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ekinenpyouさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[99914]2020年6月14日
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[99910]2020年6月13日
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[99907]2020年6月12日
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[99889]2020年6月8日
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[99886]2020年6月7日
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[99353]2020年4月6日
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[99332]2020年4月3日
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[99290]2020年3月23日
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[99285]2020年3月22日
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[99282]2020年3月21日
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[99279]2020年3月20日
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[99278]2020年3月20日
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[99260]2020年3月16日
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[99255]2020年3月15日
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[99237]2020年3月1日
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[99233]2020年2月28日
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[99220]2020年2月25日
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[99208]2020年2月23日
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[99179]2020年2月16日
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[99176]2020年2月15日
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[99174]2020年2月15日
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[99169]2020年2月13日
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[99166]2020年2月12日
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[99156]2020年2月10日
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[99152]2020年2月8日
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[99144]2020年2月1日
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[99129]2020年1月28日
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[99122]2020年1月27日
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[99106]2020年1月22日
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[99102]2020年1月21日
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[99914] 2020年 6月 14日(日)17:43:32ekinenpyou さん
Re:岩手県への表記統一など
拙稿[99907]の続きもかねて投稿します。

[99911]hmt さん
明治9年当時は 正式の「岩手縣」と慣用の「巌手縣」とが共に使われており、旧印鑑の欠損を機会に、慣用している「巌手縣」の印鑑も彫刻し、届出をしたのでしょうか?


(欠損前の印鑑がどのような印影だったかは定かではありませんが)おおむねその通りだと思います、
以下に公文録に残されたM9.10.9届出当時の原本を示します。
岩手県県印改刻届

当時は岩手県・国側双方で「岩」が「巖」である程度なら特に気にしなかったというのが実情でしょうか。

※法規分類大全の印影「岩手縣」は同書がM24年刊行であり、
「巖」を「岩」に置き換えた可能性があると推測しております。
(複数改刻届があって、その印影を模写するなどした可能性もありますが・・・)

なお、府藩県印の印影については色々と興味深いものがあり
例えばこちらに関連した投稿も後日行うかもしれません。

牛塚虎太郎


統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみPDF(4コマ左中ほど)に記載があります。

※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。(先述PDFには書かれていませんが、実際はかなりのページ数)
国勢調査実施ニ関スル意見書牛塚統計局長ヨリ提出ノ件

要望実現のための文書作成などに長けた方だったようで、
同氏が「巖手縣」をお気に入りだった場合「岩」が「巖」になっていたかもしれませんね・・・
[99910] 2020年 6月 13日(土)10:22:38ekinenpyou さん
地図上の「令和」
[99880]鳴子こけし さん
昨年5月の改元以降、『年号』コレクションに収録されている大津市の瀬田川令和大橋や、平成筑豊鉄道の令和コスタ行橋駅などが誕生し、「令和」の名が地図上に登場してきていますが


例えばこちら
とでも(無駄に?)小ネタを量産投稿しておくと、[99906]グリグリさんで触れた件が予想よりも早く実現???
[99907] 2020年 6月 12日(金)19:19:12ekinenpyou さん
Re:慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続など
[99890]hmt さん、[99894]MI さん
正解です、お二人に示していただいた文面ですが
恐らくT12.9.10付で国側へ照会し了解を得た文書が元になっていると思われます。
県名ノ文字ニ関シ岩手県知事ヨリ照会ノ件(2コマ)

その後官報での表記はT10.8.27(左下)→T15.6.11(左中ほど)のように変化した箇所も多いですが、
(国側で告示などは無く)周知が徹底されていたとは言い難い状況だった?のか

[35710]Issie さん
衆議院議員の選挙区(いわゆる中選挙区制)についての「別表第1」で,岩手県の第1区にしっかりと「巖手郡」という表記が行われています(「小六法・昭和58年版」による)。


官報(号外)S25.4.15(左上)のような表記も残ったようですね。(上記例は郡名ですが・・・)

(いとも容易に謎が解かれてしまったので)次投稿までのつなぎとしてもう1問用意しておきます。

【その1】法規分類大全
【その2】諸県県印彫刻・九条(9コマ)

上の資料二点にM9.10.9岩手県届けによる印鑑の印影が示されていますが、明らかに違いがあるのは
どなたでもおわかりいただけるかと思います、どちらが(岩手県より)届け出た印影画像に近いものでしょうか?
(できれば証拠を示していただければ最善ですが、次回投稿で示すので・・・ひとまず投稿終了とします)
[99889] 2020年 6月 8日(月)08:26:16ekinenpyou さん
Re:高知県長岡郡西本山村から本山村への改称など
[99887]MI さん
明治23年が幅を利かせてしまったようですが、改称日は 1891(M24).5.9 が正しいと判明しております。

その通りです、以前配布されていたファイル(ctv_total_pref.xlsx)に
18910509 +1村 -1村

とありましたのでご存知なのだと思いました、的確なフォローありがとうございます。

逓信公報(M24.8.27)82コマ(右上告知欄)・官報(M25.7.15)の記述からも
M23年実施は疑わしいことが確認できます。

思いのほか速やかな正解が示されましたので、1件追記しておきます。

射水市サイト内の射水市の名誉市民・牛塚虎太郎の詳細な功績を記したワードファイルに

岩手県知事時代には、県名を「巌手」から「岩手」に改め


という記載※がありますが、
このような変更手続は法的には行われていないという見解を多くの方がお持ちだと思います。
(高畑町→高畠町のように読みは同じで字が違うだけの変更ですが、何しろ県名という重要な名前なので
正式に変更となれば官報なり何らかで周知されるはず)

牛塚虎太郎 - Wikipediaにも同趣旨記載あり

過去ログでは

[35708]Issie さん
「巖」と「岩」とは“交換可能”な文字のペアーであったようで,特に明治期には県・郡ともに「巖手」という表記がよく見られます。

[50713]hmt さん
これらの名前は特別な変更手続なしに、「いつの間にか」現在の表記が定着するようになったようで、「巖手県」ではなく「岩手県」の形で現行法に引き継がれたと思います。


とありますが、この件が何故知事個人の功績として記されているかの詳細についてまでは
答えをうまく検索できなかったので、関連内容を後日投稿予定です。
(本件は既に詳細をご存知の方もいらっしゃると思うので、先行して示していただいても構いません)
[99886] 2020年 6月 7日(日)10:36:19ekinenpyou さん
官報に掲載された変遷履歴情報など
ひとまず、小ネタから・・・

[99831]hmt さん
NDL官報に基づく変遷情報
中略
変遷施行日はわかるが、必ずしも施行日付とは一致しない官報発行日を絞り込めない。


[99832]MI さんでも言及されていますが、全ての変遷履歴が官報に掲載されているわけではないので
使い勝手が良いものではないことは確かです。ただし(掲載されたものに関しては)当方や一部のメンバーの方々で
ほとんど発見&把握されているはずなので、関連投稿の際に「官報掲載箇所は未確認」とでも併記していただければ、
何らかレスが入るのではないかと思います。

【おまけ】官報の掲載箇所についてはだいたい施行日のあたりに掲載されていることが多いですが、
その日付に疑わしき点がある情報源を参照してしまうと捜索?困難になる場合があります、以下例

1890(M23).6.1 改称 長岡郡 本山村 長岡郡 西本山村
長岡郡 - Wikipediaも同じ

官報掲載は1年ほど後の1891(M24).5.13(左下の村名改称)
高知県処務提要. 上巻右上欄外も参照のこと
従って、どのように解釈すれば正しいのかは

結局は全国の都道府県立図書館や文書館巡りをすることとなってしまいました。

と仰っているMI さんが恐らくご存知かと思われますので省略・・・
[99353] 2020年 4月 6日(月)20:29:18ekinenpyou さん
東置賜郡高畠町
[99336]むっくん さん・[99341]MI さん・[99349]グリグリ さん

本件に関しての詳細はこちら63コマ(左ページ以降)参照のこと

1905(M38).1.13 改称 東置賜郡 高畠町 東置賜郡 高畑町


とありますが国側は通牒を出したM38.9.25改称許可(右ページ中央)とみなしているので、
この日付(あるいはそれ以降)とした方が(法的には※許可前に実施扱いにはできないはずなので)良いかもしれません。
(極めて特殊な事例であり山形県が改称として告示したかまでは未確認)

※詳細[86677]むっくん さんの
(C)市制町村制施行時(M22)~地方自治法施行以前(S22.5.2)
も参照のこと
[99332] 2020年 4月 3日(金)19:16:14ekinenpyou さん
Re:明治12年当時の北海道 北見国網走郡と釧路国網尻郡など
[99293]hmt さん
明治35年の北海道二級町村制で誕生した「網走町」を構成した旧町村の一つである「網走郡北見町」です。この町は、明治12年の公文録に記載されておらず、その実体が不詳でしたが、網走町の市街地部分でしょうか?


その通りと思われます、なお過去ログ検索では以下のようにありました。

[6060]グリグリ さん
現在の網走市の中心部を北見町としていましたが、網走町に取り込まれて字名も無くなったため、野付牛町が市制施行時に北見市を採用しました。この時、網走の住民から強い反対があったそうです。

[12313]三丁目 さん
網走市の古くからの集落は北見町と言い、現在、条・丁目が採用されている地区にあたります。


M35合併後は大字北見町となり大正末期に消滅
網走市歴史年表の大正時代北海道市町村行政区劃. 昭和17年10月1日現在も参照のこと

記載がなかった原因を推測すると、明治12年から35年の間に【例えば】網走村からの分割 or 分立により誕生していたのか? それとも、公文録の記載漏れか?


沿革類聚布令目録 : 沿革類聚. 明治23年編纂(国郡町村(附)大小区画)よりM14.11.15誕生と思われます。
開拓使事業報告. 附録 布令類聚上に布達本文あり
網走市歴史年表の明治時代北海道史. 管轄略譜・年表・統計表の記述も同じ

[99288]hmt さん
北海道における 郡区町村編制法の実際の施行日は、M12/7/28? との疑惑。


完全に疑惑を払拭できるかわかりませんが、M12.7.23布達により施行で変更は無かったと思われます、以下資料参照
記録材料・開拓使第五期報告書
北海道史. 管轄略譜・年表・統計表の記述も同じ

※開拓使時代の管轄変遷については開拓使事業報告. 第1編も参照のこと

[99289]YT さん
戦前の『広島県史』の記述と、公文録の記録からすると、広島県 甲第137号布達が出されたのは明治11年11月1日の可能性の方が高いと思います。


こちら(13コマ)でも布達本文までは記されておらず(確証が持てなかったので)疑問としておきましたが、
的確な調査回答を示していただきありがとうございました。
[99290] 2020年 3月 23日(月)19:16:08【1】ekinenpyou さん
Re4:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
引き続き、[99252]MI さん・[99259] むっくん さん関連
(上記引用文中「第貳拾貳號」とは明治13年5月5日太政官布告第22号のことで、各府県の郡分割などを示したもの。)


法令全書のリンクはこちらですが、
後に出版された府県及北海道境域沿革一覧では、この布告を以て(郡区町村編制法施行に伴う)
郡区の新設・分割・改称が行われたという説明が複数あります、これについては不適切とみて良いでしょう。

(一例)沿革図表(M13の箇所)・愛知県(名古屋区設置・設楽郡、加茂郡、春日井郡の分割が同時扱い)

【参考】例えば日本全国郡区分人口表(M12.1.1現在)(国刊行の戸籍統計・M13.3編纂)では
既に多くの府県で新しい郡区名になっている。(当然ながらM13.5.5布告以前から存在していた点明白)

※ただし長野県(M12.1.4郡区町村編制法施行)はM13.1.1現在(M14.3編纂)から、
愛知県はM13.2.5春日井郡分割(東春日井郡と西春日井郡)を同じくM13.1.1現在から反映している。

また、滋賀県はM13.5.29浅井郡の分割(東浅井郡と西浅井郡)がM13.1.1現在には反映されず
M14.1.1現在(M15.2編纂)から反映している。

同書で区名のそばに郡名も併記されているのは何故か?
新旧名対照という目的もあるかもしれませんが、恐らく以下のような理由からです。
東京府下区郡ノ改正ハ行政上ノ区域ニテ地理上ニ於テハ旧ノ郡界ヲ存ス

【おまけ】滋賀県浅井郡の分割についてなど(以下、最初の投稿内容で説明に不備・不足があったので若干修正あり)
[99252]MI さん(従来の浅井郡は2つ)
明治12年の時点では浅井郡が2つあったが郡役所の名称だけは東西を付けて区別していた。13年に郡名も東西を付けて文字通り別の郡となった、と判断することにしました。

[99259] むっくん さん(従来の浅井郡は1つ)
滋賀県 甲第61号布達 M13.5.29 浅井郡→東浅井郡、西浅井郡


上記の通りお二人の見解が少々分かれておりますが、資料によっても説が若干異なっており

東浅井郡志. 巻3(S2発行)の左ページでは
従来は便宜上郡名を東西に分称→M13.5.5太政官布告第22号により完全に分割
(ややMIさんの解釈と近い?ただし従来の浅井郡が2つとまでは明記していない)、
滋賀県沿革略誌(M23.9出版)の右ページ真ん中付近では
5.29浅井郡に東西の字をつけて2郡に分割 (むっくんさんの解釈とほぼ同じ?)という内容になっています。

※東浅井郡志では便宜上郡名を分称とあるが郡役所名に使用されたぐらいなので、比較的通称?として
浸透していたらしく、滋賀県管内浅井郡誌(M13.3)その1その2にも記載が見られる。
また現行滋賀県布令類纂の内容はごくまれに誤記や後に変更した内容に置き換わってしまっていることがあるので、
郡長任命時の記述(57コマ)も確認したところ、確かに「東浅井郡郡長」「伊香・西浅井郡長」とあった。

(M13.5.5太政官布告第22号で)国側が東浅井郡、西浅井郡と布告を出してしまった原因ですが、
前述(紛らわしい郡役所名を記した布達)のほか岐阜県の石津郡のように地理的な要因もあり、
(郡区町村編制法施行に伴い)分割されたと誤解されたのかもしれませんね、
参考として布告第22号が出た頃に国が作成したと思われる地図のリンクを示しておきます。

公文附属の図・一八〇号 大日本分国輿地全図(郡区編制全ノ図)
公文附属の図・一八一号 府県新設区ノ図

以上で関連投稿を一旦終えます。(他にも書けることがありますが、いつごろ投稿するかは検討中)
[99285] 2020年 3月 22日(日)10:37:15ekinenpyou さん
Re3:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
(大区小区制が廃止され)郡区町村編制法施行の布達が使府県より出されると、
ほぼ同時期に郡区長が置かれるという点はご存知の通りかと思いますが
当時の(郡区長)任命に関する記録(履歴)が多くの府県で残されており、いくつか実例を示します。

[99264]YT さん関連
熊本県(M12.1.20施行)(9コマ)・茨城県(M11.12.2施行)(199コマ)
新潟県(M12.4.28施行)(17コマ)・長野県(M12.1.4施行)(1および8コマ)

[99263][99270]白桃 さん関連
愛媛県(M11.12.16施行)(76コマ)・和歌山県(M12.1.20施行)(5コマ)

以上の通り、(おおむね)布達の日以降に任命を行っている事実が確認できますので
(郡区町村編制法)施行時期の実態を把握するという点で参考になるかもしれません・・・

【おまけ】[99259] むっくん さんで示された表について補足

高知県 甲第267号布達 M11.12.6 M12.1.1

上記の布達の後、甲第278号布達(M11.12.14)でM12.1より実施と示された。

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)
[99282] 2020年 3月 21日(土)10:44:40ekinenpyou さん
Re2:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
昨日の続きです。(つなげると1投稿が長くなるので別投稿に分割しました)

[99252]MI さん
大島郡だけは同年4月8日太政官布告第15号で
鹿兒島縣管轄大島喜界島徳ノ島沖永良部島與論島ヲ以テ大島郡ト爲シ大隅國ヘ被屬候條此旨布告候事
とありますので、これのみ4月8日としました。

[99259]むっくん さん
(大島郡) 太政官布告第15号 M12.4.8 M12.4.8


上記は当方も郡設置を以て郡区町村編制法施行とみなしているのですが、初代郡長はM12.7.1に任免されている
らしく、この日を(郡役所設置&行政区画としての大島郡発足)施行日としているケースもあるようです。

大島郡 (鹿児島県) - Wikipedia

【参考】
日本の国郡区域と新しい広域行政区画の展望 - J-Stage(6~8コマなど)
奄美大島史その1その2
[99279] 2020年 3月 20日(金)19:48:06ekinenpyou さん
Re:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
同日別投稿で失礼します、[99259]むっくん さん [99264] YT さんに補足
開拓使 乙第4号布達 M12.7.23 M12.7.23


リンク先のものは本文が大幅に省略されておりますので
こちら(2コマ)も参考になるかと思います。

熊本県 甲第5号布達 M12.1.20 M12.1.20


『新熊本市史』は、現在熊本市の主な境域となっている熊本区・飽田郡・詫摩郡分しか掲載しておりませんが


こちら(3コマ)に全文掲載されています。

新潟県 甲第42号布達 M12.4.28 M12.4.28


同日に甲第42号布達と甲第43号布達が出ており、郡区役所位置は分けて公布したようです。ただ最初に確認した『新潟県史 資料編15 近代三 政治編I』の方では「「県治報知」明治十二年」を典拠とする甲第43号しか収録されていなかったため、非常に混乱しました。困ったことに、『新潟県史 別冊1 年表・索引』の方では、以下のように謎のM12.4.9という数字が登場してしまいます。


甲第42号布達がM12.4.28であることが間違いないならばそちらが妥当と解釈します。
([99252]MI さんでも異論は示されなかった)

【参考】
新潟県郡区長ヘ委任条件并郡区名称区域表ノ件二条(9コマ)
南魚沼郡志その1その2

なお、新潟県のM12.4.9大区小区制廃止説については以下など色々拡散中のようですね・・・
新潟県年表を調べる明治11年~明治20年(PDF形式:385KB)
郡区町村編制法 - Wikipedia
[99278] 2020年 3月 20日(金)10:44:46ekinenpyou さん
Re:「茨城県民の日」の日付など
[99256]hmt さん
上記[55178]からのスレッド記事として、Issieさん [55181]、hmt [55199] があります。
古い日付の扱いに関して、参考になることもあると思うので、関心のある方はご一読いただければ幸いです。


本件ある程度目を通しました、以下コメントしておきます。

[55199]hmt さん
山川の便覧では、入間県だけが1日早くなっている


個人的には太政官布告594(M4.11.14)を根拠とみていますが、
M4.11.13説も色々と拡散しているらしく、例えば入間県 - Wikipediaでも
(明治4年太政官布告第594号と記載があるにも関わらず)そのようになっています。
(地方沿革略譜も同日でその影響を受けた???)

このズレが何故生じたかについて当方で推測している内容は以下の通りです。

1・M4.11.14前日付の太政官日誌(M4.11.13)で布告に先立って長官(県令など)が任命されている記述がある。
(法令全書には併記されない内容)

2・(廃藩置県より前、府藩県三治制当初の)法令には府県設置明記の記述が見あたらず、
(辞令の時点で設置とみなしている)ケースがある。

参考・2)最初の府県(Issieさんのサイト) より
「法令全書」が付した注のように,各府県を設置したことを明記する布告は見られない。したがって,「法令全書」では各府県知事の辞令をもって「府県の設置」としている。


以上より、地方沿革略譜で(入間県の執筆を担当した方に)前倒しで長官の任命されたM4.11.13が置県と
解釈(誤解?)された。ただしこの解釈は(法令として翌日付の太政官布告が存在していることもあり)異端であり、
埼玉県など多くは(布告通り)M4.11.14が置県と解釈された。(後年作成の法令全書でも注釈は入らず)

当時の府県の変遷(日付)には色々と面白いものがあり、書ききれなかったので日を改めて別途投稿予定です。
(過去ログと重複しないようにしたいとは思いますが、完璧には検索しきれない点もあるのでご容赦ください)
[99260] 2020年 3月 16日(月)18:49:07ekinenpyou さん
既存47都道府県の成立(設置)日について
簡単なものですが下記に示しておきます。(東京は府の成立日とした)
「地方沿革略譜」に記載のあるものは和暦の日付をクリックすると説明頁が表示されます。
(同書の詳細は[85015]hmtさん参照のこと)

道府県和暦西暦法令全書【おまけ】
北海道M19.1.2718860127布告118860126
青森県M4.11.218711213太政官布告56618760525
岩手県(※1)M4.11.218711213太政官布告56618760525
宮城県(※2)M4.11.218711213太政官布告56618760821
秋田県M4.11.218711213太政官布告56618711102
山形県M4.11.218711213太政官布告56618760821
福島県(※3)M4.11.218711213太政官布告56618760821
茨城県M4.11.1418711225太政官布告59418750507
栃木県M4.11.1418711225太政官布告59418760821
群馬県(※4)M6.6.1518730615太政官布告21418760821
埼玉県M4.11.1418711225太政官布告59418760821
千葉県M6.6.1518730615太政官布告21418750507
東京府※M4.11.1418711225太政官布告59418711114
神奈川県M4.11.1418711225太政官布告59418760418
新潟県M4.11.2018711231太政官布告60818760418
富山県M16.5.918830509太政官布告15同左
石川県(※5)M4.11.2018711231太政官布告60818760418
福井県M14.2.718810207太政官布告3同左
山梨県M4.11.2018711231太政官布告60818711120
長野県M4.11.2018711231太政官布告60818760821
岐阜県M4.11.2218720102太政官布告61418760821
静岡県M4.11.1518711226太政官布告60218760821
愛知県(※6)M4.11.2218720102太政官布告61418721127
三重県(※7)M4.11.2218720102太政官布告61418760418
滋賀県(※8)M4.11.2218720102太政官布告61418760821
京都府M4.11.2218720102太政官布告61418760821
大阪府M4.11.2018711231太政官布告60918711120
兵庫県M4.11.2018711231太政官布告60918760821
奈良県M20.11.1018871110勅令5918871104
和歌山県M4.11.2218720102太政官布告61418711122
鳥取県M14.9.1218810912太政官布告42同左
島根県M4.11.1518711226太政官布告60118760821
岡山県M4.11.1518711226太政官布告60118760418
広島県M4.11.1518711226太政官布告60118760418
山口県M4.11.1518711226太政官布告60118711115
徳島県M13.3.218800302太政官布告6同左
香川県M21.12.418881204勅令7918881203
愛媛県M6.2.2018730220太政官布告6018760821
高知県M4.11.1518711226太政官布告60018760821
福岡県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
佐賀県M16.5.918830509太政官布告15同左
長崎県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
熊本県(※9)M4.11.1418711225太政官布告59518760222
大分県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
宮崎県M16.5.918830509太政官布告15同左
鹿児島県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
沖縄県M12.4.418790404太政官布告14同左

※1)M5.1.8(18720216) 太政官布告1で盛岡県から改称
※2)M5.1.8(18720216) 太政官布告1で仙台県から改称
※3)M4.11.14(18711225) 太政官布告593で二本松県から改称
※4)M9.8.21(18760821) 太政官布告112で熊谷県から改称
※5)M5.2.2(18720310) 太政官布告31で金沢県から改称
※6)M5.4.2(18720508) 太政官布告108で名古屋県から改称
※7)M5.3.17(18720424) 太政官布告85で安濃津県から改称
※8)M5.1.19(18720227) 太政官布告14で大津県から改称
※9)M5.6.14(18720719) 太政官布告178で熊本県から(白川県へ)改称&
M9.2.22(18760222) 太政官布告19で白川県から改称

※地方沿革略譜ではM4.11.3(18711214)

(取り急ぎ)短時間作成のためミスなどがあると思いますがご容赦ください、本格的なものは
府県の変遷(Issieさんのサイト)などを参照のこと

【おまけ】[99241]MIさんで示されたリスト(ctv_total_pref)との対比も示しておきました。
(成立時をいつにするかの解釈の違いがありますので多くは一致しませんが・・・)
[99255] 2020年 3月 15日(日)10:27:36ekinenpyou さん
Re2: 郡区町村編制法による郡の制定
[99252]MI さん
チラ見ですが、下記に関連する日付のずれ?がまだ残っているようでした。

[99189]むっくん さん
公文式(M19.2.26)第十条では
凡そ法律命令は官報を以て布告し官報各府県庁到達日数の後七日を以て施行の期限と為す
とありますので、法律と勅令は裁可され、その後に官報に記載されて初めて公布されたことになります。


東蒲原郡の移管(M19.5.10裁可→5.12公布)

【おまけ】市制施行日・市の誕生日・市名誕生日というものはありますが、
既存47都道府県の誕生日も調べてみると結構面白いかも・・・(以下のような事例があったらしいので)

「茨城県民の日」は県誕生の日ではなかった!! 本当のお誕生日は明日11月14日!「1日ズレていた」ことに30年以上県も気付かず ロケットニュース24

【参考】M4.11.14太政官布告594(新暦では12.25)
(茨城)県民の日を定める条例
[99237] 2020年 3月 1日(日)10:00:28ekinenpyou さん
Re3: 北海道の郡など
[99235] MIさん
早速の解説ありがとうございます(北海道の郡増減基準が)理解できました、以上を踏まえますと

★の2郡はいずれも平成20年6月30日 条例78号で、
留萌支庁 天塩郡A 幌延町→宗谷総合振興局 天塩郡C 幌延町
胆振支庁 虻田郡A 洞爺湖町→胆振総合振興局 虻田郡C
★天塩郡Cは(520)幌延町で良いですが、★網走郡Bは(564)大空町と思われますがいかがでしょうか?

虻田郡洞爺湖町(01584)と勇払郡安平町(01585)、むかわ町(01586)のコードは本来の虻田郡(01571~01573)、勇払郡(01579~01583)の場所ではなく、胆振支庁の末尾に付加された形となってしまいました。


上記は(北海道に関しては郡ではなく支庁をひとまとめにしますので)コードの仕様です。

「全国地方公共団体コード」仕様より
6.2.5 北海道の区域内にある町村 : 301 から779 までの数字を、301~329、331~359、
……751~779 の29 ずつのグループに区分し、各支庁の所管区域にそれぞれのグループを割り当て、
各支庁の所管区域内の町村を、各グループの範囲内の連番号で表示する。


【おまけ疑問1件(ctv_total_pref.xlsx)】
[99157] MIさん
市制・町村制以前はカウントしておりませんので


とあるので、札幌区・函館区のカウントは市区町村変遷情報に倣い
明治32年(1899年) 10月1日 北海道 北海道区制施行 3区設置以降とすべきではないでしょうか?

01北海道
18971105 +19支 +88郡 +2區
18991001 -1支 +1區

18971105 +19支 +88郡
18991001 -1支 +3區
[99233] 2020年 2月 28日(金)18:50:54ekinenpyou さん
Re:北海道の郡など
[99223] MIさん
明治24年時点での史料


北海道の郡数については法令全書. 明治2年で示された数から増減を行って(=86+3-2+1)88郡としているはずです。

なお、都道府県の市区町村数(2019年(平成31年-令和元年))
[99217] MIさんで示されたファイル内容には下記の相違点があるようです。
(現在の郡数・区数は)以下の通りではないかと思われますがいかがでしょう?

・01北海道 78郡とあるが64(+5)=69郡ではないか?
(78郡をどのように数えているのか?複数支庁にまたがる郡を別々としても不足がある)

・14神奈川 29区とあるが28区ではないか?

他、ctv_total_pref.xlsxの日付毎というシートで"20191001"と入れると内訳がマイナス値になる
箇所があるようです。(この点は[99195]で公開されたものでは問題なし)

以上、ご確認をお願いいたします。
[99220] 2020年 2月 25日(火)19:16:46ekinenpyou さん
Re:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)など
予定外ですが取り急ぎコメントしておきます。

[99217]MIさん
更新ファイルを拝見しました、(想定外に)迅速な対応恐れ入ります、ありがとうございました。

伊豆七島などは所属する郡がないわけです。ところが郡が空欄のままですと記入漏れと区別がつかないので、便宜上ハイフン(-)を郡名の代用としております。そして更にはその郡の「成立日」も必要となる


上記内容もおおむね理解しました、一つ気になりましたが北海道の郡を1897(M30)1105以降から
計上対象としているのも独自の仕様ということでよろしいでしょうか?
【参考】大日本帝国内務省統計報告. 第7回(M24.12.31現在の北海道郡数は88)

[99218]グリグリさん
更新が必要な点については当方の認識と一致しています。
※以下は、今後都道府県別内訳も示す場合は必要

18930401 (+3郡 -3郡 +7町 -7町 +84村 -84村) 14神奈川→13東京

なお、[99217]MIさんで示された新しい都道府県別ファイル(ctv_total_pref.xlsx)では
東京の市町村計上から上記内容が欠落しているのを確認しておりますので

5 1922 8 17 +1市 -1市 北海道の4支庁の改称?


あたりも(改良に伴う)影響があったのかもしれません、当該箇所の内訳増減は無しで良いと思われます。

以上お手数ですが、お時間のある時に確認をお願いします>MIさん
[99195]で公開されたものも控えてあるので個人的には特に支障はないです)
[99208] 2020年 2月 23日(日)18:47:10ekinenpyou さん
Re4:北海道の市区町村数推移の照合(1922年8月17日まで)
[99195]MI さん
年月日(YYYYMMDD)を8桁の半角数字で入力すると、その当日における各都道府県の市区町村数および全国の市町村数を表示するようにしてみました。


上記新ファイル&優れた新機能?を拝見しました、(それを踏まえて1つ)お伺いしたいのですが・・・

現状では名称の改称、所属郡・支庁の変更、北海道の2→1級町村への変更など
市区町村数の内訳に変化が生じない場合もプラス・マイナス1として増減の列に含めて表示していますが、
これらを別計上として表示させることは(元データの作りの関係で)難しいのでしょうか?

一例を挙げますと、[99185]MI さんの
19090401 +1町 -1町 +28村 -8村


こちらを
19090401 +20村 (市区町村数の内訳変化を生じないものは)+1町 -1町 +8村 -8村

のような形で表示させるということになります、もし容易に実現できるならば
(市区町村変遷情報)で市制町村制施行時と施行時以降の履歴情報を別々にしているので

19090401 +1村 新規施行は+19村 (市区町村数の内訳変化を生じないものは)+1町 -1町 +8村 -8村

といった具合に表示できるようになると、一部拙稿[99174]の繰り返しになりますが

[99173]グリグリ さんの
改称や郡変更だけの変遷日については一覧からは除いたほうが良いのではと考えています。


複数の合併が重なってたまたまプラスマイナスゼロになるようなケース(例:1894.7.23の分立で+1村、新設で-1村)についても、市町村数の遷移という趣旨からは変化なしとして除くという考えもあるかもしれませんが、さすがにこのようなケースについては残したほうが良いと考えます。


といった条件にあうものを(データ利用者側で)容易に抽出できるため価値がより高まると思われます。

【おまけ】全国版(13東京)の19080201は増減の列に何も書かれていませんが、必要な行なのでしょうか?
このあたりを見る限りでは・・・(残りは後日コメント予定)
[99179] 2020年 2月 16日(日)15:59:55【2】ekinenpyou さん
Re:下蒲刈、宇島、多良見、小長井など
[99177]MIさん
度々の確認&解説お礼申し上げます。
※1下蒲刈島村・宇島市の改称2例は(正誤情報などが一切無ければ※2地元の見解が異なっていても)
法的には告示の文章通りかもしれません、実態として国調の廃置分合情報は告示内容をベースにしたものです。

【参考】(1)(PDF21コマ)・(2)(PDF16と17コマ)

※1)拙稿[99176]で34広島「19620101 +1町 -1村?」としたが「19620101 +1町 -1町 -1村」の誤り
(既に別投稿で引用されているので修正はせずこちらに記載)

※2)原因として都道府県公報で別途告示する場合がありますが(国の告示と)内容が異なっているのかもしれません
(告示内容の修正を希望したが国側にうまく伝わらなかったなどなど理由は色々考えられますが真相は???)

[99173]グリグリさん
当サイトの変遷情報と改称日などの日付が一致していないデータもあるため、MIさんのデータを元に今後確認させていただければと思います。


前述のような例において、市区町村変遷情報も揃えて変更するかどうかについては判断が難しいと思われます。
(この点は恐らくMIさんも類似の見解でしょう)
(下蒲刈島村・宇島市の改称2例は)どちらの日付でも数の推移に影響はないのでそのままでも良いですが、
影響を及ぼすケースもあり得ます(S27.9.1より前の古い年代のものになると判断が難しいものが多くなる)、
どのあたりまでの精査をご希望でしょう?
(その都度MIさんに説明をしてもらうのは負担が大きいと思われますので・・・)

【以下、追記】
【参考】当該年次に近い2つの県統計年鑑記述は下記の通りで国の告示と異なる
広島県統計年鑑(S37)、4市町村の変遷(382KB)(Excel文書)tone-b03.xls

下蒲刈島村 昭和37年1月1日 町制施行,名称変更

ファイル冒頭に以下注意書きあり(一部そのまま引用、原文の「不備もあるここと」→「不備もあることと」?)
 この表は,昭和29年4月までは県地方課の資料を基にし,それ以降は官報・県報告示を調査して極力現況に添うものを整備したが,なお不備もあるここと思われるので利用の上では留意されたい.


福岡県統計年鑑(S31)、本編その1(PDFファイル)2コマ

宇島市(昭和30年4月14日豊前市と名称変更)
[99176] 2020年 2月 15日(土)20:14:20ekinenpyou さん
Re:鯖江市、近江八幡市など
[99175]MIさん
鯖江市が「鯖」の漢字表記を改めた(というか統一した)というものでした。

承知しました、字体の細かい変更ですがH23の蓮田市のような例は告示されているので(廃置分合は)有効ですね。

[83614]むっくんさんで
市の新設・廃止を伴わない場合においても、市町村の廃置分合の法的根拠が総理府告示となったのは、この法改正が為された昭和27年9月1日以降と言えます。
とあるので、区切りのいいところまでもう少しだけ遡って出しておきます。(S27.9.1~44.12.31)

34広島
19611228 +1村 -1村
19620101 +1町 -1町 -1村

19620101 +1町 -1村?
【参考】こちら(PDF13コマ下方)

40福岡
19550413 +1市 -1市

19550414?
【参考】(1)(2)

42長崎
19651113 +1町 -1村

19651123?

19661001 +1町 -1村

19661101?
【参考】(1)(2)

※ここまでは市区町村変遷情報も当方と同一見解です
[99174] 2020年 2月 15日(土)15:04:57【1】ekinenpyou さん
Re:「全国の市区町村数の推移」リリース!など
[99173]グリグリさん
改称や郡変更だけの変遷日については一覧からは除いたほうが良いのではと考えています。
ということで理解しました、いきなりですみませんが
廃置分合等情報を探す 政府統計の総合窓口のS45.1.1以降などとの違いで気が付いた点から・・・

47沖縄
19720515 +10市 -10市 +5郡 -5郡 +6町 -6町 +38村 -38村

のような例も除外(削除対象)としても良いということですね?なお以下のような事例があるようなので
都道府県版の作成は(全国版と連動しているので)少し待ったほうが良いかもしれません

[99172]MIさん
18福井
19930401 +1市 -1市

というのが詳細不明で、
25滋賀
20100322 +1市 -1市 -1町

20100321【参考】H22面積調(77コマ)

ではないかと思いますが、いかがでしょうか?
(あま市の新設は3.22で良いので、全国版も3.21の行追加・分割が必要?)
[99169] 2020年 2月 13日(木)18:36:03ekinenpyou さん
Re2:全国および各都道府県の市町村数推移一覧表など
[99168]MIさん
お忙しいところ些細な指摘ですみません
(多分実作業を行うグリグリさんも同じような疑問を抱いていたと思うので一応確認しました)、
対応についてはごゆっくりどうぞ、なお数の推移を知りたい場合、例えばレファ協では
こちらのような回答を出しているようですが

[99157]MIさんで
当初は『市町村名変遷辞典』などを参考にしていましたが、現在では各県公報や官報など極力一次史料にあたり正確なデータの蒐集に努めています。


とあり、(示されるデータは)既存のものとは一線を画した有用なものになっていると確信しております。
参考情報(都道府県市区町村)にもある
つかんぼやと※市町村変遷パラパラ地図との違いにも要注目ですね。(完全版には市町村数増減併記)

※現状で完全版にない新潟・岐阜・岡山は全域でM22に市制・町村制を施行済みであり
拙稿[99156]で示した資料でもある程度数の推移を把握可能
[99166] 2020年 2月 12日(水)19:26:36ekinenpyou さん
Re:全国の市町村数推移一覧表など
[99157] MIさん
標題のデータを(少しだけ)拝見いたしました。
政府統計の総合窓口※市区町村数を調べるでも1970(S45).4.1以降は日ごとのデータを得られるので
(市区町村数はそちらと)同一のものと思っていたのですが1972(S47).5.15以降に沖縄県(本土復帰)、
1983(S58).4.1以降に北方領土6村(推定)が計上対象となっているので若干差異があることに気がつきました、
当方も類似データを構築してあるので参考にさせていただきます。

※市区町村数以外では、支庁(振興局)等・郡をどこまで数えるかが異なる

[99159] グリグリさん
ページ編集の過程でデータは加工することになると思いますが、市区町村の捉え方が当サイトの変遷情報とおそらく整合しているようですので、レイアウト編集が中心になると思います。


恐らく都道府県別の集計データで対応がなされるはずですが、市制・町村制施行時点からカウント対象とする場合は
18890301(+31町 +305村)・18890331(+1市 +40町 +335村)の2点を18890401へ移しそれ以前を削除して、
20161010(-1町 +1市)・20181001(-1町 +1市 -1郡)の2点を末尾に加えれば全国の分は完成するでしょうか・・・
(細かい点はデータができてから必要に応じてコメントしたいと思います)

いずれにしても無理のないペースで作業を行っていただければと・・・
[99156] 2020年 2月 10日(月)20:43:18ekinenpyou さん
Re:全国の市町村数など
[99155]hmt さん

1-12表 都道府県別市区町村数(エクセル:65KB)

そちらのエクセルですが原資料名「国勢調査」とあるので、恐らく下のデータと同じだと思われます、
国勢調査最終報告書にH22まで付属しているのを確認しています。(H27未見)
【参考】3 都道府県の市区町村の推移(大正9年~平成17年)(エクセル:88KB)

過去に遡って「町村制施行以来の全国市町村数の経年データを求める」

以下の資料類が現存しております。(2系統に分けてご紹介します)

※1【内務省統計報告、記録材料・功程報告・内務省】M21.12.31(2コマ)・M22.12.31(3コマ)・M23.12.31

上記でM21.12.31の町数は12,316、村数は58,998とあり合計は71,314で、
総務省サイトの市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴にある
明治21年 - (71,314) 71,314

と一致します、なお
明治22年 39 (15,820) 15,859

とは一致しませんが、内務省統計報告(第7回)の右側にM22.12.31現在の市町村数がありそれと同じです。
したがって内務省統計報告の第5回に道府県別内訳が記されているかもしれませんが、
同書の第3~6回は未見のため記録材料・功程報告・内務省で代用しました。

※2【日本帝国統計年鑑】M21.12.31M22.12.31(その1)(その2)M23.12.31

双方の資料群は若干異なる箇所があり、※1はM22~29まで町村別内訳が無く※2はM22~29まで沖縄県の区村数が記載されておりません、またおおむね道府県別の市(区)町村数内訳は一致しておりますがしばらくの間完全には一致せず、T4.12.31現在で初めて(市区町村数内訳まで)一致します。

【参考】
大日本帝国内務省統計報告. 第31回
日本帝国統計年鑑. 第三十五

【以下、謎々が得意な方向け?おまけ】
戦前の国勢調査報告(S10)において全国市町村数が国勢調査最終報告書(H22)と完全に一致しないのは
なぜでしょうか???(複数箇所で異なるので資料の誤植ではありません)

1920(T9) 12,244 → 12,244(ここだけ同じ)
1925(T14)12,018 → 12,019(以降、国勢調査報告S10では+1)
1930(S5) 11,864 → 11,865(+1)
1935(S10)11,545 → 11,546(+1)
[99152] 2020年 2月 8日(土)20:18:05ekinenpyou さん
Re:「都道府県の人口」サブメニュー独立など
[99147]グリグリさん

出典に使われている総務省統計局の統計データ(日本の長期統計系列)なのですが今年に入り削除されたようですね・・・
詳しくはこちら

【おまけ豆知識?】
[99130] YTさんで「1944.2.22銃後人口」と強調されているのでご存知の方も多いと思いますが、
1940(S15).10.1国調の人口73,114,308人は(他の国調とは異なり)銃後人口ではありません(以下PDFより一部引用)

昭和15年の調査では,軍人・軍属等についてはそれらが海外にいるか否かを問わず,全てその家族などのいる応召前の住所で調査した。したがって,これらの軍人・軍属等を含めた「全人口」及びそれらを除外した「銃後人口」が集計されているが,本書には全人口を掲載した。


例えば※日本の長期統計系列(第2章人口・世帯)の2-5都道府県,男女別人口などでは
全国人口を71,933,000人としており、エクセルファイル末尾に下記の通り解説があります

国勢調査の「全人口」73,114,308人(男36,566,010, 女36,548,298)から,外地にいた軍人・軍属等の推計数1,181,321人(男1,178,660, 女2,661)を差し引いて 得た補正人口。


【参考】
昭和15年国勢調査昭和15年国勢調査の概要,調査の範囲及び用語の解説(PDF5コマ)

昭和15年国勢調査人口 全国,道府県
(こちらは軍人・軍属等1,694,428人の全数を差し引いて銃後人口を71,419,880人としている、
前述エクセルで外地にいたと推定される1,181,321人を差し引いているのとは異なるので注意)

※2-7都道府県・市部・郡部別人口,人口密度,人口集中地区人口及び面積では73,114,308人を
採用しておりますので特にサイトコンテンツの修正は不要です。
[99144] 2020年 2月 1日(土)20:05:33ekinenpyou さん
Re:国勢調査報告書の情報の劣化?など
[99130] YTさん
「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」に記入されている平成22年10月2日以降の異動は以下の相模原市~町田市のみです。


お忙しい中お手数おかけしました、人口異動を伴う境界変更一覧に関する報告ありがとうございます。
現状は当該国調における(前回国調の)組替人口と確定人口に相違があった場合に(人口異動が生じた旨の)
都道府県告示を探すという方法で対応しておりますが、今後も継続するということになりそうです。
(政令指定都市の区内のみの人口異動や、差引異動人口がゼロとなる場合など完璧に把握できるか不確実な要素あり)

【以下、過去ログと重複する箇所も多いと思うので、蛇足?】
(人口異動が生じた旨の)告示内容については[81944][81945] むっくんさんにて詳細な解説がなされておりますが、
(戦前から戦後間もなくの)国勢調査報告では境界変更を含めた廃置分合情報(T8.1.1以降)および過去国調の組替人口が一部年次で示されているものの、具体的な人口異動の内容詳細については戦後の※S25国勢調査報告(都道府県別冊子)以降に継続して掲載されるようになったので、(人口異動が生じた旨の)都道府県告示が存在しているが国調の組替人口などへの反映自体が漏れているケースも若干あるように思われます。(特にT9.10.2~S25.10.1までの期間)

※恐らく全国分はダウンロード可能な形では提供されていませんが、一部抜粋したと思われるものとして三重県統計書が閲覧できます。(各回国勢調査人口(市町村別)もありますが、S10国勢調査報告の市町村別人口などと異なり組替人口ではないので注意)

また、国勢調査が始まる前は人口異動を伴う境界変更一覧を示した国作成の資料は恐らく存在しておらず、
廃置分合情報を記した郡市町村廃置分合表という資料(M31.12.31以降)のみ刊行されていましたが、
境界変更に関する記載内容は少々頼りない(誤解を招きやすい?)箇所もあります。

例えばT5.4.1の尼崎市設置では尼崎町(原文)が単独で市となったように記されていますが、
内務省告示第15号(左上中ほど)では立花村の2大字も区域に含まれます。

市区町村変遷情報では前述のような例は当然正しく表記されておりますが、
(郡市町村廃置分合表でほぼ掲載対象外となっている)合併などを伴わない単なる境界変更については
(市区町村変遷情報で)掲載対象としている基準

細かい事例を含めると膨大な数になるため、概ね大字単位のものおよび実質的に「分割」に相当するものだけを独自の判断で選択し掲載している


とありますので、こちらのような村の一部を編入したケース(M37.12.14/M41.10.1など)はある程度まとまった人口異動を伴っていても(市区町村変遷履歴情報の)掲載内容には含まれない場合もあり得るので、(関心のある方は)各人で把握してまとめておくと良いでしょうか・・・
[99129] 2020年 1月 28日(火)19:39:45ekinenpyou さん
可住地面積など
[99116]グリグリさんで都道府県別のデータを更新していただきましたが少々補足

こちらで各種データを抽出&ダウンロードできますので、下記のような市区町村別のデータも簡単にわかります。
(1km2=100ha=1,000,000m2で換算)

【1】茨城県高萩市(2015国調人口29,638)に対応する可住地面積は37.39km2で面積1km2当たり人口密度は792.7
また1985国調人口33,968に対応する可住地面積は35.76km2で同上人口密度は949.9

【2】沖縄県嘉手納町の総面積(2014年度)は15.12km2(うち可住地12.50km2/主要湖沼0km2/林野2.62km2)で
※評価総地積(課税対象土地)は10.65km2(うち宅地1.10km2)

評価総地積の地目についてはこちらを参考(地目の宅地とはいわゆる住宅地だけではないので注意)

データによって提供年度や作成内容・方法に違いがあるようですので詳細を知りたい場合は
基礎データ項目定義より項目定義指標計算式および、
整備している項目の基礎データ項目一覧(エクセル形式)をご確認ください。

【少し長めのおまけ】
拙稿[99102]の補足としてS22.11末→24.1末→25.12国調における那覇周辺の市町村別人口も示しておきます。
(S24.1末人口の出典は対米国民政府往復文書 1949年 受領文書の93コマ
Vital Statistics in January 1949 1949/03/18)

首里 17,864 → 17,843 → 20,014
真和志 12,840 → 14,796 → 30,935
那覇 13,593 → 22,045 → 44,790
みなと 7,086 → 8,653 → 那覇
小禄 11,913 → 12,175 → 12,923

那覇(みなと)・真和志の人口急増は同時期ではなく若干タイムラグがあったらしい、
今昔マップで見ればその理由が何となく推測できるでしょうか・・・
[99122] 2020年 1月 27日(月)19:05:29ekinenpyou さん
戦中・戦後の東京都(府)区部の人口についてなど
[85612] YT さん
昭和19年2月22日に日本の内地では、配給制度への備えを目的として銃後人口の人口調査を実施しました。その時の市町村別人口の詳細は戦後に『昭和19年人口調査 集計結果摘要』(1977年)として出版されておりますが、[82202]に示したように、東京都の人口に関しては、1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまっております。

[98110] YT さん
1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』において、東京都に関しては1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまった原因は、おそらく「昭和19年人口調査結果原表」に通し番号が振られた時期(1949年出版の『昭和15年國勢調査昭和19,20,21年人口調査結果報告摘要』のために整理されたと思われる)から、1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』のために「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化した時期までの約30年弱の間に、職員の誰かが東京都の部分の表3頁を抜き去ったまま、返さなかったことが原因と考えられます。


上記の詳しい経緯はわかりかねますが、S19.2人口調査における東京35区人口を記した資料は現存しています。
【こちら】
(付帯S16,17,18人口についてはこちらに算出方法など記載あり)

結論から申し上げますと、[85700][85612] YT さんで示された表でほとんど正解なので、
少々修正すれば区部合計はぴったり6,558,162人になるはずです、ご確認ください。

品川区+荏原区→品川区に関しては『昭和19年人口調査 集計結果摘要』よりも1人多く


6,558,162(-1)人になった原因は恐らくこちらの表に(当時としては大変?)お年を召された方が1人いらっしゃり、
カウント対象外になったからなどと推測してみますが真偽のほどは???

【そろそろ次回の国調なので?おまけ】
[90077][90092] グリグリさんで作成していただいた人口異動を伴う境界変更一覧ですが、
2010(H22)国調まで市区町村の境界変更一覧という形(PDF)で存在を確認しておりますが、
2015(H27)国調では見あたりません。

CD収録一覧の6コマ(参考)に
10 都道府県間境界変更一覧
11 市区町村合併情報
とあってそのあたりに記載があるのかもしれませんが、統計表(CD収録)には含まれていないようなので、
冊子媒体付属のCDを確認しなければならないのでしょうか???
[99106] 2020年 1月 22日(水)19:39:46ekinenpyou さん
Re:「動物名の入った市区町村」リニューアル
明治の町村制以前の町村名は除外という点は理解しているのでログに残すか迷いましたが・・・

[99097] グリグリさん
T7.2.1に既に北海道一級町村制が施行されていた室蘭郡室蘭町と合併した千舞鼈村は恐らく
爬虫類に該当はしませんね・・・

参考
市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧【北海道】
漢字辞典オンライン【鼈】
[99102] 2020年 1月 21日(火)19:05:31ekinenpyou さん
1947(S22)年の沖縄群島(本島)地方における市町村別人口について
表題の件、連日の投稿で恐縮ですが(以前投稿を予定していたものなので)別にしておきます。

[84957] hmt さん
仮に 1947年10月又は12月に国勢調査[40016]が実施されたとしても、みなと村の地域は含まれないことになりそうです。
しかし、みなと村分立(1947年5月)前の真和志村は、人口3万人以上の村であった可能性が大きいように思います。


沖縄県公文書館の所蔵資料に当時の市町村別人口調査結果がいくつか記載されていることを
確認しておりますので下記にリンクを示しておきます。

沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 5-3 1947年
240コマ 警察署管内人口調査表 1947/9/10
(S22.6.30現在とあり、246コマに警察署名称管轄地域も別途記載)
272コマ 1947年7月分人口動態報告 1947/9/27
(S22.6末および7末の市町村別人口、警察署調査のものと少々差異あり)

沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 5-4 1948年
86コマ 12月分人口動態調べ 1948/2/12
(S22.11末および12末の市町村別人口)

[84953] 白桃 さん
沖縄については、1947年の国勢調査に相等する人口調査はなく、1950年については「琉球列島軍政本部」に、1955、60、65、70年については「琉球政府」によって行われた人口調査の数値です。(従って、特に1950年に3万人以上を記録した具志川、真和志の1947年時の人口がどれぐらいであったか知りたいものである。)


国勢調査ではありませんのであくまで参考ですが前述S22.7末と11末のデータをいくつか並べると下記の通りです。

具志川 32,789 → 33,304

首里 17,908 → 17,864
真和志 12,458 → 12,840
那覇 11,919 → 13,593
みなと 7,283 → 7,086
小禄 11,314 → 11,913

※S25.8那覇へ合併
みなと村を除く周辺地域の那覇市への合併沿革はこちら


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