の分際でしかない私には到底真似のできない内容ですね…。私の紹介は、あくまでも「地図にはこんな見方もある」程度のものに過ぎませんでしたが、もう少し興味がある方は10月号の「地理」に目を通してみるといいかもしれません。

以上、だいぶ経ってからのオフのフォローでした。
[45226] 2005年 9月 29日(木)13:21:00スナフキん さん
国勢調査のこと
何だか、書き込み内容がただならぬ状態に…。

確かに、ここのメンバーの皆さんは世間一般の方々以上に国勢調査に関心があるだろうと思いますし、過去の書き込みでも示したように自分もそのうちの一人です。その方法や概念、そして出てくる結果とそこから導き出される様々な指標類…興味は尽きない方もいらっしゃって当然だと思います。中には「調査員」、あるいはそれを束ねることになるであろう自治体職員と思しき方々もいらっしゃるようです。

ただ、ですよ。ここは都道府県落書き帳であって国勢調査よろず相談所や苦情受付所ではありませんよね? もしどうしても分からないことがあるのであれば、仮にこの場に調査員や自治体職員の方がいらっしゃったとしても、当該市町村にまず問い合わせて疑問を晴らすのが先決だと考えますがいかがでしょうか。

仮に何らかの疑問が投げかけられたとして、受ける側としても、法で定められた調査ですから肩に力が入るのは分かりますが何か、もうちょっと目に見えていない相手の方を思った発言が欲しいかなと…。私の勝手な感想ではありますけど。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示