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キーワード「伝馬町」を含む記事が40件見つかりました

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[14743] 2003年 5月 5日(月)23:43:35【3】special-week さん
江戸のかほり
[14722]
ありがたき様

おおよその範囲は、南から時計回りに目黒川、神田上水、荒川・石神井川下流、中川で、囲まれた域だそうで。

 なるほど。この範囲が江戸となるとなかなか広範な範囲だったんですね。現時点で、江戸の薫りを残している地名と言えば、神田と日本橋ですかね。両地区とも神田○○町、日本橋○○町といった呼称になっていて2丁目、3丁目としていないところに私は好感を持っています。住居表示の簡素化は郵便配達などの効率化のために行われたものですが、神田・日本橋は本当に細かく町名が分かれていますね。ちょっと興味があったので表にしてみました。

NO神田と付く地名日本橋と付く地名
1神田富山町日本橋室町
2神田紺屋町日本橋本石町
3神田北乗物町日本橋茅場町
4神田西福田町日本橋人形町
5神田美倉町日本橋小舟町
6神田岩本町日本橋兜町
7神田花岡町日本橋小網町
8神田小川町日本橋蛎殻町
9神田錦町日本橋堀留町
10神田鍛冶町日本橋大伝馬町
11神田多町日本橋富沢町
12神田神保町日本橋久松町
13神田淡路町日本橋馬喰町
14神田須田町日本橋横山町
15神田美土代町日本橋浜町
16神田東松下町日本橋中州
17神田佐久間町日本橋箱崎町
18神田相生町日本橋本町
19神田平河町日本橋
20神田和泉町東日本橋
21神田練塀町日本橋小伝馬町
22神田駿河台
23神田司町
24神田東紺屋町
25神田松永町
26神田佐久間河岸
27神田
28内神田
29外神田
30西神田
31東神田

 もっとあるかと思ったんだですけどね。まだまだ見落としがあるかもしれませんね。微妙に神田が付いていなくて岩本町だけだったり、鍛冶屋というのもあります。
 まだまだこういった江戸の香りのする地名はありそうですね。
[14746] 2003年 5月 6日(火)00:02:33【2】まがみ さん
Re: 江戸のかほり
[14743]special-week さん
神田・日本橋は本当に細かく町名が分かれていますね。
追加です。
神田佐久間河岸
神田司町
神田東紺屋町
神田松永町
東神田
日本橋小伝馬町

「新日本橋」というのもありますが、こちらは地名(町名)というか、駅名ですね。
[15575] 2003年 5月 20日(火)12:36:26【1】太白 さん
長い町名
 突然ですが、special-week さんの[14743][14749]あたりの書き込みを見ていて思ったのですが、「日本橋大伝馬町」というのは結構長い名前(漢字7文字)ですね。ひらがなにすれば「にほんばしおおでんまちょう」(13文字)です。

 これより長い町名(あるいは字名)は存在するのでしょうか?

 長い市町村名は、雑学コーナーにあるのですが、町名・字名となるとどうかと思いまして…。
 なお、町名は正式には「○丁目」を含んだものですが([6633]など)、ここでは「○丁目」は含まないで考えています。

参考:■ 平市ってどこにあるの? -短い市町村名・長い市町村名
http://uub.jp/zat/taira.html
[16404] 2003年 6月 7日(土)08:28:59Issie さん
宇和島藩
[16396] utt さん
え?「取り残されている」のですか?

いえいえ,これは,幕末の段階では「改革派」の1つとして時代の先頭を走っていた宇和島藩(すでに天保年間に当時の国内で最先端の西洋流軍学者の高野長英に関心を持って,伝馬町牢屋への放火・脱獄という重罪を犯した長英を匿って軍学書の翻訳をさせていますよね。故郷の長州藩が見向きもしなかった村田蔵六=大村益次郎を世に出したのも宇和島藩です)が,明治政府の成立を境に急速に脱落して政府の主流派とはなれなかった,というお話。
やはり,お殿様(伊達宗城)個人のキャラクターに100%負っていたからでしょうかね。

そういえば,高野長英の出身は宇和島藩・伊達家にとっての本家,仙台藩の支藩である留守家城下の水沢でしたね。本家の仙台藩の方は戊辰戦争で「賊軍」の側にまわり,何となくその中心に祭り上げられてしまうのでした(関ヶ原のときの毛利家のように)。
[23439] 2004年 1月 5日(月)23:48:13【1】稲生 さん
大崎半島、信州(県)、旧町名復活
[23427]special-weekさん
浜名湖の「大崎半島」はこれでいいと思います。「五味半島」は初耳です。
三重県の志摩半島の件はいいですね。両毛人さんが、さっそく応答してくださってますから。

[23418]kenさん
「信州(県)」面白い話ですね。
遠州から見ると、「長野県」と言えば、善光寺のある長野市をまず思い浮かべてしまい、
かなり遠い所の響きがあります。
「信州」では、飯田あたりの‘りんご’などを思い浮かべることもあり、水窪の峠を越えれば「信州」の南信濃村に着くことでもあり、お隣りの国(県)となります。

[23421]なきらさん
金沢市で旧町名復活の話題ですが、
浜松市では、中心部の住居表示の実施がほとんど進んでいないという話、知っていますでしょうか。
鍛冶町・千歳町・平田町・旅篭町・塩町・元魚町・大工町・伝馬町・利町・肴町・連尺町などなど。
ご存知5月のGWに行なわれる『浜松まつり』が、各町内別に町内独自の絵柄を用いて凧揚げ合戦を繰り広げるため、昔ながらの町名を消滅させることを良しとしないからです。

※誤字を訂正しました。
[27288] 2004年 4月 14日(水)16:36:20N-H さん
牛込柳町
[27268]音無鈴鹿さん
牛込神楽坂←新神楽坂:旧牛込区か?
牛込柳町 ←柳町:これも旧牛込区?
仰せの通り、このあたりは旧牛込区になりますね。
神楽坂のほうはあまり牛込神楽坂とは言いませんが、柳町のほうはずっと昔からここにあるバス停は「牛込柳町」を名乗っています。
またここにある交差点の名は「市谷柳町」となっているようなのですが、ずっと以前のかすかな記憶に東京だか全国だかの「排気ガス汚染No1交差点」の名として「牛込柳町」の名が私には刷り込まれているのです。
いずれにせよ、地名を2つ併記したといった合成駅名とはかなり異なる主旨の駅名であることは確かですね。
丁度麻布狸穴町、日本橋小伝馬町、古くは芝葺手町などと同じたぐいのもので、より広域的地名の旧区名に続けて大字名を続けたもので「牛込の柳町」ということであり、地名として古くからなじみのある表記で地元に定着しているものかと思います。
私などにはむしろこの駅名が「牛込」という古い地名の復活みたいでうれしく思えたものです。

そういえば市町村名や区名から「市」や「区」を取り去ってその後続けて地名を連続表記する仕方は、郵便局名に多いですね。特定郵便局など半分以上はそうかもしれません。
ほんの一例:荒川東尾久三郵便局、印南古井郵便局、此花梅香郵便局などなど……
なかには「港港南郵便局」などというわかりにくい名になってしまったものや、東京都北区にある局のように「北○○局」とすると、「北区の○○」の局なのか、「○○」の北のほうにあるのかにわかには判然としないものも出てきます。
具体的には北区には「田端郵便局」と「北田端郵便局」があるのですが、北田端局のほうが田端局よりも南に位置しています。どうやら「北区の田端」局という意味のようなのですが、それにしては北区の名を冠しない田端局が別にあるわけでおかしなことになっています。
同様例として羽田郵便局と大田羽田郵便局というのがあります。
[27874] 2004年 5月 3日(月)22:28:21地名好き さん
浜松まつり
[27868]般若堂そんぴんさん
家の近くが上杉祭りの武者行列のコースになっており,見に行きました.
この連休は、各地でお祭りがあるようですね。
「博多どんたく」が一番の人出になるでしょうね。

[27857]稲生さん
浜松まつりは、天候不順で祭り本部が中止にしても、各町内の自主参加による凧揚げ合戦は必ずあります。
町の若い衆はこの日のために精進してきたのですから、無理もないことです
凧揚げは、浜松まつりだけではないようです。
相模の大凧あげ(相模原市)、大凧あげ祭り(埼玉県庄和町)。
詳しく調べていませんので他にもあるかもしれません。
浜松=「風」が強いという感覚がある私にとっては、凧揚げに最適の地だなぁ~と毎年思ってしまいます。
でも風が弱くても、ちゃんと揚がるらしいですね…
毎年微妙に参加町数の増減があるみたいですが、今年は169町とテレビのニュースで話題になりました。
新・浜松市になったら凧の数はもっと増えるんでしょうね?
自治会ごとのシンボルマークみたいなものを「凧印」といいます。
参加町は、行政区画としての町名と比較して、若干の表記差異があるのは、面白いと思います。
169町羅列します(あれぇ~170町ある)

相生町葵町西葵東浅田町小豆餅
安間町飯田町有玉西南北町池町
板屋町市野町入野植松町瓜内町
海老塚町江乃島町遠州浜町追分町大山町
大蒲町卸本町尾張町恩地町鍛冶町
金折町上新屋上石田上島町神田町
上西町亀山町鴨江町鴨江北町北田町
北寺島町木戸町倉松町元目町小池町
紺屋町小沢渡町湖東町子安町
栄町肴町佐藤町西南佐藤中町佐鳴台
参野町佐鳴台一町目三和町塩町蜆塚町
十軒町篠原四本松下飯田町下池川町
下石田町白羽町新町新津町助信町
頭陀寺町砂丘町砂山町住吉町西伝寺町
早出町田町大工町高町高丘町
高林町立野町千歳町都盛町寺島町
寺脇町天神町天王町天王町西伝馬町
天竜川町利町常盤町富塚町富塚町北
富塚町西富吉町中沢町中島町市場中島町諏訪
中島町本町中田町中田島町中山町名残町
茄子町名塚町平田町成子町南栄
西町西伊場町西ケ崎中町西上池川町西島町
西菅原町西山町新橋町布橋北布橋南
野口町萩丘旅籠町八幡町初生町
初生町北早馬町原島町半田東伊場町
東上池川町東菅原町東田町曳馬町阿弥陀曳馬町金屋
曳馬町本郷曳馬町三浦曳馬町宮百里園広沢町
船越町文丘町芳川町大橋芳川町神出細島町
本郷町本郷町東馬込町松江町松城町
丸塚町三方原町三方原南部三組町三島町
向宿町元魚町元城町元浜町森田町
薬師町安松町山下町山手町楊子町
龍禅寺町領家町連尺町若林町和合町
和合町西和 .和地山町和田町渡瀬町米津町

今頃、夜の部は盛り上がっているかな?
[30158] 2004年 7月 5日(月)17:40:38【1】淡水魚 さん
だいたい駿府城の周りです
[30155] じゃごたろ さん
「大工町」「紺屋町」など歴史情緒あふれる地名なんかは、かつての城下町に沢山残ってそうですね

思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などが有ります。そして「千代田」。江戸の千代田が由来なのかな~と思います。「葵町」も「葵の御紋」からなのか?
浜松市については、稲生大先輩や知名好きさんなど、浜松方面に詳しい方にご教示いただきたいと思います。

オーナー様、30000突破おめでとうございます。
[30230] 2004年 7月 7日(水)03:06:15【1】稲生 さん
城下町としての町名・・・静岡市、浜松市
[30158]淡水魚さん
だいたい駿府城の周りです

思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などが有ります。
静岡には、このほかに城下町らしい地名として、追手町、大工町、大鋸町、通車町、人宿町、七間町、土太夫町、上桶屋町、屋形町などがありますね。区画整理以前は、鋳物師町、台所町、猿屋町、下桶屋町、寺町などがあったようです。

浜松市については、稲生大先輩や地名好きさんなど、浜松方面に詳しい方にご教示いただきたいと思います。
大先輩とはおこがましいですが、浜松市生まれとして調べますと、
元城町、松城町、伝馬町、利町、鍛冶町、大工町、肴町、神明町、連尺町、紺屋町、早馬町、旅篭町、塩町、元魚町といったところが城下町らしい町名でしょうか?

今回のこの問いを淡水魚さんに振られたおかげで、昔読んでいた「静岡・清水・浜松・沼津の町名の由来」という本を、もう一度開くことになり、懐かしく読み直しております。ありがとうございました。

※ちょっと訂正しました。
[30531] 2004年 7月 14日(水)17:38:35U-4 さん
城下町の町名(名古屋)
十番勝負にすっかりはまっていましたので、あらためてちょっと前の話題にレス

[30158]淡水魚さん
思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などが有ります。
[30230] 2004 年 7 月 7 日 (水) 03:06:15【1】 稲生 さん
静岡には、このほかに城下町らしい地名として、追手町、大工町、大鋸町、通車町、人宿町、七間町、土太夫町、上桶屋町、屋形町などがありますね。区画整理以前は、鋳物師町、台所町、猿屋町、下桶屋町、寺町などがあったようです。
浜松市については、稲生大先輩や地名好きさんなど、浜松方面に詳しい方にご教示いただきたいと思います。
大先輩とはおこがましいですが、浜松市生まれとして調べますと、
元城町、松城町、伝馬町、利町、鍛冶町、大工町、肴町、神明町、連尺町、紺屋町、早馬町、旅篭町、塩町、元魚町といったところが城下町らしい町名でしょうか?

名古屋市にも、呉服町、研屋町、伝馬町、七間町、鍛冶屋町、鷹匠町、塩町がありました。この他にも紙漉町、白塀町、納屋町、八百屋町、鉄砲町、桶屋町、木挽町など城下町らしい町名がふんだんにありました。
名古屋の町は、慶長年間に徳川家康が九男の義直のため徳川家に相応しい城下町を作ることを目的として、清洲から城下町ごと名古屋台地に移転し、築城と町の造成をしたため(いわゆる清洲越)、当時から京都と同じように碁盤目状の市街地を形成し現在でもそれが残っています。南北と東西の通りには、それぞれ上記のような町名がふられていました。
この碁盤目状の町名を読みこんだ次のような歌が残されています。

「花の名古屋の町割は (七墓御詠歌より)」

花の名古屋の町割は 四面四角に碁盤割
御城下(おしろした)は三の丸 本町御門出てくれば
片端(かたは)通りとは これなるか
にほいも高き京町の どなまぐさいが魚の棚
桧さわらや杉之町
春三月のころなれば ちらりちらりと桜町(さくらんちょう)
人馬つめおく伝馬町 玉を入れおく袋町
損はたたねと本重町 酒の肴にかばやき町
常(いつ)もにぎわう広小路
日もくれかかる入江町 屋敷がまへの三ツ蔵町
しんしょさかへし花屋町 おたび所横町うちこして
丸こしなくてそぶえ町 七面横町はこれなるか
仕度もしたき茶屋町の これから横をたずぬれば
塩やこうじや御園町 はや伏見町へさしかかり
出船入船、桑名町 をいたる奴もつまらねど
長島町となりぬれば 金銀みつる長者町
いつはりいはぬ本町の 家の土台も七軒町
薬は、ここに呉服町 参宮もはやる伊勢町
こよいお前に大津町 いつたや江戸の鍛治屋町
ひさやをつけてそ人した お七ゅうみは武平町

ところが、昭和40年前後の町名変更(おそらく戦災復興事業の最終段階?)によって、この地区は栄1~5丁目、錦1~3丁目、丸の内1~3丁目、東桜1~2丁目、泉1~3丁目というように(良し悪しは別として)きれいさっぱりなくなってしまいました。
それでも、通りの名称としては、一部に「プリンセス通」などと怪しげな名に改称したものはありますが、上記の歌にある町名の多くが残っています。

転勤族でよそ者の小生としては、交差点の表示が「広小路呉服町」というように旧町名(通り名)になっているので、結構とまどいます。
[30561] 2004年 7月 15日(木)12:58:54【5】じゃごたろ さん
続・町の名
[30158]淡水魚さん、[30230]稲生 さん、[30531]U-4 さん、[30548]ryo さんなどの書込みで出てた幾つかの町名を他にどれくらあるか調べてみました。

調査は「ゆうびんホームページ」の郵便番号検索です。したがってここのデータベースで検索できない地名(住所名)に関しては調査の対象外となってしまいます。市名(町名)のみの表記は、そのものの町名がある場合です。後ろに括弧がある場合は前後に何かしらの字句か追加された町名です。この場合は「~」の部分がもとの町名を表します。

【大工町】
弘前(西~・元~)、八戸、黒石(後~・甲~・乙~)、遠野、仙台市青葉区(川内~)、湯沢、白河、水戸、村上、佐渡(相川~)、富山県城端町、金沢、小松(新~・本~)、岐阜、静岡、浜松、近江八幡、京都府下京区(~・東~)、岸和田、神戸(船~)、高砂(高砂町~)、加西、大和郡山(北~・南~)、和歌山(北~・新~・西~・舟~・南~)、鳥取(頭~・元~)、米子、高梁、徳島(東~・西~)、高松、長崎(新~・出来~・船~)、熊本(古~)、人吉

【材木町】
釧路、北海道浦幌町、盛岡、花巻、遠野、仙台市若林区、湯沢、秋田県鷹巣町、会津若松、宇都宮、鹿沼(上~・下~)、黒磯、沼田、東松山、新潟、佐渡(相川~・相川新~)、高岡、金沢、小松、上田、岐阜(上~・東~・西~)、静岡、浜松、岡崎、京都市中京区(~・大阪~・丸木~)、京都市下京区(~・綾~・高~)、京都市伏見区(本~)、大阪市中央区、堺市(~東・~西)、神戸市兵庫区、姫路市、明石、高砂(高砂町~、高砂町南~)、大和高田、大和郡山、奈良県田原本町、鳥取、津山、柳川、唐津、日南

【木町】
仙台市青葉区、山口、北九州市小倉北区

【肴町】
盛岡、本荘、山形、山形県松山町、村上、郡上、浜松、掛川、西尾

【魚町】
石巻、気仙沼、白根、七尾、加賀(大聖寺~)、浜松(元~)、沼津、豊橋、岡崎(~・西~)、松阪、桑名(北~・南~)、上野、姫路、高砂(高砂町~)、大和郡山、奈良県田原本町、和歌山(新~)、鳥取(上~・元~)、倉吉、松江、津山(新~・元~)、北九州市小倉北区、田川、佐賀、中津(新~・古~)

【八百屋町】
白河、佐渡(相川~)、京都市中京区、京都市下京区(~・西~・南~)、徳島、柳川、唐津、長崎

【呉服町】
長岡、静岡、豊橋、長浜、亀岡、池田、姫路、篠山、萩、福岡市博多区(上~・下~・中~)、唐津、熊本、鹿児島

【紺屋町】
弘前、盛岡、水戸、高崎(新~・中~・元~)、千代田区(神田~・神田東~)、川崎市幸区、石川県押水町、甲府、小諸、静岡、浜松、掛川、桑名、上野、京都市下京区(~・御方~)、京都市伏見区(~・~深草)、亀岡、高槻、姫路、大和郡山(~・新~)、和歌山(西~・東~・湊~)、田辺、米子、浜田、津山(上~・下~)、下関(長府~)、徳島、高松、北九州市小倉北区、佐賀、唐津、平戸、福江、熊本(~・横~)、人吉、延岡

【桶屋町】
弘前、本荘、静岡(上~)、和歌山(北~・北新~・湊~・南~)、鳥取、津山、長崎、熊本(古~)

【鷹匠町】
弘前、白河、新宿区(市谷~)、小松、加賀、岐阜(加納~)、大垣、静岡、京都府伏見区、姫路、明石、和歌山、徳島、高知、中津

【鉄砲町】
弘前、仙台市宮城野区、秋田(保戸野~)、山形、新庄、福島県本宮町、加賀(大聖寺~)、岐阜、高山、上野、堺、津山、高梁、広島市中区、松山

【鍛冶町・鍛治町】
〔鍛冶町〕
弘前(~・新~)、八戸(~・元~)、北上、仙台市若林区(南~)、横手、米沢、白河、高崎、沼田、千代田区(~・神田~)、村上、佐渡、富山(古~)、七尾、小松(新~・本~)、加賀(大聖寺~)、関、浜松、豊橋、桑名、上野、名張、京都市上京区(上~)、京都市中京区(~・横~)、京都市東山区(粟田口~)、姫路、大和郡山(北~・中~・南~)、鳥取、倉吉、須崎、北九州市小倉北区
〔鍛治町〕
黒石、花巻、本荘、松任、新宮、津山

【研屋町】
静岡、倉吉

【鋳物師町】
敦賀、防府、北九州市小倉北区

【匠町】
日光、和歌山

【博労町】
青森県五戸町、高岡、金沢、近江八幡(~上・~中・~元)、大阪市中央区、姫路、和歌山(北新~・元~)、米子、延岡

【銀座町】
熱海、彦根、京都市伏見区

【金座町】
静岡

【銭座町】
静岡、長崎(~・上~)

【両替町】
静岡、京都市下京区(元~)、京都市伏見区

【旅篭町・旅籠町】
〔旅篭〕
山形、高岡、堺(南~東・南~西)
〔旅籠〕
富山、浜松、久居、亀岡、堺(北~東・北~西)、和歌山(西~・東~)、高松

伝馬町
宇都宮、中央区(日本橋大~・日本橋小)、飯田(~・小~)、大垣、静岡、浜松、豊橋(~・上~)、桑名、京都市上京区(小~)

【御徒町】
宇和島

【大手町】
函館、水沢、一関、仙台市青葉区、石巻、白石、名取、鹿沼、能代、山形、新庄、白河、土浦、古河、前橋、伊勢崎、館林、川越、千代田区、新発田、上越、富山、高岡、金沢、七尾、武生、小浜、岐阜、美濃加茂、郡上(八幡町~)、沼津、名古屋市港区、豊橋、春日井、刈谷、上野、京都市伏見区(西~・東~)、岸和田、高槻、茨木、神戸市須磨区、豊岡、津山、広島市中区、山口、下松、丸亀、松山、北九州市小倉北区、久留米、八代、太田、佐伯、鹿屋(~・西~)

【追手町】
会津若松、飯田、静岡

【十人町】
一関(五十人町)、岩手県前沢町(五十人町、二十人町、二十人町裏)、仙台市青葉区(川内三十人町)、
仙台市宮城野区(二十人町、二十人町通)、仙台市若林区(五十人町、六十人町)、唐津、長崎

【百人町】
仙台市若林区(三百人町)、新宿区、名古屋市東区、唐津(和多田東~・和多田~)


調べてみると、このような地名は一部の市に偏っていて、そこに多く残されているように思います。

それにしても、関市の鍛冶町とか、上野市や堺市の鉄砲町なんて、なかなか歴史が感じられますね。あと堺市は「北旅籠」と「南旅篭」で字が違うんですね。
[30596] 2004年 7月 16日(金)06:12:39inakanomozart さん
駿府96か町
[30158] 2004 年 7 月 5 日 (月) 17:40:38 淡水魚さん
だいたい駿府城の周りです
思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などがあります。
私なりの補足をすることを許してください。(ローカルすぎるかなと思い、気後れしていまして遅くなりました。)
「銭座町」は駿府96か町に含まれておらず、1934年10月1日に静岡市に合併されるまで旧千代田村でした。
(「銭座」があったことは事実ですが、城下町ゆかりの町名とは言えないと思います。)

「金座町」は1928年11月10日「上魚町」を改称したものです。
もちろん、金座があったことに由来するのですが。
ちなみに「銀座」は「両替町」にありました。東京の銀座は駿府両替町にあった銀座を移したものと言われています。
(東京の銀座も1869年までは「新両替町」という町名)

「鷹匠(たかじょう)」は1970年11月1日に住居表示が実施されるまで「鷹匠町(たかじょうまち)」でした。
淡水魚さんがあげた町のなかでは唯一住居表示が実施されています。
住居表示に伴う画一的な「○丁目付き町名の町削り」で「町」を削除してしまったのは、あまり愉快ではないのですが、町名が残っただけでもよしとするしかないでしょう。
蛇足ながら、静岡鉄道の「新静岡」駅は1954年まで「鷹匠町」という名の駅でした。

[30230] 2004 年 7 月 7 日 (水) 03:06:15 稲生 さん
静岡には、このほかに城下町らしい地名として、追手町、大工町、大鋸町、通車町、人宿町、七間町、土太夫町、上桶屋町、屋形町などがありますね。区画整理以前は、鋳物師町、台所町、猿屋町、下桶屋町、寺町などがあったようです。
ほかに私の好きな町名として「上石町(かみごくちょう)」があります。由来は日本橋本石町と同じです。
(「下石町」は1945年9月、区画整理により消滅)
「寺町」は、ここを舞台にした「寺町三丁目十一番地」という創作童話(福音館)があり、戦前の静岡のようすを知ることができます。
[34231] 2004年 10月 15日(金)21:24:21hmt さん
千代田城の秋葉三神・牢屋ヶ原
[34216]EMMさん
鎮火神社の由来が「宮城内の紅葉山より鎮火三神を奉遷し」となっており、先日ご紹介した「秋葉原の歴史」に書かれた内容と微妙に異なっています。

直接には紅葉山からとしても、元をたどれば遠州秋葉山ですね。
千代田城自体も火災には悩まされており、天守閣は1657年、本丸殿舎は1863年、二の丸は1867年の火災以後再建されていません。というわけで皇居になった西の丸も、鎮火三神の霊験なく、1873(明治6)年に焼失。伊能図の正本はこの時に失われました。

このような火災の脅威はこの後も実感されており、1891年1月の帝国議事堂焼失の原因が漏電と発表されると、宮内庁では皇居での電気の使用を中止してしまいました。民間でも契約破棄が相次ぎ、存亡の危機に立った電灯会社は、必死に安全確保と啓蒙に努め、1893年には皇居でも電灯の使用が再開されました。

神田に秋葉の鎮火神社を下された英照皇太后は、孝明天皇の女御で、五摂家出身の九条夙子です。少し前までは、“女御”という言葉が生きていた時代だったのですね。参考までに、明治天皇の生母は中山慶子権典侍で、誕生日11月3日(天長節→明治節→文化の日)は太陽暦換算です。当時の暦では嘉永5年9月22日でした。

秋葉神社の縁が切れてしまっている訳ではなく、秋葉原駅に隣接するラジオセンターの2階に分社があるそうです。
ラジオセンター2階に見当たりません。どこかの店内でしょうか。

明治初期の「原」地名を一つ。
「牢屋ヶ原」。有名な伝馬町の牢屋敷を引き継いだ囚獄が、1872年に市ヶ谷に移転した後の荒れ野原です。
幕末から明治維新への混乱期にも被害が少なく、江戸時代と変らぬ繁栄を続けていた日本橋の近くなのに、ここは人気のない場所でした。
[35034] 2004年 11月 12日(金)15:25:52hmt さん
♪ 新宿行に乗るやすぐ― 電車唱歌で巡る100年前の東京(3)
[35013] 三田―日比谷間に続いて街鉄の日比谷―新宿間です。都電時代は11系統。

【25】《新宿行に乗るやすぐ 桜田門より下りたたば 二重橋より宮城を ほのかに拝みまつるべし》
1903年11月~12月に、街鉄が開通させた日比谷―新宿線です。
桜田門の北、二重橋は 千代田城西の丸の大手、即ち当時の「宮城」の正門です。「きゅうじょう」と読みます。念のため。(笑)

【26】《桜田門をすぐる頃 左に見ゆる建物は 大審院よ司法省 なおもつづける海軍省》
明治政府の外務卿井上馨は、条約改正会議を控えて「見た目」重視主義で日本の欧化された姿を諸外国に示すことを考えました。その代表が「鹿鳴館」ですが、御雇教師ヘルマン・エンデとヴィルヘム・ベックマンの基本設計による西洋式中央官庁街の建設も計画し、その第一歩として、日比谷練兵場跡地にネオバロック様式煉瓦造の司法省が1895年に竣工しました。

しかし、この建物の竣工より前に、不平等条約改正の交渉は行き詰まった井上馨が失脚しており、都市計画の権限は内務省に移りました。そして軟弱地の練兵場跡東側は日比谷公園になり、司法省等の建築と桜田門から南下する大通りだけがエンデプランの名残を留めていました。虎の門付近や大通りの西側台地上に及ぶ現在の「霞が関官庁街」が形成されるのは、昭和になってからです。

ところで、この司法省の建物。建築中に起きた濃尾地震を教訓に鉄材で補強された煉瓦壁は 関東大震災にも耐え、戦災で内部が焼失しても外壁は残り、戦後も改修されて法務省として使われました。1995年に昔の姿に復元された外観は重要文化財に指定され、法務史資料展示室として公開されています。

【27】《はやも参謀本部前 たてる馬上の銅像は ながれも清き有栖川 熾仁殿下の俤ぞ》
参謀本部があった場所は、現在の国会前洋式庭園と憲政記念館。現在もここにある 日本水準原点 が、地形図作成の任にあたった参謀本部の所在地だったことを示しています。江戸時代は彦根藩上屋敷。井伊大老は、ここから桜田門までの僅かな距離の通勤途上で襲われたのでした。
《馬上の銅像》電車開通の1903年に建てられた有栖川宮熾仁親王の銅像は、1962年に麻布の有栖川宮記念公園に移設されています。

【28】《電車はいつか三宅坂 陸軍省のそば近く 右の御濠に宮城の みどりの松の影深し》
現在の最高裁判所付近に 三河田原藩三宅対馬守の上屋敷がありました。ついでに言うと、永田町(参議院付近)には 永田伊織という旗本屋敷がありました。
しかし、永田町は、千代田・宝田・祝田・桜田という『おめで「田」地名コレクション』の仲間かもしれません。田んぼにはなりそうもない台地ですが、台地上に開かれた「新田」の例も多いことですから。

【29】《青山行は乗りかえて 赤坂見附 一つ木を 過ぎて東宮御所の前 電車はゆくなり四丁目へ》
【30】《青山墓地へは三丁目 渋谷氷川の病院を 訪わんとならば四丁目に おりてゆくべし左へと》
三宅坂で新宿行と分れて渋谷に向う線路(都電9系統)ですが、まだ青山四丁目 [外苑前] までで、路線は青山車庫にも届いていません。明治40年の「東京市十五区全図」では、境界外の渋谷村に路線が伸びています。

【31】《新宿行は更になお 衛戍(えいじゅ)病院前をすぎ 半蔵門の前よりぞ 左に折れて麹町》
新宿行の本線は内堀沿いを三宅坂から半蔵門に至り左折し、麹町=甲府路(甲州街道)町へ。
御濠端の陸軍衛戍病院跡には 戦後13年間もパレスハイツと称する かまぼこ兵舎が建っていました。現在は最高裁と国立劇場。

【32】《十町過ぎて四ッ谷門 見附を出でて大横町 伝馬町より塩町よ 新宿さしていそぎゆく》
麹町を抜けて四ツ谷ですが、橋柱の鈴蘭燈や欄干の唐草模様が優雅な四谷見附橋は1913年の架設ですから、明治時代の電車は まだ直進できず、カギの手に迂回して西の新宿を目指しました。塩町は四谷三丁目。
[41218] 2005年 5月 15日(日)16:39:41【1】hmt さん
昔の住所は 東京府東京市牛込区納戸町
[41184] ニジェガロージェッツ さん
【提案1】…但し、東京府と東京都は同一のものとして扱う。

この記事を見て、約10年間東京府民であったことを思い出しました。
そこで、[41180]を、“東京都(東京府)”と修正いたします(笑)。

近くの市ヶ谷加賀町(東京市牛込区)に「東京府立第四中学校」がありました。(戦後に移転先の地名から都立戸山高校になる。)
国民学校(その前は尋常小学校、少数ですが高等小学校もありました)・市電・清掃など市民生活に直結する多くのサービスは東京市でしたが、中等学校の主なものは東京府立でした。他県における市と県の分担と同じです。

とはいうものの、「東京市立」の中等学校もありました。例えば、「第一東京市立中学校」(現・都立九段高校)。
この学校名。何故か「東京府立第一中学校」(現・都立日比谷高校)とは、言葉の順番が違います。
旧制中学データベース記載の「東京市立第一」ではなく、三丁目さんの補足記事[16757]に記された名称が正しいのです。

府立の「四中」があった市ヶ谷加賀町に戻ります。
江戸の加賀屋敷と言えば、赤門で有名な本郷ですが、ここ市ヶ谷の台地にも江戸時代初期に加賀屋敷があったようです。その跡地が加賀原と呼ばれ、明治になってから町名になりました。
#「原コレクション」に入れそうもない昔の「原」として、三田の「薩摩原」[35013] 、日比谷の「長州ヶ原」[35106]などに触れたことがありましたが、「加賀原」も その同類ですね。

ところで、この近くには、細工町、納戸町、払方町、箪笥町など、独特の町名があります。
この落書き帳の過去ログを見ると、呉服町、旅籠町、紺屋町、伝馬町、大工町、鍛冶町など 城下町によく見られる商人・職人の仕事場にちなんだ町名が話題になっていますが、これらとはちょっと違い、居住していた武士(同心)の役職名です。
両替町や金座も幕府の仕事ですが、こちらは請け負った町人の店や工房ががあったわけで、呉服町…鍛冶町の同類と言えるでしょう。これに対して、牛込の前記町名は、江戸城に通勤する同心たちの「社宅」地域に由来しています。

江戸城内の建物や道具の修理・製作にあたる「営繕係」(御細工役)が住んだのが細工町。
同様に、納戸町は 幕府の「倉庫係」(御納戸役)に勤務する役人の社宅地域です。
「払方」とは、将軍の金品の出納管理を司る御納戸役の内、下賜金・下賜品を扱う役職だそうです。

では、「箪笥」とは? 
「箪」は円筒形の箱、「笥」は四角い箱のことで、現在の使い方である“衣装箪笥”のことではなく、“武器”のことです。
「御箪笥方」は、武器の製造・整備・保管・修理が職務でした。
具足(甲冑)、弓、矢、鑓(やり)の製造を担当しましたが、天下泰平の世ですから、実用品を大量生産する必要はなく、工芸品の一品製作という内容になっていたでしょう。

突然話は変り、明治7年(1874)に、この牛込区納戸町に 青山みつ という女の子が生まれました。
この女性が、後にオーストリア・ハンガリー帝国の代理公使と結婚したクーデンホーフ・ミツコで、その次男 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵(栄次郎という日本名もありました)は、第一次大戦後に、その著書等によりパン・ヨーロッパ運動を起こして活躍しました。しかし、彼の時代にはヨーロッパ統合運動は結実せず、クーデンホーフ=カレルギー伯もナチスに追われ、亡命しました。
第二次大戦の惨禍を経て、クーデンホーフ・カレルギー伯の思想は再評価され、ウィンストン・チャーチルによる1946年の「ヨーロッパ合衆国」設立の呼びかけに始まって、1952年にヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)発足、1958年に欧州経済共同体(EEC)、1967年欧州経済共同体(EC)、そして1993年の欧州連合(EU)発足へと着実に進展しました。

納戸町生まれの「ミツコ」は、香水にも名を残しています。
最近、吉永小百合主演の テレビドラマ が再放送されましたね。 「ミツコ-2つの世紀末」1986年。これは、NHK開局25周年記念ドラマ 「国境のない伝記-クーデンホーフ家の人びと-」のリメーク作品です。
[43922] 2005年 8月 7日(日)01:45:06笠津前浜 さん
職業名由来町名コレクション
編集者としての最初の仕事、コレクション初版をリリースしました。といってもデータ数は6件。これから、これから。
現在候補としてあがっているのは次の町名です(59件)。皆さんからの情報、アドバイスをお願いいたします。

「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座(町)」「銀座(町)」「銅座」「銭座町」「両替町」「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「桶屋町」「旅篭(籠)町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」「博労(馬喰)町」「船場町」「船頭町」「青物町」「瓦町」「米屋町」「染師町」「肴町」「塩屋町」「猟師町」「袖師町」「油屋町」「樽屋町」「紙屋町」「海士」「鷹匠(町)」「研屋町」「車町」「茶町」「馬場町」「伝馬町」「千代田」「葵町」「木町」「魚町」「鉄砲町」「鋳物師町」「匠町」「伝馬町」「御徒町」「大手町」「追手町」「十人町」「百人町」
[43934] 2005年 8月 7日(日)14:29:11あきすて さん
Re:職業名由来町名コレクション
[43922] 笠津前浜 さん

他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町

"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座代官山高田馬場などがあるようです。

「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋
(←この尾道市の件は現在使われてないようならコレクション対象外になってしまいますが他にも鍛冶屋という地名はあります)
 「茶町」に対して「茶屋町
 「木町」に対して「木屋町
(ちなみに、京都市にあるのは"きやまち"、寝屋川市にあるのは"こやちょう";寝屋川市のは由来がわかりませんが)
[43988] 2005年 8月 9日(火)00:41:44笠津前浜 さん
職業名由来町名(仮)編集メモ(1)
[43922]の編集開始書き込みに反応いただいた皆様、的確ですばやいフォローをありがとうございます。私の確認不足が多々ありました・・・が、寛大な心で見守ってくださいますようよろしく(^^;お願いします。叱咤激励大歓迎、です。
では個別にお返事いたします。
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[43924] 2005 年 8 月 7 日 (日) 07:04:51 KMKZ さん
「御徒町」が重複しています。(4番目と55番目)
「千代田」、「大手町」が職業名由来とは初耳です。どのような職業なのですか?
ありがとうございます。御徒町は重複分を削除します。千代田・大手町に関してはログから切り出す際に「城下町らしい地名」が混在していたことを失念していた結果、紛れ込んでいました。根拠がない以上、削除したいと思います。さらに、職業・役職名由来の地名を候補に入れるようにします。
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[43926] 2005 年 8 月 7 日 (日) 11:04:16 EMM さん
大手町(追手町)については、KMKZ さんへの返事に書きました通り、リストアップのミスでした。車町は職業由来の場合である可能性があれば、候補として残しておきたいですね。漢字表記のバリエーションは入れましょう。接尾語等は・・・残しましょう。銀座は銀座コレクション参照で。馬場町は職業名由来ではないですね。候補から消します。
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[43929] 2005 年 8 月 7 日 (日) 12:21:45 hmt さん
牛込(東京都新宿区)の細工町、納戸町、払方町、箪笥町などの町名は、江戸城に通勤する同心たちの「公務員住宅」地域に由来しています。[41218] hmt参照。
ありがとうございます。ということは、同心たちが箪笥を商っていたりしたのでなければ、職業名由来ではなさそうな気がしますが・・・候補に残しておき、後ほどゆっくりと個別調査したいですね。
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[43934] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:29:11 あきすて さん
他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町
お恥ずかしい(^^;ご指摘ありがとうございます。
"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座、代官山、高田馬場などがあるようです。
「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋」
 「茶町」に対して「茶屋町」
 「木町」に対して「木屋町」
それぞれ、候補に入れたいと思います。
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[43936] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:59:58 inakanomozart さん
▽候補にあがっていない町名で米穀商に由来する「石町」があります。
例として
・静岡市葵区上石町(かみごくちょう、下石町は消滅)
・東京都中央区日本橋本石町一~四丁目
・大阪市中央区石町一・二丁目
▽「葵町」は静岡市の場合、1915年「草深代地」を改称したもので職業とは関係ないようです。
大手町の件を含め、ありがとうございます。石町は候補に入れますね。
▽静岡市の場合は、京都の伏見から牛車をつくる職人を呼び寄せ、住まわせたことに由来すると言われています。
・静岡市葵区車町(くるまちょう)、通車町(とおりくるまちょう)
こちらも候補入りにします。
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[43940] 2005 年 8 月 7 日 (日) 16:02:56 今川焼 さん
●小人町、豆腐町、水主町、酒屋町、帯屋町、勘定町、船大工町
宗教に関するもので
●神主町、坊主町、社家町
それからずっーと時代をさかのぼった古代の職種に関係ありそうなところで
●弓削町、矢作町、土師町、鳥取町、服部町、陰陽町、主税町、番匠町
このあたりは古代のその職業と町の成り立ちが直接つながるのかどうか疑問な部分もあると思います。(参考[20412] Issie さん)(主税町、番匠町は名前の由来は古代かもしれませんが地名となったのは近世のことかもしれません)
候補に入れます、ありがとうございました。
ところで、さすがに京都市内には○○屋町の類が本当にウジャウジャありますねぇ。
たとえば、木屋町([43934] あきすて さん)は高瀬川沿いに材木商が多く集まったことに由来する地名(通り名・通称地名)と、はっきり職業地名とわかりますが、何十とあるすべての町名を職業と 関係あるかどうか検証するのは不可能でしょう。それっぽいところを見つくろって(?)でもやむを得ないと思いますがいかがでしょうか。
ちなみに西本願寺のすぐそばにある仏具屋町・珠数屋町あたりは現役の職業町でしょうね。
それから、現役といえば近代になってからつけられた職業地名はコレクションに該当するでしょうか。
●問屋町、卸町、鉄工町、木材町・・・。
えー、見つくろっていければ、と・・・。それから、近代のものでも該当すると思いますので、挙げられている町名も候補に入れます。
[44176] 2005年 8月 15日(月)17:48:43みやこ♂ さん
是非,「横手コレクション」に加えてくださいネ と,「職業由来町名コレ」
[44152]しゅばん さん
それでわ,絶対に検索に引っかからないであろう「ドマイナーな横手」を我が佐野市からおひとつ。
堀米町にある「横手」です。まずは地図をご覧ください。ポインタのある,南北に延びている道が大昔の例幣使街道です。その隣にやはり同じく南北に延びる県道が,旧国道50号で,江戸時代以降の例幣使街道。
この例幣使街道の,佐野堀米郵便局を中心とする南北約300m区間が横手町です。「栃木県佐野市堀米町字横手」と呼ばれる区域。小さいながらもちゃんと町内会も子供会もありますヨ。何てったって友人が住んでいるのですから,確度の高い情報です(図示した“旧街道添い”は横手町ではありません.友人曰く「例幣使街道の横ッ手にあったので横手」というのが町名の起こりだそうで.)。

次に,笠津前浜 さんの職業由来町名コレクションにいくつか。宇都宮市に博労町,大工町,材木町,曲師町,伝馬町などなどがあることは先刻ご承知でしょうけれど,これまた我が佐野市から。
佐野の名物として近年は「佐野ラーメン」や「イモフライ」が有名ですが,忘れちゃいけないのが「天明鋳物(天命鋳物とも)」。なので,金吹町や金井(上・仲・下)町などの“金属系地名”が現存しています。コレクション入り,是非にご検討ください。
最後に蛇足ですが,この辺には大むかし貨幣鋳造所があったみたいで,銀座と呼ばれていたそうです。地名としては現存していないようですので,烏川碧碧 さんの銀座コレクション入りは残念断念ですねん。また,佐野駅南西方の伊賀町に“伊賀者”が住まっていたかどうかは定かではありません・・・。
[44405] 2005年 8月 22日(月)02:00:16あきすて さん
物集女の由来は百舌鳥のようです
職業由来町名コレクションについて、まだまだ調査中だとは思いますが、船場がOKだったら船場センタービルのある大阪市の船場中央も入れてほしいなあ。
ついでに(「靱屋」は名前だけ挙がっていますが)靱町も。

あと「蔀屋」については、四條畷市に「蔀屋」「蔀屋本町」「蔀屋新町」(地図)がありますがどうなんでしょうね。
※ついでに見つけた氷室コレクション番外?「室池

調布市など自治体もありなら
 和歌山県有田郡金屋町(商工会HP)
 鳥取県
※以前、平成教育予備校で都道府県名を答える問題で「鳥を捕まえる人がたくさん住んでいたところから」というのがありました。
ちょっと話がそれますが、同様に平成教育委員会で都道府県名を答える問題で「でこぼこの地面を平らにしたところから」という問題もありました。

それから駅名で思いつくところから地名としてもあるのだと思います。(由来がわからないので保留かも)
 伝馬町(名古屋市)、扇町、天下茶屋、萩ノ茶屋、和泉鳥取、・・・

京都市にあるのは「きやまち」だと思ってました。

タイトルは、向日市物集女は職業由来じゃないようですが"女"はどこからきたんでしょうかね。参考
(羽束師や納所も施設名でしょうか)
[44428] 2005年 8月 23日(火)00:46:03笠津前浜 さん
職業由来町名編集メモ(8)
にわかに尾道市がにぎわっているようです。

さて、いろいろと情報をいただきありがとうございます。一気に編集、のんびりメンテを夢見て作業中です。以下は引用ではありませんが便宜上引用符にて候補として言及くださった町名をくくります。

****
[44359] 2005 年 8 月 20 日 (土) 17:28:09 北の住人 さん
博労(馬喰)・流通センター・伯楽・白楽
伯楽が博労のもとだったとは(@_@ 勉強になりました。
****
[44361] 2005 年 8 月 20 日 (土) 18:59:51 御巫大丸 さん
魚の棚町・籠町・万屋町・麹屋町・魚の町
港町らしい町名が並んでいますね(^^
****
[44363] 2005 年 8 月 20 日 (土) 20:05:50 稲生 さん
卸本町・市場町
迷っています(^^;保留にしておきますね。
****
[44364] 2005 年 8 月 20 日 (土) 20:19:18【1】 EMM さん
○○業・○○屋でくくれるものであれば良いのではないか?と言うものです。
そうですね、リストが落ち着いた時点で見直しましょうか。今は「どっちやろか?」と迷うものはリスト入りあるいは保留とし確実に違うものを外す方針にしています(高田馬場など)
****
[44401] 2005 年 8 月 21 日 (日) 21:55:26 にまん さん
長府侍町・今魚店町・古魚店町・寺町・銭湯小路・瞽女童・采女・早乙女(五月女)・女官・産女
萩には行ったことがあります(^^; それはともかく候補にはしましたが産女は外してかまいませんね(^^; 寺町については後ほど。
****
[44403] 2005 年 8 月 21 日 (日) 23:01:05【1】 EMM さん
寺町は「馬場町」[43926]、「新田」「新開」[43994]と同じく、特定の職業に関連はするものの、職業名直結と言うよりは職場名・施設名と言えるのではないか、と考えます。
馬場町は施設名、新田・新開は出来た土地の名前でしょうから職場名でしょうね。ただ寺町は、私は職業由来だと思うのです。紺屋が集まって紺屋町。桶屋が集まっているので桶屋町。そして寺が集まって寺町、といった感覚なんです(^^; とは言えEMM さんの意見にも首肯できますし、いっそ
と言うか、寺町だけで独立したコレクションにできそうなぐらいたくさんありますし…
こうしてみましょうか。ちなみに郵便番号データで「寺町」は31件、「*寺町*」は539件でした(自治体名除)
****
[44405] 2005 年 8 月 22 日 (月) 02:00:16 あきすて さん
船場中央・靱町・蔀屋・蔀屋本町・蔀屋新町・和歌山県有田郡金屋町・鳥取県・伝馬町・扇町・天下茶屋・萩ノ茶屋・和泉鳥取・羽束師・納所
由来調査が楽しみなものばかりですね(^^ 後日調査するとして、それまで候補入りといたします。
****
[44410] 2005 年 8 月 22 日 (月) 12:44:22 matsu さん
大山金井町は違う・大山町
詳しい情報をどうもです(^^ 大山金井町はカウントしないようにし、また候補に大山町を追加しました。
****
[44413] 2005 年 8 月 22 日 (月) 17:45:31 U-4 さん
名古屋市の主税町、葵は違う・織部町・鍋屋上野(鍋屋町)
こうして見ますと、昔ながらの町名の整理が進んでいる様子がわかりますね。リスト・候補の修正と追加をしました。
****
[44415] 2005 年 8 月 22 日 (月) 19:54:16 matsu さん
コレクション内の「猟師町」のところ一部表示がおかしくなっているようです
修正しました、ありがとうございます。国道2号周南バイパスに風呂ケ迫交差点があったと記憶していますがお風呂があるわけもなく、風呂とはなにかの当て字なのでしょうが・・・。

****

情報をくださった皆さん、本当にありがとうございます。他にありましたらよろしくお願いします。
[44484] 2005年 8月 25日(木)12:19:20U-4 さん
名古屋の職業由来地名(その2)
拙稿[44413]に引き続き名古屋市の職業由来地名、中区を筆頭に残りの各区から

区名町名よみかた現在地名痕跡由来等
中区木挽町こびきちょう丸ノ内1,錦1木挽町通り
材木町ざいもくちょう丸ノ内1,錦1不明
車町くるままち丸の内1,2不明
茶屋町ちゃやまち丸の内2不明?? これは人名由来
呉服町ごふくちょう丸の内3錦3呉服町通り、呉服橋
研屋町とぎやちょう丸の内3不明
(西,東)魚町(にし,ひがし)うおまち丸の内3不明魚の棚から改称
魚の棚町うおのたなまち丸の内3魚の棚通り魚屋、棚=店
関鍛治町せきかじまち丸の内3,錦3不明美濃関の職人町
中市場町なかいちばまち丸の内3不明
伝馬町てんまちょう錦1,2伝馬町通り、伝馬橋
袋町ふくろまち錦1袋町通り?? 町の形状かも
桶屋町おけやちょう錦2不明桶職人
小市場町こいちばちょう錦3不明
蒲焼町かばやきちょう錦3不明酒の肴や煮魚など
針屋町はりやちょう錦3不明
鉄砲町てっぽうちょう栄2不明○ 
八百屋町やおやちょう栄2不明
南呉服町みなみごふくちょう栄3不明
南鍛冶屋町みなみかじやちょう栄3不明関鍛冶町の南
(東,西,南)瓦町かわらまち(ちょう)栄5,新栄1瓦通り、交差点
役割町やくわりちょう大須1不明役割御先手の
役人居住地
城代町じょうだいまち大須2不明城代同心居住地 
旅篭町はたごちょう松原2不明?? 朝鮮使下士官の
 宿泊事実に由来
飴屋町あめやちょう上前津1不明
下茶屋町しもちゃやまち松原3,橘2不明これは茶店から
千代田ちよだ現存?????
熱田区市場町いちばちょう神宮2付近市場町交差点
伝馬てんま現存
旗屋町はたやちょう現存旗ではなく機織
服部はっとり現存
港区木場町きばちょう現存
油屋町あぶらやちょう現存
船頭場せんどうば現存
新茶屋しんちゃや現存
西茶屋にしちゃや現存
東茶屋ひがしちゃや現存
南区塩屋町しおやちょう現存塩田から
汐田町しおだちょう現存塩田から
元塩町もとしおちょう現存塩田から
昭和区塩付通しおつけとおり現存塩田から
○は既にリストアップされているもの。◎はそのうち所在自治体に掲載済のもの。

中区はひととおり拾ってみましたが全滅。区内のほとんどが商業地域となっているので、東区、西区のように公園名等での痕跡もありません。
蒲焼町なんて残っていたらうれしくなってしまいますね。居酒屋の町が名古屋の代表的な夜の町「きんさん」に、伝統はしっかり受け継がれています。
「千代田」はリストに入っていたので、一応あげましたが・・・
他の区は現存を中心に拾ってみましたが、残念ながら目新しいものはありませんでした。

これとは別にかなりレアな地名を3例。

昭和区御器所(ごきそ)熱田神宮の祭事用土器の製作地
中川区供米田(くまいでん)熱田神宮への供物用の米の生産地
中川区大蟷螂町(だいとうろうちょう)熱田神宮の宮大工の居住地(大工→棟梁→とうろう)、「灯篭」との説もあるようです。
[49292] 2006年 2月 18日(土)11:22:31【1】Issie さん
東京は「チョウ」と読む?
[49268] ぐりゅん さん
ちょっと地下鉄の駅名から拾ってみました。

同じことを東京の「旧15区内」でやってみましょう。ついでに国電の駅も加えて。

【まち】
仲御徒町・上野御徒町・新御徒町・御徒町,田原町,大手町,麹町,小川町,田町,<飯田町>

【ちょう】
人形町,宝町,小伝馬町,茅場町,神谷町,稲荷町,末広町,淡路町,門前仲町,東陽町,[春日町],神保町,内幸町,永田町,新富町(明石町),岩本町,[横山町],浜町,(蛎殻町),牛込柳町,有楽町,浜松町,馬喰町,錦糸町

地下鉄の1号線から順番に,ついで国電の京浜東北線と総武・中央線から拾ってみました。「旧15区内」に限定すると,山手線(品川~新宿~田端)の駅は品川以外は含まれません。もっとも山手線に「町」のつく駅はありませんが。
( )は仮称時の駅名,[ ]は駅名に町名の一部が使われているもの,< >は現存しないもの,“御徒町シリーズ”は同根なのでまとめました。

1つ注意しておきたいのは,城郭内の旧大名屋敷地区の 大手町・内幸町・永田町・有楽町 は江戸城下町時代からあった町名ではなく,明治になってから新設された町名であることです。
江戸城下町内において「町」とは“町人地区”に編成された自治共同体とその区域を指すものであり,したがって町人地区にしかなく,“大名・旗本屋敷地区”や“寺社境内”には本来存在しなかったものです。
「番町(ばんちょう)」は旗本屋敷地区ですが,これは自治共同体としての「町」の名前ではなく,番組旗本が集住させられた地区一帯を総称する区域名であって,番町の中の街路に「一番町」のような名前がつけられていました。この「一番町」なども自治共同体名としての町名ではなく,単なる街路名です。
町人地区において個々の「町」の名前とは別に,一般的に自治共同体としての「町」は「ちょう」と,「町名主」や「町役人」も「ちょうなぬし」「ちょうやくにん」と読む習慣であったようです。ただし,「町奉行」は「まちぶぎょう」ですが,これは個々の「町(ちょう)」ではなく,江戸城下町(じょうか“まち”)全域(とは言っても,町人地区だけだが)を管掌するものであったからではないか,なんて思ったりもします。ここに「ちょう」と「まち」の使い分けがあるのかも。

明治になって,町人地区の「町」が自治共同体としてそのまま存続する(一部では分割統合が行われているようですが)一方,従来は「町」が編成されていなかった大名・旗本屋敷地区や寺社地区にも新たに「町」が編成され,「内幸町」や「永田町」などが生まれました。
そして,それらを包括する形で 麹町区 以下の「15区」が編成されて,「東京」とはこの個々に独立した15区全体を総称する名前であるという状態が,1889年の市制施行で「東京市」が発足するまで続くわけです。

※これをまとめてて気がついたのですが,神田の「多町」は「たちょう」,芝の「田町」は「たまち」なのですね。
[51150] 2006年 5月 3日(水)18:11:29hmt さん
静岡県静岡静岡宿
[51090] 都市名を冠した町名の続編です。

[51058] inakanomozart さんの“静岡○○町”に誘発されて、角川の地名大辞典を見ていたら、「静岡宿」の項目に次の記載がありました。
明治2年から大正4年の町名。明治5年~22年は静岡を冠称。明治22年から静岡市の町名。江戸期からの伝馬町を改称。大正4年伝馬町と改称。

なるほど、明治2年6月20日奉行所から町年寄へのお達し“駿河府中静岡与御唱替被令候”で府中宿が静岡宿になり、明治4年に静岡藩が静岡県に、そして明治5年には城下町と宿場町とを含む市街地の町名に一律に「静岡」を冠称することにしたために、「静岡静岡宿」になってしまったのですね。

このような「冠称」、既に[51090]で明治22年市制施行都市の例を挙げましたが、同じく「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」によると、それ以後に市になった都市でも多数の事例を見出すことができます。
例えば、横手・本荘・鶴岡・酒田・宇都宮・前橋・高崎・八王子・横須賀・三崎・小田原・長岡・高田・新湊・魚津・氷見・八尾・七尾・小松・大聖寺・松任・敦賀・武生・小浜・大野・勝山・鯖江・丸岡・大垣・豊橋・大津・岸和田・洲本・尾道・福山

これらの中には、明治22年には高田を冠称する町のうち51町が高田町に、50町が高城村へという具合に一旦は別々の町村になり、その後両者の合併(明治40年)を経て高田市が誕生した(明治44年)といような経過をとったものもありますが、要するに極めて多くの都市では、明治の前期に、江戸時代からの市街地名を冠称した町名が使われていたことがうかがえます。

これらの大部分は明治22年の市制・町村制の際に市名や町村名になり、「冠称」としては消滅したものと思われますが、市制施行後も「冠称」が付けられた町名もあるのですね。

角川の地名大辞典には、明治12年に神戸区が125町1村で編成された後、
明治中期から旧神戸町の各町は神戸、旧兵庫津の各町および坂本村は兵庫を冠称
とあり、その後の明治22年には、神戸区と荒田村・葺合村が合併して65町、8大字を編成しているので、市制施行の際に町名整理が行なわれたことがうかがえます。

そして、この市制施行・町名整理の後にも、[51105] ニジェガロージェッツ さんが示してくださったように、昭和6年の区設置までの期間は「冠称」が使われ、葺合・平野・尻池など新種の冠称地名も登場しています。

町名に付く「冠称」は、その後も必要に応じて使われました。
東京でも35区が現行の区に統合された昭和22年に、中央区日本橋○○町や、港区赤坂○○町の類が多数できました。
最近の市町村合併で、たくさん生まれている旧自治体名を冠称する町名も、このように見てゆくと、過去の多くの事例からの流れであることを実感します。
[54626] 2006年 10月 28日(土)23:35:05hmt さん
屋敷跡が一時的に「原」になり、再開発によって消えた江戸の「原」地名
[54579] 今川焼 さん
“歴史上の「原」地名”としてまとめ、「原」コレクションの説明文にリンクを載せておくことにしました。

過去記事の中で触れた“歴史上の「原」地名”を補足しておきます。

薩摩原[35013]
薩摩鹿児島藩の江戸上屋敷は幸橋御門内(内幸町一丁目)にありましたが、幕府転覆をねらう薩摩藩士の活動拠点になっていたのは、三田の中屋敷でした。
慶応3年の師走(西暦では年が改まった1868年)、薩摩の挑発に乗せられた幕府軍は三田の薩摩藩邸を焼討ち。これが翌年正月の鳥羽伏見の戦いの導火線となりました。その焼け跡が「薩摩原」です。
明治になってから救育所、育種場などに一時的に利用されたこともありますが、1899年に創立した日本電気の工場がここにできました。(現在もNECの本社ビルが建っています。)
従って、20世紀になると既に「原」の面影は失われていたと思われますが、明治42年(1909)測図の地形図に、電車停留所「さつまはら」が残っていたことは既報の通りです。

「薩摩原」から少し脱線しますが、政権交代期の歴史の舞台として更に有名なのが、この近くの薩摩藩蔵屋敷です。現在の田町駅前。都営地下鉄の三田駅付近ですが、ここが海岸沿いだったからこそ蔵屋敷があるわけで、藩邸焼討ちも免れて残っていたのでしょう。
“歴史の舞台”とは、もちろん、江戸城総攻撃直前の慶応4年(1868)3月14日、勝海舟と西郷隆盛の会談で実現した無血開城です。これにより江戸は戦火を免れました。

長州ヶ原[35106]
岡本綺堂の御堀端三題(綺堂むかし語り に収録)には、次のように記されています。
それにつづく日比谷公園は長州屋敷の跡で、俗に長州ヶ原と呼ばれ、一面の広い草原となって取り残されていた。
日比谷公園の北西部にあたる位置で、長門萩藩の上屋敷跡です。明治4年の「東京大絵図」では、既に「陸軍操練所」と記されており、「長州ヶ原」の名を地図で確認することはできませんでした。

加賀原[41218]
市ヶ谷の台地に加賀屋敷があったのは明暦大火より前で、その後再開発されているので、「加賀原」だったのは、薩摩や長州よりもずっと古い時代でしょう。明治に復活した「市谷加賀町」との間には、長いブランクをはさんでいます。
なお、加賀上屋敷と言えば、ご存知赤門の本郷(東京大学)ですが、下屋敷は下板橋宿の東、石神井川沿いにありました。現在の板橋区加賀一丁目など。

大名屋敷の跡地の「原」としては、尾張徳川家の下屋敷跡もありますが、こちらは「尾張原」でなく、「戸山ヶ原」[34120]です。

牢屋ヶ原[34231]
大名屋敷跡が続きましたが、こちらは伝馬町の牢屋敷の跡。

大都市の中では、火災等により建物が失われた後、一時的に見通しのよい「原」が出現しますが、やがて再開発によって「原」は失われます。護持院ヶ原[34120]のように火除地になったために、18世紀から19世紀にかけての長期間、都心の「原」を維持したのは珍しい例でしょう。
[60880] 2007年 8月 28日(火)22:24:07【1】YSK さん
仙台における町と丁
[60853]ペーロケさん
(東二番丁通は;YSK補記)単に「東にある二本目の大きな通り」という意味なのかな
[60857]ペーロケさん
(東;YSK補記)2~5番丁はおよそ120mでほぼ等間隔に並んでいますね。ということは、やはり距離由来なのかな。
[60874]千本桜さん
仙台では武士が居住するのは「丁=ちょう」で、片平丁(かたひらちょう)や名懸丁(なかけちょう)と呼ばれていました。町民が住むのは「町=まち」で、南染師町(みなみそめしまち)や二日町(ふつかまち)と呼ばれていました。
千本桜さんのおっしゃるとおりで、仙台における通り名並びに町名における「丁」はほぼ例外なく城下町時代武士が居住していた町と言う意味です。東に二番目に割り出された武士の居住する町=東二番丁ということでしょうか。

※この部分追記です
なお、例外のひとつが「通町(とおりちょう)」です。元来旧奥州街道筋を総称して通町と称したのですが、後に町人町が次々に割り出されて、残された部分のみに通町の名が残りました。したがって、通町は仙台城下町における「町」と「丁」の原則が生成される前の名前の名残であると考えられます。
※追記終了

なお、お話の国分町ですが、現在は「こくぶんちょう」と呼ばれていますが、元来は「こくぶんまち」と呼ばれた町人町でした。こちらのページによりますと、

伊達政宗の仙台入府以前からこの地域を所領としていた國分氏に従った人々により成立した町であったため名づけられた。伝馬町で馬市が開かれていた。 商売上の特権を与えられて豪商の町として発展し、小間物商や薬屋、呉服屋などがあった。また本陣があり旅籠屋も多く、繁華街であった。

とのことです。なぜ「こくぶんまち」から「こくぶんちょう」に転訛したのかは分かりません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください!

[60854]牛山牛太郎さん
街路名が変わる以前の名称が書いてあります。
おそらく、「住所が現在の住居表示による町名に変わる以前」という意味だと思いますが、通り名としては現在も多くの道路で変更はなく、従来の名前で呼ばれていると思うのですね。細横丁→晩翠通、元常磐町~元柳町→西公園通、東五番丁~上杉山通→愛宕上杉通など、主に幹線道路で愛称が付されたことによる呼び名の変更はあります。

あと、ご紹介の地図、仙台駅北方にちゃんと「東六番丁」の表記がありますね。仙台駅=東六番丁というイメージって、どれくらいの年代の方までだったらもっていらっしゃるのでしょうか、ふと疑問に思ってしまいました。
[60893] 2007年 8月 29日(水)08:27:00inakanomozart さん
江戸の本町
[60843] 2007 年 8 月 27 日 (月) 22:26:59【1】 Issieさん
現在の「日本橋本町」は江戸橋から北へ昭和通りに沿いに四丁目まで,「日本橋本石町」は呉服橋から外堀通りの東側に四丁目まで となっているのですが,つまり江戸時代の町とは通りの向きが違うのですね。

「本町」は、家康が江戸入りして町割りをはじめたとき、まず最初に手をつけた地のようですね。
まさしく本町であったわけで、本当の江戸っ子とは本町生まれの者だけだとする説もあるようです。
江戸期では日光街道である本町三丁目、本町四丁目、大伝馬町一丁目と続くこの道は、今では小伝馬町の通りの裏道のような感じですが、薬問屋などがならぶ大変賑やかな町だったようですね。
今でも塩野義製薬など製薬関係の事業所が多いのはその名残なのでしょう。

「本町」が東西の通り沿いの町名から南北の向きの町名に変更されたのは昭和の始めのようで、多分関東大震災後の区画整理等で大幅に町名が変更された結果だったのでしょう。
旧日本橋区は、昔の町名が比較的残っている地域なのですが、それでも昭和の始めに大幅に整理統合されてしまった結果が残っているにすぎないのですね。
震災が奪ったものは、生命や物理的な財産ばかりではなかったというのは言いすぎでしょうか?
[67023] 2008年 10月 14日(火)23:59:07YSK さん
仙台駅
現在の仙台市街地における繁華街の核はJR仙台駅西口を中心としたエリアと、一番町通と中央通とによって構成されるアーケード街を中心としたエリア(中心は広瀬通一番町付近)とです。双方は約1キロメートルほど離れておりますが、アーケード街で有機的に繋がっているため、人々の動線が確保され、ほぼ一体的な市街地を構成しています。

[67019]Issieさん
お話を拝見いたしましたが、仙台経験が相対的に長い私の意見は少し違います。

まず、明らかな誤りは、「芭蕉の辻」は大町と東一番丁の交点ではなく、大町と奥州街道筋(現在の国分町通)の交点です。ちなみに、「一番丁通」「大町通」という表現も厳密に言えば誤りで、それぞれ「東一番丁」「大町」とするのが正しいです。仙台的な語感では、「○○通」というのは「○○」へ通じる道及びその道沿いの町という意味です。芭蕉の辻以南の奥州街道筋は「南町」と呼ばれていましたが、その南町へ通じる東西の通りが「南町通」と呼ばれました。この通りは市電通りとなったため戦前から拡幅されまして、現在でも仙台市街地における重要な通りとなっています。一見市街地の南側を貫通する通りだからその名があると錯覚しますが、本来は当時一大繁華街であった南町へと通じる通りであるという意味でして、市電開通前は本当に細い路地であったようです。

仙台城下町建設にあたって、ベースラインとなったものが、南北の奥州街道筋と東西の大町で、大町は仙台城大手門から広瀬川の大橋を経て、まっすぐ城下を東西に貫通する目抜き通りでした。その交点が「芭蕉の辻」と呼ばれ、高札場ともなった、仙台城下町の一大結節点でした。現在では相対的に市街地の中心部から外れ、多く集積してきた卸売業等の店舗も郊外の卸町等に移転し、やや寂れた印象のエリアとなっていますが、日銀仙台支店をはじめとした金融機関は現在でも集積していまして、町の中心たる面影もまた残すエリアです。

大町は東に向かって新伝馬町(しんてんまち)、名掛丁(ながけちょう)を経て二十人町、原町へと至り、陸前浜街道筋へと連接しました。城下町時代から近代にかけても多くの商店が集まる中心市街地として繁栄していました。この大町~新伝馬町~名掛丁のうち、一番町通以東が現在「中央通」と呼ばれるアーケード街となっています。

一方で、現在の仙台駅のあるエリアは、北東に祀られる東照宮から南へ、宮町、東六番丁、清水小路を経て、藩政期は大寺であった大年寺へと一直線に繋がる堂々たる門前町通が形成されていまして、この周辺を中心市街地内に組み込む都市軸として機能していました。宮町は現在でも東照宮に向かって直線的な道路としてあり、清水小路は、東五番丁と一体となり、現在の「愛宕上杉通」となっています。東六番丁はといいますと、実はこの通りこそ、現在の仙台駅のある場所にあたります。仙台駅舎及び鉄路は東六番丁筋をまるまるつぶす形で完成しております。結果として上述の門前町を連接する南北の通りは遮断され、また当時繁華街であった名掛丁も東西に分断され、仙台市街地の都市構造は大きな影響を受けることとなります。特に名掛丁東部以東の陸前浜街道筋はさびれていくこととなります。

以上のような認識から、仙台駅のある場所は必ずしも「町外れ」ではなく、当時栄えていた町場の一部をまさしく“縦断”し、当時の人々の感覚では中心市街地の一部を横切ったように映ったことと思います。まあ、中心市街地の本当に中心という意味ではやや東にずれた位置ではありますが・・・。せめて宮町~東六番丁~清水小路の幹線を壊すことなく、その東に隣接して駅ができればまた違っていたのでしょうが、既存の住宅地域をなるべく壊さないように鉄路を通すため、当時直線的に繋がっていて土地を確保しやすかった東六番丁が駅舎の適地とされたのでしょう。

なお、

当初は長町方面からほぼ直線に現在の 宮城野貨物駅 付近を通過してそこに駅を設置する計画であったものを,住民の運動によって市街地に“できるだけ近いところ”まで線路を引き込んで,現在の位置に駅が設置されることとなった,という話が伝えられています。

というご説明は、仙台関連の多くの書籍で散見される内容ですね。

なお、仙台駅東口は「東○番丁」などの町場が割り出された足軽などの居住地及び市街地から移転された寺院が集積する寺町(新寺地区や連坊地区)でして、戦災が少なかったことから高度経済成長期も低層の住宅地域や寺院、近隣商業エリアが交錯するエリアでしたが、1970年代半ば頃から順次土地区画整理事業が進められ、「宮城野通」を中心とした現代的な都市地域へと生まれ変わりました。現在は、旧仙石線の鉄路が通ったエリアより北、二十人町から鉄砲町にかけてのエリアで土地区画整理事業が進行中で、完成の暁には、西口の広瀬通と繋がった一大幹線道路がエリアを貫通する予定となっています。
[67107] 2008年 10月 23日(木)23:55:15【1】YSK さん
商店街の範囲に息づく旧町名
本日あたりから雨が降り始めた当地ですが、ここのところ穏やかな陽気が続いていたことから、週末ごとにフィールドワーク活動を行うようになりました。最近は東京に凝っておりまして、ちまちまと出かけておりました。また、今年は5年ぶりに原点に返って、あのエリアを重点的に再訪したいと考えています。

[67068]ペーロケさん
仙台へのレスありがとうございます。今年は既に3回も仙台に出かけておりまして、ここ数年の町の急激な変化をつぶさに見つめています。超高層ビルが増えてきたこと、有名海外ブランドのショップが出店するようになったこと・・・。数年前の仙台では考えられないような変化が起こっています。

土地勘がない故に、具体的な地名を言われてもピンと来なかったのですが、地図を片手に

そうですね、私が[67023]でご紹介した旧町名はほとんど住所地名として現存していませんから、なおさら分かりにくかったかもしれません。しかしながら、見かけ上は目立たなくなった旧町名も、意外な部分で今も息づいております。それが商店街の区分です。

芭蕉の辻(国分町通<南北の通り>と中央通<東西の通り>の交点)から東へ、一番町通り(かつての東一番丁)との交点から東二番丁までが「マーブルロードおおまち」商店街で、旧町名の「大町五丁目」にあたるようです(仙台城から近い順に大町頭、大町一丁目、・・・、大町五丁目までありました)。さらに東へ、東五番丁(現在の愛宕上杉通)の手前までが「クリスロード商店街」で、これは旧新伝馬町の範囲に符合します。そして、ここから東が「ハピナ名掛丁」商店街で、これは旧町名「名掛丁」が商店街の名前に生きていますね。名掛丁はこの地点で鉄路で分断されておりまして、線路の東側には西口では旧町名となった「名掛丁」が現役の町名として残っています。

このように、商店街の範囲に仙台城下町時代の町名の範域が残っているわけです。

ちなみに、リンクしたヤフー地図では「ぶらんどーむ一番町」商店街は青葉通まで達しているように記入されていますが(こちら)、これは現地に行けば分かりますが誤りでして、ぶらんどーむは中央通(かつての「大町」)との交点(藤崎デパート北西隅)までとなります。ここから南が「サンモール一番町」商店街で、青葉通を越えて南町通まで続いております。現在の幹線道路である青葉通ではなく、仙台城下町の伝統的な目抜き通りであった大町(中央通)が商店街の境界となっていることも、大町が仙台においてどのような位置づけにあったとおりであったかを物語っているように感じられて、たいへん興味深いです。

[67034]Issieさん
メッセージありがとうございます。今月上旬に仙台に行った際、お話の展示会の開催を知らせる旗を名掛丁で見かけました。開催前で残念ながら見ることはできませんでした。地図中心、興味深そうですね。手に入れてみようかなと思います。

[67051]千本桜さん
メッセージありがとうございます。名掛丁のミスのご指摘、ありがとうございます。手近にさまざまな資料があるのに確認を怠ってしまいました・・・。以前[66651]でお話しした仙台駅の東西自由通路は、まさに名掛丁のルートに当たりますね。これまでは暗く夜中通るのが恐い地下通路しかなかった部分に、明るい自由通路が完成しました。
[67197] 2008年 11月 5日(水)02:00:29YT さん
江戸時代の府城(仙台)の人口
名古屋[67059]、金沢[67090]に続き、江戸時代の地方都市の代表として仙台の人口を調べてみましたが、色々苦労しています。

関山直太郎氏の『近世日本の人口構造』には以下の仙台の人口が記載されています。

年号西暦町方人口
寛保2年1742年20,374
天明6年1758年11,610
享和年間1802年頃13,302
文政8年1825年13,749

然るに関山氏が元資料として掲げている高橋梵仙氏の『日本人口史之研究』、小野均氏『近世城下町の研究』、豊田武氏『日本の封建都市』に上記人口の記載は見つかりませんでした。よってこれらの数字の本来の出典は不明です。

それとは別に豊田氏の『日本の封建都市』には明和9年(1764年)の数字として町方戸数2385戸、町方人口2万3098人というのが載っております。出典は『封内風土記』となっておりますが、これは1772年頃に仙台藩の田辺希文が編纂したものだそうです。明治になって活字化された鈴木省三校訂本を読んだところ(原文は漢文)、府城25町の人口の内訳は以下の通りです。

府城25町町方戸数町方人口
大町1492,441
肴町821,285
南町81935
立町981,219
柳町46687
荒町921,133
国分町1131,672
旧材木町48675
北材木町821,007
北目町62793
二日町68926
両染師町86704
田町48483
伝馬町53796
穀町32287
南材木町64578
河原町46707
南鍛冶町65616
北鍛冶町52440
宮町117779
亀岡町30164
大崎八幡町901,341
支倉澱橋町26370
処々士宅・廃地・市店89441
処々寺院門前市店6662,619
合計2,38523,098

「処々士宅・廃地・市店」が何を意味するのか私には詳しく判りませんが、武家地に点在する町方人員のことを意味するのでしょうか?同様に「処々寺院門前市店」は寺社方支配場内に住む町方人口のことだと推測しますが、違うかも知れません。

自分がざっと見た限り、これらの調査人口が明和九年のものだとはどこにも書いてありませんでした。ただ『封内風土記』は全編漢文ですので、見落としがあるかも知れません。

武家人口は不明ですが、豊田武氏によると「町屋敷の戸数は約1,400戸、人口約14,000人、侍屋敷の戸数は門閥以下処職人に至るまで8,900余戸(寛文元年仙台士名元牒)であるから、その人口は一家5人として44,000余人に当り、総戸数10,300余戸、総人口58,000余人となる。」

明治2年の仙台藩の華士卒族の人口は4万9422人ですが、約15%が江戸在住、約80%が城下在住と仮定しますと、大体4万人の武士階級が城下に住んでいたことになり、仙台は江戸時代人口6万人前後の都市であったと推測されます。というのは私の概算です。

武家人口の推定を含め、残りの資料は多分『仙台市史』当たりに収録されていそうですが、機会があれば調べてみます。
[67508] 2008年 12月 5日(金)03:11:10【1】YT さん
仙台藩の人口 -1-
ほぼ一カ月ぶりに[67197]の続きをまとめます。

先月、今月と当分忙しく、ここ暫く文献調査の機会がほとんどない状況です。

江戸時代の仙台の人口を調べる過程で、
(1) 1772年頃に仙台藩の田辺希文が編纂した『封内風土記』
に記載の仙台の人口を[67197]にまとめましたが、このほか仙台藩時代の人口に関しては、
(2) 玉山勇「江戸時代の人口問題 ―仙台藩の場合―」 『国民経済雑誌』 1942
年、73巻(1号)、pp. 63-94.
(3) 『宮城県史』
にまとまっておりましたので以下紹介します。

まず仙台藩の身分別人口は以下の5年間分伝わっております。

元号元禄8年寛保2年天明6年享和2年文政8年
西暦1695年1742年1758年1802年1825年
惣人高819,749816,061596,282639,070687,802
御一門並諸士諸組付諸職人202,541182,678130,509140,438146,352
仙台寺院人高2,8846,2494,0074,4964,695
 内出家631863594652710
 内俗2,2535,3863,4133,8403,985
御郡方人高542,268559,204411,496440,799481,180
近江国御知行所人高9,0958,9177,9828,0898,129
常陸国御知行所人高10,1949,2997,6117,3587,402
下総国御知行所人高155143147150
仙台御町方人高22,70620,37411,61013,30313,749
一関御家中人高3,3752,8922,6652,7703,113
一関御知行所人高26,69426,29320,25921,67123,032
惣人高と合計の差81

江戸時代武家および使用人の人口は幕府の統計からも除外されていましたが、このように各藩の内部資料には武家・使用人の人口統計が残っています。なお仙台藩の場合は少数の被差別階級の人口が別扱いになっていたようですので、藩が把握していても「惣人高」に加えていない人口が若干あったようです。一関藩は仙台藩の支藩で、仙台藩の「惣人高」に加えられています。
仙台藩は陸奥国の他、近江国、常陸国、下総国にも飛び地を領有しており、御郡方人高(=陸奥国御知行所人高)、近江国御知行所人高、常陸国御知行所人高、下総国御知行所人高、一関御知行所人高の5箇所が仙台を除く郡方の人口です。
一方仙台の人口に関しては仙台御町方人高(町方人口)と仙台寺院人高(寺社方人口)が判明しております。
「御一門並諸士諸組付諸職人」とされる武家・使用人人口は地方に暮らす半農の郷士の人口を含んでおり、城下に暮らす御一門などの武家人口が不明です。ただ町方戸数2385戸に対し、侍屋敷の戸数は8900余戸と伝わっており、仙台府内の武家・武家使用人人口は4万4千人程度と推測されています。

一方[67197]でまとめた『封内風土記』には仙台藩の封内(陸奥国領内)のみの人口がまとめられおり、改めて紹介すると以下の通りです。

仙台城下町または郡諸士並諸士家僕町人百姓
大町2,441
肴町1,285
南町935
立町1,219
柳町687
荒町1,133
国分町1,672
旧材木町675
北材木町1,007
北目町793
二日町926
両染師町704
田町483
伝馬町796
穀町287
南材木町578
河原町707
南鍛冶町616
北鍛冶町440
宮町779
亀岡町164
大崎八幡町1,341
支倉澱橋町370
処々士宅廃地支店441
処々寺院門前市店2,619
宮城2,95031,141
名取2,10331,324
柴田1,89618,953
刈田15,44611,970
伊具7,39618,614
亘理8,4438,839
宇多3234,139
黒川2,61510,813
加美1,29715,003
玉造3,0678,710
桃生3,85932,757
牡鹿27931,786
本吉42142,612
登米6,79523,193
志田6,18214,923
遠田12,29012,832
栗原6,48365,621
胆沢6,32330,876
磐井3,92355,396
気仙16328,309
江刺2,77032,553
合計95,02423,098530,364

つまり明和9年(1764年)の仙台藩には地方に9万5024人の郷士・使用人が暮らしていたことになります。寛保2年(1742年)の武家・使用人人口は一関藩を除く4国で合計18万2678人ので、人口差の8万人がそのまま仙台に住んでいたと仮定すると仙台城下の人口は10万人を越えてしまいますが、まあ『封内風土記』の武家・使用人人口は色々漏れがありそうですので、この推論は成立しないでしょうね。
[68793] 2009年 3月 9日(月)00:03:55YT さん
明治6年1月1日調「名邑」の人口 (3)
[68779][68786] 白桃さん
需要があったようでなによりです。ただこうやって『日本地誌提要』をまとめていると、明治8年の『共武政表』との間で数値に細かい矛盾があったり、基本は本籍人口なのに一部現住人口が混じったりと、色々『日本地誌提要』のデータも問題があるようです。

なお県庁・支庁が置かれたところも「名邑」として一括してまとめています。
以下[68752]の続きです。県庁・支庁のまとめ方を少し変えました。

名邑旧国戸口人口市坊・備考
五別所(実質は大津)近江滋賀郡4,85817,924市坊106,大津に隣接す,市坊戸口大津を合算す,滋賀県県庁滋賀郡五別所村
膳所近江滋賀郡1,3706,371市坊19
堅田近江滋賀郡4572,274市坊を置かず
大溝近江高島郡4401,970市坊27
水口近江甲賀郡1,2154,914市坊42
八幡近江蒲生郡1,8585,893市坊65
日野近江蒲生郡1,1654,209市坊34,村井村・大久保村・松尾村を併せ日野町と云
西大路(仁正寺)近江蒲生郡4201,646日野の東に接す[註:統計上日野に含まれるか不明確]
彦根近江犬神郡6,56424,368市坊121,滋賀県支庁犬神郡彦根金亀町
長浜近江坂田郡1,3795,369市坊55
高須美濃石津郡8613,514市坊7
大垣美濃安八郡2,40510,158市坊44
今尾美濃安八郡6933,151市坊15
竹鼻美濃羽栗郡7513,195市坊14
笠松美濃羽栗郡1,0344,136市坊15
今泉(実質は岐阜)美濃厚見郡2,60010,800市坊80,岐阜町に接す,市坊戸口岐阜を合算す,岐阜県県庁厚見郡今泉村
加納美濃厚見郡1,1645,083市坊27
北方美濃本巣郡6202,493市坊12
美濃武儀郡9633,730市坊32
上有方美濃武儀郡8073,328市坊13
八幡美濃郡上郡1,1395,364市坊11
岩村美濃恵那郡4181,947市坊14
苗木美濃恵那郡4682,262市坊5
中津川美濃恵那郡5982,586市坊6
高山飛騨大野郡3,63813,081市坊35,筑摩県支庁大野郡高山西川原町
古川飛騨吉城郡6793,040市坊9
船津飛騨吉城郡3361,421市坊1
松本信濃筑摩郡3,27914,275市坊43,筑摩県県庁筑摩郡松本旧城内
福島信濃筑摩郡6542,817市坊5
飯田信濃伊那郡2,1548,944市坊20,筑摩県支庁伊那郡飯田旧城内
高遠信濃伊那郡6332,366市坊12
大町信濃安雲郡7442,921市坊14
高島信濃諏訪郡1,1255,209市坊12
下諏訪信濃諏訪郡8233,451市坊7
長野信濃水内郡1,8236,928市坊18,善光寺に連なる,長野県県庁水内郡長野町
飯山信濃水内郡1,3155,736市坊15
須坂信濃高井郡6212,492市坊8
松代信濃埴科郡2,1567,976市坊31
上田信濃小県郡1,7376,019市坊27
岩村田信濃佐久郡6642,681市坊1,長野県支庁佐久郡岩村田上之城
小諸信濃佐久郡1,3936,152市坊18
安中上野碓氷郡8543,159市坊1
高崎上野群馬郡3,63911,285市坊44,熊谷県支庁群馬郡高崎宮本町
前橋上野群馬郡3,62815,063市坊43
富岡上野甘楽郡5071,454市坊9
藤岡上野緑野郡1,0473,216市坊14
沼田上野利根郡1,0673,828市坊13
桐生上野山田郡1,0033,894市坊7
伊勢崎上野佐位郡8323,362市坊17
太田上野新田郡5061,356市坊8
館林上野邑楽郡2,0309,007市坊28
佐野(天明町)下野阿蘇郡1,1334,960市坊4
足利下野足利郡5102,124市坊26,栃木県支庁足利郡足利町四丁目
栃木下野都賀郡9323,968市坊8,栃木県県庁都賀郡栃木園部村
日光下野都賀郡7373,132市坊13
鹿沼下野都賀郡1,01015,061市坊15,[註:人口は宇都宮と同じで誤植の可能性大]
壬生下野都賀郡8233,976市坊7
小山下野都賀郡4021,715市坊6
宇都宮下野河内郡3,53115,061市坊49,栃木県支庁河内郡宇都宮伝馬町
真岡下野芳賀郡4131,744市坊6
大田原下野那須郡5772,284市坊15,栃木県支庁那須郡大田原上町
烏山下野那須郡5492,435市坊7
黒羽下野那須郡3162,050市坊3
[78467] 2011年 6月 2日(木)12:38:59むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)東京府(その2)
[78466]の続きです。

●四谷区
四谷伝馬町一丁目, (略), 四谷永住町, 鮫「河」橋谷町一丁目, 鮫「河」橋谷町二丁目, 元鮫「河」橋町, 元鮫「河」橋南町, 麹町十一丁目, 麹町十二丁目, 麹町十三丁目, 南豊島郡 千駄ヶ谷村「の一部」, 内藤新宿一丁目「の一部」, 内藤新宿添地町「の一部」
は#34、#28との関係上もあり、
四谷伝馬町一丁目, (略), 四谷永住町, 鮫「ヶ」橋谷町一丁目, 鮫「ヶ」橋谷町二丁目, 元鮫「ヶ」橋町, 元鮫「ヶ」橋南町, 麹町十一丁目, 麹町十二丁目, 麹町十三丁目, 「市谷片町」, 南豊島郡 千駄ヶ谷村「(微)」, 内藤新宿一丁目「(微)」, 内藤新宿添地町「(微)」
ではないでしょうか。
まず府令第25号(PDF)(M22.4.11)1-2コマより四谷区外より編入されたのは南豊島郡 千駄ヶ谷村「(微)」, 内藤新宿一丁目「(微)」, 内藤新宿添地町「(微)」だけだと分かります。
次に、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では「市谷片町」は四谷区ではなくて牛込区となっています。
しかしながら東京府甲第107号布達(PDF)(M13.9.27)で市谷片町は牛込区より四谷区へ編入しています。地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でもM19.1.現在では「市谷片町」は四谷区にあります。
そして現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも「市谷片町」は四谷区にあり、M13.9.東京府甲第107号布達で牛込区より四谷区に編入とあります。
「河」or「ヶ」については(3)と(4)の記載にある「ヶ」としました。

●牛込区
市「ヶ」谷田町一丁目, 市「ヶ」谷田町二丁目, 市「ヶ」谷田町三丁目, 市「ヶ」谷本村町, 市「ヶ」谷「砂」土原町一丁目, 市「ヶ」谷「砂」土原町二丁目, 市「ヶ」谷「砂」土原町三丁目, 市「ヶ」谷左内坂町, 市「ヶ」谷加賀町一丁目, 市「ヶ」谷加賀町二丁目, 市「ヶ」谷甲良町, 市「ヶ」谷薬王寺前町, 市「ヶ」谷谷町, 市「ヶ」谷富久町, 市「ヶ」谷船河原町, 市「ヶ」谷長延寺谷町, 「市ヶ谷片町」, 市「ヶ」谷鷹匠町, 市「ヶ」谷山伏町, 市「ヶ」谷柳町, 市「ヶ」谷仲ノ町, 市「ヶ」谷河田町, 神楽町一丁目, 神楽町二丁目, 神楽町三丁目, 市「ヶ」谷八幡町, 牛込細工町, (略), 牛込喜久井町, 「牛込」下戸塚町, 牛込白銀町, (略), 大久保余丁町, 「南豊島郡 牛込早稲田村」, 「牛込改代町」, 「牛込水道町」

市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町, 神楽町一丁目, 神楽町二丁目, 神楽町三丁目, 市谷八幡町, 牛込細工町, (略), 牛込喜久井町, 下戸塚町, 牛込白銀町, (略), 大久保余丁町, 「牛込改代町」, 「牛込水道町」, 「南豊島郡 牛込早稲田村」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより牛込区外より編入されたのは南豊島郡 牛込早稲田村だけだと分かります。
次に新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では市「ヶ」谷田町一丁目, 市「ヶ」谷田町二丁目, 市「ヶ」谷田町三丁目, 市「ヶ」谷本村町, 市「ヶ」谷「佐」土原町一丁目, 市「ヶ」谷「佐」土原町二丁目, 市「ヶ」谷「佐」土原町三丁目, 市「ヶ」谷左内坂町, 市「ヶ」谷加賀町一丁目, 市「ヶ」谷加賀町二丁目, 市「ヶ」谷甲良町, 市「ヶ」谷薬王寺前町, 市「ヶ」谷谷町, 市「ヶ」谷富久町, 市「ヶ」谷船河原町, 市「ヶ」谷長延寺谷町, 市「ヶ」谷鷹匠町, 市「ヶ」谷山伏町, 市「ヶ」谷柳町, 市「ヶ」谷仲ノ町, 市「ヶ」谷河田町と「ヶ」があります。そして「市ヶ谷片町」もあります。また「牛込」下戸塚町と「牛込」の記載があります。ただし、「牛込改代町」, 「牛込水道町」は“仝”との記載が無いので南豊島郡ではなくて牛込区ということが分かります。
しかし地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町と「ヶ」がありません。「市ヶ谷片町」は牛込区ではなくて四谷区に「市谷片町」があります(四谷区の所で記載)。33コマで下戸塚町と「牛込」の記載がありません。また「牛込改代町」, 「牛込水道町」は南豊島郡ではなくて牛込区にあります。
現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)では四谷区に「市谷片町」あり(M13.9.東京府甲第107号布達で牛込区より四谷区に編入)。381~382コマで市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町と「ヶ」がありません。また「市ヶ谷片町」は牛込区ではなくて四谷区に「市谷片町」があります(四谷区の所で記載)。383コマで下戸塚町と「牛込」の記載がありません。384コマで「牛込改代町」, 「牛込水道町」は南豊島郡ではなくて牛込区にあります。
「砂」or「佐」については(3)と(4)の記載にある「佐」としました。

●小石川区
小石川竹早町, (略), 小石川大塚上町, 小石川大塚辻町, 小石川春日町, (略), 桜木町, 音羽一丁目, 音羽二丁目, 音羽三丁目, 音羽四丁目, 音羽五丁目, 音羽六丁目, 音羽七丁目, 音羽八丁目, 音羽九丁目, 東青柳町, 西青柳町, (略), 関口町, 高田老松町, 高田豊川町, 雑司ヶ谷町, 巣鴨原町一丁目, (略), 巣鴨駕籠町, 北豊島郡小石川村, 雑司ヶ谷村「の一部」, 巣鴨村「の一部」, 高田村「の一部」
は#47、#46との関係上もあり、
小石川竹早町, (略), 小石川大塚上町, 小石川大塚辻町「(本)」, 小石川春日町, (略), 桜木町, 音羽「町」一丁目, 音羽「町」二丁目, 音羽「町」三丁目, 音羽「町」四丁目, 音羽「町」五丁目, 音羽「町」六丁目, 音羽「町」七丁目, 音羽「町」八丁目, 音羽「町」九丁目, 東青柳町, 西青柳町, (略), 関口町, 高田老松町「(本)」, 高田豊川町「(本)」, 雑司ヶ谷町「(本)」, 巣鴨原町一丁目, (略), 巣鴨駕籠町, 北豊島郡小石川村「(微)」, 雑司ヶ谷村「(微)」, 巣鴨村「(微)」, 高田村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより小石川区外より編入されたのは北豊島郡小石川村「(微)」, 雑司ヶ谷村「(微)」, 巣鴨村「(微)」, 高田村「(微)」だけだと分かります。
また、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)のいずれでも音羽「町」一丁目, 音羽「町」二丁目, 音羽「町」三丁目, 音羽「町」四丁目, 音羽「町」五丁目, 音羽「町」六丁目, 音羽「町」七丁目, 音羽「町」八丁目, 音羽「町」九丁目と「町」があります。

●本郷区
本郷一丁目, (略), 本郷春木町三丁目, 本郷本富士町「一丁目」, 本郷元町一丁目, (略), 本郷森川町, 「本郷」龍岡町, 湯島一丁目, 湯島四丁目, (略), 向ヶ丘弥生町, 北豊島郡 下駒込村, 日暮里村「の一部」
は下谷区、#42との関係上もあり、
本郷一丁目, (略), 本郷春木町三丁目, 本郷本富士町, 本郷元町一丁目, (略), 本郷森川町, 龍岡町, 湯島一丁目, 「湯島二丁目」, 「湯島三丁目」, 湯島四丁目, (略), 向ヶ丘弥生町, 北豊島郡 下駒込村「(本)」, 日暮里村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより本郷区外より編入されたのは北豊島郡 下駒込村「(本)」, 日暮里村「(微)」だけだと分かります。
次に新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では本郷本富士町, 「本郷」龍岡町となっています。
しかしながら、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では本郷本富士町, 龍岡町となっています。
また現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも本郷本富士町, 龍岡町となっています。

「湯島二丁目」, 「湯島三丁目」の有無ですが、本郷区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…63町
東京府統計書明治16_17年M16_17…63町
東京府統計書明治18年M18…63町
地方行政区画便覧M19.1.…63町
東京府統計書明治19年M19…65町
東京府統計書明治20年M20…65町
東京府統計書明治21年M21…65町
となっています。
明治19年頃に2町が増えていますが、これは東京府令第9号(PDF)(M19.8.14)にて湯島二丁目、湯島三丁目が増えたものと考えられます。

●下谷区
下谷二長町, (略), 下谷金杉下町, 下谷三ノ輪町, 下谷善養寺町, 下谷町一丁目, 下谷町二丁目, 練塀町, 「上野公園地」, 上野町一丁目, (略), 谷中町, 北豊島郡 日暮里村「の一部」, 谷中村, 金杉村「の一部」, 下駒込村「の一部」, 下谷竜泉町, 千束村「の一部」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「の一部」
は本郷区、浅草区、#40、#36、#42との関係上もあり、
下谷二長町, (略), 下谷金杉下町, 下谷三ノ輪町「(本)」, 下谷善養寺町, 下谷町一丁目, 下谷町二丁目, 練塀町, 上野町一丁目, (略), 谷中町, 北豊島郡 日暮里村「(微)」, 谷中村, 金杉村「(微)」, 下駒込村「(微)」, 下谷竜泉町, 千束村「(微)」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「(微)」, 「坂本村(本)」
ではないでしょうか。
府令第25号(PDF)(M22.4.11)2-3コマより下谷区外より編入されたのは北豊島郡 日暮里村「(微)」, 谷中村, 金杉村「(微)」, 下駒込村「(微)」, 下谷竜泉町, 千束村「(微)」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「(微)」, 「坂本村(本)」だけだと分かります。
#坂本村or阪本村ですが、(1)を最優先に採用という方針に従い、(2)の阪本村ではなく(1)の坂本村という表記に従いました。

「上野公園地」の有無ですが、下谷区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…71町
東京府統計書明治16_17年M16_17…69町
東京府統計書明治18年M18…69町
地方行政区画便覧M19.1.…69町
東京府統計書明治19年M19…68町
東京府統計書明治20年M20…68町
東京府統計書明治21年M21…68町
となっています。
明治16年頃に谷中七面前町、谷中片町が合併で消滅したために71町から69町へと減少しました。その後、明治19年頃に1町が減少していますが、これは上野公園地が町ではなくなったからと推測しました。

次稿へ続きます。
[79282] 2011年 8月 30日(火)06:43:52千本桜 さん
仙台区町名
明治41年発行「仙台市史」を引用しながら仙台区の町について書き込みます。仙台市史は「行政組織及び区画の沿革」について
明治11年7月22日布告第17号を以て郡区町村編成法を発布せられ、庁下を仙台区と称し、区長一員を置かる、是に於いて仙台は一の独立行政区となれり、此年11月区内を5部に分ち毎部町場持4人乃至6人を置き、部内を4分又は6分して布告布達等の事務を取扱はしむ、之を区行政の区画とする
として、5部(5つの地域ブロック)と253の町名を記載しています。この数字は要注意です。東西に長く延びた北一番丁などは町域が2つのブロックに跨がっていて、各々のブロックに北一番丁が載っいています。つまり重複記載です。このような町名が25ありますから、253-25=228で実際は228町になります。なお、仙台市史は町数の合計を記載していないので、私が町名を追いながら算出しました。検算していますが2、3の漏れがある可能性も考えられます。

明治14年4月15日、仙台区と宮城郡南目、荒巻、小田原各村の内、地所交換、(中略)同年10月24日、1名称にして数町に亘る市街区分を左の如く定めらる
として、町名と各々の町を細分した丁目を記載しています。町の延長が短い南町などは1丁目から2丁目まで。延長が長い北二番丁などは1丁目から14丁目まであります。これに記載された町の名称は140。丁目の合計は402です。この場合、町数を140とするか402とするか迷いますが、私は140町とするのが自然だと思います。

明治15年10月行政区画を改めて、各町組合を設け組毎に組長1人を置き、
明治18年4月1日之を更正して140組とし、(中略)
明治18年10月15日追廻組を中ノ町組に合併、
明治19年2月13日更に改めて56組とし、
明治19年3月29日北七番丁(堤通東)を北二、三、四、五、六番丁東組に、北七、八、九番丁(通町東 堤通西)を通町組に変更せり、其の名称及区画は左の如し
として、56組207町の名称を記載しています。207町の名称は次のとおりです。
河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢, 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁

而して区は22年3月31日更に区域を変更すること左の如し
として、下記の5村から各々土地の一部を編入したとしています。
宮城郡荒巻村の一部(字山上清水, 字滝前, 字宮裏, 字上郡山, 字中丿沢)
宮城郡小田原村の一部(字小野田, 字杉山)
宮城郡南目村の一部(字柳沢, 字二軒茶屋)
宮城郡南小泉村の一部(字八軒小路, 字行人塚, 字五ツ谷, 字桃源院東, 字鍛冶屋敷, 字広瀬川橋下)
名取郡長町村の一部(字窪谷地の一部)
また、
仙台区宮沢の一部を名取郡茂ヶ崎村に編入
仙台区北六番丁の一部を宮城郡原町に編入
とあります。

以上のことから、仙台区の町村として市区町村変遷情報に乗せるべきは、掲載した207の町名および明治22年3月31日に行われた区画変更の情報だと思います。

(注):207町について。原文のまま書き出せれば良いのですが、
1・誤字脱字が見受けられること。
2・複数の組に跨がる町は重複して町名が記載されていること。
3・同名の町名があり、それを区別表記をしなければならないこと。
そのような理由があり、私が手を加えています。

88さん
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等ですが、この表組を普通に読めば、「明治22年(1889年) 3月31日に仙台区, 仙台区新河原町, 新弓ノ町,(以下省略)が合併して仙台区が新設された。」になります。表組作成にもう一工夫必要かなと思いました。
[79548] 2011年 10月 22日(土)07:45:38【1】デスクトップ鉄 さん
駅名も由来の一つである自治体名・再考
[79369][79377][79388]で書いた「駅名も由来の一つである自治体名」について、あらためて現在まで存在した908市(数え違いがあるかもしれません)の駅名と市名の関係を調べてみました。

908市のうち過半数の475市が市誕生時に同名の駅が存在しました(異体字やノ、ケなど有無も同名とした。また*町駅を含む)。なお、駅名と一致しない市名を採用した市のうち、同日またはその後に駅名を市名に一致させた例(*市駅を含む)が80市あります。このように平成の大合併までは、駅名と市名の親和性は非常に高かったといえます。

「駅名も由来の一つ」には、市誕生時に同名の駅が存在した475市のすべてが該当するともいえるでしょう。[76369][79377]では、由来度の高そうなものとして、市誕生にあたって旧自治体名を駅名に合わせて変更した14市をリストしました。このほか、みなさんから指摘があった市を含めてこの範疇に該当する市は次のとおりです。

市名市名誕生日旧市町村名駅名誕生日駅名駅開業日駅名
静岡市1889/04/01静岡追手町ほか1889/02/01静岡
京都市1889/04/01寺之内竪町ほか1877/02/26京都
大阪市1889/04/01土佐堀通一丁目ほか1874/05/11大阪
姫路市1889/04/01姫路小利木町ほか1888/12/23姫路
岐阜市1889/07/01岐阜米屋町ほか1888/12/15岐阜1887/01/21加納
松山市1889/12/15松山唐人町一丁目ほか1888/10/28松山(伊予鉄)
岡谷市1936/04/01平野村1905/11/25岡谷
芦屋市1940/11/10精道村*1913/08/01芦屋
大和高田市1948/01/01高田町1941/03/15大和高田1925/03/21高田→大軌高田
富士吉田市1951/03/20下吉田町,富士上吉田町ほか1929/06/19富士吉田(旧)
近江八幡市1954/03/31八幡町ほか1919/03/11近江八幡1889/07/01八幡
瑞浪市1954/04/01瑞浪土岐町*ほか1902/12/21瑞浪
天理市1954/04/01丹波市町ほか1915/02/07天理(近鉄)
常陸太田市1954/07/15太田町ほか1927/12/01常陸太田1899/04/01太田
伊予三島市(旧)1954/11/01三島町ほか1917/09/16伊予三島
会津若松市1955/01/01若松市1917/05/21会津若松1899/07/15若松
陸前高田市1955/01/01高田町ほか1933/12/15陸前高田
宇島市(旧)1955/04/10八屋町ほか1907/11/01宇島1897/09/25宇ノ島
各務原市1963/04/01稲葉郡那加町,稲羽町,鵜沼町,蘇原町1920/11/01各務ヶ原
藤井寺市1966/11/01美陵町*1922/04/18藤井寺
上福岡市(旧)1972/04/10福岡町1914/05/01上福岡
常陸大宮市2004/10/16大宮町ほか1918/10/23常陸大宮

さらに、旧町村時代にさかのぼって駅名を採用した市は、次の通り。
市名市名採用日自治体名駅名誕生日駅名駅開業日駅名
浜松市1889/03/01浜松町←浜松旅籠町ほか1888/09/01浜松
川崎市1889/03/31川崎町←新宿町ほか1872/07/10川崎
宇都宮市1889/04/01宇都宮町←宇都宮伝馬町ほか1885/07/16宇都宮
前橋市1889/04/01前橋町←前橋曲輪町ほか1884/08/20前橋(初代)
高崎市1889/04/01高崎町←高崎宮元町ほか1884/05/01高崎
桐生市1889/04/01桐生町←桐生新町ほか1888/11/15桐生
高田市(旧)1889/04/01高田町←高田下紺屋町ほか1886/08/15高田
敦賀市1889/04/01敦賀町←松栄町ほか1882/03/10敦賀
大津市1889/04/01大津町←大津元会所町ほか1880/07/15大津(初代)
明石市1889/04/01明石町←明石西本町ほか1888/11/01明石
大垣市1889/07/01大垣町←大垣郭町ほか1884/05/25大垣
豊橋市1889/10/01豊橋町←豊橋船町ほか1888/09/01豊橋
岡崎市1889/10/01岡崎町←岡崎康生町ほか1888/09/01岡崎
新井市(旧)1890/06/27新井村←大崎村*の一部1886/08/15新井
鎌倉市1894/07/07鎌倉町←西鎌倉村, 東鎌倉村1889/06/16鎌倉
門司市(旧)1894/08/01門司町←文字関村*1891/04/01門司
下松市1901/03/01下松町←豊井村1897/09/25下松
砂川市1903/08/22砂川村←奈江村1891/07/05砂川
鳥栖市1907/03/19鳥栖町←轟木村*1899/12/11鳥栖
藤沢市1908/03/20藤沢町←藤沢大坂町ほか1887/07/11藤沢
袋井市1909/01/01袋井町←山名町*1889/04/16袋井
黒磯市(旧)1912/04/01黒磯町←東那須野村の一部1886/12/01黒磯
逗子市1913/04/05逗子町←田越村*1889/06/16逗子
篠ノ井市(旧)1914/04/21篠ノ井町←布施村1888/08/15篠ノ井
御殿場市1914/08/01御殿場町←御厨町*1889/02/01御殿場
名寄市1915/11/01名寄町←上名寄村1903/09/03名寄
八日市場市(旧)1915/12/08八日市場町←福岡町*1897/06/01八日市場
秩父市1916/01/01秩父町←大宮町1914/10/27秩父
西脇市1917/11/01西脇町←津万村*1913/08/10西脇
夕張市1918/02/11夕張町←登川村1892/11/01夕張
小野田市(旧)1920/04/03小野田町←須恵村1900/12/03小野田
生駒市1921/02/11生駒町←北生駒村1914/04/30生駒
米原市1923/11/15米原町←入江村*1897/07/01米原
中間市1924/09/01中間町←長津町*1891/08/30中間
勿来市(旧)1925/05/01勿来町←窪田村1897/02/25勿来
美唄市1926/06/01美唄町←沼貝町1891/07/05美唄
柏市1926/09/15柏町←千代田村*1896/12/25
塩山市(旧)1928/11/10塩山町←七里村1903/06/11塩山
川内市(旧)1929/05/20川内町←隈之城村ほか1922/07/01川内町
富士市1929/08/01富士町←加島村1909/04/21富士
朝霞市1933/04/01朝霞町←膝折村1918/05/10朝霞1914/05/01膝折
大月市1933/04/01大月町←広里村1902/10/01大月
古賀市1938/04/17古賀町←席内村*1890/09/28古賀
那珂湊市(旧)1939/04/01那珂湊町←湊町1913/12/25那珂湊
伊達市(福島)1940/04/01伊達町← 長岡村1914/12/01伊達1895/04/01長岡
養父市1940/12/11養父町←養父市場村1908/07/01養父
相模原市1941/04/29相模原町←相原村ほか1938/03/01相模原(小田急)
宝塚市1951/03/15宝塚町←小浜村1897/12/27宝塚
国立市1951/04/01国立町←谷保村1926/04/01国立
裾野市1952/04/01裾野町←小泉村,泉村1915/07/15裾野1889/02/01佐野
境港市1954/08/10境港町←境町ほか1919/07/01境港1902/11/01
茅野市1955/02/01茅野町←ちの町ほか1905/11/25茅野
四街道市1955/03/10四街道町←千代田町,旭村1907/11/01四街道1894/12/09四ツ街道
羽村市1956/10/01羽村町←西多摩村*1894/11/19羽村
登別市1961/04/01登別町←幌別町1892/08/01登別

*は前身自治体に同一名が存在し、改称により復活したものです。また、静岡や前橋など、複数の旧町名に使用された共通の接頭辞を採用した自治体や、鎌倉、藤沢、名寄、生駒など旧自治体名と部分一致している自治体も、鉄道開業以前に地名が存在していたわけで、「駅名も由来の一つ」ではあるものの、由来度はかなり低いといえるでしょう。

一方、国立、裾野、米原はすでにリストされていますが、ここにリストしたそれ以外の自治体と線引きできる差異があるでしょうか。とくに、駅名の改称に合わせて、自治体名も改称した朝霞、伊達、境港は駅名由来度がかなり高いといえそうです。以上は、市に昇格した自治体に限ったリストで、現存の町村についてはすべてにあたっていませんが、こちらも二宮町など前身自治体に同一名がなく、駅名を採用した自治体があります。

やはり「駅名も由来の一つ」というコンセプトで線引きするのは、無理があるのかもしれません。
[79658] 2011年 11月 21日(月)08:23:17千本桜 さん
仙台区から仙台市に移行する時点での町名・まとめ2
88さんへ。[79657] の続きです

[79282] でも書きましたが、もう一度、明治41年発行「仙台市史」を引用しながら仙台区の町について書きます。なお、仙台市史は町数を載せていないので、私が町名を追いながら計算しています。

【ステップ1】郡区町村編成法が発布された明治11年から始めます。仙台市史は次のように書いています。
明治11年7月22日布告第17号を以て郡区町村編成法を発布せられ、庁下を仙台区と称し、区長一員を置かる、是に於いて仙台は一の独立行政区となれり、此年11月区内を5部に分ち毎部町場持4人乃至6人を置き、部内を4分又は6分して布告布達等の事務を取扱はしむ、之を区行政の区画とする
と記述して、第1部(河原町など31町)、第2部(片平丁など74町)、第3部(南町など50町)、第4部(国分町など59町)、第5部(八幡町など39町)を挙げ、計253町を掲出しています。しかし、この町数は要注意です。延長の長い町は2つの部に分割され、双方の部に町名が載っているからです。つまり重複記載です。このような重複記載が25ありますから、253-25=228で実際は228町になります。

【ステップ2】次に、市史は明治14年に行われた区画変更の記述に進みます。
明治14年4月15日、仙台区と宮城郡南目、荒巻、小田原各村の内、地所交換、区は差引6町1反7畝15歩余を増せり、同年10月24日、1名称にして数町に亘る市街区分を左の如く定めらる
と記述して、140の町名を掲出し、各町を幾つかの丁目に細分しています。具体的には、国分町(1丁目より5丁目まで)、北二番丁(1丁目より14丁目まで)のように書いてあり、丁目の合計数は402になります。この丁目区分は、本当に明治14年に定められたのかは疑わしい。なぜなら、明治13年出版の宮城県仙台区全図に既に丁目が表示されているからです。この区分は、市制直前の町名解決に繋がらないようなので思いきって無視します。

【ステップ3】次に、市史は明治15、18、19年に行われた行政組織と区画更正の記述に進みます。その全文を引用します。
同15年10月行政区画を改めて、各町組合を設け組毎に組長1人を置き、18年4月1日之を更正して140組とし、同時に組長設置規則を改め、組長は満25歳以上にして組内に不動産を所有するものより選挙し、任期を3ヶ年として専ら組内の布告回達、納税注意、戸籍方並に篤行者、極貧者の取調を司り兼ねて共同の事件に関係せり、其筆紙墨料は1ヶ年1戸に付拾銭を徴せり、明治18年10月15日追廻組を中ノ町組に合併、19年2月13日更に改めて56組とし、翌月29日北七番丁(堤通東)を北二、三、四、五、六番丁東組に、北七、八、九番丁(通町東 堤通西)を通町組に変更せり、其名称及区画は左の如し
として、八幡町組(八幡町、坊主町ほか3町)、花京院通組(花京院通、空堀丁ほか6町)など56組207町の名称を掲出しています。207町の名称は下記のとおりです。207町を原文のまま書き出せれば良いのですが、誤字脱字があったり、複数の組に跨がる町については重複記載の調整が必要なことから、私が手を加えています。[79282] に記載した207町をもう一度掲載します
河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢, 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁

【ステップ4】次に、市史は明治22年3月に行われた区域変更の記述へ進みます。仙台区消滅直前の区域変更です。
而して区は22年3月31日更に区域を変更すること左の如し
と述べて、宮城郡荒巻村の一部(字山上清水, 字滝前, 字宮裏, 字上郡山, 字中丿沢)、宮城郡小田原村の一部(字小野田, 字杉山)、宮城郡南目村の一部(字柳沢, 字二軒茶屋)、宮城郡南小泉村の一部(字八軒小路, 字行人塚, 字五ツ谷, 字桃源院東, 字鍛冶屋敷, 字広瀬川橋下)、名取郡長町村の一部(字窪谷地の一部)を仙台区に編入。また、仙台区宮沢の一部を名取郡茂ヶ崎村に編入し、仙台区北六番丁の一部を宮城郡原町に編入したと記しています。

以上のことから、88さんが纏めておられる市区町村変遷情報に載せるべき仙台の町は、【ステップ3】で掲載した207町および【ステップ4】で掲載した周辺村との区画変更だと思いました。しかしその後、市史に町名書き漏れの疑念をいだき、各種資料を突き合わせてチェックしました。チェックの方法は[79312]に書いたとおりです。その結果、上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町が書き漏れとして浮上しました。
しかし、大聖寺裏門通(現在の青葉区本町二丁目錦町公園付近)で頭を抱えてしまいました。地籍があっても家屋が消滅して無人になっていた可能性が見え隠れするからです。大聖寺裏門通という地籍があったとする根拠は歴史的町名復活検討委員会の29ページ「旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧」と36ページ右側の地図に大聖寺裏門通の表記があるからです。また、明治22年当時は無人になっていたかも知れないという根拠は、36ページ右側の地図に線引きされた大聖寺裏門通の区域が非常に狭いことに加え、明治後期の地図には家屋のない更地ふうに描かれているからです。
大聖寺裏門通が無人か有人かで引っ掛かり、前進できないでおりましたが、これ以上考えるのは止めましょう。仙台区から仙台市に移行する時点で、上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町は存在していたと決着をつけます。そうしないと埒があきません。

上記を踏まえ、明治22年仙台区消滅直前の町数は、【ステップ3】に掲げた207町に上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町を加え、211町に訂正したいと思います。【ステップ3】に掲げた207町のうち、六軒丁を南六軒丁に修正し、宮沢と北六番丁に(微)を付し、新たに加える上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通は、それぞれ適宜な位置に挿入しました。はたして判断が正しいのか否か自信はありませんが、自分なりに出した結論に従い仙台211町5村を掲出しますので、市区町村変遷情報を下記のように修正してください。

河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 米ヶ袋中ノ坂, 米ヶ袋鹿子清水通, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 南六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢(微), 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 上杉山通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 大聖寺裏門通, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁(微),, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁, 宮城郡 荒巻村(微), 小田原村(微), 南目村(微), 南小泉村(微), 名取郡 長町村(微)
[84631] 2014年 1月 1日(水)10:52:13【1】伊豆之国 さん
東京23区の「馬」地名
新年明けましておめでとうございます。

今年は午年。そこで、「馬」の地名ネタから。
東京23区内の「馬」町名を調べてみました。

中央区日本橋馬喰町日本橋小伝馬町、日本橋大伝馬町
新宿区高田馬場馬場下町
大田区東馬込、西馬込、南馬込、北馬込、中馬込
世田谷区上馬下馬
練馬区練馬

ついでに「駒」の付く町名も挙げておきます。

文京区本駒込
台東区駒形
墨田区東駒形
目黒区駒場
世田谷区駒沢、駒沢公園
豊島区駒込

【追記】
>オーナー グリグリ さんへ
「台東区駒形」と「墨田区東駒形」は、隅田川を挟んで相対しています。「自治体越え地名」に未登録のようですので、リストに登録していただくよう、お願いいたします。
[85692] 2014年 6月 5日(木)00:20:20伊豆之国 さん
「小川町」はおがわまち? おがわちょう?
[85684] オーナー グリグリ さん
[85686] hmt さん
「まち」と読む町、「ちょう」と読む町

自治体としての「町」ではなくて「○○市(区)△△町」という場合の「町」をどう読むのか、というのを調べてみるのも面白そうです…。
住居表示などで「町」を外された町名も多いのですが、今回は、東京23区の都心部の中でも「△△町」がかなり残っている、千代田・中央・新宿の各区について「まち」と「ちょう」の数を調べてみました。
読みのデータは、郵便局の「郵便番号検索」からです。

区名「町」の総数「まち」「ちょう」
千代田区42大手町、神田小川町、神田司町、麹町4一番町、岩本町、内幸町、鍛冶町、紀尾井町、五番町、猿楽町、三番町、永田町、二番町、隼町、平河町、三崎町、有楽町、四番町、六番町、神田相生町(以下、頭に「神田」)、淡路町、和泉町、岩本町、鍛冶町、北乗物町、紺屋町、佐久間町、神保町、須田町、多町、富山町、錦町、西福田町、練塀町、花岡町、東紺屋町、東松下町、平河町、松永町、美倉町、美土代町38
中央区20日本橋室町1明石町、豊海町、日本橋大伝馬町(以下、頭に「日本橋」)、蛎殻町、兜町、茅場町、小網町、小伝馬町、小舟町、富沢町、人形町、箱崎町、浜町、馬喰町、久松町、堀留町、本石町、本町、横山町19
新宿区78赤城下町、赤城元町、市谷鷹匠町、市谷田町、市谷台町、市谷長延寺町、市谷船河原町、市谷薬王寺町、霞ヶ丘町、片町、北町、細工町、坂町、信濃町、新小川町、箪笥町、築地町、戸塚町、内藤町、納戸町、二十騎町、払方町、原町、袋町、舟町、南元町、横寺町、余丁町、早稲田町29愛住町、揚場町、荒木町、市谷加賀町、市谷甲良町、市谷砂土原町、市谷左内町、市谷仲之町、市谷八幡町、市谷本村町、市谷柳町、市谷山伏町、岩戸町、榎町、改代町、歌舞伎町、河田町、喜久井町、北山伏町、左門町、三栄町、下宮比町、白銀町、水道町、須賀町、住吉町、大京町、津久戸町、筑土八幡町、天神町、富久町、中里町、中町、西五軒町、馬場下町、東榎町、東五軒町、百人町、弁天町、本塩町、南榎町、南町、南山伏町、山吹町、矢来町、若松町、若宮町、早稲田鶴巻町、早稲田南町49

…結果はご覧の通りですが、千代田区と中央区は圧倒的に「ちょう」が優勢なのに対し、牛込地域を中心に従前の町名が多く残っている新宿区では、やはり「ちょう」のほうが多いものの、「まち」の数もかなり多く、割と拮抗しています。牛込地域で隣接する「南町」と「中町」が「ちょう」で「北町」が「まち」だったり、「早稲田町」が「まち」で「早稲田南町・鶴巻町」が「ちょう」だとか、「市谷」の付く町名など、同じ地域でも両方の読みが混在しているところが多く見られ、地元の人でも間違えて読んで(覚えて)いるような人が多そうな気もします…>元牛込区民のhmt さん([22003])。
千代田区の神田地域は、住居表示で頭の「神田」を外されている町を含め、「ちょう」が圧倒的に優勢で、「まち」はわずかに「司町」「小川町」の2つだけ、ということから、これはもうだいぶ前のことですが、「小川町」を周りの「△△ちょう」に引きずられて「おがわちょう」と読んでいる人が増えている、という話が載っていたことがありました。蛇足ですが、小平市の「小川町」は「おがわちょう」と読んでいるようです。
なお、上記の表のうち、「神田」の付く町と無い町がある「岩本町」と「鍛冶町」は、共に大半の地域が住居表示で「神田」が外され、未実施で残された地域が「神田」が付いたままになっているのに対し、「平河町」と「神田平河町」はまったく別の地域にあり、旧麹町区の平河町に対し、「神田平河町」は秋葉原駅の東側のごく狭い区域の町名として残っています。
[88906] 2015年 10月 16日(金)16:14:40オーナー グリグリ
エレベータ直結改札
[88850]で始まった改札口の話も盛り上がりましたね。もう少し盛り上げましょうよ。改札口の名称の話題から、東京駅の改札口の多さや連絡改札口の話などにも広がりましたが、ちょっと変わった改札口について。

まだちょっとしか調べていないのですが、ホーム直結改札からエレベータで地上へ出入りするタイプ。バリアフリー化の推進で増えていると思います。具体例として、東京メトロ日比谷線伝馬町駅の2か所。2つのホーム各々にあります。ストリートビューはこちら(北千住方面用中目黒方面用)。北千住方面用の出入り口は十思公園内にありますが、中目黒方面用の出入り口は一般民家の一部のように見えます(洗濯物が干してある)。

もうひとつ例を。同じ東京メトロの千代田線町屋駅。こちらはちょっと変わった構造で、代々木上原方面ホームに直結の改札からエレベータで地上へ出入りしますが、綾瀬方面ホームからはエレベータでまず代々木上原方面ホームに直結する改札につながる二段階方式。ホームが上下構造のためということ。地上出入り口は、M-AXE TOWER(マークスタワー)というビル内。

もう一つ変り種。東京田園都市線の池尻大橋駅。こちらは、2つのホーム各々から地下1階の改札口階に直結するエレベータがあります。通常は改札口内にエレベータ出入口が作られますが、この2つのエレベータには各々専用の自動改札があります。エレベータのドアからほんの数歩のところに1基だけ設置されており、初めて目撃した時には、ままごとのような改札だなという印象でした。駅員は同じフロアのワイド改札口に常駐していますから、このミニ改札を独立した改札としてカウントするかどうかは微妙なところです(動線としては分離しているので独立でカウントしたいところです)。

改札口の種類としては、工場敷地に隣接した駅などに見られる企業専用改札(多くは利用時間帯が決まっている)もありますね。
[98197] 2019年 8月 16日(金)12:09:29ミソンヌ さん
熱田神宮駅、名古屋城駅
約17年くらい前からお邪魔だけしております・・・。
先週、下記の記事がありました。
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https://www.asahi.com/articles/ASM895W13M89OIPE021.html
名古屋市が市営地下鉄の駅名変更を検討することになった。観光名所の名古屋城や熱田神宮に近い駅の名称がそれぞれ「市役所駅」や「伝馬町駅」となっており、分かりにくさが指摘されていた。有識者らによる懇談会を開いた上で、2021年1月までに新たな名称を決める方針だ。
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とありますが、熱田神宮駅、名古屋城駅となるのでしょうか?
隣駅の神宮西駅、名城公園駅、JRの熱田駅、名鉄の神宮前駅との兼ね合いがあるので、どうなることでしょう。
みなさんなら、どのように変更しますか?


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