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ekinenpyouさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[95491]2018年2月26日
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[95483]2018年2月25日
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[95482]2018年2月25日
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[95394]2018年2月5日
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[95384]2018年2月4日
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[94766]2017年12月25日
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[94765]2017年12月25日
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[94731]2017年12月19日
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[94724]2017年12月18日
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[94696]2017年12月11日
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[94623]2017年11月29日
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[94622]2017年11月29日
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[94606]2017年11月27日
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[94467]2017年11月17日
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[94188]2017年11月11日
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[94174]2017年11月10日
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[94107]2017年10月30日
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[94096]2017年10月28日
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[94065]2017年10月23日
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[94063]2017年10月23日
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[95491] 2018年 2月 26日(月)21:18:59ekinenpyou さん
Re:特急マガジン寄稿への感謝
[95485]特急とりあたまさん

拙稿をマガジン登録していただきありがとうございます、テーマに沿った書込みが少ないということですが、
例えば特急とりあたまさんご自身でテーマに沿った書込みを投稿し
そちらをマガジン登録してみてもよろしいかと思います。
(毎回とは限りませんが、[95486]伊豆之国さんのような追加のレスがある場合もあります)

地名表記のズレについては既存のコンテンツ
(例えばアーカイブスの呼称が複数ある地名~地名呼称の多様性~)などとの共通点もあるかもしれませんが
全てが同一内容というわけではありませんから、テーマに沿った書込みについては
(必要以上に短期間で沢山投稿するとかでなければ)差し支えは無いものと思われます。

[92797]山野さんで模範的な例が示されていますが、
例えば駅名と近隣地名が微妙に異なるものを掲示板過去ログなどから参照すると
JRの三ノ宮(三宮)・智頭(駅名は「ちず」町名は「ちづ」)
ネットの住所データや地図類を探せば他にも阿佐ケ谷(阿佐谷)など
色々と見つかると思いますのでお時間のある時にでも探してみてください。

以下、余談
表記ゆれでしばしば登場する「ヶ」の字ですが昔の地形図を見ると
何かの地図記号と勘違いするくらい文字が非常に小さく控えめに書かれているものがありました。
(そのように書くよう決められていた???)
四谷(地図左下の千駄ヶ谷)荻窪(地図真ん中下の阿佐ヶ谷)
出典:外邦図デジタルアーカイブ(東北大学附属図書館/理学部地理学教室)
「千駄谷」「阿佐谷」と見間違えてしまいそうですね・・・
[95483] 2018年 2月 25日(日)14:52:22ekinenpyou さん
地名のローマ字表記ゆれ(その2)
その1の続きですが、やや長文なので投稿を分けます。
拙稿[95482]末で述べた例で代表的なものとしては
[89901]hmtさんでも触れられていた大阪「Osaka」があります。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、国土地理院が作成する地図などにおける地名のローマ字表記には
S29内閣告示1号におおむね従ったルール(H16施行)が存在しています。

その内容は[91476]MasAkaさんの書込みでも紹介されている「地名のローマ字表記」という
PDF9~11コマでおおむね確認できますが、注目すべき点は11コマの左下(4)で「Osaka」を例示する際に
「のばす音(長音)を表す記号は省略することを原則とする」という
S29内閣告示1号に明記の無いルールを追加している点です。

上記ルールの前身となるものが20年ほど前のS59から既に存在しており、
こちらも「地図におけるローマ字表記の問題点」というPDF6~11コマで内容をおおむね確認可能です、
H16施行のものとルールは似通っていますが、9コマ下部(4)に長音記号省略のルールが無いので
(S29内閣告示1号に忠実に従った)「O^(文字上に長音符号)saka」「OOSAKA」という表記が例示されています。

前述箇所における新旧ルールの主な相違点は長音省略を原則とした結果「Osaka」を許容範囲内とした点であるとも
考えられますが、ルールに従っていた「OOSAKA」の例示も無くなっており
こちらはかなり見慣れない表現だったので「Osaka」へ差替えたかったという意図も隠されているかもしれません。

なお、もう一つのルール範囲内表記である長音符号つきの「O^saka」は
PCでの入力方法があまり知られていない影響かネット上のテキスト文書としてはそれほど多く見かけませんが
S29内閣告示1号の前身だった「国語ノローマ字綴方統一ノ件」(S12.9.21内閣訓令第3号)
(現代仮名遣いの本文はこちら参照)で例示されている(ただし長音符号はマクロン:文字上に横棒)他、
AMS(旧米国陸軍地図局)の作成した地図の(L775 Southern Honshu 5万図・Osaka Ko)
テキサス大学図書館のデジタルアーカイブ(日本地図)内などにもこの表記が採用されており、
長音を表示する必要があるときの例に引続き示されたままになっています。
(Unicodeも一応設定されいるので、国際的にもそれなりに認知度があり
滅多に見かけない表記というわけではないという解釈?らしい)
[95482] 2018年 2月 25日(日)14:44:12ekinenpyou さん
地名のローマ字表記ゆれ(その1)
特急マガジンに関連トピック(地名表記のズレ)がありますので、
(初歩的な内容で恐縮ですが)当方からも少し書き込んでおきます。

今日では日本国内での東京の(ローマ字)表記は「Tokyo」で定着していますが、
かつてはドイツ語などと同じ「Tokio」という表記が長期に渡り国刊行の統計資料でも用いられていました。
(大日本)帝国統計摘要、第2回(M21)53回(S14)など参照
京都(現:kyoto)はkioto・兵庫(現:hyogo)はhiogo

現在のローマ字のつづり方に関するルールについては
[89901]hmtさんにて解説されていらっしゃるので省略しますが
「Tokio」という表記は現在では(ルールに従っていないため?)あまり
(日本国内では)見かける機会は多くないと思われます。

しかしながら現在でも「Tokio」が日本国内で用いられている例があり、
その理由が日本語ローマ字表記における外国人への「配慮」についてというPDF8コマに記されていました、
明治前半の英字書籍?でも「Tokio」としているものがあります。
The Japan Directory 1884(M17)

以上の点はWikipedia(ローマ字表記の例外)にも一部解説がありますが、ルールに従っていないと思われる表記が
従っているものより定着している例もあるので、次の投稿で例示したいと思います。
[95394] 2018年 2月 5日(月)21:14:55ekinenpyou さん
岡山県備前市福浦について(補足)
連日投稿になりますが肝心の現:備前市福浦について拙稿[95384]ではあまり書かなかったので補足しておきます。

岡山県では字区域の名称変更について告示を行っているらしく、
同市成立時期のH17年告示214号(2コマ下段)にて備前市(大字)福浦の存在が確認できました、
ただし単なる「福浦」ではなく他と足並みをそろえる形で「日生町福浦」になっています。
(これが正式名称のような気もしますが、公報誤りなどの可能性もあり)
合併時の案内には一切無いので、限られた領域にのみ残る特殊な大字であることは間違いないでしょうか。

したがって、大字福浦の残部再編については岡山県公報に該当する告示があれば詳細がわかるかもしれません、
昭和期など過去のものについては岡山県立図書館に所蔵があるようです。

[95386]Takashiさん
素早いご指摘ありがとうございます、日生町寒河・寺山が異なる地番区域である点、了解しました。
当方の迂闊な推測で誤りを書き込んでしまい申し訳ございません
※地図サイトで地番が網羅されていない点は(サイトに)明記されており当然ながら理解しています。

余談ですが重複地番が例外的に付番されたケースもあるようです。(いわゆる「山地番・耕地番」
近年、不都合が生じるケースが多くなったため(約150年の時を経て?)解消を行っているとのこと
実施地域の詳細はこちらをご覧ください。
[95384] 2018年 2月 4日(日)10:50:24ekinenpyou さん
日生町大字福浦の境界変更について
[95311]そらみつさん・[95312]Takashiさん・[95314]hmtさん
などから始まった、一連のやり取りにおける当方の推測などをコメントしておきます。

そもそも旧:日生町(福河村)大字福浦の寺山地区にあった字「東山ハナ」が
現在は備前市日生町寒河に存在しているというリンク先記載の典拠は何によっているのでしょう?
ネットの地図サイトなどでは容易に事実確認ができないような気がします。

明治の町村制施行前の所属は寒河村ではなく福浦村字「東山ハナ」で
(M22)福河村大字福浦→(S30)日生町大字福浦→(S38以降?)日生町大字寺山という
経過をたどり現在は備前市日生町寺山字「東山ハナ」なら納得が行くのですが・・・

という疑問はさておき、取りあえず日生町寒河にあるという前提で考えると、
日生町大字福浦のうち岡山県側へ残った箇所の再編(鹿久居島東部の大字日生への編入や大字寺山の新設?)は
S38の境界変更後、比較的早期に実施されているような気もします。

なお、日生町寒河寺山で地番の振り方に特徴が見られる点に気が付きました、
双方で番号を共有しているのかもしれません
(寺山の中途半端な地番は大字福浦の残部とか大量に合筆した結果と考えるのは少々難がある)
再編時に?地番整理なども実施した結果、
寺山地区の大字福浦字「東山ハナ」が大字寒河の字になったのかもしれませんね。

また、この地域の沿革については福河村(Wikipedia)などにも記述がありますが、
若干事実と異なると思われる点もあるので
参考として和気郡誌(M42)での記述箇所について、下記にリンクを示しておきます。

島嶼(日生諸島についての解説・取揚島の分属についても記載あり)
町村沿革(日生村・福河村)
[94766] 2017年 12月 25日(月)20:40:47ekinenpyou さん
Re:東京35区時代の地形図事情
分割連続投稿ですが本件別途補足しておきます。

[94736]hmtさん
2.5万図については、需要の中心であることを考慮し、既に編集作業の終っていた合併前の原図を利用した「二色刷り」を採用し、35区発足から1ヶ月というスピード作業により発行することを実現した。

1万図については、正規の編集作業により、時期としては遅れた。それでも戦時中に発行できた。

5万図をどうするか? とにかく2.5万図の作業を優先させてから考えた。
既に時代遅れということもあり、未修正のまま約2年遅れの1934年に発行した。
上記は恐らくおっしゃる通りだと思われます、なお東京西南部(5万地形図)については拙稿[94765]で紹介した
第二次大戦前後の日本の地図事情の第二次大戦直後の地形図(4~5コマ)に76-7-9(S23.10.30発行)
で加刷修正されている点が記されていました。(それまではS7測量の旧版を流用したようです)

東京西南部(2.5万地形図)については戦後初の76-7-1-4(S22.7.30発行)から既に(右上地図枠外に)
大田区・世田谷区などの記載があります。

なお、余談になりますが1万図は戦災復興都市計画図というものがあります。
S22.5月(3月15日の35→22区再編後・練馬区発足は8月)発行とありますが※S12測量地形図をベースとして
S20.8・9撮影の空中写真から地物を反映し戦後間もない東京35区時代末期の実態を示しており、
こちらも都市計画図のため?地理院図歴には載っていません

この地域で戦後S30年代まで新しい1万図が作られていないのはこうしたものが存在していた影響でしょうか?

※世田谷(part42)を見ると代田連絡線と思われるものがはっきり描かれており
鉄道などは結構厳密に補入されている模様
[94765] 2017年 12月 25日(月)20:38:37ekinenpyou さん
昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況など
長文の書込みで恐縮ですが拙稿[94731]で予告していた投稿です、
既にご存知の方も多いと思いますが、おさらいということで要点をまとめておきます。

タイトル年代の地形図発行状況ですが太平洋戦争開戦の少し前までは※秘図とされた地域を除くと
特に制限なく販売されていました。
参考:陸地測量部発行地図目録S6.9現在発行・発売について

※秘図地域とは?
例えば発行地図区域一覧図で北海道北端(宗谷岬周辺)は海岸線が点線表示になっており、
地図の存在が明示されていないがこちらのサイト一覧表(北海道地方)を見ると、
上から3番目のリンク声問近傍(軍事極秘)に実在していることがわかる。

一覧図の詳しい見方は備考(下部)参照(ただし秘図地域は恐らくS19.10のものでS6.9現在と同じではない点注意)

なお、※スタンフォード大学のサイトで公開されているものは秘図地域も一部含まれており、
宗谷岬の地図は右上に軍事極秘と明記
(この地図にも「一般の需要に供する為め」云々という表記がありますが、仮製版の
各地図共通でテンプレート化された文章が残っているだけ?と推測されます)

※5万図以外にもオンラインで閲覧できる地図が多数ありますので、関心のある方は各自検索してご覧ください。
参考:国立国会図書館サイト
米・スタンフォード大学図書館、デジタル化した地図へのリンク機能を持つ索引図をオンラインで公開
検索結果(日本地図)同左(陸地測量部)1:25,000地形図(5万図に無いエリアを一部補完可能)

秘図地域についての見直しなどは随時あったと思いますが、
とりわけ大きな制約がかかったのはS16.10.15官報広告(左上)で示された「発行地図中一部発売停止」です。
(1万&2.5万図全部と5万図の一部について特別な場合を除き一般販売停止)

しかし太平洋戦争開戦後も(太平洋)沿岸の一部地域などで修正測量が秘密裏に行われ
終戦のS20には(当該地域の)集成1:50,000地形図(欠が多い)も作成されています。
(これらは公式刊行図という扱いではない影響か地理院図歴には載っていません)

以上、下記に前掲サイト以外で参考としたPDFで(比較的短めの)主なものをいくつか示しておきます。
(部分的に内容重複するものあり)

地図一覧図について―陸地測量部~地理調査所発行地図の索引類―
陸地測量部発行地図を中心として見た昭和前期の地図事情とその地図見本
幻の昭和19年地図一覧図―陸地測量部内邦地図成果の総大成としの総大成として―
第二次世界大戦中に日本が作った地図第二次大戦前後の日本の地図事情

国土地理院サイト
企画展「戦後復興を支えた地図と測量」で公開されているPDF(データ1データ2データ3など)
[94731] 2017年 12月 19日(火)20:54:00ekinenpyou さん
Re:陸地測量部1万分の1地形図
[94730]hmtさん
戦前の国内地形図が『外邦図』というタイトルの下に収録されている


[94724]拙稿で「地理院サイトでは見れません」と書きましたが、これは説明が不適切で
旧1万分1地形図を選ぶと画像はやや不鮮明ですが外邦図デジタルアーカイブと同じものなどが一応閲覧可能です。

昭和一桁後半から戦時中における陸地測量部作成の地図発行・発売状況などについては
より具体的に実態が解説された資料(PDF)がありますので、そちらの紹介などもかねて後日再度コメントします、
今しばらくお待ちください。
[94724] 2017年 12月 18日(月)20:57:39ekinenpyou さん
Re:Re:1934年7月30日発行50000分の1地形図「東京西南部」
[94719]hmtさん
[94720]Takashiさん
本件、補足コメントします。

民間の地図でなく、「国の作った地形図」において 東京35区が出現したのは何時からか?
地理院サイトでは見れませんが陸地測量部作成の1:10,000地図を外邦図デジタルアーカイブで閲覧できます。

→インデクス・マップ検索(左から2番目)→エリア(日本)&縮尺系統(1:10,000)で表示ボタンを押せば
リストが出てきます。(S7.10東京市編入区域はおおむね見れるはず)

例えば世田谷の地図(S12修正測量)はこちらです(拡大可能でかなり鮮明に見れます)
※S11.10の砧・千歳両村の世田谷区編入も反映済みの模様(二子の地図などを参照のこと)

軍事機密の関連から軍事関連の施設に気を使うのならまだしも、行政区画の変更というそれほど情報統制の必要性を感じないところまで気を使うのはやはり疑問に感じてしまいます。
これは当方も同感です、S12修正測量地図右上には「一般の需要に供する為め」と記載があり、
なおかつ二子の地図(左下)にはS14.5.30発行(定価金13銭)とあります。

例えば世田谷の地図右下(目黒区と書かれた)の広大な敷地に何が存在していたかを
具体的に示さないようにしている※のはS9.4.30発行の1:25,000地形図も同じため、
昭和一桁の後半から意図的な情報統制が行われたと考えられなくもないですが・・・

※詳しくは今昔マップなどでご確認ください、
S6.6.30発行の1:25,000地形図・東京西南部にはちゃんと書かれています。
[94696] 2017年 12月 11日(月)21:04:43ekinenpyou さん
Re:新潟市の住居表示
[94691]敷守ほむらさん
当分は市が主導して住居表示することはないだろうなと思いました。仕事が増えるのが面倒なんでしょうね(笑)
「仕事」を「コスト」に置き換えるとより導入に消極的な理由が鮮明に・・・以下少々本題からそれますが

最近、公益財団法人・国土地理協会というところが地名変更情報を掲載しているのを見つけたのですが
こちらは比較的有名なので過去ログでも、時折登場しているようです。
ただし、少々の漏れがある点も留意しておいた方が良いと思います。(下記のような事例です)

1)岡山市南区灘崎地域の住所表記変更
→2010(H22).3.22住所表示から灘崎町がなくなる2010年3月の変更に明示なし
2)盛岡市玉山区の住所表記の変更について
→2016(H28).4.1住所表示から玉山区がなくなり
玉山区永井、玉山区馬場は玉山永井、玉山馬場へ大字名が変更となるが2016年4月の変更に明示なし

※念の為いずれも前後の数か月分もチェックしたが掲載は無い模様

こうした漏れ・抜けなどが生じ得る可能性を考慮しているかどうかは?ですが、
国土地理協会ではあわせて郵便番号の変更についても履歴を掲載しています。

岡山市の例は2010年3月分、盛岡市の例は2016年2月分で郵便番号の地名変更があった点だけは
把握できるようになっています。

なお、過去ログ(キーワード検索結果)の[89997]ぺとぺとさん[90000]hmtさんで
触れられている愛西市平和町の成立→消滅ような例はかなり特異で、
郵便番号の変更履歴を調べてもその変遷を的確に把握することができません。

愛西市平和町の郵便番号496-8020は2007(H19).1に後追いで新設された状態で現在もそのまま残っているためです。
(新設が後追いになった関係で削除も漏れているのかもしれませんが正確な理由はよくわかりません)

いずれにしても、新しい地名へ変更された経緯や詳細は自治体のサイトなどを見なければなりませんが、
その都度チェックするのは限界があるので、横断的に住所変更情報をまとめた
住所データ・郵便番号データの日本基盤データベースなどもあわせて見ています(例えば新潟県で抽出も可能)、
ただし、(住所変更実施から)掲載されるまで(おおよそ1年半程度の)タイムラグがあるので、
もし他にも良さそうな地名変更情報掲載サイトなどがあればお教えいただければ幸いです。
[94623] 2017年 11月 29日(水)20:48:35ekinenpyou さん
地図サイトに新しい地名が反映されるタイミングは?
分割連続投稿になりますが、素人っぽい疑問を一つ書き込みます。
(回答についてはもし詳しい方がいらっしゃればということで構いません、
過去ログに似た質問があるかもしれませんが・・・)

地図サイトによって表現にバラエティがある点が話題になっていますが、
従来の地名が変更されるなどして新しい地名になった場合はどういったタイミングで反映されるのでしょう?

例えば東京都新宿区の本塩町は今年の9.19から四谷本塩町になりましたが
この書込みをしている時点ではまだ新しい町名を反映している地図サイトはほぼ皆無のように思われます。

翌年実施予定の千代田区三崎町、猿楽町の町名変更などと一緒にしてある時点(年度末など)で
まとめて地図サイトが一斉に足並みを揃えて更新しているのでしょうか?

なお、郵便番号検索では既に四谷本塩町平成28年度版郵便番号簿の変更案内(5コマ)にも
変更した旨が記載されています。
(単なる表記ゆれっぽいものも変更されており、正しいものは厳密には一つだけという考え方らしい?)
[94622] 2017年 11月 29日(水)20:38:18ekinenpyou さん
Re:飛び地
[94608]そらみつさん
国勢調査の小地域集計を見ようとしたんですが、スマホだと文字化け
マップDe統計(ページ下の方)というアプリも用意されているようです(小地域集計のデータも見れそうですが)。

以下、余談です

拙稿[94606]で書いた砺波市花島の構成元になった村は3つあったらしくその成立時には村の境界変更が
行われたということになるようです。(種田村大字高儀新村字花島が主な構成要素)
変遷情報に似た形式で書くと以下のような感じでしょうか

T2 境界変更 東礪波郡 五鹿屋村 ← 同郡 種田村の一部, 野尻村の一部

他村の地域を一部編入した結果、大字に相当するものが新設増加しており(既存の大字が別の自治体へ
丸ごと移動したわけではないのですが)大字単位に準じる規模の境界変更であったと考えられます。

本件は実施月日が不詳で官報広告にも掲載がみあたらず、そらみつさんの書込みが無ければ
調べなかったと思うので思わぬ収穫でした、個人的には廃置分合履歴の一つとして記憶しておきたいと思います。
[94606] 2017年 11月 27日(月)21:23:28ekinenpyou さん
Re:気になる住所(砺波市の飛地)
[94567]そらみつさん
気になる住所を見つけました。
富山県砺波市高堀
上記について少し調べてみたのでコメントします
まず、落書き帳メンバー倉田昆布さんのサイト内の富山県ではmapion表記に倣っています。
また、こちらのブログ(ケース136)では「南砺市高堀にある砺波市花島の飛び地」とありました。

さて、ここから本題です
[94568]Takashiさん
砺波市高堀という住所はおそらくない

[94589]にまんさん
南砺市のGISでは、そもそも、飛び地が存在していない形で市境が書かれています。
お二人のコメント他も踏まえると、当方も飛び地とは言い難い(花島の一部)という説を有力視しています。
平成の大合併前の旧砺波市史資料編5(集落)の273~275コマ「花島」を見てみましたが、
274コマ下部「現況」の図で砺波市側の花島と福野町(南砺市)側の(mapionでの)飛び地は同じ区画として描かれており
(極めて軽微な分断なので同じにしているだけかもしれませんが)
275コマ「小字と小地名」でも「高堀」という字名・地名について言及がありません。
高堀は明治の町村制施行以前から存在していた歴とした村名(大字)で
そうした字名が花島にあれば何かしら説明があってもおかしくない気がします。

しかしながら、[94591]EMMさんで
それぞれのデータ制作者は何らかの根拠があってそのように表現しているはずなんですよね
とあるので、大正初期に当時の五鹿屋村(後の砺波町→市)に花島が成立した際に未整理の飛び地が
残りそこに「高堀」という字名がつけられた可能性も否定できませんので
真相の究明には花島成立当時の字名一覧や現状のブルーマップなどを調べてみる必要がありそうです。
[94467] 2017年 11月 17日(金)20:24:45ekinenpyou さん
Re:変遷情報について
[94407]グリグリさん
お忙しい所コメントありがとうございます。

一応Excelファイルは当方HPでダウンロードできるようになっており、
改変・再配布などについて特に制約はありません。
ただし変遷情報とは当然ながら作りが異なっており、理解しにくい点が少なからずあると思われます。
(もしご覧になりたい方がいらっしゃればご自由にどうぞ、ファイルの置き場所がわからないという
書込みがもしあれば別途リンクを追記します)

なお、私事で恐縮ですが最近「国有鉄道・JRの駅所在地変遷履歴」という
当方HPコンテンツ作成の過程で上記の廃置分合関係ファイルを参照したのですが、
(誤りなどが明白で)差替えたい箇所がいくつか見つかったので、
(最終更新から3年ほど経っていることもあり)この機会に少しリメイクをしても良いかなと考えています。

その際にはこちらの掲示板過去ログなどの一部内容も再度まとめて拝見し、
(以前作成した際にも参考になる箇所がいくつかあったので)
必要に応じて反映できればなおよいと思い、お知らせもかねて書き込ませていただきました。

本件は特に急いでいるというわけではないので、時間をかけてゆっくり取り組む予定です。
メンバー間で共有・更新に値するクオリティの成果物ができればベストですが、
関心のある方に(必要に応じて)参照してもらうという程度の物でも十分だと思います。
[94188] 2017年 11月 11日(土)17:54:00ekinenpyou さん
Re:沖縄県での明治合併
昨日の続きを投稿します。

[94126]hmtさん
下記の5県で市制町村制施行に先立って行なわれた統合[78760]。これは例外的な事例と思っていました。
宮城県(区への境界変更を含む)、茨城県、千葉県、神奈川県 明治22年3月31日(新制度施行の前日)
静岡県(町村) 明治22年3月1日(新制度施行の1ヶ月前)
上記の他、高知県も同様の措置が行われたはずです。(参考:[85122]むっくんさん)

また、[84174][84179]にて記載のある
糸満町を設置した明治41年沖縄県令第22号
ですが、明治三十五年・三十六年の村の分合配置区域字名について(4コマ左下)
原文の写しと思われるものが掲載されており、それによると確かに
M41.3.31施行で旧村の名称は全て字で統一されています。

沖縄県についても、宮城・茨城・千葉・神奈川・静岡各県について示されている「市制町村制施行直前の廃置分合等」と同様の「一面真っ赤リスト」が作成されるのが理想だろうと思います。
将来的には変遷履歴情報に反映されれば好ましいのでしょうが、
現状はお一人で更新対応されていらっしゃるようなので限界はあるものと思われます。

なお、廃置分合関係の履歴情報については当方自身で簡単にまとめたものを(Excelファイルで)別途作ってあり、
疑問点などが生じた際には変遷履歴情報の記述などと都度比較しています。
これにより変遷履歴情報で未反映だったり事実と異なっている箇所なども比較的容易に確認が可能となっています。

以下は希望するメンバーの方がもし複数いらっしゃればという前提での仮の案になりますが、
廃置分合関係の履歴情報を電子データで(変遷履歴情報とは別に)作成&共有しておき、
当面はそちらも(メンバー有志で)更新してゆくという形を検討してみてはいかがでしょうか?

本格的な検索などを備えたシステムを構築するのは少々手間がかかりますが
単一Excelファイル程度のものであればそれほど作成&更新は煩わしくないはずです。
(やる気があれば)明治の市制・町村制施行前に遡って(部分的に分かる範囲で)作っても良いでしょう。
[94174] 2017年 11月 10日(金)21:27:19ekinenpyou さん
Re:明治18年 葱畑?に作られた 大阪ミナミの鉄道ターミナル
予定していたコメントを投稿します

[94082]hmtさん
西成郡難波村の大阪市編入は明治30年。変遷情報を見ると「西区に編入」となっています。難波新地の南区とは異なる区になったのでしょうか?
本件はWikipediaの西成郡もそのような記述ですが、当時の官報の記述とは明らかに矛盾しています、
[65293]むっくんさんにて模範解答が示されているようです。

「大阪駅」の所在地であった曽根崎村
クイズの補足ありがとうございます、こちらも[79553]むっくんさんで記載がありますが仰る通りです。

なお当時の地図(内務省発行)がこちらのサイト様に掲載されており
停車場敷地(右上付近)はおおむね同村内に含まれていたと思われます。
(大阪府統計書の記載とも合致)

上記地図に難波駅は描かれていません(左上隅が六番町と難波村付近)ので、
M18末頃の大阪(右下にM19.1地理局とあり)と推測されます、
ちょうど地方行政区画便覧(M19.1現在)と足並みを揃える形で地図も作られた※ようです。
PDF(3コマ右側の大阪実測全図)参照

難波駅開業後10年ほどたった第一次市域拡張前の大阪市明細地図(M28)では
湊町(現在のJR難波)駅※との対比も(大雑把ではありますが)拡大すると確認できます。

※市制施行後ほどなくM22.5.14開業、こちらはM32.2.28官報で所在地が大阪市南区難波(右側2段目の大阪鉄道)
なので恐らく市域拡張前は西成郡難波村が所在地だったと推測していますが未確認
(市内の湊町も若干含まれている?)

以上、[94126]についてのコメントもまとめて投稿しようか迷いましたが
例によって長くなりそうなので後日投稿いたします。
[94107] 2017年 10月 30日(月)20:15:48ekinenpyou さん
Re:沖縄県島尻郡伊平屋村の分村
[94036]hmtさん
コメントをいただいた件、いくつか回答します。

町村制施行時の変遷情報には旧村名が記されていません。
神奈川県などいくつかの県で行なわれたのと同様に、制度変更に先んじて直前の合併を行ない、その後で 新制度を施行するという2段階の処置が行なわれたのでしょうか?
従来は旧村名が記されていたようですが[69110][69541]むっくんさんの記事などを参考とした上で、
「旧村はM41.1.1に従来の間切・島が村へ名称を変えた際に字となり消滅しているため、
M41.4.1に合併は行われず」という認識のもと記載しない形で修正が行われたようです。

また、伊平屋村分村についての詳細な解説ありがとうございます。
「伊是名村が伊平屋村から分立(分離)した」という表現は実態にそぐわないという点が良く理解できました。

伊是名村(Wikipedia)を見てみると、変遷情報と同様の記述になっており
恐らく出典元資料の書き方に依拠していると思われます。

それにしても、1908年の沖縄県及島嶼町村制施行で名乗ったのが、何故「伊平屋村」だったのか? など疑問は残ります。歴史的価値から伊平屋が上位だったのでしょうか。
M29の郡設置で伊平屋(諸島)だったので、(伊平屋が)そのまま村名になったということだと推測されます。
(沖縄県土地整理法(第二十五条・右側中央)でも間切に準ずるものとして伊平屋島と記載あり)

伊平屋村と伊是名村との違いの問題でなくて共通の問題ですが、沖縄県の北部にありながら「島尻郡」に帰属している
沖縄案内(島尻郡)によると地理的に他郡に近い離島の村も島尻郡に含めた理由として
那覇港を中心とする交通(舟運)の関係で郡役所が那覇にあった点を挙げています。

なお、現在の伊平屋・伊是名両村は北部広域市町村圏事務組合に所属しており、
例えば※小選挙区(区割)は名護市や国頭郡と同一区で、
学校で使う教科書も島尻採択地区と同じだったものが近年国頭採択地区に変更されました、
実態は国頭郡の近隣自治体と同様の扱いになっているようです。

※落書き帳メンバーIssieさんのサイト内に詳細な記述あり

少し長くなりましたので[94082]に関するコメントは後日投稿します。
[94096] 2017年 10月 28日(土)18:13:38ekinenpyou さん
掲示板の使い方や敬語表現について
私自身もあまり良くできた人間ではないのでコメントできる立場ではないかもしれませんが、
予定していた投稿の前に[94071]特急とりあたまさんの書込に関して少し所感を述べます。

「万人ウケする」ネタが少ないと感じました。クイズももうすぐ店じまいをして、「みんながわかる」記事を書くことに気をつけたいと思います。
ネガティブな内容で恐縮ですが、「万人ウケする・みんながわかる」記事を書いたとしても
掲示板で多くの方から反応(レス)を得るのは恐らく簡単ではありません、
一方でローカル・マニア向けの記事でもそれなりにレスがつくものもあります。

レスを返すかどうかは書込内容や個人の考え方・都合などにより様々です、
例えば特急とりあたまさんが別の方の書込みにどのように対応しているかなどの
過去発言もレスを返すのが妥当かどうかを判断する要素の一つになっているでしょう。

書込へのレスに関する考え方は[94073]山野さんとおおむね同じ考えの方が多いのではないかと思われます、
(当方は自身の書込にレスがあればなるべく返すようにしていますが)特に返答を期待しているわけではありません。

以下、余談ですが・・・[94066]グリグリさんで指摘があったご拝読くださいをGoogleなどで検索すると
[94033]で特急とりあたまさんが誤用してしまった原因の一端を垣間見ることができます、
敬語表現について必要以上にとがめるのは少々気が引けますので、このあたりで所感を終えたいと思います。
[94065] 2017年 10月 23日(月)21:18:43ekinenpyou さん
Re:一文字地名あいうえお
[94018]グリグリさん
コンテンツ拝見しました、「小字にも対象拡大」ということですが一音地名の一音小字でも
該当が無いので残りの部分を埋めるのはちょっと難しいかもしれませんね。

地図サイトに記載されない小字を探してこちらのサイト様で
(地名データブック→高知県内の字一覧)を少しだけ見てみたのですが・・・以下略

余談ですが長野県小諸市丁のようなものは現在も大字?で残っているものは珍しいのかもしれませんが、
高知県吾川郡いの町上八川丁下八川丁などと同じ類のものと考えられなくも無さそうです。

[93959]うっかりじゅうべえさん
なるべく同じ漢字、同じ読みがない地名
ということでしたら、福井県敦賀市手(一音地名の一音大字に記載あり)あたりでも良いかもしませんね、ただし
なるべく読みが長い地名
ではなくなってしまいますが・・・

なお漢字・読みともに一文字の地名(落書き帳アーカイブズ)を見てみると甲乙丙などの「十干小字」や
石川県などの「かな(カナ)小字」は小字レベルだと多数存在していると思われるので、
どうしても無い場合は仕方ないですが、町名・大字・字の全てでユニークそうな地名という点も優先考慮して
選定してみるというのは如何でしょうか?もしくは小字から選定したものはその点を明示しておくとか・・・
[94063] 2017年 10月 23日(月)20:14:50ekinenpyou さん
鉄道国有法で買収されなかった南海鉄道、クイズの答え
予定していた投稿が諸事情で少々遅れまして恐れ入ります。
[93949]hmtさん
マガジン(鉄道特集号)を拝読しました、その中で
[61109]hmtさん
新聞記事によると、原案は 17社買収 だったものが、提出直前に 32社 に改められたとか。
既に記したとおり、貴族院の修正で 15社 が削除されて 17社 に戻り、南海鉄道は買収を免れました。
上記経緯について当方で少し補足させていただきます、貴族院における32→17社買収の修正過程は
帝国議会会議録検索システム鉄道国有法案外一件特別委員会(M39.3.20~26)で流れを把握することが可能です。

全部読むと長いので要点をまとめると、まず政府側は8コマ左上隅あたりの質疑応答で鉄道国有法第一条の
但シ一地方ノ交通ヲ目的トスル鉄道ハ此ノ限ニ在ラス
にあてはまるものとして10社を示しましたが、この時点では川越・東武・中越・南海・中国(5社)は
含まれていませんでした。

ところが後日示された修正案は(10社に5社を加えた)17社買収案に回帰しており、この点について先日質問を行った
曾我 祐準は「従来10社を地方の鉄道としていたはずだが、それより多くなっている」という点を
政府側に確認しています(4コマ下部付近)
10社を削る中途半端な修正が煩わしく元の案に戻しただけなのかもしれませんが、
法案が反対否決されるのを防ぎたかったという政府側の譲歩があったのかもしれません。

その後貴族院→衆議院で順次修正案が可決され法案が成立に至っています。
(本会議M39.3.27などに詳細な記載がありますが非常に長いので省略、要約はこちらなどを参照してください)

なお、当初は南海鉄道が紀和鉄道(同社を吸収した関西鉄道は後に鉄道国有法で買収された)を
買収予定だったという話は(wikipediaにも記載があり)比較的知られていますが
開通五十年(南海鉄道)わが社の国有問題によると大正期にも国有買収計画があったそうで、
度重なる買収の可能性があったがその都度幸運にも?免れたという事になるようです。

以上、前置きが長くなりましたが拙稿[93971]のクイズの答えについては
【A】(明治)22【B】(南海)難波駅ということになります。
(当時の地図などを調べると他にもあるのかもしれませんが細かくは見ていません)

[83142]hmtさんによると、難波村はM30.4.1市域拡張まで市外である旨記載がありますが、
開通五十年(南海鉄道)当時の難波界隈によると難波駅構内予定地として六番町と難波村の土地が買収されたらしく、
M22.4.1市制施行の時点で所在地に大阪市内(難波新地六番町)が含まれていると判断しました。

※参考:難波駅の所在地はM32.2.28官報大阪市南区難波新地六番町(右下の南海鉄道)
難波新地六番町は地方行政区画便覧(M19.1現在、真ん中付近)で大阪南区

地理関係と異なる分野の長文失礼しました。
[94036]hmtさんの書込みに関しては、日を改めて補足コメントいたします。


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