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[82006] 2012年 10月 25日(木)20:43:49【5】YT さん
貝塚市と岸和田市の平成22年境域内推計人口を求める二通りの方法
貝塚市と岸和田市の過去の人口推計方法について稿を改めて説明します。

貝塚市、岸和田市の昭和55年10月1日の境域(平成17年10月1日の境域とも同じ)による国勢調査・推計人口、平成22年10月1日の境域による国勢調査・推計人口は以下の通りです。推計の起点となるのは平成17年の組替え人口で、貝塚市から岸和田市への実質的な人口異動の差である、47人のみを考慮するのか、それとも双方の人口異動(貝塚市から岸和田市へ174人、岸和田市から貝塚市へ127人)を考慮するのかによって、過去に遡っての平成22年境域人口の推計値に変化が生じます。

市名貝塚市岸和田市貝塚市岸和田市貝塚市岸和田市
境域昭55昭55平22平22平22平22
人口異動貝塚市→岸和田市貝塚市→岸和田市貝塚市⇔岸和田市貝塚市⇔岸和田市
大924,76860,76124,75560,77424,75960,770+4
大1429,37568,64029,36068,65529,36268,653+2
昭531,32074,08031,30474,09631,30674,094+2
昭1040,50782,84840,48682,86940,48182,874-5
昭1542,79783,70442,77583,72642,76783,734-8
昭2247,12991,53147,10491,55647,09691,564-8
昭2553,58698,82153,55898,84953,54598,862-13
昭3056,166107,64056,137107,66956,126107,680-11
昭3561,067120,26561,035120,29761,025120,307-10
昭4069,365143,71069,329143,74669,322143,753-7
昭4573,366162,02273,328162,06073,327162,061-1
昭5079,506174,95279,465174,99379,463174,995-2
昭5581,162180,31781,120180,35981,120180,3590
昭6079,591185,73179,550185,77279,555185,767+5
平279,234188,56379,193188,60479,200188,597+7
平784,653194,81884,609194,86284,613194,858+4
平1288,523200,10488,477200,15088,479200,148+2
平1790,314201,00090,267201,04790,267201,047
平2290,519199,23490,519199,234

まず、【貝塚市→岸和田市】という、人口異動差のみを考慮した場合、貝塚市の平成22年境域人口は、貝塚市の昭和55年境域人口に(90,314 - 47)/90,314を乗じた値となり、一方の岸和田市の平成22年境域人口は、貝塚市の昭和55年境域人口に47/90,314を乗じた値に、岸和田市の昭和55年領域人口を加えた値となります。

例えば大正9年の平成22年境域内人口は
貝塚市:24,768×(90,314 - 47)/90,314 = 24,755.110... ≒ 24,755
岸和田市:60,761 + 24,768×47/90,314 = 60,773.889... ≒ 60,774

一方【貝塚市⇔岸和田市】の間の相互の人口異動を考慮した場合、貝塚市の昭和55年領域人口の内、(90,314 - 174)/90,314は貝塚市の平成22年境域人口分で174/90,314は岸和田市の平成22年境域人口分となります。一方岸和田市の昭和55年領域人口の内、(201,000-127)/201,000は岸和田市の平成22年境域人口分で127/201,000は貝塚市の平成22年境域人口分と考えるのです。

つまり貝塚市の平成22年境域人口は、貝塚市の昭和55年境域人口に(90,314 - 174)/90,314を乗じた値と、岸和田市の昭和55年境域人口に127/201,000を乗じた値を足した数字となります。同様に岸和田市の平成22年境域人口は、貝塚市の昭和55年境域人口に174/90,314を乗じた値と、岸和田市の昭和55年境域人口に(201,000 - 127)/201,000を乗じた値を足した数字となります。


例えば大正9年の平成22年境域内人口は
貝塚市:24,768×(90,314 - 174)/90,314 + 60,761×127/201,000 = 24,758.672... ≒ 24,759
岸和田市:24,768×174/90,314 + 60,761×(201,000 - 127)/201,000 = 60,770.327.. ≒ 60.770

というわけでこのケースの場合、両者の推計人口は最大で13人の差(昭和25年)が生じます。

私個人としては、統計局が採用している按分方法は後半の通りだと解釈していますが、どうでしょうか?
[82005] 2012年 10月 25日(木)16:46:18【7】YT さん
市区町村の境界変更一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)
[82001] オーナー グリグリさん
国勢調査人口比較における人口異動を伴う組替え要因と人口組替ページにリストアップした2005年から2010年の人口異動を伴う境界変更の一覧は、差引異動人口から割り出していますので、差引0の人口異動を伴う境界変更が隠れている可能性があります。[81921]に書いたように平成26年6月に刊行予定の平成22年国勢調査最終報告書を見れば正確なところが明らかになります。

[81966]にて
一方最新の平成22年分の国勢調査報告書第1巻の方は既に然るべき図書館に納められておりますが、統廃合の情報は載っているものの、残念ながら境界変更情報(都道府県の境界変更情報は残っている)が無くなっております。もしかしたら今後作成される他の冊子に収録されるのかも知れませんが。
と書きましたが、先ほど改めて『平成22年 国勢調査報告 第二巻 人口等基本集計結果 その2 都道府県・市区町村編』の方を閲覧したところ、市区町村の境界変更一覧(平成17年10月2日~平成22年10月1日)が載っておりました。人口異動を伴う境界変更は以下の通りですが、市区町村変遷情報掲載の日時と異なる日時が一部挙げられていました(【追記】仙台市泉区ではなくて仙台市宮城野区です【←と思ったら、『境界変更一覧』の方では多賀城市の一部(28人)を仙台市泉区に編入となっていますね・・・2010年と2005年の国勢調査人口を比較すると、2005年の宮城野区の人口で組み換えによる増加があるようなので、下の表では宮城野区の方を採用していますが、これも再チェックが必要かも知れません】)。

年月日異動地域異動人口コード市町村名平成17年人口組替人口異動人口
2006.7.102201 to 0236112202201青森市311,508311,386-122
02361南津軽郡藤崎町16,49516,617122
2009.4.1.04209 to 041022804209多賀城市62,74562,717-28
04102仙台市宮城野区182,678182,70628
2010.3.110205 to 1121813910205太田市213,299213,160-139
11218+11405+11406+11407深谷市146,461146,600139
2007.12.114209 to 132091014209+14421+14422+14423+14424相模原市701,630701,620-10
13209町田市405,534405,54410
2006.4.124461 to 242035724461度会郡玉城町14,88814,831-57
24203+24462+24463+24468伊勢市134,973135,03057
2007.1.127208 to 2720217427208貝塚市90,31490,267-47
2007.8.127202 to 2720812727202岸和田市201,000201,04747
2006.6.127231 to 272149727231大阪狭山市58,20858,111-97
27214富田林市123,837123,93497

上九一色村については「市区町村の変更情報」として別項目で扱われ、「分村:梯・古関」が甲府市に編入、「分村:富士ケ峰・本栖・精進」が南都留郡富士河口湖町に編入と記載されておりました。

以上より、[81975]で入力した人口情報の内貝塚市・岸和田市については、相互の異動を考慮して計算する場合には再計算が必要となりますが、人口の異動の差だけで計算するか、相互の異動を考慮するかで平成12年以前の推計人口に最大で13人(昭和25年)の差が生じます。

なお[81968]
(政令指定都市や東京特別区部の区に関しては『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口』でのデータも不完全なので省略)
と書きましたが、よくよく見ると特別区部に関しては大正9年まで按分データが遡れていることに気付きました。1980年10月1日以降の特別区部内の人口の異動を伴う境域変更は、多分1982年11月5日付で境界未定地域(1980年に37人)が江東区4人(362,270→362,274)、港区33人(201,257→201,290)に分割されたくらいです。そうなってくると、1970年~1980年の特別区部内の境界未定地域の人口(1970年:38人、1975年:125人、1980年:37人)をどう扱うかさえコンセンサスが得られれば、特別区部に限り区の人口に分割することも可能となるでしょう。

政令指定都市では、京都市、大阪市、名古屋市、北九州市なども大正9年まで区のデータが揃っていますが、まあ他の政令都市は分割による区の増加などにより、区別の人口データが対応できていないようです。

【追記】上記1970年~1980年の東京特別区部内の境界未定地域の人口は、1980年10月1日現在の境界未定地域に関する人口のようです。実際の1970年国勢調査における境界未定地域の人口は763人、1975年国勢調査における境界未定地域の人口は332人です。1979年4月25日にこの332人分は全て品川区所属となりますが、1979年10月1日付で旧江東区の一部が新たに境界未定地域(125人: 335,382→335,257)となり、これが1980年国勢調査の37人分に相当する地域です。よって境界未定地域の人口を以下のように港区と江東区で分割すれば解決です。
昭45昭50昭55
境界未定地域(昭和55年10月1日境域)3812537
港区分3411133
江東区分4144
港区(昭和55年10月1日境域)223,978209,492201,257
江東区(昭和55年10月1日境域)355,835355,257362,270
港区(按分後)224,012209,603201,290
江東区(按分後)355,839355,271362,274

【貝塚市と岸和田市の人口推計については稿を改めます】
[81998] 2012年 10月 24日(水)18:34:39【2】YT さん
九州の人口変遷情報の訂正
以前[80480]で投稿した明治31年以降の北海道、九州、沖縄県の市町村別人口の変遷をまとめたエクセルファイルですが、最近になって4箇所(全体では13箇所)人口が間違っていることに気付きました。

何れ情報を追加するであろう次回の改訂で修正しますが、以下の人口が間違っておりました。

調査日時地域修正前修正後
1935年10月1日福岡県2,755,8942,755,804-90
1935年10月1日福岡県市部1,153,4891,153,399-90
1935年10月1日福岡県戸畑市67,89067,800-90
1930年10月1日熊本県1,354,0001,354,993-7
1930年10月1日熊本県市部164,467164,460-7
1930年10月1日熊本市164,467164,460-7
1955年10月1日大分県1,277,2991,277,199-100
1955年10月1日大分県市部611,206611,106-100
1955年10月1日大分県豊後高田市30,70830,608-100
1947年10月1日宮崎県1,025,6691,025,689+20
1947年10月1日宮崎県郡部788,162788,182+20
1947年10月1日宮崎県南那珂郡119,977119,997+20
1947年10月1日宮崎県南那珂郡大束村8,0398,059+20

わざわざこの手の打ち間違いに気付くように、全体の人口集計、市別・郡別集計、郡別集計と、多重のチェックをしていた筈なのですが、どういうわけか差の数字の90人、7人、100人、20人をことごとく見落としていたようです。【と書き込んだ直後に大分県の数字の書き込み間違いを見つけたので、再修正】
[81975] 2012年 10月 18日(木)14:22:21【2】YT さん
2010年10月1日の境域による1920、1935、1950、1965、1980、1995、2010年の市町村別人口
とりあえず、1920年10月1日の人口10万人以上、2010年10月1日の人口45万人以上の諸都市、県庁所在地に関し、平成22年10月1日の境域による15年毎の市町村別人口と90年間の人口増加率をまとめると以下の通りです。

どちらかというと昭和・平成の大合併の影響の方で見慣れない都市が上位に来ています。

市町村順位1920年1935年1950年1965年1980年1995年2010年人口増加率(%)
特別区部13,358,5305,896,0085,385,0718,893,0948,351,8937,967,6148,945,695166.4
大阪市21,786,6333,022,4462,015,3503,156,2222,648,1802,602,4212,665,31449.2
神戸市3746,5341,058,033820,9561,216,6141,367,3901,423,7921,544,200106.8
京都市4736,4621,117,4391,130,1851,374,1591,480,3771,470,9021,474,015100.1
名古屋市5677,4521,182,8371,157,2631,935,4302,087,9022,152,1842,263,894234.2
横浜市6579,448796,579951,1861,788,9072,773,6743,307,1363,688,773536.6
北九州市7433,325669,392736,8951,042,6881,065,0781,019,598976,846125.4
新潟市8332,572402,102538,330603,733730,733796,456811,901144.1
浜松市9321,570418,865494,296598,076698,982766,832800,866149.0
広島市10305,773423,907447,174696,845992,7361,117,1171,173,843283.9
岡山市11288,599341,972382,969459,532590,242663,346709,584145.9
長崎市12286,980313,591375,222484,111502,799487,063443,76654.6
熊本市13266,842328,592412,745502,458619,236708,097734,474175.2
静岡市14263,098367,950467,752634,247727,260738,674716,197172.2
呉市15249,063335,202292,769301,955302,766270,179239,973-3.6
福岡市16239,957372,500487,891769,1891,088,6151,284,8361,463,743510.0
長岡市17224,411247,490282,136281,266289,234293,250282,67426.0
鹿児島市18216,682276,340325,919415,439547,756594,430605,846179.6
長野市19212,194239,526300,769310,399358,173387,359381,51179.8
いわき市20210,550234,717340,260333,881342,074360,598342,24962.5
姫路市21209,050244,556325,329412,507494,825527,854536,270156.5
金沢市22206,125231,125283,863335,830417,684453,975462,361124.3
富山市23203,824235,562303,168339,446391,554417,595421,953107.0
福山市24196,152218,253264,994301,376425,675453,791461,357135.2
上越市25196,144205,680243,519227,312216,139212,060203,8994.0
下関市26192,840237,248280,949317,146325,478310,717280,94745.7
仙台市27190,015278,824380,224520,071792,059971,3241,045,986450.5
和歌山市28189,977252,119243,520328,657400,802393,885370,36495.0
高松市29186,964222,546269,160307,550386,547412,626419,429124.3
佐世保市30183,863277,747313,259302,431288,231279,551261,10142.0
函館市31182,776260,665286,084314,135345,165318,308279,12752.7
松山市32181,496207,683265,678332,343442,147497,203517,231185.0
倉敷市33174,424202,991266,949308,908432,171453,618475,513172.6
津市34173,515188,487219,241230,315265,443286,519285,74664.7
堺市35161,721245,016283,708483,846839,428840,384841,966420.6
久留米市36160,055199,502230,858248,968280,291302,741302,40288.9
福井市37158,025185,873197,085223,949259,638272,970266,79668.8
前橋市38155,830192,096233,007254,595311,121338,845340,291118.4
高崎市39155,465183,593239,909260,106323,403353,879371,302138.8
横須賀市40154,249227,791250,533317,411421,107432,193418,325171.2
岐阜市41153,208211,035250,899366,975420,231418,574413,136169.7
大分市42147,979174,557222,336258,444385,635446,581474,094220.4
札幌市43144,651264,326393,770821,2721,401,7571,757,0251,913,5451,222.9
今治市44143,218159,392198,109188,814197,818185,435166,53216.3
唐津市45142,516123,016175,651148,741142,224137,436126,926-10.9
佐賀市46141,873154,272198,243207,774236,029246,674237,50667.4
尾道市47140,140142,500184,653181,038180,901159,890145,2023.6
宇都宮市48139,761173,704235,461287,947408,908477,215511,739266.2
徳島市49139,609166,824177,363213,328249,343268,706264,54889.5
松本市50134,336156,749185,663196,934223,637239,539243,03780.9
高知市51133,181162,079190,254241,676318,266339,864343,393157.8
豊橋市52131,909169,726185,984238,672304,273352,982376,665185.5
鳥取市53130,026139,158168,429168,067184,601197,959197,44951.9
福島市54128,941157,832199,334221,864270,487292,696292,590126.9
鶴岡市55126,228141,679172,467159,562153,330149,509136,6238.2
飯塚市56126,186144,952193,989141,445135,852140,463131,4924.2
小樽市57124,723174,358186,445196,716180,728157,022131,9285.8
山口市58124,410132,507169,296162,219173,590193,172196,62858.0
秋田市59124,229153,698200,525240,306304,823331,597323,600160.5
さいたま市60122,505175,843319,188530,733879,5101,078,5451,222,434897.9
天草市61122,203123,407169,391142,346121,574107,82389,065-27.1
大牟田市62121,133147,028191,978193,875163,000145,085123,6382.1
山形市63116,797145,018180,579193,737237,041254,488254,244117.7
青森市64115,186163,885197,605247,081309,647314,794299,520160.0
出雲市65112,767122,957149,542138,784142,451146,214143,79627.5
宮崎市66112,462148,389205,574236,674329,762384,415400,583256.2
上田市67112,012117,536143,882138,013151,801164,204159,59742.5
一宮市68111,645156,400187,699281,855335,465353,999378,566239.1
松江市69111,402127,961150,434159,580183,284195,353194,25874.4
松阪市70111,049121,436147,054139,148153,185163,131168,01751.3
四日市市71110,805139,679177,803230,786266,756296,623307,766177.8
郡山市72109,004145,420195,798223,236286,451326,833338,712210.7
高岡市73108,189122,048155,260166,207186,900186,827176,06162.7
佐渡市74107,351109,351125,597102,92584,94274,94962,727-41.6
宇和島市75106,993123,605145,233122,042110,920100,77684,210-21.3
旭川市76106,468139,373184,242271,930352,619360,568347,095226.0
一関市77106,295121,932154,323145,783136,031133,138118,57811.6
薩摩川内市78106,147116,855150,937119,063102,143106,73799,589-6.2
横手市79105,580122,485145,532130,597120,479112,60098,367-6.8
都城市80104,733132,880172,668166,237172,655174,054169,60261.9
岩国市81103,610115,487149,965162,015163,692156,347143,85738.8
石巻市82102,953131,937177,015176,363186,094178,923160,82656.2
岡崎市83101,376130,614167,008203,806271,243332,136372,357267.3
那覇市84100,127111,344108,673257,190295,778301,890315,954215.6
弘前市85100,119123,467159,409169,865192,291194,197183,47383.3
甲府市9094,950129,537146,873178,808205,070206,799198,992109.6
千葉市10188,767120,777185,546339,974746,430856,878961,749983.5
水戸市10387,934115,164141,143177,061239,747261,275268,750205.6
奈良市10685,992103,070131,259168,406305,614368,039366,591326.3
大津市10785,759120,567144,626166,764228,982295,574337,634293.7
川崎市10884,995191,702319,229854,8741,040,8021,202,8201,425,5121,577.2
盛岡市11083,797116,018155,575207,016272,814300,723298,348256.0
八王子市12078,668106,000131,408207,655387,178503,363580,053637.3
尼崎市12178,261173,051278,973500,472523,650488,586453,748479.8
西宮市19660,391130,436168,610337,391410,329390,389482,640699.2
相模原市21358,10160,994106,821200,755494,220646,467717,5441,135.0
東大阪市21856,762142,076228,691443,081521,558517,232509,533797.7
川口市30944,00474,015118,761249,112379,360448,854500,5981,037.6
船橋市40934,04854,380100,134223,989479,439540,817609,0401,688.8
市川市44331,67662,553120,595207,988364,244440,555473,9191,396.1
松戸市59323,92233,61759,813160,001400,863461,503484,4571,925.2

【追記】オーナーグリグリ さんへ
データの方は先ほどメールで送りました。確認をお願いします。

【追記】[81976] 白桃さんへ
後の記事を受けての修正となってしまいましたが、直しました。
[81974] 2012年 10月 18日(木)13:45:11YT さん
人口の按分方法
[81971] オーナー グリグリさん
2005年(平成12年)2月18日の宮崎県佐土原町と新富町の境界変更(佐土原町へ25人異動)が抜けているようです。

完全に見落としていました。

[81972] 白桃 さん

狭山市の昭和55年人口は124,029人です。

人口按分の過程で間違いに気付き、あとでこっそり修正しようと思ってました(笑)。


人口の按分の計算仕方ですが、人口異動を伴う境界変更が実施された直前のT年の国勢調査において、A町の補正前人口A(T)の内ΔA(T)がB町に異動し、B町の補正前人口B(T)の内ΔB(T)がA町に異動したとすると、過去t年におけるA町の補正前人口A(t)と補正人口A'(t)、B町の補正前人口B(t)と補正人口B'(t)は、それぞれ以下のように表現できます。

A'(t) = A(t)*(A(T) - ΔA(T))/A(T) + B(t)*ΔB(T)/B(T)
B'(t) = A(t)*ΔA(T)/A(T) + B(t)*(B(T) - ΔB(T))/B(T)

B町からA町への人口異動が無かった場合はΔB(T) = 0なので、

A'(t) = A(t)*(A(T) - ΔA(T))/A(T)
B'(t) = A(t)*ΔA(T)/A(T) + B(t)

ただこの式も三ヶ所の地域を同時に巻き込んだ場合の人口異動には対応していないので、一言目には

「異動前の地域人口に占める異動した人口の割合が過去において一定であると仮定することで、過去の人口を推計する」

だけで充分かも知れません。そして四捨五入による丸め誤差を防ぐため

「人口異動毎に人口を過去に遡って補正し、合計人口が変わらないように小数点以下を処理する」

ということになると思います。
[81969] 2012年 10月 17日(水)20:51:27【1】YT さん
計算上の問題点
過去の人口を遡って修正するに当たり、2つ程問題がありましたので列挙します。ただ何れも人口数人レベルの誤差ですが、人口には小数点が許されないことが原因です。

(1) 人口異動が相互に行われた場合

西茨城郡友部町と東茨城郡内原町のケースではそれぞれの地域に異動する人口が37人と30人で、差引7人ですが、これを37人と30人分でそれぞれ分けて計算するか、差引7人だけで計算するかにより推計人口が若干変わります。

特に宇奈月町と朝日町のケースでは、それぞれ3人が異動することにより差引ゼロです。ところが統計局の手法で1920年の宇奈月町の推計人口を算出すると:

5162人(昭和55年境域における大正9年の宇奈月町の人口)×7650/7653(昭和55年の宇奈月町の人口の内、残った分)+
16386人(昭和55年境域における大正9年の朝日町の人口)×3/18631(昭和55年の朝日町の人口の内、異動した分)=5162.61

となり、1人ほど推計人口が増えてしまうという結果となります(朝日町は逆に1人減ります)。

(2) 丸め誤差による合計の不一致

二つの地域の間での人口異動であれば丸め誤差による合計の不一致が起こることはほとんどありませんが(端数が1/2、1/2になるという特殊ケースがある)、三つの地域の間での人口異動であれば、このような不一致が頻繁に起こります。例えば町田市、相模原市、大和市に関して按分処理を行うと、昭和5年の人口は

大和市:8064.71人
町田市:26631.63人
相模原市:60803.66人

となり、単純に四捨五入をすると合計の人口が1人多くなってしまいます。上のケースでは端数の一番少ない町田市の人口を切り捨てて26631人とすることで対処しました。

【追記】 後者に関しては、境界変更の度に算出される人口補正を毎回四捨五入することにより、多くのケースでほぼ問題なく対応できることに気づきました。そもそも基本となっている資料が『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』ですので、最初から四捨五入による数値の丸めが実施されているので、数値演算をまとめて実施する意味があまりありません。
[81968] 2012年 10月 17日(水)20:24:31【1】YT さん
平成22年10月1日の境域による各回国勢調査時の市町村別人口
ところで[81962]で言及しました『国勢調査時系列表<普及編成データ>全国ファイル(大正9年~平成12年)』ですが、CD-ROMは都道府県別の市区町村人口の時系列をまとめたエクセルファイルが48点入っておりました。添付の解説によると

 平成12年10月1日の境域による
 各回国勢調査時の市区町村別人口
 (大正9年~平成12年:1920年~2000年)

 この「平成12年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口」は、国勢調査による市区町村別人口の長期間の時系列比較を可能にするため、大正9年以降の各回国勢調査の市区町村別人口を平成12年10月1日現在の市区町村の境域に合わせて組替又は推計したものである。
 ただし、昭和55年国勢調査以降の廃置分合については、市区町村単位の合併についてのみ組替処理を行っており、一部編入・分割の場合は組替を行っていない。

なお、利用に当たっては、次の点について注意されたい。
(1) 昭和15年以前の北海道の人口
 戦前の国勢調査では、歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島のほか、その更に北方にある地域の人口についても把握されているが、この組替・推計の対象地域から除いているため、昭和15年以前の北海道の人口には、これらの地域の人口は含まれていない。ただし、戦前における歯舞群島については、旧歯舞村(現根室市)の人口に含まれていたが、当該群島の人口が区分できないため、ここでは根室市に含めている。
(2) 昭和15年及び22年の年齢3区分人口
 昭和15年及び22年については、市区町村別に年齢別人口の統計が作成されていないため、男女別人口についてのみ組替・推計を行っている。
(3) 大正9年及び14年の年齢3区分
 大正9年及び14年の年齢3区分は、「0~14歳」、「15~59歳」、「60歳以上」の3区分である。
(4) 市区町村の一部編入・分割の場合の処理
 ア 昭和55年国勢調査以前に行われた一部編入・分割等については、次の方法により推計した。
   他へ編入・分割された区域の人口
    =当該市区町村への編入・分割時点の国勢調査人口
     ×他へ編入・分割された区域の人口 1)
     ÷当該市区町村の全域人口 1)
     ここで、1)は編入・分割時点の直前の国勢調査人口
   なお、編入又は分割された区域に係る人口が、都道府県の業務資料等により把握されている場合は、それらの資料による人口により組み替えた。
 イ 昭和55年国勢調査以降(昭和55年10月2日以降)に行われた一部編入・分割等については、上記アによる推計は行っていない。
   なお、人口異動を伴う市区町村の境域変更については、「昭和55年国勢調査以後(昭和55年10月2日)~平成12年国勢調査時(平成12年10月1日)までに人口移動を伴う境界変更があった市区町村」のとおりである
(5) 政令指定都市の区
 新たに指定都市になったり、区の再編成等があった場合は、原則として組替・推計を行っていない。
(6) 東京都小笠原村
 昭和22年~40年については、人口に関する資料が得られないため、欠落のままになっている。
(7) 鹿児島県名瀬市及び大島郡
 昭和22年については、人口に関する資料が得られないため、欠落のままになっている。昭和25年については、琉球列島軍政本部が実施した1950年の国勢調査(昭和25年12月1日現在)による市町村別人口によっている。
(8) 鹿児島県鹿児島郡十島村
 昭和22年及び25年については、人口に関する資料が得られないため、欠落のままになっている。
(9) 沖縄県
 市町村の廃置分合に関する資料は、沖縄県業務資料によっており、人口に関する資料は、次に示す琉球列島軍政本部又は琉球政府が実施した各回の国勢調査の報告書によっている。
  1950年国勢調査 (昭和25年12月1日現在)
  1955年臨時国勢調査 (昭和30年12月1日現在)
  1960年国勢調査 (昭和35年12月1日現在)
  1965年臨時国勢調査 (昭和40年10月1日現在)
  昭和45年国勢調査 (昭和45年10月1日現在)
 昭和22年については、人口に関する資料が得られないため、欠落のままになっている。

つまり1980年までは『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』と同じで(但し1980年~2000年に統合した自治体は、統合後のデータしか慶されていないので、例えば秋川市のケースでは『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口』のデータを引用する必要がある)、それ以降に関しては境界変更による人口異動の処理をまったくしていないことになります。今回ここで2010年10月1日の境域に関する各回国勢調査時の市町村別人口を、1980年から2010年分の変更に関して独自に計算し公開する分には、ファイルの内容を公開するに当たらず(2000年と2010年の間で自治体の数がほぼ半減している)問題ないと思われます。

現在細かい境域変更を無視しして2010年の自治体毎の過去の市町村別人口を算出する作業は終了しており(政令指定都市や東京特別区部の区に関しては『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口』でのデータも不完全なので省略)、残るは人口を過去に遡って按分する作業だけです。[81966][81967]の内18のケースでは2010年までに再統合が行われており、人口異動を考慮しなくて済むことになるようです。今非常に忙しいにも関わらず仕事をさぼってこんな作業をこっそりやってましたが、とりあえず今から仕事に復帰するにせよ、どんなに遅くとも今月末には1920年から2010年までの、2010年10月1日現在の境域における各国国勢調査時の市町村別人口を算出する作業は終わっているはずです。

以上、オーナーグリグリさんの意見をお願いします。
[81967] 2012年 10月 17日(水)19:56:25【2】YT さん
平成2年10月2日~平成17年10月1日までの人口異動を伴う境界変更
年月日異動地域異動人口コード市町村名平成2年人口組替人口異動人口
1990.11.505445 to 054421205445平鹿郡十文字町14,96514,953-12
05442平鹿郡平鹿町16,11916,13112
1991.1.109208 to 093631109208小山市142,262142,251-11
09363下都賀郡国分寺町14,41014,42111
1995.3.112210 to 124223212210茂原市83,43783,405-32
12422長生郡睦沢町7,9567,98832
1992.5.120206 to 20214120206諏訪市52,46452,463-1
20214茅野市50,06450,0651
1993.1.122201 to 222041122201静岡市472,196472,187-9
22204 to 22201222204清水市241,523241,5329
1993.1.122484 to 222111322484磐田郡豊田町25,61425,603-11
22211 to 22484222211磐田市83,52183,53211
1993.9.123212 to 23210923212安城市142,251142,242-9
23210刈谷市120,126120,1359
1992.2.2025205 to 254012425205八日市市40,81640,792-24
25401神崎郡永源寺町6,5536,57724
1995.3.137442 to 37425637442三豊郡山本町8,0688,062-6
37425三豊郡豊中町11,90511,9116

年月日異動地域異動人口コード市町村名平成7年人口組替人口異動人口
1996.9.111202 to 11403811202熊谷市156,429156,421-8
11403大里郡妻沼町28,73428,7428
1996.9.111464 to 11442511464北葛飾郡杉戸町45,05645,051-5
11442南埼玉郡宮代町35,71235,7175
1999.12.113209 to 14209313209町田市360,525360,522-3
14209相模原市570,597570,6003
1999.8.2720208 to 203431920208小諸市45,71145,692-19
20343小県郡東部町24,70924,72819
1996.1.139323 to 392045339323香美郡土佐山田町21,95121,898-53
39204南国市48,19248,24553
1997.2.2540217 to 4021627640217筑紫野市81,98881,712-276
40216小郡市50,61250,888276
1998.1.140218 to 401304140218春日市99,20699,165-41
40130福岡市1,284,7951,284,83641
1996.4.141305 to 413065241305佐賀郡大和町21,50721,455-52
41306佐賀郡富士町5,7345,78652
1996.2.147343 to 47210247343島尻郡東風平町15,93815,936-2
47210糸満市53,49653,4982

年月日異動地域異動人口コード市町村名平成12年人口組替人口異動人口
2003.1.111214 to 1122211411214+11468春日部市(+北葛飾郡庄和町)240,924240,815-109
2003.1.111222 to 11214511222越谷市308,307308,416109
2004.12.114209 to 132094214209相模原市605,561605,519-42
13209町田市377,494377,53642
2001.5.1420341 to 20343320341小県郡丸子町25,55325,550-3
20343+20326小県郡東部町(+北佐久郡北御牧村)30,94430,9473
2001.6.121423 to 21383721423+21424本巣郡穂積町(+巣南町)46,57146,564-7
21383安八郡安八町15,07815,0857
2000.12.2037424 to 37428437424三豊郡大野原町12,79912,7990
37428 to 37420437428三豊郡豊浜町9,0019,0010
2004.8.2340382 to 40215440382遠賀郡水巻町31,62331,619-4
40215中間市48,03248,0364

もしかしたら見落としがあるかも知れませんが、その場合は指摘をお願いします。

これらの情報を元に『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』とその後の国勢調査人口に対して按分処理をすることで、大正9年から平成22年までの国勢調査時の市町村別人口を推計できることになります。
[81966] 2012年 10月 17日(水)19:54:27【3】YT さん
昭和55年10月2日~平成2年10月1日までの人口異動を伴う境界変更
[81949] オーナー グリグリさん

[81954] にて
色々参考になり有難うございます。ただ折角の修正ですが、少なくとも町田市と相模原市に関しては、2000年~2005年の間にも2000年国勢調査時において42人の人口増減を伴う境域の変更が実施されており、ここに関しては更なる補正が必要かと思います。
と書きましたが、こちらの勘違いでした。申し訳ありません。

[81919]
昭和60年から平成12年については残念ながらデータ化されていないようです。

昭和60年から平成17年分については、確かに冊子の方の国勢調査報告書第1巻に境界変更情報が載っておりました。一方最新の平成22年分の国勢調査報告書第1巻の方は既に然るべき図書館に納められておりますが、統廃合の情報は載っているものの、残念ながら境界変更情報(都道府県の境界変更情報は残っている)が無くなっております。もしかしたら今後作成される他の冊子に収録されるのかも知れませんが。

以下冊子の方の内容を元に、昭和55年10月2日~平成17年10月1日までの人口異動を伴う境界変更の情報をまとめした。なお同じ政令都市内での人口異動に関しては無視しました。また境界変更による転入人口と転出人口が等しい場合でも、過去の組替人口算出のための按分のやり方によっては推計人口に±1人程度の影響が出るので載せました(平成17年10月2日以降に関しては、転出人口と転入人口が共に存在するケースを現時点では判別できない)。

年月日異動地域異動人口コード市町村名昭和55年人口組替人口異動人口
1984.6.105204 to 053221305204大館市72,47872,465-13
05322北秋田郡比内町13,99214,00513
1981.3.108443 to 0820316708443稲敷郡阿見町33,72033,553-167
08203土浦市112,517112,684167
1983.10.109363 to 09302409363下都賀郡国分寺町13,58413,580-4
09302河内郡南河内町11,49711,5014
1983.4.110324 to 102021710324群馬郡群馬町26,08826,071-17
10202高崎市221,429221,44617
1982.11.111219 to 1120521911219上尾市166,243166,024-219
11205大宮市354,084354,303219
1983.4.111225 to 1121587711225入間市104,034103,157-877
11215狭山市124,029124,916887
1984.5.112215 to 12361812215旭市35,72135,713-8
12361海上郡海上町9,5429,5508
1985.2.114213 to 13209614213大和市167,935167,929-6
13219町田市295,405295,4116
1982.9.113215 to 13218214215海老名市77,49877,496-2
14218綾瀬市65,07865,0802
1983.1.115201 to 152209515201新潟市457,785457,690-95
15220白根市33,09233,18795
1984.6.115443 to 154442915443北魚沼郡小出町13,01713,014-3
15444 to 154432615444北魚沼郡湯之谷村6,4206,4233
1985.4.115523 to 1550111415523東頸城郡松代町7,1147,000-114
15501刈羽郡高柳町4,2424,356114
1981.5.1116341 to 16343316341下新川郡宇奈月町7,6537,6530
16343 to 16341316343下新川郡朝日町18,63118,6310
1982.4.120215 to 2020219920215塩尻市52,71152,570-141
20202 to 202155820202松本市192,085192,226141
1981.3.121404 to 214011621404揖斐郡池田町20,67220,656-16
21401揖斐郡揖斐川町19,15419,17016
1983.2.128422 to 282012428422播磨郡夢前町17,17117,147-24
28201姫路市446,256446,28024
1982.1.133201 to 3342318233201岡山市545,765545,583-182
33423都窪郡早島町10,81610,998182
1983.6.134323 to 34211434323佐伯郡大野町19,96819,964-4
34211大竹市36,07536,0794
1982.10.140384 to 403814540384遠賀郡遠賀町14,18814,143-45
40381遠賀郡芦屋町18,93418,97945
1985.4.140483 to 40481640483浮羽郡浮羽町18,89018,884-6
40481浮羽郡吉井町17,87217,8786
1981.6.143210 to 434064043210菊池市28,46028,420-40
43406菊池郡泗水町9,9409,98040
1982.1.145303 to 452081245303宮崎郡佐土原町26,93226,920-12
45208西都市37,83637,84812
1985.5.2346482 to 46481546482肝属郡東串良町8,4408,435-5
46481肝属郡串良町13,82813,8335

年月日異動地域異動人口コード市町村名昭和60年人口組替人口異動人口
1989.4.106365 to 06363706365最上郡大蔵村5,2035,196-7
06363最上郡舟形町7,9207,9277
1987.3.107543 to 07545707543双葉郡富岡町15,89515,888-7
07545双葉郡大熊町9,9889,9957
1985.12.108321 to 083053708321西茨城郡友部町28,51328,506-7
08305 to 083213008305東茨城郡内原町14,67714,6847
1988.6.109208 to 093662509208小山市134,242134,217-25
09366下都賀郡藤岡町20,41320,43825
1989.5.111219 to 11231611219上尾市178,587178,581-6
11231桶川市61,49961,5056
1989.5.2013226 to 132187613226秋川市45,73545,659-76
13218福生市51,47851,55476
1990.4.115308 to 153092515308北蒲原郡加治川村7,5557,530-25
15309新発田市8,2738,29825
1989.4.115541 to 1520517815541中頸城郡柿崎町13,47213,294-178
15205柏崎市86,02086,198178
1987.3.116422 to 162021616422西礪波郡西福岡町12,22612,210-16
16202高岡市175,780175,79616
1986.2.121303 to 21209221303羽島郡笠松町22,74622,744-2
21209羽島市59,76059,7622
1988.6.122505 to 222021322505浜名郡雄踏町14,00413,991-13
22202浜松市514,118514,13113
1986.4.123361 to 23217823361丹羽郡大口町17,24717,239-8
23217江南市92,04992,0578
1989.5.127219 to 27201827219和泉市137,641137,633-8
27201堺市818,271818,2798
1989.9.135202 to 3520912635202宇部市174,855174,729-126
35209小野田市46,36446,490126
[81962] 2012年 10月 16日(火)17:41:22YT さん
国勢調査時系列表<普及編成データ>全国ファイル(大正9年~平成12年)
ハンブルガーさん 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

ドイツに度々出張していらしたようですが、私も子供の頃にドイツに一年間暮らし、また私の兄なども現在進行形でドイツへ出張する仕事についており、ドイツに関するネタについて話せなかったことは残念です。

[81925] 白桃 さん
[81920] オーナーグリグリ さん

[81927][81954]で言及しました『国勢調査時系列表<普及編成データ>全国ファイル(大正9年~平成12年)』の方を入手しました。統計情報研究開発センターの方にファックスで注文すると、請求書等と一緒に送られてきました。中身はエクセルファイルの入ったCD-ROMと、簡単な解説冊子4頁です。これについては後ほど詳しく書きます。
[81954] 2012年 10月 14日(日)22:58:25【1】YT さん
町田市と相模原市の境域の変更について
[81949] オーナー グリグリさん

・国勢調査人口比較における人口異動を伴う組替え要因と人口組替

このページに、今回追加した2000年の自治体境域における境界変更による人口異動の補正についても詳述しました。というのも、2010年国勢調査データにある旧市町村人口は、2005年以降の境界変更が反映されてしまっており、それを戻す必要が有りました。具体的に言えば、例えば、2007年(平成19年)9月1日の青森県青森市と藤崎町との境界変更により、2005年国勢調査人口は青森市から藤崎町に122人異動しています。ところが、2010年調査データの2000年時点での旧市町村の2005年人口ではこの異動分を戻す必要があるにも関わらず、122人分は異動したままになっています。このため、独自に2005年人口に対して、境界変更による人口異動分を旧市町村に戻すようにしました。

色々参考になり有難うございます。ただ折角の修正ですが、少なくとも町田市と相模原市に関しては、2000年~2005年の間にも2000年国勢調査時において42人の人口増減を伴う境域の変更が実施されており、ここに関しては更なる補正が必要かと思います。

地域名平成22年国勢調査人口平成22年境域による平成17年組替人口平成17年国勢調査人口組替による人口増減
町田市426,987405,544405,534+10
相模原市717,544701,620701,630-10

※相模原市の平成17年の国勢調査人口701,630は、相模原市628,698、城山町23,067、津久井町28,695、相模湖町10,347、藤野町10,823の合計


地域名平成17年国勢調査人口平成17年境域による平成12年組替人口平成12年国勢調査人口組替による人口増減
町田市405,534377,536377,494+42
相模原市628,698605,519605,561-42

ところで[81927]で調べた『国勢調査時系列表(大正9年~平成12年)』ですが、国内で所有している図書館は一か所のみで、図書館間での図書借用システムを使って閲覧しようとしましたが、貸出の謝絶を受けました。よって実際に購入して中身を確認しないといけない手はずとなりました。

ただ仮に本冊子の中身が期待したものだったとしても、―(1)全国の主要な図書館でほとんど閲覧できず、実際に購入しないと数字を閲覧できない、(2)中身がそのものの数字である可能性が高い―となってしまうと、流石にこのデータをほとんど加工しないまま本サイトで公開するというのは著作権的にも問題になる可能性があります。

昭和55年以前であれば、『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』という、全国72箇所の図書館に納入されている本が御座いますので、これを引用元としても使うデータはその一部だけですし、それ以降の変遷に関して調査し、過去にさかのぼって推計人口を計算すれば、それはそれでこのサイト独自に研究した数字ということになって問題点はクリアできるとは思いますが。
[81927] 2012年 10月 8日(月)18:13:20【2】YT さん
国勢調査時系列表
[81925] 白桃さん

標記の書物については、平成17年国勢調査が終了して3年後ぐらい、ですから今から4年前ぐらいに霞が関の政府刊行物センターで見かけました。本の後ろにCDが付いていたような気もします。国勢調査ごとに毎回出ているものではないはずです。

調べたところ、統計情報研究開発センターが出版している『国勢調査時系列表(大正9年~平成12年)』 (2005年10月出版)が該当しそうです。内容は

大正9年の第1回国勢調査から平成12年の第17回調査までの全国都道府県市区町村別人口を平成12年国勢調査時の市区町村の境域による人口(組替人口)として収録

とあり、全国ファイル2100円、都道府県ファイル3万9900円となっています。これって全国ファイルの方だけを買えばいいのでしょうかね?4万円の方は躊躇しますが、2100円の方はいずれ注文してみたいと思います。

【リンク修正】
[81923] 2012年 10月 8日(月)15:54:45【1】YT さん
現在の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口
[81914] 白桃 さん

はい、公開されております。と言うか、2005年国勢調査時の境域に組み替えた各国勢調査時点での自治体人口を記載した本があります。(3万円ぐらいする本でして、それを買うためにお小遣いをもらって、政府刊行物ナントカセンターに向かったのですが、どういうわけかエチルアルコールに代わってしまいました:マル秘)

自分が把握している報告書は、『昭和55年10月1日の境域による各回国勢調査時の市区町村別人口 : 大正9年~昭和55年』だけなのですが、これは最近でも毎回出ているものなのですか?

実は上の本を使ってOCRソフト経由で昭和55年以前の人口をまとめ、平成22年の国勢調査時の境域に組み替えた市区町村別人口を算出しようと数か月前に計画をたてたのですが、肝心のOCRソフトがエラー吐きまくりで、挫折しているところです。OCRソフトはワープロ組が当たり前となった最近の本であれば日本語フォントの再現も良いようですが、比較的最近の活版印刷であっても今いち反応が悪いようです。せめて数字だけでも正しく読み込んでくれたら楽なのですが・・・戦前のフォントに対してはほぼ無力なのは言うまでもありません。

9月後半になったら多少仕事が楽になると思っていたら、ここ最近は大量の仕事が舞い込んでおり、人口をまとめる作業に時間を割くことができない状況となっています。近代デジタルライブラリーなどで過去の統計表も公開されるようになっていますが、印刷の質の悪さと一部解像度の悪さもあって、例えば「8」と「3」、「5」と「6」などが同じに見えることもあり、結局個々の男女別人口をチェックしないと駄目だったりするケースが多いのがネックです。『日本帝国人口静態統計』などは、かえって縮小印刷版の方が読み易かったりします。
[81883] 2012年 9月 24日(月)03:19:58【5】YT さん
『日本帝国文部省年報』の都邑人口は途中から現住人口ベース?
[81882] 千本桜 さん

まずデータの出所は『日本帝国文部省年報. 第10(明治15年)』「根室県年表」の都邑学事統計と『日本帝国文部省年報. 第11(明治16年)』「根室県年表」の都邑学事統計です。この時代は府県の領域が揺れ動いていたため、[81875][81876]では旧国名で揃えています。また「人口及学齢就学児童増減比較表」によると、

本県管内人民ハ概シテ海産ニ依テ以テ其生計ヲ立ルモノナリ。故ニ一旦商業上景気ヲ失スルカ或ハ海産ノ不良ニ会スル時ハ惣チ四方ニ流離移転スルノ徒モ亦少シトセズ。本年ノ如キモ薄漁ノ積衰ト商業ノ不振トニ因リ昨十五年ニ比スレバ人口(北見千島両国ヲ除ク)男一千百五十二人女二百六十五人ヲ減少ス。

旧国人口明治15年度明治16年度
釧路国3,3222,118
釧路国2,1531,529
釧路国合計5,4753,647
根室国3,5233,575
根室国2,1982,557
根室国合計5,7216,132
総計6,8455,693
総計4,3514,086
総計合計11,1969,779

と、釧路国の人口は3600人~5500人で、かなり人口に変動があったことを記録しています。

これに対し内務省の『日本全国民籍戸口表. 明治15年調』、『日本全国民籍戸口表. 明治16年調』、『日本全国民籍戸口表. 明治17年調』によると明治15年1月1日調の釧路国の本籍人口は2616人、根室国の本籍人口は1092人、明治16年1月1日調の釧路国の本籍人口は2729人、根室国の本籍人口は1531人、明治17年1月1日調の釧路国の本籍人口は2821人、根室国の本籍人口は1472人です。また明治12年度の『日本帝国文部省年報』における人口の比較から、『共武政表』と同様に文部省の人口統計は、明治15年度は明治16年1月1日調、明治16年度は明治17年1月1日調の統計を採用していると推測されます。そこで1年年次をずらして文部省の人口統計と内務省の本籍人口統計を比較すると、それでも釧路国で文部省調査人口は本籍人口の1.3倍~2.0倍、根室国で文部省調査人口は本籍人口の3.9倍~4.2倍と、大分数字が異なります。このことより文部省の人口統計はおそらく「本籍人口」ではなく、「現住人口」で算出しているものと推測されます。明治13年以降の内務省による釧路国の本籍人口統計は以下の通りです(明治13年1月1日調の釧路国各郡の本籍戸数は不詳)。

M13年人口M14年戸口M14年人口M15年戸口M15年人口M16年戸口M16年人口M17年戸口M17年人口
厚岸郡532154581263585334702383699
釧路郡1,1212951,1763631,1953551,1383631,235
白糠郡38495384107399111431104431
川上郡24158242532385824758246
阿寒郡7918821882158225129
足寄郡1162711726117261291581
網尻郡9800
釧路国2,5716472,5828302,6168992,7299482,821

一方同じ内務省地理局の『地方行政区画便覧』は、戸口に関しては「明治17年1月現在」の戸口・人口を原則して載せているはずなのですが、釧路国1101戸6064人という人口は内務省調査の本籍人口の2.1倍となっており、地域別人口も異なります。明治18年以降の人口を採用している可能性もありますが、それでも内務省調査の本籍人口の1.4倍~1.7倍となっており(釧路国の明治18年1月1日調本籍人口は1101戸4270人と急増、明治19年1月1日調本籍人口は3629人と本籍人口641人の減少)、数字的には明治19年1月1日調の釧路国現住人口7715人(本籍人口の2.13倍)にむしろ近く、『地方行政区画便覧』も北海道のケースでは明治17年前後の現住人口を採用しているのかも知れません。

戸長役場ノ所在地町数村数戸数口数
厚岸郡湾月町472691,400
厚岸郡浜中村152351,437
釧路郡昆布村386472
釧路郡真砂町233281,820
阿寒郡(同上)41180
川上郡熊牛村555265
白糠郡白樺村398464
足寄郡(同上)419126
合計7341,1016,064

文部省統計における明治15年度の釧路国5475人中に占める浜中1227人、あるいは明治16年度の釧路国3647人に占める浜中891人という人口比率を、『地方行政区画便覧』の人口6064人に対して乗じると、大体1359人~1481人に相当します。これは『地方行政区画便覧』記載の浜中村外五箇町村連合の人口1437人とほぼ等しい数字です。

以上から『日本帝国文部省年報』では、浜中村に戸長役場を置く1町5村全体をそのまま浜中の都邑人口として扱ってしまったと推測できます。もちろん浜中村外五箇町村連合を構成する浜中村、霧多布村、琵琶瀬村、後静村、散布村、榊町のいずれかに、人口の大部分が集中していた可能性もありますが。

【追記】『共武政表.明治十二年』『共武政表.明治十三年』によると(明治13年1月1日調の釧路国、厚岸郡の総戸数は不詳):

輻輳地M13年始戸数M13年始人口M14年始戸数M14年始人口
奔渡村30125
湾月町2313254157
榊町2010163137
厚岸郡509106562
釧路国2,49757112,662

厚岸郡の明治14年1月1日調本籍人口106戸562人(釧路国全体では571戸2662人と、内務省の647戸2582人より若干少ない)の内、54戸157人が湾月町、63戸137人が榊町に暮らしていることになっています。人口はともかくとして、戸数は両者を足すと119戸となり、厚岸郡の総本籍戸数を上回るという奇妙な現象が見られます。これは世帯数に相当する戸数と、家の数を混用しているためかも知れません。内務省の数字である明治14年1月1日調の厚岸郡154戸581人を正しい数字と考えるなら、戸数的には明治14年年始の時点で厚岸郡の本籍戸数の1/3を榊町が占めていたことになります。明治15年度の文部省の人口統計が明治16年1月1日調現住人口(当時の北海道では本籍人口の数倍になることもあり、また厚岸郡の本籍人口は明治15年1月1日調263戸585人から明治16年1月1日調334戸702人に急増している)である可能性が高いこと、漁師の越冬地における現住人口の増減では数百人レベルで変化するのは当たり前、また明治12年から明治17年までは榊町に戸長役場が置かれていたことを考慮すると、仮に「浜中」という町場が存在したのなら、それは榊町のことということになります。

【細かい数字等を修正】
[81876] 2012年 9月 22日(土)18:33:10【1】YT さん
『日本帝国文部省年報』による明治10年~18年の都邑人口 (2)
旧国都邑明治10年明治11年明治12年明治13年明治14年明治15年明治16年明治17年明治18年
羽前米沢27,54429,35427,74128,05230,91430,40931,37433,16833,090
羽前山形24,14224,52521,58022,57123,37923,53323,88536,78523,803
羽前鶴岡25,06425,11424,82724,55622,08921,93321,82621,82621,049
羽後酒田18,83310,88517,43718,23218,23318,24718,36919,82719,827
羽後横手10,74910,69110,733
羽後秋田36,05433,32633,34630,44631,93132,20032,79830,28731,469
羽後土崎10,80510,75610,87910,64010,94111,08410,52610,694
羽後能代10,31910,02410,41610,05810,33910,32310,612
若狭小浜15,47915,52415,47215,28017,36914,84515,30115,19014,931
若狭高浜2,9912,9933,1683,3033,2403,335
越前敦賀12,65212,64112,84015,43216,03115,11815,33915,25715,706
越前武生11,11612,30711,56611,80611,26712,17012,52912,63913,023
越前鯖江4,7914,8094,7414,7234,7044,855
越前福井40,86341,56041,42141,31139,76841,59242,40043,61842,136
越前丸岡3,8573,772
越前坂井9,7269,99611,0679,4929,0969,8099,624
越前大野9,4599,4809,4599,6299,6319,6529,964
越前勝山6,8556,8746,8736,8606,8576,8936,894
加賀大聖寺9,84810,0669,9919,96810,03610,01110,05410,08710,038
加賀小松10,42110,54710,56110,69410,92511,13511,52711,51612,370
加賀金沢108,263106,897107,979108,956107,624108,546109,641107,005104,577
加賀美川5,3795,4585,3386,266
加賀松任4,9665,0394,7485,273
加賀金石9,7289,7949,7399,7769,87710,05810,02010,018
能登七尾8,4118,5718,4768,6188,7088,7978,999
能登輪島9,5299,4549,2439,95910,1189,6929,944
越中富山46,47347,96247,60848,63549,22144,25346,16648,17353,123
越中魚津10,79110,87210,64811,04310,61010,91011,02811,29211,112
越中泊町6,2144,8363,7764,916
越中滑川6,0775,0726,9354,987
越中今石動9,3179,4949,4475,038
越中井波5,4805,5975,5714,990
越中城端4,4764,4634,5584,638
越中福光4,4493,9733,8113,350
越中福野5,2605,4745,5502,038
越中高岡24,69425,22125,22426,37926,20620,85427,18123,20523,782
越中新湊19,36020,27919,48419,44618,50219,78919,86718,65421,599
越中氷見9,2468,8448,8838,713
越中東岩瀬6,6734,4975,7415,976
越後村上10,83611,21611,61511,868
越後新潟33,83237,35237,39437,07637,27237,29538,23138,68240,038
越後三条14,87315,87816,73310,64210,66818,35524,84418,90515,021
越後新発田18,06218,12917,66310,94518,44318,40517,05716,70018,000
越後長岡20,02916,14416,56020,74022,08822,07521,72221,91930,740
越後柏崎10,74411,15711,8149,08112,17311,75211,69911,69411,009
越後高田25,65124,74124,30724,41523,69323,38924,50924,26824,795
佐渡相川16,97913,03012,61912,59312,21712,54211,97812,32912,516
丹波亀岡7,2446,9366,5507,2237,0107,0577,121
丹波園部6,1566,1936,1756,6025,7124,1594,921
丹波福知山5,1494,9385,3175,3865,3665,3704,996
丹後舞鶴7,3837,4217,3307,3389,5499,4739,528
丹後宮津11,13311,06411,07211,37811,24011,43611,22111,657
因幡鳥取39,59338,54936,69735,46336,38035,49134,75934,99933,796
伯耆米子11,06810,65910,78711,41911,17611,61711,34411,44912,010
伯耆倉吉6,7836,7866,879
出雲松江38,38237,93337,48937,31437,03236,51938,60734,07228,291
播磨明石18,32716,76618,60818,51818,48020,19719,99418,50513,118
播磨姫路25,92427,44323,15824,95324,96029,32129,19923,01522,960
美作津山14,50015,20214,05714,56714,72414,75814,94114,88514,929
備前岡山32,95332,77134,56934,27034,67433,24431,97735,38733,424
備中笠岡6,9647,0537,234
備中倉敷7,3767,7897,593
備中高梁5,7285,6225,684
備後福山17,72117,64817,23717,02216,98817,09416,87416,08616,133
備後尾道16,29016,31216,04816,71516,34917,20216,24517,40117,127
安芸広島75,76078,00676,99075,98678,10473,45175,79973,73379,333
周防山口10,08510,77711,03010,84010,82410,99311,17512,09812,489
周防三田尻6,5668,0765,8585,3316,3806,9166,626
周防宮市6,3147,6235,0332,5343,3383,3703,131
周防徳山11,66811,73411,75811,79711,90012,05911,79311,82711,962
周防岩国11,29511,36611,52111,54511,55612,19312,18912,03611,331
長門30,50830,83841,88640,32543,09942,46443,63442,77141,135
長門下ノ関/赤間関19,53220,74320,22223,52823,79224,07327,47525,30425,463
長門豊浦6,1545,9885,9705,8916,3756,6256,644
紀伊和歌山62,19762,92260,49157,68257,24556,45156,88755,73454,511
紀伊田辺7,1007,16911,30811,26610,34810,33510,21311,39311,302
紀伊新宮6,8138,8879,1989,3649,1889,3749,592
紀伊木ノ本3,022
紀伊尾鷲4,943
阿波撫養10,04311,56510,65411,06529,56930,173
阿波徳島57,00349,47155,48962,01258,51857,50258,16666,12662,859
讃岐高松47,88348,17833,12933,15932,76439,76245,97045,46145,242
讃岐丸亀13,18312,14012,14112,96513,07012,98712,97615,28115,342
讃岐観音寺11,22911,147
伊予西条4,5584,5043,9384,125
伊予今治6,69212,93312,81413,44613,34013,91314,45812,48513,041
伊予松山28,29428,30627,93727,94927,82528,41629,13329,74030,075
伊予大洲3,6793,4547,1207,0436,9905,9496,282
伊予宇和島11,61612,63412,34612,23312,43412,33012,40412,42812,332
伊予吉田5,3045,3176,2984,5795,0396,0245,114
土佐高知27,01228,99637,11741,62642,42340,87842,08539,94744,207
筑前福岡22,34723,83121,74621,89022,08221,75021,07323,03220,534
筑前博多20,34021,65024,15424,38324,35824,20624,00424,07726,491
筑後久留米15,42015,48725,85225,64222,47622,25622,01622,28022,878
筑後柳川19,79119,95718,37418,43918,53317,39518,39718,29618,413
豊前小倉15,76515,7949,6019,80410,227
豊前今津11,676
豊前中津23,00012,25512,33112,25912,61212,95811,52314,85315,638
豊前宇佐1,6421,645
豊前長洲5,0745,075
豊後高田6,7465,1385,0535,062
豊後竹田5,9926,7629,0529,307
豊後杵筑6,5016,6456,3265,979
豊後日出3,9923,9844,057
豊後別府6,2506,1386,346
豊後大分7,58317,36811,32011,93513,57911,68614,44614,47814,412
豊後鶴崎5,2795,3685,485
豊後3,1092,2462,250
豊後日田/豆田8,2094,1424,0244,224
豊後1,9184,5414,659
豊後佐賀ノ関5,0565,0405,186
豊後臼杵10,12011,76311,60411,70211,94011,82012,32312,21912,212
豊後佐伯6,0275,7545,724
肥前佐賀29,51223,83725,74623,28524,07724,07721,72024,05724,688
肥前長崎46,66132,81532,87638,75639,56632,79233,07357,88547,790
肥後熊本44,77939,78043,96543,83645,89442,26142,21742,55242,511
肥後山鹿5,3204,7114,8635,2515,177
肥後八代9,4009,4939,5739,5229,504
日向延岡6,4106,0186,241
日向高鍋2,7933,8044,299
日向都城8,0617,4438,465
日向宮崎4,2364,2784,661
日向佐土原3,135
日向飫肥4,7364,6194,704
薩摩鹿児島53,94755,07155,45554,31654,47154,48254,72954,579
薩摩川内3,9533,025
琉球首里22,96024,92224,71224,49624,40924,60824,619
琉球那覇14,70613,35824,77224,28124,54838,16827,885
琉球久米村4,8836,038
琉球泊村4,3344,268
渡島函館37,75641,47143,14244,269
渡島福山13,60510,87911,94910,379
渡島江差13,43714,15114,88115,365
後志小樽11,000
石狩札幌13,08111,67815,256
釧路釧路2,4141,596
釧路厚岸1,2941,099
釧路浜中1,227891
根室根室4,6384,222
人口1万以上都邑合計3,563,7763,785,5203,871,2053,951,6994,009,0254,098,4524,286,4284,440,4274,545,793
都邑合計(非文献値)4,195,7874,585,1684,702,8374,739,4774,529,3874,641,1524,826,7004,440,4274,545,793

なお「府県学事年報要略」内の「都邑学事統計表」掲載の人口と「人口一萬以上都邑学事統計表」の人口が一致しない場合がありましたが、以下の数字を採用しました。

明治11年の名古屋の人口は「人口一萬以上都邑学事統計表」の11万1433人ではなく、「府県学事年報要略」内の11万1430人を採用。理由はこの修正により、「人口一萬以上都邑学事統計表」の人口合計と一致するため。

明治13年の足利の人口は「府県学事年報要略」内の1万1150人ではなく「人口一萬以上都邑学事統計表」の1万1077人を採用。
明治13年の宮津の人口は「人口一萬以上都邑学事統計表」の1万1373人ではなく「府県学事年報要略」内の1万1378人を採用。
明治13年の足利の人口は「府県学事年報要略」内の3万2159人ではなく「人口一萬以上都邑学事統計表」の3万3159人を採用。
理由はこれらの修正により、「人口一萬以上都邑学事統計表」の人口合計と一致するため。

明治17年の彦根の人口は「府県学事年報要略」内の2万6834人ではなく「人口一萬以上都邑学事統計表」の2万7833人を採用。
明治17年の米沢の人口は「人口一萬以上都邑学事統計表」の3万3159人ではなく「府県学事年報要略」内の3万2159人を採用。
理由はこれらの修正により、「人口一萬以上都邑学事統計表」の人口合計と一致するため。

文部省の都邑人口データは明治10年代の都市人口の情報を補うものではあるものの、内務省が提供する戸籍人口や陸軍の共武政表とは異なるため、どう評価していいのか判断に苦しみます。
[81875] 2012年 9月 22日(土)18:29:03【1】YT さん
『日本帝国文部省年報』による明治10年~18年の都邑人口 (1)
『日本帝国文部省年報』による明治10年~18年の都邑人口

[81192]でも述べましたが、以前[68674][68675]で、文部省調による明治12年と明治13年の「人口壱萬人以上ノ都邑」の人口を紹介しましたが、これの元データが『日本帝国文部省年報』の「人口壱万以上都邑学事統計表」であることが判りました。『日本帝国文部省年報』では、明治10年から明治18年まで、人口1万人以上の都邑の人口(「人口一萬以上都邑学事統計表」)と、明治10年から明治16年までの各府県の主だった都邑の人口(「府県学事年報要略」内の「都邑学事統計表」)がまとめてあり、量も多くはないので以下紹介します。

ただこの表で使われている人口は、共武政表や日本民籍戸口表の人口、あるいは明治17年1月1日調の『都府名邑戸口表』の本籍・現住人口と一致せず、色々問題のあるデータです。辛うじて明治11年の人口が、明治11年度の『共武政表』記載の明治12年1月1日調本籍人口と一致するようですが。

旧国都邑明治10年明治11年明治12年明治13年明治14年明治15年明治16年明治17年明治18年
山城京都229,810232,683231,308237,521239,425243,502248,468252,130246,238
山城伏見21,54422,01120,69620,51520,69720,84620,63920,45421,370
山城6,2226,1903,6613,5723,4403,3673,363
大和奈良22,74622,46522,69522,58223,03723,15922,58822,90922,734
大和郡山14,35114,57914,45314,44114,14513,74113,19912,22213,629
和泉40,59640,47040,84241,36743,25948,88749,09347,78946,315
和泉岸和田12,76512,765
摂津大坂284,105291,565287,984291,086293,686298,554309,180310,544324,706
摂津天王寺4,7344,89810,71112,86612,211
摂津難波15,12817,438
摂津平野6,9716,9606,877
摂津住吉5,9676,2806,383
摂津高槻4,0425,0392,831
摂津池田5,1095,1395,111
摂津尼ヶ崎14,19312,84714,10214,36014,17912,35713,88013,87413,704
摂津西宮11,17411,08811,11911,74110,64912,20211,09110,41810,592
摂津神戸11,03116,04713,29519,24820,57915,27816,07217,52418,583
摂津兵庫30,40831,63836,89639,62736,58727,21238,33040,57742,766
伊賀上野12,57613,40012,69812,58412,26612,52812,50712,47312,524
伊賀名張3,7653,8053,9143,9314,0734,1644,382
伊勢桑名15,20214,79014,87514,95715,19315,43715,42515,37713,149
伊勢長島6,8846,9496,7506,7263,4573,4353,424
伊勢神戸5,8183,6303,5782,8562,9272,9632,896
伊勢四日市11,25011,0417,9688,3728,6218,3048,48410,01010,423
伊勢菰野1,9121,9223,9514,0413,7084,1904,262
伊勢亀山6,2646,3936,4066,0676,6575,6974,650
伊勢白子3,8683,5644,1142,3682,4332,4212,328
伊勢一身田1,7571,8101,8161,9611,9381,8931,945
伊勢21,98122,31622,57624,98225,52625,35726,17923,71724,346
伊勢久居3,8593,7873,8113,8093,8063,8893,884
伊勢松坂9,96210,1749,39710,29210,27010,38711,78110,44710,951
伊勢山田18,43119,39219,89519,16919,37220,28620,89320,91620,467
伊勢宇治3,8274,4144,3175,2564,8814,4154,402
志摩鳥羽4,7804,7804,6724,6704,4894,3544,361
尾張名古屋135,715114,130112,427117,705118,450123,090124,461122,298124,542
尾張熱田15,35416,28016,76616,34616,78216,95617,46017,920
尾張亀崎5,0285,0975,0535,113
尾張稲置6,0446,3046,2946,362
尾張一宮7,7638,4589,1228,999
三河岡崎14,52415,10214,24914,94114,95415,27315,39715,71616,124
三河豊橋11,10510,79811,51511,36911,35811,73112,64612,31812,802
遠江浜松9,6598,34910,98010,60010,41212,47412,00612,00411,540
遠江掛川6,4546,4544,372
駿河静岡33,00032,02832,21232,43538,03837,79039,74734,38735,767
駿河沼津12,12512,0098,7878,97311,4318,7509,061
甲斐谷村3,2393,3633,3693,699
甲斐上野原村2,4852,5552,5672,639
甲斐甲府11,98415,01512,44915,31015,77716,19115,99417,42418,914
甲斐勝沼村2,5692,6431,1782,775
甲斐市川大門村4,3924,5614,6814,752
甲斐鰍沢村3,8183,8084,0414,068
甲斐河原部村2,5952,6101,8062,575
伊豆韮山1,4831,7831,7902,1342,1543,7292,198
相模小田原13,49513,57413,36313,69513,78614,01814,45014,61114,503
相模藤沢6,0775,9866,2314,588
相模横須賀5,3395,5755,6885,227
相模浦賀5,9575,8516,0125,894
武蔵八王子10,5528,94514,53912,87812,33812,38114,18112,06117,267
武蔵東京594,283772,230799,237839,761823,557849,231923,959937,217982,043
武蔵千住12,1809,06911,45311,65014,18914,09914,12814,28715,454
武蔵品川11,49213,29613,12212,83713,07413,01213,89913,44814,720
武蔵幸手4,4454,5104,5644,5644,693
武蔵粕壁4,7875,2495,2755,1305,373
武蔵岩槻4,1764,1764,2424,3974,416
武蔵川越13,43313,60512,32014,55114,37612,27012,56812,37313,207
武蔵熊谷4,9285,0896,9505,1807,2747,342
武蔵本庄4,7224,9464,8235,6245,442
武蔵神奈川8,2119,2019,42411,38112,44411,92112,03011,47311,463
武蔵横浜64,31350,88964,88262,22763,04863,61359,19658,91691,146
下総船橋10,672
下総佐倉5,6344,9385,4715,9615,3315,3505,055
下総佐原7,8767,8618,2068,1777,9927,8487,838
下総銚子25,13725,66926,09826,55626,87826,77727,23428,01526,770
常陸水戸17,89217,46817,24417,66717,36317,88219,03819,09418,963
近江大津19,61320,02220,71220,86618,25118,16020,10520,44519,755
近江大津19,61320,02220,71220,86618,25118,16020,10520,44519,755
近江水口4,7754,8574,9904,9405,1885,2355,287
近江八幡6,2596,3366,5316,6076,6136,6566,736
近江日野5,3866,5175,6974,9245,6935,8015,836
近江西大路2,2972,3362,3041,6942,3582,3482,379
近江彦根27,78628,18727,19127,30427,14426,80826,83326,58723,650
近江高宮4,1124,1604,2284,2884,3824,3924,471
近江長浜6,1316,3376,3476,3736,4146,5026,381
美濃高須3,4363,4123,2273,3163,3713,018
美濃島田3,8603,8653,8833,8973,9134,030
美濃三輪2,8722,8682,9152,9423,0233,061
美濃大垣10,31010,37810,40010,45210,08510,48010,43410,22215,649
美濃今尾3,8083,8383,2073,0252,7033,077
美濃竹ヶ鼻4,6514,9424,9895,2755,4355,379
美濃笠松5,0524,9144,9834,9834,9525,012
美濃岐阜12,46712,63812,90913,71613,29613,74413,87817,99314,687
美濃加納5,0465,3325,2375,4025,4037,979
美濃北方2,7762,8352,8102,8382,9222,898
美濃高富1,5581,6861,7271,7321,6781,787
美濃4,3664,4264,4744,4894,5334,610
美濃上有知3,9444,0514,0193,6513,7043,983
美濃八幡3,0106,1246,0366,0375,9945,990
美濃細目4,7334,3914,4474,4994,6584,719
美濃御嵩3,3863,4293,5023,5921,7671,809
美濃多治見2,3172,2782,4482,5832,6973,126
美濃岩村4,1454,1643,0453,0273,0353,030
美濃苗木2,8342,7882,9012,1032,8052,739
美濃中津川3,8443,8443,8253,9654,1174,366
美濃明知1,1661,1931,2291,2501,2561,289
飛騨高山13,93114,09014,25414,46114,71015,01015,22615,26915,340
飛騨古川4,0614,8254,8784,8914,9065,066
飛騨神岡村船津町組3,3833,4883,5773,6983,8293,421
信濃松本16,20616,28516,30716,52314,78216,69016,66316,92417,554
信濃福島4,1435,2444,1623,124
信濃飯田8,0538,0548,2468,4408,5108,5108,787
信濃高遠4,5944,4655,0855,022
信濃大町5,0893,2373,7523,838
信濃上諏訪8,0498,0628,0178,0898,0928,0938,329
信濃下諏訪4,0694,0834,1534,206
信濃長野8,0738,7138,6088,64113,74413,75615,01015,11315,335
信濃飯山5,9906,0256,0786,154
信濃須坂2,6012,5602,6512,737
信濃松代10,1069,1639,3408,6687,6427,8577,857
信濃上田10,0419,5819,98510,0399,76210,64610,65310,84510,342
信濃岩村田3,2863,2253,1582,995
信濃小諸5,6555,0265,8106,7686,6907,0446,893
上野高崎13,19116,11516,17316,62215,21916,09615,41415,63715,987
上野前橋10,67212,32116,86813,94512,33518,09618,08818,33320,316
下野佐野6,9176,2846,4567,3518,1656,5376,781
下野足利9,67510,15810,70211,07711,66412,64214,15011,60712,090
下野栃木5,2645,2645,1425,1965,2765,2755,460
下野日光3,198
下野鹿沼5,3705,6725,7566,2426,3696,5716,985
下野宇都宮18,84019,69119,53320,15019,25920,75320,54121,80124,547
下野真岡4,6684,7594,8704,9154,882
下野大田原3,4653,6073,5023,8103,8224,065
下野黒羽3,389
磐城白河8,1228,6509,0329,1579,3679,3289,351
磐城5,0155,0155,1685,6915,0944,9635,346
磐城三春5,1835,421
岩代若松21,44223,11322,61823,37121,30923,07024,37818,36818,257
岩代須賀川5,5815,2206,0275,8136,0156,0206,452
岩代郡山5,2535,2535,7595,4775,4545,8025,869
岩代二本松8,9238,2019,0688,2688,3028,2778,137
岩代福島6,9346,9348,0288,2448,2596,8639,23310,50510,232
陸前仙台52,07455,03555,17055,81755,90055,36954,88355,18355,195
陸前石巻10,00411,65912,0806,9757,1187,2187,70513,460
陸中磐井13,70211,8139,4037,9746,7916,8226,859
陸中水沢5,8035,1264,6594,6764,9255,1395,293
陸中岩谷堂10,5339,5497,5494,5843,5653,8102,839
陸中花巻5,8255,4455,0465,0255,1355,2745,785
陸中宮古3,7723,8723,8343,9644,6554,9344,934
陸中鍬ヶ崎2,7332,7532,9733,0483,0002,9943,141
陸中遠野5,3844,8815,0015,0645,1055,1815,296
陸中釜石4,3014,2753,6774,1404,1404,2134,360
陸中盛岡31,49931,39032,21631,30729,02130,26330,36629,86529,354
陸奥青森11,86412,38211,37612,76811,86711,90913,48713,96012,826
陸奥弘前34,77434,84432,85431,90732,29131,32532,62132,17431,194
陸奥黒石6,5958,9199,0959,1359,2238,9269,478
陸奥八戸9,8719,97410,05010,14510,25710,42310,57010,65310,756
[81274] 2012年 8月 8日(水)04:08:26【4】YT さん
府県物産表による明治7年の日本の総生産高
最後に紹介するのは明治7年の明治7年の『府県物産表』です。明治政府は農産高のみならず、農・林・水産・畜産・鉱・工業の各生産高を把握しようとして、明治6年以降『府県物産表』を作成しました。明治6年度分は一部地域で完成し、明治7年分は鹿児島県、北海道、沖縄県を除き、ほぼ日本全国の統計が揃いました。ところが西南戦争の影響で、明治8年分は未完となり、明治9年度分以降は農産高(+一部の漁業、林業関係)のみをまとめた『全国農産表』のみの発行に繋がり、工業統計が再び出てくるのはさらに10年程後となります。つまり明治7年分のみ、おおよそ各県の鉱工業生産高が判明するのです。

本当は『府県物産表』の数字を編集し、各地の農・林・水産・畜産・鉱・工業の生産高と石高の比較をしたかったのですが、『府県物産表』の数字をまとめるのが相当大変だったので、そちらは断念します。とりあえず、山口和雄氏の「「明治七年 府県物産表」の分析」(経済学研究, 1, pp. 23-58 (1951年), 原著論文へのリンク)の数字を用いると、明治7年の日本本土の総生産額は以下の通りとなります。

区分生産額(円)割合(%)
農業227,286,70161.0
 (内、米)142,799,02438.4
工業111,891,55930.1
林業14,565,4053.9
畜産業7,478,0002.0
水産業7,276,3452.0
鉱業3,808,9641.0
合計372,306,974100.0

そこで明治5年の租税額(『日本地誌提要』による)と『府県物産表』記載の明治7年の物産高(全国平均米価1石5.5379円で換算)とから、明治5年の税率を推定しました。物産高には水産業や鉱工業統計も入っているので、石高にかかる税金である正租だけでなく、土地に換算できない収入にかかる雑税を併せた租税全体に対し、税率を計算することができます。また明治7年の物産高を明治8年1月1日調の本籍人口で割ると、明治7年度の各地域の一人当たり平均生産高(ここでは石高換算で示す)が見積もれます。但しサービス業などの第三次産業の統計がないので、東京府の住人がえらく低収入となっています。参考までに明治5年石高(『郡村石高帳』によるが、長崎県・佐賀県の肥前国石高分割は『日本地誌提要』によるため、『郡村石高帳』の数字に比べて7斗のズレが生じる)も記載します。なお琉球・北海道と鹿児島県はデータが揃っていないので除きますが、鹿児島県は結局明治10年まで独立国家状態で、統計なぞ提出する気がなかったようです。

府県M7物産高(円)M7物産高(石)M5石高(石)M5租税(石)税率(%)M8本籍人口1人当たり物産高(石/人)税抜き後(石/人)
東京府4,251,083.498767,634.557164,856.7008837,055.641304.8855,2700.8980.854
京都府16,281,903.9382,940,086.243380,281.56447176,818.127006.0571,1925.1474.838
大阪府9,564,787.2261,727,150.550245,960.85400138,202.018708.0545,0353.1692.915
神奈川県4,324,874.960780,959.366339,082.33991102,554.2490013.1507,9281.5381.336
兵庫県3,737,882.170674,963.812170,561.08180100,948.8180015.0201,3893.3522.850
長崎県5,786,468.7771,044,885.003293,340.52247142,950.9710013.7668,9741.5621.348
新潟県13,294,558.5232,400,649.7501,133,179.88759439,486.6220018.31,388,3531.7291.413
埼玉県5,482,030.399989,911.390482,011.55819149,214.1040015.1440,4332.2481.909
足柄県3,656,089.280660,194.154262,712.2822683,116.2761012.6353,6091.8671.632
千葉県9,792,371.8931,768,246.392997,052.69833308,448.5154117.41,055,3731.6751.383
新治県6,601,847.7591,192,121.133622,601.34305182,420.3580815.3485,1192.4572.081
茨城県3,511,644.560634,111.213512,304.16611126,044.4042719.9378,2691.6761.343
熊谷県17,345,655.3113,132,171.935859,288.75101204,681.994006.5828,4203.7813.534
栃木県9,827,110.5491,774,519.285942,362.62703203,196.9740011.5648,5032.7362.423
奈良県7,671,601.4451,385,290.686503,686.23676219,528.0839415.8430,7343.2162.706
堺県5,386,166.989972,600.964469,309.36330233,857.3541124.0466,0482.0871.585
三重県6,087,211.8681,099,191.344537,323.60420223,461.8251220.3427,8312.5692.047
度会県3,918,493.058707,577.417343,303.04620148,683.2752921.0369,4791.9151.513
愛知県15,248,937.0102,753,559.4181,237,147.87620427,785.7724915.51,234,0032.2311.885
浜松県3,837,100.417692,880.034372,546.34901130,187.7637718.8420,5131.6481.338
静岡県4,116,780.010743,382.857251,954.1648693,950.6337012.6378,0761.9661.718
山梨県5,069,000.961915,329.070312,185.17685105,859.6376311.6369,2552.4792.192
滋賀県8,233,718.3551,486,794.306857,849.52528356,931.2970024.0584,7562.5431.932
岐阜県7,921,441.7251,430,405.309729,654.88365242,420.3240016.9683,0502.0941.739
筑摩県6,621,860.8551,195,734.975388,688.93788153,989.5153212.9564,3322.1191.846
長野県5,741,914.3191,036,839.633455,457.12110174,938.3553416.9481,3512.1541.791
宮城県3,911,137.534706,249.202555,285.34300187,322.1110026.5419,1351.6851.238
福島県3,417,262.855617,068.345469,471.39457201,967.8895832.7281,3022.1941.476
磐前県3,342,448.063603,558.749490,802.60437169,870.9215328.1249,5532.4191.738
若松県2,394,064.696432,305.503373,167.37034158,746.3520036.7212,0522.0391.290
水沢県4,399,118.228794,365.759439,309.25000127,049.8960016.0380,4092.0881.754
岩手県2,449,213.156442,263.874252,291.2770092,674.7810021.0323,4341.3671.081
青森県3,143,189.581567,577.876423,100.83800197,400.6580034.8484,4281.1720.764
山形県2,392,634.127432,047.180490,996.92777140,498.4267332.5309,8371.3940.941
置賜県2,225,464.068401,860.637295,671.5430070,048.2590017.4131,9353.0462.515
酒田県2,132,641.810385,099.364235,244.72071164,678.6940042.8207,9021.8521.060
秋田県5,202,585.431939,450.934514,498.04855287,746.8641030.6604,1141.5551.079
敦賀県7,407,130.4461,337,534.137782,010.67585236,475.0150017.7548,8332.4372.006
石川県6,647,458.9611,200,357.324819,318.84735395,644.3152433.0691,7351.7351.163
新川県6,925,808.7111,250,620.013877,764.10700396,982.1038631.7638,8221.9581.336
相川県709,418.243128,102.391135,206.1230056,289.4094443.9104,6301.2240.686
豊岡県5,122,209.209924,937.089467,702.49913179,746.6946419.4508,0271.8211.467
鳥取県2,997,108.753541,199.497459,264.95900201,067.0050037.2392,5891.3790.866
島根県3,428,700.904619,133.757320,709.91100172,412.2373727.8340,3981.8191.312
浜田県2,509,921.751453,226.259182,136.8985087,114.0332019.2268,4551.6881.364
飾磨県8,097,109.9811,462,126.405660,557.81626314,684.0463721.5651,0332.2461.762
北条県2,730,242.696493,010.462262,333.86400101,914.4251020.7217,3622.2681.799
岡山県3,603,546.297650,706.265418,964.53800143,675.7190022.1335,5921.9391.511
小田県5,784,167.4581,044,469.445500,988.18680200,329.9529819.2619,6471.6861.362
広島県8,301,725.8521,499,074.682500,912.65765265,092.5814017.7942,8271.5901.309
山口県15,644,120.4172,824,919.2111,010,303.70507341,925.4730012.1838,9463.3672.960
和歌山県4,918,536.547888,159.130408,230.06735224,052.7682525.2572,4361.5521.160
名東県13,577,717.0062,451,780.770756,937.20037331,293.7950013.51,349,6721.8171.571
愛媛県7,105,984.6501,283,155.078443,321.68842275,217.6148821.4791,5221.6211.273
高知県5,691,285.9771,027,697.478510,572.19470208,769.3680020.3531,8631.9321.540
福岡県5,722,089.8391,033,259.850633,404.63540302,010.9590029.2450,9652.2911.622
三潴県3,821,318.339690,030.203536,742.90265227,274.5128432.9396,9031.7391.166
小倉県3,009,317.257543,404.033366,948.08138157,555.5110029.0317,1081.7141.217
大分県4,038,448.511729,238.236459,184.41734223,341.9441030.6580,3471.2570.872
佐賀県3,388,327.440611,843.365430,449.07615313,001.0963051.2487,0081.2560.614
白川県6,958,929.2701,256,600.720851,237.05291368,443.5679129.3965,2421.3020.920
宮崎県4,297,437.722776,004.918418,142.35665154,120.8321019.9384,0712.0201.619
合計370,760,357.64166,949,628.93331,617,886.4416312,583,172.7444918.832,867,4292.0371.654

地方では税率30%を超えるところもある一方で、都市部の税率がやたら低いようです。全国平均の税率は19%と低目ですが、租税の数字は地租改正前のを用いており、地租改正前であれば表に出てこない中間搾取の事例がたくさんあるので、一概に今と比べて税率が低いとはいえません。ただ所得税というものが導入される前の時代において、土地を持っている農民への税負担に比べ、都市部の住民への課税が甘く、かなり税負担に不平等があったことは伺えます。所得税が本格的に導入され、地租からの税収を上回ったのは明治時代末期からだそうで、年貢→地租は20世紀初頭までずっと日本の税制の根幹をなしていました。

結論としては、明治5年の石高3227万石(北海道・沖縄を除く)に対し、統計上の米の生産高は明治初期の段階で2875万石でしたが、農業生産の方は4684万石もあり、さらに第一次・第二次産業を合計した総生産高は明治7年に6695万石相当(鹿児島も除く)に達していました。結局のところ「石高」というのは年貢を取り立てるための土地評価であり、実態経済と相関はあっても、新しい産業には適応できていなかったといえます。
[81273] 2012年 8月 8日(水)02:32:33【1】YT さん
明治初期の旧国別農産高(2)
それはさておき、中村哲氏の算出した旧国別農産高(単位は米換算石高)と『郡村石高帳』記載の明治5年石高を、『日本地誌提要』記載の租税(=正祖+雑税、単位は米換算石高)とともに並べると以下の通りです。ここでいう名目貢租率(%)とは明治5年正租を明治5年石高で割った値、実質貢租率とは明治5年正租を明治5年農産高で割った値で、中村哲氏が計算したのと同じ方法で算出しました。正租の対象となる石高は元々田、畑、屋敷ですが、屋敷高は多くの場合は無視できるほど少ないので、田畑からの農産高のみを実質石高として計算しているわけです。

旧国M10-M12農産高M5石高M5租税M5正租M5雑税名目貢租率実質貢租率
山城365,474222,368.70517113,985.51400100,725.0560013,260.4580045.327.6
大和718,871503,686.23676219,528.08394212,221.077867,307.0060842.129.5
河内630,166293,118.58720146,021.93591139,710.118416,311.8175047.722.2
和泉278,501176,190.7761087,835.4182080,594.997307,240.4209045.728.9
摂津914,933416,521.93580239,150.83670194,966.8667044,183.9700046.821.3
伊賀166,732110,917.9664054,845.0332053,481.876351,363.1568548.232.1
伊勢974,606714,376.41500293,382.25713277,191.9198216,190.3373138.828.4
志摩30,85919,279.203008,426.405478,100.25262326.1528542.026.2
尾張991,858764,774.16620256,675.72249241,648.0178015,027.7046931.624.4
三河804,910472,373.71000171,110.05000163,473.130007,636.9200034.620.3
遠江522,927372,546.34901130,187.76377126,836.577973,351.1858034.024.3
駿河405,683251,954.1648693,950.6337090,365.636683,584.9970235.922.3
甲斐558,535312,185.17685105,859.6376397,820.926638,038.7110031.317.5
伊豆118,11984,037.2083629,582.8171027,679.482251,903.3348532.923.4
相模503,266289,776.7319791,792.9890085,987.090005,805.8990029.717.1
武蔵2,265,6911,282,000.77090344,906.30130330,102.0018914,804.2994125.714.6
安房96,60495,641.4235028,594.6180025,044.994003,549.6240026.225.9
上総516,332427,313.77094153,247.38011133,404.6220019,842.7581131.225.8
下総949,459687,373.86055200,946.50838177,289.3286823,657.1797025.818.7
常陸1,030,781921,629.15250234,124.77127214,541.9170619,582.8542123.320.8
近江1,365,303857,849.52528356,931.29700340,541.7710016,389.5260039.724.9
美濃1,038,465729,654.88365242,420.32400235,351.862007,068.4620032.322.7
飛騨133,51357,196.0580026,913.8000024,500.353802,413.4462042.818.4
信濃1,663,416786,950.00098302,014.07066267,345.8666334,668.2040334.016.1
上野1,000,092635,851.10734144,814.82700125,407.8978019,406.9292019.712.5
下野978,385758,648.44071168,722.30400143,677.8140025,044.4900018.914.7
磐城722,412650,488.88237219,452.38613197,539.8312321,912.5549030.427.3
岩代852,925760,923.54591332,051.07398302,329.5606329,721.5133539.735.4
陸前870,890700,649.30800225,592.65000206,400.0920019,192.5580029.523.7
陸中687,770471,842.91200158,118.04100150,265.830007,852.2110031.821.8
陸奥605,865423,100.83800197,400.65800168,750.8430028,649.8150039.927.9
羽前1,010,170946,971.30568311,505.02473301,041.2437310,463.7810031.829.8
羽後1,065,878568,474.88935346,368.94510297,578.1554048,790.7897052.327.9
若狭96,92691,767.0581041,704.5960039,115.932002,588.6640042.640.4
越前442,087690,243.61775194,770.41900183,465.0910011,305.3280026.641.5
加賀511,236511,716.01839241,542.76421229,803.3896111,739.3746044.945.0
能登271,355307,602.82896154,101.55103145,814.345058,287.2059847.453.7
越中976,103877,764.10700396,982.10386382,041.2792714,940.8245943.539.1
越後1,825,4111,150,567.52359447,002.69600404,299.3030042,703.3930035.122.1
佐渡108,620135,206.1230056,289.4094449,826.921446,462.4880036.945.9
丹波510,056329,465.47386141,440.63932135,557.799325,882.8400041.126.6
丹後191,702148,002.1303054,247.5762749,080.131185,167.4450933.225.6
但馬250,596148,147.7542746,891.0920540,442.418726,448.6733327.316.1
因幡208,383195,632.6450087,845.0670082,916.712004,928.3550042.439.8
伯耆365,996251,069.40700110,686.77900104,358.285006,328.4940041.628.5
出雲509,146320,709.91100172,412.23737156,849.6453715,562.5920048.930.8
石見272,296182,136.8985087,114.0332083,082.242704,031.7905045.630.5
隠岐16,47912,562.907002,535.159002,181.29700353.8620017.413.2
播磨1,114,614660,557.81626314,684.04637292,656.6528322,027.3935444.326.3
美作302,835262,333.86400101,914.4251099,468.420002,446.0051037.932.8
備前583,012418,964.53800143,675.71900138,528.075005,147.6440033.123.8
備中613,380371,355.17580136,319.16808135,591.82585727.3422336.522.1
備後528,361315,876.18155155,999.23490151,236.025404,763.2095047.928.6
安芸692,191314,669.48710173,104.13140164,405.226808,698.9046052.223.8
周防510,556552,160.21518165,548.11700158,738.537006,809.5800028.731.1
長門387,567458,143.48989176,377.35600170,541.138005,836.2180037.244.0
紀伊755,387444,283.13335239,544.17286229,606.981319,937.1915551.730.4
淡路253,724136,637.9818357,850.2340057,538.16500312.0690042.122.7
阿波635,766310,484.46474137,645.15300137,627.0660018.0870044.321.6
讃岐920,667309,814.75380135,798.40800135,798.4080043.814.8
伊予856,592443,321.68842275,217.61488257,459.2991317,758.3157558.130.1
土佐582,940510,572.19470208,769.36800192,817.1600015,952.2080037.833.1
筑前742,511633,404.63540302,010.95900281,873.4600020,137.4990044.538.0
筑後674,442536,742.90265227,274.51284211,461.1848415,813.3280039.431.4
豊前477,297366,948.08138157,555.51100149,489.291008,066.2200040.731.3
豊後816,402459,184.41734223,341.94410199,789.4698023,552.4743043.524.5
肥前1,369,052685,116.89762437,237.98330398,991.8189038,246.1644058.229.1
肥後1,445,934851,237.05291368,443.56791357,671.2824210,772.2854942.024.7
日向423,041418,142.35665154,120.83210149,896.724104,224.1080035.835.4
大隅234,079276,219.4783090,157.7607790,065.2080292.5527532.638.5
奄美52,793.3920214,287.5429514,287.5429527.1
薩摩446,977323,483.49953119,233.81405117,880.021131,353.7929236.426.4
壱岐49,34632,853.8850013,630.1380012,604.553001,025.5850038.425.5
対馬28,4785,818.116005,083.946002,686.383002,397.5630046.29.4
琉球94,230.7009431,752.0000031,752.0000033.7
合計46,840,93432,364,612.8124212,838,603.8622611,971,213.72338867,390.1388837.025.5

実質貢租率の高い地域として旧加賀藩、長州藩の地域、あるいは佐渡が挙がってますが、これは正租の内の「金納」の課税対象が農産物由来以外(海産物や塩田、林業など)を含むこともありえるので、単純には比較できません。

例えば寛永2年(1625年)の長州藩の石高は以下の通りで、屋敷高が高く設定され、また田・畑・屋敷以外にも石高が設定されています。つまり漁業関係や鉱山にも石高を設定することで、通常なら雑税扱いのところからも正租を設定して年貢を取り立てています。
旧国百姓屋敷市・町・湯田屋敷浦屋敷小物成浦浮役塩浜湯坪役総石高
周防285,697.4355242,108.7055016,398.972441,532.20420861.666022,150.545341,140.8503,145.248005.255373,040.882
長門164,877.1029821,640.674139,626.83610650.22500415.78521,687.679282,036.7551,199.55231112.620202,247.230
合計450,574.5385063,749.3796326,025.808542,182.429201,277.451223,838.224623,177.6054,344.80031117.875575,288.112
[81272] 2012年 8月 8日(水)02:31:32【2】YT さん
明治初期の旧国別農産高(1)
さて、このような数字を探し出すきっかけになったのは、中村哲著『明治維新の基礎構造』(1968年)に出会ったからです。速水融を始め、色々な学者の江戸時代の農業生産力の発展の計算で引用されているのが、以下の中村哲氏の試算です。

年号西暦石高(石)実収高(石)田(町歩)畑・宅地(町歩)計(町歩)備考
慶長3年1508年18,505,00019,731,000石高
正保2年1645年23,133,00023,133,000石高
元禄10年1697年25,796,00030,630,000石高
享保6年1721年1,643,0001,317,0002,961,000石高
天保元年1830年30,426,00039,757,000石高
明治5年1872年32,220,0003,587,000石高、旧反別
1870年代44,250,0002,601,0002,015,0004,616,000収穫米、新反別
明治10-12年1877-1879年46,812,0002,629,0002,181,0004,810,000農産物米換額、反別は1882年

ここでいう実収高とは、
 (1)一八七七―七九年平均「農産表」農産額の米換算額を幕藩体制解体の最終時点の農産物収量とする。(2)近世の石高のうち元禄以降のものは、すでに幕藩体制の余剰余労働の搾取が不可能となった段階のものであり、実収量をそのまま反映するものではない。また慶長石高も太閤検地段階のものであり、まだ幕藩体制が確立せず、したがって領主は農業生産を完全に把握するにはいたっていないであろう。さいきんの研究によれば、幕藩体制が確立し、形成されてきた小農民経営を体制的に把握し、それから全剰余労働搾取をほぼ実現しえたのは一七世紀三〇―五〇年代と考えられる。したがって、一六四五(正保二)年の石高の石高が実収量を示すものとする。

[81123][81124]で示したように、そもそも2313万石というのは正保郷帳として低く、実際には2457万石、欠けている郷帳分を考えれば2500万石程度には実高はあったと思われ、50年経った今になってもこの辺の再計算をせずに中村哲氏の仕事を専門家が引用し続けているのは問題があると思われます。それはともかくとして中村哲氏は、明治10年から明治12年の『全国農産表』を用いて明治初期の農産高を計算しています。

(1) 農産物「農産表」の一八七七―七九年の三ヵ年分を使用し、国単位に三ヵ年平均額を算出した。農業では豊凶により生産額はかなり大きく毎年変動し、その変動も地域により農産物によって異なるので一ヵ年のみをとることは危険である。またとくに明治初年の統計の不備から生ずる数値の誤りのうちあまりに甚しいものについては数年間にわたる数値を比較することによって発見することが可能である。その場合、郡単位に検討することによって修正を比較的正確に(郡単位に集計し直すことによって誤りを正すことができる場合もあるが、多くの場合は国単位での課題ないし過小と思われる数値については、郡単位に検討し、その誤りが特定の郡の誤りの反映であることが発見出来る。郡単位での修正の方が国単位での修正より精度が高いことは確実である)行ないうるから「農産表」に郡別記載のある年次(一八七六―七九年)をとり、そのうち一八七六年は脱落や誤りがとくに多いので除き、一八七七―七九年をとったのである。そのようにしてかなり推測をまじえつつ、適当と思われる修正を行なった。そうしてもなおかなりの誤りは修正されていないとおもわれるし、根本的には「農産表」の統計的な正確度がどの程度のものであるかという問題が残る。その点については正確な推定をすることは不可能であるが、実際よりかなり過小であったことは間違いない。また「農産表」に載っていない農作物もかなりある。しかし、明治前期については数年以上にわたる全国的な農産物統計は他に存在しないから、この点を考慮しつつ使用するより仕方ない。そのように生産数量を修正したうえで生産価格を算出する場合には一八七七年の全国平均価格を使用した。そうすることによって各地域における農産物価格の差違を無視することになるが、「農産表」に記載された価格がどのような性質のもんであるか明らかでないこと、明らかに誤りであると思われる場合がかなり多いこと、生産力水準を測定するためには価格差を消去することが必要であることなどの理由による。また一八七七年をとったのは、七九年の「農産表」には価格表示はないく、七九年はインフレーションの影響がすでに強いことによる。

そこで中村哲氏の試算が正しいのかどうか、実際に総ての国で再計算しようとしましたが、予想外に大変で断念しました。とりあえず一番簡単な壱岐の例で検証してみましたたが、中村哲氏の計算した農産高4万9346石と一致しません。おそらく計算に含めているのは農産物(自分の試算では4万9781石)だけで、海産物関係(含めると5万3093石)は除いているようですが。

単位M10数量M11数量M12数量M10価格(円)M11価格(円)M12価格(円)平均価格(円)単価(円)
10,514.58013,799.92315,878.83043,612.31557,239.24265,862.12155,571.2264.147794
糯米1,329.5403,029.3852,350.8005,806.58213,230.42010,266.7949,767.9324.367362
大麦3,666.4003,634.7105,192.6606,711.8346,653.8219,505.8567,623.8371.830633
小麦1,277.4001,770.8002,720.0903,912.6785,423.9638,331.6405,889.4273.063002
裸麦11,375.30012,802.40020,680.31029,795.92433,534.00354,169.02839,166.3182.619353
2,469.7002,596.0004,632.2005,072.5175,331.9259,514.0766,639.5062.053900
16.00010.80053.47032.74022.100109.41354.7512.046259
87.10060.750383.76089.17962.200392.922181.4341.023874
大豆6,227.2006,625.15017,927.46023,596.48325,104.41967,931.81538,877.5723.789260
蕎麦460.200869.0001,029.9406,223.92311,752.69313,929.30810,635.30813.524388
蜀黍122.86053.600180.740222.07296.883326.691215.2151.807517
玉蜀黍100.0001.2000.4000.012000
甘藷3,918,772.0007,527,380.0009,201,450.00013,400.88225,741.10831,465.86523,535.9520.003420
真綿1,110.0001,200.0001,474.00081.17187.752107.78992.2370.073127
生糸8.00012.0005.00033.28449.92620.80334.6714.160534
草煙葉420.000400.0002,000.00020.62019.63898.19046.1490.049095
菜種847.100840.0002,778.5254,637.2814,598.41315,210.4838,148.7265.474301
1,488.000750.0006,762.00058.70329.588266.767118.3530.039451
乾鮑4,900.0006,500.000116.6351,116.7991,481.46826.583874.9500.227918
47,700.00045,000.00016,892.03915,935.88610,942.6410.354131
鱶鰭1,680.0001,535.000677.319618.860432.0590.403166
海参1,220.0001,350.000286.450316.973201.1410.234795
石花栄500.00020.1176.7060.040233
乾鰛59,500.00021,000.0006,500.0002,382.697840.952260.2951,161.3140.040045
農産物合計143,250.686188,948.506287,242.794206,480.662
米石換算34,536.59345,553.97269,251.93749,780.834
農産・海産物合計164,684.808208,172.232287,796.439220,217.826
米石換算39,704.18850,188.65869,385.41753,092.754

同様に陸奥国で計算しましたが、中村哲氏の計算した農産高60万5865石に対し、私の計算では農産物合計66万1669石、農産・海産物合計66万4884石と、全然一致しません。どうやら明治12年度の米収穫高を過剰と判断し、数値を削らない限り、中村哲氏の値には近づきません。

このように中村哲氏の計算した農産高は様々なところで多重に引用されていますが、再計算が必要と思われます。
[81271] 2012年 8月 8日(水)02:23:58【2】YT さん
明治初期の旧国別米収穫量実数(2)
[81270]の数字の説明

註1. M5石高は原則として東京大学史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』記載のものを用いたが、薩摩、大隅の石高は『明治八年 共武政表』による修正を加え、奄美群島(大島郡)の石高は大隅に加算([81068]参照)。

註2. 日向・薩摩・大隅は西南戦争の影響で明治9年と明治10年の農産高を欠く。また明治11年の日向は那珂郡、大隅は馭謨郡、薩摩は甑島郡の農産高をそれぞれ欠き、明治12年の大隅は熊毛・大島郡の農産高を欠き、明治14年の大隅は熊毛・馭謨・大島郡の農産高を欠く。よって日向・薩摩・大隅は明治11年から明治15年までの5年間のデータで平均収穫高を算出し、必要に応じて単年の郡別(粳)米・糯米収穫高で補間した(明治12年日向国那珂郡:4万9265石6斗1升7合、明治11年大隅国熊毛郡:8410石、明治12年大隅国馭謨郡:178石3斗5升、明治11年大隅国大島郡:8215石3斗3升、明治12年薩摩国甑島郡:1386石6斗8升5合)。なお明治15年の筑前・筑後・豊前三国の福岡県分の農産高は元文献において明治14年の数字で補填されている。

註3. 明治9年の三河の糯米収穫高を5291石8斗1升1合から郡別収穫高合計の5291石8斗8升1合に修正。この修正により明治9年の糯米収穫高の総計と国別合計が一致する。

註4. 明治9年の出雲の(粳)米収穫高72万9992石2斗2升6合は明らかな誤記であり、27万9992石2斗2升6合に修正。この修正により明治9年の(粳)米収穫高の総計と国別合計の不一致45万石が解消される。

註5. 明治10年の三河の(粳)米収穫高を34万8381石8斗4升6合から郡別収穫高合計の34万8375石8斗4升6合に修正。また遠江の(粳)米収穫高を26万8168石0斗4升から郡別収穫高合計の26万8177石0斗4升に修正。また羽前の(粳)米収穫高を71万4444石7斗7升3合から郡別収穫高合計の89万4444石7斗7升3合に修正(羽前国秋田郡の(粳)米収穫高20万1168石5斗0升1合を2万1168石5斗0升1合として国別収穫高に集計した結果か)。これらの修正により明治10年の(粳)米収穫高の総計と国別合計の不一致18万0003石が解消される。

註6. 明治12年の武蔵の(粳)米収穫高を92万4009石7斗7升1合から郡別収穫高合計87万2547石0斗9升4合に、糯米収穫高を14万2142石7斗5升8合から郡別収穫高合計13万3389石9斗2升6合に修正(武蔵国多摩三郡の農産高が誤って二重加算されている)。また越後の粳)米収穫高を153万4912石9斗8升8合から郡別収穫高合計154万3405石5斗2升6合に、糯米収穫高を11万8845石5斗5升から郡別収穫高合計12万0290石8斗5升7合に修正(越後国東蒲原郡の農産高が誤って加算されていない)。これらの修正により、明治12年の(粳)米・糯収穫高の総計と国別合計が一致していたものが、逆に不一致となる。

明治5年石高で115万石と評価されていた越後の米収穫高が明治9~明治15年の時点で年平均154万石に達していたこともさることながら、57万石と評価されていた羽後の米収穫高が100万石を越えていたことも驚きかも知れません。米の収穫高が明治5年評価の内高を越えているところは近畿周辺と日本海側に多いようです。あと当時の人口3646万人(明治12年1月1日調推定人口)に対し、米の収穫高は年平均2875万石程度。国民全員が毎食米を食べるには足りなかったようです。もっとも『農産表』の数字は過小評価という研究も存在します。明治10~12年の『農産表』から算定した米の全国平均反収は1.128石/反ですが、農家が地租改正の改正時に低く評価されることを期待して、実際よりも低い収穫高を申告しており、実際には1.4~1.5石/反程度の収穫があったはず(明治18年(1885年)に地租の据え置きが宣言された以降は1.4石余/反の水準が保たれる)だから、25%~30%程度過少の数字になっているというものです。データの揃っている明治13年調の作付面積から反収1.4~1.5石/反で計算すると、実際の米の収穫高は3590万~3847万石となり、1人1石以上の米の収穫高があることになります。もっとも当時は流通のロスも凄まじく、明治10年代後半から神力などの品種改良種の広がりにより収穫量が大幅に増えるという技術革新が起こっており、この反収の仮定が正しいのか、私には判断できません。また明治13年は豊作の年であり、不作の年は確実に全員に米は行き渡らないでしょう。

作付反別(町歩)収穫高(石)反収(石/反)推定収穫高(1.4石/反)推定収穫高(1.45石/反)推定収穫高(1.5石/反)
(粳)米2,326,369.590828,698,368.3291.23432,569,174.29733,732,359.09434,895,543.890
陸米10,958.472469,360.5960.63376,709.34679,448.96682,188.585
糯米232,782.44082,666,011.1581.1453,258,954.1973,375,345.4193,491,736.640
米合計2,570,110.511031,433,740.0831.22335,904,837.84137,187,153.47838,469,469.115

註1. 作付反別の「2,570,110.5110」は、257万0110町5段1畝10歩を意味するが、1町=10段=100畝=3000歩であり、単純な10進数ではない。

註2. 推定収穫高はそれぞれ反収を1石4斗、1石4斗5升、1石5斗で計算しているが、陸米の収穫高は水田の半分と仮定し、それぞれ反収を7斗、7斗2升5合、7斗5升として計算した。
[81270] 2012年 8月 8日(水)02:20:43【1】YT さん
明治初期の旧国別米収穫量実数(1)
[81125]で予告したように、実際の米の収穫量と石高の違い、農産高との比較をまとめます。

自分もかつて[67156]の記事を書いていたころは、石高は米の収穫量を表すもの程度に思っていましたが、その後自分でも色々地租改正や検地についての専門書を読み、石高が単純に米の生産性から算出したものではないことが分かりました。[72052]でのニジェガロージェッツ さんの解説や[74271]でのhmt さんの解説にあるように、実際には田・畑・宅地などの土地について生産性を評価し(石盛)、米換算の石高に置き換えて評価したのが石高です。明治以降は「地租」、そして戦後は地方税の「固定資産税」と名前を変え、今となっては所得税よりもウェイトが下がったとはいえ、未だに地方自治体では住民税よりも重要な税源です。

江戸時代の実際の米の収穫高については、各藩や江戸幕府などが年貢米を通じて調査したものが色々残っていますが、全国一律に調べたものはありません。しかしながら明治時代になると、『全国農産表』というものが作成され、各地の米の収穫高が国郡別に集計されます。明治9年から15年度の『全国農産表』は明治14年分を除き、近代デジタルライブラリーで閲覧できます(明治14年度に関しては、[『明治初期生産統計集成』]収録のものを閲覧するしかありません)。これら明治初期の農産高は幕末の農産高と大きな違いはないでしょう。そこで明治9年から明治15年までの7年間の『全国農産表』に集計されている水・陸の粳米・糯米の生産高(単位:石、合の桁まで示す)を、以下にまとめてみました。参考までに明治9年~明治15年の7ヶ年平均米収穫高(斗の桁で四捨五入)と『郡村石高帳』記載の明治5年石高(単位:石、才の桁まで示す)を並べてまとめます。

旧国M9米石M10米石M11米石M12米石M13米石M14米石M15米石平均米石M5石高
山城176,922.603246,179.991197,301.563262,173.220251,355.609232,955.585211,620.405225,501222,368.70517
大和353,141.139510,892.833430,452.255547,759.050373,796.915454,110.595471,427.878448,797503,686.23676
河内284,668.181346,125.400307,539.598384,230.854319,368.820327,738.526349,884.145331,365293,118.58720
和泉120,157.384160,663.837125,438.677155,560.808152,421.415132,554.774177,190.259146,284176,190.77610
摂津321,416.785613,906.729483,777.202574,257.599513,080.826564,270.128563,090.003519,114416,521.93580
伊賀122,310.408130,147.262112,305.980137,700.567129,725.453122,020.800121,698.572125,130110,917.96640
伊勢648,799.767688,104.927563,180.746761,310.554666,223.996603,279.156586,558.670645,351714,376.41500
志摩20,315.87019,161.75915,158.65225,121.27516,967.16411,882.46420,784.61218,48519,279.20300
尾張474,894.851552,882.788560,342.426654,872.325627,848.292594,729.129613,889.849582,780764,774.16620
三河316,989.250382,972.398366,363.903389,584.248375,208.804360,213.651348,507.666362,834472,373.71000
遠江277,432.440288,983.860262,919.056354,560.741290,929.284293,045.995305,386.555296,180372,546.34901
駿河231,615.830203,608.990192,505.173291,768.244289,984.472262,941.631283,706.473250,876251,954.16486
甲斐211,484.510238,162.477215,042.769254,118.060230,721.722230,544.461219,580.311228,522312,185.17685
伊豆72,052.75074,927.32064,117.58283,834.66492,788.78875,069.08984,378.80078,16784,037.20836
相模175,406.076178,884.842185,107.759216,727.563202,658.121178,438.698185,268.511188,927289,776.73197
武蔵800,174.749781,390.010802,207.8561,005,937.0201,193,077.5281,183,149.6201,270,747.2651,005,2411,282,000.77090
安房58,510.30557,118.02864,063.65473,464.98375,535.08183,715.32283,931.66270,90695,641.42350
上総298,206.152296,575.528346,166.281429,443.319373,701.026368,514.447398,424.369358,719427,313.77094
下総499,857.363466,061.074477,842.369620,616.424628,264.163543,872.863579,158.664545,096687,373.86055
常陸530,309.880492,302.164511,085.212778,241.355790,720.406644,732.023772,984.097645,768921,629.15250
近江785,932.143954,706.459789,754.2971,128,868.4641,078,842.1831,064,819.4671,019,315.145974,605857,849.52528
美濃638,811.987619,718.853463,801.113664,730.032642,757.439579,449.387519,346.070589,802729,654.88365
飛騨65,087.87860,343.99854,906.33660,375.93761,856.96261,784.135160,154.67974,93057,196.05800
信濃887,527.094728,463.458726,508.480732,374.991784,306.216766,965.899726,122.701764,610786,950.00098
上野309,596.719211,219.219243,544.551356,509.905319,157.777312,761.967282,465.170290,751635,851.10734
下野384,220.110435,103.973442,506.412486,514.379559,634.906525,264.769528,777.729480,289758,648.44071
磐城535,345.392518,780.384486,108.696522,815.264511,892.860509,306.733490,429.894510,668650,488.88237
岩代514,469.529533,166.272454,715.056518,044.549608,508.311505,957.166562,371.224528,176760,923.54591
陸前703,027.055680,666.097590,483.565666,023.519796,735.637721,098.251762,267.055702,900700,649.30800
陸中357,571.882406,388.187401,876.628442,037.134487,159.913399,752.825388,020.146411,830471,842.91200
陸奥467,118.842442,478.743395,765.895604,186.571549,245.630544,264.337573,285.691510,907423,100.83800
羽前854,076.294760,050.773664,181.220786,809.896893,619.648705,023.765864,724.240789,784946,971.30568
羽後941,379.313961,971.842863,302.8461,134,993.4341,250,344.812946,561.2861,162,563.3981,037,302568,474.88935
若狭60,226.08173,913.71057,532.76192,087.27587,521.19577,438.22579,378.05275,44291,767.05810
越前276,257.744303,248.227304,969.414349,330.790528,369.762374,315.380400,776.484362,467690,243.61775
加賀386,043.978408,781.977316,022.525404,325.176455,440.529380,378.538466,349.086402,477511,716.01839
能登259,023.553223,752.074202,215.095243,797.324260,300.878243,388.560247,641.196240,017307,602.82896
越中867,987.823883,473.450800,202.171866,804.2321,122,397.016874,643.281957,954.604910,495877,764.10700
越後1,223,661.8241,389,458.9111,342,000.7101,663,696.3831,979,005.1071,659,974.4781,775,916.0231,576,2451,150,567.52359
佐渡89,684.76570,511.52083,647.918133,267.200133,789.63086,816.19182,819.43097,220135,206.12300
丹波247,165.893338,537.043340,485.178386,245.103355,752.780353,229.877347,269.037338,384329,465.47386
丹後75,853.010144,987.437105,981.806139,898.949141,242.202130,703.889134,765.104124,776148,002.13030
但馬103,100.000142,746.276147,475.134156,118.148163,774.093160,097.577153,594.101146,701148,147.75427
因幡159,420.077160,439.970135,158.996202,179.167182,072.294184,180.629174,363.547171,116195,632.64500
伯耆154,191.323253,602.675183,303.046253,774.198231,210.607246,081.807224,793.595220,994251,069.40700
出雲280,059.586380,921.861328,717.675447,229.990407,587.111400,971.325377,718.901374,744320,709.91100
石見150,871.782177,750.155152,263.180215,563.216173,082.553173,303.289176,253.855174,155182,136.89850
隠岐5,809.02210,916.1135,327.59713,626.19812,921.7378,709.1967,922.3659,31912,562.90700
播磨467,216.000593,162.949895,618.770869,582.139834,657.781844,378.544771,366.375753,712660,557.81626
美作151,973.073216,468.335203,930.685230,419.012211,557.257217,300.542188,769.429202,917262,333.86400
備前303,052.597388,061.137362,222.105442,476.337373,283.540421,671.314362,739.683379,072418,964.53800
備中207,843.421305,412.461302,724.941338,360.681317,099.808328,821.263308,115.211301,197371,355.17580
備後210,871.929246,993.655235,256.677329,481.054317,436.112327,385.359327,320.197284,964315,876.18155
安芸242,650.104348,070.853338,644.212451,537.303457,603.023436,118.587445,424.355388,578314,669.48710
周防288,361.501300,726.966374,676.599366,050.873363,916.169373,002.856392,716.592351,350552,160.21518
長門250,697.685298,109.574273,749.050329,534.714316,187.555341,386.049346,927.116308,085458,143.48989
紀伊426,690.852459,289.814413,868.901597,046.229446,727.121477,205.514462,755.184469,083444,283.13335
淡路108,954.000181,800.000186,091.603193,954.000204,380.625167,511.028185,551.655175,463136,637.98183
阿波238,714.031204,916.132196,855.697272,723.470263,441.686268,897.462221,009.242238,080310,484.46474
讃岐306,786.912344,439.500354,957.156469,816.096446,909.224457,425.570462,111.687406,064309,814.75380
伊予361,384.018378,756.420412,376.634490,194.317440,596.833486,957.258443,189.766430,494443,321.68842
土佐358,003.510321,081.786298,586.092376,060.900342,563.090377,288.000347,766.314345,907510,572.19470
筑前522,237.000589,332.154458,122.195633,518.484560,571.871541,626.115541,626.115549,576633,404.63540
筑後393,093.000425,920.491324,948.184445,559.126340,936.860439,374.725439,374.725401,315536,742.90265
豊前294,893.280333,532.978267,902.031438,951.549362,614.845369,340.607358,758.253346,571366,948.08138
豊後312,007.347354,829.814324,195.465460,182.289378,133.068420,230.268340,874.146370,065459,184.41734
肥前692,413.031664,212.298690,175.740900,679.283822,342.188807,306.928882,422.216779,936685,116.89762
肥後820,385.878625,310.633564,963.199791,357.050713,092.507843,277.007673,106.739718,785851,237.05291
日向173,403.633238,496.624267,840.242365,014.377311,136.240281,031418,142.35665
大隅・奄美96,600.149117,399.64198,232.512139,022.454142,276.376125,428329,012.87032
薩摩147,662.658148,313.477162,709.535181,914.334178,696.443164,137323,483.49953
壱岐5,342.75011,844.12016,829.30818,229.63014,100.82912,095.80517,051.45313,64232,853.88500
対馬2,032.4241,753.3112,500.8584,576.7103,898.1292,455.8835,557.3293,2545,818.11600
合計24,743,791.33526,599,177.25525,282,539.55631,628,011.28531,433,740.08329,912,029.03530,452,220.12928,753,85132,270,382.11148
不一致-0.0094.0190.10050,277.6640.0000.0020.000
総計24,743,791.32626,599,181.27425,282,539.65631,678,288.94931,433,740.08329,912,029.03730,452,220.129
[81225] 2012年 8月 1日(水)18:55:45【1】YT さん
桐山
[81224] 皿 さん

すべては昭和31年と昭和42年に後に当時の東頸城郡松代町と中魚沼郡川西町との間で境界線を変更していたからです。

郡域レベルの変更は、平凡社の『日本歴史地名体系』の新潟県の「旧区郡域・現郡市区町村域 対照図」(各巻の巻頭に収録されています)を見れば大雑把に分かります。確かに現十日町市桐山~室島乙で、山中に微妙な郡域の変更があったことが見てとれますが、正確な領域の変更をここに書き下すことはできません。

それよりも、そのような微妙な領域の変更を問題にするのなら、それこそ図書館へ行って古い地図を調べ、自分の目で確かめないと話にならないし、そっちの方がはるかに早いと思いますが。少なくとも近代デジタルライブラリー収録の地図は山中の郡境が不正確です。どの縮尺の地図で作業しようとしているのかは知りませんが、古い地図が入手できなのなら、『日本歴史地名体系』収録の地図を見るのが早いと思います。
[81218] 2012年 7月 31日(火)17:16:03【3】YT さん
矢吹町
[81198] 皿さん
私は、福島県矢吹町の現行町名と江戸時代にのちの現在の矢吹町にあった村の位置が全然わかりません。
とりあえず、近代デジタルライブラリーの『ポケツト大日本分県地図 : 最新調査. 福島県之部』 (1925年)を見ると、当時の三町村(矢吹町、中畑村、三神村)の境界と、それぞれの村内の地名の凡その位置が載っています。

一方、『旧高旧領帳』を調べると、大和久村、須乗村、須乗新田、七軒新田が白河県の幕府領、松倉村、三城目村、三城目新田が白河県の白河藩領分、矢吹村、矢吹新田、中畑村、中畑新田、大畑村、堤村、神田村、松崎村、中野目村、明岡村、明岡新田が磐前県の白河藩領分となっています。

近世村等旧領府県(M9迄)郡(M8迄)町村制施行時(M22)備考
矢吹村白河藩領分磐前県石川郡矢吹村
(矢吹新田村)白河藩領分磐前県石川郡矢吹村M9矢吹村に合併
中畑新田村白河藩領分磐前県石川郡矢吹村
大和久村幕府領白河県白河郡矢吹村
中畑村白河藩領分磐前県石川郡中畑村
松倉村白河藩領分白河県白河郡中畑村
(七軒新田村)幕府領白河県白河郡中畑村M9松倉村に合併
大畑村白河藩領分磐前県石川郡中畑村
須乗村幕府領白河県白河郡三神村
(須乗新田村)幕府領白河県白河郡三神村M9須乗村に合併
三城目村白河藩領分白河県白河郡三神村
(三城目新田村)白河藩領分白河県白河郡三神村M9三城目村に合併
神田村白河藩領分磐前県石川郡三神村
中野目村白河藩領分磐前県石川郡三神村
堤村白河藩領分磐前県石川郡三神村
明新村白河藩領分磐前県石川郡三神村M19明岡村と明岡新田村が合併して成立
(明岡村)白河藩領分磐前県石川郡三神村M19明岡新田村と合併し明新村
(明岡新田村)白河藩領分磐前県石川郡三神村M19明岡村と合併し明新村
柿ノ内村白河藩領分白河県岩瀬郡広戸村K2(1866)以降幕府領

現地名への対応は、平凡社の『日本歴史地名大系』に載っています。また西岡虎之助, 服部之総監修『日本歴史地図』 (1956年)の244-245頁に、福島県の廃藩置県前の幕府領・各藩領や、明治8年に白河郡となった石川郡の領域(明治8年までは、その中に三城目村、三城目新田、須乗村、須乗新田村などの白河郡の飛び地があったことになる)が載っていますので、『ポケツト大日本分県地図』と比較すれば、江戸時代の村の領域がある程度は把握できると思います。

なお東大の史料編纂所には、私製の『1:25,000地形図』があります。
国土地理院発行, 昭和29-54年刊) を各地域毎に私家製本したもの
ですので、その気になれば昭和55年の大字変更前の地名の位置を探ることができるでしょう。

【追記】天保国絵図を見ると、矢吹村や中畑村が石川郡所属となっていて、三城目村、三城目新田、須乗村、須乗新田村がループの白河郡所属となっていますが、『日本歴史地図』ではこれらの地域が「白河郡飛び地」と明記され、その周りを明治8年まで石川郡所属(『日本歴史地図』では石川「県」と書かれていますが、多分誤植)の矢吹村・中畑村等が取り囲んでいます。『旧高旧領帳』ではこれらの石川郡所属の村も白河郡(後の西白河郡)所属扱いとなっていますが、正確にはこれらの地域は天保郷帳の描かれた江戸時代後半から明治初期まで石川郡所属です。

【追記2】というか、2万5000分の1の地図はそもそも国立国会図書館で閲覧可能でしたね。ゼンリンの住宅地図の方は、国立国会図書館では1984年版が最も古いようですが。
[81192] 2012年 7月 28日(土)05:09:06【1】YT さん
文部省年報、磐井
[81186] 白桃 さん

ただ、下小田井(後の西枇杷島町→清須市)は、「戸数1,089、人口553人」とな
っており、思わず唸ってしまいました。

以前私が[67796]に書いたのと同じ問題に直面しているようですね。

地名明治12年1月1日調明治13年1月1日調
地名戸数人口戸数人口
下之一色村1,0794,5351,0624,381
下小田井村1,0864,2421,089553

明治12年1月1日調の方は男2125人+女2117人、明治13年1月1日調の方は男276人
+女277人となっており、おそらく後者が2076+2077人の間違いで、たぶん正し
い人口は4153人だろうという予測はつきますが、確証はありません。しかもこの
時代は戸数と言った場合、後の世帯数に相当する戸数と家数の混同が起こってい
たりします。

ところで以前、[68674][68675]で、文部省調による明治12年と明治13年の「人口壱萬人以上ノ都邑」の人口を紹介しましたが、これの元データが『日本帝国文部省年報』の「人口壱万以上都邑学事統計表」であることが判りました。『日本帝国文部省年報』では、明治10年から明治18年まで、人口1万人以上の都邑の人口と、明治10年から明治16年までの各府県の主だった都邑の人口がまとめてあり、これについては量も多くないのでいずれまとめようと思います(というか、「人口壱万以上都邑」に登場する138都邑の9年間(明治10年~明治18年)の人口については既にまとめ済みです)。

ただこの表で使われている人口は、共武政表や日本民籍戸口表の人口とほとんど一致しません。文部省が独自に人口調査をしているとは思えないので、内務省や警察署の戸籍調査を使っていると推測されるのですが、これらが本籍人口なのか、現住人口なのか、あるいは年始/年末調のいずれかなのか、等々、色々データに問題があるので、公式の人口データとみなしていいのか微妙な状況です。せめて一言どこかに人口データの典拠や方法論についての言及があればいいのすが・・・

[81048] 千本桜さん
共武政表の岩手県西磐井郡に「磐井」と言う名の輻輳地が記載されていますが、

明治10年には磐井は人口1万3702人(明治11年1月1日調?)の大都市という扱いになっています。明治11年には人口1万1813人(明治12年1月1日調?)、明治12年には9403人(明治13年1月1日調?)、明治13年には7974人(明治14年1月1日調?)、明治14年には6791人(明治15年1月1日調?)に減っており、都市域の範囲がいい加減であることが伺えます。明治15年の磐井の人口は6822人と少し増え、明治16年には6859人となっています。残念ながら明治17年~明治18年は「人口壱萬人以上ノ都邑」しか掲載されていませんので対象外ですが、『文部省年報』の記述を信じるのなら少なくとも明治10年から16年頃までは、「一関」ではなく「磐井」の方が正式な呼称として採用されていたようにみえます。
[81178] 2012年 7月 24日(火)18:40:40YT さん
十勝国河東郡、河西郡は各々「川筋東岸、川筋西岸」の村々を以て一郡と仕度候
[81170] Issie さん
いや,もっと単純に,北海道に国郡が設置された1869(明治2)年の段階では十勝平野の内陸まで実測が行われてはいないでしょうから方位の測量も完全ではなく,やっぱりサックリと“十勝川の西と東”ということなのかもしれませんが。

[81174] にまん さん
私はサックリ説に一票。

北の住人さんが[46207]で挙げられていますが、北海道の旧国名、制定の経緯に纏められているように、北海道の名称や国郡名は、開拓判官の松浦武四郎が明治2年旧暦7月17日(1869年8月24日)に上申した意見書を元に、明治2年旧暦8月15日(1869年9月20日)に太政官布告で決定されたものです(明治2年8月15日太政官布達第734)。

幸いに松浦武四郎による上申書の中身は、北海道大学北方関係資料総合目録の方に、『北海道々国郡名撰定上書』として収録されていますので、該当部分を読みますと:

河東郡 川筋東岸「ヲトフケ」「シカリヘツ」の村々を以て一郡と仕候、様奉在候

河西郡 川筋西岸「サツナイ」「ヤロマツ」「ヒハイロ」「メモロ」等を以て一郡に仕度候

「トカチ」川の東西村々を二郡に相分け中候、河東河西と仕度候、則阿波国に名東郡、名西郡、又筑前の上座、下座其餘葛上、葛下、添上、添下、皆あげてかぞへがたし、依て可然奉存候、

ヲトフケ=音更
シカリヘツ=然別(音更町内)
サツナイ=札内(幕別町内)
ヤロマツ=?
ヒハイロ=ピパイロ、美生(芽室町内)
メモロ=芽室

つまり十勝川の川筋西岸=十勝川の右岸、川筋東岸=十勝川の左岸としており、河口での川岸の東西で決めたようで、上流での地理云々は関係ないわけですね。まあ天保の国絵図を見る限り内陸の方位はいい加減ですし、伊能大図も海岸線しか調べていませんし、明治2年の段階では内陸の地形の詳細は不明だったでしょうけども。

なお、松浦武四郎本人はこれらの土地を実際に歩き、『蝦夷日誌』等に書き記しているようです。その辺の詳しいことは地徳力さんのホームページに掲載されています。

上を調べるきっかけになったのは、[81063]に示したように、『郡村石高帳』に釧路国善報郡という郡名が記載されていたからです。法令全書太政官日誌を見る限りそのような郡は設置された事実はなく、あくまでも松浦武四郎の原案にしか登場しないようです。どうやら明治6年に租税寮で『郡村石高帳』をまとめた人には北海道の国郡はどうでもよくて(村数、石高は全て空欄)、松浦武四郎の原案を横にして帳簿をまとめてしまったようです。
[81167] 2012年 7月 22日(日)17:47:25【1】YT さん
寛永国絵図の美作国の石高の訂正
[81123]の1598年~1872年の旧国別石高の変遷の内、寛永十年巡見使国絵図の美作国の石高に誤りがあったので訂正します。[81123]では22万7115石としましたが、改めて川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房 (2002年)をチェックし、22万7715石の間違いであることを確認しました。それに伴い総石高も、2242万6237石9斗から、600石多い2242万6837石9斗へ修正されます。まあ、島原松平文庫『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」記載の江戸初期高と比較すると、どちらかが「壱」と「七」を混同して書き記した可能性が高いようにみえますが。

なお寛永十年巡見使国絵図では、端数切り捨てを意味する「余」という言葉が幾つかの地図に挿入されています。同様に島原松平文庫『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」でも三河国に限り「余」が挿入されています。以下、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」 (『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))記載の江戸初期高とともに寛永国絵図石高を再録します。

旧国江戸初期高(余)寛永国絵図高(余)
山城国216,070.700216,070.0
大和国444,134.000444,134.0
河内国308,857.620308,857.0
和泉国138,797.090138,797.0
摂津国290,902.100299,902.0
伊賀国95,594.10095,594.0
伊勢国572,786.900572,786.0
志摩国17,849.30017,849.0
尾張国480,841.700
三河国336,000.000350,000.0
遠江国268,800.000268,800.0
駿河国170,000.000170,000.0
甲斐国250,000.000250,000.0
伊豆国79,353.00079,353.0
相模国191,524.000191,920.0
武蔵国840,000.000840,000.0
安房国91,779.12091,779.0
上総国285,300.000285,300.0
下総国250,131.000250,140.0
常陸国753,600.000752,600.0
近江国832,122.600832,120.0
美濃国581,523.000581,523.0
飛騨国38,764.40038,764.0
信濃国547,360.000547,360.0
上野国468,000.000468,000.0
下野国464,000.000464,000.0
陸奥国1,729,000.0001,822,000.0
出羽国870,000.000870,000.0
若狭国85,099.60085,099.0
越前国682,654.000682,654.0
加賀国442,507.400442,507.0
能登国216,891.300216,891.0
越中国530,637.300536,037.0
越後国450,060.900606,370.0
佐渡国20,599.00020,599.0
丹波国280,570.200280,570.0
丹後国123,170.200123,170.0
但馬国123,960.000123,960.0
因幡国131,649.600131,649.0
伯耆国175,032.000175,032.0
出雲国223,477.100223,477.0
石見国137,370.000137,370.0
隠岐国11,802.90011,802.0
播磨国521,300.000
美作国227,115.500227,715.0
備前国286,200.000286,200.0
備中国227,894.800227,894.0
備後国238,838.000238,138.0
安芸国259,384.900259,384.0
周防国164,420.200164,420.0
長門国134,059.900134,050.0
紀伊国395,247.700395,247.0
淡路国63,621.10063,621.0
阿波国186,753.500186,753.0
讃岐国171,815.000171,815.0
小豆島3,186.700
伊予国381,640.800381,640.0
土佐国202,626.500202,626.0
筑前国522,512.400522,515.0
筑後国302,085.500302,085.5
豊前国330,744.644300,740.0
豊後国378,592.400378,592.0
肥前国561,437.400561,437.0
肥後国572,989.000572,989.0
日向国288,589.500288,589.0
大隅国170,828.100170,828.0
薩摩国315,251.700315,251.0
壱岐国15,982.30015,982.0
対馬国0.0008,163.0
合計22,171,689.67422,426,837.9

なお、川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』に収録されている国絵図は、主に岡山大学附属図書館所蔵の池田家文庫で、尾張国と播磨国の国絵図は、秋田県公文書館所蔵の日本六十余州国々切絵図によります。現在寛永国絵図が全国68ヶ国完全に揃っているのは秋田公文書館と山口県文書館で、岡山大学附属図書館所蔵は尾張と播磨を欠き、その他名古屋市蓬左文庫に過半数、東京大学総合図書館(南葵文庫)、熊本大学附属図書館(永青文庫)に十数ヶ国分が現存しますが、この内描法・彩色・書写がもっとも丁寧なのが池田本です。以下本書の解説からの引用です。

 以上の考察の結果から、伝存する余州国諸本は寛永10年(1633)に全国に派遣された諸国巡見の国廻りを通じて幕府へ収納された国絵図の写本であることが明らかとなった。そのうち本書に図版で収録した岡山大学附属図書館(池田家文庫)蔵の池田本は、秋田県公文書蔵の佐竹本、山口県文書館蔵毛利本とともに全国分ほぼ揃って存在する「日本六十余州図」のひとつである。
 寛永10年の巡見使国廻りが全国を6区に分けて実施されたことからすると、本来巡見使上納国絵図は分担区ごとに絵図様式に違いが生じていたはずである。ところで「日本六十余州図」は、村々記載の精粗、郡区分の有無、国境越え道筋での表記の違いなど巡見使の分担区ごとに内容に明らかな差異があるにもかかわらず、絵図様式は全国すべて一様である。このことは「日本六十余州図」が巡見使国絵図を原拠とする写本ではあるものの、その後に様式の統一をはかって全国をいっせに描き直した二次的写本であることを推測させる。
(中略)
 ところで、この二次的写本とみられる「日本六十余州図」の成立時期については、寛文11年(1671)頃ではないかと考えられる。池田本をはじめいくつかの余州図の付箋に記される城主の揃う時期が寛文11年であることは、この年に古くなった全国の一次的写本がいっせに描き直されて、居城に付箋がつけられたと想定できよう。
(中略)
 「日本六十余州図」が寛永10年巡見使国絵図の二次的作品であるとはいえ、慶長国絵図が全国揃って残されていない現在では、この写本は全国を網羅して現存するもっとも古い江戸幕府の国絵図である。絵図面が比較的扱いやすい手頃な大きさであることから、地理的情報がとぼしかった江戸前期ないし中期において全国を知る地図資料として有力大名家間にてこれが模写・転写されたものと考えられる。
[81160] 2012年 7月 22日(日)02:22:55YT さん
北海道庁現行布令便覧 ほか
[81135] むっくんさん

M31.7.31現在の連合戸長役場であるならば北海道庁現行布令便覧(明治三十一年)(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)に載っています。

『北海道庁現行布令便覧』のご紹介ありがとうございます。さらに明治19年から明治27年までは、『北海道庁布令全書』というのが発行されているようですが、近代デジタルライブラリーをみる限り、各年の戸長役場の所在地まではまとめてはないようですね。

[81149] オーナー グリグリさん
川西村(町)が圧倒しています。これだけの差があると何か要因があるように考えられます。

とりあえず、川東、川南が少ない理由は、日本語の音韻論で説明できると思います。川東や川南と書いた場合、ほぼ訓読みで「かわひがし」や「かわみなみ」なると思いますが、日本語であれば音韻(モーラ)数が4や3の省略を好む傾向があり、5モーラの「かわひがし」や「かわみなみ」よりも4モーラの「こうとう」「こうなん」や3モーラの「かとう」「かなん」が口にしやすいのはないでしょうか?

もっとも兵庫県や福島県の河東、石川県の河南は「かわひがし」「かわみなみ」ですし、「かわきた」が少ないことの説明にはなりませんので、彼岸や西方浄土などの仏教思想の影響があるのかも知れません。
[81125] 2012年 7月 16日(月)17:33:11【1】YT さん
正保郷帳の石高に関する混乱
[81123]の正保郷帳の石高については説明が必要なので稿を改めます。

正保郷帳を調べる過程で、和泉清司著 『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』, 岩田書院 (2008年)と出会い、郷帳への認識を改める必要があるように感じました。
元禄郷帳や天保郷帳は村高が列挙されているだけですが、正保郷帳は各村毎に村高、田方、畑方が記載され、最後集計に本高、寺社領、新田高、小物成等がまとめられています。一方、正保国絵図の方には、新田高は原則として記入されてないようです。このため、正保石高は二系統の数字が存在することになります。おそらく東京大学史料編纂所の『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の石高は、種々の寛永国絵図、正保国絵図に記載されていた石高をまとめたもので、実際に郷帳に書かれた数字との乖離があるのでしょう。参考までに陸奥国津軽領分の正保郷帳の石高をまとめると以下の通りで、郷帳の数字を足すと津軽領分の村数は336、石高は10万2468石8斗ですが、国絵図に書かかれる数字は村数134表高4万5000石です。

区分村数村高合計田方畠方不一致
平賀郡本村分4219,265.06017,479.5201,573.020212.520
平賀郡新田分3315,633.940
平賀郡合計75.00034,899.000
田舎郡本村分3811,376.57010,260.4201,116.350-0.200
田舎郡新田分12018,401.700
田舎郡合計15829,778.270
鼻和郡本村分5414,358.37013,209.6301,147.7401.000
鼻和郡新田分497,972.890
鼻和郡合計10322,331.260
津軽領分本高13445,000.00041,160.4403,839.5600.000
津軽領分本高不一致00.000210.8702.450
津軽領分新田高(本村分)15,460.260
津軽領分新田高(新田分)202.00042,008.530
津軽領分新田高合計57,468.800
津軽領分新田高不一致0.010
津軽領分総計336102,468.800

ただ現時点で自分は正保国絵図の原本を見る機会はありません。また郷帳のまとめ方も地域によって揺れがあり、ある郷帳では本高で集計した後、寺社領高、小物成、新田高を別に記していますが、一方では、寺社領を本高に加えたり、あるいは新田高も本高に加えて集計している郷帳も存在します。そこで以下、とりあえず郷帳の総計として取り上げられているものを「草高」、新田高など全てを合計したものを「内高」として集計しました。なお斗以下の数字の方は『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』に収録されているCD-ROMの方に入っています。村数もCD-ROMの収録分を参考にし、「新田村」「枝村」の数字が分かっている分に関しては村数に加算しました。また貫高等、石高以外のものは石高の計算に含めませんでしたが、陸奥国仙台領分については例外として1貫高=10石の換算を実施しました。参考までに菊地利夫『新田開発』と東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』収録の正保郷帳石高も列挙します。

旧国正保草高正保内高村数典拠菊地利夫村高比較表
山城国215,985.62170411郷帳215,982215,986.34817
大和国469,380.624601,220村高比較表459,380469,380.62460
河内国264,952.34320265,518.42520459郷帳264,952264,952.34100
和泉国159,117.72700159,628.55800279郷帳159,326159,326.77100
摂津国375,496.75500380,875.39700742郷帳375,478375,478.86000
伊賀国100,538.00000145国絵図100,540100,540.00000
伊勢国596,334.68500658,896.319001,089郷帳585,065585,065.16400
志摩国19,290.3260055国絵図20,06120,061.00000
尾張国526,493.51000919郷帳483,432
三河国350,880.05800359,991.680001,181寛永16年郷村帳350,888
遠江国280,733.49000301,404.18624930郷帳280,696280,696.00500
駿河国191,315.69100732郷帳191,315191,315.69100
甲斐国234,327.38100730国絵図245,298245,298.70600
伊豆国79,653.20800265国絵図79,65379,653.20800
相模国206,812.01700605寛文年中郷村帳220,617220,617.70000
武蔵国982,337.96580989,725.333802,415郷帳982,327982,337.96580
安房国92,641.68000245郷帳92,64192,641.68000
上総国351,731.00000971国絵図378,892
下総国444,829.84200928村高比較表444,829444,829.84200
常陸国840,801.828901,546村高比較表840,048840,801.82890
近江国830,594.42600833,636.883001,441郷帳832,122832,122.00000
美濃国627,966.11200628,912.852001,254郷帳609,718609,718.92800
飛騨国38,764.40000215慶長郷帳38,76438,764.40000
信濃国544,770.33800578,406.405001,346郷帳548,600
上野国515,221.29926520,963.875261,133寛文8年郷村帳515,214515,215.00000
下野国565,975.62000618,592.330001,118郷帳568,733568,733.91000
陸奥国1,702,588.351403,8381,672,8061,829,000.00000
[会津領分]257,029.00000770文禄3年郷村帳
[白河三春二本松領分]315,169.00000528国絵図
[磐城棚倉相馬領分]205,026.59540254,279.16440548郷帳
[米沢領分]121,186.92500148国絵図
[仙台領分]654,110.88000745,293.38000970郷帳
[南部領分]105,065.95100538郷帳
[津軽領分]45,000.00000102,468.80000336郷帳45,00045,000.00000
[磐城国]438,137.67540489,715.07440895
[岩代国]533,876.925001,089
[陸前国]434,938.85000506,025.74000692434,860434,938.85000
[陸中国]218,681.81400236,452.59400545
[陸奥国]72,437.29900129,906.09900503
出羽国951,523.476001,124,394.893002,113郷帳965,674951,523.47700
[米沢領分]180,000.00000196,994.58400348186,990186,990.00000
[山形領分]337,610.45900340,883.68800388337,610337,610.45900
[新庄領分]36,158.7420042,715.513005436,15836,158.74200
[庄内領分]195,373.04800268,128.71500690149,117195,373.04800
[秋田領分]200,251.33900273,542.50500626255,799202,381.22700
[羽前国]649,480.35200722,672.698001,071656,458656,470.35200
[羽後国]299,913.23600399,592.307001,035309,216302,043.12400
若狭国85,460.08890209郷帳85,09985,099.67000
越前国680,293.308001,393郷帳682,182622,182.00000
加賀国422,958.60000440,399.15000751郷帳422,957422,957.61000
能登国225,006.15000255,555.71000564郷帳225,006225,006.10000
越中国592,415.66000660,718.380001,117郷帳592,415592,415.00000
越後国611,960.427002,682国絵図611,960
佐渡国24,812.01200251国絵図24,81224,812.01200
丹波国289,829.14600777郷帳289,829289,829.14700
丹後国123,175.01000292国絵図123,175123,175.00000
但馬国129,069.75700607国絵図129,069129,069.75700
因幡国149,742.50000515寛永15年郷村帳149,539149,539.00000
伯耆国170,257.50000704寛永15年郷村帳170,254170,254.00000
出雲国253,596.79200500国絵図253,597253,597.64760
石見国139,242.99100413国絵図139,401139,401.53700
隠岐国11,601.3930061国絵図11,60111,601.39300
播磨国542,130.12700554,629.787001,570郷帳562,291562,291.44700
美作国186,500.00000237,630.30000594郷帳186,500186,500.00000
備前国280,200.00000296,402.00000897郷帳280,200280,200.03000
備中国236,491.825001,221郷帳236,691236,691.82500
備後国248,015.28700457元和5年郷村帳248,606248,606.91000
安芸国266,862.55600267,851.97100433元和5年郷村帳265,071265,071.18600
周防国202,787.60000152郷帳202,787202,787.60000
長門国166,623.40000152郷帳166,623166,623.40000
紀伊国398,395.453001,258国絵図398,395398,395.45300
淡路国70,186.50000220国絵図70,18670,186.50000
阿波国186,753.58300451国絵図186,753186,753.58300
讃岐国238,028.33100321寛永17年郷村帳173,554173,554.22700
伊予国400,271.87300402,538.14200939郷帳400,271400,271.87300
土佐国248,328.12000254,378.12000463寛文4年郷村帳202,626202,626.00000
筑前国522,512.60130617,948.27590741郷帳522,512522,512.60130
筑後国331,490.00000707国絵図302,089302,089.00000
豊前国231,680.00000602国絵図231,680321,680.00000
豊後国357,300.51500364,364.521171,418郷帳378,592378,592.00000
肥前国565,655.359601,505国絵図561,437561,437.00000
肥後国579,711.78700617,803.077001,112郷帳572,980572,980.00000
日向国290,180.97300375国絵図288,589288,589.00000
大隅国170,833.45100230寛文4年郷村帳170,82817,828.00000
薩摩国315,005.60012256国絵図283,482315,251.00000
壱岐国17,568.0300041国絵図15,98215,982.00000
対馬国6,269.71500121郷帳
琉球国123,711.8134869国絵図
[大島]32,828.7000017
[本琉球]90,883.1134852
合計23,653,973.6122624,572,941.7682755,46623,342,672

典拠のうち、郷帳、国絵図はそれぞれ正保郷帳、正保国絵図とされるもので、郷帳や国絵図が存在しない地域は、近い年次の郷村帳によります。なお、大和国、常陸国、下総国に関しては東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字を使いました。下総国は和泉清司本に数字がなく、また常陸国に関しては寛永年中郷村帳(54万1967石0斗6升4合)、大和国に関しては寛永16年郷村帳(44万4056石9斗2升、外屋敷高450石8斗6升1合)の数字があるものの、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字の方は郡別石高があり、何らかの国絵図から数字を採用し、さらに寛永年中の石高よりも数字が更新されていると推測されたため、これらに関しては『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字を使いました。文禄3年の蒲生領高の数字を採用している陸奥国会津領分、慶長郷帳の飛騨国、寛永の数字を使っている三河国、因幡国、伯耆国、讃岐国に関しては、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の方でより良い数字が見当たらないので(ほぼ同じ数字、あるいはより古い数字が採用されている)、和泉清司本の数字を採用しました。村数の内、相模国、下総国、常陸国などは菊地利夫本からの採用です。

また陸奥国内の旧国別人口の合計、出羽国内の旧国別人口の合計がそれぞれの草高、内高と一致しませんが、これは陸奥国南部領分と出羽国の郡別石高の合計と総計が一致しておらず、一部郡別の内訳が記されていない小物成高や新田高等が草高や新田高に加えられているせいです。村数についても一致しない箇所がありあすが、例えば出羽国の場合、個々の郡別本村数・新田村数と合計が一致しませんが、新田村の名前が記載されていない郡もあるため、正確な数字を検証できないためです。

津軽領分の事例を見れば分かるように、これらの石高は米の生産力だけを表したものではなく、麦や大豆、塩、あるいは屋敷や林など、面積で表せるものは米の生産力に換算した石高を設置して、租税を徴収していたわけです。また米で納められないものは物納や金納となり、面積で表せないものは小物成として別個記載されました。

一応石高はおおよそ第一次産業の生産高を米の収穫高に換算した数字で、実際に取れる米の収穫量は、これらの石高を下回るはずです。それでは実際の米の収穫高はどの程度だったのでしょうか?それについて次回まとめたいと思います。
[81124] 2012年 7月 16日(月)17:26:58【5】YT さん
1598年~1872年の旧国別石高の変遷 それぞれの史料について
以下[81123]の表の解説です。

【(1) 慶長3年】 『大日本租税志』「慶長三年検地目録」
[72089]でも紹介しましたが、慶長3年(1598年)の石高は『大日本租税志』収録の『慶長三年検地目録』によります。太閤検地の結果として色々な書物に引用されていますが、検地が十分実施されなかったところは石高が低目に出ています。

【(2) 江戸初期】 島原松平文庫 『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」
ここに引用する数字は、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」 (『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))記載のものです。なお原本では下総国の石高は空欄ですが、総石高2217万1689石6斗7升4合から他国の石高を引くことにより25万0131石と求まり、これは寛永10年の国絵図の下総国石高25万0140石とほぼ同じです。また出羽国石高石高には上杉弾正分10万石を含み、讃岐国石高には小豆島3186石7斗を含みます。

この江戸初期高で重要な点は、おそらく慶長10年(1605年)に徳川幕府によって提出を求められた慶長郷帳や慶長国絵図の石高だろうと考えられることです。大野瑞男による解説によると

江戸初期高は島原松平文庫「御当家雑記」一にある「日本国知行高之覚」による。このうち江戸初期の高とするものは、同書に「御統家ニ相定所也」とあり、これは慶長十年の国絵図・郷帳高と思われる。しかし国によって若干の違いがある。
 「鉄醤塵蓋抄」によれば、周防・長門の指出高八九万二千四〇〇石余、内一二万石が毛利秀元領、長府領五万石弟就清領、周防徳山領三六万九四〇〇石余、新田二九万三〇〇〇石余、合計六六万二四〇〇石秀就台所入となっている。「国主城主記」には、伊賀八万一〇〇〇石余(筒井伊賀守定次慶長十年指出高)、出雲・隠岐二十三万五〇〇〇石(堀尾出雲守忠氏慶長十年指出高)、美作一八万六〇〇〇石余(森美作守忠政慶長八年高)、二二万七〇〇〇石(慶長十年指出高)、備前三一万五〇〇〇石(池田三左衛門輝政慶長二年高)、二八万六〇〇〇石余(慶長十年指出高)、安芸・備後四九万八〇〇〇石余(福嶋左衛門大夫正則慶長五年指出高・十年指出高)、紀伊三七万四〇〇〇石(浅野紀伊守幸長慶長五年高・十年指出高)、阿波一八万六〇〇〇石余(蜂須賀彦右衛門家政天正十三年高・慶長十年指出高)となっており、このほか肥前・豊前・日向の石高記載もあるが、城地別の記載のみであって、総国高は知ることができない。
 「鉄醤塵蓋抄」の記載はともかく、「国主城主記」の記載の慶長十年高と「御当家雑記」の石高の千石以下の端数を除いたものであることが判明する。
 次に現在知られている国絵図・郷帳の石高と比較すると、摂津国絵図の高頭目録高二九万〇〇六八石六斗に対し、「御当家雑記」の石高は二九万〇九〇二石一斗で、八三三石五斗の差がある。外小物成分は六六八石一斗六升であるからこれとも一致しない。越前国絵図には総高六八万〇三二七石一斗二升とあり、「御当家雑記」の石高の六八万二四五四石とは差がある。周防・長門国絵図には周防六郡高辻一六万四四二〇石二斗一升二合、長門八郡高辻一三万四〇五九石九斗九升一合とあって「御当家雑記」の石高とは全く一致する。また福原家文書「慶長九年御両国物成御下書上ゲ」では、周防・長門両国高は二九万八四八〇石で「御当家雑記」の両国石高合計と一致する。慶長十年八月山内一豊が幕府に録上した土佐国総目録には、高二〇万二六二六石五斗とあり一致する。筑前国絵図の絵図目録記載五〇万二四一六石三斗一合三勺と比較すると、五二万二五一二石四斗と二万石以上の差違がある。慶長十年十月十五日の小豆島絵図の高頭目録の高都合は三一八六石七斗で、「御当家雑記」の石高とこれも一致する。
 以上のように国によっては相違はあるものの、「御当家雑記」の「日本国知行高之覚」の江戸初期高は、ほぼ慶長十年国絵図・郷帳高とみてよいであろう。

現在慶長郷帳は3点しか残っていませんが、活字化された慶長10年の飛騨国の郷帳は『岐阜県史 史料編 近世一』収録の「金森素玄領飛騨国石高帳」で読むことができます。最後の部分を引用すると

三郡之高
 惣都合三万八千七百六拾四石四斗
 内 田方弐万五千四百七拾五石三斗弐升七合
   畑方壱万三千弐百八拾九石七斗三合
 此物成都合壱万弐千百拾五石八斗三升余
               但三ツ一分弐朱八リンニ当ル
慶長拾乙巳季九月日 金森兵部卿法印素玄

ただ村高を並べているだけの元禄郷帳や天保郷帳に比べ、慶長郷帳は各村毎の石高と、田方、畑方の石高、物成(実際の租税収入)を列挙しており、はるかに情報量が多くなっています。さらに上の飛騨国の場合は田方、畑方、物成の記載のみですが、必要に応じて小物成(貨幣納による租税)、寺社領なども記載されました。これらの数字は現存する国絵図にも記載されているそうです(この辺については黒田日出男「江戸幕府国絵図・郷帳管見-1-慶長国絵図・郷帳について」 (『歴史地理』 93(2), pp. 71-94 (1977年))、現存慶長・正保・元禄国絵図の特徴について : 江戸幕府国絵図・郷帳管見(二) (『東京大学史料編纂所報』 15, pp. 1-21 (1980年))等に詳しい説明があります)。

それはともかくとして、慶長3年からわずか7年の慶長10年の段階で、日本全国の石高が1851万石から2217万石と、366万石も増えています。これは新田開発だけでは説明がつかず、検地が徹底したことが最大の原因と言えます。よってこの2217万石を、1600年頃の実際の石高だと考える人も多くいます。

【(3) 寛永国絵図】 「寛永十年巡見使国絵図」
寛永10年(1633年)、江戸幕府が諸国へ巡見使を派遣し徴収した国絵図で、石高は川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房 (2002年)を私が実際に読んで、書き集めました。尾張国と播磨国に関しては石高が書かれていないので、江戸時代初期高の数字を使って総石高を計算しました。また讃岐国の石高17万1815石に小豆島の石高3186石7斗を加算すると、讃岐国の江戸初期17万5001石7斗と等しくなり、合計の方では小豆島の石高も加算しました。

実際のところ寛永国絵図の石高は江戸時代初期高とほぼ同じで、三河、陸奥、越後、対馬で石高に改訂が見られるほか、誤記か改訂か微妙なもの(摂津、相模、常陸、越中、備後、豊前)が並んでいます。

【(4) 正保郷帳】
これについては後で詳しく説明しますが、用いた資料は

● 和泉清司 『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』, 岩田書院 (2008年)
東京大学史料編纂所所蔵の内務省令写『正保・元禄・天保・明治村高比較表』

の二点です。

一般に江戸時代の過去の石高として引用されているのは、菊地利夫著『新田開発』ですが、この内旧国別石高・村数、あるいは郡国別石高・村数の記述があるのは以下の2つの版で、他の同じ著者による『新田開発』には石高が載っていません。
● 菊地利夫著『新田開発』, 至文堂 (1963年):旧国別石高が掲載されている
● 菊地利夫著『新田開発 - 続 事例編』, 古今書院 (1986年):郡国別石高が掲載されている
両者で一部石高、村数に変更があります。

【(5) 元禄郷帳】
石高は大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」(『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))によります。但し磐城国白川郡の石高修正に伴い、磐城棚倉相馬領分と磐城国の石高に修正を加えてます([80368]参照;なお[80368]で「該当する郡は磐城国白河郡」と書いてしまいましたが、「磐城国白川郡」の間違いです)。郡別石高については[80366][80367][80368][80369][80370][80371][80377]参照。なお元禄郷帳の石高は原則として「表高」です。

【(6) 天保郷帳】
石高は木村礎校訂『旧高旧領取調帳』, 近藤出版社 (1969年~1979年)、近世繪圖地圖資料研究会編『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳 解読篇』, 科学書院 (2009年~2010年)、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」(『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))などによりますが、原本の実物を国立項公文書館で見ることができます。郡別石高については[76916][76917][76918][76919][76920][76921][76922]参照。なお天保郷帳の石高は「内高」が原則となっているはずなのですが、主だった藩が適当な報告をしていることが様々な研究により分かっています。例えば長州藩の「郷村高帳草案」によると、支藩を含む天保の周防・長門両国の内高は97万0941石8斗1升5合5勺1才と集計していますが、実際に幕府へ報告した内高は、各村毎に一律石高を減じ、寛政4年(1792年)の検地高である89万4282石1斗を報告しています。徳島藩では把握した石高を一割ほどカットし、新田村を無視し、既に消滅した村を含めて適当に村高を分配し、合計がカットした数字と一致するように報告しています(宇山孝人「阿波藩における幕府への報告石高の内実 - 天保郷帳を中心として」 (『徳島県文書館研究紀要』 (3), pp. 14-26 (2002年))参照)。加賀藩も新しい村の報告を怠っていることは、元禄郷帳と旧高旧領取調帳との比較から明らかで、薩摩藩はそもそも正保郷帳の時代から一貫して同じ石高を報告し続け、表高をもって内高であるという建前を貫いています。

【(7) 郡村石高帳】
石高は東京大学史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』によりますが、薩摩国・大隅国の石高は『明治八年 共武政表』による修正を加えました([81068]参照)。明治5年(1872年)の石高であることは、[80384][80385]で考察した通りで、郡別石高については[81059][81060][81061][81062][81063][81064][81065][81066][81067][81068]参照。

表にはまとめられませんでしたが、『旧領旧高取調帳』の石高([76816][76817][76818][76819][76820][76821][76822])は、明治3年(1870年)頃の石高の状況を示していると考えられます。

飛騨国の慶長郷帳ついでに『岐阜県史 史料編』を読んだところ、美濃国・飛騨国に関する『旧領旧高取調帳』の原書と思われるものが「明治元年同四年美濃国郡村旧高及所轄沿革取調帳」、「明治元年明治四年飛騨国大野益田吉城郡村々旧高及所轄沿革取調帳」という表書きで岐阜県立図書館に所蔵されているそうで、岐阜県の『旧領旧高取調帳』は、廃藩置県の行われた明治4年(1871年)に前年度の明治3年(1870年)段階での地租の状況をまとめたか、あるいは明治4年(1871年)度までの府藩県三治制下での地租の状況を、明治5年(1872年)以降にまとめたかということになります。
[81123] 2012年 7月 16日(月)17:21:50【1】YT さん
1598年~1872年の旧国別石高の変遷
[81081] オーナーグリグリさん
落書き帳への大量の連続書き込みであり、気になる方もいらっしゃるかと思います。

すみません。郡別データに関しては、[81068]で打ち切りです。

江戸時代の石高のデータとしては、あと慶長郷帳と正保郷帳が残っていますが、現存する慶長郷帳は3ヶ国分、現存する正保郷帳が33ヶ国分36点だけであることから、完全な再現はほぼ不可能です。江戸時代に作成された郷帳・国絵図に関する詳しい説明に関しては、和泉清司「近世初期一国郷帳の研究 - 正保郷帳を中心に」(pdf) (『地域政策研究』, 8(2), pp.1-19 (2005年))に載っています。

とりあえず、1598年から1872年までの旧国別石高については、以下の通りです。旧国別石高については、菊地利夫著『新田開発』, 至文堂 (1963年)、および菊地利夫著『新田開発 - 続 事例編』, 古今書院 (1986年)がよく引用されていますが、正保と明治の数字はかなり不正確です。以下に示す石高は、現時点でもっとも記録された石高に近いものを列挙できたものと思います。

旧国慶長3年江戸初期寛永国絵図正保郷帳元禄郷帳天保郷帳郡村石高帳
山城国225,262.00216,070.700216,070.0215,985.62170224,257.78816230,131.760865222,368.70517
大和国448,945.50444,134.000444,134.0469,380.62460500,497.30868501,361.691560503,686.23676
河内国242,105.80308,857.620308,857.0265,518.42520276,329.82954293,786.634500293,118.58720
和泉国141,512.70138,797.090138,797.0159,628.55800161,692.12640172,847.986000176,190.77610
摂津国356,069.10290,902.100299,902.0380,875.39700392,707.69987417,399.127000416,521.93580
伊賀国100,000.0095,594.10095,594.0100,538.00000100,540.00200110,096.536000110,917.96640
伊勢国567,105.14572,786.900572,786.0658,896.31900621,027.44200716,451.492700714,376.41500
志摩国17,854.9117,849.30017,849.019,290.3260020,061.6410021,470.39800019,279.20300
尾張国571,737.40480,841.700526,493.51000521,480.51800545,875.793000764,774.16620
三河国290,715.00336,000.000350,000.0359,991.68000383,413.44230466,080.746800472,373.71000
遠江国255,160.00268,800.000268,800.0301,404.18624328,651.43658369,552.575180372,546.34901
駿河国150,000.00170,000.000170,000.0191,315.69100237,937.40728250,538.753090251,954.16486
甲斐国227,616.00250,000.000250,000.0234,327.38100253,023.27103312,159.329490312,185.17685
伊豆国69,832.0079,353.00079,353.079,653.2080083,791.2823584,171.29362084,037.20836
相模国194,304.00191,524.000191,920.0206,812.01700258,216.58202286,719.756890289,776.73197
武蔵国667,126.00840,000.000840,000.0989,725.333801,167,862.983391,281,431.0688201,282,000.77090
安房国45,045.0091,779.12091,779.092,641.6800093,886.2102395,736.23907095,641.42350
上総国378,892.00285,300.000285,300.0351,731.00000391,113.95411425,080.453410427,313.77094
下総国393,255.00250,131.000250,140.0444,829.84200568,331.11374681,062.631660687,373.86055
常陸国530,008.00753,600.000752,600.0840,801.82890903,778.458001,005,707.489030921,629.15250
近江国775,379.00832,122.600832,120.0833,636.88300836,829.72078853,095.305590857,849.52528
美濃国540,000.00581,523.000581,523.0628,912.85200645,101.50300699,764.321660729,654.88365
飛騨国38,000.0038,764.40038,764.038,764.4000044,469.2190056,602.30900057,196.05800
信濃国408,358.00547,360.000547,360.0578,406.40500615,818.73754767,788.077600786,950.00098
上野国496,377.00468,000.000468,000.0520,963.87526591,834.44887637,331.633100635,851.10734
下野国374,083.80464,000.000464,000.0618,592.33000681,702.80146769,905.027038758,648.44071
陸奥国1,672,806.001,729,000.0001,822,000.01,900,492.220401,921,934.887452,874,239.0598803,007,005.48628
[会津領分]257,029.00000272,011.81600337,218.127500343,656.44250
[白河三春二本松領分]315,169.00000341,022.55885434,581.248070439,753.20706
[磐城棚倉相馬領分]254,279.16440277,935.46360300,419.556810328,427.89967
[米沢/福島領分]121,186.92500199,867.89900203,825.844500204,216.18405
[仙台領分]745,293.38000600,000.00000992,057.260000994,594.59300
[南部領分]105,065.95100128,000.00000288,874.793000355,370.11100
[津軽領分]102,468.80000103,097.15000317,262.230000340,987.04900
[磐城国]438,137.67540517,082.53095613,924.675660650,488.88237
[岩代国]533,876.92500641,269.51650755,703.961220760,923.54591
[陸前国]506,025.74000398,958.83000697,838.180000700,649.30800
[陸中国]236,452.59400228,520.61400423,134.490000471,842.91200
[陸奥国]129,906.09900136,103.39600383,637.753000423,100.83800
出羽国318,095.00870,000.000870,000.01,124,394.893001,126,248.834401,295,323.5214401,515,446.19503
[米沢領分]196,994.58400193,993.53420216,161.220230337,240.91500
[山形領分]340,883.68800352,513.70720366,147.135970365,370.03946
[新庄領分]42,715.5130051,072.3418062,387.45380084,057.51631
[庄内領分]268,128.71500198,618.39220234,302.356140235,244.72071
[秋田領分]273,542.50500330,050.85900416,325.355300493,533.00355
[羽前国]722,672.69800733,879.23040804,569.693740946,971.30568
[羽後国]399,592.30700392,369.60400490,753.827700568,474.88935
若狭国85,000.0085,099.60085,099.085,460.0889088,281.5224091,018.82220091,767.05810
越前国499,411.00682,654.000682,654.0680,293.30800684,271.80960689,304.819870690,243.61775
加賀国355,570.00442,507.400442,507.0440,399.15000438,281.77000483,665.848700511,716.01839
能登国210,000.00216,891.300216,891.0255,555.71000239,208.79540275,369.990210307,602.82896
越中国380,298.28530,637.300536,037.0660,718.38000611,000.10000808,008.461820899,831.93900
越後国390,770.00450,060.900606,370.0611,960.42700816,775.730771,142,555.5358501,150,567.52359
佐渡国17,030.0020,599.00020,599.024,812.01200130,373.91100132,565.491000135,206.12300
丹波263,887.00280,570.200280,570.0289,829.14600293,445.54740324,136.268670329,465.47386
丹後国110,784.00123,170.200123,170.0123,175.01000145,821.18200147,614.804460148,002.13030
但馬国114,235.00123,960.000123,960.0129,069.75700130,673.23500144,313.084030148,147.75427
因幡国88,500.00131,649.600131,649.0149,742.50000170,728.28900177,844.624000195,632.64500
伯耆国100,947.00175,032.000175,032.0170,257.50000194,416.56700217,990.822280251,069.40700
出雲国186,650.00223,477.100223,477.0253,596.79200282,489.73900302,627.465000320,709.91100
石見国111,770.00137,370.000137,370.0139,242.99100142,499.23500172,209.768320182,136.89850
隠岐国4,980.0011,802.90011,802.011,601.3930012,165.2030012,559.60000012,562.90700
播磨国358,534.00521,300.000554,629.78700568,517.57900651,964.813500660,557.81626
美作国186,018.70227,115.500227,115.0237,630.30000259,353.70100262,099.098000262,333.86400
備前国223,762.00286,200.000286,200.0296,402.00000289,224.71000416,581.854000418,964.53800
備中国176,929.00227,894.800227,894.0236,491.82500324,455.62300363,915.614210371,355.17580
備後国186,150.00238,838.000238,138.0248,015.28700295,678.88800312,054.932000315,876.18155
安芸国194,150.00259,384.900259,384.0267,851.97100269,478.31000310,648.489000314,669.48710
周防国167,820.00164,420.200164,420.0202,787.60000202,787.67000489,428.677000552,160.21518
長門国130,660.00134,059.900134,050.0166,623.40000166,623.64500404,853.333000458,143.48989
紀伊国243,550.00395,247.700395,247.0398,395.45300397,668.01900440,858.377710444,283.13335
淡路国62,104.0063,621.10063,621.070,186.5000070,428.1000097,164.784000136,637.98183
阿波国183,500.00186,753.500186,753.0186,753.58300193,862.28500268,894.329000310,484.46474
讃岐国126,200.00175,001.700171,815.0238,028.33100186,394.04100291,320.256400309,814.75380
伊予国366,200.00381,640.800381,640.0402,538.14200429,163.25854460,997.639340443,321.68842
土佐国98,200.00202,626.500202,626.0254,378.12000268,484.97400330,026.520000510,572.19470
筑前国335,695.00522,512.400522,515.0617,948.27590606,981.42000651,782.278440633,404.63540
筑後国265,998.00302,085.500302,085.5331,490.00000331,497.76900375,588.897800536,742.90265
豊前国140,000.00330,744.644300,740.0231,680.00000273,801.84830368,913.640500366,948.08138
豊後国418,313.00378,592.400378,592.0364,364.52117369,546.79160417,514.227150459,184.41734
肥前国309,935.00561,437.400561,437.0565,655.35960572,284.12310706,470.723196685,116.89762
肥後国341,220.00572,989.000572,989.0617,803.07700563,857.17800611,920.291100851,237.05291
日向国120,088.44288,589.500288,589.0290,180.97300309,954.52817340,128.861790418,142.35665
大隅国175,057.23170,828.100170,828.0170,833.45100170,833.45100170,833.451000263,363.29063
薩摩国283,482.74315,251.700315,251.0315,005.60012315,005.60012315,005.600120323,483.49953
壱岐国0.0015,982.30015,982.017,568.0300018,072.8060032,742.92100032,853.88500
対馬国0.000.0008,163.06,269.715000.000000.0000005,818.11600
琉球国123,711.81348123,711.81348123,711.813480147,024.09296
[大島]32,828.7000032,828.7000032,828.70000052,793.39202
[本琉球]90,883.1134890,883.1134890,883.11348094,230.70094
合計18,509,043.7422,171,689.67422,426,237.924,572,941.7682725,910,641.4180630,558,917.84113932,373,824.45675
[81075] 2012年 7月 12日(木)18:09:14【2】YT さん
人口・町数など
[81073] 白桃さん
1.「市街名邑及び町村二百戸以上戸口表」に記載されている人口の出典元はどこなのか・・・「共武政表」に続く「徴発物件一覧表」なのでしょうか?

明治20年版の『徴発物件一覧表』には名邑毎の人口は掲載されてなく、戸長役場の管轄毎の人口が載っています。『共武政表』を含め、これらの人口の出典元は、内務省が把握しているはずの戸籍人口でしょうが、オリジナルの統計が残っていないために、『共武政表』の方に詳しい情報が残ったというのが実情でしょう。ただ残念なことに『明治八年版の共武政表』は明治5年~明治7年の本籍・現住人口が適当に採用されています。また『徴発物件一覧表』の方は明治16年度から始まりますが、

明治16年度版:明治16年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治17年度版:明治17年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治18年度版:明治18年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治19年度版:明治19年1月1日調の国郡別人口を掲載
明治20年度版:明治19年12月31日調の、戸長役場所在地別人口を掲載

明治16年~明治19年に関しては、町村レベルでの人口は掲載されていません。また掲載されている人口は現住人口のようなのですが、内務省統計局の戸口表と数字がずれています。明治20年版の徴発物件一覧表は、戸長役場の管轄区毎の人口という点で、内務省の統計である『日本帝国民籍戸口表. 明治19年12月31日調』よりも情報が多いはずなのですが、数字がずれています。詳しい比較を行っていませんが、『地方行政区画便覧』と同じで、まとめた人間はそれほど人口の定点観測には注意を払っておらず、明治20年年末の数字が入手できたらそれで置き換えてしまっていたりしているのでしょう([69010]参照)。

2.「日本地誌提要」には町村数が載っていますが、市町村制度が発足する以前に、どこが町で、どこが村かという規準と町村の一覧表というのがあったのでしょうか。

町村数に関しては、過去にokiさんが[58109]でまとめられています。例えば陸中国磐井郡は、『天保郷帳』では86村、『日本地誌提要』では86村1町となっていますが、内務省地理局編纂物刊行会編『内務省地理局編纂善本叢書:明治前期地誌資料』収録の『明治前期全国村名小字調査書』 (1986-1987年)(むっくんさんの紹介[54378] )収録の「水沢県管下各区並村名調」では全て「村」と称し、西磐井郡(第八大区)、東磐井郡(第九大区)合わせて合計87村となっています。

大区小区村数
第八大区一小区7
第八大区二小区7
第八大区三小区5
第八大区四小区8
第八大区五小区5
第八大区六小区9
第八大区小計41
第九大区一小区8
第九大区二小区3
第九大区三小区11
第九大区四小区6
第九大区五小区2
第九大区六小区4
第九大区七小区5
第九大区六小区3
第九大区九小区4
第九大区小計46
第九大区合計87

このうち第八大区四小区八ヶ村の内訳は、鬼死骸村、一関村、二関村、三関村、下黒沢村、上黒沢村、山目村、赤荻村で、これらは明治7年5月中の状況を記しています。

一、本書は、明治七年五月二十七日、内務省地誌課が各府県に村名の調査を命じ、これを受けて各府県から提出された「各府県村名調査報告」と、明治十四年十一月二十六日、内務省地理局が各県へ宛てて町村の字小名を照合した「各町村字小名取調調」「各町村字名称調」等のうち現存するものを収録するものである。

一、明治七年の達によって提出された調査書は同年五月三十日までの期提出期限を定められたが、二十三県については五月中に提出され、あとはおおむね同年十二月迄に提出を終えている。但し、栃木、三重、宮城の各県は翌年一月、浜田県は翌年二月になって提出している。

ところで町村数を調べていくうち、確か『明治前期全国村名小字調査書』の解説の中で引用されていた亀掛川浩『明治地方自治制度の成立過程』(1955年)を読んだところ、以下の表を見つけました。

(一) 町村編制の変化 大村文書中にある「明治七年―十九年町村合併分離調」によれば、左表に示すごとく、明治八年頃から斬減してきた全国町村数は、十一年頃からほぼ安定していたのが、十九年にいたって多少の減少を示している。

表は左から年次、合併の旧町村数/新町村数/差引減町村数、分離の旧町村数/新町村数/差引増町村数、新設の増町村数、合併・分離・新設を合計した差引増減町村数、年末現在での町村数です。

年次旧町村数新町村数差引減町村数旧町村数新町村数差引増町村数増町村数差引増減年末現在数
明治7年20571134121-13378,280
明治8年3,3479822,3651735189-2,33875,942
明治9年4,2161,5342,6821335225-2,65573,287
明治10年1,9267261,2002257358-1,15772,130
明治11年754270484228765-41971,711
明治12年5272113167533025514-4771,664
明治13年13457774116712625171,715
明治14年27499175106333227146671,781
明治15年152638995337242716071,941
明治16年304882166720714020-5671,885
明治17年5325281542274371,888
明治18年24791156267145111071,888
明治19年1,0291588712469455-82171,067
合計13,1684,3758,7935241,7721,248199-7,346

計算上は、明治6年年末の時点で7万8413の町村が存在したことになります。

残念ながら、大森文書の肝心の原本には目を通せていない状況ですが、明治初期の町村数の変遷を知る上で参考になるでしょうか。

【追記】大森文書について、図書館の検索を中心に以前調べましたが、先ほど
改めてgoogleで検索したところ、

梅村 又次 『松方財政と殖産興業政策』 (1983年)

ところで,明治初期の町村分合に関する全国的統計としては「明治七年――十九年町村合併分離調」(大森文書)が著名だが,「大森文書」による1874(明治7)年の町村合併による町村数の減少134カ町村は井戸の調査による旧筑摩県の243カ町村よりもはるかに少ないことからみてこれは信頼しがたい31).

31) 井戸庄三「明治初期町村分合に関する二,三の問題―長野・山梨両県を中心として」,『人文地理』18巻4号,1966年,28ページ.

井戸庄三, 『明治地方自治制の成立過程と町村合併』(pdf), 人文地理, 21(5), pp. 29-53 (1969年)
その数値にやや疑問があるが,『大森文書』の「明治七年~十九年町村合併分離調」によれば,全国の町村数は明治7年に78,280町村であったのが,明治10年には72,130町村になり,6,150町村の減となっている。

ということで、上の数字は信頼が低いもののようです。
[81068] 2012年 7月 10日(火)00:59:34【2】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (10)
旧国郡/島間切数村数郡村石高帳間切数村数町数日本地誌提要共武政表人口
薩摩国鹿児島郡2525130,085.91174089,374
薩摩国谿山(谷山)郡88112,691.71797021,087
薩摩国給黎郡8129,653.00647021,554
薩摩国頴娃郡71411,060.16994015,676
薩摩国河辺(川辺)郡3538231,056.12876071,277
薩摩国阿多郡202318,390.70511025,207
薩摩国日置郡535546,930.25687069,013
薩摩国薩摩郡2831141,426.71124033,052
薩摩国伊佐郡5046148,225.79866031,720
薩摩国出水郡3939244,959.84667042,735
薩摩国高城郡1011112,866.19167016,912
薩摩国甑島郡14143,580.39394015,172
薩摩国揖宿郡1217212,556.66049023,562
薩摩国十三郡309323,483.00000033311323,483.502510323,483.499530476,341
薩摩国大島1312917,200.065980713417,200.065980
薩摩国喜界島63010,836.61282063010,836.612820
薩摩国徳ノ島(徳之島)64215,820.83065034415,820.830650
薩摩国与論島262,413.485950262,413.485950
薩摩国沖永良(沖永良部)島3386,522.3966203386,522.396620
薩摩国属島(州南諸島)3024552,793.3920202125252,793.392020
薩摩国合計30554376,276.3920202158511376,276.894530323,483.499530476,341
薩摩国不一致000.0000000000.000000-12,856.187670101
薩摩国総計30554376,276.3920202158511376,276.894530310,627.311860476,442
※明治5年~明治8年当時、州南諸島(奄美群島)は薩摩国扱いであった。『共武政表』は州南諸島の統計を欠く。
※『郡村石高帳』の薩摩国十三郡の郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の薩摩国石高総数は概数であり、『共武政表』の薩摩国十三郡郡別石高合計32万3483石4斗9升9合5勺3才とほぼ等しく、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の薩摩国十三郡石高総計・人口総計は、郡別石高合計・郡別人口と異なるが、その差は『共武政表』の大隅国の郡別石高合計・郡別人口合計と石高総計・人口総計の差に等しく、集計上の問題と推測される。
※『日本地誌提要』の薩摩国十三郡石高総計は『地理局雑報』の石高と一致するが、『地理局雑報』の奄美群島の石高3万2828石7斗とは異なる。
※『共武政表』の薩摩国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口58万6324人から州南諸島本籍人口10万8426人を減じた薩摩国十三群本籍人口47万7898人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
壱岐国壱岐郡67117,796.38900017,614
壱岐国石田郡59115,057.49600015,315
壱岐国合計126232,853.88500032,929
壱岐国不一致000.0000000
壱岐国総計2232,853.885000126232,853.88500032,853.88500032,929
※『郡村石高帳』の壱岐国の郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の壱岐国石高総数は『共武政表』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の壱岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の壱岐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
対馬国上県郡529,670
対馬国下県郡62120,080
対馬国合計114129,750
対馬国不一致000
対馬国総計1105,818.116000114129,750
※『郡村石高帳』の対馬国石高総計は麦高。
※『地理局雑報』の対馬国石高総計は空欄で、『日本地誌提要』の石高は不詳とある。
※『共武政表』の対馬国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口2万9740人とほぼ等しい。

※『共武政表』は琉球国の記載が無い。以下『天保郷帳』の石高を記載する。
旧国郡/島村数郡村石高帳間切数村数町数日本地誌提要天保郷帳
琉球国沖縄島62,199.000000
琉球国沖縄島 中頭11189
琉球国沖縄島 島尻15162
琉球国沖縄島 国頭9134
琉球国恵原屋(恵平屋)島541.600000
琉球国伊是那島750.200000
琉球国伊恵島3,643.000000
琉球国計羅摩(慶良間)島29203.000000
琉球国戸無島45.100000
琉球国粟島727.400000
琉球国久米島2193,677.700000
琉球国先島1087
琉球国宮古島12,458.792420
琉球国八重山島6,637.321060
琉球国合計4960094,230.700940
琉球国不一致000.000000
琉球国総計94,230.7009404960094,230.70094094,230.700940
※『郡村石高帳』の琉球国の島別村数、島別石高は不明だが、『郡村石高帳』の琉球国石高総数は『日本地誌提要』、『天保郷帳』の石高と一致し、島別石高に関しては『天保郷帳』の島別石高で補間可能である。
※『地理局雑報』の琉球国石高総計9万4230石7斗1合。
※琉球国の明治6年2月1日調本籍人口は16万6789人。

これらの石高の実態について、明治7年の『府県物産表』における米の収穫高、農林水産業・鉱工業生産高や明治9年~15年の『全国農産表』における米の収穫高・農産高との比較を次回まとめようと思います。
[81067] 2012年 7月 10日(火)00:57:37【1】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (9)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
豊後国国東郡118181,138.60490088,735
豊後国速見郡59359,139.33096057,774
豊後国大分郡142271,464.15111098,833
豊後国海部郡167360,961.601150146,311
豊後国直入郡68150,357.25907040,150
豊後国玖珠郡26130,201.54883021,891
豊後国日田郡50133,076.88441050,261
豊後国大野郡162172,845.03691061,505
豊後国合計79213459,184.417340565,460
豊後国不一致000.0000000
豊後国総計459,184.41734079213459,184.417340459,184.417340565,460
※『郡村石高帳』の豊後国の国郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の豊後国石高総数は『共武政表』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の豊後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の豊後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
筑前国遠賀郡8554,956.34987094354,956.34987048,326
筑前国宗像郡6256,306.4522406256,306.45224037,411
筑前国鞍手郡6860,628.83284069160,628.83284041,294
筑前国穂波郡6138,103.41077061138,103.41077021,657
筑前国嘉麻郡6346,349.64586064146,349.64586022,264
筑前国上座郡3425,596.6380003425,596.63800025,392
筑前国下座郡4321,436.2826604321,436.28266012,994
筑前国夜須郡5240,286.56963052240,286.56963028,865
筑前国御笠郡5837,512.69700057137,512.69700020,741
筑前国粕屋郡8562,854.03270085162,854.03270036,875
筑前国席田郡99,899.32907099,899.3290702,504
筑前国那珂郡7042,611.35544077142,611.35544061,333
筑前国早良郡5345,153.32008053245,153.32008038,252
筑前国志摩郡4844,058.2706405144,058.27064023,015
筑前国怡土郡6547,651.44860063147,651.44860020,252
筑前国合計856633,404.63540087414633,404.635400441,175
筑前国不一致00.000000000.0000000
筑前国総計856633,404.63540087414633,404.635400633,404.635400441,175
※『共武政表』の筑前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の筑前国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
筑後国生葉郡5926,882.99000057126,882.99000026,856
筑後国竹野郡8922,875.1200008722,875.12000020,646
筑後国山本郡3016,559.7000003016,559.7000009,512
筑後国御原郡3633,304.90000036133,304.90000014,920
筑後国御井郡7256,528.33000051156,528.33000043,617
筑後国上妻郡11579,479.484000115179,479.48300069,864
筑後国下妻郡3729,921.4740003729,944.90500014,845
筑後国三潴郡164140,130.0630001623140,243.15800089,084
筑後国三池郡7253,071.81265070153,125.28265035,947
筑後国山門郡11577,989.029000110277,958.36800068,365
筑後国合計789536,742.90265075510536,902.236650393,656
筑後国不一致00.000000000.0000000
筑後国総計789536,742.90265075510536,742.902650536,902.236650393,656
※『郡村石高帳』の筑後国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致する。
※『地理局雑報』の筑後国石高45万9184石4斗1升7合は、豊後国の石高と一致し、明らかに誤写である。
※『共武政表』の筑後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
肥前国基肄郡2112,776.0996008,422
肥前国養父郡4419,612.69160021,216
肥前国三根郡3412,826.0251009,686
肥前国神崎郡15841,936.35070036,232
肥前国佐嘉(佐賀)郡352485,677.199200100,274
肥前国小城郡138241,137.96660046,512
肥前国松浦郡7997205,741.252250138,093.445000286,301
肥前国杵島郡16967,169.72813072,893
肥前国藤津郡116133,033.06100056,153
肥前国彼杵郡510981,675.622000220,867
肥前国高来郡281667,932.516000216,242
肥前国合計2,62229601,870.7049301,074,798
肥前国不一致0067,647.807250-30,081
肥前国総計1,476365,416.6362702,62229685,117.597620669,518.5121801,044,717
※『郡村石高帳』の肥前国の郡別村数、郡別石高は不明。
※『日本地誌提要』の肥前国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『郡村石高帳』の肥前国の石高は地米31万9700石2斗6升1合3勺5才を含まない。地高の郡別内訳も不明である。
旧国地米加算前石高地米地米加算後石高
肥前国総計365,416.636270319,700.261350685,116.897620
※『共武政表』と『旧高旧領取調帳』の石高を比較すると以下の通りである。
旧国共武政表旧高旧領取調帳石高差
肥前国基肄郡12,776.09960012,776.0996000.000000
肥前国養父郡19,612.69160017,901.354600-1,711.337000
肥前国三根郡12,826.02510014,537.3621001,711.337000
肥前国神崎郡41,936.35070041,936.3507000.000000
肥前国佐嘉(佐賀)郡85,677.19920095,677.44020010,000.241000
肥前国小城郡41,137.96660041,137.798600-0.168000
肥前国松浦郡138,093.445000216,163.76264078,070.317640
肥前国杵島郡67,169.72813067,773.728130604.000000
肥前国藤津郡33,033.06100033,033.0610000.000000
肥前国彼杵郡81,675.62200082,565.274930889.652930
肥前国高来郡67,932.51600067,942.4977509.981750
肥前国合計601,870.704930691,444.73025089,574.025320
肥前国不一致67,647.8072500.000000
肥前国総計669,518.512180691,444.73025021,926.218070
※『共武政表』の肥前国養父郡本籍人口1万1216人は明治13年1月1日調本籍人口1万9750人、明治12年1月1日調三養基郡本籍人口4万3009人との比較から2万1216の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国佐賀郡本籍人口9万0274人は明治12年1月1日調本籍人口1万0770人との比較から10万0274人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国松浦郡本籍人口27万6301人は、明治12年1月1日調東西松浦郡本籍人口13万0949人、明治12年1月1日調南北松浦郡本籍人口17万0564人、明治5年旧暦1月29日調肥前国内佐賀県本籍人口47万6983人、明治5年旧暦1月29日調肥前国内長崎県本籍人口59万7477人との比較から、28万6301人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の肥前国人口総計104万4717人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口107万4460人と比べて約3万人ほど過少であり、107万4717人の可能性が高い(養父郡・佐賀郡・松浦郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
肥後国天草郡9025,661.051700132425,661.051700163,662
肥後国蘆北郡20421,023.699190261221,023.69919045,398
肥後国球麻(球摩)郡4064,787.232360415164,787.23236053,660
肥後国八代郡9662,985.400160304162,985.40016072,852
肥後国益城郡389193,985.3816501,0152193,985.381650126,401
肥後国上益城郡616198,327.07294064,350
肥後国下益城郡399195,658.30871062,051
肥後国宇土郡6435,794.852370193135,794.85237037,400
肥後国飽田郡18272,409.231830345372,409.231830125,706
肥後国詫摩郡5932,101.57889088132,101.57889031,446
肥後国合志郡10451,839.052030167251,839.05203035,232
肥後国山本郡6326,654.640360123226,654.64036018,170
肥後国玉名郡227110,614.9157205794110,614.915720109,906
肥後国山鹿郡9651,007.204040379251,007.20404042,845
肥後国菊池郡8129,572.275480200129,572.27548025,502
肥後国阿蘇郡21572,800.537130783272,800.53713062,207
肥後国合計1,910851,237.0529104,98428851,237.052910950,387
肥後国不一致00.000000000.0000002
肥後国総計1,910851,237.0529104,98428851,237.052910851,237.052910950,389
※『共武政表』の肥後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の肥後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
日向国諸県郡140167,956.6653501502167,956.665350116,243
日向国宮崎郡3139,982.61362034139,982.61362026,490
日向国那珂郡80107,588.093980803107,588.09398076,941
日向国児湯郡5259,651.35248053259,651.35248051,413
日向国臼杵郡7342,963.63122077242,963.631220111,023
日向国合計376418,142.35665039410418,142.356650382,110
日向国不一致00.000000000.0000000
日向国総計376418,142.35665039410418,142.356650382,110
※『共武政表』の日向国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の日向国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口38万2564人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
大隅国菱刈郡151417,083.3335807,687
大隅国桑原郡313322,730.39935013,978
大隅国姶羅郡4139142,141.17108030,967
大隅国囎唹郡3845375,166.08784057,479
大隅国肝属(肝付)郡4043164,787.26608041,302
大隅国大隅郡4647230,075.10589042,093
大隅国熊毛郡18159,810.37889018,949
大隅国馭謨郡13181,569.5479207,107
大隅国合計2422547263,363.290630219,562
大隅国不一致00012,856.187670-101
大隅国総計242261,793.7427102547261,793.742710276,219.478300219,461
※『郡村石高帳』の大隅国の郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の大隅国石高総数は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の大隅国石高総計から大隅国馭謨郡石高1569石5斗4升7合9勺2才を除した石高とも一致しており、大隅国馭謨郡の石高を含む大隅国石高は『共武政表』の石高であり、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の大隅国石高総計・人口総計は、郡別石高合計・郡別人口と異なるが、その差は『共武政表』の薩摩国十三郡の郡別石高合計・郡別人口合計と石高総計・人口総計の差に等しく、集計上の問題と推測される。
※『共武政表』の大隅国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口22万0578人とほぼ等しい。
[81066] 2012年 7月 10日(火)00:54:55YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (8)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
安芸国沼田郡4225,941.93490045125,941.93490098,322
安芸国佐伯郡8539,540.56850086139,540.56850096,337
安芸国豊田郡8858,944.20220090258,944.202200100,034
安芸国山県郡7431,639.6630007431,639.66300054,084
安芸国高宮郡3617,923.64200035117,923.64200032,139
安芸国賀茂郡9057,857.0100009257,857.010000101,376
安芸国安芸郡4838,986.1605005038,986.160500131,797
安芸国高田郡5943,836.30600059143,836.30600059,213
安芸国合計522314,669.4871005316314,669.487100673,302
安芸国不一致00.000000000.0000005
安芸国総計522314,669.4871005316314,669.487100314,669.487100673,307
※『共武政表』の安芸国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の安芸国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口67万3301人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
周防国大島郡2235,453.579500332135,453.57950080,429
周防国都濃郡48104,332.3602704853104,332.36207080,762
周防国佐波郡4090,230.635820497290,230.63582066,799
周防国玖珂郡112122,720.1453803442122,720.145380122,543
周防国吉敷郡34111,624.2115004671111,624.21150078,556
周防国熊毛郡4187,799.282710518287,799.28271069,643
周防国合計297552,160.2151802,64311552,160.216980498,732
周防国不一致00.000000000.000000-50,000
周防国総計297552,160.2151802,64311552,160.215180552,160.216980448,732
※『郡村石高帳』の周防国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の周防国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口と一致し、『共武政表』の周防国人口総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
長門国豊浦郡152141,364.9685403103141,364.968540101,206
長門国大津郡2047,734.022000293147,734.02200037,254
長門国美祢郡2467,292.02600042567,292.02600031,307
長門国厚狭郡3195,714.59680024195,714.59680053,076
長門国見島郡21,308.69900031,308.6990001,833
長門国阿武郡59104,729.1775509593104,729.177550106,652
長門国合計288458,143.4898902,2317458,143.489890331,328
長門国不一致00.000000000.0000000
長門国総計288458,143.4898902,2317458,143.489890458,143.489890331,328
※『共武政表』の長門国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の長門国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
紀伊国伊都郡16238,032.878810160138,032.87881052,000
紀伊国那賀郡25791,117.964360256191,117.96436070,302
紀伊国名草郡15088,889.648900157288,889.64890097,444
紀伊国海部郡5926,244.4962006226,244.49620073,761
紀伊国有田(在田)郡13747,333.262600140147,341.44590055,809
紀伊国日高郡15348,760.71350017848,752.53020077,181
紀伊国牟婁郡471103,904.1689804602103,904.168980188,253
紀伊国牟婁郡(和歌山県)33767,851.102980
紀伊国牟婁郡(度会県)13436,053.066000
紀伊国合計1,389444,283.1333501,4137444,283.133350614,750
紀伊国不一致00.000000000.0000000
紀伊国総計1,389444,283.1333501,4137444,283.133350444,283.133350614,750
※『共武政表』の紀伊国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の紀伊国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口61万3925人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
淡路国津名郡12477,882.036060134377,882.03606094,681
淡路国三原郡13458,755.945770133158,755.94576070,804
淡路国合計258136,637.9818302674136,637.981820165,485
淡路国不一致00.000000000.0000000
淡路国総計258136,637.9818302674136,642.763130136,637.981820165,485
※『共武政表』の淡路国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の淡路国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
阿波国三好郡3222,947.67124032222,947.67124053,916
阿波国美馬郡2710,737.37813026110,737.37813070,230
阿波国阿波郡3112,665.9657703112,665.96577037,190
阿波国板野郡13561,791.276510135161,791.27651099,568
阿波国麻殖(麻植)郡3216,711.24006031116,711.24006040,252
阿波国名西郡3828,837.0533203828,837.05332041,040
阿波国名東郡5438,749.85310054238,749.853100105,085
阿波国勝浦郡4634,319.18160046134,319.18160030,603
阿波国那賀郡14265,261.020970148165,261.02097076,373
阿波国海部郡5418,463.82404077118,463.82404035,791
阿波国合計591310,484.46474061810310,484.464740590,048
阿波国不一致00.000000000.0000000
阿波国総計591310,484.46474061810310,484.464740310,484.464740590,048
※『郡村石高帳』の阿波国麻殖郡の村数は外町1。
※『共武政表』の阿波国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の阿波国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
讃岐国大内郡3416,161.82200034316,161.82200030,147
讃岐国寒川郡2723,248.03000027223,248.03000043,127
讃岐国三木郡2018,151.1230002018,151.12300023,840
讃岐国山田郡3330,807.8950003330,807.89500037,098
讃岐国香川郡4942,131.42400049342,131.42400096,196
讃岐国阿野郡3633,125.38600036133,125.38600049,806
讃岐国鵜足郡3030,424.44800030130,424.44800036,109
讃岐国那珂郡4730,423.99860046230,423.99860057,104
讃岐国多度郡2418,428.66750024118,428.66750023,884
讃岐国三野郡3732,948.06130037132,948.06130059,341
讃岐国豊田郡4622,562.83700045222,562.83700055,355
讃岐国小豆島99,095.629000119,095.62900038,920
讃岐国塩飽島61,519.564400121,519.56440010,689
讃岐国直島3542.02200011785.8680002,709
讃岐国男木島189.046000
讃岐国女木島154.800000
讃岐国合計402309,814.75380041516309,814.753800564,325
讃岐国不一致-70.000000000.0000000
讃岐国総計395309,814.75380041516309,814.753800309,814.753800564,325
※『郡村石高帳』の讃岐国村数合計402と村数総計が一致せず。
※『日本地誌提要』の讃岐国の町村数総計は村数390町数16属島25だが、属島25(小豆島2、直島11、塩飽島12)はすべて村数として計上。
※『共武政表』の讃岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の讃岐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口56万4351人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊予国宇摩郡56122,639.69280056,900
伊予国新井(新居)郡54137,670.72800059,957
伊予国周布(周敷)郡39124,712.78355025,780
伊予国桑村郡3114,675.22200015,509
伊予国越智郡106147,438.92100092,261
伊予国野間郡29116,688.78900022,994
伊予国風早郡84118,590.42100028,359
伊予国和気郡24116,424.22500024,955
伊予国温泉郡34223,204.73700046,568
伊予国久米郡2917,604.90000013,815
伊予国伊予郡38128,098.51766022,233
伊予国浮穴郡103139,219.86200060,348
伊予国喜多郡85234,330.50111067,249
伊予国宇和郡2652102,022.388300241,632
伊予国合計97715443,321.688420778,560
伊予国不一致000.000000-4
伊予国総計968443,321.68842097715475,556.573340443,321.688420778,556
※『郡村石高帳』の伊予国の郡別村数、郡別石高は不明だが、『郡村石高帳』の伊予国石高総数は『共武政表』の石高と一致し、郡別石高に関しては『共武武表』の郡別石高で補間可能である。
※『共武政表』の伊予国国石高総計は『郡村石高帳』の石高と一致するが、『日本地誌提要』、『地理局雑報』(44万3855石5升8合3勺2才)の石高とは異なる。
※『共武政表』の伊予国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
土佐国安芸郡5054,308.312700129151,557.87300066,394
土佐国香美郡3570,088.289000155270,112.00700071,874
土佐国長岡郡5475,245.48800015474,947.49200060,710
土佐国土佐郡3152,288.859000117151,913.16100075,445
土佐国吾川郡4443,098.130000124143,181.34900052,241
土佐国高岡郡76110,354.0700002263112,556.929000110,003
土佐国幡多郡136105,189.0460002882105,370.18000089,618
土佐国合計426510,572.1947001,19310509,638.991000526,285
土佐国不一致00.000000003,060.0000000
土佐国総計426510,572.1947001,19310512,698.991000512,698.991000526,285
※『共武政表』の土佐国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の土佐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
豊前国企球郡11145,796.075080249245,796.07508045,655
豊前国田川郡7154,787.97600091354,787.97600038,086
豊前国京都郡7134,620.6892007234,620.68920019,413
豊前国中津(仲津)郡7641,694.16660092341,694.16660031,103
豊前国築城郡4123,247.2285008623,247.22850020,422
豊前国上毛郡7838,108.54210081238,108.54210033,693
豊前国下毛郡9849,338.90850098149,338.90850059,181
豊前国宇佐郡22579,354.495400150279,354.49540059,979
豊前国合計771366,948.08138091913366,948.081380307,532
豊前国不一致00.000000000.0000000
豊前国総計771366,948.08138091913366,948.081380366,948.081380307,532
※『共武政表』の豊前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の豊前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81065] 2012年 7月 10日(火)00:53:17【1】YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (7)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伯耆国河村郡10828,991.95100010728,991.95100023,912
伯耆国久米郡12047,011.309000119147,011.30900027,624
伯耆国八橋郡10836,038.157000108136,038.15700023,109
伯耆国汗入郡7528,737.63800075128,737.63800019,092
伯耆国会見郡18572,603.812000181472,603.81200071,802
伯耆国日野郡18237,686.54000017837,686.54000029,972
伯耆国合計778251,069.4070007687251,069.407000195,511
伯耆国不一致00.000000000.0000004
伯耆国総計778251,069.4070007687251,069.407000251,069.407000195,515
※『共武政表』の伯耆国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伯耆国八橋郡人口3万3109人は明治12年1月1日調本籍人口2万4034人との比較から2万3109人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の伯耆国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
出雲国島根郡5726,358.11000056226,358.11000049,860
出雲国秋鹿郡2411,382.5840002411,382.58400012,646
出雲国楯縫郡3524,216.04500036124,216.04500025,333
出雲国出雲郡3230,323.9720003230,323.97200017,709
出雲国神門郡8360,614.07500085260,614.07500067,106
出雲国飯石郡6131,993.3920006231,993.39200030,014
出雲国仁多郡6921,651.6280007121,651.62800020,582
出雲国大原郡6528,793.6060006528,793.60600027,674
出雲国能義郡9548,057.37600096248,057.37600038,989
出雲国意宇郡4037,319.1230004737,319.12300050,309
出雲国合計561320,709.9110005747320,709.911000340,222
出雲国不一致00.000000000.0000000
出雲国総計561320,709.9110005747320,709.911000320,709.911000340,222
※『共武政表』の出雲国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の出雲国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
石見国安濃郡3014,673.39300030114,673.39300022,580
石見国邇摩郡4616,816.38300047216,816.38300032,993
石見国邑知(邑智)郡10636,383.75130010636,383.75130053,871
石見国那賀郡13249,168.939700136149,168.93970083,688
石見国美濃郡11737,439.546700118137,439.54670041,561
石見国鹿足郡11627,654.884800117127,654.88480027,342
石見国合計547182,136.8985005546182,136.898500262,035
石見国不一致00.000000000.0000000
石見国総計547182,136.8985005546182,136.898500182,136.898500262,035
※『共武政表』の石見国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の石見国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
隠岐国海士郡82,465.69700082,465.6970005,566
隠岐国知夫里(知夫)郡53,204.46400053,204.4640007,069
隠岐国越智(穏地)郡162,982.691000162,982.6910005,775
隠岐国周吉郡323,910.0550003213,910.05500010,684
隠岐国合計6112,562.90700061112,562.90700029,094
隠岐国不一致00.000000000.0000000
隠岐国総計6112,562.90700061112,562.90700012,562.90700029,094
※『共武政表』の隠岐国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の隠岐国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
播磨国明石郡14659,695.993200153159,695.99320054,442
播磨国美嚢郡17144,657.427500149144,657.42750028,344
播磨国加古郡10050,810.996000114250,810.99600047,265
播磨国印南郡11045,737.671800131245,737.67180048,724
播磨国加東郡16255,891.21700015255,891.21700043,162
播磨国加西郡13139,498.47720012839,498.47720035,743
播磨国多可郡12934,356.57000013034,356.57000031,049
播磨国神東郡7828,921.5894007928,921.58940022,764
播磨国神西郡7122,306.1883606922,306.18836018,302
播磨国飾西郡8041,016.26500016141,016.26500031,414
播磨国飾東郡7240,295.80900072240,295.80900067,277
播磨国揖東郡12356,242.67310014456,242.67310051,226
播磨国揖西郡10033,658.234100113233,658.23410039,427
播磨国赤穂郡12844,521.290600127144,521.29060055,910
播磨国佐用郡8824,279.7895008724,279.78950023,990
播磨国宍粟郡15138,667.624500147138,667.62450040,450
播磨国合計1,840660,557.8162601,95612660,557.816260639,489
播磨国不一致70.000000000.00000010,000
播磨国総計1,847660,557.8162601,95612660,557.816250660,557.816260649,489
※『郡村石高帳』の播磨国村数合計1840と村数総計が一致せず。
※『共武政表』の播磨国石高総計は『郡村石高帳』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の播磨国佐用郡本籍人口3万3990人は明治12年1月1日調本籍人口2万5331人との比較から2万3990人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の播磨国人口総計64万9489人は明治6年1月1日調本籍人口63万9576人と比べて過剰であり、63万9489人の可能性が高い(佐用郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
美作国東南条郡2010,892.0700001310,892.07000010,309
美作国東北条郡4015,411.2370003115,411.23700011,325
美作国西々条(西西条)郡6126,805.0210005126,805.0210009,329
美作国久米北条郡5928,871.2330005428,871.23300023,397
美作国久米南条郡7222,988.6730006322,988.67300019,670
美作国勝南郡7824,657.9720006924,657.97200017,745
美作国勝北郡8434,139.4590005534,139.45900023,829
美作国大庭郡5920,836.76900046120,836.76900020,912
美作国真島郡11033,270.80700090133,270.80700029,899
美作国英田郡6513,662.42900056113,662.42900016,591
美作国吉野郡7219,954.2430006019,954.24300014,950
美作国西北条郡3110,843.95100022110,843.95100017,131
美作国合計751262,333.8640006104262,333.864000215,087
美作国不一致00.000000000.00000020,000
美作国総計751262,333.8640006104262,333.864000262,333.864000235,087
※『共武政表』の美作国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の美作国西北条郡本籍人口3万7131人は明治12年1月1日調本籍人口1万8550人との比較から1万7131人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の美作国人口総計23万5087人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口21万5602人と比べて過剰であり、21万5087人の可能性が高い(西北条郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備前国御野郡7952,824.75200079152,824.75200058,395
備前国津高郡12647,224.652000126147,224.65200036,849
備前国赤坂郡10243,267.32400010243,267.32400026,484
備前国磐梨郡6526,224.0160006526,224.01600015,711
備前国和気郡9628,871.1320009728,871.13200034,294
備前国邑久郡8670,645.47700086270,645.47700044,022
備前国上道郡11599,660.178000116199,660.17800046,151
備前国児島郡9750,247.00700097250,247.00700071,808
備前国合計766418,964.5380007687418,964.538000333,714
備前国不一致00.000000000.0900000
備前国総計766418,964.5380007687418,964.538000418,964.628000333,714
※『郡村石高帳』の備前国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の備前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備中国上房郡3124,702.03280099124,702.03280023,304
備中国阿賀郡4633,207.944000105133,207.94400029,150
備中国哲多郡3322,919.8946008722,919.89460018,523
備中国川上郡5731,196.35400087131,196.35400037,300
備中国小田郡7437,655.852700103137,655.85270064,164
備中国後月郡3918,308.7268005318,308.72680029,290
備中国下道郡2923,622.7056004723,622.70560025,634
備中国賀陽郡8350,416.341230110250,416.34123038,914
備中国都宇郡4835,707.82670012235,707.82670027,185
備中国浅口郡6155,201.1047007255,201.10470074,053
備中国窪屋郡5838,416.39267084138,416.39267032,028
備中国合計559371,355.1758009697371,355.175800399,545
備中国不一致00.00000000-0.0690000
備中国総計559371,355.1758009697371,355.175800371,355.106800399,545
※『郡村石高帳』の備中国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の備中国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口39万9467人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
備後国御調郡10039,828.25555090239,828.255550101,646
備後国世羅郡5033,650.49000049133,650.49000029,840
備後国三谿郡3819,342.0180003819,342.01800020,225
備後国三上郡1813,693.6710001813,693.67100012,251
備後国奴可郡4019,876.91600039219,876.91600020,684
備後国甲奴郡3215,624.4110003215,624.41100015,972
備後国沼隈郡4326,425.22000044126,425.22000067,176
備後国深津郡2826,851.07300035126,851.07300045,300
備後国安那郡2924,734.7090003024,734.70900024,179
備後国品治郡2111,709.0490002111,709.04900016,341
備後国蘆田郡2817,567.02000028117,567.02000030,783
備後国神石郡4022,345.9400004022,345.94000022,836
備後国三次郡5221,613.53700053121,613.53200030,335
備後国恵蘇郡4522,613.8720004122,613.87200021,708
備後国合計564315,876.1815505589315,876.176550459,276
備後国不一致00.000000000.0860000
備後国総計564315,876.1815505589315,876.181550315,876.262550459,276
※『郡村石高帳』の備後国石高総計は『日本地誌提要』と一致し、『地理局雑報』(35万5704石4斗3升7合1勺)の石高と異なる。
※『共武政表』の備後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口45万9109人とほぼ等しい。
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明治5年国郡別石高と人口・町村数 (6)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
若狭国大飯郡7320,404.61660072120,404.61660016,878
若狭国遠敷郡13544,510.765500144244,510.76550049,130
若狭国三方郡6126,851.6760006226,851.67600019,805
若狭国合計26991,767.058100278391,767.05810085,813
若狭国不一致00.000000000.0000000
若狭国総計26991,767.058100278391,767.05810091,767.05810085,813
※『共武政表』の若狭国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の若狭国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越前国足羽郡15792,917.620000157192,917.62000076,336
越前国吉田郡14680,811.852000127180,811.85200033,608
越前国丹生郡23987,980.05800023687,980.05800060,122
越前国今立郡19886,268.894000202286,268.89400055,367
越前国南条郡9035,770.94860081235,770.94860033,375
越前国坂井郡355185,597.3012003563185,597.30120092,557
越前国大野郡26498,090.417700254298,090.41770076,506
越前国敦賀郡8822,806.52625079122,806.52625026,270
越前国合計1,537690,243.6177501,49212690,243.617750454,141
越前国不一致00.000000000.0000000
越前国総計1,537690,243.6177501,49212690,249.700400690,243.617750454,141
※『共武政表』の越前国石高総計は『郡村石高帳』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の越前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口45万4229人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
加賀国河北郡27099,964.761000269299,936.20100074,871
加賀国石川郡332189,919.0220003365189,920.002000186,898
加賀国能美郡278137,775.2763902641137,766.27639087,432
加賀国江沼郡14180,950.068000140280,950.06800054,693
加賀国合計1,021508,609.1273901,00910508,572.547390403,894
加賀国不一致00.000000000.00000010,000
加賀国総計1,021508,609.1273901,00910508,572.547390508,572.547390413,894
※『共武政表』の加賀国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(50万8578石3斗7升2合3勺9才)の石高と異なる。
※『郡村石高帳』の加賀国の国郡別石高は外受高3106石8斗9升1合を含まない。外受高の郡別内訳は不明である。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
加賀国総計508,609.1273903,106.891000511,716.018390
※『共武政表』の加賀国河北郡本籍人口8万4871人は明治12年1月1日調本籍人口7万1453人との比較から7万4871人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の加賀国人口総計41万3894人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口40万3357人と比べて過剰であり、40万3894人の可能性が高い(河北郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
能登国羽咋郡23899,726.117500239199,676.18750071,547
能登国鹿島郡20199,962.9786601961100,096.30106069,270
能登国鳳至郡32069,858.027500318269,858.02750081,837
能登国珠洲郡11235,935.52030011235,935.52030041,725
能登国合計871305,482.6439608654305,566.036360264,379
能登国不一致00.000000000.0000000
能登国総計871305,482.6439608654305,666.036340305,566.036360264,379
※『共武政表』の能登国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(50万8578石3斗7升2合3勺9才)の石高と異なる。
※『郡村石高帳』の能登国の国郡別石高は外受高2120石1斗8升5合を含まない。受高の郡別内訳は不明である。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
能登国総計305,482.6439602,120.185000307,602.828960
※『共武政表』の能登国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越中国新川郡1,134295,756.0100001,0414301,417.882690256,817
越中国婦負郡368112,139.5020003652113,216.82800061,434
越中国射水郡331188,681.2370003373172,718.327090136,319
越中国砺波郡740281,187.3580007012275,890.847670169,407
越中国合計2,573877,764.1070002,44411863,243.885450623,977
越中国不一致00.000000000.0000000
越中国総計2,573877,764.1070002,44411877,764.107000863,243.885450623,977
※『郡村石高帳』の越中国の町数総計は外町18。内訳は、新川郡町7、婦負郡町3、射水郡町3、砺波郡町5。
※『郡村石高帳』の越中国の国郡別石高は外受高2万2067石8斗3升2合を含まない。受高加算前の国郡別石高は『日本地誌提要』の石高と一致し、受高加算後の石高は『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国受高加算前石高受高受高加算後石高
越中国新川郡295,756.01000020,031.008000315,787.018000
越中国婦負郡112,139.502000390.765000112,530.267000
越中国射水郡188,681.237000697.335000189,378.572000
越中国砺波郡281,187.358000948.724000282,136.082000
越中国総計877,764.10700022,067.832000899,831.939000
※『共武政表』の越中国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
越後国頚城郡1,140225,199.7694001,0935225,199.769400281,635
越後国苅羽郡(刈羽郡)20275,890.293960186275,890.293958103,397
越後国魚沼郡422102,282.3181004112102,282.751000158,019
越後国古志郡29269,235.231600348269,234.79860098,559
越後国三島郡25578,509.007200181478,509.00720083,065
越後国岩船郡26861,820.382750249261,820.38275059,748
越後国蒲原郡1,967537,630.5205801,78423537,629.134580599,253
越後国蒲原郡(新潟県)1,897520,242.884580
越後国蒲原郡(若松県)7017,387.636000
越後国合計4,5461,150,567.5235904,252401,150,566.1374881,383,676
越後国不一致00.000000000.00000030,000
越後国総計4,5461,150,567.5235904,252401,150,836.3685801,150,566.1374881,413,676
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(115万0836石3斗2升8合5勺9才)の越後国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の越後国人口合計は明治7年1月1日調本籍人口138万3572人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は誤計算と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
佐渡国加茂郡10048,345.14000094348,420.53600031,800
佐渡国雑太郡10164,521.93700089364,694.26900050,673
佐渡国羽茂郡6222,339.04600062122,399.67600021,932
佐渡国合計263135,206.1230002457135,514.481000104,405
佐渡国不一致00.000000000.0000000
佐渡国総計263135,206.1230002457135,206.123000135,514.481000104,405
※『郡村石高帳』の佐渡国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の佐渡国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
丹波国桑田郡23656,252.463400220156,227.72900052,135
丹波国船井郡22652,134.455100200152,134.45510045,723
丹波国何鹿郡11449,525.940800136149,525.94080040,422
丹波国氷上郡22567,462.689600177167,462.68960065,564
丹波国多紀郡11552,076.370600213152,076.37060043,933
丹波国天田郡12452,013.554360113152,013.55436047,904
丹波国合計1,040329,465.4738601,0596329,440.739460295,681
丹波国不一致0-0.000400000.0000000
丹波国総計1,040329,465.4734601,0596329,465.473860329,440.739460295,681
※『郡村石高帳』の丹波国石高合計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『郡村石高帳』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の丹波国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
丹後国与佐郡9442,655.44200095142,655.44200048,246
丹後国加佐郡15439,080.008500151139,080.00850054,999
丹後国中郡3521,987.89280034121,987.89280017,037
丹後国熊野郡5619,004.8770005319,004.87700016,073
丹後国竹野郡7325,273.9100007225,273.91000025,693
丹後国合計412148,002.1303004053148,002.130300162,048
丹後国不一致00.000000000.0000000
丹後国総計412148,002.1303004053148,002.130300148,002.130300162,048
※『共武政表』の丹後国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の丹後国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口16万2084人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
但馬国朝来郡9220,739.21600082120,739.21600026,958
但馬国養父郡11423,942.88400010423,942.88400036,460
但馬国二方郡5410,163.5490005610,163.54900021,390
但馬国七味郡7311,041.53980069111,041.53980015,009
但馬国気多郡8620,049.92030011020,049.92030021,125
但馬国城崎郡8421,758.95017078121,744.74577024,131
但馬国美含郡8311,993.6780007211,993.67800017,259
但馬国出石郡9728,458.01700085128,458.01700025,648
但馬国合計683148,147.7542706564148,133.549870187,980
但馬国不一致00.000000000.0000000
但馬国総計683148,147.7542706564148,147.754270148,133.549870187,980
※『郡村石高帳』の但馬国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の但馬国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
因幡国岩井郡5122,620.4330005122,620.43300016,193
因幡国法美郡6120,609.60400062120,609.60400014,624
因幡国八東郡8226,144.0320008926,144.03200019,102
因幡国八上郡6223,863.9990006223,863.99900014,675
因幡国知頭(智頭)郡9816,686.2420009916,686.24200015,418
因幡国邑美郡3317,379.60100031417,379.60100040,000
因幡国高草郡8441,187.21800083141,187.21800023,404
因幡国気多郡8327,141.51600083227,141.51600020,835
因幡国合計561195,632.6450005608195,632.645000164,251
因幡国不一致00.000000000.000000-101
因幡国総計561195,632.6450005608195,632.645000195,632.645000164,150
※『共武政表』の因幡国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の因幡国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口16万2396人とほぼ等しい。
[81063] 2012年 7月 10日(火)00:49:38YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (5)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
羽前国置賜郡263337,240.9150002955337,240.915000146,769
羽前国置賜郡(置賜県)223295,671.543000
羽前国置賜郡(山形県)4041,569.372000
羽前国村山郡478365,370.03946043911365,370.039390242,639
羽前国最上郡8684,057.51631085184,057.51631043,483
羽前国田川郡390160,302.8349104205160,302.834910132,399
羽前国合計1,217946,971.3056801,23922946,971.305610565,290
羽前国不一致00.000000000.000000-10
羽前国総計1,217946,971.3056801,23922946,971.304910946,971.305610565,280
※『郡村石高帳』の羽前国の村数総計は外町34。
※『郡村石高帳』の羽前国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の羽前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口56万7361人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
羽後国飽海郡28474,941.885800284274,941.88590072,099
羽後国秋田郡289116,598.9560002824116,598.956000186,818
羽後国河辺(川辺)郡5927,174.16300059127,174.16300028,006
羽後国仙北郡184110,219.4870001792110,219.48700087,033
羽後国雄勝郡8852,848.28000086352,848.28000050,453
羽後国山本郡7842,231.17400076242,231.17400063,439
羽後国平鹿郡11567,264.044000114267,264.04400066,723
羽後国由利郡24377,196.899550240477,196.89955075,269
羽後国合計1,340568,474.8893501,32020568,474.889450629,840
羽後国不一致00.00000000-200.0000000
羽後国総計1,340568,474.8893501,32020568,474.889450568,274.889450629,840
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(56万8760石2斗7升5合4勺5才)の羽後国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の羽後国石高合計は『日本地誌提要』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の羽後国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口63万0575人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
渡島国亀田郡29136,415
渡島国茅部郡179,680
渡島国上磯郡178,000
渡島国福島郡64,510
渡島国檜山郡21117,352
渡島国津軽郡13120,860
渡島国爾志郡87,011
渡島国合計1113103,828
渡島国不一致000
渡島国総計111354,814.894820103,828
※『日本地誌提要』の渡島国石高総計は物産高。
※『共武政表』の渡島国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口9万4610人と比べて過剰であり、現住人口ベース(明治6年1月1日調現住人口9万9909人)か。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
後志国久遠郡9854
後志国奥尻郡486
後志国太櫓郡4303
後志国瀬棚郡5531
後志国島牧郡151,039
後志国寿都郡81,583
後志国歌棄郡61,140
後志国磯屋(磯谷)郡41,304
後志国岩内郡613,075
後志国古宇郡62,009
後志国積丹郡81,620
後志国美国郡51,555
後志国古平郡612,663
後志国余市郡812,725
後志国忍路郡41,515
後志国高島郡41,115
後志国小樽郡515,413
後志国合計107428,530
後志国不一致00-5
後志国総計1074265,580.84719028,525
※『日本地誌提要』の後志国石高総計は物産高。
※『共武政表』の後志国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1万9916人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2万8388人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
石狩国石狩郡311,828
石狩国札幌郡1718,825
石狩国夕張郡39
石狩国樺戸郡78
石狩国空知郡0
石狩国雨竜郡0
石狩国上川郡0
石狩国厚田郡10708
石狩国浜益郡8577
石狩国合計38212,055
石狩国不一致000
石狩国総計38239,336.06952012,055
※『日本地誌提要』の石狩国石高総計は物産高。
※『共武政表』の石狩国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7591人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口1万2123人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
北見国宗谷郡352
北見国利尻郡947
北見国礼文郡376
北見国枝幸郡157
北見国紋別郡10299
北見国常呂郡7140
北見国網走郡8248
北見国斜里郡5252
北見国合計302,771
北見国不一致00
北見国総計3026,977.4206602,771
※『日本地誌提要』の北見国石高総計は物産高。
※『共武政表』の北見国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1647人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2770人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
胆振国山越郡21,002
胆振国虻田郡4574
胆振国有珠郡52,930
胆振国室蘭郡711,020
胆振国幌別郡5442
胆振国白老郡3581
胆振国勇払郡161,476
胆振国千歳郡6297
胆振国合計4818,322
胆振国不一致007
胆振国総計48115,837.5042908,329
※『日本地誌提要』の胆振国石高総計は物産高。
※『共武政表』の胆振国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7462人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口8421人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
日高国沙流郡181,895
日高国新冠郡11548
日高国静内郡162,162
日高国三石郡8390
日高国浦河(浦川)郡201,199
日高国様似郡23424
日高国幌泉郡91,531
日高国合計1058,149
日高国不一致00
日高国総計10548,505.6027708,149
※『日本地誌提要』の日高国石高総計は物産高。
※『共武政表』の日高国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口7479人と比べて過剰であり、現住人口ベース(明治6年1月1日調現住人口6137人)か。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
十勝国広尾郡1234
十勝国当縁郡356
十勝国大津(上川)郡2100
十勝国中川郡22539
十勝国河東郡5210
十勝国河西郡12225
十勝国十勝郡6146
十勝国合計511,510
十勝国不一致00
十勝国総計515,280.4400001,510
※『日本地誌提要』の十勝国石高総計は物産高。
※『共武政表』の十勝国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1477人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口1505人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
釧路国白糠郡2361
釧路国足寄郡476
釧路国釧路郡81,132
釧路国善報郡
釧路国阿寒郡573
釧路国網尻郡60
釧路国川上(上川)郡5202
釧路国厚岸郡1711,146
釧路国合計4712,990
釧路国不一致000
釧路国総計47148,342.9878302,990
※『郡村石高帳』記載の善報郡は設置されず。
※『日本地誌提要』の釧路国石高総計は物産高。
※『共武政表』の釧路国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口2339人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2994人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
根室国花咲郡70
根室国根室郡611,324
根室国野付郡4513
根室国標津郡2146
根室国目梨(芽梨)郡4187
根室国合計2312,170
根室国不一致000
根室国総計23135,572.8158302,170
※『日本地誌提要』の根室国石高総計は物産高。
※『共武政表』の根室国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1786人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口2270人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
千島国国後郡5303
千島国択捉郡287
千島国振別郡2109
千島国紗那郡4204
千島国蘂取郡2223
千島国合計15926
千島国不一致00
千島国総計1511,778.777250926
※『日本地誌提要』の千島国石高総計は物産高。
※『共武政表』の千島国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口438人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口928人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
天塩国増毛郡52,114
天塩国留萌郡5764
天塩国苫前郡5506
天塩国天塩郡118
天塩国中川郡15
天塩国上川郡26
天塩国合計153,543
天塩国不一致00
天塩国総計1598,259.3245603,543
※『日本地誌提要』の天塩国石高総計は物産高。
※『共武政表』の天塩国人口総計は明治8年1月1日調本籍人口1870人と比べて過剰であり、明治6年1月1日調現住人口3543人と一致する。
[81062] 2012年 7月 10日(火)00:48:01YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (4)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
飛騨国大野郡13722,248.657000159122,248.65700039,896
飛騨国吉城郡17824,395.637000229224,395.63700034,126
飛騨国益田郡10010,551.76400012510,551.76400024,800
飛騨国合計41557,196.058000513357,196.05800098,822
飛騨国不一致00.000000000.0000000
飛騨国総計41557,196.058000513357,196.05800057,196.05800098,822
※『共武政表』の飛騨国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』の石高と一致し、『地理局雑報』(5万7195石9斗9升3合)の石高と異なる。
※『共武政表』の飛騨国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
信濃国佐久郡18897,567.455400273298,061.81940087,374
信濃国諏訪郡15843,787.16120079243,787.16120061,418
信濃国伊那郡298139,051.6748901103139,051.674890171,413
信濃国筑摩郡23884,459.961790103284,459.961790142,170
信濃国小県郡77,138.537700192177,288.58670083,460
信濃国埴科郡24,602.89400049123,650.56160038,407
信濃国更科(更級)郡59,511.92890011359,319.31590059,615
信濃国安曇郡17964,194.082000101164,194.08200080,802
信濃国水内郡110,120.3413003113109,613.469930127,264
信濃国高井郡86,515.963800170186,291.32857078,021
信濃国合計786,950.0009801,50116785,717.961980929,944
信濃国不一致0.000000000.0000000
信濃国総計786,950.0009801,50116786,411.668380785,717.961980929,944
※『日本地誌提要』の信濃国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『郡村石高帳』の国郡別村数は一部不記載。
※『共武政表』の信濃国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
上野国邑楽郡9380,142.04400088180,142.48400056,437
上野国新田郡11766,914.682320100167,151.96532029,735
上野国山田郡6436,657.46000060136,685.48100038,123
上野国佐位郡4721,625.68500038121,625.68500025,611
上野国那波郡6930,102.30629054130,102.30629017,024
上野国群馬郡234120,194.2505801932120,182.250580100,874
上野国勢多郡19277,348.46185017177,348.46185060,519
上野国利根郡14530,912.781000113230,900.90800031,032
上野国吾妻郡9825,126.6940008535,126.57100032,422
上野国碓氷(碓水)郡8541,484.86955074141,275.30155037,004
上野国片岡郡34,267.61400034,267.6140002,431
上野国多胡郡3212,605.1980002812,605.1980009,353
上野国緑埜(緑野)郡6031,438.55875046131,438.55875021,544
上野国甘楽郡17557,030.502000133157,030.50200055,296
上野国合計1,414635,851.1073401,18612645,883.287340517,405
上野国不一致00.00000000-0.000500-110,941
上野国総計1,414635,851.1073401,18612636,116.851340645,883.286840406,464
※『日本地誌提要』の上野国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の上野国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口52万1603人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
下野国河内郡272108,400.0060002031110,733.48976068,743
下野国芳賀郡276133,633.6411102411134,739.52120060,571
下野国塩谷郡15955,250.48721015255,683.46321037,010
下野国那須郡309119,500.0020902663119,959.54615067,159
下野国足利郡4632,474.02730043132,474.02730037,938
下野国梁田(簗田)郡2914,295.1800002714,295.18000010,783
下野国安蘇(安蘓)郡6462,582.97540046162,582.97540051,023
下野国都賀郡387223,551.3846003827223,674.500600161,371
下野国寒川郡138,960.737000138,960.7370003,868
下野国合計1,555758,648.4407101,37314763,103.440620498,466
下野国不一致00.000000000.000000-16,000
下野国総計1,555758,648.4407101,37314762,851.631820763,103.440620482,466
※『共武政表』の下野国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の下野国塩谷郡本籍人口3万1010人は明治12年1月1日調本籍人口4万0846人との比較から3万7010人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の下野国足利郡本籍人口2万7938人は明治12年1月1日調本籍人口4万1917人との比較から3万7938人の誤記と判断し修正。
※『共武政表』の下野国人口総計48万2466人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口49万8520人と比べて過少であり、49万8466人の可能性が高い(塩谷郡・足利郡の人口を修正)。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
磐城国白河郡10664,327.583000106164,327.58300029,670
磐城国石川郡8349,061.7550007549,061.75500019,148
磐城国田村郡143113,312.9497001411113,312.94970056,876
磐城国菊多郡6140,561.9409306140,561.94093019,264
磐城国白川郡9343,620.01344092143,620.01344024,785
磐城国磐前郡11355,515.814300112255,515.81430030,091
磐城国磐城郡5131,941.8940005131,941.89400015,070
磐城国楢葉郡4130,754.1850004030,754.18500011,117
磐城国標葉郡6429,437.1370006429,437.13700016,398
磐城国行方郡12166,919.63600012166,919.63600032,496
磐城国宇多郡5036,837.00000050136,837.00400022,879
磐城国宇多郡(磐前県)4129,677.279000
磐城国宇多郡(宮城県)97,159.721000
磐城国伊具郡3639,528.90700036139,528.90700030,550
磐城国亘理郡2624,678.0740002624,678.07400018,162
磐城国刈田郡3323,991.99300033123,991.99300022,768
磐城国合計1,021650,488.8823701,0088650,488.886370349,274
磐城国不一致00.00000000-0.0040000
磐城国総計1,021650,488.8823701,0088650,488.882370650,488.882370349,274
※『共武政表』の磐城国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の磐城国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口34万9594人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
岩代国会津郡30988,224.545500308288,221.33950065,276
岩代国大沼郡16153,035.58400016153,029.61600032,696
岩代国耶麻郡310126,274.5510003112126,244.94100054,035
岩代国河沼郡24876,121.762000245176,212.17100033,884
岩代国岩瀬郡8869,413.31340083169,413.31340031,437
岩代国伊達郡112114,246.0661701094114,255.30117075,614
岩代国安積郡4853,118.39660048153,116.18460028,454
岩代国安積郡(若松県)1112,123.29184012,121.079840
岩代国安積郡(福島県)3740,995.10476040,995.104760
岩代国信夫郡8889,970.11788087289,975.08788048,434
岩代国安達郡7490,519.20936067190,519.20936062,055
岩代国合計1,438760,923.5459101,41914760,987.163910431,885
岩代国不一致00.000030000.0000000
岩代国総計1,438760,923.5459401,41914760,937.750910760,987.163910431,885
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(76万0974石6斗8升9勺1才)の岩代国の石高総計は全て異なるが、国郡別石高の端数の比較から、『郡村石高帳』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の岩代国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口43万0163人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸前国柴田郡3529,531.5940003529,531.59400021,458
陸前国名取郡6164,270.51000059164,270.51000042,922
陸前国宮城郡7975,087.12300078275,087.123000101,785
陸前国黒川郡4943,818.6400004943,818.64000020,399
陸前国賀美(加美)郡3838,913.9710003838,913.97100018,542
陸前国玉造郡2124,499.36000022124,499.36000014,246
陸前国志田郡6456,402.73000064156,402.73000027,820
陸前国遠田郡5962,372.4900005862,372.49000031,582
陸前国栗原郡93136,620.990000961136,620.99000079,711
陸前国登米郡2441,791.37000021141,791.37000031,158
陸前国牡鹿郡6015,514.07000059115,514.07000026,737
陸前国桃生郡6674,015.5200006674,015.52000040,070
陸前国本吉郡3322,184.18000032222,184.18000040,884
陸前国気仙郡2415,626.76000024215,626.76000042,225
陸前国合計706700,649.30800070112700,649.308000539,539
陸前国不一致00.000000000.0000000
陸前国総計706700,649.30800070112700,649.308000700,649.308000539,539
※『共武政表』の陸前国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸前国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口53万9614人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸中国磐井郡8684,007.06000086184,007.06000089,139
陸中国胆沢郡3775,764.26000037175,764.26000043,172
陸中国江刺郡4138,815.27000041138,815.27000035,544
陸中国和賀郡6953,170.80900069153,170.80900042,051
陸中国稗貫郡6851,689.69000067151,689.69000037,099
陸中国紫波郡7554,630.5110007454,630.51100034,466
陸中国岩手郡8552,333.36200085152,333.36200079,387
陸中国鹿角郡6920,965.04500070220,965.04500024,537
陸中国閉伊郡13828,559.015000138528,559.01500086,573
陸中国九戸郡5911,907.89000059111,907.89000041,155
陸中国合計727471,842.91200072614471,842.912000513,123
陸中国不一致00.0000000042,136.07000040,369
陸中国総計727471,842.91200072614469,073.737000513,978.982000553,492
※『共武政表』の陸中国石高合計は『郡村石高帳』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『日本地誌提要』の陸中国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸中国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口51万3273人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
陸奥国二戸郡7514,796.27000031914,796.27000029,507
陸奥国三戸郡12043,792.960000595142,952.69800092,896
陸奥国北郡8323,524.559000454223,524.55900059,279
陸奥国津軽郡876340,987.0490001,0074340,986.364000291,635
陸奥国合計1,154423,100.8380002,3757422,259.891000473,317
陸奥国不一致00.00000000-0.0200000
陸奥国総計1,154423,100.8380002,3757423,100.838000422,259.871000473,317
※『郡村石高帳』の陸奥国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の陸奥国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81061] 2012年 7月 10日(火)00:46:36YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (3)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
武蔵国豊島郡19048,764.867890102348,764.551920739,773
武蔵国荏原郡11033,613.80418092133,613.54918086,654
武蔵国橘樹郡12655,087.514110123355,087.51411065,808
武蔵国多摩郡436139,574.3175803943139,574.317580174,233
武蔵国多摩郡(東京府)5511,777.943980
武蔵国多摩郡(神奈川県)381127,796.373600
武蔵国久良岐郡4416,614.42253053216,614.42253082,114
武蔵国新座郡4714,285.5486403314,190.54864018,387
武蔵国入間郡350100,814.350500250199,144.670500106,698
武蔵国高麗郡20427,574.26490011727,206.89350033,147
武蔵国秩父郡8831,452.17200084131,258.19600059,886
武蔵国男衾郡359,158.394860268,992.93536011,051
武蔵国大里郡4923,657.70592039123,560.70592022,029
武蔵国比企郡26560,968.63117016260,473.96517054,970
武蔵国横見郡4820,496.5910004720,412.25700010,343
武蔵国幡羅郡6439,593.9280005939,165.40800025,694
武蔵国榛沢郡9731,893.4000007431,755.80000034,049
武蔵国那賀(那珂)郡166,944.069000116,903.9830005,801
武蔵国児玉郡7027,606.92000060127,488.12000023,653
武蔵国賀美郡2812,705.8540002712,607.63400010,051
武蔵国埼玉郡466283,160.8416404248283,060.841640227,218
武蔵国足立郡429149,513.16579040510149,513.165790171,649
武蔵国足立郡(東京府)4318,932.878500
武蔵国足立郡(埼玉県)386130,580.287290
武蔵国葛飾郡288120,037.635590288151,767.206330127,904
武蔵国葛飾郡(東京府)12051,767.206330
武蔵国葛飾郡(埼玉県)16868,270.429260
武蔵国都筑郡7028,482.3716007228,482.37160027,744
武蔵国合計3,5201,282,000.7709002,942351,209,639.0577702,118,856
武蔵国不一致00.00000000-0.0016101,414,015
武蔵国総計3,5201,282,000.7709002,942351,282,000.4549301,209,639.0561603,532,871
※『郡村石高帳』の武蔵国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の武蔵国人口合計211万8856人は明治8年1月1日調本籍人口205万7870人と比べて過剰であり、現住人口ベースか。明治6年1月1日調現住人口210万8076人と数字が近く(東京府の現住人口は前後で年間3万~5万人増加)、約1万人ほど過剰となっているが、明治12年1月1日調本籍人口との比較で人口過剰となっている郡を特定できない。
※『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
安房国長狭郡6023,011.9270906323,011.92709038,459
安房国朝夷郡6222,641.0188106422,641.01881038,474
安房国平(平群)郡7226,137.34710075126,137.34710040,343
安房国安房郡5323,851.13050090223,851.13050038,055
安房国合計24795,641.423500292395,641.423500155,331
安房国不一致00.000000000.0000000
安房国総計24795,641.423500292395,641.42350095,641.423500155,331
※『共武政表』の安房国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の安房国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
上総国天羽郡7524,684.4497507624,684.44975026,825
上総国周淮(周准)郡10927,021.502700108127,021.50270031,235
上総国望陀郡19760,127.944430193160,127.94443055,015
上総国市原郡19256,739.004320187256,739.00432060,031
上総国夷隅郡18269,133.876670170269,133.87667078,698
上総国長柄郡13862,336.711210129162,336.71121058,955
上総国埴生郡4818,570.3143504818,570.31435018,111
上総国山辺郡13253,287.677050131153,287.67705053,721
上総国武射郡13255,412.29046013155,412.29046041,005
上総国合計1,205427,313.7709401,1738427,313.770940423,596
上総国不一致00.000000000.0000000
上総国総計1,205427,313.7709401,1738427,313.770940427,313.770940423,596
※『共武政表』の上総国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の上総国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
下総国葛飾郡662123,436.2542103313123,436.254210148,015
下総国猿島郡7945,575.34490080145,575.34490040,908
下総国結城郡9835,313.34240051135,313.34240019,562
下総国豊田郡8039,254.40824079139,254.40824027,179
下総国相馬郡14864,464.05748013464,464.05748060,630
下総国千葉郡13444,420.164890126144,420.16489059,123
下総国埴生郡6425,773.3296206225,773.32962018,542
下総国香取郡306148,826.7925903082148,826.792590103,664
下総国匝瑳郡8437,736.4295808237,736.42958039,301
下総国海上郡7626,713.13449075126,713.13449049,249
下総国岡田郡5623,375.2034405323,375.20344014,966
下総国印旛郡28770,139.536410240170,139.53641069,694
下総国合計2,074685,027.9982501,62111685,027.998250650,833
下総国不一致00.000000000.0000000
下総国総計2,074685,027.9982501,62111685,027.998250685,027.998250650,833
※『郡村石高帳』の下総国の国郡別石高は外反高2345石8斗6升2合3勺(千葉郡)を含まない。反高加算前の国郡別石高は『日本地誌提要』、『共武政表』の石高と一致し、反高加算後の石高は『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国反高加算前石高反高反高加算後石高
下総国千葉郡44,420.1648902,345.86230046,766.027190
下総国総計685,027.9982502,345.862300687,373.860550
※『共武政表』の下総国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口(65万0863人)とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
常陸国茨城郡329151,062.5139003022151,057.762900124,283
常陸国那珂郡12787,229.057000127187,229.05700074,507
常陸国久慈郡14188,328.120000141188,328.12000065,219
常陸国多賀郡9252,235.6834108352,235.68341040,410
常陸国新治郡190116,603.6133001892116,572.04030078,976
常陸国真壁郡306133,448.7918002621133,460.17180069,201
常陸国筑波郡19780,660.073400173180,661.07340048,058
常陸国信太郡9544,798.2413409444,798.24134025,739
常陸国河内郡14463,658.394910144163,658.39491042,272
常陸国行方郡8353,008.44198082153,008.44198038,614
常陸国鹿島郡13150,596.221460130250,596.22146053,074
常陸国合計1,835921,629.1525001,72712921,605.208500660,353
常陸国不一致00.000000000.000000-7
常陸国総計1,835921,629.1525001,72712921,635.781500921,605.208500660,346
※『郡村石高帳』の常陸国の村数総計は外町3。
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(91万2453石5斗4升5勺)の常陸国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の常陸国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口(66万1898人)とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
近江国犬上郡13362,137.207720110162,137.20772069,976
近江国愛知郡12864,802.52880012664,802.52880038,751
近江国神崎郡8648,425.1710008648,425.17100035,678
近江国蒲生郡244139,630.7746502142139,630.77465080,783
近江国甲賀郡13878,654.159160134178,654.15916059,438
近江国野洲郡10168,550.1747007868,550.17470034,117
近江国栗太郡12170,371.93765011070,371.93765041,401
近江国滋賀郡8846,218.55730078346,218.55730055,274
近江国高島郡15274,146.150000129274,146.15000045,335
近江国伊香郡7136,012.0554007736,012.05540020,863
近江国浅井郡14476,841.44180014476,841.44180038,688
近江国坂田(阪田)郡17392,059.367100165192,059.36710057,795
近江国合計1,579857,849.5252801,45110857,849.525280578,099
近江国不一致00.000000000.0000000
近江国総計1,579857,849.5252801,45110857,849.525280857,849.525280578,099
※『共武政表』の近江国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の近江国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
美濃国不破郡4641,418.7413004641,418.74130027,082
美濃国多芸郡6038,422.17360061138,422.17360023,020
美濃国石津郡7928,785.49790073128,785.49790024,044
美濃国安八郡15195,778.626500152295,778.62650068,585
美濃国池田郡6924,479.0349006924,479.03490020,428
美濃国大野郡12454,605.029800118154,605.02980031,687
美濃国本巣郡6840,354.49850067140,354.49850025,622
美濃国席田郡95,731.80490095,731.8049002,963
美濃国方県郡5436,834.8649005336,834.86490023,672
美濃国厚見郡5742,831.33480057242,831.33480047,615
美濃国山県郡4926,395.4800004726,395.48000022,403
美濃国武儀郡8644,210.25680080244,210.25680064,964
美濃国郡上郡16532,071.210700164132,071.21070048,945
美濃国加茂(賀茂)郡10747,329.22974010147,329.22974050,906
美濃国恵那(恵奈)郡8141,919.40963075341,919.40963056,316
美濃国土岐郡4922,597.1085804922,597.10858029,662
美濃国可児郡9434,032.5446007434,032.54460027,150
美濃国各務郡4120,733.4471003820,733.44710016,741
美濃国羽栗郡6324,162.45800062224,162.45800030,895
美濃国中島郡3115,212.2664003115,212.26640018,051
美濃国海西郡2611,749.8650002611,749.8650007,396
美濃国合計1,509729,654.8836501,45216729,654.883650668,147
美濃国不一致00.000000000.0000001
美濃国総計1,509729,654.8836501,45216729,654.883650729,654.883650668,148
※『共武政表』の美濃国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の美濃国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
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明治5年国郡別石高と人口・町村数 (2)
旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊勢国度会郡17755,535.694200198155,535.69420093,959
伊勢国多気郡13048,411.33150013048,411.33150035,267
伊勢国飯野郡4825,854.6120004425,854.61200014,614
伊勢国飯高郡11052,502.233500108152,502.23350045,795
伊勢国一志郡154105,666.9060001301105,666.90600073,216
伊勢国三重郡9167,117.63030090167,117.63030052,830
伊勢国朝明郡6633,811.7460006933,811.74600027,795
伊勢国桑名郡16162,901.355000166162,901.35500052,207
伊勢国員弁郡11050,570.09500011250,570.09500036,720
伊勢国河曲郡3834,176.29800038134,176.29800020,272
伊勢国鈴鹿郡8966,638.94650084266,638.94650041,562
伊勢国安芸(奄芸)郡6247,666.58200056147,666.58200034,634
伊勢国安濃郡8863,522.98500082163,522.98500055,858
伊勢国合計1,324714,376.4150001,30710714,376.415000584,729
伊勢国不一致00.000000000.0000000
伊勢国総計1,324714,376.4150001,30710714,376.415000714,376.415000584,729
※『共武政表』の伊勢国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伊勢国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口58万5988人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
志摩国答志(荅志)郡3711,564.43100039111,564.43100023,089
志摩国英虞郡197,714.772000197,714.77200023,854
志摩国合計5619,279.20300058119,279.20300046,943
志摩国不一致00.000000000.0000000
志摩国総計5619,279.20300058119,279.20300019,279.20300046,943
※『共武政表』の志摩国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の志摩国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
尾張国愛智(愛知)郡136124,473.7831001563124,473.783100206,114
尾張国春日井郡202151,462.5660002061151,462.566000110,581
尾張国丹羽郡13173,199.891100131173,199.89110069,453
尾張国葉栗郡4119,070.5140003719,070.51400024,602
尾張国中島郡164124,229.7450001621124,229.74500090,016
尾張国海東郡152127,615.0750001462127,615.07500075,991
尾張国海西郡9844,587.16200010944,587.16200031,328
尾張国知多郡147100,135.4300001482100,135.430000123,890
尾張国合計1,071764,774.1662001,09510764,774.166200731,975
尾張国不一致0.000000000.000000-1
尾張国総計764,774.1662001,09510764,774.166200764,774.166200731,974
※『共武政表』の尾張国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の尾張国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
三河国額田郡20652,555.102000186152,555.10200054,518
三河国碧海郡17897,311.004000179397,311.004000102,382
三河国加茂(賀茂)郡35767,537.997000353267,537.99700059,207
三河国幡豆郡19471,822.187000184171,822.18700073,697
三河国宝飯郡12158,041.91100011858,041.91100055,425
三河国設楽郡22430,171.544000230130,171.54400038,153
三河国八名郡7127,124.4210007427,124.42100023,755
三河国渥美郡13967,809.544000130267,809.54400078,333
三河国合計1,490472,373.7100001,45410472,373.710000485,470
三河国不一致00.000000000.0000000
三河国総計1,490472,373.7100001,45410472,373.710000472,373.710000485,470
※『共武政表』の三河国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の三河国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
遠江国榛原郡14050,382.506490140350,382.50649069,249
遠江国城東郡11168,988.173520116168,988.17352052,317
遠江国佐野郡9929,364.46551095129,364.46551030,616
遠江国山名郡11139,956.32453010939,956.32453024,902
遠江国周知(周智)郡9725,173.40110095125,173.40110028,740
遠江国磐田郡11,168.039000111,168.0390004,430
遠江国豊田郡26955,990.899310271355,990.89931066,961
遠江国長上郡12430,573.09936012630,573.09936031,519
遠江国鹿玉(麁玉)郡62,533.27131062,533.2713103,057
遠江国敷智(敷知)郡14249,254.380130146249,254.38013080,761
遠江国浜名郡21,269.52900021,269.5290003,187
遠江国引佐郡4917,892.25975050117,892.25975019,189
遠江国合計1,151372,546.3490101,15713372,546.349010414,928
遠江国不一致00.000000000.0000000
遠江国総計1,151372,546.3490101,15713372,546.349010372,546.349010414,928
※『共武政表』の遠江国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の遠江国人口総計は明治5年旧暦1月29日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
駿河国富士郡15751,258.014050153248,772.04610057,975
駿河国駿東郡17353,159.584930165251,960.88200070,608
駿河国安倍郡13021,230.783730125119,427.56985028,308
駿河国有度(有渡)郡11037,548.949050109135,090.98320083,962
駿河国庵原郡8722,275.93270083221,740.18780048,379
駿河国志太郡13654,340.92840012853,141.88600067,851
駿河国益津(益頭)郡3612,139.97200036211,912.90100016,296
駿河国合計829251,954.16486079910242,046.455950373,379
駿河国不一致00.000000000.0000000
駿河国総計829251,954.16486079910251,782.795400242,046.455950373,379
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(25万1918石9斗6升4合4勺5才)の駿河国の石高総計は全て異なる。
※『共武政表』の駿河国人口総計は明治7年1月1日調本籍人口37万2674人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
甲斐国山梨郡14779,555.638700140178,019.23920072,741
甲斐国八代郡18168,037.682750151166,603.55779070,588
甲斐国都留郡10721,637.765500107321,339.52550067,311
甲斐国巨摩郡337142,954.0899002621141,622.011000152,333
甲斐国合計772312,185.1768506606307,584.333490362,973
甲斐国不一致00.000000000.0000000
甲斐国総計772312,185.1768506606307,584.333490307,584.333490362,973
※『郡村石高帳』の甲斐国石高は、外に貫高3貫500文(巨摩郡)。
※『共武政表』の甲斐国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の甲斐国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊豆国君沢郡7122,970.86769070153.87810022,916.98959030,474
伊豆国田方郡6925,835.4745407046.23700025,789.23754022,272
伊豆国加茂(賀茂)郡12830,642.909130126135.12546030,607.78367067,113
伊豆国那賀郡174,587.957000177.7150004,580.2420009,820
伊豆国合計28584,037.2083602832142.95556083,894.252800129,679
伊豆国不一致00.000000000.0000000
伊豆国総計28584,037.208360283283,894.25280083,894.252800129,679
※『郡村石高帳』と『日本地誌提要』の伊豆国の町村数総計には、郡が設置されていなかった伊豆七島(『日本地誌提要』によると、大島5村、利島1村、新島2村、神津島1村、三宅島5村、御蔵島1村、八丈島5村、小島2村、青島2村、合計24村)、小笠原島(『日本地誌提要』によると、父島3村、母島1村、合計4村)が含まれない。また伊豆七島、小笠原島は一般に無高とされていた。
※『郡村石高帳』の伊豆国の国郡別石高は過高142石9斗5升5合5勺6才を含む。過高加算前の国郡別石高は『郡村石高帳』、『共武政表』、『地理局雑報』の石高と一致する。
旧国過高加算前石高過高過高加算後石高
伊豆国君沢郡22,916.98959053.87810022,970.867690
伊豆国田方郡25,789.23754046.23700025,835.474540
伊豆国加茂郡30,607.78367035.12546030,642.909130
伊豆国那賀郡4,580.2420007.7150004,587.957000
伊豆国総計83,894.252800142.95556084,037.208360
※『共武政表』の伊豆国人口総計は、明治7年1月1日調本籍人口15万1774人より明治6年1月1日調の伊豆七島の口2万1791人(『日本地誌提要』によると、大島4460人、利島235人、新島2550人、神津島1445人、三宅島2790人、御蔵島239人、八丈島9423人、小島396人、青島253人)、波津島人口285人(『日本地誌提要』によると賀茂郡に含まれる)、小笠原島人口42人(『日本地誌提要』によると、父島38人、母島4人)を減じた値12万9656人とほぼ等しい。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
相模国足柄上郡9835,074.4482609435,074.44826031,301
相模国足柄下郡9230,561.28810086130,561.28810046,051
相模国大住郡11966,244.425560115266,244.23190055,680
相模国淘綾郡208,108.4166601918,108.41666013,084
相模国愛甲郡4326,265.22507042126,252.01207025,748
相模国津久井郡2912,421.2702503012,421.27025019,881
相模国三浦郡7824,457.49530077324,457.49530062,052
相模国鎌倉郡8931,475.90219085231,475.90219037,985
相模国高座郡11055,168.260580111155,168.26058068,140
相模国合計678289,776.73197065911289,763.325310359,922
相模国不一致00.00000000-60.0000000
相模国総計678289,776.73197065911289,844.162310289,703.325310359,922
※『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『共武政表』、『地理局雑報』(28万9700石2斗2升5合3勺1才)の相模国の石高総計は全て異なる。
※『郡村石高帳』の相模国の国郡別石高は過高13石4斗6合6勺6才(大住郡、愛甲郡)を含む。過高加算前の国郡別石高は『共武政表』の石高と一致する。また外に永高1122貫371文8分(鎌倉郡)。
旧国過高加算前石高過高過高加算後石高
相模国大住郡66,244.2319000.19366066,244.425560
相模国愛甲郡26,252.01207013.21300026,265.225070
相模国総計289,763.32531013.406660289,776.731970
※『共武政表』の相模国石高は、外に永高1322貫371文8分(鎌倉郡)。
※『共武政表』の相模国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口35万9598人とほぼ等しい。
[81059] 2012年 7月 10日(火)00:40:53YT さん
明治5年国郡別石高と人口・町村数 (1)
[[80384]][[80385]]で、明治5年の石高について簡単にまとめましたが、今回『郡村石高帳』記載の郡別石高について一通り纏めることが出来たので、紹介します。

今回紹介する『郡村石高帳』とは、東京大学史料編纂所所蔵の手書きのものです。史料には
明治六年六月以租税寮蔵本膀写峻功
との記載があり、写本が作成されたのが、地租改正の始った年である明治6年の6月。つまり書き記されている石高は、明治5年度終了時点での、地租改正前の最後の地租であると推測されます。

実は全く同じ『郡村石高帳』というものが一橋大学の経済研究所付属社会化学統計情報研究センターにあります。こちらの史料についても内容を確認したところ、一橋大学所蔵のものは、総理府統計局図書館所蔵の『郡村石高帳』のコピーを取った複製品であることが分かりました。そこで東大史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』と一橋大学所蔵の『郡村石高帳』(即ち総理府統計局所蔵のもののコピー)を実際に手にとって比較したところ、東大史料編纂所所蔵のものには朱書きによる修正が沢山入っているのに対し、一橋大学所蔵のものは修正が入っておらず、時系列的には一橋大学所蔵のものに修正を入れたのが東大史料編纂所所蔵のもので、情報量は東大史料編纂所所蔵のものの方が圧倒的にあることが分かりました。

ところで同じような郡別石高が、菊地利夫『続・新田開発―事例編』古今書院(1986年)にも載っています。この石高は、様々な辞書でも引用されているもでもありますが(例えば江戸と座敷鷹のサイトで引用されている石高は、元をただせば菊地氏の著作から)、
この統計の原本は内務省地誌課が正保郷帳・元禄郷帳・天保郷帳と明治六年の郷村石高帳を筆写した記録であり、東京大学史料館に所蔵されているものである。
とのことです。しかしながら、東大史料編纂所所蔵の『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の原本を私が確認したところ、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字は不完全で、数字もどちらかといえば『旧高旧領取調帳』ベースのものを持ってきたと思われます([80385])。

木村礎校訂『旧高旧領取調帳』(1969年~1979年)の石高については過去に[76816][76817][76818][76819][76820][76821][76822][76904]でまとめましたが、これは関東大震災前に芦田伊人が内務省地理局地誌課に存在した原本を書き写したものを校訂したものです。『旧高旧領取調帳』の編纂経過・編纂年は不明ですが、おそらく『皇国地誌』製作事業の過程で製作されたもので、一部内容から明治9年以降に製作されたものとされています。ただ重要なのはその石高が何時のものかということで、旧領時代の史料となると府藩県三治制時代のもので、地租改正直前最後の明治5年の石高よりも数年前の状況を表しているものと推測されます。

[80384][80385]でもまとめましたが、『郡村石高帳』と同系列の石高を記しているものとして、『明治八年共武政表』(1875年)『日本地誌提要』(1875年)「大日本石高反別古今比較表」『地理局雑報』(8号)(1878年)があります。『日本地誌提要』は
戸数人口共ニ戸籍寮明治六年癸酉ノ表簿ニ据リ、田圃租税ハ其前年ノ数ニ係ル
『地理局雑報』は、
石高ハ明治五年郡村地租帳
と記述していることからも、『郡村石高帳』の石高が明治5年調であることが示唆されます。

さて、『明治八年共武政表』は明治一桁代の郡別人口(その多くは明治6年1月1日調本籍人口)を伝える数少ない史料です。一方『日本地誌提要』は明治7年頃の郡別町村数を記載していますが、その数は『郡村石高帳』の村数と大分異なります。『日本地誌提要』によると、
郡数ノ条。村町ヲ挙ゲ。村数ハ本支ヲ合計シ区分ハ之ヲ略ス。
とあるので、枝村や町の数を省略している『天保郷帳』や分類の曖昧な『旧高旧領取調帳』のものよりは、『日本地誌提要』の町村数の方がより正確とは思われます。

というわけで今回まとめるのは、『郡村石高帳』記載の村数と石高、『日本地誌提要』記載の村数、町数と石高、『共武政表』記載の石高と人口です。

以下、旧国毎に集計します。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
山城国葛野郡8535,655.4545108035,655.45451027,315
山城国愛宕郡9227,161.2737006127,161.273700257,835
山城国宇治郡4615,432.0524303915,432.05243011,330
山城国乙訓郡5225,792.7496005025,792.74960015,537
山城国紀伊郡3327,676.88837024127,676.88837037,421
山城国久世郡4028,420.10236037228,420.10236021,203
山城国綴喜郡6024,963.43900055124,963.43900027,075
山城国相楽郡7937,266.7452008837,266.74520033,730
山城国合計487222,368.7051704344222,368.705170431,446
山城国不一致00.00000000-9,999.999540-10,000
山城国総計487222,368.7051704344222,368.705170212,368.705630421,446
※『共武政表』の山城国石高合計は『郡村石高帳』、『日本地誌提出要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の石高総計は誤写と推測される。
※『共武政表』の山城国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口(皇族を除く)と一致し、『共武政表』の山城国人口総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
大和国添上郡15658,233.123980140158,233.12398053,256
大和国添下郡7140,513.95040074140,513.95040038,176
大和国平群郡9031,797.7692008331,797.76920024,419
大和国山辺郡16149,131.41075014849,131.41075033,763
大和国宇陀郡11833,947.189100139133,947.18910025,794
大和国式上(城上)郡5722,711.8037005622,711.80370019,653
大和国式下(城下)郡4827,171.3380005327,171.33800014,410
大和国十市郡7042,455.3966308542,455.39663025,022
大和国広瀬郡3718,518.1890003418,518.18900013,368
大和国葛上郡7124,570.80800062124,570.80800019,740
大和国葛下郡8842,328.2830008642,328.28300033,920
大和国高市郡12841,756.66520012141,756.66520033,734
大和国忍海郡225,577.459000205,577.4590002,811
大和国宇智郡6918,388.7831006318,388.78310017,109
大和国吉野郡24646,584.067700325145,584.06770067,780
大和国合計1,432503,686.2367601,4895502,686.236760422,955
大和国不一致00.000000000.000000-20,000
大和国総数1,432503,686.2367601,4895502,686.236760502,686.236760402,955
※『郡村石高帳』の大和国石高総計は『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の大和国石高総計は『日本地誌提要』の石高と一致する。
※『共武政表』の大和国人口合計は明治6年1月1日調本籍人口42万3004人とほぼ等しく、『共武政表』の大和国総計は誤写と推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
河内国茨田郡9738,222.96400069238,222.96400030,295
河内国交野郡6223,620.9025003923,120.90250021,092
河内国讃良郡4115,369.09000034115,369.90000013,910
河内国河内郡4216,095.4927002816,095.49270016,499
河内国若江郡7140,188.64330064140,188.55330027,873
河内国高安郡235,973.110000145,973.1200006,147
河内国渋川郡4223,134.19730033123,134.19730012,978
河内国大県郡184,717.102000114,717.1020004,647
河内国志紀郡2713,113.2693002213,113.26930010,323
河内国丹北郡5323,820.7770004523,820.77700020,154
河内国石川郡5425,140.21400046125,161.70100022,662
河内国錦部郡7118,204.8831004918,205.38310015,471
河内国安宿部(安宿)郡42,584.850000412,585.0500002,585
河内国丹南郡5122,573.2708005222,173.27080020,009
河内国八上郡1513,078.5500001113,078.5500006,117
河内国古市郡177,281.2712001317,281.7202006,910
河内国合計688293,118.5872005348292,241.953200237,672
河内国不一致00.00000000903.531000906
河内国総計688293,118.5872005348293,118.587200293,145.484200238,578
※『郡村石高帳』の河内国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致し、『共武政表』の郡別石高には様々な誤写があると推測される。
※『共武政表』の河内国人口合計23万7672人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口23万7678人とほぼ等しく、『共武政表』の人口総計は計算間違いと推測される。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
和泉国大鳥郡15451,548.055000103251,491.34600081,089
和泉国泉(和泉)郡10431,037.62190082130,958.60190030,665
和泉国南(泉南)郡7636,833.14580073236,828.75080043,622
和泉国日根郡8256,771.95340075256,356.46740054,202
和泉国合計416176,190.7761003337175,635.166100209,578
和泉国不一致00.000000000.00000090,000
和泉国総計416176,190.7761003337176,190.776100175,635.166100299,578
※『郡村石高帳』の和泉国石高総計は『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の和泉国人口合計20万9578人は明治5年旧暦1月29日調本籍人口20万9174人とほぼ等しく、『共武政表』の和泉国人口総計は誤写と推測される。

村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
摂津国島上郡9332,603.95120060232,597.73020024,685
摂津国島下郡14357,338.492300103257,399.66630035,350
摂津国豊島郡16231,656.67270087131,656.67270029,136
摂津国有馬郡11545,986.91140094245,986.91140032,010
摂津国八部郡5319,658.07840038219,658.07840050,455
摂津国兎原(菟原)郡6113,970.2940005113,970.29400024,538
摂津国武庫郡6023,759.55620056123,759.55620028,777
摂津国川辺(河辺)郡21767,186.241800178267,186.24180064,278
摂津国西成郡18154,054.030000124253,969.238000343,227
摂津国東成郡7736,744.27500058136,699.12500061,916
摂津国住吉郡6920,821.24280056220,761.91680025,147
摂津国能勢郡5412,742.1900004012,742.19000011,424
摂津国合計1,285416,521.93580094517416,387.620800730,943
摂津国不一致00.00000000416,387.6208000.0000000
摂津国総計1,285416,521.93580094517416,387.620800416,387.620800730,943
※『共武政表』の摂津国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の摂津国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。

旧国村数郡村石高帳村数町数日本地誌提要共武政表人口
伊賀国阿拝郡6945,304.53500068145,304.53500049,839
伊賀国山田郡2517,775.1898002617,775.1898009,807
伊賀国伊賀郡5030,298.5674005130,298.56740021,639
伊賀国名張郡3817,539.67420043117,539.67420015,905
伊賀国合計182110,917.9664001882110,917.96640097,190
伊賀国不一致00.000000000.0000000
伊賀国総計182110,917.9664001882110,917.966400110,917.96640097,190
※『共武政表』の伊賀国石高総計は『郡村石高帳』、『日本地誌提要』、『地理局雑報』の石高と一致する。
※『共武政表』の伊賀国人口総計は明治6年1月1日調本籍人口と一致する。
[81018] 2012年 7月 1日(日)18:35:57【1】YT さん
明治8年、明治11年、明治12年、明治13年共武政表
陸軍参謀局が編纂した『共武政表』ですが、とうとう全巻を近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっていました。

『明治八年共武政表 上』

『明治八年共武政表 下』

『明治十一年共武政表 全』

『明治十二年共武政表 上』

『明治十二年共武政表 下』

『明治十三年共武政表 上』

『明治十三年共武政表 下』

明治11年、明治12年、明治13年の『共武政表』に記載されている本籍人口は、実際にはそれぞれ明治12年1月1日調、明治13年1月1日調、明治14年1月1日調です。

以前から閲覧可能だった『明治八年共武政表』と異なり、これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
[81011] 2012年 6月 30日(土)01:05:50【1】YT さん
「国際戦略港湾」「国際拠点港湾」「重要港湾」と「地方港湾」
[81010] hmtさん
田尻町の本土側と 関空島との間の海域。ここには水上生活者は居ないと思います。
つまり、[81009]に引用された省令第一条第4項各号に該当せず、水面調査区ではないということです。

自分はずっと関西国際空港の陸側に向けて作られた泉州港は

一  港湾法 (昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項 に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項 に規定する港湾区域

に相当するため、水上生活者の有無に関わらず自働的に水面調査区が設置されるものと思ってました。ところがhmtさんの書き込みを読み、改めて大阪府の港湾を調べたところ、どうも泉州港は「国際戦略港湾」「国際拠点港湾」「重要港湾」の何れにも相当しない「地方港湾」だったようです。

大阪府の港湾港湾法の規定市町村
大阪港国際戦略港湾大阪市
堺泉北港国際拠点港湾堺市・泉大津市・高石市
阪南港重要港湾泉北郡忠岡町・岸和田市・貝塚市
二色港地方港湾貝塚市・泉佐野市
泉佐野港地方港湾泉佐野市
尾崎港地方港湾阪南市
淡輪港地方港湾泉佐野市・泉南郡田尻町・泉南市
深日港地方港湾泉南郡岬町
泉州港地方港湾泉南郡岬町

そうなってくると・・・関空と陸側の一部工場地帯を一個の特別調査区としたとかでしょうか?調査区地図の方は、統計図書館に出向かない限り確認しようがないので、ハードルが高いようです。
http://www.stat.go.jp/training/toshokan/micro.htm
[81009] 2012年 6月 29日(金)17:06:03【2】YT さん
水面調査区
[81008] hmtさん

関西国際空港連絡橋を経由しないと往来できない 田尻町や泉南市でも 「隣接」扱いですから、既存の2トンネルに加えて東京ゲートブリッジ[80265] が開通した中央防波堤埋立地も、当然に 23区と隣接した 人口集中地区ということになります。

同じように、1975年、1980年、1985年の北九州市若松区DIDは、八幡西区DIDや戸畑区DIDと隣接してません。それにもかかわらず「北九州連合集中地区」として同一の人口集中地区とされています。

この問題の本質は、「水面調査区」が地図上に図示されてないことによると思います。

昭和45年度版の『わが国の人口集中地区』の「利用上の注意」によると、人口と面積に関して:

(1) 人口集中地区に含まれる水面調査区の人口は,原則として人口集中地区の人口のなかに参入されていない。ただし,市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合は,水面調査区の人口も当該人口集中地区の人口に含めた。

(中略)

(2) 人口集中地区に含まれる水面調査区の面積は,原則として人口集中地区の面積のなかに含めたが,港湾に設定された水面調査区の面積は,当該人口集中地区の面積から除外した。

つまり地図上では空白となっているが、その部分には「港湾に設定された水面調査区」が存在していることになります。

現在の国勢調査の調査区の設定の基準等に関する省令によると、

第一条  国勢調査令 (以下「令」という。)第八条第一項 の規定による調査区の設定は、市町村の区域を一般調査区、特別調査区又は水面調査区のいずれかに区分して行うものとする。

4  水面調査区は、総務大臣の定める方法により、次に掲げる区域を区分して設定するものとする。
一  港湾法 (昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項 に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項 に規定する港湾区域
二  港湾法第二条第二項 に規定する地方港湾の同条第三項 に規定する港湾区域又は漁港漁場整備法 (昭和二十五年法律第百三十七号)第二条 に規定する漁港の水域(前号の国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾に指定されている漁港の水域にあつては港湾区域に該当する水域を除いた水域)で居住者の存するもの
三  河川又は運河の河口及びその周辺水域で居住者の存するもの(前二号に該当するものを除く。)

ともかく「港湾に設定された水面調査区」と「準人口集中地区」に関する地図が入手できれば、[80928]で示したようにDIDを拡張し、人口集中地区・準人口集中地区が港湾に設定された水面調査区をはさんだ分を含めてひたすら隣接した地域の人口・面積の計算も出来るのですけど・・・

【追記】 そういえば[271]で、個々の人口集中地区,準人口集中地区について昭和35年から平成17年までの変遷をまとめて下さったsatoさんは、今どうしていらっしゃるのでしょう?そもそもsatoさんはどうやって準人口集中地区の情報を得たのでしょうか?

 また,準人口集中地区の境界を表示した地図は,本報告書には収録されていないが,総理府統計局に保管され,所定の手続きにより,一般の利用に供されている。

とあるのですが、この所定の手続きは楽なんでしょうかね?

あと、改めてDIDの定義の文([81006])を見返すと、どこにも水面調査区への言及がないですね。
(1) 広大な工場地域・鉄道用地・港湾施設・飛行場等のある特別調査区および社会施設など特殊な施設のある特別調査区。
港湾施設を形成する特別調査区・水面調査区の内、特別調査区のみをDIDに加えるというのは、定義として間違ってないんでしょうけど、「利用上の注意」まで読み進めて初めて「水面調査区」の言及がある。どうも定義の文に不備がある感じがします。
[81006] 2012年 6月 29日(金)02:14:42【1】YT さん
DIDの定義 再び
[80994] 白桃さん
それではと、7割1分3厘というYTさんの驚異的な数字を見て、やっとヒト安心。
人口の話題ばっかり書き込んでいるYTです。最近は過去の市町村別人口のまとめをそっちのけにして、正保郷帳、明治初期の石高にばかり気を取られていて、近い将来にそっちの投稿をする予定です。それはさておき・・・

[81003] hmtさん

東京の中心部にある千代田城一帯は、人口が極めて少ない地区だと思うのですが、なぜ DIDに含まれているのでしょうか?

羽田空港も巨大な人口希薄地帯の筈ですが、これもDID。
それどころか、所属する区が未定の中央防波堤埋立地までもピンクに着色されています。

この辺の例外については、総務省統計局が毎回出版している『我が国の人口集中地区』の方で詳しい解説があります。総ての回の定義部分をコピーして自分の手元に所持しているわけではないので、正確なことは書けませんが、以下は昭和45年版でのDIDの定義です。

2 設定の基準

 人口集中地区は,「市区町村の区域内で人口密度の高い調査区がたがいに隣接して,その人口が5,000人以上となる地域」をいう。
 今回の人口集中地区は,昭和45年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和45年国勢調査調査区(調査区は,調査員の受持ち区域のことで,1調査区は約50世帯を含み,全国が約8万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,人口(昭和45年国勢調査時現在)5,000人以上の地域を構成する場合,この地域を「人口集中地区」とした。
 また,これら人口密度の高い調査区につぎのような調査区が隣接している場合には,人口密度に関係なく,これを人口密度の高い調査区が集まっている地域に含めた。
(1) 広大な工場地域・鉄道用地・港湾施設・飛行場等のある特別調査区および社会施設など特殊な施設のある特別調査区。
(2) 学校・研究所・都市公園・神社・仏閣・運動場等の文教レクリェーション施設,工場・倉庫・事務所・鉄道用地等の産業施設または官公庁・病院・療養所等の公共および社会福祉施設のある地域が,原則として調査区の3分の1以上の面積を占めている調査区。 なお,同一市区町村内に2か所以上の人口集中地区が存在する場合は,人口の多い順に,I,II,III……の符号でそれぞれの人口集中地区を表した。

この頃は、まだ「基本調査区」が導入される前で、一般調査区、特別調査区、水面調査区などの「国勢調査調査区」が基本単位でした。そのため例外(2)では、調査区の3分の1以上の面積が例外施設で占められている調査区がDIDに含まれていましたが、1995年以降の「基本調査区」の設置で基本単位が狭くなり、そのために2分の1に基準がゆるくなったのでしょう。また昭和45年の定義だと皇居は例外(1)に相当する「社会施設など特殊な施設のある特別調査区」となります。現在の定義では例外(1)が残ってるのかは分かりませんが、ウェブ上ではなくて実際に最新の『我が国の人口集中地区』をチェックした方が確実でしょう。

都内であれば、『我が国/わが国の人口集中地区』シリーズは港区にある都立中央図書館で閲覧可能です。ただ書庫内から取り寄せないといけないので、そこよりも東京大学弥生キャンパスの農学生命科学図書館を薦めます。館内の2階には日本帝国統計年鑑の初巻や、一連の国勢調査報告書が揃っており、一度入館すれば煩雑な手続きなしに膨大な数の統計書を閲覧できます。
[80936] 2012年 6月 4日(月)13:59:53【1】YT さん
初期のDIDの定義
[80934] 千本桜 さん

例えば山梨県韮崎市のDID人口は昭和35年に4,070人、昭和40年に3,479人となっています。5,000人以上という規定を大きく下回っています。しかも、35年、40年の2回とも下回っているのは、やっぱり変ですね。昭和40年の調査で規定人口を大きく下回っているDIDとして、山梨県韮崎市3,479人、佐賀県厳木町3,565人、群馬県安中市4,401人、徳島県鴨島町4,490人、富山県福野町4,555人、北海道歌志内市4,593人などがありますが、これもやはり,『人口集中地区の設定に当たって,昭和40年国勢調査人口ではなく,昭和39年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』となるのでしょうか?。

当時の人口集中地区の定義を見る限り、韮崎市のケースなどは、前年度作成の世帯人員概数の算出が妥当で無かったとしか言えないですね。

総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 昭和35年国勢調査による人口集中地区の人口,面積,および地図』(日本統計協会,1961年)によると、

 人口集中地区は,昭和35年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定されている。すなわち,昭和35年国勢調査調査区(1調査区は,約50世帯を含み,全国が446,512の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,昭和34年10月1日現在,人口5,000人以上の地域を構成している場合,これらの調査区の集まりを「人口集中地区」として設定した。

1. 人口集中地区は,昭和34年10月1日現在作成の「昭和35年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数にもとづいて設定されているので,昭和35年10月1日現在では,設定基準の人口5,000人に達しない人口集中地区が若干ある。


総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 昭和40年国勢調査』(日本統計協会,1966年)によると

 人口集中地区は,昭和40年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和40年国勢調査調査区(1調査区は,約50世帯を含み,全国が約49万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,昭和39年10月1日現在,人口5,000人以上の地域を構成している場合,これらの調査区の集まりを「人口集中地区」として設定した。

1. 昭和40年国勢調査の人口集中地区は,昭和39年10月1日現在作成の「昭和40年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数に基づいて設定されているので,昭和40年10月1日現在では,人口5,000人に満たない人口集中地区が若干ある。

総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 国勢調査報告 昭和45年 別巻』(日本統計協会,1972年)によると

 人口集中地区は,「市区町村の区域内で人口密度の高い調査区がたがいに隣接して,その人口が5,000人以上となる地域」をいう。
 今回の人口集中地区は,昭和45年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和45年国勢調査調査区(調査区は,調査員の受持ち区域のことで,1調査区は約50世帯を含み,全国が約8万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,人口(昭和45年国勢調査時現在)5,000人以上の地域を構成する場合,この地域を「人口集中地区」とした。

(2) 昭和40年の人口集中地区は,今回と異なり,昭和39年10月1日現在で作成の「昭和40年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数に基づいて設定されているので,昭和40年の人口集中地区のなかには,人口5,000人に満たないものもある。

連合集中地区、準人口集中地区の設置も昭和45年の国勢調査からで(連合集中地区人口は昭和35年に遡って昭和45年版に掲載されている)、昭和35年・昭和40年の国勢調査の時と設置基準が少しだけ変わったことになります。

まあそれとは別に、

 また,準人口集中地区の境界を表示した地図は,本報告書には収録されていないが,総理府統計局に保管され,所定の手続きにより,一般の利用に供されている。

こちらの方はもっと楽に閲覧できないのでしょうかね?
[80928] 2012年 6月 2日(土)18:56:38【1】YT さん
DIDの定義 【訂正】
[80922] 白桃 さん

---ここで話を中断してすみませんが、昔の国勢調査資料をみてますと5000人に満たないのに、DIDになっているところがかなりあります。これは今と定義が違っていたのか、それとも準人口集中地区をも含めていたのか、詳しい方、お教えください。----
それはそれとして、不思議だったのは古座町のDIDの在り処です。

今手元に『我が国の人口集中地区』がないので正確な解説は書けませんが、確か当初は速報値だったか住基人口だったかをもとに人口集中地区を設置したため、国勢調査人口が確定した後、DID人口が基準値を下回ってしまう場合があるという註釈があったと思います。

というか、今はこういうサービスもあるんですね。
http://nlftp.mlit.go.jp/ksj/jpgis/datalist/KsjTmplt-A16.html

その昔某所でこういう試算をしたことがありますけど、今ならもっと楽ですね。
http://mimizun.com/log/2ch/geo/1078037542/104-180

【追記】自宅に帰ってからDIDに関する文書を見返したところ、上の暫定人口・住基人口というのは間違いで、以下の理由によるものでした。

『昭和35年国勢調査の人口集中地区の中には,5,000人に満たないものもあるが,これは,人口集中地区の設定に当たって,昭和35年国勢調査人口ではなく,昭和34年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』
[80902] 2012年 5月 27日(日)16:52:12YT さん
細倉マインパーク
[80895] 千本桜 さん [80846] 白桃 さん

DID(人口集中地区)がはじめて登場した1960年(昭和35年)の国勢調査ですが、東北地方のDID人口を見ていてアレっ!と思ったのは、宮城県の鶯沢町(現:栗原市)に6,269人のDID人口が記載されていることです。

自分の母の実家が、その細倉鉱山から山一つ越えたところです。とはいえ、

細倉という名の行政区はありません。したがって、細倉という地名は旧村名、大字名、小字名、行政区名のいずれにも該当しない俗称になりますが、地元の人はどのように地名を使い分けているのか気になります。

うーん、親戚との会話では、なんとなく細倉の町並みを含めて鶯沢を呼んでいたような気がします。細倉鉱山の跡地の一部を慶応大学が買ったので、地元では慶応のキャンパスが出来る!とか喜んでいたのですが、いつまでたっても建物が出来ず、しょんぼりという情況です。

初めて鶯沢町の細倉鉱山へ行ったのは昭和42年か43年のことでした。

自分は生まれてすらない・・・。母の実家に何度か行くきっかけになったのは祖母が数え100歳で亡くなった10年前からで、昔の繁栄については良く知りません。親戚のお産婆さんは、1940年代に忙しい時期には毎日のように鶯沢の方で、新生児を取り上げていたと言いますから、今では考えられない程、人が多かったのでしょう。数年前に車で通った記憶では、細倉一帯には古い看板の小さな商店街の残骸が道沿いに立ち並ぶが、そのほとんどが営業しておらず、かといって残っている家も周囲の米農家のもののため、案外裕福そうに見える、といった印象です。

当時、細倉はDIDを形成しない栗駒町岩ヶ崎の都市機能に依存していました。

現在でも岩ヶ崎があの辺りの中心部を担っていたと思いますが、車があれば20~30分ほどで築館、若柳に出られるんですよね。新幹線のくりこま高原駅には何もなかったのですが、最近になってイオンが出来たため、新しい拠点性が生まれたようです。新幹線の駅を栗原電鉄と交差させるように作っていたら、まだ栗原電鉄が生き残る道もあったでしょうが、5年前には廃線となりました。別に地元の住民はほとんど鉄道を使ってなかったのですが、やっぱり鉄道が無くなると地域も寂しいものになります。さらに4年前の栗駒山直下の地震(実家の隣の家の主人がNHKのニュースに出ていました)では、山塊崩落した地区の傍には戦後満州引揚者の集落があったのですが、ますます人口流出・過疎化に拍車がかかっている状況です。

と言いつつ私の母の実家(私の母もそこで生まれたわけではなく、祖母も亡くなるまで都会で暮らしており、祖父の生まれた家といった方が正確ですが)にも、15年程前から誰も住んでいません。直系の親戚はみんな都会で暮らし、誰も農業をやりたがらないのです。
[80506] 2012年 4月 3日(火)18:45:45YT さん
1965年~2005年の国勢調査人口について
[80492] オーナー グリグリさん

お言葉に甘えてYTさんから人口統計のご提供をいただければと思います。私宛に直接メールでお送りいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。>YTさん

すみません。

4月1日の午後10時頃、落書き帳の内容を見た直後に6 MBほどのサイズのファイルを添付したメールを送信しておりますが、届いておりませんか?

サーバー側でスパムメール扱いされているのでしたら、ファイルサイズを小さくして送り直します。
[80489] 2012年 4月 1日(日)14:59:16YT さん
1965~2005年の国調人口
[80487] hmtさん

[80441] hmt
昭和55年(1980)以前の資料については、当時の印刷物を PDF化した文書により提供されています。
[80476] Issie さん
やっと実現していたのですね。そのままではたとえば表計算ソフトの表に取り込むことのできない pdf(というか,画像)ファイル ではあっても。

このようなわけで、1980年以前については、今回の手法が使えません。

実のところ、1965年、1970年、1975年、1980年分に関しては既にエクセルファイルにまとめているので、1965年~2005年までの人口統計はただちに提供できます。

3年前に人口データを一個のエクセルファイルにまとめるという計画を建てた頃、統計局のエクセルファイルからスタートして、1985年から順繰りに時代を遡って人口データを入力していましたが、国勢調査の「町・村」の区分が実際に発足した日付と前後していて間違っているケースが多々あることが判り、各都道府県毎に一気に遡って入力する方式に変更しました。

もっともこういうのは勢いに任せてやった方が良く、当初の予定よりも遅延していますが・・・

二年ほど前に、pdfから画像をOCRで処理して文字・数字を読み取る方法として、幾つかソフトを試しましたが、良質のソフトが見つからず、そちらは断念しています。
[80480] 2012年 4月 1日(日)00:15:12【1】YT さん
明治31年以降の北海道、九州、沖縄県の市町村別人口の変遷
前の投稿[73960]から2年以上空いてしまいましたが、福岡県と佐賀県の市町村別人口の変遷と、2010年国勢調査の結果を加えたエクセルファイルを、以下のサイトにアップしました。これで北海道と九州、沖縄県に関し、明治31年以降の23回分の国勢調査・人口調査、国勢調査以前の5回分の人口静態統計の結果が入っているはずです。

http://touch.moe-lovers.net/up_ssize/download/1333204853.xls/attach

ダウンロードパスは Kyushu です。ファイルサイズは約1MBで、圧縮を掛けていません。

参考資料は[73422]にまとめた通りです。市町村は原則として第1回国勢調査報告書の順に並べております。統計の方は自由に使っていただいて構いませんが、間違いがあっても責任は取れません。また、間違いに気付いた場合は指摘を御願します。

また北海道の戸町役場連合の取り扱いについては[74304]以降進展がなく、資料不足の状況です。

[80479] hmt さん

統計局によるweb上での公開は、すべてが実現したわけでなく、まだ途上であるようです。
例えば、第2回(大正14年)と第3回(昭和5年)報告による市町村別人口を見ることは、まだできません。

大正14年の国勢調査の市町村別人口については以前より近代デジタルライブラリーで閲覧できますが、昭和5年の国勢調査の市町村別人口についても最近近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっております。市町村の廢置分合境界變更及名稱變更(自大正十四年十月二日至昭和五年十月一日)もこのように見ることができます。

近代デジタルライブラリーと統計局のデータにより、内地で実施された全ての国勢調査による市町村別人口を閲覧できることになりました。しかしながら戦中・戦後に実施された臨時の人口調査(昭和19年、昭和20年、昭和21年)と昭和23年の常住人口調査についてはまだオンラインのデータが揃っていません。

[76192]でむっくんさんが紹介されたように、昭和20年の人口調査については

S20…昭和二十年人口調査ノ結果ニ拠ル昭和二十年十一月一日現在ノ都道府県郡島嶼市区町村別人口(PDF)

でも閲覧できるようですが。

近代デジタルライブラリーでは、朝鮮・台湾・樺太などの外地、関東州、南洋群島、青島守備軍管轄地区などで日本が実施したセンサス(国勢調査、臨時戸口調査、島勢調査)の一部も閲覧できます。ただ朝鮮で実施された臨時戸口調査の結果や昭和19年に朝鮮・台湾で実施された臨時の人口調査の結果も閲覧できません。

【追記】 本当は3月31日のうちに投稿を済ませたかったのですが・・・
エイプリルフールネタではありません。
[80394] 2012年 3月 12日(月)15:40:14【1】YT さん
アイグロマツ
[80393] 般若堂そんぴん さん

私は生物の専門家でも、農林業を営んでいるわけでもありませんが、アイグロマツはアカマツとクロマツの一代交雑種だけではなく、自然の交雑でも生まれ得る中間雑種だそうで、アカマツとクロマツの割合により様々な中間的な形態をとるそうです。

柴田勝 「組合せ交配による2,3の日本マツ類における稔性差異」 日本林學會誌 52巻 (6号), 178-185頁 (1970年)の要旨によると、
マツ類における交雑育種の研究のため, クロマツ×アカマツと, クロマツ×天然アイグロマツの組合せ交配(13×20)を行なった。その結果, 交配稔性(種子生産力)に関して次のことが明らかになった。(1) 母本, 父本間に顕著な稔性の違いがあり, いわゆる, 一般組合せ能力に差異のあることが認められた。(2) 父本の稔性値と雑種性との間には高い相関が認められたので交配稔性の差異は遺伝子構成の異なる2つの組織, すなわち, 胚組織と雌性配偶体組織との親和性, または交互作用によると, 推定された。(3) 雑種性の指数としては, 解剖学上針葉における2層以上の下表皮厚膜細胞数のほうが, 樹脂道指数(R.D.I.)よりはるかに相関が高かった。(4) 交雑親和性遺伝子を有すると推定された特殊個体DEN S_1が, 20の父本の一つに認められた。これは解剖学上アカマツと分類される個体であるが, その高い稔性から, 交雑親和性遺伝子を有する"潜在的雑種アイグロマツ"と定義できると思われた。

まだ遺伝子レベルの解析が行われていない時代の日本語論文ですが、確かにアカマツとクロマツの一代交雑は色々生殖上問題があったりするようです。一方で執筆者は天然アイグロマツ同士の交配も行っており、天然アイグロマツや潜在的雑種アイグロマツと推定されるアカマツは高い稔性(有性生殖の過程に異常がなく、交配により子孫を作り得ること)を有しているということで、種子ができても何ら問題ありません。
[80385] 2012年 3月 8日(木)04:03:50【3】YT さん
明治5年石高考 続き
[80384]の石高を比較すると、数値的には(1)~(4)のグループと、その他に分類できると思います。

(7) 菊地利夫氏の『新田開発』、『続新田開発』の石高は、様々な本に引用されており、慶長・正保・元禄・天保・明治石高の基本となっていますが、菊地氏が元文献としてあげている東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には空欄が大量に目立ち、これだけで表を作成することは不可能です。よって菊地利夫氏はさまざまな文献から数字を持ってきていることが伺えるのですが、残念ながら他の引用文献をきっちり明記していません。

(6) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は、奄美群島が大隅国の後ろに、「同属島」として収録されており、薩摩から大隅への移管が決定された明治12年以降に作成された表と推測されます。収録されている明治石高は不完全で、一部明らかに『旧高旧領取調帳』からの掲載が載っています。明治5年石高として引用するのには不適切です。

(5) 『旧高旧領取調帳』はそもそも府藩県三治制以前の旧領との対応の調査がメインです。明治12年前後から各府県が調査結果をまとめたらしいですが、石高もそれぞれの府県の調査次第で地租年次はばらばらです。

残りの(1)~(4)はかなり数字が似ています。

(3) 『明治八年共武政表』は明治5年~明治7年の数字が混在しており、明治5年石高とは限りませんが、大体(1)、(2)、(4)と似ています。郡別石高が利用できます。

(4) 『地理局雑報』の「大日本石高反別古今比較表」は合計と文献の総数が一致しており、また地理局は租税寮の統計を引き継いでいて色々信用できそうですが、筑後と豊後の数字が混同されているなど、間違いがあります。旧国別石高のみで、郡別石高が利用できません。

(2) 『日本地誌提要』は外部に向けて本として発売されたもので、これらの中では一番公的な数字として引用できそうですが、合計と文献値が一致しません。旧国別石高のみで、郡別石高が記載されていません。

(1) 東京大学史料編纂所所蔵『郡村石高帳』は、租税寮が集めた原本に一番近いもので信頼できそうですが、『日本地誌提要』や『地理局雑報』の石高と一部異なります。郡別石高が利用できますが、一部の郡別石高の記述を欠きます(対馬の石高は「麦高」)。あと菊地利夫氏によると

3.正保郷帳に村数が記載されていない国は15か国もあるが、内務省・地誌課の郡村石高帳の末尾に「村数五万五千百八十村」と記してある。

だそうですが、東京大学史料編纂所所蔵『郡村石高帳』にはそのような記述がありません。菊地利夫氏は別の『郡村石高帳』の写本を参考に石高をまとめたのでしょうか?

なぜ明治5年石高にこだわるかというと、菊地利夫氏による明治初期の町村数(6万8858村)の記述の信頼にも直結するからです。地租改正前の町村数に関しては後日改めてまとめます。

【追記:[80384]では郡別石高の記載のある『続・新田開発』(1986年)の旧国別石高を引用しましたが、一般には『新田開発』(1963年)に掲載されている旧国別石高が、様々な本で引用されています。両者では微妙に明治石高が異なります。

『新田開発』(1963年)では、「(1)正保二年、元禄十年、天保元年の統計は「郡村石高帳」(東大史料編纂所)による。(2)明治六年は宮内省租税寮統計による。」と記述しています。ただし東大史料編纂所の『郡村石高帳』は租税寮蔵本の明治石高の写本で、正保・元禄・天保の石高が掲載されているのは『正保・元禄・天保・明治村高比較表』です。

このように菊地氏の本では石高に関する限り、引用の仕方がいい加減で信用できません。】
[80384] 2012年 3月 8日(木)04:03:04【3】YT さん
明治5年石高
正保郷帳の村数・石高をまとめる前に、そもそも明治5年の地租改正前の石高として正しい値は何なのか?という問題に直面しましたので以下旧国別に7つの文献の石高をまとめました。合計は単純に足した数字、総計は文献に記載の数字です。

(1) 東京大学史料編纂所所蔵 『郡村石高帳』
「明治六年六月以租税寮蔵本膀写峻功」との記載があり、石高は明治5年の地租であると推測されます。

(2) 元正院地誌課編 『日本地誌提要』 日報社 (1875年)
「戸数人口共ニ戸籍寮明治六年癸酉ノ表簿ニ据リ、田圃租税ハ其前年ノ数ニ係ル」とあり、石高は明治5年の地租であることがわかります。

(3) 陸軍参謀部編 『共武政表』 青史 (1875年)
石高については何をもとにしたか明記されていません。

(4) 「大日本石高反別古今比較表」 『地理局雑報』 (8号) (1878年)
「石高ハ明治五年郡村地租帳」とあり、石高は明治5年の地租であることがわかります。

(5) 木村礎校訂 『旧高旧領取調帳』 近藤出版社 (1969年~1979年)
旧領毎の旧高を各県にまとめさせたもので、石高は府藩県三治制下の地租もあれば、それ以降のものも混ざっているようです。

(6) 東京大学史料編纂所所蔵 『正保・元禄・天保・明治村高比較表』

(7) 菊地利夫 『続・新田開発―事例編』 古今書院 (1986年)
「この統計の原本は内務省地誌課が正保郷帳・元禄郷帳・天保郷帳と明治六年の郷村石高帳を筆写した記録であり、東京大学史料館に所蔵されているものである。」とあり、一応東京大学史料編纂所所蔵 『正保・元禄・天保・明治村高比較表』をもとにしているはずです。

文献郡村石高帳日本地誌提要共武政表地理局雑報旧高旧領取調帳村高比較表菊地利夫
山城222,368.705170222,368.705170212,368.705630222,368.705170222,222.854730222,265.053730222,265
大和503,686.236760502,686.236760502,686.236760503,686.236760497,405.171330497,404.439530497,404
河内293,118.587200293,118.587200293,145.484200293,118.587200293,308.705200293,308.642200293,208
和泉176,190.776100176,190.776100175,635.166100176,190.776100171,222.653200171,295.214200171,295
摂津416,521.935800416,387.620800416,387.620800416,387.620800416,136.411920416,521
伊賀110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917
伊勢714,376.415000714,376.415000714,376.415000714,376.415000696,928.601200714,376
志摩19,279.20300019,279.20300019,279.20300019,279.20300021,535.23300019,279
尾張764,774.166200764,774.166200764,774.166200764,774.166200764,695.937100764,976.391200764,976
三河472,373.710000472,373.710000472,373.710000472,373.710000472,345.024390472,373.740000472,373
遠江372,546.349010372,546.349010372,546.349010372,486.019010373,182.967650372,878.971100372,878
駿河251,954.164860251,782.795400242,046.455950251,918.964450251,865.541850251,865.541850251,865
甲斐312,185.176850307,584.333490307,584.333490307,584.333490311,502.686690311,502.686690311,502
伊豆84,037.20836083,894.25280083,894.25280083,894.25280084,153.59458082,690.44780082,690
相模289,776.731970289,844.162310289,700.225310289,844.162310290,914.210590290,469.843400290,469
武蔵1,282,000.7709001,282,000.4549301,209,639.0561601,282,000.7709001,273,540.1270101,282,000
安房95,641.42350095,641.42350095,641.42350095,641.42350095,760.30696095,641
上総427,313.770940427,313.770940427,313.770940427,313.770940425,958.033020427,313
下総685,027.998250685,027.998250685,027.998250687,373.860550683,746.122490685,027
常陸921,629.152500921,635.781500921,605.208500912,453.540500921,620.733340921,629
近江857,849.525280857,849.525280857,849.525280857,849.525280858,524.203800857,757.156280857,757
美濃729,654.883650729,654.883650729,654.883650729,654.883650654,657.501060729,831.999650729,831
飛騨57,196.05800057,196.05800057,196.05800057,195.99300057,182.17600057,243.31000057,243
信濃786,950.000980786,411.668380785,717.961980786,411.668380778,219.374100779,462.689600779,462
上野635,851.107340636,116.851340645,883.186840636,116.851340637,017.253830635,766.802340635,766
下野758,648.440710762,851.630820763,103.440620763,103.440620765,997.680318762,523.695690761,523
磐城650,488.882370650,488.882370650,488.882370650,488.882370600,036.141240660,840.157370660,845
岩代760,923.545940760,937.750910760,987.163910760,974.680910745,253.591660750,628.221910750,628
陸前700,649.308000700,649.308000700,649.308000700,649.308000701,507.120000700,368.594000700,360
陸中471,842.912000469,073.737000513,978.982000469,073.737000465,451.122000465,451.122000465,451
陸奥423,000.838000423,100.838000422,259.871000423,100.838000422,139.779000422,139.779000422,139
羽前946,971.305680946,971.304910946,971.305610946,971.305680945,416.861600945,709.286900945,709
羽後568,474.889350568,474.889450568,274.889450568,760.275450560,914.624350568,477.384350568,477
若狭91,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767
越前690,243.617750690,249.700400690,243.617750690,243.617750680,924.173550690,243
加賀508,609.127390508,572.547390508,572.547390508,578.372390508,609
能登305,482.643960305,666.036340305,666.036360307,686.221360305,482
越中877,764.107000877,764.107000863,243.885450899,831.939000877,760
越後1,150,567.5234901,150,836.3685801,150,566.1374881,150,836.3285901,150,507.7919501,149,017.3233501,149,017
佐渡135,206.123000135,206.123000135,514.481000135,206.123000132,687.251000135,095.962000135,095
丹波329,465.473860329,465.473860329,440.739460329,465.473460324,465
丹後148,002.130300148,002.130300148,002.130300148,002.130300154,172.669900148,000
但馬148,147.754270148,147.754270148,133.549870148,147.754270148,147
因幡195,632.645000195,632.645000195,632.645000195,632.645000193,334.946000195,632
伯耆251,069.407000251,069.407000251,069.407000251,069.407000245,034.773000251,069
出雲320,709.911000320,709.911000320,709.911000320,709.911000320,709
石見182,136.898500182,136.898500182,136.898500182,136.898500182,136
隠岐12,562.90700012,562.90700012,562.90700012,562.90700012,562
播磨660,557.816260660,557.816250660,557.816260660,557.816260656,119.108400660,557
美作262,333.864000262,333.864000262,333.864000262,333.864000262,156.353000262,333.867000262,333
備前418,964.538000418,964.538000418,964.628000418,964.538000423,190.534000418,964.435000418,960
備中371,355.175800371,355.175800371,355.106800371,355.175800372,534.287400371,441.375800371,441
備後315,876.181550315,876.181550315,876.262550355,704.437100315,511.340650315,511.340550315,511
安芸314,669.487100314,669.487100314,669.487100314,669.487100313,164.685000313,164.685000313,164
周防552,160.215180552,160.215180552,160.216980552,160.215180548,871.447830552,160.215180552,160
長門458,143.489890458,143.489890458,143.489890458,143.489890454,263.019560458,143.489890458,143
紀伊444,283.133350444,283.133350444,283.133350444,283.133350444,047.996710444,165.259450444,165
淡路136,637.981830136,642.763130136,637.981820136,637.981820136,637
阿波310,484.464740310,484.464740310,484.464740310,484.464740306,732.739386316,732.739370306,732
讃岐302,481.216200309,814.753800309,814.753800309,814.753800293,629.620300311,064.753800311,064
伊予443,321.658842475,556.573340443,321.688420443,855.058320434,356.976250442,079.976470442,079
土佐510,572.194700512,698.991000512,698.991000512,698.991000494,091.429000510,572
筑前633,404.635400633,404.635400633,404.635400633,404.635400633,433.649400633,434.649400633,434
筑後536,742.902650536,742.902650536,902.236650459,184.417000536,841.458650536,841.458650536,841
豊前366,948.081380366,948.081380366,948.081380366,948.081380363,350.518280366,948
豊後459,184.417340459,184.417340459,184.417340459,184.417340459,184.461440459,189.417340459,184
肥前685,116.897620685,117.597620669,518.512180685,117.597620680,997.013920691,444.730250691,444
肥後851,237.052910851,237.052910851,237.052910851,237.052910851,219.885650851,237
日向418,142.356650418,142.356650418,142.356650418,142.356650417,393.172000418,142
大隅261,793.742710261,793.742710276,119.478300261,793.742710261,168.372000261,793
薩摩323,483.000000323,483.502510310,627.311860323,483.502510319,146.709000425,833
壱岐32,853.88500032,853.88500032,853.88500032,853.88500035,042.62900035,042.62900035,042
対馬5,818.1160000.0000000.0000000.0000000.000000
琉球94,230.70094094,230.70094094,230.701000123,711
奄美52,793.39202052,793.39202032,828.70000052,793
合計32,335,180.07175232,366,784.81887032,119,461.01075832,296,285.15736029,096,156.38193420,004,826.53639032,439,432
総計32,351,879.64422232,296,285.15736032,439,434
[80377] 2012年 3月 4日(日)17:21:05【2】YT さん
文献毎の元禄・天保の村数・石高の違いの比較
[80371]の註11と註12が判り難いので、各文献毎の元禄・天保の村数・石高の違いを以下にまとめ直しておきます。

旧国文献元禄村数元禄石高天保村数天保石高備考
山城国葛野郡YT集計・大野瑞男7935,224.1118008135,446.999010
山城国葛野郡村高比較表7035,224.1118008135,446.999010元禄村数誤記
山城国YT集計・大野瑞男459224,257.788160477230,131.760865
山城国村高比較表450224,257.788160477230,131.760865元禄村数誤記
相模国淘綾郡YT集計・村高比較表207,830.425100198,110.611560
相模国淘綾郡大野瑞男207,830.425000198,110.611560元禄石高誤記
武蔵国YT集計・村高比較表2,9511,167,862.9833903,0421,281,431.068820
武蔵国大野瑞男2,9511,167,862.9833903,4121,281,431.068820天保村数誤記
磐城国白河郡YT集計20541,959.0200009343,677.955000元禄石高誤記を仮定
磐城国白河郡大野瑞男・村高比較表20541,959.2000009343,677.955000
陸奥国YT集計4,3651,921,934.8874504,5192,874,239.059880元禄村数誤記を仮定
陸奥国大野瑞男・村高比較表4,3631,921,934.8874504,5192,874,239.059880
安房国YT集計・大野瑞男27293,886.21023028095,736.239070
安房国村高比較表22293,886.21023028095,736.239070元禄村数誤記
下総国YT集計・大野瑞男1,486568,331.1137401,623681,062.631660
下総国村高比較表1,186568,331.1137401,623681,062.631660元禄村数誤記
備中国YT集計・大野瑞男468324,455.623000484363,915.614210
備中国村高比較表486324,455.623000484363,915.614210元禄村数誤記
長門国YT集計・大野瑞男173166,623.645000150404,853.333000
長門国村高比較表123166,623.645000150404,853.333000元禄村数誤記
壱岐国YT集計・大野瑞男5018,072.8060005032,742.921000
壱岐国村高比較表5218,072.8060005032,742.921000元禄村数誤記
対馬国YT集計・大野瑞男1240.0000001400.000000
対馬国村高比較表1240.0000001240.000000天保村数誤記
琉球国YT集計・大野瑞男71123,711.81348071123,711.813480
大隅属島村高比較表1932,828.7000001932,828.700000奄美群島を琉球から分離
琉球村高比較表4690,883.1134804690,883.113480村数誤記
松前嶋YT集計・大野瑞男1280.000000
松前嶋村高比較表集計なし
全国総計YT集計63,22825,910,641.41806063,69030,558,917.841139
全国総計大野瑞男63,22625,786,929.60458063,93230,558,917.841139松前嶋・元禄琉球石高除外
全国総計村高比較表62,83125,910,641.41806063,54030,558,917.841139

この他、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には郡別石高の誤記等が多数ありますが、国別石高はほぼ大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」と同じです。

元禄の国別石高は、『地方凡例録』『竹橋余筆別集』『第2次農務統計表』等にも掲載されています。
[80371] 2012年 3月 4日(日)07:02:40【2】YT さん
元禄郷帳(6)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
西海道総計7,4683,655,547.3287707,5094,114,612.705576
筑前国総計902606,981.420000901651,782.278440
筑前国遠賀郡9649,283.4936009560,146.856380
筑前国宗像郡6450,511.5530006458,264.704240
筑前国鞍手郡7759,025.6328007761,964.898950
筑前国穂波郡6232,635.9836006238,621.534670
筑前国嘉麻郡6840,914.9619006846,702.663060
筑前国上座郡3821,205.7204003825,971.100000
筑前国下座郡4218,933.6750004221,277.952460
筑前国夜須郡5637,481.4808005640,238.912130
筑前国御笠郡5932,535.2020005937,952.316000
筑前国粕屋郡8452,897.8940008465,150.184100
筑前国席田郡98,719.91000099,924.840070
筑前国那珂郡8134,367.2490008143,851.417640
筑前国早良郡5238,698.2690005246,321.317700
筑前国志摩郡5136,096.1980005148,084.341640
筑前国怡土郡6343,674.1969006347,309.239400
筑前国外新田高50,000.000000
筑後国総計709331,497.769000710375,588.897800
筑後国生葉郡5412,675.8370005414,890.817000
筑後国竹野郡8912,397.8120008914,199.382000
筑後国山本郡3012,804.1020003012,910.215000
筑後国御原郡3520,587.4300003522,409.750000
筑後国御井郡7136,780.4660007139,458.100000
筑後国上妻郡10929,616.46200010934,763.278000
筑後国下妻郡3321,518.2260003321,975.513000
筑後国三潴郡14090,223.688000141102,169.008000
筑後国山門郡8657,371.5440008666,010.654000
筑後国三池郡6237,522.2020006246,802.180800
豊前国総計668273,801.848300677368,913.640500
豊前国企球郡9531,981.1970009548,832.533000
豊前国田川郡6339,573.6970006356,879.086000
豊前国京都郡6622,222.7370006634,271.442000
豊前国仲津郡7427,642.3450007440,773.455000
豊前国築城郡3915,556.7090003922,844.107000
豊前国上毛郡7330,113.2460007340,495.081400
豊前国下毛郡8136,688.1127008147,779.353100
豊前国宇佐郡17770,023.80460018677,038.583000
豊後国総計1,516369,546.7916001,473417,514.227150
豊後国国東郡18454,453.07260018379,407.481900
豊後国速見郡12450,314.12500012054,838.713400
豊後国大分郡23061,871.97900022765,466.122300
豊後国海部郡15448,435.83900015456,685.475970
豊後国大野郡39557,769.00200039559,737.313000
豊後国直入郡25435,879.05100025437,304.699000
豊後国玖珠郡6429,333.4970004831,097.550170
豊後国日田郡11131,490.2260009232,976.871410
肥前国総計1,418572,284.1231001,400706,470.723196
肥前国基肄郡229,122.3400002211,992.375000
肥前国養父郡2310,601.4720002313,204.107000
肥前国三根郡4824,335.4600004825,835.460000
肥前国神崎郡10949,335.27100010952,335.271000
肥前国佐嘉郡172102,779.196000172115,290.067000
肥前国小城郡14446,409.68800014452,409.688000
肥前国松浦郡488131,439.361500486189,934.677696
肥前国杵嶋郡11467,436.36100011485,436.361000
肥前国藤津郡7930,750.0840007935,750.084000
肥前国彼杵郡10740,854.0486009152,988.135500
肥前国高来郡11259,220.84100011271,294.497000
肥後国総計1,124563,857.1780001,116611,920.291100
肥後国天草郡12321,768.9760008824,967.232100
肥後国蘆北郡3017,534.5600003019,218.576000
肥後国球麻郡4522,192.3200007241,816.887000
肥後国八代郡6942,881.9270006944,160.986000
肥後国益城郡287123,433.380000287129,228.847000
肥後国宇土郡4925,709.5850004925,996.826000
肥後国飽田郡9451,033.4820009452,333.379000
肥後国詫摩郡2919,088.2360002920,333.164000
肥後国合志郡6034,691.1800006036,672.280000
肥後国山本郡3317,387.1000003317,708.082000
肥後国玉名郡11073,927.90200011079,038.508000
肥後国山鹿郡4433,116.9680004433,316.519000
肥後国菊池郡6726,463.2600006727,233.981000
肥後国阿蘇郡8454,628.3020008459,895.024000
日向国総計398309,954.528170483340,128.861790
日向国諸県郡175127,218.913320175127,277.596520
日向国宮崎郡2936,533.7235202936,592.398520
日向国那珂郡7878,572.9173307890,835.434330
日向国児湯郡4737,582.8990004842,729.890600
日向国臼杵郡6930,046.07500015342,693.541820
大隅国総計230170,833.451000230170,833.451000
大隅国菱刈郡139,986.856000139,986.856000
大隅国桑原郡3221,824.0430003221,824.043000
大隅国始羅郡3926,643.4620003926,643.462000
大隅国囎唹郡6343,884.4800006343,884.480000
大隅国肝属郡3842,015.9880003842,015.988000
大隅国大隅郡3220,192.3130003220,192.313000
大隅国熊毛郡95,205.71900095,205.719000
大隅国馭謨郡41,080.59000041,080.590000
薩摩国総計258315,005.600120258315,005.600120
薩摩国鹿児島郡2730,339.6942002730,339.694200
薩摩国谿山郡615,047.895500615,047.895500
薩摩国給黎郡610,464.207000610,464.207000
薩摩国揖宿郡716,857.056700716,857.056700
薩摩国頴娃郡715,939.384700715,939.384700
薩摩国河辺郡3535,045.7180003535,045.718000
薩摩国阿多郡2023,570.4705002023,570.470500
薩摩国日置郡4851,648.0439004851,648.043900
薩摩国薩摩郡3342,719.1347503342,719.134750
薩摩国伊佐郡5238,401.3624705238,401.362470
薩摩国出水郡723,735.256000723,735.256000
薩摩国高城郡88,445.99140088,445.991400
薩摩国甑嶋郡22,791.38500022,791.385000
壱岐国総計5018,072.8060005032,742.921000
壱岐国壱岐郡2310,049.4710002317,577.855000
壱岐国石田郡278,023.3350002715,165.066000
対馬国総計1240.0000001400.000000
対馬国上県郡570.000000650.000000
対馬国下県郡670.000000750.000000
琉球国総計71123,711.81348071123,711.813480
琉球国沖縄嶋2762,199.0000002762,199.000000
琉球国計羅摩嶋1203.0000001203.000000
琉球国戸無嶋145.100000145.100000
琉球国久米嶋23,677.70000023,677.700000
琉球国粟嶋1727.4000001727.400000
琉球国伊恵嶋13,643.00000013,643.000000
琉球国伊是那嶋1750.2000001750.200000
琉球国恵平屋嶋1541.6000001541.600000
琉球国喜界嶋56,932.40000056,932.400000
琉球国大嶋710,455.500000710,455.500000
琉球国徳之嶋310,009.700000310,009.700000
琉球国永良部嶋34,158.50000034,158.500000
琉球国与論嶋11,272.60000011,272.600000
琉球国宮古嶋612,458.792420612,458.792420
琉球国八重山嶋116,637.321060116,637.321060

五畿八道郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
北海道総計1280.000000
松前嶋総計1280.000000

全国郡名元禄村数元禄石高元禄永高天保村数天保石高天保永高
全国総計63,22825,910,641.418060永高1369貫801文63,69030,558,917.841139永高1367貫670文

註8) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、元禄の琉球国の内訳が掲載されていないが、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』で元禄分も内訳が掲載されており、天保郷帳の記載をそのまま採用した。

註9) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、喜界嶋
大嶋、徳之嶋、永良部嶋、与論嶋が「大隅属島」と区分されており、本表の作成が明治10年以降であることが伺われる。また沖縄嶋、計羅摩嶋、戸無嶋、久米嶋、粟嶋、伊恵嶋、伊是那嶋、恵平屋嶋を全て合わせて「沖縄嶋」と集計している。

註10) 天保の松前嶋村数総数として、枝村を含む和人居住地の村数128を採用した。史籍研究会 『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』 では、ほかに蝦夷人居所402箇所(箱館附場所8箇所、東蝦夷128箇所、西蝦夷195箇所、国後島8箇所、択捉島11箇所、奥尻島・利尻島・礼文島3箇所、樺太49箇所)と他の島25の記載があるが、これらは村数として集計されていない。

 松前東西夲村枝村共
一人居村數    百弐拾八箇村
    内四拾四箇村 枝村

 箱舘附場所之内
一蝦夷人居所   八箇所

 東西蝦夷地
一蝦夷人居所   三百弐拾三箇所

一惣嶋数     三拾壱ヶ所
    但嶋々之内蝦夷人居所 七拾壱ヶ所

区分人居数備考
松前東西本村枝村128枝村44を含む
蝦夷人居所402
 箱館附場所8但し蝦夷人居住の名称が記載されていない
 東西蝦夷地323
  東蝦夷128郷帳から集計
  西蝦夷195郷帳から集計
 嶋々之内71惣嶋数は31ヶ所
  クナシリ嶋8郷帳から集計
  ヱトロフ嶋11郷帳から集計
  大嶋1集計上仮定
  リイシリ1蝦夷人居所壱ヶ所有(名称なし)
  レブンシリ1蝦夷人居所壱ヶ所有(名称なし)
  カラフト嶋49郷帳から集計

大嶋(奥尻島)には「蝦夷人居所壱ヶ所有」等の記述がないが、嶋々の中での蝦夷人居所の集計は70となってしまう。そこで奥尻島の項目に記載されるべき「蝦夷人居所壱ヶ所有」の記述が脱落したと仮定した。

註11) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、元禄村数6万3226・元禄石高2578万6929石6斗0升4合5勺8才と記載されているが、上記表の元禄村数6万3228・元禄石高2591万0641石4斗1升8合0勺6才との差はそれぞれ陸奥国の村数合計不一致+2、琉球の元禄石高12万3711石8斗1升3合4勺8才に相当する。また大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、天保村数6万3932と記載されているが、上記表の元禄村数6万3690との差は誤集計による武蔵国の村数の差-370と松前嶋の村数+128に相当する。


註12) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、元禄村数6万2831と記載されているが、上記表の元禄村数6万3228との差は琉球の村数の差+6、山城国葛野郡の村数の差+9、安房国村数総計の差+50、下総国村数総計の差+300、備中国村数総計の差-18、長門国村数総計の差+50、壱岐国村数総計の差-2、陸奥国村数合計不一致+2に相当する。また東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、天保村数6万3540と記載されているが、上記表の天保村数6万3690との差は琉球の村数の差+6、対馬国総計の差+16、松前嶋+128に相当する。
[80370] 2012年 3月 4日(日)06:31:45【1】YT さん
元禄郷帳(5)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
山陽道総計4,7872,376,120.1260004,8133,211,546.810710
播磨国総計1,800568,517.5790001,796651,964.813500
播磨国明石郡14952,401.44600014757,016.077000
播磨国美嚢郡15540,975.39000015744,146.518300
播磨国加古郡9836,894.6710009950,014.762000
播磨国印南郡11435,819.46200011645,658.439700
播磨国加東郡14750,116.50600015155,819.578100
播磨国加西郡12238,085.77200012339,078.271900
播磨国多可郡12433,887.11100012434,140.639000
播磨国神東郡7922,056.5370007928,484.534090
播磨国神西郡6718,164.5240006922,055.429060
播磨国飾東郡7029,861.1180007139,532.590000
播磨国飾西郡7931,563.4420007740,382.596000
播磨国揖東郡13448,490.09600013055,691.947900
播磨国揖西郡10229,658.70300010133,118.687100
播磨国赤穂郡13238,868.03600012544,078.249600
播磨国佐用郡8823,350.3440008724,187.595400
播磨国宍粟郡14038,324.42100014038,558.898350
美作国総計592259,353.701000628262,099.098000
美作国東南条郡1410,654.0130001410,838.443000
美作国東北条郡3215,120.8030003215,411.158000
美作国西北条郡2310,487.7840002310,765.428000
美作国西々条郡5126,335.8440005126,800.651000
美作国大庭郡4720,351.9650004720,836.769000
美作国真嶋郡9532,943.5410009633,194.017000
美作国久米北条郡3328,777.4800005028,870.413000
美作国久米南条郡5422,774.7880006022,982.121000
美作国勝南郡6824,495.7160007024,654.139000
美作国勝北郡5333,965.4220005734,139.459000
美作国英田郡6413,509.2320006413,659.633000
美作国吉野郡5819,937.1130006419,946.867000
備前国総計646289,224.710000673416,581.854000
備前国御野郡6142,707.1900006352,800.666000
備前国津高郡9338,271.1000009347,395.655000
備前国赤坂郡9437,964.0400009444,132.424000
備前国磐梨郡6421,288.7400006427,217.612000
備前国和気郡8620,978.6500008928,713.035000
備前国邑久郡7145,583.9500007869,534.016000
備前国上道郡9653,001.760000108100,072.824000
備前国児嶋郡8129,429.2800008446,715.622000
備中国総計468324,455.623000484363,915.614210
備中国上房郡2722,005.0272002724,720.902500
備中国阿賀郡3332,531.2213003433,161.099400
備中国哲多郡2922,753.5033002922,804.433100
備中国川上郡5325,523.8657005431,213.727000
備中国小田郡7036,497.7560007137,269.410300
備中国後月郡3717,790.2480003618,003.581000
備中国下道郡1713,826.7709001718,973.970200
備中国賀陽郡7645,007.1756007849,346.670410
備中国都宇郡3928,251.4050004335,682.231200
備中国浅口郡4448,981.2398004954,726.799900
備中国窪屋郡4331,287.4102004638,012.789200
備後国総計494295,678.888000494312,054.932000
備後国御調郡5929,269.1040005937,037.740000
備後国世羅郡4929,571.4250004933,193.055000
備後国三谿郡3818,156.2550003819,245.673000
備後国三上郡1812,836.5620001813,654.330000
備後国奴可郡3917,637.2280003919,792.879000
備後国甲怒郡3215,519.2430003215,574.586000
備後国沼隈郡4326,070.2540004326,425.202000
備後国深津郡3225,564.9170003225,652.294000
備後国安那郡2924,658.9530002924,725.729000
備後国品治郡2111,573.5100002111,709.049000
備後国芦田郡2817,453.3350002817,567.020000
備後国神石郡3822,330.4650003822,344.401000
備後国三次郡4323,093.1750004323,093.175000
備後国恵蘇郡2521,944.4620002522,039.799000
安芸国総計436269,478.310000436310,648.489000
安芸国沼田郡3320,822.3380003328,895.157000
安芸国佐伯郡6334,798.0700006339,797.503000
安芸国豊田郡5651,414.8580005657,797.663000
安芸国山県郡6428,518.6690006430,646.105000
安芸国高宮郡3216,193.7960003217,732.512000
安芸国賀茂郡8849,298.8920008856,010.134000
安芸国安芸郡3825,356.6850003835,841.634000
安芸国高田郡6243,075.0020006243,927.781000
周防国総計178202,787.670000152489,428.677000
周防国大嶋郡2713,195.6150002731,870.020000
周防国都濃郡3334,913.9830002593,332.799000
周防国佐波郡2426,791.0140001883,044.548000
周防国玖珂郡4453,532.78100036103,659.279000
周防国吉敷郡2338,635.3460002098,751.511000
周防国熊毛郡2735,718.9310002678,770.520000
長門国総計173166,623.645000150404,853.333000
長門国豊浦郡6645,082.22900065127,286.534000
長門国大津郡1818,214.1370001542,798.047000
長門国美禰郡1831,921.7450001559,959.307000
長門国厚狭郡3332,306.4630003284,785.952000
長門国阿武郡3738,515.0300002288,817.320000
長門国見嶋郡1584.04100011,206.173000

旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
南海道総計4,5251,546,000.6775404,4511,889,261.906450
紀伊国総計1,413397,668.0190001,337440,858.377710
紀伊国伊都郡12734,180.58900014737,534.277570
紀伊国那賀郡22984,008.94900024890,741.177040
紀伊国名草郡15081,695.75300015087,979.907000
紀伊国海部郡6321,081.6780005925,750.744800
紀伊国在田郡14642,574.11600013747,308.213000
紀伊国日高郡18344,910.90200014848,671.176200
紀伊国牟婁郡51589,216.032000448102,872.882100
淡路国総計23770,428.10000025197,164.784000
淡路国津名郡12137,207.90000012252,609.821000
淡路国三原郡11633,220.20000012944,554.963000
阿波国総計455193,862.285000455268,894.329000
阿波国三好郡2815,805.7100002820,489.375000
阿波国美馬郡219,950.6790002112,738.871000
阿波国阿波郡327,873.5560003210,704.226000
阿波国板野郡10134,721.69200010152,738.087000
阿波国麻植郡3614,482.3800003515,642.831000
阿波国名西郡3917,211.9260003923,005.650000
阿波国名東郡5225,404.7870005432,998.102000
阿波国勝浦郡3214,188.6210003330,091.430000
阿波国那賀郡8842,182.9310008755,534.426000
阿波国海部郡2612,040.0030002514,951.331000
讃岐国総計385186,394.041000377291,320.256400
讃岐国大内郡3410,200.0000003414,871.661000
讃岐国寒川郡2513,600.0580002621,522.707000
讃岐国三木郡2011,619.4770002017,203.116000
讃岐国山田郡3018,178.2500003028,372.544000
讃岐国香川郡4721,904.7730004737,302.399000
讃岐国阿野郡3517,759.2590003529,495.136000
讃岐国鵜足郡2716,183.6970002729,038.844000
讃岐国那珂郡4119,460.1360004029,032.730900
讃岐国多度郡2114,676.8100002218,984.071000
讃岐国三野郡2819,043.7610002732,401.830000
讃岐国豊田郡4713,859.7660003922,067.593000
讃岐国小豆嶋97,916.25100098,994.386000
讃岐国塩飽嶋181,250.000000181,250.000000
讃岐国直嶋3741.8030003783.238500
伊予国総計959429,163.258540955460,997.639340
伊予国宇摩郡5121,223.1310005122,572.198800
伊予国新居郡5226,083.8770005233,731.476000
伊予国周布郡3721,342.5850003623,054.416000
伊予国桑村郡2713,434.1320002714,634.317000
伊予国越智郡9538,584.0590009246,221.629000
伊予国野間郡3014,989.2250003016,522.458000
伊予国風早郡8417,635.8560008418,417.696000
伊予国和気郡2214,246.1260002216,198.524000
伊予国久米郡3115,790.2570003117,333.347000
伊予国伊予郡3424,011.8670003426,686.227000
伊予国浮穴郡9935,656.6110009937,769.192000
伊予国喜多郡8333,939.7700008334,720.057000
伊予国宇和郡279130,409.808540279130,409.808540
土佐国総計1,076268,484.9740001,076330,026.520000
土佐国安芸郡11022,181.99900011030,056.362000
土佐国香我美郡14739,610.93000014747,268.056000
土佐国長岡郡14736,549.45200014744,910.837000
土佐国土佐郡10320,784.92000010329,250.880000
土佐国吾川郡6921,750.0490006926,222.405000
土佐国高岡郡22057,328.97600022072,984.692000
土佐国幡多郡28070,278.64800028079,333.288000
[80369] 2012年 3月 4日(日)06:26:26YT さん
元禄郷帳(4)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
北陸道総計8,9123,008,193.6391708,9103,622,488.969650
若狭国総計25588,281.52240025591,018.822200
若狭国大飯郡7419,970.7386007420,320.601600
若狭国遠敷郡12243,030.14980012244,219.201600
若狭国三方郡5925,280.6340005926,479.019000
越前国総計1,541684,271.8096001,533689,304.819870
越前国足羽郡16091,963.62800016092,863.626000
越前国吉田郡13979,289.73840013980,804.032000
越前国丹生郡22987,599.48990022987,973.148800
越前国今立郡20185,667.18500020286,200.011000
越前国南条郡9337,203.2910009235,639.510500
越前国坂井郡350185,485.161000349185,521.392000
越前国大野郡28395,534.80930027697,491.640700
越前国敦賀郡8621,528.5070008622,811.458870
加賀国総計770438,281.770000768483,665.848700
加賀国河北郡17877,939.34000017790,700.563000
加賀国石川郡243177,262.010000235183,508.752000
加賀国能美郡215117,348.830000213131,299.724700
加賀国江沼郡13465,731.59000014378,156.809000
能登国総計681239,208.795400666275,369.990210
能登国羽咋郡19081,788.89800019191,031.531500
能登国鹿嶋郡15374,990.11410015085,955.788910
能登国鳳至郡25654,737.48300025064,961.548500
能登国珠洲郡8227,692.3003007533,421.121300
越中国総計1,441611,000.1000001,376808,008.461820
越中国新川郡511197,612.040000486282,103.413820
越中国婦負郡18664,648.00000018084,671.080000
越中国射水郡240138,183.340000220171,283.951000
越中国砺波郡504210,556.720000490269,950.017000
越後国総計3,964816,775.7307704,0511,142,555.535850
越後国頚城郡1,087206,834.8056701,098224,528.938600
越後国苅羽郡19169,986.95900019075,500.337470
越後国魚沼郡58080,827.973000409100,305.259500
越後国古志郡21745,039.04200026869,545.390100
越後国三嶋郡21463,876.69400022477,727.699030
越後国岩船郡24348,501.17900025060,478.961000
越後国蒲原郡1,432301,709.0781001,612534,468.950150
佐渡国総計260130,373.911000261132,565.491000
佐渡国加茂郡10046,656.55400010047,492.368000
佐渡国雑太郡10062,375.91100010063,226.834000
佐渡国羽茂郡6021,341.4460006121,846.289000

旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
山陰道総計4,2201,372,238.9974004,2141,499,296.436760
丹波国総計902293,445.547400880324,136.268670
丹波国桑田郡21450,385.34560021556,805.634000
丹波国船井郡20442,313.44100020353,256.533290
丹波国何鹿郡7741,305.5053007142,361.920400
丹波国天田郡10450,106.53480010450,915.453720
丹波国氷上郡17164,169.94570017368,546.206660
丹波国多紀郡13245,164.77500011452,250.520600
丹後国総計392145,821.182000388147,614.804460
丹後国与佐郡9242,056.6520009242,655.397000
丹後国加佐郡13738,302.58100013738,991.085460
丹後国中郡3321,558.6650003321,738.797000
丹後国熊野郡5318,885.7530005318,979.097000
丹後国竹野郡7725,017.5310007325,250.428000
但馬国総計627130,673.235000623144,313.084030
但馬国朝来郡9020,682.9520009020,739.756000
但馬国養父郡10420,916.71000010023,692.594000
但馬国二方郡547,926.735000549,840.706000
但馬国七味郡596,700.000000738,783.642000
但馬国気多郡8017,940.6470007519,959.944400
但馬国城崎郡7920,370.2080007921,660.814630
但馬国美含郡7411,098.3060007211,628.509000
但馬国出石郡8725,037.6770008028,007.118000
因幡国総計535170,728.289000553177,844.624000
因幡国岩井郡4619,554.3760005020,713.069000
因幡国法美郡6018,806.1880006019,123.253000
因幡国八東郡8523,128.5760008823,244.984000
因幡国八上郡5820,010.1600006020,577.499000
因幡国智頭郡9614,380.0560009814,563.432000
因幡国邑美郡3215,491.0280003516,461.596000
因幡国高草郡7835,553.3080008037,823.506000
因幡国気多郡8023,804.5970008225,337.285000
伯耆国総計710194,416.567000754217,990.822280
伯耆国河村郡10222,727.80500010425,312.890000
伯耆国久米郡11137,829.47100011939,064.655000
伯耆国八橋郡10328,625.19400010731,842.697000
伯耆国汗入郡7424,320.8960007427,062.298060
伯耆国会見郡14954,863.12000017361,940.043000
伯耆国日野郡17126,050.08100017732,768.239220
出雲国総計504282,489.739000504302,627.465000
出雲国嶋根郡5123,120.0340005124,783.438000
出雲国秋鹿郡2010,416.2670002011,308.918000
出雲国楯縫郡2313,172.1370002315,835.685000
出雲国出雲郡1922,142.5040001923,437.342000
出雲国神門郡8559,698.3000008567,525.408000
出雲国飯石郡6130,630.3380006131,395.580000
出雲国仁多郡7221,330.5420007221,557.964000
出雲国大原郡5825,871.4800005826,844.848000
出雲国能義郡7743,274.4840007745,638.197000
出雲国意宇郡3832,833.6530003834,300.085000
石見国総計489142,499.235000451172,209.768320
石見国安濃郡3614,175.6010003014,510.167000
石見国邇摩郡5716,157.4680004616,647.348000
石見国邑知郡11333,889.64000010236,781.165600
石見国那賀郡12036,271.34100011648,549.446720
石見国美濃郡10026,962.3380009633,108.396000
石見国鹿足郡6315,042.8470006122,613.245000
隠岐国総計6112,165.2030006112,559.600000
隠岐国海士郡82,419.63300082,465.515000
隠岐国知夫里郡53,159.64400053,204.464000
隠岐国越智郡162,859.831000162,982.675000
隠岐国周吉郡323,726.095000323,906.946000
[80368] 2012年 3月 4日(日)06:13:10【1】YT さん
元禄郷帳(3)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
東山道総計14,6246,463,940.15250014,6917,954,049.255308
近江国総計1,516836,829.7207801,516853,095.305590
近江国犬上郡12460,879.83100012461,982.733400
近江国愛知郡11864,319.20860011764,666.171600
近江国神崎郡8347,877.7670008248,303.651000
近江国蒲生郡227136,324.050400228139,585.483400
近江国甲賀郡13775,838.86914013778,128.377110
近江国野洲郡8165,361.0706008166,901.354200
近江国栗太郡11364,573.50700011568,292.251600
近江国滋賀郡8745,314.3672008845,989.544100
近江国高嶋郡15273,468.28560015674,026.516480
近江国伊香郡7136,024.2770007136,248.370800
近江国浅井郡14576,209.87100014276,680.282900
近江国坂田郡17890,638.61624017592,290.569000
美濃国総計1,631645,101.5030001,602699,764.321660
美濃国不破郡4637,893.4100004540,331.586300
美濃国多芸郡6932,369.5390006135,766.985600
美濃国石津郡9126,987.9003009128,571.290300
美濃国安八郡16485,561.57300015293,744.053000
美濃国池田郡6718,577.6270006724,067.901000
美濃国大野郡11949,500.81900011953,522.503190
美濃国本巣郡7234,971.8830007140,176.696800
美濃国席田郡95,579.21400095,755.002900
美濃国方県郡5034,306.7360005035,671.334700
美濃国厚見郡5736,284.5010005841,606.605100
美濃国山県郡5525,614.0580005526,330.754000
美濃国武儀郡14632,485.86400014534,192.459800
美濃国郡上郡16929,933.15010016431,310.303700
美濃国加茂郡12843,500.10060012145,762.914070
美濃国恵那郡7934,307.1500008040,381.050300
美濃国土岐郡5619,625.5410005621,553.070280
美濃国可児郡9632,128.8920009532,578.749260
美濃国各務郡3520,009.5010003720,330.165900
美濃国羽栗郡6521,074.8960006521,773.703460
美濃国中嶋郡3012,694.5360003314,587.327000
美濃国海西郡2811,694.6120002811,749.865000
飛騨国総計41444,469.21900041456,602.309000
飛騨国大野郡13617,166.53500013622,077.814000
飛騨国吉城郡17819,556.99600017824,326.598000
飛騨国益田郡1007,745.68800010010,197.897000
信濃国総計1,697615,818.7375401,615767,788.077600
信濃国佐久郡18677,658.72400018896,780.355100
信濃国諏訪郡14435,019.91490013544,006.476600
信濃国伊那郡298122,687.946940284134,043.131760
信濃国筑摩郡23154,806.43920023382,080.154840
信濃国小県郡12166,143.50600012076,990.992000
信濃国埴科郡3720,780.2140003723,641.649300
信濃国更級郡7845,977.2260007356,610.989700
信濃国安曇郡17938,944.23850018060,123.870900
信濃国水内郡26584,671.523000214108,542.528500
信濃国高井郡15869,129.00500015184,967.928900
上野国総計1,213591,834.4488701,217637,331.633100
上野国邑楽郡8578,956.2270008680,504.195190
上野国新田郡11365,525.33327011467,345.843880
上野国山田郡5836,217.5215006337,049.574050
上野国佐位郡4016,913.5970003621,295.298700
上野国那波郡6027,023.3920005129,853.997170
上野国群馬郡205114,860.111000209120,700.294840
上野国勢多郡17660,519.83100017877,365.379950
上野国利根郡11730,758.97300011730,899.889900
上野国吾妻郡8824,888.8198008825,273.832300
上野国碓氷郡6440,375.8240006841,415.381700
上野国片岡郡34,267.61400034,267.614000
上野国多胡郡2712,289.6998002712,669.119700
上野国緑埜郡4529,136.3595004531,484.950620
上野国甘楽郡13250,101.14600013257,206.261100
下野国総計1,361681,702.8014601,365769,905.027038
下野国河内郡205106,289.230200202110,593.296010
下野国芳賀郡188115,280.724650192133,083.251715
下野国塩谷郡14649,015.09790014455,006.084520
下野国那須郡29997,336.793600298125,398.651200
下野国足利郡4632,149.3305004633,097.686880
下野国簗田郡2814,028.7950002814,158.903933
下野国安蘇郡6462,835.6345006465,725.910510
下野国都賀郡372196,730.720110378223,852.678270
下野国寒川郡138,036.475000138,988.564000
陸奥国総計4,3651,921,934.8874504,5192,874,239.059880
磐城国総計1,326517,082.530950963613,924.675660
磐城国白河郡9341,247.68200010264,170.258000
磐城国石川郡7436,254.8250007648,998.149000
磐城国田村郡15094,130.250350138106,752.851850
磐城国菊多郡9538,245.2356006740,000.479510
磐城国白川郡20541,959.0200009343,677.955000
磐城国磐前郡14949,654.19700010954,816.129300
磐城国磐城郡8430,245.4040004832,041.668000
磐城国楢葉郡9227,425.6540003831,117.724000
磐城国標葉郡7620,224.9040005522,725.790000
磐城国行方郡14447,807.3130009651,141.621000
磐城国宇多郡6927,493.9760004631,918.070000
磐城国宇多郡(1)6022,373.7360003724,898.190000
磐城国宇多郡(2)95,120.24000097,019.880000
磐城国刈田郡3319,991.5600003323,539.230000
磐城国伊具郡3626,534.8100003639,442.940000
磐城国亘理郡2615,867.7000002623,581.810000
岩代国総計1,306641,269.5165001,305755,703.961220
岩代国会津郡28573,389.91800028587,294.666500
岩代国大沼郡15345,658.47620015352,691.176000
岩代国耶麻郡27297,659.420500274122,848.020000
岩代国河沼郡20055,304.00130020074,384.265000
岩代国岩瀬郡7860,430.0485007969,159.628900
岩代国安達郡7371,206.8330007090,795.913030
岩代国安積郡4837,752.9200004754,704.447290
岩代国信夫郡108111,540.283000108114,457.251600
岩代国伊達郡8988,327.6160008989,368.592900
陸前国総計702398,958.830000702697,838.180000
陸前国柴田郡3519,885.6200003530,527.780000
陸前国名取郡6144,514.9400006164,249.900000
陸前国宮城郡7847,578.6300007875,435.820000
陸前国黒川郡4931,311.4100004943,611.090000
陸前国賀美郡3824,779.6500003839,247.460000
陸前国玉造郡2117,723.0700002124,906.980000
陸前国志田郡6429,256.0600006457,195.750000
陸前国遠田郡5831,040.7700005860,747.280000
陸前国栗原郡9281,354.89000092135,970.380000
陸前国登米郡2418,271.0600002440,372.090000
陸前国牡鹿郡605,420.4600006014,927.350000
陸前国桃生郡6519,748.4700006573,441.620000
陸前国本吉郡3315,173.1000003321,682.680000
陸前国気仙郡2412,900.7000002415,522.000000
陸中国総計530228,520.614000537423,134.490000
陸中国磐井郡8659,317.0100008683,017.320000
陸中国胆沢郡3747,582.4500003777,031.250000
陸中国江刺郡4126,627.4000004140,586.650000
陸中国和賀郡4421,885.6600004638,362.692000
陸中国稗貫郡5215,112.2030005242,447.666000
陸中国紫波郡5116,380.0040005147,185.279000
陸中国岩手郡5412,223.4140005535,903.389000
陸中国鹿角郡338,272.3250003318,983.063000
陸中国閉伊郡9113,666.7800009426,725.210000
陸中国九戸郡417,453.3680004212,891.971000
陸奥国総計501136,103.3960001,012383,637.753000
陸奥国二戸郡488,148.3040004813,888.542000
陸奥国三戸郡6718,874.0140006738,575.259000
陸奥国北郡505,983.9280005413,911.722000
陸奥国津軽郡336103,097.150000843317,262.230000
出羽国総計2,4271,126,248.8344002,4431,295,323.521440
羽前国総計1,195733,879.2304001,204804,569.693740
羽前国置賜郡260193,993.534200260216,161.220230
羽前国村山郡422352,513.707200430366,147.135970
羽前国最上郡12851,072.34180012862,387.453800
羽前国田川郡385136,299.647200386159,873.883740
羽後国総計1,232392,369.6040001,239490,753.827700
羽後国飽海郡25462,318.74500026774,428.472400
羽後国秋田郡25364,320.82100028384,719.960000
羽後国川辺郡4816,520.1960005322,083.154000
羽後国雄勝郡8340,891.2450008654,836.706000
羽後国仙北郡16482,030.53300017593,611.794000
羽後国山本郡7020,347.1530007628,453.063000
羽後国平鹿郡9551,195.36000010759,950.292000
羽後国由利郡26554,745.55100019272,670.386300

註5) ※大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では陸奥・出羽の石高は有力大名の知行を元に区切った郷帳毎に集計されているが、判り易いように明治以降の国(磐城・岩代・陸前・陸中・陸後・陸奥・羽前・羽後)で集計した。郷帳別集計は以下の通り。

旧国元禄村数元禄石高天保村数天保石高郡構成
陸奥(1)910272,011.816000912337,218.127500会津,大沼,耶麻,河沼
陸奥(2)516341,022.558850512434,581.248070白河,石川,岩瀬,田村,安達,安積
陸奥(3)905277,935.643600543300,419.556810菊多,白川,磐前,磐城,楢葉,標葉,行方,宇多(1)
277,935.463600(白川郡の石高修正後(註6を参照))
陸奥(4)197199,867.899000197203,825.844500信夫,伊達
陸奥(5)970600,000.000000970992,057.260000刈田,柴田,伊具,宇多(2),亘理,名取,宮城,黒川,賀美,玉造,志田,
遠田,栗原,登米,牡鹿,桃生,本吉,気仙,磐井,胆沢,江刺
陸奥(6)531128,000.000000542288,874.793和賀,稗貫,紫波,岩手,鹿角,閉伊,九戸,二戸,三戸,北
陸奥(7)336103,097.150000843317,262.230000津軽
出羽(1)260193,993.534200260216,161.220230置賜
出羽(2)422352,513.707200430366,147.135970村山
出羽(3)12851,072.34180012862,387.4538最上
出羽(4)639198,618.392200653234,302.256140田川,飽海
出羽(5)978330,050.859000972416,325.355300秋田,川辺,雄勝,仙北,山本,平鹿,由利

註6) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」によると、
元禄郷帳陸奥の村数は計算によると4,365村と2村多く、石高集計は1,921.935.06745となり0.18多い。郡石高に2升を2斗の誤記があるか。これを除いて計算は全て合う。
該当する郡は磐城国白河郡しかないため、元禄の磐城国白河郡石高を4万1959石2斗から4万1959石2升に修正した。陸奥国村数総数として計算値4365を採用した。

註7) 近世絵図地図資料研究会編『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳』解読篇と史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』の比較において、平鹿の村数に関し、集計数と実際に記載されている村の数が一致しないが(記載されている村は109項目で、集計数107よりも2村多い)、集計されている村数の方を採用した。
[80367] 2012年 3月 4日(日)05:54:32【2】YT さん
元禄郷帳(2)
旧国名郡名元禄村数元禄石高元禄永高天保村数天保石高天保永高
東海道総計15,1305,933,115.744030永高1369貫801文15,3236,652,134.556760永高1367貫670文
伊賀国総計182100,540.002000182110,096.536000
伊賀国阿拝郡6939,413.8900006944,046.739000
伊賀国山田郡2516,499.0200002518,112.130000
伊賀国伊賀郡5027,953.1800005030,216.981000
伊賀国名張郡3816,673.9120003817,720.686000
伊勢国総計1,400621,027.4420001,325716,451.492700
伊勢国桑名郡10447,568.50100016965,115.467000
伊勢国員弁郡10847,388.92200010649,923.482000
伊勢国朝明郡6229,404.5880006433,379.119000
伊勢国三重郡9060,712.5020008967,495.527000
伊勢国鈴鹿郡9252,618.3620008866,770.783500
伊勢国河曲郡4232,393.8170003834,225.721000
伊勢国安芸郡6944,212.9830006147,637.997000
伊勢国安濃郡8558,012.4500008561,058.720000
伊勢国一志郡15890,911.429000131109,890.107000
伊勢国飯高郡11446,486.07700011352,486.684500
伊勢国飯野郡4223,405.2540003925,724.922000
伊勢国多気郡17442,396.07300012948,237.689000
伊勢国渡会郡26045,516.48400021354,505.273700
志摩国総計5620,061.6410005621,470.398000
志摩国答志郡3712,130.1440003712,953.658000
志摩国英虞郡197,931.497000198,516.740000
尾張国総計989521,480.5180001,008545,875.793000
尾張国愛知郡12284,471.46500012289,511.329000
尾張国春日井郡181106,046.728000189111,764.184000
尾張国丹羽郡11759,404.17800011859,541.518000
尾張国葉栗郡4113,768.8430004113,905.615000
尾張国中嶋郡16882,312.97000016782,252.940000
尾張国海東郡13882,837.87800013888,891.311000
尾張国海西郡7525,084.8760009128,835.934000
尾張国知多郡14767,553.58000014271,172.962000
三河国総計1,267383,413.4423001,292466,080.746800
三河国額田郡16243,258.32920016851,914.880350
三河国賀茂郡34764,522.71550034766,953.239700
三河国碧海郡12582,402.09710012996,999.709340
三河国幡豆郡13852,453.90800015170,047.589170
三河国宝飯郡10851,463.86120010857,482.798620
三河国設楽郡22827,055.35200022930,083.289080
三河国八名郡6521,549.0253006526,984.123000
三河国渥美郡9440,708.1540009565,615.117540
遠江国総計1,093328,651.4365801,094369,552.575180
遠江国榛原郡13846,517.58450014150,013.144290
遠江国城東郡11561,029.94341010869,036.653990
遠江国佐野郡9426,770.2773009429,157.595630
遠江国山名郡10137,532.61150010839,931.417220
遠江国周知郡9223,108.9840009425,074.530840
遠江国磐田郡11,042.71700011,042.717000
遠江国豊田郡25350,462.04263025954,455.891990
遠江国長上郡12325,721.61700012030,518.565680
遠江国麁玉郡51,400.94500052,491.601290
遠江国敷知郡12841,215.08624012149,063.076640
遠江国浜名郡21,079.95600021,267.403000
遠江国引佐郡4112,769.6720004117,499.977610
駿河国総計795237,937.407280780250,538.753090
駿河国志太郡12550,538.35333012654,391.493390
駿河国益津郡3211,847.7430003212,136.855300
駿河国有渡郡9836,001.8085509936,856.146150
駿河国安倍郡11719,855.47750012220,866.577730
駿河国庵原郡8121,771.7706008222,100.558100
駿河国富士郡16148,257.39130014851,536.759520
駿河国駿東郡18149,664.86300017152,650.362900
甲斐国総計849253,023.271030769312,159.329490
甲斐国山梨郡14669,707.60929014679,515.564200
甲斐国八代郡17961,374.54804018067,867.079490
甲斐国都留郡18819,681.10000010721,568.381500
甲斐国巨摩郡336102,260.013700336143,208.304300
伊豆国総計28583,791.28235028484,171.293620
伊豆国君沢郡6922,793.0349006922,904.626560
伊豆国田方郡7125,765.3910007125,839.911680
伊豆国加茂郡12830,628.87945012730,811.558880
伊豆国那賀郡174,603.977000174,615.196500
伊豆国伊豆国附諸嶋320.000000
相模国総計679258,216.582020永高1348貫801文671286,719.756890永高1346貫670文
相模国三浦郡7622,627.1120007824,501.660860
相模国鎌倉郡8927,645.145600永高1348貫801文8931,007.243250永高1346貫670文
相模国高座郡11847,128.75610011852,288.371000
相模国愛甲郡4720,596.0997504526,334.314820
相模国大住郡12364,424.02307011865,967.408400
相模国淘綾郡207,830.425100198,110.611560
相模国足柄下郡8425,904.4344008330,854.909000
相模国足柄上郡9530,249.6230009435,304.732800
相模国津久井県2711,810.9630002712,350.505200
武蔵国総計2,9511,167,862.9833903,0421,281,431.068820
武蔵国豊嶋郡11744,150.24939011448,850.729390
武蔵国荏原郡9832,086.0953009433,689.395660
武蔵国橘樹郡12451,944.29694012854,460.972600
武蔵国久良岐郡5316,301.8112505417,121.590960
武蔵国都筑郡7522,964.4051807627,625.565900
武蔵国多摩郡374122,142.995490403139,613.056790
武蔵国新座郡3112,247.0602003714,248.759120
武蔵国入間郡24374,599.885600261100,250.571220
武蔵国高麗郡10525,466.94365010527,485.482440
武蔵国秩父郡8229,952.7200008331,478.139900
武蔵国男衾郡358,022.140440369,311.752230
武蔵国大里郡4321,112.0737004623,648.419700
武蔵国比企郡15656,079.42410015861,348.774280
武蔵国横見郡4219,720.8250004520,553.968300
武蔵国足立郡432134,065.882470445149,435.660590
武蔵国葛飾郡269116,788.092920281119,628.871590
武蔵国埼玉郡421266,408.245100427283,630.873110
武蔵国幡羅郡5938,665.8872005939,623.301560
武蔵国榛沢郡8329,040.9679408132,132.306090
武蔵国那賀郡136,588.735900136,941.410100
武蔵国児玉郡6327,265.6106006327,652.553000
武蔵国賀美郡3312,248.6350203312,698.914290
安房国総計27293,886.21023028095,736.239070
安房国長狭郡6222,868.9406306223,000.026730
安房国朝夷郡6122,388.9636006222,660.437190
安房国平郡7325,931.2420007326,207.544350
安房国安房郡7622,697.0640008323,868.230800
上総国総計1,149391,113.9541101,194425,080.453410
上総国天羽郡7624,450.6449007724,527.427950
上総国周淮郡10624,246.17580010926,757.986980
上総国望陀郡19354,087.64276019459,935.734480
上総国市原郡18352,701.93158018456,273.210810
上総国夷隅郡15665,060.07920016969,222.310260
上総国埴生郡4917,092.2586104718,081.662710
上総国長柄郡12455,546.83180015162,613.545830
上総国山辺郡13046,979.42960013453,043.157920
上総国武射郡13250,948.95986012954,625.416470
下総国総計1,486568,331.1137401,623681,062.631660
下総国葛飾郡30997,626.153950340121,576.637030
下総国猿嶋郡6927,591.6940007445,830.467100
下総国結城郡4224,624.0929005135,082.435100
下総国豊田郡7739,303.3832008039,198.679300
下総国岡田郡2816,876.9078003923,003.471030
下総国相馬郡13455,250.71100014264,621.125530
下総国千葉郡12839,139.33608013743,423.836290
下総国印旛郡22261,568.29933026070,037.223250
下総国埴生郡5924,309.3413006325,750.313620
下総国香取郡286127,106.103850297148,245.912450
下総国匝瑳郡6330,167.9451106937,560.160990
下総国海上郡6924,767.1452207126,732.369970
常陸国総計1,677903,778.458000永高21貫000文1,7231,005,707.489030永高21貫000文
常陸国茨城郡303157,751.588000304175,012.579850
常陸国那珂郡143102,969.278000142116,809.580000
常陸国久慈郡170100,869.871000162108,768.322000
常陸国多賀郡8857,288.2900009263,777.313320
常陸国新治郡179104,103.493000179114,881.835710
常陸国真壁郡218125,341.177000永高21貫000文234133,508.768160永高21貫000文
常陸国筑波郡15871,975.94400017480,624.753980
常陸国信太郡8842,114.4040008944,944.276890
常陸国河内郡11754,092.54000013063,528.781810
常陸国行方郡8943,175.4870008954,223.147070
常陸国鹿嶋郡12444,096.38600012849,628.130240

註1) 史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』では天保の伊豆国附諸嶋として17村1湊2郷12嶋(無高)の総計32の地名の記載があるが、伊豆国の集計から除外した。

註2) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」によると
内閣文庫所蔵「元禄郷帳」の相模国石高集計に誤りがあり、郡別石高を計算集計してこの表の同国石高とした。
とあるが、史籍研究会『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』では元禄の相模国石高総計を25万8216石5斗8升2合2勺と記載しており、25万8216石5斗8升2合2才よりも0.00018石多い。

註3) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では元禄の相模国淘綾郡の石高を7830石4斗2升5合と集計しているが、これでは相模国の合計が一致しないため誤植(1勺が脱落)と判断した。史籍研究会『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』の記載に従い相模国淘綾郡の石高として7830石4斗2升5合1勺に修正した。

註4) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、天保の武蔵国村数を3412と集計しているが、誤読・計算間違いと判断した。史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』の記載に従い、天保の武蔵国村数として3042を採用した。
[80366] 2012年 3月 4日(日)05:33:21【2】YT さん
元禄郷帳(1)
以前、[76916][76917][76918][76919][76920][76921]にて史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』 汲古書院 (1981年)、史籍研究会 『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』 汲古書院 (1981年)記載の石高と近世絵図地図資料研究会編 『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳 : 解読篇(近世歴史資料集成第7期第1巻第3分冊)』 霞ケ関出版 (2010年)との村数、石高比較をしましたが、その後、むっくんさんの指摘により、[79622][79623]に示すように、史籍研究会本や国立公文書館のデジタルアーカイブに収録される際、『天保郷帳』の原本の一部が欠けたり別のところに挿入されるなどの問題が発生したことが判りました。

一方それ以前の江戸時代の郷帳である、『正保郷帳』や『元禄郷帳』記載の村数・石高については、例えば農商務省農務局 『第2次農務統計表』 (1881年)の石高があります。本落書き帳でも、過去に[59109]でokiさんがまとめてます。

年号西暦町数村数石高基礎資料
正保21645554595545923292668正保国絵図
元禄101695627916279127095466元禄郷帳
天保11829634726347230553440天保郷帳
明治61873697366973632555897郡村石高帳(宮内省租税寮)
明治6187311942688208076231017135府県概表(東京・有隣堂)
明治81975125936825980852日本全国戸籍表(内務省)
明治191986125375871971256地方行政区画総覧(内務省地理局)

(※この数値は、年次も含めて必ずしも正しいとは限りません。私が現時点で把握している数値というにすぎません。また明治になって町が出現するのは、村高がないため幕府の郷帳に記載されていなかった、城下町等を構成する町々が統計に表われてくるからです。江戸期の郷帳では城下町以外の町(新田、宿、浦など含め)も村の中に入っていますが、明治以降の町(これは町だけ)は、新田等を含む村と別扱いです。)

さて、日本史辞典等に収録されている江戸時代の旧国別石高の引用元として、菊地利夫 『新田開発』 至文堂(1963年)が挙げられ、正保2年、元禄10年、天保元年、明治6年の村数、石高が旧国別にまとめられています。『新田開発』記載の村数、石高は以下の通りで

年号西暦村数石高
正保2年1645年24,553,757
元禄10年1697年63,27625,867,392
天保元年1829年63,54030,558,917
明治6年1873年32,008,292

註によると
註(1)正保二年、元禄十年、天保元年の統計は「郡村石高帳」(東大史料編纂所)による。(2)明治六年は宮内省租税寮統計による。

一方、菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』 古今書院(1986年)では、一歩踏み込んで国郡別村数・石高がまとめられています。註によると

1.郷帳の総石高(村数)
 正保郷帳:2334万2672石(2万2399村・記載数のみ)
 元禄郷帳:2594万5712石(5万8796村)
 天保郷帳:3055万6770石(6万2084村)
 明治郷帳:3243万9434石(6万8858村)
2.正保郷帳に記載がない国高は慶長3年(太閤検地)の石高を参考のため総石高の中にしようした。
 上総国 37万8892石
 陸奥国(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)167万2806石
3.正保郷帳に村数が記載されていない国は15か国もあるが、内務省・地誌課の郡村石高帳の末尾に「村数五万五千百八十村」と記してある。

そこで東京大学史料編纂所で調べたところ、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』、『郡村石高帳』(共に手書き写本)という史料があることがわかり、閲覧しましたが・・、その結果どうやら菊地利夫氏は『正保・元禄・天保・明治村高比較表』や『郡村石高帳』だけで表を作成したわけではなく、他の文献を参考にしつつもそれらの出典を明記せず、斗以下の位を切り捨ててしまっていることが判りました。例えば地租改正直前の明治石高と町村数については、明らかに『郡村石高帳』以外の数字を混ぜています。菊地氏がまとめた石高と、東京大学史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は微妙に異なり、東京大学史料編纂所所蔵写本には石高や村数・町数に空欄があります。さらに『日本地誌提要』 (1875年)、『明治八年 共武政表』 (1875年)、木村礎校訂 『旧高旧領取調帳』 近藤出版社 (1969~1979年)に記載されている地租改正前の石高や村数・町数とも全部微妙に異なり、どれを基礎史料にするべきなのか、答えが出ません。

また正保郷帳に関しては、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には空欄が多々あります。これに関しては近い将来和泉清司 『近世前期郷村高と領主の国別データ : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』 岩田書院 (2008年)と菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の三点を用いて比較検討しようと思っています。

さて、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は元禄村数・石高、天保村数・石高についてはほぼ全て記載しております。表の作成者・作成年は不明ですが、墨の上から何者かによる鉛筆や朱書きによる修正が加えられています。菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』の石高は修正後のものを採用している場合がありますが、この修正はしばしば桁の読み間違い等に起因する計算間違いを堂々としており、最初に写本を作成した人のものがよっぽど信用できます。最後の頁に元禄、天保の総合計がまとまっており

総合計
 元禄
  村 六万弐千八百三拾壱 (横に修正:六万三千弐百七十六)
  高 弐千五百九拾壱万〇六百四拾壱、四壱八〇六 (横に修正:弐千五百八拾七万六千三百九拾弐、八四九弐六)
    永千三百六拾九、八〇壱

 天保
  村 六萬三千五百四拾
  高 三千五拾五万八千九百拾七、八四壱壱三九
    永千三百六拾七、六七

後から再計算をした何者かが修正した数字を書き込んでしまっていますが(元禄村数6万3276は『竹橋余筆別集』巻八「諸国村数書付」の記載を元に修正したと想像されます。なお同じ頁の直後には、江戸時代初期の大藩の人口変遷が記載されていることでも有名な書)、村数はともかくとして、石高の方に関しては修正前の方が原本のものに近いと思われます。

元禄郷帳に関しては大野瑞男 「国絵図・郷帳の国郡石高」 『白山史学』 (23号) 1-50頁 (1984年)という論文の中で国郡別村数・石高をまとめています。以下説明を引用すると:

正保郷帳が残されている国々では郡村別にその石高が判明するが、本稿ではこれを省略し、元禄郷帳高と天保郷帳高を国郡別に末尾に付表として紹介した。前述したように、天保郷帳は内閣文庫に全部残されているので、その石高は容易に知ることができるが、元禄郷帳は内閣文庫に一七カ国分しかなく、全国的にそれを知ることはできない。「六拾余州郡名村数高附記」や国立史料館所蔵「諸国郷帳」には国郡別に高の記載があるが若干の誤りがあり、「地方凡例録」巻之四下「日本国総石之事」は国別の石高が記されるが、これも誤りがある。そこで著者はこれらの史料の国郡別石高を計算等により詳細に検討し、現在一番正しいと思われる数字を付表に記した(28)。

(28) 内閣文庫所蔵「元禄郷帳」の相模国石高集計に誤りがあり、郡別石高を計算集計してこの表の同国石高とした。国立史料館所蔵元禄の「諸国郷帳」は大和を欠くが、郡別石高記載は、河内内交野、摂津兎原、陸奥名取・江刺・津軽、丹後与佐、但馬気多、美作英田、紀伊牟婁の各郡に誤りがあり、備後安那郡の石高記載を欠く。内閣文庫「六拾余州郡名村数高附記」の元禄郡別石高の誤りは、遠江山名・豊田、駿河志太、相模鎌倉・高座・大住・愛甲、武蔵男衾・足立、下総印旛、上野邑楽、出羽村上、丹後与佐・竹野、因幡智頭、伯耆日野、備後御調・沼隈、安芸沼田、豊後日田の各郡、村数の誤りは、山城葛野、河内讃良、相模足柄下、武蔵幡羅、備中国および後月、淡路津名、筑前鞍手、壱岐国の各国郡である。また「竹橋余筆別集」巻八「諸国村数書付」の国別村数は上総・陸奥・出羽・若狭・長門のそれが誤りである。「地方凡例録」の元禄・天保石高合計は天保の末尾九札を省略したのみで正しい。

そこで大野瑞男氏の論文を元に、元禄・天保郷帳記載の国郡別村数・石高をまとめてみました。

旧国名郡名村数元禄石高村数天保石高
畿内総計3,5621,555,484.7526503,6511,615,527.199925
山城国総計459224,257.788160477230,131.760865
山城国葛野郡7935,224.1118008135,446.999010
山城国愛宕郡7427,299.4350108127,333.996955
山城国宇治郡4415,396.5780005115,529.308290
山城国紀伊郡2926,496.6863503427,629.177220
山城国乙訓郡5026,341.7062005226,581.054210
山城国久世郡3926,478.5992004228,551.929260
山城国綴喜郡5230,107.6536005431,554.361100
山城国相楽郡9236,913.0180008237,504.934820
大和国総計1,405500,497.3086801,354501,361.691560
大和国添上郡13060,086.89398011459,131.251960
大和国添下郡6539,176.8090006440,360.993000
大和国平群郡7731,756.9329007632,013.967700
大和国山辺郡14448,825.50900011849,302.054100
大和国宇陀郡11231,442.54300011533,947.189100
大和国式上郡5724,649.1007005624,693.371700
大和国式下郡4027,227.8520004027,183.681000
大和国十市郡7837,392.5696007737,574.865100
大和国広瀬郡3218,580.5910003218,806.474000
大和国葛上郡6228,084.8490006224,562.222000
大和国葛下郡7842,949.9550007842,911.795000
大和国高市郡11141,408.00650011341,740.820900
大和国宇智郡6018,291.0470005918,520.477000
大和国忍海郡195,576.019000195,576.019000
大和国吉野郡34045,048.63100033145,036.510000
河内国総計511276,329.829540545293,786.634500
河内国茨田郡8137,824.1150008138,300.402000
河内国交野郡3922,768.6720003823,678.967800
河内国讃良郡3211,021.2295403415,369.614000
河内国河内郡2615,229.3500002916,077.050000
河内国若江郡5235,482.6420006140,197.137000
河内国高安郡145,705.779000145,983.594000
河内国渋川郡2521,808.4500003123,131.327300
河内国大県郡114,708.446000144,717.102000
河内国志紀郡1913,012.9620002213,516.655300
河内国丹北郡4125,259.5450004323,781.078000
河内国丹南郡4320,103.7160004922,567.589800
河内国八上郡1213,078.6030001213,071.953000
河内国古市郡157,263.449000167,290.764400
河内国安宿部郡42,384.97500052,584.879000
河内国石川郡4824,894.3710004825,167.527000
河内国錦部郡4915,783.5250004818,350.993900
和泉国総計317161,692.126400320172,847.986000
和泉国大鳥郡8346,266.4941008847,880.918200
和泉国泉郡8928,945.3513008931,077.962200
和泉国南郡6933,553.1210006737,289.234600
和泉国日根郡7652,927.1600007656,599.871000
摂津国総計870392,707.699870955417,399.127000
摂津国嶋上郡6132,738.3260006533,358.527600
摂津国嶋下郡9852,680.2942009956,801.122600
摂津国豊嶋郡8830,788.4320009331,754.987800
摂津国能勢郡3612,530.8320003612,663.819000
摂津国有馬郡8944,039.2730009045,863.202400
摂津国八部郡4418,465.6010004519,533.489500
摂津国兎原郡4912,331.6860005113,882.315000
摂津国武庫郡4820,409.8536705023,571.739300
摂津国川辺郡18864,116.69600019366,655.747700
摂津国西成郡8345,785.36400012253,032.160000
摂津国東成郡5735,772.5860006236,632.425000
摂津国住吉郡2923,048.7560004923,649.591100
[80347] 2012年 2月 28日(火)05:25:11YT さん
岩手県下之町村
[80346] 右左府 さん

『花巻市史 近代篇』のご紹介有難うございます。

とりあえず、
[80336]で私が書いた、
以上により、明治11年~明治13年の『共武政表』と明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』で「花巻」という名前の下に示される約400戸の輻輳地・市街は、実は町部分(藩政時代の四日町+一日市町)のみではないかと私は考えるに至りました。
は取り消しですね。花巻村と四日町、一日市町が分離していた時代、どうやら花巻村は幕末~明治維新でも十数戸レベルで、事実上無視できるサイズだったようです。

その代わり『都府名邑戸口表』記載の明治17年1月1日調人口は、花巻401戸1868人+北万丁目49戸302人+里川口896戸3679人+南万丁目112戸589人=1458戸6438人に大体対応することが示唆されます。ということは寛政3年(1791年)の町方4595人が三町に対応するとして、寛政4年(1792年)の町方5406人は、三町+里川口村+花巻村+南万丁目村+北万丁目村ぐらいに対応するのでしょう。

なお、近代デジタルライブラリーの『岩手県下之町村』(1925年)では、最初から花巻川口町扱いになっていました。

本村は元里川口と称せり、町村制実施の際南万丁目村並に高木村の内字(中川原の内瀬川筋嘉平治潤より北上川直径の零度以南限り)を併せ花巻川口町と称す。
[80339] 2012年 2月 26日(日)16:48:48【1】YT さん
江戸時代の花巻の人口について
江戸時代の花巻の人口について[80328]で言及した『花巻市史 近世篇二』(1982年)からの引用を紹介します。

『邦内郷村志』によると、花巻三町の人口は、川口町2685人、四日町702人、一日市543人、合計3930人とあります。この他組同心38戸、竈数71家とありますが、これだけでは武家人口は推定できません。

さて、江戸時代の盛岡藩の藩内の人口構成は、『雑書』という盛岡藩藩内史料に詳しく掲載されているそうです。私はその原本を読んだことがありませんが、高橋梵仙の『日本人口史之研究』(1955年)の方に掲載されている数字を多少加工してwikipediaの江戸時代の日本の人口統計の方にまとめました。「多少加工」というのは高橋梵仙氏の表自体に明らかな項目ズレという誤植があったり、男女合計や小計に不一致があったりするからです。本当は原本や、原本から作成した活字本を閲覧出来れば良いのですが。

上記表では「四町」と町人人口を纏めてしまいましたが、雑書原本の天和三年(1683年)の御領分切支丹によると

盛岡御町
一、壱万弐千三百弐十四人 内 男六千七百四十七人 女五千五百十七人
郡山御町
一、弐千百六十七人 内 男 千百三十壱人 女千三十六人
花巻御町
一、四千六百五十四人 内 男 弐千五百十六人 女弐千百三十八人
三戸御町
一、千四百九十壱人 内 男 八百弐十九人 女六百六十二人

という具合に盛岡藩内の四町の人口が紹介されています。ここで『岩手県史』からの記述を引用すると

天和三年(1683年)には花巻の町人が四千六百五十四人とある。その外花巻侍を百五十戸とし、一戸六人とすると九百人、足軽六十戸として三百六十人、合わせて五千九百十四人、その他を加えると六千人前後あったことが推考されよう。

とのことで、花巻城下に暮らす武家、寺社方人口は1400人程度と推定されています。

一方花巻の人口変遷は、高橋梵仙氏からの引用に従うと(天保5年の数字は『岩手県史』から)

元号西暦町方人口元号西暦町方人口元号西暦町方人口元号西暦町方人口
天和3年1683年4,654元文3年1738年6,364宝暦12年1762年4,987天明4年1784年4,517
貞享元年1684年4,611元文4年1739年6,365宝暦13年1763年4,035天明5年1785年4,565
元禄3年1690年4,842元文5年1740年6,268明和元年1764年4,079天明6年1786年4,548
元禄4年1691年4,821寛保元年1741年6,193明和2年1765年4,091天明7年1787年4,585
元禄6年1693年5,025寛保2年1742年5,881明和4年1767年4,353天明8年1788年4,568
元禄7年1694年5,339寛保3年1743年4,757明和5年1768年4,216寛政元年1789年4,598
元禄8年1695年5,417延享2年1745年4,894明和6年1769年4,126寛政2年1790年4,586
元禄9年1696年4,960延享3年1746年4,890明和7年1770年4,119寛政3年1791年4,595
元禄12年1699年5,188延享4年1747年4,780明和8年1771年4,126寛政4年1792年5,406
元禄13年1700年5,187寛延2年1749年4,592安永元年1772年4,152寛政5年1793年5,422
元禄14年1701年5,278寛延3年1750年4,547安永2年1773年4,138寛政6年1794年5,383
正徳元年1711年5,199宝暦元年1751年4,438安永3年1774年4,637寛政7年1795年5,399
正徳2年1712年5,261宝暦2年1752年4,513安永4年1775年4,539寛政8年1796年5,376
正徳3年1713年5,399宝暦3年1753年4,544安永5年1776年4,541寛政10年1798年5,393
享保3年1718年4,974宝暦5年1755年4,563安永6年1777年4,548享和3年1803年5,431
享保5年1720年5,055宝暦6年1756年4,753安永7年1778年4,523天保5年1835年4,622
享保12年1727年4,866宝暦7年1757年4,453安永8年1779年4,552天保10年1839年5,415
享保18年1733年4,857宝暦8年1758年3,691安永9年1780年4,544天保11年1840年5,401
享保19年1734年4,928宝暦9年1759年3,751天明元年1781年4,550
元文元年1736年4,921宝暦10年1760年3,811天明2年1782年4,561
元文2年1737年4,327宝暦11年1761年3,863天明3年1783年4,569

上の数字は近代以前の日本の都市人口統計にも掲載しましたが、男女別人口と合計が合わないところなどは加工しています。『岩手県史』、『花巻市史』にしても『雑書』に当たって数字をまとめていない(高橋梵仙→岩手県史→花巻市史の順に引用している)し、高橋氏自身、数字は知り合いからの紹介として解説しているので、誤植や計算間違いの真相は判りません。

ただ、『雑書』によると寛政年中の花巻の人口は約5400人で、『邦内郷村志』の4000人とは1400人の差があります。『岩手県史』の解説にある武家、寺社方推定人口約1400人がいい感じに当てはまりますが、そもそも『雑書』では武家、寺社方人口を別にカウントしています。『花巻市史』の方では解説していませんが、『雑書』が現住人口ベースの統計であることが関わっているのかも知れませんし、『邦内郷村志』の方が家持ちの人口しかカウントしていないせいなのかも知れません。でも一番ありえそうなのが、町の範囲が異なるせいでしょう。その差は花巻村と川口村(民戸合計21戸)だけでは説明がつかず、南万丁目村、北万丁目村等、かなり広い範囲も花巻に加算されているのでしょう。

『雑書』の人口に計外推定人口1400人(若干多過ぎる気もしますが)を合算することで、花巻の人口を計算さますと、花巻の人口は17世紀末順調に増え、1695年頃の元禄年中に6800人(町方5417人)に達しましたが、その後は人口減少に転じます。1738年~1742年の間は人口が1000人程急増していますが、おそらく町の範囲に変更があっただけと思われます。宝暦の大飢饉後に急激に人口が減少し、宝暦8年(1758年)には約4200人(町方3811人)と人口が底となります。宝暦12年(1762年)の突発的なプラス1000人を無視すると、18世紀末には花巻の人口は約6000人(町方約4600人)で安定しますが、寛政4年(1794年)以降、再び人口がプラス1300人となり、三町の外側まで加えた人口となったのでしょう。以降天保5年(1834年)を除き、三町の外側まで加えた地域が花巻人口として登録されています。『日本地詩提要』や『共武政表』の人口4426人は、天保11年(1840年)の人口5401年からマイナス1000人となっていますが、こちらは三町内だけの人口なのでしょう。

なお注意なければならないのは『雑書』の人口は信頼に欠ける点が残っています。『盛岡市史』の編纂に関わっている森嘉兵衛が指摘したように、宝暦の大飢饉以降、どうも盛岡藩は飢饉による人口減少の責を幕府から問われることを恐れ、人口データを集計段階で捏造したのではないかという疑いを持たれています。歴史人口学者の速水融も「近世日本の人口構造と変動」で指摘しているように、宝暦2年(1752年)以降総人口が約35万人で固定されており、しかも安永6年(1777年)から寛政2年(1790年)の間は1年を除いて性比が112.9に固定されており、「ある意味では、性比まで考慮するかなり高度の人口への知識を持った者の仕業とい言わざるを得ない」というわけです。

実は人口の捏造は盛岡藩だけでなく、長州藩も行っています。延享3年(1750年)の人口を幕府に報告する際、藩主の了解のもと郡レベルで配分して6000人の人口水増しを行ったことが『公儀事諸控』に記述されているそうです。長州藩の場合は藩の控えの人口史料と幕府への報告人口とに差がある年が他にもありますが、盛岡藩ほど極端な異常は見られません。
[80336] 2012年 2月 26日(日)02:13:57【3】YT さん
明治初期の稗貫郡内の市街・町村等の人口変遷、「花巻」も町部のみの可能性
第2回(明治11年、人口は明治12年1月1日調)と第3回(明治12年、人口は明治13年1月1日調)の『共武政表』における稗貫郡内の輻輳地の人口をチェックしました。

せっかくなので明治6年~明治22年の稗貫郡内の市街・町村等の人口変遷としてまとめておきます。

『日本地誌提要』 明治6年1月1日調本籍人口
名邑市坊戸数人口
花巻31,0274,426

『明治八年共武政表』 明治6年1月1日調本籍人口
輻輳地(千人以上)戸数人口
川口町1,0274,426
大迫村2191,100

『明治十一年共武政表』 明治12年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
下根子120618326292
里川口8313,4481,7731,675
花巻4011,709894815
八幡132707351356
好地161827425402
大迫3591,723922801

『明治十二年共武政表』 明治13年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
大迫駅3001,452766686
好地村内石鳥谷113575285290
八幡村47230117120
花巻駅3811,749901848
里川口村8233,4521,7931,659
下根子村321548173

『明治十三年共武政表』 明治14年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
大迫3071,483783700
石鳥谷117549278271
八幡51229103126
花巻3891,590806784
里川口8273,3721,7421,630
下根子1201497871

『都府名邑戸口表』 明治17年1月1日調本籍人口・現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
都府名邑本籍戸数本籍人口現住戸数現住人口
花巻1,4236,1521,4156,048

『地方行政区画便覧』 明治17年1月1日調本籍人口
戸長役場ノ所在地村数戸数口数村名
大迫村41,3087,418大迫村・亀ヶ森村・内川目村・外川目村
関口村87894,460関口村・八重畑村・滝田村・猪鼻村・五大堂村・
東中島村・新堀村・戸塚村
高木村57664,063高木村・東十二丁目村・矢沢村・高松村・幸田村
好地村96163,712好地村・北寺林村・大瀬川村・八幡村・中寺林村・
大興寺村・富沢村・松林寺村・長谷堂村
湯本村115393,031湯本村・二枚橋村・台村・北湯口村・糖塚村・
大畑村・南寺林村・金矢村・小瀬川村・椚目村・
狼沢村
東宮野目村135963,254東宮野目村・下似内村・北飯豊村・葛村・江曽村・
西中島村・黒沼村・小森林村・田力村・庫理村・
柏葉村・上似内村・西宮野目村
里川口村71,6537,472里川口村・南万丁目村・花巻村・北万丁目村・下根子村・
西十二丁目村・外台村
円万寺村119516,386円万寺村・膝立村・鍋倉村・湯口村・西晴山村・
上根子村・中根子村・下シ沢村・鉛村・豊沢村・
太田村

『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』 明治19年12月31日調本籍人口・現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
市街・町村公称町村数本籍戸数本籍人員現住戸数現住人員
大迫11,8133502911,701
川口16343,0356543,180
花巻13881,8294021,868
里川口17663,5277963,707
亀ヶ森村2531,4612441,443
内川目村4182,7533962,723
外川目村2341,5302131,523
新堀村2241,9273241,902
東十二町目村2121,0672121,067
太田村3382,4853382,454

『法令全書』 明治22年12月31日調現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
町村名現住人口市町村制施行時の合併
花巻町2,507花巻村・北万丁目村・高木村の一部
里川口町4,619里川口村・南万丁目村・高木村の一部
大迫町1,918大迫村
内川目村2,745内川目村
外川目村1,589外川目村
亀ヶ森村1,437亀ヶ森村
八重畑村2,437八重畑村・関口村・滝田村・猪鼻村・五大堂村・東中島村
新堀村2,223新堀村・戸塚村
矢沢村3,804矢沢村・高松村・幸田村・東十二丁目村・高木村の一部
好地村2,760好地村・北寺林村・大瀬川村・大興寺村・松林寺村・富沢村・長谷堂村
八幡村2,134八幡村・中寺林村・南寺林村・江曽村・西中島村・黒沼村・小森林村
湯本村2,965湯本村・北湯口村・大畑村・二枚橋村・台村・金矢村・小瀬川村・椚ノ目村・狼沢村・糖塚村
宮野目村2,759東宮野目村・西宮野目村・葛村・田力村・庫理村・柏葉村・上似内村・下似内村・北飯豊村
根子村1,539下根子村・西十二丁目村・外台村
湯口村4,453湯口村・円万寺村・鍋倉村・膝立村・西晴山村・上根子村・中根子村・鉛村・下シ沢村・豊沢村
太田村2,629太田村

こうやって並べてみると、藩政時代の花巻三町(河口町・四日町・一日市町)・里川口村・花巻村から、里川口村・花巻村への統合は、明治8年末~明治11年前半頃に行われたと推測されます。また[80328]で、
里川口と花巻の人口は4年後の明治17年1月1日調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』に比べると共に300人程少なく、つまり明治十年代の里川口・花巻はかなりの人口増加をしていることが明らかです。
などと書いてしまいましたが、明治12年~明治14年の間は花巻周辺の人口はむしろ減っていたようで、明治10年代前半は人口減少、明治10年代後半は人口増加など、人口の流出・流入が劇的に起こっていたようです。戸数の方(もしかしてこの場合は家数?)は大きな変化はありません。

なお明治17年の『都府名邑戸口表』の花巻の本籍人口1423戸6152人は、明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』 の里川口766戸3527人+花巻388戸1829人=1154戸5356人と比べても多すぎます。人口だけなら変動の範囲内ですが、戸数が200戸も違います。

以上により、明治11年~明治13年の『共武政表』と明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』で「花巻」という名前の下に示される約400戸の輻輳地・市街は、実は町部分(藩政時代の四日町+一日市町)のみではないかと私は考えるに至りました。明治19年の川口634戸3035人+花巻388戸1829人=1022戸4864人は、『日本地誌提要』・『共武政表』の明治6年の花巻/川口町の本籍人口1027戸4426人と(特に戸数が)良く対応しています。このことは同時に[80330]の白桃さんの考えが正解に近いことも示唆しますね。
[80334] 2012年 2月 25日(土)16:50:27YT さん
花巻川口村、里川口村
[80332] htmさん

これまでに言及していなかったのですが、実は「里川口町」が 『花巻市史』【近代篇?】においてどのように記載されているか気になっています。

ズバリお尋ねします。
明治22年の町村制で発足した自治体は、『花巻市史』にも「里川口町」と記されていたのでしょうか?

『花巻市史』を調べる気になったのは、その点も兼ねてでしたが、残念ながら自分がアクセスできる図書館に所蔵されていたのは、熊谷章一著『花巻市史』(1962年~1982年)の内、古代中世篇、近世篇:2、民俗篇、神社篇だけで、近世篇:1と近代篇は所蔵していませんでした。

しかしながら同じ著者熊谷章一による『花巻の歴史』(1958年)と『花巻のあゆみ : 花巻開町三百七十年祭記念』(1962年)の方では、いずれも明治22年の町村制発足の段階で「花巻川口村」が成立したかのように書いており、『花巻の歴史 近代篇』を取り寄せても同じようなことしか書いていないのではないかと予想されます。

一方及川雅義著、及川惇編 の『花巻の歴史 上下巻』(1983年)では、巻末の年表に里川口村の記述がありましたが、大正12年の根子村編入の段階で「里川口村」と記載しており、逆に花巻川口村の存在を無視しています。

戦後刊行された『岩手県史』は既に調べた方がいらっしゃるようですし、調査漏れも限られてしまっているようです。
[80328] 2012年 2月 24日(金)19:27:20【1】YT さん
花巻
[80327] hmt さん
市街名=町村名 であったとすると、考えられるのは、北岩手郡川口村【現在は岩手町】です。

実のところ、その可能性を念頭に置いていたのですが、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』には北岩手郡川口村(本籍438戸2576人、現住418戸2506人)の記載があるので、一応は違うと思われます。

ちなみに明治17年よりも前のデータを見ると、『日本地誌提要』では明治6年1月1日調の花巻の人口は3市坊1027戸4426人とあり、明治八年『共武政表』では、川口町1027戸4426人、大迫村219戸1100人の記載があります。『日本地誌提要』の3市坊からなる「花巻」と『共武政表』の川口町の人口が一致することから、両者は同じ市街の異なる通称であることが判ります。この時の花巻を構成する三町とは、川口町、一日市町、四日町のことなのか、それとも里川口村+花巻村+αのことなのかは判りません。

明治11年、明治12年の第二回、第三回『共武政表』に何と記載されているのかは、今手元にコピーがないので詳しく書けませんが、明治13年の第四回『共武政表』(人口は明治14年1月1日調)では、
町村戸数人口
大迫3077837001483
石鳥谷117278271549
八幡51103126229
花巻3898067841590
里川口827174216303372
下根子1207871149

とあり、里川口と花巻の人口は4年後の明治17年1月1日調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』に比べると共に300人程少なく、つまり明治十年代の里川口・花巻はかなりの人口増加をしていることが明らかです。よって人口の比較だけで明治6年の人口4426人の範囲(明治6年の3市坊)を判断するのは困難です。

参考までに『花巻市史 近世篇二』(1982年)を閲覧したところ、『邦内郷村志』という史料に寛政年中(1800年頃)の戸数が掲載されているそうです。リンク先の何巻に書かれているかまでの情報はありませんが、『花巻市史』での引用を引っ張ってくると

○川口村 又云里川口村
 民戸廿四軒 川口村不入市中戸数

○河口町 慶長頃北松斎初而云此坊中
     (中略)
 民戸六百四十八軒 二千六百八十五人(男千四百九十一人 女千百九十四人)
 組同心三十八戸 竈数七十一家 有定法故也

○花巻村
 村民戸七軒 此外入市中

○四日町 城下三町最初之市場也云。 昔名之四屋田屋五群居焉。北秀愛移之後立市町云々。
○一日市町 同処是従河口町後立云。
 民戸百三十九軒。組十九組 竈数十六 男百三十人 女二百十三人 一日市町
 民戸百七十九軒。組廿九 竈二十一 男三百八十九人 女三百十三人 四日町
   右民戸寛政初改

つまり江戸時代の時点では、花巻三町は四日町、河口町、一日市町から構成され、市中として扱われていない郷村としての花巻村、川口村(里川口村)が別にあったとになりますが、後者の戸数は併せて30戸ほどしかありません。あと「民戸」と断っているので、寺社や武家の戸数・人口が加算されていないのでしょう。『地方行政区画便覧』の段階では、おそらく河口町・川口村を併せて里川口村、四日町・一日市町・花巻村を併せて花巻村として扱ったようにみえます。明治一桁代の『日本地誌提要』や『共武政表』の段階では、まだ江戸時代の三町を引き摺り、町外の里川口村と花巻村の人口を除いているように見えます。

なお、『邦内郷村志』では、栃内村73軒、笹間村162軒、横志田村28軒、尻平川村5軒、轟木村105軒、太田村264軒、成田村73軒、十二丁目村73軒、外台村0軒、向下根村76軒、南万丁目村29軒、北万丁目村30軒、下根子村不明、上根子村146軒、西晴山村15軒、円満寺村49軒、膝立村22軒、湯口村115軒、鉛村15軒、下沢村24軒、豊沢川村17軒、鍋倉村71軒、下似内村18軒、上似内村46軒、東宮野目村33軒、庫裡村19軒、柏葉村30軒、田力村23軒、葛村107軒、小瀬川村44軒、椚木目村32軒、猿沢村37軒、金矢村15軒、台村25軒、湯本村65軒、大畑村37軒、二枚橋村3軒、北湯口村75軒、宮野目村49軒、糠塚村33軒、東十二丁目村170軒、高木村155軒、高松村128軒、矢沢村142軒、幸田村35軒となっています。

一軒平均10人程度なので、1800年頃の高木村は約1600人と意外と大きい村となっています。北万丁目村と南万丁目村は併せて600人程度ですが。
[80326] 2012年 2月 24日(金)11:43:44YT さん
訂正:川口は郡名が誤植?
[80323] 白桃さん

すみません。今日になって[80324][80325]の記事を読み返し、川口=湯口村の誤植には矛盾があることに気付きました。

明治19年末の川口(1町村)の本籍人口634戸3035人と太田村の本籍人口338戸2485人の合計972戸5520人を、明治17年始の円万寺外十ヶ村連合村の本籍人口951戸6386人と比較すると、本籍人口はともかくとして戸数が上回ってしまいます。

明治十年代は戸数と、世帯数・家数との混乱があるものの(公式には「戸数」=「世帯数」の筈だが、昭和以降には「世帯」という呼称が確立し、むしろ今では「戸数」=「家数」に戻る?)、戸数/人口比に目立った違いがないので、私が提唱した「川口は湯口村の誤記」の可能性は低いようです。

もっとも川口村は他にもあります。「郡名を誤植し、配置する場所も間違えた」という可能性が一番高いように思えてきました。
[80325] 2012年 2月 24日(金)04:12:43YT さん
高木村について
[80324]を書いた直後、花巻町、里川口町、矢沢村に分割された「高木村」の存在が気になり、旧高旧領取調帳データベースで稗貫郡の明治石高をチェックしましたが・・・高木村・湯口村双方の石高も余り高くないですね。まあ江戸時代に市街地の中心であったであろう里川口村の石高はもっと低いし、さすがに同一郡内であれば流通の範囲内なので石高自体は都市人口は当然ながら、農村人口の参考にはなりませんが。

石高が高いといえば、北万丁目村、南万丁目村、下根子村、上根子村も気になりますが、このうち北万丁目村、南万丁目村、下根子村(根子村1539人の一部)の人口は3000人以下は確実です(後述参照)。

石高
太田村3,999.164
新堀村3,161.787
花巻村1,713.702
北万丁目村1,565.941
下根子村1,429.763
上根子村1,424.331
鍋倉村1,393.238
南万丁目村1,272.402
矢沢村1,271.705
亀ヶ森村1,266.346
湯本村1,221.582
大瀬川村1,169.290
北湯口村1,168.740
八幡村1,141.654
高松村1,013.878
西十二丁目村1,002.933
東十二丁目村976.638
北寺林村958.070
八重畑村951.716
大興地村945.221
大畑村926.353
円万寺村911.671
南寺林村908.349
膝立村905.660
葛村876.181
五大堂村864.936
高木村829.167
中寺林村815.708
西宮野目村809.998
上似内村765.839
東宮野目村745.846
湯口村725.423
好地村715.087
滝田村663.654
中根子村660.675
関口村660.556
外川目村650.951
内川目村621.291
狼沢村599.962
椚目村575.152
糠塚村565.010
小瀬川村535.894
金矢村485.158
二枚橋村393.148
富沢村378.426
大迫村363.409
猪鼻村363.279
戸塚村363.214
黒沼村343.795
小森林村324.486
東中島村323.686
下似内村318.052
北飯豊村309.761
台村238.657
田力村231.422
柏葉村231.298
里川口村226.530
幸田村226.331
江曾村203.164
庫理村196.509
西晴山村150.133
西中島村142.631
外台村130.342
下シ沢村87.998
長谷堂村84.309
豊沢村74.338
松林寺村62.928
鉛村55.182


明治17年始の本籍人口は高木村+東十二丁目村+矢沢村+高松村+幸田村=4063人
この内東十二丁目村の明治19年末の本籍人口は1067人なので、
高木村+矢沢村+高松村+幸田村≒3000人 (本籍人口ベース)

よって矢沢村、高松村、幸田村の人口がそれぞれ100人レベルでないと
高木村=川口村≒3000人
は成立しないので、高木村=川口村の可能性はきわめて低いと思います。

なお、明治22年末の現住人口と、明治19年末の現住人口からは

花巻町-花巻村=北万丁目村+高木村の一部(I)≒750人 (現住人口ベース)
里川口町-里川口村=南万丁目村+高木村の一部(II)≒900人 (現住人口ベース)
矢沢村-東十二丁目村=矢沢村+高松村+幸田村+高木村の一部(III)≒2650人 (現住人口ベース)

なので、花巻町、里川口町に吸収された高木村の一部(I+II)の合計は約450人 (現住人口ベース)
北万丁目村(1565石)と南万丁目村(1272石)の合計は約1200人 (現住人口ベース)

と見積もれます。
[80324] 2012年 2月 24日(金)03:29:14【2】YT さん
川口は湯口の誤植の可能性
新年色々と忙しかったのですが、久々に書き込みます。

[80323] 白桃さん

「川口3,180人」はどこへ行ってしまったのでしょうか。川口が、里川口と花巻に「分割編入」されたというのであれば、なんとなく辻褄はあうのですが、そういうことが書かれているものも見あたりません。

これですが、私は「湯口」の誤植を疑います。

『地方行政区画便覧』には里川口村、南万丁目村、花巻村、北万丁目村、下根子村、西十二丁目村、外台村の七村で戸長役場を形成し、1653戸7472人が暮らしたとありますが、ここには川口村の名前はありません。なお『地方行政区画便覧』記載の人口は年次が定まっていませんが、稗貫郡の人口7218戸39796人が明治17年1月1日調の本籍人口と一致することから、七村合計7472人は明治17年1月1日調の人口であることがわかります。

戸長役場ノ所在地村数戸数口数備考
大迫村41,3087,418亀ヶ森村、内川目村、外川目村を含む
関口村87894,460八重畑村、新堀村を含む
高木村57664,063東十二丁目村、矢沢村を含む
好地村96163,712八幡村を含む
湯本村115393,031
東宮野目村135963,254西宮野目村を含む
里川口村71,6537,472花巻村、西十二丁目村を含む
円万寺村119516,386湯口村、太田村を含む
稗貫郡計687,21839,796

ちなみに同じ明治17年1月1日調の人口を記した『都府名邑戸口表』(1884年)によると、花巻の本籍人口は1423戸6152人、現住人口1415戸6048人となっています。

一方、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』記載の稗貫郡の市街・町村の明治19年12月31日調人口を書き出すと

市街・町村名本籍人員本籍戸数現住人員現住戸数
大迫(1村)1,8133501,701291
川口(1村)3,0356343,180654
花巻(1村)1,8293881,868402
里川口(1村)3,5277663,707796
亀ヶ森村1,4612531,443244
内川目村2,7534182,723396
外川目村1,5302341,523213
新堀村1,9272241,902324
東十二町目村1,0672121,067212
太田村2,4853382,454338

現住人口3180人の川口は1村からなる市街地とありますので、明治22年末の市町村制施行時の現住人口も3000人を超えていて当然なのですが、『法令全書』の明治22年末の人口と比較すると、合併後に該当し得る人口3000人以上の町村は里川口町、矢沢村、湯口村しかありません。

町村名現住人口市町村制施行時の合併
花巻町2,507花巻村, 北万丁目村, 高木村の一部
里川口町4,619里川口村, 南万丁目村, 高木村の一部
大迫町1,918大迫村
内川目村2,745内川目村
外川目村1,589外川目村
亀ヶ森村1,437亀ヶ森村
八重畑村2,437八重畑村, 関口村, 滝田村, 猪鼻村, 五大堂村, 東中島村
新堀村2,223新堀村, 戸塚村
矢沢村3,804矢沢村, 高松村, 幸田村, 東十二丁目村, 高木村の一部
好地村2,760稗貫郡 好地村, 北寺林村, 大瀬川村, 大興寺村, 松林寺村, 富沢村, 長谷堂村
八幡村2,134稗貫郡 八幡村, 中寺林村, 南寺林村, 江曽村, 西中島村, 黒沼村, 小森林村
湯本村2,965湯本村, 北湯口村, 大畑村, 二枚橋村, 台村, 金矢村, 小瀬川村, 椚ノ目村, 狼沢村, 糖塚村
宮野目村2,759東宮野目村, 西宮野目村, 葛村, 田力村, 庫理村, 柏葉村, 上似内村, 下似内村, 北飯豊村
根子村1,539下根子村, 西十二丁目村, 外台村
湯口村4,453湯口村, 円万寺村, 鍋倉村, 膝立村, 西晴山村, 上根子村, 中根子村, 鉛村, 下シ沢村, 豊沢村
太田村2,629太田村

里川口町は旧里川口村がメイン、矢沢村は明治19年末の東十二丁目村の人口1067人を減じると3000人未満、なので残るは湯口村ということになります。よって「川口」は「湯口」の誤植と私は判断しましたが、どうでしょうか?
[79623] 2011年 11月 12日(土)05:18:06【2】YT さん
天保郷帳からの新しい?発見
[79622]むっくんさん

天保郷帳の本来の原本においては、1頁に4村を記載するのが原則となっていたように見受けられます。とするならば、天保郷帳の編纂の過程、もしくは天保郷帳より天保郷帳(複製本)(編:史籍研究會、1984)を作成する過程で、中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村を記載した2頁分を挟む位置を誤った、と考えるのが妥当です。

天保郷帳の原本は、四村ずつ書いていたんですね。今になって気付いたのですが、現在は天保郷帳の中身を国立公文書館のデジタルアーカイブで見ることができるようです。同じ紙に表裏それぞれ四村ずつ書き記すため、頁綴じを間違える時は合計八村ずつ間違えてしまうようです。

出雲国郷帳の場合、神門郡の中で中来島村、上来島村、八神村、角井村の四村が表(25/74頁左)、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の四村が裏(26/74頁右)に記載されていますね(頁へのリンクの仕方が分からないので、とりあえず郷帳の表紙にリンクしておきます)。これら全てが本来なら飯石郡に入るべきものなのでしょう。

村名石高
中来嶋村1,594.562000
上来嶋村1,417.101000
八神村1,085.685000
角井村805.478000
長谷村701.090000
佐見村527.351000
和泉村1,385.685000
頓原村153.110000
合計7,670.062000

村数差8村石高差7,670.062石と見事に一致しました。

一方土佐国高岡郡の7,454.235石の方は、どうも国立公文書館の方では修正済みで、ちゃんと高岡郡から吾川郡へ移されています(71/142頁~72/142頁)。ここで16の村が2枚の紙ではなく、3枚の紙に渡って描かれていることから、国立公文書館で公開されている天保郷帳と、史籍研究會編の天保郷帳では、写本自体が異なることが分かります。【追記:後述のように両者は完全に同一の書類を撮影・印刷したり画像化したもので、「写本自体が異なる」というのは私の勘違いでした。】

村名石高
弘岡中ノ村1,470.395000
弘岡下ノ村1,585.227000
八田村1,058.820000
伊野村1,744.217000
賀田村175.083000
神ノ谷村239.551000
小野村121.875000
鹿敷村138.269000
勝賀瀬村119.459000
楠ノ瀬村62.783000
柳ノ瀬村150.413000
柏原村53.949000
上八川村214.407000
大窪村113.500000
野地村111.157000
寺野村95.130000
合計7,454.235000

村数差16村石高差7,454.235石と一致しました。

こうなってくると、国立公文書館で公開されている天保郷帳をチェックすると、伊那郡で欠けている8つの村が分かるかも知れません。そこで信濃国郷帳の伊那郡をチェックしたところ、61/211頁目の8つの村が、史籍研究會編『天保郷帳』に記載されていないことに気付きました。

村名石高
和知野村114.701000
千木村59.203000
小野村118.946000
早稲田村168.857000
小中尾村77.673000
田上吉田村152.144000
井戸村38.817000
帯川村10.160000
合計740.501000

村数差8村石高差740.501石と一致し、更に史籍研究會編『天保郷帳』から漏れた村の名前が今判明しました。

武蔵国上郷帳の場合、入間郡とされる150/190頁左~152/190頁右の部分が高麗郡所属16村です。

村名石高
向郷村36.490000
川崎村112.851000
下川崎村163.462650
平松村224.941000
根岸村236.420000
野田村481.076000
篠井村799.419400
岩澤村414.159500
佛子村239.796000
阿須村153.663000
落合村154.590000
岩渕村273.650000
前ヶ貫村114.347000
川寺村281.364000
笠縫村194.328000
双柳村445.625000
合計4,326.182550

再び村数差16村石高差4,326.18255石と一致しました。

残るは上野国利根郡から碓氷郡に誤って入っているであろう16村ですが、国立公文書館の天保郷帳では、すでに利根郡の109/164頁~110/164頁に収録されています。

村名石高
阿能川村36.686000
谷川村27.925000
鹿野沢村15.008000
吉本村3.634000
大穴村36.236000
幸知村11.822000
湯檜曾村9.279000
網子村30.719000
向山村3.977000
栗沢村18.094000
夜後村9.792000
藤原村339.023000
戸倉村91.556000
土出村220.328000
腰本村225.109000
東小川村277.213000
合計1,356.401000

村数差16村石高差1,356.401石と一致しました。

村数が一致していないのは、あと松前嶋(17村多い)と出羽国平鹿郡(2村多い)ですが、この辺は枝村の扱いの不一致などが原因でしょう。

【追記】 史籍研究會編の『天保郷帳』は、国立公文書館に所蔵されている内閣文庫の『天保郷帳』を撮影・収録したもので、現在国立公文書館のデジタルアーカイブで閲覧できる『天保郷帳』と完全に同じもののはずです。伊那郡の八郡が抜けたのは撮影・編者のミス、上野国利根郡の16村、土佐国吾川郡の8村の扱いが異なるのは、撮影・編者のミスなのか、後に気付いた人が並び替えたのかしたのでしょう。
[79620] 2011年 11月 11日(金)04:21:03【1】YT さん
奥羽民政取締時代、三戸県は存在しなかった?
[79607][79611][79614]の続きです。[79614]を書いてからまだ一日しか経っておりませんが、そこで書いた意見を180度変えた結論に達しました。つまり奥羽民政取締時代、「三戸県」は存在せず、「北奥県」こそが採用されていた県名であろうということです。結論を変えるに至ったのは、『三戸町通史』(1979年)、及び『三戸町史』「上巻」(1997年)を閲覧し、より確かな裏付けが得られたからです。

まず『三戸町通史』の記述です。おそらく平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)、『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)の記述は、この『三戸町通史』が典拠となっていると思われます。

 こうして三郡の取締は、明治二年二月八日津軽藩から黒羽藩へと移された。しかし実際には津軽藩では最初から家中の士を派遣した形跡はみられないという。津軽藩は現地に出張しないうちに黒羽藩と交代させられたようである。
 黒羽藩では、藩主大関美作守の片腕として家老の職にあった村上一学を派遣した。

     4 三戸代官所引継ぎと三戸御所役所時代

 村上一学を中心とする黒羽藩の一行は、明治二年四月七日に盛岡に到着、四月二十六日「三戸代官所」において、南部藩代表新渡戸伝と黒羽藩代表村上一学との間で引継ぎを完了した。
 黒羽取締となった三郡は、この時から一般に三戸県であると考えられていた。
 ところが、次のような布告が管内に出されている。
  是迄官所或ハ仮屋ト相唱候由之処、県名被仰出候迄、三戸御役所ト可称事
                    (『萬日記』明治二年四月二十六日の条)
  明治二年五月八日 野辺地代官所及びその支配地は黒羽藩へ引渡。県名未決定で、三戸御役所と称す。
                    (西村文書『海陸日記』)
 ちなみに、三戸境沢石井家文書『萬日記』の右条項筆者石井久右衛門は、当時三戸代官所御物書であり、南部藩側の一員として黒羽藩への引継ぎに立ち合っている。
 以上の事から黒羽藩へ引き渡された当初は県名が定まっておらず、単に「三戸御役所」という名称が用いられていた。

     5 北奥県

 北奥県は、黒羽藩が陸奥国三郡の取締にあたって設けられた県名であるが、いつから呼称されたかは判然としない。
 明治二年五月十八日付黒羽藩「藩治職制」には村上一学の役名として「北奥県権知事」とあるが、『新渡戸日誌』に北奥県の名が出てくるのは、明治二年六月十九日が始めてである。
 また蟹他町の『安田家文書』には、北奥県が巳六月(明治二年六月)に仙台屋彦兵衛にあてた次の公文書「申渡覚」がある。藩政時代安田家は野辺地で仙台屋彦兵衛と称して、船問屋を営んでおり、文書の内容は、従来どおり船問屋職を認めるというもの。
          本町
            船問屋
               彦兵衛江
      申 渡 覚
  廻船地役 船問屋 地船取締
  並 冥加金取立 其外総而是迄
  之通 其方江申付もの也
    巳六月
      北 奥 県 (印)
                    (『安田家文書』)
 これらのほか、諸史料から北奥県の呼称が明確化してくるのは、明治二年六月であるといえよう。
 しかし果たして中央政府が北奥県を認めていただろうか。明治二年八月設置された按察府という中央政府の役所では、この北奥県は認められているが、それまでは認められた形跡はないようであるという。
 ただし、北奥県の名は、太政官制による三戸県の明治二年九月十九日開庁まで続くことになる。

     6 三戸県の設置

 明治二年八月七日九戸県が建置され、その管轄範囲は北・三戸・二戸・九戸・鹿角の五郡と決定したが、同年九月十三日八戸県と改称、さらに同年九月十九日三戸県と改称された。この間実際は、九戸県も八戸県も開庁されていないし、八月十八日付黒羽藩取締が免ぜられ、村上一学は、改めて八戸県権知県事に任命も三戸にいて陸奥三郡の支配をしている。三戸県に改称と同時に村上一学は三戸県権知県事に任命、三戸県御役所が開庁され、太政官制に基づく県政を開始することになる。
 三戸大神宮所蔵の「三戸県役所新築記念奉納額」(明治三年季春)には黒羽藩出身の三戸県庁員の氏名が記されている。(三戸城温故館出陳)
 三戸県は公的には明治二年十一月二十八日廃され、江刺県に併合されるが、明治三年三月三戸県権知事源朝臣光雄(村上一学)名で交付した褒状が三戸町に現存する。

大分長い引用となりましたが、このようにきっちり元文献を挙げて考察しています。一部『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)と内容が被っていますが、本町船問屋彦兵衛への辞令は、『野辺地町史』では西村文書『海陸日記』からの引用となっているのに対し、『三戸町通史』では辞令を受け取った仙台屋彦兵衛こと安田家の『安田家文書』を元文献としており、後者の方が正しい引用をしております。

「三戸御役所」または「三戸県御役所」についても、もっと具体的なことが記述されています。『野辺地町史』では石井『万日記』から引用として「三戸御役所」と記述するなど、笹澤魯羊の著作である『田名部町誌』(1935年)と『下北半嶋史』の記述と微妙に異なる布告内容を記載しており、私は[79614]で疑念を表明しました。ところが『三戸町通史』によると、この布告文は南部藩の書記であった石井久右衛門が明治2年4月26日に書き記したものだとの、より具体的な説明があり、完全に同時期に記述されたものであることが明らかです。これに対し「三戸県御役所」を採用している『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)、『むつ市史』「近代編(明治・大正時代)」(1986年)などは、笹澤魯羊の著作である『田名部町誌』、『下北半嶋史』からの引用であり、「三戸県御役所」という言葉は事実上笹澤魯羊の著作が元文献ですが、「三戸県御役所」設置の申渡覚は5月と少し遅れており、オリジナルからのコピーであることが伺えます。なによりも笹澤魯羊本人は、何の文書を元にこの文を書き起こしたのか記していません。笹澤魯羊とは、明治中頃に生まれた地元の政治家で、これらの地方史を熱心に書いているのはいいのですが、如何せん、当時としてはこれでもよかったのですが、元文献が何なのかという点に注意を払って執筆していません。

『三戸町通史』は、「三戸御役所」のみならず、「三戸県御役所」の存在も明らかにしています。即ち三戸県成立の明治2年9月19日に、「三戸県御役所」が開庁したと記述しています。こうなってくると、ますます笹澤魯羊のソースを疑いたくなります。笹澤魯羊の記述に比べ、石井久右衛門『万日記』の方が内容が長く、引継ぎ当日の布告文として日記に記していることから、後者の方がよりオリジナルに近いと予測されます。笹澤魯羊の文書は一月のズレがあり、おそらく何度かの文書の写しをはさんでいます。ほんの数ヶ月後には「三戸県御役所」が成立し、それが一年間以上役所として機能していた事実があり、写本作成の仮定で「三戸県御役所」と上書きしてしまうような事態が起こっても不思議ではありません。

北奥県については、『三戸町史』(1997年)にも記述がありますが、ほぼ『三戸町通史』(1979年)と同じ内容なので省略します。ただ、三戸県が廃止されたあとも「元三戸県」という官庁名が存続したことが指摘されています。『野辺地町史』と内容が被っていますが、より詳しい考察が書かれているので以下引用します。

 石崎宜雄教授(弘前大学教育学部)は、元三戸県が斗南藩と併存した固有の官庁名であると指摘している。
 『元三戸県について考察する』から要点を紹介してみる。
 元三戸県は、明治三年四月十八日、三戸県から斗南藩へ事務引継ぎが行われたあと、その残務整理のために暫定的に残された官庁であり、もともと、明治二年十一月三日、表むきには陸奥国において三万石支配を命ぜられ、斗南藩と名のるに至った松平容大が、年をあけてようやく明治三年五月十五日に至って、「斗南藩知事」に任命されるという不測の事態の結果、三戸県は事実上残存せざるを得ない破目におちいり、明治三年四月に至ってようやく、事実引継ぎに至るまで漕ぎつけることができたというなかから出て来る稀有の現象でもあったのである。
 太田家文書(五戸町大字手倉橋)御廻状御沙汰書写帳の中から、はっきり「元三戸県」と表示され、官庁印までも押捺した文書が発見された。
(内容省略)
 午とは庚午、明治三年のことであるがその四月十八日に、三戸県と松平家の間において、三戸・二戸・北郡の内から三万石の引渡しが完了したことを告げる公文書であるが、その後書に
「是迄取残御用之儀元三戸県ニ而万端取扱候条、為心得相達候。且村之社寺向江も可相達候事」といい、「元三戸県」という表示のもとに指示している。
 その意味で「元三戸県」とは、元の三戸県ではなく、固有の官庁名であるということが明らかになった。
    (中 略)
 明治三年四月十八日に「引渡済」とはいっても、それは単に書類の上のことであったろうし、斗南藩も藩として責任ある姿勢を打ち出しうるようなものではなかったはずである。三戸県から元三戸県へ、三戸県は元三戸県と呼称をかえつつ、「是迄取残御用之儀」といいつつ、万端にわたってとりあつかっていかなくてはならなかったものがあったのである。その点明治三年五月十五日の松平容大斗南藩知事はまさに可能なかぎりでの早期発令とみるべきである。

以上、時系列をまとめると以下の通りです。

日時(旧暦)出来事引用元
明治2年2月8日黒藩藩、陸奥国北郡・三戸郡(内八戸藩領を除く)・二戸郡の民政取締を拝命
明治2年3月29日黒羽藩取締地の県名確定まで「北奥県」と仮称黒羽藩史資料(『野辺地町史』引用)
明治2年4月26日三戸代官所において引継ぎ
上と同日三戸代官所に三戸御役所を設置万日記(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)
明治2年5月8日県名未定につき三戸御役所と呼称海陸日記(『三戸町通史』等で引用)
明治2年5月三戸代官所に三戸県御役所を設置笹澤魯羊「田名部町誌」「下北半嶋史」
上と同月7ヶ条の「県治要領」を布告笹澤魯羊「田名部町誌」「下北半嶋史」
(『岩手県史』『むつ市史』『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』等でも引用)
明治2年5月18日「北奥県権知事」の記述黒羽藩「藩治職制」(『三戸町通史』等で引用)
明治2年5月28日七戸藩の分離・成立
明治2年6月彦兵衛への辞令安田家文書(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)
明治2年6月19日「北奥県」の記述新渡戸日誌(『三戸町通史』等で引用)
明治2年8月7日県設置布告により九戸県を設置
明治2年8月18日黒羽藩取締地の廃止
明治2年9月13日九戸県を八戸県と改称
明治2年9月19日八戸県を三戸県と改称、三戸県御役所を設置
明治2年11月黒羽藩取締地を廃し三戸県御役所を設置する布告久慈毅一郎文書(『岩手県史』引用)
明治2年11月3日斗南藩の分離・成立
明治2年11月28日三戸県を廃し、江刺県に併合
明治3年4月18日旧三戸県の業務を斗南藩に引継ぎ(但し旧三戸県は暫く存続)太田家文書(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)

こうまとめてみると逆に浮いてくるのが、笹澤魯羊が記述する「三戸県御役所」だけです。おそらく写本作成の際に「三戸御役所」と、5ヶ月後に改めて設置された「三戸県御役所」を混合したのでしょう。しかしこれが『岩手県史』などに引用されてしまいます。

一方『北奥県』の成立時期ですが、黒羽藩が仮の名を定めた明治2年3月29日で問題ないと思われます。『三戸町通史』等は6月を正式に定まった時期として想定しているようですが、5月18日には黒羽藩の藩政史料に「北奥県権知事」の記載があるようですし、なし崩し的に仮称が採用されたというのが実態でしょうから。

なお『黒羽藩史資料』其二、其三も閲覧しましたが、内容は慶応4年(明治元年)4月始~12月末までの黒田藩の公的な従軍日誌の手書きの写本で、該当する部分は記載されていませんでした。
【重複除去、年表修正等】
[79614] 2011年 11月 10日(木)03:59:24【1】YT さん
三戸県→北奥県 か 北奥県→三戸県 か
[79607][79611]の続きです。

『田名部町誌』(1935年)の増補版(1937年)、『むつ市史』「近代編(明治・大正時代)」(1986年)、笹澤魯羊著『下北半嶋史』(1952年)の改定四版(1966年)、『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)における北奥県・三戸県の記述をまとめます。

まず[79606]に記した『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)からの引用と被りますが、『田名部町誌』では以下のように記述されています(旧字体は新字体に変換)。

依て明治二年二月九日更めて、上野国黒羽城主大関美作守へ、新に右三郡の取締を命ぜられた。同年四月廿六日、三戸に於て南部藩代表新渡戸伝氏と、黒羽藩権知県事村上一学氏等との間に、北郡の引渡手続を了した。三戸代官跡に、黒羽藩の役所を置きて、三戸県と唱ひ、三戸県御役所と称した。

          検断 宿老 老名 肝入
      申 渡 覚
今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属大関美作守え御取締被仰付、権知県事支配と成候間今後天領と可相心得、此旨村々老名小前末末迄不洩様可申聞候
 猶其方共始め是迄領主より役筋申付置候分、如貫更に役儀申付候間弥以精勤可相励者也
  五月
是迄官所或は仮屋と相唱候由之処、県名被仰付候得者三戸県御役所と可称事

  五月
 田名部新町の南入り口と、柳町の北入り口との二ヶ所へ檜の標柱を建てた。標柱は七寸角総丈け一丈五尺にして、根本三尺を土入として、表面に「御領 大関美作守取締所」右側面に「陸奥国北郡田名部駅」と認めてあつた。

 (7ヶ条の覚を省略)

 明治二年五月十二日、黒羽藩、役人初めて田名部へ到着した。検断への申付に「其処有合之品にて取賄馳走ヶ間敷儀一切差出申間敷事、相成者宿茂壱軒に取計可申事」とある。同年七月七日、支配地観察のために権知県事村上一学氏以下十人到着した。田名部には調役大属高梨伴右衛門、戸上史生の両氏が在勤した。役向取扱上の達示が出て居る。

『下北半嶋史』もほぼ似たような記述ですが、申渡覚に年号が入っている点が微妙に違うので、別個書き出します。『むつ市史』の方は、『下北半嶋史』の記述を引用しています。

(前略)、明治二年二月九日、更めて上野国黒羽城主大関美作守(栃木県那須郡黒羽町)が取締を命ぜられた。同年四月二十六日三戸代官所にて、南部藩代表の新渡戸伝と、黒羽藩代表との間に、引継手続きを終わって、三戸代官所跡に開庁して三戸県と唱えた。田名部の検断、宿老、老名、肝入一統に対して、次の通り申渡された。
      申 渡 覚
今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属大関美作守え御取締被仰付、権知県事支配と成候間、今後天領と可相心得、此旨村々老名小前末末迄、不洩様可申聞候
 猶其方共始め是迄領主より役筋申付置候分、如貫更に役儀申付候間、弥以精勤可相励者也
   巳五月(明治二年)
是迄官所或は仮屋と相唱候由之処、県名被仰付候得者、三戸県御役所と可称事

以上、『田名部町誌』、『下北半嶋史』、『むつ市史』及び『岩手県史』([79611])はすべて「三戸県」のみを記載し「北奥県」について何も触れていません。一方、平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)、『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)よりも後に出版されている『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)では、むしろ「北奥県」しか取り上げていません。

 ともあれ、旧盛岡藩領は没収され政府直轄領となった。その北奥の地が津軽取締となて、廃藩置県に至るまでは変遷めまぐるしい。概括のために現上北・下北郡域でまとめると次のようになる。
明治元年(一八六八)
 一〇月一〇日、秋田・弘前藩、盛岡城請取に入城(盛岡藩領は政府直轄地となる)
 一二月 七日、南部信民、高一万意思をもって家名相続を許される。
 一二月一七日、弘前藩に陸奥国北郡・三戸郡(内八戸藩領を除く)・二戸郡の取締を命ずる。
明治二年(一八六九)
  一月二八日、南部信方、北郡七戸通外に一万石を与えられる。
  二月 八日、弘前藩取締御免、黒羽藩に右三郡の取締を命ずる。
  三月二九日、黒羽藩取締地の県名確定まで、「北奥県」と称する。
  四月二六日、三戸代官所において、旧盛岡藩領内の黒羽藩取締地への引き継ぎをする。
  五月二八日、南部信方、領地朱印状高一万石余を交付される(七戸藩の成立)。
  八月一〇日、黒羽藩取締地より、七戸藩一万石余を請取る。
  八月一八日、黒羽藩取締地を「九戸県」とする。
  九月一九日、九戸県を「三戸県」と改称する。
 一一月 三日、松平慶三郎、陸奥国の内に三万石を与えられる(斗南藩の成立)。
明治三年(一八七〇)
  一月――日、斗南藩、三戸県の内、北軍田名部通・野辺地通、三戸郡五戸通・三戸通(七戸・八戸藩を除く)を請け取る。
明治四年(一八七一)
  七月一四日、廃藩置県により「斗南県」「七戸県」となる。

このように最初から一環して「北奥県」であったとの記述となっています。

 黒羽藩は現栃木県にある藩であったから、南部彦太郎旧領の請取のための陣容をそろえて出立したのは、三月十二日であった。その間、県名は「北奥県、確定ノ県名ニアラズ、今マ姑ラクノ旧文ヲ存ス」(黒羽藩史資料)こととした。

ここに来て『黒羽藩史資料』という一次史料に、当初「北奥県」という仮称が黒羽藩内で提唱されたという記述があることが分かりました。

 四月二十六日、三戸代官所において引き継ぎが行われた。
 北奥県役員は、
  権知県事  村上一学
  権判県事  風間六之丞 小山勘解由
  調  役  小山権四郎 那須真小一 高梨伴右衛門(以下略)
であった。そして、次のような「達」が出され、ここに「北奥県」による取締が始まった。

   今般三戸官処付之村々、天朝御料ニ被属、大関美作守江御取締被仰付、権知県事支配たる間、今後天領ニ可相心得、此ノ旨村々老名・小前末末迄、不洩様可申聞セ候。猶、其ノ方共始メ是迄従領主役筋申付ケ置キ候分、如旧慣更ニ役儀申付ケ候。弥以テ精勤可相励もの也。
   付、此ノ度御一新御趣意申渡ス義茂有之候得共、三郡御引請之上追而可相達候。是迄官所或ハ仮屋と相唱候由之処、県名被仰出候迄、「三戸御役所」と可称事。(石井「万日記」)

石井「万日記」からの引用とされる布告の内容は『田名部町誌』、『下北半嶋史』、『むつ市史』及び『岩手県史』([79611])記載の布告と一部違いますが、何より大きな違いは「三戸県御役所」と書かず、「三戸御役所」と書いている点です。これは原資料の違いのせいなのか、それとも意図的なものなのか、よく分かりません。ただ石井「万日記」の記述を採用すると、「三戸県」という呼称の根拠がなくなります。

 北奥県役人が野辺地を通行したのは五月八日で、田名部に出張所を置いたのが十二日。野辺地は、この田名部出張所管内にあったと考えられ、権判県事―小山勘解由が責任者である。
 「西村家文書」には「北奥県分局野辺地御役所」と記されているから、これが代官所に代わる役所となったのだろう。そして、次に見られるような「覚」が出されている。
             本町船問屋 彦兵衛江
     申渡覚
  廻船地役 船問屋 地船取締並冥加金取立 其ノ外総而 是迄之通 其方江申付もの也
     巳六月  北奥県 (陸奥国黒羽役所)
                  (西村家「海陸日誌」)

このように明治2年旧暦6月頃に野辺地の分局に勤めていた西村家の何某により、北奥県の辞令が船問屋に出されています。『野辺地町史』にはこの原文のコピーが「北奥県辞令」という題とともに掲載されていますが、「北奥縣」「巳六月」「御役所」という手書きのサインで〆られ、「役」の漢字の上に「陸奥国黒羽役所」という字が細かく入った丸いハンコが押されているようです。ただ、「縣印」は押されておりません。平凡社『日本歴史地名大系』の
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。
の根拠はこの西村家の「海陸日誌」(に挟んであった辞令の写し?)でしょう。

 ところが八月十日、七戸藩一万石余が成立。黒羽藩取締地「北奥県」のうちから、七戸通の格村々と五戸通十三カ村が七戸藩領となった。黒羽藩取締地は南北に分断されたことになって、これが後の斗南藩に甚大な影響を与えることになる。
 取締区域の変更によるのだろう。八月十九日、「今般、九戸県支配ニ被仰付候間、知県事着県次第同県ヘ引渡可申事。九戸県、今般改テ新県被建置候事」(太政官日誌)。正式名称が「九戸県」に決まったが、名称に齟齬があったとみられ、九月十九日、「三戸県」と改められる(この間「八戸県」改称があるが、これは疑問である)。
 この三戸県も、松平慶三郎に三万石が与えられることになる。十一月二十九日、「三戸県、今般其ノ県被廃江刺県ヘ合県被仰付候事」(太政官日誌)で、あっけなく消滅したが、実際として、会津藩士が移住してくる明治三年二月頃までは「三戸県」名が使用されている。
(中略)
 窮民の救済に「三戸県御役所」が立ち上がったことを証する文書がないばかりか、諸記録にすら痕跡をとどめていない。わずかに町の篤志家が穀物を提供した記録が残るのみである。
(中略)
 会津藩に新藩の設置が許されたのが明治二年十一月三日、これがようやく三戸に達したのは翌年の二月六日(石井『万日記』)。そして、引き継ぎが行われたのが四月十八日であることが、次の達で知られる。
   兼而相達シ置キ候通、松平家、三戸・北郡、二戸郡之内高三万石、今十八日引渡シ相済ミ候条、此ノ段、小前末々迄無漏早々可相触者也
    但シ是迄取残シ御用之儀、元三戸県ニ而万端取扱ヒ候条、為心得相達候。且村之社寺江も可相達候事。
         午四月十八日       元三戸県御役所 在判
(手倉橋・太田文書『近代化のなかの青森県』所収)

三戸県成立後は、全部わざわざ「三戸「県」御役所」と書き記していますが、それだけに石井『万日記』の「三戸御役所」表記が浮きます。現時点での自分の判断は以下の通りです。

明治2年旧暦2月8日 黒羽藩は弘前藩民政取締地を継承、「北奥県」を仮称(『黒羽藩史資料』による)。
明治2年旧暦4月26日 事務引き継ぎ、「三戸県」と呼称(『田名部町誌』他による、ただし一次史料名の記載なし)。
   ただし野辺地分所では「北奥県」の呼称を使用し続けたため、旧暦6月付の「北奥県」の辞令が残った(西村家『海陸日誌』による)。

つまり三戸県→北奥県ではなく、どちらかというと北奥県→三戸県ではないかと思います。黒羽藩取締地の役所の置かれた田名部町、むつ市の地方史では三戸県が優先して使われているようですし。

【追記】 読み返したところ、『田名部町誌』と『下北半嶋史』の著者は、同じ笹澤魯羊でした。よって『むつ市史』を含め、全て地元むつ市に保管されている史料を使って書いたと思われます。
[79611] 2011年 11月 8日(火)03:10:13【3】YT さん
『岩手県史』における羽黒藩取締下の三戸県の記述
[79607]の続きです。

『角川日本地名大辞典』と『岩手県史』における北奥県・三戸県の記述をまとめます。

まず『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)による「北奥県」の記載は以下の通りで、平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)とほぼ同じ資料に基づいて書いたと推測されます。

この黒羽藩取締は,はじめ単に三戸御役所などと称されるだけであったが,やがて北奥県と県名を称するようになった。県名の由来は,陸奥国の盛岡以外に通称名である北奥にちなむものであろう。

平凡社の『日本歴史地名大系』と『角川日本地名大辞典』はほぼ同時期に出版されていますが、青森県に関しては平凡社の方が先に出ており、もしかしたら平凡社版の記述をそのまま持ってきたのかも知れません。

一方『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)の方は、「第二章 直轄期」のために272頁~397頁を割いており、「第三節 三戸県治」は、323頁~335頁まで記載があります。以下県名等と関りのありそうな文章を抜粋します。

 官においては、これによって明治二年二月八日、津軽越中守の取締りを免じて、その跡役に黒羽藩主(下野)である大関美作守(増勤)を任命し、取締りを交替させた。そこで黒羽藩においては、藩士の中から民政に長じた村上一学(光雄)以下を選抜し、現地に派遣して、その事務に従わさせた。
 村上一学は、明治二年四月七日盛岡に到着し、同十三日盛岡において、南部家側から一先づ諸帳簿類の引渡しを受け、同十六日現地に向けて出発し、四月二十六日、三戸御代官所において、正式に三郡の事務を引継ぎ、目録を交換している。

この辺の引継ぎの史料として、『出陣日記附録』、『南部家記録』、『太素日誌』、『野田日記』からの引用を挙げています。

     四 庁舎の設置と新旧役員

 明治二年四月二十六日、三戸代官所において、陸奥三郡の事務を引継いだ村上権知県事は、三戸代官所跡を治所とし、その管轄を三戸県と称して見治を行ない、庁舎を三戸県御役所と称したが、同五月には、北郡田名部通り代官所から、このことについて「申渡し」がおこなわれている。
 その趣意は、今度天領となり、大関美作守の取締りに属して権知県事の支配になったから、肝入・宿老・検所三役をはじめ末端の百姓までよく徹底するように。なお村役等はいままでどおり任命するし、また従来代官所のことを官所とか仮屋と唱えて来たが、県名がつけられたことであるから「三戸県御役所」と称するようにとのことであった。

中略

申渡覚

今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属、大関美作守ヘ御取締被仰付、権知県事支配ト成候間、今後、天領ト可相心得
此旨村々老名小前末末迄不漏様可申聞候。
 猶其方共初メ是迄領主ヨリ役筋申付置候分、如貫更ニ役儀申付候間、弥次精勤可相励者也。
  五月
是迄官所ハ仮屋ト相唱候由之処、県名被仰付候得者、三戸県御役所ト可称事。
  五月               『田名部町誌』より

中略

     五 三戸県の廃合

 明治二年八月、九戸県が置かれ、黒羽藩取締りの三戸県は解体された。しかもこの九戸県は、置県後四十幾日にして八戸県(三戸県)と再度県名をあらため、九月十九日には三度三戸県と改称し、また村上一学(光雄)は、九月十三日同県の権知事に任ぜられた。
 従って知事以下の諸官員は、おおむね黒羽藩士がそのまま新しい三戸県の官吏に就任している者が多い。これが四転して、三戸県が江刺県に合わせられた時にも、黒羽藩士が江刺県官吏として、少なからず出仕している。
 新しい三戸県は、陸奥国の二戸郡・三戸郡・北郡と、陸中国の鹿角郡と九戸郡を管轄におさめ、これを支配することになり、その治所を「三戸県御役所」と称し、いろいろな願書や伺い書や届け書などを受付けすることになった。そして肝入・宿老・検断などの村方役も、前々の通りそのまま役目を継続させられている。

            九戸郡野田北野守 久慈吉野右衛門
                     烏谷 孫右衛門

是迄黒羽藩取締之場被免、今般改而三戸県被置、別紙写之通拝命、且陸奥国・二戸郡・三戸郡・北郡、陸中国・鹿角郡・九戸郡・管轄被命、依之已以来可為支配事。
一、以来三戸県御役所ト相称シ、諸願伺届宛右同断可相認事。
一、其方共、後モ如旧慣申付候条、弥以精勤可相勤事。
   附 御一新以来御趣意可申渡儀有之御役共近々其地出張之上可相達候事。

右之通扱中、小前末々迄無脱漏可申聞者也。
 明治ニ巳年十一月            三戸県御役所
              九戸郡侍浜 久慈毅一郎文書、森氏筆者本による

まあこのぐらいで、後は北奥県に関する記述はありません。

一方今日、『青森縣史』(1926年)の方を読んできましたが、色々とがっかりする内容でした。『青森縣史』は「通史」としてまとまっておらず、全ての項目が「年表」の形で羅列されていました。しかも第2~3巻 藩政時代(津軽篇)、第4~6巻 藩政時代(南部篇)と分かれており、明治初期の内容は第3巻と第5、6巻に分かれているのですが、内容はもっぱら藩の政治や人事で、他藩取締期に関する記述はほとんど見当たりませんでした。

2001年より新しい『青森県史』の執筆が始まったようですが、まだ資料編しか出ていないようです。『青森県史』「資料編 近現代 1 近代成立期の青森県」が該当しそうですが、中身は見ていません。

北奥県の元記述にあたれるとすれば、あとは『岩手県史』が引用している『田名部町誌』(1935年)ぐらいでしょうが、nacsis webcatに登録されている所蔵図書館は弘前大学だけで、閲覧が困難です。増補再版(2版)(1937年)や3版(1939年)も、内容が同じなら、なんとか閲覧できる目処は立ちますが。
[79607] 2011年 11月 6日(日)15:45:32YT さん
北奥県、奥羽民政取締地、大名預所の変遷の謎
[79604] hmtさん

[75939]の末尾付近では“これらの「県」の性格は よくわかりません。”と書いたのですが、改めて考え直してみた結果、“正式なもの”の意味次第ではあるが、否定的な結論に傾いています。

貴重な意見ありがとうございます。

昨日『角川地名大辞典』の各巻の附録に含まれている府藩県変遷図を見比べ直しましたが、確かに『宮城県』の巻では涌谷県、栗原県という県名をわざわざ書き加えていますが、『青森県』『岩手県』『福島県』の巻では、花巻県、伊沢県、桑折県等の県名を変遷図から外しています。これらの県は法的には同格のはずですが、『角川地名大辞典』では各巻毎に編集者の意見が異なるのか、ばらばらの対応をしていることになります。『角川地名大辞典』で採用されているからといって、正式な県と考えるのは妥当ではないかも知れないことになりますね。

登米県に関する宮城県の行政区画の変遷の図は、多分日付等が若干間違っています。

地方沿革略譜 では置県2年8月7日となっていますが、先にリンクしたように太政官布告は8月18日です。このような食い違いは多々あります。

宮城県の行政区画の変遷の図で間違っていると感じたのは、置県の日付の方ではなくて、涌谷県を完全に併合したのが9月28日となっている点です。9月28日は石巻県を合併した日であり、涌谷県は8月中旬段階では廃止されている筈なので、変遷表の作成者がミスしたのでしょう。


平凡社の日本歴史地名大系2青森県のp.16下に次のように記されています。(p.36、p.42も言及あり)
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。しかしまもなく 8月18日に各藩に取締を命じていた地域に正式の県を置くことになり、新たに九戸県が設定されて、それに包括された。

一昨日、『岩手県史』<第6巻・近代編1>の記述を確認したところ、コピーを取らなかったので正確には記憶しておりませんが、奥羽民政取締時代のためにわざわざ独立の章を設けていました。50頁ぐらいに渡り、三戸県、花巻県等の県政(それぞれ節の名称にしている)をまとめており、斜め読みする限り黒羽藩民政取締時代の項目に「北奥県」の名前を確認できませんでした。

しかしながらhmtさんの書き込みを読み、昨日晩に慌てて図書館に駆け込んで平凡社の『日本歴史地名体系』「青森県」の巻を確認したところ、確かに近代以降の概説内で北奥県について書いてます。しかしながら『日本歴史地名体系』「岩手県」の巻の方では、北奥県については特に触れられていないようです。少し残念なのは『日本歴史地名体系』「青森県」では、何の文献を元にこの文章を書き下したのかが書いてなかった点です。

一方同時に『角川地名大辞典』を読んだところ、こちらも「岩手県」の巻では特に「北奥県」に触れていませんが、「青森県」の巻の「北奥県」の項目を読んだところ、同じ人が執筆したのではないかと錯覚するぐらい、ほぼ同じ文章の説明を確認しました(この辺は昨日コピーを取ったのですが、その後深夜まで色々仕事をした関係でうっかり仕事場にコピーを置いてきてしまいました)。しかし残念ながら、『角川地名大辞典』「青森県」の説明でも何の文献を元に記述したのかが書いてありません。

おそらくですが、私が想像するに、岩手県側の執筆で使われる地方史書籍と、青森県側の執筆で使われる地方史書籍とで、「三戸県」・「北奥県」に関する扱いが異なるのでしょう。『岩手県史』や、『岩手県史』を元に作成されている『千田稔、松尾正人『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』(1977年)の「東北地方民政取締諸藩」では「三戸県」しか扱われていませんでした。そうなってくると、例えば[『青森県史』での明治初期の黒羽藩民政取締地の記述がどうなっているのかが気になります。これについては月曜日以降に調べてみます。


現時点で奥羽民政取締地について多少なりとも包括的な文章を書いている書物として確認しているのは、『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』だけです。できれば奥羽民政取締地のみならず、各地に大量に存在していた藩預所の変遷を詳しくまとめた書物があるだけでもかなり色々な謎が解けるのですが。[79270][79307]でまとめたように、『明治二己巳年 租税取調帳』(pdf)によると、明治2年末の時点で福井藩、岡山藩、彦根藩、大垣藩、龍野藩、松代藩、岸和田藩、高槻藩、津山藩、高知藩、大洲藩、金沢藩、人吉藩、佐伯藩、名古屋藩、伊勢神宮領?の各預所があることになっていますが、『当巳年御収納高帳(諸府藩県明治二年収納高帳)』(pdf)の目次には他に見慣れない藩の名前もありますし、服藤弘司『大名預所の研究』創文社(1981年)によると、慶応4年の段階で以下の大名預所があることになっています(原資料は小野清『徳川制度史料』(1927年))。これらの預所はどこに行ったのでしょう。

藩預所石高旧国
高取39,000大和
彦根34,000近江
高槻32,000摂津河内
岸和田11,000和泉
大垣69,200美濃
福井45,000越前
金沢14,000能登
松本54,000信濃
松代20,000信濃
飯田700信濃
桑名48,000越後
高田48,000越後
新発田15,000越後
米沢13,000越後
会津74,000下野陸奥越後
松前14,000出羽
龍野46,000播磨美作
津山16,000美作
岡山6,000備前
松江12,000隠岐
高松2,000讃岐
松山19,000伊予
大洲1,000伊予
久留米22,000豊前
佐伯2,000豊後
熊本22,000豊後
柳河9,000筑後
島原15,000肥後
人吉500日向
延岡6,000日向
飫肥8,900日向(原書では高欠)
高鍋8,800日向(原書では高欠)
[79597] 2011年 11月 3日(木)06:10:28【5】YT さん
伊沢県、花巻県、栗原県、涌谷県、桑折県、三戸県、盛岡県、北奥県は正式な県?
YTです。

府藩県三治制下に東北地方に設置された県の内、諸藩の民政取締の下で称された県名を正式のものとみなすべきなのかどうなのか、皆さんの意見を聞きたく、以下まとめました。

自分はもともと、府藩県の設置・改名・廃止日時等が参考書や資料によって大分異なるので、『職務進退録』、『太政官日誌』、『法令全書』、『太政類典』、『地方沿革略譜』、『明治史要』、『府藩県廃置分合一覧』等の資料に従って日時の違いをまとめようと考えました。作業を進めていく内に、これらの資料に載っていない県がwikipediaに載っていることに気付きました。

それは、胆沢県の前身の栗原県と、登米県の前身の涌谷県です。これらの県は宮武外骨『府藩県制史』(1941年)、『日本近現代史辞典』(1978年,時野谷勝編集「府藩県対象表」)、松尾正人『廃藩置県』(1986年)、京大日本史辞典編纂会『新編日本史辞典』(1990年)、『岩波日本史辞典』(1999年)、勝田政治『廃藩置県』(2000年)、松尾正人『廃藩置県の研究』(2001年)にも掲載されていません。

これらの項目を書いた人に尋ねたところ、これらの県名は『角川日本地名大辞典』に書かれており、宮城県広報課の作成した「県の行政区画の変遷」にも記載されているとの返事を頂きました。実際に『角川日本地名大辞典』を読むと、確かに栗原県、涌谷県の記述があります。それぞれ『一迫町史』(1976年)、『涌谷町史』下巻(1968年)に記載されているとのこと。この内『涌谷町史』の方に目を通したところ、以下のような記述が見つかりました。

伊達安芸領のみならず、遠田郡内に知行高を有していた仙台藩の家中および士凡・百姓・町人・寺社領まで土地は残らず没収され、土浦藩取締地となった。三月末、土浦藩士奥田図書は権知県事として属官二十余名とともに涌谷要害屋敷に入り、涌谷県役所を設けた。

涌谷県江出張土浦相模守家中(「佐々木龍治留」―筆者蔵)
一、権知県事  奥田 図書
一、権判事   渡部 整作
一、同     寺町  鼎
一、調役    野崎孫太郎
一、〃     金田  甫
一、〃     藤井  央
外、書記調役補四名、筆生二名、捕亡十一名
註「榕園日録」によると、附属の小者まで総員二十四名が、二年三月二十九日・三十日の両日にわたって涌谷町に着いた。

明治二年八月十八日、涌谷県に栗原県の一部を併せ新しく登米県が置かれた。県庁所在地は涌谷で、旧館を本庁とした。

『栗原郡誌』(1918年)の方では栗原県・涌谷県は完全に無視されていますが、『宮城縣史本篇3(近代史)』(1964年)によると明治2年旧暦3月28日に、土浦藩、宇都宮藩の各取締所に涌谷県、栗原県が設置された状況が、「仙台領より宮城県に至る行政区割の推移」という表にまとまっていました。涌谷県は明治2年旧暦8月7日に登米県(「18日合轄トアリ」)、栗原県は明治2年旧暦8月12日に胆沢県となっています。

それぞれの県設置についての詳しい説明は書いてありませんが、以下の説明が載っておりました。

諸藩私有地が没収され、新政府直轄地として管理されるゆおになった新政治体制による県治が施行され、取締りの諸藩から権知県事・同判事以下の県管が現地に派遣された。この期間は短いが、制度上の変革にはのちの郡県制の端緒となったものもある。

直轄期は、取締り発令日の元年十二月二十三日から、藩県改置の日二年八月十八日までということであるが、実際には事務引渡しの関係から、取締りの各藩吏員は翌二年の春になって任地につき、同年秋から三年初めにかけて設置された藩県に土地を交付し、引渡しを完了して解任となる状態もあった。東北各地で直轄地の取締りを命ぜられた諸藩主は全部では十五にも達しているが、これらに対する共通の沙汰書によれば、戦乱ののちとて人民が甚だ苦しんでいるので、民政に通じている家来を選んで派遣し、新政にもとづき人民を撫育するよう、かつ新県を建てる場所の検見を命じている。

かくて諸藩ではその管轄地を県と称し、「奥羽取締規則」に従って政治を行ったが、その主なるものは、租税の収納・金礼・撫恤・月給・小吏の月給その他であった。

ここでようやくキーワードである「奥羽取締規則」なるものに出会いました。『法令全書』通番明治元年太政官布告第1129に、明治元年旧暦12月23日の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」が載っております。

其方儀今般奥羽御領之内民政取締被 仰付候就テハ兵乱之餘人民愁苦之情状追々被 聞食深ク被為痛聖念候ニ付、兼テ民政相心得候家来精撰之上彼地出張申付 朝廷之御政体ニ基キ人民撫育ニ厚ク心ヲ用ヒ 御一新之 御趣意遺洽ク貫徹致シ候様可取計旨、御沙汰候事
 但出張地所之儀ハ府縣掛ヘ可伺出事
 別紙
今般家来之者奥羽出張之上ハ新縣御取建ノ場所ヘ検分ヲ遂ケ見込可申出候様可致事

その後、廃藩置県関係の書物を読み漁ったところ、ようやく千田稔、松尾正人『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』の「東北地方民政取締諸藩」という表に、三戸県(0次)、伊沢県(胆沢県ではない)、花巻県、盛岡県(0次)、栗原県、涌谷県、桑折県などの聞きなれない県名が、民政取締期間に存在していたことになっておりました。

以下情報をまとめます(黒羽藩、松本藩に関しては、民政取締期間を原表より修正、【表が見にくいので分割】)

民政取締藩旧領主国名郡名権知県事
弘前藩盛岡藩陸奥北・三戸・二戸
黒羽藩盛岡藩陸奥北・三戸・二戸村上一挙
沼田藩盛岡藩陸奥東磐井
前橋藩盛岡・仙台・一関藩陸中胆沢・東磐井・西磐井久永真里
松本藩盛岡・仙台藩陸中紫波・稗貫・和賀・上閉伊・江刺・気仙西郷庄右衛門
松代藩盛岡藩陸中岩手・鹿角・九戸・紫波・稗貫・上閉伊・下閉伊小幡内膳
宇都宮藩仙台藩陸前栗原大羽楯之進
高崎藩仙台藩陸前牡鹿・桃生・本吉大野千楯
土浦藩仙台藩陸前登米・遠田・志田奥田図書
中村藩棚倉・二本松・磐城平・福島・関宿・会津藩・幕府磐城・岩代岩瀬・信夫・安達・安積・磐前・伊達志賀三左衛門
笠間藩棚倉・二本松・磐城平・福島藩・幕府磐城・岩代岩瀬・信夫・安達・安積・磐前・伊達加茂卓見
三春藩棚倉・磐城平・泉湯長谷藩磐城磐城・猶葉・菊多
守山藩棚倉藩磐城・岩代白河・石川・岩瀬三浦多門
館林藩会津藩・幕府領岩代大沼・河沼・耶麻・安積・会津・南会津・蒲原本多黒兵衛
新庄藩会津藩・幕府領岩代大沼・河沼・耶麻・安積・会津・南会津・蒲原竹村直紀
久保田藩庄内・米沢・天童上山・羽後亀田・羽後松山藩羽前・羽後田川・置賜・村山・飽海・由利・仙北・河北佐竹大和・和田掃部之助
新発田藩庄内・米沢・天童上山・羽後亀田藩羽前・羽後田川・置賜・村山・飽海・由利・仙北・河北溝口半兵衛

民政取締藩民政取締期間備考
弘前藩元年12月7日~2年2月8日旧盛岡藩領民の津軽氏排斥運動により2年2月8日に黒羽藩と交替
黒羽藩2年2月8日~2年8月7日2年2月8日に弘前藩民政取締地を継承、三戸県を称す、2年4月26日事務引き継ぎ、7ヶ条の「県治要領」を布告
沼田藩元年12月23日~2年2月30日2年2月30日に前橋藩と交替
前橋藩2年2月30日~2年8月18日2年2月30日沼田藩民政取締地を継承、伊沢県を称す、2年3月東磐井郡は旧磐城平藩の転封地となる、4月に19ヶ条の「心得書」を布告
松本藩元年12月7日~2年8月18日花巻県と称す、2年3月に「町村役人心得条目」の布達、遠野出張所開設、2年7月22日和賀紫波稗貫郡は盛岡藩復帰
松代藩元年12月7日~2年8月7日盛岡県と称す、2年5月3日県役所開庁、「心得条目」訴訟箱の設置、2年7月22日和賀紫波稗貫郡は盛岡藩復帰
宇都宮藩元年12月23日~2年8月7日2年3月22日に栗原県を称す、2年8月県下に村明細帳の提出を指示
高崎藩元年12月7日~2年7月20日2年7月20日に桃生県を置く、8月13日石巻県になる
土浦藩元年12月7日~2年8月7日2年3月22日に涌谷県を称す、2年3月28日土浦藩知事涌谷着
中村藩元年12月7日~2年7月20日桑折県を称す(磐城平民政局支配に代わる)、2年2月11日に県治の指針を示した「布達」を発行
笠間藩元年12月7日~2年7月20日
三春藩元年12月7日~2年8月7日
守山藩元年12月7日~2年8月7日2年4月金礼貸与の実施(須賀川生産方に金礼1,000両を貸与)
館林藩元年12月7日~2年5月4日郷村高帳の引き継ぎのみ、若松民政局支配が行われる
新庄藩元年12月23日~2年5月4日郷村高帳の引き継ぎのみ、若松民政局支配が行われる、2年6月岩代国巡察使により解任される
久保田藩元年12月7日~2年7月20日2年2月22日弁官へ官員派遣延期願を出願、酒田民政局の支配が行われる、同藩は郷村高帳の引き継ぎのみ
新発田藩元年12月7日~2年7月20日郷村高帳の引き継ぎのみ、酒田民政局の支配が行われる

「大日本維新史料稿本」明治元年12月16日・2年1月9日の項,「各県公文録」、『岩手県史』<第6巻・近代編1>、その他より作成

【原表での民政取締期間は、黒羽藩:2年2月18日~2年2月8日(開始、終了共に明らかに間違い)、松本藩:元年2月30日~2年8月18日(開始が明らかに間違い)。前橋藩、松本藩の民政民政取締期間(~2年8月18日)は、それぞれ8月12日(胆沢県置県の日)、8月7日(江刺県置県の日)の間違いという気もしましたが、『宮城縣史』が「直轄期は、取締り発令日の元年十二月二十三日から、藩県改置の日二年八月十八日まで」、登米県に関して「18日合轄トアリ」と書いているので、そのままにしました。各藩の民政取締地とその後の府藩県三治制下の県との関係は以下の通りです。

弘前藩取締地→黒羽藩取締地(三戸県→北奥県?)→九戸県→八戸県→三戸県→斗南藩・江刺県に編入
沼田藩取締地→前橋藩取締地(伊沢県)→胆沢県
松本藩取締地(花巻県)→江刺県・西部は盛岡藩(→盛岡県)
松代藩取締地(盛岡県)→江刺県・西部は盛岡藩(→盛岡県)
宇都宮藩取締地(栗原県)→胆沢県・一部登米県
高崎藩取締地→桃生県→石巻県→登米県に編入
土浦藩取締地(涌谷県)→登米県
中村藩取締地(桑折県)→福島藩・一部若松県
笠間藩取締地→福島藩
三春藩取締地→白河県
守山藩取締地→白河県
館林藩取締地→若松県
新庄藩取締地→若松県
久保田藩取締地→酒田県→山形県
新発田藩取締地→酒田県→山形県

登米県に関する宮城県の行政区画の変遷
の図は、多分日付等が若干間違っています。】

伊沢県、花巻県、盛岡県、栗原県、涌谷県に関しては、実は hmtさんが、[76252][75939][75924][75516]で触れられています。hmtさんが書かれた北奥県については、自分の方では確認できていません。岩手県の状況については、岩手県立博物館たよりNo.101「岩手県の誕生」(2004年,pdfファイル)の方にもまとまっています。桑折県については過去に誰も触れていないようです。

そこで皆さんに聞きたいのですが、一般的な廃藩置県関連の書籍や明治政府の公式の文書では全く取り上げられていない、これらの諸藩の民政取締の下で称された県名(伊沢県、花巻県、栗原県、涌谷県、桑折県、三戸県、盛岡県、北奥県;この内三戸県と盛岡県は、別の時期に県名として復活している、北奥県に関しては『岩手県史』の記述をまだ確認していない)というのは、正式なものとみなすべきでしょうか?

【引用文など一部訂正、備考を別表に、題名に他三県名を追加】
[79581] 2011年 10月 30日(日)01:24:04【1】YT さん
統計データを加工することの危うさ
[79579] にまんさん

家計調査のデータの場合、YTさんも書かれているように「消費量」ではなく「消費支出額」ですから、高級料亭の国産天然うなぎの蒲焼1匹分は、スーパーの輸入冷凍うなぎの蒲焼数匹分に相当することになります。
また、家計調査の品目分類では、実際には自分で食べない贈答用の支出も含まれてしまいます。

おっしゃる通りで、家計調査においては大部分は「消費量」ではなくて「支出金額」の情報です。ただ世に出回っている「消費量日本一」の根拠となりそうな統計は、おそらく家計調査ぐらいしか見当たりません。出荷額・出荷数の情報は生産者ベースの統計にありそうですが、消費額・消費数となると、小売りの情報も必要となり、もはや全点調査は無理です。

ただ、家計調査の場合は、生産者側の統計は含まれません。また私自身はうなぎが大好きな人間で、確実に外食で年間数万円を使っていますが、家計調査における加工食品としてのうなぎの蒲焼きへの支出には、外食費は含まれません。つまり、スーパーなどで売られている加工されたうなぎの蒲焼きへの支出のみです。実際に浜松市内では、一般家庭で加工食品としてのうなぎの蒲焼きを、外食以外の形で購入しているということになります(まあ「贈答用」も含まれますが)。自分は一人暮らししていた頃は多分年間1万円近くを加工食品としてのうなぎの蒲焼きを買うのに使っていました。現在は家での消費ペースは月2回程度ですが、それでも全国平均よりは上だと思います。

改めて過去6年間の世帯当たりの「うなぎのかば焼き」支出額を表にまとめてみましたが、おかしなことに気付きました。

順位都市2005年都市2006年都市2007年都市2008年都市2009年都市2010年
1京都市4,818大津市4,353大津市4,504浜松市4,874浜松市5,527浜松市6,001
2津市4,709京都市4,256奈良市4,440奈良市3,974静岡市4,211津市3,988
3大津市4,607奈良市4,146金沢市4,106和歌山市3,814奈良市4,059京都市3,687
4大阪市4,408和歌山市4,029京都市4,105大津市3,564京都市4,049さいたま市3,656
5和歌山市4,378静岡市4,003岐阜市4,016岐阜市3,456岐阜市3,603岐阜市3,572
6奈良市4,067神戸市3,993名古屋市3,585京都市3,289金沢市3,276大津市3,434
7神戸市3,984金沢市3,978和歌山市3,490神戸市3,191大津市3,167名古屋市3,205
8名古屋市3,974岐阜市3,747松江市3,483大阪市3,138松江市3,031金沢市3,152
9岐阜市3,627徳島市3,603静岡市3,452静岡市2,803和歌山市3,010奈良市3,076
10東京都区部3,525横浜市3,536宇都宮市3,295金沢市2,767名古屋市2,982堺市2,933
11金沢市3,518大阪市3,467大阪市3,227名古屋市2,753大阪市2,821静岡市2,931
12静岡市3,392岡山市3,398東京都区部3,181津市2,724東京都区部2,731横浜市2,877
13横浜市3,347宇都宮市3,332富山市3,134横浜市2,703水戸市2,720大阪市2,810
14富山市3,189東京都区部3,284津市3,130東京都区部2,510横浜市2,697岡山市2,788
15千葉市3,124津市3,066前橋市2,945長崎市2,493津市2,448松江市2,525
16宇都宮市3,120名古屋市2,852鹿児島市2,853甲府市2,467甲府市2,423富山市2,513
17さいたま市3,059甲府市2,779長崎市2,800堺市2,256堺市2,417神戸市2,498
18甲府市3,010富山市2,754神戸市2,754さいたま市2,219徳島市2,395東京都区部2,427
19松山市2,972さいたま市2,676長野市2,707徳島市2,193長野市2,345和歌山市2,395
20岡山市2,942福井市2,657岡山市2,678前橋市2,157神戸市2,125水戸市2,367
21徳島市2,901長野市2,636横浜市2,662松江市2,127大分市2,033千葉市2,245
22前橋市2,676広島市2,586甲府市2,644富山市2,093千葉市1,953長野市2,184
23長野市2,645水戸市2,580川崎市2,603長野市2,040富山市1,913宇都宮市2,170
24秋田市2,594長崎市2,567松山市2,586鹿児島市1,989鳥取市1,855徳島市2,053
25広島市2,585鹿児島市2,495高知市2,563水戸市1,987高知市1,843鹿児島市2,032
26川崎市2,581千葉市2,486千葉市2,549松山市1,889川崎市1,841盛岡市2,007
27鹿児島市2,503鳥取市2,471高松市2,463大分市1,888新潟市1,835甲府市1,999
28水戸市2,461松山市2,390大分市2,429高松市1,887鹿児島市1,809高松市1,916
29高松市2,429北九州市2,341さいたま市2,352宇都宮市1,864さいたま市1,798川崎市1,904
30山口市2,385松江市2,286秋田市2,294岡山市1,783盛岡市1,722大分市1,899
31長崎市2,333高松市2,271熊本市2,266秋田市1,667福井市1,694高知市1,823
32北九州市2,231青森市2,260水戸市2,248佐賀市1,661岡山市1,678広島市1,768
33福島市2,146前橋市2,246徳島市2,192福島市1,658札幌市1,673福島市1,723
34仙台市2,119大分市2,244青森市2,140高知市1,642宇都宮市1,670仙台市1,709
35山形市2,094盛岡市2,175盛岡市2,102熊本市1,585広島市1,552宮崎市1,671
36福井市2,083高知市2,163広島市2,005鳥取市1,564青森市1,549鳥取市1,630
37札幌市2,038秋田市2,123仙台市1,953仙台市1,520前橋市1,541松山市1,616
38高知市2,033山口市2,080福島市1,938広島市1,517高松市1,512青森市1,607
39青森市2,022川崎市2,074山口市1,889北九州市1,490那覇市1,511秋田市1,569
40熊本市2,005福島市2,055鳥取市1,878千葉市1,484熊本市1,488山口市1,471
41盛岡市2,001宮崎市2,000北九州市1,850福岡市1,385北九州市1,442福岡市1,419
42佐賀市1,952仙台市1,967山形市1,782川崎市1,380松山市1,416札幌市1,397
43福岡市1,935新潟市1,734福井市1,751山形市1,325長崎市1,400北九州市1,390
44新潟市1,901福岡市1,625福岡市1,699宮崎市1,311仙台市1,392熊本市1,340
45宮崎市1,855熊本市1,574新潟市1,614新潟市1,298宮崎市1,261山形市1,332
46鳥取市1,851札幌市1,565札幌市1,539山口市1,274福岡市1,258長崎市1,326
47大分市1,816山形市1,456那覇市1,501盛岡市1,258山口市1,225前橋市1,285
48松江市1,737佐賀市1,378宮崎市1,453青森市1,139秋田市1,201新潟市1,240
49那覇市1,695那覇市1,340佐賀市1,430福井市1,119山形市1,018那覇市1,183
50那覇市1,052福島市971佐賀市1,175
51札幌市992佐賀市902福井市1,116

2008年以降は浜松市、堺市が加わり、浜松市の独壇場となりますが、とにかく年次によるブレが酷い!地方別支出金額には意味があるでしょうが、都市別支出金額となると、年次毎のブレが酷く、浜松のように圧倒的にトップでない限り、この数字で全国一を議論する意味があるとは到底思えないですね。調査の概要を見る限り、大体6000世帯当たり1世帯が調査対象で、毎月1/12ずつ調査対象世帯を変えて年間調査を実施しているようですが、標本数が少なすぎる気がします。

7位以内に入ったことのある常連の都市を眺めると、京都市、大津市、奈良市、和歌山市、大阪市、神戸市などの関西諸都市、浜松市、津市、静岡市、岐阜市、名古屋市などの東海諸都市で、それ以外では金沢市、さいたま市などです。8位まで広げると松江市、10位まで広げると、東京都区部、横浜市、宇都宮市、堺市が入りますが、うなぎの蒲焼きへの消費額は関東よりも東海・関西の方が多いという実体が見えてきます。それよりも津市がこの6年間トップになっておりません。

どういことなのかと調べてみると、どうやら「うまっぷ」という津のうなぎ専門店を紹介するサイトで
津は一人当たりのうなぎの消費量が日本一!
1位 津 \2,150
2位 大阪 \1,968
3位 京都 \1,959
全国平均 \1,240

平成17年総務省家計調査県庁所在地別うなぎの蒲焼きに対する支出金額(一人当たり消費)
と書かれたのがきっかけで、色々マスメディアで紹介されて広まった情報のようです。

つまり2005年の世帯当たりのデータを世帯人員数で割った数字で、日本一を主張していたわけです。生データでは京都市が一位ですが、世帯人員数で割ると津市が一位になります。

でも、その後はずっと津市は一位ではありません。特に浜松市が登場してからは、津市がトップとなることは絶望的です。どうやらサイトの管理人もこれに悩んでいて、平成22年の家計調査で世帯別消費量が2位になったことに喜んでいたようです。でも今回は世帯人員数で割った数字を出していません…

浜松市といえば餃子でも有名ですが、どうやら宇都宮市の餃子消費量も家計調査の支出額が根拠で、最近浜松市に地位が脅かされているというのは、浜松市が統計の対象になったことが原因のようです。

2004年以前は、二人以上世帯と単身世帯で統計が別となっており、計算が非常にめんどくさくなりますが、ネットで閲覧できる2000年以降では、さいたま市がトップに立った様子はありません。おそらく旧浦和市の「うなぎ消費量全国一位」というのも、たまたま単年で世帯別消費量がトップに立ったのか、あるいは人口で割ってトップに立ったのか、とにかく都合の良い数字をもちだして計算したような気がします。

色々調べて分かったことは、「我が市は~の消費量全国一位!」の類の話は、大抵根拠となる数字が都合のよいものを持ってきており、話半ばに効いた方がいいということですね。何よりも外食産業で消費されている量が不明のままです(うなぎの場合は外食分を加えると、ますます浜松がトップになりそうですが)。

[79580] いろずーさん

この文章を書いている途中でいろずーさんの投稿がありましたが、

その反面津市は
「うなぎは日常食で「ちょっとうなぎでも」という感じで気軽に食べられる」
というコメントを見つけました

家計調査を見ると、うなぎの蒲焼きに使う世帯当たり年間支出額は2400円~4700円のレベルです。本当に「ちょっとうなぎでも」という感覚が平均的に存在するのなら、年間平均1万円を大幅に超えるはずです。全国的に見れば津市は平均よりもうなぎの蒲焼きへ支出する金額が多いことは言えますが、年次によって数字は2400円から4700円までブレており、京都、大津、奈良、静岡などの周辺地域の上位常連市と比べて有意の差があるとは言えないですね。

【追記】って、
津ぅのうなぎプロジェクト」の
http://unadon.mie1.net/
うなぎの街『津』復権の兆し!?
http://unadon.mie1.net/e308718.html によると
(その図)
http://www.mie1.net/usr/unadon/110420.gif
の全国平均は4位で
世帯あたりでは第2位にまで登ってきたではないでしょうか!!

2010年のデータを一人当たりで換算すると、2位はさいたま市、3位は京都市になってしまうのですか。
結局津市一位の根拠は、2005年のデータを一人当たりで計算し直した時だけなんですね。
[79577] 2011年 10月 29日(土)17:22:40【4】YT さん
うなぎのかば焼きへの支出金額全国一位の都市は名実ともにあの都市
[79571] ペーロケ さん
[79568] いろずー さん

うなぎの消費量についてちょっと触れたいことがありまして、書き込みします。

実際は「三重県津市」が1番多くウナギが食べられています

この手の話の元となる統計は、総務省の家計調査ですが、都市別データは県庁所在地と政令指定都市に限られるので、全国の市町村を全てカバーしているわけではありません。また総務省の家計調査における該当する項目は、加工食品である「364 うなぎのかば焼き」の世帯当たり年間の支出金額です。

平成22年度の結果(Excelファイル)を以下にまとめますが、うなぎのかば焼きへの支出金額を地方別で見ると、何だかんだで東海地方が全国トップです。

地方支出金額(円)
東海3,494
近畿2,964
北陸2,708
関東2,486
四国2,290
中国1,859
九州1,623
東北1,574
北海道1,273
沖縄936
全国2,408

一方県庁所在地・政令指定都市別で見ますと・・・ あれ?

県庁所在地・政令指定都市支出金額(円)
浜松市6,001
津市3,988
京都市3,687
さいたま市3,656
岐阜市3,572
大津市3,434
名古屋市3,205
金沢市3,152
奈良市3,076
堺市2,933
静岡市2,931
横浜市2,877
大阪市2,810
岡山市2,788
松江市2,525
富山市2,513
神戸市2,498
東京都区部2,427
和歌山市2,395
水戸市2,367
千葉市2,245
長野市2,184
宇都宮市2,170
徳島市2,053
鹿児島市2,032
盛岡市2,007
甲府市1,999
高松市1,916
川崎市1,904
大分市1,899
高知市1,823
広島市1,768
福島市1,723
仙台市1,709
宮崎市1,671
鳥取市1,630
松山市1,616
青森市1,607
秋田市1,569
山口市1,471
福岡市1,419
札幌市1,397
北九州市1,390
熊本市1,340
山形市1,332
長崎市1,326
前橋市1,285
新潟市1,240
那覇市1,183
佐賀市1,175
福井市1,116

そうです。うなぎのかば焼きへの支出金額が圧倒的に一位なのは津市ではなくて、印象通りの浜松市です。津市が一位から脱落した原因は浜松市が2007年に政令指定都市となり、家計調査表に項目として登場するようになったためです。

なんでこんなことが気になったかというと、私の生まれた旧浦和市も過去に全国一位のうなぎのかば焼き消費都市だったからです。きっちり過去の統計を確認している訳ではありませんが、少なくともさいたま市成立後は一位の座から脱落してしまっているようですが。

そうそう、当然浦和には有名な鰻の蒲焼専門店が多数ありますが、個人的にはJR南浦和駅近くにある某有名店をお勧めします。鰻の蒲焼の起源には諸説ありますが、一応浦和周辺で流布している説としては、中山道の浦和宿で鰻の蒲焼が始まったとされています。

【追記】上のデータは「総世帯」ですが、「二人以上の世帯」で見ると、過去3年間(平成20年~平成22年)の年間支出金額の平均(Excelファイル)では、津市もさいたま市もトップクラスにはいません。浜松市は圧倒的に首位ですが。単身世帯でも鰻の蒲焼を買う人が多いのが、津市、さいたま市ということになりますね。

県庁所在地・政令指定都市支出金額(円)
浜松市7,308
京都市4,767
大阪市4,361
岐阜市4,350
名古屋市4,267
静岡市4,237
奈良市4,233
大津市4,203
神戸市3,871
金沢市3,826
松江市3,750
横浜市3,716
堺市3,713
東京都区部3,667
津市3,629
和歌山市3,501
川崎市3,194
さいたま市3,179
甲府市3,163
千葉市3,156
水戸市3,090
徳島市2,871
長野市2,642
富山市2,615
大分市2,601
鳥取市2,474
岡山市2,471
鹿児島市2,428
広島市2,342
仙台市2,275
高知市2,268
長崎市2,216
宇都宮市2,186
高松市2,180
松山市2,022
佐賀市2,007
宮崎市1,972
北九州市1,961
山形市1,919
福岡市1,892
前橋市1,887
福島市1,882
山口市1,877
盛岡市1,842
新潟市1,818
秋田市1,792
熊本市1,782
札幌市1,767
福井市1,717
青森市1,627
那覇市1,617
全国平均2,868

時系列で見ると、うなぎの蒲焼の支出金額はどんどん落ちています。海外産輸入に伴う価格破壊、平成20年の産地偽装問題での消費低迷など、うなぎをめぐる環境は景気が良くないようです。
年次全国平均支出金額(円)
平成17年3,211
平成18年2,982
平成19年2,977
平成20年2,167
平成21年2,233
平成22年2,408
[79333] 2011年 9月 12日(月)02:20:45【1】YT さん
藩領の内高、現収納高まとめ3
藩名草高(A)呼高(B)草高(C)高(F)現石(B)現高(C)正税(F)現石(D')
守山藩/松川藩29,322.31933029,32229,32229,322.3193306,1746,1746,174.9080406,170.0000
敦賀藩/鞠山藩9,416.3671709,416.3671704,463.6038564,950.0000
松岡藩18,652.84500017,30017,30017,300.4700003,9033,9033,948.0838814,050.0000
福岡藩571,141.000000571,141571,141571,141.000000207,038234,246233,982.042875234,250.0000
福井藩336,194.039600336,194336,194336,194.039600111,005111,005111,005.942612111,010.0000
福山藩112,728.682000112,728112,728112,728.68200055,95254,95255,952.88882455,583.6600
府内藩26,422.33010026,42226,42226,422.33010015,62815,62815,628.85640014,160.0000
福知山藩32,933.56680032,93332,93332,933.56680013,87213,87213,872.17183013,330.0000
福江藩22,360.42637223,97223,97223,972.0824307,9307,9308,903.4109606,460.0000
福本藩11,573.0520003,204.3860
吹上藩13,707.76742013,70713,70713,707.7674203,5253,5253,529.3122673,530.0000
郡山藩152,912.299870152,799152,799152,912.29987059,48759,48759,487.87687659,490.0000
古河藩101,257.932593101,257101,257101,257.93259229,27029,27029,921.68291425,710.0000
小諸藩28,772.68900015,00028,77215,000.00000010,90310,90310,902.83428010,020.0000
挙母藩22,634.90700022,63422,63422,634.9070006,5136,5136,513.9128756,710.0000
小泉藩11,202.61700011,20211,20211,202.6170005,6465,5875,646.7114515,590.0000
菰野藩12,386.39100012,38612,38612,386.3910005,7245,7245,724.5381255,720.0000
小松藩13,310.98700013,31013,31013,310.9870004,8294,8294,829.5813004,830.0000
天童藩21,156.49760021,15621,15618,000.0000006,5546,5546,554.3021877,650.0000
久保田藩/秋田藩332,038.779000332,038332,038332,038.779000183,69618,396183,535.312120179,400.0000
明石藩90,304.10900090,30490,30490,304.10900043,46643,46643,466.12765043,470.0000
秋月藩51,783.62539051,78351,78351,783.62539018,80318,80321,007.89616020,800.0000
山形藩/朝日山藩50,580.87059050,48050,58050,580.00000016,18613,139.50148817,500.0000
尼ヶ崎藩51,482.07239051,48251,48251,482.07239027,75227,75227,752.45951827,670.0000
足守藩30,898.68900030,89830,89830,898.68900010,15110,15110,151.74649010,520.0000
赤穂藩20,000.00000020,00020,00020,000.00000010,31210,31210,312.75488010,730.0000
綾部藩21,062.18096021,06221,06221,062.1890606,6486,6487,160.9590007,160.0000
安中藩33,125.74150033,12233,12533,125.7415007,6827,6827,682.7176807,680.0000
麻田藩11,223.36800011,22311,22311,223.3680005,1535,2085,153.8501204,792.0000
麻生藩11,769.01620011,769117,16911,769.0162004,7084,7084,708.2598794,710.0000
足利藩11,00011,00011,000.0000003,1942,6963,194.4529902,700.0000
安志藩10,009.69465010,10910,10910,109.6946504,9944,9944,994.2223794,560.0000
浅尾藩10,098.93874010,00010,00510,098.9387404,0114,0114,012.1460974,140.0000
佐賀藩724,739.315200724,739724,739665,293.850000219,038219,038219,038.417837213,727.1600
佐倉藩132,941.206910132,941132,941132,941.20691050,09750,09850,097.78127050,100.0000
篠山藩68,222.17626068,22268,22268,224.34396036,31636,31636,151.78739236,320.0000
佐土原藩33,262.79320033,26233,26233,262.00000017,23537,23520,840.47605018,130.0000
西條藩40,801.80000040,80140,80140,801.80000017,16517,16517,165.20092018,190.0000
佐伯藩21,952.21043021,95221,95221,952.21043012,22412,22412,224.59547012,220.0000
三田藩37,717.33700037,71737,71737,717.33700015,26815,29015,290.50840015,290.0000
鯖江藩40,066.95100046,00646,00640,066.95100014,96514,95814,975.44595014,960.0000
狭山藩11,615.70260011,615.7026005,467.7298405,470.0000
佐野藩17,162.56328017,16217,16217,162.5632805,4575,2925,457.2099855,290.0000
佐貫藩16,199.92195016,19916,19916,199.9219504,3724,3734,372.5303104,470.0000
桜井藩10,179.11318010,17910,17910,179.1131803,3393,5593,339.9066903,560.0000
岸和田藩59,028.32320059,02859,02859,028.32320032,51832,51832,786.04410034,090.9900
菊間藩54,653.55489054,65354,65354,653.55489018,13718,13718,137.27167019,260.0000
杵築藩55,674.18180055,67455,67455,674.18180021,19431,19421,389.37544621,040.0000
清末藩23,091.00000013,09113,09113,091.0000006,9086,9086,908.5000007,600.0000
清崎藩12,825.17956012,82512,82512,825.1795604,7574,7574,757.2274645,520.0000
喜連川藩10,209.5195005,000.0000001,930.0000
結城藩26,369.32159026,36926,36926,369.3215904,7634,7634,763.2327504,840.0000
湯長谷藩15,223.01900015,22315,22315,223.0190003,1813,1813,375.7062063,260.0000
水戸藩306,953.192000296,115296,115296,115.36900057,72957,72958,827.05618057,730.0000
三春藩61,740.82080061,74061,74061,740.82080027,36612,58127,366.14663712,580.0000
宮津藩70,718.19400070,71870,71870,718.19400032,53127,16432,531.37510527,160.0000
水口藩26,491.88614026,49126,49126,491.88614011,69711,70611,697.93929911,710.0000
壬生藩49,061.94010049,06149,06149,061.9401009,5759,5759,575.81107410,170.0000
三日月藩15,560.48700015,56015,56015,560.4870007,5048,3988,902.0581528,390.0000
峰山藩11,537.33100011,53711,53711,537.3310006,0296,0296,029.7249066,030.0000
三日市藩11,040.69820011,04011,04011,040.6982005,2135,2135,213.3611774,810.0000
宮川藩13,198.30780013,19813,19813,198.3078004,1654,8294,165.4735604,830.0000
三根山藩/峰岡藩15,071.14500015,05915,05915,059.2050004,4384,4384,438.5015305,400.0000
三草藩10,379.05068010,37910,37910,379.0506804,8384,8384,838.6536434,840.0000
三池藩11,997.38574011,99711,99711,997.3857403,3753,3753,654.0669084,130.0000
静岡藩699,721.058170699,892699,892699,892.158170209,480209,480210,140.143538210,210.0000
清水藩25,000.0000
新発田藩139,102.187350139,102139,102139,102.18735070,88870,88874,020.92668070,920.0000
島原藩74,872.31110074,87274,87274,872.31170040,81345,12340,813.49051045,120.0000
新庄藩103,434.79830084,33684,33684,336.91680025,31325,31325,313.68616026,070.0000
重原藩28,352.28558028,35228,35228,352.2855808,4518,4518,451.4691308,880.0000
新宮藩42,312.77020036,62436,62436,624.75825017,28617,28617,286.68378517,199.1572
下館藩22,116.18600022,11622,11622,116.1860007,5327,9137,532.6226307,910.0000
芝村藩10,021.95900010,02110,02110,021.9590004,8715,2124,871.6997205,210.0000
椎谷藩10,746.11776010,746107,14610,746.1177604,4054,4054,405.3767504,390.0000
下妻藩12,232.24536012,23212,23212,232.9453602,1602,1602,160.2392032,090.0000
志筑藩10,110.00000010,11010,11010,110.0000001,8611,8611,919.5012301,950.0000
宍戸藩10,499.66600010,49910,49910,499.6660001,6201,6201,735.9319501,890.0000
七戸藩10,384.64700010,38410,38410,384.6470001,6171,6171,617.2229121,620.0000
広島藩483,580.779250483,580483,580483,580.779250255,497258,370255,497.641706258,370.3660
広島新田藩
弘前藩274,482.000000274,482274,482274,482.000000142,043142,041142,043.184875141,345.0000
彦根藩203,887.990000203,887203,887203,887.99000094,03094,03094,030.02639094,030.0000
姫路藩211,224.081000211,224211,224211,224.08100088,83288,83288,832.96300083,210.0000
平戸藩120,912.301000120,912120,912120,912.30100052,4755,37552,475.38980046,410.0000
平戸新田藩/植松藩4,080.0000
人吉藩63,419.33486063,41963,41963,419.33486024,50024,50025,680.04156725,090.0000
久居藩48,294.37700058,68658,68658,686.16500024,57924,57924,579.07105023,240.0000
広瀬藩33,128.09000033,12833,12833,128.09000013,03313,03313,002.27101214,390.0000
日出藩27,500.22030027,50027,50027,500.2203009,3939,39310,978.26347510,280.0000
一橋藩109,428.629580109,428.62958038,052.63000038,050.0000
盛岡藩/盛岡県160,407.646000130,000130,000160,923.93200074,013.64325068,580.0000
森藩14,274.64360014,27414,27414,274.6436005,4985,4987,135.0005576,100.0000
母里藩7,441.9390009,5609,5607,441.9390004,8264,8264,826.1965005,353.4040
仙台藩278,017278,017278,017.24000063,38163,38169,928.37873067,740.0000
膳所藩65,811.76810065,81165,81165,811.76810029,14429,14429,144.29325825,300.0000
関宿藩52,386.28213052,38652,38652,386.2822306,82915,5526,829.07117215,550.0000
須坂藩12,153.37080012,15312,15312,153.3708004,1834,1834,183.2367804,330.0000
○松岡藩:『藩制一覧』の水戸藩の「中山備中守支配地」18,652.845石を採用。
○尼崎藩:『藩制一覧』は草高合51,483.07239石とあるが、摂州38,301.47939石と播州13,180.593石の合計51,482.07239石を採用。
○麻生藩:『藩制一覧』は草高14,582.2585石とあるが、荒地陣屋鍬下等引残11,769.0162石を採用。
○佐渡原藩:『藩制一覧』の高27070.713石と外ニ6375.5462石の合計33,446.2592石より
改減高引183.466石を除いた数値33,262.7932石を採用。
○水戸藩:『藩制一覧』の当高325,606.037石より中山備中守支配地(松岡藩)当高18,652.845石を除いた高合306,953.192石を採用。
○広島藩:『藩制一覧』の惣高485,714.12515石より永荒等方引高2,133.3459石を除いた残高483,580.77925石を採用。なお広島新田藩3万石の石高を含むと思われる。
○平戸藩:『藩制一覧』の合高120,912.301石は、草高61,700石、外新田改出高49,212.301石、末家松浦従五位(平戸新田藩)高1万石の合計であり、平戸新田藩の石高を含む。
○久居藩:『藩制一覧』の草高43,000石と新田高5,415.896石の合計48,415.896石より侍屋敷寺屋敷其他諸引ヶ地121.519石を除いた数値48,294.377石を採用。なお『藩制一覧』の津藩の項では、久居藩高合計58,686.209石となっている。
○盛岡藩:『藩制一覧』の合高160,923.932石(『各藩高並租税調帳』の数字と一致)から荒地川欠不足高516.286石を除いた160,407.646石を採用。
○母里藩:『藩制一覧』の支配地総高9,560.931石(『府藩県石高人口表』『統計集誌』の数字9,560石と一致)から万引方除結之高2,118.992石を除いた残高7,441.939石を採用。
[79332] 2011年 9月 12日(月)02:15:06【2】YT さん
藩領の内高、現収納高まとめ2
藩名草高(A)呼高(B)草高(C)高(F)現石(B)現高(C)正税(F)現石(D')
加納藩35,856.63420035,85635,85635,856.63420012,73412,73412,734.01072113,050.0000
亀田藩19,904.55500015,90419,90419,904.55500011,09712,19911,997.61955012,200.0000
上ノ山藩28,409.45790027,40928,40928,409.45790010,48710,48710,487.16652010,487.1600
鹿島藩20,000.00000020,00020,00020,000.00000010,10510,10510,105.9567309,895.9300
鴨方藩25,839.77000025,83925,83925,839.7700009,2179,2179,217.6707809,220.0000
柏原藩20,133.69760020,13320,13320,133.6976009,1869,1889,186.9069409,190.0000
烏山藩40,761.58532040,76140,76140,761.5853207,4077,4077,407.0834407,530.0000
刈谷藩27,734.68380027,73427,73427,734.6838007,0927,0927,092.8181887,090.0000
勝山藩21,057.40200021,05721,05721,057.4020007,2377,2257,237.0606007,230.0000
神戸藩16,970.65550016,97016,97016,970.6555007,4277,4277,427.0076706,670.0000
加知山藩13,969.89746013,96913,96913,969.8974604,6254,6254,625.0004284,280.0000
米沢藩284,748.780240284,748284,748284,748.78024063,26963,26965,047.81387060,196.6189
米沢新田藩2,926.0000
淀藩113,314113,314113,314.62789045,67843,78445,678.29571843,780.0000
吉田藩30,007.68854030,00730,00730,007.68854013,70313,70316,205.17574014,730.0000
与板藩21,674.56979021,17421,67421,674.5697907,6577,1937,656.9337807,190.0000
吉見藩14,509.49324014,50914,50914,509.4932405,5045,5045,504.3057485,200.0000
吉井藩11,494.29930010,000.0000002,155.8953702,160.0000
高松藩201,714.982000201,714201,714231,714.98200075,70775,70775,707.264416105,760.0000
高田藩154,104.158000154,404154,404154,104.15800042,85942,85942,913.78595048,410.0000
高崎藩90,573.54010090,57390,57390,573.54010034,67333,11434,673.26847033,110.0000
館林藩113,851.719500113,851113,851113,851.71950034,82034,82034,820.78812537,450.0000
大聖寺藩83,772.03300083,77283,77283,772.03300026,63326,63326,633.88558028,730.0000
館藩40,382.01640040,38240,38240,382.01640023,30123,20123,301.56971023,300.0000
高鍋藩59,992.79300059,99259,99270,095.00000014,85914,85923,993.85000016,770.0000
高槻藩38,760.88190038,76038,76036,653.49070020,10820,10820,108.59330017,440.0000
龍野藩52,291.52200052,29152,29152,291.52200027,76827,76327,768.32470027,760.0000
田辺藩39,366.44184039,35939,35939,359.40964016,26515,63816,265.19462515,640.0000
高島藩45,922.26100045,93245,93245,922.26010016,72916,07216,898.77532016,070.0000
高遠藩34,999.44910034,99934,99934,999.44910015,50312,50315,503.60318315,330.0000
鶴田藩36,189.70700036,18936,18961,000.00000011,97811,97811,978.38370220,660.0000
高取藩25,228.90296025,22825,22825,228.90296011,88511,88511,885.80100012,700.0000
棚倉藩60,000.00000059,98259,98259,982.0000008,8898,8898,889.29454010,140.0000
高梁藩15,843.04940015,84215,84320,000.0000007,6923,6927,692.2751908,570.0000
多度津藩13,851.29140013,851.2914007,097.3034627,400.0000
高須藩30,154.50300021,510.0500006,529.7198206,630.0000
田原藩20,178.94500020,17820,17820,178.9380006,0206,0206,020.7184305,740.0000
丹南藩11,007.59437011,00711,00711,007.5943706,1506,6006,150.3141906,600.0000
龍岡藩16,279.22000016,27916,27916,279.2200005,1375,1375,137.4065375,140.0000
多古藩14,173.12636014,17314,17314,173.1263603,1582,7563,158.2668212,750.0000
田原本藩10,001.83817410,00110,00110,001.8381773,0693,0693,069.1333303,070.0000
館山藩12,319.14470012,31912,31912,319.1447003,4273,4703,427.7446483,498.9566
高岡藩12,016.54270012,01612,01612,016.5420703,4063,4063,416.1830793,540.0000
高富藩10,380.48920010,38010,38010,380.4890202,9422,9422,942.5268503,220.0000
田安藩103,720.114350103,720.11435031,476.68100031,480.0000
園部藩35,918.57760038,34338,34335,918.57760014,90815,00914,908.82072013,530.0000
高徳藩/曾我野藩10,050.71280011,13911,13910,000.0000003,0003,7153,000.4120003,720.0000
津藩299,334.818000299,334299,334358,020.847000126,585128,585126,505.887510124,270.0000
津山藩104,576.913000104,57614,576104,576.91300043,11843,11843,118.17764243,120.0000
津和野藩75,060.64890075,06075,06075,060.64890028,23128,02928,231.75348030,753.0000
土浦藩110,083.040400110,083110,083110,083.04040026,51526,51526,515.63673928,380.0000
鶴舞藩69,624.69366069,62469,62469,624.69366024,32424,32424,324.51175924,150.0000
鶴牧藩19,909.47325019,90919,90919,909.4732508,9537,2298,953.0686377,040.0000
名古屋藩853,215.329800874,265874,725853,215.329800327,467327,467320,938.270000269,070.0000
中津藩100,000.000000119,994119,994119,994.30158049,25549,25549,255.19675053,000.0000
中村藩83,809.01490067,32567,32567,325.45160029,40929,40929,409.75117534,610.0000
長尾藩50,255.20227050,25550,25550,255.20227014,74818,93914,748.71194618,939.4000
長岡藩24,000.00000024,000.0000009,890.31068010,500.0000
長島藩16,305.12612016,30516,30516,305.1261207,4017,4017,401.8753677,390.0000
成羽藩12,746.20731012,74612,74612,746.2073104,0204,0204,020.9510004,020.0000
苗木藩14,780.90220014,78014,78014,780.9022004,91649,1164,916.3773004,920.0000
七日市藩11,113.28000011,11311,11311,113.2800002,1042,1042,251.3930002,600.0000
村上藩77,653.02200077,65377,65377,653.02200032,08432,08432,084.34235029,480.0000
村松藩39,114.95100039,11439,11439,114.95100020,21120,68820,211.84673220,690.0000
邨岡藩11,010.47280011,01011,01011,010.4728003,7542,7543,754.6165253,790.0000
六浦藩16,584.69840016,58416,58416,584.6984002,2532,2532,253.3871482,700.0000
宇和島藩100,000.000000100,402100,402100,402.12000040,10452,42452,424.53171552,420.0000
臼杵藩50,060.00000050,06550,06550,065.76900035,27135,27134,526.72693735,270.0000
上田藩60,120.70150060,12060,12060,120.70150022,52622,52622,526.77792722,808.1055
宇都宮藩91,298.98025091,29891,29891,298.98250018,38818,38819,140.80460018,830.0000
牛久藩11,901.34490011,90111,90111,901.3449003,6943,6943,694.9340073,700.0000
宇土藩30,000.00000012,990.0000
延岡藩81,815.07308081,81581,81581,815.07308029,11829,11829,118.85785028,906.3578
野村藩13,089.00700013,08913,08913,089.0070004,0973,9044,097.5192913,900.0000
熊本藩786,015.607170786,015786,015786,015.607170378,527378,527378,527.752920329,680.0000
高瀬藩13,570.0000
久留米藩366,271.710000366,271366,271366,271.710000126,438126,438126,438.503387118,190.0000
桑名藩60,560.32500060,56060,56060,560.32500028,19528,19528,195.22550323,450.0000
郡上藩49,69949,69949,699.25200015,89915,89915,899.06268015,970.0000
久留里藩33,081.48628033,08133,08133,081.48628011,12611,12611,126.42112011,126.4210
黒石藩13,251.88500013,25113,25113,251.8850008,1828,0198,182.3866258,020.0000
黒羽藩29,443.64680029,44329,44329,443.6468005,3355,3355,335.8828005,340.0000
櫛羅藩10,000.00000010,00010,00010,000.0000004,2894,2894,289.4587104,550.0000
黒川藩11,386.90950011,38611,38611,386.9095004,7484,7484,748.0928004,760.0000
山口藩988,004.000000713,666713,666713,666.000000251,982251,982251,982.976562232,760.0000
柳河藩155,394.060000155,394155,394155,394.06000075,73270,15081,621.70075066,890.0000
柳本藩10,000.00000010,06610,06610,000.0000006,5976,5976,597.2476606,600.0000
山崎藩11,032.28170011,03211,03211,032.2817005,8286,6806,939.8524076,680.0000
柳生藩9,593.75198010,00010,00010,000.0000005,7815,7815,781.4666805,710.0000
矢島藩16,133.88000016,13316,13316,133.8814204,6246,2274,624.8012146,220.0000
山上藩13,473.54994013,47313,47313,473.5499404,8994,8594,899.6820834,900.0000
山家藩10,082.83000017,44817,44817,448.8930004,3774,3894,392.6740044,389.4000
谷田部藩/茂木藩27,924.59980027,92427,92427,924.5998003,9813,9813,981.1518203,850.0000
谷地藩
松江藩180,009.760800245,340245,340245,340.159000135,063135,063.877500145,340.0000
松山藩157,184.977000150,000150,000150,000.000000110,748110,748110,748.400000110,748.5000
松代藩123,570.020000123,570123,570123,570.02000050,51250,51233,567.51139537,150.0000
前橋藩217,709.033840217,709217,709217,709.03384047,46654,45047,466.63252854,450.0000
松本藩97,522.65910097,52297,52297,522.65910036,86936,86936,869.77649036,850.0000
丸亀藩/丸亀県82,153.88300082,15382,15382,153.88300033,02233,02233,022.49802033,120.0000
舞鶴藩35,911.13770035,91135,91135,917.13770021,35818,27921,358.06595516,750.0000
丸岡藩50,253.42090049,51849,51649,518.43590015,47417,35615,474.76418017,360.0000
柴山藩/松尾藩53,427.56063053,42753,42753,427.56063013,61319,53913,613.39981719,540.0000
真島藩30,809.10300030,80930,80930,809.10300011,91311,93211,913.67318011,932.6074
松嶺藩26,800.15744026,80026,80026,800.15744010,36910,36910,369.26393012,420.0000
○勝山藩:『藩制一覧』の合高23,460.172石より引方2,402.77石を除いた実高21,057.402石を採用。
○米沢藩:『藩制一覧』は米沢新田藩10,000石を含むと思われる。
○高松藩:『藩制一覧』の〆205,387.014石より朱印地975.913石、除地2,696.119石を除いた数値201,714.982石を採用。
○多度津藩:『藩制一覧』の合高14,018.676石より引高1,167.3846石を除いた残13,851.2914石を採用。
○園部藩:『藩制一覧』の合高38,343.2173石より永荒無地高引2,424.6397石を除いた残35,918.5776石を採用。
○松江藩:『藩制一覧』の草高245,341.159石より万引方除之65,331.3091石を除いた正180,009.7608石(計算値は180,009.8499石)を採用。
[79331] 2011年 9月 12日(月)02:11:03YT さん
藩領の内高、現収納高まとめ1
『庚午七月写 各藩高並租税調帳』(資料F)記載の高(ここでは内高のこと)、正税(実際は雑税・見取税を加算した現収納高)と、藩制一覧(資料A)記載の草高(ここでは内高のこと)をまとめましたので、以下大隈重信文書の『府藩県石高人口表』(資料B)の呼高(=内高)と現石(=現収納高)、『統計集誌』、「府藩県所轄並石高」(資料C,[79225]参照)の草高(=内高)と現高(=現収納高)、『明治史要』「知藩事表」(資料D')の現石(=現収納高)と一緒にまとめます。

なお『藩制一覧』記載の現収納高(現石、正租税+雑税等)については収録を見送りました。[79302]に示したように各藩で石高換算のレートが違う上、それぞれの税金一覧に欠落が多々あると推測されるからです。

表高との比較については[76745][76746][76747]を、『明治前期財政経済史料集成』との数値の違いは[79302]を参照してください。また府県、藩預所の内高、現収納高については[79307][79308]『明治二己巳年 租税取調帳』の数字をまとめました。藩の順番は『藩制一覧』の順に従っています。

藩名草高(A)呼高(B)草高(C)高(F)現石(B)現高(C)正税(F)現石(D')
厳原藩69,57369,57331,13021,13035,413.2220
岩国藩81,22181,22181,221.00000029,63729,63729,637.58690036,310.0000
今治藩43,234.81400043,15043,15043,150.90100022,71622,7162,716.17000022,720.0000
飯山藩35,192.29700035,19235,19235,192.29700011,61911,61911,619.60280511,970.0000
犬山藩42,704.80310042,70442,70442,704.80310013,51113,51115,495.94192012,840.0000
出石藩32,818.64405032,81832,81832,818.64405013,49213,84215,190.48954013,840.0000
岩村藩34,552.60603034,55234,55234,552.60603013,27213,27213,272.61299013,270.0000
一関藩30,347.37000030,34730,34730,347.37000010,85410,85412,254.22399511,210.0000
椿台藩/岩崎藩20,00020,00010,82310,82311,910.0000
岩槻藩33,020.48923033,01433,01433,014.1941309,5799,5799,580.5353208,880.0000
飯野藩21,062.89400021,06221,06221,062.8940009,0127,4969,042.7754607,500.0000
飯田藩20,092.91977020,08220,08220,082.5667909,4409,4409,441.46218510,040.0000
磐城平藩29,939.89400029,53929,53929,939.8940007,6347,6347,634.7249506,760.0000
岡山新田藩/生坂藩15,000.00000015,00015,0005,680.0000
石岡藩29,069.68310029,06929,06929,069.6830105,5005,5005,500.0565405,260.0000
今尾藩17,906.91300020,00020,00020,000.0000005,9377,8005,937.0942007,800.0870
伊勢崎藩25,492.36300025,49225,49225,492.3630005,3745,5025,374.6759705,510.0000
一宮藩16,106.40636013,00016,10613,000.0000005,4725,4655,472.3307305,470.0000
泉藩19,543.51775019,54319,54319,543.5177504,1654,5504,368.8915624,550.0000
岩村田藩15,125.04949013,25013,25013,250.4479003,6603,6603,660.3570244,300.0000
蓮池藩59,659.78487559,65959,65959,659.78480018,58220,43218,582.66250020,430.0000
花房藩43,743.39766035,00035,00035,000.00000011,07711,07711,077.84687914,570.0000
八戸藩40,074.00000040,07440,07440,074.0000007,1219,4377,121.1857009,440.0000
伯太藩14,273.03410074,27374,27314,273.0341006,0736,0736,073.2917356,070.0000
林田藩14,889.67190014,88914,88914,889.6719006,4236,4236,423.0029576,420.0000
半原藩22,228.13700022,22822,22822,228.1330005,9405,9405,940.9205905,940.0000
西尾藩63,205.63154062,60262,60262,602.51154023,77023,77023,770.60590323,190.0000
二本松藩50,000.00000050,00050,00050,000.00000011,87212,86911,872.91682512,860.0000
庭瀬藩20,573.78265020,57320,57320,573.78265010,46610,46610,466.23781010,470.0000
新見藩18,196.14020018,19618,19618,196.1402006,3476,5126,347.4927876,510.0000
西大路藩17,004.50000017,04317,04317,043.6725006,8626,8626,862.6773606,710.0000
新谷藩9,692.6757809,6929,6929,692.6757804,8914,8904,891.0440704,890.0000
西端藩14,008.75433014,00814,00814,008.9994003,3793,2803,379.1925043,280.0000
西大平藩10,416.14540010,41610,41610,416.2744002,8553,2632,855.3321703,250.0000
本庄藩27,223.06100027,51817,51827,518.15500012,93313,27012,933.57529013,270.6140
堀江藩5,484.7083805,4845,4845,484.7883802,7452,2712,745.1605502,270.0000
徳島藩442,735.000000442,735442,735442,735.000000206,359206,359206,359.725000193,173.5400
鳥取藩423,669.702000428,169428,169398,748.288500157,884157,884157,884.128627186,437.5000
若桜藩8,830.0000
鹿奴藩13,250.0000
豊津藩165,617.352000165,617165,617165,617.35200079,54379,54379,543.65987588,170.0000
富山藩145,637.801000159,297159,297159,297.87100066,92566,01066,925.17365066,010.0000
豊浦藩100,972.000000100,972100,972100,972.00000039,97339,97339,973.31250039,972.0000
豊橋藩89,978.87909089,97889,97889,978.87990025,47626,19825,479.54438126,200.0000
徳山藩69,054.00000069,05469,05469,054.00000021,41321,41321,413.74186511,410.0000
鳥羽藩31,813.70900031,81331,81331,813.70900014,86812,91914,868.75625512,920.0000
豊岡藩15,806.30385015,80615,80615,806.3038506,0316,0316,031.5077375,380.0000
斗南藩7,380.0000
千束藩10,172.21260010,17210,17210,172.2126004,8024,8024,802.0242264,800.0000
大網藩/龍崎藩12,425.53838012,42512,42512,425.5383803,3273,8733,327.9438103,320.0000
沼田藩44,154.21279044,15444,15444,154.21279016,58916,58916,589.27880015,110.0000
岡山藩454,117.199600454,117454,117454,117.199600173,755173,755173,755.847890179,585.0000
大泉藩120,000.000000120,000120,000120,000.00000069,36169,36170,552.31353069,379.8100
小浜藩106,599.348200106,599106,599106,599.34820055,32555,32555,325.80221755,730.0000
大垣藩131,106.431580131,106131,101131,106.43158051,99857,99851,998.91628050,320.0000
岡藩91,844.62378091,84491,84498,144.62378034,60624,60644,638.79213052,400.0000
忍藩141,752.473870141,752141,752141,752.47387043,53939,21743,534.16365142,070.0000
大洲藩60,906.00000051,63751,63751,637.10000021,28421,28431,912.11718730,476.9000
大村藩50,454.61356058,97150,45450,454.61356026,32423,00223,545.72680323,060.0000
小城藩82,126.32000082,12682,12682,126.32000026,25326,25326,253.71581027,372.8400
飫肥藩60,595.40650060,59560,59560,595.40650023,81223,81224,301.75595023,340.0000
小田原藩75,532.40314075,53275,53275,532.40314021,78221,78221,782.86534023,410.0000
岡崎藩55,535.90330060,52160,52160,521.91700018,86721,35118,867.22801221,351.5502
大野藩39,320.57700039,32039,32039,320.57700014,88214,88214,882.97157512,630.0000
大多喜藩27,281.93690027,28127,28127,281.9369007,8447,2807,844.9473707,280.8537
大溝藩20,097.67058020,09720,09720,097.6705807,5176,7297,517.6407306,730.0000
岡田藩16,983.95003015,55515,55515,555.1687007,7517,7517,757.7418047,750.0000
小野藩11,099.31300011,09911,09911,099.3130005,2815,2815,281.2260805,280.0000
小幡藩23,070.14100023,07023,07023,070.1450004,1564,1734,156.8287204,170.0000
萩野山中藩13,684.19767013,68413,68413,684.1976703,5203,5203,520.3962894,660.0000
小久保藩11,265.14970011,27011,27011,325.4209003,4073,4533,411.1649364,400.0000
生実藩10,627.70566010,62710,62710,627.7056603,9943,9943,994.6610004,030.0000
大田原藩16,021.49390011,40011,40011,400.0000002,3112,4822,407.5092092,528.4916
小見川藩10,476.02001010,47610,47610,476.0200102,3582,3582,358.3014032,710.0000
和歌山藩539,469.470700539,469539,469539,469.470700279,141279,141279,141.688813274,590.0000
金沢藩1,338,083.5620101,338,0831,338,0831,338,083.562100637,316636,876637,316.968466636,880.0000
鹿児島藩869,593.576640869,593869,593869,593.576640298,709298,719298,709.464650314,002.5000
高知藩495,486.000000495,486495,486495,486.000000247,765247,765247,765.785400193,010.0000
高知支封藩(山内藩)4,720.0000
亀岡藩57,204.07000057,20457,20457,204.07000028,15628,15628,156.94094028,380.0000
唐津藩64,735.86300064,73564,73564,735.86300026,99026,99026,990.16624529,423.6600
亀山藩75,418.98180075,41875,04875,418.98180024,44724,44724,447.91483724,450.0000
川越藩81,562.30091081,56281,56281,562.30091021,51321,51321,513.40449021,660.0000
笠間藩85,310.66480085,31085,31085,310.66480019,65619,65619,956.22440025,180.0000

○鳥取藩:『藩制一覧』:池田徳澄分地(鹿奴藩)30,000石、池田徳定分地(若桜藩)20,000石、池田徳潤分地(福本藩)4,500石の石高を含むとあり、福本藩支配地11,573.2038石(福本藩配分7,073.052石+鳥取藩ヨリ廩米4,500石)を含むと推測される。
○豊津藩:『藩制一覧』の合高212,598.552石より千束藩支配10,000石、御蔵米36,981.2石を除いた残165,617.352石を採用。
○豊浦藩:『藩制一覧』の草高124,063石より清末藩配分23,901石を除いた残100,972石(計算値は100,162石)を採用。
○岡崎藩:『藩制一覧』の草高60,521.917石より諸引4,986.0137石を除いた残55,535.9033石を採用。
○金沢藩:『藩制一覧』の草高1,353,352.87101石より当時変地等引高15,269.309を除いた数値1,338,083.56201石を採用。
[79308] 2011年 9月 4日(日)17:58:36【1】YT さん
府県・藩預所の内高・石高のまとめ 修正
最後に『明治二己巳年 租税取調帳』による府県、藩預所別の内高、収納高の計算値をまとめます。細かい内訳は省略して、私が計算した正租税、見取税、雑税とその合計(租税合計)、また資料B(『府藩県石高人口表』)、資料C(『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁):[79225])の内高(呼高、草高)、現収納高(現石、現高)を並べて表にしました。[79270]の改訂版です。

(1) 使府県

使府県呼高(B)草高(C)高(記載値)租税計現石(C)現高(C)正租+見取正租税見取税雑税
京都府91,275194,53791,275.81154032,421.58357531,05631,05631,056.20857530,751.314100304.8944751,365.375000
東京府23,80527,72923,805.6218104,547.9714424,2984,2984,298.4714424,274.86336723.608075249.500000
大坂府111,658101,248111,658.45131039,651.15900038,66558,51638,665.15900038,619.99300045.166000986.000000
度会県26,73626,73626,736.1126007,499.3240306,1416,1416,142.1990306,134.9690307.2300001,357.125000
長崎県59,71359,71359,713.14300023,567.36321322,09122,09122,091.98821321,949.773400142.2148131,475.375000
新潟県233,317233,317231,148.73014080,906.60919079,60079,60079,376.22929079,153.382190222.8471001,530.379900
奈良県223,324223,324223,324.19751062,770.84506057,80457,80457,804.97006057,738.44696066.5231004,965.875000
甲府県259,626259,626259,626.56304080,983.14848078,82078,82078,082.14848077,889.329600192.8188802,901.000000
神奈川県285,180285,180285,180.59305062,086.47747959,98359,98359,983.58987959,637.706955345.8829242,102.887600
大津県175,674175,674175,674.16023056,731.73683052,30952,30952,309.86183052,225.21574084.6460904,421.875000
笠松県178,108178,108178,108.35037038,862.40461336,12236,12236,122.52961335,942.695413179.8342002,739.875000
高山県56,81556,81556,815.88800025,162.84200024,28824,28824,288.84200024,274.47500014.367000874.000000
久美浜県117,619117,619118,759.62687030,943.26178028,38918,38928,744.01178028,644.24298099.7688002,199.250000
堺県191,230191,230191,230.46332063,123.95885060,73860,73860,738.74000060,597.881000140.8590002,385.218850
日田県138,008138,008139,666.17712041,186.65640038,59038,59039,089.53140039,069.86990019.6615002,097.125000
倉敷県109,85296,00196,001.23079025,077.50598730,61023,51323,513.25598723,497.49048715.7655001,564.250000
伊那県218,516218,516218,516.08234049,253.46785843,98343,98344,445.71785844,313.827812131.8900464,807.750000
佐渡県132,574132,574132,574.72900047,408.22900044,88844,88844,888.10400044,798.51400089.5900002,520.125000
韮山県150,053150,053150,053.91259025,966.37681824,09224,09224,091.25181824,010.05531881.1965001,875.125000
品川県126,645126,645126,645.12946015,017.84006013,66513,66513,665.34006013,612.53649852.8035631,352.500000
浦和県271,084271,084271,084.47153031,487.67916628,95528,95529,155.80416628,857.221591298.5825752,331.875000
宮谷県336,441336,441336,441.51266062,921.13195062,02662,02662,026.25695061,667.801613358.455338894.875000
岩鼻県361,082361,082361,082.35613037,596.82344134,49034,49034,490.82344134,336.643129154.1803133,106.000000
若森県269,893269,893269,893.25663038,833.99048338,11838,11838,118.86548337,784.337964334.527519715.125000
小菅県136,945136,945136,945.85660042,440.69097441,00241,00141,002.94097440,901.737037101.2039371,437.750000
葛飾県248,298248,298248,298.60329035,000.01887633,55133,55133,551.76887633,170.877119380.8917581,448.250000
日光県327,695327,695327,695.27951043,540.04815842,66841,66842,668.79815842,572.19862396.599535871.250000
福島県197,195197,195197,195.29584029,014.18654526,82126,82126,821.17249526,799.39319521.7793002,193.014050
浜田県117,820117,820117,819.16400055,499.02178853,79153,79154,188.63840054,188.6384000.0000001,310.383388
若松県375,111375,111375,111.61100058,981.30086354,80854,80854,808.64913854,805.3993133.2498254,172.651725
酒田県429,308429,308247,060.39287071,551.96902368,803.70142368,803.7014230.0000002,748.267600
石巻県111,660.24000015,256.41557514,014.90762513,953.83762561.0700001,241.507950
兵庫県109,600191,600109,600.68402040,404.74200039,43639,43639,436.86700039,358.48400078.383000967.875000
江刺県120,049120,049120,049.58800013,288.76922012,74412,74411,953.51067011,953.5106700.0000001,335.258550
角田県124,111124,111124,111.64000011,376.1744549,9959,9959,995.9156179,995.9156170.0000001,380.258838
登米県316,208316,208204,548.00000028,028.47943839,76739,76825,753.08987525,753.0898750.0000002,275.389563
胆沢県189,729189,729189,729.01000017,459.92975015,35015,35015,350.16623815,013.406369336.7598692,109.763513
白河県230,587230,587230,587.85511024,404.29726321,83921,83921,839.40583821,818.39228821.0135502,564.891425
柏崎県336,357336,357336,357.492248101,161.86230797,42097,42097,420.33834497,199.374144220.9642003,741.523963
生野県57,51757,51757,517.48640015,213.03190014,14714,14714,147.65690014,103.39290044.2640001,065.375000
五條県109,24319,243
中野県154,472154,472
本保県119,850119,850
箱館開拓使
小計(計算値)7,848,3237,923,2487,269,304.7699281,586,629.3248341,443,0601,444,8141,504,947.4279221,500,173.9356404,773.49228281,681.896913
小計(掲載値)7,796,0927,923,2487,269,304.7699281,511,2851,444,814

(2) 各藩預所

藩預所高(記載値)租税計正租+見取正租税見取税雑税
福井藩預所109,545.76803015,377.33280614,690.73710014,666.60490024.132200686.595706
岡山藩預所6,314.2710001,482.3382101,463.9470001,463.9470000.00000018.391210
彦根藩預所34,278.9200009,838.6886319,579.1650009,562.97800016.187000259.523631
大垣藩預所69,874.73682010,214.92983510,092.04740010,072.24050019.806900122.882435
龍野藩預所19,044.2740006,449.6480766,166.5290006,161.9630004.566000283.119076
松代藩預所20,645.6548002,668.0285132,530.2175882,528.6834001.534188137.810925
岸和田藩預所10,046.7819402,634.6200752,577.0420002,574.9020002.14000057.578075
高槻藩預所32,301.4225508,757.1384258,306.8063008,301.5753005.231000450.332125
津山藩預所16,681.6220002,695.9166752,442.5370002,442.1050000.432000253.379675
高知藩預所19,682.8628005,956.8174255,849.4334005,849.4334000.000000107.384025
大洲藩預所1,354.985000524.567990519.831100519.8311000.0000004.736890
金沢藩預所14,368.9374501,875.0000001,875.0000001,875.0000000.0000000.000000
人吉藩預所590.188300119.655973118.037660118.0376600.0000001.618313
佐伯藩預所2,143.724000711.165225683.610550682.6109500.99960027.554675
名古屋藩預所1,356.93200077.16226072.62400072.6240000.0000004.538260
伊勢国所?23,334.60400010,366.3815709,183.6315709,183.6315700.0000001,182.750000
小計(計算値)381,565.68469079,749.39168776,151.19666876,076.16778075.0288883,598.195020
小計(掲載値)381,565.684690
府県・藩預所合計(計算値)7,650,870.4546181,666,378.7165211,581,098.6245891,576,250.1034204,848.52116985,280.091932
府県・藩預所合計(掲載値)7,650,870.4546181,602,665.5610321,512,538.5398244,848.52120885,278.500000

これらの藩の預所の変遷については調査中です。
[79307] 2011年 9月 4日(日)17:53:26【2】YT さん
地租改正前の三種類の租税
色々と紆余曲折がありましたが、『明治二己巳年 租税取調帳』に登場する石高をまとめました。

自分はよく知らなかったのですが、江戸時代の租税は、検地を受けた高請地からの年貢である「正租税」、検地を受けない高外地の税金である「雑税」の他に、大雑把な計算で高を算出した見取流作場からの年貢である「高見取流作」の三種類があったようです。内高には見取場、高外地の分は加わっているかどうかは知りませんし、「高見取流作」も「正租税」の一種かもしれませんが、とりあえず『明治二己巳年 租税取調帳』では三種類を別の税金としてまとめておりました。

以下府県・藩預所の明治2年における租税の集計です。なおYT計算値は下七桁目四捨五入表示です。

(1) 正税税
分類数値米石換算(米石)換算相場
146万1241石5升1合2勺7才4毛1,461,241.051274
(YT計算値)152万4952石7斗3升2合7勺5才4毛1,524,952.732754
25万0641両3分永112分6ト7厘3毛31,330.233000米1石=金8両
(YT計算値)31,330.232833
29貫705匁6ト3厘6毛61.887000米1石=銀480匁
(YT計算値)61.886742
大豆1万9123石8斗3升8合5勺5才19,123.838550米1石=大豆1石
545石3斗8升272.690000米1石=籾2石
313石7斗2合313.702000米1石=麦1石
915石2斗3升5合93.012000米1石=塩9.84石
(YT計算値)93.011687
83石6斗5升6合7勺27.886000米1石=荏3石
(YT計算値)27.885567
16石8斗5.600000米1石=稈3石
5257貫273文65.716000米1石=銭80貫
(YT計算値)65.715913
調銭224貫590文2.924000米1石=調銭80貫
(YT計算値)2.807375
合石米151万2538石5斗3升9合8勺才4毛1,512,538.539824
(YT計算値)1,576,150.103420

(2) 高見取流作
分類数値米石換算(米石)換算相場
3939石3斗1升1合8勺8才3,939.311880
7160両1分永90文1ト4厘9毛895.042510米1石=金8両
(YT計算値)895.042519
68匁7ト4厘0.143208米1石=銀480匁
(YT計算値)0.143208
179貫257文2.240710米1石=漁80貫
(YT計算値)179貫253文2.240663
大豆1石9斗5升8合1.958000米1石=大豆1石
2升7合0.027000米1石=麦1石
小麦9石7斗9升7合9勺9.797900米1石=小麦1石
合石米4848石5斗2升1合2勺8毛4,848.521208
(YT計算値)4,848.521169

(3) 雑税
分類数値米石換算(米石)換算相場
3万2424石余32,424.000000
(YT計算値)3万2424石4斗7升3勺8才余32,424.470380
42万1949両余52,743.000000米1石=金8両
(YT計算値)42万1949両1分永195文1ト1厘7毛余52,743.680639
41貫753文余0.500000米1石=銭80貫
(YT計算値)0.521913
14石余14.000000米1石=餅1石
大豆79石余79.000000米1石=大豆1石
(YT計算値)79石4斗1升9合余79.419000
菜種18石余18.000000米1石=菜種1石
合石米8万5278石5斗85,278.500000
(YT計算値)8万5280石9升1合9勺3才2毛85,280.091932

正租税、雑税、及高見取流作 三口合160万2665石5斗6升1合3才2毛 (YT計算値:1,666,378.716521米石)。内高合計7,650,870.454618石に対する税率はたった21%で、諸藩の税率に比べて異常に安いことになりますが・・・、まあからくりがあるのかも知れません。
[79302] 2011年 9月 3日(土)02:54:38【5】YT さん
地租改正前の石高の計算方法
[79215][79216][79217][79218][79219][79220][79221][79222][79223][79224][79225]で、『藩制一覧』における藩の人口統計をまとめましたが、近代デジタルライブラリーを検索したところ、いつの間にか『藩制一覧』も登録されており、閲覧可能となっていました

さて[79270]の方で、『明治二己巳年 租税取調帳』から府県の正租(正税)を計算する際に、石高だけで計算しましたが、どうやら金、銀、銭、永等もしかるべき換算を施して計算に組み込むべきで、大豆、小麦、塩等を米の石高に換算するレートも個々で違うことが分かり(米1石=大豆1.6石=小麦2石=蕎麦2.4石=金8両=永8000文 等々)、[79270]の表は大幅に改定する必要があるようです。

更に自分は『庚午七月写 各藩高並租税調帳』の方で、いわゆる「収納高」=「現収納高」=「現高」=「現石」に相当するものが、「正税」と表現されていたことから、「収納高」=「正税」なのだと誤解していましたが、『藩制一覧』をチェックしたところ、どう計算しても「収納高」=「正税」+「雑税」、つまり藩の格を決定した収納高は、米石換算の年平均総税収入であったことが判明しました。

例えば『藩制一覧』によると郡山藩は

正祖米:5万4251石8斗3升8合4勺
雑税米:5228石9斗1升1合8勺
雑税金:56両3分3朱永75文9分1厘2毛

金3分=金3/4両、金3朱=金3/16両、永75文9分1厘2毛 = 金0.075912両
金1両=1/8米石なので、雑税金は7.1266765米石

以上を合計すると、郡山藩の正税+雑税は

54,251.8384+5,228.9118+7.1266765 = 59,487.8768765 米石

『庚午七月写 各藩高並租税調帳』によると、郡山藩の正税は59,487.876876石となっていますが、多分これは「収納高」とか「現高」と表現されるべきものなのでしょう。

『府藩県石高人口表』『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁)「人員表」(8号96~107頁)の方では、藩の「現石」や「現高」はおおよそ『藩制一覧』の「正税」+「雑税」と一致しますが、府県の「現石」や「現高」は[79270]で計算した、「正税」の数値と大体一致しており、政府関係者の作成した表であるのにも関わらず、税収はダブルスタンダードで計算されている、そこそこいい加減さを伴ったものであることが判明しました。

これとは別に、『明治史要』「知藩事表」と『明治前期財政経済史料集成』収録の「諸藩草高現収納高並知事家禄高表」とを比較し、[76745][76746][76747]の数字を改定しようとしましたが・・・

『明治前期財政経済史料集成』では上山藩の草高が2万7000石となっていました。また現収納高は本荘藩が13,270.416石(でも合計の端数からすると13,270.614石でないと計算が合わない)、徳山藩が21,410石、大多喜藩が7,280.08537石、龍野藩が27,766石、松嶺藩が12,696石、七戸藩が1701石となっており、石高を誤魔化した堀江藩が脱落していました。しかしながらこちらも合計が一致しません。

もう少し石高の修正には時間がかかりそうです。

【9月4日0:57 追記】

『藩制一覧』を詳しく検討してみたところ、米以外の作物の石高を米石高へ換算する比率には、全国統一の基準が無かったようです。それどころか、銀の相場も藩によって換算が違うようです。例えば:

厳原藩の場合:大豆1石=金6両 (=米3/4石)、麦1石=金6両 (=米3/4石)
小諸藩の場合:大豆1石=金5両 (=米5/8石)、蕎麦1石=金10/3両 (=米5/12石)
一関藩の場合:大豆1石=米1石、銀1貫(銀1000匁)=金10両 (=米5/4石)
飯野藩の場合:大豆1石=米0.5石、銀1貫(銀1000匁)=米25/12石 (=金50/3両)

こうなってくると、大豆1石が指す量が違うのかも知れません。

全国で共通の相場といえるのは、どうも

米1石=金8両=永8貫(永8000文)

ぐらいでしょうか。
[79301] 2011年 9月 3日(土)02:11:27YT さん
世田谷ヴィレッジ、ネタかぶり
[79298] ペーロケ さん

別のページ

の中に方位付きの地図がありますが、地形からすると、この地図の上側が野川、右側が世田谷町田線で、喜多見八丁目小緑地あたりと周囲の住宅地の地形が合致します。

で、自分は1992年頃に近所の和泉自動車教習所に通っていた関係で、この建物の横を何度も教習所の車で通過しており、何か建物があったのは覚えているんですが、いつごろ無くなったのかまでは記憶にありません。

って、[79300] MasAka さんとネタがかぶってしまいましたが、せっかく書きかけたので投稿します。
[79273] 2011年 8月 29日(月)00:36:09YT さん
永高における貫文と石高の変換
『藩制一覧』の正税、大隈重信文書の『庚午七月写 各藩高並租税調帳』を比較したところ、正税の内、少なくとも永高(貫文)で表される分は、1貫=1/8石で換算しているらしいことが分かりました。

例:久留里藩の場合

『藩制一覧』によると
現米:一萬八百五十五石五斗四升四合
永:二千百六十七貫十七文、此現米二百七十石八斗七升七合(但石八両立)
二口合一萬千百二十六石四斗一合
つまり現米分は
2167.017/8 = 270.877125石
永高分は
10855.5544+270.877125=11,126.421125 石

『庚午七月写 各藩高並租税調帳』によると
久留里藩の正税は、11,126.42112石

『明治史要』「知藩事表」では
久留里藩の現高は、11,126.421石

大隈重信文書の『府藩県石高人口表』では
久留里藩の現石は、11,126石

『統計集誌』「府藩県所轄並石高」の場合、
久留里藩の現高は、11,126石です。

[79270]の数字は、正税における金銭収入や魚納の収入等を無視してますが、もしかしたら少なくとも「永高」分は上の換算式(1貫=1/8石)で変換するべきかも知れません。
[79270] 2011年 8月 28日(日)22:41:08YT さん
府藩県三治時代における藩預所と伊勢神宮領?の謎
以前府藩県三治制時代の表高、内高、収納高の数値を[76745][76746][76747]で比較検討しましたが、藩の石高については大隈重信文書の『府藩県石高人口表』(資料B)、『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(資料C,[79225]参照)、『明治史要』「知藩事表」の三種類の資料の比較を行ったものの、府県については十分な比較検討が出来ませんでした。

最近、大隈重信文書を検索したところ、明治3年より前の藩の石高を掲載した『庚午七月写 各藩高並租税調帳』(資料F)と明治2の府県の石高を掲載した『明治二己巳年 租税取調帳』(資料E)を見つけました。藩に関しては、『藩制一覧』との結果と合わせて比較するとして、まず『明治二己巳年 租税取調帳』による石高と『府藩県石高人口表』、『統計集誌』「府藩県所轄並石高」による内高、収納高の比較を掲載します。

(B)は大隈重信文書『府藩県石高人口表』、(C)は『統計集誌』「府藩県所轄並石高」、そして(E)は『明治二己巳年 租税取調帳』によります。

『明治二己巳年 租税取調帳』には各府県毎に正租と雑税が掲載されていますが、この内雑税は計算から除きます。また石高に換算できるもの(米、大豆、籾、麦、塩、荏、稈)の石高のみを合算し、貫文で表現される金・銀・銭・調銭や漁は合算しません。正租(合計)、都合(米を除く他の合計:大豆・籾・麦・塩・荏・稈)、外(米・大豆・麦・小麦の合計)は私が資料(E)から計算したものです。収石米(E)と高(E)については合計と記載値にズレが生じましたが、他の数値(都合の大豆・籾・麦・塩・荏・稈、外の米・大豆・麦・小麦)については内訳と合計が完全に一致しており、その合計値も記載値として扱います。

資料では石の下の単位は、斗、升、合、勺、才、毛(弗ではない)となっており、下6桁まで数字がありますが、6桁目がない項目では5桁表示にしています。

使府県呼高(B)草高(C)高(E)現石(C)現高(C)正租(合計)都合米(E)都合(他計)外(合計)
京都府91,275194,53791,275.81154031,05631,05631,055.69720030,751.314100304.38310
東京府23,80527,72923,805.6218104,2984,2983,916.1163303,910.4083305.70800
大坂府111,658101,248111,658.45131038,66558,51638,665.15900038,619.99300045.16600
度会県26,73626,73626,736.1126006,1416,1416,140.9490306,134.9690305.98000
長崎県59,71359,71359,713.14300022,09122,09121,902.98340021,772.388500130.59490
新潟県233,317233,317231,148.73014079,60079,60079,376.22929079,153.382190222.84710
奈良県223,324223,324223,324.19751057,80457,80457,804.97006057,738.44696066.52310
甲府県259,626259,626259,626.56304078,82078,82078,078.76648077,885.947600192.81888
神奈川県285,180285,180285,180.59305059,98359,98357,315.73585057,041.500700274.23515
大津県175,674175,674175,674.16023052,30952,30952,309.86183052,225.21574084.64609
笠松県178,108178,108178,108.35037036,12236,12236,104.56220035,924.728000179.83420
高山県56,81556,81556,815.88800024,28824,28824,288.84200024,274.47500014.36700
久美浜県117,619117,619118,759.62687028,38918,38928,744.01178026,927.1009801,717.1420099.76880
堺県191,230191,230191,230.46332060,73860,73860,738.74000060,597.881000140.85900
日田県138,008138,008139,666.17712038,59038,59039,089.53140039,069.86990019.66150
倉敷県109,85296,00196,001.23079030,61023,51324,335.47930023,120.3768001,199.3370015.76550
伊那県218,516218,516218,516.08234043,98343,98344,384.35927044,252.722320131.63695
佐渡県132,574132,574132,574.72900044,88844,88844,888.10400044,798.51400089.59000
韮山県150,053150,053150,053.91259024,09224,09222,745.53864022,686.14714059.39150
品川県126,645126,645126,645.12946013,66513,66511,868.35328011,843.20078025.15250
浦和県271,084271,084271,084.47153028,95528,95525,717.11224025,517.303740199.80850
宮谷県336,441336,441336,441.51266062,02662,02660,924.79600060,580.374000344.42200
岩鼻県361,082361,082361,082.35613034,49034,49029,336.73542029,263.65242073.08300
若森県269,893269,893269,893.25663038,11838,11836,102.90572035,828.530720274.37500
小菅県136,945136,945136,945.85660041,00241,00139,992.01819039,915.28750076.73069
葛飾県248,298248,298248,298.60329033,55133,55131,678.70467031,396.2701500.91190281.52262
日光県327,695327,695327,695.27951042,66841,66839,946.29725039,876.15425070.14300
福島県197,195197,195197,195.29584026,82126,82126,451.54502026,429.76572021.77930
浜田県117,820117,820117,819.16400053,79153,79154,188.63840054,188.638400
若松県375,111375,111375,111.61100054,80854,80852,373.29670052,373.296700
酒田県429,308429,308247,060.39287068,721.04811068,721.048110
石巻県111,660.14000014,011.85000010,973.7300002,977.0500061.07000
兵庫県109,600191,600109,600.68402039,43639,43639,436.86700039,358.48400078.38300
江刺県120,049120,049120,049.58800012,74412,74410,022.7751708,783.5801701,239.19500
角田県124,111124,111124,111.6400009,9959,9959,826.6549007,355.0212002,471.63370
登米県316,208316,208204,548.00000039,76739,76825,699.72000021,225.3500004,474.37000
胆沢県189,729189,729189,729.01000015,35015,35015,012.6260008,309.7000006,702.92600
白河県230,587230,587230,587.85511021,83921,83920,877.22375020,819.01360037.5066520.70350
柏崎県336,357336,357336,357.49224897,42097,42097,419.55709497,198.592894220.96420
生野県57,51757,51757,517.48640014,14714,14714,147.65690014,103.39290044.26400
五條県109,24319,243
中野県154,472154,472
本保県119,850119,850
箱館開拓使
小計(計算値)7,848,3237,923,2487,269,304.6699281,443,0601,444,8141,475,642.0188741,450,945.76854420,820.072253,876.17808
小計(掲載値or下小計合計)7,796,0927,923,2487,269,304.6099281,511,2851,444,8141,450,845.76854420,820.072253,876.17808
福井藩預109,545.76803014,690.73710014,666.60490024.13220
岡山藩預6,314.2710001,463.9470001,463.947000
彦根藩預34,278.9200009,579.1650009,562.97800016.18700
大垣藩預69,874.73682010,092.04740010,072.24050019.80690
龍野藩預19,044.2740006,166.5290006,161.9630004.56600
松代藩預20,645.6548002,530.1054002,528.6834001.42200
岸和田藩預10,046.7819402,577.0420002,574.9020002.14000
高槻藩預32,301.4225508,306.8063008,301.5753005.23100
津山藩預16,681.6220002,442.5370002,442.1050000.43200
高知藩預19,682.8628005,849.4334005,849.433400
大洲藩預1,354.985000519.831100519.831100
金沢藩預14,368.9374500.000000
人吉藩預590.188300118.037660118.037660
佐伯藩預2,143.724000683.610550682.6109500.99960
名古屋藩預1,356.93200072.62400072.624000
伊勢神宮領?23,334.6040009,167.9680008,989.428000178.54000
小計(計算値)381,565.68469074,260.42091074,006.964210178.5400074.91670
小計(掲載値)381,565.68469074,006.964210178.5400074.91670
合計(計算値)7,650,870.3546181,549,902.4397841,524,952.73275420,998.612253,951.09478
掲載小計の合計7,650,870.2946181,524,852.73275420,998.612253,951.09478
合計(掲載値)7,650,870.4546181,461,241.05127420,998.61225

何度見直しても府県の小計における、都合米収納高の数字のズレ(100石)と内高のズレ(6升)の原因が見つかりません。後者に至っては、そもそも全体の合計が一致しておらず(自分の計算値とは1斗、府県小計と藩預小計とは1斗6升)、都合米収納高の府県小計と藩預小計の合計は原書では完全に計算間違いと思われる値が記載されています。多分いずれも原書の計算間違いと思われます。

さて、ここで問題になるのが、何故藩の石高の一部が府県と一緒の表に掲載されているかです(原資料では、「~藩預」ではなく、「~藩」と書いてあります。)。大藩でありながら、1万石程度の名前がずらっと並ぶのが最初訳が分かりませんでしたが、大隈重信文書の別の資料『当巳年御収納高帳(諸府藩県明治二年収納高帳)』では、これらの藩領が「~藩預」と表記されており、つまりこれらが藩の預所であることが判明しました。

これらの藩の預所は藩の石高や人口に含まれるのでしょうか?『藩制一覧』では、彦根藩([79223][79224])と松代藩([79220][79221])の預所が別項目となっていましたが、石高を見る限り、このデータは藩の人口・石高に含まれません。

どうも明治2年~明治4年の間に、これら10ヶ所近くの預所は、他の府県(例えば中野県)に吸収されながら消滅したっぽいのですが、その辺の経緯を詳しく書いた本でもあればいいのですが、よくわからない状況です。

あと、原資料最後の項目(名古屋藩の次)が、自分には何と書いてあるのか分かりません。
伊勢国度会?支配????? 右??

と書いてあり、多分「右国所」、つまり伊勢の国直轄領で、伊勢神宮領のことだとは思うのですが、誰か分かる方教えて下さい。
[79225] 2011年 8月 22日(月)03:51:52【3】YT さん
『統計集誌』「府藩県所轄並石高」「人員表」、『藩制一覧』について
なお、[76313][76314][76315][76316][76317][76328]などでまとめた資料(C)『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁)「人員表」(8号96~107頁)ですが、こちらは今から129年前の1882年に出版された雑誌の号です。
しかしながら近代デジタルライブラリー等で取り扱われておらず、多くの人はこれを読むことが出来ないと思います。
そこで原資料の方をスキャンして取り込んだpdfファイルを、以下にアップしておきました。

http://touch.moe-lovers.net/up_ssize/download/1313940940/attach/Nomura.pdf
ダウンロードに必要なパスワードはCOMMENT欄にもあるように、「Nomura」です。

元民部省員の野村文夫が作成し、呉文聡が統計集誌に紹介したものだそうです。

また、『藩制一覧』は全九章からなる本で、それぞれの章に「藩制一覧表第一」「藩制一覧表第二」などと題名が書かれているので、[79216][79217][79218][79219][79220][79221][79222][79223][79224]のタイトルに、『藩制一覧表第一~第七』という名前を付けました。本当は各章を一つにまとめたかったのですが、文字制限でやむなく記事送りをしてしまいました。藩はイロハ順に並べてあり、各藩の人口の情報だけでなく、各藩の石高・収入の明細が記載されています。また「藩制一覧表第八」と「藩制一覧表第九」には、各藩の職員・兵隊の情報がまとまっています。ただ記載形式が統一されておらず、各章をまとめた人が違うのか、それぞれの章ごとに違う癖があります。

【追記】[79216][79217][79218][79219][79220][79221][79222][79223][79224]の元記事では、「~を除いた藩の総人口」という意味で「~外総人口」という言葉を使っていましたが、これだと「~の外に加えて藩の総人口」という意味にも捉えられかねないので、全て「~除外総人口」と修正しました。ただその結果全体で150文字ほど文章が増えてしまい、既にぎりぎりの文字制限で書いてしまった記事の一部を順繰りに後へ移動させる必要がありました。その結果藩制一覧表第四の説明の一部が藩制一覧表第五のテーブルの後に来てしまっています。もっとはっきり「~を除く藩総人口」とでも書き、文字数に余裕を持たせておくべきでした。

人口表を比較すると、『藩制一覧』(A)の大部分と『府藩県石高人口表』(B)、『明治史要』(D)では華族の統計が欠落していることが分かります。
[79224] 2011年 8月 22日(月)03:36:48【3】YT さん
藩制一覧表第七(続)
三草藩:(総)人口と男女合計が異なるが、前者を華士卒族除外総人口、後者を平民人口と解釈し、寺人口・行人派人口が欠落しているとして僧尼人口に加算。士族309人、卒族188人、(総)人口8961人(男女合計8832人、内、社人3人、僧15人、その他一23人)。
三池藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。寺社人口不詳。(総)人口8961人(内、士族503人、卒族183人、その他一78人)。
静岡藩:(総)人員を平民人口と解釈。藩士人員、転士人員、清水附名簿人員を士族人口に加算。士卒族人口内訳、寺社人口不詳。明治3年旧暦10月調:藩士4万8064人、清水附名簿2795人、転士36人、(総)人員77万7011人、その他一その他二7709人。
新発田藩:(総)人員を平民人口と解釈。その他十五人員をその他一人口に加算。明治3年旧暦2月調:華族10人、士族4783人、卒5685人、越後国ノ内神社763人、岩城国ノ内神職17人、越後国ノ内寺院1975人、岩城国ノ内寺院4人、(総)人員17万8986人、その他一132人、その他十五149人、その他二97人。
島原藩:合人員を総人口と解釈。合人員17万5051人(内、華族3人、士族2220人、卒4322人、社家678人、修験22人、山伏9人、寺院772人(内、僧539人、女233人)、尼庵4人、市郷16万5615人、その他一1353人、その他二53人)。
新庄藩:士族1255人、士族女子1446人、卒1005人、卒女子436人、神職男女合計16人、寺男女合計281人、修験男女合計263人、平民4万7405人、その他一男女合計14人、その他二男女合計52人。
重原藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口3万4789人(内、士族949人、卒族258人、社人63人、寺侶388人、修験6人)。
新宮藩:惣人口を華族除外総人口と解釈。中間人口を平民人口に加算。知事家族6人、惣人口5万4377人(内、士族1892人、卒族1265人、寺178人(内、僧145人、比丘尼2人、門徒宗五ヶ寺31人)、山伏118人、中間2135人、その他一759人)。
下館藩:総人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、総人口1万5182人(内、士族1156人、卒族148人、社家50人、寺院62人、その他一195人、その他二68人)
芝村藩(芝邨藩):総人口を華族除外総人口と解釈。明治2年旧暦10月調:総人口7338人(内、士族474人、卒族138人、社家43人、寺院75人、その他一242人)。明治4年旧暦2月調:社家39人、寺・仏堂38人。
椎谷藩:総人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、総人口2万0918人(内、士族218人、卒族167人、社家4人、寺171人、その他一117人)。
下妻藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。外一門壹人と准士族人口、准卒人口、寺院門前地百姓及借家人人口、その他四十人口をそれぞれ士族人口、卒人口、平民人口、その他二人口に加算。知事家族10人、外一門1人、総人口8805人(士族249人、准士族104人、卒族40人、准卒59人、社人29人、寺侶95人、山伏11人、寺院門前地百姓及借家人80人、その他一その他十255人、その他四十30人)。
志筑藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。知事家族9人、(総)人口5568人(男女合計5368人、内、士族334人、卒族97人、社人56人、寺侶19人)。
宍戸藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。小者人口を卒人口に加算。(総)人口6309人(内、士族190人、卒59人、小者20人、社人29人、寺侶55人、修験31人)。
七戸藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人口1万5527人(内、士族1680人、卒族350人、社人84人、寺侶54人、その他一13人)。
広島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。社務人人口、その他一その他二人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。知事家族9人、(総)人口91万4157人(内、士族9536人、卒族2万3046人、社務人2737人(男女合計3137人)、僧侶修験4862人、その他一その他二2万3686人(男女合計2万3056人))。
弘前藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人口27万8842人(男女合計27万8742人、内、士族1万2469人、卒族1万0215人、社人799人、寺侶726人)。
彦根藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。上等士族人口、下等士族人口を士族人口に加算。知事家族10人、総人口17万7518人(内、上等士5066人、下等士1542人、卒6494人、社人222人、寺侶2129人、その他一5407人、その他二189人)。
彦根藩預所(彦根藩御預リ地):管轄内寺領地人口と男女合計が異なるが、後者を採用。彦根藩預所の草高は3万4278石9斗2升であり、明治元年旧暦閏4月25日(1868年6月15日)の大津県への移管地区や明治3年旧暦7月17日(1870年8月13日)の朝日山藩への移管地区を含む。彦根藩御預リ地2万1421人(内、寺侶310人(内、男178人(内、僧154人)、女132人))、管轄内社領地759人(内、男395人(内、祝官20人、神子4人、僧5人)、女364人(内、尼4人))、管轄内寺領地1776人(男女合計1779人:男817人、僧176人、女782人、尼4人)。
姫路藩:総人口を華族除外総人口と解釈。水主並所々定番人口と所局中間譜並代雇之物人口は卒人口に加算。知事家族3人、総人口22万2661人(内、士族4030人、卒族4582人、水主並所々定番1095人、所局中間譜並代雇之物789人、社家488人、寺院1650人、(内、僧893人、男213人、女544人)、修験65人(内、修験17人、男20人、女28人)、その他一1万1389人、その他二109人)。
平戸藩:総人口を華族除外総人口と解釈。陪卒脇間又者人口は卒人口に加算。総人口14万8507人(内、士族2838人(内、平戸新田士族495人)、卒族1万2521人(内、平戸新田卒族177人(男女合計477人))、陪卒脇間又者4万6839人、社人605人、山伏614人、座頭243人、陰陽師114人、寺499人)。
人吉藩:総人口を華族除外総人口と解釈。社人人口と男女合計が異なるが、後者を採用。総人口5万3577人(内、士族3368人、卒族1万4930人、社人547人(男女合計544人:社人211人、男62人、女271人)、修験142人(内、山伏68人、男9人、女65人)、寺院94人(内、僧88人、男6人)、盲人65人(内、盲僧39人、男4人、女22人)、瞽女21人、その他一194人)。
久居藩:総人口(惣人口)を華族除外総人口と解釈。総人口(惣人口)、士族人口、卒族人口、社人人口、寺院人口については欄外朱書の数値を採用。知事家族5人、総人口3万8310人(男女合計3万8579人、欄外朱書の惣人口3万7878人、内、士族1399人(欄外朱書1402人)、卒族875人(欄外朱書1487人)、社人98人(欄外朱書134人)、寺院434人(欄外朱書:僧375人、尼6人)、その他一1374人、その他二101人)。
広瀬藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他二十八その他六人口をその他一人口に加算。知事家族5人、(総)人口2万6350人(原書欄外の惣人数2万6396人、内、士族748人、卒族761人、社人162人、寺侶247人、修験8人、その他二十八その他六382人)。
日出藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口2万0925人(内、士族946人、卒族1044人、社人201人、寺侶127人、修験山伏46人、盲僧37人、その他一177人)。
一橋藩:総人口を華士卒族除外総人口と解釈。総人口、神職人口、寺院人口については欄外朱書の数値を採用。欄外朱書総人口と男女合計が異なるが、後者を採用。その他四人口、その他十八人口とその他十人口はそれぞれその他一人口、その他二人口に加算。士族5154人、卒族1154人、総人口11万5228人(欄外朱書11万2559人(男女合計11万2563人))、内、神職316人(欄外朱書男女合計311人)、寺院668人(内、除地院22人、欄外朱書:寺院596人、除地22人)、堂庵12人、その他四205人、その他一6105人、その他十八67人、その他十130人)。明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)、廃藩。
盛岡藩:支配地人口を平民人口と解釈。支配地人口11万7527人、その他一189人。明治3年旧暦7月10日(1870年8月6日)、盛岡県を設置。
森藩:総人口を華族除外総人口と解釈。知事家族5人、総人口1万4244人(内、士族720人、卒族(但シ水主共)726人、社務71人、寺70人、その他一20人、その他二12人)。
母里藩:総人口を華族除外総人口と解釈。歩卒人口は卒人口に加算。知事家族3人、総人口8222人(内、士族241人、卒族295人、歩卒75人、社務72人、寺院59人、その他二十八248人、その他二2人)。
仙台藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。兵士人口、兵卒人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。知事家族7人、(総)人口23万8893人(内、兵士2万9408人、兵卒1万3091人、社家683人、陰陽師43人、修験998人、時慮2331人、その他一等ノ者1138人)。
膳所藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人口4万5726人(内、士族1858人、卒族1787人、社人340人、寺侶695人、尼17人、その他一1244人、その他二342人)。
関宿藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口、士族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。明治3年調:(総)人口4万9058人(男女合計4万9057人、内、士族人口1185人(男女合計1184人)、卒族1016人、社人272人、女巫6人、寺侶330人、山伏114人、尼8人、その他三十二その他一853人)。
須坂藩:惣人口を華族除外総人口と解釈。知事家族9人、惣人口1万1315人(内、士族431人、卒族403人、神職12人、寺150人、修験4人、その他一239人、その他二44人)。

ついでに『藩制一覧』には記載されていない府県について

使府藩県人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
京都府374,496373,688373,704
奈良県158,728158,728158,728
五條県136,060136,060136,060
堺県249,523249,523249,523
大坂府427,395427,395427,395
兵庫県224,124224,124224,124
度会県92,00496,62592,004
甲府県352,900352,900352,900
韮山県250,708250,603250,708
東京府674,447674,269674,269
神奈川県421,690421,690421,690
浦和県280,530280,274280,530
品川県188,650188,650188,650
小菅県16,267162,067162,067
宮谷県281,077281,077281,077
葛飾県230,614229,714230,614
若森県149,97617,676149,976
大津県211,334211,334244,114
笠松県188,139188,139188,139
高山県98,36697,160118,604
伊那県188,999189,899193,264
中野県00183,291
岩鼻県358,640358,640358,640
日光県415,706217,588217,588
白河県16,388106,298106,388
角田県83,01783,01783,017
若松県199,211199,211199,211
福島県119,668119,666119,668
登米県115,874222,518115,874
胆沢県138,167138,167138,167
江刺県237,5500237,550
山形県331,94132,261318,467
本保県0070,709
柏崎県418,711418,711437,923
新潟県259,600259,600259,600
佐渡県12,337102,337102,337
久美浜県166,586166,586166,586
生野県94,38794,38794,387
浜田県228,863228,863298,126
倉敷県237,506214,594237,680
日田県195,455195,455195,455
長崎県265,946264,259267,654
箱館開拓使00
合計22,034,73430,697,35430,088,33531,866,389
総数(記載値)31,778,59530,088,33531,866,389

箱館開拓使だけはどの文献でも人口が記載されていませんが、廃藩置県時の人口は、旧東西蝦夷地のアイヌ人口約2万人に、箱館周辺の人口を加えた約4万人前後でしょう。
[79223] 2011年 8月 22日(月)03:34:42【1】YT さん
藩制一覧表第六~第七
佐賀藩(佐嘉藩):(総)人員を平民人口と解釈。士族2万3823人、卒4万3488人、社人850人、僧4412人、(総)人員35万4450人。
佐倉藩:(総)人口と男女合計が異なるが、前者を平民・猿引外寺社人口、後者を平民人口と解釈。猿引人員、その他三十四人員をそれぞれ僧尼人口、その他二人口に加算。士族3021人、卒族4469人、(総)人口11万1265人(男女合計11万0700人、内、神主24人、神職16人、社人19人、僧362人、修験39人、医師53人、陰陽師1人、舞大夫11人、座頭20人、盲人9人、道心10人、比丘尼1人)、猿引10人、その他一156人、その他三十四7人、その他二81人。
篠山藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、後者を採用。その他三十五人員、その他三十六人員はその他二人口に加算。明治3年旧暦10月調:(総)人員5万8723人(族籍合計5万8726人:士族男女合計2158人、卒族男女合計1466人、社家男女合計53人、山伏男女合計9人、陰陽師男女合計19人、僧尼男女合計267人、農工商男女合計5万2281人、その他一男女合計2204人、その他三十五208人、その他三十六61人)。
佐土原藩:士族人員と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族3778人(男女合計3774人)、卒3133人、社家806人、寺院37人、庶民1万8666人。
西條藩:兵卒人員と軽卒人員を卒族人員に加算。明治2年旧暦10月調:士族1501人、兵卒725人、軽卒1252人、社家137人、修験181人、寺院堂庵192人、在町5万4400人。
佐伯藩:(総)人員を華士卒族除外総人口と解釈。士族937人、卒1247人、(総)人員6万5366人(内、社家男女合計165人、修験男女合計38人、寺男女合計327人(内、僧289人、女37人、尼1人)、その他一8人、その他二127人)。
三田藩:(総)人員を2万0332人を卒族・平民人口と解釈。兵卒人員、その他八人員をそれぞれ卒人口、その他二人口に加算。明治2年調:士族667人、兵卒240人、寺男女合計113人(内、僧95人、寺女18人)、(総)人員(郷村人口、含卒族)2万0332人、その他八80人。
鯖江藩:(総)人員を平民人口と解釈。士族1377人、卒1289人、社家39人、寺294人(内、僧152人、男8人、女123人、尼僧11人)、山伏17人(内、山伏7人、女10人)、(総)人員2万7151人、その他一13人。
狭山藩:人口不詳。明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)、堺県に編入。
佐野藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。知事家族2人、士族473人、卒族628人、(総)人員1万1893人、社家男15人、社女14人、僧63人、寺女24人、その他一10人、その他二1人。
佐貫藩:明治3年調:華族16人、士族401人、卒族110人、神職80人、寺78人、平民1万6908人、その他一97人、その他二26人。
桜井藩:(総)人員を平民人口と解釈。神領百姓人員、その他三十七人員をそれぞれ平民人口、その他二人口に加算。華族5人、士族321人、卒族54人、社家24人、寺57人、(総)人員1万2866人、神領百姓26人、その他三十七39人。
岸和田藩:華族8人、士族2212人、卒2393人、社家50人、平民5万8748人、その他一2108人、その他二241人、外ニその他二21人。
菊間藩:准士族、社領百姓をそれぞれ士族人口、平民人口に加算。士族551人、准士族842人、卒族1403人、神社239人、寺院396人(内、僧325人、尼1人、女70人)、修験39人、山伏33人、陰陽師3人、平民7万0190人、社領百姓112人。
杵築藩:惣人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。藩士人員、藩卒人員と陪卒人員をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。華族6人、惣人員1355人(内、藩士男女合計1980人、藩卒男女合計1355人、陪卒男女合計22人、社家男女合計501人、清僧184人、一向宗男女合計119人、祝言男女合計92人、盲僧24人、盲僧女22人、農男女合計4万5403人、商男女合計1833人)、その他一694人。
清末藩:華族9人、士族848人、卒族677人、社家山伏盲僧男女合計99人、寺院男女合計108人(僧99人、女9人)、修験2人(山伏1人、盲僧1人)、農商男女合計9199人、その他一38人、その他二78人。
清崎藩:(総)人員を平民・修験外寺社人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、後者を平民人口と解釈。卒人員と男女合計が異なるが、後者を採用。華族5人、士族359人、卒138人(男女合計141人)、修験72人、(総)人員2万1392人(男女合計:2万1185人、内、社人20人、僧171人、行人派16人)、その他一251人。
喜連川藩:(総)人員を平民人口と解釈。その他十人員をその他二人口に加算。士族171人、士族家族433人、社家38人、修験16人、寺院92人、(総)人員3549人、その他一28人、その他十25人。明治3年旧暦7月17日(1870年8月13日)、日光県に編入。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
結城藩6133371615717,019278618,42618,58018,44518,436
湯長谷藩535914038357,6938,2708,2658,2358,265
水戸藩6,5593,8152,047773254,877655717269,443264,256281,225259,344
三春藩1,5871,13745816533,1906336,60036,77436,76236,769
宮津藩2,2981,0481881,46365,69694927571,91773,67471,13671,831
水口藩1,3911509817118,0674106320,35020,62121,76820,621
壬生藩82786612111323,5661707925,74224,37225,95625,962
三日月藩6796645511217,94519,45519,45519,64019,455
峰山藩25138333528,852345559,97110,05510,77510,055
三日市藩107388,224138,3828,4199,0618,419
宮川藩3121221266,6094167,2167,1597,1667,192
峰岡藩334325312711,0404811,87711,13511,88111,145
三草藩30918831038,832239,4589,3719,3539,371
三池藩5031838,197788,9619,0399,0929,039
静岡藩50,895777,0117,709835,615813,886876,819813,886
新発田藩104,7835,6857801,979178,98628197192,601192,591192,604192,591
島原藩32,2204,322678807165,6151,35353175,051174,296175,051175,044
新庄藩2,7011,4411654447,405145252,17352,17352,17957,173
重原藩9492586339433,12534,78934,78934,89734,789
新宮藩61,8921,26529650,16575954,38354,47461,67754,474
下館藩31,156148506213,5031956815,18515,19612,76415,196
芝邨藩47413843756,3662427,3387,3387,4017,338
椎谷藩3218167417110,24111710,92110,91810,81210,911
下妻藩1035499291067,933255308,8168,8068,8158,786
志筑藩93349756194,8625,3775,4795,7855,479
宍戸藩1907929865,9256,3096,3096,1886,309
七戸藩31,680350845413,3461315,53015,52715,53015,527
広島藩99,53623,0462,7374,862850,29023,686914,166514,157914,172914,157
弘前藩12,46910,215799726254,533278,742288,842255,131288,842
彦根藩106,6086,4942222,129156,4695,407189177,528173,691189,946172,545
彦根藩御預リ地2449923,43623,959
姫路藩34,0306,4664881,715198,46411,389109222,664222,661223,762222,661
平戸藩2,83859,3606051,47084,234148,507149,143145,825149,143
人吉藩3,36814,93054432234,21919453,57753,57754,15253,577
久居藩51,4021,48713438132,9991,37410137,88338,84237,88338,842
広瀬藩574876116225524,04238226,35526,37026,36426,370
日出藩9461,04420121018,34717720,92520,92520,93620,829
一橋藩5,1541,154311630105,1156,310197118,871
盛岡藩/県117,527189117,716137,825137,825137,825
森藩5720726717012,625201214,24914,21214,24914,244
母里藩324137072597,23024828,2258,2158,2258,205
仙台藩729,40813,0916833,372191,2011,138238,900204,902239,897204,964
膳所藩31,8581,78734071239,4401,24434245,72645,70145,70645,684
関宿藩1,1841,01627845245,27485349,05749,05748,75549,057
須坂藩94314031215410,0322394411,32411,31511,32411,324

結城藩:(総)人員を平民・寺社人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、後者を平民人口と解釈。謹慎妻子人員、その他三十八人員はそれぞれ卒人口、その他二人口に加算。明治3年旧暦4月調:士卒950人(内、士族妻子男女合計613人、卒族妻子男女合計256人、謹慎妻子男女合計81人)、(総)人員1万7192人(男女合計1万7019人、内、神主13人、社人3人、山伏6人、僧128人、修験1人、医師10人、座頭4人、道心8人)、その他一278人、その他三十八6人。
湯長谷藩:平民人員を華士卒族除外総人口と解釈。小者は卒人口に加算。華族5人、士族359人、卒80人、小者38人、平民7766人(内、社家38人、修験6人、僧29人)。
水戸藩:(総)人口を平民人口と解釈。藩士人員、兵隊を士族人口、卒人口に加算、その他二人口と男女合計が異なるが、後者を採用。藩士人員6559人、兵隊人員3815人、社人2047人、寺773人、(総)人口25万4877人、その他一655人、その他二710人(男女合計717人)。
三春藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族2724人(内、士族1587人、卒族1137人)、社家458人、寺130人、修験32人、(総)人口3万8619人(男女合計3万3190人)、その他一その他二63人。
宮津藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族2298人、卒族1048人、社人188人、空也堂派鉢業ノ者1021人、寺442人(内、僧277人、女58人、尼7人)、(総)人口6万5696人、その他一275人、その他二275人。
水口藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口、社家陰陽師合人口と男女合計が異なるが、共に後者を採用。(総)人口2万0356人(男女合計2万0350人、内、士族1391人、卒族150人、社家陰陽師合94人(男女合計98人)、寺男女合計171人(内、僧76人、真宗僧51人、女31人))、その他一410人、その他二63人。
壬生藩:(総)人口を平民人口と解釈。和播二州(総)人口と男女合計が異なるが、男女比不自然により前者を採用。その他一人口と男女合計が異なるが、後者を採用。その他十七人口、その他三十八人口をその他二人口に加算。士族827人、卒族866人、社人121人、僧84人、尼4人、修験25人、野総二州(総)人口1万8213人、和播二州(総)人口5353人(男女合計6353人)、野総二州その他一169人(男女合計170人)、野総二州その他二25人、和播二州その他十七28人、和播二州その他二16人、その他三十八10人。
三日月藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族679人、卒族664人、社人55人、寺院庵修験112人(内、僧64人、尼21人、女27人)、(総)人口1万7945人。
峰山藩:(総)人口を華士卒族外総人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。その他三十九人口とその他四人口、その他八人口をその他一人口、その他二人口に加算。士族250人(男女合計251人)、卒族383人、(総)人口9337人(内、社人33人、寺52人)、その他一255人、その他三十九82人、その他四8人、その他八55人。
三日市藩:(総)人口を平民人口と解釈。寺社人口不詳。士族107人、卒族38人、(総)人口8224人、その他一13人。
宮川藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。夫卒人口を卒人口に加算。士卒族合計434人(内、士族男女合計312人、卒男女合計82人、夫卒40人)、(総)人口6735人(内、寺男女合計126人(内、僧74人、女50人、尼2人)))、その他一41人、その他二6人。
峰岡藩:(総)人口を『統計集誌』との比較から平民人口と解釈(記載通りだと(総)人員は華士卒族外総人口で、寺社人口とその他一人口を含む)。卒族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族334人、卒族325人(男女合計225人)、神職3人、寺127人(内、僧49人、男42人、女36人)、(総)人口1万1040人(男女合計1万0990人)、その他一48人。
[79222] 2011年 8月 22日(月)03:32:36【1】YT さん
藩制一覧表第五(続)~第六
藩制一覧表第五(続)
府内藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人員3万3323人(内、士族1265人、卒族1068人、社家312人、寺院328人、修験35人、その他一317人、その他二72人)。
福知山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族4人、(総)人口3万1130人(内、士族845人、卒族609人、社人29人、寺人135人、尼2人、修験33人、その他一1734人、その他二161人)。
福江藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。知事家族7人、(総)人口6万2294人(内、士族1718人(男女合計1719人)、卒族1279人、社人1187人、寺人(僧)99人、修験15人、その他一23人)。
福本藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人口7194人(内、士族361人、卒族170人、社人3人、神子2人、僧23人)。明治3年旧暦11月23日(1871年1月13日)、鳥取藩に編入。
吹上藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他十人口をその他二人口に加算。知事家族4人、(総)人口6826人(内、士族383人、卒族166人、社家50人、寺道場73人(内、男55人(内、僧20人)、女18人)、その他一186人、その他十9人)。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
郡山藩4,4681,7811692,00391,5492,003453102,426102,420102,42799,970
古河藩1,3492,68241244074,7773,6799383,43283,43283,57883,432
小諸藩6819266025129,3775734231,91031,91031,91831,910
挙母藩4614464010018,40620019,65314,95419,67414,954
小泉藩56802884786,8411,273639,2329,3679,2309,367
菰野藩48091351239,33510,06410,06410,06710,064
小松藩423316256413,92940815,16515,16515,15515,165
天童藩6425354710712,0461613,39313,39312,38913,403
秋田藩728,0498,0598444,786393,143386435,274435,267412,647435,267
明石藩1,8053,22614643370,39476,00476,00476,17376,004
秋月藩1,2123,2329118827,3639653333,08433,08433,58733,084
朝日山藩1,3981,7941,0363,24528,401135,8750026,206
尼崎藩41,7421,3768943745,7592,71520752,32949,40349,61452,325
足守藩4633347619616,31629017,74717,45217,50917,453
赤穂藩135801,0823533532,21148634,74234,64335,55834,643
綾部藩107623233610716,55145014418,38318,51118,42518,516
安中藩570925211212325,10373527,03927,04227,42727,125
麻田藩31314820879,77341510,75610,75610,80610,756
麻生藩40519536338,58015199,2839,3179,0929,283
足利藩4191087016317,64526218,6673,86618,71918,704
安志藩1274354437249,2547010,7209,8129,3869,812
浅尾藩40310020386,1533111527,1777,2467,1827,177
佐嘉藩23,82343,4888504,412354,450427,023425,7620425,762
佐倉藩3,0214,46959516110,70015698119,019119,129119,132119,129
篠山藩2,1581,4665329552,2812,20426958,72658,50758,73458,507
佐土原藩3,7783,1338063718,66626,42026,42026,75526,420
西條藩1,5011,97713737354,40058,38858,39861,03458,388
佐伯藩9371,24716536564,701812767,55067,55067,68767,554
三田藩66724011320,0928021,19221,89121,89821,811
鯖江藩1,3771,2893931127,1511330,18030,16730,27530,167
狭山藩0
佐野藩2473628298711,7771113,00712,99513,01212,995
佐貫藩16401110807816,908972617,71617,65217,63917,732
桜井藩532154245712,8923913,39213,08713,36413,387
岸和田藩82,2122,3935058,7482,10826265,78166,33467,62266,134
菊間藩1,3931,40323947170,30273,80874,06973,62474,069
杵築藩61,9801,37750144147,23669452,23551,53552,24751,535
清末藩9848677991109,199387811,05810,94611,05211,062
清崎藩53591412025921,18525122,22021,93022,10621,930
喜連川藩604381083,54928254,352

郡山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他八人口、その他十七人口をその他二人口に加算。(総)人口10万2426人(内、士族4468人、卒族1781人、社人169人、陰陽師26人、僧897人、僧男308人、尼25人、僧女745人、座頭2人、その他一2003人、その他八228人、その他十七225人)。
古河藩:(総)人口を平民人口と解釈。その他十七人口をその他二人口に加算。士族1349人、卒族2682人、社人412人、僧尼男女440人、(総)人口7万4777人、その他一3679人、その他二77人、その他十七16人。
小諸藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口3万1910人(内、士族681人、卒族926人、社人60人、僧108人、修験143人(内、修験54人、男26人、女63人)、その他一573人、その他二42人)。
挙母藩:総人口を華士卒族除外総人口と解釈。士族(但シ医師共)461人、卒族446人、総人口1万8746人(内、社人39人、女巫1人、僧68人、山伏21人、尼11人、その他三十二その他一男女合計200人)。
小泉藩:総人口を華族除外総人口と解釈。華族除外総人口と族籍合計が異なるが、後者を採用。その他十七人口をその他二人口に加算。明治2年旧暦12月調:知事並ニ家族5人、(総)人口9223人(族籍合計9227人:士族680人、卒族288人、社家4人(内、男3人、巫女1人)、修験1人、僧66人、尼11人、平民6841人、その他一1273人、その他二43人、その他十七20人)。
菰野藩:総人口を華族除外総人口と解釈。総人口1万0064人(内、士族480人、卒族91人、社家35人、寺院123人、農工商9335人)。
小松藩:総人口を平民・寺社人口と解釈。士族423人、卒族316人、総人口1万4018人(内、社人男女合計25人、僧45人、山伏男女合計17人、尼2人、社人僧尼山伏等引残男女合計1万3929人)、その他一408人。
天童藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員1万3393人(内、士族642人、卒535人、社家47人、僧54人(内、下男2人)、一向宗僧53人(内、男29人(内、下男7人)、女24人(内、下女6人))、平民1万2046人、その他一16人)。
秋田藩:総人口を華族除外総人口と解釈。士族下部人口、鉱山人口をそれぞれ士族人口、平民人口に加算。旧暦4月調:華族7人、総人口43万5267人(内、士族1万5514人、士族下部1万2535人、卒族8059人、社家844人、寺院4786人、鉱山1万2030人、その他一386人)。明治3年旧暦9月調:惣人口41万3493人(内、華族7人、士族2万1202人、卒族6929人、社務人3219人、修験66人(明治3年10月調)、僧1911人、その他一その他三十三944人、この時平民人口は37万9215人(修験人口を加えると37万9281人で『統計集誌』と一致))。
明石藩:総人口を華族除外総人口と解釈。寺院人口と男女合計が異なるが、後者を採用。総人口7万6004人、士族1805人、卒族3226人、社家134人、神子12人、寺院377人(男女合計357人)、修験76人。
秋月藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。夜須郡之内百姓人員と男女合計が異なるが、族籍合計から前者を採用。その他一人口、その他二人口は百姓人口に含まれ、その分を平民人口より減算。(総)人員3万3084人(内、士族1212人、卒3232人、神職91人、寺(含修験者)188人(内、男(僧徒)116人、女1502人)、市中2318人、百姓合計2万6043人(内、夜須郡之内百姓1万3394人(男女合計1万3358人)、下座郡之内百姓3916人、嘉麻郡之内百姓8733人、その他一965人、その他二33人))。
朝日山藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人員3万5874人(内、士卒族合3192人(内、士族1398人、卒1794人)、羽前国村山郡之内社寺4175人(内、神社合計1004人(内、神職29人、男480人、女473人、僕14人)、大神楽師男女合計32人、寺院合計3147人(内、僧侶246人、男1369人、女1498人、僕34人))、近江国坂田浅井二郡之内神社寺院106人(内、神社合計8人(内、神職2人、女2人、僕3人、婢1人)、寺院合計98人(内、僧侶41人、女41人、僕10人、婢6人))、平民2万8401人)、その他二1人。
尼崎藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。華族4人、(総)人員4万9403人(内、士族1742人、卒1376人、社家(但宮守共)89人、寺院437人、平民4万5759人)、その他一2715人、その他二207人。
足守藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。「右人口前ニ出」を、社人人員と修験人員が平民人員に含まれていることと解釈し、その分を平民人口より減算(それにより(総)人員と族籍合計が一致する。)。知事家族4人、(総)人員1万7453人(内、士卒族合980人(内、士族633人、卒347人)、社人61人、僧73人、修験16人、尼2人、浄土真宗一ヶ寺男女合計5人(内、僧3人、女2人)、平民合1万6393人(内、備中国賀陽郡村々平民1万2139人、岩代国信夫郡村々平民4254人))、その他一290人。
赤穂藩:惣計を華士卒族除外総人口と解釈(記載通りだと惣計は華族除外総人口で、士卒族人口を含む)。士卒族合人員と士族人員、卒人員、下卒人員の合計が異なるが、後者を採用。下卒人員は卒人口に加算。知事初家族13人、士卒族合1657人(族籍合計1662人:士族580人、卒433人、下卒649人)、惣計3万3067人(内、社家35人、修験11人、寺院324人、平民3万2211人、その他一486人)。
綾部藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。知事家族10人、(総)人員1万8373人(内、士族762人、卒323人、何鹿郡九ヶ村平民男女合計8914人(内、社人15人、一ヶ寺一向宗男女合計5人、僧56人、尼9人)、天田郡拾八ヶ村平民男女合計7311人(内、社人16人、僧23人、尼6人)、船井郡四ヶ村平民男女合計469人(内、社人5人、僧8人)、その他一450人、その他二144人)。
安中藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。寺院人員と族籍合計が異なるが、(総)人員と族籍合計が一致することから前者を採用。知事家族5人、(総)人員2万7034人(内、士卒族合961人(内、士族709人、卒252人)、社人112人、寺院123人(合計122人:僧55人、山伏17人、男16人、女34人)、平民2万5103人、その他一その他二735人)。
麻田藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人員1万0341人(内、士族313人、卒148人、神職20人、寺院85人(僧54人、女17人、俗男3人、尼11人)、修験2人、平民9773人)、その他一415人。
麻生藩:(総)人口を卒族除外総人口、原本朱書の(総)人口を士卒族・平民・寺社人口と解釈。明治3年旧暦9月調:(総)人口9092人(原本朱書9249人、族籍合計9088人:士族405人、社務36人、僧29人、修験3人、盲1人、その他一15人、その他ニ19人)、卒族195人。
足利藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。(総)人口と男女合計、その他一人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族419人、卒族108人、(総)人口1万7878人(男女合計1万7799人、内、神主70人、僧79人、庵男女合計84人(内、僧56人、庵守1人、侍2人、下男25人))、その他一人口262人(男女合計270人)。
安志藩:(総)人員を他統計との比較から華士卒族族除外総人口と解釈(記載通りだと(総)人員は士卒族人員を含む)。(総)人員と族籍合計、その他一人員と男女合計が異なるが、後者を採用。卒以下人員を卒人口に加算。知事大参事1人、士族274人、卒252人、卒以下102人、(総)人員1万0037人(族籍合計1万0038人または1万0091人:社人43人、藩祈祷所男女合計642人(内、僧7人、男327人、女308人)、寺僧女82人、平民9254人、その他一17人(男女合計70人))。
浅尾藩:(総)人口を『統計集誌』との比較から華士卒族除外総人口と解釈(記載通りだと(総)人口は士卒族人員を含む)。その他一人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。その他六人口をその他二人口に加算。明治2年調:士族403人、卒族100人、(総)人口6674人(内、社家20人、寺男女合計38人(内、僧36人、尼2人)、その他一311人(男女合計211人)、その他六152人)。
[79221] 2011年 8月 22日(月)03:30:18【1】YT さん
藩制一覧表第四(続)~第五(続)
(藩制一覧表第四(続))
延岡藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他一人口と男女合計が異なるが、後者を採用。江平町その他二十四人口をその他一人口に加算。華族4人、(総)人員12万4966人(内、士族2120人、卒族4022人、社家1082人、寺院413人、修験411人、盲僧40人(内、盲僧14人、俗男10人、女16人)、平民11万6189人、その他一350人(男女合計250人)、その他二323人。江平町その他二十四16人)。
野村藩:(総)人員を華族除外総人口(三河国渥美郡泉福寺・旧幕府朱印地山田村分を除く)と解釈。夫卒人口と士族召仕人口を卒人口に加算。(総)人員8431人(内、士族275人、卒族124人、夫卒45人、士族召仕28人、社家49人、寺院93人(内、男63人(内、堂守1人)、尼2人、女28人)、平民7767人、その他一29人、その他二21人)、三河国渥美郡泉福寺・旧幕府朱印地山田村分207人(内、僧4人、平民203人)。


(藩制一覧表第五(続))
熊本藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。両末家士族卒族人口、従前陪臣人口、その他二十五人口をそれぞれ士族人口、卒人口、その他二人口に加算。知事家族10人、(総)人口71万9990人(内、士族男女合計1万6050人、卒族男女合計7万1733人、両末家士族卒族(両末家士卒)男女合計1万5867人、従前陪臣男女合計1万5867人、社人(社家)男女合計1785人、僧侶(僧家)男女合計5416人、盲人685人、瞽女1208人、農(農家)男女合計55万7430人、商(商家)男女合計3万6891人、その他一男女合計7073人、その他二十五男女合計3183人)。
久留米藩:(総)人口を華族除外総人口、原書欄外の(総)人口を平民人口と解釈。知事家族8人、(総)人口26万4577人(内、士族5030人、卒族1万1641人、社人1416人、寺人1912人、原書欄外(総)人口24万2086人、その他一2223人、その他二269人)。
桑名藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他十人口をその他二人口に加算。士卒族人口内訳不詳。知事家族4人、(総)人口6万4848人(内、士卒族7086人、 社人113人、寺人728人(内、男僧362人、男50人、尼僧11人、女305人)、修験58人、堂住30人(内、男僧10人、尼僧20人)、その他一429人、その他十204人)。
郡上藩:(総)人口を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を平民人口と解釈。謹慎御免ノ者人口を卒人口に加算。知事家族4人、(総)人口5万5668人(男女合計5万1502人、内、士族977人、卒1265人、謹慎御免ノ者29人、社人1088人、寺人807人(内、僧161人、修験2人))、その他一6人、その他二72人。
久留米藩:合人口を華族除外総人口と解釈。合人口と男女合計が異なるが、後者を採用。社家人口と男女合計が異なるが、社家女人の記載漏れと判断し前者を採用。知事家族3人、合人口2万2580人(男女合計2万2680人、内、士族1189人(内、男595人、女594人、男ノ内、職員128人、兵士130人、老少333人)、卒143人、社家92人(男女合計90人)、寺院298人(内、僧141人、男81人、女76人)、平民2万0766人、その他一77人、その他二115人)。
黒石藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。仲間小者人口を平民人口に加算。(総)人口1万5932人(内、士族1094人、卒747人、社人39人、僧侶修検及ヒ其家人119人、仲間小者26人)。
黒羽藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口1万9493人(内、士族837人、卒1100人、社人88人、寺人37人(内、僧34人、女3人))。
櫛羅藩:(総)人員を平民人口と解釈。その他十七人員をその他二人口に加算。知事家族4人、士族406人、卒114人、社家30人、仏閣42人、(総)人員2273人、その他一1582人、その他十七99人。
黒川藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員9757人(内、士族293人、卒93人、社人18人、仏閣男25人、修験38人、夷太夫1人、その他一1人)。
山口藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。寺人人口と男女合計が異なるが、後者を採用。陪臣人口を平民人口に、その他二十六人口とその他四人口をその他一人口に加算。平民人口不詳。(総)人口6万6463人(内、士族1万1589人、卒族1万0362人、社人2263人、寺人5108人(男女合計5155人:男4075人(内、僧3096人、その他二十六26人、道心者25人)、女1080人(内、尼僧125人))、盲僧652人(内、男367人(内、盲僧256人)、女285人)、山伏285人(内、男166人(内、山伏116人)、女119人)、陪臣2万5487人、その他四29人、その他一1万0380人、その他二261人)。
柳河藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。浪士人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。徒士人口と浪士人口、軽卒人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。知事家族17人、(総)人口12万7323人(内、士族4979人、徒士179人、浪士1942人(男女合計1936人)、軽卒7615人、社人530人、僧侶1481人、修験4人、その他一937人、その他二169人)。
柳本藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、男女合計を華士卒族除外総人口と解釈。知事家族4人、(総)人口6814人(男女合計6221人、内、士族396人、卒族197人、社務5人、寺庵18人(僧14人、尼4人)、巫2人、その他一137人、その他二108人)。
山崎藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口1万0232人(内、士族420人、卒族470人、社人27人、寺庵71人(内、僧56人、一向宗六ヶ村ノ女15人)、修験10人)。
柳生藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、他統計との比較から前者を採用。知事家族2人、(総)人口6858人(男女合計6104人、内、士族413人、卒族188人、寺庵(僧)21人)。
矢島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他二十七人口と男女合計が異なるが、後者を採用。その他十八人口をその他二人口に加算。(総)人口1万5280人(内、士族447人、卒族324人、社人248人、寺院40人(内、僧36人、女4人)、その他一14人、その他二十七6人(男女合計8人))。
山上藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員9769人(内、士族276人、卒78人、社人6人、僧48人、尼8人、その他一524人(内、男278人、僧1人、女245人))。
山家藩:卒族人員と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。平民人口不詳。知事家族7人、士族343人、卒族131人、社人1人、寺人47人。
茂木藩(谷田部藩):(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員1万3425人、士族448人、卒族232人、社家64人、修験40人、寺庵寮85人(内、僧65人、道心8人、男5人、女7人)。
谷地藩:士卒人員以外不詳。士卒150人。元治元年(1864年)の西村山郡谷地の加増地に設置された大泉藩(荘内藩)の支藩で、明治政府に認知されず、藩名録に記載されていない。
松江藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。士族召使人口、卒族召使人口、社人召使人口、寺人召使人口、その他二十八人口をそれぞれ士族人口、卒人口、神職人口、僧尼人口、その他一人口に加算。(総)人口29万5521人(内、士族9924人(内、男5062人(内、召使2013人)、女4862(内、召使1681人))、卒族9693人(内、男5344人(内、召使36人)、女4349人(内、召使500人))、社人3410人(内、男1710人(内、召使250人)、女1700人(内、召使230人))、寺人1986人(内、男1450人(内、召使245人)、女536人(内、召使101人))、その他二十八4395人、その他二292人)。
松山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。准士徒士族人口は士族人口に、その他二十九人口をその他一人口に加算。知事家族4人、(総)人口21万1882人(内、士族4645人、准士徒士族4079、卒族5580人、社人1278人、寺人1124人(内、男1088人(内、その他二十九8人)、女36人)、その他一9302人、その他二341人)。
松代藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。士族人員と男女合計、社家人員と男女合計が異なるが、共に『統計集誌』と一致する前者を採用。社家人員535人と男女合計529人が異なるが、ここでは『統計集誌』との比較から前者を採用。浪人人員と男女合計、家中長屋借宅之庶民人員と男女合計が異なるが、何れも平民人口に加算。准士族人口、その他三十人口を、それぞれ士族人口、その他二人口に加算。知事家族6人、(総)人員14万8669人(内、士族2145人(男女合計2045人)、准士族1320人、卒族6778人、神子2人、社家535人(男女合計529人)、寺762人、修験827人、仏者179人(内、男(道心)92人、女(尼)87人)、医師187人、浪人446人(男女合計246人)、家中長屋借宅之庶民人員797人(男女合計802人)、その他一1853人、その他二129人、その他三十43人)。
松代藩預所(松代藩御預り地):(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員1万7895人(内、社家23人、寺226人、修験64人、仏者23人(内、男(道心)14人、女(尼)9人)、医師72人、その他一468人)。明治3年旧暦9月17日(1870年10月11日)、中野県に編入。
前橋藩:(総)人口を華士族除外総人口と解釈。明治2年旧暦10月調:士族4656人、(総)人口17万4239人(内、卒族5506人、社家修験808人、寺711人、その他一10人)。
松本藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。軽卒人口を卒人口に加算。その他一人口、その他二人口と男女合計が異なるが、共に後者を採用。知事家族10人、(総)人口12万2472人(内、士族2309人、卒族3449人、軽卒491人、社家359人、寺庵413人、その他一140人(男女合計139人)、その他二412人(男女合計42人))。
丸亀藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。知事家族3人、(総)人員13万5101人(内、士族1517人、卒族5719人、社家103人、寺院之者718人(内、僧568人、寺院150人)、その他一2697人)。明治4年旧暦4月10日(1871年5月28日)、丸亀県を設置。
舞鶴藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。芦田与右衛門(新開発地主藩士同様ノ者)家族人員を平民人口に加算。(総)人員4万9111人(内、士族1710人、卒族670人、社家10人、寺院山伏380人(内、僧241人、家族下人男73人、女66人)、その他一その他六その他二852人)、芦田与右衛門(新開発地主藩士同様ノ者)家族80人。
丸岡藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族8人、(総)人口2万2900人(内、士族962人、卒族1454人、神職21人、寺人241人(内、僧145人、女96人(内、尼16人))、修験8人、その他一18人、その他二831人)。
松尾藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計ご異なるが、後者を採用。その他十人口をその他二人口に加算。(総)人口4万7724人(男女合計4万7714人、士族1644人、卒象953人、僧家216人(内、男213人(内、僧191人)、女3人)、修験10人、その他一12人、その他十201人)。
真島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。士族准士族人口は士族人口に加算。(総)人口2万6240人(内、士族准士族791人、卒族478人、社家190人、寺院75人、修験22人)。
松嶺藩:士卒族人口以外不詳。士族339人、卒族735人。
松川(守山)藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他十人口をその他二人口に加算。(総)人口1万7673人(内、士族809人、卒族373人、社人133人、寺院42人、修験36人、その他十60人)。
鞠山(敦賀)藩藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。替地ノ分人口と男女合計が異なる。(総)人口7584人(内替地ノ分1052人(男女合計1034人)、内、士族149人、卒族168人、社人7人、寺院89人、替地ノ分僧9人)。明治3年旧暦9月17日(1870年10月11日)、小浜藩に編入。
松岡藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口1万2805人(内、士族507人、卒族365人、社家139人(内、男70人(内、下男1人)、女67人(内、下女1人))、寺39人(内、僧30人、下男9人)、その他一65人)。
福岡藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他三十一人員をその他一人口に合計。(総)人員36万6330人(内、士族6769人、卒族2万6005人、神職4052人、僧徒1999人、その他三十一2万1485人)。
福井藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。知事家族6人、(総)人員28万4935人(内、士族4819人、卒7326人、社家154人、寺院2644人、山伏158人、道場285人、庵(尼僧)72人、その他一191人、その他二467人)。
福山藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と男女合計が一致しないが、『統計集誌』と一致する前者を採用。寺院門前宗門附之者人員、その他四人員をそれぞれ平民人口、その他一人口に加算。知事5人、(総)人員18万5858人(男女合計18万4857、士族4423人、卒族4818人、社家506人、寺院並庵1173人(内、男(僧)694人、女479人(内、尼4人))、寺院門前宗門附之者778人、その他一3849人、その他四819人、その他二588人)。
[79220] 2011年 8月 22日(月)03:27:39【1】YT さん
藩制一覧表第四~第五
津藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他一人口と男女合計が異なるが、後者を採用。郷士族人口、御陵守人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。明治3年旧暦11月13日(1871年1月3日)調:(総)人口24万7682人(内、士族7917人、郷士族6889人、卒族1956人、御陵守28人、社務人698人、僧1336人、尼52人、その他一9098人(男女合計8624人)、その他二1564人)。
津山藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族人口、卒族人口と男女合計異なるが、共に後者を採用。寺長屋人口を平民人口に加算。明治2年旧暦11月調:士族1666人(男女合計1636人)、卒族640人(男女合計708人)、社家84人、\寺庵284人(内、僧202人、下男82人)、寺長屋168人、(総)人口8111人、その他一その他二4535人。明治4年旧暦6月25日(1871年6月25日)、浜田県に編入。
津和野藩:(総)人口を士卒族・平民・寺社人口と解釈。旧暦正月調:(総)人口6万8679人(内、士族967人、卒族3292人、社家395人、寺院480人)、その他一584人。明治4年旧暦6月25日(1871年8月11日)、浜田県に編入。
土浦藩:(総)人口を平民人口と解釈。その他一その他二人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。明治2年旧暦11月調:士族2796人、卒族1186人、寺院383人、(総)人口7万2277人、その他一その他二1180人(男女合計1177人)。
鶴舞藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。社領人口、寺領人口、長吏人口を平民人口に加算。(総)人口6万3858人、士族1188人、卒族2136人、社人189人、社領10人、寺448人、寺領930人、長吏94人、その他一146人、その他二218人。
鶴牧藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人口2万0586人(男女合計2万0627人、内、士族561人、卒族341人、社人61人、神尾5人、寺65人、修験3人、陰陽師2人、坐頭2人)。
名古屋藩:平民人員を華士卒族除外総人口と解釈。平民人員と族籍合計が異なるが、その差を平民人員に加算。士卒4万9340人(内、士族1万5644人、卒3万3696人)、平民84万0895人(族籍合計83万9203人、社家4793人、僧5663人、尼86人、僧女1920人、修験1183人、堂731人(内、僧98人、尼633人)、陰陽師373人、農72万4569人、商9万1285人、その他一2599人(男女合計2569人)、その他二6001人)。
中津藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。士卒雑人共人員内訳不詳。(総)人員9万8542人(内、士卒雑人共7133人、社家956人、寺院905人)。
中村藩:(総)人員を総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、その差を平民人口に加算。社務人員と修験人員が男女内訳共に一致しており、誤記の疑いあり。(総)人員6万3893人(族籍合計6万3629人、内、華族8人、士族1万3453人、卒3426人、社務467人、修験467人、僧311人、農4万3355人、工595人、商1374人、その他一56人、その他二117人)。
長尾藩:(総)人員を平民人口と解釈。兵卒人員を卒人口に、猿牽人員を寺社人口に、長吏人員、寺領百姓人員を平民人口にそれぞれ加算。士族310人、士族家族男女合計889人、卒族268人、卒族家族男女合計543人、兵卒153人、兵卒家族162人、社家398人、猿牽14人、寺320人、(総)人員7万0850人、長吏47人、寺領百姓1482人。
長岡藩:町方人員と男女合計が異なるが、後者を採用。華族8人、士族3173人、卒5052人、社家41人、僧男女合計405人、(内、僧223人、家族下人男13人、女169人)、在方1万8460人、町方8242人(男女合計8240人が)、その他一15人。明治3年旧暦10月22日(1870年11月15日)、柏崎県に編入。
長島藩:軽卒人員を卒人口に、伊勢国支配地之内人員、上総国支配地之内人員、寺領之戸数人員を平民人口に、その他八人員をその他二人口にそれぞれ加算。士族652人、卒502人、軽卒53人、社家男女合計3人、寺院142人(内、僧82人、女60人)、草庵15人(内、僧4人、尼11人)、修験男女合計4人、上総国支配地僧侶58人、伊勢国支配地之内人員8070人、伊勢国支配地農民7794人、伊勢国支配地商民276人、上総国支配地之内人員5604人、寺領之戸数人員494人、その他一133人、その他八34人。
成羽藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。(総)人口と族籍合計が異なるが、その差を僧尼人口に加算。士族389人、卒族373人、(総)人口1万6619人(族籍合計1万6612:社家129人、寺32人、平民1万6158人、その他一293人)。
苗木藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族608人、卒族333人、社家96人、僧員44人、(総)人口2万3748人、その他一その他二171人(内、その他一18人、その他二153人)。
七日市藩:(総)人口を平民人口と解釈。華士卒族人口不詳。神職5人、僧19人、道心1人、山伏2人、(総)人口6472人
村上藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他一その他十五その他二人員をその他一人口に加算。(総)人員8万0034人(内、士族1838人、卒1770人、社家98人、寺565人(内、僧362人、男5人、女198人)、道場26人(内、僧12人、男2人、女12人)、修験126人、百姓7万4769人、その他一その他十五その他二842人)。
村松藩:惣計を華族除外総人口、(士卒族百姓社人僧山伏庵)合人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。惣計3万7184人(内、(士卒族百姓社人僧山伏庵)合人員3万6980人(内、士族1785人、卒2102人、社人110人(内、社人33人、俗男21人、女56人)、僧218人(内、僧174人、俗男2人、女42人)、山伏152人(山伏56人、俗男23人、女73人)、庵4人(内、行人2人、尼2人)、百姓3万2609人)、その他一196人、その他二8人)。
村岡藩(邨岡藩):人員惣計を華族除外総人口と解釈。人員惣計と族籍合計が異なるが、後者を採用。その他二十一人員をその他二人口に加算。人員惣計1万5670人(族籍合計1万5668人:士族304人、卒247人、神主5人、巫女8人、僧18人、一向宗家族6人、百姓1万4844人、その他一188人、その他二十一48人)。
六浦藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。華族3人、(総)人員1万2848人(内、士族324人、卒46人、社人105人、僧65人、修験43人、平民1万1899人、その他一347人、その他二19人)。
宇和島藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員16万9512人(内、士族男女合計2646人、卒族男女合計4026人、社家男女合計811人(内、社人398人、神子10人、女403人)、寺院男女合計461人(内、僧444人、寺院女17人)、山伏男女合計880人(内、山伏454人、女426人)、農民15万1806人、町人4320人、その他一男女合計4402人、その他二男女合計160人)。
臼杵藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。華族2人、(総)人員7万7827人(内、士族3741人、卒族3129人、社家265人、寺院575人(内、僧410人(内、尼3人)、家内俗男36人、寺院女129人)、修験176人、平民6万9941人、その他一259人、その他二183人)。
上田藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用(士族女1007人を1070人と誤記か)。(総)人員と族籍合計が異なるが、他統計と一致する後者を採用(兵隊327人の二重加算か)。(総)人員6万2572人(族籍合計6万2240人:士族1886人(男女合計1949人)、卒族1744人、社家236人、寺院208人(内、僧197人、女11人)、修験151人、平民5万7108人、その他一894人、その他二13人)。
宇都宮藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。社家と男女合計が異なるが、族籍合計から前者を採用。門前戸籍を平民人口に、その他二十二人口、その他二十三人口をその他二人口にそれぞれ加算。(総)人員5万9908人(内、士族2913人、知事実家ヨリ引取候分士族143人、卒族1081人、知事実家ヨリ引取候分卒族125人、神子2人、社家474人(男女合計499人)、山伏59人、盲人8人、座頭7人、猿牽1人、沙弥4人、寺院198人(内、僧183人、尼2人、道心3人、下男10人)、舞大夫1人、平民5万3309人、門前戸籍1583人)、その他一332人、その他二40人、その他二十二38人、その他二十三9人。
牛久藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。士卒内訳不詳。(総)人員8604人(内、士卒434人、社家34人、寺院44人(内、僧33人、俗1人、女10人)、庵20人(内、僧17人、尼3人)、平民8072人、その他一28人、その他二男女合計42人)。
宇土藩:徒士人口を士族人口に、兵卒人口と郷兵人口を卒人口にそれぞれ加算。士卒族除外総人口不詳。士卒合724人(内、士159人、徒士231人、兵卒159人、郷兵175人)。明治3年旧暦5月、熊本藩に編入。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
熊本藩1019,40487,6001,7856,624594,3217,0733,183720,000719,990730,528719,990
久留米藩85,03011,6411,4161,912242,0862,223269264,585262,085241,495262,085
桑名藩47,08611381656,20042920464,85264,86665,78364,868
郡上藩49771,2941,08880751,50267255,75057,56354,85057,641
久留里藩31,1891439229820,7667711522,68323,03222,90023,098
黒石藩1,0947473911913,93315,93215,93215,94915,932
黒羽藩8371,100883717,43119,49319,49319,53219,493
櫛羅藩440611430422,2731,582994,5505,1405,3845,140
黒川藩2939318649,28819,7579,7559,1799,757
山口藩11,58910,3622,2636,06625,48710,43526166,463552,671565,368608,475
柳河藩177,1007,6155301,485109,487169937127,340120,180127,323119,708
柳本藩43961977185,9511371086,8186,4796,7286,479
山崎藩42047027819,23410,23210,24710,41010,247
柳生藩2413188216,2366,8607,0186,5876,844
矢島藩4473242484014,19914815,28014,59015,28515,280
山上藩276786568,8295249,7699,81310,2469,813
山家藩734313214753011,66111,67011,661
谷田部藩4482326412512,55613,42513,48013,17013,480
谷地藩150150
松江藩9,9249,6933,4101,986265,8214,395292295,521291,694295,823296,750
松山藩48,7245,5801,2781,116185,5339,310341211,886211,882211,881211,882
松代藩63,4656,7785371,955133,9091,853172148,675148,589148,642148,589
松代藩御預り地2338517,01946817,895
前橋藩4,6565,506808711167,20410178,895176,149178,302176,149
松本藩102,3093,940359413115,27013942122,482127,739123,153127,739
丸亀藩/県31,5175,719103718124,3472,697135,104135,096134,284135,102
舞鶴藩1,7106701038045,56985249,19148,97848,89349,117
丸岡藩89621,4542124920,113188322,90822,79121,70222,791
松尾藩1,64495322644,6781220147,71447,58447,03447,584
真島藩7914781909724,68426,24026,79625,97527,159
松嶺藩3397351,07423,10023,15923,100
松川藩 (元守山)8093731337816,2206017,67316,89617,40417,631
鞠山藩 (元敦賀)1491687947,1667,584
松岡藩5073651393911,6906512,80511,84812,32912,319
福岡藩6,76926,0054,0521,999306,00021,485366,310366,924367,478388,409
福井藩64,8197,3261543,159268,819191467284,941279,529284,542202,511
福山藩54,4234,8185061,173169,6824,668588185,863180,534185,863187,300
府内藩31,2651,06831236329,9263177233,32633,22433,32633,224
福知山藩48456092917027,5821,73416131,13429,30431,13631,037
福江藩71,7191,2791,18711457,9722362,30162,05645,74762,275
福本藩33611705236,6357,197
吹上藩438316650735,95918696,8306,8346,9146,834
[79219] 2011年 8月 22日(月)03:25:22【2】YT さん
藩制一覧表第三~第四
刈谷藩(刈屋)藩:(総)人口を平民人口と解釈。藩士男女合計901人(内、藩士289人、藩士家族612人)、藩卒男女合計313人(内、藩卒129人、藩卒家族184人)、社人10人、僧171人、(総)人口2万6257人、その他一88人、その他二49人。
勝山藩:(総)人口を平民人口と解釈。卒族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族765人、卒族519人(男女合計619人)、社家18人、寺院141人、(総)人口1万7169人。
神戸藩:総人口を平民人口と解釈。軽卒人口と仕丁人口を卒人口に加算。その他八人口はその他二人口に加算。士卒755人(内、士族427人、卒族171人、軽卒116人、仕丁41人)、社家23人、寺院119人(内、僧75人、男5人、女39人)、総人口9683人、その他二27人、その他八41人。
加知山藩:総人口を平民人口と解釈。士族417人、卒族25人、社家83人、寺138人、比丘尼4人、山伏9人、総人口1万6192人、その他一その他二49人。
米沢藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他十六人員はその他一その他二人員と同等と解釈。(総)人員12万7277人(内、士族1万5801人、卒族2万2438人、社家118人、寺院983人、修験710人、座頭22人、その他一その他二665人(その他十六665人))。
淀藩:人口不詳。
吉田藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人員から士卒族・寺社人口を減じて求まる平民人口と農人員、商人員の合計が異なるが、その差を平民人口の記載漏れと解釈。(総)人員5万9867人(族籍合計5万3241人:士族1171人、卒族1718人、社人279人、僧尼98人(内、僧95人、尼3人)、修験348人、農4万7916人、商1711人)、その他一649人、その他二23人。
与板藩:(総)人員を平民人口と解釈。藩士卒人員の内訳不詳。藩士卒1203人、社家60人(内、祝官12人、男17人、女31人)、寺院235人(内、僧106人、女97人、男32人)、(総)人員2万1032人、その他一29人。
吉見藩:士卒族人員以外不詳。外ニ四人士族卒族之内人員を卒人口に加算。士族男女合計274人、卒族男女合計94人、外ニ四人士族卒族之内4人。
吉井藩:(総)人員を士卒族人口と解釈。士卒族人員以外不詳。(総)人員111人(内、士族81人、卒30人)。明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)、岩鼻県に編入。
高松藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、その差を僧尼人口欠落分と解釈。地士人員、士著之帯刀人人員をそれぞれ士族人口、卒人口に加算(なお、高松藩地士は壬申戸籍では讃岐国のみの固有族籍として集計)。(総)人員30万5191人(族籍合計30万4714人:士族1万0122人(内、男5133人(内、地士1863人)、女4989人(内、地士1700人))、卒族1万7851人(内、男9348人(内、士著之帯刀人1363人)、女8503人(内、士著之帯刀之分1315人))、社家1016人(内、男530人(内、猪熊雅夫家来28人)、女486人(内、猪熊雅夫家来之分35人))、僧1711人(内、男1228人(内、法然寺家来44人)、女483人(内、法然寺家来之分23人))、尼4人、平民26万8238人、その他一4293人(内、男2107人(内、僧10人)、女2186人(内僧之分12人))、その他二1469人)。
高田藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、その差を僧尼人口欠落分と解釈。僧人員と男女合計が異なる。(総)人員16万8776人(族籍合計16万8675人:士族4032人、卒族4439人、社家509人、僧2292人(男女合計2291人)、平民15万5569人、その他一1688人、その他二146人)。
高崎藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他十五人員をその他二人口に加算。明治3年旧暦9月2日(1870年9年26日)調:(総)人員9万7550人(内、士族2815人、卒族1251人、社家222人、神子1人、寺院460人、僧尼俗男女202人(内、僧64人、尼1人、男129人、女8人)、修験9人、座頭65人、瞽女41人、医師28人、検校1人、山伏28人、盲人4人、尼4人、平民9万1066人(内、紀州出稼男女合計155人)、その他一1287人、その他十五66人)。
館林藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。その他十七人員をその他二人口に加算。明治4年旧暦正月調:(総)人員7万5057人(内、士族1525人、卒族2980人、社家143人、修験94人(内、俗10人)、寺院654人(内、僧327人、女202人、俗125人)、尼4人、平民6万7589人、その他一1845人、その他十七89人、その他二134人)。
大聖寺藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。卒族と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。明治3年調:華族4人、(総)人員4万8736人(内、士族2037人、卒族2184人(男女合計2180人)、社家宮守76人、寺院316人、山伏19人、平民4万4059人、その他一34人)。
館藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。明治3年旧暦5月調:(総)人員7万9792人(内、士族5703人、卒族3559人、社家122人、僧修験459人、平民6万9949人)。
高鍋藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。修験山伏と男女合計が異なる。(総)人員4万3344人(内、士族2097人、卒族7420人、社家698人、寺院139人、修験山伏236人(男女合計136人)、平民3万2510人、その他一その他二244人)。
高槻藩:(総)人員と町屋人員の合計を平民人口と解釈。十八人員をその他二人口に加算。寺社人口不詳。その他士卒2328人(内、士1445人、卒883人)、(総)人員2万1558人、町家1659人、その他一その他二人678人、その他十八234人。
龍野藩:(総)人員を平民人口と解釈。寺社人口不詳。士族2796人、卒540人、(総)人員4万7248人、
田辺藩:惣人口を華族除外総人口と解釈。小者人員、その他十九人員をそれぞれ卒人口、その他一人口に加算。惣人員5万5076人(内、藩士卒3013人(内、士族男女合計1440人、卒族1161人、小者412)、社家58人、寺院302人、農工商4万8830人、その他一その他十九2873人)。
高島藩:(総)人員を平民人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、その差を『統計集誌』と一致する寺社人口の記載漏れと解釈。士族1933人、卒3070人(小者迄)、(総)人員5万9926人(男女合計6万0500人)。
高遠藩:寺社人口不詳。士族1250人、卒1249人、平民4万5096人、その他一244人、その他二44人。
鶴田藩:(総)人員を平民人口と解釈。士族人員と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。寺社人口不詳。士2569人(男女合計2538人)、卒1401人、(総)人員2万8201人。
高取藩:その他十七人員をその他二人口に加算。寺社人口不詳。士族576人、卒1355人、平民1万8420人、その他一1645人、その他十七51人。
棚倉藩:(総)人員を士卒族除外総人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。寺社人口不詳。華族19人、士族3145人、卒686人、(総)人員2万6756人(男女合計2万6702人、内、その他一107人、その他二29人)。
高梁藩:寺社人口不詳。士族1726人、卒1231人、平民2万2003人、その他一866人。
多度津藩:総人員を平民人口と解釈。華族5人、士族379人、卒884人、社家40人、山伏30人、総人員2万1687人、その他一121人、その他二59人。明治4年旧暦2月5日(1871年3月25日)、倉敷県に編入。
高須藩:境内ノ者十軒人員を僧尼人口に加算。士族1231人、卒1221人、社人男女合計159人、寺217人、境内ノ者十軒男女合計30人、平民2万3353人、その他一104人、その他二105人。明治3年旧暦12月23日(1871年2月12日)、名古屋藩に編入。
田原藩:華族12人、藩中894人、士族男女合計598人、卒男女合計296人、社家男女合計27人、仏寺男女合計212人(内、僧176人、女36人)、平民2万1752人、その他一80人、その他二32人。
丹南藩:(総)人員を平民人口と解釈。(総)人員と男女合計が異なるが、後者を採用。士卒族家族人員を士族人口に加算。華族3人、士族129人、卒族134人、士卒族家族男女合計581人、社家26人、寺男女合計63人(内、僧59人、下男4人)、非寺里16人、(総)人員7878人(男女合計7812人)、その他一30人。
龍岡藩:平民人員と男女合計が異なるが、後者を採用。夫卒夫人人員を卒人口に加算。士族468人、卒189人、夫卒夫人72人、寺院男女合計人106人(内、僧77人、坊守11人、女14人、下男4人)、修験院男女合計26人(内、修験9人、男8人、女9人)、平民1万2559人(男女合計1万2550人)。明治4年旧暦6月2日(1871年7月19日)に、長野県・伊那件県分割編入。
多胡藩(多古藩):(総)人員を平民人口と解釈。士卒人員内訳不詳。寺社人口不詳。華族5人、士卒501人、(総)人員7241人、その他一5人、その他二10人。
田原本藩:(総)人員を平民人口と解釈。寺社人口不詳。士族263人、卒158人、(総)人員3942人、その他一40人、その他二36人。
館山藩:(総)人員を平民人口と解釈。西宮恵美須大夫配下人員を僧尼人口に加算。華族3人、士卒433人(内、士族男女合計288人、(内、士族98人、女190人)、卒族男女合計145人(内、卒110人、女35人))、社70人、僧80人、修験34人、陰陽師11人、西宮恵美須大夫配下7人、堂13人、(総)人員2万3202人。
高岡藩:(総)人員を平民・寺社人口と解釈。寺社人口不詳。華族5人、士263人、卒43人、(総)人員7935人。
高富藩:その他二十人員をその他一人口に加算。士306人、卒55人、社45人、寺庵69人、修験26人、瞽女2人、庶人6100人、その他一その他二87人。その他二十18人。
田安藩:(総)人員を平民人口と解釈。一季抱人員と男女合計が異なるが、前者を採用。一季抱人員を卒人口に加算。士卒族合6438人(内、士族5045人、卒族1199人、一季抱人員194人(男女合計94人))、神社364人、寺院1130人、(総)人員8万4743人。明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)、廃藩。
園部藩:(総)人員を平民人口と解釈。士族829人、卒1655人、社人35人、僧尼193人、(総)人員3万4183人。
曾我野藩:(総)人員を総人口と解釈。(総)人員1万0612人(内、華族6人、士族170人、卒99人、社務人12人、僧29人、平民1万0235人、その他二61人)。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
津藩14,8061,9846981,388218,6188,6241,564247,682224,418244,243244,252
津山藩1,636708842848,2794,53515,526106,437106,462106,337
津和野藩9673,29239548063,54558469,26365,26369,267
土浦藩2,7961,18638372,2771,18077,82278,27874,79978,278
鶴舞藩41,1882,13618944859,53314621863,86263,41362,61163,858
鶴牧藩561341667219,58720,62720,68921,58620,689
名古屋藩15,64433,6964,7939,956817,5872,5596,001890,236921,517918,141917,497
中津藩7,13395690589,54898,542100,40399,147100,403
中村藩813,4533,42646777845,5885611763,89363,11063,89363,110
長尾藩1,1991,12639833472,37975,43675,48776,35173,283
長岡藩83,1735,0524140526,7001535,394
長島藩652555321914,1681333415,76415,76415,77115,764
成羽藩3893731293916,15829317,38117,83517,39717,930
苗木藩608333964423,7481815325,00025,03425,18325,034
七日市藩5226,4726,4996,9927,0246,992
村上藩1,8381,7709871774,76984280,03480,03480,00483,004
村松藩1,7852,10211037432,609196837,18436,98037,19236,980
邨岡藩304247132414,8441884815,66815,47615,69015,482
六浦藩33244610510811,8993471912,85111,91512,86011,915
宇和島藩2,6464,0268111,341156,1264,402160169,512169,512169,525169,512
臼杵藩23,7413,12926575169,94125918378,27127,92378,98678,244
上田藩1,8861,74423635957,1088941362,24061,33362,23062,240
宇都宮藩73,0561,20647627854,8923328760,33458,36660,18058,761
牛久藩443434648,07228428,6788,6049,0708,674
宇土藩390334724
延岡藩42,1204,0221,082864116,189266323124,870122,277125,750122,277
野村藩27519749977,97029218,6389,2438,5668,771
[79218] 2011年 8月 22日(月)03:23:06【1】YT さん
藩制一覧表第二~第三
岡崎藩:(総)人員を総人口と解釈。(総)人員5万2814人(内、華族8人、士族1546人、卒1595人、社務人198人、僧878人(男女合計873人)、尼3人、平民4万8352人、その他一97人、その他二142人)。
大野藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人員3万1031人(内、士族1343人、卒487人、社家男女合計52人(内、社人27人、女25人)、寺男女合計290人)。
大多喜藩:(総)人口を平民人口と解釈。十六戸別ニ人口を平民人口に加算。士族698人、卒113人、社務男女合計87人、寺男女合計276人、(総)人口2万1481人、十六戸別56人、その他一37人、その他二86人。
大溝藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族537人、卒族349人、社務人4人、僧195人、尼7人、(総)人口1万1433人、その他一57人、その他二143人。明治4年旧暦6月23日(1871年8月9日)、大津県に編入。
岡田藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士卒族人口、士族人口、卒人口と男女合計が異なるが、それぞれ前者を採用。その他六人口をその他二人口に加算。士卒族1123人(男女合計1012人:男513人、女499人、小兒130人、内、士族470人(男女合計405人)、卒653人(男女合計557人))、(総)人口1万6231人(男女合計1万6319人、内、社務男女合計66人、寺男女合計55人(内、僧48人、尼7人)、その他一1051人、その他六173人)。
小野藩:(総)人口を平民人口と解釈。士卒族691人(内、士386人、卒305人)、神主28人、寺男女合計37人(内、僧27人、尼5人、外ニ僧4人、女1人)、(総)人口7395人。
小幡藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士卒族人口内訳不詳。士卒族639人、社家39人、修験男女合計12人、寺男女合計76人(内、僧57人、僕19人)、(総)人口1万3257人(男女合計1万3243人)、その他一145人、その他二17人。
萩野山中藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人戸、士卒族人戸、士族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。外ニ卒人戸を卒人口に加算。士卒族345人(男女合計340人、内、士族285人(男女合計283人)、卒57人)、外ニ卒25人、社人52人、僧42人、修験4人、(総)人口1万2255人(男女合計1万2241人)、その他一299人、その他二61人。
小久保藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。小者を卒人口に加算。(総)人口9750人(男女合計9717人、内、士族361人、小者31人、社人39人、寺男女合計59人(内、僧49人、道心9人、比丘尼1人))。
生実藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族卒族人口と士族・卒人口の合計が異なるが、戸数比から卒人口を誤記と解釈し、士族卒族人口と士族人口を採用。士族卒族540人(内、士族314人、卒126人)、社人男女合計25人、僧77人、(総)人口8785人、その他一33人。
大田原藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。士卒族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人員1万2535人(内、士卒族724人(男女合計757人、内、士族608人、卒族149人)、寺男女合計32人(僧16人、又13人、尼3人)、その他一合計117人、その他二合計43人)。
小見川藩:(総)人口を平民人口と解釈。士卒族人口として二つ数字が挙げられているが、他統計との比較から多い方を士卒族人口、少ない方を士族男女合計人口と解釈。士卒族377人(または288人、内、士族74人、女91人)、社人29人、僧31人、修験11人、(総)人口8264人、その他一34人。
和歌山藩:(総)人口を平民人口と解釈。士卒族人口の内訳不詳。士卒族3万7793人、社人男女合計419人(内、社人187人、女232人)、寺院男女合計5488人(内、僧2899人、男761人、尼192人、女1636人)、修験男女合計140人(内、修験46人、女94人)、(総)人口45万8826人、その他一2万6064人。
金沢藩:(総)人口を平民人口と解釈。中間小者、その他十四等をそれぞれ平民人口、その他一人口に加算。士族2万8683人、卒族2万7038人、神社1799人、寺1万3326人、中間小者5938人、(総)人口99万7669人、その他十四等1万1695人。
鹿児島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。琉球人口を琉球の士族未満の族籍人口と解釈。士族以外の族籍人口内訳不詳。(総)人口89万6808人(内、士族19万2949人、琉球国士分以上5万1751人、足軽以下57万9405人、琉球国人口7万2703人)。
高知藩:(総)人口を士卒族・平民人口と解釈。(総)人口49万5936人(内、士族3万0506人、卒族1万7681人)、神職修験等4214人、寺院1572人、その他一1万6894人。
高知新田(山内)藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族男女合計222人、卒族男女合計79人、社人男女合計8人、寺男16人、(総)人口男女合計2810人。明治3年旧暦9月25日(1870年10月19日)、高知藩に編入。
亀岡藩:(総)人口を他統計戸の比較から平民人口と解釈(記載通りだと(総)人口は士卒族人口を含む)。藩士人口を士族人口に加算。藩士682人、士族2034人、卒族724人、社務人69人、寺男女合計285人(内、僧231人、尼13人、女41人)、(総)人口4万5253人。
唐津藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口6万3226人(内、士族998人、卒族4237人、社家564人、寺院327人、その他一505人)。
亀山藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。士卒3667人(内、士族1373人、卒族2294人))、(総)人口4万1924人(内、社家202人、僧尼671人、修験40人)。
川越藩:(総)人口を平民人口と解釈。社家人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。士族2447人、卒族1416人、社家173人(男女合計175人)、寺333人、(総)人口5万7623人、その他一713人、その他二46人。
笠間藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。士卒族人口内訳不詳。士卒族3255人、(総)人口4万4046人(内、社家244人、寺191人、修験28人、その他一その他二139人)。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
加納藩71,4882077139626,9341526329,38129,49429,47529,484
亀田藩41,2081,5077951220,5434523,89823,87823,80423,894
上ノ山藩6257536222529,57615831,39931,44931,51731,449
鹿島藩51,6441,848471959,989373213,79713,72313,77113,792
鴨方藩349460313210926,25020527,79627,69327,79627,481
柏原藩6332736119417,31418,47518,47518,55118,475
烏山藩75540313712226,95012828,49528,49427,68628,494
刈屋藩9013131017126,257884927,78927,82127,84327,821
勝山藩7655191814117,16918,61218,61218,65718,612
神戸藩427328231199,6836810,64810,39710,60310,397
加知山藩417258315116,1024916,82716,08416,82916,827
米沢藩15,80122,4381181,71586,540665127,277129,753128,765129,753
淀藩064,72872,78665,439
吉田藩1,1711,71827944649,8676492354,15353,91354,16053,913
与板藩1,2036023521,0322922,55922,53022,53122,530
吉見藩2749837214,01114,14913,783
吉井藩8130111
高松藩10,12217,8511,0162,192268,2384,2931,479305,191293,775305,197299,223
高田藩4,0324,4395092,393155,5691,688146168,776171,056168,842171,056
高崎藩2,8151,25122384291,0661,2876697,55094,27697,80091,473
館林藩1,5252,98014375267,5891,84522375,05772,98576,74772,985
大聖寺藩42,0372,1847633544,0594548,74048,03648,76648,736
館藩5,7033,55912245969,94979,79279,74277,80579,742
高鍋藩2,0977,42069837532,51024443,34443,33443,34943,334
高槻藩1,44588323,21767823426,45726,05554,92825,426
龍野藩2,79654047,24850,58450,87951,05150,879
田辺藩1,4401,5735830248,8302,87355,07655,07663,10355,076
高島藩1,9333,07057459,92621265,71562,94565,35666,883
高遠藩1,2501,24945,0962444447,88347,88347,88847,883
鶴田藩2,5691,40128,20132,17132,56733,61332,573
高取藩5761,35518,4201,6455122,04722,25022,39022,250
棚倉藩193,14568626,6201072930,60630,45130,60630,451
高梁藩1,7261,23122,00386625,82626,24526,33226,245
多度津藩5379884403021,6871215923,205
高須藩1,2311,22115924723,35310410526,420
田原藩125982962721221,752803223,00922,88723,60022,989
丹南藩371013426797,812308,7948,7668,8238,746
龍岡藩46826113212,55013,41113,53413,652
多古藩55017,2415107,7628,2517,8968,249
田原本藩2631583,94240364,4394,3634,5214,363
館山藩32881457014523,20223,85323,85023,68023,850
高岡藩5263437,9358,2468,2948,2898,284
高富藩3065545976,1001056,7086,7086,7126,708
田安藩5,0451,3933641,13084,74392,675
園部藩8291,6553519334,18336,89536,89535,82836,895
曾我野藩617099122910,2356110,61210,60610,61210,612

加納藩:惣人員を華士卒族除外総人口と解釈。寺人口と男女合計が異なるが、後者を採用。惣人員と族籍合計が異なるが、後者を採用。姓を平民人口に加算。華族7人、士族1488人、卒207人、惣人員2万7656人(族籍合計2万7676人、または2万7679人、内、社家71人、寺393人(男女合計396人:僧238人、俗21人、女134人、尼3人)、百姓2万3970人、町人2706人、姓258人、その他一15人、その他二263人)。
亀田藩:惣人員を士卒族・平民人口、惣計を華族除外総人口と解釈。寺院人員と男女合計が異なるが、後者を採用。華族4人、惣計2万3894人(内、惣人員2万3258人(内、士族1208人、卒1507人、平民百姓1万9113人、町人1430人)、社家79人(内、男33人、女30人、下男16人)、修験182人(内、男66人、女89人、下男27人)、寺院314人(男女合計330人:僧199人、尼16人、女31人、下男84人)、その他一45人)。
上山(上ノ山)藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、その差を羽前その他一その他二3軒と解釈し、その他一人口に加算。その他一並その他十五と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人員3万1399人(族籍合計3万1383人:士族625人、卒753人、社人47人、越後地社人15人、山伏(修験)6人、越後地山伏8人、僧女68人、越後地僧女42人、尼3人、越後地尼7人、僧43人、越後地僧48人、平民1万1507人、越後平民1万8069人、越後その他一並その他十五146人(男女合計142人))。
鹿島藩:(総)人員を士卒族・平民・寺社人口と解釈。(総)人員と族籍合計が異なるが、後者を採用。佐賀藩卒人口と蓮池藩卒人口を卒人口に加算。華族5人、(総)人口1万3721人(族籍合計1万3723人:士族1644人、卒1823人、佐賀藩卒19人、蓮池藩卒6人、社家47人、寺院148人(内、僧111人、女37人)、山伏47人、百姓8126人、町人1863人)、その他一37人、その他二32人。
鴨方藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。平民人員と男女合計が異なるが、その他一人口が含まれると解釈。軽卒人口を卒人口に加算。華族3人、(総)人員2万7793人(内、士族494人、卒291人、軽卒312人、社家132人、僧5人、山伏104人、平民2万6455人(内、その他一205人))。
柏原藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。士族633人、卒族273人、(総)人口1万7569人(内、社家61人、寺149人、修験24人、尼僧21人)。
烏山藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。(総)人口、朱書、男女合計が異なるが、後者二つは狭い意味での平民人口と考え、前者を採用。雇卒族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。雇卒族人口を卒人口に加算。士族755人、卒族76人、雇卒族328人(男女合計327人)、(総)人口2万7209人(朱書2万6912人、男女合計2万6914人、内、神主137人、寺122人(内、僧101人))、その他一128人。
[79217] 2011年 8月 22日(月)03:19:57【1】YT さん
藩制一覧表第一~第二
新谷藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と族籍合計、町郷人口と男女合計が異なるが、平民人口の記載漏れがあると解釈し、(総)人口から士卒族・寺社・その他人口を減じた値を平民人口として採用。(総)人口1万4321人(族籍合計1万4293人:士族299人、卒族409人、社人112人、僧15人、修験25人、町郷1万2599人(男女合計1万2566人)、その他一834人)。
西端藩:(総)人口を華士卒除外総人口と解釈。士族卒族362人(内、士族275人、卒族87人)、(総)人口1万2442人(内、神職101人、僧尼111人、修験2人、その他二23人)。
西大平藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族237人、卒族40人、社務21人、僧侶246人、(総)人口6945人、その他二40人。
本荘(本庄)藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口2万6241人(内、士卒族2667人(内、士族1402人、卒1265人)、社家335人、寺239人、その他一89人)。
堀江藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族5人、(総)人口7670人(内、士卒族290人(内、士族203人、卒87人)、社人男女合計19人、寺57人、修験男女合計16人)。

藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
徳島藩10,44320,2021,7872,035679,555714,022714,022123,028714,022
鳥取藩8,60524,2051,7522,881331,0233,783816373,065373,065371,654378,734
豊津藩56,2539,9807331,04293,3896,35682117,840111,397117,843117,835
富山藩7,2579,5151811,665113,0861,434133,138132,415116,750132,415
豊浦藩33,5775,0884641,03764,96050946176,09975,21876,88775,218
豊橋藩42,1201,12251290470,4411,12976,23276,10877,03076,108
徳山藩2,0032,14715033849,83354,47154,47955,853
鳥羽藩61,19154228522850,8922899453,5274,23352,79754,233
豊岡藩34313625013717,38621414518,72819,51819,03619,036
斗南藩00075,467
千束藩4464839304,807125,7875,7925,8665,804
龍崎藩2377673579,167369,6469,6429,6499,642
沼田藩1,167598824239,5401,0125842,49921,40241,04721,428
岡山藩9,7387,7992,7721,032328,3499,128358,818358,337350,897358,327
大泉藩5,3929,7056892,25776,98829695,32795,32795,34795,356
小浜藩4,2371,9752881,01298,445105,957105,434113,612111,975
大垣藩53,1152,640811,80571,23678,88278,90178,70978,901
岡藩72,2954,10461768069,1846435177,58176,40477,58176,404
忍藩32,3513,121341753103,7392,72342113,073110,305114,003113,703
大洲藩1,1303,88856835193,6034,751104,291104,24897,758104,259
大村藩9,3713,942289192106,250495120,539122,174120,549125,039
小城藩3,0414,48812619632,63297540,58541,18333,43841,183
飫肥藩5,8846,71645192434,03627448,28548,18148,83748,181
小田原藩3,8911,5071,77384,25790814492,48092,83392,83792,883
岡崎藩81,5461,59519887648,3529714252,81452,95852,81952,960
大野藩1,3434875229028,85931,03130,62931,11530,629
大多喜藩6981138727621,537378622,83422,67822,68622,649
大溝藩537349420211,4335714312,72512,31912,461
岡田藩470653665516,0251,05117318,49317,46517,48017,472
小野藩38630528377,3958,1518,1468,1678,146
小幡藩639398813,2431451714,17114,00714,20414,007
萩野山中藩28382524612,2412996113,06412,95713,01812,982
小久保藩3613139599,2279,7179,7619,7819,761
生実藩31422625778,785339,46010,33010,31110,330
大田原藩6081493211,5861174312,53511,46512,53511,531
小見川藩2888929428,264348,7468,2898,2218,289
和歌山藩37,7934195,628458,82626,064528,730528,408540,952528,408
金沢藩28,68327,0381,79913,3261,003,60711,6951,086,1481,080,2101,086,1591,065,910
鹿児島藩244,700652,108896,808772,354896,817896,808
高知藩30,50617,6814,2141,572447,74916,894518,616516,866516,545516,867
山内藩222798162,8103,135
亀岡藩2,7167246928545,25349,04749,22851,81449,572
唐津藩9984,23756432756,59550563,22662,70563,22962,706
亀山藩1,3732,29420271141,01145,59145,59145,59745,696
川越藩2,4471,41617533357,6237134662,75361,99462,76061,994
笠間藩3,25524421943,44413947,30147,83247,83947,832

徳島藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口71万4022人(内、士卒族3万0645人(内、士男女合計1万0443人、卒男女合計2万0202人)、社家1787人、寺2035人(内、僧1869人、尼346人))。
鳥取藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。大山領人口を平民人口に加算。(総)人口37万1640人(内、士族8605人、卒族2万4205人、社家1752人、寺院2013人(内、男1754人(内、僧1313人)、女2159人(内、寺持尼4人、尼98人))、修験749人、陰陽師22人、虚無僧97人、その他一3783人、その他二816人)、大山領1425人。
豊津藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族5人、(総)人口11万7835人(内、士卒族1万6233人(内、士族6253人、卒9980人)、社家733人、寺1042人、その他一6356人、その他二82人)。
富山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族人口と男女合計が異なるが、士卒族人口との比較から前者を採用。(総)人口13万3415人(男女合計13万3138人、内、士卒族1万6772人(内、士族7257人(男女合計6757人)、卒9515人)、社家181人(内、男127人(内、下男5人)、女54人(内、下女10人))、寺1665人(内、男1055人(内、僧1015人)、女610人(内、尼76人))、その他一1434人。
豊浦藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。陪卒人口と男女合計が異なるが、士卒人口との比較から後者を採用。寺人口は804人と1037人の統計が存在するが、『統計集誌』と一致する後者を採用。准士人口、陪卒人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。知事家族3人、(総)人口7万6096人(内、士卒族8665人(内、士族2121人、准士1456人、卒3601人、陪卒4487人(男女合計1487人))、社家464人、寺804人(内、僧700人、尼104人、又は寺院1037人:僧680人、尼104人、女253人)、その他一509人、その他二461人)。
豊橋藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他一その他九人口をその他一人口に加算。知事家族4人、(総)人口7万6228人(内、士卒族3242人(内、士族2120人、卒1122人)、社家512人、寺院・修験・堂守・陰陽師904人(原書884人)、その他一その他九1129人)。
徳山藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口5万4471人(内、士卒族4150人(内、士族2003人、卒2147人)、社家150人、寺院338人(原書346人))。明治4年旧暦6月19日(1871年8月5日)、山口藩に編入。
鳥羽藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。知事家族6人、(総)人口5万3521人(内、士族1191人、卒族542人、社家285人、寺228人(内、男(僧)206人、女22人)、その他一289人、その他二94人)。
豊岡藩:惣人口を華族除外総人口と解釈。その他二人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。明治2年調:知事家族3人、惣人口1万8725人(内、士族431人、卒族362人、社家50人、寺129人、尼僧8人、その他一214人、その他二145人(男女合計142人))。明治3年調:惣人口1万9033人。
斗南藩:人口不詳。
千束藩:華族除外総人口と解釈。(総)人口5787人(内、士族446人、卒族483人、神主9人、寺男女合計30人、その他二12人)。
龍ヶ崎(龍崎)藩:(総)人口を平民人口と解釈。その他十人口をその他二人口に加算。士族237人、卒族76人、神主73人、寺院57人、(総)人口9167人、その他十35人。
沼田藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口4万2499人(内、士族1167人、卒族598人、社人男女合計82人、寺42人、その他一1012人、その他二58人)。
岡山藩:総人口を華族除外総人口と解釈。総人口と族籍合計、男女合計が異なるが、男女合計を採用。庶民人口と男女合計が異なるが、後者を採用。総人口35万8827人(族籍合計35万8810人、男女合計35万8818人、内、士族9738人、卒族7799人、社家2772人、寺709人、山伏323人、庶人32万8341人(男女合計32万8349人)、その他一(但しその他十一その他六共)9128人)。
大泉藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。寺人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族5392人、卒族9705人、(総)人口7万9934人(内、社人673人、神子16人、寺1604人(男女合計1974人)、修験283人)、その他一その他二296人。
小浜藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口10万5957人(内、士族4237人、卒族1975人、社家男女合計288人、寺男女合計953人(内、男681人、女272人(内、尼12人))、修験者男女合計59人)。
大垣藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。南宮社領、金蓮寺領。妙応寺領、乙津寺領、阿願寺の人口は全体に含まれるものとして非加算。知事家族5人、(総)人口7万8867人(男女合計7万8877人、内、士族3115人、卒族2640人、社家81人、寺1805人、南宮社領979人、金蓮寺領194人(内、男100人、僧4人、女90人)、妙応寺領35人、乙津寺領87人(内、男50人、僧4人、女23人)、阿願寺21人(内、男9人、僧4人、女8人))。
岡藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。社務人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。知事家族7人、(総)人口7万7574人(内、士族2295人、卒族4104人、社務617人(男女合計717人)、寺548人、修験109人、座頭23人、その他一643人、その他二51人)。
忍藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。寺人口と男女合計が異なるが、後者を採用。社寺領人口を平民人口に加算。知事家族3人、(総)人口11万3070人(内、士族2351人、卒族3121人、社家341人、寺723人(男女合計753人)、社寺領473人、その他一2723人、その他二42人)。
大洲藩:(総)人口を平民人口と解釈。軽卒人口を卒人口に加算。士卒族5018人(内、士族1130人、卒族1368人、軽卒2520人)、社人568人、僧351人(内、尼5人)、(総)人口9万3603人、その他一4751人。
大村藩:総人口を華族除外総人口と解釈。兵卒人口を卒人口に加算。総人口12万0539人(内、士族9371人、兵卒1005人、卒族2937人、社人289人、僧192人、その他一495人)。
小城藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。社家人口と男女合計が異なるが、統計集誌と一致する前者を採用。 副士人口を士族人口に加算。士族1632人、副士1409人、卒族4488人、社家126人、寺173人(男女合計73人)、修験23人、(総)人口3万3332人(男女合計3万2632人)、その他一97人、その他二5人。
飫肥藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。浮世人(伊藤家旧臣無禄者)、その他一その他十二人口をそれぞれ平民人口、その他一人口に加算。(総)人口4万8285人(内、士族5882人(男女合計5884人)、卒6716人、社人451人、山伏651人、寺院273人、浮世人(伊藤家旧臣無禄者)1万2892人、その他一その他十二274人)。
小田原藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族人口と男女合計、その他二人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。その他十三人口をその他一人口に加算。士卒族5398人(内、士族2891人(男女合計3891人)、卒族1507人)、僧尼1721人、修験23人、陰陽師7人、舞太夫22人、(総)人口8万4257人、その他十三908人、その他二143人(男女合計144人)。
[79216] 2011年 8月 22日(月)03:14:32【2】YT さん
藩制一覧表第一
藩名華族士族神職僧尼平民その他一その他二総人口(A)人口(B)人口(C')人口(D)
厳原藩10,9604,10291067966,62449683,77183,77183,79283,771
岩国藩3,7184,4792772638,73787,95190,39387,635
今治藩1,6972,05175061265,8484,03674,99474,99475,10274,994
飯山藩8695827031630,1304442732,43832,43832,63932,325
犬山藩1,3641,17314345750,1659112353,51653,61753,54053,732
出石藩1,5011,2846439132,20163619736,27435,31635,21335,316
岩邑藩273036,7291022036,90836,90937,14536,909
一関藩1,6581,1491475623,11326,12327,39726,19727,399
岩崎藩5472432625617,39718,46918,46918,48618,469
岩槻藩1299473916823038,3342447040,79140,80241,23440,585
飯野藩638203921321,28773723,08723,08023,20523,080
飯田藩61,0755044219426,58022228,62328,17528,39328,396
磐城平藩1,4817052695613,699813816,32915,42215,37716,339
生坂藩3221816797,490938909,0979,09710,1269,097
石岡藩9011881237516,91310018,30018,00218,11318,102
今尾藩1,33735314629725,96828,10118,73418,74718,734
伊勢崎藩815154707420,0565843421,78720,98621,66320,986
一宮藩31912113,7146014,21414,53314,54114,533
泉藩2095118279,409989,81210,72510,35117,025
岩村田藩34815595459,6413061510,6059,97910,20010,606
蓮池藩1,7703,5629021925,6248431,34931,35931,46131,359
花房藩1,28870033441461,52013711164,50463,47264,50563,282
八戸藩2,9271,04163,6255467,64742,60368,19542,603
伯太藩3672462213110,14529411,20511,20411,21111,240
林田藩497455126810,11864511,79511,795011,795
半原藩65716810112213,824242615,12015,12215,11715,071
西尾藩1,4951,66914760851,1191038355,22457,06054,34755,850
二本松藩2,5271,7637013732,725493637,30737,33537,34837,307
庭瀬藩502446526720,3818618122,39021,50221,88621,502
新見藩59261220311215,12659417,23917,27817,17917,278
西大路藩352416411138,0121729,1068,9268,8418,681
新谷藩2994091124012,62783414,32114,35114,35714,351
西端藩2758710111312,2052312,80412,78112,81212,826
西大平藩23740212466,945407,5297,3187,2727,358
本庄藩1,4021,26533523922,9118926,24126,24126,25726,241
堀江藩52038719737,2887,6757,7397,6957,739

厳原藩:(総)人口を平民人口と解釈。士族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する前者を採用。士族1万0960人(男女合計1万0970人)、卒族4102人、社人910人、寺院並盲僧679人、(総)人口6万6624人、その他一496人。
岩国藩:山伏人口と男女合計が異なるが、後者を採用。郷士人口、陪卒人口をそれぞれ士族人口、卒人口に加算。総人口または平民人口不詳。士族3533人、郷士185人、卒族2715人、陪卒1764人、社家277人、山伏155人(男女合計157人)、盲僧106人。
今治藩:総数人口を華族除外総人口と解釈。卒族人口と男女合計が異なるが、平民人口が『統計集誌』と一致する前者を採用。総数人口7万4994人(内、士族1697人、卒族2051人(男女合計1951人)、社人750人、寺男女合計202人(内、僧192人、尼10人)、修験410人、その他一4036人)。
飯山藩:総人口を平民・寺社人口(社家女、寺院女を除く)と解釈。士族869人、卒族582人、総人口7万4994人(内、神主30人、神子2人、僧180人、山伏18人、尼5人)、社家女38人、寺院女113人、その他一444人、その他二27人。
犬山藩:総人口を士卒族・平民・寺社人口と解釈。明治3年旧歴10月2日(1870年10月26日)調:総人口5万3302人(内、士族1364人、卒族1173人、社家143人、寺457人(内、修験60人)、その他一91人、その他二123人)。明治3年旧暦閏10月調:総人口5万3309人(内、社家男女合計165人、寺院陰陽師堂守修験442人(内、寺院男女合計361人、陰陽師男女合計3人、堂守男女合計34人、修験男女合計44人))。
出石藩:医師人数、その他四人口、その他三人口をそれぞれ僧尼人口、その他一人口、その他二人口に加算。旧暦11月調:士族1501人、卒族1284人、社人10人、神子6人、山伏10人、寺男女合計251人(内、僧197人、尼25人、女29人)、町在3万2201人、その他一444人、その他三197人、その他四192人。但馬国支配地の追補(旧暦2月調):社人家族共36人、神子家族共12人、山伏家族共12人、医師99人。
岩村(岩邑)藩:(総)人員を華族除外総人口と解釈。美濃国土岐郡戸籍追加人口、僧尼人口と男女合計が異なるが、共に後者を採用。その他五人口をその他二人口に加算。士卒族人口不詳。(総)人員3万1141人 、美濃国土岐郡戸籍追加人口5788人(男女合計5767人、内、神職27人、僧尼24人(男女合計30人)、その他五20人)、その他二その他一102人。
一関藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。社人人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。(総)人口2万6123人(内、士族1658人、卒族1149人、社人47人(男女合計147人)、僧56人)。
岩崎藩:(総)人口を他統計との比較から平民人口と解釈(記載通りだと(総)人口は士卒族人口を含む)。士族547人、卒族243人、社人26人、僧256人、(総)人口1万7397人。
岩槻藩:(総)人口を平民・その他二人口と解釈。士卒族人口は校訂前の数字と解釈。知事家族12人、士卒族1683人(族籍合計1733人:士族994人、卒族739人)、社人168人、寺226人(内、僧195人、男30人、女1人)、修験4人、(総)人口3万8404人(内、その他二70人)、その他一244人。
飯野藩:(総)人口を平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。士族638人、卒族203人、社家9人(内、男6人(内、神主4人)、女3人)、寺213人(内、庵13人、僧142人(内、僧129人、尼13人))、(総)人口2万1433人(男女合計2万1287人)、その他一737人(内、僧2人)。
飯田藩:(総)人口を平民人口と解釈。明治3年調:知事家族6人、士族1075人、卒族504人、社人男女合計42人、山伏男女合計27人、寺167人(内、男136人、女31人(内、尼5人))、(総)人口2万6580人、その他一その他二222人。明治2年調:(総)人口2万6418人。
磐城平藩:総人口を華族除外総人口と解釈。総人口と族籍合計が異なるが、後者を採用。明治3年調:総人口1万6339人(族籍合計1万6329人:士族1481人、卒族705人、社家269人、僧56人、平民1万3699人、その他一81人、その他二38人)。
生坂藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、他統計と一致する前者を採用。軽卒人口、その他六人口をそれぞれ卒人口、その他二人口に加算。(総)人口9097人(男女合計9021人、内、士族322人、卒族174人、軽卒7人、社家67人、僧9人、その他一938人、その他六90人)。
石岡藩:(総)人口を平民人口と解釈。卒族人口と男女合計が異なるが、『統計集誌』と一致する後者を採用。士族901人、卒族182人(男女合計188人)、社家123人、寺48人、修験27人、(総)人口1万6913人、その他一その他二100人。
今尾藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。士族1337人、卒族353人、(総)人口2万6411人(内、神社男女合計136人、寺男女合計261人、修験堂34人、庵室2人)。
伊勢崎藩:(総)人口を平民人口と解釈。卒族並を卒人口に加算。士族815人、卒族115人、卒族並39人、神主70人、僧74人、(総)人口2万0056人、その他一584人、その他二34人。
一宮藩:(総)人口を士卒族・平民人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。寺社人口不詳。(総)人口1万4204人(男女合計1万4154人、内、士族319人、卒族121人)、その他一60人。
泉藩:(総)人口を平民・寺社人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族209人、卒族51人、(総)人口9603人(男女合計9454人、内、社人16人、祢宜2人、僧27人)、その他一98人。
岩村田藩:(総)人口を平民人口と解釈。その他一人口と男女合計が異なるが、戸数から前者を採用。その他一男女合計を神社・寺・庵人口の誤記と解釈。士族348人、卒族155人、修験45人、(総)人口9641人、その他一306人(男女合計95人)、その他二15人。
蓮池藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口3万1349人(内、士族1770人、卒族3562人、社人男女合計90人、寺男女合計219人、その他一84人)。
花房藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人口6万1410人(男女合計6万4504人、内、士族1288人、卒700人、社務人334人、寺院319人(内、男306人、女12人、尼1人)、修験18人、陰陽師77人、その他一137人、その他二111人)。
八戸藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。寺社人口不詳。(総)人口6万7647人(内、士族2927人、卒族1041人、その他一54人)。
伯太藩:(総)人口を平民・その他人口と解釈。士卒族人口と士卒族男女合計、士族男女合計と卒男女合計の合計が異なるが、ここでは士族男女合計と士卒族男女合計の値を採用。士卒族615人(男女合計613人、内、士族男女合計367人、卒男女合計207人)、社人22人、寺131人、(総)人口1万0439人(内、その他一294人)。
林田藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口1万1795人(内、士族497人、卒族455人、社務人12人、寺68人、その他一645人)。
半原藩:総戸数人口を総人口、(総)人口を平民人口と解釈。総戸数人口と族籍合計が異なるが、後者を採用。総戸数人口1万5122人(族籍合計1万5120人:士族657人、卒168人(内、小者74人、卒女55人)、社務101人、僧122人、(総)人口1万3824人、その他一242人、その他二6人)。
西尾藩:(総)人口を華士卒族除外総人口と解釈。(総)人口と男女合計が異なるが、男女合計を平民人口、残りを寺社・その他人口の合計と解釈。(総)人口と男女合計・寺社・その他人口の合計は異なるが、後者を採用。士族人口と男女合計、士卒人口と士族・卒人口の合計は一致せず、士族人口の男女合計、卒人口を採用。その他七人口をその他二人口に加算。士卒3245人(内、士族1507人(男女合計1495人)、卒1669人)、(総)人口5万2078人(族籍合計5万2060人:男女合計5万1119人、社人147人(内、社務人25人、男41人、女81人)、寺庵合計608人(明治2年調:僧402人、女141人、山伏3人、尼32人、道心30人)、その他一103人、その他七83人)。明治3年調:社家122人、寺庵578人、山伏3人。
二本松藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。(総)人口3万7307人(内、士卒族4290人(内、士族2527人、卒1763人)、社家70人、寺137人(内、男(僧)120人、女17人)、その他一49人、その他二36人)。
庭瀬藩:(総)人口を平民人口と解釈。卒族人口と男女合計が異なるが、後者を採用。士族502人、卒族416人(男女合計446人)、社人男女合計52人、僧62人、山伏5人、(総)人口2万0381人、その他一861人、その他二(その他四・その他八)81人。
新見藩:(総)人口を平民人口と解釈。士卒族合1204人(内、士族592人、卒族612人)、社人203人、寺男女合計81人(内、僧71人、尼10人)、修験31人、(総)人口1万5126人、その他一594人。
西大路藩:(総)人口を華族除外総人口と解釈。その他一人口と男女合計が異なるが、後者を採用。(総)人口9106人(内、士卒族768人(内、士族男女合計352人(内、士族男168人、女184人)、卒男女合計416人(内、卒男211人、女205人))、社人男女合計41人、寺男女合計113人(内、僧86人、女27人)、その他一171人(男女合計172人))。
[79215] 2011年 8月 22日(月)03:07:19【1】YT さん
藩制一覧による府藩県三治制時代の人口統計
久々の投稿です。今更ながら、以前[76164][76307]などでまとめると予告していた、『藩制一覧』による府藩県三治時代の人口統計がまとまりました。府藩県三治時代の人口統計は、[76313]に示すように、私は以下の4種類を確認しています。

A: 『藩制一覧』
 調査年月:「明治2、3年に渡り各藩より上申せしもの」
 調査対象:280藩

B: 『府藩県石高人口表』
 調査年月:「明治2乙巳年調」
 調査対象:3府266藩40県。
 使府藩県名の時期:明治4年旧暦2月5日(1871年3月25日、多度津藩廃藩)以降、旧暦4月10日(1871年5月28日、丸亀藩廃藩)よりも前

C: 『統計集誌』「府藩県所轄並石高」(5号9~22頁)「人員表」(8号96~107頁)
 調査年月:「明治3年庚午年の調査によると雖も、間には明治2年巳年の調査を以て之を補うものあり」
 調査対象:1使3府265藩41県
 使府藩県名の時期:明治4年旧暦4月10日(1871年5月28日、丸亀藩廃藩)以降、旧暦6月2日(1871年7月19日、龍岡藩廃藩)よりも前

D: 『明治史要』「使府県戸口概表」
 調査年月:「明治4年7月14日」
 調査対象:1使3府302県
 使府藩県名の時期:廃藩置県時

この内、B、C、Dについては[76313][76314][76315](資料B,C,Dの人口比較)、[76316][76317][76328](資料Cの族籍別人口)、[76327][76745][76746][76747](資料B,C,Dの石高比較)でまとめており、今回まとめるのは『藩制一覧』(資料A)による族籍別人口です。本書に記述されている藩としては、明治2年旧暦12月26日(1870年1月27日)に廃藩した吉井藩、狭山藩、田安藩、一橋藩が登場しますが、

明治2年旧暦6月17日(1869年7月25日)、版籍奉還前に鳥取藩へ編入された鹿奴藩(鳥取新田藩)
明治3年旧暦閏10月4日(1870年11月26日)、鳥取藩編入の若桜藩(鳥取新田藩)
明治3年中、平戸藩編入の植松藩(平戸新田藩)
明治3年旧暦5月、熊本藩に編入の高瀬藩(熊本新田藩)

の四藩は登場しません。また明治政府に認知されなかった谷地藩が収録されています。

まとめるのが大変だった最大の理由は、『藩制一覧』の記述が曖昧なためです。例えば佐賀藩は、『藩制一覧』によると
戸数 六萬八千七百拾軒
人員 三十五萬四千四百五十人 内(男十八萬三千五百十七人 女一七萬九百三十三人)
士族戸数 五千弐百七十三軒
人員 二萬三千八百二十三人 内(男壹萬弐千七十弐人 女壹萬千七百五十壱人)
卒戸数 九千三百六十九軒
人員 四萬三千四百八十八人 内(男弐萬弐千三百三十四人 女弐萬千百五十四人)
社人戸数 百九十五軒
人員 八百五十人 内(男四百十八人 女四百三十弐人)
僧 千三拾弐軒
人員 四千四百十二人 内(男三千百九十人 女千弐百弐十弐人)

この文章を最初読んだ時、私は以下のような人口構成を考えてしまいました。

族籍合計士族社人平民
183,51712,07222,3344183,190145,503
170,93311,75121,1544321,222136,374
合計354,45023,82343,4888504,412281,877

しかしながら、『府藩県石高人口表』(資料B)と『明治史要』(資料D)では総人口42万5762人とあり、全然人口が足りません。『藩制一覧』を詳しく読むと、単に「人口」とか「人員」とか書かれた場合、それは平民人口を意味することも、藩の総人口を意味することも、士卒族を除いた人口を意味することもあり、佐賀藩の場合の「人員」とは平民人口を指していると解釈しないとおかしいという結論になりました。佐賀藩の正しい族籍構成は以下の通りと推定できます。

族籍合計士族社人平民
221,53112,07222,3344183,190183,517
205,49211,75121,1544321,222170,933
合計427,02323,82343,4888504,412354,450

『藩制一覧』はかなり言葉足らずで、ある族籍人口が別の族籍人口に含まれるのか、含まれないのかは、一応「内、外」という言葉や段落で多少は察しがつくことがあっても、しばしばそういう情報が欠落し、正しい情報は自分で推測するしかないという事態に直面しました。当然私の集計には私の主観が混入してしまうことを防げないわけで、その情報も今回は残すこととします。

族籍の割り振りは、『統計集誌』(資料C)に従い、華族、士族、卒、神職、僧尼、平民、その他一、その他二としました。士卒、寺社、その他一その他二の区別が曖昧な場合は、士族、神職、その他一側で集計しています。士卒族と平民の境界領域(中間小者など)の身分は大体『統計集誌』に従っていますが、士卒族に含まれたり、卒の名称が残っていたりする場合は卒人口に含めました。

参考のため『藩制一覧』(資料A)による今回の集計人口(人口A)のほか、『府藩県石高人口表』(資料B)掲載の人口(人口B)、『統計集誌』(資料C)掲載の人口(但し死刑人口は除く)(人口C')、『明治史要』(資料D)掲載の人口(人口D)も一緒に掲載しておきます。
[77758] 2011年 3月 12日(土)00:20:40YT さん
大学構内
私も帰宅難民状態で、23区内の某大学の建物内にて待機中です。
地震の最中には一歩間違えれば大火災が起こりかねない高層階の実験室におり、地震の時はとにかく生きた心地がしませんでした。

近い親戚の安否は確認できておりますが、母方の実家のある宮城県の親戚の無事の確認が取れず、不安な状況です。

ネットやラジオは情報収集のために非常に役立っておりますが、携帯電話が全く使えない状況になるとは思い至りませんでした。
[77105] 2010年 12月 26日(日)01:53:12YT さん
『文禄二年十一月蒲生領人別調』に関する高橋梵仙氏の意見
[77104] hmt さん
「独案内」とは、「ひとりあんない」と読み、独習書という意味です。
中身を見ると英語読本ですね。

Entschuldigen Sie bitte!

住所や肩書にばかりに気を取られ、全く中身を読んでいませんでした。英語は得意だし、ドイツ語はそこそこ読めると自負していただけに恥ずかしい限りです。ついでに改めて調べたところ、『統計入門』の原書は、クレマン・ジョセフ・ガルニエ Clement Joseph Garnier (1813-1881)というフランスの経済学者でして、『統計入門』の翻訳は高橋二郎氏が専ら行ったのかも知れません。あるいは英訳版からの翻訳とか。

何れにせよ[77102]で蒲生俊氏について
ドイツ語の教育を受け、当時おそらく教育関係でドイツ語を教えており、
と推定したことについては、「当時おそらく教育関係で英語を教えており」に訂正します。

蒲生俊氏の記事に対する高橋梵仙(『日本人口史之研究』)のコメントを見つけたので紹介します。

 蒲生氏郷(文禄四年(一五九五)二月七日歿、年四十)が戦功の故を以て、天正十八年(一五九〇)八月羽柴秀吉より陸奥国会津六郡の地に、越後(小川の庄)、山道の地を合せて十二郡を賜わり、陸奥・出羽の守護職を給わることになった。翌十九年(一五九一)夏には秀吉に叛した陸奥国福岡城主九戸政実(天正十九年(一五九一)九月歿)を追討、其で去年・今年の勲功を賞し、秀吉は彼に奥・羽七郡(陸奥国田村・四本松・伊達・信夫・刈田、出羽国長井等)の地を加増し、蒲生領は十九郡百廿万八千五百石になった。氏郷は文禄二年(一五九三)二月廿七日「領内人員取調」をしたことが伝えられ、後裔「蒲生俊」によって整理せられたものがある。しかし乍ら、この調査は一見甚だ珍しく思われるものではあるが、身分階層別人口については、果して斯く厳密に分別せられていたものか何うか、大いに疑団の深いものがある。然れどもここには疑を存して全文を掲げ、仍て後考に俟つことにする。

なお高橋梵仙の引用では『統計集誌 第十八号 昭和十六年二月 七三―五五頁』とありますが、『統計集誌 第十八号明治十六年二月 七三―七五頁』の間違いです。

蒲生氏郷は、一応「陸奥・出羽の守護職」を務めていたことから、もしかしたら伊達正宗領内の人別の情報を集められる立場にいたかも知れません。正直自分は学問としての歴史とは無縁の人間ですので、当時の東北の政治情勢についていかなる文献の裏打ちがあるのかまでは詳しく知りません。
[77102] 2010年 12月 25日(土)17:36:20【4】YT さん
屋代郷、蒲生俊
[77097] 般若堂そんぴん さん
「屋代郷」は現在の東置賜郡高畠町の一部ですね.上杉領になったり天領になったり,しばしば所属が変わったところです.慶応2年以前の変遷は引用された表には反映されていないように見えますね.

屋代郷は寛文4年(1664年)に米沢藩領を離れても、しばらくの間米沢藩の「預り地」となります。だから形式上は寛文4年(1664年)~慶応元年(1865年)の間は幕府の天領であったり、他藩領であったりします。屋代郷は嘉永元年(1848年)に米沢藩の預り地として三度目の復帰を果たし、米沢藩の実質的な所領として機能していましたが、米沢藩の正式な所領として復帰するのは慶応2年(1866年)に幕府が編入を認めてからです。

今『旧高旧領取調帳』を読み返しましたが、高畠村を中心とした屋代郷の旧領が「米沢藩領分」扱いになっていました。維新後の米沢藩の内高28万4748石(『統計集誌』)と置賜郡の内高(33万6645石5斗7升2合9勺4才, 『旧高旧領取調帳』)の差約5万2000石は、屋代郷分によるもののようです。

というか、屋代郷が置賜郡内の地名であることに気付きませんでした。よって[77092]
維新後は再び置賜郡オンリーの、表高14万7248石、内高28万4748石、現高6万3269石、総人口12万9753人に減らされます。
は「維新後は再び屋代郷を除いた、表高14万7248石、内高28万4748石、現高6万3269石、総人口12万9753人に減らされます。」に訂正します。

[77095]で紹介した記事の筆者、蒲生俊について少し調べたので紹介します。

蒲生俊は蒲生氏郷のことを「我十一世ノ祖」と紹介しておりますが、少なくとも蒲生氏郷には直系の子孫はいないと思われます。しかしながら兄弟や娘の子孫ならまだいることでしょう。1883年に『統計集誌』へ論文を投稿できる立場からすると、おそらく士族かそれに準じる家柄の人と思われます。そこでNACSIS Webcatや「GeNii 学術コンテンツ・ポータルで蒲生俊を検索したところ、同時期に様々なドイツ語の教科書の翻訳をしている蒲生俊という人物がいることを見つけました。

出版人:東京府士族 蒲生俊 東京四谷区四谷愛住町八十九番地
高橋二郎訳、蒲生俊校『統計入門』(1883年)

著述人:東京府士族 蒲生俊 東京四谷区四谷仲町三丁目七番地
蒲生俊著『世界未来記』(1885年)

訳者:蒲生俊 東京麹町区三番町十九番地
蒲生俊訳『スウィントン氏 第弐リーダー 独案内』(1888年)
蒲生俊訳『ロングマンス 第壱リードル 独案内』(1888年)
蒲生俊訳『ロングマンス 第弐リードル 独案内』(1888年)
蒲生俊訳『ロングマンス 第参リードル 独案内』(1888年)
蒲生俊訳『ロングマンス 第四読本 直訳』(1888年)

明治時代の東京四谷区四谷仲町三丁目七番地の住所から江戸時代の地図を検索したところ、該当箇所は将軍を護衛する鉄砲隊である「御持組」の屋敷群に相当したところから、当初蒲生俊の家柄は、御家人と推定しました・・・が、『統計入門』に記載の住所である東京四谷区四谷愛住町八十九番地からは、「浅羽」という旗本屋敷がヒットし、結局のところ蒲生俊は頻繁に住所を変えていて、先祖伝来の住居がどこなのかは分かりませんでした。ただ、『統計入門』という本の訳に関わっていることからも(訳者は高橋二郎で、出版人が蒲生俊となっているが、NACSIS webcatの情報によると蒲生俊は校正人になっている)、『統計集誌』に先祖伝来の文書を発表する繋がりは見て取れます。

『統計入門』の翻訳はメインを務めてはいないようですが、その後の各種ドイツ語教科書は蒲生俊がほぼ全てを訳しているようです。また『世界未来記』は、未来世界を予測した本のようです。

まあ蒲生俊が決して怪しげな人物ではなく、先祖代々おそらく将軍家に仕えていた御家人クラスの家出身の東京府士族で、ドイツ語の教育を受け、当時おそらく教育関係でドイツ語を教えており、先祖伝来(と信じているところ)の文書を『統計集誌』に発表したということはいえるでしょう。ただ、それでも文書の中身の怪しげな点が残ります。

記事では戦国~江戸時代初期には長井郡と呼ばれるのが一般的であった置賜郡のことを「置賜」と表記しています。また、刈田、伊達、信夫、安積、安達、岩瀬、会津、耶麻、河沼、大沼、田村、置賜の各郡と越後小河ノ庄(以上合計55万1535人)、表から欠落しているという石川郡が蒲生氏郷の所領であったのはいいとして、糠部、江刺、胆沢、磐井、閉伊、九戸、鹿角の各郡(合計24万2764人)が本当に蒲生氏郷領であったのでしょうか?なお55万人を92万石で割ると、1人0.60石となり、若干速水説に近づいた値となります。これらの地域が蒲生氏郷が主導となって検地を実施させた地域であり、報告に上がった数字をまとめただけというのなら、数字的にはありえそうなものには近づきます。ただ、なんとなくこの文書には、これら全ての地域が蒲生氏郷領であったというプロパガンダ的なものを感じます。

今手元にないので確認できませんが、高橋梵仙の『日本人口史之研究』(1941年)か関山直太郎の『近世日本人口の研究』(1948年)の何れかの本で、蒲生領の人別調についてコメントがあったような気がします。確か身分名表記について疑念があるようなことを書いていたように記憶しています。

【18:54頃、色々文章を追加しました。】


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