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キーワード「鷹匠」を含む記事が20件見つかりました

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[38626] 2005年 3月 15日(火)23:24:03wasi さん
♪わたしの城下町~
連続的書き込み失礼します。

私が現在住んでいる市は、城下町だったせいかいかにもそれらしい町名が多くあります。以前住んでいた高知市は、さらに多くの城下町的な町名があったことが思い出されます。
ちなみに高知のお気に入り町名は「鷹匠町」です。なんか響きがいいんですよね~。高知に住んで間もない頃、これを「たかしょうちょう」と読んで地元の人に呆れられましたが。

城下町地名コレクション、なんてないですよね?
というか、同じ町名が全国にあって、特徴的じゃないか・・・
[38694] 2005年 3月 18日(金)10:48:01般若堂そんぴん さん
城下町地名
[38626]wasiさん
ちなみに高知のお気に入り町名は「鷹匠町」です。
米沢市の旧町名にも「鷹匠町」(たかじょうまち)があります.
城下町地名コレクション、なんてないですよね?
というか、同じ町名が全国にあって、特徴的じゃないか・・・
訪れた土地に同じ町名があると,なんとなく親しみを感じて嬉しくなりますね.同じ町名なのに全く雰囲気の違う町並み,そのちょっとくすぐったいような違和感もまた面白く感じます.

あまりにも悲痛な状況になりつつ,臨戦態勢は継続中.
[38695] 2005年 3月 18日(金)12:00:00inakanomozart さん
たかじょうまち
[38626] 2005年 3月 15日(火) 23:24:03 wasiさん
城下町地名コレクション、なんてないですよね?

[30561]
2004年 7月 15日(木) 12:58:54 じゃごたろさん 「続・町の名」
を参照なさったらどうでしょうか。

[38694] 2005年 3月 18日(金) 10:48:01 般若堂そんぴんさん
米沢市の旧町名にも「鷹匠町」(たかじょうまち)があります.
静岡市の鷹匠に関連する町名は、「鷹匠一丁目」「鷹匠二丁目「鷹匠三丁目」「東鷹匠町」の4か町です。
静岡市のこの地区は、最近ではマンションが増えつつあり、「アドレスに鷹匠と書く悦び」等、町名が「鷹匠」であることが販売業者の売り口上となっています。
なお、1970年の住居表示実施前は、「鷹匠町○丁目○番地」と城下町特有の町名だったのですが、「丁目がつく町名は町を削る」という当時の住居表示の実施基準の例示どおり「町」が削られてしまい「鷹匠○丁目」となってしまいました。
(「東鷹匠町」は丁目がつかないため、住居表示実施後もそのままという、上意下達の典型)
[39023] 2005年 3月 28日(月)00:13:07EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第1号
えーと、[38976]にてグリグリさんから最初の仕事を振られておりますので、そこから行ってみましょう。



[37669] yamadaさん
しかし、全国的に見ても「三和町」「六合村」や「美郷町」(「美」に「三」の意味を込めて)、過去の名称では「土村」([28649]熊虎[月の輪熊]さん)などがあります。合成地名コレクションに入れず、新たなコレクションとしても十分面白い企画だと思いますが、誰かコレクションしませんか?
ネーミングは「合併数由来地名」とかいった感じになるでしょうか。
(あんまりスマートじゃない…もっと良いネーミング大募集)
合成地名コレクションと同様、地名好きさんのホームページのデータを参考にすればすでに消滅した市町村の名前からも拾い出せるんじゃないかと思います。



[38041] NTJ会長さん
水路や里道のような、通常「○○番地○先」とされる部分ではなく、ウチの市役所やJR四ッ谷駅のような、どうみても国有地ではないような状態なのに、「無番地」とか「番外地」とされている場所のコレクションなのですが。
市役所・町村役場、駅、学校と言ったように、共通の施設の中で住所が「無番地」「番外地」のものを集める形で行けばまとめやすいでしょうし、ある程度の制御もできるのではないでしょうか。



[38626]  wasiさん
城下町地名コレクション、なんてないですよね?
これは一見簡単そうですが、うまく考えないと収拾がつかなくなる可能性があると思います。
というのは、どこまでが城下町地名に該当するか、と言うのが悩ましいところがあるからです。
以下は私の考えた分類ですが、

1.城の施設・設備にちなんだ地名
「丸の内」「大手町」がその典型です。その他には「本丸」[二の丸」なども見られます。
城があったことがわかる地名ではあるのですが、問題はこれらの多くがおそらくそんなに古い地名ではないだろう、と言うこと。
大方は明治維新後にできた地名であろう、と考えられますし、場合によっては昭和30~40年代の住居表示の実施に当たって初めてできたものもあるようです。

2.職種にちなんだ地名
wasiさんがあげられている「鷹匠町」はまさにこれに当てはまります。
が、これがまたバリエーションが山ほど有り、どこまで拾うかを悩まねばなりません。
例えば、武家の役職にちなんだ「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」、武家ではないが軍事・藩政に関係した「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座」「銀座」「銅座」、商人・職人を集めた「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「紺屋町」「桶屋町」「旅篭町」「大工町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」、輸送に関連した「博労町」「馬喰町」「船場町」「船頭町」等々………。

3.住んでいた人の名にちなんだ地名
ある程度地位の高い武士が住んでいると、その武士の姓名や役職(○○守の○○など)が地名になる場合が多々あります。
私の住んでいる金沢だと「彦三」「芳斉」「横山町」「本多町」「長町」「出羽町」「高岡町」がこれに当てはまります。
東京だと例えば紀尾井町は「紀州徳川家」「尾張徳川家」「井伊家」の屋敷があった事から付けられた名です。
[37111]たもっちさんの記事、およびそれに関連するレスにもありますが、京都市伏見区にもこれに該当する地名が多数あります。
が、これに関しては、それぞれの町の歴史まで紐解かねばならず、集めるのはかなり難しいのではないでしょうか。

と言うことで、「城下町地名」という形では収拾がつかなくなる可能性があるような気がします。
[37192]でグリグリさんが「新興住宅街地名」コレクションの提案に対して出された意見と似たような話になりますが、上であげた中で比較的現存数が多い「丸の内」「大手町」「鷹匠町」「鉄砲町」などをねらい打ちする形でそれぞれの個別のコレクションとするのがよいのでは、と思うのですが。



このほか、過去ログから見つけたものとして、
[37559] 北の住人さん
地名コレには鳴き砂地名が無いようですが、数的にはちょうど良いのでは。もっとも、どっかに全国鳴砂保存自治体連盟なんていうのがあって、そのページがありそうですが。
私が砂丘コレクションの資料とした砂丘学会誌に鳴き砂に関する記事があった記憶があったので探してみたところ、その記事の先生のホームページを見つけてしまいました。
Musical Sand
この中に鳴き砂地図が出ています。
三輪先生にお許しが頂ければリスト化しても良いのかもしれませんが…。
ちなみに、鳴き砂の保存に取り組んでいるのは、一部を除いてほとんどが民間有志による団体のようです。



以上に関しては、[35222]でグリグリさんがまとめられた過去の地名コレクション提案の一覧と併せて一度整理した方が良いようですね。
また、トップページの分類の調整も考えていますが、まだ構想がまとまっていません。
ちょっと時間を下さい。
[43922] 2005年 8月 7日(日)01:45:06笠津前浜 さん
職業名由来町名コレクション
編集者としての最初の仕事、コレクション初版をリリースしました。といってもデータ数は6件。これから、これから。
現在候補としてあがっているのは次の町名です(59件)。皆さんからの情報、アドバイスをお願いいたします。

「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座(町)」「銀座(町)」「銅座」「銭座町」「両替町」「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「桶屋町」「旅篭(籠)町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」「博労(馬喰)町」「船場町」「船頭町」「青物町」「瓦町」「米屋町」「染師町」「肴町」「塩屋町」「猟師町」「袖師町」「油屋町」「樽屋町」「紙屋町」「海士」「鷹匠(町)」「研屋町」「車町」「茶町」「馬場町」「伝馬町」「千代田」「葵町」「木町」「魚町」「鉄砲町」「鋳物師町」「匠町」「伝馬町」「御徒町」「大手町」「追手町」「十人町」「百人町」
[43929] 2005年 8月 7日(日)12:21:45hmt さん
江戸の公務員住宅地区
[43924] KMKZ さん
以下の地名も職業名または幕府の役職名由来らしいです。(中略)
新宿区箪笥町 新宿区納戸町 新宿区細工町 新宿区二十騎町

牛込(東京都新宿区)の細工町、納戸町、払方町、箪笥町などの町名は、江戸城に通勤する同心たちの「公務員住宅」地域に由来しています。[41218] hmt参照。
現在は失われていますが、以前は北御徒町・中御徒町もあったようです(現在の北町・中町)。
[43922]に既存ですが、市谷鷹匠町も同じ牛込台地上にあります。

江戸切絵図(尾張屋板)を見ると、御細工町・御納戸町・払方町・御箪笥町は、町家を示すグレーになっており、御徒組の白抜き(武家地)と違っています。
公務員だと思っていたのですが、もしかすると、幕府の「正社員」ではないのかな?
現在の市谷鷹匠町・二十騎町、そして外濠を隔てた千代田区一番町~六番町は、もちろん白抜きの武家地で、一軒一軒の名前が入っています。
[43934] 2005年 8月 7日(日)14:29:11あきすて さん
Re:職業名由来町名コレクション
[43922] 笠津前浜 さん

他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町

"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座代官山高田馬場などがあるようです。

「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋
(←この尾道市の件は現在使われてないようならコレクション対象外になってしまいますが他にも鍛冶屋という地名はあります)
 「茶町」に対して「茶屋町
 「木町」に対して「木屋町
(ちなみに、京都市にあるのは"きやまち"、寝屋川市にあるのは"こやちょう";寝屋川市のは由来がわかりませんが)
[43988] 2005年 8月 9日(火)00:41:44笠津前浜 さん
職業名由来町名(仮)編集メモ(1)
[43922]の編集開始書き込みに反応いただいた皆様、的確ですばやいフォローをありがとうございます。私の確認不足が多々ありました・・・が、寛大な心で見守ってくださいますようよろしく(^^;お願いします。叱咤激励大歓迎、です。
では個別にお返事いたします。
****
[43924] 2005 年 8 月 7 日 (日) 07:04:51 KMKZ さん
「御徒町」が重複しています。(4番目と55番目)
「千代田」、「大手町」が職業名由来とは初耳です。どのような職業なのですか?
ありがとうございます。御徒町は重複分を削除します。千代田・大手町に関してはログから切り出す際に「城下町らしい地名」が混在していたことを失念していた結果、紛れ込んでいました。根拠がない以上、削除したいと思います。さらに、職業・役職名由来の地名を候補に入れるようにします。
****
[43926] 2005 年 8 月 7 日 (日) 11:04:16 EMM さん
大手町(追手町)については、KMKZ さんへの返事に書きました通り、リストアップのミスでした。車町は職業由来の場合である可能性があれば、候補として残しておきたいですね。漢字表記のバリエーションは入れましょう。接尾語等は・・・残しましょう。銀座は銀座コレクション参照で。馬場町は職業名由来ではないですね。候補から消します。
****
[43929] 2005 年 8 月 7 日 (日) 12:21:45 hmt さん
牛込(東京都新宿区)の細工町、納戸町、払方町、箪笥町などの町名は、江戸城に通勤する同心たちの「公務員住宅」地域に由来しています。[41218] hmt参照。
ありがとうございます。ということは、同心たちが箪笥を商っていたりしたのでなければ、職業名由来ではなさそうな気がしますが・・・候補に残しておき、後ほどゆっくりと個別調査したいですね。
****
[43934] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:29:11 あきすて さん
他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町
お恥ずかしい(^^;ご指摘ありがとうございます。
"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座、代官山、高田馬場などがあるようです。
「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋」
 「茶町」に対して「茶屋町」
 「木町」に対して「木屋町」
それぞれ、候補に入れたいと思います。
****
[43936] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:59:58 inakanomozart さん
▽候補にあがっていない町名で米穀商に由来する「石町」があります。
例として
・静岡市葵区上石町(かみごくちょう、下石町は消滅)
・東京都中央区日本橋本石町一~四丁目
・大阪市中央区石町一・二丁目
▽「葵町」は静岡市の場合、1915年「草深代地」を改称したもので職業とは関係ないようです。
大手町の件を含め、ありがとうございます。石町は候補に入れますね。
▽静岡市の場合は、京都の伏見から牛車をつくる職人を呼び寄せ、住まわせたことに由来すると言われています。
・静岡市葵区車町(くるまちょう)、通車町(とおりくるまちょう)
こちらも候補入りにします。
****
[43940] 2005 年 8 月 7 日 (日) 16:02:56 今川焼 さん
●小人町、豆腐町、水主町、酒屋町、帯屋町、勘定町、船大工町
宗教に関するもので
●神主町、坊主町、社家町
それからずっーと時代をさかのぼった古代の職種に関係ありそうなところで
●弓削町、矢作町、土師町、鳥取町、服部町、陰陽町、主税町、番匠町
このあたりは古代のその職業と町の成り立ちが直接つながるのかどうか疑問な部分もあると思います。(参考[20412] Issie さん)(主税町、番匠町は名前の由来は古代かもしれませんが地名となったのは近世のことかもしれません)
候補に入れます、ありがとうございました。
ところで、さすがに京都市内には○○屋町の類が本当にウジャウジャありますねぇ。
たとえば、木屋町([43934] あきすて さん)は高瀬川沿いに材木商が多く集まったことに由来する地名(通り名・通称地名)と、はっきり職業地名とわかりますが、何十とあるすべての町名を職業と 関係あるかどうか検証するのは不可能でしょう。それっぽいところを見つくろって(?)でもやむを得ないと思いますがいかがでしょうか。
ちなみに西本願寺のすぐそばにある仏具屋町・珠数屋町あたりは現役の職業町でしょうね。
それから、現役といえば近代になってからつけられた職業地名はコレクションに該当するでしょうか。
●問屋町、卸町、鉄工町、木材町・・・。
えー、見つくろっていければ、と・・・。それから、近代のものでも該当すると思いますので、挙げられている町名も候補に入れます。
[44150] 2005年 8月 14日(日)22:25:07作々 さん
職業由来町名の件
お久しぶりです。

相変わらず忙しい日々は続き、本日も休日出勤しておりました。夏の長期休暇も10月末ぐらいになるんじゃないかという感じの生活を送っております。

さて、私の地元鹿児島市の職業由来町名についても紹介しておこうかと思います。

鹿児島市鷹師~かつては鷹師馬場町と呼ばれていましたが、明治32年に鷹師町に改称、昭和50年ごろに住居表示されて今の形になりました。
名前の由来は、鷹匠町に同じく、狩用の鷹を飼育する鷹師が住んでいたことに由来するようです。
因みに、その隣に「薬師」という地名がありますが、こちらは薬屋さんがあったというわけではなく、薬師如来に由来するようです。

ほかには谷山塩屋町。かつては谷山市塩屋町だったところです(参考:拙稿[41922])。

このほかにも職業由来ではないかと思われる地名が幾つかありますが、まだその根拠は見つけられておりません。参考までに紹介しますと、呉服町加治屋町などがあります。あと、金生町ってのもちょっとだけ怪しいです。
⇒折を見て調べるつもり。

そういえば、鹿児島にも昔、車町という「町」があったようですが、こちらの由来は「郭」なんだそうです。
[44413] 2005年 8月 22日(月)17:45:31U-4 さん
名古屋の職業由来地名
[44068][44151][44262][44406] 笠津前浜さん
職業由来町名コレションご苦労さまです。これまでにないような大掛かりなものになりそうですね。立ち上げ途中で余計な口をはさむとご迷惑かとは思ったのですが。
歴史のある町には職業由来地名が数多く残っています。尾張徳川家の城下町名古屋市にも数多くありましたが、昭和30~40年頃の住居表示実施にあわせてほとんど消滅してしまいました。とりあえず北区、西区、東区、千種区、中村区の旧町名から職業由来らしきものを拾いだすと以下のとおりです。

対象地名よみかた現在の地名痕跡由来
北区織部町おべちょう現存織物従事者の居住地
指金町さしがねちょう現存職業由来ではないらしい
西区紙漉町かみすきちょう城西2,3紙漉公園、紙漉南公園御用紙漉師の居住地
鷹匠たかじょうまち城西2鷹匠橋、鷹匠公園
塩町しおちょう幅下1~那古野1小塩橋?塩問屋街
台所町だいどころまち花ノ木1台所公園藩主御台所士官居住地
手木町てこまち城西5おてこ公園手木:梃子を使って働く
作業員(石工等)のこと
奉公人町ほうこうにんまち新道1不明奉公人が多く居住
馬喰町ばくろちょう新道1馬喰町なかよし児童遊園
東区舎人町とねりちょう泉2~代官町舎人公園舎人の居住地
鍋屋町なべやちょう泉2~代官町鍋屋町商店街、鍋屋金物店鋳物師居住地
城番町じょうばんちょう筒井3城番公園城代同心居住地 
手代町てだいまち筒井2~3市道手代町線手代屋敷の町
代官町だいかんちょう現存
百人町ひゃくにんちょう現存百人同心居住地
主税町ちからまち現存???人名由来
あおい現存???
千種区鍋屋上野なべやうえの現存鋳物師支配者居住地
中村区米屋町こめやちょう名駅3~4不明米穀取引所所在地○  
納屋町なやまち名駅5納屋橋他多数魚問屋街
祢宜町ねぎちょう名駅南1祢宜公園禰宜の居住地
水主町かこまち名駅南3バス停、交差点、郵便局水夫の役宅○ 
○は既にリストアップされているもの。◎はそのうち所在自治体に掲載済のもの。

それらしき町名は22種類で現存は7、主税町と葵はリストにあがっていたので入れておきましたが職業由来とはいえません。
指金町も大工町の一種かと思いましたが、残念ながら町烽ノあった橋が指金の形をしていたから、というのが由来のようです。ということで現存地名のうち、リストアップ済の百人町と代官町の他には、新規候補として織部町と鍋屋上野の2件。しかし、少々インパクトに欠けるところ。鍋屋上野の上野は高台という意味のようで、「鋳物師の親分が住んでいた台地」といった程度で、鋳物師が集まっていた「東区鍋屋町」は消滅してしまいました。京都、桑名、奈良、和歌山、安城には現存しているので(由来は調べておりません)「鍋屋町」でリスト入りでしょうか。
祢宜町や手木町、紙漉町、貴重な地名で残念です。しかし、各地名ともかなり痕跡は残っているようで、特に公園名が多いようです。奉公人町のような痕跡不明なところも、現地を歩いてみるとみつかるかもしれません。

これ以上に職業由来町名がそろっているものの、ほぼ100%消滅してしまった中区は、もう少々整理してから報告します。
[45287] 2005年 10月 1日(土)12:58:2988 さん
職業由来町名
笠津前浜 さんへ
地元の情報ばかりで申し訳ないですが・・。

高松市に「紙町」があります。
私の主たる情報源、いつもの「角川日本地名大辞典37香川県」からの引用です。
第5代藩主、松平頼恭の頃、藩士の南部伊平が紙漉きを始めたことに由来する(香川郡志)。南部伊平は春日神社付近に居を移し、伊予三島から亀造を雇って製紙業に着手した。このあたりは藩主の鷹を飼育する鴨の寄場でもあり、鷹匠から苦情が出たが、伊平は藩の大幕の洗濯を引き受け、それを乾かす幕の陰に隠れて紙の漂白を行ったという。販路を開拓するため、単身近畿・山陽地方にも巡遊した。中ノ村・栗林以南の土地は製紙業が盛んで、明治初期中村喜多蔵が藁紙の製造を始めて一層盛んとなった。昭和10年鷺田村の工産額の9割以上が製紙産額で、その価額は150万円に達していた。これは麦の生産価額の2倍に相当する。

現在の高松市紙町は、江戸時代は坂田村の一部です。明治23年2月15日、明治の大合併に伴って香川郡鷺田村大字坂田となり、昭和15年2月11日、昭和の大合併で坂田村は高松市に合併され、このときに現在の「高松市紙町」が誕生しました(坂田村の他の部分は高松市松並町などに)。
また、「春日神社」とはおそらくここ(ここも元坂田村、現在は高松市西春日町)、「中ノ村」は現在の高松市中野町ほか、「栗林」は栗林公園などがある高松市栗林町ほかです。
ちなみに、拙稿[44216]で触れた高松市勅使町も、もとは紙町と同じ香川郡鷺田村です(紙町が坂田村の頃は、勅使町は勅使村)。
[47561] 2005年 12月 21日(水)07:00:01inakanomozart さん
Re:職業由来町名更新
[47560] 2005 年 12 月 21 日 (水) 05:58:28  笠津前浜さん
反映いたしましたので確認いただければと思います。
さっそくの御手配ありがとうございます。

二度手間で申し訳ありませんが、下記のものもお願いできたらと思います。

鷹匠(町)・鷹師】の項のうち
静岡市の「東鷹匠町」は採用されていますが、「鷹匠(たかじょう)」がもれているようです。
(町名としては静岡市葵区鷹匠一丁目~三丁目」)
[51090] 2006年 5月 1日(月)19:04:32【1】hmt さん
都市名を冠した町名
[51058] inakanomozart さん
『静岡県安倍郡静岡○○町○丁目○○番地』
この「安倍郡静岡」と言うのが「従来からの区域」ということになると思われますが、ただ単に、『静岡』というのは、今の感覚からするとちょっと違和感を感じたりします。

なるほど、明治22年の「市制」によって静岡市になった「従来からの区域」安倍郡と有渡郡とにまたがる124町(追手町、鷹匠町一丁目、…、安倍川町、白山町)は、従来から習慣的に「静岡」と呼ばれていた区域というだけでなく、戸籍簿にも「静岡○○町○丁目」というように「静岡」を冠した町名が記されていたのですか。

# “従来から”と言っても、駿河府中からの改称は明治2年のことでした。[12387]
静岡市の建てた由来記によると、賤機山(しずはたやま)の字を学者の向山黄村が「静岡」に変えたとのこと。

それはともかく、改めて 太田孝(編)「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」を見た結果、明治22年中に市になったところでは、秋田、山形、米沢、水戸、富山、高岡、福井、甲府、岐阜、津、姫路、松江、岡山、徳島などの諸都市で、それぞれの都市名を冠した町名を確認することができました。
静岡の場合、戸籍簿からすると、正式には「静岡」を冠した町名だったように思われますが、この資料に収録された静岡124町名の頭には「静岡」が付いていませんでした。自明の場合は冠が省略されることが多かったのだろうと思われ、この資料では冠のない他の都市でも、正式には都市名を冠していた可能性があります。

面白いのは神戸市で、神戸海岸通一丁目以下「神戸」を冠する51町、兵庫多聞通一丁目以下「兵庫」を冠する79町、それに八部郡荒田村、菟原郡葺合村となっていました。前身として「神戸」と「兵庫」という2つの市街地が存在したことがはっきりと示されています。もちろん、この場合は「市制」よりも10年前に「神戸区」として一応は統合されていたわけですが。

神戸と兵庫との関係については、ニジェガロージェッツ さんが詳しく紹介されています[18378]
安政5年(1858)の日米修好通商条約で開港を約束した5港のひとつ「兵庫」ですが、警備上の理由から外人居留地のある開港場は少し離れた「神戸」にしたという「兵庫と神戸との関係」は、「神奈川と横浜との関係」[20917]と類似していますが、地理的には神奈川と横浜ほどには隔絶していなかったようです。

福岡市の場合も「福岡」と「博多」を冠した2つの市街地が町名から認められるのかと思ったのですが、前記資料ではほとんどの町名に冠は付いていませんでした。

東京市の町名にも冠によるグループが認められます。例えば東京市牛込区には、市ヶ谷田町一丁目以下「市ヶ谷」を冠する町名が29、牛込細工町以下「牛込」を冠する町名が46ありました。なお、江戸時代には御細工町・御納戸町[43929]、現在は細工町、納戸町[41218]で、「牛込」は区名だけでなく町名の冠称からも消えてしまいました。

タイトルの「都市名を冠した町名」からは外れますが、この資料「幕末以降市町村名称変遷系統図総覧」を見ると、各都市になった江戸時代からの町名の数には大きな相違のあることがわかります。

おそらく現在でも最大と思われる町名の宝庫・京都市は2区で2000町、東京市は15区で1400町、大阪市の4区520町よりも多いのが金沢市531町。御三家の城下町は和歌山400町、名古屋276町、水戸120町。
極端に少ないのが盛岡市で、市制施行前の区域にあった村は、南岩手郡仁王村、志家村と7村の一部という少数でした。
行政区画の名称や数はともかくとして、これも従来から「盛岡」と呼ばれる一つの市街地を形成していた区域なのでしょう。
[54603] 2006年 10月 26日(木)23:21:11eiji_t さん
職業由来地名?「鵜飼」、「鷹飼」
鵜飼 うかい
岩手県岩手郡滝沢村 鵜飼、中鵜飼、下鵜飼
石川県珠洲市 宝立町鵜飼
岐阜県岐阜市 下鵜飼
岐阜県加茂郡川辺町 鵜飼
兵庫県揖保郡太子町 鵜飼
岡山県小田郡矢掛町 鵜飼
広島県府中市 鵜飼町

鷹飼 たかかい
滋賀県近江八幡市 鷹飼町、鷹飼町東、鷹飼町南、鷹飼町北
「鷹飼」鷹狩に使う鷹を飼育し、鷹狩に随行する下級役人。のちに一般に鷹匠のこと。
鷹匠(町)・鷹師」「餌指町」が職業由来地名コレクションに入っているのであればこれも?

 参考
風俗博物館鵜飼と鷹飼
宮内庁HP御料鵜飼
[54931] 2006年 11月 3日(金)00:42:55hiroroじゃけぇ さん
合併を機に、旧町名の復活を・・・
2日のNHK教育「視点・論点」で、今尾恵介さんが「旧町名の復活」を主張されていました。全国で先駆けて復活させた金沢市を例にしながら、「向こう三軒両隣」の重要性を説かれていました。「鷹匠町」などの地名の由来を知ることも、地域として大切であると。長崎の「銀屋町」の由来も話されていました。「高度成長期に行われた町名の廃統合は、西洋的な住所表記に馴染んでいたが、人口減少時代である現在には合っていない」とも。「おもむろに丁を増やすのではなく、地域コミュニティを重要視する」という考え方は大賛成です。

昨日、私の母親が「舟着町(ふなつきちょう)」と言っていました。どこかわからないので、話を聞いていると、現在の児島味野の一部であることが判明しました。以前は海岸線がもっと山よりであったとの話から、海に面していたと想像できます。児島にも失われた「町名」があったことは驚きでした。
[67422] 2008年 11月 27日(木)02:41:34笠津前浜 さん
地図三昧
[67311] ニジェガロージェッツ さん
・・・・・日文研さんの所蔵地図の数々を見ていると,ついつい夜更かしの世界に引き込まれそうですが,そこは我慢我慢!
…引き込まれています(^_^; すっかり捉われてしまいました。今は昭和8年(1933)の最新廣島市街全圖を見ています。左官町に鷹匠町、東魚屋町に革屋町など職業地名がありますねー。
[70709] 2009年 7月 4日(土)08:48:54【1】むっくん さん
今後の市区町村変遷情報の記載にあたって(その1)
現在、市区町村変遷情報の入力作業は明治の大合併を遡っています。
明治22~23年に市制町村制が施行された45府県のうち、既に19府県の入力作業が完了しており、現在20府県目の入力作業が行われています。

今後、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)を記載するにあたって、判断に苦慮させられるところや資料の食い違いで苦慮することがあります。後の記載時になって初めて、「どのように記載するのが適当なのか」と苦慮することは避けた方が良いと思いますので、先に紹介することにします。


(1)自治体名ではない区域が根拠たる県令に書かれている場合
この事例としては三重県飯高郡松阪町、同郡港村、同郡松江村、阿拝郡上野町、同郡小田村が挙げられます。

(a)飯高郡松阪町、同郡港村、同郡松江村の場合
まず県令第13号(M22.3.1)で飯高郡松阪町において記載されている松阪町作地というのは自治体名ではありません。ではこれは何なのかと言えば、おそらく松阪市街地にありながら松阪の各町の区域に含まれない、いわば附属している農地であると考えられます。
#市街地の各町に附属している農地というのはかつて滋賀県の長浜にもありましたが、こちらの方は明治14年に編入合併で消滅。

しかし自治体名ではなくても、「松阪町作地」の区域はおそらく松阪の市街各町の一部とはなっていないから県令では別途記載されているのでしょう。しかしながら「松阪町作地」を記載しないとすると、廃置分合の前後でその区域が異なるというおかしなことになるため、自治体名でなくても市区町村変遷情報に記載する必要があります。

次に港村においては県令第13号(M22.3.1)では「松阪市街地ノ内 字本町ノ内 反別二反三畝拾八歩、松阪市街地ノ内 字西町ノ内 反別五反八畝五歩」とあります。しかしながら松阪市街地は自治体名ではありませんので、松阪本町の一部,松阪西町の一部と書くのが正当なのであろうと考えられます。
同様に松江村においての「松阪市街地ノ内 字川井町ノ内 反別三反歩」も松阪川井町の一部と書くのが正当なのであろうと考えられます。
参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)

(b)阿拝郡上野町、同郡小田村の場合
県令第13号(M22.3.1)によると上野町では「上野市街地ノ内 字坂居町 同 字寿町 同 字宮ノ腰 同 字幸町 同 字新地ノ内 反別一町六反六畝十七歩五合四夕 同 字新屋敷ノ内 反別三畝四歩六合二夕」とあり、小田村では「上野市街地ノ内 字上之平 同 字西之平 同 字万町ノ内 反別一町三反九畝七歩二合六夕 同 字新屋敷ノ内 反別一町八反二十三歩四合六夕 同 字新地ノ内 反別四反三畝三歩三合一夕」とあります。

この議論を始める前に上野市街地とされた区域はどこなのかを特定する必要があります。
まず、戦国時代に筒井高次が上野に来る以前からあった集落が上野村です。
そして、江戸時代は地子免除の上野城下町と、上野城下町に近接した上野村にある街道筋の町(農人町)が出来ます。上野城下町と農人町は江戸時代においては別のものとして取り扱われていました。
そして明治になって上野市街地と上野村とを分けたとき、上野村にある街道筋の町も上野市街地に含まれることとなり、上野村の範囲は筒井高次が上野に来る以前からの上野村の範囲に限定されることになります。ここで上野市街地は、上野城下町に加えて、近隣の村の村に点在する町の部分(農人町)を飛地として持つことになりました。無論、上野市街地とは、自治体としての名称ではありません。
#ちなみに明治5年の区制の時の資料では上野市街地との文字はなく上野町と記されています。そして、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)でも上野市街地との文字はなく上野35町が記載されています。


ところで上野市街地と上野村とを分けるのとほぼ時期を一にした明治3年、上野に大水害が起こりました。
このとき低地に住んでいた人が移住したことで飛地が発生し、この痕跡が県令第13号(M22.3.1)で見て取れます。
さて、県令第13号(M22.3.1)で上野市街地ノ内とされている箇所を見ていきます。
まず「字坂居町」及び「字幸町」とは上野35町の1町である幸坂町の住民が移住したところです。「字坂居町」及び「字幸町」は地籍が「字坂居町」及び「字幸町」ではあるものの、住んでいる人は幸坂町の人々ということになります。
同様に「字寿町」は上野35町の1町である馬苦労町の住民が移住したところ、「字宮ノ腰」は上野35町の1町である万町の字地であったところ、「字新屋敷」「字新地」は上野35町の1町である小田村の住民が移住したところです。

さて市区町村変遷情報で如何に記載するかです。
例えば「上野市街地ノ内 字寿町」というのは、明治3年の洪水で被害にあった「上野馬苦労町」の人々の移住先で、元は上野城の西外堀であったところです。
一般的には江戸時代には、各藩が設定しない限り、城に○○町という名称はありませんでしたので、廃藩置県時には基本的には城の区域は自治体の空白地域となります。それが明治になってから、○○町という名称をつけることで、自治体の空白地域が解消されることになりました。
#城の区域と同様に、城下町の大きな寺の領域も自治体の空白地域でした。

ところが上野の場合は、例えば字寿町と土地に名称を付けたにもかかわらず、住んでいる人が別の馬苦労町の人々であったために、「上野市街地ノ内 字寿町」がおそらく自治体である「上野寿町」となれなかったという事情があります。そして「上野市街地ノ内 字寿町」は上野35町の区域でも周辺の村の区域でもありません。
県令第13号(M22.3.1)で「上野市街地ノ内 字寿町」というようなものをわざわざ記載したというのは、上野市街地には上野35町の区域に含まれず、かつ当然ながら周辺の村にも含まれない区域(e.g.「上野市街地ノ内 字寿町」など)があることの証左とも言えます。

さてこれをどのように記載するのが適当かですが、自治体ではないからといって「上野市街地ノ内 字○○」を記載しないというのは先ほどの「松阪町作地」と同じく不都合な点が出てきますので、採用できません。とはいっても、「上野市街地ノ内 字○○(一部)」という記載はいかがなものかとも思われます。
そこで、この5年後に小田村から城南村が分立した三重県告示第17号(M27.2.13)を参考にして記載するのが良いのではないでしょうか。この県告示第17号では「上野市街地ノ内 字○○」を「元上野町 字○○」と記載しています。

ということは、上野町及び小田村での記載において、「上野市街地ノ内 字○○」とは「上野町(一部)」と記載するのが、一番無難であると考えられます。ただし小田村にある「同 字万町ノ内 反別一町三反九畝七歩二合六夕」というのは先ほどの松阪の事例から考えるに「上野万町(一部)」と記載するのが適切であると考えられます。

参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)、上野市史(編・出版:上野市、1961)


(c)以上の複雑な箇所をまとめますと次のようになります。
飯高郡松阪町では、松阪町作地も記載する。後述の飯高郡港村及び飯高郡松江村との整合性より、松阪本町,松阪西町、松阪川井町、の3町では「の一部」の記載もする。
飯高郡港村では、松阪市街地ノ内 字○○というものは、松阪本町の一部,松阪西町の一部と記載する。
飯高郡松江村では、松阪市街地ノ内 字○○というものは、松阪川井町の一部と記載する。
阿拝郡上野町では、上野市街地ノ内 字○○というものは、上野町の一部と記載する。後述の阿拝郡小田村との整合性より、上野万町では「の一部」の記載もする。
阿拝郡小田村では、上野市街地ノ内 字○○というものは、上野町の一部、上野万町の一部と記載する。


(2)枝郷が根拠たる県令に書かれている場合
江戸時代においては、郷帳に○○村枝郷△△村という形態で記載されているものは、例え枝郷であっても公的には一つの自治体としてみなされていました。
こういった自治体は明治5年の区制施行と同時に(遅くとも明治7年頃までには)各府県で大半がなくなったのですが、唯一三重県においては市制町村制施行時まで残ったところが2箇所(津市、安濃郡新町)ありました。

(a)津市
津市は安濃郡の
津56町、伊予町、的場、津興村、津興村ノ内・船頭町、津興村ノ内・上弁財町、津興村ノ内・柳山、津興村ノ内・阿漕町、津興村ノ内・下弁財町、岩田村、岩田村ノ内・岩田町、岩田村ノ内・宮ノ前、岩田村ノ内・佐伯町、岩田村ノ内・弓屋敷、岩田村ノ内・立合町、岩田村ノ内・西裏、岩田村ノ内・久留島、岩田村ノ内・野崎垣内、岩田村ノ内・元築造、岩田村ノ内・出口、岩田村ノ内・弓ノ町、岩田村ノ内・山中、岩田村ノ内・綿内、八幡町、藤枝町、栄町、下部田村の一部、下部田村ノ内・余慶町、乙部村の一部、塔世村の一部、古河村の一部、藤方村の一部
が合併して成立しました。この中で例えば、「津興村ノ内・船頭町」というのは津興村と別個独立した自治体ではあるが、その町の地籍は津興村にあるということになります。
自治体か否かを重視する市区町村変遷情報では「津興村」とは別個に「津興村ノ内・船頭町」を記載する必要があります。

ではその記載方法です。
単に“船頭町”と記載する、“船頭町”と記載した上で詳細情報に“津興村ノ内”と記載する、単に“津興村ノ内・船頭町”と記載する、という3つの方法が考えられます。とは言え、最後の“津興村ノ内・船頭町”と記載するという以外の選択肢は実はありません。

といいますのも、今後市区町村変遷情報はさらに年度を遡ることになるのでしょう。そして明治14年頃まで記載することになったとします。この時、例えば当時の兵庫県神戸区には、“橘通三丁目”、“坂本村ノ内・橘通三丁目”が隣接して存在しています。この記載を問題なく行うためにはM22.4.1の段階で、“津興村ノ内・船頭町”と記載しておかなければなりません。
#なお、上述の津56町に含まれる鷹匠町、西ノ口出屋敷、西裏、馬場、榎ノ下の各町はかつては地籍が塔世村にある枝郷の自治体でしたが、明治17年の連合戸長役場の管轄資料によればこの当時は既に独立した町となっていました。


(b)安濃郡新町
安濃郡新町は古河村、刑部村、古河村/刑部村ノ内・八町、神納村、南河路村の1町4村が合併して成立しました。


参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、県令第12号(M22.3.1)、県令第13号(M22.3.1)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)(248-251コマ)、津市史第4巻(著:梅原三千、西田重嗣、出版:津市役所、1965)27,28,43-45頁、市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)


#私は市制町村制施行時に枝郷がからむ事例というのを上述の2例(津市、安濃郡新町)以外には知りません。

次稿に続きます。
[76732] 2010年 11月 10日(水)15:34:56【2】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)兵庫県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)兵庫県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)県令第121号(M21.11.22)(兵庫県報類纂(明治21年)(編:今井馬吉・山下三郎、出版:神戸活版所、M25.9.20)に記載)
#神戸区に編入される村々を記載。
(2)県令第24号(M22.2.22)(兵庫県報類纂(明治22年)(編:今井馬吉・山下三郎、出版:神戸活版所、M25.9.20)に記載)
#市制町村制施行時の廃置分合を記載。
(3)県令第34号(M22.3.5)(兵庫県報類纂(明治22年)(編:今井馬吉・山下三郎、出版:神戸活版所、M25.9.20)に記載)
#大阪府へ編入の区域を記載。
(4)県令第23号(M22.2.22)(兵庫県報類纂(明治22年)(編:今井馬吉・山下三郎、出版:神戸活版所、M25.9.20)に記載)
#郡変更の区域を記載。
(5)兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(附諸官衛並銀行所在地名)(著:福永惟精、出版:福永商店、M22.5.14)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(6)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(7)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(8)兵庫県統計書明治19_20年(編・出版:兵庫県、M22.8.28)
#明治19年及び20年の各郡の町村数が記載されています。
(9)兵庫県統計書明治21年(編・出版:兵庫県、M24.2.24)
#明治21年の各郡の町村数が記載されています。
(10)神戸開港三十年史(下)(編:村田誠治、出版:神戸市開港三十年記念会、M31.10.25)

(1)から(6)は総てにおいて参照し、(7)~(10)は適宜参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(2)のみを記載しました。
それでは紹介です。


1 新設/市制 神戸市 神戸区, 神戸区 神戸海岸通一丁目, (中略), 兵庫福原町, 「兵庫橘通一丁目」, 兵庫橘通二丁目, (中略), 兵庫橘通六丁目, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」, 兵庫上橘通四丁目, (中略), 兵庫和田崎町三丁目, 八部郡 荒田村(本), 菟原郡 葺合村
は#304との関係上もあり、
1 新設/市制 神戸市 神戸区, 神戸区 神戸海岸通一丁目, (中略), 兵庫福原町, , 兵庫橘通二丁目, (中略), 兵庫橘通六丁目, 兵庫上橘通四丁目, (中略), 兵庫和田崎町三丁目, 八部郡 荒田村(本), 菟原郡 葺合村
ではないでしょうか。
まず、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では兵庫橘通六丁、兵庫上橘通七丁とあり、「兵庫橘通一丁目」, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」があると読み取れます。
しかし、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)では「兵庫橘通一丁目」, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」の記載はありません。
また、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)よりM19.1.現在でも神戸区には「兵庫橘通一丁目」, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」は存在しません。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では明治19年1月現在の神戸区は125町1村、兵庫県統計書明治19_20年(編・出版:兵庫県、M22.8.28)ではM19.12.31、M20.12.31の神戸区は125町1村、兵庫県統計書明治21年(編・出版:兵庫県、M24.2.24)ではM21.12.31の神戸区は125町1村と町村数に変化がありません。明治22年になってから市制町村制施行(M22.4.1)までの3ヶ月間で、新たに4町が増えることは考えにくいです。
神戸開港三十年史(下)(編:村田誠治、出版:神戸市開港三十年記念会、M31.10.25)では神戸市成立後の明治27年9月に、「兵庫橘通一丁目」は「兵庫橘通二丁目」の一部を分立によって、「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」はそれぞれ「兵庫上橘通四丁目」, 「兵庫上橘通五丁目」, 「兵庫上橘通六丁目」の改称によって成立したとあるので、神戸市成立時に「兵庫橘通一丁目」, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」はないとして問題は無いものと考えられます。
以上より兵庫県市町村名称区域及役所役場位置の記載に従うのが適当であると考えられます。

2 「新設/市制」 姫路市 飾東郡 姫路小利木町, 姫路鷹匠町, (中略), 姫路鋳物師町, 「姫路」国府寺村の一部, 姫路五軒邸, (中略), 姫路大野町
は#160との関係上もあり、
2 「新設/市制」 姫路市 飾東郡 姫路小利木町, 姫路鷹匠町, (中略), 姫路鋳物師町, 国府寺村の一部, 姫路五軒邸, (中略), 姫路大野町
ではないでしょうか。
県令第24号(M22.2.22)では「姫路」国府寺村の一部とあります。ところが同一頁の#160(飾東郡市殿村)を構成する町村名としては国府寺村の一部とあります。
また、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)では国府寺村の一部とあります。

352 新設/村制 武庫郡甲東村 武庫郡 門戸村, 上ヶ原新田, 段上村, 上大市村, 下大市村, 樋口新田, 神咒寺村, 広田村(微)
は#356との関係上
352 新設/村制 武庫郡甲東村 武庫郡 門戸村「(本)」, 上ヶ原新田, 段上村, 上大市村, 下大市村, 樋口新田, 神咒寺村, 広田村(微)
ではないでしょうか。
参考:県令第24号(M22.2.22)

206 新設/村制 川辺郡小田村 川辺郡 久々知村, 下坂部村, 善法寺村, 高田村, 額田村, 神崎村, 西川村, 浜村, 次屋村, 潮江村, 長洲村, 杭瀬村, 梶ヶ島村, 常光寺村, 西長洲村, 金楽寺村, 今福村, 大物村(微)
は#204との関係上
206 新設/村制 川辺郡小田村 川辺郡 久々知村, 下坂部村, 善法寺村「(本)」, 高田村, 額田村, 神崎村, 西川村, 浜村, 次屋村, 潮江村, 長洲村, 杭瀬村, 梶ヶ島村, 常光寺村, 西長洲村, 金楽寺村, 今福村, 大物村(微)
ではないでしょうか。
参考:県令第24号(M22.2.22)

215 新設/町制 川辺郡尼ヶ崎町 川辺郡 尼ヶ崎「村」, 別所村, 竹谷新田村, 大洲村, 大物村(本), 西難波村(微)
は#206、#216との関係上もあり、
215 新設/町制 川辺郡尼ヶ崎町 川辺郡 尼ヶ崎「町」, 別所村, 竹谷新田村「(本)」, 大洲村, 大物村(本), 西難波村(微)
ではないでしょうか。
まず県令第24号(M22.2.22)ではM22.3.31尼ヶ崎村となっています。
しかし、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)ではM22.3.31尼ヶ崎町となっています。
また地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)よりM19.1.現在でも尼ヶ崎町となっています。
さてどちらが正しいか考えます。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)よりM19.1.現在、兵庫県統計書明治19_20年(編・出版:兵庫県、M22.8.28)よりM19.12.31現在&M20.12.31現在、兵庫県統計書明治21年(編・出版:兵庫県、M24.2.24)よりM21.12.31現在で、川辺郡の町村数はいずれも4町170村とあります。
ここで川辺郡の4町とは伊丹町、尼ヶ崎町、山下町、銀山町を指すものと考えられます。明治22年になってから市制町村制施行(M22.4.1)までの3ヶ月間で、合併や分割を経ずに尼ヶ崎町→尼ヶ崎村となるのは考えにくいことと併せると、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置の記載にある尼ヶ崎「町」と考えるのが適当であると推察します。

203 新設/村制 川辺郡稲野村 川辺郡 御願塚村, 南野村, 野間村, 池尻村, 昆陽村, 新田中野村, 寺本村, 山田村, 千僧村(本), 堀池村, 大鹿村(微), 伊丹町(微), 武庫郡 時友村(微), 西昆陽村(微)
は#202、#358との関係上
203 新設/村制 川辺郡稲野村 川辺郡 御願塚村, 南野村, 野間村, 池尻村, 昆陽村, 新田中野村, 寺本村「(本)」, 山田村, 千僧村(本), 堀池村, 大鹿村(微), 伊丹町(微), 武庫郡 時友村(微), 西昆陽村(微)
ではないでしょうか。
参考:県令第24号(M22.2.22)

214 新設/村制 川辺郡東谷村 川辺郡 笹部村, 見野村, 東畦野村, 西畦野村, 山原村, 山下「村」, 下財屋敷村, 一庫村, 黒川村, 横路村, 国崎村
県令第34号(M22.3.5)との関係上も加わり、
214 新設/村制 川辺郡東谷村 川辺郡 笹部村, 見野村, 東畦野村, 西畦野村, 山原村, 山下「町」, 下財屋敷村, 一庫村, 黒川村, 横路村「(本)」, 国崎村
ではないでしょうか。
横路村or横路村(本)の選択については県令どおりなのですが、問題は山下「村」or山下「町」の判断についてです。以前も山下町or山下村の議論がありましたが、結論は出ませんでした。
まず県令第24号(M22.2.22)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)ではいずれもM22.3.31は山下村となっています。
ところが地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)よりM19.1.現在では山下町となっています。
次に兵庫県統計書明治19_20年(編・出版:兵庫県、M22.8.28)よりM19.12.31現在&M20.12.31現在、兵庫県統計書明治21年(編・出版:兵庫県、M24.2.24)よりM21.12.31現在で、川辺郡の町村数はいずれも4町170村とあります。そして川辺郡の4町とは伊丹町、尼ヶ崎町、山下町、銀山町を指すものと考えられます。
上述の資料に書かれていることがすべて正しいと解釈すると、明治21年末は山下町で、明治22年になってから市制町村制施行の前日(M22.3.31)までの3ヶ月間に山下町→山下村となったと言えます。そして村制が行われるためには、内務省より山下町→山下村という村制の指令を受けたということになります。
#郡区町村編制法の下では、廃置分合・改称等を行うには、内務省より廃置分合・改称等を行う旨の指令(ここでは山下町を山下村と為す旨の指令)が必要不可欠でした。
しかしながら、明治21年6月13日付で市制町村制施行に向けての具体的基準を示した訓令([62864])が出ており、これ以降に合併や分割を経ずに山下町→山下村となる旨の指令を内務省が出すということは考えにくいです。
ということはどこかに誤りがあると考えるのが自然です。
さてどちらが正しいか考えます。
上述した以外の資料については以前の山下町or山下村の議論を参照願います。
まず考えなければならないのが地方行政区画便覧を除く3書の信憑性です。他の府県では異なる資料でそろいも揃って明白な誤りがあるということはありませんでした。ところが、3書とも誤植であった事例が兵庫県ではあります。
(1)#216の竹田新田村(微)(正確には竹谷新田村(微))
県令第24号(M22.2.22)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)
(2)#342の古川村(微)(正確には古河村(微))
県令第24号(M22.2.22)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)
このような事例が2箇所もあると、誤りの訂正が明治22年の段階でなされておらず、細かな所までの信憑性は担保されていないとも判断できそうです。
私は3書の誤りの連鎖である可能性の方が高いのではないかと推測し、M22.3.31には山下「村」ではなくて山下「町」であったと判断しました。

次稿へ続く。
[78467] 2011年 6月 2日(木)12:38:59むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)東京府(その2)
[78466]の続きです。

●四谷区
四谷伝馬町一丁目, (略), 四谷永住町, 鮫「河」橋谷町一丁目, 鮫「河」橋谷町二丁目, 元鮫「河」橋町, 元鮫「河」橋南町, 麹町十一丁目, 麹町十二丁目, 麹町十三丁目, 南豊島郡 千駄ヶ谷村「の一部」, 内藤新宿一丁目「の一部」, 内藤新宿添地町「の一部」
は#34、#28との関係上もあり、
四谷伝馬町一丁目, (略), 四谷永住町, 鮫「ヶ」橋谷町一丁目, 鮫「ヶ」橋谷町二丁目, 元鮫「ヶ」橋町, 元鮫「ヶ」橋南町, 麹町十一丁目, 麹町十二丁目, 麹町十三丁目, 「市谷片町」, 南豊島郡 千駄ヶ谷村「(微)」, 内藤新宿一丁目「(微)」, 内藤新宿添地町「(微)」
ではないでしょうか。
まず府令第25号(PDF)(M22.4.11)1-2コマより四谷区外より編入されたのは南豊島郡 千駄ヶ谷村「(微)」, 内藤新宿一丁目「(微)」, 内藤新宿添地町「(微)」だけだと分かります。
次に、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では「市谷片町」は四谷区ではなくて牛込区となっています。
しかしながら東京府甲第107号布達(PDF)(M13.9.27)で市谷片町は牛込区より四谷区へ編入しています。地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でもM19.1.現在では「市谷片町」は四谷区にあります。
そして現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも「市谷片町」は四谷区にあり、M13.9.東京府甲第107号布達で牛込区より四谷区に編入とあります。
「河」or「ヶ」については(3)と(4)の記載にある「ヶ」としました。

●牛込区
市「ヶ」谷田町一丁目, 市「ヶ」谷田町二丁目, 市「ヶ」谷田町三丁目, 市「ヶ」谷本村町, 市「ヶ」谷「砂」土原町一丁目, 市「ヶ」谷「砂」土原町二丁目, 市「ヶ」谷「砂」土原町三丁目, 市「ヶ」谷左内坂町, 市「ヶ」谷加賀町一丁目, 市「ヶ」谷加賀町二丁目, 市「ヶ」谷甲良町, 市「ヶ」谷薬王寺前町, 市「ヶ」谷谷町, 市「ヶ」谷富久町, 市「ヶ」谷船河原町, 市「ヶ」谷長延寺谷町, 「市ヶ谷片町」, 市「ヶ」谷鷹匠町, 市「ヶ」谷山伏町, 市「ヶ」谷柳町, 市「ヶ」谷仲ノ町, 市「ヶ」谷河田町, 神楽町一丁目, 神楽町二丁目, 神楽町三丁目, 市「ヶ」谷八幡町, 牛込細工町, (略), 牛込喜久井町, 「牛込」下戸塚町, 牛込白銀町, (略), 大久保余丁町, 「南豊島郡 牛込早稲田村」, 「牛込改代町」, 「牛込水道町」

市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町, 神楽町一丁目, 神楽町二丁目, 神楽町三丁目, 市谷八幡町, 牛込細工町, (略), 牛込喜久井町, 下戸塚町, 牛込白銀町, (略), 大久保余丁町, 「牛込改代町」, 「牛込水道町」, 「南豊島郡 牛込早稲田村」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより牛込区外より編入されたのは南豊島郡 牛込早稲田村だけだと分かります。
次に新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では市「ヶ」谷田町一丁目, 市「ヶ」谷田町二丁目, 市「ヶ」谷田町三丁目, 市「ヶ」谷本村町, 市「ヶ」谷「佐」土原町一丁目, 市「ヶ」谷「佐」土原町二丁目, 市「ヶ」谷「佐」土原町三丁目, 市「ヶ」谷左内坂町, 市「ヶ」谷加賀町一丁目, 市「ヶ」谷加賀町二丁目, 市「ヶ」谷甲良町, 市「ヶ」谷薬王寺前町, 市「ヶ」谷谷町, 市「ヶ」谷富久町, 市「ヶ」谷船河原町, 市「ヶ」谷長延寺谷町, 市「ヶ」谷鷹匠町, 市「ヶ」谷山伏町, 市「ヶ」谷柳町, 市「ヶ」谷仲ノ町, 市「ヶ」谷河田町と「ヶ」があります。そして「市ヶ谷片町」もあります。また「牛込」下戸塚町と「牛込」の記載があります。ただし、「牛込改代町」, 「牛込水道町」は“仝”との記載が無いので南豊島郡ではなくて牛込区ということが分かります。
しかし地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町と「ヶ」がありません。「市ヶ谷片町」は牛込区ではなくて四谷区に「市谷片町」があります(四谷区の所で記載)。33コマで下戸塚町と「牛込」の記載がありません。また「牛込改代町」, 「牛込水道町」は南豊島郡ではなくて牛込区にあります。
現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)では四谷区に「市谷片町」あり(M13.9.東京府甲第107号布達で牛込区より四谷区に編入)。381~382コマで市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町と「ヶ」がありません。また「市ヶ谷片町」は牛込区ではなくて四谷区に「市谷片町」があります(四谷区の所で記載)。383コマで下戸塚町と「牛込」の記載がありません。384コマで「牛込改代町」, 「牛込水道町」は南豊島郡ではなくて牛込区にあります。
「砂」or「佐」については(3)と(4)の記載にある「佐」としました。

●小石川区
小石川竹早町, (略), 小石川大塚上町, 小石川大塚辻町, 小石川春日町, (略), 桜木町, 音羽一丁目, 音羽二丁目, 音羽三丁目, 音羽四丁目, 音羽五丁目, 音羽六丁目, 音羽七丁目, 音羽八丁目, 音羽九丁目, 東青柳町, 西青柳町, (略), 関口町, 高田老松町, 高田豊川町, 雑司ヶ谷町, 巣鴨原町一丁目, (略), 巣鴨駕籠町, 北豊島郡小石川村, 雑司ヶ谷村「の一部」, 巣鴨村「の一部」, 高田村「の一部」
は#47、#46との関係上もあり、
小石川竹早町, (略), 小石川大塚上町, 小石川大塚辻町「(本)」, 小石川春日町, (略), 桜木町, 音羽「町」一丁目, 音羽「町」二丁目, 音羽「町」三丁目, 音羽「町」四丁目, 音羽「町」五丁目, 音羽「町」六丁目, 音羽「町」七丁目, 音羽「町」八丁目, 音羽「町」九丁目, 東青柳町, 西青柳町, (略), 関口町, 高田老松町「(本)」, 高田豊川町「(本)」, 雑司ヶ谷町「(本)」, 巣鴨原町一丁目, (略), 巣鴨駕籠町, 北豊島郡小石川村「(微)」, 雑司ヶ谷村「(微)」, 巣鴨村「(微)」, 高田村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより小石川区外より編入されたのは北豊島郡小石川村「(微)」, 雑司ヶ谷村「(微)」, 巣鴨村「(微)」, 高田村「(微)」だけだと分かります。
また、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)のいずれでも音羽「町」一丁目, 音羽「町」二丁目, 音羽「町」三丁目, 音羽「町」四丁目, 音羽「町」五丁目, 音羽「町」六丁目, 音羽「町」七丁目, 音羽「町」八丁目, 音羽「町」九丁目と「町」があります。

●本郷区
本郷一丁目, (略), 本郷春木町三丁目, 本郷本富士町「一丁目」, 本郷元町一丁目, (略), 本郷森川町, 「本郷」龍岡町, 湯島一丁目, 湯島四丁目, (略), 向ヶ丘弥生町, 北豊島郡 下駒込村, 日暮里村「の一部」
は下谷区、#42との関係上もあり、
本郷一丁目, (略), 本郷春木町三丁目, 本郷本富士町, 本郷元町一丁目, (略), 本郷森川町, 龍岡町, 湯島一丁目, 「湯島二丁目」, 「湯島三丁目」, 湯島四丁目, (略), 向ヶ丘弥生町, 北豊島郡 下駒込村「(本)」, 日暮里村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより本郷区外より編入されたのは北豊島郡 下駒込村「(本)」, 日暮里村「(微)」だけだと分かります。
次に新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では本郷本富士町, 「本郷」龍岡町となっています。
しかしながら、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では本郷本富士町, 龍岡町となっています。
また現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも本郷本富士町, 龍岡町となっています。

「湯島二丁目」, 「湯島三丁目」の有無ですが、本郷区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…63町
東京府統計書明治16_17年M16_17…63町
東京府統計書明治18年M18…63町
地方行政区画便覧M19.1.…63町
東京府統計書明治19年M19…65町
東京府統計書明治20年M20…65町
東京府統計書明治21年M21…65町
となっています。
明治19年頃に2町が増えていますが、これは東京府令第9号(PDF)(M19.8.14)にて湯島二丁目、湯島三丁目が増えたものと考えられます。

●下谷区
下谷二長町, (略), 下谷金杉下町, 下谷三ノ輪町, 下谷善養寺町, 下谷町一丁目, 下谷町二丁目, 練塀町, 「上野公園地」, 上野町一丁目, (略), 谷中町, 北豊島郡 日暮里村「の一部」, 谷中村, 金杉村「の一部」, 下駒込村「の一部」, 下谷竜泉町, 千束村「の一部」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「の一部」
は本郷区、浅草区、#40、#36、#42との関係上もあり、
下谷二長町, (略), 下谷金杉下町, 下谷三ノ輪町「(本)」, 下谷善養寺町, 下谷町一丁目, 下谷町二丁目, 練塀町, 上野町一丁目, (略), 谷中町, 北豊島郡 日暮里村「(微)」, 谷中村, 金杉村「(微)」, 下駒込村「(微)」, 下谷竜泉町, 千束村「(微)」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「(微)」, 「坂本村(本)」
ではないでしょうか。
府令第25号(PDF)(M22.4.11)2-3コマより下谷区外より編入されたのは北豊島郡 日暮里村「(微)」, 谷中村, 金杉村「(微)」, 下駒込村「(微)」, 下谷竜泉町, 千束村「(微)」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「(微)」, 「坂本村(本)」だけだと分かります。
#坂本村or阪本村ですが、(1)を最優先に採用という方針に従い、(2)の阪本村ではなく(1)の坂本村という表記に従いました。

「上野公園地」の有無ですが、下谷区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…71町
東京府統計書明治16_17年M16_17…69町
東京府統計書明治18年M18…69町
地方行政区画便覧M19.1.…69町
東京府統計書明治19年M19…68町
東京府統計書明治20年M20…68町
東京府統計書明治21年M21…68町
となっています。
明治16年頃に谷中七面前町、谷中片町が合併で消滅したために71町から69町へと減少しました。その後、明治19年頃に1町が減少していますが、これは上野公園地が町ではなくなったからと推測しました。

次稿へ続きます。
[85692] 2014年 6月 5日(木)00:20:20伊豆之国 さん
「小川町」はおがわまち? おがわちょう?
[85684] オーナー グリグリ さん
[85686] hmt さん
「まち」と読む町、「ちょう」と読む町

自治体としての「町」ではなくて「○○市(区)△△町」という場合の「町」をどう読むのか、というのを調べてみるのも面白そうです…。
住居表示などで「町」を外された町名も多いのですが、今回は、東京23区の都心部の中でも「△△町」がかなり残っている、千代田・中央・新宿の各区について「まち」と「ちょう」の数を調べてみました。
読みのデータは、郵便局の「郵便番号検索」からです。

区名「町」の総数「まち」「ちょう」
千代田区42大手町、神田小川町、神田司町、麹町4一番町、岩本町、内幸町、鍛冶町、紀尾井町、五番町、猿楽町、三番町、永田町、二番町、隼町、平河町、三崎町、有楽町、四番町、六番町、神田相生町(以下、頭に「神田」)、淡路町、和泉町、岩本町、鍛冶町、北乗物町、紺屋町、佐久間町、神保町、須田町、多町、富山町、錦町、西福田町、練塀町、花岡町、東紺屋町、東松下町、平河町、松永町、美倉町、美土代町38
中央区20日本橋室町1明石町、豊海町、日本橋大伝馬町(以下、頭に「日本橋」)、蛎殻町、兜町、茅場町、小網町、小伝馬町、小舟町、富沢町、人形町、箱崎町、浜町、馬喰町、久松町、堀留町、本石町、本町、横山町19
新宿区78赤城下町、赤城元町、市谷鷹匠町、市谷田町、市谷台町、市谷長延寺町、市谷船河原町、市谷薬王寺町、霞ヶ丘町、片町、北町、細工町、坂町、信濃町、新小川町、箪笥町、築地町、戸塚町、内藤町、納戸町、二十騎町、払方町、原町、袋町、舟町、南元町、横寺町、余丁町、早稲田町29愛住町、揚場町、荒木町、市谷加賀町、市谷甲良町、市谷砂土原町、市谷左内町、市谷仲之町、市谷八幡町、市谷本村町、市谷柳町、市谷山伏町、岩戸町、榎町、改代町、歌舞伎町、河田町、喜久井町、北山伏町、左門町、三栄町、下宮比町、白銀町、水道町、須賀町、住吉町、大京町、津久戸町、筑土八幡町、天神町、富久町、中里町、中町、西五軒町、馬場下町、東榎町、東五軒町、百人町、弁天町、本塩町、南榎町、南町、南山伏町、山吹町、矢来町、若松町、若宮町、早稲田鶴巻町、早稲田南町49

…結果はご覧の通りですが、千代田区と中央区は圧倒的に「ちょう」が優勢なのに対し、牛込地域を中心に従前の町名が多く残っている新宿区では、やはり「ちょう」のほうが多いものの、「まち」の数もかなり多く、割と拮抗しています。牛込地域で隣接する「南町」と「中町」が「ちょう」で「北町」が「まち」だったり、「早稲田町」が「まち」で「早稲田南町・鶴巻町」が「ちょう」だとか、「市谷」の付く町名など、同じ地域でも両方の読みが混在しているところが多く見られ、地元の人でも間違えて読んで(覚えて)いるような人が多そうな気もします…>元牛込区民のhmt さん([22003])。
千代田区の神田地域は、住居表示で頭の「神田」を外されている町を含め、「ちょう」が圧倒的に優勢で、「まち」はわずかに「司町」「小川町」の2つだけ、ということから、これはもうだいぶ前のことですが、「小川町」を周りの「△△ちょう」に引きずられて「おがわちょう」と読んでいる人が増えている、という話が載っていたことがありました。蛇足ですが、小平市の「小川町」は「おがわちょう」と読んでいるようです。
なお、上記の表のうち、「神田」の付く町と無い町がある「岩本町」と「鍛冶町」は、共に大半の地域が住居表示で「神田」が外され、未実施で残された地域が「神田」が付いたままになっているのに対し、「平河町」と「神田平河町」はまったく別の地域にあり、旧麹町区の平河町に対し、「神田平河町」は秋葉原駅の東側のごく狭い区域の町名として残っています。


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