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eiji_tさんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[45248]2005年9月30日
eiji_t
[45237]2005年9月29日
eiji_t
[45218]2005年9月29日
eiji_t
[45200]2005年9月28日
eiji_t
[45179]2005年9月27日
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[45173]2005年9月27日
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[45168]2005年9月26日
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[45165]2005年9月26日
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[45142]2005年9月25日
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[45119]2005年9月24日
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[45098]2005年9月23日
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[45093]2005年9月23日
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[45087]2005年9月22日
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[45062]2005年9月21日
eiji_t
[45050]2005年9月21日
eiji_t
[45041]2005年9月20日
eiji_t
[45033]2005年9月20日
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[44949]2005年9月17日
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[44914]2005年9月16日
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[44902]2005年9月15日
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[44890]2005年9月14日
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[44869]2005年9月13日
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[44849]2005年9月12日
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[44833]2005年9月11日
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[44819]2005年9月10日
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[44788]2005年9月9日
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[44775]2005年9月8日
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[44749]2005年9月7日
eiji_t
[44748]2005年9月7日
eiji_t
[44728]2005年9月6日
eiji_t
[44690]2005年9月5日
eiji_t
[44673]2005年9月4日
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[44667]2005年9月4日
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[44665]2005年9月4日
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[44636]2005年9月3日
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[44619]2005年9月2日
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[44614]2005年9月2日
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[44595]2005年9月1日
eiji_t
[44397]2005年8月21日
eiji_t
[44376]2005年8月21日
eiji_t
[44227]2005年8月17日
eiji_t
[44186]2005年8月15日
eiji_t
[44144]2005年8月14日
eiji_t
[44075]2005年8月12日
eiji_t
[44072]2005年8月12日
eiji_t
[44036]2005年8月10日
eiji_t
[43976]2005年8月8日
eiji_t
[43895]2005年8月6日
eiji_t
[43678]2005年7月28日
eiji_t
[43552]2005年7月26日
eiji_t

[45248] 2005年 9月 30日(金)07:24:14eiji_t さん
十番勝負 他
[45238]グリグリさん
了解しました。
[42272][44320]グリグリさん
の記事や、
[45056]愛比売命 さん が指摘された
[31483]グリグリさん
の記事を先に読んでいたら、別掲示板の提案をしなかったと思います。
ただ私の提案に、沢山の方のご意見が聞けて参考になりました。ありがとうございました。
十番勝負に挑む方、がんばってください。

[45239]グリグリさん
実は心配していたのですよ。
[45022]グリグリさん
オフ会ツァーの後遺症でちょっと疲れています。
の後、短い記事一つ書いて、その後沈黙を守っていたので、病気になられたのかと…
忙しかったのですね。安心しました。
[45033]eiji_t
の※印以下の訂正の要求の記事、削除出来ないでしょうか?
30時間以内に訂正されていれば自分で削除するつもりでした。
[45237] 2005年 9月 29日(木)22:09:31eiji_t さん
江戸時代の地図と茨城
江戸時代に何故か茨城ゆかりの地理学者や地図製作者や探検家が輩出しました。
今月17,18日水戸で開かれた日本地理学会に因み、県内の博物館や資料館が連携して茨城出身の地理学者たちが紹介されています。
大洗の幕末と明治の博物館など。
 
高萩出身の長久保赤水は、「伊能図」より約50年早く縮尺と経緯線を導入した最初の地図、いわゆる「赤水図」を作りました。ただ赤水は伊能忠敬と違い測量は殆どせず、情報を収集して赤水図を作り上げました。赤水図は江戸時代に多くの人々に利用されました。
土浦の沼尻墨僊は日本で始めて折り畳み式の地球儀を作りました。
その他「間宮海峡」の間宮林蔵(伊奈町)、鷹見泉石(古河)など。

[45234][45236] hmt さん
が詳しく説明してくれた伊能忠敬も13歳の頃から、土浦の寺や医家で算術や医術を学び、後の地図製作の基礎を培った言われています。

水戸学を基礎に、蘭学を取り入れて先進的面を見せた水戸藩士も、幕末には「桜田門外の変」の水戸浪士や「天狗党」など破壊的役割を果たしただけでした。
[45218] 2005年 9月 29日(木)07:47:49【1】eiji_t さん
かな表記 公式では「おう」地元では「おお」
茨城県日立市に残る町名「会瀬」、明治22年の町村制施行まで村、その後高鈴村、助川町、日立市の大字。
『常陸風土記』に拠りますと、奈良時代まではこの辺りは広く「遇鹿郷あいがのさと」と呼んでいた。
その後海岸辺りだけ遇鹿の遺称「相賀あいが」の地名が残ります。
徳川光圀が元禄11年に「相賀」を「会瀬」と名付けたそうです。
前にも書きましたが、茨城県には黄門様が名付けた、あるいは黄門様由来とされる地名が沢山残っています。真偽は「?」。

識者は「会瀬」は「逢瀬」に通じ、「おうせ」が正しい、と言います。
地名辞典、地図、郵便番号簿などでは「おうせ」、日立市の見解も「おうせ」。
でも地元では「おおせ」に馴染がある。
公的機関では、会瀬に在る保育園の正式名称は「日立市立おおせ保育園」。
茨城大学工学部の留学生の為の寮の名は「おおせ国際寮」。
仮名で「おおせ」の名称を付ける店舗の数3。「おうせ」は無し。
地元の祭りの名称は「おおせ夏祭り」「おおせ秋祭り」

おおせ保育園中退、会瀬小学校卒業の私も「おおせ」派。
牛山牛太郎さん編集の「海岸」コレクションでも「会瀬海岸」の読みは「おおせ」、
出典は何処でしょうか?

全国でも「会瀬」の地名は他に無し。「会」を使った地名の読みも「かい」「え」「あい」の3種類だけ。
例外は兵庫県美方郡村岡町川会(かわい)。これは「かわ・あい」の音便で「あい」に入るでしょう。

※追記
「会」を使った地名を調べていたら「会社町」という地名を発見。
福岡県田川市大字奈良 会社町
参考HP:・・デジカメ持ちある記・・>地名!?>会社
由来は不明とのこと。炭鉱と関係あるらしいのですが、どなたかご存知の方は?

※2字追加
[45200] 2005年 9月 28日(水)18:30:47eiji_t さん
地名の読みが昔に戻った小さな例
現在の茨城県日立市中成沢町2丁目の小字に「上の内うえのうち」という地名がありました。
戦前にそこに日立製作所の社宅が出来ると、社宅の新住民たちは「かみのうち」と呼ぶようになりました。旧住民たちは始めは「うえのうち」と訂正していましたが、いつしか「かみのうち」が定着するようになりました。
住居表示変更で「上の内」の地名も無くなり、社宅も取り壊され「上の内」の名はバス停の名だけになりました。しかしバス停には「かみのうち」とルビが振ってあって、バスの車内放送のアナウンスも「かみのうち」でした。
そこで地元の有志が立ち上がってバス会社に掛合い、ついに読みを訂正させる事に成功しました。バス会社にしても、バス停の文字を塗り直す、車内放送の録音テープを一部変更するだけで費用も大してかからずに済んだ事が受け入れた理由でしょう。
日立市も『市報』に経緯を含めバス停呼称変更の予告記事を掲載しました。異例とも言うべきでしょう。平成2年の事です。

現在同地区には「上の内」という名を使った建物がアパートと会社の寮の二つ。どちらも読みは「かみのうち」らしいです。誤った読み方が一度定着すると訂正は難しいということでしょうか。
でもバス停だけでも昔の読みに戻させた有志たちの努力は無駄ではなかったと思います。
[45179] 2005年 9月 27日(火)08:38:07eiji_t さん
お遍路+シメジ
[45157]88 さん
結願おめでとうございます。

私は20年前の夏、お遍路まがいの四国放浪をしました。白衣、納め札、納経などをせず(何故か恥ずかしかったのです)船で入った高松から順路で1ヶ月余り、途中をはしょり(24^26,38^40,山の札所など)寄り道をしながら、約1ヶ月殆ど野宿でした。まがいものでも「お接待」を受け、四国の方々の暖かさを感じました。いつか本物のお遍路をしようと思いつつ、20年が過ぎてしまいました。

[45176]EMM さん
長野県でも「イッポンシメジ」でしたか。
私が長野で聞いた時は、イッポンシメジは毒だという人と食べられるという人がいて混乱した記憶があります。県内でも地域差があるのでしょうか。
「クサウラベニタケ」(ウラベニホテイシメジとは生える林が違う)
最近の本(2003年刊)によると、最近のキノコ図鑑にはイッポンシメジを載せないそうです。専門家でも見分けがつき難いからだそうです。
もしかしたら「生える林」によって、同じ茸でも毒性が出たり出なかったり?
キノコだったら、その可能性も…
[45173] 2005年 9月 27日(火)00:13:07eiji_t さん
Re:鮎川さん
[45169]Issie さん
「鮎川」というのは偶然の一致,なんでしょうかね。
はい、全くの偶然です。
日立鉱山を興したのは鮎川義介の義弟の久原房之助です。やはり山口県萩出身です。最初の名称は「久原鉱業所日立鉱山」です。日立鉱山で成功した久原は各地の鉱山を開発し、久原財閥を作り上げますが、義兄の鮎川に経営を譲り政界に進出します。鮎川はこれを三井三菱を凌ぐ戦前最大の財閥「日産コンツェルン」に育て上げます。鮎川も後に政界入りします。
日立製作所を興したのは栃木県出身の小平浪平です。電源開発のため技師として日立鉱山に入社した小平はそれが一段落すると、日立鉱山の敷地に建てた30坪の掘立小屋で輸入機械の修理を始めます。
1910年電気機械の国産化に成功し翌年独立します。
[2369]たけもと さん
大正9年(1920):株式会社日立製作所発足。
とありますが、それは上記の名称を名乗った年で、実際の独立は1911年です。明治の男小平は恩義ある久原家に義理立てし、久原が久原鉱業所を引退するまでは、会社を久原鉱業所日立製作所としていました。日立製作所は鮎川義介の「日産コンツェルン」の傘下に入りますが、完全に支配されたわけではありませんでした。
今回のレスの為、google検索をしてみたら、日立製作所の創業者=久原房之介というのが多数ありました。明らかな誤りです。インターネットの危うさを感じます。

鮎川村の名の由来はそこを流れる「鮎川」です。全長わずか11kmですが深い渓谷を作って流れています。よって鮎川村と鮎川義介は完全に無関係です。
ちなみに私が今住んでいる所は、昔の鮎川村です。日頃はそんな事全然意識しませんが。

今年3月31日で廃線になった日立電鉄の「鮎川駅」は終着駅です。JR線との接続も無く「何で此処が終着駅?」という感じでしたが、それは日立市の中心部への線路の延長の計画が鮎川の渓谷を越える鉄橋の費用の点で、頓挫したからです。線路が市の中心部へと延びていたら、廃線もどうなっていたか。

日立市民にとって、上記3名のうち最も知名度が高いのは、圧倒的に小平浪平です。
尤も日立鉱山に関係の深い地区では久原房之介かもしれませんが、私はそちらは詳しくありません。鮎川義介は最も遠い存在です。
[45168] 2005年 9月 26日(月)19:03:09eiji_t さん
Re:水系が気になる今日この頃 矢部川
[45144]らるふさん
[45156]いっちゃんさん
[45167]らるふさん
「一級水系の流域が10ある県」「熊本県」
やはり水系が気になる私も「一級水系の多い順に一覧を作れば便利だな」と思い、検索すると有りました。部分的ですが(上位4位までと、下位3位まで)。
[42686]futsunoおじさん
しかしここでは、熊本県は水系が8で、長野県と並んで2位対でした。
futsunoおじさん は、ご自身が紹介した「週間 にっぽん川紀行」1~3巻に付録としてついてる"分水嶺がわかる日本河川全図"を参照したのでしょう。
この図の裏面の河川毎の一般的データの表には、「矢部川水系」「川内川水系」は熊本県が入っていないのです。ご自身も、
(記載事項に疑問が全くないわけではないのですが。)
と記しています。そこで熊本県HPで調べてみると…
やはり、「矢部川水系」「川内川水系」が抜けています。
2つの水系の熊本県内部分は、どこが管理しているのでしょうか?国ですかね。

また熊本県内の矢部川水系をウォッちず
で見てみると、2戸の民家らしい記号があります。また周りに水田の記号もあります。もし此処に現在も人が住んでいるとなると、以前話題になった長野県内の利根川水系「田口峠を隔てた馬坂・広川原地区」に住む39人より少ないでしょう。
ARC分水界、川の流れに関する雑学集
もし住民が住んでいたら、その人達は熊本県と福岡県の間でどのような生活をしているのでしょうか。想像が膨らみます。

水系に関しては、まだまだWonderが隠れていると思います。
らるふさん、いっちゃんさんにそのことを再認識させていただきました。
[45165] 2005年 9月 26日(月)11:25:20【1】eiji_t さん
日立市 日立製作所 日製
[45158]ゆう さん
工場設立の少し前までは那珂郡勝田町でしたから、那珂工場の場合は隣町の名前を借りたとまでは言い切れないように思います。
貴重なご指摘有難うございます。
私の考えでは、那珂郡の名を採用した可能性は少ないと思いますが、あらゆる可能性を考慮に入れたいと思います。
直接尋ねるのが早道でしょうが、何故か億劫です。
私の場合は問題の周辺をウロウロしているうちに、ヒントを見つけると云う遣り方をしています。

ところで、そもそも「日立」が地名由来の企業名なのですが、今となってはその地位は逆転してるようです。
その通り!それどころか、企業名が先だと誤解される場合が非常に多いのです。
「落書き帳」でも昔話題になったことがありますが、
[2363],[2364]Issie さん
[2369]たけもと さん など
纏めますと、 日立村<日立鉱山<日立製作所<日立町<日立市。

専門家でも誤解している例があります。
地名学の大御所、谷川健一氏は『現代「地名」考』(1979)の
第3章「病める現代地名」で企業由来の地名を戦後の豊田市と共に戦前派として日立市を挙げ ています。
都市社会学の権威、磯村英一氏も共著『都市と文化』(1980)所収の「地名を守る」で、
「企業の名称が地名にとって代わる」として光市、豊田市、日立市を挙げています。
※光市は海軍工廠が名称の由来 光市の沿革

ところで、
地元では日立製作所を「日製(にっせい)」、日立市を「日立」と呼び区別しています。
全国的には「日立」と聞けば日立製作所を、「にっせい」なら生命保険会社を連想するでしょうか。
地域によって、「にっせい」と略称する企業は他に沢山ありそうですね。「日成」「日精」…

このところ大学の略称が話題になりましたが、企業もその地元だけで通っている略称が存在する事でしょう。

※1ヶ所訂正
[45142] 2005年 9月 25日(日)10:43:08eiji_t さん
キノコ 4
[45137]YSK さん
新規アーカイブに「秋、キノコを楽しもう」を加えて頂きまして有難うございます。

「キノコの話は自粛します」と宣言しましたが、その後も書込みがあり、といって「落書き帳」がキノコ一色になる程では無い様なので、コメントします。

[45101]般若堂そんぴん さん
ベニテングダケの毒抜き法、有難うございました。手に入ったら試したいと思います。

[45108]EMM さん
・イッポンシメジ(ウラベニホテイシメジ。毒キノコの「イッポンシメジ」のことを指すのではない)
ウラベニホテイシメジ(食)をイッポンシメジと言う地方があることは聞いてました。石川県でしたか。

イッポンシメジ(毒)をそちらではどう呼んでいるのでしょう?区別していると思われますが。
クサウラベニタケ(毒)(イッポンシメジ(毒)を含む)はウラベニホテイシメジ(食)と似ている為、誤食が多く全国のキノコ中毒の3割を占めているそうです(東京都衛生局調生活環境保健課)

[45113]北の住人 さん
「舞茸」、私の辞書では、その形が「舞っているような観を呈する」とあります。
『広辞苑』にも
1).全体の姿が舞っているように見えるから
2).見つけると思わず舞うほど珍重するから
と有り、この二説は前から知っていました。ただ、
[45088]北の住人 さんの、
今昔物語に、食べると踊り出すキノコを舞茸と呼ぶようになったが、今の舞茸を食べても必ずしもそうならない、という話があるようですが、現代のとは別物でしょうか。
の文面を「食べると踊り出す程美味しいから」と読み間違えて、この説は初めてだったので、
[45091]じゃごたろ さん
と同じく「見つけると踊り出す」説だけ紹介したのでした。
そして「昔は美味しかったのに現代のは不味くなった」解釈して
天然の舞茸は、現在の物でも非常に美味しいですよ。
と、頓珍漢な返事をしてしまったのです。

改めてgoogleで「今昔物語 舞茸」で検索してみました。
どうも「今昔物語」の話は、神経毒性のキノコを食べて踊り出してしまったのですね。
オオワライタケではないかと出ているサイトもありました(真偽不明)。
どうやら「今昔物語」の舞茸と、現代の舞茸は別物の様です。
「きのこ観察会」は事故に遭う危険が少なく良い方法ですね、ただ観察だけだと…

[45134]みやこ♂ さん
「キノコと地域性」と言えば,「チタケと栃木県」に勝るものは無いのではないでしょうか。
(チタケ:チチダケ,チダケとも)
先日テレビで栃木県のチタケの事を放送していました。最後まで見ていなかったので調理法までは…
「そうか、ダシにすると良いのか」参考になりました。
こちらではチチタケと呼んでいたと思います。

つい長文になってしまいました。やはり自粛は必要か…
[45119] 2005年 9月 24日(土)16:50:35eiji_t さん
合成地名から、外された村々+コレクションから漏れた1件
茨城県那珂郡の明治時代からの合併事情を調べていましたら、以下の例を見つけました。
佐野村は合併した旧5村の内、人口上位の2村から名を取った合成地名です。残り3村は地名から外されてしまったのです。那珂郡には同じ例が他にありました。

・合成村名/名を使われた村/外された村

・佐野村/佐和村,高野村/高場村,田彦村,稲田村
・川田村/枝川,津田/堀口,市毛
・中野村/中根,部田野/東石川,柳沢
・前渡村/前浜,馬渡/長砂,足崎
・上野村/上岩瀬,宇留野/下岩瀬,根本,泉
・塩田村/北塩子,西塩子,照田,長田/長沢
・勝田村/勝倉,武田,三反田/金上
(※勝田村は勝田町<勝田市となり1994年まで残る)

他に過去ログを検索したところ下の1例だけ見つかりました。
[39232]地名好き さん
1955/04/15に「金砂村」+「金郷村」+他2村=「金砂郷村」
現在の常陸太田市です。
他2村とは郡戸村,久米村です。金砂郷村の場合は昭和の合併です。

4村以上から合成地名を考え出すのは難しかったのかなあ。合成名から外された村々は「味噌っかす」扱いにされた気持にならなかった?

他にも有りそうな気がします。情報をお願いします。

※「合成地名」コレクションに入っていない、一応合成地名を見つけました

茨城県那珂郡・上檜沢,下檜沢の「檜」+氷ノ沢の「沢」=「檜沢村」
56.9.29美和村、現在の常陸大宮市

両檜沢から「檜沢村」じゃ無いの、という感じですが、
『茨城県町村沿革誌』(明治30年刊,1976年の復刻版を参照)
『茨城県市町村合併史』(1958年刊,茨城県総務部地方課編)
には、上記のように合成名と出ていました。氷ノ沢村を納得させる為にこじつけたのか?
判定をコレクション編集者にお任せします。
[45098] 2005年 9月 23日(金)21:33:00eiji_t さん
舞茸
[45088]北の住人 さん
舞茸というのは、雅な時代にはどうだったのでしょうか。今昔物語に、食べると踊り出すキノコを舞茸と呼ぶようになったが、今の舞茸を食べても必ずしもそうならない、という話があるようですが、現代のとは別物でしょうか。

天然の舞茸は、現在の物でも非常に美味しいですよ。
商品名「ゆ※ぐ※まいたけ」など一般に出回っているのは、栽培物です。
味、香りなど比べ物になりません。栽培のおかげで何時でも安価に手に入れる様になりましたが、舞茸ってこんな物かと思われると…
[45091]じゃごたろ さん
「舞茸」も非常に風味があって、味噌汁にすると他にダシがいらないほどのおいしさですよ。
じゃごたろ さんが言っているのも天然物だと思われます。
舞茸は「束生」といって株になって生えています。時には1株,数kgにもなって、見付けると踊り出すほど嬉くなる理由の一つです。数年前、東京都心の青山墓地で舞茸の大きな株が見つかった、という記事を読んだことがあります。

スーパーなどで買える茸は、松茸を除いてほぼ栽培物です。
茸の天然物と栽培物の差は、魚の天然物vs,養殖物以上だと思います。

シメジに至っては栽培化が成功した別種を「※※シメジ」として流通させました。
先に栽培化が成功したヒラタケに対し後に栽培化された「ブナシメジ」が、先のヒラタケと区別する為に「本しめじ」「ホンシメジ」などという名で出回りました。消費者は混乱し、ついに公正取引委員会が排除勧告をして、本来のブナシメジという名に戻りましたが、混同する人が未だいます。

ヒラタケの天然物はこれから(晩秋から初冬にかけて)採れます。シメジと違った美味しさがあります。ところが栽培物は外観をシメジに似せる為に味を無視した特殊な栽培法で育てています。

話し出したら一晩中でも話し足りないほど、キノコ好きのeiji_tですが、ここはキノコのサイトではないので、以後キノコの話は自粛します。
[45093] 2005年 9月 23日(金)09:19:38eiji_t さん
ひたちなか市の中の水戸、那珂、東海工場
ひたちなか市の日立製作所の5工場の内、3工場が設立当初近隣の水戸市,那珂町(現在那珂市),東海村から名を借りています。残る2工場の内、佐和工場は勝田市(当時)大字佐和にはない。近くの常磐線佐和駅からか(佐和駅も大字佐和には無くややこしい。精細は略)
つまり5工場中4工場が地名と工場名がずれていたのです。

現在は水戸工場以外は地名に関係ない事業部名に変更していますが、バス停,交差点名などはそのままで、地元では今でも旧工場名で呼んでいます。
地図1那珂工場,水戸工場,勝田工場
地図2東海工場,佐和工場
マピオンの地図でも旧工場名で表示していますね。

ひたちなか市の日立製作所の工場名のリスト
・旧工場名(設立年)現在の名称/ひたちなか市の大字

・水戸工場(1940)水戸事業所/市毛
・那珂工場(1960)計測器事業部/市毛
・勝田工場(1961)火力・水力事業部素形材本部/堀口
・佐和工場(1968)自動車機器グループ/高場,稲田にまたがる
・東海工場(1968)デジタルメディア製品事業部/稲田,高場,田彦にまたがる

水戸工場の名の由来だけは判りましたが、戦争に絡んでいて少々重いので別にレスします。

他の工場は『日立製作所史.3』『那珂工場二十年の歩み』『勝田市史近代・現代編2』にも命名の由来が載っていません。
以下私の推理
水戸工場以外は、他工場の分工場として発足(現在は独立)。
那珂工場,佐和工場>多賀工場(日立市)
勝田工場>水戸工場
東海工場>横浜工場
つまり日立市、横浜市など他地域の日立製作所の関係者にも判り易い工場名にしたのか。
また那珂工場,水戸工場,勝田工場、東海工場,佐和工場はそれぞれ並んでおり区別をつけるためか。

中途半端ですが、鋭意調査中。情報があればお願いします。
[45087] 2005年 9月 22日(木)19:39:34eiji_t さん
キノコ
[45065]じゃごたろ さん
[45066]般若堂そんぴん さん
スギヒラタケ
全国に分布しているそうですが、主に食べるのは東北と新潟だそうで、私の地元茨城でも、キノコ狩りを経験した長野でも聞いた事はありませんでした。患者も青森,岩手を除く東北4県と新潟と北陸と岐阜などでした。食分布と重なっていると思われます。
2005.5.15の毎日新聞に患者の脳に特異な組織破壊が見つかったという記事が出ていました。
(5.31朝日新聞科学欄にも同様の記事)
しかし、いまだ原因物質が特定出来ていないのは不安ですね。

[45080]音無鈴鹿 さん
詳しい解説ありがとうございました。参考になりました。
ホテイシメジの成分であるコプリン
ヒトヨタケにもコプリンが含まれ、同様の症状を引き起こすそうですね。そこら辺に生えているヒトヨタケが食べられるとは知りませんでしたが、近縁のササクレヒトヨタケは美味しいそうです。
ベニテングタケですが、神経毒のムスカリンと、中枢神経系に作用するイボテン酸、シロシンが含まれています。
ベニテングタケの生食は二度としませんし、お勧めしません。
おそらく毒抜き法は非酸素条件で”還元”するのだと思います。わずかながら毒性があり肝障害を引き起こすとのことなので、やはり食べないほうがいいのでしょう。
毒抜きというより弱毒化ですね。だからキノコの本にも、毒抜き法を書いていないのですね。でもベニテングタケのダシのうどんは、一度は食べてみたい(話してくれた人があまりに美味しそうに言うもんで)。

ベニテングタケは主にシラカバ林に生えています。白い木肌のシラカバの間に赤い茸が点々と、運が良ければ「妖精の輪舞」とも呼ばれる菌輪も…

クマ、スズメバチ、遭難、キノコ中毒などの危険にもかかわらずキノコの妖しい魅力は輝いています。
信州の山里で美味しいキノコを味わった時には、何もかも捨てて此処に住み着きたいと考えたほどです。

余談ですが、表題の四コママンガを知ってる方いますか?
『キノコ・キノコ』聞いた事があるような…
で、ググってみました。絵はどこかで見た様な気がします。
最近復刻したそうですね。
[45062] 2005年 9月 21日(水)17:41:29【1】eiji_t さん
秋、キノコ狩りの季節
地理とは直接関係ないのですが、地方によって違いが大きいものなので書きます。

同じ茸が土地によっては珍重されたり、見向きもされない土地があったりと奥が深い。隣県同士でA県は中毒例有り、B県は中毒例なしという茸もあります。
去年はそれまで食用とされていた「スギヒラタケ」が東北中心に大量の中毒者を出しています。

私自身はキノコ狩りの経験は乏しいのでが、その体験談を。

子どもの頃、茸採りは遊びでした。知識が無かった為、採るだけで殆ど捨ててしまいました。その山々も開発されたり、放置されて荒れてしまったりで茸の姿も見られません。

仕事で松本に2年間いた時、2シーズンだけ松本中心に信州各地でキノコ狩りを堪能しました。
慣れてくると面白いように茸が見つかって、キノコ狩りも楽しいですが…
何といっても楽しいのは、自分達で採った茸で鍋を作り、それを囲んで地酒で一杯やることです。初めて会った人とも打解け、酔いも手伝って、夜間は無人になる公営の露天風呂に女の子達も一緒に忍込んで、一晩中騒いだ事もありました。

キノコ中毒にもなりました。ホテイシメジという食用茸ですが、酒と一緒に食べると悪酔いするいうものです。不思議な酔いで自分はハイになって酒を飲みすぎたかな思っただけでした。友人2人は一晩中洗面器を抱えて嘔吐し、救急車を呼ぶ寸前までいったそうです(新聞ネタになるのを恐れて我慢したらしい)。後でその事を聞き、あれはキノコ中毒だったのだと納得しました。

信州の佐久、上田地方では毒茸ベニテングダケを毒抜きして、うどん等のダシにするそうです。残念ながら時期が合わず食べられなかったのですが、非常に美味しいそうです。毒抜き法を聞きそびれました。文献にも載っていません。
詩人のナナオ・サカキ(知る人ぞ知る日本のヒッピーのカリスマ、欧米では有名、現在生きていれば80過ぎ)に会い、一緒にベニテングダケを生で齧ったりしました。今の私を知る者は信じられないそうですが、そっち方面に近づいた事もあったのです。
(ベニテングダケを食べるとどうなるか?2,3本なら死にません。うまくいくとハイになれますが…)

松本市の隣の四賀村(当時)に稲刈りの手伝いに行って、松茸をたらふくご馳走になった事もありました。後で知ったのですが四賀村の松茸は全国でも有名ブランドだそうです。
翌年も手伝いに行きましたが、その年は不作で去年物の塩漬を少しいただいただけでした。欲を掻くと駄目ですね。松茸山のその年の権利を三百万円で買って、2,3本しか採れず一本百万円の松茸を買ったと、笑われた人もいました。

皆さんの地方でも、その地方独特の茸があると思います。その茸や特別な調理法などがあったらお知らせください。

※リンクを1ヶ所挿入
[45050] 2005年 9月 21日(水)07:33:55eiji_t さん
「十番勝負」について
[45049]白桃 さん
貴重なご意見、有難うございます。

1.ここはグリグリさんの「お庭」であり、それはオーナーであるグリグリさんが自らのお考えでお決めになること。
もちろん、これが大前提です。自分のレスで書くべきでした(反省)。

「クイズ専用掲示板」ではなく、本舞台で名をあげることがクイズマニアの本望ではありませんか。例えがおかしいですが、別掲示板はいわばBSチャンネル、そうじゃなくて、全国放映、誰もが見るNHKこそ名誉の舞台なんです。
正直言ってよく解りませんが、情熱はヒシヒシと伝わってきました。

(クイズ専用の掲示板について)
このことにつきましては、以前から議論されていることでありますが、
議論されている記事の番号をお知らせ願えないでしょうか?

私は2年半のブランクの後「落書き帳」に戻ってきた時、「十番勝負」の存在を知りませんでした。第八回十番勝負が始まった時「嵐に見舞われた」と当時そう感じました。
今回、十番勝負に関連する記事をざっとですが読み返してみると、クイズ好きの皆さんの情熱を感じました。
第九回十番勝負に取組む皆さん、頑張ってください。

そこで、弱い提案。
「せめてクイズ関連の記事とその他の記事とを、分けて書込んでいただきたい」

※白桃 さん 一行目、お世辞だと思いますが、非常に恥ずかしいです。自分の文章にコンプレックスを持っています。「下手くそ!」という感じです。
[45041] 2005年 9月 20日(火)21:04:55eiji_t さん
消えた「浦」
[44949]eiji_t において、
池になってしまった「浦」、「阿漕ヶ浦」を取り上げましたが、今回は阿漕ヶ浦の近くに嘗て存在し、干拓で消滅した東海村村松の「真崎浦(正木浦)」を紹介します。

地図
地図では判り難いのですが、中央に水路の通っている水田が真崎浦の一部「広浦」を干拓したものです。
地図を上にスクロールするとやはり真崎浦の一部「細浦」を干拓した細長い水田が見えます。
その右上の池が前に紹介した「阿漕ヶ浦」です。

真崎浦は鎌倉時代までは、村松海岸から入り込んだ入江でした。
生活の場を水際に求めた原始時代から古代においては重要な生活の場であった証拠に貝塚や古墳が多く残されています。
読売新聞2005.9.2茨城版に「真崎古墳群」5号墳から全国で6例目、東日本初の「木椁(もっかく・
棺を納める外枠)」が見つかった、という記事が出ていました。有力な豪族が住んでいた証拠に
なるそうです。
鎌倉時代までは海上交通の要所であり、浦に突出した岬には「真崎城」始め幾つかの城址があり軍事上の拠点でもあったと思われます。

ところが、徐々に入江の口が海流や風によって運ばれた砂に埋もれ、湖沼化しました。砂の威
力はものすごく、近くには砂で埋もれたといわれる村の「千々乱風伝説」が残っているくらいです。
湖沼化した真崎浦は「村松沼」「素絹の沼」などとも呼ばれるようになり、水産資源(魚、鳥、蓮根)の重要な場になります。

しかし、この沼の水面はは海面より低く、大雨時には洪水で沿岸の村々を苦しめました。
そして安政3年(1856)に干拓が始まりました。難工事および開墾者同士の争い、指導者の死去
などで工事は度々中断され完成したのは昭和13年(1938)です。

現在「真崎」の名は小字に残っているだけです。しかし注意してみると、波で浸食された跡が露
出した崖に出くわしたり、内陸にに船場という地名が残っていたりします。

地図や現場に痕跡を探す事は興味が尽きません。、
[45033] 2005年 9月 20日(火)07:14:04eiji_t さん
クイズだらけにならない為に
[45020]いっちゃん さん
[45022]オーナー グリグリ さん
[45027]いっちゃん さん
[45029]愛比売命 さん

「十番勝負」を含めクイズ専用の掲示板を立ち上げたらいかがでしょうか?
そうすればクイズ好きの人は心置きなく、楽しめるでしょう。
私のようにクイズに興味が無い人も、その間に書込んだレスが埋没してしまう心配も無くなるでしょう。
「落書き帳」もすっきりすると思います。
一考をお願いします。


[45025]オーナー グリグリ さん
[45025]葵区さん、
とありますが、
[45024]の誤りではありませんか?
[44949] 2005年 9月 17日(土)15:10:11eiji_t さん
阿漕ヶ浦 阿漕浦
茨城県東海村村松の「阿漕ヶ浦」地図

これで「浦」?ただの池だろう、という感じの阿漕ヶ浦ですが、昔は太平洋の海水が流入する入り江だったのです。
[2956]せか さん
それではなぜ霞ヶ「浦」なのかというと、今から1000年以上前、霞ヶ浦一帯は海水がさかのぼる入り江となっていたからです。
つまり霞ヶ浦の超ミニ版です。

名前は、徳川光圀が伊勢神宮の分霊を祀って近くに「村松大神宮」を造営した時、三重県の阿漕浦(伊勢神宮に供する神饌の漁場)に因んで付けられたそうです。(真偽は定かでありませんが、茨城県には水戸黄門に因む地名が各所に残っています)
原子力関連施設が立ち並ぶ東海村に在って、このあたりは昔の東海村を偲ばせる佇まいです。

ところで、本家の阿漕浦はなぜ「浦」コレクションに登録されてないのでしょう?
「あこぎなやつ」などと使われる「あこぎ」の語源になったほど有名なのに…
「浦」コレクションの「浦」の定義に合わないのでしょうか?
[44914] 2005年 9月 16日(金)07:06:41eiji_t さん
大森貝塚は大森にはない?!
今日9月16日はモースが大森貝塚を発掘して128周年になります。
昨日のの朝日新聞の文化欄に『「大森貝塚」は大森にはない』という記事が出ていました。

記事によりますと、
考古学者でないモースは、発掘場所の精確な記録を残さず「大森停車場の近く」程度の理由で名づけたと思われる。後年、場所を巡って意見の食い違いが出て、記念碑も太井町(現在の品川区太井)と大森町(大田区山王)の2ヶ所に建てられた。
その後の調査で、発掘場所は品川区太井にほぼ確定された。しかし、「大森貝塚=大森を掘った」という思い込みは、考古学者たちも逃れがたいようだ。

[44072]eiji_t で
「1985 日航機墜落現場=御巣鷹山ではない」を取り上げましたが、

「地名は一人歩きする。最初が肝心」という事でしょうか。

参考:大森貝塚は2つある
[44902] 2005年 9月 15日(木)15:12:05eiji_t さん
久遠の仮名表記
[44896] 紅葉橋律乃介 さん
[44899] スナフキん さん
[44900] じゃごたろ さん
[44901] 烏川碧碧 さん

図書館で調べてきました。
『全国市町村要覧』は、平成元年版が図書館所蔵では一番古く「くどう」でした。

他に
『日本歴史地名大系1.北海道の地名』平凡社2003.10と
『角川日本地名大辞典1.北海道(上)』1991.10を調べました。(以下平凡社版、角川版と略)

久遠郡の表記は両者とも「くどお」でした。

平凡社版「クドウ」の説明に、
漢字表記地名「久遠」のもとになったアイヌ語に由来。
仮名表記は他に「クトウ」「クドフ」「クドヲ」など。
漢字表記は「久刀布」「久度布」「久登宇」など。
アイヌ語の語源は「グーウンツウ」弓を置く岬の意。

角川版は語源に、アイヌ語の「クンルー」危路の意、の異説も紹介。

どちらも久遠郡の「くどお」表記の説明なし。
他に久遠神社(くどおじんじゃ)の項あり。

詳しくは、現物に当たって下さい。
[44890] 2005年 9月 14日(水)18:39:09eiji_t さん
Re:合併後の市町村名と新事務所の位置
[44883]てへへ さん
早速、情報有難うございます。

寸評(面積km2/人口)
・古河市(123.58/146,714)
古河市(21.00/58,562)総和町(52.80/48,930)三和町(48.78/39,222)
地理的に中央役所を総和町に譲ったのは妥当か。
新市名は「こが市」も候補に、旧古河市の反対で落着く。

・笠間市(240.25/82,358)
笠間市(131.61/30,076)友部町(58.71/35,557)岩間町(49.93/16,725)
地理的には笠間市と岩間町の直接の道路なし。鉄道も友部駅乗換え。中央役所の位置妥当か。
新市名は笠間稲荷、笠間焼など「笠間」の知名度からか。

・日光市(1,449.87/98,143)
今市市(243.54/62,476)日光市(320.90/17,428)他町村・略
人口比から、今市市に中央役所は妥当か。
新市名はやはり「日光」の知名度からか。

・天草市(682.91/102,907)
本渡市(144.82/41090)天草町(85.46/4,676)他市町・略
人口、位置的に中央役所は本渡市で妥当か。
新市名は天草町に譲ったというより、新市は天草諸島の大部分を占め「天草」の知名度からか。

寸評は私の個人的主観、異論歓迎。
てへへ さん の挙げた他の市町の寸評は略。これから検討します。
[44869] 2005年 9月 13日(火)17:05:53【1】eiji_t さん
合併後の新事務所の位置
[44832]miki さん
[44843]夜鳴き寿司屋 さん
[44853]役チャン さん
[44854]Hiro(&TOKO) さん
合併後の新事務所の位置の決定も、大変ですね。過去の「落書き帳」にも新事務所の位置で揉めて、合併がご破算になった例がありましたね。

miki さんがリンクを張られた新・笠間市の「新市の事務所の位置にについて」
参考になりますね。そこから
1.本庁方式(潮来市、ひたちなか市)
2.分庁方式(つくば市、かがわ市)
3.総合支所方式(静岡市、周南市)
色々工夫してるんですね。2,3は妥協の産物ですね。

また、miki さんが挙げられていました古河市、笠間市の例
「1市と複数の町(村)が合併して、新市の名に旧市の名が受け継がれるのに、新本庁を合併する町に譲る」
やはり、珍しいと思います。過去の合併を含めて、知りたいですね!

ついでですが、
駅名由来の…

[44834]yamada さん
駅の所在する好地村が町制時に駅名の石鳥谷(いしどりや)をとって石鳥谷町となりました。
[44837]いっちゃん さん
「那須塩原市」も「那須塩原駅」が無かったら果たしてこのような市名となったかどうか・・・?
有難うございます。今後もよろしくお願いします。

※1ヶ所訂正
[44849] 2005年 9月 12日(月)18:10:51eiji_t さん
久慈川下流の沈下橋
沈下橋は工費、維持費が安く済むため中小河川には今でも現存しますが、最大の欠点は船が通過できない事です。一級河川の下流には殆ど無いでしょう。沈下橋で有名な四万十川の最下流の佐田沈下橋(今成橋)でも河口から16kmほどです。

[44775]eiji_t で取り上げた東海村亀下と久慈川の対岸の留(現・日立市留町)との間には「留橋」という沈下橋が105年間存在しました。河口から僅か2km余りの所です。

地図
上の地図の中心の印辺りです。常磐線の鉄橋の120m上流です。
昔の久慈川は亀下の南側を流れていて亀下・留 両地区は陸続きだった為、関係は緊密でした。新河道が開削され両地区が分断された後は渡し舟で交流していました。留橋は明治26年に架設されました。約1km下流に久慈大橋(愛称・赤い橋)が昭和38年に架かるまで久慈川最下流の幹線道路の役割を果たしました。
その後地域住民だけの橋に戻りました。老人や自転車の中学生が落下する等3件の死亡事故があり地獄橋という別名もありましたが、地元には存続の要望は強かったのです。
ところが1997年に母子4人の乗った自動車が転落する事故があり、暫くの通行止めの後、歩行者と自転車のみ通行が許され再開しました。
1998年7月23日梅雨末期の大雨増水の為一部破損。
同年8月30日の台風4号の豪雨で一部を残して流出。
同年9月16日の台風5号の増水により完全に無くなる。
これが留橋の最期です。
永久橋の計画は前々からありましたが、これにより新橋の着工が早まり2003年3月「留大橋」が完成しました。留橋跡から450m上流です。

現在の久慈川最下流の沈下橋は留大橋から上流500mほどの竹瓦地区にある「香取橋(通称・竹瓦橋)」です。河口から3kmほどです。上の地図の名前の書いてない橋です。明治31年に架設され1990年に鉄骨橋に改築されました。竹瓦地区も江戸時代の新河道が開削によって分断された地区です。橋の対岸の「原坪」は東海村竹瓦地区の飛地で「向こう竹瓦」と呼ばれています。

参考、久慈川の沈下橋

久慈川の下流に沈下橋が明治時代からあるのは明治中期には久慈川の舟運が衰えた事と、1級河川にしては下流の川幅が狭い為だと思われます。留橋、竹瓦橋とも長さ110m前後です。佐田沈下橋は約210mです。

他の1級河川の下流に沈下橋の例はあるのでしょうか?
[44833] 2005年 9月 11日(日)19:10:45【1】eiji_t さん
駅名から地名へ、再論
[44606]牛山牛太郎 さん
地名が駅名によって、変わっていく。
「美田園駅」は、「美しい田園」をイメージしてつけたということらしいですが、将来は、周辺が美田園という地名になってしまうのかと思うと、悲しいです。
こういう、歴史的な由来などを無視して無機質な駅名をつけるという行為に、失望しております。
新駅中心に新しい街が発展した後、地域に浸透し駅名が地名になって行く。たとえ変な駅名にしても、しかたが無いか…
ところが「つくばみらい市」はTXの「みらい平駅」が開業する前にそれに拠った新市名が決定。
[39171] 音無鈴鹿 さん
市名選定にはつくばエクスプレスの新駅「みらい平駅」が市内に設置されることの影響が効いて「みらい」の名を冠したのでしょうけど、ネーミングセンスとしては如何なものかと。
駅名はTX沿線地域全体の名称であった「みらい平・いちさと」から一部引用された名称(いちさとは茨城・千葉・埼玉・東京の頭文字から)。どこまで続く悪連鎖!
計画中の駅名の仮称は「伊奈谷和原駅」これも単純な合成名。

駅名由来の地名
「落書き帳」を検索したら、結構沢山あるのですね。
[16002]でるでる さん
「昭和6年、東武日光線に開設された駅で、JR両毛線に「大平下駅」があるため「新」の字が付きました。
名勝太平山が近くにあり、ぶどうの産地として名高いこの地は、昭和31年に3ヵ村が合併しましたが、先についてた2つの駅名と太平山からイメージし、天下太平の願いをこめて「大平村」と命名されました。」
[40051]ふぁいん さん
ちなみに、この「音威子府」という村名、実は駅名から取ったのです。
かつての(1963年まで)村名は「常盤村」でありました。
ARC 上福岡市は、なぜ「上」がつく市名なのか?
検索漏れがあると思うのでご指摘をお願いします。

私も[44673] で指摘した友部駅-友部町の他に
塩山市の例を
塩山しおのやま>向嶽寺の山号・塩山えんざん(1380年)>塩山駅(1903年)>塩山町(1928年)>塩山市(1954年)
塩山市HP>塩山の由来

上福岡市、友部町、塩山市は合併でまもなく消えますが…

※URLを訂正
[44819] 2005年 9月 10日(土)19:17:51【1】eiji_t さん
遅くなりましたが ローマ字表記について
[44372] かぱぷう さんの
“San-yo Line”のハイフンは、やはり表記法上は違法なのでしょうか?
に、[44376] eiji_t で、
私が小学生の頃、学校でローマ字を習ったとき「ん」の後に「や行」や母音が続く場合"-"または"'"を使うと習った覚えがあります。
と、古い記憶に基づく不正確なレスをした所、
[44382]Issie さん
日本語のローマ字表記について,政府が現在公式に定めているのは1954年12月の 内閣告示 です。
この「そえがき」の第2項に,上のような場合には“アポストロフィ”(←とは呼んでいないが)を用いることになっています。
のレスを頂いたのを、見落としていました。
思い出してみると、自分が習ったのは"'"であって、"-"は後によく見かけたので混同したのだと思います。
手元の広辞苑の付録に「ローマ字のつづり方(内閣告示による)」が在りました。
Issie さん に倣って私もこれからは"'"を使いたいと思います。

[44376] では"'"を入れても、入れなくても地名になる例を考えたのですが、思いつきませんでした。その後少し探したのですが、意外と見付からなくて諦めてしまいました。
根気よく探せばあると思うのですが…

※一ヶ所訂正
[44788] 2005年 9月 9日(金)10:00:35eiji_t さん
塩業と地名に関して
[44784]EMM さん
職業由来地名コレに関しては、自分としても興味のある話題であるからかより一歩踏み込んだ形でレスを付けてしまっているので、ちょっとやり過ぎかなぁ、と思うところもあります。
いえいえ、どんどん御指摘をお願いします。

まず私が塩地名に関心を持つに至った経緯を…
小学校高学年から中学生の頃、地図帳で遊んだりして、地理に親しんいた。その後離れましたが完全に関心を無くした訳ではなかった。最近地理に関心が戻ったのは、平成の大合併、そしてこのサイトに出会った事。子どもの頃疑問に思ったのにそのまま放置した事柄が、このサイトではほとんど解決されていました。凄い!

それと最近郷土史に(年齢のせいか)関心を持ち、関連する地理について調べ始めた事。

製塩業に関しては現日立市沿岸で江戸時代から明治の後期まで塩作りが行われていた。個人あるいは共同経営で農家の副業的なものだった様です。岩に穴を穿って作った鹹水溜の遺構が35ヶ所現残しているそうです。明治時代の県内の製塩業は日立地方が中心だったそうで、自分には意外でした。
県内では前にあげた「釜」地名が残っている鹿島地方で「塩焼き浜の長者伝説」が残っていて、ある程度史実である事が発掘などで実証されている事。
現ひたちなか市の海岸部の旧沢田村が75日間吹荒れた大風で砂に埋まってしまったと言う「千々乱風(ちぢらんぷう)伝説」。此処は最近発掘され、製塩の遺構が発見され、製塩を生業にしていた村だったと実証されつつあります。隣の東海村の照沼、村松地区にも同様の伝説があるそうです。

茨城の塩地名に関しては「塩浜」「塩竈(塩釜)」などが江戸時代の文献に残っているのみで殆どが現存していないようです。地域を挙げた産業にまで育たなかった為か?
宮城県塩竈市は自治体レベルで残っている稀有な例ではないかと市の公式HPを参照しただけで拙速なレスをしてしまいました。おかげでEMM さんの貴重な示唆を頂き、地元中心に地道に調査を続けるつもりです。

郷土史と地理との関係は、調べて行くうちに次々興味深い話題が浮かびそれに関心が移り、収拾が付かない状態になり兼ねません。資料だけが溜まってしまうー!。「落書き帳」にレスする事は、資料と頭の整理に役立っています。
[44775] 2005年 9月 8日(木)21:33:11eiji_t さん
東海村亀下について
[44636]eiji_t で予告し、
[44679]KK さん に
東海村にはかつて住んでいたこともあるので、とても気になります。ぜひ、まとめをお願いし
ます!
と期待された亀下の件ですが、その形から亀の甲羅に地名が由来すると直感的に判断し、調べ始めたのですが…
現在も判らないのです。
あまり間を置くのも、と思い途中経過を。

亀下は久慈川の下流南側にあり
マピオン
古くは太閤検地にその名が残され、太閤直轄領となっていることから、久慈川の氾濫の危機に晒されながら、氾濫によってもたらされた土砂にって肥沃な土地であったと推測されます。
久慈川は江戸初期までは亀下の南を迂回して流れていました。集落を守るために長良川などで有名な「輪中堤」が在りました。久慈川は寛文年間(1661-72)に亀下の北側に新河道が開削され、その後新堤が建設されたり圃場整理がなされ、現在輪中堤は失われてしまいました。

調査は川の流れのように蛇行し、関連した気になることが出て来てしまいました。
[44749] 2005年 9月 7日(水)09:52:52【1】eiji_t さん
Re:ある意味職場地名?
[44732]EMM さん
国土地理院の地図を目的地を中心として表示する件
よく解りました。自分で調べれば良かったのですが、甘えてしまいました。感謝。

製塩業と地名の関係の件
微妙な事は知っていました。「職業由来町名コレクション」は[44733]般若堂そんぴん さん
他が指摘している通り難しいですよね。他の地名コレクションとは性格が違う。
だから[44728]では敢て「コレクション」という言葉は使わなかったのです。
塩竈の場合は製塩業とは全く無関係とは言えないので、話題に上っても良いのではないかと提案してみました。
「コレクション」に入れなくていいのです。
「釜」だけでは、塩釜なのか、釜を作っていた職人たちが集まっていたのか、地形(火山のカルデラを「お釜」と呼ぶように)に拠るのか、判然としませんしね。コレクションにはなじまないでしょう。

製塩業というのは神道と物凄く縁深いんですよね。
神社は神事に大量の塩を必要とした。日吉社(大津市)や石清水八幡宮(八幡市)が製塩地や塩田を持つ荘園を支配していた。
鹿島社も常陸の各地に塩田を保持していた。[44728]で取上げた「釜」の付いた地も鹿島社との関係が云々されています。ただ此処らは遺構も発見されており、通称ですが「塩つけ坂」(文字通り)「木つけ坂」(塩を焼く薪を運んだ)などの地名が現在も残っています。実際に製塩が行われていた事は確かなようです。
神事に重要だったから名が残ったのか、生業の場所だったから残ったのか…何とも言えません。
神社は神事に使う以外にも、塩の流通経済に関わっていた?
宿題です。

※1箇所訂正
[44748] 2005年 9月 7日(水)07:23:32eiji_t さん
茨城県の県域テレビ局
[44731]いっちゃん さん。
全国で唯一県域テレビ局の無い茨城県なのではないでしょうか。
[44746]牛山牛太郎 さん
その代わり、たしかNHKは、茨城県域は独自の放送ではなかったでしょうか?違うかな。ちょっと自信ありません。
NHK水戸局は2004年10月に地上波デジタル放送を開始した際、県域放送を始めました。したがってデジタルチューナーの無い家庭(我が家も)では県域放送を見られません。
UHFのチャンネルを変えさせられただけでした(デジタル放送もUHF波を使うのでアナログ波のチャンネルが割を食った)。
県北地域ではまだデジタル放送画見られない地域が沢山あります。
城理町、常陸大宮市の西部。大子町の大部分。常陸太田市の旧水府村、里美村地区。日立市、高萩市、北茨城市の山間部。
茨城県の南北格差がこんなところにも…
[44728] 2005年 9月 6日(火)19:07:39eiji_t さん
塩竃 職業由来
職業由来に塩竃は入らないでしょうか。
塩竃市HP>市の概要>塩竈学のすすめ>塩竈の地名の由来
塩竃(塩釜)とは、製塩の為に海水、正確には鹹水(かんすい、濃い塩水)を煮詰める竈のことです。かつて製塩業は全国の海岸で営まれていました。製塩の鍵は如何に効率よく鹹水を作るかと言う事です。江戸初期に瀬戸内海で産業革命が興りました。「入浜式」が開発され、安価な塩が大量に出回るようになって、全国の製塩業が衰退していったのです。製塩に纏わる地名もほとんど消えてしまったようです。塩竃市の場合、塩竃神社が有名だった為地名として残ったようです。

茨城県の鹿島地方も嘗て製塩が盛んで、塩釜に因む「釜」の付く地名が残っています。
南から 武井釜、境釜、京知釜、高釜、武与釜、別所釜。
地図
上の「武井」地図で右のほうに武井釜、境釜の地名が見えます。
そのまま海岸伝いに上にスクロールして、上の「鉾田」の地図に移れば残りの地名も見られます(その気があればですが)
「塩釜」神社も残っています(地図上に名前なし)

追記、国土地理院の地図にリンクする場合、目的の場所を中央にするには、どうすればよいのでしょうか?
[44690] 2005年 9月 5日(月)08:54:42【1】eiji_t さん
ビーチコーミング
[44684]太白 さん
メンバー紹介記事有難うございます。
ビーチコーミングはただいま休止中です。他にやることが多くて…
海が荒れた日は波の音が聞こえるほど、海の近くに住んでいるのに今年の夏は1度も海へ行きませんでした。

そこで、過去の体験から
1998年8月ルアーが刺さった海鳥を1羽保護、針が外せず(カエリの為)近くの動物園へ託す。数ヵ月後元気になって放したそうです。良い事をしたはずなのに後味が悪い(自分も加害者側ではないか?)。釣り人が残したゴミを見るにつけても「釣好きに悪人はいない」は嘘だ!と思う。

2000年7月台風3号の数日後大量のゴミの中から「矢口橋」と彫られた橋の一部らしい木材を発見(長さ5.5m、名前の部分を切取り持ち帰る)。矢口橋がどこから流れてきたのか、地図で調べ候補の自治体に問い合わせるが判らず。後で、もっと前の洪水で流出し河川敷に漂着後、今度の台風で海に流されて漂着したのではないかと推測するも放置、宿題。
[6961] の「國華製薬株式会社」依然判明せず。国立国会図書館にも問い合わせて丁寧に調べてくれたが、やはりダメ。ほぼ諦め状態。
漂着物の出所が判ったからといって何だということも無いんですが、探偵的興味が湧きます。

2002年12月日立港に北朝鮮の貨物船が座礁。翌年5月になって重油ボールが少し離れた海岸にも漂着。あーあ、海が泣いている!

※日付台風号数訂正
[44673] 2005年 9月 4日(日)19:03:38eiji_t さん
地名が駅名によって、変わっていく。友部町の場合
新自治体名で合併がこじれる例は、明治、昭和の大合併でも沢山あったと聞きます。友部町はその1例です。

茨城県西茨城郡友部町は昭和30年1.15宍戸町、北川根村、大原村が合併し誕生しました。その中心の宍戸町は明治22年4月市町村施行により9村が合併し誕生。町内の殆んどは旧宍戸藩の村で、宍戸藩の陣屋もありました。町名は当然でしょう。9村の1つ友部村は宍戸藩の村ではなく旗本直轄領の小さな村にすぎなかった(合併の直前は南友部村だったのは明治11年の郡制施行の時、同じ西茨城郡の現在の岩瀬町にも友部村が在ったためと思われます)。

それが昭和の合併の時、新町名が宍戸町ではなく友部町になったのは、鉄道の発達が関係していました。
明治22年1月水戸鉄道水戸線(現JR水戸線)が開通、大田町駅設置。5月、大田町駅が新町名に倣って宍戸駅に駅名変更。
当時茨城県から東京方面への鉄道運輸は水戸線が唯一で、宍戸駅周辺は当時賑わったが地権の関係で広い土地が確保できず将来の発展に障害となりました。
明治28年7月水戸線に友部駅開設。駅名は同駅がある大字南友部に由来。江戸時代の友部村、明治11年以降の南友部村に因む大字名です。
友部駅周辺は開業当時狸狐が棲む原野でありましたが、そもそもそんな土地に駅を作ったのは地権者の同意を得られ易かった為です。それがその後の開発を容易にし、後の発展の要因の1つになりました。
明治28年11月土浦線(現JR常磐線の一部)開通。友部駅は土浦線と水戸線の接続駅になります。
明治29年には田端-土浦間、31年には水戸-岩沼間が開通し、明治39年に国有鉄道が買収し常磐線になりました。県内の鉄道輸送の中心は常磐線に移ります。
大正元年には友部駅が宍戸駅の旅客数、運賃収入の約2倍になりました。その格差は年を追って拡大していき、宍戸駅は支線の小駅にすぎなくなっていきました。友部駅周辺は商店街も発展し、官庁も整備され、当地方の中心的存在になりました。

昭和29年に宍戸町、北川根村、大原村の合併の案が持ち上がると、問題になったのは合併そのものより新町の名称でした。北川根村、大原村は「友部」を希望し、友部地区にも異論はありませんでした。しかし宍戸地区住民は「歴史ある宍戸の地名を残せ」と強硬に主張しました。ついに合併協議会で「友部」案が決定するも、それを承認する町議会に反対派町民は大勢押しかけ窓ガラスを割るなどの乱暴をしました。「友部町として合併を施行し、発足後速やかに町名変更の努力をする」という玉虫色の決着が図られ、ともかく友部町が誕生しました。その後も「宍戸町々名保存会」「宍戸町分町期成同盟」まで結成して争いました。

追記
自分に馴染の少ない友部町の改名問題を調べる気になったのは、
[43146]eiji_t
 消えゆく町名を駅名を変更してまで残す
で現在の十王駅が開設された当時、駅名を当時の多賀郡櫛形村友部の「友部」にしないで隣町の「川尻」としたのは、友部駅が先にあったと知ったからで、友部駅の所在地がが宍戸町から友部町に変わったのは、友部駅に由来すのではないかと直感したからです。当たりでした。

「川尻駅」は明治時代から改称の動きが度々ありましたが、実現したのは皮肉にも当の十王町がなくなると判ってからで、住民投票で圧倒的に「十王駅」が支持されたそうです。
[44667] 2005年 9月 4日(日)13:45:16eiji_t さん
国立国会図書館へのリンクについて
[44653]hmt さん
「明治大正日本都市地図集成」、「五千分の一江戸東京市街地図集成」
について、国立国会図書館の当該ページにリンクを張っていますが、リンク切れになっています。
hmtさんが書込みをなされた時にはリンク出来ていたと思いますが…
これは国立国会図書館の検索ページがログイン後3時間以上の連続使用はできないよう設定されているためだと思われます。
したがって国立国会図書館の検索ページを利用するには
国立国会図書館蔵書検索・申込システムのトップページから入って、タイトルの場所にコピペするしかないと思われます。

蛇足、
[43895]eiji_t
『帝都地形図』大正11年~昭和22年までの東京の地図。縮尺3000分1
も、よろしく。
[44665] 2005年 9月 4日(日)10:10:28eiji_t さん
自分色登録を変更の件
[44642]オーナー グリグリさん
そう言えば、eiji_t さん、登録変更(サンプル色変更)の再申請がまだのようですが。
すっかり忘れていました、御免なさい。経緯はこうです。
パソコンのモニターの具合が悪かったのを知らず、登録後始めて見た自分色がイメージと違うので、てっきりサンプルカラーのNo.を間違えたと勘違いをし、問い合わせをしたのでした。
その後無事モニターも直り、色の件は勘違いだと判りました。その時すぐにグリグリさんへ、連絡すれば良かったのですが、後でと思っているうちのすっかり忘れてしまったのでした。ご心配をお掛けしました。深謝。
そういう訳で当分このままの色で行きます。
[44657]いっちゃん さん
のように、イメチェンしたい時が来るまでは…
[44636] 2005年 9月 3日(土)07:27:43eiji_t さん
地名コレクション 他
[44634]EMM さん
「亀」のつく地名は800~1000ぐらいありますよ?
自分が安易だったようです。取り下げます。
[44619]eiji_t で、気になった「亀」地名とは
茨城県那珂郡東海村亀下です。
これについては、後ほど纏めようと思います。

[44606]牛山牛太郎 さん
[44611]ぐりゅん さん
地名が駅名によって、変わっていく。
茨城県西茨城郡友部町の名前の由来は常磐線、水戸線の友部駅のようです。
これについては、1955年当時一部強硬な反対運動があり単純ではないので後で詳しく纏めようと思います。

後でというのが2件続きました。御免なさい。
[44619] 2005年 9月 2日(金)14:27:49eiji_t さん
海獣ではないのですが…
[44612]笠津前浜 さん
[44615]miki さん
[44618]EMM さん
海獣ではないのですが、「亀」地名はコレクションに入りませんか?
実は一ヶ所「亀」地名で気になっている所があるのですが、それは地形が亀の甲羅に似ているのが名前の由来ですが、その地形の成り立ちが面白いのです。

「動物名」カテゴリで、「その他」の部門を作れば、そこに入る動物で一種類が沢山集まればその動物を独立させるというように、気長にやっていけばコレクションが充実すると思うのですが?

※ここでいう動物とは哺乳類に限定しないで良いと思います。そうしないと亀は漏れてしまいますから。
[44614] 2005年 9月 2日(金)07:37:55eiji_t さん
製糸工場あと2つ
2005.6.26に茨城県古河市の須藤製糸が閉鎖し、全国の製糸工場は群馬県松井田町の碓井製糸農協と山形県松山町の松岡(旧松岡共同製糸)の2社だけになりました。
昨年までは4社あったのですが、今年2月には高知県の藤村製糸が操業停止しました。
1951年には288社あったそうですが、衰退著しいとは聞いていましたがここまでになってしまったとは…
7月14日には旧富岡製糸場(群馬県富岡市)が国の史跡に指定され、また世界遺産への登録の運動も盛り上がっているそうです。
明治から戦前にかけての輸出の主要産業も、今やほぼ完全に産業遺産になりつつあります。

全国の嘗ての製糸の町、生糸の町はどのような変貌を遂げたのでしょうか?
例えば長野県の岡谷、諏訪地区は精密工業と、湖と温泉の観光地に生まれ変わったというのを聞いた覚えがのですが…
[44595] 2005年 9月 1日(木)18:14:22eiji_t さん
旅行献血
[44546]星野彼方 さん
水戸市の献血ルームは中心部の裏手でちょっとわかりにくいかもしれません。
あのあたりは水戸のメーンストリートなのですが、ご多分に漏れず最近の商店街の衰退で、旅行者には裏手に見えるかもしれません。

こんなページを見付けました。
新 献血粗品調査隊
旅行献血に燃えている方々へのリンクもあります。
[44397] 2005年 8月 21日(日)18:38:51eiji_t さん
分水界 再論
[44386]稲生 さん
[44388]いっちゃん さん
私も、分水界について考えていました。アーカイブにも入っています。
ARC分水界、川の流れに関する雑学集
[823]Issie さん のリストに抜けている市があります。
[7895]深海魚[雑魚] さん
もしかしたら広島市域に江の川水系の地区があるかも、と探して見ましたが、該当個所は無さそうです。
ところが広島市は分水界が通っています。
広島市安佐北区 荒谷山 北西斜面
地図

広島市には面白い事があります。それは、
「瀬戸内海に面しているのに日本海に注ぐ川の水系に一部属している」
ということです。他に例はと探してみました。
隣の東広島市(2005.2.7に合併し、分水界が通る賀茂郡豊栄町、瀬戸内海に面している豊田郡安芸津町が一緒になったため)上の例と同じになりました。

「日本海に面しているのに瀬戸内海に注ぐ川の水系に一部属している」
山口県長門市

「太平洋に面しているのに日本海に注ぐ川の水系に一部属している」
北海道虻田郡豊浦町

2005.10.1に合併する北海道二海郡八雲町は、
[38082]wasi さん
北海道南部で太平洋側の内浦湾(通称噴火湾)に面した八雲町と、日本海に面した熊石町が25日、合併協定書に調印した。合併期日は10月1日で町名は八雲町。「全国の市町村で初めて太平洋と日本海の双方に接する町」として、新町の郡名「二海(ふたみ)郡」
熊石町・八雲町合併協議会HPに「二つの海を持つ新町の創造!」
とあり、合併後の新・八雲町の公式HPを早く見たいものです。
[24153]愛比売命 さん のいう、
「日本のパナマ」 で唯一中央分水界を持つ町になります。

悩ましいのは、2006.3.1に合併する予定の北海道伊達市の場合です。
伊達市は、太平洋に面していて、合併する有珠郡 大滝村は分水界が通っていますが、ご承知のように飛び地合併だからです。これを例に含めるかどうか、考え中です。

参考HP分水嶺辞典
[44376] 2005年 8月 21日(日)08:55:41eiji_t さん
Re:さにょ
[44372]かぱぷう さん
“San-yo Line”のハイフンは、やはり表記法上は違法なのでしょうか?
私が小学生の頃、学校でローマ字を習ったとき「ん」の後に「や行」や母音が続く場合"-"または"'"を使うと習った覚えがあります。違法ではないと思いますが。
例、阿南(anan)、アンアン(an-an)。

両方とも地名の例をすぐには思いつきませんでした。
皆さん、よろしくお願いします。
[44227] 2005年 8月 17日(水)08:33:15eiji_t さん
眠れる美女 日本の茨城
イザベラ・C.L.コヴァーチェ著(ハンガリー生れ、オーストリア育ちの女性。日本に14年在住)
5ヶ国語併記(日、独、英、西、仏)。自らの水墨画の挿絵。
内容は茨城各地の簡単な案内。
しかし題名に唸りました。茨城"Wild Rose Castl" と聞いて、グリム童話の『眠れる美女"Sleeping Beauty"』を連想、「眠れる」は「知られざる」、「美女」は「茨姫と通じ、茨城そのもの」をイメージしたそうな。茨城県人としては茨城=美女は、こそばゆい。でも色々な空想を広げさせてくれる。そうすると、美女にキスして目覚めさせる王子様は何でしょうか?

[21068]牛山牛太郎 さん
宮城県の場合は、あまりにも仙台に一極集中しているので、
なんか「白雪姫と7人の小人たち」みたいですね。

日本各県の県名の意味、県の形、情勢などから物語が連想できそうですね?
[44186] 2005年 8月 15日(月)22:29:35【1】eiji_t さん
メンバー登録申請について
[44178]matsu さん
申請手続きをしようと思いました(実際してみたのです)が、うまく出来ません。
[44182]オーナー グリグリ さん
データベースに不具合があったようで(原因はこれから突き止めます)、申請がエラーになっていたようです。
私も最近メンバー登録しましたが、やはり10件を超えたので申請した所
申請データに不十分なところがあります。
★書込件数が10件以上になってから改めて申請してください。
と出ました。数件書込みの後、申請したら受理されました。
まつだい(matsu) さんと、同じ原因でしょうか?

オーナー グリグリ さん もう一つ
自分色の変更は出来るでしょうか?サンプルカラーのNo.を間違えまして…
面倒なら、このままでいいです。

※訂正一箇所
[44144] 2005年 8月 14日(日)18:20:04eiji_t さん
木曽の、合併を拒否された村
[44075]eiji_t
長野県には合併を相手から拒否された村が少なくとも2つ在る

[44130]Issie さん
[44132]中津川市馬籠 さん
ヒント有難うございます。
これですね?
[34824]サンドル さん
王滝村のスキー場債務が問題となり,王滝村に無理難題を押しつけ,結果的に王滝村が「排除」される形になりました。
村営スキー場の問題は、ニースで聞いたのを思い出しました。合併にも影響が及んでいたとは…
清内路村は年間予算のうち村税の割合が4.2%だそうです。企業間合併に例えると、王滝村は不良債権問題、清内路村は慢性業績不振という事でしょうか。
それとも清内路村も、何か不良債権を抱えているのでしょうか?
[44075] 2005年 8月 12日(金)12:57:56eiji_t さん
小さな村でも合併しない理由
[44017]Issie さん
合併するにしても,しないにしても,木曽郡内のある村のように周辺町村から合併を拒否されるにしても,それぞれに取り組むべき問題があるなぁ
これを読んで、新聞の切抜きを引張り出して、読み返しています。
朝日新聞2005.5.22「千人未満でも合併せず 残った村なぜ」
長野県下伊那郡清内路村は、合併を持ちかけた阿智村から「赤字の村との合併は村民の理解が得られない」と拒否されたそうです。
そうすると、長野県には合併を相手から拒否された村が少なくとも2つ在るという事になりますね。

記事によりますと、千人未満でも合併しない村は22(離島の村11、その他11。人口は2004.4.1現在」)

また、合併しない理由が他に2つ書いてありました。
1.和歌山県北山村、身近に救急車を確保できない。
 役場に置いてある患者搬送車で40分で病院に搬送しているが、合併すると合併先の町から救急車が来るようになるので、80分かかる。
[37887]高津屋 さん
飛び地の問題が、関わっているのですね。

2.東京都・青ヶ島村、利島村、御蔵島村、三宅村の移住懸念。
 八丈小島の2つの村は、八丈本島と合併後、本島へ移住が進み無人島に。「八丈小島の二の舞はごめんだ」
[15423]熊虎[月の輪熊] さん
合併で村がなくなった上に人もいなくなってしまうというのは、無残なものがありますね。

[38985]wasi さん
行くも地獄、行かぬも地獄
山間部の村も、離島の村も、これから大変ですね。
[44072] 2005年 8月 12日(金)12:14:34eiji_t さん
あれから20年
本日8月12日は日航機事故から20年です。(合掌)
墜落現場の名称でいまだに混乱が続いているようです。
map
1.一般に一番通っている名称 御巣鷹山
 一部マスコミの初期の情報が一人歩きしたらしい。
2.異説 高天原山(上のmapの御巣鷹山の南の1979mの山。群馬県多野郡上野村と長野県南佐久郡川上村・南相木村との境。別名:神立山、ショナミの頭、蟻ヶ峰)
 現場に一番近い、名のある山。しかし厳密に言うと、違うらしい。
3.公式には 御巣鷹の尾根(当時の上野村村長の命名らしい)
 各方面の異論により、採用。新地名とも考えられるが、「御巣鷹山」の尾根と誤りやすい。

正確には上のmapの"御巣鷹山と三国山を結んだ線の、少し御巣鷹山寄りの無名の山の尾根"
コレでは長すぎる。
そこで提案。無名の山と言っても、地元の山林関係者の間では、名前があるに違いない。それを聞き出して名称をつける。(でも無理でしょうな)

mapは下のリンクを採用
[31626]futsunoおじ[sutekinaおじ] さん
 三県境(その1)
12[山] 三国山<上野・武蔵・信濃>
[44036] 2005年 8月 10日(水)17:15:46【2】eiji_t さん
献血と県民性
[13310]三丁目 さん
[42215]いっちゃん さん
[42261]かぱぷう さん
[42321]星野彼方 さん、他
旅先で献血しまくる
全く考えつきませんでした。
私は20数年間で3都県で4回。偶々住んでいた所で友人に誘われたり,献血バスを見かけてその気になった時だけ。献血手帖も紛失。
1998年に近くに献血ルームが出来て定期的に献血するようになって、やっと今年100回を超えた所。

ところで、献血と県民性との関係を考えて見ました。地域によって献血率が大きく変わるのです。わが茨城県は献血率全国最低を何度も記録するなど、最低レベル。
一般に北海道と青森県を除く、東北、関東が低く、西日本が高い。
県民性&地域性
>index 都道府県別の県民性・地域性>熊本県
22年間、献血率全国1位を維持。「他人のために何かする」という「ボランティア意識の高さ」
これで行くと、わが茨城は他人のために何かする」という「ボランティア意識」の低さということになるのか?
関係者の努力、団体献血制度の確立とか、献血ルームの利便性とかの他の要因もあると思うのですが、いかがな物でしょう?

※リンク先訂正
[43976] 2005年 8月 8日(月)17:18:02eiji_t さん
メンバー登録しました
[43949] オーナー グリグリさん
メンバー登録を行いました。eiji_t さん、あきすてさん、今後ともよろしくお願いいたします。eiji_t さんの初書込は2002年12月の[6877]とずいぶん遡るんですね。
2002年12月に3回書込みをしてから、2年半していませんでしたね。
皆さんの博識、調査力、熱意に恐れをなして、落書き帳を覗くのさえしていませんでした。
地理は好きで、合併情報や市町村の公式HPなどを利用させていただいていました。
「村のない県」がアーカイブズに採用していただいていたのも知りませんでした。

「村のない都道府県」フォロー
[39993] 清い26号 さん
7番目、2005.7.1静岡県内から村が正式に無くなりました。
アーカイブズに追加お願いします。
その後
8番目、長崎県が10.1に村の無い県に。(官報告示され、アーカイブズに追加済み)
官報告示されていませんが、可能性のある県。(予定年月日)
三重県 6から0(2006.1.10)
福井県、4から0(2006.3.3)
栃木県、2から0(2006.3.20)
山口県、1から0(2006.3.20)

漏れが有りましたら、訂正お願いします。
今後ともよろしくお願いいたします。
[43895] 2005年 8月 6日(土)10:00:18eiji_t さん
すごい地図がでた
タイトルは朝日新聞2005.3.23夕刊コラム"窓"の題名ですです。
その地図は『帝都地形図』全6集、之潮(コレジオ)2005.3
大正11年~昭和22年までの東京の地図。縮尺3000分1、菊四裁判が351葉(旧内務省ほか作製)
各図に現代地図、解説、注記分類索引を添え、一部に参考写真を付す。1454頁。
別冊(総解説・参考写真・総索引) A4判・112頁 付
税込378,000円。分売不可。

稀に見る大縮尺、商店、工場、映画館、小川、橋などの名前まで分かる。しかも6尺(約1.8m)の等高線入り。土地の高低までも手に取るよう…
欲しい、でも高い。

所蔵図書館 国立国会図書館、東京都立中央図書館、ほか10の大学図書館など(自分の検索範囲で)。
他の新聞紹介
 東京新聞 2003.11.27 "TOKYO発"「戦争にじむ地図 情熱集め出版」
 日本経済新聞 2005.3.29 "文化"「地図が映す水の都東京」

出版社のHP  http://www.collegio.jp/index.html
[43678] 2005年 7月 28日(木)06:37:38eiji_t さん
駅弁地理学
[43643]hmt さん ご紹介ありがとうございます。

「地図一途」の前身「駅弁地理学」が纏められて本になっています。

『ノノさんのぶらぶら地図学』野々村邦夫・著、実業之日本社2004.12.7
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/440832230X/qid%3D1122499911/250-2569545-7879424
[43552] 2005年 7月 26日(火)20:24:09eiji_t さん
地図一途 野々村邦夫
タイトルは朝日新聞のアスパラクラブという会員限定のサイトの中の連載コラムです。
著者は元国土地理院で実際に地図を作っていた人です。
地図に纏わる興味深いコラムを地図付きで毎週木曜に更新しています。
また 04.11.04からのバックナンバーも読めます。

アスパラクラブは朝日新聞の読者でなくても無料で会員になれます。
http://aspara.asahi.com/club/user/guest/entrance.do
上のページで会員登録をして Home>読み物>A.I.C>木曜日>地図一途 で辿り着けます。


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