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伊豆之国さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[86654]2014年11月10日
伊豆之国
[86606]2014年11月4日
伊豆之国
[86598]2014年11月3日
伊豆之国
[86596]2014年11月3日
伊豆之国
[86591]2014年11月2日
伊豆之国
[86488]2014年10月25日
伊豆之国
[86469]2014年10月18日
伊豆之国
[86426]2014年9月28日
伊豆之国
[86405]2014年9月24日
伊豆之国
[86355]2014年9月3日
伊豆之国
[86351]2014年9月2日
伊豆之国
[86346]2014年8月31日
伊豆之国
[86344]2014年8月30日
伊豆之国
[86335]2014年8月27日
伊豆之国
[86317]2014年8月21日
伊豆之国
[86305]2014年8月18日
伊豆之国
[86298]2014年8月17日
伊豆之国
[86294]2014年8月16日
伊豆之国
[86271]2014年8月12日
伊豆之国
[86208]2014年8月3日
伊豆之国

[86654] 2014年 11月 10日(月)08:25:38伊豆之国 さん
クイ図五番勝負
問四:静岡県東伊豆町/静岡県河津町

全然違う方向を見ていました…。
[86606] 2014年 11月 4日(火)22:33:34伊豆之国 さん
クイ図五番勝負
[86598] 2014年 11月 3日(月)15:39:29伊豆之国 さん
クイ図五番勝負
問一:京都府木津川市
問五:静岡県静岡市

とりあえず、思っていたのとどうやら合っていそうなものだけ。
[86596] 2014年 11月 3日(月)11:23:03伊豆之国 さん
Re2;新幹線駅所在都市の人口増減
[86595] 白桃 さん
疑問はありませんが、いやぁ、まったくヒドイ記事ですね
そう言われれば、まさに同感ですね…。私もこの表を見て、「駅が開業した時期が書かれていない、駅ができてから今日まで、どれくらいの年月の間でどれだけの人口増減があったか、ということがこの表から見えてこない」と、「これでは誤解を招きやすい、不完全なデータ」だということに気づくまでには時間がかかりませんでした。せめて、駅の開業以降の人口増減率を、開業からの年数で割った数値(1年間当たりの平均増減率)を表したほうがよかったのではないか、と思いますが。

駅が出来た所ところと出来なかった所、それもなるべく近接し、同規模人口、例えば小田原と沼津、豊橋と岡崎、徳山と防府、のような比較をするでしょう
過去ログを探していたら、デスクトップ鉄 さんの[84604]の記事がありました。小田原・三島と沼津、軽井沢・佐久と小諸の比較にも興味を惹かれますが、九州新幹線の先行開業部分において、かえって新幹線が停まらなかった市のほうが減少率が低いところがある、というデータも不思議ですねぇ。いったんは落ち着いたものの、最近の10年間で13%もの減少があった水俣市は、例の「特殊事情」以外にも何かありそうな気もしますが…。

[86590],[86593] ピーくん さん
記事がダブり、失礼いたしました…。
東広島市の人口増は、仰せの通りということでしょうか?
[86591] 2014年 11月 2日(日)22:22:16伊豆之国 さん
新幹線駅所在都市の人口増減
今朝の毎日新聞に、「新幹線駅・夢と現実」と題した記事があり、新幹線の駅がある自治体の、駅前や中心市街地の現状レポートと、人口の増減率の表が出ていました。

新幹線は今秋、東京・新大阪間の開通から50周年を迎えた。全国の新幹線網は2300キロを超え、来年3月には北陸新幹線が金沢まで延伸されるなど、各地で延長や開業が計画されている。しかし新幹線の駅をもつ地域には、人口が減少したり、商店街がさびれたりしたところもある。新幹線沿線の「光と影」を駅周辺の街にみた

この記事に出ている「人口増減率」の表は、沿線別になっていますが、これをランキング形式にまとめると、次のようになりました。なお、記事に出ている表は、各自治体において、新幹線の駅が開業、あるいはその直前の国勢調査による人口と、最新の2010(平成22)年の人口(現在の自治体区域に換算)との比較で、それ以降に開業した駅・路線は含まれず、また「ミニ新幹線」も対象外となっています。なお、人口増減率は、路線ごとの開業年との比較で、数値は小数点以下四捨五入で表し、同一自治体でも複数の路線がある駅は、路線ごとに増減率が異なっています。また、東京23区は全体で1つの市とみなしていますが、東京・上野・品川の各駅の開業時期が異なり、東京駅は「東海道」と「東北(・上越)」でも開業時期の違いにより、数値が異なっています。

【人口増加率トップ10】
順位自治体名増減率(%)駅名路線名開業年
1横浜市168新横浜東海道1964
2豊橋市75豊橋東海道1964
3羽島市62岐阜羽島東海道1964
4三島市57三島東海道1969
5西郷村55新白河東北1982
6小田原市51小田原東海道1964
7福岡市46博多山陽1975
8東広島市45東広島山陽1988
9岡山市42岡山山陽1972
10浜松市41浜松東海道1964
明石市41西明石山陽1972

【人口減少率ワースト10】
順位自治体名増減率(%)駅名路線名開業年
1熱海市▲24熱海東海道1964
みなかみ町▲24上毛高原上越1982
3相生市▲23相生山陽1972
4尾道市▲18新尾道山陽1988
栗原市▲18くりこま高原東北1990
6岩手町▲14いわて沼宮内東北2002
7下関市▲13新下関山陽1975
一関市▲13一ノ関東北1982
水俣市▲13新水俣九州2004
10湯沢町▲12越後湯沢上越1982

この記事では、尾道・二戸・八戸・三島の各市が取り上げられ、現況と駅開業による市街の変化について書かれています。最初に取り上げられている尾道市では、山陽新幹線が博多まで開業した当時には駅がなく、両隣の福山・三原両市に駅ができたことから、危機感を抱いた地元の請願によって13年後に「新尾道」駅ができたものの、市街から遠いこともあって利用者数は低迷し、1日の乗車客数は1000人にも満たず、在来の山陽線尾道駅(約5500人)と比べると落差が目立ち、駅の存在感も薄く、レポートした記者が新尾道駅で降りて市役所に向かうために利用したタクシーの運転手に「帰りは尾道駅から乗ったほうがよい」と勧められた、ということが書かれていました。尾道駅からは、「のぞみ」も停車する福山駅まで「鈍行」で約20分と近いことも一因になっているようです。これは私の推測ですが、おそらく地形の関係と人家も密集していることから、尾道駅や中心市街地の近くに新幹線の駅を作るスペースを確保することが難しく、在来線で2駅先の、呉線との分岐駅でもある三原駅が停車駅に選ばれたことは、当時としては妥当な判断であったと思われます。二戸市の場合は、新幹線駅ができてもかえって買い物客は減り続け、「シャッター通り」と化し、5軒あった「駅前旅館」もすべて廃業した、ということが書かれています。
一方、「明」のほうの例として、東北新幹線の延長開業後、郷土料理「せんべい汁」の売込みなどで集客に取り組み、年間観光客を大きく増やした八戸市と、新幹線駅開業により首都圏への通勤圏となって、人口が増加した三島市のケースが取り上げられています。

「人口増減」に戻りますが、記事の中では
新幹線のような高速交通機関は、沿線の観光地化など地域を活性化する効果がある半面、事業所の撤退や大都市への人口集中を招くとの指摘がある
とあり、新幹線駅がある自治体の自治体を対象に、駅開業前後の人口の変化を分析したところ、対象とした自治体72ヶ所を見ると、人口が減少したところが半数近い32ヶ所あることが書かれています。そして、この分析結果を見ると、東北新幹線の場合、仙台とそれ以南ではその多くが人口増となったのに対し、北側(八戸まで)では10の自治体のうち7ヶ所で減少し、特に栗原市と岩手町の減少率が目立ち、また上越新幹線でも、新潟県内では新潟市以外ですべて減少しており、「それでも県内の他の市町村に比べれば減少率が低く抑えられている」とあります。一方、北陸(長野)新幹線の開業により東京から1時間で行けるようになった軽井沢町は、リゾート地としてのブランドに加えて通勤圏内となったことで移住者が増えている、というようです。

ついでに、この記事についての私からの雑感を。
豊橋や羽島がそんなに増えていたとは驚きでしたが、現在ではすでに漸減傾向に入ってきている小田原市の人口増加率が50%にも達していたというのも、ちょっと意外でした。新幹線開業で通勤圏となったことによる増加の「貯金」がまだだいぶ残っている、ということでしょう。東北方面では、西郷村が急増しているのは近辺への工業立地の進出が大きいのでしょうか。那須塩原市も40%近く増えている、とあるのは、軽井沢と同様に考えてよさそうな気がしますが。福岡市の人口増は、九州の中心としての「一極集中」が進んだ結果でしょうか。東広島市の人口増については、「ご当地」ゆかりの方にご解説を…。
同じ伊豆の中で、三島市と鮮やかに明暗を分けた熱海市の人口激減のことは、以前[84609],[64080]で書き込んでいます。一方、越後湯沢の人口激減は意外でした。リゾートマンションの乱立は以前に話題になったことがありましたが、定住人口の増加の当て込みが外れたどころか、かえって「廃墟」を増やしただけ、ということになったのでしょう。大都市では、大阪市の人口減が11%に達していて「ワースト10」の次点にランクしていますが、これはすでに新幹線開業時点ですでに市街地の人口が飽和状態になっており、長らく減少傾向が続き、近年になってようやく中心部への人口回帰が進んだものの、まだ最盛期までには挽回できていない、と見るべきでしょうか。東海道新幹線開業からの半世紀の増加率が10%となっている東京23区も、同様の推移と考えられます。半世紀の間に人口が2.7倍近くに達し、ダントツでトップの横浜市は、この表からは除外して考えたほうがよさそうです。

>白桃 さん、何か疑問がありましたら遠慮なくどうぞ。

♯「クイ図」ですが、見ただけで「鬼門」の方面だったり、方向は見えたものの共通項が絞り切れなかったりで、いまいち意欲が湧きません。参加するかどうか、いまだに思案中…。
[86488] 2014年 10月 25日(土)20:29:36【1】伊豆之国 さん
「兎追いしかの山」、といいますが…
…唱歌「故郷」のふるさと、その信州から「兎」の話題。

伊那警察署に「迷子」の白兎が保護され、署員が預かって飼育し、飼い主から連絡が来るのを待っているという話題です。
中日新聞
署によると、二十日昼ごろ、伊那市西春近の会社駐車場で車の下に隠れているところを保護された。人懐っこいことなどから、ペットとして飼育されていたとみられる
ということだそうですが、あるいは飼い主から捨てられたのではないのか、気になるところですねぇ…。

…ところで、白桃 さんの「人口の推移」に関する大作、まだまだ先が長々と続きそうなので、私としても大いに期待しております。そこで、もうすっかり「亀レス」ですが、[86466]の「(擬人化)姓名ネタ」に飯能。メンバー?の中には、実在するとは思えない苗字(森岡氏曰く「幽霊苗字」)もいくつか交じっているようですが…。
6 神戸さら
…「神戸」を「かんべ」と読めば、コンニャクの一大産地と、そのお隣の世界遺産のある市に行けばまず会えそう([85670])。
22 横須賀そら
…大龍エクスプレス さんのお友達にひょっとしているかも。([77623],[77625] )
29 宇都宮さくら
…お隣同士の名コンビ!
66 藤沢あみ
「藤沢(藤澤)さん」は、長野・香川・岩手の各県などに多く見られる苗字ですが、特に香川県高松市域には密集し、中でも旧塩江町には非常に多く、町民の2割近くが「藤沢(藤澤)さん」でした。しかし、県内でも他の地域にはほとんど無く、東かがわ市は新旧字体合わせてもわずかに3件、観音寺市など県西部の市町でも軒並み1桁しか見られません。高松市内でこのフルネームの女性に会える確率は高そうですが、高松市以外の県民には、あるいは「ほとんどなじみが無い苗字」とも言えるかもしれません。
[86469] 2014年 10月 18日(土)20:00:24伊豆之国 さん
踏切名称あれこれ
私がまだ幼い頃、まだあちこちにあった(聞こえた)その恐ろしいほどの大音声([66880],現存例)に怯えた記憶をいまだに引きずり、今でも時折あの怖かったシーンが夢枕に現れて、「あっ」と思った瞬間、目が覚めて…。このところ落書き帳を賑わせている「踏切」の話題、私も「列車に乗る」ことにします。

[86455],[86456],[86458],[86460] hmt さん
[86459] みのる さん
[86463] ぺとぺと さん
「生見尾踏切」に端を発した「踏切の名称」の話。機械的に「○○何号」とか「○○第何」というようなつけ方をしていることが多い私鉄とは違い、踏切のある場所の地名や、近くの目印となっていた建物の名などを伝統的に採用していることが多い、(国鉄→)JRの踏切の名称。その「生見尾」の如く、今では使われなくなった古い地名が踏切の名に残っていたり、知らなければ「それ、何で?」と驚くような不思議な名の踏切がよくあります。
まず、身近なところから東海道線(・京浜東北線)からいくつか。大森駅を出て、次の蒲田までの間に、東海道線と京浜東北線の2つの複線を渡る、6ヶ所の踏切が残っているようです。大森駅を出て、左手にSL「C57型」が保存されている小公園を過ぎると最初に現れるのが「学校踏切」。現在、電車に乗って周りを見回しても学校らしき建物は見えませんが、地図を見ると、家並みの向こう、200mほど東側に大田区立「入新井第一小学校」があり、学校のHPを見ると
明治 8 2 12 不入斗村に磐井小学校創立 2 28 新井宿村に新泉小学校創立 44 12 3 磐井小学校と新泉小学校を合併し、入新井尋常小学校を開校
とあるので、品川~横浜間の鉄道開通の3年後に既に前身となる学校があり、おそらくその頃には周りには学校の他には目立つ建物が無く、自然発生的に「学校の前の踏切」といった呼び方ができていたのではないかと思われます。
大森駅から数えて5番目にあるのは、「新井宿踏切」。先の学校名に使われている「入新井」は、「不入斗」とその「新井宿」の合成によりできた地名で、「入新井」ともども現在では消えて久しい地名ですが([35798] hmt さん)、入り口に鳥居のような「門」がある、人と自転車などだけが渡れる小さな踏切だけが、おそらく「新井宿」の記憶をわずかに残すものとなっているのでしょうか。
辻堂~茅ヶ崎間にある「異人館踏切」([86463] ぺとぺと さん)は、前からその由来が気になっていた踏切でした。その、ぺとぺと さんのお膝元、平塚駅の東側には、「生見尾」と同じく、早くに消滅した合成地名に由来する「須馬踏切」というのがあります。「須賀」と「馬入」の合成村名でしたが、昭和2年、平塚市の市制施行の5年前に消えた地名が今なお踏切の名称に残っていたのでした。
横浜線の踏切には、その場所から遠く離れたところの地名が使われているケースが見られます。古淵駅のすぐ西側にある踏切は、「津久井踏切」と呼ばれています。(旧)津久井郡ではないどころか、その津久井郡の入り口までにもかなりの距離がある場所であり、おそらく津久井方面へのかつての街道筋にあったことから名づけられたと推測されるのですが、どうなのでしょうか。現在は道路の高架化で消えましたが、町田駅の東側、天満宮のすぐ目の前にあった踏切は「厚木踏切」、やはり地下道化により消えた、長津田駅の東側にあった田園都市線との共用踏切は「柿生踏切」(東急では「田奈1号」)と呼ばれていました。

ところで、踏切の写真を集めたサイトに、「関西の踏切」という大作があります。近畿地方を中心に、東海・中国地方の一部や、更に福井・香川両県までにも及ぶ範囲にある踏切の写真を集めたサイトで、データの中には古くなっているものもあるようですが、近年の改廃にもしっかり対応しているようです。私鉄の踏切は、「機械的にナンバーを振っているところが多い」と先に書いたのですが、大手でも阪神・阪急・京阪は、JRと同様にそれぞれの踏切ごとに固有の名称を付けており、中には「珍名」の踏切も数多く見られます。例えば阪急千里線を見ると、「文化」「住宅地」「花壇」「社宅」「瓦斯」「学童」といった、抽象的な名称の踏切が目だって見られ、「珍名踏切の宝庫」とも呼ばれるようです。また、東海道線(JR神戸線)のページを見ると、以前に話題になった「田辺村踏切」の写真も出ていました。他の路線にもこうした「珍名」踏切が多数見つかりますので、興味ある方はどうぞ…。

関西以外にも、もちろん「珍名踏切」は多数見つかります。その中からいくつか…。
盆栽踏切」(東北本線・さいたま市北区)
日曽利(ひっそり)踏切」(飯田線。さすが「秘境駅の宝庫」と呼ばれる路線にふさわしい?踏切ですが、場所は?…
煙草屋裏踏切」(アルピコ交通<松本電鉄>・長野県松本市)…画像に出てくる「怖かった音」はもう聞かれないようです。
太平洋1号踏切」(太平洋セメント貨物専用線・三重県四日市市)
別れの茶屋踏切」(広電宮島線・広島市西区)
レコード館踏切」(伊豆箱根鉄道駿豆線・静岡県三島市)…廃業した映画館に由来するようです。
[86426] 2014年 9月 28日(日)22:49:16伊豆之国 さん
五新線、飛越能
[86423] ピーくん さんの書き込みに引用されていた記事のリンクをたどって行くうちに見つけた「鉄」ネタ2件。

<その1>
奈良県五條市内にある、旧国鉄の未完成区間の線路用地だった敷地をバス専用道路として利用して走っていた路線バスが、今月末限りで運行を取りやめることになりました。(記事)
奈良県五條市と和歌山県新宮市をつなぐ計画だった「幻の五新鉄道」。その跡地の専用道を走る路線バスが30日で廃止されるのを前に、さよならイベントが27日に五條市内であり、廃止を惜しむ人らが集った。
五新鉄道は、国鉄(現JR)和歌山線五条駅と、紀勢線新宮駅を結ぶ路線として1939年3月に着工した。太平洋戦争中の44年夏に中断、57年夏に再開したものの、80年の国鉄再建法成立を受けて中止となった。
 国鉄は65年7月、完成区間のうち9・2キロを路線バス専用道とし、JRバスを経て2002年10月以降は奈良交通が運行してきた。しかし、トンネルが劣化して危険として、運行を取りやめることになった
この「五新線」、過去ログをたどってみると、[47342] まかいの さんの書き込みがありました。
田舎道を走ってたら突如バス専用道の看板???
バスが専用道を持っているなんて、またそれが都市部ではなくてこんな山間部に???
後でこれが未成の五新線(でよかったかな?)だったと知ったときはまたビックリ。
西吉野村の終点で、未成線の遺構をしみじみと見学しました。
もう10年も昔でしたが、今でもがんばって存続しているのでしょうか
このバス路線は、専用道の閉鎖後は、並行する一般道経由で運行しているルートに吸収されることになるようです。この一般道ルートは、「日本一長い一般道経由の路線バス」として名高い、大和八木駅~五條~十津川~本宮~新宮を結ぶ「八木新宮線」のルートの一部にもなっています(奈良交通路線図[83343] k-ace さん、[70115] むっくん さん)。
…「八木新宮線」の道中記は、富山県にもゆかりが深いらしい、こちらのブログにも出ていました(1,2,3,4)。

<その2>
来春開業の北陸新幹線に設置される「新高岡」駅に、「超特急」(「のぞみ」タイプ)の「かがやき」が停まらないことに対し、氷見市議会が「新高岡駅に『かがやき』を停めろ」と決議しました(記事)。
氷見市議会は9月定例会最終日の24日、北陸新幹線の最速型列車「かがやき」の新高岡駅停車などを求める決議を可決した。「かがやき」の新高岡駅通過をJRが発表して以降、決起集会などを開いてきた県西部の関係市議会で要望決議が可決されたのは初めて。
 決議は「現高岡駅には速達型の全列車が停車している。かがやきの全列車通過は、県西部、(石川、岐阜両県を含む)飛越能地域にとって受け入れがたい」などとしている。また、新幹線に接続する城端線と氷見線の直通化も氷見市民が切望しているとし、早期実現を求めた
…この記事に、「飛越能」(おそらく飛騨・越中・能登)という地域名合成語?がありますが、私もこの表現には初めてお目にかかりました。石川県内でも一般に使われているか、気になります。記事検索で見ると、「飛越」は11件ヒットしましたが、「越能」は30件余り出たものの全て「加越能」という形でしかヒットしませんでした。
[86405] 2014年 9月 24日(水)22:00:38伊豆之国 さん
京都から富士見 & 湖底に消える日本最短トンネル
[83639] hmt さん
富士山が見える都府県 は、全部で 20(但し、京都は証拠写真なし)
その京都府から富士山の撮影に成功した、というニュースがありました。山梨日日新聞
富士山の眺望に関する研究・著書で知られる田代博氏([83639]によると、京都府からは唯一、この辺りからのみ、計算上からは富士山の頂上が見える、ということにはなっていたものの、京都市内とはいえ樹木が生い茂る深い山の中で、たどり着くのも困難で見通しも悪いとあって、「本当に富士山の姿を見るのは不可能に近い」とされていたのですが、今月21日に奈良県の住職が写真撮影に成功し、田代氏によって「富士山頂に間違いない」と認定されたとのことです。田代氏HP
江戸時代に「富士見十三州」という言い回しがありました([83639],[59419])が、この「十三州」(駿河・甲斐・伊豆・遠江・相模・武蔵・下総・上総・安房・常陸・下野・上野・信濃)と、それ以外で富士山が見えることが確認されている、陸奥(明治以降では岩代と磐城)・越後・越中・飛騨・美濃・三河・尾張・伊勢・志摩・伊賀・近江・大和・紀伊に加え、これで山城国からも見える、ということになると、「富士見二十七(二十八)州」ということになるわけです…。
…そういえば、3年前のこの日も、「富士山」ネタを書き込んでいました([79370])…。

次は、「十八番?」の「鉄」系のニュースから。
八ツ場ダムの工事の進展に伴い、水没する区間となる岩島~長野原草津口間の線路が新線に切り替わることになり(→[77742] k-ace さん)、今日24日限りで現ルートによる運行を終了し、この区間を運休して切り替え工事を行い、来月1日より新ルートによる運行を開始、水没区間にある川原湯温泉駅も高台にある新ルート上の駅に移転することになります。この水没区間にある、「日本一短いトンネル」として名高い「樽沢トンネル」(長さ7.2m)も、列車が通るのは今日限りで見納めとなりました。毎日新聞
…川原湯温泉には、11年前、四万温泉に泊まったときに足を伸ばし、立ち寄り湯にも入っています。その頃には既にダム工事による立ち退きが進んでいて、廃業した旅館や土産物店も多く、もうかなり寂れた印象になっていました…。
[86355] 2014年 9月 3日(水)16:27:23伊豆之国 さん
Re:伊勢参宮をめぐる鉄道
前回[86351]の後半に続いて、「伊勢参宮をめぐる鉄道」についてこれまで調べたことから。

現在の近鉄名古屋線の一部(桑名~江戸橋)の前身となっている、「伊勢電鉄」。元々、この路線は、現在のJR関西本線などの前身である「関西鉄道」が津への支線(後の参宮線→現在は紀勢本線の一部)を建設する際、大阪方面からの距離を短くするために亀山を起点としたため、県庁所在地の津に行くためには遠回りを強いられることになった四日市と津との短絡を図るために計画されたとされ(「鉄道ピクトリアル(以下、TP)」誌([86351])より)、明治44年に「(初代)伊勢鉄道」として創立し、大正4年に白子~一身田(高田本山)間で「孤立路線」として営業を開始。大正13年までに当初の目的であった四日市と津の間がひとまず完成、14年には伊勢若松~伊勢神戸(現・鈴鹿市)までの支線も開通しています。その後の飛躍は、15年に社長に就任した、四日市出身の実業家で「豪腕」として知られた熊澤一衛氏。社名を「(2代目)伊勢電気鉄道」(「初代」は、後の「三重交通神都線」となった宇治山田(伊勢)市内の路面電車([86351])が名乗っていたことがある)と改め、全線を電化、更に北は名古屋、南は伊勢への延長を計画。昭和4年に桑名まで、5年には外宮に近い「大神宮前」駅(この辺りと思われます)まで延長開業しています。しかし、名古屋への延長は、折からの「昭和大恐慌」や、木曽三川への架橋に際して国鉄の鉄橋を払い下げて再使用しようとした計画に絡むスキャンダルが発覚し、それが遠因となって「伊勢電鉄」は経営破綻。ライバル会社であった、現在の近鉄大阪線の東半分と山田線の前身「参宮急行」に吸収合併という異常事態に陥ります。結局、名古屋への延長は、合併後の昭和13年、「参宮急行」の子会社「関西急行電鉄」の手によりようやく実現、これにより現在の近鉄名古屋線の根幹が出来上がったことになりました。
一方、大阪からの伊勢直通を目指した「参宮急行」は、現在の近鉄奈良線などの前身、「大阪電気軌道(大軌)」(記事集)が、桜井まで来ていた現在の大阪線を伊勢方面へ延ばすことをもくろみ、「大和鉄道」(近鉄田原本線の前身)から株式を取得して系列会社化し、大和鉄道が取得していた伊勢への路線免許を譲り受け、「参宮急行」を子会社として設立。昭和5年までに山田(現・伊勢市)まで、その1年後にターミナル駅・宇治山田駅まで全通しています。これにより大阪・上本町から伊勢への直通ルートが出来上がり、直通特急の運転も始まり、この時点で全線非電化、SLが走っていた国鉄関西線~参宮線を圧倒し、今日まで大阪~伊勢間の直通客をほぼ独占するという状況が確立されています。
この両私鉄の開業により、松阪付近から伊勢までの間は、既存の国鉄参宮線に加えて私鉄2路線が加わって、3社による激烈な集客合戦が始まることになったわけですが、既に国鉄線があるところへ、競合路線といえる2私鉄に共に路線敷設免許を与え、そしてほぼ同時に開業したというのも不思議ですが、やはりこの「過当競争」の弊害が間もなく現れてくることになります。前述した通り、伊勢電鉄が不祥事もあって脱落し、ライバル会社に飲み込まれる、ということになったわけですが、この伊勢電鉄の「敗北」に関して、前記「TP」誌には、次のようなことが書かれていた記憶があります。

…伊勢電鉄が、名古屋延長を後回しにしても伊勢への路線建設を急いだ理由は何か。もちろん、その一つは同時期に名乗りを上げた参宮急行への対抗意識ですが、もう一つ、三重県人の熊澤氏にとって、「三重県内の鉄道として、何としても自分たちの手で完成させたい」という欲望があったようです。せっかく伊勢まで開通しても、起点が桑名では中途半端で、大阪方面から直通する参宮急行と比べてもやはり不利は否めない。当時、関西線は単線で列車本数も少なく、名古屋延長を優先しておれば、中京圏の客を獲得することによって発展が望めたのではないか…。

伊勢電鉄が参宮急行に合併され、関西急行電鉄を介して名古屋乗り入れが実現したことにより、名古屋~大神宮前間の直通運転が行われ、この時点でようやく名古屋~伊勢間で関西線~参宮線より優位に立つことになったのですが、それもつかの間、程なくして太平洋戦争に突入、新松阪(この辺り)~大神宮前間は「不要不急路線」として昭和17年に廃線となりました。新松阪から、既に参宮急行の支線として開業していた伊勢中川からの線と接続する江戸橋までの区間も単線化されます。名古屋と伊勢の間は、伊勢中川を境にゲージが異なるために(中川~江戸橋間の支線は、参宮急行本線と同じく当初は1435mmゲージで開業したのですが、伊勢電鉄の合併後に、旧伊勢電鉄にあわせて1067mmに変更)、直通ができず、中川での乗り換えとなりました。
戦時中の大合併で「近畿日本鉄道」が発足(戦後間もなく南海電鉄が分離)後も、しばらくこの形が続いたのですが、昭和34年の伊勢湾台風による甚大な被害からの復旧に際し、名古屋~中川間を旧大軌・参宮急行系統の大阪線・山田線と同じ1435mmゲージに広げるという思い切った大改修を行うことになります。これにより再び名古屋~伊勢間の直通が復活し、また中川付近を短絡する新線も開業し、上本町・鶴橋と名古屋の間をノンストップで結ぶ特急も運行を開始しました。その後、昭和45年の鳥羽線開業、これに合わせてそれまで「孤立路線」(参宮線とは鳥羽駅で接続)だった志摩線(元・志摩電鉄-三重交通志摩線)の大改良により、名古屋・大阪・京都方面から賢島までの直通特急が運行され、現在に至っています。一方、旧伊勢電鉄の路線のうち、支線として戦後も残った江戸橋~新松阪間は、中途半端な路線になってか、利用者の低迷が続き、伊勢湾台風による被災後もいったん1067mmのまま再開したのですが、結局昭和36年に廃線となり、その路線跡の多くは道路に転用されています。結局、伊勢鉄道~伊勢電鉄が建設した区間のうち、ほぼ半分に当たる、競合区間であった津~伊勢間が姿を消したことになったのでした。

一方、国鉄時代にも「元関西鉄道関係路線への冷遇」が続いたせいもあってか、これといった改善策も行われぬまま、時代の波から取り残され、うら寂れたローカル線に甘んじることになって久しくなったJR参宮線(現在は紀勢本線の一部になっている亀山~津~多気間を含む)。それでも、実は既に明治時代より一部複線化が行われ、増加するお伊勢参りの客に対応していたのですが、こちらも伊勢電鉄と同様、戦争による「受難」を迎えることになります。いくら当時のご時世、お伊勢参りが「国民的行事」とは言っても、いくらなんでも3路線もの競合は「輸送力過剰」とみなされたのでしょうか。複線区間のレールの一方は、戦時中の鉄材供出の対象とされ、昭和18年までにこれらの複線区間は全て単線化され、現在まで復活していません。こちらを見ると、
先の第二次世界大戦がなければおそらく国鉄参宮線は全線複線化+電化され近鉄名古屋線の現在の繁栄はなかったであろう
とあるのですが、仮に近鉄名古屋・山田・鳥羽線が今と同じように1435mmに統一・直通運転されて特急街道となったにしても、国鉄~JRが以前から「やる気」を出し、名古屋~鳥羽間の電化・完全複線化(現・(2代目)伊勢鉄道の部分も)を早期に行っていれば、特急を多数運行して近鉄と熾烈な争いを展開し、また現在の近鉄志摩線「志摩電鉄」も、1067mmのままJRと相互乗り入れし、JRの豪華リゾート特急が賢島まで直通して、逆に近鉄は鳥羽まで延ばすのが精一杯、という展開になっていたかもしれません(大阪~伊勢志摩に関しては、やはり時間的にもルート的にも有利な近鉄の優位は動かなかったでしょうが…)。

>hmt さん、出来栄えはいかがでしょうか?
ご指摘があったら遠慮なくお願いいたします。

♯お伊勢参りと同様、社寺参拝を目的とした路線の競合は、「金比羅参り」にもありました。これに関しては、[24903] Issie さんの書き込みに詳しく述べられていました。
[86351] 2014年 9月 2日(火)23:21:02伊豆之国 さん
クイズの答え & 伊勢参宮をめぐる鉄道
まず、[86317]で出したクイズですが、

[86336] いろずー さん
まさにその通りです。

ついでに、これに関していくつか説明を記しておきます。
まず、熱海で乗り換えた電車の行き先は、大井川のすぐ手前の島田駅。興津駅始発の浜松行きがすぐ後を追っかけるので、その興津駅で降りたのですが、何しろお盆休みの真っ只中、同じような仲間が結構いると見え、想像以上に混雑。一度は座ったものの、前方の景色見たさに席を譲ると、それからずっと立ちっぱなし、結局座れたのは、「二部」でも苦闘中のジュビロの本拠地の駅でした。「地名コレクションにある湖畔の駅」は、弁天島駅。小学生の頃、この駅で降りて「湖水浴」を楽しんだ思い出もあり、当時は温泉旅館も立ち並んで盛況だったのですが、今では降りる客もまばら、駅の周辺にはホテルが2-3軒があるのみ、代わって高層マンションがずらり…。浜松で乗り換えた電車の終点は豊橋駅、ここから快速で終点の大垣まで乗り通し。米原まで行ってここからJR西日本の快速で、草津駅で寄り道して「草津宿本陣」([85829])を見学、「名物スィーツ」は「姥が餅」([79252])。裏道には「草津温泉」という名の銭湯([20908],[59019] YSK さん、[20921] カッパー さん)も確かにありました。
2日目の夕方、奈良見物を終えて、大和八木で乗り換え近鉄大阪線に。「三本松」駅([86283] hmt さん、記事)のある宇陀市は、私も26年ほど前、室生口大野駅で降り、室生寺を訪れています。県境を越えた三重県は、私の母方の祖父の故郷(南牟婁郡御浜町…[67290] )がある県。ちなみに、ぺとぺと さんも、私と同様にこの県の血が1/4流れている由([72822])。
他県の大都市の市名と同字異音の2文字が入る駅では、かつて近鉄の路線だった私鉄が分岐
は、元「近鉄伊賀線」だった伊賀鉄道が分岐する、伊賀神戸(かんべ)駅([74928] 白桃 さん)。
3日目、突然の足のアクシデントで苦しむ中で町歩きを続けた【F市】松阪市。「国学の大家」は、本居宣長(記念館HP)。三重高校の校歌([86336])にも歌われている旧家「鈴屋」は、元は市街地にあったのを明治時代に現在の城跡に移築したものです。駅前にあった銀行は、三菱東京UFJ銀行。元は東海銀行>UFJ銀行と思われます(旧三菱銀行は、県内では四日市にしか支店がなかったと記憶しています)。
(さくらって何ですか?高速バス?さくら野?)
「昔のさくら」とは、「三井住友銀行」。松阪は三井家発祥の地ですが、「三井住友」はありませんでした(住友家の発祥地にはしっかり支店を出しているのですが…[61364] ぺとぺと さん)。豪壮な商人屋敷を見て、いよいよ本題の伊勢参宮へ。
「東は宇治の翠巒を」で謎が解けなかったことを思い出す。
東はどうみても「伊勢」でどこが「宇治」なんやとツッコミしかない
「宇治」は、内宮の所在地。伊勢市は昭和30年まで「宇治山田市」でしたね。この「宇治山田」は、現在も駅名の他、学校などに名称が残っています(伊勢市駅は以前は「山田」駅でした)。

さて、お伊勢さんを目指した鉄道の話。現在はJR参宮線と近鉄山田線の2路線で、現状は近鉄が圧倒的な輸送力を見せつけてJRを圧倒している状況ですが(それでも近年は名古屋からの快速「みえ」の増発でわずかながら挽回はしていますが)、戦前にはもう一本「伊勢電鉄」という私鉄があり、お互いに壮絶な誘客合戦を繰り広げていました。このことを知ったのは、もう40年余りも前の少年時代、「鉄道ピクトリアル」という本を見てからでした。「伊勢電鉄」とその路線の歴史や、近鉄山田線(と大阪線の東半分)の前身「参宮急行」との激烈な争い。スキャンダルにも巻き込まれた挙句、結局敗者となり、経営破綻に追い込まれた伊勢電鉄は、「参宮急行」に吸収され、路線の北半分は現在の近鉄名古屋線の一部となりましたが、「参宮急行」との並行区間だった津~伊勢間は、結局半世紀ほど前までに全て廃線の運命をたどったのでした。また、もう少し後になってですが、伊勢市内には「神都線」という路面電車が走っていたことも知りました。この伊勢参宮を巡る激烈な争い、「落書き帳」の過去ログにあるか、探してみましたが、どうもそれらしき記事は見つからなかったようです。私ももう少しこのことについてフォローできれば、と思っていますが…この方面にもお詳しい、大先輩のhmt さん。
[86346] 2014年 8月 31日(日)21:21:38【2】伊豆之国 さん
男鹿高原駅の存在価値
[86344]に続いて、最近に見たTV番組より。

以前、「幹線・大都会の秘境駅(閑散駅)」を話題にしましたが([84535],[85164])、今回は正真正銘の「秘境駅」の話題です。一昨日の夜のTV番組の中で、「関東最強の秘境駅」の異名がある、野岩鉄道会津鬼怒川線「男鹿高原」駅の一日が放映されていました。この男鹿高原駅、東武浅草から快速電車で一本で行けるのですが、駅の近くには緊急用のヘリポートと電車の変電所があるだけで、「いったい誰が乗り降りするんだ」([48847] みやこ♂ さん)という、まさに「何もない」辺鄙な場所。「秘境駅巡り」のマニアだけしか乗り降りしないのか、「本当に日常的にこの駅を利用している人がいるのか」というリポートというわけだったのでしょうが、こうした「マニア」数人以外に、果たして1人の男子高校生がこの駅で降り、自宅に向かうというシーンがありました。この高校生が住んでいるというところが、駅の北東約2kmにある、人口60人ほどの「横川」という集落。番組によると、「林業の衰退で人口が激減、小・中学校も廃校、現在はそれどころか小学生も中学生も誰もいなくなり、集落から通学する生徒は高校生が1人だけ」、そしてその通学路には熊も出没し([48886] BANDALGOM さん)、この高校生も小熊に遭遇したという話も出ていました。番組では、「開業(昭和61年)当時は集落総出で開業を祝い、駅には大勢の人が詰めかけ、[大げさな表現ですが]山手線状態だった」という話も出ていたので、おそらくこの駅は、「(鉄道開業によりそれまであったバス路線が廃止され、陸の孤島状態となることになった)横川集落の便宜を図る目的もあって設置された」とも考えられそうです。…ということで、この「男鹿高原」駅の定期的な利用者は、現在高校一年生というこの生徒ただ1人だけ、2年後に卒業すると、普段の利用者は皆無となり「秘境駅巡りのマニア」と、駅近くの変電所の点検作業職員(こちらによると「作業員はきっと車で来るだろう」とありますが、映像では2人の作業員が駅のホームに降り立つシーンが出てきたので、この作業員たちもおそらく電車を利用しているものと思われます)が時折乗り降りするだけ、ということになりそうです。
♯この横川地区は、会津西街道に沿う集落で、会津との境界近くに位置し、江戸時代には「口止め番屋」が置かれ、沿道には往時を物語る古い石仏・道祖神も残っているとのことです(秋田書店刊「歴史と旅」昭和62年5月増刊号[85664]より)。

「超秘境駅」というと、こちらも秘境駅ランキングで上位の常連駅、JR北海道・根室線の「古瀬」駅(HP)。国鉄時代は信号所で客扱いしていた「仮乗降場」らしく、周囲に人の気配がなさそうな駅ですが、実はこの駅にも「日常的な利用者がいるらしい」というのが、こちらも以前に見たTV番組で放映されていました。こちらの利用者も、通学に使う女子高生が1人。少し離れた場所にある牧場経営者の娘で、駅から距離があるため、親がマイカーで駅まで送り迎えするとのことのようでした。私も、この古瀬駅の状況を知ってから「なぜこんな誰も乗り降りせず、道路から駅にたどり着くのにも難儀するような駅が廃止にならなかったのか」と不思議に感じていたのですが、「この女子高生がいるために駅が存続している」という見方もできる、ということで理解できたのでした。こちらも、この女子高生が卒業すると普段の利用者は無くなり、駅自体の廃止、ということになることも予想されそうです…。

【1】[86347] k-ace さんのご指摘、ありがとうございました。「小幌(室蘭線)」を「古瀬(根室線)」に訂正、関連箇所の文章もこれに合わせて修正しました(何しろうろ覚えだったもので…)。
[86344] 2014年 8月 30日(土)22:00:28伊豆之国 さん
十津川警部・故郷と新天地と
…といっても推理小説ではありません。今夕の某公共放送のTV番組より。

奈良県十津川村と、その十津川村が明治の大水害で甚大な被害を受け、多くの村民が移住した北海道新十津川町([80030] hmt さん)。それぞれの地域への、バス旅の道中を描いた番組です。最初に出てきたのは新十津川町。北海道移住の道筋に沿って、小樽港から新十津川に入るというルートをバス乗り継ぎでたどった道中で、今は無き「手宮線」の廃線跡や、やはり廃線となった幌内線の駅跡を整備した鉄道記念館([75360] YASU さん,HP)も映像に出てきました。
後半は、一般道を走る乗り合いバス路線としては日本最長という、近鉄大和八木駅から五條・十津川村・熊野本宮を経て新宮駅までを結ぶ、奈良交通「八木新宮線」([83343] k-ace さん、[70115] むっくん さん)で十津川村を訪れるというコース。同じ「十津川郷士」の一族で、明治の大水害で北海道に移住した人、十津川村に残った人、それぞれの子孫の物語も紹介されていました。

♯私が十津川村のほんの端っこだけに入ったことがあり、その「経村値」が△(接地)であることは、[79317]に…。
[86335] 2014年 8月 27日(水)18:28:12伊豆之国 さん
蛇崩川 & 淀川越え & 松阪牛
足の故障が予想以上に長引き、相変わらず自宅と病院との往復が続いています…。

[86328] 山野 さん
[86329] hmt さん
[86330] ペーロケ さん
八木蛇落地悪谷
地元の人が 昔は蛇が降りるような水害が多かったから 蛇落地(じゃらくじ)、悪い谷で 悪谷(あしだに) と伝えていた地名
「蛇」で思い出したのが、私が20数年間をその近くで過ごし、「面白い名前だなぁ」と思いながらも別になんとも思ってはいなかった、当時はまさにどぶ川だった(今は暗渠)「蛇崩(じゃくずれ)川」([77021])。世田谷区HPによると
川の名称の由来は、流れる形が赤土の地層を崩したように蛇行しているところから、そう呼ばれるようになったと言われています
とあり、広島の「蛇落地」に通じるような「地層の崩壊」「水害常襲地帯」を暗示させるような地形だった、と今更ながらも気づいたのでした。

さて、ご承知の通り、今年の夏の「甲子園」は、大阪桐蔭が三重高校を振り切り2年ぶり4度目の制覇を果たしました。
[86331] ペーロケ さん
猪名川しか越えなかった優勝旗
大阪桐蔭高校(&四条畷駅)がある大東市は、甲子園から見ると淀川を越えた南東側にあるので、「淀川越え」と表現したほうがわかりやすいのではないでしょうか。…その大阪桐蔭の所在地は、「大東市中垣内(なかがいと)」。しっかり「"かいと"コレクション」に登録されていました…。
惜しくも準優勝となった三重高校。失礼ながら、まさかここまで勝ち進むとは予想以上の大健闘でした。私が先月の遠出([86317])で、2泊目に投宿したのが、その三重高校のお膝元、松阪市。翌朝宿を出ていきなり足に異変、必死で痛みをこらえながらの町歩き、タクシーを初めいろいろとお世話になった松阪市の皆さんには、本当に大感謝です…。
そういうわけで、まだ誰も反応していない[86317]のクイズですが、ここで一つだけその答を発表します…。【F市】が、その松阪市ということになります。(残りの答えは、来月になってから発表する予定です)
[86317] 2014年 8月 21日(木)17:23:57【1】伊豆之国 さん
真夏の大和~伊勢路・苦難の道中記
[86305]で約束した通り、今月13日より2泊3日の旅の道中記ですが、似たようなルートをたどった4年前([76074])とは違った形で、最後はある意味悲惨なことになってしまったのは[86305]の最後に書いた通り…。クイズも織り交ぜて。

今回の旅は、当初は月末あたりに行く予定で考えていたのですが、職場の都合もあり、直前になってお盆休みの真っ最中に行くことに。ホテルは幸いにもどちらもネットから予約できましたが、道中の交通手段は、4年前のそれや、2年前の九州大遠征([81852])のときのような高速バスの利用は、渋滞を考えればまず不可能。新幹線も馬○高い上に座席確保も難しく、かつて若かりし頃によくやったような「東海道線・鈍行乗り継ぎ」でのんびり行くことに。小田原までは小田急、ここだけはまずロマンスカーでゆったり。小田原から「本題」の乗り継ぎ道中が始まります。まず熱海で乗り換え。同じような人が多いと見え、この先、乗り継いで行く列車はどれも大混雑…。薄雲が広がり、富士山の間近に来てもその姿は見えず。列車の行き先は「越すに越されぬ」大河の手前ですが、後を追う乗り継ぎ電車の始発駅である、【A市】内のある駅で降りて乗り換え。そこからしばらくすると海側に私鉄の路線が寄り添い、やがてその市の中心を過ぎ、大河を渡ると茶畑が広がる風景。終点は、その県内で人口最大の【B市】のターミナル駅。乗り継ぎに余裕があったため、駅前をしばしぶらぶら、駅弁を買って始発電車に。今回の道中ではJRで初めて向かい合わせ座席の車両に当たり、湖を右手に見ながら弁当を頬張ることに。途中にある湖に近い駅(地名コレクションにあり)は、かつて湖水浴?客でごった返した思い出も今は昔、だだっ広いホームが栄枯盛衰を…。終点は、大手私鉄も乗り入れるターミナル駅。ここから終発の快速電車に乗って、最近まで夜行鈍行の行き先として知られた終点の【C市】に。またまた乗り換え、古戦場を過ぎ、駅名由来市名?のターミナルで、ここからはJR西日本に。快速電車は座席も転換式、乗り心地も快適。古参メンバーのお膝元【D市】の駅で降りて、少し前にTV番組でも紹介されていた、宿場町の面影を残す貴重な「本陣」を見学。裏道には「パロディー」のような「温泉(?)」も…。この地の名物スィーツは駅前のスーパーで。京都駅に着いたのは午後5時過ぎ。近鉄の特急で大和西大寺へ、ここで乗り換えて次の新大宮駅で降り、1日目の宿へ。4年前([76074])と同じホテル(こちら)で、この地域では珍しい温泉もあり([76211])、駅からの道順は、4年前を思い出しながらの足取りを…。一風呂浴び、夕食ではサービスでついてきたワインにほろ酔い。この時季、夜の奈良市街で「明かり」のイベント「燈花会(とうかえ)」が催されていることを知り、酔いを醒ますのを兼ねて、電車に1駅乗って近鉄奈良駅へ。猿沢池のほとりに並ぶ蝋燭の明かりと、背後の興福寺の五重塔のライトアップが池の水面に映え、幻想的な光景が印象的でした。
翌日は、朝から雨模様、近鉄奈良駅に着いた頃には本降りに。「時間はたっぷりあるから…」と、まずは「奈良町」散策から。4年前には東側が中心だったので、今回は西側を主に。いくつか「街角資料館」を見て回り、前回は塔跡だけを見てきた元興寺は、今度は極楽坊を見学。昼前に中心市街に戻り、昼食後は天気も回復。「せっかく奈良に来たからには…」と、観光客の雑踏と鹿の群れを掻き分け、大仏殿へ。中学の修学旅行や、それ以外でも二、三度見ているのですが、気がつけば、最後に見てからもう30年以上もご無沙汰。最初に行ったときに不思議だった、堂内の「柱の穴くぐり」には、餓鬼どもの大行列が…。それから東側へ。観光客もずっと少なくなり、以前「コレクション」に投稿した「猫段」([83670])では、2人連れが降りてきたのを見ただけ。三月堂、二月堂、手向山八幡の一帯は、奈良の風景の中でも私がお気に入りにしていた場所。二月堂の回廊からは、奈良の町並みが一望に…。
それから近鉄奈良駅方面へ戻ろうとしたのですが、「抜け道」を回ろうとしたのが、これがその後の迷走の元。暑さもあって感覚も鈍り、ふと気づいたらとんでもない迷い道に…。そこで、とりあえずJR奈良駅方面に目標を変え、佐保川沿いに進んで行くと、やがて「大佛線」の跡([82931],HP)を発見。そこから南へ歩き、バスに。前の晩に見た興福寺をチラッと見て、近鉄奈良駅に戻ったのは午後3時過ぎ。本当は1時間前のに乗るはずだったバスで、国宝の仏像や建物が多く残る古刹、浄瑠璃寺へ。途中、「大佛線」のルートとダブる箇所を通るのですが、沿道の宅地開発が進んで、面影はほとんど見られないようでした。浄瑠璃寺は、庭園が発掘調査とやらで工事中だったのが残念でしたが、訪れる人も少ない山里の古刹、雰囲気はじっくり味わえました。ところでこの寺院、観光案内の本では「奈良・大和路」の中で紹介されていることが多いのですが(以前は観光バスのコースにも入っていたのですが、現在は季節運転になってこの時期は運休…)、住所は「京都府木津川市」。前日に京都駅を乗換えで「接地」しただけなので、これで今年の京都府の経県値がやっと「●」になったのでした。奈良方面へのバスはもうなかったのですが、加茂駅までのコミュニティバスがあることを、降りたバス停で確認していたので、帰りに茶店でかき氷をいただき、小休憩。小ぶりなバスで、駅は立派なものの、駅前が殺風景な加茂駅へ。しかも奈良・JR難波方面への電車は出たすぐ後。20分あまり待ってようやく電車に。JRと近鉄の奈良駅は離れているのでバスに。JR奈良駅の旧駅舎は、すぐ隣に移築されて市の観光案内所として活用されていました。近鉄奈良から、大和八木で乗り換え。【E市】にある、大物メンバーの故郷と同名の駅を過ぎると、私が(他の有力メンバーも)4分の1だけその県の血を受け継ぎ、そしてとあるメンバーが異常な執着心を燃やしている、その県に入ります。他県の大都市の市名と同字異音の2文字が入る駅では、かつて近鉄の路線だった私鉄が分岐。ようやく、その日の宿がある【F市】の中心駅にたどり着いたのは、夜も8時を回っていました。それで、夕食は近くのラーメン屋で我慢。
名物グルメで名高い【F市】ですが、豪壮な大商人の屋敷や、国学の大家のゆかりの史跡が残る町としても知られています。ホテルが中心市街とは反対側にあるので、翌朝、近鉄とJRの踏切を越えて駅の正面へ向かったのですが、その途中で突然、左足に硬いボールが当たったような激痛が…。急に足取りが重くなり、それ以降は苦難の連続。とりあえず、タクシーで城跡に向かいましたが、その先は自分の足で歩くしかありません。痛む足を引きずりながらもこれらの史跡を見学。名物グルメは案の定、大混雑でパス。保存の利く加工品をお土産で買ってお茶を濁すことに。最後に見た商人屋敷から、タクシーを呼んで駅に戻り、特急で今回の旅の最終目的地、伊勢へ。お伊勢参りは17年ぶり、人生3度目。まず、宇治山田駅からバスで。外宮の前にできた「せんぐう館」を見た後、外宮を参拝、それからバスで内宮へ。宇治橋を渡り、境内へ。足は依然として重く、休憩を繰り返しながらでしたが、ここまで来たからにはもう引き返すことはできません。ようやく、式年遷宮を昨年に終えたばかりの真新しい正殿の前にたどり着いたのは、4時を回っていました。バス停に戻り、すぐ前のうどん屋へ。迷わず、伊勢うどんと【F市】名物の○○○丼のセットを注文、皮肉にもようやく今度の旅で味わいたかった名物にありつけたのでした。もはや足が言うことを聞かないため、「おかげ横丁」はチラッと見ただけ、宇治山田駅に戻り、駅の売店で○福を。近鉄の特急で名古屋へ。途中、県境に近い【G市】に差し掛かった辺りで海側を見ると花火が盛大に…。もう当初の予定より大幅遅れ、新幹線のお世話になるしかありません。乗り換え列車は余裕を持って選んだのですが、とにかく改札からホームの、そして指定席のある車両までの遠いこと…。新横浜で降り、横浜線に乗り換え、最後はタクシーでやっと我が家に戻れたのでした。

ここで、クイズをいくつか…。
1.【A市】~【G市】はそれぞれ何市でしょうか?
2.「浄瑠璃寺」の山号「○○山」には、今回の道中で通過した市(【A市】~【G市】を含む)の名が入ります。その市名は何でしょうか?(寺のHPを見ればすぐわかるはず)
3.【E市】にある、県境近くの駅名は何駅でしょうか?
4.【F市】の駅前にある、この市内で唯一の都市銀行は何銀行でしょうか。(ヒント:昔の「さくら」ではありません)
[86305] 2014年 8月 18日(月)22:46:49伊豆之国 さん
第39回十番勝負を振り返って(番外編)~富士は日本一の山~
[86298]で書き込んだ通り、前回(第38回)と同様に「気分転換」も兼ねて「入門コース」にもいくつか。こちらの感想文は先の「七番勝負」スタイルで。

問A~花の武蔵野扇に描けば~
一般コースの問一と全く同じと気づく。お題の市の選び方で難易度に差が出たというわけか…。「意外性」がありそうな三笠市と美祢市の代わりに、例えば国分寺市とか守口市をお題に入れれば更にやさしくなったかも。問一の銅メダルが出ていた地元の市に。実は周りを市に囲まれていることを失念していた。

問B~遥かなるアラモ~
オールひらがな市に隣接。以前、一般コースに出ていた同類問題で「銀」を取った、祖母の故郷の埼玉県最古参の市がお題に出ていたので、今回は茨城県から。

問C~煙を水に横たえて渡る浜名の橋の上~
こちらも過去問。そのときに答えた、もしかしたらこの地を代表するご当地グルメが味わえなくなるかもしれない、楽器作りでも名高い、ルーツの県で最も人口が多い市を再び。

問D~逢いたい気持ちがままならぬ~
自分の県、隣の県を問わず「県庁所在地に隣接」とわかる。運河で名高い北国の市。

問E~頭を雲の上に出し~
これまた過去問。「複数の村に隣接」は早々と気づいていた。「高嶺の花」だと思っていたメダルを初めて取った、記念すべき市がまだ残っていた。

問F~目には青葉山ほととぎす初鰹~
お題の宗像市から、「市役所の位置」でなく「市域が最北」とわかる。これも問Eと同じ県から。

問G~秋の夕日に照る山もみじ~
過去に類題も、線引きが2倍に。これまた以前に答えた世界遺産の島がある市は、文句なく条件を満たしていた。

問J~三は佐倉の惣五郎~
やっぱり過去問と同類の、同音異字の問題。オーナーさんのお膝元を初めて解答。

…問Hと問Kも、もちろん共通項はとっくにわかっていましたが、[86130]に書いた通り、その時点で想定解の残りが1桁になっていたため、これから参加したいという人に迷惑をかけたくないということで、辞退することにしました。今回の「入門コース」は、「コース分け」がなかった頃に出たものと同じか類題が多く、侮れないものが多くなった感じがはっきり読み取れました。

♭それぞれの問の選曲は次の通り。
問A:「町田音頭」の歌い出し([68731])。
問B:「取手」と「砦」の引っ掛けで、西部劇の名作より。
問C:汽車が浜名湖を渡る情景を歌った、鉄道唱歌(東海道編)28番より。
問D:ある年代より上ならすぐ浮かんでくるでしょうが…。
問E:これはすぐお分かりでしょう。
問F:もうとっくに季節は過ぎましたが、よく知られたこの句の作者、山口素堂は北杜市(旧白州町)にゆかりの人。
問G:こちらはまだ時期が早いですが、名物「もみじ饅頭」と、「アキの宮島」に引っ掛けて。
問J:数え歌のバージョンにこういうのがあるそうです。「一番初めは一宮、二は日光東照宮」…

♯先週の旅の道中、最終日になって突然足にアクシデント、その日は何とか我慢はしたものの、帰宅した翌朝に病院に直行。今朝再び病院で診てもらったところ、全治3週間の診断。しばらく自宅静養となりそうです…。道中記は後日。
[86298] 2014年 8月 17日(日)18:28:04伊豆之国 さん
第39回十番勝負を振り返って(後編)~You Are My Sunshine~
前編([86294])に引き続いて、今回は残りの4問です。

問二:日光市
問九:富岡市
問二は、答が10番目まで進んでも何のことか皆目わからず、第一ヒントの「海」から「海の字が付く学校とか、何かがある」と見ていろいろ考えましたが、どれも外れ。第二ヒントが出て、その中に「どちらか二つ」と解読できるものがあって、また例によって地図から隣接関係を見ていると、ひらがなの「う」か「み」が付く市と接している!…「これは、以前『淡海』にゆかりの古参メンバーを怒らせたあの問題と同類だ!」と…。昨夏の道中([84083])を思い出し、「色」ずばりの市と県境を接する観光都市に。[86033]に書いた通り、「いまいち」しっくりしない後味の悪さが残りました。
問九は、半ば偶然に共通項に気づいた問題。最初のヒント「廿=20」から、「市制施行日とかが20日」とか思いつきましたが全く合わず。「こりゃ、南蛇井?」と頭を抱えているうち、ふと、お題と既出の市の字画を数えてみると全て合計が20画。全国の市のリストを見て、こちらも偶然気づいた、つい最近町中が沸きに沸いた、こちらは7年前の夏に見てきた([60538])製糸工場のある市に。後で気づいたことですが、その前の問八・田辺市と合わせて、「世界遺産」3連発…。

問四:美作市
問十:江南市
いずれも最後までヒントの意味がよくわからず、苦闘を強いられた難問。
問四は、最初の「共」から、まず「県内の市町村との共通文字」関係だろうと見当はつきましたが、絞りきれず。第三ヒントの「共」まで来てやはり共通文字、とわかっても先へ進めず、第二ヒントの解「市は関係ない」と出ても一体何のことか…。ようやく第四ヒントが「隣に同じ字」と読めて、ようやくこれまでのヒントと合わせて「同じ字の付く町村と隣接」と…。1回正答で残っていた2県のうちの1県、岡山県から宮本武蔵ゆかりの市に。これで、やはりというか、市の数も人口も一番少ないあの県が1回正答県として最後に残ることになりました。
問十の該当市探しについては、[86208]で書いた通り。直前に見ていたTV番組に出てきた、濃尾平野にある御三家の城下町の衛星都市。とにかく、この問はヒントが漠然すぎてつかみどころがありませんでした。第二ヒントは「いかにも無駄がない」と解けましたが、財政関係かと思っていろいろデータを漁りましたがどれも当たらず、第三ヒントの「百」から、まず「百交差点」を開きましたが全然違い、「百選」関係も想定解数からまずなし、と見て行き詰まり。ようやく第四ヒントから「可住地100%」とわかり、「虎の巻」がようやく見つかって…。「これでやっと終わった…」と、安堵感と共に、[86208]で書いた通り、今回の難問ぞろいにはさすがに「参った!」と溜息が…。後になって出てきた答えを見ると、愛知と大阪がやたらに多いなど、広大な平野部にある市が多いことに気づき、「なるほど」と納得できたのでした。

…今回は、前回にもまして難度がUP。「入門コース」も、「コース分け」以前のに出た過去問の焼き直しも多く、「一般コース」に出てもおかしくない手ごわい問題もいくつか。それでも今回の苦闘の「気晴らし」も兼ねて、「入門」にもいくつか手を出すことに…。これについては後ほど。
[86294] 2014年 8月 16日(土)20:28:03伊豆之国 さん
第39回十番勝負を振り返って(前編)~Bridge Over Troubled Water~
例によって十番勝負の感想文です。前回の「七番勝負」ではスタイルを変えてみましたが、今回は再び元のスタイルに戻します。

問三:黒部市(銅メダル!!)
今回は完成したばかりの「47都道府県の地図」絡みが多く出ると見て、まずお題の市をじっと見つめているうちに最初に共通項に気づいた問題。「自分の県と隣の県、いずれも1つの市としか接していない」。直前に話題にした黒部市([85829])をふと見るとまさにぴったり当てはまっていた。お二方の「お手つき」で、「棚ぼた」で銅メダルに。

問一:菊川市
お題の草津市は、琵琶湖の湖面境界線の確定。さいたま市は白岡市の、尾張旭市は長久手市の市制で仲間入り。「市に囲まれた市」と気づいたのは、まさに「Nice!」なお題の選び方。過去問と同じものだったとは…。意外性も有りそうな、ルーツの県から「市の花が菊」の菊川市。

問五:千葉市
問六:相模原市
問七:高山市
問八:田辺市
この4問は一気に。4問同時解答は初参加の第17回以来かな?
問五は、隣接市に付く数字の問題。初めは「数字の付く市町村が複数隣接」だと思ったものの、NGの市から「隣接市町村に付く数字の合計」「OKとNGの境界線が『十』」だとわかる。確実なところから。
…共通項で「千・万」「廿」は対象外、となっていますが、「百」も対象外のはずなのに触れていないのは、「百」のつく市町村が「八百津町」ただ一つ、ということなのか…。
問六は、「いわゆる平成の大合併」で複数回の合併。これまた過去問。やはり安全策でお隣の市。
問七は、「7市町村以上の合併」。これまた過去問。そのときに答えた高山市をもう一度。
問八は、お題の市とNGの市を見比べ、合併により面積が増加、その境界線が「3倍」と気づく。数値比較に使ったのは、「ランキングデータ」から、最新値と、このデータで検索できる最も古い時期である2003年9月1日の面積の比率計算。1回正答で残っていた和歌山県から、海沿いから熊野古道沿いに熊野本宮までも市域を広げた田辺市。共通項発表で「2000/10/1から」と出ていたので、私が計算した数値は「安全側だった」のでした。

♯今回の選曲は、問三の黒部市にちなんだものに。「宇奈月トリオ」の「宇奈月マーチ」(彼らは実際に宇奈月温泉を訪れ、TV番組で実演したそうです)とか、「行きな黒部へ神輿の待つに」(実際にこの歌に縁があるのは、「狸囃子」で名高い(最近は「猫の目」のほうが若い連中には有名か?)房総半島の市)といった「駄洒落系」も考えましたが、「これだ!」と閃いたのは、1970年代の初頭を飾った、ポップスの名曲。原題の"Troubled Water"は、「激流」「濁流」といった意味。邦題は、「明日に架ける橋」。参勤交代に使う街道が、急流の黒部川を越えるために策をめぐらした末に架けた「愛本刎橋」([85829],[85841] hmt さん)。そして、その橋が架かっていた近くには、「明日」と書いて「あけび」と読む地名があります。
…そんなわけで、この問にふさわしいとして、この名曲を選曲することにしました…。

残る4問は、ヒントの意味もよくわからず、苦闘。この続きは次回に。
[86271] 2014年 8月 12日(火)10:12:52【1】伊豆之国 さん
21世紀の大合併 & スミレの花 & 近畿Kids
[86229],[86265] 大龍エクスプレス さん
[86230],[86245] オーナー グリグリ さん
今回の「問六」で物議を醸した「平成の大合併」の定義ですが、私がこの問の共通項に気づいたときは、「『いわゆる平成の大合併』以降に複数回合併した」ということだと判断し、「初め」のほうは平成11年に合併した篠山市が元々該当しないことともあって、本格的に「大合併」始まった平成13年以降だろうと判断した一方、「終わり」のほうについては「現在(=十番勝負開始時点)」までと見て、こちらには「曖昧さ」は全く無いものと思っていました。「初め」の時期については、私が正答してからずっと後の第四ヒントの解が「平成の…」と出たときも、この「平成」を「いわゆる平成の大合併」だと思って疑わなかったのでしたが、[86229]で大龍エクスプレス さんからの「疑問」が出て、ここで「平成元年以降の合併」と解釈することも有り、とこちらのほうで「曖昧さ」に気づいたのでした。こうした「解釈の曖昧さ」を考慮すれば、共通項は(問七・八も同様ですが)「(元号としての)平成の大合併」ではなく「21世紀or今世紀(2001年=平成13年以降)の大合併」と表現したほうが、境界線をより明確にでき、熊本市や飯田市などを共通項から排除できて「灰色領域」が出てくる「曖昧さ」をなくすことができたと思うのですが、いかがでしょうか。

[86259] デスクトップ鉄 さん
[86262] オーナー グリグリ さん
「葛城市」の「葛」の字体の件ですが、葛城市が公式に使用している略字の「葛」(11画)に従えば「葛城」は20画となってOK、ということであれば、落書き帳でもさんざん議論を呼んでいる「宝塚市」についても悩ましいことになります。「宝」は8画、「塚」は12画ですので合わせて20画ということになるのですが、以前[85557]でも書き込んだ通り、宝塚市の公式サイトでは「塚」の字は「テンあり」の旧字体を使っており、市も「テンあり」の字体に執着していることが読み取れます。この公式表記に従うと、「宝塚」は画数が1つ増えて21画となり、「NG」となってしまいます。市の公式HPを見ると、「宝塚市は宝塚歌劇を応援します」という文で、「宝塚(テンあり)市」と「宝塚(テンなし)歌劇」とで字体が違う、という念の入りようです。ただ、[85557]に書いたとおり、「テンあり」の「塚」はPCでうまく出せないこともあり、HPでも画像化できないところはやはり「テンなし」になっているようです。ただ、いくら「市の公式表記が『テンあり』」だといっても、一般の新聞や、雑誌などの書物ではほとんど「テンなし」の字体に統一されており、「公式表示と違うからNGだ」というのは酷だと思います。「宝塚市」は想定解通り、OKと考えてよいと私は思います。

[86268] 白桃 さん
広域地名というと、「近畿」もありますね。近畿大学の本部は、東大阪市。以前は「近畿銀行」というのもあったのですが…。
高校名では、甲子園でもお馴染みの東北高校(仙台市)、北陸高校(福井市)。「関西高校」は「関西」でなくて中国地方の岡山県(岡山市)にあり、読み方も「かんぜい」。…「関西」の読み方というと、以前にも話題になっていました([76598] Issie さん,[76599])。
現存する私鉄では、北陸鉄道(石川)、関東鉄道(茨城)。

♯明日より2泊3日の遠出をします。十番勝負の感想文は、帰還してから…。
[86208] 2014年 8月 3日(日)12:50:11伊豆之国 さん
白桃さんのクイズ & 江南市
今回の十番勝負、前にもまして難度がまたまたUP。とにかく久々に無事エラーなしでゴールできてほっと一息…。問十で答えた江南市、実はその日の晩に見ていたTV番組「開運なんでも鑑定団」の中で「出張・お宝鑑定」をやっていた、その市。該当する市を見つけるための「虎の巻」探しでようやくたどり着いたデータを見ると、その江南市がまさにぴったり当てはまっていました…。後になってもう一度その「虎の巻」の場所を探そうとしたのですが、どころあるのかさっぱりわからなくなってしまって…。

さて、[86205] 白桃 さんのクイズ。
その市とは…その市内に

1) 夏の甲子園で、初出場初優勝を遂げた高校がある
2) 岡山県の市名が入る駅と、ローマ字で書くと逆から読んでも同じになる駅がある
3) 横浜銀行の支店がある

いかがでしょうか?


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