都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
ニジェガロージェッツさんの記事が30件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[87158]2015年1月18日
ニジェガロージェッツ
[86682]2014年11月17日
ニジェガロージェッツ
[86454]2014年10月13日
ニジェガロージェッツ
[85092]2014年2月12日
ニジェガロージェッツ
[84150]2013年9月28日
ニジェガロージェッツ
[84143]2013年9月26日
ニジェガロージェッツ
[83134]2013年4月18日
ニジェガロージェッツ
[83131]2013年4月18日
ニジェガロージェッツ
[82423]2013年1月3日
ニジェガロージェッツ
[82407]2012年12月31日
ニジェガロージェッツ
[82373]2012年12月24日
ニジェガロージェッツ
[82355]2012年12月20日
ニジェガロージェッツ
[82354]2012年12月20日
ニジェガロージェッツ
[82347]2012年12月18日
ニジェガロージェッツ
[82341]2012年12月18日
ニジェガロージェッツ
[80539]2012年4月19日
ニジェガロージェッツ
[78633]2011年6月26日
ニジェガロージェッツ
[78531]2011年6月11日
ニジェガロージェッツ
[78518]2011年6月8日
ニジェガロージェッツ
[78515]2011年6月8日
ニジェガロージェッツ
[78329]2011年5月16日
ニジェガロージェッツ
[77805]2011年3月17日
ニジェガロージェッツ
[77803]2011年3月16日
ニジェガロージェッツ
[77647]2011年2月13日
ニジェガロージェッツ
[76924]2010年11月28日
ニジェガロージェッツ
[76915]2010年11月28日
ニジェガロージェッツ
[76898]2010年11月27日
ニジェガロージェッツ
[76842]2010年11月21日
ニジェガロージェッツ
[76793]2010年11月15日
ニジェガロージェッツ
[76277]2010年10月1日
ニジェガロージェッツ

[87158] 2015年 1月 18日(日)02:15:10ニジェガロージェッツ さん
文化
日付が変わりましたが、小生の自宅を全壊させ、店と仕事場を全焼させたあの忌まわしい記憶から、早くも20年の1・17を迎えました。神戸市のサイトには、昨12月より阪神・淡路大震災「1.17の記憶」と題して、震災当時の写真画像をオープンデータとして公開しています。小生の住む長田区だけでも264件もの画像が出てくる膨大なものです。
それよりも目が釘付けになったのが、関連サイトとしてリンクの張ってある震災写真アーカイブマップです。このサイトでは、長田区の新長田駅の南北と、その西に隣接する鷹取東、野田北部の、震災前後の町並みと現在の街並みが閲覧できるもので、20年、あるいは20数年前の失われた新長田界隈が鮮明に蘇ってきます。
しかしながら、雑な言い方をしてしまえば、今も昔も新長田は新長田なもので、そこに暮らしている者としては、どちらも「我が街」に違いはなく、同じ空気が流れているようにさえ感じていました。もちろん、その変貌振りは事実として認識していても、改めて当時の街並みに接してみると、あまりもの違いに驚愕します。建物が違うのは当然ですが、まず道路が違う。同じ道路が昔はこんなにも道幅が狭かったのかと気づかされます。

さて、新長田界隈は大規模な再開発事業が展開されて街並みは一新されましたが、震災では長田区全体が焼け野原になったわけでも、全滅したわけでもありません。区の北部の丸山地区や中部の高取山周辺、東部の名倉、長田天神町界隈などは、震災が原因かと推測される空き地こそちらほら目にしますが、比較的震災前の街並みが残っているところです。
震災関連の報道ではあまり取り上げられませんが、長田区を隅々歩いていると、むしろこういった以前の街並みが残っている地域が、復興の影で衰退の一途を辿っているのではと強く感じます。

表題の「文化」という言葉、語頭にアクセントを置いて「ぶンカ」と読めば「カルチャー」の意味ですが、関西方言で「ブんカ」と読めば全く意味が違ってきます。これは「文化住宅」を意味しますが、[54539] Issieさんのおっしゃる関東など標準語でのモダンな文化住宅とも違って、当地では木造2階建てで4~10世帯程度が入居できるアパートのことを言い、その多くが昭和30年代から45年ぐらいまでの高度経済成長時代に建てられたものです。何が文化なのか良く分かりませんが、それまでの長屋などの集合住宅には浴室がなく、小さいながらも風呂場があるのが「文化的」だろうと言ったという説、などを聞きます。

その当時の神戸市では重工業が盛んな都市として人口は増加の一途を辿っており、一方で須磨区北部や現在の西区(当時は垂水区西神地区)のニュータウン群は開発前のことで、増加する神戸市人口の受け皿として、長田区では既存市街地の新長田界隈からは距離のある、高取山周辺の山麓部や丸山や名倉など北部の、坂道の多い丘陵地帯が所狭しと開発され、文化住宅も数多く建てられました。震災前にはこれらの文化住宅でも空き家となっているのは少なかったように記憶しています。
しかし、今では多くの文化住宅がまるで廃墟の如くになっています。神戸市を覆う不況もあるでしょうが、震災からの復興過程で新長田駅周辺などの便利なところに大規模な再開発があり、一方で郊外の西区などには広い一戸建て住宅の多いニュータウン群が出来、文化住宅の需要が急減したのでしょう。坂道の多さ、交通アクセスの見劣りなども不利に働いていることでしょう。とはいえ、解体するのも多額の経費かかり、更地にした後の土地利用などのことで、潰すに潰せないと放置しているのが現状でしょうか。
長田区の空き家率は18%を超え、市内9区の中では最も高くなっているようです。(神戸の住宅
特に文化住宅での空き家の問題、復興の影となった神戸特有の問題なのか、全国的な問題なのかは分かりません。
時代遅れの文化住宅など、確かに見劣りはするでしょうが、ライフスタイルに合わせれば、家賃も安く、魅力があるとも聞きます。これらの空き家を活用していくのか、それとも空き家のまま社会問題化してしまうのか、本格的に人口減少時代を迎えた神戸市、特に兵庫区以西の各区で非常に気になるところです。
[86682] 2014年 11月 17日(月)00:12:41【3】ニジェガロージェッツ さん
湊川隧道
地元ネタにて恐縮です。
土木の日(11月18日)を記念し、その直近の日曜日である昨日は、湊川隧道が10時から15時まで特別に一般公開され、ここを通り抜けることができ、去年につづいて今年も行ってきました。あまりにもローカルな話題にて、まず「湊川隧道とは何ぞや?」からご説明しなければならないでしょうか。詳しくは湊川隧道保存友の会のサイトや、兵庫県の関連ページをご覧ください、と言ってしまえば身も蓋もないので、ここでは明治30年代の神戸の街との湊川との関係を主に述べてみます。

湊川といえば、楠木正成が大往生を遂げた古戦場(湊川の合戦)としても有名で、兵庫の市街地を流れ、明治期にはその西側を湊西区、東側を湊東区として兵庫の市街地を二分していました。しかし、20世紀以降の神戸には「湊川」という河川はもはや存在せず、現在流れているのは「新湊川」と呼ばれています。
日清日露の両戦間期の神戸市に於いては、急速な市街地の発展が見られ、神戸区、湊東区はすでに発展の余地はなく、早々に狭い市内は飽和状態となることは明白でした。明治29(1896)年には西隣の湊村4か村全村(平野、石井、烏原、夢野)、林田村8か村全村(今和田新田、吉田新田、御崎、東尻池、西尻池、長田、駒ヶ林、野田)、須磨村10か村のうち1村(池田)を編入し、旧市内の4区会(葺合区、神戸区、湊東区、湊西区)に湊区、林田区を加えて6区会が設けられました。
この新市域を加えた神戸市では、湊西区出在家町の新川運河より林田区東尻池村の浜辺に至る兵庫運河の開削(明治32年完成)以外に、「3大土木工事」と呼ばれるプロジェクトが行われ、東から葺合区葺合町の山間部に五本松堰堤を築堤し布引貯水池の建設(明治33年完成)、湊区烏原村に立ヶ畑堰堤を築堤し烏原貯水池の建設(明治38年完成)、そして湊西区兵庫港地方から林田区長田村に至る湊川の付け替え工事(明治34年竣工)で、いずれも水利工事でした。

従来の湊川は湊区湊川町1丁目と湊西区東山町1丁目(湊川町、東山町ともに当時はなく大正期に起立した町名で、正しくは湊区石井村、湊西区兵庫港地方と書くべきですが、現況と照らしてわかりやすいので、ご容赦のほど)に架かる洗心橋より下流は、今の東山商店街、から新開地本通り,川崎本通りを流れ神戸港に注いでおり、当時の神戸市都心部を貫き、今ある湊川公園があたかも橋上公園に見える(下を通る道路は歴とした「湊川トンネル」)ことからも分かるように、天井川を形成し大雨の度に洪水を引き起こす暴れ川で、市街地への被害だけでなく、この土砂の流入による神戸港の埋没が問題視されていました。
多くの河川がそうであるように、上流より運ばれる土砂は河口沖合いへ堆積され、海岸線は沖へ突き出た形になります。湊川河口も兵庫津の沖合いへと成長し、江戸時代初期には「川崎町」の町名が付けられています。その後はさらに東に突き出し、河口右岸は兵庫津の出町となり、こちらは「東出町」「西出町」、左岸は「東川崎町」と名づけられました。いずれも江戸時代に出現した町名で、現在に至っています。
明治のはじめには河口の東出町や東川崎町にアメリカ人が製鉄所を建造したり、加賀藩が造船所を造ったりしたものの後に官営の兵庫造船所となり、それを薩摩出身の川崎正蔵氏が明治19年に払い下げを受けて開業したのが川崎造船所です。地名の湊川川崎と創業者の川崎姓が偶然の一致を見たものです。
新開地本通りに続く現在の国道2号線以南の旧湊川跡地は「川崎本通り」と呼ばれていますが、こちらは川崎重工業正門に向かう道であることから、東川崎町からの地名由来というよりも、企業名のにおいがプンプンします。
なお、河口の湊川川崎は明治時代の地図上では「湊岬」と表記されています。

さて、付け替えられることになった湊川は洗心橋からは西へ向かい、林田区長田村を流れる苅藻川に合流させるのですが、途中に標高85mの会下山が立ちはだかります。同じく明治4年に付け替えとなり、紀州人の加納宗七が請け負った新生田川の付け替え工事(旧生田川は現在の加納町)では、葺合村の開削工事でことが足りましたが、時を経ること30年の土木技術の進歩もあり、会下山にトンネルを打ち抜くことになりました。これが湊川隧道です。しかし、それでも人力掘りにレンガ積みですから、相当な難工事であったことは想像に難くありません。全長600mにおよぶ湊川隧道は、当時では河川トンネルとしては世界最大規模のものだったそうで、明治中期の土木技術を窺い知る、貴重な歴史土木遺産です。

一方、付け替えられて新たに市街地「新開地」と命名された旧湊川については、洗心橋から下流へは金比羅橋(現在の湊川公園辺り)、新橋(現在の新開地駅辺り)、湊橋(湊町1丁目辺り)、土橋(東出郵便局辺りか?)の4つの橋が架かり、総じて天井川で、湊橋の少し下流を通った山陽本線(現在のJR線)の線路も川底をトンネルで抜いて敷かれていました。
現在の新開地商店街を歩くと、神戸高速新開地駅を出て北側(新開地1・2丁目)は結構勾配のある坂道となり湊川公園に至ります。この勾配は、この坂道を境に、下流の土手は兵庫神戸の市街地と同じレベルにまで削剥し平坦にしたことを物語っています。

最後に話は湊川隧道に戻りますが、この隧道は永らく「会下山トンネル」または「会下山隧道」と呼ばれており、地図にもそのように表記されていました。角川書店昭和63年発刊の「兵庫県地名大辞典」にも「会下山トンネル」の項目で出ています。
しかし、平成7年の大震災に隧道が被災した際、その修復工事で構内より「湊川隧道」と書かれた建設当時の銘板が発見されたことにより、現在ではこれが正式名称として認められることとなりました。「会下山・・」としたのは、前出の湊川公園の下を走る道路を「湊川トンネル」と呼ぶことから、これとの混同を避けたのかと推測します。
平成12年12月には、北側に新たに倍の断面積をもつ「新湊川トンネル」が竣工、通水し、明治時代から100年に渡って流れた湊川隧道は河川トンネルとしての役目を終えることとなりました。

【2】川崎本通りに関する記述を追加
【3】訂正(誤)夢野村→(正)石井村 湊川町1丁目の明治時代の大字名
[86454] 2014年 10月 13日(月)14:11:32ニジェガロージェッツ さん
パナフィジン島
[85818] グリグリさん
地図の作成お疲れ様です。7月13日についに47都道府県が出揃ったこと、大変遅くなりましたが謹んでお祝い申し上げます。
小生もいつも楽しく拝見させていただいております。

さて、[85731] にてリリースのご案内のあった東京都の地図のうち、鳥島が小笠原村の所管になっています。確かに、小笠原村の母島列島の妹島に付随する小島で「鳥島」という島は存在しますが、地図に描かれている鳥島は、形状と大きさから、これはどの町村にも属していない東京都直轄で八丈支庁が管理する鳥島のことでしょう。この鳥島に合わせてベヨネース列岩、須美寿島、孀婦岩の四島については、hmtさん[22460]の「南方四島」問題にて
これら「南方四島」につき、青ヶ島を飛び越えたかたちで八丈町が領有権を主張し、青ヶ島村が強く反発した結果、わが国で唯一どこの市町村にも帰属しない地域として東京都八丈支庁が管理している。
と記述があります。また他の「鳥島」と区別するためか「八丈鳥島」とも「伊豆鳥島」とも呼ばれているらしいです。明治期には島のアホウドリ捕獲のため、移住者があったものの、1902(明治35)年8月の大噴火で住民125人全員死亡(気象庁)という、恐ろしい火山災害がありました。

#鳥島の件、地図のリリース直後から気になっていたのですが、すぐに誰か常連さんからのご指摘があるだろうと推察し、発言は控えていたのですが、記事検索したところ無さそうなので、時期を逸してしまいましたがご報告まで。既にご指摘があったのであればご容赦のほど。

ところで、何気なくソ連製の日本地図を眺めていると、パナフィジン島(остров Панафидина)と書かれていました。すぐ横にトリシマ(Торисима)と括弧書きで注釈がありましたから、件の八丈支庁鳥島のことです。
気になって調べてみても詳細なものはなく、ただロシア語版のウィキペディアでは「パナフィジン島」で出ていました。ロシア帝国の海軍士官で欧露部トヴェリ県出身のパナフィジン・ザーハル・イヴァノヴィチ(1786~1830)という人物が1819~20年にヴォロジノ号にて地球一周に出た際に、日本南方の太平洋上に島を発見し、これを「三丘島(остров Трех Холмов)」と名づけ、その後、クルーゼンシュテルン海軍大将により「パナフィジン島」と改称したようです。

日本領土で他国に日本名以外で呼ばれている地名、結構あるのかな?
[85092] 2014年 2月 12日(水)09:05:54ニジェガロージェッツ さん
США[スシャー]
久しぶりに落書き帳を閲覧しています。なんだか懐かしい気分です。
出勤前の取り急ぎ指摘のみにて失礼いたします。

[85076]hmtさん
アメリカ合衆国は、United States of America の翻訳で、S に相当する С の部に入っています。

この一文を見ると States の S かと誤解を与えるので、補足しておきます。
アメリカ合衆国はロシア語で
Соединённые Штаты Америки [サイヂニョーンヌィェ シタートゥイ アメーリキ]と言い、
一般には США と略されています。
つまり、S(ロシア語で С)に相当するのは United です。
なお、語順も英文そのままなのですが、ロシア語で Америка[アメーリカ]が、「アメーリキ」に変化しているのは、英文of 「~の」と同じで格変化(生格)しているからです。
[84150] 2013年 9月 28日(土)00:23:38ニジェガロージェッツ さん
早速の修復作業ありがとうございました
[84146] グリグリさん
『区』以外にも同様の不具合があったとのことで、膨大な作業であったと推測します。いつもながらのサイト管理作業へのご尽力、頭が下がります。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
[84143] 2013年 9月 26日(木)20:26:55ニジェガロージェッツ さん
「区」が壊れている
[84108]グリグリ さん
Mapionの地図リンク変換作業お疲れ様です。拙『区』コレクションの地図リンクまで更新していただき、有難うございます。

ところで、この『区』コレクションですが、久しぶりに訪れてみると内容が壊れています。
いつから、何が原因でこうなった(掲載地名数206→31、都道府県名は出鱈目)のかは分かりませんが、小生『区』上奏から8年が経ち、当時のバックアップデータも手元になく、今では一から復旧作業する根気もございません。
誠に勝手で申し訳ありませんが、復旧が難しいようでしたら、コレクションごと削除していただければありがたいです。
[83134] 2013年 4月 18日(木)20:49:58ニジェガロージェッツ さん
壮大な独り言
北海道
樺太
[83131] 2013年 4月 18日(木)12:38:01ニジェガロージェッツ さん
独り言
舳倉島と竹島とでは,大して緯度が変わらないのを知った
[82423] 2013年 1月 3日(木)00:01:13ニジェガロージェッツ さん
初日の出
何とか2012年を乗り越えることができ、2013年を迎えました。皆様はいかが新年をお迎えでしょうか。
昨年はこちらには楽しい書き込みができず、ご迷惑をお掛けしました。

もうこの歳になると子供の頃ウキウキしていたお正月気分などはとうに昔の話。日銭稼ぎの自営業ですから、休みの間は無収入になる訳で、日々のやり繰りが苦しいだけです。1月といえばあの神戸の震災の記憶が蘇るので、「おめでとう」という気にもなれず、年賀状もすっかり書かなくなりました。

こんな小生ですが、ここ数年は初日の出を見に高取山頂(神戸市長田区と須磨区の最高地点)に登っています。私にとっては唯一の正月らしい恒例行事です。今年も朝6時前に起きて、6時10分に新長田の自宅を出て、普段は50分かかる道のりをセカセカと40分で登りきり、6時50分には標高329mの山頂に立っていました。日の出までまだ20分ほどありますが、もうこの時点で山頂付近は元旦を拝む人、ひと、ヒトでいっぱいでした。前日の天気予報では兵庫県南部や大阪府といった大阪湾周辺地域は良い天気とのことでした。
さて、この山頂から拝む初日の出は、ちょうど金剛山(奈良・大阪府県境)あたりに昇ってきます。天気の良い日には更に背後の奈良県の大峰山系が見えますから、実際には太陽は大峰山系に連なる山上ヶ岳(標高1719m)を越えて現れます。ところが、この大峰山系や大台ヶ原といった奈良県南東部は雨の多い地方で知られ、たとえ大阪湾周辺が快晴でも、そこだけは雲が発生している場合が多く、はっきりとした初日の出が拝めることは珍しいことです。
今年も神戸は快晴ながらも、大峰山系あたりは薄雲が出ており、ちょっぴりぼやけた日の出を7時13分に拝みました。これはこれで結構絵になる美しい景色ですが。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
[82407] 2012年 12月 31日(月)10:15:11ニジェガロージェッツ さん
蟠屈(わだかま)りなく淡然(さっぱり)と
[82406]グリグリさん
グリグリさんのご心情に接し、ただただ自分の不明を恥じております。
今日はこの1年半の蟠屈が完全に取れ、淡然といたしました。ありがとうございました。

[78693]における当該メール文はお送りいただく必要がございませんので、どうぞご容赦願います。お手数をお掛けして申し訳ございませんでした。
そして、今は閲覧不能となっている[82346]については、88さんにとっては非常に厳しい返信となっていましたが、この件についても88さんとの決別を意図したものではないとのお言葉を頂戴し、安心いたしました。

さて、88さんにおかれましては、11月以来警笛を鳴らし続けた著作権抵触についてのご懸念は、その後のメンバーからのフォローや数々の対処方法のご提示、そして何よりグリグリさんにそのご意志がないことが確認され、今では完全に解消されたのではないかと推測します。
今年起こったことは年内に、とまでは言いませんが、なるべく早く落書き帳にて挨拶なり書き込み頂ければと存じます。
#頭を冷やさないと巧く纏らないようでしたら、気分転換に六甲山にでもご案内いたしますので、いつでもご連絡ください。(小生の番号は石島の打ち合わせでお知らせした当時のままです)

[82389]JOUTOUさん
約8カ月ぶりに“ニジェの兄貴”が登場した
ありがとうございます。ネタ切れながらも、何か面白いことがあればちょくちょくと顔をださせて頂きます。次こそは地理ネタを投稿します。
#「兄貴」ってのは、ほとんど誤差の違いですよ。一足先に大台に乗りましたが。ううっ

それでは皆様、良いお年をお迎えください。
[82373] 2012年 12月 24日(月)10:45:19【1】ニジェガロージェッツ さん
Re^2:何のための確認だったのか
[82364]グリグリさん
表題の件について、率直なところをお話いただき、貴殿への不信が少し解消されました。有難うございました。
ただ、・・・

[82348]グリグリさん
ニジェさんの書き込みに助けられたとも言えます。
の部分と[82364]を合わせて読むと、ニジェ[82341]を受けて88さんと決別する決心[82346]がついたとも取れます。鷹揚に、出来るだけ好意的に捉えたとしても、衆人環視の「衆人」のうちの何割かは、そのように解釈することでしょう。
正直、そんなことを言われても困ります。

今更蒸し返すつもりは毛頭ないのですが、去年7月3日のグリグリさんの書き込み[78693]にて私は誹謗を受けました。おそらく、書いたご本人のグリグリさんはお気づきではないと推察します。
記事の当該部分は「わざわざ触れる必要のない部分」としていつの間にか消されています。誹謗とはいっても、その時点のニジェに対してではなく、更に遡ること8年以上前の2003年6月ごろまでの私の書き込みについてでした。しかしながら、それ以降は指摘される同様の書き込みは行なわないことを順守しており、なんでいつまでもそのような古い事象を「過去の悪例」として引き合いに出されなければならないのか。
また、元々の当該部分は問い合わせメールへの返信として書かれており、同様の問い合わせには、いちいちニジェの過去の悪例が紹介されていたのかと類推すると、もはや「落書き帳」に私の居場所はないと感じました。

[82341]は、そういった背景で、新たに発生した88さんとの確執をうけて、「石島探検を共に企画した」88さんに寄った見解で投稿しています。
今回の件、一見では著作権解釈による食い違いから発生したもののように見えますが、もっと別の深いところで、グリグリさんさえお気付きでないところで88さんとのコミュニケーションに行き違いがあったのではと思料しています。
昨日リリースされた岐阜オフ会の写真を拝見して、グリグリさんの傍で明るく微笑む88さんの「図ぅ」を見ていると悲しくなります。

この記事、書くべきか随分悩みました。既に当事者同士で解決するとのことで、横から口を挟むべきでないことは承知しております。また、メールでも良かったのではと思われるかもしれませんが、私は「落書き帳」で起こったことは「落書き帳」で議論するのを基本に心がけており、メールでコソコソするのは、ある意味卑怯であると考えています。

[82361]中島悟さん
オフ会の状況をお知らせいただき有難うございました。
中島さんが来られると知り、何としても参加したかったのですが、今回は叶いませんでした。またの機会を楽しみにしております。

訂正【1】中傷→誹謗(2箇所)
「中傷」とは、根も葉もない情報のために傷つけられることなので、当該事例は当たらない。
[82355] 2012年 12月 20日(木)09:54:25ニジェガロージェッツ さん
ひとつ言い忘れたこと
[82346]グリグリさん
何故皆さんが私を悪人扱いしようとするのか

この「皆さん」とは,誰のことを述べておられますか?
当事者の88さんはともかく,誰もグリグリさんのことを悪人扱いしてはおられないと推察しますが,人の真意はわかりませんので,ただ,自分の[82341]については明確に否定しておきます。
「悪人」などという,物騒な言葉はご使用にならないように願います。

約10年前に,私がグリグリさんから叱られた時の言葉ですが,そのままお返しするとして,ここに貼り付けておきます。
[8933]
書き込みによるコミュニケーションは、リアルのコミュニケーションと違ってどうしても理解できない部分も出てくるのはやむを得ないと思います。その分、鷹揚に構えていただけるといいなと。

かく言う今の私も,グリグリさんの2度に渡る確認に対して「見識を試されたみたいで、不愉快」と書いてしまっているくらいですから,とても「鷹揚に構えて」を実践できていません。ネットという衆目環視の中では,普通の地理ネタの記事にしても,88さんの[82329]にしても,貴職の[82346]にしても,見識は常に試されています。
[82354] 2012年 12月 20日(木)02:40:17【1】ニジェガロージェッツ さん
私なりの連想
[82349]JOUTOUさん、[82350]中島悟さんからのオフ会でのやり取りの書き込みから、当日の状況が何となく想像できました。
JOUTOUさんに於かれては、88さん、グリグリさんの取持ち役を夜明け前からしておられたようで、大変にお気遣いされたことと察します。小生もその場に居れば何か少しはお力添え出来たのではなかったかと悔やまれます。(過去のオフ会ではJOUTOUさんと行動を共にすることが多かったので)

過去のオフ会で直接お会いした印象では、グリグリさんは頭の回転が早く、社会的な地位もある方で、非常に弁が立つ御人です。一方の88さんは、どちらかと言えば寡黙な方で、粛々と実務をこなす「裏方の力持ち」のような御人のようにお見受けしました。もちろん、過去数回のオフ会でお会いした程度で人のことなど判る筈がありませんので、あくまでも私のいだいた第一印象でしかありませんが。
#因みに、仲の良いJOUTOUさんのニジェへの第一印象は「わぁ、本物のヤクザだ!」だったそうです。なんでかなあ???

さて、このお二人が会談を持った時、その連想できる「図ぅ」は、グリグリさんが多くを語り、88さんは聞き役に回るような場が頭に浮かびます。実際にJOUTOUさんの[82349]には
単なる建前で相槌を打っていたに過ぎないのでしょうか?
とあり、88さん自身も「大半を聞き流して」いたと述べておられます。
これでは、88さんにとって会談の成果はないばかりか、逆にグリグリさんを始め、その場に立ち会ったメンバーとしては、大した反論もなかったことから88さんもおおよそのグリグリさんの主張は了解したと解釈されても仕方ありません。
[82256]グリグリさん
オフ会翌日の今朝は、お風呂が開く5時半に大浴場に行き、88さんやJOUTOUさんと湯船の中でいろいろなお話をさせて頂きました。その後、ロビーに移り、白桃さん、スナフキんさん、Hiro_as_Fillerさん、中島悟さん、N-Hさんも加わり、都道府県市区町村の今後の進め方や、これまでの進め方に関していろいろご意見をいただき有意義な時間を持つことができました。
[82350]中島悟さん
11月24日の朝に、皆で忌憚無く話し合い、齟齬を取り払い、問題点を洗い出し、
これからの方向性や手法、分担などで共通した認識を持てたと思っていたのですが、
一体どうしちゃったんでしょうねえ?

ただ、宿泊2日目(最終日)の朝というものは、じっくりと双方が納得行くまで話ができるかといえば、朝食や帰宅時の慌ただしさが控えていて、案外難しいような気がします。やはり1日目の二次会あたりで話し合った方が望ましかったかも知れません。その場ではうまく伝えられなかった事柄も、寝床であれこれ思案しているうちに整理ができ、翌朝に改めて伝えられるといったこともあったでしょうから。

いずれにしましても、オフ会での会談が有意義に終えれた筈にもかかわらず、[82329]での88さんの発言は、グリグリさんのみならず、オフ会参加メンバーにとって理解し難いものであったことは想像に難くありません。グリグリさんが[82332]にて他のメンバーに確認をとられたのも、主にオフ会参加メンバーに対して発せられたものだったのでしょう。

しかし、JOUTOUさんが[82334]を書かれた以外は、オフ会参加メンバーからの「常識的な」フォローは得られず、しびれを切らして[82340]にて再確認を取られたと、今では私はそのように理解しています。

[82329]88さん、[82346]グリグリさん、サイト・掲示板のオーナーと、オーナーに協力して「市区町村変遷情報」の編集に多大な努力と功績を残した編集者が、今や互いに「犯罪者」呼ばわり。
そして岐阜のオフ会に参加してコトの経緯を知っていながらも、mixi辺りで「怖くてモノが言えない」と呟いて尻込みする中堅メンバーたち。
これが「10年以上に渡って培ってきた落書き帳のコミュニケーション」の実態としては悲しくなると言うか、歯痒い限りですが、その一方で、[82337]にまんさんや[82353]油天神山さんからの建設的なご意見もあります。まだまだ捨てたものではありません。
さすがは「落書き帳」だと見直されるように、二人とももう一度頭を冷やして、大人の対応を取られてはどうでしょうか。

グリグリさんに於かれても、貴台の[82332][82340]の公開質問には幾つもの回答が寄せられています。私に対しては[82348]で十分ですが、「的外れ」とか「常識的な反応でない」と切り捨ててしまわず、ひとつひとつの記事に「ふぉろ~」を付けるよう、努力を望みます。人にモノを尋ねておいて、無視はいただけません。

桜通り十文字さんの質問[82345]にも、ちゃんと答えたげなはれ。

ところで、88さんは「犯行声明」ちゅう単語を使ぅとうけど、何かの間違いとちゃう?
「犯行声明」は、犯行を行った後に、犯人から発せられるもんでっせ。

訂正【1】モノを訪ねて → モノを尋ねて
[82347] 2012年 12月 18日(火)22:16:07ニジェガロージェッツ さん
何のための確認だったのか
[82346]グリグリさん
まったくひどい話です

そこまではっきりと[82329]の書き込みをご自身への誹謗中傷であると断定されるおられるのであれば、[82346]と同様の内容をご説明をなされた上で、さっさと当該記事を削除すればよかったのではないでしょうか。

いったい何のために
[82332]グリグリさん
ぜひ多くの皆さんも意見を述べてください。
[82340]グリグリさん
再度皆さんに確認します。

などとしつこく、他の落書き帳メンバーへの確認作業が必要だったのか。
まるで見識を試されたみたいで、不愉快です。
[82341] 2012年 12月 18日(火)12:22:52【2】ニジェガロージェッツ さん
回答
[82340]グリグリ さん
再度皆さんに確認します。
「皆さん」の中に,小生のようなものが含まれているのか甚だ疑問ですが,問題の著作権等に関する法的知識は当方持ち合わせていないので,確認事項についてのみの回答とさせていただきます。

確認事項について,最後の3行の文末が「ですか。」で終わられているので,この3文が確認事項に該当すると推察しますが,3文目はみかちゅうさんに対して発せられたものですから,1文目と2文目に対してのみの回答と致します。

(1)
削除せずに残したこの書き込みを皆さんは容認されるのですか。

「容認」どころか,落書き帳への貴重なご意見です。
オフ会前日に88さんより[82230][82231][82232][82233]の問題提起が為されましたが,問題の[82329]はその延長にあります。オフ会前日にはグリグリさんも[82242]にて
88さんも書き込むには相当の勇気を持ってのことだと推察します。あれだけの内容をスルーせずに書いて頂いたことを真摯に受け止めなければいけないと思っています。
と評価されています。[82329]に対しても鷹揚に同様の評価ができないものでしょうか。

話の流れとしましては,([18384]たけもとさんの表現を借りれば)
[82230][82233]に,さらにオフ会での直接対話という流れの中でも一向に意見が伝わらない状況に加え,[82329]という言葉を88さんから言わせてしまった認識の甘さこそが問題です。

ここで私の述べる「認識の甘さ」とは,88さんがおっしゃる法への認識の甘さのことではありません。落書き帳のコミュニケーションの場において,[82242]で述べられた「真摯に受け止めなければいけないと思っています」の真摯さが88さんに伝わっていないこと,そして,その結果が落書き帳から88さんという得難い功労メンバーを失うという危機感に対する認識の甘さをいっています。88さんがいなくなって困るのはグリグリさんだけではありません。

(2)
10年以上に渡って培ってきた落書き帳のコミュニケーションの場において、許される書き込みだと考えておられるのですか。

許される書き込みだと考えます。
それは,[82329]の終わりの
あくまで、趣旨はグリグリさんを犯罪者に仕立てることではなく、犯罪を未然に防ぐことです。
が,文末の付け足ではなく,やはり88さんの趣旨だと感じるからです。確かに「犯罪者」とか「グリグリ帝国」とか,行き過ぎと感じられる表現もありますが,そこまで書かなければ伝わらないというもどかしさから出た表現かと推察します。
「10年以上に渡って培ってきた落書き帳のコミュニケーションの場」とおっしゃいますが,その歳月の中で,多くの常連さんが去っていきました。
もちろん,その多くは書き込みネタが尽きたといった程度のもので,今でも毎日のように落書き帳を読み,楽しんでおられる方々でしょう。常連として投稿を続けた過去の日々についても楽しい想い出となっているに違いありません。しかし,一方で,何らかの確執を抱えたまま去ってしまい,中には悪意のようなものを持ち,何かあれば「酷い目にあわせてやろう」と狙っている輩がいないとも限りません。
事が起こってから「まさか落書き帳メンバーにしてやられるとは想定外」は,まさしく想定不足でしかありません。もちろん,グリグリさんに於かれては十分想定しておられることでしょうけれども。

また,88さんの書き込み[82230][82233]の翌日にはオフ会がありました。私は今回のオフ会は缺席したので状況はわかりませんが,前日の書き込みでしたから,当然オフ会参加メンバーを交えての討論になったことと推察します。ここではグリグリさん,88さん以外の18名からの意見や取持ちもあったことでしょう。何ゆえ関係がここまで拗れたのか腑に落ちません。88さんに於かれてはオフ会の雰囲気を壊したくなかったのかもしれませんが,「大半を聞き流して」仕舞わず,しっかりと反論するのが望ましかったのではと愚考します。

訂正【1】88 を 88さん に訂正(1箇所)
訂正【2】「認識の甘さ」についての説明文を追加
[80539] 2012年 4月 19日(木)10:29:52【1】ニジェガロージェッツ さん
想定外は想定不足と言い換えるべき
[80527] グリグリ さん
石巻,南三陸町の写真拝見しました。
震災から一年を経て,瓦礫が除けられ(取り除かれ・・・ではない),震災前には市街地であったところが何もない更地のようになったままの現状について,連日報道されているので知ったつもりでおりましたが,改めて写真画像を見るとショックを受けました。

グリグリさんに於かれましては,被災地での支援活動に取組まれておられるようで,本当に頭が下がります。それに引き換え,私は17年前の震災で多くのご支援を受けながらも,東日本大震災には何の支援もお返しすることができず,全く無力で申し訳がない限りです。
南三陸町の仮設商店街の写真もありましたが,この店舗には神戸の震災直後の焼け跡に仮設商店街「パラール」を立ち上げた,新長田大正筋からのアイデアなどの支援があったと聞きます。同じ新長田に居ながらも,活動される人もおられることが地元として嬉しく,私に出来ることと言えば,この大正筋で買い物をすることくらいです。

さて,昨日東京都から想定する首都直下型地震についての被害予想状況が発表され,それによれば死者9700名に上り,その甚大な想定被害に「衝撃的な数字が並んだ」などと報道されています。
東京湾北部地震ではマグニチュード7.3,震源深さ10kmと,平成7年兵庫県南部地震(M7.3,深さ14km)に良く似た想定です。あの地震では6434名が亡くなり,うち神戸市9区では4571名を数えました。
しかし,今回の想定では,その最大の被害が予想されている人口69万人の大田区で24%焼失,死者1073人とされ,それを「最悪の場合」としています。
私の住んでいた神戸市長田区では,震災直前の人口が129,978(1995年1月1日推計)で,震災では921名の死者が出ました。単純計算で人口の0.7%が犠牲になった格好です。これを大田区69万人に当てはめると,5千人近くの被害になるのですが,何をもって「最悪の想定被害」としているのか,私には理解できません。
確かに,「近畿地方に大地震は来ない」という,訳の分からない迷信を鵜呑みにして日ごろの地震対策を怠ったという側面はありました。逆に言い換えれば,東京から見て神戸の被害は「防災意識の低い土地に起こった例外現象」に映るのでしょうか。
阪神・淡路大震災の発生は真冬の午前5時46分と,まだ街が動き出す前の時間帯です。壊滅的な建物被害を出した中心街の三宮周辺にも,まだ人は疎らな状況でした。新幹線線路も崩落していましたが,新幹線事故も発生していません。もちろん,あの時間に地震が発生したからこそ,命を失ったという人々が大勢おられる訳ですから,それをして「不幸中の幸い」などとのたまうつもりはありません。しかし,あと2時間遅く,7時46分にあの地震が襲ってきたなら,通勤でごった返す三宮ターミナル周辺の被害を連想しただけでぞっとします。

わずか17年程度前の神戸の震災の被害状況(実数)に学ぶことはこの程度なのかと,私にとっては逆の意味で衝撃的な数字が並んでいます。
[78633] 2011年 6月 26日(日)02:47:00【1】ニジェガロージェッツ さん
大阪2題
[78597] futsunoおじ さん
都道府県の山
選定本題にはコメントなしで,事実確認のみにて失礼します。
大阪府 金剛山 1125m
金剛山頂1125m周辺は奈良県御所市に属しています。
確かに大阪府最高地点(標高1053m)は金剛山にあるので,大阪で一番高い山には違いなく,登山アクセスも大阪府千早赤阪村側からの登山本道,金剛山ロープウエイが整備されているので,大阪の山として一般に認識されてはいるところです。
#ただこの話題,futsunoおじさんも[52918]にて,[52900]北の住人さんとの会話にありました。

余談ですが,麓の千早赤阪村では東日本大震災後に減少した外国人観光客呼び戻しの一策として,韓国人観光客招致の目玉として「憧れの金剛山に日本で登ろう」とPRしていく方針を決めた,とか。
韓国の人々に気に入ってもらえれば良いが,「クムガンサン」ではなく「コンゴウサン」だし,雄大な奇岩群がシンボルの景勝地クムガンサンとは山容が全く異なっているし,ガッカリさせないことを祈ります。

[78602] 2011 年 6 月 21 日 (火) 00:10:44【1】 白桃 さん
♪ようこそここへ、クッククック私の青い鳥
当然、このオヤジギャグは受けません。
小生はオヤジではありませんが,たまにはオヤジギャグに付き合いましょう。
桜田淳子さんが衝撃的だったのは,自身が大阪市の一部であると歌の冒頭で告白しています
まったく受けません!
[78531] 2011年 6月 11日(土)12:13:55ニジェガロージェッツ さん
打止めに
今回の騒動?
最初のきっかけとなったのは白桃さんの記事でしたが,それを騒動にまで発展させたのは小生です。特に今回の話題とは無関係な,所謂「白桃化」なる市名駄洒落を持ち出して問題を対比させた手法には行き過ぎがあり,申し訳ございませんでした。

先の拙稿[78518]では,単なる「親父ギャグ」をどう組み立てたって「地理」はおろか,「地理雑学」にはならんと言い切ってしまいましたが,これも考えようで,それを楽しんだ当時の,特に小学生や中学生にとっては,結構夢中になれる地理パズルのようなものだったのかなぁとも思い至りました。市名を探し当てて実際に地図を見て,その位置関係や地理背景の連想など「空想の旅」に思いを馳せていくと,それはもう立派な地理雑学になり得ます。その発想の豊かさは私には持ち合わせておりませんでした。ちょっと恥ずかしい限りです。
とはいえ,ここに出入りしているあの子たちに掛かれば,難問揃いの十番勝負でも臆することなくスラスラと解いてしまうのだから,それはもう,朝飯前いぜんのことだったかな。

[78522]般若堂そんぴん さん
単なる「親父ギャグ」
でもかまわない,と思います.
同感です。私は原理主義者ではないので,「親父ギャグ」のような見苦しいことはやめてほしい,とまでは言うつもりはありません。余興として,ちょっと合間に顔を出すぐらいは微笑ましいことです。

[78519]YASU さん
宴の席では楽しくお話しできるのに、文字にすると刺々しくなり残念に思う次第です。
残念な思いをさせて申し訳ございません。
ただ,宴の席でのことは,そこでのこと。「落書き帳」の書き込みでは傍目には角を突き合わせて緊迫した関係に見えても,実際に会ってみると意外なほど打ち解けて和気藹々と談笑できる,それがオフ会の良いところです。
(まだ参加されたこののない皆さんも一度「だまされた」と思ってでも参加してみてください。書き込みでの印象とは違った一面が見えます)
一方で,お互いがリアルに親しくなりすぎると,「これぐらいのことは言っても許されるだろう」と宴の席と同じノリでものを言う書き込みをしてしまう。今回の騒動も,こういったお互いの甘えが背景にあるのかなとも推測しています。

それとは別ですが,最近のニジェの記事は全般にぶっきらぼうな印象を持たれているのではないかとちょっと気になっています。
実は最近,自分の投稿記事にNGワードを2つ設定し,それを出来る限り実践しています。「思います」と「~ですね」です。
「思います」については,以前に申し上げたこともあり,ここでは繰り返しません。
「~ですね」は以前は私も多用しており,今でも実生活の会話ではついつい言ってしまいます。しかし,これを文章にして特に段落末の度に「~ですね」「~ですね」と繰り返した自分の記事には,読んでいて鬱陶しく,後味の悪さを感じていました。
[17876]雑魚さんの問答表の一文
37)「~ですね。」 という呼びかけの語尾を伴う書込みが最近増えた。
に接して,ああ,やっぱりみっともないなと感じました。

「思います」を用いた婉曲な表現も,「~ですね」という文末も,これらの言葉使いが掲示板という媒体に於ける円滑なコミュニケーションを促すツールのようなものだと理解し使い続けていましたが,わざわざ自分の好みではないこの2つの言葉をいやいやながら書くこともなかろうと割り切っています。「~ですよね」と確認を伴う呼びかけは,過去に比喩に用いた一度だけでした。
しかし,文章が断定的で硬くなってしまうのは否めないので,今後はあまりこだわらずに適当にします。

[78529]白桃 さん
落書き帳が「生活の一部分」どころか「生活の殆ど全部」になる予定です
ご同慶の至りです。
長年のお勤めの多大な労苦はあったのだろうけれども,こういう時ばかりは羨ましい。自営業の小生には,一生手に出来ない贅沢です。
[78518] 2011年 6月 8日(水)09:47:25【2】ニジェガロージェッツ さん
謙虚さを忘れるのは恥ずかしい
「白桃様」のつもりで書いてます
ほう。ならばその白桃様であれば,[57177][78510]のような書き込みが許されるのでしょうか。
他人の投稿への何の敬意もない,むしろ喧嘩を売るような比喩まで出して,反論が出れば「白桃様」だという。

[78516] 白桃様
「地理雑学の領域」にこだわりを持っています。
こだわりは誰もが持っていることであり,結構なことです。しかし,そのこだわりを押し付けるのはいただけません。
どうしてもというのであれば,御自身が地理雑学の掲示板を開設され,そちらで好きなように権力を振るうことをおすすめします。

首長の年齢や性別については、単なる「情報」であって、それらをどう組み立てたって「地理」はおろか、「地理雑学」にはならないと思います。
私も白桃様と同じ意見です。私の「地理雑学」の領域にも入りません。しかし,[78512]Issieさんや,[78517]JOUTOUさんのおっしゃるように,地理の好きな人には,人それぞれの「地理雑学の領域」があって然りです。
しつこく言いますが,私の「地理感」からすれば,言葉尻を市名に当てて漢字変換するのは,単なる「親父ギャグ」であって,それらをどう組み立てたって「地理」はおろか,「地理雑学」にはなりません。
だからと言って,「それをいっちゃあ,おしまいだよ!」

落書き帳三大聖地だの,十番勝負四天王だと言われ,毎日のように些細なことまで書き込みを続けていくほど,落書き帳が生活の一部分になってしまうと,つい自分がそこの主のように錯覚してしまうのではないか。その上での物言いでしょうか。性格のひねくれたニジェにはそのように見受けられます。
問題意識として議論されたいのであれば,最低限,他排的なものの言い方は控えてもらいたい。

やはり,謙虚さを忘れるのは恥ずかしい。
[78515] 2011年 6月 8日(水)01:43:33ニジェガロージェッツ さん
Re^2:それがどうしたの?
私も[78512]Issieさんとまったく同意見です。よくもこれほど的確に理路整然と「地理」について定義付けできたものだと感服します。さすがはプロの説得力。

正直なところ,小生も首長の年齢や性別といった情報には,興味を持っていません。
しかし,オーナー自らが進んでされていることでもあり,多くの反応が寄せられ,それぞれに多大な労力を重ねて検証されたデータであることは傍目にも容易に想像がつき,それを自分に関心のない,またはご自身の持つ「地理」の領域から逸脱しているからといって,「それがどうしたの?」と一言で切って捨てるかのような物言い[78510]は,何様のつもりでしょうか。

(今まで黙っていましたが)感じるトコロを率直に述べれば,言葉尻を市名に当てて漢字変換するようなものよりは,ずっと地理っぽい有用なデータです。近頃は幾分減ってきていますが,そういう親父ギャグが受けに受けて,子供たちまでもが「落書き帳」で得意顔で真似をするような状況こそ,私には「最近の書き込みはヒドイ」と感じていた頃がありました。
[78329] 2011年 5月 16日(月)16:29:20ニジェガロージェッツ さん
【第三十一回】震災復興祈念 全国の市十番勝負
問一:栗原市
[77805] 2011年 3月 17日(木)13:57:21【1】ニジェガロージェッツ さん
避難生活でのちょっとした工夫
神戸市のサイト内,東灘消防署のページに 震災時のサバイバルパッケージとして,実際の神戸での震災で役立った知恵を応募し,まとめたコーナーがあります。

そのうち,
救出 救援活動編
避難生活編
には,今すぐにでも役立ちそうな情報があると思われます。ご参考までに。
[77803] 2011年 3月 16日(水)23:56:52【1】ニジェガロージェッツ さん
大震災に際して
東日本大震災の発生から早くも金曜日で1週間になります。被災地では地獄図絵の中,私たちが16年前に味わった苦しみ以上の,想像を絶する苦しみと悲観が覆っていることと察します。言葉がありません。心よりお見舞い申し上げます。

[77769] オーナー グリグリ さん
この都道府県市区町村というサイトにおいても、何かの役に立つことができないかと思います。皆さんにも考えていただければ幸いです。

神戸の震災からの生活復旧に際して,被災者の視点で役立った事や物や考え方などがうまく纏められていたサイトがあれば良いのですが,探しておくように心掛けておきます。ご存じの方は,紹介してあげて下さい。
ただ,今はまだ救助の段階であり,生活復旧の段階ではなく,こういった情報が生かされてくるのはもう少し先のことであろうような気がします。
私が経験した神戸の震災とは規模も状況も性質も異なっているので,東日本各地で置かれている状況とは比べるべくもありません。ですから,以下のことは書き込むべきかどうか,的外れではないかと悩みます。神戸の一被災者の戯言として聞き流していただいた方が良いかもしれませんが,ちょっと書いておきます。

確かに,現地では物資が極端に不足しているようで,非常に苦しい状況にあると報道されています。しかし,震災後の20日や30日くらいの不便や苦労は,そんなものは,・・・そんなものは,震災後20年や30年は続くであろう復興と再建の苦に比べれば,「あの時の思い出」にしかならないでしょう。
被災地外からは,次々と個人宅に飲料水などの生活物資が「ゆうパック」などで大量に送られています。私の身内が神戸の郵便局で荷捌きの仕事をしており,これは(震災を理解している筈の神戸市民からでさえ)現実です。
これを受け取った被災者にとっては,大変有り難く,勇気付けられる善意に違いありません。しかし,この善意を享受できるのは,住所どおりの所に家があり,受取人が無事である家族,つまり,被災度の軽微な人に限られます。それを配達する人々も現地の被災者である可能性が高く,交通不便の中,届ける当てはなく,荷物は捨てるわけにもいかずと,それに費やされる労力を考えただけでも,迷惑な行為です。
一方で,震災後の20日や30日間でさえ,負傷,疾病や苦労の中で体力の限界に陥り,避難所などで失われていく命も出るでしょう。そういった人々に,一刻も早く公的支援が届くように,物流を必要以上に混乱させるようなことはしないでほしい。そう願います。

さて,被災者にとっても,いつまでも避難所に居れるものではありません。
冒頭に申し上げたように,今はまだその段階ではありませんが,2~3ヶ月もすれば,生活再建に立ち上がる住民も出てくるでしょう。
阪神大震災後の西宮市では,震災後2ヶ月で甲子園で選抜高校野球が行われました。全国の人が野球観戦に訪れるこの契機に,飲食業など地元の商店は復興を託して立ち上がりました。しかし,被災地外から来る人々は,まさか被災地でモノが手に入るとは想像もせず,弁当など身の回りのものは現地で買わずにあらかじめ被災地外で調達して西宮に入り,観戦が終わるとゴミだけを西宮に捨てて帰っていったと聞きます。もちろん悪気はないのでしょうが,結果的には西宮の人がいちばん嫌がることをしました。

なんだか,纏まりのない,ただのぼやきのようになってしまい,うまく言えないのがもどかしいのですが,想うところを述べました。
[77647] 2011年 2月 13日(日)14:09:15【1】ニジェガロージェッツ さん
日本との国境形成 (ロシアの地理教科書から)
ご無沙汰しております。[77620]JOUTOUさんに続いて,小生も今年の初書き込みです。

[77643]グリグリさん
「樺太地図解説」 ※独自のページに作り直しました
文字数だけが多い駄文を,とっても綺麗なページに仕上げていただき感激しております。
写真まで添えていただき,オフ二次会での異様な光景が蘇ってきます。ありがとうございました。

と,これだけで今年の初書き込みを済ませてしまうのも味気ないので,この地図にも関連し,ちょうど2月7日の北方領土の日もあって,時期的な話題として少し。

文章中に「千島列島と北方四島」と表現しましたが,もちろん,ロシアの地図にはこのように得撫島以北の千島列島と,択捉島以南の北方四島といった区別はなく, 両者ともに「クリル諸島」と一括りしています。 歯舞諸島と色丹島も「小クリル列島」と呼び,クリル諸島に含めています。
なお,日本で言う「北方領土問題」は,ロシア語で Проблема северных территорий (カナ転字:プロブレマ セヴェルヌィフ テリトリー ,原音[プラブリェーマ セーヴェルヌィフ チリトーリー])と言い,直訳すると「北方の領土の問題」ですから,日本での呼称に倣っています。

昨年,ロシア人の知人からロシア土産として地理の教科書を頂きました。9学年用の教科書で,日本の中学3年生用に相当します。288ページもある堅表紙の分厚い教科書で,その3分の1はロシア全体の地理事項(農業,生態,植生,産業,交通など)を扱い,残り3分の2で国土を9つの地域に区分して,地域ごとの詳細が述べられています。多くの写真と図葉を添えて,見やすく構成されており,読んでいて面白そうな美しい教科書です。

そして,この教科書の「極東地域」の冒頭には日本との国境の形成の推移について,その概説が書かれているので全文(教科書ではページの半分,15行で記述)を紹介します。
「全クリル諸島はロシア固有の領土」だと紋切り型の自説を述べていると思いきや,日本とは無関係であるクリミア戦争への言及など,ちょっとおかしなところがあるものの,概ね淡々と事実関係のみの記述にとどめています。

============
露日国境の形成には長い歴史がある。1855年,初めての露日条約《通商と国境について》(調印された時期はロシアにとってクリミア戦争によって不成功)において,サハリン島は《ロシアと日本で分割せず》と承認し,クリル諸島南部は日本領と承認した。1875年,条約《領土の交換について》では,ロシアは全クリル諸島を日本に与え,その代わりに日本はサハリン島への請求権を,完全にロシア固有のものとして公式に放棄した。1905年のポーツマス講和条約では,ロシアにとっては露日戦争と始まったロシア革命の諸事情によって不成功だったが,サハリン南部(北緯50度まで)を日本に割譲した。最後に,1945年の終戦後にサハリン南部および,今回は全クリル諸島がソ連に移った。しかし,クリル諸島南部がソ連,現在ではロシアに属することを日本が争っているために,日本との間では平和条約が調印されていない。
============

クリミア戦争(1853~56,主に英仏土 VS 露)は,日本は無関係で,特に千島列島とは無関係でした。それが当該地域の問題としてロシアに与えた影響としては,当時のロシアの南下政策で,樺太(サハリン)の実効支配の確立を目指して,1853年より陸戦隊を上陸させて樺太各地に軍哨所を建設し始めたものの,ロシア軍基地ということで交戦国の特に英国にこれを攻撃されて占拠されてしまうと,まだロシア領として確定していない樺太やアムール河口部が英国の支配下に置かれてしまうことへの懸念から,相次いで樺太から撤兵したことでしょうか。

訂正【1】 誤字訂正:通称→通商
[76924] 2010年 11月 28日(日)23:40:37【1】ニジェガロージェッツ さん
Re^2: 筑波山登山
[76923]スナフキん さん
紅葉の時期と重なったオフ当日朝に筑波山を目指すには渋滞の泥沼ハマリのリスク、決して低くなかった点はご理解いただきたく。
なるほど。筑波山登山そのものの難度よりも,登山口までの交通の渋滞のご懸念から慎重に行動計画を立てられてのことでしたか。それには気がつかずに失礼しました。
確かに,オフ当日に私が乗った路線バスは筑波山口までは快調に進み,筑波山口から登山口である筑波山神社入口まではちょっと渋滞気味でした。バスは更に標高500mのつつじヶ丘まであるのですが,次の便(?)に乗られた小松原ラガーさんの記事[76836]にはここが渋滞していた様子が書かれています。

ただ,スナフキんさんがメーリングリストに送信された一連の筑波山登山に関する行動計画が,小生を筑波山に登る気にさせたことには,率直に感謝しています。実際に登ってみると,その景色の雄大なことと,険しくもなく緩くもない程よい登山で気持ちが良く,下山後の青木屋では温泉を更に深く味わえました。
直前までは福島県に行こうとか,美味しい蕎麦の話を聞くとそちらへ行こうとしたり,要するに何も考えていませんでした。本当に筑波山に登って良かったと実感しています。

摩耶山や六甲山など、深刻な道路渋滞に登山計画が翻弄されるといったことはあるのでしょうか?
ありません。
一般に六甲山上と言えば標高880mほどの凌雲台地区ですが,そこでさえニジェ[68456]に書いたように
JRの六甲道駅より鶴甲―油コブシ登山道を経て凌雲台まで,休憩なしで歩き続けてちょうど2時間,歩数で12070歩でした。
神戸西部の須磨アルプスや,神戸背山などはもっと手軽です。今日の夕方も[76915]を投稿したあとで高取山登山をして夕食前には帰宅しています。
今日は高取山頂から小豆島の島影がはっきりと見え,更にその向こう側にはかすかに香川県の白鳥あたりの山並みが見えましたが,視界の良いときには向こうからも神戸の山が見えているのだろうか。

P.S オフ会で誰かに似ていると話題にした近畿南部某県の知事が今日の知事選で再選を果たした。
[76915] 2010年 11月 28日(日)15:40:43ニジェガロージェッツ さん
筑波山登山
もうオフ閉会から一週間,早いものです。
オフ閉会当日に投稿したニジェ[76842]の筑波山登山のデータに,恥ずかし過ぎる算数の間違いがありました。
筑波山登山のタイム計算において,
ガイドにある所要時間
225分(2時間45分)
自己所要時間
158分(1時間38分)
いずれもひと目で判る計算間違いです。
正しくは,225分(3時間45分)と,158分(2時間38分)です。謹んでお詫び申し上げます。

ところで,オフ会参加者で何人の人が筑波山に登頂されたのでしょうか?
私が知っている限りですが,
小松原ラガーさんとEMMさんがケーブルカーとロープウエイで往復の登頂,下山([76836]小松原ラガーさん)
futsunoおじさんがケーブルカーで登頂,徒歩で下山。
スナフキんさんがつつじヶ丘から徒歩で登頂,ケーブルカーで下山。
小生の徒歩登下山を含めて5名だけだった??

[76911] スナフキん さん
前泊して余裕の筑波登頂を目指していたにもかかわらず宿側の都合でドタキャン
(中略)
メーリングリストでは前日~当日の行程を二転三転させる
私は関東についての土地勘はなく,筑波山についても全く知らなかったので,一連のメーリングリストでの貴記事からは,前泊しないと徒歩での登頂は難しいほどの山かと理解しました。
ですが,筑波山の観光を扱っているサイトの情報から判断すると,所要4時間とみれば十分自力での登頂は出来ると踏み,13時までに筑波山神社前に着いていれば良しとして,自力登山に臨みました。
もちろん,山をなめて掛かるのは危険ですが,実際に登ってみると神戸の摩耶山程度の山で(むしろ摩耶のほうがきついかも),スナフキんさんと比べて年齢でも体重でもハンディのある私でさえ,3時間で登下山ができたのですから,ちょいと大騒ぎし過ぎではないかい。
[76898] 2010年 11月 27日(土)02:42:24【2】ニジェガロージェッツ さん
2枚の樺太地図
第7回オフ会において,一次会クイズの景品として2004年に再版のあったサハリン州地図を提供しました。もちろんロシア語のみの表記にて,ロシア語の読めない人には訳の解からない「怪しい紙切れ」に過ぎません。それでも地図です。文字が読めなくとも,オフ会に集まってくるような御人の中には,物好きな人が居るかもしれません。

この地図はロシアの「測地および地図作成連邦局」によって作製された,ロシアの州や共和国,地方などの連邦構成体ごとに出版されているもので,サハリン州地図は樺太を50万分の1で,千島列島と北方四島が100万分の1の縮尺で描かれています。

また,景品としては提供しませんでしたが,今秋に同シリーズの2008年版を入手していたのでこれも持ち込んでいたところ,二次会で2枚の地図を広げて比較してみましょうということになりました。

オフ会では2004年版と2008年版の地図として説明しましたが,地図に書かれている出版情報は

【1】景品として提供した地図
「サハリン州 50万分の1」
1995年にロシア測地および地図作成連邦総局(ロスカルトグラフィア)より出版用として製作,極東航空測地社より2004年再版

【2】景品ではない持ち込み地図
「サハリン州 50万分の1」 2008年
2001年に極東航空測地社より出版用として製作,2007年校正

と書かれています。
2枚の地図の変化としては
・2004年に行われたサハリンの行政組織の変更(28都市が村へ改組,後述)
・2009年より樺太南部亜庭湾北岸のコルサコフ(大泊)の東にあるプリゴロドノエ(女麗)に液化天然ガス(LNG)プラントが稼動しており,これを地図【2】では[生産工学コンプレックス]との記載。なお,地図【1】ではプリゴロドノエ[無人]と書かれている。
・地図【1】では行政区画(地区,日本の郡に相当)の境界線が表記されているが,【2】では書かれていない。
・地図【1】では採用されていた山岳地形の陰影ぼかし表記が,【2】ではなくなっている。
・所どころ道路が伸びている箇所が発見できる。
・1990年代中ごろには廃線となった南部横断線(豊真線[3199][3245])が両図とも記載されたままである。
・その一方で新場―留多加間[3322],落合―栄浜間[3218]の鉄道線が【1】では記載されていたが,【2】では消されている。

ところで,グリグリさんがオフ会記録ページを作成する際のデータとしてこの2葉の地図の出版データを上記【1】【2】のように提供したところ,樺太地図は「1995年と2007年の地図比較」が正しいのでは? との疑問がメーリングリストで問われることとなりました。
そこで,ちょっと丁寧に地図を見てみました。

まず,新しい方の地図【2】は表紙に2008と明記(宣伝)されているので,2008年のものとして捉えてよいでしょう。

問題はもう一方の景品として提供した地図【1】です。
表紙には年を明記していないものの,2004年に再版されたものであることから「2004年版」といえるのですが,実際の内容はそれよりは数年古いものです。

サハリン州では,2004年に樺太の3市25町が村に降格され(参考:拙ページ),北海道の一部を含む州全体の都市数が48(18市30町)から20(15市5町)に激減しています。
しかし,地図の内容は2004年のこれらの降格前のものです。このことから「2004年版」とすると,3市25町の村への降格を反映したものかと誤解を与えるかもしれません。
なお,ロシアにおいて都市とは「市」と「町」のことを言い,その要件は,就業構成として総人口の85%以上が労働者・勤労者(非農業従事者)とその家族であること,人口規模としては「市」が1万2千人以上,「町」が3千人以上とされています。また,「町」にも「労働町」や「保養町」などの種類があり,保養町の場合は2千人以上と言われています。ただし,あまり厳密なものではないようで,ロシア全土には人口5千人に満たない市や数百人の町も数多く存在しています。就業構成や人口規模以外にも行政上の意義,産業や文化,生活施設網の発展度も考慮されるようですが,その州や共和国によってまちまちです。
サハリン州で2004年に降格された3市25町の場合,2002年10月9日国勢調査結果によれば人口最大のものは旧内幌町のゴルノザヴォーツク市6,051人,最小のものがオハ地区コレンド町38人でした。
#「降格」と言う表現はあまり好ましいものではありませんが,分かりやすいのでここではこの表現をします。

そして地図の年代を絞る手段として,地図に都市名の書かれ方と人口データを見比べる方法があります。町の場合は都市名の文字を人口2000人以上のものと,以下のものとで大きさに差をつけています。この線上に掛かりそうなのが,
都市1989国調2000推計2002国調2004推計地図【1】の文字
ヤブロチヌイ町(蘭泊)2,7132,5002,1912,100
オジョルスキー町(長浜)2,5082,2001,7851,700
ウグレザヴォーツク町(東内淵)2,2711,7001,7111,700
ヴォストーチヌイ町/オハ地区2,1171,500994900

2004年版【1】の地図では,2002年10月の国勢調査人口が反映されておらず,人口減少により実際には2002年国調時点で2000人を割り込んでいた町が,2000人以上の町として書かれています。一方,1995年の人口データまで遡ると,その頃はサハリン州では人口70万人を上回った最盛期(1989~93年頃)に近く,当時は人口2000人を超えていたと推測される町が地図では2000人以下の表記となっています。
町の人口データで言えば,2000年1月推計人口[9178]に整合しており,また地図の別表にある行政区画の一覧が2001年7月のものと明記されていることから,地図は2001年のものと捉えてよいでしょう。

これにより,オフ会記録ページとしては「2001年と2008年の地図比較」との説明が採られています。

#ニジェ[9178]において,ウグレザヴォーツクの日本名を「落合町川北」と書いているが,「東内淵」がより正確である。
[76842] 2010年 11月 21日(日)22:14:27ニジェガロージェッツ さん
オフ会と筑波山登山
オフ会参加の皆様お疲れ様でした。
相変わらずの馬鹿騒ぎに終始したニジェです。

家計の制約上,遠出の出来ない小生ですが,茨城県へは2003年に両毛の旅[20929]で渡良瀬遊水地の県境巡りで古河市域を両毛人(当時)さんの車でかすめただけの実質「未経県」だったことや,神戸空港から茨城への便があることから,ちょっと無理して参加しました。
同じく完全に未経県な福島県に足を延ばすことも考えましたが,結構時間の制約があり,これは断念しました。その分,早目に筑波入りをして,筑波山登山をすることにしました。

ほぼ毎週六甲山や神戸背山の山歩きをしているので,結局のところ普段の休日と同じ事をしたことになりますが,ひとつ贅沢なことは山歩きのあとで,オフ会場のホテルの温泉にのんびりと浸れること。まあ神戸にも,山の疲れを癒してくれるおねえちゃんたちがいる福原という温泉街が,ん?こらこら。金もないくせに。

こうして,昨日は同じ飛行機で茨城入りをした小松原ラガーさんとつくばセンターまでご一緒し,ここで豪華な正餐[76836]を予定していた氏とは別行動をとり,筑波山神社の青木屋へ直行。当然,まだ誰もオフ会メンバーは居ません。
観光案内所では筑波山ハイキングのお勧めルートとして,筑波山神社・標高約280mから白雲橋コースで一気に女体山頂・標高877mへ登り(所要110分),筑波山上を御幸ヶ原へ(所要15分)を経て,男体山頂・標高871mへ移動(更に15分)した後,ふたたび御幸ヶ原へ(所要15分)へ戻りケーブルカーにそった御幸ヶ原コースを筑波山神社へ下る(所要70分)ルートを教えてもらい,昼食を済ませて早速登ることにしました。
ガイドにある上記所要時間を合計すると225分(2時間45分)となり,山上でちょっと時間をとっても十分明るいうちに戻ってこれる計算です。

実際にこのコースで登ってみると,
筑波山神社(12時48分)→女体山頂(13時56分)→男体山頂(14時18分)→御幸ヶ原で休憩(14時30分~35分)→筑波山神社(15時26分),合計所要時間158分(1時間38分)でした。因みにこの間の歩数は13,327歩。
御幸ヶ原ではケーブルカーで先に到着していた小松原ラガーさん,EMMさんと遭遇[76836]
登山道の状況は六甲の登山道によく似ており,MasAkaさんの解説によると,筑波も六甲も花崗岩の山だから似ているだろうとのこと。私には特に摩耶山(神戸市灘区,標高702m)の青谷道登山コースに非常に良く似ていると感じました。あまりにいつもと同じ光景なので,道中で振り返えればポートアイランドが見えそうな錯覚さえも。

さて,15時30分に青木屋へ入ると,すでに白桃さんやグリグリさんの一行が到着済み。
記録すべきは,今回のオフ会で通算のオフ回参加経験者の合計は60名の大台に。
第1回参加28名+第2回新規参加14名+第3回新規参加3名+第4回新規参加6名+第5回新規参加3名+第6回新規参加4名+第7回新規参加2名=合計60名
(60名で書き込みから受ける印象と実際にオフで会った印象との一致ランキングと,ギャップランキングの投票でもしたらおもろいかも)
それと,もう一つ。落書き帳誕生日11月21日に初めて掛かった目出度いオフ会となりました。

オフ会会場での顛末については,他の参加者からの書き込みにお任せするとして,(というより,私からはとてもとても・・・)開催に尽力された幹事のいっちゃんさんのお骨折りと,オーナー・グリグリさんを中心とした暖かい輪に感謝感謝!
朝風呂で入った屋上の露天風呂から眺める景色は,まさに「雲上の湯」。絶景でした。

帰りの飛行機から見た富士山の絶景に見とれながらも,早くも次のオフ会に思いを馳せて。
[76793] 2010年 11月 15日(月)19:11:27ニジェガロージェッツ さん
渡辺は番地にあらず
[76789]EMM さん
全国の渡辺さんが起こした運動により大阪市中央区久太郎町4丁目の「番地」として残っています。

「 」付きで「番地」などという,なんとでも解釈できるいい加減な表記はやめましょう。
一般に番地というと,地番を連想します。
細かい指摘で恐縮ですが,大阪市中央区久太郎町四丁目の「渡辺」は,新住居表示における街区符号です。
[76277] 2010年 10月 1日(金)10:31:25【3】ニジェガロージェッツ さん
近江俊郎 伊藤久男
[76267] 白桃 さん
逃亡先国の人口データにつきましては、(中略)コチラをご参照されることをお勧めいたします。(笑)
どこかと思えばうちですか(汗)。いつもご愛顧ありがとうございます。
最近はまともな運営を滞らせており,白桃さんのご宣伝通りのサイトには程遠い状態で申し訳ございません。
2009年1月1日も2010年1月1日の人口データも入手しておりながら,データの更新作業をサボっています。ということで,この場をお借りしてフォローさせていただきます。

[76266] 淡水魚 さん
この州は(中略)人口は約143万人
2010年1月1日現在の州(地方/クライ)の人口は1,400,426人です。丁度奈良県人口と同じくらいです。面積は日本国の約2倍強ありますが。

この州は17郡と7都市で構成
郡(地区/ラヨン)と都市(市/ゴーラト)の数としてのデータとしては間違いありませんが,行政区画構成を述べるのであれば誤解を招く表現です。
正しくは17郡と6都市です。7市のうちの1市は郡に属しています。

人口は578,000人だそうです。ガイドさんの説明では、物騒な名前の市より多いとのこと。
確かに,物騒な名前の軍港都市の人口をわずかに上回っていますが,これはここ2年前あたりからのことです。両市はこの地域(日本面積の16倍)の双璧をなす二大都市で,歴史的にも人口争いを続けています。今月行われる国勢調査の結果では逆転しているかも知れません。その程度の微妙な差です。そう言えば区の数も共に5区です。
以下,両市(便宜上,淡水魚さんの逃亡先を「大河市」,もう一方を「軍港市」と記す)の人口推移です。
日付大河市人口軍港市人口備考
1897年2月9日14,97128,933国勢調査
1939年1月17日207,347206,432国勢調査
1959年1月15日322,744290,608国勢調査
1970年1月15日435,962440,889国勢調査
1979年1月17日552,848554,789国勢調査
1989年1月12日597,678631,015国勢調査(常住人口)
2002年10月9日583,072594,701国勢調査
2005年1月1日579,047586,829国家統計局発表
2006年1月1日578,060583,673国家統計局発表
2007年1月1日577,409580,821国家統計局発表
2008年1月1日577,345578,800国家統計局発表
2009年1月1日579,168578,619国家統計局発表
2010年1月1日580,665578,213国家統計局発表
以上,市単独での人口です。
日本の市町村制度とは違うので分かりにくいですが,大河市は市と市域が一致している一方,軍港市の場合は市域が市外の農村人口26,613人(2010年1月1日)を含み,市行政区域全体の人口は604,826人(同)です。なお市行政区域の面積は大河市386km2,軍港市562km2です。

また,1939年1月17日の国勢調査結果については全国的に水増しの可能性が指摘されています。実はその2年前の1937年1月6日にも国勢調査がありましたが,「人口が予想外に少ない」と鋼鉄の男の逆鱗に触れ,関係者が処刑されたと聞きます。その「やり直し」調査が1939年の国調ですが,最近では幻となった1937年調査こそが実態に近いのではないかと言われています。国の体制が違えば国勢調査も命がけです。(平成22年国勢調査当日の書き込みに因み)

ところで,もうそろそろきちんとした都市名を挙げてみてはどうでしょうか。
こういう推測を好む人も多いことは間違いありませんが,読み難いことで好まない人もおられるでしょう。私はどちらかと言えば後者です。


追伸:
メンバー紹介のニジェ名義の変更有難うございました。なんだか照れくさいですが,メンバー紹介文にたがわぬように引き締めなければなりません。早速の更新作業に感謝申し上げます。
大変お手数をお掛けいたしました。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示