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北の住人さんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[53991]2006年9月16日
北の住人
[53977]2006年9月15日
北の住人
[53968]2006年9月14日
北の住人
[53953]2006年9月13日
北の住人
[53894]2006年9月10日
北の住人
[53883]2006年9月9日
北の住人
[53882]2006年9月9日
北の住人
[53799]2006年9月3日
北の住人
[53798]2006年9月3日
北の住人
[53775]2006年9月2日
北の住人
[53585]2006年8月23日
北の住人
[53492]2006年8月19日
北の住人
[53457]2006年8月17日
北の住人
[53452]2006年8月17日
北の住人
[53428]2006年8月16日
北の住人
[53373]2006年8月14日
北の住人
[53356]2006年8月13日
北の住人
[53337]2006年8月13日
北の住人
[53317]2006年8月12日
北の住人
[53306]2006年8月12日
北の住人
[53288]2006年8月11日
北の住人
[53267]2006年8月10日
北の住人
[53219]2006年8月9日
北の住人
[53215]2006年8月9日
北の住人
[53187]2006年8月9日
北の住人
[53120]2006年8月6日
北の住人
[53110]2006年8月6日
北の住人
[53065]2006年8月5日
北の住人
[53028]2006年8月5日
北の住人
[52976]2006年8月3日
北の住人
[52939]2006年8月2日
北の住人
[52900]2006年8月1日
北の住人
[52859]2006年7月31日
北の住人
[51990]2006年7月4日
北の住人
[51957]2006年7月2日
北の住人
[51863]2006年6月24日
北の住人
[51820]2006年6月19日
北の住人
[51810]2006年6月18日
北の住人
[51808]2006年6月18日
北の住人
[51795]2006年6月17日
北の住人
[51723]2006年6月11日
北の住人
[51722]2006年6月11日
北の住人
[51651]2006年6月4日
北の住人
[51424]2006年5月21日
北の住人
[51334]2006年5月14日
北の住人
[51330]2006年5月14日
北の住人
[51307]2006年5月13日
北の住人
[51142]2006年5月3日
北の住人
[50692]2006年4月11日
北の住人
[50637]2006年4月10日
北の住人

[53991] 2006年 9月 16日(土)11:41:17北の住人 さん
百交差点
私は既に飽きてしまいました。暗算が難しい歳になったので挫折したと言った方が合ってますが。で、交差点ではないですが、こんなのも見つけました。管内の国道番号の和が100の倍数です。
500 福岡県添田町

やってて感じたのは重複部分の多さですね。道内各市の国道本数を数えてみたのですが、地図上では札幌市の9本が最多で、他を離していると思いましたが、重複を調べてみると釧路市や網走市も9本でした。
[53977] 2006年 9月 15日(金)22:46:51北の住人 さん
昔の事は良くわかりません
[53936] 88 さん
石狩市を構成する郡について、実はまだ問題があり、当初の郡域が良くわからないのです。[53882]は、明治29年地形図での郡域を元にしており、それが当初の郡域と一致するのかは不明のままなんです。

[53970] むっくん さん
私は外野として一連の記事を読んでいますが、「新修大津市史」「滋賀県市町村沿革史」は下阪本村と坂本村が大津市に合併したあとに書かれたものではないでしょうか?明治発行の地形図のほかに、両村が存在した時代の資料で確認したい所です。正誤の判断はそれを待っても遅くは無いのでは?(地形図にも、これ合ってるの?と感じるのがあるんですよね。特に古いのは)
[53968] 2006年 9月 14日(木)22:40:00北の住人 さん
北海道地方費
手元の本を読んで見たところ、北海道地方費の設定は、明治31年から39年まで北海道長官だった園田安賢が、明治34年の北海道10年計画の中で発案したようです。
開拓使以来国費のみで進めていた北海道開発を、国費と地方費に区分し、また、国費を行政費と拓殖費に分け、地方費については北海道会を設けて自治権を認めようという案です。それまでは全て国庫に入っていた税収の一部を、府県の地方費に相当するものとして分離させたわけです。
一見、自治を望む道民の期待にこたえたような感じですが、実は人口増に伴って増大していく地方費相当分を別に設ける事で、将来の国費の負担を浮かし、その分を拓殖費に充てようとする思惑もあったようです。道会の設立で自治を得た形になりましたが、議決事項は地方費の収支に関してのみで財産処分は行えず、実際の執行は北海道庁(国)が行っていたわけです。
[53953] 2006年 9月 13日(水)22:25:06北の住人 さん
地方自治法以前の北海道
難しい話なので、近寄らない様にしていましたが、こんな感じではないでしょうか。
中央の官庁である「北海道庁」(地方自治団体ではなく、長は知事より権限の強い長官)が北海道の事務を行い、地方自治の仕組みとして「北海道会」という議会(府県会より権限が弱い)があった。また、「北海道地方費」は「府県費」と同じ性格である歳出入(地方税等地方の収入で賄う)を指しており、「北海道会」の議決事項であった。例えば、道路や高校を作る場合、「北海道会」の議決により決定し、「北海道庁」が「北海道地方費」から支出する、といった仕組みになっていたのではないかと考えられます。(hmtさんが詳しく書かれていますが、私はあまり調べていませんです。)

なお、例の素敵な道路のサイトによると、「地方費道」以前は「假定縣道」「縣道二假定ス」という表現が使われていたようです。
[53894] 2006年 9月 10日(日)21:33:20北の住人 さん
三つ巴?三すくみ?
[53861] オーナー グリグリ さん
秋田県大仙市・協和上淀川? の交差点ですが、13と46も重複してるかもしれません。地図の雰囲気からは、交差点の北側が13と46、南側が13と341、東側が46と341だと思います。
[53883] 2006年 9月 9日(土)22:58:20北の住人 さん
政令指定都市について
どなたかが既に書かれていたと思いますが、指定都市は他都市と比較する規定では無く、自治についての特例ではないでしょうか。過去記事に委譲事務の一覧があったと思いますが、県の事務には広域的なもののほか、一定以上の人口規模が必要なものがあり、人口の多い都市では自らそれができるわけです。指定都市だからといって、地方に権限が委譲されるわけではなく、都道府県と市との関係での委譲です。住んでる人から見れば、安全で住み良い街なら、指定都市でもそうでなくても良いわけで、住民としては都道府県と市町村との関係を意識しなくとも生活することはできます。

指定都市が効率的かというと、規模の点からは県のほうが効率的ではないでしょうか。少数精鋭という言葉がありますが、指定都市になる事で組織が肥大化し、小回りが効かなくなる恐れもあります。
一方、人員や財政が大きくなれば、やりたい事、力を入れるべき所に集中的に投資する事ができるのでしょう。投資対象はそれぞれの市によって異なると考えられ、より広域的な事を考えねばならない県より、住民の意思を反映させることができると思います。
[53882] 2006年 9月 9日(土)21:40:24北の住人 さん
石狩市域は4郡か
[53492]後段で石狩郡・札幌郡間の境界変更の可能性について書きましたが、北海道庁告示に次のが見つかりました。
明治三十二年十二月十四日 告示 第三百九号
石狩国札幌郡石狩郡境界ノ内札幌郡下手稲村山口村及石狩郡樽川村ニ連絡セル郡界ヲ今般内務大臣ノ許可ヲ経テ左ノ通リ変更ス 但境界図ハ札幌支庁ニ備置ク
発寒川ト追分川ノ落合ヨリ追分川ヲ溯リ殖民区画第三線道路ニ沿ヒ西北運河ニ至リ更ニ西南ニ折レテ新川ニ出テ「オタナイ」川ニ達スルヲ以テ郡界トス
この告示の「西北運河ニ至リ」までは、現在の札幌市・石狩市境界と同じです。明治29年地形図・明治43年地形図の郡界の違いと合わせて考えると、石狩郡・札幌郡間で郡域の交換があったようです。

ということで、石狩市域は石狩郡・厚田郡・浜益郡・札幌郡の4郡になりました。また、[53585]で札幌市は「実際には小樽郡だけ」としましたが、札幌郡・小樽郡・石狩郡の3郡でした。
[53799] 2006年 9月 3日(日)23:02:45北の住人 さん
続、百交差点
参考記録ですが、ここは道でしょう?重複区間が合っていればですが。 新潟県三条市須頃3丁目 700=8+289+403
[53798] 2006年 9月 3日(日)22:38:53北の住人 さん
百交差点
参考記録ですが既出でしょうか? 秋田県大仙市協和上淀川 400=13+46+341
しかし、皆さんこの手の問題はどのようにして探しているんでしょう。私的には、地図を見ながら1つずつ潰していくのが、早くて確実じゃないかと思うんですが。(見落としもでてきますが)
[53775] 2006年 9月 2日(土)13:05:51北の住人 さん
クイ図の解答
問一:鳥栖市
あえて小縮尺でいってみました。

問二:水戸市
この問題は探すのが大変なので、あきらめです。

クイ図の感想ですが、どの地図を使うのかと、縮尺をどうするかですね。私のネット環境ではブロ-ドバンド用地図の表示に時間がかかり過ぎ、解答された方のリンク先を見るのを止めたのがあります。縮尺は大縮尺の方が良いですが、そのものずばりの建物が表示されると解くのが簡単になりそうです。
[53585] 2006年 8月 23日(水)22:52:33北の住人 さん
境界争議
自治法上、市町村の境界に争いがある場合は知事の出番でしたっけ。勉強した事ありますが、すっかり忘れてます。

[53544] 88 さん 
[53571][53572] EMM さん
郡の範囲の検証作業お疲れ様です。境界変更は調べるの大変で、奥深いものがあります。市町村の合併が絡んでいたら、しかも古いものなら困難な作業になります。私もあれこれ考えながら、紅葉橋律乃介さんの感想同様、細かいことになってしまったなぁ、どうしようか、と思ったのでした。(石狩市については、地図上では結論出ていたりしてましたが根拠が無かったので、その後の2本の告示で確信に至ったわけです。)

クイズからは離れますが、単純に札幌市の境界変更・廃置分合をたどると、高島郡・忍路郡・小樽郡・石狩郡・千歳郡の5郡が絡む可能性もありうるので、正確な作業は大変なわけです。(実際には小樽郡だけ)
 「小樽市→札幌市」で「高島郡・忍路郡・小樽郡」
 「江別村・江別町→白石村、江別市→札幌市」で「石狩郡・空知郡」
 「広島村→豊平町、広島村→札幌市」で「千歳郡」
地図を見れば感覚的にはわかるんですけど、細かい部分は明治に遡るものもあり、また、「石狩市・小樽市」のように町字名変更も考えると、境界変更の調査は容易でないです。

「石狩市・小樽市」の境界変更の場合、仮に「小樽郡銭函町」というのが存在し、「石狩町→銭函町」で郡界が変更したのち、再度、「小樽郡銭函町」の一部が石狩町に編入すれば、現在の石狩市には小樽郡(もとは石狩郡)を含めた4郡が存在するという事になるのでしょう。
[53492] 2006年 8月 19日(土)09:29:06北の住人 さん
石狩市・小樽市
[53458] 88 さん
あっという間に該当する告示が2本も出てくるなんて、小樽市・石狩町の境界変更について、書き込んで良かったです。
手元に変更以前の地形図がいくつかあるんですが、この告示で小樽郡から石狩市に入った区域はないとほぼ確信しました。小樽市銭函5丁目は、石狩町大字樽川村から名を変えた区域で間違いないと思います。(明治の地図については少し疑ってますが、昭和42年の地図ならOKでしょう。)
昭和50年の境界変更ですが、市町村便覧などで、小樽市から石狩町への編入もあるような雰囲気になってたりしますが、告示を読むと石狩町→小樽市のみのようですね。

細かい話になりますが、この告示にでてくる字名で気付いたことです。
・分部越、分部義(「義」の字を当てているのは初めて見ました)…アイヌ語地名の「フンベムイ」由来(鯨に関係?)。「フンベムイ」は「花畔村」に存在したという記述もあり、明治期には「花畔村」→「樽川村」となった区域もあるかも。「花畔村」は明治4年、「樽川村」は明治15年の成立なんで分村の可能性も。
・小樽内川、オタネナイ、樽川 …アイヌ語地名の「オタルナイ(オタナイ)」由来で、「小樽内」に「オタネ」とルビが振られた地図もあり、「オタネ浜」の通称も。「オタネさん」がいたからという説もあったりなかったり。
不思議なのは「字樽川」。「大字樽川村」には字無しの区域があるのに、なぜここに「字樽川」の小字があるのか、他村と境界変更があったのかも?

さて、次の字名が問題なんですが、ひょっとしたら札幌郡から石狩市域に移った区域があるかもしれません。これを調べるのはかなり難しそうですが。
・軽川、白川 …下手稲村・山口村(現在の札幌市手稲区の大部分)に同字名が存在。「軽川」は手稲町中心部の旧字名で、「手稲駅」は昭和27年に「軽川駅」から改称。明治29年の地形図では、下手稲村の村域の一部が、現在の石狩市域にかかっており、「字軽川」は「下手稲村」→「樽川村」の境界変更でできた可能性も。ただし、明治43年の地形図では今と同じ境界なので、明治29年のは誤記かもしれません。また、「軽川」は広域名かもしれないです。

ちなみに、下手稲村域の変遷は次のとおりです。
 発寒村→手稲村→下手稲村→(山口村分村)→手稲村→手稲町→札幌市→札幌市西区→札幌市手稲区
[53457] 2006年 8月 17日(木)22:31:06【2】北の住人 さん
盆地の名
[53448] huzisan さん
奈良市の奈良と考えます。次の文を読んでしまったからですが。
「地名の標準化についてPDF」([53057]hmt さん)の5ページ目(本文では52ページ)、「第3図 主要自然地域名称図」宗谷岬の上方に次の文があります。
*地域を示す固有的な部分の称呼は、次の基準にしたがう。
1 長年にわたり、全国的な規模において習慣的に使用され、それが広く通念となっているものについては、その名称にしたがう。(例 奥羽山脈 関東平野)。
2 山地にあってはその主峰の名をとる(例 真昼山地 両白山地)。
3 平地にあってはその主邑の名をとる(例 大阪平野 山形盆地)。
4 以上の基準による名称が適切であると認めがたい場合にかぎり、国名・郡名、またはそれらの複合名、その他の地域名をもって示すものとする(例 石見高原 魚沼丘陵 筑肥山地 九十九里平野)。
文字が潰れているので、カッコ内の(例)は私の推測によって書きました。第1項に該当しない場合、第3項によると盆地は主邑の名なので、奈良盆地は奈良市の奈良となるわけです。(上の文には「県名」がありませんが「その他の地域名」に入るんでしょうか。)
[53452] 2006年 8月 17日(木)20:36:24北の住人 さん
小樽市大字樽川村
[53442] 88 さん
H02(1990)0601小樽市銭函五丁目の一部を境界変更して石狩郡石狩町へ
この境界変更区域、地番の確認はしていませんが、もともと石狩町(石狩郡)だったと考えられます。この区域の変遷は次のようになると思います。
 樽川村→花川村→石狩町→小樽市→石狩町→石狩市

現在の小樽市銭函4丁目、銭函5丁目は町名改正によるもので、以前は小樽市大字樽川村。さらに、昭和50年4月15日の境界変更前は、石狩町大字樽川村の一部になるはずです。この樽川村は、石狩国と後志国の境界である、オタナイ川(小樽内川)の右岸(石狩国側)に位置しているために名付けられたと考えられ、石狩町の古い字名として「大字樽川村字小樽内川」が存在するようです。

昭和50年の小樽市への編入、石狩湾新港の建設が絡んでいるようです。新港ができると小樽港へ入港する船舶が減りますから。
[53428] 2006年 8月 16日(水)23:13:22北の住人 さん
4つ以上の郡からできた市
[53355] オーナー グリグリさん
問八の未解答のうち「石狩市」について。「石狩郡」「厚田郡」「浜益郡」は明らかですが、もう一つを探しているところです。候補としては「小樽郡」と「札幌郡」。
小樽郡成立時の石狩郡、札幌郡との郡界は「オタナイ川(小樽内川、今の清川と考えられる)」で、その後、小樽郡は小樽市域に含まれました。小樽市と石狩町で境界変更がありましたが、現在の石狩市域に小樽郡は存在しないと思います。
札幌郡については、明治の地図を見ると、札幌郡と石狩郡の間で境界変更があったような感じもします。
いずれも地図だけでは確かでなく、資料に当ろうかと思っているところです。
[53373] 2006年 8月 14日(月)22:19:19北の住人 さん
レベルの違い
[53370] 千本桜 さん
水準測量の体験をしたことは無いのですが、三角測量の標高とは高さの精度が違うんですね。家の近くの基準点情報を調べたところ、三角点の標高の最小単位は1cm、水準点は0.1mmと2桁の違いでした。水準測量の測定にかかる経費も結構違うんでしょうね。(たとえば、札幌市西区にある、一等三角点「琴似山」の標高は311.07m、基準水準点「82番」の標高は80.9888m)

札幌周辺の三角点を見ていたら、点名ですが「団子山(標高7.22m)」「砂山(標高11.22m)」というのがありました。もっとも、地形図に名称は載ってないので、山としては未公認というか業界限定ですが。

最近、札幌の山が1つ増えました。モエレ山というのが隆起、ではなく造成され、めでたく地形図にも採用されたようです。この山のすぐ北に「プレイマウンテン」というのもあるのですが(こちらの方が歴史が古い)、国土地理院に申請していないのか、地形図には載ってません。ここにはビーチもあり、公園全体が彫刻家イサム・ノグチ氏の設計によるものです。
[53356] 2006年 8月 13日(日)21:33:27【1】北の住人 さん
山の高さ
[53194] みやこ♂ さん
高さといえばこんな例が。札幌の南西に「無意根山」というのがあるんですが、地形図の三角点標高は1,460.5mです。でも、最高点は1,464m。私はこの山に登りかけ、雨のため引き返した事があるんですが、木々の中の最高点より、視界の良い三角点の方が、山頂としての雰囲気があるそうです。

みやこ♂さん提示の「日本の山岳標高一覧 -1003山-」を調べようと検索してみたところ、国土地理院のこのページが当然のようにトップに。で、ここから「都道府県別山岳標高」などに行ってみると、「無意根山」と同様な例が結構ありました。調査概要(PDF)を読むと、山の最高点が三角点や標高点ではない場合があり、地形図で調べるのには限界があるということですね。(高さの基準が水準点で、三角点は位置を表しているのだと思いますが、山の標高に水準点を使わないのは対象・用途の違いからでしょうか。)

ちなみに、ここの「都道府県の最高地点」では、大阪府の最高地点(最高峰)を金剛山としているようです。
[53337] 2006年 8月 13日(日)07:31:59北の住人 さん
第十二回十番勝負 感想
今回はじめての参加です。正答が大方出た後で、ヒントも出ているのに難しかったです。
問四■一桁・二桁国道(旧一級国道)の始点・終点がある
×江別市→○室蘭市:初日の解答は眠たい状態だったので、単に旧一級国道で解答。よく考えたらこれでは多すぎですね。該当市は北海道に多いので、すぐ見つかりました。
問七■環境省の快水浴場百選がある
○にかほ市:これはすぐに一覧表を見つけましたが、残っている市を探すのに一苦労。ひらがな3文字の市が目に付き、未答市だったのでこちらを解答。
問八■複数の郡(4つ以上)からできた市
×江別市→×豊岡市→×足利市→○石巻市:問四同様、単に複数の郡からできた市で解答しましたが、良くヒントを見ると「郡、郡、郡、郡」。境界変更を含むかどうかわからず「小樽市」で解答するのを迷い、ネットで検索した表では「豊岡市(城崎郡・美含郡・気多郡・出石郡)」が該当しそうだったので解答するも×。しかも、私が見ている表では1郡のみの市が正答になっているのに、4郡ありそうな市が誤答のリストに存在。両毛地方に多いということから、あてずっぽうで「足利市」。次の日、アーカイブ複数の郡にまたがる市、複数の市を生んだ郡を探して正答にたどりつきました。
問九■世帯数が1万未満(2005年国勢調査速報値)
○豊後高田市:残りの市を探すのが大変でしたが、人口が少ない市と照らし合わせながら、文字数の多い市が目に付いたのでこれを解答。
問十■問一から問九の問題になっている
×津市→×野田市:今回参加したきっかけはこの問題で、クローズが予定通りだったら十番勝負の解答はできませんでした。なにやら不穏な動きがあるこの問題、残りが1市になってから、なんだろうと調べてみたわけで、実はこの問題が上の4問より先に解けたのでした。参加者がもういないだろうと思って遊んでいたら、想定解終了してました。
[53317] 2006年 8月 12日(土)17:35:21北の住人 さん
お礼
問八、EMMさんのヒントで助かりました。ありがとうございます。
[53306]、早起きは三文の得ではなく、早起きは一問の得でした。ことわざの使い方としては合ってるんでしょうが、三文なんて失礼でした。「溺れる者は藁をもつかむ」なんてことを大事な取引先に言ったりすると、「俺は藁か」と返されるので、皆さん注意しましょう。
[53306] 2006年 8月 12日(土)05:58:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:石巻市

早起きは三文の得、になるでしょうか。EMMさんの記事を参考に調べましたが、出かける時間になりました。
[53288] 2006年 8月 11日(金)21:18:49北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:足利市

結局わかりませんでした。明日は朝早くに起きて、小樽方面にブルーベリー狩りに行くので、そろそろ寝ます。果報は寝て待て、なんて言葉もあるので。
[53267] 2006年 8月 10日(木)23:58:03北の住人 さん
第十二回十番勝負
問九:豊後高田市

問八はお手上げ状態。なか那珂、パッと光のようにはひらめきません。
[53219] 2006年 8月 9日(水)23:42:23北の住人 さん
第十二回十番勝負
第十二回十番勝負
問十:野田市

まだ残っているようなので、これで行ってみます。問八はもっと考えないとだめなようで。
[53215] 2006年 8月 9日(水)23:16:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:室蘭市
問八:豊岡市

前回の解答は、考えが足りず情けない結果となりました。再挑戦です。
[53187] 2006年 8月 9日(水)00:12:54北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:江別市
問七:にかほ市
問八:江別市
問十:津市

はまってしまい、こんな時間になってしまったですよ。問十は残り1市なので、残しておきました。
[53120] 2006年 8月 6日(日)22:40:47北の住人 さん
確かにローカル
[53113] ぺとぺと さん
これです、コシヒカリだったんですね。これ全国かと思っていたら、東京と北海道だけだったとは。
[53110] 2006年 8月 6日(日)15:13:11北の住人 さん
越後屋 おまえも悪よのぉ
[53073] 右左府 さんの記事を読み、「イバラキのなんとか」だったか「イバラギのなんとか」だかのCMを思い出しました。何のCMだったか覚えてませんが。

[53079] 愛比売命 さん
[53087] EMM さん
旅館に限らず、出身地を屋号にする例は多いんじゃないでしょうか。今は予約して行くことが多いですが、昔は旅先で飛びこみという感じだと思います。隣国といっても今と違って困難な道中、しかも一生に一度あるかないかの一大事業、私のような小心者が異国で心細くなっているところに、自国の看板を見つけ中に入って一息、なんてことがあったかもしれません。
かつて札幌駅前に、全道一豪華だと言われたこともある、明治の中頃創業の「山形屋旅館」がありました。創業者は現在の山形市出身なんですが、「出羽屋」「羽前屋」でないのは語呂が良かったからか?

ある本に、奈良盆地には旧国名が地名となっている例が多く、全部で30カ国ほど存在すると書かれています。古墳、寺院の建設により各地から人が集まり、定着したためという事です。

札幌も暑いですが、甲子園はもっと暑くて熱いんでしょう。北北海道は残念でした。開会式後ということもあり選手が応援に来てましたが、南に期待しましょう。
[53065] 2006年 8月 5日(土)20:54:59北の住人 さん
烏帽子は黒い
[53032] みやこ♂ さん
私は、頂上がにゅっとした感じの丸い山のことを烏帽子岳と呼ぶんだと思ってたんです。ある種の烏帽子を、折らずに横から見ると丸いじゃないですか。正面から見ると尖ってますが。
そこで烏帽子とは何かと調べたんですが、どうも「黒い帽子」で形はさまざまだったんです。他の色、例えば赤なら「赤烏帽子」ですが、「烏帽子」と言ったら色は黒なんですね。そんなこんなで「烏帽子岳は黒い」という珍説を作ったわけです。

「烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂」ですが、「烏帽子のように尖って、黒々としたやわらかな線で起伏する頂」という意だと色ではなくなるんですよね。「烏帽子のように、尖って黒々とした、やわらかな線で起伏する頂」なら形と色なんですけど。「尖って」「やわらかな線」というのはなんとも意味が深いです。その山にたどり着いて、間近に見た人ならではの表現なんでしょう。
[53028] 2006年 8月 5日(土)00:17:15北の住人 さん
天の香具山霞たなびく
うれしいですねぇ。ちゃんと調べればよかったんですが、手を抜いておりました。[52979] faith さん、ありがとうございます。
私、今気付いたんですが、「天香具山」は「橿原市」でもあるんですね。というより、「橿原市」に「天香具山」があると言った方が良いのでしょうか。例の文章は、「大和三山」についての記述だったんですが、なんで「橿原市」ではなく「桜井市」なのかは私には分りません。この「大和三山」は「奈良三山」とは呼ばないんでしょうね。

即席ですが奈良について勉強してます。廃藩置県当初、「奈良県」は今よりかなり狭い範囲だったんですね。更に、昔むかしの「なら」はごくごく小さな場所だった様です。「大和」の中の一部が「奈良」と理解しましたが、その点で、「大和盆地」より「奈良盆地」の方が範囲を適切に表現しているように思えます。
[52976] 2006年 8月 3日(木)22:51:12北の住人 さん
大和盆地
[52961] huzisan さん
遠くに住んでいると実感がないので、どれが誤用でどれが正しいのかよく分りませんが、「大和盆地」の使用例がありましたので、報告します。私見ですが、業界というのか一門というのかそういう流れの中で使用されている可能性があるのではないかと感じました。

吉川弘文館の雑誌「日本歴史」(日本歴史学会編集)668号の特集「日本史のなかの地名」中、研究余録として関西学院大学の方の文章に、「大和盆地」が4回ほど出てきます。その内の1つは「大和盆地(大和平野)」となってます。
この方、出身は奈良ではなさそうですが、中世奈良の社寺文書を研究されており、昭和30年前後には奈良県内の町村史編集にも参与されているとの事です。
多分、この方は多数の論文や書物を著していると思いますので、そこでも「大和盆地」としていると考えられます。そう考えるとこの方の周辺では「大和盆地」が一般的に使われているんではないかと思います。

なお、この文章中、「香久山(村)は桜井市に属した」との記述もあります。(香久山村というのがあったのか、天香具山を指しているのかは不明)
「香具山・香久山」は「天香具山・天香久山の略称」と私の辞書にはあるのですが、これはどう考えればよいのか、今日も眠れない夜になりそう(暑くて)。
[52939] 2006年 8月 2日(水)23:00:44北の住人 さん
山のこと
[52903] みやこ♂ さん
[52918] futsunoおじ さん
私、双耳峰そのものに付いては深く考えてなかったです。実際に見ることができないので、コレクションを見ながら耳の間が短いのや長いのがあるなぁ、耳の形はどんなのだろ、やはり猫型か、といった感じです。ただ、2峰間の距離が長いのは1つの山と言えるのかと思い、山とは何かと疑問が湧いたのですが、双耳峰は山の数ではなく形なんですね。
重要なのは地図上ではなく、見た目でしょうか。鑑賞するには芸術性は重要ですね。

その点で言えば、1,022m無名峰も地図上の話に過ぎず、実際には単なる尾根で、山に見えないかもしれないです。まぁ、誰かが山だと宣言したらそうなるのかもしれませんが。

北海道の山には「クマネシリ」と名付けられたものがいくつかあります。形状が「頂上部が平らな山」とされていますが、「両端が盛上がり中央部が平らな山」という説も出されています。実際の形状は後者となっているようですが、両端の盛上がりの形が耳なら双耳峰の候補となるかもしれません。

「双耳峰」コレクションに北ペトウトル山がありますが、南ペトウトル山も似たような形状です。(「北ペトウトル山」の「記事」欄は「チロロ岳」の説明のような気がしますがどうでしょう。)
他所でも書いたことありますが、このペトウトル山、その筋では有名な人だという大島亮吉が「非常に顕著な山容の頂だった。烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂のうえからすっくと聳えていた」と表現しているんです。これを読んで「烏帽子は形ではなくやはり色か」と心の中で叫びました。烏帽子の種類と形を調べた事があるんですが、烏帽子にもいろんな形があるようです。もっとも、世の中の烏帽子岳や烏帽子岩は特定の形なんでしょうが。
[52900] 2006年 8月 1日(火)21:40:05北の住人 さん
山を考える
(問)大阪府の一番高い山は?
(答)金剛山!
これが地下鉄乗車中に出した答えです。以下、私の頭の中。
大阪府最高地点はこの図の金剛山南方になるが、山頂は大阪府ではない。しかし、ロープウェイや国民宿舎の位置は金剛山と考えられる。大阪府最高地点が金剛山の山腹に位置しているのであれば、大阪府の一番高い山は「金剛山」となる。

ところが、帰って地図を見ると次の問題が頭の中に。
(問)大阪府で最も高い山頂(最高峰)は?
(答)金剛山南方、伏見峠南西の標高1,022m無名峰!(実は名が有ったりして)
地図では府県境、標高がよく分らないのでとりあえずここに。以下、私の頭の中。
山頂とは山の頂点なので、山名標記がなくとも頂点となっている場所は山と見なせる。1,022m地点は金剛山の尾根続きではあるが、等高線の状態から金剛山山頂とは別の山頂であり、大阪府の最高峰は1,022m地点となる。

というふうに山とは何なんだ、どこで分割するのだと悩んだわけですが、「双耳峰」コレクションを見ると両方の耳に名がついているのもあり、これは1つの山なのか、2つの山なのかと。また、隆起している地形の頂点をそれぞれ1つの山と考えると、山を数える事は不可能に近いのではと。これが独立峰(この定義は考えずに)ならすっきりするのかと言うとそうでもなく、世の中の「富士」を見てみると、富士山のそばには宝永山で、利尻山にポン山、鳥海山を見るとあちこちに山名がありいわば山の集合体。
そこで、結論。山は数えられない。あるいは、数える人により数が異なる。

私の脳を刺激したのは次の記事・地名コレクションです。ありがとうございました。
futsunoおじさん [29535] 「双耳峰」コレクション
花笠カセ鳥 さん [52774]
SANUKI-Impact さん 「富士」コレクション

以下、蛇足
山頂は点なので、面積がなく分割ができない。したがって、県境に位置する山頂は2つの県に属する事ができず、一方の県に属する事もできない。よって、県内の最高峰は県境に存在しない。

こんな事を考えていたら、内角の和が360度や90度の三角形もあったなぁ、何て事を思い出しました。
[52859] 2006年 7月 31日(月)22:37:09【1】北の住人 さん
いろいろです
最近暑くてだらっとしてます。こっちはもっと暑い、と皆さんから怒られそうですが、考える事を止めると呆け、ではなく最近は痴呆症だか認知症だか言うんだそうですが(暗証コードがやっと頭に浮かんだです)、その進行阻止も兼ねてぐだぐだと。この時点で、スルーしている人がいるかもしれませんが、意味のないことばかりなので、通りすぎるのもまた良いです。

カモについてなにかに書いてあったかもと、手元の本をいろいろ探ってやっと出てきたんですが(昔は一発で出てきたのに)、古事記、日本書紀などの表記としては「鴨」「迦毛」「甘茂」「賀茂」「加茂」「賀毛」「加毛」「賀母」。(「加毛」は「増毛」に似てますが、うちの家系とは関係ないのでここでは触れません。)

漢字表記で最近見たのが「麹町区」を「糀町区」としていた誰かの手紙か日記。明治の作家だったと思うんですが残念ながら見つかりません。(机のどこかに隠れているはず、これも認知症の手前か既に進んでいるのか。まあ、こんな事はそもそも認知症とは言わないのでしょうが。)

札幌・新十津川間の札沼線は学園都市線とも言うのですが、都市の使い方微妙ですね。この路線は「東武鉄道」と言われたりした事もあったようで(関東の東武ではなく人名です)、また、この線の開業により廃止になった軌道もあります。新十津川駅は「しんとつがわ」から「しんとつかわ」になったとか。

僭称というのはなるほどそう言うことかと、目から鱗が落ちましたが(これ、使い方合ってるんでしょうか、最近日本語に自信なし)、リンクというのは困りものですね。事典の項目をたどって行くうち、最初に何を調べていたか忘れて、光陰矢の如し(これも微妙)。最近は御御御付が御味御付だった事を知り驚きました。そんな中で、芥川竜之介(龍之介か)の『藪の中』は「藪の中」とは違う意味の話だったのではとふと思い出し、本を探しましたが見つからないので、原作の今昔物語(現代語訳)を読んでみたら『藪の中』とは内容(というか主題か)が違うではないですか。

芥川の『藪の中』を元にした映画のロケ地は確か屋久島だったと記憶してますが、今昔物語の舞台は大江山。と、強引に山を出してきましたが、最近悩んでいる素朴な疑問が「山とは何か」。
「双耳峰コレクション」「日本で一番山が少ない県」「大阪府の最高点が金剛山の南方で最高峰は大和葛城山」この3つが私を悩ますわけで、山とは点なのか線なのか面なのか。山頂が山なのか。尾根と山は違うのか。山はどこで他の山に移るのか。山は数える事ができるのか。長くなったので、この続きは後ほど詳しく書こうと思うんですが。妄言多謝 
[51990] 2006年 7月 4日(火)22:26:02北の住人 さん
ちょこレス
[51964] ぺとぺと さん
そうですね、「すすきの」の具体的な場所を指すには、「すすきの」とは言わずに住所やビルの名を使ってます。同じ通称でも「狸小路」は直線的な街路なんで、「丁目」を付けて場所を限定できるのが「すすきの」との違いでしょうか。
(「すすきの」には「0番地」なんていう番地がついてる場所があったりしますが。)

「南沢」はなんで仲間はずれなんでしょう。「川沿」は「エ」なのか「イ」なのかとっさに迷う事ありますが。「麻生」は病院なんかは「アザブなんとか」だったりするところ多いようです。他にも白川(シラカワ/シライカワ)、硬石山(コウセキヤマ/カタイシヤマ)、雁来(カリキ/カレキ)なんていうのがあります。
[51957] 2006年 7月 2日(日)22:37:05北の住人 さん
ちょっとレス
[51948] EMM さん
なぜ7月1日に饅頭なのか、と言う理由は拙稿[42735]参照
私の記憶違いかもしれませんが、最近読んだ記事に、氷室饅頭は道中の無事を祈願するためのもの、といった感じで書かれていました。

地名というのは難しいもので、札幌の場合、正式な住所より通称である「すすきの」や「桑園」と言った方が分り易い場合もありますね。自然地名である「藻岩山」が同時に「町名」になっているという例もいくつかあります。
[51863] 2006年 6月 24日(土)15:31:07北の住人 さん
能登はやさしや土までも
[51837] EMM さん
石川県のガイドブックを見ていたら能登に行きたくなってきました。「能登の隠れ家 ‐四百年の歴史を持つ奥能登の秘湯‐」なんていうコピーの宿も出てますが、雰囲気からすると子連れは無理そう。

さて、羽咋郡・鹿島郡を「口郡」、鳳至郡・珠洲郡を「奥郡」という、なんてことが30年も前の百科事典に書かれています。この地方、羽咋国・能登国→越前国→能登国→越中国→能登国→七尾県→石川県と所属が変化しているのも面白いですね。

「能登」が「能州」なら、南の「加賀」は何かと辞書で調べたら「加州」と「賀州」、逆に「加州」を引くと「カリフォルニア州」が現われ、「賀州」は「伊賀」で「加賀」はなし、そこで「伊賀」を引いたら「伊州」と「賀州」、すると「伊豆」はというと「豆州」で、「伊予」は……
[51820] 2006年 6月 19日(月)21:30:15北の住人 さん
失礼しました
[51811] [51812] hmt さん
申し訳ありません、電子本は写真なしでした。写真の説明は「進駐軍向けに“OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES”と書かれた500型(昭和26年)」となってます。写真では不鮮明ですが、文字が上下2段に分かれており、上が「OFF LIMITS」下が「TO OCCUPATION FORCES」となっているようです。「乗車禁止、占領軍専用」と解釈してました。英語からは遠ざかっているので、逆に考えてました。

神田明神は1616年に移転ですか、400年も前ですね。札幌の寺社ではせいぜい100年前に移転で、なかには元の位置がわからない例もあります。なにかで読んだ記憶ありますが、京都の老舗で昔の話とは1000年前のこととか。
[51810] 2006年 6月 18日(日)21:48:00北の住人 さん
内・外
[51802](Issieさん)を読み、神田川ができたので神田が南北に分れ、単なる川ではなく堀だから内と外なのか、と勝手に思っていたところ、[51807](hmtさん)では、神田は堀の外に向け拡大したような印象。東京は奥が深いです。手元の地図では、川の北側に神田明神がありますが、「神田」自体も、「内神田」「外神田」についても、その範囲が変動していたということになるのでしょうか。

[51801](逆太郎さん)の「小友」を地図で確認してみましたが、「内・外」を分けるものは山くらいで、同じ「小友」を名乗るのはなぜなのか分らない場所です。地図だけでは無理ですね。
「城田」もよく分らないですね。地図では川と伊勢神宮が絡んでるように見えますが。

これに比べると能登半島([51797]Issieさん)は湾の内と外なので単純そうですが、そうでもないようで、旧内浦町は内浦地域(こんな使い方をするのでしょうか?)のごく一部ということになりそうです。数年前に買った石川県のガイドブックには「奥能登」「中能登」という表現があり([5517]オーナー グリグリさんでは「口能登」も)、能登も切り口がいろいろですね。(恥ずかしながら、能登は輪島のあたりかと思ってました。中心は七尾だったとは。氷見には行った事ありますが、西側の石川県側は能登なので、能登半島に行ったことになる?)

「コーカサス」([51799] hmtさん)、学生時代に専攻外の中央アジア史をひょんな事から取った事があり、スキタイとかサマルカンドとかやってましたが、「ザカフカス」という表現、これも内外に絡んだ言葉だったのかと20年前を思い出しました。
内蒙古・外蒙古の内・外とは関係ないですが、今日の新聞に東京のモンゴル料理店の話題があり、夜は羊肉(多分豪産)を食しました。
[51808] 2006年 6月 18日(日)20:18:34【1】北の住人 さん
専用車
[51787] hmt さん
列車名「Yankee Limited」への反応です。
札幌の市電でも、スキーシーズンに進駐軍専用電車を走らせていたそうです。電車の側面に「OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES」と書かれた写真が手元の本にあります。(さっぽろ文庫「市電物語」、なお電子本を読むには専用ソフトが必要で、写真は掲載されていません。)

札幌・横浜間の列車については、昭和21年10月14日当時の札幌駅駅長さんのこんなエピソードが(さっぽろ文庫「札幌の駅」)。
22時発横浜行き進駐軍直通第1201列車の発車時刻直前に、この日増結により13両編成となった車輌の再編成をRTOに命じられ、再編成の約束時間15分を8分過ぎたため、RTO司令官から出勤停止を宣告されたという事です。(RTOとはなんの略かは分りません。この司令官、悪い人ではないようで、出勤停止はすぐに解除されたようですが。)

また、進駐軍は札幌市南部、当時の豊平町真駒内にキャンプクロフォードを建設し、国鉄がそこへのアクセスとして、近くを通っていた定山渓鉄道に接続する専用線を建設、札幌(東札幌?)・キャンプクロフォード間に進駐軍専用列車を走らせていたそうです。
[51795] 2006年 6月 17日(土)11:28:33【2】北の住人 さん
下北知床岬?
[51726] Issie さん
場所不明だったので、地図で確認でき良かったです。
久しぶりに樺太の図を見ましたが、得も言われぬ形してますね、特に亜庭湾の辺りが尖端恐怖症にはこたえられません。北海道の「知床岬」に対して「中」や「北」が付いたのか、「内知床村」と「外知床村」の間だから「中」なのか、「岬」コレクションや「崎・埼・碕」コレクションをみても、同名の例が少ない中、1つの町に同名岬があったりで、岬の同名回避を行った理由は何なのかとふと思ってしまいました。
「内知床村・外知床村」の「内・外」の対比も「上・下」に比べれば極端に少ないのでは。「内房・外房」しか頭に浮かびませんでした。

さて、本州にも「シレトコ」があったという話です。以下、山田秀三「下北の旅の記録」(昭和34年12月「うとう」第49号、山田秀三著作集「アイヌ語地名の研究3」に収録)から。
山田さん、金田一京助さんの著書に書かれている下北半島の「シレトコ」の場所が分らず本人に会いに行き、出された地図が橋本玉蘭斎なる人の書いた「陸奥出羽国郡行程全図」。そこには確かに「シレトコ」と「シレトコサキ」の文字が。現在(といっても昭和30年前後)の地形図に照らし合わせると、下北半島九艘泊付近の岬で、候補としては貝崎北海岬。各種文献からすると「貝崎」のようだが、連絡船から見る程度だったので自信なく、土地の詳しい人に教えてもらいたい、と山田さん。
こんな感じで書かれていますが、現地に行ったとしても「志礼登古之地」なる木標が建ってるはずも無く、今となっては調査も難しいですね。
[51723] 2006年 6月 11日(日)22:16:30北の住人 さん
頓別を考える
[51689][51710] R62号1さん
[51699][51711] YSK さん
良く分りませんが、鉄道(天北線、興浜北線)の開業との関連もあるかもしれません。特に「浜頓別」と「頓別」の関係には。
「上・中・下頓別」は殖民区画が広がるにつれ、単に「頓別」では範囲が広くなったので字を作ったとも考えられますが、天北線の駅名と字名のどちらが先か調べる必要があると思います。
「小頓別」については、私なら位置的に「奥頓別」と付けたいですが、なぜで「小」なんでしょうか。仮に「ポントンベツ(小さいトンベツ)」という川があったとしたら、その意訳で「小頓別」にしたということも考えられます。

「トー・ウン・ペッ(沼・に入る・川)」についてはツッコミたい事が多いですが、長くなるのでいつかまた。

明治の頓別村には、砂金ブームで入植者以外に一攫千金を狙う者も多数入ったそうです。その後、枝幸村の一部になり、大正期に再度、頓別村が成立してます。また、水害により市街が「頓別」から「浜頓別」に移ったという歴史もあるようです。中頓別には鍾乳洞がありますが、中の様子は全く記憶に残ってません。
[51722] 2006年 6月 11日(日)22:15:07北の住人 さん
知床は白いところ
[51583] みやこ♂ さん
北方四島の20万図をざっと見ましたが発見できませんでした。樺太にあったという話もあり、古地図に「シレトコ」がでてきます。知床半島の知床を含め、古くは「しろい所」「白所」となっている場合が多いようです。「知床」の漢字が当てられたのは、安政5年(1858年?)松浦武四郎「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」の「志礼登古誌」が、文久3年(1863年?)には「知床日誌」として出されているので、その間となるでしょうか。
「知床斜里」という駅がありますが、かつて室蘭本線に「知床」駅が存在しました。今は「萩野」になってます。礼文にも知床があります。
[51651] 2006年 6月 4日(日)15:19:47【1】北の住人 さん
ニトヌプリ
web上の便利な事典の話題が出てましたが、功罪半ばですね。この事典は簡単に訂正できることが出版物と比較した場合の利点なんですが、引用した翌日に中身が変わっているとかあったりして。ソースが同じなら、複数のサイトに同じ情報が有ってもおかしくないし。間違ったまま他のサイトに引用されたら、元が直っていても訂正不能のコピー情報が氾濫するんでしょうね。ネットの情報は、その辺のことを分って使うには便利なんですが、信頼度の点で小中学生向けではなさそうです。
一方、ネットより信頼できそうな出版物は、訂正するのが困難なのが欠点ですね。図書館にある本なんか信用してしまいますが、すべてに正誤表が付いているわけでもないですし。絶版になっているものは訂正自体もないですから。

かなり前から温めていたものなんですが、良い機会なので、信頼できそうな出版物のことについて。私も地名大辞典をよく利用するんですが、独自に調査したんではなく単なる引用に終わっていることも残念ながらあるんです。なかには引用元に手を加えているんではないかと思われる事も。

ニセコには「ニトヌプリ」という山があるんですが、「ニドムヌプリで森のある山の意」というような説明がされていることが多いです。これは、地名大辞典を引用しているんだと思うんですが、この辞典では「アイヌ語小辞典」からの引用となってます。この説明、山に森があるのは普通だろうと突っ込みたいですが、この辺の山は高い木の生えていない場所も多いので「森のある山」も考えられます。ただし、引用元が確かでありません。「アイヌ語小辞典」という本が何なのか分りませんが、知里真志保の「地名アイヌ語小辞典」のことが頭に浮かびました。
そこで、「地名アイヌ語小辞典」を見ましたが「ニトヌプリ」の項は見当らないんですよね。関連する項目もざっと見たんですが、「ニトヌプリ」「ニドムヌプリ」を見つけることはできませんでした。ただし、「ニトム」という項はあります。
 ni‐tum, -u  にトム(にートム) 森;林
 (注:「に」が平仮名なのは、そこにアクセントがあることを示している。「ト」は「ド」ではなく「ト」に半濁点、日本語にない「tu」の音をそう表現。「ム」は小文字、閉音節の子音を小文字にしている。地名大辞典でも「ム」は小文字にしている)

そこで考えたことが、執筆者は「地名アイヌ語小辞典」を見て「ニトヌプリ」の音に近いものを探し意味付けをしたんではないかと。あるいは、別の文献に書いてあるものを「アイヌ語小辞典」からの引用として掲載したのではないかと。更に、「トに半濁点」を「ド」に変えたんではないかと。「アイヌ語小辞典」なるものが他にもあるかもしれないので断定はできず、現在、この「アイヌ語小辞典」を捜索中です。
北海道の山の本のことについても続けようと思ったんですが、前置きが長くなったんでいずれまた。
[51424] 2006年 5月 21日(日)21:45:53北の住人 さん
シレトコはどのあたり?
[51334][51330]の続報です。
かつて、知床半島の町が合併しようとした時、その名称の範囲が話題になったかと思いますが、松浦武四郎が活躍した時代はかなり狭かったようです。

松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調紀行-知床日誌」の現代解読版(「松浦武四郎 知床紀行集」や「知床日誌 現代語訳」)を調べたところ「ヲフイ岳 また知床岳ともいう」などとなっていました。前後の地名から考えると、「シレトコ」の上部にある山が「ヲフイ岳」 で、その別名が「知床岳」です。

この「知床日誌」は「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌-志礼登古誌」(以下「戊午日誌」)などをもとに出版された、一般向けダイジェスト版と考えられており、「戊午日誌」解読版の該当個所は次の様になってます。(カッコ内は私の注記)
 (岬を西方に回った場所でシレトコの湾内にある坂道を上った)
 「其上に山有、是を シレトコ岳 と云り。惣てシレトコは此辺の惣名哉」
 (シレトコをしばらく過ぎて、キヤルマイ、本名ヒヤリマイ-今のヒヤラモイ・窓岩か?)
 「其上を ウイノホリ と云。是則遠方より見てシレトコノホリと云(中略)本名ヲフイ岳のよし。判官様軍勢をよせるしらせの為に火をつけて焼玉ひしと云也」

この松浦武四郎が訪れた時(安政5年)の「シレトコ」は、今の知床岬の西側にあった小さな集落(通行屋と家3軒)を指していたようで、その場所は知床博物館の現地調査によると、文吉湾とアブラコ湾の間にある「啓吉湾」となっています。「戊午日誌」の「シレトコ岳」は「シレトコ」集落の山ということになり、「戊午日誌」解読版によると、今の「ウイーヌプリ」にあたる山としています。
今の「知床岳」は「シレトコ」からかなり遠いですから、当時は「シレトコの山」とは見なされていなかったと思います。少なくとも、当時の「知床岳」と今の「知床岳」は別のもののようで、今の「ウイーヌプリ」が当時の「知床岳」に限りなく近いです。

なお、「戊午日誌」によると、「ホロムイノホリ」が「ウイノホリ」西方に並んでおり、さらに西方「カシユニエンルン」(「カシュニの岩」「カシュニの滝」の辺りか?)などを過ぎてから「チヤラセホロノホリ」がでてきます。解読版では、「ホロムイノホリ」=「763m峰」、「チヤラセホロノホリ」=今の「知床岳」としています。

また、「ウイノホリ」には義経伝説があるようですが、「戊午日誌」には他にもいくつか伝説が書かれており、「キヤルマイ」は、弁慶が蝮を踏み潰す時に、それを弁慶の妹が穴の中から見ていた岩だ、という話しです。
[51334] 2006年 5月 14日(日)22:37:13北の住人 さん
ウイーヌプリ 追加
[51319] みやこ♂ さん
こちらの図をご覧下さい。松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」知床半島です。
今の「ウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」、「知床岳」=「チヤラセホロノホリ」、「羅臼岳」=「チヤチヤノホリ」となるようです。

なお、札幌には「焼山」というのが2つありますが、いずれも火山ではなく、山火事が頻発したことからの命名です。同様な事があったとしたら、「ウフィヌプリ」についても、火山でない場合もあると思います。
[51330] 2006年 5月 14日(日)11:34:00北の住人 さん
ウイーヌプリ
[51319] みやこ♂ さん
まず、松浦武四郎『知床日誌』の引用による「知床岳」=「ウフイノホリ」についてですが、他の松浦武四郎の図を見ると、「知床岳」=「ウフイノホリ」ではないようです。私は『知床日誌』を見ていないので断定できませんが、松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」からは、「現在のウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」だと考えられます。

「ウフイノホリ」には「火山」という意味もあるようで、これは私の創作ですが、こんなやり取りがあったとすると、火山であればどの山にも「ウフイノホリ」という名が付きそうです。
 旅行者:「あの山は何ていうの?」
 通訳:「あの山は何ですか?」
 住人:「ウフィヌプリ(火山)だよ」
 通訳:「ウフイノホリだそうです」 

ちなみに、この知床の「ウイーヌプリ」は複数の名を持っていた様で、「ウイノホリ」「ウフイノホリ」「シレトコノホリ」「シレトコ山」「ウーイヌプリ」が報告されています。
また、「知床岳」については「チヤアセホロ山」に同定されており、これが正しいとすると幕末以前には「チヤラセノホリ」「チヤラセホロノホリ」と呼ばれた可能性があります。(アイヌ語地名研究4「消えてしまったアイヌ語の山名」、アイヌ語地名研究5「明治の地図に記された北海道の山名」より)

「和+ア合作の名前」については、「ニトヌプリ」がそうではないかと私は睨んでいます。ニセコの山は明治以降に名付けたと思われるものが多いです。確証はありませんが、「ニセコアンヌプリ」「イワオヌプリ」「チセヌプリ」「ニトヌプリ」は新しく付けられたんではないかと調査中です。「モイワ山」「ワイスホルン」は明治以降の命名です。
「イワオヌプリ」については、この名が付いた山を個別に検証する必要があると思います。幕末以前から「イワオヌプリ」となっているものもあるので。(「イワオ」「硫黄」の起源が日本語なのかアイヌ語なのかということを別に考える必要ありますが)

「ラウス(ラウシ)」は諸説(少なくとも3説)ありますので、アイヌ語を話せない私には、よくわかりません。「内臓」というのは、単なるアイヌ語辞書からの引用のような気がします。(「アイヌ語地名」というものの中には、辞書から引いただけのようなものが多いです。)
[51307] 2006年 5月 13日(土)10:42:25【1】北の住人 さん
ヌプリコレクションについて
愛比売命 さん
[51296] みやこ♂ さん

北海道の山名ですが、明治以降にアイヌ語を借りて後からつけられたものがあります。また、意味もいくつかの説があるので、閲覧する人が誤解をされないよう配慮する事が必要です。アイヌ語の意味については、定説になっているのもありますが、すべて「?」付きにするか、すべての説を併記するのがベターかと思っています。(すべての説を調査するのは不可能ですが。)

「ノホリ」については、「ノポリ」「ノボリ」も含め幕末以前には一般的な記述だったと考えられます。
「ウフイ」については「ウイ」「ウーイ」「ヲフイ」などの表記もあるようです。

このコレクションですが、現在の地図上で「~ヌプリ」となっているものと考えてますが、幕末以前の山名調査によると、「ノホリ」等も含めて数えると200を越えるということになります。
[51142] 2006年 5月 3日(水)09:20:02北の住人 さん
端午の節句
皆さん、べこ餅というものを知っていますか?この季節に食べるものなんですが、北海道・東北の地域限定品だということを、最近知りました。全国的なものかと思ってました。よく考えれば、べこは方言ですね。
子供の日には鯉のぼりですが、幟(いくさの時に使うような縦長のもの)を門に立てるという風習?もあるようですね。鯉のぼりのカタログに載ってました。
[50692] 2006年 4月 11日(火)21:11:43北の住人 さん
Re:「下総」の読み方
[50664] てへへ さん
発音が書いてある別の辞書を見たところ、「シモーサ」となってました。私は「シモ」と「フサ」の2つの言葉がつながった語だと思っていたんですが、「シモーサ」という1つの言葉だったんですね。
なお、オ段の長音は原則、「おう」と書いて「オー」と読むということです。ということは、「ou」とローマ字で書くと「オウ」と誤って読んでしまうことになりそうです。

ちなみにこの辞書で「遠江」を引いたところ、現代かなづかいは「とおとうみ」で、歴史的仮名づかいは「とほたふみ」、発音は「トートーミ」でした。
日本語はむづかしい、でなく、むずかしい。
[50637] 2006年 4月 10日(月)06:38:22北の住人 さん
Re:Re: 「下総」の読み方
[50588] ありがたきさん
[50602] 紫魔法師 さん
読み方の変化は、手元の辞書ではこうなってます。(括弧の中は旧仮名遣い)
上総 かみつふさ→かむづうさ→かずさ(かづさ)
下総 しもつふさ→しもうさ(しもふさ)
 (「しもつさ」の古称もある)

私は「下総=しもふさ Shimohusa」と読んでいたんですが、辞書によると「しもうさ Shimousa」になるんですね。「もう」と長音で読むのか、「も」+「う」と二音なのかは分りません。旧仮名遣いからみると長音になり、「しもーさ Shimohsa Shimosa」の読みもあるということですか。


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