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記事数=4件/登録日:2020年5月3日

2011年、一応の完成を達成した 市区町村変遷情報【[78755]-[78787]】は、その後も絶え間なく メンテナンス作業 が続けられています。
これに限ったことではありませんが、大切な事実を 正確な記録として残す ためには、検索により情報の存在を知るだけでなく、得た情報を 評価して扱う ことが必要です。

人類が知識を蓄積し、それを利用してきた技術。
それは、アレクサンドリアの図書館[45172]、グーテンベルクの活版印刷技術、そしてインターネットで代表される電子技術など、いくつかのエポックを経て進歩し、情報源は 量的には 大拡張を果たしています。

しかし、この落書き帳で 市区町村変遷情報の修正に関係する 多くの記事を拝見し、改めて実感したこと。
それは、情報を利用するためには、その評価が重要であることでした。

「情報との付き合い方」という副題の記事[78874]で記したのは、孟子の言葉でした。
尽く書を信ぜば、書無きに如かず。

ミスプリント、読み落し、意図的な変更など、問題点を生じさせる原因はいろいろあるでしょう。
別特集の事例集も参考になると思います。
一次資料から、二次>三次と転記されるに従い、信頼性が失われます。
市区町村変遷情報は、二次資料【例:[55681]】に基づく場合が多かった初期から、次第に告示などの一次資料重視へと転じていると思われます。
例えば、統計局資料[74498]に基づく「下ノ関市疑惑」は、山口県告示[99416]により払拭されました。

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[78874] 2011年 8月 6日(土)13:31:05【2】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (6)情報との付き合い方
尽く書を信ぜば、書無きに如かず。

『孟子』の尽心篇下にある言葉だそうです。
「書」というのは、当時は『書経』を意味していたのかもしれませんが、現代の私たちとしては、書物一般、更にはウェブを含む「情報一般」という意味にとらえたいところです。
情報収集は重要であるが、鵜呑みにするだけならば、ない方がまし。
自分の頭で情報を評価し利用すべし というのが、孟子の教えでしょう。

こんなことを書いたのは、変遷情報の 市制町村制施行時・神奈川県 に記載された「日野宿」をめぐる情報と その解釈とが いささか混乱したためです。

タイミングよく、[78873] MI さん の報告があり、「日野宿」の件に限れば、明治22年神奈川県公報に印刷された「県令第10号」【9号別冊の誤。下記の追記参照】の誤植が、混乱の原因の1つであったようです。
遠くから足を運んでいただいた情報探索、まことにご苦労様でした。

【追記】
そして別冊に「町村分合改稱」の一覧が掲載されているのですが、ここで大変なことを発見してしまいました。
確認ですが、「日野村」という誤植があった「町村分合改稱」一覧表は、4月1日施行の「県令第10号」ではなく、3月31日施行の「県令第9号別冊」【つまり旧町村のリスト】ですね。
[78871] むっくん さん が言及された「(3)新市町村の役場位置に関する県令」は、発見できなかったのでしょうか?
また、同様に言及のあった“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】にも、「日野宿」と記載されていたでしょうか。

県令第9号別冊の一覧表は、『神奈川県町村合併誌』上巻pp.83-108の引用の形で、[78871]までに何回も紹介されていますが、誤植訂正後の「日野宿」に修正されているため、誤植のあった過去は、今回の探索で初めて判明したのでした。

神奈川県公報の「正誤表」に気がつかない人が、新制度になってからも「日野村」だと思い、二次資料を残した。
これはあり得ることで、[78806] MI さん が、「日野村」となっている と紹介された資料のうち、2点は これに該当するかもしれません。
しかし、3点目の 『現行東京府布令類纂(明310425発行) 』に記された
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ日野村ヲ日野町ト改稱ス
は、番号まで記された正式の「東京府告示」であり、単純な誤植訂正の見落し説には疑問があります。
[78818]によると、日野町になる前を「日野村」とした 告示文自体にも 疑問があるとのことですが…。

明治22年から明治26年の間に改称が行なわれた可能性もあり、「日野村」疑惑は消えません。
【追記終】

それはさておき、自治体名としての「日野村」が誤植であったとしても、集計に際して「日野宿」を「町」として数えるか、「村」として数えるかの問題は解決しません。

神奈川県県治一斑(明治22-23年)で「26町294村」と記載されていることなどを根拠に、日野宿には明治22年に「村制」が施行されたという意見[78794] もあります。

しかし、私としては、施行された制度は「町村制」であり、わざわざ町制・村制を区別する法的な根拠はないものと考えます。
集計に際して、「日野宿」を「町」又は「村」のいずれかに加えるか、それとも 別立てとするか[78790]は、集計目的乃至は集計者の好みの問題です。
この意見は、[78833]で明らかにしたように「市制町村制理由」に基づいています。
宿駅と称し町と称するもの、施政の大体に於て村落と異同あることなし。故に 今之を同一制度の下に立たしめんとす。

「日野宿」問題から、市区町村変遷情報における情報の扱い一般に移ります。

市区町村の変遷については、[55681]の冒頭に記された出版物があり、88さんもこれを利用しています。
これらの資料は 有用ではありますが、誤った情報や誤記もあり、変遷情報データとして使う際には検証を必要とします。

[55730]で紹介されているデータ整理手順によると、近年の変遷情報については、官報情報検索で抽出された総理府等の告示により確認がなされています。
念の為、市町村の廃置分合手続きにおける「告示の役割」を地方自治法第7条で確認しておきます。
すなわち、関係市町村の申請→都道府県議会の議決→知事が定めて総務大臣に届出→告示→効力発生 という段階を経ることになっており、「変遷情報記録の根拠を 告示に求める」 のは 正しいこと がわかります。

但し これは日本国憲法に基づいて制定された 現行の地方自治法下での話です。
戦前の市制、町村制では、「市」については 内務省告示が官報に出ていたものの、町村の廃置分合や 町村の「市」への編入など、町村に関する変遷情報は、内務省告示の対象外でした[27855][55276] Issieさん。
これらは、官報でなく、府県公報に掲載された 府県令や告示などに 根拠を求める必要があるのでしょう。

特に、明治22年の 市制町村制施行の根拠となる府県令と、それに伴う 自治体の配置分合を公示した府県令 とを収録した資料については、むっくん さん による 26府県についての紹介があり[62809]、以後改訂を重ねて、[76874] 市制町村制施行時の府令県令(ver.5) という形で集大成され、記事からのリンクにより、45府県のデータが記された資料に導かれています。

市制町村制施行時の各府県が、すべての市町村名と その役場の所在地を記した 府県令を出し、これにより「全市町村名」がわかることも、[78871]で紹介されました。

以上は、変遷情報における 「自治体の呼び名」 を主とするデータの 根拠一般に関するものですが、個々のデータについても、むっくん さん などによる 数多くの指摘があり、88さんによる 誠実な対応により 一段と信頼できるデータ集が 構築されてきています。
[78980] 2011年 8月 8日(月)13:17:32【1】hmt さん
「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (7)盡信書不如無書 事例研究
2300年以上前の中国の儒学者・孟子が言ったように、情報収集は重要ですが、よく検証しないと問題が起ります。

手近な例を挙げると、[78874]の読み下し文は、常用漢字と句読点を使った“尽く書を信ぜば、書無きに如かず。”です。
しかし、直接原典にあたったわけではありませんが、原文は“盡信書則不如無書”であろうと思われます。成語詞典

字体が問題になる場合には、“尽く…”と書いたのは誤りということになります。
具体例を少し挙げておきます。

市区町村変遷情報における代表的な事例が、下坂本村 or 下阪本村 でした。
おおらかな昔の人は、意図するところが通じさえすれば細かい表記に こだわらなかった と思われますが、この村が大津市に編入された昭和26年(1951)ともなると、「坂本」と「阪本」との違いを 無視することはできない時代 になっていました。

昭和26年の官報には「下坂本村」と記されており、“官報が根拠として大きい”[53887]という判断の変遷情報は、これに従っていました。【昭和26年総理府告示第91号の全文は[54378]に引用されています。】

ところが、沿革を詳細に説いた[53888]によると、明治時代に「上坂本」「下坂本」合併話のもつれから、あえて「下阪本村」という表記を用いたという話など、いろいろないきさつがあったようです。
種々の傍証からすると、[53877]に引用された昭和26年滋賀県告示第124号の“下阪本村…を廃し”を誤記であると 単純に決め付けることはできず、官報の総理府告示の方の誤記も疑われます。その後のやりとりを経て、結局変遷情報の昭和26年は「下阪本村」に訂正されました[54387]

官報の正誤表に訂正は未発見とのことなので、告示の効力が気になりますが、地方自治法第7条第7項による効力発生の対象は、知事が定めて届出た「廃置分合処分」ですから、この処分が滋賀県告示のように“下阪本村…を廃し”となっていたのなら、総理府告示に誤記があっても問題にならないと思われます。

ところで、変遷情報の昭和26年は「下阪本村」に訂正されたのですが、明治22年は「下坂本村」です。
[54378]には官報第一七四七號(明治二十二年四月三十日)が引用されていますが、“ここからは『坂』or『阪』なのかが分かりません。”
明治22年滋賀県令第13号 がリンクされたのは、それよもずっと後の[69698]でした。これによると、町村制施行時に公示された問題の「自治体の呼び名」は「下坂本村」であり、変遷情報の記載と合っています。

明治22年当時は、まだ自治体の漢字表記についてこまかいことは言わず、滋賀県当局としては、「坂本」or「阪本」のいずれでもよいという程度の意識だったのでしょうか?
なにしろ、「巌手郡」と表記された法律が、つい最近まであったくらいです[35710]
でも、その不統一が、変遷情報の中で、明治22年と昭和26年との食い違いになってしまったのは、少し迷惑ですね。

埼玉県大里郡桜沢村の寄居町への編入は、情報の出所による日付の大幅な違いが問題になりました。
落書き帳における その検討過程など 関連記事を、桜沢村 として まとめてみました。

正しい日付は「昭和18年(1943)」であったのですが、変遷情報が参照した5つの文献のすべてと 角川の「日本地名大辞典」とが 明治41年(1908)となっていました。
これだけならば、「誤記と知らずに信じてしまう怖さ」を思い知らされた実例なのですが、落書き帳メンバーの眼力はこの情報を鵜呑みにせず 疑問が提示された結果、変遷情報は正しい日付に修正されました。
[56273] 88 さん
数多くの文献の記載内容の疑義を証する資料(調査結果)がすっと出てくるとは・・・改めて落書き帳恐るべしです。

桜沢村については、町村制施行時(明治22年)、日露戦争後(明治41年)、大正末期と3回もの合併話が不成立に終った後、4度目の正直?、第二次大戦中の有無を言わせぬ戦時合併が実現したのでした。変遷情報をきっかけに関連資料を調べることで、外秩父の桜沢村が置かれた 歴史的・地理的な状況の 一端に触れることができました。

ついでに言うと、『神奈川県町村合併誌』の同類である『埼玉県市町村合併史』は、この桜沢村の件では、正しい「1943年」を記載していました。しかし、全く別件の“北本村存在説”[52478]では、ミスを犯しています。
柿沼村を柳沼村とした誤植[69707]もあり【むっくんさんの写し間違いではありません】、渡良瀬川改修に伴う茨城県・埼玉県の境界変更の脱落【[78789]未記載】など、このような「県の著作物」といえども、数え上げれば いくらでもミスはあるのでしょう。

近代デジタルライブラリーのおかげで、明治の本が読めるようになったのは ありがたいことですが、民間の書物には、更に信用できない例もあります。

[78824] MI さん は、日野宿が 桑田村の中に紛れ込んだ例を示して、次のようにコメントしています。
(前略)信憑性に乏しく思われます。しかしこういう史料もあったという記録にとどめるため、あえてご紹介しました。

[78806] MI さん 紹介の資料から、類例をもう一つ。『神奈川県改定区画傍訓町村名鑑』

一例として、1町2駅6村、合計僅かに 9町村しか記されていない 津久井郡をリンクしておきました。
実際は 24町村ありますが、郡役所所在地の中野村を始め、ごっそり脱落しています。
最初は組合村が脱落したのかと思いましたが、そうでもないようです。
[80532] 2012年 4月 17日(火)21:51:13デスクトップ鉄 さん
八幡和郎「47都道府県地名うんちく大全」
[80521] hmt さん
調べてみると、過去に同じ著者の本が2冊言及されていますが、今回とは別の本でした。(中略)
従って、今回の本に関しては、過去に話題になったことはありません。
そうでしたか。間違いの多さが話題になっていたのかと思いました。hmt さんは
多数の著書があるので、間違いもあるのですね。
と理解を示されていますが、読み進んでいくと、小笠原や湯河原ほどではないものの?の連続でした。

浦和、大宮、与野という北埼玉郡三市の合併で誕生した新しい県庁所在地が「さいたま市」を名乗ったのは、いかんせん、歴史的経緯を無視した剽窃行為だ。(P90)
北埼玉郡は北足立郡の間違い。北埼玉郡なら、さいたま市を名乗っても問題ないでしょう。

深谷市は地元出身の荒船清十郎運輸大臣が特急を停めて話題になったことがある。(P93)
1966年10月ダイヤ改正で深谷に停めたのは、特急ではなく普通急行(「奥利根2号」と「第3信州」の2本)。当時特急の格は高く、高崎線の4本の特急のうち、3本は上野・高崎間ノンストップ、1本だけが大宮に停車した。

多治見市が名古屋からの郊外電車の終点である。(p152)
本書が発行された2006年当時から、名古屋・多治見間の電車よりもその先の瑞浪または中津川までの電車のほうが多かった。

多度津町は松山へ行く予讃本線と高知への土讃線の分岐点。(p236)
国鉄時代は両線とも本線。JR四国は線路名称に本線の呼称をやめたので、予讃線と土讃線。

平戸市は、平戸口駅がある田平町、生月町、大島村と合併した。(p290)
平戸口駅は、本書発行のはるか前、1989年にたびら平戸口に改称。

日向市は、細島港のある日向や、神武天皇が船出した美々津を合わせた町。(p302)
たしかにその後美々津町を編入しているが、1951年に富島町(富高町+細島町)、 岩脇村が合併して市制施行。駅名は1963年まで富高。

鉄としては、鉄道関係の?が目に付きましたが、落書き帳の皆さんが読んだら、他の間違いに気がつくのではないでしょうか。
[80534] 2012年 4月 18日(水)20:00:02【1】hmt さん
尽く書を信ぜば、書無きに如かず 続編
[80532] デスクトップ鉄 さん
読み進んでいくと、小笠原や湯河原ほどではないものの?の連続でした。

埼玉県の事例を含めた例示があったので、手近にあった 八幡和郎 著『日本全10,000市町村うんちく話』(講談社+α文庫 2005)[42515][43088] の埼玉県冒頭部(p.121~122)を調べてみました。

ここ【北足立郡】に属していた県庁所在地のさいたま市のうち、もとの浦和市(浦和、土合、大久保)は宿場町で、戦前は全国でももっとも人口の少ない県庁所在地の一つだった。
括弧内は「まえがき」にあるように、戦後存在した全国約1万の市町村を網羅した記述です。

私が戦前の代表として選んだ【1935】国勢調査[80498]によると、最小人口の県庁所在都市は 山口市 34803人でした。
まあ、浦和市の人口は 44328人で山口市に次いで少なく、「戦前」など曖昧な表現で記述された部分ですから、最下位でないことを以て 誤った記載であると断定するのは 不適当かもしれません。
参考までに浦和市に近い4万人台組は、鳥取市 45335人、千葉市 48325人、福島市 48484人でした。佐賀・松江・奈良が5万人台。

美園村(大門、戸塚、野田)を合併していた(62年)が、交通の要地…大宮市、…与野市と合併して…

これでは、旧戸塚村が浦和市に編入されたように取れますが、美園村は分村合併であり、戸塚村の編入先が川口市であることは、[80530]で記した通りです。【追記】地図リンク

予科練があった朝霞市の朝霞浄水場は利根川の水を浄水する。
取水しているのは、荒川の水です。荒川には武蔵水路経由で「利根川の水」が補給されているので、水資源バランスとしては「利根川の水」を利用していることになるのですが、東京の水事情 [58751] に詳しくない読者に対して、説明抜きで「利根川」を持ち出して混乱させないでしょうか。

明白な誤りは「予科練」で、朝霞にあったのは「陸軍予科士官学校」です。
「相武台」(本科士官学校)、「修武台」(航空士官学校)に対して、「振武台」と呼ばれました[28847]
大戦初期に流行した「若鷲の歌」で ♪七つ釦は桜に錨♪ と歌われた「予科練」は、「海軍飛行予科練習生」という海軍の航空兵養成制度で、♪今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ♪ という歌詞の通り、霞ヶ浦海軍航空隊で訓練されました(当初は追浜だった由)。

小さな本に1万もの市町村を詰め込むために、説明不足になっている事情はわかるのですが、最初の2ページでこれだけ出てくると、デスクトップ鉄 さんが指摘した “?の連続” を、別の著書でも再確認した思いがします。

今回の本は、荒川両岸・データに見る自治体の変遷 を書いた流れで、関連する記載を検証する俎上に上げてしまいました。

要するに、本やWEBから得られる情報は 有用なものではあるが、その信頼性はまちまち。
鵜呑みにはせず、注意して活用しましょう ということです。

同じような趣旨で、昨年も情報との付き合い方について書きました。[78874][78980]
タイトルは、その時に引用した『孟子』の言葉を繰り返しました。

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