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北の住人さんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[53288]2006年8月11日
北の住人
[53267]2006年8月10日
北の住人
[53219]2006年8月9日
北の住人
[53215]2006年8月9日
北の住人
[53187]2006年8月9日
北の住人
[53120]2006年8月6日
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[53110]2006年8月6日
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[53065]2006年8月5日
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[53028]2006年8月5日
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[52976]2006年8月3日
北の住人
[52939]2006年8月2日
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[52900]2006年8月1日
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[52859]2006年7月31日
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[51990]2006年7月4日
北の住人
[51957]2006年7月2日
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[51863]2006年6月24日
北の住人
[51820]2006年6月19日
北の住人
[51810]2006年6月18日
北の住人
[51808]2006年6月18日
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[51795]2006年6月17日
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[51723]2006年6月11日
北の住人
[51722]2006年6月11日
北の住人
[51651]2006年6月4日
北の住人
[51424]2006年5月21日
北の住人
[51334]2006年5月14日
北の住人
[51330]2006年5月14日
北の住人
[51307]2006年5月13日
北の住人
[51142]2006年5月3日
北の住人
[50692]2006年4月11日
北の住人
[50637]2006年4月10日
北の住人
[49821]2006年3月13日
北の住人
[49797]2006年3月11日
北の住人
[49684]2006年3月5日
北の住人
[49582]2006年3月1日
北の住人
[49546]2006年2月28日
北の住人
[49418]2006年2月23日
北の住人
[49335]2006年2月19日
北の住人
[49303]2006年2月18日
北の住人
[49127]2006年2月11日
北の住人
[49114]2006年2月11日
北の住人
[49096]2006年2月10日
北の住人
[49070]2006年2月8日
北の住人
[49065]2006年2月8日
北の住人
[49036]2006年2月7日
北の住人
[48983]2006年2月4日
北の住人
[48821]2006年1月29日
北の住人
[48820]2006年1月29日
北の住人
[48818]2006年1月29日
北の住人
[48808]2006年1月28日
北の住人
[48797]2006年1月28日
北の住人

[53288] 2006年 8月 11日(金)21:18:49北の住人 さん
第十二回十番勝負
問八:足利市

結局わかりませんでした。明日は朝早くに起きて、小樽方面にブルーベリー狩りに行くので、そろそろ寝ます。果報は寝て待て、なんて言葉もあるので。
[53267] 2006年 8月 10日(木)23:58:03北の住人 さん
第十二回十番勝負
問九:豊後高田市

問八はお手上げ状態。なか那珂、パッと光のようにはひらめきません。
[53219] 2006年 8月 9日(水)23:42:23北の住人 さん
第十二回十番勝負
第十二回十番勝負
問十:野田市

まだ残っているようなので、これで行ってみます。問八はもっと考えないとだめなようで。
[53215] 2006年 8月 9日(水)23:16:12北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:室蘭市
問八:豊岡市

前回の解答は、考えが足りず情けない結果となりました。再挑戦です。
[53187] 2006年 8月 9日(水)00:12:54北の住人 さん
第十二回十番勝負
問四:江別市
問七:にかほ市
問八:江別市
問十:津市

はまってしまい、こんな時間になってしまったですよ。問十は残り1市なので、残しておきました。
[53120] 2006年 8月 6日(日)22:40:47北の住人 さん
確かにローカル
[53113] ぺとぺと さん
これです、コシヒカリだったんですね。これ全国かと思っていたら、東京と北海道だけだったとは。
[53110] 2006年 8月 6日(日)15:13:11北の住人 さん
越後屋 おまえも悪よのぉ
[53073] 右左府 さんの記事を読み、「イバラキのなんとか」だったか「イバラギのなんとか」だかのCMを思い出しました。何のCMだったか覚えてませんが。

[53079] 愛比売命 さん
[53087] EMM さん
旅館に限らず、出身地を屋号にする例は多いんじゃないでしょうか。今は予約して行くことが多いですが、昔は旅先で飛びこみという感じだと思います。隣国といっても今と違って困難な道中、しかも一生に一度あるかないかの一大事業、私のような小心者が異国で心細くなっているところに、自国の看板を見つけ中に入って一息、なんてことがあったかもしれません。
かつて札幌駅前に、全道一豪華だと言われたこともある、明治の中頃創業の「山形屋旅館」がありました。創業者は現在の山形市出身なんですが、「出羽屋」「羽前屋」でないのは語呂が良かったからか?

ある本に、奈良盆地には旧国名が地名となっている例が多く、全部で30カ国ほど存在すると書かれています。古墳、寺院の建設により各地から人が集まり、定着したためという事です。

札幌も暑いですが、甲子園はもっと暑くて熱いんでしょう。北北海道は残念でした。開会式後ということもあり選手が応援に来てましたが、南に期待しましょう。
[53065] 2006年 8月 5日(土)20:54:59北の住人 さん
烏帽子は黒い
[53032] みやこ♂ さん
私は、頂上がにゅっとした感じの丸い山のことを烏帽子岳と呼ぶんだと思ってたんです。ある種の烏帽子を、折らずに横から見ると丸いじゃないですか。正面から見ると尖ってますが。
そこで烏帽子とは何かと調べたんですが、どうも「黒い帽子」で形はさまざまだったんです。他の色、例えば赤なら「赤烏帽子」ですが、「烏帽子」と言ったら色は黒なんですね。そんなこんなで「烏帽子岳は黒い」という珍説を作ったわけです。

「烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂」ですが、「烏帽子のように尖って、黒々としたやわらかな線で起伏する頂」という意だと色ではなくなるんですよね。「烏帽子のように、尖って黒々とした、やわらかな線で起伏する頂」なら形と色なんですけど。「尖って」「やわらかな線」というのはなんとも意味が深いです。その山にたどり着いて、間近に見た人ならではの表現なんでしょう。
[53028] 2006年 8月 5日(土)00:17:15北の住人 さん
天の香具山霞たなびく
うれしいですねぇ。ちゃんと調べればよかったんですが、手を抜いておりました。[52979] faith さん、ありがとうございます。
私、今気付いたんですが、「天香具山」は「橿原市」でもあるんですね。というより、「橿原市」に「天香具山」があると言った方が良いのでしょうか。例の文章は、「大和三山」についての記述だったんですが、なんで「橿原市」ではなく「桜井市」なのかは私には分りません。この「大和三山」は「奈良三山」とは呼ばないんでしょうね。

即席ですが奈良について勉強してます。廃藩置県当初、「奈良県」は今よりかなり狭い範囲だったんですね。更に、昔むかしの「なら」はごくごく小さな場所だった様です。「大和」の中の一部が「奈良」と理解しましたが、その点で、「大和盆地」より「奈良盆地」の方が範囲を適切に表現しているように思えます。
[52976] 2006年 8月 3日(木)22:51:12北の住人 さん
大和盆地
[52961] huzisan さん
遠くに住んでいると実感がないので、どれが誤用でどれが正しいのかよく分りませんが、「大和盆地」の使用例がありましたので、報告します。私見ですが、業界というのか一門というのかそういう流れの中で使用されている可能性があるのではないかと感じました。

吉川弘文館の雑誌「日本歴史」(日本歴史学会編集)668号の特集「日本史のなかの地名」中、研究余録として関西学院大学の方の文章に、「大和盆地」が4回ほど出てきます。その内の1つは「大和盆地(大和平野)」となってます。
この方、出身は奈良ではなさそうですが、中世奈良の社寺文書を研究されており、昭和30年前後には奈良県内の町村史編集にも参与されているとの事です。
多分、この方は多数の論文や書物を著していると思いますので、そこでも「大和盆地」としていると考えられます。そう考えるとこの方の周辺では「大和盆地」が一般的に使われているんではないかと思います。

なお、この文章中、「香久山(村)は桜井市に属した」との記述もあります。(香久山村というのがあったのか、天香具山を指しているのかは不明)
「香具山・香久山」は「天香具山・天香久山の略称」と私の辞書にはあるのですが、これはどう考えればよいのか、今日も眠れない夜になりそう(暑くて)。
[52939] 2006年 8月 2日(水)23:00:44北の住人 さん
山のこと
[52903] みやこ♂ さん
[52918] futsunoおじ さん
私、双耳峰そのものに付いては深く考えてなかったです。実際に見ることができないので、コレクションを見ながら耳の間が短いのや長いのがあるなぁ、耳の形はどんなのだろ、やはり猫型か、といった感じです。ただ、2峰間の距離が長いのは1つの山と言えるのかと思い、山とは何かと疑問が湧いたのですが、双耳峰は山の数ではなく形なんですね。
重要なのは地図上ではなく、見た目でしょうか。鑑賞するには芸術性は重要ですね。

その点で言えば、1,022m無名峰も地図上の話に過ぎず、実際には単なる尾根で、山に見えないかもしれないです。まぁ、誰かが山だと宣言したらそうなるのかもしれませんが。

北海道の山には「クマネシリ」と名付けられたものがいくつかあります。形状が「頂上部が平らな山」とされていますが、「両端が盛上がり中央部が平らな山」という説も出されています。実際の形状は後者となっているようですが、両端の盛上がりの形が耳なら双耳峰の候補となるかもしれません。

「双耳峰」コレクションに北ペトウトル山がありますが、南ペトウトル山も似たような形状です。(「北ペトウトル山」の「記事」欄は「チロロ岳」の説明のような気がしますがどうでしょう。)
他所でも書いたことありますが、このペトウトル山、その筋では有名な人だという大島亮吉が「非常に顕著な山容の頂だった。烏帽子のように尖って黒々としたやわらかな線で起伏する頂のうえからすっくと聳えていた」と表現しているんです。これを読んで「烏帽子は形ではなくやはり色か」と心の中で叫びました。烏帽子の種類と形を調べた事があるんですが、烏帽子にもいろんな形があるようです。もっとも、世の中の烏帽子岳や烏帽子岩は特定の形なんでしょうが。
[52900] 2006年 8月 1日(火)21:40:05北の住人 さん
山を考える
(問)大阪府の一番高い山は?
(答)金剛山!
これが地下鉄乗車中に出した答えです。以下、私の頭の中。
大阪府最高地点はこの図の金剛山南方になるが、山頂は大阪府ではない。しかし、ロープウェイや国民宿舎の位置は金剛山と考えられる。大阪府最高地点が金剛山の山腹に位置しているのであれば、大阪府の一番高い山は「金剛山」となる。

ところが、帰って地図を見ると次の問題が頭の中に。
(問)大阪府で最も高い山頂(最高峰)は?
(答)金剛山南方、伏見峠南西の標高1,022m無名峰!(実は名が有ったりして)
地図では府県境、標高がよく分らないのでとりあえずここに。以下、私の頭の中。
山頂とは山の頂点なので、山名標記がなくとも頂点となっている場所は山と見なせる。1,022m地点は金剛山の尾根続きではあるが、等高線の状態から金剛山山頂とは別の山頂であり、大阪府の最高峰は1,022m地点となる。

というふうに山とは何なんだ、どこで分割するのだと悩んだわけですが、「双耳峰」コレクションを見ると両方の耳に名がついているのもあり、これは1つの山なのか、2つの山なのかと。また、隆起している地形の頂点をそれぞれ1つの山と考えると、山を数える事は不可能に近いのではと。これが独立峰(この定義は考えずに)ならすっきりするのかと言うとそうでもなく、世の中の「富士」を見てみると、富士山のそばには宝永山で、利尻山にポン山、鳥海山を見るとあちこちに山名がありいわば山の集合体。
そこで、結論。山は数えられない。あるいは、数える人により数が異なる。

私の脳を刺激したのは次の記事・地名コレクションです。ありがとうございました。
futsunoおじさん [29535] 「双耳峰」コレクション
花笠カセ鳥 さん [52774]
SANUKI-Impact さん 「富士」コレクション

以下、蛇足
山頂は点なので、面積がなく分割ができない。したがって、県境に位置する山頂は2つの県に属する事ができず、一方の県に属する事もできない。よって、県内の最高峰は県境に存在しない。

こんな事を考えていたら、内角の和が360度や90度の三角形もあったなぁ、何て事を思い出しました。
[52859] 2006年 7月 31日(月)22:37:09【1】北の住人 さん
いろいろです
最近暑くてだらっとしてます。こっちはもっと暑い、と皆さんから怒られそうですが、考える事を止めると呆け、ではなく最近は痴呆症だか認知症だか言うんだそうですが(暗証コードがやっと頭に浮かんだです)、その進行阻止も兼ねてぐだぐだと。この時点で、スルーしている人がいるかもしれませんが、意味のないことばかりなので、通りすぎるのもまた良いです。

カモについてなにかに書いてあったかもと、手元の本をいろいろ探ってやっと出てきたんですが(昔は一発で出てきたのに)、古事記、日本書紀などの表記としては「鴨」「迦毛」「甘茂」「賀茂」「加茂」「賀毛」「加毛」「賀母」。(「加毛」は「増毛」に似てますが、うちの家系とは関係ないのでここでは触れません。)

漢字表記で最近見たのが「麹町区」を「糀町区」としていた誰かの手紙か日記。明治の作家だったと思うんですが残念ながら見つかりません。(机のどこかに隠れているはず、これも認知症の手前か既に進んでいるのか。まあ、こんな事はそもそも認知症とは言わないのでしょうが。)

札幌・新十津川間の札沼線は学園都市線とも言うのですが、都市の使い方微妙ですね。この路線は「東武鉄道」と言われたりした事もあったようで(関東の東武ではなく人名です)、また、この線の開業により廃止になった軌道もあります。新十津川駅は「しんとつがわ」から「しんとつかわ」になったとか。

僭称というのはなるほどそう言うことかと、目から鱗が落ちましたが(これ、使い方合ってるんでしょうか、最近日本語に自信なし)、リンクというのは困りものですね。事典の項目をたどって行くうち、最初に何を調べていたか忘れて、光陰矢の如し(これも微妙)。最近は御御御付が御味御付だった事を知り驚きました。そんな中で、芥川竜之介(龍之介か)の『藪の中』は「藪の中」とは違う意味の話だったのではとふと思い出し、本を探しましたが見つからないので、原作の今昔物語(現代語訳)を読んでみたら『藪の中』とは内容(というか主題か)が違うではないですか。

芥川の『藪の中』を元にした映画のロケ地は確か屋久島だったと記憶してますが、今昔物語の舞台は大江山。と、強引に山を出してきましたが、最近悩んでいる素朴な疑問が「山とは何か」。
「双耳峰コレクション」「日本で一番山が少ない県」「大阪府の最高点が金剛山の南方で最高峰は大和葛城山」この3つが私を悩ますわけで、山とは点なのか線なのか面なのか。山頂が山なのか。尾根と山は違うのか。山はどこで他の山に移るのか。山は数える事ができるのか。長くなったので、この続きは後ほど詳しく書こうと思うんですが。妄言多謝 
[51990] 2006年 7月 4日(火)22:26:02北の住人 さん
ちょこレス
[51964] ぺとぺと さん
そうですね、「すすきの」の具体的な場所を指すには、「すすきの」とは言わずに住所やビルの名を使ってます。同じ通称でも「狸小路」は直線的な街路なんで、「丁目」を付けて場所を限定できるのが「すすきの」との違いでしょうか。
(「すすきの」には「0番地」なんていう番地がついてる場所があったりしますが。)

「南沢」はなんで仲間はずれなんでしょう。「川沿」は「エ」なのか「イ」なのかとっさに迷う事ありますが。「麻生」は病院なんかは「アザブなんとか」だったりするところ多いようです。他にも白川(シラカワ/シライカワ)、硬石山(コウセキヤマ/カタイシヤマ)、雁来(カリキ/カレキ)なんていうのがあります。
[51957] 2006年 7月 2日(日)22:37:05北の住人 さん
ちょっとレス
[51948] EMM さん
なぜ7月1日に饅頭なのか、と言う理由は拙稿[42735]参照
私の記憶違いかもしれませんが、最近読んだ記事に、氷室饅頭は道中の無事を祈願するためのもの、といった感じで書かれていました。

地名というのは難しいもので、札幌の場合、正式な住所より通称である「すすきの」や「桑園」と言った方が分り易い場合もありますね。自然地名である「藻岩山」が同時に「町名」になっているという例もいくつかあります。
[51863] 2006年 6月 24日(土)15:31:07北の住人 さん
能登はやさしや土までも
[51837] EMM さん
石川県のガイドブックを見ていたら能登に行きたくなってきました。「能登の隠れ家 ‐四百年の歴史を持つ奥能登の秘湯‐」なんていうコピーの宿も出てますが、雰囲気からすると子連れは無理そう。

さて、羽咋郡・鹿島郡を「口郡」、鳳至郡・珠洲郡を「奥郡」という、なんてことが30年も前の百科事典に書かれています。この地方、羽咋国・能登国→越前国→能登国→越中国→能登国→七尾県→石川県と所属が変化しているのも面白いですね。

「能登」が「能州」なら、南の「加賀」は何かと辞書で調べたら「加州」と「賀州」、逆に「加州」を引くと「カリフォルニア州」が現われ、「賀州」は「伊賀」で「加賀」はなし、そこで「伊賀」を引いたら「伊州」と「賀州」、すると「伊豆」はというと「豆州」で、「伊予」は……
[51820] 2006年 6月 19日(月)21:30:15北の住人 さん
失礼しました
[51811] [51812] hmt さん
申し訳ありません、電子本は写真なしでした。写真の説明は「進駐軍向けに“OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES”と書かれた500型(昭和26年)」となってます。写真では不鮮明ですが、文字が上下2段に分かれており、上が「OFF LIMITS」下が「TO OCCUPATION FORCES」となっているようです。「乗車禁止、占領軍専用」と解釈してました。英語からは遠ざかっているので、逆に考えてました。

神田明神は1616年に移転ですか、400年も前ですね。札幌の寺社ではせいぜい100年前に移転で、なかには元の位置がわからない例もあります。なにかで読んだ記憶ありますが、京都の老舗で昔の話とは1000年前のこととか。
[51810] 2006年 6月 18日(日)21:48:00北の住人 さん
内・外
[51802](Issieさん)を読み、神田川ができたので神田が南北に分れ、単なる川ではなく堀だから内と外なのか、と勝手に思っていたところ、[51807](hmtさん)では、神田は堀の外に向け拡大したような印象。東京は奥が深いです。手元の地図では、川の北側に神田明神がありますが、「神田」自体も、「内神田」「外神田」についても、その範囲が変動していたということになるのでしょうか。

[51801](逆太郎さん)の「小友」を地図で確認してみましたが、「内・外」を分けるものは山くらいで、同じ「小友」を名乗るのはなぜなのか分らない場所です。地図だけでは無理ですね。
「城田」もよく分らないですね。地図では川と伊勢神宮が絡んでるように見えますが。

これに比べると能登半島([51797]Issieさん)は湾の内と外なので単純そうですが、そうでもないようで、旧内浦町は内浦地域(こんな使い方をするのでしょうか?)のごく一部ということになりそうです。数年前に買った石川県のガイドブックには「奥能登」「中能登」という表現があり([5517]オーナー グリグリさんでは「口能登」も)、能登も切り口がいろいろですね。(恥ずかしながら、能登は輪島のあたりかと思ってました。中心は七尾だったとは。氷見には行った事ありますが、西側の石川県側は能登なので、能登半島に行ったことになる?)

「コーカサス」([51799] hmtさん)、学生時代に専攻外の中央アジア史をひょんな事から取った事があり、スキタイとかサマルカンドとかやってましたが、「ザカフカス」という表現、これも内外に絡んだ言葉だったのかと20年前を思い出しました。
内蒙古・外蒙古の内・外とは関係ないですが、今日の新聞に東京のモンゴル料理店の話題があり、夜は羊肉(多分豪産)を食しました。
[51808] 2006年 6月 18日(日)20:18:34【1】北の住人 さん
専用車
[51787] hmt さん
列車名「Yankee Limited」への反応です。
札幌の市電でも、スキーシーズンに進駐軍専用電車を走らせていたそうです。電車の側面に「OFF LIMITS TO OCCUPATION FORCES」と書かれた写真が手元の本にあります。(さっぽろ文庫「市電物語」、なお電子本を読むには専用ソフトが必要で、写真は掲載されていません。)

札幌・横浜間の列車については、昭和21年10月14日当時の札幌駅駅長さんのこんなエピソードが(さっぽろ文庫「札幌の駅」)。
22時発横浜行き進駐軍直通第1201列車の発車時刻直前に、この日増結により13両編成となった車輌の再編成をRTOに命じられ、再編成の約束時間15分を8分過ぎたため、RTO司令官から出勤停止を宣告されたという事です。(RTOとはなんの略かは分りません。この司令官、悪い人ではないようで、出勤停止はすぐに解除されたようですが。)

また、進駐軍は札幌市南部、当時の豊平町真駒内にキャンプクロフォードを建設し、国鉄がそこへのアクセスとして、近くを通っていた定山渓鉄道に接続する専用線を建設、札幌(東札幌?)・キャンプクロフォード間に進駐軍専用列車を走らせていたそうです。
[51795] 2006年 6月 17日(土)11:28:33【2】北の住人 さん
下北知床岬?
[51726] Issie さん
場所不明だったので、地図で確認でき良かったです。
久しぶりに樺太の図を見ましたが、得も言われぬ形してますね、特に亜庭湾の辺りが尖端恐怖症にはこたえられません。北海道の「知床岬」に対して「中」や「北」が付いたのか、「内知床村」と「外知床村」の間だから「中」なのか、「岬」コレクションや「崎・埼・碕」コレクションをみても、同名の例が少ない中、1つの町に同名岬があったりで、岬の同名回避を行った理由は何なのかとふと思ってしまいました。
「内知床村・外知床村」の「内・外」の対比も「上・下」に比べれば極端に少ないのでは。「内房・外房」しか頭に浮かびませんでした。

さて、本州にも「シレトコ」があったという話です。以下、山田秀三「下北の旅の記録」(昭和34年12月「うとう」第49号、山田秀三著作集「アイヌ語地名の研究3」に収録)から。
山田さん、金田一京助さんの著書に書かれている下北半島の「シレトコ」の場所が分らず本人に会いに行き、出された地図が橋本玉蘭斎なる人の書いた「陸奥出羽国郡行程全図」。そこには確かに「シレトコ」と「シレトコサキ」の文字が。現在(といっても昭和30年前後)の地形図に照らし合わせると、下北半島九艘泊付近の岬で、候補としては貝崎北海岬。各種文献からすると「貝崎」のようだが、連絡船から見る程度だったので自信なく、土地の詳しい人に教えてもらいたい、と山田さん。
こんな感じで書かれていますが、現地に行ったとしても「志礼登古之地」なる木標が建ってるはずも無く、今となっては調査も難しいですね。
[51723] 2006年 6月 11日(日)22:16:30北の住人 さん
頓別を考える
[51689][51710] R62号1さん
[51699][51711] YSK さん
良く分りませんが、鉄道(天北線、興浜北線)の開業との関連もあるかもしれません。特に「浜頓別」と「頓別」の関係には。
「上・中・下頓別」は殖民区画が広がるにつれ、単に「頓別」では範囲が広くなったので字を作ったとも考えられますが、天北線の駅名と字名のどちらが先か調べる必要があると思います。
「小頓別」については、私なら位置的に「奥頓別」と付けたいですが、なぜで「小」なんでしょうか。仮に「ポントンベツ(小さいトンベツ)」という川があったとしたら、その意訳で「小頓別」にしたということも考えられます。

「トー・ウン・ペッ(沼・に入る・川)」についてはツッコミたい事が多いですが、長くなるのでいつかまた。

明治の頓別村には、砂金ブームで入植者以外に一攫千金を狙う者も多数入ったそうです。その後、枝幸村の一部になり、大正期に再度、頓別村が成立してます。また、水害により市街が「頓別」から「浜頓別」に移ったという歴史もあるようです。中頓別には鍾乳洞がありますが、中の様子は全く記憶に残ってません。
[51722] 2006年 6月 11日(日)22:15:07北の住人 さん
知床は白いところ
[51583] みやこ♂ さん
北方四島の20万図をざっと見ましたが発見できませんでした。樺太にあったという話もあり、古地図に「シレトコ」がでてきます。知床半島の知床を含め、古くは「しろい所」「白所」となっている場合が多いようです。「知床」の漢字が当てられたのは、安政5年(1858年?)松浦武四郎「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」の「志礼登古誌」が、文久3年(1863年?)には「知床日誌」として出されているので、その間となるでしょうか。
「知床斜里」という駅がありますが、かつて室蘭本線に「知床」駅が存在しました。今は「萩野」になってます。礼文にも知床があります。
[51651] 2006年 6月 4日(日)15:19:47【1】北の住人 さん
ニトヌプリ
web上の便利な事典の話題が出てましたが、功罪半ばですね。この事典は簡単に訂正できることが出版物と比較した場合の利点なんですが、引用した翌日に中身が変わっているとかあったりして。ソースが同じなら、複数のサイトに同じ情報が有ってもおかしくないし。間違ったまま他のサイトに引用されたら、元が直っていても訂正不能のコピー情報が氾濫するんでしょうね。ネットの情報は、その辺のことを分って使うには便利なんですが、信頼度の点で小中学生向けではなさそうです。
一方、ネットより信頼できそうな出版物は、訂正するのが困難なのが欠点ですね。図書館にある本なんか信用してしまいますが、すべてに正誤表が付いているわけでもないですし。絶版になっているものは訂正自体もないですから。

かなり前から温めていたものなんですが、良い機会なので、信頼できそうな出版物のことについて。私も地名大辞典をよく利用するんですが、独自に調査したんではなく単なる引用に終わっていることも残念ながらあるんです。なかには引用元に手を加えているんではないかと思われる事も。

ニセコには「ニトヌプリ」という山があるんですが、「ニドムヌプリで森のある山の意」というような説明がされていることが多いです。これは、地名大辞典を引用しているんだと思うんですが、この辞典では「アイヌ語小辞典」からの引用となってます。この説明、山に森があるのは普通だろうと突っ込みたいですが、この辺の山は高い木の生えていない場所も多いので「森のある山」も考えられます。ただし、引用元が確かでありません。「アイヌ語小辞典」という本が何なのか分りませんが、知里真志保の「地名アイヌ語小辞典」のことが頭に浮かびました。
そこで、「地名アイヌ語小辞典」を見ましたが「ニトヌプリ」の項は見当らないんですよね。関連する項目もざっと見たんですが、「ニトヌプリ」「ニドムヌプリ」を見つけることはできませんでした。ただし、「ニトム」という項はあります。
 ni‐tum, -u  にトム(にートム) 森;林
 (注:「に」が平仮名なのは、そこにアクセントがあることを示している。「ト」は「ド」ではなく「ト」に半濁点、日本語にない「tu」の音をそう表現。「ム」は小文字、閉音節の子音を小文字にしている。地名大辞典でも「ム」は小文字にしている)

そこで考えたことが、執筆者は「地名アイヌ語小辞典」を見て「ニトヌプリ」の音に近いものを探し意味付けをしたんではないかと。あるいは、別の文献に書いてあるものを「アイヌ語小辞典」からの引用として掲載したのではないかと。更に、「トに半濁点」を「ド」に変えたんではないかと。「アイヌ語小辞典」なるものが他にもあるかもしれないので断定はできず、現在、この「アイヌ語小辞典」を捜索中です。
北海道の山の本のことについても続けようと思ったんですが、前置きが長くなったんでいずれまた。
[51424] 2006年 5月 21日(日)21:45:53北の住人 さん
シレトコはどのあたり?
[51334][51330]の続報です。
かつて、知床半島の町が合併しようとした時、その名称の範囲が話題になったかと思いますが、松浦武四郎が活躍した時代はかなり狭かったようです。

松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調紀行-知床日誌」の現代解読版(「松浦武四郎 知床紀行集」や「知床日誌 現代語訳」)を調べたところ「ヲフイ岳 また知床岳ともいう」などとなっていました。前後の地名から考えると、「シレトコ」の上部にある山が「ヲフイ岳」 で、その別名が「知床岳」です。

この「知床日誌」は「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌-志礼登古誌」(以下「戊午日誌」)などをもとに出版された、一般向けダイジェスト版と考えられており、「戊午日誌」解読版の該当個所は次の様になってます。(カッコ内は私の注記)
 (岬を西方に回った場所でシレトコの湾内にある坂道を上った)
 「其上に山有、是を シレトコ岳 と云り。惣てシレトコは此辺の惣名哉」
 (シレトコをしばらく過ぎて、キヤルマイ、本名ヒヤリマイ-今のヒヤラモイ・窓岩か?)
 「其上を ウイノホリ と云。是則遠方より見てシレトコノホリと云(中略)本名ヲフイ岳のよし。判官様軍勢をよせるしらせの為に火をつけて焼玉ひしと云也」

この松浦武四郎が訪れた時(安政5年)の「シレトコ」は、今の知床岬の西側にあった小さな集落(通行屋と家3軒)を指していたようで、その場所は知床博物館の現地調査によると、文吉湾とアブラコ湾の間にある「啓吉湾」となっています。「戊午日誌」の「シレトコ岳」は「シレトコ」集落の山ということになり、「戊午日誌」解読版によると、今の「ウイーヌプリ」にあたる山としています。
今の「知床岳」は「シレトコ」からかなり遠いですから、当時は「シレトコの山」とは見なされていなかったと思います。少なくとも、当時の「知床岳」と今の「知床岳」は別のもののようで、今の「ウイーヌプリ」が当時の「知床岳」に限りなく近いです。

なお、「戊午日誌」によると、「ホロムイノホリ」が「ウイノホリ」西方に並んでおり、さらに西方「カシユニエンルン」(「カシュニの岩」「カシュニの滝」の辺りか?)などを過ぎてから「チヤラセホロノホリ」がでてきます。解読版では、「ホロムイノホリ」=「763m峰」、「チヤラセホロノホリ」=今の「知床岳」としています。

また、「ウイノホリ」には義経伝説があるようですが、「戊午日誌」には他にもいくつか伝説が書かれており、「キヤルマイ」は、弁慶が蝮を踏み潰す時に、それを弁慶の妹が穴の中から見ていた岩だ、という話しです。
[51334] 2006年 5月 14日(日)22:37:13北の住人 さん
ウイーヌプリ 追加
[51319] みやこ♂ さん
こちらの図をご覧下さい。松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」知床半島です。
今の「ウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」、「知床岳」=「チヤラセホロノホリ」、「羅臼岳」=「チヤチヤノホリ」となるようです。

なお、札幌には「焼山」というのが2つありますが、いずれも火山ではなく、山火事が頻発したことからの命名です。同様な事があったとしたら、「ウフィヌプリ」についても、火山でない場合もあると思います。
[51330] 2006年 5月 14日(日)11:34:00北の住人 さん
ウイーヌプリ
[51319] みやこ♂ さん
まず、松浦武四郎『知床日誌』の引用による「知床岳」=「ウフイノホリ」についてですが、他の松浦武四郎の図を見ると、「知床岳」=「ウフイノホリ」ではないようです。私は『知床日誌』を見ていないので断定できませんが、松浦武四郎「東西蝦夷山川地理取調図」からは、「現在のウイーヌプリ」=「ウフイノホリ」だと考えられます。

「ウフイノホリ」には「火山」という意味もあるようで、これは私の創作ですが、こんなやり取りがあったとすると、火山であればどの山にも「ウフイノホリ」という名が付きそうです。
 旅行者:「あの山は何ていうの?」
 通訳:「あの山は何ですか?」
 住人:「ウフィヌプリ(火山)だよ」
 通訳:「ウフイノホリだそうです」 

ちなみに、この知床の「ウイーヌプリ」は複数の名を持っていた様で、「ウイノホリ」「ウフイノホリ」「シレトコノホリ」「シレトコ山」「ウーイヌプリ」が報告されています。
また、「知床岳」については「チヤアセホロ山」に同定されており、これが正しいとすると幕末以前には「チヤラセノホリ」「チヤラセホロノホリ」と呼ばれた可能性があります。(アイヌ語地名研究4「消えてしまったアイヌ語の山名」、アイヌ語地名研究5「明治の地図に記された北海道の山名」より)

「和+ア合作の名前」については、「ニトヌプリ」がそうではないかと私は睨んでいます。ニセコの山は明治以降に名付けたと思われるものが多いです。確証はありませんが、「ニセコアンヌプリ」「イワオヌプリ」「チセヌプリ」「ニトヌプリ」は新しく付けられたんではないかと調査中です。「モイワ山」「ワイスホルン」は明治以降の命名です。
「イワオヌプリ」については、この名が付いた山を個別に検証する必要があると思います。幕末以前から「イワオヌプリ」となっているものもあるので。(「イワオ」「硫黄」の起源が日本語なのかアイヌ語なのかということを別に考える必要ありますが)

「ラウス(ラウシ)」は諸説(少なくとも3説)ありますので、アイヌ語を話せない私には、よくわかりません。「内臓」というのは、単なるアイヌ語辞書からの引用のような気がします。(「アイヌ語地名」というものの中には、辞書から引いただけのようなものが多いです。)
[51307] 2006年 5月 13日(土)10:42:25【1】北の住人 さん
ヌプリコレクションについて
愛比売命 さん
[51296] みやこ♂ さん

北海道の山名ですが、明治以降にアイヌ語を借りて後からつけられたものがあります。また、意味もいくつかの説があるので、閲覧する人が誤解をされないよう配慮する事が必要です。アイヌ語の意味については、定説になっているのもありますが、すべて「?」付きにするか、すべての説を併記するのがベターかと思っています。(すべての説を調査するのは不可能ですが。)

「ノホリ」については、「ノポリ」「ノボリ」も含め幕末以前には一般的な記述だったと考えられます。
「ウフイ」については「ウイ」「ウーイ」「ヲフイ」などの表記もあるようです。

このコレクションですが、現在の地図上で「~ヌプリ」となっているものと考えてますが、幕末以前の山名調査によると、「ノホリ」等も含めて数えると200を越えるということになります。
[51142] 2006年 5月 3日(水)09:20:02北の住人 さん
端午の節句
皆さん、べこ餅というものを知っていますか?この季節に食べるものなんですが、北海道・東北の地域限定品だということを、最近知りました。全国的なものかと思ってました。よく考えれば、べこは方言ですね。
子供の日には鯉のぼりですが、幟(いくさの時に使うような縦長のもの)を門に立てるという風習?もあるようですね。鯉のぼりのカタログに載ってました。
[50692] 2006年 4月 11日(火)21:11:43北の住人 さん
Re:「下総」の読み方
[50664] てへへ さん
発音が書いてある別の辞書を見たところ、「シモーサ」となってました。私は「シモ」と「フサ」の2つの言葉がつながった語だと思っていたんですが、「シモーサ」という1つの言葉だったんですね。
なお、オ段の長音は原則、「おう」と書いて「オー」と読むということです。ということは、「ou」とローマ字で書くと「オウ」と誤って読んでしまうことになりそうです。

ちなみにこの辞書で「遠江」を引いたところ、現代かなづかいは「とおとうみ」で、歴史的仮名づかいは「とほたふみ」、発音は「トートーミ」でした。
日本語はむづかしい、でなく、むずかしい。
[50637] 2006年 4月 10日(月)06:38:22北の住人 さん
Re:Re: 「下総」の読み方
[50588] ありがたきさん
[50602] 紫魔法師 さん
読み方の変化は、手元の辞書ではこうなってます。(括弧の中は旧仮名遣い)
上総 かみつふさ→かむづうさ→かずさ(かづさ)
下総 しもつふさ→しもうさ(しもふさ)
 (「しもつさ」の古称もある)

私は「下総=しもふさ Shimohusa」と読んでいたんですが、辞書によると「しもうさ Shimousa」になるんですね。「もう」と長音で読むのか、「も」+「う」と二音なのかは分りません。旧仮名遣いからみると長音になり、「しもーさ Shimohsa Shimosa」の読みもあるということですか。
[49821] 2006年 3月 13日(月)06:33:08北の住人 さん
Trapa japonica
[49802] 般若堂そんぴん さん
そうでしたか。付加部分も含めて学名と思ってました。
(生物は出席してただけなんで、といい訳。担任は生物だったんですけどね。先生ごめんなさい。)
[49797] 2006年 3月 11日(土)21:54:21北の住人 さん
[49716] hmt さん
[49725] スナフキん さん
別寒辺牛湿原は容易に到達できない地のようで、近くをかすめたことありますが、知床とはまた違った秘境のようです。奥地では水上を歩くのは困難ですから、いにしえの民は丸太舟を使って行き来していたのでしょう。松浦武四郎も河口からやや入った小休所を訪れています。

[49684]の「菱の実の群生地」という私の日本語はちょっと変でした。「菱の実がたくさんあるところ」か「菱の群生地」ですね。(「ベカンベ」=「菱の実」ですが、「ベカンベ」=「菱」となるかは分りません)
「ヒシ」は東アジア特産らしく、学名では「Trapa japonica Flerov」となってました。
[49684] 2006年 3月 5日(日)21:38:20【1】北の住人 さん
菱の実
[49600] hmt さん
NHKの「さわやか自然百景」で放送していたのを思い出して、6年前に録画したビデオを見直してみました。「べかんべうし」とは、アイヌ語で「水の上を行き来した場所」という意味とか。
この地名の説明シーンに、「菱の実」が登場してなかったでしょうか。「べかんべうし」を解くには、彼が主演となるはずなので。
「水の上を行き来した場所」は「ベカンベクシ」説からの引用だと思います。アイヌ語で「ベカンベクシ(pe-kam-pe-kus-i か?)=水上を通行した場所」となるのかは分りませんが、「菱があると思って水上を行ったが菱はなかった」というエピソードで「ベカンベクシ」の説明がされています。「ベカンベクシ」という言葉がアイヌ語上成り立つのかという、シロート的な疑問はありますが。
「菱がなかった」という意味なら「ベカンベなし(pekampe nashi)」も面白いかなと思ったりします。(だからシロートはコワイ!←このフレーズ、そのうち説明します。)

一方、「ベカンベウシ(pekampe-us-i)」説では「菱の実の群生地」。菱の実は食料であり、その群生地を指しているという訳です。
別寒辺牛の西側、塘路湖が「ベカンベ」の名産地とされています。名産地への道のりとして別寒辺牛川水系が存在したのなら、別の解釈も成り立つのではと、シロート的な発想が湧いてきました。
(以上、永田方正「北海道蝦夷語地名解」、更科源蔵「アイヌ語地名解」、山田秀三「北海道の地名」を読みながら)
[49582] 2006年 3月 1日(水)22:45:44北の住人 さん
訂正します
恥ずかしながら幽霊地名を作ってしまいました。[49546]で「帆越」を「ポコシ」としてましたが、「ポクシ(pok-us-i)」でした。記事訂正しました。これだからシロートはコワイ!
なお、「ポコイ」は「pok-o-i」となります。
[49546] 2006年 2月 28日(火)22:41:18【1】北の住人 さん
室蘭の焼鳥は豚です
[49521] ぺとぺと さん
室蘭市の母恋(ぼこい)は「ホッキ貝がたくさんあるところ」という意味のアイヌ語「ポク・オイ」が由来だそうで
最近疑問を抱いてる事の1つが、この「ポコイ=北寄の群生する所」説。定説に挑戦するには根拠が薄いですが、北寄がたくさんいたような地形には思えないんです。
北寄の産地としては苫小牧から鵡川にかけての海岸線が有名で、いかにも北寄がいそうな遠浅の砂浜海岸。一方の母恋は、南側は断崖絶壁、北側は、埋立てられており明治以前の状態が分らなくなってますが、遠浅とは言うには無理がありそうな地形。ここに北寄がいるのかもしれませんが、地名化する程の場所だったのか疑わしいんです。私は「蔭の処」説も捨て難いと思ってます。
似たような地名としてせたな町(旧大成町)に「帆越(ホゴシ)」があります。「ポクシ=崖下のところ」という説が有力のようですが、「母恋」も崖下という意味では似たような感じです。
[49418] 2006年 2月 23日(木)22:32:29北の住人 さん
♪胸騒ぎ残し月???
[49364] 千本桜 さん
では、私は逆の線で未来の話を。判じ物の好きな役人が昔々「ちょっけ」に「猫手」の漢字を充てたこの場所、そのうち素直な子供達が「ねこて」と言い始め、小学校の運動会では一輪車を使った「ねこリレー」、藁筵を背負った「ねこ競争」で盛りあがり、いつしか猫も杓子も「ねこて」と言う始末。とうとう200年後には改名され、もみじ饅頭のノウハウを取り入れ「ねこて饅頭」を売り出したり、猫にゃん棒が再々リバイバル。その様子を見ていた「猫島」の他の皆さん、猫手にあやかり「猫足」「猫耳」「猫目」地名が出現。猫地名コレクションをもとに全国大猫サミットが開催され、更には熊地名と合わせたパンダサミットも出現・・・なんて事を続けていると怒られそうなので、この辺で。「猫島」の皆さん、他意はないです。妄言多謝
 
[49370] 今川焼 さん
新日鐵は昭和45年でしたか。これ、調べようと思ったんですが、手を抜いてそのままアップしてしまいました。富士製鉄の時代に、橋や建物に「富士」の名称が付き、そのまま地名化したものの様です。社宅は払下げのはずなのに、手元の道路地図には「社宅十字街」のバス停名も。

ここでちょっと懺悔の部屋。この地名の由来は確実だとは思いますが、実は私は引用した文献を素直には信用していないのです。今までの書込みでかなり使っており重宝してるんですが、内心は本当に合っているのか?と思いながら書込んでいるわけです。ひょっとして間違ってるのでは、ということを出してしまうのは無責任なんですが。
この本に限らず良く使う地名本は、記述の引用方法に不信があったり、孫引き・曾孫引きになりがちなので、なるべく原典に当りたいんですが限界もあり、原典にも不信を抱くというひねくれ者で、間違いがないか探したり異説創作を楽しんでいたりするわけです。
地名の由来は、千本桜さんの書込みにあるようにいくつもの答えがあり、本にはその内の1つあるいは幾つかが書かれているんだ、というように捕らえています。特に古い文献にはその後に発見された説が載ってませんので。

[49409] N-H さん
N-Hさんの書き込みの事ではなく、参考資料となっている事典全般の感想です。私はこれも素直に信用しないものの1つになってます。とりあえずの調査には便利なんで結構使うんですが、疑っていたりもします。何となく、裏を取らねば、と思ったりするんですよね。裏取るの大変ですが。
[49335] 2006年 2月 19日(日)22:05:33【1】北の住人 さん
北海道の富士と吉原など
[49322] 今川焼 さん
「企業由来町名」コレクション ぺとぺと さん
「登別市富士町」は、昭和17年の日本製鉄(戦後富士製鉄と改称)社宅建設地で、昭和43年に土地・建物を社員に払下げたとなってます。富士製鉄従業員の住宅地が由来のようですが、地名が設定されたのは昭和49年とかなり後です。(角川日本地名大辞典から)

「富士」の付くものとして、「斜里町富士」がありました。大正7年に富士製紙が農場を設置した場所で、戦後、富士製紙の農地は全面開放されたとなってます。地名が設定されたのは昭和28年。

コレクション中「釧路市新富士町」の由来となった富士製紙、昭和44年の新町設定により、製紙工場の位置する町名が「新富士町」から「鳥取南」に変更という経緯があります。この「鳥取南」は2丁目はあるが1丁目が見当たらないという妙な場所。「新富士町」は駅名先行のようで、開駅が大正12年、地名は昭和7年。「新富士駅」は東海道新幹線にも同名駅が。

[49303] の「白老町北吉原」は、駅名が「きたよしはら」で、地名は「きたよしわら」の様子。なお、富士市の吉原駅は「よしわら」で駅名を比べると微妙に違いが。
コレクションを眺めると、富士製紙と大昭和製紙は現在の日本製紙ということで、釧路市・白老町とも今は日本製紙。「北吉原」の由来となった「吉原」の隣駅が「富士」とは奇遇。

コレクション外ですがこんな例も。「栗沢町万字曙町」など「万字」地名の元となったのは「万字炭鉱」で、鉱区を所有していた朝吹氏の家紋が「卍」であったことから。ここを北炭が開発し、町名設定後の一時期には「万字炭鉱株式会社」というのも存在した様子。
[49303] 2006年 2月 18日(土)16:24:48北の住人 さん
つれずれレス
[49125] いっちゃん さん
日本にもトリノが結構あるんですね。札幌にはオリンピックに因んだ名称として、五輪大橋、五輪小橋の他、オリンピック道路と呼ばれる通りも。この道路、オリンピックから30年以上経っており、今でも一般にそう呼ばれているかは?で、しかも複数の路線がある様子。
ウオッちずで「五輪」を検索した所結構ヒットしましたが、オリンピックに関係するのは多分、札幌と長野の「五輪大橋」ではないかと。それにしてもスノボクロスは興奮しました。

[49131] YSK さん
アーカイブ「町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?」は、条例も含めた法令とそれに関する行政実例をメインに採用するのはどうでしょう。私の書込みが幾つか入っていますが、北海道の場合という例を出しただけで、「何か?」の答えではなく、このような個別事例を外すことで記事数を抑えることができます。

[49207] 千本桜 さん
辞書によると、古くは人の手のこと自体「ちょっかい」とも言っていたようです。しかし、なんでこれが地名になったんでしょう。誰かが何かにちょっかいをかけた伝説からなのか?猫の手を借りたい事が起こったのか?猫島に関係あるのか?地名とは不思議なものです。先日は八郎潟の近くで「昼寝」という地名を見つけました。
「猫手」は意味と漢字が一致しているようですが、[49096] の「嫌侶」は当て字。でも、なんでこんな字にしたのか。命名者はその時友達か細君と喧嘩でもしていたんではないかと勘繰ってしまいます。もう一方の「貴老路」と比べるとあまりにも差が。

[49218] Issie さん
北海道にも「本町」いくつかあるようですが、「ほんちょう」「ほんまち」「もとちょう」「もとまち」といろいろです。なかには当初「ほんまち」で今「ほんちょう」とか、「もとまち」だけど「ほんちょう」とも呼ぶというのもある様子。(角川日本地名大辞典から)

[49245] ぺとぺと さん
採用条件には当てはまらないですが、こんな例もあります。(過去記事検索するとかなり前に既出でした。)
白老町「北吉原」には大昭和製紙白老工場がありますが、本社のある富士市「吉原」(当時は吉原市?)から命名されたようです。同じ昭和40年に駅名と地名ができましたが、どちらが先かは調べていません。(駅は11月1日開駅)

[49295] YSK さん
仙台の例ですが、歴史的町名復活も、新町設定(名称は別にして)も、街が変化していると言う点では同じ事ではないのかと感じました。古い地名の復活は良い事なのかどうなのか、私の中では整理できてません。伝統地名を残すという事は大切な事ですが、町名復活というのは、全く過去と同一の状態に戻るわけではないと思います。指す範囲が違ったり、復活しない地名が生じたり、時代によって町名が異なる場合はどの時代のものを採用するのかなど問題もあるのではと思います。区画整理による新町設定と同様、過去の町名を使って新たに町を作るということであれば、都市作りの1つとしての町名復活ではないかと考えます。
[49127] 2006年 2月 11日(土)21:48:57北の住人 さん
創成川と鴨々川
[49050] N-H さん
子供たちの遊び場である鴨々川は、創成川上流の一部ですが、私の感覚では創成川と別物です。鴨々川で遊んでいる時に、ここは創成川だ、との意識はありませんでした。
謎の部分はありますが、明治期の状態では、鴨々川は豊平川分流である自然河川に手を加えたもので再度豊平川に合流しており、もともとは胆振川の一部という話もあります。創成川は、その胆振川から農業用水として取水した人工河川で、鴨々川分流といった感じです。

創成川と名付けられる前は「大友堀」「寺尾堀」など堀の名で呼んでいたり、「新川」と呼んでいたようで、この水路に架かっている橋の名「創成橋」から「創成川」と付けられたようです。この川はどんどん北側に伸びて行き、最終的に当時の石狩川に接続され現在の姿になっています。
[49114] 2006年 2月 11日(土)10:38:47北の住人 さん
嫌侶
[49102] でるでる さん
私の[49096]で「嫌侶(キロロ)」の「侶」の字が間違っていましたので、修正しました。失礼いたしました。
(「嫌呂」となっている地図があったのでと言い訳。その系統の地図で縮尺が違うのは「嫌侶」でした。)
[49096] 2006年 2月 10日(金)22:44:30【1】北の住人 さん
ルシヤとキロロ
[49075] EMM さん
[49078] みやこ♂ さん
松浦武四郎の「ルシヤ」ですが、なんと発音したのかは?です。「ル・シ・ヤ」かもしれませんし「ル・シャ」かもしれません。語頭がラ行なのに「ヲルシヤ」とはならなかった様で。
現物を見たわけじゃないので、位置を確定できませんが、前後の地名から判断して、斜里側を「るうしや」と書いた古地図や、羅臼側を「ルサ」と書いた古地図があるようです。

ルシヤと似た感じで、山を挟んで両側に同じ地名がある(あった)のは、浦幌町と本別町の境界付近のこの辺り、浦幌町「貴老路(キロロ)」と本別町「嫌侶(キロロ)」。嫌侶はちょっと前の地図にはあるんですが、最近の地図からは消えてしまったようです。
[49070] 2006年 2月 8日(水)23:39:41北の住人 さん
北海道支庁図
[49063] 紅葉橋律乃介 さん
以前から範囲が気になっていた「○○郡他○郡役所」なんですが、この図を見ると良くわかります。まさに支庁の原型ですね。形の変化が面白いです。
[49065] 2006年 2月 8日(水)21:01:44北の住人 さん
ルサ川とルシャ川
[49047] みやこ♂ さん
アイヌ語では「sa」と「sya」の区別がありませんので、このような語があったとしたら、「ルサ」も「ルシャ」も同じものです。
「ルサ」あるいは「ルシャ」の、実際のアイヌ語の地名が何だったのかわかりませんが、松浦武四郎の図には両方とも「ルシヤ」となってます。
これは私的な解釈ですが「海のほうに行く道」というような感じになると思います。この川を遡れば半島の反対側に出る、という意味があったのかもしれません。この行程は、古くから羅臼側と斜里側を結ぶ要路だったようで、松浦武四郎も記しています。
[49036] 2006年 2月 7日(火)21:18:43【1】北の住人 さん
Re:意外と判らない素朴な質問
[49020] 定義くん さん
市町村については、こちらが良いのであげておきます。

「市」になる要件について-地方自治法・都道府県の条例から-
[48983] 2006年 2月 4日(土)22:15:03北の住人 さん
Re:北斗市のカントリーサイン
[48973] ぺとぺと さん
新聞の受け売りですが、ぺとぺとさんの書込みのとおり、「新函館駅」が旧大野町に設置されるためで、旧上磯町のサインだった「トラピスト修道院」とを合わせたデザインのようです。また、これは私の想像ですが、背景にある山のうちの1つは「設計山」だと思います。読みは「モッケやま」なんですが、この地方の測量の基礎となったという話もあります。(この話の詳細は未確認)
なお、旧大野町のデザインに入っていた「稲」は、北海道水田発祥の地からきてます。(「稲」と一緒になっている「温泉」については良く分りません。)
[48821] 2006年 1月 29日(日)11:49:03北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その5)
[48818] の続き。この機会に北海道の地名をいろいろ見てみましたが、最後に本題と言うか、実はこれが書きたかったので書いちゃいます。

「字美唄及茶志内」
これ、奈井江町の字名なんですが、最初は「字美唄」と「字茶志内」のことか?と思ったのですが、一続きで字名(びばいおよびちゃしない)でした。接続詞のついた字名というわけで、珍しいのでは。奈井江町には「字茶志内」もありました。さらには「字茶志内美唄」も、こちらは「及」はついてません。地名というものは奥が深い。(「字美唄及茶志内」は美唄市にもあるとのこと。)
なお、「字茶志内」は、明治25年告示で「字チヤシユナイ」が設定され、明治33年告示で漢字名に変更されてますが、屯田兵村域には漢字が適用されなかったのか「字チャシュナイ」が現在(昭和61年時点)もあります。(「角川日本地名大辞典」から)

もう1つ。標茶町に「字標茶開運橋向」という地名があるんですが、もとは「字開運橋向」。架け替えで橋の名が「開運橋」から「標茶開運橋」になったために、字名も改称したとのこと。

おまけ。「栗山町中央」はもと「栗山町字栗山」でそれ以前は「角田村字栗山町」。一方、「角田村字角田」が「栗山町字角田」に変更。まるで漢字パズルの様。
[48820] 2006年 1月 29日(日)11:37:09【1】北の住人 さん
兵庫県的市町村?(アーカイブズ提案)
何気なく地図を見ていたら、仙台市が兵庫県に似ていることに気付き、北海道では八雲町が最近該当するようになったなと思い、「都道府県 分断 市町村」で過去記事を検索すると話題になってました。
記事数少ないですが、まだ関連記事があるかもしれません。パズル的な話題としてアーカイブズにどうでしょう。タイトルは深く考えてません。村で該当するのがあるのかは不明ですが。
兵庫県的市町村

(私の一連の書込みに全角と半角の"「"が混在していることが分りました。オーナーグリグリさん、お手数をおかけ致します。)
[48818] 2006年 1月 29日(日)09:48:03【1】北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その4)
[48808] の続き。自治体が成立した時点でどうなっていたかも調べてみました。成立時点とは市制(町制、村制)施行時点とし、改称した自治体は改称時点(「南幌町」については名称が「なんぽろちょう」になった時点)です。自治体により、明治期だったり昭和40年代だったりで比較の意味があるのか不明ではありますが。分類は[48797]と同じで、「参考」は[48797]の合計の数値(昭和61年時点)です。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

類型合計参考
(1)町のみ800821
(2)大字のみ3338449
(3)字のみ910415128109
(4)町と大字20022
(5)町と字630944
(6)大字と字25071
(7)町と大字と字01015
(8)その他21011321

この他、成立時点以降に変化があり、現在とは異なる状態だった自治体もあります。小樽市は当初「町」のみだったのが、合併などで「大字」「字(大字無し)」ができ、その後それらを廃止し「町」のみとなっています。(函館市、帯広市なども合併などで変化があった。)
[48808] 2006年 1月 28日(土)22:21:58北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その3)
[48797]の続き。道内の自治体には「条丁目」「線号」の区画も多く存在します。これらが「町」「字」の何にあたるかを調べてみました。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

「条丁目」「条」
分類合計 市町村の例
1115026 旭川市、音更町、白糠町
18110 北見市、浦幌町、中札内村
地区1001 美唄市

「条丁目」には方角を冠した、「北○条西○丁目」(芦別市など)、「西○条北○丁目」(中標津町など)、「北○条○丁目」(足寄町など)、「西○条○丁目」(津別町など)のほか、地名を冠した例(「岩見沢市大和○条○丁目」など)も多く、「1条1丁目」の存在しない例(「札幌市南区藤野」など)もあります。

「線号」「線」「号」については旭川市と、鷹栖町・広尾町・南幌町など11町村が確認できました。
旭川市は「町」(「西神楽○線○号」)と「字」(「字近文○線○号」)があります。また、地名「近文」については、「町」である「近文町」も存在します。
鷹栖町・東川町・新篠津村などほとんどの町村は「線号」の区画には「字」がないと考えられ、「行政区」などを設定しています。
広尾町には「字茂寄基線」「字茂寄1号」など地名を冠した「字」があります。
[48797] 2006年 1月 28日(土)14:58:14北の住人 さん
北海道の「町」「字」(その2)
[48785]の続き。自治体名「○○市(町・村、札幌市は「区」)」の後が「町」なのか「字」なのかにより分けてみました。これも判断に迷う部分があり独断で分類しました。(「角川日本地名大辞典-北海道(昭和61年)」をもとに作成)

類型合計 市町村の例
(1)町のみ147021 札幌市、足寄町、歌登町
(2)大字のみ0549 浜中町、礼文町、厚田村
(3)字のみ29017109 紋別市、浦河町、島牧村
(4)町と大字2002 稚内市、留萌市
(5)町と字1034044 旭川市、帯広市、広島町
(6)大字と字0101 小平町
(7)町と大字と字0505 厚岸町、斜里町、石狩町
(8)その他414321 美唄市、南幌町、月形町

(1)全域が「町」で構成されている市町村の数。町名が全て「○○町」である自治体(伊達市など)もあるが数は少ない。無住地域に「○○町」としている例(「函館市寅沢町」など)もある。
(2)全域が「大字」で構成されている市町村の数
(3)全域が「字」で構成されている市町村の数。「大字○○字××」は対象外。上砂川町には「字上砂川」と「字上砂川町」が存在。同様の例は奈井江町にもある。「○○町字○○」のように同じ名称が繰り返される例も多い(「小清水町字小清水」など)
(4)留萌市には「礼受町」「大字礼受村」というように、「町名」と「大字名」が同じものがある
(5)帯広市など「字」が1つで残りが「町」の自治体がある
(6)「大字」は「小平町大字鬼鹿」のみで、通称小字?と考えられるものに「港町」などがある
(7)当初から「町と大字と字」だったのは釧路町のみ。厚岸町・斜里町・石狩町は当初「大字」のみだったが、その後「町」と大字無しの「字」を編成。
(8)全域あるいは一部地域に「行政区」などの名称で地名の項目が立てられている自治体。全域字無し(鷹栖町など)もあるが、ほとんどは「町」あるいは「字」が存在する。


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