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落書き帳

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[72037] 2009年 9月 22日(火)17:02:16【3】hmt さん
国の隣接関係 (1)♪信濃の国は十州に境連ぬる国にして
[72010] オーナー グリグリ さん
私が豆相に興味を持ったそもそもが、旧国名から一文字ずつとった地域名を調べてみたいという点にありました。

紀淡海峡、備讃瀬戸、芸予諸島、防予諸島、豊予海峡は海を隔てて相対する2国に由来する自然地名であり、土讃線は途中で阿波国を経由するものの両側の2国から名付けた鉄道路線[72014]です。
しかし、これらは例外であり、リストに現れた地域名の大部分は、陸上で隣接する2国に由来します。

…ということで、国の隣接関係を洗い出してみました。

参考までに、都道府県の隣接関係については、オーナー グリグリ さん[40541] 「都道府県隣接数」ランキング という表があり、8県に隣接する長野県から孤立した沖縄県までが示されています。
そして、個別の県境については、「県境の交通路」コレクション に futsunoおじさんによる 極めて詳細な調査が記録されています。

♪信濃の国は十州に境連ぬる国にして
ご存知 長野県歌・信濃の国 です。これに匹敵する国が存在しないであろうことは想像するに難くないのですが、次点はどこなのか?
今回の調査で、伊勢・近江・美濃・丹波がそれぞれ隣接数7であることを知りました。やはり 隣接数10 は大記録です。

その後でよく調べたら、類似した調査として、[31035]みやこさん の記事がありました。

淡路・佐渡・隠岐・壱岐・対馬(それに琉球)という5つの「島国」が、隣接数ゼロであるのは当然ですが、隣接数1の志摩と安房とは、それぞれ伊勢と上総からの半島の先端という地理的位置の特異性を示しています。やはり言葉のとおり「半ば島」です。

県の隣接数1の長崎県も九州本体から西に突き出た半島の先端と言えないこともないわけですが、長崎の地理的環境は、ここを銚子のような“国のとっぱずれ”(古帳庵)ではなく、西に開いた“国の窓”たらしめました。

能登も典型的な半島ですが、その根元では、加賀だけでなく越中とも隣接しています。
明治になってから新設された国ですが、北海道の渡島国。これも半島ですが 山越郡が胆振国なので、後志・胆振の2国に隣接しています。

この胆振国の東端は、勇払郡占冠村です。ここで、胆振国と十勝国(上川郡清水町)とが隣接しているのか否かが気になります。
地図 で確認すると、僅かなところで胆振・十勝の隣接はなく、石狩と日高が隣接していました。

【お断り】
隣接と無関係な胆振国関係のトピックスは、 [72049]に分割しました。
[72038] 2009年 9月 22日(火)17:19:11hmt さん
国の隣接関係 (2)畿内
[72010]の追加情報調査にも役立つかもしれないので、国の隣接関係データを列挙しておきます。

初めに「国」の定義から。
五畿七道の順に示しますが、古代の「令制」に基づく国ではなく、明治の修正を加えています。
つまり、明治以降の近代日本で使われた、いわば「近代の国」です。

関係する過去記事 の最初にIssieさんが述べているように、
いくつかの例外を除いて現実に使われている区画としての性格はとっくに失っていて,その意味では「化石」のような存在
なのですが、現代に生きてる国名 もあります。
今回のテーマである「国名から一文字ずつとった地域名」も、その仲間に入れてよいでしょう。

隣接国は、右回りの順番で列挙します。内陸国の場合は、京都に最も近い国から始めます。
隣接国の境界は、当該国を含めて「三国境」になります。みやこ♂さんの 「三国」コレクション によると、83ヶ所の三国境の約半数に「三国」の名称が残っていたそうです。
せっかくなので、コレクションに集録された三国境地名の番号を示しておきます。

では、畿内から。
山城国 (内陸)大和 23[61266] 河内 摂津 41ab[31129][67463][67465] 丹波 20[61177] 近江 21◎ 伊賀
大和国 (内陸)山城 伊賀42 伊勢 紀伊 河内 23↑
河内国 (内陸)山城23↑ 大和 紀伊28 和泉 29三国ヶ丘 摂津
和泉国 (大阪湾)摂津29↑ 河内28 紀伊
摂津国 (大阪湾)播磨27 丹波 41ab↑ 山城河内29↑ 和泉

和泉国を例にして説明すると、大阪湾岸の摂津から右回りに河内を経て紀伊で海岸に戻ります。
和泉摂津河内の三国境は、三国コレクションの #29 に集録されています。「↑」は、その番号の三国境に関する記事リンクがすぐ上の行にあることを示しています。

山城国の行に見える「◎」は、三国境 #21が現在3県境になっていることを示します。ここの読者ならば府県名は自ずからわかるので記してありません。県境の交通路コレクション を見れば、南山城村などの自治体名と共に、地図 もリンクされています。

都市の発達したこの地方では、京阪、阪神、阪和、阪奈など都市名を組み合わせた事例は多く見られるものの、隣接2国の略称をつなげてみても、城摂、摂紀、摂和…という調子でNGの連続。
国名のペアが地域名に使われる事例は、紀勢、紀和など畿内から少し出ないとないのでしょうか?
[72054] 2009年 9月 23日(水)23:58:14hmt さん
国の隣接関係 (3)東海道
[72037][72038]に引き続き、東海道諸国と隣接する国々です。
隣接国の間に挿入した数字は、三国境 の番号です。◎は現在の3県境。

伊賀国 (内陸)山城 大和42 伊勢 22 近江 21◎
伊勢国 (太平洋)紀伊 大和42 伊賀22 近江17◎ 美濃 尾張 志摩
志摩国 (太平洋)伊勢
尾張国 (太平洋)伊勢 美濃 14[61177] 三河
三河国 (太平洋)尾張14↑ 美濃 13◎ 信濃 遠江
遠江国 (太平洋)三河 信濃 駿河
駿河国 (太平洋)遠江 信濃 10◎ 甲斐 8◎ 相模 9 伊豆
伊豆国 (太平洋)駿河 9 相模
甲斐国 (内陸)信濃 6◎ 武蔵 7◎ 相模 8◎ 駿河 10◎
相模国 (太平洋)伊豆 9 駿河 8◎ 甲斐 7◎ 武蔵
武蔵国 (太平洋)相模 7◎ 甲斐 6◎ 信濃 5◎ 上野 下野 38 下総
安房国 (太平洋)上総
上総国 (太平洋)下総 安房
下総国 (太平洋)武蔵 38 下野 常陸 上総
常陸国 (太平洋)下総 武蔵 下野 磐城

国名を組み合わせた地域名称としては、濃尾平野や房総半島など、複数の国に及ぶ広域自然地名への使用例が最も正統的なものと思われます。
甲武信ヶ岳のように、そのものズバリ三国境を表わす地名もあります。

鉄道関係でも多用されています。現役の総武本線、かつての甲武鉄道、今回の話題の発端になった豆相鉄道や駿豆鉄道。
[72102] 2009年 9月 30日(水)23:33:44【1】hmt さん
国の隣接関係 (3)東山道
1週間お休みしている間に、国名組み合わせ[72010]地名の新しい発言はなくなっていますが、その関連で始めた「国の隣接関係」[72037][72038][72054]の続編です。追記により、三国境の内容を充実させました。

東山道諸国ごとに、それに隣接する国々を右回りで列挙します。内陸国の場合は京都に近い隣接国から。隣接国の間は、当然のことながら /三国境/ になっているので、これを次の書式によって示します。

先ず、三国コレクション に集録されている場合はその番号。
現在の3県境である場合は◎を記し、県境の交通路コレクション の地図リンクつき3県境番号(M01~M44)を記載。
そして三国境の地名。「三国山」というような同名・類似名が多いので、できるだけ山脈名を併記しました。

近江国 (内陸) 山城 /20朽木村奥の三国岳[61177]/ 丹波 /19◎M24朽木村奥の三国峠(山頂)[52497]/ 若狭 /18琵琶湖北方の三国山/ 越前 /16◎M23伊吹山地三国岳/ 美濃 /17◎M29鈴鹿山脈三国岳/ 伊勢 /22鈴鹿山脈油日岳の東/ 伊賀 /21◎M30南山城村三国塚/

美濃国 (内陸) 近江 /16◎M23伊吹山地三国岳/ 越前 /白山三ノ峰の南2.6km/ 飛騨 /12御岳山南西方の三国山/ 信濃 /13◎M26木曽山脈南端三国山/ 三河 /14瀬戸市東方の三国山[61177]/ 尾張 /◎M28長良川/ 伊勢 /17◎M29鈴鹿山脈三国岳/

飛騨国 (内陸) 美濃 /白山三ノ峰の南2.6km/ 越前 /◎M22白山三ノ峰/ 加賀 /◎M20(白山の北)笈ヶ岳/ 越中 /11◎M21三俣蓮華岳/ 信濃 /12御岳山南西方の三国山/

信濃国 (内陸) 美濃 /12御岳山南西方の三国山/ 飛騨 /11◎M21三俣蓮華岳/ 越中 /4◎M19 白馬岳の少し北/ 越後 /46◎M13三国山脈白砂山/ 上野 /5◎M12関東山地三国山/ 武蔵 /6◎M16甲武信ヶ岳/ 甲斐 /10◎M25三峰岳/ 駿河 /光岳/ 遠江 /◎M27天竜川小和田駅付近/ 三河 /13◎M26木曽山脈南端三国山/

上野国 (内陸) 信濃 /46◎ M13三国山脈白砂山/ 越後 /◎M08尾瀬ヶ原/ 岩代 /◎M07黒岩山/ 下野 /◎M11渡良瀬第一貯水池南西/ 武蔵 /5◎M12関東山地三国山/

下野国 (内陸) 上野 /◎M07黒岩山/ 岩代 /37那須三本槍岳/ 磐城 /◎M06八溝山/ 常陸 /結城の東/ 下総 /38◎M09貯水池南東渡良瀬川/ 武蔵 /◎M11渡良瀬第一貯水池南西/

岩代国 (内陸) 下野 /◎M07黒岩山/ 上野 /◎M08尾瀬ヶ原/ 越後 /3◎M05 飯豊山/ 羽前 /◎M04龍ヶ岳/ 磐城 /37那須三本槍岳/

磐城国 (太平洋) 常陸 /◎M06八溝山/ 下野 /37那須三本槍岳/ 岩代 /◎M04龍ヶ岳/ 羽前 /熊野岳/ 陸前(太平洋)

羽前国 (日本海) 羽後 /◎M03軍沢岳/ 陸前 /熊野岳/ 磐城 /◎M04龍ヶ岳/ 岩代 /3◎M05飯豊山↑ /越後(日本海)

羽後国 (日本海) 陸奥 /炭塚森/ 陸中 /◎M02栗駒山/ 陸前 /◎M03軍沢岳/ 羽前(日本海)

陸前国 (太平洋) 磐城 /熊野岳/ 羽前 /◎M03軍沢岳/ 羽後 /◎M02栗駒山/ 陸中(太平洋)

陸中国 (太平洋) 陸前 /◎M02栗駒山/ 羽後 /炭塚森/ 陸奥(太平洋)

陸奥国 (太平洋) 陸中 /炭塚森/ 羽後(日本海)
注:八幡平における三国境[67641]は無視

東山道諸国に由来する広域地名の代表であった「奥羽」ですが、社会科地図帳を見ると、1950年「奥羽地方」、1973年「東北地方」となっており、「奥羽」の名が衰退しているように思われます。

国名組み合わせを多用しているのが鉄道関係で、ここでは、東北本線と奥羽本線とを使い分けています。
更に陸奥・出羽の組み合わせには、奥羽本線以外に、東西を結ぶ陸羽東線・陸羽西線があります。
では、南北を結ぶのが「奥羽」で東西を結ぶのが「陸羽」かというと、そうでもないようで、陸羽街道(現在は国道4号)は昔の奥州街道ですから、南北ルートです。
信越本線・上越線・上信電鉄・磐越東線・磐越西線(もと★岩越鉄道[61304] [72013])・羽越本線・越美北線と枚挙にいとまなし。なお、[72010]記載のうち、越美南線は過去名称★です。

両毛・三陸について、[72036] グリグリ さんは「参考扱い」とされていますが、立派な国名組み合わせであると思います。
確かに「しもつけ」の表記は下野であり下毛ではありませんが、「こうづけ・しもつけ」を組み合せた地名(総称というよりも上野・下毛の境界地帯か)であることは、紛れもない事実です。
三陸も明治以降の近代の国ですが、磐越なども同類であり、特に問題にすることはないと思われます。
[72148] 2009年 10月 6日(火)18:57:09hmt さん
国の隣接関係 (5)北陸道
国名組み合わせ地名[72010] に関連して始めた 国の隣接 シリーズ。今回は 日本海側の北陸道7ヶ国。

[72021] oki さん
越佐人物誌(書名) これもあまり一般的ではない様子。
[72023] Issie さん
直江津から小木へ乗った船の名前が「えっさ丸」でした。

現代の感覚では、新潟県という言葉が普通に使われ、越後と佐渡を「越佐」で総称する必要はないようです。
♪佐渡は四十九里波の上 という一句が有名ですが、これは日本海の荒波に船頭が始終苦労したためとか。同じ佐渡おけさの中にも歌われている ♪ハアー佐渡へ八里のさざ波こえてヨ が、佐渡越後間の最短距離に近いようです。

陸上隣接国のない佐渡は別として、本州6ヶ国の中に「越」で始まる国が3つもあります。

「信越」といえば、その「越」が意味するところは越後です。信濃と隣接しているにもかかわらず、越中と解されることは皆無。険しい山岳によって隔てられていた信濃と越中を一体とする観念は生まれなかったのでしょう

北アルプス越えルートは、立山参りの裏参道として信濃の人が夏の間に細々と利用していたかもしれませんが、徳川家康に救援を求める目的で、ここを厳しい冬のさなかに横断したのが佐々成政の「さらさら越え」(1584)でした。ザラ峠で立山連峰を越えると黒部川の谷。更に針ノ木峠で後立山連峰を越えて、ようやく信濃国大町。

1958年、この後立山連峰を貫いて黒四ダム・発電所資材運搬用の大町トンネルが全通。以来半世紀、限られた条件下で公共交通にも供せられていますが、それは観光用の「立山黒部アルペンルート」の一部であって、実質的な「信濃と越中を結ぶ信越ルート」ではありません。
実質的に信濃と隣り合うのは、高田平野に出る北国街道と糸魚川に出る千国街道[71541]とで結ばれた越後です。

…というわけで、「越」が意味するのは、信越・上越・羽越・磐越(すべて国鉄線名)の場合は越後。
飛越・能越の「越」は、飛騨・能登と唯一隣接する越中。そして越美・若越も同様の理由で越前。
「加越」だけは、越中・越前両方の可能性を残しますが、列車名(消滅?)以外、どの程度に使われるのでしょうか。

明治9年から14年までの間、越前国敦賀郡は滋賀県に属しており、滋賀県は日本海に面していました。
そのくらいなので、越前・近江は密接な関係にあったと思いますが、「江越」という地名は聞いたことがありません。

「江若」ならば若狭まで到達できないまま廃線になった江若鉄道がありました。現在は江若交通[72019]
「OとW」のマークを持ちながら若狭にはバス路線がないので、ここに書くのは気がひけますが、余談を一つ。
このバス会社には「途中」停留所があります。時刻表 を見ると、途中止まりのバスが何本もあります。

北陸道諸国ごとに、それに隣接する国々と、その間にある三国境を列挙します。
三国境データは、最初に整理番号KKと共に表示します。#三国は、三国コレクション の番号です。
前回[72102]はリストの中で二度三度出てきてわずらわしい感じだったので、書式を改めました。

整理番号国名#三国3県境地名
KK07羽前岩代越後#3M05飯豊山
KK11岩代上野越後M08尾瀬ヶ原
KK17上野越後信濃#46M13三国山脈白砂山
KK24越後越中信濃#4M19白馬岳の1km北
KK25越中信濃飛騨#11M21三俣蓮華岳
KK26越中能登加賀#15宝達山南東4km木窪川東岸の崖上
KK27越中加賀飛騨M20(白山の北)笈ヶ岳
KK28加賀越前飛騨M22白山三ノ峰
KK29越前飛騨美濃白山一ノ峰と銚子ヶ峰の間
KK30越前美濃近江#16M23伊吹山地三国岳
KK31越前若狭近江#18琵琶湖北方野坂山地三国山
KK32若狭近江丹波#19M24朽木村奥の三国岳[52497]
KK33若狭丹後丹波#24三国岳(舞鶴若狭自動車道の南)

若狭国 (日本海) 越前 KK31 近江 KK32 丹波 KK33 丹後
越前国 (日本海) 加賀 KK28 飛騨 KK29 美濃 KK30 近江 KK31 若狭
加賀国 (日本海) 能登 KK26 越中 KK27 飛騨 KK28 越前
能登国 (日本海) 越中 KK26 加賀
越中国 (日本海) 越後 KK24 信濃 KK25 飛騨 KK27 加賀 KK26 能登
越後国 (日本海) 羽前 KK07 岩代 KK11 上野 KK17 信濃 KK24 越中
佐渡国 (日本海) 陸上隣接国なし
[72155] 2009年 10月 8日(木)17:05:19【1】hmt さん
国の隣接関係 (6)山陰道
現在は中国地方という区分が使われているので、山陰というと鳥取・島根の2県だけのように思いがちですが、昔の山陰道は丹波国から始まる8ヶ国でした。そういえば、京都駅の次の駅がもう「丹波口」。
山陰本線が実際に丹波国に入るのは、1989年に新設されたトンネル路線の間に設けられた保津峡駅。山陰街道は、その南の老の坂峠を越えて亀岡に向かいます。

最初に、関係する三国境を列挙します。便宜上、山陰道関係だけでなく、山陽道に属する諸国の分も一括して表示します。
「三国境でない3県境」が一つだけあり、これも併記(KK63の京都府大阪府兵庫県境)。
また、丹後丹波但馬三国境だけは、この表に2ヶ所記してあります。現在は KK59 江笠山ですが、明治35年に 丹後国与謝郡雲原村が 丹波国天田郡に編入されるまでは KK60 三国山でした。 [31129] 今川焼 さん、明治35年法律第14号[59173]参照。

整理番号国名#三国3県境地名
KK32若狭近江丹波#19M24朽木村奥の三国岳[52497]
KK33若狭丹後丹波#24三国岳(舞鶴若狭自動車道の南)
KK46近江丹波山城#20朽木村奥の三国岳[61177]
KK47丹波山城摂津 #41b高槻の三国橋[67465]
KK59丹後丹波但馬江笠山【大江山の西5km】 1902年以降の三国境
KK60丹後丹波但馬#25三国山【大江山の南西7km】 1902年以前の三国境
KK61丹波但馬播磨#26三国岳【生野の北東12km】
KK62丹波摂津播磨梅木峠
KK63丹波摂津M33能勢深山

ここまでは近畿地方です。中国地方は KK64からKK75までの 12地点。
備後国の北辺に4つの三国山(KK70~KK73)が並んでいるのが目を引きます。

整理番号国名#三国3県境地名
KK64但馬播磨因幡氷ノ山の約2km南
KK65播磨因幡美作M36江浪峠
KK66播磨美作備前(吉備高原)
KK67因幡伯耆美作#30恩原高原三国山【三徳山の近く】
KK68伯耆美作備中四十曲峠の南
KK69美作備前備中#43三飛峠
KK70伯耆備中備後#32M38【道後】三国山
KK71伯耆出雲備後#31M37【比婆】三国山
KK72出雲石見備後#33【赤名】三国山
KK73石見備後安芸#34可愛川【三国山の東1.5km】
KK74石見安芸周防M39冠山
KK75石見周防長門野道山の北東3km

例により、各国ごとの右回り順で、陸上隣接国と三国境整理番号とを列挙しておきます。

丹波国 (内陸) 山城 KK47 摂津 KK62 播磨 KK61 但馬 KK59 丹後 KK33 若狭 KK32 近江 KK46
丹後国 (日本海) 若狭 KK33 丹波 KK59 但馬
但馬国 (日本海) 丹後 KK59 丹波 KK61 播磨 KK64 因幡
因幡国 (日本海) 但馬 KK64 播磨 KK65 美作 KK67 伯耆
伯耆国 (日本海) 因幡 KK67 美作 KK68 備中 KK70 備後 KK71 出雲
出雲国 (日本海) 伯耆 KK71 備後 KK72 石見 
石見国 (日本海) 出雲 KK72 備後 KK73 安芸 KK74 周防 KK75 長門
隠岐国 (日本海) 陸上隣接国なし【海上で出雲と近接】

さて、国名を並べてみると、丹前・丹後のペアでなく丹波・丹後になっているところが気になります。
吉備が備前・備中・備後に「分割」されたのと異なり、丹後は丹波から「分立」したという成立の経緯による違いでしょう。
余談ですが、防寒室内着の「丹前」は、堀丹後守屋敷前にあった遊女風呂から流行したファッションでした。

丹波・丹後を併せて称する両丹[72021]。三丹(丹波、丹後、但馬)[72036]は、丹後分立(713)よりも更に前に、但馬も丹波から分立したという関係からでしょう。会社名などに使われているようです。
この地方の道路関係では、[72035] 今川焼 さんが、摂津と丹波を結ぶ国道423号池田-亀岡間の「摂丹街道」と 丹後と但馬を結ぶ「たんたんトンネル」 とを挙げています。

[72018] かすみ さん が企業名や大会名などで何度か目にした事のあるという「若丹」。
山歩きの人たちも 「若丹国境尾根」 と使っていますが、国土地理院公認の自然地名ではないようです。

因幡になると鳥取県ですが、兵庫県但馬との間の回廊地帯には、因但県境自治体会議(コリドー21) も存在するようです。
[72010]グリグリさん には 括弧書きで 因伯牛 がありましたが、鳥取県地域づくりセンターの情報誌が 因伯人。この地域に Impact を与えることを期待しましょう。

鳥取島根県境地帯(伯耆出雲国境地帯)は、更に密接な結びつきがある地域のようです。
[72021] oki さん 雲伯方言の存在は その証拠ですが、「雲伯」は それだけではありません。
出雲の安来から 伯耆の米子にかけて産出する 砂鉄に由来する、古代からの たたら製鉄技術。
1899年に、その伝統を引き継いだ 「雲伯鉄鋼合資会社」 が設立されました。

第一次大戦後の経営危機に際して、鮎川義介 が経営者として乗り込み、工藤治人により独自の技術を開発。
昭和になると、日本刀の原料として注目されます。
その後の安来製鋼所は、戸畑鋳物に合併し、日立製作所を経て1956年に現在の日立金属になります。
なお、鮎川の経営した戸畑鋳物は、ダットサン>日産自動車を生んだ会社として、産業史に名を残しています。

山陰道内の国名組み合わせで、両丹・三丹・因但・因伯・雲伯に続くのは雲石。
雲石街道 は、出雲と石見を結ぶ山陰街道のことではなく、広島からの出雲街道と石見街道を合せたもののようです。[72018] かすみ さん

地名ではありませんが、[33984] 出石隠 さんのニックネームが、山陰道内の国名組み合わせです。
[72157] 2009年 10月 10日(土)14:33:56hmt さん
国の隣接関係 (7)山陽道
山陽道は播磨国以下の8ヶ国。
[52196] むっくん さんは、光源氏が流された「須磨」が 摂津国の最西端であり、それに隣接する「明石」が畿外の播磨国というのは、実は絶妙の場面設定であることを指摘しています。

山陽道諸国に関係する三国境に整理番号KKを付し、地名コレクションの #三国◎3県境| と対照させたリストは、便宜上 山陰道関係の分と一括して、既に[72155]で示しました。

例により、各国ごとに陸上隣接国(右回り順)と三国境を洗い出してみます。

播磨国 (瀬戸内海) 備前 KK66 美作 KK65 因幡 KK64 但馬 KK61 丹波 KK62 摂津(大阪湾)
美作国 (内陸)   備前 KK69 備中 KK68 伯耆 KK67 因幡 KK65 播磨 KK66
備前国 (瀬戸内海) 備中 KK69 美作 KK66 播磨
備中国 (瀬戸内海) 備後 KK70 伯耆 KK68 美作 KK69 備前
備後国 (瀬戸内海) 安芸 KK73 石見 KK72 出雲 KK71 伯耆 KK70 備中
安芸国 (瀬戸内海) 周防 KK74 石見 KK73 備後
周防国 (瀬戸内海) 長門 KK75 石見 KK74 安芸
長門国 (日本海)  石見 KK75 周防(瀬戸内海)

国名略称「備」について、分かれる以前の「吉備」と考えた方が自然ではないかというご意見[72022]88さん もありました。
しかし、大和政権が強大な吉備国を分割したのは7世紀と古いことです。「備讃瀬戸」は備前だけでなく、備中の海も含み、その両方を意識したものであっても、西は備後を含む古代の吉備国にまで遡るものではないでしょう。
なお、古事記の時代の 古代吉備東縁は加古川 だったというから、その勢力は播磨にまで及んでいたわけです。
吉備国が備前・備中・備後に「分割」された後、更に備前から美作が分立し、現代では、備作山地県立自然公園[72021] という使い方も現れています。

[72024] oki さん
現代の感覚では、「両備」というと岡山県内の備前・備中の意味で、広島県に属する備後とは少し距離があるのでは

Wikipediaには(初代)両備バスの商号は、出資者である西大寺鉄道(備前)と下津井電鉄(備中)とに由来すると記してありました。しかし、下津井は備前国ですよね。バス事業の展開地域は、もちろん備前と備中とを主力としていると思いますが。

もう一つの有名な会社は「RYOBI」。社名の由来 によると、創業地は備後府中。備後と備中と合わせて「両備」と呼ばれていた地域の呼び名を社名に採用(三菱電機との取り引きにちなみ「菱備」と表記)。こちらのリョービは備後・備中でした。

その他にも、国名組み合わせとして既出の事例は、例により交通関係に多く見ることができます。
[72010]防長バスは、周防の徳山を本拠地とし、長門の萩にもバス路線。
[72026]防石鉄道は、三田尻(防府)から佐波川を少し遡っただけで、石見の津和野・益田には到底届かない状態で1964年廃線。
姫路岡山間の[72016]播備ライナーは、短期間で消滅。

中国山地に分け入る鉄道では、播但線、因美線、伯備線、芸備線と、国名組み合わせが並んでいます。
この中で、1972年の新幹線岡山開業のチャンスをとらえ、一躍ローカル線から山陰連絡の幹線に変貌した伯備線が出世頭。
加古川線の前身の[72015]播丹鉄道(1943年 戦時買収)。丹波は、福知山線と連絡する谷川駅付近だけで、駅前タクシーが播丹交通[72035]

かつての雲芸線[72035] 今川焼 さん。隣接していない出雲と安芸とを組み合わせた「雲芸」は、異色の存在でしょう。

もともと木次線未開通の時代からの、広島・出雲今市間 陰陽連絡ルートですから「雲芸線」の名は理解することができますが、三次までは鉄道(芸備線)、バス路線は備後の三次から先ということで、安芸国を通らない国鉄バス雲芸線としてスタートしました。

時刻表昭和27年12月号[51787]を見ると、備後十日市(2年後、三次市 誕生後に三次駅と改称)24:00発、出雲今市05:20着という急行夜行便があります。直線距離60数km、山道であることを考慮しても、中国地方の半分を横断するのに夜行バスとは、現在では想像もつきません。
この時刻表では、既に三次広島間の雲芸南線もあります。1964年以降道路事情が改善され、特急バスによる雲芸短絡の直通線として機能した時代もありました。現状は雲芸とは名ばかりの広島近郊区間のみ[72035]

山陽道関係で特徴的なのは、海を隔てた国の組み合わせが使われることです。さすが瀬戸内海。
[72010] 備讃瀬戸・備讃諸島・芸予諸島・防予諸島。[72020] 芸予地震
[72189] 2009年 10月 15日(木)14:19:07【1】hmt さん
国の隣接関係 (8)南海道
現在の和歌山県と三重県とにまたがる広大な牟婁郡。「熊野」の名でも知られるこの地域は、古くからの聖地であり、修験道など独自の文化が育まれた地域でしたが、人口の少ない辺境であったために、中央政府から独立の国として認定されることなく、紀伊国の一部として扱われました。

「南海道」6ヶ国とは、その熊野を含む紀伊国、その名も阿波国への道すがらである淡路国、そして四国4ヶ国。
都道府県や8地方区分に慣れた現代人にとっては、奇妙に感じられる古代の地域区分です。
南海道は6ヶ国しかないのに、合計7県もの地域に及び、しかも8地方区分では、中部1県・近畿2県・四国4県に分散。

最初に、関係する三国境を列挙します。…と言っても、紀伊関係が3地点で、四国は2地点しかありません。
三国境でない三重奈良和歌山3県境が、北山川の瀞峡に5地点(KK53~KK57)あり、これも併せて記します。

整理番号国名#三国3県境地名
KK51河内和泉紀伊#28和泉山脈三国山
KK52河内大和紀伊M35行者杉峠
KK53大和紀伊M32瀞峡【旧紀和町百夜月(訂正あり[72196])】
KK54大和紀伊飛び地瀞峡【嶋津】
KK55大和紀伊飛び地瀞峡【玉置口】
KK56大和紀伊飛び地瀞峡【北山村小松】
KK57大和紀伊飛び地瀞峡【北山村七色】
KK58伊勢大和紀伊大台ヶ原堂倉山
KK76阿波讃岐伊予M40曼陀峠の0.7km西
KK77阿波伊予土佐#35M41三傍示山

例により、国ごとの陸上隣接国と三国境のリスト

紀伊国 (大阪湾) 和泉 KK51 河内 KK52 大和 KK58 伊勢(太平洋)
淡路国 (大阪湾) 陸上隣接国なし(瀬戸内海)
阿波国 (太平洋) 土佐 KK77 伊予 KK76 讃岐(瀬戸内海)
讃岐国 (瀬戸内海)阿波 KK76 伊予
伊予国 (瀬戸内海)讃岐 KK76 阿波 KK77 土佐(太平洋)
土佐国 (太平洋) 伊予 KK77 阿波

[72159] オーナー グリグリさんの国名の組み合わせリストによると、自治体名では★三重県度会郡 紀勢町。文字通り、紀伊国錦町と伊勢国柏崎村の合併で成立。1957~2005年の約半世紀存続。
三重県には、ほぼ同じ頃に南牟婁郡紀和町も存在しました。例の瀞峡飛び地地帯[68737]ですが、北山川で大和国吉野郡十津川村に隣接しており、奈良の大仏のための銅を採掘したという歴史のある紀和鉱山[72115]の所在地でもありましたから、紀伊・大和に由来するのかもしれません。

自然地名に移ると、最初に紀淡海峡。「南海道」という見方からすると、紀伊・淡路の2国がリンクしているのは納得できます。
淡路を経ないで紀伊・阿波を直接にリンクしてもよさそうですが、「紀阿」という用法は見当らず、紀伊水道。この紀伊水道で和歌山と小松島とを結ぶ南海汽船は、かつては大阪から四国へのメインルートの一つでしたが、本四架橋には到底かなわず、敗退。

紀淡海峡の他にも、備讃瀬戸・備讃諸島・芸予諸島・防予諸島・豊予海峡と 海を隔てた国名の組み合わせが目立ちます。

山では、金剛生駒紀泉国定公園・阿讃山脈・阿土山地とありました。
国土地理院は、地勢図に讃岐山脈と記しています。これを徳島県で阿讃山脈と呼ぶのはともかく、香川県立三本松高校の校歌にまで“阿讃の連峰”とあるとは。[72014] 白桃 さん

定番の鉄道関係は、紀勢本線・予讃線・土讃線・予土線・阿佐海岸鉄道。
それに加えて★紀和鉄道と紀和駅とがあります。
19世紀末に紀伊と大和とを結んだ和歌山-五条間の鉄道が紀和鉄道を名乗ったのは当然ですが、1968年に和歌山駅の改名によって生まれた「紀和駅」の由来がよくわかりません。

この駅が旧紀和鉄道のターミナルとして開業したのは事実ですが、それは1898年から5年間だけのこと。
1903年には南海鉄道和歌山市駅の開設と共に連絡線が作られて、ターミナルでなくなります[61246]。そして翌1904年には関西鉄道になって、「紀和」という会社名も消えます。

それから 64年後の 1968年。東和歌山駅が和歌山駅を名乗るに先立って、旧和歌山駅を紀和駅に改名したわけですが、日露戦争前という大昔の私鉄の名が、いまさら国鉄の駅名に復活というのは、どうも納得できません。
紀伊と和歌山の合成[72015] 又は紀州和歌山の短縮 という説も考えられますが、その根拠もわからず、謎に包まれた「紀和駅」です。

土讃線の終点は土佐の窪川。全線開通は戦後の1951年ですが、大正時代に須崎までできていた高知線が、瀬戸内海側(讃岐鉄道[61226] として開業した丸亀琴平間は 1889年という古さ)と1935年につながった時に、讃岐の多度津を起点とする土讃線の名がつきました。

[72014] 白桃 さん
讃岐と土佐は接していないのに土讃本線という名称のせいか、接しているようによく誤解されます。

日本国有鉄道線路名称の「本線」は、グループの親分でした。ところが、土讃線には長いこと子分がいなくて、一家を構えることができませんでした。ようやく支線の中村線を従えた「土讃本線」を名乗ることができたのは 1963年でした。

ところが、その中村線は国鉄末期に第3次廃止対象線になり、民営化1年後の 1988年4月から三セクに転換。またもや子分のなくなった土讃本線ですが、今度はJR四国が「本線」という呼称自体を廃止して、土讃線に戻りました(1988/6/1)。

土讃線が土佐から讃岐に出る前に経由するのは阿波。
中央構造線の南側に続く四国山地。土讃線は吉野川の流れに沿ってここを越えます。大歩危・小歩危・支流の祖谷川あたりの地図を見ているうちに、足を踏み入れたことのない四国の内陸部に行ってみたくなり、岡山オフ会の前日に宿泊を予約してしまいました。
[72196] 2009年 10月 15日(木)23:41:14【1】hmt さん
国の隣接関係 (8.1)百夜月 と 紀和鉱山
[72190] むっくん さん
熊野の説話によりますと、百夜月は“対岸の和歌山県から渡し船で渡るしか行く方法がないという陸の孤島のような集落”

3県境M32 にリンクされていた地図を拡大して見出した和歌山県側のバス停・百夜月を記したのですが、三重県側の旧南牟婁郡紀和町の地名だったのですね。ご指摘に従い修正しておきます。

リンクしていただいた地名の由来により、下流の花井(けい)と対岸の九重(くじゅう)、そして上流の竹筒(たけと)【ここは両岸が奈良県吉野郡十津川村】が、百夜月(ももよづき)と関連する地名であることも知りました。
熊野の説話 がたくさん紹介されており、参考になりそうです。

[72189]の整理番号 KK53 百夜月 から北山川を遡ると、KK54 で右岸は奈良県の竹筒から和歌山県の嶋津へ。左岸は三重県になります。現在は熊野市紀和町になっているこの地帯が紀州鉱山の跡地です。

楊枝川と北山川との間の鉱山で掘り出された鉱石は、トロッコで板屋の選鉱場に運ばれました。[72115] リトルさん が紹介された 紀和鉱山の坑道バッテリーカー はその路線の一部で、紀州鉱山軌道路線図 に「営業線」と記されています。
1978年閉山とのことですが、現在でも石原鉱産の事業所があるのですね。

紀州鉱山とはこの辺一帯にあった三和鉱山や大谷山銅山、楊枝山銅山など数々の中小鉱山の総称である。
と書いてある 資料 もありました。鉱山跡の写真があります。
紀和鉱山の「和」は大和ではなく、三和鉱山かもしれません。紀和町と紀和鉱山とどちらが先か?

【追記】
[72190] むっくん さん
天保国絵図・紀伊国の牟婁郡の所では、(中略)石夜河村との記載があります。

「百夜月村との記載」ですね。「百」という字が「石」のようにも見えますが、西側の“九重村高百七拾七石余”にも使われている同じ字ですから「百」でしょう。

この国絵図では、北山川の中断により大和国に属する袋地(竹筒)の存在が際立っています。
紀伊大和国境は、川筋よりもむしろ尾根筋です。それ故に現在の北山村などの地域は紀伊国であり、明治になってからの線引き(河口=新宮に至る川筋の左岸を三重県とする)との間で、和歌山県飛び地として残ったのでした。
[72220] 2009年 10月 20日(火)22:08:49hmt さん
国の隣接関係 (9)西海道
国名組み合わせ地名[72010] [72159]に、地名コレクションに登場する三国や3県境をからめて[72037]から始めたシリーズですが、南海道[72189][72196]に続いて、ようやく五畿七道の最後の 西海道 まで来ました。
西海道は壱岐・対馬を加えた11ヶ国ですが、隣接に関係するのは、その名も「九州」と呼ばれる9ヶ国。

最初に九州の三国境を列挙。

整理番号国名#三国3県境地名
KK78筑前筑後肥前#44基山PA東
KK79筑前豊前豊後英彦山の南西4km
KK80筑前筑後豊後筑後川夜明ダム手前
KK81筑後肥後豊後#36M42筑肥山地三国山
KK82肥後豊後日向M43国観峠の西1km
KK83肥後日向薩摩M44球磨川の支流桑木津留川水面【矢岳駅の西5km】
KK84日向大隅薩摩黒園山【KK83の南5km】

西海道11ヶ国の陸上隣接国(右回り順)と三国境のリスト。

筑前国 (日本海) 豊前 KK79 豊後 KK80 筑後 KK78 肥前
筑後国 (有明海) 肥前 KK78 筑前 KK80 豊後 KK81 肥後
豊前国 (瀬戸内海)豊後 KK79 筑前(日本海)
豊後国 (瀬戸内海)日向 KK82 肥後 KK81 筑後KK80 筑前 KK79 豊前
肥前国 (日本海) 筑前 KK78 筑後(有明海)
肥後国 (有明海) 筑後 KK81 豊後 KK82 日向 KK83 薩摩(八代海)
日向国 (太平洋) 大隅 KK84 薩摩 KK83 肥後 KK82 豊後
大隅国 (鹿児島湾)薩摩 KK84 日向
薩摩国 (八代海) 肥後 KK83 日向 KK84 大隅(鹿児島湾)
壱岐国 (日本海) 陸上隣接なし(東シナ海)
対馬国 (日本海) 陸上隣接なし(東シナ海)

[1019] Issie さん のとおり、国名組み合わせに使われる国の略称は、原則として上下前後への分割にかかわらず共通(例外は上州・野州)ですから、筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後と6ヶ国あっても、その組み合わせは、筑豊 筑肥 豊肥の3種類だけです。

鉄道では 筑豊 筑肥 豊肥 すべての使用例がありますが、鉄道以外の分野でもよく使われている地名といえば「筑豊」です。
落書き帳で「筑豊」を検索してみると、鉄道関係での使用例が多いのは当然ですが、意外にも初期に多数を占めたのが自動車のナンバープレートでした。

いわゆる ご当地ナンバー制度 の実施は、3年前の 2006年10月でしたが、筑豊ナンバーは、それよりもずっと前の 1985年[8368]に導入されました。[9586]せか さん によると、新設理由は分類番号「51~59」のオーバーフロー対策による分割。
嘉穂郡庄内町(現・飯塚市)に作られた自動車検査登録事務所の名称が「筑豊」[9258]となっているのは、ナンバープレートに使われる事務所名として、「筑豊」のネームバリューが考慮されたものでしょう。
しかし、登録台数[3542] [9182]を見ると、「湘南」には遠く及ばないようです。

ナンバープレート・鉄道・気象区分[57206]などを除き、地理のテーマとして取り上げられた 筑豊の記事 を紹介しておきます。

[72044] 有明つばめ さん
筑豊本線や筑豊電気鉄道は旧筑前国のみで旧豊前国を通っていませんし、肥薩線は旧薩摩国を通っていません

肥薩線は、現在でこそ大隅国の隼人が終点ですが、1927-1932年は八代・鹿児島間でした。もっと遡ると鹿児島本線。
筑豊線も、本線こそ豊前に通じていませんが、グループとしては後藤寺線、そして、かつての伊田線(現在の平成筑豊鉄道)など、豊前の田川地方にも及ぶ路線でした。
もっとも、福岡県内陸部の炭田地帯として人口に膾炙した「筑豊」という地名は、国名組み合わせの域を脱しており、国境を越えない筑豊本線の名にも、抵抗感はないように思われます。

[72047] Issie さんによると、飯塚と田川との間の分水嶺の存在にもかかわらず、両国をまとめて「筑豊」たらしめていたのは、ひとえに“大炭田地帯”の存在と、各炭鉱から積み出し港の若松に集約するように引かれた鉄道網の賜物。

分水嶺と言っても、交通を著しく遮断するほどではないためか、「筑豊盆地」という言葉も存在します。使用例
もっとも、[25649] らるふ さんには、“ん~よくわからない。”と言われ、盆地コレクションには集録してもらえません。

「筑豊」と言えば「炭田」という結びつきが強烈なためか、同じく筑前と豊前とにまたがる地域ですが、臨海部の工業地帯には「北九州」という別の呼称が、北九州市発足 よりもずっと前から定着していました。
このあたりも、「筑豊」という地名が、単なる国名組み合わせの域を脱している証拠だと思います。

「筑豊」も「北九州」も、明治になってから「福岡県」に形成された 新たな経済地域 から生まれた地名です[62889]
「筑豊」は、福岡・筑後・北九州と並んで、福岡県の4地域 の一つとして、公式に使われています。

「筑肥」となると、筑肥線の使用例が圧倒的。あとは筑肥山地[53457] [72044]しか出ていません。
言語学には「肥筑方言」というのがあるのですね。なぜか筑と肥の順序が逆転。

ここで、「筑豊」が京都に近い順でないことに気がつきました。今まで疑問に感じていなかったのは不思議。
九州や福岡県の中心地は、大宰府や福岡県庁のある筑前国であり、こちらを先にしたものと理解しておきます。

同様に、大分県の地方組織として 6振興局 がありますが、その中に 「豊肥振興局」 【黄色地に白文字は読みにくい】があります。
その管轄は竹田市と豊後大野市。もちろん両市共に豊後国。肥後に近い地域だから「豊肥」なのでしょうか?

「日豊」も日豊本線の使用例が多いが、会社名の「日豊」もあります。国名由来でないケースも多そうです。
豊日方言。日豊本線が強烈な先入観念になっており、つい逆順かと思ってしまいました。
しかし、大宰府基準でも京都基準でも、豊日が正順であり、逆順なのは日豊であると思われます。
あと、九州の代表的な方言として薩隅方言。

[25166] ペーロケさん
九州では「両豊」「両筑」「両肥」なんて言い方あまりしないのですかねえ。

1912年に田主丸(筑後)・甘木(筑前)間を開業した両筑軌道がありました。翌年、秋月まで延長。1938年廃止。


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