国名組み合わせ地名
[72010] [72159]に、地名コレクションに登場する三国や3県境をからめて
[72037]から始めたシリーズですが、南海道
[72189][72196]に続いて、ようやく五畿七道の最後の 西海道 まで来ました。
西海道は壱岐・対馬を加えた11ヶ国ですが、隣接に関係するのは、その名も「九州」と呼ばれる9ヶ国。
最初に九州の三国境を列挙。
整理番号 | 国名 | #三国 | ◎3県境 | 地名 |
KK78 | 筑前筑後肥前 | #44 | | 基山PA東 |
KK79 | 筑前豊前豊後 | | | 英彦山の南西4km |
KK80 | 筑前筑後豊後 | | | 筑後川夜明ダム手前 |
KK81 | 筑後肥後豊後 | #36 | M42 | 筑肥山地三国山 |
KK82 | 肥後豊後日向 | | M43 | 国観峠の西1km |
KK83 | 肥後日向薩摩 | | M44 | 球磨川の支流桑木津留川水面【矢岳駅の西5km】 |
KK84 | 日向大隅薩摩 | | | 黒園山【KK83の南5km】 |
西海道11ヶ国の陸上隣接国(右回り順)と三国境のリスト。
筑前国 (日本海) 豊前 KK79 豊後 KK80 筑後 KK78 肥前
筑後国 (有明海) 肥前 KK78 筑前 KK80 豊後 KK81 肥後
豊前国 (瀬戸内海)豊後 KK79 筑前(日本海)
豊後国 (瀬戸内海)日向 KK82 肥後 KK81 筑後KK80 筑前 KK79 豊前
肥前国 (日本海) 筑前 KK78 筑後(有明海)
肥後国 (有明海) 筑後 KK81 豊後 KK82 日向 KK83 薩摩(八代海)
日向国 (太平洋) 大隅 KK84 薩摩 KK83 肥後 KK82 豊後
大隅国 (鹿児島湾)薩摩 KK84 日向
薩摩国 (八代海) 肥後 KK83 日向 KK84 大隅(鹿児島湾)
壱岐国 (日本海) 陸上隣接なし(東シナ海)
対馬国 (日本海) 陸上隣接なし(東シナ海)
[1019] Issie さん のとおり、国名組み合わせに使われる国の略称は、原則として上下前後への分割にかかわらず共通(例外は上州・野州)ですから、筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後と6ヶ国あっても、その組み合わせは、筑豊 筑肥 豊肥の3種類だけです。
鉄道では 筑豊 筑肥 豊肥 すべての使用例がありますが、鉄道以外の分野でもよく使われている地名といえば「筑豊」です。
落書き帳で「筑豊」を検索してみると、鉄道関係での使用例が多いのは当然ですが、意外にも初期に多数を占めたのが自動車のナンバープレートでした。
いわゆる
ご当地ナンバー制度 の実施は、3年前の 2006年10月でしたが、筑豊ナンバーは、それよりもずっと前の 1985年
[8368]に導入されました。
[9586]せか さん によると、新設理由は分類番号「51~59」のオーバーフロー対策による分割。
嘉穂郡庄内町(現・飯塚市)に作られた自動車検査登録事務所の名称が「筑豊」
[9258]となっているのは、ナンバープレートに使われる事務所名として、「筑豊」のネームバリューが考慮されたものでしょう。
しかし、登録台数
[3542] [9182]を見ると、「湘南」には遠く及ばないようです。
ナンバープレート・鉄道・気象区分
[57206]などを除き、地理のテーマとして取り上げられた
筑豊の記事 を紹介しておきます。
[72044] 有明つばめ さん
筑豊本線や筑豊電気鉄道は旧筑前国のみで旧豊前国を通っていませんし、肥薩線は旧薩摩国を通っていません
肥薩線は、現在でこそ大隅国の隼人が終点ですが、1927-1932年は八代・鹿児島間でした。もっと遡ると鹿児島本線。
筑豊線も、本線こそ豊前に通じていませんが、グループとしては後藤寺線、そして、かつての伊田線(現在の平成筑豊鉄道)など、豊前の田川地方にも及ぶ路線でした。
もっとも、福岡県内陸部の炭田地帯として人口に膾炙した「筑豊」という地名は、国名組み合わせの域を脱しており、国境を越えない筑豊本線の名にも、抵抗感はないように思われます。
[72047] Issie さんによると、飯塚と田川との間の分水嶺の存在にもかかわらず、両国をまとめて「筑豊」たらしめていたのは、ひとえに“大炭田地帯”の存在と、各炭鉱から積み出し港の若松に集約するように引かれた鉄道網の賜物。
分水嶺と言っても、交通を著しく遮断するほどではないためか、「筑豊盆地」という言葉も存在します。
使用例
もっとも、
[25649] らるふ さんには、“ん~よくわからない。”と言われ、盆地コレクションには集録してもらえません。
「筑豊」と言えば「炭田」という結びつきが強烈なためか、同じく筑前と豊前とにまたがる地域ですが、臨海部の工業地帯には「北九州」という別の呼称が、
北九州市発足 よりもずっと前から定着していました。
このあたりも、「筑豊」という地名が、単なる国名組み合わせの域を脱している証拠だと思います。
「筑豊」も「北九州」も、明治になってから「福岡県」に形成された 新たな経済地域 から生まれた地名です
[62889]。
「筑豊」は、福岡・筑後・北九州と並んで、
福岡県の4地域 の一つとして、公式に使われています。
「筑肥」となると、筑肥線の使用例が圧倒的。あとは筑肥山地
[53457] [72044]しか出ていません。
言語学には「肥筑方言」というのがあるのですね。なぜか筑と肥の順序が逆転。
ここで、「筑豊」が京都に近い順でないことに気がつきました。今まで疑問に感じていなかったのは不思議。
九州や福岡県の中心地は、大宰府や福岡県庁のある筑前国であり、こちらを先にしたものと理解しておきます。
同様に、大分県の地方組織として
6振興局 がありますが、その中に
「豊肥振興局」 【黄色地に白文字は読みにくい】があります。
その管轄は竹田市と豊後大野市。もちろん両市共に豊後国。肥後に近い地域だから「豊肥」なのでしょうか?
「日豊」も日豊本線の使用例が多いが、会社名の「日豊」もあります。国名由来でないケースも多そうです。
豊日方言。日豊本線が強烈な先入観念になっており、つい逆順かと思ってしまいました。
しかし、大宰府基準でも京都基準でも、豊日が正順であり、逆順なのは日豊であると思われます。
あと、九州の代表的な方言として薩隅方言。
[25166] ペーロケさん
九州では「両豊」「両筑」「両肥」なんて言い方あまりしないのですかねえ。
1912年に田主丸(筑後)・甘木(筑前)間を開業した両筑軌道がありました。翌年、秋月まで延長。1938年廃止。