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キーワード「鷹匠」を含む記事が37件見つかりました

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[21746] 2003年 11月 4日(火)17:40:49またーり さん
地名の清濁・姫路市編
[21684]ゆう さん(実際には『地名の清濁』関連のレスをされた方々全て)
自分の住む姫路市でのそういう地名をリストアップしてみました。
なお、正式な読み方については姫路市例規集の中の『町名一覧表』に従っています。
また、自分の方で7桁郵便番号を付加しました。
【姫路市例規集検索システム】
http://wdb.city.himeji.hyogo.jp/reiki/reiki.html
〒671-1226(網干区)高田○たかた×たかだ
〒670-0983井ノ口○いのぐち△いのくち
〒671-1201(勝原区)下太田○しもおおだ×しもおおた
〒671-1213(勝原区)宮田○みやだ△みやた
〒672-8035(飾磨区)中島○なかしま×なかじま
〒672-8033(飾磨区)妻鹿日田町○めがひだちょう×めがひたちょう
〒672-8097(飾磨区)山崎○やまさき×やまざき
〒672-8096(飾磨区)山崎台○やまさきだい×やまざきだい
〒671-0208(飾東町)八重畑○やえばた×やえはた
〒671-0207(飾東町)山崎○やまさき×やまざき
〒670-0932下寺町○しもでらまち×しもてらまち
〒670-0024鷹匠○たかじょうまち△たかしょうまち
〒670-0964豊沢町○とよざわちょう△とよさわちょう
〒679-4204(林田町)上構○かみかまえ×かみがまえ
〒679-4202(林田町)下構○しもがまえ△しもかまえ
〒679-4203(林田町)中構○なかがまえ△なかかまえ
〒679-4221(林田町)林谷○はやしだに×はやしたに
〒671-1102(広畑区)蒲田○かまだ×かまた
〒671-1107(広畑区)西蒲田○にしかまだ×にしかまた
〒670-0048船橋町○ふなはしちょう×ふなばしちょう
正式な読み方とは違うものの、実際にそう発音される場合もあるものは△にしています。
ただ『宮田』は実際に清音でも呼ばれるのでまだいいとしても、『下太田』交差点の
信号機のローマ字表記が『Shimoota』になっていたりするのが…(『お』が縮まって
『しもおだ』と発音する事はよくありますが、絶対に『しもおおた』とは言いません)。
また、清濁以外にも『(網干区)興浜』のように正式呼称と地元での呼称が食い違うもの
(正式呼称→『おきのはま』、地元での呼称→『おきはま』)や『地内町』の振り仮名が
『ぢないまち』(『ちないまち』でも『じないまち』でもない点に注意!)…なんてのも
あります。
[21747] 2003年 11月 4日(火)18:10:12【2】Issie さん
柏原
[21743] なきら さん
柏原、谷和原に至っては・・・

「ガイシュツ」かもしれませんが…
JRの駅に3つの読み方がそろっている「柏原」。
そのうちの1つ,兵庫県・丹波氷上郡の「柏原(かいばら)」は,元々は「栢原」と表記していたんですよね。
「栢」は「かや」という漢字(屋根を葺く材料になるカヤ(萱,茅)ではなく,「カヤの木」のカヤ)。
「かやはら」から「かいばら」になった,というのなら,それほど不自然でないかも。
後に1画減らして「栢」が「柏」に変わってしまったのでした。
だから実は「柏(かしわ)」とは関係がない。

大阪府・河内志紀郡(南河内郡)の「柏原(かしわら)」の方は,「かしははら」の縮約なんでしょうね。

[21746] またーり さん
鷹匠町 ○たかじょうまち △たかしょうまち

これは,実は地名レベルの話ではなくて,普通名詞である「鷹匠」という漢字の読み方の問題なのですね。
この町名のとおり,「たかじょう」と読むのがこれを生業とする人たちに対する習慣です。

[21736] U+3002 さん
○ブダペスト ×ブダベスト

これも既出だったと思いますが,「正しくは」そのどちらでもなくて「ブダペシュト」なんですね。
ハンガリー語では s は「シュ」と発音します。「ス」と発音するのは sz 。ところが,sz の有声音(ズ)は z で,zs と表記すると s の有声音の「ジュ」。“英語のための日本語表記法”であるヘボン式ローマ字を刷り込まれている身には,ややこしいですね。
(ところで,日本語では s の有声音である z と,ts の有声音である dz の違いが意識されません。それに耳ざとく気づいたロシア人は,日本語のザ行の子音を転写するのに дз (dz) を以ってします。)

そもそもヨーロッパ語の中には「無声の s 」と「有声の z 」との区別がないものが少なくありません。イタリア語では s だけでなく,z についても無声音 (ts:ツ) と有声音(dz:ヅ)との区別がありません(あるいは,どちらで発音するかが,各地の方言[ないし地域言語]の指標になっています)。

ま,外国地名を日本語の発音体系の中でカナに転写しようとするというのは,一筋縄ではいかない作業なのです。

※ところで,見知らぬ“かな”が続くと,一瞬順番を間違えませんか?
私,モンゴルの首都を初め「ウラバントール」だと思ってしまいました。
「アンタナナリボ(アンタナナリブ)」,…「ナ」は幾つ続くの?

今日の官報,一瞬「あらわ市」と読んでしまったのでした。
[24796] 2004年 2月 13日(金)00:50:11ryo さん
私も自己分析
[24671]いっちゃんさん

私も遅ればせながら参加させてください。

地図族(地図を見ていると一日中飽きない。)
「5」。愛読書はスーパーマップル(笑)。
しょっちゅう「脳内旅行」しているといっても過言ではありません。

地形族(地表のデコボコやギザギザを見るとたまらない。)
「3」。河岸段丘面、断層面などわりと好きです…
でも知識が少ないので、地形を見て何かを語れるわけでもないので3で。

地名族(地名にこだわり有り。新市名の応募も大好き。)
「4」。合併ラッシュの現在、どんな新市名が出てくるかワクワクです。
でも応募に熱心ではないので一つ減じましょう。
細かい町名だと、城下町に育ったため「鷹匠町」「御徒町」などたまりません。

統計族(データ集め大好き。ランキングを見るとワクワク。)
「4」。市制施行ライン間際の町村の動向、埋め立てによる東京都や大阪府の面積増加など楽しみです。
ただ好みが偏っていて興味ない所も多いですし、眺めるだけで分析しないのでこれも一つ減じます。

自然族(気候、植生、生態など人の力の及ばない世界に畏敬の念。)
「2」。気象情報の地域区分には興味が尽きないのですが…
気象警報、注意報における細区分採用は堪能しました。

景観族(自然とは逆に人為的な要素を加えたものを総合的に斬る。)
「5」。シンボルというか、ランドマークが存在する街(城下町とか門前町とか)に惹かれます。「駅前の風景」にもこだわりがありますね。

文化族(伝統芸能、地名の入った歌など思いつくまま気の向くまま。)
「3」。名曲に唄われる街を羨ましく思います。「長崎は今日も雨だった」とか(笑)。
でも造詣は深くないですね。

経済産業族(暮らしに重点。地理好きの中で唯一世の中の役に立てる分野。)
「5」。大型スーパーや銀行の支店リストとか大好きです。
あと高速道路が一度に全線開通せず、少しずつ延びていくのは私を喜ばすためではないかと(笑)
ただ、世の中の役に立っているとはとても思えませんが…

交通族(乗り物大好き。)
「4」。鉄道網大好き。国道網大好き。高速道路網もっと大好き。
ドライブで、往路と復路が同じだなんてもってのほかというのが私の信条です。
といいながら車を持っていないので泣く泣く1減。

旅行族(旅行大好き。)
「4」。行きたいのはやまやまですが、金銭的事情もあり「脳内旅行」に留める毎日。

同一ジャンルの中でも好き嫌いに偏りがあり、評価が難しかったですね。
書き込み間もない私を少しでも知っていただくにはいい企画だと思いました。
[30158] 2004年 7月 5日(月)17:40:38【1】淡水魚 さん
だいたい駿府城の周りです
[30155] じゃごたろ さん
「大工町」「紺屋町」など歴史情緒あふれる地名なんかは、かつての城下町に沢山残ってそうですね

思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などが有ります。そして「千代田」。江戸の千代田が由来なのかな~と思います。「葵町」も「葵の御紋」からなのか?
浜松市については、稲生大先輩や知名好きさんなど、浜松方面に詳しい方にご教示いただきたいと思います。

オーナー様、30000突破おめでとうございます。
[30230] 2004年 7月 7日(水)03:06:15【1】稲生 さん
城下町としての町名・・・静岡市、浜松市
[30158]淡水魚さん
だいたい駿府城の周りです

思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などが有ります。
静岡には、このほかに城下町らしい地名として、追手町、大工町、大鋸町、通車町、人宿町、七間町、土太夫町、上桶屋町、屋形町などがありますね。区画整理以前は、鋳物師町、台所町、猿屋町、下桶屋町、寺町などがあったようです。

浜松市については、稲生大先輩や地名好きさんなど、浜松方面に詳しい方にご教示いただきたいと思います。
大先輩とはおこがましいですが、浜松市生まれとして調べますと、
元城町、松城町、伝馬町、利町、鍛冶町、大工町、肴町、神明町、連尺町、紺屋町、早馬町、旅篭町、塩町、元魚町といったところが城下町らしい町名でしょうか?

今回のこの問いを淡水魚さんに振られたおかげで、昔読んでいた「静岡・清水・浜松・沼津の町名の由来」という本を、もう一度開くことになり、懐かしく読み直しております。ありがとうございました。

※ちょっと訂正しました。
[30531] 2004年 7月 14日(水)17:38:35U-4 さん
城下町の町名(名古屋)
十番勝負にすっかりはまっていましたので、あらためてちょっと前の話題にレス

[30158]淡水魚さん
思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などが有ります。
[30230] 2004 年 7 月 7 日 (水) 03:06:15【1】 稲生 さん
静岡には、このほかに城下町らしい地名として、追手町、大工町、大鋸町、通車町、人宿町、七間町、土太夫町、上桶屋町、屋形町などがありますね。区画整理以前は、鋳物師町、台所町、猿屋町、下桶屋町、寺町などがあったようです。
浜松市については、稲生大先輩や地名好きさんなど、浜松方面に詳しい方にご教示いただきたいと思います。
大先輩とはおこがましいですが、浜松市生まれとして調べますと、
元城町、松城町、伝馬町、利町、鍛冶町、大工町、肴町、神明町、連尺町、紺屋町、早馬町、旅篭町、塩町、元魚町といったところが城下町らしい町名でしょうか?

名古屋市にも、呉服町、研屋町、伝馬町、七間町、鍛冶屋町、鷹匠町、塩町がありました。この他にも紙漉町、白塀町、納屋町、八百屋町、鉄砲町、桶屋町、木挽町など城下町らしい町名がふんだんにありました。
名古屋の町は、慶長年間に徳川家康が九男の義直のため徳川家に相応しい城下町を作ることを目的として、清洲から城下町ごと名古屋台地に移転し、築城と町の造成をしたため(いわゆる清洲越)、当時から京都と同じように碁盤目状の市街地を形成し現在でもそれが残っています。南北と東西の通りには、それぞれ上記のような町名がふられていました。
この碁盤目状の町名を読みこんだ次のような歌が残されています。

「花の名古屋の町割は (七墓御詠歌より)」

花の名古屋の町割は 四面四角に碁盤割
御城下(おしろした)は三の丸 本町御門出てくれば
片端(かたは)通りとは これなるか
にほいも高き京町の どなまぐさいが魚の棚
桧さわらや杉之町
春三月のころなれば ちらりちらりと桜町(さくらんちょう)
人馬つめおく伝馬町 玉を入れおく袋町
損はたたねと本重町 酒の肴にかばやき町
常(いつ)もにぎわう広小路
日もくれかかる入江町 屋敷がまへの三ツ蔵町
しんしょさかへし花屋町 おたび所横町うちこして
丸こしなくてそぶえ町 七面横町はこれなるか
仕度もしたき茶屋町の これから横をたずぬれば
塩やこうじや御園町 はや伏見町へさしかかり
出船入船、桑名町 をいたる奴もつまらねど
長島町となりぬれば 金銀みつる長者町
いつはりいはぬ本町の 家の土台も七軒町
薬は、ここに呉服町 参宮もはやる伊勢町
こよいお前に大津町 いつたや江戸の鍛治屋町
ひさやをつけてそ人した お七ゅうみは武平町

ところが、昭和40年前後の町名変更(おそらく戦災復興事業の最終段階?)によって、この地区は栄1~5丁目、錦1~3丁目、丸の内1~3丁目、東桜1~2丁目、泉1~3丁目というように(良し悪しは別として)きれいさっぱりなくなってしまいました。
それでも、通りの名称としては、一部に「プリンセス通」などと怪しげな名に改称したものはありますが、上記の歌にある町名の多くが残っています。

転勤族でよそ者の小生としては、交差点の表示が「広小路呉服町」というように旧町名(通り名)になっているので、結構とまどいます。
[30548] 2004年 7月 15日(木)02:13:59ryo さん
城下町・松本
連レス失礼。
[30058]讃岐の民 さんのランキングで、ありがたくランクインさせて頂いたのですが、私の書き込みはいろいろな話題に飛びがちな傾向があるので、一つの話題で長文書き込みされている論客派の方に申し訳なく思います。ということで、話題で分けてみました。

城下町ネタです。
[30155]じゃごたろ さん
[30158]淡水魚さん
[30230]稲生 さん
[30531]U-4 さん

松本では、「大名町」「鷹匠町」「御徒町」「博労町」「西堀町」「分銅町」「同心小路」といった町名が城下町らしいでしょうか。
他には「片端町」(お堀端なので片側にしか街並みがない)、「上土町」(お堀を掘った土を盛った)などがありました。
過去形なのは、今は「中央○丁目」「大手○丁目」となってしまったから。でも、街角に旧町名の由来碑が建っています。バス停や信号名にも残っています。

城下町関連とは離れますが、松本の駅前大通りは「電車通り」と呼ぶ人がまだいます。
浅間温泉まで路面電車が走っていた名残ですが、まだ通じる呼び名だと思います。
[30561] 2004年 7月 15日(木)12:58:54【5】じゃごたろ さん
続・町の名
[30158]淡水魚さん、[30230]稲生 さん、[30531]U-4 さん、[30548]ryo さんなどの書込みで出てた幾つかの町名を他にどれくらあるか調べてみました。

調査は「ゆうびんホームページ」の郵便番号検索です。したがってここのデータベースで検索できない地名(住所名)に関しては調査の対象外となってしまいます。市名(町名)のみの表記は、そのものの町名がある場合です。後ろに括弧がある場合は前後に何かしらの字句か追加された町名です。この場合は「~」の部分がもとの町名を表します。

【大工町】
弘前(西~・元~)、八戸、黒石(後~・甲~・乙~)、遠野、仙台市青葉区(川内~)、湯沢、白河、水戸、村上、佐渡(相川~)、富山県城端町、金沢、小松(新~・本~)、岐阜、静岡、浜松、近江八幡、京都府下京区(~・東~)、岸和田、神戸(船~)、高砂(高砂町~)、加西、大和郡山(北~・南~)、和歌山(北~・新~・西~・舟~・南~)、鳥取(頭~・元~)、米子、高梁、徳島(東~・西~)、高松、長崎(新~・出来~・船~)、熊本(古~)、人吉

【材木町】
釧路、北海道浦幌町、盛岡、花巻、遠野、仙台市若林区、湯沢、秋田県鷹巣町、会津若松、宇都宮、鹿沼(上~・下~)、黒磯、沼田、東松山、新潟、佐渡(相川~・相川新~)、高岡、金沢、小松、上田、岐阜(上~・東~・西~)、静岡、浜松、岡崎、京都市中京区(~・大阪~・丸木~)、京都市下京区(~・綾~・高~)、京都市伏見区(本~)、大阪市中央区、堺市(~東・~西)、神戸市兵庫区、姫路市、明石、高砂(高砂町~、高砂町南~)、大和高田、大和郡山、奈良県田原本町、鳥取、津山、柳川、唐津、日南

【木町】
仙台市青葉区、山口、北九州市小倉北区

【肴町】
盛岡、本荘、山形、山形県松山町、村上、郡上、浜松、掛川、西尾

【魚町】
石巻、気仙沼、白根、七尾、加賀(大聖寺~)、浜松(元~)、沼津、豊橋、岡崎(~・西~)、松阪、桑名(北~・南~)、上野、姫路、高砂(高砂町~)、大和郡山、奈良県田原本町、和歌山(新~)、鳥取(上~・元~)、倉吉、松江、津山(新~・元~)、北九州市小倉北区、田川、佐賀、中津(新~・古~)

【八百屋町】
白河、佐渡(相川~)、京都市中京区、京都市下京区(~・西~・南~)、徳島、柳川、唐津、長崎

【呉服町】
長岡、静岡、豊橋、長浜、亀岡、池田、姫路、篠山、萩、福岡市博多区(上~・下~・中~)、唐津、熊本、鹿児島

【紺屋町】
弘前、盛岡、水戸、高崎(新~・中~・元~)、千代田区(神田~・神田東~)、川崎市幸区、石川県押水町、甲府、小諸、静岡、浜松、掛川、桑名、上野、京都市下京区(~・御方~)、京都市伏見区(~・~深草)、亀岡、高槻、姫路、大和郡山(~・新~)、和歌山(西~・東~・湊~)、田辺、米子、浜田、津山(上~・下~)、下関(長府~)、徳島、高松、北九州市小倉北区、佐賀、唐津、平戸、福江、熊本(~・横~)、人吉、延岡

【桶屋町】
弘前、本荘、静岡(上~)、和歌山(北~・北新~・湊~・南~)、鳥取、津山、長崎、熊本(古~)

鷹匠町】
弘前、白河、新宿区(市谷~)、小松、加賀、岐阜(加納~)、大垣、静岡、京都府伏見区、姫路、明石、和歌山、徳島、高知、中津

【鉄砲町】
弘前、仙台市宮城野区、秋田(保戸野~)、山形、新庄、福島県本宮町、加賀(大聖寺~)、岐阜、高山、上野、堺、津山、高梁、広島市中区、松山

【鍛冶町・鍛治町】
〔鍛冶町〕
弘前(~・新~)、八戸(~・元~)、北上、仙台市若林区(南~)、横手、米沢、白河、高崎、沼田、千代田区(~・神田~)、村上、佐渡、富山(古~)、七尾、小松(新~・本~)、加賀(大聖寺~)、関、浜松、豊橋、桑名、上野、名張、京都市上京区(上~)、京都市中京区(~・横~)、京都市東山区(粟田口~)、姫路、大和郡山(北~・中~・南~)、鳥取、倉吉、須崎、北九州市小倉北区
〔鍛治町〕
黒石、花巻、本荘、松任、新宮、津山

【研屋町】
静岡、倉吉

【鋳物師町】
敦賀、防府、北九州市小倉北区

【匠町】
日光、和歌山

【博労町】
青森県五戸町、高岡、金沢、近江八幡(~上・~中・~元)、大阪市中央区、姫路、和歌山(北新~・元~)、米子、延岡

【銀座町】
熱海、彦根、京都市伏見区

【金座町】
静岡

【銭座町】
静岡、長崎(~・上~)

【両替町】
静岡、京都市下京区(元~)、京都市伏見区

【旅篭町・旅籠町】
〔旅篭〕
山形、高岡、堺(南~東・南~西)
〔旅籠〕
富山、浜松、久居、亀岡、堺(北~東・北~西)、和歌山(西~・東~)、高松

【伝馬町】
宇都宮、中央区(日本橋大~・日本橋小)、飯田(~・小~)、大垣、静岡、浜松、豊橋(~・上~)、桑名、京都市上京区(小~)

【御徒町】
宇和島

【大手町】
函館、水沢、一関、仙台市青葉区、石巻、白石、名取、鹿沼、能代、山形、新庄、白河、土浦、古河、前橋、伊勢崎、館林、川越、千代田区、新発田、上越、富山、高岡、金沢、七尾、武生、小浜、岐阜、美濃加茂、郡上(八幡町~)、沼津、名古屋市港区、豊橋、春日井、刈谷、上野、京都市伏見区(西~・東~)、岸和田、高槻、茨木、神戸市須磨区、豊岡、津山、広島市中区、山口、下松、丸亀、松山、北九州市小倉北区、久留米、八代、太田、佐伯、鹿屋(~・西~)

【追手町】
会津若松、飯田、静岡

【十人町】
一関(五十人町)、岩手県前沢町(五十人町、二十人町、二十人町裏)、仙台市青葉区(川内三十人町)、
仙台市宮城野区(二十人町、二十人町通)、仙台市若林区(五十人町、六十人町)、唐津、長崎

【百人町】
仙台市若林区(三百人町)、新宿区、名古屋市東区、唐津(和多田東~・和多田~)


調べてみると、このような地名は一部の市に偏っていて、そこに多く残されているように思います。

それにしても、関市の鍛冶町とか、上野市や堺市の鉄砲町なんて、なかなか歴史が感じられますね。あと堺市は「北旅籠」と「南旅篭」で字が違うんですね。
[30596] 2004年 7月 16日(金)06:12:39inakanomozart さん
駿府96か町
[30158] 2004 年 7 月 5 日 (月) 17:40:38 淡水魚さん
だいたい駿府城の周りです
思い出す限りでは「鷹匠」、「呉服町」、「両替町」、「金座町」、「研屋町」、「車町」、「茶町」、「材木町」、「銭座町」、「馬場町」、「紺屋町」、「伝馬町」などがあります。
私なりの補足をすることを許してください。(ローカルすぎるかなと思い、気後れしていまして遅くなりました。)
「銭座町」は駿府96か町に含まれておらず、1934年10月1日に静岡市に合併されるまで旧千代田村でした。
(「銭座」があったことは事実ですが、城下町ゆかりの町名とは言えないと思います。)

「金座町」は1928年11月10日「上魚町」を改称したものです。
もちろん、金座があったことに由来するのですが。
ちなみに「銀座」は「両替町」にありました。東京の銀座は駿府両替町にあった銀座を移したものと言われています。
(東京の銀座も1869年までは「新両替町」という町名)

鷹匠(たかじょう)」は1970年11月1日に住居表示が実施されるまで「鷹匠町(たかじょうまち)」でした。
淡水魚さんがあげた町のなかでは唯一住居表示が実施されています。
住居表示に伴う画一的な「○丁目付き町名の町削り」で「町」を削除してしまったのは、あまり愉快ではないのですが、町名が残っただけでもよしとするしかないでしょう。
蛇足ながら、静岡鉄道の「新静岡」駅は1954年まで「鷹匠町」という名の駅でした。

[30230] 2004 年 7 月 7 日 (水) 03:06:15 稲生 さん
静岡には、このほかに城下町らしい地名として、追手町、大工町、大鋸町、通車町、人宿町、七間町、土太夫町、上桶屋町、屋形町などがありますね。区画整理以前は、鋳物師町、台所町、猿屋町、下桶屋町、寺町などがあったようです。
ほかに私の好きな町名として「上石町(かみごくちょう)」があります。由来は日本橋本石町と同じです。
(「下石町」は1945年9月、区画整理により消滅)
「寺町」は、ここを舞台にした「寺町三丁目十一番地」という創作童話(福音館)があり、戦前の静岡のようすを知ることができます。
[34867] 2004年 11月 6日(土)07:51:58inakanomozart さん
小さな町々
[34866] N-Hさん
市街地化によって縮小したわけではなく、明治の大字成立時からこの大きさという例をあげられていたので、それと西大泉町の例とはだいぶ経緯が違うのではないかと思いまして。
考えてみれば、住居表示制度では、原則として道路・鉄道・河川などを町境としているため、住居表示の取り残しで残されている小さな町は結構あるでしょうね。
たしかに、そういうところをことさら「小さな町」として取り上げるのは違和感があるのですが、西大泉町の場合はたまたま飛び地であったため、違和感が少ないといったところでしょうか。

東京都区内の小さな小さな大字としては、むしろ千代田区の神田相生町や神田西福田町なんかが経緯を含めて私としては興味を引きます。
神田西福田町なんか、西大泉町にひけをとらない狭さですね。
神田のこのあたりは「住居表示制度」の嵐にもめげずよく残ったものだと感心します。
市谷鷹匠町あたりも小さな町が残っていますね。
静岡市にも柚木町(ゆずのきちょう)など非常に小さな町が残っていますが、個人的にはこれらの地域には、永久に住居表示制度を持ち込まないで欲しいと思います。
(土地の地番の整理は必要だと思いますが、この方が金がかかるのでしないのだと思います。)
[35659] 2004年 12月 10日(金)23:03:00猫使い さん
ポンプもVVVF制御です。
都心にある工場ということでは、[35650]でN-H さんが述べているとおり印刷工場でしょう。
市ヶ谷の大日本印刷の工場はかなりの規模です。ここの市谷鷹匠町のほとんど、市谷左内町、そして市谷加賀町1の大半を同社の工場群が占めています
大崎のソニーの工場も大きいですね。
[38626] 2005年 3月 15日(火)23:24:03wasi さん
♪わたしの城下町~
連続的書き込み失礼します。

私が現在住んでいる市は、城下町だったせいかいかにもそれらしい町名が多くあります。以前住んでいた高知市は、さらに多くの城下町的な町名があったことが思い出されます。
ちなみに高知のお気に入り町名は「鷹匠町」です。なんか響きがいいんですよね~。高知に住んで間もない頃、これを「たかしょうちょう」と読んで地元の人に呆れられましたが。

城下町地名コレクション、なんてないですよね?
というか、同じ町名が全国にあって、特徴的じゃないか・・・
[38694] 2005年 3月 18日(金)10:48:01般若堂そんぴん さん
城下町地名
[38626]wasiさん
ちなみに高知のお気に入り町名は「鷹匠町」です。
米沢市の旧町名にも「鷹匠町」(たかじょうまち)があります.
城下町地名コレクション、なんてないですよね?
というか、同じ町名が全国にあって、特徴的じゃないか・・・
訪れた土地に同じ町名があると,なんとなく親しみを感じて嬉しくなりますね.同じ町名なのに全く雰囲気の違う町並み,そのちょっとくすぐったいような違和感もまた面白く感じます.

あまりにも悲痛な状況になりつつ,臨戦態勢は継続中.
[38695] 2005年 3月 18日(金)12:00:00inakanomozart さん
たかじょうまち
[38626] 2005年 3月 15日(火) 23:24:03 wasiさん
城下町地名コレクション、なんてないですよね?

[30561]
2004年 7月 15日(木) 12:58:54 じゃごたろさん 「続・町の名」
を参照なさったらどうでしょうか。

[38694] 2005年 3月 18日(金) 10:48:01 般若堂そんぴんさん
米沢市の旧町名にも「鷹匠町」(たかじょうまち)があります.
静岡市の鷹匠に関連する町名は、「鷹匠一丁目」「鷹匠二丁目「鷹匠三丁目」「東鷹匠町」の4か町です。
静岡市のこの地区は、最近ではマンションが増えつつあり、「アドレスに鷹匠と書く悦び」等、町名が「鷹匠」であることが販売業者の売り口上となっています。
なお、1970年の住居表示実施前は、「鷹匠町○丁目○番地」と城下町特有の町名だったのですが、「丁目がつく町名は町を削る」という当時の住居表示の実施基準の例示どおり「町」が削られてしまい「鷹匠○丁目」となってしまいました。
(「東鷹匠町」は丁目がつかないため、住居表示実施後もそのままという、上意下達の典型)
[39023] 2005年 3月 28日(月)00:13:07EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第1号
えーと、[38976]にてグリグリさんから最初の仕事を振られておりますので、そこから行ってみましょう。



[37669] yamadaさん
しかし、全国的に見ても「三和町」「六合村」や「美郷町」(「美」に「三」の意味を込めて)、過去の名称では「土村」([28649]熊虎[月の輪熊]さん)などがあります。合成地名コレクションに入れず、新たなコレクションとしても十分面白い企画だと思いますが、誰かコレクションしませんか?
ネーミングは「合併数由来地名」とかいった感じになるでしょうか。
(あんまりスマートじゃない…もっと良いネーミング大募集)
合成地名コレクションと同様、地名好きさんのホームページのデータを参考にすればすでに消滅した市町村の名前からも拾い出せるんじゃないかと思います。



[38041] NTJ会長さん
水路や里道のような、通常「○○番地○先」とされる部分ではなく、ウチの市役所やJR四ッ谷駅のような、どうみても国有地ではないような状態なのに、「無番地」とか「番外地」とされている場所のコレクションなのですが。
市役所・町村役場、駅、学校と言ったように、共通の施設の中で住所が「無番地」「番外地」のものを集める形で行けばまとめやすいでしょうし、ある程度の制御もできるのではないでしょうか。



[38626]  wasiさん
城下町地名コレクション、なんてないですよね?
これは一見簡単そうですが、うまく考えないと収拾がつかなくなる可能性があると思います。
というのは、どこまでが城下町地名に該当するか、と言うのが悩ましいところがあるからです。
以下は私の考えた分類ですが、

1.城の施設・設備にちなんだ地名
「丸の内」「大手町」がその典型です。その他には「本丸」[二の丸」なども見られます。
城があったことがわかる地名ではあるのですが、問題はこれらの多くがおそらくそんなに古い地名ではないだろう、と言うこと。
大方は明治維新後にできた地名であろう、と考えられますし、場合によっては昭和30~40年代の住居表示の実施に当たって初めてできたものもあるようです。

2.職種にちなんだ地名
wasiさんがあげられている「鷹匠町」はまさにこれに当てはまります。
が、これがまたバリエーションが山ほど有り、どこまで拾うかを悩まねばなりません。
例えば、武家の役職にちなんだ「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」、武家ではないが軍事・藩政に関係した「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座」「銀座」「銅座」、商人・職人を集めた「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「紺屋町」「桶屋町」「旅篭町」「大工町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」、輸送に関連した「博労町」「馬喰町」「船場町」「船頭町」等々………。

3.住んでいた人の名にちなんだ地名
ある程度地位の高い武士が住んでいると、その武士の姓名や役職(○○守の○○など)が地名になる場合が多々あります。
私の住んでいる金沢だと「彦三」「芳斉」「横山町」「本多町」「長町」「出羽町」「高岡町」がこれに当てはまります。
東京だと例えば紀尾井町は「紀州徳川家」「尾張徳川家」「井伊家」の屋敷があった事から付けられた名です。
[37111]たもっちさんの記事、およびそれに関連するレスにもありますが、京都市伏見区にもこれに該当する地名が多数あります。
が、これに関しては、それぞれの町の歴史まで紐解かねばならず、集めるのはかなり難しいのではないでしょうか。

と言うことで、「城下町地名」という形では収拾がつかなくなる可能性があるような気がします。
[37192]でグリグリさんが「新興住宅街地名」コレクションの提案に対して出された意見と似たような話になりますが、上であげた中で比較的現存数が多い「丸の内」「大手町」「鷹匠町」「鉄砲町」などをねらい打ちする形でそれぞれの個別のコレクションとするのがよいのでは、と思うのですが。



このほか、過去ログから見つけたものとして、
[37559] 北の住人さん
地名コレには鳴き砂地名が無いようですが、数的にはちょうど良いのでは。もっとも、どっかに全国鳴砂保存自治体連盟なんていうのがあって、そのページがありそうですが。
私が砂丘コレクションの資料とした砂丘学会誌に鳴き砂に関する記事があった記憶があったので探してみたところ、その記事の先生のホームページを見つけてしまいました。
Musical Sand
この中に鳴き砂地図が出ています。
三輪先生にお許しが頂ければリスト化しても良いのかもしれませんが…。
ちなみに、鳴き砂の保存に取り組んでいるのは、一部を除いてほとんどが民間有志による団体のようです。



以上に関しては、[35222]でグリグリさんがまとめられた過去の地名コレクション提案の一覧と併せて一度整理した方が良いようですね。
また、トップページの分類の調整も考えていますが、まだ構想がまとまっていません。
ちょっと時間を下さい。
[43922] 2005年 8月 7日(日)01:45:06笠津前浜 さん
職業名由来町名コレクション
編集者としての最初の仕事、コレクション初版をリリースしました。といってもデータ数は6件。これから、これから。
現在候補としてあがっているのは次の町名です(59件)。皆さんからの情報、アドバイスをお願いいたします。

「小姓町」「与力町」「同心町」「御徒町」「仲間町」「鉄砲町」「弓ノ町」「代官町」「鷹匠町」「馬場町」「餌指町」「金座(町)」「銀座(町)」「銅座」「銭座町」「両替町」「材木町」「魚屋町」「八百屋町」「桶屋町」「旅篭(籠)町」「鍛冶町」「象眼町」「塗師町」「木挽町」「博労(馬喰)町」「船場町」「船頭町」「青物町」「瓦町」「米屋町」「染師町」「肴町」「塩屋町」「猟師町」「袖師町」「油屋町」「樽屋町」「紙屋町」「海士」「鷹匠(町)」「研屋町」「車町」「茶町」「馬場町」「伝馬町」「千代田」「葵町」「木町」「魚町」「鉄砲町」「鋳物師町」「匠町」「伝馬町」「御徒町」「大手町」「追手町」「十人町」「百人町」
[43929] 2005年 8月 7日(日)12:21:45hmt さん
江戸の公務員住宅地区
[43924] KMKZ さん
以下の地名も職業名または幕府の役職名由来らしいです。(中略)
新宿区箪笥町 新宿区納戸町 新宿区細工町 新宿区二十騎町

牛込(東京都新宿区)の細工町、納戸町、払方町、箪笥町などの町名は、江戸城に通勤する同心たちの「公務員住宅」地域に由来しています。[41218] hmt参照。
現在は失われていますが、以前は北御徒町・中御徒町もあったようです(現在の北町・中町)。
[43922]に既存ですが、市谷鷹匠町も同じ牛込台地上にあります。

江戸切絵図(尾張屋板)を見ると、御細工町・御納戸町・払方町・御箪笥町は、町家を示すグレーになっており、御徒組の白抜き(武家地)と違っています。
公務員だと思っていたのですが、もしかすると、幕府の「正社員」ではないのかな?
現在の市谷鷹匠町・二十騎町、そして外濠を隔てた千代田区一番町~六番町は、もちろん白抜きの武家地で、一軒一軒の名前が入っています。
[43934] 2005年 8月 7日(日)14:29:11あきすて さん
Re:職業名由来町名コレクション
[43922] 笠津前浜 さん

他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町

"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座代官山高田馬場などがあるようです。

「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋
(←この尾道市の件は現在使われてないようならコレクション対象外になってしまいますが他にも鍛冶屋という地名はあります)
 「茶町」に対して「茶屋町
 「木町」に対して「木屋町
(ちなみに、京都市にあるのは"きやまち"、寝屋川市にあるのは"こやちょう";寝屋川市のは由来がわかりませんが)
[43988] 2005年 8月 9日(火)00:41:44笠津前浜 さん
職業名由来町名(仮)編集メモ(1)
[43922]の編集開始書き込みに反応いただいた皆様、的確ですばやいフォローをありがとうございます。私の確認不足が多々ありました・・・が、寛大な心で見守ってくださいますようよろしく(^^;お願いします。叱咤激励大歓迎、です。
では個別にお返事いたします。
****
[43924] 2005 年 8 月 7 日 (日) 07:04:51 KMKZ さん
「御徒町」が重複しています。(4番目と55番目)
「千代田」、「大手町」が職業名由来とは初耳です。どのような職業なのですか?
ありがとうございます。御徒町は重複分を削除します。千代田・大手町に関してはログから切り出す際に「城下町らしい地名」が混在していたことを失念していた結果、紛れ込んでいました。根拠がない以上、削除したいと思います。さらに、職業・役職名由来の地名を候補に入れるようにします。
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[43926] 2005 年 8 月 7 日 (日) 11:04:16 EMM さん
大手町(追手町)については、KMKZ さんへの返事に書きました通り、リストアップのミスでした。車町は職業由来の場合である可能性があれば、候補として残しておきたいですね。漢字表記のバリエーションは入れましょう。接尾語等は・・・残しましょう。銀座は銀座コレクション参照で。馬場町は職業名由来ではないですね。候補から消します。
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[43929] 2005 年 8 月 7 日 (日) 12:21:45 hmt さん
牛込(東京都新宿区)の細工町、納戸町、払方町、箪笥町などの町名は、江戸城に通勤する同心たちの「公務員住宅」地域に由来しています。[41218] hmt参照。
ありがとうございます。ということは、同心たちが箪笥を商っていたりしたのでなければ、職業名由来ではなさそうな気がしますが・・・候補に残しておき、後ほどゆっくりと個別調査したいですね。
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[43934] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:29:11 あきすて さん
他にもだぶってます
 鷹匠
 鉄砲町
 伝馬町
お恥ずかしい(^^;ご指摘ありがとうございます。
"町"以外の部分を、部分的に含んでるものとして、材木座、代官山、高田馬場などがあるようです。
「魚町」「魚屋町」は別のものとして挙げられているので以下のも別のものになるのでしょうか。
 「鍛冶町」に対して「鍛冶屋」
 「茶町」に対して「茶屋町」
 「木町」に対して「木屋町」
それぞれ、候補に入れたいと思います。
****
[43936] 2005 年 8 月 7 日 (日) 14:59:58 inakanomozart さん
▽候補にあがっていない町名で米穀商に由来する「石町」があります。
例として
・静岡市葵区上石町(かみごくちょう、下石町は消滅)
・東京都中央区日本橋本石町一~四丁目
・大阪市中央区石町一・二丁目
▽「葵町」は静岡市の場合、1915年「草深代地」を改称したもので職業とは関係ないようです。
大手町の件を含め、ありがとうございます。石町は候補に入れますね。
▽静岡市の場合は、京都の伏見から牛車をつくる職人を呼び寄せ、住まわせたことに由来すると言われています。
・静岡市葵区車町(くるまちょう)、通車町(とおりくるまちょう)
こちらも候補入りにします。
****
[43940] 2005 年 8 月 7 日 (日) 16:02:56 今川焼 さん
●小人町、豆腐町、水主町、酒屋町、帯屋町、勘定町、船大工町
宗教に関するもので
●神主町、坊主町、社家町
それからずっーと時代をさかのぼった古代の職種に関係ありそうなところで
●弓削町、矢作町、土師町、鳥取町、服部町、陰陽町、主税町、番匠町
このあたりは古代のその職業と町の成り立ちが直接つながるのかどうか疑問な部分もあると思います。(参考[20412] Issie さん)(主税町、番匠町は名前の由来は古代かもしれませんが地名となったのは近世のことかもしれません)
候補に入れます、ありがとうございました。
ところで、さすがに京都市内には○○屋町の類が本当にウジャウジャありますねぇ。
たとえば、木屋町([43934] あきすて さん)は高瀬川沿いに材木商が多く集まったことに由来する地名(通り名・通称地名)と、はっきり職業地名とわかりますが、何十とあるすべての町名を職業と 関係あるかどうか検証するのは不可能でしょう。それっぽいところを見つくろって(?)でもやむを得ないと思いますがいかがでしょうか。
ちなみに西本願寺のすぐそばにある仏具屋町・珠数屋町あたりは現役の職業町でしょうね。
それから、現役といえば近代になってからつけられた職業地名はコレクションに該当するでしょうか。
●問屋町、卸町、鉄工町、木材町・・・。
えー、見つくろっていければ、と・・・。それから、近代のものでも該当すると思いますので、挙げられている町名も候補に入れます。
[44150] 2005年 8月 14日(日)22:25:07作々 さん
職業由来町名の件
お久しぶりです。

相変わらず忙しい日々は続き、本日も休日出勤しておりました。夏の長期休暇も10月末ぐらいになるんじゃないかという感じの生活を送っております。

さて、私の地元鹿児島市の職業由来町名についても紹介しておこうかと思います。

鹿児島市鷹師~かつては鷹師馬場町と呼ばれていましたが、明治32年に鷹師町に改称、昭和50年ごろに住居表示されて今の形になりました。
名前の由来は、鷹匠町に同じく、狩用の鷹を飼育する鷹師が住んでいたことに由来するようです。
因みに、その隣に「薬師」という地名がありますが、こちらは薬屋さんがあったというわけではなく、薬師如来に由来するようです。

ほかには谷山塩屋町。かつては谷山市塩屋町だったところです(参考:拙稿[41922])。

このほかにも職業由来ではないかと思われる地名が幾つかありますが、まだその根拠は見つけられておりません。参考までに紹介しますと、呉服町加治屋町などがあります。あと、金生町ってのもちょっとだけ怪しいです。
⇒折を見て調べるつもり。

そういえば、鹿児島にも昔、車町という「町」があったようですが、こちらの由来は「郭」なんだそうです。
[44413] 2005年 8月 22日(月)17:45:31U-4 さん
名古屋の職業由来地名
[44068][44151][44262][44406] 笠津前浜さん
職業由来町名コレションご苦労さまです。これまでにないような大掛かりなものになりそうですね。立ち上げ途中で余計な口をはさむとご迷惑かとは思ったのですが。
歴史のある町には職業由来地名が数多く残っています。尾張徳川家の城下町名古屋市にも数多くありましたが、昭和30~40年頃の住居表示実施にあわせてほとんど消滅してしまいました。とりあえず北区、西区、東区、千種区、中村区の旧町名から職業由来らしきものを拾いだすと以下のとおりです。

対象地名よみかた現在の地名痕跡由来
北区織部町おべちょう現存織物従事者の居住地
指金町さしがねちょう現存職業由来ではないらしい
西区紙漉町かみすきちょう城西2,3紙漉公園、紙漉南公園御用紙漉師の居住地
鷹匠たかじょうまち城西2鷹匠橋、鷹匠公園
塩町しおちょう幅下1~那古野1小塩橋?塩問屋街
台所町だいどころまち花ノ木1台所公園藩主御台所士官居住地
手木町てこまち城西5おてこ公園手木:梃子を使って働く
作業員(石工等)のこと
奉公人町ほうこうにんまち新道1不明奉公人が多く居住
馬喰町ばくろちょう新道1馬喰町なかよし児童遊園
東区舎人町とねりちょう泉2~代官町舎人公園舎人の居住地
鍋屋町なべやちょう泉2~代官町鍋屋町商店街、鍋屋金物店鋳物師居住地
城番町じょうばんちょう筒井3城番公園城代同心居住地 
手代町てだいまち筒井2~3市道手代町線手代屋敷の町
代官町だいかんちょう現存
百人町ひゃくにんちょう現存百人同心居住地
主税町ちからまち現存???人名由来
あおい現存???
千種区鍋屋上野なべやうえの現存鋳物師支配者居住地
中村区米屋町こめやちょう名駅3~4不明米穀取引所所在地○  
納屋町なやまち名駅5納屋橋他多数魚問屋街
祢宜町ねぎちょう名駅南1祢宜公園禰宜の居住地
水主町かこまち名駅南3バス停、交差点、郵便局水夫の役宅○ 
○は既にリストアップされているもの。◎はそのうち所在自治体に掲載済のもの。

それらしき町名は22種類で現存は7、主税町と葵はリストにあがっていたので入れておきましたが職業由来とはいえません。
指金町も大工町の一種かと思いましたが、残念ながら町烽ノあった橋が指金の形をしていたから、というのが由来のようです。ということで現存地名のうち、リストアップ済の百人町と代官町の他には、新規候補として織部町と鍋屋上野の2件。しかし、少々インパクトに欠けるところ。鍋屋上野の上野は高台という意味のようで、「鋳物師の親分が住んでいた台地」といった程度で、鋳物師が集まっていた「東区鍋屋町」は消滅してしまいました。京都、桑名、奈良、和歌山、安城には現存しているので(由来は調べておりません)「鍋屋町」でリスト入りでしょうか。
祢宜町や手木町、紙漉町、貴重な地名で残念です。しかし、各地名ともかなり痕跡は残っているようで、特に公園名が多いようです。奉公人町のような痕跡不明なところも、現地を歩いてみるとみつかるかもしれません。

これ以上に職業由来町名がそろっているものの、ほぼ100%消滅してしまった中区は、もう少々整理してから報告します。
[45287] 2005年 10月 1日(土)12:58:2988 さん
職業由来町名
笠津前浜 さんへ
地元の情報ばかりで申し訳ないですが・・。

高松市に「紙町」があります。
私の主たる情報源、いつもの「角川日本地名大辞典37香川県」からの引用です。
第5代藩主、松平頼恭の頃、藩士の南部伊平が紙漉きを始めたことに由来する(香川郡志)。南部伊平は春日神社付近に居を移し、伊予三島から亀造を雇って製紙業に着手した。このあたりは藩主の鷹を飼育する鴨の寄場でもあり、鷹匠から苦情が出たが、伊平は藩の大幕の洗濯を引き受け、それを乾かす幕の陰に隠れて紙の漂白を行ったという。販路を開拓するため、単身近畿・山陽地方にも巡遊した。中ノ村・栗林以南の土地は製紙業が盛んで、明治初期中村喜多蔵が藁紙の製造を始めて一層盛んとなった。昭和10年鷺田村の工産額の9割以上が製紙産額で、その価額は150万円に達していた。これは麦の生産価額の2倍に相当する。

現在の高松市紙町は、江戸時代は坂田村の一部です。明治23年2月15日、明治の大合併に伴って香川郡鷺田村大字坂田となり、昭和15年2月11日、昭和の大合併で坂田村は高松市に合併され、このときに現在の「高松市紙町」が誕生しました(坂田村の他の部分は高松市松並町などに)。
また、「春日神社」とはおそらくここ(ここも元坂田村、現在は高松市西春日町)、「中ノ村」は現在の高松市中野町ほか、「栗林」は栗林公園などがある高松市栗林町ほかです。
ちなみに、拙稿[44216]で触れた高松市勅使町も、もとは紙町と同じ香川郡鷺田村です(紙町が坂田村の頃は、勅使町は勅使村)。
[47561] 2005年 12月 21日(水)07:00:01inakanomozart さん
Re:職業由来町名更新
[47560] 2005 年 12 月 21 日 (水) 05:58:28  笠津前浜さん
反映いたしましたので確認いただければと思います。
さっそくの御手配ありがとうございます。

二度手間で申し訳ありませんが、下記のものもお願いできたらと思います。

鷹匠(町)・鷹師】の項のうち
静岡市の「東鷹匠町」は採用されていますが、「鷹匠(たかじょう)」がもれているようです。
(町名としては静岡市葵区鷹匠一丁目~三丁目」)
[51090] 2006年 5月 1日(月)19:04:32【1】hmt さん
都市名を冠した町名
[51058] inakanomozart さん
『静岡県安倍郡静岡○○町○丁目○○番地』
この「安倍郡静岡」と言うのが「従来からの区域」ということになると思われますが、ただ単に、『静岡』というのは、今の感覚からするとちょっと違和感を感じたりします。

なるほど、明治22年の「市制」によって静岡市になった「従来からの区域」安倍郡と有渡郡とにまたがる124町(追手町、鷹匠町一丁目、…、安倍川町、白山町)は、従来から習慣的に「静岡」と呼ばれていた区域というだけでなく、戸籍簿にも「静岡○○町○丁目」というように「静岡」を冠した町名が記されていたのですか。

# “従来から”と言っても、駿河府中からの改称は明治2年のことでした。[12387]
静岡市の建てた由来記によると、賤機山(しずはたやま)の字を学者の向山黄村が「静岡」に変えたとのこと。

それはともかく、改めて 太田孝(編)「幕末以降市町村名変遷系統図総覧」を見た結果、明治22年中に市になったところでは、秋田、山形、米沢、水戸、富山、高岡、福井、甲府、岐阜、津、姫路、松江、岡山、徳島などの諸都市で、それぞれの都市名を冠した町名を確認することができました。
静岡の場合、戸籍簿からすると、正式には「静岡」を冠した町名だったように思われますが、この資料に収録された静岡124町名の頭には「静岡」が付いていませんでした。自明の場合は冠が省略されることが多かったのだろうと思われ、この資料では冠のない他の都市でも、正式には都市名を冠していた可能性があります。

面白いのは神戸市で、神戸海岸通一丁目以下「神戸」を冠する51町、兵庫多聞通一丁目以下「兵庫」を冠する79町、それに八部郡荒田村、菟原郡葺合村となっていました。前身として「神戸」と「兵庫」という2つの市街地が存在したことがはっきりと示されています。もちろん、この場合は「市制」よりも10年前に「神戸区」として一応は統合されていたわけですが。

神戸と兵庫との関係については、ニジェガロージェッツ さんが詳しく紹介されています[18378]
安政5年(1858)の日米修好通商条約で開港を約束した5港のひとつ「兵庫」ですが、警備上の理由から外人居留地のある開港場は少し離れた「神戸」にしたという「兵庫と神戸との関係」は、「神奈川と横浜との関係」[20917]と類似していますが、地理的には神奈川と横浜ほどには隔絶していなかったようです。

福岡市の場合も「福岡」と「博多」を冠した2つの市街地が町名から認められるのかと思ったのですが、前記資料ではほとんどの町名に冠は付いていませんでした。

東京市の町名にも冠によるグループが認められます。例えば東京市牛込区には、市ヶ谷田町一丁目以下「市ヶ谷」を冠する町名が29、牛込細工町以下「牛込」を冠する町名が46ありました。なお、江戸時代には御細工町・御納戸町[43929]、現在は細工町、納戸町[41218]で、「牛込」は区名だけでなく町名の冠称からも消えてしまいました。

タイトルの「都市名を冠した町名」からは外れますが、この資料「幕末以降市町村名称変遷系統図総覧」を見ると、各都市になった江戸時代からの町名の数には大きな相違のあることがわかります。

おそらく現在でも最大と思われる町名の宝庫・京都市は2区で2000町、東京市は15区で1400町、大阪市の4区520町よりも多いのが金沢市531町。御三家の城下町は和歌山400町、名古屋276町、水戸120町。
極端に少ないのが盛岡市で、市制施行前の区域にあった村は、南岩手郡仁王村、志家村と7村の一部という少数でした。
行政区画の名称や数はともかくとして、これも従来から「盛岡」と呼ばれる一つの市街地を形成していた区域なのでしょう。
[54603] 2006年 10月 26日(木)23:21:11eiji_t さん
職業由来地名?「鵜飼」、「鷹飼」
鵜飼 うかい
岩手県岩手郡滝沢村 鵜飼、中鵜飼、下鵜飼
石川県珠洲市 宝立町鵜飼
岐阜県岐阜市 下鵜飼
岐阜県加茂郡川辺町 鵜飼
兵庫県揖保郡太子町 鵜飼
岡山県小田郡矢掛町 鵜飼
広島県府中市 鵜飼町

鷹飼 たかかい
滋賀県近江八幡市 鷹飼町、鷹飼町東、鷹飼町南、鷹飼町北
「鷹飼」鷹狩に使う鷹を飼育し、鷹狩に随行する下級役人。のちに一般に鷹匠のこと。
鷹匠(町)・鷹師」「餌指町」が職業由来地名コレクションに入っているのであればこれも?

 参考
風俗博物館鵜飼と鷹飼
宮内庁HP御料鵜飼
[54931] 2006年 11月 3日(金)00:42:55hiroroじゃけぇ さん
合併を機に、旧町名の復活を・・・
2日のNHK教育「視点・論点」で、今尾恵介さんが「旧町名の復活」を主張されていました。全国で先駆けて復活させた金沢市を例にしながら、「向こう三軒両隣」の重要性を説かれていました。「鷹匠町」などの地名の由来を知ることも、地域として大切であると。長崎の「銀屋町」の由来も話されていました。「高度成長期に行われた町名の廃統合は、西洋的な住所表記に馴染んでいたが、人口減少時代である現在には合っていない」とも。「おもむろに丁を増やすのではなく、地域コミュニティを重要視する」という考え方は大賛成です。

昨日、私の母親が「舟着町(ふなつきちょう)」と言っていました。どこかわからないので、話を聞いていると、現在の児島味野の一部であることが判明しました。以前は海岸線がもっと山よりであったとの話から、海に面していたと想像できます。児島にも失われた「町名」があったことは驚きでした。
[67422] 2008年 11月 27日(木)02:41:34笠津前浜 さん
地図三昧
[67311] ニジェガロージェッツ さん
・・・・・日文研さんの所蔵地図の数々を見ていると,ついつい夜更かしの世界に引き込まれそうですが,そこは我慢我慢!
…引き込まれています(^_^; すっかり捉われてしまいました。今は昭和8年(1933)の最新廣島市街全圖を見ています。左官町に鷹匠町、東魚屋町に革屋町など職業地名がありますねー。
[70709] 2009年 7月 4日(土)08:48:54【1】むっくん さん
今後の市区町村変遷情報の記載にあたって(その1)
現在、市区町村変遷情報の入力作業は明治の大合併を遡っています。
明治22~23年に市制町村制が施行された45府県のうち、既に19府県の入力作業が完了しており、現在20府県目の入力作業が行われています。

今後、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)を記載するにあたって、判断に苦慮させられるところや資料の食い違いで苦慮することがあります。後の記載時になって初めて、「どのように記載するのが適当なのか」と苦慮することは避けた方が良いと思いますので、先に紹介することにします。


(1)自治体名ではない区域が根拠たる県令に書かれている場合
この事例としては三重県飯高郡松阪町、同郡港村、同郡松江村、阿拝郡上野町、同郡小田村が挙げられます。

(a)飯高郡松阪町、同郡港村、同郡松江村の場合
まず県令第13号(M22.3.1)で飯高郡松阪町において記載されている松阪町作地というのは自治体名ではありません。ではこれは何なのかと言えば、おそらく松阪市街地にありながら松阪の各町の区域に含まれない、いわば附属している農地であると考えられます。
#市街地の各町に附属している農地というのはかつて滋賀県の長浜にもありましたが、こちらの方は明治14年に編入合併で消滅。

しかし自治体名ではなくても、「松阪町作地」の区域はおそらく松阪の市街各町の一部とはなっていないから県令では別途記載されているのでしょう。しかしながら「松阪町作地」を記載しないとすると、廃置分合の前後でその区域が異なるというおかしなことになるため、自治体名でなくても市区町村変遷情報に記載する必要があります。

次に港村においては県令第13号(M22.3.1)では「松阪市街地ノ内 字本町ノ内 反別二反三畝拾八歩、松阪市街地ノ内 字西町ノ内 反別五反八畝五歩」とあります。しかしながら松阪市街地は自治体名ではありませんので、松阪本町の一部,松阪西町の一部と書くのが正当なのであろうと考えられます。
同様に松江村においての「松阪市街地ノ内 字川井町ノ内 反別三反歩」も松阪川井町の一部と書くのが正当なのであろうと考えられます。
参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)

(b)阿拝郡上野町、同郡小田村の場合
県令第13号(M22.3.1)によると上野町では「上野市街地ノ内 字坂居町 同 字寿町 同 字宮ノ腰 同 字幸町 同 字新地ノ内 反別一町六反六畝十七歩五合四夕 同 字新屋敷ノ内 反別三畝四歩六合二夕」とあり、小田村では「上野市街地ノ内 字上之平 同 字西之平 同 字万町ノ内 反別一町三反九畝七歩二合六夕 同 字新屋敷ノ内 反別一町八反二十三歩四合六夕 同 字新地ノ内 反別四反三畝三歩三合一夕」とあります。

この議論を始める前に上野市街地とされた区域はどこなのかを特定する必要があります。
まず、戦国時代に筒井高次が上野に来る以前からあった集落が上野村です。
そして、江戸時代は地子免除の上野城下町と、上野城下町に近接した上野村にある街道筋の町(農人町)が出来ます。上野城下町と農人町は江戸時代においては別のものとして取り扱われていました。
そして明治になって上野市街地と上野村とを分けたとき、上野村にある街道筋の町も上野市街地に含まれることとなり、上野村の範囲は筒井高次が上野に来る以前からの上野村の範囲に限定されることになります。ここで上野市街地は、上野城下町に加えて、近隣の村の村に点在する町の部分(農人町)を飛地として持つことになりました。無論、上野市街地とは、自治体としての名称ではありません。
#ちなみに明治5年の区制の時の資料では上野市街地との文字はなく上野町と記されています。そして、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)でも上野市街地との文字はなく上野35町が記載されています。


ところで上野市街地と上野村とを分けるのとほぼ時期を一にした明治3年、上野に大水害が起こりました。
このとき低地に住んでいた人が移住したことで飛地が発生し、この痕跡が県令第13号(M22.3.1)で見て取れます。
さて、県令第13号(M22.3.1)で上野市街地ノ内とされている箇所を見ていきます。
まず「字坂居町」及び「字幸町」とは上野35町の1町である幸坂町の住民が移住したところです。「字坂居町」及び「字幸町」は地籍が「字坂居町」及び「字幸町」ではあるものの、住んでいる人は幸坂町の人々ということになります。
同様に「字寿町」は上野35町の1町である馬苦労町の住民が移住したところ、「字宮ノ腰」は上野35町の1町である万町の字地であったところ、「字新屋敷」「字新地」は上野35町の1町である小田村の住民が移住したところです。

さて市区町村変遷情報で如何に記載するかです。
例えば「上野市街地ノ内 字寿町」というのは、明治3年の洪水で被害にあった「上野馬苦労町」の人々の移住先で、元は上野城の西外堀であったところです。
一般的には江戸時代には、各藩が設定しない限り、城に○○町という名称はありませんでしたので、廃藩置県時には基本的には城の区域は自治体の空白地域となります。それが明治になってから、○○町という名称をつけることで、自治体の空白地域が解消されることになりました。
#城の区域と同様に、城下町の大きな寺の領域も自治体の空白地域でした。

ところが上野の場合は、例えば字寿町と土地に名称を付けたにもかかわらず、住んでいる人が別の馬苦労町の人々であったために、「上野市街地ノ内 字寿町」がおそらく自治体である「上野寿町」となれなかったという事情があります。そして「上野市街地ノ内 字寿町」は上野35町の区域でも周辺の村の区域でもありません。
県令第13号(M22.3.1)で「上野市街地ノ内 字寿町」というようなものをわざわざ記載したというのは、上野市街地には上野35町の区域に含まれず、かつ当然ながら周辺の村にも含まれない区域(e.g.「上野市街地ノ内 字寿町」など)があることの証左とも言えます。

さてこれをどのように記載するのが適当かですが、自治体ではないからといって「上野市街地ノ内 字○○」を記載しないというのは先ほどの「松阪町作地」と同じく不都合な点が出てきますので、採用できません。とはいっても、「上野市街地ノ内 字○○(一部)」という記載はいかがなものかとも思われます。
そこで、この5年後に小田村から城南村が分立した三重県告示第17号(M27.2.13)を参考にして記載するのが良いのではないでしょうか。この県告示第17号では「上野市街地ノ内 字○○」を「元上野町 字○○」と記載しています。

ということは、上野町及び小田村での記載において、「上野市街地ノ内 字○○」とは「上野町(一部)」と記載するのが、一番無難であると考えられます。ただし小田村にある「同 字万町ノ内 反別一町三反九畝七歩二合六夕」というのは先ほどの松阪の事例から考えるに「上野万町(一部)」と記載するのが適切であると考えられます。

参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)、上野市史(編・出版:上野市、1961)


(c)以上の複雑な箇所をまとめますと次のようになります。
飯高郡松阪町では、松阪町作地も記載する。後述の飯高郡港村及び飯高郡松江村との整合性より、松阪本町,松阪西町、松阪川井町、の3町では「の一部」の記載もする。
飯高郡港村では、松阪市街地ノ内 字○○というものは、松阪本町の一部,松阪西町の一部と記載する。
飯高郡松江村では、松阪市街地ノ内 字○○というものは、松阪川井町の一部と記載する。
阿拝郡上野町では、上野市街地ノ内 字○○というものは、上野町の一部と記載する。後述の阿拝郡小田村との整合性より、上野万町では「の一部」の記載もする。
阿拝郡小田村では、上野市街地ノ内 字○○というものは、上野町の一部、上野万町の一部と記載する。


(2)枝郷が根拠たる県令に書かれている場合
江戸時代においては、郷帳に○○村枝郷△△村という形態で記載されているものは、例え枝郷であっても公的には一つの自治体としてみなされていました。
こういった自治体は明治5年の区制施行と同時に(遅くとも明治7年頃までには)各府県で大半がなくなったのですが、唯一三重県においては市制町村制施行時まで残ったところが2箇所(津市、安濃郡新町)ありました。

(a)津市
津市は安濃郡の
津56町、伊予町、的場、津興村、津興村ノ内・船頭町、津興村ノ内・上弁財町、津興村ノ内・柳山、津興村ノ内・阿漕町、津興村ノ内・下弁財町、岩田村、岩田村ノ内・岩田町、岩田村ノ内・宮ノ前、岩田村ノ内・佐伯町、岩田村ノ内・弓屋敷、岩田村ノ内・立合町、岩田村ノ内・西裏、岩田村ノ内・久留島、岩田村ノ内・野崎垣内、岩田村ノ内・元築造、岩田村ノ内・出口、岩田村ノ内・弓ノ町、岩田村ノ内・山中、岩田村ノ内・綿内、八幡町、藤枝町、栄町、下部田村の一部、下部田村ノ内・余慶町、乙部村の一部、塔世村の一部、古河村の一部、藤方村の一部
が合併して成立しました。この中で例えば、「津興村ノ内・船頭町」というのは津興村と別個独立した自治体ではあるが、その町の地籍は津興村にあるということになります。
自治体か否かを重視する市区町村変遷情報では「津興村」とは別個に「津興村ノ内・船頭町」を記載する必要があります。

ではその記載方法です。
単に“船頭町”と記載する、“船頭町”と記載した上で詳細情報に“津興村ノ内”と記載する、単に“津興村ノ内・船頭町”と記載する、という3つの方法が考えられます。とは言え、最後の“津興村ノ内・船頭町”と記載するという以外の選択肢は実はありません。

といいますのも、今後市区町村変遷情報はさらに年度を遡ることになるのでしょう。そして明治14年頃まで記載することになったとします。この時、例えば当時の兵庫県神戸区には、“橘通三丁目”、“坂本村ノ内・橘通三丁目”が隣接して存在しています。この記載を問題なく行うためにはM22.4.1の段階で、“津興村ノ内・船頭町”と記載しておかなければなりません。
#なお、上述の津56町に含まれる鷹匠町、西ノ口出屋敷、西裏、馬場、榎ノ下の各町はかつては地籍が塔世村にある枝郷の自治体でしたが、明治17年の連合戸長役場の管轄資料によればこの当時は既に独立した町となっていました。


(b)安濃郡新町
安濃郡新町は古河村、刑部村、古河村/刑部村ノ内・八町、神納村、南河路村の1町4村が合併して成立しました。


参考:地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10.)、県令第12号(M22.3.1)、県令第13号(M22.3.1)、三重県統計書(明治21年)(編・出版:三重県庁、M22.12.21)(248-251コマ)、津市史第4巻(著:梅原三千、西田重嗣、出版:津市役所、1965)27,28,43-45頁、市制施行地郡区境界組替ヲ処分ス(PDF)(編:内閣、M22.6.)


#私は市制町村制施行時に枝郷がからむ事例というのを上述の2例(津市、安濃郡新町)以外には知りません。

次稿に続きます。
[76732] 2010年 11月 10日(水)15:34:56【2】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)兵庫県(その1)
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)兵庫県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)県令第121号(M21.11.22)(兵庫県報類纂(明治21年)(編:今井馬吉・山下三郎、出版:神戸活版所、M25.9.20)に記載)
#神戸区に編入される村々を記載。
(2)県令第24号(M22.2.22)(兵庫県報類纂(明治22年)(編:今井馬吉・山下三郎、出版:神戸活版所、M25.9.20)に記載)
#市制町村制施行時の廃置分合を記載。
(3)県令第34号(M22.3.5)(兵庫県報類纂(明治22年)(編:今井馬吉・山下三郎、出版:神戸活版所、M25.9.20)に記載)
#大阪府へ編入の区域を記載。
(4)県令第23号(M22.2.22)(兵庫県報類纂(明治22年)(編:今井馬吉・山下三郎、出版:神戸活版所、M25.9.20)に記載)
#郡変更の区域を記載。
(5)兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(附諸官衛並銀行所在地名)(著:福永惟精、出版:福永商店、M22.5.14)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(6)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(7)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(8)兵庫県統計書明治19_20年(編・出版:兵庫県、M22.8.28)
#明治19年及び20年の各郡の町村数が記載されています。
(9)兵庫県統計書明治21年(編・出版:兵庫県、M24.2.24)
#明治21年の各郡の町村数が記載されています。
(10)神戸開港三十年史(下)(編:村田誠治、出版:神戸市開港三十年記念会、M31.10.25)

(1)から(6)は総てにおいて参照し、(7)~(10)は適宜参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(2)のみを記載しました。
それでは紹介です。


1 新設/市制 神戸市 神戸区, 神戸区 神戸海岸通一丁目, (中略), 兵庫福原町, 「兵庫橘通一丁目」, 兵庫橘通二丁目, (中略), 兵庫橘通六丁目, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」, 兵庫上橘通四丁目, (中略), 兵庫和田崎町三丁目, 八部郡 荒田村(本), 菟原郡 葺合村
は#304との関係上もあり、
1 新設/市制 神戸市 神戸区, 神戸区 神戸海岸通一丁目, (中略), 兵庫福原町, , 兵庫橘通二丁目, (中略), 兵庫橘通六丁目, 兵庫上橘通四丁目, (中略), 兵庫和田崎町三丁目, 八部郡 荒田村(本), 菟原郡 葺合村
ではないでしょうか。
まず、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では兵庫橘通六丁、兵庫上橘通七丁とあり、「兵庫橘通一丁目」, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」があると読み取れます。
しかし、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)では「兵庫橘通一丁目」, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」の記載はありません。
また、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)よりM19.1.現在でも神戸区には「兵庫橘通一丁目」, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」は存在しません。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では明治19年1月現在の神戸区は125町1村、兵庫県統計書明治19_20年(編・出版:兵庫県、M22.8.28)ではM19.12.31、M20.12.31の神戸区は125町1村、兵庫県統計書明治21年(編・出版:兵庫県、M24.2.24)ではM21.12.31の神戸区は125町1村と町村数に変化がありません。明治22年になってから市制町村制施行(M22.4.1)までの3ヶ月間で、新たに4町が増えることは考えにくいです。
神戸開港三十年史(下)(編:村田誠治、出版:神戸市開港三十年記念会、M31.10.25)では神戸市成立後の明治27年9月に、「兵庫橘通一丁目」は「兵庫橘通二丁目」の一部を分立によって、「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」はそれぞれ「兵庫上橘通四丁目」, 「兵庫上橘通五丁目」, 「兵庫上橘通六丁目」の改称によって成立したとあるので、神戸市成立時に「兵庫橘通一丁目」, 「兵庫上橘通一丁目」, 「兵庫上橘通二丁目」, 「兵庫上橘通三丁目」はないとして問題は無いものと考えられます。
以上より兵庫県市町村名称区域及役所役場位置の記載に従うのが適当であると考えられます。

2 「新設/市制」 姫路市 飾東郡 姫路小利木町, 姫路鷹匠町, (中略), 姫路鋳物師町, 「姫路」国府寺村の一部, 姫路五軒邸, (中略), 姫路大野町
は#160との関係上もあり、
2 「新設/市制」 姫路市 飾東郡 姫路小利木町, 姫路鷹匠町, (中略), 姫路鋳物師町, 国府寺村の一部, 姫路五軒邸, (中略), 姫路大野町
ではないでしょうか。
県令第24号(M22.2.22)では「姫路」国府寺村の一部とあります。ところが同一頁の#160(飾東郡市殿村)を構成する町村名としては国府寺村の一部とあります。
また、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)では国府寺村の一部とあります。

352 新設/村制 武庫郡甲東村 武庫郡 門戸村, 上ヶ原新田, 段上村, 上大市村, 下大市村, 樋口新田, 神咒寺村, 広田村(微)
は#356との関係上
352 新設/村制 武庫郡甲東村 武庫郡 門戸村「(本)」, 上ヶ原新田, 段上村, 上大市村, 下大市村, 樋口新田, 神咒寺村, 広田村(微)
ではないでしょうか。
参考:県令第24号(M22.2.22)

206 新設/村制 川辺郡小田村 川辺郡 久々知村, 下坂部村, 善法寺村, 高田村, 額田村, 神崎村, 西川村, 浜村, 次屋村, 潮江村, 長洲村, 杭瀬村, 梶ヶ島村, 常光寺村, 西長洲村, 金楽寺村, 今福村, 大物村(微)
は#204との関係上
206 新設/村制 川辺郡小田村 川辺郡 久々知村, 下坂部村, 善法寺村「(本)」, 高田村, 額田村, 神崎村, 西川村, 浜村, 次屋村, 潮江村, 長洲村, 杭瀬村, 梶ヶ島村, 常光寺村, 西長洲村, 金楽寺村, 今福村, 大物村(微)
ではないでしょうか。
参考:県令第24号(M22.2.22)

215 新設/町制 川辺郡尼ヶ崎町 川辺郡 尼ヶ崎「村」, 別所村, 竹谷新田村, 大洲村, 大物村(本), 西難波村(微)
は#206、#216との関係上もあり、
215 新設/町制 川辺郡尼ヶ崎町 川辺郡 尼ヶ崎「町」, 別所村, 竹谷新田村「(本)」, 大洲村, 大物村(本), 西難波村(微)
ではないでしょうか。
まず県令第24号(M22.2.22)ではM22.3.31尼ヶ崎村となっています。
しかし、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)ではM22.3.31尼ヶ崎町となっています。
また地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)よりM19.1.現在でも尼ヶ崎町となっています。
さてどちらが正しいか考えます。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)よりM19.1.現在、兵庫県統計書明治19_20年(編・出版:兵庫県、M22.8.28)よりM19.12.31現在&M20.12.31現在、兵庫県統計書明治21年(編・出版:兵庫県、M24.2.24)よりM21.12.31現在で、川辺郡の町村数はいずれも4町170村とあります。
ここで川辺郡の4町とは伊丹町、尼ヶ崎町、山下町、銀山町を指すものと考えられます。明治22年になってから市制町村制施行(M22.4.1)までの3ヶ月間で、合併や分割を経ずに尼ヶ崎町→尼ヶ崎村となるのは考えにくいことと併せると、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置の記載にある尼ヶ崎「町」と考えるのが適当であると推察します。

203 新設/村制 川辺郡稲野村 川辺郡 御願塚村, 南野村, 野間村, 池尻村, 昆陽村, 新田中野村, 寺本村, 山田村, 千僧村(本), 堀池村, 大鹿村(微), 伊丹町(微), 武庫郡 時友村(微), 西昆陽村(微)
は#202、#358との関係上
203 新設/村制 川辺郡稲野村 川辺郡 御願塚村, 南野村, 野間村, 池尻村, 昆陽村, 新田中野村, 寺本村「(本)」, 山田村, 千僧村(本), 堀池村, 大鹿村(微), 伊丹町(微), 武庫郡 時友村(微), 西昆陽村(微)
ではないでしょうか。
参考:県令第24号(M22.2.22)

214 新設/村制 川辺郡東谷村 川辺郡 笹部村, 見野村, 東畦野村, 西畦野村, 山原村, 山下「村」, 下財屋敷村, 一庫村, 黒川村, 横路村, 国崎村
県令第34号(M22.3.5)との関係上も加わり、
214 新設/村制 川辺郡東谷村 川辺郡 笹部村, 見野村, 東畦野村, 西畦野村, 山原村, 山下「町」, 下財屋敷村, 一庫村, 黒川村, 横路村「(本)」, 国崎村
ではないでしょうか。
横路村or横路村(本)の選択については県令どおりなのですが、問題は山下「村」or山下「町」の判断についてです。以前も山下町or山下村の議論がありましたが、結論は出ませんでした。
まず県令第24号(M22.2.22)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)ではいずれもM22.3.31は山下村となっています。
ところが地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)よりM19.1.現在では山下町となっています。
次に兵庫県統計書明治19_20年(編・出版:兵庫県、M22.8.28)よりM19.12.31現在&M20.12.31現在、兵庫県統計書明治21年(編・出版:兵庫県、M24.2.24)よりM21.12.31現在で、川辺郡の町村数はいずれも4町170村とあります。そして川辺郡の4町とは伊丹町、尼ヶ崎町、山下町、銀山町を指すものと考えられます。
上述の資料に書かれていることがすべて正しいと解釈すると、明治21年末は山下町で、明治22年になってから市制町村制施行の前日(M22.3.31)までの3ヶ月間に山下町→山下村となったと言えます。そして村制が行われるためには、内務省より山下町→山下村という村制の指令を受けたということになります。
#郡区町村編制法の下では、廃置分合・改称等を行うには、内務省より廃置分合・改称等を行う旨の指令(ここでは山下町を山下村と為す旨の指令)が必要不可欠でした。
しかしながら、明治21年6月13日付で市制町村制施行に向けての具体的基準を示した訓令([62864])が出ており、これ以降に合併や分割を経ずに山下町→山下村となる旨の指令を内務省が出すということは考えにくいです。
ということはどこかに誤りがあると考えるのが自然です。
さてどちらが正しいか考えます。
上述した以外の資料については以前の山下町or山下村の議論を参照願います。
まず考えなければならないのが地方行政区画便覧を除く3書の信憑性です。他の府県では異なる資料でそろいも揃って明白な誤りがあるということはありませんでした。ところが、3書とも誤植であった事例が兵庫県ではあります。
(1)#216の竹田新田村(微)(正確には竹谷新田村(微))
県令第24号(M22.2.22)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)
(2)#342の古川村(微)(正確には古河村(微))
県令第24号(M22.2.22)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、兵庫県市町村名称区域及役所役場位置(著・出版:福永惟精、M22.5.14)
このような事例が2箇所もあると、誤りの訂正が明治22年の段階でなされておらず、細かな所までの信憑性は担保されていないとも判断できそうです。
私は3書の誤りの連鎖である可能性の方が高いのではないかと推測し、M22.3.31には山下「村」ではなくて山下「町」であったと判断しました。

次稿へ続く。
[78467] 2011年 6月 2日(木)12:38:59むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)東京府(その2)
[78466]の続きです。

●四谷区
四谷伝馬町一丁目, (略), 四谷永住町, 鮫「河」橋谷町一丁目, 鮫「河」橋谷町二丁目, 元鮫「河」橋町, 元鮫「河」橋南町, 麹町十一丁目, 麹町十二丁目, 麹町十三丁目, 南豊島郡 千駄ヶ谷村「の一部」, 内藤新宿一丁目「の一部」, 内藤新宿添地町「の一部」
は#34、#28との関係上もあり、
四谷伝馬町一丁目, (略), 四谷永住町, 鮫「ヶ」橋谷町一丁目, 鮫「ヶ」橋谷町二丁目, 元鮫「ヶ」橋町, 元鮫「ヶ」橋南町, 麹町十一丁目, 麹町十二丁目, 麹町十三丁目, 「市谷片町」, 南豊島郡 千駄ヶ谷村「(微)」, 内藤新宿一丁目「(微)」, 内藤新宿添地町「(微)」
ではないでしょうか。
まず府令第25号(PDF)(M22.4.11)1-2コマより四谷区外より編入されたのは南豊島郡 千駄ヶ谷村「(微)」, 内藤新宿一丁目「(微)」, 内藤新宿添地町「(微)」だけだと分かります。
次に、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では「市谷片町」は四谷区ではなくて牛込区となっています。
しかしながら東京府甲第107号布達(PDF)(M13.9.27)で市谷片町は牛込区より四谷区へ編入しています。地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でもM19.1.現在では「市谷片町」は四谷区にあります。
そして現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも「市谷片町」は四谷区にあり、M13.9.東京府甲第107号布達で牛込区より四谷区に編入とあります。
「河」or「ヶ」については(3)と(4)の記載にある「ヶ」としました。

●牛込区
市「ヶ」谷田町一丁目, 市「ヶ」谷田町二丁目, 市「ヶ」谷田町三丁目, 市「ヶ」谷本村町, 市「ヶ」谷「砂」土原町一丁目, 市「ヶ」谷「砂」土原町二丁目, 市「ヶ」谷「砂」土原町三丁目, 市「ヶ」谷左内坂町, 市「ヶ」谷加賀町一丁目, 市「ヶ」谷加賀町二丁目, 市「ヶ」谷甲良町, 市「ヶ」谷薬王寺前町, 市「ヶ」谷谷町, 市「ヶ」谷富久町, 市「ヶ」谷船河原町, 市「ヶ」谷長延寺谷町, 「市ヶ谷片町」, 市「ヶ」谷鷹匠町, 市「ヶ」谷山伏町, 市「ヶ」谷柳町, 市「ヶ」谷仲ノ町, 市「ヶ」谷河田町, 神楽町一丁目, 神楽町二丁目, 神楽町三丁目, 市「ヶ」谷八幡町, 牛込細工町, (略), 牛込喜久井町, 「牛込」下戸塚町, 牛込白銀町, (略), 大久保余丁町, 「南豊島郡 牛込早稲田村」, 「牛込改代町」, 「牛込水道町」

市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町, 神楽町一丁目, 神楽町二丁目, 神楽町三丁目, 市谷八幡町, 牛込細工町, (略), 牛込喜久井町, 下戸塚町, 牛込白銀町, (略), 大久保余丁町, 「牛込改代町」, 「牛込水道町」, 「南豊島郡 牛込早稲田村」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより牛込区外より編入されたのは南豊島郡 牛込早稲田村だけだと分かります。
次に新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では市「ヶ」谷田町一丁目, 市「ヶ」谷田町二丁目, 市「ヶ」谷田町三丁目, 市「ヶ」谷本村町, 市「ヶ」谷「佐」土原町一丁目, 市「ヶ」谷「佐」土原町二丁目, 市「ヶ」谷「佐」土原町三丁目, 市「ヶ」谷左内坂町, 市「ヶ」谷加賀町一丁目, 市「ヶ」谷加賀町二丁目, 市「ヶ」谷甲良町, 市「ヶ」谷薬王寺前町, 市「ヶ」谷谷町, 市「ヶ」谷富久町, 市「ヶ」谷船河原町, 市「ヶ」谷長延寺谷町, 市「ヶ」谷鷹匠町, 市「ヶ」谷山伏町, 市「ヶ」谷柳町, 市「ヶ」谷仲ノ町, 市「ヶ」谷河田町と「ヶ」があります。そして「市ヶ谷片町」もあります。また「牛込」下戸塚町と「牛込」の記載があります。ただし、「牛込改代町」, 「牛込水道町」は“仝”との記載が無いので南豊島郡ではなくて牛込区ということが分かります。
しかし地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町と「ヶ」がありません。「市ヶ谷片町」は牛込区ではなくて四谷区に「市谷片町」があります(四谷区の所で記載)。33コマで下戸塚町と「牛込」の記載がありません。また「牛込改代町」, 「牛込水道町」は南豊島郡ではなくて牛込区にあります。
現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)では四谷区に「市谷片町」あり(M13.9.東京府甲第107号布達で牛込区より四谷区に編入)。381~382コマで市谷田町一丁目, 市谷田町二丁目, 市谷田町三丁目, 市谷本村町, 市谷「佐」土原町一丁目, 市谷「佐」土原町二丁目, 市谷「佐」土原町三丁目, 市谷左内坂町, 市谷加賀町一丁目, 市谷加賀町二丁目, 市谷甲良町, 市谷薬王寺前町, 市谷谷町, 市谷富久町, 市谷船河原町, 市谷長延寺谷町, 市谷鷹匠町, 市谷山伏町, 市谷柳町, 市谷仲ノ町, 市谷河田町と「ヶ」がありません。また「市ヶ谷片町」は牛込区ではなくて四谷区に「市谷片町」があります(四谷区の所で記載)。383コマで下戸塚町と「牛込」の記載がありません。384コマで「牛込改代町」, 「牛込水道町」は南豊島郡ではなくて牛込区にあります。
「砂」or「佐」については(3)と(4)の記載にある「佐」としました。

●小石川区
小石川竹早町, (略), 小石川大塚上町, 小石川大塚辻町, 小石川春日町, (略), 桜木町, 音羽一丁目, 音羽二丁目, 音羽三丁目, 音羽四丁目, 音羽五丁目, 音羽六丁目, 音羽七丁目, 音羽八丁目, 音羽九丁目, 東青柳町, 西青柳町, (略), 関口町, 高田老松町, 高田豊川町, 雑司ヶ谷町, 巣鴨原町一丁目, (略), 巣鴨駕籠町, 北豊島郡小石川村, 雑司ヶ谷村「の一部」, 巣鴨村「の一部」, 高田村「の一部」
は#47、#46との関係上もあり、
小石川竹早町, (略), 小石川大塚上町, 小石川大塚辻町「(本)」, 小石川春日町, (略), 桜木町, 音羽「町」一丁目, 音羽「町」二丁目, 音羽「町」三丁目, 音羽「町」四丁目, 音羽「町」五丁目, 音羽「町」六丁目, 音羽「町」七丁目, 音羽「町」八丁目, 音羽「町」九丁目, 東青柳町, 西青柳町, (略), 関口町, 高田老松町「(本)」, 高田豊川町「(本)」, 雑司ヶ谷町「(本)」, 巣鴨原町一丁目, (略), 巣鴨駕籠町, 北豊島郡小石川村「(微)」, 雑司ヶ谷村「(微)」, 巣鴨村「(微)」, 高田村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより小石川区外より編入されたのは北豊島郡小石川村「(微)」, 雑司ヶ谷村「(微)」, 巣鴨村「(微)」, 高田村「(微)」だけだと分かります。
また、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)のいずれでも音羽「町」一丁目, 音羽「町」二丁目, 音羽「町」三丁目, 音羽「町」四丁目, 音羽「町」五丁目, 音羽「町」六丁目, 音羽「町」七丁目, 音羽「町」八丁目, 音羽「町」九丁目と「町」があります。

●本郷区
本郷一丁目, (略), 本郷春木町三丁目, 本郷本富士町「一丁目」, 本郷元町一丁目, (略), 本郷森川町, 「本郷」龍岡町, 湯島一丁目, 湯島四丁目, (略), 向ヶ丘弥生町, 北豊島郡 下駒込村, 日暮里村「の一部」
は下谷区、#42との関係上もあり、
本郷一丁目, (略), 本郷春木町三丁目, 本郷本富士町, 本郷元町一丁目, (略), 本郷森川町, 龍岡町, 湯島一丁目, 「湯島二丁目」, 「湯島三丁目」, 湯島四丁目, (略), 向ヶ丘弥生町, 北豊島郡 下駒込村「(本)」, 日暮里村「(微)」
ではないでしょうか。
まず、府令第25号(PDF)(M22.4.11)2コマより本郷区外より編入されたのは北豊島郡 下駒込村「(本)」, 日暮里村「(微)」だけだと分かります。
次に新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では本郷本富士町, 「本郷」龍岡町となっています。
しかしながら、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)では本郷本富士町, 龍岡町となっています。
また現行東京府令類纂(編:東京府知事官房、出版:東京府、M31.4.25)でも本郷本富士町, 龍岡町となっています。

「湯島二丁目」, 「湯島三丁目」の有無ですが、本郷区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…63町
東京府統計書明治16_17年M16_17…63町
東京府統計書明治18年M18…63町
地方行政区画便覧M19.1.…63町
東京府統計書明治19年M19…65町
東京府統計書明治20年M20…65町
東京府統計書明治21年M21…65町
となっています。
明治19年頃に2町が増えていますが、これは東京府令第9号(PDF)(M19.8.14)にて湯島二丁目、湯島三丁目が増えたものと考えられます。

●下谷区
下谷二長町, (略), 下谷金杉下町, 下谷三ノ輪町, 下谷善養寺町, 下谷町一丁目, 下谷町二丁目, 練塀町, 「上野公園地」, 上野町一丁目, (略), 谷中町, 北豊島郡 日暮里村「の一部」, 谷中村, 金杉村「の一部」, 下駒込村「の一部」, 下谷竜泉町, 千束村「の一部」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「の一部」
は本郷区、浅草区、#40、#36、#42との関係上もあり、
下谷二長町, (略), 下谷金杉下町, 下谷三ノ輪町「(本)」, 下谷善養寺町, 下谷町一丁目, 下谷町二丁目, 練塀町, 上野町一丁目, (略), 谷中町, 北豊島郡 日暮里村「(微)」, 谷中村, 金杉村「(微)」, 下駒込村「(微)」, 下谷竜泉町, 千束村「(微)」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「(微)」, 「坂本村(本)」
ではないでしょうか。
府令第25号(PDF)(M22.4.11)2-3コマより下谷区外より編入されたのは北豊島郡 日暮里村「(微)」, 谷中村, 金杉村「(微)」, 下駒込村「(微)」, 下谷竜泉町, 千束村「(微)」, 竜泉寺村, 三ノ輪村「(微)」, 「坂本村(本)」だけだと分かります。
#坂本村or阪本村ですが、(1)を最優先に採用という方針に従い、(2)の阪本村ではなく(1)の坂本村という表記に従いました。

「上野公園地」の有無ですが、下谷区の町数の変遷は
東京府統計書明治15年M15…71町
東京府統計書明治16_17年M16_17…69町
東京府統計書明治18年M18…69町
地方行政区画便覧M19.1.…69町
東京府統計書明治19年M19…68町
東京府統計書明治20年M20…68町
東京府統計書明治21年M21…68町
となっています。
明治16年頃に谷中七面前町、谷中片町が合併で消滅したために71町から69町へと減少しました。その後、明治19年頃に1町が減少していますが、これは上野公園地が町ではなくなったからと推測しました。

次稿へ続きます。
[85692] 2014年 6月 5日(木)00:20:20伊豆之国 さん
「小川町」はおがわまち? おがわちょう?
[85684] オーナー グリグリ さん
[85686] hmt さん
「まち」と読む町、「ちょう」と読む町

自治体としての「町」ではなくて「○○市(区)△△町」という場合の「町」をどう読むのか、というのを調べてみるのも面白そうです…。
住居表示などで「町」を外された町名も多いのですが、今回は、東京23区の都心部の中でも「△△町」がかなり残っている、千代田・中央・新宿の各区について「まち」と「ちょう」の数を調べてみました。
読みのデータは、郵便局の「郵便番号検索」からです。

区名「町」の総数「まち」「ちょう」
千代田区42大手町、神田小川町、神田司町、麹町4一番町、岩本町、内幸町、鍛冶町、紀尾井町、五番町、猿楽町、三番町、永田町、二番町、隼町、平河町、三崎町、有楽町、四番町、六番町、神田相生町(以下、頭に「神田」)、淡路町、和泉町、岩本町、鍛冶町、北乗物町、紺屋町、佐久間町、神保町、須田町、多町、富山町、錦町、西福田町、練塀町、花岡町、東紺屋町、東松下町、平河町、松永町、美倉町、美土代町38
中央区20日本橋室町1明石町、豊海町、日本橋大伝馬町(以下、頭に「日本橋」)、蛎殻町、兜町、茅場町、小網町、小伝馬町、小舟町、富沢町、人形町、箱崎町、浜町、馬喰町、久松町、堀留町、本石町、本町、横山町19
新宿区78赤城下町、赤城元町、市谷鷹匠町、市谷田町、市谷台町、市谷長延寺町、市谷船河原町、市谷薬王寺町、霞ヶ丘町、片町、北町、細工町、坂町、信濃町、新小川町、箪笥町、築地町、戸塚町、内藤町、納戸町、二十騎町、払方町、原町、袋町、舟町、南元町、横寺町、余丁町、早稲田町29愛住町、揚場町、荒木町、市谷加賀町、市谷甲良町、市谷砂土原町、市谷左内町、市谷仲之町、市谷八幡町、市谷本村町、市谷柳町、市谷山伏町、岩戸町、榎町、改代町、歌舞伎町、河田町、喜久井町、北山伏町、左門町、三栄町、下宮比町、白銀町、水道町、須賀町、住吉町、大京町、津久戸町、筑土八幡町、天神町、富久町、中里町、中町、西五軒町、馬場下町、東榎町、東五軒町、百人町、弁天町、本塩町、南榎町、南町、南山伏町、山吹町、矢来町、若松町、若宮町、早稲田鶴巻町、早稲田南町49

…結果はご覧の通りですが、千代田区と中央区は圧倒的に「ちょう」が優勢なのに対し、牛込地域を中心に従前の町名が多く残っている新宿区では、やはり「ちょう」のほうが多いものの、「まち」の数もかなり多く、割と拮抗しています。牛込地域で隣接する「南町」と「中町」が「ちょう」で「北町」が「まち」だったり、「早稲田町」が「まち」で「早稲田南町・鶴巻町」が「ちょう」だとか、「市谷」の付く町名など、同じ地域でも両方の読みが混在しているところが多く見られ、地元の人でも間違えて読んで(覚えて)いるような人が多そうな気もします…>元牛込区民のhmt さん([22003])。
千代田区の神田地域は、住居表示で頭の「神田」を外されている町を含め、「ちょう」が圧倒的に優勢で、「まち」はわずかに「司町」「小川町」の2つだけ、ということから、これはもうだいぶ前のことですが、「小川町」を周りの「△△ちょう」に引きずられて「おがわちょう」と読んでいる人が増えている、という話が載っていたことがありました。蛇足ですが、小平市の「小川町」は「おがわちょう」と読んでいるようです。
なお、上記の表のうち、「神田」の付く町と無い町がある「岩本町」と「鍛冶町」は、共に大半の地域が住居表示で「神田」が外され、未実施で残された地域が「神田」が付いたままになっているのに対し、「平河町」と「神田平河町」はまったく別の地域にあり、旧麹町区の平河町に対し、「神田平河町」は秋葉原駅の東側のごく狭い区域の町名として残っています。
[95735] 2018年 4月 30日(月)16:58:03むっくん さん
市区町村変遷情報(その2)
>グリグリさん

[95557]拙稿に引き続いての第2弾です。
市区町村変遷情報で以下の所の訂正をお願いします。

埼玉県
#122 1889(M22).4.1 新設/町制 入間郡越生町 入間郡 上野村, 越生村, 如意村, 黒岩村, 西和田村, 大谷村, 鹿ノ下村, 成瀬村, 古池村

#122 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/町制 入間郡越生町 入間郡 上野村, 越生村, 如意村, 黒岩村, 西和田村, 大谷村, 鹿ノ下村, 成瀬村, 「比企郡」 古池村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#123 1889(M22).4.1 新設/村制 入間郡梅園村 入間郡 津久根村, 大満村, 黒山村, 龍ヶ谷村, 小杉村, 堂山村, 上谷村, 麦原村

#123 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 入間郡梅園村 入間郡 津久根村, 大満村, 黒山村, 龍ヶ谷村, 小杉村, 堂山村, 上谷村, 「比企郡」 麦原村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#132 1889(M22).4.1 新設/村制 高麗郡高萩村 高麗郡 高萩村, 下高萩新田, 下大谷沢村, 女影村, 女影新田, 馬引沢村, 田木村, 大谷沢村, 中沢村, 森戸新田, 駒寺野新田

#132 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 高麗郡高萩村 高麗郡 高萩村, 下高萩新田, 下大谷沢村, 女影村, 女影新田, 馬引沢村, 田木村, 大谷沢村, 中沢村, 「入間郡」 森戸新田, 駒寺野新田
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#155 1889(M22).4.1 新設/村制 比企郡竹沢村 比企郡 笠原村, 原川村, 勝呂村, 木部村, 靱負村, 木呂子村

#155 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 比企郡竹沢村 比企郡 笠原村, 原川村, 「男衾郡」 勝呂村, 木部村, 靱負村, 木呂子村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#160 1889(M22).4.1 新設/村制 比企郡今宿村 比企郡 石坂村, 今宿村, 赤沼村, 大豆戸村, 小用村

#160 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 比企郡今宿村 比企郡 石坂村, 今宿村, 赤沼村, 大豆戸村, 「入間郡」 小用村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#210 1889(M22).4.1 新設/村制 児玉郡藤田村 児玉郡 傍示堂村, 鵜森村, 牧西村, 小和瀬村, 滝瀬村, 宮戸村

#210 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 児玉郡藤田村 児玉郡 傍示堂村, 鵜森村, 「榛沢郡」 牧西村, 小和瀬村, 滝瀬村, 宮戸村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#217 1889(M22).4.1 村制 児玉郡共和村 児玉郡 「共和村」

#217 1889(M22).4.1 「新設/」村制 児玉郡共和村 児玉郡 「今井村, 蛭川村, 高関村, 入浅見村, 下浅見村, 下真下村」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)

#220 1889(M22).4.1 村制 児玉郡金屋村 児玉郡 金屋村

#220 1889(M22).4.1 「新設/」村制 児玉郡金屋村 児玉郡 金屋村「, 長沖村, 高柳村, 飯倉村, 塩谷村, 宮内村」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)

#227 1889(M22).4.1 新設/村制 賀美郡丹荘村 賀美郡 植竹村, 元阿保村, 原新田村, 八日市村, 関口村, 肥土村, 貫井村, 小浜村, 四軒在家村, 熊野堂村

#227 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 賀美郡丹荘村 賀美郡 植竹村, 元阿保村, 原新田村, 八日市村, 関口村, 肥土村, 貫井村, 小浜村, 四軒在家村, 「児玉郡」 熊野堂村
参考:埼玉県令甲第10号(M22.3.26)[69697]

#232 1889(M22).4.1 新設/村制 大里郡佐谷田村 大里郡 佐谷田村, 戸出村, 平戸村

#232 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/村制 大里郡佐谷田村 大里郡 佐谷田村, 「北埼玉郡」 戸出村, 平戸村
参考:埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#238 1889(M22).4.1 村制 大里郡大幡村 大里郡 「大幡村」

#238 1889(M22).4.1 「郡変更/新設/」村制 大里郡大幡村 大里郡 「原島村, 代村, 幡羅郡 柿沼村, 新島村」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)、埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#240 1889(M22).4.1 村制 大里郡吉岡村 大里郡 「吉岡村」

#240 1889(M22).4.1 「新設/」村制 大里郡吉岡村 大里郡 「万吉村, 村岡村, 平塚新田」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)

#264 1889(M22).4.1 新設/町制 榛沢郡寄居町 榛沢郡 寄居町, 末野村, 藤田村

#264 1889(M22).4.1 「郡変更/」新設/町制 榛沢郡寄居町 榛沢郡 寄居町, 末野村, 「男衾郡」 藤田村
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)、埼玉県令甲第6号(M22.3.23)[69697]

#321 1889(M22).4.1 村制 北埼玉郡太田村 北埼玉郡 「太田村」

#321 1889(M22).4.1 「新設/」村制 北埼玉郡太田村 北埼玉郡 「小針村, 下須戸村, 若小玉村」
参考:埼玉県市町村合併史上巻(編:埼玉県地方課、出版:埼玉県、1960)に収録の埼玉県令甲第7号(M22.3.23)

富山県
#160 1889(M22).4.1 新設/町制 射水郡伏木町 射水郡 伏木本町, 伏木中道町, 伏木湊町, 伏木臥浦町, 伏木石坂町, 伏木玉川町, 伏木新町, 「伏木古国府町」, 「伏木新島町」, 「伏木串岡町」, 一ノ宮村, 古府村, 矢田村, 国分村
「」を追加。
参考:富山県令第38号(M22.3.19)、地方行政区画便覧(編・発行:内務省地理局, 1887)

静岡県
# 1 1889(M22).4.1 新設/市制 静岡市 安倍郡 静岡追手町, 「有渡郡」静岡鷹匠町一丁目, 静岡鷹匠町二丁目, 静岡鷹匠町三丁目, 静岡東鷹匠町, 「安倍郡/有渡郡」静岡横内町, 「安倍郡」静岡水落町一丁目, 静岡水落町二丁目, 静岡水落町三丁目, 静岡東草深町一丁目, 静岡東草深町二丁目, 静岡東草深町三丁目, 静岡西草深町, 「安倍郡」静岡通研屋町, 静岡草深町代地, 静岡屋形町, 静岡裏一番町, 静岡一番町, 静岡二番町, 静岡三番町, 静岡四番町, 静岡五番町, 静岡六番町, 静岡七番町, 静岡八番町, 静岡通車町, 静岡本通裏町, 静岡北番町, 「有渡郡」静岡誉田町, 静岡静岡宿, 静岡台所町, 静岡鋳物師町, 静岡下八幡町, 静岡下横田町, 静岡院内町, 静岡上横田町, 「有渡郡」静岡栄町, 静岡上八幡町, 静岡猿屋町, 静岡中八幡町, 「安倍郡」静岡材木町, 静岡片羽町, 静岡安倍町, 静岡御器屋町, 静岡宮ヶ崎町, 静岡馬場町, 静岡車町, 静岡四ツ足町, 「安倍郡/有渡郡」静岡本通一丁目, 静岡本通二丁目, 「安倍郡/有渡郡」 静岡本通三丁目, 静岡本通四丁目, 静岡本通五丁目, 静岡本通六丁目, 静岡本通七丁目, 静岡本通八丁目, 静岡本通九丁目,「安倍郡」静岡研屋町, 静岡上魚町, 静岡茶町一丁目, 静岡茶町二丁目, 静岡上桶屋町, 静岡土太夫町, 静岡柚木町, 静岡安西一丁目, 静岡安西二丁目, 静岡安西三丁目, 静岡安西四丁目, 静岡安西五丁目, 静岡安西一丁目南裏町, 「安倍郡/有渡郡」静岡呉服町一丁目, 静岡呉服町二丁目, 静岡呉服町三丁目, 静岡呉服町四丁目, 静岡呉服町五丁目, 静岡呉服町六丁目, 静岡江川町, 静岡新谷町, 「有渡郡」静岡札ノ辻町, 静岡七間町一丁目, 静岡七間町二丁目, 静岡七間町三丁目, 静岡両替町一丁目, 静岡両替町二丁目, 静岡両替町三丁目, 静岡両替町四丁目, 静岡両替町五丁目, 静岡両替町六丁目, 静岡紺屋町, 静岡上石町一丁目, 静岡上石町二丁目, 静岡梅屋町, 静岡人宿町一丁目, 静岡人宿町二丁目, 静岡人宿町三丁目, 静岡寺町一丁目, 静岡寺町二丁目, 静岡寺町三丁目, 静岡寺町四丁目, 静岡下石町一丁目, 静岡下石町二丁目, 静岡下石町三丁目, 静岡常慶町, 「静岡藤右衛門町」, 静岡下魚町, 静岡江尻町, 静岡平屋町, 静岡下桶屋町, 静岡鍛冶町, 「安倍郡/有渡郡」 静岡本通川越町, 静岡堤添川越町, 「安倍郡」静岡西寺町, 静岡大鋸町, 静岡上大工町, 「有渡郡」静岡新通一丁目, 静岡新通大工町, 静岡新通三丁目, 静岡新通四丁目, 静岡新通五丁目, 静岡新通六丁目, 静岡新通七丁目, 静岡新通川越町, 静岡安倍川町, 静岡白山町, 川辺村(微)
へと変更。
#郡名を追加、静岡藤右衛門町を追加。
#静岡栄町は元々、有渡郡南安東村の一部でM22.3.1の有渡郡南安東村消滅時に出来た町と考えられることより、有渡郡としました。
参考:静岡県令第18号(M22.2.26)、地方行政区画便覧257コマ258コマ(編・発行:内務省地理局, 1887)

#127 1889(M22).3.1 郡変更/新設 志太郡藤枝町 志太郡 藤枝宿若王子町, 「益津郡/志太郡」 藤枝宿本町, 志太郡 藤枝宿五十海町, 藤枝宿市部町, 藤枝宿鬼岩寺町, 「益津郡」藤枝宿益津町, 「志太郡」原村, 益津郡 郡村(微)
へと変更。
参考:地方行政区画便覧(編・発行:内務省地理局, 1887)

三重県
#1 1889(M22).4.1 新設/市制 津市 安濃郡 津京口町, 津立町, 津大門町, 津中ノ番町, 津宿屋町, 津蔵町, 津千歳町, 津堀川町, 津沢「ノ」上町, 津新中町, 津魚町, 津北浜町, 津地頭領町, 津分部町, 津新魚町, 津築地町, 津極楽町, 津山「ノ」世古町, 津大世古町, 津南「ノ」世古町, 津南浜町, 津片浜町, 津贄崎町, 西ノ口出屋敷, 津鷹匠町, 津西町, 津釜屋町, 津塔世町, 津門前町, 津万町, 津北町, 津東町, 津西来寺町, 津宝禄町, 津新立町, 津「新東」町, 津入江町,津西検校町, 津東検校町, 津新道, 津玉置町, 津西堀端, 津北堀端, 津南堀端, 津一番町, 津二番町, 津三番町, 津五軒町, 津枕町, 津松「ノ」下, 津西新「町」, 津中新町, 津丸ノ内, 津伊予町, 「津伊予町ノ内 的場」 , 「岩田村ノ内 岩田町」, 「岩田村ノ内 宮之前」, 「岩田村ノ内 佐伯町」, 「岩田村ノ内 弓屋敷」, 「岩田村ノ内 立合町」, 「岩田村ノ内 西裏」, 「岩田村ノ内 久留島」, 「岩田村ノ内 野崎垣内」, 「岩田村ノ内 元築造」, 「岩田村ノ内 出口」, 「岩田村ノ内 弓ノ町」, 「岩田村ノ内 山中」, 「岩田村ノ内 綿打」, 「津興村ノ内 船頭町」, 「津興村ノ内 上弁財町」, 「津興村ノ内 柳山」, 「津興村ノ内 阿漕町」, 「津興村ノ内 下弁財町」, 八幡町, 藤枝町, 栄町, 下部田村(本), 「下部田村ノ内 余慶町」, 乙部村(微), 塔世村(微), 古河村(微), 藤方村(微), 奄芸郡 大部田村
へと変更。
#当時の町名順に並び替えて記載しています。
三重県では、岩田村は13町村もの自治体に分かれて存在しており、岩田村というものはありませんでした。同じく津興村というものもなく、5町村に分かれて存在していました。又、津伊予町もこれとは別途に津伊予町ノ内 的場が存在していました。
江戸時代の最後の郷帳である天保郷帳によく見られた「○○村ノ内△△」、「□□村枝郷 ××」として記載される近世村(自治体)が明治22年まで唯一残ったのが三重県です。
参考:三重県統計書(明治19年)(著・発行:三重県庁, M20.11.15)、三重県統計書(明治21年)(著・発行:三重県庁, M22.12.2130コマ251コマ三重県令第12号(PDF)(M22.3.1)1-2コマ

#113 1889(M22).4.1 新設/町制 安濃郡新町 安濃郡 古賀村, 刑部村, 「古賀村刑部村ノ内 八町 」, 神納村, 南河路村
参考:三重県統計書(明治19年)(著・発行:三重県庁, M20.11.15)、三重県令第13号(PDF)(M22.3.1)9コマ
#古賀村刑部村ノ内 八町 も古賀村や刑部村とは別の自治体です。

#246 1889(M22).4.1 新設/町制 阿拝郡上野町 阿拝郡 上野西ノ丸, 上野丸之内, 上野幸坂町, 上野馬苦労町, 上野西町, 上野向島町, 上野中町, 上野東町, 上野清水町, 上野福居町, 上野徳居町, 上野小玉町, 上野魚町, 上野三ノ西町, 上野紺屋町, 上野相生町, 上野忍町, 上野愛宕町, 上野万町(本), 上野鉄砲町, 上野池町, 上野西日南町, 上野東日南町, 上野桑町, 上野恵美須町, 上野農人町, 上野赤坂町, 上野玄蕃町, 上野車坂町, 上野田端町, 上野裏町, 上野寺町, 上野新町, 上野片原町, 上野鍛冶町, 上野町(微), 上野村(本), 木興村(微), 小田村(微)
#247 1889(M22).4.1 新設/村制 阿拝郡小田村 阿拝郡 木興村(本), 久米村, 浅宇田村, 四十九村, 小田村(本), 上野町(微), 上野万町(微), 上野村(微)
#246,247の両方とも
上野町(微)→上野町の一部
へと変更することになります。
M22.3.1三重県令第13号では上野市街地、三重県統計書(明治19年)では上野町と書かれている所です。これは恐らくM3の大水害の後に当時の人が移り住んだ上野城の堀の埋立地などに地籍が与えられいまま、おそらく所属未定地のままM22まで来たところではないかと推定します。ゆえに、適切な名称をつけるとするのと、三重県統計書(明治19年)での上野町を借用して共に
「上野町の一部」と記載するしかないと思います。
参考:三重県統計書(明治19年)(著・発行:三重県庁, M20.11.15)、三重県令第13号(PDF)(M22.3.1)16コマ

鳥取県
#3 1894(M27).3.30 改称 八橋郡勝田村 八橋郡 豊定村
#14 1898(M31).7.22 新設 東伯郡成美村 東伯郡 勝田村, 保永村
M31鳥取県告示第183号(豊定村保永村合併ノ件)(PDF)132コマで1898年に合併が行われましたので、正しくは
#14 1898(M31).7.22 新設 東伯郡成美村 東伯郡 豊定村, 保永村
です。

#77 1935(S10).2.20 編入 八頭郡智頭町 八頭郡 智頭町, 山形村, 那岐村, 土師村
鳥取県告示第80号(PDF)(S10.2.14)によりますと、合併方式は新設。

愛媛県
#15 1898(M31).11.22 町制 周桑郡小松町 周桑郡小松村
#16 1898(M31).11.28 町制 温泉郡北条町 温泉郡北条村
#17 1898(M31).12.21 町制 宇摩郡川之江町 宇摩郡川之江村
これら3村の町制は愛媛県告示第187号(M31.11.21)で
#14 1898(M31).11.21 町制 宇摩郡三島町 宇摩郡三島村
と同じくすべて1898(M31).11.21

#21 1900(M33).__.__ 境界変更 温泉郡道後村 温泉郡 道後村, 御幸村の一部
この境界変更は1900(M33).6.1

#23 1901(M34).8.20 町制/改称 上浮穴郡久万町 上浮穴郡久万町村
この町制/改称は1900(M34).8.15

#38 1916(T5).10.1 境界変更 温泉郡浅海村 温泉郡 浅海村, 立岩村の一部
この境界変更は1916(T5).4.1

参考:えひめの記憶

長崎県
#10 1912(M45).4.1 分立 下県郡豆酘村 下県郡 与良村の一部
#11 1912(M45).4.1 境界変更/改称 下県郡久田村 下県郡 与良村, 厳原町の一部
長崎県令第14号(M45.3.5)で、
#10 1912(M45).4.1 分割 下県郡豆酘村 下県郡 与良村の一部
#11 1912(M45).4.1 新設 下県郡久田村 下県郡 与良村の一部, 厳原町の一部
に。

#23 1925(T14).4.1 町制 壱岐郡武生水町 壱岐郡 武生水村
長崎県告示第91号(T14.3.6)で
1925(T14).4.1→1925(T14).3.10

#29 1927(S2).4.1 編入 東彼杵郡早岐町 東彼杵郡 早岐町, 広田村
長崎県告示第141号1コマ2コマ(S2.4.1)で
編入→新設
[98778] 2019年 12月 31日(火)00:26:56伊豆之国 さん
「ネズミ」地名あれこれ
来る2020年、令和2年は「子年」。そこで、年末恒例?の書き込み「来年の干支」にまつわる地名あれこれ談義を。

「ネズミ」の付く地名というと、その代表格は、山形県鶴岡市旧温海町の「鼠ヶ関」でしょうか。「鼠ヶ関」は「念珠ヶ関」とも書かれ、越後と出羽の国境に位置し、古代には蝦夷の侵攻に対する「前線基地」として設けられた重要な「防衛拠点」の役割を果たしていました。また、この「鼠ヶ関」の地は、奥州に落ち延びた源義経にまつわる伝説も残っています(鶴岡市あつみ観光協会HPより)。JR鼠ヶ関駅は、「鼠」の付く唯一の駅であり、子年が来ると「縁起切符」として人気になるようです。

長野県坂城町には、「ねずみ」と呼ばれる地区があります。町内の南部、上田市との境界近くの区域で、「ねずみ」という名の交差点があり、国道18号には千曲川に架かる「鼠橋」、地域内を通過するしなの鉄道(旧JR信越線)には「ねずみ第二踏切」もあります(「ねずみ第一踏切」は現在はないようです…こちら)。この坂城町の「ねずみ」地名に関し、だいぶ前だったか、「珍地名」としてTVで放映されていたのを見たことがあり、「動物のネズミではなく、『寝ず見』(不寝番)が語源ではないか」という説が有力、というのを聞いた記憶がありました。これは「鼠ヶ関」でも同様で、その昔見た駅名関係の本で、やはり同様に「寝ず」からきているのではないか、ということが書かれていたのを見たことことがありました。

浜松市南区には「鼡野町」という地名があります。。「鼠野」とする表記もあり、「鼡」は「鼠」の俗字で、戦前の資料をいくつか見ると、いずれも「(浜名郡芳川村大字)『鼠野』」と出ているので()、本来は「鼠野」なのでしょうが、おそらく山梨の「つき米」([98751] 他)・鳥取の「つく米」([98752] 今川焼さん)と同様、俗字による表記が地元で定着している、と見てよいのでしょうか。「鼡野」の地名の由来については、古い資料(十数年前に撮影された写真)ですが、こちら
縁起のよい白鼠が現れたとの伝説が由来のようです
と出ていました。

東京の都心部には、「鼠坂」と呼ばれる坂道かいくつかあります。「江戸の坂 東京の坂」横関英一氏著([95551]他)によると、 次の3か所の「鼠坂」が紹介されていました(リンクは「東京23区の坂道」より。市ヶ谷のは詳しいレポートがなかったため、"Street View"からリンク)。
・文京区音羽~小日向 地図,Report
・港区麻布狸穴町と麻布永坂町との境 地図,Report
・新宿区納戸町と市谷鷹匠町との境 地図,Street View
「江戸の坂~」では、これらの「鼠坂」の共通点として、いずれも「細くて長い坂道」である、ということが書かれており、「ネズミの通り道のような狭い場所」にたとえた表現でしょうか。また、この「鼠坂」に類似した表現として、狭い行きどまりの路地のような場所を指して「鼠穴」というものもあり、「鼠坂」も「鼠穴」も、共に江戸時代の文献にすでにこのような表現が見られる、とあります。「鼠穴」のほうは、「江戸の坂~」には4か所が紹介されていますが、すでに消滅していたり、存在自体が怪しいものもあり、現存しているのは港区三田のこの辺りだけと思われます。

「鼠グッズ」があふれている場所と言えば、言わずと知れた、白桃さんのおひざ元にあるテーマパーク。そこに多数棲息?しているネズミは愛嬌があって可愛いものですが、本物のネズミは穀物を食い荒らし家屋にも被害を与える憎らしい存在です。弥生時代の高床倉庫などにみられる「ねずみ返し」と言う工夫も、農民とネズミとの「格闘」の中から生まれた生活の知恵だったのでした。私が3か月近く前まで住んでいた家も、気が付いたら結構な被害になって、駆除と引っ越しまでの応急処理をリフォーム業者に頼むという羽目になっていました。その一方で、多産であるネズミには「子孫繁栄の象徴」としてのご利益もあるようで、十二支でネズミに「子」の字があてられているのも、そういう意味からでしょうか。

「ネズミ」にゆかりの昔話というと、「雪舟とネズミの絵」の逸話が有名です(総社市HPより)。総社市にある「宝福寺」がその舞台とされていますが、そのお寺には雪舟が修行していたころの建物は既になく、おそらく後世の作り話の可能性が高いように思われます。

最後に、今年の経県値。32点となりました。今年は夏以降に引っ越しの準備と、それ以降も続いている旧宅の残物整理に追われ、まだかなりの数の箪笥類などの家財道具が旧宅に残ったまま運び出すこともできない状況で、結局夏休みの旅行もできずじまいでした。県庁所在地との経県ギャップは、相模原市への引っ越しによって神奈川県に1点増え、14点(東京都庁の所在地は、教科書や多くのWeb地図の表現に従い「23区全体」とし、新宿区に限定とする立場はとらない)となりました。このところすっかり忘れ去られているような「観光経県値」は、アクセスできなくなっているようですが、計算すると14点となっています。春の連休と、6月の「研修旅行」によって稼いだ三重県の4点が目立つ形となりました。
「市の経県値」(認市度)の変化は次の通り。

●→◎ 相模原
▲→● 一宮、津島、清須、あま

この結果、今年末時点での認市度(全国792市+東京特別区(全体で1市として計上))と、昨年からの増減は下記のようになりました。
 ◎:3(+1)、○:123(±0)、●:269(+3)、△:55(±0)、▲:256(-4)、×:87(±0)
[99830] 2020年 5月 22日(金)22:14:04むっくん さん
Re5:若年首長
[99824]グリグリさん
[97031]女性首長についてはすぐに情報反映しています([97035][97098])。
女性首長についてはこちらの確認不足でお手数おかけしました。失礼しました。
また、[95735]市区町村変遷情報の静岡市では郡名を重複しているところがありました。記載するとすれば以下の通りです。よろしくお願いします。

# 1 1889(M22).4.1 新設/市制 静岡市 安倍郡 静岡追手町, 「有渡郡」静岡鷹匠町一丁目, 静岡鷹匠町二丁目, 静岡鷹匠町三丁目, 静岡東鷹匠町, 「安倍郡/有渡郡」静岡横内町, 「安倍郡」静岡水落町一丁目, 静岡水落町二丁目, 静岡水落町三丁目, 静岡東草深町一丁目, 静岡東草深町二丁目, 静岡東草深町三丁目, 静岡西草深町, 静岡通研屋町, 静岡草深町代地, 静岡屋形町, 静岡裏一番町, 静岡一番町, 静岡二番町, 静岡三番町, 静岡四番町, 静岡五番町, 静岡六番町, 静岡七番町, 静岡八番町, 静岡通車町, 静岡本通裏町, 静岡北番町, 「有渡郡」静岡誉田町, 静岡静岡宿, 静岡台所町, 静岡鋳物師町, 静岡下八幡町, 静岡下横田町, 静岡院内町, 静岡上横田町, 静岡栄町, 静岡上八幡町, 静岡猿屋町, 静岡中八幡町, 「安倍郡」静岡材木町, 静岡片羽町, 静岡安倍町, 静岡御器屋町, 静岡宮ヶ崎町, 静岡馬場町, 静岡車町, 静岡四ツ足町, 「安倍郡/有渡郡」静岡本通一丁目, 静岡本通二丁目, 静岡本通三丁目, 静岡本通四丁目, 静岡本通五丁目, 静岡本通六丁目, 静岡本通七丁目, 静岡本通八丁目, 静岡本通九丁目, 「安倍郡」静岡研屋町, 静岡上魚町, 静岡茶町一丁目, 静岡茶町二丁目, 静岡上桶屋町, 静岡土太夫町, 静岡柚木町, 静岡安西一丁目, 静岡安西二丁目, 静岡安西三丁目, 静岡安西四丁目, 静岡安西五丁目, 静岡安西一丁目南裏町, 「安倍郡/有渡郡」静岡呉服町一丁目, 静岡呉服町二丁目, 静岡呉服町三丁目, 静岡呉服町四丁目, 静岡呉服町五丁目, 静岡呉服町六丁目, 静岡江川町, 静岡新谷町, 「有渡郡」静岡札ノ辻町, 静岡七間町一丁目, 静岡七間町二丁目, 静岡七間町三丁目, 静岡両替町一丁目, 静岡両替町二丁目, 静岡両替町三丁目, 静岡両替町四丁目, 静岡両替町五丁目, 静岡両替町六丁目, 静岡紺屋町, 静岡上石町一丁目, 静岡上石町二丁目, 静岡梅屋町, 静岡人宿町一丁目, 静岡人宿町二丁目, 静岡人宿町三丁目, 静岡寺町一丁目, 静岡寺町二丁目, 静岡寺町三丁目, 静岡寺町四丁目, 静岡下石町一丁目, 静岡下石町二丁目, 静岡下石町三丁目, 静岡常慶町, 「静岡藤右衛門町」, 静岡下魚町, 静岡江尻町, 静岡平屋町, 静岡下桶屋町, 静岡鍛冶町, 「安倍郡/有渡郡」 静岡本通川越町, 静岡堤添川越町, 「安倍郡」静岡西寺町, 静岡大鋸町, 静岡上大工町, 「有渡郡」静岡新通一丁目, 静岡新通大工町, 静岡新通三丁目, 静岡新通四丁目, 静岡新通五丁目, 静岡新通六丁目, 静岡新通七丁目, 静岡新通川越町, 静岡安倍川町, 静岡白山町, 川辺村(微)
[108793] 2023年 9月 22日(金)22:08:53【1】訂正年月日
【1】2023年 9月 23日(土)11:22:46
むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(高知、神奈川、群馬、茨城)
[108790]グリグリさん
Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(広島、滋賀、栃木、福島、山形)
グリグリさんの対応について確認しました。それでは[108787]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第二弾です。

高知県
1 1889(M22).3.31 「新設」 「高知市」 土佐郡 高知追手筋, 高知西唐人町, 高知片町, 高知南与力町, 高知八軒町, 高知鷹匠町, 高知中島町, 高知金子橋, 高知舛形, 高知本町, 高知帯屋町, 高知西弘小路, 高知北門筋, 高知永国寺町, 高知北与力町, 高知本与力町, 高知廿代筋, 高知材木町, 高知種崎町, 高知細工町, 高知新市町, 高知紺屋町, 高知蓮池町, 高知山田町, 高知廿代町, 高知新町田淵, 高知南新町, 高知北新町, 高知鉄砲町, 高知中新町, 高知朝倉町, 高知浦戸町, 高知八百屋町, 高知堺町, 高知要法寺町, 高知掛川町, 高知東唐人町, 高知広岡町, 高知囃喉場, 高知九反田, 高知農人町, 高知田淵, 高知菜園場町, 高知北奉公人町, 高知築屋式, 高知南奉公人町, 高知通町筋, 高知水通町, 高知本町筋
1 1889(M22).4.1 市制 高知市 「高知市」
新設/市制→新設、土佐郡 高知→高知市と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
本年三月三十一日ヨリ縣下各町村ノ内分合名稱別紙之通相定ム
明治二十二年三月四日 高知縣知事時任爲基
(土佐郡高知)追手筋○(仝)西唐人町○(仝)片町○(仝)南與力町○(仝)八軒町○(仝)鷹匠町○(仝)中嶋町○(仝)金子橋○(仝)舛形○(仝)本町○(仝)帯屋町○(仝)西弘小路○(仝)北門筋○(仝)永國寺町○(仝)北與力町○(仝)本與力町○(仝)廿代筋○(仝)材木町○(仝)種崎町○(仝)細工町○(仝)新市町○(仝)紺屋町○(仝)蓮池町○(仝)山田町○(仝)廿代町○(仝)新町田淵○(仝)南新町○(仝)北新町○(仝)鉄砲町○(仝)中新町○(仝)朝倉町○(仝)浦戸町○(仝)八百屋町○(仝)堺町○(仝)要法寺町○(仝)掛川町○(仝)東唐人町○(仝)廣岡町○(仝)囃喉塲○(仝)九反田○(仝)農人町○(仝)田淵○(仝)菜園塲町○(仝)北奉公人町○(仝)築屋式○(仝)南奉公人町○(仝)通町筋○(仝)水通町○(仝)本町筋
右合併高知市ト稱ス
(略)

高知縣令第三十一号
来ル四月一日ヨリ縣下高知市ニ市制其他町村ニ町村制ヲ施行ス
明治二十二年三月四日 高知縣知事時任爲基
とあります。
他県と同様に、土佐郡高知から市制が施行されたとするならば、高知県令の市制町村制施行の文言が
来ル四月一日ヨリ縣下土佐郡高知ニ市制
もしくは
来ル四月一日ヨリ縣下高知ニ市制
と市制施行地の名称となるはずです。しかしながら、高知県の文言では
来ル四月一日ヨリ縣下高知「市」ニ市制
となっていますので、廃置分合が為された1889(M22).3.31に、郡区町村編成法下で高知市という名称の自治体が成立し、1889(M22).4.1に市制が成立したものと考えられます。
#例えば兵庫県の場合
兵庫縣令第二十五號
本年四月一日ヨリ神戸區並ニ飾東郡姫路ニ市制其ノ他町村ニ町村制ヲ施行ス
明治廿二年二月廿二日
と、飾東郡姫路ニ市制となっています。

9 1889(M22).3.31 新設 土佐郡土佐山村 土佐郡 土佐山村, 高川村, 桑尾村, 弘瀬村, 東川村, 中切村, 梶谷村, 西川村, 菖蒲村, 「都網」村
とその詳細
土佐山村,高川村,桑尾村,弘瀬村,東川村,中切村,梶谷村,西川村,菖蒲村,「都網」村は「土佐山郷」
都積村→都網村、土佐郷→土佐山郷と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
(略)
土佐郡
(略)
(土佐山鄕)土佐山村○(仝)高川村○(仝)桑尾村○(仝)弘瀬村○(仝)東川村○(仝)中切村○(仝)梶谷村○(仝)西川村○(仝)菖蒲村○(仝)都網村
右合併土佐山村ト稱ス
(略)
とあります。
都網村は丑甲第20号(M10.3.23)で土佐郡都積村, 網川村→都網村となって成立した村です。

24 1889(M22).3.31 新設 幡多郡山中村 幡多郡 大用村, 住次郎村, 片魚村, 大屋敷村, 常六村, 三ツ又村, 小西ノ川村, 大西ノ川村, 竹屋敷村, 古尾村
詳細
大用村,住次郎村,片魚村,大屋敷村,常六村,三ツ又村,小西ノ川村,大西ノ川村,竹屋敷村,古尾村は「上山郷中山」
上山郷中山→上山郷山中と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞によりますと、
高知縣令第三十号
(略)
(上山鄕山中)大用村○(仝)住次郎村○(仝)片魚村○(仝)大屋敷村○(仝)常六村○(仝)三ツ又村○(仝)小西ノ川村○(仝)大西ノ川村○(仝)竹屋敷村○(仝)古尾村
右合併山中村ト稱ス
(略)
とあります。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在幡多郡の右から4行目上山郷山中
新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)は上山郷中山ですが、高知縣令第30号及び市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では上山郷山中となっています。

72 1889(M22).3.31 「郡変更/新設」 高岡郡高石村 高岡郡 用石村, 塚地村, 吾川郡 中島村
88 1889(M22).3.31 「郡変更/新設」 吾川郡横畠村 吾川郡 横畠村, 高岡郡 今成村
新設→郡変更/新設と訂正する。
オーテピア高知図書館の高知新聞データベースの土陽新聞では
高知縣令第三十七號
本年三月高知縣令第三十號ヲ以テ高岡郡今成村ハ吾川郡横畠村ト吾川郡中島村ハ高岡郡用石村塚地村ト合併候ニ付右村々ニ属スル高岡郡吾川郡ノ郡界ハ本年三月三十一日ヨリ仁淀川ノ中心ト改定ス
明治廿二年三月十二日 高知縣知事時任爲基
とあります。


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神奈川県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 横浜市 横浜区, 横浜区 本町, 北仲通, 元浜町, 海岸通, 南仲通, 弁天通, 境町, 太田町, 相生町, 住吉町, 常盤町, 尾上町, 真砂町, 港町, 元町, 諏訪町, 上野町, 千代崎町, 山元町, 松影町, 長者町, 万代町, 不老町, 翁町, 扇町, 寿町, 吉浜町, 三吉町, 千歳町, 山田町, 富士見町, 山吹町, 永楽町, 真金町, 石川町, 石川仲町, 吉田町, 柳町, 福富町, 末吉町, 伊勢佐木町, 姿見町, 羽衣町, 浪花町, 蓬莱町, 若竹町, 松ヶ枝町, 梅ヶ枝町, 若葉町, 賑町, 久方町, 足曳町, 雲井町, 長島町, 吉岡町, 駿河町, 日ノ出町, 黄金町, 三春町, 初音町, 英町, 霞町, 清水町, 戸部町, 桜木町, 花咲町, 野毛町, 月岡町, 老松町, 宮川町, 福島町, 宮崎町, 伊勢町, 平沼町, 仲町, 材木町, 内田町, 長住町, 緑町, 橘町, 高島町, 裏高島町, 日本大通, 花園町, 薩摩町, 越後町, 前橋町, 小田原町, 豊後町, 堀川町, 上田町, 九洲町, 富士山町, 加賀町, 函館町, 武蔵町, 本町通, 長崎町, 神戸町, 阿波町, 京町, 琵琶町, 本村通, 大坂町, 蝦夷町, 尾張町, 駿河町, 「武蔵横町」, 角町, 二子町, 水町通, 「海岸通」, 谷戸坂「通」, 山手本町通, 「富士見町」, 内台坂, 西坂町, 地蔵坂, 小坂町, 大丸町, 撞木町, 環町, 公園坂, 西ノ坂, 汐汲坂, 高田坂, 三輪坂, 稲荷町, 南坂, 貝殻坂, 宮脇坂, 陣屋町, 諏訪町通, 弓町, 畑町, 矢ノ根町, 泉町, 林町
谷戸坂→谷戸坂通と訂正する。武蔵横町と海岸通と富士見町を追加する。福長町を削除する。
参考:新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#新旧対照市町村一覧での小田原町との記載は、他書の様々な記述から正しくは小原田町と判断しました。
#神奈川県統計書(明治21年)13コマ14コマ神奈川県統計書(明治22,23年)の警察区画によると横浜区82町、横浜外国人居留地(山下居留地)30町(194頁左から3行目)、山手居留地26町(212頁9行目)。
#角川地名辞典によると、M20に福長町は長住町に合併(218頁左から4行目)。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)M19.1.現在
横浜沿革誌(著・出版:太田久好、N25.7.11)、横浜開港五十年史(下)(著:肥塚竜、出版:横浜商業会議所、M42.5.10)24頁8行目から26頁にかけて横浜の町名の出来た年代が記載されています。


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群馬県
1 1889(M22).4.1 新設/町制 東群馬郡前橋町 東群馬郡 前橋曲輪町, 前橋北曲輪町, 前橋南曲輪町, 前橋神明町, 前橋柳町, 前橋石川町, 前橋堀川町, 前橋田中町, 前橋横山町, 前橋本町, 前橋竪町, 前橋桑町, 前橋萱町, 前橋榎町, 前橋田町, 前橋立川町, 前橋紺屋町, 前橋連雀町, 前橋相生町, 前橋中川町, 前橋片貝町, 前橋新町, 前橋芳町, 前橋百軒町, 前橋大塚町, 天川村, 紅雲分村(微), 前代田村(微), 宗甫分村(微), 天川原村(微), 南勢多郡 前橋小柳町, 前橋細ヶ沢「町」, 前橋諏訪町, 前橋向町, 前橋神明町, 才川村, 清王寺村, 岩神村, 一毛村, 国領村, 萩村
前橋細ヶ沢村→前橋細ヶ沢町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

18 1889(M22).4.1 新設/村制 南勢多郡東村 南勢多郡 花輪村, 座間村, 荻原村, 小夜戸村, 小中村, 「神戸」村, 草木村, 沢入村
強戸村→神戸村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

31 1889(M22).4.1 新設/村制 西群馬郡長野村 西群馬郡 行力村, 楽間村, 菊地村, 我「峯」村, 浜川村, 北新波村, 南新波村, 西新波村
我峰村→我峯村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

41 1889(M22).4.1 新設/町制 西群馬郡総社町 西群馬郡 「総」社町, 高井村, 植野村
惣社町→総社町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)354頁右から9行目でもM19.1.総社町

68 1889(M22).4.1 新設/町制 多胡郡吉井町 多胡郡 吉井町, 矢田村, 池村, 塩川村, 「長根村」, 下長根村, 片山村, 本郷村, 小棚村
上長根村→長根村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

76 1889(M22).4.1 新設/町制 北甘楽郡富岡町 北甘楽郡 富岡町, 七日市「町」, 曽木村
七日市村→七日市町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

130 1889(M22).4.1 新設/村制 利根郡利南村 利根郡 沼須村, 上沼須村, 上久屋村, 下久屋村, 横塚村, 戸鹿野村, 戸鹿野新「町」
戸鹿野新田→戸鹿野新町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)
#M11.2.23に戸鹿野村→戸鹿野村, 戸鹿野新町

139 1889(M22).4.1 新設/村制 利根郡桃野村 利根郡 月夜野「町」, 小川村, 上津村, 下津村, 石倉村
月夜野村→月夜野町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)、県令第19号(群馬県新旧町村名一覧)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)362頁右から7行目でも月夜野町(M19.1.現在)です。
県令第19号(現行群馬県令達大全)(M22.3.4)だけが月夜野村となっていますが、他書の記述より、これは誤記と判断しました。

147 1889(M22).4.1 新設/村制 佐位郡赤堀村 佐位郡 今井村, 下触村, 五目牛村, 堀下村, 市場村, 野村, 西久保村, 曲沢村, 間野谷村, 香林村, 西野村, 南勢多郡 磯村
間野村を消去する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)209コマ210コマ(M22.3.4)
M10.5.30に佐位郡間野谷村, 新田郡間野村→佐位郡間野谷村の合併が為されました。

157 1889(M22).4.1 新設/村制 那波郡名和村 那波郡 戸谷塚村, 中町, 「芝」町, 北今井村, 山王堂村, 韮塚村, 八斗島村, 阿弥大寺村, 堀口村, 下福島村
柴町→芝町と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)、県令第19号(群馬県新旧町村名一覧)新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)367頁左から2行目でも芝町(M19.1.現在)です。
県令第19号(現行群馬県令達大全)(M22.3.4)では柴町となっていますが、他書の記述より、これは誤記と判断しました。

166 1889(M22).4.1 新設/村制 新田郡世良田村 新田郡 世良田村, 三ツ木村, 女塚村, 米岡村, 上矢島村, 西今井村, 小角田村, 平塚村, 徳川「郷」, 出塚村, 粕川村, 境村(本)
徳川村→徳川郷と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

168 1889(M22).4.1 新設/村制 新田郡宝泉村 新田郡 西野谷村, 由良村(本), 別所村, 沖野村, 上田島村, 下田島村, 中根村, 藤阿久村, 脇屋村「(本)」, 小金井村(微)
脇屋村(微)→脇屋村(本)と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)

175 1889(M22).4.1 新設/町制 山田郡桐生町 山田郡 桐生新町, 「安楽土村」, 下久方村, 新宿村, 上久方村(微)
今安楽土村→安楽土村と訂正する。
参考:県令第19号(群馬県史第4巻)(M22.3.4)


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茨城県
17 1889(M22).3.31 新設 東茨城郡竹原村 東茨城郡 竹原村, 「竹原新田」, 竹原中郷, 中野谷村, 花ノ井村, 中台村, 小曽納村, 大谷村, 羽鳥村, 上馬場村
竹原新田村→竹原新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)

294 1889(M22).3.31 新設 岡田郡安静村 岡田郡 蕗田村, 東蕗田村, 大間木村, 芦ヶ谷村, 芦ヶ谷新田, 逆谷新田, 佐兵衛新田, 磯村, 村貫村, 新地村, 新地新田, 村岡新田, 尾崎「村」, 栗山村
尾崎新田→尾崎村と訂正する。
参考:県令甲第12号40コマ41コマ(M22.3.15)

330 1889(M22).3.31 新設 猿島郡飯島村 猿島郡 大「馬」新田, 平八新田, 勘助新田, 幸田新田, 猫実新田, 神田山新田, 大口新田, 庄右衛門新田
大浜新田→大馬新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)1089頁上段では
大浜新田、馬立新田→大馬新田M19.4.5許可とあります。

336 1889(M22).3.31 新設 北相馬郡小絹村 北相馬郡 寺畑村, 細代村, 新宿村, 筒戸村, 平沼村, 杉下村
御出子村を消去する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)
県令甲第12号(M22.3.15)では#335菅生村(菅生村, 大塚戸村の合併で成立)と#336小絹村(寺畑村, 細代村, 新宿村, 筒戸村, 平沼村, 杉下村の合併で成立)が一緒に書かれてしまっていますが、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)や市制町村制施行時の廃置分合に明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では#335菅生村#336小絹村が別々に記載されています。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)396頁左から6行目でも筒戸村はありますが、御出子村はありません。
wikipediaではM18に御出子村は筒戸村に合併で消滅とあります。

354 1889(M22).3.31 新設 北相馬郡東文間村 北相馬郡 中谷村, 羽中村, 福木村, 立崎村, 加納新田, 総新田, 「東」奥山新田
奥山新田→東奥山新田と訂正する。
参考:県令甲第12号(M22.3.15)

以上、よろしくおねがいします。
[108804] 2023年 9月 24日(日)15:02:51むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(秋田、宮城、岩手、青森、島根(隠岐国))
[108798]グリグリさん
Re:市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(高知、神奈川、群馬、茨城)
グリグリさんの対応について確認しました。それでは[108787]拙稿で予告していた市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第三弾です。

秋田県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 秋田市 南秋田郡 秋田東根小屋町, 秋田西根小屋上町, 秋田西根小屋中町, 秋田西根小屋末町, 秋田長野町, 秋田上中城町, 秋田下中城町, 秋田土手谷地町, 秋田中谷地町, 秋田上長町, 秋田中長町, 秋田下長町, 秋田土手長町上丁, 秋田土手長町中丁, 秋田土手長町中横丁, 秋田土手長町末丁, 秋田古川堀端町, 秋田亀ノ丁堀反町, 秋田亀ノ丁東土手町, 秋田中亀ノ丁上町, 秋田中亀ノ丁末町, 秋田亀ノ丁南土手町, 秋田亀ノ丁西土手町, 秋田亀ノ丁虎口, 秋田亀ノ丁西土手町末「丁」, 秋田亀ノ丁虎口堀端新町, 秋田手形本新町, 秋田手形谷地町上丁, 秋田手形谷地町下丁, 秋田手形新町上丁, 秋田手形新町下丁, 秋田手形堀端町, 秋田手形休下町, 秋田手形東新町, 秋田手形西新町, 秋田手形上町, 秋田保戸野愛宕町, 秋田保戸野愛宕町西「丁」, 秋田保戸野八丁新町上丁, 秋田保戸野八丁新町下丁, 秋田保戸野川端町, 秋田保戸野本町, 秋田保戸野中町, 秋田保戸野川端後町, 秋田保戸野表諏訪町上丁, 秋田保戸野表諏訪町下丁, 秋田保戸野諏訪町, 秋田保戸野新町, 秋田保戸野新橋町, 秋田保戸野金砂町, 秋田保戸野表鉄砲町, 秋田保戸野南鉄砲町, 秋田保戸野北鉄砲町, 秋田花館町, 秋田上中島本町, 秋田上中島中町, 秋田上中島土手町, 秋田新中島本町, 秋田新中島末町, 秋田新中島土手町, 秋田鷹匠町, 秋田北ノ丸新町, 秋田台所町, 秋田亀ノ丁新町, 秋田亀ノ丁本新町, 秋田亀ノ丁堀端新町, 秋田田町, 秋田長野下堀端町, 秋田長野下新町南丁, 秋田長野下新町, 秋田長野下新町東丁, 秋田長野下新町南横町, 秋田長野下新町末南丁, 秋田築地東上丁, 秋田築地北町, 秋田築地窪町, 秋田築地四ツ辻, 秋田築地南横町, 秋田築地上本町, 秋田築地下本町, 秋田築地中町, 秋田築地西町, 秋田築地下東町, 秋田楢山上本町, 秋田楢山中丁, 秋田楢山本町下丁, 秋田楢山本新町上丁, 秋田楢山本新町下丁, 秋田楢山虎口新町, 秋田楢山虎口外張新町, 秋田楢山本横町, 秋田楢山古川新町, 秋田楢山南新町上丁, 秋田楢山南新町下丁, 秋田楢山升取町, 秋田楢山登町, 秋田楢山三枚橋, 秋田楢山末無町, 秋田楢山笊町, 秋田楢山医王院前町, 秋田楢山牛島橋通町, 秋田楢山下浜町, 秋田新大工町, 秋田寺町, 秋田本町四丁目, 秋田川端四丁目, 秋田本町五丁目, 秋田本町六丁目, 秋田川端上五丁目, 秋田川端下五丁目, 秋田横町, 秋田船大工町, 秋田豊島町, 秋田十人衆町, 秋田八日町, 秋田下肴町, 秋田鉄砲町, 秋田誓願寺門前町, 秋田四拾間堀町, 秋田馬喰町, 秋田上鍛冶町, 秋田下鍛冶町, 秋田城町, 秋田新城町, 秋田室町, 秋田四拾間堀川端町, 秋田鍛冶町上川端町, 秋田鍛冶町下川端町, 秋田楢山餌刺町, 秋田楢山九郎兵衛殿町, 秋田楢山入川橋通登町, 秋田十間町, 秋田米沢町, 秋田追回町, 秋田大町一丁目, 秋田大町二丁目, 秋田大町三丁目, 秋田川端一丁目, 秋田川端二丁目, 秋田川端三丁目, 秋田上通町, 秋田中通町, 秋田上肴町, 秋田茶町菊ノ丁, 秋田茶町扇ノ丁, 秋田茶町梅ノ丁, 秋田田中町, 秋田柳町, 秋田上亀ノ丁, 秋田下亀ノ丁, 秋田大工町, 秋田上米町一丁目, 秋田上米町二丁目, 秋田下米町一丁目, 秋田下米町二丁目, 秋田亀ノ丁外張南新町, 秋田上川口, 秋田中川口, 秋田川口新町, 秋田本渡町, 秋田川口上裏町, 秋田川口下裏町, 秋田酒田町
秋田亀ノ丁西土手町末町→秋田亀ノ丁西土手町末丁、秋田保戸野愛宕町西町→秋田保戸野愛宕町西丁と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)139頁4行目17行目
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)656頁6行目9行目でもM19.1.現在秋田亀ノ丁西土手町末丁、秋田保戸野愛宕町西丁

67 1889(M22).4.1 新設/村制 北秋田郡阿仁銅山村 北秋田郡 小様村, 小淵村, 水無村, 銀山「町」, 真木沢鉱山, 一ノ又鉱山, 三枚鉱山, 小沢鉱山, 萱草鉱山, 二ノ又鉱山, 吉田村, 荒瀬村(微)
銀山村→銀山町と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

119 1889(M22).4.1 新設/町制 由利郡矢島町 由利郡 矢島矢島町, 矢島田中町, 矢島館町, 城内村, 川辺村, 七日町「村」, 荒沢村, 元町村, 立石村, 新庄村, 坂ノ下村, 木在村
七日町→七日町村と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

166 1889(M22).4.1 新設/村制 仙北郡白岩村 仙北郡 白岩村, 白岩広久内村, 「薗田村」
花園村→薗田村と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)
wikipediaではM10に釣田新田村, 上花園村, 下花園村→薗田村の合併が為されたとあります。

178 1889(M22).4.1 新設/町制 平鹿郡横手町 平鹿郡 横手大町上丁, 横手大町中丁, 横手大町下丁, 横手四日「町」上丁, 横手四日「町」中丁, 横手四日「町」下丁, 横手栄通町, 横手鍛冶町, 横手本町, 横手根岸下町, 横手横町, 横手馬場崎町, 横手裏町, 横手新町, 横手新町下丁, 横手古川町, 横手下タ町, 横手羽黒上町, 横手羽黒中町, 横手羽黒末町, 横手上根岸町, 横手下根岸町, 横手上野台町, 横手島崎町, 横手上島崎町, 横手羽黒新町, 横手御免町, 横手野御扶持町, 横手沼田町, 横手山ノ手新町, 横手横手町, 横手前郷村
横手四日市上丁, 横手四日市中丁, 横手四日市下丁→横手四日町上丁, 横手四日町中丁, 横手四日町下丁と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.15)

222 1889(M22).4.1 新設/村制 雄勝郡西馬音内村 雄勝郡 西馬音内村, 大戸村, 床舞村, 田沢村, 鹿内村
二条道村を消去する。
参考:県令第15号(M22.2.15)
羽後町HPでは二条道村はM9に床舞村に合併とあります。


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宮城県
51 1889(M22).3.31 新設 宮城郡「泉岳村」 宮城郡 根白石村, 福岡村, 西田中村, 朴沢村, 小角村, 実沢村
泉ヶ岳村→泉岳村と訂正する。
県令第8号(M22.2.9)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)250頁一番9行目で泉岳村、仙台市泉区HP仙台市HP1コマ
これに伴い、
16 1897(M30).9.7 改称 宮城郡根白石村 宮城郡 「泉岳村」
泉ヶ岳村→泉岳村と訂正する。
明治30(1897)年中の廃置分合を現した内務省告示第92号(M31.9.13)657頁上段では泉岳村となっており、内務省告示第63号(M30.10.16)593頁最上段一番左でもM29.12.31現在は泉岳村となっています。

58 1889(M22).3.31 新設 宮城郡松島村 宮城郡 松島村, 高城本郷, 磯崎村, 桜渡戸村, 初原村, 根廻村, 幡谷村, 竹谷村, 「北」小泉村, 手樽村
小泉村→北小泉村と訂正する。
県令第8号(M22.2.9)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)250頁一番右の行で北小泉、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)581頁右から14行目M19.1.北小泉村


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岩手県
1 1889(M22).4.1 新設/市制 盛岡市 南岩手郡 内丸, 仁王村, 志家村, 仙北町「村」の一部, 東中野村の一部, 新庄村の一部, 加賀野村の一部, 山岸村の一部, 三ツ割村の一部, 上田村の一部
8 1889(M22).4.1 新設/村制 南岩手郡本宮村 南岩手郡 仙北町「村」の一部, 本宮村, 向中野村, 下鹿妻村
共に仙北町の一部→仙北町村の一部と訂正する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)県令第12号(M22.2.16)市の区域、県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
#岩手県統計書明治二十二年の記載と岩手県史第8巻近代編での記述の中身が一致しています。
#旧村名とあります。
#郡区町村編成法施行時、岩手県には村しかありませんでした。
岩手県統計書明治十五年(編・出版:岩手県、M18.12.)、岩手県統計書明治十六年(編:岩手県第一部文書課、出版:M20.4.)では岩手県には村しかないことが分かります。
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)612頁右から7行目M19.1.仙北町村。全国現行警察区画一覧(著・出版:東京和泉橋警察署、M21.4.)461頁右から2行目M21仙北町村。

36 1889(M22).4.1 新設/村制 紫波郡煙山村 紫波郡 広宮沢村, 煙山村, 赤林村, 「又兵衛新田」, 南矢「幅」村, 北矢「幅」村, 上矢次村, 下矢次村
又兵衛新田村→又兵衛新田、南矢巾村→南矢幅村、北矢巾村→北矢幅村と訂正する。
現:矢巾町南矢幅
現:矢巾町北矢幅
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
又兵衛新田村or又兵衛新田のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)613頁紫波郡左から4行目で又兵衛新田、南矢幅村、北矢幅村(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

37 1889(M22).4.1 新設/村制 紫波郡飯岡村 紫波郡 上飯岡村, 下飯岡村, 「飯岡新田」, 湯沢村, 永井村, 羽場村
飯岡新田村→飯岡新田と訂正する。二か所ある羽場村の内、一つを消去する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
飯岡新田村or飯岡新田のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)613頁紫波郡左から7行目で飯岡新田(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

64 1889(M22).4.1 新設/町制 東和賀郡黒沢尻町 東和賀郡 黒沢尻「村」町分, 黒沢尻「村」里分
黒沢尻町分→黒沢尻村町分、黒沢尻里分→黒沢尻村里分と訂正する。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
黒沢尻町分or黒沢尻村町分、黒沢尻里分or黒沢尻村里分のどちらが良いか分かりませんが、地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)615頁東和賀郡の最初の行で黒沢尻村町分、黒沢尻村里分(M19.1.現在)と記載されていますので、こちらを採用した方が良いと思います。

167 1889(M22).4.1 新設/村制 西閉伊郡綾織村 西閉伊郡 上綾織村, 下綾織村, 新里村, ●(身+鳥)崎村
釜石村を消去する。
#角川地名辞典では釜石村はM9に新里村に合併したとあります。
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合

177 1889(M22).4.1 新設/町制 南閉伊郡大槌町 南閉伊郡 大槌村, 小槌村, 吉里「々々」村
吉里吉里村→吉里々々村と訂正する。
現:大槌町吉里々々
参考:岩手県統計書明治二十二年(編・出版:岩手県、M24.11.5)、岩手県史第8巻近代編(著・出版:岩手県、S38.12.10)pp.536-548県令第13号(M22.2.16)町村廃置分合
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)619頁南閉伊郡の最後の行で吉里々々村(M19.1.現在)


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青森県
47 1889(M22).4.1 新設/村制 中津軽郡清水村 中津軽郡 富田村, 紙漉「町」, 小沢村, 坂本村, 常盤坂村, 悪戸村, 下湯口村
紙漉村→紙漉町と訂正する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)、県令第14号(現行青森県令規全集)(M22.2.20)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)301頁左から3行目では紙漉町
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)626頁右から5行目紙漉町(M19.1.現在)で中津軽郡は89町、青森県統計書(明治21年)でM21.12.31に中津軽郡は89町
県令第14号(青森県史)(M22.2.20)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では紙漉村とありますが、こちらは誤記と判断しました。

52 1889(M22).4.1 新設/村制 中津軽郡駒越村 中津軽郡 駒越村, 真土村, 「龍」ノ口村, 鳥井野村, 如来瀬村, 一町田村, 兼平村
滝ノ口村→龍ノ口村と訂正する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)では龍ノ口村。郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)302頁右から5行目龍ノ口
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)627頁右から2行目龍ノ口村(M19.1.現在)
天保郷帳では龍口村で現在は弘前市龍ノ口。
県令第14号(青森県史)(M22.2.20)、県令第14号(現行青森県令規全集)(M22.2.20)では瀧ノ口村とありますが、こちらは誤記と判断しました。

76 1889(M22).4.1 新設/村制 南津軽郡田舎館村 南津軽郡 垂柳村, 諏訪堂村, 大曲村, 畑中村, 八反田村, 田舎館村, 高樋村, 十二川原村, 枝川村, 大根子村, 豊巻村
堀切村と狐淵村と二屋村を消去する。
参考:県令第14号(青森県例規)(M22.2.20)
#角川地名辞典では明治7年に堀切村は大曲村へ、狐淵村は田舎館村へ、二屋村は豊蒔村(豊巻村)へ合併とあります。


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島根県(隠岐国)
9 1904(M37).5.1 村制 知夫郡浦郷村 知夫郡 「浦郷村」
浦之郷村→浦郷村と訂正することになります。

[78766]拙稿で記した
(3)島根県でM37.5.1の隠岐国町村制施行に少し先んじて島根県告示第2号(M37.1.9)(「新修島根県史史料編(近代上)」(編・出版:島根県、1966)pp.697-698に記載)で行われた廃置分合
に浦之郷村→浦郷村への改称の記載がありません。また、
鳥取県管内郡村名(編・出版・出版年:不明)第108區 浦郷
#区制であることより、大区小区制(明治6年12月~)の開始以前の町村が記載されているものと考えられる。鳥取県史近代1(編・出版:鳥取県、S44.9.30)813頁では、「鳥取町郭内・境村などの新しい町名を記していないので、六年十月以前に刊行されたものと思われる」と推測。
島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M11.6.)43頁 一小区 浦郷村
改正島根県町村名(編:生松彦市、出版:翠益亭、M13.9.)43頁 一小区 浦郷村
#M11.6.出版の町村名を根拠としてその後の変更を訂正して出版したもの
島根県一覧概表(明治12年)(編・出版:島根県、M13.12.)22頁の町村リストの最終行 浦郷村(M13.1.1現在)
島根県統計書(明治18年)(編:島根県第一部、出版:島根県、M21.2.)27頁の町村リストの最後から2行目 浦郷村(M18.12.31現在)
島根県統計書明治19年(編・出版:島根県、M22.2.5)27頁の町村リストの最後から2行目 浦郷村(M19.12.31現在)
と一貫して浦郷村です。

以上、よろしくお願いします。

#市区町村変遷情報(市制町村制施行時)の修正依頼で残すところは和歌山県と富山県ですが、その前に市制町村制施行時以外の稿をはさむこととします。
[108825] 2023年 9月 29日(金)22:19:08むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)(富山県・和歌山県)
[108804]拙稿に引き続いての市区町村変遷情報の市制町村制施行時での第四弾です。

富山県
3 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡堀川村 上新川郡 上堀村, 下堀村, 大町村, 本郷下新村, 今泉村, 太郎丸村, 二口村, 根塚村, 布瀬村, 下黒瀬村, 上掛尾村, 下掛尾村の一部, 上新保村, 大泉村の一部, 西田地方村の一部, 「磯部安野屋村の一部」, 上本郷村, 西中野村の一部, 小泉村の一部
磯部安野屋村の一部を追加。
参考:県令第37号(M22.3.19)
#県令第37号での磯部安野屋村の記載方法について
明治初期は磯部村と安野屋村という二つの独立した村でしたが、この時期には法的には一つの村(結村といいます)でした。
#落書き帳では連称自治体名として、かつて話題があり、その時の結論から磯部安野屋村と記載する方がよいと思います。
#結村との用語は広島県史(第1編)(編:広島県、出版:帝国地方行政学会、T10.11.28)での
口田村
もとは結村にて矢口 小口村なりしが、後に分て小田・矢口の二村とし、
からです。
#市制町村制施行直前の結村としては、富山県以外では
滋賀県
坂田郡入江村の一部となった朝妻 筑摩村
高島郡水尾村の一部となった武曽 横山村
広島県
高宮郡三川村の一部となった中筋 古市村
賀茂郡上黒瀬村の一部となった宗近 柳国村
賀茂郡板城村の一部となった国近 森近村
賀茂郡西志和村の一部となった七条 椛坂村
宮崎県
東臼杵郡東郷村の一部となった八重原 迫之内村
などが既に市区町村変遷情報に記載されています。

6 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡大久保村 上新川郡 神通村の一部, 下大久保村, 「上熊野村の一部」, 「辰尾新村の一部」, 合田村, 「上大久保村の一部」, 「坪井村の一部」, 東大久保村, 中大久保村, 塩村, 安養寺村の一部, 辰尾村の一部
上熊野村の一部、辰尾新村の一部、上大久保村の一部、坪井村の一部を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、県告示第28号(M22.3.28)
#県令第37号での上熊野村 辰尾新村の記載方法について
上述の#3の堀川村の一部となった磯部安野屋村とは異なり、県が法的には上熊野村と辰尾新村の2つの村を便宜上1つの村のように扱っていただけと考えられます。そのため、上熊野村と辰尾新村を別個の村として記載しています。

7 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡大沢野村 上新川郡 上二杉村, 長附村, 西塩野村, 加納村, 岩木村, 八木山村, 高内村, 西大沢村, 稲代村, 岩木新村, 春日村, 下タ林村, 長走村, 笹津村, 「上大久保村の一部」, 「坪井村の一部」
上大久保村の一部、坪井村の一部を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、県告示第28号(M22.3.28)

11 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡熊野村 上新川郡 島田村, 小中村, 下熊野村の一部, 安養寺村の一部, 宮保村, 辰尾村の一部, 「上熊野村の一部」, 「辰尾新村の一部」, 杉瀬村, 下千俵村, 陀羅尼寺村, 金屋村, 吉岡村, 経力村, 森田村, 悪王寺村, 上石田村, 古上野村, 林崎村, 青柳新村, 牧田村, 江本村
上熊野村の一部、辰尾新村の一部を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、県告示第28号(M22.3.28)

25 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡豊田村 上新川郡 城川原村, 犬島村, 米田村, 水落村, 下「富」居村, 豊田村, 粟島村, 広田上野新村, 広田牧村
下普居村→下富居村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

26 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡広田村 上新川郡 東上赤江村, 上「富」居村, 東下赤江村, 鍋田村, 中「富」居村, 広田新屋村, 飯野村, 田中蓑浦村の一部
上普居村→上富居村、中普居村→中富居村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

28 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡西三郷村 上新川郡 田添村, 高野開発村, 常願寺村, 入江村, 橋場新村, 入部町村, 二杉村, 柴草村, 沖村, 小路村, 市田袋村, 「市田袋新村」, 肘崎村, 一田中村, 伊勢屋村
市田袋新村を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

38 1889(M22).4.1 新設/村制 上新川郡布倉村 上新川郡 蘆峅寺村, 千垣村, 横江村, 横江野開, 東中野新村, 栃津村, 座主坊新村, 宮路岩峅村, 岩峅寺村, 下田村, 伊豆林村, 吉「峰」野開
吉峯野開→吉峰野開に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在732頁1行目に吉峰野開があります。

71 1889(M22).4.1 新設/村制 婦負郡朝日村 婦負郡 安田村, 安田新村, 「小泉村(本)」, 下条村の一部, 笹倉新村, 友坂村
小泉村→小泉村(本)に変更する。
県令第37号(M22.3.19)からは小泉村はすべて朝日村の一部となったように見えますが、県令第37号冒頭には飛地及び一村分割の境域は別で告示することが書かれており、その記載は県告示第28号(M22.3.28)で、そこからは小泉村の大部分が朝日村の一部となったことが分かります。

73 1889(M22).4.1 新設/村制 婦負郡神明村 婦負郡 有沢村, 下野村の一部, 庄高田村, 上新川郡 羽根村, 「高田高田新村」, 婦負郡 寺町村の一部, 鵯島村の一部
高田高田新村を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)
#3上新川郡堀川村で記載した磯部安野屋村と同様の結村ですが、磯部安野屋村とは異なり果たして記載方法がこれで良いかは少し悩ましいところです。

74 1889(M22).4.1 新設/村制 婦負郡速星村 婦負郡 御門村, 笹倉村, 坪野村, 板倉村, 砂子田村, 袋村, 麦島村, 海川原村, 上新川郡 増田村, 「婦負郡」下条村の一部, 「小泉村(微)」
婦負郡、小泉村(微)を追加する。
県令第37号(M22.3.19)からは小泉村はすべて朝日村の一部となったように見えますが、県告示第28号(M22.3.28)からは小泉村の微小区域が速星村の一部となったことが分かります。

78 1889(M22).4.1 新設/村制 婦負郡保内村 婦負郡 下高善寺村, 上高善寺村, 福島村の一部, 妙川寺村, 水谷村, 奥田新村, 百山村, 高日附山村, 平林村, 新山村, 三田村, 千坊寺村, 奥田三俣村, 翠尾村, 田中村, 館本郷村, 石戸村の一部, 「八尾東町の一部」, 「八尾西町の一部」, 「八尾下新町の一部」, 「八尾諏訪町の一部」, 「八尾西新町の一部」, 「八尾東新町の一部」, 「八尾今町の一部」, 「八尾鏡町の一部」, 「八尾上新町の一部」, 井田村の一部
八尾各町の一部→八尾東町の一部, 八尾西町の一部, 八尾下新町の一部, 八尾諏訪町の一部, 八尾西新町の一部, 八尾東新町の一部, 八尾今町の一部, 八尾鏡町の一部, 八尾上新町の一部
に変更する。
参考:県令第37号郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)18頁10,11行目
#「八尾〇〇町(微)」かもしれませんが、無難に「八尾〇〇町の一部」との表記にしています。

90 1889(M22).4.1 新設/町制 婦負郡八尾町 婦負郡 八尾東町「の一部」, 八尾西町「の一部」, 八尾下新町「の一部」, 八尾諏訪町「の一部」, 八尾西新町「の一部」, 八尾東新町「の一部」, 八尾今町「の一部」, 八尾鏡町「の一部」, 八尾上新町「の一部」, 小長谷村の一部, 下笹原村の一部
#78との対応上、
八尾東町→八尾東町の一部、八尾西町→八尾西町の一部、八尾下新町→八尾下新町の一部、八尾諏訪町→八尾諏訪町の一部、八尾西新町→八尾西新町の一部、八尾東新町→八尾東新町の一部、八尾今町→八尾今町の一部、八尾鏡町→八尾鏡町の一部、八尾上新町→八尾上新町の一部
に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、県告示第28号(M22.3.28)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)18頁12行目から19頁1行目
#「八尾〇〇町(本)」かもしれませんが、無難に「八尾〇〇町の一部」との表記にしています。

155 1889(M22).4.1 新設/村制 射水郡塚原村 射水郡 寺塚原村, 沖塚原村, 松木村, 東朴木村, 「川口村宮袋村入会地」
川口村宮袋村入会地を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)32頁7行目
角川地名辞典によりますと、川口村と宮袋村は江戸時代より村ではなくて入会地となっていた、とあります。市区町村変遷情報では、入会地を記載しない方針となっていますが、射水郡に「川口村」と「宮袋村」という独立村が存在しない以上、例外的に記載するしかありません。
富山県令第33号(M20.3.5)82頁8行目ではM20に川口村と宮袋村の記載があり、M21までの富山県統計書の郡の区画での町村数の記載からは川口村と宮袋村が1つの独立した村として計上されていましたが、市制町村制施行時に際し、実情に合わせて入会地との表記にしたものと推測しています。

170 1889(M22).4.1 新設/町制 射水郡氷見町 射水郡 氷見御座町, 氷見南上町, 氷見南中町, 氷見南下町, 氷見川原町, 氷見仕切町, 氷見下伊勢町, 氷見上伊勢町, 氷見地蔵新町, 「氷見岩上村」, 氷見高町, 氷見中町, 氷見本川町, 氷見浜町, 氷見湊町, 氷見朝日新町, 氷見今町, 氷見北新町, 朝日村, 加納村の一部, 鞍川村の一部, 池田新村
氷見岩上村を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)
氷見各町村とあるのに氷見〇〇村がありません。地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在748頁後ろから3行目に氷見岩上村があります。
県令第37号の氷見町 外畑入会地は、氷見18町村の入会地と考えられるため、#155塚原村での川口村宮袋村入会地とは異なり、原則通り市区町村変遷情報の記載からは外れることとしています。

192 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡宮島村 礪波郡 二ノ滝村, 北屋敷村, 下屋敷村, 宮中村, 嶺村, 屋波牧村, 矢波村, 糠子島村, 岩崎村, 了輪村, 名ヶ「滝」村, 清原村, 原牧村, 別所滝村, 高坂村, 森屋村, 菅ヶ原村, 久利須村, 原牧新村
名ヶ原村→名ヶ滝村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)
地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)でM19.1.現在752頁後ろから2行目に名ヶ滝村があります。

218 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡利賀村 礪波郡 水無村, 大勘場村, 阿別当村, 坂上村, 上畠村, 東細島村, 北島村, 岩淵村, 下利賀村, 東下島村, 南「大」豆谷村, 北「大」豆谷村, 押場村, 上百瀬川村, 下百瀬川村, 草嶺倉村, 高沼村, 九里ヶ当村, 仙納原村, 北原村, 長崎村, 重倉村, 大牧村, 新山村, 栃原村, 下原村
南豆谷村→南大豆谷村、北豆谷村→北大豆谷村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

252 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡高波村 礪波郡 南高木村, 北高木村, 坪北新村, 高儀出村, 荒屋新村, 荒屋村, 「江波村」, 東宮森村, 西宮森村
江波村を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

263 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡大滝村 礪波郡 木舟村, 柳川村, 開「馞」村, 本領八百村, 大滝村の一部, 荒屋敷村の一部
開発村→開馞村に変更する。
参考:県令第37号(M22.3.19)

269 1889(M22).4.1 新設/村制 礪波郡石堤村 礪波郡 石堤村の一部, 麻生谷村, 柴野村, 西広谷村, 山川村, 勝木原村, 「内島村の一部」
内島村の一部を追加する。
参考:県令第37号(M22.3.19)


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和歌山県
1 1889(M22).4.1 市制 和歌山区, 和歌山区 一番丁, 二番丁, 三番丁, 四番丁, 五番丁, 六番丁, 七番丁, 八番丁, 九番丁, 十番丁, 十一番丁, 十二番丁, 十三番丁, 大手筋, 東紺屋町, 「和歌町」, 西紺屋町一丁目, 西紺屋町二丁目, 南細工町, 北細工町, 三木町南ノ丁, 三木町堀詰, 「船場丁」, 屋形町一丁目, 屋形町二丁目, 屋形町三丁目, 屋形町四丁目, 屋形町五丁目, 「広瀬通リ丁一丁目」, 「広瀬通リ丁二丁目」, 「広瀬通リ丁三丁目」, 南片原一丁目, 南片原二丁目, 元町奉行丁一丁目, 元町奉行丁二丁目, 広瀬中ノ丁一丁目, 広瀬中ノ丁二丁目, 三木町台所町, 三木町中ノ丁, 「山蔭丁」, 「弁財天丁」, 谷町, 蘆辺丁, 下鷹匠町, 上鷹匠町, 大井戸丁, 藪ノ丁, 岡山丁, 片岡町一丁目, 片岡町二丁目, 雑賀道, 福町, 卜半町, 寄合町, 西ノ店, 板屋町, 「橘丁」, 東鍛冶屋町, 西鍛冶屋町, 船大工町, 「六軒丁」, 元博労町, 北大工町, 南大工町, 西大工町, 万町, 駿河町, 本町一丁目, 本町二丁目, 本町三丁目, 本町四丁目, 米屋町, 匠町, 南桶屋町, 「中ノ店南之丁」, 中ノ店中ノ丁, 中ノ店北ノ丁, 元寺町一丁目, 元寺町二丁目, 元寺町三丁目, 雑賀町, 住吉町, 北桶屋町, 北町, 新魚町, 源蔵馬場一丁目, 源蔵馬場二丁目, 北釘貫「丁」, 畳屋町, 元寺町四丁目, 元寺町五丁目, 西旅籠町, 元寺町南ノ丁, 元寺町東ノ丁, 元寺町西ノ丁, 元寺町北ノ丁, 鍋屋町, 本町五丁目, 本町六丁目, 本町七丁目, 本町八丁目, 本町九丁目, 東釘貫丁一丁目, 東釘貫丁二丁目, 東釘貫丁三丁目, 西釘貫丁一丁目, 西釘貫丁二丁目, 西釘貫丁三丁目, 山吹丁, 宇治袋町, 東布経丁一丁目, 東布経丁二丁目, 東布経丁三丁目, 東布経丁四丁目, 東布経丁五丁目, 東布経丁六丁目, 東旅籠町, 一筋目, 二筋目, 三筋目, 四筋目, 五筋目, 六筋目, 西布経丁一丁目, 西布経丁二丁目, 西布経丁三丁目, 西布経丁四丁目, 西布経丁五丁目, 西布経丁六丁目, 杉ノ馬場一丁目, 杉ノ馬場二丁目, 杉ノ馬場三丁目, 杉ノ馬場四丁目, 杉ノ馬場五丁目, 徳田木丁, 石橋丁, 屏風丁, 「東蔵前丁」, 「西蔵前丁」, 九家ノ丁, 鷺ノ森, 鷺ノ森堂前丁, 「鷺ノ森南丁」, 鷺ノ森中ノ丁, 鷺ノ森西ノ丁, 鷺ノ森東ノ丁, 鷺ノ森明神丁, 鷺ノ森片町, 鷺ノ森新道, 曲尺丁, 専光寺門前町, 北新一丁目, 北新二丁目, 北新三丁目, 北新四丁目, 北新五丁目, 北新七軒丁, 北新博労町, 北新戎ノ丁, 北新中ノ丁, 北新桶屋町, 西仲間町一丁目, 西仲間町二丁目, 東仲間町一丁目, 東仲間町二丁目, 北新元金屋丁, 北新金屋丁, 嘉家作リ丁, 鈴丸丁, 「畑屋敷松枝丁」, 「畑屋敷兵庫之丁」, 畑屋敷千体仏丁, 畑屋敷端ノ丁, 畑屋敷西ノ丁, 畑屋敷中ノ丁, 畑屋敷東ノ丁, 畑屋敷榎丁, 畑屋敷葛屋丁, 畑屋敷雁木丁, 新八百屋町, 新「堺」丁, 畑屋敷袋町, 新大工町, 「木挽丁」, 岡袋町, 岡円福院西ノ丁, 岡円福院東ノ丁, 岡北ノ丁, 岡織屋小路, 畑屋敷円福院西ノ丁, 畑屋敷円福院東ノ丁, 畑屋敷新道丁, 新雑賀町, 岡林泉寺丁, 「南雑賀町」, 新通七丁目, 「新通六丁目」, 新中通六丁目, 「新中通五丁目」, 南休賀町, 北休賀町, 「坊主丁」, 数寄屋丁, 「岡南ノ丁」, 北之新地分銅丁, 北之新地裏田町, 北之新地榎丁, 北之新地上六軒丁, 北之新地中六軒丁, 北之新地下六軒丁, 北之新地東ノ丁, 北之新地一丁目, 北之新地二丁目, 北之新地「田町」, 楠右衛門小路, 蔵小路, 柳丁, 毛革屋丁, 餌差町一丁目, 餌差町二丁目, 新中通一丁目, 新中通二丁目, 新中通三丁目, 新中通四丁目, 新通一丁目, 新通二丁目, 新通三丁目, 新通四丁目, 新通五丁目, 南材木丁一丁目, 南材木丁二丁目, 南材木丁三丁目, 茶屋町, 橋向丁, 西田中町, 東田中町, 西瓦町, 東瓦町, 同心町, 中筋丁, 「南壱里山丁」, 新留丁, 「北壱里山丁」, 裏町, 吹屋丁, 伝法橋南之丁, 湊紺屋町一丁目, 湊紺屋町二丁目, 湊紺屋町三丁目, 湊本町一丁目, 湊本町二丁目, 湊本町三丁目, 湊北町一丁目, 湊北町二丁目, 湊北町三丁目, 小野町一丁目, 小野町二丁目, 小野町三丁目, 久保丁一丁目, 久保丁二丁目, 久保丁三丁目, 久保丁四丁目, 小人町, 小人町南ノ丁, 道場町, 男野芝丁, 北汀丁, 西汀丁, 南汀丁, 東坂ノ上丁, 北坂ノ上丁, 西坂ノ上丁, 東長町一丁目, 東長町二丁目, 「材木丁」, 網屋町, 上町, 下町, 雑賀屋町, 「雑賀屋町東之丁」, 有田屋町西ノ丁, 有田屋町南ノ丁, 有田屋町, 上野町一丁目, 上野町二丁目, 上野町三丁目, 小松原通一丁目, 湊通丁北一丁目, 湊通丁北二丁目, 湊通丁北三丁目, 湊通丁北四丁目, 徒町, 広道, 久右衛門丁, 東長町四丁目, 東長町五丁目, 東長町六丁目, 北甚五兵衛丁, 南甚五兵衛丁, 駕町, 北中間町, 南中間町, 七曲り, 植松丁, 西河岸丁, 北牛町, 西長町一丁目, 西長町二丁目, 西長町三丁目, 西長町四丁目, 北土佐丁, 南土佐丁, 北田辺丁, 南田辺丁, 加納町, 北相生丁, 東長町三丁目, 湊通丁南一丁目, 湊通丁南二丁目, 湊通丁南三丁目, 湊通丁南四丁目, 南牛町, 茶屋ノ丁, 芝ノ丁, 湊桶屋丁, 東長町中ノ丁, 東長町七丁目, 東長町八丁目, 東長町九丁目, 東長町十丁目, 東長町十一丁目, 尾崎丁, 南相生丁, 出口甲賀丁, 「出口中ノ丁」, 「出口端ノ丁」, 「出口新端ノ丁」, 金龍寺丁, 小貝丁, 作事丁, 洲崎丁, 小松原通二丁目, 小松原通三丁目, 小松原通四丁目, 小松原通五丁目, 小松原通六丁目, 小松原通七丁目, 小松原通八丁目, 小松原通九丁目, 真砂丁一丁目, 真砂丁二丁目, 寺町, 「車坂南ノ丁」, 撞木丁, 「車坂西之丁」, 「溝ノ丁」, 大泉寺丁, 中橋筋, 苫屋丁一丁目, 苫屋丁二丁目, 苫屋丁三丁目, 「車坂丁一丁目」, 「車坂丁二丁目」, 「豊原丁一丁目」, 「豊原丁二丁目」, 「豊原丁三丁目」, 「豊原丁四丁目」, 「玉藻丁一丁」目, 「玉藻丁二丁目」, 北河岸一丁目, 北河岸二丁目, 北河岸三丁目, 北河岸四丁目, 北河岸五丁目, 磯山丁一丁目, 磯山丁二丁目, 磯山丁三丁目, 磯山丁四丁目, 島崎丁, 新堀一丁目, 新堀二丁目, 新堀三丁目, 新堀四丁目, 新堀五丁目, 新堀六丁目, 新堀七丁目, 新堀八丁目, 新堀井戸ノ丁, 新堀南ノ丁一丁目, 新堀南ノ丁二丁目, 東徒町, 中徒町, 西徒町, 新堀北ノ丁一丁目, 新堀北ノ丁二丁目, 新堀北ノ丁三丁目, 新堀二十軒丁, 新堀七軒丁, 塩木丁, 浜見丁, 名草郡 宇治村, 鷺ノ森村, 海部郡 湊村(微)
和歌村→和歌町、船場町→船場丁、広瀬通り町一丁目→広瀬通リ丁一丁目、広瀬通り町二丁目→広瀬通リ丁二丁目、広瀬通り町三丁目→広瀬通リ丁三丁目、山蔭町→山蔭丁、弁財天町→弁財天丁、橋丁→橘丁、六軒町→六軒丁、中ノ店南ノ丁, →中ノ店南之丁、北釘貫町→北釘貫丁、東蔵前ノ丁→東蔵前丁、西蔵前ノ丁→西蔵前丁、鷺ノ森南ノ丁→鷺ノ森南丁、畑屋敷松ヶ枝丁→畑屋敷松枝丁、畑屋敷兵庫ノ丁→畑屋敷兵庫之丁、新界丁→新堺丁、木挽町→木挽丁、南雑賀町六丁目→南雑賀町、新通五丁目→新通六丁目、新中通→新中通五丁目、坊主町→坊主丁、岡南ノ町田町→岡南ノ丁、北之新地→北之新地田町、南壱里山丁→南一里山丁、北壱里山丁→北一里山丁、材木町→材木丁、雑賀屋町東ノ丁→雑賀屋町東之丁、中ノ丁→出口中之丁、端ノ丁→出口端之丁、新端ノ丁→出口新端之丁、車坂南之丁→車坂南ノ丁、玉藻町一丁目→玉藻丁一丁目、玉藻町二丁目→玉藻丁二丁目と訂正する。
車坂西之丁、溝ノ丁、車坂丁一丁目、車坂丁二丁目、豊原丁一丁目、豊原丁二丁目、豊原丁三丁目、豊原丁四丁目を追加する。

参考:和歌山県乙第6号布達(M12.1.20)
#和歌山県史近現代史料1(編:和歌山県史編さん委員会、出版:和歌山県、1976)pp.10-25、M12.1.20現在の和歌山区の400町名が掲載。和歌山区の400町は郡区町村編成法の間、名称は同じでした。各種資料に表記の揺らぎがありましたが、明らかに誤りがある3箇所を除き和歌山県乙第6号布達で統一しました。
#3箇所とは和歌山県乙第6号布達(M12.1.20)では湊本町一丁目、湊本町二丁目、湊本町三丁目となっていましたが、和歌山県甲第127号布達(M13.7.23)や和歌山市統計書明治34年(編:和歌山県和歌山市参事会、出版:和歌山市、M36.9.1)や地方行政区画便覧(編・出版:内務省地理局、M20.10.)(M19.1.現在、864頁1-2行目)では湊本丁一丁目、湊本丁二丁目、湊本丁三丁目となっていました。

14 1889(M22).4.1 「郡変更/新設/村制」 名草郡宮前村 名草郡 杭ノ瀬村, 手平村, 手平出島村, 南出嶋村, 中嶋村, 新中島村, 海部郡 小雑賀村
77 1889(M22).4.1 「郡変更/新設/村制」 那賀郡鞆淵村 那賀郡 中番村, 下番村, 伊都郡 上番村
共に新設/村制→郡変更/新設/村制と変更する。
参考:県令第14号(M22.2.22)

47 1889(M22).4.1 「新設/村制」 那賀郡名手村 那賀郡 名手市場村, 「穴伏村」
村制→新設/村制と変更し、穴伏村を追加する。
参考:県令第15号(M22.2.22)

117 1889(M22).4.1 新設/村制 有田郡五西月村 有田郡 青田村, 有原村, 大西村, 大薗村, 小原村, 冬村, 延坂村(本), 沼田村, 本堂村, 中嶺村, 中村, 瀬井村, 彦ヶ瀬村, 尾上村, 西ヶ「嶺」村
西ヶ峯村→西ヶ嶺村と訂正する。
参考:県令第15号(M22.2.22)

126 1889(M22).4.1 新設/村制 日高郡志賀村 日高郡 志賀村, 小池村, 方杭浦(微)
127 1889(M22).4.1 新設/村制 日高郡「比井浦」, 「産湯浦」, 「小浦」,比井崎村 日高郡 津久野浦, 小阪村, 阿尾浦, 方杭浦(本)
比井浦, 産湯浦, 小浦を#126志賀村ではなくて#127比井崎村の構成町村へ変更する。
県令第15号(M22.2.22)では比井浦, 産湯浦, 小浦は#126志賀村の一部へとあります。しかしながら、新旧対照市町村一覧(著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)、郵便区画町村便覧(編・出版:逓信省通信局、M22.6.24)146頁右から4行目、市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させた大日本市町村名鑑(著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)では#127比井崎村の一部へとあり、県令第15号(M22.2.22)の誤記と判断しました。


以上、よろしくお願いします。


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