ここのところ、多忙その他で、ROMになっておりました。自分色を前に足踏みしております。本日、久々にたっぷり過去ログを読むことができ、10000番台にやっと到達しました。過去ログ(及びアーカイブス)を読み進めると、私が触れたかった話題に関しても、皆さんがさまざまな意見を出していらっしゃいます。そうした議論を、私も再びしたいです。
自治体の合併等に際し、新たな名前をつける場合に、いくつかあると思います。( )内は、便宜上、説明として付記しました。
1 | 自治体を代表する中心的な集落・都市の名前を使用する(代表地名)。 |
2 | その地方を総括するような地域名を使用する(地域地名)。 |
3 | 元来は広範囲を総称する地名であるが、その一部分の地域に対して使用する(広域地名)。 |
4 | 従前の自治体等の頭文字等を組み合わせて使用する(合成地名(部分合成))。 |
5 | 従前の自治体等の名称を並べて使用する(合成地名(連称))。 |
6 | 新たに、感覚的に美しいと思われる名前を使用する(瑞祥地名)。 |
7 | 既存の地名等に、東西南北等を付加して区別して使用する(抽象地名)。 |
まず今回は、「合成地名」についてです。
正直、私はこの「合成地名」、どうも違和感をぬぐえません。ひとつは、日本語で省略して表現する特性です。日本語は、漢字をうまく使う文化だと感じていますが(最近「来○」の話題も多くありました)、日本語の場合、漢字で2文字、音で4音にして略すことが好まれ、多いようです(原点に定かな記憶はありませんが、各所の言語学に関する文献に見た記憶があります)。過去レスにも、
[8395] 黒髪 さん ほか 電力会社の略称
[8492] 愛比売命 さん ほか 大学の略称
[3342] 両毛人[YSK] さん ほか 高校の略称
などで、略し方の例が紹介されています。
例えば、「○×町」と「△□町」が合併し(○、×、△、□はそれぞれ漢字一文字)、あらたに「○△市」になったとします。この場合、「○△市」が定着した後は、「来○」と呼ばれることが多いでしょう。「来△」は、実態としては少数です。どうしても一文字目をとることが多く、だからこそ、合成地名の時には順序が議論になると思います。その結果、旧「△□町」の住民からすれば、「違う町であるように感じる『来○』」に違和感があるのではないでしょうか。さらにいうと、「△□町」が、昭和の大合併時に「△▲村」と「□■村」の合成地名であったなら、旧「□■村」の住民からすればいかがでしょうか。合成地名には、このような現象があると思います。
「来○」ではありませんが、私の地元香川県の合成地名の例をいくつか紹介します(ついに居住地をばらしてしまいました)。合成地名の実態(地名が各所に波及する例)を、皆様はどうお感じになるでしょうか。
例その1
香川県内には郡が7つあります(さぬき市・東かがわ市の誕生に伴い既に消滅した大川郡を便宜上含む)。
現在の郡名 | 明治の大合併前の郡名 |
小豆郡 |
大川郡 | 大内郡・寒川郡 |
木田郡 | 三木郡・山田郡 |
香川郡 |
綾歌郡 | 阿野(あや)郡・鵜足(うた)郡 |
仲多度郡 | 那珂(なか)郡・多度郡 |
三豊郡 | 三野郡・豊田郡 |
合成地名のオンパレードです。この合成後の郡名そのもの、またはそれを利用した町名も多いです。
大川郡大川町(現さぬき市の一部)、綾歌郡綾歌町(現丸亀市の一部)
綾歌郡綾南(りょうなん)町、綾歌郡綾上(あやかみ)町、仲多度郡仲南(ちゅうなん)町
ただし、綾郡、仲郡の表記は古来から一部併用されていた例もあるようですが(「香川県歴史地名大辞典」(角川書店))。
例その2
現東かがわ市三本松に、かの有名な「香川県立三本松高等学校」があります。前身は、「香川県立大川中学校(旧制)」です。上記大川郡発足は明治23年、大川中学校となったのは明治36年(明治33年に高松中学校大川分校として発足)、同窓会は「大中三高会」です。やはり「大」で略します。三本松は、旧寒川郡ではなく旧大内郡で、東かがわ市発足前は大内町内でしたから、まだましですが(大内町が「広域地名」であることはまた改めて)。
例3
「香川県立笠田高等学校」があります。現住所は三豊郡豊中町笠田竹田です。「笠高」と略します。豊中町は、発足しました。笠田村は明治23年の明治の大合併時に、笠岡村と竹田村が合併し、「笠田村笠岡」「笠田村竹田」となりましたが、昭和30年の昭和の大合併で笠田村、本山村ほかが合併して(豊中村を経て)豊中町が誕生した時には「豊中町笠岡」「豊中町竹田」ではなく、「笠田」を残し「豊中町笠田笠岡」「豊中町笠田竹田」ました。つまり「竹田」にあるにもかかわらず「笠高」なのです。前身を経て「笠田高等学校」の名称になったのは、笠田村当時の昭和24年です。
例4
上記三豊郡豊中町を含む三豊郡7町は、来年1月合併しますが(拙稿
[38524])、ほぼ、旧「三野郡」です。旧「豊田郡」部分はわずかにもかかわらず、新市名は「三豊市」です。ちなみに、このことを指摘すると、とある人は「『西かがわ市』よりはいいだろう」とコメントしましたが。
例5
やはり上記豊中町。町名の由来は「三豊郡の中央」だからだそうです(上記角川書店地名辞典より)。「三野郡」の中央の「三中町」なら、まだわかりますが。
例6
新観音寺市となる観音寺市と1市2町(上記拙稿
[38524])と上記三豊郡7町は、西讃地方、三豊地区とも呼ばれますが、「三豊・観音寺地区」と呼ばれることもあります。この場合、やはり「三観地区」と略されます。「豊」は割愛されてしまいます。
[19933] でken さんが紹介されている「こんな市名はもういらない!」を、注文していたのが本日届き、ぱらぱらとめくっていますが、この本の議論は極論かもしれませんが、私には趣旨はよくわかります。自治体名は当該住民が決める、という趣旨は非常にごもっともなのですが、今の住民が、将来にも残るであろう自治体名を、「合併時の配慮」「一時的な流行」では決めて欲しくない、というのは感傷(干渉)でしょうか。せっかくですから、「明治や昭和の大合併で誕生した100年や40年の歴史」の名称ではなく、「律令・平安時代からの1000年を越える古来からの歴史」のある名称を尊重して欲しい、と思います。
ただ、合併が進む実態を考えると、
[20446] [20468] 両毛人 さん
[20449]NSさん ほか
が書かれているように、「自治体名と地名は別」と割り切る考えが、不本意ではありますが、やむをえないのでしょうか。ここでいう狭義の「地名」が、前述の古来からの大字・小字や郷と思います。
出尽くされた議論なのかもしれませんが、皆様のご意見をいただければ幸いです。
長文で失礼しました。