都道府県市区町村
落書き帳

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[339]2001年8月29日
Issie
[8556]2003年2月1日
BANDALGOM
[22356]2003年11月29日
hmt
[22460]2003年12月2日
hmt
[24179]2004年1月26日
トミ
[24183]2004年1月26日
hmt
[24190]2004年1月26日
Issie
[24220]2004年1月27日
稲生
[24221]2004年1月27日
グリグリ
[24286]2004年1月30日
hmt
[24304]2004年1月31日
稲生
[24437]2004年2月3日
トミ
[24447]2004年2月3日
なお
[26554]2004年3月25日
hmt
[28132]2004年5月11日
夜鳴き寿司屋
[29851]2004年6月29日
hmt
[30000]2004年7月2日
hmt
[30008]2004年7月2日
なきら
[35686]2004年12月12日
Issie
[36520]2005年1月7日
Issie
[44817]2005年9月10日
Issie
[48159]2006年1月9日
maki
[51056]2006年4月29日
hmt
[53057]2006年8月5日
hmt

[339] 2001年 8月 29日(水)21:58:13Issie さん
RE:離島
伊豆諸島や小笠原が「東京都」なのは,
一言で言ってしまえば「どこも面倒を見てくれなかった」からです。
伊豆諸島は当然「伊豆国」の一部でしたから
(ただし,古代以来どの「郡」にも所属したことがありません)
廃藩置県後は伊豆半島とともに「足柄県」に属し,
これが廃止されると“伊豆の一部”として「静岡県」に編入されました。
けれども静岡県はこの離島を管轄することを嫌がって,
結局,当時の「東京府」にお鉢が回ってきたわけです。
当時の東京府は,たとえば警察が内務省直属の警視庁の管轄だったりして
「府」の権限が弱く,政府の影響力が強かったせいもあったのか,
伊豆七島や小笠原を管轄するハメにもなったのかもしれません。
(なお現在の警視庁は制度上では,たとえば山梨県警察本部と同格の
都知事管下の地方警察本部に過ぎません。
警察組織内部での格付けはあるかもしれませんが。)

> 中央直轄にしたほうがいいのではないでしょうか

これは,今の地方自治の発想からは決してあり得ません。

日米の軍事関係者が駐在しているだけの南鳥島や,
ただの“岩”に過ぎず人の住みようのない沖ノ鳥島
(波に削られそうになって,あわてて護岸工事をしたわけだけど)
などはともかく,“住民”のいる父島や母島,
そして「小笠原村」の区域を中央政府直轄にすることは
現行憲法および地方自治法の精神からして決して認められません。
この地域の住民にも,国内あらゆる地域の住民と同じく
“都道府県レベル”の地方自治に参加する権利があるからです。
中央直轄にして,「東京都」への自治へ参加する権利を剥奪することは
あってはならないことです。
(実は,ソ連によって占領されるまで,
ウルップ島以北の中・北千島の住民には
結局最後まで自治権が与えられませんでした。
つまり,「町」も「村」も“自治体”の地位を与えられなかったのです。
言うまでもなく現行憲法・地方自治法ではなく,
明治憲法下での話ですが。)

なお,壱岐・対馬や奄美には現在でも長崎県や鹿児島県の「支庁」が
設置されています(長崎県は五島にも)。
沖縄県も宮古・八重山にそれぞれ支庁が設置されています。
また,かつては佐渡にも新潟県の支庁が設けられていましたが,
その後新潟県はこのような出先機関を全廃しました。
ただし,これらは「地方自治法」の規定に基づき
県の行政事務を分掌する“出張所”として。
地方自治法では“市町村レベル”と“都道府県レベル”での自治,
具体的にはそれぞれの議会と首長しか想定していません。
もし「支庁」レベルの議会を必要とするなら,この法律の改正が必要でしょう。

でも,今の流れは都道府県・市町村それぞれに
今よりも大きな単位への統合をめざす動きの方が主流に思われます。
私は,どちらかというとあまり積極的にはなれないのですが。
[8556] 2003年 2月 1日(土)15:37:03BANDALGOM[地域研究家] さん
韓国の都市
[8551]seahawkさん
「広域市(クァンヨクシ)」は、主要都市について、その自治体としての地位を、「道」並みに扱うことを示した呼称である。1995年に地方自治制度の改革によって「広域市」という呼称ができるまでは、「直轄市(チッカルシ)」と称されていた。「直轄市」の範域は「区」に分割されていたが、「広域市」となってからは、「区(自治区)」と並んで「郡」を範域に含むことが認められるようになった。
「直轄市」への移行(道からの独立)は、釜山1963年、大邱・仁川1981年、光州1986年、大田1989年で、蔚山は1997年、「広域市」になってからの移行ですね。

大邱と仁川の関係は、大阪と横浜の関係に似ています。
もともと大邱がソウル、釜山に次ぐ第3の都市ですが、人口は最近、仁川に抜かれました。
しかし仁川は後背地がソウルの衛星都市ですから、事実上はやはり大邱が第3の都市といえます。

仁川市の甕津郡は島嶼地域で、昨年6月に南北警備艇の銃撃戦があった延坪島などが入ります。
言ってみれば東京都に属する伊豆七島・小笠原のようなものでしょうか。

光州市の光山区は、直轄市移行と同時に市制施行した松汀市(湖南線と慶全線の分岐駅・松汀里駅のある所)と、その周辺の光山郡が、2年後に光州市に編入されたもので、松汀市は函館市に合併した「亀田市」と同様の運命を辿ったことになります。
当時はまだ「市の中の郡」制度がなかったので「区」になりましたが、数年前に「光州市光山郡」への改編要望が出ていました。

大田市の儒城区・大徳区も直轄市移行の89年に大徳郡の残存地域が編入されたところで、セマウル号が1往復だけ停車する「新灘津」駅のあるところが編入前に「邑」でした。
このエリアは今や「韓国のつくば」といえるところですね。

蔚山市の蔚州郡は、95年に全国一斉の市郡合併の際に蔚山郡が市と合併したもので、その後97年の広域市移行までは旧蔚山市をぐるっと取り囲む「蔚州区」でしたが(50万人以上の市に設けられる行政区)、広域市移行の際、旧蔚山市の北隣の地域を「北区」にし、残りの地域(京釜高速道路が通る地域)を「蔚州郡」にしたものです。

この分野の話はもっと個人的にしたいところですね。
不特定多数の人が見る掲示板では明かせないこともありますし。
[22356] 2003年 11月 29日(土)11:56:10hmt さん
四千万歩の男(1)レス
[22335][22355] なきら さん
平日の昼間なので、さすがにお年寄りが多かったですが。
「伊能忠敬と日本図」展(東京国立博物館)、一日違いでしたか。私は27日に行きました。
平成館2階の、伊能小図・中図を含む主展示もさることながら、おまけのような形の1階「大図フロア展示」に特に興味がありました。これについては、別稿に記します。なお、主展示品を収録した図録1800円もお値打ち品でした。
踏絵のような感じでちょっと躊躇しましたが
私は地図の上を這い廻って、「大日本沿海輿地全図」の名が示す海岸線や街道沿いに見て廻りました。

[21562] わたらせG さん
東京国立博物館のHPの案内だけで我慢しときます(悔し)
1998年の「国立国会図書館開館50周年記念貴重書展」のデジタル図録が公開されており、展示された伊能大図の美しい画像を見ることができます。拡大図により細部までわかります。こちらの所蔵範囲はおよそ本州の東半分43枚です。
http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/wb39-6/mokuji.html

[21545] なお さん
行きたいのは山々ですが、やはり費用やヒマが足りないですからね
ゼンリンの「地図の資料館」(北九州市小倉北区)に伊能中図(一里当曲尺六分=21万6千分の1)の展示があり、これも地図の上を歩けるようですよ。こちらは20万分の1地勢図に近い縮尺ですね。
http://www.c-crews.co.jp/gnext_express/news/back/0307/030718_01.html
国土地理院復元の伊能大図も、全国を巡回展示するという噂を聞いたので、九州でもチャンスがあるかもしれません。

[21744] かおらい さん
伊豆諸島や瀬戸内の多数の島々、或いは内陸部の地名も描かれていましたが、全ての場所を踏破したのでしょうか。
文化12年の伊豆七島測量では、八丈島から三宅島に戻る途中で風がなくなり、黒潮に流されて3日間漂流するなどの苦労があったようです。幸いにもアメリカまでは流されず、三浦三崎に上陸できました。
[22460] 2003年 12月 2日(火)13:40:45【2】hmt さん
「南方四島」問題
ここで「南方四島」とは、[18922] でTN さんが「所属市区町村名が無い」「都直轄」と指摘された ベヨネース列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩のことです。
これらの位置から、青ヶ島村に属してもよさそうですが、それなりの理由があって都直轄となっているのでしょうか。
[18943] Issie さんのお答え
人が住んでいなかった,…せいで「村」を編成するに至らなかったのでしょうか(有人島であった「鳥島」は,火山活動のために1939年に全島民が退去しています)。
のように 住民がいなかったことが先ず挙げられますが、「日本の島事典」(三交社1995)は、下記要旨の如き領有権問題があったことを伝えています。

これら「南方四島」につき、青ヶ島を飛び越えたかたちで八丈町が領有権を主張し、青ヶ島村が強く反発した結果、わが国で唯一どこの市町村にも帰属しない地域として東京都八丈支庁が管理している。

なお、鳥島については、昭和40年11月激度の火山性地震による測候所閉鎖後、完全な無人島になっているが、国勢調査人口は 青ヶ島に所属し、現在も国勢調査の都度、青ヶ島村から人口ゼロと報告している ことが記されています。
青ヶ島村元助役による http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~yoyo/kaze/ka021210.html を読むと、「伊豆七島」から疎外されていた青ヶ島が、八丈町に対して村の独立を守ろうとする気概は相当なもののようです。
「南方四島」に八丈町の領有権が認められることは、青ヶ島村の外堀を埋められることに等しく、出城の鳥島が都直轄になってからも、5年毎に「人口ゼロ」を報告する既得権?を死守しているのでしょう。ここで native Torishiman の独白。いくらアホウだからと言って、鳥島の名の由来であるオレタチを数えない「国勢」って、差別じゃないの?

【1】「無人島である」という表現を「住民がいなかった」に修正。これは「無人ぶにん or むにん島」が小笠原諸島(Bonin Islands)を意味する固有名詞でもあったため、これとの混乱を避けるためです。【2】読み仮名追加
[24179] 2004年 1月 26日(月)13:29:10トミ さん
1週間ぶりの落書き帳
こんにちは。今日も朝は富士山が見られましたが、今はもう見えなくなってしまいました。
また、質問が浮かんだので答えていただける方、いらっしゃいましたらお願いします。
伊豆七島とはどの島々のことですか?

[23964]花の東京都民さん
自転車は横浜では需要が無いようですね。失礼ですが自転車屋さんはありますか?
需要が無いわけではありませんよ。横浜も平地はありますので。
N-Hさんが回答されましたが、自転車屋さんはもちろんあります。
近くのディスカウントストアでも自転車を販売しています。

[23970]みかちゅうさん
枕元にテレビがあるとは・・。僕の祖母の家もそうです。頭を強打しそうで危険ですよね。
体の向きを逆にしても足が挟まれてとても危険です。どうすればよいのでしょう。

[23983]N-Hさん
横浜に来てからは最高で40cmという積雪がありました。
本当ですか?すごい量ですね。
最近の大雪は2001年1月に17センチくらい積もったというところでしょうか。

[24036]なおさん
クラスの温度計で気温を測ったところ
変な所で突っ込んでしまって申し訳ないのですが、
どのような温度計でどこではかったのか教えていただけますか?

[24115]ゆうさん
将来千代田区の「国立劇場」を建て替えることになったりしたらどうなるのでしょう。
どうしましょう・・・。でも、新丸ビルと丸ビルほど近くなさそうなので大丈夫でしょう。


今日は公立高校へ受検(面接)しに行きました。
あと、約1ヶ月ほど書き込みがしにくくなりそうで、残念です。

[23951]なきらさん
そのような書き込みはとてもうれしく思います。(だから返事を出してしまった)
僕もいいお知らせができるよう、がんばっていきたいと思います。
[24183] 2004年 1月 26日(月)17:17:42hmt さん
伊豆七島 という名に苦しめられた 青ヶ島
[24179] トミ さん
伊豆七島とはどの島々のことですか?
大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島という辞典の説明だけでは「落書き帳」のレスとしては不十分ですね。
利島や御蔵島よりも人口が多い式根島が入っていないのは何故? 青ヶ島も入っていないし、八丈小島や鳥島にも以前は住民がいました。それなのに 七島 とは?

このような疑問に答えてくれるのが、菅田正昭さんの「島風とシマ神」です。
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~yoyo/kaze/ka021210.html をご覧下さい。「伊豆七島に入っていない」という理由で差別待遇に苦しんだ島の歴史が記されています。
菅田さんが助役を務めた青ヶ島村は、
村制施行は昭和15年4月1日と八丈小島より7年も早かったのに、昭和31年7月8日の参議院議員選挙の時まで、国・都レベルでの選挙権を奪われていた
そうです。たかが名称、されど名称の怖いところですね。

このようなこともあって、現在は「伊豆諸島」という名称が一般的になり、「伊豆七島」はあまり使われなくなっているようです。「伊豆諸島」は、例の南方四島(豆南諸島[19744])までを含みます。
リンクした菅田さんの文中に出てくる「伊豆七島観光連盟」も「東京諸島観光連盟」と改称されています。
「東京諸島」とはあまり聞いたことのない名称ですが、伊豆諸島・小笠原諸島を含めた地域のようです。
http://www.tokyo-islands.jp/index_2nd.htm
[24190] 2004年 1月 26日(月)21:51:48Issie さん
郡未編成区域
[24187] hmt さん
伊豆諸島関連でもう一言。

蛇足ながら,もう一言,二言。

文字通り「廃藩置県」で全国の「藩」が全廃されて(のちに設置された「琉球藩」を除く),それが「県」に変えられたのは明治4年7月14日のことですが,「府」「県」そのものは慶応4(明治元)年春以降,明治政府の機構が整えられていく過程で,旧幕府直轄地および旗本領を接収した“政府直轄地”に順次設置されていきました。

「韮山県」の設置は慶応4年6月29日。旧幕府の韮山代官所を引き継ぐもので,相・甲・駿・豆の各州にまたがる旧幕府直轄領・旗本領を管轄するものでした。
この地域の幕領・旗本領分布の性格から,藩領ほど管轄地が散在するわけではなく,比較的ひとつづきの領域を管轄してはいましたが,それでも例えば小田原藩などの領域との境界は複雑なものでした。
(たとえば,野州烏山藩は相模国高座郡に飛地領を持っていました。烏山藩領であった現在の神奈川県相模原市の一部は,廃藩置県後4ヵ月の間は下野の「烏山県」に属していました。
大岡越前守忠相の家は江戸時代初めより現在の茅ヶ崎市や寒川町の一部を領地としてきました。忠相の代に相次いで加増されて1万石の「大名」に到達し,三河の領地(現在の岡崎市郊外)に陣屋を置いて「西大平藩」となりました。廃藩置県後「西大平県」となりますが,茅ヶ崎や寒川の旧領地も,三河の「西大平県」の飛地となったのです。
これらに比較すれば,「韮山県」は割とまとまった領域を管轄していました。)

で,「伊豆七島」も旧幕府直轄領の1つだったので,「韮山県」の管轄となったものです。

ところで,伊豆諸島には律令時代以来,現在に至るまで「郡」が編成されたことがありません。
「伊豆国」のうち,半島部は 田方・君沢・那賀・賀茂 の4郡に分かれる(郡制施行後は田方・賀茂の2郡)のですが,沖合の島々はどの郡にも属していないのです。
北海道や(南)千島(国後・択捉)では明治2(1869)年に,1875(明治8)年の樺太・千島交換条約によって「日本領」となった中・北千島(得撫以北)も日本編入後に,そして「外地(植民地)」の(南)樺太でさえ1915(大正4)年に「郡」が編成されているのに,伊豆諸島には結局「郡」が編成されることはありませんでした。
だから,「大島町」や「三宅村」その他,伊豆諸島の島々の住所に「○○郡」と書くことはできません。

小笠原は「郡」どころか,どの「国」にも属していませんが。
[24220] 2004年 1月 27日(火)22:59:58稲生 さん
伊豆七島、日本の○○
[24125]中川根町・本川根町合併協議会のHPのURLは
http://www.nakahon-gappei.jp
です。本日、新町名を1点応募してきました。

[24179]トミさんの
伊豆七島とはどの島々のことですか?
たった一行だけの質問に対し、
[24183][24187]hmtさん
[24190]Issieさん
の両巨匠から、ウンチクあるコメントをいただきました。
本当に落書き帳はためになりますです。

ところで、七島信用組合はまだありますかね。


グリグリさん、愛比売命さん、太白さん、月の輪熊 さん

日本のレソト、ガンビア、パナマ、ネパール、スイス、インド、アルメニア、シンガポールなど
世界地図を見なければ、なかなかよくわからないお話しですね。
一度まとめていただき、コレクションにしてくださいませんか?
[24221] 2004年 1月 27日(火)23:49:57オーナー グリグリ
検索エンジン使いこなし
[24182] 2004 年 1 月 26 日 (月) 16:53:09 1285 さん
初めて回答します。
問題♯005のAは新潟市でしょうか?
1285さん、返事が遅くなってごめんなさい。正解です。他の問題も判ったら教えてくださいね。

[24179] 2004 年 1 月 26 日 (月) 13:29:10 トミ さん
伊豆七島とはどの島々のことですか?
すでに、hmtさん、Issieさんから丁寧な解説がありました。私からは、検索エンジンのちょっとしたコツを伝授しましょう。

トミさんのような疑問はよく私なんかも遭遇するタイプの疑問です。あるキーワードの由来とか構成する要素を知りたいと言った疑問です。検索エンジン、例えば、Google で「伊豆七島」で検索してもこの疑問に直接答えてくれるサイトはすぐに出てきません。そこで考えるのが、伊豆七島を構成する島の一覧を知りたいと言うことで「伊豆七島 一覧」というようなキーワード指定ですが、これもダメです。

このような場合には、知りたいことが出ているHPに書いてあるはずのキーワードを想定するのがコツです。伊豆七島を構成する島の名前が知りたいわけですから、島の名前を適当に書いてみると言うことを思いつけば、もうしめたものです。私が指定したのは「伊豆七島 大島 御蔵島」でした。これで実際に検索してみると、四番目に「伊豆大島旅行案内 / 総合コミュニティサイト /」というHPが検索され、その検索結果の一部に「伊豆七島とは、大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の七つの島々を指すそうです。 その理由には、 ...」と書かれています。実際、このHPに飛んでみるとhmtさんの解説とはまた視点がちょっと違う説明があります。

誤解のないように補足しますが、落書き帳に質問することはもちろんOKです。その上で、検索エンジンをうまく使いこなしてそこから得られた知識を元に、さらに湧いてくる疑問を質問してくれたら、もっともっと楽しくなること請け合いです。検索エンジンを使いこなすのは楽しいですよ。ではでは。
[24286] 2004年 1月 30日(金)16:13:22hmt さん
伊豆七島と言うも九島あるが如し
タイトルは[24282]に対応した自己レスです。
「日本の島事典」41頁の伊豆諸島の説明
伊豆半島の南東の太平洋上に富士火山帯に沿って点在する大小116の島々の総称
を参照すると、青ヶ島や南方四島を除外しても100島ぐらいはあると思われます。

0.01km2=1ha以上を目途に、主島別に主な付属島も列挙してみます。数字は面積km2。
大島(91.05)
利島(4.12)

新島(23.17)+ 付属島:式根島(3.69)、鵜渡根島(0.40)、地内島(0.19)、早島(0.11)、大平島(0.01)
# 式根島は元禄地震の大津波(1703)により新島との間の陸地が崩壊分離したと言われ、住民は新島に移住し、明治22年まで無人でした。しかし現在は利島や御蔵島よりも多い数百人が住んでいます。
神津島(18.48)+ 付属島:祇苗島(ただなえじま0.15)、恩馳島(おんばせじま0.04)
# 新島と神津島は、黒っぽい玄武岩や安山岩からなる他の島々と異なり、白っぽい流紋岩の熔岩。粘性の大きい流紋岩が火山ガスの泡を含んで固まったのが軽石。

三宅島(55.44)+ 付属島:大根原島(0.02) 御焼島の名の通り度重なる噴火に見舞われています。
御蔵島(20.55)+ 付属島:藺灘波島(いなんばじま0.01)
八丈島(69.48)+ 付属島:八丈小島(3.08)
これで17。伊豆諸島116と言っても小さな岩礁が多いのでしょうね。
1km2以上の付属島は式根島と八丈小島だけなので、やはり九島(青ヶ島を含めれば十島)ですか。

伊豆七島に入るか入らないか微妙な地位にある青ヶ島は、天明の大噴火で住民334人のうち生き残った202人が八丈島に脱出。八丈島での悲惨な生活から50年後に青ヶ島還住を実現したリーダーは、「青ヶ島のモーゼ」佐々木次郎太夫でした。(柳田國男:青ヶ島還住記)

熱海沖の初島(0.44)は本土の付属島として扱われ、現在は伊豆諸島には含まれませんが、初島を含めて10島の由来が述べられている古書があるように、昔は違うのかもしれません。

話が古くなったついでに、もう一つ
「和名抄」に見える(賀茂)郡内の郷は、賀茂、月間、川津、三島、大社の五郷である。(伊豆国の)延喜式内社は…46座で(中略)三島郷内の海島鎮座は24社とある。なお「続日本後記」の承和7年9月23日条には当郡上津島で噴火による造島
というような記載(角川日本地名大事典22巻331頁)を見ると、平安時代には三宅島、神津島等の島嶼部も賀茂郡の内と認識されていたように思われるのですが……「令外の郡?」>[24190] Issieさん
[24304] 2004年 1月 31日(土)10:29:53稲生 さん
伊豆諸島のお話し
伊豆諸島のお話し
[24183][24187]hmtさん、[24190]Issieさん
に続いて、
[24269]hmtさん、[24274]Issieさん、[24278]太白さん
の 伊豆諸島の帰った日と鹿児島郡十島村のお話し、
地図を開いて、場所を確認しながら、興味深く拝見いたしました。

[24286]伊豆諸島の説明 hmtさん、 [24291]伊豆国賀茂郡三嶋郷 Issieさん
平安の世に戻れば、伊豆半島も伊豆七島も、遠い彼方の地なのですね。

話変わりますが、式根島に添乗員として一週間ほど滞在したことがありました。島全体が平地で、徒歩・自転車での往来がたやすく、美しい海岸線が印象的でした。
民宿の女将さんに聞いた話として、次男以下は島を出るという不文律、これは日本のどの小島でもある話ですが、島の限られた土地を有効利用していく術、当時は生々しく拝聴いたしました。
[24437] 2004年 2月 3日(火)13:50:26トミ さん
伊豆七島のこと
本巣市、飛騨市の誕生、みなとみらい線の開業おめでとうございます。
岐阜県内では3月にも郡上市、下呂市が誕生予定なので、今岐阜県は合併ラッシュなのですね。

[24183][24187][24269][24286]hmtさん、[24190]Issieさん
回答ありがとうございました。「島風とシマ神」を拝見しました。
式根島はやっぱり入っていないのですね。
僕は、その7つの島かなと思って書き込みをしたのですが、小学生時代に式根島に行った時、
「伊豆七島とは大島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島です。」と言われ、
利島は違うのかと質問したら、違うのだと言われました。

青ヶ島はとても悲惨な目にあったのですね。とてもショックです。
僕はできるだけ、「伊豆七島」という言葉を使うのを控えようと思いました。

[24221]グリグリさん
参考になりました。次回、また何か気になることがあったら活用します。ありがとうございました。

[24415]花の東京都民さん
自動車道路と平行して「東京湾横断鉄道線」を建設するべきだと思います。
僕はそうは思いません。
アクアラインには高速バスが横浜方面などに向かって走っていますし、乗客も少なくなりそうな気がします。
個人的には木更津周辺はあの自然環境のままであってほしいです。

僕も東海道貨物線は旅客化してほしいです。東海道線のラッシュ時の混雑が少しでも和らぐといいなと思います。
[24447] 2004年 2月 3日(火)22:31:55なお さん
合併状態分析・・できない
[24438] みかちゅう さん
たとえ少数しかいなくても、その人たちに配慮することは必要だと思います。
確かに英語・ハングル表記にすると文化への馴染みが遅くなることはあり
ますが、来たばかりで理解できない日本語もあると思いますのでやはり必要です。
※日本には日本語以外の言葉を使う人は1%以上います。

[24437] トミ さん
伊豆七島という表現は現在では少ないので余りわからないのですが、
一部の島だけを指して言うのはやはり遠慮してしまいますね。

ここからは余り関係有りませんが、明確に分かる範囲での合併のラッシュ開始時期・ピークを見てみたいと思います。

2004年3月開始長崎
2004年4月開始愛媛、広島、静岡
2004年10月開始滋賀、島根ピーク島根
2005年1月開始大分、熊本、鹿児島、栃木、新潟、三重、和歌山、沖縄、佐賀、福井?、
   ピーク愛媛
2005年2・3月開始東京以外の都道府県ピークこの時期までにピークを迎えていない地域   
※開始はその月に合併が2件以上あるいは10自治体以上の場合
※未決定で休止・凍結状態でないものも含む
あくまで個人的に考えたものなので間違えが多いです。

[24435] 月の輪熊 さん
この大野郡は僕のお父さんの故郷、僕の第3の故郷なので厳選して考えました。
『白水』(かなりローカル『用作』『上井田』)なども考えましたが、親戚と
相談して、やはり『大野川市』ということとなりました。
ここで『白水市』を選ばなかったのはここより奥の竹田・直入や阿蘇のほうで
盛んに使われており、大野郡ではそれほど盛んに使われていないためです。
『大野川市』を選んだ理由としては、大野川の面積が大野郡が最も多いと『予測』
したためなのと、下流では大分川(七瀬)もあり、上流では白水ブランドとなって
いるからです。

[24433] 伊丹太郎 さん
尼崎と西宮なら合併後の市名は阪神市でいいと思います。
個人的には西宮市に合併してほしくはないのですが、西宮市自身は
合併が持ち上がれば積極的になりそうな感じがしますね。
やはり他の地域からみれば『阪神市』で決まりですが、
尼崎の人は黙っていないと思います。
[26554] 2004年 3月 25日(木)21:45:27【1】hmt さん
四島・七島・十島・三島の次は「五島」
領有権問題? がらみで いずれの町村にも所属していない南方四島[22460]
式根島や青ヶ島を数えていない伊豆七島[24183]
十島村(じっとうそん)が戦後に分断されて生まれた三島村(みしまむら)と十島村(としまむら)[24269]
…というわけで、今度は五島列島です。

中通島・若松島・奈留島・久賀島(ひさかじま)・福江島の五つの主島を中心として、これに周辺の島多数を含めて約140の島々。…というのが一応の説明でしょうが、“周辺”の範囲が問題です。

自然地名としての「五島列島」は、[17147] 地球人さん にあるように「北は宇久島から南は福江島まで連なる列島」で、宇久島・小値賀島(おぢかじま)を含んでいます。

ところが、離島振興法による「五島列島」は中通島から福江島までを中心とする島々で、中通島に隣接する野崎島以北の 北松浦郡小値賀町・宇久町に属する島々は含まれていません。
では、これら北部の島々は…というと、はるか60kmも東に離れた鷹島までを含む「平戸諸島」ということになっています。
そのせいで、離島振興法に準拠するシマダスでは、「五島列島」の中通島~福江島は「西海の島々」の章、「平戸諸島」の宇久島・小値賀島は「九州北部の島々」の章と 全く異なる場所に収録されています。

つまり、行政上の「五島列島」は長崎県五島支庁管内に限られ、自然地名としての「五島列島」と異なることになります。

[26381]で言及した“行政地名”「対馬島」は、事実上 自然地名の「対馬」と同じ意味であり、余計な字が付いているだけで実害は少なかったのですが、“行政地名”「五島列島」の方は、同じ言葉で自然地名と範囲が異なるので、混乱をもたらす可能性は こちらの方が大きそうな気がします。

もっとも、宇久・小値賀が行政的に狭義の「五島列島」から切り離されたのは、1878年に広大な松浦郡が東西南北に分割された時に遡り、小値賀島は江戸時代にも平戸藩領だったという歴史があるので、現地では二つの意味の「五島列島」を使い分けることに慣れているのかもしれません。

しかし、五島氏(宇久氏から改名)が福江島に本拠を移す前の発祥の地であり、江戸時代にも五島氏の支配が及んでいた宇久島が 「五島列島」でないというのは、やはり不自然な感じを受けます。
明治時代、中通島の手前の狭い海峡に引かれた南北松浦郡の境界線は如何なる背景を持っていたのでしょうか?

この点については、地球人さん[17147]も「いまだに謎です」と発言 。
私にもよくわかりませんでしたが、「長崎県の地名」(平凡社2001)には次のような記載がありました。
史料の制約を前提とするものの、五島を冠した地名が見えるのは、中通島・若松島・奈留島・福江島に限られていることから、少なくともある時期以降は 宇久島・小値賀島を除いた五島列島が「五島」であり、5つの島であったらしい。
文意からして「ある時期」とは中世のある時期、例えば14~15世紀頃かと思われます。
南北松浦郡の境界線には、明治よりもずっと前から、島の配置だけではわからない何かの存在理由があったのかもしれません。

ところで、行政の作り出した地名が従来からの地名と異なる範囲を示す混乱は、自治体名(の略称)がらみでは、顕著に現れていますね。
例えば:さいたま(市)と埼玉(県)と(南北)埼玉(郡だった地域)と埼玉(さきたま)と。
これに比べれば「2つの五島列島」など、騒ぎ立てるほどのことではないのかも…

【1】補足:中通島という名は、ここが五島列島の ど真ん中 であり、北端ではないことを表しているように思われます。
[28132] 2004年 5月 11日(火)02:20:43【2】夜鳴き寿司屋 さん
RE:記念切手シリーズ「国立公園と国定公園」について
[28122] 白桃 さん

そもそも国立公園の方が格的には上なんでしょう?

 環境省の下記HP
http://www.sizenken.biodic.go.jp/park/info/npsys/define/

 などによりますと、同じ自然公園法が根拠ですが、国立、国定とも指定するのは環境相(以前は環境庁長官)がどちらも指定するのですが、公園の行政的管理責任者が国立公園が環境省に対して、国定公園は都道府県になっているそうです。その下には都道府県が指定する「県立自然公園」が多数存在するそうです。

 なんだが国道番号が2ケタ台と3ケタ台では管理者が異なると同じように、行政上の管轄が異なるだけの話ですね。この自然公園の制度はアメリカの制度に倣って制定されたので同じようにアメリカにも「国立公園」の他に「国定公園」もあるようです。

国立公園シリーズは簡素な2色刷り、国定公園シリーズは鮮やかな多色刷り、というのがどうも納得いきませんでした。国定公園の方が後だったので致し方なかったのかもしれませんが、

 其の通りでして、国立公園シリーズのほうが先発シリーズで印刷がモノクロだったのです。しかも戦前からの古い企画です。

 戦前に「国立公園」切手として発行された国立公園(各4種ずつ)は

富士箱根国立公園     1936.7.10
日光国立公園       1938.12.25
大山・瀬戸内国立公園   1939.4.20
阿蘇国立公園       1939.8.15
大雪山国立公園      1940.4.20
霧島国立公園       1940.8.21
大屯・新高阿里山国立公園 1941.3.10 *新高山は現在の玉山
次高タロコ国立公園    1941.3.10 *次高山は現在の雪山

 8回で、最後の2つの国立公園は当時日本の植民地だった台湾の国立公園でした。このまま企画が進行していたら朝鮮半島のクムガンサンやペクトサンが登場(クムガンサンは当時の日本の7銭切手に採用)した可能性がありますが、朝鮮半島で国立公園を指定したかは不明です。

 また当時の日本は皇国史観が盛んだったため同時に発行された小型シートには発行年号が2599(1939)と、皇紀と西暦で表示されていました。

 戦後は1949年から再度企画がスタートし、13回にわたり1956年まで発行され、その後で国定公園シリーズを発行しようとなったのですが、1958年に発行された国定公園シリーズ第1回は、当時の郵政大臣(第1次岸内閣)であった田中角栄(後の首相)の地元であった「佐渡弥彦国定公園」(当時、現在は佐渡弥彦米山国定公園)が採用され、2回目が岸信介首相(当時)の地元であった「秋吉台国定公園」が発行され当時から「大臣切手」として評判が悪かったそうです。そのため1974年に日本全国の国定公園が発行されていないにも関わらず企画が打ち切りになり、沖縄海岸国定公園など沖縄県の国定公園切手は未だに未発行のままです。

 また国立公園のシリーズは1962年に再度スタートしたのですが、サイズはスケールダウンしたのに戦前からのモノクロ路線は踏襲(国定公園切手がカラーイラスト原画に対して国立公園切手は写真原画)して、後から見ればアナクロで物足りない構成になったと思います。1974年に最後に発行された西表国立公園のみがカラー写真になりましたが、以後は国立、国定公園切手は発行はしない事になったそうです。

 余談ついでに「国定公園」として切手が発行され、後に国立公園に昇格した箇所をリストにします。

利尻礼文サロベス国定公園 1968.5.10
伊豆七島国定公園(現在は富士箱根伊豆国立公園)1963.12.10
山陰海岸国定公園1961.8.15
足摺国定公園(現在は足摺宇和海国立公園)1960.8.1
錦江湾国定公園(現在は霧島屋久国立公園の一部)1962.4.30




国立公園一覧
http://www.sizenken.biodic.go.jp/park/np/index.html

国定公園一覧
http://www.biodic.go.jp/jpark/jpark.html

*ケアレスミスを修正
[29851] 2004年 6月 29日(火)00:02:08【1】hmt さん
列島・諸島・群島
[29813] 作々さん
「列島・諸島・群島」コレクションというのは如何でしょうか。この3つ、定義が曖昧なところもあって、混合して使用されているのもあるようなんですが。

「列島・諸島・群島」に一応の区別はあるのでしょうが、おっしゃる通り、別名として同じように使用される例が多数あります。例えば八重山列島、八重山群島、八重山諸島は同じ「島群」(以下、この言葉を使います)です。

他方、小笠原諸島と小笠原群島とは区別して用いられます。
すなわち、小笠原群島は3列島(北から聟島列島・父島列島・母島列島)の総称ですが、小笠原諸島はこの3列島と硫黄列島(火山列島)を含む4列島に、更に西之島と西之島新島(両島は地続きになった)・南鳥島・沖ノ鳥島を含めて用いられます。南鳥島・沖ノ鳥島は “地理的には” かなり離れていますが、 “行政的に” 小笠原諸島に含まれているのだと理解します。

例えば我が地元(鹿児島)を例に少し書きますと、
南西諸島 なんせいしょとう 薩南諸島,琉球諸島
薩南諸島 さつなんしょとう 大隅諸島,吐喝喇列島,奄美諸島
大隅諸島 おおすみしょとう 種子島,屋久島,口永良部島

「南西諸島」 という呼び名は、もともと海上保安庁で使われていたものが広く使われるようになったようです。帝国書院の「復刻版地図帳」[25914]により記載状況を調べると、1934年版と1950年版には見当たらず、1973年版には記載されています。
鹿児島県の薩南諸島には 作々さんの挙げられた3島群と 三島村所属の上三島が含まれます。1946年に北緯30度線で分断された際に 日本に残った「上三島」[24269]は、現在では大隅諸島に含めることもあるようですが、戦前は「吐喝喇列島(川辺十島)」に含まれていました。なお、草冠のある字は JIS外で表示できないために、作々さんにならって「喝」で代用しました。
ついでに触れておきますが、種子島北端や上三島と同緯度にあるにもかかわらず、草垣群島は薩南諸島に含まれません。薩摩半島西側の笠沙町に属するために“薩南”ではないのでしょう。しかし、甑島列島・宇治群島・草垣群島を総称する“薩西諸島”という呼び名は聞いたことがありません。

【1】脱字修正のついでに補足
種子島等は大隅国なので 大隅諸島と呼ばれるのは 当然として、ここや奄美の島々の総称が “薩南”諸島 であるのは何故でしょうか? 長期にわたる薩摩政権支配の間に“(広義の)薩摩の南部”という認識が生まれていたのでしょうか。

南西諸島ファミリーにおいて、島群の包括関係は 最大4階層の複雑な入れ子構造です。
勿論最初は「日本列島」
ア! 第0階層 日本列島を含めれば5階層でした。
第1階層 南西諸島の内訳=薩南諸島 + 琉球諸島
第2階層 薩南諸島の内訳=大隅諸島 + 上三島 + 吐喝喇列島 + 奄美群島
第2階層 琉球諸島の内訳=沖縄諸島 + 先島諸島 + 大東諸島
第3階層 沖縄諸島の内訳=沖縄島 + 伊平屋伊是名諸島 + 与勝諸島 + 慶良間諸島 + 久米島等
第3階層 先島諸島の内訳=宮古群島 + 八重山群島 + 尖閣列島

島群の呼び名や包括関係については、「島嶼大事典」(日外アソシエーツ1991)の呼び名と包括関係を用いましたが、歴史的な変化があります。

例えば1934年版では、前記のように南西諸島はなくて薩南諸島・琉球(諸島という字が入っていない)になっており、小笠原諸島は現在の小笠原群島の範囲で、同じ大きさの字で硫黄列島が別に存在します。この 1934年版を良く見ると、この 2島群と伊豆七島(現在の伊豆諸島)を含む図のタイトルは「豆南諸島」となっています。

豆南諸島の名は[19744]kenさんに登場し、本を引用した紹介文が記されています。
孀婦岩、須美寿島、ベヨネーズ列岩、鳥島という名前は聞いたことがあるかもしれない。これらの無人島群が豆南諸島。
昔、広い範囲で使われていた「豆南諸島」が、近年のダイバー用語では狭い意味で復活したのでしょうか。
これらの無人島群については、この落書き帳だけで通用する呼び名として、私が命名した「南方四島」[22460]もあります。
そうそう、南方と言えば、伊豆諸島と小笠原諸島の総称としての「南方諸島」の名が平凡社の「日本大地図帳」等に見えます。

これを使うと、南方諸島ファミリーは
第1階層 南方諸島の内訳=伊豆諸島 + 小笠原諸島
第2階層 伊豆諸島の内訳=伊豆七島 + 式根島・青ヶ島・鳥島等
第2階層 小笠原諸島の内訳=小笠原群島 + 硫黄列島 + 西之島等
第3階層 小笠原群島の内訳=聟島列島 + 父島列島 + 母島列島

「復刻版地図帳」に戻って、戦後の1950年版では、ユーラシア図の中に琉球列島・小笠原列島の名が見えます。日本の統治下でなかったので、日本図の部には出ていないのですね。
1973年版になると、現在とほぼ同じ伊豆諸島・小笠原諸島・(やや小さい字で)硫黄諸島になっています。
[30000] 2004年 7月 2日(金)19:01:59【3】hmt さん
30000には及びませんが 1?,2?,3,4,5,6,7,8?,10,48?,99,1000の島々
数字の付く島群の地名を集めてみました。
南西から
島群名読み都県海域備考・別名・主な島・参考記事
与勝五島よかつごとう沖縄県太平洋与勝諸島(与那城町・勝連町)の別名
下七島しもしちとう鹿児島県東シナ海トカラ列島の別名(他に種々の別名あり)
川辺十島かわなべじっとう鹿児島県東シナ海[24269]で分断の歴史を記した旧十島村=下七島+上三島
上三島かみさんとう鹿児島県東シナ海竹島・硫黄島・黒島
三ツ島みつしま熊本県八代海
九十九島つくもじま長崎県島原湾
九十九島くじゅうくしま長崎県五島灘[29533]
五島列島ごとうれっとう長崎県五島灘[17147][26554]
六島諸島ろくとうしょとう山口県日本海別名 萩六島・萩諸島
七ツ島ななつじま石川県日本海輪島と舳倉島との中間[5965][15373]
忽那七島くつなしちとう愛媛県瀬戸内海忽那諸島(興居島を含む)
愛知三島あいちさんとう愛知県太平洋佐久島・篠島・日間賀島[29399]
伊豆七島いずしちとう東京都太平洋 http://uub.jp/arc/arc422.html
北方四島ほっぽうよんとう北方領土オホーツク海・太平洋択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島
南千島みなみちしま北方領土オホーツク海・太平洋

以下、少し怪しい数字島群地名
双子島(宮城県北上町)なんてのも、この同類かもしれません。
イロハ島は 長崎県福島町沖合いの岩礁群で、イロハ48文字ほどの数があることから名付けられました。
日本の別名で大八州(おおやしま)。
壱岐(壱州)・対馬(対州)というのもワン・ツー ペアのような気がするのですが…

【1】30000番を意識したタイトルの記事が幸いにもホールインワンになりました。
グリグリさん、みなさん、おめでとうございます。
リンク誤記など修正

【3】[30008]なきらさんの記事を見て、データとして準備していた七ツ島を書き落としていたことに気付きました。追加させていただきます。
「島群」とは[29851]のように 島の集団 の意味で使っておりますが、上記の九十九島やイロハ島のように島というより嶼に属するものを排除するつもりはありません。12.6haという大島を含む七ツ島は、もちろん立派な島群であると理解しております。>なきらさん
[30008] 2004年 7月 2日(金)21:45:13なきら さん
祝30000番
30000番おめでとうございます。
hmtさんも、おめでとうございます。記念ですね。

[30000]hmt さん
なかなか面白いですね。おはずかしいことに、私はどの島にも(比較的行きやすいと思われる伊豆七島さえも)上陸したことがありません。チャンスはあったのですが。中では、五島列島に、特に行ってみたいですね。
そう言えば能登半島に行った時、沖に「七つ島」があるのを知りました。視力が悪くなっている私にも、一部の島が、ほんとにかすかに見えました。今調べたら30キロも沖合だそうで、そんな遠くの島が見えたのかと、不思議な気がします。
島群
の意味をきちんと理解していませんが、ちょっと違いますか。
[35686] 2004年 12月 12日(日)01:26:41【1】Issie さん
旧植民地の行政区画
[35679] ひでひで さん
日本統治時代の台湾以外の地域の行政区分は、どういった物だったのでしょうか?

「植民地」である朝鮮では,日本の統治下に入る以前の区画が基本的に継承されました。
朝鮮王朝・大韓帝国時代の8道のうち,忠清・全羅・慶尚・平安・咸鏡の各道を南北に分け,京畿・黄海・江原の各道はそのままで,全13道とされました。長官は「知事」。
「道」は,「府」「郡」「島」に区分されます。
「府」は内地の「市」に相当し,1935年現在で 京城・仁川・開城・群山・木浦・大邱・釜山・馬山・平壌・鎮南浦・新義州・咸興・元山・清津 の14府がありました。長官は「府尹(ふいん)」で主に内地人(日本人)が任命された,とのこと。
都市域の「府」と同格の区画が「郡」で,内地(日本本土)の「郡」に相当します。長官は「郡守」。
鬱陵(うつりょう/ウルルン)島のような離島は全島1郡とし「島」とされました。長官は「島司」。なお,同じ制度は伊豆七島や対馬・沖縄など,内地の離島でも明治末まで行われていました。
つまり,「府郡島」が,日本本土の「市郡」に相当します。そして本土で「郡」が「町・村」に区分されるのと同様に,
「郡・島」は「面」に区分されました。内地の「村」に相当します。1930年の制令(朝鮮総督の命令。議会のない朝鮮では「法律」に相当し,内地の勅令=天皇による立法に準ずる)によって小都市について「邑」が編成されるようになりました。内地の「町」に相当します。長官はそれぞれ「面長」「邑長」。
したがって,道-府・郡・島-邑・面 という体系になります。

一方,台湾では,全島を5つの「州」と3つの「庁」に分けました。
「州」は主に漢族の多く住む平野部,「庁」は日本統治下で「高砂族」と呼ばれた先住民の居住する山岳部に設けられました。
「州」の長官は「知事」。その下に,都市には「市」が置かれましたが,長官は「市尹」と称しました。それ以外は「郡」とされ,長官は「郡守」。
「庁」の長官は「庁長」。さらに「支庁」に区分されました。
「郡」と「支庁」の下に,「街」と「庄」が置かれました。「街」は「町」,「庄」は「村」に相当します。長官はそれぞれ「街長」「庄長」。
「支庁」のうちで街・庄の編成されない区域は,自治権のない「区」とされましたが,1937年に消滅しました。
つまり,州-市・郡-街・庄 または 庁-支庁-街・庄・区 という体系になっていました。

樺太は,北海道と同様,「支庁」に区分され,「郡」の下に「町・村」が編成されました。樺太庁所在地の 豊原 が1937年に「市」となり,1945年8月まで樺太唯一の「市」でありました。
1943年4月1日に樺太は内地に“編入”され,以後は「植民地」ではなく,北海道と同等の扱いとされました。
[36520] 2005年 1月 7日(金)22:23:55Issie さん
北九州工業地帯
[36508] 雪風睦月 さん
しかも,勉強の教科書として利用させて頂いているサイトの管理者から・・恐縮です.ありがとうございます.

いや,こんな風に書かれてしまうと,恥ずかしいと言うか,何と言うか…。

[36513] 佐賀県 さん
北九州市誕生以前から工業地帯の名前として使われていたということなのでしょうか。

この呼称がいつから一般的に用いられるようになったか,よくはわからないのですが,
たとえば,昨年1月に帝国書院が復刊した1934年発行の“中等学校”(旧制中学校・高等女学校・実業学校)の地理教育用の地図帳,守屋荒美雄『増訂改版 新選詳図 帝国之部』に,「北九州工業地帯」と題して洞海湾から関門海峡にかけての地域の地図が掲げられ,特に金属・セメント・製糖・麦酒などの工場の位置がプロットされています。
地理の研究者の間では,なかんずく地理教育の世界では「北九州工業地帯」というのは少なくともこの当時から使用されていた用語のように思います。

何分,「学校で教わる用語」ですから(←実は専門の研究者の世界で使用される用語や用法,あるいは中身そのものが微妙に,しばしば相当に違っていることが少なくない),これで教わった人々には広く知られていた言葉であっただろうと思います。

なお,この地図帳には
 上野三山 = 赤城山・榛名山・妙義山
 大東京
 京浜地方,京浜工業地帯
 豆南諸島 (伊豆七島 および 小笠原諸島)
 秋田油田
 常磐炭田
 日本アルプス
 赤穂塩田
 筑豊・糟屋炭田,唐津炭田
 石狩炭田
 平壌炭田
 鴨緑江口,豆満江口
などと題した地図が掲載されています。
 
[44817] 2005年 9月 10日(土)12:16:46【1】Issie さん
若狭湾が苦手
試しにやってみました。
奥羽両国が分割され,北海道11ヵ国が設置された明治2年末時点の“84ヵ国”について。

◎:住んだ(5点)×4=20点
相模,武蔵,下総,信濃

○:泊まった(4点)×51=204点
山城,大和,摂津,和泉,伊勢,志摩,尾張,遠江,駿河,甲斐,伊豆,安房,上総,常陸,飛騨
上野,下野,岩代,陸前,陸中,陸奥,羽前,羽後,加賀,能登,越中,越後,佐渡,出雲,備前
備後,安芸,周防,長門,紀伊,阿波,讃岐,伊予,土佐,筑前,肥前,肥後,日向,薩摩,渡島
胆振,後志,石狩,北見,十勝,釧路

●:歩いた(3点)×16=48点
河内,三河,近江,美濃,越前,丹波,因幡,播磨,美作,備中,淡路,豊前,豊後,日高,天塩
根室

△:降りた(2点)×4=8点
磐城,伯耆,石見,大隅

▲:通過した(1点)×3=3点
伊賀,但馬,筑後

×:かすってない(0点)×6=0点
若狭,丹後,隠岐,壱岐,対馬,千島

合計:283点

「琉球」(沖縄県)にはここで言うところの「国」が設置されたことがないので数に入れていないのですが,“国に準ずるもの”として数えれば“○”なので 4点 が追加されます。

※私は行ったことがありませんが,小笠原にも「国」が設置されたことはありません。東京府(都)管下だからといって「武蔵国」にも属することもありません。
大島以下の“伊豆七島”は「伊豆国」に属しますが,明治以降は“どの「郡」にも属さない”とされています。ただし,以前に話題になったように,古代には「賀茂郡」のうちと理解されていたこともあるようです。
「千島国」とは明治2年の設置当初は 国後・択捉 両島を領域とするものでした(得撫島以北は“日本領ではなかった”ので)。1875年の樺太・千島交換条約によって“日本領”となったときに得撫島以北は「千島国」に編入され,得撫・新知・占守 の3郡が設置されました。また,当初は「根室国」に属していた 色丹郡 が「千島国」に所属変更されています。
「カラフト」「サガレン」「北蝦夷」その他の呼称で呼ばれた“大きな島”にも「国」が設置されたことはありません。日露戦争後,ポーツマス条約によって“日本領”となった南半分の区域(「樺太」)には「郡」が設置されましたが「国」は設置されていません。

で,改めて最初の話題に戻って,
そう言えば,若狭湾方面には行っていないなぁ…。
肥前南松浦郡とか,大隅熊毛郡・大島郡とか,周防大島郡とか,島はやっぱり苦手ですねぇ。
沖縄も本島だけだし…。
[48159] 2006年 1月 9日(月)11:23:10maki さん
東京はどうなる? 「勝手に合併大予想」
東京都はほとんど「平成の大合併」に関係ない。(いや,それでもあきる野市と西東京市は関係ありますが。)
そこで,勝手に「こんな市や町ができる!」というのを予想してしまいました。全部で13市町です。
(左から 新市名 予想市区町村(末尾は省略。) 予想市役所位置(本庁)です。)
      23区編(7市)
1.東京市(復活!?)     中央+港           中央区
2.羽田市(はねだし)   大田+品川+目黒         大田区
3.荒川市  江戸川+江東+墨田+葛飾+足立+北+板橋    足立区
4.神谷市(かみやし)    千代田+新宿          新宿区
5.京島市(きょうとうし)   文京+豊島          文京区
6.東武蔵野市     世田谷+杉並+中野+練馬+渋谷    中野区
7.西墨田市          荒川+台東          台東区
          多摩(伊豆七島)編(5市1町)
8.小河内市(おごうちし)  青梅+奥多摩+日の出      青梅市
9.多摩湖市(たまこし)  東村山+東大和+武蔵村山    武蔵村山市
10.多摩川市   多摩川北岸,東岸(狛江,調布,府中,
          国立,立川,昭島,福生,瑞穂,羽村)   国立市
11.南多摩市   多摩+稲城+町田+八王子+日野+檜原   多摩市
12.(新)武蔵野市 武蔵野+三鷹+小平+国分寺+小金井
          +東久留米+清瀬             小平市
13.七島町(しちとうまち) 伊豆七島部9町村        大島町 
とこんな感じ。最終的に東京は上記の13市町と今回含めなかったあきる野市と西東京市を合わせて15市町にしてみました。(実現すれば東京から村が無くなるわけですな。)では,市名の由来を。
東京市 範囲は狭いですが東京を象徴する2区に付けました。
羽田市 羽田空港から。当然,市役所は大田区です。(品川でもいいけど…。)
荒川市 単純に荒川から。そこで,荒川が流れる6区全てを範囲にしました。(広すぎるかな?)
神谷市 神田(千代田区)と四谷(新宿区)から1文字ずつ取って。北区に「神谷」がありますが
    これしか思いつかなかった…(>_<)
京島市 文京と豊島から1文字ずつ取って。文島市(ふみじまし)にしてもよかったかな?
東武蔵野市 武蔵野市の東にあるから。接しているのは練馬と杉並だけですが,物足りないので。
      将来は政令指定都市移行?(世田谷区 約83万人+練馬区 約68万人=約151万人
      その他もろもろで約225万人?)もし実現したら横浜市(約330万人)に次ぐか?
西墨田市  隅田川の西側から。西川市(にしかわし)でもいいけど,どっかにあるかもしれないので。
小河内市  小河内ダムから。多摩川の上流だし。青梅からは遠いですが…
多摩湖市  多摩湖から。関係が深い3市を範囲にしました。
多摩川市  これは説明不要かと思いますが,一応しておきます。単純に多摩川からです。
      荒川市と同じです。
南多摩市  範囲市村は多摩の南側にあるから。檜原村も入れました。(単独町制でもいいけど…。)
武蔵野市  既に武蔵野市はありますが,ちょっと狭いから取り込んでみました。市役所は中心部の小平で。
七島町   伊豆七島から。小笠原諸島も含めます。
ところで,実は関東地方シリーズ製作中です。次回は埼玉か神奈川を予定しています。
長くなりましたので,次回にまわします。それでは。
[51056] 2006年 4月 29日(土)19:46:14hmt さん
市と郡とが分離することになった明治21年
[51028] YSK さん
今では市部と郡部(町村)とアプリオリに理解していますが、近代の行政機構としての市町村が出来上がったときに市部を郡部から独立させるというルールはどうして決まったのでしょうか。

法律条文上の根拠は、Issie さんが[51045]で引用されたとおりで、下記の文言に基づきます。
明治21年(1888)「市制」第1条 “…市街地ニシテ郡ノ区域ニ属セス別ニ市ト為スノ地…”

それでは、このように市部を郡部と分離するようにした理由は?
やはり、農林業・水産業が経済活動の中心となっていた郡部と異なり、商業・工業・サービス業による経済活動を主とする地域を統治するための別の体制が必要だったからでしょう。
市制町村制よりも10年前の郡区町村編制法(1878)における「区」が「市」の前身であることは、既に[51030]で指摘されていますが、ここで用いられた“三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ”という言葉が、このような「経済特区」を表わしています。

このような都市部における流動的な経済活動の存在は、明治4年の戸籍法においても考慮され、寄留制度が設けられています。
明治4年10月の「新聞雑誌」によると、今秋中東京府下の寄留人員は109674名、土着人員672747名とあります。
明治11年、明治21年と時代が下るにつれて、都市部における寄留人口はますます増え、人口輻湊、市街地形成の傾向は、ついに地方都市を含めて市部と郡部を区別するに至ったものと思われます。

明治21年6月27日の朝野新聞には、どんなところが「市」になるのだろうかという記事がありました(明治ニュース事典)。
“その筋にて昨今それらの取調べをなし居る由なり”としながら、“或者の云う処にてはおよそ二万五千戸以上とか、いやそれ以下でもその土地の模様によるとか、現在区を設けてありて郡とその経済を別にし居る処のみ”とか、この落書き帳を見ているようです。
結果的には、明治22年4月1日に31市、1年以内を含めると40市と、従来の「区」に比べてかなり多数の「市」が誕生しました。

付言すると、明治11年の郡区町村編制法の第4条では、上記のように「別ニ」という言葉は使って「特別の区域である」ことは示しているものの、郡と重複して設けられたものか、郡を排除して「区」が設けられたものか、いずれとも判断できません。
この点については、15区6郡時代の東京府に関して、tkshさんから“制度上は「郡と重複して区は存在する」が、実質的にはフレキシブルな運用である「東京府布達」により、郡と区の分離が行なわれた”旨のご教示をいただいています。[33692]

明治21年の「市制町村制」では、経済上の理由から市部を郡部から区別したわけですが、その一方では、郡部一般の経済力にも及ばない離島については、明治22年1月16日の勅令で「町村制を施行せざる島嶼」が指定されています。
東京府管下 小笠原島、伊豆七島、 長崎県管下 対馬国、 島根県管下 隠岐国
鹿児島県管下 大隅国大島郡 大島, 徳之島,喜界島,沖永良部島,与論島、薩摩国川辺郡 硫黄島,黒島,竹島,口之島,臥蛇島,平島,中之島,悪石島,諏訪ノ瀬島,宝島

明治21年の「市制町村制」では、北海道と沖縄も対象外の地域でした。

それはさておき、最初の明治21年「市制」条文に戻ると、
第3条 凡市ハ従来ノ区域ヲ存シテ之ヲ変更セス
とあります。アレ? 「市」はこの時に初めてできたと思われるのに、「従来ノ区域」などあったのですかね?
長崎区、金沢区など「区」のあった区域はもちろんのことですが、以前は町々を統合する行政区域が存在しなかった?城下町にも、「従来からの市街化区域」自体はは存在していたということなのでしょう。

# この「市制町村制」という法律(明治21年法律第1号)には、「市制」(第1章~第7章)と「町村制」(第1章~第8章)とが含まれていて、それぞれが第1条から始まっています。1911年の全文改正の際に別々の法律になりました。
[53057] 2006年 8月 5日(土)19:29:23hmt さん
国土交通省の基準:標準地名
基準をいっこうに示さないままの「誤用」論議は無視するとして、
[53022] Issie さん が言われるように
教科書検定の際に基準とされているのは,あくまでも現実に行われているさまざまな「約束」のうちの1つ
なので、現実にどんな基準があるのかを探ってみました。

その過程で、たまたま目についたのが、[53048]で紹介したマスコミの地名表記ルールなのですが、締切時間に追われるマスコミ関係者としては、当該自治体の意向を尊重したり、正統性を告示文に求めたりすることよりも、簡明なルールを選んだということでしょう。

さて、今回調べた中で最も参考になった資料は、地質ニュース1981年9月号に、国土地理院地図管理部の池田稔さんが書かれた“地名の標準化について”という論文です。pdf文書 によって読むことができます。

この論文の中には、国土地理院における地名調査、用語、国土地理院の地図と水路部の海図で異なる地名の標準化、文部省その他の機関での事情、国際連合経済社会理事会による国際統一の動き(表記法を含むローマ字化の問題)が盛り込まれていますが、「落書き帳」の過去記事をふまえて、興味ありそうな点を少し紹介してみます。

国土地理院では、地図作成に必要な地名の把握のために、基本測量、修正測量のたびに市町村に提出を求めた「地名調書」を作成しているそうです。明治から現在までの地名が、全国的に統一した形式・内容で蓄積されている貴重な資料です。
地図の地名は、このような情報をもとにして吟味・検証した結果、書き込まれることになります。

ちょうど1年前に、“剱岳の高さが決まるまでの97年”[43689] hmtと題した記事で扱った「剱岳」が実例として示されています。
以前の地名は「劔嶽」。1959年に当用漢字の「剣岳」を採用したが、古くから信仰の対象とした地元からの強い要望で古字の「刃」を当用漢字の「剣」と組み合わせた「剱」に決定したとのことです。
三浦半島の「剱崎」についても同様に地元の要望から見直しがなされた由。

次に地理的用語。
自然地名の普通名称的な部分の定義が、山地・山脈・高地・高原・丘陵・平野・盆地・台地・半島・諸島について定められ、更に海域の地名についても10種類が用いられています。
この基準によると、
平野 海に臨む平地に対して用いるものとする
とあるので、地元ではよく使われるらしい「大和平野」[52889]は、“国土地理院の標準地名としては使われない”ことになります。
標準地名は、20万分の一以下の小縮尺図に適用とあるので、大縮尺図には標準地名でない地名もあるかもしれません。

国土地理院の地図と水路部の海図で異なる地名の標準化に関しては、次のような表が示されていました。
地図海図標準地名標準化された年(昭和)参照記事番号
東京湾東京海湾東京湾37
浦賀海峡浦賀水道浦賀水道40[18790]
明石海峡明石瀬戸明石海峡37別の場所に明石瀬戸[24417]
対馬海峡対馬海峡東水道対馬海峡(東水道)41
朝鮮海峡対馬海峡西水道対馬海峡(西水道)41[5038] [26343] [36887]
伊豆七島伊豆諸島伊豆諸島40[24183][24286] [24304]など多数
八代湾(不知火海)八代海八代海37[8316] [29619] [42315]

このように決められた「標準地名」は、国土地理院技術資料 「標準地名集(自然地名)」として1971年に刊行されており、1973年の改定を経て、1980年の「標準地名集(自然地名)増補改定版」が発行されています。

三省堂の「コンサイス日本地名事典」では、この標準地名が見出しとなる場合は漢字見出しの右肩に+をつけてあります。


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