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[99947]2020年7月1日
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[99937]2020年6月26日
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[99122]2020年1月27日
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[99106]2020年1月22日
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[99102]2020年1月21日
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[99095]2020年1月20日
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[98106]2019年7月11日
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[97639]2019年4月19日
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[97584]2019年3月22日
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[97580]2019年3月18日
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[97578]2019年3月16日
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[97577]2019年3月16日
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[97574]2019年3月15日
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[97545]2019年2月23日
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[97513]2019年2月4日
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[97512]2019年2月2日
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[97506]2019年1月29日
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[97500]2019年1月26日
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[97137]2018年12月17日
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[97122]2018年12月15日
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[99947] 2020年 7月 1日(水)07:41:36ekinenpyou さん
印旛郡龍服寺村?など
[99923]むっくん さん
99 新設 印旛郡本郷村 印旛郡 龍「服」寺村, 笠神村, 中根村, 滝村, 物木村, 荒野村, 角田村, 惣深新田(微)
龍福寺村→龍服寺村

(居住地を佐倉市としている)グリグリさんの対応後、投稿でも良かったのですが
上記「龍福寺村→龍服寺村」訂正依頼の件、簡単にまとめておきます。(「龍・竜」は同一とみなす)
※本郷村はT2.4.1埜原村と合併本埜村となる。

現在は印西市竜腹寺、地名は寺院名と関係が深いと思われる。以下、龍腹寺 - Wikipediaより引用
天和元年(1681年)に書かれたという略縁起によれば、大同2年(807年)の創建で、開山は慈観、初めは慈雲山延命院勝光寺と号したとされ、また龍福寺とも称されたが、釈命上人が雨乞いの祈願をした時、龍が死んでその腹が落ちた地であるため、龍腹寺に改めたとされる。

利根川図志(天龍山龍腹寺)にも同趣旨記載あり

資料ごとの表記(例)
【龍腹寺】
天保郷帳(下総国)(124コマ)・明治22年千葉県町村分合資料(印旛郡2-2)(17コマ右上)
(いずれもやや不鮮明だが恐らく龍腹寺)・同左(16コマ中ほど)
千葉県印旛郡本埜村誌市町村大字読方名彙(左下の本埜村)・通信区画便覧(左側)
時系列地形図(今昔マップ on the web)・Google マップ標識(同左ストリートビュー)
【龍福寺】
郵便区画町村便覧(M19.6調査)(中央)
【龍服寺】
下総国輿地全図(2コマ地図中の中央付近、ただし左下の略目では龍腹寺)
地名索引郵便区画町村便覧(M28)(左側)

以上を踏まえ考察
歴史的な経緯から龍腹寺の表記が地元では幅を利かせているようで、
県令などに記された龍服寺の表記はあまり定着しなかったのではないかと思われる。
(法的根拠の県令表記としても良いが、龍服寺→龍腹寺の改称履歴も示していただければつじつまが合うのでベスト)

【おまけ】[99341]MI さん
あらためて『高畠町史』下巻の第二章第五節 補筆・特筆の第一項(p.691~711)を読み直してみました。執筆者の思い入れが強烈に入っている感じもしますが、如何に高畑と高畠が混用されてきたかを検証しています。
中略
 明治の村々大合併以前の元村「高畑村」の地名は「高畑」であって、「高畠」ではなく、むしろ幕藩体制期を通じ地元では、「高畑村」と書記している。

資料ごとの表記
【高畑】
国郡全図(右上)・郡区町村一覧(右1列1行)・地方行政区画便覧(東置賜郡1列1行)
【高畠】
天保国絵図(右側四角で囲まれた村)・天保郷帳(2コマ)

高畠は幕府側の資料で用いられたが、地元では高畑という解釈?
[99937] 2020年 6月 26日(金)20:20:09ekinenpyou さん
越後府(初代)の管轄区域など
思いつき小ネタを投稿しておきます。

(越後府について)多くの方はご存知と思いますが(明治)維新期に越後国(新潟県)に存在していたもので、
詳細は[75457] [75459]hmtさんなどを参照のこと

さて、その管轄区域は越後府 - Wikipediaでは
7月27日、柏崎県(第1次)が設置され、8月5日にその管轄区域が越後国南半の頸城郡・刈羽郡・魚沼郡内の旧幕府直轄地および新政府の没収地などとされた。これにより、越後府(第1次)の管轄地域は越後国北半の三島郡・古志郡・蒲原郡・岩船郡となった。

ということですが
公文録(三島郡外四郡管轄ノ儀達)
三島・古志・蒲原・沼垂・岩船郡(5郡)
法令全書(慶応4=M1.9.3・715)
三島・古志・蒲原・沼垂・巖船郡(5郡)

では上記の通りで、どこかで見た表記ゆれが・・・という点は置いておき、
注目したいのは三島・古志・蒲原・岩船4郡の他※沼垂郡を加えた5郡が管轄区域とされている点でしょうか。

※沼垂郡とは?詳細は過去ログでうまく見つけられませんでしたが
新潟市の歴史(古代)沼垂郡 - Wikipediaに解説があります。

実態として蒲原郡の一部であるという解釈で例えば天保国絵図でも蒲原・岩船郡のみの色分けとなっております。
(三島・古志郡はこちら)

なお※新潟県史(8コマ左)には沼垂郡の記載に関する考察があり、復古記(右)の注にも引用され、
(達書は誤りで)4郡が妥当との解釈です。

※(達書)を改ざんせず原文掲載とあり、例えば「岩船郡」は「岩舩郡」と書かれていた???

そもそも、なぜ「沼垂郡」が記載されてしまったのか?
個人的な推測としては新政府の行政官が※国郡全図(市川東谿作)のような越後国を8郡としている
(幕末期の)資料を元に郡名を記したものと思われる。

同図には「沼垂郡」も記載されている。(凡例はこちら)

【以下、蛇足】[72041]伊豆之国 さん
鈴木良徳氏(栃木県岩舟町出身)の著書に「時刻表マニア」(昭和48年発行)というのがあります。この本を読むと、著者が小学生時代(明治末期)に「汽車・汽船旅行案内」という本を愛読し、
東海道線の新橋から大阪・神崎・西ノ宮・住吉・灘・三ノ宮・神戸までと、信越線の加茂・羽生田・矢代田・新津・亀田・沼垂・新潟までを暗記していた

生粋の鉄道マニア?と思われそうですが・・・こんな人でした。
[99928] 2020年 6月 23日(火)19:15:42ekinenpyou さん
「畑」と「畠」(補足編)
拙稿[99926]の続きです、以下に特徴的な3例(村名に「畑」と「畠」を含むものの資料ごと表記)を示します。

番号天保郷帳郡区町村一覧地方行政区画便覧M22.4.1町村制施行新旧対照市町村一覧5万図(図歴番号)現状(地理院地図)
【1】小畑村(8コマ)(4列5行)(7列3行)小畠村(左側の三浦村)(左下)小畑・鶴川(120-7-2)(北西部の三浦村)(豊後高田市)小畑
【2】菅畠村(92コマ)←古志郡の(8列5行)(6列2行)菅畑村(中央右側の前東谷村)(左上)菅畠・守門岳(73-16-3)(北西部の※東谷村)(長岡市)菅畑
【3】小畑村(59コマ)←神石郡の(3列4行)←神石郡の(3列4行)(中央左側)・合併なし(右下)小畠村・油木(109-12-2)(南西部の小畠村)(神石高原町)小畠

表中の「←」は左の資料と同じ表記
M34.11.1合併で東谷村

以下、各番号ごと簡単に要約
【1】M22.4.1合併時県令に記された「小畠」の表記ほとんど定着せず?
郵便区画町村便覧(M22.4調査)(中央右側の三浦村大字)でも「小畑」と書かれている。

【2】(戦前地形図は「菅畠」だが)M22.4.1合併時県令に記された「菅畑」が徐々に定着?

【3】年代が進むと徐々に「小畑」から「小畠」が幅を利かせているようにも思われるが、
(天保郷帳 天保国絵図でも表記ゆれがあり)判断が難しい
「小畑」表記例・広島県小誌
「小畠」表記例・天保国絵図(神石郡の中央部)、神石郡地誌広島県史

郵便区画町村便覧(M28)では「小畠郵便局」「小畑村」とどっちつかずの表記
S17.4.1新設合併時は「小畠村」S17.3.26官報広告右下(町村廃置3番目)
町村制施行以降に(高畑→高畠町のような)小畑→小畠村という改称履歴はみあたらず。
[99926] 2020年 6月 21日(日)10:02:47ekinenpyou さん
桐畑村→桐畠村など
[99923]むっくん さん
236 新設/村制 鳳至郡柳田村 鳳至郡 鴨川村, 国光村, 石井村, 柳田村, 桐「畠」村, 笹川村, 長尾村, 鈴ヶ嶺村, 小間生村
桐畑村→桐畠村


以前どこかで見たようなネタ???とグリグリさんも共感しているかどうかはともかくとして、
ご指摘にあるよう県令第23号の通りとしても構わないのですが

鳳至郡柳田村の領域から恐らく現在の能登町字桐畑付近と思われます。

【参考】地方行政区画便覧(左側の5列3番目)・地名索引(少し字が見にくいので補足)
(いずれも内務省地理局刊行)
5万地形図宝立山(図歴リスト番号87-8-2)

[99917]拙稿の高知県高岡郡与津村→興津村について

答えはこちら

上記にもあるが、興津峠の北側にある与津地は東又村だった
地理院地図

残り投稿分は少し間が空くかもしれません・・・
[99917] 2020年 6月 15日(月)08:20:32ekinenpyou さん
過去の変遷情報要修正箇所について補足
だいぶ時間を遡ってしまい恐縮ですが
[85558]YT さんで変遷情報を修正する必要があるのではないか?と指摘があった件について補足投稿します。

まず以下4件については
(1) 鳥取県日野郡江尾町の町制実施の年月日 (鳥取県#82)
(2) 徳島県麻植郡山瀬町の町制実施の年月日 (徳島県#35)
(3) 福岡県田川郡彦山村の編入先 (福岡県#155)
岡山県和気郡英保村→英保町→吉永町の変遷

[85567][85569][85570][85571]MI さんなどで速やかに回答が示されましたが

広島県豊田郡木ノ江町から木江町への改称(広島県#130)、高知県高岡郡興津村から与津村への改称(高知県#75)が、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 や『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その34 広島県』・『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その39 高知県』などで名称変更情報として扱われていません。

(恐らく回答がなかったと思われる)上の2件について・・・

まず、1943(S18).10.1 広島県 改称 豊田郡 木江町 豊田郡 木ノ江町
S18.10.2官報広告右上中ほど(町改称)に記載があり国勢調査報告の記載漏れが妥当と解釈します。

次に、1948(S23).5.3 高知県 改称 高岡郡 興津村 高岡郡 与津村ですが
高岡郡 - Wikipediaも同趣旨の記載があるものの当時の官報類に告示などはみあたらず、そうした関係からか
高知県高岡郡興津村(歴史的行政区域データセットβ版)でも有効期間開始年月日が1889-04-01になっています。

本件については、時間の都合で補足追加を後日投稿予定です。
(例によって、詳細をご存知の方は先行して示していただいても可)

[85558]YT さんでは高知県高岡郡興津村から与津村への改称とあるが逆(これは変遷情報の通り)
以下2資料でローマ字読みが変化している点は確認済み

昭和23年常住人口調査報告(左上8番目)
"Yotsu-mura"
昭和25年国勢調査の都道府県郡市区町村別人口
34広島県~40福岡県(9コマ高岡郡19番目)
"Okitsu-mura"
[99914] 2020年 6月 14日(日)17:43:32ekinenpyou さん
Re:岩手県への表記統一など
拙稿[99907]の続きもかねて投稿します。

[99911]hmt さん
明治9年当時は 正式の「岩手縣」と慣用の「巌手縣」とが共に使われており、旧印鑑の欠損を機会に、慣用している「巌手縣」の印鑑も彫刻し、届出をしたのでしょうか?


(欠損前の印鑑がどのような印影だったかは定かではありませんが)おおむねその通りだと思います、
以下に公文録に残されたM9.10.9届出当時の原本を示します。
岩手県県印改刻届

当時は岩手県・国側双方で「岩」が「巖」である程度なら特に気にしなかったというのが実情でしょうか。

※法規分類大全の印影「岩手縣」は同書がM24年刊行であり、
「巖」を「岩」に置き換えた可能性があると推測しております。
(複数改刻届があって、その印影を模写するなどした可能性もありますが・・・)

なお、府藩県印の印影については色々と興味深いものがあり
例えばこちらに関連した投稿も後日行うかもしれません。

牛塚虎太郎


統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみPDF(4コマ左中ほど)に記載があります。

※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。(先述PDFには書かれていませんが、実際はかなりのページ数)
国勢調査実施ニ関スル意見書牛塚統計局長ヨリ提出ノ件

要望実現のための文書作成などに長けた方だったようで、
同氏が「巖手縣」をお気に入りだった場合「岩」が「巖」になっていたかもしれませんね・・・
[99910] 2020年 6月 13日(土)10:22:38ekinenpyou さん
地図上の「令和」
[99880]鳴子こけし さん
昨年5月の改元以降、『年号』コレクションに収録されている大津市の瀬田川令和大橋や、平成筑豊鉄道の令和コスタ行橋駅などが誕生し、「令和」の名が地図上に登場してきていますが


例えばこちら
とでも(無駄に?)小ネタを量産投稿しておくと、[99906]グリグリさんで触れた件が予想よりも早く実現???
[99907] 2020年 6月 12日(金)19:19:12ekinenpyou さん
Re:慣用されていた 巌手県 から 正式の 岩手県 に統一する手続など
[99890]hmt さん、[99894]MI さん
正解です、お二人に示していただいた文面ですが
恐らくT12.9.10付で国側へ照会し了解を得た文書が元になっていると思われます。
県名ノ文字ニ関シ岩手県知事ヨリ照会ノ件(2コマ)

その後官報での表記はT10.8.27(左下)→T15.6.11(左中ほど)のように変化した箇所も多いですが、
(国側で告示などは無く)周知が徹底されていたとは言い難い状況だった?のか

[35710]Issie さん
衆議院議員の選挙区(いわゆる中選挙区制)についての「別表第1」で,岩手県の第1区にしっかりと「巖手郡」という表記が行われています(「小六法・昭和58年版」による)。


官報(号外)S25.4.15(左上)のような表記も残ったようですね。(上記例は郡名ですが・・・)

(いとも容易に謎が解かれてしまったので)次投稿までのつなぎとしてもう1問用意しておきます。

【その1】法規分類大全
【その2】諸県県印彫刻・九条(9コマ)

上の資料二点にM9.10.9岩手県届けによる印鑑の印影が示されていますが、明らかに違いがあるのは
どなたでもおわかりいただけるかと思います、どちらが(岩手県より)届け出た印影画像に近いものでしょうか?
(できれば証拠を示していただければ最善ですが、次回投稿で示すので・・・ひとまず投稿終了とします)
[99889] 2020年 6月 8日(月)08:26:16ekinenpyou さん
Re:高知県長岡郡西本山村から本山村への改称など
[99887]MI さん
明治23年が幅を利かせてしまったようですが、改称日は 1891(M24).5.9 が正しいと判明しております。

その通りです、以前配布されていたファイル(ctv_total_pref.xlsx)に
18910509 +1村 -1村

とありましたのでご存知なのだと思いました、的確なフォローありがとうございます。

逓信公報(M24.8.27)82コマ(右上告知欄)・官報(M25.7.15)の記述からも
M23年実施は疑わしいことが確認できます。

思いのほか速やかな正解が示されましたので、1件追記しておきます。

射水市サイト内の射水市の名誉市民・牛塚虎太郎の詳細な功績を記したワードファイルに

岩手県知事時代には、県名を「巌手」から「岩手」に改め


という記載※がありますが、
このような変更手続は法的には行われていないという見解を多くの方がお持ちだと思います。
(高畑町→高畠町のように読みは同じで字が違うだけの変更ですが、何しろ県名という重要な名前なので
正式に変更となれば官報なり何らかで周知されるはず)

牛塚虎太郎 - Wikipediaにも同趣旨記載あり

過去ログでは

[35708]Issie さん
「巖」と「岩」とは“交換可能”な文字のペアーであったようで,特に明治期には県・郡ともに「巖手」という表記がよく見られます。

[50713]hmt さん
これらの名前は特別な変更手続なしに、「いつの間にか」現在の表記が定着するようになったようで、「巖手県」ではなく「岩手県」の形で現行法に引き継がれたと思います。


とありますが、この件が何故知事個人の功績として記されているかの詳細についてまでは
答えをうまく検索できなかったので、関連内容を後日投稿予定です。
(本件は既に詳細をご存知の方もいらっしゃると思うので、先行して示していただいても構いません)
[99886] 2020年 6月 7日(日)10:36:19ekinenpyou さん
官報に掲載された変遷履歴情報など
ひとまず、小ネタから・・・

[99831]hmt さん
NDL官報に基づく変遷情報
中略
変遷施行日はわかるが、必ずしも施行日付とは一致しない官報発行日を絞り込めない。


[99832]MI さんでも言及されていますが、全ての変遷履歴が官報に掲載されているわけではないので
使い勝手が良いものではないことは確かです。ただし(掲載されたものに関しては)当方や一部のメンバーの方々で
ほとんど発見&把握されているはずなので、関連投稿の際に「官報掲載箇所は未確認」とでも併記していただければ、
何らかレスが入るのではないかと思います。

【おまけ】官報の掲載箇所についてはだいたい施行日のあたりに掲載されていることが多いですが、
その日付に疑わしき点がある情報源を参照してしまうと捜索?困難になる場合があります、以下例

1890(M23).6.1 改称 長岡郡 本山村 長岡郡 西本山村
長岡郡 - Wikipediaも同じ

官報掲載は1年ほど後の1891(M24).5.13(左下の村名改称)
高知県処務提要. 上巻右上欄外も参照のこと
従って、どのように解釈すれば正しいのかは

結局は全国の都道府県立図書館や文書館巡りをすることとなってしまいました。

と仰っているMI さんが恐らくご存知かと思われますので省略・・・
[99353] 2020年 4月 6日(月)20:29:18ekinenpyou さん
東置賜郡高畠町
[99336]むっくん さん・[99341]MI さん・[99349]グリグリ さん

本件に関しての詳細はこちら63コマ(左ページ以降)参照のこと

1905(M38).1.13 改称 東置賜郡 高畠町 東置賜郡 高畑町


とありますが国側は通牒を出したM38.9.25改称許可(右ページ中央)とみなしているので、
この日付(あるいはそれ以降)とした方が(法的には※許可前に実施扱いにはできないはずなので)良いかもしれません。
(極めて特殊な事例であり山形県が改称として告示したかまでは未確認)

※詳細[86677]むっくん さんの
(C)市制町村制施行時(M22)~地方自治法施行以前(S22.5.2)
も参照のこと
[99332] 2020年 4月 3日(金)19:16:14ekinenpyou さん
Re:明治12年当時の北海道 北見国網走郡と釧路国網尻郡など
[99293]hmt さん
明治35年の北海道二級町村制で誕生した「網走町」を構成した旧町村の一つである「網走郡北見町」です。この町は、明治12年の公文録に記載されておらず、その実体が不詳でしたが、網走町の市街地部分でしょうか?


その通りと思われます、なお過去ログ検索では以下のようにありました。

[6060]グリグリ さん
現在の網走市の中心部を北見町としていましたが、網走町に取り込まれて字名も無くなったため、野付牛町が市制施行時に北見市を採用しました。この時、網走の住民から強い反対があったそうです。

[12313]三丁目 さん
網走市の古くからの集落は北見町と言い、現在、条・丁目が採用されている地区にあたります。


M35合併後は大字北見町となり大正末期に消滅
網走市歴史年表の大正時代北海道市町村行政区劃. 昭和17年10月1日現在も参照のこと

記載がなかった原因を推測すると、明治12年から35年の間に【例えば】網走村からの分割 or 分立により誕生していたのか? それとも、公文録の記載漏れか?


沿革類聚布令目録 : 沿革類聚. 明治23年編纂(国郡町村(附)大小区画)よりM14.11.15誕生と思われます。
開拓使事業報告. 附録 布令類聚上に布達本文あり
網走市歴史年表の明治時代北海道史. 管轄略譜・年表・統計表の記述も同じ

[99288]hmt さん
北海道における 郡区町村編制法の実際の施行日は、M12/7/28? との疑惑。


完全に疑惑を払拭できるかわかりませんが、M12.7.23布達により施行で変更は無かったと思われます、以下資料参照
記録材料・開拓使第五期報告書
北海道史. 管轄略譜・年表・統計表の記述も同じ

※開拓使時代の管轄変遷については開拓使事業報告. 第1編も参照のこと

[99289]YT さん
戦前の『広島県史』の記述と、公文録の記録からすると、広島県 甲第137号布達が出されたのは明治11年11月1日の可能性の方が高いと思います。


こちら(13コマ)でも布達本文までは記されておらず(確証が持てなかったので)疑問としておきましたが、
的確な調査回答を示していただきありがとうございました。
[99290] 2020年 3月 23日(月)19:16:08【1】ekinenpyou さん
Re4:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
引き続き、[99252]MI さん・[99259] むっくん さん関連
(上記引用文中「第貳拾貳號」とは明治13年5月5日太政官布告第22号のことで、各府県の郡分割などを示したもの。)


法令全書のリンクはこちらですが、
後に出版された府県及北海道境域沿革一覧では、この布告を以て(郡区町村編制法施行に伴う)
郡区の新設・分割・改称が行われたという説明が複数あります、これについては不適切とみて良いでしょう。

(一例)沿革図表(M13の箇所)・愛知県(名古屋区設置・設楽郡、加茂郡、春日井郡の分割が同時扱い)

【参考】例えば日本全国郡区分人口表(M12.1.1現在)(国刊行の戸籍統計・M13.3編纂)では
既に多くの府県で新しい郡区名になっている。(当然ながらM13.5.5布告以前から存在していた点明白)

※ただし長野県(M12.1.4郡区町村編制法施行)はM13.1.1現在(M14.3編纂)から、
愛知県はM13.2.5春日井郡分割(東春日井郡と西春日井郡)を同じくM13.1.1現在から反映している。

また、滋賀県はM13.5.29浅井郡の分割(東浅井郡と西浅井郡)がM13.1.1現在には反映されず
M14.1.1現在(M15.2編纂)から反映している。

同書で区名のそばに郡名も併記されているのは何故か?
新旧名対照という目的もあるかもしれませんが、恐らく以下のような理由からです。
東京府下区郡ノ改正ハ行政上ノ区域ニテ地理上ニ於テハ旧ノ郡界ヲ存ス

【おまけ】滋賀県浅井郡の分割についてなど(以下、最初の投稿内容で説明に不備・不足があったので若干修正あり)
[99252]MI さん(従来の浅井郡は2つ)
明治12年の時点では浅井郡が2つあったが郡役所の名称だけは東西を付けて区別していた。13年に郡名も東西を付けて文字通り別の郡となった、と判断することにしました。

[99259] むっくん さん(従来の浅井郡は1つ)
滋賀県 甲第61号布達 M13.5.29 浅井郡→東浅井郡、西浅井郡


上記の通りお二人の見解が少々分かれておりますが、資料によっても説が若干異なっており

東浅井郡志. 巻3(S2発行)の左ページでは
従来は便宜上郡名を東西に分称→M13.5.5太政官布告第22号により完全に分割
(ややMIさんの解釈と近い?ただし従来の浅井郡が2つとまでは明記していない)、
滋賀県沿革略誌(M23.9出版)の右ページ真ん中付近では
5.29浅井郡に東西の字をつけて2郡に分割 (むっくんさんの解釈とほぼ同じ?)という内容になっています。

※東浅井郡志では便宜上郡名を分称とあるが郡役所名に使用されたぐらいなので、比較的通称?として
浸透していたらしく、滋賀県管内浅井郡誌(M13.3)その1その2にも記載が見られる。
また現行滋賀県布令類纂の内容はごくまれに誤記や後に変更した内容に置き換わってしまっていることがあるので、
郡長任命時の記述(57コマ)も確認したところ、確かに「東浅井郡郡長」「伊香・西浅井郡長」とあった。

(M13.5.5太政官布告第22号で)国側が東浅井郡、西浅井郡と布告を出してしまった原因ですが、
前述(紛らわしい郡役所名を記した布達)のほか岐阜県の石津郡のように地理的な要因もあり、
(郡区町村編制法施行に伴い)分割されたと誤解されたのかもしれませんね、
参考として布告第22号が出た頃に国が作成したと思われる地図のリンクを示しておきます。

公文附属の図・一八〇号 大日本分国輿地全図(郡区編制全ノ図)
公文附属の図・一八一号 府県新設区ノ図

以上で関連投稿を一旦終えます。(他にも書けることがありますが、いつごろ投稿するかは検討中)
[99285] 2020年 3月 22日(日)10:37:15ekinenpyou さん
Re3:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
(大区小区制が廃止され)郡区町村編制法施行の布達が使府県より出されると、
ほぼ同時期に郡区長が置かれるという点はご存知の通りかと思いますが
当時の(郡区長)任命に関する記録(履歴)が多くの府県で残されており、いくつか実例を示します。

[99264]YT さん関連
熊本県(M12.1.20施行)(9コマ)・茨城県(M11.12.2施行)(199コマ)
新潟県(M12.4.28施行)(17コマ)・長野県(M12.1.4施行)(1および8コマ)

[99263][99270]白桃 さん関連
愛媛県(M11.12.16施行)(76コマ)・和歌山県(M12.1.20施行)(5コマ)

以上の通り、(おおむね)布達の日以降に任命を行っている事実が確認できますので
(郡区町村編制法)施行時期の実態を把握するという点で参考になるかもしれません・・・

【おまけ】[99259] むっくん さんで示された表について補足

高知県 甲第267号布達 M11.12.6 M12.1.1

上記の布達の後、甲第278号布達(M11.12.14)でM12.1より実施と示された。

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)
[99282] 2020年 3月 21日(土)10:44:40ekinenpyou さん
Re2:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
昨日の続きです。(つなげると1投稿が長くなるので別投稿に分割しました)

[99252]MI さん
大島郡だけは同年4月8日太政官布告第15号で
鹿兒島縣管轄大島喜界島徳ノ島沖永良部島與論島ヲ以テ大島郡ト爲シ大隅國ヘ被屬候條此旨布告候事
とありますので、これのみ4月8日としました。

[99259]むっくん さん
(大島郡) 太政官布告第15号 M12.4.8 M12.4.8


上記は当方も郡設置を以て郡区町村編制法施行とみなしているのですが、初代郡長はM12.7.1に任免されている
らしく、この日を(郡役所設置&行政区画としての大島郡発足)施行日としているケースもあるようです。

大島郡 (鹿児島県) - Wikipedia

【参考】
日本の国郡区域と新しい広域行政区画の展望 - J-Stage(6~8コマなど)
奄美大島史その1その2
[99279] 2020年 3月 20日(金)19:48:06ekinenpyou さん
Re:郡区町村編制法時の各府県布達(ver.4)など
同日別投稿で失礼します、[99259]むっくん さん [99264] YT さんに補足
開拓使 乙第4号布達 M12.7.23 M12.7.23


リンク先のものは本文が大幅に省略されておりますので
こちら(2コマ)も参考になるかと思います。

熊本県 甲第5号布達 M12.1.20 M12.1.20


『新熊本市史』は、現在熊本市の主な境域となっている熊本区・飽田郡・詫摩郡分しか掲載しておりませんが


こちら(3コマ)に全文掲載されています。

新潟県 甲第42号布達 M12.4.28 M12.4.28


同日に甲第42号布達と甲第43号布達が出ており、郡区役所位置は分けて公布したようです。ただ最初に確認した『新潟県史 資料編15 近代三 政治編I』の方では「「県治報知」明治十二年」を典拠とする甲第43号しか収録されていなかったため、非常に混乱しました。困ったことに、『新潟県史 別冊1 年表・索引』の方では、以下のように謎のM12.4.9という数字が登場してしまいます。


甲第42号布達がM12.4.28であることが間違いないならばそちらが妥当と解釈します。
([99252]MI さんでも異論は示されなかった)

【参考】
新潟県郡区長ヘ委任条件并郡区名称区域表ノ件二条(9コマ)
南魚沼郡志その1その2

なお、新潟県のM12.4.9大区小区制廃止説については以下など色々拡散中のようですね・・・
新潟県年表を調べる明治11年~明治20年(PDF形式:385KB)
郡区町村編制法 - Wikipedia
[99278] 2020年 3月 20日(金)10:44:46ekinenpyou さん
Re:「茨城県民の日」の日付など
[99256]hmt さん
上記[55178]からのスレッド記事として、Issieさん [55181]、hmt [55199] があります。
古い日付の扱いに関して、参考になることもあると思うので、関心のある方はご一読いただければ幸いです。


本件ある程度目を通しました、以下コメントしておきます。

[55199]hmt さん
山川の便覧では、入間県だけが1日早くなっている


個人的には太政官布告594(M4.11.14)を根拠とみていますが、
M4.11.13説も色々と拡散しているらしく、例えば入間県 - Wikipediaでも
(明治4年太政官布告第594号と記載があるにも関わらず)そのようになっています。
(地方沿革略譜も同日でその影響を受けた???)

このズレが何故生じたかについて当方で推測している内容は以下の通りです。

1・M4.11.14前日付の太政官日誌(M4.11.13)で布告に先立って長官(県令など)が任命されている記述がある。
(法令全書には併記されない内容)

2・(廃藩置県より前、府藩県三治制当初の)法令には府県設置明記の記述が見あたらず、
(辞令の時点で設置とみなしている)ケースがある。

参考・2)最初の府県(Issieさんのサイト) より
「法令全書」が付した注のように,各府県を設置したことを明記する布告は見られない。したがって,「法令全書」では各府県知事の辞令をもって「府県の設置」としている。


以上より、地方沿革略譜で(入間県の執筆を担当した方に)前倒しで長官の任命されたM4.11.13が置県と
解釈(誤解?)された。ただしこの解釈は(法令として翌日付の太政官布告が存在していることもあり)異端であり、
埼玉県など多くは(布告通り)M4.11.14が置県と解釈された。(後年作成の法令全書でも注釈は入らず)

当時の府県の変遷(日付)には色々と面白いものがあり、書ききれなかったので日を改めて別途投稿予定です。
(過去ログと重複しないようにしたいとは思いますが、完璧には検索しきれない点もあるのでご容赦ください)
[99260] 2020年 3月 16日(月)18:49:07ekinenpyou さん
既存47都道府県の成立(設置)日について
簡単なものですが下記に示しておきます。(東京は府の成立日とした)
「地方沿革略譜」に記載のあるものは和暦の日付をクリックすると説明頁が表示されます。
(同書の詳細は[85015]hmtさん参照のこと)

道府県和暦西暦法令全書【おまけ】
北海道M19.1.2718860127布告118860126
青森県M4.11.218711213太政官布告56618760525
岩手県(※1)M4.11.218711213太政官布告56618760525
宮城県(※2)M4.11.218711213太政官布告56618760821
秋田県M4.11.218711213太政官布告56618711102
山形県M4.11.218711213太政官布告56618760821
福島県(※3)M4.11.218711213太政官布告56618760821
茨城県M4.11.1418711225太政官布告59418750507
栃木県M4.11.1418711225太政官布告59418760821
群馬県(※4)M6.6.1518730615太政官布告21418760821
埼玉県M4.11.1418711225太政官布告59418760821
千葉県M6.6.1518730615太政官布告21418750507
東京府※M4.11.1418711225太政官布告59418711114
神奈川県M4.11.1418711225太政官布告59418760418
新潟県M4.11.2018711231太政官布告60818760418
富山県M16.5.918830509太政官布告15同左
石川県(※5)M4.11.2018711231太政官布告60818760418
福井県M14.2.718810207太政官布告3同左
山梨県M4.11.2018711231太政官布告60818711120
長野県M4.11.2018711231太政官布告60818760821
岐阜県M4.11.2218720102太政官布告61418760821
静岡県M4.11.1518711226太政官布告60218760821
愛知県(※6)M4.11.2218720102太政官布告61418721127
三重県(※7)M4.11.2218720102太政官布告61418760418
滋賀県(※8)M4.11.2218720102太政官布告61418760821
京都府M4.11.2218720102太政官布告61418760821
大阪府M4.11.2018711231太政官布告60918711120
兵庫県M4.11.2018711231太政官布告60918760821
奈良県M20.11.1018871110勅令5918871104
和歌山県M4.11.2218720102太政官布告61418711122
鳥取県M14.9.1218810912太政官布告42同左
島根県M4.11.1518711226太政官布告60118760821
岡山県M4.11.1518711226太政官布告60118760418
広島県M4.11.1518711226太政官布告60118760418
山口県M4.11.1518711226太政官布告60118711115
徳島県M13.3.218800302太政官布告6同左
香川県M21.12.418881204勅令7918881203
愛媛県M6.2.2018730220太政官布告6018760821
高知県M4.11.1518711226太政官布告60018760821
福岡県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
佐賀県M16.5.918830509太政官布告15同左
長崎県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
熊本県(※9)M4.11.1418711225太政官布告59518760222
大分県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
宮崎県M16.5.918830509太政官布告15同左
鹿児島県M4.11.1418711225太政官布告59518760821
沖縄県M12.4.418790404太政官布告14同左

※1)M5.1.8(18720216) 太政官布告1で盛岡県から改称
※2)M5.1.8(18720216) 太政官布告1で仙台県から改称
※3)M4.11.14(18711225) 太政官布告593で二本松県から改称
※4)M9.8.21(18760821) 太政官布告112で熊谷県から改称
※5)M5.2.2(18720310) 太政官布告31で金沢県から改称
※6)M5.4.2(18720508) 太政官布告108で名古屋県から改称
※7)M5.3.17(18720424) 太政官布告85で安濃津県から改称
※8)M5.1.19(18720227) 太政官布告14で大津県から改称
※9)M5.6.14(18720719) 太政官布告178で熊本県から(白川県へ)改称&
M9.2.22(18760222) 太政官布告19で白川県から改称

※地方沿革略譜ではM4.11.3(18711214)

(取り急ぎ)短時間作成のためミスなどがあると思いますがご容赦ください、本格的なものは
府県の変遷(Issieさんのサイト)などを参照のこと

【おまけ】[99241]MIさんで示されたリスト(ctv_total_pref)との対比も示しておきました。
(成立時をいつにするかの解釈の違いがありますので多くは一致しませんが・・・)
[99255] 2020年 3月 15日(日)10:27:36ekinenpyou さん
Re2: 郡区町村編制法による郡の制定
[99252]MI さん
チラ見ですが、下記に関連する日付のずれ?がまだ残っているようでした。

[99189]むっくん さん
公文式(M19.2.26)第十条では
凡そ法律命令は官報を以て布告し官報各府県庁到達日数の後七日を以て施行の期限と為す
とありますので、法律と勅令は裁可され、その後に官報に記載されて初めて公布されたことになります。


東蒲原郡の移管(M19.5.10裁可→5.12公布)

【おまけ】市制施行日・市の誕生日・市名誕生日というものはありますが、
既存47都道府県の誕生日も調べてみると結構面白いかも・・・(以下のような事例があったらしいので)

「茨城県民の日」は県誕生の日ではなかった!! 本当のお誕生日は明日11月14日!「1日ズレていた」ことに30年以上県も気付かず ロケットニュース24

【参考】M4.11.14太政官布告594(新暦では12.25)
(茨城)県民の日を定める条例
[99237] 2020年 3月 1日(日)10:00:28ekinenpyou さん
Re3: 北海道の郡など
[99235] MIさん
早速の解説ありがとうございます(北海道の郡増減基準が)理解できました、以上を踏まえますと

★の2郡はいずれも平成20年6月30日 条例78号で、
留萌支庁 天塩郡A 幌延町→宗谷総合振興局 天塩郡C 幌延町
胆振支庁 虻田郡A 洞爺湖町→胆振総合振興局 虻田郡C
★天塩郡Cは(520)幌延町で良いですが、★網走郡Bは(564)大空町と思われますがいかがでしょうか?

虻田郡洞爺湖町(01584)と勇払郡安平町(01585)、むかわ町(01586)のコードは本来の虻田郡(01571~01573)、勇払郡(01579~01583)の場所ではなく、胆振支庁の末尾に付加された形となってしまいました。


上記は(北海道に関しては郡ではなく支庁をひとまとめにしますので)コードの仕様です。

「全国地方公共団体コード」仕様より
6.2.5 北海道の区域内にある町村 : 301 から779 までの数字を、301~329、331~359、
……751~779 の29 ずつのグループに区分し、各支庁の所管区域にそれぞれのグループを割り当て、
各支庁の所管区域内の町村を、各グループの範囲内の連番号で表示する。


【おまけ疑問1件(ctv_total_pref.xlsx)】
[99157] MIさん
市制・町村制以前はカウントしておりませんので


とあるので、札幌区・函館区のカウントは市区町村変遷情報に倣い
明治32年(1899年) 10月1日 北海道 北海道区制施行 3区設置以降とすべきではないでしょうか?

01北海道
18971105 +19支 +88郡 +2區
18991001 -1支 +1區

18971105 +19支 +88郡
18991001 -1支 +3區
[99233] 2020年 2月 28日(金)18:50:54ekinenpyou さん
Re:北海道の郡など
[99223] MIさん
明治24年時点での史料


北海道の郡数については法令全書. 明治2年で示された数から増減を行って(=86+3-2+1)88郡としているはずです。

なお、都道府県の市区町村数(2019年(平成31年-令和元年))
[99217] MIさんで示されたファイル内容には下記の相違点があるようです。
(現在の郡数・区数は)以下の通りではないかと思われますがいかがでしょう?

・01北海道 78郡とあるが64(+5)=69郡ではないか?
(78郡をどのように数えているのか?複数支庁にまたがる郡を別々としても不足がある)

・14神奈川 29区とあるが28区ではないか?

他、ctv_total_pref.xlsxの日付毎というシートで"20191001"と入れると内訳がマイナス値になる
箇所があるようです。(この点は[99195]で公開されたものでは問題なし)

以上、ご確認をお願いいたします。
[99220] 2020年 2月 25日(火)19:16:46ekinenpyou さん
Re:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)など
予定外ですが取り急ぎコメントしておきます。

[99217]MIさん
更新ファイルを拝見しました、(想定外に)迅速な対応恐れ入ります、ありがとうございました。

伊豆七島などは所属する郡がないわけです。ところが郡が空欄のままですと記入漏れと区別がつかないので、便宜上ハイフン(-)を郡名の代用としております。そして更にはその郡の「成立日」も必要となる


上記内容もおおむね理解しました、一つ気になりましたが北海道の郡を1897(M30)1105以降から
計上対象としているのも独自の仕様ということでよろしいでしょうか?
【参考】大日本帝国内務省統計報告. 第7回(M24.12.31現在の北海道郡数は88)

[99218]グリグリさん
更新が必要な点については当方の認識と一致しています。
※以下は、今後都道府県別内訳も示す場合は必要

18930401 (+3郡 -3郡 +7町 -7町 +84村 -84村) 14神奈川→13東京

なお、[99217]MIさんで示された新しい都道府県別ファイル(ctv_total_pref.xlsx)では
東京の市町村計上から上記内容が欠落しているのを確認しておりますので

5 1922 8 17 +1市 -1市 北海道の4支庁の改称?


あたりも(改良に伴う)影響があったのかもしれません、当該箇所の内訳増減は無しで良いと思われます。

以上お手数ですが、お時間のある時に確認をお願いします>MIさん
[99195]で公開されたものも控えてあるので個人的には特に支障はないです)
[99208] 2020年 2月 23日(日)18:47:10ekinenpyou さん
Re4:北海道の市区町村数推移の照合(1922年8月17日まで)
[99195]MI さん
年月日(YYYYMMDD)を8桁の半角数字で入力すると、その当日における各都道府県の市区町村数および全国の市町村数を表示するようにしてみました。


上記新ファイル&優れた新機能?を拝見しました、(それを踏まえて1つ)お伺いしたいのですが・・・

現状では名称の改称、所属郡・支庁の変更、北海道の2→1級町村への変更など
市区町村数の内訳に変化が生じない場合もプラス・マイナス1として増減の列に含めて表示していますが、
これらを別計上として表示させることは(元データの作りの関係で)難しいのでしょうか?

一例を挙げますと、[99185]MI さんの
19090401 +1町 -1町 +28村 -8村


こちらを
19090401 +20村 (市区町村数の内訳変化を生じないものは)+1町 -1町 +8村 -8村

のような形で表示させるということになります、もし容易に実現できるならば
(市区町村変遷情報)で市制町村制施行時と施行時以降の履歴情報を別々にしているので

19090401 +1村 新規施行は+19村 (市区町村数の内訳変化を生じないものは)+1町 -1町 +8村 -8村

といった具合に表示できるようになると、一部拙稿[99174]の繰り返しになりますが

[99173]グリグリ さんの
改称や郡変更だけの変遷日については一覧からは除いたほうが良いのではと考えています。


複数の合併が重なってたまたまプラスマイナスゼロになるようなケース(例:1894.7.23の分立で+1村、新設で-1村)についても、市町村数の遷移という趣旨からは変化なしとして除くという考えもあるかもしれませんが、さすがにこのようなケースについては残したほうが良いと考えます。


といった条件にあうものを(データ利用者側で)容易に抽出できるため価値がより高まると思われます。

【おまけ】全国版(13東京)の19080201は増減の列に何も書かれていませんが、必要な行なのでしょうか?
このあたりを見る限りでは・・・(残りは後日コメント予定)
[99179] 2020年 2月 16日(日)15:59:55【2】ekinenpyou さん
Re:下蒲刈、宇島、多良見、小長井など
[99177]MIさん
度々の確認&解説お礼申し上げます。
※1下蒲刈島村・宇島市の改称2例は(正誤情報などが一切無ければ※2地元の見解が異なっていても)
法的には告示の文章通りかもしれません、実態として国調の廃置分合情報は告示内容をベースにしたものです。

【参考】(1)(PDF21コマ)・(2)(PDF16と17コマ)

※1)拙稿[99176]で34広島「19620101 +1町 -1村?」としたが「19620101 +1町 -1町 -1村」の誤り
(既に別投稿で引用されているので修正はせずこちらに記載)

※2)原因として都道府県公報で別途告示する場合がありますが(国の告示と)内容が異なっているのかもしれません
(告示内容の修正を希望したが国側にうまく伝わらなかったなどなど理由は色々考えられますが真相は???)

[99173]グリグリさん
当サイトの変遷情報と改称日などの日付が一致していないデータもあるため、MIさんのデータを元に今後確認させていただければと思います。


前述のような例において、市区町村変遷情報も揃えて変更するかどうかについては判断が難しいと思われます。
(この点は恐らくMIさんも類似の見解でしょう)
(下蒲刈島村・宇島市の改称2例は)どちらの日付でも数の推移に影響はないのでそのままでも良いですが、
影響を及ぼすケースもあり得ます(S27.9.1より前の古い年代のものになると判断が難しいものが多くなる)、
どのあたりまでの精査をご希望でしょう?
(その都度MIさんに説明をしてもらうのは負担が大きいと思われますので・・・)

【以下、追記】
【参考】当該年次に近い2つの県統計年鑑記述は下記の通りで国の告示と異なる
広島県統計年鑑(S37)、4市町村の変遷(382KB)(Excel文書)tone-b03.xls

下蒲刈島村 昭和37年1月1日 町制施行,名称変更

ファイル冒頭に以下注意書きあり(一部そのまま引用、原文の「不備もあるここと」→「不備もあることと」?)
 この表は,昭和29年4月までは県地方課の資料を基にし,それ以降は官報・県報告示を調査して極力現況に添うものを整備したが,なお不備もあるここと思われるので利用の上では留意されたい.


福岡県統計年鑑(S31)、本編その1(PDFファイル)2コマ

宇島市(昭和30年4月14日豊前市と名称変更)
[99176] 2020年 2月 15日(土)20:14:20ekinenpyou さん
Re:鯖江市、近江八幡市など
[99175]MIさん
鯖江市が「鯖」の漢字表記を改めた(というか統一した)というものでした。

承知しました、字体の細かい変更ですがH23の蓮田市のような例は告示されているので(廃置分合は)有効ですね。

[83614]むっくんさんで
市の新設・廃止を伴わない場合においても、市町村の廃置分合の法的根拠が総理府告示となったのは、この法改正が為された昭和27年9月1日以降と言えます。
とあるので、区切りのいいところまでもう少しだけ遡って出しておきます。(S27.9.1~44.12.31)

34広島
19611228 +1村 -1村
19620101 +1町 -1町 -1村

19620101 +1町 -1村?
【参考】こちら(PDF13コマ下方)

40福岡
19550413 +1市 -1市

19550414?
【参考】(1)(2)

42長崎
19651113 +1町 -1村

19651123?

19661001 +1町 -1村

19661101?
【参考】(1)(2)

※ここまでは市区町村変遷情報も当方と同一見解です
[99174] 2020年 2月 15日(土)15:04:57【1】ekinenpyou さん
Re:「全国の市区町村数の推移」リリース!など
[99173]グリグリさん
改称や郡変更だけの変遷日については一覧からは除いたほうが良いのではと考えています。
ということで理解しました、いきなりですみませんが
廃置分合等情報を探す 政府統計の総合窓口のS45.1.1以降などとの違いで気が付いた点から・・・

47沖縄
19720515 +10市 -10市 +5郡 -5郡 +6町 -6町 +38村 -38村

のような例も除外(削除対象)としても良いということですね?なお以下のような事例があるようなので
都道府県版の作成は(全国版と連動しているので)少し待ったほうが良いかもしれません

[99172]MIさん
18福井
19930401 +1市 -1市

というのが詳細不明で、
25滋賀
20100322 +1市 -1市 -1町

20100321【参考】H22面積調(77コマ)

ではないかと思いますが、いかがでしょうか?
(あま市の新設は3.22で良いので、全国版も3.21の行追加・分割が必要?)
[99169] 2020年 2月 13日(木)18:36:03ekinenpyou さん
Re2:全国および各都道府県の市町村数推移一覧表など
[99168]MIさん
お忙しいところ些細な指摘ですみません
(多分実作業を行うグリグリさんも同じような疑問を抱いていたと思うので一応確認しました)、
対応についてはごゆっくりどうぞ、なお数の推移を知りたい場合、例えばレファ協では
こちらのような回答を出しているようですが

[99157]MIさんで
当初は『市町村名変遷辞典』などを参考にしていましたが、現在では各県公報や官報など極力一次史料にあたり正確なデータの蒐集に努めています。


とあり、(示されるデータは)既存のものとは一線を画した有用なものになっていると確信しております。
参考情報(都道府県市区町村)にもある
つかんぼやと※市町村変遷パラパラ地図との違いにも要注目ですね。(完全版には市町村数増減併記)

※現状で完全版にない新潟・岐阜・岡山は全域でM22に市制・町村制を施行済みであり
拙稿[99156]で示した資料でもある程度数の推移を把握可能
[99166] 2020年 2月 12日(水)19:26:36ekinenpyou さん
Re:全国の市町村数推移一覧表など
[99157] MIさん
標題のデータを(少しだけ)拝見いたしました。
政府統計の総合窓口※市区町村数を調べるでも1970(S45).4.1以降は日ごとのデータを得られるので
(市区町村数はそちらと)同一のものと思っていたのですが1972(S47).5.15以降に沖縄県(本土復帰)、
1983(S58).4.1以降に北方領土6村(推定)が計上対象となっているので若干差異があることに気がつきました、
当方も類似データを構築してあるので参考にさせていただきます。

※市区町村数以外では、支庁(振興局)等・郡をどこまで数えるかが異なる

[99159] グリグリさん
ページ編集の過程でデータは加工することになると思いますが、市区町村の捉え方が当サイトの変遷情報とおそらく整合しているようですので、レイアウト編集が中心になると思います。


恐らく都道府県別の集計データで対応がなされるはずですが、市制・町村制施行時点からカウント対象とする場合は
18890301(+31町 +305村)・18890331(+1市 +40町 +335村)の2点を18890401へ移しそれ以前を削除して、
20161010(-1町 +1市)・20181001(-1町 +1市 -1郡)の2点を末尾に加えれば全国の分は完成するでしょうか・・・
(細かい点はデータができてから必要に応じてコメントしたいと思います)

いずれにしても無理のないペースで作業を行っていただければと・・・
[99156] 2020年 2月 10日(月)20:43:18ekinenpyou さん
Re:全国の市町村数など
[99155]hmt さん

1-12表 都道府県別市区町村数(エクセル:65KB)

そちらのエクセルですが原資料名「国勢調査」とあるので、恐らく下のデータと同じだと思われます、
国勢調査最終報告書にH22まで付属しているのを確認しています。(H27未見)
【参考】3 都道府県の市区町村の推移(大正9年~平成17年)(エクセル:88KB)

過去に遡って「町村制施行以来の全国市町村数の経年データを求める」

以下の資料類が現存しております。(2系統に分けてご紹介します)

※1【内務省統計報告、記録材料・功程報告・内務省】M21.12.31(2コマ)・M22.12.31(3コマ)・M23.12.31

上記でM21.12.31の町数は12,316、村数は58,998とあり合計は71,314で、
総務省サイトの市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴にある
明治21年 - (71,314) 71,314

と一致します、なお
明治22年 39 (15,820) 15,859

とは一致しませんが、内務省統計報告(第7回)の右側にM22.12.31現在の市町村数がありそれと同じです。
したがって内務省統計報告の第5回に道府県別内訳が記されているかもしれませんが、
同書の第3~6回は未見のため記録材料・功程報告・内務省で代用しました。

※2【日本帝国統計年鑑】M21.12.31M22.12.31(その1)(その2)M23.12.31

双方の資料群は若干異なる箇所があり、※1はM22~29まで町村別内訳が無く※2はM22~29まで沖縄県の区村数が記載されておりません、またおおむね道府県別の市(区)町村数内訳は一致しておりますがしばらくの間完全には一致せず、T4.12.31現在で初めて(市区町村数内訳まで)一致します。

【参考】
大日本帝国内務省統計報告. 第31回
日本帝国統計年鑑. 第三十五

【以下、謎々が得意な方向け?おまけ】
戦前の国勢調査報告(S10)において全国市町村数が国勢調査最終報告書(H22)と完全に一致しないのは
なぜでしょうか???(複数箇所で異なるので資料の誤植ではありません)

1920(T9) 12,244 → 12,244(ここだけ同じ)
1925(T14)12,018 → 12,019(以降、国勢調査報告S10では+1)
1930(S5) 11,864 → 11,865(+1)
1935(S10)11,545 → 11,546(+1)
[99152] 2020年 2月 8日(土)20:18:05ekinenpyou さん
Re:「都道府県の人口」サブメニュー独立など
[99147]グリグリさん

出典に使われている総務省統計局の統計データ(日本の長期統計系列)なのですが今年に入り削除されたようですね・・・
詳しくはこちら

【おまけ豆知識?】
[99130] YTさんで「1944.2.22銃後人口」と強調されているのでご存知の方も多いと思いますが、
1940(S15).10.1国調の人口73,114,308人は(他の国調とは異なり)銃後人口ではありません(以下PDFより一部引用)

昭和15年の調査では,軍人・軍属等についてはそれらが海外にいるか否かを問わず,全てその家族などのいる応召前の住所で調査した。したがって,これらの軍人・軍属等を含めた「全人口」及びそれらを除外した「銃後人口」が集計されているが,本書には全人口を掲載した。


例えば※日本の長期統計系列(第2章人口・世帯)の2-5都道府県,男女別人口などでは
全国人口を71,933,000人としており、エクセルファイル末尾に下記の通り解説があります

国勢調査の「全人口」73,114,308人(男36,566,010, 女36,548,298)から,外地にいた軍人・軍属等の推計数1,181,321人(男1,178,660, 女2,661)を差し引いて 得た補正人口。


【参考】
昭和15年国勢調査昭和15年国勢調査の概要,調査の範囲及び用語の解説(PDF5コマ)

昭和15年国勢調査人口 全国,道府県
(こちらは軍人・軍属等1,694,428人の全数を差し引いて銃後人口を71,419,880人としている、
前述エクセルで外地にいたと推定される1,181,321人を差し引いているのとは異なるので注意)

※2-7都道府県・市部・郡部別人口,人口密度,人口集中地区人口及び面積では73,114,308人を
採用しておりますので特にサイトコンテンツの修正は不要です。
[99144] 2020年 2月 1日(土)20:05:33ekinenpyou さん
Re:国勢調査報告書の情報の劣化?など
[99130] YTさん
「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」に記入されている平成22年10月2日以降の異動は以下の相模原市~町田市のみです。


お忙しい中お手数おかけしました、人口異動を伴う境界変更一覧に関する報告ありがとうございます。
現状は当該国調における(前回国調の)組替人口と確定人口に相違があった場合に(人口異動が生じた旨の)
都道府県告示を探すという方法で対応しておりますが、今後も継続するということになりそうです。
(政令指定都市の区内のみの人口異動や、差引異動人口がゼロとなる場合など完璧に把握できるか不確実な要素あり)

【以下、過去ログと重複する箇所も多いと思うので、蛇足?】
(人口異動が生じた旨の)告示内容については[81944][81945] むっくんさんにて詳細な解説がなされておりますが、
(戦前から戦後間もなくの)国勢調査報告では境界変更を含めた廃置分合情報(T8.1.1以降)および過去国調の組替人口が一部年次で示されているものの、具体的な人口異動の内容詳細については戦後の※S25国勢調査報告(都道府県別冊子)以降に継続して掲載されるようになったので、(人口異動が生じた旨の)都道府県告示が存在しているが国調の組替人口などへの反映自体が漏れているケースも若干あるように思われます。(特にT9.10.2~S25.10.1までの期間)

※恐らく全国分はダウンロード可能な形では提供されていませんが、一部抜粋したと思われるものとして三重県統計書が閲覧できます。(各回国勢調査人口(市町村別)もありますが、S10国勢調査報告の市町村別人口などと異なり組替人口ではないので注意)

また、国勢調査が始まる前は人口異動を伴う境界変更一覧を示した国作成の資料は恐らく存在しておらず、
廃置分合情報を記した郡市町村廃置分合表という資料(M31.12.31以降)のみ刊行されていましたが、
境界変更に関する記載内容は少々頼りない(誤解を招きやすい?)箇所もあります。

例えばT5.4.1の尼崎市設置では尼崎町(原文)が単独で市となったように記されていますが、
内務省告示第15号(左上中ほど)では立花村の2大字も区域に含まれます。

市区町村変遷情報では前述のような例は当然正しく表記されておりますが、
(郡市町村廃置分合表でほぼ掲載対象外となっている)合併などを伴わない単なる境界変更については
(市区町村変遷情報で)掲載対象としている基準

細かい事例を含めると膨大な数になるため、概ね大字単位のものおよび実質的に「分割」に相当するものだけを独自の判断で選択し掲載している


とありますので、こちらのような村の一部を編入したケース(M37.12.14/M41.10.1など)はある程度まとまった人口異動を伴っていても(市区町村変遷履歴情報の)掲載内容には含まれない場合もあり得るので、(関心のある方は)各人で把握してまとめておくと良いでしょうか・・・
[99129] 2020年 1月 28日(火)19:39:45ekinenpyou さん
可住地面積など
[99116]グリグリさんで都道府県別のデータを更新していただきましたが少々補足

こちらで各種データを抽出&ダウンロードできますので、下記のような市区町村別のデータも簡単にわかります。
(1km2=100ha=1,000,000m2で換算)

【1】茨城県高萩市(2015国調人口29,638)に対応する可住地面積は37.39km2で面積1km2当たり人口密度は792.7
また1985国調人口33,968に対応する可住地面積は35.76km2で同上人口密度は949.9

【2】沖縄県嘉手納町の総面積(2014年度)は15.12km2(うち可住地12.50km2/主要湖沼0km2/林野2.62km2)で
※評価総地積(課税対象土地)は10.65km2(うち宅地1.10km2)

評価総地積の地目についてはこちらを参考(地目の宅地とはいわゆる住宅地だけではないので注意)

データによって提供年度や作成内容・方法に違いがあるようですので詳細を知りたい場合は
基礎データ項目定義より項目定義指標計算式および、
整備している項目の基礎データ項目一覧(エクセル形式)をご確認ください。

【少し長めのおまけ】
拙稿[99102]の補足としてS22.11末→24.1末→25.12国調における那覇周辺の市町村別人口も示しておきます。
(S24.1末人口の出典は対米国民政府往復文書 1949年 受領文書の93コマ
Vital Statistics in January 1949 1949/03/18)

首里 17,864 → 17,843 → 20,014
真和志 12,840 → 14,796 → 30,935
那覇 13,593 → 22,045 → 44,790
みなと 7,086 → 8,653 → 那覇
小禄 11,913 → 12,175 → 12,923

那覇(みなと)・真和志の人口急増は同時期ではなく若干タイムラグがあったらしい、
今昔マップで見ればその理由が何となく推測できるでしょうか・・・
[99122] 2020年 1月 27日(月)19:05:29ekinenpyou さん
戦中・戦後の東京都(府)区部の人口についてなど
[85612] YT さん
昭和19年2月22日に日本の内地では、配給制度への備えを目的として銃後人口の人口調査を実施しました。その時の市町村別人口の詳細は戦後に『昭和19年人口調査 集計結果摘要』(1977年)として出版されておりますが、[82202]に示したように、東京都の人口に関しては、1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまっております。

[98110] YT さん
1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』において、東京都に関しては1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまった原因は、おそらく「昭和19年人口調査結果原表」に通し番号が振られた時期(1949年出版の『昭和15年國勢調査昭和19,20,21年人口調査結果報告摘要』のために整理されたと思われる)から、1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』のために「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化した時期までの約30年弱の間に、職員の誰かが東京都の部分の表3頁を抜き去ったまま、返さなかったことが原因と考えられます。


上記の詳しい経緯はわかりかねますが、S19.2人口調査における東京35区人口を記した資料は現存しています。
【こちら】
(付帯S16,17,18人口についてはこちらに算出方法など記載あり)

結論から申し上げますと、[85700][85612] YT さんで示された表でほとんど正解なので、
少々修正すれば区部合計はぴったり6,558,162人になるはずです、ご確認ください。

品川区+荏原区→品川区に関しては『昭和19年人口調査 集計結果摘要』よりも1人多く


6,558,162(-1)人になった原因は恐らくこちらの表に(当時としては大変?)お年を召された方が1人いらっしゃり、
カウント対象外になったからなどと推測してみますが真偽のほどは???

【そろそろ次回の国調なので?おまけ】
[90077][90092] グリグリさんで作成していただいた人口異動を伴う境界変更一覧ですが、
2010(H22)国調まで市区町村の境界変更一覧という形(PDF)で存在を確認しておりますが、
2015(H27)国調では見あたりません。

CD収録一覧の6コマ(参考)に
10 都道府県間境界変更一覧
11 市区町村合併情報
とあってそのあたりに記載があるのかもしれませんが、統計表(CD収録)には含まれていないようなので、
冊子媒体付属のCDを確認しなければならないのでしょうか???
[99106] 2020年 1月 22日(水)19:39:46ekinenpyou さん
Re:「動物名の入った市区町村」リニューアル
明治の町村制以前の町村名は除外という点は理解しているのでログに残すか迷いましたが・・・

[99097] グリグリさん
T7.2.1に既に北海道一級町村制が施行されていた室蘭郡室蘭町と合併した千舞鼈村は恐らく
爬虫類に該当はしませんね・・・

参考
市区町村変遷履歴情報 都道府県別一覧【北海道】
漢字辞典オンライン【鼈】
[99102] 2020年 1月 21日(火)19:05:31ekinenpyou さん
1947(S22)年の沖縄群島(本島)地方における市町村別人口について
表題の件、連日の投稿で恐縮ですが(以前投稿を予定していたものなので)別にしておきます。

[84957] hmt さん
仮に 1947年10月又は12月に国勢調査[40016]が実施されたとしても、みなと村の地域は含まれないことになりそうです。
しかし、みなと村分立(1947年5月)前の真和志村は、人口3万人以上の村であった可能性が大きいように思います。


沖縄県公文書館の所蔵資料に当時の市町村別人口調査結果がいくつか記載されていることを
確認しておりますので下記にリンクを示しておきます。

沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 5-3 1947年
240コマ 警察署管内人口調査表 1947/9/10
(S22.6.30現在とあり、246コマに警察署名称管轄地域も別途記載)
272コマ 1947年7月分人口動態報告 1947/9/27
(S22.6末および7末の市町村別人口、警察署調査のものと少々差異あり)

沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 5-4 1948年
86コマ 12月分人口動態調べ 1948/2/12
(S22.11末および12末の市町村別人口)

[84953] 白桃 さん
沖縄については、1947年の国勢調査に相等する人口調査はなく、1950年については「琉球列島軍政本部」に、1955、60、65、70年については「琉球政府」によって行われた人口調査の数値です。(従って、特に1950年に3万人以上を記録した具志川、真和志の1947年時の人口がどれぐらいであったか知りたいものである。)


国勢調査ではありませんのであくまで参考ですが前述S22.7末と11末のデータをいくつか並べると下記の通りです。

具志川 32,789 → 33,304

首里 17,908 → 17,864
真和志 12,458 → 12,840
那覇 11,919 → 13,593
みなと 7,283 → 7,086
小禄 11,314 → 11,913

※S25.8那覇へ合併
みなと村を除く周辺地域の那覇市への合併沿革はこちら
[99095] 2020年 1月 20日(月)19:00:09ekinenpyou さん
明治期以降、全国の市区町村数が最も長く変動しなかった(合併が無かった)期間についてなど
少々久々なのでウォーミングアップを兼ねて簡単な小ネタ(雑学?)などを投稿しておきます。
(過去にも話題になったかもしれません・・・)
タイトルの件、明治期に比べると市区町村数もどんどん減少しているので単純な比較は意味がないかもしれませんが
都道府県の市区町村数などをもとに調べてみると・・・

S54.2.1S59.12.1の2130日(3,278市区町村で変動なし)】

あたりが該当すると思われます(違っていたらすみません)、昭和の末頃の記録ですが平成の大合併などもあり恐らく?
現在でも破られていません。
しかしながらH26.4.5~現在まで市区町村の増減を伴う合併は行われておらず(1,741市区町村で変動なし)、
R2.2.4にはその継続状態が2131日となる見込みで記録更新は時間の問題と思われます、
その後はいつまで継続日数が伸びるでしょうか・・・

これだけだと寂しいので役に立つかどうかわかりませんが、以下おまけ

[98720]グリグリさん
で、差し引きすると1つ余ると思いますが、岩舟町を入れていました。^^;
駅データ.jpを使ってざっと確認したのですが、合併反映や廃駅などのデータ精度が今ひとつのようでした。

当方では当該データを精査しておりませんが、事業者のサイトの所在地も
下都賀郡岩舟町大字静和2143
のままなので、そういった内容が稀に含まれているのは仕方ないと思われます。
(データの多くが無償提供されているだけでもありがたいでしょう)

もしより精度の高いものが必要であれば、配布データベースをご自身で再度チェックして
誤りを修正したものを作成しておくとよいと思います。(以下、作成方法の一例を示します)

現状は駅データ.jpの仕様書(駅)の住所から市区町村を抜粋確定していると推測されますが、
緯度・経度の情報もあるのでこれをもとに住所に一括変換します。
(いわゆる逆ジオコーディングの方法は色々あるので解説は省きます)

得られた情報と駅データ.jpの駅住所を比較して市区町村で相違のあるものを※他の駅データベースサイトなどで確認
上記によりかなり精度は高まるはずですが、実際に地図や写真上で駅の位置を見てみるとどの市区町村を所在地と
するか悩ましい例もあり、新たに色々な疑問も湧きますのでそのへんはあまり深入りしないほうが良いです・・・
(事業者の届け出る駅住所には基準が一応ある程度存在するのですが、細かい説明は省きます)

※所在地の変遷情報に詳しいサイトには都区内全駅ガイド平成の大合併前・大合併後の各駅所在地変遷早見表
ありますが、こちらの駅のような最近の所在地変化にはまだ追従していないようなので、
Wikipediaの駅所在地情報などでも良いです。
[98106] 2019年 7月 11日(木)18:50:45ekinenpyou さん
Re:南房総市(南三原)、都道府県の人口・面積・人口密度など
[98096]伊豆之国さん
「南三原」は「みなみはら」で一つの地名か、と言うのではないようで、近所に「下三原」「中三原」「上三原」と言う地名があるので、この辺り一帯を「三原」と呼んでいたと推測され、「三原地区の南にあるから『南三原』か」、と考えられそうです。「市区町村変遷情報」を見ると、明治の町村制施行時に「朝夷郡(→安房郡)」に「南三原村」と「北三原村」があり、その「南三原村」を見ると、「上三原村(微)」と、南三原駅がある「松田村」の名があり(上三原村の本体は「北三原村」に。「下三原」「中三原」は見えず、後に分割・統合によりできた大字か?)

南房総市の地名「三原」の変遷履歴などはおおむねその通りと思われます、見事な推理でした。
【参考】千葉県安房郡誌(南三原村)

少し補足しておくと1877(M10)に中三原村&下三原村&沼村が合併(※1)し
御原村(実用帝国大字辞典(M36.3)左下での読みは「みはら」)となり、1889(M22)の合併時は南三原村(大字御原)
でしたが、その後(明治末期?に)江戸期より長らく使っていた(中三原・下三原)へ再度変更(※2)しているようです。

※1 千葉県甲号布達、M10.3.30甲第48号(96・98コマ)で郡誌記述と一致している点確認済
※2 郵便区画市町村一覧(M35.5)(真ん中下の方)と最近市町村明覧(M45.2)(右下)で大字名に違いあり
はっきりした変更年月日は不明ですが、今昔マップのM39.6.30発行地形図では御原ではなく中三原・下三原の表記

次に[98087]グリグリさん関連
総務省統計局・日本の長期統計系列の都道府県別人口、面積、人口密度について初心者向け補足

都道府県別面積(1-11)
北海道の(S15)までの面積(88454.09および88775.04)は千島列島の全域を含むもの
【参考】全国市町村別面積調(S10)北海道庁統計書

都道府県・市部・郡部別人口,人口密度,人口集中地区人口及び面積(2-7)
鹿児島県のS22人口・面積は1746305・9170.97ですが人口密度は(単純に割った)190ではなく223になっている。
(理由の説明は不要と思いますが、S22に国調が行われなかった沖縄・奄美の人口については後日関連投稿を検討中)

※その他、解説にもありますが、沖縄県における国勢調査は1950/1955/1960年の3回は10月1日ではなく
12月1日が調査日となっております。

【おまけ】臨時北部南西諸島政庁公報44号(1948.9.5)の2コマ右下に選出市町村長名簿(1948.6.15)があり、
若年で当選した首長の一覧に記載のある大島郡東天城村の重村一郎さん(当時の現職)の他、
宇検村と西方村(現在の瀬戸内町)にも20代と思われる村長2名(新人)が記されていました。(任期などの詳細未調査)
[97639] 2019年 4月 19日(金)18:52:55ekinenpyou さん
日本の有人離島(H27国調人口・関連小地域境界データなど)をGoogleマップに表示したものを公開
拙稿[96941][96961][96946]グリグリさんなどに関連する投稿です。

タイトルの件、完璧ではありませんがひとまず作成完了したので公開します、
地図上に表示(掲載)対象とした有人離島は法対象303+1=304・法対象外111※の合計415です。
(本州、北海道、四国、九州、沖縄本島の5つを除く)

北海道地方(北海道)

東北地方(宮城・山形)
関東地方(千葉・東京・神奈川)※伊豆・小笠原諸島を含む
中部地方【01】(新潟・石川)【02】(静岡・愛知・三重)
近畿地方(滋賀・兵庫・和歌山)
中国地方【01】(島根・岡山)※香川県直島町の井島を含む【02】(広島)【03】(山口)

四国地方【01】(徳島・香川)【02】(愛媛・高知)

九州・沖縄地方【01】(福岡・佐賀)
同上【02】(長崎a)西彼諸島など・平戸諸島(長崎市・佐世保市・諫早市・西海市・時津町)
同上【03】(b)平戸諸島(平戸市・松浦市・小値賀町)
同上【04】(c)壱岐・対馬
同上【05】(d)五島列島(五島市)【06】(e)五島列島(新上五島町)
同上【07】(熊本)【08】(大分・宮崎)
同上【09】(鹿児島a)奄美群島を除く【10】(b)奄美群島
同上【11】(沖縄)

※法対象外の有人離島ついては一覧が示されている資料が見つからなかったため、推測による不確定なものと
なっておりますのでご注意ください。
参考資料(H30.4.1現在)では法対象外112となっており1島のみ不足しているだけのように見えますが、
他にも(互いのリストに共通して存在しない島があるなど)相違点が存在している可能性があります。

地図の見方については見ただけでおおむね理解できると思いますが以下、簡単に補足しておきます。
表示できる内容は有人離島一覧(地図上で赤枠境界表示)と、島の領域が含まれるH27国調小地域一覧
(地図上で黒枠境界表示、有人離島領域外も含むため初期設定では非表示)の2種類があります。

島名の先頭に「*」がついているものは法対象外の有人離島です。
島人口(H27国調)のうち、(国調の)小地域単位で集計が不可能だったもの
(基本単位区レベルでの確認を要したものなど)は備考にその旨を記しました。

島の位置や地形に関しては地図で見る統計(統計GIS)の境界データをもとに簡単に加工しただけなので、
地形が大ざっぱだったり位置がずれているなど明らかに不自然なものがありますが(一部の例外を除き)現状は
未訂正です、ご了承ください。
[97584] 2019年 3月 22日(金)18:59:54ekinenpyou さん
人口集中地区(S35・H27)とニュータウンの位置をGoogleマップ表示(全国版)したものを公開
[97583]YTさんにもある通り、Googleマップが色々と話題になっている?ようですが
拙稿[97574]のおまけとして、1960(S35)年と約半世紀後2015(H27)年のDIDおよび、
※ニュータウンの位置関係を示した簡単な地図も作成しておいたので
(あまり役に立たないと思いますが)ついでに公開しておきます。

※元データ国土数値情報(ニュータウン)

地図の見方についての説明は省略、ニュータウンの地区名など少々冗長だったり、位置が明らかに
不自然なものがありますが致命的な文字化けなど以外は訂正しておりません、ご了承ください
(面積1haについては0.01km2へ換算表示)

北海道

青森岩手宮城秋田山形福島
茨城栃木群馬埼玉千葉東京神奈川
新潟富山石川福井山梨長野岐阜静岡愛知三重
滋賀京都大阪兵庫奈良和歌山
鳥取島根岡山広島山口

徳島香川愛媛高知

福岡佐賀長崎熊本大分宮崎鹿児島沖縄

原典「全国のニュータウンリスト」はこちらでエクセルファイルが配布されていますが、
国土数値情報とは少々内容が異なっております。
なお当該ページの説明にもある通り、リストは漏れなどがあり不完全なものですから(正確性については)
地図をご覧になると色々と疑問が生じると思います、したがっておまけ程度の扱いとお考えください。

【参考】本リストにおける「ニュータウン」の定義(抽出条件)について(以下一部抜粋)

条件1 昭和30年度以降に着手された事業
条件2 計画戸数1,000戸以上又は計画人口3,000人以上の増加を計画した事業のうち、地区面積16ha以上であるもの
条件3 郊外での開発事業(事業開始時にDID外であった事業)


条件3より既成市街(事業開始時にDID内)の再開発などは除外されるようです。
※都市計画・用途地域などについては、補足投稿を近日予定しております。
[97580] 2019年 3月 18日(月)19:00:33ekinenpyou さん
Re:自治体の広報メディアのリニューアル
[97569]グリグリさん

公式HP内の1メニューを拾い出しているためリンク切れが頻繁に発生したり
こうしたリンク集については鮮度?を保つためのメンテナンスが大変そうですね、(必要以上に)何度も細かな
指摘をするのは控えたいと思いますが、以下をお時間のある時にでもこっそり更新しておいていただければ・・・

広報・公聴-大河原町
大河原町 例規集(内容現在 平成31年1月31日)

【おまけ参考】リンク切れチェックツールなどを使うとわかりやすいのですが、
httpsへの対応など?で転送(中継)だけを行うようになったと思われるURLもあるようですね。
(以下具体例、一部説明のためテキストリンク機能は使わずURLそのままで示します)

http://www.town.shichikashuku.miyagi.jp/
↓転送
https://town.shichikashuku.miyagi.jp/

http://www.town.shichikashuku.miyagi.jp/town/gyosei/reiki_int/reiki_menu.html
↓転送
https://town.shichikashuku.miyagi.jp/town/gyosei/reiki_int/reiki_menu.html

上記の場合は転送元は定型URL→転送先は準定形URL(地域型ドメイン)(URL)という分類になる?
[97578] 2019年 3月 16日(土)19:18:11ekinenpyou さん
Re:国勢調査データ 改め 国勢調査人口増減ランキング ほか
[97576]グリグリさん
メンバー紹介編集の件、早速のご対応ありがとうございました。

ところで、以前、当サイトの参考情報に掲載させていただいていた「鉄道旅客輸送統計【懐古編】」のURLがリンク切れになっていましたのでリストから削除しましたが、新しいURLを教えていただければあらためて掲載したいと思います。ご検討をよろしくお願いいたします。
お気遣いありがとうございます、当方作成のサイトはサービス終了のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズなどに伴い
更新&公開を停止しております。(ネットアーカイブで一部見られるようですが・・・)

現状HTMLファイルなどの保存はローカルPCに行っており、それらを1つの圧縮ファイルにして
(googleドライブなどの)オンラインストレージにアップロードしたものを提供することは可能です、
必要な方に対してはメールで対応したいと思いますのでご申請ください。
(共有ファイルのURLをお教えしますので、各自ダウンロードしてローカルPCで閲覧していただく形になります)
[97577] 2019年 3月 16日(土)18:44:59ekinenpyou さん
長崎県 西彼杵の島々について
hmtさんの少し前の投稿([97534][97554])関連ですが、当方からもコメントしておきます。

長崎市のページによると、中ノ島炭坑が稼働したのは 明治16年から明治26年まで(1883-1893)でした。
当時の※長崎県統計書(M22&23)の島嶼ノ戸数から中ノ島・端島の人口を推測できます。
(両島とも1戸あたりの平均人員が非常に多いのが特徴)

(後年の明治期統計書に島嶼人口データが無く)いつごろまで中ノ島に常住者がいたかは定かではありませんが、
だいぶ時代が進んで長崎県統計年鑑第2版(S28)土地【第12表】島しょでは確かに無人島になっています。
(シート3枚目(2)単一市町村 (常住者のいない島) の西彼杵郡→高浜村→中の島0.033km2)

※端島を高島村所属としているが恐らく高浜村が正当、町村制施行前の長崎県統計書(M20&21)での誤り?を
引継いだものと思われますが、端島 (長崎県) - Wikipedia(行政区域の変遷)に

江戸時代は幕府領の彼杵郡高浜村に属していた。ただし前述のように境界をめぐる争論があり、1773年(安永2年)に「幕府領・佐賀領とも端島に干渉しない」とされ、帰属先は定められていない。1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により西彼杵郡高浜村端島名となる。

ともあったので、町村制施行前の所属村名については若干ながら不確定要素あり
(中ノ島は高浜村で間違いないので端島も位置的に同村所属が妥当と思われますが・・・)

推測ですが、「大字端島名の区域」は、有人島の端島の他に 無人島の中ノ島を含んでいたのではないでしょうか。
「大字端島名」がいつ頃成立し、どのような区域だったのかまでは調べていませんが、両島が所属していた
高浜村は単独での町村制施行ですから、中ノ島・端島は従来は(大字ではなく)別々の字だったようです。
【参考】
郵便区画町村便覧(M25.4)(左側に高浜村字中ノ島・字端島がある)

西彼杵郡現勢一班(T15)(右上の高浜村大字及び郷には明記なし、島嶼部の地名掲載省略?)

横島(長崎市香焼)

香焼島南西の同島と反対方向(北東)には蔭ノ尾島という小島もありました。([57361]hmtさんで少し言及あり)
【参考】消えた島 ~ 長崎市 蔭ノ尾島 アトリエ隼 仕事日記

こちらも中ノ島と同様に前述の長崎県統計書(M22&23)の島嶼ノ戸数では有人島だったようですが、
長崎県統計年鑑第2版(S28)土地【第12表】島しょでは無人島として区分されているようです。
(シート3枚目(2)単一市町村 (常住者のいない島) の西彼杵郡→香焼村→陰(原典は蔭?)之尾島0.112km2)

なお香焼島は町村制施行前に香焼村→M22.4.1深堀村(合併)M31.7.1香焼村(分立)以下略という所属村名ですが
蔭ノ尾島は長崎県統計書(M20&21)で香焼島と同じ香焼村ではなく、所属は深堀村で異なっており
後の香焼村深堀村の領域から推測すると香焼村所属の誤りなのかもしれませんが、町村制施行前の所属村名に
不確定要素がある点は端島と似通っています。

【おまけ蛇足】
[97521]YTさん
「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが
転じて、実態上の面積が0.1km2を下回っていた激レア?な人口集中地区がもしあった場合、
人口密度は5万を大きく上回ることもあるという事ですね・・・
[97574] 2019年 3月 15日(金)18:46:24【1】ekinenpyou さん
人口集中地区(DID)境界図の時系列Googleマップ表示(全国版)公開
タイトルの件、とりあえず作成完了したので公開します。

北海道 【1】【2】【3】

青森 【1】【2】【3】・岩手 【1】【2】【3】・宮城 【1】【2】【3】
秋田 【1】【2】【3】・山形 【1】【2】【3】・福島 【1】【2】【3】

茨城 【1】【2】【3】・栃木 【1】【2】【3】・群馬 【1】【2】【3】・埼玉 【1】【2】【3】
千葉 【1】【2】【3】・東京 【1】【2】【3】・神奈川 【1】【2】【3】

新潟 【1】【2】【3】・富山 【1】【2】【3】・石川 【1】【2】【3】・福井 【1】【2】【3】
山梨 【1】【2】【3】・長野 【1】【2】【3】・岐阜 【1】【2】【3】
静岡 【1】【2】【3】・愛知 【1】【2】【3】・三重 【1】【2】【3】

滋賀 【1】【2】【3】・京都 【1】【2】【3】・大阪 【1】【2】【3】・兵庫 【1】【2】【3】
奈良 【1】【2】【3】・和歌山 【1】【2】【3】

鳥取 【1】【2】【3】・島根 【1】【2】【3】
岡山 【1】【2】【3】・広島 【1】【2】【3】・山口 【1】【2】【3】

徳島 【1】【2】【3】・香川 【1】【2】【3】・愛媛 【1】【2】【3】・高知 【1】【2】【3】

福岡 【1】【2】【3】・佐賀 【1】【2】【3】・長崎 【1】【2】【3】・熊本 【1】【2】【3】
大分 【1】【2】【3】・宮崎 【1】【2】【3】・鹿児島 【1】【2】【3】・沖縄 【1】【2】【3】

各都道府県【】内の年代は【1】S35(沖縄45)~50【2】S55~H7【3】H12~27です※
地図の見方については従来通り、拙稿[97545]をご覧ください

東京都特別区部の所属未定地域など元データ(国土数値情報)に存在しない人口集中地区がごく稀にあります。
(上記ケースでは連合人口集中地区の人口・面積に計算相違が生じたものあり)

なお、元データの誤りについては(明白なもの※でも)現状未訂正なので、
[97499]YTさん他の指摘事項などについても当然ながら未反映です。

※H27長野県松本市DID1の人口は138,658・面積は30.02が正当など(元データは同市DID1&2合計値を誤記と推測)

以上のように把握済みの問題点も残されているため、今後は必要に応じ修正可否を検討し、
可能であれば対応するかもしれません、本件に関するご指摘については随時受け付けますが、
掲示板投稿を見落とすおそれもあるので、可能であればメンバー紹介欄のメールアドレスへもご連絡ください。

(メンバー紹介編集でメールアドレスを入力しようとしたのですが、「不正なアクセスです」と
表示されてしまい編集画面に進めませんので、編集できるようになり次第後日対応します・・・)
[97545] 2019年 2月 23日(土)07:58:59ekinenpyou さん
人口集中地区(DID)境界図の時系列Googleマップ表示について
少し間が空いてしまいましたが、拙稿[97512]の続きです、
国土数値情報人口集中地区データから作成したサンプルを示します。
北海道の人口集中地区時系列表示・その1【S35~50】その2【S55~H7】その3【H12~27】

※S35~H27の12年代を全て1つの地図にすると非常に重く見づらいので3分割としました。
(S35~50・S55~H7では最新H27の領域を参考として黒枠で表示)

初期状態では1つの年代のみ表示状態なので(非表示の)別の年代をご覧になりたい場合は
必要に応じ左側メニューのチェックボックスをクリックしてオンにしてください
(複数の年代を同時に多数表示させると描画が重く見づらくなるかもしれません、ご注意ください)

だいたいは見ただけで理解できるはずですが、一部国土数値情報に無い項目などが含まれますので
一応下記に簡単な補足説明をしておきます。

・タイトル番号(通番)のカッコ内は連合人口集中地区ではない人口集中地区を親番号のみ、
連合人口集中地区では親番号-子番号として順に付番したものです。
・項目末尾の(*)は人口密度など国土数値情報から計算したもので、国調データと若干異なる可能性があります。
・面積右側カッコ内の数値はGISソフト(MANDARA ver9.41使用)で測定した面積との差分です。
例)H27の札幌市中央区1 22.97km2(-0.20)とある場合、22.97km2はH27国調データなどと同じ値の面積で、
GISソフトでの測定面積は22.7665km2(約-0.20の22.77km2)です。※

地図で見る統計(統計GIS)の境界データではGISソフトでの測定面積が22.78558km2(約22.79km2)と
なります、国土数値情報と似通っているように思われますが全く同じものではありません。
(下記部分引用記載の内容が関係しているかもしれませんが断定はできず)

国土数値情報人口集中地区データの作成方法
総務省統計局発行の「我が国の人口集中地区」もしくは「国勢調査の統計地理情報」を基に、地域境界線については、国土数値情報行政区域データに合わせて修正を行った。属性は、「我が国の人口集中地区」より取得した。

人口集中地区境界図について
人口集中地区境界図は国土地理院発行の5万分の1の地形図を基図とし、その上に人口集中地区の境界データを重ね合わせて作成したものです。

人口集中地区の境界データの基になった地図は、各種の縮尺で作成された平成27年国勢調査調査区地図です。これら地図と5万分の1地形図とでは図法、精度等に差異があるため、人口集中地区境界図上の人口集中地区境界は、必ずしも調査区地図による同境界の位置を正確に反映しているとは限りません。また、人口集中地区境界は、国土地理院発行の地形図に合わせて都道府県・市区町村境界、河川、海岸線の一部を修正しています。


地図などの作成&公開にあたっては、事前に国土情報提供サイト運営事務局へメールで【参考サイト様】※を
例示した上で、同趣旨の内容を趣味的な非商用利用でネット公開することが可能かどうかお伺いしたところ
「出典を明記するなどした上であれば公開することが可能」と回答を得ております。
(データの使用許諾条件についてS35~H2の部分は明示がありませんが当面非商用利用に該当するとのことでした)

以上の内容で特段の支障が無ければ全国47都道府県の分も作成&公開する予定です。(目標はH30年度内公開ですが、
あくまで目安)仕様に関する要望・不明点などもしあれば(実現可否などはともかくとして)お伺いしたいと思います。

※H22・27については上記サイト様でも確認できますが、提供されたデータだけをそのまま表示するのではなく
参考・付加情報などを随時反映したり、色々とカスタマイズできる地図にしたいので当方でも別途作成します。
[97513] 2019年 2月 4日(月)19:02:51ekinenpyou さん
Re:昭和35年の北九州市人口集中地区と、昭和50年の横浜市連合人口集中地区に関する問題点
[97511]YTさん
資料価値の高い投稿ですね、拝見して気がついた部分を(補足もかねて)取り急ぎ以下に記しておきます。
(恐らくYTさんご自身ではおおむね正しい内容で理解されていらっしゃると推察しますが・・・)

投稿上の方、比較表タイトル行
都道府県 S35(S35/S40版) S35(S40/S45版) S35(差) S35(S55-H27版) S40(S40版) S35(差) S40(S45-H27版) S40(差)
正しくは表6・7列目のS40(S40版)とS35(差)が入れ替りS35(差) → S40(S40版)の順
また8列目のS40(S45-H27版)は恐らくS40(S55-H27版)が正当(S45 → S55)
参考・S45は全国1003・大阪府62(S50横浜市連合DIDのような集約漏れが原因?) → S55で全国1002・大阪府61

投稿最下部
昭和55年の横浜市連合人口集中地区の方は瀬谷区を除いた数値を採用
冒頭は昭和55年ではなく、昭和50年(S55横浜市連合DIDには同市瀬谷区DIDも含まれている)

※DIDの時系列推移(S35~H17)は[271]satoさん作成のエクセルファイルで確認すると非常にわかりやすいですね。
(ネットアーカイブ最終収集は2015/4/17付、現状ダウンロード可能なファイルは[96973]MIさん参照のこと)
[97512] 2019年 2月 2日(土)18:35:00ekinenpyou さん
Re2:初期の人口集中地区のデータの疑問点など
以下、追加で補足など記しておきます。
[97499][97507]他、YTさん
シェープファイルを地図上に表示する方法


上記件、人口集中地区の境域などを地図サイト上に表示させた当方作成のサンプルを2例示しておきます。
(H27・H22国勢調査の北海道における人口集中地区境界データなどをGoogleマップに表示)
※サンプルの閲覧期限などはありませんが予告なく削除することがあります、ご了承ください

【1】地図で見る統計(統計GIS)で配布されているKML(KMZ)形式をそのまま使用(元データはH27H22)
サンプルは【こちら】(作成所要5分程度)

非常に簡単な方法ですが、元データの構造上以下のような問題点もあります
・同じDID領域でも※複数に分断されているように見えると(左側一覧リストに)別々の項目として表示される、
例ではH27(苫小牧市DID1)が5項目の重複表示 ※地理院地図での表示状態も同様
・面積に小数点2桁より細かな数値が含まれている
前述例の地図でH27苫小牧市DIDの(赤色エリア)をクリックして左側に表示される面積が「33.159999800000001」
・H17より古いデータが未提供(地理院地図も同じ)

など諸々の問題があるので、(QGISなどの)GISソフトをお使いであれば次に示す方法が良いかもしれません。

【2】Shape形式で配布されているものを(GISソフトなどで)KML形式に加工して使用(元データはH27H22)
サンプルは【こちら】(作成所要15分程度、GISソフトMANDARAで少々カスタマイズしてKML形式で出力※)

GISソフトに関する知識が若干必要ですが前例で生じていた問題をまとめて解消可能、
国土数値情報人口集中地区データも上記と同じような方法で(Googleマップに)表示できると思います。
(もし必要でしたら当方でサンプル作成要検討)

※作成したKMLファイルは地理院地図でも(描画が少々重いですが)表示可能です。(詳細はマニュアル25コマなど参照)

【その他参考】Googleマップでマイマップを作成して共有する方法
DID(人口集中地区)の平成27年度版をGoogleマップで表示させる方法があれば教えてください

平成17年以降の国勢調査における人口集中地区の面積(小数点以下第2位で示されている)に関しては、個々の数字の合計が一致していない

上記は確かにおっしゃる通りです、なお当方で把握している点を1つ挙げておくと、(各都道府県の)
人口集中地区の面積はどの項目を選んで合計するかによって異なっており、そのあたりが関係しているの
かもしれませんが真相は不明です。(以下に実例を示します、元データはH27国勢調査の北海道)

795.73 北海道 人口集中地区(全体)の値(最終報告書も同じ)
795.75 市・町の人口集中地区面積を合計した値(札幌市235.5・小樽市23.42などを使用)
795.77 同上、ただし札幌市は区ごとの面積を合計した値(北区35.58などを使用)
795.79 個別面積を合計した値(札幌市北区29.05+5.4+1.12=35.57・小樽市19.44+1.72+2.27=23.43などを使用)

【おまけ蛇足】例年通り?平成30年全国都道府県市区町村別面積調(平成30年10月1日時点)が公表(H31.1.31付)
[97506] 2019年 1月 29日(火)18:48:48ekinenpyou さん
Re:初期の人口集中地区のデータの疑問点など
[97499][97502]YTさん
「正誤表」で対応できなかった修正が、次の国勢調査の報告書で修正されている例が色々あるみたいです。
こうした情報は貴重なもので(通常気が付かないので)、大いに参考になります。

あと、タイトル(人口集中地区)とあまり関係が無く恐縮ですが・・・
どっとうpろだ.orgにアップロードされた画像の閲覧(参照)可能期間は恐らくかなり短いので、
(掲示板のログなどで)画像参照用として使うのはあまり適さないかもしれません。

【参考】(Yahoo!知恵袋)
どっとうpろだ.orgは自動削除機能はありますか?
無料の画像置き場サーバを借りたいのですが良いサービスはご存知ないでしょうか?
[97500] 2019年 1月 26日(土)09:00:33ekinenpyou さん
国立国会図書館デジタルコレクション書誌情報の差分リストについて
以下、地理とは関連の薄い小ネタで失礼いたします。

下記2時点における国立国会図書館デジタルコレクションの書誌情報をもとに
資料種別が図書でインターネット公開となっている&いたものという条件で差分リストをExcelで作成しました。
平成30年7月1日時点(約35.5万件)と平成31年1月9日時点(約35.3万件)

※H30.7.1→31.1.9で削除されたインターネット公開資料(図書)は3,062件・追加は1,596件でした

差分リストについては知識のある方なら恐らく容易に作れますが、もし必要としている方がいらっしゃるようでしたら
配布も検討いたします、(どのような形で配布すれば適切かなど)本件についてのご意見をお伺いできれば幸いです。

【参考】2sc1815jの日記(国立国会図書館デジタルコレクションの公開範囲変動)

国立国会図書館(公式)や上記ブログの方などから具体的な差分情報が発信されていれば
そちらを紹介するだけで良かったのですが、最近のものはまだ見つからないようなので当方で差分を作成しました。
[97137] 2018年 12月 17日(月)18:58:57ekinenpyou さん
和田(玖須美)と川奈など
タイトルの件についても調べる時間があったので(あまり役に立たないかもしれませんが)一応ログに残します。
まず現在の伊東市域沿革ですが、下記サイトの解説が非常にわかりやすいです。

伊東市史だより第10号(町村合併の経緯)・伊東市史だより第11号(江戸時代初期の伊東)

以上を参考に和田(玖須美)と川奈近傍の地形図を今昔マップで確認すると、
いずれも明治期の集落中心は主に海沿いだったと推測

※伊能図も同様、アメリカ大図pdf一覧101熱海・三島(右下)
玖須美元和田という地名表記は戦前の地図に無く、明治の大合併以降しばらくは(大字)玖須美だったのかもしれません

次に伊東市のDID(人口集中地区符号2)人口(7,639人)の内訳は下記の通りです。
(出典は平成27年国勢調査小地域集計22静岡県)

大字・町名人口比率(%)
玖須美元和田253833.2
911.2
川奈501065.6

川奈駅周辺の空中写真比較(赤色はDID)(左側が2017年7月~8月撮影で右側が1961~69年)
約半世紀の間で特に駅南部の宅地化が顕著でS36に伊豆急が開通し駅ができた影響が大きかったと推測
(江戸・明治期からある和田&川奈の海沿い集落が拡大してこのDIDを形成したとは考えにくい)

【おまけ】
伊豆箱根鉄道(駿豆線)の駅所在地や開業日などはおおむね鉄道停車場一覧(T15)(右下)に記載の通りです

※田京・大仁は当時の資料鉄道局年報明治32年度(左上)でM32.7.17開業としており、
会社の沿革などもそれに倣っているが、官報の記述(左上中ほど)は17日開業免許状下付→19日営業開始
[97122] 2018年 12月 15日(土)18:49:32ekinenpyou さん
国勢調査の基本単位区・調査区など【補足追記】
連日の投稿で失礼いたします、拙稿[97106]の補足として少々変わり種の基本単位区(調査区)を紹介しておきます。

【滋賀県大津市の琵琶湖(基本単位区番号は156000990)】
H7国勢調査では名称が(水面調査区)になっていたが、H12国勢調査から名称が琵琶湖(当時の調査区番号は85.2.)
となり、(適切な分類かどうかはともかくとして)以降現在まで特別調査区(後置番号2)に分類されている模様

※調査区番号のうち後置番号のつけ方(番号自体が示す意味)はH7・H12で変更なし、出典はこちらのPDF3コマより
1980年から2010年まで、後置番号のつけ方は変わっておらず


以上を踏まえ、[97076]白桃さんにある
同じ大津市内でありながら、大津と瀬田のDIDが瀬田川によって分断されているのです。川がDIDを分断しているかどうかは、必ずしも川幅には関係しないようなので、それは仕方ないのですが、疑問に思うのは、1960年・1965年にDIDを有していた瀬田町が、1967年に大津市と合併をした後、1970年~1990年は同一DIDとなっていたという事実です。それが、1995年になぜ分離したのか。


上記の疑問に対する当方の推測を示すと・・・

H7国勢調査より従来の(調査区ベースの)DID画定方法から基本単位区等(調査区含む)をベースとして画定する方法に
変更したが、琵琶湖の基本単位区領域が広大で瀬田川の領域まで含んでおり、単一の基本単位区なのでこれ以上細分化
できず、かつ丸ごとDIDにするわけにもいかないので(やむを得ず?東西に)分離することにした。

※H2国勢調査以前のDID画定方法などについてはこちらのPDF11コマより一部抜粋
画定方法については、昭和35年国勢調査当時は調査区地図から方眼法といって縮尺の異なるトレシーングペーパーの方眼紙を用いて個々の調査区面積を測定、人口密度を推定し調査区を組み合わせて人口集中地区を画定していたが、平成7年国勢調査から地理情報システムを利用して人口集中地区を画定している。


【おまけ】大津市玉野浦(南部)地理院地図写真&DID領域(2008年4月~5月撮影とあり)とGoogleマップの写真
比較すると違いが明瞭です、H25.12.11に24時間営業のスーパーも開業したそうで、次回(2020年)の国勢調査では
(玉野浦南部の全域も)DIDに含まれるのでしょうか???


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