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YTさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[97502]2019年1月27日
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[97499]2019年1月25日
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[97046]2018年11月28日
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[97037]2018年11月26日
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[97027]2018年11月24日
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[95701]2018年4月20日
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[95699]2018年4月20日
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[95377]2018年2月3日
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[95367]2018年2月2日
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[93042]2017年7月28日
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[93041]2017年7月28日
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[93031]2017年7月26日
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[91228]2016年8月17日
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[90107]2016年3月25日
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[90087]2016年3月18日
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[88602]2015年8月9日
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[87941]2015年6月21日
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[87464]2015年4月12日
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[87463]2015年4月12日
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[87449]2015年4月3日
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[97502] 2019年 1月 27日(日)01:14:37【1】YT さん
昭和45年の国勢調査における人口集中地区面積の改訂について 追記
[97499] で疑問点として挙げた以下の点ですが、自己解決しました。

昭和45年の『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。


昭和50年の『わが国の人口集中地区』の方で、長崎県西彼杵郡高島町の昭和45年の人口集中地区の面積が、1.2 km2から1.0 km2に改訂されていました。よって改訂後の総面積は「6,444.1 km2」で正しいことになります。

昭和55年の『わが国の人口集中地区』に記載の、昭和55年の人口集中地区総面積と昭和60年の『わが国の人口集中地区』記載の昭和55年の人口集中地区総面積でも、0.9 km2の違いがあったのですが、こちらも昭和60年版でしれっと大阪府泉大津市の昭和55年の人口集中地区面積が11.8 km2から11.0 km2に改訂されていました。

もう一か所の0.1 km2の改訂は東京都東村山市です。昭和55年版では、東村山市人口集中地区人口が東村山市の総人口(123,798人)の99.4%に相当する118,679人なのに対し、東村山市人口集中地区面積は東村山市の総面積(16.58 km2)の100%に相当する16.6 km2となっていました。昭和55年以降、人口集中地区設定区域が行政全域と一致する場合、面積の情報は行政域面積として採用されている下二桁までの数字を使う(即ち118,679/16.58 ≒ 7,158.0 人/km2)とされていましたが、実際に表に載っていた人口密度は118,679/16.6 ≒ 7,149.3 人/km2の方でした。

まあこの時点で色々矛盾があってもやもやしていたのですが(何故人口集中地区設定の人口が行政域全域じゃないのに、面積の方は行政域全域以上になる?)、これが昭和60年版では遡って総面積の99.5%に相当する16.5 km2に改訂されていました。

いずれにせよ、「正誤表」で対応できなかった修正が、次の国勢調査の報告書で修正されている例が色々あるみたいです。

【東村山市の詳細を追加】
[97499] 2019年 1月 25日(金)23:31:52【3】YT さん
初期の人口集中地区のデータの疑問点
[97021] 他 白桃さん
[97025] 他 千本桜さん
[97032] 他 ekinenpyou さん

数か月前から人口集中地区について話題になっていましたが、[97021][97032]で白桃さんやekinenpyouさんに国土数値情報ダウンロードサービスを紹介して頂いたことにより、自分は総ての人口集中地区のシェープファイルを入手することができました。ただ、シェープファイルを地図上に表示する方法が分からず、とりあえずフリーのSuperMap Viewer2008やQGIS3.44を導入しましたが、まだ使いこなすには至っていません。

それはさておき折角なので、改めて過去に調べた人口集中地区の連担について、人口・面積と変遷の情報をエクセルファイルにまとめ直すことにしました。とはいえ、過去の国勢調査のデータ自体は総務庁のサイトからダウンロードできますが、昭和や平成初期の報告書はpdf化された画像ファイルのままですので、数値を改めて入力し直す必要があります。現在、人口密度の計算で数値をチェックしながら1960年~1975年までの4回分を入力し終えましたが、結婚して子供が生まれてからというもの、深夜に作業するだけの気力が残らず、入力作業も相当時間がかかりそうです。今回は、[97037]でも指摘しました、

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。


について、昭和35年と昭和40年のケースで、問題点を指摘した地図画像ファイルを作成しましたので、それについて投稿します。また昭和45年以前のケースで国勢調査報告書自体に誤りがるという事例が複数見つかりましたので、それについてもまとめます。なお今日になってQGIS3.44で地図上にシェープファイルを表示させる方法が分かりましたが…SuperMap Viewerで作成したシェープファイル由来のみの画像を今回は用います。

昭和35年(1960年)の国勢調査で初めて人口集中地区が設置されましたが、同一自治体内で連続しているようにしか見えないのに、わざわざ別個の人口集中地区とされてしまっている例が全国で多数散見します。例えば『わが国の人口集中地区』収録の地図では、広島市Iと広島市IIはどうみても同一自治体内で連担してますが、人口集中地区としては別にされています。その同じ広島県の呉市Iと呉市IIまわりのシェープファイルをこちら(外部アップローダ)に示しますが、『わが国の人口集中地区』に表示された地図にせよ、今回のシェープファイルにせよ、一点で接しているように見えます。同様のことが福岡市Iと福岡市IIIの連担(外部アップローダ)でも言えます。

一方、昭和40年の松原市Iと羽曳野市IIIの方に関しては、『わが国の人口集中地区』収録の地図では、羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)に示すように、それぞれが一点で接しているようにみえます。ところがシェープファイルの方では、こちら(外部アップローダ)に示すように、接していません。(なお某所に投稿した昭和40年の阪神地区に取り込まれている「松原市I(河内天美)」は、「松原市II」の間違いであることが判明しました。)

『わが国の人口集中地区』収録の地図では、分かりにくいのですが、該当箇所は日本で5番目に大きい古墳である大塚山古墳(雄略天皇陵墓参考地)の北側で、近鉄南大阪線の北側の道路で接しているように見えます。先程地図を読み込ませることに成功したQGIS3.44で、該当する昭和40年の大阪府のファイルを読み込んだところ、どうも松原市Iのシェープファイルの座標が西方向にずれているのではないかという気がします。

【追記:QGIS3.44の使い方が分かって来たので、現在の地図に昭和40年の大阪府松原市I~羽曳野市III周辺の人口集中地区のシェープファイルを載せた画像を作成してみました(外部アップローダ)。『わが国の人口集中地区』収録の地図の羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)が正しいとすると、松原市Iから大塚山古墳の北側の方まで伸びているはずの人口集中地区が、シェープファイルを作成した際に誤ってカットされてしまったことになります。】

以上のほか、昭和40年の『国勢調査報告 第1巻 人口総数』では、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市I、昭和35年の北海道の美唄市I→昭和40年の美唄市II、となっているのに対し、昭和40年の『わが国の人口集中地区』では美唄市I→昭和40年の美唄市I、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市IIとなっています。地図等との比較から美唄市の人口集中地区は番号が入れ替わっていたとするのが正しいことが分かります。ならば『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』の方が正しいのかといえば、そんなことはなく、『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』では昭和35年の京都府宇治市II→昭和40根の宇治市II、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIIとなっているのに対し、『我が国の人口集中地区』の方では、昭和35年の宇治市II→昭和40年の宇治市III、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIとなっており、こちらに関しては『我が国の人口集中地区』の情報の方が正そうです。複数の図書館で昭和40年の『我が国の人口集中地区』の中身を確認しましたが、残念ながら正誤表の存在が確認できませんでした。

さらに昭和40年の『わが国の人口集中地区』では、関西のデータを中心に、昭和35年の人口集中地区が昭和40年になって分割されたのか、昭和35年の人口集中地区が昭和40年の人口集中地区Iに成長し、一方で別に昭和40年の人口集中地区IIが形成されたのか、表記法の統一が中途半端が故の曖昧表記が生じており、人口集中地区の地図の情報からの再チェックが必用そうです。

次の昭和45年の『わが国の人口集中地区』からは正誤表が存在し、割と重要な訂正がなされております。人口密度の訂正や面積・人口の割合と増加率の訂正を除くと、重要な訂正は以下の点です。

表側表頭
209 相模原市I面積 (km2) 昭和45年19.213.2
209 相模原市I面積 (km2) 昭和40年16) 8.317) 5.1
209 相模原市II面積 (km2) 昭和45年13.219.2
209 相模原市II面積 (km2) 昭和40年17) 5.116) 8.3
222 羽曳野市I人口 昭和40年12) 882114) 6823
222 羽曳野市I面積 (km2) 昭和40年12) 1.114) 0.7
222 羽曳野市II人口 昭和40年13) 337812) 8821
222 羽曳野市II面積 (km2) 昭和40年13) 0.712) 1.1
222 羽曳野市III人口 昭和40年14) 682313) 3378
222 羽曳野市III面積 (km2) 昭和40年14) 0.713) 0.7

また

東京都青梅市の人口集中地区面積および神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積は、再測定の結果、つぎのように訂正する。
・東京都青梅市の人口集中地区面積 ― (旧) 3.8 km2 (新) 5.8 km2
・神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積 ― (旧) 10.0 km2 (新) 15.3 km2

昭和45年の[『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の人口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。

なお昭和55年以降、全域が人口集中地区となった自治体に関しては小数点以下第2位までの面積(km2)が使われるようになりますし、平成17年以降だと、小数点以下第2位までの面積の数字を足しても合計が合わない(小数点以下第2位よりも細かい数字を用いている?)という状況となっています。

初期の連合人口集中地区の数値に関しては別の機会にまとめます。

【訂正1:後半の丸め誤差の説明を訂正】
【訂正2:松原市I~羽曳野市IIIの人口集中地区の分布示す画像ファイルを追加でアップロード】
【訂正3:その他誤字訂正】
[97046] 2018年 11月 28日(水)23:46:19【1】YT さん
DID上の隠れ大都市:明石と川越
すみません。[97027]で、

(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)
と書きましたが、リンク先に示すように2015年現在も、柳瀬川を境とするDIDの途切れは健在で、富士見市~ふじみ野市~川越市~狭山市~入間市~飯能市と続く、DID上の隠れ大都市川越は今なお健在のようでした。

明石~垂水と阪神を結ぶラインも、山の方の妙法寺付近で分離したままのようです。

【地理院地図へのリンクの方法を修正】
[97037] 2018年 11月 26日(月)18:18:24【1】YT さん
DIDが点で接している場合の判断
[97019] 白桃さん
[97025] 千本桜さん
[97032] ekinenpyou さん

国土地理院の地図は、国道を赤色で表示し、人口集中地区の境界線も赤色で表示しています。そのため、判読しにくい個所が生じています。地図をどんどん拡大してみましょう。すると、鎌倉市の稲村ガ崎と坂ノ下の間は境界線が途切れずに連担していることが判読できます。なので、連担する大船、腰越、鎌倉は3地区あわせて1つの鎌倉市人口集中地区になり、それに連担する逗子市、葉山町の人口集中地区も大東京DIDに組み込まれます

例えば[97019]白桃さんで取り上げられている腰越と鎌倉のDIDは[97025]千本桜さんにもある通り
現状(H27)ごくわずかな領域がつながっているだけですが、平成7年以降現状に近い領域になったらしく、
平成2年はもう少し広い領域(連担が明瞭)だったようです。(DID面積はH2→H7で27.6→24.1km2と縮小)

先程図書館で歴代の「我が国の人口集中地区」収録の地図を閲覧してようやく意味がわかりました。平成27年度版の収録の地図の方では「鎌倉海浜公園」という文字の上の方にDIDが設置されているようですが、該当する箇所には公園はなく、道路そのものがDIDとして設置されているようですね。

ekinenpyou さんも分析されていますが、1960年(S35),1965年(S40)には、該当する道路周辺にはDIDはなく、1970年(S45)には腰越方面に向けて太い帯状のDIDが設置され、1975年(S50)~1990年(H2)は腰越と鎌倉中心部が太いDIDで接続されていたが、1995年(H7)から突然、鎌倉市内のDIDの設置が地形にそったきめ細かなものに変更となり、それと同時に坂ノ下は一本の道だけでDIDが繋がる状態となり、現在に至るようです。まあ理不尽といえば理不尽ですが、国勢調査の地区ごとの担当の裁量によるところが大きいのか、あるいは市街化調整区域の設置が絡んでいるのか、その辺の事情は分かりません。

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。単に地図の解像度が悪いだけで、別のローマ数字が降られているは、「本当は両者は接していないから」という解釈も成立しますが、そうなってくると、異なるDIDについて地図から「接している」と判断して加算した場合、それが本当に接しているの?という疑問も生じ得ることになります。手元にDIDのチェックをした時のメモがないので記憶が曖昧ですが、確か1960年~2005年までの間で、10箇所近く悩むようなシチュエーションがあったように記憶しています。

【追記】あと、「我が国の人口集中地区」付録の地図では、それぞれの地図でタイトルに示されるメインとなる市区町村について、DIDが実線と実線内の赤枠で囲われて示され、周辺のDIDは斜線の赤枠で示されることで、複数のDIDが接していたり、近くに存在することを察することができるのですが、確か周辺のDIDの記入漏れがそこそこあったと思います。
[97027] 2018年 11月 24日(土)17:51:15YT さん
DID人口の合算について
最近仕事と私生活がリアルに忙しくて、余りこちらに書き込む余裕がなかったのですが、DID人口の話題が出ているのでひさびさに書き込みます。

[97019]白桃 さん

[69204][80928]にも書きましたけど、その昔1960年~2000年の間について、地図の上で連続したDIDを足した人口を算出し、某所に投稿したことがあります。その後の2005年分を含め、図書館で『我が国の人口集中地区』の地図を確認しながら国勢調査報告書のコピーに連続の有無を総てメモっておりましたが。それらのメモは実家に置いて来てしまっており、現在すぐに確認はできません。今日白桃さんの投稿に気付き、そういえば『我が国の人口集中地区』では鎌倉周辺はどういう変遷となっているのかしらん?と思って昼間に仕事場から数分の距離にある某図書館に行きましたが、今日は休館日で確認できませんでした。

なお鎌倉に関して言えば、1970年以前は藤沢I~茅ヶ崎I~鎌倉II(腰越)と、鎌倉I~逗子~戸塚区II(笠間)~葉山が独立しており、藤沢や鎌倉まで京浜に飲み込まれたのは1975年以後のようです。その一方で、2000年の段階では阪神と京都、阪神と明石~垂水、京浜と川越などが分離するなど、色々合算に悩むところもあります(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)。2000年の例だと、定規を使って地図を測った結果、以下のDIDが分離しているとする自作のテキストファイルメモが手元に残っていました。

我孫子市I(京浜地区)~取手市I 約1.2 km (利根川対岸)
志木市(京浜地区)~富士見市I(富士見地区) 約50 m (接するのは時間の問題?)
大井町I(川越地区)~大井町II(富士見地区) 約30 m (接するのは時間の問題?)
鶴ヶ島市II(川越地区)~鶴ヶ島市I(坂戸地区) 約50 m (過去に接しているケースあり)
所沢市I(京浜地区)~所沢市II(川越地区) 約500 m
上尾市(京浜地区)~蓮田市 約300 m
袖ヶ浦市I(京浜地区)~木更津市I 約920 m
大磯町I(京浜地区)~大磯町II(小田原地区) 約80 m (接するのは時間の問題?)
岩倉市(名古屋地区)~一宮市I(岐阜地区) 約2.3 km
岩倉市(名古屋地区)~江南市 約860 m
扶桑町(犬山地区)~江南市 約110 m
春日井市I(名古屋地区)~春日井市II(高蔵寺地区) 約170 m
東海市(名古屋地区)~大府市I 約740 m
刈谷市I(刈谷地区)~大府市I 約900 m
安城市(安城地区)~知立市I(刈谷地区) 約120 m
大津市I~大津市II(草津地区) 約160 m (瀬田川対岸; 過去に接しているケースあり)
大津市VII(京都地区)~大津市I 約1.7 km
八幡市(阪神地区)~島本町(京都地区) 約640 m (淀川対岸)
高槻市I(阪神地区)~高槻市II(京都地区) 約280 m
堺市I(阪神地区)~堺市II(光明池地区) 約100 m (接するのは時間の問題?)
神戸市須磨区II(阪神地区)~神戸市垂水区I(明石地区) 約1.2 km
神戸市須磨区II(阪神地区)~須磨区I(妙法寺桃山台地区) 約50 m (崖あり)
神戸市垂水区I(明石地区)~垂水区II(妙法寺桃山台地区) 約60 m (第二神明道越し)
北九州市門司区~下関市I 約400 m (門司区側は関門橋の中途までDID設定)
北九州市小倉南区I(北九州地区)~北九州市小倉南区II 約30 m (過去に接しているケースあり)
北九州市小倉南区II~北九州市小倉南区III 約400 m
苅田町~北九州市小倉南区III 約50 m (過去に接しているケースあり)

[81009]にも書きましたが、一番の問題点は水面調査区を介して隣接している場合、その水面調査区の設置場所を調べる術が自分にはわからない点です。

例えば北九州市の場合、1960年と1965年は、若松地区と他の北九州市の諸地区は分離していましたが、1970年には橋を介して一個の巨大なDIDとなります。ところが1975年~1985年には橋の上のDIDの設置がなくなり、両者は再び分離します・・・が、「連合人口集中地区」として連結する扱いとなっています。

1960年
696,134人/66.8km2八幡市I/小倉市/門司市/戸畑市 (全国5位)
75,721人/7.5km2若松市I

1965年
787,849人/84.2km2北九州市[八幡区I/小倉区/門司区/戸畑区] (全国5位)
80,038人/11.4km2北九州市若松区

1970年
857,409人/110.1km2北九州市[八幡区I/小倉区I/門司区/戸畑区/若松区] (全国5位)

1975年
922,081人/134.3km2北九州地区 [福岡県] (全国7位)
【1】843,382人/121.5km2北九州市[小倉北区/八幡西区/門司区/八幡東区/戸畑区/小倉南区I]
/中間市/水巻町 [福岡県]
【2】78,699人/12.8km2北九州市若松区 [福岡県]

水面調査区や準人口集中地区を含め、その詳細を調べる方法が分からないのがもどかしいです。
[95701] 2018年 4月 20日(金)01:21:54【4】YT さん
明治19年末の都市人口について(2)
[95699]の続きです。

市街名府県本籍人口現住人口無籍在監人本籍人口現住人口現住人口公称町村数本籍人口現住人口
資料11223444
大津滋賀18,95023,16723,1679118,95023,167
彦根滋賀20,01018,57718,5779220,01018,577
岐阜岐阜1618,87523,37723,3775518,87523,377
大垣岐阜14,72516,33916,3394914,72516,339
高山岐阜15,53415,26715,267115,53415,267
船津岐阜110,19010,166
上田長野1414,17315,17215,172314,17315,172
飯田長野10,79611,67211,672210,79611,672
松本長野1114,53817,47817,478214,53817,478
長野長野1316,23818,22218,222416,23818,222
仙台宮城58,50362,1963258,47161,70961,70930258,47191,709
石巻宮城15,93216,61816,618415,93216,618
若松福島22,17718,00418,0048222,17718,004
盛岡岩手329,75130,16630,166629,75130,166
青森青森115,00714,92014,9201815,00714,920
弘前青森130,00028,17028,1708930,00028,170
八戸青森110,57610,52010,5204010,57610,520
山形山形725,49526,97126,9713125,49526,971
新庄山形10,73810,54610,546510,73810,546
酒田山形20,32621,00421,0046020,32621,004
鶴岡山形20,13219,66619,6664020,13219,666
米沢山形29,63829,20329,20312929,63829,203
秋田秋田829,29129,22529,22516329,29129,225
能代秋田10,81610,73710,7372510,81610,737
福井福井138,84037,37637,3768638,84037,376
武生福井12,31013,07413,0742512,31013,074
敦賀福井11,52011,87811,8782411,52011,878
金沢石川102,28196,727102,28197,65397,653535102,28197,653
小松石川811,45011,72111,7213111,45011,721
金石石川10,0529,1104110,0529,110
富山富山453,45153,55653,5569653,45153,556
魚津富山11,44511,54011,5403011,44511,540
高岡富山17,47417,97417,9747917,47417,974
氷見富山2310,65610,595
新湊富山15,77815,76215,762815,77815,762
鳥取鳥取1729,94128,27528,2757029,94128,275
米子鳥取911,61011,86011,8603311,61011,860
松江島根233,33633,38133,3813333,33633,381
岡山岡山33,11837,8541533,10332,98932,9898333,10332,989
玉島岡山414,25616,325
津山岡山314,32914,58214,5824214,32914,582
広島広島78,92986,4051278,91781,91481,91411178,91781,914
蒲刈広島111,21611,253
倉橋広島113,19312,781
瀬戸広島110,36410,271
広島310,67511,160
広島113,34713,377
仁保島広島114,64314,766
尾道広島16,16217,30717,307416,16217,307
福山広島15,67814,66314,6632915,67814,663
徳山山口111,56511,511
山口山口1810,97311,44711,4474110,97311,447
山口23,87721,20621,2063823,87721,206
赤間関山口29,10533,448529,10030,82530,8252629,10030,825
和歌山和歌山55,56256,490455,55854,86854,86840055,55854,868
徳島徳島1458,85357,45657,4563858,85357,456
撫養徳島17,64517,07517,0751117,64517,075
高松愛媛38,41437,69837,6986438,41437,698
松山愛媛1828,67529,48729,48710028,67529,487
宇和島愛媛112,10011,70511,7053312,10011,705
丸亀愛媛15,32416,14916,1492515,32416,149
観音寺愛媛10,84610,68510,685110,84610,685
今治愛媛13,13513,10113,101913,13513,101
高知高知1426,85030,98730,9874926,85030,987
福岡区福岡45,82148,4862243,11842,61742,61715543,11842,617
福岡福岡5419,60619,663
博多福岡10123,51222,954
久留米福岡320,61120,90720,9072920,61120,907
柳川福岡12,71412,35012,3502512,71411,594
小倉福岡710,17311,59411,5944510,17312,350
大分大分512,32114,31514,315412,32114,315
臼杵大分11,88711,37011,370511,88711,370
中津大分315,52615,51815,5186615,52615,518
佐賀佐賀724,28024,65724,6572424,28024,657
熊本熊本41,19746,6413841,15944,38444,38413841,15944,384
八代熊本419,72410,069
都城宮崎69,56410,118
延岡宮崎914,14613,578
鹿児島鹿児島548,77845,09745,0974848,77845,097
那覇沖縄35,63439,03123,79827,19327,193623,79827,193
首里沖縄25,75225,58725,75225,58725,5871525,75225,587
札幌北海道6,86016,4336,86015,04115,0411486,86015,041
小樽北海道15,882338,03415,807
函館北海道29,60943,55029,60945,47745,4774429,60945,477
江差北海道9,53711,61511,615269,53711,615
福山北海道11,06510,18710,1873411,06510,187

※資料1における東京十五区、京都二区、大阪四区の集計値は自分が計算したもの。
※資料4における福岡区(福岡+博多)の集計値は自分が計算したもの。
※資料4における高岡(本文で17,464)と佐賀(本文で24,180)の本籍人口に関しては巻末に数値の訂正あり。

本籍人口に関しては、資料2と資料4は全くの同一ですが、資料1とは微妙に異なります。これは資料1においては無籍在監人の人数を本籍人口に加えているのに対し、資料2と資料4は加えていないことによります。本籍人口の全国集計値としては、無籍在監人を在監の地にて有籍の本籍人口に加えるのが正しいはずですが、資料2・資料4の都市人口資料では加えていないことになります。

無籍在監人の補正を考慮しなくても、福岡区と那覇の本籍人口は、資料1と資料2・資料4では異なります。この内那覇に関しては明白な理由があり、資料1の那覇には、泊村を含む那覇のほか、伊平野島、渡嘉敷間切、座間味間切、粟国島、渡名喜島、鳥島が含まれるのに対し、資料2・資料4の那覇は、伊平野島、渡嘉敷間切、座間味間切、粟国島、渡名喜島、鳥島の本籍人口が除外されているせいで間違いないと思われます。一方で福岡に関しては、無籍在監人22人を考慮したとしても、資料1の福岡区の本籍人口は資料2・資料4の本籍人口よりも2681人、現住人口で5847人も多いと言う結果となっています。ここからは想像なのですが、現住人口はさておいて本籍人口の違いについては、おそらく行政上の「福岡区」に含まれる福岡荒戸村、福岡伊崎浦などの「村」の人口が、都市人口としての福岡の人口から除外されてしまったためと考えております。【と1時間前に投稿した時には考えましたが、以下徴発物件一覧表などとの比較により、単に福岡区の本籍・現住人口の算出に誤りが生じただけではないかと考えを改めました。】

【【以下追加情報】なお『明治二十年 徴発物件一覧表』では福岡区は154町1村で構成されているとあり、資料4の公称町村数155と比較するとこの解釈は微妙ではあります。

戸長役場所在地町数村数現住人口
天神町236,592
本町136,435
南湊町714,752
西町104,289
川口町275,839
櫛田前町277,013
下対馬小路246,651
大浜町二丁目236,153
福岡区全域154147,724
福岡地区53122,068
博多地区10125,656

『日本帝国民籍戸口表』の「第十四 各地方本籍現住人口郡区役所戸長役場及町村比例」では、区部人口を見る限り「各地方一万人以上市街戸口」に相当する本籍人口(つまり無籍在監人を本籍人口に含まない)・現住人口が採用されていますが、福岡県内の区としては町村数155、本籍人口45,799人、現住人口45,298人が採用されています。本籍人口・現住人口ともに「各地方一万人以上市街戸口」採用の人口よりも2681人多い数字となってるのに対し、町村数は同じままです。どうも「各地方一万人以上市街戸口」や『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』では、福岡地区に関し誤った集計をしてしまい、一部本籍人口を欠落させてしまった状態で寄留人口の加除を行ったのではないかと思われます。】

次に現住人口に関してですが、資料2・資料3・資料4ではほぼ同じ数字であり、同じ基準で現住人口が算出されたと考えられます。一方で資料1の現住人口とは大分数字が異なります。『自明治十七年至明治三十六年 道府県現住人口』の解説によると、明治18年1月1日調~明治19年12月31日調の現住人口は
但此の現住人口は道府県の本籍人口を本とし、之に出入寄留者を加除せしのみならず、更に逃亡失踪者を除きて算出したるものなり。
とあり、明治20年12月31日調以降は
道府県の本籍人人口に出入寄留者及逃亡失踪者を加除せしのみならず、陸外軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者及外国行の者を加除して算出したるものなり。
とありますが、これは道府県の現住人口算出に関する部分です。無籍在監人の件でもそうですが、資料1の方がより詳しく数字の訂正が行われているはずですが、その割には現住人口は資料1>資料2の傾向があります。これも自分の想像ですが、おそらく資料1の郡区レベルでは、無籍在監人の加算と逃亡失踪者の除外のほか、有籍在監人や兵員などの加除まで行っているため、都市部では人口が増える傾向にあるのに対し、資料2・資料3・資料4では、無籍有籍在監人を含め、これらの加除を行わず、出入寄留者の補正のみを行っているためではないかと考えております。

『明治二十年徴発物件一覧表』による戸長役場連合管轄域の人口との比較に関しては、時間がある時に改めてまとめたいと思います。
[95699] 2018年 4月 20日(金)00:48:25YT さん
明治19年末の都市人口について(1)
[88602]で『明治二十四年徴発物件一覧表』記載の一部府県の大字別人口についてまとめましたが、家族が増えてからというものほとんど家で調べる時間がなくなり、北海道・沖縄県の調査を追加した時点で放置状態となってしまいました。今回白桃 さんが明治19年末の都邑人口ランキングを作成され、それについてekinenpyou さんがコメントされているのを見て、改めて明治19年末の都市人口についてまとめておこうと思います。

『日本帝国民籍戸口表』などでは明治19年末の版から現住人口1万人以上の都市の人口を『 各地方一万人以上市街戸口』としてまとめ、これが『日本帝国人口静態統計』へと引き継がれています。実は古厩忠夫著『裏日本 : 近代日本を問いなおす』の中で、明治19年末の現住人口が誤って「明治9年」の都市人口として取り上げられてしまったため、今でもこの明治19年末の現住人口が、明治9年の都市人口と誤解された情報がネット上に漂っています。

[95694] 白桃 さん

また、Aには1万人以上として記載されているが、Bには記載されていない都邑は以下の通りです。
難波(26,112)、玉島(16,325)、小樽(15,807)、延岡(13,578)
広 (13,377)、倉橋(12,781)、天王寺(12,304)、四日市(11,939)
徳山(11,511)、蒲刈(11,253)、呉 (11,160)、福島※(11,132)
豊橋(10,904)、村上(10,805)、平戸(10,775)、氷見(10,595)
熊谷(10,461)、土浦(10,295)、瀬戸※※(10,271)、船津(10,166)
都城(10,118)、八代(10,069)

実は「第三乙表」の方に、肥前国南高来郡西有家村(10,012)と安芸国安芸郡仁保島(14,766)が掲載されています。

こうやってみると、「記載なし」に何らかの意図が感じられるところもありますが、四日市、豊橋などは、単なる「記載モレ」のような気がします。

四日市と豊橋が記載漏れしてしまった理由は、本籍人口が1万人未満であったためと思われます。もちろんこれだけが原因ではありませんが。

さて、現時点で私が把握している明治19年12月調の都市人口資料としては、以下のものがあります。

●資料1 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第二 各地方庁及各郡区役所管内戸口表」
都市人口ではありませんが、「区」の本籍人口、現住人口が利用可能です。
●資料2 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第十五 各地方一万人以上市街戸口」
本籍人口と現住人口が集計されていますので検算可能です。
●資料3 『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「第十一表 人口一万以上ノ市町村現住人口(自明治十九年末至同四十一年末)」
現住人口が集計されていますので検算可能です。
●資料4 『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』
●資料5 『明治二十年徴発物件一覧表』(クレス出版『明治徴発物件表集成』収録)
こちらはオンラインで閲覧できませんが、[87941]でも紹介しましたように、戸長役場所在地別人口が掲載されています。今回こちらの数字は表にはまとめませんが、徴発物件一覧表記載の数字と比較することにより、どうも『民籍戸口表』・『日本帝国民籍戸口表』・『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』などが採用した都市人口では、行政上の戸長役場の領域を無視し、「~町」と称される町場のみを足した数字が優先されているらしいことが分かりました。ただし例外は沢山あり、一貫した規則はそこにはありません。

以下、4つの資料(『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』から2種類、『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』)を基に、明治19年12月31日調の本籍人口・現住人口をまとめてみます。なお無籍在監人の人数は 『明治十九年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「第五 各地方在監有籍者及無籍者人口表」により、公称町村数は資料4『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』記載のものです。

市街名府県本籍人口現住人口無籍在監人本籍人口現住人口現住人口公称町村数本籍人口現住人口
資料11223444
東京東京754,6961,227,49438754,6581,121,8831,121,8831,338754,6581,121,883
麹町区東京25,92358,9413
神田区東京87,270123,241
日本橋区東京74,408153,996
京橋区東京71,790173,03126
芝区東京69,749113,002
麻布区東京24,91940,814
赤坂区東京18,54728,237
四谷区東京20,37930,733
牛込区東京29,88146,7999
小石川区東京26,70040,841
本郷区東京46,25762,205
下谷区東京52,54478,464
浅草区東京96,473119,042
本所区東京61,51185,870
深川区東京48,34572,278
品川東京11,72515,87415,874611,72515,874
千住東京11,22312,50612,506711,22312,506
京都京都236,882254,5098236,874245,675245,6751,681236,874245,675
上京区京都105,734113,9298
下京区京都131,148140,580
伏見京都19,77119,83119,83121919,77119,831
大阪大阪299,162396,6208299,154361,694361,694518299,154361,694
西区大阪90,132112,419
南区大阪93,615124,707
東区大阪64,79794,607
北区大阪50,61864,8878
大阪43,18145,992143,18044,01544,01519543,18044,015
難波大阪118,40926,112
福島大阪210,21011,132
天王寺大阪112,00212,304
岸和田大阪13,08412,36612,3661013,08412,366
奈良大阪22,22022,66622,66615222,22022,666
郡山大阪13,25312,83412,8344513,25312,834
横浜神奈川60,573106,5441360,56089,54589,5458360,56089,545
神奈川神奈川10,45611,34511,345210,45611,345
八王子神奈川112,48515,77515,7751912,48515,775
横須賀神奈川106,94013,25113,251166,94013,251
小田原神奈川2514,41914,00914,009514,41914,009
神戸兵庫65,26697,140465,26280,44680,44612565,26280,446
西宮兵庫11,57311,93211,9322411,57311,932
尼ヶ崎兵庫13,06412,74212,742513,06412,742
明石兵庫18,56118,58718,5871418,56118,587
姫路兵庫622,80222,67722,6779622,80222,677
長崎長崎34,26144,044234,25938,22938,2298734,25938,229
島原長崎18,33717,59317,593318,33717,593
平戸長崎2210,23910,775
西有家長崎110,03510,012
新潟新潟41,05742,9781141,04640,77840,77823541,04640,778
新発田新潟10,87310,52710,527210,87310,527
長岡新潟17,09816,15216,1524217,09816,152
高田新潟524,99224,57124,5719524,99224,511
村上新潟211,73210,805
相川新潟11,64510,70410,7047411,64510,704
川越埼玉715,26614,18414,184615,26614,184
熊谷埼玉128,16010,461
千葉千葉1311,42318,20418,204311,42318,204
船橋千葉10,41110,41910,419310,41110,419
銚子千葉26,12425,76625,766626,12425,766
水戸茨城1618,62119,01019,010218,62119,010
土浦茨城118,74810,295
前橋群馬213,95516,58516,5853013,95516,585
高崎群馬618,26420,31220,3124318,26420,212
宇都宮栃木1917,17820,47520,4755717,17820,475
足利栃木12,50114,63214,632112,50114,632
桑名三重15,30715,20415,2045215,30715,204
四日市三重269,61711,939
三重1413,69415,88415,8845613,69415,884
松坂三重10,72911,95811,9581210,72911,958
山田三重420,32821,22321,2232220,32821,223
上野三重12,63512,78512,7853512,63512,785
名古屋愛知126,790143,56911126,779131,492131,492274126,779131,492
熱田愛知16,78716,39016,3901616,78716,390
岡崎愛知11,01212,74212,7422511,01212,742
豊橋愛知238,55910,904
浜松静岡1312,82312,14112,1413212,82312,141
静岡静岡1837,76736,83836,83812437,76736,838
沼津静岡11,67710,37110,371411,67710,371
甲府山梨2114,06418,41118,4113714,06418,411
[95377] 2018年 2月 3日(土)23:18:18【3】YT さん
寺山について追記
[95369] Takashi さん

ところで福浦の中で日生町に留まった地域のうち本土側の寺山地区については今も日生町寺山として大字が残されているようですので寺山地区は寒河にはならず寺山という独立した大字になったということなのでしょうね。


すみません、こちらが勘違いしておりました。寺山に関しては、1995年の国勢調査における岡山県の小地域集計の段階で、既に大字寺山になっていたようです。以下1995年当時の日生町に関して1995年の国勢調査報告書に登録されている町丁字までを示すと(大字大多府・大字寺山には下位区分なし)以下の通りで、取揚島の大字福浦については、人口調査の対象外となっています。【追記:国勢調査報告書では大字寒河の下の町丁も記載数が少ないので、追加で全部示すことにしました。「中日生」という地名が大字寒河と大字日生に跨っていますが、東山ハナという小字は掲載されていません。】

世帯数人口総数1995年当時の日生町の町丁字
2,9979,169総数
1,7044,965大字日生
74231 大字日生峠小路北部
59137 大字日生東小路北部
65197 大字日生四軒屋東部
141431 大字日生日陽奥南東部
152438 大字日生栄町西部
106309 大字日生宮奥北部
3389 大字日生中小路東部
65294 大字日生脇の上北部
78238 大字日生三軒屋東南部
119348 大字日生三軒屋北奥北部
223652 大字日生三軒屋西南東部
65174 大字日生後小路北部
50133 大字日生南の一
127358 大字日生南の二西部
571156 大字日生湾戸北部
102264 大字日生頭島西の谷南部,大西東部
91286 大字日生頭島,外輪,北浦
1545 大字日生鹿久居島
2051 大字日生鴻島
32134 大字日生中西生西部
1,2234,037大字寒河
171553 大字寒河中日生東部
39464 大字寒河梅灘南部
65171 大字寒河梶谷東部
123415 大字寒河西浜山北東部
109404 大字寒河西,西中,川内
99358 大字寒河大西西部
131458 大字寒河中,北,宮の下の一部
159547 大字寒河東,名切,宮の下の一部
73209 大字寒河東奥福浦峠
154458 大字寒河深谷西北部
62154大字大多府
813大字寺山

実のところ1972年の『日生町誌』は、寺山地区に関して、「大字福浦」と書いている箇所(4,25,33頁)、「大字寺山」と書いている箇所(39頁)が混在しており、もしかしたら1972年の段階で既に大字寺山となっていたのかも知れません。寺山地区が日生町に留まった経緯は『日生町誌』には全く記載がありませんが、おそらく水道事業に関係があると思います。寺山地区は吉井水系の支流金剛川の上流にありますが、一方で赤穂市側の他の福浦地区は分水嶺を挟んでいます。水源保全の観点から、寺山が分けられたのではないでしょうか?『日生町誌』96頁によると。

 この間、昭和三十五年度から同三十七年度にかけて、岡山県および日生町では、福浦地区住民の福祉向上のため、海岸堤防の改良、林道の開設、簡易水道の建設、診療所の新設など約一億三千万円(うち町費五千二百万円)にのぼる諸種の事業を進めて、いわば引きとめ工作を行なった。このため福浦地区の一部住民の間には、「日生町がこんなに力を入れてくれるのに、無理矢理に越県合併しなくてもよいではないのか」との声もあったといわれる。
 しかし、分町派では、消防団、婦人会、青年団などの組織を日生町から分離したり、町が建設した簡易水道に加入せず、私設水道をつくるなどの対抗策をとるなどして、分町実現への根強い運動をつづけた。


現在寺山地区にある寺山大池ダムは越境合併騒動前からあったようですが、備前市のホームページによると、「寺山飲料水供給施設」を通じて寺山地区に水道が供されているようです。

一方鹿久居島の鵜ノ石鼻にある鵜石鼻灯台に関し、ネット上で「岡山県備前市日生町大字福浦字」となっております。少なくとも『日生町誌』が作成された1972年までには鹿久居島の全域が大字日生となってますので、「大字福浦」というのは多分灯台が初点灯された1964年3月30日当時の情報なのでしょう。鹿久居島を分割していた3つの大字が総て日生に統一された時期は、これ以上は絞り込めません。

最後に取揚島の件ですが、例えばwikipediaなんかだと

・1963年(昭和38年)9月1日 - 福浦地区(寺山を除く)が兵庫県赤穂市へ越県分離となる。
 ・この越県分離に伴って、取揚島(日生諸島に属する無人島)の島内に岡山県・兵庫県の県境が設定された。


とありますが、これに関しては、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図の段階で取揚島の上に県境が描かれているので誤りです。既に過去に紹介されていますが、『日本歴史地名大系』の「日生諸島」の項目によると

古来より好漁場であるばかりでなく、海上交通の風待地にあたる。鹿久居島周辺では、近世初頭から漁業争論が起こっている。大多府島は岡山藩の船番所として島の歴史が始まった。頭島は一九世紀前半から日生村からの移住が進み、現在はくまなく開墾されている。取揚島は「撮要録」の元禄二年(一六八九)の記事によれば、島の西南部が、備前和気郡福浦(ふくうら)村(現赤穂市)構、北東部が播磨赤穂郡真木(まき)村(現同上)構となっていた。笹草が生えていたが、両村とも海上一里も離れていたため、草刈を行っていなかった。「古今見聞雑記」(正宗文庫)によると、正保三年(一六四六)岡山藩と赤穂藩双方の役人の立会いのもとに二分され、慶安二年(一六四九)には岡山藩の郡奉行河村平太兵衛、郡目付永田三郎左衛門が出張して、国境に塚が築造された。


何か肝心のところで『日本歴史地名大系』も、島の西南部を「現赤穂市」と書き間違えておりますが、江戸時代から備前国和気郡と播磨国赤穂郡、岡山藩と赤穂藩、続いて岡山県と兵庫県の県境となったわけです。

【追記】国立公文書館デジタルアーカイブの天保国絵図の備前国や、播磨国を見たところ、見事に「とりあけ嶋」に国境が描かれていますね。
[95367] 2018年 2月 2日(金)18:35:23【5】YT さん
大字福浦の所轄について
[95361] そらみつ さん
[95364] Takashi さん
[95365] N さん

横からすみません。そらみつさんが疑問に思われていることは、旧大字福浦の内、どのような経緯で寺山地区(字二本松、東山鼻、入山口、向ヒ、名畑、舟木谷、前、背戸山、田ノ奥)が現在の地図において、大字寒河の所轄となり、鹿久居島の全域が大字日生の所轄となり、取揚島だけが大字福浦に残ったかということだと思います。一連の書き込みを見て、先程『日生町誌』(1972年)を閲覧して来ましたが、

・福浦(の大部分)の赤穂市への編入の経緯に関する記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


数年にわたる漁業権問題や地域感情の対立など、詳しい編入の経緯についての記述はありますが、肝心の大字の変遷についての記述はありません。

・(今回の問題ではそれほど重要ではないかもしれませんが)鹿久居島の状況も記述はおそらくあると思うのですが、どこまで詳細に記述されているかは不明であること


この点も後述するように、余り記載がありません。ただいくつか興味深い点が見つかりましたのでまとめます。

まず明治の大合併において

日生村=大字日生+大字大多府
福河村=大字寒河+大字福浦

となったわけですが、スタンフォード大学が公開している戦前の日本の地図を見ればわかる様に、鹿久居島の中に村境があり、島全体の西の一部が日生町で、残りが福河村となっております。具体的には後述するように、島の総面積10 km2弱の内、約4 km2が昭和初期には日生町所轄で、残りの6 km2が福河村所轄です。『日生町誌』16頁の鹿久居島の記述によると

(3) 鹿久居島 日生本土から八百メートルの南にあって周囲二十八キロ、面積九八五・五ヘクタール、世帯数十五、人口六十人、岡山県下では最大の島で、国有林になっている。むかしは無人島で、日生、寒河、福浦の三村に属し鹿の野生地として有名で、旧藩時代の狩猟地であった。


一方25頁以降の「第二編 地誌」の解説では

 日生町は日生、大多府、寒河、福浦(寺山)の四つの大字から成っている。
(1) 大字日生 日生本土ど大多府を除く諸島を合わせた区域を総称して大字日生という。

つまり鹿久居島はもともと日生、寒河、福浦に分割されており、越境合併の1963年当時も鹿久居島の一部に大字福浦が設置されていた。ところが『日生町誌』が書かれた1972年までには鹿久居島の全域が大字日生の所属となっていたということになります。具体的に『昭和十年 全国市町村別面積調』や国勢調査時の面積の時系列をまとめると

西暦1935年1950年1955年1960年1965年1970年
日生町13.2512.8642.4142.4135.0135.01
福河村30.0030.00

日生町と福河村の面積の合計が合併後に0.45 km2ほど減るなど、若干数値が異なりますが、まあその辺は測定誤差の範囲でしょう。1963年に赤穂市へ異動となった土地は7.4 km2で、日生町に留まった旧福河村の土地は22.5 km2前後となります。

ところが『日生町誌』の3~4頁の大字別面積によると

大字面積(km2)
日生17.8
寒河16.1
大多府0.4
福浦(寺山)0.7

日生+大多府が18.2 km2、寒河+福浦が16. 8km2となり、6 km2弱の土地が旧日生町側に異動したことになります。10 km2の広さのある鹿久居島の東部分がいつの間にか大字日生の所轄となったことの証左となります。

次に寺山地区についてですが、『日生町誌』33頁によると

(4) 寺山 大字福浦に属する小字である。吉備温故に「寺山新田」とあるが、貞享年間(一六八四~一六八七)に福浦村に合併した。山脈に囲まれた山峡の小集落である。戸数十戸、人口二十八人。
 戦国時代の末期に、戦禍からのがれて、仏法に入る者あg多くなり、この地が山高く、気が澄んでいるため、座禅、修養に適し、大小寺院十三カ寺が建てられたことから、この地名が生まれた。現在は寺院の跡は見られないが、往古は人家も多く、盛んな時代もあった。
 昭和三十八年九月、福浦地区の越県分離の際、この地だけ分離から除かれ、日生町にとどまった。
1 寺山地内の小字名
二本松 舟木谷 東山鼻 前 入山口 背戸山 向ヒ田ノ奥 名畑


向ヒ田ノ奥が一つの字となっておりますが、昭和38年自治省告示第106号に登場する「字」が総て寺山地区のものだということが分かります。それよりも問題なのは、『日生町誌』は本土の方の字は事細かく書いておりますが、鹿久居島や取揚島に所属する小字についてはなんら記載がありません。

以上をまとめると

1963年以前、日生町大字福浦は取揚島の一部・鹿久居島の一部・本州側の地域を含んでいたが、越境合併の結果、取揚島の一部・鹿久居島の一部・内陸の寺山地区が日生町大字福浦に留まった。
1963年~1972年 いつの間にか、鹿久居島の内の大字福浦、大字寒河の所轄が大字日生の所轄へと変更になる。
1972年~現在 いつの間にか、寺山地区が大字寒河の所轄となるが、取揚島の西南部だけが大字福浦の所轄のまま留まる。

こんな感じでしょうか?

越境合併に関連する漁業権の設置された地域などに関しては『赤穂市史 第三巻』(1985年)の629頁に詳しい地図が掲載されています。

【追記】
[95366] Takashi さん

・福浦の中で日生町に留まった地域が存在した理由(漁業権の関係もあるのでそれなりには書いているでしょうけど)
・福浦の中で日生町に留まった地域のその後(これは他のところで記述されている可能性もありますが)
にどこまで踏み込んでいるか……がこの場合は知りたいところですよね?


これについては具体的な記載がありません。当時の住民、とりわけ漁業関係者の利益面と感情的な対立について詳しいことは書かれていますが、執筆者はある意味土地を赤穂市に奪われた側の住民ですし、越境合併からわずか10年程度に執筆されていますので。

【誤記修正】大字➡寒河
【リンク修正】
[93042] 2017年 7月 28日(金)12:50:26【3】YT さん
桶狭間村を巡る不幸な合併の歴史
『有松町史』(1956年)に、桶狭間村に関する詳しい合併の経緯が載っていましたので、以下紹介します。

「維新後の村政」
(中略)
 一方、桶狭間村では、戸数八四戸の小村であったために、共和村と合併することになった。明治一一年の町村制施行にさいして、愛知県では、独立して一村を組織運営する実力をもたない村を対象に、町村合併に努力したのである。桶狭間村は共和村との合併に強く反対の意向を示したが、拒否することはできなかった。しかし、合併はしてみても、遠隔地で地理的に不便であり、住民の人情もとかくおりあいが悪く、明治一四年には分村して独立してしまった。

「有松町と桶狭間村の合併」
 明治二一年四月には、市制および町村制が発布されて、ここに地方自治制度はまったく確立整備された。これによって市町村の法人格や条例制定権が法認されるとともに、その権限についても制度的に整備されたのである。同時に、この新法の適用をうける実力のない町村が整理されることになり、市町村の合併が強行された。桶狭間村はふたたび共和村と合併した。しかし、村では従来の経験からあくまでも反対の意向を示し、つぎの三カ条の理由をあげた。

 一、桶狭間は歴史上著名な村落で、いまこれを消滅し大字となるのは、村民一般のしのぶにたえざること
 二、本村は地価三三、一八〇円余、公民権者六〇名余あって、独立の経営をするのにさしつかえないこと
 三、さきに共和村と合併のさい、共和村より議員の多数を出し、しかも多数を誇って横暴をきわめ、自村の利益のみをはかり、本村はつねに多数に制せられていた。また共和村にいたる道路が遠く往復に不便であったから、すでに明治一一年に合併したが両村の間柄が悪く、同一四年に分離したような状態であり、たとえ今回合併してもとうてい将来の和合は望みえないこと、

 以上をもって再三県庁に嘆願したが、容易に許可とならなかった。そこで明治二二年一〇月に、隣村の有松村と町村制一一六条による組合組織設定を出願した。その理由はつぎの三カ条であった。

 一、桶狭間村と共和村と合併するときは道路が遠く不便であるが、有松村と組合組織を設定するときは道路の便がよいこと
 二、有松村は商業をもってその名をあらわし、桶狭間村は歴史上その名をあらわしているから、いずれもいまこれを大字とすることは、両村民とも希望しないところであり、両村とも独立して組合組織を設けたいこと
 三、有松村と桶狭間村は、むかしから氏神を同一にしていたから、いまなお祭礼は合祭しているので、自然に人情・習慣・生計の度を同一にしているが、共和村とはこれに反していること

 この嘆願もなかなかいれられず、桶狭間村の反対運動がつづいた。その間、村の財政は極度に疲弊していたが、また独立村としての資金を備える必要にもせまられた。同村の相羽家より二、〇〇〇円の公債寄附をうけ、全村民は頼母子報徳講をつくって救済を講じ、一方つてを求めて他村から借金し、かろうじて村を維持する状態をつづけていた。
 桶狭間村は、あくまでも共和村との合併に反対したが、やはり独立村として維持していくことには困難があり、また県庁の認めるところではなかった。そこで同村では、共和村よりも種々の点で関係の深い有松町(有松村は明治二五年九月に町制を施行した)との合併を望むにいたった。有松の側でも、しきりに桶狭間との合併を希望しており、たとえば明治二四年には、有松村臨時村会は共和村大字桶狭間との合併を、もっとも有益なこととして、満場一致で賛成した。共和村もついにこれに同意し、明治二六年五月に三者連名で町村組換嘆願書を提出した。これは県庁の認可を得て、同年一一月には知多郡長から合併許可の通達があった。
 有松町と桶狭間との合併は、むしろ自然の勢いであった。両者の由来においても、すでに述べたように、慶長年間に桶狭間村から分住して有松村を開発したのであり、当時は有松は桶狭間村の一支郷だったわけで、その根源を一にしている。したがって住民も慶事弔裁など社交上いっさいにおいて、あたかも同一町村の住民のような親密な関係にあった。ことに桶狭間の氏神である神明社は、かつて有松の氏神でもあったし、祭典も同じくしていたので、風俗習慣のうえで共通のものがあった。また、村民の生活上でも合併を希望する理由があった。桶狭間村民の大部分は、有松紋の下請仕事を不可欠の副業としており、有松紋の下職には多数の桶狭間村民が従事していた。また有松では耕地が少ないから、農業面では桶狭間に依存し、桶狭間の農業はその肥料に多数の藍粕を用いて、相互に助けあっていたのである。合併当時の有松町は、耕地面積は二五町歩に満たず、戸数三三〇戸、人口一、二五〇人であり、桶狭間は耕地面積八一町余で、戸数九七戸・人口四八〇人であった。桶狭間を合併した有松町は、ここに当時としてはほぼ適切な規模をもち得るにいたったのである。


以上の説明からは、明治22年~明治26年の間、桶狭間の住民は独立村として共和村とは異なる運営をしていたものの、愛知県や他の町村(有松町を含む)から公式に認められた立場は、「共和村大字桶狭間」に過ぎなかったことが読み取れます。また当事者の関わっている『有松町史』に、明治25年合併の記載がないので、1889年(明治22年)10月1日の再合併が正しく、明治1892年(明治25年)9月13日の合併は間違いでしょう。なお、1892年(明治25年)9月13日という日付は、有松町が町制を施行した日付と完全に一致します。つまり、有松町の施行日を誤って共和村と桶狭間村の合併日と勘違いして、種々の本が記載してしまった可能性が高いということになります。

というわけで、[93041]

あくまでも推定ですが、知多郡共和村のケースも、実際には二つの旧役場が統合された日付を誤って二村合併の日付と記載してしまったと思われます。


は取り消します。実際には最後まで独立採算を通して共和村と対立していたようですし。


【訂正】:「共和村大字桶狭間村」から「共和村大字桶狭間」に修正
【訂正】:その他の誤字修正多数
[93041] 2017年 7月 28日(金)10:39:52【7】YT さん
愛知県の町村合併について補足
[93031]の捕捉です。『一色町誌』(1970年)によると

この方針に基づいて,一色地区でも佐久島村を除く1町4か村が大合併に踏み切ったが,そのとき,県が賦課する家屋税その他課税率が,町制施行の場合より村制施行の方が低率となり,財政負担が少なくなると判断された結果,一色村を名乗った。こうして生まれた新しい村役場は,従来の一色町役場に置かれた。その後,大正12年(1923)4月,町村財政を圧迫していた郡制が廃止され,また県の町村に対する課税等の制約が撤廃されたため,同年10月1日,一色村から一色町が誕生したのである。

とありましたが、そもそも家屋税は住民が県に納める地方税であり、町村の財政とは関係がないはずです。そこで色々調べたところ『愛知県史 通史編7 近代2』(2017年)に郡役場の収入源として「各町村分賦税」というものがあったとの記載がありました。すなわち国は国税を、府県は府県税を、市町村は市町村税を徴収したのに対し、郡役場は独自の税収がなく、郡内の町村からの分賦金で予算を賄っていたのです。そして愛知県の場合、各町村における前年度の直接国税、府県税の徴収額を元に分賦金を算出し、所属する町村の予算から徴収していたのです。つまり、住民の国と県への納税額が少ないほど、郡役場に納めなければならない分賦金の額も減るので、少しでも郡役場に納める分賦税を減らすために、家屋税等の税率が下がる「村」になることを選択した・・・という世知辛い事情があったようです。

[93040] 通りすがり さん

[64769] で88 さんが触れられていますが、

(4)知多郡共和村(現在の大府市)について

(a) M22(1889).9.24付け愛知県令第47号によると、M22(1889).10.1付けで、従前の知多郡共和村,桶狭間村の2村が合併して知多郡共和村が発足(愛知県における市制町村制実施による村制施行)
(b) 「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」では、M22(1889).10.1付けで、従来の知多郡共和村,桶狭間村の2村がそれぞれ単独で市制町村制実施による村制施行、その後M25(1892).9.13にこの2村が合併して知多郡共和村が発足

愛知県令ではM22.10.1付となっているのに対し、他ではすべてM25.9.13付となっています。ただし、例えば官報による明治22年12月31日付の現住人口では、知多郡桶狭間村のエントリーはありませんので、どちらかというと愛知県令の方が正しいと思われます。

愛知県に関しては、明治の種々の合併の際に色々問題が起こったことが『愛知県史』に書かれており、例えば合併後も旧村がそれぞれ独自に役所を保持し、全く合併の実態とは程遠かったとか、地租の不平等感から旧町と旧村の間に対立が生じたりだとか、明治末の大合併後も全体の町村の2割に問題があったとのことです。

【追記】この掲示板でも過去に何度か触れられていますが、愛知県の場合、実際には町村合併が行われた訳でもないのに、大字レベルでの何かしらの統合が、種々の本に合併記載されてしまっているケースが多数あるようです。また愛知県幡豆郡のケースを調べた際、間違って知多郡横須賀町の『横須賀町史』(1969年)を調べたところ、町村合併後も個々の旧町村に「区長」が置かれ続けたことが記載されており、合併後も地域分立が続いた実体が伺えます。【あくまでも推定ですが、知多郡共和村のケースも、実際には二つの旧役場が統合された日付を誤って二村合併の日付と記載してしまったと思われます。】【追記:M25(1892).9.13は有松村の町制施行の日付であり、しかも共和村大字桶狭間は有松町に編入するまで共和村の中で独立採算の運営を続けていたことも分かったので、左の文は誤りでした。】

参考までに『明治24年 徴発物件一覧表』では、愛知県知多郡共和村の明治23年(1890年)12月31日付の陸軍調査現住人口は以下のように記載されています。

市町村・大字名家屋 戸数人口 男人口 女
大字 共和318692694
大字 桶狭間125230269
共和村 計443922963

【追記2】共和村と桶狭間村の合併の経緯については『有松町史』(1956年)に詳しく載っていましたので、項を改めて記述します。いずれにせよ、M25(1892).9.13は間違いと思われます。
[93031] 2017年 7月 26日(水)21:11:42【1】YT さん
愛知県幡豆郡における町村大合併時の町→村への変更は、財政負担軽減のため
公私共に忙しく、中々書き込めない状況が続いていましたが、久々に投稿します。

[92993][92996] 通りすがり さん
[92995][93020] hmt さん
[93006] オーナー グリグリ さん

1906年5月1日付の愛知県幡豆郡における合併の際の町から村への「降格」についてですが、実際にこれら3町村の地方史を閲覧した方が事情が分かるのではないかと思い、以下の三冊の本に目を通しました。

『幡豆郡横須賀村誌』 (1924年)
『一色町誌』 (1970年)
『平坂町誌稿』 (1988年)

この内『平坂町誌稿』はほぼ地方史資料集のような感じで、この時期について全く触れられていません。また、『幡豆郡横須賀村誌』の方では、町制→村制という事実のみが触れられているのみです。一方、『一色町誌』においては、「第3編 行財政 第1章 地方自治の発展 第2節 町村制の施行 3 一色町の誕生」(231頁-232頁)に具体的な理由が書かれれていたので以下紹介します。

 前項にのべたように,憲法制定後の国家の行政指導は,短期間に全国の町村を約5分の1に減らすという大規模な町村合併を遂行した。一色地区においても,明治初年42か村が22か村になり,さらに6か村となった。その後,明治25年(1892)5月13日,一色村が単独で一色町を名乗り当地区は1町5か村となった。やがて日清,日露の両戦争を経て,日本の資本主義が益々発展の一途をたどる一方,地方財政は義務教育6年制の実施,地方産業施設の拡充,保健衛生行政の充実などで経費が膨張し,地方行政機関の財政負担はいっそう過重になった。そのため愛知県では,その負担軽減を町村合併による規模の拡大で,財政の基盤を固めようとして,明治38年(1905)訓令を発した。この方針に基づいて,一色地区でも佐久島村を除く1町4か村が大合併に踏み切ったが,そのとき,県が賦課する家屋税その他課税率が,町制施行の場合より村制施行の方が低率となり,財政負担が少なくなると判断された結果,一色村を名乗った。こうして生まれた新しい村役場は,従来の一色町役場に置かれた。その後,大正12年(1923)4月,町村財政を圧迫していた郡制が廃止され,また県の町村に対する課税等の制約が撤廃されたため,同年10月1日,一色村から一色町が誕生したのである。
当時役場の記録では,
  第四八号
 本村ハ一色村トアルヲ一色町ト改メントス
     大正十二年二月二十八日提出
     幡豆郡一色村長徳倉廣吉
    大正十二年二月二十八日 可決ス
とあり,10月1日は町制施行の月日といえる。

というわけで、『一色町誌』の記述によると、町制か村制かで愛知県に納める地方税に差があり、税負担を軽減するためあえて村を名乗ったということになります。

町村制制定においては、町と村との間に制度上の差はなく、呼称は慣習に従う程度のことしか定められていなかったわけですが、愛知県においては少なくとも明治39年当時、地方税において町と村に差が設けられており、そのために少なくとも愛知県幡豆郡一色町では合併後に一色村への「降格」が行われたということとなります。

ただ、この「県が賦課する家屋税その他課税率」の具体的な内容というか、法的根拠の方ですが、国立国会図書館のデジタルコレクションで「現行愛知県令訓類集」等を見ましても、自分には見つけられませんでした。例えば明治28年の『愛知県々税課目課額並諸規則』では家屋税は市にのみかけられており、

家屋税 市 乗率個数百個ニ付 金拾六銭

とあります。

『愛知県史 第4巻』によると(以下一部新字体、現代仮名遣いに改訂)、

 独立県税として最初に述ぶべきは家屋税である。これは明治十五年の郡区部会規則に依り初めて設けられたもので、後二十三年の府県制制定の結果、府県は市部と郡部とを問わず、均しく戸数割に代え本税を賦課し得る事となった。然るに三十二年の改正府県制に於いて家屋税に関する規定が削除されると共に、同年勅令二七六号にて府県の全部又は一部の地に於ける家屋に対し、家屋税を賦課する事が許されたので、本県も三十五年度より郡部一部の町村に対し、十個に付三銭一厘の割合にてこれを賦課した。その後大正十年の勅令第四二二号府県税戸数割規則に於いて家屋税及びその附加税を戸数割及びその附加税の代替税たる事を明示したが、同十五年三月の法律第二十四号「地方税ニ関スル法律」により、家屋税及びその附加税を一般的地方税として創設する事となった。然し実施の円滑を期する為めにしばらく市町村に配賦してこれが徴収をなす事としたのである。


これだけ読んでも町と村の間に差を設けたことなどは読み取れませんが、『一色町誌』の記述が正しいのなら、愛知県幡豆郡における「郡部一部の町村」=「町制を敷いた地区のみ」ということになります。

なお余談ですが、地方史を調べる前に当時の新聞記事のデータベースを調べたことがあったのですが、1906年4月から7月にかけて、「愛知県下町村合併問題」に関する便宜を図ったことによる収賄事件が発生し、愛知県参事会員5人が逮捕され、有罪となる事件が発生しております。この収賄事件に対する報復として、村への降格が行われたのかと邪推したのですが、どうも違ったようです。

【誤字修正】
[91228] 2016年 8月 17日(水)18:49:09YT さん
私個人の受験事情2
[91218] ぺとぺと さん
[91222] みかちゅう さん
[91223] Takashi さん

最近忙しくて書き込んでおりませんでしたが、余りにも自分に身近だった話題が展開されているので、出張先の国外のホテルから書き込みます。

まず、私個人の特殊事情についてとして
・1973年生まれのいわゆる第2次ベビーブーム世代であること

私も同い年です。生まれは埼玉県浦和市ですが、すぐに神奈川県川崎市麻生区に引っ越しました。

私には兄がおりますが、普通に公立中学に通い、川崎市全域を学区とする公立高校に進学し、大学受験をしました。ところが私の場合は中学受験をした方が良いという話となりました。というのは、小学生の頃の私は誰がどうみても運動神経ゼロで、体育の成績も五段階評価で「一」か「二」で、それより上を取ったことはありません。なお当時の川崎市立小学校は完全な相対評価で、クラスに必ず「一」の評価の人と「五」の評価の人がそれぞれ2名ずついました。ですがこの方式は時代によっても異なるもののようで、若い学生に「自分は小学校の頃、体育の成績だけは五段階評価で一か二だった」と話題を振ると、「体育の授業中に何か問題行動を起こしていたんですか?」という返事が返って来たりするんですよね…。現在は問題行動を起こすとかでない限り、「一」の評価を得ることはないようです。しかしながら同い年の別の県出身者の人も、五段階評価で「一」を取るのはよほどのことだったと言っていましたから、地域によっても評価方法は異なるようです。

当時の神奈川県は、アテストなる試験が中学二年であり、それと内申点と入試で合否が判定されるのですが、川崎市内を学区とする某公立高校の場合、中学時代の体育の成績が2倍で計算されるので、体育が苦手な子供には不利でした。そこで私は中学受験した方が良いという話となり、都内の某国立大学附属と、都内の某私立中高一貫校を受験しました。某国立大学附属の方はくじ引きで落ち(当時は倍率50倍で、くじで1/7に減らし、受験で1/7に減らしていた)、中学から都内の私立中高一貫校へ通うということとなりました。結局中学以降の教育は総て都内で受け、仕事場も海外にいた時期を除きずっと都内という、神奈川都民の人生を歩んでおります。

なお自分の記憶では、自分が通っていた公立小学校のクラスメート40人弱の内、1/3の10数名が中学受験をし、実際に合格したのは自分を含めて5人でした(約13%)。現在の受験事情については全く知りませんが、[91226]を見る限り、思ったほど私立偏重が助長されて来たわけでもなさそうです。私立志向が強まって行く一方で少子化もあり、底辺の方の私立学校の経営が色々悪化しているという話も聞きます。自分も父親となったので他人事ではなくなりましたが、教育問題と経済問題、人口問題、学校経営などを絡めて色々と考察できそうですね。
[90107] 2016年 3月 25日(金)00:18:20【1】YT さん
西八代郡上九一色村の扱いについて 【追記あり】
[90077][90092]オーナー グリグリさん

作成されました表を見て、一点気になった点があります。それは2006年3月1日付で甲府市と南都留郡富士河口湖町に分割された、西八代郡上九一色村の扱いについてです。

自分もかつて[82005]の中で、

上九一色村については「市区町村の変更情報」として別項目で扱われ、「分村:梯・古関」が甲府市に編入、「分村:富士ケ峰・本栖・精進」が南都留郡富士河口湖町に編入と記載されておりました。

と書いてしまいましたが、2000年以前の国勢調査報告書に記載されている「付表6 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧」では、これらの情報は一括して同一の表で扱われており、上九一色村の一件も、人口異動を伴う境界変更データとして扱った方が良いと思います。

一応国勢調査報告書の方では、

参考6 廃置分合・境界変更・名称変更一覧(pdfファイル)

で閲覧可能です。内容は以下の3つを含み:

(1) 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成22年10月1日)
(2) 市区町村の境界変更一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)
(3) 市区町村の変更情報一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)

上九一色村の分割については(3)の「市区町村の変更情報一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)」の項にまとめられています。

都道府県名実施年月日旧市町村名合併等の内容合併,市・町制施行後の状況市区町村コード
山梨県2006.3.1東八代郡中道町,西八代郡上九一色村(分村:梯・古関)甲府市へ編入甲府市(コウフシ)19201
2006.3.1西八代郡上九一色村(分村:富士ケ峰・本栖・精進)南都留郡富士河口湖町へ編入富士河口湖町(フジカワグチコマチ)19430

2005年の国勢調査報告書以降、市区町村の変更情報一覧が独立し、これに関わる異動した人口の詳細が省かれるようになってしまったので、具体的な数字も国勢調査報告書と照らし合わせて計算する必要が出て来てしまいますが。

【追記】すみません。上九一色村については、国勢調査人口比較における人口異動を伴う組替え要因と人口組替の方では言及がありましたね。

ただ上九一色村のような分割のケースに関しても、今回作成した人口異動を伴う境界変更一覧に追加した方が良いと思います。合併の場合は、過去のそれぞれの境界内の人口を単純に足せば、現在の境界内の人口との比較による人口増加率等の算出が可能ですが、分割の場合は過去の人口との比較の際に、小地域データが無ければ按分推計という作業が必要となり、その点で小規模な地域の移動による境界変更と同じとなります。
[90087] 2016年 3月 18日(金)03:28:43YT さん
柏崎市~柏崎町の間の境域変更
[90077] オーナー グリグリさん

久々に投稿します。

3.[81966] 柏崎市と柿崎町の境界変更の異動年月日(どちらが正しい?)
[81966]では、「1989.4.1」となっています。ところが、平成3年面積調 p.81(pdf)によると、異動年月日が「平成3年(1991年)10月1日」となっています。告示は「1989.3.29自治省告示第58号」であり、この日付からは「1989.4.1」が妥当に見えます。また、平成2年(1990年)国勢調査にある昭和60年(1985年)組替人口と昭和60年(1985年)国勢調査確定人口に差があり、この境界変更による人口異動数と一致していますので、やはり「1989.4.1」が妥当に見えるのですが、面積調の異動年月日を単なる間違いだとするのも変です(平成3年の面積調に書かれていることから)。ちなみに、平成元年、平成2年の面積調にはこの境界変更の記述はありません。これはいったいどういうことでしょう。どなたかご教示いただければ。


一応国勢調査報告書の「付表5 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧 (昭和60年10月2日~平成2年10月1日)」では、以下のように記述されています。

年月日異動地域昭和60年人口
205 柏崎市86,198
1985.10.1旧柏崎市 (205)86,020
1989.4.1旧中頸城郡柿崎町の一部(541*)178

年月日異動地域昭和60年人口
541 中頸城郡柿崎町13,294
1985.10.1旧中頸城郡柿崎町 (541)13,472
1989.4.1旧柿崎町の一部が柏崎市へ (541* to 205)-178

また「付表6 市区町村の廃置分合・境界変更・名称変更一覧 (平成2年10月2日~平成7年10月1日)」で1990年以降の境域変更を確認しましたが、人口の異動を問う/問わないに関係なく、1990.10.2~1995.10.1の間での柏崎市・柏崎町の境域変更の記載はありません。


4.[81966] 新発田市と加治川村の境界変更の異動年月日(どちらが正しい?)
[81966]では、「1989.4.1」となっています。平成2年面積調 p.83(pdf)によると、異動年月日が「平成2年(1990年)9月21日」となっています。告示も「1990.8.23自治省告示第129号」となっており、異動年月日は9月21日が妥当な気がします。ちなみに、面積調の同じページに、異動年月日が1989.4.1の加治川村と紫雲寺町の境界変更の記述があり、こちらとの取り違えではないかと推察しますが、YTさん、いかがでしょうか。なお、国勢調査の組替人口には影響はありません。


すみません。「1990.4.1」が正しく、「新発田市」の方は人口や自治体コードから言っても「北蒲原郡紫雲寺町(15309)」との書き間違いです。25人の人口の異動は北蒲原郡紫雲寺町との間で起こったことです。
[88602] 2015年 8月 9日(日)21:21:13【2】YT さん
徴発物件一覧表記載の3府4県の明治22年、明治23年末の現住人口
2ヶ月ぶりに投稿します。

以前[87941]で徴発物件一覧表記載の明治22年(1889年)12月31日、明治23年(1890年)12月31日の現住人口を、日本帝国民籍戸口表記載の本籍・現住人口、官報記載の現住人口(明治22年末, 明治23年末)と共にまとめるすることにしたと書きましたが、東京府・京都府・大阪府・神奈川県・兵庫県・長崎県・新潟県とまとめている内に、行数が15,000を超えてしまいましたので、現時点での集計状況をまとめました。以下のサイトから、LHAで圧縮された「3fu4ken.lzh」をダウンロードできます。ファイルサイズは約1Mbで、中にエクセルファイル「3fu4ken.xls」(約3.6 Mb)が入っています。

http://u6.getuploader.com/SR1gou/download/882/3fu4ken.LZH

また『明治二十四年 徴発物件一覧表』(データは明治23年末)の内、東京府を含む10ページを
こちら】
にアップロードしました(約7Mb,pdf形式)。ファイル名に日本語全角フォントを入れたところ、リンクのURLが長くなってしまいました。


前の投稿でも書きましたように、『明治二十四年 徴発物件一覧表』の特徴は、

(1) 大字別人口の記載がある。ただし、京都府・大阪府・神奈川県・長崎県・新潟県の場合は「(大字)~」と記載されているのに対し、東京府の場合は「(元)~」、兵庫県の場合は(大字)や(元)の記載なしにそのまま元町村名が記載されているようです。

(2) 北海道・沖縄・伊豆諸島・小笠原・隠岐・対馬・奄美・沖縄県の町村制未施行の町村別人口の記載がある。ただし小笠原の父島・母島内の村別人口の記載はなく、残念ながらトカラ列島の十村の人口の記載が欠落しているようです。

(3) 町村制施行前の連合戸長役場、町村制施行後の町村組合役場の所在地が分かる。ただし現状では他の史料との比較ができないため、役場移転の情報を他でチェックすることはできません。

明治22年末・明治23年末の府県別町村数に関しては、『県治事務 市町村及町村組合』の方に集計があります。今回「3fu4ken.xls」でまとめた町村数と比較したところ、京都府・大阪府・長崎県は町村数が一致しました。また兵庫県に関しては、油良村→幸世村の改称を明治22年中とカウントすることにより、「村制のまま改称」の数字が一致しました。ところが東京府と新潟県に関しては、微妙に町村数が異なる箇所があります。以下に数字をまとめますが、どうも東京府に関しては伊豆・小笠原の町村制施行前の町村数のカウントに問題があること、新潟県に関しては、石地町村・北大瀁村をめぐる問題([68959]のMIさんの調査結果参照)のほか、町村組合の解消等にからめて数字に問題が発生しているようです。

府県庁郡市町村制施行の町村役場数(M22)町村制未施行の役場数(M22)町村組合数(M22)町村制施行の町村数(M22)町村制未施行の町村数(M22)町村制施行の町村役場数(M23)町村制未施行の役場数(M23)町村組合数(M23)町村制施行の町村数(M23)町村制未施行の町村数(M23)町村増減町村役場増減町制施行村制のまま改称
東京府荏原郡19191919
東京府東多摩郡6666
東京府南豊島郡8888
東京府北豊島郡19191919
東京府南足立郡9999
東京府南葛飾郡242424241
東京府伊豆七島24242424
東京府小笠原島18584
東京府不一致0-20-70-60-7-40
東京府合計85238525852385251
新潟県北蒲原郡767676762
新潟県中蒲原郡666666661
新潟県西蒲原郡79797979
新潟県南蒲原郡543575535811
新潟県東蒲原郡12121212
新潟県三島郡43434343
新潟県古志郡51515151
新潟県北魚沼郡3213432134
新潟県南魚沼郡38547394471
新潟県中魚沼郡3535373722
新潟県刈羽郡68371692711
新潟県東頸城郡33333333
新潟県中頸城郡76767676
新潟県西頸城郡3713837138
新潟県岩船郡39393939
新潟県雑太郡20202020
新潟県加茂郡2112421124
新潟県羽茂郡14141414
新潟県不一致000-3200-311
新潟県合計79414815796148183214

なお「3fu4ken.xls」の市郡の配列は、『明治二十三年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』の各地方郡市戸口表に従い、各郡内の町村・大字の配列は、『明治二十四年 徴発物件一覧表』に従っています。大字名等はほぼ『明治二十四年 徴発物件一覧表』に従い、漢字の方は問答無用で新字体に書き換えた箇所が多々あります。また「明治二十四年徴発物件一覧表サンプル.pdf」を見ていただければわかるように、印刷が悪い箇所が多いため、町村別人口から大字別人口を除して数字をチェックするなどの、「不一致」の項目を作っています。このほか人口のおかしな点をチェックするため、日本帝国民籍戸口表記載の現住人口(内務省調査現住人口)、官報記載の現住人口、徴発物件一覧表記載の現住人口(陸軍省調査現住人口)との差もチェックしています。

日本帝国民籍戸口表の現住人口の数字が合計と一致しないのは、[82296]で説明したようにデフォルトのことです。また、例えば『明治二十四年徴発物件一覧表』記載の現住人口に関し合計と各大字別人口が一致しなかった場合、あるいは『明治二十三年 徴発物件一覧表』記載の現住人口と明治22年12月31日調の官報記載の現住人口との比較の結果、項目がずれていることが明らかな場合などには、一部人口を修正しています。とは言っても、大字と町村の人口のどちらかが間違っているか微妙な場合などは、そのまま修正せずに掲載しています。

官報と徴発物件一覧表の人口を比較した結果、明らかに数字にズレがあった場合、最小限の修正はしていますが、官報であっても、摂津国菟原郡の明治22年の町村別人口は明らかに間違っていますが(人口と町村の対応等)、修正しておりません。

また筑波大学村井研究室の歴史地理統計データとの比較もしておりますが、幾つか歴史地理統計データの入力間違いも見つけております。

総ての町村において大字別人口が記載されているわけではありませんが、最終的に表は大体7万行を超え、xlsx形式でないと対応できないことになるかも知れません。現在大体入力作業の20%~25%が終わったことになります。

【アップロードしたpdfファイルへのリンクURLが長くなり見難くなっていたので、テキストリンク機能で修正】
[87941] 2015年 6月 21日(日)17:30:32【1】YT さん
明治23年、明治24年の徴発物件一覧表について
久々に投稿します。

以前[81075]で「明治期の徴発物件一覧表」について少し紹介しましたが、改めて一橋大学経済研究所附属日本経済統計情報センター編『明治徴発物件表集成』を調べたところ、「明治二十四年 徴発物件一覧表」に凄まじい量の人口データが含まれていることを発見しました。

明治30年以前に陸軍省がまとめた一連の統計書は、近代デジタルライブラリーで閲覧可能な明治8年~明治14年の『共武政表』を含め、以下の通りです。

書誌実際の統計調査日時人口情報その他(郡・戸長役場連合等を構成する町村の名称を伺い知るもの)
明治八年共武政表(巻1-4巻5-8)明治5年~8年旧国郡別人口、人口一千名以上輻輳地人口
明治十一年共武政表明治12年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十二年共武政表()明治13年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十三年共武政表()明治14年1月1日調旧国郡区別人口、人口一百以上輻輳地人口
明治十六年徴発物件一覧表明治16年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十七年徴発物件一覧表明治17年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十八年徴発物件一覧表明治18年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治十九年徴発物件一覧表明治19年1月1日調旧国郡区別人口町村別戸坪数
明治二十年徴発物件一覧表明治19年12月31日調郡区別人口、戸長役場所在地別人口戸坪数
明治二十一年徴発物件一覧表明治20年12月31日調人口データなし戸長役場所在地別戸数・戸坪数
明治二十二年徴発物件一覧表明治21年12月31日調郡区別人口、戸長役場所在地別人口戸坪数
明治二十三年徴発物件一覧表明治22年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数
明治二十四年徴発物件一覧表明治23年12月31日調市区町村大字別人口戸坪数
明治二十六年徴発物件一覧表明治25年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数
明治三十年徴発物件一覧表明治29年12月31日調郡市区別人口、町村別人口(戸長役場・組合単位)戸坪数

明治31年以降は『徴発物件表』と名前を替え、『明治三十四年徴発物件表』(例えば『第一師管徴発物件表』)、『明治三十六年徴発物件表』、『明治三十八年徴発物件表』(例えば『第一師管徴発物件表』)、『明治四十年徴発物件表』が出版されており、この内明治36年版以外は近代デジタルライブラリーで閲覧できるようです。また明治34年~大正元年には簡易版の『陸軍徴発物件表要覧』が出版されており、例えば近代デジタルライブラリーで閲覧可能なのは、明治34年版明治38年版明治44年版)のようです。

国勢調査開始前の人口データの内、最も標準的なのは内務省が出版し続けたもので、明治5年~明治9年調の『日本全国戸籍表』、明治10年~明治11年調の『日本全国戸口表』(ただしここまでは旧国・府藩県庁別人口のデータしか掲載されていない)、明治12年調の『日本全国郡区分人口表』、明治13年~明治19年始調の『日本全国民籍戸口表』(全部近代デジタルライブラリーで閲覧可能)、明治19年末~明治30年調の『日本全国民籍戸口表』(残念ながら明治20年~明治23年調版が近代デジタルライブラリーで閲覧できないが、『国勢調査以前日本人口統計集成』に収録)、明治31年以降5年毎の『日本帝国人口静態統計』(明治31年版は『日本帝国人口統計』で、明治36年調版明治41年調版大正2年調版大正7年調版など総て近代デジタルライブラリーで閲覧可能)があります。明治12年1月1日調の『日本全国郡区分人口表』以降、郡区別人口が掲載され続け、明治31年以降は町村別人口(ただし明治31年、明治36年の沖縄・奄美・小笠原などは間切や連合戸長役場管轄毎の集計人口に限られたりする)が掲載されています。また明治19年末~明治30年調の『日本全国民籍戸口表』には、人口1万人以上の都市人口が掲載されています([68620][68621]参照)が、個々の町村別人口までは掲載されていません。

一方で官報には、明治22年末調以降、毎年現住人口が公表されています。こちらですと明治30年以前も町村別人口を揃えることができますが、残念ながら町村制が施行されていない北海道・沖縄・その他島嶼部(伊豆・小笠原・隠岐・対馬・トカラ列島・奄美群島)に関しては町村別人口のデータが掲載されていません(例外として、町村制の導入が翌年に遅れた香川県に関しては、明治22年調でも現住人口が掲載されてます)。また内務省公表の現住人口と官報掲載の現住人口は数値が完全には一致しませんが、これは官報掲載の人口が本籍人口に対して出入寄留者を加減して求めているのに対し、内務省公表の現住人口は、さらに逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者を加除して計算しているからです。ただし明治30年以前の内務省公表の現住人口の場合、郡区別人口を合算しても、府県別人口と一致しないという問題があり、同一府県内の人口移動に伴う出入寄留者の人口を、合計からわざわざ除外するという作業を行っていたせいのようです(この辺の事情については[82296]で詳しく考察しました)。

官報と内務省公表の人口データですら一致しないので、『徴発物件一覧表』のデータはそれほど価値がないと思っていました。ところが改めて明治23年版の徴発物件一覧表(データは明治22年12月31日調のもの)を閲覧し直したところ、なんと北海道、沖縄、対馬、隠岐、伊豆、小笠原、奄美に関して、人口データが掲載されていることに気付きました。人口データは組合や戸長役場連合を作っているところは、役場毎に集計されており、町村別人口は完璧にはなりませんが、逆に連合戸長役場・組合町村役場の所在地が分かります。さらに明治24年版(データは明治23年12月31日調のもの)では、組合や戸長役場連合を作っているところに関しても総て町村別人口が掲載されており、さらに町村に関しては大字別人口まで載っていました。『明治二十四年徴発物件一覧表』のデータに関しては以前[63483]でokiさんが紹介されていますが、筑波大学村井研究室の歴史地理統計データのサイトで入力されたデータの一部をダウンロードすることが可能です。しかしながらこちらのサイトに掲載されているデータは北海道、沖縄県、奄美などのデータを欠いており、入力が完成しておりません。さらにオリジナルのデータは大字別にまとめられていますが、その辺も省略されています。

というわけで現在、町村制が導入された頃である明治22年末・明治23年末調市町村・大字別現住人口の全体像を概観するため、現在この二年間の『日本全国民籍戸口表』、『官報』、『徴発物件一覧表』の本籍人口・現住人口をまとめているところです。ただ残念ながら明治23年版、明治24年版の『徴発物件一覧表』はともにトカラ列島の人口データが欠落しており、また幾つかの北海道の町村別人口の情報が抜けており、完全な表にはどうしてもならないようです。また市や大きい町の下の町丁は「大字」とは呼ばないのか、町丁別人口のデータもありません。

元々徴発物件一覧表のデータを閲覧し直すきっかけは、昭和10年より前の面積データを探すためでしたが、こちらの方は地租の対象となる総段別や町村別戸坪数の情報ぐらいしか入手できませんでした。その時点で存在した町村名のチェックには町村別戸坪数の情報が使えるかも知れませんが。

【訂正・追記:標題の数字を半角に修正。なお大字別人口ですが、多くの府県では「大字~」などという項目が作られていますが、残念ながら東京府などは「元~村」という項目が作られ、必ずしもすべての府県で大字別人口が揃っているわけでもなさそうです。】
[87464] 2015年 4月 12日(日)16:35:22【2】YT さん
昭和5年国勢調査時の面積にみられる丸め誤差
市町村別面積の最初の基礎となる資料が、『昭和十年 全国市町村別面積調』であることは言うまでもありません。ただし注意しなければならないのは、『昭和十年 全国市町村別面積調』記載の面積は昭和10年3月31日における面積であり、その後の6ヶ月間の合併・境域変更等により、国勢調査実施の昭和10年10月1日の面積とは異なる可能性があることです。ただ、幸いなことに『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』記載の郡市別面積の方は、面積がちゃんと組み替えられております。例えば岐阜市の面積は、『昭和十年 全国市町村別面積調』では37.8 km2、『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』では44.51 km2と、半年間の境域変更を配慮して修正されております。

一方昭和5年の国勢調査時の郡市別面積の方は、『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』の方に小数点以下第三位まで、km2単位で記載されております。大正9年~平成22年の郡部・市部の面積については、平成22年の国勢調査報告書の方にも記載がありますが、それによると。

調査の年西暦全国面積市部面積郡部面積
昭和10年1935年382,545.425,094.53377,450.89
昭和5年1930年382,264.912,950.65379,314.26
大正14年1925年381,810.062,181.50379,628.57
大正9年1920年381,808.041,375.36380,432.69

大正9年、大正14年の郡部別面積と市部面積を合計しても、全国面積と一致しません。これは一種の丸め誤差なのですが、これには複雑な事情がからみ、時間があれば別記事でまとめます。一方昭和5年の面積については丸め誤差が発生していないようにみえます。しかしながら昭和5年の都道府県別面積(エクセルファイル)で、都道府県別面積を合計すると382,264.93 km2になってしまいますが、全国の面積合計382,264.91 km2よりも0.02 km2多くなってしまっております。実際47都道府県で[87439]の計算をしてみると、予想される丸め誤差は0.01*√(47/6/π) ≒ 0.016 となり、予想通りの誤差が出ていることなります。このような誤差が生じてしまう原因は、小数点以下第三位と小数点以下第二位の間の四捨五入に伴う丸め誤差にあります。

以下三種類の資料(A) 『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』記載の都道府県別(郡部・市部別)面積(小数点以下第三位, km2), (B) 『昭和25年国勢調査報告 第七巻 都道府県編』記載の都道府県別(郡部・市部別)面積(小数点以下第二位, km2; 但し秋田県の郡部面積は昭和30年以降の国勢調査報告書で修正し、沖縄県の面積も昭和50年以降の国勢調査報告書記載の遡及データで追加), (C) 『昭和25年国勢調査報告 第一巻 人口総数』「第9表 地方及び都道府県の10年毎面積及び人口密度―大正9年~昭和25年」記載の都道府県別面積(小数点以下第二位, km2; 但し沖縄県の面積は昭和50年以降の国勢調査報告書記載の遡及データで追加)を比較し、それぞれの数字の差を記載すると以下の通りです。

都道府県A合計A市部A郡部B合計B市部B郡部C合計A-B合計A-B市部A-B郡部A-C合計B-C合計
全国382,264.9072,950.645379,314.262382,264.912,950.65379,314.26382,264.91-0.003-0.0050.002-0.0030.00
単純合計382,264.9072,950.645379,314.262382,264.912,950.65379,314.26382,264.93-0.003-0.0050.002-0.023-0.02
北海道88,775.036242.92088,532.11688,775.04242.9288,532.1288,775.04-0.0040.000-0.004-0.0040.00
青森県9,630.92473.7249,557.2009,630.9273.729,557.209,630.920.0040.0040.0000.0040.00
岩手県15,235.30649.72515,185.58115,235.3149.7315,185.5815,235.31-0.004-0.0050.001-0.0040.00
宮城県7,273.75453.1187,220.6367,273.7553.127,220.637,273.750.004-0.0020.0060.0040.00
秋田県11,663.86113.07911,650.78211,663.8613.0811,650.7811,663.860.001-0.0010.0020.0010.00
山形県9,325.75754.2759,271.4829,325.7654.289,271.489,325.76-0.003-0.0050.002-0.0030.00
福島県13,781.61334.19413,747.41913,781.6134.1913,747.4213,781.610.0030.004-0.0010.0030.00
茨城県6,092.2566.1696,086.0876,092.266.176,086.096,092.26-0.004-0.001-0.003-0.0040.00
栃木県6,436.58525.8506,410.7356,436.5925.856,410.746,436.59-0.0050.000-0.005-0.0050.00
群馬県6,335.82351.5926,284.2316,335.8251.596,284.236,335.820.0030.0020.0010.0030.00
埼玉県3,801.43913.3263,788.1133,801.4413.333,788.113,801.44-0.001-0.0040.003-0.0010.00
千葉県5,078.81012.3235,066.4875,078.8112.325,066.495,078.810.0000.003-0.0030.0000.00
東京都2,144.78788.5302,056.2572,144.7988.532,056.262,144.79-0.0030.000-0.003-0.0030.00
神奈川県2,353.484181.5812,171.9032,353.48181.582,171.902,353.480.0040.0010.0030.0040.00
新潟県12,578.64344.05012,534.59312,578.6444.0512,534.5912,578.640.0030.0000.0030.0030.00
富山県4,257.41927.5324,229.8874,257.4227.534,229.894,257.42-0.0010.002-0.003-0.0010.00
石川県4,197.51318.6164,178.8974,197.5118.624,178.894,197.510.003-0.0040.0070.0030.00
福井県4,017.9694.6734,013.2964,017.974.674,013.304,017.97-0.0010.003-0.004-0.0010.00
山梨県4,465.8668.2674,457.5994,465.878.274,457.604,465.87-0.004-0.003-0.001-0.0040.00
長野県13,604.18170.57813,533.60313,604.1870.5813,533.6013,604.180.001-0.0020.0030.0010.00
岐阜県10,494.70114.59110,480.11010,494.7014.5910,480.1110,494.700.0010.0010.0000.0010.00
静岡県7,769.91289.9037,680.0097,769.9189.907,680.017,769.910.0020.003-0.0010.0020.00
愛知県5,081.142250.7104,830.4325,081.14250.714,830.435,081.140.0020.0000.0020.0020.00
三重県5,765.34189.6115,675.7305,765.3489.615,675.735,765.340.0010.0010.0000.0010.00
滋賀県4,050.92921.9484,028.9814,050.9321.954,028.984,050.93-0.001-0.0020.001-0.0010.00
京都府4,623.19663.3134,559.8834,623.2063.314,559.894,623.20-0.0040.003-0.007-0.0040.00
大阪府1,812.631204.9321,607.6991,812.63204.931,607.701,812.630.0010.002-0.0010.0010.00
兵庫県8,321.875115.1678,206.7088,321.88115.178,206.718,321.88-0.005-0.003-0.002-0.0050.00
奈良県3,688.60029.7983,658.8023,688.6029.803,658.803,688.600.000-0.0020.0020.0000.00
和歌山県4,723.42317.6754,705.7484,723.4217.684,705.744,723.420.003-0.0050.0080.0030.00
鳥取県3,489.48113.8803,475.6013,489.4813.883,475.603,489.480.0010.0000.0010.0010.00
島根県6,618.0425.4916,612.5516,618.045.496,612.556,618.040.0020.0010.0010.0020.00
岡山県7,046.47582.3466,964.1297,046.4782.346,964.137,046.480.0050.006-0.001-0.005-0.01
広島県8,436.517128.1548,308.3638,436.52128.158,308.378,436.52-0.0030.004-0.007-0.0030.00
山口県6,082.10896.6905,985.4186,082.1196.695,985.426,082.11-0.0020.000-0.002-0.0020.00
徳島県4,143.22119.3104,123.9114,143.2219.314,123.914,143.220.0010.0000.0010.0010.00
香川県1,858.73022.0401,836.6901,858.7322.041,836.691,858.730.0000.0000.0000.0000.00
愛媛県5,667.10869.8375,597.2715,667.1169.845,597.275,667.11-0.002-0.0030.001-0.0020.00
高知県7,103.62029.0277,074.5937,103.6229.037,074.597,103.620.000-0.0030.0030.0000.00
福岡県4,939.646229.6264,710.0204,939.65229.634,710.024,939.65-0.004-0.0040.000-0.0040.00
佐賀県2,443.8979.1312,434.7662,443.909.132,434.772,443.90-0.0030.001-0.004-0.0030.00
長崎県4,075.77791.9023,983.8754,075.7891.903,983.884,075.78-0.0030.002-0.005-0.0030.00
熊本県7,437.72337.4487,400.2757,437.7237.457,400.277,437.720.003-0.0020.0050.0030.00
大分県6,333.88058.0856,275.7956,333.8758.086,275.796,333.880.0100.0050.0050.000-0.01
宮崎県7,738.29564.5787,673.7177,738.3064.587,673.727,738.30-0.005-0.002-0.003-0.0050.00
鹿児島県9,081.32313.7739,067.5509,081.3213.779,067.559,081.320.0030.0030.0000.0030.00
沖縄県2,386.2887.5572,378.7312,386.297.562,378.732,386.29-0.002-0.0030.001-0.0020.00

昭和25年以降の国勢調査報告書記載の過去の都道府県別面積(資料(C))に関しては、単純に昭和5年の国勢調査時の面積(資料(A))を小数点以下第三位で四捨五入をしたため、合計と全国の間に丸め誤差が発生したことが判ります。ところが昭和25年以降の国勢調査報告書記載の過去の郡部・市部別面積(資料(B))に関しては、昭和5年の国勢調査時の郡部・市部別面積(資料(A))を単純には四捨五入せずに、郡部面積、市部面積の合計が一致するように、端数を操作しており、結果、岡山県と大分県では都道府県別面積が却って四捨五入した値とずれるが、全国合計では一致するように数値が操作されております。大分県と岡山県に関し、異なる昭和5年の都道府県別面積(小数点以下第二位, km2)を載せているのは昭和25年の国勢調査報告書だけではなく、その後も二種類の異なる面積が国勢調査報告書に記載され続けています。

そもそも昭和5年の国勢調査報告書記載の面積(資料(A))が、市部・郡部・合計ともに丸め誤差が全くない時点で数字上おかしいのですが、下三桁を下二桁に四捨五入する際、実際には四捨五入以外の恣意的な操作により、合計が一致するように調整していたことが判るかと思います。

【文章の一部を不自然なのでカットし修正】
[87463] 2015年 4月 12日(日)15:16:44【6】YT さん
戦前の国勢調査時の面積の記載について:大正9年、大正14年国勢調査時の面積の数字に関する重大な問題点
以前、戦前の国勢調査報告書における市区町村別面積について[84575]でまとめましたが、一部修正して改めて掲載します。

報告書都道庁府県別面積支庁・郡市別面積市区町村別面積記載の桁数原資料
大正9年国勢調査○【km2・方里】××小数点以下第三位『大正九年 国勢調査記述編』
○【方里】××小数点以下第三位『大正九年 国勢調査報告 全国の部 第一巻』
△【方里】△【方里】×小数点以下第一位~第三桁『大正九年 国勢調査報告 府県の部』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位国立公文書館所蔵『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』
大正14年国勢調査○【km2】××小数点以下第三位『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』
○【方里】○【方里】×小数点以下第三位国立公文書館所蔵『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』
昭和5年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下第三位『昭和五年 国勢調査報告 第一巻』
昭和10年国勢調査○【km2】○【km2】×小数点以下第二位『昭和十年 国勢調査報告 第一巻 全国編』
昭和15年国勢調査×××なし
昭和19年人口調査×××なし
昭和20年人口調査×××なし
昭和21年人口調査×××なし
昭和22年臨時国勢調査×××なし
昭和25年国勢調査○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下第二位『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』
昭和30年国勢調査報告○【km2】○【km2】○【km2】小数点以下第二位『昭和30年国勢調査報告 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』 ほか

以上のほか、大正9年~昭和22年の各都道府県の郡部合計、市部合計の面積は、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』や、それ以降の国勢調査報告書の府県の部などに、小数点以下第二位までkm2単位で記載されています。

[84575]で、
大正9年の国勢調査報告には、庁府県別の面積しかありません。
と書いてしまいましたが、その後、大正9年の国勢調査報告書の『府県の部』を手に取ってみましたところ、市郡別面積が方里単位でまとまっていたことに気付きました。しかしながら府県によっては、小数点以下第一位だったり、小数点以下第三位だったりと一定ではありませし、一部の府県では面積の記述が欠落しています。さらに『記述編』記載の都道府県別面積(方里)と、『府県の部』記載の面積(方里)が一致しない府県が多々存在するという問題が見受けられます。

その後、国立公文書館に『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』という資料があることを知り、喜んで閲覧しました。これにより大正9年国勢調査時の全国の郡市別面積(ただし北海道は支庁別)データが小数点以下第三位で揃いました。しかしながら困ったことに、国立公文書館所蔵『参謀本部調査』、『府県の部』、『記述編』の三点の面積が全部異なる府県が存在することも明らかになりました。

更に『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』記載の都道府県別面積は、『記述編』記載の都道府県別面積とほぼ一致しますが、郡部合計・市部合計の面積は国立公文書館所蔵『参謀本部調査』、『府県の部』とも異なり、国勢調査とその関連文献だけで3種類の異なるデータ(内、郡市別面積の詳細が記載されているのが2種類、合計だけ記載されているのが1種類)が存在することが明らかとなりました。

このほか、戦前の人口問題研究会がまとめた『日本人口密度図』(1934年)という本に大正9年、14年、昭和5年の郡市別面積がまとまっていますが、こちらは昭和5年の面積を大正9年、大正14年に遡及させて計算しており、大正9年、大正14年に関しては全く別系統の面積の数字となっております。

さらに石橋五郎監修, 小野鐵二編纂『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』(1924年)という本があり、地方統計書や地図からの独自計算により、陸軍参謀本部公式の数字を訂正したりしているのですが、これも完全に別系統の面積の数字ということになります。

以上、大正9年の郡市別面積の資料別のデータ記載状況をまとめると:

資料郡部・市部合計値郡市別面積備考
『大正九年十月現在 日本全国道府県郡市別面積 参謀本部調査』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (速報値?)
『大正九年 国勢調査報告 府県の部』不完全不完全系統1a' (上の速報値を極一部修正したもので、こちらの方が速報値の可能性あり)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』 小数点以下第二位(km2)なし系統1b' (各都道府県別の郡部・市部合計値の記載のみ;上の速報値を大幅に修正したもの)
『日本人口密度図』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統2 (昭和5年からの遡及データ)
『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統3 (独自集計)

大正14年の面積でも同様の問題があり、まず同じ国勢調査でも、『全国結果表』と『記述編』では数字が異なり、『全国結果表』記載の面積に1方里=(216/55)^2 方粁(km2)≒ 15.4234711 km2として変換しても、『記述編』の面積と一致しません。これについてこちらの『記述編』の説明によると
内地ノ面積ハ河川及湖沼ヲ含ム總面積ニシテ陸地測量部ノ調査ニ係ルモノナリ。而シテ此ノ面積ハ最新ノ改調又ハ修正測図ニ依リタルヲ以テ既ニ公表ノ第二巻全国結果表ニ掲ゲタルモノト必ズシモ符合セズ。
とあり、『全国結果表』の面積は速報値ということなります。

なお国立公文書館所蔵『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』記載の郡市別面積は、完全に『全国結果表』記載の郡市別面積と一致しました。一方で『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』記載の都道府県別面積は、『記述編』記載の都道府県別面積とほぼ一致するものの、郡部合計・市部合計の面積(それぞれ2,181.50km2, 379,628.57 km2;沖縄県の面積は昭和50年以降の国勢調査報告書記載の数字で加算)は『記述編』(それぞれ 2,181.264 km2, 379,628.798 km2)と若干異なります。もっともその違いは0.23 km2~0.24 km2とごく僅かで、一府県の修正が入った程度ということになります。このことから大正14年の郡市別面積は、郡市別の詳細な数字の残っている1種類と、合計値だけ判明している修正された1種類の、合計2種類の系統があることになります。

これとは別に石橋五郎監修, 小野鐵二編纂『大正九年十月一日現在 大日本郡市別人口密度表 近畿地方町村別人口密度表』にも大正14年の郡市別面積の記載がありますが、数字が異なります。

以上、大正14年の郡市別面積の資料別のデータ記載状況をまとめると:

資料郡部・市部合計値郡市別面積備考
『大正十四年国勢調査報告 第二巻 全国結果表』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (速報値)
『大正十四年国勢調査(速報) 大正十四年現在ノ帝国面積 人口課』小数点以下第三位(方里)小数点以下第三位(方里)系統1a (上に同じ)
『大正十四年 国勢調査報告 第一巻 記述編』小数点以下第二位(km2)なし系統1b(上の速報値を修正したものだが、全国の郡部・市部面積合計値のみ記載)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編』 小数点以下第二位(km2)なし系統1b' (各都道府県別の郡部・市部合計値の記載のみ;『記述編』記載の全国合計との差は微細)
『日本人口密度図』小数点以下第二位(km2)小数点以下第二位(km2)系統2 (昭和5年からの遡及データ)


さらに今や近代デジタルライブラリーで種々の地方統計書の閲覧が可能ですが、これらの数字が異なる郡市別面積について、地方統計書で数字を補正しようと試みました。しかしながら残念なことに地方統計書は府県によって数字に統一がなく、場合によっては税金の対象となる土地総段別の面積のみしか情報がないところが多いようです。地方統計書に関しては、府県によっては参考になる場合があるものの、上の表から除外しました。

というわけで、大正9年、大正14年の国勢調査時の面積については、郡市別面積ですらまともに公式のデータ、すなわち陸軍参謀本部陸地測量部が公表したとされる面積すら揃えることができないという状況です。

【少数→小数に修正】【大正14年の国勢調査の『記述編』・『全国結果表』の説明が反転していたので大幅修正し、大正9年、大正14年の国勢調査時の面積について資料系統の説明を一部修正】
[87449] 2015年 4月 3日(金)18:47:54【1】YT さん
正規分布とのズレについて
[87448] オーナー グリグリさん
都道府県別の面積の丸め誤差をまとめて頂きありがとうございます。

以上の結果によると、全国の合計値の誤差(n=1921)が、0.25km2 となっていますが、[87439]における誤差(n=2000)の平均値 0.10km2 から大きく外れています。どこかに落とし穴があるのでしょうかねぇ。


|m| = a√{n/(6π)} = 0.1009... ≒ 0.10 km2 (n = 1921, a = 0.01)

は、蓄積された丸め誤差の平均(期待値)の絶対値です。蓄積された丸め誤差の標準偏差自体は

σ = a√(n/12) = 0.1265... ≒ 0.13 km2 (n = 1921, a = 0.01)

です。連続一様分布(アーウィン・ホール分布)に関しては、英語版のwikipediaに分かりやすい図と式がありました。を見ればわかるように、n ~ 8ぐらいで十分正規分布近似が可能となります。また説明にはvariance (分散, σ^2) = n/12 とありますが、この場合0から1までの連続一様分布を足した場合の分散であり、0~1とは限らない範囲0 ~ a(n回足せば、0 ~ naの範囲となる)であれば、分散σ^2 = a^2*n/12となり、標準偏差σは分散σ^2の平方根となるσ = a√(n/12)と表現されることになります。

全国の市区町村等別面積の合計と全国の面積との差である+0.25 km2は、一応±2σの範囲に収まり(正確には+0.245~+0.255の範囲を考慮すると、1.936σ~2.015σとなりますが)、受験でおなじみの偏差値であらわすのなら、偏差値69.8に相当する(正確には偏差値69.36~70.15の範囲)ので、多少丸め誤差の蓄積が予想よりも多めですが、一応許容範囲ではあると思われます。

[87439]のモデル表で言えば、丸め誤差が全く生じない確率(±0.005以下)は3%に過ぎない。
しかしながら生じる丸め誤差で一番確率が高いのは、±0.01 km2で、約6%の確率。
±0.10 km2の誤差が生じる確率は約5%程度だが、±0.10 km2以内に誤差が収まる確率は58%。±0.10 km2よりも誤差が大きくなる可能性は42%。
±0.25 km2の誤差が生じる確率はわずか1%だが、±0.25km2よりも誤差が大きく出る確率も、まだ5%あるという感じです。

都道府県別の[87448]のデータを使って、それぞれの実際の丸め誤差を、標本数から予測される標準偏差で割り、ズレを計算してみると:

ズレ都道府数割合(%)正規分布から期待される割合(%)
±3σ以上00.00.3
±2~3σ714.94.3
±1~2σ1123.427.2
±1σ以内2961.768.3

2σから3σまでずれる県が7県と、若干多いようです。ただし±3σ以上ずれている県はありません。具体的には以下の7県です。

都道府県誤差m, km2標本数n予測される標準偏差σ, km2ズレ
群馬県+0.05350.0171+2.93σ
富山県+0.03150.0112+2.68σ
佐賀県+0.03200.0129+2.32σ
新潟県-0.04370.0176-2.28σ
沖縄県+0.04420.0187+2.14σ
鹿児島県-0.04450.0194-2.07σ
埼玉県+0.05720.0245+2.04σ

こうやって並べてみると、確かに群馬県の誤差は大きいと言えます。また二番目の富山県などは、市町村数がたった15なのに、+0.03 km2も誤差が出ています。これらはありえないほど大きい誤差が出ていると言うほどではないが、やはり何かしら恣意的な原因もあるという可能性も否定できませんし、これだけのデータだけでは何とも言えません。あるいは四捨五入の際に、切り捨てというプロセスが混入してしまっている可能性もあるかもしれません。

群馬県・埼玉県については、[87423]でhmt さんが、m2単位のデータがあったことを指摘されていますが、もしかしたら具体的にどの辺が四捨五入の処理で問題になっているのか、あるいは単なる偶然なのか指摘できるかもしれません。

【±3σ以上の正規分布における割合を0.3%に修正、その他文章の一部を修正】


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