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ニジェガロージェッツさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[63695]2008年2月10日
ニジェガロージェッツ
[63030]2008年1月3日
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[63011]2008年1月1日
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[62865]2007年12月16日
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[62757]2007年12月2日
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[62753]2007年12月2日
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[62579]2007年11月20日
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[62497]2007年11月12日
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[62450]2007年11月9日
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[62325]2007年11月1日
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[62240]2007年10月26日
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[62005]2007年10月16日
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[61873]2007年10月13日
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[61863]2007年10月13日
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[61826]2007年10月11日
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[61561]2007年10月7日
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[61555]2007年10月7日
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[61535]2007年10月6日
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[61483]2007年10月3日
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[61478]2007年10月3日
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[61459]2007年10月2日
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[61437]2007年10月1日
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[61426]2007年9月30日
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[61363]2007年9月29日
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[61343]2007年9月27日
ニジェガロージェッツ
[61223]2007年9月19日
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[61095]2007年9月8日
ニジェガロージェッツ
[61016]2007年9月3日
ニジェガロージェッツ
[60910]2007年8月30日
ニジェガロージェッツ
[60851]2007年8月28日
ニジェガロージェッツ

[63695] 2008年 2月 10日(日)21:18:28ニジェガロージェッツ さん
港島=Port Island
[63693] 油天神山 さん
「外来語由来町名コレクション」の完成、おめでとうございます。

早速で恐縮ですが、神戸市中央区の人工島ポートアイランドに起立している町名
「港島一~九丁目」「港島中町一~八丁目」「港島南町一~七丁目」
も候補にご検討いただければ幸いです。
神戸新聞社編「神戸の町名」(昭和50年)によれば、
「先に英語で地名をつけ、その直訳を町名にした珍しい例だ。」とあります。
「港」も「島」も純然たる日本語ですが、その由来は和製英語地名の「ポートアイランド」を起源としており、貴コレクションの
(2)表記はカタカナに限定せず、外来語をひらがな・漢字表記したものも含める。
(3)和製英語・造語等も対象に含める。
に合致しているように感じられます。
[63030] 2008年 1月 3日(木)19:18:26ニジェガロージェッツ さん
レス3題(単行・湯郷・イオヌイ島)
[63021] hiroroじゃけぇ さん
「単行」という言葉が最も似合うかもしれませんね。
ご教示ありがとうございます。
実は今日も「単行」に乗って着ました。といっても姫新線のそれではなく、[62638]k-aceさん他の記事にある三木鉄道ですが。
丁度、加古川へ行く所用が出来たので、普段ならばJR神戸線(山陽本線)に乗って直行するのですが、今日はわざわざ神戸電鉄粟生線、三木鉄道、JR加古川線を経由しました。
神戸電鉄はガラ空きでしたが、今年3月末で廃線になる三木鉄道は満員でした。明らかに「鉄」と分かる鉄道愛好家で賑わっており、沿線の各駅でもそれらしき人々がカメラを構えていました。因みに私は「鉄」ではありませんが、同じく駅や車両を写してきました。(笑)

湯郷ベルの選手たちは、日中湯郷温泉のどこかで働いているようですよ。
湯郷温泉街には宿泊者へのサービスで、宿泊ホテル以外の各館の浴場を巡ることが出来るようになっていて、私もいくつか廻ったのですが、女子サッカーリーグの選手のような若い女性は見かけませんでした。日頃の激務から年末年始くらいは休んでおられるのでは。

[63025] 笠津前浜 さん
これはまさしくオホーツク海の孤島ですね…。今頃は氷の海の上へ頭を出しているところでしょうか。
訳の分からない妄想にお付き合い頂いて恐縮です。あの辺り一面の北部オホーツク海は冬には氷結しますから、恐らく笠津前浜さんのおっしゃるような幻想的な光景であろうと推測します。
また、わざわざマップをお探し下さり有難うございました。Googleマップを見ても同じような島が表示されますが、航空写真からは(下表参照)そこに何かあるようでなさそうな不明瞭な「点」になっています。
手持ちの帝国書院の地図帳では、2007年の「地歴高等地図」には載っておらず、1987年の「サミットワールドアトラス」には載っていました。

リンクされた先のページには、とても美しい写真が揃っていますね。
「ふた昔」前であれば、鉄のカーテンの奥に隠されたような謎の島々の画像が手軽に家庭で楽しめるとは、ネット時代の醍醐味のひとつですね。
ロシア語のページですが、リンク先のページの島の画像の一覧を和名を添えて書いておきます。千島列島の島々が多いので、参考までに千島列島の地図(昭和5年)を出しておきます。
ロシア名和名場所Googleマップ
о. Парамушир幌筵島/パラムシル島北千島衛星写真
о. Анциферов志林規島/シリンキ島北千島衛星写真
о-ва Ловушки牟知列岩/ムシル列岩中千島衛星写真
о. Райкоке雷公計島/ライコケ島中千島衛星写真
о-ва Среднего宇志知諸島北島/スレドネワ島中千島衛星写真
о-ва Братья Черные智理保以島/チリポイ島中千島衛星写真
о. Ионыイオヌイ島オホーツク海北西部衛星写真
о-ва Ямскиеヤムスク諸島オホーツク海北東部衛星写真
о. Берингаベーリング島コマンドル諸島衛星写真
о. Медныйメードヌイ島コマンドル諸島衛星写真
[63011] 2008年 1月 1日(火)17:41:41【1】ニジェガロージェッツ さん
年始めに最果ての島を妄想する
平成二十年になりました。旧年中はいろいろとお世話になりました。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

平成十九年最後の二日間、岡山県美作市の湯郷温泉に行ってまいりました。温泉のお話をしても「いい湯でしたよ」と、日頃の雑多を離れてのんびりと温泉浴を楽しんだと月並みの言葉しか出ませんが、地理的なことで印象的だったのは、まず姫新線に18年振りに乗ったこと。
兵庫県姫路市と岡山県新見市を結ぶ姫新線に以前乗ったときは姫路から津山まで直通で行った記憶があるのですが、今やそれは昔の話。佐用での乗り継ぎに42分の時間待ち。それも津山へは一両編成。電化されていないから「電車」ではないし、一両だから「列車」でもない。これを何と言えばよいのか? 中国山地の山中を細い狭軌の単線鉄道が縫うように一両で走る様は「植民地の軽便鉄道やんけ~!」と言いたくなるような(笑)
温泉の最寄り駅は林野駅で、この林野が平成の大合併で成立した美作市の市役所が置かれた、云わば「市の中心集落」になるのですが、どう見ても「市」の面影はどこにもない田舎の小集落でした。福岡オフ会の時にネットで見た、市街地だけを「市」とした明治の福岡市の範囲が頭にあっただけに(拙稿[62579])、時代が変われば「市」の感覚も変わるもんだと実感した次第です。
しかしながら、古谷一行氏ふんする金田一耕助が下駄履きでいても全く違和感のないような、のんびりとした懐かしい昭和を思わせる街並みは、嬉しく感じました。短いながらも味わいのある楽しい旅でした。

さて、新年に年始めにあたり、日本列島周辺の地図を眺めていると、ユーラシア大陸の東縁に弓状に連なるその姿は、いつ見ても「カッコいい」形をしています。
ところで、列島の最北端は北方領土択捉島の北端であるカモイワッカ岬(北緯45度33分)ですが、北方領土を含めない最北端は宗谷岬弁天島(北緯45度31分)とのこと。しかしこれは「日本列島」を日本の領土の限定した極めて政治的な話。戦前であれば台湾も南樺太も千島列島も日本列島の一部と見なしていたようで、そうなれば列島は北海道の北で樺太と千島の二股に分かれていたことになります。
そうではなく、日本の統治範囲の枠を外し、視点を「ユーラシア大陸の東縁に連なる弓状列島」に戻し「弓」を伸ばしてみると、北は樺太こそが列島の一部になるのではないかと妄想します。
となればその北端はサハリン州最北端のエリザヴェータ岬(北緯54度24分)になり、この岬で列島はオホーツク海に没します。この北には北部オホーツク海の大海原が広がるばかりなり・・・。

エリザヴェータ岬のほぼ真北540キロには大陸のオホーツク町があります。今では人口5,054人(2007年1月1日)の小さな町ですが、大きな海洋の名称として世界に知られた名となりました。ですが、この町の名もオホータ川という小さな河川名を由来としています。
そのオホーツク町とサハリンのエリザヴェート岬の間のほぼ中間点、広がるは大海原ばかりなり・・・と思われる所に、正に絶海の孤島が存在します。どうしてこんな所に島があるのかと首を傾げたくなるような、サハリン北端の北250キロの北緯56度24分、東経143度23分にその島は存在します。まるでビリケンさんの頭が海中から突き出したような、標高300mの点のような小島です。その名をイオヌイ島(または実際には「ヨーヌイ」と発音するかも)と言いますが、この島こそが弓状列島最北の島ではと妄想を続けております。
人を寄せ付けない海岸にトドの群生。一度は訪れてみたい最果ての島です。
皆様お持ちの地図には、この島が描かれているでしょうか?
[62865] 2007年 12月 16日(日)17:26:41ニジェガロージェッツ さん
アライグマがブタに化ける神戸の話
先月のオフ会での「荒ゴミ」や「別勉」という神戸の言葉についての[62579]へ沢山のレスをいただいておりながら、返事が(いつもながら)遅くなってしまい、申し訳ございません。最近はどうも無気力でいけません。

今月一日に港則法施行令の改正による3港の合併により阪神港が誕生しました。神戸市街地の南に広がる大きな港は、既に「神戸港」ではなく堺泉北から須磨に広がる巨大な港のうちの「阪神港神戸区」になりました。従来は神戸港、尼崎西宮芦屋港、大阪港の3港でそれぞれで入港税や書類手続きの負担が求められていたのが阪神港に一元化されたことで、入港船舶の増加や競争力の強化が期待されているところです。東京、川崎、横浜3港を合体した京浜港については[57385]hmtさんが触れておられます。 阪神港の開港は京浜港の例にならったものでしょう。
港則法でのお話ですが、神戸港が消えるのは地元の神戸っ子としてはちょっと寂しい気もします。

[62583] 桜トンネル さん
「荒ゴミ」について
阪神地区全域はすべて通じると思っていました。最近、僕がよく行く尼崎市では使われないとは驚きです。一体、どこが線引きとなっているのでしょうね。
通じるのは原則として神戸市域のみだと推測します。但し、住民の移動がありますから、他市民であっても神戸に一時期でも居住した経験のある人や、神戸に通勤している人などは「荒ゴミ」を知っていて当然で、また、神戸周辺を営業範囲としているゴミ収集業者では「荒ゴミ」という言葉を使っている場合もありますから、神戸市に隣接する地域では、通じる可能性が高いと思われます。また「荒ゴミ」を検索すると、稀ですが神戸とは無関係のところでも用いる所があるようです。
私事ですが、震災後、一時期加古川市に居住したことがありました。町内の人に「この辺りの荒ゴミの日はいつですか」と尋ねても要領を得ませんでした。それもその筈で「荒ゴミの日」など存在せず、加古川市ではゴミの細分化が既に徹底されていました。
今では神戸市のゴミ区分からも「荒ゴミ」は廃止されましたが、元来、神戸市の場合は西区(布施畑)や北区(長尾山)に広大な埋立処分場を有し、「荒ゴミ」として一括で埋立処分する用地に恵まれていたために不燃ごみを細分する必要が薄く、それが震災によって生じた瓦礫や引越しゴミなどの膨大な量を処分したために埋立処分地の余裕がなくなり、いよいよゴミの細分化、リサイクルに対応した区分を導入したというところでしょうか。
ゴミの細分化を啓蒙するキャラクターとして神戸弁の「分けとん」から、豚の「ワケトン君」が採用されています。因みにワケトンの敵キャラ「ワケヘン」と「ヤラヘン」も存在します。
以前の荒ゴミ置場こと「荒ゴミステーション」のキャラクターは荒の字からか、アライグマだったことは知る人ぞ知る話。

「荒ゴミ」の他にも代表的な例としては「日番」があります。
小生が小学校1年生のときも「日番」でした。昭和40年代の前半の話ですから、随分古い言葉です。というより、桜トンネルさんの[62583]を読むまで、これが神戸独特の言葉だったとは知りませんでした。子供の頃はセロハンテープなどの日用品で有名な「ニチバン」も日番絡みの社名かと思っていたほどでしたが、こちらは絆創膏のほうの「バン」のようです。
面白いお話、有難うございました。

[62633] たもっち さん
「荒ゴミ」という言葉が出て来た場面をよく見ると、電柱の「芦屋金持町一丁目」という標示が描き込まれていますので、実は、神戸周辺で使われている言葉を考証のうえでセリフを書いたのではないか、という可能性も・・。
とりあえず芦屋市のHPから「荒ゴミ」を探しましたが、見つかりませんでした。(笑
少なくとも、現在の芦屋市のゴミ収集区分には「荒ゴミ」はありません。但し、一部のゴミ収集業者が「荒ゴミ」とう言葉を使う場合もありますから、やはり、いしい氏が考証したうえで書いている可能性は高いと思います。

神戸から来た同級生も何人かいて、彼らが、表紙にポートタワーあたりの風景写真が載っているノートを持っていたことを覚えています。表紙全体の背景に薄緑のモノクロ(?)で刷り込まれていたように記憶していますが、これって、神戸の小学生の間で広く使われていたものだったのでしょうか。あるいは、世代が限られるのかもしれませんが、どなたかご存じないですか?
神戸市指定の学習ノートで、関西ノート(株)が製作しているもので、国語帳(緑)、算数帳(水色)、理科の記録(黄)、社会科(橙)、自由帳(桃)、連絡帳(紫)、百字練習帳(青)、二百字練習帳(青)があり、他にも音楽ノートやRomazi Renshu-tyo がありました。
もちろん、昭和40年代(いや、もっと以前から?)存在していました。
表紙は神戸市内の景色の写真がそれぞれの色のモノカラーで印刷されています。風景写真は時代によって変わっていますが、百時練習帳のそれは小生が使用していた当時の写真のままで、ポートタワーの建つ中突堤を写したものですが、現在の風景とは比べ物にならない、昭和40年代中頃のもので、今では「歴史的写真」と言えるものです。
ネットでは「神戸ノート」と呼ばれているようですが、文房具好きにはちょっとした人気だそうです。(記事
[62757] 2007年 12月 2日(日)21:48:20ニジェガロージェッツ さん
Re^2:唐太の子供列車
[62755] 伊豆之国 さん
[62756] Issie さん
今日の番組は見逃してしまいましたが、豊原の子供鉄道については過去に何度かメディアや書籍でも取り上げられておりました。
日本のテレビドラマでは、役所公司主演で1991年に放送された東芝日曜劇場スペシャル「サハリンの薔薇」のひとコマで、現地の少女が役所氏を子供鉄道に誘う場面がありました。

サハリン州20万分の1地形図にもユジノ・サハリンスク市街地の東北東、ピオネールスカヤという所に小さな環状鉄道が描かれており、駅も2つあります。
場所はガガーリン文化公園で、旧豊原公園(本当は、「旧」なんて書きたくないのですが)に当たります。

ソ連の子供鉄道については、こんなに沢山の都市で運行されていました。豊原のそれは、1954年6月6日の開業のようです。
写真1 写真2
[62753] 2007年 12月 2日(日)18:32:34【1】ニジェガロージェッツ さん
唐から樺へ
カラフト(北蝦夷)について「唐太」と表記したことのある歴史について、[61689] 伊豆之国さんへのレスの形で投稿させていただきましたが、その後も[62464]伊豆之国さんをはじめ、多くの反響をいただきながらも、3週間以上を経てしまい、いつもながらの亀レスにて失礼しておりました。

[62467] 笠津前浜 さん
カラフトの字に漢字をあてる際に「樺」を選んだ理由は何なのでしょうね。あるいは樺が多く生えていたのでしょうか。訓読みですから如何様にも読めるのですが、樺を「から」と読ませる例も少ないのではないでしょうか。

カラフトの「カラ」も部分に「樺」の字を充てた所以は、[62501]北の住人さんより、
江戸時代を通じ一般的なものは「唐太」です。一時的に「北蝦夷」が使われますが、幕末からまた「カラフト」と称され、「柄太」「柯太」が多く使われ、明治2年以降は「樺太」に定まりました。
「樺太」については、「樺が多いから」という松浦武四郎の意見が採られたようです。
とフォローいただきましたが、正に樺太は白樺の木の多いところです。現地で飲んだ白樺ジュースのおいしかったこと。サハリンの名産だと聞きましたが、ロシアのほとんどの地域で白樺の木は多く、全国的に生産されていたようです。ソ連時代の末期、ヴォルガ沿岸のゴーリキー市でも食料品店の棚には品薄で何もなかったような時でさえ、白樺ジュースだけは入手が容易だったと聞きました。ソ連解体後はコーラなど西側の飲料が大量に流入し、それに反比例して白樺ジュースは人気薄となり、これを売っている店を探すのはロシアでも容易ではありません。
話が逸れましたが、その白樺の「樺」の字を「カラ」と読ませるのはちょっとした無理があり、後世「カバフト」と読み改められる恐れがあるから「柯太」と表記すべしとの議論もあったと聞きます。

北の住人さんの記事にあるように「樺太」の表記が松浦武四郎の意見により採られた明治2年のことですが、では江戸期において「樺太」との表記があったのかどうかの検証も必要になってくることと思われます。以下、結論には達しませんが、メモ代わりに画像へのリンクも添えて続けます。

北海道大学付属図書館北方古地図高精細画像電子展示のコーナーには、1801年に普請役・中村小市郎と小人目付出役・高橋次太夫の調査による「樺太見分図」とのタイトルで2葉(離島説、半島説)出ていますが、こちらにも地図色分けの凡例部分に「唐太山」の表記があることから、タイトルの「樺太」は後に付けられたもののようにも思われます。
また、別に近藤重蔵が1802年に作製した2葉(1離島説、2半島説)の地図を「蝦夷及樺太ノ図」とのタイトルが付けられていますが、実際に地図を見るとカラフトには「唐太」と表記されており、北海道大学の「江戸時代における日本北辺地図(講演要旨)」には同じものが離島説・半島説を併記した形で「近藤重蔵「蝦夷地図式 乾」1802年として紹介されていますから、こちらも「樺太表記」を裏付けるものではありません。
なお、船越昭生著「北方図の歴史」(講談社―1976年)には「蝦夷及樺太ノ図2半島説」と同じものが『近藤重蔵「蝦夷地図式」乾』として載せられています。

さて、船越氏の「北方図の歴史」などに収録されている諸図や解説によると
図名作者など時代カラフトについての表記リンク
蝦夷風俗人情之沙汰最上徳内1790年唐太画像
蝦夷地図式 乾近藤重蔵1802年唐太画像
享和元年樺太見分図中村小市郎・高橋次太夫1801年唐太山画像
辺要分界図考近藤重蔵1804年カラフト画像
唐太島図松田伝十郎・間宮林蔵1809年
北蝦夷島図間宮林蔵1810年
日本辺界略図高橋景保1809年北蝦夷画像
蝦夷闔境輿地全図藤田良・橋本蘭斎1854年画像
官板 実測日本地図(北蝦夷)幕府開成所1867年北蝦夷画像

以上、手持ちの書籍やウエブの画像で読めそうなものを集めてみましたが、これだけでは江戸期に「樺太」の表記が存在したことの裏づけにはあまりにも不十分、というより、否定的な感触です。江戸期においては「樺太」との表記はおおよそ用いられておらず、「唐太」または「北蝦夷」の表記が一般であったことは言えると推察します。


[62501] 北の住人 さん
ところで、全国樺太連盟のサイト(中略)のURLを見ると「kabaren」の文字があり、連盟の略称として「樺」を「かば」と読んでいるようです。実際、「樺太」の読みとして「かばふと」も書いている辞書もありました。
樺連「かばれん」だけではなく、一般に樺太を略して「樺」の一文字で表す場合の読みは大概が「かば」です。1941年に樺太庁鉄道に吸収されましたが、落合駅から分岐してオホーツク海岸に沿って敷香まで建設された「樺太鉄道」も「かばてつ」と呼ばれていました。
大泊―豊原間の貝場駅から分岐して。留多加に至る私鉄線「南樺鉄道」は「なんかてつどう」のようですが。

また、「樺太」を「かばふと」と呼ぶ人も少なくはなく、「からぷと」と呼ぶ人も居たとか。


[62471] むっくん さん
モンゴル帝国の支配地域の拡がりに伴い(中略)、具体的な侵略の歴史を初めて知りました。
拙稿[62450]に書いた「1286年の樺太上陸にはじまる元軍の侵攻で1308年には樺太の諸種族の抵抗を排除」の部分の資料としては、M.S.ヴィソーコフ著、板橋政樹訳「サハリンの歴史」(北海道撮影社―2000年)に基づきました。ロシア側から見たサハリン史です。
アイヌ側からの歴史を紹介したページ「アイヌ民族の歴史年表」というページを見つけましたが、樺太アイヌ(骨嵬)の元帝国との戦いとして、その経緯が詳しく述べられています。
一方、ヴィソーコフ著「サハリンの歴史」には、中国の史料の伝えとして、モンゴル軍がアムール下流に現われ、サハリン北部のニヴフ(ギリヤーク)族を支配下に置いたのが1263年。しかしサハリンアイヌの大多数の種族は頑強に服従を拒んでおり、1286年、強力な武装部隊1万人がサハリンに上陸し各所に配置され、1308年に軍は諸種族の抵抗を排して毎年の貢物を上納させるに至った、とあります。
[62579] 2007年 11月 20日(火)02:05:04【1】ニジェガロージェッツ さん
オフ会での雑談
福博オフ会から早くも十日が経ちました。[62566]グリグリさん、第四回オフ会の記録ページ早速のアップ有難うございます。
ついに実現した参加者全員の集合写真、壮観です。ところで撮影場所の福博であい橋の西詰は、拙稿[61426]でご紹介した明治43年の福岡市地図を見ると福岡市外になっています。今ではすっかり都心のど真ん中と思える場所で、以前の県庁のすぐ傍に当たりますが、明治時代の福岡市域がいかに狭かったか、と言うより、当時の「市」というもののあり方が伺えて面白いところです。

さて、小生オフ会から帰神してからというもの、先週はすっかり抜け殻のようになってしまい、第二水曜日の町内の荒ゴミの日さえ、ついうっかり荒ゴミを出すのを忘れてしまいました。
ところで、この「荒ゴミ」という言葉、日常的に使っていた言葉なので、全国どこでも通じる日本語の普通名詞だと思い込んでいたのですが、最近、神戸などの一部地域でしか通じない言葉だと知りました。
オフ一次会で隣席の皆さんに尋ねてみましたが、当たり前に通じたのは同じ神戸の小松原ラガーさんのみで、尼崎のかすみさんにさえ通じない言葉でした。らるふさんからは「荒」の字が違うとのこと。「粗ゴミ」ならば少しは通じるエリアが拡大するかも。

とはいえ、平成16年12月に神戸市のゴミ収集区分では荒ゴミが廃止され、従来であればジャムの小ビンから大型家具に至るまで、燃えないゴミは何でも荒ゴミとして廃棄していたのですが、今やそれは昔話。しかしながら、言葉としての「荒ゴミ」は今なお、神戸においては生きています。今のゴミ出し区分が徹底されれば、そのうち死語になる可能性はありますが。

一方で既に死語になった言葉としては「別勉」がありました。昭和40年代に神戸でリアル小学生だった小生より年配の人のみに通じる言葉のようです。
「別勉の横の荒ゴミ置き場にほかして来い」と言っても何のことだか。
「学習塾の横の不燃ごみ収集場所に捨てて来い」とは、些かまどろこしい。

話は変わってオフ三次会では、かぱぷうさんが白桃さんにコップ酒を一升瓶に見立てて、「これで頭を一発やってください!」と懇願するシーンがありました。何でも過去の書き込みから「都市人口トップ10」が言えなかったとかで、面白いエピソードでした。
すっかり出来上がっていた白桃さんがその場でどう対応したかはさて置いて(笑)、小生は「トップ20」ぐらいは諳んじていないといかんと思って、帰りの新幹線の中でトップ20をメモに書き出して帰宅後確認すると、80万都市の15位サラトフと16位ヴォロネジを逆にしていました。
どこの国の話やねんっっ! と言うことで、荒ゴミのような書き込み失礼いたしました。

#カラフト「樺太・唐太」について数多くのレスを有難く頂いていたのですが、また後日ということで稿を改めさせてください。
[62497] 2007年 11月 12日(月)20:54:30ニジェガロージェッツ さん
オフ会堪能して参りました
こんばんは、「兵庫県オッサンカルテット」のひとり、ニジェガロージェッツです。
福岡からは昨晩帰神いたしましたが、PCの調子が悪かったのと、旅の疲れで、本来ならば真っ先に参加者皆様への御礼などを落書き帳へ書き込むべきでしたが、一日遅れになってしまいました。

一昨日の福博オフ会(一次会は博多区、二次会以降は中央区での開催)では皆様お世話になりました。
見事な采配で、そつなく幹事役をこなされた、かぱぷうさんには何と御礼を申し上げればよいかわかりません。
小生は四次会のカラオケ店を2時に失礼したのですが、[62470]かぱぷうさんの書き込み時間ではまだ4名いらっしゃったとは、家族旅行途中の御仁もまだ粘っておられたようで、御仁の日曜日の家族内での修羅場を勝手に想像して他人事ながら血の気が失せました。

さて、当日を振り返れば、一次会では[62493]ペーロケさんのシルエットクイズで引いた紙を見て、それを「壱岐」かと直感したのですが、周りから「それは壱岐じゃないよね」と断定されると、「ああ、やっぱり違ったか~」とあっさり自説を放棄するという一貫性のなさ、そして解答をもらうとしっかり壱岐だったりして、「やった!」と自説放棄を棚に上げて喜ぶという馬鹿さ加減。

二次会ではまかいのさんが披露されていたニュージーランドの道路地図を見ながらの談笑に、また、JOUTOUさんとは軍人将棋とカルビーの「仮面ライダースナック」のお話に花を咲かせ、昭和47~48年当時に戻った感覚でした。

三次会と四次会では音痴にもかかわらず歌を2曲づつ歌ってしまいました。場違いな三次会にもかかわらず歌ったのは、
―♪つくしのきわ~み♪―で始まる「蛍の光」と、「豊原市制謳歌」でした。いったい何をやっているのやら。厚顔無恥が続きます。

最近は腹の底から笑ったことがなかったので、本当に毎年の落書き帳オフ会は日々の暮らしの気分転換だけではなく、カンフル剤にもなります。とはいえ、毎年毎年羽目の外し過ぎです。
次のオフ会に参加する時は少しは大人しくしていようと思います。

楽しいひと時を提供してくださった、幹事役かぱぷうさんをはじめ、オーナーのグリグリさん、参加者の皆様、本当に有難うございました。


#三次会で歌った「豊原市制謳歌」ですが、少し噛んでしまったのと、一部に歌詞がうろ覚えの部分があったため、この場をお借りして1~4番の歌詞を書いておきます。(音楽テープを聴くと五番まで歌われていますが、歌集には載っていないため、五番の歌詞は割愛します)

【豊原市制謳歌】昭和12年
一、
北斗を仰げ北のはて ねいき巷に満ち満ちて
ようようにみめぐみ まつところ
市民われらに希望あり おーおー おーおー
荒茫と極みなき 希望の都 豊原市

二、
鈴谷の眺め水清く 若き命を生みいずる
みいまのしおの よぶところ
市民われらに光あり おーおー おーおー
発瀬(はつらつ)とほとばしる 光の都 豊原市

三、
累々満てる天産の 光輝く朝あけて
共栄の旗 ゆくところ
市民われらに力あり おーおー おーおー
隆々と盛りあがる 力の都 豊原市

四、
日々のみいずみ潤いて 殖産興業日に進み
世紀の嵐の 吹くところ
市民われらに誉れあり おーおー おーおー
洋々と拓けゆく 誉れの都 豊原市


 
[62450] 2007年 11月 9日(金)23:35:19ニジェガロージェッツ さん
いつもながらの遅レス2題
いよいよ明日は楽しみに待った福岡オフ会です。明日は午前中いっぱい仕事で、新神戸を13時を過ぎてからの新幹線で博多を目指します。幹事役のかぱぷうさんをはじめ皆様、お世話になります。
さて、出発を前に、いつもながらの遅レスにて恐縮ですが、オフ会を心残りなく楽しむためにも、宿題を済ませておきましょう。

[61689] 伊豆之国 さん
西伊豆町の田子地区に、「唐太(からふと)」と呼ばれている地区があります。
西伊豆に「カラフト」ですか。これはこれは面白い地名をご紹介くださり有難うございました。
西伊豆の「カラフト」の由来としてリンク頂いたページによれば、岩礁(=カラ:マライ語由来など諸説あり)の先端が太くなっている地形から付けられたとのことですが、
一方の北海道の北にある大きな島を「カラフト」と呼ぶのには大きく分けて2説あるようです。このあたりは雪の字さんやIssieさんがご専門かと思いますが、ちょっとメモ代わりに書いておきます。

【アイヌ神話説】
社団法人全国樺太連盟のサイトに樺太の名前の由来として紹介されていますが、アイヌの伝説として、神が生んだ大きな島を北海道と樺太の二つに割る国造りの伝説から、それをアイヌ語で「カムイ(神)、カラ(造る)、プト(河口)、アツイ(海)、ヤ・モシリ(丘・島)」と言い、その「カラプト」に「唐太」の字を当てたとする説。
なお、この説はロシア語のウィキペディアの記事Южный Сахалин(南サハリン)にも樺太の由来として引用されています。但し、出典は?で問われています。

【唐人説】
江戸時代に大層重宝がられた清国産の衣服を「蝦夷錦」と呼ばれることに代表されるように、日本と清国を結ぶ「北のルート」、山丹(現在のロシア領ニジニ・アムール地域で、元は清国領)―樺太―北海道を経由する山丹交易が存在したことから、樺太のことを「唐人」「唐太」と呼んだとする説。
更に時代を遡れば、大陸ではモンゴル系の元朝の時代、文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)に続く「第3の元寇」とも言うべき、1286年の樺太上陸にはじまる元軍の侵攻で1308年には樺太の諸種族の抵抗を排除し、一部の歴史ロマンには次は北海道へ上陸する戦略があったかとも推測されている「北の元寇」の歴史もあり、この島の中国大陸とのつながりの深さを物語っています。

蝦夷地を北海道に改める際、北蝦夷地=カラフトについては「唐」の字は清国をイメージすることから国内の地名としては好ましくないとのことで、「樺」の字を与えて「樺太」としたとのこと。

どちらの説もなるほどと感じさせるものがありますが、まあ敢えて一つに絞る必要もないのかも知れません。西伊豆のカラフトと北蝦夷のカラフト、どちらも「唐太」の表記が出てくるのは、やはり偶然の一致でしょうか。

伊豆とロシアの関係といえば、幕末の伊豆近海でのロシア軍艦座礁事件と、その代替艦の建造が戸田港で行われたことです。
1854年に下田で結ばれた日露和親条約とその顛末ですが、その時のロシア側の全権代表はプチャーチン提督(Е. В. Путятин)で、安政の大地震の津波により大破し、その後沈没した船はフリゲート艦ディアナ号(фрегат Диана)でした。プチャーチン提督の肖像と津波を受けて転覆するディアナ号を描いたロシアの絵画がこちらのページに載っています。
新造したスクーナー帆船ヘダ号(шхуна Хэда)については歴史小説になっています。「ヘダ」と題したこの本はソ連時代1979年に出版されています。表紙の絵が何とも当時の伊豆の様子を表しているようで好感が持てます。
#どちらもロシア語のページですが、絵だけでも楽しんでいってください。


[62273] まがみ さん
私も地名由来?のニックネームではあります。実際とは「読み」が違いますが…。人口は、9,941人。2007年6月末現在、高槻市真上町一丁目~六丁目の合計人口
これはこれは大変なお人が漏れておりました(笑)
読み方が違うことも含めて昔どこかでお聞きした記憶はあったのですが、改めて探してみると4年半前の貴稿[13150]にしっかりと書かれていました。失敬いたしました。

拙稿[61343]には、まだまだ漏れがあるようで、いつもながらの詰めの甘さ、恐縮しております。
[62325] 2007年 11月 1日(木)01:51:09【1】ニジェガロージェッツ さん
Re:神戸市西区
[62321] 小松原ラガー さん
今期(今月?)の神戸市西区の増加って一過性のものではありませんか?(中略)
ここ2~3年程度は都心回帰というか、西区、垂水区はむしろ現状維持、もしくは人口減の方向に向かっていたかと思うのですが・・・。
酔った勢いで子供に変な先入観を植えつけてもらっては困ります(笑)
人口減少区の垂水区と、人口増加区の西区を一緒にしてはいけません。
ですが、西区についても[62320]ドラえもんさんの言うような、
30万人越えももう間もなくというところです。
は、ありえません。
「間もなく」をどの程度の年月を想定しているのかは本人に聞かなければわかりませんが、西区の直近5年間の人口増加数は修正値ベースで8,846人、年平均すると1,769人にすぎません。
仮に甘く見積もって、年平均2000人の人口増が見込まれるとしても、
(300000-248000)÷2000=26年。これって「間もなく」ですか。これを「間もなく」と言ってしまうと、私は「間もなく」71歳になってしまいます(笑)
私の勘ですが、西区の場合、人口26万(多くても27万)ぐらいで頭打ちになるのではと感じています。

震災後の各年10月1日現在の人口データを出しておきます。出典/神戸の統計
年月北区の人口垂水区の人口西区の人口データの性質
平成7年10月230,473240,203222,163国勢調査結果確定値
平成8年10月231,500235,672228,932推計人口修正値
平成9年10月230,454229,440234,118推計人口修正値
平成10年10月228,131224,711235,580被災地人口実態調査結果
平成11年10月226,781225,681235,743推計人口修正値
平成12年10月225,184226,230235,758国勢調査結果確定値
平成13年10月224,853225,361237,597推計人口修正値
平成14年10月224,775225,037239,315推計人口修正値
平成15年10月224,847224,873240,698推計人口修正値
平成16年10月225,480223,565242,117推計人口修正値
平成17年10月225,945222,729243,637国勢調査結果確定値
平成18年10月226,207221,319246,201推計人口
平成19年10月226,440220,546248,161推計人口

平成8~9年より平成11年までは震災後の仮設住宅の撤去の影響もあり、垂水区で大幅な人口減、西区でも増加の鈍化(新規開発地の人口増と仮設住宅撤去による人口減が相殺される)が見られるのが特徴です。
[62240] 2007年 10月 26日(金)22:00:23ニジェガロージェッツ さん
一桁の疑問
[62230] 千本桜 さん
興味深い出荷額と人口のデータ、有難うございます。
横レスにて申し訳ありませんが、相模原市のデータ
相模原市  140,516,349万円  703,717人  1,997万円
一桁間違っていませんか。

相模経済新聞の記事には、「1兆4千500億円」とありますから、千本桜さんの出荷額データを尊重すると、
相模原市 140,516,349万円 703,717人 200万円 が正しいのではないでしょうか。
[62005] 2007年 10月 16日(火)23:19:46ニジェガロージェッツ さん
神戸での相互乗り入れ
[62000] 小松原ラガー さん
あれ、そう言えば、阪急電鉄としては三宮から神戸市営地下鉄山手線と乗り入れて西神中央を目指していたのではなかったっけ?

むしろ、この阪急阪神HDへの株式譲渡で、阪急の神戸市営地下鉄乗り入れ構想は進みそうな気もします。

阪急としては、阪急春日野道―三宮間を地下化し、現在の阪急三宮駅を廃止。神戸市営地下鉄に連絡してニュータウンの西神中央と大阪・梅田を結ぶ構想(神戸新聞・04年7月22日付け記事)ですが、そのネックとなっていたのは、実現すれば神戸市の第三セクターである神戸高速鉄道の新開地駅まで乗り入れている阪急の撤退からの神戸市の難色にありました。
神戸市には、その他にも地下化される阪急線建設への事業費負担、阪急乗り入れによる三宮―新神戸―谷上間の運行本数の減少がありますが、この株式譲渡により、「反対勢力」たる神戸市が神戸高速鉄道から抜けることになり、すでに実現した阪急と阪神の経営統合を合わせ、いよいよ時期が熟してきつつあるとの印象を持ちました。
神戸高速鉄道線には阪神を、市営地下鉄線へは阪急、の色分けが決定付けられたように感じます。
[61873] 2007年 10月 13日(土)11:16:50ニジェガロージェッツ さん
ご自身で解決を
[61865] YSK さん
レス有難うございました。[61865]を書かれるにあたっては、よほど思うところがあってのことと察します。
拙稿[61863][61826]につづき、YSKさんには厳しい物言いになってしまい、またYSKさんならずとも、ご気分を害された方もいらっしゃることと思います。その点は、申し訳なく感じております。


思えばYSKさんとは、2003年には神戸・長田にも足をお運び頂き、また私を両毛への旅に誘っていただいたりと、本当に良い青年とお知り合いになれたと、率直に喜んでおりました。

そういう背景もあり、友人としても、今回は敢えて心を鬼にして申し上げます。

オフ会に関する書き込みだけではありませんが、他人を怒らせたり、また迷惑を掛けてしまったと思われるのであれば、まずなすべきことは、その怒りを癒してもらうように対処するのが先決です。
「申し訳ございません」と言いながらも、自分の心情を一方的に相手に吐露して理解を求めるやり方は、あまり上手な事後対応には感じられません。
また、その後も「一から出直すつもり」で、まるで何もなかったかのような今までどおりの頻度で書き込みを続けるのは、場合によっては、相手に拒否反応を増幅させるだけのものになる恐れさえあります。

「落書き帳で、自分は認められているのだろうか?仲間はずれにされていないか?」といった不安にさいなまれて、その気持ちを押しとどめられなくなると、皆さんに迷惑をおかけするような発言に至ってしまうように思います
「認められていない」と感じられるのであれば、認めていただくように精進するしかありません。また、ここはリアルの実生活の場ではありません。仮に「認められていない」としても、それがどれほどの不都合を生じるのでしょうか。
私には、YSKさんの[61865]を読んでの感想として、余りにも自己中心にしか物事を見ていないと感じざるを得ませんでした。

私がちょっと変な方向の発言をしたら、「きっとこいつは不安になっているな」と受け止めていただき、適切な方向へお導きいただければ、幸いです。
それはご自身の心の問題です。他人が立ち入れる筋合いのものではないと私は考えます。
少なくとも、私にはYSKさんを適切な方向へ導くことなど、出来ることのようには思えません。
敢えて私見を申し上げるとすれば、何か変な書き込みをしそうであれば、心が落ち着くまで、書き込みを控えていただく他はないと思っています。


皆様、本当にお見苦しい粗末な物言いを続けて申し訳ございません。
YSKさんへの地理には関係ないメッセージはこれを最後にしたく存じます。
[61863] 2007年 10月 13日(土)00:27:08【2】ニジェガロージェッツ さん
アドバイスを超えてしまったようで恐縮です
[61861] オーナー グリグリ さん
第十七回十番勝負いつもながらのご盛況、ご同慶の至りです。小生今回も参加できずにおり、申し訳なく感じているところです。
現在微力ながらも都市人口のデータの整理を続けており、都道府県の範囲を超えた某国(笑)のデータですが、ネットの世界では小生以外にこのようなことをやっている人はいないようで、思いもよらないような機関や組織から問い合わせがきたりで、何か使命感のようなものまで感じるに至っております。
そんなこんなで、今回も十番勝負は静観にて失礼いたしておりますが、機会があればそのうち参加させていただきたく思います。
(恐らく、十に一つも当たらない誤答の山を築くことになりそうですが・・・)

#らるふさん、ニジェさん、お気遣いありがとうございました。
オーナーのこの一言で、救われたような気がいたします。
実際に[61826]を投稿するに当たり迷いがありました。特に十番勝負のお祭りの盛り上がっている時期でもあり、あまり無粋なことを書くのもこの場の雰囲気に水を差すようで、気が進みませんでした。
ですが、ドラえもんさんや日本人さんに対して、アドバイスのつもりでも相当厳しい注文といいますか書き込みをしてしまい、その一方で、たとえ三十路を過ぎた青年とはいえ、明らかに変な書き込みをされる方がおられると、やはり一言お伝えしなければならないような気がして、僭越ながら投稿させていただいた次第でした。
[61822]を書かれたらるふさんも、相当嫌な思いがあったことと察しております。「ア・イ・シ・テ・ル」という言葉も度々一方的に言われると、正直なところ気味の悪いものを私も感じておりました。

さて、いよいよ第四回福岡オフ会開催までひと月を切りましたね。
幹事役をお引き受けされたかぱぷうさんが精力的に、そつなく下準備をされ、盛況が目に見えるようです。福岡行きが今から楽しみです。

厳しい注文ついでに、大きなお世話になりますが、ひとつだけお願いをしたく存じます。
第二回神戸オフ会に際しては、[44957]
関西に来ているにもかかわらずオフ会には参加しておりません。
第三回金沢オフ会に際しては、[54320]
オフ会についても参加することはないでしょう。皆さんとお会いすることももうないと思います。
などという書き込みは、今年こそ控えていただきたく思います。開催に尽力された世話役の皆様をはじめ、楽しいひと時を過ごされた参加メンバーに対して、大変に非礼な言葉です。
[61826] 2007年 10月 11日(木)03:12:01【2】ニジェガロージェッツ さん
スルーできませんでした
私は今回の一連の[61343]に始まる日本人人口の件で、初めて日本人さん、ドラえもんさんご両名とレスを交わしましたが、こちらがきちんと伝えたいことがまともに伝わらず、特にドラえもんさんには妙なところだけ変な形で引用されレスを付けられ戸惑いました。
いちいち反論するのも大人気ないこととスルーするつもりでおりましたが、やはり伝えておくべきだと考え、以下に記します。

[61501] ドラえもん さん
しかし、ニジェガロージェッツ さんは、「日本国内の日本人人口(有効数字千人まで)」と書きながら、
日本人人口=125,730,148+482,341×125,730,148÷127,285,653=126,206,595人
を書かれているので、

この部分、文面からは私ニジェが「有効数字千人まで」としているところを、1人単位の数字まで書いているのに首を傾げているかのような印象を受けます。
ですが、「日本国内の日本人人口(有効数字千人まで)」としているのは、[61343]に引用した2006年10月1日現在の推計人口であり、
「日本人人口=125,730,148+482,341×125,730,148÷127,285,653=126,206,595人」
としたのは、[61459]に引用した2005年10月1日現在の国勢調査人口に基づいての計算です。
まったく違うデータに関する備考をひっつけて、コメントするのは論外です。

そして、更に
このニジェガロージェッツ さんの算出された人口(国内)と自分の算出した、人口(国内)を比較してみると、約100万人の差が出来てしまいます。
と続きましたから、結局はドラえもんさんはご自身の導き出したデータと、[61459]にて私が導き出した126,206,595人との差についての謎を言いたかったことと読み取れます。
この謎については[61510]中島悟さんが的確にフォローしてくださったので、ここでは「謎の解明」を繰り返しませんが、この一件を見ても、また他の皆様へのレスを見ても、ドラえもんさんは他人の書いた記事の意味が理解出来ておらず、そのうえ、記事の引用の仕方も理解していないのではないかと感じました。

ですが、ドラえもんさんはまだ若年でおられることから、これからいろいろな事を学び経験していく中で、数年の時間は掛かるかもしれませんが、これらの間違いや行き違いはご成長とともに解消していくものと思われます。
ですから、他の皆様からのアドバイスにもあるように、レスを急がず、ドラえもんさんに対して書かれた記事をよく読んで理解をする習慣をつけていただきい。そして理解が出来ないのならば、記事のどの部分が分からないのかを率直に尋ねられると良いかと思います。


[61486] 2007 年 10 月 3 日 (水) 11:05:02 YSK さん
先ごろ、個人的に悲しい出来事がありまして、気持ちを察しますとかなりつらい気持ちになってしまいます・・・。今はゆっくりと休まれ、いつかまた復帰していただけることを願って止みません・・・。
大変お気の毒な内容ですが、どなた様のことをおっしゃっているのか分かりませんでした。
書き込みの時間も普通の社会人であれば勤務時間内のことでもあり、よほどの緊急事で、また「落書き帳」に書かれるからには、ここのメンバーなり関係者のことかとも思いましたが、どうやら「落書き帳」とは無関係の芸能界の方のようですね。
書き込みをするのであれば、何ゆえ誰のことかを明記されなかったのでしょうか。
誰のことかを触れたくないのであれば、そもそも書き込みをされる必要があったのでしょうか。
その一方で、[61822]らるふさんへのメッセージは「落書き帳」には投稿されず、[61825]にて言葉を濁したうえでご自身の掲示板へ誘導しようとなされる、私には理解が出来ません。
「落書き帳」に書けない内容ならば、また、メールでしか伝えられないような内容ならば、一層のこと何も書かないという選択は出来なかったのでしょうか。
ここでは「申し訳ありませんでした」としながらも、「場外」で自己弁明に終始するのは傍目に見ているだけで不愉快になります。
[61561] 2007年 10月 7日(日)19:50:12ニジェガロージェッツ さん
再決着
[61556] Issie さん
ドラえもんさん が「決着がついていない」と感じているなら,それはそれで悪いことだとは思いませんよ。

確かに、おっしゃる通りです。
ただ、例えば[61535]について、人口数についての問題だけであれば、その数値だけを書いて、出典へのリンクを添えておけばそれで済む事です。
ですが、[61535]を書くに当たっては数値そのものよりも、その数値の導き方(つまりネットでの見つけ方)と、その数値の背景(どのような性質の数値か。外務省はどうやって調査したか)に重点を置いて、ややしつこいほどの説明させていただいたつもりです。
それを、ドラえもんさんは[61537]にて、全体の数値にのみコメントなされ、さらに[61547]にて「まだ決着がついていない」とこられましたから、私としては、大人げないのですが、「いったい何が?」と感じた次第です。

ドラえもんさんへ
拙稿[61555]を受けて、訂正機能を利用して貴稿[61547]の引用部分
(まだ決着はついていないようですけど。)
を削除された上で、私へのレスを書かれておられますが、このような記事の訂正は混乱を招く恐れがあります。この場合には、Issieさんへのレスも含め、新たな記事として投稿されることをおすすめします。
なお、書き足された拙稿[61555]に対してのレスの趣旨については、了解です。
時間は掛かってもかまいませんから、急がずに、これからも頑張ってください。
[61555] 2007年 10月 7日(日)18:36:18ニジェガロージェッツ さん
まだ何か不足ですか?
[61547] ドラえもん さん
(まだ決着はついていないようですけど。)

これは人口についての話について言っていますか?
私としては、日本在住の外国人の人口については[61478]にて、海外在住の日本人人口および内外日本人総人口については[61535]にて決着をつけたつもりですが、「まだ決着がついていない」とは何についての決着がついていないのでしょうか。

それとも[61478][61535]については、大半の落書き帳のメンバーにはわかりきっていると思われる事を、できるだけ丁寧に述べたつもりですが、それでもご理解いただけないと解釈してよろしいでしょうか。

私としては、この件、これ以上の書き込みをする意志はありませんので、ご自身のご納得いく形で、ご決着をつけて頂ければと思います。
[61535] 2007年 10月 6日(土)22:26:35【1】ニジェガロージェッツ さん
内外日本人総人口
[61501] ドラえもん さん
外国在住の日本人の人口について、だいたいの結果が出たようですね。データの収集お疲れ様でした。
[61510] 中島悟 さん
適切なフォロー有難うございました。お手数をおかけしました。

小生からもこの辺りで、この件を「総括」と言うほど大袈裟ではありませんが、おさらいしておきたく存じます。

元々は拙稿[61343]に引用した「日本人人口」について、総務省統計局から公表されている平成18年10月1日現在推計人口のうち、日本人人口男女計総数 126,154千人をそのまま引用したことから、果たしてこの数値に外国に住んでいる日本人は含まれているのかどうかという疑問をドラえもんさんが持たれたことに始まりました。
そもそも「日本人人口」と言うからには、日本人は日本国内にのみ住んでいる訳ではなく、外国にも数多く住む日本人を含まないデータでは不正確ではないかと言うことでしょう。
地理好きであるならば当然の疑問で、ドラえもんさんの問いかけには敬意を表します。

で、確かにその通りなんですが、小生は[61343]を書くに当たって、それぞれの数値(人口)は一つの出典からのみのデータにしようと決めていました。
これは、国内のみを対象とした平成17年国勢調査をベースにした国内の推計人口と、外務省が各国に配置している大使館や領事館を通じて把握している在外邦人の人口数という、全く性質が異なると思われる2つのデータを合計したところで、これまた正確なデータとはいえないとの判断からでした。
*(本稿の最後に、この判断を覆します)

[61441] ドラえもん さん
その人口調査には日本人人口は外国にいる日本人の人口は含まれているんですか?
この人口調査は平成17年国勢調査をベースにした国内の推計人口ですから、外国にいる日本人の人口は含まれていません。
但し海外滞在期間が90日以内の出入国者は、外国に居る者とは見なさずに日本に常住していると見なされ、仮にその調査時点で外国に居住していても、日本国内の人口としてカウントされています。

このように、国内の日本人人口は前出の2005年10月1日現在のものは「平成17年国勢調査」、2006年10月1日現在のものは「平成18年10月1日現在推計人口」に出ています。但し平成17年国勢調査の日本人人口には[61459]にも書きましたが、年齢不詳人口が含まれていません。

では、外国に住む日本人の人口のデータはどこにあるのか。
[61501]にてドラえもんさんは外務省の平成12年の海外在留邦人数調査統計に行き着き、既にお気づきとは思いますが、外務省にデータがあります。

海外に3ヵ月以上滞在する場合は、その国にある日本外務省の出先機関である大使館や領事館に在留届を提出する義務があります。小生もロシアのニジニノヴゴロド市に住んでいたときは、そこを管轄するモスクワの在ロシア大使館に在留届を提出しておりました。
もちろん、在留届の存在を知らなかったり、届出を怠る人もいるでしょう。その人の場合は外務省の認知外のこととなってしまい、その国にその人が住んでいることは知られませんから、原則的には滞在者人口のデータには上がらないことでしょうが、外務省では調査に際して
在留届を提出していない邦人もいるので、日系進出企業、日本人会、邦人研究者・留学生が在籍する大学、研究機関、各種学校に調査票を配布し、協力を求めた。
とあり、世界各地に在留する邦人の実態について大部分を把握したと考えられています。

そのようにして推計された海外の日本人人口は、
外務省のHPから、
→「渡航関連情報」→「統計」→「海外在留邦人数統計」を辿って詳細なデータを入手することが出来ます。
それによると今現在の最新のデータは、2006年10月1日のデータで、
3ヵ月以上の長期滞在 735,378人、永住 328,317人、合計 1,063,695人と出ています。

さて、この 1,063,695人というデータは
(1)2006年10月1日のデータである。
(2)3ヵ月以上の長期滞在と永住者のもので、3ヵ月未満の短期滞在者は含まれていない

ということは、日本国内の日本人人口として[61343]にて引用した 126,154,000人というデータも
(1)2006年10月1日のデータである。
(2)海外滞在期間が90日以内の短期出入国者は、日本国内の人口

ですから、この2つのデータはその趣旨は全く異なるものの、性質としては概ね一致しており、この2つを合計してもそれほどの不都合があるようには感じられません。

ゆえに、2006年10月1日現在の内外日本人総人口は、推計人口の有効数字千人に合わせて、
国内 126,154千 + 海外 1,064千 = 127,218千人 と推測されます。


蛇足ですが、[61459]にて総務省統計局の概要を引用したように、日本の人口は
総人口は1億2777万人となっており,前年に比べ2千人(0.00%)の増加
日本人人口は1億2615万4千人で,前年に比べ5万1千人減少
とあることから、この1年前の2005年10月1日現在の内外日本人総人口は
国内 126,205千 + 海外 1,013千 = 127,218千人 と推測されます。

ということは、日本は2005年に人口減少社会に突入したと言われていますが、実際には2006年10月までの1年間では
・日本国の総人口は(国内日本人の減少があるものの外国人の増加により)2千人の増加
・内外日本人人口総数は(国内日本人の減少と海外在留者の増加が相殺され)±0
であると、ニジェ的には推測します。
[61483] 2007年 10月 3日(水)02:15:38【1】ニジェガロージェッツ さん
レス2題
[61467] 日本人 さん
外国人を含めたやつなので、日本人とは言えない人も入っているから認めていないわけですね。
どうも、解釈がずれています。
また、「外国人を含めたやつ」とか「日本人とは言えない人」という表現を外国の人が見ると、本当に気分を害されますよ。

私の言いたかったことは、[61442]Pachiさんが簡潔に仰っておられますが
統計としての性質が違うのに、軽軽しく100万人も人口が減っていますという事は宜しくないのです。
ということです。

本稿に対するレスは同じことの繰り返しになりますから、無用に願います。


[61456] ペーロケ さん
京津: 228,000 「京阪京津線」等
京津については、北京-天津を意味する場合が多い(昔は「平津 =北平-天津」の方が通りが良いかも)ですから、[61471]MasAkaさんに倣って、除外しておいた方が良いでしょう。
北京と天津を「含めない」キーワードに入れて検索すると、73,200件に激減しました。
[61478] 2007年 10月 3日(水)01:21:41ニジェガロージェッツ さん
外国人人口
[61468] ドラえもん さん
最新資料では197万人(2004年)だったので、今現在なら200万人を超えているかな?それと、ニジェガロージェッツ さんの人口とはかなりのずれが有るようですが、これは何故でしょう??

[61448]中島悟さんのアドバイスもあり、ドラえもんさんご自身でデータの収集にチャレンジされておられ、結果が出つつあります。それに横槍を入れる意図はありませんが、元々は拙稿[61437]へのレスに始まったこともあり、この点だけはフォローしておきます。
この人口データのずれは、趣旨の異なるデータを比べてはいけないことの好例でもありますから。

まず、[61468]にもリンクが出されている、外国人登録者数の推移の資料として、法務省「外国人登録者統計」と、出典が明記されていることに留意ください。
(外国人の出入国を管理しているのは、法務省入国管理局です)
法務省のHPの左欄のメニューに「白書・統計」があり、それを辿ると、
「出入国管理関係」→「関連統計」→「外国人登録者統計について」
があり、「平成18年末現在における外国人登録者統計について」と題されたファイルが閲覧できます。
平成18年末現在の外国人登録者数は 2,084,919人とのデータがあります。

一方、拙稿[61459]にも引用した、平成17年国勢調査における外国人人口は 1,555,505人です。
法務省入国管理局のデータで、この国勢調査に時期的に一番近いものは、平成17年末現在の外国人登録者数で 2,011,555人ですが、45万人ほどの開きがあります。

この差については、国勢調査の対象にあります。
国勢調査の対象としては、白桃さんの[58656]にもご紹介されているように、
平成17年国勢調査は,調査時において,本邦内に常住している者について行った。ここで「常住している者」とは,当該住居に3か月以上にわたって住んでいるか,又は住むことになっている者
詳しくはこのページに書かれていますが、3か月以内の短期滞在の外国人は調査の対象になっていないということです。
また、外国の領事機関の構成員や在日米軍兵士やその家族も調査から外されています。
この国勢調査を元に算出される推計人口においても、国内滞在期間90日以内の外国人は除かれています。

このように、外国人の出入国を管理している法務省入国管理局のデータと、統計目的の国勢調査や人口推計におけるデータとでは、その目的も算出方法も異なっています。
ご参考まで。
[61459] 2007年 10月 2日(火)02:40:36【1】ニジェガロージェッツ さん
日本人人口の減少数
[61440] hmt さん
[61442][61445] Pachi さん
[61451] Issie さん
適切なフォロー有難うございます。

元々は拙稿[61343]の、「ニックネームの人口圧力」と名付けた「おふざけ」ネタでしたが、そこに日本人の人口データと、その備考として「日本人人口(有効数字千人まで)」と書いたのが誤解の元でした。
備考欄には、もう少し丁寧に「日本国内の日本人人口(有効数字千人まで)」と書いておけば、日本国総人口と日本人人口の違いが誰にでも判り、今回の百万人人口減という、とんでもない明らかに間違ったレスはつかなかったと思います。
出典を明記していた上、元々がちょっとした「おふざけ」のつもりの投稿であったために、小生の油断が生じた格好になり、その点は反省しております。

日本人さんの[61366]にて、百万人減ったというレスを見たとき、その間違いの性質は日本国総人口との混同によるものであるとの想像はついていました。
ですが、勝手に決め付けてしまうのも如何なものかとも考え、[61426]にて比較の対象となったデータの提示を求めたのですが、その間違いに気づかず[61435]にて堂々と切り返してこられましたので、[61437]の書き込みに至った次第です。

[61451] Issie さん
統計データは,ときどき人をだまします。…というよりも,統計データを利用する側がそのデータの性質をきちんと理解していないと,だまされてしまいます。

誠に的を射た、見事なご指摘です。

Issieさんと違い、小生はこの分野には学識がなく、単に趣味の範囲で人口統計を眺めているだけのことですが、できる限り複数の統計を入手し、その違いから統計の性質に注意するようにしています。

日本国総人口と、日本国内の日本人人口、外国人人口を収録した平成17年国勢調査の諸統計書では、
総人口は「第1表」「第3表」によれば 127,767,994人ですが、「第4表」では 127,285,653人となっています。
その差 482,341人。
しかし「第3表」を最後まで見ていると、年齢不詳人口として、この 482,341人が出ており、これで一つの謎が解決します。

さて、「第3表」によれば日本人人口は 125,730,148人。
「第37表」によれば外国人人口は 1,555,505人。
総人口=日本人人口+外国人人口、と思いきや、125,730,148+1,555,505=127,285,653人。
あれれ・・・、482,341人、少ない!
何のことはない、総人口=日本人人口+外国人人口+年齢不詳人口 だと判ります。

なお、利用上の注意によれば、
「年齢不詳」については,第1表,第2表及び第3表においては集計対象とし,他の表においては集計から除外した。
とあり、「謎の種明かし」がされています。

このように、「第3表」日本人と「第37表」外国人には、年齢不詳人口は含まれていませんから、不詳人口は日本人と外国人の割合で便宜上按分しましょう。そうすると、
日本人人口=125,730,148+482,341×125,730,148÷127,285,653=126,206,595人
外国人人口=1,555,505+482,341×1,555,505÷127,285,653=1,561,399人

ここまで下準備をした上で、拙稿[61343][61437]に提示した、平成18年10月1日の
総人口127,770千人と、日本人人口126,154千人
とを有効数字に合わせて比較してみましょう。
平成17年10月1日から平成18年10月1日までの人口増減は、
総人口 127,770千-127,768千=+2千人
日本人 126,154千-126,207千=-53千人

これで、すこし誤差は生じましたが、平成18年10月1日現在推計人口―概要にある、
総人口は1億2777万人となっており,前年に比べ2千人(0.00%)の増加
日本人人口は1億2615万4千人で,前年に比べ5万1千人減少
におおよそ符号します。

なお、これら統計書における「日本人」の定義は、「日本国籍を有する者」です。
ですから、大相撲で「モンゴル人力士」と総称されていても、日本国籍を取得している旭天鵬関は日本人であり、取得していない朝青龍関は外国人(モンゴル人)になります。
[61437] 2007年 10月 1日(月)09:58:14【1】ニジェガロージェッツ さん
データの取り扱いには、くれぐれもご注意下さい
[61435] 日本人 さん
データの取り扱いには、ご注意下さい。データの、それも増減の比較には、同じ趣旨で集計されたものを比較しないと、意味はありません。

2005年10月1日に実施した国勢調査(確定値)で,前年度から2万2000人割り込み、1億2776万人となりました。

それは日本の総人口です。
私が[61343]に提示したのは、日本の人口のうちの日本人の人口。当たり前のことですが日本には日本人だけが住んでいるわけではありません。
[61343]には、出典として総務省統計局による平成18年10月1日現在推計人口をリンクしておいたのですが、それをご覧になりましたか。
エクセルを装備していないPCでは閲覧できないので、その場合は仕方ありませんが、総人口127,770千人と、日本人人口126,154千人が併記されています。

安易に国勢調査における日本の総人口と、推計人口の日本人人口とを比べて
100万人以上減ってますね。
などと結論付けるのは、おやめ下さい!!!
[61426] 2007年 9月 30日(日)22:27:03【1】ニジェガロージェッツ さん
まとめレスにて恐縮
[61291] かぱぷう さん
福岡オフ会の幹事役、ご苦労さまです。まだひと月あまり先ですが、今からオフ会が楽しみです。メーリングリストで参加予定者を拝見していると、二年前の神戸オフ会にご参加くださった皆様が多く、嬉しい限りです。
「福博」についてのレス、有難うございます。
福岡と博多が合体した様子が良く分かる明治43年の福岡市地図を発見しました。この地図を見ていると、商人の街「博多」と、武家の街「福岡」の違いの名残がまだ残っていたように感じます。

これには爆笑しました!
爆笑していただいて、光栄です(爆)


[61366] 日本人 さん
2番目に多いのですね。
確かに一番は「地球人さん」に掛かる地球人人口ですが、「自分は地球人である」と意識して暮らしている人は少ないと思います。
一方、「自分は日本人である」との帰属意識を持ち、またそれを誇りにしている人は大勢おられ、そういう意味で「日本人さん」は「一番重いニックネーム」を背負っていることを肝に銘じて頂ければと思います。

私は短いとはいえ海外での在住経験があり、日本人であることを常に意識しておりました。
ですから、「日本人さん」がこの落書き帳で粗末な書き込みをされて、指摘を受けて謝罪を繰り返すのを見せられるのは、そのニックネームに対しても決して愉快なものではありません。
素直に謝罪するのは大変良いことですが、謝罪を必要とされるような書き込みは、投稿の際にご一考いただければと願います。

年の人口最高の時から1000000人も減ってしまったのですね
日本人の人口が百万人も減っているのですか!
比較の基になったデータの提示を、以下の観点から願います。
1)「年の人口最高の時」とは何年の何月のデータですか?
2)データの出所(出典)は何ですか?

この落書き帳は、ちょっとしたデータベースにもなっていると思います。
雑レスとはいえ、「落書き帳」を通じて意味不明のデータが発信されるのは看過できません。


[61370] スピカ さん
スピカ おそらく0 第12回国星調査? 全域が不可住地
いやぁ、これは完全に小生の見落としでした。一本とられました(笑)
[61363] 2007年 9月 29日(土)00:41:16ニジェガロージェッツ さん
「京」の意味する街は
[61297] 伊豆之国 さん
ところで関西在住・出身の皆さんにお伺いしたいのですが、

関西在住の皆様から、主に京都・奈良両都市の結びつきからの諸レスが続き、納得のいく説明がなされていると感じます。
同じ意見を繰り返しても面白みがないので、皆さんに続き「京奈」と言う呼称が定着していない現状について、別の側面からふと思いついたことがあります。
(ニックネームは遠くに置いていますが、一応、小生もどっぷり関西在住・出身なので)

一般に関西で「京」といえば即ち京都を指しますが、京都=平安京よりも古い歴史のある平城京を持つ奈良の人々にとって、「京」の文字が自分達の街を指すという意識は考えられないでしょうか。
三文字で「京阪奈」「京奈和」となれば(どちらも比較的新しい呼び名だと感じますが)、府県名の連名ということで奈良の人々にも受け入れられるとしても、京都との一対一で「京奈」と略されると、ちょっと心中穏やかではないところがあるのではないかとも感じます。

いずれも小生の雑感でしかありませんが、奈良に生まれ育った人は「京」の一字について何を連想するのかが気になるところです。
[61343] 2007年 9月 27日(木)23:44:27【1】ニジェガロージェッツ さん
ニックネームに掛かる人口圧力
落書き帳にメンバー登録されているニックネームに関しては、それぞれ色々な想い入れもあることと存じますが、今回は人口データから視点を当ててみたく思います。
2007年9月27日現在、登録208名のなかで、そのニックネームに関連して人口データが算出できそうなメンバーが、ざっと見たところ小生を含め約10名おられます。
人口が多いほど「大それたニックネーム」ということで、その「人口数を代表しての書き込みを心掛ける」ことを肝に銘じて・・・。(笑)

ニックネーム人口データの日付備考など
地球人さん6,628,429,9312007.09.27米国勢調査局、国連統計のデータから推計 出典
日本人さん126,154,0002006.10.01日本人人口(有効数字千人まで) 出典
花の東京都民さん12,787,9712007.09.01東京都推計人口 出典
ニジェガロージェッツ1,600,6092002.10.09露・ニジニノヴゴロド州の男性人口 出典
佐賀県さん859,0102007.08.01佐賀県推計人口 出典
ハンブルガーさん824,6861999独・ハンブルク市の男性人口 出典
伊豆之国さん426,1492007.09.01静岡県伊豆半島5市5町および三島市、函南町人口合計 出典
葵区さん262,7742007.08.31静岡市葵区住民基本台帳+外国人登録人口 出典
JOUTOUさん223,0562007.09.01東京都江東区のうち、旧城東区域の住民基本台帳人口 出典
太白さん220,7622007.09.01仙台市太白区推計人口 出典

各メンバーのニックネーム由来については精通しておらず、まだ漏れがあるかもしれません。その他、以下、ご容赦の程。

1)「ハンブルガー」さんに関しては、小生ドイツ語は分からないのですが、名詞に男女の区別があったと記憶しています。ニックネームは男性名詞と勝手に推測して男性人口のみのデータを探し、古い国連のデータにてお茶を濁しました。
なお、ハンブルク市の人口は2005年12月31日現在1,743,627人のデータがあります。 出典

2)「伊豆之国」さんについては「伊豆の国市」が存在しますが、ニックネームに敢えて「之」の字を充てておられることから、狭義の「伊豆の国市」ではなく、「伊豆国」のことと勝手ながら推察させていただきました。その「伊豆国」の範囲には、旧戸田村など現在の沼津市域を含みますが、人口データには沼津市域の人口を含んでいません。

3)12,787,971東京都民の中には、東京都に住んでいることを「花」だと思っていない人が居るかも知れません。

4)「足利人@伊勢原市民」さんについては、神奈川県伊勢原市民100,723人(2007.09.01 出典)のうち、栃木県足利市出身者の人口が該当するのでしょうか。さすがに公表外データのようで・・・

5)「三丁目」さんについては、全国津々浦々に存在する三丁目の人口を漏れなく摘出し、総合計することで人口データの算出は理論上可能ですが、どうかご容赦の程・・・・。
[61223] 2007年 9月 19日(水)16:59:02ニジェガロージェッツ さん
オフ会に行きたい^2
[61211] 2007 年 9 月 18 日 (火) 04:08:25 かぱぷう さん

ホークスが日本シリーズに出場した場合、タイガースほどではないにせよ「のぼせもん」が福博の街で大騒ぎすることが目に見えてます
福岡オフ会の幹事役ご苦労さまです。
「のぼせもん」とか「福博」とか、初めて目にする言葉が新鮮です。
こちら神戸でも「兵神」という言葉があるにはありますが、今では一部の企業名以外では完全に死語になっており、「福博」という言葉が生きている福岡・博多の歴史を感じます。

タイガース優勝には、大阪・道頓堀川への飛び込みが、恥ずかしいことですが恒例になってしまいました。福岡でも同様の「飛び込み」が発生するのでしょうか。ですが、福博の川底には投げ捨てられた使いきりのクラウンライターが堆積しているでしょうから、そのような所へ飛び込むのはいかがなものかと。

とはいえ、今から福博行きが楽しみです。
[61095] 2007年 9月 8日(土)22:19:47ニジェガロージェッツ さん
茨田
取り急ぎの事実関係のみ確認にて失礼します。

[61094] 伊豆之国 さん
この「茨田」は、「まつだ」と読むそうですが、
関西では比較的よく聞く地名ですが、読みは「まった」です。
[61016] 2007年 9月 3日(月)02:30:56ニジェガロージェッツ さん
まとめレスにて恐縮
数ヶ月前の記事へのレスもありますが、いつもながらの亀レス、まとめレスにて恐縮です。

[58258] 2007 年 5 月 3 日 (木) 00:11:22【2】 いっちゃん さん
中でもこれは感動モノです。70~80年代にそれなりの年齢だった関西人(関西系?)には堪りません
小生の名まで挙げていただいておきながら、反応出来ずにおりました。
自称「浪速のモーツァルト」ことキダ・タロー氏作曲のメドレーですが、キダ氏は今でも関西のメディアでは露出度が高く、ときどき曲を聞かされるので、特に「懐かしい」というよりは、「また相変わらず・・」というのが率直な感想でした。
70~80年代に関西に住み、その後関西を離れた方々には、確かに懐かしさがこみ上げてくるメドレーだとは思います。


[59382] 2007 年 6 月 23 日 (土) 22:26:22 雪の字 さん
ありました!「志の田うどん」が。それとは別に「きつねうどん」もありました。
(中略) 「きつね」と「しのだ」は、別物のようです。
[54256]むっくんさんのお話から、名古屋では「しのだ」はお揚げを短冊状に切って具にした饂飩、「きつね」はお揚げが一枚ものの状態で具にした饂飩のようですね。
ただ、
「このあたりは東西の中間という感じだから、店によっても差が激しいよ。二、三件のお店を見て、わかったような事を書いちゃダメだよ」
というご忠告からすると、これもお店によりけりでしょうか。(笑)
出汁の濃い淡いを含めて、名古屋では当たり外れが多いと覚悟しておかなければなりませんね。


[59578] 2007 年 7 月 1 日 (日) 22:49:53 小松原ラガー さん
北側を呼ぶ時には・・・恐らく「大池」、「唐櫃」、「花山」など、もっと細かい地名を使っているケースが多く、意外と「裏六甲」という言葉は使っていない状況です。
学生時代は六甲山系のハイキングを趣味としていて、いちいち距離を計算して付けていたのですが、二度の六甲全山縦走大会への参加を含めて4年間(昭和56~60年)の合計で1100kmほど六甲山系を歩きました。そういう経験から「裏六甲」という言葉についてですが、神戸電鉄沿線の住宅地には用いられていないと感じております。ですが、もちろん「死語」になっているとも思いません。
拙稿[42057]にも書きましたが、あくまで六甲山域(登山道関係や自動車道など)に限る、「六甲山脈の北斜面」としての意味合いのみです。
もちろん「表六甲」も同じで、山域のみの範囲で「六甲山脈の南斜面」との意味で、神戸旧市街地を表す言葉ではありません。
小生らは六甲山域を3分割して、「表六甲」「六甲山上」「裏六甲」と区分していました。あまり六甲登山に縁のない他人に説明する際には、「表六甲の油コブシ山」」とか「六甲山上の三国池」とか「裏六甲の地獄谷」といった具合に話をしていました。


[60913] 2007 年 8 月 30 日 (木) 10:06:43 稚拙 さん
ああ、「あのころの未来」っていうのは、そういうことなんだな、とわかりました。
「あのころの未来」ですか。確かに、あのころ(小生が中学生だった当時)から見た未来ですね。
しかし、そういうロマンチックな言葉は思い浮かびませんでした。稚拙さんのセンスに一本取られた感じです。


[58685] 2007 年 5 月 26 日 (土) 23:45:19 白桃 さん
[59385] 2007 年 6 月 23 日 (土) 23:55:08【1】 hmt さん
古い拙稿を思い出していただき感激しております。有難うございました。
今の小生は「書くことすべて書き尽くし」賞味期限の切れた状態を自覚しておりますが、当時はいろいろ変わったことを書いておりました。お恥ずかしい限りです。


[60942] 2007 年 8 月 31 日 (金) 20:30:39【1】 inakanomozart さん
そのほか街区符号の“渡辺”(久太郎町四丁目)とか“A・B・C”(上町)など、原則に必ずしもとらわれない大阪市の住居表示制度に対する柔軟な対応には、感心させられます。
確かに「渡辺」はユニークな回答と思います。
ですが、[7379]てへへさんの記事にもあり、まがみさんにはオフで地図を見せて教えてもらったのですが、同じ大阪市の鶴見区の焼野1丁目焼野2丁目浜5丁目諸口5丁目の街区番号の付け方は柔軟というより、奇怪です。
大阪市はどちらかと言えば、新住居表示実施に際して従来の町名を無視し、バッサリと纏めてしまったという印象があります。
神戸市は東灘区では随分派手にやりましたが(拙稿[15018]に関連記事)、旧市街地の他の区では、旧町名を出来るだけ尊重した形で柔軟に新住居表示を実施しています。


[60856] 2007 年 8 月 28 日 (火) 02:11:04 ペーロケ さん
最近は「過去ログにあることを書き込んではいけない」等、いい意味でも悪い意味でも敷居が高くなったような気がして
それは少し違うと思います。
過去ログにあることでも、別の視点からの書き込みであれば、大いに書いても良いのではないでしょうか。古い記事の投稿時点と今ではメンバーも違っていますから、全く新しい視点や別の解釈からの議論の展開も望めるかも知れません。
ただし、同じ話題であれば、過去にどのような記事のやり取りがあったかは「記事検索」で調べた上で、記事番号のリンクは最低限のマナーだと思います。その点、hmtさんなどの記事には過去ログへのタイトルまでつけてリンクしておられ、いつも感心させられます。

何につけても、書き込む場合には6万記事に及ぶ過去ログの中に「既に述べられている」と考えた方が良いと思います。最低限、キーワードとなる語句ぐらいは記事検索すべきと考えます。
記事検索には時々エラーが出る場合がありますが、うまくいくまで何度も繰り返せば良いだけのことで、記事の書き込みを急ぐ必要などはどこにも無いと思います。


[61001] 2007 年 9 月 2 日 (日) 19:12:00 グリグリ さん
第二回神戸開催でも地元のニジェガロージェッツさんに献身的な準備作業を行っていただきました。
いや、こればかりは、小生だけのことではありません。ご参加いただいた皆様のお力添えのお蔭です。第四回オフ会の成功を祈ります。


横レスになりますが、一言だけ。
[60971] 2007 年 9 月 2 日 (日) 01:17:21【1】 ペーロケ さん
そう、台湾を忘れていたんですよね。。。
台湾を忘れられると、「蛍の光」の4番が、歌えない。
[60910] 2007年 8月 30日(木)02:01:09【3】ニジェガロージェッツ さん
新住居表示実施前の大阪
いつもながら、レスが遅くなり申し訳ございません。

[60830] inakanomozart さん
また、大阪城の西に広がる東西の道沿いにつけられた町(道修町、平屋町など)も、現在の地図でみるかぎり、たしかに丁目区分は、3筋目ごとで250mほどになっていますね。
現在この辺りでは新住居表示が実施され(拙稿[7175]に関連記述あり)、以前は東区であったこのあたりの町丁目割がそれ以前のものとは違っているため、古い地図を見る必要があります。
小生の手元に昭和13年9月和樂路屋発行の「最新大大阪市街地圖」、および昭和48年1月昭文社発行の「エアリアマップ大阪区分地図」があります。昭和48年の地図も東区は新住居表示実施前で、拙稿[60826]もこれらの地図を計って書き込みしました。
東区については両地図に丁目区分の変化は無く、東横堀川の東(糸屋町、内本町、両替町など)では2筋ごとの丁目割で2丁目まで、東横堀川の西(道修町、平野町など)では1,3,4,5丁目は2筋ごとに、2丁目のみ3筋で丁目割が為されていました。なお、東横堀川は中央大通り(町名で言えば「船場中央」、但し昭和13年の地図では中央大通り開通前で「船場中央」という町名は存在せず)以南では1筋分東にずれており、唐物町より南の各町では1丁目が3筋分の長さになっています。つまり、
1丁目は東横堀川から堺筋の1つ東の筋まで。
2丁目は堺筋を跨ぎ、その1つ東の筋から2つ西の筋まで。
3丁目は堺筋の2つ西の筋から、堺筋の4つ西の筋まで。
4丁目は堺筋の4つ西の筋(=御堂筋の2つ東の筋)から御堂筋まで。
5丁目は御堂筋以西。但し西区との境界のブロックは南北に続く「横堀1~6丁目」という別の町。
となります。

なお、現在の新住居表示による町丁目割では、東横堀川の東では以前の町丁目割をおおよそ踏襲していますが、東横堀川の西ではinakanomozartさんの仰る様に、3筋ごとに改変されています。
地図を見れば東横堀川の西の丁目割を改変した理由として、
1丁目は東横堀川と堺筋の間とし、3筋(南本町以南は4筋)分に。
2・3丁目は堺筋と御堂筋の間の6筋分を2等分し、3筋ごとにする。
4丁目は御堂筋以西、西区との境界までとし、「横堀」は各町の4丁目に吸収。
と、「機械的」に「わかりやすく」したのでしょう。

この辺りの市街はこの1筋がおおよそ90mおきに通っていますから、長さの単位「町/丁=109.09m」から見れば、ちょっと短めで中途半端です。

[60843] Issie さん
これらの具体的な値は地方や時代によって違いがあるのが普通だと思います。今,私たちが知っている 1町=109.09m という値は,明治になって統一され,しかもメートル法と関連づけた値ですね。
のお話からすると、大阪ではこの90mというのが、昔の「大坂規格」だったのかも知れません。
となれば(推測の話から結論付ける、あくまでも小生の私見ですが)、大阪の丁目は距離の「1町/丁」とは関係なく付けられていると言えるかも知れません。
[60851] 2007年 8月 28日(火)00:34:09【1】ニジェガロージェッツ さん
デッドスペースには枝番を
[60824] ペーロケ さん
レスが一日遅れになり、申し訳ございません。昨夜[60826]を投稿した時点で貴稿[60824]には気付いてはおりましたが、時間と体力切れですでに限界でした。
小生は「落書き帳」レビューから5年を経ましたが、この5年間の流れをひと通り知っており、また最近の疎筆も手伝ってか、書き込みには非常に緊張します。書き込みをせずにROMしているここ数ヶ月の方が「落書き帳」とのお付き合いはずっと楽でした。そういう意味では、新しくメンバーになられた方々のほうが、良い意味でも悪い意味でも思いついたことを気軽に書いているなと感じます。

さて、本題。

ただし、街区方式による住居表示では区画整理された土地ということが必ずしも必要条件ではありませんが、この方式ではある程度区画が整理されていないと、通りに面していない「デットスペース」が発生するため、適用できる範囲はかなり限定されるでしょうが。
「街路方式」による住居表示でも、通りに面していない「デッドスペース」でも、基本的にナンバーを与えることは可能です。
極論になりますが、いかなる通りにも面していない「デッドスペース」になど、建物が存在するでしょうか。仮に建っていても、そこへどのようにして家財道具を運べば良いのでしょうか。
要するに、その建物に至るヒト一人は通れる路地なり通路が当然存在するわけで、その路地なり通路が、街路名を与えられた道路に出るところの番号を、路地なり通路に面する建物の共通番号にしたうえで、枝番を付していけば問題なしと考えます。
具体的に“うち”の近所(←神戸じゃないよ)の「実例」からご説明します。

上記「実例」にリンクした地図を見ていただければ、「デッドスペース」にも建物が建っているのが分かります。具体的には「77а」「83а」「83б」「85а」などです。このナンバーから読むと、「77а」の建物への(地図にも出ていない)通路は「77」の建物の脇にあると分かります。また「83а」「83б」への通路は共に「83」のところに入り口がある筈です。この街では、建物番号に「а(アー)」とか「б(ベー)」「в(ヴェー)」といったアルファビートの枝番を付して住居表示している訳です。
#「77」はパン屋さんでした。お菓子やインスタントラーメンまで売っていて、よく通ったものです。「79」は自動車のパーツ屋さんだったか。たまに道路地図なんか置いてあったり。う~ん、懐かしい。

なお、地図の上の方にある(南側に71~87,北側に54~68が面している)通りは「大ペチョールスカヤ通り」という、長さ1.8kmに及ぶ(一部に市電やバスが走る)大通りです。一方、下を通るのは「ノヴォソルダーツカヤ通り」という、長さ200mほどの「路地」と言ってもよいくらいの小さな通りです。
ですから、もしも「デッドスペース」内部を通る「路地」クラスの通路でも、枝番が数多く付けなければならないほどの棟数の建物が面しているのであれば、独立した「通り名」を付してやれば良いと言うことになります。
拙稿[60766]にて、ニジニの通り数をいちいち数えていったのも、そのあたりの雰囲気を表現したかったからです。

さて、これを日本に適応するとなると、日本の場合は道路と道路の間の路地に面して沢山の建物が建っています。もちろん、このクラスの路地にいちいち「通り名」を付していくのはさすがに論外です。ペーロケさんの仰る「デットスペース」とはこのことでしょう。これには、枝番の付け方に統一したルールを整備していけば、対応できると考えます。巧くいけば、碁盤の目状の街並でも、東西の通りにのみ「通り名」を与え、南北の通りには名を与えず、これに面する建物はすべて枝番で対応するなんてことも可能となり、命名の必要となる通り数の軽減につながることと思います。

神戸市役所:神戸市中央区フラワーロード八幡通上る加納町六丁目
この言い方、名状しがたい違和感があります。(笑)
というのは、「八幡通」という葺合の地名と、「加納町」という神戸の地名が混合しているからです。拙稿[54321]に書いていますが、今では同じ中央区に含まれながらも、元来は葺合と神戸は、その所属郡さえ違う全く別の区画です。
神戸市役所は居留地外に建っていますが、同じ神戸で隣接する居留地の通り名で、その延長が葺合の八幡通に通じる「北町通り」の名を借用し、「神戸市中央区フラワーロード北町通り上る加納町六丁目」とでもすれば、実情に近いと感じます。


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