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落書き帳


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[78899] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:14:05 k-ace さん
 第三十二回・十番勝負

問七:甲斐市

[78898] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:13:48 デスクトップ鉄 さん
 十番勝負

問七 甲斐市

[78897] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:12:48 EMM さん
 全国の市十番勝負(第三十二回)の解答

問十:宮崎市

李下に冠を正さずと申しまして…

[78896] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:10:44 kki さん
 三十二回 十番勝負

問八:静岡市

[78895] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:10:05 桜トンネル さん
 第三十二回全国の市十番勝負&大田原市

[78893]EMMさん

採点の邪魔になったり、解答を探す人の邪魔になるかと思い消したのですが、まずかったでしょうか?

[78894] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:09:38 k-ace さん
 第三十二回・十番勝負

問三:浅口市

お預け(泣)

[78893] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:08:40 EMM さん
 ちょいとブレイク

[78887]桜トンネルさん

例え問題番号抜けでも消すのは良くないのでは?

[78892] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:08:02 おがちゃん さん
 十番勝負

問五:新座市

[78891] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:06:59 k-ace さん
 第三十二回・十番勝負

問十:湖西市

[78890] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:04:52 スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
 第三十二回十番勝負

問十:富士宮市

[78889] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:03:28 k-ace さん
 第三十二回・十番勝負

問八:豊見城市

[78888] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:03:17 桜トンネル さん
 第三十二回全国の市十番勝負&小山市

さっそく2回目です。

問十:小林市

たぶんこういうこと?

[78886] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:02:18 ぺとぺと さん
 第三十二回十番勝負

今回もよろしくお願いいたします。

問三:須賀川市

[78885] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:02:11 おがちゃん さん
 十番勝負

お久しぶりです。

問八:木津川市

[78884] 2011 年 8 月 7 日 (日) 19:00:02【6】 オーナー グリグリ
 【第三十二回】平和祈念 全国の市十番勝負(問題)

では、世の中と皆様の平和を祈念して十番勝負を開始します。皆さんのご参加をお待ちしています。

今回も前々回、前回と同じく、問六から問十については、新趣向の出題・解答形式となりますのでご注意ください。新趣向については、こちらの記事集もご参照ください。なお、今回は採点を最初から1日1回とさせてください。採点時間はおおよそ午後7時から午後10時の間を予定しています。最初の採点は明日の午後7時から8時頃を予定していますが、採点時間が前後する可能性があることをあらかじめご了承ください。

【問題】
以下の各問に列挙した市にはある共通する特徴があります。同じ特徴を持つ市を一市だけ挙げてください。ただし、問六から問十については、共通する特徴に加え、ある順序で問題の市が並んでいますので、解答にあたっては、同じ特徴を持つ市で次の順位に来る市をお答えください。なお、解答に当たっては下記の注意事項を必ずお守りください。

【全問に共通する注意事項】
1.共通する特徴は解答しないでください。何人もの方が答えられるようにするためです。
2.解答の書き込みに対する後からの訂正や追加はご遠慮ください(解答順が前後する恐れがあるためです)。
3.解答は一問につき一人一解答でお願いします。採点で誤答となった場合は再度解答していただいて構いません。
4.既に他の方が解答済みの市、問題となっている市、あるいは、消滅した市を、誤って解答してしまった場合は、採点を待たずに再解答して構いません。その場合は再解答の理由(既解答、問題市、消滅市)を必ず付記してください。なお、正答となった解答済みの市を10分以内に解答した場合は、誤答として採点しますが参考記録扱いとします。
5.問題は原則として2011年8月7日の情報を基にしています。また、当サイト(都道府県市区町村)のデータや当サイトの参考ホームページ(トップページに掲載)を利用している場合があります。
6.十番勝負は、あなた自身だけでなく、あなたの周りの人に悪影響を与えることがあります。参加の際には、周りの人の迷惑にならないように注意しましょう。人により程度は異なりますが、十番勝負への依存が生じる場合があります。個人の責任において参加されることをご了解願います。とくに、未成年者の方はご注意ください。

【問六から問十に関する注意事項】
7.採点前の他の方の解答を正答だと判断された場合は、その市に続く順位の市をお答えください。ただし、判断を誤ると、ご自身の解答が誤答となる可能性があります。
8.順序関係には同一順位の市も含まれます。同じ順位の市については任意の順で答えて構いません。なお、問題の市の中の同じ順位の市についても並べ方は不定です。
9.同一順位の市がすべて答えられるまで次の順位の市は答えられません。答えると誤答になります。
10.問題にある「該当する市」は解答することができます。
11. 共通項の順位において同一市が複数回現れる場合、二回目以降は解答対象外として飛ばします。

問一(想定解数:57市)砂川市、小田原市、綾部市、阿波市、古賀市(該当しない市:天理市、熊本市)
問二(想定解数:39市)三鷹市、山梨市、みよし市、洲本市、伊佐市
問三(想定解数:41市)高崎市、川崎市、甲斐市、加古川市、北九州市
問四(想定解数:46市)石巻市、川口市、米子市、広島市、佐世保市(該当しない市:御殿場市、長崎市)
問五(想定解数:47市)函館市、いわき市、糸魚川市、鳥取市、五島市
----------------------------------------------
問六(想定解数:71市)歌志内市、三笠市、尾鷲市、仙北市、米原市
問七(想定解数:54市)相生市、飯田市、上田市、江田島市、奥州市(該当する市:別府市)
問八(想定解数:786市)守谷市、白井市、稲城市、つくばみらい市、八潮市
問九(想定解数:80市)横浜市、札幌市、京都市、那覇市、大阪市
問十(想定解数:?市)松江市、西尾市、松本市、佐世保市、長岡市(該当しない市:栃木市、姶良市、弥富市)
【訂正】
問四:想定解数 43市 → 44市 [78945]
問四:想定解数 44市 → 45市 [79047]
問一:想定解数 55市 → 57市 [79118]
問一:想定解数 57市 → 58市 [79170]
問四:想定解数 45市 → 46市 [79182]
問一:想定解数 58市 → 66市 [79202]

【免責】
出題に当たってはできる限りの調査を行っておりますが、確認漏れや問題の不備ならびに想定解の見落としなどが発覚する可能性があります。その際にはできるだけ妥当な救済措置を行うよう努力いたしますが、不手際などありますことをあらかじめご了承ください。

解答状況の確認ページ:【第三十二回】平和祈念 全国の市十番勝負(解答状況)

[78883] 2011 年 8 月 7 日 (日) 15:28:00 オーナー グリグリ
 情報提供をありがとうございます♪

[78852] 大龍エクスプレスさん
上尾市
の公式ツイッターを発見しました。
つくば市のアカウント名,プロフィールも変わっています。
つくば市の更新と上尾市の追加を行いました。いつも情報をありがとうございます。上尾市のアカウントは市長がつぶやいていますね。首長アカウントとのハイブリッドモデルです。

[78862] EMMさん
山形市 鈴木重屹 当選時31歳 1947(S22).4.5〜1954(S29).10.25(2期)
高崎市 小島弘一 当選時36歳 1947(S22).4.10〜1955(S30).5.1(2期)参考
こちらの情報を40歳未満で就任した首長の一覧に追加しました。ありがとうございます。鈴木重屹氏は「すずきしげる」のようですが確実ではないかもしれません。
青年町村長三人
二十八歳の青年町村長が三人現れた。能美郡新丸村の医師青木敏男氏(民)と同郡粟生町の浅井長一郎氏(無)と鹿島郡田鶴浜町長の僧侶中村長敬氏(無)
こちらについては、もう少し情報が積み上がった段階で掲載したいと思います。今後ともよろしくお願いします。

[78882] 2011 年 8 月 7 日 (日) 15:17:14 オーナー グリグリ
 Re:武雄市公式ホームページ

[78839] 佐賀県さん
[78664][78722]で触れた、武雄市公式ホームページのFacebook版への完全移行の件ですが、Yahoo!ニュースに情報がありましたのでお知らせします。
[78853] Hiro_as_Fillerさん
[78664][78839]で佐賀県さんが紹介されています、武雄市HPのFacebook移行を公式HPのページに反映させました。
(中略)
Facebook版では一企業の仕様に乗っかっている状況で、今後どう仕様変更されるかもわからないわけで、安定した情報を提供し続けられるか疑問です。Twitterも同様ですが、これがメインではなくサブとしてであれば、先進的でよい試みだと考えますが、これをメインとすることは現状では反対です。
Facebook版を確認しました。Hiro_as_Fillerさんの公式HPへの登録判断は間違っていません。ありがとうございます。Facebook版はそれなりに工夫はされていますが、SNSに慣れていない初心ユーザにとっては、厳しい情報提供手段だと思います。いろいろ問題がありそうですが、武雄市民からの生の声、とくにサイレント層の声が市長に届けばよいのですが。不満の声さえ出せないような仕組みではないかと思ってしまいます。

[78853] Hiro_as_Fillerさん
自動的に生成される公式ホームページ更新情報ですが、リンクや画像のアドレスが、どうやら一階層ずれているようで、画像・背景とリンクがおかしくなっております。ご確認をお願いいたします。m(_ _)m
対応が遅くなりましたが更新情報のページの不具合を修正いたしました。今まで気が付かず、誠に申し訳ありませんでした。念のためご確認いただければ幸いです。

[78881] 2011 年 8 月 7 日 (日) 13:48:15 EMM さん
 全国の市十番勝負(第三十一回)の感想文

結局また十番勝負感想文が次回の開催直前と言う事になってしまいました。
第三十一回十番勝負は、私にとっては問四がこじれまくった事につきます。
正直、私もこの手の出題はかなわんなぁ…と感じているのですが、理不尽かどうかと言われるとまだ理不尽な領域には突入していないのかな?と言う風には考えています。
何と言ってもノーヒントで解けている人がいる訳ですし。(でもスッキリと皆に賞賛してもらうためには「とりあえず神戸」的な解答は止めた方が良いと思うけどね、とはをぢさんの独り言)
この考察は、間に合えば第三十二回開始前までに投入したいのですが、時間的にはちょっとギリギリかな。
いずれにしても、問四のおかげで「今度こそ完答は無理か?」と言うところまで追い込まれたものの、何とか乗り切って27回連続完答となりました。
第三十二回も目標は完答であります。可能な限り続けたいものですが、さて?

−−−−−

各問については解答順で。

問十:古河市(銀)
今回唯一のメダル。
東北新幹線だというのは早々にわかったのですが、解答後に再確認したら東北新幹線が幸手市を走る部分はちょっとで、細かい話をすると久喜市→幸手市→久喜市(→五霞町)→古河市…なんですよね。
当初解答の勢いから数える余裕が無く、やや落ち着いてから数えて見るも毎回数が違ってくる情況で、採点まで悶々としてました。

問九:下松市(5位)
想定解数47と言うところから簡単に調べはつきましたが、解答が他の方とダブらないかがヒヤヒヤものでした。

問五:益田市(5位)
過去に「共通項:鈴木市長」って問題ありましたよね。私が参加する前。
夕張市を見て最初それを思い出し、何となく各市の市長を見ていて閃きました。
でもこんな問題で、開始1時間経ってないのにメダル売り切れってのがなぁ。

問八:南砺市(5位)
鶴ヶ島市あたりから閃いたのですが、出題としてくっつりこなかったので解答に付記した書き込みが「あーんもう」。
で、たまたま次の解答が南砺市だっただけで、決して狙った訳ではありません。

問一:尾道市(10位)
お題や既解答から新幹線の駅っぽいのはわかりましたが、細かいところがよくわかりませんでした。
「市名に何か他の文字がつく駅名なのか?」と思い尾道市にしてみましたが、結果オーライ。

問七:さぬき市(6位)
お題や初期解答が「いわき市が最初、次が北陸、その後が九州の南から北に向かっている」………どうやったらそういう順番になり得るのかかなり悩みましたが、いわき市の郵便番号が目に付いて閃きました。
北陸人ならもうちょっと早く気付きたかったものですが…ただ、気付いた時点で次の解答は香川県内の2市。
どちらが先なのか微妙なところがあったので悩んでいたところ、かぱぷうさんの解答が先に出て○の確立が上昇したのでさぬき市を投入。

問三:足利市×→小金井市(9位)
最初は「旧国名を含む」市か?と思ったのですが、×。
その後「お題」についていろいろ試行錯誤していて共通項に気づきましたが、解を選ぶにあたっては「頭1文字目も違う字の組み合わせ」→「頭1文字目のみ共通する組み合わせ」を探していって小金井市を選択しました。

問六:鹿児島市(5位)
「市を合併した市」の集まりなのは早々に気付きましたが、人口順であることに気付くのに時間がかかってしまいました。

問二:敦賀市(13位)
合併の情況が共通項の問題って、結構こじれるんですよね。
第一ヒントが出かける予定のある日に出ることになって非常に焦りましたが、難しいヒントだったので一安心。
結局、第二ヒント解凍と氷見市が結びついて共通項が見えました。

問四:大船渡市×→いわき市(20位)
えーと…、詰まるところ「四と月が結びつかなかった」のもありますが、「鉄問題3つめ、しかも駅名」であった事の方が影響が大きいと思います。
結果として、解凍も含めてヒント9個目にしてようやく解答できたというのは個人的にはワースト記録。はぁ。
誤答の大船渡市は…「慌てるとロクでもない勘違いをすることがある」とだけ言っておきましょう…

[78880] 2011 年 8 月 7 日 (日) 12:54:56【1】 EMM さん
 歴史上、越中国に「新湊」なる港は存在したことが無い、らしい

拙稿[78749]
(放生津付近が新湊という名に置き換わった経緯を説明した資料はネット上ではまだ行き当たっていません。時間があったら図書館で調べてくるつもりです)
と言う事を書いておりまして、その後実際に調べに行きました。
拙稿[78862] で書いた
しばらく前に図書館に調べ物に行った際、
の時の調べ物の本題になります。
で、結論から言ってしまうとタイトルのような事になります。
歴史地名大系には、
[近現代]明治四年金沢藩布達により明治時代の町村合併第一号として行政上の新湊町が誕生した(「御用触留帳」金木家文書)
とありました。
また、地名大辞典のうち、地名編のところの「新湊町」の項には
[近代]明治4年〜昭和26年の町名。明治4年廃藩置県により放生津町・荒屋村・三日曽根村・四日曽根村・三箇新村・長徳寺村・六渡寺村・法土寺村・放生津新町・古国府・古国府門前地を合わせて成立。(中略)明治19年伏木町を分離、同22年町村制施行による町となり、放生津町他はその大字名となった。
、同じく地誌編の新湊市のところを見ると
[近現代]行政区画の変遷 本誌の所属する射水郡の所轄は明治になってから変遷があった。(中略)その間、明治4年2月に放生津・放生津新・荒屋・四日曽根・三ヶ新・長徳寺・六渡寺・伏木が合併して新湊町を作った。(中略)明治19年伏木町が新湊町から分離した。
とあります。(中略の部分には所属県の変遷や大区小区に関する事が書かれてます)
地名大辞典の地名編と地誌編のところで合併した町村の名が違っているのは気になりますが、詰まるところ新湊という町名は「明治4年に複数の町村が合併した際に新しく作られた「町の名」」であり、それ以前に新湊なる港が存在していたのでは無い、と言う事です。
タイトルが「らしい」とやや自信なさげなのは、新湊と言う町名が生まれたのは廃藩置県よりも数ヶ月早いようなので、その間に港の名として「新湊」が使われた可能性も捨てきれないため。
ただ、昭和39年に刊行された「新湊市史」も見てきたのですが、内容は幕末で終わっており、章の見出しには新湊の文字はなく、本文中にもやはりほとんど出てこない状態で、実質「放生津の歴史」をまとめた構成となってました。
江戸時代には「新湊」という港の名が無かったのは間違いなさそうです。

じゃあ何で「新湊」なる名前が生まれたのか?なのですが、具体的な命名の理由・由来の書かれたものにはまだ行き当たっていません。
ただ、上で引用した文章の中にヒントがあります。
初期の「新湊」には放生津と共に、そのライバルである伏木が含まれていた、と言う事です。
地名大辞典・地名編の伏木の項を見ていくと、
[近世]伏木村 江戸期〜明治19年の村名。明治4〜19年は新湊を冠称。
と確かに書かれている。
この明治4年の「放生津と伏木」の合併は、明治維新にあたりそれまでライバル関係にあった2つの港を一体化して整備して行くために為されたものであったようです。
「新湊」という命名も「新時代にあたり、新しい港町として歩んでいくように」と言ったところからの命名ではないか、と想像されます。
しかしながら、結局伏木は「新湊」から離脱し、小矢部川河口が比較的深さがあったこともあって工業港として発展していった一方、「新湊」の中心となる放生津の港は大型船への対応が難しかった事から漁港として歩んでいく事となりました。
この伏木と放生津→新湊とのライバル関係もなかなか興味深いのですが、かなり長くなりそうなので別途まとめられたらなぁ…と考えてます。

−−−−−

さて、この「放生津+伏木→新湊」という処置を執ったのは加賀藩であるとのこと。
実は加賀藩は加賀国でも似たようなことをしています。
江戸時代、金沢の町の外港として機能していたのが犀川の河口に位置する宮腰(みやのこし)の港と、大野川の河口に位置する大野の港でした。
この宮腰と大野も長らく争いが絶えず、特に安政3年に大野が町格に昇格して以降はその争いが激化していきました。
(この大野の町格昇格は宮腰との対抗であると同時に、同様にライバル関係にあった対岸の粟崎を出し抜くためでもあったようです)
これを見かねた加賀藩は両町を合併させることにより争いに終止符を打とうとし、慶応2年に両町の合併を命じました。
この際、故事成語の「金石の交わり」にちなみ、新たな町名を「金石(かないわ)」とした…のですが、その後も大野側の港の事は「大野の港」と呼ばれ続け、金石の港というと宮越の港の事のみを指すように認識されていたようです。
そして、町としてもなかなか一体化は難しく、結局明治22年の町村制施行の際には宮腰側が「上金石町」、大野側が「下金石町」として町制を敷きました。
その後明治31年に下金石町が大野町、大正9年に上金石町が金石町と改称し、さらにそれぞれが金沢市に合併して今に至っています。

さて、時期や背景はやや異なりますが、「ライバル関係にある港町を合併させるために新しい地名が生み出されたが、その新地名は一方のみを指す名称となり、合併も失敗した」という点で経緯が非常に似ています。
但し、新旧の地名についてみてみると対照的です。
新湊は放生津・伏木以外にも複数の村々を合併させたことから、伏木離脱後も「複数の町村の総称」という形であり、放生津は新湊の中の町名として生き残りました。
一方、金石は宮腰と大野の2つの町を合併させたことから、大野離脱後は宮腰が金石に置き換わった形となってしまい、現在は地名としての宮腰は痕跡もありません。
(名字としては残ってますが。でも名字としては「みやこし」が多そう。分布の話は「あえて」しませんよ?)
「昔からの地名の存続」という観点からしても、加賀藩の措置は大きなマイナスしか残さなかったと言う気がしないでもありません。

−−−−−

と、ここで拙稿[78861]で触れた
上金石町・下金石町については別の事情を推測していますが、これについては項を改めます。
に関する事。
M22.3.8付け石川県令第23号には「分合した町村」のところに上金石町・下金石町・七尾町が、「分合していない町村」のところに大聖寺町、小松町などがでています。
このうち七尾町については前にも書いた通り周辺の村の一部との「合併」であるので、と言う事でしょうが、上金石町・下金石町については大聖寺町や小松町との差違が一見わからない。
ところが、上記の「金石成立の歴史」を踏まえると、町村制施行の前までは「一体の金石町」であったものを、町村制施行にあたり「上金石町と下金石町」に「分離した」と言う事でないのか?と考えました。
その上で、石川県令第23号で「分合せず町制に移行した」町々をどう記載するのがよいのか検討する必要があると言う事でしょう。
少なくとも大聖寺町と小松町の記載内容に差があるのは?????な訳で、その点では私は[78864]むっくんさんのご意見を支持します。

−−−−−

[78864] むっくんさん
拙稿への補足レスありがとうございました。
「桐山村←→切山村」の件ですが、「寛文10年の村御印では桐山村だったものが江戸時代中に切山村という表記に変化しており、町村制施行時にも切山だった」ものを、地名大辞典は加越能三箇国高物成帳の見出しである「桐山」を江戸期の地名として採用した…と言う事なんだろうなぁ、と考えております。
加越能三箇国高物成帳では江戸後期の村名の変化がわからないんですよね。各年代の村御印を追う必要がある…のですが、村によっては残っていない場合も多いので、十分追い切れていなかったんでしょう。

※漢字変換ミスの修正

[78879] 2011 年 8 月 7 日 (日) 12:21:06 千本桜 さん
 仙台

88さん、むっくん さん
仙台区を構成する町についてお尋ねします。私は法令とか条例に疎いので頓珍漢な質問をするかもしれませんが大目に見てください。市制町村制施行時の情報 宮城県によると、明治22年3月31日時点で仙台区を構成する町はおよそ300町。明治9年の仙台は137町でしたから2倍以上に増えたわけです。明治22年仙台市発足時の面積はおよそ17km2、戸数およそ16,800戸でした。1町あたりの平均面積はざっと570m2、平均戸数は56戸です。たとえば、名称から判断して元材木町横町末無という町は、元材木町の横丁の袋小路に面した町ということでしょうから、面積、戸数ともかなり小規模のはずです。幅30m×長さ40mの面積で、戸数は10数戸程度だったかもしれません。こまかい数字にこだわる必要はありません。これで自治体として機能できたのでしょうか。機能していたとして、どの範囲までの自治を行っていたのでしょうか。私は上染師町東末無, 畳屋町末無, 滝前町末無, 川内追廻川前町末無などの羅列を見て、これって自治体なの?、規模からすれば村社会の契約講と変わらないじゃないかと考えてしまうのです。

お手数でも宮城県の市町村変遷をご覧ください。3コマ掲載のうち一番下の表組です。明治9年に137あった仙台の町村数は、明治11年には1になっています。ということは、仙台市街を形成していた137の町々は仙台区が発足した時点で自治体としての役目を終え、単に地名としての町名になったと解釈していいのでしょうか?。でも市制町村制施行時の情報 宮城県を見ると、仙台市街の約300におよぶ町々は明治22年3月31日まで自治体として存続したようにも受けとれるし、どちらなんでしょう。

[78859] 88さん
何か、具体的な資料等をお示しいただけると助かります。

88さんご提示の新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社,明26.11)では「丁」はことごとく「町」に置き換えられているのですね。驚きました。「ホンマでっか!?」という感じです。「ホンマでっせ!」と、本間千代子さんが現れるよりもっと驚きです。済みません。落書き帳でこんな話は受けませんよね。今年66歳になられた永遠の青春スター本間千代子さんに反応できる感性の持ち主は、落書き帳ではあの方だけでしょうから。

私は「新旧対照市町村一覧」における仙台の情報を黒だと感じています。濃度95%のブラックかな。仙台には江戸期から今日まで「町」と「丁」があることは多様な人によって伝え継がれていますから、疑いようのない事実です。例えば、日本地図センターは「地図と空中写真で見る昔と今」で
市街の大部分は侍の住むまちで「丁」と呼ばれ、足軽・小人・職人・商人等の住む「町」と区別された。
と、記述しています。まず、地図で確認してみます。江戸期の資料として天保4(1833)年の御城下町割絵図をあげます。国分町や南町の「町」と、東一番丁や永丁などの「丁」が読みとれます。次に明治22年発行の仙台中心街をご覧ください。探しやすいように町名に赤線を引いておきます。国分町、南町などの「町名」と、東一番丁、東二番丁などの「丁名」が書き分けられています。国分町は仙台を代表する夜の盛場。東一番丁は仙台を代表する昼の繁華街です。かつて武士が居住した東一番丁がなぜハイセンスな商店街に成長したかは、先を急ぎますので触れないでおきます。次に現代の地図をご覧ください。仙台市は昭和40年から始まった住居表示の実施で多くの「丁名」が消えましたが、住居表示が進まなかった区域には今も「丁名」が残っています。小田原山本丁、名掛丁、東七番丁などがそれです。このように、江戸期から今日まで一貫して「町」と「丁」が使い分けられ、「丁」を廃して「町」とした時代はなかったはずです。

次に地図以外の文献で確認します。まずwikipedia仙台都心部は「丁」と「町」と題し、
侍町の名掛丁や東二番丁には丁を付け、他方、町人町の国分町や大町などには町を付けた。
と記述し、また
丁と町の使い分けに関しては、和歌山城下町でも同様
とも書いています。早速88さんの市制町村制施行時の情報 和歌山県に飛びます。お!やっぱり一番丁, 二番丁, 三番丁, 四番丁と「丁名」が連なっていますね。wikipediaでは心もとない方のために、手持ち資料の中から「宮城県の市町村変遷」「仙台の大小区変遷」を貼ります。これは、宮城県史からコピーしたはずですが、記憶が朧になってしまいました。たぶん、むっくんさんも同じ物をお持ちではないかと推測します。仙台旧市内における「町」と「丁」の使い分けが見てとれます。私が仙台の街と深く関わったのは昭和40年代のことで、江戸期からの町名がたくさん残っていた時代です。好きな町名は角五郎丁、末無掃部丁、保春院前丁、琵琶首丁などでした。懐かしがっている場合ではありませんね。先へ急ぎます。地図と文献から判断して「町」と「丁」の使い分けは明らかです。

[78859] 88さん
どこが「町」でどこが「丁」か、の別も個別に示していただけるとありがたいです。

これがやっかいです。どの資料も「丁」の使い方がアバウトで、明らかに侍町で「丁名」の代表格である「片平丁」が「片平町」になっていたりして、どの資料を信頼したら良いのか苦しみました。手許に「仙台地図さんぽ」という出版物があります。その中に「おもな旧町名・通名 索引」というページがあって、これがなかなかよくできています。この本には大正元年の地図がそのまま復刻され、その地図に記載された地名を
1・明治11年の更正区書はどのように表記していたか。
2・明治22年の市制施行当時の表記はどうであったか。
3・昭和40年代の住居表示実施直前の表記はどうであったか。
以上3つの時点から調べてある優れものです。編集者の熱意が感じられて信憑性があります。
実例をあげると次のようになっています。
畳屋町------大正元年の地図表記
疊屋町------明治11年(更正区書の表記)
疊屋丁------明治22年(市制施行時の町名)
畳屋丁------昭和40年代(住居表示実施直前の表記)
ただし、これは主な旧町名を対照にしているため、約300ある旧仙台市街の旧町名すべてが網羅されたものではないことが残念です。

88さんの「市制町村制施行前の町村名等」を丸ごとコピーし、「仙台地図さんぽ」の明治22年(市制施行時の町名)と照合してみました。
●は私が訂正を加えたものです。○は88さんのデータがイキです。※は「地図さんぽ」では道路・ヨコ丁扱いしています。無印は「地図さんぽ」では触れていないために照合できなかったものです。
 
仙台区, 仙台区 ○新河原町, ○新弓ノ町, ○河原町, ○南材木町, ○穀町,○ 南鍛冶町, ○荒町, ●疊屋丁, ●六十人町, ○連坊小路, ○石垣町, ●船丁,○ 堰場, ○成田町,○ 南染師町, ○南石切町, ○八軒小路, ●三百人町, ●保春院前丁, ●五十人町, ○土樋, ○表柴田町, ○椌木通, ○木ノ下, ○元茶畑, ○裏柴田町, ●西新丁, ●東新丁, 新河原町西町, ※姉歯横丁, 猿牽町, ※東街道, 長町通, ●米ヶ袋廣丁, ○米ヶ袋鹿子清水通, ●米ヶ袋鍛冶屋前丁, ●米ヶ袋下丁, ●米ヶ袋中丁, ○米ヶ袋中ノ坂通, ●米ヶ袋十二軒丁, ●米ヶ袋上丁, ○弓ノ町, ○石名坂, ●南六軒丁, ●片平丁, ●櫻小路,● 鐵砲横丁, ○道場小路, ●伊勢屋横丁, ○袋町, ○元鍛冶町, ○本荒町, ○狐小路, ●良覺院丁, ○大町一丁目, ○大町二丁目, ○大町三丁目, ○大町四丁目, ○大町五丁目, ○肴町, ○立町, ●本櫓丁, ●定禪寺通櫓丁, ○北材木町, ○本材木町, ○本柳町, 立町新町, ●川内川前丁, ○川内大工町, 川内数寄屋町, ○川内元支倉, 川内元支倉通, 川内新横町, ●川内明神横丁, ○川内澱橋通, 川内亀岡通, 川内中ノ坂通, 川内大堀通, ○川内亀岡町, ○川内三十人町, 川内大橋通, 川内柳町, 川内筋違橋通, 川内山屋敷中町, 川内山屋敷北町, 川内山屋敷南町, 川内山屋敷町, 川内山屋敷上町, 川内山屋敷横町, 川内三十人町通, 川内亀岡北裏町, 大町二丁目櫓町, 中ノ町川前町, 中ノ町, ●琵琶首丁, 琵琶首新町, ○花壇, ●花壇川前丁,※ 細横丁, 七軒町, ○川内中ノ瀬町, 川内裏下馬町, 川内亀岡杉町, 米ヶ袋新町, ○田町, ○上染師町, ○北目町, ○柳町, ●東一番丁, ●東二番丁, ●東三番丁, ●東四番丁, ●東五番丁, ●東六番丁, ●東七番丁, ●東八番丁, ●東九番丁, ●東十番丁, ●教樂院丁, ●南光院丁, ○南町通, ○清水小路, ○二十人町,● 鐵砲町, ○小田原車通, ●小田原振袖丁, ●小田原遣水丁, ●小田原山本丁, ●小田原裏山本丁, ●小田原金剛院丁, ●小田原牛小屋丁, ○小田原弓ノ町, ●小田原大行院丁, ●小田原廣丁, ○小田原清水沼通, 小田原宮町東裏町, ●小田原北一番丁通, ●小田原北二番丁通, ●小田原北三番丁通, ○小田原高松通, ●小田原東丁, ●小田原長丁通, ○車町, ○柳町通, ○北目町通,● 新寺小路, ○榴ヶ岡, ※長泉寺横丁, 年徳神横町, 五ツ橋通, ※和光明神横丁, ※於多福横丁, ●新傅馬町, ●名掛町, ○立町通, 赤井横町, ○元寺小路, ●末無掃部丁, ●大佛前, ○同心町通, ●同心町中丁, ○元貞坂, ●國分町, 表小路, ●定禪寺通, ●勾當臺通, ○堤通, ●外記丁, ●外記丁通, ○花京院通, ○中杉山通, ○茂市ヶ坂, ●光禪寺通, ●掃部丁, ●長丁, ●長刀丁, ●空堀丁, ●新名懸丁,●六軒丁, 二軒町, ○宮町, ○北田町, ○堤町, ●北一番丁, ●北二番丁, ●北三番丁, ●北四番丁,● 北五番丁, ●北六番丁(本), ●北七番丁, ●北八番丁, ●北九番丁, 北十番町, ○二本杉通, ○杉山通, ○上杉山通, ※虎屋横丁, ○新小路, ○二日町, ○北鍛冶町, ○通町, ●跡附丁, ○神子町, ○北山町, ●木町通, ○支倉町, ○支倉通, ○新坂通, ○切通町, ●十二軒丁, ○石切町,● 覺性院丁, 伊勢堂下, ○半子町, ○坊主町, ●中島丁,○ 江戸町, ○北五十人町, ○八幡町, ●瀧前丁, 有巴沢一丁目, 有巴沢二丁目, 角五郎新町, ※荒井横丁, ○澱町, ○土橋通, 角五郎表町, 角五郎裏町, 角五郎川前町, 中島町新坂, 中ノ横町, 大願寺前町, 大願寺横町, ●裏五番丁, 新河原町東町, 東九番町一丁目横町, 東九番町二丁目横町, 川内元支倉通一丁目横町, 松源寺前町, 誓願寺通, 西坊主町, 東坊主町, 角五郎川前横町, 大橋通, 小田原宮町三丁目裏町, 新坂通一丁目横町, 八幡町三丁目横町, 石屋横町, 桃源院前町, 沖ノ村通, 東桜小路, 茶畑町, ※竹屋横丁, 椌木前町, ※加川横丁, 鉄砲町三丁目横町, 立町新前通, ※閻魔堂横丁, 石名坂横町, 北山古街道, 大町三丁目横町, 川内亀岡南町, 中島新町, 常磐町, 北五十人町新町, ●大町五丁目新丁, 元材木町横町, 北材木町末無, 十二軒町上末無, 十二軒町下末無, 上染師町西末無, 上染師町東末無, 畳屋町末無, 滝前町末無, 川内新横町末無, 川内追廻川前町末無, 土樋二丁目西末無, 土樋二丁目東末無, 土樋四丁目末無, 姉歯横町末無, 霊屋下新町, ●霊屋下, 宮沢(本), 北六番町九丁目末無, 元材木町横町末無, 覚性院町末無, 北目町末無, 元誓願寺前町, ●越路, 河原町東裏町, 越路路地町, ●越路六軒丁, 霊屋下疣田町, 霊屋下四谷町, 古城, 宮城郡 ○小田原村(微), ○南目村(微), ○南小泉村(微)

結果としてまだまだ不備ですが、「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)を鵜呑みにはできないぞという思いです。で、どうすればいいのか。「仙台地図さんぽ」に書かれている明治11年(更正区書の表記)なるものを見てみる必要がありそうです。仙台市に行けばあるのかどうか。いつまでとは約束はできませんが、あたってみようと思います。ところで88さん、「仙台地図さんぽ」必要とあらば差し上げますよ。必要なときはお知らせください。それから、「市制町村制施行前の町村名等」に「南町」が漏れているようです。「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の段階で漏れていますね。「南町」は絶対外せないはずです。直感でそう思います。

[78878] 2011 年 8 月 7 日 (日) 10:45:11【1】 Issie さん
 相模原中央

昨年も同じことを書いた記憶があるのですが,
基本,甲子園からは距離を置いて眺めたいと思いながら,そのたびに自分が,現住地で自分の雇い主である神奈川県よりも千葉県の方に強く帰属意識を持っていることを確認してしまいます。特に今年は「習志野」という文字があるのが素直にうれしい。「横浜」だとか,「東海大相模」には,そういう感情が湧かないなぁ(でも,頑張ってね)。
久しぶりに校歌を聴いて,そう言えば現在リーグ・トップのヤクルト・スワローズの小川監督が前回優勝時(1975年)の投手だったことを思い出しました。

[78876] グリグリ さん
「常陸大宮、日立、鉾田、柏、松戸」という表示があり

気象警報は“市町村どまり”で,区のある政令指定都市も「横浜(市)」や「大阪(市)」(←「市」はあったか,なかったか?)までしか出て来ないのですが(ただし,大阪市は市全域が単独でかつての“二次細分区域”,現在の呼称は“市町村をまとめた地域”で「大阪市」という呼称です),地震の震度を発表する際は政令指定都市でないところも含めて,市町村以下の区分の地名がまま現れますね。
その時は確か,たとえば「相模原中央」のような表記であるように思います。
「市」と「区」が省略されている?
いや,「区」だけ省略して「相模原市中央」だったかな?

NHKのニュースなどでは,基本的にそれぞれの区域の最大震度が発表されますね。第一報は,都道府県をいくつかの区域に分けた単位(基本は気象警報で用いられる“一次細分区域”だけど,以前に hmt さんが指摘されたように,いくつかの県ではやや違った区分になっています)内で一番震度が大きかった“どこか”の震度で代表し,次いで詳細がわかると各市町村単位の最大震度が報じられる。
「相模原中央」と言えば(あるいは「相模原市中央」でも),とりあえずは「相模原市中央区」と捉えることになるでしょうね。恐らくは地震計が置かれている市役所の位置。ここが幸か不幸か「中央区中央2丁目」。だから,これは区名を飛ばして「相模原市(中央区)中央」と読んでも正しい。
でも「中央区」内にはほかにいくつか地震計の置かれている地点があって,そこの震度かも知れない。実際,「中央区中央」よりも「中央区田名」の方が大きく揺れたこともよくあります。このとき,「相模原(市)中央」の震度としてテロップに表示されるのは,中央区中央=市役所ではなく 田名 の震度なのでしょう。「相模原市中央区」と読むのならそれでもいいのですが,「相模原市(中央区)中央」だと不適当。
…ま,こんなことを気にする人はあまりいないとは思いますが。

画面のテロップ表示は「簡潔」を旨としますから,必要に応じて 市区町村 などの“接尾辞”が省略されるのはありだと思うのですが,そこからくる曖昧さが場合によっては混乱を生み出すもとになりかねないことは事実でしょうね。

[78877] 2011 年 8 月 7 日 (日) 07:54:46 白桃 さん
 茨城県郊外?

先だってNHKのなんかの番組(ニュースではありません)の中で、女子アナウンサーが「茨城県の郊外にある河内町は・・・」などと言ってました。聞き間違いだとすると申し訳ないのですが、本当のことなら「問題発言」だと思います。

今日は、午後から8時過ぎまで仕事が入っており代々木の方に行ってまいります。午後七時の十番勝負甲斐市に間に合わないのが残念、無念。

[78876] 2011 年 8 月 7 日 (日) 03:22:41 オーナー グリグリ
 市を省略

なでしこ決勝戦をBS1で視聴中。本日開始の十番勝負の準備に手間取っており、フォローが遅れています。申し訳ありません。その前にちょっとした話題を。

少し前の話ですが、NHKのテロップ表示における自治体表記について。新潟、福島の集中豪雨の際に、「十日町、只見町」という表示がありました。十日町市の間違いだなと思ったのですが、その後の同じニュースでも同じ表示が繰り返されていました。別のニュースで、「常陸大宮、日立、鉾田、柏、松戸」という表示があり(少し違うかも?)、市名は「市」を省略するルールなんだなと気が付きました。先ほどのBSニュースでも「岐阜 高山」という表示がありました。県名や市名は省略するけれども、町村名は省略しないのは合理的かもしれませんが、最初の例のような場合は紛らわしいですね。「大町 大村 大町町」なんて表示があったら訳がわかりません。

さて、延長後半、もうすぐ同点。

[78875] 2011 年 8 月 6 日 (土) 22:14:39 futsunoおじ さん
 「なでしこリーグ」の観客数記録(続報)

[78855]の続報になります。6日、サッカー女子「なでしこリーグ」のアルビレックス新潟L−INACの神戸戦が新潟市の東北電力ビッグスワンスタジアムで行われ、24,546人を集めてリーグ観客最多記録を更新しました。(試合は2-1で神戸の勝ち。)個人的には3万人を期待したのですが好天に恵まれ過ぎたために会場に行くことをためらった人も多少はいたものと思っています。私は地元放送局の中継を見てましたが、ともかく暑い中で戦った選手と応援した観客に感謝です。なお(無料)TV中継の無かった同会場夜間のJ1、新潟−清水戦は37,830人の観客があり、昼の「なでしこ効果」を考慮すれば予想に近いと言えるでしょう。

[78874] 2011 年 8 月 6 日 (土) 13:31:05【2】 hmt さん
 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (6)情報との付き合い方

尽く書を信ぜば、書無きに如かず。

『孟子』の尽心篇下にある言葉だそうです。
「書」というのは、当時は『書経』を意味していたのかもしれませんが、現代の私たちとしては、書物一般、更にはウェブを含む「情報一般」という意味にとらえたいところです。
情報収集は重要であるが、鵜呑みにするだけならば、ない方がまし。
自分の頭で情報を評価し利用すべし というのが、孟子の教えでしょう。

こんなことを書いたのは、変遷情報の 市制町村制施行時・神奈川県 に記載された「日野宿」をめぐる情報と その解釈とが いささか混乱したためです。

タイミングよく、[78873] MI さん の報告があり、「日野宿」の件に限れば、明治22年神奈川県公報に印刷された「県令第10号」【9号別冊の誤。下記の追記参照】の誤植が、混乱の原因の1つであったようです。
遠くから足を運んでいただいた情報探索、まことにご苦労様でした。

【追記】
そして別冊に「町村分合改稱」の一覧が掲載されているのですが、ここで大変なことを発見してしまいました。
確認ですが、「日野村」という誤植があった「町村分合改稱」一覧表は、4月1日施行の「県令第10号」ではなく、3月31日施行の「県令第9号別冊」【つまり旧町村のリスト】ですね。
[78871] むっくん さん が言及された「(3)新市町村の役場位置に関する県令」は、発見できなかったのでしょうか?
また、同様に言及のあった“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】にも、「日野宿」と記載されていたでしょうか。

県令第9号別冊の一覧表は、『神奈川県町村合併誌』上巻pp.83-108の引用の形で、[78871]までに何回も紹介されていますが、誤植訂正後の「日野宿」に修正されているため、誤植のあった過去は、今回の探索で初めて判明したのでした。

神奈川県公報の「正誤表」に気がつかない人が、新制度になってからも「日野村」だと思い、二次資料を残した。
これはあり得ることで、[78806] MI さん が、「日野村」となっている と紹介された資料のうち、2点は これに該当するかもしれません。
しかし、3点目の 『現行東京府布令類纂(明310425発行) 』に記された
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ日野村ヲ日野町ト改稱ス
は、番号まで記された正式の「東京府告示」であり、単純な誤植訂正の見落し説には疑問があります。
[78818]によると、日野町になる前を「日野村」とした 告示文自体にも 疑問があるとのことですが…。

明治22年から明治26年の間に改称が行なわれた可能性もあり、「日野村」疑惑は消えません。
【追記終】

それはさておき、自治体名としての「日野村」が誤植であったとしても、集計に際して「日野宿」を「町」として数えるか、「村」として数えるかの問題は解決しません。

神奈川県県治一斑(明治22-23年)で「26町294村」と記載されていることなどを根拠に、日野宿には明治22年に「村制」が施行されたという意見[78794] もあります。

しかし、私としては、施行された制度は「町村制」であり、わざわざ町制・村制を区別する法的な根拠はないものと考えます。
集計に際して、「日野宿」を「町」又は「村」のいずれかに加えるか、それとも 別立てとするか[78790]は、集計目的乃至は集計者の好みの問題です。
この意見は、[78833]で明らかにしたように「市制町村制理由」に基づいています。
宿駅と称し町と称するもの、施政の大体に於て村落と異同あることなし。故に 今之を同一制度の下に立たしめんとす。

「日野宿」問題から、市区町村変遷情報における情報の扱い一般に移ります。

市区町村の変遷については、[55681]の冒頭に記された出版物があり、88さんもこれを利用しています。
これらの資料は 有用ではありますが、誤った情報や誤記もあり、変遷情報データとして使う際には検証を必要とします。

[55730]で紹介されているデータ整理手順によると、近年の変遷情報については、官報情報検索で抽出された総理府等の告示により確認がなされています。
念の為、市町村の廃置分合手続きにおける「告示の役割」を地方自治法第7条で確認しておきます。
すなわち、関係市町村の申請→都道府県議会の議決→知事が定めて総務大臣に届出→告示→効力発生 という段階を経ることになっており、「変遷情報記録の根拠を 告示に求める」 のは 正しいこと がわかります。

但し これは日本国憲法に基づいて制定された 現行の地方自治法下での話です。
戦前の市制、町村制では、「市」については 内務省告示が官報に出ていたものの、町村の廃置分合や 町村の「市」への編入など、町村に関する変遷情報は、内務省告示の対象外でした[27855][55276] Issieさん。
これらは、官報でなく、府県公報に掲載された 府県令や告示などに 根拠を求める必要があるのでしょう。

特に、明治22年の 市制町村制施行の根拠となる府県令と、それに伴う 自治体の配置分合を公示した府県令 とを収録した資料については、むっくん さん による 26府県についての紹介があり[62809]、以後改訂を重ねて、[76874] 市制町村制施行時の府令県令(ver.5) という形で集大成され、記事からのリンクにより、45府県のデータが記された資料に導かれています。

市制町村制施行時の各府県が、すべての市町村名と その役場の所在地を記した 府県令を出し、これにより「全市町村名」がわかることも、[78871]で紹介されました。

以上は、変遷情報における 「自治体の呼び名」 を主とするデータの 根拠一般に関するものですが、個々のデータについても、むっくん さん などによる 数多くの指摘があり、88さんによる 誠実な対応により 一段と信頼できるデータ集が 構築されてきています。

[78873] 2011 年 8 月 6 日 (土) 01:03:38 MI さん
 日野村は神奈川県令の誤りでした

[78846] オーナー グリグリ さん
 メンバー登録ありがとうございました。ご挨拶が遅れてしまいましたが、皆様どうぞよろしくお願いします。
 さて本日、二俣川の神奈川県立公文書館に行って参りましたので、ご報告いたします。日本海側に在住の私ですが、今週は休みを取って国会図書館に籠っていたのです。今日は最終日だったのですが、[78871] むっくん さんの書き込みを拝見しましたら、二俣川へは私が行くのが最適なように思えまして、電車とバスを乗り継いで行きましたよ。
 明治20年からの「神奈川県公報」は製本されて開架に並んでいるのですが、肝心の県令が欠落しているようです。係りの方に訊ねますと、そういうこともあるので他で所蔵したものも併せてマイクロフィルムにしてあり、そちらを閲覧しました。
 さあお待たせしました。問題の県令全文です。

○縣令第九號
各町村ノ内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改稱ス
  明治二十二年三月十一日       神奈川縣知事冲 守固
                        (別冊ハ附録)

○縣令第十號
明治二十一年法律第一號ニ依リ内務大臣ノ指揮ヲ得明治二十二年四月一日ヨリ横濱ヘ市制其他ノ町村ヘ町村制ヲ施行ス
  明治二十二年三月十一日       神奈川縣知事冲 守固

 そして別冊に「町村分合改稱」の一覧が掲載されているのですが、ここで大変なことを発見してしまいました。日野宿の部分は予め「日野村」と印刷されたうちの「村」を手書きで「宿」と直してあるのです。これは[78871] むっくん さんのいわれる
まず当時のいずれの県の公報においても誤記は少なくなく、その後幾度にわたって訂正として出されています。神奈川県においても同様だったと考えられます。
 の正しく実例と考えられましたので、マイクロリーダーに目を凝らしてついに見つけました。

「神奈川県公報」明治22年5月15日
正誤 公報第弐百貮拾八號縣令第九號別冊九頁中鶴川村ノ下「熊ヶ谷村」ハ「能ヶ谷村」同南村ノ下「高坂村」ハ「高ヶ坂村」十頁中「日野村」ハ「日野宿」二十頁伊勢原町ノ下「坂戸村」ハ「板戸村」ノ誤

 「日野村」と記された史料が散見される理由については、これで明確になったと思います。本当に単純な誤りであったのか、それとも何らかの理由があったのかは分かりませんが、とにかく県令9号で「日野宿」とされたことが確認されたわけです。

 「宿」や「駅」を町(または村)とみなすとかいうような説明は公報を見た限りでは見つけられませんでしたが、とりあえずここまでのご報告です。

[78872] 2011 年 8 月 5 日 (金) 17:56:13 hmt さん
 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (5)明治22年 市制町村制施行時 神奈川県の県令

市区町村変遷情報 が 明治22年の 市制町村制施行時に遡り、大きな節目を迎えたのを機に、制度と自治体名 について記しています。
最初に、国が定めた「制度」の問題と 府県が公示した「自治体の呼び名」と、2つの問題があることを指摘し[78832]、前者については「市制町村制理由」に基づく解釈を[78833]で示しました。
続いて、市区町村変遷情報というプロジェクトの柱である「市区町村」[78858]と その「変遷」[68867]について語りました。

2つの問題のうち、「自治体の呼び名」については、当時の公式記録が基本です。
「日野宿or 日野村」の問題について、落書き帳記事から 私が理解するところを [78812]において次のように記しました。
この?県令未確認は、日付だけでなく、新制度における「市町村」の確認をも困難にしている可能性があります。

この「県令」につき、[78871] むっくん さんから 詳細に解説していただきました。
“市制町村制施行時の府県令”と一口に言っても、(1)根拠【制度変更】(2)区域名称変更【廃置分合など】(3)役場位置(4)郡界改定の4種類があるとのこと。
[76874]の 14 神奈川県 について言うと、「?」と記された部分は (1)根拠県令 であり、『神奈川県町村合併誌』に引用された「県令九号」は (2)廃置分合県令 であること。その他に 同日又は近い日付の (3)役場位置県令 の存在が推定されること。よくわかりました。

市制町村制施行日は、未発見の(1)を根拠とするが、当面は『神奈川県史別編3年表』の記載で代用されるとのこと。
問題の「日野宿or 日野村」については、(3)役場位置県令が根拠となるが、少し後の神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」が使えるだろうとのこと。

この資料については、既に[69698][75043]で言及されているのですが、(3)の役場位置県令が出たと推定される3月から 4ヶ月も後の7月の公報になって、改めて「町村名大字役場位置表」が公示されたのは何故なのでしょうか。
この間に、日野宿→日野村の改称があったかもしれない と推測するのは 勘ぐり過ぎ?

ところで、市制施行地の変遷情報に記されている“市制町村制施行前の町村名等”は、その根拠を、上記の県令等に求めることができないのでしょうか。
(2)の明治22年神奈川県令第9号(別冊)町村分合改称表には、当然のことながら 横浜市は含まれていません。
横浜市 を構成した旧町村名は、(1)根拠県令に記載されているのかとも思いましたが、他の市の根拠県令に記された「市制施行地」の表記を見ると、旧町村名ではなく、極めて簡単です。

例えば、明治22年兵庫県令第25号 の記載
本年4月1日より神戸区ならびに飾東郡姫路に市制…を施行す
「神戸区」はともかく、「姫路」とは何だ?と思いましたが、「東京」も「金沢」も同様でした。
行政区画の「○○区」を使わず、ナマの都市名そのもの。これが「都市」を示す一般的な表記のようです。
# もっと前の事ですが、“福井県庁の位置は越前国足羽郡福井に相定候事”という事例[64833]もありました。
# 神戸区の場合は、荒田村・葺合村編入 のためでしょう。
“府下京都市は来る4月1日より市制を施行す”という、よくわからない表記もありました。

本筋の神奈川県「県令」さがしに戻ります。
[78871] むっくん さん
「神奈川県町村合併誌上巻」に記載されているM22県令第9号は明らかな誤りを複数含んでいることもあり、これだけでは信憑性が若干薄れます。
市町村名に関しては(1)ではなくて(3)の県令(もしくは県告示)を見れば確認できます。
当時のいずれの県の公報においても誤記は少なくなく、その後幾度にわたって訂正として出されています。
正確なことを述べるには信憑性の一番置ける資料である神奈川県公報を参照することが必要です。

お説いずれも御尤もです。
そこで、神奈川県立公文書館収蔵資料の検索 から、歴史的公文書の検索で「神奈川県公報 1889」を検索したところ、「第210〜308号 明治22年1〜12月」がヒットしました。

#京都府在住の私としては次善の策しかとれません。

埼玉県在住の私も、さしあたり二俣川に行く予定はありませんが、3月の公報を調べれば、上記(1)(2)(3)の「県令」を発見できるのではないかという思いがあります。

実は、Issieさんは、とっくに二俣川の神奈川県立公文書館の資料にアクセスして、市町村の変遷・神奈川県 を作成されているのではないかと推測します。
南多摩郡 は 東京都に記載されていますが、1889.4.1は「日野村」(直前は日野宿)となっています。

明治22年神奈川県の「県令」に関する情報をお持ちでしたら、ぜひとも開示して下さるよう、お願いします。

長くなってしまいましたが、神奈川県立公文書館のページを見ていたら、「明治22年 町村制施行順序」の紹介 がありました。これは公布文書ではなく、役所内部の事務マニュアルでしょう。
近代デジタルライブラリー中にも 同じ文言 がありましたが、こちらは 個人の著作物でした。
「施行順序」という法令用語は、明治11年の郡区町村編制法など三新法施行順序でも使われていました[74334]

[78871] 2011 年 8 月 4 日 (木) 18:19:53 むっくん さん
 Re:「日野宿」か「日野村」か

[78812]hmtさん
「日野宿」か「日野村」かの議論に入る前にまずは一般論を述べ、その後具体的に見ていくこととします。

まずは一般論です。
以前45府県での市制町村制施行時の根拠規定を調べた際([76873][76874])の経験より、市制町村制が施行される時に各府県では、以下の4つの主要な県令(県告示)が共通して出されたと推測しています。
(1)市制町村制の根拠について
(2)区町村の廃置分合・境界変更・改称について
(3)新市町村の役場位置について
(4)郡界改定について

(1)の典型例として愛知県の県令第48号(M22.9.24)を挙げます。
県令第四十八号 明治二十二年九月二十四日
本年十月一日ヨリ名古屋区ニ市制各郡ニ町村制ヲ施行ス
ここで記載されていることは、市制を施行するところにはその区域を明示したこと、いつに市制町村制を施行するのかということ、の2点です。

(2)は以下の3つに分かれます。
(2−1)府県を跨ぐ境界変更については、一府県内で完結する廃置分合・境界変更・改称についてとは別に県令を出しています。この例として兵庫県の県令第34号(M22.3.5)を挙げます。
県令第三十四号 明治廿二年三月五日
本県川辺郡横路村ヨリ大阪府能勢郡吉川村ヘノ飛地ハ本年四月一日ヨリ右吉川村ヘ編入ス
(2−2)区町村の廃置分合・境界変更・改称について、市制施行区域と町村制施行区域とを分けて出している県もあります。また、改称について廃置分合・境界変更とは別個の県令を出している県もあります。この例として島根県の県令第20号・県令第21号・県令第22号を挙げます。
市制施行区域の廃置分合・境界変更について・・・島根県の県令第20号(M22.3.9)
町村制施行区域の廃置分合・境界変更について・・・島根県の県令第21号(M22.3.9)
改称について・・・島根県の県令第22号(M22.3.9)
(2−3)区町村の廃置分合(・境界変更・改称)の根拠となる県令を各県は出したわけですが、これは以下の2つに分類されます。
(A)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけでなく廃置分合を伴わない町村名をも県令に記載した府県(e.g.山口県の県令第15号(M22.3.3))
(B)市制町村制に伴う町村の廃置分合に際し、廃置分合を伴う町村名だけを県令に記載し、廃置分合を伴わない町村名は県令に記載しなかった府県(e.g.熊本県の県令第10号(M22.3.4))
#神奈川県は(B)です。

(3)では新市町村の成立に伴い役場位置について定める必要がありました。そのため各府県はすべての市町村名と、その役場の所在地を記した県(府)令を出しました。町村組合を形成することになった町村については、この県(府)令にて複数の町村で一つの役場を設ける旨が公示されました。(e.g.和歌山県の県令第20号(M22.2.27))
この県令があることで、(2−3)での(B)タイプの府県においても、市制町村制施行時のすべての市町村名が判ることとなります。

(4)の区町村の廃置分合・境界変更・改称に伴い郡の変更がある場合は、区町村の廃置分合・境界変更・改称とは別途郡界改定の県令が出されました。(e.g.岐阜県の県令第38号(M22.6.27))


さて上記の(1)〜(4)について神奈川県について見ていきます。

まずは(1)です。
現在の神奈川県の条例、規則などについては神奈川県公報に記載されていることが分かります。では神奈川県公報がいつから発行されているかですが、横浜沿革誌によると、M20.3.1より
神奈川県公報ヲ発刊シ県令告示等ヲ登載公布式トセラレタリ
とあります。
ということは市制町村制が施行される根拠についても、神奈川県公報に記載されているものと考えられます。
おそらく、廃置分合の規定である県令第9号(M22.3.11)と同日、もしくはその前後数日を探せば(1)についての県令は見つかるものと考えられます。そしてその内容は
「本年四月一日ヨリ横浜区ニ市制各郡ニ町村制ヲ施行ス」という趣旨のことのみが記載されているものと推察します。
神奈川県の市制町村制施行は、その翌日の 明治22年4月1日[78760] とされますが、むっくん さん による 市制町村制の根拠県令 集大成記事[76874] において 「?」 と記されているように、出典は未確認であると思われます。
それとも、この日付について、?県令以外の根拠があるのでしょうか?
(1)の原文は未確認です。また、市制町村制の施行日の日付に関しては神奈川県史別編3年表(編:神奈川県県民部県史編集室、出版:神奈川県、S57.3.25)314頁の
1889(明治22)年 政治・行政
4.1 市制・町村制施行(横浜市誕生、1市26町294村)
との記述に従いました。

次は(2)です。これは「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)」pp.83-108によると県令第9号(M22.3.11)で、同書記載の日野宿の部分は次の通りです。
--------------
県令第九号
各町村ノ内内務大臣認可得明治二十二年三月三十一日以別冊通分合改称
明治二十二年三月十一日 神奈川県知事 沖 守固
(別冊)町村分合改称表
久良岐郡
新町村名旧町村名
戸太村戸部町 平沼新田 尾張屋新田 太田村 吉田新田
(中略)
南多摩郡
(中略)
日野宿日野宿 西長沼村飛地 平山村飛地 粟須村飛地
(中略)
--------------
しかしながら、「神奈川県町村合併誌上巻」に記載されているM22県令第9号は明らかな誤りを複数含んでいることもあり、これだけでは信憑性が若干薄れます。そのため、ここで結論を出すことは避けます。

次は(3)です。他府県と同様であるならば、廃置分合の規定である県令第9号(M22.3.11)と同日、もしくはその前後数日を探せば県令(もしくは県告示)はおそらく見つかるものと考えられます。仮に見つからなければ、神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」であるものと考えられます。
[75043]によると、“市制町村制により成立した市町村が1市320町村であり、県令第九号には合併で成立した242町村のみが記載され”とのことなので、“県令が公布され【1市320町村】に統合”と直結させた「合併誌」の記載は、やや短絡的なのではないでしょうか。

この?県令未確認は、日付だけでなく、新制度における「市町村」の確認をも困難にしている可能性があります。
先の一般論の段で述べたとおり、市町村名に関しては(1)ではなくて(3)の県令(もしくは県告示)を見れば確認できます。
○町△村が出来たということに関しては、他府県においては(3)の県令(もしくは県告示)において未記載です。これは他府県においては町村数については自明であるからであり、神奈川県においては書かれた可能性はあるでしょう。
仮に○町△村が出来たということに関して未記載であるならば、当時の神奈川県の統計書を参照することになります。当時の神奈川県は国からその地方における自治権を獲得した自治体ではなく、国の下部組織である単なる行政区域です([58745][59148][62662]88さん)。そのため神奈川県の統計書に書かれていることは、事実上国が発行した統計書と同義と見なせるものと考えられます。
次は
つまり、県令第九号に記された 242町村の内訳には 「町として集計される日野宿」 があったが、市制町村制施行後の 320町村の内訳【その確実な根拠資料が「?県令」か】として存在したのは「日野村」だったために、上記の“微妙な関係”を生んだのではないか? という疑いです。
についてです。これは
「(2)においては日野“宿”、(3)においては日野“村”とのように、(2)と(3)での記述が異なった疑い」があるのではないか
と言い換えられますので、言い換えた文章を基に論を進めます。
まず当時のいずれの県の公報においても誤記は少なくなく、その後幾度にわたって訂正として出されています。神奈川県においても同様だったと考えられます。
ゆえに少なくても県令が発行された当初に関して言えば、(2)においては日野“宿”(3)においては日野“村”とのように、(2)と(3)での記述が異なった可能性はある、ただし記述が異なったのであるならば、(2)もしくは(3)のいずれかが誤記として後に訂正されたものと私は考えます。
正確なことを述べるには信憑性の一番置ける資料である神奈川県公報を参照することが必要です。次善の策としては、当事者である当時の神奈川県が作成した統計書を見ることとなります。

新旧対照市町村一覧における、日野宿から「日野村」への改称も紹介されています。著作者の和泉橋警察署は、内務省そのものではありませんが、当時の警察は、かなり地方行政に関わっていたと思われ、かなり信頼できる資料と思われます。
かなり信頼できる資料であることには同意します。しかしながら廃置分合の県令が存在する府県について新旧対照市町村一覧と県令とを比較しますと、○○新田「村」or○○新田での「村」の有無というような細かな箇所については、一県あたり約3〜7箇所の誤りと判断できる箇所がありました。今回の日野「宿」or日野「村」についても同様の誤りである可能性も高く、複数ある資料のうちの一つとして扱うのが適切である、というのが私の新旧対照市町村一覧の位置づけであります。
実際、神奈川県において新旧対照市町村一覧を見てみますと、例えば#86北多摩郡多磨村と#94北多摩郡小金井村の箇所では上石原「駅」飛地となっているのに対し、#87北多摩郡調布町の箇所では上石原「宿」となっており、これは「神奈川県町村合併誌上巻」記載の県令第9号(M22.3.11)と同一の明らかな誤りです。
#正しくは上石原「宿」です。
このような状況下で新旧対照市町村一覧の記載のみを以てして
日野宿から「日野村」への改称がなされた
と判断するのは適当ではないものと私は考えています。

次は(4)ですが今回の話とは関係が薄いので割愛します。


最後に、当時の神奈川県が発行した統計書を見て判断してみます。
#京都府在住の私としては次善の策しかとれません。

ただし以前[78794]で紹介した神奈川県県治一斑(明治22-23年)(編・発行:神奈川県、M26.11.10)以外の資料をここでは紹介します。

神奈川県警察統計書(明治22年)(編・発行:神奈川県警察部、M25)【M22は211〜282コマ】を見てみますと、M22(市制町村制施行後)は南多摩郡“日野宿”となっています。また南多摩郡で町となる候補は八王子町と日野宿のみであり、221コマでの南多摩郡の町村合計は1町19村とあります。八王子町は町であることは明白ですので、日野宿は村となります。

神奈川県警察統計書(明治23年)(編・発行:神奈川県警察部、M25)【M23は283〜354コマ】を見てみますと、M23も南多摩郡“日野宿”となっています。292コマでの南多摩郡の町村合計は1町19村でM22と同じです。

神奈川県警察統計書(明治24年)(編・発行:神奈川県警察部、M25.12.20)【M24は355〜426コマ】を見てみますと、M24も南多摩郡“日野宿”となっています。364コマでの南多摩郡の町村合計は1町19村でM22と同じです。

神奈川県警察統計書(明治25年)(編・発行:神奈川県警察部、M27.6.8)【M25は1〜90コマ】を見てみますと、M25も南多摩郡“日野宿”となっています。10コマでの南多摩郡の町村合計は1町19村でM22と同じです。

以上、当時の神奈川県が発行した統計書から、当時の神奈川県では“日野宿”であり村であったととらえていたと考えられます。

これは以前、別の当時の神奈川県の統計書を参照して私が主張した
--------------
M21.12.31の時点で、国の下部組織である神奈川県は日野宿を村と見なしていました([78808])。その後M22.3.31に日野宿は廃置分合されますが、実質的に境界変更であったこともあり日野宿は村として存続しました。そしてM22.4.1の市制町村制施行でも当然日野宿は村のままです。([78794]拙稿)
--------------
とのことと矛盾点は全くないものです。

最後に余談ですが、明治26(1893)年中の廃置分合が内務省告示第95号(M27.7.25)の最後に記載されており、ここでは
東京府南多摩郡日野宿→日野町
と記載されています。

[78870] 2011 年 8 月 4 日 (木) 02:00:17 白桃 さん
 ココロ曲がりセミ鳴き天下の夏を知る

[78866]k-ace さん
平(読み違い)
そんな高校あったっけ?、草加、平安だ。
浪商とか平安だとか最近は冠詞?がつく高校が多くなりましたね。それと校名に○○館が大はやり。ま、高校球児は誰にも遠慮することなく精一杯頑張ってほしいです。

さて、花火の季節ですが、花火の名所、百選ってあるのですか???
おウチからは、見ようと思えば毎日TDLの花火が見えますが・・・。
大曲の花火は有名ですね。
この前、健康診断に行ったら「あんまり心配する必要はありませんが、あなたは心臓の向きがフツーのヒトとは違います」って言われました。大曲、「ヘソ曲がり」は聞いたことあるのですが、心臓曲がりがあるとは・・・少し気になっております。

非常に地理栄養分が薄い書き込み失礼いたしました。

[78869] 2011 年 8 月 4 日 (木) 00:25:39 紅葉橋律乃介 さん
 「北海道 市制町村制施行時の情報に相当する情報について」について

 「市制町村制施行時の情報」に北海道も加わりまして、これで他の都府県と肩を並べることが出来ました。おめでとうございます。

 と言いつつ不可解な点はあるもので、北方領土の6村が現存しているのは納得出来ますが、“本編”である「市区町村変遷履歴情報」では設置や廃止の情報はないものの支庁の区域に含まれている千島3郡(「得撫郡, 新知郡, 占守郡 」)が、その後どうなったのかは特に触れられていません。

 ここで北海道ならでは、というか特有の問題が発生します。実際に「施行時の情報」を見て分かるとおり、町村制は1900年〜1923年まで段階的に施行され、実に20年以上も未施行の町村と混在しています。その中で、
[78865] むっくんさん
73 1918(T7).2.1 新設/区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町(, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村)
 このような例があります。( )は紅葉橋が勝手に付けたものですが、町村制での室蘭「町」と未施行の“村”との合併(?)は、単純に区制を施行したのみならず「北海道区制」という近代制度が旧室蘭町周辺に広がったことを示します。

 前述の千島3郡を含め、「市区町村変遷履歴情報」の区制や町村制施行以前の支庁の改廃情報では、支庁の設置では区・郡名が、その後の管轄区域変更では村名(倶知安村、富良野村)が見えますが、郡はともかく村名は町村制未施行の村々です。「市制町村制施行時の情報」よりも前の“村”が登場していることで、ではこの2村はいつ設置されたの? という疑問が湧いて来ないとも限りません。

 「北海道町村制」が全道に亘って施行されるまで、未施行の村々にもやはり異動はあったのでしょう(すぐには具体例を示せませんが)。町村制施行後の変遷を載せるのがここでの目的なわけですが、気になるところではあります。

 もっとも大事なことは、未施行の村々は町村制を施行した町村と並存しており、決して施行時に誕生したわけでも無人の荒野だったわけでもないということです。



 ちなみに、わたしが道民だからかも知れませんが、88さんとの認識の違いが出て来ました。hmtさんの意見に近いものがあります。

[78854]88さん
例えば、「二級村」から「一級村」への変更や、「一級町」から「町村制の町」への切り換え、「二級村」から「指定村」への切り換えは、「市制町村制施行後の情報」に相当するものと考え、廃置分合等を伴わないものは、何も表示していません。

[78867]hmtさん
開拓時代の変則的な制度である 北海道二級町村制から、府県における町村制に準じた制度である 北海道一級町村制への「昇格」も、実質的な「自治体の誕生」に近いもので、変遷情報に記録する価値があるのではないでしょうか。

 「一級町村」から「町村制の町村」への切り換え、「二級町村」から「内務省指定町村」への切り換えは、まあ「市制町村制」から「地方自治法」に切り替わったように、実態としてはあまり変わりがないと思われます。
 一方で「二級町村」から「一級町村」へは「昇格」であり、中身が変わっていると言えます。

 この時代の道内の町村は、道外での「町」「村」の2種類ではなく、「一級町」「一級村」「二級町」「二級村」(それと「未施行の村」)の4〜5種類あったと認識しています(「二級町」から「一級村」の“昇格”はあり得ませんが…)。


 「内地」に編入された樺太の処遇も気になるところですが、まずは北海道の扱いを…。

[78868] 2011 年 8 月 3 日 (水) 21:33:11 星野彼方 さん
 地名コレレス&近況報告

[78856] 大龍エクスプレス さん
情報ありがとうございます。早速修正いたしました。合併があるたびに確認はしているのですが、大島コレクションは確認が抜けていた模様です。いやほんと助かりました。


ところで、私は7日からお盆休みで、その日から帰省します。帰宅は14日。十番勝負は落穂拾いに徹します。

これだけではなんなので、近況報告を。7月の3連休に有給休暇をくっつけて、新潟から青森とまわってきました。主な目的は、東北新幹線新青森〜八戸乗車、新潟競馬場訪問でした。簡単に感想。

新潟競馬場:新潟駅近くのバス停からバスで行ったが、40分弱かかりちょっと不便。本数も少ない。新潟駅近くのバス停名が明石一丁目じゃなかったら使わなかったかも。結局時間不足で1kmコースの往復はできず。またいつか訪問しよう。

羽越本線:村上〜酒田間は電化されているのに普通列車が気動車であることは知っていたが、キハ40使用とは。国鉄時代の車両だよ。とにかくキハ40は遅い。遅すぎ。酒田以北の701系がいい走りをするので余計に遅く感じる。なんとかしてほしいが、今のJR東日本には無理か。

酒田市:かつて延岡市では夕飯に苦労すると書いたが、酒田市も苦労する。延岡市よりもひどいかも。駅前から市役所付近まで飲み屋以外開いてないし。

新青森〜八戸:トンネルばっかり。ここは「はやて」に乗ったのだが、はやてって窓際の席に座ると、トンネルに入った時に車体がかなり変形していることがわかるので、ちょっと怖い。

八戸市:七夕祭り中。ホテルが会場近くだったので、路上ライブやら太鼓やらでうるさかった。祭りが終わったら終わったで近くの駐車場で空吹かしするやつらがうるさかった。

はやぶさ:八戸〜大宮まで「はやぶさ」利用。う〜ん、乗ってしまったらはやてとの違いはわからない。本格運用しないとわからないか。

台風:帰る日によりによって台風最接近。名古屋〜米原で土砂降り。よく動いていたもんだ。それで西明石に着いたらより台風に近いはずなのに晴れているし。

[78867] 2011 年 8 月 3 日 (水) 19:22:56 hmt さん
 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (4)市区町村の「変遷」

変遷情報収録対象である「市区町村」の種類【郡・支庁などを含む】[78858]に続き、その「変遷」の意味を探ります。

現在の変遷情報にリニューアルされる直前「市町村合併情報」時代ですが、収録対象とする「変遷」につき、
「都道府県市区町村」(「地方行政組織」と言い換えてもよいかな?)の3要素、すなわち「区域」、「主体」、「名称」の変化に関するものを原則としたらいかがかと考えます。
という意見を記したことがありました[55567]

「名称」の変化についての異論は、あまりないものと思われます。
「区域」の変化について、当時は境界変更の取り扱い方針が未定でした。[55569]では 実例を挙げて、少なくとも「実質的に合併に関与する境界変更」は、普通の廃置分合と同様に収録対象にしたい と論じました。
現在では、88さんにより、重要な境界変更が ほぼ漏れなく収録されるようになっていると思われます。

残る問題は、「主体」の変化であり、これは法令に基づく「制度」の変化とも言えます。

昭和22年5月3日、大日本帝国憲法に代わる「日本国憲法」が施行され、具体的な地方制度も、市制・町村制・東京都制・道府県制という一連の法律に代って制定された「地方自治法」に基づく新制度になりました【例えば[75012]】。
このように、根拠法令が変れば市区町村「制度」が変り、それに基づく「市区町村」の「名称」は変わらなくても、市区町村の「主体」は変化します。

もっと前の北海道の制度についての発言ですが、[55731] 88 さん自身も、同じ言葉【名称】のまま、根拠法令により権能【主体】が異なってくる【つまり、市区町村が変遷する】ことを記しています。
おっしゃるとおり、「区」も「町」「村」も、言葉は同じですが、時代により根拠法令もその権能も異なります。
この変更種別の説明は、十分ではありません。もっと言うと、私自身がまだ頭の中で整理できていません。特に北海道はよくわかっていません。

その後、[65018] むっくん さん からも、町村制の法的根拠などの明示を求める提案があり、[65198] 88 さんの記事は、これに答えるものと理解されます。
いずれの記事にも、全国の市区町村が関係する昭和22年の地方自治法体制への移行についての言及がなされています。
# 「昭和22年の移行」などを変遷情報に反映させることについては、もっと新しい 88 さんの記事があったように記憶するのですが、ちょっと見つからず、リンクすることができません。

「区域」も「名称」も変わらない。しかし、根拠となる法令が変ったために「主体」の変更があった。
このような事例の最たるものと私が考えるのは、1898年10月1日の三市特例法廃止に伴う、三大都市の実質的な誕生です。

この時の「変遷」については、「東京市」について [74320]で記していますが、「京都市」「大阪市」についても同様です。
三市特例法時代には、官吏である府知事が市長を兼ね、市の吏員もいませんでした。
このような「名前だけの東京市」から脱却して、名実ともに具備した「自治体としての東京市」に生まれ変ったのです。
このような思いが、10月1日を 東京市の「自治記念日」とし、現在の「都民の日」に引き継がれているのです。

[74320]では、市の変遷 に 「東京市の実質的な誕生 1898年10月1日」が記録されていないことを指摘したつもりだったのですが、連動元の変遷情報への入力がないと、グリグリさんとしても動けない[74330]ようでした。

88さん、[74833]で 私からも案を提示しています。変遷情報への入力につき ご検討願います。

三大都市の自治権獲得ほど目覚しい事例ではないかもしれませんが、開拓時代の変則的な制度である 北海道二級町村制から、府県における町村制に準じた制度である 北海道一級町村制への「昇格」も、実質的な「自治体の誕生」に近いもので、変遷情報に記録する価値があるのではないでしょうか。

参考までに、北海道二級町村制の下では、町村長は北海道庁長官の任免により、助役は置かれず、町村会も定員が少なく、条例規則の制定権もないなど、公権力による強い統制と保護の下に置かれていました。
「名前だけの東京市」ほど極端ではないにしても、「名前だけの自治体」と言いたくなります。

[78866] 2011 年 8 月 3 日 (水) 18:33:34【2】 k-ace さん
 高校野球

[78857]白桃さん
結局、今治西は開幕試合で健大高崎(高崎健康福祉大学高崎高校)と。東大阪大柏原(WEB上の地図では柏原高校と書いてあるが)は校歌が話題の愛知・至学館高校と春夏通じて初出場同士の高校の対戦となりました。どちらが勝っても甲子園初勝利となるわけです。初出場9校(健大高崎、古川工、関商工、至学館、東大阪大柏原、糸満、柳井学園、専大玉名、東京都市大塩尻)のうち、4校(関商工、至学館、東大阪大柏原、糸満)が第7ブロックと1つのブロック(8校)の半分が初出場校です。
東大阪大柏原の(大阪・東大阪・柏・柏原)の4つの市名(及び「とうだいはんだい」?)が話題になってますが、同じく初出場の長野・「東京都市大塩尻」は長野県の高校なのに(東京都・京都市・塩尻)が入っています。前の校名は「武蔵工大二」だったんですが。東京都市大塩尻は大分・明豊と対戦。
出場校の高校名に含まれる市名を挙げてみると(光、八幡と読み違いも含む)
高崎、今治、金沢、伊勢、光、日南、静岡、習志野、花巻、八幡、山梨、福井、唐津、津、関、大阪、東大阪、柏、柏原、糸満、能代、鳥取、和歌山、柳井、姫路、玉名、徳島、京都、塩尻、鶴岡、横浜
消滅も入れるなら
古川、新湊、東京、平(読み違い)、八幡(福岡:読み違い)も含むか。

[78865] 2011 年 8 月 3 日 (水) 12:30:25【2】 むっくん さん
 Re:北海道 市制町村制施行時の情報に相当する情報について

[78854]88さん
[78845]グリグリさん

北海道の市制町村制施行時の情報に相当する情報の追加作業お疲れさまでした。

私からは修正したほうが良い箇所を2点指摘させていただきます。

◎1点目
73 1918(T7).2.1 新設/区制 室蘭区 室蘭郡 室蘭町, 輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村
での輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村は市制町村制施行時の情報(北海道)に対応されないのでしょうか。以前[67215]拙稿にて
#室蘭町には北海道一級町村制が既に施行されていますが、輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の3村は未だ町村制が施行されていない地域です。そのため、将来的に北海道においても市区町村変遷履歴情報市制町村制施行時の情報に分離して記載するとき、記載方法にどのように記載するのが良いのやら。。。
とコメントし、[67671]88さんで
まさしく、心配していただいたとおりで悩ましいのですが、これはそのときまでにじっくり考えることとしたいと思います
とのコメントを頂戴しています。


◎2点目
北海道区制(勅令第158号)(M30.5.29)とは[78854]88さんによると
本州以南の「市制町村制施行」に相当するもの
とのことです。
本州以南で区から市へ移行したところでは、区の名称のみならず、その傘下である町村名も同時に記載しています。しかしながらM32.10.1に北海道に北海道区制が施行されたときの記載は
1 区制 札幌区 札幌区
2 新設/区制 函館区 函館区, 亀田郡 亀田村の一部
と区の傘下である町村名は記載されていません。整合性を取る為には、札幌区及び函館区に属していた町名も同時に記載することが適切であると考えます。

北海道区制が施行されたM32.10.1直前の札幌区と函館区の町名は、M31.7.31現在の区町村名を記した明治三十一年八月編纂北海道庁現行布令便覧(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)及びM36.3.31現在の区町村名を記した北海道庁現行布令便覧(編:北海道、出版:富貴堂、M36.9.)での両区の町名を見ることで類推することが出来ます。

まずは札幌区です。
郡区町村編制法施行下の札幌区に属していた町は以下の通りです。

大通東一丁目, 大通東二丁目, 大通東三丁目, 大通東四丁目, 大通西一丁目, 大通西二丁目, 大通西三丁目, 大通西四丁目, 大通西五丁目, 大通西六丁目, 大通西七丁目, 大通西八丁目, 大通西九丁目, 大通西十丁目, 大通西十一丁目, 大通西十二丁目, 大通西十三丁目, 大通西十四丁目, 大通西十五丁目, 大通西十六丁目, 大通西十七丁目, 大通西十八丁目, 大通西十九丁目, 大通西二十丁目, 南一条東一丁目, 南一条東二丁目, 南一条東三丁目, 南一条東四丁目, 南一条東五丁目, 南一条東六丁目, 南一条西一丁目, 南一条西二丁目, 南一条西三丁目, 南一条西四丁目, 南一条西五丁目, 南一条西六丁目, 南一条西七丁目, 南一条西八丁目, 南一条西九丁目, 南一条西十丁目, 南一条西十一丁目, 南一条西十二丁目, 南一条西十三丁目, 南一条西十四丁目, 南一条西十五丁目, 南一条西十六丁目, 南一条西十七丁目, 南一条西十八丁目, 南一条西十九丁目, 南二条東一丁目, 南二条東二丁目, 南二条東三丁目, 南二条東四丁目, 南二条東五丁目, 南二条東六丁目, 南二条西一丁目, 南二条西二丁目, 南二条西三丁目, 南二条西四丁目, 南二条西五丁目, 南二条西六丁目, 南二条西七丁目, 南二条西八丁目, 南二条西九丁目, 南二条西十丁目, 南二条西十一丁目, 南二条西十二丁目, 南二条西十三丁目, 南二条西十四丁目, 南二条西十五丁目, 南二条西十六丁目, 南二条西十七丁目, 南二条西十八丁目, 南二条西十九丁目, 南三条東一丁目, 南三条東二丁目, 南三条東三丁目, 南三条東四丁目, 南三条東五丁目, 南三条西一丁目, 南三条西二丁目, 南三条西三丁目, 南三条西四丁目, 南三条西五丁目, 南三条西六丁目, 南三条西七丁目, 南三条西八丁目, 南三条西九丁目, 南四条東一丁目, 南四条東二丁目, 南四条東三丁目, 南四条東四丁目, 南四条東五丁目, 南四条西一丁目, 南四条西二丁目, 南四条西三丁目, 南四条西四丁目, 南四条西五丁目, 南四条西六丁目, 南四条西七丁目, 南四条西八丁目, 南四条西九丁目, 南五条東一丁目, 南五条東二丁目, 南五条東三丁目, 南五条西一丁目, 南五条西二丁目, 南五条西三丁目, 南五条西四丁目, 南五条西五丁目, 南五条西六丁目, 南五条西七丁目, 南五条西八丁目, 南五条西九丁目, 南六条東一丁目, 南六条東二丁目, 南六条東三丁目, 南六条西一丁目, 南六条西二丁目, 南六条西三丁目, 南六条西四丁目, 南六条西五丁目, 南六条西六丁目, 南六条西七丁目, 南六条西八丁目, 南六条西九丁目, 南七条西一丁目, 南七条西二丁目, 南七条西三丁目, 南七条西四丁目, 南七条西五丁目, 南七条西六丁目, 南七条西七丁目, 北一条東一丁目, 北一条東二丁目, 北一条東三丁目, 北一条西一丁目, 北一条西二丁目, 北一条西三丁目, 北一条西四丁目, 北一条西五丁目, 北一条西六丁目, 北一条西七丁目, 北一条西八丁目, 北一条西九丁目, 北一条西十丁目, 北一条西十一丁目, 北一条西十二丁目, 北一条西十三丁目, 北一条西十四丁目, 北一条西十五丁目, 北一条西十六丁目, 北一条西十七丁目, 北一条西十八丁目, 北一条西十九丁目, 北一条西二十丁目, 北二条東一丁目, 北二条東二丁目, 北二条東三丁目, 北二条西一丁目, 北二条西二丁目, 北二条西三丁目, 北二条西四丁目, 北二条西五丁目, 北二条西六丁目, 北二条西七丁目, 北二条西八丁目, 北二条西九丁目, 北二条西十丁目, 北二条西十一丁目, 北二条西十二丁目, 北二条西十三丁目, 北二条西十四丁目, 北二条西十五丁目, 北二条西十六丁目, 北二条西十七丁目, 北二条西十八丁目, 北二条西十九丁目, 北二条西二十丁目, 北三条東一丁目, 北三条東二丁目, 北三条東三丁目, 北三条西一丁目, 北三条西二丁目, 北三条西三丁目, 北三条西四丁目, 北三条西五丁目, 北三条西七丁目, 北三条西八丁目, 北三条西九丁目, 北三条西十丁目, 北三条西十一丁目, 北三条西十二丁目, 北三条西十三丁目, 北三条西十四丁目, 北三条西十五丁目, 北三条西十六丁目, 北三条西十七丁目, 北三条西十八丁目, 北三条西十九丁目, 北三条西二十丁目, 北四条東一丁目, 北四条東二丁目, 北四条西一丁目, 北四条西二丁目, 北四条西三丁目, 北四条西四丁目, 北四条西五丁目, 北四条西六丁目, 北四条西七丁目, 北四条西八丁目, 北四条西九丁目, 北四条西十丁目, 北四条西十一丁目, 北四条西十二丁目, 北四条西十三丁目, 北四条西十四丁目, 北四条西十五丁目, 北四条西十六丁目, 北四条西十七丁目, 北四条西十八丁目, 北四条西十九丁目, 北四条西二十丁目, 北五条東一丁目, 北五条東二丁目, 北五条西一丁目, 北五条西二丁目, 北五条西三丁目, 北五条西四丁目, 北五条西五丁目, 北五条西六丁目, 北五条西七丁目, 北五条西八丁目, 北五条西九丁目, 北五条西十丁目, 北五条西十一丁目, 北五条西十二丁目, 北五条西十三丁目, 北五条西十四丁目, 北五条西十五丁目, 北五条西十六丁目, 北五条西十七丁目, 北五条西十八丁目, 北五条西十九丁目, 北五条西二十丁目, 北六条東一丁目, 北六条東二丁目, 北六条東三丁目, 北六条西一丁目, 北六条西二丁目, 北六条西三丁目, 北六条西四丁目, 北六条西五丁目, 北六条西六丁目, 北六条西七丁目, 北六条西八丁目, 北七条西一丁目, 北七条西二丁目, 北七条西三丁目, 北七条西四丁目, 北七条西五丁目, 北七条西六丁目, 北七条西七丁目, 北八条東一丁目, 北八条東二丁目, 北八条西一丁目, 北八条西二丁目, 北八条西三丁目, 北八条西四丁目, 北八条西五丁目, 北八条西六丁目

#北九条西1〜5丁目、北十条西1〜5丁目、北十一条西1〜5丁目、北十二条西1〜5丁目、北十三条西1〜5丁目、北十四条西1〜5丁目、北十五条西1〜5丁目は、札幌区に北海道区制が成立したM32.10.1の後の北海道庁告示第474号(M33.11.28)に札幌区字北八条西1丁目の一部を分割することで成立したため、M31.7.31の区町村名では存在せずM36.7.31の区町村名では存在しています。


次に函館区です。
郡区町村編制法施行下の函館区に属していた町は以下の通りです。

大町, 仲浜町, 弁天町, 西浜町, 幸町, 大黒町, ●(魚+盍)澗町, 富岡町, 鍛冶町, 旅町, 天神町, 駒止町, 船見町, 台町, 山背泊町, 元町, 会所町, 相生町, 寿町, 曙町, 汐見町, 青柳町, 春日町, 谷地頭町, 住吉町, 末広町, 東浜町, 船場町, 恵比須町, 蓬莱町, 地蔵町, 汐留町, 豊川町, 西川町, 宝町, 東川町, 大森町, 鶴岡町, 若松町, 音羽町, 高砂町, 海岸町, 大縄町, 真砂町

●(魚+盍)を数値文字参照で表すと『鰪』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

[78864] 2011 年 8 月 3 日 (水) 12:27:57【3】 むっくん さん
 能美郡小松町など

[78835][78861]EMMさん
[78860]88さん
結局は、「M22.3.8付け石川県令第23号の41コマ」に「能美郡 小松町」との記載がなく、つまりは従前の 能美郡 小松町 がそのまま単独で市制町村制の町制施行した、と判断したわけです。従前の31町村が、M22.4.1までのいずれかの時期で合併して能美郡小松町になったのではないか、と思うのですが・・・。
#69能美郡小松町ですが、以前[70710]拙稿で触れたように県令第28号(M22.3.8)にて小松31町が合併して成立したと考えるのが自然なのではないでしょうか。
これは#25江沼郡大聖寺町で大聖寺60町が合併して成立、#114石川県石川郡松任町で松任23町が合併して成立、#254石川県鳳至郡輪島町で輪島4町が合併して成立、にても同じであると考えます([70710])。
そして、EMMさんが触れられている#202鹿島郡七尾町については旧の七尾24町のみならず周辺の4つの村の一部をも合併したために県令第23号(M22.3.8)で書いてあるものと考えます。

さて#69能美郡小松町での小松31町ですが、石川縣史第四巻(著・出版:石川県、S6.3.31)153頁によると
小松龍松町, 小松八日市町, 小松三日市町, 小松東町, 小松八日市町地方, 小松三日市町地方, 小松本折町, 小松上本折町, 小松西町, 小松大文字町, 小松寺町, 小松本鍛冶町, 小松塗師屋町, 小松本大工町, 小松土居原町, 小松京町, 小松地子町, 小松新大工町, 中町地方, 小松浜田町, 浜田地方, 向野地方, 小松小馬出町, 小松松任町, 小松細工町, 小松新町, 小松茶屋町, 小松泥町, 小松中町, 小松材木町, 小松新鍛冶町
となっています。

次に#114石川県石川郡松任町での松任23町です。
松任23町は石川県統計書(明治21年)(著・出版:石川県、M23.2.15)での第十一 郡区区画&第十二 裁判所区画、もしくは石川縣史第四巻(著・出版:石川県、S6.3.31)155頁によると
松任茶屋町, 松任安田町, 松任中町, 松任八日市町, 松任四日市町, 松任東一番町, 松任東二番町, 松任東三番町, 松任八ツ矢町, 松任新田町, 松任北町, 松任布市町, 松任石同町, 松任石同新町, 松任辰巳町, 松任鍛冶町, 松任博労町, 松任馬場町, 松任横町, 松任西新町, 松任東新町, 松任殿町, 松任古城町
となっています。

そして#254石川県鳳至郡輪島町での輪島4町です。
輪島4町は石川縣史第四巻(著・出版:石川県、S6.3.31)165頁によると
輪島河井町, 輪島海士町, 輪島崎町, 輪島鳳至町
となっています。

最後に[78835]EMMさんの触れられた#128河北郡小原谷村での「切山村」or「桐山村」です。
天保国絵図旧国旧高取調帳石川県下町村名集(編・出版:小沢重三郎、M10.6.)(第9大区小3区)、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)明治19年1月現在、県令第23号(M22.3.8)といずれも「切山村」でした。

[78863] 2011 年 8 月 3 日 (水) 12:01:16 淡水魚 さん
 生存報告 ほか

ご無沙汰してます。淡水魚です。
8/1深夜、静岡県で地震発生しました。体感では震度3〜4でしたが、同報無線は中部南区域の最大震度が放送されるよう設定されており、「震度5弱」と流れたため、ちょっとびっくりしました。
先週はゲリラ豪雨でアンダーパスが水没したり、自然災害が続いています。

[78862] 2011 年 8 月 3 日 (水) 02:31:04 EMM さん
 「40歳未満で就任した首長の一覧」情報提供

>オーナー グリグリ様

しばらく前に図書館に調べ物に行った際、拙稿[78509]にて情報が半端な状態になっていた元志雄町長の北谷保志さん(読みは「きたたにやすじ」でした)の任期の事について調べてきたのでご案内します。
志雄町の広報誌の縮刷版を見ていき、そこから得られた断片情報を元に北國新聞の縮刷版を追っていってようやく調べがついたのですが、北谷さんは3期目の任期途中に不祥事発覚の責任をとって辞職していました。
辞表を提出したのが1977(S52).3.28、議会で辞職が承認されたのが翌日の1997(S52).3.29でした。
この場合、任期は辞職承認の日までと言う事になるのでしょうか?

それから、
特に、昭和22年4月の選挙は気になるところなので、今度また時間がとれたら当時の新聞のマイクロフィルムを調べてみようかと考えています。
も実行しました。
北國毎日新聞(現・北國新聞)の昭和22年4月4日〜7日の選挙関係の記事のあるページを読んできました。
(今コピーが手元にあります)
しかーし!石川県内関係の町村長選挙の結果、数が多すぎるためか立候補者の年齢が書いてありませんでした。残念…
そんな中、4月7日の紙面に「異色四編」と題されたトピック的な記事があり、その中にこんな記事があったです。
青年町村長三人
二十八歳の青年町村長が三人現れた。能美郡新丸村の医師青木敏男氏(民)と同郡粟生町の浅井長一郎氏(無)と鹿島郡田鶴浜町長の僧侶中村長敬氏(無)
当選時31歳だった元花園村長・今井源三さんでもトピック記事の対象にはならなかったと言う事のようでして…こうなると、当選者の中にまだ40歳未満の人がいても不思議じゃない気がしてるんですが、ちょっといかんともしがたい状態です。
上記の3人の方々については、もっと詳しいプロフィールがわからないか改めて調べてみるつもりです。元田鶴浜町長の中村さんの任期はつかめるかも。
で、当初狙っていたのは「昭和22年4月の石川県内の町村長選挙の当選者」に関してだったんですが、紙面を見ていたら思わぬ拾いものがありました。
4月7日の紙面には全国の主要な市の市長選挙の当選者も出ていたのですが、その中に「未掲載の該当者」が2人いるのを見つけたのです。

山形市 鈴木重屹 当選時31歳 1947(S22).4.5〜1954(S29).10.25(2期)
高崎市 小島弘一 当選時36歳 1947(S22).4.10〜1955(S30).5.1(2期)参考

ネット検索すると、山形市の鈴木元市長の就任日が4月5日になっているところと4月10日になっているところがありました。どっちが正解?
あと、高崎市HPには小島元市長の事が書かれている記事があるのに対し、山形市HPには鈴木元市長のことは一切描かれていない模様。う〜ん。
名前の読みや生年月日の調べがつかなかったのですが、こちらも引き続き調べてみようと思ってます。
(県内の図書館の蔵書検索で調べるのに役立ちそうな本を見つけてあるんですが、その本は石川県内では加賀市立図書館にしか無いらしい…)

[78861] 2011 年 8 月 3 日 (水) 01:21:48 EMM さん
 Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 小レス2

[78860] 88さん

[78835]に関する対応ありがとうございました。
小松に関する件ですが、「小松元梶町」は「小松本鍛冶町」のタイプミスでした。失礼しました。
一方、「小松新大工町」が「小松本大工町」では?については、元の書き込みの1行目に「小松新大工町」、3行目に「小松本大工町」が書いてあるんですけれども、新大工町も本大工町に含まれるような記載であったと言う事でしょうか?
地名辞典の「[近世]小松町」の項によると新大工町は天明5年にはその名が文献に出て来るとの事なので、明治に入ってからもそのまま存続しているのではないかと思われるのですが。
あと、中町地方、浜田地方、向野地方も「[近世]小松町」の項の中には出て来てますが「小松−」の項には出てこないのがちょっと不思議。
それ以前に、
従前の31町村が、M22.4.1までのいずれかの時期で合併して能美郡小松町になったのではないか、と思うのですが・・・。
に関しては今のところ私もその可能性は考えつつもスッキリさせてくれるような記述にはまだ行き当たっていません。
ただ、気になったのは
しかし、結局は、「M22.3.8付け石川県令第23号の41コマ」に「能美郡 小松町」との記載がなく、つまりは従前の 能美郡 小松町 がそのまま単独で市制町村制の町制施行した、と判断したわけです。
に関して。
88さんが例示されたページの前後を見てみると、江沼郡のところに大聖寺町が出てきません。
代わりに、51ページ
参照(従来ノ町村中分合セサルモノ左ノ如シ)
として上げられている一覧の中に小松町とともに大聖寺町も出て来ます。
それからすると大聖寺町が「大聖寺○○町」からなるとしているのはなぜだろう?と言う疑問が湧いてきます。
この大聖寺町の件も加味して再検討して頂けないでしょうか。
ちなみに、小松町と七尾町・上金石町・下金石町の差違は何だろう?と考えてみたのですが、七尾町については「町奉行支配地であった江戸時代の所口町→明治初期の七尾町に、周辺の村々を部分編入してできたから」分合改称の一覧に出てきているのではないでしょうか。
上金石町・下金石町については別の事情を推測していますが、これについては項を改めます。(投稿は明日か明後日になりそうです。)

それともう1つ。
倉ヶ嶽村(→→金沢市倉ヶ嶽)と近い事例として、河北郡伝燈寺村(→→→金沢市伝燈寺町)を上げます。
実は前の投稿で倉ヶ嶽とともに例示しようとしたのですが、倉ヶ嶽と比べると伝燈寺町は「伝灯寺町」との表記の揺れが激しいので一度保留しました。
(金沢市のHP内で検索してみると見事にふらふらでした)
ですが、現在でも「伝燈寺町」が正式なようですので、こちらについてもご検討をよろしくお願いいたします。

[78860] 2011 年 8 月 2 日 (火) 20:35:50 88 さん
 市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 小レス2

[78782] ぺとぺと さん
■神奈川県 大住郡 成瀬村, 高部屋村 となる従前の町村名の一部について 大住郡 下粕屋村, 上粕屋村 or 大住郡 下糟屋村, 上糟屋村
「幕末以降総覧」「M22.3.11付け(神奈川)県令第9号」(「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83以降)・・・大住郡 下粕屋村, 上粕屋村
「辞典」・・・大住郡 下糟屋村, 上糟屋村
[77574]も合わせて再読しました。現在の状況は分かるのですが、神奈川県令が両村とも「粕」です。
「漢字源」(学習研究社、1999年4月1日改訂新版第6刷)によると、
「粕」かす。
形声「米+(音符)白」しろい意ではなかろう。もし、白い酒かすと解すれば、会意兼形声文字。
「糟」(1)かす、(2)もろみ、(3)酒かすにつけてある、(4)やりそこなうさま
会意兼形声。「曹」は、「東二つ(並んだ袋)+曰(ものをいう)」の会意文字で、ざっと寄せ集めたもの。がやがやと集まった下級役人のこと。
「米+(音符)曹」で、ざっと寄せ集めたつまらないかす。
お互いに「糟」「粕」とも書く、とあります。旧字体・新字体の関係ではなく別の漢字ですが、意味としては区別がないようです(福岡県糟屋郡粕屋町の例もあります)。表記の揺れの問題かもしれません。または、いずれかの時点で町名変更があったのかもしれません。
悩ましいのですが、とりあえず、神奈川県令の記載を重視し、そのままとしました(大住郡 成瀬村大住郡 高部屋村)。

■神奈川県 足柄上郡 松田村 となる従前の町村名の一部について 足柄上郡 松田総領 or 足柄上郡 松田惣領
「幕末以降総覧」・・・足柄上郡 松田総領
「辞典」・足柄上郡 松田惣領村
「M22.3.11付け(神奈川)県令第9号」(「神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83以降)・・・足利上郡 松田総領
「総領」「惣領」は、跡取りのことであったり、地方官のことであったりするようですが、いずれも、表記はどちらも使われていたようで、表記の揺れでしょう。そういう意味では、どちらかが誤り、とも言いにくいところですが、神奈川県令の表記どおり、について 足柄上郡 松田総領 とそのままとしました

■M22.4.1付け大阪府市制町村制施行時 豊島郡 中川原村 ほかから発足する村名について豊島郡 細川村 or 豊島郡 細河村
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社、明26.11)の37コマ最下段「新旧対照市町村一覧(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の28コマ2段目・・・豊島郡 細河村
M22.2.20付け大阪府令第17号9コマ・・・豊島郡 細川村
この件は、[78495] むっくん さん でも同じご指摘をいただいていました。本稿で対応いたします。
どうやら大阪府令だけが誤字である例のようです。豊島郡 細河村 と修正しました

[78834] むっくん さん
たくさんあるので、個別のレスは割愛いたします。いずれも、単なる入力誤りです。
■各県の市制町村制施行時 不要な半角スペース(冒頭の奈良県添下郡郡山町と同様)
→修正(削除)しました。

■各県変更種別の誤り等
→修正しました。

■各町村の表示されていない漢字について
→ご紹介の数値文字により修正しました。
しかし、みなさんの環境によっては、引き続き表示されていなかったり文字化けしたりしていないか、という懸念はあります。何か不具合があれば、お知らせください(>みなさま)。

■M22.4.1付けで町村制施行する村名について 羽咋郡 馳打村 or 羽咋郡 釶打村
■S29.3.31付けで 石川県 鹿島郡 中島町 となる従前の町村名の一部について 鹿島郡 馳打村 or 鹿島郡 釶打村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・「M22.3.8付け石川県令第23号48コマ」・・・釶打村
[78835] EMM さん でも追加情報をいただきました。
S29.3.18付け総理府告示第107号も確認しました。単なる入力誤りでした。S29.3.31付けで 鹿島郡 中島町 となる従前の町村名の一部を 鹿島郡 釶打村 と修正しました

――――――――――
[78835] EMM さん
●石川県
■M22.4.1付けで町村制施行する村名について 羽咋郡 鹿浜村 or 羽咋郡 塵浜村
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」・・・羽咋郡塵浜村
単なる入力誤りでした。羽咋郡 塵浜村 と修正しました

■能美郡 草深村 となる従前の町村名の一部について 能美郡 山田千出村 or 能美郡 山田先出村
「幕末以降総覧」「辞典」「M22.3.8付け石川県令第23号43コマ」・・・能美郡 山田先出村
単なる入力誤りでした。能美郡 山田先出村 と修正しました

■能美郡 小松町 が発足する経緯について
「幕末以降総覧」・・・31町村がM22.4.1付けで町村制施行(EMMさんご紹介とほぼ同じだが相違・追加は以下のとおり)
「辞典」・・・能美郡 小松町 が単独でM22.4.1付けで町村制施行
EMMさん「幕末以降総覧」
小松新大工町小松本大工町
小松元梶町小松本鍛冶町
中町地方
浜田地方
向野地方
以上のように、「幕末以降総覧」では、31町村が、M22.4.1付けで能美郡小松町となった、とあります。
しかし、結局は、「M22.3.8付け石川県令第23号41コマ」に「能美郡 小松町」との記載がなく、つまりは従前の 能美郡 小松町 がそのまま単独で市制町村制の町制施行した、と判断したわけです。従前の31町村が、M22.4.1までのいずれかの時期で合併して能美郡小松町になったのではないか、と思うのですが・・・。このため、そのままとしました。何か追加情報があれば対応しますので、よろしくお願いいたします。

■河北郡 小原谷村 となる従前の町村名の一部について 河北郡 切山村 or 河北郡 桐山村
「幕末以降総覧」「辞典」「M22.3.8付け石川県令第23号45コマ」・・・能美郡 切山村
ご指摘の事例が表記の揺れであろうとは思います。あるいは、いずれかの時点で町名・大字名が変更になったのでは、とも思います。
とりあえずは、石川県令の表記どおり、河北郡 切山村とそのままとしました

■石川郡 富樫村となった従前の町村名の一部について 石川郡 倉ヶ岳村 or 石川郡 倉ヶ嶽村
「幕末以降総覧」・・・石川郡 倉ヶ嶽村 (ただし、同書はすべて旧字体で記載しているので参考にならず)
「辞典」・・・石川郡 倉ヶ岳村
これは、[74087] 拙稿の旧字体・新字体の取扱方針の、
(3) 現在、常用漢字があるにもかかわらず、「あえて」いわゆる旧字体で表記しているものは、その意図があるとみなし、近世村当時からその「旧字体」で表記する。
に該当します。可能性としては、いずれかの時点で町名・大字名を「倉ヶ岳」から「倉ヶ嶽」へと変更した可能性もあるのですが、現在の表記を重視し、石川郡 倉ヶ嶽村 と修正しました

――――――――――
皆様、ご指摘をいただきありがとうございました。まだまだ、誤り等があると思いますので、お気づきの点があればお教えいただければありがたいです。本当に助かっています。

[78859] 2011 年 8 月 2 日 (火) 20:35:50【1】 88 さん
 市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 小レス1

みなさま、いろいろとご指摘をいただきありがとうございます。調査の上、順次対応してまいりますが、少々お待ちください。
明白な入力誤り等、ほとんど再調査を要せず即座に対応できるものは、その都度即座にデータ修正をしております。今回、それらを含めてまとめてレスしておきます。
なお、各種文献では、宮城県等の廃置分合はM22.3.31付けではなくM22.4.1付けと記載されていますが、その件についてはここでは割愛しています。

――――――――――
[78496] むっくん さん
■M22.4.1付け奈良県町村制施行時 添下郡 郡山町 の「南郡 山村」「北郡 山村」の不要な半角スペース
 →修正(削除)しました

[78789] hmt さん
■渡良瀬川改修に伴う茨城県・埼玉県の境界変更の件
ご紹介の加須市、騎西町、北川辺町及び大利根町の合併の歴史 (PDFファイル) により、S5(1931).7.1付けでの 茨城県 猿島郡 新郷村 のうち大字伊賀袋及び大字立崎の一部を 埼玉県 北川辺郡 川辺村 へ境界変更するよう追加しました

――――――――――
[78767][78768] 千本桜 さん
M22.3.31付け 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等
■仙台市となる従前の町村名について 仙台区 片平町, 東一番町, 教楽院町 ほか or 仙台区 片平丁, 東一番丁, 教楽院丁 ほか(武家の区域は「丁」)
「幕末以降総覧」「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)」「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社,明26.11)・・・仙台区 片平町, 東一番町, 教楽院町 ほか (北六番「町」)
「辞典」・・・(記載なし)
ということで、千本桜さんがおっしゃる件を確認できておりません。一方、もう一つのご指摘の件がこちらです。
■宮城郡 原町 となる従前の町村名の一部について 仙台区 北六番町(微) or 仙台区 北六番丁(微)
「幕末以降総覧」「辞典」M22.2.9付け(宮城)県令第27号・・・仙台区 北六番丁(微)
「幕末以降総覧」「辞典」では、上記の「仙台市」の事例と矛盾した表記で一致していません。このため、判断材料に不足しています。何か、具体的な資料等をお示しいただけると助かります。どこが「町」でどこが「丁」か、の別も個別に示していただけるとありがたいです。
なお、一言、念のため申し上げます。
今回の一連の記載は、M22.3.31付けでの廃置分合直前での町名を対象としております。もし、江戸期の町名と、M22.3.31直前での町名に変更が生じているのであれば、それを考慮する必要があります。そのあたりも含めてご教授いただけると幸いです。

■仙台区となる従前の町村名について 仙台区 新小寺小路 or 仙台区 新寺小路
「幕末以降総覧」「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の177コマ(上から3段目)・・・新小寺小路
「辞典」・・・(記載なし)
「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社,明26.11)(最下段、東七番町区)・・・新寺小路
説が分かれているのですが、「大日本市町村名鑑」は、M26頃までの町名の変更を反映しているのでは、とも思い、「幕末以降総覧」と「新旧対照市町村一覧」により、新小寺小路 としたところです。
とりあえず、そのままとしました。上記の「町」「丁」とあわせて、さらに有力な証拠があれば再検討したいと思います。

■宮城郡 七北田村 となる従前の町村名の一部について 宮城郡 七木田村 or 宮城郡 七北田村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・宮城郡 七北田村
M22.2.9付け(宮城)県令第9号110コマ・・・
宮城郡 七北田村
単なる入力誤りです。宮城郡 七北田村 と修正しました

■宮城郡 松島村 となる従前の町村について 宮城郡 幡谷村, 竹谷村, 北小泉村, 手樽村 なし or あり
「幕末以降総覧」「辞典」「M22.2.9付け(宮城)県令第9号110コマ」・・・宮城郡 幡谷村, 竹谷村, 北小泉村, 手樽村 あり
単なる入力誤りです。これら4村をありと修正しました

■加美郡 鳴瀬村 となる従前の町村名の一部について 加美郡 雑色目村 or 加美郡 雑式目村
「幕末以降総覧」「辞典」M22.2.9付け(宮城)県令第9号111コマ・・・加美郡 雑式目村
単なる入力誤りです。加美郡 雑式目村 と修正しました

■栗原郡 姫松村 となる従前の町村名の一部について 栗原郡 玉沢村 or 栗原郡 王沢村
「幕末以降総覧」「辞典」「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社、明26.11)の185コマ最下段・・・栗原郡 玉沢村
M22.2.9付け(宮城)県令第9号113コマ「新旧対照市町村一覧(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の180コマ最上段・・・栗原郡 王沢村
意見が割れていますが、現在の栗駒市一迫北沢王沢(正式な住所表示は不知)にあたるようです。
栗原郡 王沢村 と修正しました

■桃生郡 二股村 となる従前の町村名の一部について 桃生郡 福田村 or 桃生郡 東福田村
「幕末以降総覧」・・・桃生郡 東福田村(M7に福田村から改称)
「辞典」M22.2.9付け(宮城)県令第9号114コマ・・・桃生郡 東福田村
単なる入力誤りです。桃生郡 東福田村 と修正しました

■本吉郡 十三浜村 となる従前の町村名について 本吉郡 十三榎 or 本吉郡 十三浜
「幕末以降総覧」「辞典」M22.2.9付け(宮城)県令第9号114コマ・・・本吉郡 十三浜
単なる入力誤りです(自分でも記憶がないのですが、「浜」の旧字体の「濱」を読み誤ったとしか考えられません)。本吉郡 十三浜 と修正しました

■亘理郡荒浜村となる従前の町村名について
「幕末以降総覧」「辞典」・・・M22.2.9付け(宮城)県令第9号の108
コマ・・・亘理郡 高須賀村 が改称
単なる入力漏れでした。亘理郡 高須賀村 が 荒浜村 に改称したと追加しました

■本吉郡 新月村 が発足する経緯について
「幕末以降総覧」・・・M8に新城村と月館村が合併し新月村に、M22.4.1にそのまま単独で町村制施行
「辞典」・・・本吉郡 新月村 がM22.4.1にそのまま単独で町村制施行
M22.2.9付け(宮城)県令第9号115コマ・・・M22.3.31付けで 本吉郡 新城村, 月立村 が合併して本吉郡新月村発足(M22.4.1付けで町村制施行)
この件につきましては、[78770] むっくん さんでもコメントをいただきました。確かに「幕末以降総覧」を見ても、他の事例では、M8〜9頃にいったん合併し、M15〜16頃に分離し、市制町村制施行時に再び合併する事例は多数ありました。
月館村は入力誤りですので月館村→月立村と修正し、また、宮城県令の記載を重視し、M22.3.31付けでの新城村と月立村の合併とし、合併自体はそのままとしました

続きます。

[78858] 2011 年 8 月 2 日 (火) 19:34:57【1】 hmt さん
 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (3)変遷情報収録対象の「市区町村」

[78832][78833]の続きです。

市区町村変遷情報の 北海道 が 更新されました[78845][78854]
改めてこれを拝見しながら、北海道だけの問題ではないのですが、個人的に気になったことを記してみます。

最初に、変遷情報の収録対象となる「市区町村」とは何か、その「変遷」とは何かということです。

現行制度の下における「市区町村」の大部分は「市町村」であり、これは「基礎的な地方公共団体」とされています。
2000年施行の地方自治法改正で、「特別区」が「基礎的な地方公共団体」の仲間入りをしました[75410]
特別区は、それ以前から 区議会を持つ自治体であり、その多くは「市」を上回る規模であるため、東京都では 「区市町村」と呼んでいます。しかし、一般的には耳慣れない言葉[75111]であるようですね。

「市区町村」という言葉が使われるのは、政令指定都市が条例で設ける区【行政区】を含むためでしょう。
政令指定都市の「行政区」は、区議会を持たないことでもわかるように自治体ではなく、行政の都合で設けた区画にすぎません。しかし区役所があり 住所の表記に使われる身近な存在であるため、制度上の違いは別として、「市町村」及び「特別区」と併せて「市区町村」と総称されます。

19都市 170区に及ぶ行政区【データベース検索の一覧表示結果は[75505]にリンク】は、数から言えば23特別区を圧倒しており、そのために 「区」は「市」の下位に置かれて、「市区町村」という表記になるのでしょう。

特別区と政令指定都市の行政区以外にも種々の「区」があり[75425][76149]、その中には法人格のあるものや住所の表示に使われるものもありましたが、あまり一般的でないので、すべて対象外とされています。

「町」という語尾が付いていますが、例えば東京都千代田区「三番町」の類は、「市区町村」に含まれません。
東京市 の市制施行前の町村名に麹町区三番町があるように、昔は郡部の「町」と同列だったのですが、市制施行により「市」の内部になった「町」は、「字」と同類の住所地名として使われるだけです。

1947年現行法になる前の制度は、市制と町村制とが中心でした。その他に、地域や時代により、東京都制・北海道区制・北海道一級町村制・北海道二級町村制・沖縄県及島嶼町村制など種々の制度がありました。これらの制度による「市区町村」は、府中駅の「駅」など異なる字が使われた事例[78790]を含め、現在に準じて変遷情報の対象とされています。

次に、市・区・町・村でないが、便宜上変遷情報の対象に含まれるグループがあります。

「郡」は、地方自治体として機能していた時代がありました。「市制町村制理由」には、「府・県」、「郡」・「市町村」を“3階級の自治体と為さんとす”と記されています。
# 原文[78832]には 3階級を分かつ句読点がありません。便宜上、「市町村」を重視した区分けで記しましたが、規模からすれば「府県」「郡市」「町村」の3階級と記すべきかもしれません。

自治体である「郡」があったのは、法律「郡制」の施行日[62662] から 1923年の「郡会」廃止までです。
その後の「郡」は 行政区画(県の出先機関)になり、それも 1926年に 廃止されました [51042]
昭和になってからも、同一県内にある同名の町村を区別する地理的名称としての機能を果たしていたのですが、現在ではその働きも薄れ、影の薄くなった住所地名です。
こんな具合に浮沈の歴史はあるものの、市町村を包括する広域自治体の役割を果した過去もある「郡」は、「市区町村」の仲間として 変遷情報の収録対象になっています。

北海道の「支庁」は、名前の通り北海道庁の出先機関ですが、これも便宜上変遷情報の収録対象になっています。
もともと明治2年に蝦夷地を北海道にして 11ヶ国を新設し[59112] 、86郡を設けた際には、国郡を行政区画にするつもりだったのでしょう。しかし、90近い郡というのは多すぎました。数郡を管轄していた郡役所は、結局のところ明治30年(1897)の 19支庁に変えられました。現在の「変遷情報・北海道」は、ここから始まります。

「支庁」は、「行政区画」であるという点では、1923〜1926年の「郡」や、政令指定都市の「行政区」と共通します。
「北海道」が自治体になった戦後の支庁や現在の9総合振興局+5振興局は、更に行政区に類似した存在です。
数の多すぎた「郡」を、最終的に14区画にまとめた「支庁」は、道内を区分する広域地名として適当であり、地図にも使われて、広く認知されています。

都道府県の支庁 は北海道に限ったものではありません。しかし、「地理的存在」としての性格【例えば地図への表示】が北海道ほどでない東京都島嶼部や山形県の支庁は、準メンバーとしても「市区町村」の仲間入りができません。

[78857] 2011 年 8 月 2 日 (火) 17:31:47 白桃 さん
 今治西VS東大阪大柏原

昨夜、電車の中の広告で「今治します」という文字が目に留まり、どういうこと?って思い、よく見たら「今、治します」でした。病院か薬の宣伝。そういえば、「今治水(こんじすい)」なんてものがありました。
私は老眼ではなく乱視かも・・・

大阪代表は伏兵、東大阪大柏原ですが、ものすごい高校ですね。
何が凄いかというと、東大とも阪大とも関係ない学校ですが、校名に、なんと市名が4つも入っている。

今治西と東大阪大柏原が対戦したら、どっちを応援するか、勿論・・・です。

[78856] 2011 年 8 月 2 日 (火) 15:40:05 スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
 地名コレクション情報提供?

今回は合併関連です。

星野彼方さん
「大島」コレクション
大島 愛知県一色町→西尾市
大島 長崎県鹿町町→佐世保市

SANUKI-Impactさん
「入江」コレクション
平坂入江 愛知県西尾市,一色町→西尾市
「浦」コレクション
大浦、入ヶ浦、太井ノ浦 愛知県一色町→西尾市
「富士」コレクション
富士山 愛知県一色町→西尾市
「湾」コレクション
江迎湾 長崎県鹿町町ほか→佐世保市ほか

牛山牛太郎さん
「松島」コレクション
東海の松島 愛知県幡豆郡一色町→西尾市
「海岸」コレクション
大浦海岸、白浜海岸 愛知県幡豆郡一色町→西尾市
東幡豆海岸、寺部海岸 愛知県幡豆郡幡豆町→西尾市
吉良海岸、吉田海岸、宮崎東海岸 愛知県幡豆郡吉良町→西尾市

yamadaさん
「合併数地名」コレクション
五保村 愛知県幡豆郡一色町→西尾市
「合成地名」コレクション
味沢村、前野村、池田村 現・一色町→現・西尾市

EMMさん
「崎・埼・碕」コレクション
波ヶ崎 愛知県幡豆郡一色町→西尾市
「岬」コレクション
蛭子岬 愛知県幡豆郡吉良町宮崎→西尾市吉良町宮崎

トミさん
「○本○」コレクション
二本松 愛知県幡豆郡幡豆町→西尾市
一本松、二本松、五本松 愛知県幡豆郡吉良町→西尾市

笠津前浜さん
「海獣」コレクション
宮崎鯨山 愛知県幡豆郡吉良町→西尾市

ぺとぺとさん
「四季」コレクション
秋箱 幡豆郡吉良町大字荻原→西尾市吉良町荻原
また、字(未)となっていますが、縮尺を1/3000にすると表示されます

みかちゅうさん
「色島」コレクション
赤島、小赤島 長崎県鹿町町→佐世保市

今川焼さん
「原」コレクション
目暗ヶ原 長崎県鹿町町→佐世保市
「数字地形名」コレクション
北九十九島 長崎県佐々町、鹿町町→佐々町、佐世保市

現在の市町村です。長々と失礼しました。

[78855] 2011 年 8 月 1 日 (月) 23:26:04 futsunoおじ さん
 「なでしこリーグ」の観客数記録

ワールドカップ制覇で注目を浴びているサッカー女子の「なでしこリーグ」でトップを走る「INACの神戸」は7月31日の試合でも2万1千人の観客を集め新たな記録になっています。

このINAC神戸が8月6日に新潟でリーグ2位のアルビレックス新潟レディースと行う試合の会場が変更になっています。当初の東北電力ビッグスワン・練習用サブグラウンドから、観客増で混雑が予想されるということで隣にある収容4万人のメインスタジアム(時間は午後3時30分開始で変更なし)でということです。同会場では当日夜7時からJ1(男子)新潟-清水戦が予定されており、J1のチケットで2試合観戦できるということです。(記事

男女とも新潟のホームゲームですから最強?の応援団がつくわけですが、その点相手チームの応援がちょっと心配になります。J1の新潟はかつては常時4万人近い観客を集めていたものですが、最近では2万人台後半もやっとという状況でもあり、いろんな意味で注目したい試合です。2試合で約6時間の観戦時間になるわけで応援する側の熱意も重要ですね。

[78854] 2011 年 8 月 1 日 (月) 19:08:58【1】 88 さん
 北海道 市制町村制施行時の情報に相当する情報について

[78845] グリグリ さん
88さん、補足等あればお願いします。
ということで、今回、北海道について、市区町村変遷情報を整理しました。

従来、本州以南については、M11.7.22太政官布告第17号「郡区町村編制法」 の区町村からM21.4.25法律第1号「市制町村制」の市町村へ移行して施行するのを、一つの区切りとして別建てで表示するようしていました。市制町村制は、日本の地方自治制度において、近世から近代に切り換わる大きな分岐点であると考えるからです。
また、これに相当するものとして、例えばM41.4.1付けで長崎県対馬国において「沖縄県及島嶼町村制」を施行する事例は、やはり郡区町村編制法からの切り換えですので、市制町村制施行とほぼ同様のものであるとみなし、同様の表示方法をしているところです(その後、「沖縄県及島嶼町村制」は、改正を重ねた後に通常の市制町村制に統合)。

北海道においても、これと同様に考えました。
「郡区町村編制法」の区町村から、M30.5.29勅令第158号「北海道区制」M30.5.29勅令第159号「北海道一級町村制」M30.5.29勅令第160号「北海道二級町村制」の区町村への移行を、本州以南の「市制町村制施行」に相当するものとみなし、別建てとしました。
北海道においては、その開拓の歴史もあり、本州以南と同様の「市制町村制」の導入は見送られ、権限を限定された、北海道独自の町村制度が創設・導入されました。これを、「『市制町村制施行時の情報』に相当する情報」とみなしたわけです。
このため、例えば、「二級村」から「一級村」への変更や、「一級町」から「町村制の町」への切り換え、「二級村」から「指定村」への切り換えは、「市制町村制施行後の情報」に相当するものと考え、廃置分合等を伴わないものは、何も表示していません。
これは、S22.5.3付けで「市制町村制」の市町村がS22.4.17法律第67号「地方自治法」 (pdfファイル)の市町村に切り換わったのと同様に考えているからです。
#これらについては、将来的には大きな制度変更として、簡易にでも表示したいとは考えていますが、まだ思案中であり、グリグリさんとも調整していません。

なお、今回の一連の作業においては、むっくんさんの一連の投稿に大変お世話になりました。この場をお借りして、改めて厚く御礼申しげます。

今後とも、市区町村変遷情報をご贔屓くださるようよろしくお願いいたします。

[78853] 2011 年 8 月 1 日 (月) 12:42:53 Hiro_as_Filler さん
 公式HP編集長通信(武雄市HP)

お久しぶりです。
・・・って毎回このセリフでスタートするのは大変申し訳ありませんが・・・。

[78664][78839]で佐賀県さんが紹介されています、武雄市HPのFacebook移行を公式HPのページに反映させました。
この件につきましては、非常に悩んだところですが、現状、旧武雄市HPのアドレスから自動転送されること、またFacebook版HPで移行する旨告知されていること等からFacebook版がメインとなることが間違いないと判断いたしましたので変更いたしました。

個人的にはこの流れ、非常に疑問があります。
[78679]のグリグリさんご意見と同意見になりますが、現状のFacebook版のページでは、市民が知りたいであろう情報が容易に取り出せるとは考えられませんし、市長の自己満足と取られても仕方ないと考えます。
また、lg.jpでコンテンツを展開することが、地方公共団体が責任を持って情報を公開している証明にもなっていると考えます。Facebook版では一企業の仕様に乗っかっている状況で、今後どう仕様変更されるかもわからないわけで、安定した情報を提供し続けられるか疑問です。Twitterも同様ですが、これがメインではなくサブとしてであれば、先進的でよい試みだと考えますが、これをメインとすることは現状では反対です。

<グリグリさんへ>
自動的に生成される公式ホームページ更新情報ですが、リンクや画像のアドレスが、どうやら一階層ずれているようで、画像・背景とリンクがおかしくなっております。ご確認をお願いいたします。m(_ _)m

[78852] 2011 年 8 月 1 日 (月) 12:11:15 スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
 まだ×4公式ツイッター

グリグリさん
上尾市
の公式ツイッターを発見しました。
つくば市のアカウント名,プロフィールも変わっています。

[78851] 2011 年 8 月 1 日 (月) 05:19:22 オーナー グリグリ
 Re:市区町村変遷情報(予定情報)更新

変遷予定情報の追加です(ピーくんさんからのメール情報)。

宮城県黒川郡富谷町の市制施行(2016年4月に富谷市誕生を目指す)
愛知県知多郡東浦町の市制施行(2012年1月4日の市制施行を断念、延期)

富谷町は、若生英俊町長が2月28日に開催された町議会の施政方針演説で、2016年4月に市制に移行し「富谷市」誕生を目指す考えを表明していました。

東浦町が断念した理由は、人口5万人以上を満たすかどうかの確定が10月下旬まではっきりしないためで、見直し時期としては、来年5月の大型連休明けが有力とのこと。当初「5万80人」とされた国勢調査の町人口について国が5月に再調査に乗り出し“待った”をかけたことが発端です。

[78850] 2011 年 8 月 1 日 (月) 04:50:53 オーナー グリグリ
 第三十二回 全国の市・十番勝負の開始日時について

表題の件、アナウンスが遅くなり申し訳ありません。私の個人スケジュールとの兼ね合いでなかなか開始日時を確定できないでいました。土日開始の場合、8月13日の土曜日が都合が良いのですが、ちょうどお盆の時期に重なっており、帰省などでご都合の悪い方もいらっしゃるのではないかと思います。また、8月後半には再度海外出張などの予定も入っており、開始するなら早めの方が都合がよさそうです。ということで、かなり急なアナウンスになりますが、

 8月7日(日)午後7時開始

としたいと思います。その週は一応夏休みの予定なので対応が丁寧にできるかと考えています。週末ぎりぎりの開始と言うことで慌ただしい方もいらっしゃるかと思いますが、できるだけのんびりとお楽しみいただければと思います。皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

#肝心の問題作成はこれからになります。

[78849] 2011 年 8 月 1 日 (月) 04:40:41【2】 オーナー グリグリ
 松江市と東出雲町の合併

[78848]で山野さんが言及されていますが、本日、松江市が東出雲町を編入合併しました。関連するページの更新を行いました。4月1日の西尾市以来、今年2件目の合併となります。今年の今後の予定は次の通り(変遷予定情報参照)。
日付都道府県変更種別自治体対象自治体
9.26岩手県編入一関市一関市, 東磐井郡 藤沢町
10.1栃木県編入栃木市栃木市, 上都賀郡 西方町
10.1島根県編入出雲市出雲市, 簸川郡 斐川町
10.11埼玉県編入川口市川口市, 鳩ヶ谷市
11.11石川県市制野々市市石川郡 野々市町
何と言っても私にとっては生誕地である野々市町の市制施行がビッグイベントです。

追伸:雑学の更新情報確認、いつもありがとうございます。>mikiさん by mail

[78848] 2011 年 8 月 1 日 (月) 00:20:40 山野[山野] さん
 東出雲町が消滅

本日、東出雲町が松江市に編入され八束郡が消滅しました。
この合併により、山陰地方に人口20万人の都市が誕生しました。

[78847] 2011 年 7 月 31 日 (日) 16:52:57 オーナー グリグリ
 市区町村変遷情報(予定情報)更新

ピーくんさんからのメールでいただいた情報、[78826] 山野さんの書き込み、それから、ピーくんさんからのご指摘で気付きましたが、[77946] はやいち@大内裏さんの書き込みに基づき、市区町村変遷情報の以下の予定情報を追加更新しました(はやいち@大内裏さん、申し訳ありませんでした)。皆さん、情報提供をいつもありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。

栃木県佐野市と岩舟町の合併の動き(岩舟町4回目の住民投票を8月28日実施)
栃木県栃木市と岩舟町の合併の動き(岩舟町4回目の住民投票を8月28日実施)
埼玉県南埼玉郡白岡町の市制施行(白岡町市制施行準備委員会の設置)
石川県石川郡野々市町の市制施行(市制施行関連議案の可決:野々市市決定)
大阪府豊中市の中核市に指定(「中核市指定の申出」への大阪府同意回答)

[78846] 2011 年 7 月 31 日 (日) 16:11:44 オーナー グリグリ
 メンバー登録更新

[78824] MIさん
いまほどメンバー登録を申請いたしましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
遅くなりましたが自分色の設定を行いました。MIさん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

更新日ニックネーム更新内容
2011.7.31MIさん新規登録(227番目)

[78845] 2011 年 7 月 31 日 (日) 11:03:37【1】 オーナー グリグリ
 北海道の市制町村制施行時の情報に相当する情報

[78787]で、
北海道の原データの定義を優先し(暫定的でも構いません)、少しずつ改善と精度向上を計って行けたら良いなと考えています。
と書いた件ですが、88さんから北海道の表題の情報をいただき、変遷情報を更新いたしました。具体的には、市制町村制施行時の情報(北海道)の下記の情報を原データとして定義しました。

■ 明治32年(1899年) 10月1日 北海道 北海道区制施行 3区設置
■ 明治33年(1900年) 7月1日 北海道 北海道一級町村制施行 10町6村設置
■ 明治35年(1902年) 4月1日 北海道 北海道一級町村制施行 1町設置
■ 明治35年(1902年) 4月1日 北海道 北海道二級町村制施行 6町56村設置
■ 明治39年(1906年) 4月1日 北海道 北海道二級町村制施行 73村設置
■ 明治42年(1909年) 4月1日 北海道 北海道二級町村制施行 19村設置
■ 大正4年(1915年) 4月1日 北海道 北海道二級町村制施行 24村設置
■ 大正8年(1919年) 4月1日 北海道 北海道二級町村制施行 16村設置
■ 大正12年(1923年) 4月1日 北海道 北海道二級町村制施行 25村設置

上記ページの他、市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧(北海道)市区町村変遷履歴情報 日付順一覧(1899年など)なども同時に更新しています。どうぞご利用ください。88さん、補足等あればお願いします。

[78844] 2011 年 7 月 31 日 (日) 08:40:49 白桃 さん
 東日本大震災被災3県の「確定値」

東日本大震災の人口移動への影響ということで、岩手、宮城、福島3県の3〜5月期の転出超過数が39年ぶりに3万人を超えたことが発表されておりますが、総務省統計局から7月27日付で
東日本大震災による被害地域の状況を把握し,復興計画の立案等に資するため
岩手、宮城、福島3県の平成22年国勢調査人口等基本集計結果(確定値)が発表となっております。
(他都道府県に関しては10月中に発表、というスケジュールは変更無いようです。)

[78843] 2011 年 7 月 30 日 (土) 22:23:48 futsunoおじ さん
 豪雨・・雑感

昨晩は雨音が大きくなったりすると少々不安になったりしたものですが、本日の午後には新潟市内でも青空が広がり高校野球の決勝戦もおこなわれました。その一方で同じ市内では信濃川の増水が続き避難勧告が出された地域もあるという状況にあります。

「記録的短時間大雨情報」が今回の一連の豪雨で新潟県に30回出され、これまでの最多回数を大きく超えました。また信濃川と阿賀野川の本流で昨日「氾濫危険水位」に達したとのこともありました。北陸や東北の日本海側にある河川では春先の雪解け時期に平均して多量の水を流すことはできますが、短時間・瞬間的に流せる水量は西日本の太平洋側にある河川に比べ相対的に劣るものと思います。それに流域の広い河川では集中豪雨があっても流域の一部での出来事であり本流に大きな影響は及ぼさないものですが、流域の広範囲で膨大な雨量があれば危機的状況になり得るということでしょう。

信濃川には長岡市と三条市の中間付近から日本海へ流れる「大河津分水」というバイパス水路があります。その本流下流側に流れ込む支流によって流域に洪水の危険がある場合はここで本流の水門を閉じ、全量を大河津分水に流すことで今回のような非常時には別の川のように管理できることになります。ただ分水の存在があることで本流下流側に多量の水を流す必要がなくなる(と思われる)ことから川幅は明らかに狭くなっています。想定を越える降雨があった場合不安になるところです。

テレビ報道を見ていて気になったのは降雨量については雨量計による観測値のほかに「レーダー測定値」の存在があることを知りました。観測値が比較的平坦な場所にあるためか、これよりも大きな値が出ていると思うのは山奥ではもっと降っているということでしょうか。国交省の測定では三条市での27日以降の累積雨量が1000ミリを越えているそうですが、山奥ではどれだけ降ったのでしょう。

今回の豪雨は2004年7月にあった大水害を越える雨量がすでに降ったと言われていますし、豪雨の範囲も広範囲に及んでいます。相当数の堤防決壊や氾濫といった被害情報がありますが、これまでの印象として新潟県内ではこれほどの豪雨であるにも関わらずこの程度の被害でよく収まったものだとの感があります。河川改修等の効果が表れていることでしょうか。一方福島県只見川沿いの町村では自治体規模からすると大きなダメージを受けているように思います。なんとか人的被害がこれ以上増えないで収まって欲しいものです

三条市では全域に避難勧告が出ていましたが、ここには震災による福島からの300名以上の被災者が滞在しています。被災者は震災対応の避難所から現在は三条市内の公営住宅等で生活していると思われますが、ここで一時的にせよ“また避難所に逆戻り”という人もいるでしょう。

[78842] 2011 年 7 月 30 日 (土) 06:53:33 オーナー グリグリ
 Re:市区町村変遷情報 障害発生中

[78837] 2011 年 7 月 28 日 (木) 21:46:09 88 さん
市区町村変遷情報において、都道府県別一覧を中心として、表示の不具合が発生している模様です。グリグリさんに対応を依頼しますので、少々お待ちください。
修復を行いました。一部データの損傷が原因でしたが、損傷した原因については不明です。バックアップデータからデータを復旧し、表示不具合は最新の状態になっています。ご利用中の皆様にはご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありませんでした。88さん、お知らせいただきありがとうございました。

[78841] 2011 年 7 月 30 日 (土) 02:55:14 ペーロケ さん
 RE:福島県5月1日現在推計人口

[78838]白桃 さん
 普段は人口にあまり興味がないんですが、今年の福島県については非常に気になっておりました。予想通り、特に浜通りの人口減少は顕著ですね。
 例えば浪江町の元の人口が約2万人、もちろん大都市圏でもなく、平成の大合併で面積が非常に大きくなったわけでもありませんので、土地勘のない私ですが人口2万人超の町といえば落書き帳でもおなじみの大河原町のようなスーパータウンをイメージしてしまいました。
 そのスーパータウンの住人が、あるいは周辺の町も含め、報道されているとおり役場もろとも一斉に避難を余儀なくされる。中には未だに行方不明ながら捜索すらままならない方もおられるでしょうし、政府による避難指示が深夜だったこともあり役場に届出をする余裕がなく避難されている方がかなりいるのでは。しかも、現在は埼玉など様々な場所に役場機能が分散し、不慣れな環境で届出を受理など、住民も役場職員も双方で不便を強いられていることでしょう。
 そのような混乱の中にもかかわらず、役場の方もよく集計して下さいました。本当に頭が下がります。

[78840] 2011 年 7 月 29 日 (金) 22:59:08 山野[山野] さん
 何気なく聞いていたら

今回は雑談で御座います。

-前置-
風呂場というのは音が良く反響するものだから、外からの虫の声が普段より大音響で聞こえる。

-本題-
数分前の出来事。
いつもの様に湯船に浸かっていたら、外(隣家の裏庭)から虫の声が。
秋の虫だとか蛙ならまだ分かるが、聞こえて来たのは「アブラゼミ」の鳴き声。
蝉は季節物だから鳴いてても可笑しくは無いのだが、問題は時間帯。風呂入ってた時なので22時30分頃。
蝉には時間帯関係無いのか。(単に神戸が暑いだけかも知れん、昼も暑いが夜も…台風の後、2日は涼しかったが。)
偶〜に夜中の3時頃「ケリ」(鳥の名)が、けたたましい声で鳴いている事がある。鳴きながらでないと飛べんのか、あの連中は。

-後書-
家の庭の蝉の移り変わり。
(明朝)ヒグラシ→ミンミンゼミ→アブラゼミ
(午前)アブラゼミ+クマゼミ
(午後)アブラゼミ
(夕方)ヒグラシ
(夜中)蜘蛛の巣に引っ掛かったアブラゼミの悲鳴。若しくは、今回の狂い鳴き。

[78839] 2011 年 7 月 29 日 (金) 17:16:47 佐賀県 さん
 武雄市公式ホームページ

[78664][78722]で触れた、武雄市公式ホームページのFacebook版への完全移行の件ですが、Yahoo!ニュースに情報がありましたのでお知らせします。

[78838] 2011 年 7 月 29 日 (金) 16:00:40 白桃 さん
 福島県5月1日現在推計人口

福島県から本日付で福島県市町村別人口動態(3/1〜4/30)が発表になりました。
とりわけ、相双地域、いわき市の状況は深刻です。
東日本大震災や原子力災害の影響を受けて被災地等から避難した方に係る移動については、各市町村に届出があった方のみ、転入、転出等として集計
となっていますから、実際の減少数、率はこの数字以上と想定されます。

[78837] 2011 年 7 月 28 日 (木) 21:46:09 88 さん
 市区町村変遷情報 障害発生中

市区町村変遷情報において、都道府県別一覧を中心として、表示の不具合が発生している模様です。グリグリさんに対応を依頼しますので、少々お待ちください。

[78836] 2011 年 7 月 28 日 (木) 21:10:10 Issie さん
 1077年,ハインリヒ4世 対 グレゴリウス7世 のできごととは?

1か月ぶりの東京12チャンネル「空から日本を見てみよう」,今回は清里高原。
以前の天竜川では,かなり「自然地理(地形学)」していましたが,……
なるほど,「人文地理」もできるんですねえ。まあ,「観光地理」。
ただ,語り口にしばしば,昔フジテレビで深夜に放送していた「カノッサの屈辱」を思い浮かべてしまったのですが,それはたぶんネタがまさしくあの番組向きだったから。
考えてみれば,あの番組はバブル絶頂期のものだったんですね。
清里の雰囲気もだいぶ変わってしまったけど,今「カノッサの屈辱」を作ったらどんな番組になるんでしょうね。

[78835] 2011 年 7 月 28 日 (木) 00:05:42【2】 EMM さん
 「市制町村制施行時の情報」情報提供

>88さん
[78834]むっくんさんより「後の記載と違うところ」としてご指摘のあった「石川県羽咋郡釶打(なたうち)村」(後に鹿島郡)は「釶」…金偏で正解です。(現在の使用事例
それから、同様の状態になっているものが石川県でもう1件ありました。
施行時「187 村制 羽咋郡 鹿浜村 羽咋郡 鹿浜村」
変遷履歴「57 1927(S2).9.1 改称 羽咋郡 千里浜村 羽咋郡 塵浜村」
とありますが、これは「鹿浜」ではなく「塵浜村」が正解です。塵=千里=「ちり」です。
(現在、地名として塵浜が使われることはありませんので、事例として羽咋市立羽咋小学校HPの歴史のページを例示します)

この他、施行時の情報の石川県のところで「間違いでは?」と考えられる事例を2つ挙げます。
「64 新設/村制 能美郡 草深村 能美郡 土室村, 山田千出村, 一ツ屋村」
この中の「山田千出村」は「山田先出(やまだせんでん)村」現・川北町山田先出)ではないでしょうか。
日本地名大辞典、日本歴史地名大系ともに山田先出の歴史的な表記違いはいくつか上げられていましたが、「山田千出」と言う例は挙がっておりません。
(なお、寛文10年当時の村名が見出しとなっている加越能三箇国高物成帳では「与助嶋村」として出てきていました。大辞典によると山田先出村に改まったのは延宝年間とのこと。また、地名大系には「山田新村と書かれている史料もある」旨書かれていました)
「69 町制 能美郡 小松町 能美郡 小松町」
小松は金石や所口と同じく町奉行支配地であるので、町村制における小松町はそれ以前の小松○○町から成立しているのではないでしょうか。
大辞典で「小松○○町であったことがある」ように書かれている次の31町がそれに該当すると考えられます。
小松上本折町、小松京町、小松小馬出町、小松細工町、小松材木町、小松地子町、小松新鍛冶町、小松新大工町、小松新町小松大文字町、小松茶屋町、小松寺町、小松土居原町、小松泥町、小松中町、小松西町、小松塗師屋町、小松浜田町、小松東町、小松元梶町、小松本大工町、小松松任町、小松三日市町、小松三日市町地方、小松本折町、小松八日市町、小松八日市町地方、小松龍助町
(ただし、ちょっと悩ましいのは、大辞典の七尾町のところには旧の七尾町の23町と周辺の4つの村の一部がが合併した旨書いてあるのに対し、小松町のところにはそういう記載が無くただ単に「31大字からなる」とだけ書いてある事。郡区町村編制法の時代に何かあったのかそうでないのかは、大辞典を見る限りでは分からない…)

#あと、間違いと言ってしまうのは悩ましいものとしてこんな例があります。
「年代によって読みは同じだが違う漢字表記が用いられた事がある村で、町村制施行前の村名で書かれている漢字と、大辞典で明治22年までの村名として書かれているところの漢字が違っているもの」
例:#128 河北郡小原谷村になった村々の中に切山村がありますが、大辞典では江戸期〜明治22年の村名として「桐山村」、明治22年〜昭和37年の小原谷村→三谷村→森本町の大字名として「切山」、昭和37年以降の金沢市の町名として「桐山町」で出ています。また、加越能三箇国高物成帳に書かれている寛文10年当時の村名は「加賀郡桐山村」です。
「史料中の旧字体が適宜新字体に変更されているが、その中に現在でも旧字体で書くのが一般的な地名がある」
例:#96 石川郡富樫村になった村々の中に倉ヶ岳村がありますが、現地の現在の町名は金沢市倉ヶ嶽
山の名が「倉ヶ岳」、町の名が「倉ヶ嶽」と書かれる場合が一般的のようです。

※文中の括弧がとじられてなかったので書き足し+誤字・未変換の修正

[78834] 2011 年 7 月 27 日 (水) 18:30:33【1】 むっくん さん
 御礼&情報提供

[78807]MIさん
神奈川県の「駅」「宿」、新潟県の「浦」以外にも「新田」がありました。
私も確認しましたが、神奈川県4駅1宿、新潟県1浦以外にはMIさんの挙げられているところ(新潟県2新田、岐阜県17新田)で全部だと思われます。MIさん、フォローありがとうございました。[78796]グリグリさんにおかれましては、不十分な情報で失礼しました。

これだけの書込みだけでは何ですので、今回の確認時に同時にチェックした「不要なスペースのあるところ」及び「自治体名と変更種別の相違があるところ」、「正確に表示されていないところ」、そして1箇所だけ気付いた「後の記載と違うところ」を以下に記載します。確認をよろしくお願いします。>88さん

◎「不要なスペースのあるところ」
宮城県(M22.3.31)
#10刈田郡白石町での「郡 山村」
#32亘理郡逢隈村での「下郡 村」及び「上郡 村」
#46名取郡茂ヶ崎村での「郡 山村」
#93遠田郡元涌谷村での「上郡 村」及び「下郡 村」
#129登米郡錦織村での「西郡 村」

茨城県(M22.3.31)
#88久慈郡郡戸村での「郡 戸村」
#252筑波郡田井村での「神郡 村」
#284真壁郡新治村での「古郡 村」

千葉県(M22.3.31)
#176香取郡米沢村での「郡 村」
#211香取郡橘村での「今郡 村」
#254望陀郡馬来田村での「下郡 村(微)」
#259望陀郡富岡村での「下郡 村(本)」
#261望陀郡鎌足村での「下郡 村(微)」
#270周准郡貞元村での「郡 村」

福井県(M22.4.1)
#15吉田郡西藤島村での「郡 村」
#77大野郡勝山町での「勝山郡 町」
#78大野郡村岡村での「郡 村」
#117丹生郡朝日村での「内郡 村」

静岡県(M22.3.1)
#127志太郡藤枝町での「郡 村(微)」
#269敷知郡篠原村での「馬郡 村(本)」
#270敷知郡舞阪町での「馬郡 村(微)」

三重県(M22.4.1)
#95奄芸郡栄村での「郡 山村」
#278伊賀郡神戸村での「古郡 村」
#281伊賀郡依那古村での「上郡 村」及び「下郡 村」

和歌山県(M22.4.1)
#167西牟婁郡栗栖川村での「北郡 村」


◎「自治体名と変更種別の相違があるところ」
宮城県(M22.4.1)
#10刈田郡白石町 「村制」(誤)→「町制」(正)

福島県(M22.4.1)
#285石川郡石川村 「町制」(誤)→「村制」(正)

新潟県(M22.4.1)
#145西蒲原郡地蔵堂村(新設/町制) 地蔵堂「村」(誤)→地蔵堂「町」(正)。新設/町制は正しい。
(参考:新潟県改正市町村名簿
#537刈羽郡宮川町 「新設/村制」(誤)→「新設/町制」(正)

三重県(M22.4.1)
#91奄芸郡白子町 「新設/村制」(誤)→「新設/町制」(正)

滋賀県(M22.4.1)
#118犬上郡彦根町 「新設/村制」(誤)→「新設/町制」(正)


◎「正確に表示されていないところ」
岩手県(M22.4.1)
#167西閉伊郡綾織村での「_崎村」
表示されていない漢字は「●(身+鳥)」です。数値文字参照ですと『鵢』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

宮城県(M22.3.31)
#1仙台区での「霊屋下●(_+尤(こぶ))田町」
表示されていない漢字は「●(やまいだれ+尤)」です。数値文字参照ですと『疣』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

山形県(M22.4.1)
#66北村山郡大倉村での「_山村」
表示されていない漢字は「●(木+箭)」です。数値文字参照ですと『櫤』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
#138東田川郡黒川村での「_代村」
表示されていない漢字は「●(木+荒)」です。

福島県(M22.4.1)
#132南会津郡二川村での「高_村」
表示されていない漢字は「●(こざとへん+寿)」です。数値文字参照ですと『陦』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
#325田村郡文珠村での「_田村」
表示されていない漢字は「●(米+共)」です。数値文字参照ですと『粠』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

群馬県(M22.4.1)
#2東群馬郡上川淵村での「_島村」
表示されていない漢字は「●(木+勝)」です。数値文字参照ですと『橳』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

新潟県(M22.4.1)
#191西蒲原郡矢作村での「_穴村」
表示されていない漢字は「●(魚+分)」です。数値文字参照ですと『魵』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
#418北魚沼郡_生村での「_生村」(2箇所)
これについては消滅時には数値文字参照を用いて正確に表示されています。

石川県(M22.4.1)
#168羽咋郡上甘田村での「_谷村」
表示されていない漢字は「●(けものへん+丸)」です。数値文字参照ですと『犱』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。
#214鹿島郡東島村での「_目村」
表示されていない漢字は「●(魚+爰)」です。数値文字参照ですと『鰀』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

福井県(M22.4.1)
#84大野郡遅羽村での「_崎村」
表示されていない漢字は「●(山+旁)」です。数値文字参照ですと『嵭』(ただし大文字の&を小文字の&に置き換える)です。

京都府(M22.4.1)
#114南桑田郡_田野村での「_田野村」(これは[78653]拙稿で書いていますが念のため記載しています)
これについては消滅時には数値文字参照を用いて正確に表示されています。


◎「後の記載と違うところ」
石川県
#181(M22(1889).4.1)及び#89(S23(1948).4.1)では「釶」打村。
しかし後の#103(S29(1954).3.31)では「馳」打村。
これはS29.3.31の方が間違いであると思われます。

[78833] 2011 年 7 月 27 日 (水) 18:16:30【1】 hmt さん
 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (2)宿駅と称し町と称するもの、村落と同一制度の下に立たしめん

[78832]で挙げた2つの問題のうち、明治21年法律第1号「市制町村制」に基づく「制度」に関する本論です。
市制町村制理由 33コマ右62頁の9〜13行目の記載【適当に句読点と改行を入れました。】
------------------------------
本制に制定する市町村は 共に最下級の自治体にして、市と云い町村と云い 都鄙の別に依て其名を異にするに過ぎず。其制度を立つるの原質に於ては 彼此相異なる所なし。
元来 町と村とは 人民生計の情態に於て其趣を同くせざるものありて、細かに之を論ずれば 均一の準率に依り難きもの なきに非ずと雖も、本邦現今の状況を察し 旧来の慣習に依て 之を考うるに、都会輻輳の地を除くの外、宿駅と称し町と称するもの、施政の大体に於て村落と異同あることなし。
故に 今之を同一制度の下に立たしめんとす。
其施治の細目に至っては或は多少の差異を見ることあるべしと雖も、此等は制度の範囲内に於て、執行者の処分斟酌宜しきを得ると否とに在る可きものとす。
------------------------------

細かく見れば町と村との暮しは違うが、宿駅とか町とか言っても、施政の大体は村落と変わらないから、同じ制度を適用する。
「制度」として存在するのは、【都会輻輳の地を除けば】「町村制」だけ。
“宿駅と称し町と称するもの”とあるので、制度の名は「町村制」であっても、その対象とする「自治体の呼び名」は、「村」と「町」に限らず、「宿」や「駅」も許容されている と理解することができます。

「同一の制度」の下に立つのですから、[78790]に挙げられた「日野宿、箱根駅、与瀬駅、吉野駅、府中駅」が、制度上「町」であるか「村」であるかを論じる必要はなく、もちろん市制町村制理由にも言及はありません。

[78790]の提案 “「1市22町1宿4駅293村設置」とした方がよいのではないでしょうか” は、変遷情報の中での案内目的の注記に関するものです。これを提案のように「自治体の呼び名」に基づいて記すのか、原案のように「制度」に基づく「変更種別」欄に合わせて記すのかは 編集者の裁量ですが、私としては提案の方がわかりやすいと思います。

個別入力データ「変更種別」については、「呼び名」でなく 法律上の「制度」に基づいて 記されるべきものでしょう。
既に明らかなように、「制度」として存在するのは「市制」と「町村制」だけです。
従って、変更種別欄の記載は、横浜市については「市制」、320町村についてはすべて「町村制」になる筈です。

[78797] 88 さん
見た目の名称に捕らわれず、市制町村制という法律上の位置づけで判断すればよいと考えます。

これは、まことに正論であると思います。箱根駅の変更種別を見た目の名称から「駅制」とすることはできません。
さりとて「町制」を選ぼうとしても、法律には この言葉がありません。
「町制」という言葉は、「市制」「町村制」という法律用語から類推して作られた「俗語」なのではないでしょうか。

現在の地方自治法においては、「市制」という言葉も 附則で使われているだけであり、第8条「市となるべき普通地方公共団体」のような使い方がされています。
しかし、「市制」は 昔の法律以来ずっと使われている言葉であり、市になれば 郡の範囲外になる扱い などの実質的な変化も、現行制度に継続されており、引き続き使用されているのも、それなりの理由があると思われます。

これに比べて、村か町かは「制度上」での実質的な違いがなく、ほぼ「自治体の呼び名」の違いに限られます。
現行法において「町となるべき普通地方公共団体」が「○○村」→「○○町」となる場合の「法律的根拠」に基づく変更種別は、「名称変更」でしょうか?
町村制時代の「○○村」→「○○町」も同様?

なんだかよく判らなくなってきましたが、とりあえず、「町制」「村制」という言葉は、昔も今も法律的な根拠が不確実なのではないか という疑いを記しておきます。

せっかく「市制町村制理由」の「町村制」序論部分を紹介したので、「市制」も記します。
“都会輻輳の地”に施行する「市制」についての序論は、33コマ右62頁13〜17、18行目に記してあります。
------------------------------
然れども都会の地に至ては 大に人情風俗を異にし 経済上自ら差別あり。故に之を分離して 別に市制を建て 機関の組織及び行政監督の例を異にせり。
是固より 町村制と其性質を異にするに非ず。其市民の便益と実際の必要とに出て然らざるを得ざるなり。
即現行の区制に継続する所のものなりと雖も、従来の区は郡の区域を離れずして 行政上別に吏員を置き 事務を処理するに過ぎざりしも、今改めて独立分離せしめ、従来区の下に町ありしも、之を改めて市を最下級の自治体と為さんとす。【中略】
今此市制を施行せんとするものは三府其他人口凡二万五千以上の市街地に在りとす。
------------------------------

人口25000人以上の都会は、町村と大いに人情風俗が違い、経済力の差もある。そこで、町村制と本質的に異なるわけではないが、「市制」という別制度を作って市民の便益を図る としています。郡区町村制の下でも、郡と別に「区」の行政吏員を置いていたが、今回はその区域の「郡−町」構造を廃止して「市」に改めます。
【中略】の部分は、東京・京都・大阪について三市特例法を設けるという内容です。

[78832] 2011 年 7 月 27 日 (水) 18:02:08【1】 hmt さん
 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (1)制度と呼び名について

 1990年以降の変遷情報が積み重ねられてきた「市町村合併情報」は、2006年3月に、対象がそれ以前に拡大されることになり、88さんが担当されるようになりました[49902][49915]

2006年12月には リニューアルされて、現在の「市区町村変遷情報」という名になりました[55573]
「昭和の大合併」については、既にこの時よりも前に 軽々と乗り越えていたのですが、明治22年の「市制町村制施行時」に行なわれた「明治の大合併」となると さすがに 手ごわく、多大の歳月と労力とを費やしながら、今月完成したのでした[78755]
市制町村制施行先行して、明治22年3月に行なわれた5県の合併情報も、その直後に追加されました[78761]

[78787] オーナー グリグリ さん
以下の (3)【明治22年(1889年) 4月1日】以降のデータにおいて設置された市町村が、市制町村制施行を基準点とした場合のベースラインとなる市町村を定義するデータであり、現在に至る市区町村の網羅された原データと言えます。
[78790] オーナー グリグリ さん
と書きましたが、原データはすべて市町村であったかという話題です。

日野宿と4駅の存在が指摘され、その後、特に「日野宿」については「日野村」疑惑も出ています[78806]

この問題を考える時、次の3点をわきまえることが必要であると考えます。
(1)法律「市制町村制」により「市制」と「町村制」という2つの「制度」ができたこと。
(2)新しい法律の施行に伴って「自治体の呼び名」が定められたこと。【日野宿か日野村か】
(3)国の「制度」と 府県が定めた「呼び名」とは、(無関係ではないが) 同じものではないこと。

[78797] 88 さん も、この点を認識した上で、次のように発言されています。
------------------------------
「宿」「駅」は、「町」でよいと考えます。(中略)制度上、「市」「町」「村」しかありません。
見た目の名称と、制度上の名称が異なるだけでしょう。
「宿」「駅」については、見た目の名称に捕らわれず、市制町村制という法律上の位置づけで判断すればよいと考えます。
#実は、正直に告白すると、日野宿や箱根駅などが市制町村制上の「村」ではなく「町」であった、という確たる証拠を確認してはおりません。元々、人口が集中した集落であり、「町」であろう、と考えただけです。
これについては、その気になって調べれば、根拠をきちんと確認できると確信していますが。
------------------------------

「制度」の問題を論ずる際には、法律に付属した 「市制町村制理由」が よりどころになるでしょう。
現実に使われた「自治体の呼び名」の問題は、当時の公式記録に残された自治体固有名の調査が必要です。

本題に入る前に、市制町村制理由 を読み直してみて、気がついたことを一つ。
左61頁4〜5行
今前述の理由に依り此区画を以て悉く完全なる自治体と為すを必要なりとす。即府県郡市町村を以て3階級の自治体と為さんとす。

「自治体」と言葉が使われているのですね。「自治体」が明治の法律用語だったとは知りませんでした。
現行法では、憲法第 92条で使われた「地方公共団体」という用語[75012]に従い、地方自治法においても、例えば第2条第3項「基礎的な地方公共団体」というように表記されています[75018]

[78831] 2011 年 7 月 27 日 (水) 06:47:52 白桃 さん
 Do You Know The Way To San Jose ?

[78830]グリグリさん
現在、ロサンゼルス空港でサンノゼ行きフライトを待っています。
サンノゼ、サンホセという名前を聞くたびに、あの歌の「サンホセ」は何処のことだったんだろうと気になります。

[78830] 2011 年 7 月 27 日 (水) 04:58:12 オーナー グリグリ
 ロサンゼルス空港にて

先週の土曜日から出張中です。現在、ロサンゼルス空港でサンノゼ行きフライトを待っています。フォローは帰国後、対応しますのでご了承願います。帰国は、木曜日の夜になります。

[78829] 2011 年 7 月 27 日 (水) 00:44:02【1】 ペーロケ さん
 脱テレビ宣言

といっても、広島の某元アナウンサーのことではありません。

 地デジ完全移行しましたが、地デジ難民が意外と多いことに驚きました。うちの職場でも、独身者を中心にほぼ4分の1くらいは地デジ難民。もちろん、経済的にテレビが買えないということは無い筈ですが、テレビを買いに行く時間が無い人、テレビを見る時間が無い人、あるいは、これを機会にテレビをやめてもいいかなと言う人まで。テレビの優先順位は確実に下がっています。もちろん、ネットもあるし、ワンセグ、ニコニコ動画、あるいはツイッターなど、情報を得る手段がいくらでもある時代、既にテレビが必ず必要とは限りません。テレビではあんまり報道しないけど、テレビ局にとっては車離れ以上に深刻な問題かもしれません。

 おまけに、先日の震災での、スポンサー様に極端に偏った偏向報道、あるいは情報の遅さにより、さらに信頼を失いつつあります。今年になってから、事件をネットで先に知って、翌日にテレビで報じるといったことを何度も経験しました。即日性がテレビの武器じゃなかったのか?テレビ局が情報を入手したとしても、報道していいのかどうか探っている間に、ネットの方が真実を先に伝えているようにも見えます。

 もっとも、番組制作側には相当の圧力があるのではないかなぁ。政治的圧力はもちろん、スポンサー様の圧力に、青少年に見せられる内容のものでなくてはならない、少しでも差別を助長するような言葉を使ってはいけない、人権を侵害してはいけない、そのようなフィルターに通る番組を作らざるを得ない状況で、結果的にあたりさわりのない、もっといえばつまらない番組になってしまうんでしょうね。

 強いて言うなら、日曜お昼の「あれ」くらいですねぇ。本来の姿を貫いている番組というのは。

[78828] 2011 年 7 月 26 日 (火) 20:24:13 hiroroじゃけぇ さん
 確かに映りました(笑)

[78827]播磨坂 さん
ありがとうございます。以前からNHK総合岡山が1ch 、高松が3chになるよう設定しておりましたが、物理チャンネルが合っておりませんでした。いつの間かずれてしまっていたようです。今回、再確認したところ岡山も高松も受信良好です。ありがとうございました。ちなみに、サンテレビは入りませんよ(笑)

で、テレビのプリセットですが、自動サーチでは受信しません。おかしな話です。どの程度、メーカー側が把握しているのか、そのあたりを知りたいですね。

[78827] 2011 年 7 月 25 日 (月) 19:33:54 播磨坂 さん
 金甲山送信所

こんにちは。

[78823]hiroroじゃけぇ さん
[59607]でふれているとおり、デジタル放送開始時は「NHK高松」を受信していたわが地元、児島。なんと児島局(鷲羽山)が開局した今でも「NHK高松」が受信されています。アナログ併用時は デジタル=高松 アナログ=岡山 だったものが、今では「高松」のみ。この前の「台風6号」でも、入る情報は香川県のものばかり。おかげで、県内の交通機関の状況が把握し難く不便で仕方ありませんでした。時間があるときに、NHKに解決策をきこうと思っていますが・・・。

地デジ化して、いわゆるリモコンのチャンネル(リモコンキーID)と周波数帯を表すチャンネル(物理チャンネル)が乖離してしまったため、わかりにくくなっていると思います。NHK総合を例にとりますと、岡山局が32ch、高松局が24ch(以上は物理チャンネル。周波数帯を表す)ですので、岡山局の放送を見たいときは32chをリモコンの1chにセットして頂ければいいかと。

ちなみに岡山の場合ですと、児島半島の金甲山に大元の送信所がありますが、そもそもここにNHK高松の中継所もありますから、岡山局を受信しようと金甲山にアンテナを向けても、中継所の電波もどうしても受信してしまうという越境以前の問題が生じているようです。

それにしても、アナログ時代はテレビ欄に、「サンテレビ 神戸36ch 姫路56ch」などと周波数がそのまま書いてありましたから分かりやすかったのですが、デジタル化して「サンテレビ 3ch」のようにリモコンキーIDのみになってしまい非常に分かりにくくなりました。いちいちインターネットなりで調べないと周波数も分からないなんて・・・(テレビ本体にプリセットされているからいいんでしょうけど)

[78826] 2011 年 7 月 25 日 (月) 19:19:48【1】 山野[山野] さん
 臨時議会(岩舟)

グリグリさんへ
本日、岩舟町臨時議会に於いて住民投票条例案が可決され、来月28日に合併先を問う「4回目」の投票が行われます。
元記事:とちぎテレビ
消えると、いかんので。(記事引用)
佐野市、栃木市の両方と合併協議会が設置され、意見が割れている岩舟町で4回目の住民投票が行われることになった。
25日開かれた町議会の臨時会で可決したもので来月にも実施する方針。
茂呂町長は「2つの協議会が併存するのは適切ではない」と住民投票を提案する理由を説明、採決の結果、
4回目の住民投票を実施することが決まった。住民投票は18歳以上を対象に来月下旬に行われる。

[78825] 2011 年 7 月 25 日 (月) 10:41:56【1】 N-H さん
 Re:ちでじ

[78817]Issie さん
お昼になったらどうなるかと,ワクワクしながらアナログ放送を視ていたのですが,何も起きずに「お昼のNHKニュース」が…。「なぁ〜んだ!」
というのは,我が家が集合住宅で,建物自体が地元の有線放送局から電波の再送信を受けているから。有線放送局が気を利かせて当分の間はデジアナ変換をしてくれているみたいですね。

今の我が家は集合住宅ではありませんが、付近の高層ビル建築時の難視聴対策で無料で有線放送の提供を受けているようで、上に同じくアナログ放送がそのまま見られます。2015年までだったかな。

でも有線放送局によっては,県境を越えてサービスを提供しているところもあるんじゃないでしょうか。その場合は,その人の視ているテレビがある(建物がある)県のチャンネル・放送局ではなく,有線放送局のある県のチャンネル・放送局になるような気がするのですが,どうなんでしょう。

私自身全く状況が呑み込めていないのですが、うちの場合、有線放送局配信の地デジでは、地元テレビ神奈川はもちろん、東京MX、チバテレビまでが見られます。
どうなってるんでしょうね?

【追記】家で確認したところ、テレ玉まで見られました。で、どうも家の付近一帯難視聴対策で無料でケーブルテレビの工事はしているのですが、実際に難視聴であると認定されている区域からは微妙にはずれているとのこと。それにもかかわらず、なぜか無料で見られています。
隣家は無料で工事をしてもらった設備を使って、きちんと契約して月々支払ってるそうで。
ケーブルテレビ会社へ問い合わせるとやぶへびになりそうで、はて、どうしたものか。

[78824] 2011 年 7 月 24 日 (日) 23:02:43 MI さん
 Re2: 日野宿か、あるいは日野村か

[78812][78819][78820] hmt さん
 コメントやアドバイスを有難うございます。調べるほどに矛盾する史料が出てきて「嬉しい」限りですが、また困った例を近代デジタルライブラリに見つけてしまいました。
 新撰東京府分図 学校用(明260517発行)の「東京府十五區九郡及ヒ伊豆七島町村名一覧表」にある「明治二十六年四月一日ヨリ神奈川縣ヨリ東京府管下ヘ新ニ編入セラレタル三郡町村名表」には「改八王子町」「改由井村」のように、小さい字で「改」を附した町村名と、それを構成する旧村名(大字名)が記載されています。ところがその南多摩郡を見ても「日野」が見えず、詳細に眺めましたら「改桑田村」の中に「日野宿 上田村 下田村 石田村 新井村 川辺堀内村 豊田村」とありまして、なんと日野宿が桑田村の一部になっているのでした。ただ「神奈川県町村合併誌」などと見比べますと「宮村」が欠落しているなど、信憑性に乏しく思われます。しかしこういう史料もあったという記録にとどめるため、あえてご紹介しました。

[78820] hmt さんの
30時間以内にかぎり本人に認められる「訂正」は、登録したメンバーに限られています。
とは承知しておりませんでして、大変失礼しました。いまほどメンバー登録を申請いたしましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

[78823] 2011 年 7 月 24 日 (日) 19:06:32 hiroroじゃけぇ さん
 今も高松のまま

[59607]でふれているとおり、デジタル放送開始時は「NHK高松」を受信していたわが地元、児島。なんと児島局(鷲羽山)が開局した今でも「NHK高松」が受信されています。アナログ併用時は デジタル=高松 アナログ=岡山 だったものが、今では「高松」のみ。この前の「台風6号」でも、入る情報は香川県のものばかり。おかげで、県内の交通機関の状況が把握し難く不便で仕方ありませんでした。時間があるときに、NHKに解決策をきこうと思っていますが・・・。

[78815]ペーロケ さん
[78817]Issie さん
場所によっては、地デジに移行しようと県境を越えて受信してしまう場所も数多いのではないでしょうか。デジタルになったといっても、所詮電波です。受信できる地域が放送域なのだから、域外受信もまだまだ可能と言えそうです。
また、域外再送信は引き続き行なわれているようで、「テレ東」系列がない中四国地方の他県にあるケーブルテレビ局では、「てれびせとうち」の再送信が重宝されている模様です。

それにしても、困っているのはテレビではなくラジオ。「阪神」の中継を聴くためには、毎日放送か朝日放送を受信するしかなく、ネットラジオは域外のため試聴できず困っています。電波を受信して聴いてもいいのだけれども、混信し放題なのでザワザワ感がなんとも言えず・・・。

[78822] 2011 年 7 月 24 日 (日) 18:36:45【3】 Issie さん
 吉野駅は「町」

図書館に行く用事があったので,ついでに一連の話題について少しだけ眺めてみました。
見たのは,「吉野駅」が数次の合併の末,最終的に所属することになった 旧・藤野町(現・相模原市緑区)の『藤野町史 資料編・下』藤野町,1994年。

この資料集の p.28 に「明治一八年三月 吉野駅外四ヶ村町村費収支表調整進達」というのが収録されています。

-------------------------------------------------------------------------------------
客年十二月庶第千三百十九号ヲ以テ御照会相成候町村費収支表別紙之通調整進達仕候也
 但 明治十七年度ハ各科目ニ依リ各町村費ヲ区分スルヲ得ザルニ付単ニ連合町村費ノ負担額ヲ掲ケ別ニ連合町村費支出予算ノ科目ヲ添テ参考トナス
     津久井郡吉野駅外四ヶ村
 明治十八年三月七日 戸長 和智保章
  津久井郡長 吉野十郎殿
-------------------------------------------------------------------------------------

以下,各“駅”村の収入・支出の表が掲載されています。各表の題目は,
・吉野駅町費 収入
・吉野駅町費 支出
・日連村々費 収入
・日連村々費 支出
(以下は,町史に収録されていません。)

これは郡区町村編制法下の1885(明治18)年ものですが,固有の自治体呼称としての「吉野駅」に対して(恐らくは全国一律の)会計上の呼称は「町費」であることがわかります。ついでに,“駅”の長の呼称(職名?)は「戸長」。(←※【追加】:これは「連合戸長」ですが,恐らくは“駅”単独の長も「戸長」ではないかと思います。)

※蛇足ながら,「首長」という呼称は,現行地方自治法下において議会とは独立して住民から直接選挙され,相互に牽制しあう(二元代表制)“一方の代表”としての知事・市町村長について,「大統領制」的な性格を踏まえて行われる呼称ではないか,と解釈しています。だから,旧憲法・市制町村制下において議会(市町村会)から独立していない市長・町村長(市町村長は市町村会が選挙する)に「首長」という呼称を適用するのはどうだろうか,という気がします(私の解釈が正しいかどうかは,専門外のこととてわからないのですが)。ちなみに,“官の末端”である 府県知事 および東京都・北海道庁・樺太庁の各長官の呼称は「地方長官」です。

次に p.37 に,1889(明治22)年の町村制施行にともない町村会議員の選挙が行われましたが,それに際して開かれた「吉野駅議員撰挙会」の報告。

-------------------------------------------------------------------------------------
四月十九日吉野駅議員撰挙会ニ於テ左記ノ通当撰相成候条此段及報告候也
     元吉野駅外四ヶ村
  明治廿二年四月十九日 戸長 和智保章
 津久井郡長 吉野十郎殿

(当選議員省略)

   吉野駅町会議員一級定期選挙
本駅町会定期選挙ニ方リ議員四名選挙ノ為メ本月十九日元吉野駅外四ヶ村戸長役場ニ於テ一級ノ選挙会ヲ開キ元戸長ニ於テ大房清左衛門、船橋四郎兵衛、大房平吉,大房伊之助四名選挙掛ニ選任シ、元戸長和智保章選挙掛長トナル、同日午後第一時選挙掛長着席開会ス
午後第三時ヲ以テ投票ヲ閉鎖ス、其投票ヲ開キ之ヲ検スルニ投票総数ノ内有効投票十八票悉皆有効ニシテ其投票ヲ受ケタル人名及投票点数左ノ如シ

(以下略)
-------------------------------------------------------------------------------------

以下,開票結果の後,さらにどのような手順で当選者が決定されたか,非常に具体的に報告されていて,当時の選挙風景が目に浮かぶようでとても面白いのですが,ここに長々引用するのもふさわしくないので,以下省略。
ただ,もう一つつけくわえると,上の文章では“郡区町村編制法”下の旧自治体である「吉野駅」と,“町村制”下の新自治体である「吉野駅」を明確に区別していますね。

この「一級定期選挙」の段の冒頭にある「本駅町会」というのが,この話題の答えを一言で表しているように思います。
すなわち,「町村制」下においても,自治体固有の呼称は「吉野駅」と呼ぶのに対して,議会は「町会」と称しています。ここには登場しませんが,“駅”の長の呼称もまた「町長」であることが推測されます。

まとめると,郡区町村編制法下でも,町村制下でも,自治体の固有名としては「旧ニ依」り(郡区町村編制法)従来の「吉野駅」をそのまま称しているけれども,全国一律の制度としての呼称は「町費」であり「町会」であり,つまりは「町」か「村」かと言われれば「町」として扱われていた,と解釈できるように思います。

吉野駅が「町」として扱われていたとするなら,より繁華な 日野駅 や 府中駅 は当然に「町」であったと思うのですが,どうでしょう。

※せっかくなので追加:吉野駅,「大房さん」が多いですね。

[78821] 2011 年 7 月 24 日 (日) 17:37:19 白桃 さん
 蝉の鳴かない夏

一部で話題になっているようですが、浦安では今夏、蝉の鳴き声を聞くことがありません。
震災や原発事故の関係も取りざたされているようですが、少なくとも液状化現象とは関係するのではないでしょうか?

[78820] 2011 年 7 月 24 日 (日) 14:33:16 hmt さん
 メンバー登録のすすめ

[78818] MI さん
南多摩郡日野宿ヲ日野町、北多摩郡府中驛ヲ府中町ト改ム此段公告ス

またもや混乱する資料の出現ですね。根気よく調査を続ける姿勢に感服します。

ところで、
気づいた時には書き込み訂正の時間を過ぎておりまして、大変失礼いたしました。

ご承知のことと思いますが、30時間以内にかぎり本人に認められる「訂正」は、登録したメンバーに限られています。
書込便利機能

既にメンバー登録手続きを開始しておられるならば、余計なお世話ですが、とにかく メンバー登録 をすることを おすすめします。

[78819] 2011 年 7 月 24 日 (日) 14:08:03 hmt さん
 日野本郷名主から 日野町長までを勤めた 佐藤彦五郎(明治5年の戸籍で俊正となる)

[78809][78814] faith さん

[78798]で言及した日野宿の首長についてのレスをいただき、ありがとうございます。
日野宿戸長(郡区町村編制法)→明治22年 日野村村長(町村制)→明治26年(東京府移管後)日野町町長

明治26年4月1日、三多摩の 東京府移管 については、[33700][54421]などの過去記事がありますが、根拠法のリンクがなかったので、東京府神奈川県境域変更法 を補足しておきます。
これは国の法律なので、現行東京府布令類纂の該当箇所 には記されていません。

日野町・府中町への変更は 東京府告示第47号によるもので、日付も少し後の 同年6月19日になります。
[78806] MI さん の記事で指摘されていることなのですが、共に「改稱」という言葉を使いながら、日野町と府中町とでは表現に微妙な違いがあります。
肝心の部分に脱落があったため、判り難かったと思われるので、改めて引用してしておきます。

明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ日野村ヲ日野町ト改稱ス
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ府中驛ヲ町ト改稱ス
「村」から「町」に変る日野でも「町制」とは呼ばず、“日野町ト改稱ス”です。>[78811] ペーロケ さん
一方、以前からの「町」である府中驛の「呼び名」だけが変る場合は、“町ト改稱ス”となっています。

この時【明治26年(1893)】、佐藤俊正(彦五郎)は初代の町長になっています。

数え年 67歳という晩年になっても現役だったのですね。
文政10年(1827)生まれの彼は、江戸時代に遡れば、「日野本郷名主」でした。1881年まで南多摩郡の初代郡長でもありました。
剣術天然理心流を極め、兄弟弟子の 小島鹿之助・近藤勇と 3人で、三国志の故事にならい 義兄弟の契りを結んだのが 安政元年(1854)でした。
[33902]にも書きましたが、三多摩は 「農」と「士」との垣根が低い風土であり、これが 新選組や農兵隊の活動を生み、更には 後の自由民権運動にも つながったものと思われます。

[78818] 2011 年 7 月 24 日 (日) 13:31:44 MI さん
 Re: 日野宿か、あるいは日野村か

まずはお詫びと訂正です。[78806] の末尾にある
この上は明治26年の神奈川県告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。
は、
この上は明治26年の東京府告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。
の誤りでした。気づいた時には書き込み訂正の時間を過ぎておりまして、大変失礼いたしました。

 さて、昨日図書館で明260704官報附録p001の再確認をして参りました。この時期(明治32年5月まで?)の官報には附録に「庁府県公報」が掲載されることがあり、またそれ以降は本紙の広告欄に同種の掲載があることから、ここ数年はその照合を根気強くやっております。
 当該日の原文は次の通りでした。
南多摩郡日野宿ヲ日野町、北多摩郡府中驛ヲ府中町ト改ム此段公告ス
 明治二十六年六月二十六日
  東京府
 なんと、[78806]で引用した「現行東京府布令類纂」の記述とは異なっており、日野宿→日野町となっています。ただ、この「庁府県公報」の位置づけは各庁府県の公報等から抜粋した「二次史料」でありましょう。実際、告示番号もついていないのです。従って「一次史料」(この場合は明治26年東京府告示第47号」の確認がどうしても必要となると思います。広尾の都立図書館に「警視庁東京府公報」があることは分かっています。

[78817] 2011 年 7 月 24 日 (日) 12:36:39【2】 Issie さん
 Re:ちでじ

お昼になったらどうなるかと,ワクワクしながらアナログ放送を視ていたのですが,何も起きずに「お昼のNHKニュース」が…。「なぁ〜んだ!」
というのは,我が家が集合住宅で,建物自体が地元の有線放送局から電波の再送信を受けているから。有線放送局が気を利かせて当分の間はデジアナ変換をしてくれているみたいですね。
ただ,有線チャンネルの方でタダで流してくれていた TOKYO MXテレビ の再送信は終わってしまったようです。

さて,県境域の当地ではアンテナを立てれば(上記のように我が家ではアンテナを立てる必要がないのですが)東京“都”ローカルのMXテレビだけでなく,テレビ埼玉なんかも入ってきたようです。位置的には,“県都”の横浜よりも東京都の八王子の方が近いですから。
なので何年か前,最初に地デジも受信できるHDレコーダーを買ったとき,はじめのチャンネル設定で「東京(八王子)」でやってみたら,どうも調子がおかしい。どんなに遠くても,神奈川県のここでは「神奈川(横浜)」に合わせて設定しなけれなならないのですね。自前のアンテナではなく,有線放送局からの再送信なのだから当然です。
「県域単位の地デジ」というものを,これで体感しました。

ところで,我が家に地デジ電波(BS電波も)を再送信してくれている有線放送局は,県境を越えてのサービスはやっていないようで,県境を越えた町田市では系列の別放送局がサービスを提供しているようです。ここでは当然,東京都のチャンネルで再送信をしていて,MXテレビが視られる代わりにTVK(テレビ神奈川)はダメなんでしょうね。
でも有線放送局によっては,県境を越えてサービスを提供しているところもあるんじゃないでしょうか。その場合は,その人の視ているテレビがある(建物がある)県のチャンネル・放送局ではなく,有線放送局のある県のチャンネル・放送局になるような気がするのですが,どうなんでしょう。

※この書き込みのために何度かアクセスしたのですが,なぜかものすごく重いぞ,J:COM…。

[78816] 2011 年 7 月 24 日 (日) 12:00:08 伊豆之国 さん
 新撰組のふるさと

>今川焼さんへ
「原」コレクションへの登録お願いです。

[78811]ペーロケさんの書き込みのリンク先「日野市HP〜日野の歴史」を見ると
享保8年(1723)には、武蔵野新田開発の一環として、高倉原(日野市多摩平、富士町、旭が丘、日野台、さくら町、八王子市高倉町近辺)が開発され
この中に出てきた「高倉原」は、「原コレクション」には未登録です。航空写真を見ると、現在では密集した住宅地になっていて、原野の面影はほとんど見られないので、「歴史上の原」のほうに入ると思われます。

‥「原」つながりですが、春夏連覇を目指した読売・原監督の母校、東海大相模高校が神奈川県大会で横浜高校との強豪対決で惜敗。いまだにBクラスに低迷する読売ともども「腹立つ乗り」!

[78815] 2011 年 7 月 24 日 (日) 10:04:03 ペーロケ さん
 ちでじ

 まもなくですが、一部の地域を除いてアナログ放送の終了し、地デジ完全移行になります。地デジ難民が数万世帯とも言われていますが、うちの職場でも結構な割合で、まだアナログの人がいました。ただ、「別にテレビ見ないし、最近は面白くない」とかで、この際、「脱テレビ」宣言する人もちらほら。ニコニコ動画でもニュースが見れる時代、テレビが絶対的なメディアではなくなったのでしょうね。
 ところで、今までは近隣の電波が受信可能だったために不便を感じなかったものの、移行後は電波が入らなくなって地元の局しか見られないといった状態になるようです。特に、徳島や佐賀では県内にテレビ局が1局しかないし、山口県も広島や福岡の電波を通じてフジ系が見られたのに、もう見られなくなるとか。落書き帳関係者では[2578]夜鳴き寿司屋さんの福山市で、岡山・香川ネットワークの5局と愛媛の4局が見られなくなりそうですね。

[78814] 2011 年 7 月 24 日 (日) 01:14:43 faith さん
 Re:控えから

[78810] 紅葉橋律乃介 さん
ありがとうございました。
現在問題になっていることの全面的な答えになっていると思ったわけではなくて、町村制をきっかけに町長→村長に変わったのか?という部分に対してだけ、いずれにしても町村制の前の職名は「戸長」では?と書いたつもりだったのですが…

日野宿本陣 - 新選組のふるさと日野 - 日野市観光協会が正しいとすれば、
それまで明治になってから神奈川県に属していた他の多摩郡の村々と一緒に東京府に移管され、それまでの名前も「日野宿」から「日野町」に変わったです。この時、佐藤俊正(彦五郎)は初代の町長になっています。
ということなので、これと
[78806] MI さん
[78812] hmt さん
を参考にすれば、戸長(郡区町村編制法)→村長(町村制)→町長(東京府移管後)ということになる?

[78813] 2011 年 7 月 23 日 (土) 23:59:03 実那川蒼 さん
 Re: 確認

[78711](むっくんさん)
2点ほどあなた御自身の過去の発言との整合性について確認したいことがあります。
承知いたしました。むっくんさんの記事から既に18日が経過しており、グリグリさんもフォロー([78714])されています。返答が遅れたのは前回の書き込みから今日まで落書き帳を閲覧していなかったという単純な理由ですが、返答が遅れたことは事実ですから、それについては素直にお詫びいたします。

まず1点目から。
当分の間、無言のまま静かに十番勝負への参加を見送ればよかったのではないでしょうか。落書き帳のメンバーには、十番勝負に必ず参加しなければならない義務はないのですから。
私がわざわざ十番勝負の参加見送り宣言をした理由を書きます。それは第三十一回・問四の不条理さを出題者であるグリグリさんに分かってもらうために、「アンフェア」というきつい言葉を用いてまで出題者の非を指摘し、反省および今後の改善を求める発言をしたことにあります。このようにグリグリさんが著しく不利益を被る発言をしておきながら、発言した自分が何の不利益も被らないのは釣り合いが取れないのではないか。自分にも何らかの不利益を課すのが筋だろう。このように考えた上で、不本意ながら十番勝負の参加を見送ることを宣言しました。

静かに立ち去ったのでは出題の問題点が指摘できない。かといって、一方的な問題点の指摘だけではきつすぎる。そう思ったからこそ、参加見送り宣言が必要だと考えたのです。[31398]の主張と本質的に異なる点は、問題点の指摘が主眼であり、それが改善されれば速やかに復帰する意思があったことです。

2点目です。
しかしながらここでわざわざ“退屈な”などという悪意のある言葉を使う必要があるのでしょうか。そもそも私の書込みを引き合いに出して貶めなければならない必要性があるのでしょうか。
私がむっくんさんに対して悪意を持っておらず、むっくんさんの書き込みを貶めるつもりもないことは、
[78674](実那川蒼)
念のために書いておきますが、この指摘自体が不要であるとは思っていませんし、書き込んだむっくんさんも絶対に悪くありません。メールでも済むのではないか?という話です。
と予防線を張っていたとおりです。それでもなお、むっくんさんに私が悪意を持っていると受け取られてしまったのは、私の表現が拙かったからでした。

落書き帳の性質上、過去の記事をさかのぼって読むには画面を下にスクロールする必要があります。これは、その人にとって読む必要がない記事であっても、必然的に記事の行数分だけスクロールする必要があり、注視しなくてもどのような内容の記事かくらいは否が応にも目に入るということです。参加見送り宣言の直近にあった[78650]から[78653]までの4記事は著しく行数が多く、なおかつ内容が専門的すぎて当該研究に携わらない利用者に対する有用性が著しく少ない記事であると私は判断いたしました。そのため、当該4記事を「読んでいて退屈な記事」と表現したのですが、これは全くの言葉足らずでした。

ある言葉が誹謗中傷であるかどうかを判断するのは書かれた側であり、書いた側ではありません。それは心の内面の問題だからです。むっくんさんが「読んでいて退屈な記事」という表現を誹謗中傷であると判断した以上、私には抗弁する権利はありません。「読んでいて退屈な記事」の表現を取り消し、むっくんさんにお詫びいたします。誠に申し訳ありませんでした。

[78812] 2011 年 7 月 23 日 (土) 23:57:45 hmt さん
 「日野宿」か「日野村」か

[78790] グリグリ さん
神奈川県の市制町村制施行時(中略)「1市22町1宿4駅293村設置」とした方がよいのではないでしょうか。
[78794] むっくん さん
神奈川県県治一斑(明治22-23年)を見てみますと(中略)日野宿が村として取り扱われていたものと考えられます。
[78797] 88 さん
「宿」「駅」は、「町」でよいと考えます。(中略)制度上、「市」「町」「村」しかありません。

ここまでは、「日野宿」という名の自治体を、「集計に際して どのように扱うか」という問題でした。ところが

[78806] MI さん により、町村制初期の自治体名は「日野村」であったことが、東京府の公式資料で示されました。
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ日野村ヲ日野町ト改稱ス

更に、新旧対照市町村一覧 における、日野宿から「日野村」への改称も紹介されています。著作者の和泉橋警察署は、内務省そのものではありませんが、当時の警察は、かなり地方行政に関わっていたと思われ、かなり信頼できる資料と思われます。著作の趣意(2コマ)には、市町村制施行につき新旧対照の便に供するとあります。

では、変遷情報が「日野宿」としている根拠は?と、過去記事を調べると次のようになっていました。

最初に、市制町村制施行直前の神奈川県 のデータは、M22/3/31を以て「合併で成立した 242町村」[75043] の1つとして、旧制度最後の状態の日野宿 を記録しています[77581]
この記録は、「神奈川県町村合併誌上巻(S33)p.83」を出典とする 明治22年3月11日公布の「県令」【出典は“県会”と誤記】に基づいており、具体的には 同じ出典のpp.83-108に掲載された 県令第九号 (別冊)町村分合改称表[75043] のデータによっています。

神奈川県の市制町村制施行は、その翌日の 明治22年4月1日[78760] とされますが、むっくん さん による 市制町村制の根拠県令 集大成記事[76874] において 「?」 と記されているように、出典は未確認であると思われます。
それとも、この日付について、?県令以外の根拠があるのでしょうか?

この?県令未確認は、日付だけでなく、新制度における「市町村」の確認をも困難にしている可能性があります。
変遷情報 には、“1市27町293村設置”と記され、その中に、新制度に基づく 日野宿 (町制)があります。

上記の町村数は、神奈川県町村合併誌上巻p.83[75043] に記された町村数と 「微妙な関係」にあります。
かくして明治二十二年三月十一日、【県令九号】が公布され、(中略)一市、二六町二九四村に統合された。

[75043]によると、“市制町村制により成立した市町村が1市320町村であり、県令第九号には合併で成立した242町村のみが記載され”とのことなので、“県令が公布され【1市320町村】に統合”と直結させた「合併誌」の記載は、やや短絡的なのではないでしょうか。

つまり、県令第九号に記された 242町村の内訳には 「町として集計される日野宿」 があったが、市制町村制施行後の 320町村の内訳【その確実な根拠資料が「?県令」か】として存在したのは「日野村」だったために、上記の“微妙な関係”を生んだのではないか? という疑いです。

明治22年当時、甲州街道日野宿が 「日野村」と呼ばれるような状態になっていたかどうか、実はよく知りません。
私の居住地近くにあった川越街道大井宿[55530]では、町村制施行に伴い、埼玉県入間郡の大井町他3ヶ村が合併した自治体が 大井村 になりました。この場合は、明治14年の大火や新河岸川の舟運により、経済的基盤を失ったという事情がありました。
日野の場合は、甲武鉄道の開業が1889年ですから、まだ甲州街道のにぎわいを脅かす段階ではないと思われるのですが…

[78811] 2011 年 7 月 23 日 (土) 22:29:42 ペーロケ さん
 日野宿

日野市HPに、以下のような記載があります。

明治にはいると、
(中略)
明治26年多摩地域が東京府に編入され、日野宿は「日野町」に改められます。

 日野宿がもし「村」扱いならば、日野町に「改める」という表現はせず、「町制」と呼ぶはずです。しかし、「改める」とは改称に過ぎないとの意思が見受けられます。つまり、市役所の解釈としては、「日野宿」は市町村の「町」扱いと同等と考えているのでしょうね。

 他の自治体は全て調べていませんが、府中市には記載がなかったような。。。

[78810] 2011 年 7 月 23 日 (土) 14:23:06【1】 紅葉橋律乃介 さん
 控えから

[78809] faithさん
もしかして趣旨を誤解しているかも知れませんが、郡区町村編制法時代は…町でも村でも戸長が職名なのでは?

 [78798]hmtさんがおっしゃったように、町村制施行後は「宿」(「駅」や「浦」「新田」も同様の疑問がありますが)の首長がどう呼ばれていたか、ということではないかと。

 郡区町村編制法下では確かに「○○村戸長」のように呼ばれていたわけですが、町村制では「市長」「町長」「村長」と呼ばれるようになったわけで、“町でも村でもないが郡区町村編制法からの名称をそのまま引き継いだ自治体”の長がどういう職名だったのか。それはわたしも興味があります。

[78809] 2011 年 7 月 23 日 (土) 12:13:46 faith さん
 戸長

[78808] むっくん さん
[78798] hmt さん

日野宿「宿長?」の公式職名は、町長から村長に変わったのでしょうか?【町村制52条では「町村長」なので、区別することは無意味かもしれませんが。】

もしかして趣旨を誤解しているかも知れませんが、郡区町村編制法時代は
第6条 毎町村ニ戸長各一員ヲ置ク又数町村ニ一員ヲ置クコトヲ得
と同法にある通り、町でも村でも戸長が職名なのでは?

※「日野宿戸長」という表記もネット上ではいくらでも拾えましたが、一次資料にはリーチできていません。

そんな単純な話をされているのではない!というのであればすみません。

[78808] 2011 年 7 月 22 日 (金) 18:34:40 むっくん さん
 Re^4:「日野宿、箱根駅、与瀬駅、吉野駅、府中駅」

[78796]グリグリさん
日野宿を村と推定した根拠である南多摩郡の町村数のように、日野宿以外の4駅が町である証拠となるデータはないのでしょうか。
これも神奈川県県治一斑(明治22-23年)(編・発行:神奈川県、M26.11.10)を見ると説明できます。
同書では北多摩郡は3町36村とあり、町は田無町、調布町、府中駅としか考えられません。
次に、足柄下郡は2町30村とあり、町は小田原町、箱根駅としか考えられません。
そして、津久井郡は3町21村とあり、町は小原町、与瀬駅、吉野駅としか考えられません。
ゆえに、日野宿以外の4駅が町であったと考えられます。

「町と村のいずれと見做されていたかは…」と言われている町と村というのは、当然、郡区町村編成法における町と村という意味ですよね。この法の内容をよく理解していないのですが、町と村に大きな違いや区別することに大きな意味があるのでしょうか。
郡区町村編制法(M11.7.22)では
第一条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス
とあるだけで、町と村の権能に特段の差異はないものと考えられ、大きな意味はないものと思います。
しかし市区町村変遷情報に記載する際に、○○町もしくは△△村以外の自治体名であっても変更種別の欄に「町制」もしくは「村制」を書かなければならないという点では、大きな意味があります。日野宿の例で言いますと、
97 「町制」 南多摩郡日野宿 南多摩郡日野宿
もしくは
97 「村制」 南多摩郡日野宿 南多摩郡日野宿
のいずれかを採用するという、町か村かという実体の「仕分け」作業を強いられます。

さて、幸いにも市制町村制施行時での最大の問題であった神奈川県については「神奈川県1市26町294村」と書けば問題はないようです。しかしながら明治22年以前に遡る場合については次のような対処が必要であると考えられます。

例えば、明らかに村から町となった事例であっても
1887(M19).10.5 町制 下埴生郡成田町 下埴生郡 成田村
と記載せずに
1887(M19).10.5 改称 下埴生郡成田町 下埴生郡 成田村
と記載しておくという対処です。この対処には、町か村かという実体の「仕分け」作業をせずに済み、さらに郡区町村編制法が施行された時には「□区○駅☆宿△町◇村設置」のようにも表記が可能になるという利点があります。


[78798]hmtさん
郡区町村編制法時代の2つの資料では「町」扱いをされていた日野宿ですが、[78794] によれば、町村制の時代になると「村」扱いになっています。日野宿「宿長?」の公式職名は、町長から村長に変わったのでしょうか?【町村制52条では「町村長」なので、区別することは無意味かもしれませんが。】
南多摩郡日野宿に関して、市制町村制施行直前の法的性質を見てみます。神奈川県県治一斑(明治21年)(編・発行:神奈川県、M25.3.1)ではM21.12.31現在の南多摩郡の町村数は19町116村とあります。19町となる可能性のあるのは八王子19町及び日野宿(M21.12.31現在の南多摩郡の町村名は神奈川県警察統計書(明治21年)(編:神奈川県警察部警務課、発行:神奈川県警察本部、M25)を参照のこと)ですが、八王子19町はすべては○△町との形態をとっていることより、日野宿は村であったと考えられます。

神奈川県県治一斑(明治21年)(編・発行:神奈川県、M25.3.1)ではM21.12.31現在の町村数「177町1177村」とあり、これは以前[75043][78794]拙稿で紹介した神奈川県町村合併誌上巻(編・発行:神奈川県、S33)p.83での
かくして明治二十二年三月十一日、神奈川県知事沖守固の名をもつて次の県会(注)が公布され、一区、一七七町、一一七七村は、一市、二六町二九四村に統合された。
(注)“県会”は正しくは“県令”だと考えられます。
との記述と一致し、信憑性もあります。

以上より、市制町村制が施行される直前のM21.12.31(郡区町村編制法時代)でも南多摩郡日野宿は村であったものと考えられます。市制町村制の施行があっても、日野宿は村であり続けたと言えます。

[78807] 2011 年 7 月 22 日 (金) 06:35:14 MI さん
 「村」のつかない「村」

[78790] オーナー グリグリ さん
[78794] むっくん さん

 神奈川県の「駅」「宿」、新潟県の「浦」以外にも「新田」がありました。

新潟県北蒲原郡蓮潟新田_村
新潟県南魚沼郡杤窪新田_村 (栃窪や橡窪などとも表記することあり)
岐阜県厚見郡左兵衛新田_村
岐阜県中島郡午北新田_村
岐阜県中島郡午南新田_村
岐阜県下石津郡安田新田_村
岐阜県下石津郡沼新田_村
岐阜県下石津郡帆引新田_村
岐阜県下石津郡万寿新田_村
岐阜県下石津郡本阿弥新田_村
岐阜県下石津郡徳田新田_村
岐阜県多芸郡根古地新田_村
岐阜県多芸郡駒野新田_村
岐阜県安八郡下大榑新田_村
岐阜県安八郡大吉新田_村
岐阜県安八郡藻池新田_村
岐阜県安八郡海松新田_村
岐阜県安八郡福束新田_村
岐阜県安八郡中郷新田_村

 以上ですべてだと思います。どうぞご確認ください。

[78806] 2011 年 7 月 22 日 (金) 06:14:58 MI さん
 日野宿か、あるいは日野村か

[78790] オーナー グリグリ さん
[78794] むっくん さん
[78797] 88 さん
[78798] hmt さん

 私も自作の市町村変遷データベースを構築するに当たり、「駅」「浦」には頭を悩ませたものでした。集計上「町」や「村」でカウントさせるための便法として、「府中駅_町」「粟島浦_村」のような表記を採用しております。ご参考までに。
 さて日野宿について、当方のデータではこれまで「日野宿_町」としておりました。それは「神奈川県町村合併誌上巻(昭330330発行)」p83以降に掲載された
県令第九号
各町村の内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
 明治二十二年三月十一日
  神奈川県知事 沖 守固
(別冊)
 町村分合改称表
新町村名 旧町村名
  (中略)
日野宿  日野宿 西長沼村飛地 平山村飛地 栗須村飛地
によったからです。さらに近代デジタルライブラリの「神奈川県各市郡改町村名大字役場位置表(明治241001出板(ママ))」にも「日野宿(ひのじく)」とあり、その構成も「日ノ、西長沼飛地、平山飛地、栗須飛地」で一致しています。
 
 皆様のご発言を読み、「神奈川県県治一斑」や「神奈川県町村合併誌上巻」での町村数を確認しまして、あらためて手許にあるものやネット上の史料を照合して驚きました。明治22年時点で「日野村」となっているものが複数見つかったのです。
 「神奈川県改定区画傍訓町村名鑑(明220406出版)」には「日野村(ヒノ)」とあり、たしかに南多摩郡は1町19村になっています。
 「新旧対照市町村一覧(明221113出版)」も「日野村(ひの)」ですが、日野宿、西長沼村飛地、平山村飛地、栗須村飛地とで構成されています。
 「現行東京府布令類纂(明310425発行)」の日野町の項が、
日野宿、西長沼村飛地、平山村飛地、栗須村飛地ヲ合村
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ日野村ヲ日野町ト改稱ス
 1行目の「合村」、2行目の「日野村ヲ」と明記してあります。
 ちなみに同書の府中町の項、
府中驛、是政村飛地ヲ合併
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ府中驛ト改稱ス
と見比べますと、その違いは明瞭です。

 この上は明治26年の神奈川県告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。私の過去の調査で、明260704官報附録p001にも同内容のものが報告されていることは分かっていますが、原文までは記録しておりませんでしたので、これも再確認が必要だと思います。

[78805] 2011 年 7 月 21 日 (木) 23:33:27 k-ace さん
 Re:都市計画道路

[78803]千本桜さん
[78804]hmtさん
レスありがとうございます。都市計画道路の番号でしたか。
しかし、北海道では通り名の看板にあえて都市計画道路の番号も付しているんでしょうか。その理由がよく分からない。素人目には意味不明の数字を通り名の看板にあえて付する必要性も感じられないし。何を意図してるんでしょう?

[78804] 2011 年 7 月 21 日 (木) 22:57:11【1】 hmt さん
 都市計画道路の番号

[78802] k-ace さん
八雲町の道道202号に3・4・4富士見通というのがありましたが、この「3・4・4」って何の数字なんだろう?
[78803] 千本桜 さん
都市計画道路の番号ではないでしょうか。
愛知県知多市のHPが都市計画道路について分かりやすく説明しています。

他の都市でも共通の番号が使われているようです。
例:草加市吹田市

ということは、全国的な指導基準(?)が どこかにあると思われますが、そこまではわかりません。

【追記】
国土交通省が制定した「都市計画運用指針」 の中にありました。
長文の指針ですが、A.交通施設 から>A−2.道路 >3.道路の都市計画の取扱い>(2)名称 と進むと、次のような基準が記されています。
# “3・4・4富士見通”に該当する分のみ抜き書きし、漢数字をローマ数字に改めるなど、一部の表記を変更。
-----------------------------
(2)名称
道路に関する都市計画において定める名称は 番号及び路線名とし、番号の付し方は 以下の凡例に示すところによる。
凡例 番号の付し方    ○【区分】・○【規模】・○○【一連番号】
区分 3 幹線道路
規模 4 幅員16m以上22m未満のもの
一連番号 当該都市計画区域毎に、区分毎の一連番号を付する。
-----------------------------

[78803] 2011 年 7 月 21 日 (木) 22:09:26 千本桜 さん
 都市計画道路

[78802] k-aceさん
八雲町の道道202号に3・4・4富士見通というのがありましたが、この「3・4・4」って何の数字なんだろう?

都市計画道路の番号ではないでしょうか。都市計画図を作る時にそのような番号を貼り込みました。「貼り込み」はアナログ時代の作業ですね。今はパソコンだから「入力」と言うのでしょうか。愛知県知多市のHPが都市計画道路について分かりやすく説明しています。

[78802] 2011 年 7 月 21 日 (木) 20:30:47【1】 k-ace さん
 3・4・4富士見通

こんばんは、k-aceです。
登別市の車内からの拙稿[78795]の通り、北海道に行ってきました。その数日前に再度東日本パスも利用してますが(磐越西線に、落石事故の2日前に乗車)。
東北新幹線完乗で新青森駅の周辺を散策し、江差町、木古内町、函館市を散策し、室蘭市に宿泊。豚肉の「やきとり」を食す。富浦駅まで行き、秘境駅の小幌駅(豊浦町・長万部町)を探訪。洞爺湖町、八雲町、大沼周辺を散策。
[78795]の件ですが、道内では、幌別町→登別町の他に、狩太町→ニセコ町、幌泉町→えりも町、東利尻町→利尻富士町あたりも似たような感じかなぁ…。
散策してて気になったところでは、八雲町の道道202号に3・4・4富士見通というのがありましたが、この「3・4・4」って何の数字なんだろう?
洞爺湖町にも「3・4・7海岸通」があり、木古内町にも「3・4・5〜(失念)」がありました。
道内ではこの数字、各地にあるのかなぁ?

#これで今年の経県値68点

[47606]グリグリさん
夜行でも通過ではなく、でるでるさんの北海道旅行のように宿泊と移動を兼ねてということであればまったく問題ないでしょう。「夜行は除く」ではなく「夜行通過は除く」はそういう意味です。
生涯経県値は変化ありませんでした。しかし、これまでの北海道の「宿泊」経験は「夜行バス4連泊」によるものでした。今回の室蘭市宿泊でこれ(上記引用)を適用しなくても「宿泊」となりました。

[78801] 2011 年 7 月 21 日 (木) 07:41:04 伊豆之国 さん
 88さんへ(業務連絡)

>88さんへ
[78799]の記事中、下記の箇所にリンク先の誤りが見つかりましたので、お手数ですがご訂正をお願いいたします。

揖西郡 鍛冶屋村‥、揖西郡 平野村‥、赤穂郡 赤穂町‥、赤穂郡 相生町‥

[78800] 2011 年 7 月 20 日 (水) 23:01:43 88 さん
 市区町村変遷情報(市制町村制施行時:兵庫県) 小レス2

[78799]の続きです。
[76732] [76733] [76734] むっくん さん へのレスです。

[76734] むっくん さん
■城崎郡 豊岡町 となる従前の町村名の一部について 城崎郡 豊岡小田井村, 豊岡永井町分 or 城崎郡 豊岡小田井町, 永井町分
「幕末以降総覧」・・・城崎郡 豊岡小田井町, 永井町分
「辞典」・・・城崎郡 豊岡15町(旧豊岡城下町),永井分
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。ご紹介の各資料、特に永井町分についてはM20.8.6付け(兵庫)県告示第144号により、城崎郡 豊岡小田井町, 永井町分 修正しました

■気多郡 日高村 となる従前の町村名の一部について 気多郡 日野村 or 気多郡 日置村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・気多郡 日置村
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。ご紹介の各資料及び現在の豊岡市日高町日置にあたると考えられることからも、ご指摘のとおり、気多郡 日置村 と修正しました

■養父郡 糸井村 となる従前の町村名の一部について 養父郡 内海村 or 養父郡 内海分
「幕末以降総覧」「辞典」・・・養父郡 内海村
ご紹介いただいた資料をもとに判断すると、県令が誤りであると考えたほうがよさそうです。養父郡 内海分 と修正しました

■養父郡 関宮村 となる従前の町村名の一部について 養父郡 関宮村 or 養父郡 関ノ宮村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・養父郡 関宮村
M22.2.22付け(兵庫)県令第24号に従い、養父郡 関ノ宮村 と修正しました

■朝来郡 生野町 となる従前の町村名の一部について 朝来郡 菖蒲沢村 あり or なし
「幕末以降総覧」・・・朝来郡 菖蒲沢村 なし(M8に 円山村が 菖蒲沢 村を編入)
「辞典」・・・朝来郡 菖蒲沢村 なし
単なる入力誤りでした。M22.2.22付け(兵庫)県令第24号に従い、修正しました:http://uub.jp/upd/updind.cgi?N=18600]。

■七美郡 射添村 が発足する変種種別について 新設/村制 or 郡変更/新設/村制
「幕末以降総覧」「辞典」・・・(変更種別記載なし)
ご紹介の(兵庫)県令第23号に従い、二方郡 柤岡村 の郡変更を反映し、郡変更/新設/村制 と修正しました

■氷上郡 小川村 となる従前の町村名の一部について 氷上郡 南中村 or 氷上郡 南中村(本)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・氷上郡 南中村(本)
これは、別途氷上郡 和田村に 氷上郡 南中村(微)があることもあり、ご指摘のとおり、氷上郡 南中村(本) と修正しました

■多紀郡 篠山町 となる従前の町村名の一部について 多紀郡 篠山二階村 or 多紀郡 篠山二階町
「幕末以降総覧」・・・多紀郡 篠山二階村
「辞典」・・・多気郡 篠山13町(旧篠山城下町), 黒岡町の一部
M22.2.22付け(兵庫)県令第24号に従い、多紀郡 篠山二階町 と修正しました

■多紀郡 南河内村 となる従前の町村名の一部について 多紀郡 東河地村(微) or 多紀郡 東河内村(微)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・多紀郡 東河地村(微)
これは、別途多紀郡 大山村に 多紀郡 東河内村(本) があることもあり、ご指摘のとおり、多紀郡 東河内村(微) と修正しました

■多紀郡 味間村 となる従前の町村名の一部について 多紀郡 東吹村 or 多紀郡 吹上村の一部, 吹中村, 吹下村 or 多紀郡 吹上村(本), 吹中村, 吹下村
「幕末以降総覧」・・・多紀郡 吹上村(本), 吹中村, 吹下村
「辞典」・・・多紀郡 吹上村の一部, 吹中村, 吹下村
むっくんさんご指摘の内容を、ご紹介の文献とともに再掲します。
M22.2.22付け(兵庫)県告示第20号(抜粋)(旧字体は引用者が新字体に置換え、以下同じ)
本年県令第二十四号ニ掲クル分裂地ノ境界ハ左ノ通
(中略)
多紀郡岡野村ト味間村ニ編入スヘキ旧吹上村分裂地ハ字北吹ヲ岡野村ヘ其他ヲ味間村ニ属ス
兵庫県報類纂(今井馬吉・山下三郎編、神戸活版所、M24-25)に記載のあるM22.2.22付け(兵庫)県令第24号に付記するように記載のある参看では、
仝年(引用者注:明治二十四年)五月告示第九十七号ヲ以テ多紀郡味間村ノ内吹上吹中吹下合併東吹村ト復旧
つまり、当該地域は、時系列にまとめると、次のとおりでしょうか。
時期内容
天保国絵図東吹村の一部
明治初期吹上村、吹中村、吹下村、吹新村
M22.4.1岡野村(吹上村字北吹)、味間村(吹上村の残余、吹中村、吹下村、吹新村)
M24.5味間村大字吹上、大字吹中及び大字吹下をまとめて大字東吹とする
岡野村 となったのは 吹上村 のうち字北吹だけであり、大半が味間村 となりました。
よって、味間村 は 多紀郡 吹上村(本), 吹中村, 吹下村 と修正しました。また、岡野村 を 多紀郡 吹上村(微) と修正しました

■多紀郡 城南村 となる従前の町村名の一部について 多紀郡 栗栖野村 or 多紀郡 栗栖野村(本)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・多紀郡 栗栖野村(本)
これは、別途多紀郡 古市村に 多紀郡 栗栖野村(微) があることもあり、ご指摘のとおり、多紀郡 栗栖野村(本) と修正しました

■武庫郡 西宮町 における従前の町村名について(西宮廿二ヶ町の表記方法について)
武庫郡 今津村武庫郡 大社村及び武庫郡 芝村において、武庫郡 西宮廿二ヶ町(微) と表記しています。これは、西宮鞍掛町、西宮浜久保町、・・・等が、それぞれ「(本)」と特定できればよいのですが、武庫郡今津村、大社村及び芝村の3村とも、まとめて「西宮廿二ヶ町(微)」としか特定できません。このため、ご指摘のとおり、武庫郡 西宮町 においては、詳細欄に
「西宮廿二ヶ町:武庫郡 西宮鞍掛町, 西宮浜久保町, 西宮社家町, 西宮浜ノ町, 西宮図子町, 西宮釘貫町, 西宮馬場町, 西宮浜脇町, 西宮浦ノ町, 西宮久保町, 西宮宮武町, 西宮今在家町, 西宮浜鞍掛町, 西宮中ノ町, 西宮石在町, 西宮浜東ノ町一丁目, 西宮浜東ノ町二丁目, 西宮浜東ノ町三丁目, 西宮東町, 西宮与古道町, 西宮浜石才町, 西宮市庭町 は本体部分だけであり、飛地と飛錯地を除く」
修正しました

――――――――――
以上です。
今回も、本当にお世話になりました。ありがとうございました。


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