都道府県市区町村
落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[5301]2002年11月24日
ニジェガロージェッツ
[41400]2005年5月20日
ニジェガロージェッツ
[41633]2005年5月26日
hmt
[41649]2005年5月27日
ニジェガロージェッツ
[46891]2005年11月25日
デスクトップ鉄
[46914]2005年11月26日
hmt
[46937]2005年11月27日
今川焼
[46981]2005年11月29日
hmt
[47106]2005年12月3日
hmt
[52124]2006年7月10日
hiroroじゃけぇ
[52148]2006年7月12日
suikotei

[5301] 2002年 11月 24日(日)02:12:26【1】ニジェガロージェッツ さん
勤労に感謝して、昨日は仕事をしてました
真夜中の2時ガロージェッツです。

[5212]般若堂そんびんさん
レスありがとうございます。御書き込みを拝見しドクターペッパーのあの独特の芳香が脳裏に甦り、また飲みたくなりました。初めて耳にする「ミスター・ピブ」という飲料、大変興味をそそられます。
今日テレビで京都と神戸をロケーションにしたドラマがありました。神戸に関しては少々地理的に無理な設定もありましたが、だいたい街並みの雰囲気は出ていると思いました。
しかしいつもながら「神戸ロケ」で出てくるのは「神戸大橋」「三宮・異人館」「六甲山」(このロケでは摩耶山)と相場が決まっており、残念ながら「長田」などはまず出て来ません。出て来たとしたら震災絡みです。

[5265]NSKさん
自治体の分割の話題の続きですが、兵庫県赤穂市は昭和38年8月に岡山県和気郡日生町のうち福浦地区を越境編入しています。いまでも赤穂市福浦にあるJR赤穂線の駅名は「備前福河」です。
また古い所では、佐用郡佐用町石井地区は明治中頃までは岡山県・旧美作国に属していました。
このレベルのお話になると全国各地にあることでしょうけどね。

それと郵便番号の話題が続いていますが、すこし飛躍して外国のお話。
日本では郵便番号の割り当てで1で始まるのは東京ですが、だいたい他国でも1は首都が多いのではないでしょうか。
例えば中国(6桁)の北京は100000で始まり、ロシア(6桁)でも100000はモスクワの中央郵便局です。
変わった所では米国(ZIP・5桁+4桁)では首都ワシントンDCは20001で始まっています。
で、ZIPサイトで10001を検索してみるとズバリ「ニューヨーク、エンパイア ステート」とか「マンハッタン」とか出てきました。

あとロシア滞在中にニジニノヴゴロド在住の日本人宛てに郷里のご両親が札幌の郵便局から小包を送ろうとしたそうでしたが、郵便番号603155を見て局員が頑に「この郵便番号は間違っています!」と言い続けたそうです。
私見ですが、この局員氏はロシア宛ての郵便物を札幌という場所がら頻繁に扱っているのか6で始まる郵便番号を見て勝手に「極東・シベリア地域の番号」と思い込んで(ユジノサハリンスク市693***、ユ市以外のサハリン州694***、ウラジオストク690***、ハバロフスク680***、イルクーツク664***、ノヴォシビルスク630***、等となっているので無理もないのだが)やや東よりながらロシア中央部に位置するニジニノヴゴロドはもっと若い番号になるはずと考えたのではなかろうか・・と推測します。
しかしロシアの郵便番号の最初の1桁目は「方向」を表し、東方向は6で始まる番号となり、600000はモスクワ州の東隣のヴラジーミル州の州都ヴラジーミル市の番号です。
因みに1は首都モスクワに始まり北方面、2は西方面(ソ連崩壊でかなり喪失)、3は南方面、4は南東、東南東方面(ヴォルゴグラード400000に始まり、ウラル以西のカザフスタン国境沿い一帯)となっています。もしかすると鉄道線に関係があるのかな?という気がするのですが。
番号の付け方一つにしてもお国柄が出ていて興味深いものがあります。
[41400] 2005年 5月 20日(金)01:50:50ニジェガロージェッツ さん
取揚島の謎
[41370] hmt さん
表自体に含まれていない赤穂付近の「取揚島」(兵庫・岡山県境)を含めて、「2県にまたがる島」は8つということになります。

[15470] KMKZ さん
取揚島は、兵庫・岡山の県境になりますから、海上保安庁の島の一覧表で、兵庫県の「2県に跨る島」の数がゼロになっているのは記載漏れでしょうか。これでは7島という数も信用していいのか悩みます。本当は6島しかないのかも。

[41356]でるでるさんよりアナウンスのありました、地名コレクション「2県にまたがる島」拝見致しました。
兵庫県赤穂市の沖合いに浮かぶ小さな無人島「取揚島」ですが、地図上では確かに兵庫・岡山県境が赤穂市福浦地区の海面で大きく東に迫り出し、取揚島を分断しており、「2県にまたがる島」と言えます。
このことは、でるでるさんが[15406]にて『日本の島ガイド~シマダス』(財)日本離島センター刊、より調べられた結果にも反映されています。
一方で、KMKZさんが[15470]にて海上保安庁の島の一覧表より調べられた結果、兵庫県の「2県に跨る島」の数がゼロになっていることについては、この島が岡山県にのみ属していると解釈できます。

この島はもともと岡山県に属していた福浦地区のもので、この地区(旧・岡山県和気郡福河村)が一旦は1955年に岡山県日生町に編入されたものの、生活圏の関係から、後の1963年に兵庫県赤穂市に編入された際に、その編入区域からは除外されています

原因は、この地区の兵庫県への越境編入を岡山県側が容易には認めず、結果的には陸上部分は渋々兵庫県への移管に同意するものの、漁業権の絡む海上部分の移管は頑として認めず、兵庫県側がそれで妥協したことによるものです。

このことは、2002年10月に奈良県桜井市での第3回市町村合併講演会「兵庫県の事例に見る市町村合併の課題」にて、「昭和の大合併の遺恨」として、詳しく経緯が述べられています。
これによれば、このイレギュラーな妥協の結果、取揚島の鼻先に赤穂火力発電所を建設した際、その排水を目の前の海に流せず、わざわざ6キロも先までパイプラインを敷設して、赤穂御崎の東まで迂回した排水設備を造るなどの苦労話として語られています。


【追記】でるでるさんへ
Поздравляю Дэрудэру-сан с 28-ым днём рождения !!!
[41633] 2005年 5月 26日(木)18:03:08【1】hmt さん
「だんご3兄弟」島・取揚島・「いしま」・海のピラミッド・牛の住む甲島
[41610] でるでる さん
実は、この二子島(2島)の更に北側にある島(島名?)にも県境らしきものが見えまして・・・(汗)
この島も含めると「2県にまたがる島」は9つということに?ムムム・・・

なるほど! 県境が3島を串刺しにしているとすれば、「ふたご」ではなく、「だんご3兄弟」島とでも命名しましょうか。

取揚島に県境が設定された理由はそういうことだったのですね!

ニジェガロージェッツ さんの記事[41400]を、少し誤解されているのではないかと思われるので、横から口を挟ませていただきます。
この島はもともと岡山県に属していたのもので(中略)、後の1963年に兵庫県赤穂市に編入された際に、その編入区域からは除外されています。
の最初の部分を正確に書けば、“この島 の一部 は もともと岡山県に属していたのもので…”となります。

明治の町村制施行時に寒河(そうご)村と合併して福河村(合成村名)になった岡山県福浦村。
地図で今昔にも、“兵庫県内に備前福河を名乗る駅があるとは”という記事があり、福浦峠の東側(旧・福浦村の地域)が、昭和合併の機運に乗じて、兵庫県赤穂市に「越県合併」したことが紹介されています。
取揚島については、特に“取り上げ”られてはいないのですが、昭和23年(1948)の地勢図が示されており、昭和の合併前から県境が通っていたことが明らかです。

要するに、[41400]で紹介された、
岡山県が、漁業権に絡む“領海”を守り抜き、赤穂市への編入から取揚島を除外させた
という趣旨の記事は、既に県境の島であった取揚島の「岡山県部分」に関することです。
この数10mサイズの取揚島は、おそらく播磨・備前時代から両国の(海上)権益がぶつかる所で、国境となっており、それが飾磨県→兵庫県と岡山県との県境に引き継がれました。昭和の時代になり、“陸の論理”では「越県合併」が実現しても、“海の論理”は 兵庫県への移管を認めず、その結果、「2県にまたがる島」が、現在まで存続している。そういうことなのですね。

角川:日本地名大辞典の岡山県を見ると、取揚島の項目には、
日生町と兵庫県赤穂市との境界をなす。周囲0.3km、面積0.01km2の無人島。
島の西方で、日生町の漁業者によってノリの養殖が行なわれている。
とありました。ノリの養殖が、赤穂発電所の温排水を拒否した理由だったのですね。

同じ辞典の地誌編には、行政区域としての岡山県日生町福浦が、“兵庫県赤穂市の南方海上にある取揚島の一部に残り、県境をなす。”と記されていますが、この辞典の兵庫県(地名編、地誌編)には、取揚島に関する記事は見当たりません。赤穂の防波堤から300mほどのこの島を、播州赤穂側でどのように利用している(又は 利用していた)のかは、気になるところです。

ひなせ観光ガイドを見ると、「日生町本土」と「鹿久居島」「頭島」等の日生諸島が記されたマップの右端に、とても小さな取揚島が“飛び地”状態でポツンと存在し、マップを見る人に「取揚島の謎」を訴えています。
#日生諸島の主島は、面積は小さいけれども頭島です。

ここに県境があるとなると、第四管区海上保安本部の一覧表で、2県にまたがる島に数えられなかったことが謎として残ります。
上記のように日本地名大辞典では、周囲が0.3km。地形図で見るとそれよりやや小さい感じだが、それでも、「海域にある自然陸地(周囲≧0.1km)」には該当しそうなのですが…
やはり、数え落しかな?

[41368] 牛山牛太郎 さん の「大野島」となると、「海域」でないから、海上保安庁が対象外としたのは納得できます。

瀬戸内海を西に進んで、岡山県と香川県との県境がある「いしま」。
[30617]hmt
岡山藩領の胸上村と天領の直島とが領有権・漁業権を争い、元禄15年に幕府による国境裁定で分割が確定したという由緒正しい「県境の島」です。
読みが同じ「いしま」で、漢字表記が岡山県玉野市石島・香川県香川郡直島町井島と異なるのは珍しいことです。幕府の評定所において、双方の主張で用いられた文字がそのまま残ったと言われています。1702年の幕府評定所の裁定は、石島山頂を通る境界線を定め、面積は直島側と胸上側とが七分三分に分けられました。直島側は現在までずっと無人島のままですが、備前胸上村は、この裁定を受けて早速植民を開始し、半農半漁の集落ができて300年間の歳月を重ねています。

直島の西、同じく岡山県と香川県との県境がある大槌島。
[28633] 今川焼 さんが、樽流しのエピソードと共に1732年の境界論争を紹介されている島ですが、その姿から、ケンペルが「江戸参府紀行」に「海のピラミッド」と記しています。

取揚島・「いしま」・大槌島の3ケースに共通することは、「2県にまたがる島」は、漁業権の主張から派生した産物ということです。
“海の論理”からすれば、「海域こそが主体」であり、大槌島のピークを境界とすることは、「平地を主体」とする陸の人々が山のピークを境界としていることと、何ら変らない。「2県にまたがる島」を珍重したりする行為は、「2県にまたがる峰」を珍しがるようなものだと思っているのかもしれません。

そして3つの事例共に、備前側の人たちが積極的な姿勢を示していることが注目されます。「樽流し」のように、思惑が外れることもあるようですが。

農地のない離島の産業的価値としては、漁業以外にも、採草や採石があります。
これらの権益をめぐる紛争が明治政府に持ち込まれ、内務省の裁定で「2県にまたがる島」が確定したとされるのが、現在は広島県大竹市と山口県由宇町の境界になっている「甲島」です。もっとも「芸藩通誌」にも「安芸周防の界とし、各其半を領す」とあるように、江戸時代からの国境ですが、紛争が完全には解決していなかったのでしょう。
住民?は、放牧されている黒毛和牛([40018]がんす横丁まま さん)で、県境を気にせずに草を食べているようです。
もちろん、漁場としての価値もあり、周辺海域はイワシ底引き網や一本釣りの好漁場とか。
周防側が、岩国でなく由宇である([24084]参照)理由は、距離ではなく、江戸時代からここを利用していた人たちの本拠だからでしょう。

領土紛争は、とかく感情論になりやすい面もありますが、やはり重視されるべきは、産業経済活動における活用の実績と展望。

”鳶ノ子島(とびのこじま)”の表記も追加しておきます。
“鳶ノ小島とも。”となっておりますが…
[41649] 2005年 5月 27日(金)01:43:41ニジェガロージェッツ さん
取揚島の謎、再び
[41633] hmt さん
岡山県が、漁業権に絡む“領海”を守り抜き、赤穂市への編入から取揚島を除外させた
という趣旨の記事は、既に県境の島であった取揚島の「岡山県部分」に関することです。

拙稿[41400]への詳細かつ丁寧なフォロー有難うございます。
少々言葉足らずで、でるでるさん[41610]に若干の誤解を生じたかも知れなかったのですが、仰るとおり、昭和38年の岡山県日生町福浦地区の兵庫県移管に際して取揚島が除外されたのは、島の「岡山県部分」に関してのことを述べたに過ぎません。

[41400]のタイトルに「取揚島の謎」とした「謎」については、そもそもこの島に「兵庫県部分」が存在するか否かの1点に尽きます。
もともと、播磨・備前2国の海上の境界として、本土側の岬である綱崎突端(福浦地区東端)と取揚島とが目印にされていたのは容易に想像がつきます。そして両国の国境がそのまま兵庫・岡山2県の県境として引き継がれた・・・。
この島が県境である以上、島は両県により折半されたと見るのがごく自然ですが、果たして如何なのか?
仮に海上の境界線は取揚島の中心線を通るとしても、島そのものは面積0.01km2の無人島です。
このような「境界石」としての目印以外の役割がありそうも無い島を、敢えて両国(両県)で折半する必要が生じたのか否か。
もしかしたら、県境上の島として地図上でもそのように描かれているのだけれども、島そのものの帰属は岡山県として認識されていたのかも知れない。

そこで気になるのが、第四管区海上保安本部の一覧表にて2県にまたがる島に数えられなかったことや、角川書店「日本地名大辞典」の兵庫県版(地名編、地誌編)に取揚島に関する記事が無いことです。
海上保安本部の一覧表からこの島が欠落しているのについては、小生もhmtさんと同じく、単なる数え落しだとも感じましたが、「日本地名大辞典」の岡山県版のみに記載があることが興味深いところです。
実は小生も同様の角川書店「兵庫県地名大辞典」を持っています。「落書き帳」に兵庫県についての記事を投稿する際には、必ず裏づけのためにこれを参照しています。
(#冷蔵庫の裏に子猫が入らないように障害物としてのみ、この分厚い大辞典を利用している訳ではありません・・・笑)
[41400]を投稿した際に調べましたが、やはりこれにも取揚島に関する記事が無く、この島に「兵庫県部分」の存在の確証が得られなかったものですから、「兵庫県部分」をぼかした記事として投稿しました。

角川:日本地名大辞典の岡山県を見ると、(中略)地誌編には、行政区域としての岡山県日生町福浦が、“兵庫県赤穂市の南方海上にある取揚島の一部に残り、県境をなす。”と記されて

はっきりと「一部」と書かれているところから見ると、「兵庫県部分」の存在が疑うべくも無いようですが・・・。
[46891] 2005年 11月 25日(金)23:26:38デスクトップ鉄 さん
都道府県境を越える鉄道・国道
やっと都道府県境を越える鉄道・国道のリストを作成しました。国道のリストは、全県境を踏破した方のサイト国道の県境を参考にしました。いろいろ議論があるようですが、海上区間も含めました。

リストを作成していて、気がついた点をいくつか。
鉄道が越える県境は、245箇所([46764]の時点から4地点増加)。これに対し国道は527箇所と2倍以上ある。ところが、東京都は、鉄道54箇所、国道37箇所と圧倒的に鉄道のほうが多い。ほかに、鉄道のほうが多いのは、神奈川県だけのよう。
赤穂線の兵庫・岡山県境は、備前福河・寒河間にある。兵庫県は、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路の5カ国だけでなく、備前国も含んでいたのですね。
地図には、道路橋の名前は書かれているが、鉄道の橋梁名は載っていない。なぜですかね。
間違いにお気づきの方はぜひお知らせください。
[46914] 2005年 11月 26日(土)23:57:37hmt さん
備前福河
[46891] デスクトップ鉄 さん
・ 赤穂線の兵庫・岡山県境は、備前福河・寒河間にある。兵庫県は、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路の5カ国だけでなく、備前国も含んでいたのですね。

兵庫県赤穂市所在なのに「備前福河」という駅名を名乗っているこの駅は、1955年3月1日に赤穂線が播州赤穂から日生まで延長開業した当時は岡山県和気郡福河村に開設されました。同月末に合併で日生町に。
ところが、[41400] ニジェガロージェッツ さんの記事にあるように、1963年に福浦峠の東側(旧・福浦村の地域)は生活圏を共にする兵庫県側の赤穂市に越県合併したために、現在のように「備前」なのに兵庫県という状況になりました。

「2県にまたがる島」である「取揚島」は、江戸時代から播磨と備前の境界で、その備前部分も「備前福河」駅と同様に旧・福浦村でしたが、この島については、岡山県が漁業権に絡む“領海”を守り抜き、赤穂市への編入から除外させたとされています。
取揚島は無人島で、道路はないと思います。この島での県境越えとなると、まず上陸できるのかな?

なお、県境をはさんで岡山県側にある寒河(そうご)駅は赤穂線全通を前にした1962年4月開業。この駅名は、旧・福浦村と共に福河村になった旧・寒河村に由来します。「合成地名」コレクション参照。
[46937] 2005年 11月 27日(日)14:41:20今川焼 さん
兵庫県は七ヶ国
[46891] デスクトップ鉄 さん
・ 赤穂線の兵庫・岡山県境は、備前福河・寒河間にある。兵庫県は、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路の5カ国だけでなく、備前国も含んでいたのですね。
すみません重箱レスです。
[5301] でニジェガロージェッツ さんも触れておられますように、現佐用町の北部(旧石井村・旧江川村)は明治29年までは旧美作国(岡山県吉野郡)でした。(参考第三次兵庫県の県域
リンク先の地図で比べると、面積では赤穂市の福浦地区より数倍広いですが、100年以上も前のことですし、「備前福河駅」のようなわかりやすい物的証拠もないので案外見過ごされています。

ところで、その佐用町の北部に第三セクターの智頭急行石井駅があります。この路線はもともと旧国鉄の路線として計画されていたものですが、もし国鉄時代の早い時期に開通していれば、徳島県石井町の徳島線に石井駅がすでにありましたから、こちらの石井駅は「美作石井駅」になっていた可能性もあります。(まぁ、あくまで「可能性」です。この駅の計画段階の仮称は大字名の「下石井」でした。)
[46981] 2005年 11月 29日(火)16:59:37hmt さん
地勢図で「県界変更史跡」めぐり
[46937]今川焼 さん
現佐用町の北部(旧石井村・旧江川村)は明治29年までは旧美作国(岡山県吉野郡)でした。

これは知りませんでした。
早速、20万分の一地勢図「姫路」で現状を確認してみたところ、兵庫・岡山の県界と、播磨・美作の国界とは一致していました。

この県界変更が行なわれた明治29年(1896)は、明治23年に公布された「郡制」が全国的に施行の時期を迎えた時代です。
兵庫県についての直接の資料は持っていませんが、埼玉県では同じ明治29年に、中葛飾郡(最近春日部市と合併した旧・庄和町など)が北葛飾郡に併合されました。

実はこの地域は、もともと利根川が太日川として東京湾に注いでいた時代の川筋(庄内古川、現在は中川の一部)の左岸(つまり下総側)でしたが、17世紀に江戸川の開削によって下総台地の本体から切り離されました。しかし、ずっと下総国の一部であり、明治8年に千葉県から埼玉県に移管されて中葛飾郡という名が付いてからも相変わらず下総国でした。
ところが、明治29年になると、わざわざ「埼玉県下国界変更及び郡廃置法律」によって、武蔵と下総の国界を庄内古川から江戸川に移し、埼玉県全体は武蔵国の一部になりました。
このような「国界変更」が行なわれことは、旧国が実質的な地域名称として機能していたことを示しています[36159]

旧美作国吉野郡石井村・江川村が兵庫県佐用郡に移管されたのは、これと同じ明治29年です。県界変更と同時に播磨・美作の国界も変更され、県界との一致を保ったものと思われます。

つまり、兵庫県内には「美作国」の地域はなく、1896年の時点では、摂津(一部)・播磨・但馬・丹波(一部)・淡路の五ヶ国でした。1963年に日生(ひなせ)町の一部(旧・福浦村)編入により備前の一部が加わった後は六ヶ国となり、首位の座を固めています。

旧国が既に実質的な地域名称として機能を失った戦後の県界変更になると、それに伴なって国界を変更して一致させる必要性はなくなりました。
そのために、20万分の一地勢図上ので県界と国界との不一致として「県界変更史跡」が残されることになりました。

“備前国で兵庫県”の備前福河[46914]は地勢図「姫路」で、“丹波国で大阪府”の旧・京都府樫田村[31152]は地勢図「京都及大阪」で県界変更の跡を見ることができます。
“越前国で岐阜県”になった旧・福井県大野郡石徹白(いとしろ)村[31291]は、「岐阜」と「金沢」にまたがっています。手持ちの昭和43年発行の地勢図「岐阜」を見ると、石徹白付近に“白鳥町”の注記はあるものの、13年も前にできた筈の岐阜・福井県境が描かれていません。

同じく1955年に愛知県に越境合併した旧・岐阜県三濃村の一部の「県界変更史跡」は、地勢図「豊橋」にあります。この付近を中心として、北の現県界、東の明智川、南の矢作川、西の国界(表示なし)に囲まれた範囲が“美濃で愛知県”です。

有力メンバーの多い栃木・群馬県界の変更については、さすがにこの落書き帳に多数の記事があります。
地勢図は「宇都宮」で、手持ちの昭和34年版と平成10年版とを比較してみます。
昭和34年版でも桐生市街の対岸にある旧栃木県菱村[14592]は、明瞭な「県界変更史跡」を見せています。この“下野国で群馬県”の地域が、平成10年版になると、北方に更に拡大しています。これが1968年に桐生市に編入された栃木県飛駒村の一部[31165]ですね。

逆に“上野国で栃木県”になったのは、旧・群馬県矢場川村の一部[14616] です。昭和34年版は足利市編入の前年ですから、当然ながら県界=国界であった矢場川の南はすべて群馬県でした。矢場川は、渡良瀬川の旧河道[4618]で、その名も両毛橋が架けられています[25139]。平成10年の地勢図では、栃木・群馬県界が矢場川の少し南に移っているのは良いのですが、矢場川の位置に残るべき国界が消されています。
YSK[両毛人]さんのご指摘[17073] により、国土地理院は昭和56年からの編集ミスを認め、昨年発行の図から訂正されて、「県界変更史跡」が復活したようです。

最後に、“信濃国で岐阜県”の地域。地勢図は「飯田」です。
手持ちの昭和35年発行図を見たら、恵那山の北方に“中津川市”と記され、昭和33年に長野県西筑摩郡神坂(みさか)村の一部が越県合併した時に生れた新県界が、信濃・美濃国界から離れて北東へと描かれているのですが、ほんの一部だけで途切れ、東と北の県界は描かれていません。要するに「県界変更史跡」は未完成状態。
今年の2月に、長野県木曽郡山口村の岐阜県中津川市への編入が実現しました。“信濃国で岐阜県”の地域は、更に拡大したわけです。

“岐阜県でも信濃国”ですから、この地域の馬籠宿で生まれた島崎藤村は、[37786] 北の住人 さんのおっしゃるように、「信濃国出身」と書くことができます。たしかに「岐阜県出身」よりは数等「まし」な言い方です。
しかし、藤村本人の意識としては、彼の生まれた馬籠宿は、「筑摩県」でも「長野県」でも「信州」でもなく、「木曾」だったのだと思います。[37785]参照。
「信濃国」や「長野県」、「岐阜県」のような広域であり、かつ行政の都合で変化してしまう地名を「出身地」に使うことは、誤りではないにしても、「ふるさと」という感覚からはあまり適切でないケースがあるように感じます。

# 実は、県境の話題とは関係ないことなのですが、来年の3月になったら、メンバー紹介記事の「出身地」をどのように記すべきかと悩んでいるのです。
[47106] 2005年 12月 3日(土)23:45:55hmt さん
明治の法律による府県界・国界変更
てへへ さんは[47002]日本法令索引 制定法令検索にて「国界」で検索して3件という結果を報告されていますが、[47041]の結果を参照して「界変更」「県境」「境界」で検索してみました。

ヒットした法律の中には、既に[47002]の「適用対象等の消滅…による法律の廃止」(昭和57年)で紹介された「郡廃置法律」(主として明治29年)の一部も含まれていますが、検索結果の中から、府県界、国界変更に関すると思われる明治の法律を年代順に列挙し、この落書き帳の 関係記事 をリンクさせておきます。やはり、明治29年とその前後が多いですね。

明治と言っても、「法律」の時代になってから以後に限られ、明治初期の「太政官布告」時代、例えば大規模な県の組み換えが行なわれた明治8~9年(1875-76)の県界変更は、当然のことながら含まれておりません。


東京府及神奈川県境域変更ニ関スル法律(明治26年3月6日法律第12号)
神奈川県だった三多摩(西多摩郡、北多摩郡、南多摩郡)の東京府への移管 [33692] [33700]

東京府埼玉県千葉県茨城県境界変更法(明治28年3月30日法律第24号)
法律を見ておらず境界変更地不明ですが、利根川水系の流路変更に伴なう部分的な修正でしょうか?

埼玉県下国界変更及郡廃置法律(|明治29年3月30日法律第40号)
明治8年に埼玉県に移管されていた下総国中葛飾郡を武蔵国北葛飾郡に編入 [755][36159][46981]

鹿児島県下国界並郡界変更及郡廃置法律(明治29年3月30日法律第55号)
日向国南諸県郡が大隅国噌唹郡に、大隅国北大隅郡(桜島)と菱刈郡が薩摩国鹿児島郡と伊佐郡に  [28373][47015]

岡山県兵庫県境界変更並福岡県大分県境界変更法律(明治29年3月30日法律第56号)
岡山県吉野郡石井村(美作国)が兵庫県佐用郡(播磨国)へ [5301][46937]
同時に県界が変って兵庫県佐用郡江川村になった部分は、旧岡山県吉野郡讃甘(さのも)村の一部で、江川村はもともと兵庫県でした。([46981]の訂正)
福岡県大分県の境界変更地は不明

千葉県茨城県境界変更法律(明治32年2月8日法律第4号)
利根川北岸の千葉県香取郡金江津村、十余島村、本新島村が茨城県稲敷郡に所属変更 [1639]
(この時も美作国→播磨国のケースと同様に、下総国→常陸国の変更があったと思われます。)

京都府下国界並郡界変更法律(明治35年3月11日法律第14号)
与謝郡(丹後国)雲原村が天田郡(丹波国)に所属変更 [47003]

東京府北多摩郡埼玉県北足立郡境界変更法律(明治40年3月18日法律第8号)
埼玉県北足立郡保谷村が東京府北多摩郡に所属変更 [4111][38467]。共に武蔵国なので国界は影響なし。

東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律(明治45年3月28日法律第5号)
これも境界変更地不明ですが、多摩川または境川の流路変更に伴なう部分的な修正でしょうか?
[52124] 2006年 7月 10日(月)01:26:28hiroroじゃけぇ さん
播州赤穂-天和-備前福河
[52120] Issie さん
「官報」にも公的機関や大学の資料にも間違いはままあるようですね。

「官報」の一番の間違いは、各県に最低1箇所はある販売所が、とてもわかりづらいことでしょうか(笑)図書館や役所で閲覧した方が便利ですよね。

で、播州赤穂駅ネタに触れたので、少し私からも質問が。それは、「備前福河」駅のような例は、全国でどれだけあるのかということです。もともと、岡山県日生町福河地区にあった駅が、福河地区の赤穂市編入で兵庫県の所在になってしまったわけです。このように、旧国名付きの駅で、境界の変更によて、一駅だけ他県になってしまった駅は他にあるのかということです。ちょっとした疑問なので、暇な時にでもお教えください。

・・・地元、岡山県ってムササビが飛んでいる姿に似ていると、日頃から思っている私です。福河地区がそのままならば、完璧だったかも。
[52148] 2006年 7月 12日(水)22:20:26suikotei さん
赤穂市の境界変更
[52147]k-aceさん
赤穂市の福浦地区編入は、市町村自体の増減を伴わないので「廃置分合」ではなく、「境界変更」にあたります。
赤穂市例規集(赤穂市HP内)から関係告示を引用します。
○県の境界にわたる市町の境界変更
昭和38年7月17日
自治省告示第106号
地方自治法第7条第3項の規定により、岡山県和気郡日生町の次の区域を兵庫県赤穂市に編入する。
右の境界変更は、昭和38年9月1日からその効力を生ずるものとする。
兵庫県赤穂市に編入する区域
岡山県和気郡日生町大字福浦の区域(字二本桜、東山●、入山口、向ヒ、名畑、舟木谷、前、背戸山、田ノ奥、鹿久居島及び取揚島の区域を除く。)及び大字福浦地先海面のうち真尾鼻突端から綱崎突端まで引いた線以内の区域
(引用者注:●は「山へんに鼻」ですが、表示できないので置き換えました)


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