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神戸の読み

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記事数=37件/登録日:2022年3月3日

神戸の読みについて[85667]で紹介の[54221]を見たら、その頃の記事多数。
ごうど が多数。
こちらの特集は読みを中心として、大都市神戸と兵庫との関係については、都市のテーマにするか?

新テーマ:地名を考える

★推奨します★(元祖いいね) BANDALGOM

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[15296]2003年5月16日
yamada
[18378]2003年7月17日
ニジェガロージェッツ
[54163]2006年9月24日
桜トンネル
[54182]2006年9月25日
ezekiel
[54185]2006年9月25日
桜トンネル
[54186]2006年9月25日
ezekiel
[54187]2006年9月25日
小松原ラガー
[54190]2006年9月26日
雪の字
[54209]2006年9月27日
inakanomozart
[54210]2006年9月27日
雪の字
[54211]2006年9月27日
じゃごたろ
[54212]2006年9月27日
ezekiel
[54214]2006年9月27日
N-H
[54215]2006年9月27日
みかちゅう
[54216]2006年9月27日
BANDALGOM
[54221]2006年9月27日
たもっち
[54223]2006年9月27日
ezekiel
[54225]2006年9月28日
EMM
[54229]2006年9月28日
たもっち
[54230]2006年9月28日
ezekiel
[54242]2006年9月29日
YSK
[54244]2006年9月29日
EMM
[54250]2006年9月29日
たもっち
[54251]2006年9月29日
桜トンネル
[54253]2006年9月30日
ニジェガロージェッツ
[54258]2006年9月30日
ezekiel
[54297]2006年10月1日
hmt
[54321]2006年10月3日
ニジェガロージェッツ
[54322]2006年10月3日
hmt
[54339]2006年10月5日
hmt
[54340]2006年10月5日
ezekiel
[54357]2006年10月7日
ニジェガロージェッツ
[54430]2006年10月14日
hmt
[54439]2006年10月15日
デスクトップ鉄
[85663]2014年5月30日
山野
[85665]2014年5月30日
じゃごたろ
[85667]2014年5月31日
グリグリ

[15296] 2003年 5月 16日(金)00:36:29yamada さん
神戸・同字異音
同音異字ではないけど、「神戸」はいろいろな読みがあるので調べてみました。

「こうべ」
兵庫県神戸市
宮崎県延岡市神戸町

「ごうど」
岐阜県安八郡神戸町
群馬県群馬郡榛名町神戸
埼玉県川口市神戸
埼玉県東松山市神戸
埼玉県羽生市神戸
神奈川県横浜市保土ケ谷区神戸町
神奈川県伊勢原市神戸
静岡県富士市神戸
山梨県中巨摩郡敷島町神戸
愛知県名古屋市熱田区神戸町
愛知県江南市高屋町神戸

「こうど」
和歌山県那賀郡貴志川町神戸

「ごうと」
群馬県勢多郡東村神戸

「かのと」
東京都西多摩郡檜原村神戸

「かんべ」
愛知県一宮市神戸町
愛知県渥美郡田原町神戸
愛知県渥美郡田原町西神戸
愛知県渥美郡田原町東神戸
愛知県渥美郡田原町南神戸
三重県鈴鹿市神戸
三重県鈴鹿市神戸本多町
三重県上野市上神戸
三重県上野市下神戸
兵庫県揖保郡揖保川町神戸北山

「かんど」
静岡県榛原郡吉田町神戸
愛知県海部郡十四山村神戸新田

「かど」
鳥取県日野郡日南町神戸上

「じんご」
岡山県津山市神戸
[18378] 2003年 7月 17日(木)23:30:38【1】ニジェガロージェッツ さん
兵庫と神戸
[18304]赤尾鯰 さん
兵庫県は、旧幕府が安政条約で兵庫湊を開港することとなったのに、隣に神戸港を開削したため、両者がモメテしまった。結局、明治政府が、兵庫県神戸市兵庫区という組み合わせで決着させることとなった。

地元のことにつき反応させて頂きます。

まず兵庫・神戸の両港が「モメタ」というお話ですが、浅学のためか聞いたことがございません。
また「兵庫県神戸市兵庫区」ですが、その成立は昭和8(1933)年1月1日のことで、「明治政府」とは何ら関係がございません。兵庫区の誕生は、神戸市街地の一翼をになう旧「兵庫」のうち、旧湊川の西側に属する部分に成立した「湊西区」を改称してのことでした。

因みに現在の兵庫区の範囲は、昭和20(1945)年5月1日に拡大されたもので、当初の兵庫区の区域に湊区の全域を加え、湊東区の一部と林田区の一部を合わせたものです。

話を明治維新期に移します。

旧幕府は安政の条約で兵庫津の開港を諸外国と約束しましたが、兵庫の町は中世から続く古い街で、江戸期の書物には
「諸国の商船ここに泊り、町小路の賑、昼夜のわかちなく、繁花の地なり」(摂津名所図会)
とあるほどで、この兵庫に外国の商館や居留地を設けることは土地的に余裕はなく、また治安の面からも当時は幕末の騒然とした時代で攘夷論もやかましく、古くからの因習に満ちた兵庫の住民と、西洋諸国の居留民との間で衝突の懸念もありました。
そこで、兵庫港から北北東へ約2キロ離れた神戸村の浜辺を「兵庫港」の名のまま開港場としました。
兵庫は江戸初期には尼崎藩領でしたが、明和6(1769)年に幕府の直轄地となり兵庫城(現在の地下鉄中央市場前駅の西側あたり)に勤番所を設け、明治元(1868)年に明治政府は兵庫鎮台を置き、2月に兵庫裁判所、5月に兵庫県庁と改称しました。これが「兵庫県」の始まりです。
つまりこの時点では県庁は「兵庫」に位置し、一方の「神戸」は開港間もない小さな集落に過ぎなかったと言えるでしょう。

一方の神戸村は西国街道に沿って人家が並び、海岸に「神戸浦」と呼ばれる船着場がありました。安政6(1859)年に船たで場を構築、文久3(1863)年に海軍操練局の設置を経て、慶応3(1867)年の兵庫開港(実質には神戸開港)を迎えました。
開港直後の明治元(1868)年、神戸村に同じ西国街道沿いの二ツ茶屋村、走水村を合併して神戸町となり、明治5(1872)年には後背地にあたる生田宮村、中宮村、花熊村、北野村、宇治野村を合併しました。

明治12(1879)年に郡区町村編制法施行に伴い、前述の神戸町と兵庫津に、その中間に位置する坂本村が合併して「神戸区」となりました。ここに「兵庫」は「神戸」に吸収されたことになり、県名以外の行政区画名として「兵庫」の名は消えました。この時点で両者の力関係は既に拮抗あるいは神戸側が優位に立っていたことが想像できます。
明治22(1889)年4月1日には市制が施行され、神戸区に葺合村と荒田村を併せ「神戸市」となりました。

一方、港では、兵庫(神戸)開港以降は(旧)湊川河口を境として神戸港と兵庫港が共存していました。兵庫港に於いても桟橋・運河・埋立など近代化を図りましたが、神戸港の盛況に及ばず、明治25(1892)年に神戸港域に含まれる内港となり、行政上は兵庫港の名を用いなくなりました。
神戸市の市章は2つの扇が重なりあった形をしていますが、これは神戸港・兵庫港の両方が扇形の海岸線をしており、この2つの港の融合を象徴とし、神戸の旧仮名遣い「カウベ」の「カ」の字を2つの扇で模ったものです。
[54163] 2006年 9月 24日(日)20:54:39【2】桜トンネル さん
乗り換えなしで行ける市が最も多い市は?(東灘区編)&武雄市
[54096]ジャスティンKさん

指摘するのが遅くなって申し訳ないんですが、「全丹バス」は「全但バス」の間違いですよね。

ということは、ぼくの書き込みも間違ってしまっていますね・・・。

[54133]suikoteiさん

やはり道場駅発を盛り込むのは、反則のようですね。浜松市の飯田線のように、市内に何駅もあるわけではないですし。仮に道場駅を入れても95市で、残念ながら3桁には乗りません。

3桁には乗ってほしかったのですが、乗らなくてとても残念です。神戸市は、必ずあけたに乗ると思っていたのに・・・。

私も実は「摂津本山」に縁のある人間でして
(中略)
「神戸の3食のうち2食を岡本で食べる」というのはどうかなと思いました。2回目の摂津本山(岡本)は、ショッピングか洋菓子ではないでしょうか。2回目の摂津本山の前に、三宮から元町まで徒歩があるのも気になります。
(中略)
元町で昼食だとあとの行程がきつそう

摂津本山と縁があったのですか!ここ最近は、とても摂津本山(岡本)と縁が深くなりました。
確かに、「神戸の3食のうち2食を岡本で食べる」というのも、「変だな」と思いましたが、なぜ、摂津本山(岡本)に2回も行く必要がないと考えてしまいました。摂津本山(岡本)はショッピングできるところがたくさんあって、洋菓子などを扱う店もたくさんありますし・・・。そういう考え方があるということを忘れてしまいました。摂津本山と縁があるのに・・・。

最後に、僕が住む東灘区のをしてみました。高速バスとかは止まっていないと思うのでとっても少ないです。

鉄道編

岐阜県1大垣市
滋賀県11大津市、長浜市、米原市、彦根市、東近江市、近江八幡市、野洲市、守山市、栗東市、草津市
京都府4京都市、向日市、長岡京市、京田辺市
大阪府11大阪市、高槻市、茨木市、吹田市、摂津市、枚方市、交野市、寝屋川市、四条畷市、大東市、東大阪市
兵庫県10姫路市、尼崎市、西宮市、芦屋市、明石市、加古川市、高砂市、たつの市、相生市、赤穂市
の計37市に到達することができます。

船編

大阪府1泉佐野市
大分県1大分市
の計2市に到達することができます。

ということで結果は、38市です。う~ん微妙な数字ですね。バス、新幹線、飛行機が中央区または、兵庫区にあるため、とても少ないです。神戸市の区も認めると、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区、垂水区も加算されますが、大阪市、京都市も認めなければならないので、入れないことにしました。

話は変わりますが、気になったので。
三重県には飯南郡神戸村、名賀郡神戸村、安濃郡神戸村(神戸村が消滅したときは安濃郡、今は安芸郡)、河芸郡神戸町(神戸町が消滅したときは河芸郡、今は安芸郡)の4つの神戸村または町があったのですが、なぜこんなにあるのでしょうか。群馬県でも5つの東村がありましたが・・・。

P.S.

昨日から、香川県へ。ちょっとだけ映画「UDON」のロケ地を見てきました。飯山が池に映るという神秘的な絵は見れませんでしたが、ロケ地を見ることができてよかったです。
香川県ナンバーが多かったですが、香川県の皆さんはいかれたのでしょうか?

訂正【1】[54169]小松原ラガーさんが指摘をしてくれた「泉佐野市」を追加。
訂正【2】題名を少し変更
[54182] 2006年 9月 25日(月)09:46:19ezekiel さん
神戸を巡って
[54163]桜トンネル さん、

 今ちょうど、神戸にまつわるサイトの立ち上げ準備中です。神戸にまつわる
ことをいろいろ調べているのですが、 

三重県には飯南郡神戸村、名賀郡神戸村、安濃郡神戸村(神戸村が消滅したときは安濃郡、今は安芸郡)、河芸郡神戸町(神戸町が消滅したときは河芸郡、今は安芸郡)の4つの神戸村または町があったのですが、なぜこんなにあるのでしょうか。

明治期以降に“神戸”の地名が市町村名になったのは、確かに三重県に集中して
いますね。この視点から考えていなかったので、ちょっと調べてみました。



まず、お膝元の神戸市ですが、このサイトに書き込みが見当たらないので
ちょっと詳しく・・・

 “神戸”という地名は“神封戸の集落”が語源とされています。神封戸とは、
古代の神社の荘園のようなもので、神戸市の“神戸”は生田神社の神封戸集落
が元になることと思います。元々の読みは“カンベ”だったようで、旧・生田区
のエリアがおおよそ旧・神戸郡で、旧・神戸村は、今の元町・三宮一帯ぐらい
ではなかったのかなあ~と思います。

 “神戸”という地名が、県庁所在地・政令指定都市の名前になったのは、
(1) 五畿内の港町の兵庫(大輪田泊)に隣接した位置
(2) 勝海舟が神戸海軍操練所を設置
(3) 幕末に兵庫開港し、神戸村に外国人居留地

 兵庫区→兵庫市とならなかったのは、外国人居留地が出来て、兵庫よりも
神戸の名前が対外的にも有名になったからかもしれません。ちょっと例えが悪い
かもしれませんが、製造元の会社名よりも製品のブランド名が一躍有名になって
しまって、会社名をブランド名に改称したような感じでしょうか?



 “神戸”という地名は、古代の神封戸の制度と関わりがあるので、古代の朝廷
の勢力範囲と関係します。今調査中ですが、北限が新潟県五泉市の神戸山では
ないかなあ~と考えています。『806年に勧請された住吉神社(三社大明神)の
鎮守の杜で、昔はこの近辺に神封戸があって、“神戸”と呼ばれていたことが
あってその名残が神戸山ではないか』と考えているのですが、地名としての痕跡が
見つかりません。(或いは"神戸”の由来が違うかもしれません。)

 前置きが長くなりましたが、三重県に存在した“神戸”という町村の名前の
由来ですが、現存する市町村である神戸市も含めて、次のようになります。

・神戸市(こうべ)、現存、生田神社
・飯南郡神戸村、松阪市(地名として消滅:垣鼻町、大津町、田原町、久保町、下村町)、神戸神社
・名賀郡神戸村(かんべ)、伊賀市上神戸、下神戸、神戸神社
・河芸郡神戸町(かんべ)、鈴鹿市神戸一丁目~九丁目、神戸宗社or阿自賀神社 ?(明治期に神社統合あり)
・安濃郡神戸村(かんべ)、津市神戸、神戸乃神社 

 どうも三重では、“神戸”という地名が全て明治期以降に町村名になったようで、
「何故三重だけ?」という疑問は、私も同感です。神戸市が有名になったので、
"神戸”のイメージが良かったのか、伊勢神宮のお膝元なので"神”の字が入る地名が
優先されたのか・・・?あれこれイメージしますが、続けて調べてみたいと思って
います。
[54185] 2006年 9月 25日(月)21:16:58桜トンネル さん
摂津本山&多久市
[54162]k-aceさん

今回、応募してみようと思いますが、皆さんは応募されますか?

今回も、応募をしてみようと思います。[50726]の「北枕崎市」では応募しませんが・・・。ですが、しっくりした名称が浮かばないのは事実ですが・・・。[50723]で「南九州市」と出ています。ぼくは別にこの名称でもいいのではと思ってしまいます。本当は、郡名が市名に一番合っていると思うのですが・・・。郡名を市名にしたくてもできないところがあるので、「川辺市」で。当然ながら落選ですが・・・。まだまだ時間はあるので、これからじっくりと考えていきます。

土山駅のように複数の市町村にまたがっている駅の例はたくさんあると思いますよ。

思いつくところだけでも書き込もうと思って、考えていたところを調べると・・・またがっていないという事実に気付いてしまいました。(鷹取駅や朝霧駅など。)と思っていましたが、ありました。北伊丹駅です。北は川西市にあり、南は伊丹市にあります。その隣には、兵庫県にかかっているかどうか分からない、大阪空港駅もありますし・・・。池田市はかかっていないことは分かるのですが・・・。
これが地名コレクションになればいいなぁ・・・。これが地名コレクションになったときは、

[54165]なると金時さん

私も実は摂津本山には縁があったりします。

[54168]k-aceさん

私も縁があります。なんか岡本、本山界隈に縁のある方がたくさんいらっしゃるような気が・・・。

[54169]小松原ラガーさん

実は私も本山には縁があります。

ここは、摂津本山、岡本に縁がある人が多いですねぇ。兵庫県の人が多いからかもしれませんが。

[54182]ezekielさん

詳しくご説明ありがとうございます。こうしてみると、「神戸」というのはとても不思議ですねぇ。もっと詳しく調べていくと面白いことが見つかるかも!(人任せにするのもいけませんが。)

またまた1つ。メンバー紹介の欄に「出身地」とありますが、これは生まれたところ(病院・自宅など)の市区町村にすればよいのでしょうか。市は同じでも区は違うので・・・。「住居地」は昨日公開したのですが・・・。

これからは、小城市、神埼市、鳥栖市、唐津市、伊万里市、大牟田市、(みやま市)、柳川市、大川市、筑後市、八女市といく予定です。
[54186] 2006年 9月 25日(月)22:05:45ezekiel さん
神戸を巡って ~ 補足
[54185] 桜トンネル さん、

 うっかり見落としていましたが、神戸の地名が市名となった経緯は
[18378]ニジェガロージェッツ さんが既に書き込んでおられました。

 三重の4つの"神戸”ですが、現在の町の中心附近の賑やかな場所で
あることも共通します。これが町村名に採用された大きな要因なのかも
しれません。(戦国時代まで続いた伊勢の豪族・神戸氏の影響もあった
かもしれません。)

 一番大きな神戸は、出雲大社の神戸だったようですが、今は川の名前
以外には残っていないようです。
[54187] 2006年 9月 25日(月)23:06:23小松原ラガー さん
こうべ、かんべ、、、、ごうど、
小松原ラガーです。

「神戸」の由来、ならびに三重県の4つの「神戸」の話題が出ていますが、どなたか埼玉県東松山市神戸の読みの由来をご存知の方はおられませんか?これ、「コウベ」でも「カンベ」でもなく「ゴウド」と読むようなのですが・・・
(今はとんと疎遠になっている大学の研究室の後輩がこの地の出身で、読みを聞いて「へぇ~」と思ったの次第なのですが。)

#人任せで申し訳ありません。
[54190] 2006年 9月 26日(火)00:22:05雪の字 さん
「ごうど」と読む「神戸」
[54187] 小松原ラガー さん
書き込みを拝見して、遠からぬ所に神戸町という所があるのを思い出しました。ここも「ごうど」と読みます。
読みの由来ではありませんから、余談めいてしまいますけれど、「神戸」と書いて「ごうど」と読む地名も少なくないようです。読みは違いますけれど、言葉の意味としては、他の「神戸」と同じだと思います。かつて神社の所領だったのではないでしょうか。上記の神戸町も、熱田神宮に由来する地名です。

過去ログを検索してみましたら、[15296]で yamada さんが「神戸」の異訓について書いておられるのを見つけました。小松原ラガーさんが挙げておられる埼玉県東松山市のほか、私が連想した名古屋市熱田区神戸町も書かれていました。
ご参考までに。
[54209] 2006年 9月 27日(水)02:41:57inakanomozart さん
遠州神戸(えんしゅう かんど)
かつて、ナローゲージとしては日本一の距離を誇っていた「静岡鉄道駿遠線(すんえんせん:70年全線廃止)」には、
「遠州神戸(えんしゅうかんど)」という駅がありました。
(所在地は、遠州と言っても静岡県中部地方に属する大井川西岸の榛原郡吉田町神戸)
そのせいか、町(字)名レベルでは「神戸」を「かんど」と読むのが普通だと思っていました。
[54210] 2006年 9月 27日(水)06:24:47雪の字 さん
神戸と私?
[54201] 小松原ラガー さん
恐れ入ります。
私の方は、じゃごたろ さんの書き込みを見落としておりました(じゃごたろ さん、失礼いたしました) 神主の住居を表す、という説も、寡聞にして存じませんでしたので、一つ勉強になりました。ありがとうございました。
東松山市の神戸の由来、わかりましたら、ぜひ、ご教示下さい。

[54202] 揖斐の山 さん
神戸町つながりですね。よろしくお願いいたします。
そちらの「神戸」は、やはり、日枝神社に由来するものでしょうか?

[54207] ニジェガロージェッツ さん
時期を逸した書き込みに温かいレスを頂き、ありがとうございます。
こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。

特に饂飩については、神戸や大阪といったところでは、関東風を出すお店など全く聞きません。
こちらにも関東出身者も多いと思うのですが、関東風をリクエストする客が少なく、商売にならないのかも知れないですね。
うどんに限らず、いわゆる関西(ここには、神戸も大阪も一緒くたで、おそらく、西日本すべてが含まれています)で関東風を頼むことは、相手を挑発する極めて危険な行為と考えられているのかもしれません!
と、言うのはもちろん冗談ですけれど、東日本の方にも「やっぱ、関西に来たら関西風だよな!」と言うか、郷に入れば郷に従え的なイメージを持っている方が多いのではないか、と想像します。

また「きつねうどん」を「しのだ」と呼ぶのについては、小生の地元、神戸旧市街地西部(←敢えて限定しておきます)だけではないと知り、何だか嬉しくなってきました。実際、こちらでも最近は「きつねうどん」派が幅を利かせ、メニューにも「しのだ」と書いている店が少ないのが現状です。
申し訳ありません。私の言葉が足りず、誤解を与えてしまいました。
[53088]にも少し書いたのですけれど、私の祖母は兵庫県出身で、少女時代から結婚までを須磨で過ごしています。そして、家はうどん屋でした。ですから、「しのだ」という呼び方は、まさにニジェガロージェッツ さんの地元から持ち込まれた、当家だけのものである可能性も高いのです。

醤油については、こちらは兵庫県内に淡口醤油の本場・龍野が控えているので、淡口のイメージがあるかも知れませんが、実際にはどちらかといえば濃口醤油の方よく売られているのではないかと思います。
ご教示ありがとうございます。本当に意外でした。
とすれば、うどんのつゆにだけは淡口醤油を使う、というのは、例のない事とは言えませんね。
無知を曝け出してしまい、お恥ずかしい限りです。

ここまで書いて、幼いころの記憶を辿りますと、「きつねうどん」というのはカップの「あれ」であって、「本物のうどん」は「しのだ」または「しのだうどん」と呼ぶ、というイメージが強く甦ってきます。ですから、名古屋にも、少なくともかつては「きつね」ではなく「しのだ」と呼ぶうどん屋があったのではないか、と思います。そして、あの淡い色のだしを使った「しのだ」も、当家だけのものではなかったのかもしれません。

なお、余談になってしまいますけれど、うどんには「しのだ」の他に、いろいろな具の入った「おかめ」と呼ばれるものがあったような気がいたします。確か、あんかけつゆを使っていたと記憶しています。
この辺り、ぜひ、他の愛知・岐阜在住の方々のご教示を頂きたいです。


最後になってしまいましたけれど、
ところで読み方は「ユキノジ」さんで良かったですか? ここの住人は「字」を「アザ」と読みたがる人が結構多いような気がしますが、念のため。
フォローありがとうございます。おっしゃる通り、このサイトで「字」と書けば、読みは当然「アザ」ですよね。では、私もここでは「ユキノアザ」と名乗ることに…
皆様、やはり「ユキノジ」でお願いいたします。
[54211] 2006年 9月 27日(水)08:43:21じゃごたろ さん
ごうど
おはようございます、じゃごたろです。
昨日の障害がどうやら復旧したようで、なによりです。私がアクセス拒否されているのかな、と思ってみたりして。。。

[54210] 雪の字 さん
神主の住居を表す、という説も、寡聞にして存じませんでしたので

私の書き込みも、あくまでも"説"の一つということでしょうね。諏訪地方では、上社の周辺に「神戸(ごうど)」という地区があり、また富士見にも同じく「神戸(ごうど)」があります。上社周辺は諏訪神社の領域であり、富士見の方も諏訪神社を分社して奉った地域周辺の地名ということで、 どちらも「荘園」というよりは、神(もしくはその現人神)の居る場所そのもの、といった由来と考えたほうが自然だと思います。
[54212] 2006年 9月 27日(水)11:55:15ezekiel さん
神戸を巡って ~ 補足の続き  
[54185]桜トンネル さん、
「神戸」というのはとても不思議ですねぇ。もっと詳しく調べていくと面白いことが見つかるかも!

[54187]小松原ラガー さん、
「神戸」の由来、ならびに三重県の4つの「神戸」の話題が出ていますが、どなたか埼玉県東松山市神戸の読みの由来をご存知の方はおられませんか?これ、「コウベ」でも「カンベ」でもなく「ゴウド」と読むようなのですが・・・

[54190] 雪の字 さん
過去ログを検索してみましたら、[15296]で yamada さんが「神戸」の異訓について書いておられるのを見つけました。

[54201]小松原ラガー さん、
「神主」がキーワードになる模様です。

[54202] 揖斐の山 さん、
 因みにその「神戸」と書いて「ごうど」と読ませる町、私の家の住所です。

[54203] YSK さん、
みどり市にも「神戸」と書いて「ごうど」と読む地区があります(東町神戸)。

[54209] inakanomozart さん、
「静岡鉄道駿遠線(すんえんせん:70年全線廃止)」には、「遠州神戸(えんしゅうかんど)」という駅がありました。

[54211]じゃごたろ さん、
諏訪地方では、上社の周辺に「神戸(ごうど)」という地区があり、また富士見にも同じく「神戸(ごうど)」があります。上社周辺は諏訪神社の領域であり、富士見の方も諏訪神社を分社して奉った地域周辺の地名ということで、 どちらも「荘園」というよりは、神(もしくはその現人神)の居る場所そのもの、といった由来と考えたほうが自然だと思います。


 雪の字 さんがご紹介されておられるように、既に[15296]でyamada さんが「神戸」の
異訓について書いておられます。これ以外にも神戸の地名は散在するのですが、
山梨、静岡以東は概ね「ごうど」(ごうと)です。静岡、愛知、三重近辺が「かんべ」、
「かんど」が大勢です。

 東京・多摩では「かのと」、平塚では「じんど」、島根に「かど」、津山では「じんご」
の読みも見受けられます。

 「こうべ」の読みもあるのですが、例えば東京の神津島に神戸山が「こうべやま」
と読みます。どうも神戸市が由来の新しい地名ではないかなあ~と考えています。



 埼玉に結構住んでいたので、"神戸"の地名に関しても埼玉は、最初に手をつけ
ました。埼玉の神戸は、三重とは対照的に市町村名になることはなく、旧村名で
すべて途絶えてしまっています。

○東松山市

比企郡神戸(ごうど)村だったのが、明治22年に神戸村を含む6村が唐子村となり、
昭和29年に東松山市が誕生して、神戸の地名は残っています。神戸神社には、
「神戸の獅子舞」が残っており、結構文書としても残っているようですが、まだ
当たっていません。


○羽生市

北埼玉郡神戸(ごうど)村だったのが、明治22年に神戸村を含4村が手子林村
となって、昭和29年に羽生市が誕生して、神戸の地名は残っています。
鴨田神社に関しては、ちょっと関係する文書を探し当てていません。


○比企郡小川町

明治22年の市町村制の直前には、既に村名ではなくて、比企郡木部村の一集落
としての神戸(ごうど)でした。明治22年に竹沢村となり、昭和25年に小川町。
現在は小川町木部の小字として地名が残っています。三光神社に関しては、関係
する文書を探し当てていません。

○川口市

北足立郡神戸(ごうど)村だったのが、明治22年に神戸村を含む8村2新田
2宿が神根村となって、昭和15年に川口市に編入。大字として残っています。
"朝日神社の神戸"が由来の地名ではないかと思うのですが、よくわからないです。

 ちなみに神根村というのは合成地名です。石神村+安行領根岸村と言われて
神戸とは無関係のようです。



小松原ラガー さんがご紹介されておられる神主説。過去ログを見落としていま
して、早速読んだのですが、私にとって初めて目にする説です。

 ただ、古代における神社を考える時に、今の感覚で「神社」や「神主」を捉える
と本質が見えてこないように思います。古代の神社を考える時に、神主、祝に、
神戸と国司を加えた関係の中で捉える必要があると思います。古代の神社では
すべての神社に神主が居たわけではなく、大部分の神社は「祝」のみであった
とする説もあり、神主は"神社の神職"というよりも"神戸の主"というような
ニュアンスが強かったのかなあ~と思います。

 実は、五畿内には、神戸の地名が皆無なんです。兵庫県の神戸村は摂津の国
ですが、光孝天皇の怒りにふれて在原行平が配流されたのが神戸村の西・須磨
でして、古代の神戸村近辺は辺境の地であったのかもしれません。

 神戸の地名のルーツを辿る時に、古代の神社における神主と神戸との関係は
興味深いなあ~とも思います。神戸というのが(今風に表現すれば)願い出て
封戸から鞍替えすることが容易だったのか、それとも朝廷から定められたもの
であったのか、[54211]じゃごたろ さんのコメントにあるように、神社や神戸
に関して、古代の感覚や視線、概念でで捉え直すと、浮き彫りにされてくる
のかもしれません。

 ちなみに兵庫県の神戸村に関してですが、生田神社は9世紀には44戸の
神戸があったそうで千二、三百人ではなかったかと推測されるそうです。
宝暦10年(1760年)には神戸村の人口は1985人とあります。

p.s. 群馬と茨城、愛知静岡山梨の神戸も時間を見つけて調査していきたいと
思っています。
[54214] 2006年 9月 27日(水)12:56:48N-H さん
横浜市保土ヶ谷区神戸町
[15296]にてyamadaさんがあげられている神戸の地名のうち、横浜市保土ヶ谷区神戸町は私の居住地のすぐ近くです。
ここには神明社というかなり大きな神社がありまして、うちの子供もここで七五三をやっておりますし、私は例年元旦はこの神社で迎えることにしています。
さて、ここの場合、神戸町という町名の由来は当然のことながら神明社からきているものと想像されますが、神社のウェブではこのように、さらにはこのようにも紹介されています。
[54215] 2006年 9月 27日(水)13:47:33みかちゅう さん
神門 ほか
[54204]北の住人さん
[54205]紅葉橋律乃介さん
るもい号のフォローありがとうございます。高速を使わずに2時間をこえる路線でも普通のバスを使うところもあるのですが、それなりの車両が使われているのですね。事業者によっては古くなった観光バスを路線バスに転用するところも。

[54213]中島悟さん
佐倉市に神門(ごうど)があります。ウォッちずで検索したところ佐倉市・君津市に「ごうど」、南房総市・宮崎県美郷町に「みかど」、都留市に「じんかど」、出雲市に「かんど」が存在するようです。
[54216] 2006年 9月 27日(水)14:37:05BANDALGOM[熊虎] さん
神戸 ごうど
[54197]グリグリさん
復旧作業お疲れ様です。
昨日は午前中、まずトップページが白紙になり、その時点で落書き帳は見られましたが、すぐに白紙になりました。

夕方まで、合併情報だけが見られるという状態でしたが、私のPCがいかれているもので、PCの問題だとばかり思っていました。
オフ会関係はMLで連絡できるものの、落書き帳はネットカフェなどに行くしかないかと・・・。
夜になって復旧&事情が分かって安心しました。


[54203]YSKさん
みどり市にも「神戸」と書いて「ごうど」と読む地区があります(東町神戸)。
富弘美術館の最寄り駅ですね。
星野富弘さんが生まれ育ち、退院後10年ほど前まで住んでいた所でもあります。
今は桐生市新里地区におられますが。

私は今月3日、6回目の富弘美術館に行ってきました。
昨年4月に新館がオープンしてからは2回目ですが、みどり市になってからは初めてです。
富弘さんの還暦に合わせ、生い立ちや創作活動を振り返る特別展の最終日でした。

なお、厳しい赤字経営が続く同鉄道ですが、このほど運行本数を現在の11往復から5往復に半減させる案が取りざたされている模様です。
これは富弘美術館にも行きにくくなりますね・・・。
私は過去5回はすべて、わたらせ渓谷鉄道で行きましたが、今回は車椅子の方が一緒だったこともあり、車で行きました。
しかし、柏を出たのは朝8時過ぎで、帰ってきたのは夜11時(足立区に寄ったということもありますが)。
車で行くところじゃないな、と思いました。

[54211]じゃごたろさん
諏訪地方では、上社の周辺に「神戸(ごうど)」という地区があり、また富士見にも同じく「神戸(ごうど)」があります。上社周辺は諏訪神社の領域であり、富士見の方も諏訪神社を分社して奉った地域周辺の地名ということで
その富士見町の「神戸」で、私は3度の夏を過ごしました。
「御射山神戸」ともいいますね。

山梨県境まで車で10分足らずの富士見高原&霧ケ峰で4度の夏を過ごし、長野県の経県度を「居住」にしているわけですが、その3回目までは社員寮が「神戸」にあったのです。
社員寮は「御射山ハイツ」というアパートで、「神戸八幡」の信号の近くにありました。

休日に甲府や上諏訪に行く時、「御射山神戸」の信号を渡って「すずらんの里」駅へ行きましたし、その信号の脇の床屋で散髪したり、同じく信号のそばのAコープで飲み物やパンを買ったり、その隣の御射山郵便局で預金を出し入れし、そのそばの公衆電話で電話をかけたものです。

ということで、私は2つの「ごうど」に縁があります。
[54221] 2006年 9月 27日(水)20:49:53たもっち さん
そして神戸(謎)
ごぶさたしております、たもっちです。

突然ですが、ウォッちずの検索結果から抽出した「神戸」の一覧です。
ただし、
1.神戸市にある「こうべ」と読むものは除外しました。(神戸市にある「こうべ」と読まないものはありませんでしたが。)
2.企業名に関係するものは除外しました。(17件の「神戸製鋼(所)工場」など。)
3.同一市町村内の、表記、読みともに同じものは1つを除いて除外しました。
4.鉄道駅は除外しました。
5.ウオッちずの読みは信用できないという噂もあります(というか、僕は信用していません)。

地名読み所在地
小神戸おがみど茨城県高萩市
神戸こうど茨城県鹿嶋市
神戸ごうと群馬県藤岡市
東町神戸ごうど群馬県みどり市
神戸ごうど群馬県群馬郡榛名町
神戸ごうと群馬県多野郡吉井町
神戸ごうど埼玉県川口市
神戸ごうど埼玉県東松山市
神戸大橋ごうどおおはし埼玉県東松山市
神戸ごうど埼玉県羽生市
神戸ごうど埼玉県比企郡小川町
神戸かのと東京都西多摩郡檜原村
神戸川かのとがわ東京都西多摩郡檜原村
神戸岩かのといわ東京都西多摩郡檜原村
神戸山こうべやま東京都大島支庁神津島村
神戸町ごうどちょう神奈川県横浜市保土ケ谷区
神戸ごうど神奈川県平塚市
水神戸すいじんど神奈川県平塚市
神戸ごうど神奈川県伊勢原市
神戸山かんどやま新潟県五泉市
神戸ごうど山梨県大月市
神戸ごうど山梨県甲斐市
神戸こうど山梨県甲州市
神戸ごうど山梨県南アルプス市
神戸ごうど山梨県上野原市
神戸ごうど長野県松本市
神戸新田ごうどしんでん長野県松本市
神戸橋こうどばし長野県松本市
神戸川ごうどがわ長野県上田市
神戸ごうど長野県諏訪市
神戸ごうど長野県飯山市
神戸いちょうごうどいちょう長野県飯山市
御射山神戸みさやまごうど長野県諏訪郡富士見町
神戸ごうど長野県上伊那郡辰野町
神戸ごうど長野県木曽郡南木曽町
神戸ごうど長野県木曽郡木曽町
神戸ごうど長野県北安曇郡松川村
南神戸みなみごうど長野県北安曇郡松川村
二ッ家神戸ふたつやごうど長野県北安曇郡松川村
神戸原ごうどはら長野県北安曇郡松川村
笠原町神戸ごうど岐阜県多治見市
神戸かんど岐阜県関市
神戸ごうど岐阜県瑞浪市
神戸かみど岐阜県恵那市
神戸町ごうどちょう岐阜県安八郡神戸町
神戸ごうど岐阜県安八郡神戸町
神戸大橋ごうどおおはし岐阜県安八郡神戸町
神戸ごうど静岡県富士市
神戸かんど静岡県榛原郡吉田町
新神戸しんかんべ愛知県一宮市
本神戸ほんかんべ愛知県一宮市
神戸川ごうどがわ愛知県半田市
神戸ごうど愛知県大府市
神戸町かんべちょう愛知県田原市
西神戸町にしかんべちょう愛知県田原市
南神戸町みなみかんべちょう愛知県田原市
東神戸町ひがしかんべちょう愛知県田原市
片神戸かたかんべ愛知県田原市
神戸新田かんどしんでん愛知県弥富市
神戸ごうど愛知県西春日井郡豊山町
神戸ごうど愛知県知多郡南知多町
明神戸みょうじんど愛知県知多郡武豊町
神戸かんべ三重県津市
神戸一丁目かんべ1ちょうめ三重県鈴鹿市
神戸九丁目かんべ9ちょうめ三重県鈴鹿市
神戸五丁目かんべ5ちょうめ三重県鈴鹿市
神戸三丁目かんべ3ちょうめ三重県鈴鹿市
神戸四丁目かんべ4ちょうめ三重県鈴鹿市
神戸七丁目かんべ7ちょうめ三重県鈴鹿市
神戸二丁目かんべ2ちょうめ三重県鈴鹿市
神戸八丁目かんべ8ちょうめ三重県鈴鹿市
神戸六丁目かんべ6ちょうめ三重県鈴鹿市
下神戸しもかんべ三重県伊賀市
上神戸かみかんべ三重県伊賀市
揖保川町神戸北山かんべきたやま兵庫県たつの市
貴志川町神戸きしがわちょうこうど和歌山県紀の川市
神戸かど鳥取県日野郡日南町
神戸上かどのかみ鳥取県日野郡日南町
神戸川かんどがわ島根県出雲市
神戸川かんどがわ島根県飯石郡飯南町
神戸山根じんごやまね岡山県津山市
神戸西じんごにし岡山県津山市
神戸じんご岡山県津山市
神戸東じんごひがし岡山県津山市
神戸こうど岡山県井原市
神戸ごうど岡山県真庭市
神戸山こうどやま岡山県小田郡矢掛町
神戸じんご岡山県久米郡美咲町
神戸丸こうべまる徳島県那賀郡那賀町
神戸町こうべまち宮崎県延岡市
神戸川こうべかわ鹿児島県出水市

・・・これってコレクションになります?(笑)
[54223] 2006年 9月 27日(水)21:58:12ezekiel さん
神戸を巡って ~ 続・補足の続き   
[54215]みかちゅう さん、
佐倉市に神門(ごうど)があります。ウォッちずで検索したところ佐倉市・君津市に「ごうど」、

 音(ごうど)が同じである神戸と神門に関しては、ちょっと調べたことがありますが、
神戸(ごうど)が転じで神門(ごうど)になった例もあります。

 地名としては現存していないのですが、現在の秩父市下宮地町辺りは、以前は
神戸であったようです。この辺り一帯には神社が多いのですが、それらの神社とは直接
関係はないようです。鎌倉期に秩父神社と合祀されるまでは、下宮地町辺りに妙見菩薩を
祀る神社があったようで、その神社に神戸があり、地名も神戸(ごうど)だったようです。
いつの頃かはわからないのですが、おそらく妙見菩薩が秩父神社と合祀され、いつしか
神戸(ごうど)が転じで神門(ごうど)となったようです。その神門の地名も今は残って
いないのですが、白道山神門寺として、寺の名前に名残をとどめています。

 神社の鳥居の由来については諸説があり、古代の神社には鳥居があったのかどうかは
よくわかりませんが(鳥居は古くからあったようですが、神社との結びつきは、後になって
からという説もあります。)神門に関しては、結構古くからあったようです。西日本の
神門という地名は、どうも神社の神門が由来ではないかなあ~と思っています。

 みかちゅう さんが挙げられた佐倉と君津の神門という地名の由来が、上記の秩父の
例のように、同じ音の神戸(ごうど)が転じたのかもしれませんが、私にはわかりません。

 *

ごうど(神戸、神門)についてネットで検索していましたら、福島県にも神戸の地名が
残っているのを見つけました。田村市船引町の字今泉の中に小字として「神戸前」という
地名がありました。ちょっと文献を探してみたいと思いますが、神戸前稲荷神社があり、
その神社の神戸だったのが由来の可能性もあります。

 神戸の北限が北関東で、新潟・五泉の神戸は特異例だと思っていたのですが、福島にも
神戸の地名があり、興味深い発見でした。

 *

[54221] たもっち さん、

 ネットで、いろいろ調べることが出来るのは、ほんとうに便利ですね。テキスト
データのみならず、イメージとの対応に関しても検索が可能になってきて、その
恩恵に浸っています。

 神戸に関わる地名一覧、活用させていただきたいと思います。次に調べるのが
鳥取県日南町の神戸なんですが、これも一覧に入ってクリックすると地図が出て来て
ちょっと感動しました!鳥取と言っても日南町は島根に入り込んだ部分で、岡山と
接する谷田峠近くの大倉山の南麓一帯が神戸だったようです。「神戸上」という
地名が残っている辺りが最東部だったのかもしれません。井上靖記念館が近くに
あります。

小神戸 おがみど 茨城県高萩市

 ちょっと前から神戸にまつわる地名を調べているのですが、私の場合は、神戸市
との関わりで“神社の神戸”が由来と思われるものを集めていまして、その点から
高萩の「小神戸」に関しては、地名の起源が違うように思っていました。ここには
山城の城館群があったようで、その中の内ノ草館があった場所が小神戸になります。
県道を挟んで南西に小川崎(こがさき)という地名がありますが、ここも小川崎館
という城館跡です。2キロほど南に大塚神社があって、数百年続いている「ささら」
という奉納舞も続いているようで、大塚神社の“離れた神戸”ということで小神戸
という地名になったとも考えられるのですが・・・。たもっち さんの一覧を見ていると、
要調査かもしれないと考え直してしまいました。


p.s. 前回の私の書き込み[54212] で、
群馬と茨城、愛知静岡山梨の神戸も時間を見つけて調査していきたいと思っています。

 愛知静岡山梨 → 愛知と静岡、山梨、長野 : 長野が抜けて、句読点も抜けて・・・、失礼しました。
[54225] 2006年 9月 28日(木)02:06:02EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第100号 神戸コレクション!
[54221] たもっちさん
突然ですが、ウォッちずの検索結果から抽出した「神戸」の一覧です。
(中略)
・・・これってコレクションになります?(笑)
実はそう言う話題を振ろうかな…と考えていた、まさにその矢先でした。
もちろん採用です。
データもそろっているので即コレクションに移行できると思いますが…登録しちゃいますか?
それともとりあえずコレクション案という事にしておきましょうか??
[54229] 2006年 9月 28日(木)12:59:37たもっち さん
また神戸
[54225] EMMさん
もちろん採用です。
データもそろっているので即コレクションに移行できると思いますが…登録しちゃいますか?
それともとりあえずコレクション案という事にしておきましょうか??

登録しちゃって構わないと思いますよ。ただ、言い出しておいて何ですが、自分で編集をする気はなかったんですよね。この件に関してはもっと適任と思われる方がいらっしゃいますので。
というわけで、いきなりですみませんが、ezekielさん。この際ですから、メンバー登録と「神戸コレクション(仮称)」の編集をなさってみてはいかがでしょうか。
もちろん、無理にとは申しませんので、ごゆっくり検討していただければと思います。


ついでに、ウオッちずで「神門」を検索した結果(読みは問わず)も書いておきます。(検索はみかちゅうさん([54215])が既に試みていらっしゃいます。)

地名読み所在地
神門の滝しんもんのたき北海道紋別郡雄武町
神門寺しんもんじ埼玉県秩父市
神門ごうど千葉県佐倉市
神門ごうど千葉県君津市
神門みかど千葉県南房総市
神門じんかど山梨県都留市
随神門ずいしんもん長野県長野市
神門谷ごうどだに島根県出雲市
神門町かんどちょう島根県出雲市
神門橋かんどばし島根県出雲市
南郷区神門みかど宮崎県東臼杵郡美郷町
神門神社みかどじんじゃ宮崎県東臼杵郡美郷町
神門原みかどばる宮崎県東臼杵郡美郷町


以下は余談です。もしかしたら、誤解されているといけませんので・・・。
[54222]桜トンネルさん
(読み方は不明となっていますが・・・。)
ウオッちずの検索結果で表示される読みが信用できないと僕が書いたことを指していると思いますが、僕もほとんどの読みは正しいと思っています。ただ、ほんの一部ですが、どう見てもおかしい読みが振ってあるものが見受けられるために、無条件に信じることがどうしても出来ないな、と思うのです。以前、確か大津市の「柳ヶ崎」の読みに関連してだったか、読み方は自治体に確認しているらしいという書き込みがあったように思いますが(記事検索をしているのですが、調子が悪くて探せていません。趣旨が異なっていたらすみません。)、どの程度の確認をしているのかわかりませんし。例えば、かつて一音地名を探していた時に見つけたこんな例もあったり。
[54230] 2006年 9月 28日(木)13:38:07ezekiel さん
黄金色 & 神戸を巡って ~ 続・続・補足の続き
[54227] YSK さん、
この間の日曜日に栃木県北部で撮影してきた黄金色の水田のようすです。もう秋本番となってまいりましたね。

 秋の田んぼの黄金色は良いですね♪ そして稲刈り後の田んぼの土手に、燃えるような
真っ赤な曼珠沙華も、この時期独特の光景。空には秋の雲・・・

 9月に撮り溜めた秋の光景を、私もちょうどまとめました。ハーベスト・タイム
播磨平野は麦畑も広がっており、毎年2度、黄金色の豊饒を楽しめます!



[54223]の私の書き込みの訂正・追加です。

田村市船引町の字今泉の中に小字として「神戸前」という地名がありました。

読みを忘れていました。“かみとまえ”のようです。

 神戸の北限が気になって、午前中にちょっと調べていたのですが、
もうひとつ見つかりました。 

○福島県石川郡玉川村

 旧村に吉(よし)村があって、その集落として神戸(かみど)という地名が
存在していました。吉村は明治22年の合併で消滅してしまうのですが、その後は
大字の吉として残り、小字として神戸も残り続けていたようです。

 ここからは未確認ですが、字神戸はかなり小さな集落で、最近は、どうも人が
住んでいなかったようです。現在は大字の吉は確認できるのですが、小字の神戸は
確認できず、消滅(?)してしまったのかもしれません。

 場所は福島空港の南、あぶくま高原道路の福島空港ICが出来て、その附帯施設
の位置が字神戸に相当するようで、過疎ではなくて移転が原因なのかもしれません。
「インターチェンジで消滅した字」になるのでしょうか?

 鹿島神社のちょうど前に広がるロケーションで、地名の由来が、鹿島神社の
神戸であった可能性があるので、要調査です。



・小神戸 おがみど  茨城県高萩市
・神戸前 かみとまえ 福島県田村市
・神戸  かみど   福島県玉川村

 ごうど(ごうと)で関東を大きく捉えていたのですが、かみと系の読みが
茨城から福島に3つあるのは、偶然ではないような気もします。
[54242] 2006年 9月 29日(金)02:51:47YSK さん
ごうど
太田市には強戸と書いて「ごうど」と読ませる地名があります(太田市強戸町・上強戸町)。もとは「大字強戸」で、上強戸、中強戸、下強戸の3つの行政区に分かれていたものを(行政区は現在も同じです)、十数年前の町名設定の際、上強戸の範囲を「上強戸町」、中強戸・下強戸の範囲を「強戸町」としたものです。

明治の大合併時にこの大字名をとった「強戸村」が編成されたことから、この「強戸」は太田市内の地区名としてさまざまな場面(行政センター名や小中学校名など)で使用されるローカルな重要地名となっています。
[54244] 2006年 9月 29日(金)12:57:04EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第100号-2
昨夜はオフ会のメールのレス等々で力尽きました…


[54229] たもっちさん
登録しちゃって構わないと思いますよ。ただ、言い出しておいて何ですが、自分で編集をする気はなかったんですよね。
うーん、それではとりあえず案と言うことにしておきましょう。
(10月になるしコレクション案の整理をまたやらなきゃいけないなぁ。)


以下、余談あてレス。
以前、確か大津市の「柳ヶ崎」の読みに関連してだったか、読み方は自治体に確認しているらしいという書き込みがあったように思いますが(記事検索をしているのですが、調子が悪くて探せていません。趣旨が異なっていたらすみません。)、どの程度の確認をしているのかわかりませんし。
私とむっくんさんのやりとりですね。
国土地理院に質問したのは私です。
やりとり内容
でも私もまだすっきりしてません。
大津市にも問い合わせてみたいところですが、担当課が分かりませんし、HPを見ると市街からは問い合わせしにくいような体裁ですし。
後は現地確認しかないのかも…。
そう言う微妙なのではなく、あからさまに???な読みが出てくることも確かにあります。
旧仮名遣いだったり、不必要なところまで漢数字をアラビア数字にしてあったり。


------------------------------------------


[54243] 気まぐれさん
ところで「神戸」の読みについて話題になっていますが、「柏原」についても同様によく話題になります。
分類すると「かしわばら」「かしはら」「かしわら」「かいばら」「かせばら」「かしわはら」「かしょうばら」「かしわばる」と言うことになりますね。
(「まかやばる」は「間栢原」が正解かも)
こういう読みの違いに着目するのも、地名コレクションの切り口としておもしろいような気がしてきました。
いろいろ考えられそう。

#私の気になる地名は「神代」。
ところによって読みはバランバランです。
[54250] 2006年 9月 29日(金)21:46:30たもっち さん
RE:「柏原」の読み方
[54243]気まぐれさん
「柏原」でも同様に地域差が出ていますね。
たもっちのヴィジュアル系心(?)が大きく揺り動かされました。そのまま勢いで「柏原」の分布地図を作ってしまいました。こうして見ると、地域差がはっきり現れて面白いですね。

#僕が「柏原」につい激しく反応してしまったのは、僕の出生地が柏原市だからというのが大きいです。と言っても、物心つく前に柏原を離れているので、土地鑑も何もないのですが。


さて、もう少ししたら、オフ会の地へ旅立ちます。う゛~、緊張してきた(笑)。
[54251] 2006年 9月 29日(金)23:25:09【1】桜トンネル さん
神代・・・&神埼市
[54244]EMMさん

#私の気になる地名は「神代」。

ということでまたまたしちゃいました。[54221]たもっちさん、[54243]気まぐれさん同様、ウオッちずで調べました。選び方もほぼ同じになっているはずです。

神代町(かみしろちょう)北海道室蘭市
神代トンネル(じんだいとんねる)北海道根室市
神代川(かんだいがわ)北海道厚岸郡厚岸町
神代(じんだい)秋田県仙北市
神代中央通(じんだいちゅうおうどおり)秋田県仙北市
神代調整池(じんだいちょうせいいけ)秋田県仙北市
神代ダム(じんだいだむ)秋田県仙北市
神代発電所(じんだいはつでんしょ)秋田県仙北市
神代(かじろ)千葉県市原市
神代橋(かみよばし)東京都青梅市
御岳の神代ケヤキ(みたけのじんだいけやき)東京都青梅市
神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)東京都調布市
神代(こうじろ)富山県氷見市
神代温泉(こうじろおんせん)富山県氷見市
神代(かくみ)石川県羽咋郡志賀町
山高神代ザクラ(やまたかじんだいざくら)山梨県北杜市
上神代(かみかじろ)長野県長野市
素桜神社の神代ザクラ(すざくらじんじゃのじんだいざくら)長野県長野市
神代(じんだい)長野県諏訪郡富士見町
神代町(かみしろちょう)愛知県半田市
神代国衙(じんだいこくが)兵庫県南あわじ市
神代浦壁(じんだいうらかべ)兵庫県南あわじ市
神代喜来(じんだいきらい)兵庫県南あわじ市
神代黒道(じんだいくろみち)兵庫県南あわじ市
神代社家(じんだいしゃけ)兵庫県南あわじ市
神代地頭方(じんだいじとうほう)兵庫県南あわじ市
神代富田(じんだいとみだ)兵庫県南あわじ市
神代屋谷(よこやだに)島根県浜田市
三刀屋町神代(みとやちょうこうじろ)島根県雲南市
神代(かみよ)島根県雲南市
神代川(こうじろがわ)岡山県津山市
神代(こうじろ)岡山県津山市
神代町(こうじろちょう)岡山県井原市
下神代(しもこうじろ)岡山県新見市
神代川(こうじろがわ)岡山県新見市
下神代(しもこうじろ)岡山県新見市
下神代(しもこうじろ)岡山県新見市
神代川(こうじろがわ)岡山県新見市
神代川(こうじろがわ)岡山県新見市
上神代(かみこうじろ)岡山県新見市
神代(こうじろ)岡山県真庭市
神代東(こおじろひがし)岡山県真庭市
神代(こおじろ)岡山県真庭市
神代北(こおじろきた)岡山県真庭市
神代西(こおじろにし)岡山県真庭市
神代(こうじろ)山口県柳井市
神代川(こうじろがわ)山口県周南市
神代川(こうじろがわ)山口県周南市
山川神代1丁目(やまかわくまじろ1ちょうめ)福岡県久留米市
山川神代2丁目(やまかわくまじろ2ちょうめ)福岡県久留米市
山川神代3丁目(やまかわくまじろ3ちょうめ)福岡県久留米市
神代橋(くましろばし)福岡県久留米市
下神代(しもこうたい)佐賀県神埼市
上神代(かみこうたい)佐賀県神埼市
神代(かみしろ)長崎県雲仙市
神代(こうしろ)長崎県雲仙市
国見町神代名(くにみちょうこうじろみょう)長崎県雲仙市
神代川(こうじろがわ)長崎県雲仙市
神代川(こうじろがわ)長崎県雲仙市
下神代(しもこうじろ)熊本県上天草市
神代(こうじろ)熊本県上天草市
神代川(こうじろがわ)熊本県上天草市
神代川(じんだいがわ)宮崎県西臼杵郡高千穂町

これも、「神戸」、「柏原」、に続いてコレクションになったりして!(神戸、柏原はまだ正式決まっていませんが・・・。)

訂正【1】:(やまかわくまじろ1ちょうめ)などの「やまかわ」が「やまがわ」になっていたので訂正しました。
       分かりやすくするために文を少し追加しました。
[54253] 2006年 9月 30日(土)00:10:17ニジェガロージェッツ さん
兵庫の地にて神戸駅を開業
神戸市についての話題や地名「神戸」についての話題が続き、神戸市在住の一人として楽しんでおります。

[54186] ezekiel さん
書いた小生さえ忘れているような拙稿を発掘して頂いて恐縮です。
拙稿[18378]では全く異なる2つの都市「神戸」と「兵庫」の力関係について、その逆転の時期をぼかした表現をとっています。
1867(慶応3)年の開港時には、実際に開港したのは神戸港でありながら「兵庫港」として開港したことから、この時点では「兵庫」に軍配。
1879(明治12)年に郡区町村編制法施行に伴い、神戸と兵庫、その中間に位置する坂本村が合併して「神戸区」となったことから、この時点では既に「神戸」に軍配。

そして、もう一つ面白い尺度としては「神戸駅」の開業があると思います(拙稿[5887]に若干触れています)。
1874(明治7)年開業の初代神戸駅は、現在の神戸駅からハーバーランド(旧・湊川貨物駅)にかけての広大な領域を構内としていましたが、この場所は意外にも兵庫の領域です。
今でこそ神戸駅周辺を「神戸」ではなく「兵庫」の一部だと思っている人は少ないと思いますが、神戸駅のある現在の「中央区相生町」は神戸市誕生当初より1931(昭和6)年の区政施行までは「兵庫」を冠し「兵庫相生町」でした。(区設置以前の神戸市の冠称については拙稿[51105]に記述)
区設置後も神戸駅は神戸区ではなく湊東区でした。
つまり、兵庫の地に駅を作りながらも、その駅名を「神戸」としたことになります。
一方、本来の神戸の地にも駅を作りましたが、これを「三ノ宮駅」としました。初代の三ノ宮駅は今ある三ノ宮駅の場所ではなく、現在の元町駅の辺りにありました。

「神戸」と「兵庫」の力関係について、明治7年の時点の神戸駅の開業と結びつけるのは、ちょっと筋違いかもしれませんが、時代背景としては面白いと思っています。

なお、駅名を「神戸」と命名したことについては、こういった「陸上の論理」だけでは済まないかもしれません。
というのは、海上では神戸港と兵庫港が共存していた時代でもあり、両港の境界は湊川の河口としていました。「湊川」という河川は現在の神戸市には存在しておらず(あるのは「新湊川」です)、土地鑑のない他都市の皆さんには判り難いかもしれませんが、現在の町名で言えば中央区東川崎町(当時は兵庫東川崎町)の浜辺は神戸港域、兵庫区東出町(当時は兵庫東出町)の浜辺は兵庫港域となります。
ですから「海上の論理」では、神戸駅は正に神戸港に隣接していたことになります。
[54258] 2006年 9月 30日(土)11:25:30ezekiel さん
神戸を巡って 続・続・続・補足の続き & “ごうど”
[54242]YSK さん、
太田市には強戸と書いて「ごうど」と読ませる地名があります

 この強戸(ごうど)は、どうも額戸(ごうど)が転じたものの
ようです。清和源氏の流れの新田義重の子(庶子)である経義が、
新田荘の額戸郷を拝領(相続?)した時に額戸氏を名乗ったという
説があります。

 逆に額戸経義が、新田荘の中の、現太田市強戸町の地域を拝領
して額戸郷という呼び方をされたという説も見られるのですが、
いずれにしても強戸村の起源は額戸郷で、それが転じて強戸と
なったように思います。

*

 ごうどつながりで・・・ (前回はざっと1行だけですませたので)

神門(ごうど)に関しての[54223]の書き込みの補足です。
西日本の神門という地名は、どうも神社の神門が由来ではないかなあ~と思っています。

 古代の出雲の豪族に神門氏(神門臣・かんどのおみ)があって、
この神門氏の名前の由来が、出雲大社の神門の建立であったようです。
古代の出雲では神門氏は大きな勢力を持っていたようです。結構開拓に
熱心だったという説もあって、神門氏が開拓した地に神門の名前が
ついた可能性があるのですが、(おそらく、その地の神社の神門の
建立に関わったことと想像できます。)でも佐倉市や君津市の神門に
関しては音が異なりますし、神門氏との関係は、よくわからないです。

*

 地名の由来を辿ると、必ずしもルーツがひとつとは限らない場合も
あります。実は、神戸市のルーツも、“生田神社の神戸”が主流
なんですが、異説もあります。“長田神社の神戸”が神戸の地名の由来
だと長田神社は主張しています。

 *

[54253]ニジェガロージェッツ さん、
1874(明治7)年開業の初代神戸駅は、現在の神戸駅からハーバーランド(旧・湊川貨物駅)にかけての広大な領域を構内としていましたが、この場所は意外にも兵庫の領域です。

「神戸」と「兵庫」の力関係について、明治7年の時点の神戸駅の開業と結びつけるのは、ちょっと筋違いかもしれませんが、時代背景としては面白いと思っています。

 詳細な言及をありがとうございます。また、[5887]が私の検索から漏れて
しまって、失礼いたしました。

 江戸期の幕末前夜までは“一集落の地名”でしかなかったが「神戸」という
地名が、明治の区名に選ばれ、市名になり、日本の重要な港名になり、国鉄の
停車場の名前に選ばれた理由。現在は国内外に通用する都市名になり、結構
ブランド力のある名前のようですが、「何故、神戸が・?」なのかは、よく
わからないです。当時は県名の「兵庫」の方が通りが良かったと想像出来ま
すし、隣接する「生田」であっても良かったわけです。

 ニジェガロージェッツ さんの[54253]の書き込みの主旨の大きなテーマの
ひとつが「兵庫ではなく、何故、神戸が・?」ではなかったのかなあ~と
勝手に想像してしまいました。他の地域の神戸が、三重県では神戸氏を名乗る
豪族が現れて市町村制に複数の神戸が残っています。それに対して北関東の
神戸は、ほとんどが市町村制に残ることが出来ず旧村や、旧村の中の一集落の
名前として、昔ながらの地域の地名として留まっています。この違いは地域性
なのか、偶然なのか・・・、いろいろ考えると面白いですね。

* 

 当時の兵庫は、かなりの天井川であった旧・湊川以西となり、港町、宿場町
として賑やか“町”だったのに対して、湊川以東の走水村、二茶屋村、神戸村、
生田村は、西国街道沿いの、農業と漁業の寒村のような感じだったと思います。

 私自身よくわからないのは、神戸村と生田村との関係です。神戸村は、
西隣の走水村や二茶屋村とまとめて3村という括りで捉えられたり、山手の
北野村・中宮村・花熊村を併せて6ケ村と括られたりしていますが、どうも
東隣の生田村とは、疎遠だったのか、或いは対立関係だったのか、一線を画して
いたようなニュアンスを感じます。もちろん6ケ村が福原庄ということで、
結びつきが強かったことは大きいでしょうね。

 江戸期までは、どちらかというと「生田」の地名の方が通りが良かったのでは
ないかなあ~と思います。神社の名前は生田神社、その附近は生田の森で、
山手からの流れは生田川、神戸と生田では、生田の方が地名としては優勢の
ような気がします。


 神戸と兵庫の関係と共に、生田と神戸の関係も気になります。

*

 神戸駅の件ですが、確かに「何故、神戸が?」を辿る時には避けて通れない
と思います。神戸駅が明治7年で、兵庫港が神戸港に改称したのが明治25年。
一方、走水村と二茶屋村、神戸村が合併して神戸町になったのが明治元年
とされ、兵庫、神戸、坂本が神戸区となってのが明治12年です。

 ニジェガロージェッツ さんが着目されておられるように、幕末から
約10年間の間に、“兵庫から神戸”と大勢が流れたように思います。

 実はこの時期に湊川神社(楠公さん)が創建されています。神戸の大きな神社は
長田神社、湊川神社、生田神社になりますが、長田神社と生田神社は神戸を持つ
古代からの神社に対して、湊川神社は明治5年に明治政府によって創建された
神社です。河川跡に造られた街

 この地図は明治18年のモノですが、神戸駅の位置は、古くからの兵庫港と
新しい海外向けの新兵庫港との間で、湊川の左岸河口で、楠公さんの真正面に
なっています。

 このサイトのアーカイブズにまとまっていますが、[1774] Issie さん、
[1775]Issie さん、[1776] f さん、[1777] Issie さん、のやりとりにある
ように、兵庫県の県庁の所在地は兵庫から、楠公さん近辺に移り、明治6年に
現在地へ移転したようです。私は県庁の場所に関する資料を持っていません
ので、このやりとりの情報によると、明治6年以前の数年間ぐらいは楠公さん
のご近所に県庁があったことになります。

*

 私見ですが、兵庫の古くからの町と、新しい兵庫港と居留地のある神戸との
間の場所であり、新しい神社・楠公さんの目の前のロケーションである湊川
左岸の河口附近に兵庫県の玄関の町を作ろうとしたのかもしれません。
そして、その地が兵庫ではなくて神戸だったことが、駅名に反映したように
思います。あるいは明治に入って2~3年で、港と居留地の地名「神戸」が
(国際的にも)有名になったのかもしれません。

 楠公さんは、当初は尾張藩は京都に創建することを薦め、また滋賀や大阪の
計画もあったようですが、楠公の墓の場所であり、それが永く荒れた状態
だったのを徳川光圀が墓碑を創建したこともあって、今の地になりましたが、
もし別の場所に楠公さんが創建されていたら、神戸の駅の場所や駅名は「兵庫」
だったかもしれませんし、兵庫区→兵庫市という名前に落ち着いていたかも
しれません。また、兵庫の古くからの港をそのまま外国向けに使っていたら、
当然のように兵庫市になっていたことと思います。

 生田神社の44戸の神戸が、西国街道沿いの村名として、その地域を
指し示す地名に留まらずに、広域な政令指定都市の名前になったルーツ、
それは唯一の明確な理由があったのかもしれませんし、幾つかの偶然(?)
が重なった故かもしれません。

 何故、生田ではなくて神戸? 何故、兵庫ではなくて神戸?

 ・・・ いろいろ調べてみたいと思います。



[54229] たもっち さん、
ezekielさん。この際ですから、メンバー登録と「神戸コレクション(仮称)」の編集をなさってみてはいかがでしょうか。

 [53879]のグリグリさんへのコメントでも触れていますが、[53720] &[53619]
ペンディングのままになっています。このような状態ではメンバー登録は
考えられませんので、「神戸コレクション(仮称)」の編集は、どうぞ適任の方に
お声掛けして下さい。
[54297] 2006年 10月 1日(日)23:15:25hmt さん
兵庫・神戸(1)「兵神市街之図」
[54253] ニジェガロージェッツ さん
1874(明治7)年開業の初代神戸駅(中略)、この場所は意外にも兵庫の領域です。…「兵庫相生町」
なお、駅名を「神戸」と命名したことについては、こういった「陸上の論理」だけでは済まないかもしれません。
というのは、海上では神戸港と兵庫港が共存していた時代でもあり、両港の境界は湊川の河口としていました。
ですから「海上の論理」では、神戸駅は正に神戸港に隣接していたことになります。

神戸と兵庫に関する考察、興味深く拝読しました。なるほど、陸上の境界と海上の境界とは異なるのですか。

神戸・大阪間鉄道の開通から6年後の明治13年出版の「兵神市街之図」(Hiogo and Kobe Map)を見ると、宇治川の中に境界線らしきものが見えます(鉄道より下流では、川筋よりも少し南)。これが陸上の境界線とすると、たしかに「鉄道ステーション」は「兵庫」の領域ということになります。

もっとも、明治13年というと、既にその前年(明治12年)に郡区町村編制法による「神戸区」が誕生しており、行政上は“兵庫と神戸の境界線は存在しないはず”ではないかと思われます。
まあ、昔の人はそんな杓子定規なことは言わず、地図のタイトルも「神戸区市街之図」でなく、「兵神市街之図」としているくらいですから、兵神境界線が残っていても不思議はありません。
この「兵神」という「合成地名」。明治初期から使われたのかもしれませんが、統一「神戸区」の誕生によって使う必要がなくなり、自然消滅したものと思われます。

地図には境界線は示されていませんが、兵庫港と神戸港、それぞれの湾入の自然地形から、湊川の河口が境界であることは一目瞭然です。鉄道建設の経緯からしても、神戸港に隣接しているステーションの名が「神戸」であるのは当然なのでしょう。

この地図の左下隅には、星型の土塁を備えた和田岬砲台 が見え、右側の神戸港には、「Foreign」として外国人居留地の詳細図が描かれています。

この地図において、ステーションの山側「別格官幣湊川神社」の隣には「神戸裁判所」があります。
かつてこの場所(兵庫)にあった「兵庫県庁」は既に神戸(元町の裏山)に移転しています([1776]によると明治6年)が、県の名前はもちろん「兵庫」のまま変わっていません。
兵庫県庁の海側には「神戸市役所」らしい文字が読め、「三ノ宮ステーション」(現在の元町駅付近)もあります。

明治13年(1880)の「兵神市街之図」はこんな具合で、「Hiogo and Kobe」並立時代の名残もあるものの、両者は既に融合の時代に入っていたように思われます。

この地図は、講談社「日本の古地図7」(1976)に収録されたものを見ているのですが、その前の頁には、ほぼ同じスタイルの慶応4年(1868)「開港神戸之図」と、明治2年(1869)「兵庫津細見全図」とが収録されており、この時代にはまだ別個の市街として認識していた神戸と兵庫を、2枚シリーズの地図として発行したことがわかります。

宇治川と湊川の間は「開港神戸之図」(1868)だけでなく、「兵庫津細見全図」(1869)にも収録されています。
「楠公墓」(湊川神社になったのは明治5年[54258])の近くに「兵庫県御裁判所」(兵庫図では「県役所」)があります。
慶応4年当時の“裁判所”は、行政機関でもありました[229]。つまり県庁の前身。

宇治川口には、「福原町」と書かれた、いかにも遊郭らしい町並みが見えます。ニジェガロージェッツ さんの記事[5887]参照。
[54321] 2006年 10月 3日(火)23:41:20ニジェガロージェッツ さん
明治初期の神戸
[54258] ezekiel さん、[54297] hmt さん、レス有難うございます。
特にhmtさんの「兵神市街之図」についてのお話は、大変面白く拝読させて頂きました。いつもながら的確なフォローに深く感謝致します。

[54258] ezekiel さんの神戸に関するご考察、生田への関連も含めて大変興味深いものがありますが、その前に確認までに少し。
兵庫港が神戸港に改称したのが明治25年。
これを「改称」と言えるかどうかですが、兵庫開港に際し兵庫津ではなく、実際には北へ離れた神戸村の浜辺を開港場として以来、兵庫港と神戸港が並存していました。明治25年に起こった事は両港の統合であり、神戸港内に含まれる兵庫港となったことです。

先の拙稿[54253]の書き込みの主旨は、2つの都市「兵庫」と「神戸」との勢力の逆転について、その逆転時期を考える上で、「神戸駅の開業」というイベントにスポットを当ててみたかったいうものでした。
[54297]hmtさんの仰るように、鉄道建設の経緯からして「神戸港」に隣接している駅名が「神戸」であるのは当然でしょう。
生田川河口から和田岬に至る海岸線は、湊川の河口を頂点に二つの扇が連なった形状をしています。
湊川河口「南側の扇」が兵庫港、「北側の扇」が神戸港と言うわけです。
ところが、兵庫の陸上での境界は「北側の扇」の中程にある宇治川です。この「陸海境界のずれ」が兵庫の地に在りながら「神戸駅」との名称になったとすれば、海岸線という地形の為せる悪戯でしょうか。

江戸期までは、どちらかというと「生田」の地名の方が通りが良かったのでは
ないかなあ~と思います。神社の名前は生田神社、その附近は生田の森で、
山手からの流れは生田川、神戸と生田では、生田の方が地名としては優勢の
ような気がします。

生田に関して言えば、「神戸」という地名が生田神社の「神封戸」を由来とするのであれば、古来は確かに「生田」のほうが格上の地名と言えるでしょう。
しかし、開港を迎えた幕末期では状況が違っていたはずです。
まず元来「生田」の地名は生田川を東界とする摂津国八部郡に属していましたが、川の流路の変化もあったのでしょう、いつしか村落は摂津国菟原郡に、生田神社は八部郡と分かれてしまいました。
江戸期には生田村は菟原郡、神社のある生田宮村は八部郡に所属しています。
この場合、「神戸」に対抗する「生田」と言えば、同じ八部郡に所属し隣接する「生田宮村」の方でしょうか?
しかし、この村は「社官と寺僧の家居ありて、村とは単に名のみ」と言われ、天明8(1788)年には家数3・人数18を数えるに過ぎず、幕末に至ってもこの様子は変わらなかったと言います。
一方、後の明治9年に合併して葺合村の一部となる「生田村」については、生田川を挟んだ反対側の菟原郡にあり、あくまで私見ですが開港場となった神戸村の名称とするには、無理があったのではと思います。

以下、明治初期に神戸村→神戸町→神戸区→神戸市と発展していく過程で、神戸に吸収されていった村々を簡単ではありますが略図で表してみます。
|===========△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△尾尾筒筒筒==原田=|
|============△△△△△△△△△△△△△△△△△△△尾尾尾筒筒筒====|
|============△△△△△△△△△△△△△△△△△滝尾尾尾尾筒筒筒====|
|=============△△△△△△△△△△△△△△滝滝滝滝滝尾村筒筒筒筒筒==|
|=============△△△△△△△△△△△北北北生熊熊熊熊村村村筒脇脇脇==|
|==============△△△△△△△△△△北北北生生熊熊熊村脇脇脇脇脇脇脇=|
|==============△△△△△△△△北北北北生生生生生脇脇脇脇脇脇脇脇―-|
|==============△△△△△△△中北北北北生生生生生脇脇脇脇脇脇――――|
|=============△△△△△△中中中北北北生生生生生生脇脇脇脇―――――-|
|=======奥平野===△△△宇中中中中中中北宮宮生生生小小脇脇脇―――――――|
|===============宇宇花花花中中中宮宮神生小小小小脇脇―――――――-|
|===石井==★=★=====宇宇花花花花花中神神神神小小小小小小――――――――|
|=======★★=荒==宇宇宇花花花花花神神神神神神神小小小小――――――――-|
|========★荒荒荒=坂宇宇宇花花走茶茶神神神神神神神小小小―――――――――|
|夢野=====地★荒荒坂坂坂坂宇宇走走茶茶茶神神神神神神神小――――――――――-|
|=======地★荒荒荒坂坂坂坂兵走走茶茶茶―――――――――――――――――――|
|====地地地地★荒荒荒兵坂坂兵兵兵茶茶――――――――――――――――――――-|
|====地地地地地★荒兵兵兵兵兵兵兵兵兵――神戸港――――――――――――――――|
|==地地地地地地地★★★★兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――-|
|===地地地地地地兵兵兵兵★★★★兵兵兵兵兵―――――――――――――――――――|
|==地地地地地地兵兵兵兵兵兵兵兵★★★★兵兵――――――――――――――――――-|
|===地地地地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵★★兵兵―――――――――――――――――|
|===地地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵★―――――――――――――――――-|
|====地地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――|
|=====地兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――-|
|=======兵兵兵兵兵兵兵兵兵兵――――――――――――――――――――――――|
|===========兵=兵兵兵兵――――兵庫港――――――――――――――――-|
|==============兵兵兵兵―――――――――――――――――――――――|
|==========御崎====兵兵――――――――――――――――――――――-|
|====東尻池==========兵兵兵―――――――――――――――――――――|
|============今和田=兵兵兵兵兵―――――――――――――――――――-|
|========吉田========兵兵兵兵兵――――――――――――――――――|
|――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――-|
|-――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――|
|△は山域、★は湊川を示します。

凡例および初代神戸市域(明治22年成立)の村々の統合経緯
略号村名明治元年明治5年明治9年明治12年明治20年明治22年
【菟原郡】
筒井村葺合村神戸市
中尾村葺合村神戸市
滝寺村葺合村神戸市
熊内村葺合村神戸市
生田村葺合村神戸市
中村葺合村神戸市
脇浜村葺合村神戸市
小野新田葺合村神戸市
【八部郡】
神戸村神戸町神戸区神戸市
二ツ茶屋村神戸町神戸区神戸市
走水村神戸町神戸区神戸市
生田宮村神戸町神戸区神戸市
北野村神戸町神戸区神戸市
中宮村神戸町神戸区神戸市
花熊村神戸町神戸区神戸市
宇治野村神戸町神戸区神戸市
坂本村神戸区神戸市
兵庫津神戸区神戸市
兵庫港地方神戸区神戸市
荒田村神戸市
[54322] 2006年 10月 3日(火)23:47:28hmt さん
兵庫・神戸(2)兵庫開港、そして開港場の地名「神戸」について
[18378] ニジェガロージェッツ さん
旧幕府は安政の条約で兵庫津の開港を諸外国と約束しましたが、(中略)
そこで、兵庫港から北北東へ約2キロ離れた神戸村の浜辺を「兵庫港」の名のまま開港場としました。

兵庫開港の時期については、安政条約では「1863年1月1日(文久2年11月12日)」とされていました。
しかし、安政6年に神奈川などで貿易が始まってみると、物価高騰や攘夷運動が激化。この政情不安を沈静化させるため、兵庫・新潟の開港の延期を求めることになり、難交渉の末、5年間延期させることに成功しました。
一方、外国側もイギリス艦隊による鹿児島砲撃(1863)、4ヶ国連合艦隊による下関攻撃(1864)で開港反対派の薩長をたたいた後、1865年にはその連合艦隊が兵庫沖に現れ、早期開港を迫りました。

薩長には、幕府直轄領・兵庫での開港による貿易独占に対する警戒があったのでしょう。もちろん、公家たちが、都に近い兵庫の開港を嫌う気持ちもありました。孝明天皇は、異人に対する生理的な嫌悪感の持ち主だったようです。

期限の慶応3年12月7日(1868年1月1日)が近づいた3月、徳川慶喜は兵庫開港の勅許を奏請し、反対派の抵抗はあったものの、イギリスなどの外圧に耐えきれず開港に踏み切ることになり、5月24日ようやく勅許が得られました。

開港準備は勅許前から進められ、4月には(旧)生田川の川口西岸・神戸村に居留地が設置されることが決まりました。
[54297]で触れた慶応4年(1868)「開港神戸之図」には、生田川口右岸に「外国人居留地」や「御運上所」が見えます。現在も、まさに運上所の後身である「神戸税関」の存在する地ですが、ここは、文久3年から翌元治元年(1864)にかけて勝海舟の 「神戸海軍操練所」 が建設された所です。[54297]で触れた和田岬砲台と同じ時期です。

このようにして、ともかく予定通りの慶応3年12月7日に兵庫開港を迎えました。
時代背景を見ると、8月に名古屋付近から始まった「ええじゃないか」が京畿にも拡大してきた真っ最中であり、兵庫開港式にも乱舞する村人がなだれ込んだとか。

そして、2日後の12月9日に王政復古の大号令。年が改まった慶応4戊辰年、1月3日の鳥羽伏見の戦いに敗れた幕府は江戸に引き揚げてしまい、兵庫・神戸は統治者不在状態になりました。
これより後は朝廷側の統治になり、閏4月の政体書 によって「県」の制度ができると、兵庫裁判所は「兵庫県」になりました。初代「知県事」に任命されたのは伊藤博文(慶応4年5月23日)。

本題に戻ると、外国人居留地の造成は、開港に間に合わず、明治政府に引き継がれた後の慶応4年6月に完成。
そのために、新政府は生田川と宇治川の間を指定した雑居地に、外国商人の居住を認めざるを得ないことになりました。

[54258] ezekiel さん
江戸期の幕末前夜までは“一集落の地名”でしかなかったが「神戸」という地名が、明治の区名に選ばれ、市名になり、日本の重要な港名になり、国鉄の停車場の名前に選ばれた理由。

「神戸」という地名が、世界的なブランドになったのは何故か?という問題を解くキーの一つとして、上記のように居留地になった場所に存在した「神戸海軍操練所」の存在にもご注目ください。
歴史のある「兵庫津」から少し離れたこの地「神戸」は、幕末前夜から開港までの10年余の間に“一集落の地名”を脱して、幕府時代に設置された公的機関の名に使われた地名になっていたのです。

隣接する「生田」であっても良かったわけです。

たしかに、この近くには「神戸」の名の由来でもある生田神社が存在しますが、そこの近世の村名は内陸の「生田宮村」(海岸の神戸村と共に八部郡)であり、「生田村」は生田川の東岸・菟原郡でした。従って、新しい開港場の名前とし、港に直結する村名「神戸」の方がより適切だったのではないかと考えます。

なお、生田川の流路は神戸開港後の明治4年に付け替えられ、明治13年(1880)「兵神市街之図」[54297]では既に東側に移っています。この1.9kmの付替工事の請負人・加納宗七の名は、新神戸駅から三ノ宮駅至る大通り(フラワーロード)に沿った町名(加納町)として残っています。ここが「神戸区」時代にも市街地の東端だった(旧)生田川の流路跡で、付替工事の後で彼に払い下げられたのですね。
[54339] 2006年 10月 5日(木)19:08:53hmt さん
兵庫・神戸(3)開港場は、約束した兵庫でなくて神戸でも「ええじゃないか」
[18378] ニジェガロージェッツ さん
兵庫の町は中世から続く古い街で外国の商館や居留地を設けることは土地的に余裕はなく、また治安の面からも当時は幕末の騒然とした時代で攘夷論もやかましく、古くからの因習に満ちた兵庫の住民と、西洋諸国の居留民との間で衝突の懸念もありました。
そこで、兵庫港から北北東へ約2キロ離れた神戸村の浜辺を「兵庫港」の名のまま開港場としました。

ここに挙げられたように、土地的条件と警備面が理由であるとすると、「兵庫」の名で開港したのが神戸になったことは、「神奈川」の名を使って横浜を開港した手法を繰り返したように思われます。
[20917] hmt 参照
安政5年(1858)の日米修好通商条約で開港を約束した5港のひとつは「神奈川」でしたが、幕府は警備上の理由から開港場を横浜村に変更し、外国に対しては「横浜は神奈川の一部である」という強引な論理で押し通しました。

しかし、「神奈川」の名を使いながら実際の開港場を横浜に変えたのは、まさに日本側(江戸幕府)の都合であり、商売上から神奈川宿を主張した外国側の意向を無視して強行したのに対して、条約上の開港場が「兵庫」であるにもかかわらず、実際の開港場を神戸に変えたのは、外国側の同意を得たものであったようです。

国土交通省近畿地方整備局神戸港湾事務所の 神戸港の歴史(幕末から明治へ) によると、当初は兵庫の市街地に近い和田岬から妙法寺川尻に至る臨海部を外国人居留地とし、沖合いに防波堤を築いて内側を開港場とする計画だったようです。

しかし、結局のところ前記の理由により、居留地は神戸村に選定。
この兵庫外国人居留地規定に英国公使パークスが賛同した(慶応3年4月14日)ことにより、各国代表もこの取り決めを承認しました。
パークスは、英米蘭仏4ヶ国連合艦隊が下関を砲撃した翌年(1865)に着任していますが、この年に艦隊が兵庫に来航した[54322]際の測量結果から、“天然のすぐれた投錨地となっている小さな湾”(神戸の入り江)の方が、兵庫津よりも港に適していると判断したのだそうです。

パークス曰く
開港場は、約束した兵庫でなくて神戸でも「ええじゃないか」[54322](冗)。

開港場は神戸になりましたが、勅許がようやく得られた後の慶応3年7月に「兵庫奉行」が任命され、開港後も公文書には「兵庫居留地」と記されています。

開港後間もない慶応4年4月の「開港神戸之図」[54297]が示しているように、「神戸港」の名は最初から使われていたのでしょうが、「神戸港」の名が公的にも現れたのはいつからでしょうか?

ずっと後のものですが、明治17~20年に、「二万分一仮製地形図」が測量されています。平凡社の「兵庫県の地名」に付いている復刻版(集成縮小図)を見ると、ニジェガロージェッツ さんの略図[54321]と同じ位置に「神戸港」、「兵庫港」の文字が入っています。
これよりも更に後の、明治25年9月15日勅令第77号「神戸港船舶碇繋所区域拡張ノ件」によって、兵庫港域も「神戸港」に統合されました。
[54340] 2006年 10月 5日(木)20:45:05ezekiel さん
神戸を巡って ~ 06oct2006  
[54321] ニジェガロージェッツ さん、“明治初期の神戸”
[54322] hmt さん、“兵庫・神戸(2)兵庫開港、そして開港場の地名「神戸」について"
[54339] hmt さん、“兵庫・神戸(3)開港場は、約束した兵庫でなくて神戸でも「ええじゃないか」"

 興味深い内容や、ご示唆を大変面白く読まさせて頂きました。

 私自身、「神戸って?」という、素朴な疑問から調べていまして、ちょうど桜トンネルさんが、

[54163] 桜トンネル さん
三重県には飯南郡神戸村、名賀郡神戸村、安濃郡神戸村(神戸村が消滅したときは安濃郡、今は安芸郡)、河芸郡神戸町(神戸町が消滅したときは河芸郡、今は安芸郡)の4つの神戸村または町があったのですが、なぜこんなにあるのでしょうか。群馬県でも5つの東村がありましたが・・・。

 神戸という地名の発生、由来に関するようなことに疑問を持たれていたような内容に、私も
興味を持って、全国の神戸の地名と由来を調べたことがありました。また、この神戸という
地名が、私の今住んでいる市町村名になった経過にも興味を持って、続けて調べたことが
ありました。いろいろ調べると面白い話も多く、かなりブレを楽しみながら、現在進行形です。

 一村名でしかなかった神戸が、港町、県庁所在地の市名になった原因として次の3つでは
ないかなあ~と、今現在は考えています。

[54182]ezekiel、
 “神戸”という地名が、県庁所在地・政令指定都市の名前になったのは、
(1) 五畿内の港町の兵庫(大輪田泊)に隣接した位置
(2) 勝海舟が神戸海軍操練所を設置
(3) 幕末に兵庫開港し、神戸村に外国人居留地

 神戸の地名の発端は神社であり、それを支える神戸であって、村名としてのルーツは
きわめて農耕型のような気がします。その村名の神戸が、大都市の名前になった経過には、
港や海運がらみのことが多く、海事型であるような気がしています。

*

 神戸という一村名が、後の大都市の名前になったルーツ中のルーツは、兵庫という近隣の
港町の存在ではないかと思っています。上に挙げた(2),(3)は、兵庫という港町に隣接した
位置の故のものであって、今の神戸の街のルーツは兵庫なんだろうなあ~と感じています。

 ただ、兵庫の近隣の地名の中で、「何故神戸?」を考える時に、その理由を幕末の十数年に
集約出来るのではないかなあ~と思うようになりました。そのトリガーとなったのは
ニジェガロージェッツ さんの神戸駅の開業にスポットをあてた書き込みでした。

[54253]ニジェガロージェッツ さん、
今でこそ神戸駅周辺を「神戸」ではなく「兵庫」の一部だと思っている人は少ないと思いますが、神戸駅のある現在の「中央区相生町」は神戸市誕生当初より1931(昭和6)年の区政施行までは「兵庫」を冠し「兵庫相生町」でした。(区設置以前の神戸市の冠称については拙稿[51105]に記述)

 実は、この書き込みが気になって、改めて兵庫vs神戸という図式をじっくり考え直した
のですが、その中で次の2点が浮かび上がってきました。
(1) 「兵庫というまち」の範囲の変遷
(2) 「神戸」という地名の指し示す地域の変遷

 兵庫の町は繁栄と共に膨張したようで、元禄年間頃には、すでに湊川の左岸にまで及んで
いたようです。そして幕末には、湊川の左岸の西国街道沿いに相生町という兵庫の町が存在
していたようです。詳しいことが未だわからずにいるのですが、とにかく、明治7年開業の
初代神戸駅の位置というのは、当時の兵庫(相生町)と神戸(旧・走水村)の境界地帯で
あったようです。

 ただ、この時の神戸は神戸村のことではなくて、走水村、二ッ茶屋村、神戸村の3村の
連合体としての神戸町です。神戸という地名が、幕末には兵庫の東隣、湊川から生田川までの
地域を指し示すようになっていたように思います。しかし生田という古い地名も存在して
おり、兵庫vs神戸と共に、生田vs神戸という構図にも興味を持った次第です。

 神戸という地名が脚光を浴びた(?)時期が、明治に入っての数年間であったと思って
いたのですが、実は、もうちょっと手前の明治に入る前の数年間ではなかったのかなあ~と、
ここ数日で、考えが変わってきています。

 前置きがひじょうに長くなりましたが・・・

 *

 10C頃には、西から八部郷、宇治郷、神戸郷、生田郷という地名が存在したようで、
まだ兵庫という地名はなかったようです。古代から中世の時代には、生田という地名が
この辺り一体を指し示す名前であったようで、神戸という地名は、その中の一集落の
名前に過ぎなかったのではないかなあ~と思っています。(私自身、古文書を直接
読めないので、入手にした2次資料の範囲だけですが・・・)当時の神戸郷と生田郷の
位置や範囲の詳細はわからないのですが、神戸という地名が、ムラの名前を指し示す
(御幣があるかもしれませんが)行政的な地名であった時代が、江戸末期まで続いて
いたように思います。

 兵庫のまちに関しては、12C以降、興亡を繰り返していたようで、港町として、
そして宿場町として整備されるのは16C以降、特に江戸期に入ってからのようです。
元禄年間には、湊川右岸の南西一帯に町が広がっていたようです。ただ、この時期には
湊川の河口左岸に兵庫のまちが膨張して、西出町や東出町の基になる町並みが出来つつ
あったようです。その後に東川崎町も出来て湊川左岸に兵庫の町がはみ出していた
ようです。前述したように幕末頃には、西国街道沿いの湊川左岸に相生町が存在して
いたようです。

 この辺りのイメージが、どうも今の市町村制で捉えてしまいがちなのですが、神戸の
地名のルーツを探る中で、江戸期の“まち”って一体何なんだろうかなあ~という疑問を
持ったのですが、未だわからないままです。江戸の町が典型的だと思うのですが、近隣の
村が江戸の町に飲み込まれて消滅したケースもあると思うのですが、これは今風の
町村合併とは違うでしょうし、実質的に町が村を侵食していったのかなあ~と
イメージしています。

湊川左岸に関しても、兵庫の町が発展、膨張して、西出町や東出町、東川崎町、相生町が
湊川左岸の走水村を徐々に侵食していったのかなあ~と。(江戸期のまちと村に関しては、
じっくり調べたいと思います。)

*

[54322] hmt さん、
「神戸」という地名が、世界的なブランドになったのは何故か?という問題を解くキーの一つとして、上記のように居留地になった場所に存在した「神戸海軍操練所」の存在にもご注目ください。

 神戸海軍操練所が何故神戸村に出来たのかは、二ッ茶屋村出身の網屋吉兵衛の蓼場
建設が大きいようですね。そして、蓼場の建設をバックアップしたのが神戸村であり、
当時の神戸村の庄屋の生島四郎の存在がキーポイントになるのかもしれません。そして
走水村、二ッ茶屋村、神戸村の3村をリードして神戸町の誕生に導いたのも、“神戸”という
一村名を、兵庫のまちと互角の位置関係にまでアップさせた功績があるように思います。

 資料を見ていると、村の規模としては神戸村が、二ッ茶屋村や走水村よりも大きかった
ようですが、でも財政力としては二ッ茶屋村が上回っていたのではないかと思っています。
神戸村が農村型であったのに対して、二ッ茶屋村には大きな廻船が多数あったようです。
ただ走水村は、兵庫のまちが湊川河口左岸の海岸部まで膨張したためか、村としての規模は
二ッ茶屋村、神戸村に比べると、小さいように感じます。

 もし、網屋吉兵衛の蓼場が、出身地の二ッ茶屋村に出来ていれば、そして、神戸村の庄屋
生島四郎の存在がなければ、神戸ではなく二ッ茶屋の地名がクローズアップされ、明治元年
に二ッ茶屋町が生まれて、区名になってそして市名になっていたかもしれません。


[54321]ニジェガロージェッツ さん、
兵庫開港に際し兵庫津ではなく、実際には北へ離れた神戸村の浜辺を開港場として以来、兵庫港と神戸港が並存していました。

 これに関しては、[54339]で hmt さんも触れられておられますが、神奈川と横浜との
アナロジーで捉えて、神戸の場合と横浜の場合との相似と差異とを比較すると面白いだろう
なあ~と思います。形式原理では兵庫港なのですが、実質的に明治の初期には既に神戸港
であったように思います。ただhmtさんも触れられておられるように、勅許を得て開港した
港は、日本側での公式的な扱いは、しばらくは兵庫港であったはずではないかなあ~と
思います。

[54321]ニジェガロージェッツ さん
まず元来「生田」の地名は生田川を東界とする摂津国八部郡に属していましたが、川の流路の変化もあったのでしょう、いつしか村落は摂津国菟原郡に、生田神社は八部郡と分かれてしまいました。

[54322] hmt さん、
たしかに、この近くには「神戸」の名の由来でもある生田神社が存在しますが、そこの近世の村名は内陸の「生田宮村」(海岸の神戸村と共に八部郡)であり、「生田村」は生田川の東岸・菟原郡でした。従って、新しい開港場の名前とし、港に直結する村名「神戸」の方がより適切だったのではないかと考えます。

 生田という地名に関しては、もう少し調べたいと思います。天領になった以前の尼崎藩の時代
に遡ることになるかもしれませんが・・・
[54357] 2006年 10月 7日(土)01:17:39ニジェガロージェッツ さん
明治初期の坂本
[54322][54339] hmt さん、[54340] ezekiel さん、神戸黎明期ついてのレス諸々、有難うございます。
拙稿は神戸地元からの視点に終始しており、幕末の神戸を取り巻く情勢について日本史からの視点は大きなフォローとなります。深く御礼申し上げます。

さて、タイトルの「坂本」ですが、先般「落書き帳」で話題となった大津市の坂本のことではございません。
兵庫神戸ど真ん中の坂本のお話です。

明治初期の兵庫と神戸の統合期、両者の融合に大きな役割を果たすこととなった坂本ですが、残念ながらその地名は明治28年を最後に消滅してしまいました。
明治12年の郡区町村編制法による「神戸区」誕生について、「神戸町、兵庫津、坂本村が合併」とありますが、「坂本村ってどこ?」というのが第一の印象ではないでしょうか。
坂本村はまさに兵庫と神戸の中間に位置し、兵庫津岡方の1町「相生町」の北に接し、西は荒田村に、東は宇治川右岸(西岸)を境としていました。

[54340] ezekiel さん
とにかく、明治7年開業の
初代神戸駅の位置というのは、当時の兵庫(相生町)と神戸(旧・走水村)の境界地帯で
あったようです。
(中略)
湊川左岸に関しても、兵庫の町が発展、膨張して、西出町や東出町、東川崎町、相生町が
湊川左岸の走水村を徐々に侵食していったのかなあ~と。

ここで仰る「走水村」とは、実のところ「坂本村」ではないでしょうか。
走水村は宇治川左岸(東岸)までで湊川左岸一帯にまでは達しておらず、また兵庫津の市街が宇治川を越えて走水村を侵食したとも考え難いと思います。

兵庫津の最北東端の相生町は西国街道に面した街路町である様子が、明治5年の「兵庫神戸実測三千分箇之縮図」より伺えます。
明治7年の神戸駅の開業に先立つ明治3年6月、相生町一帯が神戸停車場敷地となることが決まり、この一帯の住民の代替土地を北に隣接する坂本村南部の田畑地帯に求め、新たに「仲町部」として市街造成が行われました。現在でも神戸駅北側(実際には西側)の街区に「中町通」という町名が残っています。
坂本村南部に整備された新市街「仲町部」には、兵庫と神戸の中間に位置するため、両者の統合を物語るように、新たな「神戸」の都心としての街並みが整備されていきました。
明治5年には楠木正成の墓地に湊川神社を造営し、同年、坂本村仲町部は兵庫津へ編入となり町名が付けられ、上橘通、橘通、多聞通、仲町通、古湊通となりました。このため、明治22年の神戸市成立以降はこれらの町名には「兵庫」を冠していました。

拙稿[54321]に提示した略図は、神戸市中央区役所発行「中央区歴史物語」(1990年12月)に収録されている図を参考に打ちましたが、坂本村の範囲については明治5年の仲町部の兵庫津への編入後のようにも見えます。幕末期の村々の位置図としては坂本村が小さいと言えるでしょう。明治5年以降の地図だとすると、明治元年には走水村、二ツ茶屋村、神戸村が統合し神戸町となっているので無理がありそうです。
[54430] 2006年 10月 14日(土)19:22:09hmt さん
兵庫・神戸(4)県域の変遷
安政5年(1858)に米・蘭・露・英・仏の5ヶ国との間にそれぞれ調印した修好通商条約に基づいて開港した五港のうち、名目と実態が異なる 兵庫と神奈川 について書いてきました。

神奈川・横浜の最終回に神奈川県域の変遷を記したので、バランス上(?)兵庫・神戸シリーズの方にも兵庫県域の変遷を付け加えておきます。
これに関連して、興味ある話題に言及することができればよいのですが、あいにく手持ちがなく、データの列挙に近いだけのものになりそうです。

と、言いつつ調べてみたら、兵庫県のHPの中に 県域の変遷 が図示されており、その説明も参考になりました。今川焼さんの記事[46937]からのリンクは、URLが変更されたために、切れています。
以下、このHPを参照しながら、役所と管轄区域の変遷を記してみます。

神奈川よりも8年半遅れ、慶応3年12月7日(1868年1月1日)に兵庫が開港した翌月、慶応4年正月に、兵庫奉行などの幕府関係者は将軍慶喜の後を追って江戸に引き揚げてしまい、後は接収した新政府の管理するところとなります。

外国掛兵庫事務所、兵庫鎮台、兵庫裁判所を経て、知県事・伊藤博文が任命されて「兵庫県」になったのは慶応4年5月23日です[54322]
「兵庫県」になった根拠は、慶応4年閏4月21日の太政官布告(政体書) ですから、当然のことながら神奈川県の前身の「神奈川府」の発足と同じ年ですが、知府事・東久世通禧の任命で神奈川府が発足したのは6月17日というように、日付はまちまちです。
# 慶応4年は、この後9月8日(1868年10月23日)に明治元年と改元。

「第一次兵庫県の県域」によって最初の兵庫県管轄区域を見ます。
開港場の神戸、西攝津4郡内の旧幕府領の他に、播磨国にも飛び地があります。神奈川県の場合にも“虫食い状態”[54421]と書きましたが、尼崎藩領や三田藩領が介在するこちらは、入り組み方が更にひどく、「飛び地の集合」状態です。
現在の大阪府域のうち、淀川より北(旧摂津県→豊崎県)も兵庫県になっていた時代がありました。
稲田騒動のあった淡路国津名郡の一部も、一時的に兵庫県管轄になっていました。

「第二次兵庫県の県域」には、明治4年廃藩置県後の第1次統合により、ようやく「飛び地の集合」を脱して、摂津5郡(八部、兎原、武庫、川辺、有馬)一円となった「小さな兵庫県」(17万石)が、大きな飾磨県(66万石)と豊岡県(46万石)、そして名東県の一部(淡路9万石)と共に図示されています。

「第三次兵庫県の県域」には、明治9年(1876)8月21日の第2次府県統合によって、面積で9倍と一気に拡大し、現在に近い大きさになった姿が示されています。この巨大な県がいかにして生まれたのか?

先ず特筆されるのは、飾磨県だった大国・播磨の全域が兵庫県になったことですが、兵庫県のHPによると、内務卿大久保利通が
開港場である兵庫県の力を充実させるように考え直せ
と指示したことが、飾磨県を消滅させて兵庫県にした原動力になったようです。
県庁ひとつを減らすことができるなら、一挙両得である
なるほど。

実は慶応4年正月に遡ると、江戸に引き揚げた幕府関係者の中に、老中だった姫路藩主・酒井忠惇がいたために、佐幕姫路藩の追討令が出されていたのです。すぐに開城恭順したのですが、どうもこれが姫路、ひいては播磨の政治的地位に悪影響を及ぼしていたようです。
明治4年11月の第1次統合で誕生した「姫路県」が7日後には「飾磨県」と改められただけでなく、明治9年の第2次統合では、“県庁ひとつを減らす”対象にされてしまったのです。お気の毒。

日本海側の豊岡県は分割され、但馬国全域と丹波国2郡とが兵庫県に編入されました。山陰に近いこの地域が因幡国でなく播磨国と同じ県になった理由は、内務省地租改正局出仕の櫻井勉(但馬国出石出身、後に内務省地理局長)の意見(交通の便を考慮)によると伝えられます。そして前記のように播磨国が兵庫県になったので、但馬国までも兵庫県ということになりました。

更に、淡路国も全域が兵庫県になりました。「阿波への路」という意味で、四国と密接な関係にあった淡路国が兵庫県になったのは、明治3年の稲田騒動で悪感情が高まっていた淡路と阿波(名東県→高知県→徳島県)とを分離させるためでした。

こうして5ヶ国に及ぶ大県になった兵庫県。人口も6倍強になり、東京府・大阪府よりも多かったとか。

この明治9年(1876)の第2次府県統合では、山間部の交通が不便という櫻井勉の意見により但馬国との合併が否定された因幡国までの山陰5ヶ国(隠岐国を含む)が島根県になっています。
この年、石川県も越前国から越中国まで4ヶ国に及ぶ大県になり、明治14年に堺県を併合した大阪府も摂河泉に大和国を加えた4ヶ国です。
しかし、明治14年(1881)以降の分割・再編成でこれら3つの府県域は縮小しました。

# 5ヶ国に及ぶ兵庫県と共に無傷で生き残ったのは4ヶ国に及ぶ三重県でした。3ヶ国(伊勢・伊賀・志摩)の全域と紀伊国の一部。なかなか侮れない存在です。

その後、明治29年(1896)に美作国の一部も岡山県から兵庫県に編入されましたが、県界変更と同時に国界も変更されたようなので、5ヶ国は変わらず。
現在ではほとんど実用的価値を失っている旧国の領域ですが、昭和38年(1963)の備前福河編入により、兵庫県は一応6ヶ国に及ぶことになっています。
兵庫・岡山県境変更関係の記事
[54439] 2006年 10月 15日(日)11:58:06デスクトップ鉄 さん
神奈川・横浜vs兵庫・神戸
hmt さんの[54430] までの力作を興味深く拝見しております。

日米修好通商条約で定められた五港のうち、神奈川と兵庫は、それぞれ本来の位置から離れた場所に横浜港、神戸港として開港したこと。廃藩置県にあたって横浜、神戸を管轄する県名を神奈川、兵庫とすることで、各国から批判に答えたこと。さらに、明治22年に横浜区、神戸区が市制施行により、横浜市、神戸市となったこと。その後行政区として神奈川区、兵庫区が設置されたこと。その結果、神奈川、兵庫は広域の県名と狭域の行政区名として、市名である横浜、神戸をサンドウィッチする構造になっています。

この狭域の神奈川は、明治22年には神奈川町、明治34年に横浜市編入、昭和2年の行政区設置により区名として復活した。一方兵庫は、自治体名としては存在せず、昭和8年湊西区が改称して誕生した。また、神奈川、兵庫とも鉄道開業時に駅名となったが、神奈川は横浜駅移転時に廃止された。

ところで、博多が日米修好通商条約で定められ、実際には福岡が開港していたら、博多県福岡市博多区が誕生したかもしれませんね。
[85663] 2014年 5月 30日(金)00:09:42山野 さん
他所の人、多分読めない。
[85657]グリグリさん
各務原市の時点が郡上市とあるが、神戸町の方が難読では?
普通に読んだら「こうべ」「かんべ」になり、結果「誤読」と。
郡名も過去に1度、「安八=やすはち」と読まれた事があります。
[85665] 2014年 5月 30日(金)19:19:31【1】じゃごたろ さん
re:他所の人、多分読めない。
こんばんは、お久しぶりです。じゃごたろです。

[85663] 山野 さん
各務原市の時点が郡上市とあるが、神戸町の方が難読では?
普通に読んだら「こうべ」「かんべ」になり、結果「誤読」と。

「神戸」の読みは、「かんべ」はいいとして、地名としては個人的に「こうべ」よりも「ごうど」の方が一般的だと思っています。
「こうべ」はあまりにも有名なため、それが特殊だと思われないという事情があるのではないでしょうか。
[85667] 2014年 5月 31日(土)06:38:57オーナー グリグリ
神戸市は神戸町よりも難読?
表題の記事を書こうと思っていたら、まったく同じ主旨でじゃごたろさんが[85665]で書き込まれましたね。ずいぶん昔に、たもっちさんが[54221]で「神戸」地名の読み分布を調査してくれています。「ごうど」読みが主流です。地名だけでなく、苗字や屋号でも「ごうど」さんは過去に複数人とお会いしたことがあります。

とは言え、私は「こうべ」も「ごうど」もどちらも難読だと思います。

結局、難読の視点によって、大分県と日出町のどちらを難読とするか、という問題に集約されるのかなと思います。伊豆之国さんが[85664]で書かれている一般的に読み難いと思われる視点もその一つであり、私もその視点でも考えてみました。その視点では、大分県や愛媛県や熱海市はランキング外になります。福井県では難読が見当たりません。消去法で敦賀市を選ぶことになります。でも、指宿市はやっぱり難読じゃないの、と言うことになりました。そこで、一旦、一般的視点を捨てて、文字としての読みの難しさという客観的視点で選んでみたのが[85657]です。

それでもまだまだ揺れはあって、神戸市ではなく宍粟市を選んだ理由の背景には、一般的視点が加味されている可能性があります。美作市や日向市(次点)が選ばれるのなら、桑折町はいいとしても、檜枝岐村(次点)ではなく伊達市じゃないの、とか。客観的視点ももっと分析する必要があると感じています。

濁点の有無については、秦野市よりは江津市の方が難読度は高いような気がします。何故と問われても難しいのですが、語頭が濁音で津が清音だからでしょうか。濁音に関しては、大田市も私には難読の印象です。秦野市に近いですね。井原市も同じパターン。秦野市を次点にするなら井原市も次点にした方が良さそうです。伊勢崎市は逆のパターン。南国市も同じく。

私が今回の書き込みを行った理由の一つには、将来、難読地名に関連する企画を立ち上げたいと思っているのですが、いつも悩んでいるのが難読の基準です。あまり拘らずにいろいろな視点から難読を捉えてもいいかなとも思っているのですが、何となく皆さんも感じていることを整理し、少しでも分類できないかと思っています。是非是非皆さんの更なる活発なご意見をいただければと思います。

以下は個別の話です。

神奈川県の秦野市については、秦野市をナンバーワンか次点として入れるかどうか迷ったところです。神奈川県については個人的には寒川町がかなり難読という印象を持っています。意外な読みと言うパターンだと思うのですが。

香川県の観音寺市については私も同じ印象を持っていて、次点に入れてもよかったかもしれません。

群馬県の次点の邑楽町は甘楽町と同率次点。ナンバーワンが神流町なので、おなじ「かん○」を避けた次第。

山口県の周防大島町のナンバーワンはちょっと悩ましい(怪しい)。周防が難読なら防府市の方がより難読では、下松市も捨てがたいのでは、と。山口県は見直しが必要かな。

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