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キーワード「鉄砲町」を含む記事が37件見つかりました

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[18467] 2003年 7月 20日(日)20:42:44YSK[両毛人] さん
両毛人 引き続き 仙台より
今、ホテルに戻りました。
仙台は、午前中を中心に小雨が降ったり止んだりの天気でしたが、九州では集中豪雨でかなりの被害がでており、亡くなられた方もいらっしゃるそうですね・・・。心よりご冥福と、お見舞いとを申し上げたいと存じます。

さて、今日は仙台城下町を形成していた地域のうち、郊外部分にあたる町をいくつか見てまいりました。二十人町・鉄砲町地区、原町地区、南材木町から荒町にかけての旧奥州街道沿いの地域、です。いずれも、旧仙台城下町の風情を良く残した地域なのですが、時代の流れとともに大きな変化を余儀なくされている地域もあり、たいへん興味深いフィールドワークとなりました。

というわけで、仙台に一日いながら、中心部をほとんど歩けませんでした・・・。明日早朝、東北電力エナジースクエアや花京院スクエアなどの高層ビルが林立して仙台ではホットな地域となっている花京院周辺あたりは散策しておきたいと思います。

では、まずはご報告まで。
[18468] 2003年 7月 20日(日)21:34:48YSK[両毛人] さん
仙台より 補足
鉄砲町や二十人町が「郊外」とは適切でないかもしれませんね・・・。

また、ついでといってはなんなのですが、JR仙石線の廃線跡(陸前原ノ町~仙台間が地下化されたことに伴うもの)もちらっと見てまいりました。

仙石線仙台駅~旧榴ヶ岡駅までの間は、痕跡も少なくなり、旧線路敷地には数棟のマンションやアパートが竣工していました。区画整理も進行しており、早晩痕跡さえ無くなってしまうであろうと思われました。

旧榴ヶ岡駅~旧宮城野原駅~陸前原ノ町駅までの間は、廃線跡がばっちり残っております。草原となっており、いちぶヤブカンゾウなどの花も咲き乱れておりました。ミヤギノハギなどを植栽して、「宮城野フラワーロード」なんて風にしたら、けっこうよい観光名所になるのかな、などと考えてしまいました。

あと、仙台市電保存館(地下鉄富沢車両基地構内)にも行ってきました。市電の実物や関連資料が展示されており、結構楽しめました。芭蕉の辻線が写っている写真や、最晩年の繁華街を進む市電の様子など、興味深い写真も見所ですよ。
[19292] 2003年 8月 25日(月)02:12:22【1】YSK[両毛人] さん
シリーズ・クローズアップ仙台(10) 仙台駅東口の地域は今 後編 ~原町と鉄砲町
ホームページにアップいたしました。ご覧いただけましたら幸いです。

http://www.chiikibun.com/sendai/sr-sendai.html#higashi2
[20568] 2003年 10月 2日(木)23:50:21【2】ペーロケ[utt] さん
豊島の踏み切りは買っては行けない(意味不明??)
[20524]般若堂そんぴんさん
「買ってはいけない」は未読ですが,「『買ってはいけない』は買ってはいけない」は面白く読みましたっけ.
 私は買っちゃいましたよ。拙稿[16691]でも触れましたが、反動形成の強い私。。。(汗)

[20523]special-weekさん
みなさんの周りで珍しい踏切ありますか?
 松山の珍しい踏み切りといえば、済美高校前は、千舟通り(片側二車線)と国道56号線(片側三車線)の大きな十字路を、伊予鉄が斜めに横断しています。ここも踏み切り信号と遮断機が併用されています。そして、ここが面白いのは、交差点である故、遮断機が下がっている時間にあわせて、国道56号西堀端方面から千舟通り市駅方面へ、またその逆方面へと、矢印信号が出現するのです。
(地図) http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=10000&el=132%2F45%2F40.502&pnf=1&size=500%2C500&nl=33%2F50%2F00.550
(参考、かめぞうさんのHP) http://kamezoh.zive.net/iyo/signal.html

 あとは大手町駅前の平面交差では、路面電車が踏み切りの遮断機の向こうで高浜線が通過するのを待つ光景がみられます。
(地図) http://www.mapion.co.jp/c/f?el=132/45/28.015&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=33/50/12.684&size=500,500
(参考、路面ライダー) http://www.iyotetsu.co.jp/rail/rider/02/diamond.html

 あとは古町駅の南の踏切、東に高浜線、西に環状線が並行(平行ではありません)に走っています。「平行ではない」と言ったのは、南側に向けて「ハ」の字に広がっており、その踏み切りの南側には、踏切の間からしか出入りできない店舗と繋がっているのです。
(地図) http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=10000&el=132%2F45%2F24.573&pnf=1&size=500%2C500&nl=33%2F50%2F31.632
(参考、四国電車通り弐番館) http://sta2.cool.ne.jp/serial/knowledge2.html

[20552]踏切で停車する習慣があるのは日本と韓国だけ、という報告も……。
 愛媛の人は、鉄砲町では事情によりみんな停まりますが、それ以外の踏み切りでは、あまり停まらないなあ。。。(危)

[20529]ありがたきさん
 そうそう、練馬区に「豊島園」がありましたね。豊島区が豊島園の辺りにあると思っている人も絶対いるハズ!!
[30531] 2004年 7月 14日(水)17:38:35U-4 さん
城下町の町名(名古屋)
十番勝負にすっかりはまっていましたので、あらためてちょっと前の話題にレス

[30158]淡水魚さん
思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などが有ります。
[30230] 2004 年 7 月 7 日 (水) 03:06:15【1】 稲生 さん
静岡には、このほかに城下町らしい地名として、追手町、大工町、大鋸町、通車町、人宿町、七間町、土太夫町、上桶屋町、屋形町などがありますね。区画整理以前は、鋳物師町、台所町、猿屋町、下桶屋町、寺町などがあったようです。
浜松市については、稲生大先輩や地名好きさんなど、浜松方面に詳しい方にご教示いただきたいと思います。
大先輩とはおこがましいですが、浜松市生まれとして調べますと、
元城町、松城町、伝馬町、利町、鍛冶町、大工町、肴町、神明町、連尺町、紺屋町、早馬町、旅篭町、塩町、元魚町といったところが城下町らしい町名でしょうか?

名古屋市にも、呉服町、研屋町、伝馬町、七間町、鍛冶屋町、鷹匠町、塩町がありました。この他にも紙漉町、白塀町、納屋町、八百屋町、鉄砲町、桶屋町、木挽町など城下町らしい町名がふんだんにありました。
名古屋の町は、慶長年間に徳川家康が九男の義直のため徳川家に相応しい城下町を作ることを目的として、清洲から城下町ごと名古屋台地に移転し、築城と町の造成をしたため(いわゆる清洲越)、当時から京都と同じように碁盤目状の市街地を形成し現在でもそれが残っています。南北と東西の通りには、それぞれ上記のような町名がふられていました。
この碁盤目状の町名を読みこんだ次のような歌が残されています。

「花の名古屋の町割は (七墓御詠歌より)」

花の名古屋の町割は 四面四角に碁盤割
御城下(おしろした)は三の丸 本町御門出てくれば
片端(かたは)通りとは これなるか
にほいも高き京町の どなまぐさいが魚の棚
桧さわらや杉之町
春三月のころなれば ちらりちらりと桜町(さくらんちょう)
人馬つめおく伝馬町 玉を入れおく袋町
損はたたねと本重町 酒の肴にかばやき町
常(いつ)もにぎわう広小路
日もくれかかる入江町 屋敷がまへの三ツ蔵町
しんしょさかへし花屋町 おたび所横町うちこして
丸こしなくてそぶえ町 七面横町はこれなるか
仕度もしたき茶屋町の これから横をたずぬれば
塩やこうじや御園町 はや伏見町へさしかかり
出船入船、桑名町 をいたる奴もつまらねど
長島町となりぬれば 金銀みつる長者町
いつはりいはぬ本町の 家の土台も七軒町
薬は、ここに呉服町 参宮もはやる伊勢町
こよいお前に大津町 いつたや江戸の鍛治屋町
ひさやをつけてそ人した お七ゅうみは武平町

ところが、昭和40年前後の町名変更(おそらく戦災復興事業の最終段階?)によって、この地区は栄1~5丁目、錦1~3丁目、丸の内1~3丁目、東桜1~2丁目、泉1~3丁目というように(良し悪しは別として)きれいさっぱりなくなってしまいました。
それでも、通りの名称としては、一部に「プリンセス通」などと怪しげな名に改称したものはありますが、上記の歌にある町名の多くが残っています。

転勤族でよそ者の小生としては、交差点の表示が「広小路呉服町」というように旧町名(通り名)になっているので、結構とまどいます。
[30561] 2004年 7月 15日(木)12:58:54【5】じゃごたろ さん
続・町の名
[30158]淡水魚さん、[30230]稲生 さん、[30531]U-4 さん、[30548]ryo さんなどの書込みで出てた幾つかの町名を他にどれくらあるか調べてみました。

調査は「ゆうびんホームページ」の郵便番号検索です。したがってここのデータベースで検索できない地名(住所名)に関しては調査の対象外となってしまいます。市名(町名)のみの表記は、そのものの町名がある場合です。後ろに括弧がある場合は前後に何かしらの字句か追加された町名です。この場合は「~」の部分がもとの町名を表します。

【大工町】
弘前(西~・元~)、八戸、黒石(後~・甲~・乙~)、遠野、仙台市青葉区(川内~)、湯沢、白河、水戸、村上、佐渡(相川~)、富山県城端町、金沢、小松(新~・本~)、岐阜、静岡、浜松、近江八幡、京都府下京区(~・東~)、岸和田、神戸(船~)、高砂(高砂町~)、加西、大和郡山(北~・南~)、和歌山(北~・新~・西~・舟~・南~)、鳥取(頭~・元~)、米子、高梁、徳島(東~・西~)、高松、長崎(新~・出来~・船~)、熊本(古~)、人吉

【材木町】
釧路、北海道浦幌町、盛岡、花巻、遠野、仙台市若林区、湯沢、秋田県鷹巣町、会津若松、宇都宮、鹿沼(上~・下~)、黒磯、沼田、東松山、新潟、佐渡(相川~・相川新~)、高岡、金沢、小松、上田、岐阜(上~・東~・西~)、静岡、浜松、岡崎、京都市中京区(~・大阪~・丸木~)、京都市下京区(~・綾~・高~)、京都市伏見区(本~)、大阪市中央区、堺市(~東・~西)、神戸市兵庫区、姫路市、明石、高砂(高砂町~、高砂町南~)、大和高田、大和郡山、奈良県田原本町、鳥取、津山、柳川、唐津、日南

【木町】
仙台市青葉区、山口、北九州市小倉北区

【肴町】
盛岡、本荘、山形、山形県松山町、村上、郡上、浜松、掛川、西尾

【魚町】
石巻、気仙沼、白根、七尾、加賀(大聖寺~)、浜松(元~)、沼津、豊橋、岡崎(~・西~)、松阪、桑名(北~・南~)、上野、姫路、高砂(高砂町~)、大和郡山、奈良県田原本町、和歌山(新~)、鳥取(上~・元~)、倉吉、松江、津山(新~・元~)、北九州市小倉北区、田川、佐賀、中津(新~・古~)

【八百屋町】
白河、佐渡(相川~)、京都市中京区、京都市下京区(~・西~・南~)、徳島、柳川、唐津、長崎

【呉服町】
長岡、静岡、豊橋、長浜、亀岡、池田、姫路、篠山、萩、福岡市博多区(上~・下~・中~)、唐津、熊本、鹿児島

【紺屋町】
弘前、盛岡、水戸、高崎(新~・中~・元~)、千代田区(神田~・神田東~)、川崎市幸区、石川県押水町、甲府、小諸、静岡、浜松、掛川、桑名、上野、京都市下京区(~・御方~)、京都市伏見区(~・~深草)、亀岡、高槻、姫路、大和郡山(~・新~)、和歌山(西~・東~・湊~)、田辺、米子、浜田、津山(上~・下~)、下関(長府~)、徳島、高松、北九州市小倉北区、佐賀、唐津、平戸、福江、熊本(~・横~)、人吉、延岡

【桶屋町】
弘前、本荘、静岡(上~)、和歌山(北~・北新~・湊~・南~)、鳥取、津山、長崎、熊本(古~)

【鷹匠町】
弘前、白河、新宿区(市谷~)、小松、加賀、岐阜(加納~)、大垣、静岡、京都府伏見区、姫路、明石、和歌山、徳島、高知、中津

鉄砲町
弘前、仙台市宮城野区、秋田(保戸野~)、山形、新庄、福島県本宮町、加賀(大聖寺~)、岐阜、高山、上野、堺、津山、高梁、広島市中区、松山

【鍛冶町・鍛治町】
〔鍛冶町〕
弘前(~・新~)、八戸(~・元~)、北上、仙台市若林区(南~)、横手、米沢、白河、高崎、沼田、千代田区(~・神田~)、村上、佐渡、富山(古~)、七尾、小松(新~・本~)、加賀(大聖寺~)、関、浜松、豊橋、桑名、上野、名張、京都市上京区(上~)、京都市中京区(~・横~)、京都市東山区(粟田口~)、姫路、大和郡山(北~・中~・南~)、鳥取、倉吉、須崎、北九州市小倉北区
〔鍛治町〕
黒石、花巻、本荘、松任、新宮、津山

【研屋町】
静岡、倉吉

【鋳物師町】
敦賀、防府、北九州市小倉北区

【匠町】
日光、和歌山

【博労町】
青森県五戸町、高岡、金沢、近江八幡(~上・~中・~元)、大阪市中央区、姫路、和歌山(北新~・元~)、米子、延岡

【銀座町】
熱海、彦根、京都市伏見区

【金座町】
静岡

【銭座町】
静岡、長崎(~・上~)

【両替町】
静岡、京都市下京区(元~)、京都市伏見区

【旅篭町・旅籠町】
〔旅篭〕
山形、高岡、堺(南~東・南~西)
〔旅籠〕
富山、浜松、久居、亀岡、堺(北~東・北~西)、和歌山(西~・東~)、高松

【伝馬町】
宇都宮、中央区(日本橋大~・日本橋小)、飯田(~・小~)、大垣、静岡、浜松、豊橋(~・上~)、桑名、京都市上京区(小~)

【御徒町】
宇和島

【大手町】
函館、水沢、一関、仙台市青葉区、石巻、白石、名取、鹿沼、能代、山形、新庄、白河、土浦、古河、前橋、伊勢崎、館林、川越、千代田区、新発田、上越、富山、高岡、金沢、七尾、武生、小浜、岐阜、美濃加茂、郡上(八幡町~)、沼津、名古屋市港区、豊橋、春日井、刈谷、上野、京都市伏見区(西~・東~)、岸和田、高槻、茨木、神戸市須磨区、豊岡、津山、広島市中区、山口、下松、丸亀、松山、北九州市小倉北区、久留米、八代、太田、佐伯、鹿屋(~・西~)

【追手町】
会津若松、飯田、静岡

【十人町】
一関(五十人町)、岩手県前沢町(五十人町、二十人町、二十人町裏)、仙台市青葉区(川内三十人町)、
仙台市宮城野区(二十人町、二十人町通)、仙台市若林区(五十人町、六十人町)、唐津、長崎

【百人町】
仙台市若林区(三百人町)、新宿区、名古屋市東区、唐津(和多田東~・和多田~)


調べてみると、このような地名は一部の市に偏っていて、そこに多く残されているように思います。

それにしても、関市の鍛冶町とか、上野市や堺市の鉄砲町なんて、なかなか歴史が感じられますね。あと堺市は「北旅籠」と「南旅篭」で字が違うんですね。
[30602] 2004年 7月 16日(金)09:05:42じゃごたろ さん
徒然ス
おはようございます、じゃごたろです。

[30594] グリグリさん
引き続き第二回の準備もできているのですが、仕事に差し支えの出る方もいそうなので躊躇しています。
私は大丈夫ですよ。答えを考えている合間に仕事をしてますから(本気?冗談?)。
今度はヒント無しで答えることができるだろうか・・・。


[30507]月の輪熊 さん
高校でやっていた弓道のほうを、機会があればやりたいとは思っています。
[30577] M.K. さん
私も高校時代は弓道部でした。
なんと奇遇な。私も高校の時に弓道部でした。
私の高校は、一学年先輩と私達の学年がインターハイに出ました。でも私は選手ではなかったので、一緒に行けませんでした・・・(残念)。そういえは、一年の時にちょうど富田靖子の「アイコ16歳」があって、翌年の新人が沢山入部してきましたっけ。ああ、あれからもう二十年近くも弓を握っていません。またいつか、と思いながら、なかなかズクが無く今に至っています。


[30574] 月の輪熊 さん
「イナゴの佃煮」「蜂の子」「ザザムシ」は知っていましたし、
知ってますが、食べる気にはなれません・・・。地元の人は嬉々として虫探しをする人もいますが。

「絹の雫」と呼ばれているというのは知りませんでした。
これは私も初耳です。


[30573] なお さん
鍛治町・鉄砲街は町人の街に多かったと思います。
堺は、織田信長の鉄砲の一大供給地だったようですね。
和歌山県にも「鉄砲町」があってもいいじゃないか、とも思ってます。
[31518] 2004年 8月 7日(土)21:56:17YSK[両毛人] さん
今宵は、七夕の仙台からの登場です。
みなさん、こんばんは。両毛人@仙台です。

本日は、午前6時に高速バスで駅前に着いてから、朝市→中央通→大町→青葉城址→川内亀岡→牛越橋→八幡町→土橋通→新坂通→北山→通町→北仙台→上杉→宮町→定禅寺通→木町通→一番町→柳町→北目町→荒町→南鍛冶町→河原町→長町と、仙台市街地を北に南に歩きました。

チェックイン後、夕方ホテルを再び出て、二十人町・鉄砲町→原町→(仙石線)→仙台駅→(バス)→瑞鳳殿→(バス)→一番町→中央通と歩きました。

中心部の七夕だけが仙台七夕のすべてではありません。多くの商店街で七夕飾りが見られました。そして、それらのどれもが本当に素晴らしいんですね。後ほど、一部をご紹介できればと思います。

本日の歩行距離は少なくとも20kmは超えていることでしょう。足はもうくたくたです。

明日は、バスの一日乗車券等を活用して、もう少し広域的に動こうと思います。泉中央とか、岩切とか、八木山とか・・・。

上記の登場しない、七夕のきれいな商店街がありましたら、ぜひご推薦くださいませ。よろしくです。

追伸その1
短冊を書けるコーナーをとある商店街にて発見。「両毛人」名で「GLin GLin の益々の発展を」を書いて笹に飾ってきました。見つけた人はこそっと教えてくださいね!

追伸その2
アーカイブズ関連その他でご依頼があるようですが、後ほど必ず対応いたしますので、よろしくお願いいたします。
[39023] 2005年 3月 28日(月)00:13:07EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第1号
えーと、[38976]にてグリグリさんから最初の仕事を振られておりますので、そこから行ってみましょう。



[37669] yamadaさん
しかし、全国的に見ても「三和町」「六合村」や「美郷町」(「美」に「三」の意味を込めて)、過去の名称では「土村」([28649]熊虎[月の輪熊]さん)などがあります。合成地名コレクションに入れず、新たなコレクションとしても十分面白い企画だと思いますが、誰かコレクションしませんか?
ネーミングは「合併数由来地名」とかいった感じになるでしょうか。
(あんまりスマートじゃない…もっと良いネーミング大募集)
合成地名コレクションと同様、地名好きさんのホームページのデータを参考にすればすでに消滅した市町村の名前からも拾い出せるんじゃないかと思います。



[38041] NTJ会長さん
水路や里道のような、通常「○○番地○先」とされる部分ではなく、ウチの市役所やJR四ッ谷駅のような、どうみても国有地ではないような状態なのに、「無番地」とか「番外地」とされている場所のコレクションなのですが。
市役所・町村役場、駅、学校と言ったように、共通の施設の中で住所が「無番地」「番外地」のものを集める形で行けばまとめやすいでしょうし、ある程度の制御もできるのではないでしょうか。



[38626]  wasiさん
城下町地名コレクション、なんてないですよね?
これは一見簡単そうですが、うまく考えないと収拾がつかなくなる可能性があると思います。
というのは、どこまでが城下町地名に該当するか、と言うのが悩ましいところがあるからです。
以下は私の考えた分類ですが、

1.城の施設・設備にちなんだ地名
「丸の内」「大手町」がその典型です。その他には「本丸」[二の丸」なども見られます。
城があったことがわかる地名ではあるのですが、問題はこれらの多くがおそらくそんなに古い地名ではないだろう、と言うこと。
大方は明治維新後にできた地名であろう、と考えられますし、場合によっては昭和30~40年代の住居表示の実施に当たって初めてできたものもあるようです。

2.職種にちなんだ地名
wasiさんがあげられている「鷹匠町」はまさにこれに当てはまります。
が、これがまたバリエーションが山ほど有り、どこまで拾うかを悩まねばなりません。
例えば、武家の役職にちなんだ「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」、武家ではないが軍事・藩政に関係した「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座」「銀座」「銅座」、商人・職人を集めた「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「紺屋町」「桶屋町」「旅篭町」「大工町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」、輸送に関連した「博労町」「馬喰町」「船場町」「船頭町」等々………。

3.住んでいた人の名にちなんだ地名
ある程度地位の高い武士が住んでいると、その武士の姓名や役職(○○守の○○など)が地名になる場合が多々あります。
私の住んでいる金沢だと「彦三」「芳斉」「横山町」「本多町」「長町」「出羽町」「高岡町」がこれに当てはまります。
東京だと例えば紀尾井町は「紀州徳川家」「尾張徳川家」「井伊家」の屋敷があった事から付けられた名です。
[37111]たもっちさんの記事、およびそれに関連するレスにもありますが、京都市伏見区にもこれに該当する地名が多数あります。
が、これに関しては、それぞれの町の歴史まで紐解かねばならず、集めるのはかなり難しいのではないでしょうか。

と言うことで、「城下町地名」という形では収拾がつかなくなる可能性があるような気がします。
[37192]でグリグリさんが「新興住宅街地名」コレクションの提案に対して出された意見と似たような話になりますが、上であげた中で比較的現存数が多い「丸の内」「大手町」「鷹匠町」「鉄砲町」などをねらい打ちする形でそれぞれの個別のコレクションとするのがよいのでは、と思うのですが。



このほか、過去ログから見つけたものとして、
[37559] 北の住人さん
地名コレには鳴き砂地名が無いようですが、数的にはちょうど良いのでは。もっとも、どっかに全国鳴砂保存自治体連盟なんていうのがあって、そのページがありそうですが。
私が砂丘コレクションの資料とした砂丘学会誌に鳴き砂に関する記事があった記憶があったので探してみたところ、その記事の先生のホームページを見つけてしまいました。
Musical Sand
この中に鳴き砂地図が出ています。
三輪先生にお許しが頂ければリスト化しても良いのかもしれませんが…。
ちなみに、鳴き砂の保存に取り組んでいるのは、一部を除いてほとんどが民間有志による団体のようです。



以上に関しては、[35222]でグリグリさんがまとめられた過去の地名コレクション提案の一覧と併せて一度整理した方が良いようですね。
また、トップページの分類の調整も考えていますが、まだ構想がまとまっていません。
ちょっと時間を下さい。
[43190] 2005年 7月 22日(金)00:38:34EMM さん
資料探しと整理の仕方に対する考え方次第なのですが、
[43173] 般若堂そんぴんさん

とりあえず、般若堂そんぴんさんの引用された私の文中では「住所として現在でも残っている町名」と言うつもりで書いてます。
笠津前浜さんがコレクション対象として想定されたのも多分同様であろう、と思います。

そして「通り」の名称とか通称とかなどでは使われているはどう判断するかですが…
地名コレクションでは必ず項せなならん、というのは決めていないのでありまして、編集担当者の線引き次第でどこまでがコレクションに記載する対象となるかが変動してくるのです。

編集長としての立場からですと、最終的には担当者の判断、採用になる場合もあり得るし、ボツになる場合もあり得る…と言うご返事になってしまいます。

また、もし私が編集担当となったらどう考えるかですが(あくまで仮定の話です。実際に編集をされる方の編集方針を規定してしまうものではありません)、例えば「鉄砲町」コレとか「紙屋町」コレとかみたいな感じで特定の地名毎にまとめるんであれば住所として残っているもの以外のところまで集める、「職業由来町名」みたいな感じで広ーい範囲をまとめるんであればさしあたり現在住所として残っているものだけひたすら集め、だいたい網羅したらそれ以外をどうするか悩む……と言うことにするでしょう。
ただ、繰り返しますがあくまで「私が編集するんだったら」という話です。担当される方によってどうするかは異なってくるでしょう。
逆に、そんぴんさんだったらどうしますか?と言うこともお伺いしたいところです。
あんまり答えになってませんか………

#どこまで調べるか、はどんな資料を用いるか、でも規定されてしまいます。
「住居表示のモデル都市」として旧来からの町名が住所から大量に消されてしまった我が金沢市を例にとると、旧町名は(職業由来に限らず、全般的に)通りの名称、交差点名、バス停名、小中学校名、自治会名・町内会名…などの形で「生き残って」おります。
その中で、多くの皆さんが地名コレクションの資料として使っているウオッちずでは小中学校名、マピオン/Yahoo!地図ではそれにプラスしてバス停名・交差点名は比較的多く検索で出てきますね。
でも網羅されているかというとそうではない。
そして通りの名称、と言うことで言うとこれらの地図サイトは×です。でもまだ探しようがあるかもしれません。
しかし、自治会名・町内会名となると………調べられる資料ってあるんだろうか??
金沢市成立時の市域で考えると、住所としては消滅してしまった旧町名のおそらく8割くらいは町内会名として残っているのでは?と推定しています。
でも、市内全域、ましてや全国にあまたある町内会名を具体的に調べられる資料があるのかどうかが分からない…
市内に限定すれば市役所ならば持っていそうなのですが…
(自分の住んでいる校下以外は、正直なところどんな町内会があるのか分かりません)
[43922] 2005年 8月 7日(日)01:45:06笠津前浜 さん
職業名由来町名コレクション
編集者としての最初の仕事、コレクション初版をリリースしました。といってもデータ数は6件。これから、これから。
現在候補としてあがっているのは次の町名です(59件)。皆さんからの情報、アドバイスをお願いいたします。

「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座(町)」「銀座(町)」「銅座」「銭座町」「両替町」「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「桶屋町」「旅篭(籠)町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」「博労(馬喰)町」「船場町」「船頭町」「青物町」「瓦町」「米屋町」「染師町」「肴町」「塩屋町」「猟師町」「袖師町」「油屋町」「樽屋町」「紙屋町」「海士」「鷹匠(町)」「研屋町」「車町」「茶町」「馬場町」「伝馬町」「千代田」「葵町」「木町」「魚町」「鉄砲町」「鋳物師町」「匠町」「伝馬町」「御徒町」「大手町」「追手町」「十人町」「百人町」
[43934] 2005年 8月 7日(日)14:29:11あきすて さん
Re:職業名由来町名コレクション
[43922] 笠津前浜 さん

他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町

"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座代官山高田馬場などがあるようです。

「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋
(←この尾道市の件は現在使われてないようならコレクション対象外になってしまいますが他にも鍛冶屋という地名はあります)
 「茶町」に対して「茶屋町
 「木町」に対して「木屋町
(ちなみに、京都市にあるのは"きやまち"、寝屋川市にあるのは"こやちょう";寝屋川市のは由来がわかりませんが)
[43988] 2005年 8月 9日(火)00:41:44笠津前浜 さん
職業名由来町名(仮)編集メモ(1)
[43922]の編集開始書き込みに反応いただいた皆様、的確ですばやいフォローをありがとうございます。私の確認不足が多々ありました・・・が、寛大な心で見守ってくださいますようよろしく(^^;お願いします。叱咤激励大歓迎、です。
では個別にお返事いたします。
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[43924] 2005 年 8 月 7 日 (日) 07:04:51 KMKZ さん
「御徒町」が重複しています。(4番目と55番目)
「千代田」、「大手町」が職業名由来とは初耳です。どのような職業なのですか?
ありがとうございます。御徒町は重複分を削除します。千代田・大手町に関してはログから切り出す際に「城下町らしい地名」が混在していたことを失念していた結果、紛れ込んでいました。根拠がない以上、削除したいと思います。さらに、職業・役職名由来の地名を候補に入れるようにします。
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[43926] 2005 年 8 月 7 日 (日) 11:04:16 EMM さん
大手町(追手町)については、KMKZ さんへの返事に書きました通り、リストアップのミスでした。車町は職業由来の場合である可能性があれば、候補として残しておきたいですね。漢字表記のバリエーションは入れましょう。接尾語等は・・・残しましょう。銀座は銀座コレクション参照で。馬場町は職業名由来ではないですね。候補から消します。
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[43929] 2005 年 8 月 7 日 (日) 12:21:45 hmt さん
牛込(東京都新宿区)の細工町、納戸町、払方町、箪笥町などの町名は、江戸城に通勤する同心たちの「公務員住宅」地域に由来しています。[41218] hmt参照。
ありがとうございます。ということは、同心たちが箪笥を商っていたりしたのでなければ、職業名由来ではなさそうな気がしますが・・・候補に残しておき、後ほどゆっくりと個別調査したいですね。
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[43934] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:29:11 あきすて さん
他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町
お恥ずかしい(^^;ご指摘ありがとうございます。
"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座、代官山、高田馬場などがあるようです。
「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋」
 「茶町」に対して「茶屋町」
 「木町」に対して「木屋町」
それぞれ、候補に入れたいと思います。
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[43936] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:59:58 inakanomozart さん
▽候補にあがっていない町名で米穀商に由来する「石町」があります。
例として
・静岡市葵区上石町(かみごくちょう、下石町は消滅)
・東京都中央区日本橋本石町一~四丁目
・大阪市中央区石町一・二丁目
▽「葵町」は静岡市の場合、1915年「草深代地」を改称したもので職業とは関係ないようです。
大手町の件を含め、ありがとうございます。石町は候補に入れますね。
▽静岡市の場合は、京都の伏見から牛車をつくる職人を呼び寄せ、住まわせたことに由来すると言われています。
・静岡市葵区車町(くるまちょう)、通車町(とおりくるまちょう)
こちらも候補入りにします。
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[43940] 2005 年 8 月 7 日 (日) 16:02:56 今川焼 さん
●小人町、豆腐町、水主町、酒屋町、帯屋町、勘定町、船大工町
宗教に関するもので
●神主町、坊主町、社家町
それからずっーと時代をさかのぼった古代の職種に関係ありそうなところで
●弓削町、矢作町、土師町、鳥取町、服部町、陰陽町、主税町、番匠町
このあたりは古代のその職業と町の成り立ちが直接つながるのかどうか疑問な部分もあると思います。(参考[20412] Issie さん)(主税町、番匠町は名前の由来は古代かもしれませんが地名となったのは近世のことかもしれません)
候補に入れます、ありがとうございました。
ところで、さすがに京都市内には○○屋町の類が本当にウジャウジャありますねぇ。
たとえば、木屋町([43934] あきすて さん)は高瀬川沿いに材木商が多く集まったことに由来する地名(通り名・通称地名)と、はっきり職業地名とわかりますが、何十とあるすべての町名を職業と 関係あるかどうか検証するのは不可能でしょう。それっぽいところを見つくろって(?)でもやむを得ないと思いますがいかがでしょうか。
ちなみに西本願寺のすぐそばにある仏具屋町・珠数屋町あたりは現役の職業町でしょうね。
それから、現役といえば近代になってからつけられた職業地名はコレクションに該当するでしょうか。
●問屋町、卸町、鉄工町、木材町・・・。
えー、見つくろっていければ、と・・・。それから、近代のものでも該当すると思いますので、挙げられている町名も候補に入れます。
[44484] 2005年 8月 25日(木)12:19:20U-4 さん
名古屋の職業由来地名(その2)
拙稿[44413]に引き続き名古屋市の職業由来地名、中区を筆頭に残りの各区から

区名町名よみかた現在地名痕跡由来等
中区木挽町こびきちょう丸ノ内1,錦1木挽町通り
材木町ざいもくちょう丸ノ内1,錦1不明
車町くるままち丸の内1,2不明
茶屋町ちゃやまち丸の内2不明?? これは人名由来
呉服町ごふくちょう丸の内3錦3呉服町通り、呉服橋
研屋町とぎやちょう丸の内3不明
(西,東)魚町(にし,ひがし)うおまち丸の内3不明魚の棚から改称
魚の棚町うおのたなまち丸の内3魚の棚通り魚屋、棚=店
関鍛治町せきかじまち丸の内3,錦3不明美濃関の職人町
中市場町なかいちばまち丸の内3不明
伝馬町てんまちょう錦1,2伝馬町通り、伝馬橋
袋町ふくろまち錦1袋町通り?? 町の形状かも
桶屋町おけやちょう錦2不明桶職人
小市場町こいちばちょう錦3不明
蒲焼町かばやきちょう錦3不明酒の肴や煮魚など
針屋町はりやちょう錦3不明
鉄砲町てっぽうちょう栄2不明○ 
八百屋町やおやちょう栄2不明
南呉服町みなみごふくちょう栄3不明
南鍛冶屋町みなみかじやちょう栄3不明関鍛冶町の南
(東,西,南)瓦町かわらまち(ちょう)栄5,新栄1瓦通り、交差点
役割町やくわりちょう大須1不明役割御先手の
役人居住地
城代町じょうだいまち大須2不明城代同心居住地 
旅篭町はたごちょう松原2不明?? 朝鮮使下士官の
 宿泊事実に由来
飴屋町あめやちょう上前津1不明
下茶屋町しもちゃやまち松原3,橘2不明これは茶店から
千代田ちよだ現存?????
熱田区市場町いちばちょう神宮2付近市場町交差点
伝馬てんま現存
旗屋町はたやちょう現存旗ではなく機織
服部はっとり現存
港区木場町きばちょう現存
油屋町あぶらやちょう現存
船頭場せんどうば現存
新茶屋しんちゃや現存
西茶屋にしちゃや現存
東茶屋ひがしちゃや現存
南区塩屋町しおやちょう現存塩田から
汐田町しおだちょう現存塩田から
元塩町もとしおちょう現存塩田から
昭和区塩付通しおつけとおり現存塩田から
○は既にリストアップされているもの。◎はそのうち所在自治体に掲載済のもの。

中区はひととおり拾ってみましたが全滅。区内のほとんどが商業地域となっているので、東区、西区のように公園名等での痕跡もありません。
蒲焼町なんて残っていたらうれしくなってしまいますね。居酒屋の町が名古屋の代表的な夜の町「きんさん」に、伝統はしっかり受け継がれています。
「千代田」はリストに入っていたので、一応あげましたが・・・
他の区は現存を中心に拾ってみましたが、残念ながら目新しいものはありませんでした。

これとは別にかなりレアな地名を3例。

昭和区御器所(ごきそ)熱田神宮の祭事用土器の製作地
中川区供米田(くまいでん)熱田神宮への供物用の米の生産地
中川区大蟷螂町(だいとうろうちょう)熱田神宮の宮大工の居住地(大工→棟梁→とうろう)、「灯篭」との説もあるようです。
[44496] 2005年 8月 25日(木)23:46:19太白 さん
職業地名コレクション
[44466] 笠津前浜 さん
職業地名コレ、相当充実してきましたね。
仙台市中心に、コレクション追加の候補です。本島に職業由来かの確認はしていません。採用については、適宜ご判断ください。

ちなみに、仙台市の場合、この辺が職業地名の宝庫になっています。

市区町名よみかた由来等
仙台市宮城野区鉄砲町てっぽうまち
仙台市若林区穀町こくちょう
仙台市若林区石垣町いしがきまち石垣衆(足軽)
仙台市若林区舟丁ふなちょう御舟衆(船乗り)
仙台市若林区南石切町みなみいしきりまち
石巻市穀町こくちょう
登米市迫町(佐沼字)鉄砲丁てっぽうちょう
登米市登米町寺池鉄砲町てらいけてっぽうまち
志田郡三本木町鉄炮町てっぽうまち「鉄砲」ではない
刈田郡蔵王町鉄砲町てっぽうまち
[44513] 2005年 8月 27日(土)04:13:34笠津前浜 さん
職業由来町名編集メモ(9)
昨日ムカデが出ました。4cmほどでしたが嫁さんが刺されてしまい、朝から大騒ぎでした。

作業を進めている時に出会う、消えた町名についてあれこれ想像を巡らすのもまた愉しいものですね。「葵町」は職業名由来ではなかろう、ということでリスト外へ移しました。確認が取れた段階でコレクションから外そうと思います。
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[44433] 2005 年 8 月 23 日 (火) 03:09:13 あきすて さん
「南総持寺町」のみ含まれていました。寺町コレはEMMさんが新規に編集されますね、情報提供のほどお願いします(^^ 流通団地他、あげてくださった地名は今川焼きさんの意見を取り入れて候補としました。
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[44443] 2005 年 8 月 23 日 (火) 13:49:37 今川焼 さん
鋳銭司には何度か足を運びました。国道から離れてゆくと、すぐ田園といったところでしたが、今はどうなっているでしょうか。おもちゃのまちは、ん~微妙なところです。
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[44464] 2005 年 8 月 24 日 (水) 03:45:24 あきすて さん
商店街名は考えていなかったのですが、おもしろい名前ですね。本編のリストが莫大にならなければ参考として載せておきたいと思います。
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[44469] 2005 年 8 月 24 日 (水) 13:11:00 matsu さん
村を開いたときの開墾地の状態を村名にしたと考えられ、狩貝地→貝地谷→荒地谷→耕地谷→麹谷→糀谷となったようです。
海岸だったのでしょうか、それにしても表記は移り変わっているんですね。
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[44484] 2005 年 8 月 25 日 (木) 12:19:20 U-4 さん
消えた町名を楽しませていただいています。御三家のにぎやかさが伝わるようです。千代田に関してはすみません、城下町特有地名として集めていたものが紛れていたものです。千代田は江戸城の別名、職業ではありませんでした・・・
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[44496] 2005 年 8 月 25 日 (木) 23:46:19 太白 さん
鉄砲町が一般的でしょうが、「鉄炮町」という表記もあるのですね。いささか飛躍しますが、元寇と関係があるのでしょうか。
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[44503] 2005 年 8 月 26 日 (金) 01:21:25【1】 EMM さん
その「とある点」は実際の「寺町」コレクション作成の際に反映予定。
ご期待下さい。
はい、期待しています(^^ 

今回も、調べてくださった候補はほとんどコレクションページに反映させていただきました。ありがとうございます。
[67023] 2008年 10月 14日(火)23:59:07YSK さん
仙台駅
現在の仙台市街地における繁華街の核はJR仙台駅西口を中心としたエリアと、一番町通と中央通とによって構成されるアーケード街を中心としたエリア(中心は広瀬通一番町付近)とです。双方は約1キロメートルほど離れておりますが、アーケード街で有機的に繋がっているため、人々の動線が確保され、ほぼ一体的な市街地を構成しています。

[67019]Issieさん
お話を拝見いたしましたが、仙台経験が相対的に長い私の意見は少し違います。

まず、明らかな誤りは、「芭蕉の辻」は大町と東一番丁の交点ではなく、大町と奥州街道筋(現在の国分町通)の交点です。ちなみに、「一番丁通」「大町通」という表現も厳密に言えば誤りで、それぞれ「東一番丁」「大町」とするのが正しいです。仙台的な語感では、「○○通」というのは「○○」へ通じる道及びその道沿いの町という意味です。芭蕉の辻以南の奥州街道筋は「南町」と呼ばれていましたが、その南町へ通じる東西の通りが「南町通」と呼ばれました。この通りは市電通りとなったため戦前から拡幅されまして、現在でも仙台市街地における重要な通りとなっています。一見市街地の南側を貫通する通りだからその名があると錯覚しますが、本来は当時一大繁華街であった南町へと通じる通りであるという意味でして、市電開通前は本当に細い路地であったようです。

仙台城下町建設にあたって、ベースラインとなったものが、南北の奥州街道筋と東西の大町で、大町は仙台城大手門から広瀬川の大橋を経て、まっすぐ城下を東西に貫通する目抜き通りでした。その交点が「芭蕉の辻」と呼ばれ、高札場ともなった、仙台城下町の一大結節点でした。現在では相対的に市街地の中心部から外れ、多く集積してきた卸売業等の店舗も郊外の卸町等に移転し、やや寂れた印象のエリアとなっていますが、日銀仙台支店をはじめとした金融機関は現在でも集積していまして、町の中心たる面影もまた残すエリアです。

大町は東に向かって新伝馬町(しんてんまち)、名掛丁(ながけちょう)を経て二十人町、原町へと至り、陸前浜街道筋へと連接しました。城下町時代から近代にかけても多くの商店が集まる中心市街地として繁栄していました。この大町~新伝馬町~名掛丁のうち、一番町通以東が現在「中央通」と呼ばれるアーケード街となっています。

一方で、現在の仙台駅のあるエリアは、北東に祀られる東照宮から南へ、宮町、東六番丁、清水小路を経て、藩政期は大寺であった大年寺へと一直線に繋がる堂々たる門前町通が形成されていまして、この周辺を中心市街地内に組み込む都市軸として機能していました。宮町は現在でも東照宮に向かって直線的な道路としてあり、清水小路は、東五番丁と一体となり、現在の「愛宕上杉通」となっています。東六番丁はといいますと、実はこの通りこそ、現在の仙台駅のある場所にあたります。仙台駅舎及び鉄路は東六番丁筋をまるまるつぶす形で完成しております。結果として上述の門前町を連接する南北の通りは遮断され、また当時繁華街であった名掛丁も東西に分断され、仙台市街地の都市構造は大きな影響を受けることとなります。特に名掛丁東部以東の陸前浜街道筋はさびれていくこととなります。

以上のような認識から、仙台駅のある場所は必ずしも「町外れ」ではなく、当時栄えていた町場の一部をまさしく“縦断”し、当時の人々の感覚では中心市街地の一部を横切ったように映ったことと思います。まあ、中心市街地の本当に中心という意味ではやや東にずれた位置ではありますが・・・。せめて宮町~東六番丁~清水小路の幹線を壊すことなく、その東に隣接して駅ができればまた違っていたのでしょうが、既存の住宅地域をなるべく壊さないように鉄路を通すため、当時直線的に繋がっていて土地を確保しやすかった東六番丁が駅舎の適地とされたのでしょう。

なお、

当初は長町方面からほぼ直線に現在の 宮城野貨物駅 付近を通過してそこに駅を設置する計画であったものを,住民の運動によって市街地に“できるだけ近いところ”まで線路を引き込んで,現在の位置に駅が設置されることとなった,という話が伝えられています。

というご説明は、仙台関連の多くの書籍で散見される内容ですね。

なお、仙台駅東口は「東○番丁」などの町場が割り出された足軽などの居住地及び市街地から移転された寺院が集積する寺町(新寺地区や連坊地区)でして、戦災が少なかったことから高度経済成長期も低層の住宅地域や寺院、近隣商業エリアが交錯するエリアでしたが、1970年代半ば頃から順次土地区画整理事業が進められ、「宮城野通」を中心とした現代的な都市地域へと生まれ変わりました。現在は、旧仙石線の鉄路が通ったエリアより北、二十人町から鉄砲町にかけてのエリアで土地区画整理事業が進行中で、完成の暁には、西口の広瀬通と繋がった一大幹線道路がエリアを貫通する予定となっています。
[67051] 2008年 10月 18日(土)09:12:38千本桜 さん
道路標識、鉄道ルート、小松みどり、大都会米沢
[67041] クハ221-1 さん
岐阜県内では「↑大津」という表示は全く出てきません(滋賀県に入るとようやく「↑大津 米原」となります)。
[67049]geo さん
ふと思いましたが,「↑大津 米原市街」ではないのですね。国道21号を滋賀県内に入ると米原市なので。
現在の道路標識設置基準では、「仙台」は行政上の仙台市を指し、「仙台まで○○キロ」は仙台市役所までの距離を指すことになっています。でも、この基準に私はなじめません。道路案内板はドライバーが「とっさ」に判断するものでしょう。私の場合、「仙台」の文字を見て「とっさ」に思い浮かべるのは仙台市街であり、しかも市街地の首部です。私の感覚と国土交通省の指針には深くて暗い河があるのですね。それはさておき、指針に従えば、国道21号を西に走行して滋賀県に入ると米原市ですから、直進方向に「↑米原」は表示できなくなるはずです。あくまでも指針ですから、実際の運用は担当者次第なのでしょうが・・・。ところで、国道21号が国道8号に接続する地点の案内板には、どのような行先地名が書いてあるのでしょうか。左折「←大津 彦根」、右折「福井 長浜→」でしょうか。

[67045]笠津前浜 さん
滋賀県内の国道21号の管理は彦根維持出張所であることも関係しているのかな。
国道維持出張所の立地が行先地名の表示に影響するかは定かではありませんが、ひとつ思い当たるのは、仙台市内の国道45号における直進「↑宮古」の表示です。気仙沼、大船渡、釜石などをさておいて、「宮古」を表示するのは飛び過ぎだと感じるのですが、45号を管理する三陸国道事務所が宮古に所在するからだろうか?などと考えることもあります。

[67023]YSK さん
名掛丁(ながけちょう)を経て
重箱の隅を突っつくようですが、名掛丁は濁らずに「なかけちょう」ですよね。東北本線のルートと仙台市街の関係はYSKさんの御説の通りだと思います。駅東(駅裏)にも城下町の一角をなした小田原金剛院丁、鉄砲町、連坊小路などの町並みが広がっていますからね。ところで、一般的には既存の市街地を避けて鉄道が敷かれたわけですが、群馬県桐生は見事に既存市街地を分断して両毛線が走っています。両毛線が開通した頃は既に桐生市街の骨格(桐生新町と新宿村の連担市街地)ができあがっていたはずで、目抜き通り(現在の本町商店街)を分断してレールが敷かれた珍しいケースだと思います。両毛線に乗っていて心が一番ときめいたのは、桐生本町通りの踏み切りに差し掛かるときでした。車窓に額を押し付けて本町通の賑わいを見つめたものです。

[67012]白桃 さん
都会は緑のインクで市名を塗りつぶしております。(これは、オーナーだけが知っております。)
なんだか意味は分りませんが、オーナーゆかりの都会は金沢と小松ですから、金沢碧と小松みどり にしておきます。

[67010]般若堂そんぴん さん
吉林市出身の中国人留学生によれば,「米沢はムラです」とのことでした.
チーリンさんの話に悲観しないで。米沢は間違いなくシティです。米沢の市街地って地図(20万分の1程度の)に表わすと、人口から受けるイメージよりも大きく表わされますよね。かれこれ50年近く前のことですが、当時の地図上の市街地表示は福島より米沢の方が大きかったような・・・。二つ三つ年下の友達に地図を見せて、福島と米沢ではどっちの人口が多い?と質問したのを憶えています。いま思えば酷な話ですね。相手は地理に関心があるとは思えない普通の小学生(たぶん2年生くらいだった)。福島と米沢の人口を比較させられたって、ちっとも面白くなかったと思うのですよ。
[67174] 2008年 11月 2日(日)04:40:22ペーロケ さん
エスカレーターほか
[67146]hiroroじゃけぇさん
京都は左右の区別がなかったと思います。強いて言えば、最も最前列の人がどちらに止まるかによるようです。
 言われてみれば、私も何度か京都に行ったことがありますが、エスカレーターの立ち位置はあまり印象に残っていませんね。私は広島で左に並ぶのに慣れてしまったため、関西の右に並ぶのにかなり違和感を感じるハズなんですけど。

阪急の地下にある「動く歩道」なんて自分は苦手です。「あと5m(だっけ)」という看板もありますが、どうもタイミングを計るのに苦労します。
 そうそう、大阪人はせっかちですね。ちなみに広島では歩きたくない人が多く「止まる」レーンに行列が出来ることが多いのですが、大阪などは「ゆずる」というよりむしろ、「追い越す」ためのレーンに行列ができる印象が強いです。つまり、歩くレーンは逆なのに、両方とも左側に行列ができるという不思議な現象がおきてしまいます。
 余談ですが、よく残り時間をカウントする信号で、大阪人は残り30秒くらいになったら横断し始めるなんて、テレビなどでよく聞きます。残り時間をカウントする信号は他の県庁所在地クラスの都市にも大きな交差点にはだいたい設置されていますけど、大阪以外で残り時間が残っている状態で渡り始める人を見たことがありません。対向車が来そうもないような片側交互通行用信号ならどこの都市の人でも残り20秒くらいで発進してしまうんですけどね(笑)。

[67173]YSKさん
仙台の地図を時系列で見ると、仙台の町がいかにシステマティックに形成され、城下町時代に完成したそのベースが現在においてもはっきりと残されているかが理解できると思います。
むしろ、時代とともに変化する様子が面白いですね。戦前は青葉通りや広瀬通りなんて存在せず、戦後になって広い都市計画道路が整備されたというのがよく分かります。それも、青葉通りは大町をバイパスする線形ですね。また、現在の地図では二十人町が広瀬通りにつながっているように見えますが、実は大町に繋がっており、広瀬通りは鉄砲町に繋がっていたとは。「X橋」というモノにすっかり騙されました(笑)。
 そして、現在進行形で変わっているのが、榴ヶ岡公園の北に突如登場する広い道路。いずれ二十人町通りをなぞり、広瀬通りに繋がるんでしょうが、区画整理マニアとしては、ずいぶん前から気になっている地域でもあります。広島の段原再開発などでは既存建物を一気に壊して広大な更地にし、一気に盛り土して新しい街づくりをしてますが、それとは対照的に、仙台駅東第二地区では既存の建物を必要以上に壊さず、時間をかけて少しづつ整備していっている感じですね。こういう区画整理の仕方もあるんだなと勉強になりました。

仙台でエスカレーターの右に寄るか左に寄るかは特に決まっていない、あるいはエスカレーター上で秩序だってどちらかに寄って乗るという行為自体習慣化していない
あくまで私の感覚ですが、どの都市でも場所によって一方に寄る場所と寄らない場所がありますね。デパートなどは急ぐ人が相対的に少ないために寄る傾向があまりなく、駅などは急ぐ人が多いために、どちらかに寄って道を譲るのが暗黙の礼儀となっている傾向があります。特に通勤時間帯は鉄道を毎日利用している割合が高く、その傾向が顕著でしょうか。仙台でも例外ではなく、私が仙台駅で左歩右停を体験したのは平日の4時ですので、少なくとも通勤で鉄道を使う人の間では習慣化はしていると思います。
 実は「仙石線ルール」、「南北線ルール」など、路線ごとにローカルルールなるものがあるのかと勝手に思っていましたが、結局のところ、右に寄るか左に寄るかは、京都と同様に先頭の人の判断ということでしょうね。
[67183] 2008年 11月 3日(月)00:27:41YSK さん
東京フィールドワーク、仙台
こんばんは、秋らしい穏やかな晴天に恵まれた当地です。本日、今年に入って意識的に取り組んでいる東京フィールドワークに出かけてまいりました。暑くもなく、寒くもなく、歩くにはちょうどよい陽気で、たいへんさわやかな町歩きをすることができました。

[67174]ペーロケさん
仙台レスありがとうございます。仙台については私のページにある「クローズアップ仙台」が参考になるかと思いますので、ご覧になってくださいますと幸いです。

むしろ、時代とともに変化する様子が面白いですね。戦前は青葉通りや広瀬通りなんて存在せず、戦後になって広い都市計画道路が整備されたというのがよく分かります。
私が指摘したいのは、こういった広幅員の道路が整備されても、城下町時代から形成されてきた街路網の形を大きく崩すものではなかった、ということです。仙台高裁前先から北目町にかけて市街地を斜めに横切る「五ツ橋通」や、青葉通の西側付近が碁盤目状の市街地の形をイレギュラーに貫く道路としてやや目立っていまして、多くの街路が既存の道路を拡幅したり、また碁盤目状の形を崩すことなく整備されています。広瀬通も西半分は「立町」を、そして東半分の一部は「元寺小路」を拡幅・整理したもののようです。

現在の地図では二十人町が広瀬通りにつながっているように見えますが、実は大町に繋がっており、広瀬通りは鉄砲町に繋がっていたとは。「X橋」というモノにすっかり騙されました。
「X橋(正式名称は「宮城野橋」)はJR線を跨ぐ橋ですね。ちなみに[67107]に書きましたとおり「大町」は東二番丁までで、この付近の通り名は「名掛丁」となります。そして広瀬通も戦前までの言い方で言うと「元寺小路」となります。X橋は東行きと西行きで一方通行路となっている2つの道路が橋上で1つに束ねられ、橋を降りるとまた2つに分かれるという構造の橋でした(下図)。その形から通称の「X橋」が広く知られており、正式名称の「宮城野橋」はあまり知られていないようです。

元寺小路(広瀬通)元寺小路・鉄砲町
名掛丁名掛丁・二十人町

X橋のうち、西南の名掛丁に下りる部分は再開発ビル「アエル」の建設に伴い廃止され、現在ではすべて元寺小路(広瀬通)へ下りるようになっています。

仙台駅東第二地区では既存の建物を必要以上に壊さず、時間をかけて少しづつ整備していっている
そんなことは無いですよ。二十人町や鉄砲町では建物の撤去が進み、拡幅や区画整理の済んだエリアではマンションなどが建った部分と更地の部分とがモザイク状に展開している光景を目にすることができます。JR仙石線の地下化が完成したあたりからこのエリアでも区画整理のピッチが徐々に上がっているようで、戦災を免れ、昔ながらの住宅地と近隣商業地域が広がっていたかつての鉄砲町と二十人町の風景はもうほとんど無くなっているといっても良い状況となっています。このエリアは2003年から定期的にフィールドワークして取材しておりますので、「クローズアップ仙台」内該当記事をご確認くださいね。

エスカレーター関係は稿を改めたいと思います。
[67205] 2008年 11月 6日(木)02:11:37ペーロケ さん
ずむずむずむ
 世界的ニュースにあやかり、本人にあまり関係ないと思われる日本海沿岸の「とある市」では大騒ぎのようですが、広島では新球場の名前が「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」となるという衝撃的なニュースでもちきりでした。いかにも舌を噛みそうな名前です。個人的には、まだ「ゆめタウンスタジアム」の方がいいような気がしますが。。。

[67183]YSKさん
そんなことは無いですよ。二十人町や鉄砲町では建物の撤去が進み、拡幅や区画整理の済んだエリアではマンションなどが建った部分と更地の部分とがモザイク状に展開している光景を目にすることができます。
 すみません。私の書き方が悪かったですね。土地区画整理事業は最終的には減歩などが絡む為、古い建物は原則として全て取り壊される運命なのですが、一度にすべてを壊すのではなく、少しづつ壊して少しづつ新しい建物を建てていくといったイメージですね。移転などで準備する仮住まいも少なくて済みますし。
 もっとも、私はYSKさんみたいに歩いたわけでもなく、車で10番丁通り?を通っただけで、区画整理について語る資格などないのかもしれませんが。ただ、広島で身近に行われている段原再開発に比べて、まとまった更地がはるかに少ないなと感じた訳です。

 仙台で気になっている地域がもう一つあります。それは、川内追廻。仙台城の直下で青葉川沿いの1等地、道路が密に敷かれている割には住戸もまばらで、ここも区画整理でもやっているのでしょうか?google mapでチェックし、実際に車で徘徊しましたが、やっぱり不思議な空間です。

[67203]hiroroじゃけぇさん
えっ、岡山のことですか。フツーに「赤」で渡ってる人がいますけど・・・。
 柳川交差点のように大きな通りを想定していますが、岡山って、信号無視しやすいくらい小さな交差点でも、カウント式信号機が設置されていましたっけ?そういや信号のLED化が結構進んでいたような気もします。

[67200]太白さん
 お久しぶりです。琵琶湖のファンキーな飛び地、あれは「厳密には飛び地ではない」と否定した記憶もありますが、実は個人的には好きだったんですよ。境界線確定により削除となり、残念です。

[67194]k-aceさん
 イオンの出店ラッシュには、確か「まちづくり3法」により床面積1万m2以上の大規模店舗の立地が原則として商業地域、近隣商業地域、準工業地域に限定されること、つまり、都市計画の変更なしに郊外に出店できなくなることから、その法律が施行される前に駆け込みで、各地に作りまくったという背景があります。だから、採算性というよりも、「とりあえず作れるうちに作っとけ」といった感覚で出店したのでしょう。その出店ラッシュに原油高による車離れも加わり、2008年2月期のイオンの連結決算は、前年に比べ売上は上がっているものの利益が減少しているようです。

#そういや広島にも、「イオン祇園」が建設中ですが、当初、今年の夏開業予定と聞いていたものの、未だに鉄骨を組んでいるような状態と思われます。一体、いつできるのやら。。。
[68971] 2009年 3月 22日(日)21:07:36【6】桜通り十文字 さん
駅名に連続する地名まとめ
[68967]グリグリさん
どなたか代わりに整理していただけたらうれしいです_o_
というわけで思わずやってしまいました。(まあ言いだしっぺは私ですが)分類は[68913]グリグリさんのものを拝借しました。

■地名正統派
新千葉-京成千葉-千葉中央-千葉寺京成千葉線・千原線[68902]グリグリさん
東浦和-南浦和-武蔵浦和-西浦和JR武蔵野線[68902]グリグリさん
北佐世保-中佐世保-佐世保中央-佐世保松浦鉄道西九州線[68903] 有明つばめ さん
久留米-久留米高校前-南久留米-久留米大学前JR久大本線[68906] かぱぷう さん
西新宿-新宿-新宿三丁目-新宿御苑前東京メトロ丸ノ内線[68914]今川焼 さん
桟橋通一丁目-桟橋通二丁目-桟橋通三丁目-桟橋通四丁目-桟橋車庫前-桟橋通五丁目土佐電気鉄道[68914]今川焼 さん
舟入町-舟入本町-舟入幸町-舟入川口町-舟入南町広島電鉄線[68917]美濃織部 さん
宇品二丁目-宇品三丁目-宇品四丁目-宇品五丁目広島電鉄線[68917]美濃織部 さん
上白滝-白滝-旧白滝-下白滝JR石北本線[68920]にまん さん
水口松尾-水口-水口石橋-水口城南近江鉄道本線[68922]EMM さん
東能代ー能代ー向能代ー北能代JR五能線[68923]右左府 さん
荒川一中前ー荒川区役所前ー荒川二丁目ー荒川七丁目都電荒川線[68935]ヌオ さん
本町三丁目ー本町四丁目ー本町五丁目ー本町六丁目伊予鉄道本町線[13979]まがみさん
上町一丁目ー上町二丁目ー上町四丁目ー上町五丁目土佐電鉄伊野線[13979]まがみさん
後免町-後免東町-後免中町-後免西町土佐鉄道ごめん線[68985]EMM さん
知寄町三丁目-知寄町-知寄町二丁目-知寄町一丁目土佐鉄道ごめん線[68985]EMM さん
三島-三島広小路-三島田町-三島二日町伊豆箱根鉄道駿豆線[68987]EMM さん

■地名参考派(ひらがな混じり)

東田平-中田平-たびら平戸口-西田平松浦鉄道西九州線[68903]有明つばめ さん

■参考データ(旧国名・地域名)
上総牛久-上総川間-上総鶴舞-上総久保小湊鉄道線[68902] グリグリさん
肥前山口-肥前白石-肥前竜王-肥前鹿島-肥前浜-肥前七浦-肥前飯田JR長崎本線[68903] 有明つばめ さん
会津越川ー会津横田ー会津大塩ー会津塩沢ー会津蒲生JR只見線[68904]桜通り十文字
越後大島-越後下関-越後片貝-越後金丸JR米坂線[68907] 敷守ほむら さん
武蔵小杉ー武蔵中原ー武蔵新城ー武蔵溝ノ口JR南武線[68923]右左府 さん
信濃松川ー信濃常盤ー信濃大町ー信濃木崎JR大糸線快速[68939]ひぃ さん
伊豆高原-伊豆大川-伊豆熱川-伊豆北川伊豆急行[68987]EMM さん

■参考データ(方角等その他...)
西線6条-西線9条旭山公園通-西線11条-西線14条-西線16条札幌市電・山鼻西線[68902] グリグリさん
西御料-西瑞穂-西神楽-西聖和JR富良野線[68904] 桜通り十文字
越後早川-桑川-今川-越後寒川JR羽越本線[68910] 伊豆之国 さん
渡辺橋-大江橋-なにわ橋-天満橋-京橋京阪本線・中之島線[68911] なると金時 さん
北12条-北18条-北24条-北34条札幌市営地下鉄[68913] グリグリさん
東新湊-中新湊-新町口-射水市新湊庁舎前万葉線新湊港線[68915]EMM さん
長町南-長町-長町一丁目-河原町仙台市地下鉄南北線[68930]牛山牛太郎 さん
三条ー四条ー五条ー七条京阪本線[68932]あきすて さん
天王寺ー久宝寺ー王寺ー法隆寺JR大和路線快速[68932]あきすて さん
下井草ー井荻ー上井草ー石神井公園西武新宿線[13967]special-weekさん
鉄砲町~清水町~高砂町~木屋町~本町六丁目~萱町六丁目~小町~宮田町伊予鉄道[13971][68980]ペーロケ さん
島原-島鉄本社前-南島原-島原外港島原鉄道[68987]EMM さん
茂里町-銭座町-宝町-八千代町長崎電軌[68987]EMM さん
小網町-天満町-観音町-西観音町-福島町広島電鉄[68987]EMM さん
猿猴橋町-的場町-稲荷町-銀山町-胡町広島電鉄[68987]EMM さん
トロッコ嵯峨-トロッコ嵐山-トロッコ保津峡-トロッコ亀岡嵯峨野観光鉄道[68987]EMM さん
東林間-中央林間-南林間-鶴間小田急江ノ島線[68987]EMM さん
大宮-北大宮-大宮公園-大和田東武野田線[68987]EMM さん


■参考データ(ひらがな(ただし、漢字部門とダブっているのを除く))
渡辺橋ー大江橋ーなにわ橋ー天満橋ー京橋ー守口市ー寝屋川市京阪快速急行[68932]あきすて さん
守口市ー西三荘ー門真市ー古川橋京阪線[68942]桜通り十文字
伊勢八太-一志-井関-伊勢大井-伊勢川口JR名松線[68987]EMM さん
家城-伊勢竹原-伊勢鎌倉-伊勢八知JR名松線[68987]EMM さん
立川南-立川北-高松-立飛多摩モノレール[68987]EMM さん


■参考データ(廃線・バスなど)
烏丸七条-烏丸五条-烏丸松原-四条烏丸-烏丸三条-烏丸御池-烏丸二条-烏丸丸太町-烏丸下長者町-烏丸今出川-烏丸中学前-烏丸鞍馬口京都バス45系統[68920]にまん さん
小頓別ー上頓別ー中頓別ー下頓別ー浜頓別ー頓別国鉄天北線[68926]小松原ラガー さん
中名寄1線ー中名寄2線ー中名寄3線ー中名寄4線ー中名寄5線ー中名寄6線ー中名寄7線ー中名寄8線ー中名寄9線ー中名寄10線ー上名寄11線ー上名寄12線ー上名寄13線ー上名寄14線ー上名寄15線ー上名寄16線ー上名寄17線ー上名寄18線ー上名寄19線ー上名寄20線ー西町21線ー西町22線名士バス[68941]桜通り十文字
金杉橋-芝園橋-赤羽橋-中ノ橋-一ノ橋-二ノ橋-三ノ橋-古川橋-四ノ橋都電34系統[68966]伊豆之国 さん
烏丸五条-烏丸高辻-四条烏丸-烏丸三条-烏丸御池-烏丸二条-烏丸丸太町-烏丸出水-烏丸中立売-烏丸今出川-烏丸上立売-烏丸中学前-烏丸鞍馬口京都市電[68966]伊豆之国 さん
西大路九条-西大路駅前-西大路八条-西大路七条-西大路花屋町-西大路五条-西大路松原-西大路四条-西大路蛸薬師-西大路三条-西大路御池京都市電[68966]伊豆之国 さん
玉-玉比め神社前-玉小学校前-玉遊園地前玉野市電気鉄道[68968]Issie さん
大正9号-大正10号-大正11号-大正12号-大正13号-大正14号-大正15号-大正16号-大正17号-大正本町-大正-大正18号-大正19号-大正20号-大正21号-大正22号-大正23号-大正24号-大正25号-大正26号-大正27号十勝バス広尾線[68974]EMM さん
中札内31号ー中札内32号ー中札内33号ー中札内34号ー中札内35号ー中札内北8丁目ー中札内北6丁目十勝バス広尾線[68974]EMM さん
中札内公住前ー中札内養護学校入口ー中札内ー中札内南4丁目ー中札内小学校前ー中札内東1線ー中札内東2ー線中札内東3線ー中札内東4線ー中札内美術村十勝バス広尾線[68974]EMM さん
更別北3線ー更別北2線ー更別北1線ー更別高校前ー更別市街入口ー更別公住前ー更別ー更別神社前ー更別南2線ー更別南3線ー更別南4線十勝バス広尾線[68974]EMM さん
更別南6線ー更別南9線ー更別南10線ー更別南11線ー更別南12線ー上更別ー上更別33号十勝バス広尾線[68974]EMM さん
幕別16号ー幕別17号ー幕別18号ー幕別19号ー幕別20号ー幕別21号ー幕別22号ー幕別本町十勝バス帯広陸別線[68974]EMM さん
中士幌1号ー中士幌2号ー中士幌3号ー中士幌4号ー中士幌5号ー中士幌6号ー中士幌7号ー中士幌8号ー中士幌9号ー中士幌10号ー中士幌11号ー中士幌待合所十勝バス糠平線[68974]EMM さん
中士幌14号ー中士幌15号ー中士幌16号ー中士幌17号ー中士幌18号ー中士幌19号ー士幌20号ー士幌21号ー士幌22号ー士幌23号ー士幌24号ー士幌25号ー士幌ー士幌農協前十勝バス糠平線[68974]EMM さん
士幌27号ー士幌28号ー士幌29号ー士幌30号ー士幌31号ー士幌32号ー士幌33号ー士幌34号ー士幌35号ー上士幌36号ー上士幌37号ー上士幌38号ー上士幌高校前ー上士幌営業所ー上士幌小学校前十勝バス糠平線[68974]EMM さん
上士幌ー上士幌42号ー上士幌43号ー上士幌ヘリポート前ー上士幌45号ー上士幌46号ー上士幌47号十勝バス糠平線[68974]EMM さん
上士幌51号ー上士幌52号ー上士幌53号ー上士幌54号ー上士幌55号ー上士幌56号ー上士幌57号十勝バス糠平線[68974]EMM さん


以上です。(長かった~)なお、抜け、間違いなどがある可能性もありますのでよろしくお願いします。

訂正 この書き込みのすぐ後に出てきた物件を追加
ひらがな部門を追加
路線名の書き忘れを訂正
   十勝バスのさまざまな物件を追加
   
[68980] 2009年 3月 22日(日)23:32:28【1】ペーロケ さん
過去ログより
[68971]桜通り十文字さん
 取りまとめご苦労さまです。拙稿[68940]にて、類似の話題が過去にもあったと紹介しましたが、その中でも(もちろんダブりもありますが)抜けているものもあります。

[13979]まがみさんの記事が比較的よくまとまっています。4連続以上が条件なんでしょうが
伊予鉄道 本町線 本町三丁目、本町四丁目、本町五丁目、本町六丁目
土佐電鉄 伊野線 上町一丁目、上町二丁目、上町四丁目、上町五丁目
あたりなんてのはどうでしょうか??

また、長町などがOKならば、例えばワタクシ[13971]
伊予鉄道 鉄砲町、清水町、高砂町、木屋町
やら、[13967]special-weekさんの
西武新宿線 下井草、井荻、上井草、石神井公園
も該当しそうですが、いかがでしょうか??

(追加)過去の記事なので、書いた当時はうっかりしてましたが、実は[13971]の伊予鉄道は木屋町のあとも町のつく駅が続きます。東から並べますと

鉄砲町~清水町~高砂町~木屋町~本町六丁目~萱町六丁目~小町~宮田町

と、実に8駅。町がつく駅は潜在的にもっとあるでしょうね。
[72857] 2009年 11月 16日(月)15:58:38【3】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)・福岡県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)福岡県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)福岡県令第42号(M22.3.13)
#『福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)』27-28頁によります。28頁には市制施行により福岡市となった従来の福岡区の町村名、及び市制施行により久留米市となった従来の御井郡両替町外28町の町名を記載し、27頁には市制施行により福岡市及び久留米市となった従来の福岡区の町村名及び従来の御井郡両替町外28町の町名以外の区域を掲載しています。これは実質的に福岡県の市制施行地域の廃置分合を記した福岡県令第42号に相当していることより、本稿では福岡県令第42号として書き表します。
(2)福岡県令第43号(M22.3.13)(明治22年4月1日に行われた町村分合の根拠)
#福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)30-39頁によります
(3)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(4)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(5)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(7)内務省告示第34号(M23.10.6)
#明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表しており明治22年末の市町村名を記載。
(8)旧高旧領取調帳
#明治2年(1869)頃の村名を掲載しています([57484]okiさん)。歴史民俗博物館のデータベースの検索結果によります。
(9)福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)
#明治22年に福岡市及び久留米市となった町村名が記載されています。
(10)市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)(公文類聚(太政官の公文書をまとめた公式文書)より)
(11)福岡県新町村名(編著:葉石次郎、出版:磊落堂、M22.11.)

(1)から(6)は総てにおいて参照し、(7)~(11)は適宜参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(4)のみを記載しました。

それでは紹介です。


2 新設/市制 福岡市 福岡区, 福岡区 天神町, (略), 紺屋町, 西小性村, 林毛, (略), 鉄砲町, 東小性村, 薬院東川端, (略), 桝木屋町, 大円寺村, 東唐人町堀端, (略), 荒戸村, 「博多」中島町, 川端町, (略), 下西町, 古小路「町」, 上店屋町, (略), 小金町, 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 鳥飼村の一部

2 新設/市制 福岡市 福岡区, 福岡区 天神町, (略), 紺屋町, 西小性「町」, 林毛, (略), 鉄砲町, 東小性「町」, 薬院東川端, (略), 桝木屋町, 大円寺「町」, 東唐人町堀端, (略), 荒戸村, 中島町, 川端町, (略), 下西町, 古小路, 上店屋町, (略), 小金町, 「那珂郡」 春吉村の一部, 犬飼村の一部, 堅粕村の一部, 「早良郡」 鳥飼村の一部
ではないでしょうか。
「村」ではなくて「町」、「町」ではなくて「村」である箇所は、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)、「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁よりの福岡県令第42号、福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)に共通です。
「博多」については、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)については「博多」中島町と記載されています。しかし当事者の福岡県が発行した「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁よりの福岡県令第42号、福岡県統計書明治22年(著・出版:福岡県、M24)には単に中島町とあります。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)の福岡市及び久留米市の各町村名を見てみると、最初に「福岡」「久留米」と総称があります。そして「博多」中島町と書かれているところより後の町村名は総て福岡区の博多と呼ばれた各町村名であるようです。「福岡」「久留米」だけでなく「博多」もこれ以降が博多に所属する各町村であるとの符号であると判断すれば、「福岡県市町村合併史」(編・発行:福岡県、1962)27-28頁に記載の(実質的に)福岡県令第42号と整合することになります。福岡県新町村名(編著:葉石次郎、出版:磊落堂、M22.11.)を見ると、「福岡」天神丁,「博多」中島町と「福岡」「博多」の総称がついていますし。。。
私としては、当事者の福岡県が発行したものには中島町と書かれていることを以て、「博多」中島町ではなくて中島町であると考えますが、最終的な取り扱いについては88さんの判断に委ねます。


5 新設/村制 鞍手郡吉川村 鞍手郡 脇田村, 犬鳴村, 緑山畑村, 小伏村, 乙野村

5 新設/村制 鞍手郡吉川村 鞍手郡 脇田村, 犬鳴村, 「縁」山畑村, 小伏村, 乙野村
ではないでしょうか。
福岡県令第43号(福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)31頁)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では「縁」山畑村とあります。
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では文字が潰れていて「緑」山畑村であるか「縁」山畑村の判別が付きません。。
参考までに旧高旧領取調帳でも「縁」山畑村となっています。なお地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在では緑山畑村となっていますが。
現在は福岡県宮若市縁山畑です。

15 新設/村制 鞍手郡西川村 鞍手郡 新北村, 八尋村, 長谷村, 室木村, 永谷村, 新延村

15 新設/村制 鞍手郡西川村 鞍手郡 新北村, 八尋村, 長谷村, 室木村, 永「ヶ」谷村, 新延村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

30 新設/村制 遠賀郡上津役村 遠賀郡 小嶺村, 下上津役村, 上上津役村, 引野村, 市瀬村, 穴生村

30 新設/村制 遠賀郡上津役村 遠賀郡 小「峯」村, 下上津役村, 上上津役村, 引野村, 市瀬村, 穴生村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

79 新設/町制 京都郡行橋町 京都郡 行事村, 「宮市村」, 「仲津郡」 大橋村

79 新設/町制 京都郡行橋町 京都郡 行事村, 「仲津郡」 「宮市村」, 大橋村
ではないでしょうか。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では仲津郡 宮市村となっています。
しかし、福岡県令第43号(福岡県市町村合併史(編・発行:福岡県、1962)38頁)では仲津郡 宮市村はありますが、大橋村の記述が抜けています。ただし市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)22コマや前述の書物と比較すると書き落としと考えた方がよさそうです。
また、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では行橋「村」となっていますが、これは単なる誤記であると推測します。明治22(1889)年末の「市町村現住人口」を表した内務省告示第34号(M23.10.6)では、明治22年12月31日現在で行橋町となっていますし。。。
ちなみに地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも仲津郡 宮市村, 大橋村となっています。

82 新設/村制 京都郡椿市村 京都郡 徳永村, 須磨園村, 常松村, 福丸村, 高来村, 入覚村, 下崎村, 長尾村, 企救郡 矢山村
は#71との関係上
82 新設/村制 京都郡椿市村 京都郡 徳永村, 須磨園村, 常松村, 福丸村, 高来村, 入覚村, 下崎村, 長尾村, 企救郡 矢山村「の一部」
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

88 新設/村制 御井郡金島村 御井郡 金島村, 八重亀村, 中川村, 守部村の一部, 富多村の一部
は#96との関係上
88 新設/村制 御井郡金島村 御井郡 金島村, 八重亀村, 中川村「の一部」, 守部村の一部, 富多村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

92 新設/村制 御井郡合川村 御井郡 合川村, 足穂村
は#89との関係上
92 新設/村制 御井郡合川村 御井郡 合川村「の一部」, 足穂村
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

96 新設/村制 御井郡大堰村 御井郡 菅野村, 西春村, 守部村の一部, 富多村の一部, 三川村, 「竹野郡」 「中川村の一部」, 八幡村の一部

96 新設/村制 御井郡大堰村 御井郡 菅野村, 西春村, 守部村の一部, 富多村の一部, 三川村, 「中川村の一部」, 「竹野郡」 八幡村の一部
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

97 新設/村制 御井郡大城村 御井郡 大城村, 乙吉村, 乙丸村, 赤司村, 「山須村」, 稲数村, 仁王丸村, 塚島村, 中島村, 千代島村

97 新設/村制 御井郡大城村 御井郡 大城村, 乙吉村, 乙丸村, 赤司村, 稲数村, 仁王丸村, 塚島村, 中島村, 千代島村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

110 新設/村制 御原郡小郡村 御原郡 福童村, 寺福童村, 小郡町, 大板井村, 小板井村の一部, 大崎村, 稲吉村の一部, 御井郡 上西鰺坂村の一部
は#99及び#113との関係上
110 新設/村制 御原郡小郡村 御原郡 福童村「の一部」, 寺福童村, 小郡町, 大板井村「の一部」, 小板井村の一部, 大崎村, 稲吉村の一部, 御井郡 上西鰺坂村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

116 新設/村制 三池郡玉川村 三池郡 勝立村, 櫟野村, 教楽来村, 東米生村
119 新設/村制 三池郡三川村 三池郡 三里村, 川尻村
は#127との関係上
116 新設/村制 三池郡玉川村 三池郡 勝立村, 櫟野村, 教楽来村, 東米生村「の一部」
119 新設/村制 三池郡三川村 三池郡 三里村, 川尻村「の一部」
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

138 新設/村制 三潴郡青木村 三潴郡 青木島村, 江島村, 四郎丸村, 上青木村, 下青木村, 西青木村, 浮島村, 鐘ヶ江村の一部
は#134との関係上
138 新設/村制 三潴郡青木村 三潴郡 青木島村, 江島村, 四郎丸村, 上青木村, 下青木村「の一部」, 西青木村「の一部」, 浮島村, 鐘ヶ江村の一部
とした方がよいのではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

145 新設/村制 三潴郡鳥飼村 三潴郡 津福村, 津福今村, 「御井郡」 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村, 「白口村の一部」

145 新設/村制 三潴郡鳥飼村 三潴郡 津福村, 津福今村, 「白口村の一部」, 「御井郡」 大石村, 白山村, 梅満村, 長門石村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

149 新設/村制 三潴郡木室村 三潴郡 中木室村, 下木佐木村, 牟田口村, 荻島村, 大橋村, 本木室村, 中八院村, 上白垣村の一部, 下白垣村, 下八院村

149 新設/村制 三潴郡木室村 三潴郡 中木室村, 下木佐木村, 「下」牟田口村, 荻島村, 大橋村, 本木室村, 中八院村, 上白垣村の一部, 下白垣村, 下八院村
ではないでしょうか。
参考:大日本市町村名鑑

次稿へ続く。
[73444] 2009年 12月 30日(水)00:31:41かぱぷう さん
88さんへ 微修正依頼
[73437]88さん
市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1

■福岡市 となる旧町村名の一部について
(1) 福岡区 西小性村, 東小性村, 大円寺村, 古小路村 or 福岡区 西小性町, 東小性町, 大円寺町, 古小路町
このうち西小性村・東小性村については西小姓村・東小姓村が正当ではないかと思います。
( 参考 復活通り名紹介のうち文頭の「鉄砲町通り」の次の記述を参照ください)
私が思っている中央区大名の小姓町とは違うところに西小性村・東小性村が存在していたとすれば「あな恥ずかしや」ですが(^^A
[73754] 2010年 1月 7日(木)23:37:58むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛媛県(その1)
[73753]の続きです。

まずは資料の紹介です。

一つ目は郡界変更を記した愛媛県令第63号(M22.11.11)です。出典は愛媛県史資料編近代2(編:愛媛県史編さん委員会、出版:愛媛県、1984)415頁です。
愛媛県令第63号
内務大臣ニ具申シ其裁可ヲ得、県下久米郡下浮穴郡伊豫郡喜多郡ノ経界ヲ左ノ通変更シ本年12月15日ヨリ之ヲ施行ス
明治22年11月11日 愛媛県知事 白根専一
下浮穴郡南方村 同郡吉久村
右久米郡に編入ス
下浮穴郡鵜崎村 同郡両澤村 同郡上唐川村
右伊豫郡に編入ス
喜多郡中山村
右下浮穴郡に編入ス

二つ目は町村の廃置分合を記した県令第64号(M22.11.11)です。
本論に入る前に注意を一つ記しておきます。
愛媛県の県令第64号は、愛知県の県令第47号と同様に、廃置分合と、廃置分合の後に旧村を大字として残すということを一つの県令でまとめて記載しています。
例えば県令第64号280コマの一番始めに記載されている立岩村を構成する「才之原村ノ内庄村飛地」とは、合併前は庄村飛地、合併後は才之原村という大字の一部となる、ということを意味します。
#これが分からずに、かつての私は約一日苦しんだのでした。

そして本体か否かの基準は平成19年度版愛媛県市町要覧第2部資料編1.市町の変遷(2)市町村変遷一覧(PDF)によりました。

また、本稿では数筆程度のところを一部地域として、本体部分だけのところも(本体;飛地及び一部地区を除く)といった形体で記載しています。また一部地域でも一つの字の範囲全部以上の箇所にも(字○○)という形で注釈を入れています。


それでは市区町村変遷情報(市制町村制施行時)愛媛県で誤りと思えるところがありましたので以下に報告します。

8 新設/村制 伊予郡南山崎村 伊予郡 鵜崎村, 両沢村, 上唐川村, 下唐川村, 大平村
83 新設/村制 下浮穴郡中山村 下浮穴郡 中山村, 出淵村の一部
127 新設/村制 久米郡川上村 久米郡 北方村, 松瀬川村, 南方村, 吉久村

8 「郡変更」/新設/村制 伊予郡南山崎村 「下浮穴郡」 鵜崎村, 両沢村, 上唐川村, 「伊予郡」 下唐川村, 大平村
83 「郡変更」/新設/村制 下浮穴郡中山村 「喜多郡」 中山村, 「下浮穴郡」 出淵村の一部
127 「郡変更」/新設/村制 久米郡川上村 久米郡 北方村, 松瀬川村, 「下浮穴郡」 南方村, 吉久村
ではないでしょうか。
参考:県令第63号(M22.11.11)本稿冒頭部参照

1 新設/市制 松山市 温泉郡 東雲町, 喜与町, 北歩行町, 中歩行町, 南歩行町, 鮒屋町, 御宝町, 玉川町, 北京町, 南京町, 北八坂町, 南八坂町, 永木町, 唐人町一丁目, 唐人町二丁目, 唐人町三丁目, 北夷子町, 南夷子町, 河原町, 立花町, 堀内町, 豊坂町一丁目, 豊坂町二丁目, 柳井町, 榎町, 小唐人町一丁目, 小唐人町二丁目, 小唐人町三丁目, 湊町一丁目, 湊町二丁目, 湊町三丁目, 湊町四丁目, 千船町, 一番町, 二番町, 三番町, 弁天町, 久保町, 春日町の一部, 南堀端町, 新玉町, 花園町一丁目, 花園町二丁目, 西町, 末広町一丁目, 末広町二丁目, 本町一丁目, 本町二丁目, 本町三丁目, 本町四丁目, 本町五丁目, 出淵町一丁目, 出淵町二丁目, 江戸町, 西堀端町, 宮古町, 紙屋町, 萱町一丁目, 萱町二丁目, 萱町三丁目, 萱町四丁目, 萱町五丁目, 萱町六丁目, 萱町七丁目, 松前町一丁目, 松前町二丁目, 松前町三丁目, 松前町四丁目, 松前町五丁目, 魚町一丁目, 魚町二丁目, 魚町三丁目, 魚町四丁目, 魚町五丁目, 鍛冶屋町, 常盤町, 三津口町, 府中町一丁目, 府中町二丁目, 府中町三丁目, 府中町四丁目, 木屋町一丁目, 木屋町二丁目, 木屋町三丁目, 木屋町四丁目, 木屋町五丁目, 清水町, 道後町, 傘屋町, 新町一丁目, 新町二丁目, 鉄砲町, 水口町, 杉谷町, 弓町, 矢矧町, 琢町, 三春町, 通町, 一万町「の一部」, 中村の一部, 味酒村の一部, 立花村の一部, 持田村の一部

1 新設/市制 松山市 温泉郡 「松山」東雲町, 「松山」喜与町, 「松山」北歩行町, 「松山」中歩行町, 「松山」南歩行町, 「松山」鮒屋町, 「松山」御宝町, 「松山」玉川町, 「松山」北京町, 「松山」南京町, 「松山」北八坂町, 「松山」南八坂町, 「松山」永木町, 「松山」唐人町一丁目, 「松山」唐人町二丁目, 「松山」唐人町三丁目, 「松山」北夷子町, 「松山」南夷子町, 「松山」河原町, 「松山」立花町, 「松山」堀内町, 「松山」豊坂町一丁目, 「松山」豊坂町二丁目, 「松山」柳井町, 「松山」榎町, 「松山」小唐人町一丁目, 「松山」小唐人町二丁目, 「松山」小唐人町三丁目, 「松山」湊町一丁目, 「松山」湊町二丁目, 「松山」湊町三丁目, 「松山」湊町四丁目, 「松山」千船町, 「松山」一番町, 「松山」二番町, 「松山」三番町, 「松山」弁天町, 「松山」久保町, 「松山」春日町の一部(本体;一部地区を除く), 「松山」南堀端町, 「松山」新玉町, 「松山」花園町一丁目, 「松山」花園町二丁目, 「松山」西町, 「松山」末広町一丁目, 「松山」末広町二丁目, 「松山」本町一丁目, 「松山」本町二丁目, 「松山」本町三丁目, 「松山」本町四丁目, 「松山」本町五丁目, 「松山」出淵町一丁目, 「松山」出淵町二丁目, 「松山」江戸町, 「松山」西堀端町, 「松山」宮古町, 「松山」紙屋町, 「松山」萱町一丁目, 「松山」萱町二丁目, 「松山」萱町三丁目, 「松山」萱町四丁目, 「松山」萱町五丁目, 「松山」萱町六丁目, 「松山」萱町七丁目, 「松山」松前町一丁目, 「松山」松前町二丁目, 「松山」松前町三丁目, 「松山」松前町四丁目, 「松山」松前町五丁目, 「松山」魚町一丁目, 「松山」魚町二丁目, 「松山」魚町三丁目, 「松山」魚町四丁目, 「松山」魚町五丁目, 「松山」鍛冶屋町, 「松山」常盤町, 「松山」三津口町, 「松山」府中町一丁目, 「松山」府中町二丁目, 「松山」府中町三丁目, 「松山」府中町四丁目, 「松山」木屋町一丁目, 「松山」木屋町二丁目, 「松山」木屋町三丁目, 「松山」木屋町四丁目, 「松山」木屋町五丁目, 「松山」清水町, 「松山」道後町, 「松山」傘屋町, 「松山」新町一丁目, 「松山」新町二丁目, 「松山」鉄砲町, 「松山」水口町, 「松山」杉谷町, 「松山」弓町, 「松山」矢矧町, 「松山」琢町, 「松山」三春町, 「松山」通町, 「松山」一万町(本体;一部地区を除く), 中村の一部, 味酒村の一部, 立花村の一部, 持田村の一部
と各町には総称の「松山」が付くのではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)277コマによると総称たる松山が付きます。

前述の松山市との関係上、
70 新設/村制 温泉郡道後村 温泉郡 石手村, 一万町の一部, 持田村「の一部」, 一万村, 道後村「の一部」
73 新設/村制 温泉郡雄群村 温泉郡 小栗村, 藤原村, 竹原村, 土居田村, 針田村, 春日町の一部
でも
70 新設/村制 温泉郡道後村 温泉郡 石手村, 「松山」一万町の一部, 持田村(本体;一部地区を除く), 一万村, 道後村(本体;一部地区を除く)
73 新設/村制 温泉郡雄群村 温泉郡 小栗村, 藤原村, 竹原村, 土居田村, 針田村, 「松山」春日町の一部
となるものと考えられます。
参考:県令第64号(M22.11.11)279コマ

4 新設/村制 伊予郡郡中村 伊予郡 米湊「町」, 上吾川村, 郡中「灘」町の一部, 下吾川村, 南黒田村の一部
5 新設/町制 伊予郡郡中町 伊予郡 郡中灘町「の一部」, 郡中湊町

4 新設/村制 伊予郡郡中村 伊予郡 米湊「村」(本体;一部地区を除く), 上吾川村, 郡中「湊」町の一部, 下吾川村「の一部」, 南黒田村の一部
5 新設/町制 伊予郡郡中町 伊予郡 郡中灘町, 郡中湊町(本体;一部地区を除く), 「米湊村の一部」, 「下吾川村の一部」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)291コマ
292コマの郡中村とは、愛媛県史資料編近代2(編:愛媛県史編さん委員会、出版:愛媛県、1984)によりますと、郡中町と書くべきところを誤記していることになっています。

2 新設/村制 伊予郡岡田村 伊予郡 西古泉村, 恵久美村, 大間村, 北河原村, 昌農内村, 上高柳村, 西高柳村
6 新設/村制 伊予郡松前村 伊予郡 北黒田村, 浜村, 筒井村, 南黒田村「の一部」
9 新設/村制 伊予郡北伊予村 伊予郡 横田村, 徳丸村, 出作村, 中河原村, 鶴吉村, 永田村, 大溝村, 東古泉村, 神崎村

2 新設/村制 伊予郡岡田村 伊予郡 西古泉村(本体;飛地を除く), 恵久美村(本体;飛地を除く), 大間村, 北河原村, 昌農内村, 上高柳村, 西高柳村, 「永田村飛地」
6 新設/村制 伊予郡松前村 伊予郡 北黒田村, 浜村(本体;飛地を除く), 筒井村, 「下吾川村飛地」, 「東古泉村飛地」, 「西古泉村飛地」, 南黒田村(本体;一部地区を除く)
9 新設/村制 伊予郡北伊予村 伊予郡 横田村, 徳丸村, 出作村, 中河原村, 鶴吉村, 永田村(本体;飛地を除く), 大溝村, 東古泉村(本体;飛地を除く), 神崎村, 「恵久美村飛地」, 「浜村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)292コマ

37 新設/村制 越智郡下朝倉村 越智郡 朝倉下村, 朝倉南村, 朝倉北村, 古谷村, 山口村

37 新設/村制 越智郡下朝倉村 越智郡 朝倉下村, 朝倉南村, 朝倉北村, 古谷村, 山口村, 「町谷村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)282コマ

48 新設/町制 越智郡今治町 越智郡 室屋町, 米屋町, 本町, 北新町, 風早町, 新町, 中浜町, 片原町

48 新設/町制 越智郡今治町 越智郡 「今治」室屋町, 「今治」米屋町, 「今治」本町, 「今治」北新町, 「今治」風早町, 「今治」新町, 「今治」中浜町, 「今治」片原町, 「今治村」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)283コマ

49 新設/村制 越智郡桜井村 越智郡 孫兵衛作村, 長沢村, 桜井村, 旦村, 国分村, 古国分村, 登畑村, 宮崎村

49 新設/村制 越智郡桜井村 越智郡 孫兵衛作村, 長沢村, 桜井村, 旦村, 国分村, 古国分村, 登畑村(本体;飛地を除く), 宮崎村(本体;一部地区を除く)
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)282コマ

51 新設/村制 越智郡瀬戸崎村 越智郡 瀬戸村, 甘崎村
54 新設/村制 越智郡盛口村 越智郡 井口村, 盛村
55 新設/村制 越智郡西伯方村 越智郡 叶浦村, 伊方村, 北浦村
58 新設/村制 越智郡東伯方村 越智郡 有津村, 木浦村

51 新設/村制 越智郡瀬戸崎村 越智郡 瀬戸村, 甘崎村(本体;飛地を除く)
54 新設/村制 越智郡盛口村 越智郡 井口村, 盛村, 「甘崎村飛地」
55 新設/村制 越智郡西伯方村 越智郡 叶浦村(本体;飛地を除く), 伊方村, 北浦村(本体;飛地を除く), 「有津村飛地」, 「木浦村飛地」
58 新設/村制 越智郡東伯方村 越智郡 有津村(本体;飛地を除く), 木浦村(本体;飛地を除く), 「北浦村飛地」, 「叶浦村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)284コマ

62 新設/村制 越智郡富田村 越智郡 東村, 喜田村, 上神宮村, 徳久村, 松木村, 高市村, 町谷村

62 新設/村制 越智郡富田村 越智郡 東村, 喜田村, 上神宮村, 徳久村, 松木村, 高市村, 町谷村(本体;飛地を除く), 「登畑村飛地」, 「宮崎村の一部」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)283コマ

67 新設/村制 温泉郡素鵞村 温泉郡 小坂村, 中村「の一部」, 枝松村, 立花村「の一部」
68 新設/村制 温泉郡朝美村 温泉郡 南江戸村, 辻村, 沢村, 衣山村, 味酒村「の一部」

67 新設/村制 温泉郡素鵞村 温泉郡 小坂村, 中村(本体;一部地区を除く), 枝松村, 立花村(本体;一部地区を除く)
68 新設/村制 温泉郡朝美村 温泉郡 南江戸村, 辻村, 沢村, 衣山村, 味酒村(本体;一部地区を除く)
となります。
参考:県令第64号(M22.11.11)279コマ

72 新設/村制 温泉郡味生村 温泉郡 別府村, 北齋院村, 南齋院村, 山西村「の一部」

72 新設/村制 温泉郡味生村 温泉郡 別府村, 北齋院村, 南齋院村, 山西村(本体;飛地を除く), 「和気郡古三津村飛地」
ではないでしょうか。
参考:県令第64号(M22.11.11)279コマ

次稿へ続きます。
[74090] 2010年 2月 2日(火)18:33:50むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)高知県&徳島県&岡山県&岐阜県
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)高知県徳島県岡山県岐阜県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

◎高知県
132 新設/村制 長岡郡西豊永村 長岡郡 粟生村, 梶ヶ内村, 寺内村, 西久保村, 安野々村, 川戸村, 連火村, 桃原村, 中屋村, 庵谷村, 黒石村, 柳野村, 大砂子村, 永淵村, 船戸村, 大久保村, 奥「太」田村

132 新設/村制 長岡郡西豊永村 長岡郡 粟生村, 梶ヶ内村, 寺内村, 西久保村, 安野々村, 川戸村, 連火村, 桃原村, 中屋村, 庵谷村, 黒石村, 柳野村, 大砂子村, 永淵村, 船戸村, 大久保村, 奥「大」田村
ではないでしょうか。
高知県市町村改称一覧明治22年4月(編著:片桐仲蔵、出版:開成舎、M22.4.13)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では奥「大」田村です。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも奥「大」田村です。
現在は高知県長岡郡大豊町奥大田です。

◎徳島県
1 新設/市制 徳島市 名東郡 「徳島」徳島町, 「徳島」塀裏町, 「徳島」中通町, 「徳島」通町, 「徳島」内魚町, 「徳島」八百屋町, 「徳島」紙屋町, 「徳島」西横町, 「徳島」寺島町, 「徳島」出来島町, 「徳島」福島本町, 「徳島」福島町, 「徳島」福島郷町, 「徳島」大工島村, 「徳島」安宅村, 「徳島」住吉島村, 「徳島」助任町, 「徳島」前川村, 「徳島」下助任村, 「徳島」常三島村, 「徳島」助任西村, 「徳島」東新町, 「徳島」西新町, 「徳島」富田町, 「徳島」桶屋町, 「徳島」新魚町, 「徳島」船場町, 「徳島」「籠」屋町, 「徳島」古物町, 「徳島」大工町, 「徳島」北山路町, 「徳島」寺町, 「徳島」富田裏町, 「徳島」二軒屋町, 「徳島」佐古村, 「徳島」佐古町, 「徳島」南佐古村

1 新設/市制 徳島市 名東郡 徳島町, 塀裏町, 中通町, 通町, 内魚町, 八百屋町, 紙屋町, 西横町, 寺島町, 出来島町, 福島本町, 福島町, 福島郷町, 大工島村, 安宅村, 住吉島村, 助任町, 前川村, 下助任村, 常三島村, 助任西村, 東新町, 西新町, 富田町, 桶屋町, 新魚町, 船場町, 「籃」屋町, 古物町, 大工町, 北山路町, 寺町, 富田裏町, 二軒屋町, 佐古村, 佐古町, 南佐古村
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では上記の通りとなっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも「籃」屋町です。ただし総ての町及びその周囲の村(佐古村、前川村、常三島村、安宅村、大工島村、末広新田村、沖洲浦村、住吉島村、大岡浦村、蔵木村)に総称たる「徳島」が小さく書かれていますが。。。

8 新設/村制 阿波郡八幡村 阿波郡 粟島村, 八幡「村」, 大野島村, 山野上村, 伊月村の一部, 切幡村, 水田村の一部

8 新設/村制 阿波郡八幡村 阿波郡 粟島村, 八幡「町」, 大野島村, 山野上村, 伊月村の一部, 切幡村, 水田村の一部
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では八幡「町」となっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも八幡「町」です。

37 新設/村制 三好郡箸蔵村 三好郡 「洲」津村, 西山村

37 新設/村制 三好郡箸蔵村 三好郡 「州」津村, 西山村
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では「州」津村です。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも「州」津村です。
現在は三好市池田町州津です。

60 新設/村制 那賀郡長生村 那賀郡 上「新」井村, 明谷村, 大原村, 大谷村, 宮内村, 三倉村, 本庄村, 西方村

60 新設/村制 那賀郡長生村 那賀郡 上「荒」井村, 明谷村, 大原村, 大谷村, 宮内村, 三倉村, 本庄村, 西方村
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では上「荒」井村です。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在でも上「荒」井村です。
現在の阿南市長生町上荒井楠ノ前に相当するものと思われます。

80 新設/村制 板野郡大津村 板野郡 大幸村, 大代村, 段関村, 備前島村, 木津野村, 吉永村, 長江新田村, 徳「永」村, 矢倉野村

80 新設/村制 板野郡大津村 板野郡 大幸村, 大代村, 段関村, 備前島村, 木津野村, 吉永村, 長江新田村, 徳「長」村, 矢倉野村
ではないでしょうか。
県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では徳「長」村です。
しかし地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)より明治19年1月現在では徳「永」村となっています。
現在は鳴門市大津町徳長です。

105 新設/「村」制 美馬郡脇町 美馬郡 脇町, 猪尻村, 北庄村

105 新設/「町」制 美馬郡脇町 美馬郡 脇町, 猪尻村, 北庄村
ではないでしょうか。
参考:県令第30号(M22.6.29)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)

◎岡山県
181 新設/村制 勝北郡豊並村 勝北郡 西原村, 皆木村, 行方村, 高円村, 「高殿村」, 関本村, 小坂村, 馬桑村

181 新設/村制 勝北郡豊並村 勝北郡 西原村, 皆木村, 行方村, 高円村, 関本村, 小坂村, 馬桑村
ではないでしょうか。
県令第26号(M22.4.29)、岡山県三国改正町村名要覧(編著:服部竹三、出版:岡山桃下堂、M22.5.18)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)ではいずれも「高殿村」はありません。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも「高殿村」はありません。

272 新設/村制 西西条郡泉村 西西条郡 箱村, 西屋村, 「坂手小原分」, 養野村, 井坂村, 女原村, 至孝農村

272 新設/村制 西西条郡泉村 西西条郡 箱村, 西屋村, 「杉村」, 養野村, 井坂村, 女原村, 至孝農村
ではないでしょうか。
県令第26号(M22.4.29)、岡山県三国改正町村名要覧(編著:服部竹三、出版:岡山桃下堂、M22.5.18)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)ではいずれも「杉村」となっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも「杉村」です。

277 新設/村制 西西条郡芳野村 西西条郡 布原村, 「古川村東分」, 「古川村西分」, 吉原村, 寺元村, 宗枝村, 真加部村

277 新設/村制 西西条郡芳野村 西西条郡 布原村, 「古川村」, 吉原村, 寺元村, 宗枝村, 真加部村
ではないでしょうか。
県令第26号(M22.4.29)、岡山県三国改正町村名要覧(編著:服部竹三、出版:岡山桃下堂、M22.5.18)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)ではいずれも「古川村」となっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも「古川村」です。

282 新設/町制 西北条郡津山町 西北条郡 山下, 北町, 田町, 椿高下, 城代町, 材木町, 伏見町, 京町, 河原町, 堺町, 船頭町, 小性町, 吹屋町, 二階町, 元魚町, 二丁目, 三丁目, 新職人町, 新魚町, 桶屋町, 南新座, 戸川町, 福渡町, 美濃職人町, 下紺屋町, 鍛冶町, 細工町, 上紺屋町, 坪井町, 宮脇「村」, 西今町, 鉄砲町, 西寺町, 茅町, 安岡町, 新茅町

282 新設/町制 西北条郡津山町 西北条郡 山下, 北町, 田町, 椿高下, 城代町, 材木町, 伏見町, 京町, 河原町, 堺町, 船頭町, 小性町, 吹屋町, 二階町, 元魚町, 二丁目, 三丁目, 新職人町, 新魚町, 桶屋町, 南新座, 戸川町, 福渡町, 美濃職人町, 下紺屋町, 鍛冶町, 細工町, 上紺屋町, 坪井町, 宮脇「町」, 西今町, 鉄砲町, 西寺町, 茅町, 安岡町, 新茅町
ではないでしょうか。
県令第26号(M22.4.29)、岡山県三国改正町村名要覧(編著:服部竹三、出版:岡山桃下堂、M22.5.18)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)ではいずれも宮脇「町」となっています。
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも宮脇「町」です。

◎岐阜県
96 村制 安八郡高橋村 安八郡 高橋村
は#128との関係上
96 村制 安八郡高橋村 安八郡 高橋村(本体;字代官町東、新地前、狐堀、村西、堤際ノ内新規川西を除く)
ではないでしょうか。
参考:県令第39号(M22.6.27)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)

395 村制 吉城郡阿曽布村 吉城郡 「阿曽布村」
404 町制 吉城郡船津町 吉城郡 「船津村」
405 村制 吉城郡袖川村 吉城郡 「袖川村」

395 村制 吉城郡阿曽布村 吉城郡 「神岡村の一部」
404 町制 吉城郡船津町 吉城郡 「神岡村の一部」
405 村制 吉城郡袖川村 吉城郡 「神岡村の一部」
ではないでしょうか。
参考:県令第39号(M22.6.27)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)

以上多数になりましたが、よろしくお願いします。
[75519] 2010年 7月 23日(金)20:20:50【1】88 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時ほか) 小レス2
[75518]拙稿の続きです。
M22.6.1付け市制町村制施行時の情報(岡山県)
■勝北郡 豊並村 となる従前の町村名について
勝北郡 西原村, 皆木村, 行方村, 高円村, 「高殿村」, 関本村, 小坂村, 馬桑村
or
勝北郡 西原村, 皆木村, 行方村, 高円村, 関本村, 小坂村, 馬桑村
「幕末以降総覧」・・・勝北郡 高殿村 なし、M5に 高円村 が 高殿村 を編入合併
「辞典」・・・勝北郡 高殿村なし
M5の勝北郡 高円村 が 高殿村 を編入合併した件の反映ができていなかった編集ミスです。ご指摘のとおり、高殿村を削除するように修正しました
■西西条郡 泉村となる従前の町村名について
西西条郡 箱村, 西屋村, 「坂手小原分」, 養野村, 井坂村, 女原村, 至孝農村
or
西西条郡 箱村, 西屋村, 「杉村」, 養野村, 井坂村, 女原村, 至孝農村
「幕末以降総覧」・・・西西条郡 杉村(M5に 杉村 が 坂手小原分 を編入合併
「辞典」・・・西西条郡 杉村
M5の西西条郡 杉村 が 坂手小原分 を編入合併した件を反映する際の編集ミスです。ご指摘のとおり、「西西条郡 杉村」と修正しました
■西西条郡 芳野村 となる従前の町村名について
西西条郡 布原村, 「古川村東分」, 「古川村西分」, 吉原村, 寺元村, 宗枝村, 真加部村
or
西西条郡 布原村, 「古川村」, 吉原村, 寺元村, 宗枝村, 真加部村
「幕末以降総覧」・・・西西条郡 古川村(M5に 布原村, 古川村東分, 古川村西分 が合併し 古川村 が成立、M14に 古川村 から 布原村 が分立、古川村 は存続)
「辞典」・・・西西条郡 古川村
やはり単なる編集ミスです。ご指摘のとおり、「西西条郡 古川村」と修正しました
■西北条郡 津山町 となる従前の町村名について
西北条郡 山下, 北町, 田町, 椿高下, 城代町, 材木町, 伏見町, 京町, 河原町, 堺町, 船頭町, 小性町, 吹屋町, 二階町, 元魚町, 二丁目, 三丁目, 新職人町, 新魚町, 桶屋町, 南新座, 戸川町, 福渡町, 美濃職人町, 下紺屋町, 鍛冶町, 細工町, 上紺屋町, 坪井町, 宮脇「村」, 西今町, 鉄砲町, 西寺町, 茅町, 安岡町, 新茅町
or
西北条郡 山下, 北町, 田町, 椿高下, 城代町, 材木町, 伏見町, 京町, 河原町, 堺町, 船頭町, 小性町, 吹屋町, 二階町, 元魚町, 二丁目, 三丁目, 新職人町, 新魚町, 桶屋町, 南新座, 戸川町, 福渡町, 美濃職人町, 下紺屋町, 鍛冶町, 細工町, 上紺屋町, 坪井町, 宮脇「町」, 西今町, 鉄砲町, 西寺町, 茅町, 安岡町, 新茅町
「幕末以降総覧」・・・西北条郡 宮脇村
「辞典」・・・旧津山城下町の一部
ご紹介の、根拠であるM22.4.29付け(岡山)県令第26号、ほかに従い、「西北条郡 宮脇町」と判断し、修正しました
――――――――――
M22.7.1付け市制町村制施行時の情報(岐阜県)
■安八郡高橋村 となる従前の町村名について
安八郡 高橋村
or
安八郡 高橋村(本体;字代官町東、新地前、狐堀、村西、堤際ノ内新規川西を除く)
「幕末以降総覧」・・・安八郡 高橋村
「辞典」・・・安八郡 高橋村の一部
[75399]拙稿の「(本)・(微)・一部」の取扱いにより、「安八郡 高橋村(本)」と修正しました
■吉城郡 阿曽布村 となる従前の町村名について 吉城郡 阿曽布村 or 吉城郡 神岡村の一部
■吉城郡 船津町 となる従前の町村名について 吉城郡 船津村 or 吉城郡 神岡村の一部
■吉城郡 袖川村 となる従前の町村名について 吉城郡 袖川村 or 吉城郡 神岡村の一部
「幕末以降総覧」・・・吉城郡 神岡村の一部
「辞典」・・・吉城郡 神岡村の一部
「幕末以降総覧」の記載方法を改めて紹介しておきます。同書は、市制町村制以降の変遷を記した本文部分と、市制町村制以前の変遷を記した脚注部分とから成っています。
まず、脚注部分。
・M8に、では、巣山村をはじめとする49村が合併して神岡村が発足。
・M22に、(大多和村ほか計21村)が神岡村から分立して船津村が誕生。
・M22に、(吉田村ほか計19村)が神岡村から分立して阿曽布村が誕生。
・M22に、(巣山村ほか計9村)が神岡村から分立して袖川村が誕生。
(注:「幕末以降総覧」では「分立」との表現であるが、本件に関しては市区町村変遷情報では「分割」に相当するもの。以下同じ。)
そして、本文部分。
市制町村制施行時における従前の町村名は、船津町,阿曽布村,袖川村とも、「神岡村の内」との表現。
しかし、上述のように、「市制町村制以前の変遷」を記載する脚注部分に、分立(分割)の細かい内容が記載されていことから、M22.7.1の市制町村制以前のM22(月日不詳)に3村への分立(分割)が行われ、M22.7.1にはそれぞれ3村が単独で市制町村制施行、と解釈したものです。
しかし、ご紹介のM22.6.27付け(岐阜)県令第27号76コマのとおり、M22.7.1付けの市制町村制施行の際の神岡村の3分割であり、脚注部分は、旧49村の分割区域を示したものにすぎないことことを確認し、ご指摘のように、3村とも「神岡村の一部」とし([75399]拙稿の「(本)・(微)・一部」の取扱いによる)、修正しました(吉城郡 阿曽布村吉城郡 船津町吉城郡 袖川村)。

[75351] むっくん さん
#余談ですが、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)の記載分に関しては当方で正誤のチェックは総て終えています。ただ、現在88さんがお忙しいようですので、これに関しての投稿は無期限延期としていますが。。。
お気遣い、恐縮です。遅ればせながら、最近は、編集作業に従事できるようになっています。ここ1箇月ほどは、ほぼ毎日、1時間くらいずつ編集作業を行うことができ、かなり進捗しました。
[75399]拙稿の「(本)・(微)・一部」の取扱いについても、市制町村制施行時の情報につきましては、むっくんさん他の皆さんのご指摘への対応と合わせて、以下の各県ですでに修正を行いました(施行日逆順)。
香川県愛媛県徳島県
鳥取県愛知県岐阜県
他の入力済みの各府県にも、追って同様に対応すると同時に、手元でのExcelでの整理作業でも、同様の対応を行っていきたいと思います。
――――――――――
毎回、本当にありがとうございます。
他の投稿への対応も、順次行います。今後ともよろしくお願いいたします。
――――――――――
#以下余談。
PCの調子が悪く、ついに機種を更新しました。
何かと速くなったのはいいのですが(Windows 7)、Office 2010(使用しているのはExcelかワードパッドが大半) がかなり従前のもの(Excel2003など)とはかなり変わってしまい、いまだに馴染めません・・・。
[78466] 2011年 6月 2日(木)12:38:27むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)東京府(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)東京府に誤りと思えるところがありましたので報告します。

まずは資料の紹介です。
(1)府令第25号・・・市制町村制と東京(都史紀要三十)(編・発行:東京都、S59.3.31)pp.167-204より
(2)府令第25号(PDF)(M22.4.11)・・・国立公文書館所蔵の府令第25号の原本です。至る所で訂正があり、左右どちらの訂正かが判別し難い所も数箇所あります。
(3)現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)・・・明治11年現在の東京府の町村名。ただし明治30年までの町村名変更が記載済み。
(4)東京府甲第49号布達(PDF)(M11.11.2)1~41コマ・・・明治11年現在の東京府の町村名。
(5)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
(6)地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)・・・明治19年1月現在の町村名です。
(7)東京府統計書明治15年(編・出版:東京府、M17.5.)
(8)東京府統計書明治16_17年(編・出版:東京府、M19.2.)
(9)東京府統計書明治18年(編・出版:東京府、M20.2.)
(10)東京府統計書明治19年(編・出版:東京府、M20.10.)
(11)東京府統計書明治20年(編・出版:東京府、M21.11.)
(12)東京府統計書明治21年(編・出版:東京府、M22.11.)

(1)から(6)は総てにおいて参照しました。また(6)~(12)での町村数を適宜参考とました。
あらかじめお断りですが、(1)のp.204の(注)として
「警視庁東京府公報」明治二十二年四月十一日掲載の府令第二十五号は、誤脱多く、その後数回にわたって正誤表が出されている。本書には訂正済のものを掲げた
とあることより、(1)が一番信頼できるのではないかと考えられますので、(1)を最優先に採用しました。。次いで、明治22年の原本(2)、東京府編纂の(3)、明治11年の原本(4)を、(5)~(12)よりも優先して採用しています。
それでは紹介です。

まずは東京市です。紹介の都合上15区に分けて書きます。

●麹町区
代官町, (略), 麹町平河町六丁目, 平河町, 富士見町一丁目, (略), 下六番町

代官町, (略), 麹町平河町六丁目, 「元」平河町, 富士見町一丁目, (略), 下六番町
ではないでしょうか。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)はいずれも「元」平河町です。

●神田区
神田鍛冶町, (略), 神田錦町三丁目, 淡路町一丁目, 淡路町二丁目, 雉子町, 神田松下町, (略), 神田上白壁町

神田鍛冶町, (略), 神田錦町三丁目, 「神田」淡路町一丁目, 「神田」淡路町二丁目, 雉子町, 「鎌倉町」, 神田松下町, (略), 神田上白壁町
ではないでしょうか。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では「神田」淡路町一丁目, 「神田」淡路町二丁目で、かつ「鎌倉町」の記載がありとなっています。
また、現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも「神田」淡路町一丁目, 「神田」淡路町二丁目で、かつ「鎌倉町」の記載がありとなっています。
しかしながら新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では「鎌倉町」との記載はありますが、淡路町一丁目, 淡路町二丁目には「神田」との文言がありません。

●日本橋区
本銀町一丁目, (略), 鉄砲町, 大伝馬一丁目, 大伝馬二丁目, 通旅籠町, (略), 堀江町四丁目, 小「船」町一丁目, 小「船」町二丁目, 小「船」町三丁目, 小網町一丁目, (略), 蠣殻町一丁目, 蠣殻町三丁目, (略), 中洲町

本銀町一丁目, (略), 鉄砲町, 大伝馬「町」一丁目, 大伝馬「町」二丁目, 通旅籠町, (略), 堀江町四丁目, 小「舟」町一丁目, 小「舟」町二丁目, 小「舟」町三丁目, 小網町一丁目, (略), 蠣殻町一丁目, 「蠣殻町二丁目」, 蠣殻町三丁目, (略), 中洲町
ではないでしょうか。
現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)では大伝馬「町」一丁目, 大伝馬「町」二丁目で、367コマで「蠣殻町二丁目」の記載もあります。
また、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)でも大伝馬「町」一丁目, 大伝馬「町」二丁目で、「蠣殻町二丁目」の記載もあります。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でも大伝馬「町」一丁目, 大伝馬「町」二丁目で、「蠣殻町二丁目」の記載もあります。ただ東京府布達第45号(PDF)(M19.4.27)で成立した中洲町の記載がありませんが、M19.1.現在の町村名を記載しているため、これはなくて当然です。
「船」or「舟」については(3)と(4)の記載にある「舟」としました。(3)と(4)では蠣殻町○丁目ではなくて蠣「売」町○丁目とありますが、これは(3)と(4)の誤記と判断しました。
「蠣殻町二丁目」の有無ですが、日本橋区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…193町
東京府統計書明治16_17年M16_17…139町
東京府統計書明治18年M18…139町
地方行政区画便覧M19.1.…139町
東京府統計書明治19年M19…139町
東京府統計書明治20年M20…140町
東京府統計書明治21年M21…140町
となっています。
まず明治20年頃に1町が増えていますが、これは上述の中洲町が増えたものと考えられます。そして「蠣殻町二丁目」があることで上述の町数がピッタリと合うこととなります。

●京橋区
南槇町, (略), 築地三丁目, 南小田原町一丁目, (略), 佃島, 「石川島」

南槇町, (略), 築地三丁目, 「築地四丁目」, 南小田原町一丁目, (略), 佃島
ではないでしょうか。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では築地四丁目はありますが石川島はありません。
しかしながら新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)及び17コマでは築地は四丁で石川島もあります。
また、現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)では築地は四丁となっています。372,373コマでは石川島に町名がついたのがM25~M29とあることからすると、当時は京橋区の区域ではあったが名称はなかったのではないかと推測されます。例えば、上京区の京都御所も上京区ではあったが町名はありませんでした(M19-22はその全域において)ので、特に問題とはなりません。

●芝区
芝口一丁目, (略), 芝愛宕町三丁目, 「芝」愛宕下町一丁目, 「芝」愛宕下町二丁目, 「芝」愛宕下町三丁目, 「芝」愛宕下町四丁目, 芝浜松町一丁目, (略), 芝七軒町, 芝「仲」門前町一丁目, 芝「仲」門前町二丁目, 芝「仲」門前町三丁目, 芝片門前町一丁目, (略), 三田二丁目, 三田四丁目, (略), 白金台町二丁目, 白金猿町, 白金丹波町, 荏原郡白金村
は#4との関係上もあり、
芝口一丁目, (略), 芝愛宕町三丁目, 愛宕下町一丁目, 愛宕下町二丁目, 愛宕下町三丁目, 愛宕下町四丁目, 芝浜松町一丁目, (略), 芝七軒町, 芝「中」門前町一丁目, 芝「中」門前町二丁目, 芝「中」門前町三丁目, 芝片門前町一丁目, (略), 三田二丁目, 「三田三丁目」, 三田四丁目, (略), 白金台町二丁目, 白金猿町「(本)」, 白金丹波町, 荏原郡白金村「(本)」
ではないでしょうか。
まず府令第25号(PDF)(M22.4.11)1コマより荏原郡白金村「(本)」となります。#4(5コマ)より、
次に地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では愛宕下町一丁目, 愛宕下町二丁目, 愛宕下町三丁目, 愛宕下町四丁目でかつ、芝「中」門前町一丁目, 芝「中」門前町二丁目, 芝「中」門前町三丁目となっており、「三田三丁目」の記載もあります。
また、現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも愛宕下町一丁目, 愛宕下町二丁目, 愛宕下町三丁目, 愛宕下町四丁目でかつ、芝「中」門前町一丁目, 芝「中」門前町二丁目, 芝「中」門前町三丁目となっており、376コマに「三田三丁目」の記載もあります。
ただ、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では芝「中」門前町一丁目, 芝「中」門前町二丁目, 芝「中」門前町三丁目となっており「三田三丁目」の記載があることは前二者とは変わりませんが、「芝」愛宕下町一丁目, 「芝」愛宕下町二丁目, 「芝」愛宕下町三丁目, 「芝」愛宕下町四丁目となっています。

●麻布区
飯倉町一丁目, (略), 麻布田島町, 麻布広尾町, 「麻布」上広尾町, 芝森元町一丁目, (略), 芝北門前町, 南豊島郡 下渋谷村「の一部」, 原宿村「の一部」
は#35、#34との関係上もあり、
飯倉町一丁目, (略), 麻布田島町, 麻布広尾町「(本)」, 「渋谷」上広尾町「の一部」, 芝森元町一丁目, (略), 芝北門前町, 南豊島郡 下渋谷村「(微)」, 原宿村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)1コマより麻布区外より編入されたのは南豊島郡 下渋谷村「(微)」, 原宿村「(微)」だけだと分かります。
次に、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)18コマでは麻布広尾町, 「麻布」上広尾町で22コマでは「渋谷」上広尾町「の一部」となっています。
しかし地方行政区画便覧31コマ(編・出版:内務省地理局、M20.10.)、32コマでは「渋谷」上広尾町しかなく、「麻布」上広尾町は存在しません。
また、現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)では「麻布」上広尾町ではなくて「渋谷」上広尾町の一部(M24.3.東京府令第28号で麻布広尾町の一部となる)となっています。410コマでも#35の一部となるのは「渋谷」上広尾町の一部であります。
府令第25号(PDF)(M22.4.11)13コマでは#35の一部となったのが「麻布」上広尾町ではなくて「渋谷」上広尾町「の一部」とあることよりそれと対をなす麻生区にも「渋谷」上広尾町「の一部」があることになります。
以上からすると、新旧対照市町村一覧の記載が誤りと考えられます。
#渋谷上広尾町については1~4番地が麻布区、5~9番地が#35渋谷村となっているため、ここでは「一部」と判断しています。
#(3)と(4)では飯倉「町」○丁目ではなくて飯倉○丁目とありますが、これは(3)と(4)の誤記と判断しました。

●赤坂区
元赤坂町, (略), 赤坂田町七丁目, 赤坂表「町」一丁目, 赤坂表「町」二丁目, 赤坂表「町」三丁目, 赤坂表「町」四丁目, 赤坂裏「町」一丁目, 赤坂裏「町」二丁目, 赤坂裏「町」三丁目, 赤坂新町一丁目, (略), 溜池葵町, 霊南坂町, 青山南町一丁目, (略), 青山高樹町, 南豊島郡 原宿村「の一部」
は#34との関係上もあり、
元赤坂町, (略), 赤坂田町七丁目, 赤坂表一丁目, 赤坂表二丁目, 赤坂表三丁目, 赤坂表四丁目, 赤坂裏一丁目, 赤坂裏二丁目, 赤坂裏三丁目, 赤坂新町一丁目, (略), 溜池葵町, 「溜池」霊南坂町, 青山南町一丁目, (略), 青山高樹町, 南豊島郡 原宿村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)1-2コマより赤坂区外より編入されたのは南豊島郡 原宿村「(微)」だけだと分かります。
次に、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では赤坂表「町」一丁目, 赤坂表「町」二丁目, 赤坂表「町」三丁目, 赤坂表「町」四丁目, 赤坂裏「町」一丁目, 赤坂裏「町」二丁目, 赤坂裏「町」三丁目と「町」があり、霊南坂町と「溜池」がありません。
しかしながら地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では赤坂表一丁目, 赤坂表二丁目, 赤坂表三丁目, 赤坂表四丁目, 赤坂裏一丁目, 赤坂裏二丁目, 赤坂裏三丁目と「町」がなく、「溜池」霊南「阪」町と「溜池」があります。
そして現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも赤坂表一丁目, 赤坂表二丁目, 赤坂表三丁目, 赤坂表四丁目, 赤坂裏一丁目, 赤坂裏二丁目, 赤坂裏三丁目と「町」がなく、「溜池」霊南「坂」町と「溜池」があります。

次稿へ続きます。
[78879] 2011年 8月 7日(日)12:21:06千本桜 さん
仙台
88さん、むっくん さん
仙台区を構成する町についてお尋ねします。私は法令とか条例に疎いので頓珍漢な質問をするかもしれませんが大目に見てください。市制町村制施行時の情報 宮城県によると、明治22年3月31日時点で仙台区を構成する町はおよそ300町。明治9年の仙台は137町でしたから2倍以上に増えたわけです。明治22年仙台市発足時の面積はおよそ17km2、戸数およそ16,800戸でした。1町あたりの平均面積はざっと570m2、平均戸数は56戸です。たとえば、名称から判断して元材木町横町末無という町は、元材木町の横丁の袋小路に面した町ということでしょうから、面積、戸数ともかなり小規模のはずです。幅30m×長さ40mの面積で、戸数は10数戸程度だったかもしれません。こまかい数字にこだわる必要はありません。これで自治体として機能できたのでしょうか。機能していたとして、どの範囲までの自治を行っていたのでしょうか。私は上染師町東末無, 畳屋町末無, 滝前町末無, 川内追廻川前町末無などの羅列を見て、これって自治体なの?、規模からすれば村社会の契約講と変わらないじゃないかと考えてしまうのです。

お手数でも宮城県の市町村変遷をご覧ください。3コマ掲載のうち一番下の表組です。明治9年に137あった仙台の町村数は、明治11年には1になっています。ということは、仙台市街を形成していた137の町々は仙台区が発足した時点で自治体としての役目を終え、単に地名としての町名になったと解釈していいのでしょうか?。でも市制町村制施行時の情報 宮城県を見ると、仙台市街の約300におよぶ町々は明治22年3月31日まで自治体として存続したようにも受けとれるし、どちらなんでしょう。

[78859] 88さん
何か、具体的な資料等をお示しいただけると助かります。

88さんご提示の新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)「大日本市町村名鑑」(星野文三編、博聞社,明26.11)では「丁」はことごとく「町」に置き換えられているのですね。驚きました。「ホンマでっか!?」という感じです。「ホンマでっせ!」と、本間千代子さんが現れるよりもっと驚きです。済みません。落書き帳でこんな話は受けませんよね。今年66歳になられた永遠の青春スター本間千代子さんに反応できる感性の持ち主は、落書き帳ではあの方だけでしょうから。

私は「新旧対照市町村一覧」における仙台の情報を黒だと感じています。濃度95%のブラックかな。仙台には江戸期から今日まで「町」と「丁」があることは多様な人によって伝え継がれていますから、疑いようのない事実です。例えば、日本地図センターは「地図と空中写真で見る昔と今」で
市街の大部分は侍の住むまちで「丁」と呼ばれ、足軽・小人・職人・商人等の住む「町」と区別された。
と、記述しています。まず、地図で確認してみます。江戸期の資料として天保4(1833)年の御城下町割絵図をあげます。国分町や南町の「町」と、東一番丁や永丁などの「丁」が読みとれます。次に明治22年発行の仙台中心街をご覧ください。探しやすいように町名に赤線を引いておきます。国分町、南町などの「町名」と、東一番丁、東二番丁などの「丁名」が書き分けられています。国分町は仙台を代表する夜の盛場。東一番丁は仙台を代表する昼の繁華街です。かつて武士が居住した東一番丁がなぜハイセンスな商店街に成長したかは、先を急ぎますので触れないでおきます。次に現代の地図をご覧ください。仙台市は昭和40年から始まった住居表示の実施で多くの「丁名」が消えましたが、住居表示が進まなかった区域には今も「丁名」が残っています。小田原山本丁、名掛丁、東七番丁などがそれです。このように、江戸期から今日まで一貫して「町」と「丁」が使い分けられ、「丁」を廃して「町」とした時代はなかったはずです。

次に地図以外の文献で確認します。まずwikipedia仙台都心部は「丁」と「町」と題し、
侍町の名掛丁や東二番丁には丁を付け、他方、町人町の国分町や大町などには町を付けた。
と記述し、また
丁と町の使い分けに関しては、和歌山城下町でも同様
とも書いています。早速88さんの市制町村制施行時の情報 和歌山県に飛びます。お!やっぱり一番丁, 二番丁, 三番丁, 四番丁と「丁名」が連なっていますね。wikipediaでは心もとない方のために、手持ち資料の中から「宮城県の市町村変遷」「仙台の大小区変遷」を貼ります。これは、宮城県史からコピーしたはずですが、記憶が朧になってしまいました。たぶん、むっくんさんも同じ物をお持ちではないかと推測します。仙台旧市内における「町」と「丁」の使い分けが見てとれます。私が仙台の街と深く関わったのは昭和40年代のことで、江戸期からの町名がたくさん残っていた時代です。好きな町名は角五郎丁、末無掃部丁、保春院前丁、琵琶首丁などでした。懐かしがっている場合ではありませんね。先へ急ぎます。地図と文献から判断して「町」と「丁」の使い分けは明らかです。

[78859] 88さん
どこが「町」でどこが「丁」か、の別も個別に示していただけるとありがたいです。

これがやっかいです。どの資料も「丁」の使い方がアバウトで、明らかに侍町で「丁名」の代表格である「片平丁」が「片平町」になっていたりして、どの資料を信頼したら良いのか苦しみました。手許に「仙台地図さんぽ」という出版物があります。その中に「おもな旧町名・通名 索引」というページがあって、これがなかなかよくできています。この本には大正元年の地図がそのまま復刻され、その地図に記載された地名を
1・明治11年の更正区書はどのように表記していたか。
2・明治22年の市制施行当時の表記はどうであったか。
3・昭和40年代の住居表示実施直前の表記はどうであったか。
以上3つの時点から調べてある優れものです。編集者の熱意が感じられて信憑性があります。
実例をあげると次のようになっています。
畳屋町------大正元年の地図表記
疊屋町------明治11年(更正区書の表記)
疊屋丁------明治22年(市制施行時の町名)
畳屋丁------昭和40年代(住居表示実施直前の表記)
ただし、これは主な旧町名を対照にしているため、約300ある旧仙台市街の旧町名すべてが網羅されたものではないことが残念です。

88さんの「市制町村制施行前の町村名等」を丸ごとコピーし、「仙台地図さんぽ」の明治22年(市制施行時の町名)と照合してみました。
●は私が訂正を加えたものです。○は88さんのデータがイキです。※は「地図さんぽ」では道路・ヨコ丁扱いしています。無印は「地図さんぽ」では触れていないために照合できなかったものです。
 
仙台区, 仙台区 ○新河原町, ○新弓ノ町, ○河原町, ○南材木町, ○穀町,○ 南鍛冶町, ○荒町, ●疊屋丁, ●六十人町, ○連坊小路, ○石垣町, ●船丁,○ 堰場, ○成田町,○ 南染師町, ○南石切町, ○八軒小路, ●三百人町, ●保春院前丁, ●五十人町, ○土樋, ○表柴田町, ○椌木通, ○木ノ下, ○元茶畑, ○裏柴田町, ●西新丁, ●東新丁, 新河原町西町, ※姉歯横丁, 猿牽町, ※東街道, 長町通, ●米ヶ袋廣丁, ○米ヶ袋鹿子清水通, ●米ヶ袋鍛冶屋前丁, ●米ヶ袋下丁, ●米ヶ袋中丁, ○米ヶ袋中ノ坂通, ●米ヶ袋十二軒丁, ●米ヶ袋上丁, ○弓ノ町, ○石名坂, ●南六軒丁, ●片平丁, ●櫻小路,● 鐵砲横丁, ○道場小路, ●伊勢屋横丁, ○袋町, ○元鍛冶町, ○本荒町, ○狐小路, ●良覺院丁, ○大町一丁目, ○大町二丁目, ○大町三丁目, ○大町四丁目, ○大町五丁目, ○肴町, ○立町, ●本櫓丁, ●定禪寺通櫓丁, ○北材木町, ○本材木町, ○本柳町, 立町新町, ●川内川前丁, ○川内大工町, 川内数寄屋町, ○川内元支倉, 川内元支倉通, 川内新横町, ●川内明神横丁, ○川内澱橋通, 川内亀岡通, 川内中ノ坂通, 川内大堀通, ○川内亀岡町, ○川内三十人町, 川内大橋通, 川内柳町, 川内筋違橋通, 川内山屋敷中町, 川内山屋敷北町, 川内山屋敷南町, 川内山屋敷町, 川内山屋敷上町, 川内山屋敷横町, 川内三十人町通, 川内亀岡北裏町, 大町二丁目櫓町, 中ノ町川前町, 中ノ町, ●琵琶首丁, 琵琶首新町, ○花壇, ●花壇川前丁,※ 細横丁, 七軒町, ○川内中ノ瀬町, 川内裏下馬町, 川内亀岡杉町, 米ヶ袋新町, ○田町, ○上染師町, ○北目町, ○柳町, ●東一番丁, ●東二番丁, ●東三番丁, ●東四番丁, ●東五番丁, ●東六番丁, ●東七番丁, ●東八番丁, ●東九番丁, ●東十番丁, ●教樂院丁, ●南光院丁, ○南町通, ○清水小路, ○二十人町,● 鐵砲町, ○小田原車通, ●小田原振袖丁, ●小田原遣水丁, ●小田原山本丁, ●小田原裏山本丁, ●小田原金剛院丁, ●小田原牛小屋丁, ○小田原弓ノ町, ●小田原大行院丁, ●小田原廣丁, ○小田原清水沼通, 小田原宮町東裏町, ●小田原北一番丁通, ●小田原北二番丁通, ●小田原北三番丁通, ○小田原高松通, ●小田原東丁, ●小田原長丁通, ○車町, ○柳町通, ○北目町通,● 新寺小路, ○榴ヶ岡, ※長泉寺横丁, 年徳神横町, 五ツ橋通, ※和光明神横丁, ※於多福横丁, ●新傅馬町, ●名掛町, ○立町通, 赤井横町, ○元寺小路, ●末無掃部丁, ●大佛前, ○同心町通, ●同心町中丁, ○元貞坂, ●國分町, 表小路, ●定禪寺通, ●勾當臺通, ○堤通, ●外記丁, ●外記丁通, ○花京院通, ○中杉山通, ○茂市ヶ坂, ●光禪寺通, ●掃部丁, ●長丁, ●長刀丁, ●空堀丁, ●新名懸丁,●六軒丁, 二軒町, ○宮町, ○北田町, ○堤町, ●北一番丁, ●北二番丁, ●北三番丁, ●北四番丁,● 北五番丁, ●北六番丁(本), ●北七番丁, ●北八番丁, ●北九番丁, 北十番町, ○二本杉通, ○杉山通, ○上杉山通, ※虎屋横丁, ○新小路, ○二日町, ○北鍛冶町, ○通町, ●跡附丁, ○神子町, ○北山町, ●木町通, ○支倉町, ○支倉通, ○新坂通, ○切通町, ●十二軒丁, ○石切町,● 覺性院丁, 伊勢堂下, ○半子町, ○坊主町, ●中島丁,○ 江戸町, ○北五十人町, ○八幡町, ●瀧前丁, 有巴沢一丁目, 有巴沢二丁目, 角五郎新町, ※荒井横丁, ○澱町, ○土橋通, 角五郎表町, 角五郎裏町, 角五郎川前町, 中島町新坂, 中ノ横町, 大願寺前町, 大願寺横町, ●裏五番丁, 新河原町東町, 東九番町一丁目横町, 東九番町二丁目横町, 川内元支倉通一丁目横町, 松源寺前町, 誓願寺通, 西坊主町, 東坊主町, 角五郎川前横町, 大橋通, 小田原宮町三丁目裏町, 新坂通一丁目横町, 八幡町三丁目横町, 石屋横町, 桃源院前町, 沖ノ村通, 東桜小路, 茶畑町, ※竹屋横丁, 椌木前町, ※加川横丁, 鉄砲町三丁目横町, 立町新前通, ※閻魔堂横丁, 石名坂横町, 北山古街道, 大町三丁目横町, 川内亀岡南町, 中島新町, 常磐町, 北五十人町新町, ●大町五丁目新丁, 元材木町横町, 北材木町末無, 十二軒町上末無, 十二軒町下末無, 上染師町西末無, 上染師町東末無, 畳屋町末無, 滝前町末無, 川内新横町末無, 川内追廻川前町末無, 土樋二丁目西末無, 土樋二丁目東末無, 土樋四丁目末無, 姉歯横町末無, 霊屋下新町, ●霊屋下, 宮沢(本), 北六番町九丁目末無, 元材木町横町末無, 覚性院町末無, 北目町末無, 元誓願寺前町, ●越路, 河原町東裏町, 越路路地町, ●越路六軒丁, 霊屋下疣田町, 霊屋下四谷町, 古城, 宮城郡 ○小田原村(微), ○南目村(微), ○南小泉村(微)

結果としてまだまだ不備ですが、「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)を鵜呑みにはできないぞという思いです。で、どうすればいいのか。「仙台地図さんぽ」に書かれている明治11年(更正区書の表記)なるものを見てみる必要がありそうです。仙台市に行けばあるのかどうか。いつまでとは約束はできませんが、あたってみようと思います。ところで88さん、「仙台地図さんぽ」必要とあらば差し上げますよ。必要なときはお知らせください。それから、「市制町村制施行前の町村名等」に「南町」が漏れているようです。「新旧対照市町村一覧」(和泉橋警察署編、加藤孫次郎、M22)の段階で漏れていますね。「南町」は絶対外せないはずです。直感でそう思います。
[79242] 2011年 8月 24日(水)21:48:5288 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時) 小レス(石川県) +α
レスを溜めないように、少しずつでも処理していきます。

M22.4.1付け石川県市制町村制施行時の件について
この件については、[78864] むっくん さん で、解説をしていただきました。
M22.3.8付け石川県令第28号をご紹介いただきましたが、今回の議論に関する重要なものですので、全文を転記します(旧字体は新字体に置換え)。
石川県令第二十八号 二十二年三月八日
本年四月一日ヨリ本県下ニ於テ市町村制施行ニ付各町ノ内従来小町名ヲ公称シタルモノハ其全市街ヲ一団体トナシ金沢市街ハ従来ノ通小町ヲ公称セシメ其他各町及分合ニ係ル旧町村ノ名称ハ大字トシテ之ヲ存置ス
つまり、M22.3.8付け石川県令第23号中の51コマ参照(従来ノ町村中分合セサルモノ左ノ如シ)と組み合わせて読み、「各町ノ内従来小町名ヲ公称シタルモノ」とあわせて、M22.4.1付けの廃置分合を考える必要がある、とのご教示でした。まったくそのとおりであると思います。
言い換えれば、M22.4.1付けの市制町村制施行は、M22.3.8付け石川県令第28号を優先して考え、小町名(金沢、小松、松任、七尾、輪島)を公称していたものは、その全市街を一団体、つまり、一つの市町村とする、ということです。

これらを踏まえ、個別に見ていきます。
■金沢市
これについては、結果的に、既にM22.3.8付け石川県令第23号に従い対応済みで、そのままとしました
■江沼郡 大聖寺町
江沼郡 大聖寺荒町, 大聖寺鉄砲町, ・・・の60町が合併した、と修正しました
■能美郡 小松町
[78861] EMM さん
一方、「小松新大工町」が「小松本大工町」では?については、元の書き込みの1行目に「小松新大工町」、3行目に「小松本大工町」が書いてあるんですけれども、新大工町も本大工町に含まれるような記載であったと言う事でしょうか?
地名辞典の「[近世]小松町」の項によると新大工町は天明5年にはその名が文献に出て来るとの事なので、明治に入ってからもそのまま存続しているのではないかと思われるのですが。
失礼しました。これは私の単なる転記誤りです。「幕末以降総覧」では、「小松○○町」28町(小松新大工町、小松本大工町を共に含む)と、中町地方、浜田地方、向野地方によりM22.4.1付けで能美郡小松町が発足した、とあります。
なお、この件につきましては、[78864] むっくん さん でも追加情報をいただきました。再度、以下に記します。
能美郡 小松龍助町, 小松八日市町, 小松三日市町, 小松東町, 小松八日市町地方, 小松三日市町地方, 小松本折町, 小松上本折町, 小松西町, 小松大文字町, 小松寺町, 小松本鍛冶町, 小松塗師屋町, 小松本大工町, 小松土居原町, 小松京町, 小松地子町, 小松新大工町, 中町地方, 小松浜田町, 浜田地方, 向野地方, 小松小馬出町, 小松松任町, 小松細工町, 小松新町, 小松茶屋町, 小松泥町, 小松中町, 小松材木町, 小松新鍛冶町
なお、むっくんさんは「石川縣史第四巻(著・出版:石川県、S6.3.31)153頁」の記述ということで「小松龍松町」と書いていらっしゃいますが、「幕末以降総覧」「日本地名大辞典」(EMMさん)ではは「小松龍助町」です。新旧対照市町村一覧大日本市町村名鑑でも、町村の順序は一部異なりますが、名称はすべて一致します。誤りの連鎖さえなければ、小松龍助町 で間違いないでしょう。
なお、現在の小松市龍助町付近に当たると思われます。

ちなみに、「幕末以降総覧」によると、これら31町村はM22.4.1までの間に
変更後変更種別変更前
M17小松松任町編入小松松任町, 松任町地方
M8小松茶屋町改称梯出村
M8浜田地方改称浜田村
M8向野地方改称向野村
との変遷を経た旨の記述もありますので、あわせて参考までにお知らせしておきます。

という訳で、M22.4.1付けで31町村により 能美郡 小松町 が発足した、と修正しました

■石川郡 松任町
石川郡 松任茶屋町, 松任安田町, ・・・の22町が合併した、と修正しました
■鹿島郡 七尾町
鹿島郡 七尾府中町, 七尾湊町一丁目, ・・・の24町及び4村のそれぞれ(微)が合併した、とそのままとしました
■鳳至郡 輪島町
鳳至郡 輪島河井町, 輪島海士町, ・・・の4町が合併した、と修正しました
――――――――――
■河北郡 小金村となった従前の町村名の一部について 河北郡 伝灯寺村 or 河北郡 伝燈寺村
これも、石川郡 倉ヶ嶽村と同様、現在の表記を重視し、河北郡 伝燈寺村 と修正しました

(金沢市のHP内で検索してみると見事にふらふらでした)
例えば、条例だけ見てもこんな感じですね。
伝灯寺町・・・金沢市消防本部及び消防署の設置等に関する条例
伝燈寺町・・・金沢市消防団条例

もっとも、条例はweb上のものよりは、条例制定時に公報に掲載されたものが正式なものですので、web上だけの誤りの可能性もあり、何とも言えません(本当の条例が誤っている可能性もあります)。
何よりも、町名・字名を正式に規定するのは、あくまで地方自治法第260条第2項です。
第二百六十条  政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
2  前項の規定による届出を受理したときは、都道府県知事は、直ちにこれを告示しなければならない。
3  第一項の規定による処分は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、前項の規定による告示によりその効力を生ずる。
これにより、知事が告示したもの(市長に委任されている場合は市長)があくまで本当の正式なものですが。

なお、[67802] 拙稿の「市町村の名称の書き表わし方について」(昭和33年4月21日自丙行発第7号自治庁行政局長通知)も参照してみてください。

――――――――――
以下別件。

[79169] 播磨坂 さん
■S30(1955).1.1付けで新潟県西鎌原郡巻町となる従前の町村名の一部について 西蒲原郡 峰岡町 or 西蒲原郡 峰岡村
S29.12.27付け総理府告示第1119号を確認しました。単なる入力誤りでした。西蒲原郡 峰岡村 と修正しました
[79282] 2011年 8月 30日(火)06:43:52千本桜 さん
仙台区町名
明治41年発行「仙台市史」を引用しながら仙台区の町について書き込みます。仙台市史は「行政組織及び区画の沿革」について
明治11年7月22日布告第17号を以て郡区町村編成法を発布せられ、庁下を仙台区と称し、区長一員を置かる、是に於いて仙台は一の独立行政区となれり、此年11月区内を5部に分ち毎部町場持4人乃至6人を置き、部内を4分又は6分して布告布達等の事務を取扱はしむ、之を区行政の区画とする
として、5部(5つの地域ブロック)と253の町名を記載しています。この数字は要注意です。東西に長く延びた北一番丁などは町域が2つのブロックに跨がっていて、各々のブロックに北一番丁が載っいています。つまり重複記載です。このような町名が25ありますから、253-25=228で実際は228町になります。なお、仙台市史は町数の合計を記載していないので、私が町名を追いながら算出しました。検算していますが2、3の漏れがある可能性も考えられます。

明治14年4月15日、仙台区と宮城郡南目、荒巻、小田原各村の内、地所交換、(中略)同年10月24日、1名称にして数町に亘る市街区分を左の如く定めらる
として、町名と各々の町を細分した丁目を記載しています。町の延長が短い南町などは1丁目から2丁目まで。延長が長い北二番丁などは1丁目から14丁目まであります。これに記載された町の名称は140。丁目の合計は402です。この場合、町数を140とするか402とするか迷いますが、私は140町とするのが自然だと思います。

明治15年10月行政区画を改めて、各町組合を設け組毎に組長1人を置き、
明治18年4月1日之を更正して140組とし、(中略)
明治18年10月15日追廻組を中ノ町組に合併、
明治19年2月13日更に改めて56組とし、
明治19年3月29日北七番丁(堤通東)を北二、三、四、五、六番丁東組に、北七、八、九番丁(通町東 堤通西)を通町組に変更せり、其の名称及区画は左の如し
として、56組207町の名称を記載しています。207町の名称は次のとおりです。
河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢, 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁

而して区は22年3月31日更に区域を変更すること左の如し
として、下記の5村から各々土地の一部を編入したとしています。
宮城郡荒巻村の一部(字山上清水, 字滝前, 字宮裏, 字上郡山, 字中丿沢)
宮城郡小田原村の一部(字小野田, 字杉山)
宮城郡南目村の一部(字柳沢, 字二軒茶屋)
宮城郡南小泉村の一部(字八軒小路, 字行人塚, 字五ツ谷, 字桃源院東, 字鍛冶屋敷, 字広瀬川橋下)
名取郡長町村の一部(字窪谷地の一部)
また、
仙台区宮沢の一部を名取郡茂ヶ崎村に編入
仙台区北六番丁の一部を宮城郡原町に編入
とあります。

以上のことから、仙台区の町村として市区町村変遷情報に乗せるべきは、掲載した207の町名および明治22年3月31日に行われた区画変更の情報だと思います。

(注):207町について。原文のまま書き出せれば良いのですが、
1・誤字脱字が見受けられること。
2・複数の組に跨がる町は重複して町名が記載されていること。
3・同名の町名があり、それを区別表記をしなければならないこと。
そのような理由があり、私が手を加えています。

88さん
明治22年(1889年) 3月31日 宮城県 市制町村制施行直前の廃置分合等ですが、この表組を普通に読めば、「明治22年(1889年) 3月31日に仙台区, 仙台区新河原町, 新弓ノ町,(以下省略)が合併して仙台区が新設された。」になります。表組作成にもう一工夫必要かなと思いました。
[79658] 2011年 11月 21日(月)08:23:17千本桜 さん
仙台区から仙台市に移行する時点での町名・まとめ2
88さんへ。[79657] の続きです

[79282] でも書きましたが、もう一度、明治41年発行「仙台市史」を引用しながら仙台区の町について書きます。なお、仙台市史は町数を載せていないので、私が町名を追いながら計算しています。

【ステップ1】郡区町村編成法が発布された明治11年から始めます。仙台市史は次のように書いています。
明治11年7月22日布告第17号を以て郡区町村編成法を発布せられ、庁下を仙台区と称し、区長一員を置かる、是に於いて仙台は一の独立行政区となれり、此年11月区内を5部に分ち毎部町場持4人乃至6人を置き、部内を4分又は6分して布告布達等の事務を取扱はしむ、之を区行政の区画とする
と記述して、第1部(河原町など31町)、第2部(片平丁など74町)、第3部(南町など50町)、第4部(国分町など59町)、第5部(八幡町など39町)を挙げ、計253町を掲出しています。しかし、この町数は要注意です。延長の長い町は2つの部に分割され、双方の部に町名が載っているからです。つまり重複記載です。このような重複記載が25ありますから、253-25=228で実際は228町になります。

【ステップ2】次に、市史は明治14年に行われた区画変更の記述に進みます。
明治14年4月15日、仙台区と宮城郡南目、荒巻、小田原各村の内、地所交換、区は差引6町1反7畝15歩余を増せり、同年10月24日、1名称にして数町に亘る市街区分を左の如く定めらる
と記述して、140の町名を掲出し、各町を幾つかの丁目に細分しています。具体的には、国分町(1丁目より5丁目まで)、北二番丁(1丁目より14丁目まで)のように書いてあり、丁目の合計数は402になります。この丁目区分は、本当に明治14年に定められたのかは疑わしい。なぜなら、明治13年出版の宮城県仙台区全図に既に丁目が表示されているからです。この区分は、市制直前の町名解決に繋がらないようなので思いきって無視します。

【ステップ3】次に、市史は明治15、18、19年に行われた行政組織と区画更正の記述に進みます。その全文を引用します。
同15年10月行政区画を改めて、各町組合を設け組毎に組長1人を置き、18年4月1日之を更正して140組とし、同時に組長設置規則を改め、組長は満25歳以上にして組内に不動産を所有するものより選挙し、任期を3ヶ年として専ら組内の布告回達、納税注意、戸籍方並に篤行者、極貧者の取調を司り兼ねて共同の事件に関係せり、其筆紙墨料は1ヶ年1戸に付拾銭を徴せり、明治18年10月15日追廻組を中ノ町組に合併、19年2月13日更に改めて56組とし、翌月29日北七番丁(堤通東)を北二、三、四、五、六番丁東組に、北七、八、九番丁(通町東 堤通西)を通町組に変更せり、其名称及区画は左の如し
として、八幡町組(八幡町、坊主町ほか3町)、花京院通組(花京院通、空堀丁ほか6町)など56組207町の名称を掲出しています。207町の名称は下記のとおりです。207町を原文のまま書き出せれば良いのですが、誤字脱字があったり、複数の組に跨がる町については重複記載の調整が必要なことから、私が手を加えています。[79282] に記載した207町をもう一度掲載します
河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢, 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁

【ステップ4】次に、市史は明治22年3月に行われた区域変更の記述へ進みます。仙台区消滅直前の区域変更です。
而して区は22年3月31日更に区域を変更すること左の如し
と述べて、宮城郡荒巻村の一部(字山上清水, 字滝前, 字宮裏, 字上郡山, 字中丿沢)、宮城郡小田原村の一部(字小野田, 字杉山)、宮城郡南目村の一部(字柳沢, 字二軒茶屋)、宮城郡南小泉村の一部(字八軒小路, 字行人塚, 字五ツ谷, 字桃源院東, 字鍛冶屋敷, 字広瀬川橋下)、名取郡長町村の一部(字窪谷地の一部)を仙台区に編入。また、仙台区宮沢の一部を名取郡茂ヶ崎村に編入し、仙台区北六番丁の一部を宮城郡原町に編入したと記しています。

以上のことから、88さんが纏めておられる市区町村変遷情報に載せるべき仙台の町は、【ステップ3】で掲載した207町および【ステップ4】で掲載した周辺村との区画変更だと思いました。しかしその後、市史に町名書き漏れの疑念をいだき、各種資料を突き合わせてチェックしました。チェックの方法は[79312]に書いたとおりです。その結果、上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町が書き漏れとして浮上しました。
しかし、大聖寺裏門通(現在の青葉区本町二丁目錦町公園付近)で頭を抱えてしまいました。地籍があっても家屋が消滅して無人になっていた可能性が見え隠れするからです。大聖寺裏門通という地籍があったとする根拠は歴史的町名復活検討委員会の29ページ「旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧」と36ページ右側の地図に大聖寺裏門通の表記があるからです。また、明治22年当時は無人になっていたかも知れないという根拠は、36ページ右側の地図に線引きされた大聖寺裏門通の区域が非常に狭いことに加え、明治後期の地図には家屋のない更地ふうに描かれているからです。
大聖寺裏門通が無人か有人かで引っ掛かり、前進できないでおりましたが、これ以上考えるのは止めましょう。仙台区から仙台市に移行する時点で、上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町は存在していたと決着をつけます。そうしないと埒があきません。

上記を踏まえ、明治22年仙台区消滅直前の町数は、【ステップ3】に掲げた207町に上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通の4町を加え、211町に訂正したいと思います。【ステップ3】に掲げた207町のうち、六軒丁を南六軒丁に修正し、宮沢と北六番丁に(微)を付し、新たに加える上杉山通、米ヶ袋中ノ坂、米ヶ袋鹿子清水通、大聖寺裏門通は、それぞれ適宜な位置に挿入しました。はたして判断が正しいのか否か自信はありませんが、自分なりに出した結論に従い仙台211町5村を掲出しますので、市区町村変遷情報を下記のように修正してください。

河原町, 新河原町, 新河原町東丁, 南石切町, 新弓ノ町, 八軒小路, 南染師町, 南鍛冶町, 南材木町, 穀町, 三百人町, 五十人町, 六十人町, 畳屋丁, 保春院前丁, 成田町, 表柴田町, 裏柴田町, 元茶畑, 椌木通, 木ノ下, 西新丁, 東新丁, 荒町, 連坊小路, 清水小路, 北目町, 上染師町, 田町, 南町, 柳町, 大町一丁目頭, 大町一丁目, 大町二丁目, 大町三丁目, 大町四丁目, 大町五丁目, 大町五丁目新丁, 新伝馬町, 名掛丁, 二十人町, 榴ヶ岡, 舟丁, 堰場, 石名坂, 弓ノ町, 土樋, 猿牽丁, 姉歯横丁, 石垣町, 米ヶ袋上丁, 米ヶ袋中丁, 米ヶ袋下丁, 米ヶ袋十二軒丁, 米ヶ袋広丁, 米ヶ袋鍛冶屋前丁, 米ヶ袋中ノ坂, 米ヶ袋鹿子清水通, 七軒丁, 鉄砲横丁, 桜小路, 道場小路, 伊勢屋横丁, 南六軒丁, 片平丁, 本荒町, 良覚院丁, 狐小路, 袋町, 中ノ町, 琵琶首丁, 琵琶首新丁, 花壇, 花壇川前丁, 霊屋下, 越路, 越路六軒丁, 越路路地町, 宮沢(微), 川内大橋通, 川内柳丁, 川内中ノ瀬町, 川内大工町, 川内川前丁, 川内明神横丁, 川内元支倉, 川内澱橋通, 川内元支倉通, 川内新横丁, 川内数寄屋丁, 川内亀岡町, 川内亀岡北裏丁, 川内三十人町, 川内山屋敷, 肴町, 立町, 立町新丁, 本柳町,元櫓丁, 定禅寺通櫓丁, 元鍛冶町, 常盤町, 北材木町, 本材木町, 跡付町, 木町末無, 立町通, 定禅寺通, 南町通, 南光院丁, 教楽院丁, 薬鑵小路, 裏五番丁, 柳町通, 北目町通, 新寺小路, 国分町, 二日町, 北鍛冶町, 通町, 北田町, 堤町, 支倉町, 木町通, 新坂通, 土橋通, 支倉通, 半子町, 伊勢堂下, 神子町, 北山町, 八幡町, 坊主町, 江戸町, 覚性院丁, 石切町, 中島丁, 切通, 十二軒丁, 北五十人町, 滝前丁, 角五郎丁, 角五郎新丁, 澱町, 勾当台通, 表小路, 外記丁, 堤通, 外記丁通, 上杉山通, 同心町通, 中杉山通, 光禅寺通, 二本杉通, 杉山通, 元寺小路, 茂市ヶ坂, 掃部丁, 末無掃部丁, 大仏前, 同心町中丁, 元貞坂, 大聖寺裏門通, 空堀丁, 新名懸丁, 新小路, 花京院通, 長丁, 長刀丁, 北六軒丁, 鉄砲町, 車町, 小田原山本丁, 小田原裏山本丁, 小田原車通, 小田原宮町東裏丁, 小田原東丁, 小田原袖振丁, 小田原遣水丁, 小田原長丁通, 小田原高松通, 小田原金剛院丁, 小田原広丁, 小田原大行院丁, 小田原牛小屋丁, 小田原清水沼通, 小田原弓ノ町, 小田原北一番丁通, 小田原北二番丁通, 小田原北三番丁通, 宮町, 東一番丁, 東二番丁, 東三番丁, 東四番丁, 東五番丁, 東六番丁, 東七番丁, 東八番丁, 東九番丁, 東十番丁, 北一番丁, 北二番丁, 北三番丁, 北四番丁, 北五番丁, 北六番丁(微),, 北七番丁, 北八番丁, 北九番丁, 北十番丁, 宮城郡 荒巻村(微), 小田原村(微), 南目村(微), 南小泉村(微), 名取郡 長町村(微)
[90671] 2016年 7月 3日(日)13:59:51【1】伊豆之国 さん
ものの名前(地名関連)
今日の日経新聞の最終面「文化」面に、作曲家の池辺晋一郎氏が「ものの名前」と題した記事を載せており、その中で「地名」に関するくだりがいくつか書かれていました。

たとえば地名。長野県松本市に「」という地名がある。私鉄の駅名にもなっている(→[89119])。紛れもない山地だ。波が打ち寄せる光景とは縁がない。が、実はその辺りは古代には湖だった。その名残の地名なのだ
この続きに、大阪の地名「難波」は「なんば」か「なにわ」か、浅草にあるお寺がなぜ「浅草寺(せんそうじ)」と読みが違うのか、目黒区「洗足」と大田区「千束」が隣接する([76006])のは奇妙じゃないか、世田谷区と多摩川を挟んだ川崎市に同じ「等々力」がある([75335])のはなぜか、その「多摩川」に近い世田谷区の地名が「玉川」なのは奇妙だ、といったことが書かれており、また京都と札幌の「○条」の意味の違いなどにも触れていました。
そして、終わりのほうで再び地名の話に戻り、
合併ばやりだが、最近多いのが新生の市の奇妙な名前だ。また、由緒ある地名が合併ゆえに消滅してがっかりしたことも、何度もある。しかし理由があるのは、まだいい。江戸期の住人の職種が具体的にわかる大工町・鉄砲町・博労町(馬喰町、馬口労町とも)などがどんどん消え、何でもない地名に取って代わったりしているのは許せない。○○市中央、とか駅前町などという安直な地名に出会うと腹が立ってくる

と「個人的感想」を述べています。

…私自身が投稿していた「せんぞく」も出てきた「自治体越え地名」とか、「平成の大合併」でできた新自治体名批判など、「落書き帳」の常連から見れば「見飽きた、聞き飽きた」ような話題も出てきて、この方面が本業ではない人の話なのに実によくできていて大いに感心したのでした。信州の「渚」の地名の由来、これは飛騨のここも同じ意味だったのでしょうか?(こちらには「猪」の誤記説もあるようですが。)

[90669]のクイズの「第四ヒント」ですが…。「G2B」ランクの松本市も、【Group A】に入っています。

【1】書き込みの途中で誤動作を起こしたため、書き込み訂正の形によって加筆修正しました。
[95735] 2018年 4月 30日(月)16:58:03むっくん さん
市区町村変遷情報(その2)
>グリグリさん

[95557]拙稿に引き続いての第2弾です。
市区町村変遷情報で以下の所の訂正をお願いします。

埼玉県
#122 1889(M22).4.1 新設/町制 入間郡越生町 入間郡 上野村, 越生村, 如意村, 黒岩村, 西和田村, 大谷村, 鹿ノ下村, 成瀬村, 古池村

#122 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/町制 入間郡越生町 入間郡 上野村, 越生村, 如意村, 黒岩村, 西和田村, 大谷村, 鹿ノ下村, 成瀬村, 「比企郡」 古池村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#123 1889(M22).4.1 新設/村制 入間郡梅園村 入間郡 津久根村, 大満村, 黒山村, 龍ヶ谷村, 小杉村, 堂山村, 上谷村, 麦原村

#123 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 入間郡梅園村 入間郡 津久根村, 大満村, 黒山村, 龍ヶ谷村, 小杉村, 堂山村, 上谷村, 「比企郡」 麦原村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#132 1889(M22).4.1 新設/村制 高麗郡高萩村 高麗郡 高萩村, 下高萩新田, 下大谷沢村, 女影村, 女影新田, 馬引沢村, 田木村, 大谷沢村, 中沢村, 森戸新田, 駒寺野新田

#132 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 高麗郡高萩村 高麗郡 高萩村, 下高萩新田, 下大谷沢村, 女影村, 女影新田, 馬引沢村, 田木村, 大谷沢村, 中沢村, 「入間郡」 森戸新田, 駒寺野新田
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#155 1889(M22).4.1 新設/村制 比企郡竹沢村 比企郡 笠原村, 原川村, 勝呂村, 木部村, 靱負村, 木呂子村

#155 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 比企郡竹沢村 比企郡 笠原村, 原川村, 「男衾郡」 勝呂村, 木部村, 靱負村, 木呂子村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#160 1889(M22).4.1 新設/村制 比企郡今宿村 比企郡 石坂村, 今宿村, 赤沼村, 大豆戸村, 小用村

#160 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 比企郡今宿村 比企郡 石坂村, 今宿村, 赤沼村, 大豆戸村, 「入間郡」 小用村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#210 1889(M22).4.1 新設/村制 児玉郡藤田村 児玉郡 傍示堂村, 鵜森村, 牧西村, 小和瀬村, 滝瀬村, 宮戸村

#210 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 児玉郡藤田村 児玉郡 傍示堂村, 鵜森村, 「榛沢郡」 牧西村, 小和瀬村, 滝瀬村, 宮戸村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#217 1889(M22).4.1 村制 児玉郡共和村 児玉郡 「共和村」

#217 1889(M22).4.1 「新設/」村制 児玉郡共和村 児玉郡 「今井村, 蛭川村, 高関村, 入浅見村, 下浅見村, 下真下村」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)

#220 1889(M22).4.1 村制 児玉郡金屋村 児玉郡 金屋村

#220 1889(M22).4.1 「新設/」村制 児玉郡金屋村 児玉郡 金屋村「, 長沖村, 高柳村, 飯倉村, 塩谷村, 宮内村」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)

#227 1889(M22).4.1 新設/村制 賀美郡丹荘村 賀美郡 植竹村, 元阿保村, 原新田村, 八日市村, 関口村, 肥土村, 貫井村, 小浜村, 四軒在家村, 熊野堂村

#227 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 賀美郡丹荘村 賀美郡 植竹村, 元阿保村, 原新田村, 八日市村, 関口村, 肥土村, 貫井村, 小浜村, 四軒在家村, 「児玉郡」 熊野堂村
参考:埼玉県令甲第10号(M22.3.26)[69697]

#232 1889(M22).4.1 新設/村制 大里郡佐谷田村 大里郡 佐谷田村, 戸出村, 平戸村

#232 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 大里郡佐谷田村 大里郡 佐谷田村, 「北埼玉郡」 戸出村, 平戸村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#238 1889(M22).4.1 村制 大里郡大幡村 大里郡 「大幡村」

#238 1889(M22).4.1 「郡変更/新設/」村制 大里郡大幡村 大里郡 「原島村, 代村, 幡羅郡 柿沼村, 新島村」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)、埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#240 1889(M22).4.1 村制 大里郡吉岡村 大里郡 「吉岡村」

#240 1889(M22).4.1 「新設/」村制 大里郡吉岡村 大里郡 「万吉村, 村岡村, 平塚新田」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)

#264 1889(M22).4.1 新設/町制 榛沢郡寄居町 榛沢郡 寄居町, 末野村, 藤田村

#264 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/町制 榛沢郡寄居町 榛沢郡 寄居町, 末野村, 「男衾郡」 藤田村
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)、埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#321 1889(M22).4.1 村制 北埼玉郡太田村 北埼玉郡 「太田村」

#321 1889(M22).4.1 「新設/」村制 北埼玉郡太田村 北埼玉郡 「小針村, 下須戸村, 若小玉村」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)

富山県
#160 1889(M22).4.1 新設/町制 射水郡伏木町 射水郡 伏木本町, 伏木中道町, 伏木湊町, 伏木臥浦町, 伏木石坂町, 伏木玉川町, 伏木新町, 「伏木古国府町」, 「伏木新島町」, 「伏木串岡町」, 一ノ宮村, 古府村, 矢田村, 国分村
「」を追加。
参考:富山県令第38号(M22.3.19)、地方行政区画便覧(編・発行:内務省地理局, 1887)

静岡県
# 1 1889(M22).4.1 新設/市制 静岡市 安倍郡 静岡追手町, 「有渡郡」静岡鷹匠町一丁目, 静岡鷹匠町二丁目, 静岡鷹匠町三丁目, 静岡東鷹匠町, 「安倍郡/有渡郡」静岡横内町, 「安倍郡」静岡水落町一丁目, 静岡水落町二丁目, 静岡水落町三丁目, 静岡東草深町一丁目, 静岡東草深町二丁目, 静岡東草深町三丁目, 静岡西草深町, 「安倍郡」静岡通研屋町, 静岡草深町代地, 静岡屋形町, 静岡裏一番町, 静岡一番町, 静岡二番町, 静岡三番町, 静岡四番町, 静岡五番町, 静岡六番町, 静岡七番町, 静岡八番町, 静岡通車町, 静岡本通裏町, 静岡北番町, 「有渡郡」静岡誉田町, 静岡静岡宿, 静岡台所町, 静岡鋳物師町, 静岡下八幡町, 静岡下横田町, 静岡院内町, 静岡上横田町, 「有渡郡」静岡栄町, 静岡上八幡町, 静岡猿屋町, 静岡中八幡町, 「安倍郡」静岡材木町, 静岡片羽町, 静岡安倍町, 静岡御器屋町, 静岡宮ヶ崎町, 静岡馬場町, 静岡車町, 静岡四ツ足町, 「安倍郡/有渡郡」静岡本通一丁目, 静岡本通二丁目, 「安倍郡/有渡郡」 静岡本通三丁目, 静岡本通四丁目, 静岡本通五丁目, 静岡本通六丁目, 静岡本通七丁目, 静岡本通八丁目, 静岡本通九丁目,「安倍郡」静岡研屋町, 静岡上魚町, 静岡茶町一丁目, 静岡茶町二丁目, 静岡上桶屋町, 静岡土太夫町, 静岡柚木町, 静岡安西一丁目, 静岡安西二丁目, 静岡安西三丁目, 静岡安西四丁目, 静岡安西五丁目, 静岡安西一丁目南裏町, 「安倍郡/有渡郡」静岡呉服町一丁目, 静岡呉服町二丁目, 静岡呉服町三丁目, 静岡呉服町四丁目, 静岡呉服町五丁目, 静岡呉服町六丁目, 静岡江川町, 静岡新谷町, 「有渡郡」静岡札ノ辻町, 静岡七間町一丁目, 静岡七間町二丁目, 静岡七間町三丁目, 静岡両替町一丁目, 静岡両替町二丁目, 静岡両替町三丁目, 静岡両替町四丁目, 静岡両替町五丁目, 静岡両替町六丁目, 静岡紺屋町, 静岡上石町一丁目, 静岡上石町二丁目, 静岡梅屋町, 静岡人宿町一丁目, 静岡人宿町二丁目, 静岡人宿町三丁目, 静岡寺町一丁目, 静岡寺町二丁目, 静岡寺町三丁目, 静岡寺町四丁目, 静岡下石町一丁目, 静岡下石町二丁目, 静岡下石町三丁目, 静岡常慶町, 「静岡藤右衛門町」, 静岡下魚町, 静岡江尻町, 静岡平屋町, 静岡下桶屋町, 静岡鍛冶町, 「安倍郡/有渡郡」 静岡本通川越町, 静岡堤添川越町, 「安倍郡」静岡西寺町, 静岡大鋸町, 静岡上大工町, 「有渡郡」静岡新通一丁目, 静岡新通大工町, 静岡新通三丁目, 静岡新通四丁目, 静岡新通五丁目, 静岡新通六丁目, 静岡新通七丁目, 静岡新通川越町, 静岡安倍川町, 静岡白山町, 川辺村(微)
へと変更。
#郡名を追加、静岡藤右衛門町を追加。
#静岡栄町は元々、有渡郡南安東村の一部でM22.3.1の有渡郡南安東村消滅時に出来た町と考えられることより、有渡郡としました。
参考:静岡県令第18号(M22.2.26)、地方行政区画便覧257コマ258コマ(編・発行:内務省地理局, 1887)

#127 1889(M22).3.1 郡変更/新設 志太郡藤枝町 志太郡 藤枝宿若王子町, 「益津郡/志太郡」 藤枝宿本町, 志太郡 藤枝宿五十海町, 藤枝宿市部町, 藤枝宿鬼岩寺町, 「益津郡」藤枝宿益津町, 「志太郡」原村, 益津郡 郡村(微)
へと変更。
参考:地方行政区画便覧(編・発行:内務省地理局, 1887)

三重県
#1 1889(M22).4.1 新設/市制 津市 安濃郡 津京口町, 津立町, 津大門町, 津中ノ番町, 津宿屋町, 津蔵町, 津千歳町, 津堀川町, 津沢「ノ」上町, 津新中町, 津魚町, 津北浜町, 津地頭領町, 津分部町, 津新魚町, 津築地町, 津極楽町, 津山「ノ」世古町, 津大世古町, 津南「ノ」世古町, 津南浜町, 津片浜町, 津贄崎町, 西ノ口出屋敷, 津鷹匠町, 津西町, 津釜屋町, 津塔世町, 津門前町, 津万町, 津北町, 津東町, 津西来寺町, 津宝禄町, 津新立町, 津「新東」町, 津入江町,津西検校町, 津東検校町, 津新道, 津玉置町, 津西堀端, 津北堀端, 津南堀端, 津一番町, 津二番町, 津三番町, 津五軒町, 津枕町, 津松「ノ」下, 津西新「町」, 津中新町, 津丸ノ内, 津伊予町, 「津伊予町ノ内 的場」 , 「岩田村ノ内 岩田町」, 「岩田村ノ内 宮之前」, 「岩田村ノ内 佐伯町」, 「岩田村ノ内 弓屋敷」, 「岩田村ノ内 立合町」, 「岩田村ノ内 西裏」, 「岩田村ノ内 久留島」, 「岩田村ノ内 野崎垣内」, 「岩田村ノ内 元築造」, 「岩田村ノ内 出口」, 「岩田村ノ内 弓ノ町」, 「岩田村ノ内 山中」, 「岩田村ノ内 綿打」, 「津興村ノ内 船頭町」, 「津興村ノ内 上弁財町」, 「津興村ノ内 柳山」, 「津興村ノ内 阿漕町」, 「津興村ノ内 下弁財町」, 八幡町, 藤枝町, 栄町, 下部田村(本), 「下部田村ノ内 余慶町」, 乙部村(微), 塔世村(微), 古河村(微), 藤方村(微), 奄芸郡 大部田村
へと変更。
#当時の町名順に並び替えて記載しています。
三重県では、岩田村は13町村もの自治体に分かれて存在しており、岩田村というものはありませんでした。同じく津興村というものもなく、5町村に分かれて存在していました。又、津伊予町もこれとは別途に津伊予町ノ内 的場が存在していました。
江戸時代の最後の郷帳である天保郷帳によく見られた「○○村ノ内△△」、「□□村枝郷 ××」として記載される近世村(自治体)が明治22年まで唯一残ったのが三重県です。
参考:三重県統計書(明治19年)(著・発行:三重県庁, M20.11.15)、三重県統計書(明治21年)(著・発行:三重県庁, M22.12.2130コマ251コマ三重県令第12号(PDF)(M22.3.1)1-2コマ

#113 1889(M22).4.1 新設/町制 安濃郡新町 安濃郡 古賀村, 刑部村, 「古賀村刑部村ノ内 八町 」, 神納村, 南河路村
参考:三重県統計書(明治19年)(著・発行:三重県庁, M20.11.15)、三重県令第13号(PDF)(M22.3.1)9コマ
#古賀村刑部村ノ内 八町 も古賀村や刑部村とは別の自治体です。

#246 1889(M22).4.1 新設/町制 阿拝郡上野町 阿拝郡 上野西ノ丸, 上野丸之内, 上野幸坂町, 上野馬苦労町, 上野西町, 上野向島町, 上野中町, 上野東町, 上野清水町, 上野福居町, 上野徳居町, 上野小玉町, 上野魚町, 上野三ノ西町, 上野紺屋町, 上野相生町, 上野忍町, 上野愛宕町, 上野万町(本), 上野鉄砲町, 上野池町, 上野西日南町, 上野東日南町, 上野桑町, 上野恵美須町, 上野農人町, 上野赤坂町, 上野玄蕃町, 上野車坂町, 上野田端町, 上野裏町, 上野寺町, 上野新町, 上野片原町, 上野鍛冶町, 上野町(微), 上野村(本), 木興村(微), 小田村(微)
#247 1889(M22).4.1 新設/村制 阿拝郡小田村 阿拝郡 木興村(本), 久米村, 浅宇田村, 四十九村, 小田村(本), 上野町(微), 上野万町(微), 上野村(微)
#246,247の両方とも
上野町(微)→上野町の一部
へと変更することになります。
M22.3.1三重県令第13号では上野市街地、三重県統計書(明治19年)では上野町と書かれている所です。これは恐らくM3の大水害の後に当時の人が移り住んだ上野城の堀の埋立地などに地籍が与えられいまま、おそらく所属未定地のままM22まで来たところではないかと推定します。ゆえに、適切な名称をつけるとするのと、三重県統計書(明治19年)での上野町を借用して共に
「上野町の一部」と記載するしかないと思います。
参考:三重県統計書(明治19年)(著・発行:三重県庁, M20.11.15)、三重県令第13号(PDF)(M22.3.1)16コマ

鳥取県
#3 1894(M27).3.30 改称 八橋郡勝田村 八橋郡 豊定村
#14 1898(M31).7.22 新設 東伯郡成美村 東伯郡 勝田村, 保永村
M31鳥取県告示第183号(豊定村保永村合併ノ件)(PDF)132コマで1898年に合併が行われましたので、正しくは
#14 1898(M31).7.22 新設 東伯郡成美村 東伯郡 豊定村, 保永村
です。

#77 1935(S10).2.20 編入 八頭郡智頭町 八頭郡 智頭町, 山形村, 那岐村, 土師村
鳥取県告示第80号(PDF)(S10.2.14)によりますと、合併方式は新設。

愛媛県
#15 1898(M31).11.22 町制 周桑郡小松町 周桑郡小松村
#16 1898(M31).11.28 町制 温泉郡北条町 温泉郡北条村
#17 1898(M31).12.21 町制 宇摩郡川之江町 宇摩郡川之江村
これら3村の町制は愛媛県告示第187号(M31.11.21)で
#14 1898(M31).11.21 町制 宇摩郡三島町 宇摩郡三島村
と同じくすべて1898(M31).11.21

#21 1900(M33).__.__ 境界変更 温泉郡道後村 温泉郡 道後村, 御幸村の一部
この境界変更は1900(M33).6.1

#23 1901(M34).8.20 町制/改称 上浮穴郡久万町 上浮穴郡久万町村
この町制/改称は1900(M34).8.15

#38 1916(T5).10.1 境界変更 温泉郡浅海村 温泉郡 浅海村, 立岩村の一部
この境界変更は1916(T5).4.1

参考:えひめの記憶

長崎県
#10 1912(M45).4.1 分立 下県郡豆酘村 下県郡 与良村の一部
#11 1912(M45).4.1 境界変更/改称 下県郡久田村 下県郡 与良村, 厳原町の一部
長崎県令第14号(M45.3.5)で、
#10 1912(M45).4.1 分割 下県郡豆酘村 下県郡 与良村の一部
#11 1912(M45).4.1 新設 下県郡久田村 下県郡 与良村の一部, 厳原町の一部
に。

#23 1925(T14).4.1 町制 壱岐郡武生水町 壱岐郡 武生水村
長崎県告示第91号(T14.3.6)で
1925(T14).4.1→1925(T14).3.10

#29 1927(S2).4.1 編入 東彼杵郡早岐町 東彼杵郡 早岐町, 広田村
長崎県告示第141号1コマ2コマ(S2.4.1)で
編入→新設
[108793] 2023年 9月 22日(金)22:08:53【1】訂正年月日
【1】2023年 9月 23日(土)11:22:46
むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(高知、神奈川、群馬、茨城)
[108790]グリグリさん
Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(広島、滋賀、栃木、福島、山形)
グリグリさんの対応について確認しました。それでは[108787]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第二弾です。

高知県
1 1889(M22).3.31 「新設」 「高知市」 土佐郡 高知追手筋, 高知西唐人町, 高知片町, 高知南与力町, 高知八軒町, 高知鷹匠町, 高知中島町, 高知金子橋, 高知舛形, 高知本町, 高知帯屋町, 高知西弘小路, 高知北門筋, 高知永国寺町, 高知北与力町, 高知本与力町, 高知廿代筋, 高知材木町, 高知種崎町, 高知細工町, 高知新市町, 高知紺屋町, 高知蓮池町, 高知山田町, 高知廿代町, 高知新町田淵, 高知南新町, 高知北新町, 高知鉄砲町, 高知中新町, 高知朝倉町, 高知浦戸町, 高知八百屋町, 高知堺町, 高知要法寺町, 高知掛川町, 高知東唐人町, 高知広岡町, 高知囃喉場, 高知九反田, 高知農人町, 高知田淵, 高知菜園場町, 高知北奉公人町, 高知築屋式, 高知南奉公人町, 高知通町筋, 高知水通町, 高知本町筋
1 1889(M22).4.1 市制 高知市 「高知市」
新設/市制→新設、土佐郡 高知→高知市と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
本年三月三十一日ヨリ縣下各町村ノ内分合名稱別紙之通相定ム
明治二十二年三月四日 高知縣知事時任爲基
(土佐郡高知)追手筋○(仝)西唐人町○(仝)片町○(仝)南與力町○(仝)八軒町○(仝)鷹匠町○(仝)中嶋町○(仝)金子橋○(仝)舛形○(仝)本町○(仝)帯屋町○(仝)西弘小路○(仝)北門筋○(仝)永國寺町○(仝)北與力町○(仝)本與力町○(仝)廿代筋○(仝)材木町○(仝)種崎町○(仝)細工町○(仝)新市町○(仝)紺屋町○(仝)蓮池町○(仝)山田町○(仝)廿代町○(仝)新町田淵○(仝)南新町○(仝)北新町○(仝)鉄砲町○(仝)中新町○(仝)朝倉町○(仝)浦戸町○(仝)八百屋町○(仝)堺町○(仝)要法寺町○(仝)掛川町○(仝)東唐人町○(仝)廣岡町○(仝)囃喉塲○(仝)九反田○(仝)農人町○(仝)田淵○(仝)菜園塲町○(仝)北奉公人町○(仝)築屋式○(仝)南奉公人町○(仝)通町筋○(仝)水通町○(仝)本町筋
右合併高知市ト稱ス
(略)

高知縣令第三十一号
来ル四月一日ヨリ縣下高知市ニ市制其他町村ニ町村制ヲ施行ス
明治二十二年三月四日 高知縣知事時任爲基
とあります。
他県と同様に、土佐郡高知から市制が施行されたとするならば、高知県令の市制町村制施行の文言が
来ル四月一日ヨリ縣下土佐郡高知ニ市制
もしくは
来ル四月一日ヨリ縣下高知ニ市制
と市制施行地の名称となるはずです。しかしながら、高知県の文言では
来ル四月一日ヨリ縣下高知「市」ニ市制
となっていますので、廃置分合が為された1889(M22).3.31に、郡区町村編成法下で高知市という名称の自治体が成立し、1889(M22).4.1に市制が成立したものと考えられます。
#例えば兵庫県の場合
兵庫縣令第二十五號
本年四月一日ヨリ神戸區並ニ飾東郡姫路ニ市制其ノ他町村ニ町村制ヲ施行ス
明治廿二年二月廿二日
と、飾東郡姫路ニ市制となっています。

9 1889(M22).3.31 新設 土佐郡土佐山村 土佐郡 土佐山村, 高川村, 桑尾村, 弘瀬村, 東川村, 中切村, 梶谷村, 西川村, 菖蒲村, 「都網」村
とその詳細
土佐山村,高川村,桑尾村,弘瀬村,東川村,中切村,梶谷村,西川村,菖蒲村,「都網」村は「土佐山郷」
都積村→都網村、土佐郷→土佐山郷と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
(略)
土佐郡
(略)
(土佐山鄕)土佐山村○(仝)高川村○(仝)桑尾村○(仝)弘瀬村○(仝)東川村○(仝)中切村○(仝)梶谷村○(仝)西川村○(仝)菖蒲村○(仝)都網村
右合併土佐山村ト稱ス
(略)
とあります。
都網村は丑甲第20号(M10.3.23)で土佐郡都積村, 網川村→都網村となって成立した村です。

24 1889(M22).3.31 新設 幡多郡山中村 幡多郡 大用村, 住次郎村, 片魚村, 大屋敷村, 常六村, 三ツ又村, 小西ノ川村, 大西ノ川村, 竹屋敷村, 古尾村
詳細
大用村,住次郎村,片魚村,大屋敷村,常六村,三ツ又村,小西ノ川村,大西ノ川村,竹屋敷村,古尾村は「上山郷中山」
上山郷中山→上山郷山中と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
(略)
(上山鄕山中)大用村○(仝)住次郎村○(仝)片魚村○(仝)大屋敷村○(仝)常六村○(仝)三ツ又村○(仝)小西ノ川村○(仝)大西ノ川村○(仝)竹屋敷村○(仝)古尾村
右合併山中村ト稱ス
(略)
とあります。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在幡多郡の右から4行目上山郷山中
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)は上山郷中山ですが、高知縣令第30号及び市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では上山郷山中となっています。

72 1889(M22).3.31 「郡変更/新設」 高岡郡高石村 高岡郡 用石村, 塚地村, 吾川郡 中島村
88 1889(M22).3.31 「郡変更/新設」 吾川郡横畠村 吾川郡 横畠村, 高岡郡 今成村
新設→郡変更/新設と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞では
高知縣令第三十七號
本年三月高知縣令第三十號ヲ以テ高岡郡今成村ハ吾川郡横畠村ト吾川郡中島村ハ高岡郡用石村塚地村ト合併候ニ付右村々ニ属スル高岡郡吾川郡ノ郡界ハ本年三月三十一日ヨリ仁淀川ノ中心ト改定ス
明治廿二年三月十二日 高知縣知事時任爲基
とあります。


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神奈川県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 横浜市 横浜区, 横浜区 本町, 北仲通, 元浜町, 海岸通, 南仲通, 弁天通, 境町, 太田町, 相生町, 住吉町, 常盤町, 尾上町, 真砂町, 港町, 元町, 諏訪町, 上野町, 千代崎町, 山元町, 松影町, 長者町, 万代町, 不老町, 翁町, 扇町, 寿町, 吉浜町, 三吉町, 千歳町, 山田町, 富士見町, 山吹町, 永楽町, 真金町, 石川町, 石川仲町, 吉田町, 柳町, 福富町, 末吉町, 伊勢佐木町, 姿見町, 羽衣町, 浪花町, 蓬莱町, 若竹町, 松ヶ枝町, 梅ヶ枝町, 若葉町, 賑町, 久方町, 足曳町, 雲井町, 長島町, 吉岡町, 駿河町, 日ノ出町, 黄金町, 三春町, 初音町, 英町, 霞町, 清水町, 戸部町, 桜木町, 花咲町, 野毛町, 月岡町, 老松町, 宮川町, 福島町, 宮崎町, 伊勢町, 平沼町, 仲町, 材木町, 内田町, 長住町, 緑町, 橘町, 高島町, 裏高島町, 日本大通, 花園町, 薩摩町, 越後町, 前橋町, 小田原町, 豊後町, 堀川町, 上田町, 九洲町, 富士山町, 加賀町, 函館町, 武蔵町, 本町通, 長崎町, 神戸町, 阿波町, 京町, 琵琶町, 本村通, 大坂町, 蝦夷町, 尾張町, 駿河町, 「武蔵横町」, 角町, 二子町, 水町通, 「海岸通」, 谷戸坂「通」, 山手本町通, 「富士見町」, 内台坂, 西坂町, 地蔵坂, 小坂町, 大丸町, 撞木町, 環町, 公園坂, 西ノ坂, 汐汲坂, 高田坂, 三輪坂, 稲荷町, 南坂, 貝殻坂, 宮脇坂, 陣屋町, 諏訪町通, 弓町, 畑町, 矢ノ根町, 泉町, 林町
谷戸坂→谷戸坂通と訂正する。武蔵横町と海岸通と富士見町を追加する。福長町を削除する。
参考:新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#新旧対照市町村一覧での小田原町との記載は、他書の様々な記述から正しくは小原田町と判断しました。
#神奈川県統計書(明治21年)13コマ14コマ神奈川県統計書(明治22,23年)の警察区画によると横浜区82町、横浜外国人居留地(山下居留地)30町(194頁左から3行目)、山手居留地26町(212頁9行目)。
#角川地名辞典によると、M20に福長町は長住町に合併(218頁左から4行目)。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)M19.1.現在
横浜沿革誌(著・出版:太田久好、N25.7.11)、横浜開港五十年史(下)(著:肥塚竜、出版:横浜商業会議所、M42.5.10)24頁8行目から26頁にかけて横浜の町名の出来た年代が記載されています。


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群馬県
1 1889(M22).4.1 新設/町制 東群馬郡前橋町 東群馬郡 前橋曲輪町, 前橋北曲輪町, 前橋南曲輪町, 前橋神明町, 前橋柳町, 前橋石川町, 前橋堀川町, 前橋田中町, 前橋横山町, 前橋本町, 前橋竪町, 前橋桑町, 前橋萱町, 前橋榎町, 前橋田町, 前橋立川町, 前橋紺屋町, 前橋連雀町, 前橋相生町, 前橋中川町, 前橋片貝町, 前橋新町, 前橋芳町, 前橋百軒町, 前橋大塚町, 天川村, 紅雲分村(微), 前代田村(微), 宗甫分村(微), 天川原村(微), 南勢多郡 前橋小柳町, 前橋細ヶ沢「町」, 前橋諏訪町, 前橋向町, 前橋神明町, 才川村, 清王寺村, 岩神村, 一毛村, 国領村, 萩村
前橋細ヶ沢村→前橋細ヶ沢町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

18 1889(M22).4.1 新設/村制 南勢多郡東村 南勢多郡 花輪村, 座間村, 荻原村, 小夜戸村, 小中村, 「神戸」村, 草木村, 沢入村
強戸村→神戸村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

31 1889(M22).4.1 新設/村制 西群馬郡長野村 西群馬郡 行力村, 楽間村, 菊地村, 我「峯」村, 浜川村, 北新波村, 南新波村, 西新波村
我峰村→我峯村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

41 1889(M22).4.1 新設/町制 西群馬郡総社町 西群馬郡 「総」社町, 高井村, 植野村
惣社町→総社町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)354頁右から9行目でもM19.1.総社町

68 1889(M22).4.1 新設/町制 多胡郡吉井町 多胡郡 吉井町, 矢田村, 池村, 塩川村, 「長根村」, 下長根村, 片山村, 本郷村, 小棚村
上長根村→長根村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

76 1889(M22).4.1 新設/町制 北甘楽郡富岡町 北甘楽郡 富岡町, 七日市「町」, 曽木村
七日市村→七日市町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

130 1889(M22).4.1 新設/村制 利根郡利南村 利根郡 沼須村, 上沼須村, 上久屋村, 下久屋村, 横塚村, 戸鹿野村, 戸鹿野新「町」
戸鹿野新田→戸鹿野新町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)
#M11.2.23に戸鹿野村→戸鹿野村, 戸鹿野新町

139 1889(M22).4.1 新設/村制 利根郡桃野村 利根郡 月夜野「町」, 小川村, 上津村, 下津村, 石倉村
月夜野村→月夜野町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)、県令第19号(群馬県新旧町村名一覧)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)362頁右から7行目でも月夜野町(M19.1.現在)です。
県令第19号(現行群馬県令達大全)(M22.3.4)だけが月夜野村となっていますが、他書の記述より、これは誤記と判断しました。

147 1889(M22).4.1 新設/村制 佐位郡赤堀村 佐位郡 今井村, 下触村, 五目牛村, 堀下村, 市場村, 野村, 西久保村, 曲沢村, 間野谷村, 香林村, 西野村, 南勢多郡 磯村
間野村を消去する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)209コマ210コマ(M22.3.4)
M10.5.30に佐位郡間野谷村, 新田郡間野村→佐位郡間野谷村の合併が為されました。

157 1889(M22).4.1 新設/村制 那波郡名和村 那波郡 戸谷塚村, 中町, 「芝」町, 北今井村, 山王堂村, 韮塚村, 八斗島村, 阿弥大寺村, 堀口村, 下福島村
柴町→芝町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)、県令第19号(群馬県新旧町村名一覧)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)367頁左から2行目でも芝町(M19.1.現在)です。
県令第19号(現行群馬県令達大全)(M22.3.4)では柴町となっていますが、他書の記述より、これは誤記と判断しました。

166 1889(M22).4.1 新設/村制 新田郡世良田村 新田郡 世良田村, 三ツ木村, 女塚村, 米岡村, 上矢島村, 西今井村, 小角田村, 平塚村, 徳川「郷」, 出塚村, 粕川村, 境村(本)
徳川村→徳川郷と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

168 1889(M22).4.1 新設/村制 新田郡宝泉村 新田郡 西野谷村, 由良村(本), 別所村, 沖野村, 上田島村, 下田島村, 中根村, 藤阿久村, 脇屋村「(本)」, 小金井村(微)
脇屋村(微)→脇屋村(本)と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

175 1889(M22).4.1 新設/町制 山田郡桐生町 山田郡 桐生新町, 「安楽土村」, 下久方村, 新宿村, 上久方村(微)
今安楽土村→安楽土村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)


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茨城県
17 1889(M22).3.31 新設 東茨城郡竹原村 東茨城郡 竹原村, 「竹原新田」, 竹原中郷, 中野谷村, 花ノ井村, 中台村, 小曽納村, 大谷村, 羽鳥村, 上馬場村
竹原新田村→竹原新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)

294 1889(M22).3.31 新設 岡田郡安静村 岡田郡 蕗田村, 東蕗田村, 大間木村, 芦ヶ谷村, 芦ヶ谷新田, 逆谷新田, 佐兵衛新田, 磯村, 村貫村, 新地村, 新地新田, 村岡新田, 尾崎「村」, 栗山村
尾崎新田→尾崎村と訂正する。
参考:県令甲第12号40コマ41コマ(M22.3.15)

330 1889(M22).3.31 新設 猿島郡飯島村 猿島郡 大「馬」新田, 平八新田, 勘助新田, 幸田新田, 猫実新田, 神田山新田, 大口新田, 庄右衛門新田
大浜新田→大馬新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)1089頁上段では
大浜新田、馬立新田→大馬新田M19.4.5許可とあります。

336 1889(M22).3.31 新設 北相馬郡小絹村 北相馬郡 寺畑村, 細代村, 新宿村, 筒戸村, 平沼村, 杉下村
御出子村を消去する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)
県令甲第12号(M22.3.15)では#335菅生村(菅生村, 大塚戸村の合併で成立)と#336小絹村(寺畑村, 細代村, 新宿村, 筒戸村, 平沼村, 杉下村の合併で成立)が一緒に書かれてしまっていますが、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)や市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では#335菅生村#336小絹村が別々に記載されています。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)396頁左から6行目でも筒戸村はありますが、御出子村はありません。
wikipediaではM18に御出子村は筒戸村に合併で消滅とあります。

354 1889(M22).3.31 新設 北相馬郡東文間村 北相馬郡 中谷村, 羽中村, 福木村, 立崎村, 加納新田, 総新田, 「東」奥山新田
奥山新田→東奥山新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)

以上、よろしくおねがいします。
[108804] 2023年 9月 24日(日)15:02:51むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(秋田、宮城、岩手、青森、島根(隠岐国))
[108798]グリグリさん
Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(高知、神奈川、群馬、茨城)
グリグリさんの対応について確認しました。それでは[108787]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第三弾です。

秋田県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 秋田市 南秋田郡 秋田東根小屋町, 秋田西根小屋上町, 秋田西根小屋中町, 秋田西根小屋末町, 秋田長野町, 秋田上中城町, 秋田下中城町, 秋田土手谷地町, 秋田中谷地町, 秋田上長町, 秋田中長町, 秋田下長町, 秋田土手長町上丁, 秋田土手長町中丁, 秋田土手長町中横丁, 秋田土手長町末丁, 秋田古川堀端町, 秋田亀ノ丁堀反町, 秋田亀ノ丁東土手町, 秋田中亀ノ丁上町, 秋田中亀ノ丁末町, 秋田亀ノ丁南土手町, 秋田亀ノ丁西土手町, 秋田亀ノ丁虎口, 秋田亀ノ丁西土手町末「丁」, 秋田亀ノ丁虎口堀端新町, 秋田手形本新町, 秋田手形谷地町上丁, 秋田手形谷地町下丁, 秋田手形新町上丁, 秋田手形新町下丁, 秋田手形堀端町, 秋田手形休下町, 秋田手形東新町, 秋田手形西新町, 秋田手形上町, 秋田保戸野愛宕町, 秋田保戸野愛宕町西「丁」, 秋田保戸野八丁新町上丁, 秋田保戸野八丁新町下丁, 秋田保戸野川端町, 秋田保戸野本町, 秋田保戸野中町, 秋田保戸野川端後町, 秋田保戸野表諏訪町上丁, 秋田保戸野表諏訪町下丁, 秋田保戸野諏訪町, 秋田保戸野新町, 秋田保戸野新橋町, 秋田保戸野金砂町, 秋田保戸野表鉄砲町, 秋田保戸野南鉄砲町, 秋田保戸野北鉄砲町, 秋田花館町, 秋田上中島本町, 秋田上中島中町, 秋田上中島土手町, 秋田新中島本町, 秋田新中島末町, 秋田新中島土手町, 秋田鷹匠町, 秋田北ノ丸新町, 秋田台所町, 秋田亀ノ丁新町, 秋田亀ノ丁本新町, 秋田亀ノ丁堀端新町, 秋田田町, 秋田長野下堀端町, 秋田長野下新町南丁, 秋田長野下新町, 秋田長野下新町東丁, 秋田長野下新町南横町, 秋田長野下新町末南丁, 秋田築地東上丁, 秋田築地北町, 秋田築地窪町, 秋田築地四ツ辻, 秋田築地南横町, 秋田築地上本町, 秋田築地下本町, 秋田築地中町, 秋田築地西町, 秋田築地下東町, 秋田楢山上本町, 秋田楢山中丁, 秋田楢山本町下丁, 秋田楢山本新町上丁, 秋田楢山本新町下丁, 秋田楢山虎口新町, 秋田楢山虎口外張新町, 秋田楢山本横町, 秋田楢山古川新町, 秋田楢山南新町上丁, 秋田楢山南新町下丁, 秋田楢山升取町, 秋田楢山登町, 秋田楢山三枚橋, 秋田楢山末無町, 秋田楢山笊町, 秋田楢山医王院前町, 秋田楢山牛島橋通町, 秋田楢山下浜町, 秋田新大工町, 秋田寺町, 秋田本町四丁目, 秋田川端四丁目, 秋田本町五丁目, 秋田本町六丁目, 秋田川端上五丁目, 秋田川端下五丁目, 秋田横町, 秋田船大工町, 秋田豊島町, 秋田十人衆町, 秋田八日町, 秋田下肴町, 秋田鉄砲町, 秋田誓願寺門前町, 秋田四拾間堀町, 秋田馬喰町, 秋田上鍛冶町, 秋田下鍛冶町, 秋田城町, 秋田新城町, 秋田室町, 秋田四拾間堀川端町, 秋田鍛冶町上川端町, 秋田鍛冶町下川端町, 秋田楢山餌刺町, 秋田楢山九郎兵衛殿町, 秋田楢山入川橋通登町, 秋田十間町, 秋田米沢町, 秋田追回町, 秋田大町一丁目, 秋田大町二丁目, 秋田大町三丁目, 秋田川端一丁目, 秋田川端二丁目, 秋田川端三丁目, 秋田上通町, 秋田中通町, 秋田上肴町, 秋田茶町菊ノ丁, 秋田茶町扇ノ丁, 秋田茶町梅ノ丁, 秋田田中町, 秋田柳町, 秋田上亀ノ丁, 秋田下亀ノ丁, 秋田大工町, 秋田上米町一丁目, 秋田上米町二丁目, 秋田下米町一丁目, 秋田下米町二丁目, 秋田亀ノ丁外張南新町, 秋田上川口, 秋田中川口, 秋田川口新町, 秋田本渡町, 秋田川口上裏町, 秋田川口下裏町, 秋田酒田町
秋田亀ノ丁西土手町末町→秋田亀ノ丁西土手町末丁、秋田保戸野愛宕町西町→秋田保戸野愛宕町西丁と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)139頁4行目17行目
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)656頁6行目9行目でもM19.1.現在秋田亀ノ丁西土手町末丁、秋田保戸野愛宕町西丁

67 1889(M22).4.1 新設/村制 北秋田郡阿仁銅山村 北秋田郡 小様村, 小淵村, 水無村, 銀山「町」, 真木沢鉱山, 一ノ又鉱山, 三枚鉱山, 小沢鉱山, 萱草鉱山, 二ノ又鉱山, 吉田村, 荒瀬村(微)
銀山村→銀山町と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

119 1889(M22).4.1 新設/町制 由利郡矢島町 由利郡 矢島矢島町, 矢島田中町, 矢島館町, 城内村, 川辺村, 七日町「村」, 荒沢村, 元町村, 立石村, 新庄村, 坂ノ下村, 木在村
七日町→七日町村と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

166 1889(M22).4.1 新設/村制 仙北郡白岩村 仙北郡 白岩村, 白岩広久内村, 「薗田村」
花園村→薗田村と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)
wikipediaではM10に釣田新田村, 上花園村, 下花園村→薗田村の合併が為されたとあります。

178 1889(M22).4.1 新設/町制 平鹿郡横手町 平鹿郡 横手大町上丁, 横手大町中丁, 横手大町下丁, 横手四日「町」上丁, 横手四日「町」中丁, 横手四日「町」下丁, 横手栄通町, 横手鍛冶町, 横手本町, 横手根岸下町, 横手横町, 横手馬場崎町, 横手裏町, 横手新町, 横手新町下丁, 横手古川町, 横手下タ町, 横手羽黒上町, 横手羽黒中町, 横手羽黒末町, 横手上根岸町, 横手下根岸町, 横手上野台町, 横手島崎町, 横手上島崎町, 横手羽黒新町, 横手御免町, 横手野御扶持町, 横手沼田町, 横手山ノ手新町, 横手横手町, 横手前郷村
横手四日市上丁, 横手四日市中丁, 横手四日市下丁→横手四日町上丁, 横手四日町中丁, 横手四日町下丁と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

222 1889(M22).4.1 新設/村制 雄勝郡西馬音内村 雄勝郡 西馬音内村, 大戸村, 床舞村, 田沢村, 鹿内村
二条道村を消去する。
参考:県令第15号(M22.2.15)
羽後町HPでは二条道村はM9に床舞村に合併とあります。


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宮城県
51 1889(M22).3.31 新設 宮城郡「泉岳村」 宮城郡 根白石村, 福岡村, 西田中村, 朴沢村, 小角村, 実沢村
泉ヶ岳村→泉岳村と訂正する。
県令第8号(M22.2.9)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)250頁一番9行目で泉岳村、仙台市泉区HP仙台市HP1コマ
これに伴い、
16 1897(M30).9.7 改称 宮城郡根白石村 宮城郡 「泉岳村」
泉ヶ岳村→泉岳村と訂正する。
明治30(1897)年中の廃置分合を現した内務省告示第92号(M31.9.13)657頁上段では泉岳村となっており、内務省告示第63号(M30.10.16)593頁最上段一番左でもM29.12.31現在は泉岳村となっています。

58 1889(M22).3.31 新設 宮城郡松島村 宮城郡 松島村, 高城本郷, 磯崎村, 桜渡戸村, 初原村, 根廻村, 幡谷村, 竹谷村, 「北」小泉村, 手樽村
小泉村→北小泉村と訂正する。
県令第8号(M22.2.9)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)250頁一番右の行で北小泉、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)581頁右から14行目M19.1.北小泉村


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岩手県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 盛岡市 南岩手郡 内丸, 仁王村, 志家村, 仙北町「村」の一部, 東中野村の一部, 新庄村の一部, 加賀野村の一部, 山岸村の一部, 三ツ割村の一部, 上田村の一部
8 1889(M22).4.1 新設/村制 南岩手郡本宮村 南岩手郡 仙北町「村」の一部, 本宮村, 向中野村, 下鹿妻村
共に仙北町の一部→仙北町村の一部と訂正する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)県令第12号(M22.2.16)市の区域、県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
#岩手県統計書明治二十二年の記載と岩手県史第8巻近代編での記述の中身が一致しています。
#旧村名とあります。
#郡区町村編成法施行時、岩手県には村しかありませんでした。
岩手県統計書明治十五年(編・出版:岩手県、M18.12.)、岩手県統計書明治十六年(編:岩手県第一部文書課、出版:M20.4.)では岩手県には村しかないことが分かります。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)612頁右から7行目M19.1.仙北町村。全国現行警察区画一覧(著・出版:東京和泉橋警察署、M21.4.)461頁右から2行目M21仙北町村。

36 1889(M22).4.1 新設/村制 紫波郡煙山村 紫波郡 広宮沢村, 煙山村, 赤林村, 「又兵衛新田」, 南矢「幅」村, 北矢「幅」村, 上矢次村, 下矢次村
又兵衛新田村→又兵衛新田、南矢巾村→南矢幅村、北矢巾村→北矢幅村と訂正する。
現:矢巾町南矢幅
現:矢巾町北矢幅
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
又兵衛新田村or又兵衛新田のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)613頁紫波郡左から4行目で又兵衛新田、南矢幅村、北矢幅村(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

37 1889(M22).4.1 新設/村制 紫波郡飯岡村 紫波郡 上飯岡村, 下飯岡村, 「飯岡新田」, 湯沢村, 永井村, 羽場村
飯岡新田村→飯岡新田と訂正する。二か所ある羽場村の内、一つを消去する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
飯岡新田村or飯岡新田のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)613頁紫波郡左から7行目で飯岡新田(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

64 1889(M22).4.1 新設/町制 東和賀郡黒沢尻町 東和賀郡 黒沢尻「村」町分, 黒沢尻「村」里分
黒沢尻町分→黒沢尻村町分、黒沢尻里分→黒沢尻村里分と訂正する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
黒沢尻町分or黒沢尻村町分、黒沢尻里分or黒沢尻村里分のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)615頁東和賀郡の最初の行で黒沢尻村町分、黒沢尻村里分(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

167 1889(M22).4.1 新設/村制 西閉伊郡綾織村 西閉伊郡 上綾織村, 下綾織村, 新里村, ●(身+鳥)崎村
釜石村を消去する。
#角川地名辞典では釜石村はM9に新里村に合併したとあります。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合

177 1889(M22).4.1 新設/町制 南閉伊郡大槌町 南閉伊郡 大槌村, 小槌村, 吉里「々々」村
吉里吉里村→吉里々々村と訂正する。
現:大槌町吉里々々
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)619頁南閉伊郡の最後の行で吉里々々村(M19.1.現在)


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青森県
47 1889(M22).4.1 新設/村制 中津軽郡清水村 中津軽郡 富田村, 紙漉「町」, 小沢村, 坂本村, 常盤坂村, 悪戸村, 下湯口村
紙漉村→紙漉町と訂正する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)、県令第14号(現行青森県令規全集)(M22.2.20)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)301頁左から3行目では紙漉町
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)626頁右から5行目紙漉町(M19.1.現在)で中津軽郡は89町、青森県統計書(明治21年)でM21.12.31に中津軽郡は89町
県令第14号(青森県史)(M22.2.20)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では紙漉村とありますが、こちらは誤記と判断しました。

52 1889(M22).4.1 新設/村制 中津軽郡駒越村 中津軽郡 駒越村, 真土村, 「龍」ノ口村, 鳥井野村, 如来瀬村, 一町田村, 兼平村
滝ノ口村→龍ノ口村と訂正する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では龍ノ口村。郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)302頁右から5行目龍ノ口
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)627頁右から2行目龍ノ口村(M19.1.現在)
天保郷帳では龍口村で現在は弘前市龍ノ口。
県令第14号(青森県史)(M22.2.20)、県令第14号(現行青森県令規全集)(M22.2.20)では瀧ノ口村とありますが、こちらは誤記と判断しました。

76 1889(M22).4.1 新設/村制 南津軽郡田舎館村 南津軽郡 垂柳村, 諏訪堂村, 大曲村, 畑中村, 八反田村, 田舎館村, 高樋村, 十二川原村, 枝川村, 大根子村, 豊巻村
堀切村と狐淵村と二屋村を消去する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)
#角川地名辞典では明治7年に堀切村は大曲村へ、狐淵村は田舎館村へ、二屋村は豊蒔村(豊巻村)へ合併とあります。


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島根県(隠岐国)
9 1904(M37).5.1 村制 知夫郡浦郷村 知夫郡 「浦郷村」
浦之郷村→浦郷村と訂正することになります。

[78766]拙稿で記した
(3)島根県でM37.5.1の隠岐国町村制施行に少し先んじて島根県告示第2号(M37.1.9)(「新修島根県史史料編(近代上)」(編・出版:島根県、1966)pp.697-698に記載)で行われた廃置分合
に浦之郷村→浦郷村への改称の記載がありません。また、
鳥取県管内郡村名(編・出版・出版年:不明)第108區 浦郷
#区制であることより、大区小区制(明治6年12月~)の開始以前の町村が記載されているものと考えられる。鳥取県史近代1(編・出版:鳥取県、S44.9.30)813頁では、「鳥取町郭内・境村などの新しい町名を記していないので、六年十月以前に刊行されたものと思われる」と推測。
島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M11.6.)43頁 一小区 浦郷村
改正島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M13.9.)43頁 一小区 浦郷村
#M11.6.出版の町村名を根拠としてその後の変更を訂正して出版したもの
島根県一覧概表(明治12年)(編・出版:島根県、M13.12.)22頁の町村リストの最終行 浦郷村(M13.1.1現在)
島根県統計書(明治18年)(編:島根県第一部、出版:島根県、M21.2.)27頁の町村リストの最後から2行目 浦郷村(M18.12.31現在)
島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)27頁の町村リストの最後から2行目 浦郷村(M19.12.31現在)
と一貫して浦郷村です。

以上、よろしくお願いします。

#市区町村変遷情報(市制町村制施行時)の修正依頼で残すところは和歌山県と富山県ですが、その前に市制町村制施行時以外の稿をはさむこととします。


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