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88さんの記事が10件見つかりました

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[74351] 2010年 3月 14日(日)21:29:27【1】88 さん
市区町村変遷情報小レス(柏崎市・福岡県)
[74311] 山野 さん
H1(1989).4.1付けの新潟県柏崎市・中頸城郡柿崎町の境界変更について

官報情報検索サービスで確認しました。[74315] じゃごたろ さんのご紹介のとおりで、境界変更の対象は
中頸城郡柿崎町大字上輪,大字高畔及び大字蕨野
であり、「概ね大字単位」との編集方針に合致し、対象となることを確認しましたので、追加しました。ご指摘・情報をありがとうございました。
[74316] hmt さん、[74321] oki さん、[74348] むじながいり さんも、フォローありがとうございました。
私が書けること以上のコメントをしていただきました。

――――――――――――――――
[74083] YT さん ([74350] むじながいり さん も)
■S26.4.1付け福岡県 浮羽郡 筑陽村 となる従前の村名の一部について 浮羽郡 川倉村 or 浮羽郡 川会村(川會村)
「S26.5.29付け総理府告示第193号」・・・川合村
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・川會村
「辞典」・・・川会村
総理府告示は官報情報検索サービスによります。
単なる入力ミスです。また、総理府告示が誤字のようであり、正誤表も発見できませんでした。よって、川会村 と修正しました
なお、「川會村」ではなく「川会村」としたのは、[74087] 拙稿の方針によります。

■S30.2.1付け福岡県 三潴郡 城島町 となる従前の村名の一部について 三潴郡 江上町 or 三潴郡 江上村
「S30.1.31付け総理府告示第99号」「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・江上村
単なる入力誤りでした。江上村と修正しました

――――――――――――――――
市区町村変遷情報関係の私からの必要なレスは、あとは大口のものだけを残していると理解しています。
(ex.北海道、大都市、等々)
市の変遷関係は、順次追加・修正作業中です。といっても、市の変遷メニューをきっかけに、市区町村変遷情報の見直しをしているだけなのですが。
[74238] 2010年 2月 28日(日)21:44:44【1】88 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.19 市区町村変遷情報の対象について ~どの時代まで遡るか
[74139] oki さん
市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法についてのご意見、ありがとうございます。
この本筋の件については、また他の方からもさらにご意見があろうかと思いますので、少し後で回答させていただきます。

今回は、少し別の件で。
最初の前提として、88さんが市区町村変遷情報を整理・入力されている基本的な目的は、「確実な資料をもとに、全国の自治体の廃置分合の変遷を明らかにする」ことだと思います。そして、現時点では明治大合併期が起点になっていますが、全国統一の史料が存在する天保郷帳(天保国絵図)の時点までは遡ることが可能である、と考えています。
この場合、常に天保郷帳時点の近世村に立ち戻って考えることが可能な状態にしておく、ことがベストであると思っています(これはかなり難しいことですが)。
叱咤激励、ありがとうございます。
oki さんには、[58109]でも次のようにもご意見をいただいておりました。
・・・市区町村変遷情報における「藩政村」は「天保郷帳」記載の村とする、というのが妥当な線だと思います。「地名研究必携」の基礎資料が天保郷帳であるのも、このような考えに基づいているのではないかと思われます。
ただ問題は、天保~明治間で増加村数が7550にものぼるということで、この中には江戸期中に独立村になったものもあれば、明治初期に独立村として認められたものもあると思いますが、その区分が私にはよく分かりません。
天保郷帳以降の全国的な村名資料は旧高旧領ですが、これには以下で示すような欠点があります。その後は「郡区町村一覧」で、これは1979年(明治 12)12月時点となっていて、「幕末」の資料というのは無理があります。
「幕末以降・・・」の依拠資料を知らないので何とも言いようがないのですが、以上を前提とした上で、幕末期と明治期を区分けしているのであれば、基礎資料として天保郷帳より相応しいでしょう。
このときも、天保郷帳にまで遡ることができることを示していただいていました。

市区町村変遷情報の対象をどの時期まで遡るか、に関連して、まず、[57484] oki さんにこの時代の変遷を調査するのに有益な資料として次の7種類をご紹介いただきました。
1.天保郷帳
2.天保国絵図
3.地名研究必携
4.旧村旧高取調帳
5.郡区町村一覧
6.地方行政区画便覧
7.新旧対照市町村一覧
私個人としては、市区町村変遷情報の対象とする期間については、市制町村制施行時で完了するとは思っておらず、明治初年までは遡るつもりでした。あわよくば、近世村まで・・・とも漠然とは思うものの、それ以上深くはまだ考えていませんでした。市制町村制施行前にも、府県によってはかなりの町村の廃置分合があり、資料も手持ちの文献やネット上にもかなりあることから、明治初年までであれば遡ることは可能であろうと思われました。[62959][68442]で、この野望について触れています。
一方、[55583]拙稿でも少し触れたように、明治初期は「藩」→3府302県→3府72県→3府42県(+北海道、沖縄県)と府県の変遷が盛んな時期でもあり、現在のような都道府県別変遷一覧として表記することは困難を伴います。(参考:都道府県の変遷(むじながいりさん(ご自身のサイトではエイちゃさん)のつかんぼやと)内)
少なくとも、現在の表示方法とは異なる手法を検討しないと困難でしょう。ということは、市区町村変遷情報のデータベース構造の見直しをも含むこととなり、グリグリさんのお手を煩わせる必要があります。もっとも、将来的には、データベース検索を含めさまざまな市区町村変遷情報の発展を見据えて検討を続けていることは、今までにも述べてきています。

[57484] oki さん でご紹介を受け、市区町村変遷情報のトップページにも掲げている「地名研究必携」(2003年5月 谷川健一:監修 滝澤主税:編著 日本地名研究所)。私はその後、購入し所有しています([57608]拙稿参照)。この図書が到着した頃、編著者の滝澤主税氏から電話がかかってきて、「88先生はどういった研究がご専門ですか?」というような質問を「参考のために」と聞かれました。どこかの大学の教授か何かと思ったのでしょうか。「都道府県市区町村で市区町村変遷情報を担当していますので、そのために必要です」と言ってもよかったのですが、さすがに自重し、「地名に興味があって単なる趣味です」とお答えしておきましたが。
[63569][63570] で、第十八回十番勝負問七に関してこの図書を資料として過去に存在した「旭」村等を調査したことがあります。

この「地名研究必携」が、まさしく、天保郷帳登載の63,795の村名を網羅しているとのことです。
一方、「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版1」(2、索引)(東洋書林)は、名前のとおり「幕末以降」、具体的には明治初年以降の変遷が記載されています。
[58109] oki さん
「幕末以降・・・」の依拠資料を知らないので何とも言いようがないのですが、以上を前提とした上で、幕末期と明治期を区分けしているのであれば、基礎資料として天保郷帳より相応しいでしょう。
この「幕末以降・・」の巻頭に「参考資料一覧」として、次のものが掲げられています。ちょっと数が多く、既出の資料も多いですが、そうでないものもありますので、今後の参考もかねて以下に記します。(旧字体は新字体に置き換え)
郡区町村一覧内務省地理局明治14年
地名索引内務省地理局明治18年
地方行政区画一覧内務省地理局明治20年
大日本地名辞書吉田東伍明治33年
帝国地名辞典太田為三郎明治45年
市町村大字読方名彙小川琢治大正12年
市町村別日本国勢総覧(3巻)昭和9年
日本地名大辞典(7巻)朝倉書店昭和43年
全国市町村名変遷総覧日本加除出版昭和54年
日本歴史地名総索引日本地名学研究所昭和55年
現代日本地名よみかた大辞典(7巻)日外アソシエーツ昭和60年
市町村名変遷辞典東京堂出版平成2年
角川日本地名大辞典(全50巻)角川書店昭和53年~平成2年
日本地名体系平凡社昭和54年~既刊分
全国市町村要覧自治省行政局振興課各年
国勢調査報告総務庁統計局各回
官報
各県編市町村合併誌
さて、「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」では、明治初期の変遷は施行日が「明治○○年」のみの表記であるものの、廃置分合や改称が記載されています。詳細な情報は、例えば近代デジタルライブラリーでも、法令全書や各府県令はかなり発見されていますから、月日を補強したり、情報の精度を高めたり、信憑性を確かめたりすることは可能でしょう。
「地名研究必携」と「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」の2つの文献間の齟齬さえなければ、うまく変遷をつなげて時系列的に把握できます。しかし、具体的にはまだ確認していませんが、実際には齟齬は多数あるでしょうから、他の文献・ネット上の資料を基に総合的に「判断」するしかないと思われます。困難ではあり、何らかの「判断」を積み重ねる必要はありますが、一定レベルの正確性は確保されることと思います。皆様のご協力により、知恵・情報をいただきながら、少しずつ遡り、天保郷帳・天保絵図(「地名研究必携」)まで対応したいと目論んでいます。
もっとも、前述のように、市区町村変遷情報データベースの見直しも伴うことが見込まれますので、グリグリさん、でるでる編集長とも協議が必要であると思います。
なお、市制町村制施行時も、それ以外も、編集方針を随時検討を加え、あわせて内容も充実させながらの作業としたいと考えます。

ちなみに、現在の諸々の作業の進捗状況を、参考までにアピールを兼ねてお知らせします。
市制町村制施行時の直接の入力作業は、沖縄県・北海道を除く全45府県中、25府県目の京都府に差し掛かっています。
手元での準備作業は、近世村・城下町等の入力作業(とりあえず「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」を基礎資料として近世村等をひたすらExcelに入力する)は、新潟県以降(建制順、つまり都道府県コード順と同じ)で完了しました。新潟県は約5,000の近世村・城下町があり、なかなか骨が折れました。
また、市制町村制時の廃置分合の整理(ひたすら打った近世村等を、府県令や「幕末以降」を元に組み合わせる)も、三重県以降は完了しています(静岡県を飛ばして長野県も完了)。これらは、コピー・ペーストすれば、すぐにでも京都府同様に直接の入力作業に着手できるということです。

【1】[74242] じゃごたろ さん のご指摘を受けてリンク先を修正。
[74205] 2010年 2月 23日(火)00:40:2388 さん
本四間航路と本四架橋について
宇高航路関連記事の皆様
[74148][74157] みかちゅう さん
[74151][74170] hiroroじゃけぇ さん
[74152] Issie さん
[74154][74175] oki さん

現在私は、業務上フェリー会社と間接的に、ちょっと(ほんとにちょっと)つながりがあり、今回の宇高航路撤退の件、私は第一報をそのルートで知りました(と言っても同じ日で数時間早いだけですが)。聞いた第一感は、まず「業務との関連」が気になってしまい、落ち着いた後にやっと諸々のことを考えたという次第です。本音としては、もう少し感慨にふけりたかったところです。
しかし、全体としては、「来るべきものが来た」「やむを得ない」というところです。もちろん、感傷的になる面はありますが。

今回の宇高航路撤退表明への受け取り方は、皆さん、かなり個人差があるようです。
・hiroroじゃけぇ さんは、岡山(児島)在住でありながら、高松へ瀬戸大橋経由で通学経験があると言う、岡山県民としては本四間移動にかなり縁がある少数派です。あと、何よりも重要と思われるのは、世代的に、「瀬戸大橋があるのがあたりまえ」という状況の上での本四間航路をご承知であること。
・oki さんは、徳島南部のご出身で、岡山-香川の異動ではなく、徳島・小松島から本州への航路が念頭にあること。宇高航路を利用した経験は少なそうです(後に[74175]ではっきり言及がありました)。世代的には私よりは少し上でしょうか。
・みかちゅう さん、Issie さん は、直接は本四航路・宇高航路にご縁はないようですから、一般的な公共交通機関への観点でしょう。

私自身は、と言うと、学生で県外(大阪府)在住中に瀬戸大橋開通を迎え、(1)宇高航路(国鉄・JR連絡船を含む)全盛期、(2)瀬戸大橋開通時、(3)現在、を経験しており、学生時代の4年間以外はずっと高松市の在住です。

私にとっては宇高航路・瀬戸内海は「原点」や「レゾンデートル」(存在意義)に近いものがあり、落書き帳においても何度も触れております。
[44704]では、高松市から岡山市へ行くのに、敢えて宇高航路で宇野へ渡り、宇野線経由で岡山駅へ、あるいは、宇野-岡山の路線バスに乗ることもある旨ご紹介しました。
[46874] では、岡山県と香川県の間を航路により県境越えをした幾つかの例をご紹介したました。
[47220] では、瀬戸大橋開通前後の、宇高連絡船の最終運航日・瀬戸大橋の一番列車にまつわる私の昔話をご紹介しました。
同じく[47220] では、現在の宇野-高松の航路の一般客の利用例をご紹介しました。
[51793] では、宇高連絡船の貨車・客車航送について、[51789]EMM さん、[51790]hmt さん にレスする形で述べました。
[65371] では、宇高連絡船のデッキで食べたうどんについて、熱く語りました。
[66012] では、宇高航路には限りませんが、「瀬戸内海」について、太平洋や日本海のような「外洋」(と敢えて言いますが)との違いについて述べました。
この話題には、瀬戸内海にご縁のある、[66039]にまん さん、[66040] hiroroじゃけぇ さん、[66044] かぱぷう さん に、後追いをしていただきました。

[47220]に書かなかった、宇高連絡船にまつわる究極の思い出があります。
昭和63年(1988年)4月9日をもって国鉄-JRの宇高連絡船は終焉のときを迎え、翌4月10日に瀬戸大橋が開通しました。この4月10日に、前日役目を終えた、阿波丸・土佐丸・伊予丸・讃岐丸の4隻が揃って、高松港・宇野港出発のクルージング船として運航され、開通したばかりの瀬戸大橋(与島付近)方面を周遊航海しました(2時間くらい)。私は高松発の便に乗船しましたが、途中、4隻が横一列に並んで航行し、一斉に汽笛を長く鳴らして「最後の主張」をしました。このときのことを思うと、今でも懐かしく、本投稿を書くのにも目頭が熱くなります。
奇しくも、今年は宇高連絡船航行開始100周年でもあります。
――――――――――――――――
既に遅れ気味のレスになってしまい、また、皆様の書き込みの中に「我が意を得たり」のコメントが多数ありますので、その引用を中心とさせて頂きたいと思います。
[74157] みかちゅう さん
「宇野の住民が岡山ではなくあえて高松に行く目的」も「高松の住民が岡山ではなくあえて宇野に行く目的」もいまいち思い浮かばないのですが、意外と通勤や通学の需要があるのでしょうか? 岡山ではなく「宇野(の周辺)」と高松間の需要が一定以上なければ、瀬戸大橋経由で代替可能と判断されて当然でしょう。
[47220]で触れた、宇野から高松への移動例は、少数派でしょう。例えば買い物の例で見ても、わざわざ時間のかかる高松へ来なくても、バス等で岡山市内へ向かう方が、品揃えも店舗も、豊富で魅力的であり、優位です。高松市は、近年では郊外型店舗が発展し、中心部に位置する全長2.7kmの日本一長いアーケード街は、空き店舗が増えています。

[74154] oki さん
行政と住民が本四架橋の建設を選択した時点でフェリー会社の命運は尽きていたのであり、開通後は地域経済や利用者、そして従業員に与える悪影響を最小限に保ちながら、一定の時間をかけて会社の安楽死を図るのが、Issie さんの仰る「総合的な交通政策」というものではなかったかと思います。本州と四国との連絡を陸上交通化するのが本四架橋の本来的役割であり、それが両者間の海上交通を無用のものにするのは当然ですから。
(中略)
本四架橋は、四国の行政と住民が強く望んだ結果建設されたものです。
瀬戸大橋を最初に提言したのは、明治22年5月23日、讃岐鉄道(現在のJR予讃線・土讃線の丸亀-多度津-琴平)開通式典での大久保・珪・香川県議会議員)と言われています。
「塩飽諸島を橋台として山陽鉄道に架橋連結せしめば、常に風波の憂いなく、実に南来北向、東奔西走、瞬時を費さず。其国利民福、是より大なるはなし」(参考HP)
そして、昭和30年5月11日の「紫雲丸事故」。168名(うち修学旅行中の小中学生100名)の尊い命を失いました。
これらを踏まえ、航路に代わる交通手段として熱望された本四架橋です。

そして、開通当初、乗用車の場合片道で約5千円程度の料金を要し、「高速道路だと東京から静岡県あたりまで乗れる」との話題も出るほどの料金の差で、物流面の利便性への寄与は限定的でした。また、観光客も開通当初のブームが過ぎると激減しました。このため、地元経済への活性化への施策として、また、生活の向上のために、地元自治体らが料金引き下げ要望を行ってきたことも確かです(あわせて本四公団への出資金の積み増しも行ってきました)。
その一方で、この高い瀬戸大橋の料金との兼ね合いで、並行する宇野-高松の航路が、便数を順次減らしながらも開通後20年間、航路を維持できていたこともまた事実で、結果的に激変緩和となっていました(瀬戸大橋開通直前はJRの連絡船を除くフェリー3社がそれぞれ20分おきに運航していました)。

私自身は、瀬戸大橋開通時にJRの宇高連絡船が廃止となったのと同様に、他の宇高航路も廃止になるものと思っていました。実際には、同時に廃止になったのは児島-坂出航路だけで、その後は福山-多度津などが順次廃止・縮小となりました。高松-東神戸(青木)のジャンボフェリーも、瀬戸大橋開通前は1日15便ほど運行していましたが、今では1日5往復です(現在は神戸は三宮発着、会社HP)。

[74175] oki さん
高松-宇野間の流動人口
現在、岡山県各所から高松市への通勤・通学として考えられる主な駅と、所要時間・運賃を示します。
区間交通手段所要時間運賃
(1-1)岡山-高松JR54分1,470円
(1-2)岡山-宇野-高松JR+船104分(44分+60分)960円(570円+390円)
(1-3)岡山-宇野-高松バス+船101分(51分+60分)1,030円(640円+390円)
(2-1)茶屋町-高松JR39分1,140円
(2-2)茶屋町-宇野-高松JR+船83分(23分+60分)710円(320円+390円)
(3)児島-高松JR30分930円
(4)宇野-高松60分390円
乗り換え時間は含んでいません。念のために触れておくと、宇野駅は玉野市、茶屋町駅・児島駅は倉敷市です。
最初は、岡山市や、倉敷でも玉野から遠い地域では宇高フェリーを使わないだろうと思っていたのですが、このフェリーの運賃が宇野-高松間で大人片道390 円と信じられないほど低額なため(JRだと岡山-高松間1,470円)、会社が定期代を払ってくれる就業者(通勤者)はともかく、687人の通学者はすべて宇高フェリーを利用している可能性があります。
宇高航路への乗換え等を鑑みると、例えば岡山-高松は約2時間かかります。倉敷市でも宇野に最も近い茶屋町でも、約90分。JR宇野駅から四国フェリーの宇野港は至近ですが、国道フェリーの宇野港までは約800mありますし、自宅から駅まで・駅から勤務先や学校までの移動を加えると、通学でもフェリー利用はごく僅かでしょう。現に、私はJR高松駅発7時過ぎの岡山行き快速に平日に乗車する際、岡山市方面へ通学する高校生を何人も見ました。
これらから考えると、現在、宇高航路を利用する通勤・通学客は、宇野駅周辺を発着する玉野市-高松市の通勤・通学客に限定され、岡山市-高松市、倉敷市-高松市の利用者は、所要時間を鑑みると通勤者はもちろん、通学者もほとんどはJR利用者で、航路利用者はほとんどいないと思われます。[47220]拙稿でも、同じ職場で茶屋町からJRで通勤する人のご紹介をしました。

――――――――――――――――
一部繰り返しになりますが、私の意見は概ね次のとおりです。
本四架橋は、(特に)四国の住民が望んだものであり、当時の架橋技術の英知を集め国策として四国という離島を解消する施策である。陸続きになる以上、必然的に航路への影響が生じることはやむをえない。
直轄事業で国土交通省が整備する一般国道(もちろん当初から無料)との差があまりに激しいことを鑑みると、また、せっかくの「陸続き」が、高い料金という障壁によって商品流通等や通勤・観光面等の「モノ・ヒトの動き」への影響を見ても、本四架橋(道路)の料金値下げ要望は、地元としては自然である。
「有料道路方式」である以上、料金収入をもって建設費の償還を図る制約があるのは承知している。
本四架橋は一般国道があった上での「2本目の道路(有料道路)」ではなく、「1本目の道路」である、との観点があると考える。
日本道路公団と本四公団が別組織であったことは、建設時には本四架橋推進には寄与したのかもしれないが、建設後の料金体系(プール制)及び公団のあり方の見直しの際には、別の側面を感じる。例えば、本四公団と言う組織がなく、日本道路公団の一部であったとしたら、割高感はなく、料金体系その他は現在とは異なっていたはずである。現に、現在の土日の「1,000円高速」は、本四架橋は別途1,000円を要する。もっとも、本四公団には鉄道を含んでおり、既に瀬戸大橋ではJR在来線が開通時から走り、新幹線のスペースも確保している。大鳴門橋も、新幹線のスペースを確保している。
本四公団の組織見直し時等に、「400万人の人口しかいない四国へ3ルートもあるのは過剰投資」と言う議論があり、今でも潜在的にはこの意見はかなりあるように感じる。私としては、過去の「離島」であることによることによる悲哀、また、ハブ空港の路線網にも似て本四間に複数の陸路があることによる循環型交通による活性化(1ルートしかなく出入口が1箇所というのは、東西にも長く対岸の本州にもそれぞれに年が存在している四国の地勢からも適当ではない)からも適切であると考える。
現時点での宇高航路が、宇高間のローカル航路となっている点は否めない。瀬戸大橋の強風等による代替手段としての機能を有していることは否定しないが、そのためだけに税金を投入して航路を常時維持する必要があるかどうかは別問題である。必要なときに借り上げることも可能であり、大型重機等も同様。備讃瀬戸に停船勧告が出ているときに瀬戸大橋が通行可能ということもある。
航路は、長距離トラック等の運転手にとって休憩できるメリットがあることも否定しないが、東北-関東や九州-関西など、長距離運送ルートは多数あり、必要に応じSAやPA等で休憩しているのが実態であり、本州-四国間だけが過去の慣行から別扱いになっているだけであると考える。また、ルートにもよるが、航路利用による所要時間のロスも、現在の流通業界では選択しにくい点がある。
瀬戸大橋開通から20年を経過し、激変緩和も徐々に進行して来たと見るほうが自然。フェリー業界で従事する人々(船舶乗務、陸上勤務とも)も、高齢化も進んだと思われる。
[74123] 2010年 2月 10日(水)00:38:0888 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.18 市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について(続)
[74035] 拙稿で、市区町村変遷情報における市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について、例として香川県の市区町村変遷情報(M23.2.15付け市制町村制施行時市制町村制施行時以降)の編集結果を具体的に示してみました。投稿後、「これでは具体的過ぎてルールがわかりにくい」、また、「やはり少し複雑すぎてわかりにくい(*)のでルールを変更しよう」と思いましたので、ここで改めて編集方針(案)をまとめてみました。ルール変更分の反映は、数日後に行いますので、よろしければ見比べてみてください。
(*)「市制町村制施行前の町村名等」「変更対象自治体名/変更内容」の欄に、町村名と併記して大字名を羅列するのは、「市区町村の変遷」の観点から、やはりバランスが悪いと感じました。

以下の記載例では、市区町村の変遷の「施行後:施行前」を表しています。
なお、根拠法令である府県令や総務省告示が確認できること(不可の場合は諸文献により確認できること)を条件とします。
●1 新設合併・編入合併の場合
■(1) 本体と一部(数筆、田数枚等)に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村のうち2%程度がB村へ、他の98%がA村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村(一部)

■(2) 本体と飛地に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村のうち飛地がB村へ、他がA村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村(飛地)
(注:「飛錯地」などの場合もあり)

■(3) 本体と一部(概ね大字単位以上)に分かれることが明確である場合
ex.A村・B村・C村で、C村の3つの大字のうち2大字がA村へ、他の1大字がB村となる場合(C村は消滅)
A村:A村,C村(本体) / B村:B村,C村の一部

■(4) 2分割や3分割等であり、どの部分が「本体」であるかを判断することが不明な場合
ex.A村・B村・C村で、C村の2つの大字のうち1大字がA村へ、他の1大字がB村となる場合
(C村は消滅、どちらの大字が主たる部分か判明しない場合)
A村:A村,C村の一部 / B村:B村,C村の一部

●2 境界変更の場合
■(5) 一部(数筆、田数枚等明らかに大字未満)が境界変更することが明確である場合
ex.A村・B村で、B村の一部がA村へ境界変更する場合
市区町村変遷情報対象外
※ただし、他の市町村の新設・編入と同一告示が根拠となる場合のみ、例外的に対象

■(6) 一部(概ね大字単位以上)が境界変更することが明確である場合
ex.A村・B村で、B村の一部(大字単位)がA村へ境界変更する場合
A村:A村,B村の一部

つまり、表現の使い分けは次のとおりです。
C村(本体):明らかに「本体」である(他の村等へ分離される部分が僅かに存在する)
→変遷を主眼として見るときには、単にC村と読み替えても大勢には影響しない
C村(一部):明らかに「一部」である(他の村等へ分離される部分は明らかに「本体」である)
→変遷を主眼として見るときには、概ね無視しても差し障りがない程度の範囲である
C村(飛地):明らかに「飛地」である(他の村等へ分離される部分は明らかに「本体」である)
→変遷を主眼として見るときには、概ね無視しても差し障りがない程度の範囲である
C村の一部:概ね「大字単位」以上である(他の村等へ分離される部分が大半であったり、大半部分はそのまま存続する)
→変遷を主眼として見るときには、当該情報に関しては村の一部分であるが、概ね近世村単位であることも多いので注意に値する

「C村(一部)」と「C村の一部」を使い分けするのが、現在までの入力作業を極力生かし(手直し箇所が少ない)、「本体」「一部」の意図を明確に表現でき、表示も鬱陶しく感じない程度のシンプルさを維持できるのがミソです。
皆様のご意見をいただければ幸いです。
[74087] 2010年 2月 2日(火)00:35:4288 さん
旧字体・新字体の表記方法について (ex. 条 or 條)
市区町村変遷情報における旧字体・新字体の表記方法については、[56275] 拙稿で方針を述べております。趣旨を再掲すると、次のとおりです。
(1)現在、常用漢字を使用しているものは、近世村当時から常用漢字で表記する。
(理由:旧字体から常用漢字(旧当用漢字)へは一括して字を置き換えただけであり、自治体が「表記を変えた」ものではないため)
(2)(1)にかかわらず、旧字体から常用漢字への変更(またはその逆)が「改称」の手続きを経ている場合は、その「意図」を反映させる。
(改称までは旧字体で表記し、改称後は常用漢字で表記する、等)
(3)現在、常用漢字があるにもかかわらず、「あえて」いわゆる旧字体で表記しているものは、その意図があるとみなし、近世村当時からその「旧字体」で表記する。
(4)現在、常用漢字以外の漢字を使用しているものは、近世村当時からその字体で表記する。
(漢字の部分(偏・旁など)において常用漢字に置き換えが可能であっても、漢字全体が常用漢字か否かで判断する。)
(5)(1)~(4)にかかわらず、これらの文字がネット上で使用することができない場合(同じ字体の漢字がない場合(文字化けする恐れがある場合を含む))には、便宜上、類似した字体で表記し、備考欄のコメントで補足する。

この方針を告げた後に、上記の方針を補強できるような資料を発見し、[67802]拙稿で投稿したのが、「市町村の名称の書き表わし方について」(昭和33年4月21日自丙行発第7号自治庁行政局長通知)です。
[74061]でhmtさんがご紹介された[15836] 紅葉橋律乃介 さん の記事の内容そのものです。過去ログを一読した際に、この記事も目にしたはずなのですが、まったく記憶になく、「初」のつもりで[67802]を投稿したものでした。

――――――――――――――――
さて、今回の「四條畷市」の件について。
四條畷市は、上記方針の(3)に該当すると考えられ、このため、四條畷市に関しては市区町村変遷情報では、「條」で一貫するところです。
一方、大東市となった四条村を含め一般的には、上記方針の(1)により「条」で表記することが適当であると考えます。、
このため、次のように表記すべきところでしょう。
M22.4.1讃良郡甲可村讃良郡四条村
M29.4.1北河内郡甲可村北河内郡四条村
S7.4.1北河内郡四條畷村
S22.7.1北河内郡四條畷町
S27.4.1北河内郡四条町
S31.4.1大東市発足により北河内郡四条町消滅
S36.6.25北河内郡四條畷町(北河内郡田原村を編入)
S45.7.1四條畷市
このように一部修正いたしました。混乱させてしまい申し訳ありません。
市区町村変遷情報市制町村制施行時の情報(大阪府)は、実は一昨日(1月31日)に完成したばかりです。早速ご贔屓にしていただきありがとうございます。

――――――――――――――――――――――――――――――――
官報情報検索サービスで検索できる限りでの、自治省告示等は、次のとおりです。まったく、一貫しておりません。
――――――――――――――――
●自治省告示 第二百七号
   町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により大阪府北河内郡田原村を廃し、その区域を四条畷町に編入する旨、大阪府知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十六年六月二十五日からその効力を生ずるものとする。
  昭和三十六年六月二十四日 自治大臣 安井  謙
――――――――――――――――
○自治省告示 第百十六号
   町を市とする処分
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第八条第三項の規定により、大阪府北河内郡四條畷町を四條畷市とする旨、大阪府知事から届出があつた。
 右の処分は、昭和四十五年七月一日からその効力を生ずるものとする。
  昭和四十五年六月二十五日 自治大臣 秋田 大助
――――――――――――――――
●総理府告示 第百五十五号
   村を町とする処分
 地方自治法第八條第三項の規定により、昭和二十七年四月一日から、大阪府北河内郡四條村を四條町とする旨、大阪府知事から届出があつた。
  昭和二十七年六月十八日 内閣総理大臣 吉田  茂
――――――――――――――――
●総理府告示 第七十九号
   市町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、大阪府北河内郡南郷村、住道町及び四条町を廃し、その区域をもつて 大東 ( だいとう ) 市を置く旨、大阪府知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十一年四月一日からその効力を生ずるものとする。
  昭和三十一年三月二十九日 内閣総理大臣 鳩山 一郎
[74052] 2010年 1月 25日(月)23:30:41【1】88 さん
市区町村変遷情報 小レス(長崎県・宮崎県)
[73960] YT さん
■S22(1947).11.3付け町制施行で 長崎県 壱岐郡 田河町 となる従前の村名について 壱岐郡 田河町村 or 壱岐郡 田河村
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・壱岐郡 田河村
単なる入力誤りでした。ご指摘のとおり、壱岐郡 田河村 と修正しました

■長崎県 下県郡 厳原村 → 厳原町 の町制施行日について T8(1919).4.1 or ??
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・T8(1919).4.1
長崎県告示を発見できていませんが、やはり、各種文献とも同じで、それ以上の資料を発見できませんでした。よって、そのままとしました

[74050] 右左府 さん
■M22.5.1付け町村制施行時 宮崎県 南那珂郡 鵜戸村 となる従前の村名の一部について 南那珂郡 富士村 or 南那珂郡 富土村
「幕末以降総覧」「辞典」・・・南那珂郡富土村
単なる入力ミスのようです。ご紹介のM22.3.29付け(宮崎)県令第17号に従い、また、ご指摘のように現在の日南市富土にあたるようです。よって、南那珂郡 富土村 と修正しました

YT さん、右左府 さん、ご指摘をいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
――――――――――――――――
[73754][73755][73756] むっくん さん 市制町村制施行時(愛媛県) への対応は、準備中です。
もっとも、[74035] 拙稿の 「市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について」とあわせて対応予定です。「本体」「一部」の対応など、皆様からご意見をいただければ幸いです。
[74049] 2010年 1月 25日(月)19:50:44【1】88 さん
美馬郡脇町依リ那珂郡金毘羅村ニ至ル
一昨日(23日(土))は、淡路島へ水仙(立岩水仙郷)を見に行っていました。高松から一般道を通り、三本松でうどんを食してから白鳥大内ICから洲本ICへ。そんなところへ、逆ルート?の[74046]千本桜 さん のお尋ねがありました。[74047]小松原ラガー さん、[74048] 今川焼 さん からも回答がありましたが、脇町から琴平へのルート検討についてお答え申し上げます。

周辺道路の現況
・徳島自動車道は片側1車線(途中に追越可能区間あり)ですが、交通量がそれほど多くないので、「制限速度以下で走る車」がいなければ制限速度プラス20~30キロの速度で流れているのが現実です。
・徳島県道12号(鳴門池田線)は、吉野川右岸(南岸)を走る国道192号のバイパス機能も持っています。脇町付近(うだつの町並み付近)のみが片側1車線を確保できていない区間がありますが、全体的には概ね快適に走れます。国道192号に比すると店舗等が沿道にあまり張り付いておらず、信号も少ないことから流れはスムースでしょう。
・国道438号は、美馬市から(県境付近を含んで)香川県にかけては、片側1車線が確保されております。県境の三頭(さんとう)トンネルが新しく、前後の区間も拡幅整備されて間がありません。しかし、徳島県側は結構急峻でカーブも多く、減速を余儀なくされます。一方、香川県側は坂・カーブともに緩やかです。一級河川土器川の左岸側を快適に下っていく感じです。もっとも、ここからは、県道190号炭所東琴平線を通るほうがよいでしょう(片側1車線はあります)。
・国道32号は、猪ノ鼻峠の県境付近は、国道438号の徳島県側よりはゆるめですが、徳島県側・香川県側ともに坂・カーブともに厳しいです(特に徳島県側は厳しい)。大型トラックもよく走っています。
・提案にはなかったルートですが、国道193号で香川県に入り、鮎滝交差点から国道377号、そこから国道32号あるいはここから県道278号綾歌綾川線(農免道路)で西へ向かうルートがあります。少し距離が伸びるものの、県境越えに限れば、国道438号や国道32号に比べるとはるかに穏やかで快適です。
・あと、脇町IC(または美馬IC)から川之江東JCT・川之江JCT経由で善通寺ICまで乗り、そこから国道319号(数年前にバイパスが開通し快適)で琴平へ入るルートもあります。距離は伸び、所要時間も少しかかりますが、ほとんどの区間が高速道路(川之江JCT~善通寺ICは片側2車線)なので、乗り心地はよいでしょう。でも大型バスだと、1,000円ではないですね。私は高松から阿波池田を往復するのに、このルートを採ったことがあります。
・実は私は「うだつの町並み」を歩いたことがありません。脇町付近はいつも素通りです。よって、付近の詳細な道路状況は不明です。

総合判断
私としては、国道438号経由をお勧めします。
「1」うだつの町並みからそのまま県道12号で西へ向かうべきか、「2」少し東へ戻って脇町ICから美馬ICまで徳島自動車道に乗るべきか、は、大差はありません。判断はちょっと難しいですが、お金のことを気にせずに「早く」を優先すれば、1区間でも乗ってよいと思います。よって、「1」でよいと考えます。

――――――――――――――――
以下おまけ。
百四十八号
各区
戸長へ
第六十三区金比羅村(※)之儀琴平村ト改称候条此段布告候事
(明治)六年十一月廿七日 名東県高松支庁

※金比羅村は誤字、正しくは金毘羅村
[74044] 2010年 1月 24日(日)23:32:1988 さん
市町村名の改称手続きの検証 -都道府県知事の役割について-
[72905] 拙稿で、
・京都府綴喜郡田辺町→田辺市→京田辺市の「市制→改称」
と、
・愛知県西加茂郡三好町→みよし町→みよし市の「改称→市制」
の、2種類の手続きにおいて、
・改称の根拠となるの当該自治体の条例
・改称の周知措置のとしての自治省(総務省)告示
・市制の根拠としての自治省(総務省)告示
をご紹介しました。この「改称」に際しての都道府県知事の自治省(総務省)への手続きにおいて、自治省(総務省)告示の表現が異なります。
京都府田辺市→京田辺市では、H9.2.25付け自治省告示第29号で
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第三条第三項の規定により、平成九年四月一日から京都府田辺市の名称を 京田辺市 ( きょうたなべし )に変更することを許可した旨、同条第四項の規定に基づき、京都府知事から報告があった。
であり、愛知県西加茂郡三好町→みよし町では、H21.11.19付け総務省告示第525号で
地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第三条第三項の規定により、平成二十二年一月四日から愛知県西加茂郡三好町の名称をみよし町に変更する旨、同条第六項の規定により、愛知県知事から通知があったので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
と、「京都府知事が許可して自治大臣へ『報告』」と「愛知県知事が総務大臣へ『通知』」と、異っています。
実は、私も投稿しながら自身でも疑念・違和感がありました。[72913] Issie さんでも、
同じ内容でもこちらは文章のフォーマットが少し違っていて
と、ご指摘がありました。先日、この点について明確に理解できましたので、ご報告します。

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簡単に言うと、この平成9年と平成21年との間に、地方自治法が改正されていました。その背景に「地方分権」がありました。

まずは、今の地方自治法をお示しします。平成21年の愛知県西加茂郡三好町→みよし町の改称の総務省告示は、この現在の地方自治法に拠っています。
地方自治法(昭和22年法律第67号)
第三条 地方公共団体の名称は、従来の名称による。
2 都道府県の名称を変更しようとするときは、法律でこれを定める。
3 都道府県以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定めのあるものを除くほか、条例でこれを定める。
4 地方公共団体の長は、前項の規定により当該地方公共団体の名称を変更しようとするときは、あらかじめ都道府県知事に協議しなければならない。
5 地方公共団体は、第三項の規定により条例を制定し又は改廃したときは、直ちに都道府県知事に当該地方公共団体の変更後の名称及び名称を変更する日を報告しなければならない。
6 都道府県知事は、前項の規定による報告があつたときは、直ちにその旨を総務大臣に通知しなければならない。
7 前項の規定による通知を受けたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。

この地方自治法は、平成11年7月16日法律第87号「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」で、改正されていました。以下、抜粋し、また、新旧対照の形に加工してお示しします。
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第1条 地方自治法(昭和22年法律第67号)の一部を次のように改正する。
第3条 (略)第3条 (略)
2 (略)2 (略)
3 都道府県以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定めのあるものを除くほか、条例でこれを定める。3 都道府県以外の地方公共団体の名称を変更しようとするときは、この法律に特別の定のあるものを除く外、条例でこれを定め、都道府県知事の許可を得なければならない。
4 地方公共団体の長は、前項の規定により当該地方公共団体の名称を変更しようとするときは、あらかじめ都道府県知事に協議しなければならない。(追加)
5 地方公共団体は、第三項の規定により条例を制定し又は改廃したときは、直ちに都道府県知事に当該地方公共団体の変更後の名称及び名称を変更する日を報告しなければならない。(追加)
6 都道府県知事は、前項の規定による報告があつたときは、直ちにその旨を総務大臣に通知しなければならない。4 都道府県知事は、前項の規定により許可をしたときは、直ちにその旨を総務大臣に報告しなければならない。
7 前項の規定による通知を受けたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。5 前項の規定による報告があつたときは、総務大臣は、直ちにその旨を告示するとともに、これを国の関係行政機関の長に通知しなければならない。
附則
 (施行期日)
第1条 この法律は、平成十二年四月一日から施行する。
――――――――――――――――
つまり、市町村名の改称に際しては、
・従来は、市町村が条例を定めた後に都道府県知事の「許可」を経て総務省告示となっていたが、都道府県知事の許可は不要となり、市町村長からは都道府県知事へのあらかじめの協議・条例制定後の報告となった。
・これに伴い、都道府県知事から総務大臣への手続きも、従来は「市町村長に対して都道府県知事が許可をした旨の報告」であったが、「市町村長から都道府県知事に報告があった旨の通知」となった。
と、手続きが改正され、現在に至っています。
――――――――――――――――――――――――――――――――

以下、余談。市町村名について、
地方自治法
第三条 地方公共団体の名称は、従来の名称による。
とあるため、市町村合併にあたっては従来の市町村名を使うよう規定されている、との意見が散見されます。
「新版 地方自治法 第4次改訂版」(松本英昭著、学陽書房、H13.10.10初版発行、H20.2.25第4次改訂版3刷)によると、同条同項の解説に、
本法はその制定施行に当たって従前の都道府県及び市町村はそのまま本法の都道府県及び市町村に、東京都の区は特別区に、市町村組合又は町村組合は地方公共団体の組合とされたものであり(地方自治法附則第11条、第12条、第15条)、それぞれの地方公共団体としての同一性を引き続いて維持してきたものとされたので、その名称も従来のものをそのまま用いることとしたのである。
とありますので、参考までにご紹介しておきます。
[74035] 2010年 1月 24日(日)14:27:36【1】88 さん
市区町村変遷情報 苦悩日記 No.17 市町村の一部区域にかかる廃置分合の表記方法について
飛地・入会地等の表記方法について
[73436]拙稿に関して[73447] okiさんからご意見をいただいていましたが、[73497]拙稿を受けてさらに[73753] むっくんさんでご意見をいただきました。
okiさん、むっくんさんに共通するのは、
★「従前の村の本体(主たる地域)の異動をわかりやすくする。表記上は、『本体』と『一部』とは明確に区別する」
ということに尽きるようです。これには、[73497]拙稿でも述べたように、私自身も基本的には異論はありません。
[73497]拙稿で触れた、
将来の市区町村変遷情報の検索等のプログラム化・データベースとしての機能の活用
については、今後の市区町村変遷情報の発展方向として重視しているのですが、具体化した際の微調整で済むと推測されることから、その時点での対応とし、現在の市区町村変遷情報の充実及びそれに付随しての検討課題の洗い出しとの観点で、まずは実行してみようと思います。懸念は当面ないものと思います。
>グリグリさん、でるでるさん、こう判断して試行してみます。将来のデータベース構想と整合しない面があれば、調整したいと思います。

お二方から、いろんな提言をいただきました。それを受けて、まずは見本として、香川県の市区町村変遷情報の編集作業を行ってみました(市制町村制施行時市制町村制施行時以降)。市制町村制施行時の廃置分合の根拠は、M22.12.12.28付け(香川)県令第84号です。それ以降の廃置分合も、昭和20年までは香川県立図書館で香川県報(公報)の香川県告示のマイクロフィルムを閲覧しコピーして持ち帰り、S22.5.3以降の官報に搭載されているものは官報情報検索サービスにより自治省告示等を確認しています。その他にも、適宜資料を参考としています。
以下にこれまで議論されてきた内容を反映してみた例を示します。
○市制町村制施行時(M23.2.15)の異動
(1)「飛地」と県令に明記されている例
 ・・・なし
(2)一部が他の市町村に含まれることになる例
・香川郡東浜村(本体は香川郡東浜村へ、一部は高松市へ)
・香川郡中村(本体は香川郡栗林村へ、一部は高松市へ)
・香川郡出作村(本体は香川郡多肥村へ、一部は香川郡百相村へ)
・山田郡高野村(本体は山田郡坂ノ上村へ、一部は山田郡三谷村へ)
・大内郡湊村(本体は大内郡白鳥村へ、一部は大内郡松原村へ)
・那珂郡津森村(本体は那珂郡六郷村へ、一部は那珂郡丸亀町へ)
(3)二分割される例
・三野郡本大村(川西と川東に二分割)
(川西は豊田郡一ノ谷村大字本大を経て観音寺市本大町(地図)
(川東は三野郡本山村大字本大、三豊郡豊中村大字本山(地番に乙を付す)、三豊郡豊中町(同)を経て三豊市豊中町本山(地番に乙を付す)(地図)

○市制町村制施行時以降の異動
(1)「飛地」と県告示等に明記されている例
 ・・・なし
(2)一部が他の市町村に含まれることになる例
 ・S30.1.1付けで綾歌郡川津村の本体が坂出市へ、一部が綾歌郡飯野村へ(川津村消滅)
 ・S30.4.10付けで三豊郡紀伊村の本体(大字丸井,大字福田原及び大字青岡)が三豊郡大野原町へ、一部(大字木之郷)が観音寺市
 ・S30.5.3付けで綾歌郡飯野村(本体)が丸亀市へ、綾歌郡飯野村(一部)が綾歌郡宇多津町へ(飯野村消滅)
 ・S33.3.31付けで仲多度郡象郷村(大字上櫛梨の一部、大字下櫛梨の一部)が善通寺市へ、仲多度郡象郷村(大字苗田の全部、大字上櫛梨の大半、大字下櫛梨の大半)が仲多度郡琴平町へ(象郷村消滅)
(3)二分割される例
 ・・・なし
(4)その他の例
 ・S24.1.1付け三豊郡観音寺町の一部(大字伊吹)が分立して三豊郡伊吹村発足

――――――――――――――――
市制町村制施行時以降の異動で、(2)の(3)の違いは微妙ですが、香川県では(3)は該当なしと判断しました。
三豊郡紀伊村は、M23.2.15に三野郡 丸井村, 福田原村, 青岡村, 木之郷村 の4村の合併。S30.4.10付けの廃置分合で、大字数では「三豊郡大野原町:観音寺市=3:1」なので、「紀伊村の本体は大野原町へ」「紀伊村の一部は観音寺市へ」という「判断」。現在はすべて観音寺市で、観音寺市大野原町丸井、観音寺市大野原町福田原、観音寺市大野原町青岡及び観音寺市木之郷町(参考地図)

綾歌郡飯野村は、M23.2.15に鵜足郡 東分村, 西分村, 東二村 の3村の合併。S30.5.3付けの廃置分合で、大字西分及び大字東二はすべて丸亀市へ。大字東分は「丸亀市:綾歌郡宇多津町=6:4」くらいの面積比で2市町に分かれ、大字数も鑑みてあわせて「丸亀市:綾歌郡宇多津町=2.6:0.4」くらいなので、「飯野村の本体は丸亀市へ」「飯野村の一部は宇多津町へ」という「判断」。現在は丸亀市飯野町東分、丸亀市飯野町西分、丸亀市飯野町東二及び綾歌郡宇多津町大字東分(参考地図

象郷村の例は、さらに複雑な例です。
(那珂郡象郷村は、M23.2.15に従前の苗田村,下櫛梨村,上櫛梨村が合併して発足し、それぞれ旧村名が象郷村の大字となりました。そして、S33.3.31付けの廃置分合です。
――――――――――――――――
● 総理府告示 第七十一号
市町村の廃置分合
 地方自治法第七条第一項の規定により、香川県仲多度郡象郷村を廃し、その区域のうち次の区域を琴平町に、その他の区域を善通寺市に編入する旨、香川県知事から届出があつた。
 右の廃置分合は、昭和三十三年三月三十一日からその効力を生ずるものとする。
 昭和三十三年三月三十一日
内閣総理大臣 岸  信介
仲多度郡琴平町に編入する区域
仲多度郡象郷村
大字苗田、
上櫛梨字上村、久保、木ノ股、楠、塞、土福、小路、大歳、薬師、
川西 1453甲の1から1454まで、1455の4、1455の6から1455の10まで、1459の2、1463の1から1463の6まで、1463の90、1463の17、1463の18、1463の21、1463の22、1463の25、1463の26、1464、
下櫛梨字北川、堀池、山南、山根、元日、馬場西、
船磐 277から345まで、351、352の1、353、355から363まで、365の1、366の1、367の1、1,490の2、1,490の5から1,490の19まで、1490の22から1490の25まで、
松ノ内 758の2から758の5まで、775の1から779の3まで、781から784まで、795、797から840まで、
川原 841の1から845の3まで、907から908の3まで、910から922の2まで、
平石 923甲から927の1まで、927の3から930まで、952から1040の2まで、
泉田 1291から1295まで、1308の1から1321まで、1325から1339の3まで、
上新田 1340の1から1340の7まで
――――――――――――――――
原文縦書きですが、適宜改行を補ったり、「一、四五三」との表記の地番を「1453」とする等見やすく補正しました。
#地番区域が小字単位ではなく大字単位であることもよくわかります。

さすがに市区町村変遷情報でこの地番を列挙することは適切ではないので、仲多度郡琴平町の詳細情報では、これを簡略化して、
象郷村の一部:大字苗田、大字上櫛梨字上村、久保、木ノ股、楠、塞、土福、小路、大歳、薬師、川西の一部、大字下櫛梨字北川、堀池、山南、山根、元日、馬場西、船磐の一部、川原の一部、平石の一部、泉田の一部、上新田の一部
としていました。
つまり、再度整理すると、・・・
・大字苗田はすべて琴平町へ(琴平町大字苗田)。
・大字上櫛梨の大半は琴平町へ(琴平町大字上櫛梨)、一部は善通寺市へ(善通寺市櫛梨町)。
・大字下櫛梨の大半は琴平町へ(琴平町大字下櫛梨)、一部は善通寺市へ(善通寺市櫛梨町)。
参考地図はこちら
総理府告示だけを見ると、大字上櫛梨と大字下櫛梨は、本体(大半)が善通寺市となったようにも解釈できますが、実態は上記地図のとおりで、琴平町が主です。
象郷村は、大字単位で見ると異動先は「善通寺市:琴平町=0.2:2.8」くらいであり、象郷村の本体は琴平町へ編入されたと判断します。
――――――――――――――――
三豊郡紀伊村、綾歌郡東分村、仲多度郡象郷村はすべて「本体」「一部」パターンと判断しましたが、象郷村の例では、総理府告示で地番を表示して例示した方が「本体」で、残余が「一部」に相当するものでした。こういう調査をするのは、全国的にはなかなか大変です。しかし、どこかで線を引かねばなりません。役場の所在地で判断するのも一つの方法ですが、判断材料としては弱いですし、調査自体が困難です。
上記に述べたような手法で、市区町村変遷情報の編集作業を全国展開をしてよいものかどうか。しばし、他府県への反映は保留し、皆様のご意見・ご感想をお伺いしたいと思います。
市区町村変遷情報の編集作業については、自明・唯一の「正しい」方針というものは存在せず、正確で、わかりやすく、利用しやすいものを追求して試行錯誤しているのが現実です。今後とも、皆様のご意見をお待ちしております。
[73990] 2010年 1月 18日(月)22:00:1388 さん
市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1''' 「小性」or「小姓」
小性/小姓 記事の皆様
[73622] Issie さん
[73680] hmt さん
[73684] むっくん さん
[73712] かぱぷう さん

お手数をおかけしております。
[73615]拙稿で「小性」→「小姓」の変更作業を行う際、単に[73444]かぱぷうさんの情報提供を鵜呑みにした訳ではなく、[72857]むっくんさんが「性」「姓」については触れていなかった(=県令その他資料も「性」であった)のは意識したものの、[73444]かぱぷうさんの投稿を受けて「『性』『姓』は、よくある表記の揺れだろう、ならば、通りの名称ではあるものの、町名復活ということなので『姓』の方が適切であろう」と、それなりに考えた結果でした。
[73680]hmtさん、[73684]むっくんさん のご紹介をいただいた各資料を含めて改めて見ると、市制町村制直前は大日本市町村名鑑を除くと「性」で一貫されているようであり、
小姓/小性の混用(江戸時代)→小性(明治)→小姓(昭和)→大名(平成)
との[73680] hmt さんの観点が的を得ているようです。よって、再度の修正でご迷惑をおかけしますが、「東小性町・西小性町」と再修正しました

[73622] Issie さん
近代の町名としては恐らく“公式表記”というものが決められていて
以前、香川県立図書館の「香川県報」(香川県公報)のマイクロフィルムから入手したものを例としてお示しします。旧字体は新字体に置き換えています。
これと同様のものが、福岡市の例でも、他の例でもあるはずなので、福岡県立図書館などで探してみてください(>かぱぷうさん)。
もっとも、私は明治22年~昭和20年までのものを、市町村合併の県告示を探すのとあわせて、目についた町・字の変更を持ち帰っただけなのですが、数回通って結構手間がかかりましたので、無理強いはいたしません。
香川県告示第三百九十八号
那珂郡丸亀町字横町ヲ本町ト改称ノ件同町長ノ稟請ニ依リ之ヲ許可セリ
明治三十一年十二月二十四日
香川県知事 小野隆助
これは、現在の地方自治法では、
第二百六十条 政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
2 前項の規定による届出を受理したときは、都道府県知事は、直ちにこれを告示しなければならない。
3  第一項の規定による処分は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
に相当します。


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