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キーワード「久栄村」を含む記事が18件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[108757]2023年9月15日
むっくん
[108728]2023年9月9日
グリグリ
[107626]2023年4月16日
むっくん
[107611]2023年4月15日
サヌカイト
[107174]2023年3月30日
YT
[107173]2023年3月29日
サヌカイト
[107168]2023年3月29日
YT
[107164]2023年3月29日
サヌカイト
[102344]2021年9月18日
サヌカイト
[102330]2021年9月12日
むっくん
[102301]2021年8月30日
グリグリ
[102282]2021年8月27日
サヌカイト
[99097]2020年1月20日
グリグリ
[99093]2020年1月19日
MI
[98957]2020年1月7日
グリグリ
[98938]2020年1月6日
グリグリ
[98932]2020年1月6日
[98922]2020年1月6日
グリグリ

[108757] 2023年 9月 15日(金)19:23:24むっくん さん
Re:久万玉村について
[108728]グリグリさん
1951(S26).4.1の香川県久万玉村の「新設/改称」情報
こちらの件ですが、[102330]では改称の根拠が見つからないことから変更種別を「新設」に戻すべきとのご意見でした。その後、[107626]で正式に正誤情報が見つかったことから、「久栄村」は存在しなかったということで「新設/改称」を「新設」に戻すのがより正しいということでよろしいでしょうか。
「新設/改称」であった場合は、
(1)「栗熊村、富熊村を廃し久栄村を設置」との香川県告示(法的効力を有する)
(2)久栄村において、久栄村を久万玉村に改称する久栄村条例の作成(法的効力を有する)
(3)久栄村を久万玉村に改称する旨の香川県告示(があることが大多数)(法的効力を有しない)
との工程を経ます。
「新設」であった場合は、
(1)「栗熊村、富熊村を廃し久万玉村を設置」との香川県告示(法的効力を有する)
との工程を経ます。

内部事情が綾歌町史([102282])に書かれてあった通りであるとしても、法的には「新設」でしかない、と[102330]拙稿では書きましたし、それが結論です。

[107626]拙稿についてですが、こちらはあくまでも参考情報です。
#ある県で市町村の合併改称等を行うと、他の都道府県の公報にも記載されることが昭和12年ころから行われ始め、昭和16年からはそれが本格化します。そして昭和27年上半期ころまでは記載され続けていました。
#兵庫県報の記載からは、一度は久栄村が新設合併で成立したと香川県から通知されて、その後に成立したのは久万玉村の誤りであったと再度香川県から通知されたものと推測されます。

他の都道府県の公報である兵庫県報([107626])、綾歌町史([102282])、そして香川県の公報である香川縣報([102330])からは以下のように考えられます。

本来的には、[102282]サヌカイトさんが記載されたように、暫定的に久栄村が新設合併で成立し、その後の新村名協議で暫定的に決めれれた久栄村が久万玉村への改称、との二段階で香川県から公告されるはずでした。
ところが、[102330]で記載したように香川県は久栄村ではなくて久万玉村が新設合併で成立したと誤って公告してしまいました。
#兵庫県報からの推測。

法的根拠が誤りであると当然訂正をしなければならないのですが、訂正をする前に、新村名として久万玉村として決まったために、香川県としては何の訂正もすることなくそのままとなったのでしょう。
[107611]サヌカイトさん推察にあるように、久万玉村となるのが既定路線だったために、先走って久万玉村と公告したと見るのが自然かもしれません。
[108728] 2023年 9月 9日(土)13:10:58【1】訂正年月日
【1】2023年 9月 9日(土)13:22:56
オーナー グリグリ
久万玉村について(むっくんさんへ)
むっくんさんへ
長い間懸案のまま実質放置している変遷情報については大変心苦しく思っています。本当に申し訳ありません。現在、むっくんさんからいただいている情報を整理し始めています。変遷情報の更新作業に繋げる予定ですが、変更種別の見直し問題など編集システムへの影響もあり慎重に進めたいと考えています。その過程で現システムのまま更新可能な情報については並行して進めたいと思います。

1951(S26).4.1の香川県久万玉村の「新設/改称」情報
こちらの件ですが、[102330]では改称の根拠が見つからないことから変更種別を「新設」に戻すべきとのご意見でした。その後、[107626]で正式に正誤情報が見つかったことから、「久栄村」は存在しなかったということで「新設/改称」を「新設」に戻すのがより正しいということでよろしいでしょうか。その際「久栄村」についての関連情報は注記したいと思います。

このような形で五月雨的に確認させていただくことになるかもしれません。お手数ですがよろしくお願いいたします。

[104730] むっくんさん
#11年前に市区町村変遷情報の記載が明治22年まで完成した([78755]88さん)際に、その記載に誤りがある箇所(100箇所超)に対しての記事も当方で作成しましたが、投稿のタイミングがないまま今に至ります。
(#付きコメントへの返信で恐れ入ります)この件、現行システムで編集可能の範囲であれば(新たな変更種別が必要になるなどの影響がない)並行して作業を進めますので、お知らせいただければと思います。
[107626] 2023年 4月 16日(日)15:36:41むっくん さん
香川県綾歌郡久万玉村と鹿児島県薩摩郡入来町
[107174]YTさん
[107611]サヌカイトさん

53 1951(S26).4.1 新設 綾歌郡久万玉村 綾歌郡 栗熊村, 富熊村
兵庫縣報第二千八百號昭和二十六年四月六日p13雑報では
二○ 香川縣綾歌郡栗熊村及び富熊村を廢し、その區域をもつて新たに久榮村を置き、昭和二十六年四月一日から施行された。
とありますが、兵庫縣報第二千八百十六號昭和二十六年五月二十四日p8正誤
昭和二十六年雑報欄搭載の内、市町村の廃置分合並びに境界變更についての二○「久榮村」は「久万玉村」の誤り。
とあります。

兵庫県報の記述からも、S26.4.1に成立するのは久栄村だったがいつの間にか久万玉村に変更されたのは間違いないと思います。


別件で。
117 1948(S23).10.1 町制 薩摩郡入来町 薩摩郡 入来村
兵庫縣報第2509號昭和23年10月6日彙報では
S23.10.1鹿児島縣薩摩郡入來村を廢し、その區域を以て、十月一日から、薩摩郡入來町とすることとなつた
とあり、町制施行に際し、一度自治体の廃止を伴ったようです。
[107611] 2023年 4月 15日(土)21:17:14サヌカイト さん
レス*4
[107180]グリグリさん
素早い対応ありがとうございます。実はこれ以外にも見つけていたのですが、かなり細かいことにもかかわらず、[107170]を書いた時点ですでに修正されていいました。こんなに隅々まで手の行き届いている個人サイトはほとんどないと思います。すべてグリグリさんのきめ細やかな保守の賜物です。改めてグリグリさんはやはりすごいなあ、と思ったものです。


[107174]YTさん
31日に確認してきましたが、残念ながら「歩兵第十二聯隊歴史」にはめぼしいことは書いてありませんでした。

久栄村について。[102282]では、3月25日に村名が決定されたと綾歌町史には書いてあり、それ以前は久万玉表記が存在しないことから県報と矛盾していると考えましたが、古くからの郷の名前の漢字を簡単にした表記はいかにも元からありそうなので、おそらく20日の時点で既定路線だったのでしょう。丸亀市生涯学習課などに問い合わせることも考えましたが、YTさんのおっしゃる通り、結局は県報を正確ととるか不正確ととるかという問題に帰着しそうなので、もうこれが結論ということでこの件については一旦終了しようと思っています。五番丁で役に立たなかった上に別の話題にまで付き合わせてすみませんでした。

ちなみにですが国立国会図書館のオンライン利用者登録もしてきました。むこうでの処理に1週間ほどかかると書いてありますが、それも今は応募が少ないのか2日で終わりましたし、こちらでの作業は10分程度で終わるとても簡単なものでしたので、まだの方はぜひど~ぞ(吉塚仏壇店の宣伝の声で)。


[107227]らすさん
公開宣言の前に、まずは落書き帳をご覧になっているみなさんにご協力いただき、最低限の不具合がないか確認したいと思います。ご意見聴取の期間は2週間程度を予定します。
十番勝負の想定解を変える可能性があるということで控えていた経県値都道府県版の入力を再開するにあたって、せっかくなので利用させてもらいました。ひとまず佐賀県で試しましたが、おそらくそちらでも既にされているであろう地図の表示はもちろん、そのあとの登録や更新もそのリンクの状態できちんと動作できることも一応確認できました。とてもすばらしいシートだと思います。
それにしてもGoogleシートにもいい機能がついていますね。左端の表示切替機能や0~5のドロップ選択機能は私はMicrosoftエクセルでは見たことがありません。


[107530]ただけんさん
wikiでも確認しましたが、これでも少なくなっている、特に深夜便まであったというのは、生まれた時から瀬戸大橋があった身としては驚きを隠せません。まあ南海フェリーや仁堀航路をはじめとしたほかの手段もあるとはいえ、間違いなく四国の玄関の1つだったので、そんなものかもしれません。船ではありませんがサンライズもいつまでも残り続けられるとは思わないので、廃止される前に乗っておきたいです。
なお酔った経験というのは、先日書いたことに加え、座席のみ、トイレ遠い、2階席、昼食直後というかなりの悪条件だったので、たぶん大概のは大丈夫だと思うのですが、気分の問題として酔いそうと思うと酔いやすくなるので、瀬戸内海のような安心して乗れるところから始めてみます。

そういや宮島と土庄に乗ったことがあるのを完全に失念していましたね…。
[107174] 2023年 3月 30日(木)00:48:15【2】訂正年月日
【1】2023年 3月 30日(木)01:01:05
【2】2023年 5月 25日(木)17:16:18 by オーナー(表組み改善)
YT さん
久栄村
[107173] サヌカイトさん

一番丁~五番丁の調査、ありがとうございます。それにしても久栄村の件は、色々謎が多いですね。

昭和30年の国勢調査報告書に「付表2 市区町村の廃置分合,境界変更,名称変更一覧表-昭和25年10月2日~昭和30年10月1日」という項目があり、(pdf形式)でダウンロード可能です。これによると

年月日異動地域昭和25年人口 △は減
綾歌郡久万玉村6,172
29.4.1(新)綾歌郡栗熊村3,447
同富熊村2,725

とあって、久栄村の存在は無視されています。

一方香川県側では、例えば昭和29年の『香川県統計年鑑』に収録されている「市町村の廃置分合・境界変更及び名称変更」によると、

昭和25年国勢調査結果表より

などという謎の引用を掲げながら、

年月日合併町村
〃26.4.1綾歌郡富熊村及び栗熊村を廃し、その区域をもって久栄村を設置321141
昭和26.4.1綾歌郡久栄村を久万玉村とする。

と表記しており、久栄村の存在を示しています。

香川県側の証言としては、『香川県議会史 第1巻 (自昭和22年4月至昭和30年3月)』の346~347頁の記述によると、昭和26年3月10日土曜日の香川県議会議会で、以下のことが議決されており、この段階では4月1日付で久万村とすることが決まっています。

午後一時十三分再開

二十五号議案(仲多度郡南村を丸亀市の区域に編入)二十六号議案(綾歌郡栗熊村および富熊村を廃して久栄村とする)の二議案を追加上程、茨木議員が賛成、両議案とも賛成多数で可決承認、二十三、二十四号議案とあわせて陽春四月一日から二市一町八村が、二市一町一村として発足することとなった。

ところがむっくんさによると、[102330]に示したように、香川県報では昭和26年3月20日の段階では既に久万玉村となることが決まってしまっている。

香川縣告示第百二十一号
 綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃して、この区域をもつて新に久万玉村を置き、昭和二十六年四月一日から施行する。
 なお、地方自治法施行令第百七十七條第一項第一号の規定に依る久万玉村の人口は六千百七拾弐人である。
昭和二十六年三月二十日 香川縣知事 金子正則

3月10日と3月20日の間の10日間に何があったのでしょう?昭和25年度3月の残りの議会の記録を読んでも、久栄村を久万玉村とすることに関する議論は掲載されていません。

そして、昭和26年5月21日の官報によると、この段階では既に4月1日付で久万玉村となったことが報告されています。

◎総理府告示第百六十五号
   村の廃置分合
地方自治法第七条第一項の規定により、昭和二十六年四月一日から、香川県綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃し、その区域をもって久万玉村を置く旨、香川県知事から届出があった。 昭和二十六年五月二十一日
    内閣総理大臣 吉田 茂

以上を察するに、3月10日の段階で久栄村は議会で承認されたが、3月20日までに久万玉村となり、4月1日に正式に発足した際には久万玉村・・・というのが大まかな流れ。ところが、香川県内では、議案として久栄村の記録が残っており、例えば『香川県議会史 第1巻 (自昭和22年4月至昭和30年3月)』の年表の昭和26年四月一日・日の項目には、

綾歌郡栗熊村および富久万村を廃しその区域をもって久栄村を置く。綾歌郡久栄村を久万玉村とする。

と、4月1日に正式に久栄村が発足してしまったかのような記述になってしまってます。

あとは、

― (1) 「香川県報」に記載された告示が正しく、久栄村は存在しなかった
― (2) 香川県議会で決定されたように、久栄村は正式に発足したもので、香川県報の告示の記述は言葉足らずである

のどちらの立場を選択するかの問題に帰結されるかと思います。

個人的には(1)が正しく、久栄村は正式には発足しなかったと思われますが、香川県史、香川県統計年鑑、香川県議会史など、香川県側の記述は、この後大分経っても「久栄村」が正式に存在したとするものが多く、脚注で異論として併記が必要かも知れません。
[107173] 2023年 3月 29日(水)21:34:58サヌカイト さん
五番丁 と 久栄村
[107164]サヌカイト
その時メモを持って行き忘れたのでもう1回確認に行って記事にします
というわけで確認してきました。丸亀中央図書館は休館していたので宇多津に行ってきました。


[107168]YTさん
レスありがとうございます。国勢調査などのエクセルデータにはいつも非常にお世話になっています。
現在高校2年~3年の兄弟なのでしょうか?
年齢的にはそうですね。個人向けデジタル化資料送信サービス機能については国立国会図書館がこのサービスを始めて以来ずっと利用したいと思っていました。なるべく早く申請したいと思っています。
香川県史については[107168]で示していただいた5巻のその部分及び巻末の対応表もそうですが、根拠記述っぽいと思ったのは↓の方です。おそらくこれもYTさんはweb上で閲覧可能だと思いますが、せっかくメモったので書いておきます。

香川県史 11 近代・現代史料I 昭和61年
362ページ
丸亀旧来町区画の沿革理由書  明治21年
 旧来町区画ノ沿革理由書
   <略>
  一 六番丁ヨリ十番丁ノ名称藩政ノ頃ハ一般郭内ト唱ヘシカ明治五年一番丁ヨリ十番丁マテ更ニ名称ヲ附ス、爾後営所及練兵所設立ニ付一番丁ヨリ四番丁マテ名称ヲ廃ス
   <略>
  明治六年三月一番丁二番丁三番丁四番丁ヲ陸軍省エ買上地ニナル、
   <略>
 「町村制ニ関スル伺、上申」
369ページには旧町村と施行時自治体の対応表がありますが、ここに一から四番丁が書かれてあるのは区域について示しているからだと思います。
同様の対応表として日本歴史地名大系の巻末のものがありますが、これは施行時直前に一から四番丁無、五番丁有でした。

なお別巻年表に出典として載っている「歩兵第十二聯隊歴史」、中央図書館の閉架図書にあるようなので次の開館日に確認してきます。

また、他の本もあさっていて別の記述も発見しました。
中国・四国 地図で読む百年 平岡昭利編 平成11年 古今書院
129ページ
1872年(明治5)、丸亀の城郭内に兵営を設置するという話がもちあがり、その翌年には一番丁から四番丁までの侍屋敷が取り払われて陸軍省の用地となって、軍事的色彩を強めていった。さらに1874年、丸亀に営所が新築されて、広島鎮台高松営所の兵士が丸亀に移り、翌1875年、歩兵第十二連隊が創設された。それに伴って兵舎の東側は練兵場(西練兵場)となり、五番丁は作業場、外堀の東側一帯は新練兵場となった。
このことに従うならば、五番丁も比較的早い段階で無人化していたことになりそうです。

他にもいろいろ見ましたが、丸亀市史では通町外二十一町がわざわざ二十二に修正されていたこともあり、少なくとも五番丁が施行時直前まで存在したというのは間違いなさそうです。一から四番丁についてはよくわかりませんが、そういえば丸亀城内堀の内側(現在の一番丁)も所属自治体が存在しない?ようなのでそれと同じ扱いかもしれません(人口はおそらく0でしょうが…)。
ちなみに閉架から取り出してもらった市史の旧版や十二連隊の記念誌は期待値のわりにほとんど役に立ちませんでした。
以上なんの進展もなくて恐縮ですが、せっかくの丸亀の話題なので口を出しました。「歩兵第十二聯隊歴史」も今度調べてみます。



以下、久栄村の話題
[107168]で示していただいた通り、香川県史7に
二十六年四月一日、合併当初の新村名は中学校名をとり久栄村と称したが、即日、古事を引用した久万玉村に改称した。
と記述があります。しかも別巻年表にその出典として挙げられているのはなんと香川縣報。[102330]でむっくんさんが調べたところそのように書かれてはいなかった代物です。単に久万玉村の成立について参照したということなんだと思いますが、当時久万玉の表記が存在していなかったはず?[102344]であることも含めて謎です。

ちなみにこの古事ですが、上に挙げた日本歴史地名大系(「きゅうえい」の出元)や↓の資料に記載がありました。
綾歌町の地名 平成16年 綾歌町教育委員会
その昔、酒部黒麿という者が住んでいた。屋敷に栗の大樹があり、その根元から清水が湧き出していたため、「玉の井」と名付け、付近一帯を栗隈(くりくま)、また隈玉(くまたま)と呼ぶようになったという。その上「玉の井」の水の至る所、よく稲が実ったことから富熊(とみくま)と呼ばれるようになったという。
この冊子でも久栄村が存在するとされていましたが、由来は書いてありませんでした。

余談:県史によると昭和23年頃、香川県の町村平均面積は全国最小だったようです。
[107168] 2023年 3月 29日(水)14:02:00【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 29日(水)15:56:28
YT さん
Musashite?
[107164] サヌカイトさん

YTさん 丸亀市街問題について
 私のホームグラウンドということで郷土資料をとして手に入れやすいことから図書館で確認してきましたが、明確な記述は得られませんでした。その時メモを持って行き忘れたのでもう1回確認に行って記事にしますが、取り急ぎ香川県史(平成元年)に一から四番丁消滅の根拠記述っぽいのが載っていたことは報告しておきます。

わざわざ報告して頂きありがとうございます。[99158]の投稿からすると、サヌカイトさんは現在高校2年~3年の兄弟なのでしょうか?改めてこちらの落書き帳の年齢幅の大きさに驚かされます。

これはサヌカイトさんにとっては悪魔の囁きかも知れませんが、[107055]で示したように、国立国会図書館デジタルライブラリーの個人向けデジタル化資料送信サービス機能を使うことによって、自宅のパソコンで『香川県史』を閲覧することができます。ただそれによって自分がなすべき仕事が大いに阻害されることは間違いありません。一点問題となるのは、国立国会図書館の利用資格が年齢満18歳以上なことですが、兄の方は既に有資格者だと思います。

私が学生の時は、国立国会図書館の利用資格は満20歳以上でした。ただ当時真面目な大学生だった自分は、せっかく20歳の誕生日を迎えても、朝から晩まで授業を6コマ入れていた平日に全く利用する時間を作ることができず、確か土曜日?は夕方5時には閉まるし、行っても読みたい本を申請し(ぎりぎりOPACはあったかな・・・)、本が閲覧できるまでに30分以上も待たされ、とにかく利用し辛い図書館でした。その頃に比べたら、国立国会図書館は本館の方も大分利用し易くなりました。

おそらく丸亀営所に関する記述があるのは、『香川県史 5 通史編 近代I』(1987年3月)の92頁以降の「丸亀営所」の項目かと思います。こちらを読むと、丸亀一番丁~四番丁は「御用地」となり、さらに明治7夏の段階で丸亀五番丁~十番丁も将来の兵営地に指定されたものの、結局兵営地になったのは五番丁までで、残りは継続して住民が住み続けたことがうかがえます。ただ、結局明治22年末の段階で、一番丁~四番丁に建設された兵営所の住所表記はどうなるのかの問題は解決しませんね。

ちなみにこの県史、wikiの久栄村記述の出元ではないかと疑っております。県の呼びかけに従って早めに合併した模範事例としてわざわざ詳しく書かれており、そこにしっかり存在したと述べられていたので。ちなみに別出典ですが読みは「きゅうえい」だそうです。

こちらが載っているのは『香川県史 7 通史編 現代』(1989年3月)の359頁以降の「内海町と久万玉村」の項目ですね。いずれにせよ、国立国会図書館に利用登録をすれば膨大な数の本を閲覧できるようになります。


それにしても「サヌカイト」とは、なかなかセンスのある名前ですね。思えば自分は埼玉県浦和市生まれ、神奈川県川崎市育ち、最近は東京都稲城市在住なので、日本国内での居住は全て武蔵国内です。さしずめMusashite ムサシャイトかムササイト?となりますが、今更本名をイニシャルにしただけのメンバー名を変えるつもりはありません、


個人情報について

これまでこちらのサイトで個人情報に関する立場を表明したことはありません。ただ私の表の顔に関しては、これまでの自分の仕事をアピールするために個人情報は完全に公開されています。私の本名で検索すれば、ばっちり写真、学歴、職歴、出版物、公式のメールアドレスなどがすべて一発で分かります。将来犯罪を犯して捕まってしまえば、もうネットリンチを逃れることができないことになりそうですが、それも仕方ないような職業についています。今のところ身近な人に自分のこちらでの書き込みを公表したことはありませんが、万が一バレますと・・・「お前は自分の専門と全く関係ないことにこんなに時間を割いているのか!」と上司に言われ、職を失うリスクは多少はありますね。とはいえ、多分ポリティカルコレクトネスに重大に反する書き込みをしたことはないとは思います。

思えば個人情報は、昔は本当にユルユルでした。学校の名簿が事務からいつの間にか名簿業者に流出していたり(学習塾の広告のダイレクトメールの郵便番号が全部間違っていたので、間違った郵便番号が登録されていた学校の事務経由と推測され、また進研ゼミだけは別系統の名簿を使っていることも判明)、大学に合格すれば新聞や週刊誌に名前が出て、図書館に行けば近隣の高額納税者の名前が分かりました。それがいつの間にか法規制で個人情報の収集に制限がかかったのはいいんですが、業者を介してOB会開催した結果、OB会名簿の引継ぎが失われてしまうだとか、子供の小学校の緊急連絡網が存在しないとか、ちょっと行き過ぎているようにも感じます。個人情報に関しては幾分グリグリさんに近い意見になるかと思いますが、一方で職業柄若い人とも頻繁に会話するので、反対意見の方も理解できます。世代間の意見の違いを感じるとともに、自分も結構年増組になってしまったんだなあ・・・と思い知らされます。

【リンク修正】
[107164] 2023年 3月 29日(水)08:54:52【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 29日(水)18:15:21
サヌカイト さん
我慢できなくなりました
 皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします(もう1/4近く終わっているので今更ですね笑)。
2022年は初めて市区町村変遷情報に全く変化のない年となりました。境界変更とかもないのかな、と調べてみましたが旭市と匝瑳市の間の分かりにくかった境界が、きれいに整えられたこと(千葉県)以外には見つかりませんでした。ちなみに藩政村どころか人口異動もなさそうで、完全な採用対象外です。面積も相殺されてあんまり変わってなさそう。


 さて当方ですが、諸事情により昨年10月以降落書き帳から離れておりました。もう少しだけ具体的に言いますと、「あること」を決意したものの、私は非常に意志の弱い人間であることを鑑み、落書き帳の新しい記事を見ないというペナルティを科すことでそれを達成しようと目論んだ、ということです。しかし、この「あること」が想像以上に大変でして…(有言不実行になったら嫌なので今は内緒です、ただ達成しても報告すると保証できません)。さらにその直後にグリグリさんが経県値市区町村版をリリース。[104064]での3か月後を目途に結果発表するという発言を守る必要もあったため、仕方なく経県値関連の記事だけ記事検索して見てました(記事検索回数の統計で「経県値」が高くなっていれば、おそらく私の責任です、すみません)。で、そうして読んで乗り遅れないようにしていたにも関わらず、日常生活の忙しさにかまけて未だ結果発表記事ができていません(なにやってんだか…)。というわけで今から鋭意作成します。登録機能付与の[106075]から既に4か月以上経っていますので急いで完成させます。追加で考えた参考データを作るのに手間取っていますが、逆経県値ランキングを作っていただいたおかげで、結果発表用データは割と簡単に作れそうです。本当にありがとうございます。


[107114]YTさん 丸亀市街問題について
 私のホームグラウンドということで郷土資料をとして手に入れやすいことから図書館で確認してきましたが、明確な記述は得られませんでした。その時メモを持って行き忘れたのでもう1回確認に行って記事にしますが、取り急ぎ香川県史(平成元年)に一から四番丁消滅の根拠記述っぽいのが載っていたことは報告しておきます。
 ちなみにこの県史、wikiの久栄村記述の出元ではないかと疑っております。県の呼びかけに従って早めに合併した模範事例としてわざわざ詳しく書かれており、そこにしっかり存在したと述べられていたので。ちなみに別出典ですが読みは「きゅうえい」だそうです。



 本来この記事は結果発表記事の最初の方に書く予定でしたが、あまりに長いのと4か月が来てしまったのとでこれだけ先行して出します。よって以下は、私の記事にありがちな、無駄に長い前置きの4か月分なので、読み飛ばしていただいて結構です。

十番勝負について
 記事を見ないように…我慢できませんでした(笑)。大晦日こそ早く寝たものの結局朝には確認してしまいました。メダルが取れるなら解答しようと思って、問五を狙っていましたが…。数回前からから想定していたとある想定解(どなたか同じことを言っていたような)は出題されず、グリグリさんの記事だけ見て流行を探ろうとしてもグリグリさんが投稿の秒数で遊んでいることしかわからず、唯一思いついた別の解も誤答で否定され…。そのまま答えられずじまいでした(次回勝負直前になってしまったので念のため予想解は隠しました)。前回などの十番勝負記録ページは見ましたが全く気づきませんでした。余談ですが、その際私も笠間市の不具合に気づき、有効解答数までぴったり60にしたいのかな、とか思ってました。
 [106909]については参加していないのに意見して恐縮ですが1点だけ(直前なので適宜無視してください)。曖昧な共通項の出題じたいは問題の幅が広がるのでおもしろそうです。ただ、
参加者の善意を前提としています。
つまり、なるべく明確なところを答えてほしい(以前そうおっしゃっていたような…合ってますか?)、というのはなかなかうまくいかない気もします。意図的にグリグリさんが困るような解答をしようという参加者はいないと思いますが、市盗りがあるためにギリギリを狙わざるを得ない場合があると思います。また、市盗りでは他に選択肢があることも多いですが、特殊事例として主にNさんによる鈴鹿市の解答選択率100%を維持するため、というような場合もあるかもしれません。いずれにせよ善意悪意で片付けられないギリギリ解答が出てくると思いますので、[107037]海辺を飛ぶ鳥さんのおっしゃるように該当市を確定させるデータを用意するか、あるいは保留採点を一緒に導入することで、難しい判断を避けかつ誤答ハードルを低くするか、といったようなことが必要になるのではないかと思います。
そういえば、参加していないので参考記事集には入らないだろうという前提でほかとまとめて書いていますが、大丈夫でしょうか?


個人情報について ※経県値の話もしますがあくまで個人情報の話です
 自分自身丸亀出身の地理好き兄弟なんてそう何組もいないんじゃないかと気づいて以来、個人情報の公開には気を使っていますが、経県値市区町村版を明かすことに特段抵抗は感じませんでした。あるしょうもない理由で公開を先延ばしにしていましたが(今度書きます)。ただし、これはある前提があってのことです(後述します)。
 私は[106812]グリグリさんの
個々の「身バレ」防止は現状ではやむを得ないとしても、全員が「身バレ」状態で安定した社会を作ることを目標とするべきだと思います。
を読んで、確かに名前が知られることだけで生じうる害は案外少ないのではないかと思うようになりました。ここでの知人については、危害を加えてやろうと思われるほどの恨みを私は買っていないと思いますし(たぶん)、そうでない全くの他人についても、世間には名前に限らず顔写真や所属などを明らかにした上でSNSをしている人がたくさんいるというのに、わざわざちょっとニッチな掲示板を訪れて名前や経県値から個人を特定し悪さをしてやろうなんて考える人はほとんどいなそうに思います。そもそも相手の意見を尊重したうえでの議論なら、ふつうは名前を悪用なんてことにはならないと思いますし、公開された名前を悪用するような人は(全く情報を公開していない場合以外は)名前がなくても悪用すると思います。むしろネット社会でも最低限の身分証明(=名前の提示)を必須とした方が過激な言動や実害の抑止力になるでしょう。あくまで理想論ではありますが、私もグリグリさんの匿名社会への意見は理解できます。
 また、非公開設定については、[106324]おがちゃんさんのおっしゃる通り「方向性は一致している」上に、もう対応済なので特に述べることはありません。ただ私は別に当初の方針でもよかったのではないかと思います。意地の悪いとらえ方をするならば「サイトのために多少不便でも仕方ない」ということにはなりますが、無償で提供してくれるサービスですし、なによりグリグリさんのサイトなので。どうしても公開したくない県があるなら[106333]メークインさんのおっしゃるように多少いじって登録すればいいだけのことです。おそらくですがグリグリさんは新たな話題となるだけでなく、全国地図を表示するためにメンバー登録しようという方が現れて落書き帳が活性化するかも…ということを想定されているのではないかと思います。
 非公開県有での全国地図が表示できるようになったうえに、登録しなくても点数を計算して公開しているメンバーと比べることは可能ですし、点数だけでも記事にして公開することもできるというのに、そういう人が少ないのは個人情報ではなく、[106937]Takashiさんのようにただ単に曖昧な部分がある、や、作成する時間が取れない、点数が低くて自信がない、他人との比較に興味がない、ひいては旅行自体に興味がない、といったことが要因で公開していない方も案外多いのかもしれません。ただ経県値を公開することが自分をひけらかしたり承認欲求を満たすためだったりしていると捉えられるかもしれないと考えて躊躇しているのであれば私は明確に否定しておきます。

 さて、「前提」について。私は基本的に個人情報に関して次の2点を避けたいと考えています。1点目は「現実の知人にサヌカイトだとばれること」です。以前にも書いたような気がしますが、「サヌカイト」が「私」だとばれるのよりも、「私」が「サヌカイト」だとばれるのが恐ろしいのです。先述した通りネット上での知り合いに私の本名等が知られたことで起こり得る実害などたかがしれてると思います。ただ逆に知人にここで書き込んでいることがばれてしまうと、害が生じてきます。具体的には知人がこの掲示板を荒らす可能性があります。正直なところ、本当に荒らしをしそうな知人がいます。また過去にも遊びに来たリアルの友人がここを荒らしたということもあったようです。そういったことを避けたいので、学校では地理好きであることじたい話すのを控えめにしています。
 2点目は、「自身に情報が付加されていくことで、バイアスのかかった目で見られたり、それがもとで無駄な対立を生んだりすること」です。私はここでは”丸亀出身の若手地理好き兄弟の兄”でありたいと思っています。属性を増やしていくことは、受け入れられないという地雷を踏む可能性を高めることであり、対立につながると考えているからです。駿河の民さんの例を借りるなら、長万部町居住だと知られるのが嫌なのではなく、東京理科大だと知られるのが嫌なのです。それを知られると、学力や理系であることなどの属性が自分に追加されてしまいます。おそらくほとんどの方はそんなことは気にせず接してくれるでしょう。ただ自分は、ひとたびそういう属性を知ってしまうと、そこから生じる曲がった偏見でしか相手を捉えることのできない人間なのです。自分がそうだから、他のメンバーもそのように自分を見てしまうのではないかという不安を持っています。地理にまつわることでの意見の違いなら多少政治的であったとしても致し方ないことだと思っています。でも、地理以外のことで対立が生まれこの掲示板に居づらくなるといったことは「もったいない」と感じるし、何としても避けたいのです。もちろん多くの場合自分の情報を明かすことは確かに親密さを高める契機になるでしょう。しかし私にとっては、ごくわずかとはいえ、そこに潜む嫉妬、嫌悪、敵視などといった対立を招く可能性の方が恐ろしいです。オフ会、エンカ、個人情報に関わる絡みなどもこの理由から消極的です(楽しそうだなとは思いますが…)。あくまでも地理限定のネット上の人物でありたいと思っています。
 私(と弟)の経県値市区町村マップは、以上の2点について特に問題がないと判断したという前提があって公開できました。ただ今後たとえば引っ越しをしたら現実の知人にばれる危険性が非常に高くなりますし、場所によっては属性が追加されてしまう可能性もあります。そのような場合、特に断りなく宿泊扱いにするかもしれません。むしろこの前提を満たした上で公開できるような経県値の人は少ないと思いますので、自分もそういう細工をするだろうし、他のメンバーのそのような対応も理解できます。この前提の上で自分が正確な経県値を公開できたのは(既に丸亀居住を明かしていたことも含め)偶然だったというわけです。

 長いこと考えると書きたいことが増えてまとまりがなくなるという私の悪癖のせいで、自分でも何が言いたいのかよく分からなくなってきましたが、グリグリさんの匿名社会に対する考え方には同意するものの、現状裏表を作ってきてしまったので、ひとえに今の関係性を崩さないために、今更元には戻れない、といったところでしょうか。[34780]実那川蒼さんの言葉を借りるなら「いい子ぶっていたい」というのが本音に近い気がします。
 最後に、このサイトのメインコンテンツの1つである敬県値のますますの発展を願っています。


 この記事を書くにあたって一応見ていなかった記事もさらっとは確認しましたが、不適当な部分もあるかもしれないことをお詫びします。また半分くらいは3月上旬に書いたので記事のつながりが悪い部分があるかもしれません。ご了承ください。
 本来であれば、結果発表記事とレス対応まで終えたら目標達成のため再び閲覧を我慢すべきですし、そうするつもりだったんですが、この記事を書いていて表題の通り「我慢できなくなりました」ので、最新記事を見つつ目標達成できるよう頑張ることにしました。というわけで今後ともよろしくお願いします。

余談:そういや今年は年賀状はないんですね。

グリグリさんの指摘により分割しました。
[102344] 2021年 9月 18日(土)20:37:22サヌカイト さん
Re: Re2:茶番第17回 自由研究 ー久栄村
[102330]むっくんさん
法的根拠となる香川県告示(香川縣報昭和二十六年三月二十日)では以下のように記載されていました。
香川縣告示第百二十一号
 綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃して、この区域をもつて新に久万玉村を置き、昭和二十六年四月一日から施行する。
 なお、地方自治法施行令第百七十七條第一項第一号の規定に依る久万玉村の人口は六千百七拾弐人である。
昭和二十六年三月二十日 香川縣知事 金子正則
とだけあり、村名変更の県告示は見当たりませんでした。
確認ありがとうございます。法とかは完全に無知なのでわかりませんが、県の告示が市町村の存在を規定する根拠であり、その根拠に記載がない以上、法的には「久栄村」は存在しなかったということですね。[102282]サヌカイトで熱く語った「合併市町村の長の名前を合成」した地名は夢とついえました…。確かに、僕は改称した前提で町史を読んでいたのであまり気にしませんでしたが、町史では即日改称には一切触れられていなかったので、やはり新設のみなのでしょう。
 新たな疑問としてはWikiだけでなく、他の資料(角川・[98932]Nさんの県報・自分も何かで見た記憶あります)でも「久栄村」が存在していると記載されている点です。あと、町史では20日には久万玉という名は存在していないことになっているはず(前回書き忘れましたが、久万玉村は隈玉郷に由来し、もとからあった表記ではありません)なのに、告示には記されている点も疑問です。もうお手上げです。

[102320]グリグリさん
すっかり掲載基準を忘れてしまったので、あらためて時間をとって確認します。
分かりました。気長に待ってます(もしかして未反映ではなく、全部不採用だったりして…)。
 あと、このうちの1点
京都府|大阪府 SV 亀岡市|豊能町 看板道標 国道423号 文句なし。府界です。
について。一昨日ふと思い当って、調べてみるとビンゴでした。ここ、実は亀岡市東能勢村の県変更/境界変更で新たにできた府界だったんですね。因縁があるからこそ、境界標を立てたというところでしょう。残念ながら旧境界の方には何も残っていませんでした。越県合併や県変更で生まれた旧境界に未だ県界標とかが残っている場所ってあるんですかね?一応軽く調べましたが、見つけられませんでした。

最後に。表題はRe3:のほうがいいでしょうか?[102282]に対するレス3つ目ではないので、Re: Re2:と表記しましたが…。
[102330] 2021年 9月 12日(日)14:00:47【1】むっくん さん
Re2:茶番第17回 自由研究 ー久栄村
先日高松を訪れた際立ち寄った、四国の名産品が一堂に集まる四国ショップ88。そこで香川県の「県の石」であるサヌカイトが紹介されていました。

その時、つい最近、サヌカイトさんによる自由研究「久栄村」([102282])があったな、と思い出しました。(その時までの記事の流れ

さて、法的根拠となる香川県告示(香川縣報昭和二十六年三月二十日)では以下のように記載されていました。
香川縣告示第百二十一号
 綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃して、この区域をもつて新に久万玉村を置き、昭和二十六年四月一日から施行する。
 なお、地方自治法施行令第百七十七條第一項第一号の規定に依る久万玉村の人口は六千百七拾弐人である。
昭和二十六年三月二十日 香川縣知事 金子正則
とだけあり、村名変更の県告示は見当たりませんでした。

同日付の香川郡安原上西村から香川郡上西村への改称は
香川縣告示第百四十八号
 昭和二十六年一月二十二日香川郡安原上西村から許可申請のあつた村名変更(安原上西村を上西村と変更し昭和二十六年四月一日から実施する。)の件はこれを許可した。
昭和二十六年三月三十一日 香川縣知事 金子正則
とこちらは記載されているので、仮に村名変更の条例が出来たのであるならば、上西村への改称と同様に香川県報に搭載されているはずです。

ということで、変更種別を新設/改称から新設に戻す必要がありそうです。
[102301] 2021年 8月 30日(月)11:55:16オーナー グリグリ
Re:茶番第17回 自由研究 ー久栄村
[102282] サヌカイトさん
あっ。村長の名前の最初の1文字の組み合わせだ(笑)。息子や娘じゃないんだから…。なお、このお二方は久栄中学校設立時も村長です(ただし町史には一切書かれていなかったので、ただの偶然である可能性もあります)。学校名を間に挟んでいるとはいえ、間接的には「合併市町村の長の名前を合成」した地名だったのです。
素晴らしい研究調査です。久栄村の件、私もすっかり忘れていたのですが、過去記事を読み返して記憶が蘇りました。それにしても、両校長の名前(苗字ではなく)の組み合わせで中学校名を決めていたとは。校長の権限が絶大だった時代ならではの産物でしょうか。まぁそれでも、合併後の村名にそのまま使うのは流石に憚れたのか、改称を前提にしての村名だったのですね。今だから面白いと言えますが、大らかというか雑というか、すごい時代だったのですね。貴重な研究結果の記事を詳細情報から参照できるようにしました。
[102282] 2021年 8月 27日(金)17:57:28【1】サヌカイト さん
茶番第17回 自由研究 ー久栄村
[102224]Nさん
斜張橋コレへの情報提供への対応ありがとうございました。またも調べの甘さがでてしまいすみません…。


 今回はわりと真面目な内容です。

久栄村。昭和26年4月1日、栗熊村・富熊村の合併により新設。即日改称で久万玉村となり消滅。

 僕は小3で香川県の廃止市町村の自由研究(パラパラ地図を写しただけですが…)をするにあたって、初期のころwikiを参考に枝図を書こうとしていたので、その存在を知りました。当時は即日改称がなんたるかも分からず、「久栄が不評で1日で変わったのかな」と思っていました。落書き帳では僕の意味不明な初投稿の1月ほど前に話題となり(久栄村」の記事検索結果)、このように変遷情報を書き換えることで一応の終息を見ました。しかし、どうして即日改称なのか。や、久栄は何なのか。は分からずじまいだったので、ひとっ走り丸亀中央図書館まで自転車をこいで、綾歌町史を借りてきました。

綾歌町史 第6章第1節 久万玉村の誕生 から一部を略して引用します。

第一節 久万玉村の誕生
 戦後の復興の中にあって、社会生活に即応した行政機構の適正規模を求めて、全国的に町村合併が推進された。栗熊村と富熊村は、地勢、産業、風俗、人情などにおいて、古くから相通ずる点が多いし、中学校の関係もあって(サヌカイト注:昭和23年4月1日、栗熊中学校と富熊中学校が統合し、両村組合立「久栄」中学校が誕生していた)、議会や交渉委員会で研究協議を重ね、両村の合併を実現するよう努力を積み重ねた。
 <略:交渉委員>
 合併については、意見の調整や種々の困難な事情もあったが、委員の努力により昭和二十六年三月九日の交渉委員会で合併にふみきった。その時の合併条件は次の通りである。
 一、栗熊・富熊両村を廃し、新に設置せる村を久栄村(暫定)と称す。
 <略:選挙や所有について>
 七、役場の位置は、栗熊村大字栗熊東四二一番地とする。
 八、役場事務は、新庁舎の落成を見る迄久栄中学校を借受け之に充当する。
 九、栗熊・富熊両村は昭和二十六年三月三十一日を以て廃止し久栄村(暫定)は昭和二十六年四月一日発足する。
 十、旧富熊村大原部落が他日分離を主張する場合は、久栄村はその自由を拘束しない。
    昭和二十六年三月九日            栗熊村長 阿部久米次
                          富熊村長 真鍋 栄一
新村名選定の事由 新村名は交渉委員会に於て協議したが決定を見るに到らず、他日村民より募集するか、或は他の適当な方法で決定することとし、両村組合立中学校名の「久栄」を暫定的に使用することとした。
 その後、新村名を募集したところ多数応募があり、三月二十五日交渉委員会で審査し、次の通り決定した。
新村名 久万玉村(この地域を昔、隈玉郷と呼んでいたことにより、これを現代語の久万玉としたものである)
 <略:当選者>

 なんで即日改称が起こったのかよくわかる気がします(笑)。まだ村名も決まっていない状態で、3週間後に合併すると宣言するなんて無茶でしょう。しかも、村名が決まったのはなんと合併まで1週間となった日。そこから両村で議決を得て、県に承認もらって、住民に告知して…。無理ですね。そこまで4月1日にこだわる必要があったのか…。僕は昭和の大合併はもちろん、平成の大合併も市町村に目覚めたころには既に終わっていたので、合併の決定からどのくらいの期間を置くものなのか詳しくは知りませんが、それにしても短すぎる気がします。昭和のころは当たり前だったのでしょうか?当たり前じゃないから他に例が少ないのだと思いますが…。どなたか教えていただけるとありがたいです。

 久栄村に関しては、学校由来村名のようです。でも、久栄はいったいどこから出てきたのか。久万玉中学校(久万玉村の発足に伴い改称)のページを見ても載っていません。ただの瑞祥学校名か…と思ったその時、あることを思い立ち調べてみるとやはり合ってました。

上から一部抜粋
栗熊村長 阿部久米次
富熊村長 真鍋 栄一

あっ。村長の名前の最初の1文字の組み合わせだ(笑)。息子や娘じゃないんだから…。なお、このお二方は久栄中学校設立時も村長です(ただし町史には一切書かれていなかったので、ただの偶然である可能性もあります)。学校名を間に挟んでいるとはいえ、間接的には「合併市町村の長の名前を合成」した地名だったのです。これは他に例があるんでしょうか?人名由来市町村名はアーカイブをはじめとした過去記事やwikiなどで多数触れられていますが、存命の方の名を用いたり(朝霞や京極)、二人を合成したり(黒磯(←諸説あり)や今金)したものはあっても、長の名前の合成は聞いたことがないように思います。

 と、大きく書いてみましたが、結局のところは学校由来村名。それも即日改称。「暫定」を強調していましたし、はなから使うつもりではなかったが、時間が足らなかったということでしょう。
 なお、その後の経過として、1か月ほど安部氏が久万玉村長を務めたのち、真鍋氏が村長となり、昭和34年4月1日に岡田村と合併。綾歌町が新設され、再び真鍋氏が町長を務めたようです。

 まとめ 久万玉村の新設時に久栄村の即日改称という形をとったのは、無理に4月1日に合併しようとしたため。

 参考文献 綾歌町史 昭和51年発行

追記:グリグリさん 腰をお大事に。
[99097] 2020年 1月 20日(月)19:27:49オーナー グリグリ
「動物名の入った市区町村」リニューアル
市区町村雑学の動物名の入った市区町村を大幅にリニューアルしました。これまでは現存する市区町村と平成の大合併で消滅した市町村までを対象としていましたが、明治の市町村制以降のすべての市区町村を対象にしました。その結果、掲載市区町村数が大幅に増えたため、哺乳類、鳥類、その他の動物の3つのページに分けることにしました。

動物名の入った市区町村(哺乳類)
動物名の入った市区町村(鳥類)
動物名の入った市区町村(その他の動物)

哺乳類にはこれまで対象としていなかった「人」を追加しました。最も数が多いのが「鹿」で85件。次いで「馬」が83件となっています。鳥類では、「鳥」が50件、「鶴」が47件と多くなっています。その他の動物では、「亀」が36件、架空の動物の「竜/龍」が42件、十二支の「子」が85件です。ありそうでなかったのが、猫、羊、狸、鮒、鰻、雉、蛍などです。羊以外は、明治の町村制以前の町村名ではありましたが、羊は全く見当たりませんでした。変わったところとして「百足」は町村制以降はありませんが、それ以前では京都市に百足屋町(2ヶ所)がありました。

駒(若い元気な馬・二歳の子馬)、獅子(ライオン)、駿(足の速い優れた馬の意)、鵡(オウム科の鳥)など、多少微妙なものもあります。足、羽など体や器官を表す文字は対象としていません。

データのまとめ方については、その名称の誕生から消滅までの継続性に注目してまとめました。そのため、改称を伴わない市制/町制への移行や、合併でも同名町村が継承される場合は同一データとしてまとめてあります。例えば、鹿屋村→鹿屋町→鹿屋市は、鹿屋村の1889(M22).4.1村制を誕生日とする1データです。特殊な例として、鹿島町・鹿島村→鹿島市も一つのデータとしています。[99080]の鷹栖村については、鷹栖村が東鷹栖村に改称し同日鷹栖村を分立したことから、名称は継承されているとして一つのデータにまとめました。目黒村→目黒町→目黒区も1データとしています。[99093]の富熊村と栗熊村については、久栄村(同日久万玉村に改称)を消滅後の村としています。

鳩ヶ谷市(町)や逗子市(町)のように一度消滅した後復活したケースについても一つのデータとして扱いました。具体的には次の12例がありました(空白期間の短い順に並べてあります)。横浜市鶴見区と練馬区は町が市に編入されてから区が設置されるまでに空白期間があった特殊な例です。

都道府県郡/政令市市区町村名最初の消滅日復活日空白期間
大分県下毛郡耶馬溪町 (村)1953(S28).4.11953(S28).9.10年5ヶ月
神奈川県横浜市 (橘樹郡)鶴見区 (町)1927(S2).4.11927(S2).10.10年6ヶ月
鹿児島県姶良郡隼人町1954(S29).4.11957(S32).4.13年0ヶ月
埼玉県北埼玉郡鴻茎村1943(S18).4.11946(S21).5.13年1ヶ月
石川県鹿島郡田鶴浜町 (村)1934(S9).6.11939(S14).7.205年1ヶ月
高知県香美郡徳王子村1942(S17).4.11948(S23).4.16年0ヶ月
神奈川県(三浦郡)逗子市 (町)1943(S18).4.11950(S25).7.17年3ヶ月
埼玉県(北足立郡)鳩ヶ谷市 (町)1940(S15).4.11950(S25).11.110年7ヶ月
東京都(北豊島郡)練馬区 (町)1932(S7).10.11947(S22).8.114年10ヶ月
岐阜県郡上郡白鳥町 (村)1897(M30).4.11928(S3).11.1031年7ヶ月

郡上郡の白鳥町は31年7ヶ月を経ての復活です。動物名以外ですぐに思い浮かぶのは宮田村(町)ですが、このような空白期間のある市区町村名はかなりの数がありそうです。
[99093] 2020年 1月 19日(日)21:22:23MI さん
Re:久栄村
[98932] N さん
[98938] オーナー グリグリ さん

 この話題に気づかずにおりまして、遅くなりましたが、
久栄村のケースはやはり入っていませんね。
ということもありコメント致しますが、久栄村の存在は全く存じませんでした。
 ただ、昭和26年5月21日の総理府告示165号では
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十六年四月一日から、香川県綾歌郡栗熊村及び富熊村を廃し、その区域をもつて久万玉村を置く旨、香川県知事から届出があつた。
 昭和二十六年五月二十一日
    内閣総理大臣 吉田  茂
となっているだけなのです。
 久栄村に気づいていれば、以前香川県立図書館で県報を閲覧した際に確認していたのですがねえ。
[98957] 2020年 1月 7日(火)10:05:55オーナー グリグリ
Re:香川県の市町村変遷
[98952] Nさん
[98932]でリンクしたPDF資料と変遷情報のページ(とWiki)を見比べていて気付いた点が二点ありました。
・1890.6.13の安原下村→安原村の改称が、資料では町村制施行当日(1890.2.15)から既に安原村です。
Wikiも資料と同様です。
本件については、[64782]のむっくんさんの記事をご覧ください。
・1898.2.11の百相村→仏生山町の町制(改称)が、資料では1898.2.15です。
Wikiはどちらとも少し違います。※出作村の一部との合併日付が1890.2.15。町制が1898.2.11。
[81100]88さん、[95577]むっくんさんなどの記事をご覧ください
PDF資料の1898.2.15が誤植じゃないでしょうか。

いずれも過去記事を検索していただけるとこれまでの議論の経緯が子細に分かります。

変遷情報については、未処置の修正追加対応に加えて、改称などの変更種別の再検討など変遷情報の仕様に関わる課題が山積していますが、これまでの情報蓄積の経緯を考えると、安易に手を加えることも慎重にならざるをえません。課題については備忘録に整理していますが、手を付けるには覚悟が必要で、ついつい後回しにしています。久栄村の件も、過去記事に一度も現れていないことから、これまで見逃されていた事案と判断し修正に踏み切りました(ちょっとした覚悟と決断が必要でした(^^;)。
[98938] 2020年 1月 6日(月)22:12:03【1】オーナー グリグリ
Re:久栄村
[98932] Nさん
香川県立図書館のページに
4・1 綾歌郡栗熊村と富熊村を合併して久栄村を置く(同日,久万玉村と改称)(香川県報)
とあります。
他の資料としては香川県町村会の市町村の変遷(PDF)にも載っていますね。
早速の情報をありがとうございます。角川地名大辞典の説明とともに情報が確実であると考え、次の変遷情報を更新しました。

香川県 綾歌郡 栗熊村、富熊村を廃し、久栄村を設置、即日、久万玉村に改称

市制施行の際に同名回避などの理由で即日改称する例は雑学に掲載していますが、町村合併の際に即日改称した例も変遷情報の「改称」を検索するとかなりの事例が出てきます(改称を含む変遷情報一覧)。パターンを整理してみたいですが、上記の久万玉村と同様の例として次の2件がありました。

茨城県 稲敷郡 安中村、木原村を廃し舟島村の一部と合わせ、霞村を設置、即日、美浦村に改称
三重県 多気郡 三和町、斎明村を廃し、神郷町を設置、即日、明和町に改称

この2例は久栄村の久万玉村への改称と同様に、改称前と改称後の名称に連続性というか必然性がありません。どういう理由でこのような段取りとなったのか興味深いです。この他にも興味深い事例がありますので一度整理してみたいと思います。

【追記】
MIさんに[95663]で、市制・町制・新設合併等と同時改称の事例をリストアップしていただきましたが、霞村や神郷町のケースは含まれていますが、久栄村のケースはやはり入っていませんね。ところでこの件で、[95649]の課題が放置されていることに気づいてしまいました。なんとかしないといけないですね。変遷情報関連は手付かずがたくさんあるので。
[98932] 2020年 1月 6日(月)21:39:48N さん
久栄村
[98922]グリグリさん
昭和26年の香川県報が見られれば何かわかるかもしれません。
香川県立図書館のページ
4・1 綾歌郡栗熊村と富熊村を合併して久栄村を置く(同日,久万玉村と改称)(香川県報)
とあります。

他の資料としては香川県町村会の市町村の変遷(PDF)にも載っていますね。
[98922] 2020年 1月 6日(月)19:23:57【1】オーナー グリグリ
久栄村
ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示ください。

香川県の変遷情報として、1951(S26).4.1の久万玉村の新設合併があります。この件についてWikiには「綾歌郡栗熊村・富熊村が合併し、久栄村が発足。同日、久万玉村に改称。」という記事があります。当サイトの変遷情報にも落書き帳過去記事にも久栄村の情報は見当たりません。Wikiの情報は正しいのでしょうか。

#本件、十番勝負とは関連はありません。

【追記】角川地名大辞典に同様の記述がありました。


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