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落書き帳


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[81199] 2012 年 7 月 29 日 (日) 08:18:08 オーナー グリグリ
 皿さんへ

「ほったらかし」とか「早めにお願いします」という言い方は、相手に配慮していない失礼な言い方だと感じます。

一部の地理好きの人は今、住んでいる町の大昔の姿を見たがる人が大勢いますので...
この気持ちを最初に感謝の言葉として伝えるのがマナーではないでしょうか。

パラパラ地図の完成を願っているのは間違いなくむじながいりさん(エイちゃさん)ご本人だと思います。あれだけの充実したサイトですから、単に忘れているとかそう言う理由であるはずがありません。それができないのは何か理由や事情があるはずです。そのことに理解と配慮を示して欲しいです。

むじながいりさんが完成できるように応援するような書き込みをしましょう。多くの人がパラパラ地図を楽しんでいること、とても役に立っていること、そして、地理に興味を持ってもらえる素晴らしいサイトであることを賞賛すべきです。そうすれば、いつか完成を目にすることができるかもしれません。

[81198] 2012 年 7 月 29 日 (日) 05:27:57 皿 さん
 町と字、福島県矢吹町の事例

私は、福島県矢吹町の現行町名と江戸時代にのちの現在の矢吹町にあった村の位置が全然わかりません。他の市町村では、区画整理や住居表示などによる町名変更で地名が変わることを変更する地域の地図を記録として保存してますが、矢吹町の町名変更に関しては、どこも探しても見つかりません。ただし、矢吹町の大字は昭和55年に字名改正により江戸時代の村からなった大字地名が廃止されているのは「角川日本地名大辞典 7 福島県」にて明らかになっています。

[81197] 2012 年 7 月 29 日 (日) 05:10:01 皿 さん
 むじながいりさんについて

ありがとうございます。
ただし、わたしは何度も市町村変遷パラパラ地図の作者であるむじながいりさんにメールで伝えようとしていますが、返事は一回も返ってきません。わたしは毎回、むじながいりさんのサイトにいってますが、福岡県の完全版を完成してから、残っている5県全域(新潟、岐阜、愛知、広島、愛媛)と2県の一部(山梨と岡山)をほったらかしている状態が2年以上も続いています。
どうにか、このサイトの各都道府県の市町村変遷の一覧が完成したことをむじながいりさんに伝えて、是非この資料を参考にむじながいりさん本人のサイトで全47都道府県のパラパラ地図を完成させてください。一部の地理好きの人は今、住んでいる町の大昔の姿を見たがる人が大勢いますのでどうにか私の代わりに伝えるよう、早めにお願いします。

[81196] 2012 年 7 月 29 日 (日) 01:15:49 千本桜 さん
 ♪母の鞄

[81136] 白桃さん
3位 武豊(愛知) 29,634

武豊の文字から「たけゆたか」を連想する人は多いはず。ところが、私が連想するのは「武智豊子」。昔からそうでした。地図を見て武豊町の存在を知ったのは中学生の頃ですが、あれからずっと武智豊子は武豊町の生れだと思い込んでいました。実際は違うらしいけれど・・・。武豊から武智豊子を連想する人はもともと数が少ないはずだから、今となっては絶滅危惧種でしょうね。

ところで、私はいま老老介護の最中にあります。母親の口にスプーンで食事を与え、おむつの交換をする毎日。結構辛うございます。母は四捨五入すると100歳になります。認知症で親の名前も子の名前も忘れてしまいました。地名もほとんどすっかり忘れたようです。近隣の集落名は勿論、昔馴染みの人が住んでいる栃木・桐生・清水なども忘れてしまいました。そんな母が今も忘れずにすらすらと口にする地名が一つだけあります。それは、次の内のどれでしょう。

1・生れ故郷の「白石」
白石のど真んなか、中町の生れ。大正時代は町場と農村部のメリハリがはっきりしていたようで、町場生れの母の話言葉は、白石近郊の農村出身者と少し異なっていました。

2・楽しかった娘時分に暮らした「仙台」
数年間だけ仙台は大町東一番丁角あたりに住んでいました。大町と東一番丁の角といったら、銀座四丁目みたいなものです。凄い所に住んでいたんですね。

3・現在の居住地「大河原」

さて、地名の記憶が失われていく中、いまも母の脳内に張りついて剥がれないのは白石・仙台・大河原の内、どれでしょう。団塊世代のおじさんが思わず涙ぐむ静かなヒット曲、♪母の鞄をタイトルに用いました。

[81195] 2012 年 7 月 28 日 (土) 19:04:11 hmt さん
 明治13年共武政表を眺める (10)岐阜都市圏に飲み込まれた 加納
白桃 各地の都市圏談義

戸数一千以上を擁する 「1880年の都市リスト」 には、324の地名が挙げられていました。
これに対応する現在の自治体の数は、225市20町ですから[81146]、79地名が「都市圏の一部になった地名」という計算です[81154]

そこで、京都近くの柳原・伏見に始まり、大阪付近[81176]・東海[81182]・東京付近[81187]と、都市圏の一部になった地名を巡ってきました。済んだのは、畿内13、東海道20の合計 33ですから、まだ 79の半分にもなりません。少し先を急ぎましょう。

…とか言いながら、東山道諸国に足を踏み入れたら、最初に現れたのが「岐阜」と「加納」でした。
美濃国厚見郡 を見ると、上加納を含めて3つの町が並んでいます。戸数は、岐阜町1596, 上加納村725, 加納駅1073。

岐阜町だけに「官庁6」とあり、ここが行政中心地であると知れます。明治4年に笠松に置かれた岐阜県庁は、今泉村[4082]の西本願寺仮庁舎を経て明治7年には小熊村[20742]に 2代目の県庁舎が開庁。現在の岐阜市司町で、共武政表では「岐阜町」に含まれていますが、町村制施行前の正式行政地名では、まだ岐阜51町ではなく“隣接4村”[79386]に県庁があったのですね。木造畳敷きの庁舎で、下記3代目県庁舎の南側にありました。

大正13年に鉄筋3階建で建設された3代目県庁舎(現・岐阜総合庁舎)までは市役所の北の司町にありました。
しかし、昭和41年に移転した現在の4代目岐阜県庁舎は、岐阜市内とはいうものの、岐阜市役所から遠い郊外の「薮田」にあり、多くの都道府県が 便利な市内中心地に庁舎を置いている中で 特異的です。県庁舎の歴史 参照。

落書き帳記事 岐阜・加納 は、県庁舎だけでなく、3つの町に関する Issieさんの記事も収録しています。

戦国大名・斎藤氏の支配拠点として現れた 城下町の井ノ口[39531]→織田氏の岐阜[4082]
関ヶ原の戦で西軍に与した織田秀信【清州会議では秀吉に抱かれ、信長の嫡孫であることをアピールされた 幼名三法師】の改易により 岐阜城が破却された後は、城下町ではなくなったものの、長良川水運の拠点である岐阜は、近世にも 商業都市として生き続けました[39561]
その稲葉山下・長良川南岸の市街地・岐阜は、明治4年の新政府による府県統合で、美濃国を管轄する「県の名」に使われ、行政中心としての地位回復が約束されました。
暫定的に笠松[75944]に置かれた県庁も、明治6年には岐阜(今泉仮庁舎)に来ました。

戦国時代の山城である岐阜城を廃した徳川家康は、中山道の要衝を放置しておいたわけではなく、亀姫の夫の奥平信昌をして、岐阜の南の加納に築城させました。その後は譜代大名の城下町として、濃尾平野北部に重きをなした加納。
[4082] Issie さん
【明治6年岐阜県庁が今泉村に移転した】この段階で「岐阜」と「加納」とはお互いに独立した都市でした。

長良川の「岐阜」と中山道の「加納」との間を取り持ったのは、第3の交通機関・鉄道でした。
文明開化の世になり計画された中山道幹線鉄道。明治15年にできた敦賀港(金ヶ崎)・長浜間の路線によって建設資材を送り込みながら、明治20年には加納に到達しました[61303]

明治20年に加納停車場のできた地が「上加納村」で、加納城と城下町とが作られた「下加納村」よりも岐阜寄りの北側にありました。その2年後の市制町村制施行時の変遷情報を見ると、“上加納村の一部”が岐阜市内に編入されていますが、これが Issieさんの [20736]上加納村岐阜駅前というタイトルの地名なのでしょう。

[79395]によると、最初に作られた当時から加納にあった岐阜駅は、大正になってから、更に南に動いたとのことです。
岐阜と加納の間の上加納に鉄道の停車場ができて、互いに独立していた2つの町場の間が市街化し、その岐阜駅が南に動いたことが駅前市街地の南側への拡大を更に進めというプロセスで、加納の町は岐阜都市圏の一部として飲み込まれていったように思われます。

先を急ごうと言った舌の根も乾かぬまま、オフ会最有力候補地[80767] の意識も手伝い、思わず長文。

[81194] 2012 年 7 月 28 日 (土) 12:51:14 オーナー グリグリ
 バスマガジン

[81189] みかちゅうさん
[81145](みかちゅう)で少し返答をしていますが、自治体バス研究の話はどうなったのでしょうか。

この件に関する私のスタンスは、[81138]で書いた、
そうですね。せっかく議論も沸騰して来ていますし、このまま流れていくのも惜しい気がします。落書き帳記事から情報をまとめるプロセスは、[81081]に書いたように、まだまとまりのない情報を、まずはマガジン特集記事にして集約しておき、編集作業を経て企画ページに昇格させるという手順が分り易そうです。みかちゅうさん、バステーマのマガジン創刊していただけませんか。無理にとは言いませんが、できればお願いしたいです。
この通りです。[81145] のみかちゅうさんの書き込みではよくわからなかったのですが、マガジン創刊をご了解していただけたのでしょうか。もしそうであれば、マガジンタイトルを決めていただくだけですぐに準備できます。いかがでしょうか。

ついでですので、上記のプロセスをもう少し丁寧に説明しておきます。

■都道府県市区町村における書き込み記事から企画メニューへのプロセスについて

○第一段階(落書き帳に書き込まれた記事)
様々な情報が書き込み順に並んでいる状態。過去記事としてすべての書き込みが参照できますが、テーマに沿った閲覧はできません。キーワードによる記事検索により抽出された記事をまとめて閲覧することはできます。

○第二段階(マガジンの特集化)
更新凍結中の落書き帳アーカイブズhmtマガジン白桃マガジンによる、落書き帳記事の再編集メニュー。編集長は、膨大な記事の中から一定のテーマに沿って記事を選び出し、特集として再メニュー化します。個々の特集には編集長が説明文を追加します。マガジン特集化により、落書き帳に散在した記事をストーリー性を持ってまとめて読むことができるようになります。さらに、ストーリー性を分り易くするために、編集長が落書き帳に記事を投稿し、特集に追加することもあります。

○第三段階(都道府県市区町村の特定メニュー化)
マガジンからこの段階に進んだメニューは今のところまだありませんが、地名コレクション公式ツイッターなどは、落書き帳で話題になった書き込みが発端となり、独立企画メニューにしたものです。マガジンからの例で言えば、hmtマガジンのテーマ「市町村と区」には、市と町の違い、町と村の違い、区制度の変遷、自治体コード、平成の大合併、戦時合併とその解体、と6件の特集があります。このテーマで都道府県市区町村に新しい企画メニューを作ることも考えられます。その際には、書き込みでは実現できない、図表や写真などの情報を追加して編集すれば、さらに質の高いページになります。

第三段階へ昇格するためには、相当の編集パワーが必要です。現時点で、自治体バス研究の話をいきなり特定メニューにすることは考えていません、というか、できません。まずは、第二段階に進めるかどうかだと思います。

[81193] 2012 年 7 月 28 日 (土) 12:10:51 オーナー グリグリ
 Re:市町村変遷パラパラ地図について

[81191] 皿さん
いつになったら市町村変遷パラパラ地図の作成を再開するんですか?
市町村変遷パラパラ地図は、エイちゃさんのつかんぼやとの企画であり、当サイト「都道府県市区町村」の企画でないことをご承知の上で書き込まれているでしょうね。それにしても無礼な書き込みです。当サイトに限らず、ネットでいろいろな情報を個人的に提供している方々は、ボランティアで活動している訳ですから、まずはそのことに対して感謝すべきでしょう。その上で、今後の予定など要望を丁寧に聞くのがマナーだと思います。本来であれば削除すべき書き込みですが、マナーを改善していただくためにもそのままにしておきます。

[81192] 2012 年 7 月 28 日 (土) 05:09:06【1】 YT さん
 文部省年報、磐井
白桃 不思議のクニの名邑(マチはラビリンス)

[81186] 白桃 さん

ただ、下小田井(後の西枇杷島町→清須市)は、「戸数1,089、人口553人」とな
っており、思わず唸ってしまいました。

以前私が[67796]に書いたのと同じ問題に直面しているようですね。

地名明治12年1月1日調明治13年1月1日調
地名戸数人口戸数人口
下之一色村1,0794,5351,0624,381
下小田井村1,0864,2421,089553

明治12年1月1日調の方は男2125人+女2117人、明治13年1月1日調の方は男276人
+女277人となっており、おそらく後者が2076+2077人の間違いで、たぶん正し
い人口は4153人だろうという予測はつきますが、確証はありません。しかもこの
時代は戸数と言った場合、後の世帯数に相当する戸数と家数の混同が起こってい
たりします。

ところで以前、[68674][68675]で、文部省調による明治12年と明治13年の「人口壱萬人以上ノ都邑」の人口を紹介しましたが、これの元データが『日本帝国文部省年報』の「人口壱万以上都邑学事統計表」であることが判りました。『日本帝国文部省年報』では、明治10年から明治18年まで、人口1万人以上の都邑の人口と、明治10年から明治16年までの各府県の主だった都邑の人口がまとめてあり、これについては量も多くないのでいずれまとめようと思います(というか、「人口壱万以上都邑」に登場する138都邑の9年間(明治10年〜明治18年)の人口については既にまとめ済みです)。

ただこの表で使われている人口は、共武政表や日本民籍戸口表の人口とほとんど一致しません。文部省が独自に人口調査をしているとは思えないので、内務省や警察署の戸籍調査を使っていると推測されるのですが、これらが本籍人口なのか、現住人口なのか、あるいは年始/年末調のいずれかなのか、等々、色々データに問題があるので、公式の人口データとみなしていいのか微妙な状況です。せめて一言どこかに人口データの典拠や方法論についての言及があればいいのすが・・・

[81048] 千本桜さん
共武政表の岩手県西磐井郡に「磐井」と言う名の輻輳地が記載されていますが、

明治10年には磐井は人口1万3702人(明治11年1月1日調?)の大都市という扱いになっています。明治11年には人口1万1813人(明治12年1月1日調?)、明治12年には9403人(明治13年1月1日調?)、明治13年には7974人(明治14年1月1日調?)、明治14年には6791人(明治15年1月1日調?)に減っており、都市域の範囲がいい加減であることが伺えます。明治15年の磐井の人口は6822人と少し増え、明治16年には6859人となっています。残念ながら明治17年〜明治18年は「人口壱萬人以上ノ都邑」しか掲載されていませんので対象外ですが、『文部省年報』の記述を信じるのなら少なくとも明治10年から16年頃までは、「一関」ではなく「磐井」の方が正式な呼称として採用されていたようにみえます。

[81191] 2012 年 7 月 27 日 (金) 16:57:36 皿 さん
 市町村変遷パラパラ地図について

皆さん始めまして、
私は一つ皆様に伝えたい事があります。
いつになったら市町村変遷パラパラ地図の作成を再開するんですか?
皆さんもパラパラ地図福岡県版が完成した以降、なかなか作ってくれないので、もう待てない人がたくさんいると私は思います。

[81190] 2012 年 7 月 27 日 (金) 15:22:47 白桃 さん
 ♪倫敦五輪温度?

お暑うございます。二日酔いでもないのに頭がボ〜としてます。

開会式の前に、蹴球日南女子は加東に勝とうと頑張り、男子は西条に勝ち最上の喜び。
これで、加西(カナダ・スペイン)の立場が苦しくなりました。
やっぱり男子は佐伯、女子は登米が強そう。

暑いときはカレーが一番。印西に食べに行こう。ジャワカレーなら尼崎。

あまりにも暑くてあとはただ羅列。
中国:中央、北朝鮮:朝霞、台湾:仙台、ヴェトナム:越前、マレーシア:美馬、トルコ:土佐、アイスランド:氷見、アイルランド:愛西、オランダ:室蘭、ベルギー:白山、イタリア:伊東、スイス:瑞浪、ポーランド:丹波

マレーシアの漢字表記、“馬”はあまり使わないかも。
アイスランドの“氷”は怪しいけど、使用されているらしい。
ニカラグアが“児”?、聞いたこともありませんが、可児カニィ?

あ〜、冷たい透明の液体、日本の酒田!!!

[81189] 2012 年 7 月 27 日 (金) 00:31:14 みかちゅう さん
 川○集落のはなし、ほか

暑い日が続いていますが、節電はしていらっしゃるでしょうか? 頭がボーっとして体調を崩しては困るので、室内の温度計を確認しつつ緩めに冷房を入れるようにしています。

まずは「川+方角」地名の話です。
川東・川南が「川の東(南)側の集落」を指し示しているとすれば、中流域だと集落の東(南)側に山があることになってしまいます。そうなると山によって日照が遮られるので農耕には都合が悪く、集落として発展しづらいのではないでしょうか。
下流域ならば山によって日照が遮られることもないので、川の蛇行の加減によって集落ができる場所が決まり、集落と川の位置関係によって「川○」という地名ができたのでしょう。


[81138]グリグリさん
[81145](みかちゅう)で少し返答をしていますが、自治体バス研究の話はどうなったのでしょうか。私は路線(図)の変遷履歴が確認したいので、
・路線(系統)新設/廃止
・経路変更
・運行日変更
・停留所の新設/廃止/改称
あたりが拾えればなぁ、と思っています。運賃の変更や便数の増減、ダイヤ改正は路線図の変更は伴いませんが、記録する意味はあるかな、と。

[81188] 2012 年 7 月 26 日 (木) 21:28:37 MasAka さん
 東西南北のつく地名

久々に落書き帳をのぞいたので、話題に乗り遅れてる感がありますが、私が仕事の参考資料としてよく使っている「建設技術者のための地形図読図入門」(鈴木隆介著・古今書院発行)という本のP.29には以下のような表が掲載されています。

表1.2.4 方位に由来する地名・人名(一部抜粋)
平野と盆地の中央から見た方位中央北方東方南方西方
土地の傾斜方向(低下方向)平坦南向西向北向東向
日本の農山村地域における自然的位置中山北山東山南山西山
・方位に由来する地名と人名の例中川北川東川南川西川
中沢北沢東沢南沢西沢
…………………………(以下略)
地名・人名の頻度最大最小

本文の説明では
日本では平地を囲む山地の斜面や谷の大局的な方位が、日照時間との関係で、農業用地および住宅用地の適否に重要な意味をもっている。
とし、その根拠として挙げているのが上表です。そして、
これらの地名や人名は、多い方から順に中、北、西、東、南の付くものであり、南の付く人名や地名は極めて少ない。これは、明らかに日当たりの良否を反映している。
と結論付けています。

今回メインの議論はこの表とは逆に東西南北が後ろにくる場合で、しかも「川+東西南北」だとなぜか「西」が多いことから、必ずしも全ての東西南北地名がこの本で述べられているパターンに当てはまるわけではなさそうですね。まぁ、これを書いた先生は本のタイトルにあるように地形学が専門であって、地名の専門家ではありませんので……。

[81187] 2012 年 7 月 26 日 (木) 13:17:34【1】 hmt さん
 明治13年共武政表を眺める (9)都市圏の一部になった地名 関東編
白桃 各地の都市圏談義

明治 13年共武政表を眺める を続けます。

「1880年の都市リスト」 に記録された 324の町場のうち、関八州で 他の都市の一部になった地名は 11あります。
地域としては[81118]などと重複しますが、近くの大物が核となって都市圏を広げたために、現在はその一部になっている地名という視点で再度記します。

海防の重要性が認識された幕末以来、江戸防衛の拠点として重要視されていた 相模国三浦郡 浦賀 は、横須賀と拮抗する約6000の人口を持つ町でした。
Issieさん[81097]によると、三浦按針が仕えた徳川家康の時代に 海外貿易の候補地にもなったとか。
共武政表の時代には まだ横浜にあった 東海鎮守府[29190] が横須賀に移転してから後は、軍都・横須賀が発展。
戦時中の 1943年には 浦賀町も 横須賀市に編入 されました。

武蔵国4郡に跨る 東京十五区 に隣接する 荏原郡北品川宿・南品川宿、北豊島郡下板橋宿と金杉村、南豊島郡内藤新宿、南足立郡千住中組・千住北組。
もちろん拡大する東京都市圏に飲み込まれましたが、このうち、内藤新宿[38354]だけは 一足先の 1920年に 東京市四谷区に編入 されました。
北豊島郡金杉村は、町村制で 日暮里村(1913日暮里町) になっています。これを含めた6つの町場は、1932年の 隣接5郡一括編入で ようやく東京市内になりました[74867]

東京が 周辺の町場を飲み込むよりも ずっと前の明治34年(1901)に 横浜市内に編入されたのが、武蔵国橘樹郡 神奈川駅(町村制前に神奈川町) です。
県の名になった 「神奈川」 は、市の名にはなれませんでした。
神奈川区を含む横浜市で最初の5区が誕生したのは 昭和2年(1927)になってからでした。

武蔵国南埼玉郡岩槻。これは一度は「独立の市になることができた」地名ですが、現在は さいたま市岩槻区 と区名になっているので、「他の都市圏の一部になった地名」の仲間に加えておきます。
さいたま市の核となっている 北足立郡 の浦和宿(902戸)・大宮宿(405戸)・与野町(274戸)は 1000戸未満のためリストから落ちています。

関東の最後に、常陸国東茨城郡 上市と下市
統合後の自治体名は、もちろん明治22年の市制で最初の市として誕生した水戸市です。

東海道諸国では、伊勢の松崎から常陸の下市(水戸市の核は上市とする)まで 20の町場が他の都市圏の一部になりました。

[81186] 2012 年 7 月 26 日 (木) 01:05:05【1】 白桃 さん
 空き家は戸数に数えるの?
白桃 不思議のクニの名邑(マチはラビリンス)

[81182]hmt さん
西春日井郡下小田井と 愛知郡下之一色については、白桃都市人口研究所所長の白桃氏が苦闘しているとの記事[67791]がありましたが、問題は解決したのでしょうか?
相当な人口を数えていたはずの下小田井と下之一色が「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」に掲載されていないので、ずっと不審に思っていたのですが、今見ている「共武政表(明治12年)」には両邑とも登場しております。
ただ、下小田井(後の西枇杷島町→清須市)は、「戸数1,089、人口553人」となっており、思わず唸ってしまいました。
「共武政表」に関して言えば、貴重な人口統計資料であることには違いないのですが、正確性や統一性に欠けております。男と女を合計しても総計に合致しない邑もかなりあり、人口統計だけは几帳面な白桃は、この“アバウト感”に酔いしれております。
ま、正確性を期待すること自体、無理な話なのでしょうが・・・

[81185] 2012 年 7 月 25 日 (水) 22:13:46【1】 デスクトップ鉄 さん
 Re:なぜ「川西村」が圧倒的に多いのか?

ソウルを東西に流れる漢江の南側を江南と呼び、北側を江北といいます。上海の黄浦江の東は浦東で、西は浦西。もともと一対で使われていて、江南や浦東が新都心として開発された1990年代以降に、旧市街地を江北・浦西と呼ぶようになったわけではないようです。

中国の自然地形+東西南北型の省名(中国にはこの型の都市名はなさそう)は、次のように、江西省を除くと対になっています。
湖南−湖北
河南−河北
山東−山西

これに対し、東京の隅田川の東を墨東といいますが、西側を墨西とはいいません。自治体名についても、地域の中心都市の川向こうは河(川、江)+東西南北と命名されることがあるのに、中心都市には使いません。このように、河(川、江)+東西南北の自治体名は、日本では川の片側の、規模が同等以下の市町村でしか使われないようです。一対で存在した例は、石巻市に合併した河南町と河北町くらいで、東西南北の数にバラツキがでたのは、このためでしょう。

[81149] オーナー グリグリさん
川西村(町)が圧倒しています。これだけの差があると何か要因があるように考えられます。川の西側には集落ができやすいのでしょうか。川の東側には耕地が作られて、耕地に適していない川の西側に集落ができたとか。

上記の命名法からいえば、川の東側に集落がないということにはなりません。しかし、川向こうを「川西」と呼ぶのは、あくまで川の東側に存在する中心都市(例えば米沢)の視点であって、川の西側に位置する自治体がその名前を採用するいわれはありません。やはり、皆さんがおっしゃるように、「西」が縁起がよい名称なので、川の西に位置する自治体が新自治体名として選択したということでしょうか。中国で単独省名になっている江西省も「西」ですね。

[81184] 2012 年 7 月 25 日 (水) 21:45:52 グレイス さん
 私の経県値

[81156]グリグリさん
レスが遅れて申し訳ありません。これが私の経県値です。7月14〜18日まで東北や白神岬を廻っていたので、赤色や黄色が増えました。○○最南端とか○○最北端といったような端地を廻るのが主な旅の目的です。それでは今後もネタがあれば書き込みをしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

[81183] 2012 年 7 月 25 日 (水) 20:40:25【1】 k-ace さん
 日本最東の小学校、統合へ

1か月ぶりのk-aceです。
昨日まで3日間北海道に行ってきました。
初日は東北新幹線はやて、特急スーパー白鳥、特急北斗、特急スーパー宗谷と乗り継ぎ、日本最北の市、稚内市で一泊しました。キタカラによると、稚内駅は昨年4月新駅舎が開業していました。また旭川駅も一昨年10月に高架駅となっていました。まだ駅前が整備中で、来年度完成予定だとか。
翌日は特急スーパー宗谷、特急オホーツク、釧網本線と乗り継ぎ、釧路市で一泊。オホーツク海や斜里岳が綺麗に見えました。釧路市では幣舞橋やその傍のロータリー交差点(ロータリーコレクション)にも行ってきました。
最終日は快速はなさきで根室市へ。
根室交通のねむろ半島遊覧バス「のさっぷ号」(A)のさっぷ岬コースで納沙布岬へ。ガイドさんが車内でいろいろ案内されておりました。その中のほんの一部を。根室市の人口は2万8千人と言っていましたが、これはこれからの人口減でも暫くはそのままでいけそうな(根室市の2011年10月1日の推計人口は28766人)。
「日本最東端の学校」の碑がある根室市立珸瑤瑁(ごようまい)小学校に通りがかった時に、歯舞地区の小学校が来年4月に統合されると案内が。
はぼまい(注:PDF)によると、児童数減少により来年4月歯舞地区の共和、華岬、珸瑤瑁、温根元の4小学校と歯舞中学校が一つになり、小中併置の「歯舞小中学校」になるとのこと。中学校はそのままで、小学校は歯舞中学校の敷地内に建設される新校舎を使用するとのこと。
納沙布岬は霧で北方領土は見えず。平和の塔はいつの間にか、望郷の塔(通称:オーロラタワー)になってた。金刀比羅神社に寄り、根室駅から快速はなさき、特急スーパーおおぞら、快速エアポートと乗り継ぎ、新千歳空港から初めての飛行機(AIR DO)で羽田空港へ。東京都に戻ってきました。

[81182] 2012 年 7 月 25 日 (水) 15:32:26 hmt さん
 明治13年共武政表を眺める (8)伊勢・尾張で他の都市の一部になった町場
白桃 不思議のクニの名邑(マチはラビリンス)

「1880年の都市リスト」 に記録された 324の町場のうち、現在では他の都市の一部になっている地名を確認しています。
合計で13(京都2、大阪10、神戸1)あった京阪神[81154][81176]に続いて、今回は東海地方を見ます。

伊勢国一志郡 松崎浦。変遷情報により 明治22年松ヶ崎村、昭和29年松阪市に編入。
伊勢国度会郡の 宇治と山田
共武政表では2つの町場として扱われていますが、変遷情報を見ると、町村制施行により宇治山田町[79347]に統合される前は、宇治8町、山田22町もの町があったようです。宇治山田市(1906)を経て、現在は もちろん伊勢市(1955)。

尾張国では 名古屋と同じ 愛知郡 の熱田駅、下ノ一色村、鳴海村、それに西春日井郡の 下小田井村の4地名が 現在の名古屋市域に入っています。
熱田は 神宮の門前町でもあり、宿駅でもあります。
同じく東海道宿駅である 鳴海の物産として 絞り があるかと思いましたが、有松を含めて物産欄に記載なし。

変遷情報では 下之一色村は単独で町村制の村になり、下之一色町を経て 1937年に名古屋市(南区)に編入。同年の分区で中川区になっています。
下小田井村は、町村制で西枇杷島町になり、2005年に清洲町, 新川町と共に「清須市」新設。

西春日井郡下小田井と 愛知郡下之一色については、白桃都市人口研究所所長の白桃氏が苦闘しているとの記事[67791]がありましたが、問題は解決したのでしょうか?

知多郡には、1郡だけで7つもの地名が並んでいます。
この中で、醸造業が盛んな成岩(ならわ)村は、町村制発足後 間もなく成岩町となり、1937年に 北側の半田町、亀崎町(リストの乙川村・亀崎村)と合併して半田市になりました。なお、半田村は1880年の戸数が 1000に僅かに及ばず、リストから漏れています。

常滑は、知多半島東岸の半田・武豊に対する 西岸の町ですが、最近は 中部国際空港セントレアで 名古屋都市圏の玄関になりました。
常滑も難読ですが、「とこなめ」という読み仮名を必要としないくらい有名な陶器。
しかし共武政表でたくさん列挙されている物産の最後ですね。
常滑自身はそのままの名で「市」になっていますが、リスト中の大野村(町村制で大野町)が 1954年に常滑町他と合併で常滑市の一部になったので、ここに書き出しました。

結局、知多郡の中では成岩(半田市)・常滑・横須賀(東海市)・内海(南知多町)を現在の自治体の核と考え、乙川・亀崎・大野の3地名を他の市域に入った町場として扱いました。
尾張国全体では、熱田・下ノ一色・鳴海・下小田井を加えて7地名。
伊勢国は松崎・宇治(伊勢市の核は山田とする)の2地名が 他の市域に入りました。京阪神からの累計 22。

[81181] 2012 年 7 月 24 日 (火) 22:39:53 オーナー グリグリ
 公式フェイスブック・公式ツイッター

溜まっていた公式フェイスブックと公式ツイッターの情報を公式ツイッターのページに追加しました。[81116]右左府さん、メールで、fmincopeさん、ピーくんさんからの情報です。なお、下記以外にも自治体の公式キャラクターのツイッター情報もいただいていますが、[81111]に書いた見直しを今後検討していきますので、当面は、自治体を代表するアカウントのみ追加していきたいと考えます。

■追加した公式フェイスブック
岩手県
・奥州市
・陸前高田市
・大槌町
秋田県
・横手市
・三種町
茨城県
・常陸太田市
兵庫県
・多可町
奈良県
・十津川村
岡山県
・和気町
香川県
・宇多津町
宮崎県
・川南町

■追加した公式ツイッター
茨城県
・常陸太田市
・常総市
和歌山県
・有田川町

[81180] 2012 年 7 月 24 日 (火) 22:21:01【1】 伊豆之国 さん
 折口といふ名字

[81179]白桃さん
折口信夫の「折口といふ名字」
「折口」という苗字は、全国に約2,100人と推定されています。西日本に多い苗字で、最も多いのが広島県、次いで鹿児島県、大阪府の順となります。最多の広島県は、全国の2割を占め、呉市に多く30数件が集中しています。鹿児島県では、枕崎市が最多で20件、次いで「折口」の地名がある阿久根市に10数件が集まっています。その他では富山市と徳島市に10件以上あるようです。折口信夫氏が生まれた大阪府では、最も多い市区でも5件ほどで、特に集中した地域が見られないことから、府内居住の折口氏の多くは、広島・鹿児島などこの苗字の多い西日本各地から移住した人と思われます。信夫氏は「おりくち」と清音で読むようですが、全国的には「おりぐち」と濁る人が大半のようです。

[81179] 2012 年 7 月 24 日 (火) 21:20:34【1】 白桃 さん
 摂津国南町

[81176]hmt さん
西成郡南町は、郡区町村一覧 にも見当たらず不明ですが、おそらく 大阪の北側で、西中島南方駅あたり(南方村)でしょうか?
私もこの「南町」の場所について2〜3日間いろいろ調べていたのですが、ようやく分りました。ただ、当初から予感していた通り、「デリケートな問題」にぶつかることになりますので、詳しくは書かないことをご承知置きください。
「旧道倶楽部録」というホームページに、
西成郡木津村鼬川鴎橋南詰より南町に至る堤迄
同郡同村南町に至る分道より住吉中道筋に出る木津村人家限
とあり、木津村(の一部)か後の川南村ではないかと推測しました。
そして、折口信夫の「折口といふ名字」を見つけてはっきりさせることが出来ました。
それにしても、昔の大阪の旧村・地名探しの難しさは東京以上です。

[81178] 2012 年 7 月 24 日 (火) 18:40:40 YT さん
 十勝国河東郡、河西郡は各々「川筋東岸、川筋西岸」の村々を以て一郡と仕度候

[81170] Issie さん
いや,もっと単純に,北海道に国郡が設置された1869(明治2)年の段階では十勝平野の内陸まで実測が行われてはいないでしょうから方位の測量も完全ではなく,やっぱりサックリと“十勝川の西と東”ということなのかもしれませんが。

[81174] にまん さん
私はサックリ説に一票。

北の住人さんが[46207]で挙げられていますが、北海道の旧国名、制定の経緯に纏められているように、北海道の名称や国郡名は、開拓判官の松浦武四郎が明治2年旧暦7月17日(1869年8月24日)に上申した意見書を元に、明治2年旧暦8月15日(1869年9月20日)に太政官布告で決定されたものです(明治2年8月15日太政官布達第734)。

幸いに松浦武四郎による上申書の中身は、北海道大学北方関係資料総合目録の方に、『北海道々国郡名撰定上書』として収録されていますので、該当部分を読みますと:

河東郡 川筋東岸「ヲトフケ」「シカリヘツ」の村々を以て一郡と仕候、様奉在候

河西郡 川筋西岸「サツナイ」「ヤロマツ」「ヒハイロ」「メモロ」等を以て一郡に仕度候

「トカチ」川の東西村々を二郡に相分け中候、河東河西と仕度候、則阿波国に名東郡、名西郡、又筑前の上座、下座其餘葛上、葛下、添上、添下、皆あげてかぞへがたし、依て可然奉存候、

ヲトフケ=音更
シカリヘツ=然別(音更町内)
サツナイ=札内(幕別町内)
ヤロマツ=?
ヒハイロ=ピパイロ、美生(芽室町内)
メモロ=芽室

つまり十勝川の川筋西岸=十勝川の右岸、川筋東岸=十勝川の左岸としており、河口での川岸の東西で決めたようで、上流での地理云々は関係ないわけですね。まあ天保の国絵図を見る限り内陸の方位はいい加減ですし、伊能大図も海岸線しか調べていませんし、明治2年の段階では内陸の地形の詳細は不明だったでしょうけども。

なお、松浦武四郎本人はこれらの土地を実際に歩き、『蝦夷日誌』等に書き記しているようです。その辺の詳しいことは地徳力さんのホームページに掲載されています。

上を調べるきっかけになったのは、[81063]に示したように、『郡村石高帳』に釧路国善報郡という郡名が記載されていたからです。法令全書太政官日誌を見る限りそのような郡は設置された事実はなく、あくまでも松浦武四郎の原案にしか登場しないようです。どうやら明治6年に租税寮で『郡村石高帳』をまとめた人には北海道の国郡はどうでもよくて(村数、石高は全て空欄)、松浦武四郎の原案を横にして帳簿をまとめてしまったようです。

[81177] 2012 年 7 月 24 日 (火) 17:07:14【1】 むっくん さん
 旧高旧領取調帳では川北村が最多

[81149][81150][81151]グリグリさん
明治の大合併及びそれ以降の新設合併で成立したのは川西村が多いようですが、それ以前だとどの町村が多いのでしょうか。
明治2年頃の村を表した旧高旧領取調帳では

川東 10村(川東上村、川東下村を含む)
川西 17村(川西新村新田、新川西村、奥津川西村を含む)
川南 4村
川北 20村(川北村上組、川北村下組を含む)

河東 6村(上河東村、下河東村を含む)
河西 3村
河南 5村(丸河南村を含む)
河北 4村(上河北村、下河北村を含む)

江東 0村
江西 1村
江南 1村
江北 1村

となっていました。この時点では川北村が最多でした。
具体的にリストアップすると

国名郡名村名読み備考
美濃国中島郡川東村かわひがしM8.11.24に石津郡馬飼村との新設合併で岐阜県中島郡馬飼村
の一部となり消滅。(M20.7.13に愛知県所属となる)
伊賀国阿拝郡川東村かわひがし天保郷帳では河東村。
M22.4.1に新設合併で三重県阿拝郡壬生野村の一部となり消滅。
備後国奴可郡川東村かわひがしM22.4.1に新設合併で広島県奴可郡東城村の一部となり消滅。
安芸国山県郡川東村かわひがしM22.4.1に新設合併で広島県山県郡壬生村の一部となり消滅。
讃岐国香川郡川東上村かわひがしかみ天保郷帳では川東村で川東上村と川東下村とは分かれていない。
M23.2.15に新設合併で香川県香川郡川東村の一部となり消滅。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
讃岐国香川郡川東下村かわひがししも天保郷帳では川東村で川東上村と川東下村とは分かれていない。
M23.2.15に新設合併で香川県香川郡川東村の一部となり消滅。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
讃岐国大内郡川東村かわひがしM23.2.15に新設合併で香川県大内郡誉水村の一部となり消滅。
讃岐国阿野郡川東村かわひがしM23.2.15に新設合併で香川県鵜足郡美合村の一部となり消滅。
大隅国肝属郡川東村かわひがし天保郷帳では柏原村。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県肝属郡東串良村の一部となり消滅。
日向国諸県郡川東村かわひがしM22.5.1に新設合併で宮崎県北諸県郡沖水村の一部となり消滅。
相模国足柄上郡川西村かわにし神奈川県の市制町村制施行時でも合併せずそのまま存続。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
美濃国安八郡川西村かわにしM22.7.1に新設合併で岐阜県安八郡神戸村の一部となり消滅。
越後国三島郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で新潟県三島郡中越村の一部となり消滅。
大和国高市郡川西村かわにし天保郷帳では河西村。
M22.4.1に新設合併で奈良県高市郡新沢村の一部となり消滅。
伊賀国阿拝郡川西村かわにし天保郷帳では河西村。
M22.4.1に新設合併で三重県阿拝郡壬生野村の一部となり消滅。
播磨国飾西郡川西新村新田かわにししんむM5頃川西新村と改称。川西新村はM22.4.1に新設合併で
らしんでん兵庫県飾西郡余部村の一部となり消滅。
美作国吉野郡川西村かわにし承応2(1653)年尾崎村から分村して成立。
M14に合併で岡山県吉野郡古町村の一部となり消滅。
美作国西々条郡奥津川西村おくつかわにしM22.6.1に新設合併で岡山県西西条郡奥津村の一部となり消滅。
備後国奴可郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で広島県奴可郡東城村の一部となり消滅。
備後国三上郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で広島県三上郡高村の一部となり消滅。
安芸国山県郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で広島県山県郡壬生村の一部となり消滅。
周防国玖珂郡川西村かわにし天保郷帳では岩国村の一部。
M22.4.1に新設合併で山口県玖珂郡横山村の一部となり消滅。
周防国熊毛郡川西村かわにし天保郷帳では宿井村の一部。
M22.4.1に新設合併で山口県熊毛郡城南村の一部となり消滅。
肥前国松浦郡川西村かわにしM22.4.1に新設合併で佐賀県西松浦郡大川村の一部となり消滅。
大隅国肝属郡新川西村しんかわにし天保郷帳では中別府村。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県肝属郡東串良村の一部となり消滅。
大隅国肝属郡川西村かわにし天保郷帳では未記載。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県肝属郡東串良村の一部となり消滅。
大隅国桑原郡川西村かわにし天保郷帳では吉松村。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県桑原郡吉松村の一部となり消滅。
備後国安那郡川南村かわみなみ広島県の市制町村制施行時でも合併せずそのまま存続。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
大隅国菱刈郡川南村かわみなみ天保郷帳では湯之尾村の一部。
M22.4.1に新設合併でで鹿児島県菱刈郡太良村の一部となり消滅。
大隅国大隅郡川南村かわみなみ天保郷帳では小根占村の一部。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県南大隅郡小根占村の一部となり消滅。
日向国児湯郡川南村かわみなみM5に大池村と猪窪村の合併で成立。
M22.5.1に新設合併で宮崎県児湯郡川南村の一部となり消滅。
尾張国海西郡川北村かわきたM22.10.1に新設合併で愛知県海西郡開治村の一部となり消滅。
伊賀国山田郡川北村かわぎたM22.4.1に新設合併で三重県山田郡布引村の一部となり消滅。
伊勢国朝明郡川北村かわぎたM22.4.1に新設合併で三重県朝明郡大矢知村の一部となり消滅。
伊勢国三重郡川北村かわきたM22.4.1に新設合併で三重県三重郡鵜川原村の一部となり消滅。
伊勢国奄芸郡川北村かわきたM22.4.1に新設合併で三重県奄芸郡大里村の一部となり消滅。(注)
伊勢国一志郡川北村かわぎたM22.4.1に新設合併で三重県一志郡豊田村の一部となり消滅。
丹波国天田郡川北村かわきたM22.4.1に新設合併で京都府天田郡雀部村の一部となり消滅。
丹波国多紀郡川北村かわぎたM5頃に川北新田村を分離。M22.4.1に新設合併で共に
兵庫県多紀郡南河内村の一部となり消滅。
美作国英田郡川北村かわきたM5に峠村を合併。
M22.6.1に新設合併で岡山県英田郡江見村の一部となり消滅。
備後国恵蘇郡川北村上組かわぎたむら旧高旧領取調帳以外の資料では川北村上組と川北村下組とは
かみぐみ分かれておらず川北村として記載されている。川北村はM22.4.1
に新設合併で広島県恵蘇郡山内北村の一部となり消滅。
備後国恵蘇郡川北村下組かわぎたむら備後国恵蘇郡川北村上組(上述)を参照のこと。
しもぐみ
備後国安那郡川北村かわきた広島県の市制町村制施行時でも合併せずそのまま存続。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
土佐国安芸郡川北村かわきた高知県の市制町村制施行時でも合併せずそのまま存続。
この後は[81149]グリグリさんの表を参照のこと。
豊後国大野郡川北村かわきたM8に新設合併で大分県大野郡田代村の一部となり消滅。
大隅国菱刈郡川北村かわきた天保郷帳では湯之尾村の一部。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県菱刈郡菱刈村の一部となり消滅。
大隅国大隅郡川北村かわきた天保郷帳では小根占村の一部。
M22.4.1に新設合併で鹿児島県南大隅郡小根占村の一部となり消滅。
大隅国囎唹郡川北村かわきたM22.4.1に新設合併で鹿児島県西囎唹郡東襲山村の一部となり消滅。
日向国児湯郡川北村かわきたM5に寺迫・征矢原・長野・岩山・瓜生・篠別府の6村が合併して成立。
M22.5.1に新設合併で宮崎県児湯郡都農村の一部となり消滅。
日向国諸県郡川北村かわきた天保郷帳では西村。後に東川北村と改称。東川北村は
M22.5.1に新設合併で宮崎県西諸県郡加久藤村の一部となり消滅。
日向国諸県郡川北村かわきた天保郷帳では東村。後に西川北村と改称。西川北村は
M22.5.1に新設合併で宮崎県西諸県郡真幸村の一部となり消滅。
遠江国城東郡河東村かとうM22.3.1に新設合併で静岡県城東郡南山村の一部となり消滅。
甲斐国巨摩郡上河東村かみがとうM8に新設合併で山梨県巨摩郡(後に中巨摩郡)常永村の一部となり消滅。
甲斐国巨摩郡下河東村しもがとうM8に新設合併で山梨県巨摩郡(後に中巨摩郡)畷村の一部となり消滅。
筑前国宗像郡河東村かとうM7に多礼村を分村。
M22.4.1に新設合併で福岡県宗像郡河東村の一部となり法的には
一度消滅。この後は[81150]グリグリさんの表を参照のこと。
肥後国飽田郡河東村かわひがし川東村はM7.11.8に新設合併で白川県(現:熊本県)飽田郡和泉村
の一部となり消滅。
甲斐国巨摩郡河西村かさいM8.1.19に新設合併で山梨県巨摩郡(後に中巨摩郡)常永村の一部
となり消滅。
能登国鳳至郡河西村かわにし川西村はM22.4.1に新設合併で石川県鳳至郡西町村の一部となり消滅。
大和国十市郡河西村かわにし天保郷帳では存在せず、天保国絵図では桜井村之内・河西村との記載。
M22.4.1に新設合併で桜井村の一部となり消滅。
加賀国江沼郡河南村かわみなみM22.4.1に新設合併で石川県江沼郡河南村の一部となり法的には
一度消滅。この後は[81150]グリグリさんの表を参照のこと。
近江国神崎郡河南村かわみなみ川南村はM22.4.1に新設合併で滋賀県神崎郡八幡村の一部となり消滅。
備後国御調郡河南村かなん天保郷帳では浦辺村の一部。
M22.4.1に新設合併で広島県御調郡下川辺村の一部となり消滅。
備後国御調郡丸河南村まるかなんM22.4.1に新設合併で広島県御調郡河内村の一部となり消滅。
豊後国大野郡河南村かわみなみM8に新設合併で大分県大野郡田代村の一部となり消滅。
尾張国丹羽郡河北村こぎたM22.10.1に新設合併で愛知県丹羽郡富成村の一部となり消滅。
越前国足羽郡下河北村しもこぎたM22.4.1に新設合併で福井県足羽郡下文殊村の一部となり消滅。
越前国足羽郡上河北村かみこぎたM22.4.1に新設合併で福井県足羽郡下文殊村の一部となり消滅。
河内国讃良郡河北村かわきたM22.4.1に新設合併で大阪府讃良郡寝屋川村の一部となり消滅。
尾張国海西郡江西村えにしM22.10.1に新設合併で愛知県海西郡八輪村の一部となり消滅。
紀伊国名草郡江南村えなM22.4.1に新設合併で和歌山県名草郡安原村の一部となり消滅。
伯耆国久米郡江北村えきたM22.10.1に新設合併で鳥取県久米郡中北条村の一部となり消滅。

となりました。
(注)旧高旧領取調帳では河曲郡となっていましたが、これは奄芸郡の誤記と考えられることより訂正。

旧高旧領取調帳以降に成立し市制町村制施行直前まで存在したところとしては、

●岡山県吉野郡川東村(M5に美作国吉野郡東尾崎村上分、東尾崎村下分が合併して成立。)
●山口県美祢郡厚保川東村(M初期に長門国美祢郡厚保村が3村に分かれて成立。)
●秋田県由利郡川西村(M9に出羽国由利郡米山村、新屋敷村、奉行免村が合併して成立。)
●岐阜県益田郡川西村(M8.1.に飛騨国益田郡西上田村、跡津村、羽根村、野上村、尾崎村、四美村、三原村、少ヶ野村が合併して成立。)
●三重県安濃郡川西村(M8.4.に伊勢国安濃郡岡南村、村主村、井上村の合併で成立。)
●大分県速見郡川西村(M8に豊後国速見郡津々良村、内徳野村、山浦村、前徳野村の合併で成立。)
●岡山県久米北条郡久米川南村(天保郷帳でも美作国久米北条郡久米川南村だが、旧高旧領取調帳では久米上村、久米中村、足山村、大久保村に分かれて、M5に前述の4村が合併して成立。)
●大分県速見郡川南村(M8に豊後国速見郡石松村、山崎村、平村の合併で成立。)
●大分県速見郡川北村(M8に豊後国速見郡石武村、荒木村、光永村の合併で成立。)
●福岡県生葉郡江南村(M9に筑後国生葉郡夏梅村、高田村、今竹村の合併で成立。)(M22以降の福岡県生葉郡江南村については[81151]グリグリさんの表を参照のこと。)

があります。

[81176] 2012 年 7 月 24 日 (火) 15:40:55【1】 hmt さん
 明治13年共武政表を眺める (7)大阪市に編入された10の町場

「1880年の全国都市リスト」[81072]の中で、現在は大都市の一部になっている地名を拾っています。
最も目立つのは摂津国で、地名表には大阪四区に続いて 天王寺以下、大阪近郊の町場が並んでいます。

共武政表の時代の地形図としては、陸軍の作った迅速測図がありますが、大阪付近のもの【明治17年[44237]】を掲載することができなかったので、町村制施行後になりますが、 Old Map Roomを利用します。
こちらには、明治22年(1889)から翌年にかけて湊町−奈良間が開業した大阪鉄道(現・関西本線)が描かれています。

天王寺番外編 で、明治31年測量の地形図を表示してください。天王寺村と書いてありますが、鉄道よりも北の地域は、明治30年の第1次市域拡張で大阪市(南区)に編入されている筈です。停車場の付近には殆んど人家がなく、少し離れた四天王寺を取り囲むように、門前町が形成されているのを見ることができます。
こんな時代でも、鉄道は オープンカット工法により 道路との立体交差を実現しているところは立派。

もっと広範囲の様子を知りたいところですが、この地図でも、大阪とは市街地が連続していない近郊の門前町であった天王寺村の様子をうかがうことはできると思います。
逆に言えば、市街地でなかったからこそ、鉄道敷設が可能だったのでした。

続いて記された 北平野と 西玉造は、大阪城付近から その南にかけての町場と思われます。
これらの町は、町村制施行後には東平野町と玉造町になりましたが、明治30年の大阪市拡張 によって、郡部から大阪市(東区、現・中央区)になりました。

町村制施行で南隣の阿部野村を合併していた天王寺村は、この明治30年に また南北が別れたのですが、四天王寺のある北半分は大阪市東区に変ったのに、天王寺村の名は阿部野神社のある南半分に残りました。
この不自然な状態は、大正14年(1925)の分区により 四天王寺のある側に 天王寺区が生まれ、四天王寺のない天王寺村は 大阪市に編入されて住吉区(更に1943年の分区で阿倍野区)になり解消。

明治30年に戻ると、大阪の東側と同様に、他の三方向にあった 西成郡の木津(南区)、難波(南区)、上福島(北区)、曽根崎(北区)、北野(北区)も、すべて明治30年には大阪市に編入されました。括弧内は編入後の区名です。
大阪鉄道の湊町よりも一足先の 1885年に開通した 阪堺鉄道[61108](1898南海鉄道)の 難波ターミナルも、ここ西成郡難波村が 鉄道敷設可能な限界地(大阪四区に最も近い市街地周辺)にあったことを示しているのでしょう。。

西成郡南町は、郡区町村一覧 にも見当たらず不明ですが、おそらく 大阪の北側で、西中島南方駅あたり(南方村)でしょうか? 大阪日報(M13/5/2)は“府下南町の坂井傳平が巨費にて製靴所設立”と報道し、共武政表は南町の物産に「靴」と記しています。大阪は、藤田伝三郎[67425]以来 靴作りの盛んな地でした。

住吉郡の「平野」は、東区平野町や前記東成郡東平野町とは別の 平野郷 のことです。
7町村が合併してこの町名になったのは 町村制施行時 でした。

大阪から少し離れた位置の住吉郡平野郷町は、天王寺以下9つの町場と違い、明治30年には市内に編入されていません。
郡制施行に先立ち 明治29年に行なわれた郡再編[62662]による 新たな東成郡 を経て、大正14年(1925)の第2次市域拡張で 大阪市(新設された住吉区)になりました。東住吉区(1943)を経て、1974年から平野区。

1880年の都市リストの中に 17も挙げられていた摂津の町場の内 11(大阪を含む)は、このようにして大阪市になりました。
そして、菟原郡御影は神戸市に編入。池田・伊丹・尼崎・西宮はそれぞれ市になっています。

[81175] 2012 年 7 月 23 日 (月) 23:50:04 futsunoおじ さん
 新潟市「江南区」

[81170] Issie さん
この区も直接には大きな川を“北の境界”にしてはいないのですが,位置関係からするとこの“江”はやっぱり 信濃川 なんでしょうかね。
区名選定の際にどんな議論をしていたんでしたっけ。

区名の議論以前にこの地域に江南といった名称があったかどうかわかりませんが、区名選定の過程で誕生した名称と考えて良いと思います。区名選考過程では8つの区に候補名を他の区と重複しないよう各5つずつ選定し区名意向調査を行い、これを参考に審議会で決定するといったものであったようです。 (新潟江南高校は中央区に存在します。)

江南区は東西の区境界に阿賀野川と信濃川がありますが“川の南”という点では流れの向きが西に傾いていることで阿賀野川に分があります。ですが説明としては何とでも言えます。ここでは候補として「湖南区」もありましたが呼びやすさなども含めて「こうなん区」となったのではないかと個人的には感じています。(「湖」は鳥屋野潟を指すと考えられますが、区と接しているわけではありません。)

区名決定後の思いですが「江南区」と「南区」は逆であっても良かったかなとの感があります。「江南区」となる以前はここに大合併前の新潟市南部と旧亀田町などを管轄とする新潟南警察署が置かれていましたが、政令市の行政区移行と同時に南警察署の名称が13km離れた別の署に移るという混乱(?)が発生したものです。以前の市南部から旧亀田町にかけては距離的に近く市街地が連続しており、チェーン店などでは新潟南店/南支店もかなり見受けられます。一方の南区(旧白根市など)は区内の多くが信濃川とその分流である中ノ口川で完全に囲まれており“川中区”であってもおかしくないほどです。

[81174] 2012 年 7 月 23 日 (月) 22:30:47 にまん さん
 十勝川

[81170] Issie さん

いや,もっと単純に,北海道に国郡が設置された1869(明治2)年の段階では十勝平野の内陸まで実測が行われてはいないでしょうから方位の測量も完全ではなく,やっぱりサックリと“十勝川の西と東”ということなのかもしれませんが。

私はサックリ説に一票。
ただ、測量が完全でないといっても、星や太陽を見ればおおまかな東西南北は明らかですから、それが原因ではないと思います。
当時の開拓者の視線を想像するに、陸路はないといっても過言ではないですから、主要な交通路は十勝川であり、本土から来る人々にとって十勝川は河口から「北上」するという感覚が強かったのではないでしょうか。川なので途中方向が変わるのは知っていたとしても感覚的には北から南に流れていると。
例えとして適切かどうかわかりませんが、JR高崎線が東京から北に向かって走っているという感覚で、行田、妻沼を高崎線東、川本、大里を高崎線西とするようなものかと思います。

そんなこんなで、十勝川を中心に考えて、下流域が「中川郡」、中流域が左岸「河東郡」、右岸「河西郡」、上流域が「上川郡」。安易だとは思いますが、既存の地名を使っていないことを考えると十分考えられるのではないでしょうか。

[81173] 2012 年 7 月 23 日 (月) 22:01:29 オーナー グリグリ
 Re:なぜ「川西村」が圧倒的に多いのか?

[81149]で書き込んだ表題の件、皆さんから多くの反応をいただきました。[81160]YTさんの西方浄土思想の影響というのは考え付きませんでしたが、可能性として高そうですね。また、[81165]EMMさんによると、いずれも比較的新しい地名のようなので(もう少し検証が必要ですが)、新しく名前を選ぶ際に縁起の良い名前を選んだであろうという視点から、なおさらその可能性が高そうです。[81164]hmtさんの川上と川下の考察も面白いですし、[81168]伊豆之国さんの苗字分析も興味深いです。[81170]Issieさんの、かほく市(加北)については、過去にも話題になっています。加北記事を集めてみましたが、やはり最初の記事はIssieさんでした。皆さんの記事をあらためてじっくり検討した上で、雑学ページに仕立てることを考えたいと思います。ありがとうございました。引き続き議論をお願いします。

[81172] 2012 年 7 月 23 日 (月) 01:40:56 菊人形 さん
 Re:よろしくお願いします & 役目を終えた旧町村の庁舎

たびたびすいません。菊人形です。
自投稿[81169]の補足と訂正をさせてください。

・千葉県)山武市役所山武出張所 (旧)山武郡山武町役場
  1月に訪問。約500m離れた、「さんぶの森交流センター あららぎ館」内に移転
  「さんぶの森交流センター」内に移転したのは、平成22(2010)年10月12日でした。

・茨城県)常総市役所石下庁舎 (旧)結城郡石下町役場
  3月に訪問。平成23(2011)年8月30日に、約500m離れたR294近くの新庁舎に移転
  移転は平成23年ではなく、平成22(2010)年の8月30日でした。

いずれも、ちょっとWEBで調べれば判ること…。以後、気を付けます。

[81171]右左府 さん
こちらこそ、よろしくお願いします。
私も(旧)雄踏町役場には、平成20(2008)年12月に寄りました。でも、玄関の「浜松市西区役所へ移転」の貼り紙を見て写真も撮らずに去ってしまい、今となっては悔やまれる場所の一つです(苦笑)。

ついでに「役目を終えた庁舎」で一つ追加を。
・石川県)能美市役所(本庁舎)  (旧)能美郡寺井町役場
こちらは、[80967]EMMさんより情報提供されています。
先月、未訪問の能美市役所辰口庁舎へ行ったつもりが、着くと「能美市役所」だけで、どこにも「辰口庁舎」と書かれているものが見当たりません。「記憶違いか!?」とちょっと混乱しながら、念のために2年前に寄った能美市役所(旧:寺井町役場)に行くと、「辰口庁舎に移転した」との貼り紙が有り、初めて事を理解しました。
行く前にちゃんと予習しないとダメですね…。

[81171] 2012 年 7 月 22 日 (日) 23:52:31 右左府 さん
 役場巡り/旧雄踏町役場

[81169] 菊人形 さん

 初めまして、私も似た趣味を持つ者です。落書き帳メンバーには他にも役場巡りをされてる方が何名もいらっしゃいますよ。既に私はご投稿の内容に興味津々となっております。
 とはいっても、私が訪ねた役場はまだ200足らずで菊人形さんの足元にも及びませんが……。私の場合、役場巡りに加えて町歩きなども一緒に行っており、一日で訪ねられるのは多くて4か所程度。一応大合併以前の自治体全訪問を表向きは目指してはいますが、マイペースにのんびり進めています。

役目を終えた旧町村の庁舎
 移転や解体は予想以上に多くの所で行われていますね([74337])。姿を消す前にすべて訪ねておきたいと大合併当時は思っていたのですが、今はほぼ諦めています。

 この方面ではまだまだ初心者ですが、宜しくお願いします。

********************************************

 ついでに、今さらながら一つ訂正を……。
 一昨年[74337]にて 「浜松市の旧雄踏町役場は昨年9月私が行った時既に解体工事が進んでいました」 などと書きましたが、これは大嘘です。私が見た現場は解体工事ではなくて改築工事でして、2010年より「浜松市外国人学習支援センター」として引き続き使用されていました。

[81170] 2012 年 7 月 22 日 (日) 23:22:52 Issie さん
 基準の“河”は?

[81159] グリグリ さん
そう言えば、かほく市も参考データにすべきでしょうね。

この市の発足当時に話題になっていると思いますが,これはこの市自体が“川(河)の北”にあるのではなくて,旧所属郡の「河北郡」に由来するのでしょうね。
その 河北郡 は加賀4郡の最北の郡で浅野川以北を区域としたので,“浅野川の北”という意味で理解してよいようにも思いますが,若干保留すべき点が無きにしも非ず。
「河北郡」という呼称が現れるのは中世後半の室町時代のことで,この郡はもともと「加賀郡」という呼称でした。古代を通じて「越の国」はその区分がめまぐるしく変遷し,その都度各国間の境界が移動し,最終的に823年に 越前国 のうちの北部2郡(加賀,江沼)を分けて「加賀国」が設置され,そののちまで続く5国体制(越前・加賀・能登・越中・越後)となりました。そのうちの1郡が 加賀郡 であったことが「加賀国」の国名の由来ですね。合わせて,加賀・江沼両郡がそれぞれ2分割されて,加賀・石川・能美・江沼の4郡を治める国となりました。
で,以来何百年も経ってから“おもむろに”「加賀郡」から「河北郡」に郡名が変わっていくわけですが,単純に“浅野川の北”という意味なのかどうか。むしろ,“加賀国の北”の「加北郡」から表記が変わってしまったということも考えられないか。実際に近世(場合によっては明治)までの過程で郡名の漢字表記が換わってしまうことは珍しくないことですから。

[81164] hmt さん
北海道河西郡、同河東郡

これも意外に難題。
河西郡の芽室町が十勝川左岸を合併してしまったために現在の 河西・河東 両郡の境界は北に移動してしまっているのですが,もともとは十勝川が両郡の境界でした。だから“十勝川の西/東”という意味だ,と言いたいところですが,この区間の十勝川はほぼ西から東へ流れています。素直に考えれば「河南郡/河北郡」とした方が自然です。
河東郡の場合は,より上流の 上川郡 との間で十勝川がほぼ南へ向かって流れているので“河の東”と無理やり解釈することもできそうです。一方,河西郡の方も“東”の 中川郡 との境界が川とは関係なくなっていますが,これは 中川郡幕別村 の一部が編入された結果であり,少なくとも十勝川との合流点に近い区間では 札内川 が両郡の境界であったようで,その意味では“札内川の西”という意味であるのかもしれない。
とすると,「河西郡」と「河東郡」は実はお互いに“対になる郡”ではないのかもしれません。
いや,もっと単純に,北海道に国郡が設置された1869(明治2)年の段階では十勝平野の内陸まで実測が行われてはいないでしょうから方位の測量も完全ではなく,やっぱりサックリと“十勝川の西と東”ということなのかもしれませんが。

[81151] グリグリ さん
島根県 1951(S26).4.1 那賀郡 江東村 新設 1954(S29).4.1 江津市 新設/市制

これも一瞬,“江の川の東”という意味かと思いましたが,この区域は江の川とは山一つ隔てた北の日本海岸で,川とは関係ないようです。地図を見ると現・江津市の北東端に当たり,しいて言えば「江津町の東」という意味であるのかもしれません。

ところで「“江”シリーズ」にはもう一つ,“拡大新潟市”の「江南区」があります。
この区も直接には大きな川を“北の境界”にしてはいないのですが,位置関係からするとこの“江”はやっぱり 信濃川 なんでしょうかね。
区名選定の際にどんな議論をしていたんでしたっけ。

[81169] 2012 年 7 月 22 日 (日) 22:02:53 菊人形 さん
 よろしくお願いします & 役目を終えた旧町村の庁舎

[81156]オーナー グリグリさん
ここにいる皆さんは絶対にそんなことを聞かないでしょう。ご安心ください。
ありがとうございます。ある意味”自己満足”の世界で、こっそり役場巡り(修行?)をやってましたが、話が判る方と交流したいという気持ちも有ったりして…。初参者ですが、よろしくお願いします。

入門コースを同時に開催する予定です。
はい。次回は入門コースで是非参加させていただきます。

さて、合併で消滅した市町村役場の庁舎は、”支所”として現役で使用されている所が多いのですが、中には別の場所に移転しているケースに出遭うことがあります。
そのうち、私が今年(2012年)訪問した中で、移転済みだが旧庁舎の建屋が残っていた所を下手な画像と共に紹介します。別用途で活用されている気配が無かったので、その後に取り壊されてしまった所もあるかも知れませんが…。

・千葉県)山武市役所山武出張所 (旧)山武郡山武町役場
  1月に訪問。約500m離れた、「さんぶの森交流センター あららぎ館」内に移転
・茨城県)常総市役所石下庁舎 (旧)結城郡石下町役場
  3月に訪問。平成23(2011)年8月30日に、約500m離れたR294近くの新庁舎に移転
・新潟県)佐渡市役所赤泊行政サービスセンター (旧)佐渡郡赤泊村役場
  5月に訪問。平成23(2011)年1月11日に、約500m離れた「赤泊総合文化会館」内に移転
・石川県)かほく市役所七塚サービスセンター (旧)河北郡七塚町役場 (昭和47年竣工)
  6月に訪問。平成24(2012)年4月より、約100m離れた「七塚健康福祉センター」内に移転
・長野県上水内郡)飯綱町役場三水庁舎 (旧)上水内郡三水村役場
  6月に訪問。平成19(2007)年8月13日に、約500m離れた「リンゴパーク」内に移転。
  移転から5年近く経過しているのに、しっかりとメンテナンスされているようです。

(番外)
・長野県木曽郡)木曽町役場日義支所 (旧)西筑摩郡日義村役場 
  4月末に訪問しましたが、平成24(2012)年4月6日火災で全焼していました。行くまで知らなかったので、びっくりです。
  焼けた庁舎裏の「環境改善センター」が、日義支所となっていました。

これら以外に、訪問時にちょうど取り壊し中だったり、既に取り壊されて更地になっている所もいくつか有りましたが、続きは次回以降で。

[81168] 2012 年 7 月 22 日 (日) 21:20:32【2】 伊豆之国 さん
 West Of The River

オーナー グリグリさんの
「川東、川西、川南、川北」で検索した結果([81149])
からの一連の書き込みへの反応で賑わっていますが、苗字のほうではどうなのか、調べてみました。,
表中、人口概数は「苗字の百貨店」、分布は手持ちの「写録宝夢巣Ver10」で調べたものです。

苗字概数(人)多い地域・その他
川東3,500高松市、鹿児島県屋久島に集中。実数では大阪府が最多
川西25,000人口比率では香川県が最上位、高松市(市ランク30位台)とその周辺に集中。兵庫県播磨地域にも比較的多い
川南1,400鹿児島県、北海道、北陸〜関西に散在
川北12,000三重県が最多で全国の2割強を占める。津市〜四日市市間に集中
河東1,300各地に散在。実数では兵庫県赤穂市が最多(20数件)
河西19,000山梨県甲府盆地西部、長野県諏訪湖周辺
河南2,500兵庫県篠山市
河北3,100三重県鈴鹿市、京都府綾部市、高松市、熊本市など
江東330長崎市周辺
江西460徳島県藍住町
江南970滋賀県近江八幡市、福井県嶺南地域

予想通り(?)、地名と同様に「川西」さん、「河西」さんが他の方角に比べて圧倒的に多いという結果になりました。「川・河+方角」の苗字の場合、素直に「かわ○○」と読むことが多いようですが、「東」「南」の場合は「かわひがし」「かわみなみ」と読みが5音になるため、「〜とう」「〜なみ」と読み替える人も多いようです。
「河西」さんは、この苗字が集中する甲信地域では「かさい」と読むようです。山梨県では甲府盆地西部に集中し、中央市で5位、南アルプス市で10位に入ります。山梨県には同音の「笠井」さんも多く、何らかのつながりがありそうです。長野県諏訪湖周辺にも多く、諏訪市で6位、下諏訪町で11位に入り、ご当地のじゃごたろさんには身近な苗字ではないかと思われます。全国的には「かわにし」と「かさい」の読みが伯仲しているようです。「川西」さんは、兵庫県川西市にも20件近くありましたが、偶然でしょうか。
「河南」さんは、この苗字が集中する丹波篠山では市内10位に入るメジャーな苗字で、「かんなん」と難読です。
一方、「江東」「江西」「江南」「は、それぞれ「えとう」「えにし」「えなみ」と読むようです。「江南」さんが「湖東」の近江八幡市に10数件集まっているのが面白いところです。「江北」と書く苗字は実在が確認されていないようです。

♯倫敦五輪も間近ですが、「河西」というと、ある世代以上にはあの「東洋の魔女」のメンバー、河西昌枝さんを思い出す人も多いのではないでしょうか…。

[81167] 2012 年 7 月 22 日 (日) 17:47:25【1】 YT さん
 寛永国絵図の美作国の石高の訂正

[81123]の1598年〜1872年の旧国別石高の変遷の内、寛永十年巡見使国絵図の美作国の石高に誤りがあったので訂正します。[81123]では22万7115石としましたが、改めて川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房 (2002年)をチェックし、22万7715石の間違いであることを確認しました。それに伴い総石高も、2242万6237石9斗から、600石多い2242万6837石9斗へ修正されます。まあ、島原松平文庫『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」記載の江戸初期高と比較すると、どちらかが「壱」と「七」を混同して書き記した可能性が高いようにみえますが。

なお寛永十年巡見使国絵図では、端数切り捨てを意味する「余」という言葉が幾つかの地図に挿入されています。同様に島原松平文庫『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」でも三河国に限り「余」が挿入されています。以下、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」 (『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))記載の江戸初期高とともに寛永国絵図石高を再録します。

旧国江戸初期高(余)寛永国絵図高(余)
山城国216,070.700216,070.0
大和国444,134.000444,134.0
河内国308,857.620308,857.0
和泉国138,797.090138,797.0
摂津国290,902.100299,902.0
伊賀国95,594.10095,594.0
伊勢国572,786.900572,786.0
志摩国17,849.30017,849.0
尾張国480,841.700
三河国336,000.000350,000.0
遠江国268,800.000268,800.0
駿河国170,000.000170,000.0
甲斐国250,000.000250,000.0
伊豆国79,353.00079,353.0
相模国191,524.000191,920.0
武蔵国840,000.000840,000.0
安房国91,779.12091,779.0
上総国285,300.000285,300.0
下総国250,131.000250,140.0
常陸国753,600.000752,600.0
近江国832,122.600832,120.0
美濃国581,523.000581,523.0
飛騨国38,764.40038,764.0
信濃国547,360.000547,360.0
上野国468,000.000468,000.0
下野国464,000.000464,000.0
陸奥国1,729,000.0001,822,000.0
出羽国870,000.000870,000.0
若狭国85,099.60085,099.0
越前国682,654.000682,654.0
加賀国442,507.400442,507.0
能登国216,891.300216,891.0
越中国530,637.300536,037.0
越後国450,060.900606,370.0
佐渡国20,599.00020,599.0
丹波国280,570.200280,570.0
丹後国123,170.200123,170.0
但馬国123,960.000123,960.0
因幡国131,649.600131,649.0
伯耆国175,032.000175,032.0
出雲国223,477.100223,477.0
石見国137,370.000137,370.0
隠岐国11,802.90011,802.0
播磨国521,300.000
美作国227,115.500227,715.0
備前国286,200.000286,200.0
備中国227,894.800227,894.0
備後国238,838.000238,138.0
安芸国259,384.900259,384.0
周防国164,420.200164,420.0
長門国134,059.900134,050.0
紀伊国395,247.700395,247.0
淡路国63,621.10063,621.0
阿波国186,753.500186,753.0
讃岐国171,815.000171,815.0
小豆島3,186.700
伊予国381,640.800381,640.0
土佐国202,626.500202,626.0
筑前国522,512.400522,515.0
筑後国302,085.500302,085.5
豊前国330,744.644300,740.0
豊後国378,592.400378,592.0
肥前国561,437.400561,437.0
肥後国572,989.000572,989.0
日向国288,589.500288,589.0
大隅国170,828.100170,828.0
薩摩国315,251.700315,251.0
壱岐国15,982.30015,982.0
対馬国0.0008,163.0
合計22,171,689.67422,426,837.9

なお、川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』に収録されている国絵図は、主に岡山大学附属図書館所蔵の池田家文庫で、尾張国と播磨国の国絵図は、秋田県公文書館所蔵の日本六十余州国々切絵図によります。現在寛永国絵図が全国68ヶ国完全に揃っているのは秋田公文書館と山口県文書館で、岡山大学附属図書館所蔵は尾張と播磨を欠き、その他名古屋市蓬左文庫に過半数、東京大学総合図書館(南葵文庫)、熊本大学附属図書館(永青文庫)に十数ヶ国分が現存しますが、この内描法・彩色・書写がもっとも丁寧なのが池田本です。以下本書の解説からの引用です。

 以上の考察の結果から、伝存する余州国諸本は寛永10年(1633)に全国に派遣された諸国巡見の国廻りを通じて幕府へ収納された国絵図の写本であることが明らかとなった。そのうち本書に図版で収録した岡山大学附属図書館(池田家文庫)蔵の池田本は、秋田県公文書蔵の佐竹本、山口県文書館蔵毛利本とともに全国分ほぼ揃って存在する「日本六十余州図」のひとつである。
 寛永10年の巡見使国廻りが全国を6区に分けて実施されたことからすると、本来巡見使上納国絵図は分担区ごとに絵図様式に違いが生じていたはずである。ところで「日本六十余州図」は、村々記載の精粗、郡区分の有無、国境越え道筋での表記の違いなど巡見使の分担区ごとに内容に明らかな差異があるにもかかわらず、絵図様式は全国すべて一様である。このことは「日本六十余州図」が巡見使国絵図を原拠とする写本ではあるものの、その後に様式の統一をはかって全国をいっせに描き直した二次的写本であることを推測させる。
(中略)
 ところで、この二次的写本とみられる「日本六十余州図」の成立時期については、寛文11年(1671)頃ではないかと考えられる。池田本をはじめいくつかの余州図の付箋に記される城主の揃う時期が寛文11年であることは、この年に古くなった全国の一次的写本がいっせに描き直されて、居城に付箋がつけられたと想定できよう。
(中略)
 「日本六十余州図」が寛永10年巡見使国絵図の二次的作品であるとはいえ、慶長国絵図が全国揃って残されていない現在では、この写本は全国を網羅して現存するもっとも古い江戸幕府の国絵図である。絵図面が比較的扱いやすい手頃な大きさであることから、地理的情報がとぼしかった江戸前期ないし中期において全国を知る地図資料として有力大名家間にてこれが模写・転写されたものと考えられる。

[81166] 2012 年 7 月 22 日 (日) 14:36:44【1】 オーナー グリグリ
 第三十五回全国の市・十番勝負の開催予定

第三十五回の開始日時は、8月13日(月)午後9時開始を予定しています。お盆と被り、夏の甲子園の真っ最中ですが、ロンドンオリンピック期間は避けることにしました。[80947]に書きましたように、次回は通常コースと入門コースの2つのコースを同時に開催する予定です。

通常コースはこれまで通りで、順位問題はありません。すべて通常問題です。入門コースは、出題形式、解答方法など、基本的に通常コースと同じですが、問題番号はアルファベットとして通常コースの解答と区別します。

通常コース:問一、問二、問三、問四、問五、問六、問七、問八、問九、問十
入門コース:問A、問B、問C、問D、問E、問F、問G、問H、問J、問K

入門コースは、通常コースと比較して、比較的簡単な問題になります。難易度はあくまでも主観的なものなので、出題者の思惑と解答者の感じ方には差異があるとは思いますが、できるだけ、十番勝負へのハードルを低くし、誰でも気軽に参加できるようにしたいと思います。なお、通常コースと入門コース両方への同時参加はできません。万一、両方へ参加された場合には、後から参加したコースの解答は無効とします(解答がなかったこととして採点しません)。

開始直後の混乱を避けるために、両コースの開始時間をずらすことも考えましたが、両方の問題を見てコース選択される方もいらっしゃると思いますので、同時開始とします。一つの書き込みで両方の問題を提示する予定です。解答を間違われないようにお気を付けください。なお、ランキングなど十番勝負の記録は、通常コースについては、これまでの記録として累積し継続します。入門コースについては、あらためて別記録として蓄積していきます。両コースの記録を合算することはありません。したがって、連続参加、連続完答など、記録継続を考えていらっしゃる方は、通常コースに参加されることをお奨めします。

ご質問、ご要望などありましたら遠慮なくお知らせください。

[81165] 2012 年 7 月 22 日 (日) 13:48:24【1】 EMM さん
 川○・河○・江○の「村名の前歴」について

「川西」が一番数が多い理由には直接結びつかないかもしれませんが、各自治体名の「村名の前歴」について調べてみました。
まず自分の身近なところで石川県の2つの「川北」ですが、いずれも明治の大合併第2弾によって生まれた新しい地名で、下記の通り合併前の前歴に「川北」は存在しません。

能美郡川北町(←川北村)は1907(M40)年に中島村・草深村・砂川村が合併して成立。
中島村は灯台笹村(微)(現在の藤蔵)・三反田村・宮竹新村(現在の中島)により成立。
草深村は土室村・山田先出村・一ツ屋村が合併して成立。
砂川村は与九郎島村・出合島村(現在は白山市)・田子島村・舟場島村・橘村・朝日村・下粟生村(昭和9年の手取川水害ののち昭和25年に橘に編入)・橘新村・久五郎島村(明治の大合併時で無人村、昭和9年の手取川水害ののち昭和25年に朝日に編入)により成立。

河北郡川北村は1907年に川筋村・河崎村・木越村が合併して成立。
川筋村は沖村・磯部村・松寺村・寺町村により成立。
川崎村は大浦村・東蚊爪村により成立。
木越村は木越村単独で成立。

命名の理由としては、それぞれ手取川、浅ノ川の北の方(河北郡川北村は真北ではありませんが)の村々が合併した事にちなむようです。

他の川○、河○、江○もほとんどが合併によって生まれた地名のようで、ほとんどが前歴にその名がありませんでしたが、下記の自治体については明治の大合併直前の地名に川○、河○、江○が存在しました。

香川県香川郡川東村(かわひがし)(前歴は川東上村、川東下村)
神奈川県足柄上郡川西村(かわにし)
岐阜県益田郡川西村(かわにし)
広島県安那郡川南村(かわみなみ)
宮崎県児湯郡川南村(かわみなみ)
広島県安那郡川北村(かわきた)
高知県安芸郡川北村(かわきた)
福岡県宗像郡河東村(かとう)
石川県江沼郡川南村(かわみなみ)
福岡県生葉郡江南村(えなみ)

このうち、岐阜県益田郡川西村(現・下呂市)を除いて現在でも町名字名として川○、河○、江○が残っていました。
岐阜県益田郡川西村についてですが、「岐阜県は明治の大合併以前に藩政村の合併が行われている可能性がある」という話を確か地名好きさんがされていたと記憶しています。
ということは、この「川西」も合併により新しくできた地名である可能性がある…と言う事になりそうです。

[81164] 2012 年 7 月 22 日 (日) 12:13:32 hmt さん
 川西・川上は理想郷?

[81149] オーナー グリグリさん
なぜ「川西村」が圧倒的に多いのか?
[81160] YTさん
彼岸や西方浄土などの仏教思想の影響があるのかも知れません。

私も、三途の川を西に渡った彼岸にあるという極楽を意識し、理想郷を連想させる「川西」を、村の名に選んだものと考えました。

例えば西遊記。河西回廊(甘粛省)を出発し、西へ西へと続ける旅の途中では 大河を越えます。
実際に経典を求めての旅では、インダス川を東に渡らなければ、インド入りはできなかった筈ですが…

東西南北の対比に加えて、川上と川下も拾ってみたら、「川上」 21件に対して「川下」 2件と、川上が圧勝でした。
これも、桃花源の記 に記されたような 川上にある理想郷に あやかるものと思います。

もっとも、川下が少ないのは、むしろ類語の「川口」 15件 が好んで使われる という事情もあると思います。
未決着の岩手県稗貫郡の 里川口町と花巻川口町とは[80322] とりあえず1件とし、京都府天田郡にあった上下の川口村は別々に数えています。

「川尻」4件も 川下の類語でしょう。それにしても「口」と「尻」とが同じように使われるのは奇妙。

ついでに、郡も拾ってみました。
石川県河北郡、北海道河西郡、同河東郡、同川上郡、岡山県川上郡(2004/4/1消滅)
データベース検索 は、岡山県川上郡が消滅する前年のデータを使いました。
河南・川西・川口は該当データなしのサンプルとして加えてあります。

[81163] 2012 年 7 月 22 日 (日) 11:08:59 オーナー グリグリ
 大変失礼しました

[81157]の追記に書いた35,909人は、[81162]白桃さんご指摘の通り、2000年国勢調査人口でした。2005年は41,593人、2010年は[81161]煮豆さんご指摘通り47,042人です。5年でほぼ5万5千人ずつ増加しており、2015年には、5万人超は十分考えられます。うっかり市区町村プロフィールの過去データベースを表示していたページで確認したための、軽率な追記でした。お詫びいたします。大変失礼いたしました。

[81126]で『47都道府県のデータ』へのデータ追加をご案内しましたが、4県に加え、次の3県を追加しました。
宮城県のデータ
滋賀県のデータ
兵庫県のデータ

[81162] 2012 年 7 月 22 日 (日) 10:43:54 白桃 さん
 35,909人

[81161]煮豆 さん
どちらが正しい?
35,909人は2000年国勢調査の富谷町の人口です。

[81161] 2012 年 7 月 22 日 (日) 10:06:00 山野[煮豆] さん
 どちらが正しい?

[81157]グリグリさん
2010年の国勢調査人口は35,909人
富谷町の国調人口、市区町村プロフィールには「47,042」とありますが違うんですか?

[81160] 2012 年 7 月 22 日 (日) 02:22:55 YT さん
 北海道庁現行布令便覧 ほか

[81135] むっくんさん

M31.7.31現在の連合戸長役場であるならば北海道庁現行布令便覧(明治三十一年)(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)に載っています。

『北海道庁現行布令便覧』のご紹介ありがとうございます。さらに明治19年から明治27年までは、『北海道庁布令全書』というのが発行されているようですが、近代デジタルライブラリーをみる限り、各年の戸長役場の所在地まではまとめてはないようですね。

[81149] オーナー グリグリさん
川西村(町)が圧倒しています。これだけの差があると何か要因があるように考えられます。

とりあえず、川東、川南が少ない理由は、日本語の音韻論で説明できると思います。川東や川南と書いた場合、ほぼ訓読みで「かわひがし」や「かわみなみ」なると思いますが、日本語であれば音韻(モーラ)数が4や3の省略を好む傾向があり、5モーラの「かわひがし」や「かわみなみ」よりも4モーラの「こうとう」「こうなん」や3モーラの「かとう」「かなん」が口にしやすいのはないでしょうか?

もっとも兵庫県や福島県の河東、石川県の河南は「かわひがし」「かわみなみ」ですし、「かわきた」が少ないことの説明にはなりませんので、彼岸や西方浄土などの仏教思想の影響があるのかも知れません。

[81159] 2012 年 7 月 21 日 (土) 18:49:21 オーナー グリグリ
 江東区を忘れていました

[81158] Issieさん
それぞれの名前には当然個々の事情があるわけで,その辺に「川西」が多い秘密があるのかもしれません。
そうですね。個々の事情を調べるのは大変ですが、由来などを分類することにより秘密があるのかないのか、どんな秘密があるのか、暴けることを期待したいです。雑学ページにする際には、読みもできるだけ調べて掲載したいと思います。読みが重要なヒントになるケースもあると思います。

東京都の「江東区」も含めて,それが“川”なのか“江”なのか“河”なのか,その選ばれ方にも何か傾向があるのでしょうかね。
江東区をうっかり忘れていました。[81151]に追加しておきました。スケールの違いによる一般的な“川”“江”“河”の定義がすんなり当てはまるとも思えませんし、大阪府の河南町のように旧国名や地名からの方角付けもありますね。そう言えば、かほく市も参考データにすべきでしょうね。

[81158] 2012 年 7 月 21 日 (土) 18:14:14 Issie さん
 川東の河南町

[81149][81151] グリグリ さん
なぜ「川西村」が圧倒的に多いのか?
河東、河西、河南、河北
江東、(江西)、江南、江北

こうして並んでみると結構面白いですね。
それぞれの名前には当然個々の事情があるわけで,その辺に「川西」が多い秘密があるのかもしれません。
ところで,

大阪府(南河内郡)河南町

これは“河川の南”という意味ではありませんね。「河州(河内)の南」という意味。
実際は 石川 とその支流の 千早川 の東で,その意味では「川東町」という名前もあり得たかもしれない。

その意味で,滋賀県に「江北」「江南」がないのも興味深いですね。この場合は“濁点”のついた「ごうほく,ごうなん」と読むのでしょうが。江州(ごうしゅう=近江)の北や南ではなく,実際に創作された地名は“琵琶湖の南”の「湖南市」。
東近江市が「江東(ごうとう)市」になることはなかったのでしょうかねえ。

そして実際に“川”に関連する地名の場合。
東京都の「江東区」も含めて,それが“川”なのか“江”なのか“河”なのか,その選ばれ方にも何か傾向があるのでしょうかね。

[81157] 2012 年 7 月 21 日 (土) 18:04:20【3】 オーナー グリグリ
 次の合併は2014年4月5日

[81152] 煮豆さん
栃木市・岩舟町の合併日が20日決まり、2014年4月5日とし、調印式を来年2月14日に行われる予定です。
情報をありがとうございます。さっそく更新しました。

この合併が予定されている中で最も直近の合併になります。というか、今後予定されている合併は、今のところこの案件だけしかありません。ちなみに、今後予定されている変遷情報は次の通りです。詳細は、市区町村変遷予定情報 日付順一覧を。

2012(H24).10.1埼玉県市制白岡市南埼玉郡 白岡町
2013(H25).1.1千葉県市制大網白里市山武郡 大網白里町
2013(H25).4._沖縄県中核市那覇市中核市に指定
2014(H26).1.1岩手県市制滝沢市岩手郡 滝沢村
2014(H26).4._東京都中核市八王子市中核市に指定
大阪府中核市枚方市中核市に指定
2014(H26).4.5栃木県編入栃木市栃木市, 下都賀郡 岩舟町
2015(H27).4._埼玉県中核市越谷市中核市に指定
2016(H28).4._宮城県市制富谷市黒川郡 富谷町

中核市指定はこれまでの事例から4月1日であると考えられますが、公式には4月とまでしか発表されていません。

追記:
富谷市については、現町長が、昨年3月の町議会での施政方針演説で時期を明示した目標設定であり、2010年の国勢調査人口は35,909人と、5万人には大きなギャップがあります。

追記の追記:
上記の35,909人は、[81162]白桃さんご指摘の通り、2000年国勢調査人口でした。2005年は41,593人、2010年は[81161]煮豆さんご指摘通り47,042人です。5年でほぼ5万5千人ずつ増加しており、2015年には、5万人超は十分考えられます。大変失礼いたしました。

[81156] 2012 年 7 月 21 日 (土) 17:45:22 オーナー グリグリ
 よろしくおねがいします♪

[81153] 菊人形さん
皆様、お邪魔します。菊人形と申します。
菊人形さん、はじめまして。オーナーのグリグリです。ようこそ。
ただし、この趣味の話をしても、「なんでそんなことするの?」と聞かれることが目に見えてるので、会社の連中には話していません。
ここにいる皆さんは絶対にそんなことを聞かないでしょう。ご安心ください。
追伸)十番勝負の過去問題を見ても、私にはさっぱり解らず…。皆様の凄さに驚愕しきりです!
そうなんですよね。初めての方にはかなりハードルが高くなってしまっているようです。それで、次回は、これまで通りの通常コースの他に、入門コースを同時に開催する予定です。詳細はあらためて。ぜひご参加ください。

[81155] グレイスさん
初めまして、グレイスと申します。
グレイスさん、はじめまして。よろしくお願いします。
県マップを発見した時は嬉しかったですね。
経県値マップのことですね。あのブログパーツは、[58251]を参照していただければ分りますが、がーさんの力作です。とてもおしゃれなマップで私も気に入っています。グレイスさんの経県を落書き帳でお話しください。メンバー登録すれば、落書き帳メンバー 経県ランキングでご紹介できます。

新しい方が来ていただけると嬉しいですね。よろしくお願いします♪

[81155] 2012 年 7 月 21 日 (土) 16:05:18 グレイス さん
 初めまして

初めまして、グレイスと申します。行った県を表示する日本地図のブログパーツを探していて、ここにたどり着きました。県マップを発見した時は嬉しかったですね。まさにこういうものが欲しかった!製作者の方に感謝してもしきれません。

早速挑戦したところ、福岡と長崎を除く九州が真っ白でした。今後の目標に九州を入れたいと思います。でも宮城・田代島や佐渡島にも行きたいし、どうしたものか。それでは失礼しました。

[81154] 2012 年 7 月 21 日 (土) 15:42:21 hmt さん
 明治13年共武政表を眺める (6)京都市に編入された伏見と柳原

[81146]で、「1880年の都市リスト」 に記録された 324の町場のうち、現在も「町」である 20町を列挙しました。
「町」として残らず、225市にも数えられなかった 79地名の大部分は、その後 拡大した大都市の一部として 飲み込まれた町場です。

リストの冒頭には、山城国京都二区(愛宕葛野両郡に跨る上京区と 愛宕郡下京区)に続いて、愛宕郡柳原と 紀伊郡伏見とが記されています。

郡区町村編制法初期の伏見は、119町よりなる 伏見区 でしたが、明治14年1月10日布告で廃止[74376]されました。
共武政表では 紀伊郡伏見駅 となっています。これが 1889年の町村制による統合で紀伊郡伏見町。
1929年には伏見市になったものの、1931年 京都市拡張 に際して編入され、自治体でない 伏見区 に変りました。

現在の伏見区の区域は、元の伏見市だけでなく、周辺部を大幅に編入して形成されたことが指摘されています [3419]
また、京都市と旧伏見市とが、市街地としては一体化しておらず、旧深草町を介して辛うじて連続していることも指摘されています[6414]

京都の「柳原」という地名については、私は全く知識がありませんでした。

共武政表では 愛宕郡の下京区に続いて 柳原庄1017戸 とあります。
変遷情報により、1889年の町村制で愛宕郡柳原庄から紀伊郡柳原町になり、 1918年に京都市に編入された ことが判明。
なお、郡区町村一覧は 愛宕郡・紀伊郡のいずれにも 柳原が見当たらず。

調べてみると、場所は京都駅の東側、河原町七条あたりで、室町時代から続いた河原者に由来する町とわかりました。
柳原銀行記念資料館 崇仁地区の歴史年表。
現在は柳原でなく、崇仁(すうじん)という地名 が使われているようです。

[81153] 2012 年 7 月 21 日 (土) 14:56:09 菊人形 さん
 はじめまして

皆様、お邪魔します。菊人形と申します。
本落書帳を今年5月に知って以降、過去ログを拝読させていただきました。

私は月1ペースで、土日の休みを利用して全国の市区町村役場(役所)を巡り、庁舎の写真を撮ることを趣味(?)としています。
一度に多くの地区を回りたいので、移動は車が中心。旅立つ前の、地図を見ながらのルート決めと、訪問後の白地図塗り潰しが楽しみです。
ただし、この趣味の話をしても、「なんでそんなことするの?」と聞かれることが目に見えてるので、会社の連中には話していません。納得してもらえるような理由も見当たらないので…。

目標は、平成の大合併前の全市区町村(1999(平成11)年4月の篠山市誕生以前が対象)を訪れること。
2002年以降、途中にサボった時期がありますが、現在約6割の市区町村を訪ねました。 (現存する市区町村だと、8割弱)

最近は、合併等で消滅した自治体の庁舎が取り壊されて更地になっているケースが間々あります。
余所者が言うことではないのでしょうが、できれば1枚でも多く旧庁舎の姿で撮っておきたいと、一人勝手に焦っています。

庁舎ネタが中心となってしまいますが、今後ちょこちょこ顔を出させてください。よろしくお願いします。

追伸)十番勝負の過去問題を見ても、私にはさっぱり解らず…。皆様の凄さに驚愕しきりです!

[81152] 2012 年 7 月 21 日 (土) 14:40:04 山野[煮豆] さん
 合併日

グリグリさんへ
相変わらず、合併ネタを見つけると喰い付く「煮豆」です。
栃木市・岩舟町の合併日が20日決まり、2014年4月5日とし、調印式を来年2月14日に行われる予定です。下野新聞より。
これから出掛けますので、今回はこれだけです。

[81151] 2012 年 7 月 21 日 (土) 13:41:17【1】 オーナー グリグリ
 江東、(江西)、江南、江北

続けていっちゃいましょう。江西はありませんでした(町村制施行前だと愛知県海西郡江西村があります)。生き残っているのは、愛知県江南市と佐賀県江北町です。

東京都1947(S22).3.15江東区区設置
島根県1951(S26).4.1那賀郡江東村新設1954(S29).4.1江津市新設/市制
--------------
埼玉県1955(S30).1.1大里郡江南村新設1985(S60).11.1大里郡江南町町制
2007(H19).2.13熊谷市編入
愛知県1954(S29).6.1江南市新設/市制
島根県1889(M22).4.1神門郡江南村新設/村制1951(S26).4.1簸川郡湖陵村新設
福岡県1889(M22).4.1生葉郡江南村新設/村制1955(S30).1.1浮羽郡吉井町新設
--------------
東京都1889(M22).5.1南足立郡江北村新設/村制1932(S7).10.1東京市編入
佐賀県1932(S7).4.1杵島郡江北村新設1952(S27).4.1杵島郡江北町町制

【追記】[81158]Issieさんの記事を受け、東京都江東区の情報を追加。

[81150] 2012 年 7 月 21 日 (土) 13:29:37 オーナー グリグリ
 河東、河西、河南、河北

河東、河西、河南、河北です。川よりはかなり少なくなりますね。また、偏りもありません。生き残っているのは、山形県河北町と大阪府河南町です。京都府加佐郡の東西ペアは1951年大江町に編入、宮城県桃生郡の南北ペアは2005年石巻市に新設合併されています。「川東・川西・川南・川北」との地名由来の違いはあまりないと考えるのですが、川、河とくれば、「江」も調べた方が良さそうですね。読みがすべて分っていないので、読みも調べて分類整理すると体系的になりそうです。

福島県1957(S32).4.1河沼郡河東村新設1978(S53).4.1河沼郡河東町町制
2005(H17).11.1会津若松市編入
京都府1889(M22).4.1加佐郡河東村新設/村制1951(S26).4.1加佐郡大江町編入/改称
兵庫県1889(M22).4.1宍粟郡河東村新設/村制1955(S30).7.20宍粟郡山崎町新設
福岡県1889(M22).4.1宗像郡河東村新設/村制1954(S29).4.1宗像郡宗像町新設
------------------
新潟県1889(M22).4.1西蒲原郡河西村新設/村制1901(M34).11.1西蒲原郡中野小屋村新設
滋賀県1889(M22).4.1野洲郡河西村新設/村制1955(S30).1.15野洲郡守山町新設
京都府1889(M22).4.1加佐郡河西村新設/村制1951(S26).4.1加佐郡大江町編入/改称
------------------
宮城県1955(S30).3.21桃生郡河南町新設/町制2005(H17).4.1石巻市新設
石川県1889(M22).4.1江沼郡河南村新設/村制1955(S30).4.1江沼郡山中町新設
長野県1889(M22).4.1上伊那郡河南村新設/村制1964(S39).4.1上伊那郡高遠町編入
大阪府1956(S31).9.30南河内郡河南町新設/町制
------------------
宮城県1955(S30).3.21桃生郡河北町新設2005(H17).4.1石巻市新設
山形県1954(S29).10.1西村山郡河北町新設

[81149] 2012 年 7 月 21 日 (土) 12:38:24 オーナー グリグリ
 なぜ「川西村」が圧倒的に多いのか?

変遷情報検索を使って共通名の自治体を検索するのは楽しいですね。リニューアル作業の息抜きにもってこいです。「川東、川西、川南、川北」で検索した結果を整理して一覧にしました。成立時の数は次の通りです。

川東7村
川西3町20村(下川西村を含む)
川南5村
川北7村

川西村(町)が圧倒しています。これだけの差があると何か要因があるように考えられます。川の西側には集落ができやすいのでしょうか。川の東側には耕地が作られて、耕地に適していない川の西側に集落ができたとか。根拠はないのですが、何となくそんな理由が成り立つように思えます。研究された方がいるんじゃないかな。

現在まで生き残っているのは、山形県川西町、兵庫県川西市、奈良県川西町、宮崎県川南町、石川県川北町です。石川県に川北村が2つあったのは知りませんでした。同一都道府県に同一名があったのは、福島県の川西村(河沼郡と大沼郡)、新潟県川西村・下川西村・川西町(古志郡と中魚沼郡)、石川県の川北村(能美郡と河北郡)になります。新潟県の中魚沼郡川西町は、古志郡川西村が上川西村になり下川西村とともに長岡市に編入された後、新設されています。同一都道府県で東西南北が揃っているところはありません。3つまでなら、福島県(東西南)、新潟県(東西北)、大阪府(西南北)、岡山県(東西南)、広島県(西南北)にあります。

福島県1889(M22).4.1石川郡川東村新設/村制1955(S30).1.1石川郡大東村新設
新潟県1889(M22).4.1中蒲原郡川東村新設/村制1954(S29).11.3五泉市新設/市制
新潟県1901(M34).11.1北蒲原郡川東村新設1955(S30).3.31新発田市編入
奈良県1889(M22).4.1式下郡川東村新設/村制1956(S31).9.30磯城郡田原本町新設
岡山県1905(M38).9.1真庭郡川東村新設1955(S30).1.1真庭郡落合町新設
徳島県1889(M22).10.1海部郡川東村新設/村制1955(S30).3.31海部郡海南町新設/町制
香川県1890(M23).2.15香川郡川東村新設/村制1955(S30).4.1香川郡香川町新設/町制
----------------------
北海道1924(T13).2.1河西郡川西村分立1957(S32).4.1帯広市編入
秋田県1889(M22).4.1平鹿郡川西村新設/村制1956(S31).1.25平鹿郡大森町新設
山形県1955(S30).1.1 東置賜郡川西町新設
福島県1889(M22).4.1河沼郡川西村新設/村制1955(S30).4.1河沼郡会津坂下町新設
福島県1889(M22).4.1大沼郡川西村新設/村制1917(T6).9.25大沼郡西方村改称
茨城県1889(M22).4.1真壁郡川西村村制1955(S30).1.1結城郡八千代村新設
栃木県1889(M22).4.1那須郡川西町新設/町制1955(S30).2.11那須郡黒羽町新設
神奈川県1889(M22).4.1足柄上郡川西村村制1923(T12).4.1足柄上郡清水村新設
新潟県1889(M22).4.1古志郡川西村新設/村制1906(M39).4.1古志郡上川西村新設
1954(S29).2.1長岡市編入
新潟県1901(M34).11.1古志郡下川西村新設1954(S29).11.1長岡市編入
新潟県1956(S31).9.1中魚沼郡川西町新設2005(H17).4.1十日町市新設
福井県1955(S30).3.31坂井郡川西村新設1957(S32).7.10坂井郡川西町町制
1967(S42).5.17福井市編入
長野県1957(S32).3.31小県郡川西村新設1973(S48).4.1上田市編入
岐阜県1889(M22).7.1益田郡川西村村制1956(S31).8.25益田郡萩原町新設
静岡県1889(M22).4.1君沢郡川西村村制1934(S9).11.3田方郡伊豆長岡町町制/改称
京都府1931(S6).10.1相楽郡川西村新設1951(S26).4.1相楽郡精華村新設
大阪府1899(M32).3.30南河内郡川西村改称1942(S17).4.1南河内郡富田林町新設
兵庫県1889(M22).4.1川辺郡川西村新設/村制1925(T14).10.1川辺郡川西町町制
1954(S29).8.1川西市新設/市制
奈良県1889(M22).4.1式下郡川西村新設/村制1975(S50).4.1磯城郡川西町町制
岡山県1889(M22).6.1真島郡川西村新設/村制1907(M40).5.1真庭郡勝山町新設
広島県1889(M22).4.1三谿郡川西村新設/村制1958(S33).2.11三次市編入
徳島県1889(M22).10.1海部郡川西村新設/村制1955(S30).3.31海部郡海部町新設
香川県1890(M23).2.15鵜足郡川西村新設/村制1954(S29).4.1丸亀市編入
----------------------
福島県1889(M22).4.1北会津郡川南村新設/村制1956(S31).5.1北会津郡北会津村新設
大阪府1889(M22).4.1西成郡川南村新設/村制1897(M30).4.1西成郡津守村改称
1897(M30).4.1大阪市一部編入
岡山県1889(M22).6.1真島郡川南村新設/村制1904(M37).6.1真庭郡久世町編入
広島県1889(M22).4.1安那郡川南村新設/村制1929(S4).3.1深安郡神辺町新設/町制
宮崎県1889(M22).5.1児湯郡川南村新設/村制1953(S28).2.11児湯郡川南町町制
----------------------
新潟県1889(M22).4.1岩船郡川北村新設/村制1901(M34).11.1岩船郡女川村新設
石川県1907(M40).8.5能美郡川北村新設1980(S55).4.1能美郡川北町町制
石川県1907(M40).8.10河北郡川北村新設1949(S24).6.1金沢市編入
大阪府1889(M22).4.1西成郡川北村新設/村制1897(M30).4.1大阪市一部編入
1925(T14).4.1大阪市編入
広島県1889(M22).4.1安那郡川北村村制1929(S4).3.1深安郡神辺町新設/町制
高知県1889(M22).4.1安芸郡川北村村制1954(S29).8.1安芸市新設/市制
福岡県1889(M22).4.1山門郡川北村新設/村制1907(M40).3.20山門郡三橋村新設

河東、河西、河南、河北についても調べる予定。両方合わせて雑学ページにしたいですね。

[81148] 2012 年 7 月 20 日 (金) 23:57:55 オーナー グリグリ
 RE:こっそり事務連絡(白桃マガジン第2弾)

[81147] 白桃さん
ご許可なく勝手に編集して、勝手にアナウンスして良かったのでしょうか?
ノープロブレム。
3つの特集を組みました。
面白いですねぇ〜♪

[81147] 2012 年 7 月 20 日 (金) 23:44:39 白桃 さん
 こっそり事務連絡(白桃マガジン第2弾)

「日本で人口の一番多い市はどこ?」
という設問に対して
「大阪市」と応じるのが一番的を射た回答だと思い、本日、「昼間人口」をテーマに、3つの特集を組みました。
初代?「DID」以上に自信をもって「駄・編集作」と言えますが、三代目に繋ぐ二代目徳川秀忠の如く最低限の仕事になるよう祈念しています。
<グリグリさん
ご許可なく勝手に編集して、勝手にアナウンスして良かったのでしょうか?

ところで、千葉県印旛郡栄町の「町」と名古屋の栄町の「町」の意味合いがまったく違うことをうまく説明できません。
ムチャク先生、どうしたら良いでしょうか?

[81146] 2012 年 7 月 20 日 (金) 23:33:20【2】 hmt さん
 明治13年共武政表を眺める (5)「1880年の都市リスト」から 現在の「町」を探す

明治13年共武政表を眺める を続けます。

明治13年共武政表[81072]には、 全国戸数一千以上地名表として 324の町場が列挙されています。
この地名リストを一見して受ける印象は、(当然のことですが)現代の「市」の母体になっている地名が多いことです。
例えば、相模国高座郡「藤沢」という地名から、これが現在の神奈川県藤沢市に対応することを容易に推察できます。

しかし、本文 を見ると、“(高座郡)大久保町、坂戸町、鎌倉郡西富町、大鋸町 合1262戸 6235人 土俗藤沢駅と唱ふ”と記されており、折角の都市リストなのに、何か正式の地名でないような印象も受けます。「土俗…ト唱フ」については、[81020][81100]参照。

明治14年1月1日調の本籍人口[81018]とのことなので、内務省が作成した 郡区町村一覧 が、共武政表と同時代の資料であることがわかります。ところが、内務省の資料では 高座郡「藤沢宿」となっており、大久保町等の名はありません。

陸軍の調査による共武政表に記された「大久保町」以下の地名は、郡区町村編制法施行前(大区小区により戸籍を管理した時代)の地名だったのでしょうか。

それはさておき、明治13年、つまり約 130年前の 都市リストに記された 324の町場について、現在の地名を調べてみると、讃岐国寒川郡「志度」が香川県「さぬき市」に変っているように、合併などで名前が変った事例も含め、「市」の数は全国で 225市ありました。

“もう一邑”が惜しかった 明治 13年の讃岐七大都市?[81073]には、現代も「町」である自治体が、琴平・宇多津・多度津と3つもランク入りしていました。
全国的には少数派ですが、由緒ある町が多そうなので、このような町場を 324件のリストから探し出してみました。。

五畿:該当なし
東海道:尾張国知多郡内海(愛知県知多郡 南知多町)、尾張国海東郡蟹江本町(愛知県海部郡蟹江町)、常陸国東茨城郡磯浜(茨城県東茨城郡大洗町)

東山道:近江国蒲生郡日野(滋賀県蒲生郡日野町)、美濃国羽栗郡笠松(岐阜県羽島郡笠松町[75499])、磐城国田村郡三春(福島県田村郡三春町)、陸前国遠田郡馬場谷地(宮城県遠田郡涌谷町[63503])、陸奥国西津軽郡鰺ヶ沢(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町)、羽前国西村山郡谷地[22178](山形県西村山郡河北町)

北陸道:越後国三島郡出雲崎(新潟県三島郡出雲崎町[16050]
山陰道:石見国鹿足郡津和野(島根県鹿足郡津和野町)
山陽道:周防国大島郡久賀(山口県大島郡周防大島町)

南海道:紀伊国有田郡湯浅(和歌山県有田郡湯浅町[57891])、讃岐国鵜足郡宇多津(香川県綾歌郡宇多津町[24696])、讃岐国那珂郡琴平(香川県仲多度郡琴平町)、讃岐国多度郡多度津(香川県仲多度郡多度津町[22108]

西海道:肥前国西松浦郡有田皿山(佐賀県西松浦郡有田町)、肥後国玉名郡長洲(熊本県玉名郡長洲町)
北海道:渡島国檜山郡江差(北海道檜山郡江差町)、渡島国津軽郡福山(北海道松前郡松前町)

合計 20町。
すべて [75064]白桃さんが、明治19年の人口3000人を基準に選定した“平成に残る「明治の名邑」”の 74町に含まれています。

多くは同一の地名で続いていますが、馬場谷地→涌谷町のように、隣接地名が使われている事例もあります。

このような 町場名・近世村名・町村名の関係については、千本桜さんが事例を挙げて考察された 記事 が多数あります。
上にリンクしたのは一例で、マガジンの形にまとめて利用できればよいと思うのですが、私は手を出せずにいます。

千本桜さんの視点による 新マガジンの創刊を期待しています。

【追記】
白桃マガジン に、新テーマ:昼間人口の特集3編がアップされています。
まだ落書き帳での告知が出ていなかったので、ついでで失礼ですが、お知らせしておきます。

[81145] 2012 年 7 月 20 日 (金) 13:51:33 みかちゅう さん
 自治体バスの変遷情報

自治体バスのリンク集ですが、本当のところは「路線の改廃情報の蓄積」が欲しいわけです。

中京地方では路線図ドットコムの一コーナーとして、公共交通改正情報カレンダーにまとまっていますが、京阪神地区には改正情報が集まるようなサイトはないみたいです。他にも都道府県単位で情報を集めているサイトはあっても、履歴として変遷を残しているところは少ないですし、管理者の都合で(更新されないのは仕方ないとしても)閉鎖されて情報が失われることもあります。
その点、『都道府県市区町村』では十年来の管理がなされていて
収益が大きくなった暁には、株式会社都道府県市区町村を設立するのが私の夢です。
とグリグリさんが表明されているので([81108])、中長期的な管理も期待できそうです。

しかしながら客観的な改正情報を扱うことに関して、著作権などの問題は発生しないとはいえ中京地方のような同種のサイトの内容と競合しないようにするなどの配慮は必要だとは思います。むろん、路線図制作者側が『都道府県市区町村』から情報を引っ張ってきて路線図に反映させるのはなんら問題ないことですし、情報元として信用されていると考えれば歓迎すべきことと思います。

[81144] 2012 年 7 月 20 日 (金) 09:08:43 JOUTOU さん
 一日乗車券500円

まずはこの度の九州地方をはじめとした豪雨被害に遭われたみなさまには心よりお見舞い申し上げます。

関東では17日に梅雨も明け連日猛暑が続いたと思ったら、今日は最高気温が10度も低くなるとのこと。みなさんも体調管理には十分ご注意ください。みなさんこんにちはJOUTOUです。

さて、落書き帳にて路線バスの話題で盛り上がっていたようなので、わたしが休日等にちょっとした暇つぶし使うのが、表題の乗車券を利用して都営バスの乗り回しです(笑)。実は東京の東側は都バス路線が充実しており、かなりの需要もあります。過去に私の住む江東区大島地区から山手線の駅なら、都バスの路線がある殆どの駅に乗り継ぎで行った経験があります。

もちろん運行本数も路線によって様々なので、バスに乗りながら都バス運行情報等を携帯でチェックしながら次の乗り継ぎを考えます。ちなみに必ずしもダイヤ通りとは限らないのミソで、定刻通りの運行なら間に合わない場合でも、同サイトの当該バス停への近接情報を見ながら乗り継ぎの可否を判断しながら移動します。休日限定の路線とか、急行とかいろいろバリエーションもあって楽しいですよ。暇があって、バスに乗るのが好きな人は一度試されて見てはいかが。(バスの車窓から様々な発見も・・・。)

[81143] 2012 年 7 月 20 日 (金) 06:51:28【1】 白桃 さん
 ほかにはないんとちがうでか?

[81122]白桃
鳴門市-東かがわ市-さぬき市-高松市-坂出市-丸亀市-善通寺市-三豊市-観音寺市-四国中央市-新居浜市-西条市-今治市(本当は東温市ですが・・・)-松山市と連続します。この連続する14市の共通点は・・・
脱線クイズの答えは
鳴門-三本松-志度(志度商)-高松商-坂出商-丸亀城西-尽誠学園-香川西-観音寺中央-川之江-新居浜商-西条-今治西-松山商(一例)
ですから、大方の皆さまは甲子園出場経験(野球)高校のある市、だと思っているでしょう。
残念でした。
正解は、春、夏ともに甲子園出場経験高校のある市でした。8~j~8
どうでしょうか、このような市の連続は“他にはないのではないか”と思いますが・・・。
この条件で15以上の市の連続があればお教えください。
※因みに、国道11号線のことを“夜霧の甲子園出場国道”と地元では呼んでい・・・ません。

追記:国道11号線からは大きくはずれますが、観音寺市と四国中央市の間に三好市(池田高校)を入れると15市連続となります。

[81142] 2012 年 7 月 20 日 (金) 06:12:11 白桃 さん
 琵琶湖のおかげ?

[81141]実那川蒼 さん
既出かどうかは調べていませんが、私の居住地がある滋賀県だと思います。
ご明察の通りです。というか、出題者の私が言うのもヘンですが、他にはありませんよね?
都道府県内の全市を一筆書きで一周するのですから、少なくとも「すべての市が複数の他市と接している」が条件です。
あの町が市になったら、とか、あの市が隣りの県であったら、とか、オシイのはあると思いますが、完璧な滋賀県に脱帽です。
[70931]らるふさんの記事をかすかに覚えていたので書いたのですが、そのモトネタは[70924]実那川蒼さんでした。^ Y ^

[81141] 2012 年 7 月 20 日 (金) 00:51:14 実那川蒼 さん
 Re: 県内ぐるり一周「市と筆書き」

[81122](白桃さん)
では、ぐるり一周して元の市に帰りつくことが出来るのは何県でしょう???
既出かどうかは調べていませんが、私の居住地がある滋賀県だと思います。

どこからでもスタートできますが、県庁所在地の大津市からスタートするとして、
大津市→甲賀市→湖南市→栗東市→草津市→守山市→野洲市→近江八幡市→東近江市→彦根市→米原市→長浜市→高島市→大津市
となります。2番目に草津市でなく甲賀市に向かうのがポイント。

P.S. 最近不名誉な話題で滋賀県や大津市が取り上げられてしまったのは悲しい限り…

[81140] 2012 年 7 月 19 日 (木) 17:17:59 hmt さん
 Re:寸沢嵐・道志・三ヶ木

[81137] グリグリ さん
相模原市緑区寸沢嵐(すわらし)。難読地名ですね。例のグーグルマップで地域表示してみると、かなり広い範囲の地名になっています。飛び地もありますね。

出身地が比較的近いので、名前は知っていました。「寸沢嵐」は、明治22年町村制発足の直前、神奈川県津久井郡に 内郷村が誕生 するまで存在した村名で、大字地名として現在も使われ続けています。
広い寸沢嵐の大部分は、ハイキングで知られる 石老山 の東半分。開けた土地は 山麓の川沿い・街道沿いです。

難読地名にも関わらず、私のPC(Google IME使用)では「すわらし」から一発変換できたのにビックリ。
Mapは、ピンクの地域表示がうまくなされず、飛び地を確認しにくかったが、寸沢嵐の中にある若柳の飛び地(2ヶ所)のことでしょうか。
[81096]に書いてあった“右上のプルダウンメニューの住所ラベル”というのも、よくわからず、操作できません。

相模湖町寸沢嵐の道志地区と山梨県道志村が同じ「道志」という地名であること

[65669]で“架空の村名”と記したのは、もちろん 三太物語の時代 に実在した自治体は「内郷村」であることを強調したかったからです。ウオッちずを見ると、清光禅寺付近に「道志」という地名が記されていました。おそらく寸沢嵐村時代からの「字」なのでしょう。

「道志」本来の意味[81139]はさておき、川の名になった以上は、上流と下流とに同名の「道志」があっても不思議はありません。例えは川越と江戸の間の舟運に利用された新河岸川は、川越近くの河岸に由来しますが、下流の板橋区の町名にも使われています。

阿弥陀様が流れ着いたという言い伝え。浅草の観音様や川崎大師と同類のお話。
横浜の水源地、山梨県道志村。これは、細長い一本道の村です。8里あるという話は誇張だろうと思っていたのですが、道志村HP に 東西28km、南北4kmとあり、これに近い値でした。根尾谷にも、こんな一本道の村があったし[68549]、くびれの立科も一本道の同類か。

「津久井の言い伝え」というテーマで特集記事が34編掲載(すみ屋さんのページからはリンクがつながっていません)

すみ屋の押田産業は寸沢嵐にあるのですね。左メニューにある 34編の記事へのリンクは通じていますが…
それはさておき
「地震峠」の教訓を生かし日頃の備えを というページも、その中にありました。
「地震峠」は、道志川の南、仙洞寺山を隔てた串川沿いにあり、大正12年の地震に関係する記事は 先月書きました[80943]

「三ヶ木」(みかげ)も難読ですね。御影と同じ由来でしょうか。

灘の御影の由来は、神功皇后が六甲(武庫)の麓に湧く泉 澤の井 に御姿を写されたという説が有力です。
三ヶ木はもっとありふれた 「三本木」系統の地名 の変形ではないかと思いますが、「木」を「ケ」と読む例は稀か。

「木」と言えば、三ヶ木に近い 又野出身の尾崎行雄 が、東京市長時代にワシントンに桜の木を寄贈してから今年が 100周年だそうで、先日 記念講演会 がありました。

[81139] 2012 年 7 月 18 日 (水) 23:17:44【2】 Issie さん
 揖宿郡

[81134] 88 さん
M22.4.1付け市制町村制施行時から、揖宿郡指宿村と、「指」であったと判断し、修正しました。

「指宿町」の表記の当否については言及しません。それに言及するだけの材料を持っていないので。
ここでは,その前提にある「いぶすき郡」について。

まず,「揖」という字。
常用漢字,あるいはその前身の当用漢字外の文字であり,現代の日常生活にはなじみのない漢字ですが,“軽く会釈をする”という意味の「一揖」(いちゆう)という言葉がとりあえずは身近でしょうか。ここにある通り,現代音は「ユウ」(または「シュウ」),旧仮名遣いの字音表記では「イフ」(または「シフ」)と表記されました。
もちろん,「指」(シ,ゆび)という字とは全く別の漢字であり,ここではこの「イフ」という旧表記が大事です。

平安時代初期に編纂された『和名類聚抄』(和名抄)には,当時(律令制後期の“国郡郷制”)の地名が列記され,それぞれの国郡,さらに一部の郡の郷の読み方が万葉仮名で表記されています。
その「薩摩国」(散豆萬:さづま)の項にあるのは「揖宿郡」という表記。読みは「以夫須岐」と記載されています。後代の“かな”とは違って万葉仮名は“清濁の違い”をきちんと書き分けるのですが,「夫」という字があらわすのは「濁点がついた“ぶ”」という音。したがって,「揖宿郡」の読みは現代と(ほぼ)同じ「いぶすき」であると考えられます。
この郡名に漢字を宛てるにあたって,日本語に「イフ」という音で受け入れられた「揖」という字がちょうど適当な文字として選ばれたのでしょうね。そうして「揖宿」という表記が成立した。

「イフ」という音は,元になった中国語の中古音では ip に近い音であったのでしょう。このような“母音+破裂音”という発音を漢文の音韻学では「入声:にっしょう」と呼びますが,この破裂音は現代のベトナム語や韓国語の“パッチム”がそうであるように,たとえば英語やフランス語の音節末の破裂音のようにしっかりと発音はせず,飲み込んでしまう「内破音」であったと思われます。で,この音を,はるかに単純で貧弱な音節構造(子音+母音)しか持たない“列島”の人々は,この破裂音に無理やり母音( u または i )を加える(そうすると,「イフ」とか「リキ」という日本語の漢字音になる)か,あるいはその破裂音を落として「イ」のように読むことにして日本語の表記に応用しました。
この「イ」という読み方を用いたのが播磨国の「揖保郡」。後ろに「ホ(保)」という音が続く前の部分でわざわざ「揖(イフ)」という字を選んだのは,「フ」の響きが残っていたせいかもしれませんね。
中世になって 揖保郡 は東西に分割されて「揖東郡」と「揖西郡」になります。これを「ゆうとう郡」ではなく「いっとう郡」「いっさい郡」と読むのは,「十本」を「じっぽん」(<ジフ+ホン)と読むのと同じ理屈で,武蔵国の 入間郡 が東西に分割されて「入東(にっとう)郡」「入西(にっさい)郡」となったのと同じですね。

話を戻して「揖宿郡」。
和名抄にあるように,この郡名は少なくとも平安時代前期には「揖宿」と表記されて「いぶすき」と読まれていたのでしょう。もちろん,それ以外の表記や読み方を排除するものではありませんが,少なくとも記録として残っているのはこちらの方。

指宿町一帯は温泉随所に湧出し、温泉量の豊富なことは別府附近以上とも称されているが、古来この地域は「湯豊宿(ゆはしゅく)」、即ち「湯の豊かなる宿」として世に知られていたが、今を去る約千三百年前、天智天皇薩摩大隅地方の巡幸の砌、高須(鹿屋市の海岸)より海路この地へ向われたのであるが、天皇が「人の宿程遠い」と云われたのに対し、案内の者が対岸をさして「湯豊宿」という所がもうすぐそこですと答えたところから「湯豊宿」が転化して「指宿(ゆびしゅく)」さらに「指宿(いぶすき)」と称えられるようになったことが伝えられている。

「言い伝え」は言い伝えとして,これは「事実」なんでしょうかね。
私には,「国引き」を終えた神様が「おゑ」と一息ついた(出雲国意宇郡。←これを某ネット百科事典は「終える」という意味だと説明してますが,「をへる」とは発音が違いすぎる気がします)とか,永年の征服の旅に疲れてヤマトタケルノミコトの足が「三重」に曲がってしまった(伊勢国三重郡)というのと同類の“語源説”であるように思えます。天智天皇が出てくるあたり,「出雲風土記」や「古事記」よりは新しい話であるようですけどね。

そもそも「揖宿」に対する「指宿」という表記がいつ現れてきたのか,というのが興味のあるところです。

ついでに関連して,

[81137] グリグリ さん
ポリネシア語源の説明

これについての当否についても,言及する材料を私は持ち合わせていません。
でも,正直な気持ち,私はこの手の語源説をあまり信用していません。私は門外漢ですが,比較言語学にはこのような単語どうしのつながりを検討する厳密な手順があるそうです。これらの語源説はそのような手続きに則っているのでしょうか。
ずっと以前にも表明したことですが,私は地名の語源については詮索しないことにしています。よほど明確な由来がある(それでも,たとえば有名な「岐阜」と織田信長の関係も厳密に検討すると微妙なところがあるようです),あるいは地形などのような地物と直接のつながりがあるような場合を除けば,“地名の由来”として伝えられているものの多くはかなり疑問があるものではないか,と思うけれども,それを補強することも反証することもできないからです。

ちなみに,これも以前に触れたことがあるかもしれませんが,「道志」という言葉は本来,平安時代の官制に由来するものでもありました。
平安時代中期,都の警察を担当する 検非違使(けびいし) が設置されます。これは“令外官(りょうげのかん)”,つまり律令の規定外の官職ですが,役所の官人は律令にならって長官(かみ)・次官(すけ)・三等官(じょう)・四等官(さかん)の4ランクにわけられ,検非違使ではその“さかん”を「志」(し=四)と呼びました。四等官の“さかん”は官庁において実務を担当する役人であり,検非違使ではその役柄から“武力系”と“事務系”の「志」がそれぞれ配置されました。武力系の「志」に任命されるのはもちろん武士ですが,事務系の「志」には法律の専門家として“明法道”を修めた者が任命されました。この“事務系の志”を「道志」と呼びました。
…長くなりました。
つまり,これが「道志村」ないしは「道志集落」に関係あるかどうかはわかりませんが,「道志」とは本来このような意味の単語であった,ということを申し添えておきます。

[81138] 2012 年 7 月 18 日 (水) 21:27:09 オーナー グリグリ
 バスマガジン

[81113] 煮豆さん
今年10月に市となる白岡町は今月10日、県の方から市制施行処分書が交付されたそうな。
さっそく変遷情報に追加しました。いつも情報提供をありがとうございます。

[81116] 右左府さん
フェイスブックの自治体アカウントを幾つか発見しましたのでご報告します。
情報提供をありがとうございます。週末に追加作業を行います。なお、[81111]の後半にも書きましたが、ツイッターとフェイスブックのページについては、編集・編成方針を見直す時期が来ています。検討と準備に時間が掛かりそうですが、何とか収まりのよい企画編集にしたいと考えます。

[81127] みかちゅうさん
[81090]で触れた「自治体バスリンク集」ですが、すこし調べ始めています。リンク集程度ならホームページ作成技術がなくてもブログやまとめwikiで何とかなると思いますが、情報は有力サイトに集約することで活用されると思うので、検討してはいかがでしょう?>グリグリさん
そうですね。せっかく議論も沸騰して来ていますし、このまま流れていくのも惜しい気がします。落書き帳記事から情報をまとめるプロセスは、[81081]に書いたように、まだまとまりのない情報を、まずはマガジン特集記事にして集約しておき、編集作業を経て企画ページに昇格させるという手順が分り易そうです。みかちゅうさん、バステーマのマガジン創刊していただけませんか。無理にとは言いませんが、できればお願いしたいです。

[81137] 2012 年 7 月 18 日 (水) 21:01:53【1】 オーナー グリグリ
 寸沢嵐・道志・三ヶ木

昨日のニュースになりますが、相模原市の道志川で女性が溺れたという報道がありました。その場所が表題の相模原市緑区寸沢嵐(すわらし)。難読地名ですね。例のグーグルマップで地域表示してみると、かなり広い範囲の地名になっています。飛び地もありますね。この地名、周辺ではかなり馴染んだ地名だと思いますが、私は初めて聞きました。しかしさすが落書き帳、過去に4回の書き込みがありました(4件のうち3件はIssieさん)。

興味があったので、名前の由来を少し調べてみました。こちらのすみ屋さんのサイトに、「津久井の言い伝え」というテーマで特集記事が34編掲載されており、その中の「地名探求の楽しみ」(pdfファイル)という記事があります。なかなか興味深かったので、寸沢嵐の部分を全文引用しておきます。
寸沢嵐(すわらし) 天正十八年(1590)小田原の北条氏が豊臣秀吉に降伏した後、津久井全域は徳川領となった。若柳村の一部七百石分は、貴志弥兵衛正吉という人が預かっていたが、元和=げんな=五年(1619)にこの地を若柳村から分離して、新しい村にすることになった。地図上では寸嵐と記録されており、これが元の名となって、近くにある丹保沢=たんぼさわ=の「沢」という宇が加えられて、寸沢嵐と名付けられたものと思われる。この名は読みにくく、諸書でも「スワラシ」や「スアラシ」と振り仮名されているが、「スアラシ」と呼んでは、沢の意味がなくなってしまう。本来、「スワ」という発音は、湿地や谷又は諏訪信仰を意味しており、「アラシ」という言葉は、田畑を荒らしておくというより休耕地や川の斜面の上から材木をこかし落とす所を意味するといわれる。寸沢嵐については今後の研究課題にしたい。

この他にも、「ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源」の地名篇にポリネシア語源の説明が出てきますが、このHPを主宰する夢間草廬(むけんのこや)氏というのは、その道では有名人なんでしょうか。検索でもかなりヒットします。「日本語はオーストロネシア祖語と唯一同系であると主張」なんていう記述もありますが、日本語を南方語源とするという説の一つでしょうか。詳しい方、ご教示いただければ幸いです。

ところで、「地名探求の楽しみ」の最初の方に出てくる「道志」の話も面白いですね。同じく引用してみます。
十年ほど前、私が住む相模湖町寸沢嵐の道志地区と山梨県道志村が同じ「道志」という地名であることを不思議に思い、何か因縁のようなものがあるのかどうかを知りたくなりました。そして、道志村の古老にお話を伺うなどした結果、二つの土地には強い縁(えにし)があることがわかりました。それは大体次のような言い伝えです。
山梨県道志村の御堂沢という所に金箔塗りの立派な阿弥陀如来がまつられ、村の人達に大層親しまれていた。ところが、ある年の台風のため道志川を流れて下流の寸沢嵐村に漂着し、この村の世話人に拾い上げられた。その晩、世話人の夢枕に立った阿弥陀如来は「どうしても道志村に帰りたい」と訴えた。しかし、この阿弥陀如来をすっかり気に入った世話人は、自分の在所を阿弥陀様がまつられていた場所と同じ「道志」という地名に変え、何とか阿弥陀如様に安んじてもらおうとした。その後、阿弥陀如来は寸沢嵐の石老山顕鏡寺に安置されて現在に至っている。
これは有名な話なのかなと思い、落書き帳を検索してみたのですが、具体的に二つの道志のつながりに言及した記事はありませんでした。hmtさんの[65669]には、
又野村の先を更に進むと三ヶ木村。ここは相模川に最大の支流である道志川が合流する地点で、道も2つに別れます。現在の国道番号で呼ぶと、相模川に沿うのが国道412号、道志川に沿うのが国道413号です。
国道412号の道志橋の下(三ヶ木の対岸)にある集落は、青木茂の「三太物語」[20179]の舞台になりました。
戦後間もない頃のラジオドラマにより「道志村」の名は全国に知られましたが、これは横浜市の水源である山梨県道志村とは違う架空の村名で、当時の本当の村名は「内郷村」でした。
という記述があります。「架空」の村名とありますが、道志川あるいは道志地区から発想したラジオドラマの架空の設定と言うことかな。前記の古老からの聞き取りという話は信憑性がありますが、言い伝えそのものは事実でも、内容は古来の創作である可能性が高いですね。

蛇足ですが、上記引用にある「三ヶ木」(みかげ)も難読ですね。御影と同じ由来でしょうか。

[81136] 2012 年 7 月 18 日 (水) 19:22:26 白桃 さん
 ずっと非DIDな市、ずっとDIDな町
白桃 DIDを熱く語る 〜DID各地の様相〜

よく似た既出の記事もありますが、あえてくどく・・・。
[79605]白桃で
・DIDを有しない市の数:124
・DIDを有する町村の数:165
と、2010年国勢調査における状況を書いておりますが、1960年国勢調査から2010年国勢調査までに現在の市域内において一度もDIDが設定されていない市とその逆に毎回設定されている町を見てみました。
※沖縄県については、1970年国勢調査から2010年まで

◎ずっと非DIDな市(2010年国勢調査人口順)
南アルプス、笛吹、三豊、丹波、山武、那珂、高島、小美玉、日置、南島原、鉾田、真庭、雲仙、北杜、稲敷、いなべ、桜川、常陸大宮、さくら、つくばみらい、雲南、田村、加東、米原、南城、豊後大野、阿波、曽於、南九州、南さつま、海津、瀬戸内、行方、つがる、浅口、本巣、由布、御前崎、潟上、香南、神埼、朝来、美馬、国東、うきは、安芸高田、美作、上天草、山県、壱岐、阿蘇、養父、松浦、陸前高田、えびの、串間、垂水 (以上57市)
殆ど、「平成の合併」で出来た市ですが、設定されたことのある市の中には、DIDに関しては試行錯誤状態だった1960年国勢調査において4,771人で設定された杵築市や、後で一緒になった日生町にDIDが設定されていた“おかげ”という備前市があります。

◎ずっとDIDな町(2010年国勢調査DID人口順)
1位志免(福岡)41,900---21位遠軽(北海道)11,425
2位大泉(群馬)31,92922位倶知安(北海道)10,957
3位武豊(愛知)29,63423位余市(北海道)10,338
4位大磯(神奈川)29,12724位笠松(岐阜)9,982
5位海田(広島)26,94025位芦屋(福岡)9,459
6位苅田(福岡)24,48826位門川(宮崎)8,731
7位二宮(神奈川)24,39227位松田(神奈川)8,483
8位水巻(福岡)22,59928位八雲(北海道)8,137
9位王寺(奈良)18,69029位小川(埼玉)8,045
10位下諏訪(長野)18,39130位多度津(香川)7,861
11位忠岡(大阪)18,14931位坂(広島)7,593
12位湯河原(神奈川)18,12932位栗山(北海道)7,037
13位大河原(宮城)15,40533位湯浅(和歌山)6,618
14位美幌(北海道)14,01234位岬(大阪)6,349
15位嘉手納(沖縄)13,27935位真鶴(神奈川)6,191
16位与那原(沖縄)13,09536位江差(北海道)5,499
17位松前(愛媛)13,06137位金武(沖縄)5,449
18位岩内(北海道)12,89138位琴平(香川)5,297
19位大洗(茨城)12,88239位那智勝浦(和歌山)5,077
20位新ひだか(北海道)12,808
錚々たる町が予想通り並びましたが、湯河原に続く大河原が東北地方唯一だとは意外でした。
(ま、婚期の遅れた絶世の美女、というところですか・・・)

[81135] 2012 年 7 月 18 日 (水) 18:47:27【2】 むっくん さん
 指宿&吉崎&戸長役場

[81134]88さん
S8.5.1付けでの町制施行の根拠を資料を私は確認できていません。
この時代の名称変更を伴わない町制施行の法的根拠は府県により異なり、県の公報に県告示として周知しているところ(e.g.京都府)と官報の広告欄に掲載して周知しているところ(e.g.鳥取県)があります。
当時の鹿児島県の公布式及び条例を見ていないので、鹿児島県がいずれにあたるかは分かりませんが、官報第一八八一号(昭和八年四月十一日)では
○町村変更
揖宿郡指宿村ヲ指宿町ト為シ来ル五月一日ヨリ施行ノ件本月六日許可セリ
昭和八年四月 鹿児島県
とあります。

追記
鹿児島県統計書(明治22-23年)(編:鹿児島県内務部第一課、発行:鹿児島県庁、M25.11.30)では市制町村制施行で成立したのは揖宿郡指宿村とあります。

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[81132]hmt さん
現在は 石川県加賀市吉崎町も 吉崎御坊跡(福井県あわら市)と同じく 大聖寺川左岸になっていますが、川の位置が変ったのが 門前町の賑わった頃よりも前なのか否かは、新聞社のレポートを読んでも判然とはしませんでした。
これは資料がないため、確たることが言えず、意図的に並列で文章を書いているのだと思います。私の理解している範囲で時系列で書きますと、

(1)814年、大聖寺川を境に越前と加賀が分国。
(2)その後、大聖寺川上流からの川砂が若干たい積する。
(3)1471年に吉崎御坊が建立。寺内町として発展し始める。
#おそらく814年当時とは地形的に大差なし。吉崎御坊の北は大聖寺川の入り江(三角江)で西及び南も入り江(後の北潟湖)。
(4)1475年蓮如が吉崎を退去。
(5)1506年朝倉氏が吉崎の坊舎を破却し、以後廃坊となる。
(6)1644年大聖寺藩が大聖寺川河口で新田開発開始。
(7)1713年鹿島と陸続きとなる。
#この頃、北側は大聖寺川の三角江から狭まり現状とほぼ同じ川幅になったか。
(8)1746,1747年吉崎に西本願寺と東本願寺が別院の建立。
(9)1867年堰堤・開田橋と水門の建設。北潟湖が汽水から淡水に変わり始める。
#吉崎の南側の埋め立ては幾多の私人が随時行ったようです。

となるのではないでしょうか。確証はありませんが。

参考HP:河口の変遷とカキの養殖福井県河川事業13浄土真宗のひろがり(2)(図説福井県史)絵図

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[74083]YTさん
さらに問題となるのが北海道です。『日本帝国静態人口統計』(明治31年)では北海道に限り、連合戸長役場の有無が掲載されておりません。一方明治36年以降の連合村の状況はかなり複雑で、『日本帝国人口静態統計』(明治36年、明治41年、大正2年、大正7年)によると、以下のような変遷を辿っており(他は単独の戸長役場を持つ町・村)、明治31年の連合戸長役場の状況を明治36年以降の状況から逆算で推定するのは危険のようです。
(略)
現在北海道の連合戸長役場の変遷の資料を探しています。
遅レスですが。
M31.7.31現在の連合戸長役場であるならば北海道庁現行布令便覧(明治三十一年)(上巻)(編・発行:北海道庁、M32.2.10)に載っています。又、M31.7.31現在からM31.12.31の間に上川郡東旭川村が成立していますが([79348])、官報第四五九六号附録(明治三十一年十月二十四日)の庁府県公報によりますと、
○新村設置
石狩国上川郡永山村ノ内字 ウシシユベツ ヲ割キ東旭川村ヲ置キ永山村戸長役場ノ所轄ト為セリ
明治三十一年十月 北海道庁
とあり、永山村戸長役場の傘下となったことが分かります。M31.12.31現在の連合戸長役場についてはM31.7.31現在と大差ないはずで、この間については官報の附録の庁府県公報の欄にある戸長役場の記述をM31.8.1〜M32.2.28の間ぐらいを探せば良いのではないかと考えます。
#あくまでもM31.12.31現在の連合戸長役場についての資料が見つからなかった際の次善の策ですが。。。


訂正・追記
【1】三角江との表記を追記
【2】鹿児島県統計書についての記述を追記

[81134] 2012 年 7 月 17 日 (火) 21:22:20【1】 88 さん
 市区町村変遷情報 小レス 揖宿郡 揖宿村 or 指宿村

市区町村変遷情報の修正作業については、最近は主として、[79760][79772][79782][79794][80267][80268][80316] にわたる一連の 中島悟 さん からのご指摘に対する対応を行っておりました([79775][79792] hmt さん からも、関連するコメントをいただきました)。これらを優先していたのは、一目見て、誤りである、というものを多く含んでいたからです。個々のレスは追って行いますが、データの修正作業自体は、逐次、進めております。

今回は、そのご指摘のうち、1点だけ、頭出しして述べます。
[80268] 中島悟 さん で、漢字の旧字体や異字体などの「表記のゆれ」を中心とした、市区町村変遷情報内における変遷がつながっていない事例をご指摘いただきました。
今回触れるのは、鹿児島県指宿市に関する情報で、鹿児島県市制町村制施行時の情報では「揖宿郡揖宿村」となっているものの、その後S8.5.1付けで町制施行する際には揖宿郡指宿村から指宿町となっており、「揖宿」「指宿」が食い違っている、とのご指摘でした。
この件について、幾つかの観点から検証します。

■(1)「指」「揖」の漢字の取扱い(異体字か否か、等)
「漢字源」(学習研究社、1999年4月1日改訂新版第6刷)によると、次のとおりです。
「指」形成文字。「手+旨(音符)」で、まっすぐに伸びて直線にものをさすゆび。
「揖」会意文字。口+耳で「くっつける」、「手+(口+耳)」で「手をくっつける」であり、敬意をあらわすために両手を胸の前であわせる、くむ。
語源も異なり、異体字でも、旧字体・新字体の関係でもありません。

■(2)M22.4.1付け鹿児島県市制町村制施行の根拠である(鹿児島)県令の記述
市制町村制施行時の情報に関しては、いつもご指摘をいただいている むっくん さん が、[69735]で鹿児島県についてもご指摘をいただいています。しかし、このときには、当該「揖宿郡 揖宿村 or 指宿村」についてはご指摘がありませんでした(このため「揖」宿村のまま)。
[69735] むっくん さん でもご紹介がありますが、むっくんさんが参考にされた、M22.3.5付け(鹿児島)県令第26号は、「鹿児島県市町村変遷史」(編さん:鹿児島県総務部参事室、発行:鹿児島県、S42.2.20印刷、S42.3.10発行)のp.85以下に記載されています。私も同じものを図書館で借り出して確認しました。ここでは、確かに、p.87に「薩摩国揖宿郡揖宿村」とあります。

■(3)各種文献における記載
「総覧」・・市制町村制施行時は揖宿村、町制施行時は指宿村、以降はすべて指宿
(ただし、同書は市制町村制施行時はすべて旧字体を使用しており、どこまで意識して使い分けているかは疑問)
「幕末以降総覧」・・市制町村制施行時を含めてすべて指宿
「便覧」・・市制町村制施行時は記載なし、町制施行時は指宿村、以降はすべて指宿
「辞典」・・市制町村制施行時を含めてすべて指宿
以上4文献とも、「揖宿→指宿」との改称は記載がありません。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)・・揖宿村
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)・・指宿村(ただし「サシュク」とのフリガナあり)
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)・・指宿村(ただし「サシュク」とのフリガナあり)

■(4)市制町村制時以降の根拠規定
S8.5.1付けでの町制施行の根拠を資料を私は確認できていません。
S29.4.1付けで指宿市が発足する際の根拠であるS29.3.30付け総理府告示第400号は確認済みであり、市制施行時の従前は鹿児島県揖宿郡指宿町です。

■(5)内務省「市町村現住人口」等によるもの
M23.10.6付け内務省告示第34号M22.12.31市町村現住人口揖宿郡揖宿村
M24.7.8付け内務省告示第30号M23.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M25.7.15付け内務省告示第29号M24.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M26.7.27付け内務省告示第37号M25.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M27.7.25付け内務省告示第95号M26.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M28.7.31付け内務省告示第98号M27.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M29.8.1付け内務省告示第58号M28.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M30.10.16付け内務省告示第63号M29.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M31.9.13付け内務省告示第92号M30.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
日本帝国人口静態統計(大正7年)T7.12.31市町村本籍人口、現住人口及現住戸数揖宿郡指宿村
M22.12.31現在の告示を除くと、一貫して「揖宿郡指宿村」です。

■(6)その他資料
「鹿児島県市町村変遷史」のp.429以下の「指宿市」の項に、S29.4.1付けで指宿市が誕生する際の市名について記載がありましたので、以下に引用します。
一 新市名選定の理由及び新事務所の位置及びその位置決定の理由
(一) 新市名選定の理由
 指宿町一帯は温泉随所に湧出し、温泉量の豊富なことは別府附近以上とも称されているが、古来この地域は「湯豊宿(ゆはしゅく)」、即ち「湯の豊かなる宿」として世に知られていたが、今を去る約千三百年前、天智天皇薩摩大隅地方の巡幸の砌、高須(鹿屋市の海岸)より海路この地へ向われたのであるが、天皇が「人の宿程遠い」と云われたのに対し、案内の者が対岸をさして「湯豊宿」という所がもうすぐそこですと答えたところから「湯豊宿」が転化して「指宿(ゆびしゅく)」さらに「指宿(いぶすき)」と称えられるようになったことが伝えられている。
 この地方の郡名を「揖宿郡(いぶすきぐん)」と呼ぶが「いぶすき」なる名称は温泉郷、観光地として全国に有名であるので、新市発足にあたり、市名を「指宿市(いぶすきし)」と選定したものである。

結論
M22.4.1付け市制町村制施行時から、揖宿郡指宿村と、「指」であったと判断し、修正しました

中島悟さん、ご指摘をどうもありがとうございました。
他のものは、もう少しお待ちください。

[81133] 2012 年 7 月 17 日 (火) 20:40:18 伊豆之国 さん
 県境に近い市役所

今日、町田市役所が引っ越しました。
新庁舎の位置は、Mapionではまだ反映されていなかったのですが、Yahooでは早速更新されています。この地図で見ると、新庁舎の南側の外壁から隣の神奈川県相模原市までの最小距離は50mあるかないか、という短さ。間にJR横浜線の線路があってまっすぐには行けませんが、こんなに県境に近い市役所というのも他に例があるのでしょうか…。
そういえば、私も以前「市の外れにある市役所」([75205])を話題にしましたが、こちらのほうでもかなり上位に食い込んでくるのではないでしょうか。(ひょっとして十番勝負のネタに?…)

[81132] 2012 年 7 月 17 日 (火) 14:33:30 hmt さん
 門前に市をなした吉崎

[81096] オーナー グリグリ さん
福井県あわら市吉崎

検索したら、こんな過去記事がありました。
[38595] 白桃 さん
往時の平泉は京都に次ぐ大都市だったとか、十三湊、吉崎御坊、草戸千軒はかなりの人口を擁したとかいう話を聴くと、胸がうずいてきます。

文字通り、吉崎御坊の「門前に市をなした」繁栄の時代があったのでしょう。

福井県には永平寺町があるし、石川県加賀市の前身も大聖寺町。
能登には、そのものズバリの「門前町」【[80281]など関係記事多数】もありました。
北陸ではありませんが、日高御坊に由来する御坊市というのもあります。

県境について

[36145] だんな さん
一見どこが県境かわからないところで住民の生活圏も一体化しています。

日刊県民福井 によると、平安時代初期(814)越前と加賀とを分けた大聖寺川の位置が県境の由来。出典「金津町吉崎の郷土誌」。
蓮如上人による吉崎御坊の建立は 1471年で、門前町が国境をまたいで広がっていった とあります。

現在は 石川県加賀市吉崎町も 吉崎御坊跡(福井県あわら市)と同じく 大聖寺川左岸になっていますが、川の位置が変ったのが 門前町の賑わった頃よりも前なのか否かは、新聞社のレポートを読んでも判然とはしませんでした。

電子地図からも 県境越え地名からも 離れてしまいますが、市区町村変遷情報関連。

明治22年の町村制施行時に、石川県では 江沼郡吉崎村が瀬越村になり、「吉崎」の名は消滅。
一方の福井県では、坂井郡吉崎浦が吉崎村になったが、明治30年に北潟村への改称と同日に一部が吉崎村として分立。
このあたりの経緯は、[67522] むっくん さんが示された資料を根拠に、変遷情報が修正されたことが示されています[67801]
これらの記事は、市区町村変遷情報詳細情報 にリンクしておくのが、変遷情報の資料価値を高めるために有効と思われます。

同様の提案は、既にグリグリさんによりなされていますが、88さん としては、“根拠のリンク先追加は作業負荷が大きい”という問題があるようです。変遷情報への落書き帳記事リンク関連記事

方法論としては解決すべき点があるようですが、変遷情報の信頼性を高めるために、何らかの形で記事リンクが実現できたらよいと考えます。

[81131] 2012 年 7 月 17 日 (火) 12:34:26 hmt さん
 GoogleMapの新機能 ・hmtマガジン「電子地図」

[81096] オーナー グリグリ さん
すでに気づいておられた方もいらっしゃると思いますが、グーグルマップの検索で自治体名を指定すると、その自治体の領域が薄赤色で囲まれた状態で表示されます。例えばこんな感じです。この表示は、自治体のさらに下位レベルでも行われます。

“Google Mapで 1000km2もある大きな市の全域を示す機会も殆んどないのですが” という注釈付きながら、札幌市と田辺市との比較 [80585]において、「市」の領域がピンクで示されることを示していました。外国の事例[80800]も紹介。

自治体よりも下位の字・番地レベルでも使えることは、初めて知りました。
…と、あわら市吉崎を確認してみたら、[81096]のリンク地図のようになりません。
あわら市でも吉崎1丁目でもピンクになるのに、不思議。

グーグルマップなどの電子地図については、今年の4月に東京新聞特集記事「使いづらいよデジタル地図」をきっかけとする 電子地図論議があり、その前年には電子国土基本図が話題になりました。

今回、グーグルマップにおける自治体等の地名範囲表示機能を紹介していただいた機会に、hmtマガジン の特集「電子地図」 をまとめ、新設したテーマ「地図」に これを収めました。
近年の記事(上記)だけでなく、2005年のグーグルマップ登場当時 及びそれ以前に遡った記事を集めています。

[81130] 2012 年 7 月 17 日 (火) 06:17:52 オーナー グリグリ
 Re:自治体バスリンク集(香川県編)

[81129] みかちゅうさん
以下のリンクを表の中にうまく貼ることができません。三木町も表示されていません。
こちらで確認しましたが、問題なくリンクを貼ることができました。
訂正前の書き込みの坂出市の行に、閉じられていない"["がありましたが、そのことが原因だったのではないでしょうか。改めてご確認いただけると幸いです。

[81129] 2012 年 7 月 17 日 (火) 00:12:30【2】 みかちゅう さん
 自治体バスリンク集(香川県編) 

市町村名名称地域など備考
高松市コミュニティバス・香川町シャトルバス塩江地区・香川地区・国分寺地区・香川町シャトル
乗合タクシー山田地区・高松西部地区
丸亀市丸亀市コミュニティバス他丸亀市内・本島・広島
坂出市坂出市営バス坂出駅〜番の州方面市HPに情報なし
善通寺市市民バス(空海号)
観音寺市のりあいバス
さぬき市コミュニティバス
東かがわ市
三豊市コミュニティバス
土庄町シャトルバス(PDFファイル)豊島24年度も運行継続?
小豆島町
三木町コミュニティバス
直島町すなおくん
宇多津町
綾川町町営バス(注)
琴平町
多度津町
まんのう町

(注)6月より枌所線・西分線はデマンドタクシーの実験運行のため、日中の運行を取りやめ。

>グリグリさん
以下のリンクを表の中にうまく貼ることができません。三木町も表示されていません。
→表の中に修正しました。ご確認ありがとうございました。

[81128] 2012 年 7 月 16 日 (月) 23:29:19 EMM さん
 諸々レスれす

[81114] オーナー グリグリ様
すっかり対応が遅くなってしまい申し訳ありません。>EMMさん
いえいえ、こちらもまだ続きを書き込めていませんので(汗)
中部以西のデータは、なるべく早いうちにまとめます(大汗)

[81096] オーナー グリグリ様
すでに気づいておられた方もいらっしゃると思いますが、グーグルマップの検索で自治体名を指定すると、その自治体の領域が薄赤色で囲まれた状態で表示されます。例えばこんな感じです。この表示は、自治体のさらに下位レベルでも行われます。
これは私も調べ物をしていて偶然発見しました。それも先週の話。
確かに、地名コレクションで町域を示したい時には便利が良さそうです。
しかし、URLがやたらと長くなるのが微妙なところ。
それと、「町名を検索して初めて表しされる」仕様のようなので、他の地図サイト間でできている「緯度経度データを元にしたURL変換」は難しいそう…ですけれども、どのようなものでしょう?
(自動変換できれば切り替えも楽ですが、1件1件手作業でとなると…考えたくない…)

[80960] オーナー グリグリ様
遅れレスですが…
それよりも私が気になっているのは(気に入らないのは^^)、検索対象の属性(住所名、施設名、地形名などの細かな分類)別のキーワード検索が、以前はきめ細かく指定してできたのが、現在はどの地図サービスも、せいぜい、住所名、施設名程度の分類でしか検索できなくなったことです。一般の人が検索する場合に、「鷲の文字が入る小学校」や「山の文字が入る滝」をまとめて検索するなんて使い方はまず考えられないからだと思いますが、地図データには実に細かな属性データが入っています。それらを自由に指定して検索できると楽しいですし、本当に助かるのですが。
先日、ムチャクチャ久しぶりに「寺町」コレクションのデータ追加作業(富山県分)を行ったのですが、Mapionの住所検索の仕様変更?により部分一致しているものだと全件が拾われないようになっており、住所検索によるピックアップ作業が事実上不能になってしまっていました。
仕方ないので、「住所一覧で富山県の市町の町名一覧を表示し、IEの検索機能で寺の字を探してピックアップする」という、「手間が掛かるやり方をあまり気にせずにコレクション作成をしていた」自分としても「面倒くさい」と思わざるを得ない方法でデータを広いました。
こういう「部分一致でキーワード検索をする」ような事をする人は、地図サイトでは少数派なのかもしれませんが、一致しているにもかかわらず検索結果に表示されないデータが多数ある結果しか表示されない…と言うのは、キツい言い方かもしれませんが「検索エンジンとしては欠陥品」と言われても仕方ないのでは無いのでしょうか?

それから、YAHOO!地図の方はグリグリさんの書かれている通りで「検索結果の絞り込みがほぼできなくなっている」。これがまた困る。
部分一致程度だとありとあらゆるものがずらーっと引っかかってしまい、目的のものにたどり着くのが至難の業。
これは、YAHOO!内で主な使用目的となっているのではないかと思われる「店舗等の検索」をする上でも都合が悪いんじゃ無いかと思うのですが…以前のように「自治体」「ランドマークの種類」での絞り込みは復活させてほしい。
こちらもキツい言い方をすると「退化」と言って良いレベルだと考えます。

ついでなので他の地図サイトの仕様変更で困っている点も書いときます。
YAHOO!地図の検索が上記の状態なので、自然地形名の検索はウオッちずが頼みの綱と言えましょう。
そのウオッちずの検索機能も以前とは仕様が変わっており、検索後に都道府県を絞り込む形になった点は便利が良くなったなぁ…と考えているのですが、何が困るというと「読みが表示されなくなった」。
以前表示されていた地名の読みの中にはかなり怪しげなものが混ざっていたのは確かなんですが、地図上に表示されている自然地形名の読みを網羅的に調べるには非常に便利が良かったのでして、これが表示されなくなったのは結構イタい。
それから、人工的な地形や構築物の名称が強かったちず丸、常々「検索のデータベースをもっと強化すればかなり使い手が良くなるのに」と考えていたのですが、それどころか今年3月いっぱいでなんとサイトが無くなってしまうと言う結末に。
一応後継の地図サイトとしてMAPPLE観光地図と言うサイトがリリースされましたが、観光スポットの表示に特化した仕様になっており、ちず丸同様に使える中身ではありません。
私担当のものに限らず、地名コレクションの中にはちず丸から拾ったデータも若干ですが収録されていまして、得てしてウオッちずやゼンリン系地図サイトでは名称が表示されていない地点ばかりなので、ちず丸無くなってしまうとこれが非常にイタい。
一部の地点についてはMapFanでも表示されている場合があるので、可能な物件についてはMapFanに置き換える手がありますが、「潟」コレクション情報提供用の調べ物をしている際に「ちず丸に名称が出ててもMapFanに出てない物件」を見ていますし、すべて対応しきれないのがやっぱり困っちゃう点です。

…とまぁウダウダと書きましたが、とにもかくにもここ3年ばかりの間にあった各地図サイトの仕様変更は地名コレクションを作成するに当ってはマイナスになったものが多いです。
特に、一番ポピュラーな手法となった「特定のキーワードを決め、地図サイトの検索で引っかかってきたものをピックアップしてまとめる」という方法が、以前よりも手間が掛かるようになってしまった。
現状の「ツールの性能」でどのような形で地名コレクションを作成していくのが良いのか、模索してみる必要がありますね。

目先の懸案として、「ちず丸」のURLを「MapFan」のURLに変換する事は可能でしょうか?
可能なようでしたら、地名コレクション編集ページの変換機能に追加して頂けると非常にありがたいです。
ご検討頂ければ幸いです。
(ちず丸のURLのサンプルとしては拙稿[76723]をご参照下さい)

[81127] 2012 年 7 月 16 日 (月) 22:22:32 みかちゅう さん
 バスの旅(続)

[81090]で触れた「自治体バスリンク集」ですが、すこし調べ始めています。リンク集程度ならホームページ作成技術がなくてもブログやまとめwikiで何とかなると思いますが、情報は有力サイトに集約することで活用されると思うので、検討してはいかがでしょう?>グリグリさん

[81115]伊豆之国さん
「路線バス乗り継ぎ旅行」(ここでは「高速バスは除外」というのが共通の必須条件、ということになっているようです)
JRの「一筆書き旅行」のように公式の制度があるわけではないので、高速バスをどの程度認めるかは人それぞれです。由比〜興津のさった峠区間を東名高速バス(ここは1駅間のみの利用も可)で越えている人もいる一方で、第三京浜や名阪国道のような自動車専用道路を経路として認めない人もいるようです。
2つの都市間連絡バスは任意の停留所での乗降ができないので、除外するようにしているように思います。地方に時々見られる公営ギャンブル場輸送も除外するのが無難かと。
徒歩連絡も「基本的に最短区間のみ」とする人がいる一方で、「歩いた方が早いなら歩いてもいいや」とする人もいるみたいです。

[81122]白桃さん
高松〜引田、引田〜鳴門の両路線とも日中に90分間隔程度の便数が確保され、「街道路線」として成り立っているようにみえます。高徳線並行の方は(旧)牟礼町内で路線が廃止されていますが、バスが廃止されたところで琴電も高徳線もあるので問題なしと判断されたのでしょう。

それに対し香川県西部はJRの積極策のおかげで街道路線は存在しません。愛媛県境のぎりぎりまで路線自体はつながっていたはずですが、自治体バスの乗り継ぎが続いていたような気がします。自治体バスは運賃が低廉であるのはありがたいのですが、土休日運休が多くて…。

個人的に「街道路線」として現在も使われているなと思えるのは、1日10便ぐらい(朝夕が1時間毎、日中でも1.5時間毎ぐらいを確保)です。

[81126] 2012 年 7 月 16 日 (月) 18:52:30 オーナー グリグリ
 『47都道府県のデータ』へのデータ追加

[79446]
千葉県のデータと石川県のデータに先行して地図を追加してみました。
地図に加えて、面積、人口などの基本データと、シンボルデータを追加してみました。地図はサムネイル画像に変更し、クリックでポップアップ表示する仕組みに変更しました。以下の4県についてとりあえず整備しました。

岩手県のデータ
福島県のデータ
千葉県のデータ
石川県のデータ

皆さんのご意見をいただきながら、もう少しユニークな情報も含めて充実させたいと考えています。47都道府県すべてへの展開は、掲載情報の見直し追加を進めながら、少しずつ進めたいと考えています。面白いアイディアやご要望がありましたら、よろしくお願いいたします。

[81125] 2012 年 7 月 16 日 (月) 17:33:11【1】 YT さん
 正保郷帳の石高に関する混乱

[81123]の正保郷帳の石高については説明が必要なので稿を改めます。

正保郷帳を調べる過程で、和泉清司著 『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』, 岩田書院 (2008年)と出会い、郷帳への認識を改める必要があるように感じました。
元禄郷帳や天保郷帳は村高が列挙されているだけですが、正保郷帳は各村毎に村高、田方、畑方が記載され、最後集計に本高、寺社領、新田高、小物成等がまとめられています。一方、正保国絵図の方には、新田高は原則として記入されてないようです。このため、正保石高は二系統の数字が存在することになります。おそらく東京大学史料編纂所の『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の石高は、種々の寛永国絵図、正保国絵図に記載されていた石高をまとめたもので、実際に郷帳に書かれた数字との乖離があるのでしょう。参考までに陸奥国津軽領分の正保郷帳の石高をまとめると以下の通りで、郷帳の数字を足すと津軽領分の村数は336、石高は10万2468石8斗ですが、国絵図に書かかれる数字は村数134表高4万5000石です。

区分村数村高合計田方畠方不一致
平賀郡本村分4219,265.06017,479.5201,573.020212.520
平賀郡新田分3315,633.940
平賀郡合計75.00034,899.000
田舎郡本村分3811,376.57010,260.4201,116.350-0.200
田舎郡新田分12018,401.700
田舎郡合計15829,778.270
鼻和郡本村分5414,358.37013,209.6301,147.7401.000
鼻和郡新田分497,972.890
鼻和郡合計10322,331.260
津軽領分本高13445,000.00041,160.4403,839.5600.000
津軽領分本高不一致00.000210.8702.450
津軽領分新田高(本村分)15,460.260
津軽領分新田高(新田分)202.00042,008.530
津軽領分新田高合計57,468.800
津軽領分新田高不一致0.010
津軽領分総計336102,468.800

ただ現時点で自分は正保国絵図の原本を見る機会はありません。また郷帳のまとめ方も地域によって揺れがあり、ある郷帳では本高で集計した後、寺社領高、小物成、新田高を別に記していますが、一方では、寺社領を本高に加えたり、あるいは新田高も本高に加えて集計している郷帳も存在します。そこで以下、とりあえず郷帳の総計として取り上げられているものを「草高」、新田高など全てを合計したものを「内高」として集計しました。なお斗以下の数字の方は『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』に収録されているCD-ROMの方に入っています。村数もCD-ROMの収録分を参考にし、「新田村」「枝村」の数字が分かっている分に関しては村数に加算しました。また貫高等、石高以外のものは石高の計算に含めませんでしたが、陸奥国仙台領分については例外として1貫高=10石の換算を実施しました。参考までに菊地利夫『新田開発』と東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』収録の正保郷帳石高も列挙します。

旧国正保草高正保内高村数典拠菊地利夫村高比較表
山城国215,985.62170411郷帳215,982215,986.34817
大和国469,380.624601,220村高比較表459,380469,380.62460
河内国264,952.34320265,518.42520459郷帳264,952264,952.34100
和泉国159,117.72700159,628.55800279郷帳159,326159,326.77100
摂津国375,496.75500380,875.39700742郷帳375,478375,478.86000
伊賀国100,538.00000145国絵図100,540100,540.00000
伊勢国596,334.68500658,896.319001,089郷帳585,065585,065.16400
志摩国19,290.3260055国絵図20,06120,061.00000
尾張国526,493.51000919郷帳483,432
三河国350,880.05800359,991.680001,181寛永16年郷村帳350,888
遠江国280,733.49000301,404.18624930郷帳280,696280,696.00500
駿河国191,315.69100732郷帳191,315191,315.69100
甲斐国234,327.38100730国絵図245,298245,298.70600
伊豆国79,653.20800265国絵図79,65379,653.20800
相模国206,812.01700605寛文年中郷村帳220,617220,617.70000
武蔵国982,337.96580989,725.333802,415郷帳982,327982,337.96580
安房国92,641.68000245郷帳92,64192,641.68000
上総国351,731.00000971国絵図378,892
下総国444,829.84200928村高比較表444,829444,829.84200
常陸国840,801.828901,546村高比較表840,048840,801.82890
近江国830,594.42600833,636.883001,441郷帳832,122832,122.00000
美濃国627,966.11200628,912.852001,254郷帳609,718609,718.92800
飛騨国38,764.40000215慶長郷帳38,76438,764.40000
信濃国544,770.33800578,406.405001,346郷帳548,600
上野国515,221.29926520,963.875261,133寛文8年郷村帳515,214515,215.00000
下野国565,975.62000618,592.330001,118郷帳568,733568,733.91000
陸奥国1,702,588.351403,8381,672,8061,829,000.00000
[会津領分]257,029.00000770文禄3年郷村帳
[白河三春二本松領分]315,169.00000528国絵図
[磐城棚倉相馬領分]205,026.59540254,279.16440548郷帳
[米沢領分]121,186.92500148国絵図
[仙台領分]654,110.88000745,293.38000970郷帳
[南部領分]105,065.95100538郷帳
[津軽領分]45,000.00000102,468.80000336郷帳45,00045,000.00000
[磐城国]438,137.67540489,715.07440895
[岩代国]533,876.925001,089
[陸前国]434,938.85000506,025.74000692434,860434,938.85000
[陸中国]218,681.81400236,452.59400545
[陸奥国]72,437.29900129,906.09900503
出羽国951,523.476001,124,394.893002,113郷帳965,674951,523.47700
[米沢領分]180,000.00000196,994.58400348186,990186,990.00000
[山形領分]337,610.45900340,883.68800388337,610337,610.45900
[新庄領分]36,158.7420042,715.513005436,15836,158.74200
[庄内領分]195,373.04800268,128.71500690149,117195,373.04800
[秋田領分]200,251.33900273,542.50500626255,799202,381.22700
[羽前国]649,480.35200722,672.698001,071656,458656,470.35200
[羽後国]299,913.23600399,592.307001,035309,216302,043.12400
若狭国85,460.08890209郷帳85,09985,099.67000
越前国680,293.308001,393郷帳682,182622,182.00000
加賀国422,958.60000440,399.15000751郷帳422,957422,957.61000
能登国225,006.15000255,555.71000564郷帳225,006225,006.10000
越中国592,415.66000660,718.380001,117郷帳592,415592,415.00000
越後国611,960.427002,682国絵図611,960
佐渡国24,812.01200251国絵図24,81224,812.01200
丹波国289,829.14600777郷帳289,829289,829.14700
丹後国123,175.01000292国絵図123,175123,175.00000
但馬国129,069.75700607国絵図129,069129,069.75700
因幡国149,742.50000515寛永15年郷村帳149,539149,539.00000
伯耆国170,257.50000704寛永15年郷村帳170,254170,254.00000
出雲国253,596.79200500国絵図253,597253,597.64760
石見国139,242.99100413国絵図139,401139,401.53700
隠岐国11,601.3930061国絵図11,60111,601.39300
播磨国542,130.12700554,629.787001,570郷帳562,291562,291.44700
美作国186,500.00000237,630.30000594郷帳186,500186,500.00000
備前国280,200.00000296,402.00000897郷帳280,200280,200.03000
備中国236,491.825001,221郷帳236,691236,691.82500
備後国248,015.28700457元和5年郷村帳248,606248,606.91000
安芸国266,862.55600267,851.97100433元和5年郷村帳265,071265,071.18600
周防国202,787.60000152郷帳202,787202,787.60000
長門国166,623.40000152郷帳166,623166,623.40000
紀伊国398,395.453001,258国絵図398,395398,395.45300
淡路国70,186.50000220国絵図70,18670,186.50000
阿波国186,753.58300451国絵図186,753186,753.58300
讃岐国238,028.33100321寛永17年郷村帳173,554173,554.22700
伊予国400,271.87300402,538.14200939郷帳400,271400,271.87300
土佐国248,328.12000254,378.12000463寛文4年郷村帳202,626202,626.00000
筑前国522,512.60130617,948.27590741郷帳522,512522,512.60130
筑後国331,490.00000707国絵図302,089302,089.00000
豊前国231,680.00000602国絵図231,680321,680.00000
豊後国357,300.51500364,364.521171,418郷帳378,592378,592.00000
肥前国565,655.359601,505国絵図561,437561,437.00000
肥後国579,711.78700617,803.077001,112郷帳572,980572,980.00000
日向国290,180.97300375国絵図288,589288,589.00000
大隅国170,833.45100230寛文4年郷村帳170,82817,828.00000
薩摩国315,005.60012256国絵図283,482315,251.00000
壱岐国17,568.0300041国絵図15,98215,982.00000
対馬国6,269.71500121郷帳
琉球国123,711.8134869国絵図
[大島]32,828.7000017
[本琉球]90,883.1134852
合計23,653,973.6122624,572,941.7682755,46623,342,672

典拠のうち、郷帳、国絵図はそれぞれ正保郷帳、正保国絵図とされるもので、郷帳や国絵図が存在しない地域は、近い年次の郷村帳によります。なお、大和国、常陸国、下総国に関しては東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字を使いました。下総国は和泉清司本に数字がなく、また常陸国に関しては寛永年中郷村帳(54万1967石0斗6升4合)、大和国に関しては寛永16年郷村帳(44万4056石9斗2升、外屋敷高450石8斗6升1合)の数字があるものの、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字の方は郡別石高があり、何らかの国絵図から数字を採用し、さらに寛永年中の石高よりも数字が更新されていると推測されたため、これらに関しては『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の数字を使いました。文禄3年の蒲生領高の数字を採用している陸奥国会津領分、慶長郷帳の飛騨国、寛永の数字を使っている三河国、因幡国、伯耆国、讃岐国に関しては、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の方でより良い数字が見当たらないので(ほぼ同じ数字、あるいはより古い数字が採用されている)、和泉清司本の数字を採用しました。村数の内、相模国、下総国、常陸国などは菊地利夫本からの採用です。

また陸奥国内の旧国別人口の合計、出羽国内の旧国別人口の合計がそれぞれの草高、内高と一致しませんが、これは陸奥国南部領分と出羽国の郡別石高の合計と総計が一致しておらず、一部郡別の内訳が記されていない小物成高や新田高等が草高や新田高に加えられているせいです。村数についても一致しない箇所がありあすが、例えば出羽国の場合、個々の郡別本村数・新田村数と合計が一致しませんが、新田村の名前が記載されていない郡もあるため、正確な数字を検証できないためです。

津軽領分の事例を見れば分かるように、これらの石高は米の生産力だけを表したものではなく、麦や大豆、塩、あるいは屋敷や林など、面積で表せるものは米の生産力に換算した石高を設置して、租税を徴収していたわけです。また米で納められないものは物納や金納となり、面積で表せないものは小物成として別個記載されました。

一応石高はおおよそ第一次産業の生産高を米の収穫高に換算した数字で、実際に取れる米の収穫量は、これらの石高を下回るはずです。それでは実際の米の収穫高はどの程度だったのでしょうか?それについて次回まとめたいと思います。

[81124] 2012 年 7 月 16 日 (月) 17:26:58【5】 YT さん
 1598年〜1872年の旧国別石高の変遷 それぞれの史料について

以下[81123]の表の解説です。

【(1) 慶長3年】 『大日本租税志』「慶長三年検地目録」
[72089]でも紹介しましたが、慶長3年(1598年)の石高は『大日本租税志』収録の『慶長三年検地目録』によります。太閤検地の結果として色々な書物に引用されていますが、検地が十分実施されなかったところは石高が低目に出ています。

【(2) 江戸初期】 島原松平文庫 『御当地雑記』一「日本国知行高之覚」
ここに引用する数字は、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」 (『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))記載のものです。なお原本では下総国の石高は空欄ですが、総石高2217万1689石6斗7升4合から他国の石高を引くことにより25万0131石と求まり、これは寛永10年の国絵図の下総国石高25万0140石とほぼ同じです。また出羽国石高石高には上杉弾正分10万石を含み、讃岐国石高には小豆島3186石7斗を含みます。

この江戸初期高で重要な点は、おそらく慶長10年(1605年)に徳川幕府によって提出を求められた慶長郷帳や慶長国絵図の石高だろうと考えられることです。大野瑞男による解説によると

江戸初期高は島原松平文庫「御当家雑記」一にある「日本国知行高之覚」による。このうち江戸初期の高とするものは、同書に「御統家ニ相定所也」とあり、これは慶長十年の国絵図・郷帳高と思われる。しかし国によって若干の違いがある。
 「鉄醤塵蓋抄」によれば、周防・長門の指出高八九万二千四〇〇石余、内一二万石が毛利秀元領、長府領五万石弟就清領、周防徳山領三六万九四〇〇石余、新田二九万三〇〇〇石余、合計六六万二四〇〇石秀就台所入となっている。「国主城主記」には、伊賀八万一〇〇〇石余(筒井伊賀守定次慶長十年指出高)、出雲・隠岐二十三万五〇〇〇石(堀尾出雲守忠氏慶長十年指出高)、美作一八万六〇〇〇石余(森美作守忠政慶長八年高)、二二万七〇〇〇石(慶長十年指出高)、備前三一万五〇〇〇石(池田三左衛門輝政慶長二年高)、二八万六〇〇〇石余(慶長十年指出高)、安芸・備後四九万八〇〇〇石余(福嶋左衛門大夫正則慶長五年指出高・十年指出高)、紀伊三七万四〇〇〇石(浅野紀伊守幸長慶長五年高・十年指出高)、阿波一八万六〇〇〇石余(蜂須賀彦右衛門家政天正十三年高・慶長十年指出高)となっており、このほか肥前・豊前・日向の石高記載もあるが、城地別の記載のみであって、総国高は知ることができない。
 「鉄醤塵蓋抄」の記載はともかく、「国主城主記」の記載の慶長十年高と「御当家雑記」の石高の千石以下の端数を除いたものであることが判明する。
 次に現在知られている国絵図・郷帳の石高と比較すると、摂津国絵図の高頭目録高二九万〇〇六八石六斗に対し、「御当家雑記」の石高は二九万〇九〇二石一斗で、八三三石五斗の差がある。外小物成分は六六八石一斗六升であるからこれとも一致しない。越前国絵図には総高六八万〇三二七石一斗二升とあり、「御当家雑記」の石高の六八万二四五四石とは差がある。周防・長門国絵図には周防六郡高辻一六万四四二〇石二斗一升二合、長門八郡高辻一三万四〇五九石九斗九升一合とあって「御当家雑記」の石高とは全く一致する。また福原家文書「慶長九年御両国物成御下書上ゲ」では、周防・長門両国高は二九万八四八〇石で「御当家雑記」の両国石高合計と一致する。慶長十年八月山内一豊が幕府に録上した土佐国総目録には、高二〇万二六二六石五斗とあり一致する。筑前国絵図の絵図目録記載五〇万二四一六石三斗一合三勺と比較すると、五二万二五一二石四斗と二万石以上の差違がある。慶長十年十月十五日の小豆島絵図の高頭目録の高都合は三一八六石七斗で、「御当家雑記」の石高とこれも一致する。
 以上のように国によっては相違はあるものの、「御当家雑記」の「日本国知行高之覚」の江戸初期高は、ほぼ慶長十年国絵図・郷帳高とみてよいであろう。

現在慶長郷帳は3点しか残っていませんが、活字化された慶長10年の飛騨国の郷帳は『岐阜県史 史料編 近世一』収録の「金森素玄領飛騨国石高帳」で読むことができます。最後の部分を引用すると

三郡之高
 惣都合三万八千七百六拾四石四斗
 内 田方弐万五千四百七拾五石三斗弐升七合
   畑方壱万三千弐百八拾九石七斗三合
 此物成都合壱万弐千百拾五石八斗三升余
               但三ツ一分弐朱八リンニ当ル
慶長拾乙巳季九月日 金森兵部卿法印素玄

ただ村高を並べているだけの元禄郷帳や天保郷帳に比べ、慶長郷帳は各村毎の石高と、田方、畑方の石高、物成(実際の租税収入)を列挙しており、はるかに情報量が多くなっています。さらに上の飛騨国の場合は田方、畑方、物成の記載のみですが、必要に応じて小物成(貨幣納による租税)、寺社領なども記載されました。これらの数字は現存する国絵図にも記載されているそうです(この辺については黒田日出男「江戸幕府国絵図・郷帳管見-1-慶長国絵図・郷帳について」 (『歴史地理』 93(2), pp. 71-94 (1977年))、現存慶長・正保・元禄国絵図の特徴について : 江戸幕府国絵図・郷帳管見(二) (『東京大学史料編纂所報』 15, pp. 1-21 (1980年))等に詳しい説明があります)。

それはともかくとして、慶長3年からわずか7年の慶長10年の段階で、日本全国の石高が1851万石から2217万石と、366万石も増えています。これは新田開発だけでは説明がつかず、検地が徹底したことが最大の原因と言えます。よってこの2217万石を、1600年頃の実際の石高だと考える人も多くいます。

【(3) 寛永国絵図】 「寛永十年巡見使国絵図」
寛永10年(1633年)、江戸幕府が諸国へ巡見使を派遣し徴収した国絵図で、石高は川村博忠編『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房 (2002年)を私が実際に読んで、書き集めました。尾張国と播磨国に関しては石高が書かれていないので、江戸時代初期高の数字を使って総石高を計算しました。また讃岐国の石高17万1815石に小豆島の石高3186石7斗を加算すると、讃岐国の江戸初期17万5001石7斗と等しくなり、合計の方では小豆島の石高も加算しました。

実際のところ寛永国絵図の石高は江戸時代初期高とほぼ同じで、三河、陸奥、越後、対馬で石高に改訂が見られるほか、誤記か改訂か微妙なもの(摂津、相模、常陸、越中、備後、豊前)が並んでいます。

【(4) 正保郷帳】
これについては後で詳しく説明しますが、用いた資料は

● 和泉清司 『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』, 岩田書院 (2008年)
東京大学史料編纂所所蔵の内務省令写『正保・元禄・天保・明治村高比較表』

の二点です。

一般に江戸時代の過去の石高として引用されているのは、菊地利夫著『新田開発』ですが、この内旧国別石高・村数、あるいは郡国別石高・村数の記述があるのは以下の2つの版で、他の同じ著者による『新田開発』には石高が載っていません。
● 菊地利夫著『新田開発』, 至文堂 (1963年):旧国別石高が掲載されている
● 菊地利夫著『新田開発 - 続 事例編』, 古今書院 (1986年):郡国別石高が掲載されている
両者で一部石高、村数に変更があります。

【(5) 元禄郷帳】
石高は大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」(『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))によります。但し磐城国白川郡の石高修正に伴い、磐城棚倉相馬領分と磐城国の石高に修正を加えてます([80368]参照;なお[80368]で「該当する郡は磐城国白河郡」と書いてしまいましたが、「磐城国白川郡」の間違いです)。郡別石高については[80366][80367][80368][80369][80370][80371][80377]参照。なお元禄郷帳の石高は原則として「表高」です。

【(6) 天保郷帳】
石高は木村礎校訂『旧高旧領取調帳』, 近藤出版社 (1969年〜1979年)、近世繪圖地圖資料研究会編『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳 解読篇』, 科学書院 (2009年〜2010年)、大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」(『白山史学 』, (23), pp. 1-50 (1987年))などによりますが、原本の実物を国立項公文書館で見ることができます。郡別石高については[76916][76917][76918][76919][76920][76921][76922]参照。なお天保郷帳の石高は「内高」が原則となっているはずなのですが、主だった藩が適当な報告をしていることが様々な研究により分かっています。例えば長州藩の「郷村高帳草案」によると、支藩を含む天保の周防・長門両国の内高は97万0941石8斗1升5合5勺1才と集計していますが、実際に幕府へ報告した内高は、各村毎に一律石高を減じ、寛政4年(1792年)の検地高である89万4282石1斗を報告しています。徳島藩では把握した石高を一割ほどカットし、新田村を無視し、既に消滅した村を含めて適当に村高を分配し、合計がカットした数字と一致するように報告しています(宇山孝人「阿波藩における幕府への報告石高の内実 - 天保郷帳を中心として」 (『徳島県文書館研究紀要』 (3), pp. 14-26 (2002年))参照)。加賀藩も新しい村の報告を怠っていることは、元禄郷帳と旧高旧領取調帳との比較から明らかで、薩摩藩はそもそも正保郷帳の時代から一貫して同じ石高を報告し続け、表高をもって内高であるという建前を貫いています。

【(7) 郡村石高帳】
石高は東京大学史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』によりますが、薩摩国・大隅国の石高は『明治八年 共武政表』による修正を加えました([81068]参照)。明治5年(1872年)の石高であることは、[80384][80385]で考察した通りで、郡別石高については[81059][81060][81061][81062][81063][81064][81065][81066][81067][81068]参照。

表にはまとめられませんでしたが、『旧領旧高取調帳』の石高([76816][76817][76818][76819][76820][76821][76822])は、明治3年(1870年)頃の石高の状況を示していると考えられます。

飛騨国の慶長郷帳ついでに『岐阜県史 史料編』を読んだところ、美濃国・飛騨国に関する『旧領旧高取調帳』の原書と思われるものが「明治元年同四年美濃国郡村旧高及所轄沿革取調帳」、「明治元年明治四年飛騨国大野益田吉城郡村々旧高及所轄沿革取調帳」という表書きで岐阜県立図書館に所蔵されているそうで、岐阜県の『旧領旧高取調帳』は、廃藩置県の行われた明治4年(1871年)に前年度の明治3年(1870年)段階での地租の状況をまとめたか、あるいは明治4年(1871年)度までの府藩県三治制下での地租の状況を、明治5年(1872年)以降にまとめたかということになります。

[81123] 2012 年 7 月 16 日 (月) 17:21:50【1】 YT さん
 1598年〜1872年の旧国別石高の変遷

[81081] オーナーグリグリさん
落書き帳への大量の連続書き込みであり、気になる方もいらっしゃるかと思います。

すみません。郡別データに関しては、[81068]で打ち切りです。

江戸時代の石高のデータとしては、あと慶長郷帳と正保郷帳が残っていますが、現存する慶長郷帳は3ヶ国分、現存する正保郷帳が33ヶ国分36点だけであることから、完全な再現はほぼ不可能です。江戸時代に作成された郷帳・国絵図に関する詳しい説明に関しては、和泉清司「近世初期一国郷帳の研究 - 正保郷帳を中心に」(pdf) (『地域政策研究』, 8(2), pp.1-19 (2005年))に載っています。

とりあえず、1598年から1872年までの旧国別石高については、以下の通りです。旧国別石高については、菊地利夫著『新田開発』, 至文堂 (1963年)、および菊地利夫著『新田開発 - 続 事例編』, 古今書院 (1986年)がよく引用されていますが、正保と明治の数字はかなり不正確です。以下に示す石高は、現時点でもっとも記録された石高に近いものを列挙できたものと思います。

旧国慶長3年江戸初期寛永国絵図正保郷帳元禄郷帳天保郷帳郡村石高帳
山城国225,262.00216,070.700216,070.0215,985.62170224,257.78816230,131.760865222,368.70517
大和国448,945.50444,134.000444,134.0469,380.62460500,497.30868501,361.691560503,686.23676
河内国242,105.80308,857.620308,857.0265,518.42520276,329.82954293,786.634500293,118.58720
和泉国141,512.70138,797.090138,797.0159,628.55800161,692.12640172,847.986000176,190.77610
摂津国356,069.10290,902.100299,902.0380,875.39700392,707.69987417,399.127000416,521.93580
伊賀国100,000.0095,594.10095,594.0100,538.00000100,540.00200110,096.536000110,917.96640
伊勢国567,105.14572,786.900572,786.0658,896.31900621,027.44200716,451.492700714,376.41500
志摩国17,854.9117,849.30017,849.019,290.3260020,061.6410021,470.39800019,279.20300
尾張国571,737.40480,841.700526,493.51000521,480.51800545,875.793000764,774.16620
三河国290,715.00336,000.000350,000.0359,991.68000383,413.44230466,080.746800472,373.71000
遠江国255,160.00268,800.000268,800.0301,404.18624328,651.43658369,552.575180372,546.34901
駿河国150,000.00170,000.000170,000.0191,315.69100237,937.40728250,538.753090251,954.16486
甲斐国227,616.00250,000.000250,000.0234,327.38100253,023.27103312,159.329490312,185.17685
伊豆国69,832.0079,353.00079,353.079,653.2080083,791.2823584,171.29362084,037.20836
相模国194,304.00191,524.000191,920.0206,812.01700258,216.58202286,719.756890289,776.73197
武蔵国667,126.00840,000.000840,000.0989,725.333801,167,862.983391,281,431.0688201,282,000.77090
安房国45,045.0091,779.12091,779.092,641.6800093,886.2102395,736.23907095,641.42350
上総国378,892.00285,300.000285,300.0351,731.00000391,113.95411425,080.453410427,313.77094
下総国393,255.00250,131.000250,140.0444,829.84200568,331.11374681,062.631660687,373.86055
常陸国530,008.00753,600.000752,600.0840,801.82890903,778.458001,005,707.489030921,629.15250
近江国775,379.00832,122.600832,120.0833,636.88300836,829.72078853,095.305590857,849.52528
美濃国540,000.00581,523.000581,523.0628,912.85200645,101.50300699,764.321660729,654.88365
飛騨国38,000.0038,764.40038,764.038,764.4000044,469.2190056,602.30900057,196.05800
信濃国408,358.00547,360.000547,360.0578,406.40500615,818.73754767,788.077600786,950.00098
上野国496,377.00468,000.000468,000.0520,963.87526591,834.44887637,331.633100635,851.10734
下野国374,083.80464,000.000464,000.0618,592.33000681,702.80146769,905.027038758,648.44071
陸奥国1,672,806.001,729,000.0001,822,000.01,900,492.220401,921,934.887452,874,239.0598803,007,005.48628
[会津領分]257,029.00000272,011.81600337,218.127500343,656.44250
[白河三春二本松領分]315,169.00000341,022.55885434,581.248070439,753.20706
[磐城棚倉相馬領分]254,279.16440277,935.46360300,419.556810328,427.89967
[米沢/福島領分]121,186.92500199,867.89900203,825.844500204,216.18405
[仙台領分]745,293.38000600,000.00000992,057.260000994,594.59300
[南部領分]105,065.95100128,000.00000288,874.793000355,370.11100
[津軽領分]102,468.80000103,097.15000317,262.230000340,987.04900
[磐城国]438,137.67540517,082.53095613,924.675660650,488.88237
[岩代国]533,876.92500641,269.51650755,703.961220760,923.54591
[陸前国]506,025.74000398,958.83000697,838.180000700,649.30800
[陸中国]236,452.59400228,520.61400423,134.490000471,842.91200
[陸奥国]129,906.09900136,103.39600383,637.753000423,100.83800
出羽国318,095.00870,000.000870,000.01,124,394.893001,126,248.834401,295,323.5214401,515,446.19503
[米沢領分]196,994.58400193,993.53420216,161.220230337,240.91500
[山形領分]340,883.68800352,513.70720366,147.135970365,370.03946
[新庄領分]42,715.5130051,072.3418062,387.45380084,057.51631
[庄内領分]268,128.71500198,618.39220234,302.356140235,244.72071
[秋田領分]273,542.50500330,050.85900416,325.355300493,533.00355
[羽前国]722,672.69800733,879.23040804,569.693740946,971.30568
[羽後国]399,592.30700392,369.60400490,753.827700568,474.88935
若狭国85,000.0085,099.60085,099.085,460.0889088,281.5224091,018.82220091,767.05810
越前国499,411.00682,654.000682,654.0680,293.30800684,271.80960689,304.819870690,243.61775
加賀国355,570.00442,507.400442,507.0440,399.15000438,281.77000483,665.848700511,716.01839
能登国210,000.00216,891.300216,891.0255,555.71000239,208.79540275,369.990210307,602.82896
越中国380,298.28530,637.300536,037.0660,718.38000611,000.10000808,008.461820899,831.93900
越後国390,770.00450,060.900606,370.0611,960.42700816,775.730771,142,555.5358501,150,567.52359
佐渡国17,030.0020,599.00020,599.024,812.01200130,373.91100132,565.491000135,206.12300
丹波263,887.00280,570.200280,570.0289,829.14600293,445.54740324,136.268670329,465.47386
丹後国110,784.00123,170.200123,170.0123,175.01000145,821.18200147,614.804460148,002.13030
但馬国114,235.00123,960.000123,960.0129,069.75700130,673.23500144,313.084030148,147.75427
因幡国88,500.00131,649.600131,649.0149,742.50000170,728.28900177,844.624000195,632.64500
伯耆国100,947.00175,032.000175,032.0170,257.50000194,416.56700217,990.822280251,069.40700
出雲国186,650.00223,477.100223,477.0253,596.79200282,489.73900302,627.465000320,709.91100
石見国111,770.00137,370.000137,370.0139,242.99100142,499.23500172,209.768320182,136.89850
隠岐国4,980.0011,802.90011,802.011,601.3930012,165.2030012,559.60000012,562.90700
播磨国358,534.00521,300.000554,629.78700568,517.57900651,964.813500660,557.81626
美作国186,018.70227,115.500227,115.0237,630.30000259,353.70100262,099.098000262,333.86400
備前国223,762.00286,200.000286,200.0296,402.00000289,224.71000416,581.854000418,964.53800
備中国176,929.00227,894.800227,894.0236,491.82500324,455.62300363,915.614210371,355.17580
備後国186,150.00238,838.000238,138.0248,015.28700295,678.88800312,054.932000315,876.18155
安芸国194,150.00259,384.900259,384.0267,851.97100269,478.31000310,648.489000314,669.48710
周防国167,820.00164,420.200164,420.0202,787.60000202,787.67000489,428.677000552,160.21518
長門国130,660.00134,059.900134,050.0166,623.40000166,623.64500404,853.333000458,143.48989
紀伊国243,550.00395,247.700395,247.0398,395.45300397,668.01900440,858.377710444,283.13335
淡路国62,104.0063,621.10063,621.070,186.5000070,428.1000097,164.784000136,637.98183
阿波国183,500.00186,753.500186,753.0186,753.58300193,862.28500268,894.329000310,484.46474
讃岐国126,200.00175,001.700171,815.0238,028.33100186,394.04100291,320.256400309,814.75380
伊予国366,200.00381,640.800381,640.0402,538.14200429,163.25854460,997.639340443,321.68842
土佐国98,200.00202,626.500202,626.0254,378.12000268,484.97400330,026.520000510,572.19470
筑前国335,695.00522,512.400522,515.0617,948.27590606,981.42000651,782.278440633,404.63540
筑後国265,998.00302,085.500302,085.5331,490.00000331,497.76900375,588.897800536,742.90265
豊前国140,000.00330,744.644300,740.0231,680.00000273,801.84830368,913.640500366,948.08138
豊後国418,313.00378,592.400378,592.0364,364.52117369,546.79160417,514.227150459,184.41734
肥前国309,935.00561,437.400561,437.0565,655.35960572,284.12310706,470.723196685,116.89762
肥後国341,220.00572,989.000572,989.0617,803.07700563,857.17800611,920.291100851,237.05291
日向国120,088.44288,589.500288,589.0290,180.97300309,954.52817340,128.861790418,142.35665
大隅国175,057.23170,828.100170,828.0170,833.45100170,833.45100170,833.451000263,363.29063
薩摩国283,482.74315,251.700315,251.0315,005.60012315,005.60012315,005.600120323,483.49953
壱岐国0.0015,982.30015,982.017,568.0300018,072.8060032,742.92100032,853.88500
対馬国0.000.0008,163.06,269.715000.000000.0000005,818.11600
琉球国123,711.81348123,711.81348123,711.813480147,024.09296
[大島]32,828.7000032,828.7000032,828.70000052,793.39202
[本琉球]90,883.1134890,883.1134890,883.11348094,230.70094
合計18,509,043.7422,171,689.67422,426,237.924,572,941.7682725,910,641.4180630,558,917.84113932,373,824.45675

[81122] 2012 年 7 月 16 日 (月) 13:40:44 白桃 さん
 県内ぐるり一周「市と筆書き」

タイトルにある「市と筆書き」とは、
[25678]いっちゃん さん
「市と筆書き」(ちょっと江戸っ子が入ってます。)
同じ市を二度通ることなく、いったい何市連続させることが出来るのでしょうか?
のことですが、これを都道府県に限定したものです。すなわち、
・県外に出てはダメ。
・町や村を通ることはダメ。
・もちろん、同じ市を二度通ってはダメ。
ここまでの条件ならクリアする県がいくつかありますが、一番簡単なのは、香川県でしょう。
では、ぐるり一周して元の市に帰りつくことが出来るのは何県でしょう???
既出の話かもしれません。その場合はご容赦を!!!

ここで、脱線します。
路線バスの話が出ていますので添乗、いや便乗させてください。
先だって、白馬に行った際、白馬駅から栂池まで路線バスを利用し、その帰りは、白馬駅を経由する長野行の「特急」路線バスに乗りました。この時、連れの一人が運転手さんに「特急料金は?」と尋ねたので思わず笑ってしまいました。
でも、考えてみるとJRや私鉄の一部の特急は料金がかかりますね。バスについても、高速道路を通らない、(というか高速道路が出来ていない頃の)「高徳特急バス」は同じ区間でも大川バスより高かったような気がします。「急行バス」もありました。停留所に「急行停車」という赤色の表札みたいなものがかかっていました。もちろん、急行料金は取られません。だって香川県東部は普通も急行も停車するバス停の数に殆ど差異がありませんから。
大川バスで思い出したのですが、白桃讃岐国屋敷のスグ前には高徳線(JR四国になってから、「本線」の「本」がとれた・・・)と国道11号線が通っております。にもかかわらず、私が国を出てから路線バスの運行が中止されたのです。これでは、さぬき市東部〜東かがわ市西部に住んでいるお年寄りがかわいそうです。
少し話を戻しますと、国道11号線に沿って、鳴門市-東かがわ市-さぬき市-高松市-坂出市-丸亀市-善通寺市-三豊市-観音寺市-四国中央市-新居浜市-西条市-今治市(本当は東温市ですが・・・)-松山市と連続します。この連続する14市の共通点は・・・
これ以上脱線すると叱られそうなので、ヒントだけ。
鳴門工と鳴門第一が統合し、「鳴門渦潮高校」に。母校は昨日敗れる。

脱線しすぎて話を元に戻せなくなりました・・・。

[81121] 2012 年 7 月 16 日 (月) 10:28:27 hmt さん
 定住自立圏

[81117] 星野彼方 さん
長らく路線バスでは途切れていた兵庫-岡山県境ですが、今年3月から復活しています。

参照されたページを開くと、東備西播定住自立圏「圏域バス」の運行開始 を知らせていました。

「定住自立圏」という言葉を知らなかったので、リンクされた 東備西播定住自立圏形成推進協議会 のページを開いて見ると、兵庫県赤穂市に事務局があり、岡山県備前市と兵庫県上郡町との3市町で構成された 総務省肝煎りの組織 であることがわかりました。

落書き帳での話題は 記憶になかったのですが、検索すると 2008〜2009年に 4件の記事 がありました。

新聞記事のリンクは切れているので、総務省HPで調べると、 平成21年4月から全国展開している 定住自立圏構想 のページがありました。

現実にどの程度の動きがあるのか よく知りませんが、当「都道府県市区町村」のメンバーとして、ある程度の基礎知識をと考え、上記ページに加えて 全国の取組状況(pdf全85コマ) も リンクしておきます。
概要(2コマ)全国図(4)中心市(5)形成状況(8-13)圏域の形態(21)個別データ(22-85コマ)

兵庫岡山県境の協定概要は 61コマにあり、地域公共交通にも触れていました。

[81120] 2012 年 7 月 16 日 (月) 08:41:23【1】 オーナー グリグリ
 中距離高速バス
白桃 帰り道は遠かった。(通勤・通勤圏のお話)

[81119] N-Hさん
いつの間にか私が大好きな路線バスの話題が進展していたのですね。
H2さんの路線バスの書き込み([81017])に始まり、私の通勤高速バスの書き込み([81037])が加わって、路線バス関連の書き込みが活発です。久々に一つのテーマで集中的な議論と情報提供が交わされており、嬉しいですね。
グリグリさんの通勤、うらやましい限りです。
えぇ、本当に快適です。東京駅周辺にオフィスのある会社に転職したいくらいです。今住んでいるところは、住宅地としては快適ですが、都心への通勤が100分超のいわゆる遠距離通勤圏になります。しかしながら、東京駅への通勤高速バスを利用することにより、オフィスの場所にもよりますが、俄然、楽々通勤圏に入ってきます。この落差が大きな魅力であり、今後の通勤バスのきめ細かな設定につながると考えています。

[81115] 伊豆之国さん
「路線バス乗り継ぎ旅行」(ここでは「高速バスは除外」というのが共通の必須条件、ということになっているようです)
都市間をつなぐような長距離高速バスは除外しないと面白味がなくなるからでしょうね。例えば、県境を一回越える場合のみ高速バス利用をOKにすると、ずいぶん状況が変わって来るのではないでしょうか。長距離高速バスの場合は複数都道府県を通過して途中下車ができないでしょうから、ほぼ使えなくなるでしょう。

一方、中距離の金沢と富山を結ぶ高速バスは使えます。京福バスが、福井駅から金沢香林坊へのお買い物バス 金沢ライナーを土日限定かつ期間限定で運行していたりしますし、同じ京福バスが福井駅から小松空港連絡バスも運行しています。同じように、第4回オフ会の時にも利用した([62566])、熊本空港と高千穂・延岡をつなぐバス(これは高速は通りませんね)もありますね。地方空港への隣接県からの連絡バスはかなりあるのではないかな。

#路線バス談義は活発ですが、都道府県型ドメイン[81092]、GoogleMapの新機能[81096]はどうでしょう?

[81119] 2012 年 7 月 16 日 (月) 01:28:16 N-H さん
 路線バスの話題

職場でネットを見ない環境(自主的に、ですが)になってから、ここを見る頻度もかなり減ってしまい、ご無沙汰が続いています。
いつの間にか私が大好きな路線バスの話題が進展していたのですね。

[81105]Issie さん
実は1996年に公開を開始した 私のサイト の当初のメインコンテンツは相模原・津久井地区の主要駅・バス停留場の列車とバスの時刻表を提示する,というものでした。
以前も書いたような気もしますが、私が当落書き帳にお世話になる1年ほど前、Issieさんの上記コンテンツには大変お世話になりました。
それは相模湖津久井地区の郵便局を制覇しようとしていた頃でして、あの付近のバス情報がなくては到底なしえなかった小旅行です。
結果、2001年12月28日と2002年1月8日の2回に分けてあの付近をうごきまわり郵便局を制覇することができたのでした。

さて、比較的長距離を走る都会のローカルバスの存在がとても役に立ったのは、拙稿[78245]に記載しましたとおり、昨年の3.11のことです。当時五反田にいた私はとっさに川崎行きバスの存在を思い出し、ほぼ全交通機関が途絶した首都圏の「あの時」に路線バスを使って川崎駅まで脱出することができたのでした。
あのバスのことは終生忘れないと思います。
そしてそこから先、川崎駅〜横浜駅のバスはもはや使うすべもなかったのも先に記載のとおりです。

以前から単調な通勤を少しでも楽しくしようとたまに路線バスを組み入れて帰宅したりしていますが、都内勤務になってからはそういうこともめっきりしていませんね。
ただ、羽田空港経由でリムジンバスを乗り継ぐなんて遊びはしましたがね。
グリグリさんの通勤、うらやましい限りです。

[81118] 2012 年 7 月 15 日 (日) 22:28:03 hmt さん
 明治13年共武政表を眺める (4)武蔵国

明治 13年共武政表[81072]武蔵 を眺めます。
武蔵国には、東京府6郡 + 神奈川県6郡 + 埼玉県 17郡 = 29郡があり、戸数 52万2012、人口 230万3122人。

「戸数一千以上」に該当する地名は、東京15区(712,457人)を1つに数えて 19あり、越後の 20に次ぐ大国です。

横浜区(72,630人)も目立って大きな町ですが、これに次ぐクラスは、人口1万人余の八王子、忍、神奈川駅となり、内藤新宿は人口1万人を切ります。

幕末の開国に際して 開港場の 名前だけを貸した 形になった 東海道宿場町の「神奈川」[54351]も、1901年には 横浜市の一部になりました。
内藤新宿(1920年)に続き、品川・板橋・日暮里(金杉村)・千住と東京外周部の7つの町は1932年の隣接5郡一括編入[74867]の一環として、東京市になりました。

「戸数一千以上」の町場のうち、残りの9つは それぞれ別の市になりました。
明治13年当時の人口の多い順に列挙すると、八王子、行田(忍)、川越、熊谷、幸手、岩槻、越谷(越ヶ谷宿・大沢町他)、春日部(粕壁)、本庄です。

このグループの中では、八王子が 1917年に最初に市になったのは順当ですが、明治13年に1万人余の人口があった忍町が 行田市になったのは、戦後の 1949年と ずいぶん後のことです。

三本松と同様に「戸数一千以上」の基準に達しなかったために、明治 13年のリスト には選ばれなかった地名。
その中で、現在は「政令指定都市」になっている地域が、武蔵には2つありました。

相模原市[81089]と違い、武蔵国の該当分は宿場町です。
東海道の 橘樹郡川崎駅は 749戸・3214人。
中山道では 北足立郡浦和宿 902戸・3920人と 大宮宿 405戸・1962人。

川崎市も さいたま市も、これらの宿場町が核になって発展してきた都市ですが、現在の市域は大幅に拡大されており、かつての宿場とは無関係の地区が、大きな人口を抱えています。

なお、2005年に岩槻市編入があったので、現在のさいたま市域の一部は明治 13年の「戸数一千以上」リストに含まれていました。

[81117] 2012 年 7 月 15 日 (日) 22:14:06【1】 星野彼方 さん
 兵庫岡山県境路線バス復活(?)のはなし

今日はふと思い立って高砂市ハンカチメモリアル球場(ほんとにこの名前になっていたのか)まで兵庫県予選を見に行ってきました。九回表に3点差をひっくり返す逆転劇(これなかなかドラマがあって語りだすと長くなるのでこれでやめます)など、なかなか面白かったです。でも、700円はちと高いんでないかい。それはともかく。

ここ最近路線バスの話題がにぎわっていますが、長らく路線バスでは途切れていた兵庫-岡山県境ですが、今年3月から復活しています。詳しくは赤穂市のホームページ内のこのページを参照してください。まぁ、社会実験中の2年間限定、月〜土のみ運行、1日2往復のみと利用するには大変厳しいのですが、興味のある方はぜひどうぞ。え、私?私はまあいいや。

あと、ついでですが、関西で通勤に利用されている高速バスといえば淡路島各地と三宮を結ぶバスがあげられます。

[81116] 2012 年 7 月 15 日 (日) 21:56:40 右左府 さん
 公式フェイスブック情報

> グリグリさん

フェイスブックの自治体アカウントを幾つか発見しましたのでご報告します。
地元紙で秋田県三種町のアカウント開設が報じられており、それをきっかけに辿っていったら見つけられました。
記事によると、三種町のアカウント開設は「県内の自治体では横手市に次いで2番目とされる」とのこと。)

○奥州市
http://www.facebook.com/oshucity

○陸前高田市
http://www.facebook.com/RikuzentakataCity

○大槌町
http://www.facebook.com/town.otsuchi

○横手市
http://www.facebook.com/YokoteCityOffice

○三種町
http://www.facebook.com/mitanetown

○宇多津町
http://www.facebook.com/pages/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E6%B4%A5%E7%94%BA%E5%BD%B9%E5%A0%B4/193751057392624


奥州市が三種町や陸前高田市の記事ににコメントしていたりと、自治体同士のやり取りも見られますね。

[81115] 2012 年 7 月 15 日 (日) 21:21:17 伊豆之国 さん
 路線バス乗り継ぎ街道

「路線バス乗り継ぎ旅行」(ここでは「高速バスは除外」というのが共通の必須条件、ということになっているようです)の話題で賑わっていますが、私もこの話題のバスに乗車させていただきます。

[81105]Issieさん
“12チャンネル”(テレビ東京。地デジ化後は“7チャンネル”ですが…)が数ヵ月おきに「土曜スペシャル」枠で表題の番組を制作していますね
私もこのシリーズはほぼ欠かさず見ているのですが、最後は必ずしも目的達成とは行かないこともあるということから見て、いわゆる「やらせ」番組ではなくて本当に「行き当たりばったり」の行程になっているような気がします。
[81106]みかちゅうさん
定番の(?)東海道ルートは複数の人の旅行記がネット上に見られますが(中略)条件はこの10年でかなり悪くなっています
何年か前だったか、東京から東海道(線)に沿って京都(大阪?)を目指す、というのがありましたが、確か滋賀県に入ってまもなく、彦根の少し先でそれから後が繋がらず無念のリタイヤ、というのを記憶しています。

それと、路線バス乗り継ぎ旅行を計画し、実行に移す場合、「鉄道廃線後の代替バスのルート」というのが重要なキーワードになっているような気がします。4年ほど前にで放映された北海道縦断のバス乗り継ぎ旅([66939])では、まさにその廃線跡ルートを走るバスが健在で、かなりなジグザグコースになりながらも何とか目的地の宗谷岬に無事到達しています。東海道乗り継ぎの旅でも、静岡-浜松間では、南側の海岸沿いの駿遠線の廃線跡ルートでの乗り継ぎコースで繋がった、というシーンがありました。
ところで、[81107]inakanomozartさん
お久しぶりですね。
旧相良町から旧榛原町を経て吉田町までは国道150号(約14キロ)を、吉田町からは静岡市までは東名高速道(約24キロ)を走行、静岡市までの所要時間はおよそ1時間です。
静岡市到着が7:30〜8:30となる通勤通学時間帯では5分間隔で運行され(日中は20分間隔)、地方都市へのバスとしてはかなりの高頻度です
どうしても「駿遠線」(私が御前崎に行ったときには、既に消えていました。一度は乗ってみたい「軽便」だったのですが…)のイメージが抜けきれない私には、「このルートの高速バスがそんなに繁盛しているのか」とびっくりしました…。

[81114] 2012 年 7 月 15 日 (日) 21:11:33 オーナー グリグリ
 Re:「40歳未満で就任した首長の一覧」情報提供(北海道・東北・関東の市長)

すっかり対応が遅くなってしまい申し訳ありません。>EMMさん

[79681] EMMさん
昭和22年4月7日付北國毎日新聞記事中の鈴木氏の年齢は誤記の可能性が高そうなので、「40最未満で就任した市長一覧」からは一度削除した方が良さそうです。
了解しました。元山形市長の鈴木重屹氏のデータは削除しました。
まず、北海道・東北・関東で未収録の方をまとめます。
なお、既収録の方でも、誕生日or就任日がより詳しく分かった方についても書いておきます。
既収録は元佐原市長の鈴木全一氏のデータと確認しました。追加分含めて、いただいた情報をすべて40歳未満で就任した首長の一覧に反映させました。その際、就任日年齢を再確認し、一部修正して掲載しました。どうもありがとうございました。

データ件数が131人とかなり充実してきました。就任日年齢の分布は以下の通りです。36歳以降が多くなっています。
就任日年齢人数
27歳0.5
28歳2.5
29歳3
30歳4
31歳4
32歳4.5
33歳8.5
34歳12
35歳11
36歳22
37歳21
38歳18.5
39歳19.5
0.5人単位になっているのは、生年月日や就任日が不明確なため、年齢に27-28歳?のように幅がある方がいるためです。

[81113] 2012 年 7 月 15 日 (日) 11:31:47 山野[煮豆] さん
 白岡市

今年10月に市となる白岡町は今月10日、県の方から市制施行処分書が交付されたそうな。

[81112] 2012 年 7 月 15 日 (日) 10:27:36 オーナー グリグリ
 株式会社都道府県市区町村

さっそくの反応(応援)をありがとうございます。

[81109] 煮豆さん
えーと、具体的にどういった会社なんですか?
いろいろな事業が描けると思いますが、煮豆さんだったらどういう事業を期待しますか。

[81110] 小松原ラガーさん
賛同します。すばらしいです。
さっそく嬉しい声援をありがとうございます。多くの皆さんに支えられていることをいつも実感しています。

そう言えば今年のオフ会の準備を進めなければ。いっちゃんさん、またご相談させてください。

[81111] 2012 年 7 月 15 日 (日) 10:20:50 オーナー グリグリ
 公式ツイッター & 女性首長

[81056] 煮豆さん
昨日行われた常総市長選挙にて、現職が落選しました。
という事で女性首長一覧表の修正お願いします。
選挙結果を確認しました。任期が8月2日までありますので、更新はそれ以降行います。

[81074] かすみさん
竹田市の公式ツイッター、広報、防災情報の2カウントが存在していました。
市の案内ページを貼っておきますね。
http://www.city.taketa.oita.jp/twitter/
こちらの情報に基づいて、公式ツイッターを更新しました。

情報提供をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

ところで、公式ツイッター(および公式フェイスブック)を使い始めている自治体は急速に増え続けています。このため更新が追い付かない状況になっており、掲載基準を見直す必要が出てきました。例えば、長崎県では、県の数多くの課が個々にツイッターアカウントの開設を始めました。今後の編成基準としては、[80517]にも書きましたが、加えて、

(1) 広報課など自治体を最も代表するアカウントに絞る(1自治体1アカウント)
(2) 掲載基準は変えず、リストを簡易化する([80517]の最後の方に書いたように)

など、もう少し踏み込んで絞り込む基準が必要かもしれません。検討を続けます。

[81110] 2012 年 7 月 15 日 (日) 10:15:14 小松原ラガー さん
 賛同します。

小松原ラガーです。本当にお久しぶりです。

[81108] オーナー グリグリさん
賛同します。すばらしいです。

収益が大きくなった暁には、株式会社都道府県市区町村を設立するのが私の夢です。

夢に向かって進んでいってください。微力ながら、いや、影ながらと言った方がもはや正確な表現でしょうが、応援させていただきます。

#ほんと、年に一度のオフ会にだけ出現するような事実上の幽霊メンバで申し訳ありません。

[81109] 2012 年 7 月 15 日 (日) 10:03:02 山野[煮豆] さん
 業務内容は?

[81108]グリグリさん
収益が大きくなった暁には、株式会社都道府県市区町村を設立するのが私の夢です。
えーと、具体的にどういった会社なんですか?

[81108] 2012 年 7 月 15 日 (日) 09:31:51 オーナー グリグリ
 【重要なお知らせ】都道府県市区町村の発展に向けて

皆さん、いつも大変お世話になっています。サイトオーナーのグリグリです。
今日は皆さんにさらなるご協力とご理解をいただきたく、改めてお願いの書き込みです。

当サイトの前身である「GLinGLin」を正式オープンしたのは、1996年1月1日で16年以上前になります。その当初から「都道府県のデータ」や「全国の市一覧」などの企画ページがあったのですが、現在の「都道府県市区町村」というサイト名が誕生したのは、2002年6月14日になります。経緯については[27784][46504]などを参照してください。そう言えば、先月14日がサイト名誕生10周年だったんですね。気付いていませんでした。

話がそれてしまいましたが、当サイトには、[73414]を書いたころから広告を掲載しています。当サイトをさらに発展させるために、また私自身が今以上にサイト運営に専念できるように、今後はサイトからの副収入を本格的に考えたいと思っています。現在は、広告をただ掲載しているだけの状態にあり、いわゆるSEO対策(広告の効率や効果を高めるための技術対策)や広告そのものの掲載数など、収入を高めるための努力はほとんど実行していません。

会社勤めがまだ数年はありますので、今すぐにサイト強化やSEO対策を本格的に始められる状況ではないのですが、数年後に向けて準備段階に入りたいと考えています。各ページのリニューアルを進めているのもその一環です。今後広告掲載を積極的に推進していくことに関して、皆様のご理解とご協力をいただきたく、改めてお願いするものです。

サイトの広告収入を本格的に図るに当たって、サイト運営にご協力いただいている皆さんへの還元ルールを明確にし、ご了承をいただくのが筋と考えています。具体的には、変遷情報、公式ホームページ、地名コレクション、マガジンなど、編集長として企画編集に直接ご協力いただいている方々です。直接編集以外にも、人口データの提供や落書き帳への各種情報提供など、書き込みそのものも企画へのご協力と言うことになりますが、還元ルールの基本方針は以下のようにしたいと考えています。

(1) 広告(主として、Google adsense)による収益の還元
(2) 企画編集に直接ご協力いただいている方を対象
(3) 還元方法はご協力いただいている方と個別調整
(4) 書き込み、情報提供など編集を伴わない間接的ご支援は対象外
(5) 現状、収益が小さい企画については当面対象外
(6) 将来、収益が大きくなった企画に関しては還元方法を見直す

なお、現在の広告収益額はまだまだわずかですが、今後、集客施策などをしっかり実施していくことによって、拡大できると考えています。その前に、基本的な考え方を明らかにし、皆さんのご了解を事前に得ておきたいと考えました。なお、直接編集にご協力いただいている方々には、事前にメールでご説明し、ご賛同とご了解をいただいております。

収益が大きくなった暁には、株式会社都道府県市区町村を設立するのが私の夢です。

[81107] 2012 年 7 月 15 日 (日) 06:00:00【1】 inakanomozart さん
 静岡市への通勤高速バス

静岡県中部で通勤通学に使える高速バスというと鉄道の便に恵まれない榛南(はいなん)地区(吉田町、旧榛原町、旧相良(さがら)町)と静岡市を結ぶ「静岡相良線」が該当すると思われます。

旧相良町から旧榛原町を経て吉田町までは国道150号(約14キロ)を、吉田町からは静岡市までは東名高速道(約24キロ)を走行、静岡市までの所要時間はおよそ1時間です。
静岡市到着が7:30〜8:30となる通勤通学時間帯では5分間隔で運行され(日中は20分間隔)、地方都市へのバスとしてはかなりの高頻度です。

帰宅時間帯の夕方16時以降の静岡発の便は15分間隔で、最終便は静岡のような夜の早い田舎町としては異例の23:36(平日)、東京からの新幹線の最終便に間に合うようにも配慮されています。

かつて静岡県内の都市を結んでいた「静岡浜松線」「静岡沼津線」などの高速バスがありましたが、JR東海道線に「するがシャトル」登場以来、定時性と所要時間(各ICと中心市街地が離れているため比較的短距離な路線ではそのロス時間が大きい)で不利なこれらの高速バスがことごとく不振で廃止に追い込まれているのに、この「静岡相良線」が盛況なのは鉄道沿線から距離がある地域と静岡市内を結んでいることが大きな要因なのでしょう。

[81106] 2012 年 7 月 15 日 (日) 02:38:07 みかちゅう さん
 年々困難、バスの旅

[81105]Issieさん
時刻表を個人で提供し,それを随時更新していくことの困難さは本質的に,行政をはじめとする公的組織でも,当の事業者自体でもそれほど変わらないのではないかと,思ってもいます。(注・要約して引用)
最近は「地域公共交通会議(鴨川市の例)」のような形で自治体と事業者の話し合いの場が設けられ、路線の廃止や変更についての予定が改正日よりかなり前から公になるようになりました。もっとも「改正内容が確定」ではないので、議事録にある月日が近づいたら改正が予定通り行われるかを確認しなければなりません。
ローカル路線の廃止が取りざたされるような地域であれば、ほぼ確実に赤字補填や自治体からの補助金が事業者に支払われています。それならば漫然とカネを事業者に出すのではなく、運行の実態を周知してもいいのではないかと思います。小規模事業者がホームページ制作を外注するのはコスト的に難しいとしても、該当する自治体ホームページに時刻表のPDFファイルを載せるくらいなら、どこの自治体だってできるでしょう。積極的に行わないのは「バス事業者もしょせん民間の一企業→特定事業者の宣伝につながる」とでも考えているからなのでしょうか。

国道14号ルート
鬼越駅〜京成中山駅(800mほど)を徒歩でつなぎ、船橋駅〜津田沼駅(京成バス・1日6便)にうまく乗れれば、総武線と京葉線の間を駅から駅へと乗り継いで行くことができそうです。私の場合は、前者は本八幡駅〜大町駅〜市川営業所〜西船橋駅、後者は船橋駅〜北習志野駅〜津田沼駅とつないでおきました。私のルートのうち市川営業所〜西船橋駅の路線が下総中山駅発着に短縮されているので(西船橋駅方面は早朝1回のみ残存)、現在は船橋法典駅を回って乗り継ぐのが良さそうです。大町駅〜市川営業所は平日のみの運行なので、市川営業所に近い医療センターか市営霊園で乗り継ぐのがベストの模様。


定番の(?)東海道ルートは複数の人の旅行記がネット上に見られますが、まずはさった峠、続いて静岡・愛知県境が断絶区間となっています。この2か所はその区間だけ歩けばいいのですが、問題はその後。愛知県内も数か所で断絶しているし、愛知県〜三重県は平日・土曜の夜1回のみ。静岡県内に目立った悪化がない代わりに、愛知・三重県で廃止が相次いで条件はこの10年でかなり悪くなっています。岐阜方面に北上したとしても滋賀県に県境を越えられない上に、滋賀県内を本数の少ない自治体バスを細かく乗り継ぐという困難が待ち受けているはず。一昔前の乗車記だと津→伊勢奥津→名張→上野市→名阪国道で奈良県入りというのが定番でしたが、現在は三重県内を移動するのが格段に大変そう。
<参考ページ>
路線バスの旅…東海道区間は2000年夏〜秋に実行
汽車旅バス旅長い旅…東海道区間は2007年実行、西から東へ進んでいる
路線バス乗り継ぎの旅…2001年実行、東京→岐阜は山梨・長野県経由

2002年の「路線廃止の自由化」の直前で、かつインターネットの普及で情報が入りやすくなった2000年ごろというのが最後のチャンスだったのでしょうね。1週間連続でやれれば十分東海道は達成できたように思うのですが、現在は何日かかるやら。ヒマなら調べてみますかね…。

[81105] 2012 年 7 月 14 日 (土) 22:32:01【2】 Issie さん
 にっぽん列島横断ローカルバス乗り継ぎの旅

実は1996年に公開を開始した 私のサイト の当初のメインコンテンツは相模原・津久井地区の主要駅・バス停留場の列車とバスの時刻表を提示する,というものでした。掲載したのは以下の通り(行政区画は当時のもの):

 相模原市:橋本駅,淵野辺駅,上溝
 津久井町:三ヶ木,東野,関,鳥屋
 相模湖町:相模湖駅
 藤野町:藤野駅
 清川村:宮ヶ瀬
 愛川町:半原
 上野原町:上野原駅,本町三丁目,四方津駅
 道志村:月夜野

情報収集の手段は,鉄道の時刻に関しては東京圏の全列車を掲載する時刻表が市販されていましたからそれによりましたが(最近,書店への配本数が減っているのではないかという印象を受けます),バスについてはもっぱら人力による現地取材によりました。すでにデジタルカメラは所持していましたが,それで時刻表を撮影するという発想は持たず,ひたすらバス停の時刻表を筆写していました(その後,上溝や三ヶ木のようなターミナルでは営業所窓口で印刷された時刻表を入手するようになりましたが)。
このコンテンツは2002年頃に更新を停止して,その後正式に廃止しました。
一番大きな理由は,2001年頃から神奈中グループが自身のサイトでバス時刻表の開始したことです。逆に言えば,その頃まではバス事業者によるバス時刻情報そのもののネット公開さえなされていなかったのですね。
やがて私の職場が相模原から横浜に移ってしまい,リアルタイムで情報の更新ができなくなってしまったので,この分野からは完全に手を引きました。
だからこの手の情報を個人で提供し,それを随時更新していくことの困難さは十分に理解しています。
そしてその困難さは本質的に,行政をはじめとする公的組織でも,当の事業者自体でもそれほど変わらないのではないかと,思ってもいます。

[81087] グリグリ さん
NHK総合で土曜日の夕方「路線バスの旅」という番組がありますが

[81099] みかちゅう さん
路線バスを乗り継ぐのをメインとした番組として古いのは、TBSの「そこが知りたい」でしょうか。

最近では“12チャンネル”(テレビ東京。地デジ化後は“7チャンネル”ですが…)が数ヵ月おきに「土曜スペシャル」枠で表題の番組を制作していますね。最近では4月28日放送の これ。どこまで事前リサーチしているのか,「失敗」することもしばしばあって(最近では前々回,2011年12月3日放送の この回),少なくとも“予定調和”の番組作りはしていないようです。
このシリーズの初回放送は2007年10月20日の この回,横浜駅西口から 神奈川→山梨→長野→岐阜→富山 と5県をわたって太平洋岸の横浜から日本海岸の氷見をめざすというものでした。
初日は 横浜駅西口→鶴間駅→町田駅→橋本駅→三ヶ木→月夜野→道志 という,ほぼ前述のわがサイトのホームグラウンドを通過したのですが,5年前に可能であったバス乗継はいくつかの区間で現在では不可能になっています。

[81099] みかちゅう さん
私が房総半島の乗り継ぎをやった際も、市川→千葉はきちんとたどれていません。

たとえば国道14号ルートでは(旧道も含めて),すでに私が小学生であった40年前の時点で市川・船橋市境(正確には 鬼越−西船橋間),船橋・習志野市境が切れていて,習志野市東端の幕張IC以東には全くバス路線がありませんでした(ただし,幕張駅入口バス停から海浜ニュータウン稲毛地区を結ぶ路線が暫定的に国道上を運行していましたが,当該区間はノンストップ。国鉄稲毛駅と当該埋立地を直結する道路が開通して役割を終えたので廃止されました)。私が高校生であった30年ほど前には内陸の東金街道を通過して津田沼駅と千葉駅を結ぶ路線が残っていましたが,モノレールが開通したころに分断されてなくなったようですね。
12チャンネルの番組も,特に県境や峠を越えるバスがなくて何時間も歩く苦労をしています。この手の旅は年々ハードルが高くなっているようです。
何より,鉄道よりもずっと簡単に路線の改廃ができるバス交通は,情報の変化を細かく捕捉するのは容易なことではないでしょうね。面白いネタではありますが,「足がはやい」のが何にも増した課題だろうと思います。

[81104] 2012 年 7 月 14 日 (土) 20:34:06 白桃 さん
 六ぶて

久しぶりに大相撲を見てましたら、今は力士の出身地をアナウンスだけではなくテレビ画面に大きく出すのですね。
牛久市VS寝屋川市といった大都市近郊出身力士の取り組みは、どうも相撲らしく無い。やはり、秋田県雄勝郡雄勝町VS北海道空知郡栗沢町のような郡部出身同士の・・・いや、今となっては湯沢市VS岩見沢市になってしまいますが・・・。
何よりもビックリしたのは日馬富士の出身地、“ゴビアルタイ”。いかにもありそうで無さそうな、このとってつけたような地がホンマにあるんかいな?と思って調べたら、「ゴビアルタイ県」というのが本当にあるたい。県庁はアルタイという町で、人口は“てぶくろ市”([81098]煮豆さんの記事参照)の半分位らしい。モンゴルばかりではなく、グルジア、ブルガリア、エストニア・・・と大相撲もメジャーというか、グローバル?になってきましたが、何場所ぶりか知りませんけど、本邦内出身、出来れば郡部出身力士の優勝を見たいものです。(おことわり:白桃は決して「国粋主義者」ではありません。)
さて、
[81100]88 さん
御下問がありましたので、調査してまいりました。と言っても、東かがわ市在住の知人に、調査を丸投げしただけなのですが、その調査結果を抜粋してここにご報告いたします。
ぶしつけなリクエスト大変申し訳ありません。同時に大感謝申し上げます。どうか、「知人」さんにも宜しくお伝えください。
・字森町は、現在も(大字)松原にのみ存在する。(大字)湊には存在しない。
・現在も「森町」という自治会があり、(大字)松原字森町のすべてと、(大字)湊字水入の一部が加入地域である。
そうですか、湊に「森」がないにしろ、「森町自治会」に湊の住人が加入しているということは、「森」という“くくり”があったことは間違いないようですね。
白桃もうっかりしていたのですが、「湊」と言えば、(三本松側から見て)湊川の手前という感覚が強かったのですが、言われてみれば、湊川の東岸、もっと言えば(字)松原(→旧白鳥町の中心地)のスグ隣りも「湊」であったのです。東かがわ市役所も「湊」かな?

余談になりますが、「松原」(→私らは「本町」と呼んでいました。)は白鳥神社の「鳥居前町」で三本松ほど賑やかではなかったけれど、それなりの「商店街」もあります。また、「日本一低い山」がある松原もあり、海水浴場にもなっていまし・・・過去形???
中学校の帰りに(隣り町の)白鳥神社のお祭りに行って、その翌日、担任の先生に4発ビンタを喰らったことはさておき、手袋産業盛んな土地ですから、
女の子「白桃チャン、“てぶくろ”の反対ゆうてみて」
白桃「“ろくぶて”」
って言ったら、頬を六発ぶたれ、淡い初恋?が消えたという苦い思い出があります。

[81103] 2012 年 7 月 14 日 (土) 20:11:43 hmt さん
 鎌倉と小田原

[81097] Issie さん
武士の都は土の下
鎌倉府の主である 鎌倉公方 と 関東管領 との対立,さらに公方の足利氏,関東管領の上杉氏それぞれの分裂と抗争によって関東は一足早く“戦国時代”に入り,戦乱の中で都市・鎌倉は衰退してしまいました。

関東武士政権の所在地としての鎌倉は、15世紀中頃の享徳の乱に際して、鎌倉公方第5代の足利成氏が下総の古河に本拠を移した時に終りました。これが応仁の乱より一足早い、関東における戦国時代 の到来です。
ところが、それより 100年以上も後に、「武士の都・鎌倉」の ブランド を利用した人物がいました。

おなじみの上杉謙信。
越後を本拠地とする上杉謙信が、関東に出撃する大義名分は「関東管領」という職責の遂行です。
関東管領だった上杉憲政は河越夜戦(1546)で北条氏康に大敗した後、本拠地の上野国平井城も落城して、越後の長尾景虎を頼ることになりました。景虎は、後に憲政の養子という形で「上杉政虎」の名と「関東管領」の職とを手に入れました。
長尾景虎→上杉政虎→将軍足利義輝の偏諱を受けた輝虎 という本名よりも、法名の「謙信」で知られています。

武田信玄との間では 信濃を巡る争いが進行中であるにもかかわらず、第三次と有名な第四次川中島の戦いの間、永禄3年(1560)に関東の北条を討伐する兵を出しています。
翌年には 小田原城を包囲したものの、籠城する北条氏康の守りは固く、結局は兵を引きました。

ここで 久しぶりに歴史の舞台に登場したのが 「鎌倉」でした。
鶴ヶ岡八幡宮を式場として、上杉謙信が関東管領職に就任。
これまでも傀儡の関東管領・上杉憲政を利用してきましたが、ここで謙信本人(当時は政虎)が 関東出兵の旗印たる「関東管領」という 鎌倉ブランド を得たわけです。

由比の浜辺を右に見て/雪ノ下村過ぎ行けば/八幡宮の御社

私が国民学校で習った歌詞は“雪ノ下道過ぎ行けば”でした。
後に、これは芳賀矢一の原作にあった地名を、時代に合せて改作したものと聞きました。
明治43年(1910)の 『尋常小学読本唱歌』に掲載された時には、既に東鎌倉村になっていたことは 今回 改めて認識しました。

7番の歌詞に“歴史は長き七百年 興亡すべて夢に似て 英雄墓は苔むしぬ”とあります。
頼朝の死後、既に 813年ですが、歌詞は“七百年”のままと思います。「しちひゃくねん」です。念の為。

鎌倉町の市制施行は1939(昭和14)年。横浜,横賀,川崎,平塚に続く県内では5番目のことですが,ずいぶんと遅い印象を受けませんか。

市制施行順について、“ずいぶんと遅い”印象を受けたのは、鎌倉よりも小田原です。
明治 13年共武政表では、横須賀(1661戸、5948人)を上回っていた 小田原(2474戸、13695人)ですが、小田原市が成立したのは、横浜,横須賀,川崎,平塚,鎌倉,藤沢に続く県内で7番目でした。

[81102] 2012 年 7 月 14 日 (土) 15:55:45 みかちゅう さん
 時刻・路線検索の利便性

バス事業者による路線・時刻表検索は大きく分けて
・停留所名を選択
・路線(系統)一覧や地域から選択
・路線図から選択
の3つです。
乗車地が分かっているときは停留所名で検索するのが早いですが、正確な名称がわからないときもあるし、どの方面(行き先)の時刻表を見ればいいかが分からないこともあります。一見さんが乗車する場合は駅から乗る場合がほとんどなので、時刻表掲載は駅前のみとしている事業者も結構あります。
その一方で、路線の広がりを見たい場合に役立つのが系統一覧や路線図です。一覧に出ている経由地や行き先を見れば、だいたいどの地域まで路線があるかが分かります。路線図は方角は無視して作図されていることが多いですが、路線網の広がりを見るには役立つでしょう。

目的地が決まっているときに検索するのがいちばん普通の使い方だと思いますが、どのやり方でもなかなか発見できないことが多いです。利用する気があるのなら営業所に電話して「○○に行くバスの時間を教えてください」が結局のところいちばん早いです。

ところで、都道府県単位で公的機関が運営しているものとして富山らくらく交通ナビというのがありました。停留所の位置なども検索できるので役に立ちそうだし、県の運営なので信用できそうです。こういう公的組織が運営している以上、きちんとダイヤ改正に対応してほしいものですが、実態はどんなものなんでしょう? 
同様のものは福井県にもばすでんしゃねっと・ふくいがあります。

[81101] 2012 年 7 月 14 日 (土) 15:38:11【1】 88 さん
 登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)のご紹介

[81100]と関連するのですが、敢えて別稿に。
同稿で、小字の調査方法について一部記述がありますが、同稿で触れた知人から紹介を受けたサイトをご紹介します。

登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)

以前、登記情報提供サービスをご紹介したことがありますが、データに関しては共用している部分が多いようです。

登記情報提供サービスは、地番区域が大字単位の場合、小字の表示が出ません。大字単位で付番しているため、現実に小字が存在しても、検索には不要であるためです(もっとも、実際に登記簿(現在ではほとんど電算化しているため、「登記事項証明書」と呼ぶ)を取った場合、小字が存在した場合は、もちろん記載されています)。
最近では、小字がなく、町・大字から直接地番となる例も増えてきていますが([66921]拙稿)。

登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)の「かんたん証明書請求」を使用します。
事前に登録(無料)をしておけば、本当に全部事項証明書を正式に請求できますが(有料)、無料で利用できる範囲で有意義なものもあります。
この「かんたん証明書請求」を使うと、地番区域が大字単位であっても、小字の表示が出てきます。市町村ごと、町・大字ごとに、下階層へとたどることができます。これらの調査までは無料です。
個々の地番の情報(所有者、地積、地目等)を得ようとすると、有料となりますが、無料のメニューの範囲内で、小字の有無・名称を調べることはできます。

ただし、注意点があります。
閉鎖登記簿(現在の情報ではなく、土地の合筆などによって現在では存在しなくなった地番の情報)をも得ることができるように対応しているため、その結果として、現在では存在しなくなった市町村はもとより、廃止された町・大字、小字が記載されていることがあります。市町村名は過去のものであるか否かは少し調べると容易にわかりますが、町・大字、ましてや小字は、現在も存在するのか否か、は、容易には分かりません。個別情報を「有料」で調べればもちろんわかるのですが、無料でたどり着ける範囲では、混在している可能性が十分にあるので、完全な資料とはなりません。
もう一つ。例えば○○郡○○町に「大字△△」があり、その中に字(小字)が「字□□」「字☆☆」の2つが表示されたとします。このうち、「字☆☆」は既に廃止されているかもしれない、というのは上述のとおりですが、この場合、すべて「字□□」に組み込まれたのか、それとも、「大字△△999番9」と、小字そのものが廃止されて直接地番となるのが正しいのか。つまり、現在は「字□□」「字☆☆」「小字なし地域」の3とおりあるのかどうか、がわからないことです。
「小字なし地域」との区分があれば明確で便利なのですが。

こういった点にご留意の上、(利用時間に制限はありますが、)ご利用してみては如何でしょうか。
#私は、試しに香川県内の全小字を、(他の作業と並行して)抽出・リスト化中です。

[81100] 2012 年 7 月 14 日 (土) 14:37:07【2】 88 さん
 Re:土俗森ト唱フ

[81018] YT さん
以前から閲覧可能だった『明治八年共武政表』と異なり、これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
この投稿を受けて、地元讃岐国を閲覧していたところ、[81020] 白桃 さん の投稿とまったく同じ点に着目していました。白桃さんほどの地元ではないとはいえ、「森」は聞いたことがありませんし、・・・他の同様の事例では、現在の集落が容易に判別できます(この件は後述)。
で、[81020] 白桃 さん から
こういうことは、88さんにお伺いしてみよう。^i^)~~)
と、御下問がありましたので、調査してまいりました。と言っても、東かがわ市在住の知人に、調査を丸投げしただけなのですが、その調査結果を抜粋してここにご報告いたします。

――――――――――
まずは、地図を2枚ご覧ください。地図(1)  地図(2)
(距離・時間の表示が邪魔なので、ページ右上の「ふきだし表示」のチェックを外すと見やすくなります。・・いい表示方法を発見できず。)

(2)の青色の範囲が、現在の字森町です(一部推測を含む)。これは、(大字)松原字森町です。一方、(大字)湊には字森町は存在しません。
字森町の範囲は、狭小です。この地域のすぐ西(白鳥郵便局の前の通りよりは東側)には「松原字芝居町」があり、一方、この地域のすぐ東(白鳥神社の南東側)は「松原字本村」です。
白鳥神社や、その北側に広がる松林が字森町に該当するか否かは未確認。
(1)の「赤色」が、森町自治会の範囲です。松原字森町のすべてを含みますが、さらに、南側の湊の一部を含みます(このあたりは湊字水入)。ちなみに、地図中「鶴内神社」がありますが、この神社に隣接して、「森町自治会館」があります。

要約すると、次のとおりとなると思われます。
・字森町は、現在も(大字)松原にのみ存在する。(大字)湊には存在しない。
・現在も「森町」という自治会があり、(大字)松原字森町のすべてと、(大字)湊字水入の一部が加入地域である。

なお、同知人からは、「想像するに『森』は『白鳥神社の門前街』であり、日本武尊伝説のある白鳥神社の門前として、陸軍参謀局の資料である共武政表でも触れたのではないか」との意見がありました。
また、湊と松原(旧白鳥本町)の境目は、現在では不分明であるが、松原(旧白鳥本町)と白鳥(旧白鳥村)の境目・所属意識は、地元においては厳然として現在も存在する、との参考意見も頂きました。

――――――――――
さらにここからは別の観点からの私の推測です。
香川県における市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠であるM22.12.28付け(香川)県令第22号大内郡の項をご覧ください。
市制町村制施行後、大内郡の(新)松原村となるのは、
帰来村 伊座村 松原村 湊村字水入ノ内宅地三反弐畝廿弐歩畑九畝廿歩
であり、(新)「白鳥村」となるのが、
白鳥村 湊村 内字水入ノ内宅地三反弐畝(弐畝)廿弐歩畑九畝廿歩ヲ除ク
です。
(旧字体は新字体に引用者が置換え。( )内の「弐畝」は、重複誤りと思われます。)
この、(旧)湊村の内、(新)白鳥村ではなく、(旧)松原村と一緒に敢えて(新)松原村となった「湊村字水入ノ内宅地三反弐畝廿弐歩畑九畝廿歩」が、今回の話題となっている「森」のうち、現在松原になっているものの内、元は湊であった区域でないか、と思う次第です。

――――――――――
さて、冒頭に挙げた、共武政表における輻輳地の件。
試しに、讃岐国の、町村にまたがる輻輳地が、現在のどのあたりになるのか、あたってみました。
(1)大内郡 森
前述のとおり。
(2)山田郡 川島
「坂元村、高野村」という記載と、M23.2.15付けでの両村+上田井村との合併による山田郡坂ノ上村木田郡川島町への町制/改称、それを引き継いだ木田郡山田町高松市に編入合併される際のS41.6.23付け香川県告示第429号新町名設定の件から見ても、高野村が現川島本町、坂元村が現川島東町であることがわかります(高松市川島本町・川島東町付近の地図)。
(3)香川郡
香川郡坂田村、万蔵村という記載などから、高松市室町付近に当たると考えられます。
なお、現在、「高松市室町字室」です。地番区域は室町としての付番で、また、字室以外に字はなく、住所上は「字室」は表記しません。
(4)香川郡 橋詰
香川郡坂田村、勅使村という記載などから、高松市の橋詰バス停付近であると考えられます。
(5)香川郡 仏生山町
この5例の中では、最も容易。ただし、さらに詳細に。
香川郡百相村、出作村という記載と、M23.2.15付けでの香川郡百相村香川郡仏生山町への町制/改称(あわせて多肥村大字出作の一部をさらに編入)、高松市に編入合併される際のS41.9.30付け告示第105号の5新町名設定の件から見ても、高松市仏生山町(地番に甲を付す地域が元百相村、地番に乙を付す地域が元出作村)であると考えます。

なお、香川県における市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠であるM22.12.28付け(香川)県令第22号:http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788358/113
香川郡の項をあわせてご覧ください。
市制町村制施行後、香川郡の(新)多肥村となるのは、
出作村 内字松ノ上、字松ノ下、字下町ヲ除ク 上多肥村 下多肥村
であり、(新)百相村となるのが、
百相村 出作村ノ内字松ノ上、字松ノ下、字下町
です。大内郡の森の例と同様、「出作村ノ内字松ノ上、字松ノ下、字下町」が、共武政表でいうところの、
出作村 五十戸 百八十九人
であり、M23.2.15に(新)出作村とならずに(新)百相村となった区域ではないかと考えます。

――――――――――
#今回の件で、市区町村変遷情報において、皆さんのご意見を踏まえ、「○○村(本)」「○○村(微)」と記載したことが十分意義があった、と、自賛しているのですが・・・。


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