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キーワード「大隈」を含む記事が28件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[18896]2003年8月7日
Issie
[18603]2003年7月25日
ペーロケ
[18531]2003年7月22日
N-H
[17566]2003年6月30日
深海魚
[16678]2003年6月12日
U+3002
[15685]2003年5月22日
なおき
[15560]2003年5月20日
かつ
[12945]2003年4月12日
special-week
[12678]2003年4月8日
なお
[10949]2003年3月11日
ペーロケ
[10907]2003年3月10日
深海魚
[10442]2003年3月5日
KMKZ
[9212]2003年2月14日
Issie
[7947]2003年1月20日
夜鳴き寿司屋
[7946]2003年1月20日
深海魚
[7942]2003年1月20日
はやいち@大内裏
[7661]2003年1月13日
深海魚
[6805]2002年12月22日
YSK
[6683]2002年12月19日
深海魚
[5976]2002年12月6日
深海魚
[5401]2002年11月25日
深海魚
[4898]2002年11月15日
深海魚
[4408]2002年11月2日
夜鳴き寿司屋
[2660]2002年8月19日
miki
[2659]2002年8月19日
かつ
[885]2002年2月13日
Issie
[755]2002年1月30日
Issie
[84]2000年12月28日
グリグリ

[18896] 2003年 8月 7日(木)01:16:22【1】Issie さん
茂木県
[18894]ken さん
意外なところの地名由来の名家

鎌倉の八幡宮東隣の谷戸を「名字の地」とする「二階堂氏」も,地味ながら全国に散らばって繁栄した一族ですね。大隈地方出身の元官房長官もこの流れだったかな。

細川興元は細川幽斎藤孝の次男

ああ,そうですか。「慶長15年」というタイミングといい,「元」の字といい,てっきり本家筋の人を探し出して取り立てたものか,と一瞬思ったもので。「1万石」くらいなら,ちょうどいいかな,なんて…。
もう,本家筋をはばかることもなくなった(…くらいに,細川宗家が没落した) ということなんでしょうかね。

足利将軍家・信長・秀吉・家康と見事に主人を乗り換えて

足利義秋(→義昭)担ぎ出し以来の同志で同じ教養人でありながら「馬鹿正直」であった明智光秀と,割りに世渡り上手な細川藤孝…なんて,少し意地悪な対比をしたお話もありますよね。

下野芳賀郡を中心に1万石をもらい、茂木に居所を構え、大名となります。
(略)
常陸筑波郡などを加増、居所を谷田部に移す、

基本的に芳賀郡と筑波郡の領地を2世紀半にわたって守りきった,ということになるのかな。
まさか間もなく廃藩置県が行われるなど夢にも思わなかったとは思うのですが,そのわずか半年前に藩庁を「創業の地」である茂木に戻したのはどういうことなのでしょう。
ま,おかげで,廃藩置県後,宇都宮県に統合されるまでの4ヵ月にわたって「茂木県」が存在したのでした。

さて,以下が本題。

(以前にも触れたことがある気がするのですが…)
相模原市の田名という地区には相模川に沿って「烏山用水」という用水路があります。
「烏山」とは,下野=栃木県の烏山のこと。
なぜこんなところに「烏山」か? というと,ここ(高座郡田名村)が烏山藩・大久保家の領地で,つまりこの用水路は江戸時代後期に烏山藩の事業として建設されたので,そう呼ばれるのでした。
田名に限らず,相模原台地一帯には旗本領に混じって烏山藩の領地が散在していたわけです。
幕府が解体されて,旧幕府領と旗本領は明治政府直轄となり,高座郡の場合は「神奈川県」の管轄となりました。
ところが明治政府には当初,「藩」を解体する方針など全くなかったので(それどころか,版籍奉還を経て,初めて“公式の行政区画”として「藩」を公認するわけです),藩の領地はそのままでした。
つまり,田名村その他は「神奈川県」ではなく,「烏山藩」の飛び地のままだった,というわけ。そして,廃藩置県の結果,藩に代わって「烏山県」の管轄となる。

お隣の津久井郡(明治初めまでは「郡」よりワンランク低い「津久井県」)に属する村々の多くは幕府領または旗本領で,伊豆の韮山代官の支配下に入っていたので,こちらは「韮山県」に属することとなりました。

「茂木県」の場合は,お互いに割りと近接した芳賀郡と筑波郡(の各一部)を主な管轄地域としていたので,県庁所在地が茂木でも谷田部でも,さほど苦労はなかったかもしれません。
けれども,相模原・津久井の(全部ではなく)いくつかの村が,はるか彼方に県庁を置く「烏山県」なり「韮山県」なりの飛び地となっている状態は,どう考えても不合理ですね(高座郡内には外にも「佐倉県(下総)」や「西大平県(三河)」などの飛び地がありました。要するに廃藩置県まで各旧藩の飛び地だったわけです)。

廃藩置県4ヵ月後の明治4年11月,全国の府県の抜本的再編を行って「郡」を単位とする一円的な区画が設定されました。
おかげで高座郡は北の相模原(←当時は,このような呼称はまだなかったらしい)から南の湘南海岸(←やはり,まだなかったらしい)まで全域が「神奈川県」(当初の予定は足柄県)の,同じく津久井郡は全域が「足柄県」の管轄になったのでした。
近代的な地方制度を整備していく過程として当然の措置です。
(この過程で「郡」と「県」の上下関係が逆転しました。)

さて,ここでもしばしば話題になっていますが,山梨県の道志村が神奈川県の横浜市への編入を求めています。
ことの判断は,最終的には横浜市民と道志村民の意思に委ねられるべきものと思うのですが(それにしても,単純な人口数では「わが国最大の人口を抱える“市”」である横浜市と道志村とでは著しく不公平です。ここをどのように解決したらいいのでしょう),1つだけ危惧しているのは,
これが「前例」となって,全国で同じような「空間を超えた合併」が行われ,つまり大小さまざまな飛び地が生まれるとしたら…
これって,明治初めまでの「飛び地だらけ」の状態に戻ってしまうのと結局は同じなのではないのかな,ということなんですね。

…何か,「逆行」してるんじゃないの? と,つらつら思っているところなのでした。
(まさか,こんなことが全国で無制限に行われるとは思いたくないのですが。)
[18603] 2003年 7月 25日(金)00:18:59ペーロケ[utt] さん
いろいろ
[18591]月の輪熊さん
「大隅」に至っては、郡名以前に古代から定着してきた国名でありますが、熊襲・隼人平定後につけられた国名ですし、差別的な意味合いもあるように思えます。
そんなことを言ったら、「遠江」「陸奥」なんかも、もっと言えば、全国の「~後」が付く国名は単に位置を示すだけでなく、全て差別的な命名だということになりますね。しかし、命名当初から1400年以上も経っていることですし、差別的な意味合いはだいぶ薄れたのではないでしょうか??大隈地方に住む人にとっても、今ではそんな劣等感を感じる名前だとは思わないような気がします。

[18594]kenさん
「ふじみ野」がダントツですね。
さいたま市のときみたいに、公募2位の案が採用されないことを祈るばかりです。

[18587]まがみさん
参議院に出入りするような仕事をしている人は、わざわざ金属探知ゲートをくぐりませんよ…
おっと、失礼しました。何分、国会議事堂には縁がないもので。。。(汗)
[18531] 2003年 7月 22日(火)15:13:19N-H さん
半島生まれの半島通い
半島コレクションのページ、および半島談義、なかなか面白く拝見しています。
私は生まれは房総半島、現在は住まいこそ半島ではないものの勤務先は三浦半島にあり、半島には縁の深い人生を歩んでおります。

さて、[18446]にてオーナーグリグリさんがご紹介の半島振興対策実施地域」の表を拝見しました。この中で首都圏に近い房総半島、三浦半島がどのように取り扱われているか興味があったのですが、さすがに三浦半島は影も形も出てきませんね。何せ横浜市南部あたりから三浦半島の領域になりますから。
また房総半島も対象地域は「南房総」となっており、私の出身地は対象となっていません。

ただ、地形的には三浦半島はまさに典型的な半島。私の勤務先からは東側の窓からは東京湾と房総半島が望め、西側の窓からは相模湾と富士山が望めるというきわめて半島らしい光景です。狭く細長い陸地に山あり谷あり入り江ありの変化にとんだ風土で、半島の中核をなす横須賀市は「日本一トンネルの多い町」だそうです(本当かなあ)。

さて、半島の定義に関連してですが、鹿児島県の桜島のことを半島と呼ぶことはまずないですよね(ただし全体が大隈半島の一部とみなされることはあるようですが)。それはついこの間(笑)まで島だったものが、噴火により陸続きになったからでもあるでしょうし、やはり「元は島」というのが一目瞭然だからでしょうか。
陸繋島も微妙なところですね。志賀島や江ノ島も、そこに渡るには一応「橋」を経由しますし、「元は島」あるいは「現役の島」という見方なのでしょうか。

かつて「飛地の定義」をやったように、半島の定義も数学的にやろうと思えばできないことはないでしょうけれど、かなり煩雑なものになると思われるのでやめておきましょう。
[17566] 2003年 6月 30日(月)10:14:53【1】深海魚[雑魚] さん
畏れ多い妄想
昨夜、与党県議団から県知事出馬の要請がありました。散々悩んだ末に、以下の条件で出馬を受諾しました。

○ 急行 「奥久慈」 を復活させる。
○ 急行 「あじがうら」 も復活させる。
○ 白石美帆さんを秘書室にて登用する。
○ 県内における仮名表記の自治体は御法度。
○ 落書帳有力常連さんを県教育委員会に招聘する。
○ ひたちなか市、つくば市も無理矢理、漢字表記にする。
○ 県内の各鉄道路線に残る旧型車両を総て旧塗装に戻す。
○ 「落書帳アーカイブズ」 を社会科地理の副読本に指定する。
○ 県立高校の制服は、男子が学ラン、女子がせぇらぁ服に統一する。

………… 「お父さん、何ニヤケてんのよ。そろそろ会社の時間でしょ。」 と女房に起こされ、一夜の栄華は儚く消えました。就寝前に一瞥した青森県知事選の報道の影響でしょうか。それにしても、落書帳参加者に密かに自治体首長の方がいたら豪気だろうな、と感じた アンニュイな月曜日の朝でした。さぁて、今週もまったりと精勤しませう。(笑)

[17564] スナフキンさん
小さい頃から鉄道の写真の触れるたびに、この 「ハエタタキ」 の存在がフレームのどこかにあったものでした。
そう、非電化線、取り分け SL路線の御約束ですね。給食における コッペパンと牛乳の様な関係とも言えるでしょう。(笑) 当地の場合、数年前まで水郡線に原型のまま残っており、幼少時は同様の規格のものが、鉄道と無関係の一般電柱として地元にもあった事から (途端に自分が年寄りに思えます。) 馴染みがあるのです。水郡線の場合は、常陸青柳-上菅谷 (-常陸太田) -常陸鴻巣-常陸大宮-玉川村-下小川-西金-磐城棚倉-磐城石川-野木沢-泉郷-安積永盛なる区分を以て、12通りの碍子配列 パターンがあったと記憶します。常磐線も土浦付近に残っていたのは憶えています。

真鶴近辺のものはかろうじて数本 (中略) 残存しているはずです。今年始めに通った際にも確認しました。
おお、これは現地調査に向わねば。一本くらいなら、引き取って我が家の裏庭に立てといても良いかな。(笑)

かなり連続してその名残であろうと容易に想像がつく電柱が立ち並んでいますね。
数年前に竜王か塩崎の駅構内で原型通り残っていたものを一瞥しましたが、その後撤去された模様ですね。碍子を支えた横軸を欠いたものなら、割とあちこち残っている様ですよ。学生時代に目撃しその後撤去が確認されていない区間としては、ちほく高原鉄道の釧北峠前後、札沼線の末端区間、五能線の津軽平野区間、小坂鉄道全線、由利高原鉄道の末端区間、山形鉄道の末端区間、小海線の山梨県域、信楽高原鉄道の雲井以東、島原鉄道全線が挙げられます。現況やいかに? 撤去されない内に廃止された深名線や湧網線、大隈線のその後も少し気になりますね。

中国や東南アジア諸国では結構多いですね。数年前、SL撮影で中国に赴いた知人に依頼して何枚か撮って貰いました。日本全国、「鉄」 は多かれど、こんな アングラ趣味に走るのは自分くらいかと思っていましたが、スナフキンさんからかかる レスを頂き、感涙に咽んでおります。(笑)
[16678] 2003年 6月 12日(木)19:55:04U+3002 さん
札幌のある島の名前
島の名は「本州島」「北海道島」「九州島」「四国島」だと思っていました。

[16672]utt さん
「伯方島は愛媛であるが四国ではない」になり、矛盾は全く感じなくなる

「矛盾」はありませんが、違和感は感じますね。

私の感覚では、「四国」「九州」「北海道」すべて周辺の小島を含みます。
やはり、「四国」は阿波など4州、「九州」は筑前など9州でないとウソでしょう。
「北海道」も、五機七道と対比させると、周辺の島を含んでほしいです。

でも、「九州」に壱岐と対馬は含まれませんよね。(沖縄は言うまでもなく)
奄美は大隈国でしたっけ。

「本州」はどうでしょうか。
「沖縄・壱岐・対馬は九州ではない」理論からすると、淡路・隠岐・佐渡・小笠原諸島は本州ではなさそうです。
国生み神話でも、淡路・隠岐・佐渡ははっきり本州と別扱いです。
鳴門から淡路経由で明石に行くなら、「本州に着いた」とのは明石に着いたときでしょう。
逆に、明石から鳴門に行くとしたら、「四国に着いた」のは大毛島(鳴門市)でしょう。

でも、もっと小さい島も含まないような気がします。
しまなみ街道を北上するなら、「本州に着いた」と言えるのは尾道、
南下するなら、「四国に着いた」と言えるのは大三島だと思います。
明らかに非対称ですが、どうしてもこう感じてしまいます。
[15685] 2003年 5月 22日(木)02:29:07なおき さん
おおぅ
書き込みはや!毎日見てますが中々書き込むだけの時間が確保できない…
[15119]軒下提灯 さん
 加治木、志布志、伊集院はそれぞれ地方都市としてライバルみたいです。
 市街地の活気も似たようなものがありますし。
 合併によっても人口5~8万、面積200~400平方km程度とさして変わらず。
 もっとも今一番元気なのは伊集院なのですが…
 加治木は姶良と街が一体化して、人口が増えるのは姶良の郊外ですし。
 加治木に高校や官公庁・商店街、姶良に住宅。
 2町の国道沿線に大規模商業施設といった所です。
 大河原もMapionでみると加治木と似たような感じですね~
 大河原&柴田の街の様子も聞きたいです。
でるでる様
一昨日、姶良西部合併協議会が開かれました。
その中で合併は新設対等合併とし、新市の名称は公募と決まりました。
また合併の時期は2005年3月末か余裕を持って1月かの2案出ているようです。
吾平町は住民アンケートによって大隈中央に残留。
6月議会に法定協議会設置案を提出する見込みとなりました。
金峰町からの住民発議による南薩西部(金峰・加世田・大浦・笠沙)法定協は笠沙町長が議会に付議せず見送りとなりました。
[15560] 2003年 5月 20日(火)09:24:03かつ さん
東九州道推進派
東九州はとても交通の便が悪いところです。宮崎県内においては国道10号線が唯一の道路といっても
いいくらいです。片方1車線のところがほとんどですし,日常的に込み合っています。
JRの特急でも宮崎~小倉(北九州市)は約5時間ほどかかります。
宮崎~延岡は10号線をスムーズに走ったとして車で約2時間かかります。
北海道を除く全国の10万人以上の都市で,近隣の空港に1時間以内で車で行けないのは
延岡市くらいだというのを以前聞いたことがあります。
高速道路が開通すれば延岡~宮崎空港は1時間以内で結ばれるでしょう。
現在,東九州道は西都までのびていますが,できるだけはやい時期に延岡まで開通して欲しいです。
ちなみに県南の地域ですが,日南海岸沿いの地域は長雨などで,よく国道220号線が通行止めに
なりますし,宮崎市に出るのにも結構な時間がかかります。鹿児島の大隈半島の地域はもっと不便
ですね。
[12945] 2003年 4月 12日(土)11:10:12special-week さん
二宮尊徳さんは全国的?
[12933]
雑魚様

忘れちゃいけない、小学校の定番だった二宮金次郎像。(ちと古いか。) ロダンの 「考える人」 も多そう。

 うーん、これ私もふと頭をよぎったんですけどね・・・。ただ私、静岡県、愛知県、東京都の小中学校でこの二金像を見たことがないんですよね。本当に存在するのでしょうか?と疑いたくなるほど見たことがない。二宮金次郎も勤勉な人として銅像になっていると思うのですが、私が小学校時には、行儀が悪い象徴のような感じで言われていたのを憶えています(っま、これは子供独特のジョークだと思いますが)
 ロダンは学校に銅像として建立されているのですか?そんなモダンな学校があるとは・・・。きっと私立系なんでしょうねえ。それか近年の国公立小中学校は、こういった美術センスがあるものを子供に見せることで芸術感覚を養おうとしているのでしょうか?

 学校系の銅像としては、早稲田大学の大隈重信も有名ですね。あれ、慶応義塾大学って福沢諭吉あったっけ?あんまり印象がないな。慶応義塾みたいなお金持ちには縁がないもんで・・・(笑)
 最近、国公立の小中高大ではあんまり銅像を建てているところはないみたいですね。思想教育と思われちゃうのかな。
[12678] 2003年 4月 8日(火)07:20:18なお[KN] さん
九州の道州制について
[12676]ken さん
交通体系から言って、九州を2つに割る場合、南北2州ではなく、東西2州、すなわち、福岡県を東西に割って、鹿児島本線沿い、日豊本線沿いの2州にした方が、生活圏・交通体系にあった道州になるのではないか。
大分県では、宮崎、鹿児島、都城、八代などへのアクセスが非常に悪いです。
日豊本線でも、大分以北はソニックなど高速の電車が通っていますが、宮崎までは通ってはいませんし、佐伯でも延岡はともかく宮崎より福岡の方が近いといった状況です。

その上、東九州自動車道の延岡-宮崎間は凍結される可能性が高く、津久見-佐伯間は大丈夫そうですが、佐伯-延岡間は難しいです。

もし、旧豊前、豊後、日豊、大隈で州を作ってしまうと、真ん中の延岡においても、宮崎からのアクセスは悪いと考えられます。生活圏でも大分県大野郡以北は福岡向きで宮崎県については
よく採りあげられますが、昔の韓国と日本みたいに近くて遠いといわれるほどです。

ただ、北九州に関してはアクセスはよいです。
州都は宮崎県北部に置き東九州自動車道を完成させないと、非常に人・流通が偏った州になってしまう可能性があります。
どちらかというと3・4ほどに細かく分けるか1つの州にする方が帰っていいかもしれません
[10949] 2003年 3月 11日(火)00:38:59ペーロケ[utt] さん
れすれすれす
[10907]雑魚さま
大隈線の廃止で、何となくの物足りなさを鹿屋市に感じてしまうなど、
以前私が書いた中標津と同じように、鹿屋市の場合も車社会が既に定着しており、
廃線の影響が少なかったとは考えられないでしょうか??
鉄道はいくら便が少なくとも、保線作業などで維持費は結構高いものです。
低密度な地域では廃線→バス代替といった流れもやむなしでしょうか??
「鉄」見習いとしては、少々寂しいですけど。。。

[10805]kenさま
一系統=一行になるので、もう少し見やすくなるのかも。
アドバイスありがとうございます。

[10808]でるでるさま
>愛媛県/広見町・松野町・日吉村
新町名の候補5点は、次の通りだそうです。
きほく、三郷(みさと)、広見川、水豊(みとよ)、川筋
「きほく」があって鬼北がないのがちょっと変ですよね??
やはり、鬼=悪といったイメージを排除するためでしょうか??

[10916]kenさま
とにかく今回の平成の大合併は、趣旨はともかく、名前には本当に苦労しますねえ。
ほんと、苦労しているようですね。
命名も、もっとカッコ良いセンスが欲しいところです。
困ったときは、古文からの引用とか。。。(愛媛のように)
そうしたら、方向やら県名、地方名などではなくなり、
その上、歴史を紐解くことにもつながりそうですがねえ。。。
[10907] 2003年 3月 10日(月)12:47:37深海魚[雑魚] さん
サイタ、サイタ、サクラガサイタ (ハト、マメ、マス)
[10904] special-weekさん
雑魚さんにも思い出深いでしょう。
そりやあもう。桜を肴に一杯の後、王子駅前の居酒屋で同僚と連れ立って呑んだくれていたものです。
「お、雑魚ちゃん、久し振りだね。例のカラオケのディスク入ったよ。」 飲み屋のオヤジ、元気かなあ?
ちなみに、私の現在の行動範囲で、個人的に気に入っている桜の名所と言うと、こんな感じですかね。

水戸市千波湖畔
水戸市桜川堤防 (水戸駅南)
日立市平和通り (日立駅前)
常陸太田市西山公園
瓜連町静峰公園
大子町国道 118号線 北田気・池田地区
御前山村国道 123号線旧道 長倉地区

[10906] てつさん
熊本と鹿児島の共通性と言えば、城下町である事、路面電車を擁する事、番号付きの旧制官立高校が
所在した事 (熊本/五高、鹿児島/七高造士館) などが直ちに連想されます。

「川内市は鹿屋市と並ぶ・・・」 「都城と並ぶ・・・・」
同じ県内同士ながら、相応の隔たりがある位置関係だからこそ言える並立性でしょうね。それにしても、
大隈線の廃止で、何となくの物足りなさを鹿屋市に感じてしまうなど、鉄道至上主義的な発想から脱却
できていない雑魚でした。(過去ログによれば、相応の発展振りを呈しているそうですね。)
[10442] 2003年 3月 5日(水)06:04:49KMKZ さん
まとめてレス
[10421] 雑魚 さん
ここも県立男子校ですな。
女性にもてなかったもので男子校に逃避していました。(笑)
ところで私の出身校を埼玉の「○○高校」とすれば西の愛媛は「○○東高校」、名前だけ比較すると埼玉の方が本家みたいですよね。

[10406] Issie さん
厚木に住んでいる人にさえ,自分のところが「あの長州藩」の毛利氏と因縁のあるところだということが知られていないかもしれませんね。
新住民が多いでしょうし、余程の歴史好きでなければ興味ないでしょうね。
ところで長州の毛利氏と来れば、次は薩摩の島津氏です。島津氏は鎌倉幕府から派遣された守護がそのまま幕末まで大名として続いた数少ない例だそうですが、こちらは派遣先の大隈国島津庄に由来するそうですね。

[10340] 黒髪(ふらんそわーず) さん
氏名の読み方(ふりがな)についてですが,「戸籍法」にも「住民基本台帳法」にも規定がありません。(中略)法律に根拠のないことなので「読み方が間違っている」と役所に文句を言えばすぐに変えてくれるはずです。
氏名の読み方を変えても構わないとは目から鱗でした。
[9212] 2003年 2月 14日(金)21:38:45Issie さん
「ひ」の国
[9192] utt さん
[9193] YSK さん

いやぁ,つい柄にもなく「ミュージックステーション」を視てしまいました。
お目当ては テツ&トモ。
でもやっぱり,NHKの「爆笑オンエアバトル」ほど面白くなかったの,「何でだろう」。

というわけで,utt さん の「何でだろう」。
肥前、肥後はどうなのでしょうか?

「肥前・肥後」に分割されるのは8世紀に律令国制が整備される過程のことで,それ以前は YSK さん のお答えの通り,「ひ」と呼ばれていたようです。
「古事記」の冒頭にある有名な「国生み神話」に次のような説話があります。
・イザナキ,イザナミの男女2柱の神が“天つ神”の言葉(命令)を受けて結婚し,日本の国土を生んだ。
・その中の1つが「ツクシ(筑紫)の島」である。
・「ツクシの島」には4つの顔がある。
・1つは「ツクシ(筑紫)の国」,名は「シラヒワケ」。
・1つは「トヨ(豊)の国」,名は「トヨヒワケ」。
・1つは「ヒ(肥)の国」,名は「タケヒムカヒトヨクジヒネワケ」。
・いま1つは「クマソ(熊襲)の国」,名は「タケヒワケ」。

というわけで,ここでは「ツクシの島=九州」が「ツクシ」「トヨ」「ヒ」「クマソ」の4つの地域に分かれる,としています。

で,律令国制では,このうち「筑紫(つくし)」が「筑前」「筑後」,「豊(とよ)」が「豊前」「豊後」,「肥(ひ)」が「肥前」「肥後」に分割されたということになります。
「古事記」に記載された名前によれば,「日向(ひむか→ひゅうが)」も「ヒ」から分かれたようにも感じますが,実のところはどうなのでしょう。
南九州の「薩摩」「大隈」,つまり古事記の言う「クマソの国」が“ヤマト”の支配下に完全に入るのは7世紀から8世紀初めにかけてのことです。

もっとも,日本語では「ひ」という一拍の単語は極めて不安定です。「ひのくに」という形になって初めて安定するように思われます。
それは「き(紀)」が地域呼称としては極めて不安定で,「きのくに」という形にするか,あるいは奈良時代の「地名はすべからく“縁起のいい漢字2文字”にすべき」という詔勅に基づき,「紀伊」と2拍に引き伸ばされたのと同じ事情があるのだろうと思います。
ただ,幸いなことに「ひ」の場合は,「肥前」「肥後」に分割され,それぞれ「ひぜん」「ひご」という“安定”な形を獲得したので,「きぃ」のように延ばす必要はなかった。

雲仙岳、阿蘇山のある地域が「火の国」

私もそのように思いたいと思っているのですが,何分「ひ」だけではあまりにも語の形が単純すぎて,本当のところの語意を探り当てることは難しいのではないかと思います。

ところで,「ひ」というのが後の「肥前」「肥後」両国をあわせた全域をさす名称であったかと言うと,そうではなかったように思います。
肥前の北半分は,現在の佐賀・長崎両県にまたっがて全体が「松浦郡」ですね。「まつら(マツロ)」というのは「魏志倭人伝」にも登場する,たいへんに古い地域呼称です。
また,肥後の南部の「クマ(球磨)」というのも一定の地域的まとまりを持つものであったような感じがしますね。
これら「マツラ」や「クマ」というのは,もともと「ひ」とは“別の国”であったのではないか,そんな気もします。
律令国制以前に「国造」制が整備されたとき,「火国造(ひのくにのみやつこ)」というのが現れますが,その支配地域は後の菊池郡を中心とする肥後(熊本県)北西部であったようです。

で,この「松浦郡」を削除すると,肥前は主に有明海側斜面ということになります。
この有明海沿岸地域,今のように陸地が拡大するのは干拓の進んだ近世以降のことですよね。
それ以前の有明海は今よりも大きかったし,当時の土木技術では乱流する筑後川のそばに接近することなどとてもできなかったことでしょう。
とすると,マツラ地域を除いた肥前南部と筑前・筑後との交通は容易ではなかったかもしれません。
むしろ,YSK さん の言われるとおり,天草・島原を媒介とするつながりがあったのかもしれない。
(そういえば,雲仙の火山活動が激しかった頃,昔の火山活動を表す言葉として「島原大変・肥後迷惑」というのが紹介されていましたね。江戸時代に雲仙が噴火したとき,もちろん直下の島原が直接の被害を受けたわけだけど,この噴火で島原の山体が崩壊して有明海に流れ込み,そのせいで発生した津波が対岸の肥後に大きな被害をもたらした,というお話。これは自然災害だけど,こんなことも含めて肥前と肥後の関係は密接ですね。)

とは言え,律令制を導入するに当たり「国」を再編する過程で,「ひ」は2つに分割された。その際,有明海が「分割された“ひ”」の境になったけど,「遠の朝廷(とおのみかど)」たる大宰府を基準に考えて,より近い位置にある現在の佐賀・長崎県域が「肥前」,より遠い現在の熊本県域が「肥後」なったのだろうと考えています。

分割された「肥前」の国府は現在の佐賀市付近,「肥後」の国府は現在の熊本市付近に置かれました。
都(平城京)を起点とする“官道”たる「西海道」は,現在の鳥栖付近で二手に分かれ,1本は肥後国府すなわち現在の熊本方面へ,もう1本は肥前国府すなわち現在の佐賀付近を通り,大村・諫早・島原から現在のフェリー同様に有明海を渡って熊本へ到達していたようです。
[7947] 2003年 1月 20日(月)09:00:13夜鳴き寿司屋 さん
大隈半島を巡る鉄道
[7942]はやいち@西国管領 さん

大隈半島ですが、かつては鉄道が走っておりました。日豊本線国分駅から鹿屋を巡り日南線志布志迄行く「大隈線」です。結局は国鉄改革の一環として1987年に廃止された路線ですが全通してからわずか15年目のことでした。鹿児島市と鹿屋市を結ぶ幹線鉄道ですが鹿児島湾をぐるっと廻る為に鹿児島湾を渡る船便の方が速く移動出来る致命的な欠点がありました。また沿線人口が少ないうえに自動車の普及率が高いために鉄道があまり利用されなかった事が廃止につながった理由だと思います。

 鹿児島県内では廃止路線として志布志線(宮崎県西都城~志布志)、宮之城線(川内~薩摩大口)、鹿児島交通南薩線(伊集院~枕崎)などがあります。
[7946] 2003年 1月 20日(月)08:56:47【1】深海魚[雑魚] さん
秘密基地
[7942]はやいち@西国管領さん
大隈地方には一部を除き鉄道が走ってませんが、何故なんでしょう?
1987年までは、志布志-鹿屋-垂水-国分に大隈線という国鉄線がありました。日南線と併せて
海岸寄りを網羅する格好でしたが、広域間の都市移動としては今ひとつ機能していなかった模様で、
暫定開通区間が一本の路線に繋がってから廃止されるまでの期間は、僅か 15年でした。西都城-
志布志を結んでいた国鉄志布志線の廃止時期も同じ頃と記憶します。

[7943] ニジェガロージェッツさん
原潜基地としての 「ムルマンスク」 の名前は、映画 「レッド・オクトーバーを追え」 や漫画 「沈黙の
艦隊」 で散見されますね。核の街として報道された 「セミパラチンスク」 は該当するのですか?
[7942] 2003年 1月 20日(月)01:53:40はやいち@大内裏[はやいち@西国管領] さん
ネジメ。
[7933]てつさん

大隈地方には一部を除き鉄道が走ってませんが
何故なんでしょう?
どなたかご存知ではありませんか?
[7661] 2003年 1月 13日(月)17:02:27深海魚[雑魚] さん
桜島
本日、久々にNHK 「昼どき日本列島」 を観たところ、鹿児島-桜島のフェリーが紹介されていました。
番組案内役が桜島行のフェリーに同乗する趣向でしたが、いつ見ても雄大な風景ですね。これを見て
「今まで知らなかったのか?」 と笑われそうですが、以下の点について初めて勉強になった次第。

○ フェリーは桜島町営で、同町居住者が優先的に採用される事。
○ 日中の運行頻度は10-15分おきと高く、深夜ないし未明でも一時間間隔で運行されている事。
○ 桜島と大隈半島の接点は、大正年間の噴火に伴う溶岩流の結果、陸続きになった事。

三点目について、桜島の東半分が鹿児島市に属する事と、溶岩流で 「新陸地」 が出現した事の間に
因果関係はないものかと、ふと考えた雑魚でした。ちなみに、「新陸地」 付近を通過していた大隈線は、
全通が 1972年、廃止が 1987年と、僅か 15年の短命路線だったのですね
[6805] 2002年 12月 22日(日)17:37:39YSK さん
国分市と鳥栖市
[6679]てつさん
>福岡県鳥栖市と同様に鹿児島県国分市も物流拠点として成長してると思います。
>鳥栖市と国分市は人口規模も近く共通点も多いように思われますが、成長性とい
>う点ではどちらが上なんでしょうか?

レスが遅くなってしまい、申し訳ございません。
詳しくは、[6683]にて雑魚さんが的を射た解説をされていらっしゃいますので、省略させていただきますが、私も鳥栖市のほうに軍配を上げたいですね。

理由としては、以下の点が考えられますね。
(1)鳥栖市は、大都市福岡の郊外化を受けている。
 国分市は、鹿児島市の都市圏からは、相対的に独立した土地柄のように思われます。
(2)後背地域の需要量の差
 物流拠点と見た場合、鳥栖市の後背地域は、長崎県、佐賀県、福岡県南部、大分県となりますが、国分市の場合は、鹿児島県と宮崎県のみとなり、需要量に相対的な差がある。

もちろん、[6683]における雑魚さんのお話
>県都と空港を結ぶ高速道路の途上で、大隈半島への入口を兼ね、平坦地が展開する度
>合が大きい錦江湾の最も奥まった加治木、隼人、国分の一帯は、将来性が期待できる
>様に思えます。
については、私も同感ですし、その意味で国分市や隼人町一体の地域は拠点性に優れ、重要な地勢であると思いますよ。

鹿児島から特急に乗って、宮崎まで移動したことがありますが、桜島の威容のもとでのシラス台地の豊かな景観や、霧島山系の眺望などが本当に美しかったですね。
[6683] 2002年 12月 19日(木)18:50:34深海魚[雑魚] さん
鹿児島県雑感
[6679] てつさん
鹿児島県で人口、交通体系、行政機能など集積性が最大なのは文句無しに県都・鹿児島市ですが、
市内から列車で発つと、鹿児島線は松元町にかけ薩摩半島基部の丘越えがあり、日豊線は磯庭園
以遠のシラス台地が迫る急峻な海岸 (大雨に伴う竜ヶ水駅の被災は記憶に新しいところ。) が続き、
平坦地の連続性といえば、指宿枕崎線と鹿児島市電が並行する谷山方面に向けてのみ。それゆえ、
県都と空港を結ぶ高速道路の途上で、大隈半島への入口を兼ね、平坦地が展開する度合が大きい
錦江湾の最も奥まった加治木、隼人、国分の一帯は、将来性が期待できる様に思えます。

一方、九州新幹線の暫定開業後、八代-鹿児島間で駅設置予定地が水俣および川内のみとすると、
鹿児島県内で 「つばめ」 が停車する自治体のうち、鹿児島市のベッド・タウンの性格が強いと思しき
伊集院町を除く出水、阿久根、串木野の三市は、高速道が無い事も相まって、今後の位置付けには
微妙なものを感じます。新幹線の暫定開業時点で鹿児島線の八代-川内は、貨物列車の対策から
電化施設は残すものの、三セク化の上で 「非電化」 化されるとか。正式開業までは 「つばめ」 の
八代以南を快速として鹿児島に直通させる措置があっても良い様に感じたのですが。

上記地域と鳥栖との比較については、周辺の人口分布や、南北軸と東西軸の高速道の交点にして
鹿児島線と長崎線の分岐点たる要衝性に鑑みて、鳥栖に軍配を上げたいところです。
[5976] 2002年 12月 6日(金)01:39:56【1】深海魚[雑魚] さん
レス諸々
[5940] startさん
>「九州」という言葉には屋久島も含まれるのでしょうか?
「九州」 の構成内容は、[5943] の般若堂そんぴんさんの指摘の通りかと思います。そして、
屋久島や種子島が 「大隅諸島」 と呼ばれている事から、大隈ひいては九州に属するという
論法になるのでしょうか。

[5946] eternalさん
>北九州市が政令指定都市になった時点で、政令指定都市=都会ってのは崩壊
遠賀川以東で沿線に市街の連続性が見られる鹿児島線の門司港-水巻 30km強を以って
都会に非ざるとなれば、都会の定義とは何か、と腕組みしてしまう、田舎在住の雑魚でした。

[5950] せかさん
御教示頂き有難うございました。アーカイブズの過去ログ内容に反映させたいですね。

[5952] ヒロオさん
>いまだにハチ公前で待ち合わせする人多いようですね。
私の定番は 「上野駅 13番線の車止め」 でした。女房は思い切り引いてましたね。(笑)

[5955] 松戸さん
コテコテの水戸人民である私は勿論、後者ですよ。(笑)

>方言喋られる人を羨ましく思います。
一口に方言と言っても、世代差によるギャップは大きいものです。カッペ丸出しの私ですら、
古老の言い回しには聞き取れないフレーズが少なくありませんから。東京出身で、秋田に
婿入りした知人の場合、電話応答に慣れるまでに三年以上を要したそうで、苦労した事と
拝察申し上げます。

>私的には、関西圏の方言が好きです。
私も在京時代、周囲に関西出身者が多かった為、あの独特の雰囲気は御馴染みでした。
ちなみに、威嚇的な意味合いで機関銃の如く発せられる河内弁は迫力でしたね。

[5958] いなさん
>自動車優先の体系であることから
全てはそこに収束するのでしょうか。東海交通事業の勝川駅の場合、将来の配線事情に
含みを残し得る準備工事の類かと拝察しているのですが。

[5964] YSKさん
問壱ではいきなり別解が提示されました。私の想定は、山間の街でした。

問弐、参、五、八、九、十は大正解、さすがですね。もう少し難儀して欲しかった。(泣)

問四はですね、例えば仙台市を連想して下さい。海岸線と県境線が全く接点を持たずに
延びていますよね。そうした例に該当する市同士が隣接している箇所があるのです。

問六は言葉足らずでした。物理的な領域での連続性を基準としました。それにしても、
豊岡の事例は意外でしたね。これはこれでチェックせねば。

問七は、過去ログで若干のウンチクが交わされた市です。

[5965] 関西人さん
秋田美人のルーツは、常陸国大名だった佐竹氏が国替えで出羽国に赴く際に同行させた
女性陣であるとする俗説は根強いです。しかし 「それゆえその後の茨城では ……」 という
論法は失礼千万ですね。(笑)

[5967] NSKさん
弐と五は別解で正解です。ああ、肝心の地元の該当例を失念していたとは ……

[閑話休題]
昨日、大子町に赴く用事がありまして、帰途大宮町の書店に寄ったところ、白石美帆嬢の
カレンダーが発売中で、傍らには 「大宮町出身」 との手書きポップ広告。おお、大宮町か。
馴染みが深い所だし買おうかな、と思ったら、「忍風戦隊ハリケンジャー」 で御馴染みの
山本梓嬢の写真集や 「ゴルゴ 13」 の新刊も発売中ではありませんか。今月の忘年会は
あと五回。予算配分に悩んだ挙句、結局何も買えなかった情けない雑魚でした。
[5401] 2002年 11月 25日(月)22:33:08深海魚[雑魚] さん
雑魚の役に立たない狂養問題/芸能人名編
[5388] いなさん
げげ、もう解かれてしまった。もう少し手間取る事を期待していたんですけどねえ。正解者には
豪華な粗品を、などと真面目に考えていましたが、危ない危ない、撤回します。(笑) それは
そうとして、余りにも早く解かれてちょっと悔しいのでもう一問出題。

例題の様に、併記した道・県内の郡市町村名を組み合わせて、語呂から芸能人名を構成せよ。
ただし、出題者が中年予備軍世代である事から予想される人選のセンスに留意せよ。(笑)

例題)福島県愛媛県大隈重信」(大熊町 + 重信町)
例題)長野県福岡県「北野たけし」(北野町 + 武石村)
問壱)山口県長崎県
問弐)青森県愛媛県
問参)山口県大分県
問四)北海道徳島県
問五)茨城県新潟県
問六)山形県埼玉県
問七)埼玉県静岡県
問八)岩手県高知県
問九)長野県愛媛県
問十)兵庫県広島県
[4898] 2002年 11月 15日(金)01:06:10深海魚[雑魚] さん
いなさんへ
[4888]
>県境を3回またぐケースは、JR三江線にもありました。
作木口-宇都井では江の川が県境をなしていますしね。1975年の全通前は、旧三江南線が
終点の口羽付近のみが少し島根県に入り込んだ格好で、何となく琴線を擽る様な立地でした。
南北線の未開通区間に中央脊梁山脈の分水嶺が横切っていると思えば、終始江の川流域を
走っていた訳で、川の中流域のみ未開通という状況が特異に感じられました。

三江線が全通した前年に予土線として延長開業した旧宇和島線も、終点の江川崎付近のみ
高知県域に突き出た格好でした。鹿島臨海鉄道が 85年に水戸に乗り入れる以前の鹿島線も
またしかり。一方、元々は中間駅だったのが、大隈線と志布志線の廃止で該当事例となった
日南線志布志も挙げられます。廃止線ですと、宮原線肥後小国など、色々ありますね。

>栗橋(埼玉)~古河(茨城)~野木(栃木)
こうした事情から、古河界隈では経済的に埼玉志向が強く (古河税務署の一部業務内容は
大宮税務署に集約された時期があるそうです。) 茨城県への帰属意識は大きくない様です。
県都水戸への移動ですと、道路事情も今ひとつ不便ですし。

>矢岳(熊本)~真幸(宮崎)~吉松(鹿児島)もそうでした
元々地元のローカル移動需要が希薄な山奥の峠越え区間にあって、急行が廃止された今日、
将来性はどうなのか、とも思います。

[4890]
>「ご無礼します」
我々の地元で言うところの 「ごめんなんしょ」 の如きかな。(笑)

[4893]
>いちどで一杯にして運んでしまおうという、本数は少なく立ち席は当たり前だった。
ただしこの発想は、「多層建」 と同様、一箇所でダイヤに異常が発生すると、全体に影響が
及ぶ確率が高いですね。コンピューターが無かった時代は、「スジ屋」 ことダイヤグラムの
策定担当者のアドリブ対応には、職人技のごときが求められたのでしょうね。

>上井あたりで夜が明けて、
「上井」、現在の倉吉ですね。陸蒸気反対で山陰線から取り残された街への救済策として
開業した倉吉線の中心街の駅 「打吹」 が当時 「倉吉」 と名乗っていたそうですね。丁度
「尻内→八戸」 「八戸→本八戸」 の事例と符合します。
[4408] 2002年 11月 2日(土)00:36:37夜鳴き寿司屋 さん
明治以前の人口ランキング
先日、中公新書「遷都」(八幡和郎著)のなかに現在の都道府県に近い形での人口ランキングが載っておりましたので、ご紹介します(単位:万人)

西暦ーーーーーーー700年ーーー 1600年ーーーーー1----1721年-----
       (飛鳥時代)-----(関が原の合戦)---(享保年間)
旧国名
蝦夷-------------ー?ーーーー 1-------- 2----
陸奥---------------24ーーー 73------- 236---
出羽---------------9ーーーー 34------- 105---
常陸-------------- 19ーーー- 26------- 85---
下総、上総、安房--- 27ーーー- 47------- 128---
下野-------------- 9ーーーー 22------- 67---
上野-------------- 13ーーー- 23------- 68---
武蔵-------------- 15ーーー- 71------- 228---
相模-------------- 8ーーーー 12------- 38---
甲斐-------------- 4ーーーー 12------- 35---
信濃-------------- 8ーーーー 27------- 83---
越後・佐渡-------- 7ーーーー 42------- 123---
越中-------------- 5ーーーー 13------- 38---
加賀、能登-------- 7ーーーー 14------- 43---
越前、若狭-------- 10ーーー- 17------- 54---
伊豆、駿河、遠江--- 22ーーー- 30------- 82---
尾張、三河-------- 17ーーー- 48------- 117---
美濃、飛騨-------- 18ーーー- 33------- 74---
伊勢、志摩、伊賀--- 16ーーー- 36------- 81---
紀伊-------------- 7ーーーー 20------- 62---
近江-------------- 12ーーー- 32------- 72---
大和-------------- 31ーーー- 40------- 50---
山城、丹後-------- 14ーーー- 61------- 83---
丹波-------------- 4ーーーー 16------- 34---
播磨、淡路、但馬--- 21ーーー- 42------- 107---
摂津-------------- 10ーーー- 86------- 97---
河内、和泉-------- 13ーーー- 47------- 55---
備前、備中、美作--- 23ーーー- 33------- 104---
因幡、伯耆-------- 12ーーー- 11------- 31---
備後、安芸-------- 16ーーー- 28------- 82---
出雲、石見、隠岐--- 16ーーー- 19------- 54---
周防、長門-------- 11ーーー- 21------- 57---
讃岐-------------- 11ーーー- 14------- 40---
阿波-------------- 6ーーーー 13------- 41---
土佐-------------- 5ーーーー 15------- 42---
伊予-------------- 9ーーーー 20------- 60---
筑前、筑後-------- 20ーーー- 23------- 68----
豊前-------------- 5ーーーー 10------- 30----
豊後-------------- 6ーーーー 21------- 63---
肥前-------------- 6ーーーー 25------- 73---
対馬、壱岐-------- 3ーーーー 2-------- 4---
肥後-------------- 12ーーー- 25------- 74---
日向-------------- 4ーーーー 9-------- 25---
薩摩、大隈-------- 9ーーーー 13------- 31---
琉球国------------ ?ーーーー ---------------
-(合計人口)---- 523------ 1227----- 3128

これからすると、上位15位までの順位は下記の様になります。
西暦700年人口順位
大和-------------- 31
下総、上総、安房--- 27
陸奥-------------- 24
備前、備中、美作--- 23
伊豆、駿河、遠江--- 22
播磨、淡路、但馬--- 21
筑前、筑後-------- 20
常陸-------------- 19
美濃、飛騨-------- 18
備後、安芸-------- 16
伊勢、志摩、伊賀--- 16
出雲、石見、隠岐--- 16
武蔵-------------- 15
山城、丹後-------- 14
尾張、三河-------- 17

意外な事に現在の都道府県にあてはめると奈良県、千葉県、岡山県のランキングになります。


西暦1600年
摂津-------------- 86
陸奥-------------- 73
武蔵-------------- 71
山城、丹後-------- 61
尾張、三河-------- 48
下総、上総、安房--- 47
河内、和泉-------- 47
越後・佐渡-------- 42
播磨、淡路、但馬--- 42
大和-------------- 40
伊勢、志摩、伊賀--- 36
出羽-------------- 34
美濃、飛騨-------- 33
備前、備中、美作--- 33
近江-------------- 32
現在の都道府県にあてはめると大阪府、京都府、愛知県、千葉県ですね。


西暦1721年
陸奥-------------- 236
武蔵-------------- 228
下総、上総、安房--- 128
越後・佐渡-------- 123
尾張、三河-------- 117
播磨、淡路、但馬--- 107
出羽-------------- 105
備前、備中、美作--- 104
摂津-------------- 97
常陸-------------- 85
信濃-------------- 83
山城、丹後-------- 83
伊豆、駿河、遠江--- 82
備後、安芸-------- 82
伊勢、志摩、伊賀--- 81

現在の都道府県にあてはめると、東京都、千葉県、新潟県、愛知県といったところでしょうか?

ちなみに明治維新後の1873年の人口は

北海道---- 12.......青森県---- 44.........岩手県---56
宮城県---- 56.......福島県---- 73.........秋田県---58
山形県----64........茨城県----83.........千葉県---104
栃木県----51.......群馬県----53.........埼玉県---85
東京府----109.......神奈川県-54..........山梨県---- 36
長野県---- 93........新潟県----144......... 富山県----62
石川県---- 67........福井県----53..........静岡県----97
愛知県----22........岐阜県----76.........三重県----78
和歌山県--56........滋賀県----57.........奈良県----42
京都府----79.......兵庫県----131.........大阪府----101
岡山県----95.......鳥取県----36..........広島県----113
島根県----63.......山口県----83..........香川県----57
徳島県----59.......高知県----53..........愛媛県----78.......
福岡県----103......大分県----68..........佐賀県----48
長崎県----67........熊本県----95.........宮崎県----36
鹿児島県---93.......沖縄県-----17

でしてベスト10は新潟県、兵庫県、愛知県、広島県、東京府、千葉県、福岡県、大阪府、静岡県、岡山県の順番で新潟県が日本の人口ナンバーワンでした。この推計人口が正しいかはわからないですが、歴史的な地域の盛衰が読み取れ、興味深いです。
[2660] 2002年 8月 19日(月)21:04:50miki さん
>2659
>飛び地の話題が出ていましたので…
>鹿児島市の飛び地も桜島の大隈半島側にありますよね。
おおくま半島?
正しくは「大隅半島」ではないでしょうか?
[2659] 2002年 8月 19日(月)17:49:25かつ さん
飛び地
飛び地の話題が出ていましたので…
鹿児島市の飛び地も桜島の大隈半島側にありますよね。
あと大隈半島には小さな飛び地がたくさんあります。
宮崎では最近川をはさんだ対岸に飛び地がある町が
境界線変更をして,対岸の町に編入されました。今まで水道供給などで
かなり不便をしいられていたようです。飛び地にはこういった行政サービスの
不便なところがあるんのではないでしょうか??

最近チェックしてませんが
飛び地研究所 http://tobichi.pos.to/というHPもありますよ。
皆さんご存知かとは思いますが…
[885] 2002年 2月 13日(水)01:13:41Issie さん
国府
すでに述べられているように,「府中」というのは多くの場合,かつてそこに国府が置かれていたことにちなむ地名です。
東京都府中市は武蔵国府,広島県府中市は備後国府,広島県府中町は安芸国府。もちろん,山口県防府市は周防国府だし,下関市長府地区は長門国府。
ただし,甲斐府中≠甲斐国府 のような例もありますが。

そのまま「国府」という地名であることもあります。この場合「こくふ」と読むだけでなく,「こふ」や「こう」と読むこともあります。岐阜県吉城郡国府町(飛騨),鳥取県岩美郡国府町(因幡)のように,そのまま市町村名となっていることもありますが,千葉県市川市国府台(こうのだい:下総)や愛知県稲沢市国府宮(こうのみや:尾張)のように他の要素との複合地名になっていることもよくあります。ただし,神奈川県小田原市の「国府津(こうづ)」の場合は,ここに国府があったのではなくて,もう少し東の中郡大磯町国府地区に相模国府が置かれていました。名前からすると,国府の外港という位置付けだったのかな。
あるいは「国府」に近い言葉で「国衙(こくが)」という地名であることもあります:山梨県東八代郡御坂町国衙(甲斐国府)。
私の印象では,「国衙」が国府の庁舎などのような建物や施設を指す具体的なイメージがあるのに対して,「国府」にはもう少し抽象的な地方支配のための機構というようなニュアンスが感じられるのですが,どうでしょうか。

国府関連の地名には,有名な国分寺にかかわるものもありますね。
そのものずばりと「国分寺」という場合(武蔵,下野など)もあれば,「国分」という形であることもあります。「国分」の場合,大隈(鹿児島県国分市)の場合のように「こくぶ」と読むことが多いのですが,下総(千葉県市川市)のように「こくぶん」と読むこともままあります。

一方,神社関連では「総社/惣社」という地名があります。
これは律令制下で各国に赴任した国司には任国内の重要な神社を巡回してお参りをする任務があったのだけれども,その手間を省くためにそれらをまとめて国府の近くに“総合神社”を置いたことによります。「惣(総)社」という名前自体が,そういう意味ですね。
これは「そうじゃ」または「そうざ」と読みます。
岡山県の総社市は備中(あるいは吉備全体?)の,群馬県前橋市のJR上越線の駅名になっている「群馬総社」は上野のそれぞれの惣社にちなむものです。

国分寺・国分尼寺もたいていは国府の近くに置かれましたから,多くの国では「府中/国府」「国分(寺)」「惣社(総社)」という地名がお互いに隣接した地域に集中することが多い(ただし,いつでも3つ揃うとは限らない)のですが,国府が移転した場合には3つのうちのどれかが元の国府の位置に取り残されることがあります。
相模国分寺は大磯に移転する前に国府が置かれていたあたりの海老名市国分にありました。
信濃の場合には,はじめに国府のあった上田市に国分寺が,移転後の国府所在地である松本市に惣社があります。

美濃の場合,国府・国分寺は現在の不破郡垂井町付近に置かれました。国府単独というよりは,すぐ近くの近江との国境付近に設置された不破関との関連と思われます。
で,ここではやはり「関」(江戸時代の関所とは若干,機能や概念が違いますが)のイメージの方がはるかに強かったからか,国府・国分寺関連の地名は残らず,「関ヶ原」として大変に有名になるわけです。

なお戦前の天皇制の下では,天皇一家の家政にかかわる「宮中」に対して実際の国政全般に関わる「府中」という用語がありました。宮中を管掌するのが宮内省でありそのトップは宮内大臣(宮相)およびこれとは若干独立して天皇に直属する内大臣(内府),府中を管掌するのが政府=内閣でそのトップは言うまでもなく内閣総理大臣。そしてこの両者は建前上は厳格に区別されました。
また,「国府」という言葉は1930年代から70年代初めくらいまでは中華民国の国民政府(蒋介石政権)を指す用語でした。こちらは台湾の政権の座から国民党がすべり落ちて完全に死語になりましたが。
[755] 2002年 1月 30日(水)23:44:47Issie さん
Re:郡の東西南北
前の発言の続きを送ろうとしたら,また CGI BUSY になってしまいました。
グリグリさんは私のせいではないと言ってくれたけど,何か複雑。
ともかく復活したようなので,もう一度アップしなおします。

肥前国の「松浦郡」は「東松浦郡」「西松浦郡」(佐賀県),「北松浦郡」「南松浦郡」(長崎県)に分割されています。
日向国の「諸県郡」は鹿児島県から宮崎県が分離したとき,宮崎県となった区域が「北諸県郡」,鹿児島県に残った区域が「南諸県郡」となりました。宮崎県の北諸県郡からはその後さらに「西諸県郡」と「東諸県郡」が分離し,2県にまたがって東西南北の諸県郡がそろいました。しかし,郡制施行に際して鹿児島県の南諸県郡は東噌唹郡と統合されて「噌唹郡」となり,日向国から大隈国に編入されました。

武蔵国は最終的に東京府と埼玉県,神奈川県に分割されましたが,「足立郡」のうち東京府の管轄となった区域が「南足立郡」(現・足立区),埼玉県の管轄に入った区域は「北足立郡」となりました(その後,郡制施行の際に埼玉県北足立郡は荒川をはさんだ新座郡を編入しています)。

「葛飾郡」はさらに複雑です。
葛飾郡はもともと「下総国」に属し,隣国の武蔵国や上野国・下野国と境を接して下総国の北西部を占める広大な郡でした。中世には現在の江戸川を境にして「葛西」「葛東」などに分けられたりしましたが,江戸時代の初め,幕府によって江戸川以西が「下総国」から「武蔵国」に所属変更がなされました。
明治になり廃藩置県ののちの県の再編を通して,両国にまたがる「葛飾郡」は東京府・埼玉県・千葉県・茨城県に分割されました。
そこで郡区町村編制法による郡編制の際に,それぞれ次のような呼称になりました。
武蔵国葛飾郡
 東京府の区域 --> 南葛飾郡
 埼玉県の区域 --> 北葛飾郡
下総国葛飾郡
 埼玉県の区域 --> 中葛飾郡
 千葉県の区域 --> 東葛飾郡
 茨城県の区域 --> 西葛飾郡
というわけで,「東西南北中」がそろいました。
(下総国葛飾郡の一部が埼玉県になったのは,江戸時代半ば以降の河川改修によって,江戸川の流れが少し東に移動したからです。)
しかし,郡制施行のための統合によって,埼玉県中葛飾郡は北葛飾郡に編入され(同時に武蔵国に編入),茨城県西葛飾郡は猿島郡に編入されました。一方,千葉県東葛飾郡は南相馬郡を編入しています(このために旧相馬郡は茨城県となった利根川以北の「北相馬郡」だけが残りました)。
さらに東京府の南葛飾郡は東京市に編入されて葛飾区と江戸川区となり,現在残っているのは千葉県の東葛飾郡(下総国)と埼玉県の北葛飾郡(武蔵国)だけとなったのです。
[84] 2000年 12月 28日(木)13:36:11オーナー グリグリ
市の公式HP
オーナーのグリグリです。
もう少しで20世紀も終わりですね。
21世紀最初の市は「西東京市」です。

杉並区の公式HPの件、更新します。>>あすべすとさん
どうもありがとうございました。

公式HPの更新作業ですが、都道府県単位に少しずつ進めていますが、
如何せん一つ一つ手作業でチェックし検索したりしているので時間が掛かります。
全都道府県を一通りチェックするにはいま少し時間をください。
更新情報は常に受け付けていますのでよろしくお願いします。

大口市の件、よく分かりました。>>Issieさん

大口市は大隈とは無関係ですね。
ところで、伊東市は、豪族伊東氏と伊豆の東の両方から由来していると認識していますが、伊豆は一字表記では豆を使うの例外ですね。
それと、伊丹市ですが、伊丹氏の城下町に由来しているのですが、伊丹氏の丹は丹波の丹と考えていいように思うのですが、確認できていません。
たぶん間違いないでしょうが。

ところで、IssieさんのHPに行って来ました。市の変遷表、すばらしいですね。消滅した市などの確認に使わせてもらいます。よろしくお願いします。


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