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[89356] 2015年 12月 27日(日)23:29:15hmt さん
海を隔てた自治体の隣接? 橋梁隣接と送電線隣接
削除した[89350]で筆が及んでいた 橋梁隣接と送電線隣接を [89353]から分割しました。

橋梁による隣接事例は、海底トンネルより数多く存在します。
固定資産税の課税区分という観点ならば、海底トンネルと同じように考えてよさそうですが、青函トンネルの事例で使われた「◯◯に係る未所属地域」と同様に「地域」と言えるかどうか。
橋は「大地」と離れて架けられているので、そもそも地方自治法第七条の二の対象外という気がします。

[66799]を見ていたら、海を隔てた自治体を隣接させる可能性のある固定構造物は、海底トンネル・橋梁以外にもまだまだありそうだと思われました。

その一例として、送電線による隣接の可能性を挙げておきます。
香川県に属していながら 中国電力からの送電を受ける 小豆島[63537]
地理院地図で送電線をたどると、島伝いの海底ケーブルにより本州から送電されている模様です。
送電線が県境を越える箇所は石島/井島です。これは、もちろん 市町村隣接関係一覧に離島隣接として収録済みです。
その先は、直島町井島と土庄町豊島(てしま)との間が海底ケーブル送電線により隣接しているようです。
送電ケーブルが着地している「海底」は、固定資産税の課税境界となる「地域」と言えるかもしれません。

香川郡直島町 の電力も、中国電力から供給されています。
玉野市と直島町とを隔てる海面に設けられているのは 架空送電線のようです。
これは橋梁にも増して「地についていない」存在ですから、「未所属地域」を編入して隣接する対象にはなり得ないでしょう。

瀬戸内海をずっと西に行くと燧灘にある四阪島[83592]。ここは元々5つの無人島の総称で、別子銅山で産出された銅鉱石を原料とする製錬所で知られていました。
所属する自治体は 2005年に越智郡宮窪町から今治市になりました。
新居浜-四阪島間 約20kmの海底送電線は1922年に敷設され、製錬所の動力が電化されたとのことです。出典
銅精錬所は1976年に閉鎖されましたが、無人島ながら 現在も亜鉛回収工場が稼働しており、住友共同電力の海底送電線は使われていると思われます。
従って、新居浜市と今治市とが この送電線が着地している海底で隣接する可能性があります。
[89353] 2015年 12月 27日(日)16:20:26【1】hmt さん
海を隔てた自治体の隣接 固定資産課税の境界点かと思ったが…
昨日投稿した[89350]を修正した結果、要旨が変ってしまいました。前報を削除し、別記事とします。

自治省昭和63年告示23号「青函ずい道に係る未所属地域を市町村の区域に編入する処分」が[63789]で紹介されている。このことを、[89330] k-aceさん の記事で知りました。
私はこの告示を [66057]で知り、hmtマガジン 自治体の海上境界 にも収録していました。
しかし、88さんの記事よりも半年前に 花笠カセ鳥さんの記事があったのですね。
この機会に マガジンに補足し、併せて青函トンネルによる隣接対象について言及のあった[63778]も加えておきました。

2008年に告示全文の紹介があったことはさておき、この処分があったという事実について最初に触れたのは 更に前、2005年の記事でした。
[46750] LFB さん
固定資産税の課税のため、海底部については昭和63年2月16日の閣議決定で北海道松前郡福島町、青森県東津軽郡三厩村(当時)にそれぞれ編入されたとのことです。

私がここで注目したのは、「固定資産税の課税のため」という目的が記されていることでした。
この編入処分が行なわれ、「津軽海峡を隔てた自治体の隣接」が現実になったのは、その結果だったのです。

なるほど、自治体の区域[66802]が存在するのは、本来は住民の居る陸部【付属する陸水部を含む】のはずである。
それを海の下で「隣接」させることになったのは、税収の確保という無視できない動機があったからか。
最初はそのような理解で納得しました。

この境界点。実は普通の海ではありません。津軽海峡における領海の範囲は「基線から12海里」という原則よりも狭い3海里。
トンネル内に境界点が存在する場所の真上の海面は、どこの国の船も自由に航行できる「公海」なのです。
平たく言えば「日本ではない!」。
青函トンネル開通直前。
このタイミングを利用して、公海の下にある日本領土の存在を世界に知らしめた知恵者がいたのか?

青函トンネル内の土地編入により増加した面積はどれだけだったのか?
その確認を試みたのですが、昭和63年面積調に前年との比較がなく 不成功でした。
青函が駄目ならば、1997年12月開通の東京湾アクアライン。
このルートの 海ほたる-風の塔間のトンネル内。ここに 課税区分となる自治体境界が設けられているだろう。木更津市の面積変化を調べれば、海ほたるやトンネル内の土地を編入した面積が判明するはず。

しかし、木更津人工島の面積6haとあるが、着工した1989年以降の木更津市面積を調べても、0.06km2以上の面積増加は記録されていませんでした。

海ほたるの住所は「木更津市中島地先」です[46757]。独立した町名が付与されていません。
どうやら、海の頃から事実上木更津市に付属する領域と認識されているようです。
正式の編入手続きのないままになっているが、人工島を木更津市扱いすることに異論をはさむ者はいない。
川崎人工島【風の塔】についても事情は同じであり、両人工島の間のトンネルの固定資産税も山分けで異論なし。
アクアラインの他にも、東京ガス【江東区-袖ケ浦市】と東京電力【川崎市-富津市】の東京湾横断海底トンネルがあります[66799]。こちらにも、海底の自治体隣接が隠れている可能性があるのですが、木更津人工島さえも記録されていないとなると、関係自治体の面積を調べる気にもなりません。

要するに、ほとんどの問題は「地先の海」[66853] という便利な言葉を使えば解決できる。
青函トンネルの自治体隣接事例は「公海の下の日本領土」という極めて特殊なケースの例外だったのではないか。

そこで、もう一度自治省告示S63-23[66057]を読み返すと、「地方自治法第七条の二第一項の規定により」と書いてあります。
この条項によれば 「法定外での編入必要性があると認めて内閣が定めた場合」であり、やはり例外的な特殊ケースのようです。
固定資産税の課税境界というような一般的な目的ならば その目的で法定すればよく、この条項は異例です。

既にちょっと触れましたが、自治省告示S63-23の意味とするところは、
公海の下の部分があるが「青函トンネル内は すべて わが国の領土である」。
国内向けの姿をした告示ながら、実は世界に向けて このことを発信することが 目的だったのではないでしょうか。

青函トンネルと一見すると類似するような「海を隔てた自治体の固定構造物による隣接事例」は他にもある。
しかし、特殊ケースだからこそ 青函トンネル内地域の編入 が告示された。
一般の海底トンネルや海上架橋による隣接事例についての告示が 発見されていないのは 当然のことである。
これが 私の到達した結論でした。
[89349] 2015年 12月 26日(土)14:48:01【1】hmt さん
筑後川のデ・レーケ導流堤
[89344] 有明つばめ さん
疑問に答えていただき、有り難うございます。

明治政府が招いた御雇外国人土木技術者 デ・レーケは 30年も日本に滞在して、各地の河川改修・築港などで多くの成果を残しました。農林水産省
木曽三川分流工事・淀川水系の改修などで落書き帳過去記事にも記録されています。
記事には記されておりませんが、立山砂防 に関連する常願寺川の治水も 彼の計画が発端でした。
そして、筑後川でも 導流堤に名を残していました。

有明海沿岸道路の筑後川架橋の際、一部が解体される
工事中の道路は、地形図中央のジャンクション予定地から西に進み、筑後川西岸の大野島にICを作る計画ということですね。
[89321] 2015年 12月 21日(月)18:40:49hmt さん
筑後川河口部の隣接関係
[89318] デスクトップ鉄 さん
柳川市・佐賀市のように、河川をはさんで対面しているが、架橋がないのは隣接関係がないのでしょうか。

境界線がmapionには記載されていませんが、地理院地図では 河口まで描かれています。
ちょっと気になるのが大川市大野島の東にある実線です。
佐賀市大詫間の東にある県境線と重なっていますが、何を示す線なのでしょう?

筑後川河口部の中洲【佐賀市大詫間】は16世紀頃には存在し、所属争いはありながらも 筑後国(柳川藩)と肥前国(佐賀藩)との国境としての実績があり、隣接関係は 現在の境界に引き継がれているようです。
[79662]では、元々は別々の中洲であった 大野島(福岡県)と大詫間(佐賀県)が、砂の堆積により陸続きになったことに言及しています。
[89272] 2015年 12月 11日(金)19:56:26hmt さん
Re:未確定
[89270] グリグリ さん
#15図以上の縮尺では、境界線が道路に架かる場合は道路の下に隠れるように描かれるのがルールのようです。

これは知りませんでした。
なるほど、境界線は水路や道路のような地物に沿って定められている場合も多く、図化に当っては 処理するルールが必要なのですね。

少し前のページのようですが、地図記号を表示する位置の 優先順位 に触れた解説がありました。
長文ですが引用しておきます。
これらの対象物は、真位置に表示するのが原則ですが、道路と鉄道、河川などが接近して存在し表示すると記号が重なってしまう場合は、少しずらして表示します。それを転位といいますが、双方ずらして表示するのではなく、どちらを真位置に表示し片方をずらして表示するよう優先順位が決められています。
平成14年式図式では、電子基準点・三角点>海岸線、一条河川>道路>鉄道>二条河川・がけ等自然物>建物・構造物等の人工物>植生>行政界・注記等の無形物の順と定められています。
道路と鉄道の場合は、道路を真位置に、鉄道を転位して表示することとなっています。

行政界は最低順位なのですね。
「境界線優先」で描かれているように思われるmapionに対して 地理院地図では「地物優先」。
#15図以上の大縮尺図では 境界線の位置をずらすどころか 道路の下に隠れてしまうとは驚き。

地理院地図【#15図 #16図 #17図】における 谷中湖堤防以南の栃木・群馬県境のまとめ

境界が見えない部分があるが、その理由は描画優先順位の関係であり、境界未確定ではない。
mapionに記された県境線を参照して、#17図で示す。
谷中湖堤防から栃木市藤岡町下宮集落付近までは、道路の下に隠れている。
下宮集落付近よりも南では、渡良瀬川旧河道の名残である小水路【mapionは無視】の下に隠れている。

県境線が水路の下に隠れているので、終点の三県境位置が示されていないが、小水路合流点付近【図の中心十字線】と思われる。
小水路合流点より数十m南に描かれている埼玉県境線の位置には 疑問がある[89267]
[89267] 2015年 12月 10日(木)21:08:27【1】hmt さん
久しぶりの渡良瀬川旧河道3県境
筑波山オフ会2010の翌日 17人で訪問し、hmtマガジンも編集した栃木・群馬・埼玉3県境が久しぶりに話題になりました。情報源は読売で、次のように記されています。
“境界点”を確定させるため、県境に接する3市町村が年明けにも測量調査に乗り出す。

さて、“境界点”を測量によって確定させることができるのか? また、その目的は?
私たちは野次馬ですから、落書き帳で議論すること自体が楽しみでした。
しかし、公費による測量事業実施となると、期待される経済効果を含めた、それなりの理由が存在するのでしょう。

それはさておき、3県境を話題にする以上は、ここを地図で再確認しておくことから始めましょう。

2010年当時に比べて最大の違いは地理院地図の登場です。
2万5000図に対応する #14図 を見ると、以前と同じような3県境が描かれています。
ところが、これを拡大して #15図にすると、栃木・群馬県境線の一部が消えてしまい、#16図 #17図 でも同様です。#18図には県境線がありません。

mapionで見ると、栃木市藤岡町下宮の集落付近で 県境線が 道沿いから【描かれていない】水路沿いに移行している箇所がありますが、このあたりの県境が不明確なのかもしれません。
[89266] グリグリ さんは、面積調の境界未定地域に記されていないことから 否定的な見方ですが、地理院地図に境界線が記されていないことは、「未確定」[89264]の可能性があるのかもしれません。

[89266] グリグリ さん
ゼンリン地図では公図などを実際に確認して境界線をプロットしたのではないかと思います。

葛城山の事例のような山間部はともかく、住宅地図については 私もゼンリンの調査を信頼しており、このご意見には、私も同じような感を抱きました。
mapionで 加須市小野袋943 という番地を調べると、3県境に最も近い家が出ます。
3県境探訪ルート写真集 10番で 写真の下に隠れている家です。
この家を含む数軒が群馬県側になっている地理院地図の県境線は、南に寄り過ぎていると思われます。
Google mapでは、この部分の県境線がありません。やはり怪しいと思われているのでしょうか。

3市町村が年明けにも測量調査に乗り出すとのニュース。
群馬県によって建てられた標石の由来なども、自治体が調査に乗り出すことで 解明されるかもしれません。
合流点 の近くにある「基点」標石。これが本当に 「鶴の嘴の先端」 を示すものなのか?
調査の成果に注目したいと思います。
[89261] 2015年 12月 9日(水)14:27:31hmt さん
日本一の私道
[89245] YASU さん
【オフ会の】直前になって(中略)急遽参加しました。(中略)
こちらの目玉は日本一の私道(延長31.9km)の走行でした。
宇部興産専用道路については、10年以上前に[28586]を書いたことがありますが、観光バスツアーが開催されている とは知りませんでした。
なるほどオフ会前日ですが、なかなか体験できない貴重な機会を活かすことができてよかったですね。

落書き帳を検索したら、2002年に [6613] TN さん の記事がありましたが、リンク切れでした。
[28613] まるちゃんさんによると、以前は許可証を出して通勤に使われたこともあるが、普通車は原則通行不可になったとのこと。

検証:近未来交通地図によると、産業観光ツアーは 2008年7月から本格実施されたとのことです。
参考までに別のサイトにより、道路と車両の情報を加えておきます。距離が違うのは西沖の山起点となっているためで、専用道路は その先 海上架橋の興産大橋を経て 沖の山地区に通じています。沖の山地区の専用道路には、一般道路と交差する「線路のない踏切」があるそうです。
[89260] 2015年 12月 8日(火)18:24:53【1】hmt さん
あいの風
氷見オフ会については 事前記事[88176]の後、およその旅程に沿って高岡[89247]、氷見[89248]、新湊[89249]をテーマにした記事を並べました。
今回も他のメンバーの行動に便乗しながら動いています。22日はJOUTOU号に同乗[89157]
23日の氷見漁港-富山新港間はEMM号、その前後はラガー号に乗せていただきました。
[89148]で海王丸パークでの昼食後拉致された人質(笑)は3名で、hmtは YASUさんと共に 高岡駅で開放されました。
[89249]の訂正です。越ノ潟の渡船の乗客になったのは グリグリさん1人 という推測は違っていました。
熊五郎さん[72972]は、 富山ライトレール、バス、県営渡船、万葉線の乗り継ぎで 高岡入りをしたとのこと。[ML00088]

それはさておき、ラガー号で高岡駅まで送っていただいたので、帰路の新幹線までに余裕時間ができました。
高岡には 重要伝統的建造物群保存地区に選定されている 山町筋 と 金屋町 とがあります。私の好みからすれば、高岡の町を散策しながらそこまで行くのが筋でしょう。
そう思いながらも 体力不足で実現できませんでした。

高岡市立博物館常設展だけでも覗いておけば よかったのかもしれませんが、それも実行せずに 高岡駅から乗車して富山駅に向かったのが 「あいの風とやま鉄道」です。

JR北陸本線の富山県内区間が、北陸新幹線の 並行在来線として分離され、富山県、市町村、経済団体が出資する第三セクターで運営されることになったのは、ご承知の通りです。

「あいの風とやま鉄道」の路線図を[87384]で追記した際に、区間の表示が境界駅に及んでいないことに疑問を投げかけました。
しかし、よく見るとそこでリンクしたのは運賃表示目的の路線図であり、会社情報>路線についてでは別の図が示され、管理駅数19駅(石動駅~越中宮崎駅)と表示されていました。この表示ならば妥当です。

実は「あいの風」という言葉も知らなかったのですが、社名の由来に説明がありました。
「あいの風」とは、春から夏にかけて吹く北東のさわやかな風で、古く万葉集の時代から豊作、豊漁等「幸せを運ぶ風」として県民に親しまれています。

局地風を指す言葉と解ったので調べてみたら、だんな さん の記事 があり、落書き帳アーカイブズに収録されていました。おなじみ、大伴家持の作品で、「東風」に万葉仮名の注釈を付けて「あゆのかぜ」と読ませています。高岡市万葉歴史館

さわやかな風というよりも、日本海を吹く激しい風のようですね。
家持の歌にも「いたく吹くらし」とあります。
菅原道真の「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花」は「こち」と読み、春の到来を告げる風ですが、「あいの風」は夏の季語になっており、東風と言っても別のようです。

いしかり市民カレッジ講座13によると、「あい風」は 北海道から山陰まで日本海の各地にある局地風です。
海陸の温度差が原因になって発生する海陸風である「あい風」の風向は、地域により 北、北東、東と違います。しかし、西廻り航路の上り【上方行き】船にとって順風であることは共通するようです。
なお、下り船は対馬海流によって蝦夷地に向うことができます。

北前船の時代は終わりましたが、「あいの風」は、氷見の漁業にとって、現在でもブリなどの豊漁をもたらす恵みの風なのでしょう。
[89254] 2015年 12月 6日(日)12:28:13【1】hmt さん
★祝★ 役チャン さん 「公共交通機関による役場巡り」目標達成
10年以上前、[42077] 2005年6月8日 役チャン さん の記事です。
私は「公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」を行っています。
対象を平成の合併前の市町村+東京23区の3259としており(中略)
役所・役場めぐりについては100%達成を目指し今後とも進めて行くつもりです。

朝日新聞2015/11/30夕刊で 大目標を達成されたことを知りました。おめでとうございます。
大合併前の役所役場 3259カ所訪問 公共交通機関使い、29年かけ

電子版では省略されている部分があり、以下の引用部分は紙面に基づくものです。

>合併前の東京23区、671市、1990町、575村をすべて回ると決めた。

671市、1990町との記載から、基準時点が 1999年4月 篠山市合併 の後であることがわかります。
ひとつ解せないのが 575村でした。総務省資料 に示されているように、当時は568村だった筈です。【訪問不可能であり、地方自治法の対象外である北方6村を除外した数字】

それはさておき、旅を始めてから29年、目標設定から23年での成果に拍手。

>1年間に100カ所程度のペースだったが、退職翌年の05年は最多の331カ所を訪れた。

最初に引用した落書き帳デビュー記事は この頃だったのですね。

続いて、「公共交通機関では行けない役場」と題した、難件の岡山県旧中和村の事例紹介[42127]
3件目の[42478]で、著書『地理が面白い』のご紹介がありました。そのうちに続編が出るのでしょうか。

>最後の訪問は今年9月。船で片道26時間かけた東京都小笠原村だった。

役場巡りの仕上げは 飛び切りの舞台でしたね。
『時刻表2万キロ』の宮脇さん[88851]は、国鉄全線完乗の最後になった足尾線の冒頭で、もう少し情緒のある線区にならなかったことを悔いていました。

hmtとして印象に残っている記事は、[57874]で紹介いただいた和歌山県湯浅町の望楼を備えた庁舎です。
「稲むらの火」 [36355]で知られる安政南海地震津波に関係する話題でした。スレッド[57891][57904]

この安政南海地震発生は、 安政元年11月5日【天保暦】でした。
日本政府は、これにちなんで11月5日を「世界津波の日」という共通記念日にすることを各国に働きかけていました。
最新の報道によると、12月4日の国連総会第2委員会で この決議が採択されたとのことです。
[89249] 2015年 12月 5日(土)16:13:35hmt さん
越中国射水郡(3)新湊
昔の氷見には「布勢水海」と呼ばれた広い潟湖があり、大伴家持もしばしば訪れて遊覧したり、都人を接待したりしたようですが、新田開発・乾田化などに伴って水系も変り、現在は 十二町潟水郷公園として一部に痕跡を残すのみとなっているようです。

…というわけで、オフ会第2日の遊覧船は氷見漁港です。
強風のため短縮された港内コースでしたが、みなさんと共に楽しむことができました。

下船後に集合写真。その後は海王丸見学組ということで、EMM号に乗車。
特にお願いしたわけではありませんが、伏木港を経由していただいたようです。
同じく富山新港を目指したラガー号は先に到着し、3人は既に海王丸でした。

地図を見ると、戦時合併とその解体で話題になった高岡市牧野地区[15592][74310][79475][80421]も近くでしたが、こちらは経由していないようです。

係留されている海王丸の見学も、船内のあちこちを上下しながら巡り、充実したものでした。
その後、今回の旅行では特に意識させられた斜張橋の中でも最大規模の新湊大橋へ。タンカーが橋の下を通って入港する様子を眺めることもできました。

この富山新港、正式名称は「国際拠点港湾 伏木富山港(新湊地区)」だそうです。
2011年の法律で特定重要港湾から改められた国際拠点港湾は、国際戦力港湾の5港【京浜3、阪神2】に次ぐランクで、全国で18港が指定されていますが、本州以北の日本海では新潟港と伏木富山港との2つだけです。

富山新港は、オフ会でスナフキんさんから紹介のあった昭和32年(1957)の地形図に見るように、昔は 浅い【深度最大1.5m、平均0.5m】放生津潟でした。
ここに港を作る計画は大正時代にもあったようですが、第一次大戦後の不況で実現せず。昭和戦前の大築港計画も技術上の問題と戦争で挫折。戦後の高度成長期になり、1960年に運輸省の承認が得られ翌年着工、1968年に開港し、工業港湾として整備されています。

戦後にできた新しい港だから富山「新港」でよいのですが、その場所が「新湊市」となると 文字づかい が気になります。
1889年の町村制から1951年の市制までの間は 射水郡新湊町で、その前身にも新湊放生津町・新湊六渡寺村など「新湊」の付く町村がありました。要するに「新湊」というのは、庄川と小矢部川とが合流していた時代、古代から左岸にあった伏木港に対して右岸に作られた「新しい湊」を意味するのでしょう。現在の地図でも庄川河口右岸(射水市港町)を見ると漁港があります。

それはさておき、掘り込み式の富山新港建設に伴い、港口の航路になる越の潟・堀岡間の陸地は分断され、道路および鉄道の代替として1967年11月から富山県営渡船、通称 越ノ潟フェリーがが運行されました。1986年からは地元住民だけでなく、一般客も無料化しています。今回のオフ会で この県営渡船の乗客になったのは グリグリさん1人だけではないかと思います【ML00132】。
2012年の 新湊大橋 開通後も、渡船は健在なんですね。

渡船の説明に「道路および鉄道の代替」とあるように、海岸経由で富山と高岡とを結んでいた富山地方鉄道射水線も分断されました。
高岡側の越ノ潟-新湊【現・六渡寺】間は、高岡軌道線・伏木線を営業していた加越能鉄道に譲渡され、1980年に万葉線の愛称が付けられました。2002年からは第三セクター鉄道の会社名にもなっています。
乗客の半減した富山側の鉄道は 廃止されました(1980)。


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